キョウ うちだじゅ2

Blog「みずき」:内田樹に対して「悪い印象はもっていなかった」、「リベラルな陣営にある人との思い込みは強」かったと反省する澤藤統一郎さん(弁護士)が、遅きに失した感は免れないのですが、その内田樹の「象徴天皇制」論を「憲法論としては、トンデモ説と酷評せざるを得ない」と厳しく批判しています。この澤藤さんの論が「リベラル・左派」陣営における内田樹評価を見直す契機になることを私は期待します。以下、澤藤統一郎さんの論をご紹介させていただこうと思いますが、この問題については私も先日内田樹を批判しています。その弊論はこちらです。合わせてお読みいただければ幸いです。

さて、澤藤統一郎さんの
内田樹の「象徴天皇制」論批判(要旨)は以下のとおり。

「内田樹に聞いてみたい。あなたのお考えでは、象徴天皇は、その本務として天皇の戦争責任にどう向き合うべきなのか。どうして、象徴天皇が、父親である昭和天皇の戦争責任を抜きにして他人事のように戦死者を「鎮魂」する資格があると考えられるのか。天皇の名の下の戦争で天皇に殺されたと考えている少なからぬ人々に、「謝罪」でなく「鎮魂」で済まされると本気で思っているのか。象徴天皇の本務として、侵略戦争の被害国民や、被植民地支配国民への謝罪は考えないのか。天皇制警察の蛮行により虐殺された小林多喜二ほか、あるいは大逆罪、不敬罪の被告人とされた被害者やその家族も、象徴天皇の本務たる「鎮魂」と「慰霊」「慰謝」の対象なのか。また、東条英機ほかの戦争指導者についても、現天皇は鎮魂してきたというのか。上記内田の一文は、文化史的な天皇論と、憲法上の天皇論が未整理に混在していてまとまりが悪い。文化史的な論述は自由ではあろうが、憲法論としては、トンデモ説と酷評せざるを得ない。

内田の結論は、「現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が『画期的』と言うのはその意味においてです。」というもの。これは、天皇の違憲行為の容認である。容認というよりは、むしろ称揚であり称賛でもある。天皇が、憲法上の天皇の役割を定義する権限はない。してはならないのだ。天皇の権限拡大を厳格にいましめたのが現行憲法にほかならない。

戦後の憲法解釈を良くも悪くもリードしたのは宮沢俊義(東大教授)である。彼の「全訂日本国憲法」(全訂第2版・芦部信喜補訂)74ページにこう記されている。「天皇の国事行為に対して、内閣の助言と承認を必要とし、天皇は、それに拘束される、とすることは、実際において、天皇を何らの実質的な権力をもたず、ただ内閣の指示にしたがって、機械的に『めくら判』をおすだけのロボット的存在にすることを意味する。そして、これがまさに本条(憲法3条)の意味するところである」

既述のとおり、天皇には「新しい憲法解釈を示」す権限はいささかもない。のみならず、天皇の行う『儀式』が宗教色をもつものであってはならない。「宮中で行う宗教的な儀礼」は、純粋に私的な行為としてのみ許容される。憲法7条の国事行為は、厳格な政教分離の原則に乗っ取って、一切の宗教色を排除したものでなくてはならない。天皇の行う『儀式』の中に、「祈り」や「鎮魂」「慰霊」を含めてはならない。世俗的に死者を悼む気持を儀礼化した追悼の行事は世俗的なものとして、天皇のなし得る「儀式」に含まれよう。しかし、死者の霊魂の存在という宗教的観念を前提とした鎮魂、慰霊は、政教分離違反の疑義がある。「祈り」も同様である。

いたずらに、形式的なことをあげつらっているのではない。天皇の、政治的・軍事的権力の基底に、天皇の宗教的権威が存在していたのである。天皇制の強権的政治支配の危険性の根源に、天皇の宗教的な権威があったことが重要なのだ。戦前の軍国主義も、植民地支配も、臣民に対する八紘一宇の洗脳教育も、神なる天皇の宗教的権威があったからこそ可能となったものであることを忘れてはならない。天皇に「鎮魂」や「祈り」を許容することで、再びの宗教的権威付をしてはならないのだ。日本国憲法は、天皇に再び権力や権威を与えてはならないと、反省と警戒をしている。内田の説示が天皇礼賛一色で、何の警戒色もないことに、驚かざるを得ない。」

【山中人間話目次】
・内田樹に対して「悪い印象はもっていなかった」、「リベラルな陣営にある人との思い込みは強」かったとという澤藤統一郎さん(弁護士)の反省――私がけっして天皇主義者にならないわけ
・澤藤統一郎さん(弁護士)の再度の「天皇制」批判――毎日新聞の天皇礼賛報道の虚に即して
・蟻塚亮二さん(仙台市在住、医師)の「実は基地引き取り運動の本当の矛先は、『本土の沖縄化反対』というような左翼の人たちに向けられているのではないか?」という指摘
・「きまぐれな日々」ブログ(kojitakenさん主宰)の「9条改憲もアブナイが、「リベラル」の現天皇依存症はもっとアブナイ」(2017.05.22)。私はこの論にまったく賛成するものです
・「ある文科省の職員は「『なかった』という結論は官邸の指示。調査は出来レースだった」と言い切った。」(毎日新聞 2017年5月19日)そういうことだと私も思います
・醍醐聰さん(東京大学名誉教授)はなれあいのシンポジウムをして、それでよしとするような人ではありません。私はこの森友・加計問題を考えるシンポジウム」に期待します
キョウ おきなわふっき

Blog「みずき」(1):私は以前、「沖縄論壇と本土との亀裂は取り返しがつかないほど深い」というアエラ編集部の渡辺豪記者の記事を読んだ読後感として「渡辺記者のまなざしには深いよどみの淵底に下り立った者だけが知る孤高の人の悲しみのようなものがあります。それはある意味で琉球人の悲しみに相似したものでもあるでしょう。その悲しみが透徹した眼になっている」と書きました。

その読後感の最後の部分では渡辺記者の視点の不十分さの指摘もしているのですが、上記は私の基本的な渡辺記者評価です。その渡辺豪記者の「本土復帰45年の沖縄で「幻の建議書」関係者が語る『復帰は間違いだった』」という記事(『AERA』2017年5月22日号)。渡辺記者は今回は沖縄復帰時、琉球政府職員として「復帰措置に関する建議書」の策定に携わった宮里整さん(84)に焦点を当てて、宮里さんから「私は今、冷静に振り返れば、復帰運動は間違いだったという結論に行き着いています」という回想を引き出しています。渡辺記者は宮里整さんの回想を紹介する形でいまなにを撃とうとしているのか。

渡辺記者は宮里さんへのインタビューを「宮里さんは今、戦後沖縄のテクノクラートの一人として沖縄社会を「日本復帰」に誘導する一端を担った過去を心の底から悔やんでいる」という言葉で締めくくっています。おそらく渡辺記者も宮里さんとはもちろん違う形で、宮里さんとほぼ同様の思いを抱いているのでしょう。「本土復帰45年の沖縄で『幻の建議書』関係者が語る『復帰は間違いだった』」という標題がそのことを物語っています。

(2)
この論の以下の部分には同意します。現在の「左翼」なるものの偏頗な思想性のよってくるところの急所を突いている、と私は思います。ここでもその偏頗性のよってくるところのキーワードは、「小熊英二」という記号であり、「内田樹」という記号であり、「上野千鶴子」という記号であり、「中野晃一」という記号であり、「しばき隊」という記号であり、その記号に偏頗する者たちです。しかし、田中宏和さん(「世に倦む日日」ブログ主宰者)はその偏頗性のよってくるところのキーワード中のキーワードというべき「共産党」という記号の適示はしません。天皇礼賛論者の彼にとってはやはり天皇礼賛論者となって右傾化した共産党は都合のよい存在だから、という理由がもっとも大きいでしょう。いずれにしても、その偏頗性のよってくるところのキーワード中のキーワードというべき記号は「共産党」である、というのが私の見るところです。現在の「左翼」なるものの偏頗な思想性を批判するのであればその急所中の急所である「共産党」批判を措いて批判することはできません。

【山中人間話目次】
・アエラ編集部の渡辺豪記者の「本土復帰45年の沖縄で「幻の建議書」関係者が語る『復帰は間違いだった』」
・この論の以下の部分には同意します――現在の「左翼」なるものの偏頗な思想性のよってくるところの急所を突いている
・kojitakenさんの民進党支持者の7割が「安倍晋三の9条改憲構想」に反対らしいが……
・私は問う。 戦前の治安維持法と現代の共謀罪との親似性を指弾しながら、その治安維持法制定の背景としてあった制度としての「天皇制」を批判する視点を持ちえない思想性とはなにか、と。
・国連特別報告者が共謀罪に懸念――国際の世論から見放された政府が長続きしないことはドイツや日本の先の敗戦の事例を見ても明らかです
キョウ やまおしおり2

Blog「みずき」:私のFB友達でもある宮城康博さん(沖縄在住、脚本家)や豊島耕一さん(久留米市在住、元佐賀大学理工学部教授)に少し厳しいことを言います。

「これは歴史に残る名演説。山尾志桜里議員、さすが。」(
宮城康博FB 2017年5月18日

「話題の大演説、このブログにもミラーリングします。」(
豊島耕一 ペガサス・ブログ版 2017年5月19日

相も変わらず「リベラル・左派」を自称し、また、他称される人たちが山尾志桜里議員(民進党)を英雄視ないしは過大評価しています。「共謀罪」法案を「戦前の『治安維持法』の復活」などと批判しながら、一方で、「国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律」(ウィキペディア『治安維持法』)である治安維持法制定の内的バネとなった根源としての制度である「天皇制」や「天皇」を礼賛することに矛盾を感じないのか? 山尾志桜里議員を「英雄視」する彼ら、彼女たち(リベラル・左派)の論理的自堕落は明らかです。これでは「共謀罪」法案を根底的に批判できないのも当然のことです。山尾志桜里議員(民進党)を英雄視ないしは過大評価する人たちの大反省を求めたい。

幣ブログの「今日の言葉(1)――山尾志桜里議員をさも民主的な議員であるかのように書く赤旗の書きぶりに私は大きな違和感があります。山尾議員は「今上陛
下が大切に深めてこられた象徴行為」云々などと言う価値観の持ち主でしかありません。」を
再掲しておきます。

『Blog「みずき」:今回の民進党の山尾志桜里議員に関する赤旗の記事は、共謀罪の問題点を同議員の質問を通じて記事化したというよりも、共産党の進めようとしている「野党共闘」路線に民進党をなんとか取り込もうとする意図から記事化されたという打算の匂いの方を私は濃厚に感じます。それにしても山尾志桜里議員をさも民主的な議員であるかのように書く赤旗の書きぶりに私は大きな違和感があります。山尾議員は「今上陛下が大切に深めてこられた象徴行為、慰霊の旅や被災地激励のお姿などに、国民一人ひとりが心動かされ、自然と皇室に対する敬意へと結びついていく内的体験の共有は、天皇が「国民統合の象徴」であるための核心を担っている」などという天皇論を持つ価値観の持ち主です。山尾議員のこのような価値観は民主主義の理念とは相容れないものです。共産党はこのような皇国史観的といってよい思想の持ち主を持ち上げてどうしようというのでしょう? この地平から見えてくるのは皇国史観を容認するに等しい共産党の右傾化した姿だけです。「さすが元検事のしおりんこと山尾志桜里民進党前政調会長」などという徳岡宏一朗さん(弁護士)の書きぶりにも大きな違和感を持たざるをえません。』


なお、山尾議員の「今上陛下が大切に深めてこられた象徴行為、慰霊の旅や被災地激励のお姿など」云々という言葉は私が昨日批判した内田樹の「天皇礼賛」論となんと似通っていることか。

【山中人間話目次】
・天皇礼賛論者の山尾志桜里議員(民進党)の「共謀罪」法案反対演説を「歴史に残る名演説」などと評価するリベラル・左派の論理の自堕落について
・「共謀罪」法案を強行採決させた与党の圧倒的多数は「国民」という世間がつくりだした。その圧倒的な現実にどう立ち向かうのか?
・これは内田樹の天皇制至上主義者としての本質がこれ以上ないほどに剥き出しになった一文というべきでしょう
・「立憲主義」という言葉は「立憲主義」の名の下に憲法9条を「現実」に近づける改憲をたくらむ新9条論者の登場によってまったく黴の生えた言葉になってしまいました
・宮城康博さん(沖縄在住、脚本家)の「詰んでよ、いいかげん。これ以上安倍政権に壊される前に」というコメントに共感します
キョウ さわふじとういちろう4

Blog「みずき」:相沢侃さんのわが意を得たりの本日付FB記事です。昨日、私は、その前日の「澤藤統一郎の憲法日記」の「『改めて憲法の意義を確認し、立憲主義を堅持しよう。』ー日弁連定期総会宣言案」という記事を引用した上で、私の見解として、「『立憲主義』という言葉は『立憲主義』の名の下に憲法9条を『現実』に近づける改憲をたくらむ(すなわち、安倍改憲と実質的に同じ)新9条論者の登場によってまったく黴の生えた言葉になってしまいました。私はその『立憲主義』の言葉を何度も何度も繰り返す『日弁連定期総会宣言案』にいささか以上の疑問を覚えます」と述べておきました。

以下にシェアした相沢さんの本日付記事は、その私の疑問の生じるところを澤藤さんの過去の記事に遡って根拠づけてくれているように私には見えます。もちろん、そこに呼応関係があるというのではありません。結果としてそうなっている。そうなっているように私には見える、ということです。澤藤統一郎弁護士には是非読んでいただきたい相沢さんの問題提起、そして、私の疑問提起です。

『このころまでの澤藤「日記」には、
立憲主義・民主主義・平和主義というような、護憲派法律家共同体の主潮流(?)やSEALDsバブルに飲み込まれたような書き方は見られなかった。「専守防衛」論に拠りながらも、憲法の理想と戦争放棄の9条を語り続けていた。憲法前文のうたう理想はイデオロギッシュだ。しかし、SEALDsバブルのなかでは、この理想は一般的には叫ばれず、「権力をしばるものとしての憲法」という「理解」だけが広がっていった。叫ばれたのは「立憲主義を守れ」であった。澤藤「日記」もいつしか法律家共同体やSEALDsバブルの残滓に飲み込まれていった。と、私は思う。澤藤「日記」が、一日も早く「専守防衛」論から抜け出し、戦争放棄・戦力不保持・交戦権否定の9条の見地に立ってほしいと願う。』

【山中人間話目次】
・相沢侃さんの「リベラル・左派」批判記事(1)――「澤藤統一郎の憲法日記」の変節批判
・相沢侃さんの「リベラル・左派」批判記事(2)――「お気持ち」切り離し議論を」(朝日新聞、2016年8月9日付)という西村裕一さん(憲法学者・北海道大学准教授)の論の紹介記事
・相沢侃さんの「リベラル・左派」批判記事(3)――何を血迷ったか、山口二郎
・美濃加茂市長事件 控訴審判決の杜撰さがいま改めて白日の下に晒されている――江川紹子さんの記事から
・美濃加茂市長事件弁護団が5月16日に最高裁判所に提出した上告趣意書は「再逆転無罪」判決を勝ち取るための決定打
・ロシアとの関係を巡る一連のトランプ疑惑は第2のウォーターゲート事件に発展しそうな雲行きだ
キョウ まこさま

Blog「みずき」:「安倍政権と宮内庁の共謀の疑いが濃い」という指摘に同意します。ただし、私たちふつうの市民が眞子さんのことを進んで「眞子さま」などと呼ぶ必要はないでしょう。そうした私たちの深層レベル(閾下)の「権威服従」の意識が「安倍政権と宮内庁の共謀」に利用されている、ということに思い到らないか? 指摘は正しいけれども、あなたに「これが 我が国のメディアのレベルです」という資格はあるか? じっと自分の胸に手を当てて考えてみていただきたいことです。これが「我が国の市民のレベル」でもあるのです。

【山中人間話目次】
・「安倍政権と宮内庁の共謀の疑いが濃い」という指摘に同意します。ただし、私たちふつうの市民が眞子さんのことを進んで「眞子さま」などと呼ぶ必要はないでしょう
・これが「リベラルな臣民」ではなく、ふつうの「リベラル」の市民感覚
・トランプの「ウォーターゲート事件」――米大統領、イスラム国に関する機密情報をロシアに提供(ロイター 2017年5月16日)
・共産党が「憲法9条改悪阻止闘争本部」なるものを立ち上げたと言います。新9条論者と改憲論者の多い民進党と手を組む同党の悪手をそのままにして「9条改悪阻止」をぶち上げても誰も信用しないでしょう。
キョウ しんきゅうじょうろん

Blog「みずき」(1):加藤哲郎さん(一橋大名誉教授)の「『安倍首相=日本会議=読売新聞』合作の改憲案は、純国産? 日米合作?」(加藤哲郎のネチズン・カレッジ 2017年5月15 日)という論説の中で特に重要な指摘と思われるのは、加藤さんも安倍晋三の「9条3項改憲案」といわゆる新9条論派(今井一、小林節、伊勢崎賢治氏ら)の「新9条論」を相似のものと見ていることです。その上で加藤さんは今回の安倍改憲案提案の狙いは「『護憲派に反安保のような統一戦線をつくらせない』という分断工作」にあると指摘しています。すなわち、新9条論者の「新9条論」は敵の分断工作の罠にわざわざ自ら嵌りにゆくような愚論だという指摘だと思います。そうした新9条論者をこれまで重用してきた共産党をはじめとする政党、いわゆる護憲組織は大反省するべきではないか。

(2)鬼原悟さん(「アリの一言」ブログ主宰者)の「天皇制」と「人々の想像力」の関わりに関する重要な指摘と引用。
 
『今では天皇は、積極的に求められているわけでも、積極的に拒否されているわけでもありません。むしろ日本人には、天皇制のない日本というものが、もはや想像することすらできなくなっているのではないでしょうか。』(吉見俊哉さん、東大大学院教授・社会学)

『一つの合理的解釈として、人々が巨大な「惰性」「慣性」の中にいるのではないか、という推察が成り立つ気がするのです。…先生がおっしゃる「天皇制に対するなんとなくの肯定」を支えているのは、案外そうした「惰性」「慣性」かもしれません。』(木村草太さん、首都大学東京教授・憲法学)


【山中人間話目次】
・加藤哲郎さん(一橋大名誉教授)の「新9条論」は敵の分断工作の罠にわざわざ自ら嵌りにゆくような愚論だという指摘
・加藤哲郎さんの紹介する「『新9条論』は危険な悪手」という論
・鬼原悟さん(「アリの一言」ブログ主宰者)の「天皇制」と「人々の想像力」の関わりに関する重要な指摘と引用
・豊島耕一さん(元佐賀大学理工学部教授)はメディアの共謀罪報道の不作為を「広い意味で『虚偽報道(ポスト・トゥルース)』である」と批判します
・美濃加茂市長事件上告趣意書を最高裁に提出。名古屋高裁「逆転有罪判決」の杜撰さ、不当性を改めて実感(郷原信郎Twitter 2017年5月16日)
キョウ とうきょうしんぶん2

Blog「みずき」(1):これが昨日付けの東京新聞の「社説」です。呆れ果てるほかありません。私は昨日の記事で政府が19日に閣議決定するという「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案」について「まるで絶対王政=絶対天皇制の時代にでもワープしたかのような信じられない法律案です。しかし、こうしたアナクロニズムというほかない非民主主義的な法律案が新憲法下の「国権の最高機関」(憲法41条)ないしは「国民の代表機関」(憲法43条)としての国会をなんの疑問も提起されずに、また、なんの抵抗も受けずに、というより、むしろ「国会の総意」という祝意の下に通過しようとしている。これがこの国の民主主義の現実なのです。私はただ嘔吐するのみ」と述べておきましたが、その大政翼賛会と化した「国会の総意」、すなわち「国会の狂気」のメディア版というべきものです。東京新聞を「メディアの最左翼に位置する新聞」などと礼賛するリベラルがいますが、お門違いも甚だしい、と言っておかなければならないでしょう。 もうひとつ。ここで注意しておくべきことは、その東京新聞が「その米軍基地負担は沖縄に限らず、日本全体ができる限り等しく負うべきでしょう」などと沖縄の米軍基地の「本土引き取り論」に与する主張をしているという事実でしょう。この「本土引き取り論」のゆき着く先の危険性についてはすでに昨日の幣記事(引用)でも指摘しておきましたが、十分に注意を要することです。そのことも指摘しておきたいと思います。

(2)今日は戦後、アメリカの統治下にあった沖縄が45年前の1972年5月15日に本土に復帰した日だという。しかし、その前の1952年4月28日、敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本はサンフランシスコ講和条約の発効によって独立を果たしたが、沖縄や奄美は日本から切り離されていたという事実が先にある。だから、沖縄の人たちは、この日を「屈辱の日」という。 NHKは沖縄が本土に復帰してから45年になるのにあわせて世論調査を行った。それによると、沖縄のアメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設について、沖縄では『反対』と答えた人が多数になる一方、全国では『賛成』が『反対』を上回るなど、沖縄と全国で基地に対する意識に大きな差が見られたという。また、沖縄の経済が基地に依存しているかについて認識の違いにも沖縄と全国とでは大きな差が見られたという。沖縄の「屈辱の日」はまだ続いている、と見るべきだろう。


【山中人間話目次】
・東京新聞社説」(5月14日)批判(1)――「まるで絶対王政=絶対天皇制の時代にでもワープしたかのような信じられない法律案を東京新聞は支持する
・東京新聞社説「日本の平和主義 9条の精神を壊すな」(5月15日)批判(2)
・NHKは沖縄が本土に復帰してから45年になるのにあわせて世論調査を行った。沖縄の「屈辱の日」はまだ続いている、と見るべきだろう。
・醍醐聰さん(東大名誉教授)と豊島耕一さん(佐賀大名誉教授)の「在沖米軍基地引き取り」反対論再掲――「本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会」代表の里村和歌子さんの論に即して
キョウ きたちょうせん
日本海に展開する米空母「カール・ビンソン」

Blog「みずき」:韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領は本日14日、朝鮮(北朝鮮)が同日早朝に弾道ミサイル1発を発射したことをうけて緊急の会見を開き、「国連安全保障理事会の関連決議に明白に違反するだけではなく、韓半島(朝鮮半島)はもちろん、国際平和と安全に対する深刻な挑戦行為だ」とし、また、大統領の就任式で朝鮮半島の平和定着のために、自身ができるあらゆることをすると述べた点に自ら触れた上で、「それにもかかわらず今回の挑発が韓国の新政府が発足してわずか何日も経たない時点に行われた点で、北の無謀な挑発に対して深い遺憾の意を表し、同時に厳重に警告する」と述べたと言います。さらに「北韓(北朝鮮)との対話の可能性を念頭に置いているが、北韓が誤った判断をしないように挑発に対しては断固たる対応をしなければならない」と指摘。「対話が可能になっても北韓の態度に変化がある時にはじめて可能であることを示さなければならない」とも述べ、軍に対しては引き続き警戒態勢をとり、外交当局には米国など関係国と必要な措置をとるよう指示したと言います(朝日新聞 2017年5月14日)。

さて、上記の朝日新聞記事を含めて日本のメディアはこの文在寅発言に理があるがごとく報道していますが、ほんとうにそうか? 先に過去最大規模(金正恩委員長の「斬首作戦」を含む)と言われる米韓合同軍事演習など北朝鮮に対して挑発を仕掛けてきたのは米韓の方ではなかったか? そうした事実を無視して「北の無謀な挑発」のみを一方的に問題視するのは果たして理のある発言と言えるか?

昨日のFB記事でも述べましたが、文在寅は新大統領就任式で発表した国民向けメッセージでもすでに慶尚北道星州(ソンジュ)に一部配備されているTHAAD(高高度防衛ミサイル)問題を含めて「韓米同盟をさらに強化する」とも述べています。

さらに文在寅には、ひとつ前の記事でも紹介したアメリカの朝鮮近現代史研究の第一人者であるブルース・カミングスが指摘している「韓国に数百の核兵器が配備された1950年代にさかのぼり、北朝鮮は、アメリカの核兵器による体系的な恐喝を受けてきた世界で唯一の国だ。北朝鮮政府が核の抑止力を求めることに何の不思議があるというのか?」という視点も、「3月にソウルを訪問したレックス・ティラーソン国務長官は、北朝鮮には、合意を次から次に破ってきた歴史があると主張した。実際には、ビル・クリントン大統領が、1994年から2002年まで8年間、プルトニウムの生産を凍結させた。さらに、2000年10月には、すべての中距離および長距離ミサイルを買い上げるという交渉が、仲介者を介してまとまりかけていた。クリントンはまた、チョ・ミョンロク(趙 明禄)との間で、両国は今後互いに「敵対的な意図」を抱かないとする合意に署名していた。ブッシュ政権は、即座にこれらの合意を無視し、1994年の凍結の破棄に乗り出した。ブッシュが北朝鮮を「悪の枢軸」とし、2002年9月にイラクと北朝鮮に向けた「先制攻撃」論を発表した。クリントンの合意が持続されていたら、北朝鮮が核兵器をもつことはなかっただろう」という視点もないようです。


上記のとおり文在寅新大統領のこれまでの発言や思考方法を検証してみると、同大統領の北朝鮮弾道ミサイル発射に関して述べた「韓国政府はこれを強く糾弾する」という声明を理のあるように報道するわが国メディアの報道姿勢はそれこそ「理のあるもの」とみなすことはできません。 


【山中人間話目次】
・文在寅(ムンジェイン)大統領の「無謀な挑発に深い遺憾」という北朝鮮批判は的を射ているか?
・ブルース・カミングス(シカゴ大学教授、朝鮮近現代史)の論を援用した大竹秀子さんの安倍政権の「北朝鮮バッシング」批判に同意する
・まるで絶対王政=絶対天皇制の時代にでもワープしたかのような信じられない法律案――天皇の退位等に関する皇室典範特例法案
・夏目漱石自筆の「吾輩は猫である」単行本の印税領収証(「漱石 生誕百五十年を記念して」展、東京神田)
キョウ おながちじ3
辺野古移設容認を決定 自民沖縄県連大会

Blog「みずき」:自民党沖縄県連会長の照屋守之氏は先日8日の記者会見で「知事とは対立はしていない。知事は(辺野古新基地に)反対をしながら、実際は(基地を)造らせている。表面では反対・撤回と言っているが、知事の本質とわれわれは似ている」(琉球新報 2017年4月9日)と語ったと言います。この8日に県連大会を開き、辺野古移設容認を明文化したばかりの沖縄・自民党も「翁長知事は表面では反対・撤回と言っているが、実際は(基地を)造らせている」と認識しているということでしょう。

また、元裁判官の仲宗根勇さん(沖縄・うるま市在住)は次のように言います。「守之君はこうも言っている。『翁長知事は基地を造らせないと言いながら、埋め立て承認取り消しを自ら取り下げた事で工事が再開された。『造らせない』という知事が承認取り消しを取り消すことはあり得ない。』と。私の従兄弟の親戚筋に当たる同君は私の拙文や拙著も正確に読み込んでいるようだ。敵ながらあっぱれだ。それにひきかえ、わが方に馬耳東風、豆腐に釘の輩がいかに多いことか」、と。(仲宗根勇FB 2017年5月13日)

さらに「アリの一言」ブログ主宰者の鬼原悟さんは次のように言います。「翁長氏のメッキはすでにはがれています。『翁長幻想』から脱却し、『辺野古新基地阻止』、そして来年の知事選に向けた新たなたたかいを開始すべきときではないでしょうか」、と。(「アリの一言」 2017年5月13日) 

まさにそうです。私たちはいま「翁長幻想」から脱却すべきときだと私も思います。いま、脱却しなければ辺野古は埋め立てられてしまいます。時間はそう残されてはいないのです。


【山中人間話目次】
・「承認撤回」表明から7週間。自民党沖縄県連会長の照屋守之氏は「翁長知事は辺野古新基地に反対をしながら、実際は基地を造らせている」と言う
・沖縄の日本復帰45年 沖縄県民世論調査(沖縄タイムス・琉球朝日・朝日新聞)
・そのはじまりは1930年代ではなく、1920年代だった。はじめはほんのちいさな運動が、大きな渦となって歴史を巻きこんでいく――「イアン・カーショー『地獄の淵から』短評」(海神日和 2017-05-12)より
・ここでは死刑制度の本質的な問題が抉られている〜「国が人を殺す」ということを考える(レイバーネットTV。出演:太田昌国、坂上香、山口正紀、笠原眞弓)
・辞書を、言葉をなんだと思っているのか――毎日新聞校閲グループの岩佐義樹記者のさらなる安倍「そもそも」論批判のクリンヒット記事
・「浪江町森林火災による大気中放射能の増加」という記事をどう思うか?――岩佐記者の論理に対置して
・「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」発足批判――このそうそうたる顔ぶれのメンバーはいかなる「原発ゼロ」主義者たちか? 
キョウ なかそねやすひろ

Blog「みずき」:中曽根康弘は今年99歳になるという。そうか。中曽根ももうそういう齢になったか、というのが第一の感慨だ。その中曽根が新書の発刊を機に会見し、「憲法9条については、1項の『戦争放棄』はそのまま残し、『戦力の不保持』を定めた2項を改正し、自衛隊の存在を憲法に位置づけるべきだ」と語ったという(NHKニュース 5月12日)。中曽根は昔からそう言っていた。彼の発言にぶれはない。しかし、保守とはそういうものであり、だから、私は保守を支持しない、という私の考え方も変わらない。

変わってきたのはいわゆる「左翼」の考え方だ。彼らの少なくない者たち(というよりも、いまや「多くの」と言った方がより現実に近いかもしれない)もいまは「力の不保持を定めた9条2項を改正し、自衛隊の存在を憲法に位置づけるべきだ」と主張する。そして、彼らはその理由として「現実との乖離」を言う。しかし、憲法は現実を批判する規範として理想を語るものだ。現実との乖離は永遠の課題である。この乖離を理由に現実を理想に近づける努力を放棄し、理想を現実に合わせて引きずり下ろそうとしてはいけない。理想を棄てたとき、人は必ず堕落する。政治もまた同じことだ。「現実」をダシにして自らを合理化してはならない。そうではないか。


【山中人間話目次】
・中曽根康弘の改憲論にはブレはない。変わってきたのはいわゆる「左翼」の考え方だ
・不破哲三共産党前議長毎日新聞インタビューに見る現在の共産党天皇制観と右傾化の歩み
・安倍改憲論と同質の新9条論者(今井一、小林節、伊勢崎賢治ら)のまやかしの明文改憲論を許してはならない
・鬼原悟さん(「アリの一言」ブログ主宰者)の沖縄米軍基地の「県外移設」論・「本土へ引き取る」論反対論(琉球新報「論壇」 2017年5月11日)
・ここにも翁長知事は即座に「埋め立て承認撤回を」という沖縄県民の叫ぶような声があります――宮島玲子さん、与那原町在住
キョウ ふらんすだいとうりょうせん2

Blog「みずき」(1):昨年末、『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』(東京大学出版会)という著作で第16回大佛次郎論壇賞を受賞した森千香子さん(一橋大学准教授、社会学)の重要な視点と問題提起。「史上最年少大統領の選出で幕を閉じた仏大統領選は、自国第一主義を掲げるマリーヌ・ルペン氏が勝利するかに関心が集中したが、もう一つ話題となったのが棄権者の存在だった。仏大統領選は通常、予選より決選の投票率が高いが、今回は決選で下がり、1969年以来最低の決選投票率(74・56%)だった。棄権者数は1210万でルペン投票者数(1060万)を上回る。白票・無効票を投じた人(407万)も加えると有権者の34%、つまり3分の1以上がどちらの候補も選ばなかったのである。」(「「沈黙の声」から見える仏大統領選」朝日新聞 2017年5月10日)

(2)浅井基文さん(元外交官、政治学者)の「文在寅経歴(韓国紙報道)」を紹介する記事の中で私が気になったのは、ハンギョレ紙の「『文在寅統一外交政策』南北関係修復、米中と北朝鮮核・THAAD調整を最優先」という5月10日付記事の次の一節です。

「早期配備強行で物議を醸したTHAAD(高高度防衛ミサイル)問題は、国会批准同意を推進すると述べた。文当選人は、THAAD配備問題の公論化と外交カードとしての活用のため、(国会の批准同意が)必要だという立場を再三示してきた。すでに慶尚北道星州(ソンジュ)に一部配備されたTHAADの撤収を念頭に置いた公約とは言い難い。2015年12月に日韓が電撃的に締結した12・28慰安婦合意については、再交渉を約束した。弾劾局面が高潮していた昨年11月に強行締結された韓日軍事秘密情報保護協定(GSOMIA)は、効用性の検討後、有効期間(1年)を延長するかどうかを決めると明らかにした。」

ハンギョレ紙も指摘しているようにこの文在寅新大統領のTHAAD問題に関する公約は、「すでに慶尚北道星州(ソンジュ)に一部配備されたTHAADの撤収を念頭に置いた公約とは言い難い」ものがあります。これをどのように評価するか。浅井さんは上記の論に見るとおり「内政外交ともに四面楚歌の韓国政治にとって一縷の希望の光」として文在寅政権の政治を総体として評価する立場のようですが、ここでは文政権を評価しない立場のお二方の見方をご紹介しておきます。ちなみに私の文在寅評価は、彼の公約から見ても「南北関係の修復」が試みられることは確かなことのように思われますので、朴前政権に比してその点一点だけでも「一歩前進」と評価するべきだと思っています。


【山中人間話目次】
・フランス大統領選は郊外などの貧しい地区に住む移民出自の有権者は4割も棄権したという森千香子さん(一橋大学准教授、社会学)の重要な指摘
・「フランスの時期大統領はオランドの後継者で巨大資本の奉仕者であるマクロン」という櫻井ジャーナルの言われてみるとあまりにも当然な指摘
・文在寅新大統領のTHAAD問題に関する公約は「すでに配備されたTHAADの撤収を念頭に置いた公約とは言い難い」ものがある――浅井基文さんの「文在寅経歴(韓国紙報道)」紹介記事から
・翁長知事の承認撤回を決断することのない再訪米計画に対する沖縄県民の怒りの声
・翁長知事訪米無意味論(1)――翁長知事の前回のアメリカ訪問時の平安名純代さん(沖縄タイムス米国特約記者)の翁長知事訪米無意味論
・翁長知事訪米無意味論(2)――翁長知事の前回のアメリカ訪問時の乗松聡子さん(ジャパンフォーカス紙エディター)の翁長知事訪米無意味論
・「ドイツと日本の「過去の克服」を目指す態度は決定的に違う」という大弦小弦(沖縄タイムス)のぴりりと辛い小粒の論評
・地中海のリビア沖で移民らを乗せたボート2隻が沈没し、11人が死亡、200人近くが行方不明――私はグローバリズムという先進国中心の価値観を忌む
キョウ こばやしたかし2

Blog「みずき」:内海信彦さん(画家、 早大「ドロップアウト塾」主宰)の安倍流改憲論の祖形をつくった新9条論者批判。「安倍晋三の改憲論の要である新9条論の祖形は、小林節らの安倍の改憲を阻止するための改憲というまやかし新9条論です。小林節は一貫した改憲論者です。改憲別動隊の新九条論の先鋒隊であり、私のいう『トロいの呪い』がかった『トロいの木馬』を反ファシズム陣営に持ち込んだ中心人物です。よりましな政府と言い続けて、とうとう自称前衛党指導者(注:志位和夫共産党委員長)がウルトラリアリズムとまで言い出して、改憲論者の根源の小沢一郎に指南を求め、天皇に拝跪し、個別的自衛権も安保も容認したことで、事実上の集団転向が進んでいます。こうした大政翼賛挙国一致の新体制下で、新九条論が果たす役割は極めて犯罪的です。小林節はその露払いではないでしょうか。でも小林節は、反安倍・反安保のためにとても重要な人物で、もっと現実を見るべきだ…選挙と動員とに明け暮れて戦後革命を潰してきた政治主義者が言いそうなことです。スターリンがヒットラーと手を結び、世界革命運動と反ファシズム陣営に大打撃を与えた時、反対者の多くは粛清され、銃殺され強制収容所送りにされました。その時、言われたのが、もっと現実を見るべきだと言う政治主義者の常套句です。」(内海信彦FB 2016年5月10日)

【山中人間話目次】
・安倍流改憲論批判(5)――内海信彦さん(画家、 早大「ドロップアウト塾」主宰)の安倍流改憲論の祖形をつくった新9条論者批判
・安倍流改憲論批判(1)――まずはじめに鬼原悟さん(「アリの一言」ブログ主宰者)の問題提起
・安倍流改憲論批判(2)――鬼原悟さん(「アリの一言」ブログ主宰者)から批判される新聞社説。その1 9日付東京新聞社説
・安倍流改憲論批判(3)――鬼原悟さん(「アリの一言」ブログ主宰者)から批判される新聞社説。その2 5日付毎日新聞社説
・安倍流改憲論批判(4)――鬼原悟さん(「アリの一言」ブログ主宰者)から批判される新聞社説。その3 9日付朝日新聞社説
・安倍流改憲論批判(6)――阪田雅裕さん(元内閣法制局長官)の安倍流改憲論批判
・toriiyoshikiさん(元NHKETVディレクター)の「キクマコ先生(大阪大学教授、物理学)は安倍政権の忠実なる応援団以外の何物でもない」という批判
・昨日の9日、沖縄平和市民連絡会が「即時、埋立承認の撤回を!」と県に申入れました。この声が怒涛のようなうねりになることを私は期待します
・「シャルリ・エブド」事件とはなんだったのか?――板垣雄三さん(東京大学東洋文化研究所名誉教授)の重要な指摘
・韓国大統領選所感――文在寅(ムン・ジェイン)が当選し、9年ぶりに革新政権が誕生したことの意味
キョウ かんこくだいとうりょうせん

Blog「みずき」:フランス大統領選に続いて韓国の大統領選挙も今日の9日午前6時から投票が始まりました。NHKニュースが各候補者の経歴や政策をかなり踏み込んで紹介しています。私がこの中で特に注目したのは、慰安婦問題に関する一昨年12月の日韓両政府の合意について革新、保守の区別なく各候補とも全員批判的な見解を述べていることです。韓国大統領選の全候補者からさえ批判される似非「慰安婦問題」解決策としての「日韓合意」を推進してきた安倍政権はもとより、その「日韓合意」を「問題解決に向けての前進」(志位談話 赤旗 2015年12月29日)などと評価してきた日本共産党をはじめとする「革新」(カッコつき革新)政党の非見識がいま改めて問われている事態と見ていいでしょう。

【山中人間話目次】
・韓国の大統領選挙についてNHKニュースが各候補者の経歴や政策をかなり踏み込んで紹介しています
・猪野亨さん(札幌在住、弁護士)のルペン批判には私は先制するところもあれば異見のあるところもある
・この時事解説「ディストピア」さんの「北朝鮮のメッセージはどのように伝えられるのか?」という論説に見る怒りは正当であると思います
・アメリカのよいところは「三権分立」がきちんと機能しているところでしょう。ここにトランプ政権の下でのアメリカの可能性があります
・ヒューマン・ライツ・ウォッチの「シリア政府軍がここ数カ月間に少なくとも4回、神経ガスを使用したという結論を新たな証拠が裏づけた」という声明
・仲宗根勇さんのFB記事に新9条論者批判など若干の異見を述べて賛同しました
・三谷太一郎さん(1936年生。東京大学名誉教授、政治学・歴史学)の「教育勅語」淵源考(「海神日和」ブログ主宰者要約)
キョウ やまぐちじろう
山口二郎法政大学教授

Blog「みずき」:「今は左翼の代表の顔をしている山口二郎」(世に倦む日日Twitter 2017年5月7日)。たしかに山口二郎(北大を定年退職していまは法大教授)など「今は左翼の代表の顔をしている」かつての似非リベラル、保守を重用しているところにいまの「左翼」(カッコつき左派)の最大の(といっていい)堕落の一形態を見ることができます(といっても、田中宏和さん(「世に倦む日日」主宰者)。あなたもいまだにその似非リベラルのおひとりではないのですか?)。かつて山口二郎は「従来の護憲論は限界」「憲法で自衛隊を明確に位置づけるべきだ」と発言していました(そして、おそらくいまも本心はそう思っている)。この朝日新聞の記事が書かれた1993年の時点では山口二郎はまだ左翼の多くの人に「似非リベラリスト」として認識されていました。それがいまでは「左翼の代表の顔」のひとりになっています。この事例が示していることは、かつての左翼の頽廃はここまで進行している、ということなのです。

【山中人間話目次】
・山口二郎など「今は左翼の代表の顔をしている」かつての似非リベラル、保守を重用しているところにいまの「左翼」の最大の(といっていい)堕落の一形態を見ることができます
・追記的にシェア。「アベ流であろうと、小林節流であろうと、「東京新聞」流であろうと、改憲にはNO!!」。そういうことなのです
・阿部治平さん(「八ヶ岳山麓」主人)の時局慷慨(リベラル21 2017年5月8日)。慷慨の趣は私の思いとほぼ同じです。
・今度はkojitakenさん(「kojitakenの日記」など主宰)の政局慷慨。「やはりナベツネの入れ知恵だった(?)安倍晋三の「9条改憲」構想」
・フランス大統領選でマクロンが勝利した。しかし、フランスは、これでまた少なくとも5年はなにも変わりはしない、という思いが駆け抜ける。
・世界が滅んでも生き残るため、京大生よ変人たれ。酒井教授が語る、カオスに立ち向かうための「京大の役割」
キョウ ふらんすだいとうりょうせん

Blog「みずき」(1):フランス大統領選挙、きょう決選投票 。社会党(左派)と共和党(右派)という伝統的な2大政党の不在のままのフランス大統領選挙の決選投票。左派でありながら「仏全土がイスラム過激派のテロの脅威になっている」などとして極右的な「反移民」を標榜する排外主義に傾き、軍拡路線(シリア空爆など)を強行してきた現職大統領(社会党)のオランドという転向者の、そして、社会党という転向政党の責任は大きい。フランスの人々は政治に信を置かなくなった。その結果が中道(内実は右派と見られる)と極右(右派そのもの)の決戦となった今回のフランス大統領選挙ということでしょう。左翼の堕落はいつの場合も右翼の台頭を呼び起こし、その台頭が戦争の道へとつながっていくのです。日本も例外ではありません。他山の石とするべきでしょう。

(2)こうして「リベラル」を自称し、また、他称される者ども、あるいはメディアが右翼的思想を次から次へと撒き散らしていく。日本のいわゆる「リベラル・左派」が加担している小池百合子フィーバーという事態にも同様のことがいえるでしょう。実のところ安倍政権の高支持率をつくりだしているのはこういう人たち、こうしたメディア。こういう人たち、メディアを「リベラル(紙)・左派」と祭り上げて恥じない堕落の程度も凄まじい「左翼」政党(共産党、社民党)だ。そういう人たち、そういう政党が「安倍政権打倒」を呼号している。道理で安倍政権が高支持率をキープできるわけだ。フランス同様、日本の「リベラル・左派」も壊滅している。「リベラル・左派」批判、「リベラル」紙批判を強めなければならない。

(3)渡辺輝人弁護士(日本労働弁護団常任幹事、自由法曹団常任幹事)。批判する方向性が逆立しているとまでは言わないが、一面的にすぎるだろう。ここにも「リベラル・左派」と称される者たちの無知と退廃がある。なぜ安倍政権と同様の論理を振りかざす「新9条論」派や共産党を批判する視点を持ちえない?

【山中人間話目次】
・フランス大統領選挙決選投票と現職大統領(社会党)のオランドという転向者と社会党という転向政党の責任
・こうして「リベラル」を自称し、また、他称される者ども、あるいはメディアが右翼的思想を次から次へと撒き散らしていく――国民戦線のプロパガンダとしての朝日新聞記事
・批判する方向性が逆立しているとまでは言わないが、一面的にすぎるだろう。なぜ安倍政権と同様の論理を振りかざす「新9条論」派や共産党を批判する視点を持ちえない?――渡辺輝人(日本労働弁護団常任幹事、自由法曹団常任幹事)ツイッター
・天木直人の山尾、逢坂、階という民進党の中でも目下リベラルとして売り出し中の議員批判は道理がある
・元外交官で政治学者の浅井基文さん(中国問題専門家)は朝鮮半島の「4月危機」「5月危機」は回避されたと見る――「中国の対朝鮮政策の『変化』」をどう見るか
・27歳で東北大の憲法学の助教授に就き、その職を辞して日雇い労働者の街・西成に弁護士事務所を開設した弁護士の目で憲法の「生存権」を考える
キョウ うちだじゅ3

Blog「みずき」:内田樹はいまの日本の社会状況を次のように言います。「いま日本で起きている絶望的なまでの「公人の劣化」は何に由来するのか。結論から言ってしまえば「日本はアメリカの属国でありながら、日本人がその事実を否認している」という事実に由来する。日本社会に蔓延している「異常な事態」の多くはそれによって説明可能である。ニーチェによれば、弱者であるがゆえに欲望の実現を阻まれた者が、その不能と断念を、あたかもおのれの意思に基づく主体的な決断であるかのようにふるまうとき、人は「奴隷」になる。「主人の眼でものを見るようになった奴隷」が真の奴隷である。彼には自由人になるチャンスが訪れないからである」、と。

この内田樹の現在日本社会の見立ては、真実を穿っているようで、実はそうではありません。内田によれば、「日本はアメリカの属国で」ある「事実を否認している」のは「日本人」であって、「政府」ないしは「政治家」ではありません。しかし、「日本はアメリカの属国で」ある「事実を否認し」、日米安保条約の第5条や第6条を根拠に対等な同盟関係にあることを強調してきたのは歴代の自民党政権であり、歴代の自民党をはじめとする保守政治家であったことは歴史的事実として明白です。内田は「日本人」という一般的な概念を持ち出し、ここに「日本政府」という固有概念を含ませない。 ここに内田の見立ての大きなまやかしがあります。

そうした誤った論理を展開した上で、内田は自らに「どうやって国家主権を回復するのか」という課題を立て、その課題解決のために模範とすべき政治家として鳩山一郎や石橋湛山や吉田茂というかつての保守政治家を例示します。ここに内田の論理の矛盾があります。「日本はアメリカの属国で」ある「事実を否認している」のが「日本人」一般であるならば、その課題解決のために模範とすべき人物も「日本人」一般の人でなければならないはずです。なにゆえにここでは「日本人」一般ではなく、保守政治家なのか? その答は内田が本質的には保守の「思想家」であるからにほかなりません。冒頭で「日本人」一般を持ち出したのは人を惹きつけるための、あるいはまた真の属国否定者=政権、または保守政治家から目をそらせるための内田のレトリックにすぎないのです。

こういう人がいわゆる民主主義陣営のリーダー然としている。保守政治のきわみといえる安倍右翼政権に真に対峙しえない風潮、政治の右傾化の風潮を創り出し、とりわけ革新を退化させているのは(そういう革新退化の論を見抜けない勢力も勢力だが)こういう人の論というべきではないのか。

また、こういう人だからこそ、72年の沖縄の施政権返還を「対米自立」の果実として一面的に評価したりもする。しかし、実際は沖縄を「捨て石」とする「対米従属」政策は「沖縄の施政権返還」以後も留まることなくいまも延々と続いている。この人には辺野古の惨劇も、高江の惨劇も、政府の政策にまつろわぬ者たちへの剥きだしの国家暴力そのものとしての逮捕・勾留劇もなにも見えていない。その惨劇の数々をこの人は「戦後27年間は「対米従属」は「対米自立」の果実を定期的にもたらしたのである」と言ってのける。それがこの人の「『属国』直視」という説の本質です。


【山中人間話目次】
・内田樹のいう「『属国』直視」の意味
・澤藤統一郎さん(弁護士)はなぜ端的に共産党を批判しえないのか?
・中野敏男さん(東京大大名誉教授)の加藤典洋の『「戦後」の誕生』書評の書評――「歴史主体論争」とはなんだったか?
・NHKスペシャル「憲法70年“平和国家”はこうして生まれた」はNHKという国家への忠誠(安倍政権の下僕)を旨とする「国営」放送局の新趣向の「天皇礼賛」番組と言うべきではないか
キョウ しゅうきんぺい

Blog「みずき」:朝鮮(北朝鮮)と中国の軋轢について。 中国の習近平のトランプのお先棒担ぎは甚だしく愚劣なところまで進行しており、習近平はついにはトランプのつくられた「北朝鮮脅威」説にまで加担し、「血を分けた友誼」の関係にあった朝鮮(北朝鮮)から激しく名指し批判されるまでに到っていますが(「北朝鮮 中国を異例の名指し批判 米に同調し圧力」 NHKニュース 2017年5月4日)、元外交官で政治学者の浅井基文さんによれば、中国にもそうした習近平の愚行をよしとしない「朝鮮の立場に深い理解を示す」相応の地位にいる論者や良心的な勢力はいるようです。

浅井基文さんは次のように言っています。

「5月2日付人民日報海外版WS(海外網)は、海外網コラムニストである千里岩文章「米韓に付き従って朝鮮を倒すことが中国にとって利益になるか 独立した意志を持つべし」を掲載しました。私にとってはかなり衝撃的な文章でした。といいますのは、このコラムで紹介してきた環球時報社説の主張とは、力点の置き所が明らかに違う内容の主張が、環球時報の姉妹紙である人民日報に、そのコラムニストの執筆で掲載されたからです。その内容はむしろ、私が度々紹介してきた、朝鮮の立場に深い理解を示す李敦球の考え方を彷彿させるものです。(略)しかも注目されるのは、千里岩文章が傅瑩(全国人民代表大会外事委員会主任)という公的見解を代表しうる立場にいる人物の文章(浅井注:私はまだ見つけていません)に依拠しながら議論を展開しているということです。米中首脳会談を受けて中国の対朝鮮政策が「変化」したことは明らかですが、その「変化」の程度・ニュアンスなど、対朝鮮政策のあり方については、環球時報が代表する主張の方向で完全に収斂されたとみるのは早計かもしれません。」

この5月3日に朝鮮中央通信に掲載された北朝鮮高官の金哲氏の中国批判(上記NHKニュース)はそうした中国国内の良心的な勢力によって反省的に受容される可能性は1や2の少ない可能性ではありません。北朝鮮情勢と中国情勢、さらにアメリカの政治情勢は複眼的視点で見る必要がありそうです。


【山中人間話目次】
・朝鮮(北朝鮮)と中国の軋轢について
・私たちの「国」の現在の位置 ――太田昌国さんの的確な安倍政権批判ないしは批評
・中野晃一上智大教授(政治学)の「正面突破で来るかもしれないが、民進党が最大野党で踏みとどまり、大きな力を作れるか。一人ひとりの気概が問われている」という安倍批判について
・「みどりの日」という実質的なもうひとつの天皇誕生日の日に思う
 キョウ のりまつさとこ12キョウ のりまつさとこ11
乗松聡子さん(左)と新垣勉さん

Blog「みずき」:同標題の昨日付(5月4日)の記事は、新着の新垣勉さんの論(沖縄タイムス「文化欄」5月2、3日付)とその新垣さんの応答の論の前提となる同じく沖縄タイムス紙「文化欄」(4月12、13日付)に掲載されたひとつ前の乗松聡子さんの論に的を絞ってフォーカスしたものでしたが、この「論争」にはさらにその前の段階での若干の議論のやりとりがあります(この問題に関する乗松さんの主張のはじめの論に新垣さんが応答してきたため結果として「論争」のようなものになりました)。ここにその前の段階からの議論のやりとりの全文を掲げることによってこの乗松さんと新垣さんのやりとりはどのように進展してきたかを見てみたいと思います。辺野古埋め立て承認撤回と県民投票をめぐるおふたりの主張の考え方の違い、力点の違いがいっそう明らかになるものと思います。
 
昨日の記事で述べておいた新着の新垣論考を読んだ私の感想を再度掲げておきます。
 
「さて、私は乗松さんの主張の立場と同じ立ち位置にいるものですが、そうした立場性の違いを私のつもりとしては抜きにして(立場性の違いは否応なく論に反映するものですから、ほんとうのところは抜きにはできないのでしょうが)新垣勉さんの論考についてひとこと感想を述べておきますと、新垣さんの論には自身の見解にあくまでも固執しようとする固陋なところがやや目立つように思われます。その分、対者の論をその論のままに公正に読みとることができない。対者の論を自己の主張に都合のよいように曲解して論を展開しているように私には見受けられます。そうした姿勢では決して第三者に対して説得的な論を構成することはできないでしょう。私は自身のFBの4月12日付の記事に「この議論が真摯な議論として発展し、大きな実りのあるものになることを私は切に望みます」と書いておきましたが、そうした真摯な議論とはほど遠い議論の展開になっていることを残念に思います」。
 
さらに以下は、上記の私の感想にいただいた沖縄在住の元裁判官の仲宗根勇さんのコメント。私が遠慮して言わなかったことを仲宗根さんはさらにずばりと指摘しています。
 
「勉氏は2015年5月1日行政法学者ら五名とともに記者会見をし、撤回可能との意見書も県に出した。そこで勉氏は県の第三者委員会の結論前でも撤回できると主張していた(沖縄タイムス5月2日)。主張の一貫性がないのは思慮の浅さゆえか、弁護士特有の悪しき法律家の変節か。今度の論は「弁護士が1番」的な裁判至上主義と裁判官に対する楽観論に彩られ、乗松さんをシロートと見て、高い目線で自説に反する相手の主張を唯我独尊的、一刀両断的に切り捨てている。撤回理由を留保事項と民意の2点のみとするその論の誤謬は言うまでもなく、民意が裁判において絶対的な力を持つかのような論はシロート以下の謬見だ。民意は撤回を基礎付けるたくさんの請求原因の一つになりうると言うに過ぎず、絶対的なものではない。これが広義の民事裁判の常識である。」
 
辺野古の海を守るためには一日も早い「埋め立て承認」の撤回しかありません。私のこの問題についての主張も繰り返しておきます。いまならまだぎりぎり間に合う、というのは、「撤回」を主張する多くの人たちが異口同音に言っていることです。逡巡している時間はないのです。
 
各写真をクリック拡大してご参照ください。

沖縄タイムス 2017年3月1、2日付:

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沖縄タイムス 2017年3月21、22日付:
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キョウ のりまつ9

キョウ ぎいんないかくせい

Blog「みずき」:この石川健治という東大教授(憲法学)は立憲君主制という政治制度を所与の前提として議院内閣制を語っています。しかし、議院内閣制は沿革的には18世紀から19世紀にかけて英国で王権と民権との拮抗関係の中で自然発生的に誕生し慣行として確立されるに至った制度であるということは言えても、立憲君主制そのものを所与の前提とはしていません。あくまでも議院内閣制とは、議会と政府との関係の点から見た政治制度の分類の一つで、議会と政府(内閣)とが分立した上で、政府は議会の信任によって存立する政治制度のことをいいます(ウィキペディア「議院内閣制」)。

その所与の前提としないものをさも所与の前提であるかのようにいう虚妄の論をつくり、この人は「天皇陛下は『多数決は万能ではない。数の力で乗り越えてはいけない何かがある』ということを示すための動きをしている」などと聞きなれない砂上の楼閣の論理を使って平成の天皇主権主義とでもいうべき民主主義にもとる論を展開しています。こういう人が山口二郎(法大教授)や小林節(慶大教授)、中野晃一(上智大教授)らとともに「立憲デモクラシーの会」のメンバーだというのです。自ずからほかのメンバーの民主主義の理念はほんものかどうか。疑いの目を向けざるをえません。

さて、ここで思い出されるのは、「イデオロギー」、あるいは「知識人」というものの性格について述べたチョムスキーの以下の言葉です。チョムスキーは次のように言っています。

「現代の事件の分析は、これに十分関心をもとうとする者ならだれにでも完全に手が届く。こうした問題の「深奥」とか「抽象性」とかいったことは、イデオロギーの取締り機構が撒き散らす幻想に属するもので、そのねらいは、こうしたテーマから人々を遠ざけることにある。人々に、自分たち自身の問題を組織したり、後見人の仲介なしに社会の現実を理解したりする力がない、と思いこませることによって、だ」(『チョムスキーとの対話 政治・思想・言語』大修館書店、1980年)。

【山中人間話目次】
・石川健治東大教授(憲法学)のは立憲君主制という政治制度を所与の前提とする議院内閣制論について
・憲法記念日に改めて右傾化した共産党の理念を批判する
・日本国憲法は、杜甫のような感慨を持って70年を生きてきたか
・澤藤統一郎さん(弁護士)の「連合への批判はあっても、期待は失わない」という認識は甘いというべきではないか?
・東京新聞の天皇・皇后礼賛記事。同紙は「現在のこの国の左翼リベラルを代表するマスコミ」などといえるのか?
・米紙ブルームバーグの「トランプは朝鮮(北朝鮮)の金正恩朝鮮労働党委員長との会談に前向きな意向を明らかにした」という記事
・なぜ敗北したのか? その原因の徹底的な解明こそ、われわれの「戦後」を始める出発点になるべき課題だった
・「北朝鮮の脅威が増大することは安倍首相にとって有益だ」と分析するイギリスのBBCの報道
キョウ のりまつさとこ11 キョウ のりまつさとこ12
新垣勉さん(左)と乗松聡子さん

Blog「みずき」:ここで取り上げる論考は乗松聡子さん(カナダ在住、「ジャパンフォーカス」エディター)の沖縄タイムス紙4月12、13日付の「新垣論考を読んで――承認撤回と県民投票」(上・下)と同論考に対する応答、あるいは反論としての新垣勉さん(沖縄在住、弁護士)の同紙5月2、3日付の「乗松論考への応答――裁判勝利を見据えた『撤回』」(上・下)という論です。乗松さんが新垣論考に対して沖縄タイムス紙を通じて再度応答するのかどうかはわかりませんが、一応、乗松さんの主張と同主張に対する新垣さんの反論が出揃いましたので両論を併記してご紹介させていただくことにします。
 
さて、私は乗松さんの主張の立場と同じ立ち位置にいるものですが、そうした立場性の違いを私のつもりとしては抜きにして(立場性の違いは否応なく論に反映するものですから、ほんとうのところは抜きにはできないのでしょうが)新垣勉さんの論考についてひとこと感想を述べておきますと、新垣さんの論には自身の見解にあくまでも固執しようとする固陋なところがやや目立つように思われます。その分、対者の論をその論のままに公正に読みとることができない。対者の論を自己の主張に都合のよいように曲解して論を展開しているように私には見受けられます。そうした姿勢では決して第三者に対して説得的な論を構成することはできないでしょう。私は自身のFBの4月12日付の記事に「この議論が真摯な議論として発展し、大きな実りのあるものになることを私は切に望みます」と書いておきましたが、そうした真摯な議論とはほど遠い議論の展開になっていることを残念に思います。

各写真をクリック拡大してご参照ください。


乗松論攷への応答 ――裁判勝利見据えた「撤回」(上) 新垣勉

沖縄タイムス 2017年5月2日付:
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キョウ のりまつさとこ6


乗松論攷への応答 ――裁判勝利見据えた「撤回」(下) 新垣勉

         
沖縄タイムス 2017年5月3日付:

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キョウ のりまつさとこ10

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Blog「みずき」:この記事の筆者のアエラ編集部の渡辺豪記者は「私も移住者として沖縄に17年間暮らし」「地元紙で主に基地問題を担当」したと言います。だからか。渡辺記者のまなざしには深いよどみの淵底に下り立った者だけが知る孤高の人の悲しみのようなものがあります。それはある意味で琉球人の悲しみに相似したものでもあるでしょう。その悲しみが透徹した眼になっている。また、その透徹した眼で選ばれた引用も優れている、というのが私の読後感です。私は渡辺記者の記事に深く学ぶところがありました。

渡辺豪記者は以下のように書いています。

『作家の目取真俊は辺見庸氏との対談(4月16日付沖縄タイムス、琉球新報など<共同通信配信記事>)で、こう問い掛ける。「沖縄が暴動寸前の状況になり、本当に米海兵隊が撤退する事態に至ったとき、ヤマトゥの人は『沖縄県民が望んだことが実現してよかった』と歓迎するだろうか」 さらに沖縄独立論に触れ、「まだ政治的力」はないとしつつも、「そもそも、日本政府が独立を認めることはあり得ないと思う」と悟り、こう予見する。「領土だけではなく、広大な領海も失う。そうなれば、自衛隊が出動し、県民に銃を撃つかもしれない」これは妄想ではない。歴史認識を欠いたまま、「本土」の人間が沖縄に対して当事者意識をもつとき、その振る舞いはより残酷になるリスクは確かにある。作家の姜信子は非常勤講師をしていた九州の大学で、石垣市在住の八重山戦史・芸能史研究の第一人者である大田静男氏を招いた特別講義でのエピソードを紹介している。「大田さんは講演の最後に学生たちにこう尋ねた。『沖縄が独立宣言をする、それを認めぬ日本国が沖縄を攻撃するとする、もし君たちが日本軍兵士ならば、国家の命令通り沖縄に銃を向けるか?』。そのとき、大教室にいた男子学生の多くが、銃を向けると答えた」(3月2日付琉球新報)これは10年余り前の出来事だというが、現在であれば一層酷い学生たちの反応に直面するのではないか。そう悲観せずにはおられないほど、沖縄と「本土」の亀裂は取り返しがつかないほど深まってしまった。』

ただ、記事中で渡辺記者は、この2月5日に那覇市内で開かれた「時代の危機に立ち上がる短歌」というテーマのシンポジウムに触れ、そこでのパネラーのひとりとしての「朝日歌壇」選者の永田和宏氏の発言を高く評価しているようですが、同シンポジウムでの永田発言の評価については歌人で短歌評論家の内野光子さんの以下のような批判、指摘があることをご紹介しておきます。内野さんは次のように述べています。
 
『比嘉美智子の開会のあいさつに始まり、鼎談は、三枝昂之、永田和宏と沖縄在住の名嘉真恵美子の3人によるものであった。進行は三枝で、永田の最初の発言は「今日の会は政治集会ではないので、短歌の表現を問題にしたい」というもので、「沖縄に基地が集中していることへの思いや考えはある。しかし、そのまま短歌にすると空々しくなるので、自己相対化が必要」とする。三枝は、遠く離れた沖縄は日本なのか、本土ともいえない戸惑いを感じる、とする。また、名嘉真からは、沖縄の短歌を本土のモノサシで批判する傾向にある、とする。このあたりのことを、『琉球新報』は、翌日の記事で、鼎談では「<沖縄>を詠む際の後ろめたさ戸惑いのようなものを含めて話し合われた」(「沖縄の表現模索 県内外の歌人集い討論」『琉球新報』2017年2月6日)と報じ、後の2月23日の記事では、3人の作品を通して「沖縄を詠うときの逡巡。<沖縄は日本か><日本はこれでいいのか>。他者そして自身に問いながら、答えの出ないもどかしさが見える」と報じた(「時代の危機に立ち上がる短歌 沖縄で問う<歌の力>歌人ら向き合い方議論」『琉球新報』)。

しかし、私が聞いていた限りでは、やや印象が異なっていた。永田は、自作の「どうしても沖縄は私に詠へない詠へない私を詠ふほかなく」(『現代短歌』2017年2月)などを引いて、時代の危機に際して、短歌は政治の言葉ではないので、安易に意見を言ってはならない歯止めが必要であることを強調していた。三枝も、自作「自決命令はなかったであろうさりながら母の耳には届いたであろう」(『それぞれの桜』2016年)とこの作品と対になっている、資料には出ていない「自決命令はあったであろう母たちは慶良間の谷で聞いたであろう」などを前提に、自決命令の有無については、簡単には結論が出ないとしての両論を踏まえるもどかしさを語っていた。鼎談後の沖縄県内外の10人の歌人たちのスピーチで、一番バッターの玉城洋子は、上記の鼎談を受けて「沖縄の短歌はどこへ行く、辺野古の海は、沖縄人のアイデンティティ」の思いを語った。私も、永田と三枝の逡巡と用心深さは、何に由来するのかを考えていた。自らの未知や無知について、謙虚で、慎重になることは大切なことだが、ためらい、戸惑い、自らの思いをストレートに語ることをしないうちに、現実は待ったなしで、進んでしまうのではないか、の疑問がもたげた。この「逡巡」は、現実逃避にも連なる気がした。同じような趣旨の質問が会場からも提出されたような報告があったが、質問の詳細も回答もなかった。』(内野光子のブログ 2017年3月2日)

渡辺豪記者には一考していただきたいことです。


【山中人間話目次】
・アエラ編集部の渡辺豪記者の「沖縄論壇と本土との亀裂は取り返しがつかないほど深い」という論
・仲宗根勇さん(元裁判官)の沖縄タイムス「識者評論」――承認の撤回 一刻も早く
・仲宗根勇さん(元裁判官)の沖縄タイムス「識者評論」――承認の撤回 一刻も早く(動画版)
・乗松聡子さん(カナダ在住。「ジャパンフォーカス」エディター)の「沖縄 4.28(屈辱の日)」考。「分断を超えて――今、本土からみつめる4.28」
・平安名純代さん(沖縄タイムス米国特約記者)のコラム想い風「辺野古埋め立て 致命的な結果に」
・チョイさんの沖縄日記――沖縄平和市民連絡会の総会では、平和市民連絡会として早急に翁長知事に埋立承認の「撤回」を求める申し入れをすることが決まった
・宮城康博さんは自分の感覚を大切にしてものを見ている。私はそういう視点をほんとうの意味で「民主主義」の視点というのだろう、と思う
・琉球新報社説の強い決意。「沖縄は屈しない、諦めない」
キョウ ぜねすと 
ブラジルで21年ぶりのゼネスト

Blog「みずき」:メーデーの日に。ブラジルで21年ぶりのゼネストがあったそうです。メーデーの日に集まったみなさん。あなたたちがいま第一に思わなければならないのはこのことではないか。

「一部市民が暴徒化」などという瑣末な目しか持たない報道に欺かれてはなりません。「暴徒化」したということはそれだけ労働者の怒りが凄まじかったということでもあるでしょう。メディアはなぜその「怒り」の本質に目を向けることができないのか。

連合の神津里季生会長は、安倍首相の裁定の下、先日、月100時間の労働時間延長可という「人が死ぬかもしれない」労働基準法改悪に経団連の榊原定征会長とともにに合意しました。こうした労働者の生を弄んで恥じない連合会長、榊原定征の暴挙を許したままのメーデーであってよいのか。

また、官公労働者や大手企業の労働者の多くはいまもって組合から交通費や日当という手当てを貰ってメーデーに参加しています。こうした非自発的な動員者に占領される集会をメーデーと呼べるのか。

私も20代、30代のときは毎年のようにメーデーに参加しました。そのときにはたしかにかすかにでも労働者の連帯のようなものを肌で感じることができました。しかし、いまは参加しません。バカバカしい、というよりも、反動に手を貸すことになる、という腸の煮えくり返る思いの方がずっと強いからです。


【山中人間話目次】
・メーデーの日に――メーデーの日に集まったみなさん。あなたたちがいま第一に思わなければならないのはブラジルの21年ぶりのゼネストのことではないか
・メーデー断章。残業上限「月100時間」を政労使合意した「労」の張本人がよくぞ「長時間労働の撲滅」などといううそ平然とつけるものです(そのうそを看過したままにする連合組合員も組合員です)
・ブラジル・ゼネスト詳報
・辺見庸の「新・朝鮮戦争を望んでいるものがいる」
・水島朝穂さん(早大教授、憲法学)のつくられた「緊迫 北朝鮮情勢」批判――「新たな戦前」なのか
・わが国の愚かなること最悪の首相の愚かなる言(オルタナティブ・ファクト。すなわち、うそ)のファクトチェック。毎日新聞校閲記者のクリーン・ヒット

キョウ のりまつさとこ2
キョウ のりまつさとこ3