キョウ うちだじゅ3

Blog「みずき」:内田樹はいまの日本の社会状況を次のように言います。「いま日本で起きている絶望的なまでの「公人の劣化」は何に由来するのか。結論から言ってしまえば「日本はアメリカの属国でありながら、日本人がその事実を否認している」という事実に由来する。日本社会に蔓延している「異常な事態」の多くはそれによって説明可能である。ニーチェによれば、弱者であるがゆえに欲望の実現を阻まれた者が、その不能と断念を、あたかもおのれの意思に基づく主体的な決断であるかのようにふるまうとき、人は「奴隷」になる。「主人の眼でものを見るようになった奴隷」が真の奴隷である。彼には自由人になるチャンスが訪れないからである」、と。

この内田樹の現在日本社会の見立ては、真実を穿っているようで、実はそうではありません。内田によれば、「日本はアメリカの属国で」ある「事実を否認している」のは「日本人」であって、「政府」ないしは「政治家」ではありません。しかし、「日本はアメリカの属国で」ある「事実を否認し」、日米安保条約の第5条や第6条を根拠に対等な同盟関係にあることを強調してきたのは歴代の自民党政権であり、歴代の自民党をはじめとする保守政治家であったことは歴史的事実として明白です。内田は「日本人」という一般的な概念を持ち出し、ここに「日本政府」という固有概念を含ませない。 ここに内田の見立ての大きなまやかしがあります。

そうした誤った論理を展開した上で、内田は自らに「どうやって国家主権を回復するのか」という課題を立て、その課題解決のために模範とすべき政治家として鳩山一郎や石橋湛山や吉田茂というかつての保守政治家を例示します。ここに内田の論理の矛盾があります。「日本はアメリカの属国で」ある「事実を否認している」のが「日本人」一般であるならば、その課題解決のために模範とすべき人物も「日本人」一般の人でなければならないはずです。なにゆえにここでは「日本人」一般ではなく、保守政治家なのか? その答は内田が本質的には保守の「思想家」であるからにほかなりません。冒頭で「日本人」一般を持ち出したのは人を惹きつけるための、あるいはまた真の属国否定者=政権、または保守政治家から目をそらせるための内田のレトリックにすぎないのです。

こういう人がいわゆる民主主義陣営のリーダー然としている。保守政治のきわみといえる安倍右翼政権に真に対峙しえない風潮、政治の右傾化の風潮を創り出し、とりわけ革新を退化させているのは(そういう革新退化の論を見抜けない勢力も勢力だが)こういう人の論というべきではないのか。

また、こういう人だからこそ、72年の沖縄の施政権返還を「対米自立」の果実として一面的に評価したりもする。しかし、実際は沖縄を「捨て石」とする「対米従属」政策は「沖縄の施政権返還」以後も留まることなくいまも延々と続いている。この人には辺野古の惨劇も、高江の惨劇も、政府の政策にまつろわぬ者たちへの剥きだしの国家暴力そのものとしての逮捕・勾留劇もなにも見えていない。その惨劇の数々をこの人は「戦後27年間は「対米従属」は「対米自立」の果実を定期的にもたらしたのである」と言ってのける。それがこの人の「『属国』直視」という説の本質です。


【山中人間話目次】
・内田樹のいう「『属国』直視」の意味
・澤藤統一郎さん(弁護士)はなぜ端的に共産党を批判しえないのか?
・中野敏男さん(東京大大名誉教授)の加藤典洋の『「戦後」の誕生』書評の書評――「歴史主体論争」とはなんだったか?
・NHKスペシャル「憲法70年“平和国家”はこうして生まれた」はNHKという国家への忠誠(安倍政権の下僕)を旨とする「国営」放送局の新趣向の「天皇礼賛」番組と言うべきではないか