キョウ とうきょうしんぶん5 

Blog「みずき」:東京新聞の桐山桂一記者は昨日づけの「私説・論説室から」に「沖縄は「捨て石」か」というコラムを書いています。その中で桐山記者は生前の大田昌秀さん(元沖縄県知事)を次のように回想しています。「『沖縄が『捨て石』なのは今も同じ』と嘆く大田さんに当時、最も恐ろしく感じることは何かと尋ねてみたら、こんな答えだった。『新聞の論調が戦前と同じように、権力に迎合する風潮が強まっていることですね』」、と。桐山記者は強い共感の思いを込めて左記の大田さんの言葉を引用しているのでしょう。そうであるならば、私は、桐山記者に問わなければなりません。「そのとおりですね。では、東京新聞は権力に迎合していませんか?」、と。たとえば2017年5月14日づけの「週のはじめに考える 沖縄、統合と分断と」という東京新聞の社説。この社説は明らかに権力におもねています。すでにリンクが切れていますのでこちらから同日の東京新聞の社説を再録しておきます。

社説の書き出しは次のようなものです。「四十五年前のあす十五日、沖縄県は日本に復帰しました。しかし、米軍基地をめぐる沖縄と本土との分断は以前にも増して深まっているように見えます。<みそとせの歴史流れたり摩文仁の坂平らけき世に思ふ命たふとし>天皇陛下が皇太子時代の一九七六年、歌会始で詠まれた歌です。陛下はこの前年、皇后さまとともに初めて沖縄県を訪問され、本島南部の摩文仁を訪れています。その三十年前、太平洋戦争末期に、沖縄は住民を巻き込んだ激烈な地上戦の戦場と化しました。摩文仁は、慰霊塔が並ぶ沖縄戦最後の激戦地です。沖縄戦では当時六十万県民の四分の一が犠牲になった、とされます。陛下の歌からは、戦没者を悼む深いお気持ちが伝わります。」

天皇を「天皇陛下」と臣民の呼び方で書き(少なくともジャーナリズムとしての書き方ではありません)、天皇の歌会始の歌を「陛下の歌からは、戦没者を悼む深いお気持ちが伝わります」と誉めそやしています。むろん、沖縄を「捨て石」にしたのは「米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望」することをマッカーサーに伝えた(沖縄メッセージ)天皇自身だったという歴史的認識もありません(詳しくは以下の記事をお読みください)。 https://www.facebook.com/takashi.higashimoto.1/posts/1075331929263900 http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-2033.html

このような社説を恥じらいもなく堂々と掲載する東京新聞が「権力に迎合していない」とはとても言えないでしょう。そうではありませんか、桐山さん。もっと足下に目を凝らして記事を書いていただきたいものです。


【山中人間話目次】
・東京新聞の桐山桂一記者の「沖縄は「捨て石」か」というコラムの足下の観察のない自家撞着のメディア批判
・〈時代の正体〉「東京訴訟も勝利を」朝鮮学校無償化除外裁判で集会|神奈川新聞ニュース
・佐川国税庁長官(前理財局長)の罷免を求める1万人署名運動、今日からスタート
・最近の共産党・市民団体の右傾化スケッチ(10)(小景編)――山尾志桜里をさんざん持て囃してきた「リベラル・左派」の見る目のなさはここにも顕著だ。
・最近の共産党・市民団体の右傾化スケッチ(11)(小景編)――「日本共産党今治市議に対する事実無根の発信について」という同党愛媛県委員会の反論の我田引水
・習近平政権の腐敗と人工知能の中国共産党批判