はじめにマララさんのノーベル平和賞受賞についてこの国の一般的な受け止め方を示す記事として日本ジャーナリスト会議の「今週の風考計」記事
 
ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんに、もう、母国のパキスタン・イスラム武装勢力は「イスラムの敵には鋭いナイフを用意している」と脅迫し、17歳のマララさんへの攻撃を続けると示唆した。いったい彼らは何を考えているのだろうか。マララさんは「子供たちには良質な教育を受ける権利、児童労働から逃れ人身売買の被害にあわないですむ権利、そして幸せな人生を過ごす権利がある」と、5700万人の教育を受けられない子供たちの救済をめざし、世界に向けてスピーチした。しかも共同受賞者の、インドで児童労働問題に取り組むカイラシュ・サトヤルティさんと話し合い、印パの国境紛争を憂い、両国の関係改善に向け、それぞれの首相に授賞式への出席を要請するとも語った。17歳、高校生の言葉に胸を打たれる。香港でも、行政長官の選挙をめぐり民主化を求めて大規模なデモが巻き起こっている。その活動の中心は、大学生や高校生などの若い世代が担っている。日本はどうか。高校の文化祭では<お化け屋敷>が人気だという。これでいいのだろうか。 
 
注: 上記のJCJの記事でマララさんが「イスラムの敵には鋭いナイフを用意している」とパキスタン・イスラム武装勢力から脅迫された件については以下の記事を参照。
 
マララさんへの攻撃を示唆 「敵にナイフ」と武装勢力
(共同通信 2014/10/12)
 
続いて「マララさんのノーベル平和賞で期待される変革」と題されたWSJの記事。
 
マララさんのノーベル平和賞で期待される変革
(ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 2014年10月12日)
 
By HUSAIN HAQQANI 
原文(英語)
 
パキスタン出身の17歳の少女マララ・ユスフザイさんが10日、史上最年少でノーベル平和賞を受賞することが決まった。反啓蒙的なタリバンに立ち向かい、近代的な教育を受ける権利を主張した勇気が評価された。その勇気のために、彼女は2012年にイスラム過激派に頭部を銃撃された。
 
マララさんと同時受賞が決まったカイラシュ・サトヤルティ氏は子どもの権利の擁護を訴えるインド人活動家だ。折しもパキスタンとインドの軍隊は領有権を争うカシミール地方の前線で銃撃戦を繰り広げている。このタイミングで、平和と人権を促進したことが評価されて世界の誰もが欲しがる賞を若いパキスタン人と子どもの権利を守ろうと訴えるインド人が分かち合うことに大きな意味がある。
 
タリバンの野蛮な振る舞いに抵抗したマララさんの勇気はノルウェーのノーベル委員会から称賛されたが、パキスタンで聞かれるマララさんへの批判の声は若い彼女が自身をかけて戦った国家の停滞の表れである。数百人のパキスタン人の若者――そのほとんどがクリケットの元スター選手イムラン・カーン氏の支持者だ――がツイッター上で「MalalaDrama(マララ茶番)」というハッシュタグを使い始めた。イスラム教国のパキスタンに西洋的な価値観を押し付けようとしている邪悪な西側の道具というレッテルをマララさんに貼るためだ。ツイッター上では神を冒涜(ぼうとく)した容疑でマララさんを告発すべきだという声もわずかだが上がっている。パキスタンでは昔ながらの思想以外なら何を主張しても神への冒涜として告発されることが珍しくない。幸いなことに、マララさんは頭部の傷の治療のために渡英し、現在はバーミンガムに住んでいる。
 
マララさんは09年にタリバンの支配下の生活について記録し始めた。そのころにはタリバンがパキスタン北西部のスワート渓谷を支配しており、マララさんが通っていた学校を閉鎖しようとしていた。タリバンとタリバンを支持するイスラム主義者は女子教育に反対しており、男子の教育についても進んだ考えは持っていなかった。外に出ることがほとんどない村の少女だったマララさんは世界とつながりたいと思っていた。彼女はパキスタン人のベナジル・ブット氏から刺激を受けたと語っている。ブット氏はイスラム世界で初の女性首相になり、2007年に自分たちの意向に逆らっていると受け止めたテロリストによって殺害された。
 
タリバンは彼らが主張するイスラム教を武力で容赦なく押し付けたが、マララさんはそれを拒否することで、イスラム過激派に譲歩を続ける多くのパキスタンの政治家、将軍、有名な知識人を超える先見性を示した。彼女はタリバンがパキスタンを数世紀前に後戻りさせる脅威だと認識しており、タリバンは米国の支配やインドの影響力にナショナリストが反発した結果であるというプロパガンダを受け入れなかった。
 
パキスタンの指導者は長い間、国家の優先課題を完全に無視してきた。1947年の誕生以来、圧倒的に広い国土を持つ隣国インドと軍事的に対等な立場に立つことを重視してきた国家にとって、多くの場合、宗教過激主義とテロリズムは深刻な脅威とはみなされない。パキスタンの戦略立案者はタリバンを近代化に抵抗する残虐な人間と見る代わりに、ソ連の撤退後、アフガニスタンでインドの影響力に共に抵抗した仲間だと考えている。
 
タリバンのイデオロギーに近いテロ集団は、カシミール地方をめぐるインドとの長年の紛争を解決したいと願うパキスタンの歴代政権から支援を受けていた。パキスタンは01年の米同時多発テロ以降、テロ攻撃で何千もの市民や兵士を失ったが、(テロ集団を支持するという)戦略上の妄想は今もはびこっている。
 
反西欧的な感情と集団的な被害者意識も醸成された。社会政策や経済政策が真剣に議論されることはなかった。パキスタンの資源はもっぱら大規模な軍隊の維持と核兵器の増強に投じられ、教育や医療などの社会的なニーズへの投資は不十分だ。その結果、パキスタンは事実上、ありとあらゆる所で失敗国家候補として名前が挙がっている。2億人近い人口の半分は字が読めず、人口増加率は高止まりしている。経済成長率が上昇するのは米国からの援助が増えたときだけだ。
 
パキスタン最大の大学であるパンジャブ大学のムジャヒド・カムラン副学長が13年に発表した著作はパキスタンやイスラム世界の大部分が直面している危機を的確に表している。カムラン氏――エジンバラ大学で物理学の博士号を取得した――は「9/11&The New World Order(9・11と新世界秩序)」の中で、9・11のテロ攻撃は内部による犯行で、アルカイダは米中央情報局(CIA)のスパイだと主張している。カラチの新聞エクスプレストリビューンが13年9月に掲載した記事によると、カムラン氏は本の出版記念式典で「米英政府は銀行家一族の高度な陰謀に支配されている。銀行家一族はわれわれの脳にマイクロチップを埋め込んでわれわれを操作しようとしたり、パキスタンのテロ攻撃に資金援助を行ったりしている」と述べた。
 
カムラン氏はかつて米国のフルブライト奨学生で、米国政府の民間外交プログラムの有効性欠如を如実に示しているともいえる。しかし、パキスタンが遅れているのは指導者の多くが無知であるせいではなく、米国の見えざる手による陰謀のせいだと信じているのは彼だけではない。一つ例を挙げよう。私はパキスタン軍の将軍が米国の電離層研究プログラム「Haarp」のせいでパキスタンでは繰り返し洪水が起きていると話しているのを聞いたことがある。
 
マララ・ユスフザイさんは勇気があることを示すと同時に、自分が生まれた社会にはびこる反啓蒙主義と陰謀説の妄想から距離を置き、年齢以上に賢明であることを証明した。マララさんは既に、パキスタンで近代化を求めて戦い続ける人々の英雄である。そして今、ノーベル平和賞によってマララさんの発言にはこれまでにないほど重みが増した。
 
(フセイン・ハッカニ氏はハドソン研究所の上級研究員。2008~11年に駐米パキスタン大使を務めた。著書「Magnificent Delusions: Pakistan, the United States and an Epic History of Misunderstanding(壮大な妄想:パキスタン、米国、誤解についての途方もない歴史)」は13年にパブクックアフェアーズから出版された)
 
最後に上記のWSJの記事で「イスラム教国のパキスタンに西洋的な価値観を押し付けようとしている」などの「数百人のパキスタン人の若者」の批判の声を解説するものとして田中真知さん(「王様の耳そうじ」ブログ主宰)の「タリバーン幹部からマララへの手紙」という2013年7月19日付けの記事をご紹介させていただこうと思います。マララさんのノーベル平和賞受賞についてパキスタン人のこういう声もあり、こうした見方もあるのだというご紹介のつもりです。タリバーン幹部の意見には聞くべきものがあるように思います。
 
タリバーン幹部からマララへの手紙
(田中真知「王様の耳そうじ」2013年7月19日)
 
昨年10月にタリバーンに頭を撃たれたパキスタンの16歳の女性マララ・ユスフザイ。やっと怪我から回復した彼女が、さる7月12日にニューヨークの国連本部で行ったスピーチは感動的なものとしてメディアで大きく取りあげられ、「マララさんにノーベル平和賞を」という動きまで起きているという。それはテロリズムや暴力によって子どもたちが教育の機会を奪われることがないように先進諸国に支援を求めるとともに、暴力ではなくペンによって戦うことを訴える内容だった。
 
そのマララに宛てて、数日前、パキスタンのタリバーン運動(TTP)の幹部アドナン・ラシードが書いたという反論の書簡が公開された。アドナンは、このような事件が「起きてほしくはなかった」とする一方、「タリバーンは教育そのものに反対しているわけではなく、あなたのプロパガンダが問題とされたがゆえに、あなたを襲撃したのだ」と書いている。
 
その反論や弁明にはいいわけがましい印象を受けるのもたしかだが、この書簡には西側諸国が主導してきたグローバライゼーションに対する、彼らの切実な危機感がよく表れているように思った。日本語の報道の多くは「こんな書簡が公開された」というだけで、内容には深くふれていない。
 
アドナンは書いている。「英国が侵攻してくる前、インド亜大陸の教育程度は高く、ほとんどの市民は読み書きができた。人びとは英国人士官にアラビア語やヒンドゥー語、ウルドゥー語、ペルシア語を教えていた。モスクは学校としても機能し、ムスリムの皇帝は莫大な資金を教育のために費やした。ムスリム・インドは農業、絹織物産業から造船業などで栄え、貧困も、危機も、宗教や文化の衝突もなかった。教育のシステムが高貴な思想とカリキュラムに基づいていたからだ・・・。
 
アドナンは、英国の政治家トマス・マコーリーがそうしたイスラム的な教育システムをくつがえして、肌の色と流れる血はインド人でも、趣向や思想、道徳観や知性は英国人、つまり英国かぶれのインド人という階級を打ち立てるために全力を尽くしたことにふれ、「それこそがあなたが命がけで守ろうとしている、いわゆる〈教育システム〉だ」と述べる。
 
「あなたが世界に向けて語りかけている場所、それは新世界秩序をめざそうとしているものだ。だが、旧世界秩序のなにがまちがっているのか? (新世界秩序を唱える人びとは)グローバルな教育、グローバルな経済、グローバルな軍隊、グローバルな貿易、グローバルな政府、そしてついにはグローバルな宗教を打ち立てようとしている。私が知りたいのは、そうしたグローバルな計画の中に予言的な導きというものが入り込む余地があるのかということだ。国連が非人間的・野蛮というレッテルを貼ったイスラム法の入る余地はあるのかということだ。・・・
 
「あなたはポリオの予防接種のチームに対する襲撃について語っている。だが、それなら1973年にユダヤ人である米国のキッシンジャー国務長官が第三世界の人口を80パーセントまで減らそうとしたことをどう説明するのか? 国連機関の主導のもとで避妊手術と優生学的なプログラムがさまざまな国で、いろんな形で進められたのはなぜなのか? ウズベキスタンでは100万人のムスリム女性が本人の同意なく強制的に不妊手術を受けさせられた。・・・バートランド・ラッセルは述べている。『食事と注射と強制命令を組み合わせれば、きわめて低年齢の段階で、当局にとって望ましい性格や考え方をもつ人間を生み出せる。権力を厳しく批判することなど心理的にできなくなるだろう』と。だからこそ、われわれはポリオ・ワクチンの予防接種に反対するのだ。・・・
 
「正直に答えてほしい。もしあなたがアメリカの無人機によって銃撃されたのだとしたら、はたして世界はあなたの医学的容態に関心を示しただろうか? 国の娘だと呼ばれただろうか? キヤニ陸軍参謀長があなたを見舞いに来たり、メディアがあなたを追いかけたり、国連に招かれたりしただろうか? 300人以上の罪のない女性や子どもたちが無人機(ドローン)の攻撃によって殺されてきた。でも、だれも関心を示さない。なぜなら、攻撃者たちは高い教育を受けた、非暴力的で、平和を愛するアメリカ人だからだ。・・・
 
書簡は、罪のないムスリムの血をこれ以上流すことがないように、と呼びかけるとともに、マララに対して、故郷に帰ってイスラムとパシュトゥン人の文化を学び、マドラサ(イスラム神学校)に通ってクルアーンを学び、イスラムとムスリム共同体のためにペンを用い、新世界秩序という名のもとの邪悪な計略のために、人間性を隷属させようとする一部のエリートの陰謀をあばくようにというアドバイスでむすばれている。
 
この書簡に述べられたことに筋が通っているかどうかはべつとして、マララをめぐる過度な報道に西側のプロパガンダ臭が最初からついてまわっていたのはたしかだ。マララが11歳のときからつけているという反タリバーン的な内容の日記が2009年にBBCラジオで流されたことがきっかけで、彼女は反タリバーンのオピニオンリーダーに祭り上げられた。そこには彼女の通っていた学校を運営する、詩人でもある彼女の父親の影響も当然強いだろう。だが、彼女の意見はパキスタン国内でかならずしも支持されているわけではなく、国連スピーチのあとは西側メディアの賞賛とは裏腹に、パキスタンのオンラインサイトは、マララのスピーチに対する反発のコメントであふれかえったという。
 
http://online.wsj.com/news/articles/SB10001424127887323309404578612173917367976?mod=wsj_share_tweet&mg=reno64-wsj&url=http%3A%2F%2Fonline.wsj.com%2Farticle%2FSB10001424127887323309404578612173917367976.html%3Fmod%3Dwsj_share_tweet

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気の毒な少女が平和や教育の大切さを訴えれば、だれだってそれを表立っては批判しにくい。実際、マララという少女は勇気ある、高潔で、賢く、まっすぐな女性なのだと思う。しかし、だからこそ問題なのだ。問題はマララのスピーチの中にあるのではなく、そうしたまっすぐな子どもをプロパガンダの宣伝材料にする、というやり口にある。そうした少女が国連のスピーチで世界の賞賛を受け、ノーベル平和賞候補にまで祭り上げられる陰で、米軍の無人機による攻撃で昨年だけで300人以上、これまでには2000人以上が殺され、しかもそのほとんどが民間人であるという事実(米軍はそれを事実と認めていないが)はほとんど顧みられていないとは、どういうことなのか?
 
もっとも、子どもを戦争に利用するというのであれば、タリバーンだって同じである。子どもを誘拐して「自爆テロをすれば天国に行ける」と教え込んで送り出すというやり方は「罪のないムスリムの血を流すこと」にはならないのか。こうした自爆テロにかり出される少年兵たちについての報道もまた西側による誇張されたプロパガンダなのだろうか。どちらの発表も、どこまでが事実なのかどうか報道を見ているかぎりでは、よくわからない。現在では、あらゆる報道に、それを支えるイデオロギーやプロパガンダといったバイアスがかかっている。
 
たしかにいえるのは、このグローバル化の進んだ世界では、西洋的な教育と学校が自由や平等や平和をもたらすという考え方が、かならずしも正しいとはいえないことだ。現在いわれている自由も平等も平和もイデオロギーでしかない。エジプトでも一時期いわれていたが、女性が髪をおおっているヴェールをひきはがすことが、はたして「自由」といえるのか、ということだ。圧倒的な強者たちの中に弱者が「この世界は平等なのだから」と追いやられ、自由競争にさらされたら、ひとたまりもない。
 
話は変わるけれど、ケニアでは学校教育が義務化されたことによって、牧畜民であるマサイが青少年期に学校へ通わなくてはならなくなった。しかし、伝統的なマサイの年齢階梯では、ちょうどこの就学期が「戦士」としての修行と遍歴の期間にあたる。この戦士としての時代は10年以上つづき、その間にマサイは世界と自分の民族についての、さまざまな知識を学び、体験を積み、ライオン狩りといった試練を経て、誇りと知恵と力を身につけた一人前の存在となる。
 
この戦士期間が、彼らにとってどれほど特別なものであるか、マサイの旦那さんをもつ日本人女性の永松真紀さんから聞いたことがある。「グローバル」な教育を受けることで、英語の読み書きができるようになったりはするかもしれないけれど、戦士という伝統だけがあたえられるマサイとして生きることの尊厳のようなものは、この先、どんどん失われていくだろう。チャンスをものにして、グローバルな社会の中で成功する人たちもいるかもしれないが、伝統から引き離されて、自分の生き方に尊厳を感じられずにつぶれていく人たちだってきっといるだろう。
 
むろんそのことと、アフガニスタンの女性が教育機会を奪われていることとは同列には語れないけれど、その背景にあるグローバリズムに対する期待と危機感には共通するものがあるように思う。世の中とは変化するものだ。それも時代の必然だといってしまえば、それまでだけれど、現在の日本にあって、グローバルという名の一律な価値観や尺度にさらされながら、こんなんでよかったんだろうかと感じることの多い今日この頃だけに複雑だなあ。
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