キョウ あべ11

Blog「みずき」:(1)本記事はものごとの深層を的確、簡潔に、すなわち、わかりやすく読み解いている好論といってよいでしょう。簡潔に読み解くことができるということは、それだけここで提起されている問題の本質と深層を適確に捉えているということでもあるでしょう。そういう意味での好論というのが私の本記事の評価です。

ただ、文中に「また、国に軍隊があるのも当然である(この観点から、日本が普通の先進諸国なみのリベラル国家になった後で憲法9条を改正すべきだと主張する筆者は、「リベラル・タカ派」と呼ばれることがある)」という憲法9条改正論があります。私は現憲法の理念に沿った「非武装中立」という国家のあり方は可能だと考えるものですが(また、「国に自衛権があるのは当然」という主張であればわかるのですが、「国に軍隊があるのも当然である」という考え方には私は与しません)、「リベラル国家になった後」にという前提の下での憲法9条改正論議はあってもいいことだとは思っています。ただ、こうした主張は、「リベラル国家になった後」にという前提が外されて現体制下での9条改正を主張する新9条論者の論に回収されてしまう危険性をともないます(現に本記事を有意義なものとして拡散していたのは新9条論支持者のひとりでした)。「リベラル国家になった後」の軍隊の創設についてはかつて共産党も主張していたことですが、その共産党もいまや新9条論者の主張(現体制下の9条「改正」、すなわち、改悪)に呑みこまれつつあります。いや、すでに呑みこまれているかもしれません。そういう危険性をともなうということです。

(2)内藤朝雄さん(明治大学准教授)の記事を紹介したついでに1か月ほど前の伊藤智永という毎日新聞記者の「まやかしの保守 ついに「日本会議」政治が沈没す」という記事もとりあげておきます。さて、この記事についている安倍首相と日本会議が「断絶」しているかのように強調する「安倍首相が『日本会議』を使い捨てる日」というキャプションはなんでしょう? 伊藤記者の記事が「日本会議」を批判していることから同記事を好意的に引用、転載しているいわゆる「リベラル」ブログは少なくないのですが、同記事は「日本会議」批判に名を借りた新手の安倍晋三擁護論と見るべきでしょう。私はこれまで伊藤智永という毎日新聞記者を批判する記事を2本書いていますが、その観察からも言えることは伊藤智永という毎日新聞記者は明らかな安倍擁護論者です。この記者の狡知な筆遣いに欺かれてはならないでしょう。

同記者は「安倍首相が『日本会議』を使い捨てる日」などと書いていますが、ひとつ前の記事に書いた内藤朝雄さんが紹介している資料を見ても安倍首相は「日本会議」を使い捨てるどころか第3次安倍晋三再改造内閣の閣僚のほぼ8割が超タカ派(極右)団体の「日本会議」のメンバーです。この点について内藤朝雄さんは次のように書いています。
『現在、日本を戦前の状態(特に〈天皇中心の国体〉が暴走した昭和初期から敗戦までの時期)に戻そうとする勢力が、閣僚の大多数、国会議員のほぼ半分を占めている。日本社会は、その意向のままに造りかえられてしまう瀬戸際にあるといってよい。次の資料をみてほしい。「第3次安倍晋三再改造内閣の超タカ派(極右)の大臣たち」(俵義文(子どもと教科書全国ネット21)作成:トップページの左側リストにある当該資料表題をクリック)、あるいは「国会議員いちらんリスト」。資料を見ると、閣僚のほぼ8割が「超タカ派(極右)」団体(先進諸国の主要メディアはおおむねそのように見ている。筆者もそれに同意する)のメンバーであることがわかる。またそれが国会議員全員の半数に達しようとしている。これらの団体は、仲間たちがいくつも掛け持ちしていたり、協力しあったりしているので、ひとつの大きなネットワークと考えることができる。また、彼らは公明党など他勢力と利害同盟を組んでいる。その意味では、ほぼすべての閣僚と半数の国会議員が、上記資料にいうところの「超タカ派」勢力かそれになびく勢力であるといってよい。これらの勢力が政権の座にあり、目標達成に向けて着実に歩を進めているのである。』
内藤朝雄さん(明治大学准教授)と伊藤智永という毎日新聞記者との認識の差異は明らかでしょう。

【山中人間話目次】
・内藤朝雄さん(明治大学准教授)の「世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる」という記事の岐路
・伊藤智永毎日新聞記者の「まやかしの保守 ついに「日本会議」政治が沈没す」という記事のまやかし
・太田昌国さんはいまの日本の社会状況を「『阿呆の天国』状態」と表現する
・平安名純代さんの「とうとう私たちは後戻り不可能な地点へ来てしまいました。辺野古を守るために私たちは何をすべきなのか」
・辺見庸はその共有すべきわれわれの時代の現時間を「世界の夜――乏しい時代」という