キョウ すがのたもつ2

Blog「みずき」:田中宏和(「世に倦む日日」ブログ主宰者)の菅野完批判と共産党批判。菅野完を「新右翼」と認定するところ、「共産党に情報を収集分析する力がなくなった」。「共産党が劣化し、ただの野党になった」と認定するところは私の認識とも重なります。標題が私の言いたいことのアルファであり、オメガ(ΑΩ)です。ここでは具体例は書きません。下記の今日の「山中人間話」の一連の記事と合わせて読んでいただければ幸いです。続き物としてというか一本の流れの中で書いています(その中に具体例も出てきます)。私は私の言う「菅野完現象」を身の毛のよだつ思いで見ているのです。 

『籠池泰典は、事件発覚のあと、ずっと生き残りのために駆け引きを続け、突っ張りながら着地点を計っていたと思われるが、官邸とのパイプで交渉役の弁護人の態度を見て、官邸と維新が蜥蜴の尻尾切りに来ているのを察知し、代理人を菅野完に切り替えたのである。反安倍(左翼)を味方に取り込み、擬似的に「正義の味方」の表象を得、国民世論の追い風を受ける立場を仮構して、官邸と再交渉に出たのだ。菅野完は、そういう「左翼取り込み」の「戦略」を籠池泰典に提案したのだろう。新右翼の菅野完らしい。籠池泰典はそれに乗った。16日の豊中の私邸前の映像は異様としか言いようがない。あの場所は、旗棹地の区画になっている玄関前のアプローチで、籠池宅の敷地(庭先)だろうが、籠池泰典がこれまで悪魔として呪ってきた左翼(共産党と社民党)と仲よく写真に収まり、安倍晋三を追及するぞと気勢を上げてマスコミに絵を撮らせている。有印私文書偽造で公金を詐取し、カルト教育で児童虐待をしてきた右翼の悪党が、いきなり反安倍のシンボル・キャラクターに化学変化した。小池晃と福島瑞穂と森裕子は、雁首並べていそいそと大阪まで出向き、籠池泰典の反共教育の持論を拝聴し、籠池泰典を「正義の味方」にイメージチェンジする記念写真を撮影、手ぶらで帰京した。籠池泰典に利用され、籠池泰典に振り回されている。正直なところ、目を覆いたくない気分だ。この事件の発生以降、共産党はずっと渦中にある猛毒の右翼に利用されている。口利き実行犯の鴻池祥肇に道具にされ、鴻池祥肇が自らを上手に免責して逃げる政治工作を手伝わされた。』

『共産党も民進党も、疑惑を解明する独自の調査能力が全くない。情報を収集分析する力がない。一つ一つ事実を積み上げ、事件の構図を正確に描いて説明しようとせず、犯罪行為や違法行為のカタログを整理して関係者の法的責任リストを確定させず、足を使って(諜報努力をして)証拠を集めようとしない。民進党の議員にその能力がないのは理解できるが、共産党がそれをできないのはどうしてだろう。不思議だ。それができるのが共産党だった。共産党のエクセレンスと存在感はそこにあった。だから共産党は優秀な党であり、どれほど議席は少数であっても国民の信頼と期待を集め得た。支配層と右翼反動から恐れられた。単に正義の党であるだけでなく、実力のある党だった。「確かな野党」という意味は、何でも反対という意味ではなく、不正を明らかにする実力を持った党という意味だ。共産党がこの事件に本気で食いついていない。共産党だけでなく、左翼のジャーナリストがそれをしていない。単に事件を煽って騒いでいるだけで、安倍晋三の支持率を落とすことだけが念頭にあり、政治的動機だけで表面的に追いかけている。だから、菅野完に主導権を握られるのであり、右と左をバンク切り換えする菅野完の狡猾な手品と口舌に揺さぶられ、籠池泰典をロンダリングする手伝いをさせられ、籠池泰典を反安倍の英雄として喝采する倒錯に陥るのである。共産党が言論をリードしていない。共産党に意志と能力がなくなった。共産党が劣化し、ただの野党になった。残念だ。』


【山中人間話目次】
・「世に倦む日日」ブログ主宰者の菅野完批判と共産党批判。菅野完を「新右翼」と認定するところは私の認識とも重なります
・いまの「リベラル」なるものの現状と「菅野完現象」について
・籠池証人喚問では「安倍首相からの100万円」と題された菅野完の本日‏付けの記事にあげられている「物証」の証拠性が議論されることになるでしょう
・内藤正典さんの「リベラル=寛容」ではないという指摘(1)
・内藤正典さんの「リベラル=寛容」ではないという指摘(2)
・郷原信郎弁護士の「籠池氏証人喚問は、自民党にとって『危険な賭け』」という読み
・籠池理事長が「安倍首相の寄付金も含まれている」と証言した際の映像
・辺見庸のETV「こころの時代」、副題「父を問う――いまと未来を知るために」(出演:作家・辺見庸&小さな犬)の再放送案内
・辺見庸・目取真俊対談――「沖縄を語る」