辺見庸「日録1-5」(2014/10/26)から。
 
イカサマの極致。福島県知事選。開票後ただちに自民、公明、民主、社民が支援した候補が当選確実。なんのための原発事故、なんのための選挙、なんのための社民党か。争点がなかったのだという。争点がない?!おお、なんということだ。天国の堀内良彦君よ、見たか。(2014/10/26)
 
辺見庸の友人、堀内良彦さんの死については辺見の「日録8」(2014/02/26~)に以下のような文章があります。
 
2月26日付け。
友、堀内良彦が2014年2月25 日午後8時ごろ、逝った。
 
同月27日付け。
友、堀内良彦は血友病患者でHIV感染者だった。すでに肝臓がんを併発していたのに、福島県の放射能汚染地にたびたび入り、東電に抗議し、血友病患者支援にもあたっていた。そうせずにはいられなかったのだ。「戦死」という言葉はきらいだから、つかわない。良彦はただ、ずっと悪戦苦闘し、のたうちまわり、ついにひとりで逝きやがった。昔、文化学院でかれを知った。いっしょに教育テレビにでたこともあった。たびたび助けられた。とてもはげしく憤り、とてもやさしく愛する男。カサヴェテスについておしえてもらった。飼っていた犬は柴のペロ。良彦より先に死んだ。存在していた者が不意にいなくなるのはあまりに奇妙だ。不当だ。
 
3月2日付け。
それがごく穏やかなものにせよ、苛烈にせよ、目にはよく視えないにせよ(おおかたは視えないものだ)、こう言ってよければ、わたしの戦線はすでにある。だれしも各個の戦線がある。じぶんの戦線は、まるでカナヘビの細い影のように、極小である。でも、それをじっと見つめることだ。そこから逃げないことだ。 できれば、それをあからさまにすることだ。 この3年、 いったいなにが起きて、なにが起きなかったのか。鬱々とかんがえていたときに、堀内良彦がひとりで逝ったのだった。 この3年、いったいなにが起きて、いま、なぜこんなひどいことになっているのか…ずっと昏睡しつづけていたように、しょうじき、 わからないでいる。ただ、かれのあの激怒と共感と絶望が、ほんとうにたぐいまれな、 立派な能力であったことだけは、いくら迂闊なわたしにだって、わかる。 強者への激怒と弱者への共感とじぶんへの絶望…。
 
以下、省略。辺見の「日録8」は辺見庸ブログでは見ることができなくなっていますので、弊ブログの「辺見庸にとっての友、堀内良彦の死。そして、『抵抗』と『反動』の問題」をご参照ください。
 
また、なぜ辺見は「堀内良彦君よ、見たか」と天国の友人に呼びかけたのか。は、白石草さん(Our Planet-TV)の下記の「堀内良彦@horiuchiyo: 氏死去について」と題された連続ツイートをお読みいただければさらにご納得いただけるものと思います。
 
冒頭に挙げた辺見庸の「日録1-5」の文章は実は以下の文章の続きとして書かれています。
 
筑摩書房刊「戦後日本思想大系」の5『国家の思想』(1969年)の36頁上段に載せられた、とある男女の写真のキャプション。「敗戦直後、大元帥の軍装から背広に着換えた天皇と皇后」。このモノクロ写真がすべてをものがたる。笑顔。とくに男の破顔一笑。原爆2発投下からまだ半年もたっていないとき。なんの恥じらいもかげりもない、朗らかに白い歯をむきだした、邪気のない笑い顔。その男の髪によこからそっと手をやる女。悪びれもせず、屈託もない、ただ楽しげな男と女。これこそ、すべてを円滑に卑劣に無化してきたこの国の無思想、イカサマ文化のいしずえである。今日も明日もそれは有効である。「いま、〈大多数〉の感性が〈ワレワレハオマエヲワレワレノ主長(ママ)トシテ認メナイ〉というように否認したときにも、……〈ジブンハオマエタチノ主長ダカラ、オマエタチノタメニ祈禱スル〉と応えそれを世襲したとすれば、この……存在の仕方には不気味な〈威力〉が具備されることはうたがいない」(吉本隆明)。イカサマの極致・・・・
 
また、上記引用文中の吉本の言葉は確かめてはいませんがおそらく上記『国家の思想』の解説の執筆を吉本は担当していますが、その吉本の解説の言葉からの援用でしょう。

さらに私がここでなぜことさらに辺見庸の「イカサマの極致」の文章を「今日の言葉」として引用したのか。私のここまでの文章を読んでいただけた方には言うまでもないだろうと思います。が、贅言を費やせば私は弊ブログの10月15日付けに「社民党及び社民党支持者のいう『脱原発』『再稼働反対』とはなにか? ――福島県知事選に見る「脱原発」運動の中身」という文章を書いています。もし、よろしければご参照ください。
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