膠着状態内藤正典さんは「膠着ではない。沈黙である」と言っています。「意図的な」ということなのでしょう)が続く「日本人人質」問題でフリージャーナリストの後藤健二さんの解放とその生死のゆくえが気がかりです。多分に気分的なものですが、一日中、後藤さんの生死のゆくえを追っていてそれで疲労困憊して一日を終えてしまうということをここ数日繰り返しています。書くべきことは外にもあるのでしょうが、また、実際にあるのですが、いわゆる筆が動きません。いま、外のことで筆を動かすことは不誠実のように思えるのです。むろん、人さまのことを言っているのではありません。もっぱら、私の気分の問題です。

それでもひとつのことは書いておこうと思います。というよりも、引用しておきたいと思います。いまから援用しようとしている「私の沖縄・広島日記」ブログの筆者も「大変重要なニュースです」と言っていますが、私も「大変重要な」ことだと思います。
 
前回、私は、「共産党はもはや『井の中の蛙』となって『鴻鵠』の志を忘れてしまったのか?」という記事を書きましたが、その続きとして元新聞記者の「私の沖縄・広島日記」ブログ主宰者の「しんぶん赤旗」批判と「街の弁護士日記」ブログ主宰者の岩月浩二さんの「しんぶん赤旗」批判の記事を引用させていただこうと思います(改行と黒字強調は引用者)。その続きの続きは今度は私の言葉でもう少し詳しく書く、ということになると思います。
 
はじめの引用。

 
前回のこのブログで、沖縄の翁長雄志知事に、「公約」に基づいて直ちに「辺野古埋め立て承認」を撤回するよう求めました。その際、海外の識者らが連名で翁長氏に書簡を送ったことに注目し、その一部を紹介しました。大変重要なニュースですが、本土の新聞には載っていないようです。「しんぶん赤旗」(日本共産党機関紙)はどうだろうかと、昨日図書館で見てみました。そして、目を疑うような驚きと怒りを禁じえませんでした。「書簡」の趣旨がまったく反対に歪曲されていたからです。「赤旗」(1月28日付)は2面3段の囲み記事(写真右)で、「翁長知事に海外の連帯 識者15人 沖縄新基地反対」の見出でこう書いています(以下、全文)。
 
[ワシントン=洞口昇幸]沖縄県宜野湾市の米軍普天間基地の同県名護市辺野古への「移設」(新基地建設)に反対し、普天間基地の即時無条件撤去を求める昨年1月の声明に賛同した海外の識者・文化人のうち15人が23日、翁長雄志・県知事に連帯の意思を示す手紙を送りました。/送ったのは、ニューヨーク州立大のハーバート・ビックス名誉教授、シカゴ大のノーマ・フィールド名誉教授、アメリカフレンズ奉仕委員会のジョゼフ・ガーソン氏(政治学博士)、ジャン・ユンカーマン早稲田大教授・映画監督、米アメリカン大のピーター・カズニック教授、オーストラリア国立大のガバン・マコーマック名誉教授など。/手紙では、昨年11月の県知事選で翁長氏が勝利したことで新基地反対の民意が再確認され、辺野古を守るために長年取り組んできた人たちにとって、「大きな励ましとなった」と述べています。
 
この記事(見出し含め)がいかに「書簡」の趣旨を捻じ曲げているか。「書簡」を報じた沖縄県の2紙と比べれば明らかです。琉球新報(1月25日付、写真左)は、1面で、「辺野古阻止へ『行動を』 海外識者15人、知事に手紙」の見出しで、「(海外の識者・文化人が)翁長雄志知事に手紙を送り、辺野古の新基地建設に向けた日本政府の作業を止めさせるために積極的な行動を取ることを求めた」と報じました。沖縄タイムス(同日付、写真中)は、2面トップで、「知事に迅速行動要求 外国識者 辺野古に危機感」の見出しで、記事と解説を掲載しています。この中で沖縄タイムスの平安名純代・米国特派記者は、「識者らは・・・『本格的埋め立て工事は間近に迫っており、残された時間は非常に限られている。遅すぎるという感を否めない』と危機感を表明。・・・『県民は法的検証よりも、翁長知事の政治的決断力に民意を委ねたのであり、その思いに応えてほしい』と訴える」と「書簡」の内容を紹介。「解説」でこう指摘しています。「今回の要請の背景にあるのは、埋め立て承認の取り消し・撤回を掲げて当選した翁長知事の対応の遅さだ
 
「書簡」はどういうものだったのしょうか。ここに全文を転記します。本土のみなさん、ぜひ読んでください。
 
2015年1月23日/沖縄県知事 翁長雄志様/私たちは主に、昨年1月に発表した「世界の識者、文化人、平和運動家による辺野古新基地建設反対と普天間基地返還を求める声明」の賛同人となった、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、欧州の市民グループです。私たちは 、沖縄の社会、政治、歴史の研究などを通じ沖縄に関わってきており、これまで十数年にわたり沖縄についての記事を英語で世界に発信してきた『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』(japanfocus.org)の執筆者でもあります。/昨年の声明で私たちは、仲井眞前知事による民意に背いた辺野古埋め立て承認を批判し、沖縄の過重な基地負担の不当性を訴え、辺野古新基地建設反対を訴えました。そして11月、辺野古新基地を「造らせない」と公約した翁長知事が当選したことで新基地反対の民意が再確認されました。知事が現地に赴き基地建設反対を訴えたことは、大浦湾と辺野古を守るために長年たゆまぬ努力をしてきた人たちにとって、どんなに大きな励ましとなったことでしょう。
 
あれから2か月が過ぎました。現在、基地建設に向けての作業が強行されています。連日抵抗する市民と機動隊が衝突し、毎日のように怪我人が出ている様子は見るに堪えません。私たちの理解では、出動しているのは沖縄県警であり、県警は知事が任命する県公安委員会の管理下にあります。知事はその権限をもって、辺野古で抵抗する市民たちに暴力的な警備は行わないように、また機動隊は交通警察に交代させるよう県警に指示できるはずです。海上保安庁にも暴力的な警備を即刻やめるよう申し入れてください。/知事は、前知事による埋め立て承認の検証のための委員会を1月下旬には決定し、月に二度ほど会合し、早ければ4月に検証結果をまとめるよう作業を進めるとの報道があります。その結果埋め立て承認に法的瑕疵があれば取消、そうでなければ撤回を考えているとのこと。また、4月以降、訪米団を組んで米国政府に直接基地建設中止を訴えるという計画も聞いております。
 
しかし本格的埋め立て工事は間近に迫っており、残された時間は非常に限られています。遅すぎるという感を否めません。今埋め立て作業を止める権限を持つのは日米政府と、埋め立て承認の取消か撤回という方法で作業を止めることができる翁長知事だけです。知事が、埋め立ての取消か撤回という権限を行使しないままに訪米しても、説得力を持たないのではないかと思います。逆に訪米前に少なくとも取消か撤回への明確なコミットメントをすれば、訪米行動は意味あるものとなります。その際は私たちも全力でバックアップします。/また、沖縄県民は、沖縄をこれ以上差別させず、自然環境を破壊する基地は造らせないという価値観のもとに知事を選んだのです。法的検証は確かに大事なことですが、法的側面にあまり重点を置くことは、埋め立て承認を「法的基準に適合している」と正当化した仲井眞氏と同じ土俵に立ってしまうのではないでしょうか。県民は法的検証よりも、翁長知事の政治的決断力に民意を委ねたのであり、その思いに応えてほしいと思います。
 
知事が取消か撤回を行うまでは、日米政府は前知事の承認に従って着々と作業を進めてしまいます。一度大浦湾が土砂やコンクリートで破壊されてからでは遅すぎます。検証委員会の判断が出るまで作業中止を求めることはもちろんですが、委員会は一刻も早く答申を出し、知事は取消か撤回の決定を下すことを期待します。/埋め立て承認の取消か撤回をせずこの基地が造られてしまったら、初めて沖縄県の合意に基づく新基地が造られたということが歴史に刻まれ、将来への重大な禍根が残ります。/外部からの口出しと批判されかねないことを申しましたが、私たちの目標は知事と、知事を選んだ沖縄県民の多数派と共通しており、それは辺野古の基地建設阻止です。そして私たち自身も日米政府を動かし基地建設を断念させる努力を続けていきます。/沖縄新基地建設反対!世界の声(No New Bases in Okinawa! Global Voices)/<以下、15人の氏名、肩書は省略。太字は引用者>
 
読めば歴然です。「書簡」を送った識者らは、辺野古新基地建設阻止を本当に願い、たたかっている県民と連帯するために、翁長氏に「迅速行動」を強く、厳しく要求しているのです。「赤旗」の記事は前置きの一部を引用しただけで、肝心な本文の内容はまったく伝えていません。そして「識者」らがただ素朴に「翁長知事に連帯」を表明しているかのように描いています。これは完全な「欠陥記事」であるだけでなく、なにがなんでも翁長知事を擁護したいというきわめて政治的な意図による事実の隠ぺい・改ざんと言わねばなりません。事態は動いています。いまや、翁長氏への不満は海外識者らだけではありません。「翁長氏は知事選で『あらゆる手段で新基地建設を阻止する』と表明していた。ある与党議員は『もう就任1カ月半だ。「あらゆる手段」が見えないことが県民に不安を与え、不安は怒りに変わりつつある』と不満を隠さない」(琉球新報1月28日付)
 
日本共産党が「翁長支持」を続けるのは、政治選択ですが、それは正確な情勢判断によってなされるべきであることはいうまでもありません。そうであるなら、沖縄の正確な情勢を「赤旗」読者や党員・支持者に伝えることのは、政党として最低限の責務ではないでしょうか。政治的思惑から、事実を隠ぺい・歪曲することは、絶対に許されることではありません。
 
次の引用。「街の弁護士日記」の主宰者の岩月浩二弁護士の記事から。
 
岩月弁護士はまず、

「しばらくネット情報をとるのをやめていた。Blog『みずき』のサイトを見て、とんでもないことになっていることを知った。政府が人質解放に向けて全力で(?)取り組んでいるさなかに、人質事件を招いた責任を問う政府批判をするのは不適切だというのが、どうも日本共産党の公式見解のようだというから、恐れ入る」2015年1月29日
「ジブチ基地強化について触れた朝日新聞記事は知られていると思われるが、続報はほとんど出てこない。むろん赤旗も。/わずかに北海道新聞が「ジブチ「基地」化 なし崩し整備許されぬ 」(01/25)との社説を掲げているのは地方紙の気骨を示すもので、立派だ。日本共産党本部の無抵抗路線、赤旗の「しかと路線」は、こうした気骨すら見殺しにしかねない。」

「人質事件はこうした構造の中で起きている。追及しなきゃウソでしょ。共産党本部さま

と共産党批判、あるいは「しんぶん赤旗」批判をします。

岩月弁護士の「赤旗」批判は実は長い長い続きものです。以下はその一部の一部です。 
 
二重基準と言えば、安倍晋三秘密保護法体制国家は、思想の内容によって表現の自由を仕分ける明らかな二重基準を採用していることを「発見」しました。朝日とか、毎日とか、東京・中日とか、琉球新報・沖縄タイムスなど、集団的自衛権に反対するスタンスの新聞が、1月22日朝刊でオバマ大統領の一般教書演説の「イスラム国破壊」宣言を報道するのはダメよダメダメ。集団的自衛権に賛成している読売新聞、産経新聞の、イケイケドンドン、フレフレオバマの『イスラム国』戦争翼賛はどんどんヤルべし。まさに意見如何によって、報道の自由を差別する、二重基準。公益による表現の自由の制限の典型例。フランスのヘイトスピーチ規制同様、恣意的なものなのです。(略)今日も、赤旗さんの脳天気は続きます。ジブチの基地も強化されることだし、有志国連合の動向次第では、日本が急に参戦することになるかもしれないのだけれど、「テロとの戦争」という絶対の正義に反対する度胸があるのか、だんだん心配になってくる今日この頃であります。こんな状態が続くと、後世の歴史家は、残された証拠史料からする限り、2015年当時の日本には、『イスラム国』との戦争に反対する意見は、存在しなかったと判断することになるでしょう。(2015年1月23日
 
昨日の夕刊(引用者注:「イスラム国打倒 強調 米大統領 一般教書演説」の大きな見出しのある記事の切り抜きの写真)。/今朝の朝刊(引用者注:の写真)。/どの社もそうだったと思われるが、昨日の夕刊は、『イスラム国打倒』とか『イスラム国破壊』とか『イスラム国壊滅』とかおどろおどろしい言葉が一面に踊っていたはずだ。ところが、今日の朝刊からは、イスラム国関連部分は、ほぼ消え去っている。米国政府が戦争をしたがっている(合衆国憲法上、戦争宣言の権限は議会にある)、そのためにオバマが議会に戦争宣言を求めると表明したことは、見事になかったことになっている。おそらく各紙の社説からも、イスラム国「破壊」「壊滅」「打倒」は消え去っているはずだ。そもそもイスラム国問題について一般教書演説で触れられたことすら社説から消し去っているかもしれない。(略)決して「特定秘密」ではあり得ない、宗主国大統領の議会での施政方針演説すら検閲するのだ。正直、これには参る。赤旗さんも相変わらず脳天気である。(2015年1月22日
 
バッシングを受けて靴の裏をなめるようになった、御用マスコミは、安倍晋三による中東支援を「非軍事の手段で地域の安定を目指す支援は当を得たものだ」と持ち上げている。フランス原子力空母シャルル・ド・ゴールのペルシャ湾派遣によるイラクへの大規模な空爆が計画されているために大規模な周辺国「支援」が必要になったことを百も承知で、訓戒を垂れているのだから、たちが悪い。勝手にイスラム国への空爆を始めた米国のケリー国務長官が、昨年の9月に「日本は大きな支援を与えるだろう」と語った筋書き通りに、「大きな支援」をを与えることになったことには口をぬぐっている。外交的な手がかりに乏しいとも抜かすが、外務省がそれまでは頼りにしていたイスラム法学者である中田考氏を私戦予備陰謀罪のでっち上げがらみで捜索・聴取して、切って捨てたことにも触れない。主な読者層が、リベラルでありたいと思っている人たちだろうから、安倍晋三礼賛の刷り込みには多大な意義がある。頭垂れ、靴の裏なめて、勲一等に値する活躍ぶりである。
 
それにしても腑に落ちないのは、赤旗の報道だ。マスコミが右傾化すれば、それ相応に赤旗も自粛右傾化するということなのだろうか。未だに、フランス空母派遣による大規模空爆が予定されていることについて、全く触れていない。このため、ほとんどの国民(おそらく99%の国民)が、イスラム国との戦争の本格化が既定路線になっていることを知らない。先日の、集団的自衛権反対の集会とデモに参加した人たちですら、知らない人が大半のようだった。弁護士会の次の企画を何にしようか、何気に話す機会があったので、酒井啓子氏などを招く、イスラム関係の企画を提案したが、僕が信頼している弁護士たちも怪訝な顔をするばかりだった。せめて赤旗が、フランス空母派遣による大規模空爆にきちんと反対し、40カ国首脳のデモがねつ造だったことをきちんと報道していただきたい2015年1月21日 
共産党はもはやかつての社会変革の志を忘れて「感情の劣化」したこの国の世情に迎合する単なるポピュリズム政党に成り果ててしまったのか。と、そう思わせる「事件」が起きました。「Everyone says I love you !」ブログを主宰する徳岡宏一朗弁護士は同事件を「池内ツイート削除事件」と名づけています。スポ
ーツ報知によれば同事件の概要は次のようです。
 
共産党の志位和夫委員長(60)は26日の記者会見で、過激派「イスラム国」による人質事件をめぐり、安倍政権を批判した同党の池内沙織衆院議員(32)に苦言を呈した。共産幹部が政権批判を戒めるのは異例だ。池内氏はイスラム国に拘束された湯川遥菜さん(42)とみられる男性が殺害されたとされる画像がインターネット上に公開された直後の25日、自身のツイッターに安倍政権を批判するつぶやきを投稿した。安倍首相が「テロ行為は言語道断であり、許し難い暴挙」と述べたことを念頭に「こんなにも許せないと心の底から思った政権はない」とつぶやいた。さらに、「『ゴンゴドウダン』などと壊れたテープレコーダーの様に繰り返し、国の内外で命を軽んじ続ける安倍政権」とした上で「安倍政権の存続こそ、言語道断。本当に悲しく、やりきれない夜。眠れない」と続けた。イスラム国に対する抗議や非難などのつぶやきはなかった。この投稿をめぐり、ネット上では厳しい批判が相次ぎ、池内氏は同日中にツイートを削除していた。志位委員長はこの日の会見で、「政府が全力で取り組んでいるさなかだ。今、あのような形で発信するのは不適切だ」と指摘。「残虐非道な蛮行を非難する。日本政府は人命最優先であらゆる可能性を追求して、解放のために全力を尽くしてほしい」とした。池内氏は削除の理由を「不適切と考え、削除しました。お詫びいたします」と投稿した。国会が召集されたこの日、池内氏は国会前で共産党議員団とともに労働組合などから陳情を受け、「憲法9条改正反対」「消費税率引き上げ反対」などとシュプレヒコールを上げた。池内氏は中大卒業後、共産党に入党。昨年12月の衆院選で東京12区から立候補し、落選したが比例復活した。(スポーツ報知 1月27日
 
さて、共産党の志位委員長が同党の池内沙織議員のツイッター発言を批判したことは正しいことか? 「日本共産党という政党ってこんなに弱腰の政党なんだ、志位委員長ってこういうリーダーなんだと、私は驚きました」というのが徳岡宏一朗弁護士の感想です。その上で徳岡弁護士は次のような意見を述べます。
 
このツイート、議員さんが党首に怒られるほどの酷い内容ですか?(略)このツイートの言いたいことは、安倍首相が「イスラム国」の拉致や殺害を言語道断、言語道断と批判するけれども、自分は国の内外で人命軽視しているからこんな事態になった、政権を維持していることがむしろ言語道断、ということでしょう?(略)志位委員長は挙国一致で難事に当たるべきという世論を恐れ、これに迎合したのではないか
 
民主主義社会とは、政府に対する国民の監視や批判が行われて初めて正常に機能するのです。今の日本で起きている言論表現の萎縮は、戦時下におけるそれとそっくりです。全野党揃って政府批判を控えるなどという事態は、戦前の大政翼賛会そのものではないですか。そんな時こそ、普段の舌鋒鋭い権力批判をしなければいけない共産党が真っ先に自粛してどうするんですか。(略)日本の世論が1番操作され、統制されそうなこの大事な時期に、かたや政府には恭順の意を表するかのような態度を示し、世論の批判を受けたら内部で言論を統制してしまうというのでは、存在価値ゼロではないですか。これじゃあ、「不確かな野党」です。
 
この徳岡宏一朗弁護士の意見に賛同する人は決して少なくありません。徳岡弁護士の意見を自身のブログで紹介している猪野亨弁護士も「私も日本共産党の姿勢は宮武先生(引用者:徳岡弁護士のペンネーム)の見解に賛同するもので、日本共産党までもが「大政翼賛会」に合流するとは何たる大衆迎合か」とまで述べています。
 
映画監督でジャーナリストの想田和弘‏さんも徳岡弁護士、猪野弁護士と同様の意見を述べています。
 
「国家の一大事だから今は政権批判を控えろ」という言説には全く賛同できない。そんな言い分を認めてしまったら、仮に日本が他国と交戦状態にでもなったときに政権批判ができなくなってしまう。それは翼賛体制に入ることと同義。むしろ国家の一大事にこそ自由な批判ができなくては危なくて仕方が無い。(想田和弘Twitter 2015年1月26日
 
元新聞記者の「私の沖縄日記―広島編」ブログの主宰者も次のような意見を述べています。
 
「イスラム国」による人質事件は予断を許さない状況が続いています。後藤健二さんの早期解放はもちろん急務です。同時に、この問題で安倍政権への批判を控えようとする風潮があることは見過ごせません。(略)共産党が安倍首相を批判した自党の国会議員を逆に批判するなどはその表れでしょう。後藤さんの解放要求とともに、事態の背景・根本問題、安倍政権の責任を今こそ問わねばなりません。」(私の沖縄日記―広島編 2015-01-27
 
「池内ツイート削除事件」とは直接的には関係しませんが、「日本人人質」問題について安倍政権批判が必要であるという認識では「kojitakenの日記」主宰者の以下の論も同じです。
 
・どう考えても安倍晋三の失言がイスラム国の湯川遙菜氏殺害を招いた
kojitakenの日記 2015-01-27
 
さらに高世仁さんの下記のブログによれば、いま「イスラム国」問題で「時の人」となっている感のある常岡浩介さんもこの2、3日の番組前の打ち合わせでディレクターやキャスターなど番組担当者から「安倍政権批判はしないでください」とクギをさされることが多くなったとい言います。「悪いのはイスラム国でしょ、いま国民は団結すべきで、政府を批判するときじゃないでしょ」、と。「このムード、気持ちが悪い。(略)これ以上、安倍内閣が間違わないよう、批判は続けられるべきだ」というのが高世さんの意見です。
 
・「政権批判はするな」とクギをさされた常岡さん
高世仁の「諸悪莫作」日記 2015-01-26
 
私は先に「『凡庸』という病について」(2015.01.10)という記事で天皇を「天皇のお話」「陛下」などと最高敬語で遇して恥じない小池晃日本共産党副委員長のツイッター発言を批判しましたが、同党の志位委員長はこの小池晃氏のツイッター発言についてはなんらの批判も削除要求もせずに政府の対イスラム外交に関して当然の安倍首相批判をした池内沙織衆院議員のツイッター発言については批判をするというまるで逆向きの対応をしてこの人も恥じるところはないようです。共産党は志位執行部体制になって激しく「右傾化」傾向(あるいは「ポピュリズム」傾向というべきか)を強めています。というのは、半世紀近い共産党支持者(約10年間の専従としての共産党員時代を含む)としての私の判断ですが、いまのままでは共産党の「存在価値ゼロ」というのがさらなる私の判断でもあります。志位執行部体制は変革されなければならないでしょう。共産党員のみなさんにあえて強く提言しておきたいと思います。
藤原新也さん(作家・写真家)のよき読者であれば、とっくに気づいていてよいはずのものでしたが、私は藤原さんの初期からの読者であるにもかかわらず思いも及ばなかった視点です。ひとつは私がなんだかんだと言いながらもやはり平和ボケした日本人のひとりにすぎなかったということがあるでしょう。もうひとつは藤原さんと私の「経験」の差というのがやはり大きい。私は藤原さんのアジア、中東放浪記を読む立場の人間でしかありませんでした。しかし、藤原さんは、実際にアジアや中東を歩き、その旅で考えたこと、考えあぐねたことを本にし、写真にしてきた人です。いまさらながらにその差の大きさに気づかされました。「旅に病て夢ハ枯野をかけ廻る」(芭蕉)ということの意味(意味などと、と芭蕉翁からは笑われるでしょうが)を改めて思っています。しかし、いまは、なにをさておいても「中東」という地への記者の旅の人の命の問題が重要です。「日本人カースト」制度に強い憤りがこみあげてきます。
 
生け贄(いけにえ)の論理。(藤原新也「Shinya talk」2015/01/26)
 
これは長期にわたって特に第三世界における旅をすればよくわかることだが、海外における日本人にはカースト制度が存在すると私は思っている。
 
この海外における“日本人カースト”の頂点に立つのは大使館や領事館に勤める外交官である。
次のカーストは企業などに勤める海外駐在員。
次のカーストは旅行業者によって斡旋された日本市民としての身元の明らかな旅行者。
そして最下位のカーストは日本人でありながらどこの馬の骨とも知れない単独旅行者ということになる。
 
この単独旅行者はフリーのジャーナリストも入る。
海外においてこのフリーのジャーナリスト(後藤さんのように小さな通信社に属する者も含めて)のアイデンティティというものは大変不確定で、名の知れたメディアからの記者証でもないかぎり、外交官や企業の海外駐在員など上位カースト者からほぼ得体の知れない日本人と見なされる。
 
そういう意味では今回イスラム国の人質となった後藤健二さんと湯川遙菜さんは海外日本人カースト制度の最下位に属すると言えるだろう。
 
 
日本政府が早くからこの二人がイスラム国によって拘束されていることを知りながら、放置していたのは彼らが海外日本人カースト制度の最下位に属する“得体の知れない日本人”だからと言ってもよいだろう。
 
かりにこれが大手の企業の一社員となるとそれは日本人アイデンティティに抵触することになり、日本政府は慌てて動くはずだ。
かつて三井物産の若王子信行さんがフィリピン新人民軍に誘拐拘束されたおり、官民一体となって当時のドルレートに換算して22億円が支払われた救出劇、あるいはアルジェリアにおける日揮社員拘束(のち殺害)時の日本政府の敏速な動き記憶に新しい。
 
だが今回の場合、湯川遙菜さんに関しては一年前からイスラム国に拘束されていることがわかっており、後藤健二さんに関してはイスラム国は昨年の11月から人質と引き代えの身代金を要求していたが政府はこれを完全に放置。
 
ところが今回安倍首相の中東訪問での演説直後にイスラム国による二人の人質の殺害予告がYouTubeで全世界に発信されるや、イスラエル国旗の前で安倍首相はとつぜん“強い怒りを覚え”日本人の命の重みに言及しはじめる。
 
「このように人命を盾にとって脅迫することは許しがたいテロ行為であり、強い憤りを覚えます。ふたりの日本人に危害を加えないよう、そしてただちに解放するよう強く要求します。政府全体として人命尊重の観点から対応に万全を期すよう指示したところです。」
 
いままでの二人の日本人の命の放置は一体何だったかと疑わせるほど「許しがたい」「強い憤りを覚える」「解放するよう強く要求する」「人命尊重」「万全を期す」と最大の形容句を使って日本人の人命に関与している姿勢を示しているわけだ。
 
こういった人命の二重基準はとりもなおさず、今回の二人が海外日本人カースト制度の最下位に属する者だからである。
 
そしてさらに今回問題にすべきは、こういった人命の二重基準を越えた官邸(安倍首相)冷酷性である。
 
安倍首相はこの殺害映像が出た直後、アメリカの大統領オバマとキャメロンと電話会談をし、彼らからの哀悼のメッセージを受けると同時にあわせてテロとの闘いの確認を仕合っている。
とうぜんこの電話の実際の様子を私たちは知ることは出来ないが、そこには互いにある種の屈折した高揚感があったのではないかと想像する。
つまりアメリカもイギリスもイスラム国によって同様の方法によって国民を殺害されている。
そして今まさにこの東洋の国日本もまた“テロとの戦いの元”(実際には戦っていないのだが)同様の人的損失を被った。
それを報告し、また報告される、この電話のやりとり、あるいは“伝令”には同情を越えた“共感”の感情交換がなされたはずである。
つまりこの一瞬、彼ら(アメリカ・イギリス)同様“犠牲者”を出した日本は「有志連合の一員」として認証されたということである。
 
つまり、であるとするなら、湯川遙菜さんは海外日本人カースト制度の最下位に属する者というより、その連合に加入するために有志連合の先駆者(胴元)の前に差し出された“生け贄(いけにえ)”あるいは“貢ぎ物(みつぎもの)”ということになる。
 
それも自らの手を汚すことなく、他の人間(イスラム国)の手を汚すことよって差し出された生け贄である。
 
つまり彼(湯川遙菜)の死は犬死にではなく誰よりも日本政府に貢献したのだ。
どこの馬の骨とも知れぬ最下位カースト日本人は生け贄となったことによって国際政治力学の中においてその身体は一定の価値を生み出したのである。
 
その価値がいかほどのものか。
つまりこの“有志連合加入金”はひょっとするとイスラム国が彼の身体につけた200億をはるかに越えるはずである。
 
 
昭和45年。
あの赤軍派のハイジャック事件の時、福田赳夫は「人間の命は地球より重い」というを吐き、犯人の要求を飲み、人質を解放した。
 
人間存在の原理からするなら福田の言葉はすいぶんのどかな迷言だったと個人的には思う。
 
だが、あのなつかしい昭和の当時、日本人を西洋人に生け贄として差し出す平成時代の冷血と卑屈とは一線を画し、日本国首長たる者、日本国民を愛する、人の血の通った時代があったということでもある。
「日本人人質」問題に関して人質「救出」に関わる緊急性のある問題提起についてはすでに本ブログ上に記事としてアップしています。以下は、2015年1月20日から25日にかけての「日本人人質」問題に関連する「今日の言葉」の記録です。

雪を割るスイセン 
 
・左端の
写真と、中央の写真は、いずれも安倍首相のイスラエルでの同じ演説を伝えるNHKニュースですが、どこか違いがあります。(略)左は「ホロコースト記念館視察」と説明がありますが、それが右では「ユダヤ人追悼施設視察」になっています。下のテロップも、「ホロコーストを二度と繰り返してはならない」が「このような悲劇を二度と繰り返さないとの決意」に変わっています。左の映像は19日夜7時からの「ニュース7」、右は20日朝7時からの「おはよう日本」です。(略)同じNHKのニュースで、一晩(12時間)にして、「ホロコースト」が消えたのです。映像だけではありません。夜の「 ニュース7」では次のように読み上げられました。「イスラエルを訪れている安倍総理大臣は日本時間の19日夕方、エルサレムにあるホロコースト記念館、『ヤド・ヴァシェムを訪れました。記念館には、第2次世界大戦中600万人ものユダヤ人がナチス・ドイツによって虐殺された歴史を人々の記憶にとどめ犠牲者を追悼しようと、強制収容所に送られた人たちの体験談や写真などが展示されています」しかし「おはよう日本」では、「安倍総理大臣は大量虐殺されたユダヤ人を追悼する施設を訪れ・・・」と言うだけで、「ホロコースト」の言葉も、記念館の説明もありませんでした。これは明らかな意図をもって「ホロコースト」をアナウンスと画面から消したと考えざるをえません。籾井勝人会長の指示なのか、それとも政府・自民党からの圧力なのか。NHKがニュース用語を政治的にチェック・統制していることは間違いありません。(略)「ザ・タイムズ」紙は「これらの規制は、日本の保守国家主義的首相である安倍晋三氏の政権の立場を反映しているように見える」と指摘しています。NHKについては最近も、バラエティ番組に出演するお笑いコンビの爆笑問題が、事前の打ち合わせでNHKスタッフから、「政治家のネタは全部だめ」と言われたことが明らかになりました(略)。籾井会長は安倍首相の意向でNHK会長に据えられた人物。戦時性奴隷の使用を擁護する一方、政権の意向に沿った報道を公言してはばかりません。安倍―籾井ラインで NHKの右傾化はますます進行しています。今回の「ホロコースト」削除は、その1つの表れと言えるでしょう。(「私の沖縄日記―広島編」2015年1月20日
 
・昨日、東京外国特派員協会での
中田考氏の記者会見をネットワークからみた。立派な学者が必要な行動をしていることに感動する。今朝の東京新聞にはニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏が「二人が解放されるには、二億ドルの支援を中止するか、イスラム国にも公平に支援するかだろうが日本の威信にかかわる問題、難しいだろう」と表情をくもらせたとある。中田氏の提案は「イスラム国にも公平に支援するか」というよりもさらに限定的・具体的なもので、「イスラム国」行政下の難民への食料・寝具などの物の形式での援助をトルコ新月社(赤十字社)を通じて送るという提案である。そして「七十二時間で人質に何かするのはまってほしい」というメッセージである。記者会見の最後に、それをふくむメッセージを日本語で読み上げた後に、アラビア語で読み上げた。具体的な反応があるとよいと思う。騒然とした状況のなかで学術が何をすべきかということを考えさせられる。騒然とした状況であるからこそ、学術文化の筋の通った主張をしなければならず、それに直面して行動し主張せざるをえない学者の姿勢については、アカデミー全体で支えるべきことであると思う。(略)中田考氏の提案がなんらかの形でいきることを願う。その提案の意味を学術の分野をこえて考えていきたいと思う。ともあれ、ニューヨーク・タイムズの東京支局長が「二人が解放されるには、イスラム国にも公平に支援する」と述べていることは中田氏の意見が十分に考慮するべき選択肢のなかにあることを明瞭に示している。(「保立道久の研究雑記」2015年1月23日
 
・日本のメディアも、トルコとシリアの国境の町、
ガジアンテプからキリスに入っていると思う。人質に関する報道をするにしても、筆舌に尽くしがたい苦難の中にあるシリア難民を無視した取材をしないでいただきたい。日本人のことは案ずるが、難民の生活に思いを寄せないのであれば、誰も日本のメディアに共感しない。目と鼻の先のどこかで捕らえられている人を救うには、国境を行き来する人たちに、彼らを生かさねば と思わせなければならない。マスメディアの人たちが、コーナーなり、明日の原稿なりに気を取られ、自分のすぐ横に、まさしく当事者たる難民がいることに思い至らないことはあまりに多い。自分もマスメディアとともに仕事をするから、そのことはよくわかる。だが、キリスにいる記者やディレクターの皆さん。その町の、雨露もしのげない軒先にも、難民の人びとが肩を寄せ合うように暮らしていることをどうか忘れないでください。日本人は、自国の人質に関心をもつが、自分たちには何の関心も示さないと見られたら、一縷の望みも絶たれることをどうか自覚して行動していただきたい。ハサン中田先生、私、グローバル・スタディーズ研究科、理工学研究科、神学研究科、社会学研究科の先生方、同志社大学のリーディング大学院の履修生、事務職員、皆でキリスを訪問しました。現地NGOの協力で、病院にさえ収容できない人々が暮らす施設を訪れました。いわゆる難民キャンプ以外の市内の家々にも、シリアからの難民の人たちは暮らしているのです。どうか、そのことを見ずに、人質関連のニュースだけ報道したらそれで終わりという感覚で、キリスを訪れないでください。今回のことでキリスに入っているジャーナリストの皆さん、キリスには、すでに何年も前からアサド政権の攻撃から逃れた人々が、市民の家や倉庫や軒先を借りて住んでいることを知っていてください。実は今でも、大勢の人がシリアとトルコを往来しているのです。(内藤正典Twitter 2015年1月23日

・ニッポン国の安倍総理はフランスの週刊紙が襲撃された直後にも関わらず、ノコノコと中東4か国歴訪に出かけ、2900億円をばら撒き、反イスラム国援助のために2億ドル供出すると、滞在先のカイロで演説した直後に日本人二人の殺害予告がネットで流された(略)。安倍総理は、二億ドルは避難民への支援だと発言を修正したが、イスラム国のビデオの声明を見れば、カイロでの安倍総理の演説が今回の事件の引き金になったことは明らかだ。(略)イスラム国はこれまで米国や英国とは区別して見ていた日本に対しても敵対関係にある事を通告したも同然である。安倍総理は記者会見もイスラエルで行った。ここにも配慮不足が露骨に見られた。この事件に関しては殺害予告の期限は過ぎたわけだが、その後の情報はもたらされていない。(略)日本政府は交渉の糸口すら掴んでいないのではないかとの憶測も流れている。最悪の事態は、イスラム国がインターネット上で、日本人二人の殺害シーンを公開することだろう。湯川、後藤両氏のシリア入国後の足取り情報すら掴めていないということは、外務省や日本大使館の現地情報の収集体制も機能していないという事だろう。この分では、中東に限らず、今後とも在外日本人の誘拐・拉致事件は頻発する可能性も大きい。安倍外交が国益を損なう事態になれば、盤石な安倍政権に亀裂が入ることにもなりかねない。(略)昨年12月の解散総選挙で絶対的な安定多数を確保した安倍政権だが、今回の日本人二人が殺害されるような事態になれば、安倍政権は大きなダメージを受けることだけは間違いないだろう。(岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日記 2015.01.23

・中東情勢や日本の対中東外交に詳しい
高橋和夫放送大学教授は、今回の 中東訪問における 親イスラエル路線の表明は アメリカと足並みを揃えることと同時に、安倍政権がイスラエルに接近するメリットがあると判断していることを反映しているとの見方を示す。武器輸出カジノ解禁など安倍政権が推進したい政策にはイスラエルや世界のその分野を牛耳るユダヤ資本との連携が不可欠なものが多いことを高橋氏は指摘する。高橋氏は日本の中東外交は、単に「イスラム国」との対決を明確に表明するだけにとどまらず、イスラエル対イスラム諸国の対立関係において、よりイスラエル寄りの姿勢にシフトしていると説明する。安倍首相は「イスラム国」の人質ビデオが公開された直後の記者会見を、訪問中だったイスラエルのエルサレムで行い、テロに屈しない意思を明確に表明しているが、それはイスラエル国旗と日の丸が並び立つ前で宣言されている。映像的には日本がイスラエルと手を携えて、イスラエルと敵対するイスラムのテロと対峙していく姿勢を明確に打ち出したと受け取られて当然だった。これについてはもう少し配慮のある対応が必要だったと高橋氏は言う。「イスラム国」がイスラムを代表しているわけではないにしても、「日本が十字軍に参加した」ことを理由に起こされた事件のただ中で、「六芒星旗」(イスラエル国旗・六芒星はダビデの星の意味)を前に決意表明をするというのは、もしこれが意図的でなかったのであれば、あまりにも外交センスに欠けるし、意図的だったとすれば、人質問題への悪影響を無視していると言わざるを得ない。高橋氏はあの映像には「イスラム穏健派でも違和感を感じただろう」と言う。(略)イスラム世界は日本の対応を注視している。日本は十字軍に参加したのか。その結果、手にするものと失うものは何なのか。日本が政策変更によって、今回の人質事件のようにイスラムのテロリストの標的となる確率を高めてまで得られるものとは何なのか。(ビデオニュース・ドットコム 2015年1月24日

・安倍首相は「イスラム国」の周辺諸国へ、
2億ドルの対テロ支援を行うと表明した。なぜ最初から明確に平和的な「人道援助」といわなかったのか。思惑があったのは間違いない。だから鋭く「イスラム国」は、この支援を「イスラム国」制圧に使う軍事支援とみなし、邦人2人の身代金要求へと行動をエスカレートしたと思われる。この背景には、2日前の安倍首相のイスラエル訪問がある。総選挙を2か月後に控える同国で、安倍<経済ミッション>は、苦戦が予想されるネタニヤフ首相との会談の中心に、イスラエルの電子機器など、軍事転用ができる製品の共同開発や投資協定を据えた。しかも安倍首相は、意図したかのように中東歴訪中の米国・共和党ジョン・マケイン米上院軍事委員長と、わざわざ面会している。マケインは米国でもタカ派、反イスラム原理主義派 で知られ、同時に軍需産業の代理人でもある。日本・イスラエル・米国の軍需連携強化と、「イスラム国」が見るのも無理はない。まさに日本は「イスラム国」との軍事戦に協力する、欧米諸国と同列の 十字軍」の一員とみなされたのだ。いくら「積極的平和主義」と謳おうとも、衣の下に戦争する国へと武器を取る姿が透けて見えるのだ。日本社会をテロの標的にさらす危険 へいざなった安倍首相の責任は重大である。(Daily JCJ【今週の風考計】2015年01月25日
「日本人人質」問題に関連する「今日の言葉」の補遺。
 
・今回処刑執行者のメッセージには「十字軍」という言葉が出てくるが、かつての私は旅の中でエルサレムクロスのネックレスを見ている。十字軍のシンボルとして使用されたそのエルサレムクロスは赤が基調となる。(略)彼らにとって「赤」とはキリスト教の認識色なのである。そのキリスト教、あるいは十字軍の認識色をこのたびアメリカ人、イギリス人に続き、彼(処刑者)が言うところの彼らの国から8000キロ離れた東洋の一国、日本の国民が着せられたということである。歴史的に中東を搾取して来た西欧十字軍諸国に加え、中東に対する搾取とはいかなる関係もない歴史を持った日本と日本人が十字軍の仲間と見なされたのである。これは深刻なことと言わざるをえない。この深刻な事態を招いたのは日本国首相安倍晋三の拙速だと言える。17日に韓国から帰国後、その日に行われた安倍首相のカイロでの演説を聴いた時、危ういものを感じていた。それは即今回のような事態を想定したということではなく、日本が一線を越え、このグズグズの泥沼状態の中東情勢に足を踏み入れ、果たして大丈夫だろうか、と思ったのである。かねてより平和憲法を持つ日本はなんらかの国際紛争の解決に関与するのに格好の国ではないかと言われていたが、それは平和ボケしたこの国固有の青臭い願望であり、現実というものはそんなに生易しいものではない。だが今回安倍首相は”火中に栗を拾う”そのままに、イスラエル、パレスティナ問題のフィクサー役を気取るとともに、カイロで大々的に中東情勢に関与する演説をぶった。その演説の様子を見て、たかだか国内選挙に再び勝った自信過剰と、もともと生まれ育ちからこの首相に色濃く備わる全能感とが妙に一体化した高揚感を感じた。十字軍の仲間と見なされたこの日本で今後幾年にもわたって何が起きるか予断をゆるさない年月を日本国民は生きなければならない。安倍首相の拙速の責任を問う。(藤原新也「Shinya talk」2015/01/21
 
・イスラム過激派の組織「イスラム国」のメンバーとみられる男が、安否不明となっていた湯川遙菜さんと後藤健二さんを人質とし、身代金2億ドルを要求するという事件が起きました。72時間以内に支払わないと、2人を殺すというのです。(略)それにしても、日本を対象に、どうしてこのような事件が起きてしまったのでしょうか。これまでも「イスラム国」が人質を取って身代金を要求する事件はあり、フランスやスペインはお金を払ったと言われています。しかし、日本人がその対象とされたことはありませんでした。要求された身代金の額もこれまでは数億円で、2億ドル(約236億円)という多額の要求も初めてです。湯川さんが行方不明になったのは昨年の夏で、「イスラム国」に拘束されているらしいという情報はありました。しかし、これまでの半年間、身代金の要求もなければ、このような形での脅迫もありませんでした。それなのに、今回、突然このような形で表面化したのは何故でしょうか。その原因は、はっきりしています。安倍首相の中東歴訪であり、とりわけエジプトでの演説で表明した「イスラム国」対策のための2億ドルの資金援助でした。これが今回の事件の「引き金」を引いたことは明白です。「あなた方の政府は、『イスラム国』と戦うために2億ドルを支払うという馬鹿げた決定をした」という脅迫者の発言でも、そのことは明瞭に示されています。2億ドルという巨額な身代金の額も、安倍首相が示した拠出額と同じです。今回の中東歴訪は安倍首相が自ら望み、わざわざ出かけたものでした。それが、拘束していた日本人の扱いに困っていた「イスラム国」に、絶好のタイミングと格好の口実を与える結果になったのではないでしょうか。安倍首相は「飛んで火にいる夏の虫」ならぬ、「飛んで火にいる冬の安倍」になってしまいました。この時期に、このような形で中東諸国を訪問せず、エジプトであのような演説を行わなければ、今回のような事件は起きなった可能性が高いと思われます。(略)今回、安倍首相がわざわざ中東に出かけて行って、「イスラム国」対策として2億ドルの支援を表明したのは、「積極的平和主義」の実績を示す絶好のチャンスだと考えたからではないでしょうか。そのようなパフォーマンスを見せつけることで、これから始まる通常国会での集団的自衛権行使容認に向けての安保法制の整備に有利な状況を作り出したいという思惑があったように思われます。(略)財界人など46社約100人の幹部を引き連れた派手な訪問で2490億円もばらまいて日本企業を売り込み、多額の経済援助で「いい恰好」しようなどと考えたのが間違いの元でした。それが思わぬ形で裏目に出てしまったということになります。中東の情勢にも「イスラム国」の出方についても全く無知で、判断を大きく誤った結果だったと言って良いでしょう。(五十嵐仁の転成仁語 2015-01-21
 
・「イスラム国」が今回の事件を起こしたのは決して偶然ではない。一つは、昨年の後半を通して、残虐事件の続発を生む「場」が急激に形成されてきたということだ。パリの事件直後に書いた⑨では(1)「イスラム国」によるヤジディ教徒や捕虜の集団虐殺、人質にした外国人の斬首の見せびらかし(2)イスラエル軍によるガザの子供、女性を含一般市民1462人の殺害と10万人を超す市民の住宅破壊―を挙げた。次に、何が起こるか。怖い。偶然ではないもう一つのことは、安倍首相の軽率な中東パフォーマンス、わざわざ「イスラム国」にチャンスを与えた発言だ。安倍首相は今回の中東訪問の最初の国エジプトでの演説(17日)で、新たに25億ドルの援助を表明、そのうち2億ドルを『ISIL(「イスラム国」組織の英語呼称)がもたらす脅威を少しでも食い止める』ための対応として、イラクやシリアなど最前線にあたる国や周辺国の難民・避難民支援などに無償資金協力を行う、と発言した。イラクやシリアの巨大な数の悲惨な難民は、「イスラム国」だけが原因ではなく、シリアでは政府軍の攻撃・破壊が生み出した難民が多い。難民支援に無償資金を行うのは当然としても、わざわざ「ISILの脅威」に限って、名前を挙げたため、「イスラム国」が飛びついた。「イスラム国」は二人の人質を取り、仲介者を通じて身代金交渉を関係者とおこなっていたらしいが、二人はメディアや企業などから派遣されたわけではなく、とうてい支払えない。交渉が進むはずはなかったが、カイロでの安倍演説が絶好なチャンスを提供した。その3日もたたないうちに、安倍演説のイスラム国対応の金額を口実にして、それまで内密な交渉で要求していた金額(2千万ドルとも伝えられる)よりはるかに巨額な身代金を、日本政府に要求したのである。安倍首相はあまりにも軽率だった。この件で政府関係者に「イスラム国の名前をあげたのは、安倍流のパフォーマンスだね。難民支援とだけ言えばいいのに思った」と言ったら、その人は「そもそも、この時期にわざわざ中東まで出かけることはなかった。彼流のパフォーマンスだよ」と答えた。(坂井定雄「リベラル21」2015.01.22
 
・日本人2人が「イスラム国」に身柄を拘束され、身代金を要求されています。2億ドルという極めて高額な身代金です。その直前、安倍総理が中東・イスラエルを訪問し、声高に「テロとの戦い」を叫び、カネの援助を言い出しました。当然のことながら、これが「イスラム国」による身代金要求の引き金です。そして、身代金を要求された後も安倍総理は、「テロとの戦い」を口にしています。安倍総理にとってみれば、仮に人質が殺されようとも日本国内ではすぐに風化するであろうから、その点は大したことはないと考えているようです。今なお、安倍総理が「イスラム国」を煽る言動を取っていることをみれば、そう見ざるを得ません。もともと「イスラム国」で起きていることは明らかに非人道的なことであり、ジェノサイドというべき残虐な状況です。しかし、(略)直接の原因は、米国がイスラエルの侵略行為を擁護しながら、他方で中東の石油利権を守るために親米独裁政権を支援し、そのための多大な軍事援助までしてきました。親米独裁政権に抑圧されたアラブ人民の反発がこの「イスラム国」のようなテロ国家を生み出したのですから、その根本に立ち返られない限り、「テロとの戦い」に勝利することはありません。イラクやアフガニスタンの状況をみれば明らかです。反米政権を軍事力で倒したまでは米軍の圧倒的な軍事力ということができますが、しかし、アフガニスタンもイラクも残ったのは混乱とテロだけです。圧倒的な軍事力ではこのようなテロを防ぐことはできなかったというのが教訓です。にも関わらず「テロとの戦い」などと口にするのは、むしろそのためにこそ軍事力を強化したいという安倍総理の思惑が透けて見えます。そのために人質には殺されてくれた方が安倍総理にとっては好都合ということにもなります。安倍総理からしてみたら、この事件が起きる前に2億ドルの援助と「テロとの戦い」などと口にしていたときは、気分は絶頂だったのでしょう。それは幼い軍国少年が世界に向けてはしゃいでる姿なのです。(弁護士 猪野亨のブログ 2015/01/22
 
・今度の人質事件に関する連日の報道の中で(略)私が最も注目したのは、後藤と名のるジャーナリストが昨年末から(略)イスラム国に捕まって、身代金を要求されていたという事実だ。メディアは知らなかったというのか。いや、後藤氏の人質以前の問題として、湯川遥菜さんという邦人がイスラム国に捉えられ、そのままになっている事は、周知の事実だ。これを要するに、安倍首相と外務省は、邦人がイスラム国にとらわれている事を知りながら、のこのこと敵地に乗り込んだということだ。乗り込んだばかりでなく、喧嘩を売るような演説と資金援助を、中東外遊の無用さをごまかすために、いや、地球儀俯瞰外交、積極的平和外交などというふざけたパフォーマンスの宣伝の為に、世界に向けて大声で叫んだのだ。イスラム国が怒らないはずがない。いや、イスラム国は怒るどころか、格好の餌食が飛び込んできたと、ここぞとばかり行動に出たのだ。莫大な身代金が取れればもちろんそれでよし。たとえ取れなくとも、日本を震撼させ、イスラム国の正当性を世界に誇示し、有志連合にくさびを打てる。今度の人質事件は、まさしく安倍首相と、安倍首相の言いなりになる外務官僚が招いた大失策なのだ。そしていま、安倍政権と外務省は、自ら招いた大失策への対応で動きが取れず、さらなる泥沼にはまり込んでいこうととしている。安倍政権の中東外交大失策の為に日本が巻き込まれる。すべては11年前のイラク攻撃の支持から始まったのである。その総括もしないまま現在に至った、政府・政治家・外務官僚の見事な外交的怠慢のツケである。ツケを払わされるのはいつも国民だ。(天木直人のブログ 2015年01月22日
トウキョウ

以下の今日の深更に見た記事。もちろん、一例にすぎません。が、無性に腹が立ちました。あまりにも悪意と愚劣が充満しすぎている。どこもかしこも権力の提灯持ちだらけ、と私は思います。私はほぼ「戦後」とともに生きてきました。いわゆる団塊の世代。その私の知るかぎり「戦後」最悪、最低の風景。宮台真司はいまの日本のこうした劣化した風景をネトウヨに絞って「感情の劣化」と表現しました。しかし、私は、こうした「感情の劣化」は、ネトウヨにかぎらずいまのニッポンという社会全体に蔓延している「死に至る病」(キェルケゴールはそれを「絶望」とも呼びました)とでもいうべき事態だと思っています。
 
1例目。内藤正典さんの指摘する以下の事態。
 
ハサン中田先生の記者会見「本当に交渉する気なら記者会見なんかしたらダメだろ。そんな人を僕なら信頼しないね」とTVの生番組で他のゲストから言われた。速攻で反論した。中田先生は政府の交渉人になろうとして言ったんじゃない。一ムスリムとして、一イスラム法学者として可能なメッセージを発した。「交渉するなら黙ってやらなきゃ」みたいなことを言った人は政権の意向に沿った発言だろうが、誰がハサン中田先生の行動を制約してるのだ?警視庁公安部だろうが複数の番組で違う人から言われたところを見ると、ハサン先生の努力を否定的に捉えようとする人の傾向が見えてくる。大抵、何らかの筋の意向に沿っている。情報戦だから。もう私は呼ばれないだろう。」(内藤正典Twitter 2015年1月24日

:去年のうちに二人は人質になってたわけですが、まさにその時期に中田先生は公安によって行動を規制され、それまでのように自由に中東へ行くことができなくなりました。なぜ人質解放のキーパーソンを、彼らの協力が最も必要とされる時期に古い刑法をとりだしてまで拘束したのか。中田先生らの仲介で人質が解放されるようなことが「あっては困る」と思う人が政府部内にいたと考える他ありません。(内田樹Twitter 2015年1月25日

2例目。死刑執行に関する辺見庸の感想。
 
「内閣府の世論調査で「死刑はやむをえない」と容認するひとのわりあいが80.3%だったことが公表される。このタイミングで。だから、ちかく執行するということか。」(辺見庸「日録1―4」2015/01/24

「このタイミングで」の内閣府の世論調査の公表。私も辺見とともに意図的な悪意を感じます。
 
3、4例目。
 
・<イスラム国拘束>「日本は十字軍に参加した」根強い敵対(毎日新聞-Yahoo!ニュース 2015年1月24日
・72時間の真意は? 「イスラム国」、力の誇示に主眼か(朝日新聞-Yahoo!ニュース 2015年1月24日
 
「このタイミングで」の上記の記事はどういう意味でしょう? いまもなお救出の可能性のある「日本人人質」をさらに危険に晒すような記事を書いてどうしようというのか? メディアは何でも記事にできる、と思い上がっていないか? 明らかなメディアの劣化。「Yahoo!ニュース」というツールがメディアの劣化をさらに拡散している。その意図的な(そうでない場合もあるでしょうが)悪意が透けて見える。
 
対して、内藤正典さんのメディアへの提言。メディアに働く人たちに考えてほしいことです。
 
「政府高官が、米、英、仏と人質問題で連帯を示したことは、解放を難しくする。」
 
「こういう事件に際して、マスメディアが注意すべき点。人質事件は人質解放という一点に焦点を合わせて報道する。どうでもいいことに時間をかけて報じると、犯行グループ側から「不慣れで操りやすい」とみなされる恐れがある。あるテロ多発国のジャーナリストに言われた。」
 
「日本がムスリムを疎外してこなかったことは、逆に最も強調して報道すべきこと。在日ムスリムの声も。ただし、「あんな奴らはムスリムじゃない」と言いたい気持ちは痛いほど分かるが、在日ムスリムの皆さん、どうか、その発言はこらえてほしい。」
 
「ニュースからバラエティに至るまで、それを考えて放送してほしい。身代金の話は絶対にするべきではない。人質個人についても絶対に報じるべきではない。何が弱みとして利用されるか分からない。逆に政権のミスは指摘すべき。政権が対応を誤っても国民は気づいていることを報じるのは相手を躊躇させる。」(内藤正典Twitter 2015年1月24日 
 
こちらは安倍首相のイスラエル訪問の意図をはっきりと見抜いた田中宇さんの記事。少し「怒り」が治まる。
 
「安倍のイスラエル訪問は、経済関係の強化が主眼だった。(略)今のイスラエルは、ガザ戦争や西岸でのパレスチナ人弾圧を国際的に人権侵害(人道の罪、戦争犯罪)と非難され、最大の貿易相手だったEUは経済制裁を強めている。イスラエルは、EUに代わる貿易相手を探すのに必死だ。そこに日本の安倍首相が、おそらく米国のタカ派政治家から頼まれ、経済関係を強化すると言ってイスラエルを訪問した。日本は、戦争犯罪を犯して国際制裁されて罰せられそうなイスラエルに抜け道を用意してやった。すばらしい平和主義だ。」田中宇の国際ニュース解説 2015年1月23日
ベイルート~ダマスカス間のレバノン・ベッカー県 
ベイルート~ダマスカス間のレバノン・ベッカー県

日本人人質事件の犯行グループ(イスラム国)が72時間と設定し、明日(もう、今日のことになりました)の23日午後2時50分ごろと推定される身代金支払いの期限(殺害予告時刻)が刻々と迫っています。報道によれば、日本政府は、いまの段階においても犯行グループとのコンタクトはとれていない模様です。事態はきわめて「絶望的」な状況にあります。

そうした中で今日、犯行グループのイスラム国幹部とも接点があり、ある意味で本人質事件解決のカギを握る人物といってよい中田考さん(元同志社大学教授・イスラム法学者)と常岡浩介さん(フリー・ジャーナリスト)のおふたりの緊急の記者会見が日本外国人特派員協会でありました。人の生命に関わる緊急事態です。最後までその事件解決の可能性を追求するという意味において、ここでは中田考さんの緊急会見での提言を転載、ご紹介させていただこうと思います。中田さんの提言は田中真知さんの要領を得た要約によります。田中さんは中田さんのカイロ大留学時代の「ご近所さん」で、「ときどきうちで、いっしょにご飯を食べたり」していた友人だったそうです。
 
 
日本人人質事件をめぐるハッサン中田さんの緊急会見
(田中真知「王様の耳そうじ」2015年1月22日)
 
イスラム国の日本人人質事件についてイスラム学者・ハッサン中田考さんの会見が、本日(1/22)日本外国人特派員協会で行われた。午後にはイスラム国での取材を3回行っているジャーナリストの常岡浩介さんの会見も行われた。人質の2人の殺害予告時刻がせまる中での緊急会見であり、イスラム国とのパイプのある数少ない人物からの提言ということで、会場にはほとんどのテレビ新聞メディアがつめかけていた。
 
会見の様子はYouTubeでもあげられているが(略)長いので、ハッサン中田さんの会見の内容と背景を要約して説明します。中田さんはイスラム法学・神学を専門とする元同志社大の教授で、みずからもイスラム教徒。「クルアーン」の日本語訳もされている。外務省の専門調査員としてサウジアラビアに駐在していたこともあり、外務省の求めでカタール政府と交渉してタリバーンの幹部を日本に招聘したこともある。中東から東南アジアにいたるまで、スンナ派、シーア派にかかわらず膨大な友人や研究者の人脈をもっている。外務省とイスラム主義者と呼ばれる人たちとのパイプ役を果たせる数少ない、というかほとんど唯一の日本人である。
 
その中田さんからイスラム国の日本人人質の救出について提言をするというのが、今回の会見の主目的だった。だが、その前に今回の事件との中田さんのかかわりについて会場でわたされた資料や週刊ポスト誌(2014.12.5)に掲載された記事などをもとに、かんたんに説明しておく。
 
 中田さんは1980年代後半から90年代初めにかけてのカイロ留学時代に、現在のイスラム国司令官になっているウマル・グラバー氏の知人らと交流し、その後、イスラム国成立以前のウマル氏と友人として、また研究のための交流を重ねてきた。
 
 昨年8月、湯川さんがシリアでイスラム国に拘束されてまもない8月26日、ウマル氏より中田さんに連絡があった。現在拘束している湯川さんの裁判をイスラム法に基づいて行いたい、ついてはイスラム法がわかり、アラビア語ができる人をお願いしたい、裁判がイスラム法にのっとって公正に行われたことを証明するための証人としてジャーナリストも連れてきてほしいというものだった。
 
これは緊急に対応したほうがいいということでイスラム法学者であり通訳のできる中田さんと、同じくイスラム国での取材歴のある常岡浩介さんが早急にイスラム国入りをすることにした。その際、中田さんは外務省にも協力を要請する。トルコからシリアへ入国する際、命の危険があるのでトルコ政府に協力をもとめてほしいこと、シリア政府軍による空爆が予定されているので一刻も早い日本出国とシリア入国の手はずをととのえてほしい、というものだった。
 
だが、外務省はこれらの要請を却下。シリアは退避勧告が出ているから行かないでほしい、行くなら自己責任でといわれる。結局、すべてを自分たちで手配し、旅費も自己負担した。このため時間がかかり、出国できたのはウマル氏の連絡から一週間後だった。イスタンブールの空港には大使館員のスタッフがまっていて、外務省は救出にかかわりをもたない旨を確認されられる。外務省からトルコ政府への協力要請もなかったので、移民たちを乗せたローカルバスでの移動になり、空爆のはじまる危険が刻々と迫る中、シリア国境をこえてやっとイスラム国入りをはたす。
 
そこで会ったグラバー氏は、湯川さんに身代金を要求することや、見せしめに殺害するといった危険はないし、人質解放の可能性は高いといわれる。湯川氏にも面会できるはずだった。ところが、時間がかかりすぎたため、到着してまもない9月6日にシリアのアサド軍による過去最大の空爆が始まり、湯川氏を拘束している責任者とも連絡がとれなくなる。やむなく9月14日に中田さんと常岡さんはトルコに引き返した。すみやかに外務省の協力がえられて、もう少し早く現地にたどりつけていたら助けられたかもしれなかった。
 
このシリア行きから帰国して3週間ほどたった10月7日、中田さんは突然公安警察から家宅捜索を受け、パソコンやスマートフォン、アラビア語の文献などを押収される。北大生のイスラム国への渡航を助けたという嫌疑で「私戦予備・陰謀」という、これまで実際に適用された例のない容疑をかけられ被疑者とされる。北大生事件についてはここではふれないが、それによって中田さんは以来、実質的に身動きのとれない状態になってしまう。メディアでの発言も控えて、迷惑がかかることからパイプのある司令官ともコンタクトを避けていた。しかし、今回は急を要することであり、人命がかかっていることなので会見ならびに提言をすることにした、というのがこれまでの背景である(長くなってしまった。。)。
 
ここからは会見での中田さんの発言の要点を引用します。
 
 「今回の事件は安倍総理の中東歴訪のタイミングで起きた。総理自身はこの訪問が地域の安定につながると考えていたが 残念ながらバランスが悪いとおもう。訪問国が、エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナとすべてイスラエルに関係する国。イスラエルと国交をもっている国自体がほとんどないことを実感していない。そういう選択をしている時点で、アメリカとイスラエルの手先とみなされ、難民支援・人道支援としては理解されがたい。現在、シリアからの難民は300万人といわれ、その半数以上がトルコにいる。そのトルコが支援対象から外れているという時点でおかしい
 
 「日本人2人がイスラム国に拘束されていることは政府も把握していた。それなのにわざわざイスラム国だけをとりあげて、対イスラム国政策への支援をするという発言は不用意といわざるをえない。中東の安定に寄与するという発言は理解できるが、中東の安定が失われているのはイスラム国が出現する前からのこと。
 
 「テロリストの要求をのむ必要はもちろんないが、そのことと交渉のパイプをもたないこととは別の問題。たとえ無条件の解放を要求するにしても、安全をどのように確保するのか。その間、空爆を停めることができるのか、だれがどこに人質を受け取りに行くのか。だれと交渉するのかといったさまざまな問題がある。これまでにもこうしたときに仲介者の偽物が現れてアメリカがだまされるというケースもたくさんあった。正しい相手と正しく話さなくては話にならない。
 
 「ここからは私個人の提言をしたい。それはイスラム学者、イスラム教徒としての立場でもあり、同時に日本国民としてアメリカにも日本にも受け入れられるぎりぎりの提言でもある。総理はイスラム国と戦う同盟国の側に人道援助をするといっているが、この論理は同様にイスラム国にも適用されるべきだと考える。
 
 「現在のイスラム国の前身はイラクのスンナ派のイスラム運動。彼らはアメリカ軍によってイラクが攻撃されたことを自身の体験として覚えている。サダム・フセイン政権が倒れたとき、彼らもふくめてほとんどのイラク人は米国軍を歓迎していた。それが数ヵ月で反米に変わった。空爆でとくに女性や子供たちが殺され、それに対してアメリカがまったく補償をしていないことへの怨嗟があり、それがいまもなおくり返されている。イスラム国が行政の責任をもっている地域で多くの人たちが空爆によって殺されている。
 
 「私としては、テロリストの要求に屈して身代金を払ったというのではなく、それをイスラム国の支配下にある地域の国内避難民に対する人道的支援のために支払うという形にできればと思う。それにあたってはトルコに仲介役になってもらって赤新月社(国際赤十字)を通してやってもらう。それではテロリストに対する支援になってしまうのではないかいう質問もあったが、イスラム国、あるいはイスラム国の前身であるヌスラ戦線が、ここまで支持を広げた大きな理由は、軍閥や民兵集団とちがって彼らが援助金や物資をひとびとに公平に人びとに分配したから。それを信じてかれらにまかせる。これがいちばん合理的で、われわれとイスラム国側の、どちらの側にも受け入れられるぎりぎりの線ではないかと思う。
 
 「最後に、イスラム国にいる私の古い友人たちにメッセージをおくりたいと思います。はじめは日本語で、つぎにアラビア語で呼びかけます。ウマルさんへ、イスラム国の友人、知人たちへ。日本の政府に対して、イスラム国が考えていることを説明し、こちらから新たな提案をするから待ってください。でも、72時間はそれをするには短すぎます。もう少し待っていただきたい。もし交渉ができるようでしたら私自身イスラム国へ行く用意もあります。1月17日にヤズィーディー教徒350人を人道目的で解放したことも知っています。それを私も評価していますし、印象もよくなっています。日本人を釈放することがイスラムとイスラム国のイメージをよくするし、私も、日本にいるすべてのムスリムもそれを望んでいます。72時間は短すぎます。どうか聞いていただければ幸いです。
キャンプ・シュワブ 
ダグラス・ラミスさんの40人余りの辺野古ゲート前行動に参加した人たちがたまたま乗り合わせた「辺野古バス」車内での話し合いの報告。いまの翁長県政の現状を先の知事選で翁長氏を支持した人たちはどう見ているかの普段着の風景のスケッチになっています。翁長知事、翁長県政に対するクエスチョンマークの声はけっして一部の人たちの尖鋭の声ではないことはこのダグラス・ラミスさんの「辺野古バス」スケッチからもうかがい知ることができるように思います。
 
以下、「Peace Philosophy Centre」ブログ(2015年1月20日)から。
 
ダグラス・ラミス:17日、「島ぐるみ会議」の「辺野古バス」で話し合ったこと ー『ジャパン・フォーカス』記事より (Peace Philosophy Centre 2015年1月20日)
 
辺野古では、7-8割の沖縄県民が反対しており、昨年11月の県知事選挙でも反対の立場を取る知事が当選するなど揺るぎない反対の民意の中で、国による新基地建設のための作業の強行が続いており、キャンプ・シュワブゲート前で抵抗する人たちや海上で抗議する人たちに頻繁にけが人が出ている(琉球新報20日社説 辺野古強行警備 誰から誰を守るのか)。基地建設に反対する市民や政治家、識者などでつくる「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」(通称「島ぐるみ会議」)は15日から毎日バスを那覇市と沖縄市から運行させ反対する市民が現場に行き易くしている。
 
1月17日、このバスに那覇から乗って抗議行動に参加した米国出身、沖縄在住の政治学者、C・ダグラス・ラミス氏は一日の活動の様子を英語で The Asia-Pacific Journal: Japan Focus に投稿した。
 
The Bus to Henoko: Riot Police and Okinawan Citizens Face-off over New Marine Base
「辺野古へのバス: 新海兵隊基地をめぐっての機動隊と沖縄市民の対決」
http://www.japanfocus.org/events/view/240
 
このラミス氏の記事の全訳をしたいところだが、日本語では、辺野古と大浦湾での抵抗の様子は沖縄の新聞-沖縄タイムスや琉球新報で毎日報じられている。琉球新報は2月までに限って電子版を誰でも無料で読めるようになっているのでチェックしてほしい。
 
今回はラミス氏の記事の終盤の部分、17日、辺野古から那覇に戻る「島ぐるみ会議」バスの中でマイクを回しながら交わされた会話の報告が貴重であるとおもい、そこを抜粋翻訳して紹介する。本文では、In the bus on the way back... 以降の部分である。
 
帰りのバスの中で、人々はマイクを回し合い、感想を語り合った。ほとんどの人は明るい調子で語った。家にいて新聞を読んでテレビを見て非常に腹が立ち、居ても立っても居られない気持ちになって辺野古に来てエネルギーが湧いたと。
 
私の番が来たとき、もう選挙が終わってしばらく経つこともあり、発言に気を遣うことはもうやめて、政治的な話をそろそろしてもいいかなと思って切り出してみた。
 
私はまず、辺野古に来てほっとした面もあるが、それはあくまである程度に過ぎないと言った。なぜなら、そこで私が知ったことは、というより確認できたことは、このような抵抗を24時間体制で3か月続けることは、これが沖縄であるということを考えると可能ではあるとは思いつつ、やはりあまりにも厳しいのではないかと思うと。
 
(ラミス発言続き)私たちはみな、翁長知事が、前任者の裏切り知事が政府に与えた埋め立て承認の取り消しか撤回をすることを待っている。知事はこの問題を検証するには3か月かかるかもしれないと言っている。しかしそれは長すぎるのではないか。(拍手がおこる)取消の場合は3か月かかるかもしれないことは理解できる。法廷に持ち込まれたときに対応できるようなしっかりした法的な根拠に基づかなければいけないだろう。しかし撤回なら今日でも明日でもできる。これは政治的な判断だからだ。専門家の意見を要するものではない。撤回の決定をしてもらいたいと思っている人々に選挙で選ばれたという事実に基づき知事は決定できるのである。だからありとあらゆる方法を使って、知事に一刻も早くそれをしてもらうように促そうではないか。(拍手がおこる)
 
そうしたら中年の男性がすぐマイクを取ってそのアイデアに賛同した。彼は、三日三晩現場に滞在し、テントで寝たと語った。というか、寝ようと試みたということだ。雨が降っており、テントは水漏れして、三晩目には一晩中咳が出たという。だから諦めて家に帰ってしばし休息した後また日帰りでその日参加したと。彼の話で明らかになった-このようなことを3か月も続けていたらたくさんの人が体を壊してしまうだろうと。そして次はある女性がマイクを握り、どうしたら知事を動かすことができるだろうかと尋ねた。私は、電話をかけたり新聞に投書をしたりすることはどうかと答えているいるときに、由井晶子さんといって、元新聞記者でよく知られた運動家がマイクを取った。
 
彼女はこう言った-私は「島ぐるみ会議」(このバスを手配した組織)の共同代表を務めている。この会議は設立されて間もなく、今行うべき行動を模索している。皆さんが賛成してくれるのなら、ここで話していること-ある日この会議が手配したバスに乗っていたときの乗客たちが、「島ぐるみ会議」の影響力を使って、知事に埋め立て承認撤回・取消を急ぐように促すようにお願いしている-ということを次の会議で伝えることができます、と。(ここでも拍手が起こった)
 
最初は、誰かが要請書を書いて他の人たちが皆署名してという案が出たが、100%が賛成したわけではなかった。1人の女性がマイクを取り、今私たちはこの人を知事として選んだばかりなのだから、もう少し好意をもって見守り、知事はご自分のしていることを心得ていると信じるのがいいのではないかと提案した。
 
その時点でバスは那覇に入り、時間切れとなった。要請書の案はなくなり、由井さんは、いずれにせよ話し合ったことを次回の会議で報告し、「島ぐるみ会議」が行動を起こすように促すと言った。この時点で解散となった。
 
由井さんの尽力が実を結ぶかどうかはわからないが、結果を生み出しても私は驚かない。由井さんは大変パワフルな性格の持ち主で尊敬を受けている人だ。
 
そして同時に言えることは、この40人強の人たちの中では、翁長氏が行っていることや行っていないことを批判的に語ることはタブーではなかったということだ。怒り出したり、「分裂させる」とか言う人もいなかった。ほとんど全員がこの分野(埋め立て承認の取り消し・撤回)において、翁長氏に助言するべき状況であるということに賛成しているようだった。
 
このグループが、行動を起こす準備ができている度合いにおいて典型的なグループであるとしたら、沖縄で現在起こっている大きな政治的・文化的再編成は、最も可視化されてきたのは最近の一連の選挙であるにしても、基本的には草の根からの現象であるということが言えるのではないか。
 
以上、ラミス氏の「辺野古バス」報告からの抜粋翻訳である。バスの中の人たちのメッセージが「島ぐるみ会議」、そして、翁長知事に届くことを願う。
 
現場で闘っている人に申し訳なく思う。一刻も早く作業が止まるように、けが人がもう出ないように、基地建設が断念されるように、全力でできることをする。
政府は「人命第一」というのであればいますぐイスラム国幹部とも「友人」関係のあるおふたりの日本人ムスリム、中田考さん(元同志社大学教授・イスラム法学者)と常岡浩介さん(フリー・ジャーナリスト)に「日本人人質」救出のための交渉を依頼するべきではないか。
 
常岡浩介さん(ジャーナリスト)の緊急声明
                (2015年1月21日)

    先ほど、帰宅いたしました。
 
警視庁公安外事三課に対して、私戦予備陰謀事件というでっち上げ
の違法捜査には協力しないと申しましたが、邦人の人命救助のため
    なら外務省にも、警察にも喜んで協力します。

私とハサン中田考先生はイスラム国と交渉が出来ます。が、イスラム
国側の連絡先情報を警察がおさえた今、盗聴、発信元探知などで相
手方に危険が及ぶ可能性があり、現地に連絡を試みることができて
    いません。
 
日本政府がオマル・グラバ司令官の身柄の安全を保証し、私とハサ
ン先生を交渉人として認めてくれれば、私たちは湯川さん、後藤さん
の解放をイスラム国に直接、訴えることができます。日本の拠出する
2億ドルはあくまで人道支援目的に限定されたもので、イスラム国を
軍事攻撃するためのものではないと説明できます。さらに、イスラム
国側が安倍総理の対中東政策をもって、日本人人質を処刑するのは
   不当、不適切だと説明します。
 
オマル・グラバ司令官の説明では、去年の8月から10月にかけて、イ
スラム国は湯川さんを処刑したり、身代金を要求する意志がないこと
を明言していました。今回、その方針が変わった理由を問い質します。
 
現時点で、外務省からも、警察からも、連絡などは一切ありません。
日本政府が独自にイスラム国と交渉し、人質を解放させられる見通し
と自信があるのなら、問題ないと思いますが、そうでないとしたら、な
   ぜ、連絡がないのか、首を傾げます。
 
「常岡浩介さん、中田考さんの力を借りて、すぐに交渉に入ることだ。(略)いま日本で、というより世界で、イスラム国幹部と直にやり取りできる人物は常岡浩介さんと中田考さんしかいない。しかも二人は、拘束された湯川さんの通訳としてイスラム国に招かれている。向こうに信用されているわけだ。彼らほど適任の交渉窓口はないではないか。」(高世仁の「諸悪莫作」日記 2015-01-20

「こういう時にこそ、イスラム法学者の見解を日本語で読んだり聞いたりすることが必要。唯一、イスラム法学の見解を公開してこられたハサン中田先生に沈黙を余儀なくさせるとは愚かなこと→http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/
nnn?a=20150115-00000083-nnn-soci
…」内藤正典Twitter 2015年1月15日
 
「ゆめ同じ暴力の土俵に乗らないこと。ソフトパワー日本のブランド力に立ち戻ること。ハッサン中田先生を三顧の礼で官邸に迎えること。できることはすべてすること」(池田香代子Twitter 2015年1月20日

附記1:中田考氏(元同志社大学客員教授)記者会見
 
日時:1月22日(木)10:00開始
場所:日本外国人特派員協会
 
中田氏は、昨年9月、今回人質となっている湯川遥菜氏の裁判での通訳をイスラム国から依頼され、シリアのイスラム国支配地域を訪問しています。今回の人質事件について、中田氏がどのように分析、解説するのか、注目されます。
 
 
日時:1月22日(木)15:00開始
場所:日本外国人特派員協会
 
常岡氏は昨年秋、イスラム国へ向かおうとした北海道大学の学生が私戦予備・陰謀の疑いで事情聴取された事件に関与したとして、元同志社大教授のイスラム研究者・中田孝氏とともに、警察から捜査を受けています。今回の人質事件について、常岡氏が何を語るのか、注目されます。

附記3:安倍政権の対応→「安倍政権は関係閣僚会議を開き、人質の早期解放に向けて政権が一丸となって取り組む方針を確認。一方、国内のテロ警戒の強化も進めている。」(朝日新聞 2015年1月21日21時49分

附記4:
 
IS( イスラム国) による日本人人質事件に対する声明
2015年1月20日
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)
 
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会( JVJA )はフォトジャーナリストやビデオジャーナリストの団体です。
 
私たちは、イラク戦争とその後の占領下において、米英軍を中心とした有志連合軍による攻撃がイラク市民にどんな災禍をもたらされたかを取材、テレビや新聞などで報道してきました。また、イスラエルのパレスチナ・ガザ地区への無差別攻撃に晒された市民を取材し、テレビや新聞等で報道してきました。私たちの報道はけっしてアメリカやイスラエルの攻撃を肯定するものではありませんでした。
 
私たちジャーナリストが、現場での取材を通して理解した戦争下の住民の現実だったからです。同時に、報道を通して私たちはあらゆる暴力を批判してきました。日本政府の戦争政策に対しても批判してきました。イスラエルのガザ攻撃に対しても、私たちは強く批判してきました。私たちは現在の安倍政権の戦争を肯定するかのような政策を、報道を通して批判しています。
 
現在、IS(イスラム国)が拘束している後藤健二さんには、取材の現場で会ったことがあります。後藤健二さんもまた、イラクやシリアでの戦火に苦しむ市民の現状をテレビやインターネットで報道してきました数少ないジャーナリストです。湯川遥菜さんは、私たちと直接の接点はありませんでしたが、報道によると個人的な興味から「イスラム国」に入ったようです。
 
私たちは、暴力では問題の解決にならないというジャーナリズムの原則に立ちます。武力では何も解決されない現実を取材をとおして見てきたからです。「交渉」を含むコミュニケーションによって問題解決の道が見つかると信じます。
 
私たちは、IS(イスラム国)の皆さんに呼びかけます。日本人の後藤さんと湯川さんの2人を殺さないように呼びかけます。人の命は他の何ものにも代え難いものです。イスラムの教えは、何よりも平和を尊ぶことだと理解しています。
 
私たちは、同時に日本政府にも呼びかけます。あらゆる中東地域への軍事的な介入に日本政府が加担することなく、反対し、外交的手段によって解決する道を選ぶようにと。

レイバーネット
Peace Philosophy Centre」より転載

辺野古に基地はつくらせない!

2015/01/25 1.25国会包囲ヒューマンチェーン
沖縄の民意を無視するな!辺野古に基地はつくらせない!
 
シンボルカラーは青です。青い服、青い布、何でもいいので美しい海の青い色で国会を囲みましょう。
 
14時〜リレートーク、
15時〜ヒューマンチェーン
終了見込み時刻は15時半です。
 
場所:国会周辺
(国会正門向かいの通りから集まり、国会包囲を目指します)
 
最寄り駅(国会議事堂前、永田町、霞ヶ関)
 
主催:「1.25国会包囲ヒューマンチェーン」実行委員会
 
2015年1月は、沖縄の全41市町村長を含む代表団が東京・日比谷野外音楽堂で集会・デモを行い、安倍首相に「建白書」を直接手渡してから2年となります。「建白書」の要求は2つでした。
 
1.オスプレイの配備を直ちに撤回すること。
2.米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、辺野古への「移設」を断念すること。
 
その後、仲井眞知事(当時)が公約をひるがえして、辺野古埋め立てを承認するということもありましたが、今や、辺野古新基地建設は認めないという沖縄の民意は明らかです。
 
2014年11月16日、辺野古新基地建設反対を掲げる翁長雄志氏が沖縄県知事選に勝利しました。12月14日の衆議院選挙においても、辺野古新基地建設に反対する候補が沖縄全4区で当選しました。しかし、安倍首相は「普天間の固定化はあってはならない。選択肢は辺野古しかない」と述べ、あくまでも辺野古に基地を建設する姿勢を変えていません。
 
日本全土の0.6%の面積の沖縄に在日米軍基地の74%を押しつけている上に、普天間基地の撤去を理由に基地を沖縄県内でたらい回しにすることは許されません。選挙の結果を見ても沖縄の民主主義は機能しています。今問われているのは日本「本土」の市民の人権感覚と民主主義ではないでしょうか。
 
政府が沖縄の民意を無視しようとしている今、日本「本土」の側でも反対の声をあげ、辺野古にも高江にも基地はつくらせないという私たちの抗議の意志を目に見える形で明らかにしましょう。
 
2015年1月25日は国会開会日の前日となる見込みです。翌日からの国会の議論にも影響を与えるべく、ヒューマンチェーンで国会を包囲します。
 
<呼びかけ団体・個人>
青木初子(部落解放同盟品川支部、名護市出身)
/アジア共同行動
/ATTAC Japan(首都圏)
/厚木基地を考える会
/アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会
/うちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会
/沖縄意見広告運動
/沖縄の自立解放闘争に連帯し反安保を闘う連続講座
/沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック
/沖縄文化講座
/沖縄のための日米市民ネットワーク(JUCON)
/オスプレイの沖縄配備に反対する首都圏ネットワーク
/<語やびら沖縄>もあい練馬
/川平朝清(東京沖縄県人会名誉会長)
/鎌田慧(ルポライター)
/協同センター・労働情報/金城驍(東京沖縄県人会副会長)
/金城吉春(中野・あしびな~)
/原子力空母の母港化に反対し基地のない神奈川をめざす県央共闘会議
/憲法九条やまとの会/相模補給廠監視団
/島袋徹(東京沖縄県人会事務局長)
/島袋善弘(山梨県立大学名誉教授)
/ジュゴン保護キャンペーンセンター
/STOP! 辺野古埋め立てキャンペーン
/すべての基地にNOを・ファイト神奈川
/戦争反対・平和の白いリボン神奈川
/全国労働組合連絡協議会
/高橋哲哉(哲学者)
/俵義文(「子どもと教科書全国ネット21」事務局長)
/日韓民衆連帯全国ネットワーク
/日本山妙法寺/反安保実行委員会
/「バスストップから基地ストップ」の会
/非核市民宣言運動ヨコスカ
/ピースサイクル首都圏ネット
/ピース・ニュース
/ピースボート
/フォーラム平和・人権・環境
/平和をつくり出す宗教者ネット
/平和をつくる大和市民の会
/辺野古への基地建設を許さない実行委員会
/辺野古リレー~辺野古のたたかいを全国へ~
/本郷文化フォーラム・ワーカーズスクール
/前田哲男(軍事ジャーナリスト)
/宮森・630を伝える会
/許すな!憲法改悪・市民連絡会
/ゆんたく高江/
ヨコスカ平和船団
/労働運動活動者評議会
/渡辺美奈(女たちの戦争と平和資料館(wam)事務局長)
 
問い合わせ
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック TEL:090-3910-4140090-3910-4140
沖縄意見広告運動 TEL:03-6382-6537
ピースボート TEL:03-3363-7561
辺野古浮桟橋建設強行 いま、沖縄現地の闘いはどうあるべきか」の問いの続きとして今度は「チョイさんの沖縄日記」(2015年01月18日)の声を聞いてみたいと思います。「今、翁長知事が何よりも急ぐべきこと」というチョイさんの真摯な追迫の問いに翁長知事はどう応えるべきか。また、「選挙で翁長氏を擁立・支援した人たち」はどう応えるべきか。
 
今、翁長知事が何よりも急ぐべきこと---「仮設桟橋」造成強行を許してはならない(チョイさんの沖縄日記 2015年01月18日)
 
1.「仮設桟橋」の造成は、実質的な埋立開始
 
何よりも事態は急を要している。17日(土)には、辺野古崎から対岸の長島までフロートが敷設されてしまった。汀間漁港から辺野古漁港に行くためにはここを通行していたのだが、今後は船の行き来はできなくなる。抗議のカヌーや船団の往来を阻止した上で、これからは、フロートをさらに広げ、海底ボーリング調査や「仮設桟橋」(大型突堤)の造成を進めていくことが予想される。特に、大浦湾への「仮設桟橋」(大型突堤)造成工事は、大型ダンプトラック5000台以上もの大量の石材を海に投入するというもので、実質的な埋め立ての開始だ。なんとしても、着工を許してはならない。15日(木)夜の報道ステーションやニュース23は辺野古の工事再開を大きく報道したが、そこに下の写真のような基地内部の映像があった。上は海上に並べるフロートだが、下は、「仮設桟橋」(大型突堤)造成のための金網に入った大量の石材だ。何時の間にか、もうこれだけ多くの資材が現場に搬入されていたのだ。(略)この「仮設桟橋」(大型突堤)の造成箇所は(略)辺野古崎のすぐ北の大浦湾側だ。今回、辺野古崎と長島の間が封鎖されたのは、この「仮設桟橋」(大型突堤)工事に備えたものであろう。(略)

ニュース23 
 
「ニュース23」の写真は、ここでいう「港湾築堤マット」で、金網の中に石材を入れたものだ。映像から推測すると2m×2m×1mほどの大きさだろう。「仮設桟橋」(上でいう「仮設岸壁」)の造成は、まず、「クローラクレーンによる割栗石の投入均し」から始まる。「港湾築堤マット」を積み上げるには、まず割栗石を投入して平坦に均す必要がある。これらの割栗石を撤去することは不可能だ。また、いったん投入された「港湾築堤マット」を撤去することも金網が破損することもあり極めて困難だろう。「仮設桟橋」(大型突堤)の着工は、実質的な埋立開始であり絶対に許してはならない。
 
2.翁長知事はただちに「仮設桟橋」造成を中止させよ!
 
基地の県内移設に反対する県民会議は、1月14日、県に対して、この「仮設桟橋」(大型突堤)造成は公有水面埋立法に基づく「設計概要の変更申請」が必要であると防衛局を指導せよと申し入れてきた。(略)17日の新聞によると、「県は県民会議の要請に応じ、フロートのアンカーや仮設岸壁の設置作業に県知事の許可が必要かどうか検討するため、防衛局に文書照会した」という。(沖縄タイムス、2015.1.17)一応、県民会議の要請に応じたことは評価できるが、問題は、「照会作業中の作業中止は要請しない」と報道されていることだ。文書照会の回答期限は今月30日だが、今の状況ではそれまでに大浦湾に大量の石材の投入が始まってしまう。翁長知事は悠長に構えているのではなく、事態の深刻さを認識しなければならない。防衛局の作業着手を絶対に許してはならない。事態は急を要している
高瀬川沿い  

・フルビネク
 
「フルビネクは1945年3月初旬に死んだ。彼は解放されたが、救済はされなかった。彼に関しては何も残っていない」の文章がすきだ。いつ読んでも、とてもすきだ。静まる。(辺見庸日録1-3」2015/01/16)
 
フルビネクについて、プリーモ・レーヴィは次のように記しています。「フルビネクは三歳で、おそらくアウシュヴィッツで生まれた。木を見たことがなかった。(略)フルビネクには名前はなかったが、その細い腕にはやはりアウシュヴィッツの入れ墨が刻印されていた。フルビネクは一九四五年三月初旬に死んだ。彼は解放されたが、救済はされなかった。彼に関しては何も残っていない。彼の存在を証言するのは私のこの文章だけである。」『休戦』(岩波文庫)
 
・マルキ・ド・サド
 
パリ解放以来の数の人々が「反テロ」のデモに立ち、約100年ぶりに議会で議員たちが国歌「ラ・マルセイエーズ」を斉唱した。フランスでは愛国が渦巻いている。テロリズムの目論見は成功したというべきだろう。彼らの望みは「愛国」の名の下に、その度合いによって人々が分断されることだったから。アメリカの偉大な(風刺)漫画家ロバート・クラムが、今回のテロ事件について「ニューヨークオブザーヴァー」のインタビューを受けている。彼はもう二十五年近く、フランスに住んでいるのだ。「えっ、誰からもインタビューされてないのですか?」といわれ「訊いてきたアメリカ人は君が最初」と答えた。クラムは今回のテロについて「9・11にそっくりだ」と答えた。「あの時も、政府はあの事件を、いろんな敵を「取り締まる」ための口実にしたからね」。クラムは「シャルリー・エブド」の風刺画については(穏便な言い方ではあるけれど)「ひどいものだ」といっている。「それがこの国のやり方なんだ」「予言者」を描いて挑発を繰り返す「シャルリー・エブド」式のやり方はいやだ。だが、漫画家としてやることはないのか。クラムは「ムハンマドの尻」というカートゥーンを描いて「リベラシオン」に渡した。もう載っているはずだが。顔じゃなくて尻(しかも、予言者ではなく、よく似た名前の友人の)。自分たちが批判し揶揄してきたはずの国や権力から熱烈な連帯のことばを贈られて、これからあの雑誌はどうするのだろう。まず風刺すべきなのは、デモで共に腕を組んでしまったイスラエルを筆頭とする国家の首脳じゃなかったんだろうか。ぼくが「表現の自由」ということばで思い浮かべるのは、マルキ・ド・サドだ。彼は後半生の大半を牢獄と精神病院で過ごした。危険思想の持ち主の故に、である。だから、彼の作品の多くは牢獄で、しかも見つからぬようにひっそり書かれた。彼の作品は次々に禁書になったが、彼は誰にも抗弁しなかった。彼は自分の作品が禁書になる理由を知っていた。彼の作品は究極の自由をテーマにしていて、それは国家や法にとっては許しがたいものであった。だから、彼は法にも国家にも頼らなかった。いつもひとりで、たったひとりで、自分の作品を守った。黙って牢獄に入り、病院に送られたのである。クラムは「シャルリー・エブド」の「商業主義」も批判している。「あの雑誌は、2011年の爆弾事件から「売れる」ものになりました。ラディカルな少数派が昔ながらの商売人になってしまう典型的な例です。あんなものアメリカにはありません」。商業主義に抵抗し続けてきたクラムの誇りがうかがえる。(高橋源一郎Twitter 1月14日)
辺野古岬

本ブログの2015年1月16日と17日付けの「今日の言葉」から「私の沖縄日記―広島編」ブログ主宰者の声に耳を傾けてみたいと思います。

私はいまのところ「私の沖縄日記―広島編」ブログ主宰者のように明快に翁長沖縄県知事を批判することのできる認識を持ちえません。翁長知事に同ブログ子が指摘するような重大な優柔不断さがあることは確かなことだと私も思うものの、翁長知事は、その言葉が県民にとって不十分なものであったとしても、辺野古移設のための政府の海上作業のを再開について「大変残念だ」と述べ、「作業が再開されたことに不快感を示し」(
琉球新報、2015年1月16日)ていることももう一方の事実というべきでもあるからです。

なによりも、私たちは、自治体レベルで辺野古移設作業を中断させる法的な権限を持つカードを翁長知事のほか持ちません。そのわれわれのカードとしての知事を追い詰めて他にどのような展望が開けるというのか、という思いもあります。そういうわけでいまのところ私は明快な認識を持ちえないのです。が、ともあれ、「私の沖縄日記―広島編」ブログ主宰者の指摘は十分煮詰められたものとは思いませんが一応の正論(法的解釈に誤りを含み、その主張も「樹を見て森を見ない」ところがあるようにも見えます)だとは思います。したがって、ひとつの重要な問題提起として一応の正論のままにご紹介させていただこうと思います。そこから方途を探っていくほかありません。

・16日で沖縄知事選から2カ月になります。選挙で示された「辺野古新基地建設反対」の県民意思に背を向け続ける安倍政権の暴挙は絶対に許せません。同時に、この間の
翁長雄志知事の言動にも多くの疑問を禁じえません。(略)翁長知事は就任後、実に3度にわたって上京しました。(略)安倍首相や菅官房長官が「嫌がらせ」で会わないのなら言語道断です。(略)そもそも翁長知事は3回も上京する必要があったのでしょうか。(略)先の総選挙で「オール沖縄」として当選した仲里利信衆院議員は、「東京で閣僚が会おうとしないなら、知事は会わないでいい。(略)その代わり、やるべきことはちゃんとやる。(水面下の交渉などの)パイプ役は必要ないと思っている」(12日付沖縄タイムス)と述べています。(略)県民をバックに当選した知事には、中央政府に対するそうした毅然とした態度こそ求められているのではないでしょうか。では、翁長知事が「ちゃんとやるべきこと」とは何でしょうか。言うまでもなく、辺野古新基地建設阻止です。その県民の意思を明確に政府に突き付けることです。ところが、3回の上京で唯一会談した山口担当相に対し、翁長知事はなんと「辺野古」のへの字も口にしなかったのです(略)(12月27日付毎日新聞)いったい、翁長知事は何をしに東京へ行ったのでしょうか。(略)辺野古は重大な事態を迎えています。14日未明の工事資材搬入に続き、15日未明には沖縄県警による抗議市民の強制排除が強行されました。県民の度重なる意思表明を無視してあくまでも工事を強行しようとする安倍政権の暴挙は断じて許せません。同時に、この辺野古の事態に対し、翁長知事にはまったく責任がないと言えるでしょうか。県警による市民の強制排除は、県知事である翁長氏に事前になんの報告もなかったのでしょうか。もしもそうだとすれば、知事に無断で抗議市民を強制排除するという暴挙を行った県警本部長を、翁長知事は処分すべきです(引用者注1)。なによりも、辺野古で繰り返されている重大な事態は、翁長知事が埋め立て承認を取り消せば、あるいは撤回すれば、とりあえず止まる(引用者注2)のです。翁長知事は「検証チーム」に下駄をあずけて「結論」を「少なくとも数カ月」先に延ばすのではなく、直ちに「取り消し・撤回」を表明すべきです。(略)これまでの自民党知事と同じように、政府・自民党に顔を向け、水面下で交渉をすすめるのか、それとも安倍政権の辺野古新基地強行と正面から対決するのか。その姿勢がきびしく問われています。(「私の沖縄日記―広島編」2015-01-15

引用者注1:県警本部長(沖縄県を含む)の任命権者及び処分権者は国家公安委員会です(警察法第50条)。したがって、法律的には、翁長知事には沖縄県警本部長を処分する権限はなく、当然処分することもできません。「私の沖縄日記―広島編」主宰者の主張は少なくとも法律的には通用しないといわなければなりません。
 
引用者注2:沖縄革新懇代表世話人で弁護士の仲山忠克氏は辺野古基地の「建設阻止の法的可能性について」で「弁護士としての立場でお答えします」という前提を述べた上で次のように言っています。「結論的に言って、仲井眞知事のなした埋立承認を、翁長新知事が取り消すことも、撤回することも法的に可能です。法律用語として、「取消」とは埋立承認が法定要件を欠いて違法であることを理由に、承認時に遡及して埋立の法的効力を失わしめることをいいます。「撤回」とは承認そのものは適法であったとしても、公益上の必要を理由に,将来に向けて埋立の効力を失わしめることを言います。公有水面埋立法にこれを認める明示の法律規定はありませんが、いずれも可能だということが行政法学界の通説です。最高裁も公益上の必要からの撤回は可能とみているようです。私自身は(略)承認後の工事中止を求める8割の県民世論がそのまま知事選の投票行動に直結して具現化すれば,少なくとも「公益上の必要」として撤回の有力な正当事由となりえるものと解します」。

翁長知事は辺野古で安倍政権の暴挙とたたかっている人たちを見殺しにするつもりなのか!翁長氏の姿勢・責任を問わねばならないこの間の言動を、3つ挙げます。①辺野古のキャンプシュワブゲート前では、政府の工事再開強行に反対する市民を沖縄県警が強制排除する事態が続いています。すでにけが人も出る事態になっています。なのになぜ翁長氏は指をくわえて傍観しているのか。なぜ県警の暴挙をやめさせないのか。(略)県知事は県公安委員会を通じて、県警を管理し、県警本部長を辞めさせることもできるのです。翁長氏はなぜこの権限を行使しないのか。というより、いま辺野古で県警が行っている暴挙の最高責任は翁長知事自身にあるのです。(略)②(略)「翁長雄志知事は(略)『(会談の)要件が決まっている場合は話さない。10分間の会談で、帰り際に言うことは失礼だ』と述べた」(沖縄タイムス17日付)目を疑いました。「失礼だ」?!暴挙を働いている政府の担当相に抗議するのが「失礼」?
! 
いったい何を考えているのでしょうか。辺野古でたたかっている人たちのことが少しでも頭にあれば、こんな言葉は出てこない(考えもしない)はずではないでしょうか。③(略)沖縄県議会与党の代表は15日上京し、日本政府や米大使館に新基地建設反対を申し入れました。その中で、「県議らは辺野古の海上作業再開について抗議し、翁長雄志知事が今後取り組む埋め立て承認の検証作業が終了するまでの作業中止」を求めました(
琉球新報16日付)。当然の要求です。ところが翁長氏は同日、「検証チームの作業が終了するまで作業を見合わせるよう求めるかについては『チームの立ち上げを踏まえてこれから議論し、判断したい』と述べるにとどめた」琉球新報、同)。いったい何を「判断」するというのでしょうか。何のための「検証」なのか。県議会与党が要求したように、少なくとも「検証中」は政府に工事中止を強く求めるのは当然です。翁長氏はなぜそう言えないのでしょうか。翁長氏は政府に顔を向けて水面下で談合するのではなく、きっぱりと市民・県民の側に立って安倍政権の暴挙とたたかうべきです。そして選挙で翁長氏を擁立・支援した人たち、会派も、1日も早く「翁長タブー」を捨て、翁長氏の理不尽な言動を批判し、姿勢を正させるべきではないでしょうか。(「私の沖縄日記―広島編」2015-01-17
ハボタンの花

・辺見庸私記「1★9★3★7――『時間』はなぜ消されたのか」の連載開始:2015年1月30日発売の「週刊金曜日」→
辺見庸ブログ-2015年01月15日

・DHCに名誉毀損訴訟で「勝訴」したブロガー弁護士が会見「表現が萎縮するとまずい」→弁護士ドットコム-2015年01月15日

・「風刺の精神」とは何か?~パリ銃撃事件を考える:菊池恵介(同志社大学教員)→
レイバーネット-2015年1月15日

・イスラム教徒として言おう。「言論の自由」原理主義者の偽善にはもう、うんざりだ:Mehdi Hasan→
ハフィントンポスト-2015年01月15日

・これではあまりにも知事としての主体性がなさすぎるだろう。:翁長知事「検証チームの議論の中で判断したい」→
沖縄タイムス-2015年1月16日

・沖縄知事選から2カ月。安倍政権と翁長知事の姿勢を問う→「私の沖縄日記―広島編」-2015-01-15

・辺野古作業再開 民主主義が問われている→
琉球新報社説-2015年1月16日

・[辺野古再開]敵意に包囲される基地→
沖縄タイムス社説-2015年1月16日
折本和司弁護士が横浜(在住)で被告として争った「DHCスラップ訴訟」(東京地裁)、東京でやはり被告として争っている澤藤統一郎弁護士の「DHCスラップ訴訟」(同左)はともに澤藤統一郎弁護士の「憲法日記」を通して注目してきました。横浜「DHCスラップ訴訟」の完全勝利に深い共感と敬意を表明する意味で、以下、「澤藤統一郎の憲法日記」の2015年1月15日付けの記事の全文を転載させていただこうと思います。

参考記事:DHCに名誉毀損訴訟で「勝訴」したブロガー弁護士が会見「表現が萎縮するとまずい」(弁護士ドットコム 2015年01月15日)
 
リンドウ 
リンドウ。花言葉は「勝利」。リンドウは病気に勝つことができる霊草
であることから生まれたものだそうです。
 
「DHCスラップ訴訟」第1号判決は被告完勝 ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第34弾(澤藤統一郎の憲法日記 2015年1月15日)
 
本日(1月15日)午後1時10分、東京地裁611号法廷で、民事第30部(本多知成裁判長)が「DHCスラップ訴訟」での第1号判決を言い渡した。この事件の被告は、横浜弁護士会所属弁護士の折本和司さん。私同様の弁護士ブロガーで、私同様に8億円を政治家に注ぎこんだ吉田嘉明を批判して、2000万円の損害賠償請求を受けた。
 
予想のとおり、本日の「DHC対折本」訴訟判決は、請求棄却。しかも、その内容において、あっけないくらいの「被告完勝」であった。まずは、目出度い初春の贈り物。判決を一読すれば、裁判所の「よくもまあ、こんな事件を提訴したものよ」という言外のつぶやきを行間から読み取ることができよう。「表現の自由陣営」の緒戦の勝利である。スラップを仕掛けた側の大きな思惑外れ。
 
判決は争点を下記の4点に整理した。この整理に沿った原被告の主張の要約に4頁に近いスペースを割いている。

(1)本件各記述の摘示事実等による社会的評価の低下の有無(争点1)
(2)違法性阻却事由の有無(争点2)
(3)相当因果関係ある損害の有無(争点3)
(4)本件各記述削除又は謝罪広告掲載の要否(争点4)
 
そして、裁判所による「争点に対する判断」は実質2頁に過ぎない。その骨子は、「本件各記述が原告らの社会的評価を低下させるとの原告らの主張は採用できない」とし、「そうすると、原告らの請求は、その余の争点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これらを棄却する」という、簡潔極まるもの。4つのハードルを越えなきゃならなないところ、最初のハードルでつまずいたから勝負あった。第2ハードル以下を飛ぶ権利なし、とされたわけだ。原告側には、ニベもない判決と映るだろう。
 
折本弁護団は勝訴に際してのコメントを発表した。要旨は以下のとおりである。
 
折本弁護士のブログは、「DHCの吉田会長が、みんなの党代表渡辺喜美氏に8億円を渡した」という、吉田氏自身が公表した事実を摘示した上で、日本における政治と金の問題という極めて公益性の高い問題について、弁護士の視点から疑問を指摘し、問題提起を行ったものにすぎない。
 
その記載が名誉毀損にならないものであることは、ブログを読めば一目瞭然であるし、本日の判決も名誉毀損に当たらないことを明確に判断した。
 
もしもこの記載に対する反論があるならば、正々堂々と言論をもってすれば済むことであるしそれは週刊誌という媒体を通じて自らの見解を公表した吉田氏にとっては容易いことである。にもかかわらず、吉田氏は、言論をもって反論することを何らしないまま、同氏及び同氏が会長を務める株式会社ディーエイチシーをして、折本弁護士に対していきなり合計2000万円もの慰謝料請求を求める訴訟を提起するという手段に出たものである。これは、自らの意見に批判的な見解を有するものに対して、巨額の慰謝料請求・訴訟提起という手段をもってこれを封じようとするものであると評価せざるを得ず、言論・表現の自由を著しく脅かすものである。
 
かかる訴訟が安易に提起されること自体、言論・表現活動に対する萎縮効果を生むのであり、現に、同氏及び同社からブログの削除を求められ、名誉毀損には当たらないと確信しつつも、不本意ながらこれに応じた例も存在する。
 
吉田氏及び株式会社ディーエイチシーは、折本弁護士に対する本件訴訟以外にも、渡辺氏に対する8億円の「貸付」について疑問・意見を表明したブログ等について、10件近くの損害賠償請求訴訟を提起している。これらも、自らの意見に沿わない言論に対して、自らの資金力を背景に、訴訟の脅しをもってこれを封じようとする本質において共通のものがあると言わなければならない。
 
当弁護団は、吉田氏及び株式会社ディーエイチシーが、本日の判決を真摯に受け止めるとともに、同種訴訟についてもこれを速やかに取り下げ、言論には言論をもって応じるという、言論・表現活動の本来の姿に立ち返ることを求めるものである。
 
2時半から、記者クラブで折本さんと折本弁護団が記者会見を行った。
小島周一弁護団長から、「原告からは人証の申請もなく、判決言い渡しの法廷には被告(ママ)代理人の出廷もなかった。訴訟の進行は迅速で、第3回口頭弁論で裁判長から結審の意向が明示され、慌てた被告側(ママ)が原告の陳述書を出させてくれとして、第4回期日を設けて結審した。この訴訟の経過を見ても、本件の提訴の目的が本気で勝訴判決をとることにあったとは思えない。表現行為への萎縮効果を狙っての提訴自体が目的であったと考えざるをえない」
「DHCと吉田氏は本日の判決を真摯に受け止め、同種訴訟についても速やかに取り下げるよう求める。」
 
折本さんご自身は、「弁護士として依頼者の事件を見ているのとは違って、自分が当事者本人となって、この不愉快さ、気持の重さを痛感した」「DHC側の狙いが言論の封殺にあることが明らかなのだから、これに負けてはならないと思っている」とコメントした。
 
引き続いて、山本政明弁護士の司会で澤藤弁護団の記者会見。山本さんの外には、光前幸一弁護団長と神原元弁護士、そして私が出席し発言した。光前弁護士から、澤藤事件も折本事件と基本的に同様で、言論封殺を目的とするスラップ訴訟であることの説明がなされた。そして最後を「これまでの表現の自由に関する最高裁判例の主流は、判決未確定の刑事被告人の罪責を論じる言論について、その保護の限界に関するものとなっている」「本件(澤藤事件)は、純粋に政治的な言論の自由が擁護されるべき事案として判例形成を目指したい」と締めくくった。
 
私が事件当事者としての心情を述べ、最高2億から最低2000万円の10件のDHCスラップ訴訟の概要を説明した。神原弁護士からは、植村事件との対比でDHCの濫訴を批判する発言があった。
 
澤藤弁護団の記者会見は初めての経験。これまで、フリーランスの記者の取材はあっても、マスメディアに集団で報告を聞いてもらえる機会はなかった。
 
私がまず訴えたのは、「今日の折本事件判決が被告の完勝でよかった。もし、ほんの一部でも原告が勝っていたら、言論の自由が瀕死の事態に陥っていると言わなければならないところ。私の事件にも、その他のDHCスラップ訴訟にも注目していただきたい。
 
ぜひ、若手の記者諸君に、自分の問題としてお考えいただきたい。自分の記事について、個人として2000万円あるいは6000万円という損害賠償の訴訟が起こされたとしたら…、その提訴が不当なものとの確信あったとしても、どのような重荷となるか。それでもなお、筆が鈍ることはないと言えるだろうか。権力や富者を批判してこそのジャーナリズムではないか。金に飽かせての言論封殺訴訟の横行が、民主主義にとっていかに有害で危険であるか、具体的に把握していただきたい。
 
スラップ訴訟は、今や政治的言論に対する、そして民主主義に対する恐るべき天敵なのだ。

本ブログの「今日の言葉」の2015年1月14日と15日の記録です。

じゃのめエリカ

1月14日
・フランス議会がイスラム国と戦うため、
イラク空爆延長を決議した。(略)Pulsoムンディニュース(略)を見ると、賛成488、反対1、棄権13という一色ぶりだ。こういう異常事態での一人というのは、本当に立派だと思う。(略)読売新聞の12日付朝刊に掲載された「自由貿易は民主主義をほろぼす」(「帝国以後」の方が著明と思う)の著者エマニュエル・トッド氏のインタビュー記事が話題になっている。(略)「テロは断じて許してはいけない。/だがフランスの社会構造を理性的に直視すべきで、なぜ北アフリカからの移民の2世、3世の多くが社会に絶望しているのかを考えるべきだ。彼らが過激化している。/背景は長期に及ぶ経済の低迷で、移民の子供たちに職がないことであり、日常的に差別もされていること。そして、フランスの「文化人」ですらが、移民の文化を「悪」とする空気まである。/移民の若者の多くは人生に展望を描けないことから犯罪に走ることもあり、獄中で受刑者同士の接触で過激派になっていく。/彼らは9.11の実行犯とは違い、フランスで生まれ育った人たちだ。/フランスの外交にも問題があり、フランスは中東で空爆をしている。/真の問題は、フランス人の誰もが道義的危機に陥っていることで、誰も何も信じておらず、人々は孤立している。移民の若者がイスラムに回帰するのはなにかにすがろうとするからだ。(略)言論の自由は民主主義の根幹ではあるが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける「シャルリー・エブド」の在り方は、「不信の時代」においては有効でない。/移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾を吐きかける行為だ。/だが今フランスでは誰もが「自分はシャルリーだ」と名乗り、感情的になりすぎている。(略)フランスで発言すれば「テロリストにくみする」と誤解され袋だたきに遭うだろうから、フランスでは取材は受けていない。独りぼっちの気分だ」。トッド氏の「ひとりぼっちの気分だ」との言葉に、胸が詰まる。フランスを代表する知性にして、感情的になった社会で正気を保つことは、それほどに至難で孤独なことなのだ。(「街の弁護士日記」2015年1月14日

1月15日
・正月3日、中国の
江沢民・元国家主席が妻、子、孫を引き連れて海南島の景勝地、東山嶺を訪問した。写真と記事がネットに流れ、すぐ消された。江氏は髪を黄色く染め、血色も悪くなさそうだが、足腰は弱っている。移動は電動カート、歩くときは両脇を2人の男に支えられていた。それでも展望台から眼下の南シナ海に向かって叫んだそうだ。「江沢民、ここにあり!」(引用者注:ここには当然に社会主義の思想はない。あるのは自己主義。結局、権力はエゴティスムに帰するのか・・・・。深い悲しみ)海南島は中国最南の地で、昔は流刑地だった。88歳の江氏が孫まで連れて行くには深いわけがあるだろう。8世紀、唐の鑑真和上は5度目の日本渡航に失敗し海南島に漂着した。この時、東山嶺で修行し、次の渡航でついに念願を果たした。鑑真の旧跡を見に行ったのか。東山嶺には、12世紀、南宋の官僚、李綱の旧跡もある。当時、北方の金国に侵略された宋王朝は、将軍・岳飛らの抗戦派と、宰相・秦檜らの和義派に分裂した。和義派は抗戦派を追放し、抗戦派の李綱は海南島へ左遷され、赴任の途中、東山嶺で発病した。近くにある潮音寺の僧が李綱を見舞い、「貴殿には大将の相がある」と復活を予言した。李綱が寺で修行すると、果たして左遷取り消しの知らせが届いた。この故事から、失脚した政治家の復活を「東山再起」と言う−−東山嶺に石碑が建っている。「東山再起」の典拠は、4世紀、東晋の謝安の事績にちなむとされており、李綱の石碑は異説だ。しかし、いまの江氏にとってこれほど見たいものはないだろう。昨年末から新年にかけて、習近平国家主席が猛烈な人事攻勢に出た。自分の元部下を次々に中央、地方の重要な役職に送り込んで家臣団を形成している。そのあおりで江沢民派、共産主義青年団(共青団)派の高官が引退したり、飛ばされたり。東山嶺を訪ねた江氏の目的は、自分と子分の「東山再起」祈願だろう。だが、李綱の故事を知っていれば、江氏の毒に気づく。習主席の政治手法が、秦檜と同じ、独裁恐怖政治だという批判だ。だから江氏の海南島訪問情報はネットから削除された。海南島旅行の3日後、江氏の長男で、携帯電話利権を握る「通信大王」、江綿恒氏が中国科学院上海分院の院長ポストを定年引退すると発表された。「引退するのではなく、させられた」という世評がもっぱらだ。最近、習主席の語録が流れた「(汚職摘発対象者の)地位に上限なし」。もしや次は?金子秀敏「毎日新聞」2015年01月15日
エリカ

・肩すかし。残念なのは、結論が「教育」というあまりにくだらない落ちだったことです。信じられなくて、目が点になりました。→1/13放送、NHKクロ現「
ヘイトスピーチを問う~戦後70年 いま何が~」(前田朗 2015年1月13日

・1/13放送、NHKクロ現「ヘイトスピーチを問う~戦後70年 いま何が~」→動画全文文字起こし

・2006年の中田考さんの論攷→
幻想の自由と偶像破壊の神話-預言者風刺画問題報道をめぐって中田考 2015年1月13日

・新しい情報というわけではありませんが→翁長知事イジメで辺野古移転強行!
自民党政権が米国の沖縄撤退提案を拒否していた(野尻民夫「リテラ」2015.01.13

・希望を失った若者たちが過激派に引きつけられる →フランスの襲撃事件と中東のミリタリズム(下)
川上泰徳「WEB論座」2015年01月14日

・シャルリー・エブド襲撃事件に関する西谷修(立教大)、内藤正典(同志社大)、前田朗(東京造形大)のコメントの載った東京新聞(1月14日付)紹介記事→「宗教的ヘイト・スピーチ(1)」(
前田朗Blog 2015年1月14日

・ヘイト・スピーチを禁止する法律のある44カ国情報→「宗教的ヘイト・スピーチ(2)」(
前田朗Blog 2015年1月14日
本ブログの「今日の言葉」の2015年1月12日と13日の記録です。

ロンドン・コベントガーデン

半藤一利氏「……新聞やテレビや雑誌など、豊富すぎる情報で、われわれは日本の現在をきちんと把握している、国家が今や猛烈な力とスピードによって変わろうとしていることをリアルタイムで実感している、とそう思っている。でも、それはそうと思い込んでいるいるだけで、実は何もわかっていない、何も見えていないのではないですか。時代の裏側には、何かもっと恐ろしげな大きなものが動いている。が、今は『見れども見えず』で、あと数十年もしたら、それがはっきりする。歴史とはそういう不気味さを秘めている……」(『昭和史 1926-1945』)。あと数10年もたたなくたって、すでに「恐ろしげな大きなものが動いている」のは歴然としている。かつては右寄りにみえた半藤さんが、いまやずいぶんまっとうにみえるのだから、時代の土台がじつに劇的にシフトしたのだ。史上最高5兆円の軍事費!こともなげにつたえるメディア。「恐ろしげな大きなものが動いている」のに、みようとしない。気づこうとしない(引用者注:半藤一利さんは最近いわゆる「民主的」と自他称されるメディア(たとえば「赤旗」)でも引っ張り凧の元編集者・作家です。そのときの半藤さんの顔(呼称)は「平和主義者」、あるいは「硬骨の士」、あるいは「良心的保守」。誰も「かつては右寄りにみえた」などとは言いません。なにか大切なこと、ほんとうのことが隠蔽されたままになっています。こうして「時代の土台がじつに劇的にシフト」していき、いまや共産党副委員長まで天皇を天皇陛下」と呼ぶ。「劇的にシフト」しない辺見のふとした、しかし、当然な感想を見て私は少し鬼(気)が安らぐ)。
辺見庸「日録1-2」2015/01/11

パリの新聞社襲撃事件をめぐって風刺ということについて思う。アラブ世界でも風刺は盛んだ。エジプトには伝統的にノクタという伝統的な風刺ジョークがある。これは権力者を揶揄したり、あるいは自分たちの愚かし さを笑ったりするものなのだが、おおまかにいっても、それは弱い立場にある者たちが強い立場にある者を揶揄するものだ。でも、今回の事件のきっかけと なった風刺は明らかに方向が逆だ。その視線は欧米的価値観というグローバルスタンダードをバックに、マイノリティーで非スタンダードな(と見なされている)ムスリムへと向けられている。それは風刺でも表現の自由でもなく、差別であり偏見の助長だ。イスラムはタブーを明確に規定している宗教だ。そのタブーは宗教の根幹をなしていて、それを揶揄するのは、ムスリムにとっては暴力でしかない。もちろん、ほとんどのムスリムは今回の銃撃事件に深い憤りと憂慮をおぼえているだろう。と同時に、ほとんどのムスリムは預言者が風刺のネタにされることをけっして納得などしていないだろう。「自由」の名の下に行われる差別カトリックの修道尼がベールをつけているのはオーケーで、ムスリム女性がつけるととれといわれることの矛盾。そういうカッコつきの「自由」が風刺されたことはあるのだろうか。グローバル化の時代、ニュースはあっという間に世界中に広がる。預言者をネタにするジョークが「表現の自由」を重んじる共通のコンテクストをもった仲間内だけでいわれるのなら、こんな大ごとにはならなかっただろう。しかし、いまはそんな情報が、たちまちグローバルにひろがって、しかも、それが異なるローカルなコンテクストの中で解釈される。その解釈から呼び起こされた憤りが、これまたグローバルに影響を及ぼす。そういう時代にわれわれは暮らしている。(田中真知「王様の耳そうじ」2014年1月10日
あんず干し

ルペンの主張は火に油を注ぐだけで百害あって一利なし。しかし、人間は感情の動物なので感情を喚起する主張に煽られやすい。→
「フランスはただちに、イスラム原理主義者に対する戦争を始めなければならない」仏極右マリーヌ=ルペン「想田和弘Twitter」2015年1月12日

・トルコのエルドアン大統領、イスラエルのネタニエフ首相がパリの行進に参加したことについて。ガザで2500人もの市民を虐殺した国の首相が、どのツラ下げてテロを非難する行進に参加する、と激しく非難→
http://m.hurriyet.com.tr/Haber?id=27952671「内藤正典Twitter」2015年1月12日

オランダ極右政党、世論調査で支持1位 仏の事件後→
パリ共同/沖縄タイムス-2015年1月13日

・ユニクロ: 潜入調査で明らかになった中国・下請け工場の過酷な労働環境→
Yahoo!ニュース 伊藤和子(ヒューマンライツ・ナウ事務局長)2015年1月13日

・危機に立つ公共放送ー政権による”乗っ取り“作戦→ 松田浩さんが岩波新書「NHK」新版で緊急提言(
坂井定雄「リベラル21」2015.01.13

・4日前の記事ですが備忘のため(ブログ主)→
仏大使館を弔問=安倍首相:時事通信-2015年1月9日

・もうひとつ備忘のため(ブログ主)→
一つ肝心なことを言うのを忘れていました。預言者ムハンマドの風刺画ですが、ほとんどのムスリムは見ていないはずです。侮辱したという話が燎原の火のごとく広がってしまったのです。サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』のときと同じです。あの時も、ムスリムは彼の小説を読まずに激昂していました。デンマークのときも、実は、暴力的な応答に火をつけたのは新聞社ではなく、当時、デンマーク首相だったラスムッセンの対応のまずさだったと聞いたことがあります。この問題を宗教的な原理主義対表現の自由の問題、といきなり飛躍させたのは新聞社ではなく、政府でした。(「内藤正典Twitter2015年1月11日)
小麦を刈る  

・フランスの事件で掻き消されているが、ドイツでは反イスラムの排外主義組織PEGIDAが18000人を動員したのに対しカウンターデモが35000人を動員→
wsj.com/articles/thousands「内藤正典Twitter」2015年1月10日

・フランスで200万人行進、反テロへ結束 各国首脳らも(
朝日新聞-2015年1月12日

・仏連続銃撃テロ事件で犠牲者追悼100万人デモについて、報道・表現の自由を制限する国々の首脳も参加しているとして
「国境なき記者団」が非難声明@gloomynews-2015年1月11日

・預言者風刺画に反発=パリ大行進参加せず-モロッコ外相(
時事通信-2015/01/12

・仏テロ、背後組織の確定情報なし=米司法長官(
時事通信-2015/01/12

・嫌イスラームの再燃を恐れるイスラーム世界(
酒井啓子「中東徒然日記」2015年01月09日

・「私はシャルリーではない」という、孤立感(
「街の弁護士日記」2015年1月12日

・フランスではムスリムは差別されている(
阿部治平「リベラル21」2015.01.12

・「言論の自由」の限度・限界について考える(
「浅井基文のページ」2015年1月12
フランスの風刺週刊紙シャルリー・エブドに対する襲撃事件から始まった連続テロ事件は、その後2件の立てこもり事件となって、一昨日の9日、フランス警察当局が2カ所の現場でほぼ同時に強行突入を図ることによって一応終息しました。一般人の犠牲者は少なくとも17人に上るといわれています。こうしたテロ事件が断じて許されるものではないことは論を待ちません。わが国においても言論機関がテロの標的になったということからシャルリー・エブド襲撃事件に発した言論の自由への暴力的な挑戦(テロ行為)を批判する声は圧倒的で、かつ、激しく強いものがあります。全メディアあげての批判といってよいでしょう。
 
一例として本日11日のDaily JCJ(日本ジャーナリスト会議)の「今週の風考計」の論評を引用してみます。
 
「フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」襲撃に始まる連続テロ事件は、3容疑者の射殺と20人に及ぶ死傷者を出し、発生3日目に終結した。言論の自由を暴力で封殺する行為は、いかなる理由であれ許されない。テロ実行の容疑者はイエメンの「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」からの指示だという。フランス国内でイスラム嫌悪が一段と強まるのは必至だ。憎悪と報復の連鎖を生む社会─その温床や土壌をなくしていく、国際的な取り組みが緊急な課題となっている。フランスはイスラム教徒500万人(人口の8%)を抱えるEU最大の国家だ。そのうえ国内の若者たちは、経済停滞と高い失業率、貧困に苦しめられ、そこからの脱却を願ってか、過激派組織「イスラム国」に多く参加しているのも事実だ。・・・・」
 
その他のメディアの論評。
 
「風刺を含めた言論に対して抗議する権利は誰にでもある。だが、その手段はあくまでも言論でなければならない。テロなどの暴力を用いることは言語道断である。報復テロはいかなる理由であれ、正当化することはできない。」(琉球新報社説 2015年1月9日
 
「どんな理由であれ、表現や言論に暴力で対抗することは、絶対に許されるものではありません。」(東京新聞社説 2015年1月9日
 
「「表現の自由」か「宗教への冒とく」かという問題はあるにせよ、暴力は断じて許されない(毎日新聞社説 2015年1月9日
 
「襲撃された週刊新聞「シャルリー・エブド」は、風刺画を売り物にしていた。1面に載る作品を各号ごとに眺めると、「過激にして愛嬌あり」の外骨の方針がだぶる。挑発的だったとの声もあるが、上品、下品、穏健、過激、いずれも「言論」である。民主主義の根幹へ向けた暴力は断じて許されるものではない。そのうえで、フランスの劇作家で俳優だったサシャ・ギトリという人の言葉に気をとめてみたい。「無礼な言葉はかつて目的を達したことがなく、憎しみは常に目標を乗り越えてしまう」(『エスプリとユーモア』岩波新書)。犠牲者を悼みつつ、世界にイスラム教徒全体への過激な表現がうねるのを懸念する。自由が成熟した社会だからこそ節度を保ちたい。憎悪をあおる過激さは、外骨の反骨精神とは似つかない代物である。」(朝日新聞天声人語 2015年1月9日
 
以下、見出しのみ。
 
・フランス週刊紙襲撃―言論への暴力を許すな(朝日新聞社説 2015年1月9日
・パリ新聞社銃撃 表現の自由に挑戦する蛮行だ(読売新聞社説 2015年1月9日
・表現の自由へのテロは断じて許されない(日本経済新聞社説 2015年1月9日
・仏紙銃撃テロ 表現の自由は揺るがない(産経新聞主張 2015年1月9日
・私たちの意志は疑念や憎しみでは揺るがない―ハフポストフランス版編集主幹アン・シンクレアと全編集者(ハフィントンポスト 2015年01月08日
・【パリ銃撃】「私はシャルリー」言論の自由の象徴、ペン掲げ世界で追悼デモ(The Huffington Post 2015年01月09日

個人ブログから。
 
・フランス風刺週刊誌襲撃:ドイツでの哀悼と抵抗の光景「風刺には全てが許される。ただ死ぬことだけは許されぬ」(明日うらしま 2015年1月9日
・世界の隅々に「JE SUIS CHARLIE(私はシャルリー)」の声を響かせよう(澤藤統一郎の憲法日記 2015年1月9日
・フランスでの連続テロ事件を断固糾弾する(五十嵐仁の転成仁語 2015年1月11日
 
上記の天声人語や毎日新聞の社説に見るようにわが国のメディアの仏紙銃撃テロに対する批判は一方向的なものではありません。柔軟に対象とおのれを見つめようとする批評精神が見られないこともありません。しかし、私には決定的に欠けている視点があるように見えます。その視点とはなにか。ヨーロッパにおけるムスリムとイスラムの状況に造詣の深い内藤正典さん(同志社大学教授)の本日のTwitter発言は次のようなものです。
 
「私は、フランスが表現の自由に節度を持つべきだとは思はない。存分に言論の自由を主張すればよいと思う。しかし、それを推し進めればするほど、全く異なるパラダイムの中にいるムスリムとは、溝を深めることになる。フランス共和国の論理とムスリムの論理が衝突するだけであることは早く認識すべき。啓蒙圧力で、ムスリムが啓蒙されることはない。フランスの人々は、神から離れることで自由を得、ムスリムは神と共にあることで自由を得ると、双方とも確信しているから。一方、ムスリムといっても、行動様式はフランスのルールに合わせてきた圧倒的多数の人たちは「自分はテロなど支持しない、自分はフランス市民であることを自覚している」と言い疲れている、うんざりしている。いちいち踏み絵を踏まないとお前たちに居場所はないと言われているように感じている。だからこそ、フランス社会が一層啓蒙圧力を強めるならば、これまでフランス市民として、フランス共和国に対して何の悪意もなく暮らしてきたムスリム移民を疎外し、追い詰めることになるだろう。そこから、第二第三のテロリストが生まれることになる。」(2015年1月11日
 
上記で内藤さんが指摘していることは、欧米諸国はこれまでイスラム教徒に対する殺戮、差別、排斥をどれだけ繰り返してきたかを自省せずに今なお軍事力による市民の殺害を繰り返している。そうした状況の中で単に「表現の自由」や「テロとの戦い」を声高に主張しても欧米諸国とイスラムとの暴力の応酬は避けられないということです。内藤さんは断乎として次のように言います。「言論の自由は何物にも代え難い基本的権利である。西欧社会では、ペンと紙で戦う。それを銃で封じる蛮行は断じて許せない。だが、それならアフリカや中東で、武力によって紛争に介入することも止めなければならない。左手がやっていることを右手は知らないと言い張るようなものだからである」、と。私が上記で「決定的に欠けている視点がある」と言っているのもそういうことです。
 
元『噂の眞相』編集長でジャーナリストの岡留安則さんもシチュエーションは異なりますが、これまでの自身の体験から次のように言っています。
 
「言論・表現の自由は最大限に保障されるべきだが、北朝鮮やイスラム国家を扱う場合には、それ相応の覚悟が必要だという事だろう。そもそも、言論の自由を基本原則にしていない国やテロ集団を風刺する場合には、民主主義のルールを声高に叫んでも意味を持たないケースも多い。筆者も編集者としてさまざまなトラブルを経験してきたが、裁判で訴えられる以外に右翼団体やヤクザ組織からは、有無を言わせぬ暴力行為の洗礼を受けたことがある。言論の自由は金科玉条ではないのだ。」(「東京-沖縄-アジア」幻視行日記 2015年01月08日 

以下、シャルリー・エブド襲撃事件に関しての内藤正典さんの7日以来の言説を参考としてピックアップさせていただこうと思っているのですが、その前に「私はシャルリー」という言葉を引く言論の自由擁護の論説についても若干のことを述べておきたいと思います。「私はシャルリー」論者は以下の「街の弁護士日記」主宰者の岩月浩二弁護士の指摘を耳に留めていただきたいものだと思います。フランスにおけるユダヤ風刺とイスラム風刺の法的処罰に関しての極刑と寛容という天と地ともいえるほどの決定的な違いについての指摘です。
 
「フランスは72年にはヘイトスピーチ規制を導入したヘイトスピーチ規制の先進国である。しかし、初期はともかく、少なくとも最近のフランスは反ユダヤ表現には厳しく対処する一方、イスラム風刺(侮辱)には寛容だ。というか、無神経でさえある。ユダヤ風刺は摘発対象になるから、これを売りにするような新聞社はありうるはずもない。しかし、イスラム風刺は売りになるのである。」
 
「容疑者はアルジェリア出身のイスラムだという。ヘイトスピーチ規制は旧植民地出身者に対する差別表現には寛大で、旧植民地出身者に対する侮辱表現を、表現の自由として保護すべき言説に分類する。」
 
「フランスの事態は、ヘイトスピーチ規制先進国で、植民地出身者に対する差別表現がまかり通り、差別表現が表現の自由によって守られているという事態を暴いた。国連が主導する「ヘイトスピーチの法的規制」は、ナイーブな人権派が理解するような人権保護装置とは似て非なるものである可能性がある。人権保護のためとして国際的に拡散される言説が、対テロ戦争継続の巧妙な道具に転用されている可能性に留意すべきである。」
 
「フランスにおけるユダヤ差別表現に関するヘイトスピーチ規制は、日本では想像できないほど厳しい。以下のような事例(引用者注:反ユダヤ主義的発言については人種的憎悪煽動罪、人種的侮辱罪等が適用されるフランスの裁判事例)と比べれば、シャルリー・エブド社が、繰り返していたとされる表現を、表現の自由に属するとして擁護するのはあまりにもバランスを欠いている。ヘイトスピーチ規制が、社会条件や政治のありようによっては、逆に人種差別を帰結するという皮肉な事態が生じているように見受けられる。」「街の弁護士日記」2015年1月10日 

この岩月浩二弁護士が指摘する事態について内藤正典さんは次のように言います。

イスラム教徒もテロが憎むべき犯罪であることなど当然理解しています。暴走し暴力に向かう信徒をなくすには、宗教を諧謔や嘲笑とすることもレイシズムであるという認識を持たねばなりません。他人が命に代えても守りたいもの散々嘲笑するなら、ジャーナリズムもレイシズムに加担することになります。

以下、「内藤正典Twitter」発言(2015年1月7日~11日)抜粋。
 
2015年1月7日
「シャルリ・エブドに対するテロ。表現の自由と信仰への侮辱は、永遠に平行線。信仰への侮辱に怒る人に表現の自由を理解しろと言っても全く通じない。ただし、犯人がイスラム主義過激派だとするなら、預言者やイスラムに対する暴力的応答を抑止できないことも理解しなければならない。日本政府関係者「日本も要警戒範囲に入った」TBSニュース23。日本が要警戒になるとしたら、集団的自衛権を行使して米国の対中東政策に追随した時である。暴力の応酬。やりきれない思いだが、大見得切って表現の自由を主張するなら、軍事力で中東に介入し、市民をも犠牲にするやり方を止めなければならない。フランスが、ライシテ(一応、世俗主義と訳す)を共和国の原則とするのは、フランスの歴史そのものであって何ら否定すべきことではない。しかし、聖俗分離の観念がないイスラム教徒にライシテを押しつけても絶対に通じない。ムスリムがスカーフを着用してリセに通うことを禁止し、公的な場での顔を覆う「ブルカ」禁止と罰則まで定めた。だがブルカはアフガニスタンの衣装でフランスで着用している人はほとんどいない。一種の見せしめ的刑罰まで科してムスリムの服装に干渉する姿勢は、イスラムに敵対的とみなされても仕方ない。」
 
「イスラムがどうこう言う以前に。誰しも本当に愛している人や物でも、あからさまに否定され、侮辱され続けたら怒る。ムスリムにとってイスラムの始祖ムハンマドは何者にも代え難い敬愛の対象。それでも表現の自由に暴力で応答するなと言ってもよいが、母集団が15~16億。10万人に1人がテロで一矢報いるとしても1万5000人に達する。冷静に考える必要がある。実際、酷い侮辱や差別を受けながら、イスラム過激派なるものがテロを起こす率は極めて低いのである。世界の人口の4人に1人にあたる信仰者を力で押さえ込むのか、対話による共生を志向するのか?」
 
「こういう事件が起きるとイスラムの不寛容が必ず論じられる。だが、不寛容な側面が表に出てくるのは、植民地支配を詫びることもせず、今なお軍事力による市民の殺害を繰り返しているからではないかー欧米諸国がそれを自省しない限り暴力の応酬は続く。フランス共和国がライシテを原則としているのだから、イスラム教徒もフランスに暮らす限りその憲法原則を守れ。その通り。だが、第一世代の移民は信仰実践に無関心だった。世代が代わるにつれ、イスラムの再覚醒が進んだは何故か?フランスで教育を受けた世代が何故、信仰実践に熱心になったのか?長年にわたってフランス社会は、その答えをイスラムの後進性に見出そうとした。だが、再覚醒する若者を創り出したのがフランス自身ではないかと疑ってみようとはしなかった。イスラム自体に、聖俗分離の観念はない。社会のある部分は宗教と無関係でなければならないと言われたとき、行動様式が世俗化しているムスリムはそれに合わせる。しかし、一度、再覚醒してしまうと、聖俗分離を受け入れなくなる。だからこそ、なぜ彼らを再覚醒させてしまったのかを考える必要がある。テロが決して許されない犯罪であることぐらいイスラム教徒は百も承知している。「イスラム教徒だからテロを起こす」のではない。継続的に差別や攻撃にさらされれば、民族集団であれ、宗教集団であれ、暴力的な応答が起きることは避けられない。冷戦終結後、欧米諸国からすぐに出てきたのは、次なる脅威はイスラムだという主張だった。93年にはハンチントンが「文明の衝突?」で、欧米諸国の政治家と軍産複合体にとって実に都合の良い話を持ち出したではないか。そのころから今日まで、中東・イスラム世界だけでなくヨーロッパでも、イスラム教徒に対する殺戮、差別、排斥がどれだけ繰り返されたかを自省せずに、「表現の自由」や「テロとの戦い」を主張することが、どれほど彼らに嫌な思いをさせてきたかを知るべきである。」
 
「言論の自由は何物にも代え難い基本的権利である。西欧社会では、ペンと紙で戦う。それを銃で封じる蛮行は断じて許せない。だが、それならアフリカや中東で、武力によって紛争に介入することも止めなければならない。左手がやっていることを右手は知らないと言い張るようなものだからである。」
 
2015年01月08日
「宗教は選択的なものであって個人の自由意志にゆだねられる。したがって、イデオロギーと同様、非難することも侮辱することも言論の自由のうちに入る。繰り返しになるが、イスラム教徒にとってはこれが通用しないのである。その点で、両者は共約不可能な関係にあることを非イスラム教徒の側は認識する必要がある。啓蒙の圧力をかけたり、武力を行使して市民を傷つければ、「水と油だ」と思い込むイスラム教徒を増やすだけである。そうなれば、実際に率は極め低くても母集団が十億を超える人びとの中から暴走する若者が出ることをとめられない。」
 
2015年01月09日
「嫌なら帰れというのは、極右国民戦線の常套句である。最大の懸念は、テロリストに法の裁きを受けさせることにとどまらず、不人気なオランドとオバマがタッグを組んで、中東への軍事介入を強めることである。「テロとの戦い」がさらなる暴力を生み出し、イラクやリビアやシリアを破壊したことを忘れてはいけないと思う。風刺画でテロかよ、というツイートもたくさんある。その通りだ。だが、西欧諸国の表現の自由、言論の自由でも、人種を侮蔑できるか?民族を嘲ることが許されるか?実は、歴史の中で、西欧といえども、タブーは存在する。問題は、宗教に関しては、人種や民族とは違うと思い込むこと。改宗ムスリムの場合はイスラムを選んだのだが、ムスリムの家に生まれた場合はムスリムになってしまう。北アフリカからの移民の多くはこのケース。彼らに、ムスリムなんかやめてしまえば、というのは人間やめたら、というように聞こえることを理解してほしい。(確信して無心論者になった人を除き)従って、ムスリムであること、というのはトルコ人であるとか、モロッコ人であるという民族への帰属と同じくらい、抜くことができない属性であることが多い。移民たちが、ムスリムとして覚醒してしまうと、もはやフランス共和国との衝突を覚悟せざるを得なくなる。(暴力的衝突を必ずしも意味しない)だからこそ、たかが風刺画といっても、彼らの信仰にとって絶大な尊敬の対象であるムハンマドを軽侮するのは、ムスリムにとって人種や民族を嘲笑されたも同然になってしまう。」
 
2015年01月11日
「私は、フランスが表現の自由に節度を持つべきだとは思はない。存分に言論の自由を主張すればよいと思う。しかし、それを推し進めればするほど、全く異なるパラダイムの中にいるムスリムとは、溝を深めることになる。フランス共和国の論理とムスリムの論理が衝突するだけであることは早く認識すべき。(略)フランス社会が一層啓蒙圧力を強めるならば、これまでフランス市民として、フランス共和国に対して何の悪意もなく暮らしてきたムスリム移民を疎外し、追い詰めることになるだろう。そこから、第二第三のテロリストが生まれることになる。」
本ブログの「今日の言葉」の2015年1月10日と11日の記録です。

オウバイ

これが本当に日本の国内で行われていることでしょうか。しかも日本国政府のすることでしょうか。沖縄県では普天間基地に変わるものとして普天間基地移設問題がありましたが、沖縄県民は明確にこれを拒否しました。沖縄県知事選挙では反対派が圧勝し、衆議院選挙でも沖縄での小選挙区は自民党は全敗しました。本来であれば、この民意を受けて政府は辺野古移設を断念し、普天間基地も少なくとも県外移設のために尽力しなければならない立場です。その選挙ですら、安倍自民党政権は露骨な選挙介入を行いました。沖縄復興名目の多額の予算をちらつかせたわけです。しかし、選挙で負けるや否や、その予算は「撤回」するという露骨さ。こんな下品な行動を取っているのが安倍自民党政権です。村役場の世間知らずの役人がやっていることでもなければ、明治政府がやっていることでもありません。平成の世の日本国政府のしていることなのです。大臣らの面談拒否も露骨です。沖縄県知事が東京に出向いて面談を求めても全く会わない。日程の都合にしていますが、誰の目からみても面談拒否だってわかるようなやり方で拒否しているわけです。このようなやり方が許されようはずもありません。日本国民は、戦後最低の幼児レベルの人を首相にしてしまったことを恥じなければなりません。(略)本土による沖縄支配を確かなものとしようとした目論見は失敗しました。しかし、安倍政権は、それを反省するどころか、さらに幼稚レベルのイジメを露骨にしたわけです。このレベルの人たちが政権を牛耳るなんて、日本の民主主義のレベルも考えなければならないわけです。安倍総理は、人の上に立つ器ではありません。幼児がそのまま身体が大きくなっただけの人物にすぎません。沖縄に対する差別丸出しの政策を本土の人たちが認めるのか否かも問われています。自分のこととは関係ない?こういう発想自体、人としてどうかと思います。(「弁護士 猪野亨のブログ」2015/01/10

メディアの政府への屈服と迎合についてたくさんの人が懸念を表しています。でも、僕はそれが世論形成に大きな影響力をふるうという見通しを持ちません。批評性を失ったメディアはいずれ見向きもされなくなるからです。まさに彼らがその無謬性を信じている「市場」によって淘汰されるからです。新聞の全発行部数は去年一年で100万部減りました。読者のヴォリュームゾーンは60代以上ですからあと20年で新聞の時代は構造的に終わります。メディア関係者との頻繁な「懇談」はその終わりを加速するためのものかも知れません。問題は、新聞とテレビが「国論形成のため の意見交換の場」として機能しなくなったあと、それに代わるものを僕たちはまだ持っていないということです。ネット上にそれに代わるような「合意形成の場」を作り上げる知恵がない。もちろんテクノロジーはあります。でも、それを制御する「常識」がない。引用者注:大局的な視点としては内田氏の見通しはそのとおりでしょう。が、いま、「メディアの政府への屈服と迎合についてたくさんの人が懸念」する必要はないなどという。そう言ってしまうことの危険性を内田氏はどれほど認識しえているか? 内田氏のパースペクティブはいささか遠視眼的にすぎる。だから、近くにあるものが見えない。傍観者の位置とはそういうものではないか。「内田樹Twitter」2015/01/09
タケ

ひとつ目の「凡庸」の例。辺見庸日録1-2」(2015年1月9日付)から。
 
坪井秀人著『声の祝祭――日本近代詩と戦争』(名古屋大学出版会)によると、ずばり「大本営発表」と題する「詩」が、かつて、近藤東というひとによって発表された。〈「大本営発表」は厳として/よけいなことは語らない/しかし/その一句の中に/千万の言葉のよろこびとかなしみがかくされてゐる/その一句の中に/千万のひとのよろこびとかなしみがかくされている〉……。近藤東は後記で「(大東亜戦争により)詩は独り楽しむものでなく、大らかに声を挙げて読まれるべきだという気運が生じた」と述べているという。この極度にばかげた「詩」についていろいろ難じるのは易いし興味がない。もとよりヌッポンの詩の朗読てのは鳥肌がたつ。ただちょこっと気になる。「大本営発表」は、その〈声紋〉の祖型が、あれに似ているのじゃないかと。あれだよ、あれ。「愛するひとのために」。〈保険にはダイヤモンドの輝きもなければ/カラーテレビの便利さもありません/けれど目に見えぬこの商品には/人間の血が通っています/人間の未来への切ない望みがこめられています〉……。〈「大本営発表」にはダイヤモンドの輝きもなければ/カラーテレビの便利さもありません/けれど目に見えぬこの商品には/人間の血が通っています/人間の未来への切ない望みがこめられています〉てなぐあいに声紋がかさなる気がする。」
 
辺見庸が「大本営発表」という詩の声紋に「似て」いて「鳥肌がたつ」という「あれ」は、谷川俊太郎が大手生命保険会社(日本生命)のテレビコマーシャルのために書いた「愛する人のために」という詩。辺見は、谷川俊太郎が書いたものだと明らかにわかるテレビコマーシャル用の詩を例にとって、現代日本文化の破局的状況を次のように痛罵しています。
 
「むしろ耳に心地いいことば、穏やかでやさしいことばのなかに、標然とするような悪が居座っている。ことば自体、ほとんど資本の世界、商品広告の世界にうばいとられている。やさしさや愛のことばも。ことばということばには、資本の霧が立っています。/有名な詩人が大手生命保険会社のテレビコマーシャルのためにもっともらしい文章を寄せる。べつにそれはcrimeではない。ですが、これほど恥ずべきsinはない。ぼくはあれほどひどい罪はないとおもう。あれは正真正銘の"クソ"なのです。堪えがたい詩人のクソ。そうおもいませんか? そうおもわないという人はしょうがないけど、ぼくはおもわないということが怖いのです。おもわなくなったということに戦慄を感じます。」(『しのびよる破局』)
 
「愛する人のために」(谷川俊太郎作)という詩はつぎのようなもの。
 
保険にはダイヤモンドの輝きもなければ、パソコンの便利さもありません。
けれど目に見えぬこの商品には、
人間の血が通っています。
人間の未来への切ない望みが
こめられています。
愛情をお金であがなうことはできません。
けれどお金に、
愛情をこめることはできます、
生命をふきこむことはできます。
もし愛する人のために、
お金が使われるなら。
 
そしてこのあと、「ずっと支える。もっと役立つ保険口座の日本生命」という日本生命のCMコピーがつづく。
 
ふたつ目の「凡庸」の例。「小池晃Twitter」から。
 
「今日の東日本大震災追悼式。遺族代表、特にお子様を喪った岩手・陸前高田の淺沼ミキ子さんのお話に涙が止まらず。天皇のお話も原発事故にも触れ真心のこもったもの。伊吹文明衆議院議長が脱原発という言葉を使ったことも意外。それらに比べ、安倍首相の式辞は、原発に触れず復興は進んでいると。失望。」(2014年3月11日
 
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」http://t.asahi.com/gwr32015年1月1日

注:http://t.asahi.com/gwr3→「天皇陛下、新年にあたっての感想全文」(朝日新聞 2015年1月1日)
 
私は「2015年の戦端を開く言葉として ――「天皇所感」を読む」(2015年1月2日付)で「天皇陛下のお言葉」という言い方を無批判、無造作にして恥じることのない私たちの国の進歩的文化人、あるいは知識人と呼ばれる人たちのいまの「」のありようについて私の強い違和と批判を述べておきましたが、ここにも「天皇のお言葉」論者はいました。小池晃共産党副委員長は天皇の言葉に「天皇のお話」という最高敬語(天皇に対する敬語)表現を用いています。また、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切」としてあげている例証は「天皇陛下、新年にあたっての感想全文」というやはり天皇の「お言葉」。私は小池晃という参院議員、というよりも日本共産党副委員長の共産党員、あるいは民主主義者としての見識を疑わざるをえません。いま、私の脳裏にあるのは共産党もここまで堕ちたか、という思いです。「政治改革」以前にまず「改革」されなければならないのは共産党という組織そのものではないか、というのはいま私の思うところです。

しかし、その「改革」の前に立ちはだかっているのは「民主主義的中央集権制」という前近代的オールドタイマー(レーニン型規約)です(中央委員会批判や幹部批判は事前に芽を摘まれる)。いま、民主集中制に関する70年代の田口富久治氏の問題提起に立ち返る時がきているように私は思います。
 
この「小池晃Twitter」を紹介している人は次のように言っています。

「戦前は天皇制国家に反対して血みどろの地下闘争をしていたはずの日本共産党が、皇太子夫妻の子が生まれた時だったかに国会でお祝いの決議か何かをするのに賛成して以来(略)、天皇と天皇制に全然反対しなくなった。それどころか所属国会議員が天皇の震災追悼式に感動しちゃったり、新年メッセージをありがたく自分のツイッターで持ち上げる始末。かつて天皇制国家に反旗を翻し、特高に拷問されて死んだ党の先輩達は全く浮かばれない。」

その人の思いを私も共有します。
プラハの天文時計

・大メディアはスルー「日本人の家計貯蓄が初マイナス」の衝撃←
日刊ゲンダイ2015年1月8日

・「私は捏造記者ではない」慰安婦報道の植村隆・元朝日新聞記者の会見スピーチ(全文)←
「弁護士ドットコム」2015年1月9日

・ユダヤ食品店の
人質4人が殺害されたこと。痛ましい。容疑者が殺害したのであれば、ユダヤ人に対する暴虐である。警察が殺害したのであれば、フランスはイスラエルから強い非難を受けることになるだろう。フランス政府は警察の突入前に亡くなっていたと主張するだろうが、真相を解明する必要がある。←「内藤正典Twitter」2015年01月09日

#JesuisAhmed に上がっているムスリムからのメッセージは、イスラムを冒涜したシャルリ・エブドでさえあなたは守ったというやるせない思いの表明。単に表現の自由を守ったことを讃えてはいない。勝手に読み替えるべきではない。←「内藤正典Twitter」2015年01月09日

・シャルリー・エブドとツァルナーエフ裁判 Cui bono誰の利益になるのか?←
「マスコミに載らない海外記事」2015年01月10日

・ヘイトスピーチ規制は有効なのか 仏新聞社銃乱射事件←
「街の弁護士日記」2015年1月10日

・シャルリー・エブド紙へのテロ犯人の報道で重要なのは「アル=カーイダの」ではなく「イエメンの」←「池内恵FB」2015/01/10
本ブログの「今日の言葉」の2015年1月8日と9日の記録です。

 
@nytimes: Gunmen in Paris Stage Deadly Attack on Offices of Satirical Newspaper http://nyti.ms/14n6DCA”←シャーリー・エブド誌に対するテロ。フランスのシャーリー・エブドは2006年2月に、前年の9月にデンマークのユランズ・ポステン紙が掲載して問題となったムハンマドの風刺画を再掲載し、フランスのイスラーム組織が抗議。この週刊紙は批判や諧謔で知られているが、イスラームとムスリムに対して執拗に挑発を繰り返していたので、過激派の敵意を受けてきたことは確か。今のような時期に、イスラーム主義過激派がこのようなテロで報復したのであれば最悪の結果をもたらす。フランスには500万とも言われるムスリムが暮らしており、彼らに対する差別や排斥が強まることは確実 。(内藤正典Twitter 2015年1月7日
 
:パリのテロ事件を、イスラムとキリスト教の文明の衝突とみている人もいますが、完全な間違いです。シャルリ・エブドは、世俗主義の国フランスを体現しているのであって、キリスト教に対しても厳しい挑発を繰り返しています。

こういう事件が起きるとイスラムの不寛容が必ず論じられる。だが、不寛容な側面が表に出てくるのは、植民地支配を詫びることもせず、今なお軍事力による市民の殺害を繰り返しているからではないかー欧米諸国がそれを自省しない限り暴力の応酬は続く。フランス共和国が
ライシテを原則としているのだから、イスラム教徒もフランスに暮らす限りその憲法原則を守れ。その通り。だが、第一世代の移民は信仰実践に無関心だった。世代が代わるにつれ、イスラムの再覚醒が進んだは何故か?フランスで教育を受けた世代が何故、信仰実践に熱心になったのか?長年にわたってフランス社会は、その答えをイスラムの後進性に見出そうとした。だが、再覚醒する若者を創り出したのがフランス自身ではないかと疑ってみようとはしなかった。イスラム自体に、聖俗分離の観念はない。社会のある部分は宗教と無関係でなければならないと言われたとき、行動様式が世俗化しているムスリムはそれに合わせる。しかし、一度、再覚醒してしまうと、聖俗分離を受け入れなくなる。だからこそ、なぜ彼らを再覚醒させてしまったのかを考える必要がある。テロが決して許されない犯罪であることぐらいイスラム教徒は百も承知している。「イスラム教徒だからテロを起こす」のではない。継続的に差別や攻撃にさらされれば、民族集団であれ、宗教集団であれ、暴力的な応答が起きることは避けられない。冷戦終結後、欧米諸国からすぐに出てきたのは、次なる脅威はイスラムだという主張だった。93年にはハンチントンが「文明の衝突?」で、欧米諸国の政治家と軍産複合体にとって実に都合の良い話を持ち出したではないか。そのころから今日まで、中東・イスラム世界だけでなくヨーロッパでも、イスラム教徒に対する殺戮、差別、排斥がどれだけ繰り返されたかを自省せずに、「表現の自由」や「テロとの戦い」を主張することが、どれほど彼らに嫌な思いをさせてきたかを知るべきである。(内藤正典Twitter 2015年1月8日

・先日、
竹中平蔵氏の「国民は正社員をなくしましょう!」という暴論について意見を述べました。この中で、竹中氏は、「たとえば協会がやったアンケート調査によると、派遣でやっている人の7割は「当面派遣でやりたい」と言っています。」と述べていました。しかし、これについて、元ネタの情報提供を読者の方から頂きました。(略)それを見てみると、竹中氏の主張は、その場で資料を提示しないで結論のみ、しかもその結論も極めて歪められたものを提示するものだから、極めて卑劣なものでした。(略)このアンケートはWEB上で行われたものであり、無作為抽出のアン ケート調査とは全く異なります。そのプレスリリース用では、「約7割(67.1%)の人が当面は派遣就業の継続を希望。」と表現されています。しかし、内実はといえば、(略)当面はともかく正社員を希望する人は46.1%になり、派遣ではなくパート等を求めている人の割合も含めれば、62.6%にもなります。この数字は「7割が当面、派遣を希望」というイメージとは全く異なります。また、このアンケートは回答者の86.4%が女性となっています。(略)女性に派遣が偏っている現状を示しているとともに、最初から派遣しか選べない生活環境に置かれているのですから、このような「7割が当面、派遣を希望」という結果になっても不思議ではありません。竹中氏の発言は、あたかも男性も含めた全体が「7割が当面、派遣を希望」となっているように聞こえるわけで、その点でも明らかな誤魔化しがあるわけです。このアンケートの極めつけは、何故、派遣を選択したのかというアンケート項目に中に、正社員に登用されなかったからというものがないとうことです。但し、項目にはこのようなものはあります。「すぐに仕事に就けるため」。いかにも積極的に派遣を選択しているような印象を与えます。(略)それを知ってか知らずか、竹中氏がこのアンケート調査結果を自分に都合のようにフレーズだけを用いていて発言しているのは、明らかに悪質なのです。(略)竹中氏はアンフェアそのものです。(弁護士 猪野亨のブログ 2015/01/08
センリョウ

・2011年11月にイスラム風刺画を掲載し賛否両論を巻き起こしたパリの新聞社で銃撃戦。これまでに11人死亡←
NHK1月7日21時12分

・日本政府関係者「日本も要警戒範囲に入った」TBSニュース23。日本が要警戒になるとしたら、集団的自衛権を行使して米国の対中東政策に追随した時である。←
内藤正典Twitter2015年 01月7日

・【詳報1】パリの新聞社銃乱射で12人死亡、警察は仏国籍3人の行方追う←
ロイター2015年 01月8日06:36

・【詳報2】仏紙襲撃、編集部内で乱射 発行人や警官、次々殺害←
朝日新聞2015年1月8日06時37分

・コラム:仏紙銃撃事件の対応めぐるジレンマ←
ロイター2015年01月08日

・主張:私たちの意志は疑念や憎しみでは揺るがない―ハフポストフランス版編集主幹アン・シンクレアと全編集者←ハフィントンポスト2015年01月08日

・反論:大見得切って表現の自由を主張するなら、軍事力で中東に介入し、市民をも犠牲にするやり方を止めなければならない。←
内藤正典Twitter2015年 01月08日
本ブログの「今日の言葉」の2015年1月6日と7日の記録です。

ニホンズイセン


・Mとはなす。正月休みあけで故郷から帰ってきた「街のひと」のインタビューって、戦後70年なにもかわっていない。いや、戦中も戦前もおなじだったかも。「温泉に入っておせち食べてゲームとかして、のんびりしました」。うそつけ。「認知症の親の介護でもうヘトヘト。だって、戸棚にウンコいれてたりするんですよ。最後はキレて、バカヤロウってどなっちゃいましたわ」とか「親に手をあげっちゃって自己嫌悪です。もう最低……」とかないのか。あるさ、いくらでも。あっても編集で消される。日常は完璧に偽造される。M「かのじょの目にはなにがみえてるんだろう……」。視界がまぼろしに占拠されている。それは、いわば、普遍的だ。(
辺見庸「日録1-1」2015/01/05)

・資本主義の行き詰まりがあちこちで語られ始めている。「新しいフロンティアの創造による成長」に限界が見え、投資先を失ったカネは投機に回り、その結果、過去に蓄積した資本ばかりが肥大を続け、働き手の賃金所得は低迷する。資本と所得の収益差によって格差は広がり続けると警告した
トマ・ピケティの『21世紀の資本』が話題になるのも、そんな危機感の表れだろう。ただ、行き詰まり状態は共通でも、これを打開しようと動き回る資本の収益確保のあり方は国ごとに異なる。日本で猛進しているのは、働き手の賃下げ依存による収益の確保だ。空腹のタコは自らの足を食べ、やがて は本体も食い尽くすと言われているが、社会の足である働き手に手を伸ばした「タコ足型資本主義」が、いま私 たちの足元を掘り崩そうとしている。日本は、主要先進国の中で、1990年代半ば以降、賃金が下がり続けている稀有な国だ。グローバル化が原因なら他の国も同じ傾向をたどるはずだが、他の先進国では、景気の回復とともに賃金は回復している。原因は、経済危機が起こるたびに労働の規制緩和による賃下げで対応する「賃下げ依存症」」(拙著『ルポ雇用劣化不況』参照)が起きているからだ。日本は1970年代のオイルショックと1980年代の円高不況を二つの賃下げで乗り切った。過労死も引き起こした正社員の長時間労働による単価切り下げと、こうした男性世帯主に扶養される女性の極端な低賃金パート労働だ。海外から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とほめそやされ、この手法が成功体験となった結果、日本社会はその後、経済危機が起きるたびに、労働の規制緩和を通じた労働集約的な低賃金労働の強化を繰り返してきた。ブラック企業」は、労働集約的な働き方の強化こそ唯一の道と突き進んできた社会の行きついた先といえる。(竹信三恵子WEBRONZA」2015年01月05日)

・個人編集し、2007年秋に刊行開始した「
世界文学全集」(河出書房新社)全30巻が完結したのが11年3月10日。翌日、東日本を大震災が襲った。被災地を歩き、かくも災害の多い列島に暮らす日本人とは何者かを考えた。それを知るには日本文学しかないと、再び全集の旅に出た。古典を読み込むうち「我々は平和な民。主題は色恋と自然観が多い」と痛感したという。話題は、文学シーンの最前線を走る作家や詩人たちに古典の現代語訳を依頼したことだ。「源氏物語」は角田光代さん、「方丈記」は高橋源一郎さんといった具合。「訳は時代とともに変わるから、国文学の専門家ではなく、日本語で悪戦苦闘する皆さんにお願いした。まずは古典の面白い世界に入ってきてほしい」。自身は「古事記」を訳し、昨秋に全30巻のトップをきって刊行。神話や歌謡から成る複雑な文学をスピーディーな現代語に置き換えてみせ、大きな話題となっている。近現代作品の収録基準は「僕がすがってきた丸谷才一さん(12年死去)の文学観」。知的で都会的で粋、そして伝統と冒険が混在するモダニズムだ。とはいえ中上健次石牟礼道子さんら「辺境の文学」に各1巻を充てるなど、池澤色は濃い。近年、一部の保守政治家らの発言に危機感を抱く。「ツイッターなど軽いメディアをひたすらあおる。ちゃんと本を読み、知的な方法で世界を構築しましょう。若い人にその手段を提供したい」(毎日新聞「ひと:池澤夏樹さん」 2015年01月07日
ハコベ

・過去に蓄積した資本ばかりが肥大。働き手の賃金所得は低迷する→
日本は「タコ足型資本主義」を超えられるか竹信三恵子/WEBRONZA(2015年01月05日)

ブラック企業の「使い捨て」論理‐毎日新聞(2015年01月07日)

大阪都構想:橋下市長、住民投票否決なら政界引退→毎日新聞(2015年01月07日)

翁長知事、政府から冷遇 政府と面談未定→沖縄タイムス(2015年01月07日)
樹   

・2015年1月10日付「図書新聞」に『霧の犬』(辺見庸)書評。→
ファシズムは下から用意される――大震災の後、辺見庸ほど胸底につきささってくる文章を書く作家を知らない(政治学者・宮崎悠

注1:神奈川新聞(2014年12月14日付)‐辺見庸ロングインタビュー
 
注2:「神奈川大学評論」第79号(2014年12月13日発売)‐「デモクラシーとシデムシ」(18枚)。
 
注3:エッセイ集『反逆する風景』(鉄筆文庫)/最新小説集『霧の犬 a dog in the fog』(鉄筆刊)/対談本『絶望という抵抗――辺見庸✕佐高信』(週刊金曜日刊)

注4:【今日の言葉】(2015年1月6日)Mとはなす。正月休みあけで故郷から帰ってきた「街のひと」のインタビューって、戦後70年なにもかわっていない。いや、戦中も戦前もおなじだったかも。「温泉に入っておせち食べてゲームとかして、のんびりしました」。うそつけ。「認知症の親の介護でもうヘトヘト。だって、戸棚にウンコいれてたりするんですよ。最後はキレて、バカヤロウってどなっちゃいましたわ」とか「親に手をあげっちゃって自己嫌悪です。もう最低……」とかないのか。あるさ、いくらでも。あっても編集で消される。日常は完璧に偽造される。M「かのじょの目にはなにがみえてるんだろう……」。視界がまぼろしに占拠されている。それは、いわば、普遍的だ。(辺見庸「日録1-1」2015/01/05

「31年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場したサザンオールスターズ。そこで披露した歌が反響を呼んでいる。どうしてなのか・・・」→「サザン「ピースとハイライト」は政権批判? 解釈で波紋」(朝日新聞 2015年1月6日)

注:山中人間話:2015年1月3日
NHK紅白歌合戦のサザンオールスターズの歌が好評だったと聞くので歌詞を見てみたが、あの程度の事で政府批判とか言って快哉を叫んでいる様ではもう既に日本は相当に劣化しているとしか思えない。私はサザンは好きですけど。→原文次郎Twitter(2014年1月3日)
 
・話題になっている紅白で歌ったサザンの曲は「ピースとハイライト」。サザンは安倍首相夫妻も鑑賞した昨年暮れの28日のコンサートでも「ピースとハイライト」と「爆笑アイランド」を歌って安倍首相をのけぞらせたそうですが(安倍首相がのけぞったのは「爆笑アイランド」の歌詞を「衆院解散なんですとむちゃを言う」と替えて歌った場面)、鑑賞後の安倍首相の感想は「楽しみましたよ」というもの(時事通信)。仮にサザンの歌に「安倍批判」の意味合いがこめられていたとしても、安倍首相が「楽しみましたよ」という程度の「批判」はなにほどのものか。私も原文次郎さんとともに「民主的世論なるものの劣化」ということをしきりに思う。→弊ブログ主参戦(2014年1月3日)

・いまさらだけれども「天皇」を「天皇陛下」としか呼べないジャーナリズム性を喪失したメディアのノン・クリティシズムの一例→(天声人語)語り部二人の訃報-朝日新聞2015年1月6日

注:「天声人語」(朝日新聞 2015年1月6日)
元日に発表された天皇、皇后両陛下の歌に、平和への思いがにじむ2首があった。天皇陛下は「来たる年が原子爆弾による被災より七十年経つを思ひて」と詞書(ことばがき)を置いて、〈爆心地の碑に白菊を供へたり忘れざらめや往(い)にし彼(か)の日を〉と詠まれた。皇后さまは〈我もまた近き齢(よはひ)にありしかば沁(し)みて悲しく対馬丸(つしままる)思ふ〉。対馬丸は、沖縄から本土へ向かった学童疎開船。米潜水艦に撃沈されて約1500人が犠牲になった。お二人は去年、被爆地と沖縄を訪ねて供花をされている。その被爆地と沖縄から、戦争の語り部二人の訃報(ふほう)である。長崎の片岡ツヨさんは93歳、沖縄の宮城喜久子さんは86歳。ともに、おとといの紙面で伝えられた。片岡さんは原爆に親族13人を奪われ、自分も全身に大やけどを負った。顔に残るケロイドに、人の視線が突き刺さるのがつらかったという。自殺さえ考えた絶望をのりこえて、体験を語ってきた。片や宮城さんは、看護要員として戦場に送られた「ひめゆり学徒隊」の生存者の一人だった。二人とも、忘れたくて幾度も砕き捨てようとした記憶であったろう。かつて取材した宮城さんは、語り継ぐことを「次世代への責任です」と話していた。片岡さんがたどりついたのは、「自分を平和の道具として使ってほしい」という境地だったそうだ。戦後70年、歳月をこえて聞こえる戦争体験者の直(じか)の声はますます細くなる。「忘れざらめや往にし彼の日を」。両陛下の思いを、戦後世代こそ分かち持ちたい。

本ブログの「今日の言葉」の2015年1月1日から同月5日にかけての記録です。

 モウソウチク

【今日の言葉:冒頭】
01日:[醍醐聰]共同を追求し、共同の輪を広げ、組織化するために、政党
02日:[東本高志]想田和弘さんは平成天皇を「天皇」と呼んだ上で天皇所
03日:[半澤健市]六回目の読み比べである。今年は朝日、毎日、読売、日
04日:[矢吹晋]『朝日新聞』は慰安婦問題など一連の誤報を検証する委員
04日:[Daily JCJ]今年は、日本の敗戦から70年、ベトナム戦争が終結して
05日:[水島朝穂]選挙中、(略)憲法改正や集団的自衛権行使容認の閣議
05日:[内田樹]経済成長の終わりと定常経済への移行は経済の自然過程

・共同を追求し、共同の輪を広げ、組織化するために、政党の動き待ちではなく、政党の呼びかけに受け身的に応えるだけもなく、自らが政治の主人公らしく、望ましい政治勢力の結成のために何をなすべきかを主体的に熟慮し、行動を起こすことが求められる。(略)そのために強く求められるのは「異なる意見と真摯に向き合い、対話する理性」である。ここでは、気心の知れた仲間の間でしか通用しない『身内言葉』、『われこそ正論』と構える独善的な態度は最悪の風潮である。(略)政党で言えば、選挙で自党(ここでは反自民の野党)に一票を投じた有権者の中には、自党の理念なり政策、体質なりを全面的に支持したわけではなく、選挙区では他に選択肢がない状況で棄権するかどうか迷った末に、反自民の意思を優先して、セカンドベスト、サードベストで自党に投じ、比例区では別の野党に投じた有権者が少なくないという事実を直視する必要がある。また、それ以前に、自民・公明与党と対抗しうる大きな枠組み(既存の野党間での候補者調整に限る必要はない)が選択肢として作られることを願った有権者が少なくなかったと思われる。自党に投票した有権者の中にも少なくない、このような意識を冷静に見極め、それに謙虚に向き合い、今後の政党活動のあるべき形を検討することが重要と思える。また、政党がどうか以前に、有権者自身、自らが支持する政党の伸長のために尽くすだけでなく、自・公両党が衆議院で3分の2を超える議席を占めた現実を直視し、日本の政治の行方を危惧する多くの国民との共同を広げ、強めるために何をなすべきかという大局的な見地から、自分と大なり小なり意見が異なる人々との対話を強め、広げる努力が強く求められている。大げさな言い方かも知れないが、私は一人の自立した人間としての尊厳を守りつつ生きている証しとして、「自分の外に主人(あるじ)を持つ」ような宗派的言動とは一線を画したい、「自分の理性が自分の思考の主人」という、言葉としては当たり前だが、いざという時に頓挫してしまいがちな矜持をこれまで以上に毅然と貫いていきたいと考えている。(
「醍醐聰のブログ」2015年1月1日

想田和弘さんは平成天皇を「天皇」と呼んだ上で天皇所感についての感想を述べている。内藤正典さんがリツイートするTAKANOさんは天皇を「天皇陛下」と記しているが、これはその後に続く新聞記事引用の延長としてのことかもしれない。江川紹子さんの場合は明らかに自分の言葉として「天皇陛下」「お言葉」と記している。池田香代子さんも内田樹さんも江川さんの「お言葉」を無批判にそのままリツイートしている。江川さんは言うに及ばず池田さんも内田さんも民主主義者(リベラリスト)としては失格と言うべきではないか。「思想」の未熟を感じる。想田さんについても天皇制は民主主義に反する制度であるという民主主義者(リベラリスト)としての当然の批判の視点が欠如しているように思う。「天皇陛下」を「天皇」と叙述しているところに一応の見識を見ることはできるが、それでも「天皇」が民主主義に反する「不平等」の象徴であることには変わりはない。想田さんの「消費者民主主義」批判の思想にも反するはず。その点、 猪野亨さんの論は、天皇所感にいう「多くの人々が亡くなった」の「多くの人々」は日本人を指していると天皇所感の「アジアの人々」の欠落と不在を指摘して鋭い。ただ、「アジアの人々」の欠落、不在の問題に関して天皇の「戦争責任」の問題を不問にしたまま論を展開しているのは天皇所感に伏在する「アジアの人々」の欠落、不在問題批判として一貫性を欠く。私はそう思う。(東本高志「『短信』感想」2015年1月2日

・六回目の読み比べである。今年は朝日、毎日、読売、日経、産経、東京にThe Japan Times を加え七紙を読んだ。(略)今回は、国民的なバッシングを浴びた朝日の姿勢に注目して読んだ。その感想は、朝日は政治権力と損得経営に屈服した というものである。(略)朝日新聞が真のジャーナリスト集団であれば、訂正と謝罪が済んだのだから独自の従軍慰安婦報道を開始すべきである。しかし朝日はそこから巧妙に遁走した(引用者注:
朝日新聞、「慰安婦問題を考える」企画再始動 第三者委の報告受け-日本報道検証機構)。(略)長文の 読売社説は、「日本の活路を切り開く年に成長力強化で人口減に挑もう」と題する。小見出しは「アベノミクスの補強を」、「雇用充実が活力の源泉」、「台頭する中国に備えよ」、「欠かせぬ日米同盟強化」である。新自由主義と対米従属を是とする大政翼賛論である。何度読んでも、権力への批判がないから、安倍政権の「タイコ持ち」言説という言葉しか考えつかない。(略)論説委員長樫山幸夫による産経の「年のはじめに」(社説に相当)は、「覚悟と決意の成熟社会に」と題する。この世紀を生きるキーワードは「自立」「自助」とする。「他者依存」の現行憲法の改正を強く訴え「環境は整いつつある」と述べる。その自立が米国からの自立を含むのかは明らかではない。読売がタイコ持ちであれば、産経は「チョウチン持ち」と言えるだろう。(略)毎日社説「戦後70年日本とアジア 脱・序列思考のすすめ」は、東アジア諸国が秩序思考に囚われすぎていると批判しそこからの脱却を主張する。EUが、序列よりも並列の意識を定着させた課程に、学ぶべきところがあるとする。共感するところは多いが、秩序思考を近代化論的な量的思考に限定しているのが問題だ。(略)東京 は、一面トップで「武器購入国に防衛省が資金援助」を報じて軍事用途版ODAになる危険を指摘している。読売の原発輸出報道と対照的である。(略)最後に、経済学者竹田茂夫の「権力の顔」(東京「本音のコラム」欄)の結語部を写して長い今年の読み比べを終わる。「現政権は日銀総裁に大見えを切らせて、市場の期待を喚起し、政策バブルの株高で国民の支持を繋ぎとめる間に、別のアジェンダに沿って進む方針のように見える。国民と政権は互いに歪んだ姿を写し合う二枚の鏡なのだ。国民の大多数には政権の素顔、危険な国家主義は隠されている。現政権には株で小ガネを稼ぐ一方で、子孫に原発汚染を残し、非正規層を差別し、沖縄を犠牲にして顧みない、われわれ日本人の顔がデフォルメされて映し出されている。」(半澤健市「リベラル21」2015.01.03

・『朝日新聞』は慰安婦問題など一連の誤報を検証する委員会を
発表した。メンバーのなかに波多野澄雄氏(筑波大名誉教授)が含まれる。他のメンバー諸氏に対してもこれで検証が可能なのかとの疑問を禁じ得ない。ここでは波多野氏を俎上に載せる。波多野は外務省外交史料館の機関誌『外交史料館報』(第27号、2013年12月)に「沖縄返還交渉と台湾・韓国」と題する論文を寄せている。論文の末尾に付された氏の肩書は『日本外交文書』編纂委員長である。肩書といい、掲載誌といい、いずれも外務省の御用学者と評して差し支えあるまい。すなわち論文自体は波多野個人の著作に属するとはいえ、外務省が認めた「公文書の解説」と見てよいだろう。私の見るところ、疑問だらけの欠陥解説である。これでは近隣外交は成り立たないのではないか。たとえば波多野はこう書いた。「日本領となる沖縄の地理的範囲は、交渉過程において日米ともに周辺国に了解を求めた事実はなくa、その意味では沖縄の帰属問題は日米間の一方的な措置であったb」(42ページ)。ここに注(57)を付して、以下の補足を行っている。「尖閣諸島の領有権問題が注目されたのは、沖縄返還交渉の最中であった。アメリカは沖縄統治の期間中、一貫して尖閣諸島を沖縄県の一部として扱い、日本政府も私有地の島の所有者からは税を徴収するなど実効支配を継続していた。したがって日米とも同諸島を返還の範囲に含めることに何の疑いもなく、沖縄返還協定に付属する合意議事録において尖閣諸島を含むアメリカの統治範囲をそのまま日本が引き継ぐ措置をとった」(47ページ)。下線部a,bは事実か。波多野は中華民国の口上書も、これを真摯に扱ったロジャース国務長官の行動も一切無視して、唯我独尊で沖縄返還を論じている。(略)波多野が書いたような独善的自己認識は、米国および中華民国側による近年の情報公開によってその破産がすでに明らかになっている。にもかかわらず、一人日本のみが情報公開をないがしろにして、史実を無視し続けているのは問題ではないか。『朝日』は何を検証するのか、その姿勢が問われるヒトコマだ。(矢吹晋 ちきゅう座 2015年1月4日

・今年は、日本の
敗戦から70年ベトナム戦争が終結して40年になる。ベトナム戦争は1960年12月に始まり、1975年4月30日のサイゴン陥落で終わった。アメリカは、この14年4カ月に及ぶ戦争で785万トンの爆弾を投下 した。ベトナム人の死傷者は400万人に及ぶ。さらに7500万リットルの枯葉剤(ダイオキシンを含む)を輸送機で運び、空中から南ベトナムの森林、農村、田畑に散布した。人体には流産や奇形の発生が頻発この影響による障害児は15万人と推計される。ダイオキシンの毒性はサリンの2倍、青酸カリの千倍、史上最悪の毒物だ。70年前にもアメリカは、日本を降伏させるため、日本の6大都市周辺の稲作地帯に、枯葉剤をばら撒く計画を立てていた。もし原爆投下のあと、すぐに降伏しなかったら、実行する予定だったという。そしてベトナム戦争で散布された米軍の枯葉剤が、なんと沖縄でも備蓄され、使われたうえ廃棄 されていたのだ。沖縄市のサッカー場から枯葉剤の入ったドラム缶が多数発見されている。米軍による深刻な環境汚染や健康被害は、今も続いている。(Daily JCJ 2015/1/4

・選挙中、(略)憲法改正や集団的自衛権行使容認の閣議決定、原発再稼働などの重要問題が争点となって、有権者がそれぞれに関して判断を求められることはついになかった。にもかかわらず、投票日の翌日、安倍首相は、さっそく憲法改正について、「3分の2の多数派を形成するという大変慎重な取り組みが求められている」として「
重ねて意欲を表明した」。集団的自衛権行使容認の閣議決定についても、国民の理解は得られたといわんばかりの勢いだった。選挙期間中、「危ないテーマ」は猫をかぶってすり抜け、選挙が終わるや、全権委任を得たかのように振る舞う。そうした政治的詐術に痛みや迷いが一切感じられず、お目々キラキラ真っ直ぐに進んでいく。 この首相の最大の強みは、その反知性主義的なシンプルさにある。それゆえ、この政権には、かつてないほどに「傲慢無知」や「厚顔無知」が横行が横行している。そこに一貫しているのはただ一つ、政権基盤を固めること、つまり首相として可能な限り長くその地位にとどまること、これである。(略)昨年、集団的自衛権行使に関する政府解釈を閣議決定で変更するという狼藉をやってのけた以上、憲法の明文改正という大変エネルギーを必要とする課題はしはらく棚上げして、他の懸案事項に向かうのが普通なのだが、安倍首相の場合は違う。憲法改正は彼のアイデンティティにかかわることであり、総選挙で衆議院議員4年の任期を得て、2015年の間に、憲法の本質的な部分に手 を着けようとするだろう。『南ドイツ新聞』(略)12月15日付評論(略)は、祖父の岸信介元首相が、もし解散・総選挙をやっていればもっと長く権力にとどまれたと回顧録に書いていることに注目して、安倍首相にとってこの解散・総選挙の唯一の狙いがその任期の延長にあったとしている。そして、安倍首相が最も 重視していることが、祖父が追求してやまなかった憲法改正であることを鋭く指摘している。2015年は、岸信介(の人脈)に操られた安倍首相が本音を突出させてくる年になるだろう。その意味で、常会の施政方針演説が注目である。もう一つは戦後70年の8月に向けて、歴史を逆転させるような声明ないし宣言を準備するだろう。「戦後の古 稀」は、「過去への逆走」が際立ってくるに違いない。これとどう向き合うかが2015年最大の課題である。(水島朝穂「今週の直言」2015年1月5日

・経済成長の終わりと
定常経済への移行は経済の自然過程である。(略)アベノミクスというのは「資源の再分配のアンフェアネスを徹底的に進めることでパイを大きくする」方策です。成長が止まったとたんに社会的混乱が起きるように意図的に作り込んである。だから成長する以外に社会的安定の道がない。カオスを忌避するなら経済成長の夢にすがりつくしかない。いつになったらこの悪夢から人々は目覚めるのでしょう。(略)「再分配のための社会の仕組み」を政治が構想できない以上、とりあえず市民レベルで再分配をはかるしかない(略)。そして、すでに多くの人々が自力で相互支援の仕組みを作り出そうとし始めています。その動きが同時多発的であり、かつ主導的な理論も組織も持たない運動であることに、僕は希望を感じます。イデオロギーではなく、身体実感をベースにして手作りされる運動の方がずっと持続力も創発性も豊だからです。凱風館はいま「雇用の創出」、「生きるための技術の伝授」、「相互扶助相互支援のネットワーク形成」をめざして動いていますが、それは19世紀の「空想的社会主義者」の夢想に近いものかもしれません。「一挙にかつ根源的に世界を変える構想以外は無意味だ」という批判に今度は抵抗してみたい。(略)定常経済・ 相互扶助社会は「夢想」ではなくて、歴史の必然的帰結です。意図的に創り出さなくても、自然にそうなります。この企ての合理性が理解できない人たちは「弱者を支援するために作られた組織」の方が「勝者が総取りする組織」よりも淘汰圧に強いということを知らないのでしょう。ピョートル・クロポトキンの『相互扶助論』をぜひお手に取って頂きたいと思います。クロポトキンは相互扶助する種はそうしない種よりも生き延びる確率が高いという生物学的視点からアナーキズムを基礎づけようとしました。なぜアナーキズムが弾圧されたのか、その理由が読むと分かります。国家による「天上的介入」抜きで 市民社会に公正と正義を打ち立てることができるような個人の市民的成熟アナーキズムは求めました。「公正で雅量ある国家」を建設するより前に、まずその担い手たる「公正で雅量ある市民」を建設しようとしたことに国家は嫉妬したのです。(内田樹Twitter 2015年1月5日