先日25日にあった東京地裁の国立マンション訴訟の判決後の国立市から訴えられていた被告の上原元国立市長と弁護団の記者会見の模様がビデオニュース・ドットコムによってアップされています。
 
また、同マンション訴訟の判決の争点の整理と判決から浮かび上がってくる問題点の要点を同ドットコム主宰者でジャーナリストの神保哲生さんと社会学者の宮台真司さんが同番組のニュース・コメンタリー(17:17頃~)で対論的に解説し、とても参考になる視点を提起しています。国立マンション訴訟の今回の判決と同訴訟の今後のゆくえに関心のある人にとっては必見の番組といってよいでしょう。
 
同番組の神保・宮台解説のニュース・コメンタリーによれば、今回の裁判の争点は、前裁判の判決(上原元市長の行為は「市長として求められる中立性・公平性を逸脱した」として、国立市に元市長への損害賠償請求を命じる2010年12月22日付東京地裁判決。確定)を継承して、当然、(1)上原元国立市長の明和地所に対する違法行為の有無、(2)個人の賠償責任を認めている国家賠償法第1条第2項に規定される「故意・重過失」の有無であるはずであったが、今回の判決は、同争点の判断を避けて、同判決直前(約1年前)に国立市議会の請求権放棄の議決があったことを承けて同争点については判断するまでもない」として「現市長が市議会の請求権放棄の議決に応じなかったことは権限の濫用にあたり、求償権行使は信義則に反する」と判示した。

国家賠償法
【公務員の不法行為と賠償責任、求償権】
第1条1項 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
2項 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。
 
しかし、同判決は、上記の争点については「判断するまでもない」と判示しながら、同争点に関して判示を補足するという位置づけで裁判所としての判断も示している。その裁判官の補足的な判断が判事の同争点の判断に関する悩みの深さを示していてなかなか興味深い。補足判断いわく「結局のところ上記各判決で違法行為だとされた被告上原の行為は個々の行為を単独で取り上げる場合には不法行為を構成しないこともありうるけれども、一連の行為として全体的に観察すれば地方公共団体の長として社会通念上許容される限度を超えており、明和地所に許されている適法な営業行為である本件建物の建築及び販売等を妨害したものと判断せざるをえないという程度のものであって違法性が高いものであったと認めることはできない」。「結局のところ」違法なの? 違法ではないの? と茶々を入れたくなる迷文である。ここに裁判官の懊悩の深さを読みとることができる。「結局のところ」裁判官は争点の判断に関しては「俺にはよくわからん」からと判示せず(判示そのものは「国立市議会で請求権放棄の議決があった」ことを理由に「求償権行使は信義則に反する」とした)、補足的見解に留めたのであろう。
 
神保・宮台コンビの解説はおおむねそのようなものでした。私としても納得できる解説でした。
 
さて、私は前のエントリで、澤藤統一郎弁護士の国立マンション訴訟における今回の東京地裁の判決に対するコメントをご紹介しました。
 
その澤藤弁護士のコメントは「国立市議会の請求権放棄の議決」の評価に関する東京地裁判決の判示部分に関するコメントでした。今回の判決の補足的な判断に関するコメント、すなわち、上原元国立市長の明和地所に対する違法行為の有無に関するコメントは基本的にありません。
 
しかし、その澤藤弁護士のコメントを上原元国立市長の違法行為の有無に関してのコメントのように受けとめ、同元市長に対する国立市の賠償返還請求を棄却した今回の東京地裁判決の問題点を剔抉した「議会の請求権放棄の議決」の評価に関する同弁護士の批判の試みを逆批判する向きがあります。
 
しかし、その逆批判は、今回の判決の判示と同判決の補足的見解とを混同して澤藤弁護士がコメントしていないことについて批判しているもので、見当違いの批判というほかありません。
 
そうした批判者には「『公益」のために認められたたった一人でも行政の違法を質すことができる制度である住民訴訟の意義を議会の多数決で無にすることは『正義」に適うことか」という前のエントリでご紹介した澤藤弁護士の問題提起を改めて再考していただきたいものだと思います。澤藤弁護士の問題提起は民主主義の本質にかかわることだと私は思っています。
 
また、前回の判決(東京地裁、2010年12月22日)で「上原元市長の行為は『市長として求められる中立性・公平性を逸脱した』と指摘された問題、今回の判決でも結論として上原元市長に対する国立市の賠償返還請求は棄却されたものの、裁判所の補足的な判断として「被告上原の行為は個々の行為を単独で取り上げる場合には不法行為を構成しないこともありうるけれども、一連の行為として全体的に観察すれば地方公共団体の長として社会通念上許容される限度を超えて(いる)と判断せざるをえない」とされている点については、上原元国立市長を一個の政治家として評価しようとする場合十分に考慮しなければならない指摘といわなければならないでしょう。
 
もう一点。この際、上記で述べたことと少し違う角度から、私の今回の判決も踏まえた上での上原公子氏評価も述べておきたいと思います。
 
私には上原公子氏の政治家としての、あるいは市民運動家としての資質を考えようとするとき思い出すことがあります。それは先の先の東京都知事選で宇都宮陣営の「候補者のスケジュール管理」の責任者であった澤藤大河氏がその自身の任務はずしの一件について次のように証言していることです。
 
「私は反論した。ここで一歩も退いてはならないと思った。直感的に、これは私だけの問題ではない。選挙共闘のあり方や、『民主陣営』の運動のあり方の根幹に関わる問題性をもっていると考えたからだ。まず、『命令』なのか確認をしたところ、上原公子選対本部長は『命令』だと明言した。私はこれは極めて重要なことと考え、上原選対本部長には『命令』する権限などないことを指摘した。お互いにボランティア。運動の前進のために、合理的な提案と説得と納得の関係のはず。上命下服の関係を前提とした『命令』には従えない、ことを明確にした。このときの上原公子本部長の表情をよく覚えている。彼女は、熊谷事務局長と目を合わせて、にやにやしながら、『この人、私の命令を聞けないんだって』と笑ったのだ。私はこの彼らの態度に心底怒った。」(「澤藤統一郎の憲法日記」2013年12月27日
 
同じボランティア同士の運動の中で「にやにやしながら、『この人、私の命令を聞けないんだって』と笑」うような人物を民主的政治家として、あるいは市民運動家として評価することができるでしょうか? 私の答は明白に「否」です。実体験ではなく、他者の経験を聞くという形の経験でしかありませんが、その私の見聞した上原公子氏の姿勢は、民主的政治家としても市民運動家としても失格です。
 
上記のニュース・コメンタリーでも神保さんと宮台さんの今回の国立マンション訴訟の判決の評価は、「上原氏は判決は『市議会が請求権放棄の議決をしたが、市長がそれに応じなかったことは権限の濫用にあたる』という理由であったとしても、前回からの裁判の争点もメンションされて勝ったのだから『完全勝利である』と喜んでいるが、今回の裁判の争点部分は判決の直接の理由になっていないし、また、争点部分の裁判所の判断も上記で述べているように「被告上原の行為は(略)一連の行為として全体的に観察すれば地方公共団体の長として社会通念上許容される限度を超えて(いる)と判断せざるをえない」という判断もあるなどねじれている。上原氏の「完全勝利」とは言い難いだろう、というものです。今回の東京地裁判決を上原元国立市長の「完全勝訴」と評価している人たちには今回の判決とその判決に至るまでの経緯を再度検証していただきたいものだと私は思います。
日本の政治屋トップ、ヘイト・クライムとズブズブ 安倍内閣・ネオナチス・在特会・住吉会系政治団体の関係 ――「The Daily Beast(訳:Metal God Tokyo)」(2014.09.26)から以下、米国メディア(おそらく日本特派員による)の鋭い安倍内閣、在特会批判記事(前半)の邦訳記事です。大変参考になる記事ですので弊ブログにも記録として転載させていただこうと思います。

安倍晋三2 
The Daily Beast 
2014年9月26日
 
日本の政治屋トップ、ヘイト・クライムとズブズブ ―― 安倍内閣・ネオナチス・在特会・住吉会系政治団体の関係(The Daily Beast 訳:Metal God Tokyo 2014.09.26)
原文:
http://www.thedailybeast.com/articles/2014/09/26/for-top-pols-in-japan-crime-doesn-t-pay-but-hate-crime-does.html?via=mobile&source=twitter
 
日本の首相が金曜日に国連で演説した最中にも、自国での評判は公然の人種差別主義者ではないかと疑われている。
 
東京、日本 - 安倍晋三首相は、今週の金曜日、国連で演説する予定だが、彼はあまり歓迎されないだろう。7月後半、国連人種差別撤廃委員会は、外国籍の住民を狙ったヘイト・スピーチの事態の急増を取り締まるよう日本に勧告した。 国連の同委員会は安倍政権に対し、デモにおけるレイシストの暴力や憎悪への扇動に加え、ヘイトの表明に対する断固たる処置、および状況を改善するための法律制定を促した。
 
最近のニュースからすると、安倍首相及び安倍内閣が国連の勧告を聞き流している模様。内閣の幾人かの者は、レイシズムやヘイト・スピーチの問題に無関心なだけではなく、ヘイト行為を推進する者たちと関係をもってさえいる
 
新たに任命された日本の国家公安委員長と、この国で最悪の人種差別主義グループ在特会の幹部らとの写真が、日本を代表する週刊誌である週刊文春によって先週明るみになった。米国で言えば、検事総長が、クー・クラックス・クランのボスと親しくしている場面を撮影されたようなものである。今週、他の閣僚が彼らから寄付を受け、さらに安倍首相自身が熱烈な反韓団体との結びつきを持っている可能性について報告された。
 
人種差別の多くはコリアンに向けられているため、日本と韓国の関係のため有害であるだけでなく、日米関係にも悪影響を及ぼす。2月には米国国務省が人権に関する年次報告書で、日本におけるコリアン系住民に対するヘイト・スピーチ、特に在特会を名指しで批判している。在特会は反社会的行動で知られているが、Daily Beast紙は、在特会と住吉会をはじめとする暴力団との関係について情報を入手した。住吉会は米国でブラックリストに載っているものだ。
 
 
日本の連立与党といかがわしい連中との関連に関する最新のニュースは、ネオナチと他の二人の閣僚とのつながりを含むスキャンダルが世界的な話題になった直後に発生した。
 
レイシスト・グループとの関係をめぐる論争に巻き込まれた閣僚が打ち出す防御は決まって「私達はたまたまこの人たちと写っただけだ。彼らが誰であるかわからない」というもので、まったく理解に苦しむ。そして、それがさらに厄介な問題を引き起こしている。
 
国連と米国務省は、確かにこの問題について日本に促すことはできるが、ヘイト・クライムが政治的に、さらには金銭的に得なほうへ働き、そして政府が極右レイシストに対して寛大である限り、問題への対処が取られることはない。国連が日本に与えた叱責は、内閣と頑迷な極右団体との関係がさらに明るみに出続けることを予知しているかのようだ。
 
在日コリアンはレイシズムやヘイト・スピーチの矛先に苦しんでおり、その状況は複雑である。 いくつかの点で彼らは、1930年代初頭のアメリカにおけるユダヤ人に似ている。彼らは少数派であり、彼らの多くは二世あるいは三世で、本国とのつながりを持っていない。彼らの多くは第二次大戦中に奴隷的労働力としてもたらされたものである。日本の歴史修正主義者は「奴隷」よりも「徴用」という用語を好んでいる。
 
在日コリアンは、1920年代初頭にまでさかのぼるレイシズムと暴力の被害を受けていた。1923年の関東大震災の後、コリアンが井戸を汚染し、強盗をはたらいているとの噂が広がった。その噂を鵜呑みにした日本人が在日コリアン数千人を虐殺した。
 
戦後、多くのコリアンがとどまり、主に二つの陣営に分かれた。北朝鮮の国籍を取った一部と、韓国側の立場に立つ他の人である。日本人から人種的に区別できない一方、彼らの多くは自身の文化を継承し、民族学校を保持し、コリアンとしての国籍を保持している。
 
より良いフィット感を出し、差別を避けるために名前を変えたユダヤ人のように、一部のコリアンは彼らの身元を隠すために日本人の名前を使う。 彼らは微妙な差別の対象であるが、在特会によって派手に差別の標的となっている。
 
2006年に設立された在特会は、「コリアン系の特権に反対する市民」と訳される。彼らは超国家主義、極右グループであり、特別永住権を持つ外国人、そして主にコリアン系日本人に与えられた「特権」を排除するよう主張している。
 
在特会はまた、志を同じくする市民からの寄付で多くの資金を集めている。
 
桜井誠、本名・高田誠によって率いられる在特会は、コリアン系の住民が日本の社会福祉制度を破壊すると主張している。 また在特会は14,000名以上のメンバーを持つと主張する。日本中で抗議やデモを組織しており、コリアン系の小学校の前でさえ「朝鮮へ帰れ」「お前らの子供はスパイだ」のようなスローガンを怒鳴っており、それとはなしの、そして公然の脅迫を行っている。在特会は、全ての外国人、特にコリアンは犯罪者であり、日本から叩きだせと主張している。
 
最近の著作で桜井は、次のような持論を持ち出す。彼に言わせると、「日本人はコリアンが今何をしているか理解している。 それを考えてみれば、こんな人々と共生することはあり得ない。日本人は何もしていないのに、コリアンは次々と事件を犯している。コリアンが犯罪に手を染めるたびに、我々の支持は上がる」と述べている。そして支持が上がれば、在特会の収益が増え、それはきちんと経常されず課税から逃れている模様。それは酷い商売だが、完全に合法だ。
 
しかし、在特会は日本のマフィア、すなわちヤクザと関係を持っており、これらは合法的でないだろう。在特会は、住吉会の政治組織である日本青年社と強い関係を持っている
 
山谷えり子は、国家公安委員会の委員長として、日本の警察組織を管轄している。在特会や犯罪的傾向のあるメンバーとの関係が、激しく問題化している。2009年にさかのぼる一枚の写真が、荒巻靖彦の隣に立つ山谷を映し出している。荒巻は京都のコリアン系の小学校へのテロで後日逮捕され有罪、さらに2012年には脅迫の容疑で再逮捕された。
 
山谷と撮影されたもう一人は、在特会の幹部だった増木茂雄だ。増木は写真撮影後、少なくとも3回逮捕された。一度は小学校校長への脅迫、それから保険金詐欺だ。山谷は当初、写真に写っている連中と在特会との関連を知らないと否定していた。増木と彼の妻が10年以上にわたり山谷と友人であると述べていることからすれば、おかしなことだ。最近のスキャンダルについてTBSラジオからの質問に返答した際、山谷は不注意にも「在日特権」という、正に真の同調者ともいうべき用語を正確に使って、在特会について説明してしまった。本日(9月25日)開催された記者会見で、山谷は自身の用語の使用について質問され、不快感を現しながら「(TBSに対する)私の返答の中で、在特会のホームページからコピー・ペーストしただけかもしれない」と述べた。さらに山谷は、団体を名指しで批判したり、コリアンが「特権」を持っていると信じているかどうか明言することを拒絶した。
 
山谷は、現在の職務において、警察庁を管轄している。正に2013年の白書で、在特会はヘイト・スピーチにコミットしていること、レイシズムを促進していること、そして社会秩序に対する脅威となる姿勢を取っていることを指摘した組織そのものだ。もしヘイト・スピーチが犯罪になるのであれば、山谷は、法律を執行すべき警察を監督する責任があるのだ。
 
山谷だけが現在の内閣で在特会に近いわけではない。サンデー毎日によれば、「クール・ジャパン」戦略の担当相である稲田朋美もまた在特会関係者から寄付を受け取っていた。
 
日本ではレイシズムが「クール」なのかな。
 
稲田は、新内閣の他の女性閣僚共々、ネオナチ党首と納まった写真を流布され、今月ニュースになったばかりだ。二人とも、ネオナチと知っていなかったと否定しているが、後に「ヒトラーの選挙戦略」なる絶版本を称賛する広告のために宣伝文を書いていたことが発覚した。奇しくも、副総理の麻生太郎がナチの政治戦略の長年の称賛者であり、日本はナチに見習って密かに憲法を変えるべきと提唱している。
 
日本の首相である安倍でさえ、在特会のメンバーと撮影されている。増木は、在特会のメンバーであった2009年8月17日に安倍と写真に写り、自慢げに安倍が「覚えていてくれた」と記載していた。
本ブログの「今日の言葉」の2014年9月8日から同年9月27日にかけての記録です。

アフリカの朝、または夜、または昼

【今日の言葉:冒頭】
08日:水島朝穂 2014年9月8日16年前、私は(略)名護市二見以北にある
09日:毎日新聞 「見つけてくださるのを待っていました」。2012年に「最
11日:朝日新聞 ベトナム戦争に「泥沼」という代名詞を定着させたのは、
12日:藤原新也 昨日の朝日の記者会見について触れてみる。今回の記
13日:街の弁護士日記 朝日新聞の「誤報」に対するバッシングは、戦後、
14日:Daily JCJ 朝日新聞が、慰安婦問題と吉田調書での誤報を認め、
15日:内藤正典  欧米諸国からイスラーム国に参加する若者が多いこと
15日:日々の新聞 「だれがやっても同じだよ」あと1カ月に迫った福島県
16日:ノーベル賞経済学者クルーグマン 「日本経済は消費税10%で完全
19日:太田昌国 「死刑廃止のための大道寺幸子基金」が運営する死刑
19日:金原徹雄 朝日新聞バッシングの異様さを「異様」と感じるか感じな
20日:東京新聞 東京都渋谷区の議会運営委員会は十九日、本会議で
20日:想田和弘 もうこれは完全に議会の自殺、民主主義の否定ですね。
22日:天声人語 秋風が吹いて永田町の夏休みが終わる。月末から臨時
22日:朝日新聞「声」 大義も正義もなかった米国のイラクへの侵攻が、
24日:内藤正典 アメリカの新たなターゲットは、ホラーサーン(Horasan)。
26日:想田和弘 辞任すべきですよ、絶対。→山谷えり子大臣ポロリ 「在
27日:天声人語 老子、孔子といった古代中国の大賢を彷彿とさせる見事

・16年前、私は(略)名護市二見以北にある名護学院を訪れていた。そのことを、『沖縄タイムス』1998年5月3日付の文化欄に「
地方自治の可能性――沖縄から見える憲法」と題して書いた。出だしはこうだ。「長いスロープを上がると、重症者病棟だった。木々が絡むフェンスの間から、キャンプ・シュワブが見渡せる。名護市瀬嵩の知的障害者施設・名護学院。市民投票に向けて、職員たちは「障害者にも知る権利がある」と、手作りの紙芝居を作り、海上ヘリ基地問題を伝える努力をした。…」1997年12月、辺野古の基地移設をめぐる名護市住民投票の際、この名護学院の障害者の方々も投票に参加した。それを可能にしたのは、崎浜さんをはじめとする職員の方々の工夫と努力だった。(略)学生たちが崎浜さんにインタビューする場に同席したが、お話をうかがっていて、本当にこの間、普天間基地の移設という国の方針に、この地域が翻弄され続けてきたことを感じた。17年前にすでに、名護の市民は、名護学院の障害者の方たちを含めて住民投票に参加し、基地受け入れに「ノー」を言ったのである。にもかかわらず、歴代政府は、地元の「ご理解」を得るために「丁寧にご説明」を続けている。嘘で塗り固めた「抑止力」論に基づく新基地押し付けはもうやめにすべきである。だが、安倍政権は8月14日、辺野古の美しい海でボーリング調査を始めた。(略)こうして、お盆休みの14日に強権的な行為が始まったのである。「8月14日という日付を、抗議の意思を込めて胸に刻んでおきたい。「取り返しのつかない愚行」と「理不尽な蛮行」の始まった日として」。『沖縄タイムス』8月15日付社説はこう書き出す。(略)完成すれば、米軍に排他的管理権が付与され、基地の自由使用が認められる。半世紀以上続く、日米安保条約6条に基づく「全土基地方式」の理不尽、不条理がここに集中的に表現されている。この国は、国家主権の深部が侵害されていることに、そろそろ気づくべきであろう。(水島朝穂「今週の直言」2014年9月8日

・「見つけてくださるのを待っていました」。2012年に「
最後の人 詩人高群逸枝」が刊行された時の石牟礼道子 さん(87)の談話だ。1968年から約10年かけて書いた「最後の人?」は30年余り単行本になる機会がなかった。「苦海浄土」の未発表原稿の発見は、喜びよりも驚きの方が強かったようだ。いったん手放した原稿は自然の流れに任せるのが石牟礼流。原稿は放っておけば散逸してしまう。そうはさせじと日本近代史家の渡辺京二さん(84)は石牟礼さんの資料整理を長年続けている。見つかった原稿は、渡辺さん編集の雑誌に載るはずが、終刊で日の目を見なかった“幻の苦海浄土”である。患者支援や新作執筆に忙殺され、石牟礼さんも渡辺さんも原稿の存在を忘れてしまっていた。実物を拝見すると、赤ペンの書き込みがかなりあった。活版印刷の時代、編集者は字の大きさや改行などを赤ペンで指示する。赤ペンは印刷所入り寸前を意味するのだ。滑走路に出たものの、離陸することのなかった飛行機のようである。機体を点検し直し、大空に舞い上がる日を待ちたい(引用者注:作家の石牟礼道子については「安倍晋三は『水俣病を克服した』と宣言し、その直後に天皇夫妻が熊本を訪問して患者達を『慰労』した。この天皇夫妻訪問に加担 したのが他ならぬ石牟礼道子だった(略)この人物は元々東京のチッソ本社へ抗議に行った際、二重橋にも行って『天皇陛下万歳』を叫んでしまうような者だった。天皇に対してどこまでも「退く! 媚びる! 省みる!」姿勢であり、天皇の御威光にすがって問題の解決を目指した所が石牟礼の限界だったのだろう」という批判批判もあることもご紹介しておきます)。(毎日新聞 2014年09月09日
 
ベトナム戦争に「泥沼」という代名詞を定着させたのは、米国の著名なジャーナリスト、ハルバースタム氏(故人)の著作とされる。日本語版は『ベトナムの泥沼から』のタイトルで知られる。アメリカは、深い泥沼の記憶に敏感だ。世界を揺さぶった9・11テロから、きょうで13年になる。テロの直後にアフガニスタン戦争に踏み切ると、米政府関係者から「泥沼」の言葉が聞こえだした。不安は当たり、「負けなければ勝ち」のゲリラ勢力を相手に、米軍はいまも完全撤退できていない。続くイラク戦争は、11年たっていっそう深刻な泥沼と化した。曲折をへて現れた過激派「イスラム国」は、社会に不満を抱く欧米の若者らも吸い寄せて、不気味に膨らむ気配をみせているマルコ・ポーロの『東方見聞録』に出てくるペルシャの「山の老人」は、大麻で若者を手なずけて、暗殺集団を操った。時は流れて、イスラム国に集まる欧米の若者の動機は、格差や貧困、差別への怒りだという。失望が彼らを武闘に駆りたてる。「あれから世界はウニのようにとげとげしくなるばかりです」。9・11テロから6年後、ある日本人遺族の言葉を小欄で紹介した。その後の世界はいよいよキナ臭い。武力で解決できることの限界を「対テロ戦争」は暗示する。残忍が際だつイスラム国は、米国が開けたパンドラの箱から出た大きな災いといえる。米は空爆に踏み切ったが、根絶への出口は見えていない。国際社会にとっての深刻な泥沼である。(朝日新聞 2014年9月11日
 
・朝日新聞の「誤報」に対するバッシングは、戦後、言論機関(朝日新聞がそう呼ぶに値するかどうかは別として)に対するものとして、かつて例をみない特異な事件に発展した。
沖縄密約を暴いた西山太吉記者は女性スキャンダルにすり替えられた人格破壊によって記者生命を絶たれた。(略)朝日新聞「誤報」事件も、人格破壊の域に達した。(略)朝日新聞「誤報」事件は、確実に後世の歴史に残る。「誤報」としてではなく、「暗黒の言論統制」の時代の幕開けとして、だ。(略)なぜそうした「誤報」が起きたのか。根本的な原因は、情報が「秘密」だからだ。(略)吉田調書問題を見ればわかりやすいだろうが、「秘密」とされなければ、「誤報」も起こらなかったのだ。一連の聴取結果が、国民共有の財産として公開とされ、教訓をくみ取るべく活発な議論がなされれば、このような問題は起きなかったし、議論の対象や内容も自ずから違ったものとなったはずだ。吉田調書について、朝日新聞自身が裏付け取材が不十分であったとしている。そもそも「秘密情報」について、裏付け取材を十分に行うなどということが可能なのか。十分な裏付け資料がなければ報道してはならないとすれば、今後、「秘密情報」に関わる報道はできなくなる。事実上、「秘密情報」に関わる報道は存在しなくなるだろう。12月には秘密保護法が施行される。政府は、取材、報道の自由を侵害しないというが、今回の事件で、報道のハードルは一挙に上がった。十分な裏付け取材もなく、報道すれば、即、刑事処分が待っている。誤報の後の対応が重要だ等という話では断じてない。そして、「秘密」について、十分な裏付け取材を行うのは不可能だ。朝日新聞は、全言論界に、秘密保護法の威力を見せつけるための、生け贄とされたのだ。メディアは、益々、政府公認情報しか流さなくなる。われわれは、そうした時代に入る。それを覚悟して朝日新聞「誤報」騒動を見る必要がある。(「街の弁護士日記」2014年9月13日

・昨日の
朝日の記者会見について触れてみる。今回の記者会見は吉田調書に関する誤報の謝罪会見であり、付録のように従軍慰安婦問題も取り上げられていた。この従軍慰安婦問題に絡んで同紙にエッセイの連載をしていた池上彰氏の原稿が掲載拒否に合い、その後社内からも批判が続出し、後に一転掲載となったわけだが、この池上彰氏の当エッセイを読んでみると、ただ「従軍慰安婦問題で朝日は誤報を出したのだから謝罪をすべきだ」という別に掲載拒否に合うほどのきわどいことを書いているわけでもなく、大それたものでもない。先に朝日は従軍慰安婦問題誤報を自ら取り上げ、その検証を行い、社説でも謝罪の意を表しているが、思うに朝日には昨今の時代への見誤りがあるように私は感じた。311以降、この日本では極端な左右の対立構造が生まれ、いかなる正論もその対立構造の騒音の中でかき消されてしまう時代になりつつあるのである。つまりこの問題が偏狂な炎上に曝されることは目に見えていたということだ。今回の吉田調書誤報問題にしてもすでに極右と言って過言ではないと言える官邸が吉田調書を内密に読売、サンケイに流し、朝日糾弾のキャンペーンを張った結果の官邸+読売+サンケイ極右タッグによる朝日潰し事件であり、従軍慰安婦問題においても同様の朝日潰しの意図的な官邸と読売、サンケイの内通がある。(略)そうは言うものの、百歩譲って今回朝日のトップが記者会見を開き、マスメディアとしての最低の矜持を見せたことは一定の評価を与えられるべきだろうと私は思っている。というのは311以降、阿倍政権をはじめとしてあらゆる体制が自からの非を認めない、ごり押しと居座りの風土の蔓延する社会になっているからである。当然今回朝日攻撃をした読売にしても誤報は日常茶飯事であるが、それに対する対応は微塵もない。(藤原新也「Shinya talk」2014/09/12
 
・朝日新聞が、
慰安婦問題吉田調書での誤報を認め、取り消しと謝罪をして以降、「朝日」バッシングは勢いを増す。読売産経の2紙や出版社系の週刊誌4誌のエスカレートぶりは異常だ。ある記事は元担当記者の周辺や家族まで追い、生活を脅かす人権侵害ともいえる内容だ。ネット上では「朝日の報道で国益を損じた以上、国は損害賠償の請求を」とまで書かれる。自民党の女性政治家は「慰安婦問題は虚偽だ」と発言し、「慰安婦」被害という戦争犯罪にあたる歴史的事実まで否定しようとする。保守陣営のメンバーは、朝日新聞に広告を掲載した企業や「慰安婦問題」解決をめざす民主団体・組織に脅しと思える電話をかけている。<嫌韓憎中>のナショナリズムに裏打ちされ、かつ安倍政権の右派的政治姿勢に煽られて、歯向かうものには、いくら叩いても安心という風潮が蔓延している。慰安婦問題や原発事故の本質解明はそっちのけ「時の権力」への監視と批判も視野にない。しかも、この機に乗じて「売らんかな」商法がはびこる。読売・産経の2紙は、「朝日」たたきの大見出しをつけた宣伝「PR版」を各戸に配布し、新聞拡販に躍起とくるから始末に負えない。(Daily JCJ「今週の風考計」2014年09月14日

・欧米諸国からイスラーム国に参加する若者が多いことをアイデンティティの危機ととらえるのは間違っているのではないか。20年以上も前から、ヨーロッパ社会では、移民の若者達が母国の
イスラーム文化ヨーロッパ文化の狭間でアイデンティティを喪失するという言説が支配的だった。だが、それは彼らを異質な存在として 異化しようとするヨーロッパ社会の身勝手な想像に過ぎない。彼らは確かにヨーロッパ社会に違和感を覚えていたし、母国の文化からも切り離されていった。だが、その上でイスラームする生き方を選択したにすぎない。それをアイデンティティの危機ととらえるのはヨーロッパ側の自由だが、本人達はそこに生きる糧を見いだした。それが欧米諸国の価値観に合わないものであったとしても。彼らを断罪するならすればよい。だがそれを続けたとしても、イスラームと西欧との間の溝を埋めることはできない。(略)イスラーム国の暴力も、欧米による度重なる暴力(アフガニスタン、イラク)や国際社会による無辜の民の虐殺(シリア、ガザ)の黙殺も、同じく人道に対する罪なのである。イスラームは現在も生きる法の体系を持つ。純粋にイスラームに惹かれると、イスラームの法体系に身を委ねることになる。イスラーム国が、法に反した行為をするなら自ら崩壊する。そうでなければ、彼らは決して滅びないし、一層、強大化する。それを軍事力で潰そうとしても無駄である。(略)アメリカを始め有志連合がイスラーム国潰しに武力行使を決めた。イスラーム国によって迫害されたヤズィーディやアッシリア教会のマイノリティを助けるのなら、なぜ、イラク政府がやらないのだ?(略)保護責任はイラク政府にある。ジャーナリストやNGO活動家を斬殺する行為は許し難い蛮行である。だが蛮行に怒る国際社会は、なぜ、ガザのジェノサイドには武力行使で対抗しない?この数年、国際社会から見捨てられた途方もない数のムスリムの死が、今日、イスラーム国に馳せ参じる若者を量産したのである。それを「アイデンティティの危機が原因」などと、高みの見物のごとく、ムスリム移民の若者を見下ろしてきたヨーロッパ社会は、ムスリムの信徒社会が、民族や国境を越えて、水平的共同体意識を持っていることを軽視したな。 (内藤正典Twitter JST2014年9月15日

・「だれがやっても同じだよ」あと1カ月に迫った
福島県知事選の取材で、何人かの人にこう言われた。選挙そのものに冷ややかなのか、政治に対するあきらめなのか。決して関心がないわけではないが「盛り上がらないね」とも言う。その口調は淡々としていて、なにか他人事のようだった。佐藤雄平知事(66)がのらりくらりと態度を明らかにせず、やっと出ないことを表明したのが4日。(略)佐藤知事の引き延ばしには思惑があった。後継の本命で、「勝てる候補者」と目される、内堀雅雄副知事(50)に自民と民主が相乗りして一本化し、「復興のために与野党協力」との方向性を見せる。そうすれば、どちらも負けなくてすむ。まさに出来レース。そこに 県民の姿はなく、あるのは自分たちの都合であり保身だけだ。震災から3年半が過ぎた。いまだに福島第一原発には問題が山積し、県民は放射能の恐怖を振り払うことができない。仮設住宅は存在し、海岸線は雑草が生い茂っていて荒れたまま。手をつけられない場所もあちこちにある。それを見るたびに住民の気持ちは萎え、自然とため息が出る。そして空虚な思いが募る。地権者の了解もとらず、国のごり押しを県が勝手に受け入れた中間貯蔵施設。にもかかわらず、知事は「復興の道筋が立った」と言い放って、勇退の花道にした。しかもその後継者は自らがほとんど実務を任せていた、官僚出身の副知事。「プルサーマルを容認し、SPEEDIのデータを出さずに県民に無用な被曝を強いてしまったのはどこのだれなのか」と言いたい。(略)この3年半に起こったことを思い出しながらきちんと目を開け、流されずに選挙と向き合わなければならない。いま必要なのは、理不尽な要求に屈せず、県民とともに闘う気概を持った知事だろう。この選挙はだれのものでもない。自分たちのものなのだ。(日々の新聞 2014年9月15日

・私はこれまで
安倍晋三政権によるアベノミクスを支持してきました。金融と財政の両面から経済を刺激するというアベノミクスの戦略は、これまでどこの先進国も実行したことがない「経済実験」でした。これを批判的に見る専門家もたくさんいましたが、私は必ず奏功すると主張してきました。実際、アベノミクスが実行に移されてから、株価も上昇し、景気も回復基調に入ろうとしていました。しかし、私はここへきて、安倍政権の経済政策に懐疑心を持ち始めています。というのも、安倍政権はこの4月に消費税を5%から8%に増税し、さらに来年にはこれを10%に増税することすら示唆しているからです。消費増税は、日本経済にとっていま最もやってはいけない政策です。今年4月の増税が決定するまで、私は日本経済は多くのことがうまくいっていると楽観的に見てきましたが、状況が完全に変わってしまったのです。すでに消費増税という「自己破壊的な政策を実行に移したことで、日本経済は勢いを失い始めています。このままいけば、最悪の場合、日本がデフレ時代に逆戻りするかもしれない。そんな悪夢のシナリオが現実となる可能性が出てきました。さらに、いま世界を見渡すと、先進各国の経済に多大な打撃を与える「危機の芽」が生まれる土壌ができつつあります。詳しいことは後でお話ししますが、日本がその大打撃から逃れられる保証はありません。最悪の場合、世界の危機が日本経済を壊滅的に破壊する可能性すらあるのです。安倍政権は、本当に「しでかしてしまった」というのが私の印象です。最もやってはいけない増税に手を付けたことで、日本経済はin suspense(はらはらしている状態)に陥ろうとしています。(ノーベル賞経済学者クルーグマン「日本経済は消費税10%で完全に終わります」現代ビジネス 2014年09月16日

「死刑廃止のための大道寺幸子基金」が運営する死刑囚表現展 の試みは、今年10年目を迎えた。現在、日本には130人ほどの死刑確定囚がいる。未決だが、審理のいずれかの段階で死刑判決を受けている人も十数人いる。外部との交通権を大幅に制限され、人間が生きていくうえで不可欠な〈社会性〉を制度的に剥奪されている死刑囚が、その心の奥底にあるものを、文章や絵画を通して表現する機会をつくりたい――それが、この試みを始めた私たちの初心である。死刑囚が選択する表現は、大きくふたつに分かれる。絵画と、俳句・短歌・詩・フィクション・ノンフィクション・エッセイなどの文章作品である。すぐれた文章作品は本にして刊行できる場合もあるが、絵画作品を一定の期間展示する機会は簡単にはつくれない。それでも、各地の人びとが手づくりの展示会を企画して、それぞれ少なくない反響を呼んできた。日本では、死刑制度の実態も死刑囚の存在も水面下に隠されており、いわんやそれらの人びとによる「表現」に市井の人が接する機会は、簡単には得られない。展示会に訪れる人はどこでも老若男女多様で、アンケート用紙には、その表現に接して感じた驚き・哀しみ・怖れ、罪と罰をめぐる思い、冤罪を訴える作品の迫力……などに関してさまざまな思いが書かれている。死刑制度の存否をめぐってなされる中央官庁の世論調査とは異なる位相で、人びとは落ち着いて、この制度とも死刑囚の表現とも向き合っていることが感じられる。獄中で絵画を描くには、拘置所ごとに厳しい制限が課せられている。画材を自由に使えるわけではない。用紙の大きさと種類にも制約がある。表現展の試みがなされてきたこの10年間を通して見ると、応募者はこれらの限界をさまざまな工夫を施して突破してきた。コミュニケーションの手段を大きく奪われた獄中者の思いと、外部の私たちからの批評が、〈反発〉も含めて一定の相互作用を及ぼしてきたとの手応えも感じる。外部から運営・選考に当たったり、展示会に足を運んだりする人びとが、一方的な〈観察者〉なのではない。相互に変化する過程なのだ。社会の表層を流れる過剰な情報に私たちが否応なく翻弄されているいま、目に見えぬ地下で模索されている切実な表現に接する機会にしていただきたい。(「太田昌国のブログ」2014年9月19日

・朝日新聞バッシングの異様さを「異様」と感じるか感じないかによって、ほぼその人の現在の立ち位置が正確に分かるという状況になっていますが、今日ご紹介するのは、もちろん「異様」かつ「危機的状況」と感じる識者15人によるリレートークです。緊急リレートーク「
もの言えぬ社会をつくるな-戦争をする国にしないために-」(参議院議員会館講堂)がそれで、主催したのは国会議員有志(略)福島みずほさんのブログによれば、白眞勲事務所、有田芳生事務所、神本美恵子事務所、仁比聡平事務所、福島みずほ事務所が連絡先になっていました。(略)どれもみな有益な発言で全編視聴していただきたいのですが(引用者注:各登壇者個人の個性と「個人的な体験」のみなぎった爽快感のようなものが視聴していても伝わってきました。そんなまれにみるリレートークの印象)、視聴のための目安時間も書いておきますので、参考にしてください。(略)①新崎盛吾氏(新聞労連委員長)3分05秒内田浩氏(出版労連書記次長)7分20秒海渡雄一氏(弁護士)15分50秒篠田博之氏(月刊「創」編集長)26分35秒佐高信氏(評論家)38分58秒中野晃一氏(立憲デモクラシーの会呼びかけ人、上智大学教授)47分30秒五野井郁夫氏(高千穂大学准教授)56分25秒清水雅彦氏(日本体育大学教授)1時間04分07秒渡辺美奈氏(女たちの戦争と平和資料館[wam]事務局長)1時間13分08秒北原みのり氏(ラブピースクラブ主宰)1時間26分08秒黒澤いつき氏(明日の自由を守る若手弁護士の会共同代表)1時間35分26秒伊藤和子氏(弁護士、ヒューマンライツ・ナウ事務局長)1時間41分41秒永田浩三氏(武蔵大学教授)1時間52分14秒前田朗氏(東京造形大学教授)2時間01分10秒森達也氏(映画監督)2時間10分24秒福島みずほ議員2時間18分15秒藤田高景氏(村山談話の会理事長)2時間29分08秒関千枝子氏(安倍靖国参拝違憲訴訟原告)2時間31分07秒弁護士・金原徹雄のブログ 2014年9月19日

東京都渋谷区の議会運営委員会は十九日、本会議で議案などへの賛否の意見を述べる「討論」を、議員一人当たり年 間二十分以内に制限することを決めた。こうした制限は、少なくとも東京二十三区議会では初めて。これまで時間は無制限だったため、少数会派の議員は「発言権が制限される」と反発している。議会事務局によると、六~七月の区議会定例会で、一部議員から「議題と関係なかったり、風聞や伝聞に基づく討論が行われている」などの意見が出た。区議会は今月、各会派の代表者でつくる「議場での討論のあり方検討会」を設置。議員一人あたりの討論時間を二十分とすることを議長に答申した。この日の議会運営委員会で自民、公明などの会派の賛成と、共産や民主などの反対が同数となり、最後は木村正義委員長(自民)が時間制限の導入を決定した。無所属の堀切稔仁区議は「形式的でなく、緻密な議論を重ねることこそ今の地方議会の改革に求められている。それなのに、討論の時間を短くするとは自分たち議会の存在を自ら否定するようなもの。時代に逆行している」と批判した。他の東京特別区には、討論一回当たりの制限時間を「五分」「十分」などにしている区はあるが、年間の制限時間は設けていない。江東区と中央区は、討論は委員会で行うが、本会議では行っていないという。都議会も規則などでの時間制限はしていない。広瀬克哉 法政大教授(地方自治)の話:一回あたりの時間制限なら理解できなくもないが、年間制限はそぐわない。一年間にどんな議案が出るか予測できないのだから、持ち時間を使い切ったあとに重要な議案が出たら、賛成、反対の意思を議場で表明して議事録に残すという、議員の大切な仕事ができなくなってしまう。あり得ない議会ルールだ。(東京新聞 2014年9月20日

・もうこれは完全に議会の自殺民主主義の否定ですね。ちょっと信じられない。反対派の渋谷区議は議会をボイコットすべきレベル ではないか?だってもはや民主主義ではないだろう、これでは。それとも本会議はすでに儀礼化・形骸化しすぎていて、あってもなくてもどうでもいい存在になっていたのだろうか?(
「想田和弘Twitter」2014年9月20日

・秋風が吹いて永田町の夏休みが終わる。月末から臨時国会である。憲法9条の「解釈改憲」をめぐる議論が再び熱を帯びることを望みたい。政治の世界では休眠状態になっているが、市民や識者の間では地道な取り組みが続いている。きのう、東大の「共生のための国際哲学研究センター」が催したシンポジウムをのぞいた。憲法学界の大御所、樋口陽一さんが登壇するからだ。8月に載った本紙宮城版のインタビューで語っていた。安倍首相に「憲法へのニヒリズム」を感じる、と。ニヒリズム、すなわち虚無主義。既成の価値や規範、権威などを否定し、破壊しようとする考え方を意味する。そういえば、おととしの総選挙にあたり、安倍氏は「みっともない憲法ですよ」と形容していた。取り扱い方がぞんざいになるのも当然か。シンポでは、樋口さんの指摘に触発された哲学者の國分功一郎さんが一つの見方を披露した。この政権は改憲が自己目的と化している。そこには、立憲主義という「上から」の拘束に対する反発や憎悪があるのではないか、と。急所を突く診断だと思う。政治権力に勝手をさせないために、「下から」の民主的な手続きによってもできないことを決めておく。それが立憲主義だ。数の力にものをいわせる民主主義との間には時に対立が生じる。いままさにその時だろう。確かなことは、どちらか一方だけではやっていけないということである。議論は長期戦になる。市民一人ひとりの熟慮がものをいう。(朝日新聞「天声人語」2014年9月22日
 
・大義も正義もなかった米国の
イラクへの侵攻が、今のアラブ世界の混乱を招いている要因であり、その責任は重大です。そのイラク戦争への反省や総括などもないまま、過激派組織「イスラム国」を掃討するため、イラクで空爆を開始したのには驚きました。米軍は2011年末にイラクからの撤退を完了しました。しかし、イラク戦争後、フセイン政権の崩壊に伴い顕在化した宗教・宗派や民族対立は解消されないままでした。その結果、武力衝突による犠牲者が記録的に増え続け、今でも治まる気配はありません。米国が支えるイラクの現政権は統治能力が疑問視されています。その隙間をぬって、いつの間にか「イスラム国」と称する過激派集団が国土の一部を支配するまでになったのには、それなりの支持や母体があってのことだと思います。フセイン元大統領は処刑され、国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン氏は米軍によって殺害されました。しかし、それらの人物の考え方や、支持基盤自体は壊すことは出来ず、むしろ、その反発によって新たな集団が相次いで誕生し、その活動は過激化しているのが現実です。米国の軍事力行使が、地域の安定や人々の幸福につながらなかったことは、ベトナムや、アフガニスタンの歴史を見ても明らかです。絶えず「悪者」を作り出し、国民の対立と混乱を引き起こしてきたといえます。米国はいま、イラクに加えシリアへの空爆の構えも見せていますが、問題の解決を遠ざけるだけです。(朝日新聞「声」欄 2014年9月22日
 
・アメリカの新たなターゲットは、
ホラーサーン(Horasan)。ヌスラに参加しているイスラーム主義軍事組織。米国はこの名前を隠していたが、昨日、ターゲットとして明示した。アメリカは不十分な情報と、単純な思考で、中東を破壊している。CNNを見ているが、論理の組み立てが、最初から狭い視野でなされている。イスラーム国を攻撃することで、トルコをはじめ近隣国がどのような影響を受けるかを慎重に評価できていない。(略)イスラーム国にせよ、ヌスラにせよ、ホラサンにせよ、十把ひとからげにテロリストと決め付ける姿勢も間違っている。現地は内戦のさなかにあり、彼らがテロリストならアサド政権軍も自由シリア軍もやっていることからみればテロリストなのである。イラク北部のクルド自治政府との民兵組織ペシュメルガがアメリカやフランスに武器をねだっていることについても問題提起が必要。イスラーム国と戦うなら当然というのが欧米諸国の見方だが、疑問がある。彼ら自身、イラクの分裂、近隣国に対して武装闘争をつづける組織に武器を横流しした過去がある。トルコ、アクドアン副首相。アメリカは対イスラーム国攻撃に関してトルコに協力を求めるのなら、アサド政権の退陣を含めて包括的なシナリオを示せ。そうでないと、攻撃によって近隣国に多大の影響を与えるだけ。(略)拘束フランス人の殺害映像を掲載 NHKニュース←先に空爆したのはフランス。いきなり空爆すれば、人質が殺害されることは予測できたはず。それに、フランスがイラクに介入したのは、躊躇する英国の隙をつこうという冒険主義の愚行。(略)イスラーム国の脅威が何であるのか、きちんと説明した記事が一つとしてない。少数宗派や欧米の人質への残虐行為を指しているのなら、そもそも事実の誤認や虚偽や、先に欧米が空爆したことなどが皆掻き消されている。危険な潮流に日本のメディアが乗ったな→イスラーム国問題が極悪非道のテロ集団だから何をしても良いという方向に流れると、世界を知らないままに尻馬に乗る人たちが必ず増える。 (「内藤正典Twitter」2014年9月24日

・辞任すべきですよ、絶対。→
山谷えり子大臣ポロリ 「在特会のHPを引用したまで」 英国人記者「在特会の主張は容認できないと公言して欲しいのだが?」山谷「一般論としていろんな組織についてコメントするのは適切ではない。」山谷氏が在特会を否定しないのは、否定できないから。手厚い支援を受けているのだろう。それ以外に考えにくい。→記者「在特会の主張は容認できないと公言して欲しいのだが?」山谷「一般論としていろんな組織についてコメントするのは適切ではない」詳しいやりとり。それにしても、外国人特派員にしか頼れないのかね、日本のジャーナリズムは。このくらいの詰問、日本の記者も毎日してよ。→山谷えり子大臣に「在特会」の質問集中――外国特派員協会の会見でどう答えたか?(想田和弘Twitter- 2014年9月26日JST

・老子、孔子といった古代中国の大賢を彷彿とさせる見事なひげがトレードマークだった。ノーベル賞候補ともいわれ、「人間が人間らしく生きられる経済学」を唱え続けた
宇沢弘文さんが、86歳で亡くなった。世界的な理論経済学者は、環境破壊にもの申す文明批評家としても知られた。(略)渡米して学んでいたころ、日本は高度経済成長を走っていた。統計数字を異国で誇らしく眺めていたが、帰国してがっかりする。実際の暮らしは貧しく映ったからだ。豊かさや幸せ は数値では表せないと知ることになる。「日本の狭い国土を広く使うには電車の速度を半分に落とせ」とも主張していたそうだ。二つの地域を高速で結べば途中の地域はすたれてしまう。遅くすれば途中駅も人が降りて栄え、つまりは広く使えると。効率化の逆をいく発想である。冒頭の老子に「企(つまだ)つ者は立たず」、すなわち「背伸びする者は長く立っていられない」の言葉がある。突き進む経済活動と地球環境。見続けた宇沢さんの憂慮も、同じではなかったかと思う(引用者注:宇沢さんはいま沖縄県知事選の最大の争点となっている辺野古移設問題に関連して米軍基地の問題についても次のような言葉を遺しています。「歴代の自民党政権の指導的な立場にあった政治家たちの果たした役割を明らかにし、その社会的責任を徹底的に追及することが、いま日本の置かれている悲惨な、望みのない状況を超克するためにもっとも肝要なことである。その上で、日本国民すべてが力を合わせて、沖縄の米軍基地を始め、日本国内に存在する米軍基地の全面的返還を求めて、大きな国民的運動の展開をはかるべきではないだろうか」(「沖縄の知識人はなぜ知事選で沈黙するのか」2014/09/27))。(朝日新聞「天声人語」2014年9月27日
あるメーリングリストから。

国立市マンション訴訟で、元市長の上原公子さん、無事勝訴でした。嫌がらせ裁判に対して、住民自治を守る闘いを敢然と貫きました。

朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASG9T4WNJG9TUTIL027.html
読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20140925-OYTNT50571.html
 
国立マンション訴訟の原告側(国立市)の訴えを果たして「嫌がらせ裁判」などと侮蔑語を用いることは正しいことでしょうか? また、同訴訟の被告側(上原公子元国立市長)の応訴を「住民自治を守る闘い」など称揚することは適切なことといえるでしょうか?
 
この件についての私の論はまた改めて述べることにしたいと思いますが、ここでは私という一個の素人の意見を述べるよりも、「首長の行為の違法を追求可能とする住民訴訟の制度の趣旨」に即して、また、地方議会のあり方に関する総務省の見解や最高裁の判例を援用し、論理的に今回の東京地裁の判断に重要な疑問を提起している法律の専門家としての澤藤統一郎弁護士の論をご紹介させていただこうと思います。
 
要点は、「公益」のために認められた特別の訴訟類型としてたった一人でも行政の違法を質すことができる制度である住民訴訟の意義を議会の多数決で無にすることは「正義」に適うことかどうかというところにあるように思います。私は澤藤統一郎弁護士の論に正統な説得力を感じます。
 
なお、澤藤弁護士の論中に「市議会が、11対9の票差で裁判にかかっている国立市の債権を放棄する決議をした」というくだりがありますが、私の調べたところこの「11対9の票差」の内訳は以下のとおりですが、「党派性」でこの問題を判断するのは誤りのもとだと私は思います。判断すべき材料はあくまでも「論理」、そして「市民的権利」というものであろう、と私は思います。
 
国立市議会賠償金請求権利放棄決議結果
 
賛成
重松朋宏(緑の党)、上村和子(こぶしの木)、生方裕一(維新の党)、藤田貴裕(社民党)、望月健一(みらいのくにたち)、長内敏之(共産党)、尾張美也子(共産党)、高原幸雄(共産党)、阿部美知子(生活者ネット)、小川宏美(生活者ネット)、前田節子(生活者ネット) 合計11票
 
反対
稗田美菜子(民主党)、藤江竜三(新しい風)、池田智恵子(つむぎの会)、中川喜美代(公明党)、小口俊明(公明党)、石塚陽一(自民党・明政会)、大和祥郎(自民党・明政会)、石井伸之(自民党・明政会)、東一良(自民党・明政会) 合計9票
 
以下、澤藤統一郎弁護士の論。
 
株主代表訴訟と住民訴訟、明と暗の二つの判決
(澤藤統一郎の憲法日記 2014年9月25)
 
誰もが自分の権利・利益を保護するために裁判を申し立てる権利を持つ(憲法32条)。とはいえ、裁判は自分の権利・利益の保護を求めてのもの。自分の権利の保護を離れての訴訟提起は法が想定するところではない。正義感から、公益のために、世の不正や違憲の事実を裁判所に訴えて正そうと、裁判を提起することは原則として許されない。
 
もっとも、これにはいくつかの例外がある。自分の権利保護を内容としない訴訟を「客観訴訟」と言い、客観訴訟が認められる典型例が地方自治法上の「住民訴訟」。地方自治体の財務会計上の行為に違法があると主張する住民は、たった一人でも、住民監査を経て訴訟を提起することができる。住民であるという資格だけで、全住民を代表して原告となり、自治体コンプライアンスの監視役となって訴訟ができるのだ。
 
よく似た制度が「株主代表訴訟」。これも、取締役らの不正があったと主張する株主は、たった一人で裁判所に提訴ができる。各取締役個人を被告として、「会社に与えた損害を賠償せよ」という内容になる。原告にではなく、会社に支払えという裁判。住民訴訟同様に、原告となる株主個人が、全株主を代表して損なわれた会社の利益を回復する仕組みであり、この制度あることによって取締役の不正防止が期待されている。
 
株主代表訴訟と住民訴訟、両者とも私益のためではなく、「公益」のために認められた特別の訴訟類型。はからずも本日(9月25日)東京地裁で、両分野で、注目すべき判決が言い渡された。
 
まずは、株主代表訴訟。西松建設事件である。
旧経営陣に6億円賠償命令 西松建設の株主代表訴訟
西松建設の巨額献金事件で会社が損害を受けたとして、市民団体「株主オンブズマン」(大阪市)のメンバーで個人株主の男性が、旧経営陣10人に総額約6億9千万円の損害賠償を求めた株主
代表訴訟の判決で東京地裁は25日、6人に対し総額約6億7200万円を西松建設に支払うよう命じた。
事件では、会社が設立したダミーの政治団体に幹部社員らが寄付し、賞与の形で会社が穴埋めするなどの方法で政治献金が捻出されていた。10人は、献金当時に役員を務めていた。
大竹昭彦裁判長は、うち社長経験者ら6人が『役員としての注意義務違反があった』と指摘した。」(共同通信)
 
西松建設は、実体のない政治団体を使って国会議員に裏金を献金していた。2008年から東京地検特捜部が本社を捜索し、2009年に事件は「偽装献金事件」として政界に波及した。自民党や民主党の多数政治家に大金が流れていた。
 
西松建設幹部と国会議員秘書など計5人が、政治資金規正法違反として起訴され、4人が執行猶予付きの禁錮刑となり、1人が略式手続きによる罰金刑となって、刑事事件は確定した。
 
刑事事件は確定しても、会社から違法に流出した政治献金の穴は残ったまま。各取締役個人に対して、これを賠償せよというのが、今回の株主代表訴訟の判決。
 
たった一人の株主が、会社の不正を質した判決に到達したすばらしい実践例。「株主オンブズマン」(大阪市)の日常的な活動があったればこその成果といえよう。
 
もう一つは、住民訴訟関連の判決。報道の内容は次のとおり。
 
「高層マンション建設を妨害したと裁判で認定され、不動産会社に約3100万円を支払った東京都国立市が、上原公子元市長に同額の賠償を求めた訴訟の判決が25日、東京地裁であり、増田稔裁判長は請求を棄却した。
増田裁判長は『市議会は元市長に対する賠償請求権放棄を議決し、現市長は異議を申し立てていないので、請求は信義則に反し許されない』と指摘した。」(時事)
 
先行する住民訴訟において、東京地裁判決(2010年12月22日)が、元市長の国立市に対する賠償責任を認容し、この判決は確定している。元市長は任意の支払いを拒んだので、国立市は元市長を被告として同額の支払いを求めた訴訟を提起した。
 
ところが、その判決の直前に新たな事態が出来した。市議会が、11対9の票差で裁判にかかっている国立市の債権を放棄する決議をしたのだ。今日の判決は、この決議の効果をめぐっての解釈を争点としたものとなり、結論として国立市の請求を棄却した。
 
こちらは、せっかくの住民訴訟の意義を無にする判決となって、高裁、最高裁ともつれることになるだろう。
 
問題は、たった一人でも行政の違法を質すことができるはずの制度が、議会の多数決で、その機能が無に帰すことになる点にある。
 
たとえば、総務省の第29次地方制度調査会「今後の基礎自治体及び監査・議会制度のあり方に関する答申」(2009年6月16日)は、次のように述べている。
「近年、議会が、4号訴訟(典型的な住民訴訟の類型)の係属中に当該訴訟で紛争の対象となっている損害賠償請求権を放棄する議決を行い、そのことが訴訟の結果に影響を与えることとなった事例がいくつか見られるようになっている。
4号訴訟で紛争の対象となっている損害賠償又は不当利得返還の請求権を当該訴訟の係属中に放棄することは、住民に対し裁判所への出訴を認めた住民訴訟制度の趣旨を損なうこととなりかねない。このため、4号訴訟の係属中は、当該訴訟で紛争の対象となっている損害賠償又は不当利得返還の請求権の放棄を制限するような措置を講ずるべきである。」
 
私は、この考え方に賛成である。首長の違法による損害賠償債務を議会が多数決で免責できるとすることには、とうてい納得し難い。国立市はいざ知らず、ほとんどの地方自治体の議会は、圧倒的な保守地盤によって形成されている現実がある。首長の違法を質すせっかくの住民訴訟の機能がみすみす奪われることを認めがたい。
 
とはいえ、現行制度では、自治体の権利の放棄ができることにはなっており、その場合は議会の議決が必要とされている。問題は、議会の議決だけで債権の放棄が有効にできるかということである。
 
最高裁は、古くから「市議会の議決は、法人格を有する市の内部的意思決定に過ぎなく、それだけでは市の行為としての効力を有しない」としてきた。高裁で分かれた住民訴訟中の債権放棄議決の効力について、最近の最高裁判決がこれを再確認している。
 
2012(平成24)年4月20日と同月23日の第二小法廷判決が、「議決による債権放棄には、長による執行行為としての放棄の意思表示が必要」とし、これに反する高裁判決を破棄して差し戻しているのだ。
 
国立市の現市長は、「長による執行行為としての放棄の意思表示」をしていないはず。最高裁判例に照らして、「現市長は異議を申し立てていないので、請求は信義則に反し許されない」は、すこぶる疑問であり、不可解でもある。
 
首長の行為の違法を追求可能とするのが住民訴訟の制度の趣旨。この判決では、市長派が議会の過半数を味方にすれば責任を逃れることが可能となる。さらに、前市長・元市長の違法を追求しようという現市長の意図も、議会の過半数で覆されることになる。
 
このままでは、せっかくの住民訴訟の制度の趣旨が減殺される。上級審での是正の判断を待ちたいところではある。
三上智恵さん(元琉球放送アナウンサー)がマガジン9(2014年9月17日号)に「沖縄の抵抗するリーダーを歓迎しない中央メディアの記者たち~翁長那覇市長の知事選出馬会見の一コマ」という中央メディア批判の記事を書いています。その中央メディア批判が的を射たものであれば私ももちろん賞賛したいのですが、三上さんの論は中央メディアに対するルサンチマン的偏見と誤解に基づくものでとても公平な論評ということはできません。
 
同記事で三上さんは先日の8月13日の「翁長那覇市長の知事選出馬会見の一コマ」について次のような感想を述べています。
 
「最近驚くのは、中央メディアの翁長氏への姿勢が、この革新サイド以上に懐疑的、いや全否定的ですらあることだ。『結局何もできないのでは? 埋め立て承認は白紙撤回できないのでは?』各社とも、ここまできて反対しきれるわけはないとタカをくくった物の言い方を平然とするようになっている。動画の中で翁長氏も怒ったように、県民の代表に名乗り出ようという候補に対して、ずいぶん礼を欠いた態度だと私も思う。」
 
三上さんは先日の出馬記者会見での中央メディアの「全否定的」な翁長氏への質問の姿勢が「ずいぶん礼を欠いた態度」だと怒っているわけですが、三上さんが「タカをくくった物の言い方」と怒っている「埋め立て承認」問題に関しては中央メディアだけではなく、地元メディアの琉球新報も沖縄タイムスも質問しています。

当日の記者会見でのメディアの質問は合計9回。うち中央メディア(朝日新聞、日経新聞、NHK、読売新聞、共同通信、時事通信)の質問は各社1回ずつの合計6回、地元メディア(琉球新報、沖縄タイムス)の質問は琉球新報2回、沖縄タイムス1回の合計3回。「埋め立て承認」問題だけの質問に限れば中央メディア(朝日新聞、読売新聞、時事通信)は3回、地元メディア(琉球新報)は2回(沖縄タイムスは「埋め立て承認」問題については質問せず)。

以上の質問回数を比較すれば明らかですが「『全否定的』な翁長氏への質問」は中央メディアだけがしたわけではありません。地元メディアの琉球新報も複数回にわたって同じ問題を質問しています。これを中央メディアだけが「タカをくくった物の言い方」をしたように貶めるのは第一事実に反しますし、主観的な偏見に満ちた見方であり、もちろん公平ということもできません。
 
三上さんが批判する同じ事象について「私の沖縄日記―広島編」ブログの筆者は次のように述べています。
 
「翁長氏が『辺野古の新基地は絶対造らせない』といいながら、その具体的な方法を言おうとしないことに対し、各社の記者から繰り返し質問が出たのは当然です。なぜなら、埋め立て承認の撤回ないし取消を行うのかどうかが、『辺野古新基地反対』の眼目であり、新知事に最も求められることだからです。しかし翁長氏は、『保革相乗り』を盾に、頑として言明を避けました。この翁長氏の対応は、私には想定内のことでした。私が唖然としたのは、こうした記者の質問に対し、あろうことか会場の支持者から、『そうだ』『そんなことはない』『いつまで同じ質問をするんだ』などのヤジと拍手・指笛が飛びかったことです。そしてそのヤジは、ある記者の質問でピークに達しました。記者は「辺野古反対といいながら、結局政府に押し切られた、という形にならないか」と聞いたのです。実に的を射た質問です。ところがこれに対し質問の途中から大きな怒声のヤジが何度も飛ばされ、翁長氏はそれに乗じるように、『普通の人がそういう質問をすると大変失礼なことになる』と、暗に記者を罵倒したのです。この光景に背筋が寒くなる思いがしました。これは翁長氏と会場の支持者が一体になった記者への圧力であり、質問封じではないのか。痛いところを突かれた質問を、こうして翁長氏と会場が一体になって封じ込めるなど、民主主義社会では絶対にあってはならないことです。」
 
三上さんの事実誤認の問題はさておいても、三上さんと「私の沖縄日記」ブログの筆者の論のどちらの論が正当といえるか。私は「私の沖縄日記」ブログの筆者の見解を支持します。残念ながら三上さんの論には上記で「私の沖縄日記」ブログの筆者が指摘している出馬会見会場の翁長氏支持者の反民主主義的対応と同質のものを感じます。ジャーナリストの論とはいえません(それを賞賛するマガジン9の編集者も編集者として当然失格です)。
 
三上さんはむろん民主主義の人です。彼女が広い意味でプロデュース、監督した「標的の村」(2013年公開)は東村・高江の住民に終始寄り添った地元、住民目線のとてもすばらしい作品でした。その三上さんでさえ民主主義の本質を捉え損なうことがあるのです。それが今回の記事に反映しています。三上さんが民主主義の本質を捉え損なったのは、おそらくウチナーンチュ(三上さん自身は本土生まれ、本土育ちですが)としての自負心の裏返しとしてのヤマトゥのひとつの象徴としての中央メディアというものに対するルサンチマンのようなものが大きかったからでしょう。ルサンチマン、俗に言って偏見は民主主義の眼を狂わせることがあるということでしょうか。
 
なんのルサンチマンによるのかよくわかりませんが、おそらく彼独自の政治観による政治的偏見によって植草一秀という人も民主主義の眼を狂わせているもうひとりの人ということができるでしょう。それが植草氏独特の「埋立承認撤回」論です。その「埋立承認撤回」論自体は正当だと私は思いますが、彼の「埋立承認撤回」論は彼の思想的真意から出る「埋立承認撤回」論ではなく、喜納昌吉氏支持、民主党支持に結びつけるためのマヌーバ―の「埋立承認撤回」論のように私には見えます。そうでなければ、前回の沖縄県知事選のときに「米軍普天間飛行場の辺野古移設を決めた日米合意を『尊重する』」(琉球新報 2010年10月22日)などと公言していた喜納昌吉という人を「埋立承認撤回」をするためにもっともふさわしい人物などといえるはずがありません。植草氏が「埋立承認撤回」論を持ち出しているのは喜納昌吉氏を支持するための口実のようにしか私には見えません。植草氏は今日も「沖縄知事選辺野古基地最大争点は埋立承認の撤回」という論を展開して翁長氏批判を繰り返しています。
 
翁長氏の当選をなんとかして妨害しようとする人たちに口実を与えないためにも、翁長氏及び翁長氏陣営は一日も早く「埋立承認撤回」を公約としてはっきりと打ち出す必要がある、というのが私の沖縄県知事選の現状判断、あるいは情勢判断です。 
いま直面している「『イスラム国』掃討」を錦旗にした米国のシリア空爆開始の愚行について、内藤正典さん(同志社大学大学院教授/現在、トルコ在住)と浅井基文さん(元外交官、政治学者)のこの問題を分析したTwitter発言と論攷から「米国のシリア空爆開始」という今回の事態の本質を学びたいと思います。
 
その前に「米国のシリア空爆開始」を伝える2本の報道記事(ロイター、時事通信)を押さえておきたいと思います。
 
米国が「イスラム国」掃討へシリア空爆開始、湾岸5カ国参加(ロイター 2014年09月24日)
 
【ワシントン/ベイルート 24日 ロイター】米国は、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」掃討に向け、湾岸諸国とともにシリアの「イスラム国」拠点に対し空爆を実施した。米中央軍(CENTCOM)によると、ヨルダン、バーレーン、サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦(UAE)が空爆に参加した。国防総省のカービー報道官は記者団に対して「昨夜の空爆は始まりに過ぎない」と述べたうえで、空爆は成功裏に終わったとした。ただ、空爆の詳細や死傷者などについては明らかにしなかった。
 
オバマ米大統領は空爆後にホワイトハウスで声明を読み上げ、攻撃を継続するとともに、掃討への取り組みに国際社会の支持を広げていく考えを表明した。「米国に危害を加えようとする者に対し、テロリストに安全な場所などなく、われわれは決して容赦しないことをあらためて明確にする必要がある」と強調。「共通の安全保障のため、これらの有志国と協力して戦っていることを米国は誇りに思う。これら有志国の強さは、米国だけの戦いではないことを世界に明示している」とした。
 
一方、ロシアはシリアへの空爆について、アサド政権の承認もしくは国連安全保障理事会決議がなければ全て非合法だ、との見解を示した。トルコのエルドアン大統領は23日、イスラム国に対する米国主導の空爆について、軍事支援もしくは後方支援を提供することが可能との見解を示した。
 
シリア空爆は自衛権行使=米大使(時事通信 2014年09月24日)
 
【ニューヨーク時事】パワー米国連大使は23日、潘基文国連事務総長に書簡を送り、イスラム過激組織「イスラム国」への空爆をシリア領内に拡大したのは、シリアのアサド政権がイスラム国の「安全地帯」を除去する能力を欠き、その意思もないためだと主張。米国と有志国が、国連憲章第51条で保証された武力攻撃に対する自衛権を行使したと説明した。パワー大使は書簡で、イラクや米国、同盟国に対する脅威を取り除くために「シリアで必要かつバランスの取れた軍事行動を開始した」と述べた。
 
以下、内藤正典さんと浅井基文さんのTwitter発言と論攷。
 
「内藤正典Twitter」(2014年9月23日 JST)から抜粋。
 
シリア空爆は自衛権行使=米大使(時事通信)←だが、イスラーム国は最初は欧米諸国を攻撃する意図などなかった。自分たちの信仰に基づく国をつくろうとした。その空間がイラク、シリアの権力の空白域だっただけのこと。
 
国際社会は、米国が、アフガニスタン侵攻にあたって、アルカイダを匿っているという理由でアフガニスタンを破壊し、イラク戦争にあたっては虚偽の開戦理由をふりかざして戦争に乗り出したことを思い出してほしいイスラーム国は突然、涌いて出てきたのではない。イスラーム過激派の洗脳によってできたのでもない。シリア内戦ではアサド政権が制空権を握ったまま意のままに自国民を恐怖のどん底に突き落とし、イラクでは宗派の利害しか眼中にないマリキ政権スンナ派を地獄に突き落としたから台頭したのである。
 
イスラーム国は、原因ではなく、結果なのである。結果であるにもかかわらず、原因を追究せず、原因を断ちもせずに、空爆するのか?なんたる愚行。トルコのシリアとの国境は1000キロにおよび、トルコ領内でシリア難民を抱え込むのは不可能。国境近くまでイスラーム国側の支配地域が広がっている。トルコ国内にいる難民を他国が救援することを拒むのは、過去に、国際NGOなどを受け入れて、クルドゲリラ組織に支援がわたったことへの懸念。シリアに関しては、まず、アサド政権軍の制空権を奪うことが必要。その上で緩衝地帯をシリア領内に設定し、国連軍を配置してシリア難民への救援を実施しないと手遅れになる。トルコは国内に入った150万もの難民のために多額の費用を負担しているが、他国の援助は受けない。
 
しかしどうにもならないのがイラク。そもそもおかしい。イラクは主権国家であるのに、少数宗派を保護する責任を果たさず、クルド自治政府は自分の民兵への武器を国際社会にねだっている。そこにアメリカ主導の空爆。自国を他国に空爆してくださいと要請するのは筋が通らない。あえて言う。ジャーナリストやNGO活動家を斬首するという残虐行為は裁かなければならない。だがそれは法にのっとってすべきこと。一切合財をかなぐり捨てて空爆し、罪もない市民を巻き添えにする不正義は容認できない。繰り返しになるが、それなら7~8月になぜガザのこどもたちを見殺しにした?
 
「オバマの対ISIL戦略:演説と致命的問題」(浅井基文のページ 2014.09.21)から抜粋。
 
(前略)オバマの打ち出した対ISIL戦略の今一つの致命的な問題は、ISIL打倒のためには不可欠なシリア・アサド政権及びイランとの協力の可能性を自ら封じていることです。シリア領内のISIL勢力を効果的に叩く上では、(略)シリアにおいてもっとも戦闘力を備えているシリア・アサド政権と手を組むことが不可欠です。しかも、アサド政権はアメリカと協力する用意があると手を差し伸べているのです。また、シリアでの空爆作戦を合法的に展開する上でも、アサド政権の同意を確保することは絶対条件です。
 
また、シリア及びイラク両政権に対して大きな影響力を持つイランの支持を確保することも、アメリカが対ISIL作戦を効果的に行う上では欠かせないはずです。ところがオバマ政権は、イランを敵視するイスラエル及びサウジアラビアに対する考慮が優先して逡巡しているうちに、結局イランの最高指導者ハメネイ師の「実際、アメリカは、パキスタンで行ったのと同じように、(シリアの)独立政府と強力な軍隊の存在にも拘らず、政府の許可なく、その国の領土に侵入し、各地を爆撃するための口実を探している」という批判(9月15日。同日付イラン日本語放送WS)を招いてしまいました。最高指導者であるハメネイ師のこの発言が出てしまった以上、アメリカがよほど「礼を尽くす」姿勢を示さない限り、今後、イランの支持と協力を取り付けることは難しいでしょう。
 
ロシア(及び中国)に関しては、シリア領内での対ISIL軍事行動について「合法性」を確保するためには、安保理で拒否権を有するロシア(及び中国)の理解と協力を得ることは絶対条件です。しかも、すでに見たとおり、ロシア(及び中国)はシリア・アサド政権の同意を得ないアメリカのシリア領内での空爆には重大な疑問符を付す発言を公然と行っています。信じられないことですが、対ISIL作戦を強化しつつある中で、アメリカは対ロシア経済制裁をさらに強化する措置をとるという始末です。(略)
 
以上に述べた問題は、仮にISILがさほど強敵でないならば、あるいは見過ごして済むことかもしれません。しかしながら、衆目の一致するのは、ISILは擁する武装力(CIAの推定では3.15万にも達する人員及び高度な装備)、実効支配地域、その「狂信」性(もともとはアルカイダの一部だったのに、後者と袂を分かち、後者はISILとの絶縁を宣言した)、そして1万2千人ともいわれる外国人の参加(その中には数千人の米欧豪からの参加者を含む)などにおいて、アルカイダ以上の強敵であるということです。「「イスラム国」の台頭は、9.11以来で最大規模であり、その脅威は9.11がもたらしたリスクよりもさらに大きくなる可能性がある」(略)とされる所以です。特に米欧豪からの参戦者は今後これらの国々でテロを起こす可能性が現実味を以て語られているのです。
 
ちなみに、ISILについては、9月17日付環球時報掲載の中国現代国際関係研究院の田文林署名文章「アメリカのISIL攻撃の呼びかけには少なからぬよこしまさが含まれる」の中の次の指摘にも留意する必要があると思います。
 
「今のところ、我々は「イスラム国」の本当の状況についてほとんど分かっておらず、簡単にこうだと決めつけることは難しい。「イスラム国」は中東におけるガヴァナンスの失敗及びアメリカの政策的失敗・誤りの結果であるが、この組織が台頭して以後、急速にイラク及びシリアで支配地を拡大したということは、何らかの合理性という要素がない限りは説明がつかないことだ。西側メディアはひたすらこの組織の残虐性だけを宣伝しているが、この組織の他の側面についてはほとんど触れていない。
 
断片的な情報によれば、ISILは占領地域において水及び電力を提供し、給料を支払い、交通をコントロールし、パン工場、銀行、学校、裁判所そしてイスラム寺院などを管理しているという。したがって、「イスラム国」が許すべからざるテロ組織なのか、それとも現在の中東政治の展開における必然的産物なのかについては、まだ結論を出すことは難しい。」
 
要するに、ISILは9.11を引き起こしたアルカイダよりはるかに侮ることのできない「難敵」であることは確かだということです。9.11当時の国際的パニックによってアメリカに対する圧倒的な国際的支持が自然発生的に生まれた当時の状況の再現はもはやあり得ません。そうであるとすれば、オバマ政権が生半可な場当たり的対応でやり過ごすことはますますあり得ないことであるという結論は不可避です。この結論に立つ時、以上に述べたオバマ政権の対ISIL戦略の抱える問題はますます致命的になるのです。
翁長氏(左)に要請文を手渡す候補者選考委員会座長・新里米吉社民党県連委員長(中央)ら 
翁長那覇市長(左)に要請文を手渡す新里米吉社民党県連
委員長ら候補者選考委員会のメンバー(2014年8月11日


これまで私は「『辺野古移設反対』は言っても『埋め立て承認撤回』を公約に掲げない翁長氏の不可解さ」の問題について、その「不可解さ」の責任は翁長氏ひとりにあるかのような書き方をしてきました。しかし、そうした見方、書き方は一面の事実とはいえても、対面(もう一面)の事実を無視した視野の狭い見方だった、といま反省しています。「『辺野古移設反対』は言っても『埋め立て承認撤回』を公約に掲げない不可解さ」の責任は翁長氏ひとりにあるのではなく、県政野党・会派でつくる知事選挙候補者選考委員会にもあります。
 
2014年8月8日付けの産経新聞は、翁長氏と同氏支持を表明した県政野党
・会派でつくる知事選挙候補者選考委員会が交わした協定締結のいきさつに関して次のような記事を書いています。
 
「翁長氏を支持する沖縄県政野党5団体は、翁長氏と交わす協定で『新知事は埋め立て承認を撤回』と明記する方針だった。7月、翁長氏との調整で『新知事は埋め立て承認撤回を求める県民の声を尊重し、辺野古新基地は造らせません』となり、撤回の実効性は事実上ゼロに後退した。」(産経新聞 2014年8月8日
 
しんぶん赤旗の同年8月12日付けの記事も上記の産経記事を裏づけるように次のような記事を書いています。
 
「沖縄県知事選挙にむけ、日本共産党を含む県政野党・会派でつくる知事選挙候補者選考委員会は11日、那覇市内のホテルで翁長雄志・那覇市長に出馬を要請しました。翁長氏は「力を合わせて頑張っていきたい」と応じ、出馬に意欲を示しました。(略)要請書は(略)『知事選挙は、ウチナー(沖縄)のアイデンティティー(主体性)を大切にし、『建白書』に示された理念を堅持するぶれない知事が求められている』と強調し、「『辺野古新基地を造らせない』との姿勢を明らかにし、経済振興や福祉、教育、離島振興等にも期待が持てる翁長雄志さんが沖縄県知事に最もふさわしい』としました。赤嶺氏は『(保守・革新の)立場の違いを超え、私たちを結び付けているのは、普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念を求めて昨年1月に政府に提出した『建白書』です。これを一貫して掲げる翁長市長に敬意を表するとともに、私たちも辺野古新基地断念を実現するまで一緒にたたかう』と語りました。」(しんぶん赤旗 2014年8月12日
 
この2本の記事を読んだだけでも「『埋め立て承認撤回』を公約に掲げない」問題は、翁長氏と沖縄県政野党5団体との間では7月の段階ですでに調整ずみの問題となっていたことのアウトラインはわかります。すなわち、「『辺野古移設反対』は言っても『埋め立て承認撤回』を公約に掲げない翁長氏の不可解さ」の問題は翁長氏ひとりだけの責任ではなく、知事選挙候補者選考委員会の側にもあったし、いまもあるということです。
 
そうだとすれば、その翁長氏の「『埋め立て承認撤回』を公約に掲げない」という主張を「調整」の段階で認めてしまった知事選挙候補者選考委員会の責任は、ある意味で翁長氏以上に重いといわなければならないでしょう。仲井真知事が辺野古の埋め立てを承認してしまった段階における「埋め立て承認撤回」の主張はイコール「辺野古移設反対」の主張そのものにならざるをえないことは翁長氏以上に構成メンバーに革新政党の多い知事選挙候補者選考委員会の側がこれまでの経験からより知悉しているはずだからです。にもかかわらず、翁長氏の「『埋め立て承認撤回』を公約に掲げない」という主張を「調整」の段階で認めてしまった革新側の責任――。その責任をまっとうするためにも知事選挙候補者選考委員会はいま改めて翁長氏に対して「埋め立て承認撤回」を公約に掲げるよう強く説得する責任と義務を負っているというべきです。
 
ところで翁長氏は先の出馬記者会見でも「埋め立て承認撤回」とまでは言明しないものの「埋め立て承認撤回」に近いかなりぎりぎりのところまで踏み込んだ次のような発言(要旨)をしています。
 
・(朝日新聞記者の質問に応えて)新辺野古基地、絶対反対。残念ながら仲井真知事が公約を破棄して埋立承認した。県民はぜひ止めてほしいと思っているだろう。まず選挙に勝ってそれからみんなで力を合わせて取り消し撤回のあり方をつくっていきたい。方法論は稲嶺市長と同じ考え方の中で対処していきたい。(引用者注:市長と県知事では持っている権限に大きな違いがあります。したがって「稲嶺市長と同じ考え方の中で」と言うのはその権限の違いを無視した発言のように思います。問題あり、といえるでしょう。)
 
・(琉球新報記者の質問に応えて)仲井真さんの埋立承認のやり方は沖縄でまとまっている建白書から離れている。辺野古は作らせないと言う部分は壇上に上がっている人々の間でがっちりまとまっている。やり方は一緒にやれるように頑張る。やり方は私の一存でこうする、ああするとはいまいえない。(引用者注:この発言は沖縄県政野党5団体の説得、同団体との今後の合意しだいでは「埋め立て承認撤回」の公約もありうると言っていることと同じというべきでしょう。)
 
・(共同通信記者の質問に応えて)保守と革新がいま気持ちよく契りを結んでやろうとしている。撤回取り消しは法律論争として難しい部分もある。オール沖縄で我が身を削ってでもやろうとする中、いま私が方法論を言うよりも「県民がそう望んでいるからそうしたい」と言うのが一番心を一つにできる表現だ。(引用者注:同上)
 
・(時事通信記者の質問に応えて)法的な問題は弁護士からいろいろ勉強したがこれしかないというものではない。私たちが法律的に闘うと県に損害賠償が求められる可能性もある。経済振興も考えなければならないが沖縄の持っているソフトパワーも考え、撤回をどのように見ていくかは県民の考えも見て行かねばならない。絶対に変わらないのは、辺野古基地は絶対に作らせないという点だ。(引用者注:「法的な問題」については今月5日に那覇市内で行われたシンポジウムにおける「県知事の『埋め立て承認』の取り消しは法的に可能だ!」という三宅俊司弁護士の講演をご参照いただきたいと思います。)
 
「埋立承認撤回」の公約化までいま一歩のところというべきでしょう。現在(いま)の知事選挙候補者選考委員会の最大の課題は翁長氏に「埋立承認撤回」を公約させることができるかどうかという一点にかかっているように思います。
 
以下は、この「翁長氏の不可解さ」の問題については私とほぼ同様の認識だと思われる「私の沖縄日記―広島編」ブログの本日付けの記事のご紹介です。
 
翁長氏はなぜ辺野古「承認撤回」を言明しないのか
(「私の沖縄日記―広島編」2014/09/23)
 
5500人が辺野古の浜を埋めた「止めよう新基地建設!9・20県民大行動」。仲井真弘多知事の公約違反、安倍政権の暴力的強行に抗議し、なんとしても辺野古の海は守る、新基地は造らせないという熱気が、琉球新報の動画を見ていても伝わってきました。
 
知事選挙に立候補を表明している翁長雄志那覇市長もあいさつしました。翁長氏に対する集会参加者の期待の大きさが改めて示されました。
 
だからこそ、翁長氏のあいさつには、大きな疑問を抱かざるをえませんでした。
これほど「新基地建設阻止」を切望する大勢の集会参加者を前にしてもなお、翁長氏はついにこの日も、仲井真知事が行った埋め立て承認を「撤回する」とは言わなかったのです。
 
翁長氏は「埋め立てを絶対に阻止しよう」と言いながら、「今度の知事選挙は仲井真知事の承認に対する県民の初めての意思の判断と、公約破棄に対する判断です。しっかりと結果を出そうではありませんか」と述べるにとどまりました。
 
13日の「出馬表明会見」でも、新基地阻止の「具体的方策」を繰り返し質問されたのもかかわらず明言をさけ、ついに質問者に矛先を向ける態度を示しましたが、この日も具体策は口にしませんでした。
 
辺野古新基地阻止は、すでに抽象的スローガンや決意表明の段階ではありません。具体的方策こそが焦点です。
そしてその具体的方策とは、仲井真知事が行った公約違反の埋め立て承認を、「撤回」する以外にありません。そのことは、例えば今月5日に那覇市内で行われた弁護士らによるシンポジウムでも改めてはっきり確認されています。
 
仲井真知事の承認を撤回できるのは、新しい知事だけです。翁長氏が「断固阻止」というなら、なぜ「新知事として承認を撤回する」と集会参加者の前で約束できないのでしょうか。
 
集会参加者はその言明を待ち望んでいたのではないでしょうか。支持組織の1つである日本共産党の赤嶺政賢党県委員長(衆院議員)が、翁長氏に先立つあいさつで、「承認撤回のために翁長知事の誕生を」と述べたことにもそれは表れていました。
 
翁長氏は知事選が仲井真知事の公約違反の承認に対する「初めての意思の判断」だといいますが、そうでしょうか。承認後の県紙による世論調査では8割以上の県民が公約違反の承認を批判し、新基地建設に反対しています。稲嶺市長再選をかちとった名護市長選、先日の名護市議選をみても県民の意思はすでに明白ではないでしょうか。
 
翁長氏は13日の「会見」で、「(保革は)腹八分、腹六分」でつながっているとし、そのまとまりを崩したくないと明確な答弁を避けました。「承認撤回」を言明することが「保革のまとまり」を崩すことになるというのなら、「保守」が「撤回」に難色を示していることになります。そうであるなら、今も「根っからの保守」を自認する翁長氏は今後どうするつもりなのでしょうか。
 
「新基地建設絶対阻止」というなら、「承認撤回」を言明できない理由はないはずです。
 
近く発表する「選挙政策」で、翁長氏は「承認撤回」をはっきり公約に明記すべきです。
『辺野古移設反対』は言っても『埋め立て承認撤回』を公約に掲げない翁長氏の不可解さ」について経済評論家、経済学者の植草一秀氏も自身のブログに「埋立承認撤回提唱喜納昌吉氏を岡田克也が攻撃へ」(2014年9月18日付)、「埋立承認撤回公約拒絶翁長雄志氏支持急落へ」(2014年9月20日付)という論を掲載し、「9月13日に記者会見を行い、知事選への出馬表明した翁長雄志氏は、会見で『埋立申請承認撤回の公約化」を拒絶した』(20日付)。翁長氏が『埋立申請承認撤回』を拒絶するなら、翁長氏の辺野古基地建設阻止は『フェイク』であると言わざるを得なくなる」(18日付)と保革共同の翁長氏擁立陣営に厳しい警告を発しています。
 
私は結論として前回の県知事選時に「米軍普天間飛行場の辺野古移設を決めた日米合意を『尊重する』」(「琉球新報」2010年10月22日)などと放言していた民主党沖縄県連が擁立を決定した喜納昌吉氏を県知事選候補者としてもっともふさわしいかのような植草氏の論には到底承服できませんが、そこで展開している植草氏の論の「核心」部分は正論であると思います。
 
「翁長氏が、本当に基地建設を阻止しようとしているなら、『埋立申請承認撤回』を公約に盛り込む必要がある。『埋立申請承認撤回』こそ、辺野古基地建設を阻止するための、実効性のある唯一の手段であるからだ。『埋立申請承認を撤回』しても、国は訴訟に持ち込むと考えられるから、それでも基地建設阻止の道のりは険しい。しかし、ここに一歩踏み出さなければ、基地建設は強行される。基地建設を止める第一歩が『埋立申請承認撤回』であり、辺野古基地建設阻止を目指すことの『証し』は、『埋立申請承認撤回』である。9月13日に記者会見を行い、知事選への出馬表明した翁長雄志氏は、会見で『埋立申請承認撤回の公約化』を拒絶した翁長氏が『埋立申請承認撤回』を拒絶するなら、翁長氏の辺野古基地建設阻止は『フェイク』(引用者注:まやかし)であると言わざるを得なくなる。翁長氏は、辺野古基地建設阻止を明示するなら、『埋立申請承認撤回』を公約に掲げるべきである。翁長氏がこれを最終的に拒絶する場合、辺野古基地建設阻止を求める沖縄県民は、まがいものでない、本物の辺野古基地建設阻止候補を擁立しなければならない。」(2014年9月18日付
 
「9月13日に記者会見を行い、知事選への出馬表明した翁長雄志氏は、会見で『埋立申請承認撤回の公約化』を拒絶した。辺野古米軍基地建設阻止を求める市民および政党、政治団体は、辺野古米軍基地建設阻止を目指す統一候補として翁長氏を支援、支持する方針を示してきたが、この図式がいま、根底から崩壊する瀬戸際に立たされている。(略)『辺野古米軍基地建設阻止を唱えることと、埋立申請承認撤回は同義である』これが問題の核心である。翁長氏は現時点で埋立申請承認撤回を確約していない。つまり、翁長氏は『隠れ辺野古基地容認派』と見なさざるを得ない。」(2014年9月20日付
 
今回の保革共同の翁長氏擁立問題に関する私の懸念を再々度繰り返します。
 
「次期沖縄県知事選の告示は10月30日です。それまでにまだ1か月余りあります。翁長現那覇市長を同知事選候補者に推薦した諸団体(特に革新諸団体)は「埋め立て承認撤回」を同県知事選の公約に掲げるよういま全力をあげて翁長氏を説得すべきではないでしょうか(私は翁長氏の保守としての持論の「日米安保体制の必要性」を否定せよと言っているのではありません)。さもないといかに保革の大同団結とはいえ「いつかきた道」をもう一度繰り返すということにもなりかねません」。
関西の在特会と自民党のレイシスト・政治家たち(高市早苗(写真記事)、稲田朋美(同左)、山谷えり子(同左)、安倍晋三(同左)・・・)の裏盃(やくざ世界の 表立って盃を交わさない裏の盃事。ただし、フィクションの世界での話)の実態が次々とスクープされていますが、芸能界においてもレイシズム問題に関連して「やしきたかじんの隠された出自」の話があります。以下、ZED氏のブログから。ゴシップ記事の範疇ですが、レイシズム排撃論の一情報として知らないよりは知っておいた方がよいと思います。
 
ある「模範的名誉日本人」の明かされた出自(ZED 2014年09月09日)
 
お話にならない極右番組で世に害毒を垂れ流し続けたやしきたかじんだったが、死後の今になって実は在日だったという事が明かされたという。これは筆者も初めて知った。
 
http://www.daily.co.jp/opinion-d/2014/09/08/0007312441.shtml
やしきたかじんさんの隠された出自とは
 
上記記事はたかじんの事を「カリスマ」扱いして「こんなにたかじんさんは苦労した」みたいな書き方をしているが、この著者の角岡伸彦とやらは何を言っているのか?
 
はっきり言わせてもらうが、たかじんが同胞だというのがもし事実だとすれば、筆者はなおさらたかじんという男を絶対に許せない。この男の極右番組では「従軍慰安婦は捏造」と主張していたのではなかったのか? 朝鮮高校無償化問題でも筆舌に尽くし難い酷い事をさんざん垂れ流してきたのではなかったか? 北朝鮮問題でも石丸次郎高英起らのゴロツキどもを呼んでは「北朝鮮の脅威」を煽り立てていたではないか? 自分の出自を徹底的に隠した上で「日本人として」同胞に危害を加えるような事を言いまくったのだから、これほど卑劣な奴はいない。たかじんから目をかけられて番組にしょっちゅう出してもらっていた高英起は、この事を知っていたのか? まあ、知っていてもお互いに共犯関係にある以上言うはずもないだろうが。片や在日である事を公表して、片やその事を徹底して隠した「日本人」として、見事なコンビネーション&チームプレイの役割分担を(知っていたかどうかを問わず結果的に)してきたという訳だから。たかじんの素性が割れたというのは、同時にお仲間である高英起(及びたかじんに取り立てられた事のある他の在日も全て)という男が従来思われてきた以上に悪逆である事を証明してくれた事でもある。
 
上記記事で角岡はあれこれ言っているが、しょせんやしきたかじんなどという輩は同胞を売って自分の栄達だけを追い求めた卑劣漢の民族反逆者でしかない。模範的親日派である。それも最低の。身も心もすっかり日本人に同化して、右翼日本人に媚びへつらい続けたのがこの男の人生歴程と担当番組だったのだ。以前から酷過ぎる番組だったが、この事を知ってからはなおさら反吐が出る。
 
たかじんが橋下徹をあれだけ持ち上げてきたのは、要するに同じような立場だったからという事だろう。同胞に不利益をもたらすような言動を平然と行って、それで自分の私利私欲ばかりを追求し、社会に害悪を垂れ流す。
 
「それ(出自)をバネにして彼は歌手として頑張った」などと角岡は言うが、笑わせてはいけない。この男は後にヒットが出ず歌手として完全に行き詰まり、結局は日本人に媚びへつらい、同胞を売って食い物にする道へ進んだだけの事だ。たかじんが出自を必死に隠し続けたのは単に臆病だったからだろう。あれだけ同胞社会に害や不利益を及ぼす右翼芸人活動をやり続ければ、いずれ同胞達から手痛い制裁や報復を受けるかもしれない。そういう恐怖感に圧迫されての事でしかないだろう。「おまえも朝鮮人のくせに!」と同胞から言われるのを何よりも恐れ、逃げ回った惨めな小心者の小悪党というのがやしきたかじんの本質である。
 
ただ一つ遺憾なのは、我々はこの男が生きている時に同胞として膺懲・制裁出来なかった事であろう。この男が生きている時に「おまえも朝鮮人のくせに! ふざけるな!」という罵倒をせめて突きつけてやりたかった。小心者らしくこそこそとあの世へ「勝ち逃げ」された事だけは、返す返すも腹立たしく口惜しい。死後とあってはいささか遅すぎる感もするが、せめて今後ともこの親日民族反逆者への徹底した批判を続けていかねばならないだろう。
『辺野古移設反対』は言っても『埋め立て承認撤回』を公約に掲げない翁長氏の不可解さ」は、民主党沖縄県連が「辺野古埋め立て承認の『撤回』を翁長氏側が受諾しなかった」ことを理由にして県知事選に喜納昌吉氏を擁立する口実にもなっています。

民主党県連(喜納昌吉代表)は16日、常任幹事会を開き、11月16日投開票の知事選に、独自候補として喜納代表を擁立することを決めた。県連所属の那覇市議は翁長雄志那覇市長への出馬要請に加わっていたが、県連が擁立の条件とする名護市辺野古の埋め立て承認の「撤回」を翁長氏側が受諾しなかったため、支援できないと判断した。(「沖縄タイムス」2014年9月17日

民主党沖縄県連が擁立を決定したという喜納昌吉氏(民主党県連代表)は前回の沖縄県知事選の際に「米軍普天間飛行場の辺野古移設を決めた日米合意を『尊重する』」と理不尽きわまることを公言していた人物です。

21日に民主党の岡田克也幹事長と会談した喜納昌吉県連代表は、米軍普天間飛行場の辺野古移設を決めた日米合意を「尊重する」として、県知事選の独自候補擁立に向けた党本部への譲歩案を提示した。喜納氏らは「『尊重』の部分より、辺野古移設の『レビュー(再検討)』を党本部に認めさせることが真意だ」と理解を求めるが、地元を置き去りにした一部だけの秘密交渉で、政策見直しを推し進めた。日米合意の見直しを求める県議会の全会一致の決議など、県内移設反対が大勢を占める県民世論との溝は大きい。(「琉球新報」2010年10月22日

翁長氏はそういう人からさえ「辺野古埋め立て承認の『撤回』を翁長氏側が受諾しなかった」と批判されているのです。そして、自身の県知事選出馬のための格好の口実にもされているのです。「辺野古移設反対」を公約にする翁長陣営にとって恥ずかしい限りの事態といわなければならないでしょう。
 
翁長氏擁立を決めた保守・革新諸党派は「『辺野古移設反対』は言っても『埋め立て承認撤回』を公約に掲げない翁長氏」の問題をこのまま不問に付してしまうことはできないでしょう。このまま放置しておけば翁長氏への不信は拡がるばかりです。この翁長氏への不信はもちろん県知事選の投票の行方自体にも大きな影響を与えかねませんが、当選した際のその後の翁長氏の県政運営にも大きな障害ともならざるをえないでしょう。なによりも「辺野古移設反対」に関する沖縄県民の拭いきれない不安材料ともなりかねません。
 
昨日述べたことの繰り返しになりますが、「次期沖縄県知事選の告示は10月30日です。それまでにまだ1か月余りあります。翁長現那覇市長を同知事選候補者に推薦した諸団体(特に革新諸団体)は「埋め立て承認撤回」を同県知事選の公約に掲げるよういま全力をあげて翁長氏を説得すべきではないでしょうか(私は翁長氏の保守としての持論の「日米安保体制の必要性」を否定せよと言っているのではありません)。さもないといかに保革の大同団結とはいえ「いつかきた道」をもう一度繰り返すということにもなりかねません」。そういうことになってよいはずがありません。

再度、私の強い懸念を繰り返しておきます。

ポール・クルーグマンプリンストン大学教授(ノーベル賞経済学者)の「日本経済は消費税10%で完全に終わる」という安倍・アベノミクス批判の論攷を海外の経済学者からの安倍アベノミクス批判として本エントリ(資料)のひとつとしておきたいと思います。ただし、私は、ポール・クルーグマン教授の経済的見解はともかくとしてその政治的見解に完全に同意しているわけではありません。
 
ノーベル賞経済学者クルーグマン
現在61歳。その言動は世界のマーケットを動かすともいわれる
〔PHOTO〕gettyimages

要旨(強調、リンクは引用者。以下、同じ):
私はこれまで安倍晋三政権によるアベノミクスを支持してきました。金融と財政の両面から経済を刺激するというアベノミクスの戦略は、これまでどこの先進国も実行したことがない「経済実験」でした。これを批判的に見る専門家もたくさんいましたが、私は必ず奏功すると主張してきました。実際、アベノミクスが実行に移されてから、株価も上昇し、景気も回復基調に入ろうとしていました。しかし、私はここへきて、安倍政権の経済政策に懐疑心を持ち始めています。というのも、安倍政権はこの4月に消費税を5%から8%に増税し、さらに来年にはこれを10%に増税することすら示唆しているからです。消費増税は、日本経済にとっていま最もやってはいけない政策です。今年4月の増税が決定するまで、私は日本経済は多くのことがうまくいっていると楽観的に見てきましたが、状況が完全に変わってしまったのです。すでに消費増税という「自己破壊的な政策」を実行に移したことで、日本経済は勢いを失い始めています。このままいけば、最悪の場合、日本がデフレ時代に逆戻りするかもしれない。そんな悪夢のシナリオが現実となる可能性が出てきました。さらに、いま世界を見渡すと、先進各国の経済に多大な打撃を与える「危機の芽」が生まれる土壌ができつつあります。詳しいことは後でお話ししますが、日本がその大打撃から逃れられる保証はありません。最悪の場合、世界の危機が日本経済を壊滅的に破壊する可能性すらあるのです。安倍政権は、本当に「しでかしてしまった」というのが私の印象です。最もやってはいけない増税に手を付けたことで、日本経済はin suspense(はらはらしている状態)に陥ろうとしています。

全文
状況に応じて立場を変える御用学者たちとは違う。俗説に媚びることなく自説を主張し、未来を「的中」させてきた。その冷徹かつ一貫した視線は、いま、日本経済の重大な「変調」を見抜いていた。ポール・クルーグマン。'08年にノーベル経済学賞を受賞した経済学の泰斗。現在は米プリンストン大学教授を務め、その発言に各国の政府関係者からマーケット関係者までが注目する「世界のオピニオンリーダー」と称される。本誌の独占取材に応じたクルーグマン氏は、「日本経済は消費税10%で完全に終わってしまう」と語った。
 
とんでもない愚策
 
私はこれまで安倍晋三政権によるアベノミクスを支持してきました。金融と財政の両面から経済を刺激するというアベノミクスの戦略は、これまでどこの先進国も実行したことがない「経済実験」でした。これを批判的に見る専門家もたくさんいましたが、私は必ず奏功すると主張してきました。
 
実際、アベノミクスが実行に移されてから、株価も上昇し、景気も回復基調に入ろうとしていました。しかし、私はここへきて、安倍政権の経済政策に懐疑心を持ち始めています。
 
というのも、安倍政権はこの4月に消費税を5%から8%に増税し、さらに来年にはこれを10%に増税することすら示唆しているからです。
 
消費増税は、日本経済にとっていま最もやってはいけない政策です。今年4月の増税が決定するまで、私は日本経済は多くのことがうまくいっていると楽観的に見てきましたが、状況が完全に変わってしまったのです。
 
すでに消費増税という「自己破壊的な政策」を実行に移したことで、日本経済は勢いを失い始めています。このままいけば、最悪の場合、日本がデフレ時代に逆戻りするかもしれない。そんな悪夢のシナリオが現実となる可能性が出てきました。
 
さらに、いま世界を見渡すと、先進各国の経済に多大な打撃を与える「危機の芽」が生まれる土壌ができつつあります。詳しいことは後でお話ししますが、日本がその大打撃から逃れられる保証はありません。最悪の場合、世界の危機が日本経済を壊滅的に破壊する可能性すらあるのです。
 
安倍政権は、本当に「しでかしてしまった」というのが私の印象です。最もやってはいけない増税に手を付けたことで、日本経済はin suspense(はらはらしている状態)に陥ろうとしています。
 
なぜ安倍総理はこんなとんでもない政策に手を付けてしまったのかと考えると、「間違った人々」の声に耳を傾けてしまったのでしょう。離陸するには時速300マイルが必要な時に、「それはちょっと速すぎるから時速200マイルで行こう」と吹き込む人がいたのです。しかし、中途半端な速度で離陸しようとすれば、飛行機がクラッシュしてしまうことは目に見えています。
 
実は日本の経済政策の歴史を振り返ると、経済が少しうまくいきだすと、すぐに逆戻りするような愚策に転向する傾向が見受けられます。
 
'90年代を思い出してください。バブル崩壊から立ち直りかけていたところで、財政再建を旗印に掲げて、日本の指導者は消費増税に舵を切りました。これで上向いていた経済は一気に失速し、日本はデフレ経済に突入していったのです。安倍政権がやっているのが当時と同じことだといえば、事の重大性をおわかり頂けるでしょう。
 
追い打ちをかけるように、いま日本では消費税をさらに10%に上げるような話が議論されています。そんなものは、当然やるべきでない政策です。もし安倍政権がゴーサインを出せば、これまでやってきたすべての努力が水泡に帰するでしょう。日本経済はデフレ不況に逆戻りし、そこから再び浮上するのはほとんど不可能なほどの惨状となるのです。
 
消費税は5%に戻せ
 
では、この危機を脱するにはどうすればいいのか。
 
答えは簡単です。日本国民の多くが、これからは給料も上がるし、物価も上がるのでいまのうちにもっとおカネを使おう、という気分になれる政策を打つだけでいいのです。国民がそう思うだけで、経済はずっとよくなります。
 
そのために最も手早く効果的な政策をお教えしましょう。それは、増税した消費税を一時的にカット(減税)することです。つまり、安倍総理が増税したことは気の迷いだったと一笑に付して、元の税率に戻せばいいだけです。
 
加えて、財政面、金融面での追加的な刺激策もとるべきでしょう。黒田東彦・日本銀行総裁は、「日本経済が復活するためには、日銀はどんな手でも打つ」という決意を、繰り返し、繰り返し表明するのです。
 
経済を変えるには、劇的なことをしなければいけません。それによって国民の期待感が膨れ上がれば、それだけで経済は一気に復活するものなのです。国民の期待感が高まれば、期待インフレ率が上昇して—つまりは、実質金利が下がって—、日本の財政事情もはるかに持続可能な状況になります。
 
安倍政権には、ここ数ヵ月の間におかしてしまった失政を笑い飛ばして、元のアベノミクス路線に戻ると宣言する勇気が求められているわけです。
 
続けて、日本経済のリスクを分析するために、日本の三大貿易相手国である米国、中国、韓国経済の現状について見ていきましょう。
 
3国の中で最も安心なのが、韓国経済です。いまだ堅調を維持していますが、家計の借金が著しく大きいという問題も抱えています。しかも住宅のための借金ではなく、教育のための莫大な借金を抱えているのが特徴です。家計の借金の多さという点では、西欧諸国に似ているといえるでしょう。
 
次に米国は、さし当たりは勢いを取り戻しているというのが実情です。しかし、この回復が十分ではなく、あまり長く続かないリスクがあります。というのも、米国ではFRB(米連邦準備理事会)のイエレン議長が早期の利上げに踏み切るのではないかという憶測が流れていますが、これは危険な一手です。米国の労働者の賃金が大幅に上昇する前に、イエレン議長が利上げに動けば、米国経済は再び失速してしまいます。
 
要するに韓国、米国経済は力強い成長が期待できるわけではないのですが、一方の中国についてはそれどころではない、大失速の可能性すらあります
 
現在の中国経済について見ると—これはほとんどのアナリストがすでに指摘していることですが—、「これまで歩んできた道の終わり」に突入しようとしています。
 
余剰労働人員が枯渇する中で、投資が持続不可能なレベルに達しています。消費者需要も非常に弱く、少なくともGDPの20%は消費に再配分されなければならないのに、どうしたらそれができるのかを誰もわかっていません。
 
中国経済がいままでと同じような成長を継続することはできません。中国経済は、まさにこれから非常に困難な不況期に直面することはほぼ間違いないのです。
 
さらに、現在の中国の経済は'80年代の日本よりもっと極端な投資バブル状況にあり、金融危機が生じる可能性が非常に高い。実際、中国では企業も地方自治体もすでに返済能力を超えた債務を抱えています。そのため、最悪の場合、これ以上の貸付は継続できないという状態に陥る危険性があります。
 
そうなれば、投資が一気に冷え込んでしまい、それが不況を引き起こし、さらに不良債権が雪だるま式に膨らんで……という最悪の悪循環が始まる可能性があります。バブル崩壊が始まれば、中国経済は日本で起きたことよりももっとひどい惨状になるでしょう。中国経済が崩壊すれば、日本経済への悪影響は計り知れません
 
戦争リスクに備えよ
 
さらに言えば、より大きな中国リスク—つまりは、中国が「戦争」に踏み出す危険性についても考えておく必要があります。中国が戦争を始めれば、もちろん「隣国」の日本は他人事ではすまされません。よもや、日中戦争ということになれば……。
 
想像もしたくないことでしょうが、「戦争と経済」という観点で現在の世界情勢を思慮深く眺めると、こうした悪夢のシナリオすら浮かび上がってくるので、無視できる話ではありません。少し遠回りになりますが、「なぜ近代国家が戦争を続けるのか」についてお話ししましょう。
 
まず押さえておかなければいけないのは、近代国家による戦争というのは、経済的には割に合わないという事実です。
 
産業革命以前の戦争というのは、国家が利益を得るために行われていました。たとえばローマが小アジアを侵略し、スペインがペルーを侵略したのは、金や銀が狙いだったからです。
 
しかし、時代は変わりました。近代国家による戦争は、戦勝国であってもペイしません。国家同士が緊密に結びつく時代にあっては、戦争となれば必然的に戦勝国でも深刻な経済的打撃をこうむってしまうのです。
 
しかも、近代戦は高くつく。たとえばイラク戦争の最終的な費用は、どう低く見積もっても1兆ドルを優に上回っていました。要するに、戦争によって国家は豊かになれません。
 
それなのに、なぜ近代国家の指導者たちは戦争に走るのでしょうか。
 
今年は第一次世界大戦から100年の年にあたります。戦争というものが、誰もが望まない惨劇であることは言うまでもありませんが、この100年間、いまも世界各地で戦争が起こり続けています。
 
現在も、ウクライナで危機が勃発しており、世界中から注目を集めています。ウクライナに介入するロシアのプーチン大統領の行動を見ていると、自分の手で冷戦時代を「再来」させようとしているようにも映ります。今後の情勢は予断を許さず、全面戦争の可能性すら捨てきれません。
 
では、プーチン大統領が「軍事的な冒険」に走っているのはなぜか。その背景には、ロシア経済の不調があります。
 
現在のロシア経済には、'00年代前半から年平均7%ほどで成長していた頃—初期のプーチン政権時代—の勢いはまったく感じられません。石油輸出に依存する経済モデルの限界が露見してきたのです。
 
一方で、プーチン大統領が長く権力者として君臨しているのは、急速な経済成長を達成できたことが一因にありました。ロシア経済が失速するとなれば、その権力基盤が揺るぎかねない事態となるわけです。
 
つまり、プーチン大統領は国民の注意をそらす必要がありました。ロシアの介入の本当の目的は、プーチン大統領が自分の政治的なポジションを守ることにあったのではないでしょうか。
 
ロシアの例に見て取れるだけではなく、政治的に得をするために国家の指導者が戦争に走るという例は、非常に多く見受けられます。
 
1982年のアルゼンチンによるフォークランド諸島への侵攻も、当時の軍事政権が経済危機から国民の目を逸らせようとしたことが一因だったとの分析があります。実際、フォークランド紛争に突入すると、軍事政権の人気は一時的に急上昇しました。
 
米国のブッシュ前大統領が「対テロ戦争」を始めた時を思い出しても、大統領の支持率は目もくらむような高さに押し上げられました。そして、プーチン大統領の支持率は、ウクライナ危機以来、上昇している。どんなばかげた戦争をする悪い指導者であっても、常に支持率は上がるものなのです。
 
「日中開戦」という悪夢
 
国家の指導者が経済的な実績を示せなくなった時、武力を利用して権威を回復しようとする—その仮説が正しいとすれば、「次のロシア」として中国が浮上してくるのは当然の流れとなります。
 
というのも、中国経済の現状は、先ほど見たように危機的な状況にあります。加えて、中国とロシアの共通点はもう一つあります。それは政府が深い正当性を欠いた独裁政権となっていることです。
 
そして、中国ではすでに労働者たちのプロテスト(抗議)が始まっています。中国の指導者が支持率を気にするのであれば、今後は、Pick a fight over some islands in the Pacific(太平洋の島々にちょっかいを出す)のではないでしょうか。国民を再結集させるために、太平洋地域で小さな戦争を作り出そうとするわけです。
 
実際、すでに中国の指導者は国際的な紛争を誘発しようとしています。彼らは小規模な紛争を演出して、それをネタに使おうとしています。しかし彼らが小さな戦争で終わらせようとしても、それが「小さい状態」では終わらない可能性も十分に考えられます。
 
そうなった時の経済的打撃は計り知れないものがあります。仮に日中戦争という事態になれば—中国の指導者はそんな本格的な戦争は望んでいないでしょうが—両国経済に「超破壊的」なダメージを与えるでしょう。
 
日本と中国はともに輸出に依存した経済システムを構築しており、両国は互いに市場であり、調達先として依存しあってもいる。それが戦争となれば、市場も調達先も失うことになるわけですから、「超破壊的」となるわけです。ヨーロッパ諸国が1914年に戦争をした時ですら、相互依存が強すぎたので、各国がひどく破壊的な打撃をこうむっているのです。
 
私が最初にお話しした、世界の「危機の芽」というのは、こうした先進各国による戦争のリスクのことなのです。そのリスクから、日本も逃れることはできないし、よもやそうなった時の経済的打撃は想像もできません。
 
そうした意味でも、いま消費増税をして、日本経済を弱体化させている場合ではありません。日本経済にとって、消費増税は戦争と同じようにペイしない愚行だということを、安倍総理は肝に銘じたほうがいいでしょう。
「週刊現代」2014年9月13日号より

次期沖縄県知事選は10月30日告示、11月16日投票。差し迫った沖縄県知事選を前にして下記の「地元紙で識るオキナワ」ブログと「私の沖縄日記―広島編」ブログの主張はきわめて重要な問題提起だと私は思います。以下、「地元紙で識るオキナワ」ブログの問題提起と「私の沖縄日記―広島編」ブログの問題提起をそれぞれ転載します。
 
最後に翁長那覇市長の出馬表明・記者会見の模様(全収録)と「県知事の『埋め立て承認』取り消しは法的に可能だ!」とする三宅俊司弁護士の見解及び「次期沖縄知事は『辺野古埋め立て承認を撤回』する人でなければいけない:市民団体、野党の知事選候補者選考委員会に要望」というピース・フィロソフィ
ーの記事(URL)も附記しておきます。
 
次期沖縄県知事選の告示は10月30日です。それまでにまだ1か月余りあります。翁長現那覇市長を同知事選候補者に推薦した諸団体(特に革新諸団体)は「埋め立て承認撤回」を同県知事選の公約に掲げるよういま全力をあげて翁長氏を説得すべきではないでしょうか。さもないといかに大同団結とはいえ「いつかきた道」をもう一度繰り返すということにもなりかねません。私はそれを強く懸念します。「『辺野古移設反対』は言っても『埋め立て承認撤回』を公約に掲げない翁長氏の」姿勢は『不可解』」という「地元紙で識るオキナワ」ブログ主宰者の懸念に私は強く共感します。
 
 
本人の理由:「私は公約を守ります 公約を簡単にひっくり返すあの人と一緒にしないでください だからできないことは公約に掲げません」
支持者たちがこのことに触れない理由:「あまりそのことを言うと敵陣営を利することになります 現時点で翁長氏以上の人がいないから仕方ないじゃないですか とにかく今は仲井真再選を阻止しなければならないのです」
 
まあこんなところじゃないでしょうか
でもそんなことで動いているとすればその先は見えています
 
多分選挙は翁長氏が勝つでしょう だれかみたいに簡単に政府に取り込まれることはないにしても、大した成果を上げぬまま辺野古の工事は進んでいくことでしょう 抵抗は試みたのですがと言いながら・・・
 
こんな結末でいいのでしょうか
ベストは尽くしたけど辺野古に基地はつくられてしまった でも私は県民に寄り添い決して裏切らなかった・・・
こんな言い訳聞きたくもないし こんなことになるために今応援しているのではありません
 
ではどうしたらいいのか
 
知事として切れるカードは多くありません
とりあえず「知事になったら真っ先に『埋め立て承認の撤回』を約束させてほしい」
「そのことを一日も早く選挙公約に明言し、有権者の迷いを払しょくしてほしい」
 
今求められる新知事像は、政府と刺し違える覚悟を持った功名心のないブレない人物です
 
【ぜひ読んでほしいオススめブログ】

沖縄県知事選「翁長出馬会見」の驚愕

(私の沖縄日記―広島編 2014/09/15)
 
11月の沖縄県知事選挙に「保革相乗り」で立候補する翁長雄志那覇市長の「出馬表明記者会見」が13日、那覇市民会館でありました。
 
そのもようを琉球新報HPの動画で見て、ショックを受けました。(写真右は琉球新報の動画から。左は4年前仲井真知事=右の選対本部長を務めた時の翁長氏)
 
出馬表明にあたって翁長氏が明らかにした基本姿勢には、重大な問題が数多く含まれていました。これについては、次回述べます。
ここでは、13日の「記者会見」のあり方、その模様の異常さについて書きます。
 
まったく異例・異様な「記者会見」でした。
それは、写真のように壇上に後援者がひしめき、会場いっぱいの千数百人の支持者が入った大きなホールで行われました。記者たちの席は舞台下、会場の最前列です。
 
異例なのは会場の規模や配置だけではありません。場内は翁長氏の一言一句に対し、熱狂的な支持者による拍手と声援、指笛に終始包まれました。
それは、記者会見を支持者らが傍聴したというより、支持者の決起集会に記者たちがはめ込まれた、と言った方がいい光景でした。
 
こうした雰囲気の中で翁長氏にとって不都合な質問をするのは、勇気のいることです。しかし記者たちは粘り強く質問しました。
とくに、翁長氏が「辺野古の新基地は絶対造らせない」といいながら、その具体的な方法を言おうとしないことに対し、各社の記者から繰り返し質問が出たのは当然です。なぜなら、埋め立て承認の撤回ないし取消を行うのかどうかが、「辺野古新基地反対」の眼目であり、新知事に最も求められることだからです。
 
しかし翁長氏は、「保革相乗り」を盾に、頑として言明を避けました。この翁長氏の対応は、私には想定内のことでした。
私が唖然としたのは、こうした記者の質問に対し、あろうことか会場の支持者から、「そうだ」「そんなことはない」「いつまで同じ質問をするんだ」などのヤジと拍手・指笛が飛びかったことです。
 
そしてそのヤジは、ある記者の質問でピークに達しました。記者は「辺野古反対といいながら、結局政府に押し切られた、という形にならないか」と聞いたのです。実に的を射た質問です。
ところがこれに対し質問の途中から大きな怒声のヤジが何度も飛ばされ、翁長氏はそれに乗じるように、「普通の人がそういう質問をすると大変失礼なことになる」と、暗に記者を罵倒したのです。
 
この光景に背筋が寒くなる思いがしました。これは翁長氏と会場の支持者が一体になった記者への圧力であり、質問封じではないのか。
痛いところを突かれた質問を、こうして翁長氏と会場が一体になって封じ込めるなど、民主主義社会では絶対にあってはならないことです。
 
そもそもこういう異例・異様な「記者会見」にしたこと自体に疑問を禁じえませんが、その懸念がはっきり表れた光景でした。
 
会場にはいわゆる「革新」といわれる政党やその支持者、「反基地」でたたかっている人たちが多数いたはずです。その人たちはこの光景をどう受け止めたのでしょうか。
熱狂的空気の中で、「翁長擁立」で「がんばろう」と拳をあげた人たちは、この異様な「記者会見」に何も感じなかったのでしょうか。
 
もしもそうだとするなら、私は沖縄の「民主主義」に大きな疑問を抱かざるを得ません
 
今後随時、沖縄県知事選について書いていきます。本土のみなさんが、自分の問題として一緒に考えていっていただければうれしいです。
 

附記:
報道
県知事選 翁長氏が出馬表明 「辺野古は断固反対」(琉球新報 2014年9月14日)*翁長氏の出馬表明・記者会見ビデオ(全収録)付
県知事選 翁長那覇市長が正式に出馬表明 (琉球朝日放送 2014年9月13日)
ブログ
県知事の「埋め立て承認」の取り消しは法的に可能だ!(三宅俊司弁護士 IWJ 2014/09/05 )
以下、内藤正典さん(同志社大学大学院教授/中東・国際関係)のJST(日本標準時間)2014年9月13日から15日にかけてのTwitter発言。中東情勢に関する私にとっての新しい知見として勉強しています。
 
1.ドイツのヘイトスピーチについて
2.イスラーム国を「殲滅」するというオバマ大統領やキャメロン首相の発言の愚かしさについて
3.日本のジャーナリズムの一つの欠点について
 
1.ドイツのヘイトスピーチについて
 
これ(引用者注:ドイツ:国内でのイスラム国全活動を禁止 刑事罰の対象に)は危険な措置。ドイツはこうなる以前、9.11以来、イスラーム・フォビアによるヘイトスピーチを禁止しておらず、レイシズムを禁じながら露骨な侮蔑を黙認している。その延長線上にイスラーム国の抑圧をしたと取られることは間違いない。ドイツはイスラーム国の旗も禁止したが、これは大きな失策。イスラーム国の旗に描かれているのは「アッラー以外に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり」という信仰告白の言葉。これを禁じるのは愚挙。サウジアラビアの国旗を見よ。同じ言葉に剣である。これも禁じるか? 今から十数年前、ケルンにもベルリンにも「カリフ国」の旗は掲揚されていた。この時は、トルコ系の組織で、トルコ政府は親玉の送還を求めたが、長らく、ドイツ政府はトルコが信教の自由を認めない抑圧国家だとして拒んだ。自称シェイヒュルイスラームの息子の代になってようやく送還した。何を今更。私はイスラーム国に何のシンパシーも感じないが、欧米諸国のダブルスタンダードには辟易させられる。彼らのこの態度が、結果として穏健なムスリムを疎外し追い詰め、西欧に敵対的なジハーディストを生み出してきたことになぜ気づかないのだ? 断言してもいいが、ドイツの一般市民のイスラーム理解は無知と偏見に満ちたものでしかない。ドイツ在住のムスリムは300万に達するが、これまで、ご都合主義の宗教間対話はやってきたものの、ムスリムのものの考え方を学ぼうなどという姿勢は皆無と言ってよかった。
 
メルケルキリスト教民主同盟キリスト教社会同盟政権になってから、さらに悪化し、露骨なヘイトスピーチにも何らの対策も取らなかった。その根拠は、イスラーム自体が民主主義に反するという強固な偏見にあったことは疑問の余地なし。前にも書いたが、2009年、ドレスデンでスカーフを被っていたエジプト人女性を罵った男性を女性が訴えた裁判で、法廷内で被告が原告の女性を18回に渡って刺し、殺害した事件があった。その事を報じたドイツのメディアのほとんどは、これをムスリムに対するヘイトクライムとみなさなかったのである。20年以上もベルリン市の外国人問題のオンブズパースンを勤めたバルバラ・ヨン氏は、彼女自身はキリスト教民主同盟の党員だったにもかかわらず、ほぼ唯一、この事件をムスリムに対するヘイトクライムでありレイシズムだと断じた。彼女は、キリスト教民主同盟から裏切り者扱いされたがひるまなかった。1992年、93年にドイツのメルンとゾリンゲンで、ネオナチの投げた火炎瓶でトルコ人一家が焼き殺された。当時、ドイツの良心と言われたヴァイツゼッカー大統領は、ドイツ人は過去を直視しなくてはならないと悲痛な演説で国民に訴えた。キリスト教民主同盟の首相ヘルムート・コールは憮然としていた。連立与党自由民主党のキンケル外相は涙ながらに近隣国に謝罪して回った。そのドイツの姿は、9.11以降変わった。変化は日本の右傾化と似ている面も少なくない。ドイツにとって普通の国になるとはナチズムの否定を過去の歴史に閉じ込め、今のドイツのヘイトクライムには目をつぶるかたちで現れた。流石にホロコーストの否定はしないが、脈々と受け継がれるドイツ民族主義は、公言してもレイシズムとされないイスラーム・フォビアに活路を見出したのである。
 
ドイツやフランスに住んでいる知識人やジャーナリストに散見されるが、西欧諸国を自由や人権、民主主義の先進国と思い込んで日本を批判する人々。彼らは往々にして、民主的であるはずのドイツ人やフランス人がイスラームに対してひどい偏見を抱いていることを見過ごす。日本に対する批判は日本人であるから、それほど的外れではない。だが、ドイツ社会やフランス社会の無知と偏見を刷り込まれて、彼らのムスリム批判に加担することになりがちである。国境の内に閉じこもり民族国家の幻想にひたることの愚かさを知るには、欧米諸国から発せられる支配的言説を逐一疑うという、およそ日本のアカデミアでも受け入れられない営為を続けなければならない。(強調、リンクは引用者。以下、同じ)
 
2.イスラーム国を「殲滅」するというオバマ大統領やキャメロン首相の発言の愚かしさについて
 
アメリカのような巨大な権力が、「さあ、殲滅しろ!」と叫ぶときは、眉唾だと思うべきだ。つい十年前に、同じことを世界に向かって咆えたじゃないか。「イラクは大量破壊兵器をもっている!イラクはアルカイダとつるんでる!」「だからイラクと戦争しなければならない!」で、それらはすべて嘘だった。こういう誤認のもとにとてつもない暴力が振るわれようとするときに、日本が主体的な判断で自衛隊を動かすことなど、到底できないと私は考える。だが、もし政権が目をつぶって米国に追随するなら、日本はこれまで犯さなかったとんでもない失策を中東・イスラーム世界に対して演じることになろう。事態を煽るのではなく、ローマ教皇の「第三次世界大戦」発言の深い懸念は、共有すべきものだと思う。ローマ教皇の「第三次世界大戦」発言の深い懸念。ここに書き連ねたことは、ベルリンのクロイツベルクやパリのバンリュウや西アムステルダムを、うろうろ歩き回り、ひざを交えてムスリム移民たちと話してきた20年からみえた事である。FUにもソルボンヌにもアムステルダム自由大学にも縁はない。EHESSにちょっと気の合う奴がいるだけ。実際、ヤズィーディやキリスト教徒をイスラーム国が虐殺したのであれば、イスラーム国も殲滅されればよいのである。イスラーム法上も非ムスリムだからといってそのような暴力的な扱いを認めていない。ヤズィーディを性的奴隷にしたのであれば、イスラーム国の戦士は処刑されなければならない。だが、現状では独立した証拠がでていない。アムネスティの報告はおぞましい行為について詳細に書かれているがほとんど伝聞情報である。事実を早急に明らかにすべき。それなしに、武力行使は容認すべきでないし、きわめて危険な行動である。
 
キャメロン首相、イスラーム国によるボランティア殺害を「純然たる悪魔の所業 」と非難オバマ大統領やキャメロン首相が同国民の殺害を非難し、イスラーム国を壊滅させるとするのは 国のリーダーとして当然。テロリストを一人残らず殺したいだろう。イスラーム国がいくらイスラーム法に則った刑罰だと言おうが、欧米諸国はイスラーム法に同調する理由などない。だが、それなら、ガザイスラエルの攻撃によって四肢バラバラに吹き飛ばされたこどもたち、轟音と共に釘やコンクリート片が身体中に突き刺さって死んだシリアのこどもたちの親の憤怒は、誰が晴らしてくれるのか?報復の連鎖を断ちたいのなら、この問題に正面から答えなければならない。行動をもって。そのふたつをリンクさせるのは馬鹿げている。それは欧米や我々の感覚であって、ムスリムにとっては当たり前すぎるくらい当たり前のリンケージなのである。
 
欧米諸国からイスラーム国に参加する若者が多いことをアイデンティティの危機ととらえるのは間違っているのではないか。20年以上も前から、ヨーロッパ社会では、移民の若者達が母国のイスラーム文化ヨーロッパ文化の狭間でアイデンティティを喪失するという言説が支配的だった。だが、それは彼らを異質な存在として異化しようとするヨーロッパ社会の身勝手な想像に過ぎない。彼らは確かにヨーロッパ社会に違和感を覚えていたし、母国の文化からも切り離されていった。だが、その上でイスラームする生き方を選択したにすぎない。それをアイデンティティの危機ととらえるのはヨーロッパ側の自由だが、本人達はそこに生きる糧を見いだした。それが欧米諸国の価値観に合わないものであったとしても。彼らを断罪するならすればよい。だがそれを続けたとしても、イスラームと西欧との間の溝を埋めることはできない。繰り返しになるが、イスラーム国の暴力も、欧米による度重なる暴力(アフガニスタン、イラク)国際社会による無辜の民の虐殺(シリア、ガザ)の黙殺も、同じく人道に対する罪なのである。イスラームは現在も生きる法の体系を持つ。純粋にイスラームに惹かれると、イスラームの法体系に身を委ねることになる。イスラーム国が、法に反した行為をするなら自ら崩壊する。そうでなければ、彼らは決して滅びないし、一層、強大化する。それを軍事力で潰そうとしても無駄である。
 
米政府、自分は掛け声、他の国に実戦をやらせる。それは無理だろう絶対に逆効果。イスラーム国の兵士は母国にテロを起こしたいから参加するわけではない。文字通り、イスラームを実践する彼らなりのユートピアを夢見て中東へ。ここで参戦などしたら、彼らは帰国して本当にテロを起こしかねない。その通り。モンスターでも悪魔でも良い。だが、全世界のムスリムからみたら、ブッシュもオバマもネタニエフもモンスターであり悪魔に見えることを自覚すべし。穏健なムスリムだろうと、ガザの子供たちの死を黙殺できる人など一人としていない。予備軍含め930人=自国民のイスラム聖戦士−仏←随分多いな。イスラームに対するヘイトのレベルに比例するのか。集団的自衛権の行使には、米国による有志連合参加も入ることになろう。今回は軍事協力は求めないだろうが、将来はあり得ること。これほどカオスの中東に介入することの是非を論じられるリテラシーを備えた政治家やジャーナリストが何人いる? 欧米諸国からイスラーム国に参加した人たちは、全員、国籍国のパスポートを焼いてしまいなさい。その儀式をYouTubeで流せば、テロリスト還流を理由に空爆しようとしている有志連合は安堵するんでしょう。
 
アメリカを始め有志連合がイスラーム国潰しに武力行使を決めた。イスラーム国によって迫害されたヤズィーディやアッシリア教会マイノリティを助けるのなら、なぜ、イラク政府がやらないのだ?第一に、イラク政府が、自国民に対する保護責任を果たせ。なぜそれが果たせないのか、をろくに説明もせず。はなから「アメリカ助けて、国際社会はイラクを助けて、武器を頂戴と叫ぶのはイラク政府よりもクルド自治政府の民兵組織ペシメルゲ」これって、おかしいだろう。保護責任はイラク政府にある。ヤズィーディに武器を与えるならまだわかるが、なぜ、今やお金持ちのクルド自治政府に与えた? 

イスラーム国は、イスラーム法に則って動く。その結果、斬首となったことに反論するのなら、イスラーム法に則って反論する必要がある。何を馬鹿なと思わないでほしい。法の体系が、かなりの部分で西欧近代国家の法体系とは共約不可能なのである。イスラーム国なるものは、これまでのムスリムの国が、イスラーム法に則るふりをして、適当に運用してきたり、イスラームに反することを国の指導者達が平気でやってきたことに対して異議申し立てをしている。本当は、既存のムスリムの国がもっと真面目にイスラームを適用すべきだった。少なくとも、イスラーム的な公正を政府が目に見える形で実践すべきだった。エジプトのように、ようやくイスラームを表に出した政権が民意によって成立しても、それを軍が潰して平然としているようでは、世界のムスリムが不公正に怒りを募らせたとしても、当然と言わざるを得ない。ジャーナリストやNGO活動家を斬殺する行為は許し難い蛮行である。だが蛮行に怒る国際社会は、なぜ、ガザのジェノサイドには武力行使で対抗しない? この数年、国際社会から見捨てられた途方もない数のムスリムの死が、今日、イスラーム国に馳せ参じる若者を量産したのである。それを「アイデンティティの危機が原因」などと、高みの見物のごとく、ムスリム移民の若者を見下ろしてきたヨーロッパ社会は、ムスリムの信徒社会が、民族や国境を越えて、水平的共同体意識を持っていることを軽視したな。
 
3.日本のジャーナリズムの一つの欠点について
 
日本のジャーナリズムの一つの欠点。その会社にせよ、記者個人にせよ、自分の好きな「権威」を嵩に着ること。そして、それに寄り掛かって批判したいものやひとを論難すること。ジャーナリストは、自ら足で集めた証拠を基に論陣を張るべき。右も、左も。いい加減に、自分の敵がいつでも目の前にいる「左翼」や「右翼」であるのは、おかしいんじゃないかな、と気づくべき。3次元でもなく、2次元ですらない。1次元的イデオロギー対立構造から、いまだに抜け出せない。
本エントリは「即座に反応した4人の弁護士の一致した見方 ――朝日「誤報」問題の本質は政府がこれまでの「吉田調書」を不開示(隠蔽)してきたことにある」、「藤原新也さんのまっとうな朝日新聞批判とまっとうな朝日新聞擁護」の続きとして書いています。

Daily JCJ「今週の風考計」(2014年09月14日)の見方
 
朝日新聞が、慰安婦問題吉田調書での誤報を認め、取り消しと謝罪をして以降、「朝日」バッシングは勢いを増す。読売産経の2紙や出版社系の週刊誌4誌のエスカレートぶりは異常だ。ある記事は元担当記者の周辺や家族まで追い、生活を脅かす人権侵害ともいえる内容だ。ネット上では「朝日の報道で国益を損じた以上、国は損害賠償の請求を」とまで書かれる。自民党の女性政治家は「慰安婦問題は虚偽だ」と発言し、「慰安婦」被害という戦争犯罪にあたる歴史的事実まで否定しようとする。保守陣営のメンバーは、朝日新聞に広告を掲載した企業や「慰安婦問題」解決をめざす民主団体・組織に脅しと思える電話をかけている。<嫌韓憎中>のナショナリズムに裏打ちされ、かつ安倍政権の右派的政治姿勢に煽られて、歯向かうものには、いくら叩いても安心という風潮が蔓延している。慰安婦問題や原発事故の本質解明はそっちのけ、「時の権力」への監視と批判も視野にない。しかも、この機に乗じて「売らんかな」商法がはびこる。読売・産経の2紙は、「朝日」たたきの大見出しをつけた宣伝「PR版」を各戸に配布し、新聞拡販に躍起とくるから始末に負えない。
 
水島朝穂「今週の直言(巻頭言)」(2014年9月15日)の見方
 
「9.11」から13年目のその日に、「吉田調書」と「吉田証言」の問題で、朝日新聞社長が謝罪会見を行った。それぞれ異なる背景や事情があり、「誤報」の問題については十分な検証が必要だが、この間のメディアの扱いは、本質的な問題を抜きにした「朝日たたき」の様相を呈しており、明らかに異様である。ちょっと引いて冷静に考えてみよう。一新聞の「誤報」を突破口にして、原発再稼働と集団的自衛権行使、政府の歴史認識について批判的なメディアをたたいて、一気にその実現をはかる、一種の「反動」・復古"Restauration"が始まったのではないか。支持率を下げてきた安倍政権の「秋期攻勢」である。歴史を振り返れば、大きな転換点では、たたきやすい失敗やミスが事件化され、巨大な歴史的居直りのきっかけとして使われることがしばしばある。「日本の名誉を回復する」と、ネオナチとのツーショットが海外メディアで問題にされた総務大臣や政調会長が語る。ナチスとの関わりは、欧米の政治家なら、それだけでアウトである。誰がこの国の名誉を棄損しているかは明らかだろう。事柄の本質を見失ってはならない。ミスや誤りはそれとして検証しつつも、メディアの本質的役割は権力をチェックし、国民の知る権利に奉仕するものであることを忘れてはならない。権力者のメディアたたきに同調していると、1930年秋のドイツのような状況に近づいていくことになりかねない。
 
「弁護士・金原徹雄のブログ」(2014年9月14日)の見方
 
多岐にわたる引用があり、また音声ビデオなどもありますので直接に下記をご参照いただくのがよいと思います。
 
安倍晋三氏の“昭和殉難者”追悼メッセージを忘れるな(「朝日たたき」の陰にあるもの)
http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/40193407.html
 
田中利幸さん(広島市立大平和研究所教授)の見方(「Peace Philosophy Centre」2014年9月15日付から)
 
朝日が修正した「吉田清治証言」は「河野談話」作成のためには全く使われていない。- 緊急寄稿「河野談話検証報告を検証する」(田中利幸)
 
以下に「Peace Philosophy Centre」主宰者の乗松聡子さんの「前書き」のみ抜粋しておきます。
 
日本軍「慰安婦」問題をはじめとする戦争責任問題についての著作や論文が多数あり、世界各国で講演する広島市立大平和研究所教授の田中利幸氏による緊急・重要投稿です。現在の「朝日新聞叩き」の中でどさくさに紛れて日本軍「慰安婦」の史実さえも否定しようとする勢力に惑わされてはいけません。忙しい人も以下の一点だけは必ず押さえてください。朝日新聞が訂正した、「吉田清治証言」は「河野談話」作成のためには全く使用されていません。したがって「吉田清治証言」報道をいまさら朝日新聞が修正したところで「河野談話」には全く影響はなく、ましてや「河野談話」を修正したりこれに代わる新たな「談話」を発表する理由などには全くなりません。
 
この点について田中氏の本文の最後の方から重要部分も抜粋しておきます。
 
最近、吉田清治の虚偽証言に基づいて朝日新聞が1982年9月以来たびたび記事を発表したことに対して、訂正記事を発表し、最終的に謝罪を行った。すでに述べたように、この吉田証言は河野談話作成のためには全く使われていない。当時の官房副長官であった石原信雄も、最近のテレビ・インタヴューで、吉田証言には虚偽の疑いがあったため河野談話作成のための資料としては使わなかったことをはっきりと認めている。にもかかわらず、朝日が訂正記事を発表するや、あたかも河野談話は吉田清治証言にのみ依拠して作成されたかのような発言が安倍支持一派から次々に出され、「強制」はデッチアゲであるという非難の声をあげている。朝日新聞が30年余りたった現在になってようやく誤りを認めて関連掲載記事を取り消したが、もっと早く訂正・謝罪をしておくべきであった。この点、朝日新聞に大きな落度があったことは言うまでもない。しかし、当時、同じように吉田清治虚偽証言を信じて報道していた読売新聞や共同通信はほとんど非難を受けず、朝日新聞だけが攻撃のマトになったことに深い違和感を感ぜずにはいられない。これも、「河野談話検証」と連結した「河野談話空洞化作戦」の一つであろう。その最終目的は、河野談話を正式に無効とし、新しく「安倍談話」なるものを発表し、それを日本政府の公式見解としてしまうことである。
 
朝日新聞叩きを読みながら「あら、『慰安婦』の強制はやはりなかったのかしら。証言も嘘だったのかしら」などと思っているかもしれない人々へー週刊誌の中吊り広告的な扇動的な情報に惑わされず、冷静に信頼できる情報源を判断してください。
 
日本軍『慰安婦』について史実を確実な証拠と共に学べるサイトの一つとしてこれを紹介します。
 
日本軍「慰安婦」-忘却への抵抗・未来への責任
http://fightforjustice.info/ 
 
まずはこの田中氏の寄稿を読むところからスタートしてください。今こそ日本人の良識と良心が問われています。@PeacePhilosophy
昨日のエントリ「朝日新聞「『吉田調書』誤報」謝罪問題 即座に反応した4人の弁護士の一致した見方 ――朝日「誤報」問題の本質は政府がこれまでの「吉田調書」を不開示(隠蔽)してきたことにある。さらに「朝日新聞は全言論界に秘密保護法の威力を見せつけるための生け贄とされたのだ」という「街の弁護士日記」の指摘」の続報としてやはり朝日新聞「吉田調書」誤報謝罪問題を論じた藤原新也さん(写真家、作家)の「極端な左右の対立構造の騒音の中で正論が成り立たない時代における矜持」という論攷をご紹介させていただこうと思います。以下、要旨(弊ブログ「今日の言葉」)と論攷の全文です。
 
要旨
昨日の朝日の記者会見について触れてみる。今回の記者会見は吉田調書に関する誤報の謝罪会見であり、付録のように従軍慰安婦問題も取り上げられていた。この従軍慰安婦問題に絡んで同紙にエッセイの連載をしていた池上彰氏の原稿が掲載拒否に合い、その後社内からも批判が続出し、後に一転掲載となったわけだが、この池上彰氏の当エッセイを読んでみると、ただ「従軍慰安婦問題で朝日は誤報を出したのだから謝罪をすべきだ」という別に掲載拒否に合うほどのきわどいことを書いているわけでもなく、大それたものでもない。先に朝日は従軍慰安婦問題誤報を自ら取り上げ、その検証を行い、社説でも謝罪の意を表しているが、思うに朝日には昨今の時代への見誤りがあるように私は感じた。311以降、この日本では極端な左右の対立構造が生まれ、いかなる正論もその対立構造の騒音の中でかき消されてしまう時代になりつつあるのである。つまりこの問題が偏狂な炎上に曝されることは目に見えていたということだ。今回の吉田調書誤報問題にしてもすでに極右と言って過言ではないと言える官邸が吉田調書を内密に読売、サンケイに流し、朝日糾弾のキャンペーンを張った結果の官邸+読売+サンケイ極右タッグによる朝日潰し事件であり、従軍慰安婦問題においても同様の朝日潰しの意図的な官邸と読売、サンケイの内通がある。(略)そうは言うものの、百歩譲って今回朝日のトップが記者会見を開き、マスメディアとしての最低の矜持を見せたことは一定の評価を与えられるべきだろうと私は思っている。というのは311以降、阿倍政権をはじめとしてあらゆる体制が自からの非を認めない、ごり押しと居座りの風土の蔓延する社会になっているからである。当然今回朝日攻撃をした読売にしても誤報は日常茶飯事であるが、それに対する対応は微塵もない。(「今日の言葉」から ――藤原新也「Shinya talk」2014/09/12)

全文: 
極端な左右の対立構造の騒音の中で正論が成り立たない時代における矜持。(藤原新也  Shinya talk 2014/09/12)
 
昨日の朝日の記者会見について触れてみる。
 
今回の記者会見は吉田調書に関する誤報の謝罪会見であり、付録のように従軍慰安婦問題も取り上げられていた。
 
この従軍慰安婦問題に絡んで同紙にエッセイの連載をしていた池上彰氏の原稿が掲載拒否に合い、その後社内からも批判が続出し、後に一転掲載となったわけだが、この池上彰氏の当エッセイを読んでみると、ただ「従軍慰安婦問題で朝日は誤報を出したのだから謝罪をすべきだ」という別に掲載拒否に合うほどのきわどいことを書いているわけでもなく、大それたものでもない。
 
先に朝日は従軍慰安婦問題誤報を自ら取り上げ、その検証を行い、社説でも謝罪の意を表しているが、思うに朝日には昨今の時代への見誤りがあるように私は感じた。
 
311以降、この日本では極端な左右の対立構造が生まれ、いかなる正論もその対立構造の騒音の中でかき消されてしまう時代になりつつあるのである。
 
つまりこの問題が偏狂な炎上に曝されることは目に見えていたということだ。
 
今回の吉田調書誤報問題にしてもすでに極右と言って過言ではないと言える官邸が吉田調書を内密に読売、サンケイに流し、朝日糾弾のキャンペーンを張った結果の官邸+読売+サンケイ極右タッグによる朝日潰し事件であり、従軍慰安婦問題においても同様の朝日潰しの意図的な官邸と読売、サンケイの内通がある。
 
朝日の当日の新聞を読むと誤報を認めながらも従軍慰安婦問題は依然として根深い問題として横たわってるという論調であったわけだが、このご時世、当然の帰結として誤報問題のみが意図的に大きくクローズアップされてしまい、朝日の脇の甘さが目立つ。
 
かつて朝日は従軍慰安婦問題で安倍個人と対立したわけだが、これを機に安倍(政権)に倍返しされた格好である。
 
特に極右と呼ばれる一派はここぞとばかりバッシングに出て、朝日新聞不買運動すら提唱し、こういった有象無象の騒ぎの中で、何時の間にか、まるであの沖縄サンゴ事件のような最悪の様相を呈してしまったわけだ。
 
そんな加熱状況が朝日のトップに少なからぬストレスともたらしているところに池上彰氏のエッセイが浮上し、経営(編集)トップはそれに対して過剰反応してしまったというのが実情である。
 
重ねて言うが池上彰氏のエッセイは何と言うことのない、ごく普通のアーティクルであり、世間が騒ぐほどのものではない。
 
しかしまたこういった状況を見るに、やはり朝日自体もまた311以降の人心の硬直化傾向の中に嵌まりつつあるのかも知れないと思わないでもない。
 
いくら世間の従軍慰安婦問題の加熱状態の中でストレスを抱えていたとしてもあの程度のもの言いに掲載拒否という言わば言論の自由を奪うような行為に及ぶというのは尋常ではないからである。
 
そういう意味で今回の朝日の挙動は311以降の時代の危うさを象徴する出来事のようにも感じる。
 
というのは私自身もまた311の年に、この朝日新聞紙上で朝日に対する批判をしており、おそらくその批判は今回の池上彰氏のアーティクル以上に根幹に触れるものでありながら掲載拒否を受けなかったからである。
 
つまりこの2件の事例の間のわずか3年の間に世間というものは偏狂化するとともにマスメディアもまた狭量化しつつあるのではないかと思わざるを得ないのである。
 
311の年のこれはインタビューなのでゴツゴツした文章になっているが、その記事を以下に掲載してみたい。
 
 
「福島の希望 自分の足で歩くしかない」藤原新也=写真家・作家 2011-09-13 社会面
 
先日、主宰するウェブマガジンに、ルターの「たとえ明日世界が滅びようと、わたしは今日林檎(りんご)の木を植える」という言葉を掲載した。
 
「読んで涙をぼろぼろこぼした。仲間と『こういう世の中だけど、前向きに生きていこう』と話し合った」というメールが来た。
 
過剰反応かなと思ったが、肩書を見てハッとした。
 
大学受験生だった。若い人々は人生の出発点で大変な状況に直面しているという当たり前のことに気づかされた。
 
6月初め、福島市近郊の寺の山の斜面に生えていた樊かい草(はんかいそう、かい=口へんに会の旧字)という植物は、100本ぐらいある草の花びらがどれも妙にねじれていた。
 
地面近くの放射線量は毎時22~23マイクロシーベルト。
 
放射線の影響とは断定できないが、ほかにも桜の花の数と色付きが尋常でなかったり、逆にケシの花が小さく茎も弱々しくなっていたり、植物の異変を1ダースほど確認した。
 
お年寄りたちに聞くと、いずれも「これまでに見たことがない」とのことだった。
 
■「被害ある」前提
 
福島をはじめ世界に大量飛散した放射性物質が、今後人間にどんな影響を与えるか、結局専門家にもよく分からない。
 
分からないならば「健康被害は起こりうる」という前提での危機管理が原則だ。
 
今、真っ先にやるべきことは、福島県内の数千カ所に食料放射能値が計測できるベクレルカウンターを設置し、誰もが手軽に利用できるようにすることだ。
 
100億円程度あればできるだろう。
 
費用は東京電力が負担する。
 
子ども手当も全額、福島の子どもの安全対策や疎開費に充てるべきだと思う。
 
原発事故について「すべての人間が被害者と同時に加害者」という言い方がある。
 
だが、農耕民族的な「和の精神」では今の問題は解決しない。
 
原発利権の甘い汁を吸い続けてきた者たちと、福島県飯舘村から生活を捨てて逃げた人々を同じ線上には並べられない。
 
遊牧民族系の社会のように善と悪を峻別(しゅんべつ)し、断罪するときだ。
 
しかし、今マスコミはその矛先を本丸ではなく、あさっての方向に向けている。
 
鉢呂吉雄前経済産業相の問題がよい例だ。
 
福島第一原発の周辺を「死のまちのようだった」と話したことの、どこがおかしいのか。
 
 
 
ありのままだ。死という言葉が福島県民の神経をさかなでする、という差別用語への過敏が、事実すらも排除してしまう。
 
「放射能をつけちゃうぞ」という記者との瑣末(さまつ)なやり取りを、重箱の隅をつつくように記事にする神経も尋常ではない。
 
まるで小学校の反省会の「言いつけ」のようなものだ。
 
胆力の衰えた幼稚な報道で能力未知数の政治家がたちどころに消えるのは、国民にとってただただくだらない損失だ。
 
新聞はかつて電力会社の原発推進広告の掲載を拒否していたが、1974年から朝日新聞を皮切りに掲載するようになった。背景にはオイルショックによる広告収入の減少があったと聞く。これまでの原発報道で中立性を損なったことはなかったか、マスコミは胸に手を当て自己検証するべきだ。
 
■頭より体を優先
 
しかしこの原発問題、悪いことばかりではない。
 
お上が信用できないことがはっきりした。
 
他国が作った憲法という靴を履いて歩いてきた日本人がやっと自分の足で歩くしかない、と気づかされた。
 
よい変化だと思う。
 
今、前向きに生きるコツは、頭より体を優先させることだ。
 
こんな状況で頭ばかり働かせると、悲観の悪循環に落ち込む。
 
抱えきれない悩みのある人がお遍路で四国を旅すると、何も解決していないのに歩くうちに悩みが軽くなることがある。
 
体の軸が頭から体に移るからだ。
 
体は生きようとする生理を持っている。それが「林檎の木を植える」ということだ。
 
無人の瓦礫(がれき)となった宮城県の気仙沼を歩いていた時、着飾って歩く奇妙なカップルに出会った。
 
被災後の初デートだった。
 
声は弱々しかったが、すべてなくなってしまった中で、愛だけは辛うじて残っているんだなあと率直に感じた。
 
長年、書をやっているが「愛」というベタな言葉は書いたことがない。
 
この時2人の前ではじめてその文字を書かせていただいた。
 
原発事故で、多くの人々が東京電力や政府に強い憎しみを抱いている。
 
だが、何かのきっかけで憎しみも喜びに変わることがある。
 
飯舘村で避難区域内に居残っていた老夫婦の家を訪れた時、窮状を見かねて財布の中の有り金全部を衝動的に机の上に置いてしまった。
 
最初は驚いて固辞されていたが、住所を書き「返せる時に返してください」と言うと、「神も仏もない」と言っていた人から鬱屈(うっくつ)が消え、立ち去るときには見違えるほど朗らかさを取り戻していた。
 
お金の問題よりもそこに気持ちが介在したということだ。
 
無力感の中にあった私もその顔の変化に救われた。
 
新政権は、この憎しみを喜びに変えるための試みを有り金をはたき、全力でやってほしい。有り金をはたいても帰りの電車賃くらいは残る。
 
(聞き手・太田啓之)
 
 
「新聞はかつて電力会社の原発推進広告の掲載を拒否していたが、1974年から朝日新聞を皮切りに掲載するようになった。背景にはオイルショックによる広告収入の減少があったと聞く。これまでの原発報道で中立性を損なったことはなかったか、マスコミは胸に手を当て自己検証するべきだ。」
 
の部分が朝日批判に当たる箇所だが、当時読売はさらに政府と一体化して率先して原発推進に走っていたことからするなら、この箇所は朝日が最初に先鞭をつけたかのように受け取られるということもあり、朝日側は難色を示した。
 
しかしこの部分を載せなければこのインタビューは単なる綺麗ごとになると返事をし、案外すんなりと朝日はそれを受け入れたという経緯がある(しかしこの記事はパスしてもそれ以降藤原には語らせるなという空気が醸造される可能性はないではない)。
 
当時のことを(わずか3年前のことだが)振り返るに、もし私のインタビューがこの2014年であったら果たして朝日は掲載しただろうか、と池上彰氏の件を思い起こしながら何か時代がますます危うくなりつつあるように感じるのである。
 
 
そうは言うものの、百歩譲って今回朝日のトップが記者会見を開き、マスメディアとしての最低の矜持を見せたことは一定の評価を与えられるべきだろうと私は思っている。
 
というのは311以降、阿倍政権をはじめとしてあらゆる体制が自からの非を認めない、ごり押しと居座りの風土の蔓延する社会になっているからである。
 
当然今回朝日攻撃をした読売にしても誤報は日常茶飯事であるが、それに対する対応は微塵もない。
 
こういったごり押し、居座り傾向は日本に限らず国際政治においても言えることでもある。
はじめに「朝日新聞は全言論界に秘密保護法の威力を見せつけるための生け贄とされたのだ」と今回の朝日新聞「『吉田調書』誤報」謝罪問題の本質をもっとも明快に衝いている弊ブログの「今日の言葉」にも引用している「朝日新聞『誤報』事件 秘密保護法の生け贄」という「街の弁護士日記」の2014年9月13日付けの記事(引用者要約)をご紹介します。
 
「朝日新聞の「誤報」に対するバッシングは、戦後、言論機関(朝日新聞がそう呼ぶに値するかどうかは別として)に対するものとして、かつて例をみない特異な事件に発展した。沖縄密約を暴いた西山太吉記者は女性スキャンダルにすり替えられた人格破壊によって記者生命を絶たれた。(略)朝日新聞「誤報」事件も、人格破壊の域に達した。(略)朝日新聞「誤報」事件は、確実に後世の歴史に残る。「誤報」としてではなく、「暗黒の言論統制」の時代の幕開けとして、だ。(略)なぜそうした「誤報」が起きたのか。根本的な原因は、情報が「秘密」だからだ。(略)吉田調書問題を見ればわかりやすいだろうが、「秘密」とされなければ、「誤報」も起こらなかったのだ。一連の聴取結果が、国民共有の財産として公開とされ、教訓をくみ取るべく活発な議論がなされれば、このような問題は起きなかったし、議論の対象や内容も自ずから違ったものとなったはずだ。吉田調書について、朝日新聞自身が裏付け取材が不十分であったとしている。そもそも「秘密情報」について、裏付け取材を十分に行うなどということが可能なのか。十分な裏付け資料がなければ報道してはならないとすれば、今後、「秘密情報」に関わる報道はできなくなる。事実上、「秘密情報」に関わる報道は存在しなくなるだろう。12月には秘密保護法が施行される。政府は、取材、報道の自由を侵害しないというが、今回の事件で、報道のハードルは一挙に上がった。十分な裏付け取材もなく、報道すれば、即、刑事処分が待っている。誤報の後の対応が重要だ等という話では断じてない。そして、「秘密」について、十分な裏付け取材を行うのは不可能だ。朝日新聞は、全言論界に、秘密保護法の威力を見せつけるための、生け贄とされたのだ。メディアは、益々、政府公認情報しか流さなくなる。われわれは、そうした時代に入る。それを覚悟して朝日新聞「誤報」騒動を見る必要がある。」(「街の弁護士日記」2014年9月13日
 
次に「朝日新聞『吉田調書』報道の功罪」という渡辺輝人弁護士(京都弁護士会)のYAHOOニュース掲載の2014年9月12日付けの記事。
 
朝日新聞「吉田調書」報道の功罪(渡辺輝人 弁護士 2014年9月12日)  
 
時系列に問題点が整理されていてとてもわかりやすい記事になっています。同弁護士の記事は以下の「kojitakenの日記」の2014年9月13日付けにも掲載されていますので解説は同記事に譲ります。同記事をも参照されながらご一読ください。弊記事では本文の掲載は省略させていただきます。
 
渡辺輝人氏弁護士の素晴らしいブログ記事「朝日新聞『吉田調書』報道の功罪」(kojitakenの日記 2014年9月13日)
 
3本目として澤藤統一郎弁護士の「『吉田調書』が教えるものー原発制御不能の恐怖」という2014年9月12日付けの記事。「朝日バッシングが、リベラル派バッシングにならないか。報道の自由への萎縮効果をもたらさないか。原発再稼動の策動に利用されないか。不気味な印象を払拭し得ない」という澤藤弁護士の指摘は「街の弁護士日記」の岩月浩二弁護士の指摘に重なるものだと思います。
 
「吉田調書」が教えるものー原発制御不能の恐怖(澤藤統一郎の憲法日記 2014年9月12日)
 
朝日新聞が、原発政府事故調が作成した、「吉田調書」に関する本年5月20日付報道記事を取り消し謝罪した。スクープが一転して、不祥事になった。この間の空気が不穏だ。朝日バッシングが、リベラル派バッシングにならないか。報道の自由への萎縮効果をもたらさないか。原発再稼動の策動に利用されないか。不気味な印象を払拭し得ない。
 
朝日の報道は、事故調の調査資料の公開をもたらしたものとして功績は大きい。そのことをまず確認しておきたい。その上で不十分さの指摘はいくつも可能だ。「引用の一部欠落」も、「所員側への取材ができていない」「訂正や補充記事が遅滞した」こともそのとおりではあろう。もっと慎重で、信頼性の高い報道姿勢であって欲しいとは思う。ほかならぬ朝日だからこそ要求の水準は高い。大きく不満は残る。
 
この朝日の報道を東京新聞すらも誤報という。しかし、朝日は本当に「誤報」をしたのだろうか。問題は、5月20日一面の「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しでの記事。本日(9月12日)朝刊一面の「木村社長謝罪の弁」では、「その内容は『東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる、およそ650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した』というものでした。…『命令違反で撤退』という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。『命令違反で撤退』の記事を取り消すとともに、読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。」となっている。
 
この部分、吉田調書では、「撤退」を強く否定し、「操作する人間は残すけれども…関係ない人間は待避させます」と言ったとされている。どのように待避が行われたかについては、「私は、福島第1の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回待避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第2原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。」
 
これは、明らかに所長の指示がよくない。650名もの所員に、「何のために、どこで、いつまで、どのように、待避せよ」という具体性を欠いた曖昧な指示をしていることが信じがたい。「福島第一の近辺で待機しろ」と言ったつもりの命令に、「2F(福島第2原発)に行ってしまいました」という結果となったことを捉えて、朝日が「命令違反」と言っても少しもおかしくはない。この場合の命令違反に、故意も過失も問題とはならない。「撤退」と「待避」は厳密には違う意味ではあろうが、この場合さほどの重要なニュアンスの差があるとも思えない。しかも、枝野官房長官は、「間違いなく全面撤退の趣旨だった」と明言しているのだ。
 
朝日に対して、もっと正確を期して慎重な報道姿勢を、と叱咤することはよい。しかし、誤報と決め付け、悪乗りのバッシングはみっともない。そのみっともなさが、ジャーナリズムに対する国民の信頼を損ないかねない。
 
各紙が報じている限りでだが吉田調書を一読しての印象は三つ。一つは、原発の苛酷事故が生じて以降は、ほとんどなすべきところがないという冷厳な事実。なすすべもないまま、事態は極限まで悪化し、「われわれのイメージは東日本壊滅ですよ」とまで至る。原発というものの制御の困難さ、恐ろしさがよく伝わってくる。「遅いだ、何だかんだ、外の人は言うんですけれど、では、おまえがやって見ろと私は言いたいんですけれども、ほんとうに、その話は私は興奮しますよ」という事態なのだ。3号機の水素爆発に際しては、「死人が出なかったというので胸をなで下ろした。仏様のおかげとしか思えない」という。
 
二つ目。官邸・東電・現場の連携の悪さは、目を覆わんばかり。原発事故というこのうえない重大事態に、われわれの文明はこの程度の対応しかできないのか。この程度の準備しかなく、この程度の意思疎通しかできないのか、という嘆き。これで、原発のごとき危険物を扱うことは所詮無理な話しだ。
 
もう一つ。吉田所長の発言の乱暴さには驚かされる。技術者のイメージとしての冷静沈着とはほど遠い。この人の原発所長としての適格性は理解しがたい。たとえばこうだ。
「(福島第1に異動になって)やだな、と。プルサーマルをやると言っているわけですよ。はっきり言って面倒くさいなと。…不毛な議論で技術屋が押し潰されているのがこの業界。案の定、面倒くさくて。それに、運転操作ミスがわかり、申し訳ございませんと県だとかに謝りに行って、ばかだ、アホだ、下郎だと言われる。くそ面倒くさいことをやって、ずっとプルサーマルに押し潰されている。」
一日も早く辞めたいと。そんな状態で、申し訳ないけれども、津波だとか、その辺に考えが至る状態ではごさいませんでした」
「吉田神話」のようなものを拵えあげて、東電の免責や原発再稼動促進に利用させてはならない。
 
朝日の誤報という材料にすり替えあるいは矮小化するのではなく、吉田調書は、原発事故の恐怖と、原発事故への対応能力の欠如の教訓としてしっかりと読むべきものなのだと思う。
 
4本目に中山武敏弁護士(東京)のメーリングリストへの2014年9月13日付け投稿記事。中山弁護士は朝日新聞社長宛てに下記の激励の投稿をしたということです。中山弁護士も朝日の「吉田調書」記事の本質的意義を評価するとともに本質を理解しない軽薄な「朝日バッシング」が権力の「言論統制」の呼び水となる危険性を警告しています。
 
本日、朝日新聞社長宛てに下記投稿をしました。
 
私は弁護士43年です。
狭山事件東京大空襲重慶大爆撃訴訟部落差別など平和と人権にかかわる事件を取りくんでいますが、ずっと朝日新聞の読者です。
 
現場で虐げられた者に寄り添いながら権力や一切の権威に与することなく取材をされている多くの記者の方も存じております。
 
「吉田調書」問題をはじめとした一連の朝日新聞攻撃に憂慮しています。
 
たとえ報道に裏づけに欠けるかける部分があったとしても訂正や補足は当然なされなければならないと思いますが、「スピーデイ」や「吉田調書」や原発・東電報道で朝日新聞が果たした本質的意義を見失うべきでないと思います。
 
司法修習生の時に憲法、平和と人権を守ることを志していた7人の司法修習生が最高裁によって裁判官採用を拒否されるという事件が起こりました。
 
司法反動の嵐が吹き荒れた時代で自民党タカ派、財界、右翼が一体となって偏向裁判批判の攻撃をし、最高裁が司法内部からそれに呼応しました。
 
私たち同期の司法修習生(23期)は自分の生き方をかけて闘いました。
 
本日の「本社、記事取り消し謝罪」の記事を読むと司法が外部からの攻撃に内部から屈した時の事を思いだします。戦前もそうだったのではないかと思います。
 
本田雅和記者が「NHK番組改変問題」記事で自民党の安倍、故中川氏らから攻撃を受けた時も同期の弁護士に呼びかけて全国から500名近くの弁護士の賛同を得て安倍氏らに抗議声明を出しました。
 
どうか問題を矮小化しないでこれからも萎縮することなく頑張って下さい。
 
必要があれば何時でも支援に立ち上ります。
 
最後に「朝日新聞の報道についてー各社共通の、『裏をとらない報道姿勢」」にこと本質がある」と題された孫崎享氏のブログ記事をご紹介します。孫崎氏は同記事でYAHOOニュースの2014年9月12日付けに掲載された田中良紹氏(ジャーナリスト)の「ウラを取らない日本のメディア体質」という記事を共感的に転載していますが、田中氏は朝日新聞をはじめとするマスメディアの「『ウラを取らない』取材態度」が今回の朝日新聞の「誤報」問題の本質的な問題だとして、上記の4人の弁護士が指摘しているような今回の「朝日バッシング」が権力の「言論統制」の呼び水となる危険性についてはなんらの指摘もありません。このことは「リベラル」の論客として一部の自称「リベラル・左派」の人たちから評価されている孫崎享氏の限界性(非リベラル性)を問わず語りに自ら告白していることのように私は思います。
 
朝日新聞の報道についてー各社共通の、『裏をとらない報道姿勢」」にこと本質がある孫崎享のつぶやき 2014年9月13日)
ウラを取らない日本のメディア体質(田中良紹 2014年9月12日)
イスラーム国問題に関する日本のメディアの主張は次のようなものです。以下は朝日新聞の「天声人語」の見方、判断ですが、日本のメディアの中では「良質」の部類に属する主張と見てよいと思います。
 
ベトナム戦争に「泥沼」という代名詞を定着させたのは、米国の著名なジャーナリスト、ハルバースタム氏(故人)の著作とされる。日本語版は『ベトナムの泥沼から』のタイトルで知られる。アメリカは、深い泥沼の記憶に敏感だ。世界を揺さぶった9・11テロから、きょうで13年になる。テロの直後にアフガニスタン戦争に踏み切ると、米政府関係者から「泥沼」の言葉が聞こえだした。不安は当たり、「負けなければ勝ち」のゲリラ勢力を相手に、米軍はいまも完全撤退できていない。続くイラク戦争は、11年たっていっそう深刻な泥沼と化した。曲折をへて現れた過激派「イスラム国」は、社会に不満を抱く欧米の若者らも吸い寄せて、不気味に膨らむ気配をみせているマルコ・ポーロの『東方見聞録』に出てくるペルシャの「山の老人」は、大麻で若者を手なずけて、暗殺集団を操った。時は流れて、イスラム国に集まる欧米の若者の動機は、格差や貧困、差別への怒りだという。失望が彼らを武闘に駆りたてる。「あれから世界はウニのようにとげとげしくなるばかりです」。9・11テロから6年後、ある日本人遺族の言葉を小欄で紹介した。その後の世界はいよいよキナ臭い。武力で解決できることの限界を「対テロ戦争」は暗示する。残忍が際だつイスラム国は、米国が開けたパンドラの箱から出た大きな災いといえる。米は空爆に踏み切ったが、根絶への出口は見えていない。国際社会にとっての深刻な泥沼である。(朝日新聞「天声人語」2014年9月11日
 
しかし、イスラーム国問題について「米は空爆に踏み切ったが、根絶への出口は見えていない」、「国際社会にとっての深刻な泥沼」とどこをも批判しない「中立」的、「良識」的な判断を示しても事態は「深刻な泥沼」のままでしょう。「深刻な泥沼」の原因について「中立」を超えて、真にジャーナリズムの名に値するメディアであるならばもっと突っ込んだ判断、あるいは批判を提起する必要があるというべきです。同イスラーム国問題について現在トルコ在住(追記:最新のツイッター記事を見るといまは日本に帰国しているようです)の同志社大学大学院教授の内藤正典さんは以下のような危機感の表明と米国、オバマ大統領批判の主張を発信しています。耳を傾けるべきシリアスかつヴィヴィッドな意見の提起だと思います。
 
オバマ演説の誤り1.イスラーム国イスラームではないと断定した点。←これを言うと、ブッシュのように血塗られた大統領はキリスト教徒か?という反発になってかえってくる。2.ブッシュ政権との違いを強調するために、イスラーム国を悪の権化と主張しつつ、米国は戦闘要員を派遣しない。同盟国を巻きこむことを主張。特に、イラク政府クルド自治政府の軍と諜報を強化すると言っているが、これはイラクの分裂を促進すると宣言したようなもの。スンナ派に対して、イスラーム国以外の対案を示していない。3.キリスト教徒のマイノリティを迫害するイスラーム国を許さない、は古典的西洋中心主義の言説。4.シリアのイスラーム国に対しても攻撃するという点。アサド政権を利するだけ。アサド政権とは、恐ろしく暴力的に反政府勢力を弾圧し、国民を虐殺することを厭わない独裁政権。オバマは反体制派を支援するというが、これは自由シリア軍。彼らはアサド軍から離反した烏合の衆で一切道徳心がない。もし、イスラーム国だけを叩くとしてシリアへの空爆を実施しても、都市部の中に紛れ込んでしまえば、何の効果もなし。制圧というのが、イスラエルのガザ攻撃のように、都市を瓦礫の山にすることであっても効果はないのはガザをみれば明らか。ガザのように閉鎖された空間でさえハマスを潰せないのに、広大かつ、すでに領域の壁が取り払われた状態のイラクからシリアにかけてのイスラーム国の支配ベルトをどうやって潰せるというのか。一度町から追い払っても、次にアサド軍が来たり、イラク政府軍が来れば地元住民と衝突することは間違いない。
 
例えばイラク領内でイスラーム国が制圧したというモスルキルクーク。彼らを攻撃して追い出した後、誰に統治させるというのか? 人口的には、クルド優位だが、それこそイスラーム国が台頭した原因。モスルとキルクークをクルドに取られると、スンナ派は石油資源を失う。解説も聞いているが、アメリカの中東外交がひどく劣化していることがわかる。中東イスラーム世界について構造的理解ができていない。従来の同盟関係が使えると思い込んでいるが、9.11直後でさえ温度差があって機能しなかったのに、いま、使えるはずがない。イスラーム国、米政府はISISをテロ組織として、お前達の居場所はないと宣言したのはあまりに実態から乖離していて、米国が失笑を買うことになってしまうだろう。
 
イスラーム国は、欧米諸国は認めなくとも一つの国家であり、イスラーム法による統治システムを持っている。テロ組織と規定するのは無理。マケインは、米軍を残留させればこんなことにならなかったと主張。カーニーは、イラクを軍で支配することなどできないと主張。米国内でこんな議論をしているから、イスラーム国は空白を利用して伸長した。オバマ政権は、イスラーム国の何が米国や世界の秩序にとって危険なのか、どうも分かっていないようだ。支配領域の拡大は副次的問題に過ぎない。本質的脅威は領域国民国家というシステムの根幹から対立する統治機構になる点。カリフの命令や呼びかけが、領域国民国家の統治者の命令を超越しうる点。カリフのバグダーディが何かを呼びかけると、インドネシアのムスリムが政府の命に反した行動を起こすことになる。これが世界中で起きると既存の国家の制度が崩されてしまう。だから脅威。まして非ムスリム国の米国やロシアに屈服する感覚が消えてしまうから、ひどく強硬な路線でぶつかってくることに既存の国家の枠を超えて、カリフの命令が有効になると、米やロシアにとっては、単独の国家として対抗してくるのでなく、それこそ世界中に転移したガンが一斉に攻撃してくるような状況だから脅威になる。
 
だが、オバマ政権、そこまで分かっていないのでは。還流してくる米国籍の「テロリスト」を案ずるなら、まずイスラーム国と対話すべきである。皆で、ISISを壊滅しなければならないと騒いで何になる。どんどん方向を間違えていく。大規模な空爆によって、イスラーム国を壊滅する? 砂漠に爆弾落とすのか。シリアもイラクも、都市の世界なんだ。砂漠に、ポロポロ散らばって歩いてる部隊を標的に叩いて壊滅などできるはずがない。地理も知らない、社会も知らない、文化も知らない。イスラームも知らない。これで戦うのか。アメリカは、再び誤った戦争に乗り出そうとしている。イスラーム国はテロ組織ではない。それをテロ組織と断定して壊滅させるというのは根本的に誤った選択である。(内藤正典Twitter 2014年9月11日
一昨日の9月7日付けの「弁護士ドットコム」に「黒子のバスケ」裁判の被告の量刑に対する「弁護士ドットコム」登録弁護士たち12人の意見が紹介されています。
 
「日本の刑法は被告人に甘い」が0票、「日本の刑法は被告人に甘くない」が7票、「どちらでもない」が5票というのが投票結果です。「甘い」「甘くない」は裁判の量刑に対する評価で裁判そのものの評価ではありません。裁判=量刑の決定ではないはずですから「弁護士ドットコム登録」弁護士たちの裁判評価は量刑の多寡という裁判技術論に傾きすぎているきらいがあるように私には見えます。

なぜ、裁判そのものの中身を問わないで量刑のみを丁々発止するのか? 「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」(弁護士法第1条)という理想の追求など絵空事のあちらの世界のことであって、「現実」という世界、あるいは社会規範(「量刑」だけを問題にするいまの裁判の現状)を疑おうとしもしない現代の若手弁護士の「質の低さ」のようなものを私は思わざるをえません。
 
私は8月22日付けの「今日の言葉」に「黒子のバスケ」裁判の判決報道(毎日新聞 2014年08月22日)を引いた上で以下のような引用者注をつけておきました。
 
私の知る限り、判決に「類例を見ないほど重大で悪質」「くむべき点(情状)など一切ない」などとあるのは、裁判所が検察の求刑どおりの刑期を言い渡すときの常套文句です。すなわち、紋切り型の判決文。裁判長よ。あなたは「黒子のバスケ」裁判被告人の「冒頭意見陳述」を読み得たか。もちろん読んだのでしょうが、読んだ上で「くむべき点(情状)など一切ない」などと言うのであれば、あなたは「文章読解力」など一切ない人だ、と断言せざるをえません。判決文には被告人の心理に寄り添おうとするひとりの人間としての意気はもちろん、被告人が犯罪を犯すに到る心理への裁判官としての洞察力も微塵も見られません。こうした裁判官の薄っぺらな人間観察力で人が安易に裁かれてしまう。そうした釈然としない思いは決して私だけのものではないでしょう。(弊ブログ 2014.08.22付
 
上記で「文章読解力」云々と言っているのは、「黒子のバスケ」裁判被告人の「冒頭意見陳述」を読んだ私の感想は以下のようなものだったからです。
  
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人の冒頭意見陳述とはどういうものか? 陳述書を読んでみました。その冒頭の数行の文章を読んでみただけでも被告人の自己分析力の確かさがわかりました。並大抵の確かさではありません。ものごとの本質を正確に射抜く確かさと言ってよいと思います。しかし、次のようにも思いました。被告人の自己分析力はたしかに優れている。しかし、本来、そうした自己分析力の「確かさ」は現代ニッポン人の多くがもともと所有していたのではないか? 現代ニッポンの多くの大人たちは、「おれが、おれが」という戦後的(高度成長期的)な自己本位の思想(マイホーム主義)にいつのまにか心身とも浸食されてしまい、防衛機制としての「反動形成」の強迫に抑圧されておのれの本質を見つめる目を見失ってしまった。現代のニッポン人の総体(多く)がそうした「時代の病」に犯されている。だから、私たちは、「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人の自己分析力の確かさに識閾のあわいの虚を衝かれて一瞬たじろぐ。そういういうことではないのか。
 
被告人は陳述の冒頭で事件の動機について次のように述べています。
 
「動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。そして自殺という手段をもって社会から退場したいと思っていました。(略)人生の駄目さに苦しみ挽回する見込みのない負け組の底辺が、苦痛から解放されたくて自殺しようとしていたというのが、適切な説明かと思います。」
 
「自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと『10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた』ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。」
 
上記はおのれをよく認識している者のみができる陳述というべきものです。ここまでおのれを客観的かつ冷静に認識できる者がなにゆえに脅迫事件などという短絡的で陳腐なおぞましいだけの事件を惹起してしまったのか。それゆえの無惨さが胸に満ちる思いがします。(弊ブログ 2014.03.25付
 
被告人の冒頭意見陳述を読んで心を動かされない人がいるでしょうか? いるのだとすれば、その人はただ判決文に量刑を書きこむためにだけ陳述書を読む裁判官。もしくは検察官。あるいはよほど文章読解力のない人。あるいは自身の人格自体に障害のある人だけ、というのが私の判断ですし、これまでの私の判断であったわけですが、もしかしたら左記の列々(つらつら)に弁護士も付加する必要があるかもしれない。それが「現代」という時代なのかもしれない。こういう「時代」であってもちろんいいはずがありません。
 
日本の「刑法」は被告人に甘いのか? 「黒子のバスケ事件」から考える(弁護士ドットコム 2014年09月07日)
 
人気マンガ「黒子のバスケ」をめぐる連続脅迫事件で、威力業務妨害罪に問われた被告人に、東京地裁は求刑通り「懲役4年6月」を言い渡した=9月1日に控訴=。
 
被告人は、「黒子のバスケ」作者の出身大学に硫化水素入りの容器と脅迫文を置いたほか、ニコチン入りの菓子と脅迫文をコンビニに送りつけて商品を回収させたなどとして、5つの事件で威力業務妨害罪に問われていた。
 
●「量刑が軽すぎる」という声も
 
この「懲役4年6月」は、今回の裁判で考えられる最大の刑だ。つまり、今回は裁判官がどんなに刑罰を重くしようとしても、4年6月が限度だった。そうなる理由は、日本の刑法の「併合罪」という考え方にある。
 
併合罪とは、裁判で確定していない2個以上の罪がある場合、それらの罪をひっくるめて量刑を考えるということで、科せられる刑罰は最大で「法定刑の上限の1.5倍」までとされている。
 
威力業務妨害罪の場合、法定刑が「3年以下の懲役または50万円50万円以下の罰金」のため、たとえ5個の罪があっても3年の1.5倍、つまり4年6月が最大になるわけだ。
 
しかし事件が社会を大きく揺るがせたことや被告人が反省していないように見えることから、ネットでは「懲役4年6月は軽すぎる」といった意見が数多く見られた。
 
また、海外の法律にくわしい清原博弁護士は、8月下旬に出演したTOKYO MXの情報番組「モーニングCROSS」で、「被告人は5件の犯罪で起訴された。1件ごとにみれば、最高3年×5件で15年だ。アメリカではすべて合算して、昨年は1000年という判決が出ている」などと説明。「日本の刑法は甘い」と指摘した。
 
複数の犯罪をおかした場合の量刑について、日本の刑法は「甘い」のだろうか。それとも「甘くない」のだろうか。弁護士ドットコムの登録弁護士たちに意見を聞いた。
 
(回答選択肢)
 
1 日本の刑法は被告人に甘い
 
2 日本の刑法は被告人に甘くない
 
3 どちらでもない
 
このトピックスに対する弁護士の回答
 
※2014年08月29日から2014年09月04日での間に集計された回答です。
 
アンケート結果
 
投票1 日本の刑法は被告人に甘い 0票
 
投票2 日本の刑法は被告人に甘くない 7票
 
秋山 直人弁護士
濵門 俊也弁護士
山田 公之弁護士
澤田 智俊弁護士
武市 尚子弁護士
荻原 邦夫弁護士
中川 正一弁護士
 
投票3 どちらでもない 5票
 
中村 剛弁護士
西口 竜司弁護士
岡田 晃朝弁護士
久野 健弁護士
川崎 政宏弁護士
 
【弁護士たちの意見(任意)】
・秋山 直人弁護士 投票:日本の刑法は被告人に甘くない
今回の事件では,人が死んだわけではなく,3年×5件=懲役15年という判決は,余りに重すぎるでしょう。併合罪の場合には重い罪の刑の長期を1.5倍するという処理は,妥当な範囲だと思います。余りに長い期間刑務所に閉じ込めても,それこそ税金がかかるだけで,受刑者の社会復帰もより難しくなり,再犯率も上がるのではないでしょうか。刑罰を決めるにあたり,応報感情を余りに重視することは,刑事政策的に妥当でない結果を生むように思います。
 
・濵門 俊也弁護士 投票:日本の刑法は被告人に甘くない
併合罪の処理(法定刑の1.5倍の刑に加重すること)について、被告人に甘いと考える日本の法曹は少数派でしょう。当職も、我が国における刑法の成立過程(古代日本における「律」や大陸法の影響)、条文の構造(保護法益や法定刑の規定のあり様)等をふまえたとき、併合罪の処理は相当であると考えます。そもそも、量刑の本質は、「被告人の犯罪行為に相応しい刑事責任の分量を明らかにするところにある」ととらえるのが我が国の一般的な考えであり、実務です。例えば、被告人についての主観的・情緒的な評価がそこに影響してはならないものなのです。「本件被告人のような人物に対する刑罰として懲役4年6カ月は軽すぎる」という意見などはその典型例ですが、一法曹としてそのような意見に与するわけにはいかないのです。
 
・山田 公之弁護士 投票:日本の刑法は被告人に甘くない
併合罪の規定は、罪の数だけではなく、犯人の人格態度にも配慮しています。裁判所が犯人に刑罰を宣告して戒めたり、刑務所に入れて矯正するまでは、同じ人格が複数の罪を犯した状態なので、単純に罪の数に比例して刑罰を課すのではなく、1つの人格態度に対する非難として、最大1.5倍の割り増しにとどめて罪の数と人格態度に対する非難のバランスをとっていると思います。罪の数については、民事上は損害賠償額は単純合算になりますので、そちらの方である程度配慮されています。また、投資詐欺や常習窃盗なんかを考えればわかりますが、犯人が極めて多数の罪を犯している場合は、一部だけ起訴して終わらせることがよくあります。私は、証拠がしっかりしている事件や重大な事件をピックアップして起訴することは迅速かつ確実な処罰のために合理性があると考えていますが、刑罰を罪数に比例させようとすると、このような便宜的な扱いがしにくくなりかえって刑事司法作用に支障が生じると思います。
 
・中村 剛弁護士 投票:どちらでもない
本件についていえば、懲役刑は妥当な範囲だったと考えます。刑罰は、基本的には犯した行為に対して科せられます。確かに、挑発的な態度を取るなど、マスコミを大いに賑わせて腹立たしく思っている方も多いでしょうが、犯した行為そのものが、他と比べ、例えば懲役15年も科すような事案だったとは思えません。仮に、今回の被告人が、1回しか威力業務妨害を行っていなかった場合、皆さんは3年が妥当だと考えるでしょうか?それでもやはり「もっと重くすべきだ」と答えるでしょう。問題の本質は併合罪の処理法にはないと思います。また、本件の被告人は懲役刑になることをむしろ望んでいることからすると、重い処罰を科したところで、被告人は喜ぶだけでしょう。それでは解決になりません。ただ、一般的にいって、併合罪による上限が1.5倍ということが妥当なのかは考える余地があると思います。なぜ2倍、3倍ではいけないのか、という点はもっと議論してもいいと思います。個人的には、アメリカほどではなくても、もう少し重くするのはありうると思います。
 
・編集後記(弁護士ドットコム編集部)
アンケートに回答した12人の弁護士のうち、7人が<刑法は被告人に甘くない>と回答した。一方、5人が<どちらでもない>と答えたが、<被告人に甘い>という意見は0人だった。<甘くない>と回答した弁護士の1人からは、「応報感情を余りに重視することは、刑事政策的に妥当でない結果を生む」という意見があった。また、<どちらでもない>と答えた弁護士からは、「併合罪による上限が1.5倍ということが妥当なのかは考える余地がある」という指摘があった。
本ブログの「今日の言葉」の2014年8月22日から同年9月7日にかけての記録です。

アフリカの朝、または夜、または昼


・人気漫画「
黒子のバスケ」を巡る連続脅迫事件で、威力業務妨害罪に問われた元派遣社員、渡辺博史被告(36)に対し、東京地裁は21日、求刑通り法定刑の上限に当たる懲役4年6月の実刑判決を言い渡した。前田巌裁判長は「動機は理不尽極まりなく、同種事件でも類例を見ないほど重大で悪質」と述べた。判決は動機を「作者の学歴や、漫画家としての成功に対する妬み」と認定。イベントが中止されたり、関連商品が撤去されたりしたことから「影響が広範囲で、経済的損害も莫大」と指摘した。さらに「マスコミに犯行声明を送るなど自己顕示欲を満たす行動に終始した」と批判。公判で渡辺被告が「反省する気はない」と話したことにも触れ「くむべき点(情状)など一切ない」と述べた。(引用者注:私の知る限り、判決に「類例を見ないほど重大で悪質」「くむべき点(情状)など一切ない」などとあるのは、裁判所が検察の求刑どおりの刑期を言い渡すときの常套文句です。すなわち、紋切り型の判決文。裁判長よ。あなたは「黒子のバスケ」裁判被告人の「冒頭意見陳述」を読み得たか。もちろん読んだのでしょうが、読んだ上で「くむべき点(情状)など一切ない」などと言うのであれば、あなたは「文章読解力」など一切ない人だ、と断言せざるをえません。判決文には被告人の心理に寄り添おうとするひとりの人間としての意気はもちろん、被告人が犯罪を犯すに到る心理への裁判官としての洞察力も微塵も見られません。こうした裁判官の薄っぺらな人間観察力で人が安易に裁かれてしまう。そうした釈然としない思いは決して私だけのものではないでしょう)。(毎日新聞 2014年08月22日
 
・NHK経営委員会御中/経営委員各位
NHK籾井会長に辞任を勧告するか、または罷免されるよう求めます。

経営委員各位には、日頃、NHKの使命達成のために尽力されていることに敬意を表します。私たちは、かつてNHKで働いた退職者です。1月の籾井勝人会長就任以来続いている事態を憂慮し、その解決のために、今こそ経営委員会が英断をもって会長に辞任を勧告すること、その勧告に会長が応じない場合は、
放送法第55条により罷免の決断をされることを強く求めるものです。その理由は次の通りです。第一、籾井氏が会長にとどまることは、政府・政治権力から独立した放送機関であるべきNHKにとって、重大な脅威となっています。(略)第二、就任会見で示された見識、感性からみて、籾井会長がNHKのトップの任に堪える人物とはとうてい考えられません。(略)第三、いまNHKで働く人たちが、会長の存在によって特別の困難に直面しています。(略)現会長が辞任しないかぎり、NHKに対する批判は今後も止むことがないでしょう(略)私たちは、単に後輩が困っている、とか、かつて働いたNHKが心配だから、というレベルでこの申し入れをしているのではありません。NHKが政府から独立した自立的な放送機関として、日本の民主主義の発達に資する存在であることをあらためて求め、現在の危機を回避することを要求するのが趣旨です。(略)退職者1527人分の署名/呼びかけ人179名(NHK全国退職者有志 ちきゅう座 2014年8月23日
 
・名護市辺野古沖では、新基地を作るため
海底ボーリング調査が強引に進む。スパット台船2基が建ち、侵入禁止水域を示すオレンジ色のフロートが浮かぶ。フロートの外からカヌーで抗議する市民らを、海上保安官がカヌーに馬乗りになって羽交い絞めをしたり、一時拘束までしている。過剰警備そのものだ。「止めよう新基地建設!8・23県民大行動」が、キャンプ・シュワブの第1ゲート前で開かれ、3600人が参加した。稲嶺進・名護市長は「辺野古の海の周囲には海上保安庁のボートがびっしり浮いている」と指摘し、その上で「69年前、沖縄戦の開始とともに沖縄を軍艦が取り囲んだ。あの光景とまったく同じ。平時にこんなことが行われるのを見ると、この国はどこに向かっているのか、と思わざるを得ない」と安倍政権の強硬姿勢を批判した。同感。沖縄県の統一地方選挙が31日告示、9月7日投票で行われる。とりわけ名護市議会は移設反対派が過半数を握っている。仲井真県知事の裏切りを許さいないためにも、新基地建設に反対する16人の候補者全員の当選を願う。(Daily JCJ「今週の風考計」2014/8/24
 
・一国の指導者の名を冠した経済政策として有名なのは、英国の「
サッチャリズム」と米国の「レーガノミクス」だろう。1970年代後半から80年代にかけて、市場の機能を重視して「小さな政府」を志向、「新自由主義」のさきがけとなった。ともに哲学や思想と結びつき、功罪が議論されてきた。さて、「アベノミクス」はどうか。思い浮かぶのは、企業に寄った政策である。法人税を減税する。原子力発電所の再稼働を急ぎ、電気代を抑える。労働規制を緩和し、企業が人を使いやすくする――。(略)企業は市場経済の原動力だ。ならばアベノミクスも英米両巨頭の系譜に連なるのだろうか。企業の再編やベンチャー育成、「クールジャパン」の売り込みなど、さまざまな分野で「官民ファンド」を押し立て、国が主導しようとする。個々の政策の当否はともかく、その手法は「自由主義」「市場経済」からは遠い。財政でも、歳出を絞る「小さな政府」とは異なる。補正予算で公共事業を積み増し、国の年間予算は100兆円規模が続く。消費増税に伴う景気対策を打ったとはいえ「大きな政府」そのものだ。デフレ脱却と経済成長に向けて何でもあり。これが安倍政権の経済政策の実像だろう。(略)「何でもあり」のアベノミクスにも、欠けている取り組みがある。所得の少ない人たちへの目配りである。民間主導の自律的な経済成長に「分配」の視点が欠かせないのは、まぎれもない事実である。民間シンクタンクの間では、「デフレは脱した」との見立てが増えてきた。危機対応でもあるアベノミクスは、国民全体の生活を見すえ、その功罪や足らざる点について検証すべきときを迎えている(引用者注:最近、これまでアベノミクスを野放図そのままに礼賛してきたマスメディアにも反旗を翻す記事が目につくようになりました。本朝日「社説」のほかにも毎日新聞の「アベノミクスに暗雲」、英フィナンシャル・タイムズ紙社説の「アベノミクスの試練」なども。国内外を問わず安倍離れが急速に加速している証しと見ていいでしょう)。(朝日新聞「社説」2014年8月25日
 
・「なぜ、同じ質問が二回も三回も出されるのでしょうか? 答えは単純です。
締約国の回答が満足なものではないからです。それが私たち委員の思いだということをはっきりさせておきましょう」8月21日の午後、国連・人種差別撤廃委員会による日本政府審査が終了間近になったころ、モーリシャスの委員は日本政府の回答に業を煮やした顔つきで、こう強く批判した。彼の言葉はこう続いた。「では、これまで何度も出されている問題について質問します。朝鮮学校についてです」審査を傍聴しながらメモを取っていた私は、「Korean School」という単語を口にしたかれの言葉に耳をそばだてた。(略)上記の委員の発言は、次のように続いた。「私たちが提起している基本的な質問は、これは差別の問題ではないのか、ということです。人種主義の問題、人権の問題ではないでしょうか? 最終的に誰が被害を受けるのでしょうか…それは朝鮮学校に通う生徒たちです。私たちは、そうした観点から差別が存在すると言っているのです。政治的な理由など色々とあるでしょう。しかし基本的な問題として、これが差別という人権侵害の問題であると私たちは感じている、と言っているわけです」その言葉に、思わず目頭が熱くなった。私たちがこれまで日本で叫んできた声は正当であり、日本政府による朝鮮学校の「高校無償化」制度からの除外は、国際的な人権基準に反する明確な差別の問題なのだということが改めて確認できた瞬間だった。本審査では、ヘイトスピーチの問題が議論の最大の焦点となった。(略)ヘイトスピーチデモに見られる差別の根本は、日本政府という公権力の差別的態度にある。日本政府による「高校無償化」制度からの朝鮮学校除外や、それに倣っている地方自治体による朝鮮学校への補助金停止という公的な差別が、日本における排外主義を蔓延させ続けているといえる。その根本を断ち切るため、国際社会からの支持を力に、諦めずに声を上げ続けていくしかない。(金優綺 在日本朝鮮人人権協会事務局員 ハンギョレ新聞(日本語版) 2014.08.25

・広島 と長崎での式辞からは、安倍首相が核の問題には関心がないことが分かります。(略)また、戦没者追悼式での式辞からは、安倍首相が過去の侵略の歴史について全く反省していないこと、侵略戦争と植民地支配について謝罪する意思を持っていないことも分かります。(略)このことを、さらに明瞭にする事例が27日に明らかになりました。それは、安倍首相が4月29日に高野山奥の院で開かれた、A級、BC級戦犯として処刑された旧日本軍人の追悼法要に「自民党総裁」名で
追悼文を送っていたことです。しかも、その内容は「自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者の御霊(みたま)に謹んで哀悼の誠を捧げる」とするもので、連合国軍の戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷な裁判」と記していると報じられています。これについて、菅義偉官房長官は記者会見で「私人としてのメッセージだと思っている(略)」と述べ、東京裁判に関する政府の立場に変更はないと強調したそうです。「私人としてのメッセージ」であればこそ、心の奥底にしまわれていた本音が赤裸々に示されているということでしょうか。「私人」としての安倍晋三は(略)A級戦犯として裁かれた人々は受難者であり、裁いた東京裁判は間違いだから、侵略戦争というのは当たらず、植民地支配でもなかったと言いたいのでしょう。まさに、「右翼の軍国主義者」そのものではありませんか。このような歪んだ歴史観を持つ人物によって集団的自衛権の行使が可能とされ、「戦争する国」への扉が開かれようとしているのです。長年の間、それを求めてきたアメリカでさえ警戒心を持たざるを得ないのも当然でしょう。「安倍にやらせて大丈夫なのか」と(「五十嵐仁の転成仁語」2014-08-28

・自民党は8月28日、「
ヘイトスピーチ」の対策を検討するプロジェクトチーム(ヘイトスピーチPT)の初会合を開き、国会議事堂などの周辺や外国大使館付近での大音量の街宣やデモに対する規制も、ヘイトスピーチと併せて議論する方針を確認した。警察庁の担当者からヒアリングなどを行ったという。MSN産経ニュースなどが報じた。<高市早苗政調会長は「仕事にならない状況がある。仕事ができる環境を確保しなければいけない。批判を恐れず、議論を進める」と述べた。警察庁の担当者は、国会周辺での拡声機の使用を規制する静穏保持法に基づく摘発が年間1件程度との現状を説明した。>ヘイトスピーチに関しては、7月に韓国で朴槿恵大統領と会談した東京都の 舛添要一知事が、8月7日に安倍首相と会談し法規制を求めていた。このとき安倍首相は「日本の誇りを傷つける」と非常に憤慨し、「党として検討させる」と述べたという。なお、ヘイトスピーチPT座長代理の柴山昌彦衆院議員は自身のブログで、高市政調会長が8月21日に「ヘイトスピーチに関してはそれを特別の規制対象とすることはないと明言」したとしており、ヘイトスピーチにとどまらず範囲を広げて議論する考えであることを示していた(引用者注:安倍首相が「『日本の誇りを傷つける』と非常に憤慨」したのは言論・表現の自由としてのデモ=ヘイトスピーチと認識していたからなんですね。「ヘイトスピーチを規制せよ」という正当な世論の高まりをワイマール憲法のヒトラー化と同じ運命をたどらせるようなことがあっては絶対にならないでしょう)。(The Huffington Post 2014年08月28日
 
安倍
弱い者いじめ民主主義に反した戦術で沖縄の人々がおじけづいているということはない。抑圧的な方策に抵抗して参加する人たちの数は増えている。東京の米国大使館の政務担当公使は、沖縄の人々が基地移設を止めたいのなら声を大にすべきだと私たちに言った。沖縄の人々がやっているのはまさしくそれである。この最新の世論調査が示すものは、沖縄の人々は志気が衰えているどころか、大いなる勇気と信念をもって集会を行っているということである。東京とワシントンの政府は真剣に注目している。私たちの差し迫った任務は、米国と日本の軍事主義者たちに、お前たちが勝つことはできないと知らしめることである。私たちの長期的な任務は、日米政府の試みを下支えするこの地球の軍事化の方向性を逆転させることである。それは日本の憲法九条の本来の意味を復活させ、米国に対して基地帝国と世界支配を放棄させるよう強いることだ。沖縄の勇気ある人々はこの闘いを率いている。(略)11月の知事選は極めて重要だ。沖縄は仲井眞氏を打倒するだけでなく、沖縄の多数派である、基地移設に反対する人々の立場に立つ知事を選ばないといけない。人々とメディアは、候補者たちに対し、仲井眞知事が下した埋め立て承認を撤回する用意があるのかと率直に問う必要がある。この点におけるいかなる揺らぎも許容されない。この闘いを率いる人を選ぶことは、 安倍首相とオバマ大統領に、彼らの非道な計画は成功しない、そして沖縄の人々は負けないとの最も明確なシグナルを送るであろう。(ピーター・カズニック peacephiloso
phy 2014,8,30

 
イギリス政府は、イラクやシリアでイスラム過激派組織「イスラム国」が勢力を拡大している情勢などを踏まえ、イギリスでテロが起きる可能性があるとして、29日、テロへの警戒レベルを引き上げました。
NHK国際部 2014年8月29日

日本の
ヘイトスピーチは、隣人たる民族に向けられ、ヨーロッパのヘイトスピーチは隣人たるムスリムに向けられる。イスラームに対するヘイトスピーチは、ヘイトスピーチにあたらないと考える人は、そもそもヘイトスピーチの何たるかを理解していない。ヨーロッパで、かつて隣人たるユダヤ人に向けられていたヘイトスピーチは、いま、公然とムスリムに向けて投げつけられている。しかも、イスラームが同性愛を否定し、女性の人権を否定し、戦争とテロを志向するという根拠のない言説を根拠として。イスラーム国も、遺体を損壊してもてあそぶような愚行を繰り返すな。大馬鹿者。お前たちの愚行が、どれだけ世界のムスリムを苦境に陥れるかを考えよ。領域国民国家の矛盾を突いてカリフ制施行するのが本来の目的であるならば、どこかでこの世の大国も、イスラーム国に耳を傾けるときが来よう。だが、斬首やさらし首を見世物にしている限り、アメリカもロシアも一点の疑いもなくイスラーム国の殲滅をはかろうとする。(内藤正典Twitter 2014年8月29日
 
3日の内閣改造・自民党役員人事も、石破茂幹事長を更迭のうえ、入閣させて取り込み、「安倍一家はご安泰」。後顧の憂いなく安倍首相は、6日からバングラデシュとスリランカを訪問する。港湾整備に6千億円の援助や巡視船の提供など大盤振る舞い。在任620日で訪れた外国は49カ国、過去最多を更新する。しかも外遊関連の経費として、2倍の約8.8億円を、来年度の概算要求に盛り込んだ。国家予算全体を見ると、過去最大の101兆円規模になる。国債残高1千兆円の利払いに25兆円を充て、軍事予算には過去最大の5.5兆円。対潜哨戒機を20機、次期主力戦闘機F‐35を6機、無人偵察機、早期警戒管制機、オスプレイ、水陸両用車などを購入。潜水艦とイージス艦も1隻ずつ建造するという。 私たちの生活はどうなるか。1日より生活を直撃する値上げラッシュが続く。缶詰やコーヒー、乳製品など「値上げの連鎖」は止まらない。悲鳴を上げる庶民の声に耳を傾けるどころか、「ヘイトスピーチ」の規制に名を借りて、国会周辺での平和的デモのコールや音まで取り締まろうとする。この感覚は正気じゃない。(Daily JCJ「今週の風考計」2014/8/31
 
・しばらくアメリカ合衆国に滞在しました。ワシントンDCでの学術調査です。10年も定点観測を続けていると、米国や日本の変化も実感できます。かつての勢いはありませんが、アメリカはなお安定した大国で、世界からエリートも底辺労働者も集まってきます。アジア系の人々は増えました。でも日本の姿は、影が薄くなりました。自動車は日本製が多いですが、テレビは韓国製が増えて、衣料品からiPhoneまで中国製商品があふれています。テレビや新聞で日本が話題になることは滅多にありません。もっともインターネットやSNSが普及して、自国に関心がある人々は自国語メディアで情報が得られますから、マスコミとウェブの棲み分けが進んでいるということでしょう。第一次世界大戦100年、クリミア・ウクライナやガザの戦火の中では、アジアそのものが後景に退きます。話題のフランス書の英訳700頁の大著、
トマ・ピケティ21世紀の資本論』が書店に平積みされるベストセラーで、駅の売店でも売られているのは、アメリカ社会の健全さの証しでしょうか、危機の現れでしょうか。(略)政治や外交の世界では、ケント・カルダーワシントンの中のアジア』(中央公論新社)が述べる通り、中国・韓国のプレゼンスが高まる中で、日本の存在感は小さくなりました。この趨勢は、巻き返し困難でしょう。日本のニュースは、日本語ウェブで、簡単に手に入ります。(略)安倍首相以上に「軍事オタク」である石破現自民党幹事長が(略)入閣して、安倍内閣の長期化を支えることになりそうです。かつて、3・11福島原発事故後に「原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという『核の潜在的抑止力』になっている」(略)と公言した人物が、どうやら、ポスト安倍の最有力候補になり、原発再稼働から核保有永続化への道を、推進することになりそうです。これも、国際社会の趨勢を無視した、日本への厳しい眼に対する挑戦です。(加藤哲郎 2014.9.1

沖縄は独自の民族的権利をもつという
国連委員会勧告 (引用者注:勧告の内「琉球・沖縄の状況」参照)がでた。私たちの世代だと、沖縄「返還」のときから、つねに問題となり、どう考えるかが問われていた問題である。日本に復帰するということは日本国憲法の下に「復帰する」ことだというのが、復帰運動の論理であり、そのなかで、沖縄の独自の民族的な伝統をどう考えるかは、当面の議論にはしえなかった。ただ、そのころ私は星野安三郎氏の沖縄の独自の民族的権利を強調する講演をきいたことがあり、その趣旨には了解できることが多かった。日本国憲法の下に復帰するというのは、もちろん、いまでも一つの重要な筋であることは変わらないが、しかし、他方で、沖縄は独自の民族的権利も明瞭となってきたように思う。琉球新報のような沖縄の代表的メディアが、「日本」への帰属・併合は、琉球の歴史から見れば、ほんの百数十年前のことだと社説をかかげ、国連委員会勧告をひいて、「国際世論を味方に付け、沖縄の主張を堂々と世界に向け訴えていこう。道理はこちらの方にある」としたことの意味は重い琉球新報の社説を下記に引用させていただく。「(略)国連の人種差別撤廃委員会が日本政府に対し、沖縄の人々は「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告する「最終見解」を発表した。沖縄の民意を尊重するよう求めており、「辺野古」の文言は含まないが事実上、沖縄で民意を無視した新基地建設を強行する日本政府の姿勢に対し、警鐘を鳴らしたとみるべきだ。(略)国際世論を味方に付け、沖縄の主張を堂々と世界に向け訴えていこう。道理はこちらの方にある。」(保立道久の研究雑記 2014年9月2日
 
池上彰さん:4日朝刊にコラム掲載へ 朝日新聞が方針転 -毎日新聞:朝日新聞の池上氏のコラムを巡る騒動は拙作『選挙』上映中止事件とも重なり興味深い。コラム掲載中止や上映中止を判断した人は、組織を守るつもりで中止したのだろう。そのことが公になればかえって組織を炎上させかねないという想像力が欠落している。たぶん担当者には、コラムや上映を中止することが、言論や表現の自由の抑圧になるという発想そのものが欠落していたのだと思う。もしその点を十分に認識していたら、僕に言わせれば極めて無謀にみえるあんな対応は採れないはずだから。逆に言うと、それだけ言論や表現の自由の抑圧が日常茶飯事で、感覚が麻痺しているのではないか。今回の朝日にせよ、「デモを規制せよ」と言った先日の高市発言にせよ、9条の会を締め出した国分寺まつりにせよ、「表現や言論の自由を抑圧することは一大事だ」という認識や緊張感が感じられない。だからこそ私たちはこういう事件が起きるたびに騒がなくてはならない。言論や表現の自由を抑圧すると大変なことになるぞ、というメッセージをその都度発しなくてはならない。そういう意味では、今回の件でSNSを中心に批判が起こり、朝日新聞が方針転換をしたことには意義があると思う。まあ、そもそもこんなことは、よりによって言論機関である新聞で起きてはならないんだけどね。今回原稿をボツにしようとしたデスクの人は、現場の記者の原稿を直したりボツにしたりすることに慣れ過ぎて、外部の人間にまで無意識に強権をふるってしまったのではないかと、勝手な想像をしている。(想田和弘@KazuhiroSoda 2014年9月3日
 
・当然といえば当然、馬鹿げているといえばあまりに馬鹿げている。
ジャーナリスト斬殺での米政府の怒り心頭。では問おう。あなたがたは、2001年から現在まで、どれだけ自国民以外の罪もないムスリムを惨殺したのだ?マララさんを称揚するのも、パキスタン・タリバン運動を極悪非道の集団と非難するのもそのとおりである。だが、それならアメリカと同盟国の空爆で木っ端微塵に吹き飛ばされたアフガニスタン子どもたちの死も同様に悼むべきである。ガザの浜辺で遊んでいた子どもたちの死も同様に悼むべきである。イスラーム国なる集団が登場した背景には、すべて、欧米諸国が過去何十年にもわたって、いや欧州列強の時代を含めれば何世紀にもわたって、イスラーム世界を蹂躙し、抑圧し、搾取してきたことがある。それを忘れるべきではない。イスラーム国を「がん細胞」呼ばわりするなら、がんを発生させる生活習慣を見直したらどうなのだ?無辜の民に対する殺戮を繰り返し、その結果、傷んだ細胞ががん化したのである。ジャーナリストを斬首する行為も少数宗派を殺戮する行為も一切正当化できない。だが、彼らがなぜ残虐化したかを省みず荒療治の外科手術に頼ろうとしても、人間そのものが死んでしまう。つまり、世界そのものに死をもたらすだけである。なぜそのことに気付かず、目先の残虐性ばかりを言い立てる?がん細胞なら外科手術でやっつければいい、放射線治療でやっつければいい、という発想を押し通すことによって、母体の人間そのものが死んでしまうのと同じことだ。シリア、イラク、イエメン、スーダン、アフガニスタン、ソマリア、ナイジェリア、リビア、ガザを見よ。何が起きている?(内藤正典Twitter 2014年9月4日
 
・(承前)だがその一方で、(トルコの話だが)、かたちだけスカーフで頭部を覆い、髭面で闊歩し、イスラーム政党の支持者であることで肩で風を切って歩く馬鹿どもをみているとうんざりする。権力に追随し、利権を占めようとする金の亡者の偽イスラーム主義者が急激に増加している。一方で欧米諸国の暴虐、イスラーム政党を称揚し、見せびらかして歩くムスリムをみて、両者を倒すことがジハードだと信じる若者が生まれるのである。それは狂信者による洗脳とは無縁の、ひとつの合理的選択にすぎない。イスラーム国に参加しようとする若者たちは、西欧諸国による暴力と、ムスリムの国々での不誠実な政治に対して、彼らなりの方法で抵抗しているにすぎない。何度も言うように、夥しい数のこどもたちの遺体を眼にするたびに、ジハードの戦士たちの意気は高揚するのである。こどもの命に対して、ムスリムはことのほか敏感である。こどもを殺戮してきた欧米諸国やイスラエル、そしてエジプトのクーデタ政権やシリアのアサド政権に対して、断じて許すまじと戦いを挑むことが、狂信の果てと言えるだろうか。どれだけこども達が理不尽に殺されても沈黙しろなどと誰が言えるのか?私が、
マララ・ユスフザイを持ち上げる欧米諸国や国連をひどく嫌っているのは、夥しいこどもの命を奪ってきた当事者であり、その事実に何の有効な手段も取れない国際機関だからである。 アメリカ人ジャーナリストの斬首には憤り、ガザのこどもたちの死は黙殺するのなら、イスラーム国のジハーディストを抑止することなどできない。日本が過去に侵略した国々の人びとからいまだに敵意を受けるように、アメリカやイギリスやフランスやロシアや中国は、いまもつづくムスリムへの弾圧と殺戮によって、彼らの敵意を受けるのである。しかし、ジハードの戦士となる若者は、欧米に敵意を抱く人々の数万分の1にすぎない。結局、理不尽に殺されることなく、こどもたちの生命の安全が担保されない限り、イスラーム国の残虐な戦士たちが増えることを止めることなど、できないのである。軍事力をもって、倒そうなど、愚行の連鎖としか言いようがない。(内藤正典Twitter 2014年9月4日

・日本がNATO加盟に向けて動き出したというニュースが流れる。断続的に続いたウクライナ非合法政権と親ロシア勢力の調整が決裂し、NATOの軍事介入が避けられなくなったことを受けての動きだ。集団的自衛権の行使を容認した以上、想定されていたこととはいえ、事態の進展のあまりの速さに愕然とする。気分が悪い。夢はそこで覚めた。(略)
集団的自衛権行使容認が抑止力の強化につながるという。抑止力という考え方の是非はともかく、強化につながるという理屈自体がよくわからない。(略)日本が血を流す覚悟をすれば、アメリカも尖閣諸島を本気で守ってくれるだろう、あるいは血を流す覚悟を示さなければ、アメリカに尖閣諸島を守ってもらえないだろうということになっているようだ。(略)「同盟国」の態度に応じて、自国の姿勢を好意的に変えるということなど土台期待できないことは、アメリカ流の「自由貿易」の内実を見れば明らかだろう。自国の制度は一切変えることなく、相手国の制度や慣行を一方的に変えるよう攻め立てるのが「自由貿易」をめぐるアメリカの歴史だ。(略)アメリカのために「血を流す」と宣言すれば、もっともっと血を流すことを求めてくるだけだ。かくして、アメリカの要求は際限がなくなる。首相が日本に任せろと表明した以上、南シナ海の先兵は日本になるのは、自明に見える。NATOに加盟して、イスラム国や親ロシア勢力と交戦しなくてはならなくなるという悪夢は、なまじ見当はずれでないかもしれない。かつての大戦には負けていないと信じている日本の支配勢力が、最終的にどちらへ向かうのか明らかではないこともまた不気味だが、敗戦状態=対米隷属を選ぶならば、行く先は見えている。(「街の弁護士日記」2014年9月5日
 
・スタートした
第2次安倍改造内閣─その閣僚19人のうち15人が、「日本会議議連」に所属する。日本の侵略戦争を<正義の戦争>と正当化し、憲法9条を骨抜きにする改憲・右翼団体の「日本会議議連」を支援する国会議員懇談会(国会議員231人)のメンバーだ。しかも女性の登用 を謳い抜擢した 女性閣僚・役員6人のうち─高市早苗・総務相、山谷えり子・公安委員長、有村治子・女性活躍相、稲田朋美・政調会長の4人が、この議連に所属する。「男女共同参画」やジェンダーフリー夫婦別姓に反対し、<性奴隷としての慰安婦>問題は虚偽だと発言し、その存在自体まで否定しようとする。ここに所属する女性閣僚・幹部が「女性の輝く社会」の推進など眼中になく、それに背く言動を率先垂範して恥じない。どういう神経だ。女性議員を増やすためのクオータ制(Quota System)が叫ばれているが、こんな女性議員や閣僚が増えても、ちっとも「女性の輝く社会」づくりにプラスとはならない。政府は12日から「女性が輝く社会に向けた国際シンポジウム」を東京で開く。<東京から世界へ、女性活躍促進のための方途を発信する>というが、皮肉に聞こえてならない。(Daily JCJ「今週の風考計」2014年09月07日
 
・(承前)日本のNATO加盟(
9月5日付拙ブログ)などは、さすがに、荒唐無稽の戯れ言と思っていた。翌9月6日の中日新聞朝刊に次の記事が出た。「自衛隊 NATOと実働訓練へ 軍事拡大連携拡大 懸念も」(略)ネット検索すると、次の記事が出てきた。今年5月の記事である。「安倍首相、NATOとの新連携協定に調印」この新連携協定を報じているのは、ロイターとジャパンタイムズ、ロイターの記事を援用するハフィントンポストだ。日本メディアは、調べた限りでは出てこない。今年5月といえば、政府が解釈改憲の閣議決定を急ぎだした時期に重なる。砂川判決を持ち出して叩かれたかと思えば、15事例とか言い出し、くるくる説明を変えていた時期だ。同時期に、NATO軍との関係を緊密化する新連携協定が結ばれていた。今回の軍事演習 は、この連携協定に基づくものだと見て良いだろう(中日新聞すら協定自体には触れていない)。NATOのホームページ(英文)には、関連するページが幾つもあるので、日本メディアの沈黙は、特定秘密保護法(施行前)による威嚇効果(ないし萎縮効果)によって国民の目をふさぐためのものだろう。ロシアによるクリミア併合は3月18日。5月6日のNATOとの新連携協定はその直後ともいえるタイミングである。一方、ソマリア沖に自衛隊が派遣されたのは2009年の3月である。5年も経過して、海賊対処を名目にしたNATOとの連携を強化する協定を結び、NATO軍と軍事演習を行うというのはいかにも唐突である。ウクライナとの関係を疑わない方がおかしい。もっぱら中国に向けられた国内の自閉的な議論とは裏腹に、集団的自衛権行使容認は、すでに世界規模に拡大している。解釈改憲の焦点は、今やNATO、そしてロシアに向けられていると言って過言ではない。(「街の弁護士日記」2014年9月7日
小倉さんがおっしゃるとおり「自衛隊違憲論」は「70年代ころまでの平和運動の『常識』」でした。それがいまは平和運動家も平和運動の参加者の多くも「自衛隊合憲」を当たり前の前提として議論するというところまで来てしまいました。どうしてか? この40年ほどの間(とりわけこの10年ほどの間)にすっかり日本は右傾化してしまったということでしょうね。社会が「根こそぎ」状態で右傾化してしまったため「右」にあるものを「右」と認識できなくなった、ということがあるでしょう。その責任は「左翼」にも当然あるでしょう。というよりも、「左翼」の責任が大きい、と私は思っています。
 
私はかつて辺見庸の言葉を引いて次のように述べたことがあります。
 
「わが国の風俗、人びとの感性(生活スタイル、思想までも含む)は、70年(昭和45年)前後を分水嶺として決定的といってよいほど変容した。(略)なにが変容したのか。現代について「単独発言」を続ける、作家の辺見庸氏はいう。『まっとうな怒りをせせら笑い、まあまあととりなして、なんにもなかったように見せかける(略)。記憶するかぎり、老いも若きもこんなにも理念をこばかにし、かつまた、弱きを痛めつけ強きを支える時代ってかつてなかった。これほど事の軽重をとりちがえながら賢し顔を気取っている時代もなかった』。彼は、そこに「鵺(ぬえ)のような全体主義化」を感じとる(『眼の探索』)。ひとことで「保守化」というが(現に私もそのようにいったが)、その様相は「鵺」のようにまがまがしく、うす気味悪く、為体(えたい)がしれない。30年の後、時代はここまできた。」(2003年6月
 
上記の事態は「左翼」も例外ではなかったのです。「左翼」も例外なく蝕まれていった。現在、理念的な「左翼」がほとんどいなくなってしまったということと相似形の事態ということができるでしょう。私が「『左翼』の責任が大きい」と言うのはそういうことです。だから、小倉さんの理念的な「絶対平和主義」の話は新鮮に響くのです。
 
とはいうものの、小倉さんの話は少し難しい。聴衆の反応はどうだったのでしょう? それが気になるところです。果たして「自衛隊合憲」論の平和論者に理解されたのでしょうか?
 
絶対平和主義は何処に?(小倉利丸 2014-9-2)
 
イスラエルのガザへの空爆と地上からの侵攻は、イスラエルによる「個別的自衛権」の行使だということを私たちはしっかりと認識しておく必要がある。日本が個別的自衛権を行使する場合であっても、イスラエルがやってきたことと同種の武力行使がありえることだということを踏まえれば、現在の集団的自衛権論議のなかで、個別的自衛権を当然のように合憲とみなして議論の埒外に置くのではなく、「自衛権それ自体」を根本的に疑問に付すということに立ち戻るべきだ、ということである。言い換えれば、集団的自衛権を解釈改憲で合憲にしようとする安倍政権の態度に対して、個別的自衛権も含めて自衛のための武力・戦力の保持の違憲性を正面から問い、平和主義を軍事力(軍隊)に依存しない立場として、いかにして人々の共有認識として確認しうるかを考えるべきだと思う。
 
●9条の解釈
 
憲法9条を改めて確認してみよう。
 
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
 
この条文をすなおに読めば、憲法9条は戦争に関する5つの禁止規定を明記している。
(1)国権の発動としての戦争を放棄する。
(2)武力による威嚇を放棄する。
(3)武力の行使を放棄する。
(4)軍隊その他の「戦力」は保持しない。
(5)交戦権は認められない。
 
自衛隊はその創立当初からあきらかに、少なくとも威嚇効果をもつ戦力としての組織実体を有することを意図していたから、条文と対照して現実の自衛隊の実態を判断するとすれば、自衛隊を合憲とすることはできないことは明かである。その上で問題は、以下の点にある。
 
(1)この率直な解釈が政治的な解釈によって退けられ、歴代政府は、潜在的(威嚇能力)および顕在的戦力の実質を有している自衛隊を合憲であるとする解釈をとってきたこと。
(2)日本に駐留する米軍を9条の埒外に置くことができるという解釈によって、武力と戦力の実質的な保持を実現してきたこと。条約は憲法を越えられないにもかかわらず、日米同盟を前提とした地理的な(日本列島)の日米の軍事力の配置という観点からすれば、日米同盟は、憲法を超越する特権性を獲得しており、これが常態化しているということ。これを憲法の骨抜きというふうに解釈することもできるが、むしろ私は、これが憲法の「解釈」という機能の本質であって、戦後憲法の限界を意味しているとみるべきだと思う。
(3)これらの戦後日本の「軍事」構造を正当化することへの歴代政府の加担を可能にしてきたのは、この国の有権者が「民主主義」の形式的な手続きを通じて、憲法を超越する政府の軍事・防衛政策に正統性を与えてきたということ。ここに有権者、あるいは主権者の政治責任問題があると私は思う。
 
以下、長文なので省略させていただきます。全文は上記の小倉さんのブログをご参照ください。
先月の8月29日、NHKテレビは、ウクライナ東部のロシア国境付近をロシア軍の軍用車両と見られる10数台の車列が2つのグループに分かれて隊列を組んで進んでいる様子を撮影したというNATOの公表した2枚の衛星写真を示して「『ロシア軍ウクライナ侵入』に欧米反発」とNATO発の情報を鵜呑みにしてロシア軍のウクライナ侵入はまぎれもない真実であるかのような報道をしました。

しかし、ロシア軍のウクライナ侵入の証拠とされる2枚の衛星写真はロシア軍の軍用車両と見られる10数台の車列を映し出しているだけでロシア軍のウクライナ侵入の証拠となるべき「事実」を撮影したものではありませんでした(「ロシアがウクライナ東部の民兵勢力に対して支援していることは公にされていることです」(8月30日付環球時報社説)からロシア軍がウクライナ東部にいる写真はなんらの証拠にもなりえません)。そうした真偽の不明な写真を示すだけで「ロシア軍ウクライナ侵入」などと断定的に報じるNHKの報道姿勢に西側メディアの情報に偏頗した日本のメディアの不見識を改めて再確認する思いがしました。朝日新聞毎日新聞も西欧発の情報を鵜呑みにしてNATOの示した真偽の定かではない衛星写真を根拠にしてロシア政府を弾劾する不見識のさまはNHKと同様です。日本のメディアのあまりの無能に開いた口がふさがらないのです。

洞察力も説得力もあるポール・クレーグ・ロバーツ記者の『マレーシア旅客機に何が起きたのか?』という記事」ほかで繰り返し繰り返し詳述しているようにアメリカ国務省発の情報はこれまですべてうそだったのだから今度もうそだろう、とまず第六感するのがふつうの人の眼というものでしょう。ましてやジャーナリスト、あるいはジャーナリズムです。第六感も第七感もあってしかるべきです。それがそうではない。日本のメディア状況は文字どおりの意味で末期的といわなければならないでしょう。
 
ポール・クレーグ・ロバーツ氏は今度のNATO発の「ロシア軍ウクライナ侵入」という再度のうそについて次のように言っています。
 
「これはNATO発だが、最新のアメリカ政府のウソは、ロシアが、ウクライナを、1,000の兵士と自走砲で侵略したというものだ。これがウソだとどうしてわかるのだろう? それは、NATOからも、サマンサ・パワー・アメリカ国連大使からも、ビクトリア・ヌーランド国務次官補からも、オバマや、病的ウソつきからなる政権まるごとからも、そして、イギリス、ドイツや、フランス政府、ならびに、BBCや欧米マスコミまるごとからも、ロシアについては、ウソ以外、聞いたことがないからだ。これは、もちろん、最新の欧米プロパガンダがウソだとわかる良い理由だ。病的ウソつきの連中が、突如として真実を語り始めるわけがない。」(「マスコミに載らない海外記事」2014年8月30日
 
その上でロバーツ氏は「ロシアがウクライナを侵略したかどうか判断する方法」(同上 2014年9月3日)という記事を書いてNATO発のうその見破り方を示しています(元記事の邦訳はこちら)。
 
田中宇さんの「ウクライナ軍の敗北」(2014年9月5日)という記事もNATO発の今回の情報のうその見破り方を示しています。以下に転載させていただこうと思います。
 
ウクライナ軍の敗北(田中宇 2014年9月5日)
 
ウクライナ東部で地元の親露派武装勢力とウクライナ政府軍が戦っている戦闘で、8月末から親露派が顕著に優勢になり、ウクライナ軍が撤退している。9月1日には東部の主要都市ルハンスクの郊外で、ウクライナ軍が占拠していたルハンスク空港を親露派が攻撃した。ウクライナ軍は撤退し、親露派が空港を奪還した。 (Luhansk airport no longer under control of Ukrainian forces
 
ウクライナ政府は、空港を攻撃してきた親露派の後ろに、数日前から越境侵攻してきているロシア軍の戦車部隊がいて攻撃を支援したので、ウクライナ軍は防御しきれず撤退したと発表した。同政府は8月25日、ロシア側から露軍の戦車部隊が越境侵攻し、ウクライナ軍と戦闘になったと発表している。 (Ukraine withdraws from Luhansk airport after
'Russian tank column' attack) (Here We Go Again: Ukraine Claims It
Destroyed Two Tanks That Entered From Russia
 
しかしロシア政府は、戦車部隊など侵攻させていないと言っている。今春、東部の親露派が武装決起して以来、ウクライナ政府は何度も「ロシア軍が派兵してきた」「侵攻してきた」「戦車部隊を送り込んできた」と発表しているが、具体的な証拠をともなったことがなく、ロシア政府は越境侵攻のすべてを否定している(ウクライナとロシアが国境地帯で相互に砲撃しあったことはある)。ウクライナ政府は8月28日に「ロシアが千人の地上軍を侵攻させてきた」と発表した後、29日になって「4千-5千人が侵攻してきた」と人数を増やして発表している。いずれの発表にも、根拠となる証拠は何も示されていない。 (Ukraine Claims `Thousands' of Russian Troops Invaded, Offers No Evidence
 
米欧とアジア西部の57ヶ国で構成する安保組織OSCE(欧州安全保障協力機構)は、ウクライナ東部とロシアの国境地帯に監視団を派遣している。その最新報告書によると、ロシア軍の戦車や、航空機がウクライナ側に越境していることはなく、ロシアからウクライナへは武器の搬入もなかった。もしロシア軍がウクライナに越境侵攻しているなら、米国も参加しているOSCEの監視団が気づくはずだOSCE Mission Says Russian Helicopters `Never Seen' Crossing Ukrainian Airspace) (Weekly update from the OSCE Observer Mission at the Russian Checkpoints Gukovo and Donetsk
 
ウクライナ政府による「露軍が侵攻してきた」「露戦車部隊が攻撃してきた」といった発表は、戦況を有利にするためのプロパガンダ(ウソ)であり、事実でない可能性が高い。事実なら、ウクライナ政府は発表時に根拠を示すはずだ。ウクライナや米国やNATOの発表より、ロシア政府の発表の方が信頼できる。以前のマレーシア航空機MH17の撃墜事件をめぐっても、米政府より、ロシア政府(軍)の発表の方が具体的で信頼性が高かった。 (マレーシア機撃墜の情報戦でロシアに負ける米国
 
しかし米欧日などのマスコミは、ロシアを無根拠に非難する米国やNATO、ウクライナ政府の発表を鵜呑みにして報道している。「米政府によると」「NATOによると」といった「よると」が入っているので誤報しても自分たちの責任はないという姿勢だ。 (Pentagon Demands Russia Remove Convoy "Immediately" As NYT Reports Russians Firing Artillery In Ukraine
 
ロシア軍がウクライナに越境侵攻していないことを前提に考えると、親露派は露軍の支援を受けず、独力でウクライナ政府軍と戦って勝っていることになる。親露派はルハンスク空港だけでなく、政府軍が守っている黒海岸の町マリウポルに対する包囲を強めている。東部最大の都市ドネツクの周辺でも親露派が優勢になり、ドネツク空港も陥落しそうだと報じられている。 (Ukraine rebels say they are poised to recapture Donetsk airport) (8月下旬時点の戦況地図
 
敗走するウクライナ軍は親露派の標的にされやすく、かなりの数の兵士が戦死したと推測されているが、ウクライナ政府は戦死者数を発表したがらない。発表すると、軍の士気がさらに下がり、市民の厭戦気運が高まりかねない。親露派は8月下旬の数日間に700人のウクライナ兵士を捕虜にした。戦況は明らかに、親露派の優勢とウクライナ軍の劣勢が強まっている。 (Is Russia Winning Ukraine 'War'?) (Ukraine military routed by rebels who claim they are on the verge of capturing the strategic Donetsk airport
 
ウクライナ軍が国家を後ろ盾とした政府軍であるのに対し、親露派は民兵でしかない。なぜ民兵が政府軍を駆逐できるのか。一つの理由は、ロシアからの戦力の人的な流入だ。前出のOSCE報告書によると、ロシア側は武器をウクライナに持ち込んでいないが、軍服を着た若い男女がロシアからウクライナに多数入国している。入国者数は、親露派の攻勢が始まる直前の8月26日から急増した。それ以前はロシアへの入国が多かったが、8月26日からの1週間で逆に4千人近くがウクライナに入国している。軍服のロシア人兵士たちは丸腰でウクライナ側に入ってすぐのところにある事務所で武器と弾薬を受け取り、指定された前線に向かう。受け取った武器の性能を試す射撃場も国境近くにある。 (Obama is a Liar. Fake NATO Evidence
 
ロシア兵は、一定期間ウクライナ東部で親露派を助けてウクライナ軍と戦った後、また国境に戻り、ロシアに再入国する直前に事務所で武器と弾薬を返し、丸腰で帰国する。このような仕組みで、ロシアがウクライナに兵器を何も支援していない状態が保たれている。この人的支援は、おそらくロシア軍が傘下の兵士に命じて行わせていることだろうが、形式上は、ロシア人の兵士個人が、義侠心や愛国心から、ウクライナの親露派を助けに行くかたちになっている(最近のロシアのナショナリズムの高まりから考えて、多くのロシア兵はいやいやでなく、個人的な気持ちから参戦しているだろうが)。
 
ウクライナ軍は、14年前の冷戦終結までソ連軍(現ロシア軍)の一部であり、ロシアとの結びつきが強く、政府が軍の現場を信用しない傾向があり、全般的に軍の士気が低い。財政難なので装備も古く、部隊の移動に装甲車でなく、狙撃されたらひとたまりもない普通の大型バスを使うことが多い。戦闘現場で、戦闘に参加しないと表明する兵士が続出し、部隊ごと戦闘を放棄して逃げることもあると、米国の新聞すらが認めている。 (Obama's "Catastrophic Defeat" in Ukraine
 
親露派が占領しているドネツクの近郊では、市街地を包囲していたはずの政府軍を、背後から親露派の部隊が攻撃し、逆に包囲された政府軍部隊の大半が戦闘を放棄した。数百人の兵士が行き場を失い、ロシアへの亡命を希望したが、親露派に包囲されたまま身動きがとれなくなった。ロシア政府が親露派に対し、亡命希望者が対露国境に向かうことを認めるよう要請し、背走した兵士たちが亡命した。親露派は、政府軍が残した武器を回収し、自分らの武器として使っている。 (Putin calls on Ukraine militia to let blocked Kiev troops to cross into Russia
 
親露派は、戦闘で優勢になり始めた8月中旬の1週間で、逃亡した政府軍部隊が放棄した14台のT64型戦車、25台の歩兵戦闘車、18台の装甲車などを獲得した。親露派は、これらを使って政府軍を攻撃し、優勢を強めたと考えられる。 East Ukraine militias seize large amount of Ukrainian armor - Kiev's hacked data
 
政府軍は敗北しているが、ウクライナ政府は敗北を認めていない。国防相は9月1日「ロシア軍が越境侵攻してきたので、もう東部の親露派と戦い続けることはしない。これからはロシアとの戦争になる」と発表した。親露派との戦闘に敗北したことは認めないものの、もう親露派と戦わないと表明した。これは、ウクライナ軍の事実上の敗北宣言である。 (Ukraine signals strategic shift to de facto war with Moscow) (Ukraine defence minister warns of great war with Russia
 
ウクライナの国防相が敗北を認めず「これからはロシアとの戦争になる」と発表した意味は、これまでのウクライナの政府軍と国内親露派との内戦を、ウクライナ軍とロシア軍の国際的な戦争に発展させ、米国やNATOがウクライナの味方をしてロシアと戦争せねばならない状況を作り出そうとする戦略だろう。ウクライナのヤツェニュク首相は「ロシアと和平するのでなく、EUやNATOがロシアを抑止してくれることを望む」という趣旨の表明を発している。ウクライナ軍が負けを認めると、ロシアの仲裁に従って親露派と停戦・和解せよという国際的な圧力がかかる。和解でなく、米欧をロシアと戦わせることで自国を守ってもらいたいウクライナの指導者たちは、敗北を認めるわけにいかない。 (Ukraine PM Pours More Cold Water On Latest "Ceasefire"
 
ドイツの外相は「ウクライナは全く新しい局面に入った」と述べてウクライナ軍の敗北を示唆し「ウクライナがロシアとの戦争に入ると制御不能になる」と警告している。これは世界大戦の警告だ。 (Ukraine 'slipping out of control', Germany warns
 
ウクライナ軍の内戦敗北を受けて、米欧ウクライナの中枢では、現状を米欧とロシアとの戦争に発展させたい勢力と、ウクライナに負けを認めさせて親露派に自治を与えて停戦させたい勢力が暗闘している感じになっている。ロシア政府は、事態を後者の停戦の方に引っ張りたい。ロシア政府は、ウクライナ内戦の停戦と事後処理、親露派に対する自治付与などを柱にした和平交渉の案を発表し、9月5日からウクライナ政府と親露派の停戦交渉をベラルーシで始めることを決めた。停戦交渉にはロシアと米欧も参加する。 (Putin Lays Out Proposal to
End Ukraine Conflict) (Putin, Poroshenko Largely Agree on Ukraine Cease-Fire Steps
 
これに先立って9月3日、ロシアのプーチン大統領とウクライナのポロシェンコ大統領が電話で会談した。その後、ポロシェンコのウェブサイトに、電話会談で恒久的な停戦に合意したという発表文が掲載された。しかし、数時間後にこの発表文は削除され、ウクライナ政府の報道官が、電話会談では双方の意見が一致したものの、恒久停戦で合意したわけでないと発表を訂正した。この転換は、会談の会話に対する解釈の問題かもしれないが、そうでなくて、好戦的な勢力が強い米政府筋から「停戦なんかするな」「停戦するなら米国はもうウクライナを支援しない」と圧力がかかったのかもしれない。 (Ukraine permanent ceasefire agreed, says Petro PoroshenkoUkrainian President Announces Permanent Ceasefire Agreement With Russia
 
米オバマ政権は、ロシアを非難する声明を出し続けている。NATOは、東欧への兵力増派を決定するなど、ロシア包囲網作りを続けている。米露が恒久対立の第2冷戦の状態に戻るのは、軍産複合体や同盟諸国の対米従属勢力にとって喜ばしいことだ。米露恒久対立を再構築することは、米欧とロシアが直接戦争することでない。米欧とロシアは直接に戦争せず、対立だけ続けるのが冷戦構造だ。米国は、ロシアを非難し続け、対露包囲網の兵力配備をするだろうが、ロシアと直接に戦う気はない。米国はウクライナに対し「ロシアとの和平は許さないが、戦争も許さない」という態度をとっている。(Our Cold War With Russia Could Turn Hot
 
この微妙な路線が続くと、米露の第2冷戦構造が確立していくが、その前に事態が崩れるかもしれない。戦争の方向に崩れるより、対露戦争を嫌がるドイツがロシアとの協調を強めるなどして、和平の方向に動く可能性の方が高い。ドイツが対米従属から離れ、もう少し自立した毅然とした外交姿勢をとると、独露協調で和解の方向に引っ張る力が強くなり、オバマ政権が、それなら独露に任せると言って身を引くかもしれない。
 
オバマは、それと似た態度の転換を昨秋、シリアを空爆すると言って引っ込め、代わりにシリアに化学兵器を撤去させる案を出したロシアに任せた時にやっている。ウクライナの事態もいずれ、オバマが第2冷戦構造を作る好戦策を稚拙にやった挙句にさじをなげ、米国が引っ込んで独露協調の解決策が進む「多極化」の展開になるのでないかというのが、私の長期予測だ。(シリア空爆策の崩壊
イスラーム国」(ISIS)の評価に関する以下の坂井定雄さん(龍谷大学名誉教授)と内藤正典さん(同志社大学大学院教授)のどちらの論にあなたは説得されるでしょう。おそらく直面している状況については坂井さんも内藤さんも認識はほぼ同じです。にもかかわらず以下のようにISISに対する評価、というよりも対応が分かれます。おそらく欧米の中東戦略(対応)をどう評価するかという評価の違いが「イスラーム国」評価の違いとなって見解が分かれるということになっているのでしょう。坂井さんの人道的観点からのISIS批判もよくわかるのですが、私は内藤正典さんの説の側に立ちたいと思います。内藤さんが強調するように「アメリカ人ジャーナリストの斬首には憤り、ガザのこどもたちの死は黙殺するのなら、イスラーム国のジハーディストを抑止することなどできない」と私も強く思うからです。

以下、おふたりのそれぞれの論です。はじめに坂井定雄さんの論から。
 
ISに2か月間抵抗した町を解放―国連は残虐行為を最大限に非難
(リベラル21 坂井定雄 2014.09.05)
 
坂井定雄:1936年生。龍谷大学名誉教授(中東政治論)。元共同通信ベイルート特派員。
 
イラクとシリアで支配地域を拡げた、凶暴なイスラム過激派「イスラム国(IS)」は2人目の米国人ジャーナリストを殺害した。ISは2日、その残虐な処刑のビデオ映像をインターネットで世界に流した。捕虜にした政府軍兵士や異教徒、外国人人質の処刑光景をネットで流すのは、IS特有の恐怖戦術だ。
 
国連人権理事会は1日、「ISとその協力グループは、6月10日以来、イラク各地で、宗教的、人種的集団に対してテロ行為を繰り返し、戦争犯罪、人道に対する犯罪を重ねた。特に非難すべきは女性と子供に対する暴力である」として「人権と国際人道法の組織的な侵犯を、最大限の言葉で非難する」と決議、イラクへの調査団派遣を決めた。そしてイラク政府に対し「すべての犯罪者たちを法の場に引き出すことを求め、憲法が定めた時間内に各勢力が参加する新政権を発足させることを支持する」と表明した。
 
現地イラクでは8月31日、2か月間にわたってISに包囲されながら抵抗をつづけた北部の町アメルリを、空軍の支援を受けたイラク軍、クルド人民兵部隊ペシュメルガが解放し、町周辺からISを追い払った。
 
歓喜した住民たちが町に入った政府軍兵士とペシュメルガを大歓迎したことはいうまでもない。アメルリには少数民族トルクメン人(シーア派)が約1万5千人住み、ISに対して頑強に抵抗してきた。ISはこれまで、捕虜にした戦闘相手の政府軍や民兵部隊でだけでなく、支配下に入った異民族、異宗教・宗派の住民を残虐に扱ってきた。このため偏狭なスンニ派のISがアメルリを占領した場合には集団虐殺が懸念されていた。
 
ISの異常な残虐性の一つは、支配した町や集落で、異宗教・宗派の住民に改宗か死を迫り実行することだ。イスラム教では、コーランで改宗を強制してはならないと明記している。古い征服の時代には、新たな征服地の異教徒に対して改宗を求めたが、拒否する住民にはほどほどの金を支払わせて済ませてきた。しかし、占領したイラク第2の都市モスルの例を見ても、ISは改宗を拒否するキリスト教徒などには、払いきれないほどの高額な免除金を要求、前回紹介したシンジャルのヤジディ教徒の場合は改宗か死を選ばせた。
 
国連と国際アムネスティによると、シンジャルでは、大多数の人々が脱出するまでに、ISは少なくとも千人のヤジディ教徒を殺し、約2,750人を連れ去り、うち女性と子供たちはIS戦闘員に競売されたという。このことは、アメルリのトルクメン人住民の間でも知られていた。このため、アメルリの住民たちは、文字通り決死の覚悟で町を防衛した。中東の衛星TV局アルジャジーラは、アメルリの解放直前、首都バグダッドから住民に電話取材して「イラクの少数派住民は、ISに占領されるなら死を誓っている」(電子版)と次のように報道したー
 
バグダッド発:戦闘さなかのイラクの町アメルリのシーア派トルクメン人住民たちは、家族の墓を用意し、もしISに同町が占領されたら、妻と子供たちを殺す覚悟で、2か月間も抵抗を続けている。同町職員の一人メヘディさんは、アルジャジーラからの電話に「私たちは3軒か4軒に一つ墓を掘りました。もしISが私たちの町に突入してきたら、どの家でも妻と子供たちを殺し、埋葬します」と語った。メヒディさんによると、妻たちはISに捕まるぐらいなら死ぬことに同意したという。そして「彼女たちは『私たちは、シンジャルの一部の女性たちのように、ISの奴隷になって終わりたくはありません。ISがその手を私たちの上に置くのを許すことはできません』といっています」と語った。
 
アメルリからバグダッドに空輸で脱出できた女性たちは、親戚の女性たちの間での唯一の問題は、誰かに撃たれるか、自分で撃つかだったと言っている。アメルリで美容院をやっていたファーテマ・カッシムさんは「ISが来たら、すべての女性たちは自殺します。自分で撃つか、石油をかぶって火をつけるかして」と語った。ファーテマさんによると、彼女の兄は、彼の妻と6人の子供を残して、町の防衛のために戦っているという。「彼は自分の銃に8発を残しています。ISが町に入ってきたら、子供たち、自分と妻を撃つためですと」語った。
 
イラク空軍は断続的な空輸でアメルリから市民たちを脱出させたが、なお1万5千人ないし2万人が同町に残っている。約2千人の農民や市職員たちが塹壕を掘り、ISの攻撃を3回撃退した。トルハン・アルムフティ通信相は「アメルリ周辺の40の村落がISの手に落ちた。もしアメルリが占領されれば、文字通り皆殺しとなるだろう」と語った。

続いて内藤正典さんの論。
 
内藤正典Twitter (2014年9月3日~4日)から
 
内藤正典:1956年生。同志社大学大学院教授(中東・国際関係)。
 
当然といえば当然、馬鹿げているといえばあまりに馬鹿げている。ジャーナリスト斬殺での米政府の怒り心頭。では問おう。あなたがたは、2001年から現在まで、どれだけ自国民以外の罪もないムスリムを惨殺したのだ?
 
マララさんを称揚するのも、パキスタン・タリバン運動を極悪非道の集団と非難するのもそのとおりである。だが、それならアメリカと同盟国の空爆で木っ端微塵に吹き飛ばされたアフガニスタン子どもたちの死も同様に悼むべきである。ガザの浜辺で遊んでいた子どもたちの死も同様に悼むべきである。
 
イスラーム国なる集団が登場した背景には、すべて、欧米諸国が過去何十年にもわたって、いや欧州列強の時代を含めれば何世紀にもわたって、イスラーム世界を蹂躙し、抑圧し、搾取してきたことがある。それを忘れるべきではない。
 
イスラーム国を「がん細胞」呼ばわりするなら、がんを発生させる生活習慣を見直したらどうなのだ?無辜の民に対する殺戮を繰り返し、その結果、傷んだ細胞ががん化したのである。ジャーナリストを斬首する行為も少数宗派を殺戮する行為も一切正当化できない。
 
だが、彼らがなぜ残虐化したかを省みず荒療治の外科手術に頼ろうとしても、人間そのものが死んでしまう。つまり、世界そのものに死をもたらすだけである。なぜそのことに気付かず、目先の残虐性ばかりを言い立てる?
 
がん細胞なら外科手術でやっつければいい、放射線治療でやっつければいい、という発想を押し通すことによって、母体の人間そのものが死んでしまうのと同じことだ。シリア、イラク、イエメン、スーダン、アフガニスタン、ソマリア、ナイジェリア、リビア、ガザを見よ。何が起きている?
 
だがその一方で、(トルコの話だが)、かたちだけスカーフで頭部を覆い、髭面で闊歩し、イスラーム政党の支持者であることで肩で風を切って歩く馬鹿どもをみているとうんざりする。権力に追随し、利権を占めようとする金の亡者の偽イスラーム主義者が急激に増加している。
 
一方で欧米諸国の暴虐、イスラーム政党を称揚し、見せびらかして歩くムスリムをみて、両者を倒すことがジハードだと信じる若者が生まれるのである。それは狂信者による洗脳とは無縁の、ひとつの合理的選択にすぎない。
 
イスラーム国に参加しようとする若者たちは、西欧諸国による暴力と、ムスリムの国々での不誠実な政治に対して、彼らなりの方法で抵抗しているにすぎない。何度も言うように、夥しい数のこどもたちの遺体を眼にするたびに、ジハードの戦士たちの意気は高揚するのである。
 
こどもの命に対して、ムスリムはことのほか敏感である。こどもを殺戮してきた欧米諸国やイスラエル、そしてエジプトのクーデタ政権やシリアのアサド政権に対して、断じて許すまじと戦いを挑むことが、狂信の果てと言えるだろうか。どれだけこども達が理不尽に殺されても沈黙しろなどと誰が言えるのか?
 
私が、マララ・ユスフザイを持ち上げる欧米諸国や国連をひどく嫌っているのは、夥しいこどもの命を奪ってきた当事者であり、その事実に何の有効な手段も取れない国際機関だからである。
 
アメリカ人ジャーナリストの斬首には憤り、ガザのこどもたちの死は黙殺するのなら、イスラーム国のジハーディストを抑止することなどできない。
 
日本が過去に侵略した国々の人びとからいまだに敵意を受けるように、アメリカやイギリスやフランスやロシアや中国は、いまもつづくムスリムへの弾圧と殺戮によって、彼らの敵意を受けるのである。
 
しかし、ジハードの戦士となる若者は、欧米に敵意を抱く人々の数万分の1にすぎない。
 
結局、理不尽に殺されることなく、こどもたちの生命の安全が担保されない限り、イスラーム国の残虐な戦士たちが増えることを止めることなど、できないのである。軍事力をもって、倒そうなど、愚行の連鎖としか言いようがない。
本エントリは「川辺川ダム問題を追いかけ続けたジャーナリスト、高橋ユリカさんの死を悼む」の追記として書いています。高橋ユリカさんの友人だった保坂展人さん(現世田谷区長・前社民党衆院議員)の追悼文を追記としてご紹介させていただこうと思います。

写真:高橋ユリカさん(1998年撮影) 
   
高橋ユリカさん(1998年撮影)

人間中心の暮らし願ったジャーナリストの死 (Asahi Shimbun digital[and]保坂展人 2014年9月2日)
 
8月20日朝、「訃報」と題したメールを受け取ってドキリとしました。もしや、と思いながら開くと、やはり、ユリカさんが亡くなったという知らせでした。
 
<高橋ユリカさんは、長年ガンと闘って来られましたが、今年に入ってから体調が思わしくなく、自宅ならびにホスピスで療養を続けられました。しかし、今月に なって急に体力を落とされ、ついに今朝4時に静かに息を引き取られたそうです。 懸案の下北沢の本の原稿を最後まで執筆され、完成を楽しみにされていましたが、力尽きたという感じです>
 
発信元は、ユリカさんと一緒に『シモキタらしさ――まちと暮らしの未来を拓く』という本を執筆していた建築家の小林正美さんでした。
 
私はかつて、超党派の国会議員でつくる公共事業チェック議員の会の事務局長をしていたので、ジャーナリストのユリカさんとは議員会館でよく顔をあわせました。ユリカさんは熊本県の川辺川ダムを取材していて、国土交通省ヒアリングの時には、いつもその姿がありました。2008年に蒲島郁夫・熊本県知事が劇的な「川辺川ダム計画白紙撤回」宣言をするまでの42年間、巨大公共事業計画に翻弄(ほんろう)され続けた住民たちの声を拾い、『川辺川ダムはいらない 「宝」を守る公共事業へ』 (岩波書店)という本にまとめています。
 
久しぶりに再会したのは、世田谷区長に就任した2011年春のことでした。ユリカさんは下北沢に住むひとりとして、小田急線の地下化にともなう連続立体交差事業にからんで市民の側からまちづくりの提案をする活動の中心にいました。「小田急線の跡地を考える会」をつくり、その後に「グリーンライン下北沢」 の代表をつとめていました。ジャーナリストとしての活動のかたわら、民主主義を担う市民としても積極的に活動されていました。
 
ニューヨークの「ハイライン」について詳しく教えてくれたのもユリカさんでした。マンハッタンで古い貨物列車が通っていた高架線が、若者たちを中心にした「保存・活用」の声を受けて、いったん撤去が決まりながらも、人々が散策する公園として整備されたというのです。現地に飛んで取材してきたユリカさんがいつものように早口でまくしたてる報告を聞きながら、心を動かされたことを覚えています。
 
昨年3月。小田急線は地下にもぐり、地上の線路を走る小田急線の最終電車がニュースになりました。その日のことは、私も「カオスのまち・下北沢の変わらぬ魅力」(2013年4月2日)と題してこのコラムで書きました。
 
最終電車を待ち受ける人々の中に、こんなコピーが掲げられていました。「さよなら踏切、ようこそシモチカ」。もう2度と降りることのない踏切が最後に開くと、線路の両側から人々が流れ込み、ハイタッチを交わしながら祝ったそうです。思えば、あのコピーも、あのハイタッチも、ユリカさんが呼びかけたものでした。
 
8月26日、その小田急線の線路跡地(上部)をテーマにした、「北沢デザイン会議」が開かれました。代々木上原から梅ケ丘までの2.2キロに及ぶ空間をどのように活用すべきか。市民が意見交換する場を設けようと、世田谷区が主催したものです。
 
「何とか26日まで頑張ろうと思って。5分でいいから車椅子で会場に行って、一言だけ言えたら…」
 
亡くなる直前に私が訪ねた病室で、ユリカさんは小さな声でそう話していました。
 
「待ってますよ。その時、会いましょう」という私に、重ねるようにユリカさんは言いました。
 
「みんなに会えないけど、よろしく伝えてくださいね」
 
情熱を傾け続けたシモキタの未来について発言したいという思いの一方、みずからの死期を悟っているかのようでもありました。息を引き取ったのはそれから3日後、シンポジウムを6日後に控えた早朝でした。
 
葬儀には多くの人が参列しました。会場の一角には、ユリカさんの書いた記事や本が並べられていました。30代半ばにガンを患い、『キャンサー・ギフト ガンで死ねなかった私から元気になりたいあなたへ』『病院からはなれて自由になる』『医療はよみがえるか――ホスピス・緩和ケア病棟から』などの著書も残していました。
 
「北沢デザイン会議」には200名の参加者が集まり、シンポジウムの発言者として予定されていたユリカさんの席には、白い花が置かれていました。
 
「公園・緑が少ないので、公園や花壇を全地域で整備して緑を増やしてほしい」
「緑の連続性が大切だ」
「駐輪場は確保してほしい」
「歩行者が安心して歩ける通路にしてほしい」
「線路跡地から見える富士山の眺望を残してほしい」
 
そういった提案や要望から「道路計画を見直すべきだ」という意見まで、たくさんの声が寄せられました。1時間半を超える議論を、どこかでユリカさんが見ているように感じました。
 
人間中心の都市デザイン、ゆっくりと歩いて楽しいまちづくり。彼女が強く願い、握りしめてきたバトンは多くの人に引き継がれていくことでしょう。

今日、「朝日新聞」に関して2つの記事が目に止まりました。1本目は「池上彰さん4日朝刊にコラム掲載へ 朝日新聞が方針転換」(毎日新聞 2014年9月3日)という記事について論じた想田和弘さん(映画監督・ジャーナリスト)の twi
tter発言。もう1本は元朝日新聞記者の松島みどり新法相の初閣議後の記者会見の際の「死刑執行に署名することも覚悟して、この職を引きうけました」という絞首刑執行宣言を論じた辺見庸(作家)の「日録1-1」(2014年9月4日)。2本の記事はまったく別々の記事です。が、私にはいまの「朝日新聞」というメディアの殺風景をよく象徴するスナップショットのように思えました。
 
池上彰さん:4日朝刊にコラム掲載へ 朝日新聞が方針転換 - 毎日新聞:朝日新聞の池上氏のコラムを巡る騒動は拙作『選挙』上映中止事件とも重なり興味深い。コラム掲載中止や上映中止を判断した人は、組織を守るつもりで中止したのだろう。そのことが公になればかえって組織を炎上させかねないという想像力が欠落している。たぶん担当者には、コラムや上映を中止することが、言論や表現の自由の抑圧になるという発想そのものが欠落していたのだと思う。もしその点を十分に認識していたら、僕に言わせれば極めて無謀にみえるあんな対応は採れないはずだから。逆に言うと、それだけ言論や表現の自由の抑圧が日常茶飯事で、感覚が麻痺しているのではないか。今回の朝日にせよ、「デモを規制せよ」と言った先日の高市発言にせよ、9条の会を締め出した国分寺まつりにせよ、「表現や言論の自由を抑圧することは一大事だ」という認識や緊張感が感じられない。だからこそ私たちはこういう事件が起きるたびに騒がなくてはならない。言論や表現の自由を抑圧すると大変なことになるぞ、というメッセージをその都度発しなくてはならない。そういう意味では、今回の件でSNSを中心に批判が起こり、朝日新聞が方針転換をしたことには意義があると思う。まあ、そもそもこんなことは、よりによって言論機関である新聞で起きてはならないんだけどね。今回原稿をボツにしようとしたデスクの人は、現場の記者の原稿を直したりボツにしたりすることに慣れ過ぎて、外部の人間にまで無意識に強権をふるってしまったのではないかと、勝手な想像をしている。(想田和弘twitter 2014年9月3日
 
ぞっとした。松島みどり法相(元朝日新聞記者)が初閣議後の記者会見で「死刑執行に署名することも覚悟して、この職を引きうけました。議論は必要かもしれないが、国民の考えにもとづいた制度として必要だと考えています」と語り、死刑制度に肯定的な意見をしめした、というよりも、テレビで見ると、死刑執行をこれからもバシバシやります、といふ口ぶり。谷垣前法相は計11人の絞首刑執行を命じ、つまり、11人を国家の名において次から次へと縊り殺し、「死に神」として自民党幹事長に。松島は特定秘密保護法(実質上の治安維持法)の具体的運用にものりだす。およそファシスト政権で死刑と思想・言論統制に不熱心だった党などなかった。(略)コビトがきて、(略)唖者なので念波で問うてくる。「あの女って、吸血鬼に、バンパイアに似てません?」。真っ赤な新法相マズシマのことだ。そう、似てる。いやな顔だ。が、ここは諭す。「そんなことを言うものではないよ。マズシマさんもひとりのヌングェンなのだよ……」。コビト「あいつ、きっと来月までに死刑執行やりそう……。殺す気マンマンだよ。カクリョーたって・・・・(略)」(辺見庸「日録1-1」2014/09/04) 
 
「池上彰さん4日朝刊にコラム掲載へ 朝日新聞が方針転換」に関しては「kojitakenの日記」(2014-09-03)の次のような批判もあります。
 
実は朝日新聞も、(略)「アジア女性基金」を積極的に評価する論調をずっととってきていて、その点をリベラル側から批判されている。その朝日が、「保守」(実際には「右翼」あるいは「極右」)のご機嫌を取ろうとやらかしたのが今回の「検証」ではなかったかと私はにらんでいる。それで、朝日は「政治的には最悪の判断」をしたと考えているのである。この問題に関する言論空間の偏りから思い出されるのは、1972年の「西山事件」であって、あれも政府(佐藤政権)の意を受けた週刊新潮による問題のすり替えが世論のマジョリティになってしまった。今回の朝日の「検証」も同じであって、毎日新聞やTBSまでもが、「右翼にもご機嫌を取る」、「右にも左にも配慮した」報道をして、極右的マジョリティの形成に手を貸しているていたらくである。西山事件の教訓が生きていれば、そんな報道はできないはずなのだが。そして、極右的マジョリティに迎合したジャーナリストとして池上彰の名前が挙げられる。(略)ここでは、「国際派ジャーナリスト」のはずの池上彰が、国内のガラパゴス的世論に迎合した態度を取ろうとしたことがまず批判されるべきだ。右翼のみがこだわる吉田清治証言」なるものを針小棒大に扱う議論が、いかに国際標準からかけ離れているかという問題意識を、ジャーナリストであれば持たなければならないのではないか。さらにいただけないのは、原稿の掲載を拒否した朝日新聞である。朝日としては「なぜ右翼のご機嫌取りをしてやっているのにこんなに叩かれなくてはいけないのか。俺たちは『アジア女性基金』を評価してるために『左』からも批判を受ける立場なのに」と思っているかもしれないが、池上彰から批判を受けたなら、原稿を掲載した上でに堂々と受けて立つ態度が、日本を代表する新聞社には求められるのではないか。最悪のタイミングでの「検証」記事の掲載といい、池上彰の原稿の掲載拒否といい、朝日は自らを犠牲にして右翼的マジョリティの言論が確立するのを助けるという倒錯した行いばかりをしているように思われる。(「『慰安婦検証記事』をめぐる池上彰と朝日新聞、それぞれの愚行」kojitakenの日記 2014-09-03
 
kojitakenさんは「朝日が「右翼」あるいは「極右」のご機嫌を取ろうとやらかしたのが今回の『検証』ではなかったか」と今回の朝日新聞の「検証」の負のネライの本質をよく衝いているように私には見えます。辺見庸も先に朝日新聞の「検証」の負のネライをはっきりと見抜いた発言をしていました(辺見はかつての共同通信の外報部デスクです)。
 
従軍慰安婦問題について、朝日新聞がこれまでの報道を点検し、一部の誤りをことさら麗々しくみとめて、とり消した。いわゆる「真実の報道」のためにそうしたのか、歴史修正主義の怒濤に呑まれた世論と政治権力に屈してそうしたのか。後者であろう首相官邸、「日本会議」や右派系各紙週刊誌を大いによろこばしめ、従軍慰安婦問題などそもそもなかったという首相Aの思惑どおりの流れがこれでできた。歴史が崩壊している。事実が鋳つぶされている。この伝で、文化大革命報道を点検したら、とり消しに値する誤報・虚報が何万件あることか。なぜそれはやらないで、慰安婦問題なのか。朝日の記事とり消し騒ぎの後景には、理解をこえる嫌韓・侮韓のうねりもある。こうしたおぞましいセンチメントが歴史的与件を蹴ちらしている。(辺見庸「日録29」2014/08/06)。
 
しかし、辺見は、次のように右翼・右派メディアの朝日新聞攻撃、朝日の「検証」批判の不当性から朝日新聞を正当に擁護してもいます。
 
慰安婦問題にかんする1週間ほど前の神奈川新聞社説。論旨明快、阿諛便佞(あゆべんねい)の口吻毫もなく、姿勢毅然たり。まことに一読に値した。社説タイトルは「慰安婦報道撤回 本質は強制連行にない」。わた しはこの社説を支持する。情勢にかんがみ、以下、全文を紹介する。
 
「朝日新聞が従軍慰安婦の報道の一部が虚報だったと認め、記事を取り消した。それをもって、慰安婦が強制連行されたとの主張の根幹が崩れたと唱える論が横行している。『木を見て森を見ず』のような、稚拙な言説である。朝日が誤りだったとしたのは『強制連行をした』という吉田清治氏の証言だ。韓国・済州島で朝鮮人女性を無理やりトラックに押し込め、慰安所へ連れて行ったとしていた。30年余り前の吉田証言は研究者の間でも信ぴょう性に疑問符が付けられていた。旧日本軍による強制連行を示す証拠は他にある。日本の占領下のインドネシアで起きたスマラン事件公判記録などがそれだ。だまされて連れて行かれたという元慰安婦の証言も数多い。研究者による公文書の発掘は続いており、新たな史料に虚心に向き合わなければ、歴史を論じる資格を手にすることはできないだろう。
 
強制連行を否定する主張はさらに、誤った記事により日本がいわれなき非難を受け、不当におとしめられてきたと続く。しかし、国際社会から非難されているのは強制連行があったからではない。厳しい視線が向けられているのは、人集めの際の強制性のいかんに焦点を置くことで問題の本質から目を背け、歴史の責任を矮小化しようとする態度にである。問題の本質は、女性たちが戦地で日本軍将兵に性的行為を強要されたことにある。慰安をしたのではなく性暴力を受けた。兵士の性病まん延防止と性欲処理の道具にされた。その制度づくりから管理運営に軍が関与していた。それは日本の植民地支配、侵略戦争という大きな枠組みの中で行われたものであった。
 
歴史認識の問題が突き付けるのは、この国が過去と向き合ってこなかった69年という歳月の重みだ。国家として真摯な謝罪と反省の機会をついぞ持たず、歴史修正主義を唱える政治家が主流になるに至った。朝日が撤回した記事について、自民党の石破茂幹事長は『国民も非常に苦しみ、国際問題にもなった』と、その責任に言及し、国会での検証さえ示唆した。過去の国家犯罪の実態を明らかにし、被害国と向き合う政治の責任を放棄し続ける自らを省みることなく、である。国際社会の非難と軽蔑を招く倒錯は二重になされようとしている」。
 
二重の倒錯。そのとおりである。朝日関係者の国会招致の動きに反対する。(辺見庸「日録30」2014/08/16
 
標題の「『朝日新聞よ、どこに行こうとするのか?~マスメディアよ、ジャーナリストたれ』その後」は私にもこれまで同紙について以下のような記事があることからつけました。私が朝日新聞に見切りをつけ40年近くとってきた同紙の購読をやめたのもこの時期でした。
 
教育基本法~マスメディアよ、ジャーナリストたれ(1)(JANJAN 2006/11/
21)
筑紫哲也さんの由布院盆地でのメディア批判~マスメディアよ、ジャーナリストたれ(2)(JANJAN 2006/12/02)
「言葉のチカラ」失った朝日~マスメディアよ、ジャーナリストたれ(3)(JANJ
AN 2006/12/20)
朝日新聞よ、どこに行こうとするのか?~マスメディアよ、ジャーナリストたれ(4)(JANJAN 2007/05/12)
澤藤統一郎弁護士のDHCスラップ訴訟の闘いの途中経過報告です。なんとDHC(吉田嘉明会長)側は「批判の自由」など金の力でどうにでもできる(「お主も悪よのう」という悪代官、もしくは悪徳問屋)的思考でしかものを考えることができないからでしょう。損害賠償額をこれまでの2000万円から6000万円に吊り上げてきたということです。「闇米購入拒否で餓死」した裁判官がいたことなどこの人にとってはおとぎ話の世界のことでしかないのでしょう。この世はすべて金、というのがこの人の「世界観」のすべてのようです。「哀れさ」とともにその「哀れ」なやからが現代ニッポンの「企業家」(権力者)という意味において改めて「怒り」ならぬ「憤怒」が沸騰してきます。
 
スラップ訴訟の参考として元朝日新聞記者の烏賀陽弘道氏とNPO法人POSSE代表の今野晴貴氏のスラップ訴訟(もしくは未訴訟)の顛末記を最後に添付しておきます。
 
以下、「澤藤統一郎の憲法日記」(2014年8月31日)から。「これが、損害賠償額4000万円相当根拠とされたブログの記事-『DHCスラップ訴訟』を許さない・第20弾」。
 
本日、『DHCスラップ訴訟』で原告(DHCおよび吉田嘉明)からの「訴えの追加的変更申立書」に接した。私に対する損害賠償請求金額は、これまで2000万円だった。これを6000万円に拡張するという。4000万円の増額。一挙に3倍化達成である。
 
これまで、原告らの名誉を毀損とするとされた私のブログは、次の3本。再度ご覧いただけたらありがたい。いずれも、政治を金で買ってはならないという典型的な政治的批判の言論である。
 
http://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
 
http://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
 
http://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
 
これに追加して、新たに次の2本のブログもDHCおよび吉田嘉明の名誉を毀損するものだとされた。これまで、「DHCスラップ訴訟」を許さないシリーズは、第1弾~第19弾となっているが、そのうちの第1弾と第15弾の2本が取りあげられたのだ。
 
http://article9.jp/wordpress/?p=3036 (2014年7月13日)
いけません 口封じ目的の濫訴  -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第1弾
 
http://article9.jp/wordpress/?p=3267 (2014年8月8日)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ  -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾
 
これまでは3本のブログ(その中の8か所の記載)で2000万円の請求。今度は、2本増やして合計5本のブログで6000万円。単純な差し引き計算では、「DHCスラップ訴訟」を許さない・シリーズの2本のブログが4000万円の請求増額の根拠。1本2000万円ということになる。
 
馬鹿げた話しだ。請求金額に何の根拠もないことを自ら語っているに等しい。要するに、「DHC・吉田批判を続けている限り、際限なく請求金額をつり上げるぞ」という、訴訟を武器にした恫喝にほかならない。
 
(中略)
 
私が先日法廷で陳述したことの一部を再度掲載して、ご参考に供したい。
 
「私の言論の内容に、根拠のないことは一切含まれていません。原告吉田嘉明が、自ら暴露した、特定政治家に対する売買代金名下の、あるいは金銭貸付金名下の巨額のカネの拠出の事実を前提に、常識的な論理で、原告吉田嘉明の行為を『政治を金で買おうとした』と表現し批判の論評をしたのです。
 
仮にもし、私のこのブログによる言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治に対する批判的言論は成り立たなくなります。原告らを模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌って、濫訴を繰り返すことが横行しかねません。そのとき、ジャーナリズムは萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は後退を余儀なくされることでしょう。それは、権力と経済力がこの社会を恣に支配することを許容することを意味し、言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。」
 
附:烏賀陽弘道氏(元朝日新聞記者)と今野晴貴氏(NPO法人POSSE代表)のスラップ(未)訴訟顛末記
 
「たかの友梨」はブラック企業なのか?(今野晴貴 Yahoo!ニュース 2014年8月30日)
 
(前略)ユニクロは、私の執筆した『ブラック企業』(文春新書)の内容が、彼らの名誉毀損にあたるとして、2013年3月に「警告」の文書を送ってきた。本書で私は「衣料品販売X社」の労働実態について述べていたのだが、ユニクロ側によれば、「X社」はユニクロのことであるのは明らかであり、書かれていることは事実ではないと「警告」するというものだった。
 
なおユニクロは、ジャーナリスト横田増生氏が文藝春秋者から出した書籍や記事に対して、2億2000万円の損害賠償請求などを求める訴訟を起こしている。これらの記事が、ユニクロの労働実態を詳細に述べており、長時間労働やサービス残業などを暴いていたから、高額訴訟で黙らせようとしたのである。だがこの訴訟では、地裁で逆に記事の事実が認定され、ユニクロ側の請求は認められなかった(ユニクロは高裁でも敗訴したが、最高裁に上告しているところだ)。
 
ワタミも同様だ。私はワタミから、渡辺美樹元会長の参議院選出馬直前の2013年5月に、「通告書」を送りつけられている。私がワタミについて書いた記事の内容が虚偽で名誉毀損であり、通告書が届いてから5日以内に私に謝罪文を出すことを求め、「不履行の場合は法的措置に及ぶ」というものだ(私は無視したままもう1年以上になるが、一向に法的措置がとられた様子はない)。
 
労働問題を告発しようとした者に対する圧迫、労働者を従わせるための圧迫。こうした特徴は、世間で「ブラック企業」と呼ばれる企業に共通した特徴ではないだろうか。
 
オリコン訴訟(うがやジャーナル 2009年8月3日
 
2009年8月3日 烏賀陽、逆転勝訴しました。東京高裁でオリコンは判決を待たずに自らが「敗訴」を宣言する「請求放棄」をしました。法的には「自分の請求(提訴)には理由がないので、提訴を放棄する」という宣言です。33ヶ月にわたって争われてきた「オリコン裁判」はオリコンの敗北宣言で終結しました。(略)「判決が出ていないのに、なぜ勝訴なのか?」「請求放棄と提訴の取り下げはまったく別」など、わかりにくい点を烏賀陽自らが審理の過程を振り返りながら解説していきます。