「脱原発」運動、あるいは放射能、低線量被ばくの問題に関して、低い次元からの思いこみの投稿、非科学的な投稿が後を絶ちません。後は絶ちませんが、私としては理論的な問題としては反論済みの投稿の繰り返しの類いばかりで、これ以上論理の通用しない人を相手に無駄な労力は費やしたくないという思いが強く、最近は不快な思いにはじっと耐ることにして放置してきました。しかし、放置にも限度があります。放置していると、自分たちの投稿が認知されているかのようにに思いなして、低次元、非科学的な投稿(といっても、転載ものがほとんどです)を繰り返し、繰り返し続けます。ときには反論しておく必要があるだろう、と思い直して書いたのが以下の2本の反論記事です。
 
1本目の記事は下記記事で紹介されている医師の所見とは真逆の立場に立つと思われる福島のある医師の論を紹介したもの。もちろん、間接的な反論の意をこめているものです。
 
【報告】福島市で、講演会{甲状腺がん103人をどう見るか、低線量被ばくから健康を守る」が開催されました。(CML 2014年10月17日)
 
2本目の記事は下記記事の直接の反論記事として書きました。
 
離れているのに(茨城千葉)直下だった―福島原発放射能と食の安全/常総生協専務理事柿崎さんの話10/19京都(CML 2014年10月17日) 

1本目の記事。
 
もうひとりの福島の医師の報告。坪倉正治医師(東大医科研医師(血液内科)、南相馬市立総合病院非常勤医)の「『悲劇』を求める取材」。
 
この坪倉医師の話も「公表されているもっとも新しい福島県民健康管理調査のデーターを踏まえた」上での話であろう、と私は思います。
 
「悲劇」を求める取材(坪倉正治 朝日新聞・アピタル 2014年10月7日)
 
いまの浜通りの状況について、海外へ発信することが非常に難しいと感じています。インターネットの特徴なのでしょうけれど、知りたいと思っている人以外にはなかなか届きません。テレビなどのメディアも、悲しい話やけしからん話など、人間の喜怒哀楽に訴えかけるような内容とリンクする場合には強みがあるのでしょう。それに対して、淡々と事実を伝えるのは苦手(というよりむしろ喜怒哀楽に伴うものにかき消えてしまう。)なことを感じます。もちろん受け手の協力も必要です。
 
私の勝手な感覚ではありますが、日本でも海外でも、いわゆる専門の先生や医療関係者の間では、住民の方の被曝量などについての話が出ることはほとんどなくなってきたと感じます。学会でこうしたテーマが占める割合も減っています。住民と接している先生についてはそのようなことはありませんが、そうでない先生からは「被曝の検査なんて、まだやってたの?過剰でしょ。人件費と資源の無駄でしょ」といった声さえ聞かれます。確かに、国連やWHOからも線量評価に関する報告書が出ていますし、測定結果もごまんとあります。ただチェックは続けるべきだと思っています。こちらとしてはあまり気にせず、淡々とやっていくだけだと考えています。
 
そんな一方、海外の方、そしてその知識を映す鏡であるメディアの方からの質問は、なかなか厳しいものが多いです。
 
とある韓国のテレビスタッフが相馬の病院にやってきて、インタビューをしたいと言ってこられました。植物の写った写真を10枚ほど渡されました。何かと思いきや、「植物が放射線で奇形だらけだと聞いている。人間に関してもそうなんでしょ?」と言い始めました。福島県ではそんな状況には全くないことを伝えますが、明らかに不満そうでした。取材する相手を間違えたという感じ。
 
オーストリアのテレビは外来の風景を撮影していきました。質問は「南相馬にどうして人が住んでいるんですか?」といった類いの内容でした。事故が起きたのは事実として、いまのこの場所での被曝量がどの程度か、ゆっくりと説明しますが、蔑(さげす)むようにニヤッと笑って終わりました。その表情は忘れません。
 
ドイツのテレビ局はBabyscanの取材に来ました。この器械が出来た経緯や、小さい子どもからはセシウムがまったく検出されていないことを説明しました。しかし、彼らは「悲劇」を求めているようでした。使いたいコメントを撮りたいのでしょう。繰り返し同じ質問を5回も10回もしてきましたが、相手が求めるコメントをしようもありません。結果、彼らが必要とする悲劇には満たなかったようでした。
 
こうしたことは、取材を受けたことのある多くの方が経験されていることと思います。まあ確かに、海外のどこかの国で、「こんな問題があったけれども、だいぶ落ち着いてきました」という報道が日本であったとしても、ほとんどの人にとっては記憶に残らないだろうなとも思います。
 
もちろん、そんな方々ばかりではありません。ちゃんと話を聞いてくださる方がいらっしゃることも確かですし、その様なメディアの方に我々は何度も何度も助けていただきました。
 
そんな状況の中、やはり可能であれば、地元の方々一人一人が現状をご自分で説明できるようになって欲しいと思っています。学校での知識などがその要です。そして多くの専門の先生方にもいま一度、周囲への発信をぜひ続けて欲しいと願っています。
 
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坪倉正治 (つぼくら・まさはる)
 
東京大医科研医師(血液内科)、南相馬市立総合病院非常勤医。週の半分は福島で医療支援に従事。原発事故による内部被曝を心配する被災者の相談にも応じている。
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2本目の記事。
 
「 離れているのに(茨城千葉)直下だった」という意味不明の標題はどういう意味でしょう?
 
本文を読んでも「福島第一原発から200キロも離れている茨城県南部と千葉県北部を対象とする常総生協の食の安全を確保する為の悪戦苦闘の毎日」が「 離れているのに直下」とどのように結びつくのかまったく意味不明です。
 
また、「関連して 週刊朝日記事『セシウム検査で判明した子どもの体内被曝の深刻度』」という記事のご紹介ですが、なにがどのように「関連して」いるというのか? これも意味不明。
 
かつ、記事を読むと、「週刊朝日」に掲載された記事だということはわかりますが、「セシウム検査で判明した子どもの体内被曝の深刻度」の記事中の「関東15市町で実施されている最新検査で、子どもたちの尿の7割からセシウムが検出されていたことがわかった」というデータは、医療機関や大学機関や公的機関のデータでもなんでもない。単に一民間組織(企業)の「常総生活協同組合」という組織のデータでしかない。つまり、客観性も公共性もなんら担保されていない信頼度のきわめて低い、個人、または組織の恣意性の入りこむ余地のきわめて多いデータでしかないということです。公的機関に限らず、少なくとも学術機関と名のつくようなところがこのようなデータを採用することはありえないでしょう。そうしたまったく客観性の保障されないデータを根拠に「子どもたちの尿の7割からセシウムが検出されていた」などといわれても常識ある市民としてはただちにそのまま信用することはできません。上記1本目の記事で坪倉正治医師(東大医科研医師(血液内科)、南相馬市立総合病院非常勤医)がこれは福島県内の例を言っているのでしょうが「小さい子どもからはセシウムがまったく検出されていない」と述べていることとも矛盾します。
 
「関連して、下記もよろしければお読みください」以下を読むと、実体は、放射能問題に敏感(過敏)なある層の人びとをターゲットにした「食はいのちをテーマに、茨城・千葉に安心・安全な食品をお届けする生協(常総生活協同組合)」の宣伝でしかないのではないか。だから、必要以上に放射能の危険も煽る。それが自らの団体が主催して「最新検査」した「子どもたちの尿の7割からセシウムが検出されていた」という結果です。そのようにしか読みとれません。
 
根拠のない放射能「被害」なるものの拡散は「福島差別」を助長することだけにしか役立ちません。「脱原発」運動にとっては有害無益というほかありません。
 
なお、上記の「セシウム検査で判明した子どもの体内被曝の深刻度」の記事中に権威づけとして「内部被曝に詳しい琉球大学名誉教授の矢ケ崎克馬氏が解説」が援用されていますが、「福島原発事故以来、反原発運動の中の非科学的主張の横行には呆れるばかりで、それは今もずっと続いている...というか、むしろ酷くなるばかり…(略)第一回目は、内部被曝問題ではよく引き合いに出される琉球大学の矢ケ崎克馬名誉教授の非科学的主張を指摘しておく」などなどの科学者界隈の矢ヶ崎克馬氏批判も少ないないことも付記しておきます。
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