藤原新也さん(作家・写真家)が「ノーベル賞雑感。」という文章を本日付けでご自身のブログに掲載しています。「マララさんのノーベル平和賞の受賞」についての藤原さんの視点からの疑問と問題提起の弁です。藤原さんの問題提起は広く共有されるべきものだろうと私は思います。とりわけ「今回、日本の“勇士”は日本国憲法第九条を平和賞の対象として申請したが、かりにこの第九条が世界に類を見ない“理念”であったとしても、それをノーベル賞の対象として申請することそれ自体が“政治(的な)動き”であり、九条の理念を汚すものだ」という藤原さんの指摘と問題提起は、私の論理と思いとも重なるものであり、私として意を強くする指摘であり、問題提起でした。
 
藤原さんの文章のご紹介の前にこの10日ほどの間にノーベル賞、またノーベル平和賞について書いた私の文章(引用文を含む)もあります。あわせてご紹介させていただこうと思います。以下4本(URLのみ)。
 
昨日(12日付)の記事の訂正を含む追記と本日の「ノーベル平和賞」問題に関するあるメールへの返信(2014.10.13)
 
マララさんのノーベル平和賞受賞問題を考えるための2本プラスアルファの記事の紹介 ――「マララさんのノーベル平和賞で期待される変革」(ウォール・ストリート・ジャーナル)」と「タリバーン幹部からマララへの手紙」(田中真知)」(2014.10.12)
 
今日の言葉 ――ノーベル平和賞の栄誉に輝いたマララさんとは対照的にアメリカの攻撃で命を失ったアフガニスタンやイラクの少女たちは何の賞賛も償いも受け取ることはなかった。私はこのことを不公正だと思う(2014.10.11)
 
「憲法9条」問題以前の問題としての「ノーベル賞」と「勲章」について ――「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」としてサルトルはノーベル文学賞を辞退した。私はサルトルのその言葉に深く共鳴する(2014.10.05)
 
さて、以下、藤原新也さんの論。
 
ノーベル賞雑感。(藤原新也 Shinya talk 2014/10/14)
 
マララさんのノーベル平和賞の受賞にはさまざまな批判がある。
 
イスラム国台頭の最中、対イスラム過激派共闘へのプロパガンダとされた感は確かに否めない。
 
というより絶妙のタイミングだったと言える。
 
化学賞などと異なり、この平和賞が久しく政治的道具とされていることは佐藤栄作のようなゴロツキ政治家が企業を後ろ盾の多額の裏献金によって授賞していることからも明らかだ。
 
また今回、日本の”勇士”は日本国憲法第九条を平和賞の対象として申請したが、かりにこの第九条が世界に類を見ない”理念”であったとしても、それをノーベル賞の対象として申請することそれ自体が”政治動き”であり、九条の理念を汚すものだ。
 
これは日本人すべての上にある理念であり、一部の県人による富士山の世界遺産申請同様、一部の人間によって勝手にノーベル賞候補として申請されても困るのである。
 
 
民族衣装を纏った世界の悪と戦う汚れなき少女の持つ不屈の魂と勇気。
 
マララさんの場合は欧米の価値観や欧米主導の政治のイコンとなるにはこれ以上にない”道具立て”を所有していた。
 
そしてまた少女はその”お膳立て”に十分すぎるほど応えている。
 
私は彼女を見ているとついインドやパキスタンの旅を思い出してしまう。
 
なぜかあっちの方にはこういう小娘がよく居るのだ。
 
エリートの子供で、学校の成績のよいらしい歳の端もいかない10代の小娘が自信たっぷりに大人顔負けの饒舌な口調で(稚拙な)論理を振り回す。
 
まるで街頭の香具師ではないかと思えるほど口八丁手八丁だ。
 
その過剰な自己主張は一体どこから出ているのだろうと思うことがある。
 
日本にあまりこういった10代の小娘がいないので想像がつかないだろうが、旅の中でこういう手合いが出てくると辟易する。
 
話に調子を合わせていると、自分の都合のいいように話をねじ曲げ、人の優位に立とうとする。
 
マララさんもここのところ欧米世界の要請に応えるように自己ヒーロー化に向かっての言葉の脚色がエスカレートしている。
 
もともと彼女の存在が世の一部に知られたのは彼女の住む地域がタリバン運動に席巻され女性の教育が禁止されたおり、イギリスのBBCの依頼によって現状をブログに書いたことがきっかけだった。
 
彼女はその時、スクールバスでの通学にビクビクしている、という発言をしている。
 
そしてそのコメントによって彼女は特定され、狙撃された。
 
わずか11歳の子供である。
 
ビクビクしているとの発言であっても現地の状況を考えると勇気ある発言であり、それは彼女の偽りのない本心だろう。
 
その折の狙撃される前の彼女のポートレイトを見て私は汚れのない綺麗な子だとも思った。
 
だがそれから6年、彼女は欧米の”マララ・ヒーロー化計画”に応えて饒舌と脚色をエスカレートさせて行く。
 
その真骨頂がノーベル平和賞の授賞の弁の中で出て来た以下の文言である。
 
「私には黙って殺されるか、発言して殺されるかしか選択肢がなかった。だから私は立ち上がって発言してから殺されようと思った」
 
まさに世界を唸らせるサビの効いた文言である。
 
情報の溢れるこの情報化社会においては象徴となるような有効なワンコピーが功を奏すと言うことを十分心得たフレーズでもある。
 
ひよっとしたら広告代理店が一枚噛んでいるのではないかと思わせるほどの出来映えである。

引用者注:上記の藤原さんの指摘に関して、私は、昨日付けの弊ブログ記事に以下のような情報を掲載しています。

・「マララ女史の活動をコーディネートする広告代理店はEdelman。同社はMicrosoftとスタバの広告業務も請け負う。2012年から活動をサポートし、現在5名からなるチームが担当。
 
・「マララ女史の国連スピーチを書いたのは、どうやら広告代理店EdelmanのJamie Lundie氏のようだ。平和へのアピールに広告代理店が絡むのは、本当に仕方の無いことなのだろうか?私はどうしても、こういうやり方が好きになれない。」
 
ふとそう思うのは授賞の弁を全文読んでみると非常に優等生的平板なものでありながら、このフレーズだけが全体から浮いたように”高等”だったからだ。
 
いやかりにそれが彼女自身が作った”コピー”であったとしても、あの”ビクビク”から”殺されようと思った”のわずか6年の間に彼女の身に何が起こったのか。
 
それはそのわずか6年の間の少女のポートレイトの変化に現れていると写真家の私は見る。
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/1029-d5ad52f2