キョウ てんのう4

【何か勘違いしていないか】
日本の
多くの護憲「リベラル」が皇太子の誕生日会見の「護憲」発言とやらを絶賛しそれを大手メディアが報道しなかったとか言って怒っている。何か勘違いしていないか。皇室のメンバーが憲法を遵守するのは憲法で定められた当たり前のことであるし、そもそも皇太子は会見で「憲法」のケの字も口にはしていない。昨年の戦後70年に言及したこの部分「私自身も,雅子と愛子と一緒に,7月そして8月に,戦後70年に関連した特別企画展などを訪れました。そこでは,戦争の記憶を風化させることなく,次の世代,さらにその次の世代に語り継いでいくべく,様々な展示や講演などが行われておりましたが,改めて過去の歴史を学び,戦争に至った背景や,戦時中の惨禍,戦後の荒廃から立ち直る上での人々の並々ならぬ努力についての理解を深め,そして平和の意義について真摯に考えるよい機会となりました。」について言っているのだったらそれは、その通り、戦争の歴史を学び平和を真摯に考えている、と言っているのであってそれ以上のものでもそれ以下のものでもない。

日本の「護憲」派が、天皇や皇室のメンバーを持ち上げて安倍に対抗しようとしているのだったらそれこそ違憲的行為である。勘違いもはなはだしい。天皇は国民の象徴に過ぎず国民の上に立つものではない。これが戦争の教訓にもとづいて戦後日本が採用した日本国憲法の根幹「主権在民」の鉄則である。これらの「護憲」派は天皇や皇室を持ち上げることによって、天皇を改憲で「元首」としようとしている自民党に加勢している。「護憲」派は、皇室の力などそもそもあってはいけないものを借りようとせず、主権が存在する自らの責任と自らの力において憲法を守り、違法、違憲の「安保法制」廃案に向けて努力すべきである。(
Peace Philosophy Centre 2016年2月29日

 

要するに、
広島平和研究所は、安倍政権に「服従する」、つまり安倍政権を「支持する」研究所に堕落してしまったということを、この記事は意味しています(「服従」と「支持」の関係については、このブログの「『罪』と『責任』:ハンナ・アレントに学ぶ『戦争責任』の解釈」を参照されたし)。

恥を知るということを知らない安倍政権の下では、大学を含む日本社会のいろいろなところで、恥を知るということ知らない輩がのさばるようになってきました。日本は、広島は、本当に恐ろしい事態になっていますね。救いがたい日本の知的荒廃は、現在の首相と閣僚たちの言動からも明白ですが、大学にもすでに現れています。広島平和研究所の状況は、その一証左です。
 
情けないのは、研究所や大学当局による若手の優秀な研究員に対するアカハラ的な処遇に対し、他の研究員のほとんど(私が知る限り1人だけを除いて)全員が反対意見の声を全くあげないということ。「服従」することは本質的には「支持」することであるという、ハンナ・アレントの言葉の重みを痛感する次第です。(
田中利幸ブログ 2016年2月28日更新
キョウ へんみ3
2013年8月31日撮影(東京・四谷区民センター)
 
Blog「みずき」:いまという「状況」の中で「例外」であり続けることについて辺見は次のようにも書いています。「われわれはひとりひとり例外になる。孤立する。例外でありつづけ、悩み、敗北を覚悟して戦いつづけること。これが、じつは深い自由だと私は思わざるをえません。」(
2013年8月31日講演記録

【群衆の中で一人の人間がどう思考するのか】
「戦争法(安保法)が通り、今、憲法9条は瀕死の状態にある。生前葬が済んでしまったと言ってもいい」安倍晋三政権はいよいよ憲法改正に前のめりだ。そうした中、集団的自衛権行使を禁じた上で自衛隊を軍隊として位置付け、専守防衛に徹することを明記するという「新9条論」が出ている。こうした風潮に辺見庸さんは強い危機感を抱く。
キョウ へんみ2
2016年2月15日撮影(毎日新聞) 

【「ファシズム」という言葉を鍵に日本の状況をあぶり出してきた】
東京郊外にある料理店で待っていると、窓越しに作家、辺見庸さん(71)の姿が見えた。前回の取材から3年。脳出血によるまひで、右手をみぞおちのあたりに持ち上げたままの姿勢は変わっていないが、足元を見ながら歩くリズムは幾分遅くなったようだ。辺見さんとのやり取りは常に刺激に満ちている。だから、席に着くなり「震災から間もなく5年になりますが、それに絡めたお話を」とお願いした。辺見さんも余計な前置きはしない。「僕がずっと読み込んできた戦争の話と震災を短絡させるのは何なんだけど」と、すぐに語り始めた。(略)

話が一段落したころ、辺見さんはさりげない感じで切り出した。「僕もあと1、2年の命だと思うから……」2004年に脳出血で倒れ、05年には大腸がんが見つかり、外科手術や放射線治療を受けてきた。「これが最後だ」という思いから出た言葉なのか。

病と闘いながら00年代から「
ファシズム」という言葉を鍵に、日本の状況をあぶり出してきた。今月19日に亡くなったイタリアの作家、ウンベルト・エーコ氏らを引用しながら説く現代のファシズムを次のように短く要約してみた。
キョウ とらんぷ

米国の政治はいまどこに向かおうとしているのか? 
バーニー・サンダースの「信じられないほどの成功」と「大統領選でトランプ氏がリードする米国の病理」についてそれぞれ指摘している2本の記事の対比においてそのことを考えてみたいと思います。また、そのこととも関連して、冒頭に最近バーニー・サンダースの躍進に着目した記事を連日のように発信している保立道久さん(東大史料編纂所名誉教授)が新9条論者松竹伸幸氏(元共産党参院議員候補者)の日米安保条約容認論を無批判にリツイートしている問題について私の批判コメントも掲載しておきます。


Blog「みずき」:保立さん。『編集長の冒険』ブログの記事を好意的にツイートしていますが賛成できません。同ブログの筆者である松竹伸幸氏(元共産党参院議員候補者)が上記記事でいう「現存するものの合理性」とは、現在の日米安保を「現存するもの」として肯定した上で同日米安保を日本の国際的、国内的な政治状況に即して「合理」的に運用しようというものです。すなわち、日本を再び軍国主義化しようとしている安倍政権と同様の日米安保容認論でしかありません。松竹氏は新9条論者のひとりでもありますが、新9条論の本質はこれもまた安倍政権と同様の明文改憲論でしかありません。保立さん、あなたまでこのような人たちと連携しようとしているのですか? いま、私は、あなたの思想を見直さなければならないと考えています。下記のような翁長氏批判もあります。ご参照ください。

★「イデオロギーよりもアイデンティティを」路線にすがりつく「革新」は、天皇制讃美イデオロギーとも闘わないということか。 もてはやされ続ける「学者」小林節の「日本の天皇家は,万世一系,つまり初代の神武天皇から天皇家に生まれた男の直系として...

Posted by 都藤 邦 on 2016年2月25日
キョウ のさか2

Blog「みずき」:作家の丸谷才一は「バカなヤツだ」と言って野坂昭如をこよなく愛していました。その丸谷は石川淳からやはり「バカなところがいい」と言われてこよなく愛されていました。石川淳の主宰する歌仙連句の興行(共同制作)の常連客でもありました。そのまた夷齋先生石川淳の酔狂も有名で、ケンカを覚悟で宴会に出席したが下駄を懐に忍ばせていて一目散に逃げ出したなどの逸話もたくさんあります。みなさん無頼派の系譜といえばそういうことなのでしょうが、こうして人生(人の世)は循環していくもののように私などは思います。

【日記には実は飾らない生の声が隠されている】
本書の冒頭に置かれた編集部の注記によると、野坂昭如は2003年5月26日、72歳のときに脳梗塞で倒れたあと、陽子夫人の手を借りて、口述筆記により作家活動をつづけていた。急逝したのは2015年12月9日夜。享年85歳だった。本書は2004年から2015年にかけ、「新潮」や「新潮45」に掲載された公開日記を収録したものだが、その日記は亡くなる当日のほんの数時間までつづいていたという。
キョウ へいわのけしき 
「ああやっと終わった、おれの命は助かった」
学生寮で「玉音」放送を聞いた後の何ともいえない
解放感……生涯忘れられないあの風景を原点に、
平和思想史、日本国憲法,歴史認識の課題を
自分史と重ねて綴っていく。


 
Blog「みずき」:「天皇の「おことば」を持ち上げて」いるのは誰か。それは第1にこの十年来、保阪正康氏や半藤一利氏の天皇礼賛言説のバリエーションでしかない「裕仁=平和主義者」論をリベラリストの論のようにもてはやし、自らも「天皇のお話も原発事故にも触れ真心のこもったもの。(略)それらに比べ、安倍首相の式辞は、原発に触れず復興は進んでいると。失望」と「天皇の「おことば」を持ち上げて安倍晋三ら右派政治家を批判する」を地でゆく言説を弄し、しまいにはこれまで拒否してきた天皇列席の国会開会式に参列して天皇に深々と頭を下げて敬礼するというところまで奈落した日本共産党を第一の戦犯として名指ししないわけにはいかないでしょう。その共産党は明白な明文改憲論でしかない「新9条論」を「護憲」の論のように強弁する新9条論者たち(小林節伊勢崎賢治今井一内田樹想田和弘孫崎享白井聡矢部宏治池澤夏樹加藤典洋高橋源一郎ら)と連携を強めようとしています。ゆき着く先は「新天皇は憲法を守れるのか」の著者の弓削達さんも言う「再び昭和の暗黒時代がひたひたと押しよせてくる」道といわなければならないでしょう。いまの共産党は戦前の社会大衆党が陥った誤りの道を再び繰り返そうとしています。もはや共産党は口先だけの「侵略戦争反対」政党に成り下がってしまったようです。やんぬるかな。

【再び昭和の暗黒時代がひたひたと押しよせてくるとき】

弓削達新天皇は憲法を守れるのか」『マスコミ市民』1989年4月号(弓削達『平和の景色 私の原点』岩波書店、1995年所収)から引用する(前掲書、193~207 頁)。こういう文章を読んでいると、天皇の「おことば」を持ち上げて安倍晋三ら右派政治家を批判する、といった類の言説が改めてアホらしく感じられる。現在の天皇が、弓削の言う意味で憲法を遵守する人物であるか、もしくは露骨な反動主義者であったならば、日本社会はここまで右傾化しなかっただろう
おそらくいま日本語で読めるバーニー・サンダースに関するもっとも包括的な論攷「バーニー・サンダースの台頭」(宮前ゆかり『世界』2015年12月号全文)を含むTUP(平和をめざす翻訳者たち)速報994号 2016年2月9日所収)のご紹介です。


同記事は、「99%からの異議申し立てが始まっている」という藤澤みどりさんの「前書き」と宮前ゆかりさんの「バーニー・サンダースの台頭:民主党と無党派先進左派の狭間」という本文から構成されています。

ご一読をお勧めします。
 
なお、以下のハフィントンポスト日本版の記事も上記の論攷と対比的に読む限りにおいて有益です。この畑恵氏(元参議院議員、元NHKキャスター)の記事はサンダース民主党大統領候補を共和党大統領候補のトランプ氏と同等の位置づけで「過激な右翼と革命的左翼-両極端のポピュリスト候補」とし、サンダースの健闘をも「悪夢のようなシナリオ」と形容しています。
キョウ えぶりわん
「Everyone says I love you !」ブログより

Blog「みずき」:ボーンズ88さんの論にひとこと注。たしかに「多様性を尊重しながら議論を重ねて意思決定していくことが民主主義」だと私も思います。そのような連携であればもちろん私も歓迎したいのですが、今回の「野党5党の選挙協力」がそうした「民主主義」を形成しうるかについては私は否定的です。上記の「民主党全体が安保法廃止を公約にしたら、民主党側のその選挙区の候補が日本会議でも共産党は候補を取り下げるのかな」という宮武嶺さんのツイートの指摘のような疑問もあります。最近の共産党の動向を見ていると、「民主主義」の方向よりも、なし崩し的なさらなる「右傾化」の方向に流されていく可能性の方が高い、と判断せざるをえないところがあり、「安保法制」の廃止という大義があるとしても、安易に「野党5党の選挙協力」を歓迎する気にはなれないのです。(下記の「山中人間話」参照)

【精神的自由が経済的自由よりも優先するのは憲法の一丁目一番地の問題】
安倍政権がなぜ放送法を誤って解釈し、放送局という言論機関に当たりまえのように介入できているのか、その理由がよくわかるやり取りが、今週、国会であった。2016年2月15日の衆院予算委員会で、民主党の山尾志桜里衆院議員が安倍首相に対し、「精神的自由の経済的自由に対する優越的地位」の意味を問うたのに対し、安倍首相は官僚から渡されたメモを読みながらも、きちんとその意味を答えられないという場面があった。
キョウ いわくにかく
1961年に撮影された米軍岩国基地
【誤りを犯したことを批判されないようにするために隠している】
核兵器事故や核の配備について、米政府は基本的に「肯定も否定もしない」政策をとっている。その解明には、公文書の公開や当事者の証言が欠かせない。1970年代、山口・岩国沖の米艦船に核兵器が積まれていたと告発した元米国防総省職員のダニエル・エルズバーグ博士(84)に、事実を明らかにする意義などについて聞いた。同省で核戦略の立案に関わり、後に平和運動に転じたエルズバーグ氏は78年、「岩国の米軍基地に60年代まで核兵器があった」と証言した。岩国沖に停泊する米軍の揚陸艦に核兵器が積まれていたことを明らかにしたもので、「核の持ち込みはない」との姿勢だった日本政府に衝撃が走った。この証言は、当時の駐日大使によって後に裏付けられた。エルズバーグ氏は71年、米政府が情報を隠したままベトナム戦争を始めたことなどが記された「ペンタゴン・ペーパーズ」を米紙に流して暴露したことで知られる。米カリフォルニア州バークリー郊外の自宅でエルズバーグ氏は取材に応じた。
キョウ さんだーす9
サンダース氏の逮捕の画像が半世紀ぶりに発掘される
63年シカゴの公民権運動
 

【一緒に立ち上がり続けるならば私たちは勝ち続けることができる】
ネバダの民主党の党員集会の結果は、クリントンとサンダースの差が4ポイントというところまで接近したことを示している。最後に幾つかの情報を私訳しておいた。とくに大きいのは、一部の報道とは違って、クリントンがヒスパニック系で強いという前評判が、はじめて覆ったことだ。ラテンアメリカ系の人びとへの出口調査で、サンダースは8ポイントの差をつけて、クリントンを追い抜いた。この傾向は全国的に拡大するものと思われる。全国の世論調査でも、クリントンとサンダースの支持率はほぼクロスするところまでいっている。
キョウ もりかわ
木村まきさん(元被告遺族、左)と森川文人弁護士

【現在の裁判所に自らの罪に向き合う自浄能力があるか】
3月3日、東京地裁にて、
横浜事件国賠訴訟が結審となります。現在、最終準備書面作成中。本事件の弁護団は河村健夫、山本志都、吉田伸広らの構成ですが、私は、弁護団長ということなので、「はじめに」と「おわりに」を執筆担当。(略)
キョウ あんどれ・じっど
アンドレ・ジッドの青年時代(1920年)

Blog「みずき」:辺見庸ブログに以下のような新著案内があります。「2016年3月初旬発売の「文學界」4月号が、辺見庸の最新短篇「あの黒い森でミミズ焼く」(約45枚)を掲載する予定です。……災禍を生きのこってしまったひとりの老女の存在をめぐり、こともあろうに、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の著者カールにたいし、あれこれと一方的に問いかけつづける物語。名著『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』は、大月書店版、新日本出版社版、平凡社版の3つを用いました」。

カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を小説仕立てにするという着想自体、辺見ならではと言ってよいでしょうが、辺見が同短編の創作を思い立ったのにはおそらく昨年末の『赤旗』の自身へのインタビュー・ドタキャン事件が関係しているでしょう。そのとき辺見は日本共産党という左翼政党の社会主義思想の貧困の問題に思い到った。その共産党の思想の貧困はなにに由来するか。辺見はその問題をマルクス主義(科学的社会主義)の創始者のカール・マルクスに語らせようと着想した。それが「あの黒い森でミミズ焼く」という短編の創作の動機になったのではないか。いずれにしても、そのマルクスと辺見の問答は以下の渡邊一民さんの問題提起にも通じる問いだろうと私は想像します。そのとおり、左記はいまのところ私の想像の域を超えていませんが、おそらくそういう短編になるだろうというのが私の予想です。もちろん、当たるも八卦当たらぬも八卦の世界の話でしかありませんが……。

【状況主義とスターリニズムとの相似性】
前回渡邊一民状況主義とラディカリズム」(略)からの引用の中に「状況主義」という言葉がある。この言葉は渡邊の造語なのだが、これについて解説した渡邊の文章が含蓄があると思うので紹介しておきたい。(略)
キョウ やすだこうどう

ある回想の回想は、山本義隆さんの『私の1960年代』という回想を読んでの著者とほぼ同世代の木村剛久さん(元共同通信・書籍編集者)の回想です。おふたりはともに全共闘世代と呼ばれる世代ですが、同時代の回想は私の見るところいわゆる全共闘運動を自己の主観によって実際にあった運動以上に理想化したり、その運動のリーダーを必要以上に英雄視したりする傾向が強く、読んでいて鼻白んだり、興ざめしてしまうたぐいのものが多いのですが、山本義隆さんと木村剛久さんのそれぞれの回想は自然体の目線で書かれていて、それゆえにわかりやすく全共闘運動の実際の内実が読む側にもよく伝わってきます。ひとことで言って同時代人の信頼のできる回想です。この時代を理解するためには外すことのできない好著ということができるでしょう。山本義隆さんが東大全共闘の議長という当時の当事者であり、木村剛久さんも「運動の中心にいたわけではない」としても当時の早稲田大学の学生としてやはり当事者のひとりであったこともこの時代の全共闘運動を理解するためのもちろん大きな要素です。
キョウ われさ
映画「ワレサ 連帯の男」から

Blog「みずき」:ここで重要なのは社会主義という制度自体の「原罪」性(「社会主義」という国家制度の良否)の問題ではありません。あるのは社会主義国家が全体主義国家へと要遷移するプロバビリティの問題です。歴史的事実はその遷移の度合いは高確率であったことを示しています。そして、そうした問題が1990年代のドミノ倒しのロシア型社会主義の崩壊の問題にもつながっていきました。現在の日本の共産党の右傾化は「民主集中制」というソ連の崩壊に到ったかつてのレーニン型ドグマ(党内制度)を清算しえないままの右傾化であるところが問題です。その意味ではいっそう危険な右傾化といってよいものです。そうした意味でも警鐘を鳴らさざるをえません。


【ワレサ「スパイ」説を疑う】
私が
ポーランドにいた時に何度か聞いた話です。ノメンクラツーラと呼ばれた支配階級だった共産主義者が、民衆反乱を押さえつけるために、ソ連の内務人民委員部・NKVDから学び、どれほど民衆を弾圧し、殺戮し、スパイや密告者を作り出し、フレームアップや拷問や脅迫を繰り返したか、本当に酷いものです。ナチのゲシュタポは、ソ連のNKVDを模範とした位です。1917年にレーニンが設立したチェーカーがNKVDとなり、後にKGBと改編されました。アンジェイ・ワイダ監督の三部作『 大理石の男』『鉄の男』『ワレサ 連帯の男』を観れば、共産党の秘密警察の残忍で非人間的 な手口が良く描かれています。
キョウ うすいよしみ
臼井吉見(1905~87)

3年前から「今日の言葉」として人さまの言葉を中心に書き綴っています。この1年ほどは結果としてほとんど日本の社会と政党の「右傾化」の問題が主題になっています。毎日、毎回、飽きもせずに「右傾化」の問題を書き綴っているということになります。しかし、日本社会と政党の「右傾化」は急傾斜の様相は帯びても一向に弱まる気配はありません。私の問題提起などときどき池に蛙が飛び込むポシャリという程度のさざ波さえも起こさないということなのでしょう。しかし、小さなさざ波であっても池に飛びこもうとする蛙の動きを凝視していた人の目にはとまるはずです。私としてはそれでよしとするべきかもしれません。誰かが聞き耳を立てていてくれたのですから。私のブログの冒頭の言葉にも書いています。「時には行く人あり、見る人もあるだろう」、と。

その「見る人」のために「戦後の日本の大衆運動」の問題点を文芸評論家の視点から問題提起している一文を下記に再掲しておきたいと思います。文芸評論家の臼井吉見(1905~87)の視点です。1964年に書いた「戦没者追悼式の表情」という一文。「大衆を組織するという政治目標が何よりも優先されるという状況主義の跋扈が個々の運動を事実上安易で自己満足的な基盤の脆いものに堕さしめた」という渡邊一民さんの指摘に呼応するその言葉よりさらにひと昔前の指摘です。「今日の言葉」の続としておきます。半澤健市さんの文章の「モトノモクアミに化していくのだろうか」という節より。
キョウ げんすいきん
第1回原水爆禁止世界大会(1955年8月6日)

Blog「みずき」:金光翔さんが久しぶりにブログを再開されたようです。標題を「70年代からいまに続く日本の右傾化」 としているのは、渡邊一民さんは1983年に『世界』に発表した「状況主義とラディカリズム」に「ここ十年の日本の右傾化」と著していますのでそこから換算してのものです。70年代から右傾化が始まったという認識は辺見庸同様の認識を述べていますし、私の認識とも一致します。その40年以上にもわたる日本の右傾化の流れをわれわれは「まったく阻止しえなかったことは認めないわけにはいきません」と30年前に渡邊さんは悲痛の思いをこめて指摘している、ということになるでしょう。

【大衆を組織するという政治目標が何よりも優先されてきた運動の過誤】

渡邊一民状況主義とラディカリズム」(『世界』1983年2月号。渡邊一民『ナショナリズムの両義性――若い友人への手紙』人文書院、1984年に所収)から引用する(前掲書、16~18頁)。ほぼ当たり前のことしか言っていないとは思うが、この指摘が30年以上後の今日でも(今日こそ?)有効であることに驚かざるを得ない
キョウ うしだ キョウ うしだ2

Blog「みずき」:「新9条論」は「ほんとはリベラルでさえないリベラリスト」による「自民党案よりひどい」体の明文改憲論でしかないこと。また、「ほんとはリベラルでさえないリベラリスト」を「リベラル」と認定しているのがほかならない日本共産党という「右傾化」した左翼政党であるということ。またさらにその「新9条」論者に「右傾化」した共産党が急接近している(こちらの志位共産党委員長のツイートはそのことを端的に示しているといえるでしょう)という認識において私は内海信彦さんとまったく同様の認識を持ちます。まさに共産党総体としての集団転向が始まっているというのが私の認識でもあります。歌を忘れたカナリアは「月夜の海に浮かべれば忘れた歌を思い出す」ことができるでしょうか?

【牛田悦正くん(SEALDs)と高橋源一郎教授(作家)の場合】
やはりこの辺から
集団転向は始まっています。共産党支持層と重なって「新9条論」が若者グループからも出始めたことを、再度確認しておきましょう「トロいの木馬」改憲別働隊として産経新聞にも評価された「新9条論」が、雪崩を打って40代から20代に拡大しています。
 
キョウ ぎんが2

Blog「みずき」:人工衛星の打ち上げそのものは、その打ち上げ当事国がアメリカであれ、ロシアであれ、かつまた北朝鮮であれ、すべての国々に認められている宇宙の平和利用の権利です(宇宙条約第1条)。それをアメリカやロシアなど他の国の人工衛星打ち上げは非難せず、北朝鮮だけの打ち上げだけを特化して問題視するのは国際間の公平性と平等性の保障に反する行為です。

だとすれば、「宇宙ロケット・人工衛星は『平和利用』で、ミサイルは『軍事利用』という使い分けそのものが、情報戦」であるとしても、「北朝鮮が国際的に非難されるのは当然」ということにはならないでしょう。 加藤哲郎さんの主張にはその点の認識が欠けているように私は思います。

また、加藤さんが評価してリンクを貼っている「
日本のマスコミ」批判の主張とも矛盾するものです。根拠のある北朝鮮批判は必要だと私も思いますが、ゆえのない北朝鮮批判に与してはならないでしょう。 

【「平和利用」と「軍事利用」という使い分けそのものが情報戦というべき】
米英の報道さえ「ロケット」となっているのに、なぜか日本のマスコミは「事実上の長距離弾道ミサイル」と一斉に報じた、北朝鮮の核実験に続く自称「人工衛星」打ち上げ。確かに米国東海岸まで核弾頭を搭載すれば「ミサイル」になるという点では正しいのですが、かつて「飛翔体」などとよんできたものに、日曜なのに首相以下政府が素早く動き、石垣島にPAC3を配備したものものしい体制を見ると、どうやら自民党改憲草案にいう「緊急事態」の予行演習「有事」宣伝の情報戦だったようです。

北朝鮮が国際的に非難されるのは当然(Blog「みずき」:下記注参照)ですが、そもそもロケット開発そのものが、核開発と一体の軍事技術であったことを振り返れば、宇宙ロケット・人工衛星は「平和利用」で、ミサイルは「軍事利用」という使い分けそのものが、情報戦です。
キョウ そうだ 

Blog「みずき」:『』内は徳岡宏一朗弁護士のブログからの引用ですが、たしかに「新9条論」への的確な批判とはいえます。が、引用の最後のくだり「伊藤先生はもとより、伊勢崎さんにも期待しているんですが」というのはなんとも甘い見通しというほかありません。そもそも内海信彦さんの「トロイの木馬『新9条論』」批判は憲法9条2項の「交戦権の否認」を否定する伊勢崎賢治×想田和弘対談批判です。そこで批判されている人に対して「期待している」などとしめくくりでいう徳岡さんの論を「『新9条論』への痛烈な批判」などと持ち上げてはいけません。内海さんの「新9条論」 批判も徳岡さんの論と同じくやはり「甘い」と判定せざるをえません。私の伊勢崎賢治氏批判を再掲しておきます。

【「伊勢崎さんにも期待」とはなんとももはや】
集団転向ウルトラリアリズムの本隊までが、改憲別働隊に合流し始めています。トロイの木馬「新9条論」への痛烈な批判です。
キョウ さんだーす8
若き日のバーニー・サンダース
 
Blog「みずき」:すでにサンダースのパレスティナ問題に関する認識への批判と危惧はインターネット上でもいくつか垣間見られます(こちらこちらこちら)。サンダースは民主党の大統領候補に出馬して以来、この問題についてはいまだ明瞭に語りえてはいませんが、そのことを語ろうとするときに正念場を迎えることになるでしょう。「歴史認識に支えられた、ジャーナリズムからもアカデミズムからも賛同を獲得できるような」(保立道久さん)パレスティナ問題に関する認識を語ることができるかどうか。さまざまな意味においてアメリカという国の「良識」の質が世界に示されることになるまさに正念場というべきでしょう。

【サンダースで心配なのは国際政策】
アメリカ大統領選挙で未知数なのは外交政策についての議論がどう展開するかだろう。これは誰が候補者になるにせよ、民主党と共和党の争いに局面が移れば必然的に重大問題になる。
サンダースの外交政策は基本的には良識的なものである。しかし、サンダースの議論は、彼のホームページをみると、どうしてもアメリカにとっての「War and Peace」という枠組みになっている。
キョウ かくせいざい

Blog「みずき」:ヤメ検弁護士の郷原信郎さんがいわゆる清原問題に関して「『一発実刑』で清原を蘇らせることはできないか」という主張をしていることに対して、同じく弁護士の徳岡宏一朗さんが「薬物依存症の清原和博容疑者に、治療ではなく「一発実刑判決」での更生を求める郷原信郎氏は間違っている」という批判を反しています。徳岡さんの主張に私は賛成ですが、同様の主張をしている人に脳科学者の茂木健一郎さんがいます。当然、この茂木さんの主張にも私は賛成ですし、情理を兼ね備えた論だとも思います。逆にメディアの清原バッシングにはエセ「正義」漢の姿を見て吐き気をもよおします。

【「一発実刑判決」という主張に対する疑問】
覚醒剤は、脳の報酬系などに強い作用をもたらし、依存症や、幻覚症状などが出るため、絶対に使ってはいけない。かつては国策として用いられたこともあったが、このような激烈な副作用がわかって、今は絶対禁止である。
キョウ てんあんもん

Blog「みずき」:日本人の対中認識・感情の問題は、日本人の天皇認識・感情の問題にそのままクロスしているように私には見えます。日本の「革新」勢力(共産党)が天皇制という「民主主義=主権在民」の理念と思想に真逆する制度に対する批判を弱めていったのもほぼこの時期と重なります。すなわち、この時期は、保守主導の日本社会の「右傾化」の流れに共産党が主体性を失って呑み込まれていった時期とほぼ重なるということです。また、両者とも「情緒」を主役にしているという点でも相似形です。ポピュリズムというのはこういう「情緒」の流動性のさまをいうのでしょう。

【日本人の対中認識・感情と国際的なそれとの大きなズレ】
私は前々から、多くの日本人の対中認識・感情は国際的な対中認識・感情との間に大きなズレがあると感じていました。そういう私の感じを裏付け、あるいは否定するデータはないものかと注意してきたのですが、最近ようやくそういうデータを見つけることができました。それは、(略)
ハーバード大学ケネディ・スクールのASHセンターが、世界主要10ヵ国の指導者、すなわち安保理常任理事国でもある5大国(アメリカのオバマ、中国の習近平、ロシアのプーチン、イギリスのキャメロン、フランスのオランド)、及び独日(メルケル及び安倍晋三)、中露とともにBRICSを構成する3ヵ国(ブラジルのルセフ、インドのモディ、南アフリカのズマ)の指導者の内政、外交及び経済政策に対する評価を世界30ヵ国で世論調査した結果を集計したデータです。(略)

キョウ あきち

Blog「みずき」:五十嵐仁さん(元法政大学教授。昨年退職)もメディアの「事実上の長距離弾道ミサイル」報道には「違和感」を表明していますが、商業メディアと同様に「事実上のミサイル」と「誤報」している赤旗批判はありません。著名な共産党シンパとして同党批判を意図的に避けていることは明らかです。それに比して自身が共産党員であることを隠さず公表している豊島耕一さん(元佐賀大学教授。一昨年退職)は今回の赤旗の「ミサイル」報道を明確に批判していて、そういう意味で批評精神の健全さを感じます。しかし、「一体どうしたのでしょうか」というのはいかにも甘すぎる共産党批判です。どうしたのではなく、同党はもはや完全に「右傾化」してしまっているのです。そういう意味での同党批判も必須です。2015年1月10日の小池晃同党副委員長の「天皇のお話」発言批判以来の私の共産党批判をご参照いただければ幸いです。

Blog「みずき」:これまでの記事を読んでも金平記者はSEALDsを相当に評価していますが、同時に金平記者は辺見庸の『1★9★3★7』を映画や舞台、コンサートを含む2015年のジャンル徹底的無視ベスト10の
第1位に選ぶ眼光の人でもあります。その辺見のSEALDs評価は「ぼくはそこに何も新しいものを感じない」「『何としても社会そのものを深いところから変革したい』という強いパッションが見えない」というものです。金平さんには辺見の言葉がわかると思います。もう一度、再考していただきたいものです。

【「ミサイル発射」報道問題と赤旗】
北朝鮮(以下、DPRK)の長距離ロケット発射に対して、メディアは「ミサイル発射」と報道し、これに対して政府がPAC-3などミサイル防衛を発動する事態になりました。過剰反応にとどまらない危険な戦争準備活動(主に国民心理の調教)には大いに警告を発しなければなりません。いや、政府の「破壊措置命令」が本当にロケット本体に実施されたなら、戦争になっていたかも知れません。(略)
キョウ さんだーす7

昨日9日に投開票された米大統領選ニューハンプシャー州予備選は米CNNの独自集計では民主党では開票率79%の時点でサンダースの得票率60%、クリントン前国務長官同39%。アメリカABCテレビの集計では集計率32%の時点で民主党ではサンダース同58.8%、クリントン同39.3%となっているようです。

どちらの報道でも約20%の得票率の大差をつけてサンダースの勝利が確実となっています。この票差はさらに開く可能性があります。

ニューハンプシャー州 サンダース氏とトランプ氏 勝利確実 NHK 2016年2月10日
共和はトランプ氏、民主サンダース氏 米大統領選予備選 朝日新聞 2016年2月10日
民主はサンダース氏が圧勝、若者の支持追い風 NH州予備選 WSJ 2016年2月10日 

キョウ あさひしんぶん
朝日新聞 2015/12/24

Blog「みずき」:「志位氏は『我々はウルトラリアリストになった』と言ったそうだが、ウルトラナショナリズムは現実埋没と相等しいだろう」は都藤邦さんの日本共産党評です。都藤さんのこのアフォリズムをどう評価しうるか。また、どう応えうるか。一に私たち自身の政治的思想力の問題、あるいは政治的構想力の問題といってよいでしょう。

★志位氏は「「我々はウルトラリアリストになった」と言ったそうだが、ウルトラナショナリズムは現実埋没と相等しいだろう

「『リアル』政治に踏み出す共産 接近する志位氏と小沢氏」
朝日新聞 2015/12/24
「安倍一強政治」の流れを変えようと、野党が共闘に動き始めた。23日には安全保障関連法廃止を訴える市民団体が来夏の参院選に向け、熊本と石川で野党統一候補の擁立を発表。台風の目は共産党だ。自前候補の取り下げも辞さない「現実路線」に踏み出し、野党連携の歯車が回り出した。転機は3カ月前。安保法が成立した9月19日の午後、東京・千駄ケ谷の共産党本部。党幹部を集めた中央委員会総会で委員長の志位和夫は宣言した。「国民の声に応えるため、共産党も変わらなければならない。我々は新たな戦いに入る」

その前夜、志位は国会前に詰めかけた学生らに演説。共産や民主など5党が安保法反対で結束したことを受け、「野党共闘をどんなことがあろうと発展させていく」と強調した。学生たちから「次の選挙は期待していいんですね」と声をかけられていた。志位は中央委総会で、演説での「約束」を具体化した構想を示す。安保法の廃止を実現させるため他の野党と連立を組む「国民連合政府」だ。共闘を実現させるため、日米安保の破棄や将来的な天皇制の廃止といった他党が受け入れられない政策を棚上げした。天皇陛下が臨席するため、従来は「戦前の議会の儀式を引き継ぐもので憲法から逸脱する」との理由で欠席していた国会開会式に来年は出席することも24日に発表する。志位は言う。「我々はウルトラリアリストになった
キョウ みさいる6
北朝鮮「人工衛星」打ち上げ直後のNHKのニュースサイト

【言葉尻りをとらえて「大本営発表」と揶揄したいのではない】
2月7日朝、北朝鮮が予告どおり「人工衛星」の打ち上げと予告して宇宙ロケットを打ち上げ、大手メディアは一斉に「北朝鮮ミサイル発射」と大々的に速報した。どのメディアも「長距離弾道ミサイル」あるいは単に「ミサイル」と表現している。政府が「『人工衛星』と称するミサイルの発射」と発表しているのと歩調をあわせているのだ。ついでにいえば、アメリカ国務省も「北朝鮮のミサイル発射」(D.P.R.K. Missile Launch)と公式発表している。一方、北朝鮮国営の朝鮮中央テレビは「地球観測衛星・光明星(クァンミョンソン)4号を打ち上げ、軌道に進入させることに完全に成功した」と発表したという。各メディアは、ほとんど鍵かっこすらつけずに「ミサイル」と決めつけて報道している。「北朝鮮が『人工衛星』と称する」という枕詞もつけず、単に「事実上の長距離弾道ミサイル」(読売新聞同日付朝刊1面)と書いているところもある。NHKも速報ニュースのテロップは「北朝鮮ミサイル」、ナレーションでも途中から面倒くさくなったのであろう、単に「事実上の長距離弾道ミサイル」と言っていた。BBCは「長距離ロケット」(long-range rocket)と報じている。ちなみに、日本共産党は「事実上の弾道ミサイル」社民党は「北朝鮮によるロケット」と表記して談話を発表している。
キョウ みさいる5
北朝鮮のミサイル発射に備え、配備されたPAC3=沖縄県石垣市
 
Blog「みずき」:日本共産党の凄まじいまでの「右傾化」は、日米韓安保体制をどのように評価するか、その根幹としての認識となるアジア情勢、朝鮮半島情勢の評価の問題にまで及んでいます。その認識は安倍政権の認識と寸部も違うところはないといってよいものです。すでにご紹介している浅井基文さんの認識と比較して読み比べればその共産党の論の認識の非は明らかだというべきでしょう。もはや共産党は「左翼」と呼ぶには値しないというのが私の評価です。また、共産党自身のためにも志位執行部体制は一刻も早く解体する必要があろうというのが私の認識です。それとも共産党総体として「右傾化」の渕に堕ちたか? そうであればもはや「共産党」とはいえないでしょう。 

【ここぞという時に米日の権力者になびく日本の主流左翼とはなにか?】
日ごろは、いかにも平和を尊重しているかのように語りながら、その実、大国による小国への陰湿な威嚇と制裁にはしたり顔でゴーサインを送る。果たして、このような左翼や護憲勢力を平和主義の担い手と呼べるのだろうか?
キョウ NHK
けさのNHKニュースより

政府の広報機関と化しているけさのNHKニュースは北朝鮮の「『人工衛星の打ち上げ』と称する事実上の長距離弾道ミサイル」が日本時間の7日午前7時半から発射予告時間帯に入ったことを大々的に報じ、「みなさまのNHK」視聴者に警鐘を乱打しています。今後、他のメディアも同様の「広報」を乱打することでしょう。メディアはまさに乱痴気騒ぎの様相です。

キョウ みさいる2  
Blog「みずき」:私は、「北朝鮮は独裁国家であり、民主化しなければならない」という現在の「主流左翼」の持つ認識とかつての(思想の核としてはいまも残存する)欧米の「植民地主義・帝国主義」思想とを同列視するディストピア主宰者の認識には賛成しません。が、同主宰者の北朝鮮の人工衛星を「事実上のミサイル」とする安倍政権の反北政策の尻馬に乗って同様のプロパガンダを垂れ流す体のメディア及び「知識人」批判は正鵠を射た批判であろうと思います。さて、その主宰者が「知識人」批判の一例としてあげている白井聡氏は保守の「明文改憲」論と変わりのない9条改憲論を提起する「新9条論」論者の思想と近いところに位置し、その思想の危うさについては私も割に早い段階から何本か記事にして批判しています。ご参照ください。

【メディアと「知識人」のあまりにも日本的な「事実上のミサイル」という表現】
日本では北朝鮮の人工衛星打ち上げを「事実上のミサイル」と記述するが、海外のニュースサイトではどう表現されているかと調べてみると面白いことがわかった。(略)海外の記事(注:1例)には、「事実上のミサイル」という表現が見当たらないのである。(略)歴史改竄や軍拡に奔走する日本政府が強硬姿勢を取るのは自然であり、また必然な反応だが、それに同調して政府と共に危機を叫ぶNHKや朝日、他メディアは何なのだろうか?(略)しかしながら、新聞社やテレビ局よりも深刻なのは、この国の知識人だろう。(略)