先日、私は、文科省の「大学に対する国旗国歌に関する要請」の撤回を求める「学問の自由を考える会」の「国旗国歌についての大学人声明」をあるメーリングリストに転載、紹介したのですが、同声明の趣旨を読み違えたうえで同声明に署名した人たち(私も署名しました)を批判をする人がいました。以下はその批判者の主張の愚かしさについて書いたものです。
 
批判者の主張の要点は「国旗国歌の強制の問題は大学だけの問題ではない。国旗国歌の強制は当然小・中・高も駄目。それを大学への強制だけに照準を当てて撤回を求めている。その姿勢は誤っている」というものです。しかし、批判者が指摘しているようなことは署名者全員常識としてわかりすぎるほど知悉していることです。
 
日の丸の掲揚と君が代の斉唱について、当時首相であった小渕恵三は、1999年6月29日の衆議院本会議において「学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるもの」であると答弁しています。以後、日の丸の掲揚と君が代の斉唱は、文科省が告示する学習指導要領(準法的拘束力を持つ)の改定によってすでに小・中・高においては事実上義務化=強制されて今日に到っています。それが「研究の自由」「研究発表の自由」「大学の自治」が憲法上保障されている(ただし、明文規定はない。通説)大学においてもさらに強制の手が伸びようとしているというところに今回の文科省の大学における国旗国歌の掲揚と斉唱要請の重大な問題性があるのです。「国旗国歌についての大学人声明」はそうしたここ20年来の歴史的経緯を踏まえたうえでの抗議の声明です。当然、同声明に小・中・高に比して大学を特別視しようとする意図などあるはずもありません。
 
以上は、いつに常識の問題です。そうした近年の歴史的経緯すら知らずにただ批判だけはする。愚論以下の論、暴論のきわみというほかないでしょう。
 
ちなみにこの批判者は、内田樹さんの言葉尻をとらえて批判もしていますが、この内田樹批判もやはり的外れです。どういう点が的外れか。この批判者に批判される内田樹さんの言葉は以下のようなものです。
 
「正直に言って、日本が中国や太平洋で戦争をしたことについて、私はそれなりの歴史的必然があったと思う。その当時の国際関係のなかで、他に効果的な外交的なオプションがあったかどうか、私には分からない。たぶん生まれたばかりの近代国民国家が生き延びるためには戦争という手だてしかなかったのだろう。」内田樹の研究室「国旗国歌について」2015.05.28

上記の内田樹さんの認識はおそらく以下のような認識から来ています。
 
関川さんの回想のきわだった特徴は、主観的印象は(自分の記憶でさえ)軽々には信じないという点にある。私たちは記憶を捏造する。経験したことを忘れ、経験していないことを思い出す。事後的に大きな意味をもつことになった出来事にはリアルタイムでもつよい関心を持っていた(場合によってはコミットしていた)ことになっているし、当時は大事件だったがその後忘れられた事件は、リアルタイムでもまるで興味がなかったという話に作り変えられる。私たちはつねに無意識のうちに記憶の事後操作を行っている。/関川さんはそのように操作される前の、無垢の過去、過去のリアリティに触れようとする。別にそれがすばらしいものだったからではない(変造される記憶の多くは、嫌悪感や苦痛や生理的不快を伴っているがゆえに変造される)。そうではなくて、過去を現時点での価値観や評価に基づいて回想しないこと、過去の出来事をリアルタイムの切実さと息づかいのまま再生することが重要なのだ。現在によって過去を見ることを自制する禁欲に関川さんは作家としての賭け金を置いているのである。私はそのことに敬意を抱く。」内田樹の研究室「関川夏央『昭和三十年代演習』書評」2013年07月12日

上記で内田さんが指摘する「過去を現時点での価値観や評価に基づいて回想しない」という視点から見れば、「日本が中国や太平洋で戦争をしたことについて他に効果的な外交的なオプションがあったかどうか、私には分からない」という上記の内田さんの感想は決して歴史修正主義者の感想というべきではなく、過去の出来事をリアルタイ
ムの切実さと息づかいのまま」見ようとする者の正直な感想というべきものでしょう。
 
私たち現代の平和主義者が好むと好まざるとにかかわらず、第一次世界大戦までは「戦争を行う権利」は国家の当然の権利として国際法上認められていた権利ですし、第一次世界大戦後も戦時国際法によって武力紛争の存在そのものは許容されていました。当時は、そうした国際認識の下で列強間の植民地争奪戦も国歌の「戦争を行う権利」として許容されていたのです。内田さんはそうした国際認識が「常識」として跋扈していた当時の情勢の下で「日本が中国や太平洋で戦争をしたことについて、他に効果的な外交的なオプションがあったかどうか、私には分からない」と言っているのです。
 
内田さんは別に「戦争」というものを肯定的に見ているわけではありません。逆に現在の視点からは明確に日本のアジア諸国への戦争は明確に侵略戦争であるという認識を持っているはずです(彼の著作を見ればわかります)。「アジアの2000万人以上の犠牲者は歴史的必然で殺戮アジアの2000万人以上の犠牲者は歴史的必然で殺戮された」などとは到底思ってもいないでしょう。人を安易に非難することの愚かさを私は思います。
 
なお、上記で内田さんがいう「過去を現時点での価値観や評価に基づいて回想しない」という視点は現代の世界の歴史家の共通の視点、認識といってよいものです。この点について、過去に私の書いた文章の一節を挙げておきます。
 
レヴィ=ストロースの『野生の思考』(1962)は、未開社会の親族構造を分析することで「野蛮」から「進歩」へという、すなわち「野蛮(混沌)」から洗練された秩序が形作られたとするこれまでの通時的(単純直線的)な近代西欧の理性中心主義の物の見方、認識方法に根底的な批判を加え、「野蛮(混沌)」の象徴と結びつけられたいわゆる『未開社会』においても一定の秩序・構造、すなわち文化が見出されることを論理的に実証した著作としてあまりにも有名です。ごく大雑把に言ってレヴィ=ストロースのこの『野生の思考』が上梓されて以来、通時的に歴史を観る(「現代」を基準にして「過去」を評価すること)歴史認識の誤りについて私たち現代人は根底的な反省を促されることになりました。歴史観は歴史家、また人によってさまざまであるものの、過去を安易に今日の基準でみること、自分の時代の価値観や倫理感を機械的に過去へ適用し、批判することは、歴史の実相を見誤ることになりかねないという認識では洋の東西を問わず今日の歴史家はほぼ一致しているはずです」
 
内田さんの指摘はそういうものだろうと私は思っています。ただし、私は内田さんの思想については批判的です。上記の内田さんの「正直に言って、日本が中国や太平洋で戦争をしたことについて」云々の感想についても私は私なりの批判を持っています。ここで私の言っていることはおのれの限られた知識で安易に人を批判することの愚かしさについてです。
ビワの花 ビワの花

【映画『沖縄 うりずんの雨』(ジャン・ユンカーマン監督)について】
エミー賞受賞監督のジャン・ユンカーマン氏をゲストに迎え、第二次大戦から現在に至る沖縄を描いた同氏の最新ドキュメンタリー映画『沖縄 うりずんの雨』を取り上げながら、戦後70年経った今も日本が解決することができていない「沖縄の米軍基地問題」とわれわれがどう向き合うべきかを議論した。沖縄には、日本にある米軍基地や関連施設の約74%が集中し、沖縄本島の18%が戦後米軍によって接収されたままの状態にある。ユンカーマン氏は、沖縄の基地問題を「日本のみならずアメリカの問題でもある」との認識の下で、『沖縄 うりずんの雨』を製作したという。そのため、この映画では沖縄戦の歴史や その後のアメリカによる占領統治、日本への返還、そして現在の米軍基地問題につながる沖縄の戦後史が網羅されているが、沖縄の視点と並行して、常にアメリカ側の視点が描かれているところに、この作品の大きな特徴がある。(略)ユンカーマン氏はアメリカの沖縄に対する姿勢の背後には、覇権国特有の、力で勝ち取ったものは自分たちの好きにしていいとの認識が根強く残っていると指摘する。その意味ではアメリカにとって沖縄は「戦利品」に過ぎない。しかし、日本政府が沖縄に対し米軍基地負担の74%を押しつけ、日米地位協定なる取り決めの下でそこに住む人々が蹂躙されるのを指をくわえて見ている裏には、本土の人間の沖縄に対する差別意識があることも強調する。映画には1995年に沖縄で起きた少女暴行事件の犯人のインタビューが収められている。この事件によって、戦利品としての扱いを強いられてきた沖縄の怒りが頂点に達し、事件そのものやその後の大規模な県民集会は日本にとどまらず、広く世界に報じられることとなった。しかし、沖縄の問題は、アメリカでは広く認知されているとは言い難いとユンカーマン氏は言う。アメリカの安全保障政策によって沖縄がどれほどの犠牲を強いられているか、米軍という暴力装置によって沖縄県民がどれほどの被害を被っているか、日米地位協定によって守られている米兵が沖縄で問題を起こしても不問に付され続けているという事実などは、アメリカではほとんど知られていない。映画では沖縄に対する暴力の歴史とともに、米軍による暴力の背景にある、米軍内における女性兵士への性暴力の問題にも触れて、併せて警鐘が鳴らされている。(略)映画のタイトルにある「うりずん」とは、沖縄で草木が芽吹く3月頃から梅雨入りする5月頃までの時期を指す、沖縄の言葉だという。70年前のうりずんの時期、日本は激しい地上戦を沖縄で戦い、2万8000人の日本兵はもとより、10万人もの沖縄市民が犠牲となった。沖縄ではこの時期になると当時の凄惨な記憶が蘇り、体調を崩す人も多いという。しかし、ユンカーマン氏はうりずんという言葉に、実りある季節の準備期間として希望の意味も込めたと話す。(神保哲生「ビデオニュース・ドットコム」2015年5月30日

【山中人間話】

映画「沖縄 うりずんの雨」ジャン・ユンカーマン監督に聞く
沖縄の“終わらない戦争”(BS-TBS 2015/05/10放送)

映画「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」(三上智恵監督)


映画「風音」(東陽一監督、目取真俊(沖縄在住、芥川賞作家)原作)
ハマヒルガオ 
ハマヒルガオ

【「沖縄報道の全国化」について】
いま、憲法は満身創痍である。形骸化を免れないところまできている。 日米防衛指針(ガイドライン)改定など既成事実を積み重ね、憲法を無視、明文改憲を先取りして戦後70年続いた「戦争をしない国」を「戦争ができる国」へのつくり変えが民意を無視して強引に推し進められている。
「合意しやすい項目」からの明文改憲を狙い「今後さらに大胆なスピード感をもって」ことを進めるという首相。かつてない異常なメディアへの懐柔とバッシング……。このような状況の中で明文改憲に先行した壊憲策動の芽を摘み、その一つ一つを切り崩し、改憲阻止につなげていくために、メディアとジャーナリストには何が求められているか。社会的責任を果たすにはどんな対応が必要か。ここでは3点のポイントを提起したい。

まず第一に必要なのはメディアの自律を堅持すること。特定秘密保護法の施行は、あらゆる秘密を国民の眼から覆い隠すように運用され、取材・報道の自由を縛る圧力となっている。同法の廃止を求め粘り強く取り組みながら、萎縮せず政権(政策)批判の自由を確保し、政府が隠蔽する事実や情報を報道する努力を組織的に持続させることが肝要だ。例えば福島原発の事故の真相と現状、TPP交渉等の「不都合な事実」や日米共同軍事演習の実態など隠された事実の究明がある。

第二に、事柄の本質を抉り出し全体像を分かり易く伝えること。安倍首相の詭弁とも言うべき言説(「ごまかし」)を論破し正確な意味を伝えなければならない。五輪誘致の際の「アンダーコントロール」は記憶に新しいが、「アベノミクス」「積極的平和主義」「国際平和支援法」「防衛装備移転三原則」など聞こえの良い言葉で、国民の不安や反発をかわすのが狙いだ。メディアが言葉の真の意味を吟味せず、無批判に垂れ流す現状は言葉のイメージ操作に惑わされ受け手の理解を損なう。密室協議の結果、結局自民党案に公明党が合意した与党協議の報道は、安保法制が戦争法制であるという、その本質と全体像を伝えることができたかどうか。与党協議の過程をメディアが連日長々と報道することは協議が国会審議の代わりを果たしているかのような錯覚を与えた。多くの国民は、「与党合意の内容」を理解できず「何が分からないのかすら分からない」状況を作り、かえって無関心を醸成したのではないか。その責任はメディアの報道にもある。事実の報道と同時に分かりやすく伝えること、正確な論評が欠かせない。明文改憲でも「改憲慣れ」を狙って、「合意しやすい項目」から着手するというが、トップにあげられた「緊急事態条項」も、戒厳令やナチス・ドイツの全権委任法同様、「宣言」で個人の権利を制限できるものだ。

第三に、本土のメディアが、日本国憲法9条と日米安保条約の矛盾が最も顕在化している沖縄の現状を報道することが必要だ。とくに焦眉の問題である米軍辺野古新基地建設をめぐる憲法に依拠した県民の闘いを、ローカルな問題として封じ込めることをやめ、何倍何十倍にも積極的に報道すること。「沖縄問題」への対応は日本の民主主義を問う試金石になる。「沖縄報道の全国化」は、「戦争する国」に向け、民意を無視し改憲に猛進する安倍政権の時代錯誤の危険性を見抜き、人々の関心を格段に喚起し、認識を深めることを容易にするであろう。(
石坂悦男「Daily JCJ」2015年05月29日
昨日の5月28日に東京高裁(須藤典明裁判長)で根津公子さんに対する「君が代不起立」停職6か月の地裁判決を取り消す判決が出ました。また、同高裁は、根津さん、河原井純子さんに対する損害賠償についても地裁判決を覆し10万円の賠償を都教委に課す判決を出しました。画期的なことです。根津公子さん、河原井純子さんに心から「おめでとう」の言葉を申し述べさせていただきたいと思います。
 
さて、報道によれば、同裁判の契機となったのは、根津公子さんに対して2007年3月30日に出された東京都教委による卒業式における「君が代不起立」停職6か月処分でした。ということは、根津さんからいただいた初見のメールはちょうど同じ頃のことだったかと思い当たります。2008年4月に私は根津さんから一通のメールをいただくことがありました。そのメールには「東本さんが、4月2日にAML(注:オルタナティブ運動メーリングリスト)に投稿されていた文章を拝見しました。東本さん、おっしゃるとおりです。教組の役員及び組合員に、自己を問うてもらわなければと、私もいつもいつも思い、問いかけるのですが、まったく進展がありません・・・」と書かれていました。根津さんからそのメールをいただいたことが下記に再掲させていただこうと思う「体中に満ちる悔しさのようなもの、虚しさのようなもの」(原題:「日教組、全教への問い2つ、3つ、4つ・・・」)という拙記事が河原井さん 根津さんらの「君が代」解雇をさせない会の会報の最新号(2008年4月号、No.15)に掲載される契機にもなりました。
 
今回の東京高裁判決の画期的な意義についてはすでに多くの方の分析と処方箋があり、傍観者然の位置にいる私ごときがつけ加えることはなにもありません。だから、私は、東京高裁判決には直接関係のない少し別の角度からこの問題を見てみたいと思います。そこで思い出したのが2008年の記事だったというわけです。
 
上記の「解雇させない会」会報15号には同年4月5日にあった作家辺見庸の講演会の模様を話題にしているビデオプレスの佐々木有美さんの記事もありました。佐々木さんによれば、辺見は同講演会で「ほとんどの教員が起立している今の状況に、『教員たちはもっと自己の矛盾を表現すべきではないか、もっと苦しむべきではないか』と投げかけた。教職員組合へは『組合には個人がない。あるのは諧調(ハーモニー)。ないものは主体性』であると痛烈な批判を展開した」そうです。辺見の問題提起とその問題提起を聞いた佐々木さんの感想はその後に続く私の拙文の問題提起とも重なるところ大だと私は思いますので、まず、佐々木さんの記事から再掲させていただこうと思います。
 
根津さんと「世間」―辺見庸氏の講演をめぐって(佐々木有美 ビデオプレス)
 
4月5日に作家辺見庸氏の講演会があった。死刑制度の廃止を訴える3時間半にわたる講演だった。この講演のキーワードは「世間」。日本での死刑制度廃止の難しさの根本を「世間」ということばで辺見氏は語った。「世間体」「世間の目」、日本人はいつも自分ではなく「世間」に価値基準をおき、そのハーモニーを崩さず生きることを常としてきた。
 
辺見氏は、「正しいと思うことだったら一人でも行動すべきだと生徒たちに言ってきた。自分の教育に反するから『君が代』に不起立する」という根津さんの意見に百パーセント賛意を表明した。そしてほとんどの教員が起立している今の状況に、「教員たちはもっと自己の矛盾を表現すべきではないか、もっと苦しむべきではないか」と投げかけた。教職員組合へは「組合には個人がない。あるのは諧調(ハーモニー)。ないものは主体性」であると痛烈な批判を展開した。
 
さらに氏は、根津さんは、必ずしも公権力や都政だけではなく日本的な日常、つまり「世間」と闘わざるをえないからこそ「絶望的に孤立した闘い」になってしまうとも語った。「戦後民主主義は『世間』を超克しえなかった。だからこそその『世間』がいま死刑問題をふくめ大爆走を始めている」というのが氏の結論である。
 
根津さんの闘いの困難さを辺見氏は「世間」という言葉で表現した。その重さを肌身で感じているのは他ならない彼女自身だと思う。だからこそ戦後民主主義の課題を根津さんは一身に担っているとも言えるのではないか。この講演の時点で辺見氏は多分、今回の「君が代」解雇阻止については知らなかった。もし、それを知っていたら「絶望的に孤立した闘い」が「世間」を動かし風穴を開けたということに希望を見たにちがいない。「世間」を嘆くことではなく、「世間」を変える努力こそが希望につながる。
 
以下、「体中に満ちる悔しさのようなもの、虚しさのようなもの」(原題:「日教組、全教への問い2つ、3つ、4つ・・・」)と題された私の記事の再掲。
 
「『都教委は私を首にできなかった。大勢が動けば、状況は変えられる』と、都立南大沢学園養護学校教諭の根津公子さん(57)は、処分が停職六カ月にとどまったことに、満面の笑みで “勝利宣言”した」
 
私も当然、根津さんの上記発言には深く共感するのですが、同時に、なにか納得できない、悔しさのようなもの、虚しさのようなもの、が体中に満ちて残念でならないのです。もちろん根津さんに対して、ではありません。あえて名指しすれば、それは、根津さんもそのお仲間のひとりである学校教職員の組合組織、日教組(民主党・連合系、一部社民・新社会党系)、全教(共産党系)という組織に対する怒りです。
 
毎日新聞3月26日付の「記者の目」(湯谷茂樹記者)によると、「根津さんの加盟する日教組傘下の東京教組」は、「村山政権発足を機に、95年に文部省(当時)との関係を協調路線に転換」する以前の「(日の丸・君が代強制の)反対方針は変えていないものの、(95年以後は)反対行動の提起はしておらず、処分に伴う経済的損失までは『支援できない』という姿勢だ」といいます。
 
また、全教傘下の都教組北多摩西支部の「『日の丸』『君が代』おしつけに反対し、父母・地域・教職員の民主的合意にもとづく学校教育を」(1999年10月5日)を見ると、次のような指導方針が記されています。「結果として『おしつけが強行』されたり…『職務命令』で押し切られることがあっても、そのことで“ガッカリ”することなく子ども中心の感動ある行事にしようではありませんか。また、実力行使や個人的に行動することなくあくまでも教育の条理をにたってよく相談してすすめましょう。ひきつづき職場の協力態勢を保ち、父母・地域の声を広げるとりくみを粘り強くすすめようではありませんか」(「4私たちのとりくみ」「3)職場の合意づくりを」)。
 
上記の2つの記事から看て取れることは、日教組、全教とも、「日の丸・君が代」強制に反対の意思表示をするための「不起立・退席」などの「実力行使」を「個人的な行動」とみなし、否定していること(少なくとも肯定的には見ていないこと)です。「日の丸・君が代」強制にはわれわれも反対だが、「不起立・退席」などの個人的な実力行使は慎もう。また、そうした個人的な行動に対する「処分に伴う経済的損失までは『支援できない』」という具合です。
 
しかし、上記のような考え方は、労働組合運動の本来のあり方を見失った考え方というべきではないでしょうか。
 
無産者としての労働者は、権力者(富を占有する者)としての資本家・雇用者に比して弱い存在である。ゆえに労働者個人としては資本家・雇用者に対抗する術はなく、劣悪な条件のもとでも生きるためには“ただがまんして”働かざるをえない。しかし、労働者が“団結”して資本家・雇用者に立ち向かえば、資本家・雇用者は、労働者のストライキの行使などで被る損失と若干の賃上げ、労働条件の改善とにかかる費用との損得勘定を計算して、ストライキの行使などで被る損失の方がより甚大であると判断した場合妥協を図ろうとする。その成果物が賃上げとなり、労働条件の改善となる。無産者としての労働者の唯一の武器は“団結”の力である。「万国の労働者、団結せよ」(マルクス・エンゲルス『共産党宣言』1848年)。こうして国際法でも、日本国憲法でも労働者の「団結権」「団体交渉権」が保障されるようになった、というのが、労働運動発生史の初歩講座的ガイダンスではなかったでしょうか?
 
つまり、このことを「君が代不起立」を貫く根津さんたちの闘いに即していえば、わが国の学校教職員(日教組、全教)が一丸となって「君が代不起立」問題に取り組めば、根津さんたち一部の教員(10・23通達に基づく処分者数408名)に懲戒処分などの過度なしわ寄せがいくこともなく、権力者側(特に東京都)の権力乱用をあらかじめ阻止する“力”になりうるのではないか、ということです。“団結は力”なのです。
 
なぜ、日教組(民主党・連合系、一部社民・新社会党系)、全教(共産党系)は、上記のような労働組合運動の本来のあり方を見失ってしまったのでしょうか?
 
組合全体として「君が代不起立」の方針を採用してしまうと、今度は逆に「君が代不起立」という実力行使に批判的な者の「内心の自由」を損ねてしまう、ということを仮に危惧しているのであれば、彼、彼女らの自発的意思を尊重し、組合として組合員全員に「君が代不起立」を強制しなければよいだけの話です。
 
第一、「内心の自由」の尊重を主張するものが「内心の自由」を踏みにじるような強硬手段を組合員に課するというのも解せぬ話です。組合員ひとりひとりの「内心の自由」を尊重しながら、組合として「君が代不起立」の実力行使を含めて「闘う」姿勢を貫こうとすることは決して矛盾しないでしょう。日教組、全教のみなさんには、「大勢動けば変えられる」という上記の根津さんの言葉の重みをあらためて強く噛み締めていただきたいものだと切に思います。
 
失礼なことばを最後にあえて付け加えます。あなたたちに「世の中を変えたい」という思いがほんとうにあるのならば。
テイカカヅラ 
テイカカヅラ

【日弁連問題が勃発していることに気づかなかった不明】
武本夕香子弁護士の論考で初めて日弁連会長の会務執行方針の「基本姿勢」を読んだ。これほどひどいとは正直、思わなかった。人権の砦であるべき日弁連は、すでに過去のものになりつつある。「基本姿勢」中、とくに強い違和感を覚えるのは、「すべての判断基準は、市民の利益に叶い(略)」「日弁連の主張を最大限実現するためには、孤立を回避することが不可欠であり、独りよがりや原理主義と批判されるような言動は排さなければなりません(略)」との部分であり、現実迎合の姿勢があらわである。(略)一体、ここにいう理解を得、利益を叶えるべき「市民」とはだれなのか。「孤立を回避することが不可欠」で「独りよがりや原理主義」と批判されてはならない」相手は誰を想定しているのか。(略)「日弁連の主張を最大限実現するためには、孤立を回避することが不可欠であり、独りよがりや原理主義と批判されるような言動は排さなければなりません。司法と日弁連の歴史に思いをいたし、経緯と情勢そして現実を冷静に見極め、説得力のある最善の主張を展開することにより多くの人々の理解を得、力を合わせて改革を着実に前進させることが大切です。」との基本姿勢を適用すると、猛毒を含んだ法改正の「早期成立を強く望みます」となるのだ。(略)この延長には、幅広く臣民の理解が得られるよう心がけ、孤立を恐れる、戦前の日弁連の姿が待っている(略)ポツダム宣言の受諾を受け、おそらく占領軍が憲法改正案を所望していることを聞きつけて、大日本弁護士会連合会は、臣民の理解を広く得るべく天皇大権は存続させて(結果、天皇は国会の制定した法律の拒否権を持つ)、臣民の自由は原則として、法律の範囲内についてのみ認めるのを原則とする改憲案を立案したのだ。かかる微温的な改正しか提言する能力がなかったのが、時局迎合した戦前の大日本弁護士会連合会のなれの果てである。日弁連は今、その道に踏み込んでいる。マスコミや、大学の批判をしていて足下の日弁連がむちゃくちゃにされていることに気づかなかった。日弁連問題が勃発していることに気づかなかった不明を恥じる。(街の弁護士日記 2015年5月28日

【山中人間話】
内田樹さんが「学問の自由を考える会のHPができました」という報告をしています。そして、「大学での国歌国旗についての政府要請」に反対する署名をさらに募っています。

以下は、内田樹さんの国旗国歌問題に関しての基本的なスタンスと考え方です。内田さんは「私の基本的な立場はむかしから変わっていません」として国旗国歌問題に関して16年前に書いた文章を自身のブログに再録しています。以下は同記事の抜粋です。


【「国旗国歌についての大学人声明」について】
国立大学での国旗掲揚国歌斉唱を求める文科省の要請に対して、
大学人として反対している。その理由が「わからない」という人が散見される(散見どころじゃないけど)。 同じことを何度もいうのも面倒なので、国旗国歌についての私の基本的な見解をまた掲げておく。今から16年前、1999年に書かれたものである。私の意見はそのときと変わっていない

国旗国歌法案が参院を通過した。このような法的規制によって現代の若者たちに決定的に欠落している公共心を再建できるとは私はまったく思わない。すでに繰り返し指摘しているように、「公」という観念こそは戦後日本社会が半世紀かけて全力を尽くして破壊してきたものである。半世紀かけて国全体が壊してきたものをいまさら一編の法律条文でどうにかしようとするのはどだい無理なことだ。(略)式典などで君が代に唱和しないものを指さして「出ていけ」とよばわったり、「声が小さい」と会衆をどなりつけたり、国旗への礼の角度が浅いと小学生をいたぶったりする愚か者が続々と出てくるだろう。こういう頭の悪い人間に「他人をどなりつける大義名分」を与えるという一点で、私はこの法案は希代の悪法になる可能性があると思う。

一世代上の人々ならよく覚えているだろうが、戦時中にまわりの人間の「愛国心」の度合いを自分勝手なものさしで計測して、おのれの意に添わない隣人を「非国民」よばわりしていたひとたちは、8月15日を境にして、一転「民主主義」の旗持ちになって、こんどはまわりの人間の「民主化」の度合いをあれこれを言い立てて、おのれの意に添わない隣人を「軍国主義者」よばわりした。こういうひとたちのやることは昔も今も変わらない。私たちの世代には全共闘の「マルクス主義者」がいた。私はその渦中にいたのでよく覚えているが、他人の「革命的忠誠心」やら「革命的戦闘性」についてがたがたうるさいことを言って、自分勝手なものさしでひとを「プチブル急進主義者」よばわりしてこづきまわしたひとたちは、だいたいが中学高校生のころは生徒会長などしていて、校則違反の同級生をつかまえて「髪が肩に掛かっている」だの「ハイソックスの折り返しが少ない」だのとがたがた言っていた連中であった。その連中の多くは卒業前になると(略)きれいに髪を切りそろえて、雪崩打つように官庁や大企業に就職してしまった。バブル経済のころ、やぐらの上で踊り回っていたのはこの世代のひとたちである。

こういうひとたちのやることはいつでも変わらない。(略) 国難に直面した国家のためであれ、搾取された階級のためであれ、踏みにじられた民族の誇りのためであれ、抑圧されたジェンダーの解放のためであれ、それらの戦いのすべては、それを口実に他人をどなりつけ、脅し、いたぶる人間を大量に生み出した。そしてそのことがもたらす人心の荒廃は、国難そのもの、搾取そのもの、抑圧そのものよりもときに有害である。
内田樹の研究室 2015年05月28日

さらに以下は、「国旗国歌についての大学人声明」に署名した際の私のコメントです。弊ブログにも記録しておきます。
 
「学問の自由を大切に」思う者のひとりとして署名します。娘が中学生のときPTAの会長をしていたことがあります。入学式や卒業式の祝辞を述べる際、壇上の日の丸ともろに対面せざるをえなかったのですが極力日の丸の方に目を向けないようにしてやりすごしました。君が代を斉唱するときは立場上起立だけは免れなかったのですが、覚えていないふりをして歌いませんでした。私は大学に対する国旗・国歌の強制に反対します。「国旗国歌についての大学人声明」を弊ブログに一個の市民のささやかな抵抗のあかしとして紹介させていただきました。
クチナシ 
クチナシ

「今日の言葉」は「原発メーカー訴訟の会」前事務局長の崔勝久さんのメディア批判です。

【「報道しない」ジャーナリズムの不作為の嘘と政府の電源構成案の嘘】
5月27日の朝日新聞は政府の2030年度の電気をどう賄うかを決めるという電源構成(エネルギーミックス)案がかたまったことを報じています。経済産業省の発表では、原発の割合は20~22%で、それは、原発の再稼働は大前提で、かつ、40年を超える古くなった原発の「延命」を前提、かつ「電力会社が原発を維持できるよう、国の関与を強める方向」と報じています。政府案は、それでも原発の比率を「可能な限り限り低減させた結果」として、自然エネルギー派に意見に配慮したポーズを示しています。しかしこの政府案は真っ赤な嘘の上で作成されたものです。なんとしても原発を再可動、「延命」させることを至上命令にして作成されているのです。その真っ赤な嘘とは、原発は発電コストが最も安いと位置づけているのですが、そのように言い切り嘘を正当化する論理と操作の誤りを熊本一規教授は公に指摘されています。(略)原発が一番安いという神話を正当化するために政府が用いている方法は、原発の設備利用率を一定、ないしは実際より高く算定することです。しかしそれは高度なテクニックではなく、誰もが見破ることのできる簡単なことなのです。2012年までの最近の10年間の平均設備利用率は56.7%ですが、政府はこれまで一律70%で計算していました。政府は実際は原発は他の電源に比べて高くつくことを知りながら、操作をして安く見せているのですが、原発はその不安定さと電気供給の柔軟性のなさにもかかわらず、低廉と安定さが条件であるべき「ベースロード電源」に位置づけます。彼らとすれば原発はやめるわけにはいかず、そう位置づるしかないのです。しかし実態としては原発はベースロード電源としては失格であることを熊本さんは証明されています。朝日が、このからくりを暴露して批判することなく、ただただ政府の方針の情報伝達のみに終始していることに大いなる疑問を持ちます。(略)

政府は広くパブリックコメントを求め、7月にはこの案を正式決定するそうです。すべて出来レースというものです。川内や福井での再可動反対運動がおくら展開されても、政府はそれを無視して、発表される電源構成(エネルギーミックス)案を貫徹するでしょう。すなわち、原発の電源構成20-22%は決定され、その計画に従って邁進するという既定路線です。このような嘘がまかり通り、背後で原発を一定の割合残すことが政府にとっては「潜在的核兵器所有国」であることを維持し、原発を世界に輸出することで背後からNPT体制を維持・保管するためであろうと推測されます。その状況下で、
河合弁護士のように司法の範囲内で頑張ると主張が、私は一つ一つの事実を確実に知り、戦いの戦略をいまいちど、検討しなおす必要があるのではないかと考えます。その一歩が、政府の電源構成(エネルギーミックス)案の嘘をまず知ることです。(OCHLOS(オクロス) 2015年5月27日

【山中人間話】

タニウツギ3
タニウツギ

【日弁連執行部の弁護士窮乏化路線について】
憲法が目指す理想通りにはいかないことは周知のところであり、日本の裁判所は憲法問題に踏み込むのを極端に嫌う。お上の意向を窺う「
ヒラメ裁判官」との謂いが一時期はやったゆえんである。しかし、中には、国家の方針に反してでも、憲法を擁護しようとし、裁判官の良心」に忠実であろうとする裁判官も少数ではあっても存在したし、現在も存在し続けている。激変しているこの時代ほど、「裁判官の良心」や司法の独立が果たすべき役割は大きい。(略)かつて、食えない弁護士というのは、想像もつかなかった。裁判官が職を賭して良心を貫こうと決意する場合、裁判官を辞しても、弁護士として少なくとも最低限の安定した生活は保障されていた。いかに良心的であろうとも、裁判官も人である以上、生活は先立つ。裁判官を辞した後の生活の保障が何もないとしたら、勇気を振り絞った判決が書けるだろうか。良心をかけて歴史に残る違憲判決を出した末、組織で冷遇され、昨今の政治情勢では、国会の弾劾裁判にかけられる可能性すら否定できないのである。繰り返すが裁判官も人であり、家族もあり、子どももある。裁判官を辞した後の長い人生が日々の生活にあえぐ、貧困弁護士でしかないとしたなら、どうやって「裁判官としての良心」に忠実であろうとする、勇気ある決断ができるというのか。「司法の独立」あるいは「裁判官の独立」という理念は、実は、弁護士になれば少なくとも食べていくことはできるという、実に現世的な経済基盤に支えられていたのである。今、日弁連執行部がやっているのは、政府と結託して「裁判官の独立」、「司法の独立」の現実的な基盤を掘り崩し、これを文字通り「画に描いた餅」にする策動である。日弁連執行部が、基本的人権の擁護を弁護士の使命とし、憲法の擁護を叫ぶのであれば、直ちに、弁護士窮乏化路線を転換し、司法試験合格者1000人以下の目標を掲げなければならない。司法試験合格者1000人以下としても、この10年余で倍増して全国3万5000人に及んだ弁護士人口は、なお当分の間、増加し続けるのである。国民は、弁護士が事件を漁るような、トラブルが多発する社会は望んでいない。基本的人権と平和を基本的価値とする憲法の実現をこそ望んでいるのだ。はき違えてはいけない。(街の弁護士日記 2015年5月26日

【山中人間話】
先のエントリで紹介した「(書評)『はじめての福島学』 開沼博〈著〉」で佐倉統さん(東京大学教授。科学史、科学技術社会論)は開沼博さんの研究者としての「変身」の理由を「事実をどのように評価するか」という問題との関連で次のように述べていました。
 
研究者が自分のスタイルを変えるというのは、相当な覚悟と努力が必要な一大事である。そんな「変身」を開沼にもたらしたのは、震災後4年間の経験だったようだ。全国各地での講演会やメディア出演の際の反応は、福島の姿がほとんど知られていないという現実を、彼に突きつけた。基本的に前向きのトーンを保ってはいるものの、行間からは、開沼の静かな怒りや、かすかな諦念が、ほの見える。福島を政治問題化するな。事実を認識せずに結論先にありきで語るな。福島に住んでいる多くの人たちに迷惑をかけるな。どうして、こんな初歩的で常識的なことが分かってもらえないのか。難しいことではないはずだ。この本を読み、虚心坦懐にデータを受け入れればよい
 
その「事実をどのように評価するか」の問題を25日付けの「『福島』をめぐる思想戦の問題」の補記として福島産のコメの安全性に関して具体的に見ておこうと思います(すでに述べていることとの重複も多いのですが)。はじめにジャーナリストの高世仁さんの福島産の米の安全性に関しての報告のご紹介をしておきます。高世さんは次のように述べています。
 
「福島の農作物を安全にできたのは、現地の住民を含むたくさんの人々の努力のたまものだったという。早野 「日本の人は、基準が決まりさえすれば、厳密に守るんです。これって、実はすごいことですよ。生産者の方々も非常にがんばって、工夫して、その規制値を超えないようにした。農学部の先生方もすごく努力をされて、どうやったらセシウムが入っていないお米が作れるか。研究を重ねられて、それが非常にうまくいったんです。ちなみに、福島県産のお米は現在ではすべての米袋についてセシウムを測定しているんですが、2012年度福島県産の玄米で100ベクレルを超えたのは、0.0007%。1000万袋以上測って71袋です。もちろん、このお米は流通していません。」(P85)
 
今年はどうか。11月10日現在、基準値超えがまだ1検体も出ていないというすごい結果になっている。872万2096検体中、ND(検出せず)が 872万0470検体。数値検出が1626検体あったが、すべて基準値よりはるかに低かったという。今年も最終的には1100万検体ほどになると思われ、すでに8割近くが終わった。この段階で基準値超えがないということは、基準超えゼロ!も射程に入ってきた。すばらしい。意外に知られていないのだが、福島県の検査は「サンプリング検査」ではなく、全ての米袋を測定する「全袋検査」。原発事故の翌年にはじまり、今年でもう3年目になる。これを可能にするために、島津製作所など5社が、30キロの玄米を10秒で検査できるスクリーニング検査機を新たに開発するなど、ものづくりの技術者、職人の努力もあった。(略)じゃあ、福島には問題はないのか?展望の見えない汚染水や廃炉の問題はじめ、もちろんたくさんある。それはそれ。正しく憂いつつ、人々と農産物の被ばくについては大丈夫だということを確認し、風評被害を封じ込めたい。」(高世仁の「諸悪莫作」日記 2014-11-12
 
上記で高世さんに紹介されている早野龍五さん(東大教授、原子物理学)はその福島産のコメの安全性についてエッセイストの糸井重里さんとの対談で次のように述べています。
 
糸井 とりわけ、早野さんがご自分で実際に計測や分析を重ねて、はっきりといえることはなんでしょう。
 
早野 いまの時点で明らかなのは、さまざまな調査や測定の結果、起きてしまった事故の規模にたいして、実際に人々がこうむった被ばく量はとても低かった、ということです。とくに、内部被ばく(おもに食べ物や水によって、体内に放射線源を取り込んでしまったことによって起こる被ばく)に関しては、実際に測ってみたら当初想定したよりも、かなり軽いことがわかった。「もう、食べ物については心配しなくていいよ」と言えるレベルです。
 
糸井 福島県産の野菜とか米なんかは、他の産地のものと比べても、全然大丈夫ってことですよね。
 
早野 そうです。流通している食品に関しては、もう大丈夫です。それは後で詳しくお話ししますけど、きちんと測った結果として証明できる。(「知ろうとすること。」立ち読みその1 
 
上記には具体的な数値はありませんが、専門家がデータに基づいて「『もう、食べ物については心配しなくていいよ』と言えるレベル」「きちんと測った結果として証明できる」と断言しているのですから、反証データでもない限り、専門家の発言を尊重するというのがふつうの常識人の対応というべきものでしょう。
 
なお、上記の早野発言を証明するものとして下記のような本人作成のグラフと農林水産省のデータがあります。


農林水産省-農産物に含まれる放射性セシウム濃度の平成26年度の検査結果の概要(平成27年3月30日現在)

米(26年産)

単位:点)

 

検査点数

放射性セシウム基準値(100Bq/kg)以下

放射性セシウム基準値(100 Bq/kg)

50 Bq/kg以下
(「検出せず」を含む)

50 Bq/kg
100 Bq/kg
以下

全袋検査分
(福島県)

1,098

1,098

14

0

抽出検査分
(福島県を除く

16都県)

1,352

1,352

0

0


上記の表は福島県を除く16都県においても1,352点の米について50 Bq/kg以下の放射性セシウムがある(「検出せず」を含む)ことを示しています。「放射線・放射能は、1本あるいは1粒たりとも毒」だというのであれば、全国47都道府県産の米もその他の全国の農産物、水産物もすべて食することはできない、すなわち日本人はすべからく飢え死にするほかないというきわめて非科学的、不合理な結論にならざるをえません。その論の「科学」に値しないこと、馬鹿げていることは火を見るより明らかでしょう。toriiyoshikiさんが「福島産米が『毒入り』なんぞという低劣なデマを通して『脱原発』を主張しているのを見ると、『脱原発』が排外主義の一変種に矮小化されたと頭にくる」とこみあげてくる「怒り」を抑えかねているのも当然というべきでしょう。
 
また、ホールボディカウンターで3万人以上を調べた「福島県内における大規模な内部被ばく調査の結果」も「子供のほぼ全員、成人の9割以上はセシウムが検出されなかった」というものです。《福島第一原発事故は、福島県内の土壌を放射性セシウムで汚染した。チェルノブイリ事故で得られた知見をそのままあてはめると、福島県県内の人口密集地で、年に数mSvを超える内部被ばくが頻出することが懸念された。しかし、ひらた中央病院で 2011年10月から2012年11月に行った32,811人のホールボディーカウンター検査結果は、住民の内部被ばくが、この予想よりも遙かに低いことを明らかにした。》
エッセイストの半澤健市さんが「七〇年前の二つ、五〇年前の一つの文章は私に突き刺さる」として引用する70年前の中野重治の文章と50年前の臼井吉見の文章は私の心にも突き刺さってきました。半澤さんがいう「おのれの内面から出た心情の表現」「イデオロギーが先行していない」「実感がこもっている」「大衆の目線がある」言葉として。半澤さんが引用する中野重治と臼井吉見の文章は私も何十年か前に読んでいました。そして、忘れていました。いま一度、私の心に突き刺さってきたあのときの「思い」を忘れないために半澤健市さんが引用する中野重治と安藤鶴夫と臼井吉見の言葉を半澤さんの言葉とともに引用させていただこうと思います。「あのときの『思い』」とはそれぞれに思いめぐらしていただきたいことです。
 
天皇夫妻のペリリュー慰霊訪問(3)―中野重治・安藤鶴夫・臼井吉見―(半澤健市「リベラル21」2015.05.25)
 
おい皆んなパラオ島帰りの兵隊をよく見ろ
作家中野重治(なかの・しげはる,1902~79)のエッセイ「冬に入る」にパラオの帰還兵が出てくる(月刊誌『展望』、1946年1月号)。正確にいうとパラオ帰還兵は、中野が引用した新聞投書に出てくるのである。投書は1945年11月4日の『東京新聞』に載った。安藤安枝という人が書いた「ある日の傷心」という文章である。長いが投書全文を掲げる。
 
十月三十日お茶の水の千葉行ホームに立って居りました私の耳に、異様などよめきと共に『おい皆んなパラオ島帰りの兵隊をよく見ろ』と大きな声が響き渡って来ました。私は内心敗戦したとは云え、兵隊さん達は懐かしい日本の地を踏みしめてどんなに嬉しそうなお顔をして居られるかと待兼ねました。電車に乗られるため後方ホームより、前方ホームに白衣も眩しく歩んでこられました。/然し眼前に見えた兵隊さん達のお顔は率直に申せば骸骨そのままです。即製の竹の杖を皆さんがつき、その手は皮だけで覆われ恐らくあの白衣の下の肉体も想像がつきます。新聞で読む栄養失調の兵隊さんの顔には白い粉がふいているとのことでしたが、目の前に見た兵隊さんの顔は誰も皆小麦粉を吹き付けた様な白さ、此の兵隊さんの姿を見て男の方も女の方達も声を上げて泣き出してしまいました。/此の様に兵隊さんの肉を削った戦争責任者は之だけでも重罰の価値がありましょう。この兵隊さんの姿を妻や子が親が見たらどんなでしょう。電車を待つ間にやっと私は兵隊さんに『御苦労様でした、大変で御座いましたでしょうね』と泣きながら申しますと、一人の兵隊さんが『いーやー』と心持ち首を動かしましたが、男の人の気軽さでいう声が出せないんです。/混雑するので思わず私は側にいた見知らぬ子供の手を引いて居りましたが、目の前にいた兵隊さんが不自由に手を動かし、鞄の中からお弁当箱を出して、蓋の上に乾パンを載せ、声も出ぬ儘私の手を引いて居ります子供に差し出されたではありませんか。子供は無邪気に両手を出しましたが、そのお子さんの母は『勿体なくて戴けません』と繰返し泣いて居りました。私は兵隊さんの御心情も察せられ『折角の兵隊さんのお心持故戴きましょうね』と戴きました。涙で見送る眼に白衣だけが残り、二両目に乗りましたが、車外では兵隊さんを御送りしょうと一斉に心からのお見送りをして居りました。/皆さんデモクラシー運動も大いにやって下さい。/婦選運動も結構でしょう。然しこう云った兵隊さんが各所に居られることを忘れないで心に銘記してからやって下さい。戦災死、戦災者の方達の上にも心を止めないことには、敗戦日本に与えられた只一つの有難い国体護持も道義滅亡によって無価値なものとなるでしょう。
 
中野はこの投書に関して次のように書いている。
 
これが全文である。これを泣かずに読める日本人はあるまい。そうして安藤氏の兵隊にたいする気持ちも、すべての日本人に素直に呑みこめるだろうと私は思う。また、「デモクラシー運動」や「婦選運動」やが、こういう兵隊の存在と安藤氏の心持ちなどから多少とも離れたもののように安藤氏に映じていることもすべての人が素直に受けとるだろうと思う。そしてこのことが、独立の民主主義革命をとおしてでなしに、民主主義ないし民主主義への糸ぐちがいわば外から与えられたという国の歴史的実情に結びついている。
 
中野の文章の核心は、河上徹太郎の「配給された自由」論への批判であった。だから私の中野からの引用は、都合のよいところを切り取っているかも知れない。しかし今は、河上・中野論争に深入りしない。興味を感じた読者は、『中野重治評論集』(平凡社ライブラリー、1996年)の編者林淑美の解説にあたって欲しい。
 
しまいに、声が出、それが慟哭になった
次の文章は、演劇評論家安藤鶴夫(あんどう・つるお、1908~69)が靖国神社の境内で感じたことを書いたものである(『わたしの東京』、求龍堂、1968年刊から一部を引用)。1945年秋、安藤は東京新聞記者として日本の伝統芸能の現状とその行方を取材していた。ある日、安藤は靖国の社務所にあった能楽協会を訪ねた。
 
広い靖国神社の境内に、どこをみても、人っ子ひとりいなかった。/わたしには、つい、このあいだまでのことを考えると、一瞬にして、その、おなじ靖国神社が、こんなふうに変わってしまったように思われ、急に気持ちがわるくなって、立ちどまり、うしろをみた。うしろにも、まったく、人影がない。わたしは急に、この東京の中で、ひとりぼっちになってしまったように、こころぼそく、かなしくなった。そういえば、戦争が終って、一年ぐらいのあいだ、よく、わたしは、 そんなふうな、なんともいえない孤独感におそわれたものである。しかし、この時の、靖国神社のときほどの、さびしい孤独感はない。/(略)能楽協会の三宅襄さんが出てきた。三宅さんの頬が、がっくり、こけているのにびっくりした。なんだか、目ばかり、ぎょろぎょろしている感じだった。くらく、つめたい社務所へ上って、少し、ねばって、五時、ちかくまでいた。/そのあいだ中、誰ひとりとして、境内を歩いてきた者はなかった。と、いうことは、誰ひとり、靖国神社へおまいりをする者がいないということである。三時、四時、五時―、だから、ざっと、三時間ちかくも、わたしは社務所の、あけはなった窓から、境内が、はっきり視線の中に入る場所にいて、取材をしていたのだけれど、そのあいだ中、まったく、誰ひとり、通らなかった。/帰りがけ、三宅さんに、毎日、こんなふうに、誰ももう靖国神社に詣でるひとはいないのですか、と、きいたら、はい、マァ、そうですな、といった。/ひとりで、また、玉砂利を踏んで、神殿にぬかずいた。誰もいないので、誰に、遠慮も、気がねもなく、泣いた。しまいに、声が出、それが慟哭になった。
 
モトノモクアミに化していくのだろうか
評論家の臼井吉見(うすい・よしみ、1905~87)が1964年に書いた「戦没者追悼式の表情」というエッセイがある。政府主催の第二回戦没者追悼式(遺族会の要求で靖国神社で開催)に出る未亡人が、満面の微笑とともに、「感謝と感激でいっぱい、なんと申していいものやら、胸がつまって、言葉もございません」と答えているテレビ画面を、臼井が、みたこと、また、『あの人は帰ってこなかった』という新刊を読んだら、岩手県山村の一部落では、125人が出征して、32人の未亡人が出たこと、そして未亡人の一人が次のよう語ったこと、について書いている。「エヤ、戦争どう思うってすか? なに、やらねばならなくてやったんだべからナス。アン、仕方ねぇことだったべと思ってるナス。戦死した家、皆気の毒だったナス。オレばかりでなくナス。オレより苦労した人、まだいっぱいいるベモ
 
臼井はこう続けている。
 
(あとの人は)靖国神社その他が出てこないうちだから、まさか感謝感激はしていない。だが、このあきらめぶりは、戦前と寸分の変わりもない。/十九年かかって、モトノモクアミに仕立ててしまったということ、これをすべて反動勢力のしわざにしてしまうわけにはいくまい。その勢力がものを言ったことを疑うものではないが、責任はむしろ革新勢力にあるのではないかと思われてならない。浮き足だって突っ走り、自分の金切り声に自分で酔い、口を開けば、ソレ戦争にナル、ヤレ戦争につながるの一点ばり、そのすべてが逆用されたといえば、言い過ぎであろうか。/適時に、ぬからずクサビを打ち込むこと、ここからは断じて後戻りさせないという、派手ではないが大事なクサビ打ちの仕事を革新勢力はやって来たかどうか。職業柄、日教組などは、その適任者のはずなのに、これがまっさきかけて突っ走ったのだから話にならない。/戦没者の慰霊祭などは、とっくの昔に、革新勢力の提唱で、国民の名において実行すべきではなかったか。その犠牲によって、日本が近代国家に生れ変り、軍国主義を捨て去ることのできたゆえんをはっきりさせて感謝するほかに、戦没者の霊を慰める道などあろうはずがない。しかるに、戦没者が、あたかも悪事を犯したかのようで、その遺族が、肩身の狭い思いをしなければならぬようなふんいきをかもしだしつつあったのは、どこのだれだったか。たまには胸に手を当てて考えてみるがよい。(略)僕は、先日来、テレビで甲子園の野球見物をしている。この選手たちは、すべて戦後の生まれとか。/あの残虐愚劣きわまりなかった戦争を、話としてしか知らない者どもが、ここまで育ってきたかと思うと感無量だった。こうしてすべては忘れられ、モトノモクアミに化していくのだろうか。まさか?
 
七〇年前の二つ、五〇年前の一つの文章は私に突き刺さる。一人の共産主義者を含む彼らの文章にあるのは、おのれの内面から出た心情の表現である。イデオロギーが先行していない。実感がこもっている。大衆の目線がある。
 
心情や実感だけではない。状況の観察、政策の提言も的確である。敗戦の現実から目を逸らす精神、靖国への蝟集と靖国からの逃亡、モトノモクアミを自覚しない精神。総じていえば歴史の連続と断絶を正視しない心理構造。三つの文章はこれらを正確にとらえているのである。(2015/05/06)
 
附記:半澤さんは「天皇夫妻のペリリュー慰霊訪問」という記事について「天皇のペリリュー訪問に関して私はこれまで3本書いた。回り道ではあったが、私としては「最終回(4)」を含めてどうしても全部を書きたかったのである。是非、全4編をまとめて読んで頂きたい」と述べています。以下、引用文以外の(1)と(2)と(4)の文章の在り処を示しておきます。
 
天皇夫妻のペリリュー慰霊訪問(1)―「山月記」の作者がみた南の島―(半澤健市「リベラル21」2015.05.08)
天皇夫妻のペリリュー慰霊訪問(2)―日米両軍の死闘を読む―(半澤健市「リベラル21」2015.05.09)
天皇夫妻のペリリュー訪問(4)―明仁天皇が国防軍を観兵する日―(半澤健市「リベラル21」2015.05.26)

【山中人間話】

5月23日付けのエントリで、私は、toriiyoshiki(アイヌ語で「宿酔い」の意)さんの以下のようなツイートの言葉を紹介しました。
 
いずれにせよ、こういうご時世には有象無象が蠢くものである。原発事故の直後、東大医学部の中川恵一氏は放射線の安全性を周知することは「思想戦」だとのたまって、「少なくとも科学者の台詞じゃねえなあ」と俺を呆れさせたものだが、いま福島をめぐって起きているのはまさに「思想戦」なのだと思う。(略)何を根拠に、あるいは何を意図して、こうした暴言をばら撒くのか?…ぼくは40年来の反原発派だが、このようなデマ体質の「反原発」(あるいは「脱原発」)派には激しい憤りを禁じ得ない。本当になんと情けない「脱原発」なのかと思う。こんなの「脱原発」ではないのはもちろん、「放射能恐怖症」ですらない。単なる「福島恐怖症」ないし「福島忌避症候群」。こんな連中が「脱原発」を叫ぶことが、どれだけ「脱原発」を遠ざけていることか。本当に頭にくる。ぼくは原発は可能な限り早く廃絶すべきだと思っている。だが、根拠なき「福島差別」や、闇雲な恐怖感の流布を通してそれを実現したいとは思わない。福島産米が「毒入り」なんぞという低劣なデマを通して「脱原発」を主張しているのを見ると、「脱原発」が排外主義の一変種に矮小化されたと頭にくる。(toriiyoshiki 2015年 5月20日
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1289.html
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1290.html
 
そのtoriiyoshikiさんは以下のような言葉を発信する人でもありました。
 
「公共放送NHKは、戦後初期の理想の時代が生んだ素晴らしい存在、残すべき価値のある公共財だと思っています」…今回、わずか一期でNHK理事を退任することになった元ディレクターの退任挨拶である。こう書き出した後に(略)放送ガイドラインを引用した上で彼はこう続ける。「戦前の日本放送協会は、体制べったりで、政府が右といっても左、という勇気を持たなかった。…人々に真実を伝えず、悲惨な戦争へ突入するお先棒を担いだわけです。それが、どれだけ人々に悲惨な結果を招いたことでしょう」「その深い反省の思いから、そして放送のもつ影響力をいい方向に使い、国民に民主主義を広めようと、公共放送が構想されたわけです。 そして、健全な民主主義発展という使命達成には、自主自律、『不偏不党』の立場が必要不可欠だとされたのは当然のことです」(略)「…世界には独自の価値観を持った多様な人々が生きていることや、社会にも多様な価値観が存在することを示すこともまた、公共の大切な使命なのです。… 戦後70年の節目の今年、私たちはもう一度、この公共放送の原点ともいうべき使命を再確認し、肝に命じるべきです」「歴史の教訓にしっかりと学ぶべきです」

とこう書いて、彼は自ら人事担当として採用した若い世代に希望を託す。「彼らが現場にいる限り、公共放送の理念は決して揺らぐことはありません。彼らは、たとえ大きな力が真実を曲げようとしても、決して屈しない勇気と志を持っていると私は信じています」… 書き写していてぼくは涙が出そうになった。ここに書かれていることはごく当たり前のことで、本来ならわざわざいうまでもないことだ。それを敢えて退任の挨拶で言わざるを得なかった彼の静かな怒りがふつふつと伝わってくるのである。実は、この(元)理事はよく知っている男である。彼の硬骨が疎まれて、わずか一期で退任を迫られることになったのだろうとぼくは“邪推”する。だが、彼の退任挨拶は、現場では幹部の指示により「周知せよ」との指示とともに全員に回覧された。ぼくはそのことに一抹の希望を託したいのである。政治家が何を言おうと、トップがどうあれ、俺たちの現場はそう簡単には負けない。潰されはしない。その「志」だけは信じてほしいと思うのである。「肝に銘じるべき」という言葉がひとしお身にしみる夜である。(toriiyoshiki Twitter 2015-04-21
 
toriiyoshikiさんが正義感と鋭敏な感受性を持つ硬派のジャーナリストであることは上記の2本の文章をお読みいただけただけでもおわかりいただけるものと思います。そのtoriiyoshikiさんが「福島」をめぐる問題を「思想戦」の問題だと言っているのです。なにが「思想戦」の問題なのか。以下、上記のtoriiyoshikiさんの問題提起の続きとしての佐倉統さん(東京大学教授。科学史、科学技術社会論)の開沼博著『はじめての福島学』の書評のご紹介です。

【ぼくたちは、なんと狭量な人間になってしまったのだろうか】
東日本大震災の年に『
「フクシマ」論』で衝撃のデビューを果たし、以後、被災地の「内側」からのメッセージを全力で発信し続けてきた著者の、震災から4年目にしての新境地。元来彼は質的な調査を身上としてきた人だが、この本ではたくさんの統計データをもとに、一部で流布している福島のイメージがいかにズレているかを分かりやすく解説している。たとえば、福島県は農業県のイメージがあるが、実は一次産業従事者は1割以下で、二次産業が3割、三次産業6割である、など。研究者が自分のスタイルを変えるというのは、相当な覚悟と努力が必要な一大事である。そんな「変身」を開沼にもたらしたのは、震災後4年間の経験だったようだ。全国各地での講演会やメディア出演の際の反応は、福島の姿がほとんど知られていないという現実を、彼に突きつけた。基本的に前向きのトーンを保ってはいるものの、行間からは、開沼の静かな怒りや、かすかな諦念が、ほの見える。福島を政治問題化するな。事実を認識せずに結論先にありきで語るな。福島に住んでいる多くの人たちに迷惑をかけるな。どうして、こんな初歩的で常識的なことが分かってもらえないのか。難しいことではないはずだ。この本を読み、虚心坦懐にデータを受け入れればよい。自分の限られた経験や感覚だけに基づいて何ごとかを主張することは、やめよう。その代わりに開沼が提案するのは、科学的な前提にもとづく限定的な相対主義である。最低限の客観的事実を共有し、その上で、各人の価値観の違いを容認し、できれば共存すること。基本的なことである。だが、それすらできなくなっているとは、ぼくたちは、なんと狭量な人間になってしまったのだろうか。この先の福島学は、日本学は、どこへ向かうのだろうか。(佐倉統「朝日新聞」2015年5月24日

附記:

【山中人間話】
ユキノシタ
ユキノシタ 

【邦人殺害テロ事件の検証報告書について】
平成27年5月21日、邦人殺害テロ事件の対応に関する検証委員会が
検証報告書を公表した。(略)この報告書には最も重要な問いが抜けている。ふたりの命を守ることができたか、という問いだ。第1段階の(1)で、邦人の渡航を防ぐことはできなかったかという問題設定をしているが、これとはちがう。渡航してしまったふたり命を守ることはできなかったかという問いは、別問題だ。常岡浩介氏と中田考・元同志社大学客員教授が、イスラム国から連絡を受けて、湯川遙菜氏の命を救うためにイスラム国へ行こうとしていたときに、警視庁公安部外事三課が渡航を妨害したことに全く言及していない。したがって、この点の評価もない。この報告書は、政府の主体的行動に焦点をあてて検討している構成になっているので、常岡氏や中田氏の行動は登場する余地がないのだろう。しかし、ふたりの命を守ることが出来たかという問いについて、主語は政府だけである必要はない。報告書では、情報収集についてではあるが、「本事件のように非国家主体が主として関わる事案については、政府による外国政府諸機関との関係を中心とした情報収集によって得られる情報には自ずと限界があることから、日本側の民間の個人や団体の有する情報をより積極的に聴取し対処策に活かす手法も、今後検討されるべきであるとの意見も示された。」(8頁)と指摘している。本件のように政府間交渉ができない事案では、「日本側の民間の個人や団体の有する情報をより積極的に聴取し対処策に活かす手法」が重要なのである。これを常岡氏や中田氏に当てはめるなら、彼らの協力を得ることによってこそ、政府は湯川氏の命を守ることができたかもしれない。彼らがイスラム国で生命の危険に晒されるおそれが小さければ、彼らがイスラム国に渡航して湯川氏の処刑を回避できたかもしれない。そういう形の協力もあったのではないか。報告書では、後藤氏の渡航目的は不明のようである。湯川氏救出が目的であれば、常岡氏や中田氏が行動することで、後藤氏はイスラム国へ行く必要がなくなり、命を奪われることにはならなかった。(弁護士清水勉のブログ 2015-05-23

【山中人間話】

変わった構成ですが、追記から文章を始めます。

この5、6か月ほど投稿を控えていましたが、弊ブログではほぼ毎日のように記事を書いていました。ぼちぼちと記事の発信を再開させていただこうかと思っています。

なお、私は、別に「投稿魔」、すなわち、趣味で投稿しているつもりはありません。「政治」を本質的に変えていくためには、その「本質」的と思われる政治課題について、それが「本質」的な政治課題であることの思いを周縁、あるいは裾野を形成する「大衆」という群像が群生する場でできうる限り多くの人と共有する必要があるだろう。中心部の華奢や色取りも周縁、あるいは裾野の土壌の豊かさがあってこそほんものの華奢であり続けることができる。そう思っての投稿でした。ただ、それだけのことです。

しかし、ただ、それだけのことにすぎないのですが、なにが「本質」であるかという点については面倒なことではあっても「思想戦」を素通りしてしまうことはできません。先日、弊ブログ左端に置いてある「山中人間話」欄に某テレビ局ディレクターの以下のような「怒り」のツイートをアップしておいたのですが、そこで某テレビ局ディレクターの言う「思想戦」が私の言う「思想戦」の謂いでもあります。たとえばの一例です。

(略)

以下、本文。

安倍首相の「自分が批判されることを極端に嫌い、すぐに論点をずらし、相手の落ち度や弱点をあげつらってムキになって反論する癖」、すなわち、安倍首相の反知性主義についてはこれまでも多くの人のそれぞれの観点からの批判がありましたが、「ポツダム宣言をつまびらかに読んでおりませんので」という先の志位共産党委員長との党首討論での国会答弁が同首相の「反知性」の極北としての「無知」と「蒙昧」を示す格好のネタとして多くの人からの嘲笑と揶揄と半畳の対象になっているようです。
 
安倍首相の戦後レジーム脱却は「ポツダム宣言」も読めないし読むつもりもなく日本の軍事大国化めざすこと(井上伸 2015年5月21日)


アベ君。私は恥ずかしい。高校生のキミに歴史を教えたのは私だ(引用者注:もちろん、パロディ)。キミの歴史への無知は私にも責任がある。(澤藤統一郎の憲法日記 2015年5月21日)


安倍首相は「私は、まだその部分をつまびらやかに読んでおりませんので(略)」とポツダム宣言を読んでいないことを白状したのです!(徳岡宏一朗のブログ 2015年5月22日)
 
上記の論者が一様に問題にしているのは安倍首相の「無知」についてです。安倍首相の「無知」を問題にするのはもちろん間違っていません。とりわけ「ポツダム宣言を受諾しなかったから原爆を落とされた」(月刊誌「Voice」2005年7月号)などという発言は「無知」そのものです。そうした日本の敗戦時の基本中のキの歴史的事実も知らないような人が「戦後レジームからの脱却」などと日本の歩むべき進路を誤誘導しているのですからなおさらです。

 
しかし、今回の安倍首相の「ポツダム宣言をつまびらかに読んでおりませんので」発言を「無知」の問題として嘲り、批判するのは、嘲った分だけ安倍首相の「無知」発言の真意を見損ない、追求しなければならない問題の本質を自ずから逸らしていくことにつながりかねない愚論の体を帯びてくるように私には見えます。

が、それらの点について、批判の視点を明確に提起している論がありました。「五十嵐仁の転成仁語」の論です。以下、ご紹介させていただこうと思います。そして、安倍首相の徒な「無知」批判のなにが問題なのかを考えていただければと思います(改行は引用者)。
 
間違った戦争」だと認めなかったことにある
(五十嵐仁の転成仁語  2015-05-21)
 
党首討論での志位共産党委員長の質問に対する安倍首相の答弁が話題を呼んでいます。「ポツダム宣言」を読んでいなかったかのような答弁をしたからです。日本の首相が、その国の戦後体制の基礎になった最重要文書を読んでいなかったということが明らかになり、しかも、その「戦後レジーム」からの脱却を唱えていた当人が「まだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりません」と答えたのですから、多方面から批判を浴び、顰蹙を買ったのも当然だと言えるでしょう。
 
しかし、問題の本質は「その部分をつまびらかに読んでおりません」というところにあるのではありません。こう答えることによって、志位委員長が質問した「ポツダム宣言は、日本の戦争について、第6項と第8項の2つの項で、『間違った戦争』だという認識を明確に示しています。総理にお尋ねします。総理はポツダム宣言のこの認識をお認めにならないのですか?端的にお答えください」という質問をはぐらかし、それへの回答を拒んだというところに最大の問題があります。読んでいたかどうかは問題ではないのです。この時、志位委員長は「その部分」を読み上げて質問していたのですから、読んでいなくても「その部分」の内容は分かったはずですから……。それにもかかわらず、安倍晋三首相は「ま、この、ポツダム宣言をですね、我々は受諾をし、そして敗戦となったわけでございます。そして今、え~、私もつまびらかに承知をしているわけではございませんが、ポツダム宣言の中にあった連合国側の理解、たとえば日本が世界征服をたくらんでいたと言うこと等も、今ご紹介になられました。私は、まだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから、今ここで直ちに、それに対して論評することは差し控えたいと思いますが、いずれにせよですね、いずれにせよ、まさに、先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがあるわけありまして、我々はそのことは忘れてはならないと、このように思っております」と述べて、「端的に」答えることを回避しました。ここに、最も批判されるべき最大の問題があります。
 
ここで注目すべきは、「何だ、ポツダム宣言すら読んでいないのか」と馬鹿にされたり批判されたりすることよりも、「今ここで直ちに、それに対して論評することは差し控えたい」と答えることの方が、安倍首相にとっては重要だったという事実です。まともに答えず、のらりくらりと言い逃れることの方を優先したというわけです。安倍首相にとっては、馬鹿にされることよりも「間違った戦争」だと答えることの方が、ずっと辛かったということなのでしょう。そのような回答を避けるためには、「ポツダム宣言も読んでいないのか」という嘲りさえも、安倍首相にとっては甘受すべきものだったということになります。それほどに、安倍首相は「間違った戦争」だったと認めたくないということなのです。この点にこそ、党首討論でのやり取りが示している本質があり、安倍首相の歴史認識が持っている問題点が集約されているということになります。
 
この一連の経過を通じて、「私は、まだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりません」と言って「論評すること」を拒んだ当該箇所についても、安倍首相は十分に知ることになったにちがいありません。今度は、ちゃんとポツダム宣言を読んだことでしょう。どなたでも結構です。今後の国会審議で、もう一度、質問していただきたいものです。「ポツダム宣言は、日本の戦争について、第6項と第8項の2つの項で、『間違った戦争』だという認識を明確に示しています。総理にお尋ねします。総理はポツダム宣言のこの認識をお認めにならないのですか?端的にお答えください」と……。安倍首相はもう、「私は、まだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりません」などと言って逃げることは許されません。「間違った戦争」だったことを認めるのか否か、真正面から「端的に」答えるべきです。
【山中人間話】


【以下、再掲】

ネモフィラ ネモフィラ

【「辺野古」問題 大橋巨泉氏の論にも高橋哲哉氏の論にも違和感が残る】
「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が行われた17日、沖縄タイムスは全紙面を使い、県外の著名人など51人の「応援メッセージ」を顔写真付きで掲載しました。迫力のある紙面で、51人のメッセージは短いけれど、どれも気持ちと力のこもった貴重なものでした。その中で、ここではとくに2人のメッセージに注目します。そこでは普天間基地(さらに沖縄の米軍基地全般)の「県外移設」論について、私たちが考えねばならない問題提起がされているからです。2人とは、大橋巨泉氏と高橋哲哉氏です。まず、大橋氏のメッセージから。

大橋巨泉氏・・・沖縄住民の皆さん、我々日本人は皆さんに大きな借りがあります。皆さんは堂々と「米軍基地は県外へ」と言えば良いのです。まず目の前の辺野古移設反対! 我々は声を大にして後押しします。頑張ってください。

沖縄に寄り添おうとする大橋氏の心情がよく表れています。しかし、おかしくないですか? 沖縄の人に「基地は県外」つまり本土へ移設するよう主張すべきだとし、「我々」つまり本土の人間はそれを「後押し」するというのです。これでは本土の「我々」は第三者の立場からの「応援者」です。しかし、「県外移設」で基地は本土へ来るのです。「我々」はけっして第三者ではありません。まさに当事者となるのです。大橋氏の心情は理解できても、本土の「我々」がひとごとのように「後押しします。頑張ってください」と言うのは、違うのではありませんか? その点で注目されるのが、高橋氏のメッセージです。

高橋哲哉氏・・・日米安保体制下で本来、米軍基地があるべき場所は本土。本土にいる私たちは、長く沖縄に米軍基地を押し付けてきた差別を正すために、安保条約が解消されるまで、在沖米軍基地を本土に引き取る道を追求していきたい。

高橋氏は基地は「県外(本土)へ移す」のではなく、「本土に引き取る」のだと言います。同じように見えて、この違いは明確で、しかも重い意味があります。高橋氏の主張(立ち位置)は、「日米安保体制下で本来、米軍基地があるべき場所は本土」という考えに基づいています。沖縄の基地問題はまさに本土の私たちの問題にほかならないという指摘です。ここでは本土の私たちは第三者ではなく、完全に当事者です。同じ「県外移設」論でも、大橋氏と高橋氏の違いを、私たちは自分の問題として考えてみる必要があるのではないでしょうか。それは、「辺野古新基地建設反対」の次に、「では普天間あるいは沖縄の基地はどうするのか」という問題が問われてくるからです。私たち本土の人間はけっして第三者でいることは許されません。自分の問題として考えねばならないのです。そのうえで、しかし私は高橋氏の主張にも賛同できません。「安保条約が解消されるまで、在沖米軍基地を本土に引き取る」という主張です。沖縄の「構造的差別」はもちろん解消しなければならないし、それは本土の私たちの責任です。その世論を本土で高めていかねばならないことも当然です。しかし、「沖縄の基地を本土で引き取る」と主張し、それを「追求する」つまり運動化することは、けっして安保条約=日米軍事同盟の「解消」に向かわないばかりか、逆にその固定化につながりかねないと思うからです。

あってはならない基地は、沖縄はもちろん、本土にもあってはならないのです。オスプレイも同じです。普天間をはじめ沖縄の基地は、「県外(本土)へ移設」するのでなく、即時無条件に撤去すべきであり、その主張の下に沖縄と本土の連帯を目指すべきだと考えます。そう思う私が、51人のメッセージの中でもっとも共感できたのは、広河隆一氏(月刊誌DAYS・JAPAN発行人)のものでした。大橋氏、高橋氏のメッセージとともに、私たちが「沖縄」を自分の問題として考える手掛かりにしたいと思います。

広河隆一氏・・・支配する側は、される側の痛みが理解できません。本土の人間は「沖縄を解放する」のではなく、私たちが「支配者であるという立場から解放される」ため辺野古が象徴する支配構造に風穴を開ける闘いを本土で行いたいと思います。アリの一言 (「私の沖縄日記」改め) 2015年05月21日
 
【山中人間話】
ヒナゲシ ヒナゲシ

【大阪都構想狂騒で問われたものは「民主主義の質」ではなかったか】
大阪市民を二分した「都構想・住民投票」の狂騒は、いったいなんだったのだろうか。問われたものは、大阪都構想の当否でも大阪市の解体の是非でもなかったようだ。実は、民主主義の質が問われたのではなかろうか。(略)大阪都構想賛成派の市民は、新自由主義派や右翼ばかりではない。大阪の現状に不満を募らせた多くの人々が、これが大阪発展の青写真と煽られ、その展望に賭けてみようという気持にさせられたのだ。
ベルサイユ体制に鬱屈していたドイツ国民がナチスの煽動に乗って、ヒトラーを支持した構図と似ていなくもない。昭和初期の不況に喘いだ日本国民が「満蒙は日本の生命線」というフレーズに心動かされた歴史を思い出させもする。さて、問題はここからである。一人ひとりが責任ある政治主体として維新から示された「青写真」や「展望」をじっくり見据えて自分の頭で判断しようとするか、それとも、人気者が香具師の口上さながらに語りかける政治宣伝にお任せするか、そのどちらをとるかなのだ。生活の困窮や鬱屈の原因を突きつめて考えるか、考えるのは面倒だからさしあたりの「既得権権者攻撃」に不満のはけ口を提供するポピュリストに喝采を送るか、という選択でもある。前者を本来的な民主主義、後者を擬似的民主主義と言ってよいだろう。あるいは、理性にもとづく下からの民主主義と、感性に訴えかける上からの煽動による民主主義。成熟度の高い民主主義と、未成熟な民主主義。正常に機能している民主主義と、形骸だけの民主主義。独裁を拒否する民主主義と、独裁に根拠を与える民主主義。本物の民主主義と偽物の民主主義、などとも言えるだろう。今回の狂騒が意味あるものであったとすれば、民主主義の質について考える素材が提供されたということであったと思う。(澤藤統一郎の憲法日記 2015年5月20日

【私たちは「橋下徹」におさらばできたのか】
映画監督の想田和弘さんが上記の澤藤統一郎弁護士の所論とほぼ同様の感想を書いています。以下、マガジン9に発表された記事をピックアップしておきます。私は澤藤統一郎弁護士の所論にも想田和弘さんの所論にも同感するものです。


私たちは「橋下徹」におさらばできたのか
(映画作家・想田和弘の「観察する日々」
マガジン9 2015年5月20日)
 
大阪市を廃止し分割する構想が、住民投票によって僅差で否決された。拙著『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)やツイッターなどで繰り返し申し上げてきたように、橋下徹という政治家は日本の民主主義にとっては脅威であり、危険な人物である。そして彼が強硬に押し進めてきた大阪市廃止分割構想は、多くの地方自治や行政学の専門家が指摘するように、リスクばかりでメリットが見出せない、本来ならば議論の俎上に上がろうとする時点で退けられなければならなかった「トンデモ構想」である。したがって、それが住民投票で否決され、橋下氏が政界引退を表明したことは、大阪にとっても日本にとっても朗報である。少なくとも「大惨事がとりあえずは避けられ、首の皮一枚でつながった」という意味では、喜ぶべきことであろう。正直、僕もホッと胸をなでおろした。「毎日新聞」(電子版)は「さらば橋下徹劇場」)などという見出しで、かなりセンチメンタルな記事を発表している。
 
しかし、である。私たちは本当に「橋下徹」とおさらばできたと言えるのであろうか。そのことを冷静に考えると、残念ながら「否」と言わざるを得ない。 まず、「賛成」の得票の大きさである。たまたま約1万票の差で構想は否決されたが、有効投票の半数近い69万4844人は賛成した。大阪市民がその総意として構想に「ノー」を言ったとは、到底言い難い結果である。そのことは重く受け止めなければならない。民主主義は「勝ち負け」ではないのだ。また、橋下氏のさばさばした笑顔での敗戦の弁が、「潔い」だの「無私」だの「すがすがしい」などと評され、好感を持って受け止められているのを目にすると、薄気味の悪さを感じてしまう。例えば、堀江貴文氏は橋下氏の記者会見について、「すごい、すごいですよ、よくこんな会見できるなって」とテレビ番組でコメントしたようだし、脳科学者の茂木健一郎氏は、記者会見での橋下氏の言葉や態度から彼を「公に奉仕した人」だと誤解し、「さわやか」だと賞賛した
 
だが、僕に言わせれば、橋下氏ほど政治を私物化してきた人は、なかなかいない。そもそも大阪市分割構想でさえも、頭の良い彼が本気でそれが大阪のためになると考えていたとは、到底思えない。身も蓋もない言い方をするならば、彼は結局「自分が勝つため」に分割構想や住民投票を道具として利用しようとしたにすぎない。要は橋下氏は自らの威信を試す私的な勝負事に、大阪市民の膨大な税金と時間とエネルギーを空費した。それが今回の住民投票の本質だと思うのである。そのことは、当の記者会見における橋下氏の言葉をちょっと注意深く分析するだけでも明らかだ。彼は府知事と市長を務めた期間を 「大変幸せな7年半」だったと述べ、僅差での否決を次のように評した。「こんな最高の終わり方ないじゃないですか。ボロカスにやられたらシュンとするけど、こんなありがたいことないですよ。本当に悔いがないし、総力戦でやってくれて、最後結論がこうなって、これはトップとしてありがたい話はないです。本当に納得できる」(ハフィントンポスト日本版)桜を愛し「散り際の美学」を持つ日本人の琴線には、思わず響いてしまう「さわやかさ」である。実際、もしこれがオリンピック選手か何かの敗戦の弁であれば、僕も惜しみない拍手を送ったことであろう。
 
だが、橋下氏は政治家である。政治はスポーツではない。これまでの橋下氏の言動を考えれば、素直に感動してはいられないはずだ。なぜなら彼は、大阪市廃止分割構想を「大阪再生のラストチャンス」だと煽り、それが実現しなければ大阪はダメになるとさえ主張していた。もし橋下氏が本当にそう信じていたのなら、住民投票で構想が否決された今、その結果を厳粛に受け入れつつも、大阪市の将来を本気で心配するのが自然なのではないだろうか。にもかかわらず、橋下氏は「本当に悔いがない」などとにこやかに述べた。構想に未練などなさそうである。このことから導き出される推論は、橋下氏がそもそも自分の構想を信じていなかった(嘘を言っていた)か、大阪の将来などどうでもよいか、のいずれかであろう。いずれにせよ、橋下会見が醸し出す「すがすがしさ」とは、彼があくまでも個人的な人生史を振り返って「本当によくやったな、オレ」などと自己満足するすがすがしさなのであり、「公に奉仕する」者の言葉では断じてないのである。
 
会見で露わになった橋下氏の民主主義観にも、僕は改めて強い違和感を覚えた。彼は記者から「70万人という賛成の数を見ても、引退の気持ちに変化はないか」と問われて、次のように述べた。だってそれはもう、政治ですから。負けは負け。ここは公務員と違うところです。きのうの街頭演説では戦を仕掛けたわけですから。『叩き潰す』と言って叩き潰された。民主主義、大変素晴らしいですよ。メディアも含めて徹底議論した。負けたのに命を取られない政治体制は、日本はすばらしい。僕はこのまま生きて別の人生を歩めるわけですから。絶対に民主主義は是が非でも守らなくてはいけない。そのためには報道ですよ。報道の自由は絶対に守らないといけない。僕もメディアにはやいのやいの言ってるけど、報道の自由が民主主義を支える根幹ですから。メディアの皆さんにも頑張ってもらいたいし、素晴らしい政治体制だと思いますね」(ハフィントンポスト日本版
 
橋下氏は、構想反対派の急先鋒である藤井聡京大教授を出演させたテレビ局に抗議文書を送るなど、報道の自由を露骨に侵害してきた。その彼が、自らの行為を棚に上げて報道の自由を語る。また橋下氏は、「独裁が必要」「選挙はある種の白紙委任」などと公言し、赤狩りを彷彿とさせる思想調査を強引に行うなど、民主的理念や制度を絶えず攻撃してきた。その彼が、民主主義を「素晴らしい政治体制」と持ち上げる。これまでの橋下氏の言動を知る者からすれば、こんな笑止千万の欺瞞を受け入れるわけには到底いかないのだが、それにつけても気になるのは彼の戦闘的で幼稚な民主主義観である。橋下氏は民主主義=多数決であると単純化してとらえ、民主政治のプロセスを多数決に勝つための勝負事であると勘違いしているようである。だが、デモクラシーは戦争でも博打でもない。それは自立した個人がそれぞれの利害や意見や価値観をすり合わせ、なんとか妥協しながら、時間をかけて合意形成を図っていくための政治体制である。最後は仕方なく多数決を取り、勝つ側と負ける側が出るけれども、それでも少数派の権利が守られ、「敗者」が出ないことを目指すのが民主主義なのである。
 
しかし、残念なことに現代の日本には、橋下氏のように民主主義を多数決であり闘争であると(漠然と)誤解している人が多いように僕は感じる。だから橋下氏のお粗末な民主主義観は、割とすんなりと多くの人に受け入られてしまうような気がしてならない。というより、彼の民主主義観に同意する人が多いからこそ、橋下氏はこれまで7年半も首長の地位についてきたのだし、政党を作って短期間に一大勢力をなし、国政にも重大な影響を及ぼしてきたのではなかったか。つまり私たち主権者の貧しい民主主義観こそが、私たちが住民投票での否決をもってしても「橋下徹」とおさらばできない、本当の理由なのである。
 
それにしても、橋下徹という政治家は、本当に油断がならない計算高い人物である。これまでも常にそうだったが、ダメージコントロールに恐ろしいほど長けている。橋下氏が政治生命をかけた大阪市廃止分割構想が否決されたことは、彼の人生にとっても最大の危機であったはずである。ところが彼は、記者会見で日本人の心の奥底に潜む「散り際の美学」に訴える言葉を連発することで、ピンチをチャンスに変え、おそらくかなり大勢の日本人の心を自分につなぎとめることに成功してしまった。かつて「民主主義は感情統治」とツイートした橋下氏の本領が、またもや土壇場で発揮されてしまったのである。記者会見における、記者たちと橋下氏の甘ったるいやりとりを読んでいると、人質事件などの被害者が加害者に同情や好意を寄せる「ストックホルム症候群」を思わず連想してしまった。
 
いずれにせよ、マスコミによって大々的に取り上げられた彼の記者会見は、たしかに橋下劇場の「第一幕」の終了を告げたのかもしれない。だがそれは、おそらく同時に「第二幕」の開幕をも告げている。彼はさすがに次の大阪市長選には出馬しないであろうが、テレビのコメンテーターなどとして、下手をするとこれまで以上の影響力を政治や世論に行使することになるであろう。そして再び「橋下待望論」が強まり、好機が到来するならば、橋下徹氏は政治家としても復活するのではないだろうか。あれだけ集中砲火を浴びて失脚した安倍晋三首相が、数年後には何事もなかったかのように首相に復活できた国である。橋下氏の政治家復活など、「普通の女の子になりたい」と言って引退したキャンディーズのメンバーが復活したのよりも(古い!)、お茶の子さいさいだと思う。実際、ジャーナリストの田原総一朗氏はBLOGOSのインタビューに答え、早々に「住民投票は勝者なき戦い。橋下徹が政治家をやめることには反対だ」などと述べている。その論旨はめちゃくちゃで、大阪市廃止分割構想のことを詳しく検討した形跡すらなく、田原氏のことが逆に心配になってしまうのであるが、橋下待望論はすでに世の中に出回り始めているのである。

【山中人間話】
【任俠の世界に属する人の匂い】
修行僧のような風情と言われることもあるが、失礼ながら筆者は任俠の世界に属する人の匂いを感じてしまった。作家の
車谷長吉さんが文壇に登場した時に受けた印象である。ごく短い髪、鋭い目、こけた頰に、どこか捨て身な気配が漂っていた。30代の大半、関西を転々として過ごした。料理場の下働きなどをしたが、極貧だった。「泥の粥」をすすって生きるような「世捨て」の時代だ。この経験がなければ「物書きという無能(ならず)者」にはなっていなかったと振り返っている。金貸し一族の物語「鹽壺の匙」を表題作とする作品集で三島由紀夫賞を受けた。時に47歳。自分自身の骨身に染みたことを、骨身に染みた言葉だけで書く。反時代的と言われようが、私(わたくし)小説でおのれの存在の根源を問い、代表作の『赤目四十八瀧心中未遂』に結実させた。変人といっていいのだろう。「私は原則としてズボンの前を閉めない」と書いている。原則、の2文字がなんともおかしい。48歳の時に結婚した詩人の高橋順子さんから「卦(け)ッ体(たい)な人」と呼ばれたのも無理もない。本紙「悩みのるつぼ」の回答者としても異彩を放った。小説を書きたいという相談に、善人には書けないと答えた。作家は、人に備わる「偽、悪、醜」を考えなければいけないのだから、と。それは車谷さんの自負だったろう。5年ほど前に書いたエッセーに「あと数年で死のときが来るので、その日が待ち遠しい」とある。予感があったのだろうか。69歳での旅立ちだった。(天声人語 2015年5月20日

車谷長吉2 
2010年8月、自宅の庭で

この世の苦を書き続けて
(NHK教育テレビ「こころの時代」2007年4月22日放送)
 
作家:車谷長吉 
一九四五年兵庫県姫路市生まれ。姫路市立飾磨高等学校出身、本当は姫路市の公立トップ高を目指していたが受験で失敗する。その事が後の強烈な上昇志向の源のひとつになった。高校三年で文学に目覚め、慶應義塾大学文学部独文科では目が潰れるほど本を読もうと決意していた。広告代理店、出版社勤務の傍ら小説家を目指すも、一度は挫折して故郷の料理屋で働く。住所不定の九年間は、神戸、西宮、曽根崎、尼崎、三宮などのたこ部屋を転々と漂流していた。しかし再び東京へ行き作家デビューを果たす。名門大学卒のインテリジェントでありながら、播州地方の方言を使った民衆言語で書く下層庶民的な生活実感は、近代と自己に疑問を投げかけている。「反時代的毒虫」としての「私小説家」を標榜する異色の作家。著書に、『鹽壺の匙』『漂流物』『赤目四十八瀧心中未遂』『武蔵丸』他。夫人は詩人の高橋順子。
 
ききて:山田誠浩
                         
ナレーター:     東京・文京区向丘(むこうがおか)。古い家が建ち並ぶ狭い路地裏に、作家車谷長吉さんは暮らしています。午前四時、修行僧のように早朝に起きるのが車谷さんの日課です。二時間ほど瞑想して小説の構想を考えます。二十五歳から小説を書き始めた車谷さん、自らを私(わたくし)小説作家と称し、実生活で起きた出来事を赤裸々に描いてきました。人の世の苦しみを見据え、書き続けることで救いを見出したい。その作品は、人の愚かさ、醜さを容赦なくえぐり出しています。追い詰められた男女の道行きを描いた『赤目四十八瀧心中未遂』は直木賞を受賞しました。
 
山田:  「詩や小説を書くことは救済だ」というふうに書いていらっしゃいますね。それはどういうことですか?
 
車谷:  人間はやっぱり四苦八苦(しくはっく)というものを抱えているわけですよ。「四苦」四つの苦しみというのは「生・老・病・死」ですよね。生というのは生きることそのものが苦しみだ、悪だ、と。老は老人になること。病気になること。死ぬこと。この四つは避けがたいわけですよ。だからこの「生・老・病・死」ということが、お釈迦様から言わせれば、「人間の悪であり苦しみである」ということをおっしゃるわけですね。だから僕はお釈迦様というのは凄い慧眼(けいがん)な人だと思いますね。
 
山田:  「四苦八苦」とおっしゃいますけど、それをとにかくテーマにして書いていく。
 
車谷:  そうですね。だから私も病気したことがあるけども、病院に二ヶ月ぐらい入院して、二回大手術をやりましたね。この頭蓋骨の中に膿が溜まる病気だったから、そうすると、顔の上唇と上顎をメスで切り離して、脳の中の腐った部分をメスで削り取るという手術を二回やりましたね。病気も苦しみですね。だから苦しみと結局闘うのが人間の一生じゃないでしょうかね。だから人生全体の中では、嬉しいということは非常に少ないですね。八割ぐらいが苦しみじゃないかな。例えば学校に入れば試験というのがあるわけだし、学校を卒業する時には就職試験というのがあるわけだし、僕はたまたま慶應義塾大学というのに入学したんだけど十一倍の競争率だったですよ。そうすると、十人落ちているんだね。そうすると、十人の人に悪いな、という気がありますよ。悪いなと思いながら、同時に自分は受かって良かったなあというなんか非常に利己的な考えもあるわけですね。自分は受かって良かったなあと考えているのは一体何だろうというふうに、なんか不可解なものが、嫌なものが自分の中にあるな、と十八歳頃思いましたね。この世の中で人間ほど悪いものいないんだから。魚なんか殺して平気で食っている。牛を殺して牛肉なんかも平気で食っているんだから、豚とか蟹とかも。私も牛肉も食べるし、魚も殺して食べますけども、なんか罪悪感感じるなあ。僕は、人間性の中の悪を書いて、それを活字にすることによって、多くの人に人間性の中の悪を知ってほしい、目覚めてほしい、と。例えば魚や蟹を殺して食うことだって悪なんだよ、ということを知ってほしい、自覚を持ってほしいな、と。そのうえで生きてほしいなという気持、願いを持っていますね。
 
ナレーター:     人間の悪やどうしようもない苦しみを描いてきた車谷さん。作家としての眼差しには、幼少期の原体験が深く関わっています。代表作『鹽壺(しおつぼ)の匙(さじ)』は、少年時代に体験した叔父の自殺を描いた小説です。
 
宏之(ひろゆき)叔父は昭和三十二年五月二十二日の午前、古い納屋の梁(はり)に荒縄を掛けて自殺した。享年二十一。私が小学校六年生の時のことだった。平生は何の変もない村の中に、戦慄(せんりつ)が走った。
 
長い時間がその当時の狂瀾(きょうらん)を沈めてくれた今、宏之の死が私に一つの静謐(せいひつ)をもたらしてくれたと思わないわけには行かない。この死の光は、その後の私の生の有り様を照らし出す透明な鏡として作用して来た。あるいはそれは呪われた天の恵みであったかも知れない。(『鹽壺の匙』より)
 
作家の車谷長吉さんは、昭和二十年終戦の年に、兵庫県飾磨市(しかまし)、現在の姫路市に生まれました。生家は代々地主で、昭和二十二年の農地改革で大部分の土地を無くしました。そのため経済的な基盤を失い、父親は呉服店を営みますが上手くいかず、生活は苦しかったといいます。母方の祖母は同じ町内で高利貸しを営んでいました。車谷さんはしばしばお金を借りに行ったことが今も忘れられないといいます。
 
山田:  育っていた家庭の環境の中で、やっぱり原体験として、人間というのは悪だというふうに思ったり、人間のどうしようもない側面というふうにみることになった、幼い時の体験をちょっと話して頂きたいと思いますけど。
 
車谷:  そうですね。私の祖母は、それから曾お爺さんも同じ村の中で、いわゆる金貸しをしていましたね。関西の言葉で「銭売(ぜにう)り」ですね。だからそこへ僕の親父は呉服屋という商売をしていたんですけれども、戦後は呉服というのはほとんど売れないで洋服に変わっていたわけですね。商売不振だから、結局金を借りにいくことがしばしばあったんですよ。親父は商売をやっているんだけど、自分では行かないんですよ。自分の嫁である、つまり私の母親に頼んで、「おばあさんに頼んで金を借りてほしい」と頼むわけですよ。そうすると、昼間行くのは差し障りがあるから、晩飯食って、夜の八時ぐらいになってから幼い私を連れて金を借りにいくわけですよ。おばあさんも簡単に金貸してくれないですよ。だから金を借りに行く時に、道々、「私がお尻を抓(つね)ったら、わぁっと泣くんやで」と、こういう具合にいわれるわけです。そうするとおばあさんからすれば、〈あ、孫が泣いているか。可哀想だな。じゃ、お金貸してやろうか〉と、こういう具合になるわけですよ。それが芝居なんですね、一種の。だから金というのはなんか大変なもんだな、というのは小学校あがる前から思っていたな。
 
山田:  そういう中から人間の何を感じておられた、ということなんですかね。
 
車谷:  一つは金というものが有り難いな、と。一つはお金というのは人を泣かせるものだ、苦しい思いをさせるものだから罪深いな、と。それはもう幼稚園ぐらいの頃から思っていましたね。ただ「罪深い」なんていう言葉は大人の言葉だから、そういう気分を持っていたということですね。言語化されない、言葉にはならないんだけど。だからお金の二つの側面である「有り難い、嬉しいな」というのと、それから「恐いな」というのはありましたね。
 
ナレーター:     車谷さんにとって生涯忘れることのできない悲しい出来事。それは小学生の時に起こった叔父の自殺です。地元の進学校に進んだ叔父の姿は、車谷さんの憧れでもありました。
 
車谷:  僕が小学校六年生の時の五月二十日だったけど、昼過ぎに学校から帰って来ると、家におばあさんが居て、それで「宏之(ひろゆき)さんが亡くなったんだそうだ」と言うんで、僕も同じ村の中だからすぐ母親の里へ飛んで行ったんですよ。そうすると玄関の戸を開けたら、そこに土間があるんですけども、母親が土間に転げ回って泣いていた。号泣というか、大声をあげてね。私は物心ついてから母親が泣いている姿なんか見たことないし、転げ回って泣いているというのは。普通ちょっと立って、あるいは坐って涙を流しているというんじゃないんですよね。その姿を見て、なんか胸にグッときたな。母親が転げ回って泣くなんて思って。それで死というものがまだよく理解できなかったけども、母親が転げ回って泣くということが、つまり死なんだ、ということはわかったですね。それでとにかく立ち上がって僕の顔を見ると、「宏(ひろ)ちゃんが死んだんだ! 宏之叔父さんが死んだよ!」とこう僕にいうわけですよ。それがその時に、人生最初に感じた死というものだったですね。それから宏之叔父の死というのは何だったんだろう、何で死んだんだろうな、ということを考えるようになりましたね。
 
ナレーター:     小説『鹽壺の匙』には当時の模様が書かれています。
 
叔父は大学受験に失敗し東京の予備校に通いますが、ある日故郷に戻ってきます。
 
勉強が思うように進まなくなったことに加えて、さらにそれに追い討ちを掛ける形で、自分を尊敬できなくなるような何かが東京であったのではないか。宏之本人は、何もあらへん、自分に負けただけや、と言うだけであったが、明らかに魂の打ち摧(くだ)かれた人であった。あるいは自分を軽蔑せざるを得ない何かを心に抱え、その苦痛にうめいている人であった。
 
叔父が抱えていた深い挫折感。車谷さん自身もその苦しみを体験することになります。高校受験の失敗です。
 
車谷:  十五歳で高等学校の入学受験を落ちた時に、まず頭に浮かんだのは、僕も自殺ということが頭に浮かびましたね。姫路西校を受けて落第したから自殺しようと思ったんだけど、お袋がすぐわかっていて、「宏(ひろ)ちゃんは死んだんだけど、お前は生きてくれ」と。宏之叔父は大学受験に失敗して死んだんだ。僕は高等学校受験失敗で、死のうと思ったけど、お袋はもうすぐわかったんだな。僕が何を考えているか、というのは。だから、「お前、宏ちゃんみたいに死なないでくれ。生きてくれ」と。
 
山田:  やっぱり高校入試に失敗したということは、大きな挫折という感じだったんですか?
 
車谷:  もうすべてを失ったような気がしましたね。生きていく手掛かりのすべてをね。だから姫路西高等学校に入れなかったということは、生きていく手掛かりが何もないというふうに思いましたね。勉強する気がないし、何も目標がないから、毎日とにかく昆虫採集ですね。蝶、カブトムシですよ。それ二年間やっていたですね。それで教科書、ノートは全部学校の下駄箱に突っ込んでおいて、学校でも授業をあんまり出ない。ところが高校学校の三年生の六月、十七歳の時に、夏目漱石と森鴎外を読んだことによって、自分もとにかく無茶苦茶文学が好きになっちゃって、それで宏之叔父さんの死について考えるきっかけを与えられたような気がしたね。
 
山田:  それはたまたま読んだんですか?
 
車谷:  高等学校の同級生が―ある男の人と女の人の数人のグループが、森鴎外の『高瀬舟』の主人公の喜助(きすけ)の死について議論しているのをたまたま耳にしたんですね。それで自分も読んでみようと思って、学校の図書館で鴎外の本を借りて『高瀬舟』を読んだんですね。そうしたら非常に興味を覚えたですね。
 
山田:  何に興味を覚えられたんですか?
 
車谷:  『高瀬舟』の主人公の喜助の自殺について。それから同じ本の中に入っていた『阿部一族』も読みましたね。これも『阿部一族』の人が最後自殺するわけですよ。これも非常に興味を覚えました。
 
山田:  興味というのはどういう意味でしょうか?
 
車谷:  〈あ、自殺する人が宏之叔父以外にもたくさんいるんだ、それぞれに理由があるんだ〉ということですよね。その後夏目漱石の『心』というのを学校の図書館で借りて読んだら、これも主人公の先生が自殺するわけですよ。先生の友だちのKというのも自殺するわけですよ。それぞれに理由があるわけですね。そうすると、〈宏之叔父の場合はどういう理由だったんだろう〉ということを考えるようになりましたね。僕も小説家になって、宏之の死について、それまでいろいろわけのわからなかったことを、なんかわけのわかるようにしようと思って、それで十七歳の時から、宏之の死について書くことだけが人生の目標になりましたね。
 
ナレーター:     作家になろうという志を抱き、車谷さんは慶應義塾大学文学部に進学します。毎日のように図書館に通い、閉館になるまで小説を読み耽りました。その時一人の作家と出会い、私(わたくし)小説という分野に目を開かれます。昭和の初めに活躍した嘉村礒多(かむらいそた)(1897-1933)。自己暴露的な私小説で知られています。二十あまりの作品を残し三十七歳という若さで亡くなっています。代表作『業苦(ごうく)』。結婚に失望し、妻子を捨て、東京に駆け落ちした波乱の人生をもとに書いています。自らの業を隠さず、あからさまに書くことで、人の苦しみを描ききった嘉村礒多の作品。車谷さんはそこに文学の可能性を見出します。
 
車谷:  嘉村礒多というのは山口県の田舎の地主の息子なんですね。僕の家も昭和二十二年まで播州の地主だったから。だから自分と地主の家の長男ということでお互いになんか共通点があるということで、それだけで関心をもって。『嘉村礒多全集』が戦前に小林秀雄の編集で白水社から全三巻で出ていたのが―昭和十七年ぐらいじゃないかと思いますけれども―学校の図書館に置いてあったので、それを全部読んだんですね。そうすると嘉村礒多は自分の人生を素材にして小説を書いているんですね。そういうのは、いわゆる「私小説というのだ」ということをはじめて知ったわけですね。それで、そうすると〈私も自分の私小説として、自分の叔父さんの死について書けば、小説が可能じゃないか〉というふうに思いましたね。大学の二年生終わった時だから、二十歳の時ですね。
 
山田:  嘉村礒多の作品のどういうところが非常に車谷さんに響いたんでしょうか?
 
車谷:  一言でいえば、テーマというか題材は、「業苦(ごうく)」というんです。人間の業の苦しみという。だから人生の闘いの仕方が嘉村礒多さんの場合は凄まじいですよ。親兄弟で、嫁との闘いが徹底している。親兄弟、嫁との闘いが徹底していて、それをありのまま書いているわけですよ。それで凄いな、と思いましたね。漱石、鴎外に劣らないと思ったね。作品の数が少ないだけで。人間の業の苦しみの極限を書いたな、と思いましたね。もうとにかくこれ以上凄い作品はない、と思ったな。
 
山田:  そうですか。
 
車谷:  悲しみ、なんか業の深さ、そういうふうなものを、嘉村礒多よりはより深く書くという決心をしたな。
 
ナレーター:     小説を書くことを志した車谷さんでしたが、生活の糧を得るため、大学卒業後広告代理店に就職しました。サラリーマンと作家という二足の草鞋。しかし小説を書くこととは相容れない自分の職場にいつしか疑問を抱くようになります。
 
車谷:  東京日本橋の中どころの広告代理店に勤めたんですけれども、社長がとにかく繰り返していうことは、「人を騙せ。人を欺け。で、仕事を取ってこい。金儲けとはそういうものなんだ」と。入社の時の挨拶から始まって、とにかく「人を欺け、人を騙せ」。それに嫌になって、反感というか嫌な気持を毎日持ち続けたな。人間の業そのものだとは思ったけどね。文章を書く人間の立場とはちょっと違うんだなと思ったな。だから自分は文章を書く立場になりたいからあんまり業を背負いたくないというふな虫の良いことを考えましたね。広告代理店で、その広告取りの仕事を毎日毎日して、人を欺いて、人を騙して、ということが嫌になったということですね。そうすると、自分はもっと貧乏でもいいから人を欺かない生活をしたい。騙さなくてすむ、と。自分の同僚たちはより多くの収入を得て、より良い生活をしたい、というのが大体みんな希望だったけど、僕はより最低の生活ができれば。だから食事は普通一日三回するんだけど、一日に一回でいいとかね、そういうふうに思っていた。それから美味しいものを食べたいとは思わない。だから大体インスタントラーメンをワンパック買ってきて、それを包丁で三等分して、それでお湯を注いだら膨れあがってしまうから生の固いのをポリポリ囓(かじ)って、三等分して食べていた。
 
山田:  それはそうしてでも作家になりたいという思いですか?
 
車谷:  そうですね。だから貧乏は厭わない、と。
 
ナレーター:     昭和四十七年、投稿した小説『なんまんだあ絵』が文芸誌の新人賞候補に選ばれます。それを機に会社を辞めた車谷さん。二十八歳で小説家として生きようと決心します。
 
車谷:  これは僕の田舎の家のおばあさんが死んだ前後のことを書いて、それで『なんまんだあ絵』という小説を投稿したんですよ。それで新潮に投稿すると―投稿者の数が年間千二百篇ぐらい投稿するわけですね、世の中の人が―その中で一つ選ばれるんだけど、それに選ばれるとは思わないで投稿したんだな。そうしたら五、六編の中には選ばれて、五、六編の作品が新潮新人賞候補作として、『なんまんだあ絵』が新潮に載ったんですよ。僕としては、極端に言えば、初めて書いた小説が新潮に載ったから、いずれ叔父さんのことを書くつもりでいたから、作家になれるんじゃないかなあという錯覚を持ちましたね。それでその時当選されたのが山本道子さんのなんだけど、僕は第二席だったんですよ。そうすると、「次は車谷だ」というんで、今度は新潮社の方がアパートに訪ねてくるようになりますね。それである作品を書いて渡したらボツになって、「これじゃダメだから」というんで、十九回書き直しをさせられたですね、二年間ぐらい。
 
山田:  書き直しを十九回?
 
車谷:  十九回。
 
山田:  その十九回も書き直しをしておられた頃というのは、書くことというのは、何を書こうとしていらっしゃったんですか?
 
車谷:  それがいまだにわからないわ。いまだにわからない、というのは、結局テーマがはっきりしていないわけですね、自分で。小説にとって一番大事なのはテーマなんですよ。テーマ(主題)が一番大事なんだけど、何を書こうとしていたのかということが、いまだに―二十九歳頃のことを振り返ってみてわからない。一番最初の『なんまんだあ絵』は、お婆さんが亡くなったから、祖母追悼の気持を書くということがはっきりしていたんですね、私小説ですけど。でも二つ目は何を書こうとしていたのか、自分でも未だにわからない。
 
ナレーター:     サラリーマンを辞め、小説の執筆に専念する生活が始まりました。しかし書けない自分に苦しみ、煩悶する日々が三年間続きます。
 
山田:  このノートは何なんですか?
 
車谷:  これ創作ノート。
 
山田:  あ、かつての?
 
ナレーター:     小説の題材を書いた創作ノートには、当時の苦しい思いが日記のように認(したた)められています。作家を志す出発点となった叔父の自殺。書きたいという気持がありながらも書けません。
 
他人の過去を暴(あば)き出すことの疚(やま)しさ、叔父であってみれば尚更だ。
 
お前、こんなことを書いて、というかも知れないという虞(おそ)れ。
 
車谷さんは書くことへの怖れがありました。
 
車谷:  これが古いノートですよね。昭和四十九年、「自己についての小さなメモ」と書いてある。
 
僕は行き詰まった。こうなることは、あらかじめわかっていた。それに対して精いっぱい抵抗もこころみたように思えるが、併し、甘えがあった。何とかなるだろう。何とかしてくれるだろう。そういう気持があった。逃げ道をふさいで、自分の進みたい方向に進んだために余計現在の僕を息苦しくしている
 
とかなんて書いているなあ。
 
ナレーター:     小説を生み出すことのできない車谷さん。その生活は経済的にも追い詰められていきました。
 
僕にとって自分の「生」は「苦痛」と「不安」だ。
 
車谷:  その時は、自分を支えていくだけの作家的才能がないんだと思いましたね。だから一応書くのを止めよう、と。自分には才能がないんだからね。だから新潮に二回小説が載って、エッセイが一回載って、三回活字になったんだけど、それで自分の作家生活は終わり、と。それでまあ先のことを考える余裕はまったくなかったですね。アパート代が払えなくなったら、居るところがないから。売るものも全部売ってしまったし、だからほとんど自分の着ているものと、身ぐるみ全部剥がされちゃったような状態になって。お金もないし、とにかく寝るところがないから、あとは江戸川の川原へ行って寝る以外はないんだ。上野の森の公園か。とにかく親のところへ逃げ帰ろう、と。逃げて帰った後どうなるかということは全然考えていなかったな。
 
ナレーター:     車谷さんは、三十歳の時、東京での生活に見切りをつけて、故郷の兵庫県飾磨に戻ります。実家に戻った息子に、母は言いました。
 
「小説書くいうようなことは、馬に狐乗せて走らせるようなことや。ええい。まだ目ェがさめへんか。さめへんやろ。あんたの上に狐が馬乗りになっとうが。あの人らがあんたの背中に馬乗りになっとうが。あんたは競馬馬のように走らされて、脚の骨が折れて、倒れたんやがな。
脚の折れた馬なんかに、もう用はないで。
 
そやさかい、あんたはこないして逃げて帰って来たんやがな。むごたらしい、まだ生きとうがな。よう帰って来たわ。魂はくたばって。腑抜けになって。
 
その後八年間、旅館や料理場の下働きをしながら、京都、西宮、尼崎などを転々とします。
 
車谷:  まあ母は凄く怒鳴ったわねぇ。「お前のような極道者は―親が考える意味で―世の中の一番下の職業について飯を食っていけばいいんだ。お前はものを書くことが原因で会社を辞めちゃったんだけども、そういうことはもう考えるな」とも言ったですね。それでとにかく料理の下働きの仕事を一生やろうと思ったんだね。
 
山田:  一生?それはどういうことですか?
 
車谷:  いや、普通、会社員になると定年退職まで会社に勤めるじゃないですか。それと同じで料理の下っ端の仕事を一生続ける、と。親方にはならないで。料理の下働きをしようと。
 
山田:  下働きとは具体的にどういうことですか?
 
車谷:  例えば、ネギの皮を剥いたりするわけ。そうするとネギを切るのは料理長なんだ。米を洗うのは下働き。米を炊くのは親方。だから要するに全部下拵えですよ。で、汚れた物を洗うとかね。
 
山田:  ということは、料理の下働きをしていると。一緒に働いている若い人たちはやがて料理の板前さんになろうとか思っていますよね。そういうこと全然思わない?
 
車谷:  全然思わなかった。料理長になろう、板前になろう、というふうには思わなかった。下働きでいいと。そうすると料理場にいると、親方は当然自分の下につく人はみんな自分のように親方になりたいということを目指してくるんだと思っているわけですよ。そうすると、料理長になりたいという色気を一切示さないで、下働きだけやらしてくださいというのが不気味でしょうがないんですね。で、「お前は何を考えているんだ」と。「何を考えとるんや」と、関西弁で言えばこうなるわけですね。そうすると、三十四歳ぐらいの頃に、当時の親方が、「何考えとるんや」と、喫茶店に呼ばれて言われたから、「何も考えていないんです」と。僕は作家になれなかったら料理場の下働きを一生やって、それで暮らせばいいな、とぐらいに思っていた。だから上昇志向というのはゼロだった、その時は。でもなんか文学が好きだという気持は捨てる気はなかったし、それから休憩時間には自由に時間を過ごしていいんだと思っていたから、だから野呂邦暢(のろくにのぶ)さんとか、島尾敏雄(しまおとしお)さんとか、司馬遼太郎(しばりょうたろう)さんの本なんかよく読みましたね、休憩時間にね。
 
山田:  こう料理の下働きなんかをして長い間過ごされた、そのことはものを書くことにはどう影響したというふうに思っていらっしゃいますか?
 
車谷:  一つはサラリーマンの世界と違って、生きた言葉がこの世界にある、と思いましたね。サラリーマンというのは儀礼的な言葉で、死んだ言葉なんですよ。言葉というのは、生命のある言葉と生命のない言葉がありまして、会社員をやっていた時に、会社で使っていた言葉というのは生命のない言葉なんですよ、僕の感じでは。料理人の時はなんか「大根取って来い」とか言われたら「はい!」と言って取りに行くわけですよ。そういうのはなんか言葉が生きているな、と思っていたの。包丁というのは、ちょっと使い方を間違うとすぐ指を切るわけですよ。切ったら血が出るわけですね。だから包丁で大根を剥いて、かつらむきをして刺身のけんなんか作るんだけど、一つ間違えばすぐ血が出る世界だから、ある意味では真剣な生活だったですね。だからちょっと間違えば血が出るというのは僕のサラリーマン時代にはなかったですね。
 
山田:  料理の下働きで過ごされた期間のまやかしのない言葉と言いますか、生きている言葉というのが。
 
車谷:  だからサラリーマン時代は、おべんちゃらを言ったり、胡麻擂りを言ったりして仕事を貰うわけですよ、余所の会社から広告代理店の時は。そういうのはないわけですね、料理人の世界は。だから料理人生活九年がなかったら、三十八歳以後の作家生活は一切ない、存在しないと思いますね。その九年間の間に皮膚呼吸したというか、見たり聞いたり肌で感じたりしたことが、現在の私に生きていると思いますね。
 
ナレーター:     当時のノートには、小説を書くことから離れざるを得なかった車谷さんの孤独が綴られています。
 
逃げ道のない世界。古里へ帰ればいい。併しそこには私の居場所はなかった。
 
自分の力以外に頼るもののない世界。誰にも助けを求めることは出来ない。
 
そんなある日車谷さんの仕事場を親しかった編集者の前田速夫(はやお)さんが訪れます。前田さんは、車谷さんに、「もう一度書いてみろ」と、小説家に戻ることを強く勧めます。
 
車谷:  「この人はね、ここの、こんな店の下働きをしているような男じゃないんだ」と、前田さんが言ったんですよ。そうしたら安藤という料理長が、「こんな店とは何だ!」と言ってもの凄く怒ったの。そうしたら、「失礼いたしました」と言ってさ。「この人は本来東京で作家生活をやる人だ」と言った。だから僕は、親方が怒っているから割って入って、「前田さん、帰ってくれ。私、もう東京へ帰る気はないんだ。あんたのいうこんな生活でいいんだ」と。それが三十四歳ぐらいかな、帰ってもらったわけ。前田さんとしては不本意な気持で帰ったんじゃないですかね。それから二年ぐらい経って、今度は神戸で働いていたら―神戸市内に須磨というところがありまして、須磨離宮の隣になんとかという旅館がありまして、「そこの宿屋にいるから来い」と電話が掛かってきたんだ、僕の勤めている料理屋へ。それで急遽休暇を取って行ったんですよ。「二年前、尼崎へ行った時は説得に失敗したけど、今日は何が何でも東京へもう一遍帰って来て、作家を始めるということをお前に約束して貰わないと帰らない」と。「何日でも此処に連泊する」というんですよ、須磨の旅館に。それが午後の明るい時間だったね。それで朝四時まで話して、「じゃ、私が必死になって小説書くから、今すぐ原稿渡せないから東京へ帰って待っていてくれ」と言ったんですよ。それで前田さんは、「待っている」と言って。それで「最低四ヶ月、あるいは半年以内に原稿を送ってくれよ」と。それで「とにかく芥川賞が受賞できるレベルのものを送ってくれよ」と。それで須磨の駅で別れたんですよ。
 
ナレーター:     編集者との再会。車谷さんは再び小説家を目指す覚悟を決めました。
 
小説を書くことは地獄を通過することだ。地獄の火で焼かれることだ。私はこれから小説と命の遣り取りをする。生涯この業火に焼かれ続ける。これが私の決心だ。
 
車谷さんは、半年をかけて、『萬蔵(まんぞう)の場合』を書き上げ、編集者との約束を果たします。渾身の力を込めた作品が芥川賞候補になりました。作家としての再起をかけた作品。しかし落選します。
 
期待感を抱いていた。それがだめになった。「萬蔵の場合」で落選したということは、あれ以上の作品を書かなければだめだ。けれども、あれで精いっぱいかも知れない。ということは、私はいつ迄たっても幕下ということだ。それでも小説を書くのか。命懸けで書いたのに。さみしい。さみしい。
 
どうしたら『萬蔵の場合』を超える作品を生み出すことができるのか。その後車谷さんは、創作ノートの中でひたすら物語の構想を練り続けます。そして辿り着いたのが作家としての原点でもある叔父の死でした。これを書き上げたら小説家を止めてもいいとまで思い詰めたテーマでした。
 
小説とは結局遺書だ。遺書を書くことだ。
 
車谷:  自殺した宏之叔父のことをモデルにして小説を書きたいという気持はずーっと強く持っていた。それを書き上げたら自分はこの世に用はないと思っていた。自分は作家としてなんか派手派手しくやりたいという気持はゼロだったのね。京都へ帰って、それで大徳寺僧堂に入って、後は世捨て人として生きていこうと思っていたんですよ。
 
ナレーター:     四十七歳の時、最後の一作ということで書いた『鹽壺の匙』。叔父の死を描いたこの作品で三島賞を受賞します。あとがきには、車谷さんの思いが綴られています。
 
詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。
 
私はこの二十年余の間、ここに録した文章を書きながら、心にあるむごさを感じつづけて来た。併(しか)しにも拘わらず書きつづけて来たのは、書くことが私にはただ一つの救いであったからである。
 
小説が高く評価される一方で、自分の叔父や一族のことを書いたことで、車谷さんは近親者から非難を受けます。
 
車谷:  家の母親を除けば、書くことを「良いことだ」というふうに言った人はいないね。「悪いことだ」と。要するに文章を書くことは悪いことだ、止めなさい、と。お前は人間の楽しみよりは、人間の苦しみばっかり書いている、と。だから例えば三島賞とか、賞をもらっても喜んでくれる人は少数ですよ、自分の周辺ではね。
 
山田:  小説家というのは、人の悪を見るという意味では、やっぱり自分自身も悪人でなくちゃいけないということになるんですか?
 
車谷:  僕はその通りだと思いますね。だから自分のことを善人と考えたことないですね。悪人だと思いますね。私以外の小説家も、例えば夏目漱石とか森鴎外なんか読むとやっぱり悪人だなと思いますね。
 
山田:  それはどういうことですか?
 
車谷:  人間性の真実を書いているからですよ。真実というのは悪なんですよ。悪を書いているからやっぱり凄いなと思いますね。人間性の中の悪を書ききるということは、自分自身が自分自身の悪に耐えるということですから。耐えられない人はたくさんいますよね。小説書くことほど辛いことはないと思いますね。それは人間性の中の悪を見つめて、とにかくすべての人間は―極論ですけれども、すべての人間は悪人なんだ、と。
 
ナレーター:     自分が生涯を懸けて書きたいと思っていた叔父の死。それは人間の業苦をえぐり出すことでした。車谷さんは、それを書くことが悪であるという現実を突き付けられます。
 
もう小説を書きたくない、という気持。書けば、必ず引き裂かれる。
 
その頃出会ったのが詩人の高橋順子さんです。当時私小説を書く車谷さんの痛みを唯一理解してくれた女性です。平成五年、二人は結婚します。車谷さん四十八歳、高橋さん四十九歳の時のことです。車谷さんは東京の百貨店に勤めながら小説を書く道を選びます。
 
車谷:  『鹽壺の匙』という小説なんですけども、それが済んだ時には、なんか僕は京都へ行って出家しようと思ったんですね。ところが出家をとめたのが家の今の嫁さんです。嫁さんはまだ結婚していない、知り合いの女だったんだけど、「私、一緒に生きていってあげるから、あなた、小説を書きなさい」と言われた。「一緒に生きていってあげますから」というのは、「結婚してあげるから」ということだけど、それで「私があなたの嫁さんになってあげるから書き続けなさい」ということになった。そうすると、書き続けるということは、要するに職業作家になるということなんだなあ、ということはわかりました。
 
ナレーター:     こうしたなか、五十一歳で書いた『漂流物』が再び芥川賞候補に選ばれます。しかし落選。さらに追い打ちをかけるように勤めていた百貨店の経営が悪化、リストラの対象となり、自宅待機を言い渡されます。
 
山田:  『漂流物』が芥川賞候補になるわけですね。
 
車谷:  ええ。それで僕は賞を貰えると思っていたんですよ。それで文芸春秋で下銓衡(したせんこう)する人がいるわけですよ。二十人いるわけです。二十票入ったわけです。それで普通は十三票ぐらい入ると当選するんですよ、下銓衡で。ところが二十票入ったにも拘わらず本銓衡で落ちた。それでガクッときちゃってね。なんとなく私の考えが甘かったんだけど、貰えるもんだと思っていたら、なんかガクッときちゃって、強迫神経症という病気になったわけ。
 
山田:  それはどういうふうになったんですか?
 
車谷:  例えば家が揺れているとか、あらゆる植物から毒素が発散されて、自分の身体が毒素を身に浴びるとか。それから人の話し声が―傍にいないのに、一部屋に一人だけいるのに―ある人が、「あなたなんかダメですよ!あんたなんかダメですよ!」というのが、ぱぁっと聞こえるわけですよ。ただ汚いことをやっているという感じはあったね。だから絶えず手を一日に六百回も七百回も洗うということですよ。
 
山田:  汚いことをやっているというのはどういうふうに?
 
車谷:  汚れたことをやっている。要するに人が嫌がることをやっている、と。それは小説の作法だと思いますけども。だから相当自分が冷酷にならないといい作品は書けないですね。だから、「車谷さん、冷酷ですね」と言われることもしばしばありますけども、まあそれは職業病だなあと思っているな。
 
山田:  そうするとご自身の生活としては?
 
車谷:  だから事実上会社にも行けないし、飯も食えないし、嫁さんが家の中を動くことが恐いわけですよ。「動くな!」と、私が怒鳴るでしょう。嫁さん、こんな格好したままで、十時間ぐらいこうやっている。だからもう生活は完全崩壊ですよ。
 
ナレーター:     当時の暮らしを、妻の高橋さんはこんなふうに書いています。
 
その危機とは結婚二年四ヵ月めの春、連れ合いの強迫神経症の発病であった。因業(いんごう)が表看板になっている男だが、因業であることを持続させる意志の力は、しばしばこの人の肉体の力を凌駕(りょうが)するほどである。因業の刃(やいば)がただ空(くう)を斬るということはなくて、さまざまな抵抗にあう。それに堪えようとすることで、心身を擦り減らし、消耗する。自分をもてあます。
 
幻覚と幻聴、幻視に悩まされ、一日に何十回も手を洗い清め、私の立ち居振る舞いを規制するようになった。
 
すると、この暮らしは虚構なんだ、嘘なんだ、というめまいのような感覚がやってきた。
 
山田:  奥さまもこれは一緒に生活されるだけで大変だったと思いますけど、
 
車谷:  凄く大きかったですね。だから〈嫁さん、よく逃げて行かなかったな〉というふうに、あとでよく思いますね。ただ病気がある程度よくなってから聞いたら「やっぱり離婚も考えた」と言っていました。「逃げ出したいと思った、ということを思わなかったら嘘になる」と言っていましたね。それで強迫神経症の中で、嫁さんが自分の知り合いの編集者から仕事を貰ってきて、二人で毎日校正の仕事をして、余った時間で小説を書くということをやっていたですね。それが直木賞を貰ったその日まで続いたですね。だから五十三歳まで続いたですね。直木賞を貰った日も、夕方に賞が発表されるんですけど、夕方四時ぐらいまで校正の仕事を家でやっていましたね。
 
ナレーター:     平成十年、病を患いながらも書き上げた『赤目四十八瀧心中未遂』。車谷さんは長年の夢だった直木賞を受賞します。主人公は作家を目指しながら挫折し、すべてを捨てて無一物となった男。兄の借金を背負った女、綾(あや)は「うちを連れて逃げて」と言います。この世の果てへの道行き。男女の情念の世界を見事に描いた作品です。車谷さんは受賞直後に自らの胸のうちを語っています。
 
『赤目四十八瀧心中未遂』を書くのには六年費やしました。死に物狂いで書きました。それだけに受賞できて男子の本懐です。これからのことはただ恐ろしいだけです。
 
車谷:  小説を書く場合は、登場人物を突き回すわけですよね。つまり悪意に満ちた自分になるということですよね。それで主人公たちが、困れば困るほど、具合がよくなるわけですね。だから登場人物を追い込んでいくのは非常に苦しいですよ。人を追い込んでいくことだから。だから、それは赤目(赤目四十八瀧心中未遂)においてもより苦しいところへ追い込んでいくにはやっぱりある苦しみはありましたね。文学で一番苦しいのは登場人物をより苦しいところへ追い詰めていくということですね。追い詰めることができるかどうかに、その作家の才能のすべてがかかっていると思いますね。だからいわゆるお人好しの人は小説書けないと思いますね。より苦しいところへ登場人物を追い詰めていくというのは。そのうえで救済を与えなければいけないから。
 
山田:  特に車谷さんのように人間の業なり、そういうものを描いていく作家にとってはそういうふうに言えるということなんでしょうね。
 
車谷:  私以外の作家の方もそうだと思いますよ。より苦しいところへ追い詰めていくというのは。歴史小説を書いていらっしゃった司馬遼太郎さんなんかでもそうだったと思いますよ。織田信長が死ななざるを得ない方向へ書いていくわけですね。私が書くならば作り話か、あるいは無名人だけの話であってね。より困った方向へ追い詰めていくわけですよ。だから人をどの程度追い詰めて、徹底的に追い詰めることができるかどうかが作家の才能、あるいは覚悟だと思いますよ。だから人を追い詰めることが出来ない人は小説家になれないと思いますね。
 
山田:  一方で、「書くことを救済だ」というふうにおっしゃっていますけど、それはどういうふうに自分の救済であったというふうに思われますか?
 
車谷:  やっぱり自分の心の中でモヤモヤしていた形のつかないものに形を与えた、ということですよ。これからも与えていきたいということですね。モヤモヤした、なんかある気分のようなものがありましたね。気分というのはこういう形しているものが気分だと、人に見せることができないわけですね。それにまあ文字を通じて形を与えるということでしょうね。だから淋しいとかということは、言葉でいうことは可能なんですけれども、淋しいということが具体的にどういう形なんだ―具体性を持たせるというか、それが文章を書くことだなあと思いますね。だからそれをある程度の人には理解して貰えるように公共性を持たせないといけないということです。独りよがりではダメですね。
 
山田:  ただそこに登場する人物の姿なり関係を描くことによって、そこに人間の淋しさなり悲しさなりを描いて形にしていくということ、それがどうして救いになっていくんですか?
 
車谷:  人間はお釈迦様がおっしゃったように、四苦八苦というものを背負っているわけですよ。「生・老・病・死は、全部苦だ」と、お釈迦様はおっしゃるわけですね。だから生・老・病・死にやっぱり形を与えることじゃないでしょうか。それが救済だと思いますね。仏への道だと思いますね。
 
山田:  ということは、車谷さんはそういうことを実際に形にしながら、自分がどこかで癒されていたり、救われたりしているところがあるんですか?
 
車谷:  ありますね、形を与えると。生・老・病・死に形を与えるとなんか救われたような気持になられるということですね。その作品を読んで下さって、「共感を覚えた」という数多(あまた)の手紙を頂くから、〈あ、やっぱりそうなんだな〉ということはある程度は思いますね。
 
山田:  なるほど。じゃ、これからもさまざまなテーマで小説をお書きになるかも知れませんけど、それはそういう作業をこれからも続けていくということですね。
 
車谷:  一つは無一物ですね。もう一つは淋しいということですね。それは嫁さんがいても淋しいですね。それは何故淋しいかというのは、いずれやっぱり一人で死んでいかなければいけないということが、すべての人の人生には待っているからですね。     
水島朝穂さんが今日付けで「再び、憲法研究者の『一分』を語る――天皇機関説事件80周年に」(今週の「直言」)という記事を書いています。私は昨日の弊ブログエントリで指摘した「雑誌『世界』の退嬰について」につながる「直言」として読みました。
 
水島朝穂さんの記事(要約)は以下のようなものです。

いま、第三次安倍内閣のもと、大学や学問・研究、研究者のありようまでもが大きく変わろうとしている。今年は「天皇機関説事件80周年」(引用者注参照)である。再び、憲法研究者の「一分」が問われている。(略)現在、安倍政権のもとで、あるときは補助金やポスト、競争的資金の優先配分などの「アメ」を通じて、またあるときは、産経や「ネトウヨ」と連携して特定の研究者をたたいて萎縮あるいは辞任に追い込むという「ムチ」によって、研究者の地位や存在も不安定で危ういものとなっている。とりわけ安倍政権は、立憲主義をおおらかに蹂躙しているため、憲法研究者は、立場や思想信条を超えて批判の声を挙げざるを得ない状況にある。沈黙するか、これに対して自己の学問的な存在をかけて発言・発信するか。こういう時、憲法研究者を含め、知識人というのは特有の弱点をもっている。それは丸山真男が、警察予備隊が保安隊になる時期に書いた「『現実』主義の陥穽」(1952年)にリアルに描かれている。(略)「…私は特に知識人特有の弱点に言及しないわけには行きません。それは何かといえば、知識人はなまじ理論を持っているだけに、しばしば自己の意図に副わない『現実』の進展に対しても、いつの間にかこれを合理化し正当化する理窟をこしらえ上げて良心を満足させてしまうということです。既成事実への屈服が屈服として意識されている間はまだいいのです。その限りで自分の立場と既成事実との間の緊張関係は存続しています。ところが本来気の弱い知識人は、やがてこの緊張に堪えきれずに、そのギャップを、自分の側からの歩み寄りによって埋めて行こうとします。そこにお手のものの思想や学問が動員されてくるのです。しかも人間の果てしない自己欺瞞の力によって、この実質的な屈服はもはや決して屈服として受け取られず、自分の本来の立場の『発展』と考えられることで、スムーズに昨日の自己と接続されるわけです。…私達の眼前にある再軍備問題においても、善意からにせよ悪意からにせよ、右のような先手を打つ式の危険な考え方が早くも現れています。…」(水島朝穂「今週の直言」2015年5月18日

水島さんは「天皇機関説事件」の大概を次のようにまとめています。
 
80年前、特定の学説を採用することが教授としての地位を失うことに連動した時代があった。文部省が全国の憲法研究者に圧力をかけて、天皇機関説を一掃するため動いたことを忘れてはならない。教科書の改訂・絶版や講義担当から外すなどの方法で、全国の大学から一つの学説を消し去ったのである。(略)講義を受講する学生のノートをチェックして、天皇機関説を講義で語ったかどうか、どう扱ったかを調査するとともに、この学説を教科書などで引用しないように仕向けていく。(略)文部省はこの陰湿な調査によって、19人の憲法学者に対して「処置」を行っている。そのなかで最も重い「速急の処置が必要な者」として、宮澤俊義田畑忍中野登美雄ら8人を挙げている。インテリ、大学教授はこういうやり方に弱い。全国の憲法研究者は一人残らず、文部省に忠誠を誓っていく。なかには、将来ともに「機関」という言葉は使用しないという上申書を文部省に提出した者までいた。そうまでして、教授のポストを維持すべく、過剰な迎合が全国の憲法を講ずる教授たちの間で進行していったのである。大学事務局が文部省の意向を忖度して、教授会にはからず、憲法担当を政治史や行政法に変更した例もあった。かくして1935年10月から11月までの1カ月間で、憲法学の一つの学説が全国の大学から「粛清」されてしまった。
 
上記で水島さんは丸山眞男の「『現実』主義の陥穽」を引用していますが、その引用の言葉は、昨日のエントリ「雑誌『世界』の退嬰について」の指摘にまっすぐにつながる指摘のように私には見えます。とりわけ次の部分。
 
「知識人はなまじ理論を持っているだけに、しばしば自己の意図に副わない『現実』の進展に対しても、いつの間にかこれを合理化し正当化する理窟をこしらえ上げて良心を満足させてしまうということです。(略)人間の果てしない自己欺瞞の力によって、この実質的な屈服はもはや決して屈服として受け取られず、自分の本来の立場の『発展』と考えられることで、スムーズに昨日の自己と接続されるわけです。」
 
いまの岩波書店経営陣、『世界』編集部はまさにその「『現実』主義の陥穽」に陥っている、ということ。水島さんの今日の記事で私の読みとったこと。というよりも、考えさせられたことです。
【いま日本がはせ参じなければならない戦争がどこにあるのか】
憲法9条をズタズタにする
「戦争法案」11本を、わずか10分の閣議で決め、80時間の国会審議で強行成立を企てる安倍政権─この暴挙は断じて許せない。18人の閣僚は、昭恵夫人を先頭に、みな自分の妻や夫に街頭へ出てもらい、11本の法案の内容や関連を、国民に説明したらいい。米国の戦争に巻き込まれる危険や自衛隊員の家族の不安は、ますます高まるに違いない。自衛隊の発足以来、61年、自衛隊員は1度も人に向けて発砲せず、1人も殺さず1人の戦死者も出してこなかった。それが切れ目なく他国の戦争にはせ参じ、戦場での武力行使に道を拓くのだ。とってつけたような「平和安全法制」の正体が、明らかになるだろう。これほど国民を欺く内容の法案を、安倍首相は米国に行って「夏までに成就させる」と事前約束するなど言語道断だ。いま日本が、はせ参じなければならない戦争が、どこにあるのか。どこにもない。あるのは人権侵害、貧困、疾病などをなくすための文民的な闘いだけ。これには軍隊など必要ない。卑屈な「終わりなき対米従属」を維持するため、米国の戦争に協力すべく、新たに防衛装備庁を設置して武器輸出を広げ、かつ国内の戦時体制づくりを目指して、防衛省の文民統制を廃止し、「国家緊急権」を持ち出し、改憲を既成事実化するなど、断じて許されない。(Daily JCJ【今週の風考計】2015年05月17日

【山中人間話】

下記の時事解説「ディストピア」さんの「大阪住民投票は橋下の事実上の一人勝ち」という視点は上記の想田和弘さんの「橋下氏の本質」の問題性の指摘を別の言葉で指摘するものとして重要な視点だと思います。橋下は「さわやか」でも「潔い」わけでもなく、今後も危険であり続けるポピュリストのままです。その認識はさらに徹底させていかなければならないでしょう。「ディストピア」さんのいう「大阪住民投票は橋下の事実上の一人勝ち②」のような状況がある限り(以下、改行は引用者)。
 
大阪住民投票は橋下の事実上の一人勝ち①
(時事解説「ディストピア」2015-05-18)
反対意見も多くあるだろうが、あえて今回の住民投票は橋下徹の一人勝ちだと評価したい。
 
本人も発言しているように、橋下氏は元々は弁護士であり、名声を失いさえしなければ、政治家をやめても食っていける手段を持っている。仮に今回の住民投票で、不正献金で都知事をやめた猪瀬直樹のように彼の評判が地に堕ちたというのであれば、話は別だが、実際は橋下人気に陰りは無い。
 
これを顕著に示すのが各テレビ局・新聞社の報道で、橋下市長政界引退を惜しむ声を重点的に取り上げて述べている一方で、さっさとやめろという声は一切取り上げていない。つまり、彼にとっては政界を引退したって、またテレビ局にコメンテーターとして出演したり、どこぞの政党や企業の顧問弁護士になったりすることが十分可能であり、文字通り屁でもない。
 
むしろ問題なのは、この住民投票をもって明らかになったメディアの偏向報道と大阪市民の政治センスだろう。私は前から大阪人権博物館や大阪平和センターにおける橋下一派の歴史改ざんをたくらむ行為、職権を濫用した経済制裁に警鐘を鳴らしてきた。つまり、市長と言う特権を利用した反右翼的な学術機関へ対する弾圧、展示内容の変更、補助金の打ち切り、地税の要求は現在進行形で行われており、住民投票があろうとなかろうと代わりは無いのだが、このファシズム的動きについてメディアは、この間、一切、取り上げなかった。
 
他にも、橋下府政、市政の問題点をざっと挙げると、
 
①福祉・交通サービスを低下させたにも関わらず借金を増やした
 
②実力主義に基づく教育改革と銘打っておきながら実際には自分と懇意の仲の人間を校長に任じさせ、しかも不祥事が発生する。
 
③博物館への政治介入。展示物の内容の変更を強要した。日本の戦争犯罪や国内の人種・民族差別に関する展示物が除去された。変更に応じない博物館には補助金を打ち切り、さらに地税を要求し、廃館をもくろんでいる。
 
④公共福祉の削減で浮いた予算を高層ビルの購入につぎ込む。後にそのビルの耐震性に問題があることが判明。無用の長物と化す。最終的に132億円の血税がパーになる。
 
⑤思想調査、君が代斉唱の強制に代表される思想の自由へ対する侵害。
 
などなど、どう見ても橋下が良い政治家ではないことが伺える事実が浮かび上がってくる。にも関わらず、この点についてメディアは何も報じていないし、橋下がまるで民主主義の支持者であるかのように讃えるものすらあるのだ。
 
今回の住民投票は、橋下府政、市政に対する総括および反省、批判、攻撃が始まる契機になるのではなく、逆に彼を政界からきれいに引退させる格好の隠れ蓑になってしまった。結果的に見て、彼が作った借金や公共福祉の削減、差別思想の蔓延、歴史改ざん等の極右思想の浸透について一切、責任を求める声が無いまま彼は第二の人生を歩むことができる。
 
これを一人勝ちと言わずに何と言えば良いのか? 橋下自身は市長を辞めようと特に困ることは無いが、心配なのは今後の大阪だ。極右政党である維新の会が与党になってしまうほど、今の大阪は反動思想に対して寛容なものになっている。漫画やゲームの話ではないが、橋下が一人政界から去ろうと彼が種をまき、花を咲かせ実を実らせたものがある限り、また別の極右政治家、極右政党が君臨し、同じような政治が行われるのではないか? そう思えてならない。
 
 大阪住民投票は橋下の事実上の一人勝ち②
(時事解説「ディストピア」2015-05-18)
 
大阪住民投票は橋下の事実上の一人勝ち①で説明したように、橋下がやってきたこととは公共福祉の縮小と自治体の借金の増額、反動思想に反する学術機関へ対する政治干渉と経済制裁などなど、かなり問題のあることばかりで、先輩である石原慎太郎の「実績」とどっこいどっこいだ。にも関わらず、これら過去および現在の失政に対してメディアは口を閉ざし、彼の引退宣言に対して、「やめないで~~」とお涙頂戴の橋下陛下万歳報道を流している。
 
社説 大阪都否決―「橋下後」へ具体策を
 
自治のあり方を問う前代未聞の住民投票で、市民は変革ではなく市の存続を選んだ。大阪市を5特別区に分割する協定書への反対が、賛成を上回った。橋下徹市長が提唱した大阪都構想は成就しなかった。橋下氏は昨夜、敗北を認め、任期満了で政界を引退する意思を表明した。結果は市を二分する大激戦だった。残る任期で橋下氏は、対立ではなく反対各派との融和に努めるべきだ。
 
大阪低迷の最大の原因は府と市の二重行政にあるのだから、役所を一からつくり直し、大阪が抱える問題を根本的に解決しよう。
 
橋下氏のこの問題意識は理解できる。だが、その先にどんな具体的なメリットがあるかが、説得力をもって受け止められなかったのではないか。都構想実現後の成長戦略として橋下氏が挙げたのは
高速道路や鉄道の整備、大型カジノの誘致だった。一方、反対派は市民の税金が府にとられ、行政サービスが低下すると指摘した。反対派の主張の根拠にもあいまいな点はあった。それでも、今の暮らしに影響するのは困るという漠然とした不安感が、期待にまさったように思う。
 
「橋下流」の強引なやり方が、投票行動に影響を与えたことも否定できない。都構想の骨格となる協定書は、大阪維新の会がほとんど単独でまとめた。府・市議会は昨秋、いったん否決した。しかし維新は水面下で公明党の協力を得て住民投票に持ち込んだ。昨年の衆院選で公明候補が立つ選挙区に、維新が対立候補を擁立しなかったことが背景にある。こうした経緯は「裏取引」との批判を招き、正当性への疑問を広げた。
 
橋下氏が政治家としてけじめをつける姿勢は理解できる。
 
一方、急速な少子高齢化や全国一多い生活保護受給者、11兆円を超す府と市の借金など、大阪が待ったなしの課題を抱える現状は変わらない。むしろ都構想の否決で、処方箋(せん)は白紙に戻ったともいえる。これからは反対派が具体策を問われる。自民、民主、公明、共産の各党が説得力ある対案を示していたとはいいがたい。維新を含め、党派を超えて知恵を結集すべきだ。長年の対立のエネルギーを、大阪再生へ向けた熱意に転換してほしい。人口減少時代を迎え、基礎自治体の規模はどれくらいがいいか。都道府県との役割分担はどうあるべきか。大阪の論戦で浮かんだ数々の課題は全国の多くの都市に共通する。各地で答えを探る営みが広がればいい。
 
これは本日付の朝日新聞の社説だが、上を見てもこれまでの大阪府政や大阪市政の失政の張本人が橋下徹であることを指摘していない。逆に橋下に対しては「理解できる」と好意的に評価し、反対派に対しては「根拠薄弱」と断定する提灯記事になっている。そもそも、都構想では経済特区を設置し、同区内で最低賃金の廃止と労働時間の上限撤廃、解雇の自由化と一般人にとっては、かえって暮らしが悪くなることが主張されている。無論、これは二重構造の廃止とは無関係の改革である。少なくとも共産党はこの点に対して反対姿勢を見せていたのだが、朝日新聞によると、これはあいまいな反対になるらしい。このように肝心な事実を曖昧にし、市民の判断を鈍らせている朝日新聞のようなメディアが闊歩しているのが日本社会の現状だ。
 
橋下が100億円以上の費用を費やし、結果的に御破算になった大阪府庁移転計画などが典型的な例だが、大阪低迷の最大の原因は為政者の失策にある。加えて、その問題ある政治を手放しに礼賛し続けてきたメディアに問題がある。投票率を踏まえれば、今回の住民投票では、大阪市民の3分の2が反対あるいは未投票を選択したわけだが、メディアは逆に「久々の高い投票率!」とあくまでも好意的に解釈している。その上、先の記事で指摘したように、これまでの橋下府政・市政の失策による経済的損害と大阪の右傾化への責任は一切求めず、かわりに提示しているのは「党派を超えた協力」だ。冗談ではない。メディアは橋下のこれまでの失政を指摘し、責任を求めるべきだ。彼をきれいに退陣させるのは、橋下の思うつぼである。(自分たちの権力追従の姿勢を猛省すれば、なお良し)
 
私は以前、故障した自動車の変わりに欠陥車に乗り換えるのは正しい選択ではないと書いた。今、それに付け加えれば、故障者を更におかしくした修理屋と協力すべきではないと思う。社会党しかり、民主党しかり、過去にたいして力も無いくせに右翼と協力体制を気づいた面々は、実権を保守派に奪われ、単なる右翼の走狗に成り下がり、まもなく自滅していった。今、必要なのは妥協ではなく徹底した対決である。朝日新聞のような「気持ちはわかる!」「仲良くしよう!」というものではなく、「お前のやり方じゃ駄目だ」「絶対に反対だ」という徹底抗戦である。
 
橋下の唯一評価できる点は、彼がこの徹底抗戦をしっかり行ったことである。立場としては極右のネオナチ政党の党首だったわけだが、なぁなぁで済まさず、徹底的に反対者と戦おうとした点は、政治家としては一つの見習うべき姿ではないかと思う。もっとも、彼の場合は弾圧や干渉という最悪の形でしかそれが表現できなかったわけだが。
 
共産党を含めた野党は、この徹底抗戦という思想を軸に戦って欲しいものだが、現実には民主党や自民党、公明党などは既に橋下との協力を望み始めている。一時的な反対にとどまり、極右政党との対決姿勢は放棄されてしまった。このこともまた橋下の一人勝ちだと思う所以である。
醍醐聰さん(東大名誉教授)が今年の2月末までNHK経営委員会の委員長職務代行者をつとめていた上村達男さん(早稲田大学教授)の「NHKの再生はどうすれば可能か」(『世界』6月号)という論文を読んだ感想をご自身のブログに書いています。

今年の2月末までNHK経営委員会・委員長職務代行者を務めた上村達男氏の論文「NHKの再生はどうすれば可能か」(雑誌『世界』2015年6月号に掲載)を読んで、いろいろ考えさせられた。籾井NHK会長の資質、個人的見解に触れた部分など賛同できる箇所も少なくなかった。しかし、上村論文が一番強調しようとしたNHK再生論は、NHK存立の生命線といえる政治権力からの自主自立を強めるどころか、むしろ、危うくする内容を随所に含み、共感よりも危惧を抱いた。以下、上村論文に関する私の感想をメモ風にまとめておきたい。上村論文は冒頭で、同期の経営委員(本田勝彦委員、長谷川三千子委員)に対する世間の「誤解」を正そうとする「気配り」を示している。(醍醐聰のブログ「『他者への思いやり』を装った『自分への思いやり』~上村達男氏の新稿を読んで」2015年5月16日
 
醍醐聰さんの感想は「他者への思いやり」を装って『自分への思いやり』を述べる言論人の言論人としての惰弱を指摘して重要なのですが、ここでは長文につきその論の全文の引用は避けます。ここで引用しておきたいのは、醍醐さんによってその言論の惰弱を批判されている上村達男さんの卑怯惰弱の論を「リベラル」という評価のある自身の発行する雑誌に肯定的に掲載している雑誌『世界』の民主主義的な精神のひとかけらも見られない新稿紹介の文です。次のようなものです。
 
「NHKは、どうなってしまっているのか。権力から独立し、権力を監視し、視聴者=主権者・市民のために奉仕すべき公共放送としての任務を、本質的に理解できない人物が会長として就き、ひたすらに政権の意向を忖度しながらの舵取りが進んでいる。/籾井会長の就任以前からNHKの経営委員をつとめ、今年2月末で退任した上村氏が、あまりに不適格としか言いようのない籾井氏の言動を率直に振り返りつつ、NHKの再生のために何が必要なのかを、上村氏の専門家としての蓄積と良心の上にたって提言する。」
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2015/06/091.html
 
上記ブログ記事における醍醐聰さんの指摘と比較してこの記事を書いた雑誌『世界』の編集者(部)の無知蒙昧ぶりは開いた口が塞がらない体のものというほかないでしょう。

醍醐聰さんの上村論文批判は次のようなものでした。
 
上村論文は冒頭で、同期の経営委員(本田勝彦委員、長谷川三千子委員)に対する世間の「誤解」を正そうとする「気配り」を示している。しかし、(略)長谷川氏について、委員就任前の言動を取り上げ、それが経営委員としての資格要件に適う者かどうかを議論するのは当然のことである。(略)
 
経営委員に就任前、長谷川氏の言動はどのようなものだったか? 長谷川氏は『正論』2009年2月号に「難病としての民主主義」と題する小論を寄稿したほか、『月刊日本』2013年6月に掲載された論稿では、「『すべての国民は、個人として尊重される。』日本国憲法第13条冒頭のこの一文が、いかに異様な思想をあらはしてゐるかといふことに気付く人は少ない。」「『個人』などといふ発想に基づくのではない、『人の道』にかなった憲法こそ、われわれが求めてゆくべきものであらう」と述べている。

民主主義を「難病」と貶め、基本権人権の尊重を謳った日本国憲法を「異様な思想」と侮蔑する人物が、放送を健全な民主主義の発達に資するよう規律することを放送に携わる者の職責と定めた「放送法」の目的とまったく相容れない資質の持ち主であることは明らかである。このような異様な時代錯誤的な資質の持ち主が公共放送の監督・議決機関のメンバーとしてふさわしいかどうかを議論することに何の問題もないどころか、大いに必要である。(略)

経営委員就任後、長谷川氏は、上村氏が言うように「公平な立場で発言、行動されている」のかというと、公表された経営委員会議事録を読む限り、とてもそうはいえない。むしろ、籾井会長に批判の矛先が向きかけた時、それを遮るような発言をしたことがしばしば見られた。

また、長谷川氏は、NHK経営委員に任命された翌2014年1月6日の『産経新聞』のコラム欄に「『あたり前』を以て人口減を制す」というタイトルの一文を寄稿した。その中で長谷川氏は日本の人口減少問題に触れて、「『性別役割分担』は哺乳動物の一員である人間にとって、きわめて自然なもの」、にもかかわらず、「男女共同参画社会基本法」で謳われたように、出産可能期間中の「女性を家庭外の仕事にかりだしてしまうと、出生率が激減するのは当然のこと。日本では昭和47年の「男女雇用機会均等法」以来、政府・行政は一貫してこのような方向へと個人の生き方に干渉してきた、と男女共同参画社会への流れを「性別役割分担」社会に巻き戻すよう促す時代錯誤の見解を公にした。

こうした異様な考えの持ち主が「公共の福祉に関して公正な判断ができる」人物とは思えないし、男女平等、共生という民主主義の理念を広めるためにNHKを監督できる資質を備えた人物とは到底思えない。

私は先日、本ブログにおいて、岩波書店内で起きている言論の自由を声高く主張すべき出版社がいま真逆に言論の自由を封殺している事態(「岩波」就業規則改悪問題)を批判する記事を書きましたが、その「岩波」の内実の悲惨さは、このような惰弱な言論を惰弱として看破することのできない『世界』編集部そのものの見る目のなさを一瞥するだけでももはやこれ以上の論証は必要ないほど明らかな事態というべきでしょう。こうして内部から言論の自由は自壊、崩壊していくのです。戦前もそうでした

この点について、思い出す言葉として、辺見庸の以下の指摘を附記しておきます。
 
「状況の危機は、言語の堕落からはじまるのです。丸山眞男は『知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる』と書き、歴史が岐路にさしかかったとき、ジャーナリズムの言説がまずはじめにおかしくなると警告しました。この言葉は一九五六年のものですが、言語の堕落、言説の劣化、ジャーナリズムの変節は、いまのほうがよほどひどいし、それらが全体として状況の危機を導いている。」(辺見庸 『単独発言―私はブッシュの敵である』 2001年)

もちろん、「言語の劣化、ジャーナリズムの変質」は、いまの方が2001年とはくらべようもないほどさらにひどくなっています。
シャクヤク 
シャクヤク

【産経新聞論説委員・古森義久のあらたなデマゴギー】
先週発表された、北米をはじめとする各国の日本研究者ら187人による「
日本の歴史家を支持する声明」について、産経新聞ワシントン特派員の古森義久氏がアクロバティックな解釈を公言している。かれによると、あの声明は米国の歴史家たちが三月に公開した声明文に比べて「反日的」な主張が大幅に後退させられており、実質的に「反日勢力の『白旗』」なのだ、というのだ。三月の声明とは、「日本の歴史学者たちに連帯する」と題された二十人の歴史学者による連名の声明で、アメリカ歴史学会のニューズレターとウェブサイトに掲載された。(小山エミのブログ「古森義久氏『歴史学者187人の声明は反日勢力の『白旗』だった』を検証する」2015年5月12日
 
全文:
 
先週発表された、北米をはじめとする各国の日本研究者ら187人による「日本の歴史家を支持する声明」について、産経新聞ワシントン特派員の古森義久氏がアクロバティックな解釈を公言している。かれによると、あの声明は米国の歴史家たちが三月に公開した声明文に比べて「反日的」な主張が大幅に後退させられており、実質的に「反日勢力の『白旗』」なのだ、というのだ。
 
三月の声明とは、「日本の歴史学者たちに連帯する」と題された二十人の歴史学者による連名の声明で、アメリカ歴史学会のニューズレターとウェブサイトに掲載された。内容は、日本政府が米国の教科書出版社・マグロウヒル社と著者に対して、世界史教科書における「慰安婦」問題についての記述を削除もしくは改訂せよと圧力をかけたことに抗議し、日本で「慰安婦」の歴史を研究する学者たちとの連帯を表明するものだった。今回の声明(五月声明と呼ぶことにする)には、三月声明に署名した歴史学者二十人のうち十二人が賛同している。
 
古森氏は、記事を次のようにはじめる。
 
慰安婦問題で日本を長年糾弾してきた米国の日本研究者たちが、「日本軍が20万人の女性を強制連行して性奴隷にした」という年来の主張を一気に撤回した。
この主張には本来根拠がなかったのだが、ここにきてやっと日本側の主張を間接的にせよ認めたのである。日本側にとっては、歴史問題ではやはり相手の不当な攻撃に屈せず、正しい主張を表明し続けることの必要性が証明されたことになる。
 
古森氏は「慰安婦」の人数、強制連行の有無、「性奴隷」だったかどうか、の三点において、歴史学者たちの主張が三月声明と五月声明のあいだで大きく変化していると主張している。そのうえで、「こういう人たちは自分自身を学者と呼ぶのなら、その良心に従って非を認めるか、あるいは少なくともこの3月と5月の声明の大きな矛盾について説明すべきだろう」と訴える。
 
実際のところはどうだったのか。
 
古森氏は、三月声明は「マグロウヒル社の教科書の記述はすべて正しい」と「断定」していた、と主張するが、実際にその声明文を読めばわかる通り、マグロウヒル社の記述が正しいか正しくないかという断定は行っていない。学問的な議論に任せるべきところに日本政府が圧力をかけてきた(ジャパンタイムズに掲載されたインタビューによると、日本の外交官がアポイントメントも取らずにいきなり歴史学者のオフィスにあらわれ、勝手に椅子に座ると、一方的に「教科書の記述は間違いだから削除しろ」と迫ってきたという)ことに抗議するのが声明の趣旨だ。
 
「慰安婦」の人数について、五月声明では次のように書かれている。
 
「慰安婦」の正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、 永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。
 
また、強制連行の有無について、古森氏は五月声明の次の部分を引用する。
 
歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が『強制的』に『慰安婦』になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。
 
古森氏は、これらをもって「反日勢力」が「慰安婦問題についての主張を驚くほど後退」させている証拠である、と主張する。ところが実際に三月声明を読んでみると、上記とまったく同じ認識が書かれていることに気づくだろう。
 
Historians continue to debate whether the numbers of women exploited were in the tens of thousands or the hundreds of thousands and what precise role the military played in their procurement.
(歴史学者たちは、搾取された女性たちの数が数万だったのか数十万だったのか、軍が募集に際して具体的にどのような役割を果たしたのか、いまだに議論を続けている:訳は引用者による)
 
これを読み比べると分かるとおり、「慰安婦の人数」「軍による強制連行の有無」という古森氏が「慰安婦問題認識の核心」として重視する論点において、三月声明と五月声明はほぼ同じ認識を示している。また、いずれの声明も、人数や軍が具体的に果たした役割については議論が分かれるとしながらも、大勢の女性が暴力の被害を受け、それに日本軍が関わっていたことを直視せよ、と訴えている点も共通している。これのどこに「矛盾」があるというのだろうか。
 
古森氏の主張のなかで、唯一妥当性があると思えるのは、三月の声明において使われていた「性奴隷」という言葉が五月の声明には見られない点だ。しかし上で引用した通り、五月声明においても「大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされた」ことが疑いようのない歴史的事実として指摘されている。それを性奴隷と描写するかどうかはともかくとして、実態として性奴隷と呼んでもおかしくないような状態であった、という認識は変わっていない。
 
もちろん、古森氏が「性奴隷という言葉が使われなくなったことは前進だ」と考えるのであれば、それは個々の解釈の問題であり、なんの問題もない。しかしそれ以外の面でかれが「前進」と受け取っているものは、すべて事実に基づかない虚言だ。三月声明と五月声明のあいだに、説明しなければいけないような「矛盾」は存在しない。
 
もしわたしがここで書いたことに少しでも疑問があれば、ぜひ両方の声明を読みくらべて、各自検証してください。あなたが保守でもリベラルでも、古森氏の長年のファンであったとしても、少なくともこの問題に関しては古森氏の解釈が誤りであることがわかるはずです。
 
【山中人間話】
カルミア 
カルミア

【「国民的生存権」の危機について】
昨日閣議決定された法案には、集団的自衛権の行使を可能にする法改正を一括した「
平和安全法制整備法案」、外国軍支援を恒常化する「国際平和支援法案」と、どちらも「平和」の名を冠しています。しかし、内実は「戦争法案」です。ジョージ・オーウェル『1984』のニュースピーク、「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」を想起させます。「存立危機事態」とか「重要影響事態」とか、「事態」が頻出しますが、「事態」への軍事対処が「事変」です。かつて日中戦争を「満州事変」とか「日華事変」とか呼んで、本当は戦争なのに「事変」の名で拡大していった歴史の、性懲りもない繰り返しです。自分の言説・外交で近隣諸国との紛争を拡大しておきながら、「抑止力」と称して、軍事力に頼ろうとしています。(略)安倍首相の狙う本丸は、憲法第9条の改定(引用者注:この論の致命的な欠陥を指摘するこちらの論もご参照ください)です。「お試し改憲」とか「加憲」に惑わされてはなりません。これまで曲がりなりにも70年の「平和」を作ってきた軍事化への歯止めが、丸ごと取り払われようとしています。丸山眞男「憲法第9条をめぐる若干の考察」(『後衛の位置から』未来社、所収)がいう通り、「政府の行為によってふたたび戦争の惨禍がおこらぬよう、それを保障することと、人民主権の原則とは密接不可分」であり、「国民的生存権」が危機にさらされようとしています。60年安保の時のような、国民の抵抗運動が必要です。(加藤哲郎のネチズン・カレッジ 2015.5.15

【山中人間話】
toriiyoshikiさんの昨日の「脱原発」論の続きです。 toriiyoshikiさんは今日の記事では続けて以下のように書いています。

福島の山菜を食べたいのはぼくも同じだが、こういう「国策」に乗せられイノセントにお先棒を担いでいる人(プロのライター?)を見ると暗澹たる気分になる。後段のことさら補償問題に関連づけた展開を見れば、イノセントに見せているだけかもしれないが… 「福島のものを食べてはいけない」と主張している人と、避難を強いられるなかで補償の打ち切りを懸念する人は、一部は重なり合うにしても全然別の層だと言っていい。そこをこの川口マーン惠美という女性は混同している。耳打ちされて素直にそう書いたのか(素人)、意図的に混同させたのか(業者)? 昨日も書いたことだが、こういう両極端 の言説がメディアを席捲する現状は実に不幸である。誰よりも福島の人たちにとって。結論がまるっきり相反する両者の言説は、現実の福島の人たちのことを基本的に考えていない点で奇妙に一致している。

ついでに書いておくと、山菜ツァーの発案者として川口氏の文章に出てくる東京工大原子炉工学所の
澤田哲夫(引用者注:ウィキペディアでは「澤田哲生」)さん、地域メディエーターの半谷輝己氏は多少存じ上げている。澤田氏は原発事故直後テレビでメルトダウンはあり得ないという論陣を張って「有名」になった方であり、南相馬で除染ボランティアとして汗を流されているときにお会いした。半谷氏は双葉町出身で、地元で帰還促進の論陣を張ってきた方。(略)こう書いたからといって、ぼくはお二人を「原子力ムラのエージェント」だなどと決めつける気はない。ぼくの印象では、お二人とも真摯で真面目な方である。しかし、例えば半谷氏の活動には福島県が補助金を出していた。他にも「活動資金の出どころ」はあるはずである。そう考えると、今回の「福島の山菜を食べるバスツアー」の背景も多少気になってくる。ぼくは澤田氏や半谷氏の話にきちんと耳を傾け、受け止めようと考えているが(略)、同時に彼らが期待されている役割を福島の現状をめぐる「構図」=全体像のなかで見極めようと考えている。口幅ったいが、それがジャーナリストというものである。

川口マーン惠美氏はいくつかの著書もある学者で、ドイツの脱原発を批判的に検証した本も出しているらしい。しかし、「構造」に対する批判的視角は全く持ち合わせていないようだ。このイノセントな文体は「地」なのか、それとも「芸」なのか? いずれにせよ、こういうご時世には有象無象が蠢くものである。原発事故の直後、東大医学部の
中川恵一氏は放射線の安全性を周知することは「思想戦」だとのたまって、「少なくとも科学者の台詞じゃねえなあ」と俺を呆れさせたものだが、いま福島をめぐって起きているのはまさに「思想戦」なのだと思う。(toriiyoshiki Twitter 2015年5月15日
 
toriiyoshikiさんの「こういう両極端の言説がメディアを席捲する現状は実に不幸」という認識、「結論がまるっきり相反する両者の言説は、現実の福島の人たちのことを基本的に考えていない点で奇妙に一致している」という認識、「いま福島をめぐって起きているのはまさに『思想戦』なのだと思う」という認識に同感の思いを強くします。
 
しかし、私は、その「思想戦」はもう何年もやってきたようなつもりでいます。その結果、「被批判者たちのあまりの常識的にものを見る目のなさ、科学的思考力の欠如にあきれ返って、そうした彼ら、彼女たちになにを言ってもしかたがない、と批判する気力さえ萎えてしまっている」ことについては昨日の記事の冒頭の一文でも述べておきました。だから、toriiyoshikiさんの「いま福島をめぐって起きているのはまさに『思想戦』なのだと思う」という認識については同感の思いを強く持つものの、あわせてその「思想戦」の困難さをも思います。
 
といっても、その「思想戦」とは、結局のところ「君には常識はありや否や」というシンプルなものでしかないものです。「常識」とは「人間に広く共通する自明な意識」を意味するのであれば、その「思想戦」の終結はそう遠くない時期にくるはずです。そうでなければならない、と強く思っています。以下に福島の問題を主題にした絵本作家の松本春野さん、社会学者の開沼博さん、南相馬市立総合病院・神経内科医師の小鷹昌明さんのそれぞれの論を紹介した記事を再録しておきます。「いま福島をめぐって起きている『思想戦』」の一食の糧になれば幸いです。
 
【山中人間話】
今日のtoriiyoshiki(アイヌ語で「宿酔い」の意)さんのツイッター記事を見て考えさせられました。toriiyoshikiさんは日頃私が思い続けていて、この数年間相当批判もしてきて、その被批判者たちのあまりの常識的にものを見る目のなさ、科学的思考力の欠如にあきれ返って、そうした彼ら、彼女たちになにを言ってもしかたがない、と批判する気力さえ萎えてしまっていることについて、ほとんど私の思いと同様の意見を述べていたからです。
 
toriiyoshikiさんは次のように書いています。
 
繰り返し書いてきていることだが、あらかじめ明確なスタンス(政治的立場)から「事実」を都合よく捻じ曲げて、牽強付会的に持論を展開する方がネットの世界には少なくない。ヘイトスピーチ問題もそうだけど、原発をめぐる議論も酷いものだと思う。いま福島産の野菜などから放射線が検出されるケースはほとんどないし、県民の内部被ばくも基本的にゼロ。外部被ばくの数値も健康に影響が出るとは考えられないほど低い。しかし、そうした「事実」をハナから受け付けようとしない人たちがいる。「危険がゼロとは言い切れない」と脊髄反射する人も。その一方で、科学的なデータを基に「福島の安全」を主張する専門家もいる。しかし、そうしたなかには、放射線以外の問題を無視しているのか、全く触れようとせず、帰還を恐れるのは非科学的だと言わんばかりの主張をする人たちも少なくないように見受けられる。
 
福島の取材を続けていて痛感するのは、原発事故が如何に多くのものを奪ったかである。健康不安は「被害」のほんの一部でしかない。それまでの生活を根底から突き崩された人が少なくないのである。放射線量が低くなったからといって元の暮らしに戻れるはずもない。国はそこを敢えて無視して、強引とも言えるやり方で住民の帰還を推し進めようとしている。その背景には、東電が負担する補償金の軽減を図りたいという意思、さらには福島原発事故の「収束」を演出することで、再稼動をスムーズに進めようという思惑が見え隠れしているように思う。福島原発事故がもたらした惨禍を直視すれば、原発事故が如何に取り返しのつかないもので、万が一にも起こってはならないことだというのは自明だとぼくは思う。リスク論からいっても、万が一のリスクが大き過ぎて、原発再稼動のメリット(経済的利益?)と比べて天秤がつりあわないのである。天秤が釣り合わないことは国も電力会社も百も承知で、その結果として生み出されたのが所謂「安全神話」である。原発事故が起こっては困るので、「起こらないことにした」のである。しかし、それは現実に起こった。その事故を事実として正面から受け止めれば元福井地裁の裁判長のように考えるしかない。
 
話が「本質に向かって脱線」したが、福島の多くの地域で今後健康被害が生じる可能性はかなり少ないだろうとぼくも思う(ヨウ素による初期被ばくは話が別)。しかし、だからといって放射線の「安全」だけをことさらに強調する論者には警戒を怠らないほうがいい。敢えて原発事故被害の全体像に触れず、放射線のリスクという局所的議論に終始している可能性があるからだ。そうした「木を見て森を見ない」議論を意識的に展開するのは、いうまでもないが典型的な詭弁である。もちろん、安斎育郎さんのように「過剰に恐れず、事態を侮らず、理性的に恐れる」をモットーに粘り強い住民支援を続けている人もいて、同じ「安全」という言葉の意味が全く違ってくる。どういう人が…これが大切だが…どういう行動を伴わせての発言なのかを見極める、受け手のリテラシーが問われる。(略)文脈上「安全」という言葉を使ったが、安斎さん自身はこの言葉を軽々に使わないように心がけておられると思う。いつも「それほど神経質に恐れるほどの線量ではない」といった表現で、さらに「放射線は低いに越したことはない」と付け加えられることが多い。toriiyoshiki Twitter 2015年5月14日

toriiyoshiki
さんの指摘はもっともだと思います。というよりも、繰り返しになりますが、日頃、私も考え続けていることです。toriiyoshikiさんのいう「『事実』を都合よく捻じ曲げて、牽強付会的に持論を展開する」人たちの中にはただ自分の原発に反対するスタンスにとって都合の悪い「事実」を提示する科学者というだけで安斎育郎さんを「御用学者」などとまったく非科学的に悪罵する人が少なくありません。そして、そうした中傷を戒めるどころか逆に顕彰するたぐいのメディア(たとえば一例をあげれば「ちきゅう座」)も少なくありません。
 
そしてさらに残念なのはそうしたメディアの多くが自らを「リベラル」と自称していることです。「リベラル」などと自称していなければまだしも、彼ら、彼女たちは自らを「リベラル」と信じこんでいます。その過信のしかたは、「『事実』を都合よく捻じ曲げて、牽強付会的に持論を展開する」彼ら、彼女たちの「木を見て森を見ない」反原発主張とまったく同じしかたです。同じ人間のしていることですから、当然といえばあまりにも当然な同じ思考方法のもたらす反知性的確信以外のなにものでもないのですが。
 
私は、彼ら、彼女たち、なによりも一部のメディアの反知性、反理性の蒙昧、そしてさらにそうした反知性論者の「反原発」のありさまを的確に批判することのできない(おそらく日和見主義とポピュリズム思想から)これも自称「リベラル」「左派」の政党の存在に暗澹の思いを深くせざるをえません。
【岩波書店宛「要請書」の呼びかけ】
本年4月10日、岩波書店は非常に問題点の多い就業規則を公布しました。特に、「会社および会社の職員または著者および関係取引先を誹謗もしくは中傷し、または虚偽の風説を流布もしくは宣伝し、会社業務に重大な支障を与えた」場合に解雇の対象となり得るとした点は深刻な問題をはらんでいます。この就業規則についての詳細は、「
首都圏労働組合 特設ブログ」をご覧ください。なお、同ブログで紹介されているのは 案の段階のもので、実際に公布されたものとは若干の違いがありますが、「要請書」で言及している点に関しては変更はありません。また、「要請書」で触れている、金光翔さんに対する以前からの不当な処遇についても、同ブログを参照してください。この就業規則問題に対し、岩波書店に対し共同で「要請書」(略)を提出したいと考えております。賛同くださる方は、下記の要領で意思表示をしてください。どうかよろしくお願いします。呼びかけ人(50音順):板垣竜太(同志社大学)、鵜飼哲(一橋大学)、愼蒼宇(法政大学)、鄭栄桓(明治学院大学)(岩波書店宛「要請書」の呼びかけ2015年5月10日

【引用者】
私も「要請書」に「岩波書店の会 社概要にある「
岩波の志」には、「『人間は,日本社会は,こうあるべきではないか,こうあってはならないのではないか』――.岩波書店は,100年にわたり,問いを発し続けてきました」と記されています。いま、岩波で起きている事態は、その岩波の100年の理念とはまさにまさか(真逆)の事態というべきものです。岩波にはリベラリスト、吉野源三郎が初代編集長をつとめていた時代、また、丸山眞男をはじめとする戦後民主主義の多くのオピニオンリーダーたちが健筆をふるっていた時代の『世界』の岩波に一日も早く回帰していただきたいものです。これは私ひとりの願いというよりも、多くの現代の真面目(まめんもく)なリベラリストたちの心からの願いでもあろう、と私は思います」という会社宛意見を述べて署名しました。

【要 請 書】
 
本年4月10日、岩波書店は大幅に改定した就業規則を公布しました。この改定版就業規則の「諭旨解雇または懲戒解雇」の条文(第41条の4)に、適用可能なケースの一つとして、「会社および会社の職員または著者および関係取引先を誹謗もしくは中傷し、または虚偽の風説を流布もしくは宣伝し、会社業務に重大な支障を与えたとき」という項目があります。私たちはこれを看過することができません。というのも、この規則の目的が、岩波書店社員である金光翔さんの、言論活動の封殺にあるのではないかと危惧されるからです。
 
在日朝鮮人三世の金光翔さんは、岩波書店が発行している『世界』などの「人権」や「平和」を標榜するメディアが佐藤優氏を積極的に起用してきたことについて、「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号、2007年11月)その他で問題提起をしてきました。それは佐藤氏が、「国益」や「拉致問題解決」のために外交カードとして在日朝鮮人団体を弾圧してもよいと主張し(金さんの指摘どおり、これでは国家の都合次第で在日朝鮮人の基本的人権を侵害することが許容されてしまいます)、イスラエルの侵略・抑圧行為を擁護するなどの発言を繰り返していたからです。しかし岩波書店側はこの批判的言論に答えず、そればかりか、金さん個人を標的とした民族差別的なハラスメントを繰り返してきました。
 
この規定で言及されている「著者」が、2012年2月に同社の縁故採用が問題にされた際の見解通りに、雑誌類まで含めて、過去に一度でも寄稿したことのある人すべてを指すものとすれば、その数は膨大なものになるでしょう。たとえば関東大震災における朝鮮人虐殺の事実を否定する工藤美代子氏も、岩波書店の「著者」のひとりです。また、同社の「関係取引先」も、主要な全国紙や多数の地方紙、諸雑誌等が含まれる以上、きわめて広範であることは疑いありません。自社やその社員、「著者」や「関係取引先」への批判が自粛の対象になりうるという認識が社会に広がるようなことがあれば、安倍政権の強権的なメディア介入の圧力下にある日本のジャーナリズムの萎縮傾向に、ますます拍車がかかることは必至です。反動的な「大学改革」の渦中にある大学や各種研究機関の就業規則に、深刻な悪影響を及ぼす可能性も否定できません。
 
新就業規則が、社員の批判的言論を封殺する効果をもつのみならず、憲法が保障する基本的人権である「言論・表現の自由」を侵害するものであることは明らかです。さらにいえば、このような制度の先例ができたことで、今後、岩波書店内のみならず、在日朝鮮人の研究・言論活動を実質的に「親日的」なものになるように追い込む、無言の圧力がさらに拡大するのではないかと、私たちは危惧しています。
 
以上の理由から、私たちは岩波書店に、以下の二点を要請します。
 
一、「会社および会社の職員または著者および関係取引先を誹謗もしくは中傷し、または虚偽の風説を流布もしくは宣伝し、会社業務に重大な支障を与えたとき」を懲戒解雇の対象とする規定をただちに撤回すること
 
一、基本的人権を侵害するこうした条項が就業規則として効力を持っている間、社員の言論活動等を理由とした同条項の適用をおこなわないこと
 
【賛同の要領】
 
「要請書」に賛同いただける方は、次のページで必要事項を記入のうえ送信してください。
 
【山中人間話】

09210027051
【安倍米国議会演説の「請求書」】
米国両院で演説した安倍総理にさっそく「請求書」が届いた。MV22オスプレイ17機と関連装備を推計30億ドル(約3600億円)で売りつけようという商談である。一機当たり、211億円になる。オスプレイは機関砲もない単なる輸送機で通常は一機あたり30億から50億円が相場。日本は米国に高額で押し売りされた形だ。ドヤ顔で演説した安倍総理だが、英文の下書き原稿にト書までつけて読み上げただけ。米紙にその演説原稿が掲載され、顰蹙を買ったばかり。ここまで来ると、安倍総理は単なるバカではなく、国益を害する売国奴ではないのか。引用者注:「
『貧相な男』がお店から大歓迎されて調子に乗っていると大体あとから法外な代金を請求される」の続きとして(岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日記 2015.05.12

【余録】
オスプレイ3600億円は序章…安倍首相「隷属演説」の高い代償
(日刊ゲンダイ 2015年5月9日)
 
安倍首相が米連邦議会で行った「隷属演説」の“代償”は極めて高くつきそうだ。米国防安全保障協力局(DSCA)が5日、垂直離着陸輸送機V22オスプレイ17機と関連装備を推計30億ドル(約3600億円)で日本に売却する方針を米議会に通知した。米国がオスプレイを他国に売却した例はなく、日本側は「初の輸出先」なんて浮かれているが冗談じゃない。オスプレイは米国内でも“お荷物”の存在で、日本は単に高値で押し付けられただけだからだ。日本政府は14年度から5年間の目標を示す「中期防衛力整備計画」で、18年度までにオスプレイ17機を陸上自衛隊に配備する計画を示している。DSCAの売却方針は、この日本の“要望”に沿った形を取っているが、とにかく驚くのは売却価格だ。1機当たり、実に211億円。いくら何でも高過ぎやしないか。
 
軍事ジャーナリストの神浦元彰氏はこう言う。「オスプレイは機関砲もない単なる輸送機で、通常は輸送機なら1機30億~50億円ほどが相場です。それに大型の輸送ヘリが必要なら、警視庁や海上自衛隊も使っている国産の『CH-101』(約20億円)で十分ですよ。メンテナンス費用も安く、使い勝手もいい。オスプレイ購入は日本にとってかなり高い買い物です」やっぱりだ。そもそも、オスプレイは、米国の陸海空の3軍と海兵隊の合同で開発に着手したが、コスト高や安全性の問題から「海軍が早々と降りた」(神浦氏=前出)といういわく付きのシロモノ。防衛省は垂直離着陸ができ、離島への部隊展開が可能――などと説明しているらしいが、それほど性能が優れたヘリなら、なぜ、他国はこれまでに1機も買っていないのか。6機購入を計画していたイスラエルだって、昨年10月に計画を中止している。つまり、米国でも世界でも“お荷物扱い”の「バカ高いヘリ」を日本は売りつけられたワケだ。
 
「米国にとって高値でオスプレイを日本に売ることができれば、これまでの開発コストを回収できる上、東アジアや西太平洋なども日本がカバーすることになり、国防費も抑えられる。くしくも安倍首相は連邦議会演説で『隷属化』を強調していました。米国側は『それなら誠意を見せてもらおうじゃないか』というところでしょう」(神浦氏=前出)確かにDSCAが安倍の帰国直後を狙ったかのようなタイミングでオスプレイ売却方針を公表したのも偶然とは思えない。売却理由に挙げた「米国と同盟国との負担の分担を進め、米軍と自衛隊の相互運用性を高める」なんて言葉は、安倍の連邦議会演説と内容がソックリではないか。米国が「日米同盟」を「錦の御旗」にこの先、どれだけ無理難題を突き付けてくるのか。オスプレイの“押し売り”はその始まりと覚悟した方がいい。
 
【今日の「山中人間話」】 

いつもは私は「kojitakenの日記」の主宰者のkojitakenさんと基本的な認識において意見を同じくすることが多いのですが、本日付けのkojitakenさんの「安倍晋三の狙う「9条改憲」を援護射撃する? 想田和弘と山崎雅弘」という論にはまったく賛成できません。「議論において対抗する者の意見を正しく引用しな」いで「歪められた内容に基づいて対抗者に反論する」という典型的な謬論としての「ストローマン」(藁人形論法)という詭弁法を用いて対抗者を貶めています。これではkojitakenさんの論は単なるプロパガンダの論、さらにはデマゴーグの論というほかないでしょう。kojitakenさんのために私は残念に思います。
 
kojitakenさんは上記の論で想田和弘さん(映画監督)と山崎雅弘さん(戦史・現代史研究家)を批判して次のように言います。以下にその全文を引いておきます(改行は引用者)。
 
憲法9条の空文化を着々と進める安倍晋三・自民党と、それに盲目的に付き従う公明党だが(略)、一方で安倍晋三が憲法9条の明文改憲へ向けても「粛々と」歩を進めていることは言うまでもない。そして、「リベラル」側にもそんな安倍晋三を後押ししているとしか思えない人間がいる。想田和弘と山崎雅弘である。たとえば想田はつぶやく。
 
https://twitter.com/KazuhiroSoda/status/597609194796109825
想田和弘‏@KazuhiroSoda 20:48 - 2015年5月10日
僕は9条も大事だと思ってますけど、人権条項などの方が実ははるかに大事だと思ってます、はっきり言って。
 
本当に「9条が大事」だと思っているのならこんなことを迂闊に書くものではない。安倍晋三への援護射撃以外の何物でもないと私は断定する。
 
しかし、そんな想田和弘に同調するのが山崎雅弘である。
 
https://twitter.com/mas__yamazaki/status/597618335207981056
山崎 雅弘‏@mas__yamazaki 21:24 - 2015年5月10日
私も同感です。先日もツイートしましたが(http://bit.ly/1zV2Sn5 )、朝日新聞を含む大手メディアは最近、示し合わせたかのように「九条改正が本丸だ」等、根拠のよくわからない「解釈」を盛んに記事に盛り込み、読者の視野や判断力を狭めています。@KazuhiroSoda
 
根拠も何も、礒崎陽輔ら自民党の議員の「お試し改憲」案を唱える連中が、「改正」しやすい条項の改正を行って国民の「改憲アレルギー」を取り除いたあと、本丸の9条「改正」に挑むと公言してるんじゃなかったっけ。
 
https://twitter.com/mas__yamazaki/status/597618673247911936
山崎 雅弘‏@mas__yamazaki 21:26 - 2015年5月10日
(続き)国民が「九条改正こそ首相の目指す改憲の本丸だ」という大手メディアの認識の誘導を信じれば「とりあえず今回は九条は手つかずだからだいじょうぶ」と安心・油断して、同意してしまう可能性が高まる。大手メディアは「傍観者」ですらなく、積極的に政権の改憲政策に協力する立場になっている。
 
そうかあ? たとえば小林節のような9条改憲論者までもが反対する人権制限条項「改正」に対する反対論にばかり集中して、9条改憲への反対論をおろそかにすることの方がよっぽど安倍晋三を利すると思うんだけど。根拠も何も、礒崎陽輔ら自民党の議員の「お試し改憲」案を唱える連中が、「改正」しやすい条項の改正を行って国民の「改憲アレルギー」を取り除いたあと、本丸の9条「改正」に挑むと公言してるんじゃなかったっけ。
 
「憲法改正が見えた」という首相補佐官の発言について - Togetterまとめ
表題に関連するツイートをまとめてみました。昨年12月の衆議院選挙で国政における影響力を保持した安倍晋三政権は、2015年に入って「憲法改正」に向けた各種の政治活動を加速させていますが、立憲主義との整合性や人権に関する論点の除外など、民主主義国家で最も重要な問題については、ほとんど議論の対象になっていないように思われます。
 
これにも同意できない。「リベラル」の間では、「立憲主義との整合性や人権に関する論点の除外」ばかり議論されて、9条改憲の是非が棚上げされているかのような印象さえ私は持っている。そんなわけで、今日もまた朝から気分が悪い。
 
上記引用に見るとおりkojitakenさんが「安倍晋三への援護射撃以外の何物でもないと私は断定する」としているその対象の論は想田和弘さんの「僕は9条も大事だと思ってますけど、人権条項などの方が実ははるかに大事だと思ってます、はっきり言って」という一文です(kojitakenさんが合わせて批判する山崎雅弘さんの論は「私も同感」というものですから、kojitakenさんは結局は想田さんの上記の一文の論を批判対象としているということになります‏)。
 
しかし、想田さんの上記の一文は彼の長いツイッターの連投文の最後の一文にすぎず、しかも、左記連投文の主題でもありません。この連投文の想田さんの主題は以下のようなものです(連投文の全文は昨日付けで弊ブログにエントリしていますのでそれをご参照ください)。
 
報道各社や野党の「お試し改憲」批判に非常な危うさを感じる。彼らは自民の本丸は9条であり、緊急事態条項など「理解を得やすい」ものから始めるのは姑息だと批判。だが、自民改憲案にある緊急事態条項はナチスの全権委任法に匹敵する危険極まりない条項であり「理解を得やすい」ものですらない。というより、緊急事態条項は9条改憲案以上に危険な条項のひとつであり、絶対に通してはならないものだ。ところが現在の「お試し改憲」批判は、その最も危険な条項を「理解を得やすい」「穏健な」ものだと主権者に誤解させる可能性をはらんでいる。全くもって危険である。自民改憲案によれば、首相は緊急事態を宣言すれば法律と同一の効力を有する政令を勝手に制定できる。つまりやろうと思えば、政敵を牢獄に放り込んだり、新聞社やテレビ局を閉鎖することもできてしまうだろう。こんなものを「お試し」するの?本丸は9条じゃなくてこっちじゃないの?(略)つーか、全権委任法に匹敵する緊急事態条項を通してしまったら、9条なんか死守しても何の意味もないよね、マジで。(想田和弘Twitter 2015年4月11日
 
すなわち想田さんは上記で「自民改憲案にある緊急事態条項は、政敵を牢獄に放り込んだり、新聞社やテレビ局を閉鎖することもできてしまうナチスの全権委任法に匹敵する危険極まりない条項であり」、したがって、「全権委任法に匹敵する緊急事態条項を通してしまったら」論理的に見てそれでアウトで、「9条なんか死守しても何の意味もない」ことになってしまうということを言っています。その想田さんの指摘を「本当に『9条が大事』だと思っているのなら」云々などと批判するのはお門違いもいいところだといわなければならないでしょう。想田さんは「緊急事態条項」改憲が実現してしまっては「9条が大事」だという以前の問題としてそういうことさえ言えなくなってしまう。9条改憲もやすやすと通ってしまう事態になってしまう、と警鐘を鳴らしているのです。kojitakenさんには想田さんが指摘している意味がおわかりにならないでしょうか?
 
なお、kojitakenさんが引用している想田さんの「僕は9条も大事だと思ってますけど、人権条項などの方が実ははるかに大事だと思ってます、はっきり言って」という一文は上記の主題を補足する主張として一番最後に挿入されているものでしかなく、なおまた「人権」には当然、言論の自由も思想の自由も含まれますから、結局、言論の自由がなくなれば9条改憲はやすやすと実現してしまう。きわめて危険だ、と言っているのです。kojitakenさんは想田さんの言う「人権条項などの方が実ははるかに大事」という意味も歪曲しているということにしかなりません。

附記:なおさらに、5月7日付けのエントリでもkojitakenさんの文章を引用させていただいていますが、その際にも引用者注として指摘していることですが、kojitakenさんの最近の論には自身も(と書くのは、私もということですが)たびたび不快感を表明する「世に倦む日日」ブログの稚拙かつ拙速な仮定論法に似てきてやや独断がすぎるきらいがあるように私には感じられます。以下は6日付けのエントリでこのときは山崎雅弘さんを批評する際に引用した内藤正典さん(同志社大学教授)の言葉ですが、kojitakenさんへの私のサジェスチョンとしても改めて引用させていただこうと思います。「証拠の上に論理を組み立てる必要がなくなれば、急激に知性が劣化していく」ということ。
カキツバタ かきつばた

【完全無虚飾人】
きょうび、「である」よりは、「でない」ほうがよっぽどむずかしい。
船戸与一は「でない」男だった。ある日、ボソッと言った。「ぼくは善悪でものをかんがえないし、ニッポン賛歌をうたう余地がない。その気もない」。死ぬまでそれをとおした。正史と燦爛たる光にはかんしんをしめさなかった。外史と影と惨憺たる敗者に、ことのほか敏感だった。いっしょに酒をのんでいるとずいぶん楽だった。しゃべらなくてすむから。黙ってじっくりとのめた。おたがいに敗戦直前の一九四四年生まれであることを、話はしなかったが、たしょう意識はしていた。ろくでもない年に生まれたものは、かっこうをつけてもしょうがないことを知っていた。かれは、これみよがしではなかった。ことさらに「正義」をかたりはしなかった。はったりがなかった。知るかぎり、かれはこの世でもっともわざとらしくないひとだった。わざとらしさには堪えられなかったのだろう。わざとらしくすまいという、わざとらしささえなかった。おそらくかれは、ひとという恥の根茎に感づいていた。船戸与一は身まかった。時宜にかなっているのかもしれぬ。わたしはこれみよがしの、ただわざとらしいだけの夜にとりのこされた。[引用者:原文の傍点箇所はかぎかっこで括りました。](辺見庸「日経朝刊文化面」2015/04/25

引用者注:私は船戸与一という名前すら彼が身罷るまで知らなかった。当然、彼の本も読んだことがない。「冒険小説」という彼の創作の分野(初期)に私が関心がなかったということが大きい。だから、船戸与一について語ることは私には何もない。ただ、上記で辺見庸は船戸の人物評を述べているだけだが、その人物評が深い追悼になっている、と私は思う。辺見庸についても彼はおそらく1996年(あるいは7年)に朝日新聞に『目の探索』を連載していたが、その連載の一節を読むまで私は知らなかった。なお、辺見は、2015年4月22日付けの日録に「船戸与一さん逝く。あわてる。こちらのほうが先のはずだったのに。いのこっている根拠がますますなくなる」と記している。なおまた、辺見は、船戸与一の代表作『砂のクロニクル』の解説の冒頭に以下のようにも記している。
 
「本文からではなく、解説から読む癖のある読者諸兄姉のために、ひとこと申し上げる。あなたの身は間違いなく本書の放つ劫火(ごうか)に焼かれ、その力に薙ぎ倒されるであろう。勝利者たちのこしらえる『正史』に激しく抗う者たちの瞋恚(しんに)の炎が、頁という頁にめらめらと燃えているからだ。真実の『外史』が、虚偽の正史を力ずくで覆しているからである。しっかりと心の準備をしておいたほうがいい。備えが済んだら、ひとつ深呼吸をして『飾り棚のうえの暦に関する舌足らずな注釈』から、目を凝らして、ゆっくりと読み進むがいい。熱くたぎる中東の坩堝に(るつぼ)に足もとから徐々に呑みこまれてゆくだろう。そして、読破した時、あなたの見る世界はそら恐ろしいほどに色合いを変えているはずだ。以上のみを言いたい。以下は蛇足である。」(『砂のクロニクル』解説
映画監督の想田和弘さんと日本史歴史家の保立道久さんがどちらもきわめて重要な指摘と問題提起をしています。おふたりの指摘と問題提起は多くの人に読まれるべきものだと私は思います。あえて1本のエントリとして起こし、共有させていただきたいと思います。私の感想はここでは述べません。おふたりの指摘をただ耳を澄まして拝聴したいと思います(どちらも改行は引用者)。「一声悲鳥西窓前」――。
 
 
報道各社や野党の「お試し改憲」批判に非常な危うさを感じる。
 
彼らは自民の本丸は9条であり、緊急事態条項など「理解を得やすい」ものから始めるのは姑息だと批判。だが、自民改憲案にある緊急事態条項はナチスの全権委任法に匹敵する危険極まりない条項であり「理解を得やすい」ものですらない。というより、緊急事態条項は9条改憲案以上に危険な条項のひとつであり、絶対に通してはならないものだ。
 
ところが現在の「お試し改憲」批判は、その最も危険な条項を「理解を得やすい」「穏健な」ものだと主権者に誤解させる可能性をはらんでいる。全くもって危険である。自民改憲案によれば、首相は緊急事態を宣言すれば法律と同一の効力を有する政令を勝手に制定できる。つまりやろうと思えば、政敵を牢獄に放り込んだり、新聞社やテレビ局を閉鎖することもできてしまうだろう。こんなものを「お試し」するの?本丸は9条じゃなくてこっちじゃないの?
 
自民改憲案第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。自民改憲案第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。自民改憲案第九十九条3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。(略)自民改憲案第九十九条4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。
 
僕には高度な詐欺師の手口に思える。つまり自民が「9条には抵抗あるでしょうから、まずは緊急事態条項をやりましょうよ」と言うことによって、抵抗する側も優先順位が混乱してしまい、緊急事態条項に反対するよりも9条を守ろうとしてしまう。でも自民の狙いは最初から緊急事態条項だという。危険だ!共産党ですら9条が本丸だと誤解してる。危ないぞ、これ。→主張/自民党の改憲策動/国民愚ろうの「お試し」許さず こちらは、「明日の自由を守る若手弁護士の会」の見解。法律の専門家も、緊急事態条項が極めて危険なものであることに警鐘を鳴らしている。「比較的理解が得やすい」なんてとんでもない誤解であり印象操作であり騙しのテクニックである。
 
つーか、全権委任法に匹敵する緊急事態条項を通してしまったら、9条なんか死守しても何の意味もないよね、マジで。護憲派と呼ばれる人々は、長らく「憲法問題=9条」と刷り込まれ、9条だけを守ろうとしてきたので、それ以外の条文に対する守りがあまりにも希薄かつ理解不足にみえます。しかし自民改憲案が基本的人権そのものを攻撃している以上、そういう視野狭窄はいい加減に捨てて目を覚ましてほしいです。2012年に自民党改憲案が発表されたときも、報道機関や護憲派が最も反応したのは9条の「国防軍」の項目で、それ以外はほとんどノーマークでした。そのことに僕は本当に驚いて恐怖に慄いたものです。護憲派が9条にしか反応できなくなってる。これは極めて由々しき事態だと思います。僕は9条も大事だと思ってますけど、人権条項などの方が実ははるかに大事だと思ってます、はっきり言って。
 
 
欧米の日本史関係研究者の「日本の歴史家を支持する声明」がでた。新聞で大きく報道されている。日本の一人の歴史家として感じるのは、まず、日本のマスコミはアメリカからのニュースを事大主義的に大事にするということである。馬鹿ではないか
 
歴史家の仕事は過去を共有する(記憶が同じ)ということを目指すということである。未来を共有する、未来と希望を共有することによって人間は集まるというのはしばしば幻想であって、実際には過去を共有することによって、人間は同じ未来に入っていく。走馬燈のように人生の諸局面が目前にあらわれてくるというが、それは過去を俯瞰する形で人間の知識・意識・感情がスピードをもって自己点検のサイクルに入ることをいう。宇宙の晴れ上がりというのはビッグバンのあとにくるというが、過去の晴れ上がりということがあるだろうというのが歴史家の確信である。晴れ上がった過去を眼前にして、未来へ進んでいく。晴れ上がった過去によって未来への道がほのかに照らされるというのが、未来への本源的な行動のありかたであるべきなのだと思う。そうしてそちらに行くほかないということで進んでいくというのが、最近、評判の悪い「歴史の必然」ということであるというのは、哲学の真下信一氏の講演会で聞いたこと。言い方は少し違うがそういうことをおっしゃったのだと思う。
 
過去の晴れ上がりなしに、未来はないという確信の下に歴史学をやっている積もりではあるが、もちろん、自分の過去も晴れ上がらないままに生きてはいるので、大きなことはいえないが、しかし、バックトゥーザフューチャーというのは、人間は後ずさりをしながら、背中から未来に入っていくことであるというのは堀田善衛の『天上台風』のエッセイにあったこと。
 
過去の晴れ上がりというのは、過去とその全貌がみえるようになったということである。前近代社会では、背中から未来に入っていくというのは、堀田のエッセイでも、それをうけた勝俣鎮夫氏の仕事でも、一種の不安定を意味するという読み方がされている。今の感覚だと、「後じさりしながら、未来へ入っていく」というのは不安な移動のように感じるが、しかし「バックトゥーザフューチャー」というのは、いってみればふり返りもせずに、座ったまま、眼前の過去が遠くへ移動していくような時間のスピードに乗ることなのだと思う。過去は眼前にみえ、過去から遠ざかれば遠ざかるほど、いよいよ、その全体がみえてくる。未来への移動は過去の延長であって、基本的な不安はない。そういうのが前近代社会における時間・空間観念の基礎にすわっていたのだろうと思う。それを「千篇一律」、「日々是好日」、保守と安穏という」イメージのみで見ては成らないのではないか。むしろ新しい意味でそのような未来への進み方が必要になっているのではないか、などということを考える。「バックトゥーザフューチャー」
 
さて、声明の話しに戻るが、問題の中心は「慰安婦問題」(従軍性奴隷の問題)であるが、その声明は歴史家の常識を反映している。その出だしは、下記のようなもの。
 
「下記に署名した日本研究者は、日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第二次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を表明するものであります。私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷でもあります。この声明は、日本と東アジアの歴史をいかに研究し、いかに記憶していくべきなのかについて、われわれが共有する関心から発せられたものです。/また、この声明は戦後七〇年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国のあいだに七〇年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります。戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。」
 
さて、上記の最初の文章に「日本の多くの勇気ある歴史家」とある。しかし、普通の新聞読者は「日本の多くの勇気ある歴史家」といわれても何のことかわからないだろう。「日本の多くの勇気ある歴史家」ということについて、新聞は一切ほとんど報道しない。つまりこういう声明は日本の歴史家は何度も出している。しかし、新聞に5行のベタ記事がのれば、めずらしい位に大きく扱ったというのが実際である。
 
金をとって情報を提供するマスコミが、日常、必要なことは報道しておかないで、外国の歴史家が同じことをいえば取り上げるというのは、ようするに「犬が人を噛んでも報道しないが、人が犬を噛めば報道する」ということである。歴史家ではない国民のなかにはいろいろな意見があるだろう。しかし、ジャーナリストというのは、最低、必要な情報を確実に提供するという専門性をもつ職業のはずである。その条件を作っていないという状況を問題にせずに議論しろというのはおかしなことであることは自明であろう。この問題について議論したい人は、まずこういうマスコミの視野の狭さ、無責任さがどこからどのようにでてくるのかを考えるのが先であろうと思う。そういう社会なのであるという怖れをもつのも当然であろう。もちろん、こういうことを報道するなということではない。しかし、もう少し常識と恥じらいというものをもってほしいと思う。自分が報道していないことを外国の歴史家が声明を出すと報道する。それは自分が「無知なのか」または「勇気がないのか」のどちらかであるということぐらいは分かっていてほしいと思う。最低、この声明で述べられているようなことは歴史家の常識であることは分かっていてほしいと思う。  
今日の言葉は2本です。
 
トチノキ 
トチノキ

【国会はまるで「学級崩壊」 目を覆う国会議員の振る舞い】
今日のNHKの番組で、
保阪正康氏は「国民の『知る権利』とメディアの関係」について、国民の一人一人が自分で調査や取材、権力の監視などできないから「メディアが代行」する(それによって報酬を得る)、メディアはそのような「社会的使命を負っている」と指摘されていた。現役記者も観ただろうか。国会はまるで「学級崩壊」…離席、読書、スマホ、居眠り…目を覆う国会議員の振る舞い(産経この「政治部 酒井充」という産経記者は、ジャーナリズムの仕事をされていると思う。「最初から最後まで『席を立たない』『議事と関係のない本を読まない』『携帯電話・タブレットをいじらない』といった当たり前の規則を守った人は、どうみても全体の1割(47人)以下だった。無法者の集まりかと見まごうほどだ」「学校でさえ出欠を確認するのは当たり前だ。授業中に勝手に席を立ってしゃべったり、教室を出ていったり、授業と関係ない本を読んだり、携帯電話をいじったりしている生徒を国会議員はよしとするようだ。ましてや国会議員には、税金で年間3000万円以上の歳費が支給される」「後方支援に参加する自衛隊の海外派遣には国会の事前承認が必要だといった議論が行われているが、その肝心の国会の実態は目を覆うばかりだ」(山崎雅弘Twitter 2015年5月10日
 
引用者注:山崎雅弘さん(戦史・現代史研究家)は酒井充産経新聞記者の「国会はまるで『学級崩壊』…」という記事を紹介して「この産経記者は、ジャーナリズムの仕事をされている」という感想を述べています。しかし、その感想は過誉というべきではないか。「ジャーナリズムの仕事」をしているというのであれば、そのジャーナリストは、「離席、読書、スマホ、居眠り…目を覆う振る舞い」をする9割以上の国会議員はどの党に所属するか? また、「当たり前の規則を守った人は、どうみても全体の1割(47人)以下だった」という国会議員はどの会派の所属議員だったか? 目視して勘定しているのですからおおよそのことはわかるはずで、その目視で確認できた限りのことは書くべきです。同記事で酒井記者が「離席、読書、スマホ、居眠り…」と具体的に指摘している会派は自民党と民主党、というところから判断すると、真面目な(と言っても、「世間」という尺度で測ればふつうの)「全体の1割以下」の国会議員の所属する会派は共産党や革新系無所属などの会派だろうと推察できますが、酒井記者はそういうことは書かない。あるいは書けない。そういう記者をして「この記者は、ジャーナリズムの仕事を」しているなどと評価しうるか? 山崎さんを例とするいわゆる「リベラリスト」一般の特徴のよく出ている見る目の中途半端さ、あるいは不確かさを私は思います。

【「大阪都」構想? 眉につばをつけてよく見定めた方がいい】
いよいよ、5月17日は「大阪都構想」の住民投票ですね。しかし、そもそもネーミングが変で、今回の住民投票で「大阪都」ができることは断言しますがありません。今回の住民投票は大阪市を廃止して5つの「特別区」の設置をすることに賛成か、反対か、を問う住民投票であって、大阪湾岸に未来都市を造るかどうかなど、何も問われていません。これらはすべて
根拠となった法律を読めばすぐに分かることです。(略)行政の枠組みを変えただけで経済が発展する訳はないですね。そこに住む人も、そこにある企業も、何も変わらないのですから。行政の枠組みが変わるだけで産業が発展し、経済が好転するのなら、全国の自治体がこぞってそうするでしょう。(略)「大阪都になればこんなに~~が」という議論はすべて、眉につばをつけてよく見定めた方がいいでしょう。(略)橋下式行政の総括というのはあまりちゃんとされていません。橋下府政により「倒産寸前」から「優良企業」に生まれ変わったはずの大阪府は、なぜか橋下府政の前後一貫して借金が増え続けています。大阪市でも、橋下氏の肝いりで始まった大阪市の「公募区長」「公募校長」などの不祥事の数々(略)についてどう総括されるのかいまだ不明です。橋下氏が自らの後援会会長の子息を「特別秘書」として採用したのにほとんど仕事をさせずに給与だけ払っている疑惑(略)、労働組合に対する不必要な攻撃で大阪市が裁判に負けまくっていること(略)など、まだケリのついていない問題も沢山あります。そもそも、大阪維新の会は「大阪市をバラバラにしません。」「大阪市を潰しません。」が公約だったはずなのですが、これに至っては一体どこへ行ってしまったのでしょうか。こういう橋下式行政の運営上の問題点や疑惑に白黒つけないまま大阪市を無くしてしまうのは、どこぞの国で脱線して多数の死傷者を出す事故を起こした新幹線を穴を掘って埋めてしまったのと大差ないように思えます。(渡辺輝人(弁護士) 2015年5月9日

【今日の「山中人間話」】