本ブログの「今日の言葉」の2014年12月25日から同月31日にかけての記録です。

アフリカの朝、または夜、または昼  
 

【今日の言葉:冒頭】
25日:[NHK]東京電力福島第一原発の事故のあと福島県が行った子ど
25日:[増田聡]大阪市立大は来年度から自転車の入構全面禁止の方向
26日:[保立道久]なにしろ3・11の原発事故の放射能が太平洋に流れて
28日:[Daily JCJ]木内昇『櫛挽道守』(集英社)を、一気に読んだ。幕末・木
28日:[街の弁護士日記]12月14日付備忘録にメモしたトリクルダウン理
29日:[水島朝穂]総選挙の直後、『東京新聞』12月17日付一面トップを見
30日:[保立道久]藤木久志『飢餓と戦争の戦国を行く』(朝日選書、2001

・東京電力福島第一原発の事故のあと福島県が行った子どもの
甲状腺検査で、1回目の検査で「問題がない」と判定された人のうち4人について、県の専門家の会議はことし行われた2回目の検査(引用者注:リンク先データ主は2回目の検査結果についてデータ解読の結論として「被ばくと関係なく、検査時年齢が上がれば、甲状腺がんは増える(大きくなる)ので、当然見つかる人数は増えますね」と述べています。すでに出回っているデマに抗してあえて左記のことをのべておきます)で、がんの疑いが見つかったと発表しました。専門家の会議は「被ばく線量が大幅に低いとみられることなどから、これまでの検査結果と同様に現時点で放射線の影響とは考えにくい」と述べたうえで、症例が少ないため引き続き慎重に調べることにしています。原発事故を巡って福島県は、事故で放出された放射性ヨウ素が子どもの甲状腺に蓄積するとがんを引き起こすおそれがあるとして、事故当時18歳以下だった38万人余りの子どもを対象に継続的に甲状腺の状態を調べる検査を行っています。事故のあと行われた1回目の検査では、108人にがんやがんの疑いのあるという検査結果が出ていますが、福島県がつくる専門家の会議が25日午後、福島市で会合を開き、1回目の検査で「問題がない」とされた、当時6歳から17歳の男女4人について、ことし4月から始まった2回目の検査でがんの疑いが見つかったと発表しました。この4人について、県の専門家の会議では、▽被ばく線量が大幅に低いとみられることや▽放射線量の高い特定の地域に集中して見つかったわけではないことなどから、これまでの108人の検査結果と同様に「現時点で原発事故による放射線の影響とは考えにくい」としています。また、検査器具の性能の問題などで1回目の検査でがんの疑いを見落としていた可能性も否定できないという考えを示しました。そのうえで「症例が少なく、子どもの甲状腺がんの発生のメカニズムに分かっていない部分も多い」などとして引き続き慎重に調べることにしています。(NHK 2014年12月25日 19時09分

大阪市立大は来年度から自転車の入構全面禁止の方向で色々進んでいます。学生のいない冬休み中に告知されるらしい。こないだ教授会で確認したけど学内の評議会等で審議了承されたことではなく、反対署名も無視され学長の判断で通達されて告知だけが進んでいる。オレこういう大学ほんま情けないとおもう。学生は自転車入構禁止の動きが出た今年4月から積極的に動いて反対活動をやって、学長との対話を求めたけど担当課が対話に応じただけです。本来この種の事項を審議決定する学生委員会では規制反対の意見が多数であったにもかかわらず、学生委員会や教育研究評議会での審議は行われず「報告事項」でした。つまり学内での正規の機関決定によらず、学生生活に多大な影響をもたらす決定が学長の「トップダウン」でなされたことになります。既に学内では入構規制に備えキャンパス入口付近で駐輪場の工事が(そうとは告知されず)始まっています。多くの(影響を受ける)学生が知るのは冬休み明けとなるでしょう。(略)大学の構成員としては、ここ数年進んでいる「自転車利用者を敵視するかのような」数々の施策は異様に映ります。今回告知された「自転車の全面入構禁止」措置は、学内での合意形成が不十分なまま、大学トップの意向が推し進められる昨今の大学のあり方を象徴しているように思えます。私は現在自転車で通勤してませんが、学内に多数の自転車が行き来する現在のキャンパスを「大学らしい光景」として好む者です。ただでさえ下宿生の割合が減り学生の地域的多様性が薄まっている本学にとって、大学近隣に住み自転車で行き来する学生生活を否定するかのような措置には強く反対いたします。大学は学長あるいは理事長の「私有地」ではありません。また大学は会社ではなく、学長は社長とは異なります。学長が決定すれば「その場所の中では何でも好きなことを命じることができる」わけではない、とおもうのです。私は可能な限り学内の制度的なルートに沿ってこの自転車入構禁止について反対の意見を申し上げ続けてきたのですが、それへのお答えは全くないまま、先日学長より部局長連絡会において「報告事項」として規制が「通達」されましたので、やむをえず学外に向けていま起きている問題を紹介している次第です。(増田聡Twitter 2014年12月25日

・なにしろ3・11の原発事故の放射能が太平洋に流れて広がっているわけですから、東南アジアとは海を通じて一体と見ざるをえない。そういう自然条件が、温暖化問題にせよ
パンデミックにせよ明らかに登場しています。結局人間は自然に教えられて頭をコツンを叩かれて、社会を賢くしていくしかない。それが国際レベルでの「無所有」というものによって迫られる。網野さんがおっしゃっていたことはまさにその問題ですよ。たとえば網野さんの無縁論に関連しますが、「無所有」について思うのは、3・11のあと、福島のゴルフ場が東京電力に対して除染の補償を求めた訴訟がありましたが、そのときに東電側がどう主張したかというと「そもそも放射能は無主物だ」として反論しました。無主・無縁の自然というものが目の前に存在していて、そもそもは人間が核エネルギーを引きだしたというのは一つの達成ではあるけれど、それによってこういう事態がもたらされているわけです。これは現代的な無縁の形態 ですよ。そのことを歴史的な事実を含めてすべて明らかにするということになると、これは明瞭に歴史理論の領域に関わってくると思います。この歴史理論の部分を社会科学、人文科学全体で共有することは、歴史学にとっては抜かしてはならない課題だと思うのです。(「保立道久の研究雑記」2014年12月26日

木内昇櫛挽道守』(集英社)を、一気に読んだ。幕末・木曽山中の藪原宿で、お六櫛をつくる父の神業を引き継ごうと懸命な娘・登勢の半生を綴りながら、中山道を通る皇女和宮の降嫁を始め、水戸天狗党の乱なども織りこみ、職人一家の喜びと苦難の歩みを綴る。今年初めに読んだ朝井まかて恋歌』(講談社)も、天狗党の志士に嫁いだ中島歌子の手記を通して、幕末の水戸藩で起きた内紛の悲劇と過酷な運命に翻弄される女の一生を描いている。ともに女性作家の目と感性が息づく傑作だ。ノンフィクションの一冊、ひのまどか戦火のシンフォニー─レニングラード封鎖345日目の真実』(新潮社)も、忘れられない。1941年6月、ヒットラー・ドイツ軍が、スターリン体制下のソ連に奇襲攻撃をしかけた。レニングラード封鎖の極限状態のなか、苦闘する市民を激励するため、ショスタコーヴィチは<交響曲7番>の作曲に全力を挙げる。そして1942年8月9日、苦難を乗り越え演奏される。ここに至るまでの凄惨な日々を、著者は粘り強い踏査とインタビューを重ね克明に描き出す。小生、この4楽章80分を超す大曲を、ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団が演奏するCD(KKC5373)で聴きいった。よいお年をお迎えください。(Daily JCJ【今週の風考計】2014/12/28

12月14日付備忘録にメモしたトリクルダウン理論は実証データによって否定されたとするOECD報告書。これを報道したのは何と「赤旗」だけのようだ。一般報道では、わずかに東京(中日)新聞がコラムの中でガーディアンの記事を引用する形で、OECDがトリクルダウン(理論)を捨て去ったと触れただけだ。アベノミクスの金看板は金融緩和であり、トリクルダウン以外の何物でもない。無理に官製春闘を誘導してまでトリクルダウンが真っ当な政策であるかのように装おうとしている。OECDにトリクルダウンを否定されてはさぞ、不都合であろう。トリクルダウンは、格差を拡大するだけではない。経済成長政策ですらなく、逆に経済成長を押し下げるとまで言われているのだ。かくてマスコミは挙国一致でOECD報告書を無視することに決めた。これほどの重要文献であるから、誰かが翻訳しているだろうと、苦労して、日本語文献を探したら、何のことはない、結局、OECD東京センターに掲載されていた。この国のメディアには、あきれ果てるばかりである。OECDのプレスリリースの全文を貼り付けておく。(略)第三次(大惨事)安倍政権が「この道しかない」として進める、トリクルダウン(格差拡大)による経済政策には、一片の合理性もない。OECDの提言とはまるで真逆のことをしようとしている。消費税増税と法人税減税を同時に行おうという経済政策は、格差拡大路線であり、何と、経済成長放棄路線なのである。1%の富裕層のためにこの国を収奪しようとするのが、安倍政権の目的なのだ。TPPはこれを、国際法上の桎梏として構造化し、引き返せないものとしようとするものに他ならない。(「街の弁護士日記」2014年12月28日

・総選挙の直後、
『東京新聞』12月17日付一面トップを見て驚いた。「武器輸出に資金援助」「国が企業向け促進策検討」「相手国の訓練・整備支援も」という見出し。この政権が打ち出す施策の数々を形容する言葉として、最近はやりの「jaw dropper」(あごが外れるほど驚きの代物)がぴったりだった。至れり尽くせり。ここまでやるか、の世界である。(略)47年間維持してきた武器の禁輸を解いただけでも大問題なのに、総選挙後に表に出てきたのは、 武器輸出を奨励するだけでなく、企業の武器輸出を、政府が資金援助までして促進しようというものである。しかも、輸出した武器を相手国が使いこなせるように、訓練や修繕・管理を支援する仕組みまで整えるという(2016年度予算で要求)。インドなどに原発の「トップセールス」をやってその軽薄さを世界中に露出した安倍晋三首相が、今度は武器商人の元締めとして登場しようとしている。さすがに、輸出する武器や輸出先の管理を徹底するというが、しかし、いったん売られたものに鎖はつけられない。いろいろなところに転売・転用・譲渡されて、やがては武力紛争の当事者たちの手に渡る可能性は否定できない。パキスタンで140人以上の子どもたちがタリバン運動に無残に殺されたが、将来、そういう殺戮に「made in Japan」の武器が使われないという保証はない。武器輸出を促進するのが「アベノミクス」の「第3の矢」(成長戦略)であり、「積極的平和主義」だというのなら、日本は何とさもしい国になったことだろうか。(略)税金を使って武器輸出を促進する安倍政権の方針は、武器の国際取引を規制していく「武器貿易条約」の理念と目的に逆行するものである。アクセルとブレーキを同時に踏み、ハンドブレーキまでかけてしまう安倍首相のことだから、この矛盾に気づくことはないだろうが。(水島朝穂「今週の直言」2014年12月29日

藤木久志飢餓と戦争の戦国を行く』(朝日選書、2001年)。いろいろな意味で、今日の歴史学を考える上で重要な本である。(略)第一には、日本における「奴隷」の問題である。奴隷というものへの認識が必要であるということは、歴史認識において基礎的な問題であるが、「日本人」は自分の問題として奴隷ということを考えることがない。日本の歴史のなかには「奴隷」などという問題が存在しないという、まったくの無知(というのがきついとすれば、錯誤)が、この国の歴史認識を おおっている。第二には、飢餓という問題である。同じく日本史において飢餓などという問題は存在しないという歴史認識である。これは飽食の文化にふさわしい。第三には朝鮮との関係についての認識である。戦国時代 が、おそらくもっとも朝鮮半島と日本が近い時代であった。戦争と奴隷ということを通じて。これらは、現代日本の歴史意識の問題の中枢にかかわっている。「七度の餓死に遇うとも、一度の戦いに遇うな」。本書は、戦国時代の「戦争」のベースには飢餓があったことを明らかにしている。右にかかげた江戸時代のことわざは、ベースにある飢餓の上に、さらに戦争が重なってきたときの恐ろしさを表現したものということになる。そして、藤木は、その惨酷さを「内戦」という言葉で表現する。現在も世界各地で戦われているような泥沼の「内戦」が日本にも存在したのだという感じ方を読者に要求するのである。戦国時代は1467年(応仁1)の応仁の乱からはじまるが、その底流には京都が難民の滞留する飢餓の都となっていた事実がある。そしてその飢えは、応仁の乱の四六年前、1420年にはじまった大飢饉、元号でいえば応永の大飢饉から蓄積されたものである(略)この年は京都大徳寺の真珠庵をひらいた一休宗純の大悟の年である。一休は、琵琶湖のほとり堅田の寺で師につかえて五年目。夏にはすでに西国の路上に飢えた人々の姿がみられるようになっていた。一休は、その夏の夜、湖岸になく烏の声をきき大悟したという。その大悟の深さは飢饉にむかう世相の暗さを突き抜ける鋭さをもっていたのであろう。(「保立道久の研究雑記」2014年12月30日
冬色の山里

・28日、井上澄夫さん(東京都。米空軍嘉手納飛行場・一坪反戦地主)逝く。井上さんは市井の反骨の作家、故・
松下竜一(中津市)が発行していた「草の根通信」の長年の常連執筆者でもありました。晩年は市民ジャーナリストとして公開型メーリングリストの「市民のML(CML)」などに沖縄・辺野古関連の論説を発表していました。

・田中宇(2014年12月29日):
ソニーネット攻撃北朝鮮犯人説のお粗末←説得的な論攷です。

・朝日新聞(2014年12月29日):
日米韓、防衛秘密情報共有の覚書に署名 対北朝鮮で連携←日米韓の「対北朝鮮」政策の企み(1)

・ハンギョレ新聞日本語版(2014年12月30日):
韓米日軍事情報共有約定締結、4日前に署名して事後報告←日米韓の「対北朝鮮」政策の企み(2)
冬の立石寺

税金を使って武器輸出を促進する安倍政権の方針は、武器の国際取引を規制していく「武器貿易条約」の理念と目的に逆行するものである。アクセルとブレーキを同時に踏み、ハンドブレーキまでかけてしまう安倍首相のことだから、この矛盾に気づくことはないだろうが。(水島朝穂「今週の直言」2014年12月29日

・朝日新聞(2014年12月29日)→
他国軍の後方支援に恒久法 自衛隊派遣容易に 政権検討

イスラム国:都内在住の日仏夫妻、渡航か 政府関係者の説得聞かず‐毎日新聞(2014年12月29日)←難しい問題。(略)毎日のこの問題の記事はしばしばそうだが公安情報をそのまま垂れ流すところがある。夫妻がムスリムなら頻繁にモスクを訪れるのは当然のこと。記事からは、モスクが過激派の溜まり場のように語った「政府関係者」の発言をそのまま書いているが、こういう書き方はムスリムへの偏見を助長する。(「内藤正典Twitter」2014年12月29日

渋谷の3公園 年末年始閉鎖 「炊き出し妨害」計画の団体反発‐東京新聞(2014年12月27日)←寺中誠氏:これは…きちんとした代替措置を講じないのなら、行政の未必の故意による殺人とさえ言える…米国南部で先日あった炊き出し処罰を彷彿とさせる。ちなみに、条約機関はこういうのを人権侵害として認定している。(「常岡浩介Twitter」2014年12月29日
冬の白川郷 

・毎日新聞(2014年12月27日)→東京・渋谷区:宮下公園など3日まで閉鎖 ホームレス締め出し

・渋谷区と友好都市のイスタンブール、
ウスュクダル市のウェブサイト。トップに出てくるのは「寒いよう」と辛そうなシリア難民の子。彼らに救いの手を差し伸べよう、という市とNGOの呼びかけ。公園からホームレスを締め出す渋谷区とは大きな違い。渋谷区はイスタンブールのウスュクダル市と友好都市協定を結んでいる。ウスュクダルでは、ラマダン月になると日の入り後、無料で暖かい食事を提供する市民の活動が盛んに行われる。それを行政が邪魔することなどあり得ない。名前ばかりの友好でなく、弱者への思いやりを学べ。(「内藤正典Twitter」2014年12月27日

・先日、法学界はいったい何を考えているのであろうと書いた。今日の東京新聞の記事、「ひとり親、手当打ち切り」(27日)を読んでもそう思う。(「保立道久の研究雑記」2014年12月28日

・東京新聞(2014年12月28日)→
シリア軍空爆 180人死亡 北部の攻撃強化
 
アサド政権軍、3日で110人の市民を虐殺「内藤正典Twitter」2014年12月28日
山と川と風の話 

・山本太郎が小沢一郎(生活の党)と合流したらしい。新政党名は「生活の党と山本太郎となかまたち」。そのアホらしさかげんについては→「銭ゲバ専科・小沢一郎、山本太郎を仲間に引き入れてやっとこさ数合わせ(呆)」(「kojitakenの日記」2014-12-26

・(承前)
想田和弘さんの見解には反対。想田さんは山本太郎や小沢一郎の本質を知らなすぎる。もう少し勉強してほしい。

・BS日テレ「戦争をするにあたって‥ いや、失礼、集団的自衛権を行使するにあたって‥」 て言い直しちゃった石破 "(
koji 2014年12月26日

こういう無慈悲なことをする役人は、行政の公平を名目としながら不公正な措置を取っているではないか。日本の行政は、法に則って行われるが、法が完全無欠なものではなく、法による執行が不公正をもたらしうることを考えない。例外を設けたら法にならないと決めつけずに、結果として不公正をもたらさないことを、法の適正な執行よりも優先すると考えても良いではないか。(「内藤正典Twitter」2014年12月27日
 
・福島県立医大:NHKスペシャル「38万人の甲状腺検査~被ばくの不安とどう向き合うのか」について。「報道内容に県民の皆様の誤解を招きかねない点がございましたので、ご説明いたします。」

内部被ばく検査 全員1ミリシーベルト未満 県が11月分の結果発表(「福島民報」2014/12/27)

注:「福島県が行っている2巡目の子どもの甲状腺検査であらたに4人が「がんの疑い」と診断された問題に関してまたまた拡散される甲状腺がんデマの洪水とそれを煽る「脱原発」主義者の超低次元について」(弊ブログ 2014.12.27)
福島第一原発事故に関して福島県が行っている2巡目の子どもの甲状腺検査について、いつものことながら今回は「元新聞記者」という肩書で「福島の甲状腺がんは原発事故原因が決定的に」という超低次元の甲状腺がんデマが「拡散」されています。同記事がデマであるゆえん(したがって、私は、「元新聞記者」という今回のデマ元の肩書にも胡散臭さを感じています)を2本のメディア報道を紹介し、そのうちNHK記事に注をいれる形で検証してみます。

注:私がここで批判しているのは「デマを煽る」「脱原発」主義者の人たちです。誤解を避けるために「脱原発主義」「脱原発主義者」一般を「超低次元」などと思っているのではないことを注として述べておきます。それに私自身「脱原発主義者」を自称もしています。

さて、2巡目の子どもの甲状腺検査とはどういうものか? 1本目のメディア報道は「2巡目検査でがん疑い4人、福島の『県民健康調査』」というスポーツ報知の記事(他紙よりも比較的詳しい)。

東京電力福島第1原発事故の影響を調べる福島県の「県民健康調査」の検討委員会が25日、福島市で開かれた。子どもの甲状腺検査で事故直後の1巡目検査では「問題ない」とされた4人が、4月からの2巡目で「がんの疑い」と診断されたことが報告された。調査主体の福島県立医大によると、4人は事故当時6歳男子、10歳男子、15歳女子、17歳男子で、腫瘍の大きさは7~17・3ミリ。会合では「1巡目でがんを見逃した可能性がある」「1巡目の後に腫瘍が急激に大きくなったのではないか」「(検査を受ける子どもの)平均年齢が上がれば、がんの人数が増えるのも不思議ではない」などの意見が出た。検査対象は1巡目が事故当時18歳以下の約37万人で、2巡目は事故後1年間に生まれた子どもを加えた約38万5000人。それぞれ1次検査で超音波を使ってしこりの大きさや形状などを調べ、程度の軽い方から「A1」「A2」「B」「C」と判定、BとCが血液や細胞などを詳しく調べる2次検査を受ける。2巡目は、来年度までの2年間の計画で、これまでに約6万1000人の1次検査の結果が判明。2次検査に進んだのはB判定の457人で、がんの疑いはこのうちの4人。また、1巡目で約30万人の1次検査の結果が確定し、2241人が2次検査に進んだ。がんの診断が「確定」した子どもは8月公表時の57人から27人増え84人に、がんの「疑い」は24人(8月時点で46人)になった。

2本目は「2回目の検査で『子ども4人にがんの疑い』」というNHKの報道(この報道も他メディアよりも比較的詳しい)。この記事に注をいれて検証してみます。

東京電力福島第一原発の事故のあと福島県が行った子どもの甲状腺検査で、1回目の検査で「問題がない」と判定された人のうち4人について、県の専門家の会議はことし行われた2回目の検査で、がんの疑いが見つかったと発表しました。専門家の会議は「被ばく線量が大幅に低いとみられることなどから、これまでの検査結果と同様に現時点で放射線の影響とは考えにくい」と述べたうえで、症例が少ないため引き続き慎重に調べることにしています。

原発事故を巡って福島県は、事故で放出された放射性ヨウ素が子どもの甲状腺に蓄積するとがんを引き起こすおそれがあるとして、事故当時18歳以下だった38万人余りの子どもを対象に継続的に甲状腺の状態を調べる検査を行っています。事故のあと行われた1回目の検査では、108人にがんやがんの疑いのあるという検査結果が出ていますが、福島県がつくる専門家の会議が25日午後、福島市で会合を開き、1回目の検査で「問題がない」とされた、当時6歳から17歳の男女4人について、ことし4月から始まった2回目の検
査でがんの疑いが見つかったと発表しました。この4人について、県の専門家の会議では、▽
被ばく線量が大幅に低いとみられることや▽放射線量の高い特定の地域に集中して見つかったわけではないことなどから、これまでの108人の検査結果と同様に「現時点で原発事故による放射線の影響とは考えにくい」としています。また、検査器具の性能の問題などで1回目の検査でがんの疑いを見落としていた可能性も否定できないという考えを示しました。そのうえで「症例が少なく、子どもの甲状腺がんの発生のメカニズムに分かっていない部分も多い」などとして引き続き慎重に調べることにしています。

甲状腺検査とは

東京電力福島第一原発の事故を受け、福島県は住民の被ばくの影響を調べる調査の一環として、事故の7か月後から甲状腺検査を行っています。対象は、当時の年齢で18歳以下だった人と、事故後1年間に産まれた子ども、合わせて38万人余りで、20歳までは2年ごと、それ以降は5年ごとに繰り返し検査を行う計画です。これまでに検査を受けたおよそ30万人のうち、今回の4人を含む112人にがんやがんの疑いが見つかっています。これについて検査を行っている福島県立医科大学は、チェルノブイリ原発の事故と比較して、▽被ばく線量が大幅に低いとみられることや▽がんが見つかった子どもの年齢の層が異なっていること、それに▽原発事故のあと、国内の別の複数の自治体で行われた調査と比べてがんが見つかった確率がほぼ変わらないことなどから、「現時点で原発事故による放射線の影響とは考えにくい」としています。

1番目の注は環境省がこの3月に発表した「最近の甲状腺検査をめぐる報道について」というプレスリリース。NHKを含むメディア全般の「甲状腺検査」報道に対する行政の考え方を知る上で重要です。この中で環境省は世界保健機関(WHO)や国連科学委員会(UNSCEAR)の見解を援用して「甲状腺がんの罹患は原発事故によるものとは考えにくい」としています。WHOや国連科学委員会は福島原発事故の放射能影響をどのように見ているか、ということを知る上においても注目すべきプレスリリースということができるでしょう。

2番目の注は福島県の今回の2巡目の子どもの甲状腺検査を科学的データに基づいて解析した論攷。本論攷の解析者は2回目の検査結果の解読の結論として「被ばくと関係なく、検査時年齢が上がれば、甲状腺がんは増える(大きくなる)ので、当然見つかる人数は増えますね」と述べています。当たり前のことを当たり前に述べているだけのデータ解析の論ですが、当たり前のことを私たちは忘れがちなので注意喚起として肝に留めておく必要がある指摘だと思います。 

3番目の注は2番目の注を補足するものとしてこれまでのもっとも大規模な遺体解剖で日本人の甲状腺の全組織を解剖調査したところ28%に甲状腺がんが見つかったという医師の報告。だとすれば、1巡目の検査では「問題ない」とされた4人の検査対象者が2巡目で「がんの疑い」と診断されたとしてもそれは日本人全体のがん罹患の特徴であって、それを福島県に特有の現象とみなすことはできないでしょう。なおさら、それが「原発事故が原因」とみなすこともできないでしょう。

4番目の注は昨日25日の福島県「県民健康調査」検討委員会の配布資料

5番目の注は「被ばく線量が大幅に低い」という福島県「県民健康調査」検討委員会と同様の見方、認識を示す医師の見解と同医師のその見方を裏づける内部被曝検査結果に関する相馬市と南相馬市の現状を示す最新データ。 

6番目の注は2011年10月から2012 年11月にかけて32,811人を対象に行った「福島県内における大規模な内部被ばく調査の結果」。このホールボディーカウンター検査結果では同地域の住民の内部被ばくがチェルノブイリ事故で得られた知見をあてはめた年に数mSvという予想よりも遙かに低いことが明らかになっています。 

以上の注から、今回の2巡目の検査であらたに4人の「がんの疑い」と診断された患者が出た問題を福島の原発事故の影響とを関連づける見方は科学的根拠のまったくないデマといってよいことが証明されるでしょう。
本ブログの「今日の言葉」の2014年12月19日から同月24日にかけての記録です。

避難民キャンプ 
ミャンマー西部、ロヒンギャ避難民キャンプ

【今日の言葉:冒頭】
19日:[坂井定雄]安倍自民党は、最大の争点であるはずの憲法改悪、集団
20日:[私の沖縄日記]沖縄県の翁長雄志知事が、県議会で「所信表明」(12
20日:[清水勉]内閣府大臣官房政府広報室
が、有り余る予算の消化のため
20日:[東島誠]坂本龍馬が理想を求めて土佐を脱藩したときの出港地といわ
21日:[Daily JCJ]今回の総選挙で、自民党が得た小選挙区の絶対得票率は
21日:[武田徹]文化人類学者ダン・スペルベルが『表象は感染する』(略)で
22日:[水島朝穂]ナチスも最初は労働者のための要求を前面に掲げていた
23日:[浅井基文]今回、史上最低の投票率であったことに対しては、安倍政
23日:[内藤正典]これが猿命救助の猿。立派。インドで仲間を助けた猿の話。
24日:[小田嶋隆]人間力入試」を推し進めようとしているのは、単に学力が高

・安倍自民党は、最大の争点であるはずの憲法改悪、集団的自衛権、秘密保護法、原発再稼働になるべく触れずに、総選挙を戦い、勝った。卑怯だが、巧妙な戦術だった。この争点隠しに大多数の野党も、新聞・テレビも乗せられた。(略)その結果、これら最大の争点での国民世論の大勢に反して、安倍自民党が勝つ結果になってしまった。選挙報道をテレビで見ながら、まず思ったのは、「これで4年の時間を得たと安心した安倍は、憲法改悪のために、周到な作戦を進めるだろう。護憲世論も護憲の立場に立っているメディアも、厳しい戦いの日々を覚悟しなければならないな」ということだった。と同時に、安倍政権の2年間にもかかわらず、世論もメディアの大勢も平和憲法を護る勢力が根強く大勢を占めていることに自信を持ち、安倍の憲法改悪の策動は、結局安倍政権の寿命を短かくする、できることを確信して、安倍政権との戦いを続けなければならない 、と思った。憲法改悪、集団的自衛権、秘密保護法そして原発再稼働に反対する世論の多さについては、各メディアの世論調査で明らかだ。新聞については、平和、戦争放棄、自由と人権尊重を明記している憲法前文と9条はじめ諸条項の改悪反対を、社説で明確に反対している新聞社、厳しい慎重論を表明している新聞社は、朝日、毎日、東京、3大ブロック紙そして地方紙のほとんどで、その発行部数は、改憲派の読売、産経、ごく一部の地方紙の合計より多い。(略)メディア内部では、政権のさまざまな介入、圧力への抵抗、報道の自由を守る意識、戦いも行われている。(略)安倍首相自身の本心では、憲法”改正“のために4年の時間を確保することが最大の目的だった総選挙。それを隠して争点から外した戦術で勝利した政権が、長持ちするはずはないと思う。長持ちさせてはならないのだ。(
坂井定雄「リベラル21」2014.12.19

・沖縄県の翁長雄志知事が、県議会で「所信表明」(12日)を行うとともに、代表質問(16日)と一般質問(17日)で答弁に立ちました。就任後初の県議会で、その発言内容が注目されましたが、辺野古新基地建設などをめぐって、早くも見逃せない発言が相次ぎました。(略)翁長氏は一般質問で、「基地建設阻止が実現する時期については『
早く実現したいと思うが、必ず(任期の)4年間でそうなるとは言えない。一歩一歩前進させて近づけていくことになる』と述べた」(18日付琉球新報)。驚きました。任期中に辺野古の新基地建設は阻止できないかもしれないとは!いったいどういうつもりでしょうか。「基地建設阻止が実現する」とは何を意味しているのか明らかにする必要があります。もちろん承認の「取り消し」や「撤回」をしてもそれですべて解決するわけではありません。政府はおそらく訴訟に持ち込むでしょう。しかし、「取り消し」ないし「撤回」すれば、少なくともその時点で工事は止まります。それが「建設阻止」の始まりであり、そこから建設断念に持ち込むたたかいが続くのです。その「建設阻止」が任期中は無理かもしれないとはどういうことでしょうか。代表質問答弁で翁長氏は、「東村高江の米軍ヘリパッド建設問題については『環境、住居生活への影響をめぐってさまざまな意見がある。地元の意見を聞き、検討したい』と述べた」(17日付琉球新報)。しかし翁長氏は知事選では、「オスプレイの専用的なヘリパッドになっている点もあり、『建白書』でオスプレイ配備撤回を求めていく中で、連動して反対することになる」(10月21日の政策発表記者会見。10月22日付しんぶん赤旗)と公約したのです。 「反対」から「検討」へ。これは明白な後退(変質)ではないのですか。(略)知事選で翁長氏を支持・応援した人たち・グループは、翁長氏に直接会い、その真意を確かめる必要があるのではないでしょうか。そして、翁長氏との意見交換の場(市民懇談会)を定期的に開催し、政策の実行を求める。翁長氏を擁立した人たちにはその権利と義務があるのではないでしょうか。(「私の沖縄日記―広島編」2014-12-20

内閣府大臣官房政府広報室が、有り余る予算の消化のために、(たぶん)平成26年10月に行った「外交に関する世論調査」が公表された。時事通信12月20日(略)配信の記事を読んで、呆れた。≪20日に発表した「外交に関する世論調査」によると、中国に「親しみを感じない」と答えた人は、「どちらかというと感じない」との回答を含めると、前年比2.4ポイント増の83.1%に上った。韓国は同8.4ポイント増の66.4%で、中韓両国とも1978年の調査開始から最高となった。中国の沖縄県・尖閣諸島周辺海域への進出やサンゴ密漁、歴史認識をめぐる日韓関係の悪化などが背景にあるとみられる。中国に対しては、親近感に否定的な回答が3年連続で増加する一方、「親しみを感じる」は「どちらかというと感じる」を含めて同3.3ポイント減の14.8%。韓国も同9.2ポイントの大幅減で31.5%。いずれも過去最低となった。日本との関係が「良好」との回答は、米国(80.6%)、インド(55.1%)、ロシア(21.3%)、韓国(12.2%)、中国(5.3%)の順となった。≫こんなデータ、こんな人気投票、なんの役に立つのか。国際関係は人と人とが実際の係わり合いの中で形成されていくものであって、行ったこともない国の印象、会ったこともない国の人の印象を聞いたところで何の意味もない。個人的な体験が多少あったとしても、所詮は個人対個人のレベルであって、国として評価するようなことではない。ほとんどの国民の外国に対する印象は、政府の外交態度やこれを報道するマスコミの取り上げ方でどうにでもなる。こんな愚問を昭和53年から毎年、公金を使って、日本中の3,000人にアンケート調査して来たというのだ。税金の無駄遣いだ。アンケート調査の実施はきっと外注。外注先は内閣府の職員の天下り先だ。外注でなければ、内閣府の中に本当に仕事のできない人たちが集まる部署があって、それがこのアンケート調査を担当している部署だ。でなければ、こんなアホらしいアンケート調査がこんなに長く毎年続くはずがない。政府の外交態度やマスコミ報道の取り上げ方でどうにでもなる一般国民の印象で、というか、これに便乗して、「国民が政府の外交政治を支持している」という状況を作り出して、政府が増長するのは有害であり、責任ある政治のあり方として誤りだ。(「弁護士清水勉のブログ」2014-12-20

・坂本龍馬が理想を求めて土佐を脱藩したときの出港地といわれているのが、伊予国長浜(現在の愛媛県大洲市)の「江湖(えご)」の港。本来の読みは「ごうこ」、もしくは「こうこ」です。
江湖は、唐代の禅僧たちが「江西」と「湖南」に住む2人の師匠の間を行き来しながら修行した故事に由来します。一つの場所に安 住することを良しとせず、外の世界へと飛び出すフットワークの軽さを表します。国家権力にも縛られない、東アジア独自の「自 由の概念」といってよいでしょう。幕末を駆け抜けた龍馬の遺志を継ぐかのように「江湖」の看板を掲げたのが、明治期の言論界です。「江湖」を名に冠する新聞・雑誌が多数生まれました。当時は「官」に対する「民」、「国家」に対する「市民社会」が「江湖」でした。自由民権思想のリーダーだった中江兆民は、東洋自由新聞で読者を「江湖君子」と呼んで社説を書き、晩年は兆民自身が「江湖放浪人」などと呼ばれました。現代では「江湖」は全くの死語となりました。ネット空間においても、私は「江湖」の精神を見つけにくいと感じています。「江湖」とは正反対の嫌韓反中ヘイトスピーチなど、排外的な主張があふれているからです。異論を述べると激しく攻撃され、排除され る。ネットは人々を開くどころか、閉じる方向へと進める役割を果たしていると思います。ところが明治期を振り返ると、そこには「江湖」の精神が息づいていました。(略)しかし、「江湖」の精神は、日露戦争を境に退潮していきます。かわって政府の弱腰外交をたたき、外国への強硬姿勢を掲げる「対外硬」が力を増し、「下からの運動」が台頭しました。その頂点が1905年の日比谷焼き打ち事件です。ロシアに譲歩したポーツマス条約に不満を持つ数万人の群衆が日比谷公園に詰めかけ、暴徒化して内相官邸や警察署、政府擁護の新聞社を襲撃したのです。(略)「江湖」が退潮したもう一つの理由としては、「江湖倶楽部」と共闘して社会変革に取り組んだキリスト教思想家、内村鑑三のような良心的な知識人たちが、時代の変化とともに内省に向かい、結果として積極 的な外への発言力を弱めることになった点があります。かくして「江湖」は「対外硬」に負け、日本は戦争の時代に突入していきました。ネットの言論空間やデモで排外主義が吹き荒れる昨今の状況は、百年前の「対外硬」を思い起こさせます。(東島誠「朝日新聞」2014年12月20日

今回の総選挙で、自民党が得た小選挙区の絶対得票率は24%、しかし議席は定数の75%・222議席を獲得。比例区でも絶対得票率17%定数の38%・68議席を確保した。不合理きわまりない。公明党の35議席と合わせ、衆議院の3分の2を超え、参議院で否決された法案を、再可決できる勢力となった。選挙関連の放送時間は、安倍政権の「公平申し入れ」に屈したのか、前回衆院選と比べ23時間24分も減っている。菅原文太の追悼ニュースでは、その反戦平和・脱原発運動への思いや活動の紹介をカットするなど、いとも簡単にテレビ局が屈服するとは呆れる。24日に発足する第3次安倍政権は、さらに大企業を優遇する政策を強行するのは必定だ。派遣期間3年を撤廃し、「永久ハケン」「社員ゼロ」への道をつくる労働者派遣法の改悪を筆頭に、法人税減税や「残業代ゼロ」にする裁量労働制の拡大ホワイトカラー・エグゼンプションTPP交渉の打ち切り妥結をもくろむ。集団的自衛権の行使容認から、自衛隊法改正など戦争に加担する法整備も進める。改憲発議の要件を「過半数の賛成」に引き下げる96条の改正も視野に入る。躍進した共産党、暴走ストップ、恃むぞ!Daily JCJ【今週の風考計】2014年12月21日

・文化人類学者
ダン・スペルベルが『表象は感染する』(略)で指摘するように病気だけでなく、表象イメージにも感染力がある 。日本での疑い例は全てエボラでなかったが、感染症の激烈な症状が伝えられると私たちの意識はすっかり恐怖に染まり、判断力を鈍らせがちだ。そうした思考停止に抗い、エボラ流行の背景事情についての無知をも私たちは自覚すべきだろう。『新・現代アフリカ入門』によれば今やアフリカは「作れず」「買えず」「もらえない」状態だという。内戦が続く国では田畑を放棄し、着の身着のままで逃げ出した人々が大量に国内難民化している。『世界で一番いのちの短い国』はまともな医療サービスを受けさせてもらえなかったシエラレオネの難民地区へ「国境なき医師団」から派遣された日本人医師の報告だ。エボラ流行前の刊行だが、貧しい医療環境の中でエイズ、マラリア、結核が猖獗(しょうけつ)を極める状況が描かれ、これではエボラ流行に対してなすすべもなかったろうと思える。そこには先進国の責任も及んでいる。マーシャ・エンジェル著『ビッグ・ファーマ』(略)は巨大製薬会社の実態に迫る医療ジャーナリズム作品だが、特許を盾にして独占的にかつ高額で薬を販売するメーカーの強欲が、貧しいアフリカの人々から結核やエイズの薬を遠ざけている事情が理解できる。加えて製薬会社が新薬開発に着手する条件は長期に及ぶ安定した市場が望めることなので、先進国の豊かな患者が長く使い続ける生活習慣病薬が優先され、一時的にしか投薬されない急性感染症薬や、貧しい熱帯地域特有の病気の薬は開発が後回しにされがちだ。エボラに特効薬がなかったのもそうした製薬界事情と全く無関係だったとはいえまい。エボラの流行が年を越えて幸いにも終息に至ったとして、恐怖の感染から解放されると同時に病の在り方について考えることまで先送りしてしまえば――、新興感染症は今後も私たちを苛み続けるだろう。格差や弱者を顧みないネオリベラリズム的な冷血さが病の温床となる事情を認め、社会の歪みの改善に努めること。それこそ迂路のようで実は新興感染症対策の王道 でもあるのだ。(武田徹「朝日新聞」2014年12月21日

ナチスも最初は労働者のための要求を前面に掲げていた。総選挙後に安倍政権がまっさきに取り組んだのも、労働者の賃上げだった。12月16日、それは異様な光景 だった。首相官邸で開かれたのは、経団連と連合の代表を集めた「政労使会議」。そこで安倍首相は、「来年春の賃上げについて最大限の努力を図っていただきたい」と経団連会長に要請していた。労働者のために?『朝日新聞』12月19日付は、「春闘60年 誰のために:交渉変質、問われる労使」という記事で春闘をこう分析している。「首相が賃上げを求めるのは、今春闘に続き2年連続だ。労使交渉に政府が口を出す異例の展開に、連合の古賀伸明会長は『賃金は政府の声や社会の雰囲気で決まるわけではなく、労使が真摯に粘り強く交渉する以外にない』と話す」と。思えば、労使交渉に首相自らが介入して賃上げを呼びかける。今までみたことがない風景である。1955年に始まった春闘は、60年になろうとする今年、政府主導の「労使交渉」に変質したのか。ねじれなし、切れ目なし、そして、向かうところ敵なし。勢いにのった安倍首相は、クリスマスイブに第3次内閣を発足させる。この国に不幸をもたらす「大惨事内閣」になることが強く危惧される。だが、「おごれる者久しからず」はいつの時代にも妥当する。メディアへの対応に見られた安倍首相(とそのご一党≠自民党)の小心さ、偏狭と狭量、余裕のない強引・傲慢な統治は、L.シャピロのいう全体主義の「六点徴候群」)を充足しつつある。沖縄では名護市長選・市議選、沖縄県議会選挙、県知事選挙に加えて、今回、衆院4選挙区すべてで「反中央政府」の姿勢が明確となった。民主主義の常識をわきまえれば、この沖縄の意思を無視して辺野古移設を「淡々と行う」ことは、全体主義のやり口となる。すでに、選挙中は争点にさせなかった「7.1閣議決定」について、今回の選挙で承認されたと豪語しており、まもなく、憲法9条改正までやることが第3次内閣の使命だと言い出すことだろう。これとどうたたかうか。反全体主義の政治的連携を幅広く構築していくことが求められているのである。(水島朝穂「今週の直言」2014年12月22日

・今回、
史上最低の投票率であったことに対しては、安倍政治に対する不満はあるが、投票してもどうせ政治は変わらないという諦めの反映という見方が一般的だ。つまり、2009年の総選挙の際、多くの人が政治の変化を期待して「政権交代」を訴えた民主党に投票したが、民主党政権でも何も変わらないことを思い知らされた。したがって、今回は、自民党に投票するのはいやだが、さりとて投票しても何も変わらないので投票に行かなかった人が大勢いるという見立てだ。表面的にはそのとおりだろう。しかし私に言わせれば、こういう棄権行動そのものが私たち日本人に通底する深刻な病理の表出 にほかならない。そのことを自覚しない限り、日本政治はいつまでたっても堂々めぐりを続けるだけだと思う。では、日本人の深刻な病理とは何か。一つは民主政を成り立たせる大前提である主権者意識の欠落だ。主権者意識とは、私流の表現で言えば、自らの責任において意思決定を行う能力を備える個人が、自らが一員である日本という国家の政治のあり方を決定する権利と責任を持つという自覚を指す。しかし、戦後70年を迎えようとする今も、私たち日本人の圧倒的多数はかかる能力と自覚のいずれをも我がものにしていない。それが史上最低の投票率として端的に表されたのだ。以上と密接に結びついている今一つの問題は日本人の「現実」感覚 だ。丸山眞男の指摘に従えば、多くの日本人にとっての「現実」とは、一次元的であり、所与であり、優れて権力が規定するものである。つまり、現実とは「可能性の束」として捉えるべきであるのに、私たちは「今ある現実は変えられない」という諦めが先立ってしまう。丸山は「既成事実への屈伏」と言ったが、今回の史上最低の投票率は正にその結果にほかならない。(「浅井基文のページ」2014.12.23

これが猿命救助の猿。立派。インドで仲間を助けた猿の話。NHKのニュースウオッチ9での京大霊長類研究所の先生コメント。あれは自分より地位が上の猿が動かないので、噛んだり水に放り込んでいたぶったとのこと。ハッとした。自分も美談かと思ったが、考えてみれば猿の行動を勝手に解釈しただけだな。猿が語ったわけでもないし、猿に聞いてみたわけでもない。美談か虐待か? 猿に限らず、人間社会でも、こういうことはよくある。言語が異なる人たちが、何かに怒ったり、悲しんだりしている時、それをどう解釈するか。メディアの誘導に乗ってしまうことは珍しくない。大学入試の制度変更。長いこと大学の教員をしてきての経験から言うと、国が入試制度や教育制度をいじって学生が賢くなったためしはない若年人口の減少で、新しい仕事を増やそうという役人の発想。京大霊長類研究所の先生にしてみれば、ご自身の研究からはあり得ない方向にメディアが話をもっていくのに耐えられない思いだったのでしょう。(「内藤正典Twitter」2014年12月22,23日

・ 「
人間力入試」を推し進めようとしているのは、単に学力が高いだけの学生を選抜している現状の入試に満足できない人々で、彼らは「最高峰の大学には立派な人間が入学すべきだ」と考えている。なんというのか、学歴万能主義の権化みたいな人たちですよ。現状の大学入試には「しょせんは学力選抜試験にすぎない」という救いがあって、だからこそ学歴は一面的な価値基準にとどまっている。大学が「人間力」で人間を選抜するようになった ら、学歴は、人間の価値を決定する有無を言わさぬ序列になってしまう。文科省はそうしたいのだろうか。個々の企業が実施している面接試験と、新センター入試における面接試験は、その意味がまるで違う。前者は単に個別的な有用性を得点化しているだけだが、後者は人間性の優劣を全国一律の基準に沿って序列化している。学力は点数化・序列化してもおおむね無害だが、人間力を点数化したら地獄だぞ。(小田嶋隆Twitter 2014年12月24日
原発メーカー訴訟」問題で同訴訟を提起している「原発メーカー訴訟の会」と同訴訟弁護団(島昭宏弁護士・河合弘之弁護士ほか20名)との間でもはや修復不可能というべき大きな亀裂が生じているようです。そのことは同「訴訟の会」事務局長の崔勝久さんの個人ブログ「オクロス」で確認できます。私は注意深くこの5月ぐらいから続いている崔勝久さんと島昭宏同訴訟弁護団長との論争を熟読してみましたが、どう見てもこの争論の非は同訴訟弁護団側、具体的には島昭宏弁護団長の側にあるように見えます。端的に言って、この両者間の争論は、島昭宏弁護士の弁護士としてあるまじき越権的な横やりから生じた争いであると結論せざるをえません。
 
「原発メーカー訴訟の会」の組織内の内紛のようなものにもちろん組織外の第三者が口出しするべきではなく、口出しするつもりも毛頭ありませんでしたが、同会事務局長の崔勝久さんが同訴訟弁護団長の島昭宏弁護士について「私の人格を貶め、嘘で固めた理由で私を原告から追放しようと諮る」「これは名誉棄損」とまで弾劾し、弁護団側も崔勝久「訴訟の会」事務局長との「信頼関係の喪失」を「弁護団声明」で糾弾するに到っている以上、両者にはもはや亀裂の回復する見込みはないものと判断するほかありません。したがって、第三者の判断をいま述べるとすれば、中立の立場ではなく、「正論を述べているのはどちらの方か」という立場から、この争論の黒白については私は明確に「原発メーカー訴訟の会」事務局長の崔勝久さんの側を支持することを言明したいと思います。
 
私が崔勝久さんの側を支持するゆえんは以下の「オクロス」に掲載された原発メーカー訴訟の会各原告の2本の論に委ねます。以下、その論の引用です。
 
なお、付記しておけば、原発メーカー訴訟弁護団の中には弁護団長の島昭宏弁護士、同弁護団共同代表の河合弘之弁護士のほか脱原発訴訟で有名な海渡雄一弁護士なども名を連ねています。崔勝久さんの「それにしても、日本の原発裁判の中心にいる河合、海渡弁護士のような方がどうしてこのような幼稚で、悪意に満ちた文書に同意し、名前を載せているのか理解に苦しみます」という批判と疑問の言葉にも私は強く同意することも述べておきたいと思います。この問題は、私は、3・11以来のこの国の脱原発運動に蔓延っている「反原発正義」(うそでも誇張でも「反原発」を唱えさえすれば「正義」だとするニセの脱原発主張)とも強く関係している事態だと認識していますが、ここでの主題から外れてしまいますのでここではその旨だけを述べておくにとどめておきます。
 
「原発メーカー訴訟の会」原告の1本目の論。
 
弁護団声明の撤回と謝罪を要求する(吾郷健二 2014年12月18日)
 
吾郷健二さんをご紹介します。九州の西南学院大学経済学部名誉教授で、『グローバリゼーションと発展途上国』など多くの著作と訳書があります。原発メーカー訴訟の原告で、植民地主義NPT体制を「サヨク用語」としそのような言葉を使うべきではないとする島弁護士の、あまりに世界の常識に反した発言を厳しく批判されています。
 
島弁護士が、弁護士職務規定第43条(信頼関係の喪失)にある「辞任」の恣意的な解釈を強く批判されています(略)。事務局長一人を狙いうちし、原告からの「追放」を正当化する、嘘とデマゴギーで固めた「崔勝久氏に関する弁護団声明」の根本的な過ち2点を指摘されており、ここに紹介させていただきます。それにしても、日本の原発裁判の中心にいる河合、海渡弁護士のような方がどうしてこのような幼稚で、悪意に満ちた文書に同意し、名前を載せているのか理解に苦しみます。原発メーカーの責任を追求する私達の裁判を担う代理人の職務を果たしえるのでしょうか。(崔 勝久)
 
原発メーカー訴訟弁護団へ
 
原発メーカー訴訟弁護団通信第2号および「崔勝久氏に関する弁護団声明」なるものを弾劾し、その撤回と謝罪を要求する。
 
この二つの文書は、まったく恥ずべきものである。その理由を基本的な点だけに限って述べる。
 
まず、第一に、4,000名に及ぶ集団訴訟の原告団から裁判における原告代理人の依頼を受けた弁護団が原告団の中から恣意的に一人(崔氏)を選別して、崔氏の代理人のみを「辞任」するなど、弁護団にあるまじき暴挙を敢行して、弁護士の基本職務に完全に背くのみならず、原告団の中に、差別と分断を持ち込んだことである。弁護団に許されているのは、原告団(言うまでもなく一体のものである)からの依頼を受諾するかどうかの決定の自由であって、原告の恣意的選別ではない。「集団訴訟といえども、一人一人の原告との個別委任契約である」などとは屁理屈も甚だしい。原発事故におけるメーカーの責任を追及しようという崇高な課題を担う弁護団として、恥ずべき論理であって、人間としての誠実さを疑わしめる、許されざる行為である。
 
第2に、崔氏の「訴訟の会」事務局長職の辞任を要求するなど、原告団に関わることに関し、許されざる不当な介入を行なっている。弁護団は、訴訟における原告団の代理人であって、本訴訟の主役(当事者)は、依頼人たる原告にあるのであって、訴訟代理人たる弁護士にあるのではない。弁護士(弁護団)の職務は、訴訟において原告の代理を務めて、裁判闘争を勝利に持って行くことであって、原告団(およびサポーター)からなる「訴訟の会」の人事等に不当に干渉することではない。「訴訟の会」に関わることは、原告団の内部の問題であって、弁護団の権限外のことである。どうしてこのような甚だしい越権行為が弁護士の権限内のことであると錯覚しているのか、真っ当な人間なら、誰も理解できない。
 
かりに万が一、弁護団が「訴訟の会」事務局長や「会」そのものの在り方についてなんらかの重大な疑問を感ずるような事態が生じるならば、そのことを原告団に提起して、原告団に適切な対処を要請すべきであろう。そうであるなら、原告団は、提起された問題に関して、内部で真摯な議論を行ない、適切な対処策を決定するであろうから、弁護団はその決定に従えばよいだけである。
 
以上、基本的な2点において、弁護士職務のイロハのイを理解していない弁護団を糾弾して、その撤回と謝罪を要求する。
 
細部にわたる問題については述べない。それらについては、原告団内部で事実の検証がなされることによって、適切な対処策がとられるからである。
 
2014年12月17日
 
福岡市 原告 吾郷健二

「原発メーカー訴訟の会」原告の2本目の論。
 
「巨大な原子力マフィア」と言いながら その実態を明らかにできない島、河合弁護士による「訴訟」(Sam Kanno 2014年12月19日)
 
米国在住原告のSam Kannoさんの論文を紹介します。
Samさんは来年2月21日に来日、私達が企画する白井聡・小出裕章両氏の講演会に参加し、その後、東京でのご自身の講演会と、訴訟の会の今後のあり方について検討する会議に出席される予定です。ご期待ください。
 
現在、訴訟の会事務局と弁護団との間での「混乱」に多くの方が憂慮し、どちらもどちら、両者仲よくやるべきだという声が漏れ聞こえます。事務局としては弁護団との話し合いの場の設定を申し入れています。しかしそのような中立的な立場を取る方に決定的な視点が抜け落ちています。それは、どうして4000名の原告の内、事務局長一人をターゲットにして、弁護団としてその代理人を辞任し、実質的に原告からの追放を謀るのか、という点です。裁判における本質的な問題を忌避するために、敢えて崔個人の資質や行動の問題にすり替えているのです。
 
事実、12月4日に出された「崔勝久氏に関する弁護団声明」は、崔は「事務局長という立場を利用して、本訴訟全体に大きな損害をもたらすおそれのある行為を繰り返している」と記していますが、内容を検討すると、そこに記された理由なるものは巧妙に書かれたデマであり、真実を歪めていることが明らかにされています。そのようなことを何故、弁護団は承認し、名前を連ねたのか、疑問が残ります。(略)
 
Samさんの論文は、国際連帯を訴え、原発体制の本質的な問題を提起してきた事務局長の辞任を求め、最終的には原告からの追放を謀る弁護団の姿勢は、実は根本的にこれまでの日弁連の「安全保障」に触れない司法界の立ち位置と関連し、訴状においても、原発体制の根本的な問題である、NPT体制には触れないでいるという批判になっています。Sam論文に対するみなさんのご意見をお願いします。(崔 勝久)
 
「巨大な原子力マフィア」と言いながらその実態を明らかにできない島、河合弁護士による「訴訟」~ NNAA(No Nukes Asia Actions)に依頼された訴訟内容を歪め、企業責任限定裁判にする島弁護士~
 
12月15日
 
米国在住原告 SAM KANNO
 
皆さん
ようやく「混乱」の核心がはっきりしました。島弁護士が自ら告白したのです。
 
訴訟の会事務局に断りもなく出された『弁護団通信』第2号の2ページから3ページを見てください。“2.信頼関係の喪失” として書かれているところに、問題の核心が明らかにされています。NNAA(代表崔勝久氏)が島弁護士に依頼した訴訟の内容と、依頼された島弁護士が考える訴訟の内容が違っていたということです。それがだんだんとはっきりしてきて、ついに依頼された弁護士が依頼人本人の排除を(しかも崔勝久氏個人をNNAAから切り離して)図るに至ったということです。これは弁護士という職業の倫理規定の根本に抵触することです。
 
訴訟の内容についてどんな点で違うのでしょうか。
依頼者のNNAAはその名称からして明らかなように、原発の世界一の密集地であるアジア地区における原発問題を見据えて作られた組織です。その地域において日本と韓国の両政府が福島核災害後もなお原発輸出を図っていこうとする事態を前にして発足したNPO組織です。最初からアジアという国際的現実を直視してできた組織ということが確認されていなくてはなりません。
 
それともうひとつNNAAが自らに課した課題として、日本の反原発、あるいは脱原発運動が日本国内だけの運動に終わってしまい、とりわけアジアの運動との連携が軽視されてしまっている点を何とか克服したいとの問題意識があります。「日の丸の旗は掲げてもいいが、労組の旗や人種やジェンダーの課題は規制する」というデモ規制や、台湾で大きく盛り上がっている「日の丸原発稼動反対」の運動には連帯の挨拶ひとつ送られない。
 
こうした閉鎖性(というか、アジアの大衆運動を見下した姿勢)を如何に突破していくかの追及です。こうした問題意識を持つNNAAであるからこそ、『原賠法』、そしてその背後にある『日米原子力協定』という“国際協定で免責が強要され、法制化した「原発メーカー」の責任を追及する”という、既存の『日弁連』をはじめとする司法界の誰もが(1959年の砂川基地訴訟における田中最高裁の「安保法制に関わる行政の行為についての憲法判断回避」判決以来)避けてきた(!)「安保法体系」にも関わる訴訟の提起が可能となったのです。
 
福島をはじめとする日本各地に50余も作られた原発は、そのほとんどがGE(General Electric)、WH(Westinghouse)という米国メーカーのライセンスを元に(但し日本1号機は英国製)日立、東芝、三菱重工、IHI(石川島播磨)という旧財閥系メーカーによって作られてきたのですが、事故を起こした福島を始め全ての原発の製造メーカーおよび部品供給メーカーの製造物責任が免責され、電力事業者である電力会社に損害賠償の責任が集中されています。この不平等性・反倫理性はなぜでしょう。しかもその電力事業者による賠償の限度額も一事業所につき1200億円と限られ、あとは国費を投入する仕組みです。日本ばかりではありません。これまで世界中に400余も作られてきた原発のほとんど全てがこのような仕組みの下に建設されてきたのです。
 
この不合理な仕組みは、1953年の34代米国大統領アイゼンハワーによる「Atoms for Peace」として知られる国連総会での演説以来、60年間に亘って継続されてきています。原発は核兵器保持国、なかでも米国とソ連(ロシア)という二大強国による“(軍事力による世界支配を意図した)核兵器保持を正当化するための方便”として作らされてきたものです。核兵器という“無差別大量殺人以外に使い道のない兵器”の保持をただただ“正当化するため”に米国大統領は「核の平和利用」を謳ったのです。その演説で構想された核の「拡散」は、核の技術と原料の「供給国」側の責任が一切問われない“2国間協定”という仕組みの下で為されています。もちろん「受領国」側には日本のように「潜在的な核兵器保有国」としてのステータスを得たいという野望があって協定を結んだところもあるわけです。
 
「Atoms for Peace」演説の意図とその構造については、ライフワークとして原子力の問題を扱っているフリーランス・ジャーナリストの鈴木真奈美さんの書かれた『日本はなぜ原発を輸出するのか』(平凡社新書)の第6章において的確に解明されています。(略)
 
こうした仕組みを、国連(常任理事国は米、露、英、仏、中の核兵器保有5カ国)決議を通じて国際的に押し広げて作られたのが「NPT(核不拡散条約)体制」であり、「IAEA」という国際機関による“保障措置”なのです。そして今また明らかになっている事態は、日本、韓国、フランス、ロシアなど自国に於ける原発建設を通じて核兵器製造に通じる核技術を維持してきた国々が、世界への更なる拡散の役割を担って、競って輸出を図っていることです。
 
要するに、第2次世界大戦を核兵器という“無差別大量殺人兵器”の威力を見せつけて終わらせた強大国がその支配を続ける為に、稚拙な「言い訳」と共に、国の軍事費に加えて民間の金と人材をも動員して作り出したのが「核の平和利用」体制です。60余年に亘る「平和利用」の妄想の下に得られたものは、「原発」と名づけられた“危険な湯沸かし器”だけであり、その副産物が人類を何度も滅亡させるに足る量の放射性廃棄物の世界への拡散です。フクシマ核災害はその危機にある現実を露わにしました。これらのことをあきらかにしていくことこそが世界中に存在させられている原発群中の一群である日本の原発群を廃絶していくために求められていることです。
 
その危機的な現実の世界的構造を訴えることなく、「原発メーカーの製造物責任」に限定した訴訟とするなら、国際的連帯・支援の運動を作り出すことはもとより、「経済再建の柱(アベノミクス第3の矢)」と「相手国の要請」を名目に原発プラント一基500億円の儲けを懸けた安倍政権による原発輸出に、訴訟原告団として「ノー!」を突きつけることも出来ないのです。
 
「原発メーカー訴訟」においてそこにまで踏み込めるかどうか、NNAAの追求している訴訟と島弁 護士プラス「日弁連」の原発訴訟分野の大御所たる河合弘之弁護士などの考えている訴訟との分かれ道がここにあります。
 
「国を相手に訴訟をするつもりはない、あくまでも企業の責任を追及するのだ」「君たちは裁判が分かっていない」と島弁護士は原告の一女性に言い放ったそうです。これが「安保法制に手をつける裁判は出来ない」ことが充分に分かっている既存の弁護士の大組織である「日弁連」の常識のようです。
 
「日弁連」によって2014年10月3日に出された『原発訴訟における司法判断のあり方、・・・宣言』とその「提案理由」という長文の文章にも“なぜ原発事故の賠償責任が電力事業者と国(税金)にのみ「集中」され、原発メーカーは免責されているのか”についての言及はありません。
 
島弁護士によって書かれた「原発メーカー訴訟」の「訴状」においても、「提供国」側の国と企業の免責が「英米からの免責要求」として求められ、国内法として事業者へ損害賠償を集中させる『原賠法』が立法化されたと、経過として語られてはいても「原発メーカーの免責をいまなお“要請”し、2018年まで継続される『日米原子力協定』」についてはなぜか言及がないのです。もちろん原発を現在も“核兵器保持の正当化”の為に作らせているNPT体制への言及はまったくありません。これでは“メーカーの製造物責任”を切り口に「原発の存在自体を告発する訴訟」に出来るわけないのです。(以下、省略)
「今日の言葉」(左欄)でとりあげる時機を少し逸しました(ほぼ2週間に1回の割合で「今日の言葉」のまとめをブログにアップしています)。しかし、心に残った言葉として東島誠さん(歴史学者)の「『江湖』の精神、取り戻そう」の論を忘れないうちにとりあげておきたいと思います。「明治維新」の時代の自由民権運動については私も少なからず勉強してきたつもりでしたが、「江湖」の思想についてはその言葉とともにすっかり忘失していました。伊予国長浜(愛媛県大洲市)には私の父母の故郷の地の隣町として何度か訪れ、「江湖」も聞き覚えの地であったにもかかわらず、です。年月過ぎ去ることかくのごとし、とはいいません。東島誠さんの論を読みながら自由民権と文学にかかわるいろいろなことが思い出されてきました。そのことはまた書くこともあるでしょうが、今日の主題ではありません。以下、落穂拾いの今日の言葉として東島誠さんの論。
 
「江湖」の精神、取り戻そう 東島誠さん(歴史学者)(朝日新聞 2014年12月20日)から。 

坂本龍馬が理想を求めて土佐を脱藩したときの出港地といわれているのが、伊予国長浜(現在の愛媛県大洲市)の「江湖(えご)」の港。本来の読みは「ごうこ」、もしくは「こうこ」です。
 
江湖は、唐代の禅僧たちが「江西」と「湖南」に住む2人の師匠の間を行き来しながら修行した故事に由来します。一つの場所に安住することを良しとせず、外の世界へと飛び出すフットワークの軽さを表します。国家権力にも縛られない、東アジア独自の「自由の概念」といってよいでしょう。
 
幕末を駆け抜けた龍馬の遺志を継ぐかのように「江湖」の看板を掲げたのが、明治期の言論界です。「江湖」を名に冠する新聞・雑誌が多数生まれました。当時は「官」に対する「民」、「国家」に対する「市民社会」が「江湖」でした。自由民権思想のリーダーだった中江兆民は、東洋自由新聞で読者を「江湖君子」と呼んで社説を書き、晩年は兆民自身が「江湖放浪人」などと呼ばれました。
 
現代では「江湖」は全くの死語となりました。ネット空間においても、私は「江湖」の精神を見つけにくいと感じています。「江湖」とは正反対の嫌韓・反中やヘイトスピーチなど、排外的な主張があふれているからです。異論を述べると激しく攻撃され、排除される。ネットは人々を開くどころか、閉じる方向へと進める役割を果たしていると思います。
 
<力増す「対外硬」>
 
ところが明治期を振り返ると、そこには「江湖」の精神が息づいていました。夏目漱石をはじめとする名だたる文豪が寄稿した「江湖文学」は、無名の読者に投稿を呼びかけて参加の場を開きました。同誌の仕掛け人、田岡嶺雲(れいうん)は、窮乏していた韓国(植民地支配以前の大韓帝国)からの留学生を援助するため、幸田露伴の妹、幸(こう)らの出演するチャリティーコンサートを企画し、「江湖」に対して義援金を呼びかけてもいます。
 
しかし、「江湖」の精神は、日露戦争を境に退潮していきます。かわって政府の弱腰外交をたたき、外国への強硬姿勢を掲げる「対外硬(たいがいこう)」が力を増し、「下からの運動」が台頭しました。その頂点が1905年の日比谷焼き打ち事件です。ロシアに譲歩したポーツマス条約に不満を持つ数万人の群衆が日比谷公園に詰めかけ、暴徒化して内相官邸や警察署、政府擁護の新聞社を襲撃したのです。
 
社会派弁護士の花井卓蔵らと超党派的な政治結社「江湖倶楽部(くらぶ)」を立ち上げた小川平吉は、早々に「江湖」の世界を離脱し、「対外硬」を推進しました。さらには政治家として、その後の韓国の植民地化や袁世凱政府への21カ条要求、治安維持法制定にも深く関与するに至ります。
 
「江湖」が退潮したもう一つの理由としては、「江湖倶楽部」と共闘して社会変革に取り組んだキリスト教思想家、内村鑑三のような良心的な知識人たちが、時代の変化とともに内省に向かい、結果として積極的な外への発言力を弱めることになった点があります。
 
かくして「江湖」は「対外硬」に負け、日本は戦争の時代に突入していきました。ネットの言論空間やデモで排外主義が吹き荒れる昨今の状況は、百年前の「対外硬」を思い起こさせます。
 
<新聞は「荷車」に>
 
現代のメディアに「江湖」の精神を復活させる道はあるのでしょうか。新聞社の主筆も務めた中江兆民は「新聞は輿論(よろん)を運搬する荷車なり」と語っています。私は「荷車」での運搬に汗する肉体労働、そのアナログ感が重要だと考えています。新聞記者は現場を歩いて、取材先の話を丹念に拾うことが大切だと思うからです。
 
江戸時代に活躍した行商の貸本屋も重い本を何十冊も背負い、読者を訪ね歩く大変な重労働でした。彼、彼女らは書物だけでなく、様々な情報を直接人と会うことで媒介していったのです。人々と直接顔を合わせて交流するその様子は、現代よりもはるかに開かれた社会を感じさせます。
 
希望や明るさが感じられない時代です。それでもまだ、考え、発言する自由は奪われてはいません。既存メディアは考えるための材料を汗して運搬することを、あきらめてはいけないと思います。(聞き手・古屋聡一)
 
 
ひがしじままこと 67年生まれ。聖学院大学教授。著書に「〈つながり〉の精神史」「自由にしてケシカラン人々の世紀」「公共圏の歴史的創造」。共著「日本の起源」。
翁長雄志沖縄県新知事はこの12月12日に沖縄県議会において新知事としてはじめての所信表明を述べました。また、16日と17日には県議会の代表質問と一般質問に対する答弁に立ちました。以下、その翁長新知事の所信表明と議会答弁から見えてきた「辺野古埋立承認」問題の今後について疑問を呈する2本の意見と1本の擁護論をご紹介することで、翁長新県政がいま抱える問題点についていまの段階で明らめるところがあるならばその問題の所在を明らかにして翁長新県政の今後を沖縄人(シマンチュ)の問題としてだけでなく、本土人(ヤマトゥンチュ)の問題としても見守っていきたいと思います。
 
翁長新県政への1本目の疑問論。

*「短信」について:「短信」とは文の長短を指すのではなく、人さまの文章で共有しておきたい、重要だと思われる文章の引用という意味で使っています。
 
短信1:早くも「後退」した初議会答弁、翁長知事は説明責任を
(私の沖縄日記―広島編 2014-12-20)

沖縄県の翁長雄志知事が、県議会で「所信表明」(12日)を行うとともに、代表質問(16日)と一般質問(17日)で答弁に立ちました。就任後初の県議会で、その発言内容が注目されましたが、辺野古新基地建設などをめぐって、早くも見逃せない発言が相次ぎました。(略)翁長氏は一般質問で、「基地建設阻止が実現する時期については『早く実現したいと思うが、必ず(任期の)4年間でそうなるとは言えない。一歩一歩前進させて近づけていくことになる』と述べた」(18日付琉球新報)。驚きました。任期中に辺野古の新基地建設は阻止できないかもしれないとは!いったいどういうつもりでしょうか。「基地建設阻止が実現する」とは何を意味しているのか明らかにする必要があります。もちろん承認の「取り消し」や「撤回」をしてもそれですべて解決するわけではありません。政府はおそらく訴訟に持ち込むでしょう。しかし、「取り消し」ないし「撤回」すれば、少なくともその時点で工事は止まります。それが「建設阻止」の始まりであり、そこから建設断念に持ち込むたたかいが続くのです。その「建設阻止」が任期中は無理かもしれないとはどういうことでしょうか。代表質問答弁で翁長氏は、「東村高江の米軍ヘリパッド建設問題については『環境、住居生活への影響をめぐってさまざまな意見がある。地元の意見を聞き、検討したい』と述べた」(17日付琉球新報)。しかし翁長氏は知事選では、「オスプレイの専用的なヘリパッドになっている点もあり、『建白書』でオスプレイ配備撤回を求めていく中で、連動して反対することになる」(10月21日の政策発表記者会見。10月22日付しんぶん赤旗)と公約したのです。「反対」から「検討」へ。これは明白な後退(変質)ではないのですか。(略)知事選で翁長氏を支持・応援した人たち・グループは、翁長氏に直接会い、その真意を確かめる必要があるのではないでしょうか。そして、翁長氏との意見交換の場(市民懇談会)を定期的に開催し、政策の実行を求める。翁長氏を擁立した人たちにはその権利と義務があるのではないでしょうか。

翁長新県政への2本目の疑問論。
 
短信2:乗松聡子(Peace Philosophy Centre 2014年12月18日)
 
18日の琉球新報2面によると翁長氏は17日の議会一般質問で基地建設阻止が実現する時期について「早く実現させたいと思うが、必ず(任期の)4年間でそうなるとは言えない。一歩一歩前進させて近づけていくことになる」と言ったそうです。必ず阻止すると言って当選した人が、自分の任期中に阻止できないかもしれないと言ったのです。埋め立て承認を取消・撤回しないと来年半ばから埋め立ては始まってしまうのですから実質基地が建つのを許してしまうかもしれないと言ったことと同じではないですか。このような重大発言がどうして新聞の一面トップにならず沖縄で大騒ぎになっていないのでしょうか。目の前が真っ暗になっているのは私だけですか。翁長氏を信じて支持した何十万の県民の方々はどう思うのでしょうか。琉球新報2面の報道では見出しにさえなっていません。
 
翁長新県政擁護論。
 
短信3:Lima Linda Tokumori Kinjo(2014年12月18日)
この件に関しましては申し上げたいことがあります。そもそも「基地建設阻止が実現する時期」とは具体的に一体何を指し示しているのでしょうか?翁長知事が辺野古の埋め立て承認を取消・撤回したとして、国はまた特措法などの手段を使って埋め立てを強行させる可能性もあります。埋め立て承認を取消・撤回する時期を示しているのか、日米政府が辺野古以外の移設先を決定する時期(辺野古新基地建設をあきらめる)を指し示しているのか、新聞記事の質問からは私は読み取れませんでした。このような曖昧な表現の、しかも自民党議員から発せられた質問によって、翁長氏を支援してきた人々が引き裂かれることは「オール沖縄くずし」に思えて仕方ありません。選挙で奮闘されてきた皆さんは、翁長県政を少なくとも2期8年続けさせるつもりで闘ってきていました。現場の負担を考えれば長期戦にしたくない気持ちは百も承知ですが、さりとて4年間ですべての問題を解決できると断言することのほうが政治的リスクが大きいと私は思います。どうか冷静な対応を望んでおります。
 
上記の翁長新県政に対する疑問論と擁護論とともに「辺野古」問題についてはあわせて下記のジョセフ・ナイ元米国防次官補(現ハーバード大教授)の「辺野古移設を我々は再考しなければならない」発言の真意についても私たちは認識を共有しておく必要があるようにも思います。以下、資料として特定秘密保護法違憲訴訟原告のおひとりで、元朝日新聞記者の吉竹幸則さんの「ジョセフ・ナイ元米国防次官補の語る日米軍事戦略」もやや長文ですが転記しておこうと思います。
 
短信4:秘密保護法、集団的自衛権のあまりに危険な実態/ジョセフ・ナイ元米国防次官補の語る日米軍事戦略(Daily JCJ 吉竹幸則 2014年12月21日)
 
安倍政権の進める安保政策に、民主も維新も本格論争を避け、まともな争点にならないまま、総選挙で自民が圧勝。そのどさくさに紛れ、特定秘密保護法が施行され、集団的自衛権容認の実質改憲に基づく国内法の整備が今後、急速に進んで行く。
 
しかし、その先にこの国はどんな姿に変貌するのか。それを垣間見れる極めて興味深い記事が選挙中に朝日新聞に掲載されていた。記事を読み解けば、実は集団的自衛権とその運用を覆い隠すための秘密保護法がいかに危険か。改めてその実態が、私にはくっきり浮かび上がって見える。
 
朝日に掲載されたナイ・米元国防次官補のインタビュー
 
記事とは、朝日の12月8日付け朝刊。その日の朝日デジタルに発言内容の詳細も掲載されているジョセフ・ナイ元米国国防次官補(現ハーバード大学教授)のインタビューだ。
 
ナイ氏は知日家であるとともに、率直な発言をすることでも知られている。クリントン政権下では冷戦後の日米同盟の在り方を考える「ナイ・イニシアチブ」を策定。現在、ケリー国務次官に助言する米外交政策委員会のメンバーでもある。オバマ民主党政権で日米軍事同盟の運用を決める上で、最も影響力のある重要人物の一人だ。
 
だからこそ、彼の語る言葉の一言一句は、米国だけでなく米と蜜月関係にある安倍政権の今後の軍事戦略の方向性を知る上で、見逃せない。朝日本紙と朝日デジタルの掲載内容と合わせて読むと、ナイ氏は、朝日のインタビューに答え、4点にわたり重要なことを語っている。記事を読んでいない方のために、もう一度再録して見よう。
 
●辺野古移設に慎重なナイ氏の真意
 
1点目は、米軍が使用する普天間飛行場の辺野古移転について、「沖縄の人たちが辺野古への移設を支持しないなら、我々は再考しなければならない」と、沖縄の人たちの民意も考え、慎重な立場を表明している。
 
米国内の軍事関係者の間でも最近、辺野古移転について異論が出ていることはすでに一部ではささやかれていた。ナイ氏の発言はそれを裏付けるものである。しかし、それは沖縄の人たちの悲しい戦争体験や、戦後、米国の軍事基地が集中し、その犠牲にされて来たとの思いからの沖縄世論を配慮してのものと言えないことが、次の2点目の発言からよく分かる。
 
ナイ氏は、辺野古移設にこだわらない理由についてこう述べている。「中国の弾道ミサイル能力向上に伴い、固定化された基地のぜい弱性を考える必要性が出て来た。卵を一つのかごに入れておけば(すべて割れる)リスクが増す」。
 
つまり、米国としては万一、中国との全面戦争になった時には、在日米軍基地の7割を沖縄に集中させていることが、軍事戦略上のリスクと分析。その点から辺野古への移転が、中国の脅威に対する米軍強化にとって、必ずしもプラスにならないことを認識し始めているのだ。
 
次に3点目だ。「日本のナショナリズムです。日本がいわゆる『普通の国』になっていくにつれて、日本の米軍基地が減って日本の基地が増えていくはずです。日本列島のより多くの米軍基地が日本の基地となり、米国と日本の部隊が一緒に配置されるかも知れません」
 
これを踏まえナイ氏は4点目として、将来の在日米軍の姿を次のように語っている。「固定化された米軍の基地を置くより、(巡回して)異なる場所にいる方が日本のナショナリズムの観点からも問題が少ないし、中国が弾道ミサイルを使おうとしても、より難しくなります」。
 
●狙いは日本列島全体の米軍基地化
 
朝日のナイ氏に対する記事は、ここまでだ。インタビューした記者には、せっかくナイ氏が話をしてくれたことに対し、これ以上踏み込んで書くことへの遠慮があったのかも知れない。
 
しかし、ナイ氏の発言をもう一つ踏み込んで解釈すれば、何故、安倍政権が集団的自衛権の容認を急ぎ、秘密保護法を整備したかの真意も透けて見える。このインタビューから読み取れることを、私なりに解釈してみたい。
 
1、2点目から分かることは、ナイ氏をはじめ米国の軍事当局者は、沖縄の米軍基地を、万一、米中全面戦争が起きた時、対中国攻撃の最前線基地として位置付けていることだ。
 
米中全面戦争ということは、最悪の場合、核戦争を意味する。米国としては当然、それを想定して軍事戦略を練っている。米国本土を標的とする核兵器を積まれた中国の大型ミサイルを叩くために、「いざ開戦」となれば沖縄の基地から核兵器を積んだ爆撃機が飛び立つ想定になっているのだ。
 
3、4点目でナイ氏が言うのは、その重要な基地が沖縄に集まっているなら、「中国の弾道ミサイル技術の能力向上」で、米国が中国の核基地を攻撃する前に、中国から沖縄に集中的な先制攻撃を受ける。
 
その結果、重要拠点の沖縄基地は無力化されたなら、中国から米本土への核攻撃を自由に許すことになるのではないか、との懸念である。米の軍事専門家がこう発言する以上、沖縄に中国攻撃に備えた核兵器が隠されていると見るのも、当然の結論かとも思う。
 
次にナイ氏は、「日本のナショナリズム」の高まりに言及。日本国内の米軍基地は少なくなり、自衛隊基地にとって代わられると予測する。しかし、それは米国が危機感を抱く事態ではない。もともと米国自身がその方向性を日本に仕向けて来たものでもあるからだ。
 
何故なら、米国は2001年9月11日の同時多発テロ以来、頭に血が登り、対タリバンのためにアフガニスタン攻撃を仕掛け、2003年にはイラク戦争も始めた。しかし、ことごとく成功せず泥沼化。米国は多くの若者の命を戦場で散らせ、多額の軍事費負担で消耗して来た。
 
特にブッシュ・共和党政権の軍事優先政策の反省から生まれたオバマ政権としては、極東に多くの兵力も多額の軍事費も投入する余力や大義名分も失くしている。日本の自衛隊に極東の軍事力の肩代わりを要求してきていることから、安倍政権が「ナショナリズム」を高揚させ、日本の自衛隊が国内基地を拡充し、米軍と提携していく政策は、米国にとって願ったり、かなったりなのだ。
 
そこにナイ氏の思惑が透けて見える。「米国と日本の部隊が一緒に配置され」、米軍基地が自衛隊基地と一体化すれば、中国有事の際には、全国に散らばっている自衛隊基地から、核兵器を積んだ米軍の爆撃機が中国本土に攻撃に出られると見るのだ。
 
つまり、「固定化した」沖縄基地より日本本土に散らばる自衛隊基地を、在日米軍が(巡回した方が)、沖縄の基地軽減に繋がるとともに「中国が弾頭ミサイルを使おうとしても、より難しくなる」と見るのだ。しかし、それは今の米本土防衛任務を担う沖縄基地の役割を日本列島に点在する自衛隊基地全体に広げて引き受けさせることを意味する。
 
●米国本土を守る盾にされる日本の国土と国民の命
 
前述の通り、ナイ氏は民主党の極東戦略の最も有力なブレインだ。以前から米国はこの線に沿って極東軍事の将来の方向性を定め、日本にもそれに沿う防衛戦略を立てるよう求めて来たのも間違いないだろう。集団的自衛権容認の閣議決定後、順調に日米協議が始まったことからも、ナイ氏の描く構想に沿い米国の思惑通り、事態は進行していると見ていいだろう。
 
安倍首相は、靖国参拝や歴史認識で中国や韓国の国民感情を害し、反発を強めた。それをテコに何も知らない若者も煽って日本の「ナショナリズム」を高め、国民の間に集団的自衛権容認の機運を醸成した。それが何故か。ナイ氏の話と重ね合わせると、安倍首相の真意も透けて見える。
 
安倍首相の唱えてきた「ナショナリズム」は、一般的に定義される本来の「ナショナリズム」とは、少し趣が違うのだろう。米国の要求に沿い、「自衛隊基地と米国基地との一体化」のためには、集団的自衛権の容認が不可欠だ。そのために必要以上に中国や韓国、北朝鮮を敵視し、その脅威を強調したかったに違いない。
 
総選挙での自民圧勝を受け、いよいよ集団的自衛権容認と日米協議に基づき、国内法の整備が急ピッチで進む。その最後の目標は、ナイ氏の思惑通り自衛隊と米軍の部隊と基地の一体化だ。
 
米中本格戦争に突入すれば、日本本土の自衛隊基地から核を積んだ米国の爆撃機が中国に向かい、自衛隊機がその護衛を引き受ける日米共同作戦も十分想定出来る。そうなれば、米国本土の前に、まず中国から日本本土に容赦のないミサイル核攻撃始まる。日本列島の国土と国民の命は、米国本土の盾にされ、広島、長崎をはるかに超える被害が出て、間違いなく日本全体が焦土化する。
 
「米国は日米安保条約で日本を守ってくれている。だから集団的自衛権を容認して自衛隊が米軍に協力するのは当然だ」との意見もよく聞く。私も厳しい国際情勢の中で、日米安保を今すぐ廃棄出来るとは思わない。
 
しかし、ナイ氏の発言通り、米国もしたたかな自国の国益に沿い、極東有事の際に、中国などの攻撃から米国本土を守るための基地提供を日本に求めているのが、今の日米安保の本質だ。
 
一方、日本も経済発展優先の国益に沿い、隣国とむやみに争わず、米国の過剰な軍事要求をかわすため盾にしたのが、米国が戦後プレゼントしてくれた憲法9条だ。しかし、安倍氏はこの盾を取り払い、自ら外堀を埋めたのが集団的自衛権の容認である。それが果たしてこの国の国益なのか。もう一度、この国の人々はナイ氏の言葉を読み解き、直面する事態の大きさを直視して欲しい。
 
●人々は日米軍事戦略の実態を知らされなくていいのか
 
安倍政権が、集団的自衛権の容認とセットで進めたのが、秘密保護法だ。国民の「知る権利」が根こそぎ奪われる法律だ。私もフリージャーナリスト42人と東京地裁に違憲訴訟を起こしている。しかし、その判決すら待たず、選挙中に施行された。
 
この法律は、何が秘密か分からないまま、秘密に近づいただけで罰せられる極めて理不尽な内容だ。狡猾な官僚が、自分たちの天下りなど都合の悪い情報まで明確な基準もないまま、秘密にされるのではないかとの疑念もある。
 
でも、安倍政権が間違いなくこの法律で守ろうとする本丸は、この「防衛機密」、つまりメイ氏が対中国戦争で想定する日米軍事協力の細目である。
 
日本列島全体が米国本土の盾になり、国民の命も国土も消えてなくなりかねない危険な内容だ。これを知らされた上で、「ふだん米国に守ってもらっているのだから」と日本国民の総意で、この政策を選択するのなら、それはそれでやむを得ない。しかし、全容を国民に知らされないまま、事態が進行して行っていいのだろうか。
 
私が想い出すのは、1971年、日米で結ばれた沖縄返還協定で、「基地撤去に米国が沖縄の地権者に支払う土地現状復旧費用400万ドルを日本政府が肩代わりする」をされる密約を、西山太吉・元毎日新聞記者が掴んだことを発端とする外務省機密漏えい事件だ。
 
秘密保護法が施行されても、当初は国民の監視があり、政府もしばらくは拡大解釈は避け、慎重に運用するだろう。しかし、対中国の「防衛機密」は違う。沖縄密約をスクープした西山元記者は、司法権力により男女問題にすり替えられ、国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕、起訴され、一審では無罪になったものの、高裁で逆転判決。最高裁も有罪を確定させている。
 
背景には、西山氏のスクープした肩代わり密約の先に、非核三原則があるにも拘わらず、沖縄に核兵器を持ち込むことを政府が容認したとされる核密約があったからだとの説が有力だ。だからこそ、西山氏のスクープで核密約に焦点が当たることを恐れた政府が、男女問題にすり替えてでも西山氏を逮捕、記者生命を奪ったと考えられるのだ。
 
今後も、日米軍事行動の具体的な密約内容が明るみに出そうになれば、「報道の自由を守る」などは反故。他の問題はさておいても、政府は何としてでも理由をつけ、秘密を洩らした側も、報道しようとした記者も秘密保護法違反で逮捕し、社会からの隔離を図るに違いない。
 
自民圧勝の選挙結果を受け、安倍政権がメイ氏の構想に沿い、極めて危険な日米連携軍事行動にアクセルを踏み込もうとしているこの時期に、私は改めて問う。国民の命と財産に関わる極めて重大な政策・情報が、「防衛機密」との一言で、「国民に知らされなくていいのですか」「国民は知らなくていいのですか」、と…。
五十嵐仁さんは、先日の「安倍さん、サンキュー」(2014年12月17日付)の論に続けて今度は「安倍の表情は終始険しかった」という投票日翌日の産経新聞の安倍首相を「客観」的な解説の形をとってその実もちあげるという念の入った提灯記事を前提に「総選挙後に安倍首相の表情が『終始険しかった』のはどうしてなのか」 という問いを立て、その解もやはり「憲法改正は遠のいた」という同紙記者の見立てを前提にさらにその「遠のいた」ゆえんを述べるという産経紙記者も顔負けして退場する体の結果として産経の安倍首相の提灯を持つ記事を擁護することにしかならない我執(我のかつての論に捉われる)、それゆえの三文記事を書いています。五十嵐さんはこの記事を仮に「安倍さん、サンキュー」記事のエクスキューズのつもりで書いているのであれば、孔子の弟子に諭していう「過ちて改めざる」の愚を五十嵐さんもまた犯しているといわなければならないでしょう。
 
五十嵐さんは「憲法改正は遠のいた」という産経記者の産経「正論」流の判断をなんの疑いも持たず、そのまま受け入れた上で自己の論を展開していますが、「憲法改正」こそが今回の衆院解散のほんとうのねらいであっただろうことは多くの識者によって早くから指摘されていました。
 
・「安倍自民への投票は、あとから改憲容認票と主張されかねない」
澤藤統一郎の憲法日記 2014年11月26日
 
・「今回の衆議院の解散は、安倍自民党が、この憲法「改正」をしたいがために行われる」(弁護士猪野亨のブログ 2014年11月28日
 
また、投票が終った直後の民放の開票速報番組でも安倍首相は早々に「憲法改正」の意欲を述べています(朝日新聞 2014年12月14日)。
 
上記の「憲法改正」に関する安倍首相の早々の行動に対する識者の若干のコメント。
 
・「早速キタ。与党的には争点はアベノミクスだったはずだが、選挙が終われば全部信任されたことになる。→安倍晋三首相は14日、与党圧勝を受けて憲法改正を進めるかを問われ、「そういうことですね」と応じ、意欲を示した。テレビ東京の番組で述べた」(想田和弘Twitter 2014年12月14日
 
・「安倍首相は早くも憲法改正問題に言及し始めました」
浅井基文のページ 2014年12月15日
 
・「総選挙は与党の圧勝となった。安倍首相は(略)選挙から一夜明けた12月15日の記者会見では、集団的自衛権や原発再稼働など過去2年間の安倍政権の政策が信任を受けたとして、そうした政策を今後も邁進させていく姿勢を明確に示した。(略)この選挙は決して経済政策だけを問う選挙ではなかった。集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更やベースロード電源としての原発の推進、政府の秘密指定権限を大幅に強化する特定秘密保護法、これまで国是として禁じてきた武器輸出の解禁、愛国教育の推進、非正規雇用の拡大に生活保護の縮小、歴史修正主義とヘイトスピーチの容認、TPPへの参加、メディアへの政治介入等々、これらはいずれも過去2年間の間に日本が経験した劇的な政策変更だった」(神保哲生「ビデオニュース・ドットコム」2014年12月20日
 
これらの安倍首相の投票が終った直後の一連のすばやい行動を見ても「憲法改正は遠のいた」などととても判断することはできません。「憲法改正は遠のいた」という報道は産経流の大衆へのアナウンス効果をねらった世論誘導記事とみなすべきものでしょう。それを五十嵐さんは世論誘導記事と見破るどころか産経の術中にはまってさらに産経の意図のままに拡散してしまう。ミスリードの「過ち」を取り戻そうとしてさらに「過ち」を重ねる。それを孔子は「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う」と弟子に戒めたのです。五十嵐さんにはその孔子の説諭の意味を再度かみしめてもらいたいものです。
 
つけたしとして以下のことも補足しておきましょう。
 
五十嵐さんは「憲法改正は遠のいた」理由のひとつとして「総選挙では、次世代の党の壊滅、維新の党の不振、みんなの党の消滅という形で『第三極』は存在感を大きく低下させ」たことをあげていますが、「次世代の党」が「壊滅」状態になったのはそのとおりですが、「維新の党の不振」といっても同党は公示前の42議席から1議席減らしただけでいまだ41議席を確保しています。「みんなの党」の場合は所属党派は別としていまだ少なくない議員が衆院、参院に議席を確保しています。また、もちろん「第三極」ではありませんが、公明党は議席を4議席伸ばして過去最高の35議席を確保しています。こうした総選挙後の国会内の勢力分野が「大きく変わってしまった」として「憲法改正は遠のいた」理由にあげるのは無理筋の理由というべきでしょう。
 
さらにこれは五十嵐さん自身も指摘していることですが、「自民党は小選挙区では18万票減で議席を減らしたものの、比例代表では104万票増で議席も増やしました。公明党は議席を4議席増やして比例代表の得票数も19万票増になっています」。
 
こうした国会内の勢力分野、国会外の保守志向増加現象をもって「憲法改正は遠のいた」理由にあげることももちろん的を射ているとはいえません。五十嵐さんの上記のどの主張もミスリーディングな主張と言わなければならないでしょう。
 
以下、今回私の批判する五十嵐さんの論。
 
総選挙後に安倍首相の表情が「終始険しかった」のはどうしてなのか
(五十嵐仁の転成仁語 2014年12月20日)
 
総選挙が投開票された翌日、12月15日付の『産経新聞』に「衆院選 首相が本気の民主潰し、『大物』狙い撃ちを徹底」という記事が出ています。そこに何気なく書かれていた、次のような文章に目が留まりました。
「衆院選は自民党が勝利を収めたが、安倍には忸怩(じくじ)たる思いが残る」「衆院選は自公で3分の2超の議席を得たが、憲法改正は遠のいた。任期4年で改憲勢力をどう立て直すのか。勝利とは裏腹に安倍の表情は終始険しかった」というのです。なぜ安倍首相が「忸怩たる思い」を持ち、その「表情は終始険しかった」のでしょうか。
 
第1に、憲法をめぐる国会内の勢力分野が大きく変わってしまったからです。総選挙では、次世代の党の壊滅、維新の党の不振、みんなの党の消滅という形で「第三極」は存在感を大きく低下させました。

その結果、「いざという時の第三極頼み」という戦術が取れなくなってしまったわけです。とりわけ、改憲発議については衆参両院で3分の2を確保しなければなりませんが、参院での3分の2は再来年の参院選で躍進しても自民党だけでは無理で、公明党が頼りにならない場合、「第三極」を当てにしていたようです。

特に、次世代の党が大きな援軍でしたが、それがほとんど姿を消してしまいました。安倍さんとしては、これほど大きな計算違いはなかったでしょう。

それに、与党の中でも与党内「野党」ともいうべき公明党が議席を増やし、与党内での比重を高めました。公明党は、集団的自衛権の行使容認問題でもそうだったように、支持団体の創価学会内に平和志向の強い女性部を抱えています。

今後の関連法の改定や日米ガイドラインの改定などでもできるだけ「限定」する方向で抵抗するとみられます。総選挙が終わってすぐに、安保法制の改定について、集団的自衛権行使容認の範囲を「日本周辺の地域」に限る方針だとの報道がありました(『毎日新聞』12月18日付)が、これは公明党の意向を踏まえた方針転換だと思われます。

また、憲法についても公明党は9条を変える「改憲」ではなく、プライバシー権などの新たな条項を追加する「加憲」の立場です。安倍首相の改憲戦略にとっては、「躓きの石」になるかもしれません。
 
さらに、それ以上に頭が痛いのは野党の中の野党ともいうべき共産党が躍進したことです。民主党も議席を増やしましたから野党内の勢力地図は大きく塗り替えられ、安倍首相にとっては味方が減っただけでなく、敵対する勢力が大きく増えたことになります。

その結果、これまで十分でなかった国会の各種委員会での委員を確保し、いままでよりずっと多くの共産党議員が幅広い領域で論戦に参加できるようになります。様々な情報へのアクセスも容易になって調査能力が格段に増し、省庁への影響力も強まり、独自の議案提案権によって法案を提出することができ、党首討論に志位委員長が出て直接安倍首相と渡り合うことになります。

これほど、安倍首相にとって困った事態はないでしょう。険しい表情になるのは当然で、今からでも国会運営の難しさにたじろぐ思いなのではないでしょうか。

第2に、盛り上がらなかった選挙戦と投票率の低さという問題があります。これは、「争点隠し」によって意識的に選挙が盛り上がらないようにし、組織的な基盤のある政党を有利にしようとした安倍首相自身の責任でもあります。

その結果、自民党は小選挙区では18万票減で議席を減らしたものの、比例代表では104万票増で議席も増やしました。公明党は議席を4議席増やして比例代表の得票数も19万票増になっています。

両党とも投票率が下がったにもかかわらず比例代表での得票を増やしていますから、低投票率に助けられたわけではなく支持そのものを増やしたと言えます。しかし、それはアベノミクスを続ければデフレ不況から脱却して好循環が始まるという口車に乗せられ、景気回復への淡い期待を抱いた消極的な支持であり、民主党や第三極を見放して行き場を失った一種の「吹き溜まり」のようなものです。

安倍首相は、今回の支持増大が「吹き溜まり」であり、別の風が吹けば飛び散ってしまうことを薄々感づいているのかもしれません。そこに熱狂はなく、醒めた計算と懐疑的な眼差しがあるだけです。

「この道しかない」と言って有権者に無理強いしたアベノミクスの前途は不透明で、経済の先行き不安を感じているのは安倍首相も同様でしょう。しかも、消費増税の打撃が思いのほか大きく、円安が必ずしも日本経済にプラスにはならず、かえって物価高を招いて消費不況を強めてしまうことが明らかになりました。

今後もアベノミクスによって景気が回復し、好循環が始まる可能性は低いと見たからこそ、安倍首相は「今のうち解散」に打って出たわけです。それにもかかわらず、1年半後の消費税10%への再引き上げを確約してしまったわけで、いずれそのツケがやってくるのではないかという心配が頭をよぎったのではないでしょうか。

第3に、これからの安倍首相はいくつもの難題に直面し、ジレンマを抱えることになるからです。それがどれほど大きな打撃となって日本の政治と社会を揺るがせ、安倍政権を打ちのめすかは分かりませんが、やってくるのは確実で逃れることはできません。

そのうちの一つは、沖縄の新基地建設をめぐるジレンマで、辺野古での新基地の建設に反対だという民意は今回の総選挙でもはっきりと示されました。名護市長選、名護市議選、沖縄県知事選、そして今回の総選挙と、今年に入ってから全ての選挙で基地反対派が勝利したという事実には極めて重いものがあります。

それにもかかわらず安倍政権は新基地建設を強行しようとしており、今後、政府と沖縄の対立はさらに強まると予想されますが、その時、アメリカ政府はどう対応するでしょうか。辺野古での新基地建設は無理だと諦めるようなことになれば(その可能性は少なくないと思います)、階段を外された安倍政権は窮地に陥ることでしょう。

もう一つは、TPPへの参加をめぐるジレンマです。中間選挙での共和党の勝利によってオバマ政権は今まで以上に強い態度に出てくる可能性があり、日本に譲歩することは考えられません。

かといって、この段階での交渉離脱は日米関係を悪化させて政権危機を招きますし、交渉が妥結したとすれば日本が屈服したことを意味します。例外なしでの関税撤廃やISDS条項の導入などによって日本の国内市場の全面的な開放がなされ、農業を始め、商業、建設、医療、保険、金融などの分野は壊滅的な打撃を受けるでしょう。

地方の創生を言いながら、地方の壊滅に向けての扉を開くというわけです。地方・地域の存続をさらに難しくするような政策展開は地方の「保守」勢力との矛盾や対立を拡大し、自民党という政党の命取りになる可能性さえ生み出すことでしょう。

三つめのジレンマは原発再稼働をめぐるものです。安倍政権は原発の再稼働を目指して着々と準備を進めてきました。しかし、福島第1原発の事故は未だ原因も不明で事故は収束していず、放射能漏れを遮断する凍土壁は失敗で、放射能漏れ自体もこれまで発表されていた以上の量に上ることが明らかになっており、脱原発を求める世論は多数です。

このような中での再稼働の強行は世論との激突を招くでしょう。とりわけ、原発の周辺30キロ以内でありながら発言権を認められない自治体の危惧と反発には強いものがあります。

エネルギーを原発に頼る政策への復帰は、再生可能エネルギーの軽視と買い入れの停止などと結び付きます。太陽光発電などの再生可能エネルギーを新しいビジネスチャンスととらえて取り組んで来た企業や自治体などの反発は大きく、再生可能エネルギーをテコとした循環型経済による地域の活性化を目指してきた動きも封じられ、このような方向での地方創生の芽を摘むことになります。

さらに、四つめのジレンマは労働規制緩和についてのものです。安倍首相は、総選挙翌日の記者会見で「農業、医療、エネルギーといった分野で大胆な規制改革を断行し、成長戦略を力強く前に進めてまいります」と述べましたが、これまでの「労働」が抜けて、新たに「エネルギー」が入りました。

これは言い間違いなのでしょうか。それとも、意識的に言い換えたのでしょうか。

労働の規制緩和をあきらめたというのなら結構ですが、通常国会には「生涯ハケン」を可能にする労働者派遣法の改正案が出ると言われ、ホワイトカラーエグザンプションの新版である「残業代ゼロ法案」の準備も進んでいます。これによって派遣が拡大され、労働時間が長くなれば、非正規雇用の拡大、雇用の劣化、過労死・過労自殺やメンタルヘルス不全が蔓延し、経験の蓄積、技能の継承、賃金・労働条件の改善、可処分所得の増大などは望めなくなり、労働力の質は低下し、消費不況と少子化はさらに深刻となって、日本企業の国際競争力と経済の成長力は失われることになります。

当然、女性の社会進出はさらに困難となり、デフレ不況からの脱却は不可能になるでしょう。「この道しかない」と言って「成長戦略を力強く前に進め」た結果、自滅への道に分け入ってしまうことになるわけで、これこそ最大のジレンマだと言わなければなりません。

安倍首相は、これ以上の内閣支持率の低下を避け、消費再増税の延期についての責任問題を回避して財務省の抵抗を排するために、総選挙に打って出たとみられています。しかし、その結果は必ずしも意図したようにはならず、多くの誤算をはらむものでした。

今回の総選挙の結果、来年に予定されている自民党の総裁選は何とかしのげそうですが、その前の統一地方選や再来年の参院選の壁は越えられるのでしょうか。「自民圧勝」の大宣伝にもかかわらず安倍首相の表情が「終始険しかった」のは、それが必ずしも容易な課題ではないということに気が付いたからかもしれません。

参考資料としてくだんの産経新聞記事も下記に掲げておきます。
 
 
■「枝野氏の地元を日の丸で埋め尽くせ!」
 
「ありったけ日の丸の小旗を用意しろ。過激派の支援を受ける枝野幸男(民主党幹事長)の地元に日の丸をはためかせるんだ…」
 
8日深夜、首相(自民党総裁)、安倍晋三のこんな指示が、東京・永田町の自民党本部4階の幹事長室に降りた。
 
翌9日夕、埼玉5区のJR大宮駅前は、日の丸の小旗を手にした聴衆約4500人(自民党発表)で埋め尽くされていた。選挙カーの上で安倍は満足そうな笑みを浮かべた。
 
「この選挙は日本が前進するか、後退するかを決める選挙です。でも民主党はあの混迷の時代に戻そうと言っている。その代表格が枝野さんだ。確かに弁舌さわやか。菅直人首相の下で官房長官を務めた華麗な経歴。でも果たして結果は出たでしょうか。残ったのは混乱だけだった」
 
安倍がこう訴えると日の丸の小旗が一斉にはためいた。街頭で小旗の回収係を務めていた若手党職員はこう思った。「首相は本気で民主党を潰すつもりだ…」
 
◆第三極の衰退誤算
 
衆院選は自民党が勝利を収めたが、安倍には忸怩(じくじ)たる思いが残る。
 
安倍が年末の電撃解散で狙ったのは、自民党を勝たせるのはもちろんだが、むしろ自民党を含めた改憲勢力を増やし、護憲勢力を退潮させることに重きを置いていたからだ。
 
見据えているのは平成28年夏の参院選だ。参院で自民党単独で3分の2超となるには、改選121議席中97議席以上獲得せねばならず、ほぼ不可能といえる。それならば維新の党や次世代の党など第三極にもっと実力を付けてもらい、参院での「改憲勢力3分の2超」を狙うしかない-。安倍はこう考えていたのだ。
 
だが、みんなの党は選挙前に解党してしまい、維新や次世代などはいずれも苦戦が伝えられた。逆に民主党は議席を増やし、共産党は議席倍増の勢い。安倍は周囲にこう漏らした。
 
「なぜ維新と次世代は分裂してしまったんだ。多少不満があっても党を割ったらおしまいだろ。平沼赳夫(次世代の党党首)さんは郵政解散での失敗をまた繰り返してしまったな…」
 
◆戦術はただ一つ
 
そうなると取り得る戦術は一つしかない。民主党幹部の「狙い撃ち」だ。
 
8日午後9時ごろ、安倍は自民党本部4階の総裁応接室に副総裁の高村正彦、幹事長の谷垣禎一、選対委員長の茂木敏充ら党執行部を招集した。終盤戦の方針を決める選対会議だった。
 
配られたのは、3回にわたる自民党の世論調査結果と、重点区に位置付けた35選挙区の一覧だった。
 
民主党代表、海江田万里(東京1区)▽枝野(埼玉5区)▽選対委員長、馬淵澄夫(奈良1区)▽国対委員長の川端達夫(滋賀1区)-。いずれも自民党候補に苦戦していた。
 
「あと一歩のところまで来ているな…」
 
民主党の議席が増えるのはもはや仕方がない。ならば党執行部を軒並み選挙区で落選させ、求心力を一気に低下させるしかない-。そう思っていた安倍は、調査結果を見て突然顔をしかめた。東京1区は、過去2回の調査で自民党候補の山田美樹が、海江田を大きく引き離していたが、僅差に縮められていたからだ。
 
「やっぱり油断しているところは追い上げられているな。もっと引き締めないとダメだ…」
 
安倍は紙に書をしたため、全自民党候補の事務所に送付するよう命じた。文面はこうだった。
 
「油断大敵
 
最後まで
 
必死に訴えよ!
 
弛(ゆる)んだら
 
勝利はない!
 
安倍晋三」
 
◆露骨な集中攻撃
 
安倍の民主党大物の「狙い撃ち」は徹底していた。
 
官房長官の菅義偉と手分けして、海江田や枝野、馬淵ら党執行部だけでなく、元首相の菅直人(東京18区)、元衆院議長の横路孝弘(北海道1区)、元厚生労働相の長妻昭(東京7区)、元外相の前原誠司(京都2区)-らの地元で民主党批判を続けた。
 
歴代首相も衆院選では全国遊説を行い、各地で票を掘り起こしてきたが、これほど露骨に野党大物を集中攻撃した首相はいない。
 
自民党幹部は「競ってる選挙区を選ぶとたまたま民主党の大物議員の選挙区だった」と語るが、それならば、圧倒的強さを見せる代表代行の岡田克也(三重3区)の地元まで足を運んだことに理由がつかない。
 
安倍は、尊敬する高杉晋作に自らを重ね、自分が敵陣に切り込み、闘志を見せることで自民党の士気を鼓舞しようとしたのだった。
 
ところが、不思議なことに民主党でも元首相の野田佳彦ら保守色の強い議員の地元には踏み込んでいない。もしかすると安倍は、すでに総選挙後の野党再編の動きをにらんでいるのかもしれない。
 
◆勝利に高揚感なく
 
「静かな選挙戦だった。追い風も向かい風も感じなかった」
 
高村は選挙戦をこう振り返った。地方創生担当相の石破茂も「2年前のような高揚感はなかった」。多くの自民党候補も同じ思いだろう。投票率の低さがこれを如実に裏付けている。
 
にもかかわらず各種情勢調査が「自民圧勝」を伝えたのはなぜか。ある党幹部はこう分析する。
 
「自民党に吹いたのは、民主党や第三極に失望し、行き場を失った有権者の消極的な支持だった…」
 
確かに日経平均株価は2年前に比べて2倍になった。雇用も改善した。だが、景気回復の実感は乏しい。今回の衆院選はそんな複雑な国民感情を反映したようにも見える。
 
14日午後10時すぎ、安倍は民放番組の取材に応じ、「衆院選という、政権選択の選挙で信任をいただいた。アベノミクスは道半ば。慢心せずに丁寧に政策を進めていきたい」と語った上で憲法改正にも触れた。
 
「憲法改正はわが党の悲願だが、国民投票があり、その前に衆参で3分の2という勢力を作り上げねばならない。大変高いハードルでまだそこには至っていない。国民の理解が深まるように憲法改正の必要性を訴えていきたい」
 
衆院選は自公で3分の2超の議席を得たが、憲法改正は遠のいた。任期4年で改憲勢力をどう立て直すのか。勝利とは裏腹に安倍の表情は終始険しかった。(敬称略)
五十嵐仁さんは今回の総選挙の結果について「安倍さん、サンキュー」と言う。また、「私が共産党委員長ならそう言うかもしれない」とも言います。もちろん、パラドキシカル、もしくはアイロニカルな表現であることはわかります。しかし、安倍政権は、今回の総選挙で公示前の295議席から4議席減らしたものの、同党単独でも絶対安定多数の266議席をはるかに超える291議席、公明党と合わせると衆院では憲法改悪を発議できる3分の2以上の議席を維持し、確保しました。私たち有権者は、これまで最長でもあと2年間だった安倍政権の「解散権」という名のフリーハンドをあと4年間も延長させてしまったのです。
 
この間に安倍政権は憲法改悪の機をねらい続けるでしょう。集団的自衛権と秘密保護法のさらなる合法化と施行も推し進めるでしょう。原発再稼働、武器輸出、普天間基地移設、さらなる生活保護法の改悪、大衆課税としての10%の消費増税、さらなる労働者派遣法の改悪も。私たちの眼前のすぐそばにはいま「虐げられている者らがさらに虐げられる」光景、「民主的な全体主義」の光景が拡がっています。その的中率99%の確率で予想される悲惨で残虐な光景を眼前にして私たちにはどうして「安倍さん、サンキュー」という言葉が発せられるでしょう。五十嵐仁さんが言うように「今回の解散・総選挙の恩恵を最も受けたのは共産党」であり、「国民が危機感を高めて(安倍首相への)反発を強めることがなければ、共産党への支持がこのような形で高まることもなかった」。「安倍首相が任期満了まで我慢していたら、あと2年間、自民党の議席は減らず、共産党の議席は増えなかったはず」であったとしても、です。五十嵐仁さんの思想はあまりにも浅薄だといわなければならないでしょう。
 
五十嵐さんにはどうやら「虐げられている者らがさらに虐げられる」「民主的な全体主義」の光景は見えていないようです。まだ萌芽としてしか現われていないのだから見えないのは「当然」だとしても(本当は政治的な微細な光景についても視力の必要な政治学者としては「当然」だともいうこともできないのですが)、想像すらもできないようです。でなければどうしてたとえアイロニカルな表現であるとしても「安倍さん、サンキュー」などという言葉が吐けるでしょう。
 
私には「総選挙の結果、勝ったのは共産党」などと言ってのける五十嵐仁さんの感性が不快です。
 
私には「安倍さん、サンキュー」などと言ってのける五十嵐仁さんの感性も不快です。
 
私には「安倍さんが、国民世論を無視して強権的な姿勢を強めなければ、共産党への支持がこのような形で高まることもなかった。230万以上も票を増やし、13議席も上乗せすることはできなかったと思われます」などと言う五十嵐仁さんの認識も不快です。
 
五十嵐仁さんにはなにかに対しての不遜があるのではないか。「なにか」とはなにか。社会思想にいう「革命」というものに対して、ということもできるでしょう。その「革命」に関わる、関わらざるをえない「人民(あるいは国民)」に対して、ということもできるでしょう。私は五十嵐仁さんの認識と感性にはいまのこととして貧相な人間の顔しか見出すことができません。
 
これが私の五十嵐仁さんの論に対する大いなる違和感の表明です。
 
以下、私の批判する五十嵐仁さんの論。
 
「安倍さん、サンキュー」と、私が共産党委員長ならそう言うかもしれない
(五十嵐仁の転成仁語 2014年12月17日)
 
何度も言うようですが、総選挙の結果、勝ったのは共産党です。私が共産党の委員長なら、「安倍さん、サンキュー」と言うことでしょう。
 
だって、安倍さんが突然、解散・総選挙に打って出なければ、こういう結果にはならなかったのですから。安倍首相が任期満了まで我慢していたら、あと2年間、自民党の議席は減らず、共産党の議席は増えなかったはずですから……。最も安倍首相に恨みをぶつけたいと思っている人は、次世代の党の平沼赳夫党首でしょう。19議席もあった衆院の議席が17も減って、たった2議席になってしまったのですから。落選した石原慎太郎最高顧問は引退の記者会見を開きましたが、元々引退するつもりでしたからサバサバした表情だったそうです。しかし、平沼さんは怒りが治まらないんじゃないでしょうか。特定秘密保護法の可決・成立に際しては、野党でありながら安倍首相の応援団として行動するなど、「自民党野党支部」として自民党を右に引っ張る役割を演じました。このような極右政党を見限ったところに、日本の有権者の見識と良識が示されています。
 
次世代の党とは反対に、今回の解散・総選挙の恩恵を最も受けたのは共産党でした。安倍首相は、国民の反発を買うような暴走を続けた挙句、それに対する審判を下す機会を国民に提供したからです。いわば、有権者の不安と反発を高めるだけ高めてからの解散でした。野党には準備ができていないということを見越しての奇襲攻撃だったと言って良いでしょう。しかし、実は総選挙に向けての準備をしていた政党が一つだけありました。11月初めの「赤旗祭り」で衆院比例代表選挙の第1次候補を発表していた共産党です。消費再増税、9条改憲、集団的自衛権の行使容認、特定秘密保護法、原発再稼働など、世論調査をすれば反対が多くなる政治課題のどれについても、安倍首相は強行する姿勢で臨んできました。これに真正面から反対するだけでなく具体的な対案を示してきたのが共産党で、そのことを国民はしっかりと見ていたのです。
 
このような「暴走政治」と共産党との対決構図をくっきりと浮き立たせてきたのも、安倍首相自身でした。安倍さんが、国民世論を無視して強権的な姿勢を強めなければ、国民はこれほど強くは反発しなかったでしょう。国民が危機感を高めて反発を強めることがなければ、共産党への支持がこのような形で高まることもなかったかもしれません。今回の選挙で230万以上も票を増やし、13議席も上乗せすることはできなかったと思われます。
 
また、共産党との「共同」の輪に、古賀誠さん、加藤紘一さん、野中広務さんなどの自民党幹事長OB、第一次安倍内閣での法制局長官だった宮崎礼壱さんや小泉政権での法制局長官だった阪田雅裕さん、防衛庁長官官房長などの旧防衛官僚だった柳沢協二元内閣官房副長官補、『戦後史の正体』というベストセラーの作者で外務省国際情報局長や防衛大学校教授を歴任した旧外務官僚の孫崎享さん、改憲派として知られていた小林節慶応大学名誉教授、二見伸明元公明党副委員長などを続々と参加させたのも、言ってみれば安倍首相の「功績」でした。このような現象は安倍首相の極右民族主義的改憲論者としての言動と集団的自衛権の行使容認に向けての解釈改憲などの「暴走」がなければ考えられなかったことであり、この点でも安倍首相の「功績」には大きなものがあったと言って良いでしょう。
 
そのうえ今度は、次世代の党という「極右政党」をぶっ潰し、共産党の大きな躍進を招いたわけですから、志位委員長ならずとも「サンキュー」と言いたくなるのではないでしょうか。そのためにわざわざ国会を解散して選挙したわけではないでしょうが、結果的にはそうなっています。
 
そのことを知ってか知らずか、安倍首相はこれからも「この道」を進もうとして意欲を燃やしています。それが結果的に国民の不安と反発を招き、良心的保守層や共産党などの反対勢力を増やし、その「共同」に大きく「貢献」していることに気付くこともなく……。
本ブログの「今日の言葉」の2014年12月6日から同月17日にかけての記録です。

避難民キャンプ 
ミャンマー西部、ロヒンギャ避難民キャンプ

【今日の言葉:冒頭】
06日:[辺見庸]14日の後も日常はなにごともないかのようにながれてゆく
08日:[半澤健市]大東亜戦争の大義は「自存自衛」と「東洋平和」であった。
08日:[岡留安則]自民党は在京テレビ局に「公正、中立、公平の確保」を
10日:[毎日新聞]国家機密の漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法が10
10日:[辺見庸]2014年12月10日。昼。官邸前。うねり深まる思索のゆきつく
12日:[広原盛明]このままでいくと、各紙の予想通り自民党が圧勝し、民主
13日:[Peace Philosophy]沖縄県翁長雄志新知事が県民の8割にも上ると
14日:[Daily JCJ]44年前の12月20日、沖縄で何が起きたか。米軍人・軍
15日:[保立道久]総選挙の結果がでた。(略)投票率52パーセントのうち自
16日:[盛田常夫]GDP速報の修正値が発表されて、「アベノミックス」が目
16日:[盛田常夫](承前)アベノミクスを支えるマクロ経済仮説の一つに、
17日:[藤原新也]パキスタンのペシャワールで軍の子弟が通う学校が襲わ

14日の後も日常はなにごともないかのようにながれてゆくのだろう。時間のながれと継起にはっきりと目印があったり、ゴチックで警句がしるされていたためしはない。歴史はせいぜいよくても後知恵である。心におもい浮かぶことごとと現前するできごとが一致することは、めったにはない。ほとんどない。共時性はたいていは錯覚だ。14日の後にも懈怠はあり、おのれのみのみみっちい安堵も、あのれのみのいじましい幸福感とやらも、14日の以前のようにあるだろう。だが、わたしには14日の後は「実に恐ろしく青く見える。恐ろしく深く見える。恐ろしくゆらいでみえる」(賢治)のだ。ものごころついてからこれまで、これほど危険な政権をわたしはみたことがない。弱者、貧困者をこれほど蔑視し侮った政権 を知らない。この国の過去をこれほどまでに反省しない政権は自民党でさえめずらしい。これほど浅薄な人間観、これほど浅はかな世界観、これほど歪んだ歴史観のもちぬし、これほどのウソつきに、ひとびとがやすやすと支配されているのをみるのは、ものごころついてからはじめてだ。以上のような理由で、わたしはこれから秘密保護法反対、安倍政権打倒、ろくでなし子さんら不当逮捕反対、言論弾圧・干渉粉砕(スローガンは個人のイメージです)のデモに参加しにいく。デモ前の集会主催者や「文化人」あいさつなどセレモニーぜんぱんは超ウザくて、戦意喪失するので、ぜんぶさぼるつもり。デモのみ、あるけるだけあるく。2004年に倒れてからデモに直接参加するのははじめて。(辺見庸「日録1-11」2014/12/06
 
大東亜戦争の大義は「自存自衛」と「東洋平和」であった。昭和天皇は1941(昭和16)年12月8日に発した『米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書』でこういっている。(略)帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ(略)国際法の専門的な理屈は知らないが、今日的常識で判断すれば、個別的自衛権発動による宣戦布告以外の何ものでもない。(略)1951年9月にサンフランシスコで行われた対日講和条約に参加した国は52カ国である。「自存自衛」、「東洋平和」を大義とした「天皇の戦争」は、結局のところ、全世界を相手に戦い、悲惨な戦禍を残して敗北した戦争だったのである。(略)安倍晋三内閣は、2014年7月1日に「集団的自衛権行使」を閣議決定した。(略)来年の「戦後70年」で、戦後の終わりと人はいう。戦後の終わりどころではない。いや今や戦前だと人はいう。戦前どころではない。もう戦中だというのが私の認識である。2012年12月の総選挙、2013年7月の参院選で国民は、「愚かな選択」をした。人々は、三たびそれをするのか。2014年12月14日の総選挙は、「戦後の運命」を決定するものとして、我々の眼前にある。(半澤健市「リベラル21」2014.12.08

・自民党は在京テレビ局に「公正、中立、公平の確保」を求めた文書を送りつけた。
テレビ・メディアを牽制し、委縮効果を狙った圧力である。強権的な専制政治を得意とする安倍政権の独裁指向が露骨すぎる。そのくせ、麻生太郎は、「女が子供を生まないことが悪いなどと選挙演説でぶち上げた。麻生太郎の失言や差別発言は麻生という人格にしみついた体質なのだろう。仲井真元県知事は県知事選で大敗したにもかかわらず、任期切れ直前に防衛局が出していた埋め立て工事にまつわる計画変更二件を認めた。まさに最後っ屁であり、晩節をけがするようなやり口に、野党は当然としても自民党議員からも不満が出ている。衆議院選挙の最中に、こうした仲井真元知事の県民に反感を持たれるようなやり方は、衆議院選をたたかっている前職の自民党議員にとっても、マイナスの効果しか生まないだろう。(略)仲井真氏はすでに東京の田園調布に愛人との愛の巣を準備しているといわれており、飛ぶ鳥あとを濁さずで、去って欲しい。しかし、そんな美学はこの人物にはカケラもないのだろう。(略)自民党が全国的に勝利しても、沖縄で負ければ喉仏に棘が刺さったみたいなもので、いずれ安倍政権のアキレス腱になるだろう。その意味でも、沖縄から裏切り者の自民党議員を一掃しておくことが必要だろう。小選挙区で敗北しても比例での復活はあるかもしれないが、それは選挙制度の問題だから沖縄県民の責任ではない。しかし、それにしても、消費税増税、集団的自衛権行使のための法整備、原発再稼働など、国論を二分する難題は山積だ。鳴りを潜めているが、TPPも問題大ありだ。それでも世論が動かない日本はどうなっているのか。これが悲しい現実ということなのか。せめて沖縄は正しく民意を示そうではないか。(岡留安則 2014年12月8日

・国家機密の漏えいに厳罰を科す
特定秘密保護法10日、施行される。安全保障に著しい支障を与える恐れのある情報を政府が特定秘密に指定して秘匿する。昨年12月に国会で採決を強行し批判を浴びたことから、安倍政権は施行に先立ち運用基準を策定、「適正な運用」を強調する。しかし根本的な改善には至らず、政府に不都合な情報の半永久的な隠蔽や、国民の「知る権利」侵害への懸念が根強いままの実施となる。菅義偉官房長官は9日の記者会見で「国民の意見を踏まえ、政令や運用基準の制定などの準備を慎重に、丁寧に進めてきた」と強調。引き続き国民の理解を得るよう努める考えを示した。安倍晋三首相は11月18日のTBSの番組で、同法の運用で「表現の自由」の侵害や報道の抑圧が起きれば辞任すると明言している。特定秘密は外務、防衛両省や警察庁、公安調査庁など19行政機関が、安全保障上の秘匿が必要と判断した▽防衛▽外交▽特定有害活動(スパイなど)防止▽テロ防止−−の4分野55項目の情報に限って指定する。しかし基準はあいまいで、政府が指定を恣意的に広げ、政治家・官僚の不祥事の隠蔽や、情報公開の阻害につながりかねない、との懸念が残る。指定期間は5年ごとに更新すれば、原則30年まで可能。その後は国立公文書館に移されるが、指定期間中でも首相の事前同意があれば廃棄できる。指定は内閣が承認すれば60年まで延長でき、暗号など7項目は例外として半永久的に延長できる「抜け道」もある。特定秘密を取り扱う公務員や民間事業者による漏えいは最高懲役10年、共謀や教唆(そそのかし)、扇動(あおる行為)は同5年。従来の国家公務員法の懲役1年以下、自衛隊法の同5年以下よりも重罰化するうえ、一般人も対象になる共謀などは線引きが不明確で、政府に批判的な市民活動への規制や「見せしめ」的な立件につながる恐れも出ている。(毎日新聞 2014年12月10日

・2014年12月10日。昼。官邸前。うねり深まる思索のゆきつく結果、ここにたどりいたったわけではない。「場」を選ぶという高度の思慮にもとづき、ここにいるのでもない。凡庸きわまる思念の空回りにも厭いて、
見当識いよいよあやしくなり、この世でもっとも愚にもつかぬ場所に、けふはついにくるはめになったのだ。(略)「というわけで今日、思考ははじめて、いかなる幻想もいかなる可能なアリバイもないなかで、自らの任務に直面している」(アガンベン政治についての覚え書き」)。そう。じぶんのあたまとことばでかんがえるほかない 。それをたしかめるためにここにきた、と言い訳はできる。(略)官邸前。その空間にあるヒトという無痛覚の有機体。肉のない、乾き、黄変した骨たち。干からびたカサカサの皮袋たち。それらはもう爆発しない。起爆しない。不発弾でさえない。さんざつかいふるされたことばを、さんざつかいふるされた声帯で話す。着実に踏襲される、うじゃじゃける 心の濁りとごまかし笑いの方法=政治。着実に踏襲され、さんざつかいふるされたことばでないと安心しないわれら市民。敵はだれだ、敵は。われわれは聖なる市民だ。政治家の謀議と策謀のために、税金をはらいつづける聖なる2等市民だ。真に聖なる、ただ死へと捧げられているだけの有機的供物だ。2014年12月10日。官邸前。なにかの崩落の気配はあったか。不規則な衝突と倒壊の気配は。狼藉の気配はどうだ。ない。不穏だったか。不穏ではなかった。(略)1960年も1970年もそうだったのだ。だれも敗北と敗北の因をみとめない。人民も支配者も。敵はだれだ、敵は。「われわれはすべての人民の破産の後に生きている。それぞれの人民はそれぞれのしかたで破産した」。破産の後の荒野。それぞれに演繹しよう。イメージしよう。われわれはすべての人民の破産(戦争)の後を、まんまと生き延び、そして、またも破産(戦争を)しようとしている。2014年12月10日の官邸前は、予想どおり、思考の磁場ではまったくなかった。よくよくおもえば、そこが思考の中心であろうはずもない。ここが思考の中心であってはならないのだ。思考の磁場はもっと低く、目にはみえない昏い隅にある。それをたしかめただけでも、きたかいがあった。(辺見庸「日録1-12」2014/12/10
 
・このままでいくと、各紙の予想通り自民党が圧勝し、民主党は伸び悩み、そして維新はじめ「第3極」は急速に消えていくことになる。今回の総選挙は「自民党による、自民党のための、自民党の選挙」というべきもので、共産党が一定議席を伸ばすことを除いては、全て自民党の思惑通りに進んでいるといっていい。今後の政局はこれまで以上に右傾化のテンポを速めるに違いない。それにしても、これほどの悪政を重ねる自民党に票が集まるのはなぜか。小選挙区制の弊害は言うまでもないにしても、アンチ自民票が民主党そして「第3極」に流れなくなったのはなぜか。一言で言えば、民主党に対する失望感を消えないうちに第3極政党に対する新たな不信感が重なり、それが増幅されて自民党に還流しているのではないかということだ。つまり前回の総選挙ではマスメディアに踊らされて自民党でも民主党でもない第3極政党に期待をかけたものの、それが与党と余り変わらない「
ゆ党」体質であることが露わになり、自民党の方が「まだまし」との印象を与えたのではないかということだ。これをもう少し具体的にいうと、 民主党や第3極政党などに対する国民の失望感や不信感の背景には、これら中間政党(表向き野党=ゆ党)の掲げる政策への信頼が決定的に失われてしまったことがある。たとえば、民主党がマニフェストのどこにも書かれていない消費税増税を突然持ち出すとか、放射性汚染水の処理一つさえできないのに福島原発事故の収束宣言を出し、大飯原発の再稼動を強行するなど、この間、政党の掲げる政策やマニフェストの信頼性が根底から失われる事態が続いた。つまり政策に対する国民の信頼性が失われて、政策と政党との関係が「どうでもよい」ことになったのである。(広原盛明「リベラル21」2014年12月12日
 
沖縄県翁長雄志新知事が県民の8割にも上るといわれる「辺野古新基地反対」の民意を託されて誕生した。以下12月12日新知事就任あいさつの全文である。(略)2点コメントしたい。(略)翁長氏には前職の仲井眞知事が下した辺野古埋め立て承認の取消や撤回をしてほしいとの県民の期待が寄せられたが、知事選の公約として取消や撤回を約束することはなかった。これは「保革をこえた」枠組みの中での保守側への配慮とされたが、ご自身にその気があれば、当選後すぐに取消や撤回を行うという意思の宣言はできるはずだ。しかし「法的瑕疵があれば取消を検討、法的瑕疵がなくても撤回を視野に」と言い続けており、それは知事選前と変化がなかった。変化がないどころか、この就任あいさつでは、「法的瑕疵があれば取消を検討」と言っているがずっと言っていた「撤回」の可能性に触れていない。「撤回」の可能性はなくなってしまったということだろうか。法的瑕疵が仮にないと判断されたら承認については何もしないという意味なのだろうか。国に対して「民主主義を尊重し移設計画を進めないでください」と言うことで国が作業をやめるのだったらとっくの昔にやめているだろう。県民は座り込みや県民大会、世論調査や選挙のたびに民意はもうこれ以上示せないほど示してきている。あとは知事の権限を使って前任者が県民を裏切って承認してしまったものを取消か撤回をすることが翁長氏の責任と思う。少なくとも県民のそのような期待を託されて当選したのだ。この挨拶の中でも知事選の主要争点とされた辺野古新基地問題の優先順位や比重は、知事選で県民に託された民意を反映するには小さすぎる。ずっと言っていた普天間基地の「国外県外移設」も言っていない。辺野古基地「阻止」も言っていない。承認から1年も経っている。今から「専門家」とじっくり埋め立て承認に「法的瑕疵」がないかを調べるというのか。埋め立て申請の根拠となった環境アセス自体に欠陥がたくさんあったことは専門家が口を揃えて言っている。翁長氏はこの美しい海を埋め立ててはいけないとずっと言っている。それだけで十分な撤回の理由ではないのか。そもそも「県外」と言って辺野古移設反対の民意を受けて知事になった仲井眞氏が民意を裏切ったのは「法的に問題がないから」という理由であった。この埋め立て問題を「法的な問題」のみに還元して語るのは仲井眞氏の土俵に乗っているとは言えないか。埋め立ての本格作業は来年6月から始まると言われている。一刻の猶予もないのではないか。翁長氏は県民の信託に背くことがないようにお願いしたい。(「Peace Philosophy Centre」2014年12月13日)。

・44年前の12月20日、沖縄で何が起きたか。米軍人・軍属の犯罪に対し、無罪判決が続く屈辱に、沖縄県民の怒りが大爆発したのだ。
コザ市(現沖縄市)の繁華街で、またも米人の運転する車が、沖縄男性に怪我を負わせる事故を起こした。目撃した人々がMP(憲兵)に抗議していると、MPが威嚇発砲したため、住民感情が一気に爆発。駐車中のMP車両を次々にひっくり返す。米軍はカービン銃で武装したMP約300人を出動させ、約5千人の群集と対峙するなど、にらみ合いは朝まで続いた。コザ騒動という。4日前の16日には、飲酒米兵が沖縄人主婦をひき殺した「糸満轢殺事件」に無罪判決が出て、それに抗議する県民大会も開かれていた。前日の19日には、ベトナム戦争用の兵器として、コザ市に隣接する美里村の知花弾薬庫などに、秘密裏に備蓄していた致死性の毒ガス致死性の毒ガスイペリットサリンVXガス)の撤去を求める「毒ガス撤去県民総決起大会」が開かれた。大会終了後、デモ行進が、美里から嘉手納基地第3ゲート前まで行われた。まさに沖縄の人々が、果敢に粘り強く米軍の横暴と闘ってきた歴史を忘れてはならない。(「Daily JCJ」2014年12月14日

総選挙の結果がでた。(略)投票率52パーセントのうち自民党の支持は半分か。安倍氏は、国民の25パーセントの支持で「大勝利」として突っ走るのであろう。これはすべて小選挙区制という虚偽の選挙制度の結果であり、小選挙区制が虚偽を作り、安倍的ファシズムの条件を作ったのである。これを考えると、私は法学・政治学の諸氏は強く反省してほしいと思う。(略)日本の法学者のなかでは、相当の人々が1994年、いまから20年前、小選挙区制に賛成して動いた。これを厳密に考え、批判すべきところをはっきりと批判・嘲笑し、反省すべきところは反省してもらわないと、学術世界の責任の取り方が曖昧になり、筋が通らない。もっともどうしようもなかったのが、元東大総長の佐々木毅氏である。(略)小選挙区制を作った論功行賞で政府から受けがよく、受けがよい人を総長にしておけば、いいことがあるであろうという世俗計算の支持をうけて東大総長になった人物である。(略)学者としてたいした業績がある訳ではない。もう一人は山口二郎氏であって、しばらく前の東京新聞コラムに、いまでも小選挙区制導入に賛成したことを反省していないというのを知って驚いた。「国民は小選挙区制の使い方を知らない」というのである。(略)こういうのは学者には許されない無責任であって、自分の言論に責任をとろうという姿勢ではない。お調子ものというほかない。(略)そしてとくに駄目なのが政治学であるということは学術世界にとっては、ようするに丸山後継が駄目であったということであるように思う。そして、それは丸山の学問自身に若干の問題があったことを示すのではないかというのが私の持論。(略)丸山のファシズム論は、ファシズムが、人間のもっとも野蛮で倒錯的な欲望を大衆的に組織することを鍵とし、その中枢には政治思想というよりも虚構に虚構を重ねる奇怪な無思想、「神秘」と非合理の妄想世界が実在するという事実への省察がかけている。(略)丸山はナチスと天皇制ファシズムを「下からのファシズム」「上からのファシズム」などと図式的に区別するのみで、天皇制ファシズムが「下の野蛮」を組織したということを無視している。これは丸山の学問の弱さである。(「保立道久の研究雑記」2014年12月15日

GDP速報の修正値が発表されて、「アベノミックス」が目指す「好循環」が機能していないことが明々白々になった。前代未聞の大量の貨幣供給を2年も続けながら、なぜ「好循環」が機能しないのか。「経済学者」は円安や消費税引上げによる外部環境変化に原因を求めるだろうが、そういう言い逃れは通用しない。政治家が強弁するならまだしも、「この政策しかない」と考える「学者」など、学者として信用しない方が良い。そもそも「消費が生産を引っ張る好循環」など、幼稚かつ誤った理論的仮説であることに気づかないのは、やはり社会経済的要因を考慮せずに、教科書の公式に囚われた「馬鹿の壁」に嵌ってしまっているからだ。マクロ経済学では、国内総生産は以下のような式で表現される。国内総生産(GDP)=消費+投資+政府最終支出+純輸出(輸出-輸入)。上式の左辺は国内総生産を、右辺は国内総支出を現わしている。現実問題として、生産面からの計測と支出面からの計測が一致することはないが、事後的な会計式(恒等式)として「等価」であるという前提で、GDP統計が作成されている。この式は会計(収支バランス)式として、右辺の項目の増減にしたがって、左辺も増減することを示しているが、事後的な恒等式であるから「国内総生産と国内総支出は事後的に等しい」ことを示しているだけである。恒等式方程式と読み替えて、右辺が左辺の数値を決定すると考え、消費が増えればGDPが増えると考えるのは、トートロジー(同義反復) である。政治家が「消費と生産の好循環」などと唱えているのは、トートロジーの域を出ない。ほとんどの政治家は、GDPに占める国内消費の割合が6割だから、消費を上げることがGDPを増やすなどと得意満面に言い放っているが、「消費が増えた分だけ、生産も増えているはずだから、GDPは増える」ことを言っているだけで、典型的なトートロジーなのだ。したがって、どのように消費が増えるのかを説明しない限り、説明にならない。(盛田常夫「リベラル21」2014.12.16

・(承前)アベノミクスを支える
マクロ経済仮説の一つに、「資産価格(株価や不動産価格)の上昇は消費を増加させる」という消費関数仮説がある。一般勤労者の賃金上昇だけでなく、資産の高騰もまた消費を増やすという。だから、「株価を上げれば、消費も増える」と考える。マクロ消費関数仮説などは、ローンで消費生活を送る人々が多く、かつ膨大な富が一部の富裕層に集中しているというアメリカ経済の現実にもとづいて唱えられている理論だ。日本社会と異質な社会経済をモデルにした理論仮説である。実際、株価が上がって儲けた人々が高額商品を買っているというニュースを耳にするが、しかし日本ではその程度のことで、マクロの消費数値が上がることはない。株式や不動産を短期投資のために運用している人々の数など、多寡が知れている。実際、政府- 日銀は無謀なまでの金融緩和を行い、年金基金の投資運用規制を変更してまでも、株式相場を上げるのに必死だが、その効果はほとんど見られない。日本では株も不動産も、ほとんどの人は貯蓄資産として保有している。理論も分析も、アメリカから輸入しただけでは、使い物にならないのだ。「ハロウィンの奇跡」などと政府の株高政策をべた褒めする御用学者の言うことに耳を貸す必要はない。麻生大臣はこの株高で儲けない奴は馬鹿だと考えているようだが、素人が株で儲けようなどと考えれば、財産を失うのが関の山だ。誰も失った財産を補償してくれない。百歩譲って、資産価格高騰が消費増加に寄与したとしても、資産売買は長期的にはゼロサムゲームだから、一時的な消費増を生み出しても、新規の付加価値生産に寄与するものではない。そういうマネーゲーム に、国民の資産をつぎ込むのは、無責任であるばかりか、国民資産をリスクに晒す犯罪行為だと言わざるをえない。(盛田常夫「リベラル21」2014.12.16

・パキスタンの
ペシャワールで軍の子弟が通う学校が襲われ、大人を含む141人もの多くの子供が命を落としたというこのニュース。かりにこれがアメリカや西欧先進国の一国で起こったとするなら世界を震撼させる大ニュースとなるわけだが、この日本でもB級扱いのニュースで終わっている。それよりもオーストラリアで発生したチョコレート店での人質事件の方が報道量が多かったように思う。人の命の軽重はれっきとしてこの世界にまかり通っているわけだ。(略)発展途上国においては軍というのは強大な権力機構であり、時には国家政治機構より大きな権力を持つ。そしてその強大な権力は多くの汚職を生み、私の知るかぎり発展途上国家の多くの軍は腐敗の巣窟であり、これはアフガニスタンにおいても例外ではない。そういった巨大な権力機構の子弟の通う学校というのはまさにエリート中のエリートであり、このたびはそういったスクールが襲われたということだ。ペシャワールには二度入っているが、町を歩いていてもこういった土地というのは歴史的絶対的な格差社会であるということが肌で感じられる。ひるがえって今回軍の学校を襲ったテロリストであるパキスタン・タリバーンの多くの兵士はこの絶対的格差社会における最下層の出身が多い。日本ではイスラム圏で起こっているさまざまな事件や紛争を宗教的観点からしか報道されない傾向にある。もちろんそれは殺人にエクスキューズを与えるものではないが、今回の件も含め、こういった事件や紛争を中世や古代から延々として続いている絶対格差社会におけるひずみが情報化社会において覚醒され、顕在化したという視点も持つべきなのである。(藤原新也「Shinya talk」2014/12/17
総選挙投票日後に読んだ記事、論考の中で私としてピカ一のレファレンスとエッセンスをいただいた論攷2本。保立道久さん(歴史学者)の「総選挙の結果。法学界・政治学界は猛省を」(2014年12月15日付)と浅井基文さん(政治学者)の「衆議院選結果の最大のポイント(新華社記者質問への回答)」(同左)。私のいただいたエッセンス(本質的なもの)とは、浅井さんの論の言葉でいえば「個人として行動する自覚と能力を身につける努力を積み重ねること、そういう自覚的日本人が多数派になることが日本政治を生まれ変わらせる唯一の道」ということになります。私もそれ以外の道はないように思います。
 
総選挙の結果。法学界・政治学界は猛省を
(「保立道久の研究雑記」2014年12月15日)
 
先日、『草の根のファシズム』について書いてから考えているが、吉見義明氏の議論は一言でいえば、天皇制ファシズムの特徴は、それが戦争の加害経験を中核として形成されたファシズムであったということであろう。Creeping Fascism(徐々に迫ってくるファシズム)という概念に対して、戦争先行形ファシズムということであろう。「満州事変」という戦争によって、また日清・日露以来の戦争によって作られていったファシズムということでいえばCreeping Fascismという考え方と背反する訳ではないが、こういう考え方は天皇制ファシズムを考える上で重要であろう。この戦争先行形ファシズムを明瞭に考えることによって、Creeping Fascismの姿も明瞭になるのかもしれない。
 
さらに、この戦争先行形ファシズムという概念は、今後の心配されるファシズムの基本的な形であろうと思う。現在の安倍首相グループの動きはやはり右翼というものではないと思う。右翼というものは、たとえそれが仮想的なものであったとしても、共同体や民族の利害の無視に対する憤懣をふくんでいる。安倍首相グループの動きは、あまりに資本とアメリカの利益に結びついた動きであって、それ自身としては政治思想的な背景を欠いている。ともかくTPPが信じられない話である。日本の自然と農業を破壊してはじない人々を右翼というのは無理である。ファッショ的とかファシズムとかいわざるをえないのだが、実際に彼らにそれだけの覚悟も論理もないようにみえる。だからファシズムなどというと、大げさなという反応が返ってくるのであろうが、しかし、 けれども、こういうのもファシズムなのであろうと思う。つまり、東アジアで戦争が起きる可能性は少ない。アメリカが中国と戦争しようというはずはないし、アメリカはともかく「かしこい」からそういう計算のあわないことはしない。東アジアの戦争にアメリカが取り組むことはありえない。アメリカは東アジアで戦争をしてももうからないのである。
 
問題は結局、ユーラシア中央部でのエネルギー、石油問題のからんだ戦争である。そこで戦争が進行中であり、さらにまた新たな形で拡大する可能性は、アメリカの動きからみて十分にありうることである。そしてアメリカが戦争をすれば、今度は日本が派兵をする。安倍グループのやっていることはアメリカの戦争に同行するということである。若干の過言をいえば、戦争では協力するから、若干のことは多めにみてほしい。そして、一緒に儲けさせてくださいというのが彼らの本音である。21世紀にもう一度激しい局地戦争が起き、それが複雑化してこじれ、広域化する可能性は十分にあると考えておかねばならない。もちろん、その可能性は低くなっているとは思う。ヨーロッパ・アセアン・南アメリカが独自の動きをみせており、そういうなかで戦争が複雑化する可能性は減少している。けれども中央アジアから中近東は、アメリカ・ロシア・中国の利害と衝動によっては、やはり依然として危険である。そこにアメリカの手下のようにして出ていき、戦争とテロのなかに日本が入っていけば、そういう「戦争」が先行すれば、日本の社会のなかでファシズム的な異常が激化する可能性はある。ヨーロッパは、アメリカの戦争に荷担するなかでテロ攻撃をうけたが、あの社会はドライなところがあるから、情緒的な動きには展開しなかった。日本で同じことがあれば、空恐ろしい。単純すぎる見通しかもしれないが、戦争先行形ファシズムという吉見氏の議論が重大であり、気になるのは、このためである。
 
総選挙の結果がでた。(略)投票率52パーセントのうち自民党の支持は半分か。安倍氏は、国民の25パーセントの支持で「大勝利」として突っ走るのであろう。これはすべて小選挙区制という虚偽の選挙制度の結果であり、小選挙区制が虚偽を作り、安倍的ファシズムの条件を作ったのである。これを考えると、私は法学・政治学の諸氏は強く反省してほしいと思う。ようするに、日本の法学者のなかでは、相当の人々が1994年、いまから20年前、小選挙区制に賛成して動いた。これを厳密に考え、批判すべきところをはっきりと批判・嘲笑し、反省すべきところは反省してもらわないと、学術世界の責任の取り方が曖昧になり、筋が通らない。
 
もっともどうしようもなかったのが、元東大総長の佐々木毅氏である。最近、『中央公論』で安倍氏に対する苦言を述べているらしいが、小選挙区制を作った論功行賞で政府から受けがよく、受けがよい人を総長にしておけば、いいことがあるであろうという世俗計算の支持をうけて東大総長になった人物である。私も会議などで見たことはあるが、その場を処置するのはさすがに頭がいいようにみえるが、学者としてたいした業績がある訳ではない。もう一人は山口二郎氏であって、しばらく前の東京新聞コラムに、いまでも小選挙区制導入に賛成したことを反省していないというのを知って驚いた。「国民は小選挙区制の使い方を知らない」というのである。彼の考え方では、国民がかしこければこんなことにはならなかったというわけである。もちろん、山口氏のいうことで尊重されるべきことも多いが、しかし、こういうのは学者には許されない無責任であって、自分の言論に責任をとろうという姿勢ではない。お調子ものというほかない。
 
もちろん、私も小選挙区制導入時に、法学者の多数は常識的な立場をもっていたことを記憶している。あのとき法学者の側で、小選挙区制導入と二大政党制という幻想にそって強い発言をしたのは、右の両氏である。これは端的にいうと、川島武宜・我妻栄・丸山真男の後の東大法学部がどこかおかしいということである。そしてとくに駄目なのが政治学であるということは学術世界にとっては、ようするに丸山後継が駄目であったということであるように思う。
 
そして、それは丸山の学問自身に若干の問題があったことを示すのではないかというのが私の持論。もちろん、丸山の議論には重要な論点もある。しかし、私は、抜本的な検討が必要であろうと思う。要点は以下の三点。

第一はそもそも「無責任の体系」という図式が安易であったということである。『現代政治の思想と行動』でもっとも失敗した議論が天皇制ファシズムを「無責任の体系」として批判した部分である。これが日本的な批判の心情にぴったりしていて俗耳に入りやすく、議論として浸透したことにすべて意味がなかったというのではない。しかし、責任の体系と意思決定の詳細を事実にそくし、構造的に明らかにしないままでの「無責任」論は、所詮、評論にすぎない。そもそも戦前の体制の「無責任」は、より即物的に容赦なくいえば「無知・無能・無謀」の結果、コロラリーであることを本質とするということも忘れてはならない。

第二に歴史論にふみこんで言えば、丸山のファシズム論は、ファシズムが、人間のもっとも野蛮で倒錯的な欲望を大衆的に組織することを鍵とし、その中枢には政治思想というよりも虚構に虚構を重ねる奇怪な無思想、「神秘」と非合理の妄想世界が実在するという事実への省察がかけている。彼には奇怪なものがわからないのである。丸山はナチスと天皇制ファシズムを「下からのファシズム」「上からのファシズム」などと図式的に区別するのみで、天皇制ファシズムが「下の野蛮」を組織したということを無視している。これは丸山の学問の弱さである。

第三にそもそも歴史学の立場からは、丸山の議論は経過的な評論に近い部分が多く、すべてを決定的に精算する必要がある。私の分担では、「歴史の古層」の論文であって、その中核は神話論であるが、これは、到底、容認できないということがあり、そういうこともあって、私は、いま神話論に取り組んでいるということになる。丸山は神話は理解できないような人格であったというほかない。丸山の仕事に大きな意味があるのはわかっている積もりで、とくに私たちの世代にとっては、ほとんどはじめてよむ本のなかに丸山が入っていた。しかし、そろそろ卒業したいものである。
 
衆議院選結果の最大のポイント(新華社記者質問への回答)
(浅井基文のページ 2014.12.15)
 
衆議院総選挙の結果は、おおむねメディア各社の事前世論調査が予測したのと大差ない結果に終わりました。自民党が単独で2/3の議席を占める予想もありましたが、さすがにそうはなりませんでした。しかし、35議席を獲得した公明党と併せると優に2/3を超えます。安倍首相は早くも憲法改正問題に言及し始めました。私は公明党には何らの幻想も持っていませんが、今後の憲法論議の中で、公明党の姿勢、去就について厳しく監視する必要が従前以上に増して必要になっていると思います。公明党が本当に「平和の党」かどうかが試されることになるでしょう。私が今回の総選挙でもっとも注目していたのは沖縄の4つの小選挙区の結果でした。「オール沖縄」のもとで、県知事選、那覇市長選に続いて4つの選挙区で非自民を前面に押し出す候補が完勝したことは、沖縄の人々の強烈な意思表示です。普天間基地移設問題を含め、日本政府・本土の沖縄への基地押しつけに対して、これ以上にない明確な「ノー」回答が突きつけられたことを、政府・与党のみならず、私たち本土の人間すべてが重く重く受けとめなければならないと思います。
 
沖縄の選挙結果は、もう一つの点で、私たちに大きな可能性を示唆しているとも思います。それは、沖縄でできたことは日本全体としてもできないことはないはずだという単純にして明確な真理です。しかし、そのためには何としても乗り越えなければならない大前提があります。それは、私たち一人ひとりが個人として行動する能力、即ち自らの責任において意思決定を行う能力を我がものとすることです。沖縄の人々は、戦後70年近くに及ぶ本土からの差別に対して異議申し立てを行う中でこの能力を我がものとしてきたのではないでしょうか。それが今回の結果として表れたと思うのです。本土に住む私たちも、戦後保守政治の切り捨て政治によってさんざん痛めつけられている厳しい状況があります。そういう状況を国民的に総括することによって、保守政治に対する主権者としての「ノー回答」にまで高めて行く客観的条件は十二分に備わっていると確信します。以下に紹介するのは、総選挙終盤戦にの段階で、私の12月6日付のコラムの文章を踏まえた中国の新華社東京駐在記者からの質問に対して行った回答です。この段階では、沖縄の結果がどうなるかは不明でしたので、主権者の個人として行動する能力が発揮されなければ日本の政治は変わらない、というネガティヴな答え方となっていますが、私の考え方そのものは一貫しています。
 
1.「ポ ツダム宣言受諾による敗戦」を根底からひっくり返すことが安倍外交の最大の目的とご指摘されましたが、この右寄りの思想が一般市民に浸透していくように感じます。特定秘密の指定もそうですし、「慰安婦」問題もそうです。この右派冷戦思考の台頭は日本に、そして、日本と隣国の関係にどんな弊害をもたらすのでしょうか?
 
この質問に答えるためには、どうしても戦後70年の日本の思想状況を踏まえておく必要がありますので、まず、ごくごく簡単に要点を押さえます。戦後の右翼の思想的源流は、ポツダム宣言受け入れを明らかにした昭和天皇の終戦詔書にすべて含まれています(注)。

(注)「米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス」というように、侵略戦争を犯したという認識はゼロです。また、「戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル」というように、戦局挽回が不可能になったから戦争継続を諦めるしかないということであって、侵略戦争を行った罪と責任に対する贖罪感と反省もゼロです。したがって、ポツダム宣言を受け入れるのは、「挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ、任重クシテ道遠キヲ念ヒ、総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ、道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ、誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ、世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ」と言うように、いったんは臥薪嘗胆して、将来に向けて神国・日本を復興・再起するという「戦略」的判断に基づくものでした。

侵略戦争を犯したことに対する真摯な認識と反省がまったく欠落しているだけではなく、将来的には再び軍国としての大国化を目指すというのが戦後保守政治の思想的出発点だし、安倍政権に至るまで連綿と受け継がれてきた主流的思想です。問題は、一般国民が戦争の被害者としての意識は強烈であったけれども、侵略戦争に進んで加担したことに対する反省と責任については、戦後保守政治の政策(特に歴史教育)と、反共政策故に日本の保守政治の国内政策を許したアメリカの対日政策によって、直視することがないままに今日に至っていることです。戦後のしばらくの間は、国民的な「戦争コリゴリ感」が保守政治に対する牽制力となって働きましたが、60年代からの「高度成長」によって「一億総中流」意識が浸透するにつれて、その歯止めも働かなくなりました。そして、1990年代以後はアメリカの対日軍事要求を利用して、保守勢力は一気に軍事大国化を目指しましたし、今や保守化した国民もその流れに身を委ねるようになっていきました。
 
以上を踏まえた上で、ご質問にお答えすると、次のようになります。
 
まず、このような右翼思想の台頭は日本にどのような弊害をもたらすかについてですが、日本国内に右翼思想に正面から異議申し立てをする有力な思想は、残念ながらほぼ見当たりません(強いていえば日本共産党ですが)。したがって、日本国内の内発的な力が日本の右傾化を押しとどめる可能性は、残念でなりませんが、きわめて乏しいと思います。しかも日本人は「既成事実に極めて弱い」ですから、「坂道を転げ落ちる」ように、日本全体の右傾化が進行していく危険性は極めて大きいと考えざるを得ません。 日本という国家・社会の右傾化を押しとどめる可能性を持つ力は、これも日本人としてはやりきれなく悲しいのですが、外からの力(外圧)だと思います。
 
一つは、アメリカが日本の右翼政治の危険な本質を認識し、日本に対して「待った」をかける可能性です。しかし、中国も深刻に認識しているように、日本を利用してアジア太平洋における軍事プレゼンスを確保しようとする短視眼的なアメリカが対日認識・政策を根本的に転換する可能性は、予見しうる将来にわたってきわめて乏しいでしょう。もう一つの「外圧」は、中国、ロシア、韓国、朝鮮、東南アジア諸国さらには国連を舞台にする国際社会が対日政策を協調させる可能性です。2015年がいろいろな意味で70周年を迎える重要な年に当たることは一つの大きなチャンスです。しかし、このような動きに対してはアメリカが抵抗し、妨害するでしょうから、その帰趨は中露対アメリカの力比べによって左右されるでしょう。私自身は、中露の力が全局を支配することを強く望みますが、そうなる可能性は大きいとは考えにくいでしょう。
 
したがって、結論としては、日本と隣国、特に中国との関係は政治的軍事的な緊張を基調にして推移する可能性が大きいと思います。ただし、アメリカは尖閣などの「岩礁」のために日(比越)と中国との間の戦端に巻き込まれるのはまっぴらですし、アメリカのホンネについては日(比越)も認識せざるを得ないので、日中間の4点の合意などに見られるように、危機管理メカニズムを作ることで軍事緊張をコントロールする動きは進むと思います(突発的な軍事衝突を如何に防ぐかが極めて重要となります)。長期的には、アメリカがパワー・ポリティックス的思考は21世紀においてはもはや通用しないことを認識し、中国が提起している新型大国関係のあり方を受け入れ、その一環として自らの対日政策をも改めることによって、日本もそれに従わざるを得なくなるという流れが出てくるのではないでしょうか。
 
2.市民団体や、一部のメディアは安倍政権の暴走について批判を続けていますが、とても成功したとはいえません。今回の選挙は一つのチャンスだと思いますが、もし、安倍と自民党に再び政権を取られたら、どのようにして対抗していくのでしょうか?この流れをどう牽制し、阻止したらいいのでしょうか?
 
実は、このような問いかけは、私が伺う講演会などで、会場の聴衆から常に出される質問でもあります。なんとか危険極まる保守反動政治を阻止したいと思う心ある日本人は確かにいます。しかし、そのような答が簡単にあるのであれば、実は日本の政治はこれほど悪化することはなかったわけです。私が尊敬する政治学者(日本政治思想史)の丸山眞男の言葉を借りるならば、「自らの責任において意思決定を行う能力を持つ」日本人が多数派にならない限り、選挙という手段を通じて日本政治を質的に転換することは至難です。ところが、劉さんも御存知だと思いますが、「自らの責任において意思決定を行う能力」、即ち個人として行動できる日本人は圧倒的に少ないのが現実です。日本人は集団の一員としては力を発揮しますが、集団から離れて個人として行動する能力は身につけたことが歴史的にないのです。ですから、中国語の「当家作主」や「主人翁精神」に当たる固有の日本語もありません。東日本大震災の際に整然と行動した日本人に、中国を含む国際社会は驚嘆し、高い評価を与えました。しかし、その同じ日本人が、人の目を気にしなくて良いところでは、パニック的・衝動的に日用品その他の必需品の買い占めに走ったのです。
 
私は、今極めて苦しい状況にあるロシアで、ロシア人がパニックに陥らないで整然とした日常生活を過ごす姿に敬意を覚えます。やはり反ファシズム戦争を戦った歴史的体験がロシア人を強くしたのでしょうね(もちろん、果てしない長期戦を強いられれば、この先どういう変化が起こるかは分かりませんし、それ自体興味深い問題ですが)。日本人には、こうした歴史的体験もないので、人の目を気にしなくてはいけないときは秩序正しく行動するけれども、そうでなければ自分勝手な行動に走っても恬として恥じない人が多いのです。したがって、私としては、上記のご質問に対して、残念ながら答を持ち合わせていません。私が講演会で会場の質問に対して言うのは、「とにかく諦めないことです。諦めてしまったら何も変わらないことだけははっきりしている。何かを変えるためには、とにかくこつこつと頑張るほかはありません」ということであり、その際に「愚公山を移す」お話しをすることもあります。
 
根本的に言えば、日本人が、市民運動などを実践する中で、個人として行動する自覚と能力を身につける努力を積み重ねることそういう自覚的日本人が多数派になること日本政治を生まれ変わらせる唯一の道だと思います。
本ブログの「今日の言葉」の2014年11月24日から12月5日にかけての記録です。

避難民キャンプ 
ミャンマー西部、ロヒンギャ避難民キャンプ

【今日の言葉:冒頭】
24日:東京オリンピックのころ。バイトが終わるとデモにいった。空に自衛
26日:昨日(11月25日)、自民党が「重点政策2014」を発表した。「衆院
26日:戦後というものをみまちがえて、ここまできたのだな。そんなおもいが
28日:自民党が選挙報道に厳しい干渉を加えている。そのことをマスコミは
28日:安倍総理は、先般、衆議院を解散しました。公示はまだですが、事実
29日:アベノミクスの評価については、安倍首相や自民党はアベノミクスが
30日:国会が閉会し、総選挙まっただなかの10日、特定秘密保護法が施
30日:読売新聞の英語ページ 「The Japan News」のホームページのトップに
01日:武田「・・・・・・・日本人の場合は無間地獄に堕すんだな。キリスト教が
03日:あべのままで?!ダメよ〜ダメダメ(2014年流行語大賞)2014年12月
03日:民主党はいうもおろか、共産党や社民党にほんとうの危機感はある
03日:衆議院選挙が始まっています。投票にあたって有権者の多数がテレ
04日:群馬5区は、あの小渕優子氏が臆面もなく自民党公認で立候補して
05日:かつて、といってもだいぶまえ、ある美大の「卒制」をみにいったこと
05日:〈仲井真知事辺野古工法変更2件承認〉という電子号外が出されて
05日:某紙デスクと「ろくでなし子・北原みのり両氏不当逮捕事件」について

東京オリンピックのころ。バイトが終わるとデモにいった。空に自衛隊のジェット機がえがいた5輪が浮かんでいた。「鉛のように無神経な」感情を、戦争という特殊条件下の特別なそれとして単純化するだけで、ドロのように重く鈍い質感まではわかってはいなかった。深めようともしていなかった。「
二郎」をまさか武田泰淳とはおもわなかった。まして、〈化け物〉のようになって帰ってきたという父(引用者注:「辺見庸「日録1-9」2014/11/24」参照)と泰淳や「二郎」をかさねることまではしなかった。あまかった。昨夜、読後の衝撃のなかで、なにかが一気に氷解した気がした。ああ、父もこれをやったのか。ひとを殺し、殺した記憶を個人的にかかえこんでいたのか。そうかもしれぬ。そうでないかもしれない。わたしはうたがったことがあるが、怖ろしくて父に問いはしなかった。数えきれないほどたくさんの日本兵が、他国でむぞうさにひとを殺し、殴打し、女性を犯し、略奪し、戦後そのことについてみんなで沈黙し、口をつぐんでいるうちに、みんなでじぶんの行為を忘れた。加害者か被害者かすらみんなで忘れ、あの戦争から〈個人〉を消して一般化することで、ニッポンのみんなが戦争の〈被害者〉であるかのような錯覚におちいっていった。そして、いまや、「大東亜戦争」開戦時の東條英機内閣の重要閣僚にして極東国際軍事裁判においてA級戦犯被疑者とされた「鉛のように無神経な」岸信介の孫=おなじく「鉛のように無神経な」安倍晋三を、さらにおなじく「鉛のように無神経な」ニッポン国民がかつぎあげているのだ。「審判」は戦後の武田の全作品の原点である。(辺見庸「日録1-9」2014/11/24

・昨日(11月25日)、自民党が「
重点政策2014」を発表した。「衆院選で訴える政権公約」という位置づけ。「政調会設置の各部会から寄せられた個別の政策を約300項目にわたって、幅広く掲載したもの」だという。それゆえであろう、体系性が見えてこない。脈絡に乏しい300項目の政策の断片を読ませられるのは苦痛。それでも、自民党が選挙に勝てば、「この公約に盛り込まれている以上は民意の支持を得た」として独断政治の大義名分とするつもりなのだ。その典型が公約の最後第6節に位置する憲法改正についての2項目である。 「Ⅵ 憲法改正<時代が求める憲法を>○憲法改正国民投票法一部改正法が施行されたことに伴い、国民の理解を得つつ憲法改正原案を国会に提出し、憲法改正のための国民投票を実施、憲法改正を目指します。○憲法改正のための投票権年齢が4年経過後に18歳になることを踏まえ、選挙権年齢を前倒しして18歳以上に引き下げます。」要約ではない。これが全文なのだ。これを読んだ有権者は、まさか今回選挙が改憲選択選挙だとは思わない。しかし、「憲法改正原案を国会に提出し、憲法改正を目指します」とはしっかり書き込まれている。その原案の内容は、「天皇をいただく国」をつくり、「自衛隊を国防軍にして、自衛の範囲を超えた海外での戦争もできる」ようにし、「公序・公益によってあらゆる権利の制限を可能とする」自民党改憲草案ということになる。安倍自民への投票は、あとから改憲容認票と主張されかねないのだ。大義なき解散に関して、「アベノズルサ」「アベノコソク」を指摘する声は高い。目立たぬよう、公約に「憲法改正」をもぐり込ませた「アベノテグチ」についても大いに批判をしなければならない。(「澤藤統一郎の憲法日記」2014年11月26日

・「
戦後というものをみまちがえてここまできたのだな。そんなおもいがつよい。(略)比較は不可能だが、フランクルレーヴィの深度と重さが、期待するほうがおかしいのだろうけれど、ない。「人間存在の根源的無責任さ」と堀田は『方丈記私記』に書いたが、そういうことで戦争を全般的に総括し、この手法で、じぶんという「個」や天皇ら他の「個」の無責任を全的に救済し、ガンバレニッポンというどくとくの「戦後」をこしらえたのだろう。短篇「審判」へのおもいは『時間』より深い。武田という人物と自称リパブリカンの堀田さんという人間の、人間観、宇宙観、疵のちがいからか。「審判」に、分隊長が「おりしけ!」と兵隊に命じるシーンがある。「おりしけ!」。なんだか耳の奥に聞きおぼえがあるような、ないような。怖い。また父をおもう。空気銃でスズメを撃った。わたしはあたったためしがなかった。父はひとがかわったようにおしだまり、鈍色の空気に溶け、まったくの無表情になって銃をかまえ、スズメが気の毒になるほど弾をすべて命中させた。かれは「プロ」だったのだ。あたるとスズメはにこ毛を宙にパッと散らし、口を半開きにして瓦の屋根をコロコロと転がってくる。「審判」に再三でてくる「鉛のような無神経」は、あれとつながっていないだろうか。若いころに感じなかったことを、いまはビリビリと骨に感じる。復員後、父はあの無表情でパチンコばかりやっていた。スズメを撃つときとおなじあの目で。ひとりで。少尉になったとき、軍刀をじまえで調達する必要があったという。歯科医の伯母がお金をだして買った立派な軍刀を「佩用」していたらしい。よく斬れる刀だったろうな。なにを斬ったか、斬らなかったか。伯母は立派なひとだった。不正をにくみ、貧者からは治療費をとらないような、山を愛する女医だった。父の写真。そうおもいたくなくても、眼鏡なども、東条英機にどこか似ていた。父は記者だったけれども、堀田や武田のように達者に書きはしなかった。書けなかった。「人間存在の根源的無責任さ」なんて、書きも、言いもしなかった。それでたすかったともおもう。もしも、父が、堀田のように「人間存在の根源的無責任さ」などともっともらしく書き、わたしが読んだりしたら、こっ恥ずかしくて、生きてはこれなかっただろう。わたしは戦後70年をみまちがえて70年を生きてきた。70年という時間は、想像をはるかにこえて、ものごとをほとんどすべて腐爛させてきたのだ。(辺見庸「日録1-10」2014/11/26

自民党が選挙報道に厳しい干渉を加えている。そのことをマスコミは、
ネット放送局にばれるまで6日間も、沈黙していた。マスコミに対する飲ませ喰わせが効いているのか、マスコミトップがみんな「上に行くほど大バカ」になったか、新聞だけの消費税免税特権がよほど惜しいか、秘密保護法以前にジャーナリズムの使命など放擲して敗走するザマである。戦前、言論弾圧立法の歴史は古い。早くも明治憲法制定より10年以上も先立つ明治8年(1875年)には新聞紙条例が制定されている。しかし、1933年の滝川事件当時の言論を見れば、現在より遙かに自由闊達な意見が行き交っていた。トップを含めて現場が気概を持って言論の自由を守っていたのであり、大学の自治を掲げる学者も根性のある論陣を張り、行動していた。秘密保護法施行へのカウントダウン。この国のメディアは、既に全身麻痺状態であるウォルフレンが批判している。メディアは、海外の高名なジャーナリストに指摘されるまで沈黙を守っていた(引用者注:この問題についてのマス・メディアの報道は共同毎日が27日、朝日が28日)、恥を知れ。(「街の弁護士日記」2014年11月28日

・【関連記事】:『NEWS23』の安倍逆ギレが原因? 自民党がテレビ局に批判封じ込めの通達(リテラ 2014年11月27日

・引用者附記:私は上記の記事に出てくるネット放送局ノーボーダー(境界なき記者団)の編集長(おそらく)の上杉隆をまったく信用していないことを付記しておきます。その理由は
こちらに書いています。ご参照ください。ただし、そのことと今回のノーボーダーの報道は別のこととして峻別しています。

安倍総理は、先般、衆議院を解散しました。公示はまだですが、事実上の選挙選に突入しています。安倍総理は、全国での遊説を始めていますが、今、北海道に来ています。安倍総理が遊説先で語っているのは、アベノミクスだけだそうです。北海道新聞(2014年11月28日朝刊)の見出しは、「道内でも『経済一点』」というもので、「TPP、原発触れず」というものです。要は、アベノミクスには成果が出ている、そこだけ見てね、ほかの争点は考えないでね、という意味です。北海道ではご承知のとおり、TPPの問題は重大な争点の1つですが、それについては、地元の自民党候補はウソをつくけど、そこは見ないでね、ということなのです。そのアベノミクス自体、バブル政策の1つですから、どうにもならない最悪の経済政策です。しかも、既にバブルがはじけていると言ってもいい状況です。年金資金を注ぎ込んでまで株価を操作して、あたかも景気回復を印象づけようとしましたが、このような政策が失敗することは目に見えています。株価が上がったところで、恩恵を受けるのはごく一部の人たちっていうのは常識です。株価はいずれ暴落するでしょうし。衆議院の解散の大義があるかと問われて、争点はたくさんあるとまで言っていた安倍総理ですが、アベノミクスしか語れないのです。ほかに語れば、安倍自民党のボロが出るということを認めたようなものです。安倍総理は、集団的自衛権容認、憲法「改正」を全面に押し出して、遊説したらいいじゃないですか。まさに今回の衆議院の解散は、安倍自民党が、この憲法「改正」をしたいがために行われるのですから、この争点を自ら隠すということ自体、この安倍総理に民主主義を語る資格はありません。ペテン師なのです。(略)安倍総理の争点ぼかし、争点そらしは、極めて露骨です。欺されてはいけません。(「弁護士 猪野 亨のブログ」2014/11/
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アベノミクスの評価については、安倍首相や自民党はアベノミクスが日本経済を正しい方向に導いている根拠として、賃金の上昇や有効求人倍率の高さなどを強調している。しかし、それが国民の実感とはかなりずれていることは、巷間たびたび指摘されているところだ。このずれは何を意味しているのか。社会政策が専門の大沢真理東京大学教授は、「安倍政権下で日本の実質賃金は低下し続けているこれは企業側が非正規雇用への転換を進めてきた結果だ」と、アベノミクス効果を真っ向から否定する。安倍政権の経済政策は企業側の論理を優先しているだけで、アベノミクスによって一握りの大企業だけが恩恵を受けているが、国民の大多数は日に日に貧しくなっているというのが現状だと言う。大沢氏によると2000年以降、特に小泉政権時安倍政権時非正規雇用の比率が大幅に伸びた結果、企業はコストの削減が可能になったかもしれないが、その一方で、貧困率の拡大、とりわけ若者の貧困が深刻な問題として浮上しているという。実際、雇用者の数は増えても、その大半は不安定かつ賃金も安い非正規雇用のため、個々の賃金は減少する結果となっている。そこに、アベノミクスの目玉の一つである「異次元」金融緩和に起因する円安、輸入原料高による物価高の拍車がかかるため、国民の生活は苦しくなる一方だというのだ。さらに大沢氏はこの選挙では自民党政権下で着々と進んできた社会保障の「逆機能」が問われなければならないと指摘する。本来であれば所得の再分配機能を果たすべき日本の社会保障制度は、高所得者には優しく低所得者ほど厳しくなるという逆進性を持つと大沢氏は言う。非正規雇用が加入している国民年金や国民健康保険は、所得に関係なく一律に掛け金が決められているため、所得が低い世帯ほど負担率が高くなってしまう。そしてその負担に耐えられない非正規雇用の労働者や低所得者層の中には現実に制度から脱落し、最低限の社会保障すら受けられなくなっている世帯が続出しているのが現状だ。結局、 安倍政権も過去の自民党政権の大企業や富裕層の優遇政策を踏襲し、尚且つ、法人税減税などによってこれを加速させようとしている。この路線も当然、総選挙で問われるべき重要な争点となる。(神保哲生 2014年11月29日

・国会が閉会し、総選挙まっただなかの10日、
特定秘密保護法が施行される。時の政府の恣意的な判断で、防衛や外交・治安などの情報を特定秘密に指定し隠ぺいする。その数は40万件以上、秘匿の期間は最大30年。しかも秘密の範囲があいまいなうえ、漏えいなどすれば5~10年の厳罰に処される。国民の知る権利や報道の自由が侵される悪法だ。衆参両院に「情報監視審査会」が新たに常設されるとはいえ、両院とも定員は国会議員8人。会派の議席数に応じて配分される以上、政府を支える与党が多数を占める。監視機関どころか、政府の秘密指定の「追認機関」と化すのは必定だ。さらに、非公開の「情報監視審査会」で「秘密」を扱った国会議員は、それを国会外で漏らせば懲役5年、国会内の他の委員会で報告しても除名を含む懲罰の対象にされ、自分の所属政党に持ち帰って検討することも禁じられる。これでは公僕たる役目など果たせないじゃないか。総選挙は秘密保護法の施行を止め、廃止へ持っていく最大のチャンス。国民の審判を下そう。(Daily JCJ【今週の風考計】2014年11月30日

よみうりしんぶん

・読売新聞の英語ページ 「
The Japan News」のホームページのトップに目立つバナー広告はなんと「日本政府である。(Peace Philosophy Centre 2014年11月30日

武田「・・・・・・・日本人の場合は無間地獄に堕すんだな。キリスト教がないということ。仏教というのは、かなり慈悲の心があるはずなんですけれども、仏教では殺人を止めることが、ついにできなかった。これは宗教の問題として、とっても大きいと思うんだ。じっさいに中国の民衆を守ったのは、中国人自身のほかはキリスト教の牧師だね、民衆を保護したよ」 堀田「村の人ぜんぶを教会に収容したら、その教会に日本軍は火をつけちゃった」 武田「うん、そういうことがある。それは文化の問題ですね。そういう面を、現実的な視野において日本を考えた場合には、現在まだ直っているかどうかということは、わからないな」(73年『私はもう中国を語らない』)。かつてじっさいにあったことを「あった」と主張すること。かつてじっさいにはなかったことを「あった」といいはること。かつて歴然としてあったことを「なかった」 としらばくれること。歴史はこうしていま、おおむね3つの虚実の光の波にもまれている。不可視の〈内面の内戦〉といえるほど、それは深刻な闘争である。かつてあったことを「なかった」こととして〈公的に裏づける〉、すなわちニセの歴史を生かされるのが、存外に容易 であることには、おどろかざるをえない。Aの問題とはそういう問題でもある。(辺見庸「日録1-10」2014/12/01

 あべのままで?!

あべのままで?!ダメよ〜ダメダメ(2014年流行語大賞)2014年12月3日

・民主党はいうもおろか、共産党や社民党にほんとうの危機感はあるのか 、どうもうたがわしい。9条のゆくえを本気で死ぬほど心配するなら共産、社民は、なにゆえその一点で統一戦線を組み、たがいに選挙協力ができないのだ。党がハナクソほど小さくなっても、まだ自党第一主義である。(略)ファシストはいま、すこぶる元気だ。貧乏人は、うっすら恐怖を感じつつも、しかし、いくところもなく、出口もなく、ときどき力なくヘラヘラとわらい、陋巷に起きふししている。(辺見庸「日録1-11」2014/12/03

衆議院選挙が始まっています。投票にあたって有権者の多数がテレビ報道を重要な判断材料としていることを踏まえ、視聴者団体
放送を語る会日本ジャーナリスト会議は、選挙報道に対し次のように要請します。1)11月20日、自民党からテレビ各局に、選挙報道にあたって「公平中立、公正の確保」を求める文書が送られました。その内容は、出演者の発言回数や時間、ゲストの選定、街頭インタビューなどで「公平・中立」を要求していると伝えられています。この申し入れは、市民団体や政党が行う一般的な要請とは質的に異なり、報道内容に具体的に介入・干渉する不当なものです。同時に、放送事業者を監督する政府を担ってきた政権政党の申し入れは、権力による介入の性格を帯びる危険なものです。とくに選挙報道に「中立性」を求める圧力は無視できません。総選挙の争点の一つが、安倍政権の政治の検証にあるとすれば、政治、社会状況の批判的報道が重要ですが、「中立」要求は、こうした 批判的報道を制約する意図によるものと考えられるからです。放送法は、番組編集にあたって、「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」(第4条)と定めていますが、個々の番組で「中立」を求める規定はどこにもありません。選挙報道も原則として第4条の規定に従えばよく、また、第3条は「放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」と規定しています。テレビ報道機関には、この放送法の規定を力に、圧力・干渉に屈せず、自律的な報道を貫かれるよう要請します。(以下、略)(Daily JCJ 2014年12月03日

群馬5区は、あの小渕優子氏が臆面もなく自民党公認で立候補している選挙区です。その選挙区でほかに立候補しているのは、共産党と社民党の新人2人です。候補者も立てられない民主党の体たらくはおくとして、共産党と社民党はどうして共闘して候補者を絞り、小渕氏を落とそうとしないのでしょうか。もちろん、保守地盤の強固な同地域で、共産党と社民党が共闘したからといって、勝利するのは至難の業です。しかし、自民党の金権体質を問うのが今度の選挙の1つの重要な争点であり、群馬5区はその象徴的な選挙区になっているのです。ここで共産党と社民党が「自民党の金権体質を許さない」という「一点」で結束して有権者に訴えることができれば、同選挙区にとどまらない大きな意味を持ちます。沖縄では共産党、社民党は「オール沖縄」として「保守」を含めた共闘を組みました。両党には安全保障や憲法など、他の党とは比較にならないほど政策的な共通点・類似点があります。「オール〇〇」の前に、まず両党が「小異を捨てて大同につく」共闘を各地で広げていくことが、これからの「革新」陣営にとって必要なのではないでしょうか。(私の沖縄日記―広島編 2014-12-04

・かつて、といってもだいぶまえ、ある美大の「卒制」をみにいったことがある。どこまでも自由でのびやかだった。MD(マンコデッサン)というのがあった。ま、逆立ちした自画像のシリーズみたいなもの。それも堂々と展示されていた。もしも女性の陰部という人体開口部を「顔」とみたてれば、これは陰翳と曲線と凹凸に富む自画像なのである。見事であった。〈陰毛が成長するまで〉といったタイトルの、自撮り写真集もあり、こちらは、いったんきれいに剃毛した局部から、少しずつヘアがはえてきて、ついにはひとつのこんもりとした森のようになるまでの全プロセスを、開脚して数十枚さつえいしたもの。たしか、終いのほうはもう写真ではなく、じつぶつのピュービックヘアがはりつけてあったと記憶するが、みていてその自由奔放さがきもちよく、こころがやわらかになった。これらを「わいせつ物陳列」の疑いで逮捕というなら、美大全員逮捕だぜ。
ろくでなし子さんらの不当逮捕事件は〈女性のかがやく美しい国〉のキャッチフレーズが真っ赤なウソであることをものがたっている。これはA政権の特徴がよくあらわれた思想表現の弾圧ととらえられるべきだ。だいいち、ケツメドAの存在そのもののほうが公序良俗に反する「わいせつ物陳列」ではないか。やつを逮捕せよ!(辺見庸「日録1-11」2014/12/05

仲井真知事が〈辺野古工法変更2件承認〉という電子号外が出されている。よくもまーこうやって最後の最後まで醜態をさらしていられるものだ。政府・防衛省の言うがままに辺野古埋め立ての条件整備に努める。それが自分の役割であり、沖縄県民の民意などどうでもいい 。そこまで仲井真知事が踏み切れるのは、よほどの見返りがあるか、あるいは弱みがあるのだろう。政府・防衛省がこれで工事が前進すると思うなら大きな間違いだ。操り人形と化した仲井真知事を利用し、なりふりかまわぬやり方で承認させても、沖縄県民の怒りと反発はさらに増していく。調査も工事も机の上ではなく現場でやるものだ。県民の怒りの火に油を注げば注ぐほど、現場で工事を進めるのは困難になる。それにしてもだ。県庁に登庁もせず、知事公舎に引きこもって承認の印を押し逃げする。仲井真知事はどこまで小心かつ恥知らずなのだろうか。これが最後のお勤めなら、県庁で仕事をすればいいものを。1年前もそうだったが、県民から逃げ回って裏切り行為を重ねたハジチラー(恥知らず)が、どの面下げて9日は県庁に出てくるつもりか。(目取真俊「海鳴りの島から」2014-12-05

・某紙デスクと「
ろくでなし子北原みのり両氏不当逮捕事件」についてはなす。現場の若手記者がいつまでも原稿を送ってこないので、なぜかと問いただしたら、「だって、作品に品位がなく、くだらないので・・・」と答えたという。記事に値しない、と。この事件の深刻性、重要性、今日性を、デスクはいちから説明しなければならなかったという。若手記者はキツネにつままれたような調子。おもわず〈ばかやろう!てめえなんかやめちまえ!〉と言いかけたが、コンプライアンスという自己規制でデスクは声にはしなかったらしい。聴いていてはげしい苛立ち。記者が世間の自警団なみのオツム 選挙への積極的棄権をかんがえている。「彼ら(人民)が自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれるやいなや、人民は奴隷となり……」(『社会契約論』)とおもうだけではない。投票行動とその結果が、憲法を無視する不正な政権をみとめることに直結し、集団的自衛権行使容認、秘密保護法、武器輸出、普天間基地移設、原発再稼働などの各重要問題で、安倍政権の方針を法的に承認したものと解釈されてしまうからだ。まさに「キャッチ=22」である。このたびの選挙は間接民主制の弱点を悪用した、戦後史を劃する「大策謀」としかみえない。飼い主が投げた餌を尻尾をふってくわえにいく犬。安倍はそのように選挙民をみくだしている。わたしは現時点で、安倍の策謀としての選挙にいくよりも、明日12月6日の秘密保護法反対デモに参加するほうがはるかに、はるかに重要だとおもう。自身をせめても納得させることができるのは、どのみち空虚さはまぬかれえないにしても、後者なのだ(引用者注:辺見さん。某紙若手記者に対する辺見さんの怒りはまったくそのとおりだと私も思いを同じくします。が、「選挙への積極的棄権」という考え方には賛成できません。「投票行動とその結果が、憲法を無視する不正な政権をみとめることに直結」するという指摘はこれもそのとおりだと思いますが、「選挙を棄権する」という選択も不作為という点で「不正な政権」をそのまま認知するということにならざるをえません。であれば、いかに好まざる選択であったとしても、よりましな選択としては、選挙で首相安倍を明確に弾劾する政党に一票を投じるという行為を選択するほかない、ということにならざるをえない。・・・のではないでしょうか)。(辺見庸「日録1-11」2014/12/05

今回の総選挙の投票では、私は比例区、小選挙区とも共産党と同党候補者に一票を投じました。いうまでもなく、その一票に託した私の思いは、安倍政権の暴虐政治を一日、一刻も早く終わらせたい、というものです。安倍の暴虐政治に有意(政策のうえでも、政治姿勢のうえでも)に対抗しうる期待の思いをこめて共産党に一票を投じたのです。その「私の思い」の主語は、「共産党躍進」ということではなく、「安倍政治の終焉」というものでした。もちろん、いまの段階ではそのための布石の一票ということでしかありえないことは重々承知したうえでのことです。
 
さて、はじめに一票に託した「私の思い」を述べたのは、以下の「総選挙の結果について」という共産党の常任幹部会の声明(2014年12月15日付)を紹介するための前振りとしてです。
 
その常任幹部会の「総選挙の結果について」ははじめの(1)で次のように述べます。「全体として、総選挙の結果は、画期的な躍進といえるものとなりました」。(3)では、自公で衆院で憲法改正を発議できる3分の2以上の議席を獲得した総選挙の結果について、「『自民圧勝』と評価する向きもありますが、これは事実と異なります。自民党は公示前の議席を減らしています」と分析しています。また、(4)の結論は、「今回の躍進をかちとるうえで、党大会以来、全党がとりくんできた(略)強く大きな党をつくる努力は大きな力となりました。私たちは、総選挙の画期的躍進をうけて、いまこそ強く大きな党をつくる活動に、新たな決意をもって踏みだします」。これが共産党中央委員会常任幹部会の「総選挙の結果について」という文章の結論です。
 
この常任幹部会の声明を一読して私は大きな違和感と不快感を持ちました。この常任幹部会声明には「憲法改悪」、自民党の悪政、暴虐の継続への危機意識がまったく欠如しているのです。その共産党常任幹部会の今回の総選挙の結果に対する危機意識の欠如については、以下の共産党を支持する「知識人」の総選挙の結果を受けての感想と見比べてみれば一層明白です。

保立道久さん(歴史学者)も浅井基文さん(政治学者)も総選挙の感想の冒頭では「安倍的ファシズム」と「憲法改正問題」に対する自己の危機意識を述べています。もっとも常任幹部会声明に近い感想を述べている五十嵐仁さん(法政大名誉教授)でさえ、その感想文の冒頭の主語は「自民党」、すなわち、自民党政治への危機意識です。「全体として、総選挙の結果は、画期的な躍進」と自党の総選挙での躍進を自画自賛する共産党中央委員会常任幹部会の自民党の悪政、暴虐の継続による「憲法改悪」への危機意識の欠如は下記との比較を一瞥しただけでも歴然としているといわなければならないでしょう。

共産党中央委員会常任幹部会の声明は、まず自党の力不足を国民に詫びるべきでした。そして、その自党の力不足によって自民党の悪政と暴虐の継続を許してしまったことへの慙愧の念、お詫びと反省の言葉を国民に対して心から述べるべきでした。それが共産党といわず、公党としての国民に対する責任、あるいは国政単位の「革命」を目標とする政党としての責任のとりかたというべきではないか。それを自党の20議席あまりの「躍進」の自画自賛で終わらせる。さらには「大きな党をつくる」という内向き(党員向け)の決意で終わらせる。なんとももはや、というほか言葉がありません。
 
保立道久の研究雑記」(2014年12月15日)から。
 
総選挙の結果がでた。(略)投票率52パーセントのうち自民党の支持は半分か。安倍氏は、国民の25パーセントの支持で「大勝利」として突っ走るのであろう。これはすべて小選挙区制という虚偽の選挙制度の結果であり、小選挙区制が虚偽を作り、安倍的ファシズムの条件を作ったのである。
 
浅井基文のページ」(2014年12月15日)から。
 
衆議院総選挙の結果は、おおむねメディア各社の事前世論調査が予測したのと大差ない結果に終わりました。自民党が単独で2/3の議席を占める予想もありましたが、さすがにそうはなりませんでした。しかし、35議席を獲得した公明党と併せると優に2/3を超えます。安倍首相は早くも憲法改正問題に言及し始めました。
 
五十嵐仁の転成仁語」(2014年12月15日)から。
 
昨日、注目された2014年衆院選の投開票が実施されました。その結果は以下のようになっています。これを、どう見たらよいのでしょうか。第1に、自民党は予想されていたような300議席突破はならず、当選前の293議席より2議席減らして291議席となりました。選挙中盤の予測によって「揺れ戻し」が生じたようで、選挙前よりも議席を減らしたわけですから勝利したわけではありません。
本ブログの「今日の言葉」の2014年11月14日から同月23日にかけての記録です。

避難民キャンプ 
ミャンマー西部、ロヒンギャ避難民キャンプ

【今日の言葉:冒頭】
14日:東大ポポロ事件というのがあった。東大の学生団体「ポポロ劇団」
15日:九州電力川内原発の再稼働に同意した鹿児島県の伊藤祐一郎知
15日:多くの人もそうであると思うが、沖縄の知事選挙がどのような結果と
17日:新聞読んでたら、沖縄県知事選の結果についての分析にいらつい
17日:何か問題が起きて、首相の責任が追及される場面が起きると、唐
18日:いよいよ今夕に安倍首相が記者会見を開いて解散・総選挙の宣言
18日:何だか知らないけど、総選挙になるんだって。安倍さんが首相にな
19日:突然の解散・総選挙となりました。国民や野党だけでなく、与党の
21日:安倍晋三首相が21日に衆議院を解散すると表明したことを受けて
21日:安倍は、投票率低下を目論んで12月選挙にした。論点を増税延期
23日:前回の総選挙は、民主党主体の連立政権に対する失望によって
23日:国策映画『南京―戦線後方記録映画―』をみた嫌悪感がオリになっ
23日:東日本大震災の復興も遅々として進まないのに、税金700億円も

東大ポポロ事件というのがあった。東大の学生団体「ポポロ劇団」が1952年、本郷の学内で松川事件をあつかったた演劇『何時の日にか』の上演をおこなったさい、観客のなかに私服警官4名がいるのを学生が発見し、警官を拘束して警察手帳をうばい謝罪文を書かせた。それを口実に学生が逮捕、起訴される。これにより、憲法第23条が保障する「学問の自由」とそれを基本理念とする「大学の自治」が、この国ではじめて本格的に議論された。一審の東京地裁は「大学はがんらい、学問の研究および教育の場であって、学問の自由は、思想言論集会などの自由とともに、憲法上保障されている。これらの自由が保障されるのは、それらが外部からの干渉を排除して自由であることによってのみ、真理の探究が可能となり、学問に委せられた諸種の課題の正しい解明の道がひらかれるのである」「大学はそれじたい、一つの自治の団体であって、学長、教員の選任について充分に自治の精神がいかされ、大学の組織においても学長の大学管理権を頂点として自治の実態に沿うような構成がつくられている。これにくわえ、学生も教育の必要上、学校当局によって自治組織をもつことを認められ、一定の規則に従って自治運動を為すことが許されている」として学生らを無罪とした。いまからすれば、まるで夢のような名判決である。二審も一審を支持したため(!)、検察が上告。最高裁判所大法廷は、しかし、1963年(昭和38年)5月、原審を破棄し、東京地方裁判所に差し戻した。その理由は「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく……本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」からという。これに全国の大学が怒り、学生も教員もデモをした。わたしは19歳で、ポポロ判決抗議のデモ中に公安条例違反で逮捕された。まだ血で血を洗う内ゲバ連合赤軍事件もないころである。1963年にはケネディが暗殺され、堀田善衛が『審判』を、大江健三郎が『性的人間』を上梓した。最近の京大キャンパスでのできごとと学生寮強制捜査で、そのポポロ事件をおもいだした。ただ、ポポロ判決のころは、大学の自治だけではなく、言論・思想の自由を蹂躙した旧治安維持法の再来という危機感が大学にも学生にもメディアにもあった。最高裁の判断にしても、大学の自治じたいは肯定していたのである。いまはどうか。言論・思想の自由がうばわれるという危機感はほとんどない。このたびの京大での事件を、秘密保護法とのかんけいで深刻視するむきはまことにすくない。しかし、ことはいわゆる〈過激派〉の問題ではなく、権力がいま、秘密保護法適用の予行演習をしている、ということである。「特定秘密」の対象になる情報は、「防衛」「外交」「特定有害活動の防止」「テロリズムの防止」などとされている。これら分野における政府方針に反対するうごきにも官憲の調査権がおよぶ。つまり範囲などはなにもない。わたしをテロリスト教唆とみなせば、いつだってしょっぴける。なんのことはない、治安維持法の再演である。「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」という治安維持法が、条文の範囲をむげんに拡大し、ひとびとを苦しめ、密告者を増殖し、思想をいかにゆがめたか。ポポロ判決のころはまだその記憶がのこっていたのだった。社会に嫌悪感があった。いまはどうだ。大学で高度の自治意識をもつところは皆無かきわめてすくなく、学生運動を暴力団とおなじ〈反社会勢力〉ときめつけて警察と積極協力してキャンパスからしめだすうごきばかりではないか。教員からも学生からも反権力、反権威の気概がすっかりなくなった。(辺見庸「日録1-8」2014/11/14

九州電力川内原発の再稼働に同意した鹿児島県の伊藤祐一郎知事は7日の記者会見で自信ありげに再稼働の必要性を論じていました。私は「事態は『3・11』以前より悪くなってしまった」と感じました。原発で万が一の事故があれば、電力会社も国の原理力行政も根底から崩れてしまう。「福島以前」には原子力を推進している当の政府と電力会社の側にもそのような一抹の「おびえ」がありました。でも、東京電力福島第一原発の事故は、その「おびえ」が不要だったということを彼らに教えました。これまでのところ、原発事故について関係者の誰ひとり刑事責任を問われていません。事故処理に要する天文学的コストは一民間企業が負担するには大きすぎるという理由で税金でまかなわれている。政府と東電が事故がもたらした損失や健康被害や汚染状況をどれほど過小評価しても、それに反証できるだけのエビデンスを国民の側には示すことができない。彼らは原発事故でそのことを「学習」しました。鹿児島県知事は「たとえこのあと川内原発で事故が起きても、前例にかんがみて、「何が起きても自分が政治責任を問われることはない」ということを確信した上で政治決定を下したのです。僕も彼らが利己心や邪悪な念によって原発再稼働を進めているとは思いません。彼らは彼らなりに「善意」で行動している。主観的には首尾一貫しているんです。それは、せいぜい五年程度のスパンの中での経済的利益を確かなものにすることです。経営者としては当然のことです。しかし、1億人以上の人が、限られた国土で、限られた国民資源を分かち合いながら暮らし続けることを運命づけられた国民国家を運営するには、百年単位でものごとを考えなければならない。株式会社なら、四半期の収支が悪化すれば、株価が下がり、倒産のリスクに瀕します。だから、「百年先」のことなんか考えていられないし、考えることを求められてもいない。目先の利益確保があらゆることに最優先する。でも、国民国家の最優先課題は「いま」収益を上げることじゃない。これから何百年も安定的に継続することです。株式会社の経営と国家経営はまったく別のことです。原発推進派はそれを混同してしまっている。(内田樹の研究室 2014年11月15日

・多くの人もそうであると思うが、
沖縄の知事選挙がどのような結果となるか、固唾を呑んでいる。とくに保守と革新の協同候補がでているというのが、日本の第二次世界大戦後の政治史のなかで大きな変化であると思う。そして、これが沖縄からでているということの意味を考えなければならないと思う。ただ、私は、「保守と革新」ではなく、「保守と進歩」という軸で問題を考えたい。(略)「進歩」というと、最近では、それをもっぱら近代思想の枠組であるとして不評である。19世紀ヨーロッパの「進歩思想」が現実には、世界の帝国的分割と他文明に対する野蛮な抑圧を意味した。進歩というのは私有の発展であるという論理である。そのような「進歩思想」が「進歩思想」としてはいまだに圧倒的な影響力があることは事実であり、それを拒否することの重要性は明らかであると思う。 しかし、それとは区別された真の意味での進歩というものは、私はあると思う。(略)沖縄の「保守」と「進歩」の協同の方向は列島全体にとって大事な意味をもっていると思う。もちろん、そしてその協同は(政治的な協同という点でいえば)まだ決して幅広い流れではないだろう。それは出発点ということであろうと思う。「保守←→進歩」の協同が政治的な姿をとるというのはほぼ初めてのことであるから、それ自身で議論され、調整されるべきことは多いだろう。と同時に、「保守」の側も「進歩」の側もおのおので詰めるべき点が残っているに違いない。この道は相当に複雑な問題をはらんでいるのではないか。(略)おそらく問題が複雑になるのは、「保守←→進歩」という軸が、さらに他の軸線との関係で複雑な諸問題を抱えているからだと思う。その軸線とは第二の軸としての「左翼←→右翼」軸と、第三の軸としての「インターナショナリズム←→ナショナリズム」軸であろう。これを考えるためには、日本の「右翼」思想といわれるもので思想態度として取るべきものがあることを追跡してみることだろうと思う。アメリカになかば占領され、国家の独立を侵犯されているという状況のなかで思想としての「右翼思想」は成立しがたいものになっているが、しかし、一つの共同体主義としての右翼思想というものがすべて無意味であるというようには、私には考えられない。いま、この国にとって恐るべきものは、むしろ、無思想であり、虚偽の思想であり、詐欺瞞着であり、公然と表明される悪意であり、それが許されている状況であると思う。(保立道久の研究雑記 2014年11月15日

・新聞読んでたら、沖縄県知事選の結果についての分析にいらついてきました。間違っているというのじゃないんです。(略)そもそもなぜ沖縄に米軍基地がなければいけないのか、その軍略的意味・政治史的意味について誰も掘り下げない
沖縄に米軍基地の76%が集中し、北海道に一つも基地がないのは、日本列島に展開された米軍基地構想が「対ソ戦」を想定していたものだからでしょう。それ以外に説明のしようがない。ソ連軍が北から侵攻してきて、自衛隊を撃破して、九州南端まで到達しても、まだ米軍主力は沖縄に温存されている。そのための沖縄への基地集中なわけですから、米ソの東西冷戦構造が解体した時点で、沖縄基地の軍略的意味はまったく変わったわけです。でも、「沖縄基地の軍略的重要性にはなんの変化もない」と日米政府は言い続けています。地政学的環境の激変にもかかわらずその戦略的重要性がすこしも変化しない基地があるとすれば、それは論理的に考えて「地政学的環境とは無縁な軍事施設」だということです。沖縄の米軍基地は「日本はアメリカの属国である」ということを確認するための政治的記号です。在韓米軍基地は大幅に縮小されました。ソウル駅前の龍山基地は移転が決定しています。フィリピンでは米軍の海外最大の基地であったクラークスービック両基地がフィリピン政府の要求で返還されました。(略)別に韓比両国が「平和志向」になったわけではありません。米軍がいると「鬱陶しい」と思えば「出て行け」と言い、軍事支援が要ると思うと「戻って来てくれ」と言う。そういう身勝手な話です。まず自国の国益、ついで同盟国の事情に配慮する。それが「ふつうの主権国家」のやり方です。日本だけが違います。国際政治の環境がどれほど変わっても「沖縄基地の軍事的重要性に変化がない」という話になっている。ですから、このあと例えば、北朝鮮が民主化しても、中国やロシアが衰微しても、「沖縄基地の軍事的重要性には変化がない」とアメリカは言い続けるでしょう。それは沖縄が日本がアメリカに差し出した「従属国の人質」だからです。東アジアの地政学的環境がどう変わっても、日米関係が主従関係である限り、沖縄の米軍基地は返還されない。100年経ったも返還されない。そのことへの怒りが知事選に示された のだと僕は思います。(内田樹 2014年11月17日

何か問題が起きて、首相の責任が追及される場面が起きると、唐突に局面が切り替わる。それまで熱く議論されていたことが、新聞の紙面やテレビの画面からあっけなく消えてしまう。次々に起きる新たな問題に目が奪われて、じっくり考える時間などない。問題は先送りされ、責任の所在は曖昧のまま、安倍内閣の支持率は高いという状況が続いている。1年前の今頃、
特定秘密保護法案でメディアは連日キャンペーンをはっていた。この法律に含まれる重大な問題点が何一つ是正されないまま、12月10日に施行される。メディアで報道されることはほとんどなく、国民の関心は驚くほど低い。ほんの半年前、安倍首相は珍妙なパネルを使って、「私は国民の命と暮らしを守る最高責任者だ」とハイテンションで語っていた。だが、7月1日に集団的自衛権行使容認の閣議決定がなされるや、関連法制の整備もガイドライン見直しも来年に先送りしてしまった。(略)内閣改造後は、目玉の女性閣僚たちの不祥事が続発。同じ日に2人の大臣が辞任するという異常事態が起き、さらなる大臣辞任は不可避かと思えたその週の金曜日、突然の追加的金融緩和が行われ、世間の目はまったく別の方向に向けられてしまった。景気は好転せず、円安で中小企業は青息吐息で、「アベノミクスの失敗」が誰の目にも明らかになってくるや、首相はAPEC参加のために国外に出かけてしまった。16日の沖縄県知事選での大敗北を見越すかのように(敗戦の弁は幹事長に委ねて)、17日に帰国。消費税10%の先送りを発表する。問題大臣たちの任命責任や、沖縄県知事選敗北の責任について触れることもなく、消費税増税の先のばしと「アベノミクス」失敗の責任について国会で追及する時間も与えずに、間髪を入れず衆議院を解散してしまう。(略)責任追及からひたすら逃げ続ける。もともと安倍首相は自分が批判されることを極端に嫌い、すぐに論点をずらし、相手の落ち度や弱点をあげつらってムキになって反論する癖がある。(略)国会で責任を追及されると、首相とは思えない乱暴な言葉でやりかえす。この答弁の仕方と内容のひどさ(「捏造」という言葉の多用を含め)は、憲政史上例がない。一方、自分を歓迎してくれる国々を中心に50カ国以上もまわって、満面の笑みを浮かべて日本国民の税金をばらまく。家の財産を自分のために食いつぶす放蕩息子ならぬ、「放蕩首相」が、衆議院解散という「伝家の宝刀」を抜こうとしている。(水島朝穂「今週の直言」2014年11月17日

・いよいよ
今夕に安倍首相が記者会見を開いて解散・総選挙の宣言をするらしい。しかし、これほど国民をバカにしたフザケタ記者会見はない。今回の解散・総選挙の舞台裏と、それを決断した安倍首相の卑しい根性など、すべては見え見えだ。安倍首相が今夕の記者会見で語る言葉すら容易に想像できる。一言でいえば嘘を並べて解散・総選挙を強行するのだ。そんな記者会見など一見の価値もない。しかし、そんな記者会見でも、ひとつだけ見る価値がある。それは記者の対応だ。誰が聞いても嘘だらけの安倍首相の発言に対し、一人でもまともな記者が現れて国民が聞きたい質問をして安倍首相を追及して見せるだろうか。それに対して安倍首相はまともに答えるだろうか。もちろん、そうはならない。記者たちは一見まともな質問をする振りをしてみせるが、安倍首相はごまかして逃げ、ハイ時間が来ました、と一方的に打ち切られて終わる。いつものパターンだ。そして明日の朝刊で、各紙は一斉に解散・総選挙の号砲を鳴らす。皆が走り出す。走り出せばあとは選挙一色だ。安倍失政のすべてがかき消される。今夕の安倍首相の解散・総選挙の記者会見の唯一の見どころは、安倍解散・総選挙を許すどころか、見事にお膳立てするメディアの権力迎合振りが白日の下にさらされることである。それを再確認するだけの意味しかない今夕の安倍首相の解散・総選挙宣言の記者会見である(引用者注:記者会見では景気浮揚策の第三の矢(衆院選公約)として「商品券配布」を発表するらしい。言葉がない)。(天木直人のブログ 2014年11月18日

・何だか知らないけど、総選挙になるんだって。安倍さんが首相になって
アベノミクスなんて言い出した頃の、あたしのつぶやき、結構評判がいいのよ。だから、も一度、紹介するわ。あたしも、想像していなかったのは、日用品のひどい値上がりね。こんなに上がるとは思ってなかったわ。なのに安倍さんは、「長く続いたデフレから脱却するチャンスをやっとつかんだ。私たちはこのチャンスを手放すわけにはいかない」なんて言っているの。そのためにもっともっとお札を刷るって言ってるから、食料品も、もっともっと上がるのよね。あたし、考えちゃうわ。ベランダのプランター、お花から野菜に変えたけど、お芋にした方がいいのかしら…商品券なんて、ホントに主婦をバカにしてるわ。ホントは主婦ならみんな知ってるはずのこと、も一度、読んでね。(略)あたし知ってるの。トリクルダウンなんてウソ。国全体のおカネが増えれば、いずれ庶民も、豊かになるんだって。まずは大金持ちが儲かって、そのおこぼれが、庶民に来るんだって言うの。おこぼれ経済理論って言うんだって。そんなのウソよ。小泉さんのとき、いざなみ景気っていうのがあった。6年も続く空前の経済成長期間だったけど、うちの財布は、縮んだわ。旦那の給与は15%もダウンよ。お小遣い5割カットしてやったけど、わたしんちなんて青息吐息よ。(略)だから、あたし知ってるの。トリクルダウン(したたり落ちる)なんて、ウソだって。100年待ったって、したたり落ちてなんか来ないわよ。真実はサックアップ(suck up・吸い上げる)なんだって。奴隷のように働いて、あたしたちは、欲望のままおカネを転がして遊んでる富裕層に貢いでるのよ。シェークスピアの昔から非難されてる金貸しの天下よね。(略)あたし知ってる。みんな知ってる。トリクルダウンなんてウソ。景気回復なんてウソ。この世は今やサックアップなんだって。世界中、おカネがめぐるおカネ支配の世界になっちゃんたんだって。だから、結局あたし、スーパーのチラシと睨めっこ。旦那は僅かな小遣いで、200円弁当。 こんな世の中にだれがしたんでしょ。みんなで投票して、したんだわ。(街の弁護士日記 2014年11月18日

・突然の解散・総選挙となりました。国民や野党だけでなく、与党の一部からも「なぜ、いま解散・総選挙なのか」という声が出ています。それもそうでしょう。いまの与党は衆院の3分の2を上回る巨大な勢力を持っていますし、議員の任期はまだ半分も残っています。消費増税の先送りについても、民主党などの野党は受け入れています。それを実行したければ消費増税法の付則18条に基づいて増税を凍結し、そのための改正をすれば済む話でした。 それなのになぜ、議席が減るリスクを冒してまで解散・総選挙をしなければならないのか。選挙を実施すれば700億円もの多額の費用がかかるというのに……。今日の『
毎日新聞』では、自民党のベテラン議員が「安倍晋三の安倍晋三による安倍晋三のための選挙 」だと嘆いていると報じられていました。この記事を書いた末次省三政治部長は「与党の一部から『私利私欲解散』『ご都合主義解散』といった批判が出るのはもっともだ」と書いています。「政治とカネ」の疑惑によって窮地に立ち、集団的自衛権の行使容認の法制化や原発再稼働という難題を抱え、消費増税とアベノミクスの失敗による不況が深刻化すれば内閣支持率の急落は避けられず、野党の選挙準備も整っていない今のうちに解散・総選挙をやって政権基盤を安定させようと考えたのでしょう。政権戦略を最優先にした自分勝手な解散ですから、与党の中からさえ不満の声が出るのは当然だと言えます。(略)安倍首相がこれまでやってきたこと、これからやろうとしていること――その全てを許すのかどうか、安倍首相の続投を認めるのかどうかが、今回の解散・総選挙の真の争点にほかなりません。その意味では、個々の政策の是非が問われるというよりも、安倍首相の政治全体に対する審判こそが総選挙の最大の争点であるというべきでしょう。(略)総選挙での投票に当たって選択の基準はただ一つ。安倍首相を喜ばすような結果にはしない――これだけです。(「五十嵐仁の転成仁語」2014年11月19日

安倍晋三首相が21日に衆議院を解散すると表明したことを受けて、朝日新聞社19、20日全国緊急世論調査(電話)を実施した。この時期に解散・総選挙をすることに「反対」は62%で、「賛成」の18%を大きく上回った。消費増税の延期について「国民に信を問う」という解散理由 に「納得する」は25%で、「納得しない」65%が上回った。安倍内閣の支持率は39%(今月8、9日の全国世論調査では42%)で、不支持率は40%(同36%)。第2次安倍内閣発足以来、支持は最低、不支持は最高を更新し、初めて支持と不支持が逆転した。この時期に解散・総選挙をすることには、安倍内閣支持層や自民支持層でも「反対」が5割ほどに上る。衆院を解散する理由について、首相は消費増税の延期を挙げて「国民生活と国民経済にとって重い決断をする以上、速やかに国民に信を問うべきだ」と述べた。ただ、内閣支持層や自民支持層でも「納得しない」が5割ほどに及んだ。また、安倍首相は消費税を10%に上げる時期を1年半延期して、2017年4月に確実に上げると表明したが、首相の判断を「評価する」は33%で、「評価しない」の49%の方が多かった。17年4月に消費税を10%に上げることは「賛成」39%、「反対」49%。首相が17年4月に「確実に上げる」と説明したため、首相の判断についても「評価しない」が多くなったとみられる。安倍首相は前回衆院選直前の2年前の党首討論で、衆院の定数削減について約束したが、国会では実現していない。今回の調査で、この状態で首相が衆院を解散することはどの程度問題か尋ねたところ、「問題だ」は、「大いに」39%と「ある程度」38%を合わせて計77%に及んだ。今度の衆院選での比例区投票先を政党名を挙げて聞いたところ、自民37%、民主13%、維新と共産が各6%、公明4%、社民と生活が各1%などの順だった。(「朝日新聞社『世論調査』」 2014年11月21日

・安倍は、投票率低下を目論んで12月選挙にした。論点を増税延期に絞ろうとしているが、TPP、原発再稼働や汚染水完全コントロール発言、特定秘密保護法、解釈改憲その他これまでのありとあらゆる暴走に対する判断をしないと、勝ったらこれら全て「国民の信任を得られた」と言い出すよ。(
中村憲昭(弁護士) 2014年11月19日

・2年前に「まっすぐ、景気回復。」と謳っていた安倍政権が景気後退をもたらした今「景気回復、この道しかない」とうそぶく。狂信的独裁は右も左も同じ。「革命が間違っているのではない、足りないだけだ」と叫んで、国民を破滅へと導いていく 。(
中野晃一(上智大教授) 2014年11月21日

・本当に冗談みたいな解散ですよね。私たち有権者に理解できるような理由が一つも見あたらない。2年前、私たちは安倍政権に何を求めたのでしょうか……。大規模な金融緩和で無理やり円安に誘導しても、大企業の製造拠点は海外に移ってしまっており、輸出は期待ほど伸びなかった。円安で輸入物価は上昇し、生活が苦しくなっただけ。この2年間で
アベノミクスが失政だったことがはっきりしました。(高村薫(作家) 2014年11月21日

前回の総選挙は、民主党主体の連立政権に対する失望によって彩られています。そのために民主党を離れた票は2000万票に上りました。このうちの半分は棄権し、半分はおそらく第三極に流れただろうということ(略)。その第三極ですが、前回の総選選挙以降、分裂に継ぐ分裂で有権者の期待に応えたとは言えません。54議席を獲得して57議席の民主党に肉薄した日本維新の会ですが、橋下徹共同代表の慰安婦問題発言で支持を失い、石原慎太郎共同代表らが脱退して次世代の党を設立し、結の党を吸収合併して維新の党となっています。前回の総選挙で18議席を獲得したみんなの党は悲惨な末路を辿りました。渡辺代表と江田幹事長の対立によって江田グループが離党して結の党を結党しますが、渡辺代表は政治資金問題で引責辞任に追い込まれ、浅尾慶一郎後継代表とも対立し、結局、解党を決めて間もなく消滅する運命にあります。(略)日本未来の党にいたっては、すでに覚えている人も少ないことでしょう。(略)前回の総選挙でこの3党が集めたのは、小選挙区で1274万票、比例代表区で2092万票にも上りました。そのすべてが流動化するわけではありませんが、比例代表区の半分が投票先を失うとしても約1000万票になります。つまり、民主党を見限って第三極に流入した票は、今回の選挙では第三極を離れて流動する可能性があるということです。これらの票が、一度は見捨てた民主党に還流するとは限りません。「前回の総選挙は民主党がダメとなった後の選挙で、今度の総選挙は『第三極』がダメとなった後の総選挙」だということは、これらの2000万票が支持する先を求めて浮遊している状況にあるということを意味しています。今回の選挙で「安倍政権の2年間の審判が問題になるとすれば」、これらの票が自民党に向かうとは考えられません。(略)このような状況下で、「政治を変えてほしい。まともな政治を実現して欲しい」という願いを託せるのはどこか。答えは明確になりつつあります。(「五十嵐仁の転成仁語」2014年11月23日

国策映画『
南京―戦線後方記録映画―』をみた嫌悪感がオリになって体内に沈殿し、まだときどき喉もとにわきあがってくる。わたしがもっとも怖気をふるったシーンは、戦場でも廃墟でもない。南京の戦場(というより大量殺戮現場)から、東京の皇居にむかってなされていた「遙拝」であり、戦場で「奏上」されたのりとのひびき、玉串の奉奠(ほうてん)であり、榊(サカキ)にむすばれた「四手」(しで、「紙垂」)という紙のたなびき、そのうなり声、万歳三唱の蛮声であった。「遙拝」とは、遠くはなれれた場所から神様(天皇)をはるかに、深々とおがむこと。「奏上」とはなんだ?ほかでもない、天皇に申し上げることである。この国はかつて自国民だけでなく中国や朝鮮半島のひとびとにまで「遙拝」を強いた。(略)大内兵衛はかつて「天皇は開戦・敗戦の政治責任をまぬかれうるか」と設問し、否と答えた。第二に、「天皇は国民への道義的責任をまぬかれうるか」と問い、これにも、否と答えた。第三に、「アジアの民衆にたいする虐殺、捕虜虐待にかんする責任をまぬかれうるか」と問い、三たび否と答えている(「天皇の戦争責任」『中央公論』1956年6月号)。いま、どんな新聞・雑誌が「天皇の戦争責任」を問う特集を組むだろうか。組む者はだれもいないし、そのような特集を組むことは100パーセント不可能である。なぜか。たいへん危険だからだ。極右と「影の組織」がまちがいなくうごく。ひとが殺されるかもしれない。かもしれないではない。その公算きわめて大である。1956年には堂々とできたことが、2014年にはできない。そんな社会になったのだ。敗戦後70年で、言論はいちじるしく閉じ、未来にすすんでいるのではなく、戦前、戦中にもどっているといってもよい。大内兵衛は南京大虐殺についてこう書いている。「この大虐殺が、日本軍のいかなる命令中枢から発せられたか、あるいは『軍紀の弛緩』によるものかは、今日なお疑問の部分もあるが、事実としてまったく放恣な略奪、強姦、虐殺の祝宴が大規模にくりひろげられたことは、疑いない」(集英社刊『昭和戦争文学全集』3「果てしなき中国戦線」の解説)。(辺見庸「日録1-9」2014/11/23

・東日本大震災の復興も遅々として進まないのに、
税金700億円も使って、大義なき<ジコチュウ総選挙>に走る安倍政権─被災地の人々の苦労を、どうして分ろうとしないのですか。日々、生活や仕事の立て直しに懸命になっているというのに、安倍さんは外遊に明け暮れてきた。1回の外遊に2億円 も使い、なんと2年間に50カ国の外遊。しかも援助と称して世界各国にばらまいた、お金は68兆4千億円あなたのお財布じゃないのですよ。これ全て税金。この勝手に使う金銭感覚、異常じゃありませんか。もっと国内の施策に回すべき懸案があるでしょう。消費税の10%アップだって先送りしただけじゃないですか。さらに憲法9条に抵触する「集団的自衛権の行使」を閣議決定で決めたこと、秘密保護法の制定など、真正面から信を問うべきだと指弾されると、「国民に信を問う内容は政権が決める」と居直る。争点ずらしに、いくら<アベノミクス解散>と強弁しても、もう破たんしているのは明確です。伊東光晴アベノミクス批判―四本の矢を折る』(岩波書店)が喝破しています。(Daily JCJ【今週の風考計】2014年11月23日
おぞましい。この安倍という男の顔、声、政権にあと何年つきあわなければならないというのか。おぞましい、むくつけき、という言葉のほかは見つからない。身体に力がはいらない。体躯中がうろになっている。おぞましさに対抗するには私の身体は虚であるほかないのか。力などいれなくともいい。力のないまま生きよう。その力のなさに悲しみを湛えよう。その痛苦がいつか力になることがあることを信じて。世論とはなにか? 私はそのことを思う。庶民とはなにか? 私はまた、そのことを思う。
 
「変容の条件は、庶民性そのものの中にある」、とユダヤ人精神分析学者のE.フロムはいう。ドイツの労働者階級や下層中産階級の人びと、いわゆる庶民が、なぜナチズムのイデオロギーを支持し、自発的に服従したのかを問う中で、彼は「社会的性格」という概念に想到した。フロムによれば、社会的性格はひとつの集団の大部分の成員がもっている性格構造の本質的な中核であり、それが社会制度の期待と矛盾するとき、社会制度に対する反発と対立を引き起こし、社会変動の起爆剤となる(『自由からの逃走』)。私はその「庶民性」を信じて生きるべきなのか。私は、世論とはなにか。また、庶民とはなにか、ということをいま痛切に思います。
 
作家の辺見庸が神奈川新聞のインタビューを受けて、この総選挙について辺見庸の言葉で語っています。辺見のはなしを聞いてみようと思います。インタビュアは神奈川新聞記者の桐生勇さん。
 
安倍政治を問う 目を見開き耳澄ませ 作家・辺見庸さん
神奈川新聞 2014.12.14
 
インタビュー前日の6日、辺見庸さん(70)は都内で行われた特定秘密保護法反対デモに赴いた。街頭デモに出掛けるのは、脳出血で倒れて右半身が不随となった2004年以来だった。
 
「何メートルかでも歩こうと思って。行ったけど、ほぼ終わっていてさ」。週末の午後、銀座の街にイルミネーションが瞬いていた。「驚くほど盛り上がってなかった。本当のことを言うと絶望的だった」
 
クリスマス前のきらびやかな風景と盛り上がらないデモ。安倍政権に反対するということが力の問題としてマイノリティー化していないか。帰途、辺見さんは思った。「マイノリティーとしての自覚をどう持てばいいのか」
 
■策謀的選挙
 
「間接民主制の弱点を使った策謀でしかない」。今回の総選挙をそう断じる。「勝てると踏み、重大な問題を引っ込め、アベノミクスというメッキが剥げないうちに選挙をやってしまえという話だ」
 
2年前の総選挙で自民党は憲法改正草案に盛り込んだ国防軍の創設を公約に明記していた。今回の公約では末尾に「国民の理解を得つつ憲法改正原案を国会に提出し、憲法改正のための国民投票を実施、憲法改正を目指します」とあるだけ。具体的な改正内容は示されていない。波風を立てず、争点化を避ける思惑が透ける。
 
〈与党3分の2の勢い〉〈自民300議席うかがう〉
 
投開票日を前に各メディアに与党圧勝の予測が大きな見出しで躍る。「策謀的にもかかわらず、本質を問わず、反発しない。政権が仕掛けてきたシナリオに乗って、メーンテーマは『アベノミクスの是非』か。言いなりじゃないか」
 
「策謀」に加担するがごとくの報道を難じる辺見さんの言葉が、胃に重く沈む。集団的自衛権の行使容認、特定秘密保護法、武器輸出、原発の再稼働…。戦後の最も枢要な問題について、結果が予測通りなら、安倍政権の方針を追認したと解釈されてしまう。
 
「まさにキャッチ=22だ」。ユダヤ系作家ジョーゼフ・ヘラーの小説タイトルである。
 
作中にある軍規では、狂気に陥った者は戦闘機に乗らずに済むとある。しかし、狂気を申告できるのは正常さの証明となり、戦闘機に乗るはめになる-。「こっちの主観的な意図も、結局は向こうのわなに引っ掛かるという意味だ」
 
〈彼ら(人民)が自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれるやいなや、人民は奴隷となり…〉
 
ルソーの言葉を引き、辺見さんは続けた。「犬が餌を投げられ、取ってこいと言われている。選挙民を侮蔑しているよ」
 
■見込み違い
 
戦後70年を目前にした年の暮れの総選挙。議会制民主主義に安住し続けたわれわれの楽観主義、そして戦争責任を追及せず、歴史を忘却してきた帰結として、今の風景があると辺見さんは考える。
 
昨夏、憲法改正についてナチスドイツを引き合いに「あの手口に学んだらどうかね」といった麻生太郎副総理の発言が思い起こされる。「あれはジョークじゃなかった。恐ろしい。気付くのが遅い」
 
国会に憲法改正の早期実現を求める意見書や請願がいくつかの地方議会で可決、採択されている。自民党本部の要請を受けた同党会派による全国的な動きだ。投票年齢を18歳に引き下げる改正国民投票法も成立。改憲に向けた準備は着実に進みつつある。
 
アベノミクスを最大の争点に据えた選挙後、改憲の信任も得たとして論議を加速させるはずだ。
 
民主的な全体主義」-。そうした語義矛盾でしか、現状は語れないと辺見さんは言う。民主主義はもろい。絶えず勝者を監視し、働き掛ける動きがなければ死んでしまう。そのことに私たちはどれほど自覚的であったか、と問う。
 
「日本国憲法、9条は自明の事実として正当性を語る必要はなく、徹底的な反戦主義に俺たちは生き方を合わせることができた。そうやって過ごしてきたことが、俺は見込み違いだったと思う」
 
自身を語る人称はいつしか「僕」から「俺」に変わり、声は怒気をはらんだ。「日本の思想、文化、メディアを含め、平和憲法、9条というモラルスタンダードの補強作業をしてこなかった。安楽死だ。闘ってこなかったんだ」
 
■内なる特高
 
NHK会長らの人事、公示を前にした民放各社への選挙報道に対する要望に権力の策動を見る。「今、血相を変えて努力し、工夫をしているのは保守勢力の方だ」
 
芸術家のろくでなし子さんと作家の北原みのりさんが警視庁にわいせつ物公然陳列などの疑いで逮捕された。特定秘密保護法を治安維持法とみなす辺見さんは強い危機感を抱く。「身柄逮捕に驚いた。逮捕しても大丈夫だと見くびっている。警察は芸術論争をするつもりなんか毛頭ない。2人は警察批判や政権批判をしていた。狙い撃ちの恫喝(どうかつ)。そして周囲の萎縮だ。警察が特高的になっている」
 
辺見さんがそれ以上に驚いたのは、逮捕に関してメディアをはじめ世論に反発する声がほとんどなかったことだ。「政権に対する恐怖心がない。僕は怖い。はっきり言って今のやり方は怖いんだ」
 
一層、不気味に思うことがある。「彼女たちの逮捕を軽視し、冷ややかに笑う世間の反応まで権力に見透かされている。社会全体が自警団のようになっている」。特高は外部ではなく、私たちの内部にいる。権力に瀬踏みされ、自由の幅はさらに縮んでゆく。
 
■感性の戦争
 
フランスの哲学者ベルナール・スティグレールが用いた「感性の戦争」という言葉を辺見さんは口にした。
 
株価とにらめっこしつつ生活保護基準を引き下げる。「弱者や貧困者に対するこの政権のまなざしは、残忍だよ」。辺見さんは続けた。「貧困も可視化されずに見えにくくなっている。目を見開き、耳を澄まさなければ。民主的な全体主義の中で『感性の戦争』は決してオーバーな言い方ではない」
 
6日のデモをまた振り返った。
 
「派手なイルミネーションの中で、すごくしょぼくれて見える。でも、自分の生活圏から数ミリでも足を延ばし、行動する以外にない。今は普段と違う状況だ。こっちも普段と違う目つき、身ぶりで、怒り、いら立ちを自分で表現する。たとえマイノリティーになっても、臆せずものを言う。やれると思うんだ」
 
選挙後も日常は続く。戦前から、戦争が始まる時も突然、風景が変わったのではないように。
 
日常の至るところで「感性の戦争」は起きている。
 
目を見開き、耳を澄ませ-。
 
(インタビュア:桐生勇)
 
へんみ・よう 1944年宮城県石巻市生まれ。70年共同通信社入社。初任地は横浜。78年北京特派員時代の中国報道で新聞協会賞。91年「自動起床装置」で芥川賞。94年「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞。96年退社。2011年詩文集「生首」で中原中也賞。近著に小説「霧の犬」。
本ブログの「今日の言葉」の2014年11月3日から同月13日にかけての記録です。

避難民キャンプ 
ミャンマー西部、ロヒンギャ避難民キャンプ

【今日の言葉:冒頭】
03日:岩手弁護士会の講演は2回目である。(略)このところ、9月の内閣
03日:秘密保護法
が施行されると罰則規定により報
04日:「戦争によって、日本人の運命と人間の運命が非情にためされ、人
05日:年金資産運用機関(略)が、国債への割当を半減させた背景には、
07日:地名を読み間違えること自体はよくある話だ。(略)私自身、30年ほ
07日:確かに、戦後憲法には民主主義の原則や基本的人権の尊重やら
09日:「テンペスト」を習ったことがある。(略)夜に川田先生の下宿に習い
10日:10月下旬にイタリア文化会館で経済学者のロレッタ・ナポレオーニ
11日:今週の週刊文春(2014.11.13号)の記事『イスラム国志願北大生が
12日:宮藤官九郎脚本のTBS系連続ドラマ「ごめんね青春!」(日曜午後
13日:新潮文庫『時間』の裏表紙(表4)には、内容紹介とコピーを兼ねた

・岩手弁護士会の講演は2回目である。(略)このところ、9月の内閣改造で入閣させた大臣たちの不祥事が続いている。安倍流「
お友だち人事」の脇の甘さのなせるわざである。冬を前にした東北の被災地(氷点下になる)の復興住宅の整備など、被災者の「住」の確保は最重要課題のはずなのだが、内閣改造にあたり安倍首相は復興について何も触れなかった。だから、改造内閣発足翌日の『河北新報』(略)の見出しはきわめて厳しかった。3面は「被災地 見放された」という横見出し。2面は(略)「 お友だち返り咲き 安倍カラー前面」の縦見出しだった。被災地の復興が進まないのに、安倍首相は世界各国を頻繁に訪問。経済援助などを大盤振る舞いしている。その数は49カ国と歴代最多を記録した。訪問国の選択は実に恣意的で、政治的である。国連の非常任理事国に選ばれたいがための人気とりのような訪問もあった。その一方で、中国と韓国との首脳会談が行われない期間も、これまた歴代最長になろうとしている。中韓両国との首脳会談をひたすら逃げながら、さして優先順位が高くない国々を頻繁に訪問し、援助をばらまいていく。自分をほめてくれる「お友だち」のような国々しか訪問しない。これでは外交になっていない。(略)「7.1閣議決定」で武力行使へのハードルを一気に下げるとともに、武器輸出も可能にし、年金資金の投機的・政治的利用、カジノの解禁など、日本がこれまで抑制的だったものに対して箍が外れたような状況が生まれている。戦後70年を前にして、この国は「再び世界の中心で活躍する国」(枢軸国)に向かって「全速後退」をするのだろうか。おごる安倍政権が繰り出す「異次元の政策」はすべて、納税者、この国で暮らしていく人間にとって、放ってはおけない問題である。 (水島朝穂「今週の直言」2014年11月3日

・「
秘密保護法が施行されると罰則規定により報道が萎縮する」という論に、わたしは、それ以前に自粛が日常化していると指摘した。が、この指摘は不十分だった。報道は権力に迎合し広報としての役割さえ果たしている、という点だ。毎日新聞は10月30日付朝刊の「クローズアップ2014」のコーナーで、「イスラム国」に渡航しようとしていた北大生に対する捜査に関連する特集記事を載せている。これが秘密保護法に反対している毎日新聞の記事なのか、と驚いた。一言で言えば、この記事は、警視庁公安部の広報であって、公安捜査を牽制する視点が欠落している。権力は報道とこれを読む一般国民の批判に耐えうる仕事の仕方をしなければならない。そうでないものは、権力の暴走として批判の対象になる。それがこの記事では批判的な視点、懐疑的な視点がまったくないのだ。記事の見出しは「北大生渡航計画」「イスラム国広がる勧誘網」「元教授、「移民」と仲介」「アルカイダの手法活用」「数ヶ月かけ洗脳も」。これだけ見ると、日本にも「イスラム国」勧誘網が及んでいるかのような印象を与え、そのことが記事に書かれているかのような印象を与える。ところが、記事にはそんなことは書かれていない。(略)記事の解説では、私戦予備・陰謀が処罰対象として規定されている理由について驚くべき説明をしている。≪憲法で「戦争の放棄」をうたう日本にとって、私戦は戦争の引き金になりかねないと判断したためとされる。≫「される」って、だれの説明? 「戦争の放棄」を規定しているのは1946年5月に施行された現行憲法だ。しかし、私戦予備・陰謀罪が刑法に規定されたのは明治時代。現行憲法が戦争放棄を規定することを知らない時代に作られた法律だ。やれやれ、な解説だ。(略)こんな疑問だらけの情報を無批判に垂れ流すのは、公安警察という権力への迎合そのものにほかならない。そのようなマスコミは秘密保護法による処罰を恐れる必要は無い。すでに権力側に立っているのだから。(「弁護士清水勉のブログ」2014-11-03

・「戦争によって、日本人の運命と人間の運命が非情にためされ、人間のいとなみの一切が日常的な安定を失って問題化したとき、まともに、誠実にこの問題に対決しようという作家は、いやでも観念的にならざるをえなかった」と、
堀田善衛の生前に、佐々木基一は文庫で『時間』を解説した。くだらない。じつにくだらない。(略)「問題化」「この問題」とはなんだ。「戦争によって、日本人の運命と人間の運命が非情にためされ、人間のいとなみの一切が日常的な安定を失って問題化したとき……」とは、よくもまあ、いけしゃあしゃあと言えたものだ。南京大虐殺とはそういう「問題」か。観念的にならざるをえなかった、だと? ばかな。政治家、教育者だけでなく文芸家までもがこのていどの認識だったから、みろ、いまや南京大虐殺などなかった、中国のでっちあげだ、という言説が堂々とまかりとおるようになったのだ。佐々木は南京大虐殺を戦争一般の「問題」とし、「日本人の運命と人間の運命が非情にためされ」たテーマとして、大虐殺のあまりにもリアルな事実をそっくり生き埋めにして、ものごとをエセ文芸的に処理しようとした。佐々木はその意味であざとく、政治的だった。『時間』は、じつのところ、すこしも観念的ではないのだ。堀田は酸鼻をきわめた事実から逃げてはいない。事実に分け入り、立場を入れ替え、思考の錘鉛を闇に深くおろしたのだった。逃げたのは評者らである。「……数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある……」。これは簡明でうごかざる真理ではないか。この簡明にして不動の真理を、 敗戦後の社会が、天皇個人をふくめ、どれほど「わがこと」としてとらえたか、どれほど彼我の傷をわが手でなぞったか、記憶をどれほど必死で反芻したか、外形の傷を内面の生傷として、 どれほど永く深い受傷として、感じつづけ、痛みつづけ、悼みつづけ、傷を傷としてもちつづけたのか、これらすべてを、どれほど切実に後代に語りついだのか。否。否だ。まったく否だ。(辺見庸「日録1-7」2014/11/04

年金資産運用機関(略)が、国債への割当を半減させた背景には、もう一つの事情がある。ロイターが伝える市場関係者の声には、次のようなものがある。(略)報道ベースだが、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の新たな運用比率はポジティブな印象だ。国内株は25%と事前報道通りで驚きはないが、国内債が35%と予想していた40%より5ポイントも低い一方、外国証券が40%と高く、円安進行に追い風となる。日本株にとっては円安を通じてプラスに作用しそうだ。(略)外国証券の割合が国債を上回るという異例の運用の変更は、当然に米国の金融緩和の終了を受けている。年金資産運用機関は大量の国債を手放して日銀の超緩和マネーを手にし、国内株式だけではなく、米国債やニューヨーク市場に投資する。外国株式の増加分13%は26兆円、外国債の増加分4%は8兆円に匹敵する巨額だ(略)。年金資産で、米国株式や、米国債を下支えするというのだ。年金資産運用基準変更の当日、ニューヨーク株式市場は、前日比195.10ドル高の史上最高値1万7390.52ドルを記録した。要するに、日本国民の年金資産を挙げて米国に貢ぐことがいつのまにか決まり、ニューヨーク市場を盛り上げたのだ。米国は、ついに日本国民にとって、なけなしの年金資産にまで手を突っ込んできた。株価至上主義に乗っ取られた日本政府は、率先して年金資産を投げ出し、米国を支えようとしている。対外収支に膨大な赤字を抱える米国債は、日本がいったん買ったら、決して売ることができないことはよく知られてところだ。米国債の買付は、日本にとって、米国への無償援助、貢ぎ物に等しい。(略)米国の危機は深い。あからさまに日本の資源を巻き上げようとする、極限の収奪が始まろうとしている。このまま行けば、日本は、米国より先に米国に根こそぎ収奪されて、滅びるだろう。(「街の弁護士日記」2014年11月5日

・地名を読み間違えること自体はよくある話だ。(略)私自身、30年ほど前に、はじめて大阪に赴任した当時は、それこそ、あらゆる地名を誤読していた。十三(じゅうそう)は「じゅうさん」と読んだし、吹田(すいた)を「ふいた」と言って笑われもした。富田林(とんだばやし)も、枚方(ひらかた)も、靭本町(うつぼほんまち)も、阿倍野(あべの)も、まるで読めなかった。しまいには、初見の地名に対して神経質になるあまり、ごく自然な漢字の並びさえ、素直に口に出せなくなった。「これ、《ソノダ》でいいんですよね?」「ほかにどう読めっちゅうねん」「……いや、ソノデンとか、エンデンとか、エエデンネンとか、そういう罠が仕掛けてある気がして……」「ジブン、オオサカに敵意持ってるか?」 だから、読み間違いそのものは責めない。地名が読めないことそれ自体については、無知の現れだとも思わないし、教養の欠如を証明するものだとも考えない。(略)
宮沢大臣が、「川内原発」を「かわうち原発」と誤読したことの意味は、ただの情報不足ではない。大臣が焦点の原発の名前を誤読したことは、日本の原子力発電行政を指導監督する官庁のトップに任命された人間が、震災後はじめて再稼働するかもしれないと言われている原子力発電所について、ほとんどまったく下調べも、検討も、話し合いも、ブリーフィングもしてこなかったことを裏書きするものだ。いや、(略)普通に新聞を読んで、日々流れてくるニュースに耳を傾けてさえいれば、「川内原発」の読み方が「センダイ原発」であることには、いやでも思い至らざるを得ないはずなのであって、ということは、宮沢大臣の誤読は、彼自身が、当の川内原発に対して、当たり前な日本人としての通り一遍の関心さえ払ってこなかったことを物語ってしまっているのである。(略)こういう姿勢で現場に関わっている大臣に、原子力政策の舵取りを任せることについては、大きな不安を禁じ得ない。(略)再稼働のスイッチは、事情を知らない者が押して良いボタンではない(引用者注:私は「再稼働のスイッチは、事情を知っている者」であっても「押して良いボタンではない」と考えています)。(小田嶋隆 2014年11月7日

・確かに、
戦後憲法には 民主主義の原則基本的人権の尊重やらが立派に書き込まれている。しかしそれらは決定的な局面では必ず空文化される。なぜなら、権力の奥の院ーーその中心に日米合同委員会が位置するーーにおける無数の密約によって、常にすでに骨抜きにされているからである。つまり、この国には、表向きの憲法を頂点とする法体系と、国民の目から隔離された米日密約による裏の決まり事の体系という二重体系が存在し、真の法体系は当然後者である。言い換えれば、憲法を頂点とする日本の法体系などに、大した意味はないのである。官僚・上級の裁判官・御用学者の仕事とは、この二重体系の存在を否認することであり、それで辻褄が合わなくなれば二重の体系があたかも矛盾しないかのように取り繕うことである。この芸当に忠実かつ巧妙に従事できる者には、汚辱に満ちた栄達の道が待っている。(略)これまでの改憲・護憲陣営の多くが、どれほど的を外した議論で堂々めぐりを続けてきたか、ということだ。そして、不毛な議論が続く限り、改憲でも護憲でもない、民主制国家が必ず通らなければならない過程、すなわち制憲の問題は、視野の外に置かれる。このことはもちろん、永続敗戦レジームの延命に寄与する。そして、制憲権力とは革命権力にほかならない。(引用者注:白井氏は「制憲権力とは革命権力にほかならない」という「制憲権力」をどのようなものとして想定しているのか? 必ずしも明らかではありません。白井氏の論の最大の難点といってよいでしょう。白井氏は八方美人の論を弔おうとするのであれば自ら抽象論の愚に陥らないことでしょう)。(白井聡「週刊金曜日」2014/11/07号

・「
テンペスト」を習ったことがある。(略)夜に川田先生の下宿に習いたい生徒がいくのだ。むずかしくてさっぱりわからなかった。川田先生は東北大の大学院でシェークスピアとサッカーをやって、わたしのいた高校に英語教師としてやってきた。無口でハンサムな先生だった。60年安保闘争後、1、2年しかたっていなかった。(略)ある夜、わたしと石田君が志望大学をきかれた。わたしが答え、つぎに石田君が答えた。とたんに、川田先生が顔色をかえて、裂帛の気合いで「やめた。でていけ!」と怒鳴った。レッドカード1発退場。わたしの「テンペスト」はそれでおわった。寒い夜道を石田君は泣いてあるいた。先生はわけを諄々と説くということをしなかった。あのころは〈諄々と〉ということをあまりしなかった。「やめた。でていけ!」。理不尽だなと、かんじた。理由をまったくわからないでもなかったけれども、先生の怒りのはげしさは、わたしの想定する理由とどうにもつりあわなかった。石田君はただ防衛大学校にいきたいと言っただけだったのだ。そのことをずっとおぼえている。(略)最近の防衛大では、徒歩行進曲として旧大日本帝国陸軍分列行進曲「抜刀隊」を平気で演奏するらしい。平気の平左。知らないこちらがマヌケ。「抜刀隊」は1943年、東条英機が観閲した雨の明治神宮外苑競技場での学徒出陣壮行会でも演奏された、侵略と玉砕戦争のシンボルであり、自衛隊・防衛大ではそれをおもんぱかり、いちじ不使用だったらしいが、いまはまったく問題なし。首相Aが観閲した去年の自衛隊観閲式でも「抜刀隊」(それに軍艦マーチなど)が演奏された。防衛大生が儀礼刀を顔面にかかげ、宙を薙ぎおろす動作も、曲と同様、戦前戦中からのものだ。歌詞がすごい。〈敵の亡ぶるそれまでは 進めや進めもろともに 玉ちる劔(つるぎ)拔きつれて 死ぬる覚悟で進むべし……〉。玉ちる剣を抜きつれて、とはどういう意味か。なんという日本語か。でたらめ。死ぬる覚悟で進むべし、とはいくらなんでもあんまりではないか。めちゃくちゃである。ああ、川田先生の激怒のもとはこれか。「抜刀隊」は警視庁機動隊の行進曲でもある。いまはもうだれも遠慮しない。「抜刀隊」がながれるなか自衛隊・防衛大生らが行進すると市民がねつれつに拍手する。キャーッ、ステキ!1937年、南京入城のときの行進曲も「抜刀隊」ではなかったか。きっとそうだ。(辺見庸「日録1‐7」2014/11/09

・10月下旬にイタリア文化会館で経済学者の
ロレッタ・ナポレオーニの講演を聞いた。テーマは「テロ組織の資金調達 グローバル経済における新しい方法」というもので、IS(イスラーム国)を例にあげて分析する、というものだった。ロレッタ・ナポレオーニは、欧州でグローバリズム批判の立場に立つイタリアの経済学者。主著の一つ、Rogue Economics (2008)(邦訳『ならず者の経済学ーー世界を大恐慌にひきずりこんだのは誰か』)は、ソ連が崩壊し、東西対立が終結した1990年代以降、民主化運動とともに世界中に広がっていった犯罪的でグレーな経済を、ならず者経済と名づけて分析した快著だ。ならず者経済とは、たとえば東西対立の終わりとともに旧ソ連圏から西側に流入したおびただしい売春婦らを搾取する仕組み、違法漁業、コピー商品の濫造、企業レベルで行われる奴隷労働による搾取など。グローバライゼーションによってならず者経済が拡大し、「民主主義と奴隷制が互いに支え合って盛衰をともにする関係」が作られたと彼女はいう。一見、相反するように思える民主主義と奴隷制はじつは正の相関関係にあるというわけである。講演は、こうしたならず者経済の視点をふまえて、イスラム国の台頭の経済的背景を分析したものだった。ナポレオーニは、ISとアルカイーダやタリバーンなどのそれまでのイスラーム主義勢力とのいちばん大きなちがいは「国家運営をしている」点だという。他国からの資金提供を受けて、それを資金源としている武装組織とはちがい、国家を運営することで資金を自前でまかなう仕組みを作ったことだという。それが可能になった背景には、冷戦以後の多極的無秩序があるという。現代の戦争は、かならず他国の資金提供のもとに行われる複雑な利害のからんだ代理戦争の体をなしている。冷戦終結以後、その構造はいっそう込み入ったものになり、とくにシリアについてはロシアや中国もからんでいることから西洋が介入しにくい状況がつくられた。そこにつけいって領土を確保したのがISであった。ナポレオーニによれば、冷戦以後にできあがった多極的無秩序という状況に、西洋世界がもはや対応できなくなった。逆にその空白にうまく適応したのがISだったというのだ。(田中真知「王様の耳そうじ」2014年11月10日

・今週の
週刊文春(2014.11.13号)の記事『イスラム国志願北大生が暴露「公安の尾行はバレバレで面白い」』には唖然とした 。北大生は週刊文春の記者に開口一番、「僕は事実誤認をされるのが凄い好きなんで!」「公安を茶化すのは凄い好きで、公安の尾行を巻くために自転車を手配しました。完璧な移動ができるんで(笑)。楽しかった。」日本共産党主催の「赤旗まつり」に「一緒に行ったのが北朝鮮国籍の見知らぬ女性だったんで、外事二課(東アジア等を担当)もやってきた。」などのやりとりが記者とあったあと、≪A(北大生)はずり落ちたズボンからトランクスをはみ出させながら、駅構内にいた二十代らしき女性に歩み寄っていった。≫という。この北大生が刑法制定はじまって以来はじめて私戦予備・陰謀罪を適用した容疑者だというのだから、警視庁公安部のセンスに呆れる。記事には、公安部外事三課(国際テロ等を担当)の課長が中田考元同志社大学教授を「立件してみせる」と息巻いている、とあるが、本当だろうか。やっぱり、呆れる。この国は法治国家か。法治を忘れた放置国家 。(弁護士清水勉のブログ 2014-11-11

宮藤官九郎脚本のTBS系連続ドラマ「 ごめんね青春!」(日曜午後9時)の、登場人物のせりふ1つに、堀越高校(東京都中野区)がTBSに抗議した。TBS側は誤解を与える表現があったとして公式サイトで謝罪。産経新聞記事によると、≪問題となったのは、10月26日に放送された第3話の一シーン。生徒から勉強を教えるよう頼まれた主人公の義理の姉が「それは無理。あたし、堀越だから」と出身校と受け取れる固有名詞を出して拒否した。堀越高校を母校とする芸能人は多く、ドラマで描かれている義理の姉は元グラビアタレントという設定だった。こうした表現に対し、堀越高校がTBS側に抗議。≫(略)堀越学園が「沈黙するのはまずい、抗議しておかなければ」と考え、抗議するのは当然だ。が、TBSが謝罪してしまったのは疑問。この台詞を言った役者まで、少しかもしれないけれど、悪い印象になってしまう。NHKの朝ドラ「あまちゃん」では、薬師丸ひろ子は最終回までずっとオンチ役だった。かつての薬師丸ひろ子を知っている年配の人たちには、冗談だとすぐにわかるが、かつての彼女を知らない若い人たちからは、「あの人、オンチなんだ」とずっと思われていたかもしれない。最終回のオチを薬師丸ひろ子が知らされていたかどうか知らないけれど、知っていて観ている者にとってはすごくおもしろかった。AKB48秋元康も完璧におちょくられていたなあ。「それは無理。あたし、堀越だから」と言いながら、それ以外の場面も含めて魅力的な役になっていれば、「堀越、カッコいい!」となるのだ。表現で飯を食っている者は、言葉尻にケチをつけて屈服させるようなことをしてはいけない。記事には、元民放ディレクターで法政大教授の水島宏明氏(ジャーナリズム論)と、元民放プロデューサーで同志社女子大教授の影山貴彦氏(メディア論)のコメントが並んでいる。水島氏「今回のせりふも宮藤さん流の“毒”の効いたジョークの範囲内に受け取った」「作品全体で見れば、学園ものとして質の高いドラマである」同感。影山氏「もっと慎重になるべきだった。固有名詞を出さなくても、宮藤さんの意図を反映した表現は十分、可能だったはずだ」疑問。記事では影山氏も「制作現場の萎縮につながってはいけない」と言っているのだそうだが、「注意を払い、工夫を凝らせばまだまだできることは多いはずだ」は、萎縮の勧めだ。(弁護士清水勉のブログ 2014-11-12

・新潮文庫『
時間』の裏表紙(表4)には、内容紹介とコピーを兼ねた短文が記してある。(略)わたしは考察にあたいする一文とおもうのだ。「日中戦争の初期、日本軍占領下の南京を舞台に、一人の中国人インテリが、権力の重圧のもと、血なまぐさい大虐殺を目撃しながら、ひたすら詩と真実を求めて苦悶する姿を、その手記の形でえがく。人間の運命が異常酷烈な試練をうけ、営みのいっさいが日常的な安定を失った戦時における人間存在の根本問題を鋭く追究して、戦後文学の潮流を象徴する力作長編小説」。おもしろい。文の綾がどうのというまえに、きょうびこれだけの表4 を書ける編集者はまずいまい。まじめで、過不足なくまとまっていて、品がよい。それが一点。しかし、万々一、今日、新潮文庫の表4にこれが書けたとしても、採用されるかどうか。それが第二点。まちがいなく「血なまぐさい大虐殺を目撃」がひっかかる。ニッポンでは朝野あげていま、南京で「血なまぐさい大虐殺」などなかったことにされていて、大手出版社がわれもわれもと嫌韓嫌中本刊行に大わらわなのである。南京大虐殺慰安婦もきゃつらのデッチアゲで、わがほうの一部自虐史観との合作とされているのだから、この新潮文庫『時間』が新たに重版されるとしたら、それじたいが出版界にとってちょっとした内面的「事件」なのであり、もし重版されたにしても、表4は差し替えられるはずである。第3点目。新潮文庫『時間』の表4は、古き佳き時代の新潮文庫らしく、香りたかく、文としても目だった瑕疵はない。のだが、どうだろう、妙に抑制がききすぎてはいないか。なんだか、他人事のようなのである。(略)南京大虐殺と「わたし」という、ほんらいもたれるべき当事者性が、やはり他人事のようにうすまっているのだ。身もふたもなく言えば、もともと加害者側として内省すべき者が、あれあれ、いつのまにか被害者側になって南京大虐殺をかたってるよ、ということだ。それが意識的になされたか無意識の巧知のせいだったかはよくわからない。言えるのは、戦争犯罪を戦争犯罪一般として他人事のように表現する、いかにも無責任なニッポン的語り口は、現在のおおっぴらな 歴史修正主義以前に、早くも1950年代からあったのだということだ。(辺見庸「日録1‐8」2014/11/13
この総選挙期間中、以下の「今日の言葉(「私」と総選挙)」1~26を引用、援用させていただきました。ある日、某日に発せられた有名、無名に係らないその人、その人のその日、ある日の大切な言葉を選択してきたつもりです。その人、その人の思想、あるいは感性、あるいは世俗、あるいは理念の識閾から発せられた言葉という意味で言貌。今日はいよいよ総選挙投票日です。
 
2014.11.20 今日の言葉(「私」と総選挙)1 ――首相安倍の「悪政」の限りの〈わたし〉への堪えがたい冒涜、侮辱としての怒り。安倍首相の政治全体に対する審判こそが総選挙の最大の争点である。
著者:五十嵐仁、辺見庸
2014.11.21 今日の言葉(「私」と総選挙)2 ――朝日新聞と共同通信の2つの世論調査の結果は「世論が安倍首相を見放しつつある」ことを示している。
著者:五十嵐仁、朝日新聞、共同通信
2014.11.22 今日の言葉(「私」と総選挙)3 ――沖縄においては自民党現職の4人の議員が負けるのではないかと見られている。
著者:岡留安則、沖縄タイムス、琉球新報
2014.11.23 今日の言葉(「私」と総選挙)4 ――民主党を見限って第三極に流入した票は、今回の選挙では第三極を離れて流動する可能性がある。これらの票が一度は見捨てた民主党にも自民党にも還流するとは考えられない。
著者:五十嵐仁、中村憲昭、中野晃一、高村薫
2014.11.24 今日の言葉(「私」と総選挙)5 ――安倍内閣を「思想」の問題として批判する。「1956年には堂々とできたことが、2014年にはできない。敗戦後70年で、言論はいちじるしく閉じ、戦前、戦中にもどっている」
著者:辺見庸
2014.11.25 今日の言葉(「私」と総選挙)6 ――自民はだめだから民主へ、民主もだめだったから第3極へ、というのが前2回の総選挙に表れた民意漂流の姿である。この流れを断ち切ろう。
著者:澤藤統一郎、保立道久
2014.11.26 今日の言葉(「私」と総選挙)7 ――安倍自民への投票は、あとから改憲容認票と主張されかねない。日本国憲法の転覆と国民の管理統制の策謀にも終止符を!
著者:澤藤統一郎、小鷲順造、岩月浩二
2014.11.27 今日の言葉(「私」と総選挙)8 ――第3極とはしょせんはマスコミに踊らされた風に漂う浮き草、渡辺・小沢・橋下らの「私党・私兵の集団」に過ぎなかったということだ。
著者:広原盛明、杉浦正章
2014.11.28 今日の言葉(「私」と総選挙)9 ――自民党が選挙報道に厳しい干渉を加えている。メディアは、海外の高名なジャーナリスト(ウォルフレン)に指摘されるまで沈黙を守っていた。この国のメディアは、既に全身麻痺状態である。
著者:岩月浩二、リテラ
2014.11.29 今日の言葉(「私」と総選挙)10(9の続) ――自民のテレビ局「選挙報道」干渉問題。テレビ朝日の「朝生」自粛問題へと波及。言論弾圧で恐ろしいのは下から起こる言論の自粛と萎縮だ。
著者:朝日新聞、毎日新聞、AFP、荻上チキ、想田和弘、國分功一郎
2014.11.29 今日の言葉(「私」と総選挙)11 ――「秘密法施行目前!強まるメディアへの攻撃・委縮」
著者:「私の沖縄日記―広島編」
2014.11.30 今日の言葉(「私」と総選挙)12 ――安倍政権から日本を取り戻す。今回の選挙は暴走する権力に対する異議申し立てと立憲主義的な民主政治再生のための機会と位置付けられるべきである。
著者:水島朝穂、立憲デモクラシーの会
2014.11.30 今日の言葉(「私」と総選挙)13 ――ふたたび「自民はだめだから民主へ、民主もだめだったから第3極へという民意漂流の流れを断ち切ろう」の論について。
著者:五十嵐仁、澤藤統一郎、朝日新聞、福井新聞、朝日庵twitter
2014.12.01 今日の言葉(「私」と総選挙)14 ――「GDP解散」で僕が深いため息をつく理由。それぞれのアベノミクス批判の弁。
著者:岩月浩二、猪野亨、大沢真理、神保哲生、想田和弘
2014.12.02 今日の言葉(「私」と総選挙)15 ――株価が上がれば、経済がよくなるという考え方は本末転倒。強い人たちだけが生き残る均一化した社会は必ず滅びます。 附:大阪選挙区と沖縄選挙区から。
著者:浜矩子、広原盛明、岡留安則
2014.12.03 今日の言葉(「私」と総選挙)16 ――あべのままで?! ダメよ〜ダメダメ。
著者:oldboy2012Twitter、想田和弘Twitter、村野瀬玲奈の秘書課広報室、仲里利信
2014.12.04 今日の言葉(「私」と総選挙)17 ――共産党と社民党はなぜ「群馬5区」で共闘しないのか?
著者:私の沖縄日記―広島編、辺見庸
2014.12.05 今日の言葉(「私」と総選挙)18 ――いとうせいこうさん(俳優・小説家)の「一羽の鳥について」という「詩」のようなかたちをした言葉がなにやらもてはやされているらしいことへの違和感。
著者:いとうせいこう、弁護士ドットコム、ポリタス
2014.12.06 今日の言葉(「私」と総選挙)19 ――辺見さん。いかに好まざる選択であったとしても、よりましな選択としては、選挙で首相安倍を明確に弾劾する政党に一票を投じるという行為を選択するほかない、ということにならざるをえないのではないでしょうか。
著者:辺見庸
2014.12.07 今日の言葉(「私」と総選挙)20 ――世論調査の怪(?) 本当にすべての野党がだらしなく、ダメなのでしょうか。そうではなく、主権者・国民が「野党は全部ダメだ」と考えてしまうところに本当の問題がある。
著者:浅井基文
2014.12.08 今日の言葉(「私」と総選挙)21 ――12年12月の総選挙、13年7月の参院選で国民は、「愚かな選択」をした。人々は、三たびそれをするのか。14年12月14日の総選挙は、「戦後の運命」を決定するものとして、我々の眼前にある。
著者:辺見庸、半澤健市
2014.12.09 今日の言葉(「私」と総選挙)22 ――わたしたちはかつてない屈辱の冬をすごしている。主権者の無関心をよそに「熱狂なきファシズム」が強化されてゆく。
著者:想田和弘、辺見庸、広原盛明
2014.12.10 今日の言葉(「私」と総選挙)23 ――それでも世論が動かない日本はどうなっているのか。これが悲しい現実ということなのか。せめて沖縄は正しく民意を示そう。
著者:岡留安則、目取真俊、小澤俊夫
2014.12.11 今日の言葉(「私」と総選挙)24 ――「さよなら安倍政権」などと言いながら反安倍票を散けさせる役割しか果たさない緑茶会や自称「脱原発」主義者の山本太郎の痴れ言を見抜けない「民主主義・左派」知識人の蒙昧について。
著者:vanacoralの日記、想田和弘、豊島耕一
2014.12.12 今日の言葉(「私」と総選挙)25 ――野党よりもマシだと考え、消去法で自民党へ投票する方々へ。まことに世の中に悪政ほど「はためいわく」なものはありませんね。
著者:保立道久、想田和弘、内田樹
2014.12.13 今日の言葉(「私」と総選挙)26 ――本土の有権者・政党はオール沖縄の選挙態勢から何を学ぶべきか&今回の総選挙の最大の争点は「安倍首相」であり、そこで問われている選択は安倍首相による暴走政治の是非にほかならない。
著者:醍醐聰、五十嵐仁
 
「今日の言葉」(「私」と総選挙)の著者(引用ソース)一覧
2014.11.20 五十嵐仁(法政大名誉教授)、辺見庸(作家)
2014.11.21 五十嵐仁(同上)、朝日新聞、共同通信
2014.11.22 岡留安則(元『噂の眞相』編集長)、沖縄タイムス、琉球新報
2014.11.23 五十嵐仁(同上)、中村憲昭(弁護士)、中野晃一(上智大教授)、高村薫(作家)
2014.11.24 辺見庸(同上)
2014.11.25 澤藤統一郎(弁護士)、保立道久(歴史学者)
2014.11.26 澤藤統一郎(同上)、小鷲順造(日本ジャーナリスト会議会員)、岩月浩二(弁護士)
2014.11.27 広原盛明(元京都府立大学学長)、杉浦正章(元時事通信編集局長)
2014.11.28 岩月浩二(同上)、リテラ
2014.11.29 朝日新聞、毎日新聞、AFP、荻上チキ(評論家)、想田和弘(映画監督)、國分功一郎(哲学者)
2014.11.29 私の沖縄日記―広島編
2014.11.30 水島朝穂(早大教授)、立憲デモクラシーの会
2014.11.30 五十嵐仁(同上)、澤藤統一郎(同上)、朝日新聞、福井新聞、朝日庵twitter
2014.12.01 岩月浩二(同上)、猪野亨(弁護士)、大沢真理(東大教授)、神保哲生(ビデオジャーナリスト)、想田和弘(同上)
2014.12.02 浜矩子(同志社大学教授)、広原盛明(同上)、岡留安則(同上)
2014.12.03 oldboy2012Twitter想田和弘Twitter村野瀬玲奈の秘書課広報室仲里利信(元自民党沖縄県連顧問)
2014.12.04 私の沖縄日記―広島編(同上)、辺見庸(同上)
2014.12.05 いとうせいこう(俳優、小説家)、弁護士ドットコムポリタス
2014.12.06 辺見庸(同上)
2014.12.07 浅井基文(政治学者)
2014.12.08 辺見庸(同上)、半澤健市(コラムニスト)
2014.12.09 想田和弘(同上)、辺見庸(同上)、広原盛明(同上)
2014.12.10 岡留安則(同上)、目取真俊(作家)、小澤俊夫(筑波大名誉教授)
2014.12.11 vanacoralの日記、想田和弘(同上)、豊島耕一(佐賀大名誉教授)
2014.12.12 保立道久(同上)、想田和弘(同上)、内田樹(哲学研究者)
2014.12.13醍醐聰(東大名誉教授)、五十嵐仁(同上)
いよいよ明日は2014年総選挙の投票日です。今日の言葉(「私」と総選挙)は、醍醐聰さん(東大名誉教授)の「本土の有権者・政党はオール沖縄の選挙態勢から何を学ぶべきか(1)」と五十嵐仁さん(法政大名誉教授)の「日本共産党があるじゃないか」。このおふたりの言葉をもって「今日の言葉(「私」と総選挙)」 の〆とさせていただこうと思います。
 
醍醐聰のブログ」(2014年12月13日)から。
 
沖縄では知事選勝利の流れを引き継ぎ、目下の衆議院選において、1~4区で保革を超えて新基地建設阻止、建白書推進で一致したオール沖縄の共同候補が擁立されている。そのうち1区、4区では大激戦と伝えられているが、これらの選挙区でもオール沖縄の候補が当選すれば、沖縄県民への公約を反故にし、沖縄の民意を裏切って新しい米軍基地建設を容認した自民党は衆議院で議席ゼロという厳しい審判を突きつけられることになる。その激戦の沖縄1区で、12月10日、オール沖縄の赤嶺政賢候補の演説会が県庁前で開かれた。そこへ、知事として初登庁を終えたばかりの翁長雄志氏も駆けつけ、応援演説をした(略)。ご覧のように、翁長知事のほか、城間幹子・那覇市長、金城徹・那覇市議会議員(新風会)、志位和夫共産党委員長、糸数慶子・参議院議員(沖縄社会大衆党)が弁士として登場した。オール沖縄の姿を象徴する光景である。ここで、過去3回の衆議院沖縄一区の選挙結果をふり返っておきたい。(略)これを見ると、2~4区も大なり小なり似通った状況と思われるが、特に1区では、保革を超えた共同がなければ赤嶺候補は当選圏に遠く及ばないことは明らかである。現に、今回の選挙で赤嶺候補は終始、「日本共産党の赤嶺」とは言わず、「オール沖縄の候補者」と自称している。立候補の経緯から言えば当然のことではあるが、ここには「自共対決」ではなく、「沖縄の自治権擁護・平和勢力」対「本土政府追随勢力という構図が出現していることを確認しておきたい。
 
ところが、各種報道機関の議席獲得予想によると、全国的には沖縄とは対照的に、自民党単独で300議席を超え、自民・公明両党あわせて3分の2に迫る勢いと伝えられている。「追い込まれ解散」と言われたにしては与党大勝の勢いである。しかし、同じ時期に行われた各種世論調査によると、今回の衆院選で争点になっている課題ごとの民意は与党大勝の予想とは大きく乖離している。(略)こうした世論調査の結果は、有権者の政党選択意向と衆議院の勢力分布に関する期待に大きなギャップがあることを示す点で大いに注目すべき傾向と考えられる。言い換えると、各種の世論調査に現れた与党大勝の予測は決して安倍政権・与党に対する積極的な支持を意味するものではないこと、むしろ、自公政権と拮抗する勢力の形成を期待しながらも、いっこうにその姿が実現しないなかで、消極的理由で自民党を選択する層が相当数存在しそうなことを物語っている。このことは先に示した課題別の民意の傾向からも窺える。安倍政権・与党が成立させた特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認、あるいは今回の選挙公約に掲げたアベノミクスの継続、1年半後の消費税率の引き上げ等は、それをみても過半の世論の支持を得ているどころか、不支持が相対多数の課題ばかりである。そのうえ、自公両党は国民の間に異論が根強い集団的自衛権の行使容認や憲法「改正」を「あえて」といってよいほど争点化せず、「アベノミクスの継続か否か」に焦点を当てる選挙戦術を採用している。(略)しかし、かりに自民党ほかの改憲勢力が3分の2の議席を獲得したら、選挙期間中は背後に「しのばせていた」政策まで信任を得たと称し、数の力で憲法「改正」やTPPの妥結などが強行されかねない。こうした「争点隠し」と虚構の「信任」宣言を許さないためにも選挙期間中に示された課題ごとの民意をしっかりと記憶にとどめ、有権者は何を白紙委任しなかったかを明確にしておく必要がある。
 
五十嵐仁の転成仁語」(2014年12月13日)から。
 
総選挙の投票日も、いよいよ明日に迫ってきました。この選挙でどのような選択を行い、どのような審判を下すのかが問われています。今回の選挙について、有権者の関心が低く争点が不明確だという指摘があります。どの政党に入れたら良いのか、誰に投票すべきなのかが分かりにくく、とりわけ小選挙区での選択肢が少なすぎるという声もあります。しかし、そんなことはありません。選択肢として、ちゃんと日本共産党があるじゃありませんか。あるのに目に入らないのは、最初から除外してしまっているか、知らず知らずのうちに無視してしまっているか、あるいは、古い「反共」意識にとらわれ偏見を持っているからではありませんか。党名などにこだわらず、争点と政策を基準に選ぶという態度に徹すれば、共産党が自民党に対抗できる最有力な選択肢であるということが理解できるはずです。
 
選択肢が少なく見えるのには、もう一つの理由があります。共産党以外の野党が自民党に対抗できるような政策を打ち出していないため、政治を変えたい、安倍首相の暴走政治を止めたいという人にとっての選択肢にならないからです。この点でも、民主党の責任は大きいと言うべきでしょう。民主党は自民・公明との「3党合意」によって消費増税を含む「一体改革」を認めていますから再増税そのものには反対できず、TPP参加表明や原発の再稼動をはじめ、尖閣諸島の国有化で対中関係の緊張をもたらしたのも民主党の野田首相の時でした。ですから、安倍首相を厳しく批判できないという弱みがあります。それ以外の、維新の党や次世代の党などの「第3極」は自民党より右だったり、「第2自民党」だったり、「自民党野党支部」(浜さん)だったりして、自民党に対抗しているわけではなく反自民の選択肢にはなりません。そのために、これらの野党は安倍首相の暴走をストップさせるためのブレーキ役を演ずることは不可能です。それどころか、下手をすれば応援団やアクセルになってしまう危険性があります。したがって、政策的に見れば安倍首相と真っ向から対決し、それにブレーキをかけることができるのは共産党しかありません。自民党と共産党以外に他の野党が候補者を立てていたとしても、ブレーキ役としては選択肢にならないのです。
 
とはいえ、小選挙区での当選可能性という点では、別の意味が生じます。共産党以外の候補者でも、小選挙区で当選すれば自民党の議席増を阻む役割を演ずることができるからです。そのような可能性がある場合には、共産党以外の他の野党の候補者も選択肢としての意味があることは否定しません。より小さな悪によって、より大きな悪を阻止するという考え方もありますから……。しかし、万に一つの可能性があるならば、小選挙区でも共産党に入れることを選択するべきでしょう。そのようなわずかな可能性にでも賭けなければ、決して奇跡は生まれないからです。また、自民党と共産党だけが候補者を立てている25の小選挙区では、躊躇なく反自民の票を共産党候補に集中するべきでしょう。そのようにしてこそ、安倍政治に対する有権者の不信任をはっきりと示すことができるからです。もちろん、比例代表ではまったく事情が異なります。そこに投じられた票のほとんどは無駄になって「死ぬ」ことはないからです。
 
今回の総選挙の最大の争点は「安倍首相」であり、そこで問われている選択は安倍首相による暴走政治の是非にほかなりません。そして、真正面から対決している共産党しか、安倍首相に対するブレーキ役を演ずることができないということも明らかになってきています。ですから、選択肢がないと不満に思っている有権者の皆さんには、こう言いたいと思います。「そんなことはない。日本共産党があるじゃないか」と……。
14日の投票日まであと2日。今日の言葉(「私」と総選挙)は保立道久さん(歴史学者)の「総選挙、政治には絶対はないが、社会には絶対というものがある」と想田和弘さん(映画監督)の「野党よりもマシだと考え、消去法で自民党へ投票する方々へ」、内田樹さん(哲学研究者)の「一年後どころか一月後には誰も読まなくなるような時事問題についての言及をしないですませられるほど現代日本の言論・思想状況は楽観的なものじゃない」。それぞれのブログとツイッターからの引用です。
 
保立道久の研究雑記」(2014年12月12日)から。
 
政治の基本は政党選択である。ここからすると、今回の全国選挙、衆議院議員選挙における政党選択は上記の直近の重要選挙からの論理的な帰結として、日本共産党を選択するという狭い範囲に狭められる。いわばお寒いことではあるが、これが日本の政治の現実である。
 
民主党という選択肢は、この党がここ10年やってきたことからしてまったくありえない不毛の選択である。この政党は、明瞭な自己の基本政策上の誤りについてさえ正確な総括を述べないことが決定的である。(マニフェストには沖縄の基地反対はなく、「日米同盟深化」「在日米軍再編に関する日米合意を着実に実施」とある。消費税増税は延期とあるのみ。機密法自体には賛否をいわず)。また問題は社民党であって、この党は、沖縄では役割を果たしながら、なぜ福島県知事選で、上記のような選択をしたのか。この党の責任は大きい。
 
いま必要なのは基本的な選択である。数をどうする。ああなればこうなるというような希望的選択ではない。沖縄の米軍基地と原発の即時停止には、そういう種類の選択では越えることがない客観的な壁がある。体制的な壁がある。それをよしとする力は強力な体制として厳存している。
 
政治は代表ということである。政治が社会を代表するというのは、ただ代議制ということのみであるのではない。代表するという役割は、どのような社会でも、どのような問題でも必須なのであって、「直接民主制」においても代表はつねに必要である。しかし、代表を固定しない、代表を身分的に固定しない。社会を構成する全員が代表性をもっているというのが社会の進歩である。社会は無限に多様であって、その無限な多様性を全体として認識することはできない。認識したとたんに無限な多様性は私たちからずれていく。
 
想田和弘Twitter」(2014年12月12日)から。
 
野党よりもマシだと考え、消去法で自民党へ投票する方々へ。自民が勝てば、争点化されていない様々な政策も「信任を得た」と見なされてどんどん進められてしまいます。原発推進もその一つ。事故は事実上なかったことにされ、再稼働はどんどん進み、新設すらあり得ます。それでも「マシ」でしょうか?
 
野党よりもマシだと考え、消去法で自民党へ投票する方々へ。その2。自民が勝てば、労働者派遣法も速攻で改悪されるでしょう。それでも「マシ」ですか?→3年でクビ!? 正社員ゼロ!? ヤバすぎる新・労働者派遣法をウォッチせよ! http://haken.hiseiki.jp/
 
野党よりもマシだと考え、消去法で自民党へ投票する方々へ。その3。自民が勝てば、集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことも信任を得たと見なされ、自衛隊を米国の戦争へ参加させるための法整備が進むでしょう。それでも「マシ」でしょうか?
 
野党よりもマシだと考え、消去法で自民党へ投票する方々へ。その4。自民が勝てば、強行採決された秘密保護法も信任を得たと見なされ、政府にとって都合の悪い情報はますます表に出てこなくなり、政府によるマスコミ支配もますます進んで本当のことが語られなくなるでしょう。それでも「マシ」ですか?
 
野党よりもマシだと考え、消去法で自民党へ投票する方々へ。その5。自民が勝てば、事実上の公約違反をして交渉参加したTPPも何食わぬ顔で推進されてしまいます。TPPに入り関税が撤廃され何の手当もなされなければ、農林水産物の実に4割が消滅すると試算されています。それでも「マシ」ですか?
 
野党よりもマシだと考え、消去法で自民党へ投票する方々へ。その6。自民が勝ってTPPに入れば、国民皆保険制が崩壊しお金のない人は医療を受けにくくなる恐れがあります。ISDS条項が適用されると主権が脅かされ、排ガス規制すら自由にできなくなる恐れもあります。それでも「マシ」ですか?
 
野党よりもマシだと考え、消去法で自民党へ投票する方々へ。その7。報道各社の予測のように万が一自民単独で3分の2を占める事態になれば、衆院の内閣に対するチェック機能はほぼ失われ、形骸化します。公約にはない悪辣な法案が提出されても楽勝で通ってしまうでしょう。それでも「マシ」ですか?
 
野党よりもマシだと考え、消去法で自民党へ投票する方々へ。その8。報道各社の予測のように万が一自民単独で3分の2を占める事態になれば、単独での憲法改定発議も可能になります。そして自民改憲案はデモクラシーを事実上否定し基本的人権を制限する恐るべき内容です。それでも「マシ」ですか?
 
[自民改憲案]第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。 2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。→これで原発デモもツイッターでの政府批判も取り締まり自由。
 
[自民改憲案で丸ごと削除] 第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
 
[自民党改憲案] 第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。→憲法を守る主体が国ではなく国民になっている。これは「憲法とは国家権力を縛るもの」という立憲主義を完全に否定した条文。もっと言うと、憲法を憲法でなくした条文。改憲というより憲法破棄に近い。
 
自民党が掲げる改憲案のように「あらゆる人には無条件に人権がある」という天賦人権説を否定し、人権は義務とセットであり国から与えられるものだとされてしまうと、例えば働くことが困難な障害者や子供には人権がないということになる。みなさん、その意味をよく考えて欲しい。
 
自民改憲案では、拷問及び残虐な刑罰も「絶対に」禁じるわけではない。→[現行憲法]第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。 →[自民改憲案]第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。
 
更に自民党改憲案は、人権を制限するものとして現行憲法にある「公共の福祉」を書き換え、「公益及び公の秩序」とした。「公共の福祉」とは、Aさんの人権が制限されるのはBさんの人権と衝突する場合のみ、という考え方。それに対し「公益及び公の秩序」とは社会や国の利益と秩序を指す。
 
つまり自民党の改憲案では、平たく言うと国家の利益や秩序のために個人の人権を制約できることになる。政府が考える「国益」に反する行動や集会や映画や演劇や論文や詩や研究や教育や法律は、憲法の名の下にすべて違法化できる。改憲案の起草者はそのことに極めて自覚的であり、確信犯である。
 
内田樹Twitter」(2014年12月8日、12日)から。
 
2014年12月12日

週刊東洋経済のインタビューげんこだん。朝から居間でかちゃかちゃキーボード叩いていたら、兄ちゃんから「もうそういう『一年後には誰も読まなくなるようなもの』を書くのは止めて、じっくりレヴィナス論を書け」と叱責されました。はい、そうします。でも、一年後どころか一月後には誰も読まなくなるような時事問題についての言及を「しないですませられる」ほど現代日本の言論・思想状況は楽観的なものじゃない。悪政のせいで、アカデミアは荒廃しつつあるという話を今朝書きましたけれど、僕の書き物のクオリティも劣化しつつあります。まことに世の中に悪政ほど「はためいわく」なものはありませんね。
 
2014年12月8日
 
それにしてもどうしてこれだけ国民の安寧を脅かしている政権に有権者たちは「圧勝」という結果をプレゼントするつもりなんでしょう。何を期待しているのか、それがわかりません。株で大儲けした人は自民党に感謝しているでしょうけれど、それ以外の人はなんで・・・新聞の解説を読むと「高齢者」の投票動向が自民党の圧勝を決定づけていると書いてあります。未来を捨て値で叩き売っても、目先の「いいもの」が欲しいという人たちは、実年齢にかかわらず「高齢者」と呼ぶべきかもしれません。そういう人たちが日本の政治を決めている。
「脱原発」を主張することとうそでも誇張でも「反原発」を唱えさえすれば「正義」(反原発正義)だとするデマゴーグたちの「痴言」の違いにいまだに気づかない一部の「民主主義者」を自称する知識人や「左派」を自称する知識人たちがいます。彼ら、彼女たちは「脱原発」という命題そのものに跪拝することによって「デマ」と「科学」の区別もつかない泥濘の淵に沈み、冷静な判断力を喪失している人たちです。その人群は政治においてはどういう情動の扇動に左右されているか。以下は、そのことを証明する一端の事例です。その一端の事例をもって今日の言葉(「私」と総選挙)とします。
 
山本太郎は原発推進候補も「鼻をつまんで」応援か?
(vanacoralの日記 2014-12-09)から。
 
似非ジャーナリストの田中龍作による当てにならない衆院選記事。
 
【衆院選】 「自民100人を落選させよう」 過半数割れで安倍退陣
 
(8日付BLOGOS)
 
山本太郎参院議員が「自民党100人落選キャンペーン」を展開中だ。先ずはネット。「さよなら安倍政権」というタイトルのHPで約200選挙区について、この野党候補に票を集中すれば、「自民党候補に勝てる」あるいは「逆転の可能性がある」「勝負になる」としている。前回(2012年)の衆院選のデータをもとに野党の合計票を出して、それを自民党候補の票と比べた。野党候補の合計が自民党候補の票を上回れば、理論上は「勝てる」ことになる。野党候補の合計が自民党候補の票の1万票以内に迫れば「逆転の可能性がある」となる。1万票以上離れていても「いい勝負に持ち込めそうな選挙区」もある。これら2つは投票率が上がれば、野党候補が当選する可能性がある。(以下略)
 
という訳で、東京3区では松原仁、東京21区では長島昭久といった民主タカ派、更に大阪では維新候補を軒並み政策そっちのけで「完全に合致はしないが、グッと堪えて鼻をつまんで、勝てる野党議員を応援」してますが、脱被ばくの山本氏にとってこれはOKなのでしょうか。
 
民主候補が原発推進協定 中電労組と東海の18人
(9日付中日新聞)
 
衆院選で、東海四県(愛知、岐阜、三重、静岡)の中部電力管内から小選挙区で出馬した民主党候補者二十五人のうち少なくとも十八人が、民主党の支持母体である連合傘下の中電労組(組合員一万五千人)と「核燃料サイクル」の推進や「原子力の平和利用」を明記した政策協定を結んでいたことが中日新聞社の調べで分かった。協定は、労組が候補者を「推薦」するかどうかを決める際の条件だが、同党は衆院選公約で二〇三〇年代の原発ゼロを掲げている。中電労組が作成した協定書によると、使用済み燃料を再処理して再び使えるようにする核燃料サイクルについて「自給可能なエネルギー源」と位置付け、「安全・安心を最優先に進める」と明記。原発の推進などを意味する「原子力の平和利用」も、同様に「進める」と記載している。
 
民主党は衆院選公約で、三〇年代の原発ゼロに向け「あらゆる政策資源を投入」とうたい、公約を補完する位置付けの「政策集」では、核燃料サイクルを「本質的な必要性」などを含めて「あり方を見直す」と書いている。本紙が陣営などに確認したところ、政策協定を結んだ民主候補は愛知が八人、岐阜と三重がそれぞれ三人、静岡が四人いた。推薦を受けた岐阜の候補者は、政策協定と党の方針は「矛盾しない」と回答。再生可能エネルギーの供給量を現在の需要に見合うよう即時に引き上げるのは「時間がかかりすぎる」ことを理由に挙げた。静岡の候補者は「現実的にゼロを目指すことが大事。原発で働く人の生活の保障は当然だ」と話した。一方、「党の脱原発の方針と矛盾する」として労組との協定を結ばない愛知の候補者もいた。推薦があれば、票のとりまとめや陣営スタッフの派遣を受けられる。ある陣営関係者は「労組の票は固い。自民に勢いがある現状では、固定票として、のどから手が出るほどほしい」と打ち明ける。中電労組は、一二年十二月の前回衆院選でも、民主党の候補と協定を結び、大半に推薦を出している。労組幹部は「われわれが必要と考えるエネルギー政策にご理解いただける候補を応援するのは当然だ」と話している。
 
共産党に「野党共闘」を押し付ける人たちはこの事実をしっかり直視すべきですが、山本氏の「さよなら安倍政権」サイトでは一部の維新推し選挙区を除いて中部地方で民主党候補を推しています。このまま原発推進候補を「鼻をつまんで」応援し続ける様なら、山本氏は自らのレゾンテートルを自ら放棄していると言わざるを得ません。
 
上記のフリージャーナリスト(私は「イエロージャーナリスト」と呼んでいます)の田中龍作の記事中に出てくる「山本太郎参院議員が『自民党100人落選キャンペーン』を展開」して「自民議員に変わるべき人」として当選を目指している衆院候補の中には民主党超タカ派の松原仁長島昭久、同じく超右派の「維新」候補者なども含まれていることを知ってか知らずか「民主」的なジャーナリストとして評判の想田和弘さん(映画監督)や自ら「左派」を自称する豊島耕一さん(佐賀大学名誉教授)もいます。
 
「想田和弘Twitter」から。
 
面白い試み。前にツイートしたように、自民候補に勝てそうな野党の候補が必ずしもマシとは限らないので、使用には注意が必要だが。→さよなら安倍政権
 
「豊島耕一(Yamamoto Ryohei)Twitter」(12月8日)から。
 
Yamamoto Ryoheiさんがリツイート 山本太郎 #とりあえず自民以外で
 
上記の田中龍作の記事中に出てくる「さよなら安倍政権(自民党100人落選キャンペーン)のほかにもブロゴスや緑茶会のサイトには次のような記事もアップされています。
 
落としちゃ「ダメよ?、ダメダメ」な衆院選候補者リスト(ブロゴス 駒崎弘樹 2014年12月09日)
 
緑茶会(脱原発政治連盟) 戦略的投票先リスト(全選挙区)
 
上記のような人たちや団体の「リスト」なるものが反自民、反安倍票を散けさせる役割しか果たさないことは前回総選挙での自民党の大勝で明白に証明されていることですが、この人たち、あるいは団体はまた同じ痴れ事を繰り返しています。これでは「世論」は動きませんし、「日本」も変わりません。「これが」この国の「悲しい現実」(岡留安則さん)と言わなければならないのです。
今日の言葉(「私」と総選挙)は沖縄から2本。岡留安則さん(元『噂の眞相』編集長)の「世論が動かない日本。せめて沖縄は正しく民意を示そうではないか」と目取真俊さん(作家)の「日米開戦から73年と県知事交代、そして特定秘密保護法施行」。さらに小澤俊夫さん(小澤昔ばなし研究所所長)の「私達はアベノミクスという目くらましにだまされず、原発再稼働反対、秘密保護法廃棄、集団的自衛権廃棄を掲げる政党の候補者に投票しよう」から。

私には「小選挙区、比例代表で自民単独で衆院の3分の2(317議席)を超える勢い」という新聞各社の世論調査そのものが政府と政府官報と化したメディアのなにか底意のある壮大な「目くらまし」のように見えてなりません。すなわち、「ホンマカイナ」という疑問の思いが払拭できません。あと4日で結果は出てはっきりするのですが。
 
岡留安則の『東京-沖縄-アジア』幻視行日記」(2014年12月8日)から。
 
自民党は在京テレビ局に「公正、中立、公平の確保」を求めた文書を送りつけた。テレビ・メディアを牽制し、委縮効果を狙った圧力である。強権的な専制政治を得意とする安倍政権の独裁指向が露骨すぎる。そのくせ、麻生太郎は、「女が子供を生まないことが悪いなどと選挙演説でぶち上げた。麻生太郎の失言や差別発言は麻生という人格にしみついた体質なのだろう。仲井真元県知事は県知事選で大敗したにもかかわらず、任期切れ直前に防衛局が出していた埋め立て工事にまつわる計画変更二件を認めた。まさに最後っ屁であり、晩節をけがするようなやり口に、野党は当然としても自民党議員からも不満が出ている。衆議院選挙の最中に、こうした仲井真元知事の県民に反感を持たれるようなやり方は、衆議院選をたたかっている前職の自民党議員にとっても、マイナスの効果しか生まないだろう。(略)仲井真氏はすでに東京の田園調布に愛人との愛の巣を準備しているといわれており、飛ぶ鳥あとを濁さずで、去って欲しい。しかし、そんな美学はこの人物にはカケラもないのだろう。(略)自民党が全国的に勝利しても、沖縄で負ければ喉仏に棘が刺さったみたいなもので、いずれ安倍政権のアキレス腱になるだろう。その意味でも、沖縄から裏切り者の自民党議員を一掃しておくことが必要だろう。小選挙区で敗北しても比例での復活はあるかもしれないが、それは選挙制度の問題だから沖縄県民の責任ではない。しかし、それにしても、消費税増税、集団的自衛権行使のための法整備、原発再稼働など、国論を二分する難題は山積だ。鳴りを潜めているが、TPPも問題大ありだ。それでも世論が動かない日本はどうなっているのか。これが悲しい現実ということなのか。せめて沖縄は正しく民意を示そうではないか。
12月8日は真珠湾攻撃から73年目だった。(略)仲井真知事の離任式が9日に県庁で行われた。辺野古工法変更に抗議する住民が県庁ロビーで仲井真知事糾弾の声を上げ、怒号と拍手が交錯するなか仲井真知事は県庁を後にした。4年前の県知事選挙で打ち出した「県外移設」の公約を破棄し、県民を欺いたことへの反省も謝罪も最後まで無かった。すべては事務処理上の問題であるかのように話す口振りは、政府の指示するがままに動く官僚の答弁そのものであり、翁長氏との10万票の大差に示された民意を直視する誠意も勇気もない裸の王様の醜態を見せ続けた。明日10日に翁長新県政がスタートする。同時に特定秘密保護法も施行される。14日の衆議院選挙が終われば、安倍政権は辺野古新基地建設高江ヘリパッド建設にむけ作業を再開するだろう。名護市長選挙、名護市議会議員選挙、沖縄県知事選挙、そして衆議院選挙でどのような結果が示されようと、政府の望むものでなければ無視し、民意を踏みにじる。名護市民、沖縄県民がどうあがいても政府のやることは止められない、というあきらめを作り出し、無力感を植えつけるのが政府の狙いだ。そこには民主主義の精神のかけらもない。辺野古新基地建設反対を打ち出している翁長新県政に対し、政府は懐柔、恫喝、瞞着、取り引きなど多様な手法で迫ってくるだろう。そして、県内メディアや新基地建設反対運動に対しては、特定秘密保護法が新たな弾圧の手段として利用される
 
全国メディアは、衆議院選挙で自民党単独で300議席超の圧勝もあり得ると報じている。ウチナーとヤマトゥの状況はかくも乖離し、断絶は深まるばかりだ。沖縄で今、保守も革新もないとオール沖縄が強調されるのは、たんなる選挙戦術にとどまらない意味を持つ。沖縄が一つにまとまらなければ、日本のファシズム化の波に飲み込まれ、沖縄が基地負担だけでなく再び戦争の犠牲を強いられかねない、という強い危機感がそこにはある。戦争体験者は誰もが証言の締めくくりに、戦争の苦しみを子や孫には味わわせたくない、戦争を二度と起こしてはいけない、と話す。証言を聴いたものはその願いに応えなければならない。沖縄人にとって戦争は過去のものではない。「本土防衛」のために沖縄を「捨て石」にし、犠牲を強要する意思は、日本人の多数の中に変わらずにある。沖縄人にとって危険なのは中国よりもそのような日本人である。
 
小澤俊夫リベラル21」(2014年12月10日)から。
 
自民党はアベノミクスの成果を問う、といっているが、それはこの三つの大問題を隠すためである。もしまた政権にありついたら、この三つの根本的大問題も国民の審査に合格したと称して突っ走ることは目に見えている。多くのマスコミは暗黙のうちに自民党の戦略を国民のなかに広げる役割を果たしている。アベノミクスで生活が楽になったと感じるかどうか、ばかり話題にとりあげているが、それは暗黙のうちに自民党の戦略を広げていることなのである。私達は、そういう目くらましにだまされず、原発再稼働反対、秘密保護法廃棄、集団的自衛権廃棄を掲げる政党の候補者に投票しよう
昨日の毎日新聞は総選挙中盤(5~7日)の世論調査の結果を報道していましたが、同記事には次のように書かれていました。「自民党は小選挙区、比例代表で公明党と合わせて衆院の3分の2(317議席)を超えるだけでなく、自民単独での3分の2超えも視野に入る」、と。今月4日には全国紙各紙は一斉に「自民300議席超える勢い」と衆院選序盤の世論調査結果を報道しましたが、そうした報道をさらに上回る負のスパイラルです。「世論」とはなにか、とその不定の正体(識閾)に根本的な疑念を持たざるをえません。
 
今日の言葉(「私」と総選挙)はその「世論調査」の正体を読みとる、あるいは対抗する言葉たち。想田和弘、辺見庸、広原盛明さんの言葉。
 
想田和弘さん 「全体主義に抗すため」(神奈川新聞 2014.12.08)から。
 
私は昨夏の参院選について拙著でこう書いた。〈ファシズムという語にはある種の「熱狂」が伴うイメージがある。ヒトラームッソリーニ昭和天皇のように、カリスマとして祭り上げられた指導者と彼らを熱狂的に支持する国民がいる。しかし、安倍氏を熱狂的に支持する人はあまりいないし、投票率も戦後最低レベルだった〉自民圧勝の予測も、主権者の無関心をよそに全体主義的な政策や体制が強化されてゆく「熱狂なきファシズム」の進行を示してはいないか。政策が多少強引でも、経済がうまくいっているから容認してきた層も多かったはずだ。そのアベノミクスは頓挫しつつある。それでも支持を続けるというのは私には不条理に映る。自民は戦後の政権の大半を担ってきたという無意識的で無条件な信頼感が背景にあるのだろう。1度任せてみた民主党も駄目だった。ほかに選択肢はない。つまり消去法との声も聞く。世論調査では、自民は無党派層にも食い込んでおり、浮動層も含めて「やっぱりまだ自民でいいんじゃないか」という雰囲気が支配的なのかもしれない。安倍政権のマーケティング的戦略が成功しているのかもしれない。選挙期間中の日本外国特派員協会の会見に出ない選択をしたのが象徴的。集団的自衛権の行使容認を閣議決定で済ませたのと同じ。正面から説明するのではなく一番抵抗が少ない方法を考えている。政治家は政策という商品を与える存在で、有権者は消費者であり、対価として投票と納税で応えるという「消費者民主主義」の風潮がある。消費者化し、受け身になりがちな主権者にそうした戦略が効いても不思議ではない。(略)でもこの2年間を見る限り、安倍政権には歯止めをかける必要があると考える。そのためにもっとも有効な選択は何かを判断基準に投票したい。政治は暮らしに大きな影響を及ぼす。勝手に戦争を始められてしまうという話だけじゃない。福島第1原発の事故まで、自分は原発とは無関係と思ってきた人が大半だったが、事故になったらほとんどの国民が影響を受けた。国民がさして注意を払ってこなかったから、政府は50基以上の原発を全国に造れたということを忘れてはならない。
 
辺見庸「日録1-11」(2014/12/08)から。
 
わたし(たち)はかつてない屈辱の冬をすごしている。安倍がたか笑いしている。官邸前にいくことは、なにもわたしがだれかに課された絶対命題ではない。いかなくてもいい。たぶん、そこにいくことにはなんの効果もないだろう。無意味かもしれない。6日に味わった失望と空しさ、疎外感が、きたるべき10日にもまちがいなくまっているだろう。だからこそいこう。打ちのめされるために。やがて到来するだろう未知の光景の手がかりを求めて。やがて到来するだろう未知の光景は、決して「希望」ではない。虐げられている者らが、さらに虐げられる光景である。虐げられている者らが、さらに虐げられても、だれも意に介さない、意に介さなくても済む光景である。それは、いっさいのことがらが、それぞれの「私」抜きに、すでに「他」によって決定されてしまっている状態でもある。その状態からは〈きたるべき戦争〉のにおいがするだろう。それなのに、昨日のような今日、今日のような明日の自動的連続と自動的進行と自動的強制を、わたしは黙って受容できるかるかどうか。安倍は〈きたるべき戦争〉のにおいを、これまでのだれよりも慎みなく、無遠慮にまきちらしている。これを〈不条理な運命〉としてがまんしろというのか。いっさいが相談もなしにすでに決定されている、この〈不条理な運命〉にあらがうこと。それは戦争に抗することでもある。わたしにはまだそれに抗する力がのこっているかどうか。わからない。〈非人称のただの存在者〉にすえおかれた状態からたちあがり、それぞれのやっかいな「私」を立証するための、あがき。あがくべきである。べつに10日官邸前にいかなくてもよい。しかし、失望と空しさ、のっぴきならない疎外をたしかめるために、わたしは10日、官邸前集会にいく。
 
「広原盛明のつれづれ日記」(2014-12-05)から。
 
選挙序盤戦の情勢は「自民圧勝」の様相を示しており、今後の中盤・終盤戦においてもさしたる情勢変化は望めそうにない見通しだという。このままでいくと、各紙の見出し通り自民が圧勝し、民主は伸び悩み、そして維新はじめ「第3極」は急速に消えていくことになる。詳しい数字は省いて私の大まかな感想を述べると、今回の総選挙は「自民による、自民のための、自民の選挙」というもので、共産が一定議席を伸ばすことを除いては、全ては自民の思惑通りに進んでいるといっていいだろう。今後の政局はこれまで以上に「右傾化」のテンポを速めるに違いない。それにしても、これほどの悪政を重ねる自民になぜ票が集まるのか。小選挙区制の弊害は言うまでもないにしても、アンチ自民票が民主そして「第3極」に流れないのはなぜか。一言で言えば、民主に対する失望感を消えないうちに「第3極」に対する新たな不信感が重なり、それが増幅されて自民に還流しているのではないかということだ。つまり前回の総選挙ではマスメディアに踊らされて自民でも民主でもない「第3極」に期待をかけたものの、それが自民と余り変わらない(あるいはそれ以上の)体質であることが露わになり、自民の方が「まだしも増し」との印象を与えたのではないかということだ。
今日の言葉(「私」と総選挙)は、「14日」の「後」と「いま」の意味を刻み、語る辺見庸(作家)と半澤健市(批評家)のふたりの言葉。「ものごころついてからこれまで、これほど危険な政権をわたしはみたことがない。弱者、貧困者をこれほど蔑視し侮った政権」、首相安倍晋三への私たちの「憤怒が暴発する日」、南部領農民3万人が「小○(困る)」の旗を立ててお上に昂然と逆らった封建体制末期の「三閉伊一揆」(大佛次郎『天皇の世紀』)の日は近い日に必ず来る。その暴発の日が、その一端、二端、三端、四端・・・でも「14日」に集中することを私は祈ってやまない。
 
辺見庸「日録1-11(2014/12/06)から。
 
14日の後も日常はなにごともないかのようにながれてゆくのだろう。時間のながれと継起にはっきりと目印があったり、ゴチックで警句がしるされていたためしはない。歴史はせいぜいよくても後知恵である。心におもい浮かぶことごとと現前するできごとが一致することは、めったにはない。ほとんどない。共時性はたいていは錯覚だ。14日の後にも懈怠はあり、おのれのみのみみっちい安堵も、おのれのみのいじましい幸福感とやらも、14日の以前のようにあるだろう。だが、わたしには14日の後は「実に恐ろしく青く見える。恐ろしく深く見える。恐ろしくゆらいでみえる」(賢治)のだ。ものごころついてからこれまで、これほど危険な政権をわたしはみたことがない。弱者、貧困者をこれほど蔑視し侮った政権を知らない。この国の過去をこれほどまでに反省しない政権は自民党でさえめずらしい。これほど浅薄な人間観これほど浅はかな世界観これほど歪んだ歴史観のもちぬし、これほどのウソつきに、ひとびとがやすやすと支配されているのをみるのは、ものごころついてからはじめてだ。以上のような理由で、わたしはこれから秘密保護法反対、安倍政権打倒、ろくでなし子さんら不当逮捕反対、言論弾圧・干渉粉砕(スローガンは個人のイメージです)のデモに参加しにいく。デモ前の集会主催者や「文化人」あいさつなどセレモニーぜんぱんは超ウザくて、戦意喪失するので、ぜんぶさぼるつもり。デモのみ、あるけるだけあるく。2004年に倒れてからデモに直接参加するのははじめて。
 
半澤健市「リベラル21(2014.12.08)から。
 
大東亜戦争の大義は「自存自衛」と「東洋平和」であった。昭和天皇は1941(昭和16)年12月8日に発した『米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書』でこういっている。(略)帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ(略)国際法の専門的な理屈は知らないが、今日的常識で判断すれば、個別的自衛権発動による宣戦布告以外の何ものでもない。(略)1951年9月にサンフランシスコで行われた対日講和条約に参加した国は52カ国である。「自存自衛」、「東洋平和」を大義とした「天皇の戦争」は、結局のところ、全世界を相手に戦い、悲惨な戦禍を残して敗北した戦争だったのである。(略)安倍晋三内閣は、2014年7月1日に集団的自衛権行使」を閣議決定した。(略)来年の「戦後70年」で、戦後の終わりと人はいう。戦後の終わりどころではない。いや今や戦前だと人はいう。戦前どころではない。もう戦中だというのが私の認識である。2012年12月の総選挙、2013年7月の参院選で国民は、「愚かな選択」をした。人々は、三たびそれをするのか。2014年12月14日の総選挙は、「戦後の運命」を決定するものとして、我々の眼前にある
今日の言葉(「私」と総選挙)20は浅井基文さん(政治学者、元外交官)の「衆議院総選挙:世論調査の怪(?)と本当の問題の所在」という論攷のうちその1「世論調査の怪(?)」とその2の「本当の問題の所在」。
 
浅井さんは、「今回の総選挙の結果に関しては自民党の一人勝ちを許す有権者の投票行動になりそうだ」というメディアの「世論調査の怪(?)」について次のように言います。
 
「なぜこのような一見理解不能の現象が現れているのでしょうか。明らかなことは、安倍政権ひいては自公政治に対して主権者・国民が期待をつないでいるということではあり得ません。原因としては、主権者・国民が野党に対して「自民党以上に期待が持てない」と判断しているということ以外にありません。」
 
「いったんは政権をとった民主党の惨憺たる結果の後遺症は、ひとり民主党の党勢挽回を不可能にしているだけではなく、民主党に対する期待を込めて投票した主権者・国民を幻滅させ、今日なお深い傷跡を残しているということです。」
 
「安倍政治に対する反対、政権交代の必要性を叫ぶだけでは、主権者・国民の投票を引きつける力はもはやないのです。」
 
「しかし」、と浅井さんは、最後に以下のような言葉を付け加えます。

「しかし、本当にすべての野党がだらしなく、ダメなのでしょうか。そうではなく、主権者・国民が「野党は全部ダメだ」と考えてしまうところに本当の問題があるのではないでしょうか」。

「本当の問題」とはなにか? 下記の「2.本当の問題の所在」の浅井さんの問題提起をお読みください。
 
衆議院総選挙:世論調査の怪(?)と本当の問題の所在
(浅井基文 2014.12.6)から。
 
1.世論調査の怪(?)
 
近ごろのマス・メディア各社の世論調査の結果を見ていると、一見理解不能の現象が現れています。それは、安倍政権に対する支持は軒並み低下している一方で、今回の総選挙の結果に関しては自民党の一人勝ちを許す有権者の投票行動になりそうだというものです。
 
例えば、共同通信が11月30日に明らかにした世論調査によれば、安倍政権に対する支持率は43.6%であるのに対して不支持は47.3%であり、2012年末に安倍政権が登場して以来はじめて不支持が支持を上回ったと指摘されました。しかも、アベノミックスに対する評価に関しても、回答者のなんと84.2%もの人が経済回復の効果を実感していないと答えたというのです。それだけではありません。集団的自衛権の行使に関しても、回答者の53.3%が反対、安倍政権が推進しようとしている原子力発電再開に対しても過半数の国民が反対です。ほかの世論調査の結果もほぼ同じ結果です。
 
なぜこのような一見理解不能の現象が現れているのでしょうか。明らかなことは、安倍政権ひいては自公政治に対して主権者・国民が期待をつないでいるということではあり得ません。原因としては、主権者・国民が野党に対して「自民党以上に期待が持てない」と判断しているということ以外にありません。

いったんは政権をとった民主党の惨憺たる結果の後遺症は、ひとり民主党の党勢挽回を不可能にしているだけではなく、民主党に対する期待を込めて投票した主権者・国民を幻滅させ、今日なお深い傷跡を残しているということです。
 
しかも、その後の野党乱立現象も多くの主権者・国民にとっては、「分けのわからないコップの中の嵐」以外の何ものでもなく、ますます「野党」勢力に対する幻滅感を深める方向に働いていると思われます。そこにおけるカギとなるポイントは、主権者・国民が「なるほど、そうか」と頷けるだけの、政治の逼塞状況を本当に打破し、打開できるに足る政策を多くの野党が示し得ていないことにあります。安倍政治に対する反対、政権交代の必要性を叫ぶだけでは、主権者・国民の投票を引きつける力はもはやないのです。
 
2.本当の問題の所在
 
しかし、本当にすべての野党がだらしなく、ダメなのでしょうか。そうではなく、主権者・国民が「野党は全部ダメだ」と考えてしまうところに本当の問題があるのではないでしょうか。

端的に言えば、民主党、維新、次世代、改革などは「目くそ鼻くそ」だとは私も思いますが、共産党は違うと思うのです。正直言って、私は共産党のすべての政策に同意し、納得しているわけではありません。特に領土問題、朝鮮問題、中国問題、ロシア問題などの外交問題に関しては、共産党の認識・主張・政策について基本的に強い意見があります。それらの点については、このコラムでも指摘してきました。しかし、憲法をはじめとする内政問題の多くと平和・安全保障問題に関しては、共産党の主張・政策は説得力のある内容があります。

端的に言えば、自民党政治・自公政治に対する主権者・国民の批判の受け皿は共産党であるということです。これも各種の世論調査が一様に示しているように、今回の総選挙に当たって、共産党に対する支持は広がっているようです。比例で共産党の議席が倍増する可能性も指摘されるようになりました。それは一つの肯定的変化です。

しかし、さらに厳粛な事実は、圧倒的により多くの主権者・国民が「共産党及びその候補に投票する」という態度決定に踏み切れていない、もっと率直に言えば、そのような可能性は考慮の中に入っていないことです。

その原因はもちろん共産党自身にもあると思います。共産党を「毛嫌い」し、批判する人々の多くから私がよく耳にしてきたことは、「共産党は独善的だ」とか、「代々木の言いなりに動く末端も排他的」という言葉です。歴史的な社共対立の歴史が今日まで影を落としている面も否定できません。それらの根底にあるのは歴史的にすり込まれてきた「アカ意識」であり、「既成事実という現実に弱い」私たちの国民性です。

しかし、安倍政治に代表される今日の保守政治(私は民主、維新、次世代、改革も含めています)の危険性はいまや、日本の進路を決定的に誤らせ、日本を世界的孤立に追いやる段階に来ていることは間違いありません。私たち主権者・国民が今度の総選挙でまなじりを決した投票行動に踏み切ること、即ち大挙して共産党(比例)及びその候補(小選挙区)に日本の進路を託してみるという意思決定のみが保守政治の暴走をチェックできると確信します。

共産党は信用できないという人も少なくありませんが、共産党が大躍進して主権者・国民の信託を裏切ることがあれば、その時は私たちが改めて共産党を懲らしめれば済むだけの話です。共産党自身は、議席が倍増すればそれだけで有頂天に喜ぶのだろうとは思いますが、それだけでは日本の政治の流れを変えることはできません。自民党が目の色を変えるだけの共産党の大躍進が日本政治をこれ以上誤らせないためには不
可欠です。
今日の言葉(「私」と総選挙)は辺見庸の「日録1-11」(2014/12/05)の「積極的棄権」云々の言葉に対する私の反論的「引用者注」の言葉。私の「感じ」では、「サヨク」的知識層の中には選挙に関してここで引用する辺見庸的認識を持つ人は少なくない(そして、おのれのその認識と行動が、おのれの主観としては自民党政権を強く批判しながら、結果として、おのれが強く批判してやまない自民党政権の延命に手を貸すというパラドックス(皮肉)を形成している)。そんなことではダメなんじゃないか。「政治」をよく知る人、とりわけ政治学者やメディアによく登場する編集委員クラスの花形記者諸氏は「政治は妥協の産物」だなどとよく言う。私にも異論はない。が、そうであれば、あなたも「妥協」するべきではないか、というのが今回の「『私』と総選挙」の言葉です。
 
辺見庸「日録1-11(2014/12/05)から。
 
某紙デスクと「ろくでなし子北原みのり両氏不当逮捕事件」についてはなす。現場の若手記者がいつまでも原稿を送ってこないので、なぜかと問いただしたら、「だって、作品に品位がなく、くだらないので・・・」と答えたという。記事に値しない、と。この事件の深刻性、重要性、今日性を、デスクはいちから説明しなければならなかったという。若手記者はキツネにつままれたような調子。おもわず〈ばかやろう!てめえなんかやめちまえ!〉と言いかけたが、コンプライアンスという自己規制でデスクは声にはしなかったらしい。聴いていてはげしい苛立ち。記者が世間の自警団なみのオツム選挙への積極的棄権をかんがえている。「彼ら(人民)が自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれるやいなや、人民は奴隷となり……」(『社会契約論』)とおもうだけではない。投票行動とその結果が、憲法を無視する不正な政権をみとめることに直結し、集団的自衛権行使容認、秘密保護法、武器輸出、普天間基地移設、原発再稼働などの各重要問題で、安倍政権の方針を法的に承認したものと解釈されてしまうからだ。まさに「キャッチ=22」である。このたびの選挙は間接民主制の弱点を悪用した、戦後史を劃する「大策謀」としかみえない。飼い主が投げた餌を尻尾をふってくわえにいく犬。安倍はそのように選挙民をみくだしている。わたしは現時点で、安倍の策謀としての選挙にいくよりも、明日12月6日の秘密保護法反対デモに参加するほうがはるかに、はるかに重要だとおもう。自身をせめても納得させることができるのは、どのみち空虚さはまぬかれえないにしても、後者なのだ。
 
「『私』と総選挙」の言葉(引用者注)から。
 
辺見さん。某紙若手記者に対する辺見さんの怒りはまったくそのとおりだと私も思いを同じくします。が、「選挙への積極的棄権」という考え方には賛成できません。「投票行動とその結果が、憲法を無視する不正な政権をみとめることに直結」するという指摘はこれもそのとおりだと思いますが、「選挙を棄権する」という選択も不作為という点で「不正な政権」をそのまま認知するということにならざるをえません。であれば、いかに好まざる選択であったとしても、よりましな選択としては、選挙で首相安倍を明確に弾劾する政党に一票を投じるという行為を選択するほかない、ということにならざるをえない。・・・のではないでしょうか。
 
引用者注追記: 
 
「ろくでなし子・北原みのり両氏不当逮捕事件」について某紙のデスクが現場の若手記者が「いつまでも原稿を送ってこないので、なぜかと問いただしたら」、同若手記者が「だって、作品に品位がなく、くだらないので・・・」と答えたというその若手記者の思想と発言の愚かさについては、同じく2014年12月5日付け「日録1-11」の前半部分参照。すなわち、以下。
 
かつて、といってもだいぶまえ、ある美大の「卒制」をみにいったことがある。どこまでも自由でのびやかだった。MD(マンコデッサン)というのがあった。ま、逆立ちした自画像のシリーズみたいなもの。それも堂々と展示されていた。もしも女性の陰部という人体開口部を「顔」とみたてれば、これは陰翳と曲線と凹凸に富む自画像なのである。見事であった。〈陰毛が成長するまで〉といったタイトルの、自撮り写真集もあり、こちらは、いったんきれいに剃毛した局部から、少しずつヘアがはえてきて、ついにはひとつのこんもりとした森のようになるまでの全プロセスを、開脚して数十枚さつえいしたもの。たしか、終いのほうはもう写真ではなく、じつぶつのピュービックヘアがはりつけてあったと記憶するが、みていてその自由奔放さがきもちよく、こころがやわらかになったこれらを「わいせつ物陳列」の疑いで逮捕というなら美大全員逮捕だぜ。ろくでなし子さんらの不当逮捕事件は〈女性のかがやく美しい国〉のキャッチフレーズが真っ赤なウソであることをものがたっている。これはA政権の特徴がよくあらわれた思想表現の弾圧ととらえられるべきだ。
 
これでもおわかりにならない向きが仮にあったとしても、私は、これ以上の説明はするつもりはありません。
今日の言葉はいとうせいこうさんの「一羽の鳥について(あらゆる選挙に寄せて)」という言葉への私の違和感。その反語としての「一羽の鳥について」という言葉の紹介です。いま、フェイスブックやツイッターなどで大きな反響を呼んでいる言葉だといいます(弁護士ドットコム)。たしかにいとうせいこうさんの言っていることは間違いではありません。正論だと私も思います。にもかかわらず、私は、いとうせいこうさんの言葉に強い違和感を感じます。
 
「『自分一人が投票したところで何も変わらないと思う一人』が投票すると社会が変わる」というのはたしかにまっとうで、きれいな言葉です。が、そういうまっとうで、きれいな言葉の使用は、選挙管理委員会が発注する広告会社のコピーライター諸氏にでもまかせておけばよいのではないか。いま、私たちに必要な言葉は、単なる投票の勧めではない。もちろん、「美しい青空をとりもどそう」などと拡声器で虚しく叫ぶ空々しい言葉でもない。「投票すると社会が変わる」という言葉も同じことです。単に投票するだけでは社会は変わらない。
 
私たちにいま必要な言葉。それは、自民党の首相安倍につながるどのような人脈の候補者にも絶対に投票しないこと。私たちを猫なぜ声で貶めて私たちを日に日に貧しくさせていくアベ自民党には絶対に投票しないこと、を訴える言葉。手前味噌の自己宣伝で票をばらけさせ、結果として自民党のひとり勝ちを容易にするいわゆる第3極なるものにも絶対に投票しないこと、を訴える言葉ではないか。
 
私のいとうせいこうさんの言葉への違和感はそういうものです。いとうせいこうさんの言葉に違和感を持たず、フェイスブックやツイッターなどで彼の言葉を拡散している人たちは、投票所で誰に、どのような政党に投票するつもりなのでしょうか?
 
以下、いとうせいこうさんの言葉の全文。
 
一羽の鳥について(あらゆる選挙に寄せて)(ポリタス 2014年12月3日)
 
自分一人が投票したところで何も変わらない、と多くの人は思う。選挙を前にして自分が無力であると感じる。その感覚に傷ついて無関心になる人もいる。
 
だが、「自分一人が投票したところで何も変わらないと思う一人」が投票すると社会が変わる。
 
私は何度かそういう選挙を見てきた。
 
デモも同様である。
 
「私一人が出かけようが出かけまいが何も変わらないと思う」人が実際に出かけると、それが膨れ上がる列になる。
 
その時、世界は何かしら変わる(ただし根本的に私は、変わろうが変わるまいが思ったことを主張しに出かければよいだけだと考えるのではあるが。そもそも世界を変えたい場合、有効性ばかりを先に考えることは無意味だ。なぜなら変わる前の世界から見た有効性の基準は必ず「古い」から)。
 
がらりと世界が変わることもある。それはほとんど次元の移動のようだ。今生きている世界から別の世界に、人は突然接続する。私は決して疑似科学を語っているのではない。
 
これが選挙の謎なのである。
 
代議制の、つまり多数の者が少数を選び、選出された者に政策をまかせるシステム、すなわち民主主義の厳密な数学、ないしは物理学がこれである。
 
多数の者が少数の権力者に影響を与えるわけだから、それはデモの謎でもある。
 
"渡り鳥は飛び立つ時間をあらかじめ知っているのではなく、みんなで行きつ戻りつするうち突然旅に出る"
 
私が変わると「私たち」が変わる。
 
私が行かない投票には何千万人かが行かない。
 
私が行く投票には何千万人かが行く。
 
特に浮動票と言われる「私たち」は渡り鳥のようなものだとイメージしてもいい。渡り鳥は飛び立つ時間をあらかじめ知っているのではなく、みんなで行きつ戻りつするうち突然旅に出る。
 
その時、どの鳥が出発を決めたか。
 
最後はリーダーが決まってくるとしても、飛ぶ群れの起源を遡ればどうなるか。
 
「私」という一羽の鳥が、としか言えないのではないか。
 
"ある種の「政治不信というキャンペーン」によって「無力」さを刷り込まれているのだ"
 
さて、もしもあなたが「私たちが変わったところで政治家が変わらないのだから意味がない」と思うなら、それはそれである種の「政治不信というキャンペーン」によって「無力」さを刷り込まれているのだと私は考える。
 
国民が「政治不信」になればなるほど、組織票を持つ者が好き勝手にふるまえる。
 
むしろ無力なのは選挙に落ちるかもしれない政治家の方だということを思い出して欲しい。
 
選挙期間というのは「無力」さの逆転が起きる時間なのであり、結果を決めるのは例の「私たち」以外にない。
 
つまり「私」以外に。
 
その時「力」はどちらにあるか。
 
あなたにある。
 
これが選挙というものの恐るべき、スリリングな本質だ。
今日、全国紙で衆院選の序盤情勢の世論調査の結果が一斉に報道されました。どの新聞も「自民300議席超える勢い」という大見出し。それがマスメディアの一致した世論調査の結果であるならば、そういうものとして受けとめるほかありません。以下は、そういう中での「今日の言葉」。「私の沖縄日記―広島編」ブログと辺見庸「日録1-11」から「共産党と社民党はなぜ「群馬5区」で共闘しないのか?」という疑問と問題提起です。私もほんとうにそう思います。「9条のゆくえを本気で死ぬほど心配するなら、共産、社民は、なにゆえその一点で統一戦線を組」もうとしないのか。「共産党や社民党にほんとうの危機感はあるのか」、と疑われてもしかたがないでしょう。
 
私の沖縄日記―広島編」(2014-12-04)から。
 
群馬5区は、あの小渕優子氏が臆面もなく自民党公認で立候補している選挙区です。その選挙区でほかに立候補しているのは、共産党と社民党の新人2人です。候補者も立てられない民主党の体たらくはおくとして、共産党と社民党はどうして共闘して候補者を絞り、小渕氏を落とそうとしないのでしょうか。もちろん、保守地盤の強固な同地域で、共産党と社民党が共闘したからといって、勝利するのは至難の業です。しかし、自民党の金権体質を問うのが今度の選挙の1つの重要な争点であり、群馬5区はその象徴的な選挙区になっているのです。ここで共産党と社民党が「自民党の金権体質を許さない」という「一点」で結束して有権者に訴えることができれば、同選挙区にとどまらない大きな意味を持ちます。沖縄では共産党、社民党は「オール沖縄」として「保守」を含めた共闘を組みました。両党には安全保障や憲法など、他の党とは比較にならないほど政策的な共通点・類似点があります。「オール〇〇」の前に、まず両党が「小異を捨てて大同につく」共闘を各地で広げていくことが、これからの「革新」陣営にとって必要なのではないでしょうか。
 
辺見庸「日録1-11」(2014/12/03)から。
 
民主党はいうもおろか、共産党や社民党にほんとうの危機感はあるのか、どうもうたがわしい。9条のゆくえを本気で死ぬほど心配するなら、共産、社民は、なにゆえその一点で統一戦線を組み、たがいに選挙協力ができないのだ。党がハナクソほど小さくなっても、まだ自党第一主義である。(略)ファシストはいま、すこぶる元気だ。貧乏人は、うっすら恐怖を感じつつも、しかし、いくところもなく、出口もなく、ときどき力なくヘラヘラとわらい、陋巷に起きふししている