以下、今日のNHKのニュース。許されざることです。
 

沖縄に政府が今振るってる暴力に対し、国民マジョリティがやめろ!と声を上げないというのは、かかる不正義・不公正・差別を是認していることに他ならない。みんな生活者であり、政治的社会的問題に声をあげる余裕などどこにもないのかもしれない。そうやって、私たちみんなは全体主義に加担し支える。

Posted by 宮城 康博 on 2015年10月31日



上記の報道について以下のような指摘があります。重要な指摘だと思います。沖縄県警の上部組織である沖縄県公安委員会の所轄権限を持つ翁長知事の迅速かつ果敢な判断を求めたいと思います。

他都道府県からの派遣は、当該県警の要請がなければ出来ないのではないでしょうか? 実態はともかく、タテマエ上は国家警察ではなく自治体警察なのです。越境権限はないはず。 その沖縄県警を「管理」するのは沖縄県公安委員会で、民間人で構成、それを「所轄」するのは沖縄県知事です. 同時に県警は警察庁から「指揮監督」されますが、「管理」の方が包括的権限とされます.国家公安委員会のページに,県公安委員会の権限について説明があり,その「2『管理』の形態」には次のように書いてあります。
http://www.npsc.go.jp/sasshin/suggestion/03.html

しかし、警察事務の執行が法令に違反し、あるいは国家公安委員会の定める大綱方針に則していない疑いが生じた場合には、その是正又は再発防止のため、具体的事態に応じ、個別的又は具体的に採るべき措置を指示することも、「管理」の本来の意味が上記のものである限り、なんら否定されないものというべきである。」

まさに、現在の沖縄・シュワブゲートの状況は、「警察事務の執行が法令に違反」し、「具体的事態に応じ、個別的又は具体的に採るべき措置を指示すること」が必要な段階にあると思います。これで動かない沖縄県公安委員会は、警察法39条と41条にしたがって、知事が更迭すべきではないでしょうか。

逆に、警視庁の機動隊導入など、この県警の違法行為のエスカレートを容認するようならなおさらです。

私のブログでの県警と県(自治体)の関係についての法律論議を一覧にしております。参照頂ければ有り難いです。

県警と県(自治体)の関係についての法律論議一覧
(ペガサス・ブログ版 2015-10-30 )
キョウ ススキ3

【「ゆきゆきて、神軍」撮影余滴】
元帰還兵の
奥崎謙三を追ったドキュメンタリー映画「ゆきゆきて、神軍」は1987年に公開されました。彼は「神軍平等兵」を名乗り、昭和天皇の戦争責任を過激に追及していました。常識の通じない言動には、多くの観客が違和感や反発を覚えたと思います。しかし80年代は風変わりな人や物を無理やり面白がる傾向があった。そんな時流に乗り、映画はヒットしました。
キョウ 東京新聞5

【加賀百万石の民衆が遺した「泣き一揆」お地蔵さん】
金沢市教育委員会名の立て札が立てられている。「
七稲地蔵 安政5年、米価高騰の際、7月11、12日の夜、宇辰山に登り生活難を絶叫した罪により刑死した7名の冥福を祈り建立された地蔵石像…」どの藩でも農民に対する過酷な収奪は常のことであったが、幕末の時期には藩財政の逼迫から苛斂誅求は甚だしいものとなった。100万石の加賀藩も、例外ではなかった。
キョウ 志賀高原

【この世の中に、無駄なものなど、何ひとつない】
落ち葉を見ていると、「葉っぱアーティスト」群馬直美さんを思い出す。その辺に落ちている葉っぱや木の実を写生した作品で知られる。個展に行ったのは、手元のサイン本に2008年10月19日とあるからもう7年前になる。葉脈の一本一本、虫食いの穴まで精密に描かれた葉っぱが、不思議な癒しを与えてくれる。「小さな木の葉の中に 限りなく大きな宇宙が広がっています/小さくても大きくても 同じくらい密度の濃い物語があります/初々しい若葉のころ 虫に食われてたり/傷ついてたり 病気になったり 枯れちゃったり/葉っぱは何も語りはしないけど/一枚一枚の葉っぱたちは確かにそれぞれ物語っています」(
群馬 直美公式HPより)
【「沖縄」から】
【「福島」から】
岡山大・津田敏秀氏の論文(2015年10月5日プレプリント公開)の問題点を解説した英語のYouTube動画(2015年10月22日公開)


↑の音声部分を@hirokiharoki さんが
抄訳して下さいました。動画と並べてご覧いただければ幸いです。
キョウ 1937  

【「1★9★3★7」(辺見庸)を読む】
「なにかとてつもない内的力にかられて」、
著者は、本書を書いたといいます。なにか恐るべきことが、わが身に迫っているという予感、それが「内的力」となって、噴きあがったのでしょう。(略)1937年の風景もまた、日本人が忘れたがっている記憶のひとつといえるでしょう。著者は共同通信の北京特派員時代に、堀田善衛の『時間』(1955年刊)という小説を読みました。
キョウ カラマツ林

Blog「みずき」:なにやら今日の「リベラル・左派」界隈が賑わっています。なんでも昨日の宮城の県議選で自民党が過半数を割り、共産党が議席を倍増させた。次の参院選での自民党の敗北を予兆させるできごとであるとのこと。しかし、私の感想は「賑わい」の感覚には遠い。どちらかというと憂いっぽいもの。というのも、下記の元朝日新聞コラムニストの早野透さんの志位共産党委員長評価は好意的なものです。その中で早野さんは志位さんを「らんらんぎらぎら」と評しています。「らんらんぎらぎら」というのは「政権を奪いあう権力闘争」の人を評する早野さん用語です。志位さんは早野さんの目にはデモクラートでもコミュニストでもなく「権力闘争の人」と映っているのです。これは皮肉なことというべきではないでしょうか。その評価はコミュニストとしては本来恥とするべきことです。ブルジョア的な「権力闘争」とはもっとも無縁な存在がコミュニストであるはずだからです。しかし、コラムニストの目は好意的な文章の中ではからずも右シフトする共産党とその委員長である志位氏の表層の下にある「ぎらぎら」としたものを見抜いてしまっているように私には見えます。

追記:「これまでの活動の中でも人生最大のチャレンジとして」(志位氏)。言葉の遣い方を間違えているでしょう。同じことを言っても「人生」と言うのではなく、「結党以来の最大のチャレンジ」などと言うべきところです。共産党は志位氏の個人商店ですか? 志位氏の思想、また、そうした志位氏の思想を許容する共産党という中央組織の思想の頽廃と退嬰を思わずにはいられません。一言指摘しておきます。

キョウ 秋天

【思想を後退させて運動の底辺を広げようとすること】
 9月19日未明、日本国の暴力装置が国外に殺し合いに行くことを「合法」化する安保法案が成立した。今夏以来日本の各地で繰り広げられた法案に反対する運動は、国会前を中心に、1960年の安保闘争以来の高揚を示したとさえ言われる。この安保法案反対運動とは何であったか。この運動の本質はどのように捉えることができるだろうか。この運動をとりあえず「護憲」運動と呼ぶことは、多くの人の同意するところだろう。ただしこの「護憲」という言葉は、日本の近現代史および政治思想の上で、大きく二つの異なる内容を含んでいることに注意せねばならない。
キョウ 湖畔

Blog「みずき」:私にとって小田実といえば「何でも見てやろう」。高校生のときに本屋で買ってボロボロになるまで読みました。懐かしく思い出します。「人間みなチョボチョボや」。「ガンジス川のほとりで、インドの貧困にぼうぜんとした」小田から私は「人を見る目」を学びました。小田が生きていたら「新9条論」の跋扈をどう思うか。「『理想』を『現実』に合わせるというのはアベコベノミックスじゃないのかね」とでも皮肉るだろうか。

【小さな人間がちゃんと生きていくための9条ということ】
大阪市で生まれ育った。終戦の年の3月から、大阪は大空襲を受けた。「死にたくない」。焼夷弾が降る中、燃え盛る街を逃げまどった。黒こげの死体が転がっていた。「殺し、焼き、奪い、そして、殺され、焼かれ、奪われた」。焼け野原に立ち尽くし、見届けた戦争の実態は、それからの思想の原点となる。(略)「まずアメリカを見てやろう」と思い立つ。58年の夏、(略)「フルブライト留学生」として1年間、ハーバード大へ。船旅の後、武者震いしながらニューヨークの摩天楼に息をのんだ。南部で根深い人種差別に触れた。(略)ガンジス川のほとりで、インドの貧困にぼうぜんとした。「人間みなチョボチョボや。国籍とか民族にこだわるのはくだらんよ。お互いに対等な市民が手を取り合ってつくっているのが、この世界の本来の姿や」。(略)安保闘争さなかの60年に帰国。翌年、その旅行記を出した。「何でも見てやろう」。高度経済成長を迎えた日本で、若者は先を争ってむさぼり読んだ。(略)
キョウ 藁ぼっち

【少しも新しくない「新九条論」】
10月14日付東京新聞「こちら特報部」が「平和のための新九条論」を大きく取り上げた(Blog「みずき」:下記参照)。今井一、小林節、伊勢崎賢治らの名を上げて、専守防衛に徹する自衛隊の存在を明記した新九条案を紹介している。個別的自衛権も交戦権も軍事同盟も容認を明記した新憲法を制定しようというのだ。「憲法の条文に照らして自衛隊合憲論は欺瞞であるとし、歴代政府も護憲派もその欺瞞性を逆手にとられた」とするところから、条文と現実との乖離を最小化して「解釈の余地を政権に与えない」憲法を制定しようとの発想だという。「自衛隊も安保も容認」したとされている共産党の国民連合政府構想が、「新九条論」者を勢いづかせている一因になってはいないだろうか。気がかりで警戒すべき事態と言わざるを得ない。
キョウ 雲海

はじめに「今日の言葉」を記しておきます。

【今日の言葉】
韓国人研究者の鄭玹汀さんに対し、京都大学文学研究科の某氏がツイッター上で2015年6月21日に行った言動について、某氏は自身の言動が鄭さんに対する「名誉毀損及び脅迫に該当し得る行為であったこと」を認め、自身のツイッターのアカウントを削除するとともに、鄭さんに対して謝罪し解決金を支払うことで10月22日、和解が成立したことをお知らせします。(略)
キョウ 労働

「vanacoralの日記」主宰者の森下泰典さんが自身のブログで「労働問題デモに幟(のぼり)は外せないか?」という問題提起の論を述べています。しかし、標題は問題提起の形式ではあっても、論の実質は「労働問題デモでは幟(のぼり)を外そう」という同ブログ主宰者の主張というべきものです。

そのことは、「『組合の旗を出させない労働運動』なんてのは、憲法28条の理解ができていないとしか思えない」という塩見卓也弁護士の主張を紹介した上で、その主張は「一部」の「否定的な見解」にすぎないとして「組合の幟や旗は関係ない人間にとってはどうでしょう?」とデモで組合旗を掲げることを疑問視する市民団体「AEQUITAS(エキタス)」の主張に即して自身の論を展開していることから明らかです。
キョウ 晩秋の早朝

【行政の想像力の貧困と母子心中事件】
千葉県銚子市の県営住宅に住む母子が賃料滞納のために民事裁判を千葉県から起された。裁判所に出頭しなかったため即刻立ち退けとの判決が出された。進退きわまった母親は、自らが自殺することで、中学2年の娘を公的な保護に委ねようと考えた。2014年9月24日の強制執行当日に自殺する計画をひそかに立て、それまでを娘と一緒に過ごす時間とした。
キョウ 塩尻市 高ボッチ高原

【いわゆる左翼リベラルの「新9条」論について】
これまでの言説から
このブログの筆者への批判もあるかと思いますが(Blog「みずき」:私もその批判者のひとりです。こちらの記事はその批判の一例ですが、彼の記事を読む込むにつれてその批判の深度はさらに大きくなっています。ただ、今回の記事については賛同するところ大です)、ご参考に。想田さんの言説が急速に小熊英二同様、若い人々の一部に顕著な改憲別働隊のような展開になっていることは否定できないでしょう。「共通の敵を倒すためにやむなく必要な手段として新9条を提起して安倍改憲を阻止する」みたいな常識的な擁護論が旺盛に拡散されています。わたしはこれは「トロイの木馬」だと言って来ました。「熱狂なきファシズム」は「トロイの木馬」からさらに進展することになりそうです。

Blog「みずき」:2015年10月14日付けの東京新聞に掲載された同紙及び今井一(フリージャーナリスト)、伊勢崎賢治(東京外語大教授)、小林節(慶大名誉教授)、想田和弘(映画監督)各氏の「平和のための新9条論」について私に最も響いた評言は「まあ、どうしようもないですね。無残!」というものでした。まったく「無残」というほかないものです。それ以上に言うべき言葉を私は知りません。
キョウ ダム

【私の言葉】(「山中人間話」から)
Blog「みずき」:塩見弁護士の意見は先の10.17に最低賃金の1500円への引き上げを要求する「上げろ最低賃金デモ」を主催した市民団体「AEQUITAS(エキタス)」の「組合の旗を出させない」デモ方針に対する反対意見として述べられているものです。私は塩見弁護士の意見にもちろん賛成です。それにしてもいまの日本社会全体に及ぶ「右傾化」の腐食の深さには震撼の思いを抱かざるをえません。自らを「進歩的」と称するメディア、政党の「自らの右傾化」がいま社会総体をどれほど腐食させているか。その責任の重大さについても私は思わざるをえません。

【放送大学こそが試されているのだ】
現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった」「表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった

簡潔に、ことの本質をズバリとよく言い得ているではないか。まことにそのとおり。心の底から共感する。(略)
キョウ 森の妖精(苔の花)

【安保法制に関しては国民の反対意思はマグマのようにたまっている】
安保法制を強行採決し、総裁選も見送りにした安倍暴政の支持率が低下しない。組閣しても、森山裕農水大臣、島尻安伊子沖縄・北方大臣、復興・原発事故再生担当大臣・高木毅といった閣僚らのスキャンダルも次々と発覚。安倍内閣の「身体検査」も杜撰の一語に尽きる。安倍総理の見る目のなさなのか、政治家の質が低下しているのか、国民の政治不信は高まるばかりである。
キョウ 乗鞍高原

【「第二の罪」再論】
この10月はもう一つ、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「
世界記憶遺産」をめぐっても議論になっている。(略)この南京事件で一番問題とされているのは、犠牲者数である。記憶遺産に登録された中国が申請した文書のなかには、犠牲者数を30万人以上と記した記録が含まれている。
キョウ ススキ2

私の昨日付けの標題の論について衆院選と参院選の議論を混同しているというご指摘がありました。ご指摘のとおりですので混同している部分を以下のとおり改稿し、改稿箇所はボールドで示すことにしました。論の主旨には変更はありません。

弁護士の澤藤統一郎さんが昨日の共産党の志位和夫委員長の日本外国特派員協会での会見を承けて10月16日付けの自身のブログに「『野党は共闘、野党は共闘!』―反安倍勢力糾合の世論を盛り上げよう」という論を書いています。
キョウ 水と空2

【難民の「受け入れ」はドイツ社会の「善意」か?(2)】
メルケルは基本法16a条に基づいて責任を果たしたのであって、個人的な人道主義で説明するのはあまりに稚拙。2ヶ月前に彼女がパレスチナ人の少女に何を言ったかを考えれば、そんな情緒的な説明は成り立たない。メルケルの難民受入宣言が正しいかどうかという問いの立て方がおかしい。メルケルはドイツ基本法16a条に則って責任を明確にしたのであって、それは当然のこと。メルケルの判断は憲法に従ったという意味で正しいというだけ。ドイツ社会が難民をどう受け入れるかは別問題。
キョウ 水と空

【権力監視の番犬に】
米ジャーナリスト、
ウオルター・リップマンは「新聞とは何か」という問いにこう答えた「新聞は"政府の"ではなく、民主主義の番犬(ウオッチ・ドッグ)である」。民主主義を守るために、すなわち国民を守るために、権力を監視する番犬としての使命を新聞は負う、との意味だ。
キョウ ノギク

弁護士の澤藤統一郎さんが昨日の共産党の志位和夫委員長の日本外国特派員協会での会見を承けて10月16日付けの自身のブログに「『野党は共闘、野党は共闘!』―反安倍勢力糾合の世論を盛り上げよう」という論を書いています。
キョウ 秋は短い

【検察の公益の代表としての責任と証拠の全面開示】

狭山事件の再審請求の裁判で検察側は、新たな未開示証拠を提出してきました。狭山事件では、これまで幾度となく再審請求が行われていますが、再審の壁は開かれていません。根本的に思う疑問は、これだけ冤罪事件ではないのかと言われていながら、何故、検察は証拠の全面開示をしないのかということです。(略)
キョウ 東御市 明神池

【『マイナンバー』通知カードを受け取ると義務が発生】
『マイナンバー』は政府筋が実体とは不似合いな命名をしたもので、不適切である。以下、
法律通り、特定個人識別番号、ないし個人番号と呼ぶ。特定個人識別番号法のうたい文句は、行政の効率化、負担と給付の公正、そして国民の負担軽減及び利便性の向上である(第1条)。個人番号法では、国民一般には何の義務づけもしていない。負担軽減を謳う法律が、国民に負担を押しつけるのでは筋違いであるから当然である。したがって、個人番号通知カードを受け取る義務がないことはむろんである。したがって、不在中に届いていれば、取りに行かなくてもよいし、受取拒絶もできる。受け取らないという選択が賢明かであるが、将来どうしても個人番号が必要になったときには、個人番号の記載のある住民票を取り寄せればよいだけのことであることは、取手市役所が周知してくれた受け取らないことによる不利益は何もない。

Blog「みずき」:ただ、「マイナンバーの記載は本人らの意思確認が必要」ということなのでその意思確認をどうするかという問題は残るでしょう。このあたりの不利益の有無についても法律家は考察してほしい。
キョウ テレビ塔

【内灘闘争の経験と沖縄の県民分断策の類似性】
安保法制が公布されて、
第3次安倍内閣が発足しました。自衛隊を海外に派遣できる「一億総活躍社会」が売りなそうですが、なにやらきな臭い陣容です。70歳以上の方なら、「一億総動員」「一億一心」「進め一億火の玉だ」「一億玉砕、本土決戦」を想い出すでしょう。戦後生まれでも、戦争責任を曖昧にする「一億総懺悔」がありました。
テンキ 菊

【山中人間話】

Blog「みずき」:昨日の記事で批判した「リベラル」の視点の不確かさの問題は内田樹さん(思想家)にも平川克美さん(作家)にも向けられるべきものです。「リベラル」とはなにかがいま問われているというのが私の問題提起です。また、布施祐仁さん(フリージャーナリスト)の紹介する朝日記事には「「翁長さんはぶれたりしないと信じていた」という市民の声も拾われています。翁長さんに限らず人を偶像視する眼は事実を正視する眼とは別様のものです。そうした発言をしも「グッとくる」という。布施さんの眼も危ういものを孕んでいると指摘しておかなければならないでしょう。改めて言っておきます。「リベラル」の眼の危うさ、不確かさ・・・
テンキ ナナカマド

【安部自民党「国家」の不当と不法と沖縄差別】
沖縄の翁長知事が、仲井真前知事が知事選挙での公約に違反して行った辺野古新基地の埋め立て承認を取り消した。(略)政府は訴訟を起こすということだが、行政審査不服法は、国が自治体の行政的決断について国が訴訟をするということを予定した法律ではない。国が訴訟を起こすということは国が私人としての資格で行動することを意味する。国家が私人として行動することは現代法ではありえないことである(Blog「みずき」:下記の武田真一郎論文参照)。
テンキ 銀杏

【山中人間話】

Blog「みずき」:上村達男氏の新著について「報道の自由や学の独立に価値を見出」そうとしない「政治状況に対する直言の書」と絶賛の評価ですが、上村氏のNHK経営委員長代行時の評価については醍醐聰さん(東大名誉教授)の「上村論文が一番強調しようとしたNHK再生論は、NHK存立の生命線といえる政治権力からの自主自立を強めるどころか、むしろ、危うくする」という手厳しい評価もあります。合わせて私の岩波『世界』批判もご参照いただければ幸いです。上記に「山崎 雅弘さんがリツイート」(2015年10月11日付)とわざわざ挿入しているのは、「安保法制反対」運動の一翼を担うツイッターによる言論活動などによって最近「リベラル」という評価の高い人たちの一例としてその「リベラル」度の中途半端さについて山崎さん自身も含めて深考をうながしたいという思いがあってのものです。
シアター遊佐  
シアター遊佐。表札はかつての眼科医院のままだ。

【愚安亭遊佐さんの一人芝居を3年がかりで1本の番組にする】
金曜、土曜と一泊二日で、新潟県加茂市に
愚安亭遊佐さんの一人芝居を撮影に行った。公演会場は加茂駅にほど近い「シアター遊佐」、もともと夫人の御母堂が眼科医院を開業していたスペースを改造したもので、50人も入ればいっぱいいっぱいのミニシアターである。愚安亭遊佐さんはいま夫人とともに加茂市に暮らし、この小劇場をホームグラウンドにしている。(略)
キョウ 難民

元外交官で政治学者の浅井基文さんが情報が混沌としている現在の「シリア情勢」と「ロシアの軍事行動」の政治的ネライについて浅井さんならではの論理的な分析を試みています。 浅井さんの「シリア情勢」の分析の結論は「このように見てきますと、シリア問題に関するアメリカとロシアの立場及び政策において、明らかにプーチン・ロシアに分があり、オバマ・アメリカはどう見ても支離滅裂な場当たり的対応しかしていないことが分かります」というものですが、必ずしもそうは見ていない中東問題の専門家やジャーナリストもいます。


私は中東問題、シリア問題をどのように理解すればよいのか不勉強のゆえに正直に言ってよくわかりません。したがって、ここでは三者の意見を三者同等の位置づけでご紹介しておくにとどめます。ただ、浅井さんの意見は現下のシリア情勢をどう見るかという点についてとても論理的な視点を提供してくれているように思います。転載させていただこうと思うゆえんです。