・「『当局の訴追を招いたのは産経の言論の自由の濫用の結果』と産経紙を一刀両断に切り捨てる一頭地を抜く明晰明快な猪野亨弁護士の論」の追記として。 
 
今日になって知ったことですが、「河信基の深読み」ブログが2014年10月9日付けで「産経新聞前ソウル支局長起訴 根拠のない噂と言論の自由」という記事を書いていて、その中で「日本の一部メデイアは隠しているが、加藤容疑者は市民団体の告発を受けて検察の聴取を受けた。一部メデイアは大統領が権力を行使したかのような憶測を流すが、そうした事実は一切認められず、大統領は一被害者として処罰を求めただけである」と指摘しています。
 
「加藤容疑者は市民団体の告発を受けて検察の聴取を受けた」という河信基さんの指摘が正しいとすれば(私は正しいと思いますが)、本記事に「韓国の検察批判は法の道理から見て当然」と書いた私の判断は韓国政府の「国家権力の行使」ということを前提にした判断ですから訂正しなければならないように思います。市民の告発を受けて韓国の検察が加藤産経新聞記者の事情聴取をしたのであれば下記に引用している猪野亨弁護士の記事においても「これが事実でなければ名誉毀損にあたるのは当然のことでしょう」と指摘されているくらいですから、加藤記者を事情聴取したこと自体は韓国の検察としては当然の行為というべきでしょう。ただし、韓国の検察は起訴という強権発動には抑制的であるべきでした。一方で「言論の自由」、「報道の自由」があることも確かなことです。起訴という強権を発動すべきではなく、言論には言論という手段を講じて対抗すべきところだったと思います。
 
・本日の「ノーベル平和賞」問題に関するあるメールへの返信として。
 
あるメールの要旨
今年のノーベル平和賞を一七歳のマララ・ユスフザイさんが受賞した。憲法第九条(を保持する日本国民)が有力候補に上がっていたのに受賞できなかったことは残念であるが、彼女の誕生日に合わせて昨年七月一二日に国連本部で行われた演説(「東京新聞」一〇月一一日)を一読して深く感動し学んだ。一六歳の少女の演説とはとても思えない。ノーベル賞の限界や欠点をあげつらうことよりも、マララさんの崇高な行いに学ぶことのほうが遥かに大きな意味がある。若い人たちが彼女に感動して後に続こうとしていることは大いなる希望である。おそらく人間には完全無欠ということはありえず、限界や欠点を伴わない人間やその行為はないだろう。賞賛に値する行為から学ぶことによって、平和を創造することや社会制度を変革することも実現できるに違いない。
 
私の疑問としての返信
ノーベル賞の限界や欠点をあげつらう?
 
「マララさんが非道な暴力で殺害されようとし、奇跡的に回復し、女性の教育、こどもの権利を訴えることは称賛に値すると思う。彼女に対するパキスタン、タリバンの暴力も絶対に容認出来ない。しかし、パキスタンタリバンに襲撃されたことでノーベル平和賞の栄誉に輝いた彼女とは対照的に、アメリカの攻撃で命を失ったアフガニスタンやイラクの少女たちは何の賞賛も償いも受け取ることはなかった。私はこのことを不公正だと思う」と指摘することが、また、その指摘されていることを紹介するのが「欠点をあげつらう」ことか?
https://twitter.com/masanorinaito/status/520600991343734784
https://twitter.com/masanorinaito/status/520601183266676736
 
また、「『女性の教育権を訴えたマララ・ユスフザイさん』ノーベル平和賞のニュース。これで、イスラームが女性の教育を禁止しているとか渋っているというイメージが蔓延すると嫌。現に、エジプトのアズハル大学(イスラームの総本山)には女子部も完備され、女性も様々な分野の大学教育を受けることができる」という指摘が、「欠点をあげつらう」ことにすぎないのか?
https://twitter.com/harukosakaedani/status/520718974380560384
 
マララさんの崇高な行いに学ぶ?
 
ではなぜ米議会は、また日本政府は、また米国、日本国民は「CIAのドローン誤爆で祖母を失い兄弟姉妹が負傷したナビラさんの話」に学ぼうとしないのか? 「米議会は430人のうちたった5人が、CIAのドローン誤爆で祖母を失い兄弟姉妹が負傷したナビラさんの話を聞くために出席したと。マララさんが議場に来たら万雷の拍手だったろうに。アンフェアな事を重ねることによってテロの脅威は格段に増す」という指摘もあります。
https://twitter.com/masanorinaito/status/521294449112936448
 
その不公正を訴えることが、また、「マララさんの行いに学ぼうというのならば、なぜナビラさんの行いに学ぼうとしないのか」と訴えることが「ノーベル賞の限界や欠点をあげつらう」ことか?
 
「世間」(いまやこの「世間」は世界的規模で創出されています)なるものに流されてはいけない。
 
「世間」が意図的に創られる、という点については、以下のような情報もあります。
 
「マララ女史の活動をコーディネートする広告代理店はEdelman。同社はMicrosoftとスタバの広告業務も請け負う。2012年から活動をサポートし、現在5名からなるチームが担当。
https://twitter.com/May_Roma/status/520546033030684672
 
「マララ女史の国連スピーチを書いたのは、どうやら広告代理店EdelmanのJamie Lundie氏のようだ。平和へのアピールに広告代理店が絡むのは、本当に仕方の無いことなのだろうか?私はどうしても、こういうやり方が好きになれない。」
https://twitter.com/curatorshinya/status/521426673884217345
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