「今日の言葉」(「私」と総選挙)13はふたたび「自民はだめだから民主へ、民主もだめだったから第3極へという民意漂流の流れを断ち切ろう」の論。マス・メディアの論のアンチテーゼとして。

民主党の議席『せめて100くらい』 枝野幸男幹事長が目標を示す
(朝日新聞 2014年11月30日)から。
 
「民主党の枝野幸男幹事長は29日、京都市での演説で、衆院選の目標議席について「100議席」と初めて言及した。自民党と民主党の衆院での議席について「せめて250対100くらいになると、向こうも緊張感を持って聞く耳を持たなければならなくなる」と述べた。民主の解散時勢力は55議席。枝野氏はこれまで、衆院選の目標について具体的な数字を示していなかった。(略)枝野氏は「一気に政権をくださいという、厚かましいことは言わない」とも語り、今回の衆院選で政権交代をめざす状況にはないことも認めた。」
 
上記の民主党の枝野幹事長の「議席目標」談にはなぜ前回の総選挙で大敗したのかという根底的な民主党の理念への反省はまったく見られません。その反省を促すためにも民主党の惨敗にふれた五十嵐仁さん(法政大名誉教授)の下記の論の一節(再録)を対置しておきます。
 
「五十嵐仁の転成仁語」(2014年11月23日)から。
「前回の総選挙は、民主党主体の連立政権に対する失望によって彩られています。そのために民主党を離れた票は2000万票に上りました。このうちの半分は棄権し、半分はおそらく第三極に流れただろうということ(略)。その第三極ですが、(略)前回の総選挙でこの3党が集めたのは、小選挙区で1274万票、比例代表区で2092万票にも上りました。そのすべてが流動化するわけではありませんが、比例代表区の半分が投票先を失うとしても約1000万票になります。つまり、民主党を見限って第三極に流入した票は、今回の選挙では第三極を離れて流動する可能性があるということです。これらの票が、一度は見捨てた民主党に還流するとは限りません。「前回の総選挙は民主党がダメとなった後の選挙で、今度の総選挙は『第三極』がダメとなった後の総選挙」だということは、これらの2000万票が支持する先を求めて浮遊している状況にあるということを意味しています。今回の選挙で「安倍政権の2年間の審判が問題になるとすれば」、これらの票が自民党に向かうとは考えられません。」
 
第三極の衰退「残念」 みんな解党で有権者」(朝日新聞 2014年11月29日)から。
 
「規制緩和や行政改革、議員定数削減――。自民でも民主でもない「第三極」に期待してきた有権者は、みんなの党の解党に戸惑いをみせている。(略)同市(鎌倉市)の女性会社員(41)も「実績のある第三極がなくなるのは残念。自民は経済団体、民主は労組と切れない。両党と関係のない政治勢力をつくって有権者に選択肢を与えて」と言う。(略)愛知県一宮市の伊藤尚美さん(47)は、12年衆院選と13年参院選でみんなに投票した。渡辺氏のリーダーシップや、国会議員の定数や給与削減などに期待したが、渡辺氏が資金問題で代表を去ると、党の魅力を感じなくなった。『みんなの党というより、渡辺さんの党だったんですね』」
 
朝日新聞の「第三極の衰退『残念』」という見出しにも賛成できません。「残念」と市民の言葉の引用であることを示すカギカッコは付してはいるものの、同紙、あるいは同紙記者自体が「残念」と思って記事を書いていることは行間から簡単に読みとることができます。しかし、この第3極にもまったく期待できないことについては澤藤統一郎さん(弁護士)の論(再録)から引用しておきます。
 
1歩も進めず2歩後退 第3極は4分5裂
(澤藤統一郎の憲法日記 2014年11月24日)から。
 
「第3極の基盤も脆弱である。12年選挙で54議席を獲得した『日本維新の会』は、『維新の党』と『次世代の党』に分裂した。既に当時の勢いはない。18議席を獲得した『みんなの党』も分裂し、このほど解党を決議した。(略)自民の長期低落傾向は、自公政権の新自由主義的政策への批判の表れである。目先を変えての集票にも限界があり、いったんは雪崩を打って民意は民主党政権を作り上げた。しかし、民主党の裏切りに、民意は第3極に期待した。その結果が、民主党の凋落と、小選挙区効果による自民党圧勝であった。安倍自民の延命も、第3極の議席の維持も、真に民意の望むところとは考えがたい。とりわけ、自覚的な安倍政権批判票を第3極に流出させてはならないと思う。第3極とは、日本の軍事大国化をさらに推し進める輩と、経済格差や貧困をさらに深めようとする新自由主義者の連合体ではないか。けっして、安倍政権への批判の受け皿たりうる資格はない。自民はだめだから民主へ、民主もだめだったから第3極へ、というのが前2回の総選挙に表れた民意漂流の姿である。この流れを断ち切ろう。幸いにして、第3極は四分五裂の状態である。このような無責任政治集団に、貴重な票を投じてはならない。」
 
社民と維新、福井選挙区で呉越同舟 衆院選、全国でも珍しい協力
(福井新聞 2014年11月30日)から。
 
「衆院選に向けて非自民勢力の結集を模索してきた民主党県連、維新の党県総支部、社民党県連合は29日、福井市内で3党協議を開き、『反自民』で協力することを確認した。(略)各党とも比例は自身の党の投票を呼び掛けることを前提に、選挙区については民主は1区を「自主投票」とし、維新は2区について『民主から要請があれば辻氏をできる限り応援する』(藤野本部長)。社民は維新か民主の候補に投票するよう呼び掛けるという。」
 
上記の福井新聞の記事はいわゆる第3極と社民党が口先では「反自民」を「選挙協力」のための必須の条件としながら、実質は「反自民、非共産」で動いていること、さらに社民党の政治節操のなさをよく示しえています。福井では共産党も候補者を立てています。社民党は、民主党や維新と選挙協力を模索するのであれば、なぜ政策的には民主党や維新よりも近いはずの共産党には選挙協力を呼びかけないのでしょう。その不思議を社民党は政党の「レーゾンデートル」(存在意義)の問題として自ら糾さなければならないでしょう。
 
本来、政党の「選挙協力」のありかたはどうあるべきか。この点について朝日庵twitterでの議論が参考になります。以下、その語録の一部です。
 
朝日庵twitter」から。
 
・野党と選挙協力しろというけど、沖縄県知事選挙で民主・維新・みんなはダンマリで協力してないのだし、伊方原発のある愛媛県の重要な知事選挙で、脱原発候補を応援しているのは共産党で、他野党は現職に自民党と相乗りしてるのだし、協力してないのは誰かって事。(2014年11月15日)
 
民主・みんな、合併協議へ 総選挙に向けて協力… 民主党、終わったな。「共産党以外に野党候補がいない選挙区での候補者擁立を目指すこと」 ←共産党の候補者しかいない所にわざわざ候補者をぶつけるわけでしょ、協力とは真逆の話じゃん。共産党は野党と選挙協力をしろと叫んでる人達は、共産党以外に候補がいない選挙区では、候補者擁立を遠慮して下さいって他の野党に言えばー。 え?言わないの?ふうん?(同上)
 
・民主党は維新等と競合するなら候補者を調整、共産以外に野党候補がいない選挙区では候補者擁立を目指すとしています。共産党にぶつけて来る。小沢さんは野党は新党結成しろと。現実はこうです。 @naoakisetuko 安倍悪魔政権打倒のためには野党が大同団結せねば。(2014年11月17日)
 
・選挙協力を叫ぶ人達は忘れているようだけど、2013年12月に沖縄県の仲井真知事が辺野古への移設に向けた政府の埋め立て申請を承認した時に、民主・海江田代表は「後押ししたい」維新・松野も「協力したい」と評価してたからね。…なので、国政選挙での選挙協力を主張する時に沖縄県知事選挙を持ち出して野党と協力しろ(候補者たてるな)と共産党に言うのは、すんごく見当違いな事だと思います。 しかも、そもそも沖縄県知事選挙で民主 ・維新・みんな等は共産党等の野党と協力してないのだし。(2014年11月18日)
 
・共産党に選挙協力をと言ってる人達は、維・み・生の野党3党が提出した『消費税増税凍結法案』を読んだ上で言ってるのかな?中止ではなく凍結、条件が整えば増税って事だよ? 先送りで消費税増税の自民党と、消費税増税凍結の野党。どちらも消費税増税を前提としてる。 (同上)
 
・参院選、東京では比例票第2党になった共産党。自民31.92%、共産13.71%、みんな12.62%、公明12.22%、維新11.28%、民主10.40%、生活2.15%、社民2.06%の順だ。 共産党は協力しろ、候補をおろせと叫んでる人に言いたい。共産党を応援すればいいじゃん。(2014年11月19日)
「今日の言葉」(「私」と総選挙)12は水島朝穂さん(早大教授。憲法学)の「総選挙の争点――安倍政権から日本を取り戻す」と立憲デモクラシーの会の「安倍政権による解散・総選挙に関する見解」の抜粋です。 2つの論の主意をつなぎ合わせると「安倍政権から日本を取り戻す。今回の選挙は暴走する権力に対する異議申し立てと立憲主義的な民主政治再生のための機会と位置付けられるべきである」ということになります。

総選挙の争点――安倍政権から日本を取り戻す
(水島朝穂 2014年12月1日)から。
 
明日、総選挙が公示される。この時期、このタイミングでの衆議院の解散については、誰もが「なぜ?」と問いかけたい気分だが、安倍晋三首相はただ一人、気を吐いている。この異様な「安倍晋三解散」の最大の狙いは、「野党の選挙準備が整っていないこのチャンスを手放すわけにはいかない」という彼なりの判断だろう。普通なら「一か八かの賭け」という意識が強いだろうが、この人にはそれがなく、これまでのどの首相にも見られない「根拠のない自信」に満ちあふれている。(略)明日公示される衆議院総選挙は、実は重大な負債をおっている。それは、議員定数の不均衡を是正しないまま、0増5減の小手先の「改善」でお茶を濁して選挙に突入したからである。「一票の格差」問題では、先週の水曜日(11月26日)、最高裁判所大法廷が2013年参院選(4.77倍)について「違憲状態」の判決を出した。2010年参院選については2012年10月に「違憲状態」判決が出ているので、半数改選の参議院の全体が「違憲状態」と評価されたことになる。「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」するはずなので、いま、衆参両院とも「正当に選挙された」かどうかは疑問ではある。注目されるのは、前回3人だった「違憲」の反対意見が今回5人に増え、うち1人は「選挙の即時、無効」を主張したことである。補足意見を含めると、15人の裁判官中、10人が次回の2016年参院選は「違憲」とすることを示唆していることも重要である。他方、衆議院については、唐突な「安倍晋三解散」によって、選挙制度改革を検討する第三者機関である「衆院選挙制度調査会」の活動がストップしてしまった。この調査会は、2011年3月の最高裁判決により否定的評価が確定した「一人別枠方式」に代わる方式を検討していたが、解散によって、現状のままでの選挙に突入してしまった。選挙後に再び違憲訴訟が提起されれば、高裁段階で違憲判決(選挙無効判決も)が増え、最高裁でも違憲、選挙無効の判決が出る可能性は否定できない。安倍首相の今回の解散は、林銑十郎内閣のそれと並んで、自分の勢力を増やすためだけという不純な動機が見え見えだった。明日からの総選挙は、こうした点を含めて、安倍政権そのものを争点とし、これを問う選挙となるべきだろう。「安倍晋三的なるもの」からこの国を取り戻す。安倍晋三が登場する前の日中、日韓関係にまで戻す。安倍晋三退場となる選挙結果になることができるか。明日からの総選挙の最大の焦点なのである。
 
安倍政権による解散・総選挙に関する見解
(立憲デモクラシーの会 2014年11月26日)から。
 
安倍政権が本年7月1日、閣議決定によって憲法9条の政府解釈を変更し、集団的自衛権の行使を可能にする方針を示した際、私たちは、それは憲法の枠内における政治という立憲主義の原則を根底から否定する行為であり、一内閣が独断で事実上の憲法改正を行うに等しく、国民主権と民主政治に対する根本的な挑戦でもあると抗議した。このたび衆議院を突如解散するにあたり、安倍首相は消費税増税の2017年への先送りと、いわゆるアベノミクスの継続に争点を絞る方針を示した。菅官房長官も、憲法改正は自由民主党の公約であり、限定容認は現行憲法の解釈の範囲内なので、集団的自衛権に関して国民の信を問う必要はないと発言した。衆参いずれの選挙公約にもなかった特定秘密保護法の制定についても「いちいち信を問うべきではない」とした。しかしながら、戦後日本が憲法を軸に追求してきた安全保障の大原則を転換するとすれば、国民的な議論の上での、手続きに則った条文改正が不可欠である。選挙に勝ちさえすれば、万能の為政者として、立憲主義や議会制民主主義の原則まで左右できるとするのは、「選挙独裁」にほかならない。選挙によって解釈改憲を「既成事実」にすり替え、選挙後の新ガイドライン策定や安全保障法制の整備につなげようとする企ては看過できない。
 
そもそも内閣による衆議院の解散は、新たにきわめて重要な課題が生じた場合、あるいは国会と内閣の間で深刻な対立が生じ、民意を問うことによってしか膠着状態を打開できない際等に限られるべきものである。このたびの動きは、「政治とカネ」の問題が噴出し、アベノミクスが破たんしつつある中で、支持率低下前にリセットしたいという政権側の思惑による恣意的な解散であり、解散権の濫用とも言える。また最高裁に違憲状態と判断された一人別枠方式に基づく「一票の格差」を抜本的に解決しないまま、再び解散総選挙を行うことは、司法府のみならず国民をも愚弄するものである。人権を軽視し、権力の恣意的運用に道を開きかねない、立憲主義の原則にもとる憲法改正案を自由民主党が用意していることも懸念される。仮に安倍政権が政権基盤を維持したとしても、選挙で国民に対して憲法改正を正面から提起しない以上、選挙後に条文改正やさらなる解釈変更を進めることは、とうてい許されることではない。この選挙によって政権が、アベノミクス評価を前面に立て、他の重大な争点は隠したまま、白紙委任的な同意を調達しようとしているとすれば、それは有権者に対する背信行為である。私たちは、今回の選挙が、暴走する権力に対する異議申し立てと、立憲主義的な民主政治再生のための機会と位置付けられるべきであることをここに提起し、有権者の熟慮に期待するものである。
「今日の言葉」(「私」と総選挙)11は、10の問題提起を「沖縄」の視点から再度問い直したものとして「私の沖縄日記―広島編」ブログから秘密法施行目前!強まるメディアへの攻撃・委縮」(2014-11-29)の記事を全文転載させていただこうと思います。「今日の言葉」の意味は相乗してさらに問題提起としての深度に濃さを増してくるところがあるように思います。

秘密法施行目前!強まるメディアへの攻撃・委縮
(私の沖縄日記―広島編 2014-11-29)
 
昨日、今日と、メディアをめぐる見過ごせない新聞記事が相次いでいます。

1つは、28日付の沖縄タイムス。「沖縄戦教材 政治家が批判」と題する記事で、朝日新聞が今夏発行した小中高向け副教材『知る沖縄』(希望校へ無料配布)に対し、自民党の義家弘介衆院議員が国会で「一面的」と批判し、下村博文文科相が「問題がある」と呼応(10月17日)。続いて産経新聞が「日本軍の残虐性強調」などと批判し(同26日)、さらに次世代の党の田沼隆志衆院議員も国会で文科省に「指導」を要求した(同29日)というものです。
 
沖縄タイムスはこれに対し、高嶋伸欣琉球大名誉教授の次のような談話を掲載しています。
 
副教材に書かれているのはごく当たり前の事実であり、朝日たたきの風潮に乗って言いがかりを付けているとしか思えない。政治家による教育介入にほかならず、産経新聞がその露払い役を務めている。
 
こうした歴史修正主義の執拗な圧力が続くことで、教育現場が委縮しないか心配だ。すでに埼玉県では、この副教材を使ったかどうか各学校にアンケートしている。教員にとってはまるで脅しであり、政権に都合のいいことしか教えられなくなってしまう。
 
日本軍の加害行為があったことは沖縄では常識だが、県外では必ずしもそうではない。沖縄から声を上げる必要がある
 
「沖縄から声を上げる」以前に、本土の私たちが沖縄戦の事実を知る努力をしなければなりません。その意味でも、こうした「言論弾圧」「教育統制」は絶対に許せません。
 
同じく28日付の中国新聞(共同電)は、「自民 公平性求め文書 選挙報道でテレビ各局に」の見出しで、「自民党が衆院解散の前日、選挙期間中の報道の公平性を確保し、出演者やテーマなど内容にも配慮するよう求める文書を、在京テレビ各局に渡していた」と報じました。テレビ報道への露骨な圧力です。
 
記事は服部孝章立教大教授(メディア法)のコメントを掲載。服部氏は「報道の自由への不当な介入や圧力といえる対応だ」と自民党を批判するとともに、「受け取った時点で報道しなかったテレビ局の対応にも疑問が残る。あまりにも鈍感だ」と指摘しています。
 
ところが翌29日(今日)付地方紙各紙(共同電)に驚くべきニュースがありました。
 
琉球新報は「評論家出演取り消し 『朝生』衆院選番組 『質問偏る』」の見出しでこう報じています。
 
「衆院選をテーマにしたテレビ朝日系の討論番組『朝まで生テレビ!』(29日未明放送)で、パネリストとして出演予定だった評論家の荻上チキさんが『(政治家でない)ゲストの質問が一つの党に偏るなどして、公平性を担保できなくなる恐れがある』としてテレ朝側から出演を取り消されていたことが28日、荻上さんへの取材で分かった」
 
テレビ局は「鈍感」ではなく、実に敏感に自民党の不当な圧力に迎合していたのです。
 
さらに同じく29日付各紙は、朝日新聞がいわゆる「吉田調書報道問題」で、関係者の処分を決めたことを報じています。なんとこの処分者の中には管理職だけでなく記事を書いた現場の記者2人も含まれているのです。
沖縄タイムスには、「記者に責任転嫁」との見出しで、大石泰彦青山学院大教授(メディア倫理)の次のようなコメントが掲載されています。
 
朝日新聞社が組織防衛の論理を優先し、記者に責任を転嫁した印象だ。吉田調書の記事は読者をミスリードした点で確かに誤報だが、記者が独自の取材を進める調査報道は誤報のリスクも高い。現場の記者を処分するのは調査報道の委縮につながりかねず、処分すべきでなかった
 
強まる国家権力によるメディアへの圧力。そしてメディア側の「自主規制」と委縮。

それは目前に迫った「特定秘密法」の施行とけっして無関係ではありません。さらにそれは、憲法9条を空洞化する集団的自衛権行使容認で、日本を「戦争をする国」にしようとする動きと密接に結びついています。まさに“いつか来た道”です。
 
「敗戦70年」を目の前にして、メディアは、そして私たちは、ほんとうに重大な岐路に立っています。
「今日の言葉」(「私」と総選挙)は昨日の「今日の言葉」の続版。
 
朝日新聞は28日の「選挙報道『公正に』 自民、TV局に文書 街頭インタビューにも言及」に続いて29日は「衆院選:TVへ要望―政権党が言うことか」という社説を掲げました。また、毎日新聞は、自民党のテレビ局「選挙報道」干渉問題に続くあらたな事態として「テレ朝『朝生』:荻上チキ氏らの出演拒否」という記事を報道しました。さらに同「出演拒否」問題について、出演中止の通告を受けた当人としての「荻上チキ『朝生テレビ!』出演中止の経緯」という記事。さらにまた、このあらたな「選挙報道」自粛版というべき事態についての想田和弘さん(映画監督)と國分功一郎さん(哲学者)の感想。そしてさらに、この国のメディアの「選挙報道」には堂々と干渉宣言をしながら、逆にメディア統制が効かない外国特派員協会の記者会見には出席拒否をするという自民党の反民主主義体質を報じるAFP記事(この問題に関しては日本のメディアの報道はなかった模様です。したがって、この問題については外国記事のみの紹介になります)。
 
以上で、私のいわんとしたいことは表題のとおり。すなわち、「言論弾圧で恐ろしいのは下から起こる言論の自粛と萎縮だ」(國分功一郎さん)ということです。

なお、昨日の「今日の言葉」は以下。
 
今日の言葉(「私」と総選挙)9 ――自民党が選挙報道に厳しい干渉を加えている。メディアは、海外の高名なジャーナリスト(ウォルフレン)に指摘されるまで沈黙を守っていた。この国のメディアは、既に全身麻痺状態である。

昨日の記事の追記として:
放送法の文言をひいて「公平中立」を求めているが、実態はテレビ局への恫愒だ。しかも、以前のテレビ局の報道を「偏向報道」と批判している。アベノミクスに批判的な識者を出演させないよう予防線を張っているともとれ、焦りも感じる。政権担当者は批判されるのが当たり前なのに、自分たちの都合のよい報道を求めるのは危険な行為だ。(毎日新聞 2014年11月27日)
今回の文書は中身に問題がある。一般的に公平な報道をお願いするものではない。出演者の発言回数やテーマについて特定の意見が集中しないように求めるなどかなり具体的に介入した文書であり、報道が萎縮するような圧力になっている。もちろん、報道がある政党に対して肩入れをすることはあってはならない。しかし、公平公正というのは問題を足して2で割るという話ではなく、権力を持っている政権の問題を指摘し、時間をかけて課題を議論することは報道としては健全だ。(朝日新聞 2014年11月28日)


以下、「今日の言葉」(「私」と総選挙)。
 
朝日新聞社説「(衆院選)TVへ要望―政権党が言うことか」(2014年11月29日)から。
 
衆院選の報道について、自民党がテレビ局に、〈公平中立〉〈公正〉を求める「お願い」の文書を送った。総務相から免許を受けているテレビ局にとって、具体的な番組の作り方にまで注文をつけた政権党からの「お願い」は、圧力になりかねない。報道を萎縮させる危険もある。見過ごすことはできない。自民党の萩生田光一・筆頭副幹事長と福井照・報道局長の名前で出された文書は、20日付で在京の民放キー局5社に送られた。NHKは来ているかどうか明らかにしていない。文書は、過去に偏った報道があったとしたうえで、出演者の発言回数と時間▽ゲストの選定▽テーマについて特定政党への意見の集中がないように▽街頭インタビューや資料映像の使い方の4点を挙げ、公平中立、公正を期すよう求める。選挙の際、報道機関に公正さが求められるのは当然だ。なかでもテレビ局は、ふだんから政治的に公平な番組を作らねばならないと放送法で定められている。日本民間放送連盟の放送基準、各局のルールにも記されている。政権党が改めて「お願い」をする必要はない。文書には〈具体名は差し控えますが、あるテレビ局が政権交代実現を画策して偏向報道を行い、それを事実として認めて誇り、大きな社会問題となった事例も現実にあった〉ともある。1993年のテレビ朝日の出来事を思い浮かべた放送人が多いだろう。衆院選後の民放連の会合で、報道局長が「反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようという考え方を局内で話した」という趣旨のことを言った問題だ。仲間内の場とはいえ、不適切な発言だった。局長は国会で証人喚問され、テレビ朝日が5年に1度更新する放送局免許にも一時、条件がついた。ただし、放送内容はテレビ朝日が社外有識者を含めて検証し、「不公平または不公正な報道は行われていない」との報告をまとめ、当時の郵政省も「放送法違反はない」と認めた。文書がこの件を指しているとすれば、〈偏向報道〉は誤りだ。放送に携わる者の姿勢が放送局免許にまで影響した例を、多くの人に思い起こさせた威圧効果は大きい。選挙になるとテレビ局には与野党から様々な要望が寄せられるという。テレビ局は受け取った要望書などを、公平に公表してほしい。有権者にとっては、そうした政党の振る舞いも参考になる。
 
毎日新聞「テレ朝『朝生』:荻上チキ氏らの出演拒否」(2014年11月29日)から。
 
テレビ朝日系の討論番組「朝まで生テレビ!」(29日未明放送)で、出演する予定だった評論家の荻上(おぎうえ)チキさんら政治家以外のパネリストが、局側の意向で出演を取りやめていたことが28日、わかった。各党の議員と文化人らで衆院選について討論する予定だったが、「中立、公平性の担保」を理由に、荻上さんらが出演を断られたという。荻上さんによると、21日に出演を依頼されたが、27日になってテレビ朝日の番組スタッフから電話があり、各党議員と荻上さんらゲスト数人という出演者の構成について「ゲストの質問が特定の党に偏る可能性などがある」との理由で、議員のみの出演に変えると伝えられた。番組スタッフからは「局の方針と(人選した)番組制作側の方針が一致しなかった」と説明されたという。ほかに、タレントの小島慶子さんの出演も取りやめになった。【黒川晋史】
 
「荻上チキ『朝生テレビ!』出演中止の経緯」(荻上チキSession-22(2014年11月29日)から。
 
12月1日(月)に放送予定の「政治とメディア」の参考資料として、テレビ朝日「朝まで生テレビ!」への出演が急遽中止になった経緯について、 荻上チキが語った11/27(木)のオープニングトークを配信します。2014年11月27日(木)オープニングトークをポッドキャスティングで聴く(上記URLをクリック)。
 
想田和弘Twitter(2014年11月29日)から。
 
あの恫喝文書が効いているようだ。報道機関として情けないとは思わないのだろうか。→テレ朝:「朝生」で評論家の荻上チキ氏出演中止 - 毎日新聞
 
國分功一郎Twitter(2014年11月29日)から。
 
言論弾圧というと検閲など、上からの抑圧を想像してしまうが、そうした抑圧に人は敏感である。だから支配層はむしろそうした直接的な権力行使を避ける。恐ろしいのは自粛と萎縮だ。下から起こる言論への制約である。これを引き起こすのは簡単だ。人々にもしかしたら罰せられるかもと思わせればいい。
 
 
AFP「メディア統制が効かない外国特派員協会の記者会見を自民党が拒否」(2014年11月28日)から。

英文省略。
「今日の言葉」(「私」と総選挙)は「街の弁護士日記」(岩月浩二弁護士)の「孫崎享氏『危機!日本に報道の自由が消えていく。自民選挙報道の公平求める文書テレビ各局に渡す』」の言葉と「リテラ」から田部祥太氏の「『NEWS23』の安倍逆ギレが原因? 自民党がテレビ局に批判封じ込めの通達」という記事の抜粋です。
 
しかし、以下、若干の附記をつけておかなければなりません。私は、「街の弁護士日記」の記事に出てくるネット放送局「ノーボーダー」(境界なき記者団)の編集長(おそらく)の上杉隆をまったく信用していません(「境界なき記者団」というネーミングにもなにやら「国境なき記者団」を連想させる邪心が隠されているように私には見えます)。その理由は「上杉隆なるフリー・ジャーナリストの『うそ』を再度暴いておく」というエントリに書いています。ご参照ください。ただし、そのことと今回の「ノーボーダー」の報道は別のこととして峻別しています。もう一点。関連して、私は、そのイエロージャーナリストの上杉隆を無批判に称揚する孫崎享氏の見る目のなさ(すなわち、思想的欠陥)、さらにはその孫崎氏の論をこれまた無批判に称揚する岩月浩二弁護士の見る目のなさ(思想的陥穽)についても強く思うところがあります。彼らの鋭い視点には教えられるところも多いのですが、同時におおいなる弱点も少なくなくあります。そのひとつの顕著な例として上杉隆に対する見る目のなさを挙げておきます。
 
「街の弁護士日記」(2014年11月28日)から。
 
自民党が選挙報道に厳しい干渉を加えている。そのことをマスコミは、ネット放送局にばれるまで6日間も、沈黙していた。マスコミに対する飲ませ喰わせが効いているのか、マスコミトップがみんな「上に行くほど大バカ」になったか、新聞だけの消費税免税特権がよほど惜しいか、秘密保護法以前にジャーナリズムの使命など放擲して敗走するザマである。戦前、言論弾圧立法の歴史は古い。早くも明治憲法制定より10年以上も先立つ明治8年(1875年)には新聞紙条例が制定されている。しかし、1933年の滝川事件当時の言論を見れば、現在より遙かに自由闊達な意見が行き交っていた。トップを含めて現場が気概を持って言論の自由を守っていたのであり、大学の自治を掲げる学者も根性のある論陣を張り、行動していた。秘密保護法施行へのカウントダウン。この国のメディアは、既に全身麻痺状態であるウォルフレンが批判している。メディアは、海外の高名なジャーナリストに指摘されるまで沈黙を守っていた(引用者注:この問題についてのマス・メディアの報道は共同毎日が27日、朝日が28日)、恥を知れ。
 
「リテラ」(2014年11月27日)から。
 
『NEWS23』(TBS系)の街頭インタビューに「厳しい意見を意図的に選んでいる」と陰謀論まがいの主張をまくしたて、各方面から批判を浴びた安倍首相。だが、本人はそういった声に一切耳を貸すつもりはないようだ。それどころか、直後から、自分たちを批判しないようにテレビ各局に圧力をかけはじめた。〈選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い〉『NEWS23』出演から2日後の11月20日、在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てにこんな題名の文書が送られてきた。差出人は「自由民主党 筆頭副幹事長 萩生田光一/報道局長 福井 照」。(略)一見、低姿勢で〈公平中立〉などときれいごとを並べているが、わざわざこの時期に通達をしてくるということ自体、明らかに自民党に批判的な報道をするな、という脅しである。実際、この後にはこんな記述が続く。〈過去においては、具体名は差し控えますが、あるテレビ局が政権交代実現を画策して偏向報道を行い、それを事実と認めて誇り、大きな社会問題となった事例もあったところです。〉ようするに、テレビ朝日の椿発言のことを持ち出して、「ゆめゆめ、政権交代の手助けをしようなんて考えるなよ」と釘をさしたわけだ。そして、以下のように、具体的な要求項目を並べたてる。
 
・出演者の発言回数及び時間等については公平を期していただきたいこと
・ゲスト出演者の選定についても公平中立、公正を期していただきたいこと
・テーマについて特定の立場から特定政党出演者への意見の集中がないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと
街角インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと
 
おそらく、この最後の街頭インタビューのくだりが、この文書の最大の目的だろう。陰謀論に凝り固まった安倍首相が『NEWS23』に怒りを爆発させ、「街頭インタビューをつぶせ!」と指令を下したのは想像に難くない。政権を選ぶ選挙で現政権の政策批判さえ許さないというのは、自民党と安倍政権がいかに「報道の自由」「表現の自由」を軽視しているか、の証明だが、しかし、これが連中の本質なのだ。
25日付けの毎日新聞夕刊は「衆院選、議席大予測『「今のうち』なら勝てるのか自民」と題された特集ワイド記事を小国綾子記者の署名記事として掲載していました。さらに同紙のツイッターでも「おすすめ記事」として同記事の宣伝につとめています。「5人の専門家による議席予測」というのがよほど自慢なのでしょう。
 
しかし、この毎日記事を一読したときの私の感想は「マスメディアによってこんないかがわしいかぎりの『衆院選議席大予測』など出されてはたまったものではない」という怒りというよりもア然とする体のものでした。「kojitakenの日記」ブログの主宰者のkojitakenさんも私と同じような感想を持ったようで、翌日の26日付けで以下のような批判記事を書いています。以下、kojitakenさんのくだんの記事をご紹介しようと思っているのですが、その前に私の毎日記事にア然とした感想を先に述べておきます。とはいうものの、以下、五十嵐仁さんの記事からの引用がほとんど。
 
「前回の総選挙で自民党が大勝したのは自民党票が増えたからではない。自民党は得票数を増やしていない。過去3回の総選挙を見ると小選挙区では自民党は3252万票(05年)→2730万票(09年)→2564万票(12年)という結果。すなわち、自民党有利とされる小選挙区でも自民党は05年から09年にかけて522万票、09年から12年にかけて166万票と票を減らし続け、あわせて約700万票も支持を失っている。総選挙で勝利して政権を取り返した前回総選挙でさえ政権を失った前回からもさらに票を減らしている。比例代表区での減り方はもっと大きく05年との比較で言えば、政権を奪還した12年総選挙でも約900万票もの減少。では、なぜ自民党は『大勝』したのか。ひとつの理由は民主党の裏切りと政権交代への幻滅によって投票所に足を運ばなかった人が激増したことであり、もうひとつの理由は日本維新の会・みんなの党・日本未来の党などのいわゆる第3極の台頭によって野党の票が分散したことがあげられる。」
 
「前回の総選挙で民主党を離れた票は2000万票。このうちの半分は棄権し、半分はおそらく第3極に流れた。その第3極が前回の総選挙で集めた票は小選挙区で1274万票、比例代表区で2092万票。しかし、第3局は4分5列して大方の有権者の支持を失い、かつて第3局に集まった票は流動化している。そのすべてが流動化するわけではないが、比例代表区の半分が投票先を失うとしても約1000万票。これらの票が、一度は見捨てた民主党に還流するとは限らない。前回の総選挙は民主党がダメとなった後の選挙で、今度の総選挙は第3極がダメとなった後の総選挙。ということは、これらの2000万票が支持する先を求めて浮遊している状況にあるということを意味している。今回の選挙で『安倍政権の2年間の審判が問題になる』とすれば、これらの票が自民党に向かうとは考えられない」(以上、五十嵐仁さんの何本かの記事の要約)。
 
自民党のこの10年来の得票数の減少傾向。その客観的な前提条件を毎日新聞記事に登場する「専門家」たちはそれが総選挙における自民党の議席を予測する際の前提条件であることを認識しえていない。彼らの議席予測の前提条件となっているのはただいま現在の各党の議席数。その議席数に彼らなりの情勢判断を加味してたし算したり、引き算したりしているのが「衆院選議席大予測」。まったく表層的なものでしかなく、本質的な選挙分析になっていないことは明らかでしょう。本質的な選挙分析を踏まえないたんなる「現状」分析では当然流動化している票の本質的なゆくえなど評価することもさらさらできない。したがって、彼らのなせる議席予測なるものが当たるはずもない。すなわち低俗のきわみ、というのが私の感想です。
 
以下は、kojitakenさんの毎日新聞記事評価(改行、省略は引用者)。
 
毎日新聞(小国綾子記者)よ、週刊誌か『日刊ゲンダイ』みたいな選挙予想記事載せるなよ(kojitakenの日記 2014-11-26)
 
この毎日新聞記事はいただけない。まるで週刊誌か『日刊ゲンダイ』だ。
 
衆院選:「今のうち」なら勝てるのか自民 議席を予測 - 毎日新聞
 
(省略)
 
選挙予測に関しては素人としか言いようのない5人の人間による衆院選予想を、スポーツ紙の競馬予想よろしく載せて、しかも記者の署名入りの記事とは恐れ入った。この記事を書いた小国綾子記者が、政治部の記者か社会部の記者かは知らないが、こんな記事を書くようでは「新聞記者失格」であろう。競馬予想をした5人のうち1人は鈴木哲夫だが、この男が前回(2012年)の衆院選前にやらかした選挙結果の予想を、数日前に晒しておいた。
 
鈴木哲夫(笑)の前回(2012年)衆院選予想を晒しておくw - kojitakenの日記(2014年11月21日)
 
上記の記事に書いた通り、鈴木哲夫とは「小沢信者」にして、橋下徹もひいきにするトンデモ野郎である。なにしろ鈴木は、「第三極」(2012年当時は日本維新の会、日本未来の党、みんなの党など)の議席が合わせて200議席を超えるなどとホラを吹いていた。別のところでは、日本未来の党の議席が100議席を超えるとも予想していたらしい。そんなインチキ野郎の衆院選予想を全国紙の紙面に横流しする。これでも新聞記者といえるのか。まともな全国紙といえるのか。
 
他の4人の予想もひどい。次世代の党の議席を8~13議席などと予想している。鈴木哲夫を含めた4人は、同党の二桁議席を予想している。しかし、これは小選挙区制の性質を無視した「トンデモ予想」としか言いようがない。同党の解散時における選挙区選出議員は3人(平沼赳夫、園田博之、西野弘一)しかいない。他の多くは、前回衆院選の「維新バブル」に乗っかって比例代表で当選しただけの議員である。日本維新の会は維新の党と次世代の党に分裂したが、維新の党の政党支持率は1%程度で、次世代の党の政党支持率はそれよりもさらに低い0.1%程度である。従って、今回彼らが比例代表として選出される可能性はほとんどなく、選挙区で勝ち上がらない限り議席はおぼつかない。しかし現実には、同党候補者としては知名度の高い山田宏や中田宏も、選挙区には当たり前だが自民党候補もいるため、落選の可能性が高いと見られている。
 
選挙制度についてある程度頭に入っている人間であれば、次世代の党の議席予想は多くとも4議席(不愉快だし可能性は低いと思うが、石原慎太郎を当選させるために頭の悪い東京都民が比例代表で次世代の党に投票する可能性を考慮した場合)、大まけにまけても最大5議席だ。これを上回る数を出している選挙予想屋は「素人」とみなして構わないと私は考えている。そして、この基準に当てはまれば、毎日新聞の小国綾子記者が紹介した5人は全員「素人」であって、小国記者自身も「プロの新聞記者」というにはあまりにお粗末としか言いようがないのである。
 
5人の予想屋の中で、鈴木哲夫をも上回るお粗末さをさらけ出しているのは、白鳥令・東海大名誉教授である。Wikipediaで調べると、『小選挙区制で政治はどうなるか』(リバティ書房、1995年)という編著があるようだが、 それにしては維新の党45議席、次世代の党11議席、生活の党12議席などというあり得ない数字が並ぶ。おおかた新聞記者に聞かれたから適当に答えておいた、程度の丼勘定の数字なのだろうが、それにしても選挙制度に対する意識がきわめて低いとしか言いようのないひどい予想である。毎日新聞に対しても、こんな競馬予想同然の記事を平然と載せているようでは、新規に購読したいという気が全く起こらないと、強く批判しておきたい。
「今日の言葉」(「私」と総選挙)は広原盛明さん(都市計画・まちづくり研究者、元京都府立大学学長)の「2012年総選挙で得票率3分の1強を占めた『第3極グループ』が僅か2年で解体・消滅」という論と杉浦正章さん(時事通信現役記者(自称)。政治部長、常務取締役編集局長などを歴任。73歳)の「第3極はまるで馬糞の川流れでばらばら」という論の抜粋です。
 
おふたりの論は「第3極は政治的役割を終えようとしている」という認識では一致していますが、広原さんの論が第3極を「渡辺・小沢・橋下氏らの『私党・私兵の集団』に過ぎな」かったと第3極を否定的にとらえているのに対し、杉浦さんの論は第3極の危機を強力なリーダーの不存在に求めているようなところがあって、必ずしも第3極という存在そのものに否定的ではありません。そこに私は「2大政党論」の論調が主流の(すなわち、ウォッチ・ドッグ(権力の監視者)とはいえない)マス・メディアの常務取締役編集局長まで上りつめた杉浦さんの論の限界性を感じます。とはいえ、さすが編集局長まで上りつめた政治記者。その目のつけどころの随所に鋭い政治記者のカンのようなものを感じます。
 
広原盛明「リベラル21」(2014.11.27)から。
 
今回の総選挙は「第3極グループの解体・消滅選挙」の様相を呈している。前回の総選挙であれほど猛威を振るった第3極グループが見るも無残にバラバラになり、目の前で消えていく光景なんて想像すらできなかった。渡辺私党として結成された一番古手の「みんなの党」(2009年8月結成)からはまず「結いの党」(江田グループ、2013年12月)が飛び出し、その後も内紛が絶えずついに選挙公示前に解党・消滅することになった。この間わずか5年、最初から「渡辺商店の党」とか「みんなバラバラの党」とでもネーミングしておけばよかったのだ。小沢氏の私兵集団、「生活の党」も一貫して低迷状態を脱することができず、今回は所属議員の他党派からの立候補を認めるなど事実上「流れ解散」となる見通しだ。小沢氏が率いるグループは名前を覚え切れないほど転々と名前を変え、今日に至った。(略)手練手管の名手である小沢氏も遂に命運が尽きたのである。第3極グループの最大勢力である「維新の党」(2014年9月結成)も2人の共同代表の関係が余り旨くいっていない。というよりは、今回の総選挙結果次第では「維新の党」の再分裂もありうるとのもっぱらの噂だ。自分が「党の代表」だと自負している橋下共同代表は、国会議員の地位をフルに活用してテレビで日々露出度を高めている江田共同代表(結いの党出身)の存在に我慢がならない。大阪から国会議員団に指示するのも限界があり、やはり国会議員にならなければ陣頭指揮ができないとかねがね思っていたという。(略)だがこの間、一連の出馬騒動が「維新の党」や「大阪維新の会」にどれほど大きな政治的ダメージを与えたか、彼ら2人にはからきしわかっていないらしい。維新の地方議員の間には「もう付いていけない」との幻滅感と危機感が広がり、「維新離れ」が水面下でますます広がっている。(略)2012年総選挙では、第3極が「希望の星」だった(とマスメディアに持て囃された)。だがこの2年間は、第3極グループが結局は渡辺・小沢・橋下氏らの「私党・私兵の集団」に過ぎないことを明らかにした。私は今回の総選挙はこの第3極グループの解体・消滅が国民の政治意識に対して多大の影響を与えると思う。
 
杉浦正章「永田町幹竹割り」(2014-11-27)から。
*時事通信記者。政治部長、常務取締役編集局長などを歴任。73歳。
 
第2次大戦末期ニューギニア戦線などで米軍の猛攻を前に部隊長らが「各自自活して生き延びよ」と事実上の日本軍解体を涙ながらに宣言しているが、いまそれが第3極で起きている。生活の党代表・小沢一郎がついに所属議員らに「好きにしていい」と事実上の解体を認めた。みんなの党代表の浅尾慶一郎も「手法の違いによる解党ということだと思う」と変な理屈を付けて解党を宣言した。維新代表・橋下徹も出馬を断念した。物語るものは何か。第3極とはしょせんはマスコミに踊らされた風に漂う浮き草に過ぎなかったということだ。今のところ野党には第3極の軒並み失速という事態が起きて遠心力のみが働き、求心力が働かない。このバラバラの事態を政界用語では「馬糞の川流れ」という。「せめて牛糞で固まりたい」と思っても、「この指止まれ」と手を挙げるカリスマと求心力のある指導者がいない。一昔前なら小沢がそれであったが、今は落ち目の三度笠だ。(略)一方で、もう1人第3極復活の鍵を握っていたのが維新代表の橋下徹だ(略)が、結局勝てるかどうかの自信が持てなかったのだろう。24日朝の街頭演説で不出馬を表明した。(略)一方みんなの党の浅尾も、さじを投げた。もともと渡辺喜美という強烈な個性で持ってきた党であり、渡辺がつぶれては、ひ弱なインテリの浅尾では政治家集団を維持するのは無理だったのであろう。渡辺の個人商店を番頭が経営しても限界があるのだ。こうして第3極は次々に「自活して生き延びよ」になってきた。風で当選してきた議員らはそよ風程度の逆風でも倒れるのだ。ところで焦点は、民主党代表・海江田万里の動向だ。(略)民主党にとっての不幸は総選挙惨敗を受けて、有能な政治家が代表選に出馬することを尻込みし、二戦級の海江田を党首にしてしまったことだ。(略)2日の公示が迫る中で強力なリーダーが存在しないということは痛い。
「今日の言葉」(「私」と総選挙)は昨日に続いて弁護士の澤藤統一郎さんの「安倍自民への投票は、あとから改憲容認票と主張されかねない」という論と小鷲順造さん(日本ジャーナリスト会議会員)の「安倍流『トリクルダウン』破綻、日本国憲法の転覆と国民の管理統制の策謀にも終止符を!」という論、さらに安倍流「トリクルダウン」の問題に関連して「街の弁護士日記」ブログを主宰する岩月浩二さんの「家畜扱いされる国民 国債破綻織り込み済み総選挙」という論の抜粋です。それぞれの論はもちろん別々ですが、安倍政権、首相アベの獰猛なまでの危険性を論じる点では一致しています。岩月弁護士は「仮に今回の選挙で安倍政権が維持されるなら、民主的な装いがこらされた、選挙ができるのは、最後の機会になりそうな気がしてならない」とまで述べてアベを全面否定しています。小鷲順造さんはジャーナリストとしてさらに「選挙ができるのは、最後の機会になりそうな気がしてならない」この時期のマスメディアの重大な責任とアベ政権「告発」のジャーナリズムとしての義務を問うことも忘れていません。
 
「澤藤統一郎の憲法日記」(2014年11月26日)から。
 
昨日(11月25日)、自民党が「重点政策2014」を発表した。「衆院選で訴える政権公約」という位置づけ。「政調会設置の各部会から寄せられた個別の政策を約300項目にわたって、幅広く掲載したもの」だという。それゆえであろう、体系性が見えてこない。脈絡に乏しい300項目の政策の断片を読ませられるのは苦痛。それでも、自民党が選挙に勝てば、「この公約に盛り込まれている以上は民意の支持を得た」として、独断政治の大義名分とするつもりなのだ。その典型が公約の最後第6節に位置する憲法改正についての2項目である。 「Ⅵ 憲法改正<時代が求める憲法を>○憲法改正国民投票法一部改正法が施行されたことに伴い、国民の理解を得つつ憲法改正原案を国会に提出し、憲法改正のための国民投票を実施、憲法改正を目指します。○憲法改正のための投票権年齢が4年経過後に18歳になることを踏まえ、選挙権年齢を前倒しして18歳以上に引き下げます。」要約ではない。これが全文なのだ。これを読んだ有権者は、まさか今回選挙が改憲選択選挙だとは思わない。しかし、「憲法改正原案を国会に提出し、憲法改正を目指します」とはしっかり書き込まれている。その原案の内容は、「天皇をいただく国」をつくり、「自衛隊を国防軍にして、自衛の範囲を超えた海外での戦争もできる」ようにし、「公序・公益によってあらゆる権利の制限を可能とする」自民党改憲草案ということになる。安倍自民への投票は、あとから改憲容認票と主張されかねないのだ。大義なき解散に関して、「アベノズルサ」「アベノコソク」を指摘する声は高い。目立たぬよう、公約に「憲法改正」をもぐり込ませた「アベノテグチ」についても大いに批判をしなければならない。
 
「Daily JCJ」(小鷲順造 2014年11月26日)から。
 
いま、あらゆる手を使って、「支配層」として生き残りを図ろうとしている自民党の姿ほど傲慢で、滑稽で、醜いものはない。大義もないまま、野党に準備をさせまいと突然の解散を打ち、ごまかしが効いているうちに「勝ち」を演出して来年の統一地方選での総崩れに歯止めをかけ、政権・与党体制の存続を謀ろうとしている。これほど卑怯な政権・与党があるだろうか、あっただろうか。笑顔の人気取りで始まったファシズムが、時代錯誤の「トリクルダウン」の罠にはまって、破綻のときを迎えようとしている。今回の大義なき解散劇などは、開発途上にある独裁政権が、対抗勢力が大きくならないうちに延命をはかって打つ猿芝居のようでもある。また、そもそも知識も才能もない首領をあやしたり持ち上げたりして励ますためのようにも見えるし、思慮のない首領の政権投げ出しを、まわりが封じ込めるためのようにも、見ようによっては見えたりもする。安倍流「トリクルダウン」の破綻は、彼らが狙う日本国憲法の転覆と国民の支配、管理統制のシナリオも狂わせようとしている。今回の解散・総選挙にどのような役割をもたせ、日本社会をどのような方向へ導いてゆくか。菅官房長官は、「何を問うか問わないかは、政権が決める」と口走ったようだが、これも根本的に間違っている。選挙を行うのは選挙民であり、政治家ではない。政治家を政治家たらしめるかどぅか決める権利を有するのは選挙民である。これは民主主義社会の鉄則中の鉄則である。(略)安倍政権の後ろ向きに前のめりになった愚政によって、日本社会は本来歩む道を見失い、踏み外そうとしている。この膨大なムダ、膨大な損失をさらに深刻化させないためにも、いまマスメディアは自らも含めた日本社会が、重大な分岐点にいることをあらためて市民社会と広く共有して、各社・各記者各様に日本の市民社会の「いま」を、縦横に多面的に描き出し、問いかけ、告発していくときである。
 
「街の弁護士日記」(岩月浩二 2014年11月23日)から。
 
株価の維持が、政権の支持率に直結する不思議な民主主義の国では、株価操作のために、とうとう国民の預託している年金資産にまで、総理大臣が手を付けた。金資産の運用変更問題は、ほとんど報じられず、総選挙のテーマにはならないようだ。連合は一応、年金資産を主として株式と外国債で運用することには反対しているようだが(略)、民主党の選挙公約になるかというと、そうはならないらしい。労組幹部も政治家もみんな株を持っているのだろう。(略)メディアが採りあげないこと、あるいは採りあげても、その取り上げ方が小さいことに、問題の本質があるという気がしてならない。(略)昨22日の朝日新聞には、GPIFの審議役・企画部長だった、玉木伸介氏へのインタビューが大きく載っていたが、年金資産運用変更自体には合理性があるとしつつ、「30兆円規模の損失が生じるかもしれません」と、政府の説明不足を批判している。金銭感覚が麻痺してしまったので、30兆円と聞いてもピンと来ないが、国の租税収入が年間40兆円台なのだから、大変な金額である。税率5%時の消費税収入でいえば、3年分の消費税に相当する。消えた年金が大問題になったのは、つい7年前、2007年の第一次安倍政権のときだ。AIJの投資資産消失が大問題になり、企業年金組合の破綻が問題になったのは、まだ3年も経たない、2012年初めのことだ。AIJをはるかに凌ぐ大規模なバクチを総理が行ったというのに、この静けさである。(略)国債の破綻が既定事項として進められているように見えてならない。国債破綻は、想像も付かない大混乱を引き起こすだろう。未曽有の国難には挙国一致で対処することになるのだろう。今回の選挙は、それを織り込み済みで、日本を解体しようとする集団が、4年間の権力を確実にしようとするものだろう。仮に今回の選挙で安倍政権が維持されるなら、民主的な装いがこらされた、選挙ができるのは、最後の機会になりそうな気がしてならない。
「今日の言葉」(「私」と総選挙)は弁護士の澤藤統一郎さんの「1歩も進めず2歩後退 第3極は4分5裂」の論と歴史学者の保立道久さんの「総選挙、政治には絶対はないが、社会には絶対というものがある。」という論からの抜粋です。
 
おふたりともこの10年の政治(2005年小泉郵政選挙、2009年政権交代選挙、2012年民主党自爆、第3極乱立、自民大勝選挙)を振り返って、自公政権に対抗すべき民主党、第3極への選択が「不毛の選択」であったことの謂いを説いています。私たちは「不毛ではない選択」を選択することはできるか。その選択は、愚劣かつ危険きわまりない(そのことは多くのメディアの批判が続発している今回の「アベ自己チュー解散」でも明らかです)「政治」の限りを尽くす安倍政権を終焉させることができるかどうか、の選択であろうと思います。
 
1歩も進めず2歩後退 第3極は4分5裂
(澤藤統一郎の憲法日記 2014年11月24日)から。
 
ここ10年ほどの総選挙結果に表れた有権者の投票行動は、小泉劇場を舞台とした郵政選挙(2005年)で自民党に走り、一転してマニフェスト選挙(2009年)で民主党に向かい、前回自爆解散による総選挙(2012年)で自民党に戻ったかの印象を受ける。議席の推移からだけだとそう見えるが、しかし実は前回12年選挙では、民主党から自民党への票の回帰はなかった。自民党政権は、見かけほどに強くはないのだ。この点の見定めが肝要である。(略)
 
郵政選挙までは自民にとどまっていた有権者の民意は、いったん熱狂的に民主に向かって政権交代を実現したが、民主に裏切られた民意は民主党から離れたものの自民には戻っていない。12年選挙の結果を見る限り、有権者の自民離れの長期傾向は一貫して継続しており、民意はけっして自民を支持してはいない。12年総選挙間の自民の「大勝」は、有権者の積極的支持によるものではないのだ。にもかかわらず自民が圧倒的多数の議席を獲得したのは、民主が沈んだことによる相対的な有利を、絶対的な議席数の差に反映した小選挙区制のマジックの効果である。その、民主の凋落をもたらした大きな要因として、民主離れの票の受け皿となった第3極の存在を無視し得ない。
 
安倍自民を右翼政党と表すれば、12年選挙における石原・橋下の「維新」は極右というほかはなく、中道・民主から極右・維新への1000万票の流れは、政治の重点を右に傾けた片棒をになっている。しかし、彼ら第3極の基盤も脆弱である。12年選挙で54議席を獲得した「日本維新の会」は、「維新の党」と「次世代の党」に分裂した。既に当時の勢いはない。18議席を獲得した「みんなの党」も分裂し、このほど解党を決議した。みんなを割って出た「結いの党」が維新の党と合流したが、到底党内の統一が保たれているようには見えない。あきらかに、有権者は戸惑っている。自民の長期低落傾向は、自公政権の新自由主義的政策への批判の表れである。目先を変えての集票にも限界があり、いったんは雪崩を打って民意は民主党政権を作り上げた。しかし、民主党の裏切りに、民意は第3極に期待した。その結果が、民主党の凋落と、小選挙区効果による自民党圧勝であった。
 
安倍自民の延命も、第3極の議席の維持も、真に民意の望むところとは考えがたい。とりわけ、自覚的な安倍政権批判票を第3極に流出させてはならないと思う。第3極とは、日本の軍事大国化をさらに推し進める輩と、経済格差や貧困をさらに深めようとする新自由主義者の連合体ではないか。けっして、安倍政権への批判の受け皿たりうる資格はない。自民はだめだから民主へ、民主もだめだったから第3極へ、というのが前2回の総選挙に表れた民意漂流の姿である。この流れを断ち切ろう。幸いにして、第3極は四分五裂の状態である。このような無責任政治集団に、貴重な票を投じてはならない。
 
総選挙、政治には絶対はないが、社会には絶対というものがある。
(保立道久の研究雑記 2014年11月24日)から。
 
総選挙ということである。選挙のときの政党選択は、基本的に、その時の最大の社会的問題にそって判断するべきものであると考えるが、今回の場合の絶対条件は、第一に沖縄の人々が、普天間基地の撤去について、県知事選挙で示した要求をどう考えるか、第二は東日本太平洋岸地震の被災地域の復旧と原発の大事故をどう考えるかであろう。この問題は原発の廃棄を選択するかどうかである。(略)この二つは沖縄県知事選福島県知事選という直近の選挙の結果と政党の動きに関わるから、ここを基準として考えることが適当であろうと思う。
 
沖縄では先日の知事選挙において、翁長那覇前市長が県民全体の33パーセントの支持率で当選した(投票率64パーセント)。仲井真前知事に10万票の差をつけた圧勝である。」衆議院選挙では、この知事選の確認団体が協同で、日本共産党・社会民主党・生活の党そして県議団からなる選考委員会で決定されたという元県議会議長、自民党県連顧問の仲里氏の四人を全衆院選挙区に立て、全員当選を目指すことが確定した。
 
問題は福島だが、この10月の県知事選挙では、内堀雅雄前副知事を自由民主党、民主党、維新の党、公明党、社会民主党が支援し、元宮古市長の熊坂義裕氏を日本共産党、新党改革が支援し、内堀氏が全県民の30パーセントの支持率で当選した(投票率46パーセント)。熊坂氏と井戸川克隆氏、さらにほか3人の候補は脱原発を主張したが、熊坂氏は全県民の8,3パーセントの支持率にとどまり、井戸川氏などもふくめて全県民の14パーセントの支持率にとどまった。当選した内堀氏も県内原発の全基廃炉をいうが、自民党・民主党の支持をうけながらのものである。(略)
 
政治の基本は政党選択である。ここからすると、今回の全国選挙、衆議院議員選挙における政党選択は日本共産党を選択するという狭い範囲に狭められる。いわばお寒いことではあるが、これが日本の政治の現実である。民主党という選択肢は、この党がここ10年やってきたことからしてまったくありえない不毛の選択である。また問題は社民党であって、この党は、沖縄では役割を果たしながら、なぜ福島県知事選で、上記のような選択をしたのか。この党の責任は大きい。(略)日本共産党については、あくまでも政治組織、社会の利益を代表する組織であって、いわゆる「世界観政党」ではないことを確認してほしいし、そういう意味での「ただの」政治組織に徹っしてほしいし、そうあるべきことは明らかなことだと思っている。
 
丸山真男古在由重との対談に後記して「周知のようにマルクス主義の世界観においては、哲学と科学と革命運動とが三位一体をなしている」(『丸山真男対話編』1)と述べているが、すでにそういう時代ではないはずである。(略)社会・自然・人文諸科学をこえた独自な「マルクス主義哲学」なるものは存在しえない、必要がないということは、19世紀以来の経過のなかで、すでに明らかではないかというように、私は思う。論理学と「弁証法」があれば十分だとは思わないが、私は、フォイエルバハキルケゴールバタイユなどの哲学が好きで、それで少なくとも当面は十分であると思う。必要なものは、マルクスのみでなく、上記のような哲学者の考えたであり、さらに禅宗を初めとした東洋思想や神話をふくめた自然思想を含め、すべてはそれらのその先にあると思う。少なくとも歴史学者としてはそういうことである。
首相Aが今回の「解散・総選挙」で目論んでいるたくらみが「思想」的にゆきつくところ。その風景を辺見庸は国策映画『南京―戦線後方記録映画―』をみた感想として述べています。私はそう読みました。
 
私たちは憤らなければならないのです。「1956年には堂々とできたことが、2014年にはできない」ことについて。「敗戦後70年で、言論はいちじるしく閉じ、未来にすすんでいるのではなく、戦前、戦中にもどっている」ことについて。
 
その「戦前、戦中」に回帰させようとしているアナクロニスト、「戦後レジームからの脱却」なる呪文を唱え、「大義なき」解散までして国民を「戦前回帰」の共犯者にしたてあげようとしている「鉛のように無神経な」(「日録1-9」11月24日)ニンゲンは安倍晋三その人です。しかし、辺見によればニッポン国民もまた「鉛のように無神経な」ニンゲンです。その「鉛のように無神経な」ニンゲンをかつぎあげているのはほかならないニッポン国民なのだから。
 
首相Aは一刻も早く退陣させるほかありません。
 
辺見庸「日録1-9(2014/11/23)から。
 
国策映画『南京―戦線後方記録映画―』をみた嫌悪感がオリになって体内に沈殿し、まだときどき喉もとにわきあがってくる。わたしがもっとも怖気をふるったシーンは、戦場でも廃墟でもない。南京の戦場(というより大量殺戮現場)から、東京の皇居にむかってなされていた「遙拝」であり、戦場で「奏上」されたのりとのひびき、玉串の奉奠(ほうてん)であり、榊(サカキ)にむすばれた「四手」(しで、「紙垂」)という紙のたなびき、そのうなり声、万歳三唱の蛮声であった。「遙拝」とは、遠くはなれれた場所から神様(天皇)をはるかに、深々とおがむこと。「奏上」とはなんだ?ほかでもない、天皇に申し上げることである。この国はかつて自国民だけでなく中国や朝鮮半島のひとびとにまで「遙拝」を強いた。『中国の赤い星』を著したエドガー・スノーはニッポンの侵略と殺戮を徹底的に憎んだ。終生ニッポンを軽蔑したといってもよいだろう。日本軍を「首刈り族」とまでののしった。スノーにはニッポンにたいする生理的嫌悪さえある。そのわけは、直接には、侵略と大量殺戮にあるのはいうまでもないが、血でそめた外国の大地で、平気で神道にもとづく「神事」をとりおこなう無神経、不気味さにもあったろう、とわたしは察する。大内兵衛はかつて「天皇は開戦・敗戦の政治責任をまぬかれうるか」と設問し、否と答えた。第二に、「天皇は国民への道義的責任をまぬかれうるか」と問い、これにも、否と答えた。第三に、「アジアの民衆にたいする虐殺、捕虜虐待にかんする責任をまぬかれうるか」と問い、三たび否と答えている(「天皇の戦争責任」『中央公論』1956年6月号)。いま、どんな新聞・雑誌が「天皇の戦争責任」を問う特集を組むだろうか。組む者はだれもいないし、そのような特集を組むことは100パーセント不可能である。なぜか。たいへん危険だからだ。極右と「影の組織」がまちがいなくうごく。ひとが殺されるかもしれない。かもしれないではない。その公算きわめて大である。1956年には堂々とできたことが、2014年にはできない。そんな社会になったのだ。敗戦後70年で、言論はいちじるしく閉じ、未来にすすんでいるのではなく、戦前、戦中にもどっているといってもよい。大内兵衛は南京大虐殺についてこう書いている。「この大虐殺が、日本軍のいかなる命令中枢から発せられたか、あるいは『軍紀の弛緩』によるものかは、今日なお疑問の部分もあるが、事実としてまったく放恣な略奪、強姦、虐殺の祝宴が大規模にくりひろげられたことは、疑いない」(集英社刊『昭和戦争文学全集』3「果てしなき中国戦線」の解説)。
私が常岡浩介さんというフリージャーナリストを知ったのはいわゆる「北大生」事件関連で常岡さんが参考人として自宅の家宅捜索をうける前のことですが、「イスラーム国」問題がメディアで騒がれ出した頃からのことですからいずれにしても最近のことです。「北大生」事件に関しては私は公安の「私戦予備・陰謀」罪という事件のデッチアゲか、デッチアゲに近い事件という見方をしていましたから、当然、常岡さんの自宅の家宅捜索にも批判的な立場でした。ですから、その常岡さんが「参考人」から「被疑者」に「格上げ」されて「逮捕近し」という状況になったときには、私は、この事態は「公安=権力の暴力」以外のなにものでもない、と強い憤りの思いに変わりました。しかし、この私の「憤りの思い」はいわば「公憤」であって、別に常岡さんでなくとも私の「憤りの思い」は変わるものではありません。そういう性質のものでした。
 
さて、常岡さんは昨日の22日付けで以下のようなツイットを発信しています。
 
「やっと!ハサン中田考先生に対するまともなインタヴュー記事が出たみたい。 今日発売の週刊ポスト12/5号50~53ページに、「外務省はイスラム国の日本人人質を見捨てた」と題する記事が掲載されています。...http://dlvr.it/7bdpcR」(常岡浩介@shamilshTwitter 2014年11月22日)
https://twitter.com/shamilsh/status/536029445849493504
 
詳細は以下のようです。
 
「やっと!ハサン中田考先生に対するまともなインタヴュー記事が出たみたい。今日発売の週刊ポスト12/5号50~53ページに、「外務省はイスラム国の日本人人質を見捨てた」と題する記事が掲載されています。ハサン先生はイスラム学の超人なのに、なにしろ、日本の社会常識と、とりわけ、人を見る目が宇宙的に壊滅しているので、自分の周りに無能な異常者ばかりを集めているし、メディアも、「100万寄越せ」などといって、まともなものを全て追い払っておいて、IWJだの勝谷誠彦だのといったデマ専門家だけ相手にするという逆転対応なので、自分で自分をどんどん不利な状況に追い込んでいるのが、見ていられませんでした。今回のインタヴューは公安警察の対応でなく、主に外務省の対応を批判する内容になっています。まあ、外務省も領事部は警察公安部や公安調査庁からの出向者で構成されていますから、関わりがないというのはおかしいわけで、領事部の無能には十分に責任があります。」
https://plus.google.com/+ShamilTsuneoka/posts/Exd6RCzaitn?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
 
私が標題で「常岡浩介さんの「良識」としての眼を再評価する」と言っているのは、上記の常岡さんの「IWJだの勝谷誠彦だのといったデマ専門家だけ相手にするという逆転対応」という評価を指しています。IWJ(岩上安身氏)と勝谷誠彦氏については、その彼らのデマゴギー性と右翼性について私もかねてから強い批判を持っており、また、強い批判も発信してきていますので常岡さんが言わんとする批判はここでは詳説しませんが私にはよくわかります。常岡さんが言わんとする批判をよくわからない人を私は「世俗」(人を見る目が俗世間に流通している「俗の目」(「真実」を穿たない目)の域を出ないということ)とみなしますので、その逆説として「常岡さんの眼は良識的」ということになります。
 
また、常岡さんは昨日のtwitterで以下のような記事も紹介しています。
 
イスラム国志願・北大生騒動は"トンデモ茶番劇"だった
(DMMニュース 2014.10.11)
 
警視庁公安部が、イスラム教スンニ派過激派組織「イスラム国」に加わるために海外渡航を企てたとして、北海道大の男子学生(26・休学中)を事情聴取した事件は、単なる茶番劇で終わりそうだ。事件発覚直後の報道では、問題の学生が「テロリスト予備軍」であるかのような報道が相次いだが、その素性が明らかになるにつれて雲行きは怪しくなってきた。
 
大手紙の社会部記者は、「今回の事件が弾ける前、公安は大張り切りでした。ある幹部は、『第2のオウム事件になる可能性がある』と深刻ぶって話していた。逮捕後も興奮冷めやらない様子で『テロの芽を事前に摘んだ』と自画自賛してました」と振り返る。
 
忍者Tシャツを披露し「現地人に喜ばれる」と吹聴
 
ところが、事件の概要が明らかになると、捜査員たちは一気にトーンダウン。捜査当局が危険分子とみなした学生が、単なる〝痛いモラトリアム青年〟だったことが判明してきたからだ。そのトホホな内幕は、「フライデー」(講談社)10月24日号でも報じられている。学生に取材したジャーナリストの常岡浩介氏(45)を直撃し、お騒がせ学生の素顔を暴いている。
 
同誌によると、常岡氏とのインタビューに臨んだ学生が、忍者の絵柄が書かれたTシャツを披露し、「日本人が忍者のTシャツを着てるって現地人に喜ばれるよ」と無邪気にハシャいでいたという。「当該学生はツイッターもやっているのですが、その内容もひどい。精神障害者を揶揄するようなアカウント名を名乗り、『もうすぐ死ぬのでお勧めの風俗に連れて行って下さい』『死にたいにゃん』などと冗談とも本気ともつかない意味不明な書き込みを連発していた。自意識過剰な若者という印象でしたね」(先の新聞記者)
 
本気でシリアに行く気などなかったのではないか。常岡氏はシリア渡航前の学生の行動にも疑問を呈している。「常岡氏によると、学生は8月に一度シリア行きを中止しているが、その時は『パスポートが盗まれた』といって自分で警察に通報したそうです。シリア行きを仲介したイスラム法学者の元大学教授を呼び捨てにしてバカにするそぶりも見せていた。警察は学生の悪ふざけに振り回されてしまった可能性が高い」(同前)
 
それでも強がらずにはいられない公安幹部
 
今回の一件で学生のみならず、常岡氏も自宅の家宅捜索を受けて取材道具を没収される憂き目に遭っている。警視庁公安部といえば、2010年10月に今回の事件とも関連するイスラム過激派を取り締まるための国際テロに関する捜査資料を大量に流出させた〝前科〟もある。今回の件でも、その拙速な対応に批判も集まっているが、それでも記者クラブ所属の〝御用記者〟たちに、幹部連中はこう吹聴しているという。
 
「よほどバツが悪かったのか、『常岡の言うことはあまり信用しないほうがいい』と言い含み、『今後も第2、第3のテロリスト予備軍が出てきかねない』と危機感を盛んに煽っている。でも、資料流出の時にも大した情報を集められていなかったことが露呈しており、本当に実情を把握できているとはとても思えない」(公安担当の社会部記者)
 
バカ学生の1人芝居に踊らされた警察と、カラ騒ぎにまんまと乗っかったマスコミ。どっちもどっちということか……。
(取材・文/浅間三蔵)
 
対して、以下は、天木直人氏の本日付けの「日本とイスラム国の関係のカギを握る中田元教授に注目せよ」という記事。
 
日本とイスラム国の関係のカギを握る中田元教授に注目せよ
(天木直人のブログ 2014年11月23日)
 
解散・総選挙ばかりに目を奪われているが、あの北大生のシリア渡航未遂事件に関連し、極めて重要な報道が立て続けに行われた。
 
一つはきょう11月23日の読売新聞が掲載した驚愕のスクープ記事だ。
 
すなわちイスラム国に参加しようとした北大学生のシリア渡航を手伝ったとして警視庁公安部の捜査を受けていたイスラム研究者の中田考元教授が、イスラム国兵士から暗視スコープなどの調達を求められていたことが、捜査関係者への取材でわかったというのだ。
 
公安警察が通信記録を解析した結果、そのイスラム国の兵士は中田元教授に対し、暗視スコープ以外にも日本車の部品や現金の調達も依頼していたという。それらを北大生に運ぶように依頼していたという。
 
もう一つは、きのう発売された週刊ポスト12月5日号に掲載された中田元教授のインタビュー記事だ。
 
それによると中田元教授は1992年から94年の間、サウジアラビアの日本大使館に専門調査員として勤務していたという事実だ。
 
専門調査員を辞めた後も外務省は中田元教授に対しイスラム諸国との外交の協力を依頼していたという事実だ。
 
この二つの報道が示した事は、何か。
 
それは中田元教授こそ、よくも悪くも、日本の対イスラム国外交のカギを握る可能性を持った重要な人物であるということだ。
 
日本政府と外務省が、はじめから極秘裏に田中(ママ)元教授をうまく活用していたら、日本はイスラム国との関係において、米国やイスラエルよりはるかに有利な立場に立てる可能性があった。
 
しかし、ここまで報道されてはもはや手遅れだ。
 
米国やイスラエルは田中(ママ)元教授が勝手な真似をすることを許さないだろう。
 
日本は田中(ママ)元教授を危険人物として封印するほかはない。
 
またひとつ、日本政府と外務省は、対米自立外交のチャンスをみすみす失った。
 
無策、無能の故に、大きな失態をおかしたということである(了)
 
天木氏は、上記の記事で公安情報のリーク記事にすぎない本日11月23日付けの読売新聞記事を「驚愕のスクープ記事」、「中田考元教授が、イスラム国兵士から暗視スコープなどの調達を求められていたことが、捜査関係者への取材でわかった」などと無批判に賞賛、引用していますが、この「事件」の当事者のひとりの常岡浩介さんは「『イスラム国』が暗視スコープ要求…元教授拒否」という記事を紹介した上で、「今、事実関係を確認したけど、やっぱりデマだった。暗視スコープの件は北大生がゆく、ゆかないの話以前に断り済みだったので、「北大生らに機材を運ぶよう依頼」などあるはずもない」「そもそも、『北大生ら』の『ら』ってなんだよ?ぼくしかいないじゃん。ぼくにそんな話はないぞよ」と全面否定しています。また、もうひとりの当事者の中田考さんも上記の読売新聞記事のとおり「読売新聞の取材に対し、要求を受けたことを認めた上で、『断った」」と話した」と全面否定しています。天木氏は当事者が否定している「事実」を公安のリーク情報だけで「真実」のように決めつける天木直人氏の慢心からか、錆びついてしまっているのか、もともとなかったのか、の人権感覚のなさとメディア・リテラシーの愚鈍に強い疑問符をつけざるをえません。
 
また、読売新聞記事で「イスラム国兵士から暗視スコープなどの調達を求められていた」といわれる「兵士」(戦闘員)の意味についてはイスラーム学の研究者で権威でもある中田考さんがビデオニュース・ドットコムのインタビューに応じて「イスラム教の考えではイスラムの国に行く者は、女性や子どもを除いてすべて戦闘員として行くことになっている。そういう意味だ」と疑問の余地なく明快に説明しています。天木氏はそうした当事者や専門家の話よりも公安情報のみを鵜呑みにするという民主主義の人とはとてもみなせない愚かすぎる暗愚の愚をおかしています。「日本は田中(ママ)元教授を危険人物として封印するほかはない」とはなにごとか。人さまの「人権」をなんだと思っているのだ。

追記:清水勉弁護士が本エントリに関連するメディア批判を主題とする記事を翌日の自身のブログにアップされていました。以下、参考記事として引用しておきます。

「イスラム国」が暗視スコープ要求していた?(弁護士清水勉のブログ 2014-11-24)
 
ネットで、読売新聞の私戦予備・陰謀罪被疑事件の記事(2014/11/23)を目にした。一読して、???。これが日本の第マスコミの記事かと愕いた。まるで意味不明の内容なのだ。記事によると、中田考・元同志社大学教授は、「イスラム国」の兵士から暗視スコープの調達を依頼され、北大生らに運ぶよう依頼していた、しかし、同元教授は、要求を断わったという。
 
このようなやりとりがあったということだが、いつごろ依頼があって、いつごろ断わったのか、北大生が「イスラム国」へ行きたいと中田元教授に話した時期との前後関係はどうなっているのか。記事からはまったくわからない。
 
暗視スコープは海外への持ち出すが禁止されている物なのか。記事にはこの点が書かれていない。中田元教授が犯罪に関わりそうになっていたかどうかに関係していることだから、このことを記事にはっきり書かなければおかしい。暗視スコープそのものを海外へ持ち出すことが禁止されていないのなら、わざわざ報道する意味がない。
 
禁止物だったとしても、中田元教授は要求を断わっているということだから、犯罪性はない。相手が犯罪性のあることを言ったり、メールを送ってきたら、こちらが申入れを断わっても犯罪者扱いされたのではたまったものではない
 
「北大生ら」に運ぶよう依頼したとのことだが、北大生はこんなやりとりがされていることを知っていたのか。知らせるまでもなく断わっていたのなら、やはり何の犯罪性もない。
 
記事はさり気なく「北大生」とと書いているが、「ら」とはだれだ。北大生と一緒に「イスラム国」に行く予定だったのは常岡浩介氏しかいない。常岡氏は暗視スコープを運ぶことを了解してたのか。「イスラム国」の兵士と中田元教授のメールのやりとりだけか。
 
他人が書くメールに自分のことがどう書かれるかはだれもチェックできない。自分の知らないところで、他人がメールで勝手なことを書き込んでしまい、その内容から犯罪に関係しているとされたのでは堪ったものではない。
 
毎日新聞の記事(10月30日朝刊)は警視庁公安部のめちゃくちゃな「捜査」の広報だった。読売新聞のこの記事も同列だ。讀賣新聞の記者とデスクには毎日新聞の記事の出来の悪さがまったくわからなかったらしい。むしろ、「自分も同じような記事を書きたい」と思ったようだ。他紙も同じようなものなのだろうか。
 
このような雰囲気が日本のマスコミに蔓延しているのなら、日本の報道は瀕死の状態にあると言ってよいだろう。読者が疑問に感じるようなことくらいしっかり取材して記事にすべきだ。それができないなら記事にしないか、記事にするのなら「捜査」の疑問点を並べるだけにすべきだ。疑問点が並ぶだけでも、読者には問題点は十分に伝わる。
「今日の言葉」(「私」と総選挙)はそのうち3回目の登場の五十嵐仁さんの「総選挙に向けて生じつつある政党状況の流動化と新たな選択肢の浮上」という論の紹介です。五十嵐さんの所論はいまの政治情況の流動化の飛沫のゆくえを分析的によく捉ええている論だと思います。
 
附として昨日の「今日の言葉」からも今回の総選挙に関する中村憲昭さん(弁護士)、中野晃一さん(上智大教授)、高村薫さん(作家)の3人の言葉の抜文も拾っておきます。安倍首相に対する見方は「怒り」という点で共通しています。

アベ2 
自民党選挙本部の看板前で、気勢を上げる安倍晋三首相
 
「五十嵐仁の転成仁語」(2014年11月23日)から。
 
前回の総選挙は、民主党主体の連立政権に対する失望によって彩られています。そのために民主党を離れた票は2000万票に上りました。このうちの半分は棄権し、半分はおそらく第三極に流れただろうということ(略)。その第三極ですが、前回の総選選挙以降、分裂に継ぐ分裂で有権者の期待に応えたとは言えません。54議席を獲得して57議席の民主党に肉薄した日本維新の会ですが、橋下徹共同代表の慰安婦問題発言で支持を失い、石原慎太郎共同代表らが脱退して次世代の党を設立し、結の党を吸収合併して維新の党となっています。前回の総選挙で18議席を獲得したみんなの党は悲惨な末路を辿りました。渡辺代表と江田幹事長の対立によって江田グループが離党して結の党を結党しますが、渡辺代表は政治資金問題で引責辞任に追い込まれ、浅尾慶一郎後継代表とも対立し、結局、解党を決めて間もなく消滅する運命にあります。(略)日本未来の党にいたっては、すでに覚えている人も少ないことでしょう。(略)前回の総選挙でこの3党が集めたのは、小選挙区で1274万票、比例代表区で2092万票にも上りました。そのすべてが流動化するわけではありませんが、比例代表区の半分が投票先を失うとしても約1000万票になります。つまり、民主党を見限って第三極に流入した票は、今回の選挙では第三極を離れて流動する可能性があるということです。これらの票が、一度は見捨てた民主党に還流するとは限りません。「前回の総選挙は民主党がダメとなった後の選挙で、今度の総選挙は『第三極』がダメとなった後の総選挙」だということは、これらの2000万票が支持する先を求めて浮遊している状況にあるということを意味しています。今回の選挙で「安倍政権の2年間の審判が問題になるとすれば」、これらの票が自民党に向かうとは考えられません。(略)このような状況下で、「政治を変えてほしい。まともな政治を実現して欲しい」という願いを託せるのはどこか。答えは明確になりつつあります。
 
附:
中村憲昭さん(弁護士)twitter( 2014年11月19日)から。
安倍は、投票率低下を目論んで12月選挙にした。論点を増税延期に絞ろうとしているが、TPP、原発再稼働や汚染水完全コントロール発言、特定秘密保護法、解釈改憲その他これまでのありとあらゆる暴走に対する判断をしないと、勝ったらこれら全て「国民の信任を得られた」と言い出すよ。
 
中野晃一さん(上智大教授)twitter(2014年11月21日)から。
2年前に「まっすぐ、景気回復。」と謳っていた安倍政権が景気後退をもたらした今「景気回復、この道しかない」とうそぶく。狂信的独裁は右も左も同じ。「革命が間違っているのではない、足りないだけだ」と叫んで、国民を破滅へと導いていく
 
高村薫さん(作家)。毎日新聞(2014年11月21日)から。
本当に冗談みたいな解散ですよね。私たち有権者に理解できるような理由が一つも見あたらない。2年前、私たちは安倍政権に何を求めたのでしょうか……。大規模な金融緩和で無理やり円安に誘導しても、大企業の製造拠点は海外に移ってしまっており、輸出は期待ほど伸びなかった。円安で輸入物価は上昇し、生活が苦しくなっただけ。この2年間でアベノミクスが失政だったことがはっきりしました
「今日の言葉」(「私」と総選挙)は沖縄から。岡留安則の「沖縄においては自民党現職の4人の議員が負けるのではないかと見られている」という論とそれに関連する沖縄タイムスの記事。附として琉球新報と沖縄タイムスの社説。
 
沖縄では翁長氏支持勢力(「建白書」勢力)の共同、共闘が実現し、1区では共産の赤嶺政賢氏、2区では社民の照屋寛徳氏、3区では生活の玉城デニー氏、4区では新人・無所属で元県議会議長の仲里利信氏を擁立することが決まっています。下記の沖縄タイムスの記事でもわかるようにそこに割り込んできているのが先の知事選でも出馬し、「建白書」勢力の共同に口実をつけて離反した前国民新党代表代行・幹事長の下地幹郎氏と前民主党参院議員の喜納昌吉氏です。口を開けば「選挙協力」「共同」と耳当たりのいいことを唱えながら、実際には「共同」の妨害者となって立ち現れているのは誰か。どこのどいつか。どういう勢力か。ここでもその正体は明らかといわなければならないでしょう。この沖縄の例に限りません。現実を見ずにただムードや流行の抽象論で「共同」「共闘」を語ることの危険性を私たちはよく承知しておくべきでしょう。

岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日記(2014.11.21)
 
安倍総理は衆議院を解散し、解散総選挙に打って出た。(略)この解散は沖縄県知事選で辺野古新基地建設に強く反対する翁長雄志前那覇市長の優勢が選挙前から予想されており、安倍総理としては日米関係にヒビが入ることを危惧し、この選挙戦でのダメージを最小限に抑えるために先手を打った可能性が濃厚だ。いわゆる沖縄県知事選の敗北のイメージを薄める作戦である。県知事選から2日後には辺野古新基地でのボーリング調査が再開するための機材が搬入された。沖縄県知事選の民意と関係なく辺野古新基地建設を強行しようという安倍政権の心根が透けて見える。現場で指揮を執るのは沖縄基地負担軽減担当もつとめる菅義偉官房長官なのだから、お笑い草である。耐用年数200年といわれる辺野古新基地が建設されれば、基地負担軽減ではなく、基地の強化でしかない。政治家は平然と嘘のつける人種である事は確かだが、県民の意志も民主主義も黙殺する新基地建設の暴挙に対しては総選挙で、落とし前をつけるしかない。

全国的にはともかく、沖縄においては自民党現職の4人の議員が負けるのではないかと見られている。県知事選で辺野古推進を掲げた仲井真弘多氏が翁長雄志新知事に10万票の差をつけられて惨敗したからだ。仲井真氏は昨年末の辺野古埋め立て容認に転じる前は県外移設派だった。自民党県連と自民党選出の国会議員のうち、沖縄一区の国場幸之助、二区の宮崎政久、3区の比嘉奈津美、4区の西銘恒三郎の議員はいずれも安倍政権の恫喝により辺野古推進に転向した変節者たち。仲井真氏の敗北はこの4人の議員にも必ず波及するというわけだ。対して反自民の側は先の県知事選同様にオール沖縄の枠組みで選挙戦に望む方針を打ち出している。県知事選の結果や、沖縄の世論調査では辺野古新基地建設には8割が反対していることから見ても、自民党議員の苦戦は免れないところだ。沖縄においてはアベノミクスよりも辺野古新基地の問題の方が争点になるものと思われているからだ。むろん,集団的自衛権行使や原発再稼働、特定秘密保護法に対しても沖縄の見方は厳しい。ある自民党県連の幹部は「今、総選挙をやれば、自民党は全員落ちる」と厳しい状況判断を示していた。基地問題だけじゃなく、安倍政権に対する評価は本土と沖縄でも温度差があるのだ。ともかく総選挙は投開票日に向けて動き始めた。少なくとも沖縄に置いては安倍政権の強引な政策のやり方に県民一体で「NO!」を突きつける絶好のチャンスにすべきである。
 
師走の総選挙 沖縄4選挙区に11人出馬予定(沖縄タイムス 2014年11月22日)
 
衆院は21日午後の本会議で解散された。これを受け政府は臨時閣議で衆院選日程を「12月2日公示―14日投開票」と決定した。沖縄県内では前職7氏、新人3氏、元職1氏の計11氏が沖縄選挙区1~4区の4議席を争う見通し。全国的な争点に加え、16日に投開票された知事選と同様に米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設が争点となりそうだ。国政与党の自民党県連は沖縄選挙区で1区に国場幸之助氏(41)、2区に宮崎政久氏(49)、3区に比嘉奈津美氏(56)、4区に西銘恒三郎氏(60)の前職4氏を擁立する。4氏は前回2012年衆院選で普天間の県外移設を訴え当選し、昨年11月に辺野古容認に転じた政治判断についても問われそうだ。国政野党の社民党県連、共産党県委員会、生活の党県連は、知事選で辺野古反対の翁長雄志次期知事を誕生させた県政野党や那覇市議会保守系の新風会などによる「建白書」勢力の枠組みを衆院選でも維持。1区で共産が赤嶺政賢氏(66)、2区で社民が照屋寛徳氏(69)、3区で生活が玉城デニー氏(55)の前職3氏を擁立し、4区は新人・無所属で元県議会議長の仲里利信氏(77)を擁立する方針。元郵政民営化担当相の下地幹郎氏(53)は1区出馬を視野に支援者と協議、前参院議員の喜納昌吉氏(66)は1区か3区の出馬に意欲を示している。前金武町長の儀武剛氏(53)は出馬を期待する声があり3区からの立候補を模索している。
 
附1:<社説>衆院解散 国家像変えた政治に審判を 沖縄の民意軽視するな(琉球新報 2014年11月22日)
 
衆議院が21日解散した。安倍晋三首相は自身の経済政策「アベノミクス」の評価や消費税再増税の延期について国民の信を問うと強調する。だが再増税延期も消費税増税法の「景気条項」に沿って判断しただけの話である。増税を取りやめるのなら分かるが、1年半後に必ず増税すると言うのなら増税法に従うだけであり、解散の理由にはなるまい。むしろ集団的自衛権行使容認や特定秘密保護法施行、原発再稼働など、賛否の分かれる重要案件をこそ争点に据えるべきであろう。(略)

16日の知事選で、普天間飛行場の辺野古移設反対を公約に掲げた翁長雄志氏が、現職の仲井真弘多氏に約10万票の大差をつけて当選した。普天間の辺野古移設を拒否する沖縄の民意を明確に示した。総選挙に乗じて「辺野古ノー」の民意を軽視することがあってはならない。沖縄の民意を踏まえ普天間飛行場の県外・国外移設を模索するのが政府のあるべき姿だ。ところが沖縄防衛局は海上作業を再開した。大量の砕石を海に投じる仮設桟橋の建設も計画している。工事強行の既成事実を積み重ね、県民を萎縮させようともくろんでいるのなら大きな過ちだ。公約は民主主義的選択の基礎だ。その重みは言うまでもない。前回の総選挙で普天間の県外移設を唱えて議席を得たにもかかわらず、県内移設に転じた自民の4衆院議員には、自らの姿勢転換をきちんと説明してもらいたい。政治不信を有権者に植え付けた責任は重大だ。公約違反の事実と向き合わないまま選挙戦に挑むことがあってはならない。私たちは戦後民主主義の立脚点を問い、国の行方を定める重大な選挙に臨むことになる。各党には、国民の選択に役立つ真摯な論戦を十分に展開してもらいたい。
 
附2:社説[衆院解散・辺野古では]民意無視の強行やめよ(沖縄タイムス 2014年11月22日)
 
安倍晋三首相が衆院を解散した。来月14日の投開票に向け、事実上選挙戦が走りだした。名護市辺野古の新基地建設に反対する圧倒的民意が示されたばかりなのに、基地問題が脇に押しやられそうで心配だ。言うまでもなく基地負担は日本全体で考えなければならない安全保障の問題である。降って湧いたような総選挙に埋没させるわけにはいかない。今、辺野古では知事選挙で中断していた工事が再開され、再び緊迫感が漂っている。沖縄防衛局は、間もなくキャンプ・シュワブ沿岸の辺野古崎近くに、長さ約300メートル、幅17~25メートルの仮設岸壁を建設する。米軍普天間飛行場の辺野古移設を最大の争点とした知事選で、辺野古への新基地建設に反対する翁長雄志氏が10万票もの大差で勝利した直後である。民意など意に介さないといった強硬な態度だ。
 
安倍首相は、9月の所信表明で「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」と演説した。寄り添うというのは、どういう意味なのか。内閣改造で沖縄基地負担軽減担当相を兼任することになった菅義偉官房長官は、選挙前に辺野古は「過去の問題」と言い放ち、選挙後は移設作業を「粛々と進める」とけん制した。もう決まったことだから選挙結果など関係ないという威圧的な態度が、政府の言う「寄り添う」や「負担軽減」の実態である。新基地に関する政府の一連の動きを見ていると、東村高江の米軍ヘリパッド建設をめぐり、国が、反対する住民の通行妨害禁止を求めた訴訟との類似性に気付く。弱い立場にある個人を相手に、政府など力のある団体が、言論や表現を封じ込めるために起こす「スラップ訴訟」と呼ばれる裁判のことだ。「恫喝(どうかつ)訴訟」とも訳されるスラップの目的は相手を威圧し、萎縮させることである。知事選だけでなく、1月の名護市長選で否定しがたい民意が示されながら、あえて工事を進めようとするのは、反対しても無駄、国には逆らうなという「脅し」にも似た行為である。そのうち住民は疲弊し、諦め、運動も弱体化すると踏んでいるのだろう。現代版「銃剣とブルドーザー」ともいえる、あまりに強引なやり方だ。
 
仲井真弘多知事が辺野古沿岸部の埋め立てを承認したことの法的効力は今もある。ただし、その承認は選挙公約を破った上、県民への説明もほとんどないまま、独断で下された。この行為を絶対に認めないという有権者の意思が示されたのが知事選である。民主主義国家として最低限しなければならないのは、まずは埋め立てに向けた工事の中断である。そして関係者が話し合いの席に着くことだ。普天間返還を米側に提起した故橋本龍太郎氏は「地元の頭越しには進めない」との言葉を繰り返した。政府方針の原点に立ち返るべきだ。
今日の「今日の言葉」(「私」と総選挙)は昨日に引き続いて五十嵐仁さんの「世論が安倍首相を見放しつつある」という言葉とその言葉のひとつの例証としての朝日と共同の世論調査結果。

アベ  
解散の理由「納得しない」65%、「不支持」40%(朝日)
 
「五十嵐仁の転成仁語」(2014年11月21日)から。
 
今日の午後、衆院は解散され、事実上の選挙戦に突入しました。来月の2日公示、14日に投票という日程で総選挙が実施されます。この解散・総選挙について、今日の『朝日新聞』夕刊に「どう名付け? 識者に聞く」という記事が出ていました。「何と名づけますか」という問いへの答えの一つが、「巨大な自民が野党を踏みつぶすだけの解散じゃないですか?」というものです。果たしてそうでしょうか。それほど自民党は強力で、その勝利は確実なものなのでしょうか。(略)与党幹部は自民・公明あわせて「与党で270議席以上」とする方針を確認しました。与党がすべての常任委員会で委員長ポストを独占し、委員が過半数を占める「絶対安定多数」である266を数議席上回る数になります。それでも、現有議席より60議席も少ない数です。与党は議席数をこんなに減らしても、まだ「勝った」というつもりなのでしょうか。与党がこれほど低い数字を目標としているのは、敗北したということで混乱が生じたり責任論が生まれたりしないための予防線を張っているからです。同時に、今回の総選挙がそれほど楽観できるような状況ではなく、「野党を踏みつぶすだけの解散」などといって甘く見ていたら痛い目を見る可能性があるということに、それとなく気が付いているからかもしれません。その例証の一つが、今日の『朝日新聞』朝刊に出ている世論調査の結果です。調査は19、20日に電話で実施されました。その結果は以下のようなものです。いずれも、安倍首相には厳しい内容となっています。(略)世論は、このようなものです。この世論がそのままの形で選挙結果に出れば、安倍首相を信任したり、与党を勝利させたりするような形にはならないでしょう。もちろん、世論調査と選挙は違います。選挙になれば、これ以外の様々な要素が有権者の投票態度に影響することになります。とはいえ、世論が安倍首相を見放しつつあるという事実は重要です。
 
朝日新聞「世論調査」(2014年11月21日)から。
 
安倍晋三首相が21日に衆議院を解散すると表明したことを受けて、朝日新聞社は19、20日に全国緊急世論調査(電話)を実施した。この時期に解散・総選挙をすることに「反対」は62%で、「賛成」の18%を大きく上回った。消費増税の延期について「国民に信を問う」という解散理由に「納得する」は25%で、「納得しない」の65%が上回った。安倍内閣の支持率は39%(今月8、9日の全国世論調査では42%)で、不支持率40%(同36%)。第2次安倍内閣発足以来、支持は最低、不支持は最高を更新し、初めて支持と不支持が逆転した。この時期に解散・総選挙をすることには、安倍内閣支持層や自民支持層でも「反対」が5割ほどに上る。衆院を解散する理由について、首相は消費増税の延期を挙げて「国民生活と国民経済にとって重い決断をする以上、速やかに国民に信を問うべきだ」と述べた。ただ、内閣支持層や自民支持層でも「納得しない」が5割ほどに及んだ。また、安倍首相は消費税を10%に上げる時期を1年半延期して、2017年4月に確実に上げると表明したが、首相の判断を「評価する」は33%で、「評価しない」の49%の方が多かった。17年4月に消費税を10%に上げることは「賛成」39%、「反対」49%。首相が17年4月に「確実に上げる」と説明したため、首相の判断についても「評価しない」が多くなったとみられる。安倍首相は前回衆院選直前の2年前の党首討論で、衆院の定数削減について約束したが、国会では実現していない。今回の調査で、この状態で首相が衆院を解散することはどの程度問題か尋ねたところ、「問題だ」は、「大いに」39%と「ある程度」38%を合わせて計77%に及んだ。今度の衆院選での比例区投票先を政党名を挙げて聞いたところ、自民37%、民主13%、維新と共産が各6%、公明4%、社民と生活が各1%などの順だった。
 
共同通信「世論調査」(毎日新聞 2014年11月21日)から。
 
共同通信社が19、20両日、衆院選への有権者の関心度や政党支持の傾向を探るため実施した全国電話世論調査(第1回トレンド調査)によると、比例代表の投票先政党は自民党が25・3%で、民主党9・4%の2倍以上に達した。「まだ決めていない」が最多の44・4%で、情勢は変化する可能性がある。望ましい選挙結果は「与党と野党の勢力が伯仲する」が51・4%。安倍晋三首相が衆院解散を表明したことは「理解できない」が63・1%となり、「理解できる」の30・5%を上回った。 比例投票先は、自民、民主に続いて、公明党4・6%、共産党4・2%、維新の党3・1%、社民党0・9%、生活の党0・3%、みんなの党0・2%、次世代の党0・1%。安倍内閣の支持率は47・4%、不支持率は44・1%だった。投票で最重視する課題は「景気や雇用など経済政策」34・8%、「年金や少子化対策など社会保障」26・1%、「財政再建」10・1%、「原発・エネルギー政策」7・7%。
私の参加しているメーリングリストに札幌から以下のような投稿がありました。
 
緊急市民集会「ストップ!安倍政権」―今、市民にできることは何か― 開催のお知らせ
 
札幌では、安倍政権の暴挙を許さないために、市民ができることを考えた結果の一つとして小選挙区制下では、効果的に議席に結びつけるために政党に選挙協力を求めることにしました。
 
とりわけ、選挙協力に共産党が除外されていること、または、共産党が選挙協力を除外していることについて、議論が集中しました
 
それで、市民が選挙協力を求める対象として考える政党に集まってもらい、市民の声を直に聞いてもらうことと、何故、選挙協力が出来ないのかを聞くことにしました。
 
参加は自由です。札幌におられる方に案内をお知らせいただけると助かります。
 
★「緊急市民集会・ストップ!安倍政権」―今、市民にできることは何か―
★とき:2014,11,26(水)18:30~20:30
★ところ:札幌市教育文化会館4階「講堂」
★参加費:500円(申し込み不要)
★出席政党(要請中):民主党、共産党、社民党、新党大地など
共催 市民自治を創る会、過去と現在を考えるネットワーク北海道
 
以下は、上記のメール発信者への私の応答です。
 
小林久公さんwrote:
札幌では、安倍政権の暴挙を許さないために、市民ができることを考えた結果の一つとして小選挙区制下では、効果的に議席に結びつけるために政党に選挙協力を求めることにしました。
 
たいへん有意義な会だと思います。日頃のご活動に敬意を表します。
 
小林久公さんwrote:
とりわけ、選挙協力に共産党が除外されていること、または、共産党が選挙協力を除外していることについて、議論が集中しました。
 
上記のうち「選挙協力に共産党が除外されていること」については、私も昨日発信の記事で「(2014衆院選)野党候補一本化、成算は」という朝日新聞記事(2014年11月20日)をご紹介しました。ご指摘のとおりだと思います。
 
しかし、「共産党が選挙協力を除外していること」についてはこのほど沖縄では翁長氏支持勢力(共産党を含む)は「衆院沖縄全4区で候補者を擁立へ」というニュースが伝わってきています。
 
翁長氏支持勢力、衆院沖縄全4区で擁立へ(沖縄タイムス 2014年11月20日)
 
「衆院が21日に解散するのを前に、知事選で初当選した前那覇市長の翁長雄志氏(64)を支持した保革の枠組みを超えた「建白書」勢力は20日、総選挙に向けた初会合を開き、沖縄県内全4選挙区に米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する候補者を擁立する方針を決めた。1区は前回選挙区から出馬し比例復活した赤嶺政賢氏=共産、2区は現職の照屋寛徳氏=社民、3区は前回選挙区から出馬し比例復活した玉城デニー氏=生活=をそれぞれ支援することを決定。4区は辺野古移設反対を堅持する候補者を無所属で擁立するとし、同日に選考委員会を立ち上げた。」
 
したがって、「共産党が選挙協力を除外している」というお仲間のご認識は少し違うのではないか、と思います。
 
「それは『沖縄』だから」というご意見もあるでしょう。しかし、共産党支持者の以下のような意見があります。議論される場合は「事実」の問題として参考にするべき発言(資料)だと思います。
 
以下、「朝日庵Twitter」から。
 
2014年11月15日
・野党と選挙協力しろというけど、沖縄県知事選挙で民主・維新・みんなはダンマリで協力してないのだし、伊方原発のある愛媛県の重要な知事選挙で、脱原発候補を応援しているのは共産党で、他野党は現職に自民党と相乗りしてるのだし、協力してないのは誰かって事。そういう事を無視する人は放っておこう。
 
・「日本共産党・社民党など共同で秘密保護法の廃止法案を国会に提出。共同提案の呼びかけに賛同した政党は社民党だけ」そういう事なんだよな。他党は呼びかけに賛同しなかったわけよ。何故賛同しなかったのか。
 
民主・みんな、合併協議へ 総選挙に向けて協力(略)「共産党以外に野党候補がいない選挙区での候補者擁立を目指すこと」←共産党の候補者しかいない所にわざわざ候補者をぶつけるわけでしょ、協力とは真逆の話じゃん。共産党は野党と選挙協力をしろと叫んでる人達は、共産党以外に候補がいない選挙区では、候補者擁立を遠慮して下さいって他の野党に言えばー。 え? 言わないの?
 
11月17日
・民主党は維新等と競合するなら候補者を調整、共産以外に野党候補がいない選挙区では候補者擁立を目指すとしています。共産党にぶつけて来る。小沢さんは野党は新党結成しろと。現実はこうです。 @naoakisetuko 安倍悪魔政権打倒のためには野党が大同団結せねば。
 
・選挙協力を叫ぶ人達は、各地の首長選挙で野党が自民党と相乗りしまくっている事をどう考えているのだろうか。愛媛県知事選挙は自民・民主・社民・維新・みんな相乗りの現職が再選した。『伊方原発等の原発をなくす県民連』推薦の脱原発候補を共産党と応援しなかった。愛媛県には伊方原発があるのに。
 
11月18日
・選挙協力を叫ぶ人達は忘れているようだけど、2013年12月に沖縄県の仲井真知事が辺野古への移設に向けた政府の埋め立て申請を承認した時に、民主・海江田代表は「後押ししたい」維新・松野も「協力したい」と評価してたからね。なので、国政選挙での選挙協力を主張する時に沖縄県知事選挙を持ち出して野党と協力しろ(候補者たてるな)と共産党に言うのは、すんごく見当違いな事だと思います。 しかも、そもそも沖縄県知事選挙で民主・維新・みんな等は共産党等の野党と協力してないのだし。
 
赤旗記事にもあるように、維・み・生が提出した『消費税増税凍結法案』は、定数削減や公務員の賃金引き下げを条件に消費税増税の延期を求めるもので、結局消費税増税を後押しする立場。中止ではないのだ。 先送りで再増税か条件付きで再増税かじゃ、庶民や中小企業は生きていけない。中止しかないよ。共産党に選挙協力をと言ってる人達は、維・み・生の野党3党が提出した『消費税増税凍結法案』を読んだ上で言ってるのかな?中止ではなく凍結、条件が整えば増税って事だよ? 先送りで消費税増税の自民党と、消費税増税凍結の野党。どちらも消費税増税を前提としてる。
 
11月19日
参院選、東京では比例票第2党になった共産党。自民31.92%、共産13.71%、みんな12.62%、公明12.22%、維新11.28%、民主10.40%、生活2.15%、社民2.06%の順だ。 共産党は協力しろ、候補をおろせと叫んでる人に言いたい。共産党を応援すればいいじゃん。
昨日、いわゆる「第3極」の政党の草分け的な存在であったみんなの党の解党が決まりました。「第3極」の政党は一時は大ブームとなって、雨後の筍のように次々と結成されてゆきました。維新の党、生活の党、新党改革、太陽の党、新党大地、日本未来の党、新党きづな、減税日本・・・・。みんなの党の解党はそうした政治的な「第3極」の時代の終わりを告げる象徴的なできごとといってよいでしょう。
 
みんなの党の解党が必然的ななりゆきであったことは、「第3極」政党は所詮は当選目的の寄せ集めでしかなく、共同の理念などは付け焼き刃のたぐいのものでしかなかったことからも明らかです。同党の総会で解党決議を提案した議員は「党内は与党路線、野党路線、第三極に割れている。これでは選挙を戦えない。それぞれの道を行くべきだ」と解党の辞(反論)を述べたそうです。そのことが「第3極」政党としての同党には「理念」などもともとなかったことを端的に物語っています。
 
政治的「第3極」とは所詮そういうものなのです。しかし、その政治的な「第3極」を「希望の星」のようにもてはやしてきたのは米国流の「2大政党」論を独自の価値観に据える日本のマスメディアの歪んだメディア・フレームによるものでした。発祥が米国であることからも容易に推察できるように米国流の「2大政党」論は自由主義と民主主義の旗を守ることを名目にしたマッカーシズム(反共主義)を前提にしたものです。日本のマスメディアは無批判に米国流のその「2大政党」論とともに米国流の反共主義をも継承しています。それが日本のメディアの「2大政党」論です。したがって、「2大政党」論の変形としての日本のマスメディア独自の「第3極」待望論はそもそも「反共」を前提としているのです。そうした理念的な瑕疵というべきものをメディアは吟味、検証することもせず、いままたマスメディアはあらたな「反共」を基調とした「第3極」待望論をぶちあげています。だから、以下のような記事になるのです。参考として2本の記事を挙げます。
 
1本目は朝日新聞の「(2014衆院選)野党候補一本化、成算は」(2014年11月20日)という記事。ご覧のとおり朝日のいう「野党」の中には共産党は含まれていません。おそらくニュースソースは記事の内容からして民主党サイドからのもの。朝日新聞記事にはその民主党サイドの視点への批判のまなざしはありません。というよりも、自ら民主党サイドの意見に同化しています。これでジャーナリズム、ジャーナリストを名乗れるのか。信じがたい政治記者のセンスです。これは辺見庸のいうまごうかたなき「クソバエ」記者の記事です。
 
(2014衆院選)野党候補一本化、成算は(朝日新聞 2014年11月20日)
 
衆院選に向けた野党間の候補者調整が大詰めを迎えている。というのも、前回の衆院選の結果をもとに野党票を単純合算すると、多くの選挙区で与党票を上回り、「多弱」野党に勝機も期待できるからだ。しかし自民、民主など既存政党以外の第三極に流れた票が一つの野党にまとまるのか、野党が一致して安倍政権に対抗できる政策を作れるのか。場合によっては皮算用に終わる可能性もある。
 
■大敗の前回結果、合算すると… 自公上回る選挙区も
 
「前回は各党の乱立で自公に漁夫の利を得させた。そうならないよう最大限の努力をしていく」。民主党の枝野幸男幹事長は記者団に語った。こんな数字があるからだ。
 
自民、公明両党で132議席に対し、野党は168議席で勢力逆転――。
 
あくまでも計算上だが、2012年衆院選の結果をもとに、「自公候補」と「共産党以外の主要な野党候補」の得票の合計を比べると、当時300あった小選挙区のうち100選挙区以上で当選者が入れ替わった。
 
そこに各党が得た比例区での議席を加えると、自公の獲得議席数は、実際に獲得した325議席から211議席に減り、共産党を除く野党は実際の147議席から261議席に増える計算になる。
 
これが、一部野党が候補者調整に躍起になる最大の理由だ。
 
2012年衆院選は、自民党でも、民主党でも、共産党でもない「第三極」ブームで、小選挙区に候補者が乱立。これが、小選挙区で候補者を1人しか出さなかった自公両党を利することになった。得票が分散された結果、小選挙区の与党票は全体で44%しかなかったのに、議席数では小選挙区の8割強を獲得。最終的に、衆院議席の3分の2以上を占める地滑り的な大勝利となった。
 
特に、こうした傾向が顕著だったのは東京1区だった。自民党、民主党、日本維新の会(現・維新の党)、みんなの党(解党予定)、日本未来の党(現・生活の党)、共産などから9人が立候補。結果は、自民8万2013票▽民主8万0879票▽維新4万8083票▽みんな3万1554票▽共産1万8763票▽未来1万4875票となり、民主党代表の海江田万里氏が小選挙区で落選した。
 
野党第1党の民主党は、支持率の低迷から立候補予定者の確保に苦労しているほか、他の野党との選挙協力を見越して全選挙区への擁立を控えている。今回の衆院選の立候補予定者数は160人超にとどまる見通しだ。一方、第三極としてブームを作った維新の党、みんなの党もかつての勢いはなく、互いの生き残りのためには、候補者を調整した方が得策だという事情がある。
 
実際に、複数の選挙区では調整が進んでいる。
 
前回、第三極で戦った立候補予定者が「前回は4万票とった」と言えば、民主党の担当者が独自調査を手に、「いや今回は1、2万票ぐらいにしかならない」と説得する――。
 
民主党は他の野党の立候補予定者に選挙区を譲るよう求める作業を続けている。民主党関係者の一人は「『非自公票』を一本化した方が得だと分かって、選挙区を移ってくれる人もいる」と明かす。
 
前回、自民候補が約8万7千票だったのに対し、民主候補約6万1千票、みんな(現・維新)候補が約3万8千票だった宮城1区は、維新候補が宮城2区に移り、民主に1区を譲ることで決着。すみ分けができた。民主の空白区だった埼玉13区では、解党が決まったみんなの党から山内康一国対委員長が20日に民主党へ入党届を出し、立候補する見通しになった。
 
19日現在、共産党以外の野党候補が競合する選挙区は約60。86選挙区は共産党以外の野党がいない空白区だ。衆院選の公示日が12月2日に迫り、候補者調整がどこまで進むかが、選挙戦に影響を与える。
 
■課題は… 「第三極」票、読めぬ行方/共通政策作りも進まず
 
だが、野党が候補者の一本化に成功しても、こうした票が実際に野党候補の得票に結びつくにはハードルも多い。
 
一つは、前回の衆院選で躍進した「第三極」票の行方が読みにくいことだ。当時の日本維新の会、みんなの党、日本未来の党は自民、民主など既存政党を批判して比例区で計2093万票を集めた。3党に所属した議員はいま野党の立場だが、もともと第三極への期待から集まった票だけに、そのまま野党候補に投じられるかはわからない。
 
朝日新聞が8、9両日に実施した世論調査では、3党の支持率はいずれも0~1%と低迷。代わりに無党派が55%にまで膨らんでいる。民主党幹部は第三極票について「どこに流れるか分からず、読みにくい」とみる。安倍内閣の閣僚の一人は「今回の選挙は『第三極』票の取り合いだ」と話す。
 
一方、選挙区調整を進める野党側は、有権者にアピールするための共通政策作りでも苦心する。
 
民主党の海江田代表は「野党共闘には政策の一致が必要で、他の野党と協議している」と語る。だが、安倍晋三首相がアベノミクスの成果を前面に出して選挙戦を繰り広げるとみられる中、候補者調整が先行し、有権者にアピールできる政策作りにまで手が回っていないのが実情だ。
 
今国会では、閣僚の「政治とカネ」をめぐる問題が続出。一致して政権を批判しやすいテーマのため、野党は国会で共闘を進めることができた。しかし、円安による物価上昇などアベノミクス批判で歩調を合わせてはいるが、「政権批判」以外に野党が足並みをそろえて有権者に訴えられる政策は、今のところほとんどみえていない。
 
こうした野党の実情を見越したのか、安倍首相は解散を宣言した18日の記者会見でこう語った。
 
「アベノミクスは失敗したとの批判がある。どうすればいいか。具体的なアイデアは一度も聞いたことがない」(石松恒、渡辺哲哉、江口達也)
 
2本目は毎日新聞の「野党再編:衆院選前は困難…若手の新党の動き広がらず」という記事。これも「クソバエ」記者の記事というべきでしょう。
 
野党再編:衆院選前は困難…若手の新党の動き広がらず(毎日新聞 2014年11月18日)
 
みんなの党の解党が確定的になり、野党再編に向けた動きは急速にしぼんだ。民主など野党5党の若手には、なお新党結成を模索する動きがあるものの、衆院選前の再編は極めて困難な状況だ。
 
維新の党の橋下徹共同代表は4日、前原誠司、細野豪志、野田佳彦各氏らの名前を挙げ、「民主党の閣僚経験者が旗を振れば、維新もみんなも次世代も集まる。(民主を)飛び出して新党を作ってほしい」と呼びかけた。
 
ただ、想定外の早期解散ムードに民主党内が結束。新党の顔を期待された前原氏は「民主党を中心とした再編をすべきだ」と述べ、新党構想を否定した。
 
再編を目指す野党の若手は18日、国会内で会合を開いた。民主党の玉木雄一郎衆院議員は「時間的・技術的制約があるのであらゆる可能性を探る」と語ったが、再編に向けた動きは広がっていない。【村尾哲】
 
上記の毎日新聞記事について「kojitakenの日記」ブログの主宰者のkojitakenさんは以下のようなコメントを述べています。
 
「橋下の20000%=前原の100%=0%」の法則(kojitakenの日記 2014-11-19)
 
あほらしい。橋下徹だのや前原誠司だのを中心とした「野党再編」なんかあるわけないだろ。橋下も前原も「賞味期限切れ」の人間だし、維新とみんなと次世代を全部合わせても、政党支持率は2%にも満たない。ゴミ政党同士が合流すると、合流前の支持率の合計よりもさらに政党支持率が下がることは、日本維新の会と結いの党の合併で立証済みだ。毎日新聞もこんな馬鹿な記事書くなよ。
 
そういや前原って、ちょっと前に「維新との合流は100%」って言ってたよな。
 
「橋下の20000%=前原の100%=0%」の法則が成り立つってことだ。
今日からプラグイン欄(左側)及び本エントリ欄を通じて他の記事と交錯させながら「今日の言葉」(「私」と総選挙)を始めます。すでに何通かの言葉は掲載ずみですが、「今日の言葉」は五十嵐仁の言葉と辺見庸の言葉。

アガンベン 
ジョルジョ・アガンベン

「五十嵐仁の転成仁語」(2014年11月19日)
から。
 
突然の解散・総選挙となりました。国民や野党だけでなく、与党の一部からも「なぜ、いま解散・総選挙なのか」という声が出ています。それもそうでしょう。いまの与党は衆院の3分の2を上回る巨大な勢力を持っていますし、議員の任期はまだ半分も残っています。消費増税の先送りについても、民主党などの野党は受け入れています。それを実行したければ消費増税法の付則18条に基づいて増税を凍結し、そのための改正をすれば済む話でした。 それなのになぜ、議席が減るリスクを冒してまで解散・総選挙をしなければならないのか。選挙を実施すれば700億円もの多額の費用がかかるというのに……。今日の『毎日新聞』では、自民党のベテラン議員が「安倍晋三の安倍晋三による安倍晋三のための選挙」だと嘆いていると報じられていました。この記事を書いた末次省三政治部長は「与党の一部から『私利私欲解散』『ご都合主義解散』といった批判が出るのはもっともだ」と書いています。「政治とカネ」の疑惑によって窮地に立ち、集団的自衛権の行使容認の法制化や原発再稼働という難題を抱え、消費増税とアベノミクスの失敗による不況が深刻化すれば内閣支持率の急落は避けられず、野党の選挙準備も整っていない今のうちに解散・総選挙をやって政権基盤を安定させようと考えたのでしょう。政権戦略を最優先にした自分勝手な解散ですから、与党の中からさえ不満の声が出るのは当然だと言えます。(略)安倍首相がこれまでやってきたこと、これからやろうとしていること――その全てを許すのかどうか、安倍首相の続投を認めるのかどうかが、今回の解散・総選挙の真の争点にほかなりません。その意味では、個々の政策の是非が問われるというよりも、安倍首相の政治全体に対する審判こそが総選挙の最大の争点であるというべきでしょう。(略)総選挙での投票に当たって選択の基準はただ一つ。安倍首相を喜ばすような結果にはしない――これだけです。
 
辺見庸「日録1-9」(2014/11/19)から。
 
KMAはなにか早口でしゃべくりはじめた。これがまんいち顔であるとしたらのはなしだが、それはしばらくみないまに、ずいぶん険阻になっていた。まぎれもない凶相である。賭けてもよい。こいつは大災厄をもたらすだろう。ジョルジョ・アガンベンの〈顔論〉をおもいだす。「真理、顔、露出、これらは今日、惑星規模の内戦の対象である。その戦場は社会生活全体であり、その突撃隊はメディアであり、その犠牲者は、この地上のすべての人民である」。アガンベンの文意は詩的直観なしには理解しがたい。だがしかし、KMAのはなしは、いうまでもなく、何人であれもっているだろう詩的直観を排泄物で窒息死させるようなものである。したがって、KMAがいったいなにをしゃべったのかを、わたしは言語としてはついに解することができなかったのだった。かろうじてひとつだけわかったのは、(略)どうやら辞めるのではないらしいということだけ。わたしは(略)退陣することだけを期待していた。ところが選挙だという。このままでは自公インチキ政権が勝つだろう(引用者注:私はそうは思いません)。KMAは選挙後、集団的自衛権行使の違憲立法も、秘密保護法の強行採決も、原発再稼働も、労働者派遣法の改悪も、労働法制の規制緩和も、すべてあらためて国民の信任をえた、として胸をはって爆走していく気だろう。ただそのためのみの選挙なのだ。そうさせてよいのか。KMAは、消費税増税について、民主主義なので信を問うべきだといってのけた。(略)わらわせるじゃないか。だいいち、集団的自衛権行使の閣議決定という重大な政策変更について、KMAはいちどでも民意を問うたか。信を問うたか。クソバエ記者(引用者注:『いまここに在ることの恥』)どもはそのことを徹底追及したか。会見で問うたか。問いつめてはいないだろう。(略)法人税をひき下げ、消費税を上げ、社会保険料をひき上げ、社会保障をきりすて、介護保険を改悪し、生活保護費をひき下げ、非正規雇用をふやして、貧者をどこまでもしいたげ、富者をよろこばせ、格差をますます拡大し、軍備を増強し、兵器を外国に輸出する(略)――状態を、〈わたし〉への堪えがたい冒涜、侮辱として怒ろう。悲しもう。 
街の弁護士日記」の主宰者の岩月浩二弁護士があのかつての笑絶サスペンス劇『家政婦は見た!』を安倍内閣、アベノミクス批判のパロディーバージョンとしてグレードアップさせて復活させました。名づけて「『トリクルダウン』と『サックアップ』再び」。笑い転げてもタダでは起きない庶民版パロディーです。アベシンゾウさんの「アベノミクス」批判、「理由なき解散劇」批判として面白くてダンゼン勉強になります(アタマの中によく入るということ)。「本ブログにおいても公開」(もちろん、この一節もパロディー)します。
 
以下、全文。
 
『トリクルダウン』と『サックアップ』再び(街の弁護士日記 2014年11月18日)
 
何だか知らないけど、総選挙になるんだって。
安倍さんが首相になってアベノミクスなんて言い出した頃の、あたしのつぶやき、結構評判がいいのよ。
だから、も一度、紹介するわ。
 
あたしも、想像していなかったのは、日用品のひどい値上がりね。
こんなに上がるとは思ってなかったわ。
 
なのに安倍さんは、「長く続いたデフレから脱却するチャンスをやっとつかんだ。私たちはこのチャンスを手放すわけにはいかない」なんて言っているの。
そのためにもっともっとお札を刷るって言ってるから、食料品も、もっともっと上がるのよね。
あたし、考えちゃうわ。
ベランダのプランター、お花から野菜に変えたけど、お芋にした方がいいのかしら…
 
商品券なんて、ホントに主婦をバカにしてるわ。
ホントは主婦ならみんな知ってるはずのこと、も一度、読んでね。
 
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【2012年12月25日】
 
あたし知ってるの。
 
金融緩和すれば、景気がよくなるなんてウソ。
金融緩和したら、株価が上がったとテレビは囃し立ててる。
あたし、株なんかもってないもん。
毎日、ころころ転がすおカネがあるひとはいいわよね。
あたしなんか、スーパーのチラシと睨めっこ
乏しい旦那の給料で、旦那の小遣いリストラしても
一円でも安いお店を探してるの。
 
あたし知ってるの。
金融緩和したら、賃金が上がるなんてウソ。
テレビは言うの。
金融緩和したら、金利が上がって、物価が上がる、そうすると賃金もあがるんだって。
誰も信じないわよ、そんなの。
風が吹けば桶屋が儲かるっていうの、
そういう感じの話よね。
雨が降れば、弁護士が儲かるって話があるの。
交通事故が増えるからね。
こっちの方が、ずっと信用できるわよね。
 
あたし知ってるの。
トリクルダウンなんてウソ。
国全体のおカネが増えれば、いずれ庶民も、豊かになるんだって。
まずは大金持ちが儲かって、そのおこぼれが、庶民に来るんだって言うの。
おこぼれ経済理論って言うんだって。
そんなのウソよ。
小泉さんのとき、いざなみ景気っていうのがあった。
6年も続く空前の経済成長期間だったけど、うちの財布は、縮んだわ。
旦那の給与は15%もダウンよ。
お小遣い5割カットしてやったけど、わたしんちなんて青息吐息よ。
 
あたし知ってるの。
だから、あたしの暮らしと景気なんて関係ないのよ。
景気だったら循環するのよ。
不況と好景気が交互に来るから、景気って言うの。
一時的に不況(供給過剰とか言うんだって)が来たら、そのときだけおカネつぎ込めば、自然に経済は回復して好景気が来て経済が成長するって、ケインズってんだっけ、言ってたのよね。
でも、今は一時的な不景気な訳じゃないの。
循環なんかじゃなくて、もっとずっとおっきな変動が起きてるのよ。
だから、おカネを刷れば刷るほど、孫子の代に回すツケがおっきくなるだけ。
なんで、こんなこと、エライ人がわかんないんだろ。
 
あたし知ってるの。
どうして赤字国債が出せるか、赤字国債を出すと、一時的な不況が治るから、後は、経済成長するので、必ず利息付けて返せるっていうのよ。
だから、赤字国債を出してもいいんだって。
さぞかし、未来は経済成長、ばかばかしてるんだろね。
だれも、そんなこと信じやしない。
 
あたし知ってるの。
3年前の政権交代の選挙にあって、今回の総選挙になかったもの。
格差社会の是正」って言うの?
消えちゃったわよね。
3年前、大金持ちと庶民の差があんまり大きいから、なおしましょうねって、民主党さんは言ってたのよ。
今回は、民主党さんも言わない、テレビも言わない、景気、景気、景気のオンパレードね。
 
あたし知ってるの。
たまには、テレビも教えてくれるわ。
日本のGDPは約500兆円、貯蓄は1500兆円あるんだって。
わかりやすく日本の人口を1億人にすると、赤ちゃんからお年寄りまで、一人あたりの年収は500万円になるの。
それで、一人あたりの貯金は1500万円になるのね。
4人家族だと、世帯で平均2000万円の収入があって、6000万円の貯金があるの。
どこのうちの話さ。
 
あたし知ってるの。
たまには、新聞も教えてくれるわ。
お金持ちは今、1000分の1秒を争って、市場で争ってるんだって。
1000分の1秒でも早く売って、早く買って、利ざやを稼ぐんだって。
95年から2010年までの15年間に世界の総生産は30兆㌦から63兆㌦に増えて、その間に金融資産は72兆㌦から212兆㌦になったんだって。
総生産が2倍になる間に、金融資産は3倍になったんだって。
その差はどんどん膨らんでるんだって。
15年前には、金融資産は実社会の倍、今は3倍、そしてどんどん差が開いているの。
実社会にいるのがバカみたいだね。
 
あたし知ってるの。
安倍さんが総理になって10兆円の金融緩和したんだって。
赤ちゃんからお年寄りまで、国民1人あたり10万円よね。
かれこれ金融緩和を全部合わせると100兆円になるんだって。
一人100万円よね。
4人家族だったら、400万円。
あたしの周りに、そんなにおカネもらった人いないわ。
でも、おカネが出たんだから、どっかにあるのよね。
どんどんお札を刷れって言った人の近くにたまってるんだわ、きっと。
いいわね~、おカネたくさんあって。
 
あたし知ってるの。
金融緩和されたおカネは結局、だれかが返さなきゃいけないの。
お金持ちはいったんもらったおカネは絶対にはなさないの。
結局、一般庶民から搾り取るのよ。
あたしの孫子が返す仕組みになってるの。
 
だから、あたし知ってるの。
トリクルダウン(したたり落ちる)なんて、ウソだって。
100年待ったって、したたり落ちてなんか来ないわよ。
真実はサックアップ(suck up・吸い上げる)なんだって。
奴隷のように働いて、あたしたちは、欲望のままおカネを転がして遊んでる富裕層に貢いでるのよ。
シェークスピアの昔から非難されてる金貸しの天下よね。
 
30年前から紹介者がなくても、市民から依頼を受けてきたマチベンさんが言っていたわ。
経済のパイがずっと小さかった30年前は、破産する人でも、30万円の着手金を一括で持ってきたって。
だれか親しい人が援助してたんだって。
だれかがそのおカネを工面するくらいは苦もなかった時代だって。
お国は、当時の倍近く、豊かになったのに、破産は全部、1年以上の分割払いになるって。
普通の事件でも、着手金を分割しないと払えない人が増えてるって。
 
あたし知ってる。
ホワイトカラーだと思ってる人が、維新やみんなの党みたいに自己責任が好きな政党を躍進させたんだって。
この人たちは、自分の身は安泰って思ってる。
でも、派遣を見下してたら、正社員もブラックに働かされて、「自己都合退職」という名のリストラを強いられるようになったでしょ。
明日は我が身っていうじゃない。
だからホワイトカラーもどんどん没落して、貧乏になるの。
この国の99%が貧乏になるまで、この欲望は止められないのかなあ。
 
あたし知ってる。
みんな知ってる。
トリクルダウンなんてウソ。
景気回復なんてウソ。
この世は今やサックアップなんだって。
世界中、おカネがめぐるおカネ支配の世界になっちゃんたんだって。
だから、結局あたし、スーパーのチラシと睨めっこ。
旦那は僅かな小遣いで、200円弁当
こんな世の中にだれがしたんでしょ
みんなで投票して、したんだわ
 
みんな知ってる。
トリクルダウンの真実はサックアップ。
安倍首相は今夕の7時10分過ぎにメディアを通じて衆院の解散を宣言しました。が、ここに到るまでのこれまでの日本のメディアの報道ぶりは「解散には大義はない」論に尽きていて、メディアとしてこれまでの安倍政権の政治(たとえば秘密保護法制定)、経済(たとえばアベノミクス)政策の失政、というよりも悪政をあぶり出し、その本質を明らめることによって安倍首相退陣の不可避、そのための「解散」の不可避性を説こうとするものではなく、GDP(国内総生産)が二期連続マイナスを記録するという日本経済に危険信号が点っているこの時期に政治的な空白をつくるべきではないと安倍内閣に「解散」回避を懇請する体のものでした。ジャーナリズム精神を忘失して久しい今日のメディアの惰弱の精神のなりゆくところでしょう。
 
さて、安倍首相の「解散」宣言に到るまでのメディアの報道ぶり。きょうのYahoo!ニュースを例にして。メディアは、「消費増税」以前の問題として「大衆課税」としての消費税の導入そのものに市民からの強い反対の声があることなどまったく視野になく、一部のアベノミクス論者の「消費増税」必至の議論を当然の前提にしていち早く「増税先送り 社会保障の財源は」なるキャンペーンを張りました。“ウォッチドッグ”(権力の監視者)としてのメディアの役割の意識などどこ吹く風です。こうしたキャンペーンそのものが「総選挙に突入」という時期の選挙戦のかたやの政治勢力、政権党としての安倍内閣の経済政策を間接的に支援することになるなどいまや氾濫するノー・ジャーナリスト精神の「記者」という名前の会社員諸氏には意識の外のこと、すなわち、思いも及ばないということなのでしょう。この「記者」さんたちは“ウォッチドッグ”という言葉すら知らないのではないか。
 
13:26現在のYahoo!ホームページトップ記事一覧:
http://www.yahoo.co.jp/
高倉健さん死去 83歳
高倉健さん 美学重ねた生涯
増税先送り 社会保障の財源は(注:クリックすると以下の記事)
盲導犬 刺傷でなく皮膚病か
香港 バリケード強制撤去開始
・・・・・・
 
「どうなる社会保障 増税先送り、自治体に懸念 知事「やっていけない」
 
安倍晋三首相が来年10月の消費税率10%への引き上げ先送りを判断するとの動きをめぐり、県内の自治体から社会保障財源への影響を懸念する声が出ている。超高齢社会を迎え社会保障費が年々膨らむ中、安定財源として地方自治体に入る引き上げ分の一部が見込めなくなるからだ。医療・介護関連経費の増加に伴う財政圧迫や、子ども・子育て支援拡充策が足踏みしかねないとの不安が広がっている。(カナロコ by 神奈川新聞)
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6138973
 
さて、はじめに戻ります。メディアは、今回の安倍首相の解散宣言に関し「解散に大義はあるか」ということを盛んに論じています。要はメディアは今回の「解散には大義はない」ということを言いたいのでしょうが、戦後政治史を振り返ってみてもこれまでの「解散」劇はすべて政権党の党利党略によって行われており、「解散」に大義はあったためしはありません。したがって、そのような問いは、無意味のきわみというべきものです。しかし、そうした中でも見るべき論がまったくないというわけでもありません。以下、気になった論、もしくは私として参考になった論をいくつかアトランダムにご紹介しておこうと思います。
 
「今回の解散について「大義がない」「党利党略だ」という批判があります。でも政治とは、様々な意見の対立があるなかで、どれを選ぶかを決めるための争いですから、どのグループも自分たちの利益を実現するために戦略を練るのは当然です。解散によいも悪いもない。あるのは、誰にとって有利な解散か、という違いだけです。とはいえ、多くの有権者が「なぜ今選挙?」と戸惑うようでは支持を得られません。そこで「大義」がつくられる。小泉純一郎首相が2005年に仕掛けた郵政選挙は、参院で法案が否決されたので衆院を解散するという異例な選挙でしたが、弁舌の巧みさで「郵政民営化の是非を問う」という大義を作り出して勝った。大義を作り出せるかどうかが政治的な争いそのものなんです。」( 待鳥聡史さん・京都大学教授。朝日新聞 2014年11月18日
 
「なぜ今、解散しなければいけないのか。最初は意味不明だった。消費増税はもちろん、沖縄の基地問題、脱原発と議論すべきことは山ほどあろうに、と。しかしある夜、布団の中でわき上がってきたのは、安倍首相率いる与党が政治のシステムを巧妙に利用していることへの怒りと「これは『民主主義』の名のもとに国民が喫した敗北だ」という屈辱感だった。首相には解散権がある。議会制民主主義のルールだが、サッカーに例えれば、キックオフの笛を吹く権利を特定のチームが握っているようなものだ。今回、国民は突然笛を吹かれ、12月の寒風吹きすさぶ中、投票所にかり出される。私も含めて、積極的に1票を入れたい候補者や党が見当たらないという人が多いのではないか。その場合は「せめて今より悪くならないように」と消極的、現状維持的な選択をせざるを得ない。与党が有利に決まっている。その結果、与党は米軍普天間飛行場の辺野古移設や原発の再稼働といった施策を推し進めるに違いない。選挙では「再稼働には反対だが、消費税の先送りは賛成」といった政策ごとの意思表示はできない。幕の内弁当のおかずを選べないのと似ている。後で「そこまでは賛成していないんだけど」と嘆いてみても、もう遅い。表向きは民主主義でも、これは「選挙勝利至上主義」と呼ぶべきものだ。権力者に都合が良く、より大きな自信を抱かせるための選挙に、私たちは無理やり参加させられようとしている。筋書きが完全にできあがっている中で踊らされる滑稽さ。それこそ屈辱でなくて何だろう。もし選挙になったら、この屈辱感を深く、深くかみしめながら投票しなければならない。屈辱の記憶の刻印だけが国民を軽視する政治を突き崩し、私たちの手に取り戻す、次への道なのだ。」(諏訪哲史さん・作家。毎日新聞 2014年11月17日
 
「沖縄県知事選での敗北を察知した安倍政権は、メディア対策や世論操作を意識する形で、解散総選挙をぶち上げた。安倍総理は外遊中であったが、総理の承諾なくして解散総選挙への動きは不可能である。女性閣僚二人の辞任や政治とカネのスキャンダルが噴出した安倍政権としては、今のうちに総選挙に踏み切れば、長期政権への仕切り直しが可能と判断したものと思われる。月曜日に帰国する安倍総理は、公明党幹部との会談を予定しており、そこで正式に解散のプログラムが決められるはずだ。もはやアベノミクスの失敗は明らかであり、原発再稼働、消費税増税問題など課題は山積み。外交も失政だらけ。この際、沖縄県知事選の敗北感を薄める効果も狙えるという判断なのだろう。しかし、安倍政権の支持率がこれ以上高まるとも思えない状況だけに安倍総理として大博打をうつ奇策のつもりなのだろうが、国民はそう甘くないということは沖縄県知事選でも明示されたはずだ。年末の大博打に対しても「NO!」を突きつけるチャンス到来である。」 (岡留安則 プロゴス 2014年11月17日
 
「あれよあれよという間に、政局が「無謀なる解散」へと突き進んでいる。(略)この安倍の「奇襲解散」は、その根幹において大きな誤算がある。まず第一の誤算は増税先送りまたは3党合意の解消が、解散の大義にはならないことだ。延期が有権者うけするというのは誤算である。残念ながら日本の有権者はそれほどレベルが低くない。むしろアベノミクス隠しと受け取るだろう。なぜなら増税先送りは、紛れもなく成否が正念場を迎えたアベノミクスを成功に導きデフレからの脱却を図るためのものであるからだ。それを唐突にも選挙に“転用”しようとしているのだから、国民が見抜けないわけがない。アベノミクスの正念に解散・総選挙で2か月の政治空白を作って、しかも予算編成に支障を来すことが政権トップのやることであろうか。(略)さらに野党の選挙準備が出来ていないのがチャンスという主張がある。これも解散の大権を党利党略のためにのみ使うという自己都合だけが目立つ。国民から「解散で信を問え」という声はゼロであり、無理矢理選挙を押しつけられた有権者が、自民党に投票するという根拠はない。むしろ、まやかしを感じ野党の「アベノミクス隠し」の主張の方が説得力を生じさせる可能性がある。自民党にとって不利に働く原発再稼働や集団的自衛権の行使も争点化することは避けられない。これらの論議が生ずる前に解散をすると言うが、これもまっとうな政治判断ではない。むしろ卑しい。とりわけ集団的自衛権法制はその成否が解散に直結しうる問題であり、情勢によっては再度解散に追い込まれる事だってあり得る。アベノミクスの失敗も解散に追い込まれる要因だ。すぐにまた解散という可能性もあることが分かっていない。(略)294議席は天が与えた僥倖であり、首相たるものこれを安易に毀損してはならないのだ。300議席近く取った政権は、次の選挙では確実に票を減らす。おそらくよくて270台がいいところであり、風によっては250~260台にまで落ちる可能性がある。そうなれば9月の総裁選挙への影響は避けられない。要するに政局を展望すればするほど、戦後政治史上まれな馬鹿げた解散をするものだということになるのだ。」(杉浦正章・元共同通信記者。「永田町幹竹割り」2014-11-12
 
「一国の首相が外遊中に、解散・総選挙の流れが決まる─とんでもない国民無視の永田町。身内の自民党岐阜県連まで、「国民のことを一切考えない党利党略の解散」だと、反対決議を挙げる。無理もない。この2年間、安倍政権は何をやってきたのか。公約には掲げず、信も得ていない特定秘密保護法の制定に始まり、集団的自衛権の行使容認、鹿児島・川内原発の再稼働容認など、国民の平和と生存にかかわる、憲法9条や25条を踏みにじる暴挙の連続じゃないか。沖縄へのひどい仕打ちだって、あまりじゃないか。辺野古への基地移設を、しゃにむに進める。なんと辺野古の新基地を維持する費用は、年間2億ドル(234億円)という。普天間の70倍になる。これを日本の税金で賄ってやるなんて、あまりにも理不尽じゃないか。だからこそウチナーンチュは、オナガ雄志さんを県知事に、こぞって送り出したのだ。鳴り物入りのアベノミクスだって、潤ったのは大企業と大口投資家のみ。もういい。戸惑い、焦りなど吹きとばそう。私たちは安倍政権に鉄槌を下すチャンスを得たのだ。ガンバロウ!(Daily JCJ「今週の風考計」2014年11月16日
沖縄県知事選は各メディアの世論調査の結果どおり保・革協同候補の翁長氏の圧倒的勝利。NHKも当地の琉球新報も予想どおり20時ジャストで「翁長当確」のゼロ打ち報道でした。最終的には約10万票の大差がついたようです。
 
喜ばしいことですが、喜んでばかりもいられません。水を差すようですが、「保・革協同」というのが曲者です。この「保・革協同」路線がこの先どのように転ぶか。凶と出るか吉と出るか。沖縄だけでなく、全国でもはじめての試みだけに予断を許しません。
 
同知事選の結果をうけて共産党の小池晃議員(党副委員長)は以下のようなツイートを発信しました。
 
翁長雄志さんに当確!沖縄県民は「新基地建設ノー」の民意を疑問の余地なく示した。これでも安倍政権は新基地建設を進めようというのか。新基地建設はきっぱり断念せよ。普天間基地は無条件撤去を。基地のない平和で豊かな沖縄に。たたかいはここから、たたかいはいまから。本土は総選挙でこたえよう!
 
しかし、「保・革協同」の原点としての確認事項である建白書には「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること」とあるだけで「無条件撤去」とあるわけではありません。そして、翁長氏は、沖縄タイムスの11月1日付けに掲載された「政策比較①普天間」という記事の中で「沖縄の基地問題の解決は、県内移設ではなく国外・県外移設により解決が図られるべきである。・・・県外・国外移設、県内移設反対の『建白書』の精神で取り組んでいく」と述べています。「国外・県外移設」を条件にするのであれば、その「撤去」を「無条件撤去」ということはできません。「保・革」には現段階においてもこれだけの認識の差異があるのです。私が「どのように転ぶか」と突き放した言い方をするのは、たとえば左記に述べたような認識の差異を「保・革」は今後どのように調整していのくかなどなどについて少なからぬ懸念を持っているからです。「翁長氏勝利」で第1幕は終わりました。しかし、第1幕は序章であって、第1幕はうまくいっても第2幕以後の展開しだいではブーイングの鐘の音だけが聞こえる、という幕引きになるということだってありえないわけではありません。この問題はウチナンチューだけの問題ではなく、おおいにやまとんちゅうの問題でもありえるでしょう。心して今後の展開を見守りたいものだと思います。
 
以下、この問題についての保立道久さん(歴史学者)と宮台真司さん(社会学者)の問題提起のさわりの部分をご紹介しておきます。
 
沖縄の知事選挙がどのような結果となるか、固唾を呑んでいる。
(保立道久の研究雑記 2014年11月15日)
 
多くの人もそうであると思うが、沖縄の知事選挙がどのような結果となるか、固唾を呑んでいる。とくに保守と革新の協同候補がでているというのが、日本の第二次世界大戦後の政治史のなかで大きな変化であると思う。そして、これが沖縄からでているということの意味を考えなければならないと思う。ただ、私は、「保守と革新」ではなく、「保守と進歩」という軸で問題を考えたい。(略)「進歩」というと、最近では、それをもっぱら近代思想の枠組であるとして不評である。19世紀ヨーロッパの「進歩思想」が現実には、世界の帝国的分割と他文明に対する野蛮な抑圧を意味した。進歩というのは私有の発展であるという論理である。そのような「進歩思想」が「進歩思想」としてはいまだに圧倒的な影響力があることは事実であり、それを拒否することの重要性は明らかであると思う。 しかし、それとは区別された真の意味での進歩というものは、私はあると思う。(略)沖縄の「保守」と「進歩」の協同の方向は列島全体にとって大事な意味をもっていると思う。もちろん、そしてその協同は(政治的な協同という点でいえば)まだ決して幅広い流れではないだろう。それは出発点ということであろうと思う。「保守←→進歩」の協同が政治的な姿をとるというのはほぼ初めてのことであるから、それ自身で議論され、調整されるべきことは多いだろう。と同時に、「保守」の側も「進歩」の側もおのおので詰めるべき点が残っているに違いない。この道は相当に複雑な問題をはらんでいるのではないか。(略)おそらく問題が複雑になるのは、「保守←→進歩」という軸が、さらに他の軸線との関係で複雑な諸問題を抱えているからだと思う。その軸線とは第二の軸としての「左翼←→右翼」軸と、第三の軸としての「インターナショナリズム←→ナショナリズム」軸であろう。これを考えるためには、日本の「右翼」思想といわれるもので思想態度として取るべきものがあることを追跡してみることだろうと思う。アメリカになかば占領され、国家の独立を侵犯されているという状況のなかで思想としての「右翼思想」は成立しがたいものになっているが、しかし、一つの共同体主義としての右翼思想というものがすべて無意味であるというようには、私には考えられない。いま、この国にとって恐るべきものは、むしろ、無思想であり、虚偽の思想であり、詐欺瞞着であり、公然と表明される悪意であり、それが許されている状況であると思う。
 
宮台真司が語る沖縄の生きる道「問題は基地反対の先にある」
(リテラ 2014.11.02)
 
──まずは今回の沖縄県知事選についてお聞かせください。今度の選挙は、保革を超えて「基地反対」でつながったことで、沖縄のアイデンティティを取り戻す戦いだという機運が高まっていると思うのですが。
 
宮台真司 まず強調しておきたいのは、今回の知事選における翁長雄志氏の「オール沖縄」運動は、根本的な問題を沖縄の人たちが共有する従来にないチャンスだということです。しかし、左右対立を超える「オール沖縄」は良いが、沖縄アイデンティティを持ち出すのは違う。たとえば、沖縄タイムスと琉球新報は話題になったスコットランド独立運動を沖縄に引きつけて「アイデンティティかカネか」と紹介していましたが、今日アイデンティティ・ベースの独立運動はあり得ない。スコットランドにはゲール人系もいればケルト人系もいればイングランド系もいるわけで、アイデンティティを持ち出すと差別と抑圧が隠蔽される。そこで、スコットランドはアイデンティティではなく価値を独立の理由にした。スコットランドは気候が厳しく工場労働者が多いので、一貫して議会選挙で労働党議員を送り出してきたんですが、独立に際しても、新自由主義をイングライド的な価値として否定したわけです。沖縄も同じで、アイデンティティに頼ったら宮古差別・八重山差別・奄美差別が隠蔽される。沖縄も〈価値のシェア〉をベースに「オール沖縄」を展開すべきなんですよ。
 
以下、省略。全文は上記URLをご参照ください。
私は昨日、弊ブログの「今日の言葉」として辺見庸の「京大学生寮強制捜査の問題は〈過激派〉の問題ではなく、権力がいま、秘密保護法適用の予行演習をしている、という問題である」(辺見庸「日録1‐8」2014/11/14)という言葉を紹介しました。
 
するとすぐに、東京造形大学教授(刑法学)の前田朗氏が一応名の通ったヘイトスピーチ研究者としてはまったくふさわしくない彼一流の詭弁とレトリックの論法を使ってその辺見庸の言葉を貶めるということがありました。曰く
 
世の中にはいまどき「大学に反権力、反権威がない」とか憤っているおかしな人がいますが、大学は反権力・左翼の自己満足のためにあるわけではありません。大学は学び、表現するためにあるのであって、その表現に枠をはめることが問題なのです。美術館にも表現の自由があり、不当な枠には抗議しなければならないし、同時に表現の責任を考え続けなくてはなりません。」
 
以下は、その前田朗氏の詭弁を駁した私の反論です。
 
前田朗さんwrote:
世の中にはいまどき「大学に反権力、反権威がない」とか憤っているおかしな人がいますが、大学は反権力・左翼の自己満足のためにあるわけではありません。
 
「『大学に反権力、反権威がない』とか憤っているおかしな人」とは、昨日、私が「今日の言葉」として紹介した辺見庸の京大学生寮強制捜査問題に関してのコメントのことを言っているのでしょうが、そこで辺見の言っている「大学に反権力、反権威がない」とはいまの「大学にも学生にもメディアにも」「『大学の自治』を守ろうとする気概がない」の謂であることはごくふつうの学力と読解力のある人であるならばごくふつうに読みとることができることです。
 
いまの「大学にも学生にもメディアにも」「『大学の自治』を守ろうとする気概がない」と慨嘆し、憤ることは、「おかしな人」のすることでしょうか?
 
少しばかりの「酩酊」があったとしても、まったく現役の大学の教師にあるまじき認識です。それ以前の問題として「民主主義」を標榜する一個の人、一個の「個」としての認識としてもあるまじき認識、言説といわなければならないでしょう。
 
いまの大学(とりわけ大学当局)から「大学の自治」を守ろうとする気概が失われて久しいことは以下の記事からも明らかです。
 
「従軍慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の植村隆氏(56)が非常勤講師を務める北星学園大(札幌市厚別区)に脅迫状が届いた問題で、田村信一学長が来年度以降は植村氏を雇用しないとの考えを学内の会議で示していたことが、関係者への取材で分かった。大学側の動きに危機感を持った教授らが30日、「大学の自治と学問の自由を考える北星有志の会」を結成。メンバーの教員は毎日新聞の取材に「脅迫者の要求に応じれば被害は拡大する。踏みとどまらないといけない」と話した。」(毎日新聞 2014年10月31日
 
「大学側による学外団体の立て看板(主に全学連)の撤去や、ビラ撒きの一部禁止や規制強化に反対していた中核派活動家や、ノンセクト・ラジカル活動家29人が、大学職員の「学外者の立ち入りを禁止する」との警告を無視し、大学敷地内に侵入したため、待機していた約200人の警察官により威力業務妨害・建造物侵入の容疑で逮捕された。(略)大学側は、3月14日以前、立て看板やビラで「規制粉砕」や「実力阻止」等、過激な予告があり、そのことは事前に警察に相談しているので、それに対して警察が準備しないほうが不自然だと主張している。」(wikipedia「法政大学学生運動の一斉検挙」)

しかし、上記の毎日新聞記事でも明らかなように一部(「少なくない」と言いたいところですが)の「大学の自治」を守ろうとする大学教師は「脅迫者の要求に応じれば被害は拡大する。踏みとどまらないといけない」と踏ん張っています。
 
前田氏の言説は上記の「大学の自治と学問の自由を考える北星有志の会」を結成した大学教師たち、さらには「負けるな北星!の会」を結成した多様な呼びかけ人の人たちを愚弄するものでもあります。
 
また、「大学の自治と学問の自由」を守ろうとする教師や市民の声を「反権力・左翼の自己満足のため」の声などと歪曲して不当な批判をする。その行為の意味するところは京大当局や法政大当局、さらには北星学園大当局らの「大学の自治」の破壊の口実を援護射撃し、擁護することにほかなりません。
 
愚かしい読解力と言説の限りです(少し前にもおのれの読解力のなさを人の「誤読」のせいにして私を批判していましたが)。
 
なお、北星学園大学ではやはり昨日、同大脅迫事件に関する元朝日新聞記者雇い止め問題に関して全教職員を対象とした公聴会が開催されたようです。以下はそのことを伝える北海道新聞とNHKの記事です。それに北星学園大「元朝日記者雇止め問題」に関する辺見庸の「日録1―6」(2014/10/31)の言葉も添付しておきます。辺見庸のある主題を叙述するに到るまでの文体はもともとこういうものだということです。
 
元記者雇い止め、学長「慎重に判断」 北星学園大で公聴会
(北海道新聞 2014/11/15)
 
札幌市厚別区の北星学園大が、朝日新聞記者時代に従軍慰安婦問題の報道に携わった非常勤講師との契約を来年度更新しない方向で検討していることについて、同大は14日夜、全教職員を対象とした公聴会を開催した。田村信一学長は終了後、「いろいろな意見が出た。理事会や理事長の意見も聴き、慎重に判断したい」と述べた。非公開の公聴会は予定を1時間超過し2時間半続いた。関係者によると、大学側の方針について出席者から「建学の精神のキリスト教に基づく『博愛の精神』と相いれないのでは」という疑問や「雇用打ち切りが学生を守ることにつながるのか」といった意見が出たという。
 
元記者雇用めぐり大学が公聴会(NHK 2014年11月15日)
 
朝日新聞の元記者を非常勤講師として雇用している札幌市の大学が、講師を辞めさせるよう脅迫された事件をめぐり、学長が示した来年度は元記者を雇用しない考えについて14日夜、教職員の意見を聴く公聴会が開かれました。この事件は、いわゆる従軍慰安婦の問題の取材に関わった朝日新聞の元記者を非常勤講師として雇用している札幌市の北星学園大学に、「辞めさせなければ学生に危害を加える」とする脅迫文が届くなどしたものです。田村信一学長が来年度は元記者を雇用しない考えを明らかにしたことを受け、14日夜、大学側が200人以上いる教職員を対象に直接意見を聴く公聴会を開きました。出席者によりますと、公聴会にはおよそ100人が参加し、「脅迫に屈して雇用を打ち切るのは大学の自治の放棄になる」など雇用を継続すべきという意見が相次いだということです。公聴会のあと田村学長はNHKの取材に対し「いろいろな意見を聞き総合的に判断したい」と述べたうえで、来月初めまでに最終判断する考えを示しました。
 
辺見庸「日録1―6」(2014/10/31) から。
 
むかし、未来社に藤森さんという大学の先輩がいて、じつにたくさんのことをおそわった。(略)富士正晴や島尾敏雄を読むようにすすめたのも藤森さんだったとおもう。で、富士正晴がたしか31歳で応召したのが、わたしの生年の1944年で、南京や広州、桂林を行軍したことを知る。忘れもしないのが、そのときの富士正晴のじぶんへの「誓い」である。南京大虐殺のずっとあとのこと。(略)富士正晴はじぶんで「強姦はすまい」と誓ったのだった。まったく泣けてくる。二等兵で中国に行き、じぶんは強姦しないぞとわざわざ誓約したほど、そして、そう誓約するのが奇異におもわれるほどに、「皇軍」にあってはときに強姦がか ならずしも犯罪ではなかった、ということだ。殺(殺人)掠(略奪)姦(強姦)。中国ではかつて、それが日本軍の表象だったのだ。だから「日本鬼子」とよばれた。富士が行軍させられた南京、広州、桂林のすべてにわたしは足をはこんだ。
 
けふ、堀田善衛の『時間』を読みはじめる。昭和48年の新潮文庫、15刷。(略)『時間』は掘田の作品でもなぜか目だたない。なんとなく目だたないようにされたのだ。権力だけでない。しもじもも、南京大虐殺を(生体解剖も)なかったことにしようとした。じぶんは知らぬとおもいこんだ。ジャパンはそういふ、あるしゅ不気味な浸透圧の社会なのだ、むかしから。(略)
 
従軍慰安婦報道にかかわった元朝日新聞記者が非常勤講師をつとめる北星学園大が、来年度からその元記者を雇用しないことにするらしい。やっぱり。田村学長は「学生の安全と平穏な学習環境をまもることが最優先」と強調。大学祭などの警備に多額の費用がかかったこと、学生からの批判や受験生の保護者から問い合わせがあったことを理由にあげているとか。要すれば、〈わたしどもは 右翼の暴力に屈することになりました〉ということだ。暴力に屈するということは、教育機関が、脅しや暴力の威力をみとめることにほかならない。それは教育機関じ しんによる知の根本的否定だ。
辺見庸日録1‐8」(2014/11/14)から。
 
東大ポポロ事件というのがあった。東大の学生団体「ポポロ劇団」が1952年、本郷の学内で松川事件をあつかった演劇『何時の日にか』の上演をおこなったさい、観客のなかに私服警官4名がいるのを学生が発見し、警官を拘束して警察手帳をうばい謝罪文を書かせた。それを口実に学生が逮捕、起訴される。これにより、憲法第23条が保障する「学問の自由」とそれを基本理念とする「大学の自治」が、この国ではじめて本格的に議論された。
 
一審の東京地裁

大学はがんらい、学問の研究および教育の場であって、学問
の自由は、思想言論集会などの自由とともに、憲法上保障され
ている。これらの自由が保障されるのは、それらが外部からの
干渉を排除して自由であることによってのみ、真理の探究が可
能となり、学問に委せられた諸種の課題の正しい解明の道が
   ひらかれるのである

大学はそれじたい、一つの自治の団体であって、学長、教員
の選任について充分に自治の精神がいかされ、大学の組織
においても学長の大学管理権を頂点として自治の実態に沿う
ような構成がつくられている。これにくわえ、学生も教育の必要
上、学校当局によって自治組織をもつことを認められ、一定の
   規則に従って自治運動を為すことが許されている

として学生らを無罪とした。
 
いまからすれば、まるで夢のような名判決である。二審も一審を支持したため(!)、検察が上告。最高裁判所大法廷は、しかし、1963年(昭和38年)5月、原審を破棄し、東京地方裁判所に差し戻した。その理由は「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく……本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」からという。これに全国の大学が怒り、学生も教員もデモをした。わたしは19歳で、ポポロ判決抗議のデモ中に公安条例違反で逮捕された。まだ血で血を洗う内ゲバ連合赤軍事件もないころである。1963年にはケネディが暗殺され、堀田善衛審判を、大江健三郎が『性的人間』を上梓した。最近の京大キャンパスでのできごとと学生寮強制捜査で、そのポポロ事件をおもいだした。ただ、ポポロ判決のころは、大学の自治だけではなく、言論・思想の自由を蹂躙した旧治安維持法の再来という危機感が大学にも学生にもメディアにもあった。最高裁の判断にしても、大学の自治じたいは肯定していたのである。
 
いまはどうか。言論・思想の自由がうばわれるという危機感はほとんどない。このたびの京大での事件を、秘密保護法とのかんけいで深刻視するむきはまことにすくない。しかし、ことはいわゆる〈過激派〉の問題ではなく、権力がいま、秘密保護法適用の予行演習をしている、ということである。「特定秘密」の対象になる情報は、「防衛」「外交」「特定有害活動の防止」「テロリズムの防止」などとされている。これら分野における政府方針に反対するうごきにも官憲の調査権がおよぶ。つまり範囲などはなにもない。わたしをテロリスト教唆とみなせば、いつだってしょっぴける。なんのことはない、治安維持法の再演である。「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」という治安維持法が、条文の範囲をむげんに拡大し、ひとびとを苦しめ、密告者を増殖し、思想をいかにゆがめたか。

ポポロ判決のころはまだその記憶がのこっていたのだった。社会に嫌悪感があった。いまはどうだ。大学で高度の自治意識をもつところは皆無かきわめてすくなく、学生運動を暴力団とおなじ〈反社会勢力〉ときめつけて警察と積極協力してキャンパスからしめだすうごきばかりではないか。教員からも学生からも反権力、反権威の気概がすっかりなくなった。
 
 
附:秘密保護法の予行練習?!「弁護士清水勉のブログ」(2014-10-21)から。
 
・10月10日、ビデオニュースの神保哲生さんのインタビューを受けた。内容は、「イスラム国」に戦闘員として加わろうとしたとして北海道大学の男子学生が、私戦予備・陰謀罪違反の疑いで警視庁公安部から家宅捜索や事情聴取を受けた事件についてだ。
 
わたしは私戦予備・陰謀罪(刑法93条)に詳しいわけではない。というか、明治時代につくった刑法に規定されたこの条文は、裁判例が見当たらないことからすると、実際に適用されたことがない。だから、明治時代から今まで、学者でも弁護士でもだれも専門家はいない。警察官も裁判官も同じ。
 
専門家ではないが、条文をみればどう解釈するかくらいはわかる。私戦予備・陰謀罪は「第四章 国交に関する罪」に規定されている。この点だけからしても、就職に失敗した一大学生ごときが「イスラム国で戦争がしたい」と思って、渡航しようとしたくらいのことが、国交を害することなどあるはずがない。

引用者注:上記について清水弁護士は「ビデオニュース・ドットコム」の神保哲生さんのインタビューで次のようにも述べています。「個々人の行動が私戦に結びつくわけではないし、法律の規定の位置からしても国の信頼なり安全を害することからしても、個人の行動としてではなくて一定程度の組織性を持ったものとして行動することが想定されている規定と考えるべき。また、前後の条文からしても、やはり一定の組織性を持った、計画性を持って組織的に行動することが想定されているものと考えるべきです」。
 
で、条文をみると、「外国に対して私的に戦闘行為をする目的で、その予備又は陰謀をした者は、3月以上5年以下の禁錮に処する。」とあるだけ。
 
北大生のしようとしたことが私戦予備・陰謀なら、紛争地域に行って戦闘に加わる傭兵はだれもが私戦予備・陰謀罪で処罰されることになる。日本にも海外で傭兵をしていたことを公にしている人はいる。でも、だれも処罰されていない。おそらく強制捜査もされていない。だったら、北大生も同じ。
 
では、なぜ、警察が動いたのか?
 
動いたのは刑事警察ではなく、公安警察だった。ここが1つのポイントだ。刑事警察の場合は、逮捕⇒起訴⇒有罪判決を見通して捜査を始める。ところが、公安警察は犯罪でないことを扱っているので、逮捕も起訴も有罪判決も考えていないし、見通してもいない。自分たちが欲しい情報を入手できればいい。
 
今回の強制捜査(家宅捜索)を実行したのは公安警察だ。目的は北大生の逮捕、起訴、有罪判決ではない。北大生の部屋の家宅捜索でもない。北大生と関わりを持った人たち、イスラム学者の中田考同志社大学教授と、イスラム圏の取材経験が豊富で最新の情報を持っているジャーナリストの常岡浩介氏、特に常岡氏が持っている情報こそ公安警察が欲しかったものだったに違いない。常岡氏の自宅の家宅捜索をしたことで、一定の成果を挙げたに違いない。
 
12月に秘密保護法が施行されれば、公安警察は「テロ関連で秘密保護法違反の疑いがある」と何らかの口実さえ作れば、その秘密が何かを明かすことなく、根こそぎ関連証拠を持って行くことが可能になる。今回は、秘密保護法違反捜査の予行演習だったのではないか。
 
とは言っても、公安警察は独断で強制捜査をすることはできない。裁判官の捜索差押許可状(刑事訴訟法218条)という協力が必要不可欠だ。今回は、東京簡易裁判所の裁判官が捜索差押許可状を出したようだ。地方裁判所の裁判官だと強制捜査の許可を出してくれそうもないときでも、簡易裁判官だと出してくれる。簡易裁判官は、地方裁判所の裁判官とちがって、司法試験に合格していない裁判所書記官などがなっている(裁判所法44条1項4号)。
 
私戦予備・陰謀罪など捜索差押許可状を出したことのある裁判官はこれまでいなかった。地方裁判所の裁判官だったら、慎重に考えて捜索差押許可状を出さなかったのではないか。
 
だが、問題の本質は、地方裁判所の裁判官か簡易裁判所の裁判官かではない。裁判官が強制捜査を安易に許す傾向があることが素地として問題なのだ。そして公安警察が動く事件「捜査」では、警察は起訴、有罪判決を目指していないのだから、裁判官がそんな「捜査」に協力することはもっともっと問題だ。
 
マスコミは、少なくとも公安警察の強制捜査や問題のありそうな強制捜査では、捜査令状を出した裁判官名を報道すべきだ。裁判官の仕事は、人の人生を一変させるだけのものなのだから、実名で世間の批判に晒されて当然だ。そうされることで、裁判官は(公安)警察の暴走を止める役割を果たすべきことを制度上期待されていることを自覚すべきだ。
高世仁さん(ジャーナリスト)の提言「放射線被ばくの影響を科学的に分析することと、原発そのものの是非、原発事故の責任論などの問題がごっちゃにされ、政治的な『立場』の議論にすり替えられるのだ」の続き。そして、私が「その議論の不毛さについては、もちろん3・11以後のことになりますが、この数年来、私も辟易させられてきました」という感想を持つ続きとしてご紹介するものです。したがって、今回も引用が主になります。が、考えていただきたいことの続きとしての引用です。
 
前回の「『科学』的な議論を『政治』的に議論するおかしな作法について(1)」では、私は、早野龍五東大教授(原子物理学)、坪倉正治医師(南相馬市立総合病院非常勤医師)、宮崎真医師(福島県立大病院放射線医)3氏による「福島県内における大規模な内部被ばく調査の結果」と《福島第一原発事故は、福島県内の土壌を放射性セシウムで汚染した。チェルノブイリ事故で得られた知見をそのままあてはめると、福島県県内の人口密集地で、年に数mSvを超える内部被ばくが頻出することが懸念された。しかし、ひらた中央病院で2011年10月から2012年11月に行った32,811人のホールボディーカウンター検査結果は、住民の内部被ばくが、この予想よりも遙かに低いことを明らかにした。》という同調査結果の概要をご紹介しました(高世仁さんの記事から)。
 
http://www.env.go.jp/chemi/rhm/conf/conf01-09/ref01.pdf
 
が、予期していたとおり、はじめの部分の大要以下のような反論がありました。
 
「高世仁という人のブログにあるコメントは、米国市民発の情報などと合わせて考えると、ちょっと違うな、と感じます。ここでは、主にフクシマの土壌汚染、さらに体内の「セシウム」の量が問題にされています。そうして「フクシマの食べ物」はもう大丈夫、とまで書いています。これらには問題があると思います。1)放射能の大半は、フクシマの土壌に蓄積するよりはむしろ、大気と海、特に海に大量に出たこと。2)ストロンチウム、プルトニウムなどの蓄積量の測定が行われていないこと。3)「フクシマの食べ物」という一般論化で魚介類を含むことになる恐れ。韓国政府助成の韓国団体のの研究報告に基づいて計算すると

・フクシマからの環境へのセシウム137放出の合計: 260クァドリリオンベクレル。
チェルノブイリからの環境へのセシウム137放出の合計:70 ~80クァドリリオンベクレル)

こういう計算もあるため、フクシマから海洋にでた放射能、つまりフクシマ近海と太平洋の汚染、また大気に出た汚染について、高世さんのブログで触れていないのが、まず問題です。 (以下、省略)」
 
上記の批判者の言う(1)については、高世仁さんが紹介している「福島県内における大規模な内部被ばく調査の結果」は、同調査結果の副題にもなっているように「福島第一原発事故7{20 ヶ月後の成人および子供の放射 性セシウムの体内量」を調べたものであり、「フクシマ近海と太平洋の汚染、また大気に出た汚染について」調べたものではありません。したがって、同調査結果を紹介することが目的の高世さんのブログで大気汚染の問題が触れられていないのは、そのことが同記事の主題ではないから触れていないのであってなんら問題になるようなことではありません。それを批判者は「問題」だと批判するのです。馬鹿げた主張です。(2)についても同じことが言えます。同調査は「放射性セシウムの体内量」を調べるのが目的の調査であって、その調査で「ストロンチウム、プルトニウムなどの蓄積量の測定が行われていない」のは当然のことです。批判者が「「ストロンチウム、プルトニウムなどの蓄積量」を知りたいのであれば別の資料を調べるべきであり、批判というよりもいいがかりのたぐいに等しいものです。(3)については上記の2医師1大学教師が「福島県内における大規模な内部被ばく調査」で「成人及び子供の放射性セシウムの体内量」を調べた結果として早野氏が自身の原子物理学者としての自恃をもって『もう、食べ物については心配しなくていいよ』と言えるレベルです」(『知ろうとすること。』p20)と言明していることです。そこで「食べ物については」と言っている以上当然「魚介類」についても「『心配しなくていいよ』と言えるレベルです」と言明していることになるでしょう。その科学者の言明を「『フクシマの食べ物』という一般論化で魚介類を含むことになる恐れ」などとそれこそ一般論を述べて貶めることは許されることではありません。批判をするのであれば調査結果の数値が誤っている(優秀な2医師1大学教師の調査結果ですからそういうことはありえないと思いますが)などの具体的な実例を挙げて危険だということを証明しなければこれも単なる誹謗中傷のレベルの批判となるほかありません。
 
上記のような批判のありかたこそ高世仁さんが批判している「放射線被ばくの影響を科学的に分析することと、原発そのものの是非、原発事故の責任論などの問題がごっちゃにされ、政治的な『立場』の議論にすり替えられる」批判の典型というべきものです。批判者は自身の批判がきわめて非科学的、非理性的であることにここまでの懇切な指摘があってもいまだに気づいていません。改めて高世仁さんの指摘、さらには早野龍五東大教授、坪倉正治医師、宮崎真医師、糸井重里さんら4氏の指摘にもっと謙虚に耳を傾けていただきたいものです。
 
以下、高世仁さんの指摘の続きです。
 
今年の福島産の米は基準超えなし
(高世仁の「諸悪莫作」日記 2014-11-12)(省略、改行は引用者)
 
(前略)
 
さて、前回のつづき。
 
チェルノブイリ事故での住民の内部被ばく量と比べて、福島県民のそれが非常に低いのはなぜか。セシウムは新陳代謝で体外に排出されるので、新たに食物などで摂取しなければどんどん低くなる。それを確認したのが、早野龍五教授が提唱した「給食まるごとセシウム検査」だった。事故の年、ポケットマネーではじめた学校の給食の検査だ。そして、福島の農作物を安全にできたのは、現地の住民を含むたくさんの人々の努力のたまものだったという。
 
早野 「日本の人は、基準が決まりさえすれば、厳密に守るんです。これって、実はすごいことですよ。生産者の方々も非常にがんばって、工夫して、その規制値を超えないようにした。農学部の先生方もすごく努力をされて、どうやったらセシウムが入っていないお米が作れるか。研究を重ねられて、それが非常にうまくいったんです。ちなみに、福島県産のお米は現在ではすべての米袋についてセシウムを測定しているんですが、2012年度福島県産の玄米で100ベクレルを超えたのは、0.0007%。1000万袋以上測って71袋です。もちろん、このお米は流通していません。」(P85)
 
今年はどうか。11月10日現在、基準値超えがまだ1検体も出ていないというすごい結果になっている。872万2096検体中、ND(検出せず)が 872万0470検体。数値検出が1626検体あったが、すべて基準値よ
りはるかに低かったという。
 
http://tsukuba2011.blog60.fc2.com/blog-entry-808.html
 
今年も最終的には1100万検体ほどになると思われ、すでに8割近くが終わった。この段階で基準値超えがないということは、基準超えゼロ!も射程に入ってきた。すばらしい。
 
意外に知られていないのだが、福島県の検査は「サンプリング検査」ではなく、全ての米袋を測定する「全袋検査」。原発事故の翌年にはじまり、今年でもう3年目になる。これを可能にするために、島津製作所など5社が、30キロの玄米を10秒で検査できるスクリーニング検査機を新たに開発するなど、ものづくりの技術者、職人の努力もあった。(略)周りに知らない人がいたら、販売されている福島のお米は全部がしっかり検査されていて、とても安全なんだよとぜひ教えてあげてほしい。『知ろうとすること。』を読むと、住民の、とくに子どもたちの被ばくをなんとかしようとする人々の努力に、日本という国の希望を見る思いがする。
 
じゃあ、福島には問題はないのか? 展望の見えない汚染水や廃炉の問題はじめ、もちろんたくさんある。それはそれ。正しく憂いつつ、人々と農産物の被ばくについては大丈夫だということを確認し、風評被害を封じ込めたい。
先に私は「白井聡さんの『護憲ではない、制憲を』(週刊金曜日2014/11/07号)という論、あるいは書評を読む」というエントリを起こしましたが、以下の追記としての論評はその「書評を読む」の続きということになるでしょうか。
 
追記1(11月10日):白井氏評価について前田朗さん(東京造形大学教授)との押し問答(テニヲハの訂正と若干の付加あり)

前田氏:白井さんが「制憲」についてどういう定義をしているのかは知りませんが、憲法学では「憲法制定権力」という用語をずっと昔から使っていますよ。私は憲法専攻ではなく、刑法専攻ですが、これは常識の部類に属すると思ってましたけど。
 
東本:私は、白井青年は「制憲権力とは革命権力にほかならない」というが、「制憲権力」=「革命権力」というのであれば、白井青年はその「革命権力」を「どのようなものとして想定しているのか?」と問うています。「革命権力」は「革命」を行使するにふさわしい実力を持ったものでなければ成功しがたいだろうと思うからです。「『革命』を行使するにふさわしい実力を持った」組織、あるいは個人とはどういうもののことをいうのか。時代と状況によって条件は異なるはずですから一概には言えませんが、わかりやすい例をあげればたとえば私はいわゆる「日和見主義者」を「『革命』を行使するにふさわしい実力を持った」組織、あるいは個人とみなすことはできません。だから、「革命権力」というからには白井青年はどのような「権力」を想定しているのか、と問うているのです。そういう構想のない「革命」論は無駄口というべきではないか、と。「制憲」の定義を問題にしているのではありません。
 
前田氏:ご趣旨は理解しました。(が、)ピントがずれていると思います。今回の週刊金曜日記事を見る限り、白井さんは、革命組織だの個人だのと言う議論には関心を示していません。「革命」論を展開することも視野の外でしょう。憲法制定権力は革命権力であるというごくごく当たり前のことを言っているだけですから。
 
東本:憲法制定権力とは辞書によれば「憲法を制定し、憲法上の諸機関に権限を付与する権力」のことを言います。したがって、その「権力」は、権力が獲得「された」以後の段階での権力を意味します。一方、「革命」とはやはり辞書によれば「権力体制や組織構造の抜本的な社会変革が比較的に短期間に行われること」を言います。したがって、革命権力とは、権力を獲得「する」段階での権力を意味します。したがって、本来、「された」と「する」には根本的な差異があります。それをあえて「制憲権力とは革命権力にほかならない」と本来の「差異」であるべきはずのものを「等式」で表現しているのですから、表現者にはその「等式」のなにゆえかを説明する義務が生じます。でなければ「論」にはなりえません。前田さんは「憲法制定権力は革命権力であるというごくごく当たり前のことを言っているだけですから」と白井青年を擁護しますが、「憲法制定権力は革命権力である」というのは「ごくごく当たり前のこと」ではないのです。若手政治学者の論の未熟をそのままにしては「政治学」のためにもなりません。
 
前田氏:誤読に基づいていくら批判しても生産的な議論になりません。白井さんは「革命」論など論じていません。白井・金曜日記事は、(1)GHQが憲法改正を指示し、さらに日本国憲法草案を作成して、その結果として憲法改正がなされたのだから、制憲という観点では<憲法制定権力を行使したのはアメリカ>であって日本国民とはいえず、(2)日本国憲法の枠組みそのものがア メリカによって規定されたこと、(3)それゆえ憲法解釈や法運用の現実もアメリカの手のひらの上にあること、(4)それゆえ特に基地と原発に関してはアメリカの意向に逆らえないこと、(5)にもかかわらず、護憲派の論理は「中身がいい民主主義憲法だから日本国憲法 は良い憲法だ」という論法で現実を隠蔽する機能を有していることを指摘しているのです。制憲論はそのための概念として用いられています。東本さんの独りよがりな「革命」論とは無関係です。白井さんを批判するのであれば、「制憲」などの言葉尻を捉えて誤爆を重ねるのではなく、『永続敗戦論』そのものの論理を批判するよう努力されるよう助言いたします。
 
東本:私が白井さんの論を批判しているのははじめの1回だけです(「いくら批判しても」いるわけではありません)。後は前田さんの返信に対する私の論駁にすぎませんし、前田さんの白井論の(1)から(5)のまとめのように私も白井論を読んでいます。すなわち、私は白井論を誤読しているわけでもありません。前田さんは「白井さんは『革命』論など論じていません」と言いますが、白井さんの論の最後近くの「制憲権力とは革命権力にほかならない」という断定は、そこでいわれている「革命権力」とはなにを指しているのかはよくわかりませんが、短いフレーズであるとはいえ、ともあれそこでは「革命権力」について論じているわけですから、そのフレーズは一般の「革命」論の謂ではないとしても、白井流の「革命」論の陳述であることは疑う余地はありません。だから、私は、はじめに紹介した「引用者注」で「『制憲権力』(すなわち白井氏が「制憲権力」と等号で表現している「革命権力」)をどのようなものとして想定しているのか? 必ずしも明らかではありません。白井氏の論の最大の難点といってよいでしょう」と批判、忠告しているのです。上記の批判、忠告を白井さんの論の誤読によるものとは私は思っていません。
 
さて、前回の私の前田さんの返信への応答は以下のようなものでした。
 
「憲法制定権力とは辞書によれば「憲法を制定し、憲法上の諸機関に権限を付与する権力」のことを言います。したがって、その「権力」は、権力が獲得「された」以後の段階での権力を意味します。一方、「革命」とはやはり辞書によれば「権力体制や組織構造の抜本的な社会変革が比較的に短期間に行われること」を言います。したがって、革命権力とは、権力を獲得「する」段階での権力を意味します。したがって、本来、「された」と「する」には根本的な差異があります。それをあえて「制憲権力とは革命権力にほかならない」と本来の「差異」であるべきはずのものを「等式」で表現しているのですから、表現者はその「等式」のなにゆえかを説明する義務が生じます。でなければ「論」にはなりえません。前田さんは「憲法制定権力は革命権力であるというごくごく当たり前のことを言っているだけですから」と白井青年を擁護しますが、「憲法制定権力は革命権力である」というのは「ごくごく当たり前のこと」ではないのです。」
 
上記の応答はそこで展開されている論理の帰結として次のように続くものでした(さらに返信があれば続けようと思っていた論理です)。
 
白井青年は「制憲権力とは革命権力にほかならない」と「制憲権力」という概念と「革命権力」という概念を等号で結んでいるわけですから、必然的にその論はそこで述べられている「革命権力」とはなにかについて論を展開する論理的義務を負っています。そうであれば、そこで論じられる論はどういう形であれ「革命権力」について論じるという意味で一種の「革命」論にならざるをえません。
 
前田さん。「白井さんは「革命」論など論じていません」などと言えますか? それこそ白井氏の論の必然的な論の展開としてなりゆかざるをえないであろうところをよく読み得ていない「誤読」というべきでしょう。論の孕んでいる問題群を読みとることができないで、字面だけを丁々発止しても、それは論の半分だけ読んだということにしかならないでしょう。
 
はじめの前田さんへの私の応答に戻ると、「白井青年はその『革命権力』を『どのようなものとして想定しているのか?』」と私が問い、さらにその問いの理由として「革命権力」は「革命」を行使するにふさわしい実力を持ったものでなければ成功しがたいだろうと思うからです」と私が述べたのは、白井青年の論の論理の必然として「革命権力」について論じることになる場合、「革命組織だの個人だの」に対する白井青年の関心の如何にかかわらず、その「革命権力」の「主体」の問題への言及は必須の論理的課題というべきであり、論理であろうとする以上、その言及を避けて論理を構築することはできないといってよい性質のものだからです。だから、私は、その「革命の主体」の問題に関しての私の見解を述べることにしたのです。以上の一連の思考の流れとその流れの結論を記した私の論述を「誤読」というのは当たらない指摘でしょう。
 
追記2(11月10日):矢部宏治さんの週刊プレイボーイ発言を評価する「街の弁護士日記」主宰者の論について
「街の弁護士日記」を主宰している岩月浩二弁護士が本日付けのご自身のブログに「【ご紹介】『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』及び年金資産問題」という記事を書いて、私が本エントリで批判している矢部宏治さんへの週刊プレイボーイのインタビュー記事を評価しています。曰く。「週刊プレイボーイがまた、力の入った、よい記事を書いている。(略)『日本人はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』の著者であり、「戦後再発見双書」の企画編集者でもある矢部宏治のインタビュー記事である。(略)いささか気が重くなる内容であるが、このところ、様々な角度から、戦後日本が一貫して敗戦・占領状態にあることがあからさまにされつつある。そのことを自覚する人は、残念ながら、今は圧倒的に少数であるが、おそらく10年後には、その人たちが新しい日本を立ち上げる日がくる」。
 
しかし、私の週刊プレイボーイのインタビュー記事での矢部宏治さんの発言批判は岩月弁護士の評価にも関わらず変わりません。振り返ってみれば、先に矢部宏治さん編集で出版された孫崎享著『戦後史の正体』の評価についても追記1でご紹介した前田朗さん及び岩月弁護士とも『戦後史の正体』評価を異にしていました。さらに遡れば前田さんと岩月弁護士とは元民主党代表の小沢一郎評価についても意見を異にしていました。今回の矢部宏治さんの著書の評価や白井聡さんの週刊金曜日記事の評価の分かれ目の根源はこのあたりにあるのではないか、とは私の思うところです。
 
追記3(11月11日):

植草一秀さんが同氏のブログの11月10日付け「矢部宏治氏新著が明示する米国の日本支配構造」という記事で矢部宏治氏の新著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』をやはり高く評価しています。追記2で指摘した『戦後史の正体』の評価をめぐっての「見解の違い」の対立の構図は、今度は矢部宏治氏新著評価問題
(「民主党」及び「小沢評価」の蒸し返し問題と言い換えてもいいのですが)とでも呼ぶべき「見解の違い」の構図として改めて浮上してきた感がします(前回と今回の「見解の違い」の顔ぶれはほぼ同じです)。
常岡浩介Twitter(11月11日)
・件の私戦予備陰謀事件で、ぼくは今まで参考人ということだったんだそうですけど、今日午後1時頃、外事三課から電話がかかってきて、「被疑者として取り調べるので出頭せよ」と告げられました。 ぼくは従来の主張通り... http://dlvr.it/7TrmhK
 
・件の私戦予備陰謀事件で、ぼくは今まで参考人ということだったんだそうですけど、今日午後1時頃、外事三課から電話がかかってきて、「被疑者として取り調べるので出頭せよ」と告げられました。ぼくは従来の主張通り、「捜査そのものが違法なので、応じられない」と、回答。もともと、任意の事情聴取を拒否していたので、予定調和ではあるのですが、これで一気にタイーホの可能性が高くなりました。でも、参考人が被疑者になろうとどうしようと、変わったのは手続き上の名前だけで、事実は事実、今回の件が公安外事三課によるでっちあげ事件であることは変わらないもんね。拘置所に二年ぐらい住むことになるのかなあ。思い残すことはかんだたみのお世話ができなくなることです。きっと帰ってくるから、それまで寂しいの我慢して、かわいく生き延びるんだよ!
 
弁護士清水勉のブログ(2014-11-11)
今週の週刊文春(2014.11.13号)の記事『イスラム国志願北大生が暴露「公安の尾行はバレバレで面白い」』には唖然とした。北大生は週刊文春の記者に開口一番、「僕は事実誤認をされるのが凄い好きなんで!」「公安を茶化すのは凄い好きで、公安の尾行を巻くために自転車を手配しました。完璧な移動ができるんで(笑)。楽しかった。」日本共産党主催の「赤旗まつり」に「一緒に行ったのが北朝鮮国籍の見知らぬ女性だったんで、外事二課(東アジア等を担当)もやってきた。」などのやりとりが記者とあったあと、≪A(北大生)はずり落ちたズボンからトランクスをはみ出させながら、駅構内にいた二十代らしき女性に歩み寄っていった。≫という。この北大生が刑法制定はじまって以来はじめて私戦予備・陰謀罪を適用した容疑者だというのだから、警視庁公安部のセンスに呆れる。
 
記事には、公安部外事三課(国際テロ等を担当)の課長が中田考元同志社大学教授を「立件してみせる」と息巻いている、とあるが、本当だろうか。やっぱり、呆れる。この国は法治国家か。法治を忘れた放置国家か
 
中田考Twitter
以下、引用者注。

10月27日まではたくさんのツイート、リツイートがあって賑やかなTwitterでした。が、10月28日はそのリツイートが徐々に減り、29日以降は、
 
29日:なし
30日:内田樹氏のリツイート1件。
31日:中田考氏の「将棋ウォーズ棋譜(Taqiyyudin:三段 vs yos1985:初段)」というツイート1件。
11月1日、2日:なし
3日:毎日新聞ニュース速報のリツイート1件。
4日以降:なし
 
上記の週刊文春の記事にいう「公安部外事三課(国際テロ等を担当)の課長が中田考元同志社大学教授を「立件してみせる」と息巻いている」ことと無関係とは思えません。中田さんは多くの友人に迷惑をかけることを避けるためにリツイートも避けている、ということなのでしょう。
 
国家機関(公安)による人権蹂躙の許しがたい状況です。「この国は法治国家か。法治を忘れた放置国家か」。怒り心頭に発します。
「ぼくが勉強会で話したりすると、『あなたは、原発に反対なのか、賛成なのか。まずそれを明らかにしてくれないと話は聞けない』という方がいらっしゃる。」

放射線被ばくの影響を科学的に分析することと、原発そのものの是非、原発事故の責任論などの問題がごっちゃにされ、政治的な「立場」の議論にすり替えられるのだ。
 
上記の早野龍五さん(原子物理学者)の発言を紹介した上での高世仁さん(ジャーナリスト)の感想は重要な指摘だと私は思います。
 
「放射線被ばくの影響を科学的に分析することと、原発そのものの是非、原発事故の責任論などの問題がごっちゃにされ、政治的な『立場』の議論にすり替えられる」。その議論の不毛さについては、もちろん3・11以後のことになりますが、この数年来、私も辟易させられてきました。しかし、その「不毛」な議論は、依然として「科学」の議論と「政治」的な議論の違いに気づかない人たち、あるいは「科学」的な議論よりも自分の得た「情報」(すなわち、「主観」や「思いこみ」)のみを「正しい」とする文字どおり「主観」的な一部の人たちからメーリングリストやツイッターなどのツールを通じて「脱原発」の主張とともに主張され続けています。
 
しかし、私は、以下のような指摘をきちんと受け止めた上で「脱原発」を論じることの重要性を痛感します。さらに自己の真摯な探求、営為の結果や結論として「科学」的な見解を発表しようとする人をいたずらに(自己の見解に反するというだけで根拠もなく)「御用学者」や「東電の回し者」などのレッテル貼りをして非難する人たちの愚かしさ(批判者は「根拠」のようなものをあげているつもりのようですがその「根拠」も主観的なものでしかありません)、こうした一部の「脱原発」界隈の風潮の愚かしさの限りを思います。
 
以下、高世仁さんのブログの11月10日付けの記事、遡って8日付け、9日付けの記事をご紹介します。「脱原発」を主張する人たちに考えていただきたいことです。
 
3万人以上の内部被ばく検査が語るもの
(高世仁の「諸悪莫作」日記 2014-11-10)
 
知ろうとすること。』の早野龍五氏は、福島原発事故のあと、内部被ばくについてきちんとまとめられた論文がなかったとき、初めての査読(専門家による検証・評価)つきの論文を書き、それは、2013年に国連の科学委員会が福島原発事故に関するレポートをまとめるさいに使われた。
 
早野教授には二人の盟友がいる。
 
坪倉正治医師(南相馬市立総合病院の非常勤医師)と宮崎真医師(福島県立大病院の放射線医)だ。
 
坪倉医師については、例の「美味しんぼ」の鼻血騒動のとき、このブログで紹介した。
 
「東電の回し者」などと非難されながらも、具体的な検査結果をもとに、「流通している県内産のものを摂取して高い内部被曝をする状況では全くない」「現状の相馬市、南相馬市で日常生活を送る上での放射線被曝リスクは十分低い」と説明して福島県の人々を力づけてきた人である。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20140518
 
彼らの主張がなかなか伝わらない要因は、前回触れたメディアの発信の問題(危ないという情報以外は報道されにくい)以外にもあった。
 
早野 「ぼくが勉強会で話したりすると、『あなたは、原発に反対なのか、賛成なのか。まずそれを明らかにしてくれないと話は聞けない』という方がいらっしゃる。」
 
放射線被ばくの影響を科学的に分析することと、原発そのものの是非、原発事故の責任論などの問題がごっちゃにされ、政治的な「立場」の議論にすり替えられるのだ。
 
坪倉医師が、「大丈夫」というと「東電の回し者」と非難されたように。
 
おそらく、反原発をかかげる一部の活動家は、被ばく量は低かったとする早野氏らの調査結果を喜ばないだろうし、そもそも信じようとしないだろう。被ばく実態が危険であるということを扇動の入口にするには、安全であっては困るのだろう。
 
メディアのなかにも、「放射能に関しては分からないことが多い」という一般論を持ち出し、「ゼロが理想」という誰でも賛成するフレーズを使うことによって、いつまでも「こわい、あぶない」を唱える向きがある。
 
放射能はあるかないかではなく、あくまで「量」の問題であり、それは今や、具体的なデータで科学的に議論できる段階に来ていると早野氏はいう。
 
そのデータの一つが、早野、坪倉、宮崎三氏による「福島県内における大規模な内部被ばく調査の結果」を参照してほしい。
ホールボディカウンターで3万人以上を調べた結果である。
 
http://www.env.go.jp/chemi/rhm/conf/conf01-09/ref01.pdf
 
《福島第一原発事故は、福島県内の土壌を放射性セシウムで汚染した。チェルノブイリ事故で得られた知見をそのままあてはめると、福島県県内の人口密集地で、年に数mSvを超える内部被ばくが頻出することが懸念された。
 
しかし、ひらた中央病院で 2011年10月から2012 年11月に行った32,811人のホールボディーカウンター検査結果は、住民の内部被ばくが、この予想よりも遙かに低いことを明らかにした。》
 
私もこれを知って、ほっとした。
 
ところで、なぜ、「予想よりも遙かに低い」と言うのか。
 
チェルノブイリでの経験から、土地がこのくらい汚染されると、その住民はこのくらい被ばくするという一定の関連性を示す「係数」が知られていた。
 
だから、はじめは、福島県民の被ばく量はそれなりに高いだろうと予想されていた。
 
ところが、計ってみたら、「チェルノブイリ事故で得られた知見」が当てはまらないほど、低かったので、早野氏らも驚いたのだ。
 
なぜ、そんなことになったのか。(つづく)
 
福島の食べ物はもう大丈夫(高世仁の「諸悪莫作」日記 2014-11-08)
 
(前略)
きょうは、最近読んだ本『知ろうとすること。』(新潮文庫)をお薦めしたい。
 
東大大学院の早野龍五教授と糸井重里の対談だ。
 
原発事故後の放射線の影響をどうみるか、見解が分かれているが、この本で、ほぼ決着がついたと思う。
 
結論はこうだ。
 
早野「いまの時点で明らかなのは、さまざまな調査や測定の結果、起きてしまった事故の規模にたいして、実際に人々がこうむった被ばく量はとても低かった、ということです。とくに、内部被ばく(おもに食べ物や水によって、体内に放射線源を取り込んでしまったことによって起こる被ばく)に関しては、実際に測ってみたら当初想定したよりも、かなり軽いことがわかった。『もう、食べ物については心配しなくていいよ』と言えるレベルです」(P20)
 
分からないことがたくさんあった事故直後と、データがそろってきて、事実が明らかになった現在は、もう段階が違うという。
 
糸井「それなのに、今はまだ、ひどいデマがあったり、不安をあおったりする人たちがいますよね。そういうことに対しては、正しいデータを出して行くこと、きちんと対処して撃破する必要もあると思うんです。誠実で、揺るぎない態度で。(略)」
 
早野「そうですよね。事故の後、これだけの時間が過ぎているわけですから、そういったフェーズに入ってもいい。さきほども言いましたように、やっぱり放射線に関しては『量』の問題を踏まえなくてはいけない。放射線は、健康に関して無害なわけではない。ただ、デマとか間違った情報というのは、福島ではありえないような高い線量のケースを引き合いに出していて、それをあたかも福島で起こりうるかのように言っているんです。それは、2011年の早い段階では、仕方がないケースもあったかもしれない。ショッキングな警告としての役目はあったのかもしれない。それは、ぼくは否定しません。だけれども、ここまでの時間が過ぎて、これだけのデータが出そろって、線量の低さも非常に明確にわかってきた。この今の段階で、そういう話をするのは、ありえないし、あってはならないと思う」。(p106‐107)
 
では、福島県の女の子が「私はちゃんと子どもを産めるんですか?」と聞いてきたら、早野氏はどう答えるのか。(つづく)
 
「はい、ちゃんと産めます」と自信をもって言う
(高世仁の「諸悪莫作」日記 2014-11-09)
 
(前略)
本の題名を「知ろうとすること。」とした背景を二人はこう語る。
 
糸井 「『わからないから怖い』って不安に思っている人ほど、新しい情報に対してオープンじゃなかったりしますよね。『触らぬ神に祟りなし』って感じで近寄らないようにしてたり、『何が何でも放射線はゼロにしてくれ』って、耳を塞いで言い張ってたり。地球のどこかにいる限り、放射線量はゼロにはできないのに。」
 
早野 「あと、『わからない』であきらめてるような人って、知識がないわけじゃなくて、震災直後の混乱した中で発表された情報のままで知識が固定されてるんですよ。だから、知識がずっとリニューアルされてない。」
 
離れた場所に住んでいる人ほど知識が更新されていない傾向があり、「東京の水道でもヨウ素が出たよね、水、危ないね」で固定されていたりする。
 
また、早野氏は、発信する側の問題として、「危ないデータが出た!」はニュースになるが、「悪いデータは出ていません」、「データが少し改善しました」などはニュースにならないと言う。
 
メディアが反省すべき重要な指摘である。
 
さて、福島の女の子が「私は子どもを産めるんですか」と質問してきたら、早野氏はどう答えるか。
 
早野 「まずは、自信を持って『はい、ちゃんと埋めます』と答えます。躊躇しないで。間髪を入れずに。」
 
自信を持って、躊躇しないで、間髪を入れずに・・・
 
この答えに、私はちょっと感動した。(つづく)
週刊金曜日(2014/11/07号)に掲載された白井聡さん(若手政治学者。昨年、『永続敗戦論』を発表し注目を集める)の「護憲ではない、制憲を」という論(矢部宏治著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』書評)を読んでみました。以下は、弊ブログの「今日の言葉」(11月9日付)に掲載した私の関心に即した「護憲ではない、制憲を」の要旨紹介と私の読書感想あるいは引用者注です。
 
「護憲ではない、制憲を」要旨:
確かに、戦後憲法には民主主義の原則や基本的人権の尊重やらが立派に書き込まれている。しかしそれらは決定的な局面では必ず空文化される。なぜなら、権力の奥の院ーーその中心に日米合同委員会が位置するーーにおける無数の密約によって、常にすでに骨抜きにされているからである。つまり、この国には、表向きの憲法を頂点とする法体系と、国民の目から隔離された米日密約による裏の決まり事の体系という二重体系が存在し、真の法体系は当然後者である。言い換えれば、憲法を頂点とする日本の法体系などに、大した意味はないのである。官僚・上級の裁判官・御用学者の仕事とは、この二重体系の存在を否認することであり、それで辻褄が合わなくなれば二重の体系があたかも矛盾しないかのように取り繕うことである。この芸当に忠実かつ巧妙に従事できる者には、汚辱に満ちた栄達の道が待っている。(略)これまでの改憲・護憲陣営の多くが、どれほど的を外した議論で堂々めぐりを続けてきたか、ということだ。そして、不毛な議論が続く限り、改憲でも護憲でもない、民主制国家が必ず通らなければならない過程、すなわち制憲の問題は、視野の外に置かれる。このことはもちろん、永続敗戦レジームの延命に寄与する。そして、制憲権力とは革命権力にほかならない
 
引用者注:
白井氏は「制憲権力とは革命権力にほかならない」という「制憲権力」(=「革命権力」)をどのようなものとして想定しているのか? 必ずしも明らかではありません。白井氏の論の最大の難点といってよいでしょう。白井氏は八方美人の論を弔おうとするのであれば自ら抽象論の愚に陥らないことでしょう。

追記1(11月10日):白井氏評価について前田朗さん(東京造形大学教授)との押し問答
 
前田氏:白井さんが「制憲」についてどういう定義をしているのかは知りませんが、憲法学では「憲法制定権力」という用語をずっと昔から使っていますよ。私は憲法専攻ではなく、刑法専攻ですが、これは常識の部類に属すると思ってましたけど。
 
東本:私は、白井青年は「制憲権力とは革命権力にほかならない」というが、「制憲権力」=「革命権力」というのであれば、白井青年はその「革命権力」を「どのようなものとして想定しているのか?」と問うています。「革命権力」は「革命」を行使するにふさわしい実力を持ったものでなければ成功しがたいだろうと思うからです。「『革命』を行使するにふさわしい実力を持った」組織、あるいは個人とはどういうもののことをいうのか。時代と状況によって条件は異なるはずですから一概には言えませんが、わかりやすい例をあげればたとえば私はいわゆる「日和見主義者」を「『革命』を行使するにふさわしい実力を持った」組織、あるいは個人とみなすことはできません。だから、「革命権力」というからには白井青年はどのような「権力」を想定しているのか、と問うているのです。そういう構想のない「革命」論は無駄口というべきではないか、と。「制憲」の定義を問題にしているのではありません。
 
前田氏:ご趣旨は理解しました。(が、)ピントがずれていると思います。今回の週刊金曜日記事を見る限り、白井さんは、革命組織だの個人だのと言う議論には関心を示していません。「革命」論を展開することも視野の外でしょう。憲法制定権力は革命権力であるというごくごく当たり前のことを言っているだけですから。
 
東本:憲法制定権力とは辞書によれば「憲法を制定し、憲法上の諸機関に権限を付与する権力」のことを言います。したがって、その「権力」は、権力が獲得「された」以後の段階での権力を意味します。一方、「革命」とはやはり辞書によれば「権力体制や組織構造の抜本的な社会変革が比較的に短期間に行われること」を言います。したがって、革命権力とは、権力を獲得「する」段階での権力を意味します。したがって、本来、「された」と「する」には根本的な差異があります。それをあえて「制憲権力とは革命権力にほかならない」と本来の「差異」であるべきはずのものを「等式」で表現しているのですから、表現者にはその「等式」のなにゆえかを説明する義務が生じます。でなければ「論」にはなりえません。前田さんは「憲法制定権力は革命権力であるというごくごく当たり前のことを言っているだけですから」と白井青年を擁護しますが、「憲法制定権力は革命権力である」というのは「ごくごく当たり前のこと」ではないのです。若手政治学者の論の未熟をそのままにしては「政治学」のためにもなりません。(追記2に続く)
 
私の読書感想の要点は上記に尽きていますからこれでおしまいということにしてもいいのですが、本来、同論は 矢部宏治さんの『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』という新書の書評として書かれた論ですから、やはり同書の新刊案内として書かれた週刊プレイボーイニュースの「日本を支配する“憲法より上の法”の正体とは?」と題されたインタビュー記事での矢部宏治さんの発言についても私として少し気になったところも記しておきます。そして、その矢部さんの新書を評価する白井聡さんとの関連性について少し気になった点についても。
 
同インタビュー記事の5頁目に矢部さんとインタビュアーとの次のようなやりとりの一節があります(改行、省略は引用者)。
 
―基地問題だけでなく、原発の問題も基本的に同じ構図だと考えればいいのでしょうか?
 
矢部 こちらも基本的には軍事マターだと考えればいいと思います。日米間に「日米原子力協定」というものがあって、原子力政策については「アメリカ側の了承がないと、日本の意向だけでは絶対にやめられない」ようになっているんです。しかも、この協定、第十六条三項には、「この協定が停止、終了した後も(ほとんどの条文は)引き続き効力を有する」ということが書いてある。これなんか、もう「不思議の国の協定」というしかない……。
 
―協定の停止または終了後もその内容が引き続き効力を有するって、スゴイですね。
 
矢部 で、最悪なのは、震災から1年3ヵ月後に改正された原子力基本法で「原子力利用の安全の確保については、我が国の安全保障に資することを目的として」と、するりと「安全保障」という項目をすべり込ませてきたことです。なぜ「安全保障」が出てくるかといえば、さっきの「砂川裁判」と同じで「安全保障」が入るだけで、もう最高裁は憲法判断できなくなる
 
―しかも、「安全保障」に関わるとして原発関連の情報が特定秘密保護法の対象になれば、もう誰も原発問題には手が出せなくなると。
 
矢部 そういうことです!
 
上記で矢部さんの言う「原子力政策については『アメリカ側の了承がないと、日本の意向だけでは絶対にやめられない』ようになっている」「しかも、この協定、第十六条三項には、『この協定が停止、終了した後も(ほとんどの条文は)引き続き効力を有する』ということが書いてある」というのはほんとうだろうか?
 
日米原子力協定の第十六条三項には「いかなる理由によるこの協定又はその下での協力の停止又は終了の後においても、第1条、第2条4、第3条から第9条まで、第11条、第12条及び第14条の規定は、適用可能な限り引き続き効力を有する」と書かれています。矢部さんは同条文の「適用可能な限り」という前提条件を省略した上で「『日本の意向だけでは絶対にやめられない』ようになっている」とおどろおどろしく解説しています。しかし、条文に「適用可能な限り」とある以上、「適用可能ではない」場合は「引き続き効力を有しない」ことになります。これが正しい条文の解釈であるはずです。
 
そして、国際条約(「日米原子力協定」もそのひとつです)と日本国憲法との法的関連性を見ると、「条約の効力は一般的な法律よりも優先するが、憲法に対しては劣位にある」(wikipedia「条約」)というのが法学上の一般的解釈のようです。そうであれば、憲法第56条2項には「両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる」という規定があります。日本の内閣及び国会が条約を改定、あるいは廃棄したいときは同規定によって両議院の議事に付せば出席議員の過半数の賛成を得て条約を改定、あるいは廃棄することができるわけですから、その場合は、日米原子力協定上においても「適用可能ではない」状態になり、同条約の効力は失われるということになるでしょう。決して矢部さんの言うように「原子力政策については『アメリカ側の了承がないと、日本の意向だけでは絶対にやめられない』ようになっている」わけではありません。矢部さんは日米原子力協定の有害性(という点では、私も認識を同じくしますが)をいうために端的に言ってウソを言っている、ということにしかなりません。そして、こうしたハッタリやホラ話で条約の有害性を説くのは人心を惑わせるほかの意味はありません。矢部氏の主張はこのインタビュー発言を見る限りにおいて誤った主張といわなければならないでしょう。 
 
いかに大部において意見を一にするとしても、そうした誤まった見方と主張を持つ人の新刊を「3・11以降刊行された書物のうちで、私の知る限り最も重要なものの一冊である」などと持ち上げる白井聡さんの眼の確かさと見識について、『永続敗戦論』の著書を発表以後「新進気鋭の若手政治学者の誕生」などと評価される著者とはいえ、いや、それだけになおさらというべきでしょう。私は疑義を呈しておかないわけにはいきません。

追記2(11月10日):矢部宏治さんの週刊プレイボーイ発言を評価する「街の弁護士日記」主宰者の論について
 
「街の弁護士日記」を主宰している岩月浩二弁護士が本日付けのご自身のブログに「【ご紹介】『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』及び年金資産問題」という記事を書いて、私が本エントリで批判している矢部宏治さんへの週刊プレイボーイのインタビュー記事を評価しています。曰く。「週刊プレイボーイがまた、力の入った、よい記事を書いている。(略)『日本人はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』の著者であり、「戦後再発見双書」の企画編集者でもある矢部宏治のインタビュー記事である。(略)いささか気が重くなる内容であるが、このところ、様々な角度から、戦後日本が一貫して敗戦・占領状態にあることがあからさまにされつつある。そのことを自覚する人は、残念ながら、今は圧倒的に少数であるが、おそらく10年後には、その人たちが新しい日本を立ち上げる日がくる」。
 
しかし、私の週刊プレイボーイのインタビュー記事での矢部宏治さんの発言批判は岩月弁護士の評価にも関わらず変わりません。振り返ってみれば、先に矢部宏治さん編集で出版された孫崎享著『戦後史の正体』の評価についても追記1でご紹介した前田朗さん及び岩月弁護士とも『戦後史の正体』評価を異にしていました。さらに遡れば前田さんと岩月弁護士とは元民主党代表の小沢一郎評価についても意見を異にしていました。今回の矢部宏治さんの著書の評価や白井聡さんの週刊金曜日記事の評価の分かれ目の根源はこのあたりにあるのではないか、とは私の思うところです。

以下、白井聡さんの「護憲ではない、制憲を」。
 
連載 「戦後」の墓碑銘 10 護憲ではない、制憲を 白井 聡
 
10月24日に矢部宏治著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社)が刊行された。著者の矢部氏は、孫崎享『戦後史の正体』や前泊博盛編『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』を含む「戦後再発見」双書(創元社)の仕掛け人の編集者である。『戦後史の正体』の読者から矢部氏に来たメールには、こう書いてあったという。〈三・一一以降、日本人は「大きな謎」を解くための旅をしている〉。まことにその通りだと思う。その旅とは、「戦後」を終わらせるための旅にほかならない。本書はその水先案内の役割を果たすにふさわしいものであり、3・11以降刊行された書物のうちで、私の知る限り最も重要なものの一冊である。
 
合法的傀儡政府
 
3・11以降、多くの国民が素朴だが決定的な疑問にとらわれている。すなわち、なぜこの国では、ある分野の事柄については、どれほど合理的な反対や批判があろうとも、民意は絶対に尊重されず、政策は強行されるのか。その「ある分野」とは、米軍基地(日米安保体制)問題と原子力である。
 
福島第一原発の事故以降の光景は実に驚くべきものだ。すなわち、福島の原発事故を遠くから見たドイツやイタリアが原発から足を洗う判断を下したというのに、インチキな収束宣言が繰り返されるなか、惨事を引き起こした当事者(東京電力)は解体もされず、誰の訴追もされない。そして、原子力問題が選挙では誤魔化されるなか、原子力政策を推進した張本人たる自民党が政権に復帰、推進政策への回帰が露骨に企てられている。この過程で、事故によるあらゆる種類の被害は、当然否定され隠蔽されるであろう。
 
そして、米軍基地問題も基本構造は同じである。沖縄でどれほど基地反対の声が高まろうとも、政府の姿勢はビクともしない。米軍基地の場合、構図は原子力問題よりもさらに厄介である。というのも、横田空域をはじめとして、首都圏、いや事実上日本全土が米軍にとって好きなように使うことができる空間として規定されているという重苦しい事実は、本土の人間の日常生活では滅多に意識されないからである。オスプレイ輸送機の本土上飛行ルートについて日本政府が何ら容喙できないという事情を、当時の野田佳彦首相が口にしたとき、この事実はうっかり表に出てしまったのであった。
 
矢部氏の新刊は、「基地と原発」を止められない理由を同一のものととらえる。それは要するに、アメリカの意志と、アメリカに自発的に隷従することによって国内での権力基盤を強化しつつ対米従属利権をむさぼる官僚・政治家が日本の中枢部を牛耳っているという構造である。矢部氏の新著の画期性は、かかる状態、言い換えれば日本政府とは米国の傀儡にほかならないという状態が“法的に根拠づけられている”という事実を、平易かつ誰もが認めざるを得ない形で(公開資料を根拠として)提示したことにある。すなわち、基地の場合は日米安保条約と地位協定、原発の場合は日米原子力協定ーーこれが日本の国内法の上位に位置し、かつこの優位性は、法的に確立されている。1959年の砂川裁判により、安保条約のごとき高度に政治的な問題について司法は憲法判断から逃避することを自ら決め、そしてダメを押すように2012年の原子力基本法改正によって同法には「安全保障に資する」の文言が取り入れられた。この二つを足し合わせれば、出てくる結論は次のようなものとなるだろう。すなわち、福島原発事故の賠償問題も含め、今後原子力問題について憲法上の人権保障とのかかわりで訴訟が起こされたとしても、司法は安全保障問題であることを盾に憲法判断を回避できる、ということである。
 
確かに、戦後憲法には民主主義の原則や基本的人権の尊重やらが立派に書き込まれている。しかしそれらは決定的な局面では必ず空文化される。なぜなら、権力の奥の院ーーその中心に日米合同委員会が位置するーーにおける無数の密約によって、常にすでに骨抜きにされているからである。つまり、この国には、表向きの憲法を頂点とする法体系と、国民の目から隔離された米日密約による裏の決まり事の体系という二重体系が存在し、真の法体系は当然後者である。言い換えれば、憲法を頂点とする日本の法体系などに、大した意味はないのである。官僚・上級の裁判官・御用学者の仕事とは、この二重体系の存在を否認することであり、それで辻褄が合わなくなれば二重の体系があたかも矛盾しないかのように取り繕うことである。この芸当に忠実かつ巧妙に従事できる者には、汚辱に満ちた栄達の道が待っている。
 
かくして、戦後日本には、世界で類を見ない体制が成立した。それはすなわち、「世界一豊かで幸福な極東バナナ共和国」とでも呼ぶべきものである。傀儡政府は珍しいものではない。しかし、かつて中南米に多数存在した「バナナ共和国」では、もちろん誰もが傀儡政権の傀儡性を理解していた。日本のそれこそ万邦無比たる所以は、この傀儡性に社会全体が無自覚であり、メディアを含む支配層が全力を挙げてこれを否認するところにある。このメカニズムのなかで、この国の住民は、平和と繁栄を謳歌し幸福を享受してきた。この精神状態がなおも続くならば、幸福の微笑みを浮かべる者たちは、それが引きつった卑屈な作り笑いへと変質していることに気づかないままに、幸せそうなふりをするのを止めた者たちを迫害するのであろう。
 
占領の継続は当然
 
矢部氏は、いわゆる改憲・護憲論争に対しても重大な論点を提起している。護憲だろうが改憲だろうが、右に見た二重体系を解消できないのなら何の意味もないという重い事実を、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』は突きつけている。
 
矢部氏は、これまでの護憲運動が反動的な改憲の動きをせき止めてきたことを一定認めつつも、近代民主国家の憲法の原理的問題に言及する。それはすなわち、外国軍の占領下で、その圧倒的な支配力の下に、何らの民主的な手続きなしに民主主義を根拠づける憲法が制定される、などという事態は、端的に荒唐無稽であるという事実だ。ここでは「内容が素晴らしいのだからいいじゃないか」という護憲派の論理は成り立たない。しばしば指摘されてきたように、欽定憲法たる大日本帝國憲法の改正プロセスに従って民主主義憲法を定めたという事態が、旧体制(アンシャンレジーム)を利用しての民主化という占領政策の矛盾した本質を濃厚に反映しているのであり、ここでは誰が(当然それは国民自身でなければならないのだが)この憲法を定めたのか、永遠に確定できない。つまり、どれほど条文の中身が素晴しかろうが、それを定め、国家に強制する主体=国民はのっけから存在していない。この構造は、先に見た二重の法体系をつくり出すものにほかならない。
 
以上から明らかになるのは、これまでの改憲・護憲陣営の多くが、どれほど的を外した議論で堂々めぐりを続けてきたか、ということだ。そして、不毛な議論が続く限り、改憲でも護憲でもない、民主制国家が必ず通らなければならない過程、すなわち制憲の問題は、視野の外に置かれる。このことはもちろん、永続敗戦レジームの延命に寄与する。そして、制憲権力とは革命権力にほかならない
 
われわれは知るべきであろう。ポツダム宣言第12項、「前記諸目的ガ達成セラレ且日本國國民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於イテハ聯合國ノ占領軍ハ直ニ日本國ヨリ撤収セラルベシ」は、厳密な意味で正しく履行されているということを。この条項は、現在まで続く米軍駐留と矛盾するものだとしばしば言われる。しかし、「責任アル政府」が現に存在しない以上、占領が続くのはむしろ当然なのである。(敬称略。週刊金曜日、2014年11月7日号掲載)
 
しらい・さとし・文化学園大学助教。著書に『永続敗戦論議』(太田出版)。
私は5年半ほど前に村上春樹エルサレム賞受賞記念スピーチが評判になったときに次のような感想を述べたことがあります。
 
「メディア、テレビの出演回数を誇るたぐいの凡俗、凡庸、低劣な『知識人』『文化人』風情の村上春樹の『エルサレム賞』受賞評価というのならば、私も納得することもできるのですが(もちろん、負の意味でですが)、なぜこうもやすやすと自らを民主主義者と自称する人たち、また、自らをデモクラティックと誇称するメディアが少なからず、というよりも寡聞の限りにおいては圧倒的に村上春樹の脆弱愚昧、こけおどし(見せかけは立派だが、中身のないこと)ともいってもよいスピーチを称賛してやまないのか(例は下記の「CML」(2009年5月31日付)記事をご参照ください)。あるいは有体にいって騙されてしまうのか、というのが、村上の『エルサレム賞』受賞の報を聞いた当初からの私の決定的ともいってよい違和感でした」(「後論:作家・村上春樹のエルサレム賞受賞記念スピーチは卑怯、惰弱の弁というべきではなかったのか?」(CML 2009年5月31日)。
 
あれから5年半を過ぎましたが市民社会(もちろん、「メディア、テレビの出演回数を誇るたぐいの」の意。以下、同じ)の凡俗と凡庸の精神のありようはなんら変わっていないようです。むしろ、「健全」に成長を遂げているというのがいまの実態でしょう。私の「批判」などどこかの溝のドブ水に浸かっている間に藻屑になってしまったのでしょうが、それにしても市民社会の人びとは5年半前のできごとになにごとも学んでいない。私に限らず少なくない批評者、作家などなどの人たちが私と同じような見方を示していたことに。
 
5年半前と同じ風景がいまも現前しています。今回の風景の立役者は「PeacePhilosophy」ブログ主宰者の乗松聡子さん。乗松さんは「世界的な作家」の村上春樹が毎日新聞インタビュー(11月3日付)で「日本人の戦争や福島の核事故についての『責任回避』」について苦言」を呈したこと、その村上の「苦言」を「海外メディアが注目」したことを高く評価しています。乗松さんの評価する村上の「苦言」は以下のようなもののようです。
 
「・・・僕は日本の抱える問題に、共通して『自己責任の回避』があると感じます。45年の終戦に関しても2011年の福島第1原発事故に関しても、誰も本当に責任を取っていない。そういう気がするんです。例えば、終戦後は結局、誰も悪くないということになってしまった。悪かったのは軍閥で、天皇もいいように利用され、国民もみんなだまされて、ひどい目に遭ったと。犠牲者に、被害者になってしまっています。それでは中国の人も、韓国・朝鮮の人も怒りますよね。日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思います。原発の問題にしても、誰が加害者であるかということが真剣は追及されていない。もちろん加害者と被害者が入り乱れているということはあるんだけど、このままでいけば『地震と津波が最大の加害者で、あとはみんな被害者だった』みたいなことで収まってしまいかねない。戦争の時と同じように。それが一番心配なことです。」(毎日新聞 2014年11月3日
 
しかし、乗松さんの評価する村上春樹の今回の毎日新聞インタビュー発言は、「戦争」の問題に関しても、「福島第1原発事故」の問題に関しても、私が3年前に「村上の言葉の言貌は薄っぺらなもので、真実を決して穿つことのないもの」と批判したスペインのバルセロナであったカタルーニャ国際賞授賞式の際の村上発言と寸部もと言ってよいほど違いません。すなわち、村上の今回の毎日新聞インタビュー発言も3年前と変わらず依然と「薄っぺらなもので、真実を決して穿つことのないもの」でしかない、ということです。
 
村上の「戦争」認識に関しては、上記カタルーニャ国際賞授賞式での村上の発言「『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから』/素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります」という認識に対して、私は、寺島実郎加藤周一のかつての言葉を引いて次のように批判しました。
 
寺島実郎の言葉は以下のようなものでした。
 
「広島の原爆慰霊碑に掲げられた『二度と過ちは繰り返しません』の言葉も、熟慮するほど不可解である。思わず共感する言葉であるが、誰のいかなる責任での過ちなのかを明らかにすることなく、『なんとなく反省』『一億総懺悔』で納得し、それ以上踏み込まないのである。/表層な言葉の世界への陶酔を超えて、いかにして実のある世界に踏み込むのか、これこそが戦後日本という平和な擬似空間を生きてきた我々の課題である。」(「小さな花」の強さ 2004年4月
 
また、加藤周一の言葉は以下のようなものでした。
 
「あの十五年戦争で、日本側には、戦争責任者というものが、個人としては一人もいない。みんなが悪かった、ということになります。戦争の責任は日本国民(略)全体が取るので、指導者が取るのではない。『一億総懺悔』ということは、タバコ屋のおばさんも、東条首相も、一億分の一の責任になる。一億分の一の責任は、事実上ゼロに近い、つまり、無責任ということになります。みんなに責任があるということは、誰にも責任がないというのと、ほとんど同じことです。」(『日本文化のかくれた形(かた)』)
 
そして、私の感想。

「そうした加藤や寺島の認識に比して、村上の広島の原爆死没者慰霊碑の言葉の解釈はいかに浅薄なものであるか。私が村上の言葉を薄っぺらと批判するのはこうした村上の認識をも指しています。」
 
村上の「福島第1原発事故」認識に関しても私は次のように批判しています。
 
「村上はこのスピーチ(注:カタルーニャ国際賞授賞式での発言)で日本人の「無常」観について述べています。

『桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまう(略)。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。』(カタルーニャ国際賞授賞式でのスピーチ
 
なにやら清少納言枕草子の一節を思い出し、川端康成の『美しい日本の私』というノーベル賞受賞の際のスピーチを思い出させます。しかし、私には村上の作文にはそれ以上のものは見出すことはできません。川端もこのノーベル賞受賞記念講演で日本人の「無常」観について語っています。私は川端の思想を全面的に支持するものではありませんが、それでも川端には道元禅師を語って道元の「春は花夏ほととぎす秋は月/冬雪さえて冷(すず)しかりけりという「本来の面目」の歌に対する深い洞察があったように思います。また、明恵上人を語って「雲を出でて我にともなふ冬の月/風や身にしむ雪や冷めたき」という明恵の「無常」観への愛しみも感じられました。また、芥川龍之介の『末期の眼』を語って芥川の悲しみに対する川端の深い同情心も感じとることができました。しかし、村上の言葉には教科書的な単なる教養の言葉としての「無常(mujo)」観しか読み取ることはできません。そして、その「無常(mujo)」観は、村上によって福島の原発事故と結びつけられます。
 
「今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。/でも結局のところ、(略)我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。(略)少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。」(同上)
 
その村上の「そのような自然と共存していくしかありません」という言葉が、原発の問題に関して、「加害者責任」の追求とどのように結びつくのか? 上記で論証したとおり、私は結びつきようがないように思います。結局のところ、乗松さんの今回の村上春樹発言評価は、村上が「世界的な作家」(「世俗的な」という注をつけておく必要があるでしょう)として高名であるから、「海外メディアが注目」しているからという通俗きわまりない理由に尽きます。私が「あれから5年半を過ぎましたが市民社会の凡俗と凡庸の精神のありようはなんら変わっていない」と慨嘆せざるをえないゆえんです。
 
以下、私の3年前の村上春樹批判と乗松聡子さんの今回の村上評価発言のURLを示しておきます。
 
村上春樹の「我々日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」というスピーチについて(弊ブログ 2011.06.19)
 
村上春樹、毎日新聞によるインタビューで日本の「自己責任の回避」傾向へ苦言(海外メディアが注目!)(PeacePhilosophy 2014,09,05)
 
また、村上春樹のカタルーニャ国際賞授賞式スピーチ全文のURLも示しておきます。
 
完全版:村上春樹さんカタルーニャ賞受賞スピーチ(NHK「かぶん」ブログ 2011年06月11日)
今日、辺見庸の以下の言葉が胸に応えた(正確には堀田善衛の『時間』の言葉というべきかもしれないけれど)。
 
日録1-7」11月4日付け(改行、強調は引用者)。
 
「……数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある……」。
 
黒い眼差し。どういうことだろう。一人一人の死と何万人もの死。むずかしいアナロジーではない。「これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ」。それはそうである。わかりきったことだ。「戦争によって、日本人の運命と人間の運命が非情にためされ、人間のいとなみの一切が日常的な安定を失って問題化したとき、まともに、誠実にこの問題に対決しようという作家は、いやでも観念的にならざるをえなかった」と、堀田善衛の生前に、佐々木基一は文庫で『時間』を解説した。くだらない。じつにくだらない。
 
堀田さんはおおようなひとだったのだろう。凡百の物書きが自著をあれこれ評するのをとくにこばみはしなかった。「問題化」「この問題」とはなんだ。「戦争によって、日本人の運命と人間の運命が非情にためされ、人間のいとなみの一切が日常的な安定を失って問題化したとき……」とは、よくもまあ、いけしゃあしゃあと言えたものだ。南京大虐殺とはそういう「問題」か。観念的にならざるをえなかった、だと? ばかな。政治家、教育者だけでなく文芸家までもがこのていどの認識だったから、みろ、いまや南京大虐殺などなかった、中国のでっちあげだ、という言説が堂々とまかりとおるようになったのだ。佐々木は南京大虐殺を戦争一般の「問題」とし、「日本人の運命と人間の運命が非情にためされ」たテーマとして、大虐殺のあまりにもリアルな事実をそっくり生き埋めにして、ものごとをエセ文芸的に処理しようとした。佐々木はその意味であざとく、政治的だった。
 
『時間』は、じつのところ、すこしも観念的ではないのだ。堀田は酸鼻をきわめた事実から逃げてはいない。事実に分け入り、立場を入れ替え、思考の錘鉛を闇に深くおろしたのだった。逃げたのは評者らである。「……数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある……」。これは簡明でうごかざる真理ではないか。この簡明にして不動の真理を、敗戦後の社会が、天皇個人をふくめ、どれほど「わがこと」としてとらえたか、どれほど彼我の傷をわが手でなぞったか、記憶をどれほど必死で反芻したか、外形の傷を内面の生傷として、どれほど永く深い受傷として、感じつづけ、痛みつづけ、悼みつづけ、傷を傷としてもちつづけたのか、これらすべてを、どれほど切実に後代に語りついだのか。否。否だ。まったく否だ。
 
私はそのとおりだと思う。とりわけ次の箇所。

「死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ」(堀田善衛『時間』)。「この簡明にして不動の真理を、敗戦後の社会が、天皇個人をふくめ、どれほど「わがこと」としてとらえたか、どれほど彼我の傷をわが手でなぞったか、記憶をどれほど必死で反芻したか、外形の傷を内面の生傷として、どれほど永く深い受傷として、感じつづけ、痛みつづけ、悼みつづけ、傷を傷としてもちつづけたのか、これらすべてを、どれほど切実に後代に語りついだのか。否。否だ。まったく否だ」(辺見庸「日録1-7」2014/11/04)。
 
対して、以下のような文章は実に軽薄な文章だと思う。しかし、書いた当人は「正義」だと思っている。やりきれない軽薄さだ。曰く。
 
「この3連休の赤旗まつりはのべ15万人を集めたとの事。ああ行きたかった(T T)/一方、昨日取り上げた「安倍ドラム」問題はまだまだ長引いております」と書いて、次のニュースを引く。「共産党、赤旗まつりで『安倍叩き』 首相顔写真入りドラムを叩く(4日付J-CASTニュース)/2014年11月1~3日の3日間、日本共産党は東京都江東区の夢の島公園で『第41回 日本共産党の赤旗まつり』を開催した。志位和夫委員長によるスピーチはもちろん、各地の特産品販売や音楽イベントなどでにぎわい、3日間で約15万人を動員する盛り上がりを見せたという。/その中で物議をかもしているのが、安倍晋三首相の顔写真をデザインしたドラムを叩く催しだ。党期待の若手、吉良佳子参院議員がその様子をツイッターで紹介したことで瞬く間に拡散され、ネットでは『ちょっとやりすぎでは』と批判を集めてしまった」。そして、次のように批判する。「ええと、物を知らないネトウヨに教えておくけど、米ブッシュ大統領の時代にはイラクで記者がブッシュ大統領に靴を投げた事件を元にしたゲームがあったのですが。(略)という訳で、安倍ドラムのちょび髭は全く持って正しい限りです」。
 
たとえ模造品であろうと、「首相顔写真入りドラム」のような実物の代用品であろうと言論の自由としてある人の「精神のありよう」や「思想」を批判するのではなく、人を「モグラ叩き」のモグラ扱いにしてなにが「正しい限り」であるだろう。そのメンタリティは「早く首つれ朝鮮人!」「朝鮮人は呼吸するな!」「よい韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ!」と叫ぶ在特会のそれとなんら変わるところはない。あるいは日の丸を林立させて得意げにデモ行進する右翼のメンタリティとなんら変わるところはない。まさに「仮想集団リンチ」の一態様。この記事の筆者はその誤りに気づいていない。それ以前にこの「ドラムレクチャーなう」なるものは「赤旗まつり」のイベントのひとつとして考案されたものだという。私は戦後(とりわけ「現在」)の共産党の著しい劣化を思う。
 
堀田善衛の言うように「(南京虐殺で)死んだのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ」という認識を持つとき、たとえそれが「にっくきA」であろうと、人は「一人一人の生」をいたぶるような行いには向かわないだろう。また、辺見の言うように「敗戦後の社会が、どれほど彼我の傷をわが手でなぞったか、記憶をどれほど必死で反芻したか、外形の傷を内面の生傷として、どれほど永く深い受傷として、感じつづけ、痛みつづけ、悼みつづけ、傷を傷としてもちつづけたのか」という内省に向かおうとするとき、たとえそれが「にっくきA」であろうと、人は「一人一人の生」をいたぶるような行為はしないだろう。
「公安」事件に詳しい清水勉弁護士がその公安の「情報」を垂れ流すだけのメディアの頽廃と惨状を嘆いています。以下は、北大生「イスラーム国」渡航未遂家宅捜索事件に関しての毎日新聞の報道をひとつの例とした清水弁護士のメディア批判です。清水弁護士は同記事の中でメディアばかりでなく、そのメディアの取材対象となった大学教授、批評家などの口舌についてもその論理のあいまいさ、つたなさについても鋭い批判を投げかけています。また、清水弁護士の公安情報垂れ流し報道批判は秘密保護法施行批判とも強く結びついています。問題意識の強い記事です。公安の意図的、主観的な情報が無批判にテレビ・メディアなどを通じて世に出回っているだけにそうした意図的、主観的な公安情報に対抗しうるだけの(とは言っても、常識的なものです)知識を私たちは身につけておく必要があるでしょう。そういう意味で清水弁護士の毎日新聞報道批判はうってつけの資料となりえるものだと思います。以下、清水弁護士の記事は3日付けと4日付けと続きます。(以下、改行、強調は引用者)
 
萎縮、自粛、さらに迎合へ(弁護士清水勉のブログ 2014-11-03)
 
「秘密保護法が施行されると罰則規定により報道が萎縮する」という論に、わたしは、それ以前に自粛が日常化していると指摘した。が、この指摘は不十分だった。報道は権力に迎合し広報としての役割さえ果たしている、という点だ。毎日新聞は10月30日付朝刊の「クローズアップ2014」のコーナーで、「イスラム国」に渡航しようとしていた北大生に対する捜査に関連する特集記事を載せている。これが秘密保護法に反対している毎日新聞の記事なのか、と驚いた。
 
一言で言えば、この記事は、警視庁公安部の広報であって、公安捜査を牽制する視点が欠落している。権力は報道とこれを読む一般国民の批判に耐えうる仕事の仕方をしなければならない。そうでないものは、権力の暴走として批判の対象になる。それがこの記事では批判的な視点、懐疑的な視点がまったくないのだ。記事の見出しは「北大生渡航計画」「イスラム国広がる勧誘網」「元教授、「移民」と仲介」「アルカイダの手法活用」「数ヶ月かけ洗脳も」。これだけ見ると、日本にも「イスラム国」勧誘網が及んでいるかのような印象を与え、そのことが記事に書かれているかのような印象を与える。ところが、記事にはそんなことは書かれていない。
 
記事はリード部分で、北大生の家宅捜索事件が≪イスラム国とのつながりが国内にも存在することを初めてクローズアップさせた。≫と断言している。ここでのキーワードは≪つながり≫なのだが、なにをもって≪つながり≫というのか。神田の古書店の店主(東大出身の30代男性)が「勤務地 シリア」と書いた求人広告を出し、これをみて関心をもった北大生に中田孝(ママ)・元同志社大学教授を」紹介し、同教授が「イスラム国」を取材したことがある常岡浩介氏を紹介した。常岡氏が北大生に会い、「イスラム国」に行くのなら同行取材をする」と申し出て、一緒に渡航することになった。これが≪つながり≫?
 
記事によれば、中田氏が知り合いのイスラム国幹部に「移民として日本人が行く」と伝え、幹部からも内諾も得ていた、とあるが、「移民」てなんだ。「戦士」ではないのか。「移民=戦士」なのか。中田氏は毎日新聞の取材に、「現地でイスラムについて学び、日本とイスラム国の架け橋になってほしいと思った」と答えたとある。「現地でイスラムについて学」んで「日本とイスラム国の架け橋にな」るのでは、まるで文化交流だ。「戦士」として戦闘に参加してすぐにでも死ぬというイメージがまったくない。中田氏は、他人(北大生)の言っていることや気持ちを理解しているのだろうか、大いに疑問だ。取材していてそういう疑問は湧かなかったのだろうか。
 
記事によれば、「公安部は、渡航計画は就職活動の失敗など現状への不満が引き金になったとみている」とある。これはよく報道されていることだが、そんなことでシリア行きを若者が決意するなら、日本の10代、20代、さらには安定した職に就けない30代、40代だって大挙、シリア行きを決意したっていいはずだ。最近の統計報道で、「また生まれてくるとすれば日本がいい」という人がかなりの割合(7割くらい?)だった。だれを対象とした調査かにもよるし、母数がどれくらいかにもよるが、実態からそれほど掛け離れてはいないだろう。だとすれば、就職活動の失敗も不安定雇用もイスラム国へ向かう動機にはならない。少なくとも主要な動機にはなり得ない。公安部の分析能力の欠落ぶりには呆れるが、分析になっていない指摘をそのまま記事にしてしまうマスコミに呆れる。
 
北大生がこのように考えているのだとすれば、中田氏のいう「現地でイスラムについて学び、日本とイスラム国の架け橋にな」るなんてことはあり得ない。記者は中田氏の珍回答にさらなる質問をしない。質問をしたら、もっと変な回答をしたのかもしれない。だったらそれを記事として書くべきだ。≪つながり≫という以上は、≪つながり≫の両端がしっかり繋がっていなければならない。記事では、中田氏が知り合いのイスラム国幹部に「移民として日本人が行く」と伝え、内諾を得ていた、とあるだけ。まるで文化交流のようなつもりで来る日本人を受け入れるなんて、相手は言ったのか。言ったのであれば、北大生が渡航を止めてしまったとき、中田氏は知り合いの幹部のどのような連絡を取ったのか。知り合いの幹部からどうなっているのかという連絡はあったのか。この点も記事には書かれていない。このやりとりがないのだとすれば、遡ってそもそも連絡を取っていたのかさえ疑問だ。記事はなにをもって≪つながり≫と言いたかったのか、さっぱりわからない。
 
でも、なんとなくわかる。そう思う人がいるかもしれない。しかし、それはダメなのだ。記者が単なる日本の世相の一断面として取材をしているのならともかく、この記事は警視庁公安部が、北大生や古書店店主、中田氏、常岡氏について私戦予備・陰謀罪が成立する可能性があるとして犯罪捜査をしているというものだ。だから、私戦予備・陰謀罪の条文に該当する行為が行われていたかどうかが慎重に判断されなければならないのだ。
 
読者には、ふだん聞き慣れない犯罪類型の解説をしっかりする必要がある。記事では私戦予備・陰謀罪について解説している。この部分は恣意的にならないように、刑法の解説書を引用するか、これをもとにわかりやすく書くか、専門家に説明してもらうかが必要だが、記事では、それをやっていない。記事では「政府の意思と無関係に個人が外国と戦争う準備する行為」と解説している。「個人が」とあるから、たったひとりでも私戦予備・陰謀罪が成立することになる。しかし、「私的に戦闘行為をする」にも、その「予備」「陰謀」と言える行為をするにも組織性や集団性が必要だ。これはこの条文解釈として常識だ。これまで我が国で、戦前戦後を通じて1度も適用されたことがないのはそのためだ。明治時代につくられた刑法の条文を現代用語に書き換える作業のときに、この条文を削除してはどうかという議論があったほどだ。
 
記事の解説では、私戦予備・陰謀が処罰対象として規定されている理由について驚くべき説明をしている。≪憲法で「戦争の放棄」をうたう日本にとって、私戦は戦争の引き金になりかねないと判断したためとされる。≫「される」って、だれの説明? 「戦争の放棄」を規定しているのは1946年5月に施行された現行憲法だ。しかし、私戦予備・陰謀罪が刑法に規定されたのは明治時代。現行憲法が戦争放棄を規定することを知らない時代に作られた法律だ。やれやれ、な解説だ。
 
条文の解釈をちゃんと検討していないのは、記者だけではない。≪捜査幹部は「私戦予備なんて罪名は適用した記憶がないから法務省と相談して詰めようと考えていたが、出国の情報を聞いて慌てて捜索した」と明かす。≫条文解釈の検討をしていないのだ!日常的に発生している類型的な事件ならともかく、初めて適用しようという条文について条文解釈の検討確認をしないままの「捜査」は暴走というほかない
 
条文解釈をいい加減にしておいて捜査をしているのは、刑事ドラマに出て来るような刑事部ではない。警視庁公安部だ。公安部は刑事部と異なり、通常、犯罪捜査をしていない。むしろ、犯罪にならない情報を収集する内定を仕事としていて、犯罪として検挙することをしない。刑事は捜査を開始するとき、捜索差押許可状がとれるか、逮捕状がとれるか、起訴できるか、有罪に持ち込めるかまでを考える。条文解釈をまちがえていれば、検察も裁判所も弁護人も相手にしない。だから、条文解釈には細心の注意を払う。これに対して、公安部はそもそも内定対象者にわからないように情報収集するようなことをしているから、裁判官にも、検察官にも、弁護人にも突っ込まれることがない。組織内の了解さえ得られれば何でもできる。両者では、刑罰法規の解釈に対する厳しさがまったくちがうのだ。
 
だから、≪私戦予備なんて罪名は適用した記憶がない≫くせに、≪法務省と相談して詰めようと考えていたが、出国の情報を聞いて慌てて捜索した≫と、見切り発車したことを平然と説明する。「そんなことでいいんですか?」と、記者は質問しない
 
そういう公安部に刑事部のような捜査能力があるはずがない。刑事部の刑事に協力を得れば刑事らは手伝ってくれるだろうが、そうなると、刑事部は公安部の内情を知ってしまうし、捜査であれば刑事部の主導でやらせろ、となる。それでは公安部は自分たちの思い通りの「捜査」(集めたい情報を集める)ができない。公安部の内情(実力の程)がバレるし、やりたい「捜査」ができないでは意味がない。だから、公安部が刑事部に捜査の協力を要請しない。
 
刑事警察だったらこんな捜査をするだろうか。サツ周りで刑事警察に精通しているマスコミ(記者)にはそういう視点でこの捜査を取材し報道してほしい。こんな疑問だらけの情報を無批判に垂れ流すのは、公安警察という権力への迎合そのものにほかならない。そのようなマスコミは秘密保護法による処罰を恐れる必要は無い。すでに権力側に立っているのだから
 
「クローズアップ2014」の続き(弁護士清水勉のブログ 2014-11-04)
 
毎日新聞記事(平成26年10月30日朝刊)にはフリージャーナリストの常岡浩介氏、「中東情勢に詳しい」東大准教授の池田恵(ママ)氏、軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏のコメントが並んでいるのだが・・・。
 
北大生に会って話した常岡氏は、北大生の行動の動機は単なる死に場所探しに過ぎなかった、北大生は中東に特別の関心はなかったという。記事によれば、公安部は、「渡航計画は就職活動の失敗など現状への不満が引き金になったとみている」とのこと。こんなものは「イスラム国」には関係ないし、私戦予備・陰謀罪の動機になるはずがない
 
黒井氏のコメントも、「奴隷制の肯定などで非難を浴びるイスラム国に加わろうとする若者が続出するとは考えにくい」。私もそう思う。日本で生まれ育ってきた、日本の若者(男性)が奴隷制を肯定する「イスラム国」へ戦闘員として大挙して出向くはずがない
 
これに対して、池田(同)准教授は、「日本の社会になじめない若者が自分の属する社会を全否定するため、イスラム国のような過激派組織に参加する可能性は今後も否定できない」というのだが、北大生の行動からそんな評価ができるだろうか。
 
池田(同)准教授のコメントはきわめて抽象的だ。「日本の社会になじめない」とはどういうことだ。周りの人に馴染めないと思うことなんて、だれにだってある。別に珍しいことではない。「日本の社会」なんていう大きな枠で自分の存在を考えている「若者」がどれだけいるというのかそういう「若者」は「イスラム国」だったら馴染めるのか日本の社会になじめないからって、それは日本の社会を全否定することにはならない。「今後も」とあるが、北大生の渡航目的がそもそも自殺願望に基づく死に場所探しでしかなかった。自暴自棄になって自殺願望に取り付かれた日本人が大挙して「イスラム国」をめざすなんてあり得ない。もっとも、池田(同)准教授は「可能性は」「否定できない」と言っているだけだから、「ゼロではないのではないか」と言っているだけなのかもしれない。それだったら、世の中で起こる大抵のことの可能性はゼロではない。そんな指摘をしても何の意味もない
 
「アルカイダの手法活用」「数ヶ月かけ洗脳も」という見出しの記事があるが、これを読むと、北大生はますます「イスラム国」から遠ざかる。記事によると、「サウジアラビアでは過激派がモスクで十数人を勧誘し、数ヶ月にわたる勉強会を開いて洗脳後、戦地に送った例がある」とのことだが、就職活動に失敗して自殺願望に取り付かれている北大生にもこの洗脳教育が行われるのだろうか。戦闘訓練もするだろうが、体力的気力的についていけるのだろうか。とてもそうは思えない。中田氏は北大生に「日本とイスラム国の架け橋」になってもらうことしか考えていなかったらしいから、洗脳教育のことなど念頭になかったにちがいない。それとも洗脳教育を受けて「架け橋」になってもらうつもりだったのか。記事からはわからない。
 
記事には、「イスラム国はインターネットを活用した広報戦略を展開」とあるが、「イスラム国」はインターネットを使える情報環境にあるのか。あるのなら、「イスラム国」幹部のメッセージがインターネット上にどんどん出ていいはずだが、そういうものはない。虐げられている女性たちや反「イスラム国」の人たちが発するインターネット情報もない。これらがないのは、「イスラム国」内からインターネットに接続できない環境になっているからではないか。常岡さんの話では「繋がっていない」そうだ。
 
広報戦略は「イスラム国」内から発信されているのではない。「イスラム国」の外にいる「イスラム国」シンパがやっていることだ。でなければ、多くの言語による勧誘映像の作成は不可能だ。NHKの「クローズアップ現代」でも「イスラム国」外のシンパの存在を取り上げていた。記事では「多言語で情報を発信している」と書いているが、「多言語」の中に日本語はない。記事にはこの点の指摘がない。日本語がないということはきわめて重要なことだ。「イスラム国」の幹部たちにとっても、「イスラム国」のシンパにとっても、戦闘員のリクルート先として日本(の男性)は眼中にないということだ
 
記事の「戦闘員の主要玄関口はトルコだ」という指摘に、中東調査会の高岡豊・上席研究員は、「トルコが(シリアとの)国境管理を十分行っていないことが一番の問題だ」と指摘している。世界地図を見る明らかだが、シリアとトルコは陸続きで国境を接している部分が長い。だから、ビザのあるなし以前に十分な国境管理なんてできないのではないか。
 
毎日新聞は社会面でも関連記事をトップで大きく取り上げている。が、これも??? 「トルコ経由ならばビザなしでシリア入りできること」は、簡単に確認できる情報で、特に驚くような情報ではない。記事には、中田氏は北大生がイスラム教の洗礼を受ける儀式に立ち会ったとあるが、その後、北大生はイスラム教の戒律を守って生活していたのか。「イスラム国」の戦闘員として戦い意識も高めていたのか。記事にはなにも書かれていない。記事は、警視庁公安部の捜査幹部の言葉として、「(中田氏は)イスラム国の思想に一定程度共鳴しているから、戦闘員の送り出しに協力したのだろう」と書き、、続けて「公安部は中田氏が戦闘員のあっせんに積極的に関わっていたとみて捜査している。」として記事を結んでいる。
 
しかし、公安部の捜査幹部の言っている内容は支離滅裂だ。記者が中田氏からとったコメントは、「日本とイスラム国の架け橋になってほしいと思った」である。「戦闘員の送り出し」が「日本とイスラム国の架け橋」になるのか。「(中田氏は)イスラム国の思想に一定程度共鳴している」とあるが、「一定程度の共鳴」とはなにか。中田氏の言っていることも、公安部捜査幹部の言っていることも、意味不明だ。それでも、記事は「公安部は中田氏が戦闘員のあっせんに積極的に関わっていたとみて捜査している。」と、公安部の「捜査」に全く疑問を示さないどころか、完全な旗振り役になっている
 
特定秘密保護法の「特定秘密」に特定有害活動(別表3号)とテロリズム(別表4号は、1985年の国家秘密法案にさえなかった。それを特定秘密保護法で実現させたのは公安だ。)特定秘密保護法に強く反対しているはずの毎日新聞(現に同じ日の別のページで青島顕記者が特定秘密保護法のニュース解説「秘密隠し懸念置き去り」を書いている。)がこういう記事を大々的に書いていいのか警視庁公安部の今回の「捜査」に関するかぎり、毎日新聞は権力監視どころか、権力の暴走のお先棒担ぎになっている。マスコミがこんな「捜査」を応援してしまうようでは、日本の公安の実力は下がる一方だ。公安の活動は、検察、裁判所、弁護士に日常的にチェックされることがないだけに、表に出たときの仕事ぶりは厳しくチェックする必要がある。
 
附:以下、資料としてくだんの毎日新聞記事も引用しておきます。
 
 
イスラム過激派組織「イスラム国」の戦闘員になるためシリアへの渡航を計画したとして、警視庁公安部が北海道大学の男子学生(26)=休学中=の関係先を私戦予備及び陰謀容疑で家宅捜索した事件は、イスラム国とのつながりが国内にも存在することを初めてクローズアップさせた。約3万人の戦闘員のうち半数を外国人が占めるイスラム国。その存在が各国の若者を引きつけるのはなぜなのか。
 
「シリアへの渡航を促す求人がある」
 
捜査が動き出すきっかけは今年5月、東京・桜田門の警視庁本部に寄せられた一通の投書だった。
 
そのひと月前。大学生は東京・秋葉原の古書店で「勤務地 シリア」などと書かれた求人広告を目にしていた。張ったのは、同店運営会社の役員で、東京大在学中は戦史研究サークルに所属していたとされる30代の男性。張り紙の存在はインターネット上でも話題になっていた。
 
学生は7月には上京、東京都杉並区の一軒家でこの男性ら3人との共同生活を始める。男性は、周囲に「学生に渡航資金として十数万円を貸したが、イスラム国に特別関心があったわけではない」と話したとされるが、一方で同月、イスラム法学が専門で旧知の元同志社大教授・中田考(こう)氏(54)に学生を紹介していた。
 
渡航計画はここから現実味を帯びる。それが、公安部が中田氏を「事件のキーマン」とみるゆえんだ。
 
中田氏はイスラム教への信仰が厚く、アラビア語も堪能。聖典「コーラン」の邦訳本を出版するなど日本を代表するイスラム研究者として知られ、その幅広い人脈からイスラム国の支配地域を複数回訪れたこともあるという人物だ。
 
イスラム国に加わる際に不可欠なイスラム教入信を学生に勧め、知り合いのイスラム国幹部には「移民として日本人が行く」と伝え、幹部から内諾も得ていた。中田氏は毎日新聞の取材に「渡航希望の若者を応援したくて学生をあっせんしただけ。現地でイスラムについて学び、日本とイスラム国の懸け橋になってほしいとも思った」と説明する。
 
そして中田氏は8月、「水先案内人」として、現地に詳しいフリージャーナリストの常岡浩介氏(45)に学生をつないだ。同行取材を約束した常岡氏が航空券を手配し、8月11日に一緒に渡航することになっていたが、学生の知人の反対で中止に。改めて10月7日に渡航しようとした矢先の強制捜査だった。
 
捜査幹部は「私戦予備なんて罪名は適用した記憶がないから法務省と相談して詰めようと考えていたが、出国の情報を聞いて慌てて捜索した」と明かす。
 
常岡氏によると、学生は「生きていても1、2年の間にたぶん自殺する。戦場で死ぬか日本で死ぬかが違うだけ」と話していたといい、中東に特別の関心はなかったという。公安部は、渡航計画は就職活動の失敗など現状への不満が引き金になったとみている。
 
中東情勢に詳しい池内恵・東京大准教授は「日本の社会になじめない若者が自分の属する社会を全否定するため、イスラム国のような過激派組織に参加する可能性は今後も否定できない」と指摘する。実際、古書店の張り紙に呼応したのは数人おり、その一人で軍事マニアとみられる千葉県のアルバイト男性(23)も、学生や常岡氏と渡航予定だったことが判明している。
 
一方、軍事ジャーナリストの黒井文太郎さんは「『自分探し』などの目的で戦場を目指す若者は以前からわずかにいたが、奴隷制の肯定などで非難を浴びるイスラム国に加わろうとする若者が続出するとは考えにくい」と語る。【岸達也】
 
◇アルカイダの手法活用 数カ月かけ洗脳も
 
CNNなどによると、シリアとイラクで「イスラム国」などイスラム過激派に参加している外国人戦闘員は約80カ国、約1万5000人。中東出身者が中心だが、フランス(930人)など欧米のほか、アジアからの参加者がいる。
 
「(国際テロ組織)アルカイダが使っていた、戦闘員を勧誘するネットワークをイスラム国が使っている」。中東調査会の高岡豊・上席研究員はこう指摘する。世界各地にいるイスラム過激派の勧誘員はモスク(イスラム礼拝所)などで活動する。サウジアラビアでは過激派がモスクで十数人を勧誘し、数カ月にわたる勉強会を開いて洗脳後、戦地に送った例がある。欧米ではイスラム教徒移民の2、3世らがターゲットになる。成功すると別のグループが飛行機を手配し、現地に送る。戦闘で死亡した場合は親に連絡する担当者もいる。
 
イスラム国はインターネットを活用した広報戦略を展開。アラビア語でしか情報発信していなかった従来のイスラム過激派とは異なり、多言語で情報を発信している。最近はイスラム国が発信する情報を拡散させる「チアリーダー」と呼ばれる複数の人物の存在が注目されている。チアリーダーは、関心を持った人とネット上でやり取りして仲介するケースもある。
 
なぜ外国人が参加するのか。複数のテロ研究者は、欧米社会への不満やイスラム教徒としての正義感を要因に挙げる。中東では、テロ実行犯が地元で英雄視されるケースも多い。イスラム国がニュースで大きく取り上げられたため、逆にイスラム国の強さに引きつけられた人や資金が一斉に流れ込む、悪循環も生まれているという。
 
一方、日本の男子学生がトルコ経由でシリアに入国を試みたように戦闘員の主要玄関口はトルコだ。高岡上席研究員は「トルコが国境管理を十分行っていないことが一番の問題だが、各国が連携して戦闘員、資金の流入を止めることが重要だ」と話す。【三木幸治】
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■ことば
◇私戦予備及び陰謀罪
 
外国に対して私的に戦闘行為をする目的で準備や計画をした場合、3カ月以上5年以下の禁錮刑が科せられる。未然防止が目的のため、自首した場合は刑を免除する。同罪を適用した強制捜査は今回の事件が初めて。政府の意思と無関係に個人が外国と戦争を準備する行為を処罰の対象としているのは、憲法で「戦争の放棄」をうたう日本にとって、私戦は戦争の引き金になりかねないと判断したためとされる。