端折って書きましたのでとりあえず草稿としておきます。
 
元外務省のインテリジェンス分析官で評論家の佐藤優が琉球新報の連載コラム「佐藤優のウチナー評論」(2014年8月30日)に「曇った目 沖縄は屈従しない」という記事を書いています。

佐藤優のウチナー評論2
地元紙で識るオキナワ パート2」から

この佐藤の記事にはどういう意図があるのか。佐藤は次のように書いています。
 
ボーリング調査を安倍政権が強行したことに対する県民の反発は極めて強い。安倍政権の姿勢に対する支持率はわずか18・6%、不支持は81・5%だ。「普天間返還・移設問題をどう解決すべきか」という設問に対しては、辺野古移設に賛成する声はわずか10・0%だった。沖縄世論の構造的転換が起きている。しかし、目が曇った東京の政治エリート(国会議員・官僚)には、この明々白々な事実が見えないようだ。(略)菅氏の認識は、「(略)中央政府が決めたことについて、沖縄はつべこべ言わず、従え」という認識に基づいている。(略)沖縄を軽く見る者に対して、われわれは知恵を駆使して必ず報復する。日本流の政治で沖縄を屈服させることはできない。(「琉球新報」2014年8月30日
 
なんとも威勢のよい発言です。まるで沖縄の「革新の雄」でもあるかのようです。しかし、沖縄在住の作家の目取真俊さんはかつて(前回知事選時)この「革新の雄」について次のような評価を下していました。
 
(『週刊金曜日』に)自ら書いている評論や座談会で佐藤氏は、仲井眞氏の〈変節〉を狙う菅政権を批判する一方で、仲井眞氏の「県外移設」という主張を検証することはしない。むしろその検証を封じ込めようとする。冒頭に引用した座談会での佐高氏との会話はそれを露骨に示したものだが、評論では菅政権や朝日新聞の「沖縄差別」批判という形で巧みにそれを行っている。/つまり、佐藤氏が責任編集した『週刊金曜日』11月12日号の「特集 沖縄差別」は、仲井眞氏の最大の弱点である普天間基地問題について、仲井眞氏の「県外移設」という主張の信頼性を高め、なおかつそれが有権者に検証されて〈変節〉の可能性が論じられることを封じ込める=争点ぼかしすることを主たる目的として編まれたように、私には見える。それは仲井眞氏を側面から支援するものだ。(「海鳴りの島から」2010年11月24日

佐藤優の今回の琉球新報掲載の「佐藤優のウチナー評論」(2014年8月30日)の記事にも上記の目取真俊さんの評価と同様のことがいえるでしょう。今回の琉球新報の記事で用いられている佐藤の「東京の政治エリート」という造語は佐藤のいう「沖縄差別」というもうひとつの造語と内容的にはまったく同じものです。上記で目取真さんから批判されている『週刊金曜日』11月12日号の「特集 沖縄差別」の冒頭のリード文は次のようなものでした。
 
一一月二八日投開票の沖縄県知事選挙は、極めて重要な意味を持つ。それは沖縄にとってだけでなく、日本の将来にとっても及ぼす影響は大きい。しかし、残念ながら多くの人々にそのことは理解されていない。この特集では、現在の激しい選挙戦からは距離を置き、沖縄が置かれている本質を取り上げる。本質とは、東京の政治エリートがつくりだす構造的差別について考えることだ。沖縄・久米島出身の母親を持つ佐藤優さんの責任編集で特集を組む。
 
リード文にいう「東京の政治エリートがつくりだす構造的差別」とは「沖縄差別」のことにほかなりませんから佐藤の「東京の政治エリート」論と「沖縄差別」論はまったく同じことを違う言葉で表現しているにすぎないことは明らかです。
 
そうであれば、上記の目取真俊さんの佐藤優批判は今回の琉球新報の「佐藤優のウチナー評論」(2014年8月30日)批判ということにもなりえます。今回の佐藤の琉球新報記事には「東京の政治エリート」というレトリックから「沖縄対本土」「沖縄差別」という構図をつくり、仲井眞知事の裏切りから県民の目を逸らせようする佐藤優の「曇った目」がある。そう「読む」べきものでしょう。

以下、沖縄県知事選問題に関する佐藤優批判の弊ブログ関連記事をあげておきます。
 
ヘイトスピーチ規制を口実にした政権批判のデモ規制を許してはならない」(澤藤統一郎の憲法日記 2014年8月29日)から。

命題Ⅰ 「言論の自由は民主主義に不可欠な基本権として最大限に尊重されねばならない。公権力はこれを規制してはならない。」
命題Ⅱ 「ヘイトスピーチは人間の尊厳を否定する唾棄すべき言論として排斥されねばならない。公権力はこれを規制しなければならない。」
 
おそらく、多くの国民が上記2命題の両者をともに肯定するだろう。「在日韓国・朝鮮人をののしるヘイトスピーチ(憎悪表現)に対し、67%が『不快だ』と答え、『不快ではない』は7%だった(毎日・8月25日)」という世論調査結果はうなずけるところ。
 
しかし、「言論の自由は尊重せよ」「ヘイトスピーチは取り締まれ」は、いずれも決して政権の真意ではない。できることなら政権批判の言論の自由は規制したい。本音をいうならヘイトスピーチに目くじら立てたくはない。ヘイトスピーチを許容する排外主義の空気が安倍政権を生み、安倍政権の誕生がヘイトスピーチの蔓延を勢いづかせ助長しているのだ。
 
しかも、「尊重すべき言論」と「取り締まるべきヘイトスピーチ」との境界は、必ずしも明確とは言い難い。あるいはことさらに曖昧にされる危険も避けられない。
 
そのため、ヘイトスピーチの規制が、言論一般の規制となる可能性を否定し得ない。両刃の剣となりうることを憂慮せざるを得ない。
 
なにしろ、立法段階でも、法の適用の段階でも、ヘゲモニーを握っているのはこれまでの保守とは明らかに異なる安倍政権の側である。信頼できようはずがない。
 
まず、どのような法律が作られるか。今の国会の勢力分布では、羊頭狗肉よろしく、「ヘイトスピーチ規制法」の看板で、「言論弾圧立法」が成立する虞なしとしない。
 
さらに、法の適用が公平に憲法の理念に忠実になされる保証もない。突出した歴史修正主義者を首相に戴いている内閣である。従軍慰安婦問題ではNHKに圧力をかけ、河野談話を見直し、靖国参拝を強行し、過去の戦争を侵略戦争とは認めようとはしない立場を鮮明にし、さらに「自らの魂を賭して祖国の礎となられました昭和殉難者の御霊に謹んで哀悼の誠をささげます」とまで言っている人物が権力を行使するのだ。
 
国連規約人権委員会はこの7月に、日本政府に対し「ヘイトスピーチ禁止措置」を求める改善勧告を出している。国際的に見て、日本の「ヘイトスピーチ」は看過できない重大問題となっているのだ。何とかしなければならない。
 
それでもなお、規制立法には不安が残ると逡巡しているところに、案の定というべき「自民党ヘイトスピーチPT」の動きである。まずは、産経のネットニュースが次のように報じた。
 
「国会周辺の大音量デモ、規制検討 自民ヘイトスピーチPTで」という見出し。
「ヘイトスピーチ規制」ではなく、「国会周辺の大音量デモ規制」が主役にすり替えられているではないか。
 
「自民党は28日、『ヘイトスピーチ』と呼ばれる人種差別的な街宣活動への対策を検討するプロジェクトチーム(座長・平沢勝栄政調会長代理)の初会合を党本部で開き、憲法が保障する『表現の自由』を考慮しながら対策を検討することを確認した。国会周辺での大音量のデモに対する規制も併せて議論する。」
 
「一方、拡声器を使った国会周辺での街宣活動は現在も静穏保持法で禁じられている。ただ、同法による摘発事例は少なく、高市早苗政調会長は『国民から負託を受けているわれわれの仕事環境も確保しなければならない』と述べ、同法改正も含め検討する考えを示した。国会周辺では毎週金曜日に反原発のデモが行われている。」(2014.8.28 13:15から抜粋
 
さすが産経。自民党の意図をよく読んでいる。本来、「ヘイトスピーチ」と「国会周辺でのデモの規制」とは何の関わりもない。曰くありげに二つを結びつけ、「国会周辺では毎週金曜日に反原発のデモが行われている」とその標的とするところを的確に読者に伝えている。
 
ヘイトスピーチ規制をダシに、反原発・反格差のデモを規制しようというのだ。国連からの勧告や世論を逆手に、「ヘイトスピーチ規制」という羊頭を掲げて、「言論の自由規制」という狗肉を売ろうというのだ。
 
東京新聞が的確に解説している。
 
「自民党は二十八日、人種差別的な街宣活動『ヘイトスピーチ』(憎悪表現)を規制するとともに、国会周辺の大音量のデモ活動の規制強化を検討し始めた。デモは有権者が政治に対して意思表示をするための重要な手段。その規制の検討は、原発や憲法などの問題をめぐる安倍政権批判を封じる狙いがあるとみられる。」
 
安倍政権を批判するところに、言論の自由尊重の意味がある。ヘイトスピーチ規制を政権批判の言論規制にすり替えられてはたまらない。ヘイトスピーチは社会のマイノリティーの人格を貶める言論。国会デモは、権力に対する市民の批判の言論である。両者の理念には、天と地ほどの差異がある。
 
冒頭の「命題Ⅰ」を絶対に譲ってはならないのだ。ましてや、「命題Ⅱ」を逆手にとっての言論規制をさせてはならない。メディアの扱いの小さいことに、一抹の不安を覚える。言論の自由に関わる問題に、鈍感に過ぎないか。
 
附:「今日の言葉」から。
 
自民党は8月28日、「ヘイトスピーチ」の対策を検討するプロジェクトチーム(ヘイトスピーチPT)の初会合を開き、国会議事堂などの周辺や外国大使館付近での大音量の街宣やデモに対する規制も、ヘイトスピーチと併せて議論する方針を確認した。警察庁の担当者からヒアリングなどを行ったという。MSN産経ニュースなどが報じた。
 
高市早苗政調会長は「仕事にならない状況がある。仕事ができる環境を確保しなければいけない。批判を恐れず、議論を進める」と述べた。警察庁の担当者は、国会周辺での拡声機の使用を規制する静穏保持法に基づく摘発が年間1件程度との現状を説明した。
 
ヘイトスピーチに関しては、7月に韓国で朴槿恵大統領と会談した東京都の舛添要一知事が、8月7日に安倍首相と会談し法規制を求めていた。このとき安倍首相は「日本の誇りを傷つける」と非常に憤慨し、「党として検討させる」と述べたという。なお、ヘイトスピーチPT座長代理の柴山昌彦衆院議員は自身のブログで、高市政調会長が8月21日に「ヘイトスピーチに関してはそれを特別の規制対象とすることはないと明言」したとしており、ヘイトスピーチにとどまらず範囲を広げて議論する考えであることを示していた。(The Huffington Post 2014年08月28日
 
引用者注:安倍首相が「『日本の誇りを傷つける』と非常に憤慨」したのは言論・表現の自由としてのデモ=ヘイトスピーチと認識していたからなんですね。「ヘイトスピーチを規制せよ」という正当な世論の高まりをワイマール憲法のヒトラー化と同じ運命をたどらせるようなことがあっては絶対にならないでしょう。
「辺野古移設」問題は良心的な保守にとっても譲れない一線なのです。「沖縄県民への裏切り」というみずから蒔いた自業自得の種というべきですが仲井真知事はますます窮地に陥っています。
 
公明党、自主投票の公算 沖縄知事選、仲井真氏と会談も物別れ
(産経新聞 2014.8.28)
 
11月16日投開票の沖縄県知事選で、3選を目指す仲井真弘多(なかいまひろかず)知事(75)が今月初旬、公明党県本部の糸洲朝則(いとすとものり)代表と会談し、物別れに終わっていたことが27日、分かった。米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設で仲井真氏は埋め立てを承認したが、公明党県本部は移設に反対しており、溝が埋まらなかった。公明党は自主投票とする公算が大きい。
 
仲井真氏が昨年12月に辺野古の埋め立てを承認して以降、糸洲氏と会談したのは初めて。仲井真氏は沖縄の経済振興をさらに前進させたい意向を強調。また、普天間飛行場の危険性除去のため、県外移設を求めるより、辺野古移設の方が早いとの認識を示した。
 
公明党県本部幹部は「辺野古移設をめぐる考え方に隔たりがあり、仲井真氏に乗ることはできない」と述べ、仲井真氏を推薦しない見通しを示した。公明党本部には仲井真氏の推薦に前向きな幹部もいるが、地元支持者に辺野古移設に反対する声が強く、党本部主導で推薦しても理解を得られないとの見方が出ている。
 
辺野古移設に反対する立場で知事選に出馬する翁長雄志(おながたけし)那覇市長(63)も公明党から選挙協力を得ることを期待する。ただ、翁長氏は社民、共産両党など革新勢力の支持を受けており、公明側は革新勢力と共闘はできないとの方針だ。
 
自民党本部は27日、仲井真氏の推薦を正式に決め、河村建夫選対委員長が那覇市内のホテルで仲井真氏に推薦状を渡したが、公明党との調整が急務の課題だ。
国連差別撤廃委員会を「参観」するためにジュネーブを訪れていた在日本朝鮮人人権協会事務局員、朝鮮大学校非常勤講師の金優綺(キム・ウギ)さんが韓国ハンギョレ新聞(2014.08.25付け)に「国連差別撤廃委員会 参観記 モーリシャスの委員の言葉に目頭が熱くなる」というエッセイを寄稿されています。そのハンギョレ新聞の日本語版を読んで、もちろんモーリシャスの国連差別撤廃委員会委員の発言に「目頭が熱くなる」震源はあるのですが、金優綺(キム・ウギ)さんの真っ直ぐな純粋な目、その真っ直ぐな純粋な目で見た報告に私も目頭が熱くなりました。
 
以下、金優綺(キム・ウギ)さんのエッセイの全文(日本語訳)です。
 
[国連差別撤廃委員会 参観記]モーリシャスの委員の言葉に目頭が熱くなる(ハンギョレ新聞(日本語版) 2014.08.25)
 
「日本政府による朝鮮学校 「高校無償化」制度除外は差別」
不誠実な日本政府答弁に批判も
 
「なぜ、同じ質問が二回も三回も出されるのでしょうか? 答えは単純です。締約国の回答が満足なものではないからです。それが私たち委員の思いだということをはっきりさせておきましょう」
 
8月21日の午後、国連・人種差別撤廃委員会による日本政府審査が終了間近になったころ、モーリシャスの委員は日本政府の回答に業を煮やした顔つきで、こう強く批判した。彼の言葉はこう続いた。
 
「では、これまで何度も出されている問題について質問します。朝鮮学校についてです」
 
審査を傍聴しながらメモを取っていた私は、「Korean School」という単語を口にしたかれの言葉に耳をそばだてた。
 
「中華学校やアメリカンスクールなど、日本語以外の言語・文化を促進する他の学校と一緒に分類されている中で、差別が存在するという意見を聞いています。多くの学校は、最初から恩恵を受けているのに、朝鮮学校にはその恩恵が撤回され、政府からの経済的支援を受けられないでいます。先ほど、審査の結果、朝鮮学校が基準を満たさなかったためだという回答をいただきました。その基準とは何なのでしょうか?朝鮮学校が朝鮮民主主義人民共和国に近いということでしょうか?」
 
モーリシャスの委員が指摘した日本政府代表団の回答とは、「朝鮮学校は朝鮮総連と密接な関係があり、総連は北朝鮮と密接な関係があり…学校の適正な運営と認めるに至らなかった」「学校教育法第1条に定める学校になるか、北朝鮮との国交が回復すれば審査の対象となりえる」「学校教育法第1条に定める学校では、現に多くの在日朝鮮人が学び、国籍による差別には当たらない」というものだった。
 
2010年4月から導入された「高校無償化」制度(日本にある公立高等学校の授業料を無償とし、私立高等学校・各種学校認可を受けた外国人学校に対して就学支援金を支給する制度)は、制度施行直前に日本の拉致問題担当大臣が朝鮮学校の除外を提案したことをきっかけに、朝鮮学校を除外したままスタートした。制度が始まって既に4年以上が経つが、その間、他の外国人学校39校には就学支援金が支給されているにもかかわらず、日本に存在する朝鮮高校10校は、いまだに同制度から除外された状況が続いている。
 
この4年間、日本政府は、わざわざ朝鮮学校に関する審査基準をつくり、審査を開始したと思ったら、2010年11月に延坪島で起きた南北軍事衝突を口実に審査を中断した。その後、ようやく審査が再開されたと思ったら、審査の結論を延々と引き伸ばし続けた。そうしているうちに、2012年12月に発足した第二次安倍政権は、日本政府自らがつくった朝鮮学校に関する審査基準自体を削除するという信じがたい暴挙を行い、朝鮮学校を「高校無償化」制度から完全に除外したのである。
 
その間、朝鮮学校に通う高校生、保護者を中心とした在日同胞、また多くの日本人は、上げうる限りの声を上げて朝鮮学校に「高校無償化」制度を適用せよ、朝鮮学校に対する差別をやめろと叫んできた。朝鮮学校の高校生たちは、勉強する時間、部活動に汗を流す時間、友だちと過ごす大切な青春の時間を、街頭に出て署名を集める時間、文部科学省に対して抗議行動をする時間に費やし続けた。そしてついに、大阪・愛知・広島・福岡・東京の250人に及ぶ朝鮮学校の高校生・卒業生は、「高校無償化」制度の適用を求めて日本政府に提訴した。
 
上記の委員の発言は、次のように続いた。「私たちが提起している基本的な質問は、これは差別の問題ではないのか、ということです。人種主義の問題、人権の問題ではないでしょうか? 最終的に誰が被害を受けるのでしょうか…それは朝鮮学校に通う生徒たちです。私たちは、そうした観点から差別が存在すると言っているのです。政治的な理由など色々とあるでしょう。しかし基本的な問題として、これが差別という人権侵害の問題であると私たちは感じている、と言っているわけです」
 
その言葉に、思わず目頭が熱くなった。私たちがこれまで日本で叫んできた声は正当であり、日本政府による朝鮮学校の「高校無償化」制度からの除外は、国際的な人権基準に反する明確な差別の問題なのだということが改めて確認できた瞬間だった。本審査では、ヘイトスピーチの問題が議論の最大の焦点となった。委員たちは、審査前に行われたNGOブリーフィングの場で上映された朝鮮学校等へのヘイトスピーチデモの様子を撮影した映像を見て、一様に目を丸くし、驚きを隠さなかった。本審査では、多くの委員がこの映像に言及し、結果として朝鮮学校とヘイトスピーチについての質問が最も多く出された。
 
ヘイトスピーチデモに見られる差別の根本は、日本政府という公権力の差別的態度にある。日本政府による「高校無償化」制度からの朝鮮学校除外や、それに倣っている地方自治体による朝鮮学校への補助金停止という公的な差別が、日本における排外主義を蔓延させ続けているといえる。その根本を断ち切るため、国際社会からの支持を力に、諦めずに声を上げ続けていくしかない。
川辺川ダム問題を追いかけ続けた環境ジャーナリストの高橋ユリカさんが一昨日の8月21日に死去、という報に接しました。享年58歳(1956年生)。若すぎる死です。ユリカさんは長い間がんという病と闘っていたということですが(ユリカさんの死後知ったことです)、その長年の病魔との闘いにとうとう弓折れ矢尽きてしまったということでしょうか。

高橋ユリカ 
高橋ユリカさん(左) 2013年6月(坂手洋二さんのブログから)
 
高橋ユリカさんには三つの顔があったようです。ひとつは「下北沢再開発問題の闘士」という市民運動ジャーナリストとしての顔。もうひとつは「熊本・川辺川ダムの問題を追いかけ続けた」環境ジャーナリストとしての顔。さらにもうひとつは「ホスピス緩和ケア問題にとりくんできた」医療ジャーナリストとしての顔。ユリカさんの代表作のひとつといってよい『川辺川ダムはいらない~宝を守る公共事業へ』という本が出版される前に書かれたプロフィールだと思いますが、同プロフィールにはユリカさんの経歴について次のような紹介があります。
 
「たかはし・ゆりか、1956年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。婦人誌などの編集を経てフリーライターに。主な著書に「病院からはなれて自由になる」(新潮社)「誰のための公共事業か」(岩波ブックレット)「医療はよみがえるか~ホスピスと緩和ケア病棟」(岩波書店)など。また雑誌「世界」「読売ウィークリー」「AERA」などに記事を多数執筆している。スウェーデン、イギリス、ブラジルなど海外取材も重ね、“暮らし”に根ざした取材ルポを続けてきた。在住の東京・下北沢の街づくり問題にも関わり現在は「下北沢フォーラム」世話人。11年前から川辺川ダム問題取材のため人吉球磨を頻発に訪問、地元関係者との交流を深めている。」
 
そのうち私が直接知っている高橋ユリカさんの顔は「川辺川ダムの問題を追いかけ続けた」環境ジャーナリストとしての顔です。ユリカさんが活躍の場のひとつとされていた川辺川メーリングリストに私は以下のようなささやかともいえないほどのちっぽけなさらにちっぽけな記事を書きました。
 
それを高橋ユリカさんへの私の追悼の言葉とさせていただこうと思います。人は「それぞれにひっそりと小さな個人の死を死ぬ」(池澤夏樹「夏のかたみに」)ほかない死をユリカさんもひっそりと死んだ、ということなのですね。川辺川から見える五家庄一帯の名もない山の谷間に沈む落日のように・・・
 
高橋ユリカさんのご逝去について劇作家の坂手洋二さんが本日の23日づけでご自身のブログに追悼の言葉を書かれています。
 
高橋さんはがんで亡くなられたのですね。
 
同ブログには昨年の6月に撮影したという高橋ユリカさんの近影も掲載されています(左側が高橋さんで右側がおそらく坂手さん)。
 
ありがとう 高橋ユリカさん(Blog of SAKATE 2014-08-23)
 
私は蒲島郁夫さん(当時、東大教授)が潮谷義子前熊本県知事の引退をうけて同県知事選に出馬した当時、高橋ユリカさんとは蒲島さんの評価についてずいぶんと議論を戦わせました。しかし、ユリカさんの川辺川への愛情はほんものであることは理解していました。
 
高橋ユリカさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
 
東京地裁はいわゆる「黒子のバスケ事件」についてこの8月21日、以下のような懲役4年6月の実刑判決を下しました。
 
人気漫画「黒子のバスケ」を巡る連続脅迫事件で、威力業務妨害罪に問われた元派遣社員、渡辺博史被告(36)に対し、東京地裁は21日、求刑通り法定刑の上限に当たる懲役4年6月の実刑判決を言い渡した。前田巌裁判長は「動機は理不尽極まりなく、同種事件でも類例を見ないほど重大で悪質」と述べた。判決は動機を「作者の学歴や、漫画家としての成功に対する妬み」と認定。イベントが中止されたり、関連商品が撤去されたりしたことから「影響が広範囲で、経済的損害も莫大」と指摘した。さらに「マスコミに犯行声明を送るなど自己顕示欲を満たす行動に終始した」と批判。公判で渡辺被告が「反省する気はない」と話したことにも触れ「くむべき点(情状)など一切ない」と述べた。渡辺被告は公判で、「小学生の時いじめられていたが、周囲が助けてくれなかった」と振り返り「自分の人生は汚くて醜くて無残」などと語っていた。判決後、交流のあるジャーナリストを通じ「想定通りで、特別な感慨はない。刑務所に4年以上も住まわせていただけることが決定したことを喜んでいる」とのコメントを出した。判決によると、渡辺被告は2012年10月〜13年11月、作者の藤巻忠俊さんの出身校である上智大(東京都千代田区)の体育館に硫化水素を発生させたプラスチック容器を置くなど、8件の事件を起こした。(「『黒子のバスケ』脅迫:実刑、懲役4年6月『「動機は理不尽』−−東京地裁判決」毎日新聞 2014年08月22日)

以下は、その報道を読んだ私の感想です。
 
私の知る限り、判決に「類例を見ないほど重大で悪質」「くむべき点(情状)など一切ない」などとあるのは、裁判所が検察の求刑どおりの刑期を言い渡すときの常套文句です。すなわち、紋切り型の判決文。裁判長よ。あなたは「黒子のバスケ」裁判被告人の「冒頭意見陳述」を読み得たか。もちろん読んだのでしょうが、読んだ上で「くむべき点(情状)など一切ない」などと言うのであれば、あなたは「文章読解力」など一切ない人だ、と断言せざるをえません。判決文には被告人の心理に寄り添おうとするひとりの人間としての意気はもちろん、被告人が犯罪を犯すに到る心理への裁判官としての洞察力も微塵も見られません。こうした裁判官の薄っぺらな人間観察力で人が安易に裁かれてしまう。そうした釈然としない思いは決して私だけのものではないでしょう。
 
8月22日づけの「今日の言葉」を正式エントリとして本欄にも留めておきます。
本ブログの「今日の言葉」の2014年7月29日から同年8月21日にかけての記録です。

アフリカの朝、または夜、または昼

米軍普天間飛行場を名護市辺野古沿岸部へ移設しようとする安倍政権の問答無用の姿勢がむき出しになっている。11月の知事選前に海上でのボーリング調査などの既成事実をつくるため、全国の海上保安本部から巡視船十数隻をかき集め、キャンプ・シュワブ沖合をはじめ、沖縄近海に展開している。海上でカヌーなどを使って反対行動をする市民らを排除するためだ。陸上ではキャンプ・シュワブのゲート前で資機材を運び込む大型トラックを阻止しようと体を張って座り込む市民と、警察官との衝突が続いている。いつ不測の事態が起きてもおかしくない。安倍政権が移設を「負担軽減」というのはまやかしである。新基地には米海兵隊の強襲揚陸艦が接岸できる軍港機能が備えられ、最新鋭のステルス戦闘機F35の運用を想定。中部訓練場上空の訓練空域を拡大する考えだ。シュワブの陸上にも多数の軍関連施設を建設する計画であることが明らかになっている。(略)新基地ができると北部訓練場、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセンと一体となった一大軍事要塞が形づくられるのである。これのどこが負担軽減というのだろうか。政府が工事を進めるのは仲井真弘多知事の「承認」があるからだ。仲井真知事は2期目の出馬に当たって「普天間の県外移設」を掲げ、1期目の公約を転換して当選した。再選した仲井真知事の公約の肝だ。それを自ら覆して承認したのは、どんな理屈をつけようが県民に対する裏切りである。(略)2013年1月、県議会各会派、41市町村長・議会議長らが署名し、安倍晋三首相に提出した「建白書」は1995年以来の県民総意の到達点だ。普天間の閉鎖・撤去、県内移設断念、オスプレイの配備撤回である。「オール沖縄」から自ら進んで、または中央の圧力に屈し離脱したのが自民党国会議員であり、県連であり、一部首長らである。このままでは沖縄は半永久的に基地から逃れられない島になる。子や孫の世代から承認の責任を問われたとき、知事はそれに答えられるか。(沖縄タイムス社説 2014年7月29日

11月16日投開票の沖縄県知事選に向けた動きが活発化してきた。現職の仲井真弘多知事が3選出馬の意向を表明し、翁長雄志那覇市長も出馬の意向を固めた。ともに自民党系で保守分裂の構図だ。最大の争点は米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の是非である。昨年12月に埋め立てを承認した仲井真氏は推進を訴えるのに対し、翁長氏は反対を主張する。前回、普天間の県外移設を訴えて当選した仲井真氏の方針転換に県民の不満は強い。負担を押しつける国の強硬姿勢も問われる。(略)自民党は国政選挙で辺野古移設を掲げる一方、地元組織が反対する二重基準を用いてきた。有権者に対し不誠実である。知事選では主張を一本化して臨むのが筋だ。翁長氏は前回仲井真陣営の選対本部長だったが、埋め立て承認に反対し対決姿勢に転じた。自民系那覇市議の一部のほか、共産、社民両党も推薦の構えだ。(略)気になるのは辺野古での作業が加速していることだ。国は今月、海底ボーリング調査を申請し、県が許可した。地元の反対を押しのけて、月内の調査着手に向けた資材搬入が始まっている。既成事実を積み重ね、後戻りできないことを印象づける試みなら許されない。知事選が終わるまで作業を行うべきではない。推進派を後押しする政府の姿勢も疑問だ。普天間の米軍新型輸送機MV22オスプレイの訓練を北海道大演習場など全国5カ所に移転する計画があることが分かった。沖縄の負担軽減を強調して知事選を有利に運ぼうとする態度が露骨である。アメとムチで地方を従わせるのではなく、民意に静かに耳を傾けることが大事だ。(北海道新聞社説 2014/07/30

ガザ虐殺の死者が1200人をうわまわり、負傷者は7000人をこえた。もしレヴィナスがいま生きていたら、どう言っただろうか。「〈砕かれた世界〉あるいは〈覆された世界〉といった表現はありふれ、凡庸なものになってしまったにせよ、それでもなお、あるまがいものではない感情をいいあらわしている。できごとと合理的秩序との不一致、物質のように不透明になった精神のあいだで相互に交流するのが不可能になったこと、そして論理の多様化がたがいに不条理をきたし、私はもはやあなたとはむすびあえないようになったこと…たしかに、ひとつの世界のたそがれにあって、世界のおわりという古い強迫観念がよみがえる」と、グズグズと書かれたのは、いまから67年もまえのことなのだ。アーレントが生きていたら、アドルノが生きていたら、なんと言ったか。パレスチナの少年にガソリンを飲ませ、焼き殺した所業について。パレスチナ国際義勇軍の編成が呼びかけられたかもしれない。元気だったらわたしもパレスチナ入りをめざしたかもしれない。サルトルも国際義勇軍に賛成しただろう。オーウェルはそれに参加しただろう。ヴァルター・ベンディクス・シェーンフリース・ベンヤミンは国際義勇軍結成にかんする知的なメッセージを送ったかもしれない。ソール・ベローはノーコメント。堀田善衛は国際義勇軍に心情的に賛成しつつ、みずからは参加できない苦渋を、キザで無害なエッセイにして、スペインあたりから朝日新聞夕刊文化面に寄稿しただろう。それでも暴力の連鎖には反対だとか。吉本隆明は「ナンセンス!スターリニストども!」と罵ったろう。カネッティは『目の戯れ』の続編を書いたろう。ツェランはまたも自殺したかもしれない。世界はまだ砕かれず、覆されてもいない。世界は凡庸でもない。また再びのユダヤ人迫害への環境ができつつある
辺見庸「日録28」2014/07/30

ガザの死者が1300人をこえた。いま、手をこまねいてそう言うことにどんな意味があるのだろうか。他者が理不尽に殺されることについて、それを放置するかぎり、わたしは有罪でありうるのか。切実にそうおもうことができるか。「他者の死はわたしのことがらである」のか。とまらない虐殺に、口とはうらはらに、退屈なまなざしをむける現存在とはなんだろうか。(辺見庸「日録28」2014/07/31

・そこで思い出すのは、
丸山真男教授の考えである。教授の考えによれば、次のようになる。(略)主題は、戦前の日本の軍国主義である。その草の根ともいうべき、農村の軍国主義が、どのように形成されたか、を問題にする。それは、農村の知識層が作り出したものだ、というのが結論である。そして、彼らの戦争責任にまで及ぶ。農村の知識層とは、農協の前身の産業組合や農業会の役職員であり、村役場の役職員であり、学校の教師、神官、僧侶たちである。彼らは、新聞を読み、ラジオを聞いて世の中の知識を得る、数少ない人たちだった。当時、新聞やラジオは「戦争への流れは止められない」と執拗に言い続けた。それを知識層は無批判に受け入れた。そして、村人たちに説いた。村人たちは、身近にいる彼らを信用しているので、たちまち洗脳されてしまった。無批判な知識人は、知識人の名に値しないのだが、この点に気づかない。こうしたなかで、「戦争反対」などと言えば「非国民」と後ろ指をさされてしまう。特高警察ににらまれることもあった。かくして、「戦争への流れ」は止められなくなり、全国の農村は軍国主義の一色に染まった。そして、全国に広がった。戦後、占領軍が最も力を注いだのは、軍需産業の物的な破壊だけでなく、心的には日本の軍国主義の復活を阻止することだった。そうして、3度目の世界大戦を起こさせないことだった。その重点は、軍需産業の主体だった財閥の解体だけでなく、日本の軍国主義を全国の地方で支えた農村の、草の根軍国主義ともいうべきものの撲滅だった。(略)農村の民主化によって、草の根軍国主義の経済的基盤である地主制を徹底的に破壊したのである。そして、それは多くの村人からの積極的な支持をえた。アベノミクスは、戦後の先人たちの、この農村民主化の成果をくつがえし、財界に農村を売り渡そうとしている。(JAcom 農業協同組合新聞 2014.08.01

・ガザの虐殺。
死者は1400人をこえた。おなじことをイスラエルがやられたら、報復として100倍以上の人間を殺すだろう。ばあいによったら、核兵器をつかうのもためらわないかもしれない。イスラエルとは何か。かれらの「出自」をきびしく問うべきであろうか。かれらを産んだ子宮の闇を知らなければならないのか。出自のみに、現在の原因があるのだろうか。そうだろうか。虐殺をつづけるイスラエルの「自衛権」を公然と支持し、武器、弾薬を補給する米国。もっぱら米国の意を受けて集団的自衛権行使を急ぐニッポン「ニッポンのイスラエル化」の声が米欧にでてきている。むべなるかな。ルールはない。なにもなくなった。言葉は魂を失った。けふ、こんなメッセージを受けとった。この漂白されつくしたプラスチックの欠片のような記号の羅列こそ、ガザのひとびとにむかうべき心をこわしている。透明なクラスター爆弾。「辺見庸様 管理者があなたにアプリケーションの割り当ての許可を求めています。割り当てられたアプリケーションはあなたの購入履歴に表示され、それとともに、ご使用のデバイスにインストールすることが可能になります。あなたが割り当てを許可するためには、以下のURLにアクセスしてください」。(引用者注:左記はいうまでもなく「言葉は魂を失った」隠喩の一例ということでしょう)(辺見庸「日録28」2014.08.01

イスラエルがここまで残忍でかつ強硬なのは、世界の国家がイスラエルに対して反撃できないことを知り抜いているからだ。反撃のみならず、停戦の仲介さえ、できる国がない。今や、国家主体には何も頼れない。非国家主体としての市民と、従来の領域国民国家を超越する主体にのみ可能性は残されている。それでもなお、人道に対する敵はユダヤ人ではない。ユダヤ教徒でもない。イスラエル市民全体でもない。イスラエルという国家存続のために隣人の命を奪うことに躊躇しない政権、軍、そしてそれを支えるシオニストが、人道に対する罪を問われなければならない潘基文事務総長が、最も恥ずべきは寝ている子どもを攻撃することだと言ったが、これだけ子どもたちを殺戮したイスラエル国家は、未来永劫、安住の地とはならない。この非道な行為に反撃するために、世界中からジハードの戦士たちが生まれる。彼らの刃は、イスラエルと米国、さらにこの暴力を止めることに無能だったムスリム諸国の政府へと向けられるだろう。過去数十年、欧米諸国は、イスラームの教えに暴力の源があるのだと言い張ってきた。だがそれは違う。暴力の源泉は、無数の子どもの遺体なのである。(内藤正典Twitter 2014.08.02

ガザ虐殺
死者が昨日、1650人をこえた。米議会はイスラエルの対空防衛システム支援のため新たに新たに2億2500万ドルの拠出を承認した。ホワイトハウス周辺で1万人以上がガザ虐殺に抗議した。米政府に“Shame on you!”のシュプレヒコール。日本とイスラエルはすでに、企業や各研究機関が「共同研究・開発」を促進するための覚書を締結している。共同研究・開発には「兵器」および軍事関連技術がふくまれる。日本政府は今春、武器輸出三原則の転換の過程で、イスラエルへの武器や関連技術の輸出が可能になるという見解を示している。アベネタニヤフ両右翼政権は事実上の「準同盟関係」となりつつあり、イスラエルが集団的自衛権行使の対象になる可能性もある。“Shame on you!”のyouに、理の当然、アベ政権もふくまれることになる。きのう、檜森孝雄の遺書をおもいだした。「まだ子どもが遊んでいる。もう潮風も少し冷たくなってきた。遠い昔、能代の海で遊んだあの小さな波がここにもある。この海がハイファにもシドンにもつながっている、そしてピジョン・ロックにも。もうちょっとしたら子どもはいなくなるだろう」。檜森孝雄はパレスチナ支援の活動家だった。2002年3月末の土曜の夕、日比谷公園かもめの広場で、ガソリンをかぶり焼身自殺。新聞はベタ記事だった。かれはイスラエル軍によるパレスチナ民衆虐殺に抗議し、そして、あまりにも無関心なニッポンに絶望し、ひとしきり焔のダンスをおどったのだった。享年54歳。あの焔は、パレスチナの少年が無理やりガソリンを飲まされて焼き殺された、その焔の色とどうちがうか、おなじか。(辺見庸「日録28」2014.08.03

チョムスキー氏は2日土曜、プレスTVのインタビューで、罪のないパレスチナの人々に対するシオニスト政権の大規模な攻撃に触れ、「イスラエルの犯罪は、かつて南アフリカのアパルトヘイト政権が行った犯罪よりも恐ろしいものである」と語りました。また、「イスラエルの犯罪は、戦争犯罪として捉えられており、国際社会は、自らの沈黙によって、この犯罪に加担している」としました。さらに、この数年、イスラエルに対するアメリカの政策を支持してきたとして一部のアラブ諸国を非難し、「イスラエルに対する惜しみない支持は、ガザ地区でのイスラエルの犯罪を拡大させることになるだろう」と述べました。ガザ地区は、2007年以来、シオニスト政権によって封鎖下に置かれており、これは、ガザの住民の生活水準の低下、失業率の大幅な増加や貧困の拡大をもたらしています。26日間に渡るシオニスト政権軍によるガザ地区への攻撃により、パレスチナ人1760名が殉教、およそ9000名が負傷しています。死傷者のうち多数を高齢者、女性、子供が占めています。(イランラジオ 2014/08/03

・東京で
佐高信さんと対談。4度目。「戦争をさせない1000人委員会」(この名前のそこはかとないいやらしさよ)の哀れなほどの人畜無害性について、他方、安倍政権のいちじるしい有害性、致死性、その怒濤の勢い、文字どおり危殆に瀕している状況について、わたしは話した。すなわち、壮大な害悪の質量とダイナミズムにたいし、「戦争をさせない1000人委員会」の貧弱な発想とあいもかわらぬ偽善のそぶりは、まったくみあっていないし、釣りあっていないばかりでなく、集団的自衛権行使容認のプロセスを、図らずも、民主的、市民的に補完・承認してしまっているのではないか。敵は日ましに不穏かつ暴力的になってきているのに、こちらは平穏、日々これ好日。ファシズムは身中にほどよい反ファシズムをかかえてこそ、より強靱になる。「戦争をさせない1000人委員会」は敵にとってせいぜいが気の抜けた薬味のひとつでしかない。痛くも痒くも辛くもない。いま起こすべきは、身体を賭した「諍い」ではないのか。「戦争にもテロにも反対」というスローガンは、かつてもいまも今後も無効である。対談はあまりかみあっていないと感じられた。ここにも、怠惰のにおいがあった。「思慮ある人は、苦しみながら探求する」(サルトルユダヤ人』)という。「戦争をさせない1000人委員会」が苦しみと探求から生まれたとはおもえない。むしろ、知的怯懦と怠惰の所産である。1000人委員会はむろん、古い石鹸箱のように、あったってよい。そして、べつになくてもよいのだ。(引用者注:「あまりかみあっていな」かったのだとしても、「1000人委員会」の呼びかけ人のひとりの佐高信に面と向かってそのの無効性を説いたところ、佐高がその話を聞いたところに一歩の前進があったように私は思います。)(辺見庸「日録28」2014/08/05

・イスラエル軍の爆撃、砲撃で連日百人以上の住民が死亡している
ガザで、四つ子の赤ちゃんが無事生まれた。ガザ最大のアルシーファ病院。同病院から毎日、ガザと病院の現実をツイッターで世界に発信しているバッセル・アブ・ワルド医師は7月31日、「カドゥーラ医師の下でパレスチナ人の母親が昨夜、四つ子を産んだ」と喜びを写真とともに伝えた。(略)アルシーファ病院は1920年代の英国統治下に設立された、伝統ある先進的な病院。ガザの医療ネットワークの中心になっている。(略)しかし、イスラエル軍は今回、学校と病院や医療施設にも、容赦ない砲爆撃を加え、破壊し始めた。(略)7月28日、イスラエル軍はアルシーファ病院の外来患者用施設を爆撃した。(略)この爆撃に対して、同病院に手術チームを派遣している「国境なき医師団」(本部パリ)は29日、イスラエル軍の攻撃を厳しく非難する次のような緊急声明を発表した。「病院とその周辺を攻撃目標とすることは、絶対に受け入れることができない。国際人道法の重大な違反である。」「いかなる状況下においても、医療施設と医療スタッフは保護され、尊敬されなければならない。しかし現在のガザでは、病院は、そうでなければならない安全な場所ではない。」(略)ガザは中央部が幅6キロほどの細長い地域で、パレスチナ人180万人がひしめいて暮らしている。(略)ガザの戦闘は続いている。住民の犠牲は増え続けている。そのなかで、必死に避難し生き続けようとする住民たちと、それを助ける医師たちがいる。(リベラル21 坂井定雄 2014.08.06

従軍慰安婦問題について、朝日新聞がこれまでの報道を点検し、一部の誤りをことさら麗々しくみとめて、とり消した。いわゆる「真実の報道」のためにそうしたのか、歴史修正主義の怒濤に呑まれた世論と政治権力に屈してそうしたのか。後者であろう。首相官邸、「日本会議」や右派系各紙、週刊誌を大いによろこばしめ、従軍慰安婦問題などそもそもなかったという首相Aの思惑どおりの流れがこれでできた。歴史が崩壊している。事実が鋳つぶされている。この伝で、文化大革命報道を点検したら、とり消しに値する誤報・虚報が何万件あることか。なぜそれはやらないで、慰安婦問題なのか。朝日の記事とり消し騒ぎの後景には、理解をこえる嫌韓・侮韓のうねりもある。こうしたおぞましいセンチメントが歴史的与件を蹴ちらしている。「ユダヤ人について持つ観念が歴史を決めるのであって、『歴史的与件』が観念を生むのではないようである」(『ユダヤ人』)という指摘を、この場合、なぞってみる必要がないであろうか。ヒロシマの平和記念式典は首相Aの出席を拒否すべきだった。ないしは,集団的自衛権行使容認の閣議決定反対を鮮明にうちだすべきであった。そうしない原爆記念日は、殺されたひとびとをすこしもなぐさめはしない。諍いはいま、おきるべきであり、おこすべきである。(辺見庸「日録28」2014/08/06

・学生時代以来、3度『
ユダヤ人』(懐かしい安堂信也さんの訳)を読みなおしている。同著はユダヤ人と反ユダヤ主義を表のテーマとしながら、それをこえ、たとえば「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」と恥ずかしげもなくおめくバカ首相Aのような男(やAを野放しにするわたしたち)のかかえる貧しい内面とそれがもたらす災厄の性質にまでわけいっていく。これは思考の実験であり、(略)J.P.サルトルの思念の方法がいまでも有効であることをあかしている。(略)「以上で、われわれは、完全に、反ユダヤ主義者を理解出来たように思う。それは、恐怖にとらわれた男である。それも、ユダヤ人に対してではなく、自分自身に対して、自覚に対して、自分の自由に対して、自分の本能に対して、自分の責任に対して、孤独に対して、変化に対して、社会に対して、世界に対して、恐怖を抱いているのである。それは卑劣漢であり、しかも、自分の卑劣さを認めようとしないのである。それは殺人狂であり、その悪傾向を、押さえつけ、つなぎとめているけれど、完全には制御出来ぬ男である。しかも彼は、殺す時には群衆に紛れて、集団的処刑に加わるにすぎない。それはまた、自分の起す反抗の結果がこわくて、あえて反抗を試みられぬあわれな不満家でもある」。このような傾向は首相Aに明らかにあり、口先だけの反A的諸個人にもあり、毒にも薬にもならぬ1000人委員会で「善」のアリバイ証明を、じぶんの小指一本傷めずにやろうという、虫のいいお歴々にもある。(引用者注:辺見は「1000人委員会」の面々を「『善』のアリバイ証明を、じぶんの小指一本傷めずにやろうという、虫のいいお歴々」と批判しています。名指しされた人は省みて恥じるところはないか? けっして「貧しい内面」ではないであろうおのれの心に問うてみてほしい)(辺見庸「日録29」2014/08/07

・米国防総省は8日、イラク北部クルド人自治区の中心都市アルビル付近でイスラム過激派組織「イスラム国」の移動砲台を空爆したと発表した。同地に滞在する米国人保護や宗教的少数派の保護などが目的。イラクにおける米軍の本格的な軍事作戦は、撤退した2011年以来3年ぶり。同日中に第2波の空爆も実施した(
毎日新聞 2014年8月9日

米軍。F-182機で北イラク、アルビル近郊に展開するIS軍の移動砲を攻撃。にわかに高まったイラク北部、イスラーム国によるクルド自治区攻撃による不安。という筋書きで、ガザへの攻撃再開から、眼をそらせようとしていないか?ガザ攻撃から眼をそらすな!米軍が出てくると、世界の注目はそっちに移ってしまう。だが、きょうイスラエル・ガザ停戦期間が切れると同時にイスラエルは攻撃を再開している。中東における人道の危機なら、ガザでいやというほど発生したではないかシリアでいったい何人が殺されたか。それでも米軍が出撃することなどなかった。今回、安保理の承認など得ずに米軍が出撃したのは少数民族を守るためなどではあり得ない。/イスラエルによるガザ侵攻について。イスラエルとイスラム原理主義組織ハマスの衝突、ハマスは封鎖を解くために停戦を妨害している等々。国家による組織的虐殺(
ジェノサイド)に対して、そういう解釈は間違っている。いじめで人の命が奪われたときに、いじめられる側にも相応の理由があるということを書けるか?1800人以上の生命を奪い、国連の施設までも攻撃して子どもの命を奪う行為はジェノサイドとみるべきである。ジェノサイドの被害を受ける側にも理由があるなどと報道するのはマスコミの恥。(内藤正典 2014年8月6日~9日

・けふ再読。「原爆のおっちゃけたあと一番最後まで死骸が残ったのは朝鮮人だったとよ。日本人は沢山生残ったが朝鮮人はちっとしか生残らんじゃったけん、どがんもこがんもできん。死体の寄っとる場所で朝鮮人はわかるとさ。生きとるときに寄せられとったけん。牢屋に入れたごとして。仕事だけ這いも立ちもならんしこさせて。……
三菱兵器にも長崎製鋼にも三菱電気にも朝鮮人は来とったとよ。中国人も連れられて来とったとよ。原爆がおっちゃけたあと地の上を歩くもんは足で歩くけんなかなか長崎に来っけんじゃたが、カラスは一番さきに長崎にきて、カラスは空から飛んでくるけん、うんと来たばい。それからハエも。それで一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸のあたまの目ン玉ばカラスがきて食うとよ」(石牟礼道子「菊とナガサキ―被爆朝鮮人の遺骨は黙したまま―」『朝日ジャ―ナル』1968年)。以下もけふ再読。「宮城御所が焼けたのは1945年(昭和20)年5月25日夜の大空襲の際だが、大宮御所は2度まで焼夷弾爆撃を防ぎ止め、3度目に乾き切った建物は防火用水の不足から、一瞬に炎上したのだった。……宮城御所は一瞬にして焼け落ちた。建物には香木が多く用いられていたし、また天皇・皇后の居間では絶えず香が焚かれて材木に沁み込んでいたから、それが炎上した時には、あたり一面に香がにおい、将兵たちは恍惚としてしばらく消火活動を忘れた、という。そしてその香しい炎のなかに多くの人々の命を呑んだのであった」(村上兵衛「天皇の戦争責任」『中央公論』1956年、原文ママ)。(辺見庸「日録29」2014/08/09

朝日新聞従軍慰安婦問題に関する自社の記事を検証する特集を2014年8月5日、6日の両日に掲載したことが、話題を呼んでいる。5日付けの記事の中で、軍が韓国の女性を強制連行したと報じた自社の1991年の記事を、証拠がなかったとして撤回をしたからだ。朝日新聞は1991年から日本軍が強制的に韓国の女性を連行して従軍慰安婦にさせたとする当事者たちの証言を記事中に引用するなどして、従軍慰安婦問題では日本政府批判の急先鋒に立っていた。しかし、朝日新聞がインタビューを掲載した、済州島で多くの韓国女性を暴力的に強制連行したとする吉田清治氏らの証言が、事実無根の可能性が高いことは、1992-93年の段階で既に右派、左派の双方から指摘されていた。朝日新聞が自らの誤報を認めるのに20年以上を要したことは、朝日新聞自身にとっても、また従軍慰安婦問題をめぐる議論本質論から脱線されたという意味においても、非常に不幸なことだった。朝日が十分な根拠もないままに軍による強制連行があったかのような記事を掲載し、それに20年以上固執したことで、従軍慰安婦問題をめぐる国内の議論が、強制連行の有無という一点に矮小化されてしまったからだ。(略)しかし、朝日新聞の記事の撤回があろうと無かろうと、従軍慰安婦問題の本質は何も変わらない。これは特に欧米諸国が問題にしていることでもあるが、従軍慰安婦問題の本質は単に連行時に政府や軍による強制があったかどうかではなく、慰安婦となった女性たちを日本軍が組織的に利用していたという事実(略)は広く裏付けられている。(ビデオニュース・ドットコム 2014年8月9日

平和記念式典終了後、市内で開かれた「被爆者代表から要望を聞く会」においても、安倍首相のやる気のなさは際立っていた。被爆7団体の代表は、首相に対して、集団的自衛権行使容認の閣議決定を撤回するよう求めたが、首相はいつも以上の滑舌で、こうまくし立てた。「(略)国民の命と平和な暮らしを守るためでございまして、戦争をする国になるという考えは毛頭ない(略)」(『中国新聞』8月7日付)。例によって「安全保障環境」の変化という言葉を繰り返すのみ。(略)なお、8月9日の長崎平和祈念式典においても、「首相コピペあいさつ、長崎も? 被爆者からの批判に無言」と報じられた(『朝日新聞』8月10日付)。この首相の場合、国会での質疑と同様に、意見が異なる相手とはまったくかみ合わない、一方的な語り口になるのが特徴である。一般に政治家は一方的に話す人が多いが、安倍首相はこれとは違う。相手が何を語ろうと、自分が言うこと(略)だけを繰り返し言い放つ。相手の言い分を聞こうとする素振りすら見せない。これは、コミュニケーション能力の不在というよりも、まじめな意思疎通を最初から放棄していると言わざるを得ない。安倍首相のもう一つの特徴はその没論理性、情緒性である。それを象徴するのが、安保法制懇の報告書が提出された5月15日の記者会見である。朝日新聞政治部の高橋純子記者(論説委員)によれば、この会見で安倍首相は計21回、「国民の命を守る」という言葉を使ったという。(略)首相による情緒的言葉の連鎖は、「レトリックというよりはトリック。覚悟も熱意も感じられない。これが、日本の平和国家としての歩みを根本から変えようとしている最高権力者の会見か」と鋭い(『朝日新聞』2014年5月20日付「社説余滴」)。(水島朝穂 2014年8月11日

・今回の情報開示によって見えてきたのは、
安保法制懇で配布された資料のお粗末さだけではない。その非公式会合が5回、帝国ホテルにおいて、食事付で行われていたことである。(略)非公式会合は、2013年4月9日の第1回から2014年3月17日の第5回まで、計5回行われている。非公式会合は「楓の間」で開かれ、使用料として1回につき411468円が支出されている。今回開示された文書には、経費の決済文書や帝国ホテルの正式の見積書も添付されている。(略)食事付となった理由については、最も多く委員が集ることができる時間は夕刻しかなく、「フロントシートに着席し、議論に参加する出席者について、夕食を提供することが、議論に集中できる環境を整えるという観点からも必要である」というわけである。委員だけでなく、事務方もお相伴にあずかっている。20人足らずで、部屋代だけで40万円を超える場所で、食事やサービスを含めて70万円を超える支出をして、官僚のポンチ絵資料をもとに、一体、どんな議論をしてきたのか。(略)経費使用の考え方を見ると、安保法制懇を国家行政組織法8条に基づく「審議会」と同等のものと扱うとしている。「安倍オトモダチ」の会合なのに、多額の税金を支出する。しかも、非公式に、帝国ホテルで食事をとりながらやる。もはや、なれあい以外の何物でもない。こんないいかげんなオトモダチ諮問機関の報告書に基づいて、安倍首相は、この国の安全保障政策の大転換を閣議決定で行ったわけである。国民は、納税者としても、もっと怒るべきである。(水島朝穂(2) 2014年8月11日

・とっくに終わったはずのバイカウツギが咲いている。昼間なのに
花のまわりだけが真っ暗になっている。闇夜になっている。ポツダム宣言とは、1945年7月26日、ポツダムにおいて、米・英・中3国(対日参戦と同時に、ソ連も参加)により発せられた対日降伏勧告および戦後処理にかんする宣言(「全日本軍の無条件降伏」を求めた全13か条の宣言)であり、日本における軍国主義の除去、軍事占領、主権の制限、戦争犯罪人の処罰、再軍備禁止などについて規定している。なかに〈日本は無分別な打算により自国を滅亡の淵に追いこんだ軍国主義者の指導をひきつづき受けるか、それとも理性の道を歩むか、選ぶべき時がきたのである〉の最後通告もあった。日本は、しかし、ポツダム宣言を無視し、広島長崎への原爆投下・無差別殺戮をへた8月14日、これをやっと受諾、無条件降伏した。おい、シュショーAよ、以上の事実にまちがいはないな?もしもまちがいないというなら、軍国主義の除去、戦争犯罪人の処罰、再軍備禁止……の各項につき、現状の日本は、ポツダム宣言に明確に違反している。軍国主義者の指導についても然り。そうである以上、Aよ、あんたはあさって、世界にたいし「ポツダム宣言拒否」を厳かに宣言すべきではないか。そして、それは米国政府の承認をえている、歴史とはブラック・ユーモアでしかない、と。ちなみに、あさっては「終戦記念日」ではない。「降伏記念日」か「敗戦記念日」である。(辺見庸「日録30」2014/08/13

・毎晩ウイスキーをボトル3分の1も飲んで、「アル中ハイマー」と自称していた(引用者注:このフリーエリア欄の「グラスのある風景」参照。ただし、同記事にある「私の年長の友人」は別の人。この人は四国のとある町役場の助役を経て別府に流れてきてやはりとある旅館の番頭をしていました)。『
人間臨終図巻』などで知られる作家の山田風太郎は飄逸の人だ。医学生だった敗戦の年を克明に描いた『戦中派不戦日記』はいまも読み継がれる。山田青年は1945年8月14日の日記に、「個」を潰しに潰してきた日本の社会に対する痛恨の念を記している。出る杭を打ち、変わり者を追い払う。日本人は「全く独立独特の筋金の入らないドングリの大群」のようになったと嘆いた。全体主義が支配した戦時中のこととして読み流すことができない。あなた方もドングリになりなさい。そんなささやきが、昨今のこの社会のそこかしこでも執拗に繰り返されているのではないかと危ぶむ。「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」。この俳句を刊行物に載せることを、さいたま市の公民館が拒否した。世論を二分する問題だからだという。当初は、市の意見と誤解されないよう配慮したとの説明もあった。作者の名前も出るのに、である。憲法や原発の問題で講演をやめようとしたり、展示を拒んだり。時の政権を刺激しそうなことは極力しない。公職者らの上目遣いが相次ぐ。意見がわかれ、議論をかわす。民主主義の面倒臭さをすっ飛ばすなら時代は逆流する。あの夏の8月16日、風太郎は敗因を分析し、記した日本人は「なぜか?」という問いを持たなかった、と。いま、ドングリになれという声には、なぜかと問い返そう。「個」であるために。(朝日新聞「天声人語」2014年8月15日

・9日。長崎市で開かれた原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の会場にいた。台風11号の影響で時折強い風が吹く中、午前11時10分すぎ、被爆者代表が壇上で、「平和への誓い」を読み始めた。会場で配られた式次第に印刷されている文面を目で追っていると、異変が起きた。「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です」暴挙!? なんと強烈な表現なのだろう。式次第にあった文面は「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、武力で国民の平和を作ると言っていませんか」だった。異変は続く。「日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうというのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか」。文面にない怒りの言葉が、被爆者代表の女性の口から発せられた。ここ数年、私は現地で式典を見てきた。事前に用意した「原稿通り」がふつうだった。この日も、田上富久市長が「長崎平和宣言」を、来賓の安倍晋三首相があいさつを、配られた文面と一字一句違わず読み上げている。なぜ、異変は起きたのだろう。式典後、「平和への誓い」を読み上げた被爆者代表の城臺美彌子(じょうだいみやこ)さん(75)を、長崎市内の自宅に訪ねた。「黙っていられなかったんです」城臺さんは、とっさの判断だったと打ち明けた。当日は、式典開始の一時間半以上前に会場に到着。自席で待機しながら、昨年10月に被爆者代表になる打診を受けてからの日々を振り返っていた。特定秘密保護法の制定。原発の再稼働や輸出に突っ走る政府。強調される中国脅威論。集団的自衛権の憲法解釈の変更……。この1年、日本で起きたあまりに多くの異変。その一つひとつを思い浮かべていると、真正面の来賓席に入ってくる政治家たちの姿が見えた。公明党の山口那津男代表が歩いてきた。「平和の党と言いながら、結局、集団的自衛権の解釈変更に賛成したのよね」。民主党の海江田万里代表も来た。「もう少し国民が民主党政権を我慢しなければいけなかったわね」……。ほかの党の党首、大臣らが続き、最後に入ってきたのが、安倍首相だった。「ムラムラと怒りがわき上がってきたんです」。用意した文面は市役所職員と詰めて考えたものだったが、ここは、被爆者代表として面と向かって抗議しなくては。そう腹をくくったのだという。城臺さんは6歳のとき、爆心地から2・4キロの自宅で被爆した。近所の友人たちは成人後にがんなどで次々と亡くなった。38年間小学校の教壇に立ち、16年前から語り部を続ける。孫が7人いる。「孫世代の子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませたりすることはあってはならない」式典後、城臺さんの自宅の電話や携帯電話は鳴りっぱなしだった。「私たちの気持ちをよくぞ言ってくれた」。被爆者仲間や全国から「感動した」との声が相次いだ。(後略)「ザ・コラム」
大久保真紀朝日新聞 2014年8月16日

・今年、生誕100年を迎えた
丸山眞男は、18年前、くしくも敗戦の8月15日、82歳で生涯を閉じた。戦後日本が生んだ最大の知識人といわれるが、その軌跡はどうであったのか。学生時代に読んだ「超国家主義の論理と心理」には圧倒され、<軍国支配者の精神形態と無責任の体系>というキーワードは、目から鱗だった。その後、全共闘世代によって、戦後民主主義の欺瞞の象徴として糾弾され、時には「観念論的・傍観者的歴史観」との批判も高まった。福沢諭吉を「典型的な市民的自由主義」の思想家とする評価も、彼が勝手な読み込みによって造りあげた虚像だとする研究もある。さらにフリーターの赤木智弘は、陸軍2等兵として徴兵された丸山が、中学にも進んでいない1等兵から執拗なイジメのビンタを受けた体験に関連し、今の若者は、社会に出ればすぐ序列が決められ、一方的にイジメぬかれる。「戦争は、現状をひっくり返して『丸山眞男』の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれない、まさに希望の光」とすらいう。丸山は除隊後、広島で被爆。戦後、一貫して平和と民主主義を根源的に問いつづけた彼が、ひっぱたかれる世になった。どう考えたらよいのか。(Daily JCJ「今週の風考計」2014年08月17日

・安倍首相は「
壊憲の鉄砲玉」である(と私は言っている)。「鉄砲玉」の定義はあえてしない。我田引水、手前勝手、牽強付会の「新自己チュー政権」は、ある意味で手ごわい。トップが強烈な思い入れと思い込みで固まり、周囲がそれを面白がって操縦している。いずれトップが再び政権を放り出して終わるだろうが、それまでに、どれだけの損害をこの国に与えるだろうか。暗澹たる思いがする。たちが悪いのは、これを操る官邸とその周辺の官僚たちである。官僚が政治家をバカにするのは今に始まったことではないが、それが極端に「進化」している。野党の批判や、自民党内良識派の懸念や危惧、地方の反発、メディアの批判を心配することがほとんどなくなった分、好き放題に首相にものを言わせ、動かしている。8月9日、長崎平和祈念式典では、被爆者代表が閣議決定を正面から批判したが、その間、NHKのカメラは首相の顔をしっかりとらえていた。これを見ると、心のなかがそのまま外に出ている。式典後、集団的自衛権行使容認を批判する被爆者代表に対して、「見解の相違ですね」という捨てぜりふが放たれた。敵意と無関心を顔にも態度にも出し、常日頃、「国民の皆様に対して丁寧に説明をしていきたいと思っています」と言っているのが単なる「お題目」であることを露呈させた。先週14日朝、沖縄防衛局は、普天間飛行場の辺野古沖「移設」に向けた海底ボーリング調査のためのブイ(浮標灯)設置作業を開始した。なぜ、県民が慰霊モードになっている「8.15」の前日を選んだのか。安倍首相は先月、「なぜ作業が遅れている。さっさとやれ」と、海底調査開始の遅れについて防衛省幹部に対して、机をたたくなどしてまくし立てたという(『琉球新報』2014年7月19日付)。「地元に丁寧に説明し、理解を求めながら進める」と繰り返す同じ人間の言葉とは思えない。いや、ここに安倍晋三氏の危うさがある。「鉄砲玉」と呼ぶ所以である。(水島朝穂「今週の『直言』」2014年8月18日

・8月15日、ビデオニュース・ドットコムの
ニュース・コメンタリーにおいて、神保哲生さんと宮台真司さんが、この「式辞」について、とはやや異なった観点から語り合っておられるのを興味深く拝見しました。「(略)しかし、今回の式辞には(略)安倍首相の歴史認識を色濃く反映する興味深い文言が含まれていた。それが以下のくだりだ。『戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。』安倍首相がそう語ったのに対し、その後壇上に上った天皇陛下は『終戦以来既に69年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました』とする式辞を読み上げている。相前後した2つのスピーチの中で、今日の日本の繁栄が何の上に築かれたものと認識しているかについての違いが際だつ形となった。実は歴代の首相の式辞では現在の日本の平和と繁栄について、多少のバリエーションはあるものの、概ね「戦争によって命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれたもの」とすることが、歴代政権によって踏襲されてきた。安倍首相自身も、第一次安倍政権の式辞では「今日の平和と繁栄は戦争によってかけがえのない命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれたもの」としていた。今回の式辞で安倍首相は、そこからあえて「国民のたゆまぬ努力」のくだりを削り、今日の日本の繁栄が戦争の犠牲者の上に成し遂げられたものであるという部分のみを残すことを選択していた点が際立った 。」なるほど、こういう視点から見る見方もあるのだなあ、と感心しました。(弁護士・金原徹雄のブログ 2014年8月18日) ・特定秘密保護法制定集団的自衛権容認閣議決定沖縄普天間基地の辺野古移転工事開始強行と矢継ぎ早に「戦時体制」整備に余念のない安倍政権が今度は教育に目をつけて、(引用者注:すでに「教育基本法」は改悪され、教育現場における国旗・国歌の強制化は終了しています)高校に「近現代史」科目の新設を検討し始めたという。(略)最近の子供はあまりに近現代の歴史を知らなすぎる、という声が広くあり、その原因として従来型の通史では日本史の場合、古代から始まって大体、明治維新に到達するかしないかの段階で1年が終わってしまうという授業のあり方が原因とされたことによる。(略)こういう現状に文科省はかねて高校で日本史を必修にすることを目指していたことと、近現代史教育重視を組み合わせて、新科目「近現代史」をつくることを検討し始めたものらしい。そこでこの話をどう考えるか。まず、最近の子供が歴史を知らない、あるいは知らなすぎるというのは事実である。(略)しかし、この問題を安倍内閣が手がけることには私は反対である。この動きの背景について、「産経」の記事を引用する。「先の大戦をめぐり中国や韓国が日本への批判を強める中、明治以降の日本の近代化の歩みを世界史と関連づけながら深く学ばせることで、国際社会で自国の立場をきちんと主張できる日本人を育成する狙いもあるとみられる」「狙いもあるとみられる」どころではなく、これまで安倍内閣のもとで文科省が教科書から従軍慰安婦の記述を削り竹島や尖閣列島についての領有主張をもりこんできた経緯から見れば、「自国の立場をきちんと主張できる人間」、つまり言い合い(引用者注:詭弁力)で負けない人間を作ろうとしていることは明らかだ。(略)歴史の真実は政府が黙っていてもいずれ明らかになる。(略)子供たちが歴史を知らないことは民族として一大事だ。しかし、その状況を改善するのは、紋切型になるけれど、国民全体が手をつくすしかないのだ。(田畑光永「リベラル21」2014.08.19

・私が様々な集会でお話ししていて「もはや処方箋はない」とまで感じさせられるのが「中国脅威論」の浸透度ということだ。私を講師に招くのは、良心的市民団体を自認するものがほとんどだし、最近は立て続けに日中友好のために長年尽力してきた集まりに招かれて話をしたが、そういう集会においてすら、「尖閣問題での中国の軍事的挑発行動」「西沙諸島でのヴェトナムに対する中国の理不尽な行動」を挙げて、「中国の大国主義・覇権主義には反対だ」という意見が会場から異口同音に提起される。そういう対中批判感情は、「中国人は欲得感情でしか動かない」という、ツアで訪中したときにいやな目に遭った多くの人の「実体験」で「裏打ち」されているから、私が事実関係に基づいて認識を正してもらおうと努力しても、まるきり歯が立たない。問題は、そういう「市民感情」安倍政権が強調して止まない「中国脅威論」を受け入れてしまう国民的土壌になってしまっているということだ。私も世が世であれば、いずれ時が来れば
「反中」「嫌中」感情も改まるだろうと達観する気持ちになれるのだが、安倍政権が「中国脅威論」を正面に押し立てて集団的自衛権行使に突き進み、かつて日中戦争の引き金となった盧溝橋事件(ちなみに、この事件を中国では77事変と呼ぶが、今年はその77周年に当たり、4つの7が並んだ本年7月7日には、習近平自身が出席して日本軍国主義復活を許さないとする大々的な行事が行われた)を繰り返すことになりかねない日中軍事衝突の危険性を真剣に憂慮しなければならない状況になってくると、そんなに悠長に構えてはいられないという焦りに襲われる。(浅井基文 2014.08.19
先のエントリでは、首相安倍晋三と安倍の資金管理団体晋和会の政治資金規正法違反容疑の告発に関して澤藤統一郎弁護士のブログをご紹介させていただきましたが、同告発当事者のおひとりの醍醐聰さんも本日、この件についてご自身のブログにアップされました。
 
今回の告発に関して「たかが肩書の誤記の問題であり、告発に値しない」という批判があるとのことですが、醍醐さんはそうした批判に対して以下のとおり反論しています。
 
首相安倍晋三の犯した罪の性質、今回の告発の重要性を知るうえからもとても重要な視点の提起であり、市民的視点からの論理的な説諭にもなっているように思います。そういう次第で「われ=われ」のたたかいの参考資料としても該当部分をピックアップしてご紹介させていただこうと思います。

安倍首相告発 
告発状を提出し、記者会見する醍醐聡東大名誉教授ら
18日午後、東京都千代田区(共同通信

 
安倍首相の資金管理団体を虚偽記載で告発
(醍醐聰のブログ 2014年8月19日)
 
「職業」も国民監視のための重要な情報
 
「たかが肩書の誤記を何で」という議論がある。しかし、例えば、国政情報センター編著『政治資金規正法違反事例集(2012年、国政情報センター刊)を調べると、「国交省関係者らから寄附を受け、職業を『会社員』と記述」したことが違反事例の一つとして取り上げられている(82~83ページ)。この事例は参議院議員A氏が代表を務める資金管理団体が2006年の政治資金収支報告書の中で、個人献金をした国交省の現役局長や外郭団体トップらの職業を「会社員」と記載していた事実を違反事例として解説したものである。
 
A氏の政治資金報告書では寄附者のほとんどの職業が「会社員」と記載されていたが、その中には、上記の現役国交省局長や同省の外郭団体の理事長のほか、旧建設省OBの市長、元技監なども含まれていたという。また、寄附者の中には、国から出資、補助金を受けていた公益法人などのトップも含まれていた。
 
A氏は旧建設省出身で、2007年の参院選で初当選した。個人献金をした人物の多くはA氏と親交が深かった国交省関係者と見られている。
 
この事例からもわかるように、寄附者の職業は、寄附者、若しくは個人を装った団体献金者と政治団体との癒着、不明朗な政治過程を国民が監視し批判するうえで重要な情報となりうる場合があるのである。
 
今回の晋和会の例でいうと、「プロジェクトX」、プロフェッショナル」、ファミリーヒストリーなど人気を博した番組の制作に携わったNHKチーフプロデューサーが時の政権トップの政治団体に献金をした事実は、NHKの放送の政治的公正、不偏不党、自主・自律の原則を定めた「NHK放送ガイドライン」、職員の服務準則に反する行為であり、NHKはそうした原則を堅持しているという視聴者の信頼を失墜する行為である。しかも、この「自主・自律の堅持」を定めた「NHK放送ガイドライン」の冒頭の節で定められた「放送の公正、不偏不党」、「信用失墜行為の禁止」、「兼職の禁止」はNHKの「全役職員」が遵守すべき規範として設けられたものである。
 
また、NHKが定めた「行動指針では「私生活でも公共放送の信用を損なう行為をしません」と謳っている。
 
以上から、小山好晴氏の「晋和会」に対する献金はこれらガイドライン、服務準則、行動指針のいずれにも反する公算が大である。
 
このような文脈でいうと、「晋和会」が小山好晴氏の職業を「会社役員」と偽って記載したのは小山氏の上記のようなコンプライアンス違反行為を隠蔽する故意犯に該当する可能性が高いと言わなければならない。
 
さらにいうと、晋和会への寄附者の中にある小山麻耶氏は小山好晴氏の妻であり、麻耶氏の母は安倍晋三氏の熱烈な支援者として知られる金美齢である。このことからすると安倍氏、あるいは主たる事務所が安倍氏の国会事務所となっている「晋和会」の会計責任者・××××氏が小山好晴氏の実の職業を知らなかったとは考えにくい。こうした事情を勘案すると、小山好晴氏の職業を「会社役員」と虚偽の記載をした事実は故意犯に該当する可能性がいっそう強まるのである。
 
後で訂正しても違法性は消えない
 
「すでに当事者が訂正したものを告発するのはいいがかり」という議論が見受けられる。しかし、事後の訂正は虚偽記載の罪責判断において情状酌量の要素になることはあっても、処罰の認否に影響するものではないというのが法曹界の定説であり、政治資金規正法第27条第2項後段でその旨の定めが置かれている。
 
前記の政治資金規正法違反事例の解説でも、「処罰対象となるかどうかは行為を行ったときを基準に判断するため、事後に訂正しても処罰対象から逃れるというわけではない。あくまでも行為時(この場合は記載時)に故意、あるいは重過失があるかどうかが問題となる」と記されている(83ページ)。
醍醐聰さん(NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同代表)、湯山哲守さん(同左)、斎藤貴男さん(ジャーナリスト)、田島泰彦さん(上智大学文学部新聞学科教授)の4人のそうそうたるメンバー(広義の意味のジャーナリスト、またはジャーナリズム研究者)が澤藤統一郎さんら8人を代理人弁護士にして首相安倍晋三と安倍の資金管理団体晋和会の会計責任者を政治資金規正法違反で告発するという注目すべきニュースを澤藤統一郎弁護士の本日づけのブログ記事で知りました。
 
委細は下記の「安倍晋三首相に対する告発状」(澤藤統一郎の憲法日記 2014年8月18日)をご参照ください。この告発は今後の政局にも大きな影響を与えそうです。検察と裁判所の対応に不正義はないか? 裁判で首相安倍の不正義を糾すことはできるか? 今後のなりゆきに注目したいと思います。
 
安倍晋三首相に対する告発状
(澤藤統一郎の憲法日記 2014年8月18日)
 
本日、安倍晋三首相の資金管理団体である晋和会の会計責任者と安倍晋三首相本人の両名を被告発人として、政治資金規正法違反の告発をした。
 
告発事案は、晋和会の政治資金収支報告書の寄付者の「職業」記載に、16か所の「虚偽記載」があること。「虚偽記載」は、故意だけでなく重過失を含むものと定義されている。会計責任者が刑事責任の対象となった場合、原則として資金管理団体の代表者の監督責任も問われることになる。

監督責任者としての被告発人安倍晋三の刑が確定すれば、公民権停止となる。その場合、公選法99条によって当然に議員としての地位を失う。議員でなくなれば、首相の座も失うことになる。
 
本日午前11時、醍醐聰さんと私と神原弁護士とで、東京地検に告発状を提出してきた。今後の成り行きを注目したい。
 
以下、省略。全文は上記の「澤藤統一郎の憲法日記」をご参照ください。
 
以下、大久保真紀さんの朝日新聞のコラム記事「戦後69年 抑えきれない怒りの行方」(2014年8月16日)の全文(改行は引用者の恣意)です。とてもすばらしいコラム記事です。文章がうまいとか下手だとかいう才の問題ではありません。心がこもっているのです。小手先ではない大久保さんが感動している心の動きが相対している人のしわぶきや息遣いのように読者に伝わってくるのです。私はこういう文章こそが名文だと思います。
 
9日。長崎市で開かれた原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の会場にいた。台風11号の影響で時折強い風が吹く中、午前11時10分すぎ、被爆者代表が壇上で、「平和への誓い」を読み始めた。会場で配られた式次第に印刷されている文面を目で追っていると、異変が起きた。「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です」暴挙!? なんと強烈な表現なのだろう。式次第にあった文面は「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、武力で国民の平和を作ると言っていませんか」だった。異変は続く。「日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうというのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか」。文面にない怒りの言葉が、被爆者代表の女性の口から発せられた。ここ数年、私は現地で式典を見てきた。事前に用意した「原稿通り」がふつうだった。この日も、田上富久市長が「長崎平和宣言」を、来賓の安倍晋三首相があいさつを、配られた文面と一字一句違わず読み上げている。なぜ、異変は起きたのだろう。式典後、「平和への誓い」を読み上げた被爆者代表の城臺美彌子(じょうだいみやこ)さん(75)を、長崎市内の自宅に訪ねた。
 
黙っていられなかったんです」城臺さんは、とっさの判断だったと打ち明けた。当日は、式典開始の一時間半以上前に会場に到着。自席で待機しながら、昨年10月に被爆者代表になる打診を受けてからの日々を振り返っていた。特定秘密保護法の制定。原発の再稼働や輸出に突っ走る政府。強調される中国脅威論。集団的自衛権の憲法解釈の変更……。この1年、日本で起きたあまりに多くの異変。その一つひとつを思い浮かべていると、真正面の来賓席に入ってくる政治家たちの姿が見えた。公明党の山口那津男代表が歩いてきた。「平和の党と言いながら、結局、集団的自衛権の解釈変更に賛成したのよね」。民主党の海江田万里代表も来た。「もう少し国民が民主党政権を我慢しなければいけなかったわね」(引用者注:この認識は少し違うように私は思います)……。ほかの党の党首、大臣らが続き、最後に入ってきたのが、安倍首相だった。「ムラムラと怒りがわき上がってきたんです」。用意した文面は市役所職員と詰めて考えたものだったが、ここは、被爆者代表として面と向かって抗議しなくては。そう腹をくくったのだという。城臺さんは6歳のとき、爆心地から2・4キロの自宅で被爆した。近所の友人たちは成人後にがんなどで次々と亡くなった。38年間小学校の教壇に立ち、16年前から語り部を続ける。孫が7人いる。「孫世代の子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませたりすることはあってはならない」式典後、城臺さんの自宅の電話や携帯電話は鳴りっぱなしだった。「私たちの気持ちをよくぞ言ってくれた」。被爆者仲間や全国から「感動した」との声が相次いだ。
 
ふと、ある詩が思い浮かんだ。「ふたりのこどもを くににあげ/のこりしかぞくは なきぐらし/よそのわかしゅう みるにつけ/うづのわかしゅう いまごろは/さいのかわらで こいしつみ」山形県上山市在住の農民詩人木村迪夫(みちお)さん(78)の詩集「わが八月十五日」に収録されている歌だ。木村さんの祖母が、戦後、突然歌い出した歌を、「祖母のうた」として記録したものだ。祖母は「皇国の母」だった。次男が太平洋の孤島で戦死したことが伝えられたときは、「名誉の戦死」として赤飯を炊いて祝った。だが、1946年5月、木村さんの父で、農家の跡取り息子だった長男が、出征先の中国ですでに病死していたことがわかると、一転した。蚕室に三日三晩こもって泣き明かし、その後、ご詠歌の節回しで即興的に歌い始めた。蚕の世話をしながら、祖母は10年、呪うように歌い続けた。祖母は字が書けなかった。「祖母の思いを受け継ぐのはオレだ」。そう思った木村さんは、死期が迫る祖母の枕元で、怨(うら)み歌を次々と書き取った。昨年まで5年近く、木村さんは山形県の遺族会会長を務めた。「いまの日本の状況は慚愧(ざんき)に堪えない」と怒りをあらわにし、「日の丸は嫌いだ」と公言する。祖母の残したなかに、こんな歌がある。「にほんのひのまる/なだてあがい/かえらぬ/おらがむすこの ちであがい」この怒りを、理解できますか。(朝日新聞(ザ・コラム)大久保真紀「戦後69年 抑えきれない怒りの行方」2014年8月16日)
作家の辺見庸と弁護士の澤藤統一郎(元日本民主法律家協会事務局長)の「69年目の戦後の夏」の瞋恚。かつて私の年長の友人の故松岡隆夫はそのまた友人の吉沢和泉の丹沢の川原での焼身自殺(1988年)の死を前にしてこう言った。「一声悲鳥西窓前」、と。その言葉か。
 
辺見庸「日録30」(2014/08/16)から。
 
慰安婦問題にかんする1週間ほど前の神奈川新聞社説。論旨明快、阿諛便佞(あゆべんねい)の口吻毫もなく、姿勢毅然たり。まことに一読に値した。社説タイトルは「慰安婦報道撤回 本質は強制連行にない」。わたしはこの社説を支持する。情勢にかんがみ、以下、全文を紹介する。(原文には改行があるが、引用文では改行を省略した)(引用者注:読みやすさのためにさらに引用者が恣意的に改行しました)
 
「朝日新聞が従軍慰安婦の報道の一部が虚報だったと認め、記事を取り消した。それをもって、慰安婦が強制連行されたとの主張の根幹が崩れたと唱える論が横行している。『木を見て森を見ず』のような、稚拙な言説である。朝日が誤りだったとしたのは『強制連行をした』という吉田清治氏の証言だ。韓国・済州島で朝鮮人女性を無理やりトラックに押し込め、慰安所へ連れて行ったとしていた。30年余り前の吉田証言は研究者の間でも信ぴょう性に疑問符が付けられていた。旧日本軍による強制連行を示す証拠は他にある。日本の占領下のインドネシアで起きたスマラン事件公判記録などがそれだ。だまされて連れて行かれたという元慰安婦の証言も数多い。研究者による公文書の発掘は続いており、新たな史料に虚心に向き合わなければ、歴史を論じる資格を手にすることはできないだろう。
 
強制連行を否定する主張はさらに、誤った記事により日本がいわれなき非難を受け、不当におとしめられてきたと続く。しかし、国際社会から非難されているのは強制連行があったからではない。厳しい視線が向けられているのは、人集めの際の強制性のいかんに焦点を置くことで問題の本質から目を背け、歴史の責任を矮小化しようとする態度にである。問題の本質は、女性たちが戦地で日本軍将兵に性的行為を強要されたことにある。慰安をしたのではなく性暴力を受けた。兵士の性病まん延防止と性欲処理の道具にされた。その制度づくりから管理運営に軍が関与していた。それは日本の植民地支配、侵略戦争という大きな枠組みの中で行われたものであった。
 
歴史認識の問題が突き付けるのは、この国が過去と向き合ってこなかった69年という歳月の重みだ。国家として真摯な謝罪と反省の機会をついぞ持たず、歴史修正主義を唱える政治家が主流になるに至った。朝日が撤回した記事について、自民党の石破茂幹事長は『国民も非常に苦しみ、国際問題にもなった』と、その責任に言及し、国会での検証さえ示唆した。過去の国家犯罪の実態を明らかにし、被害国と向き合う政治の責任を放棄し続ける自らを省みることなく、である。国際社会の非難と軽蔑を招く倒錯は二重になされようとしている」。
 
二重の倒錯。そのとおりである。朝日関係者の国会招致の動きに反対する。(辺見庸「日録30」2014/08/16)

「澤藤統一郎の憲法日記」(
2014年8月16日)から。
 
69回目の戦後の夏、時代に向き合う-「前夜」に言寄せて(澤藤統一郎の憲法日記  2014年8月16日)
 
今ならまだ間に合う。/ 明日では遅すぎる…かも知れない。/だから、今、声を上げなければならない。/ 今は、そのような「前夜」ではないか。
 
「前夜」に続く茶色の朝、/ 「改憲」が実現する悪夢の日。/ 歴史の歯車が逆転して、/いつかきた道に迷い込み、/その行きつく先にある、/ 「取りもどされた日本」。
 
69年前、/ 戦争の惨禍というこの上ない代償をもって、/われわれ国民は、主権と人権と、なによりも平和を手に入れた。/それまでの大日本帝国とは断絶した、/ 新しい原理に拠って立つ新生日本国を誕
生させた。
 
「前夜」とは、/その新生日本国の原理が蹂躙される「恐るべき明日」の前夜。/ 邪悪な力による逆行した時代到来の前夜。/ 断絶し封印されたはずの過去が、新たなかたちでよみがえるその日の前夜。
 
訣別したはずの過去において、/  主権は天皇にあった。/  天皇は神として神聖であり、/  天皇の命令は絶対とされた。/  君と国とが主人であり、/  この地に生きるものは「臣民」であった。/  臣民には、恵深い君から思し召しの権利が与えられ、/  臣民はそのかたじけなさに随喜した。
 
国が目指すは富国強兵。/  強兵こそが富国の手段で、/  富国こそがさらなる強兵を可能とする。/  「自存自衛」、「帝国の生命線防衛」の名の下、/  侵略戦争と植民地の拡大が国策とされた。/  そのための国民皆兵が当然とされた。
 
学校と軍隊が、国家主義・軍国主義を臣民に叩き込んだ。/  国定教科書が、統治の対象としての臣民に、服従の道徳を説いた。/  排外主義と近隣諸国民にたいする優越意識が涵養された。/  男女平等はなく、家の制度が国家的秩序のモデルとされた。
 
このような理不尽な国家を支えた法体系の一端は、/  大日本帝国憲法/  刑法(大逆罪・不敬罪・姦通罪)/  陸軍刑法/  海軍刑法/  徴兵令
 
讒謗律1875(明治8)年/  集会条例1880(明治13)年/  新聞紙条例1875(明治8)年/  保安条例1887 (明治20年)/ 集会及政社法1890(明治23)年/  出版法1893(明治26)年/  軍機保護法1899(明治32)年/
 
治安警察法1900(明治33)年/  行政執行法1900(明治33)年/  新聞紙法1909(明治42)年/  治安維持法1925(大正14)年/  暴力行為等処罰法1926(大正15)年/  治安維持法改正1928(昭和3)年/  軍機保護法全面改正1937(昭和12)年/  国家総動員法1938(昭和13)年/  軍用資源秘密保護法1939(昭和14年)/  国家総動員法改正1941(昭和16)年/  国防保安法1941(昭和16)年/  治安維持法改正1941(昭和16)年/  言論、出版、集会、結社等臨時取締法1941(昭和16)年/  戦時刑事特別法1941(昭和16)年
 
議会制の終焉を告げる大政翼賛会の結成は/ 1940年(昭和15年)10月。/ その後1年余で、太平洋戦争が勃発した。
 
今、歴史の歯車の逆回転を意識せずにはおられない。/ 日本国憲法が払拭したはずの旧体制の残滓が復活しつつあるのではないか。/ 自民党は、憲法改正草案を公表した(2012年4月)。/ この草案自体が既に悪夢だ。/ 立憲主義を崩壊させ、日本を天皇をいただく国にし、/ 堂々の国防軍をつくろうという。/そして、「表現の自由」圧殺を公言するもの。
 
特定秘密保護法とは、/ 「国民には国家が許容する情報だけを知らせておけば足りる」/という思想をかたちにしたもの。/ 国民が最も知らねばならないことを、知ってはならないと阻むもの。/ 国民の知る権利の蹂躙は、民主々義の根幹を破壊すること。/そして、議会制民主々義を形だけのものとすること。/ 衆参両院の議員は、この悪法の成立に手を貸したのだ。
 
さらに、だ。/ 2014年7月1日集団的自衛権行使容認の閣議決定。/ 憲法の平和主義は後退を余儀なくされてはいるが、/ 専守防衛の一線で踏みとどまっている。/ 今、自衛隊が外国で闘うことはできない。/これを突破しようというのが、集団的自衛権行使容認。
 
防衛大綱は見直され、海兵隊能力が新設される。敵基地攻撃能力にまで言及されている。「軍国日本を取り戻す」まで、あと一歩ではないか。
 
法律だけでは、戦争はできない。/ 他国民への憎悪をかきたてなければならない。/それには、教育とメデイアの統制が不可欠なのだ。/ 大学の自治も教育の自由も邪魔だ。/ 権力の煽動に従順な国民が必要で、権威主義の蔓延こそ権力の望むところ。/ 排外主義を撒き散らすヘイトスピーチ大歓迎なのだ。/ 「憲法を守ろう」という声には、/ 「政治的」というレッテルを貼って萎縮させることも。
 
着々と、再びの悪夢の準備が進行しつつある。/いまこそ、あらゆるところで、声を上げよう。/その「恐ろしい明日」を拒絶するために、/ 今なら間に合う。声を上げられる。/ 明日では手遅れ、になりかねないのだから。
以下の事実について私は共同通信の2014年8月13日付けの記事で知りました。安倍政権が憲法蹂躙政権であることは閣議決定で「集団的自衛権」の憲法解釈を変更するという憲法無視の姿勢からも明らかですが、さらに予想外のスピードと理不尽さで憲法の規定が次々となし崩し化されています。私たちはいま、安倍晋三という愚鈍、愚劣きわまる超アホ面のファシストの手によってニッポンという国が次々と無法地帯化されていくさまを目撃させられています。許すべからざることです。もはや、私たちの残された政治的選択肢は「安倍・自民党政権打倒」以外ありえないでしょう。
 
辺野古でも安倍政権の命によってこれまでにない権力尽くの強硬姿勢で反対派を排除し、基地拡張のためのブイ設置作業が強権的に強行されています。
 
【海自幹部ら靖国へ集団参拝】 防衛省「各人の自由意思で参拝」
(共同通信 2014/08/13)
 
▼各人の自由意思で参拝
 
防衛省の話 海上自衛隊の練習艦隊司令官と(初級)幹部らは今年5月、主に幕末、明治維新以来の戦史に関する収蔵物、展示資料の観覧を通じた歴史学習を目的に、(靖国神社内にある展示施設の)「遊就館」で研修を実施した。この際、休憩時間を含む自由時間を利用して各人の自由意思で参拝した。初穂料(玉串料)は私費で支払われたと承知している。
 
▼靖国特別視、組織に問題
 
福嶋敏明・神戸学院大准教授(憲法)の話 自衛隊員の肩書で制服を着て行く以上、公的な立場での参拝といえる。個々の隊員の問題というよりも、長年慣行で参拝し続けてきた自衛隊の組織の問題として考える必要がある。集団参拝は「靖国神社を長年にわたり特別視してきた」「靖国神社と自衛隊は特別な関係にある」というメッセージを世間に発しているに等しい。靖国神社が社報に記事を載せていることからも、最高裁が違憲の判断基準としている宗教に対する「援助、助長、促進」に当たる行為といえ、憲法20条の政教分離規定に抵触する疑いがある。
 
▼私的な参拝、問題ない
 
大原康男・国学院大名誉教授(宗教行政概論)の話 自衛隊員が公務として靖国神社を昇殿参拝したのであれば、憲法20条とのかかわりの中でさまざまな議論を呼ぶかもしれないが、防衛省が説明するように休憩時間を利用した自主的かつ私的な参拝である限り、まったく問題ないと考える。自衛隊が公務として靖国神社の遊就館に行くことも歴史学習が目的であればなんら問題はない。確かに自衛隊と旧日本軍は別の組織だが、まつられている英霊は自衛隊員にとっても「先輩の御霊(みたま)」といえる。靖国を訪れることは自衛隊員の「精神的研修」としても意味があると考える。
 
【海自幹部ら靖国へ集団参拝】 毎年の遠洋航海前に 問われる政教分離(共同通信 2014/08/13)
 
海上自衛隊の幹部らが毎年の遠洋航海前に100人以上で靖国神社に集団参拝を続けている。
 
防衛省は今年の参拝について「歴史学習目的で(靖国神社の展示施設の)遊就館を訪れた際、休憩時間中に自由意思で行った」としているが、平日に制服を着て集団で昇殿参拝している点などから公務としての参拝とみなす識者の指摘もある。政教分離を定めた憲法20条との兼ね合いが問われそうだ。
 
靖国神社の社報「靖国」 (月刊) によると、海自の練習艦隊司令官と初級 幹部ら計119人が、実習で遠洋航海に出る直前の5月20日の火曜日に、制服姿で集団参拝した。玉串料について防衛省は「私費で支払った」としている。
 
海自練習艦隊の遠洋航海は1957年から始まった。社報「靖国」には、少なくとも2000年以降、毎年、練習艦隊の集団参拝の記事があり、「(遠洋航海の)出発前には毎年当神社への昇殿参拝が行われている」との記述もある。
 
「靖国」はまた、99年に航空自衛隊幹部学校教官の2佐ら計24人が集団参拝したことや、防衛省幹部がほぼ毎年、春季・秋季例大祭に参列していることも伝えている。
 
2012年2月号では、自衛隊イラク派遣で04年に第1次復興業務支援隊長を務めた佐藤正久参院議員が「靖国神社と自衛隊」との題で寄稿。イラクで隊員が殉職した場合も「靖国神社への合祀 (ごうし)は望めなかったであろう」と指摘し「九段(靖国)と市ケ谷(自衛隊)の距離を縮める」ために「国民を挙げて考えて行かねばならない時期を迎えつつある」とも書いている。
 
このほか「靖国」によると(1)自衛隊員有志による境内清掃(2)防衛大学校(神奈川県横須賀市)の学生による「自主的行事」としての学校から靖国神社までの夜間行進―なども長年続いている。
 
【解説】密接な関係明らかに 組織の歴史認識に問題も
 
国とその機関の宗教的行為などを禁じた憲法20条をめぐり、これまで最高裁は(1)行為の目的が宗教的意義を持つか否か(2)行為の効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉になるか否か―などを合憲か違憲かの判断基準としてきた。
 
愛媛県 が靖国神社への玉串料を公費で支出した問題をめぐる「愛媛玉串料訴訟」の最高裁判決(1997年)は、靖国神社という特定の宗教団体に対する支出は「援助、助長、促進」に当たるとして違憲とした。一方、靖国神社への現職首相の参拝の是非をめぐる訴訟で最高裁は2006年6月、政教分離などをめぐる憲法判断を示さずに退けてきた。
 
今回明らかになった自衛隊による靖国神社への集団参拝について、防衛省は「歴史学習として訪れた際の 休憩、自由時間中の自由意思による参拝」と説明している。憲法20条2項が禁じる「宗教行事への参加強制」には当たらないとしても、公務中か否か、靖国への「援助、助長、促進」に当たらないかどうかは微妙だ。
 
集団参拝だけでなく、「自主的行事」としての隊員による境内清掃や防衛大生の夜間行進など靖国と自衛隊の関係は深い。安倍晋三政権による集団的自衛権行使容認によって自衛隊の任務の危険性が増す恐れもある中で、両者の「密接な関係」は今後、論議も呼びそうだ。
 
靖国神社を精神的支柱として国民を戦争に動員した旧日本軍との関係性を含め、自衛隊という組織の歴史認識が問われる問題でもある。(編集委員 石山永一郎)
辺見庸日録30」(2014年8月13日)から。

バイカウツギ
 
とっくに終わったはずのバイカウツギが咲いている。昼間なのに花のまわりだけが真っ暗になっている。闇夜になっている。ポツダム宣言とは、1945年7月26日、ポツダムにおいて、米・英・中3国(対日参戦と同時に、ソ連も参加)により発せられた対日降伏勧告および戦後処理にかんする宣言(「全日本軍の無条件降伏」を求めた全13か条の宣言)であり、日本における軍国主義の除去、軍事占領、主権の制限、戦争犯罪人の処罰、再軍備禁止などについて規定している。なかに〈日本は無分別な打算により自国を滅亡の淵に追いこんだ軍国主義者の指導をひきつづき受けるか、それとも理性の道を歩むか、選ぶべき時がきたのである〉の最後通告もあった。日本は、しかし、ポツダム宣言を無視し、広島長崎への原爆投下・無差別殺戮をへた8月14日、これをやっと受諾、無条件降伏した。おい、シュショーAよ、以上の事実にまちがいはないな?もしもまちがいないというなら、軍国主義の除去、戦争犯罪人の処罰、再軍備禁止……の各項につき、現状の日本は、ポツダム宣言に明確に違反している。軍国主義者の指導についても然り。そうである以上、Aよ、あんたはあさって、世界にたいし「ポツダム宣言拒否」を厳かに宣言すべきではないか。そして、それは米国政府の承認をえている、歴史とはブラック・ユーモアでしかない、と。ちなみに、あさっては「終戦記念日」ではない。「降伏記念日」か「敗戦記念日」である
 辺見庸日録29」(2014/08/10)から。
 
8月9日のすごしかたとこれからのことをおもった。「」をおもった。この日、わたしの友人Yさんは、炊き出しと物故した路上生活者の慰霊祭に参加。炊き出しメニューはふだんより豪華で、カレーライスだった。炊き出しと慰霊祭がおこなわれた都内の公園で活動中に、Yさんは羽化に失敗したらしい1匹のセミの死骸とであい、その写真を送ってきた。じっと見ていたら、写真からセミ時雨が聞こえてきた。悲しいとも悲しくないとも、コメントはなにも記されてなかった。それでよいような気がするのだ。言葉もないのだ。セミの声に洗われつづける黒い穴のような顔たち……。
 
一方、友人Hさんは、長崎の平和祈念式典のテレビ中継を見ていた。わたしも見た。「平和への誓い」を読んだ被爆者代表の城臺美弥子さんが、集団的自衛権行使容認を「日本国憲法を踏みにじる暴挙」とはっきりと批判したとたん、式典の空気がうごいた。ただのセレモニーが、リアルな出来事に変化した。出席していたシュショーAは当初、寝たふりをしていたのだが、「日本国憲法を踏みにじる暴挙」と聞いて、2、3秒わずかに目を開け、城臺さんを、さも迷惑な動物にでもするように睨めた。それはずいぶん胡乱で無礼な目つきであった。立場はちがっても、受苦者らへのまなざしには、それが政治家の真っ赤な嘘にせよ、同情と敬意がこめられていて当然である。ところがこの男ときたら、被爆者への無関心と敵意さえ隠せない。Aの目に、わたしは当惑とさげすみの色を見た。城臺さんら被爆者らへの敬意と感動など、さがそうったって微塵もなかった。「国に殉じた人にたいする尊崇の念」を口癖のように言う、靖国好きのこの男は、原爆被害者など屁ともおもっていないらしい。それらを隠すために、シュショーAはふたたび寝たふりをきめこんだ。HさんはそのようなAの態度を許せない、ぜったいに許せない、と憤った。
 
やはり、「顔とは、人間が取り返しのつかない仕方で露出しているということ」である。そうおもう。被爆屍体の顔。炎天下、路上死したホームレスの顔。まったく心にもなく平和祈念式典にいるAの顔。ガザの屍体の顔。イラクの屍体の顔。ウクライナの屍体の顔。「《殺すなかれ!》……かつてはこの言葉が私を槍のように突き刺した。いまは……、それは嘘のようにおもわれる。《殺すなかれ》、しかし周囲では誰もが殺しているのだ。……なんという冒?的な見世物芝居だ」。そうおもう。ユーリイ・ニコラエヴィチはそうおもう。戦争がもうはじまっている。わたしは知っている。森でまた殺戮がおこなわれたのだ。もう終わらないだろう。引き返せないだろう。空々しい言葉はいらない。
 
安倍首相の広島と長崎での発言について」(保立道久の研究雑記 2014年8月10日)から。

安倍首相の広島と長崎での発言が昨年の原稿の使い回しであるということを知った。これはようするに、文章を書くということができる人がおらず、昨年の文章の原稿を実際にPCの上で切り張りして作成しているのだと思う。何というかいい加減なというのが最初の反応であった。国家中枢でそんなことをやっていてはいけないだろうと思う。けれども、広島のみでなく、長崎でも同じようなことをやっているというのは、「それで何が悪い」ということであるとしか考えられない。「それで何が悪い」というのは、これは闘争心理である。
 
自民党党首が闘争心理をもつのはやむをえないと思うが、それは他の政党に対してのことであろう。もちろん、他の政党も国民の代表として国会に存在しているのであるから、国家の首相たるものがそういう闘争心理を露わにするというのは異様で、おかしなことである。しかし、広島・長崎にいる人々は国民である。国民に対して闘争心理をもつ、しかも安倍氏個人のみではなく、その周辺と官僚が闘争心理をもつというのは考えられないことである。こういうのはおかしい。原発再稼働も、こういう闘争心理でやるということであると思われるのが、恐ろしいことである。
 
今週の風考計」(JCJ 2014年08月10日)から。

集団的自衛権の行使を認める閣議決定」の暴挙に対し、抗議と撤回・違憲訴訟など、さまざまな取り組みが全国で広がっている。すでに全国の47弁護士会が、「手続き上からも憲法違反である」として、抗議の会長声明や総会決議を発表している。憲法研究者157氏も、集団的自衛権の行使撤回を求める声明を発表。9日には安倍首相に、長崎原爆遺族会が「集団的自衛権は要りません」と迫った。山中光茂・三重県松阪市長は「違憲訴訟」を目指しているし、須藤甚一郎・東京目黒区議は、東京地裁に閣議決定の無効確認を求める訴訟を起した。敗戦の8月15日には、野党の国会議員有志でつくる議員連盟「立憲フォーラム」が、「平和創造基本法案」を発表する。集団的自衛権は「行使しない」との内容を盛り込み、政権が代わっても閣議決定で恣意的に運用されないよう、法律で縛るのが狙いだ。17日は第2次安倍政権が発足して600日、閣僚が一人も交代しない戦後最長記録を更新するが、コピペの挨拶を繰り返し、問われると「見解の相違」で片づける。その厚顔、見たくもない。
 
附:
"We Shall Overcome" - Martin Luther King, Jr.(JCJ 2014年08月10日)



チャップリンの史上ベストスピーチ(JCJ 2014年08月10日)

ビデオニュース・ドットコム(2014年8月9日)から。
 
朝日新聞が従軍慰安婦問題に関する自社の記事を検証する特集を2014年8月5日、6日の両日に掲載したことが、話題を呼んでいる。5日付けの記事の中で、軍が韓国の女性を強制連行したと報じた自社の1991年の記事を、証拠がなかったとして撤回をしたからだ。朝日新聞は1991年から日本軍が強制的に韓国の女性を連行して従軍慰安婦にさせたとする当事者たちの証言を記事中に引用するなどして、従軍慰安婦問題では日本政府批判の急先鋒に立っていた。しかし、朝日新聞がインタビューを掲載した、済州島で多くの韓国女性を暴力的に強制連行したとする吉田清治氏らの証言が、事実無根の可能性が高いことは、1992-93年の段階で既に右派、左派の双方から指摘されていた朝日新聞が自らの誤報を認めるのに20年以上を要したことは、朝日新聞自身にとっても、また従軍慰安婦問題をめぐる議論を本質論から脱線されたという意味においても、非常に不幸なことだった。朝日が十分な根拠もないままに軍による強制連行があったかのような記事を掲載し、それに20年以上固執したことで、従軍慰安婦問題をめぐる国内の議論が、強制連行の有無という一点に矮小化されてしまったからだ。
 
朝日新聞に批判的な立場を取る勢力の間では、今回、朝日新聞が自らの非を認めたことに対して、勝ち誇るかのような論調が多くみられる。そして、その多くが朝日の記事撤回によって、日本政府や日本軍が従軍慰安婦を強制したことはなかったことが明らかになったと主張しているようだ。しかし、朝日新聞の記事の撤回があろうと無かろうと、従軍慰安婦問題の本質は何も変わらない。これは特に欧米諸国が問題にしていることでもあるが、従軍慰安婦問題の本質は単に連行時に政府や軍による強制があったかどうかではなく、慰安婦となった女性たちを日本軍が組織的に利用していたという事実だ。仮に女性たちを最初にリクルートしたのが民間の業者であったとしても、戦地に連れてこられた慰安婦たちを軍が管理していたことや、そこに広い意味での強制性があったことは広く裏付けられている。(「朝日の検証記事で慰安婦議論は正常化するか」ビデオニュース・ドットコム 2014年8月9日)
 
再度、補論として ――辺見庸「日録29」(2014/08/06)から。
 
従軍慰安婦問題について、朝日新聞がこれまでの報道を点検し、一部の誤りをことさら麗々しくみとめて、とり消した。いわゆる「真実の報道」のためにそうしたのか、歴史修正主義の怒濤に呑まれた世論と政治権力に屈してそうしたのか。後者であろう首相官邸、「日本会議」や右派系各紙、週刊誌を大いによろこばしめ、従軍慰安婦問題などそもそもなかったという首相Aの思惑どおりの流れがこれでできた。歴史が崩壊している。事実が鋳つぶされている。この伝で、文化大革命報道を点検したら、とり消しに値する誤報・虚報が何万件あることか。なぜそれはやらないで、慰安婦問題なのか。朝日の記事とり消し騒ぎの後景には、理解をこえる嫌韓・侮韓のうねりもある。こうしたおぞましいセンチメントが歴史的与件を蹴ちらしている。「ユダヤ人について持つ観念が歴史を決めるのであって、『歴史的与件』が観念を生むのではないようである」(『ユダヤ人』)という指摘を、この場合、なぞってみる必要がないであろうか。ヒロシマの平和記念式典首相Aの出席を拒否すべきだった。ないしは,集団的自衛権行使容認の閣議決定反対を鮮明にうちだすべきであった。そうしない原爆記念日は、殺されたひとびとをすこしもなぐさめはしない。諍いはいま、おきるべきであり、おこすべきである。
辺見庸日録29」(2014/08/09)から。
 
けふ再読。「原爆のおっちゃけたあと一番最後まで死骸が残ったのは朝鮮人だったとよ。日本人は沢山生残ったが朝鮮人はちっとしか生残らんじゃったけん、どがんもこがんもできん。死体の寄っとる場所で朝鮮人はわかるとさ。生きとるときに寄せられとったけん。牢屋に入れたごとして。仕事だけ這いも立ちもならんしこさせて。……三菱兵器にも長崎製鋼にも三菱電気にも朝鮮人は来とったとよ。中国人も連れられて来とったとよ。原爆がおっちゃけたあと地の上を歩くもんは足で歩くけんなかなか長崎に来っけんじゃたが、カラスは一番さきに長崎にきて、カラスは空から飛んでくるけん、うんと来たばい。それからハエも。それで一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸のあたまの目ン玉ばカラスがきて食うとよ」(石牟礼道子「菊とナガサキ―被爆朝鮮人の遺骨は黙したまま―」『朝日ジャ―ナル』1968年)。
 
以下もけふ再読。「宮城御所が焼けたのは1945年(昭和20)年5月25日夜の大空襲の際だが、大宮御所は2度まで焼夷弾爆撃を防ぎ止め、3度目に乾き切った建物は防火用水の不足から、一瞬に炎上したのだった。……宮城御所は一瞬にして焼け落ちた。建物には香木が多く用いられていたし、また天皇・皇后の居間では絶えず香が焚かれて材木に沁み込んでいたから、それが炎上した時には、あたり一面に香がにおい、将兵たちは恍惚としてしばらく消火活動を忘れた、という。そしてその香しい炎のなかに多くの人々の命を呑んだのであった」(村上兵衛「天皇の戦争責任」『中央公論』1956年、原文ママ)。
(辺見庸「日録29」2014/08/09)  

・中東における人道の危機なら、ガザでいやというほど発生したではないか。イラクに米軍が出撃したのは少数民族を守るためなどではあり得ない
――
内藤正典Twitter
(2014年8月6日~9日)から(追記)。
 
イラク北部で、イスラーム国ISによるヤズィーディやキリスト教徒の虐殺がトルコでも報じられているが、よく読むと、ISが殺したとは書かれていない。ヤズィーディは啓典の民とみなされず、虐殺されるのではないかという強い不安を抱いて山岳部に逃れ、餓死しているとのこと。(内藤正典Twitter 2014年8月9日) 

引用者注:
この内藤教授のツイットは、今回の米国の「イスラム国」の移動砲台の空爆は「宗教的少数派の保護などが目的」(
毎日新聞 2014年8月9日)という米国防総省発の情報を相も変わらず無批判に受容するのみの日本のメディアなどの報道に一矢を報いるという意があるものと思います。 

にもかかわらず、日本のメディアは外務省(大臣)発の情報をこれも相も変わらず無批判に報道するのみです。
 
東南アジア諸国連合(ASEAN)関連外相会議出席するためミャンマーを訪れている岸田文雄外相は9日午前(日本時間同日午後)、米軍がイラク北部でイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に対する空爆を行ったことについて「日本政府はイラク政府と米国政府のテロとの戦いを支持してきた。今回の空爆はこうした戦いの一環として、イラク政府の同意を前提として行われたものと理解している」と述べた。同行記者団の質問に答えた。岸田氏は同日午後(同)、米国のケリー国務長官と会談し、この問題について協議するとみられる。(産経新聞    2014年8月9日
内藤正典(同志社大学大学院教授)Twitter(2014年8月6日~9日)から。

米国防総省は8日、イラク北部クルド人自治区の中心都市アルビル付近でイスラム過激派組織「イスラム国」の移動砲台を空爆したと発表した。同地に滞在する米国人保護や宗教的少数派の保護などが目的。イラクにおける米軍の本格的な軍事作戦は、撤退した2011年以来3年ぶり。同日中に第2波の空爆も実施した(毎日新聞 2014年8月9日 

米軍。F-182機で北イラク、アルビル近郊に展開するIS軍の移動砲を攻撃。にわかに高まったイラク北部、イスラーム国によるクルド自治区攻撃による不安。という筋書きで、ガザへの攻撃再開から、眼をそらせようとしていないか?ガザ攻撃から眼をそらすな!米軍が出てくると、世界の注目はそっちに移ってしまう。だが、きょうイスラエル・ガザ停戦期間が切れると同時にイスラエルは攻撃を再開している。中東における人道の危機なら、ガザでいやというほど発生したではないかシリアでいったい何人が殺されたか。それでも米軍が出撃することなどなかった。今回、安保理の承認など得ずに米軍が出撃したのは少数民族を守るためなどではあり得ない

イスラエルによるガザ侵攻について。イスラエルとイスラム原理主義組織ハマスの衝突、ハマスは封鎖を解くために停戦を妨害している等々。国家による組織的虐殺(ジェノサイド)に対して、そういう解釈は間違っている。いじめで人の命が奪われたときに、いじめられる側にも相応の理由があるということを書けるか?1800人以上の生命を奪い、国連の施設までも攻撃して子どもの命を奪う行為はジェノサイドとみるべきである。ジェノサイドの被害を受ける側にも理由があるなどと報道するのはマスコミの恥。(内藤正典Twitter 2014年8月6日~9日)
以下は、熊田一雄さんの「『精神世界』と輪廻転生ー理研・笹井氏の自殺をめぐって」という文章を読んだ感想と藤原新也さんの「私たちは歪んだメディアが殺人を犯すことも出来るというおぞましい出来事をいま目の前にしている」という文章を読んだ感想です。熊田一雄さんへの返信として書きました。

ずいぶんと説得力のない「神秘主義」のご紹介です。一部の軽薄な者たちが笹井氏の自殺をめぐってここぞとばかり「暗殺」だなんだと荒唐無稽の推論ばかりで根拠などなにひとつない陰謀論を振りまいていますが、紙一重のような気がします。軽薄な陰謀論のひとつとして読んでいて吐き気をもよおした「世に倦む日々」の雑文をご紹介しておきます。
 
また、以下に、笹井氏の自殺に関して、作家、写真家の藤原新也さんの「私たちは歪んだメディアが殺人を犯すことも出来るというおぞましい出来事をいま目の前にしている」という問題提起もご紹介しておきたいと思います。
 
私の見解はまた別の機会に述べようと思いますが、重要な問題提起だと思います。藤原さんはメディアの一線で活躍する若いメデイア人にかつてなく大きなストレス(危機感と鬱屈)が溜まっている。そういうことが今回の笹井氏の自殺、メディアが笹井氏を自殺に追いやった背景にあるのではないか、という問題提起をしています。一読の価値があるものと思います。
 
私たちはメディアが殺人を犯すことも出来るというおぞましい出来事をいま目の前にしている。(shinya talk 2014/08/06)
 
本来なら理研の笹井氏の自殺は一面トップ黒ベタタイトルで報道されるべき事案だが、手元にある今日の朝日新聞夕刊はIT関連トレンドがどうのこうのと言ったどうでもいいような記事が一面トップを飾り、笹井氏の自殺報道は一面左下に収まっている。
 
おそらく各紙も同じようなものだろう。
 
それはひとつにはWHO(世界保健機構)の報道倫理ガイドラインに基づき、自殺のニュースは大きく扱わない(模倣を危惧するという表向きの理由がある)という不文律をいつのころからか日本のマスメディアも遵守するようになっているからであり、先の新宿アルタ前で集団的自衛権に抗議して焼身自殺した事件がほとんど無視されたのも、そういった報道力学が影響しているものと考えられる。
 
私はこの”事件”を世間を騒がせたSTAP細胞問題の中心人物の一人が自殺したという単純事実にとどまらない、その背後にあるメディアの流れに目を向けるべきだと考える。
 
 
ひょっとしたらこのトークに接しているかもしれず、プライベートな以下のやりとりを公にするのはいくぶん躊躇したが、これは当該者にとって別に恥になることでもないので書かせてもらうと、今から半年前、NHKのディレクターから電話がかかってきた。
 
はじめて接触する方だった。
 
番組依頼の話であり、それも私を船頭役としたドキュメンタリーを作りたいというものだった。
 
数日後にホテルのラウンジでプロデューサーとディレクターに会った。
 
彼らは拙著『東京漂流』の話を持ち出した。
 
彼らの言わんとするところは311以降、今の世の中がひどいことになりつつある。
 
そこでもう一度テレビで”今”を捉えた『東京漂流』をやってもらえないか、ということだった。
 
論旨はわかるが『東京漂流』は私にとって過去の産物であり、それに拘泥しすぎている話にはいまひとつ私のノリが悪かった。
 
表現者というものは日々先を歩いているものだ。
 
藤原は今、時たけなわネット社会の中における実験であるCatwalkを展開している。
 
ある意味でCatwalkは2000年代の『東京漂流』であり、そういう今現在の藤原を彼らは果たして知っているのだろうか。
 
ということでCatwalkのことを話したわけだが、彼らは知らなかった。
 
それは藤原新也に仕事を持ってくるマスメディア人としてはいかがなものか?
 
私はやや興ざめして、とりあえず、会員になる必要はないが一時的にでも見ることは出来るのだから、まず藤原新也の現在に接してからまた新たに話を持ってきてくださいと言ってその場をお開きにした。
 
 
私が今日この仕事依頼の話を持ち出した意味は別のところにある。
 
私はその時、彼らと話ながら一線で活躍する若い(それも藤原に仕事を依頼しょうとするようなどちらかと言うと異端な)メデイア人にかつてなく大きなストレスが溜まっているということをひしひしと感じた。
 
これまでの仕事依頼の折には見られない危機感と鬱屈が感じられたのである。
 
のちにNHKのOBが連名でNHKの危機を訴えたように、NHKをはじめマスメディアは政権による目に見えない統制と抑圧を今まさに体現しはじめている。
 
いったいメディアに滞留しつつあるこのストレスが今後どのような形で吹き出すのだろう?。
 
彼らと会ってのち、私はそんな思いとともに家路についた。
 
 
そして今日、あの折の危惧が現実のものとなる。
 
笹井氏の自殺。
 
私は笹井氏の自殺をそのような視点で捉えるべきだと考える。
 
解せぬことがある。
 
スタッフ細胞問題はすでに過去事象であるにも関わらず、この一ヶ月、マスメディアの中でこの問題が不健全な形で炎上している。
 
◉7月21日の毎日新聞一面で報じた攻撃的な「STAP論文・疑惑のデータ削除」(この件に関しては武田邦彦教授がYouTubeで以下のように発言している)。
 
https://www.youtube.com/watch?v=SidrlwUGZgw&feature=youtu.be
 
◉そして7月27日にNHKで放映されたNHKスペシャル「STAP細胞不正の深層」。
 
張り込みで発見した小保方晴子を執拗におっかけ回し、トイレに追い詰め怪我を負わせるという、まるで日本版パパラッチもどきの”おっかけ”をれっきとした国営放送のスタッフがやっているというこの異様な風景。
 
番組では、2012年4月以降、科学誌に3度、論文掲載を拒否されていた小保方氏を「論文執筆の天才とも言われる」笹井氏がサポートし、論文の評価が一変したと解説。
 
そのうえで、ほぼ2人で論文作成を進めていた当時の2人のメールとして、テレビ画面にメール文面が映される中、内容を男女のナレーターが意味ありげに読み上げる。
 
まず笹井氏の「東京出張」と題したメールでは、小保方氏に研究状況をうかがう前段部分の「小保方さん、本日なのですが、東京は雪で寒々しております」「小保方さんと、こうして論文準備できるのを、とてもうれしく、楽しく思っており、感謝しています」と男性ナレーターが妙に抑揚あるトーンで読み上げる。
 
これに返信したとされる小保方氏のメールは「笹井先生、また近いうちにご相談にうかがわせていただけないでしょうか」と弾んだ声で音読され、暗に男女関係の蜜月を匂わせる。
 
◉朝日新聞に至ってはこれはデジタルだが、小保方晴子が行き場に困ってAKB48に入るという設定のおちゃらけ記事まで書いて笑い者にしている。
 
報道の常軌を逸し、自らの中に鬱積したストレスをすでに瀕死の状態にある弱いターゲットに向かってぶつけるかのごとくである。
 
”臭い何か”が糞詰まりのようにメディアの内臓に溜まっている。
 
追い詰めるべきターゲットは瀕死の小娘ではなく、別のもっと大きな世界にあるはずである。
 
しかし卑屈にも彼らは自からの鬱憤晴らし報道に血道を上げている。
 
そして今日、笹井芳樹は首を吊った。
 
私たちは歪んだメディアが殺人を犯すことも出来るというおぞましい出来事をいま目の前にしている。
 
合掌
辺見庸日録29」(2014/08/07)から。
 
学生時代以来、3度『ユダヤ人』(懐かしい安堂信也さんの訳)を読みなおしている。同著はユダヤ人と反ユダヤ主義を表のテーマとしながら、それをこえ、たとえば「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」と恥ずかしげもなくおめくバカ首相Aのような男(やAを野放しにするわたしたち)のかかえる貧しい内面とそれがもたらす災厄の性質にまでわけいっていく。これは思考の実験であり、(略)J.P.サルトルの思念の方法がいまでも有効であることをあかしている。(略)「以上で、われわれは、完全に、反ユダヤ主義者を理解出来たように思う。それは、恐怖にとらわれた男である。それも、ユダヤ人に対してではなく、自分自身に対して、自覚に対して、自分の自由に対して、自分の本能に対して、自分の責任に対して、孤独に対して、変化に対して、社会に対して、世界に対して、恐怖を抱いているのである。それは卑劣漢であり、しかも、自分の卑劣さを認めようとしないのである。それは殺人狂であり、その悪傾向を、押さえつけ、つなぎとめているけれど、完全には制御出来ぬ男である。しかも彼は、殺す時には群衆に紛れて、集団的処刑に加わるにすぎない。それはまた、自分の起す反抗の結果がこわくて、あえて反抗を試みられぬあわれな不満家でもある」。このような傾向は首相Aに明らかにあり、口先だけの反A的諸個人にもあり、毒にも薬にもならぬ1000人委員会で「善」のアリバイ証明を、じぶんの小指一本傷めずにやろうという、虫のいいお歴々にもある。(2014/08/07)
 
引用者注:
辺見は「1000人委員会」の面々を「『善』のアリバイ証明を、じぶんの小指一本傷めずにやろうという、虫のいいお歴々」と批判しています。辺見に抽象的に名指しされた人について、私は、著書だけでなく、メーリングリストなどを通じてその彼ら、彼女らの最近(といっても、10年ほどは経ちます)の貧相な所業について知るところがあり、そうした彼ら、彼女らの「自分の卑劣さを認めようとしない」不遜な精神のありように触れて憮然とするところがたびたびありました。だから、辺見のいうところは私には具体性を帯びています。抽象的な形であれ、辺見に名指しされた人は省みて恥じるところはないか? かつては(そして、少なくない人たちはいまも)、けっして「貧しい内面」ではなかったであろうおのれの心に問うてみてほしい。
 
アゲハの幼虫の「顔」と首相Aの「顔」について ――辺見庸「日録29」(2014/08/08)から。
 
けふ、葉の上のアゲハの幼虫と目があった。上目づかいに見られた。いたしかたのない瞬間だった。逃れようのない、いたしかたのない瞬間というのは、ある。(略)「生きている存在はすべて、開いているものの中にあり、現れの中に自らを表明し輝いている」(アガンベン「顔」)ことは、なるほど、たしかである。幼虫は薄緑のコーデュロイのようにやわらかく上品に輝いていて、結果的に、自己存在をわたしに難なく表現していた。(略)
 
先日の対談でも、「顔」のことをおもい、対談相手に顔のことを言いもした。「顔とは、人間が取り返しのつかない仕方で露出しているということであり、同時に、まさにこの開けの中に人間が隠れたままにとどまってあるということでもある」ということを、べつの表現で言った。わたしは、たぶん、たかだか顔ごときでものごとを断じすぎる傾向がある。おそらく、わたしもそうされているだろう。シュショウとよばれるAの存在の、そもそもあの顔を受けいれることができないとは、いかにも狭量で根拠薄弱であるようだ。けれど、「取り返しのつかない仕方で露出している」顔でもって判じてしまっていることがらに、わたしはたえず命をさらさなければならない。OK。命を賭けよう。どのみち無傷ではいられないのだ。わたしはやつのツラがきらいなのだ。「言葉によって露出されあばかれているということ、秘密をもつことの不可能性のなかに自らを覆うということが、顔の中に、貞節としてあるいは動揺として、無礼さとしてあるいは慎みとして、ちらりと姿を現す」のも、いたしかたのないことである。
 
Aの顔のばあい、とりわけ「取り返しのつかない仕方で露出している」のは、無知と暴力と嘘と劣等感である。アゲハの幼虫の顔はどれも、わたしの知るかぎり、無知も暴力も嘘も劣等感も感じさせたことはない。こうした言い方でわかるように、わたしは市民的、民主主義的見地からAに「批判的」なのではない。顔がいやなのだ。あの顔(と声)とともにあらねばならないことが堪えがたいのである。わたしはあの顔(と言葉)を、臆面もなく差別する。そこが1000人委員会という傲慢な〈無の形式〉とわたしのちがいだ。あの顔(と威圧)をわたしは拒む。そして、「顔は、顔面とは一致しない」ものだ、とじぶんにしつこく言いきかせる。(2014/08/08)
作家の辺見庸がいま現在の日本の政治状況に関して本質的でアクチュアルな問題提起を続けています。「諍いはいま、おきるべきであり、おこすべきである」、と。昨日に続けて辺見の言葉を取り上げます。それが私の、私のできることとしての作家、辺見庸への応答のしかたです。
 
以下、辺見庸「日録29」(2014/08/06)から。
 
従軍慰安婦問題について、朝日新聞がこれまでの報道を点検し、一部の誤りをことさら麗々しくみとめて、とり消した。いわゆる「真実の報道」のためにそうしたのか、歴史修正主義の怒濤に呑まれた世論と政治権力に屈してそうしたのか。後者であろう首相官邸、「日本会議」や右派系各紙、週刊誌を大いによろこばしめ、従軍慰安婦問題などそもそもなかったという首相Aの思惑どおりの流れがこれでできた。歴史が崩壊している。事実が鋳つぶされている。この伝で、文化大革命報道を点検したら、とり消しに値する誤報・虚報が何万件あることか。なぜそれはやらないで、慰安婦問題なのか。朝日の記事とり消し騒ぎの後景には、理解をこえる嫌韓・侮韓のうねりもある。こうしたおぞましいセンチメントが歴史的与件を蹴ちらしている。「ユダヤ人について持つ観念が歴史を決めるのであって、『歴史的与件』が観念を生むのではないようである」(『ユダヤ人』)という指摘を、この場合、なぞってみる必要がないであろうか。ヒロシマの平和記念式典は首相Aの出席を拒否すべきだった。ないしは,集団的自衛権行使容認の閣議決定反対を鮮明にうちだすべきであった。そうしない原爆記念日は、殺されたひとびとをすこしもなぐさめはしない。諍いはいま、おきるべきであり、おこすべきである
辺見庸日録28」(2014/08/05)から。

東京で佐高信さんと対談。4度目。「戦争をさせない1000人委員会」(この名前のそこはかとないいやらしさよ)の哀れなほどの人畜無害性について、他方、安倍政権のいちじるしい有害性、致死性、その怒濤の勢い、文字どおり危殆に瀕している状況について、わたしは話した。すなわち、壮大な害悪の質量とダイナミズムにたいし、「戦争をさせない1000人委員会」の貧弱な発想とあいもかわらぬ偽善のそぶりは、まったくみあっていないし、釣りあっていないばかりでなく、集団的自衛権行使容認のプロセスを、図らずも、民主的、市民的に補完・承認してしまっているのではないか。敵は日ましに不穏かつ暴力的になってきているのに、こちらは平穏、日々これ好日。ファシズムは身中にほどよい反ファシズムをかかえてこそ、より強靱になる。「戦争をさせない1000人委員会」は敵にとってせいぜいが気の抜けた薬味のひとつでしかない。痛くも痒くも辛くもない。いま起こすべきは、身体を賭した「諍い」ではないのか。「戦争にもテロにも反対」というスローガンは、かつてもいまも今後も無効である。対談はあまりかみあっていないと感じられた。ここにも、怠惰のにおいがあった。「思慮ある人は、苦しみながら探求する」(サルトルユダヤ人』)という。「戦争をさせない1000人委員会」が苦しみと探求から生まれたとはおもえない。むしろ、知的怯懦と怠惰の所産である。1000人委員会はむろん、古い石鹸箱のように、あったってよい。そして、べつになくてもよいのだ。(辺見庸「日録28」2014/08/05)
 
引用者注:
「あまりかみあっていな」かったのだとしても、「1000人委員会」の呼びかけ人のひとりの佐高信に面と向かってその無効性を説いたところ、佐高がその話を聞いたところ、に一歩の前進があったと私は思います。戦争をさせない1000人委員会は「集団的自衛権行使容認のプロセスを、図らずも、民主的、市民的に補完・承認してしまっている」という辺見の指摘にどれだけの人が理解共感をともにしうるか? 真の「一歩前進」はそこにあるだろう、と私は思っています。

辺見の「身体を賭した『諍い』」という言葉についてもひとこと注をしておきます。弊ブログのフリーエリア欄(左側)に私は辺見の以下のような講演記録の言葉を引用しています。
 
「われわれはひとりひとり例外になる。孤立する。例外でありつづけ、悩み、敗北を覚悟して戦いつづけること。これが、じつは深い自由だと私は思わざるをえません。」(辺見庸「死刑と新しいファシズム 戦後最大の危機に抗して」(2013年8月31日の講演記録)【後篇】
 
辺見の「身体を賭した『諍い』」とはそういうことを言っているのだろう、と私は思います。もっとわかりやすく言うと、辺見は同じことを「『ひとり』を意識しましょう。『ひとり』でやれることをやる。じっとイヤな奴を睨む。おかしな指示には従わない。結局それしかないのです」とも言っています。そういうことだと思います。
下記の「ゆれる辺野古と沖縄知事選」(204.08.02放送)という TBS系報道番組の『報道特集』(キャスター:金平茂紀)はいまの沖縄の置かれている政治状況をよく取材して映像として手際よくまとめています。秀逸な報道番組といえると思います。「殺人鉄板」の問題も先頃の保守・革新合同の「島ぐるみ会議」の映像、いまの沖縄知事選の状況、翁長雄志那覇市長、仲井真弘多沖縄県知事の最新の動向も当然映像としてキャッチされています。
 
沖縄県知事選のいま時点の動向を知る上で必見の番組だと思います。ぜひご覧ください。
 
『報道特集』(キャスター:金平茂紀 TBS系 204.08.02 17:30~) 「ゆれる辺野古と沖縄知事選」
 
以下の「地元紙で識るオキナワ パート2」も当日の新聞紙面をそのままビュアーするなど臨場感のある紙面づくりになっています。参考になると思います。ご覧ください。
 
「島ぐるみ会議」 結成大会に2千人 決意新たに(地元紙で識るオキナワ パート2 2014年07月29日)
 
以下の5本の記事の映像と紙面がアップされています。
 
「辺野古新基地造らせない」島ぐるみ会議結成(琉球朝日放送のニュース映像7/27)
≪社説≫島ぐるみ会議 尊厳回復へ再結集を(琉球新報7/29)
辺野古阻止「再結集を」 島ぐるみ会議、建白書実現求める(琉球新報7/29)
建白書の実現訴え 「島ぐるみ会議」大会に2千人(琉球新報7/27)
島ぐるみ会議2千人結集「基地支配を拒否」(沖縄タイムス7/27)
辺見庸日録28」(2014/08/03)から。

ガザ虐殺死者が昨日、1650人をこえた。米議会はイスラエルの対空防衛システム支援のため新たに2億2500万ドルの拠出を承認した。ホワイトハウス周辺で1万人以上がガザ虐殺に抗議した。米政府に“Shame on you!”のシュプレヒコール。日本とイスラエルはすでに、企業や各研究機関が「共同研究・開発」を促進するための覚書を締結している。共同研究・開発には「兵器」および軍事関連技術がふくまれる。日本政府は今春、武器輸出三原則の転換の過程で、イスラエルへの武器や関連技術の輸出が可能になるという見解を示している。アベネタニヤフ両右翼政権は事実上の「準同盟関係」となりつつあり、イスラエルが集団的自衛権行使の対象になる可能性もある。“Shame on you!”のyouに、理の当然、アベ政権もふくまれることになる。きのう、檜森孝雄の遺書をおもいだした。

まだ子どもが遊んでいる。もう潮風も少し冷たくなってきた。遠い昔、能代の海で遊んだあの小さな波がここにもある。この海がハイファにもシドンにもつながっている、そしてピジョン・ロックにも。もうちょっとしたら子どもはいなくなるだろう」。

檜森孝雄はパレスチナ支援の活動家だった。2002年3月末の土曜の夕、日比谷公園かもめの広場で、ガソリンをかぶり
焼身自殺。新聞はベタ記事だった。かれはイスラエル軍によるパレスチナ民衆虐殺に抗議し、そして、あまりにも無関心なニッポンに絶望し、ひとしきり焔のダンスをおどったのだった。享年54歳。あの焔は、パレスチナの少年が無理やりガソリンを飲まされて焼き殺された、その焔の色とどうちがうか、おなじか。2014.08.03

引用者注:上記の檜森孝雄さんの自死の話は辺見庸の「私」の思いにつながる死の話です。辺見はけっして檜森さんの死をまかりまちがっても「社会」的な啓蒙の死として述べようとしているわけではないでしょう。誤解のないように引用者注として「社会は人の死をどんな形でも利用してはいけない」という池澤夏樹の「夏のかたみに」の言葉もあわせて引用しておきたいと思います。
 
 
「死んだ人はもう死んでいるわけだから、後から出てきて弁明もできない。死んだ者の気持ちはわからない。それなら、社会は人の死をどんな形でも利用してはいけないでしょう。もともと人は決して大義のために死ぬわけじゃなくて、それぞれにひっそりと小さな個人の死を死ぬのよ。そこに生者の勝手な都合を上乗せしてはいけない。誰かの死をテコにして、社会を変えようとしてはいけない。死の瞬間だけでその人の人生を意味づけるようなこともやっぱりいけない。共感をもってその人の生を見なおすことしか、残った者にはできないし、それで充分なんじゃないかな。」(朝日新聞文化欄 1993.8.18)
どのような国際的な暗部のパワー・ポリティックス、あるいはインテリジェンスの網が張り巡らされているのかは私は知りません。しかし、ここまで西側メディアはアメリカという「帝国」に籠絡されているのか――。左記は英エコノミスト誌の「ロシアとMH17便と西側:嘘の網(JBプレス訳)」(原題:Russia, MH17 and the West A web of lies)という記事を読んだ後の読後感、というよりも嫌悪感、さらにつけ加えれば悲嘆(グリーフ)です。それも、最悪の嫌悪感とグリーフ。
 
同記事の冒頭の書き出しはこうです。
 
「ウラジーミル・プーチン氏の大がかりな欺瞞は、ロシア国民と世界に重大な結果をもたらす。ソビエト共産主義が崩壊した1991年、ロシアの人々はついに、ごく普通の西側民主主義国家の市民になるチャンスを手にしたかに見えた。だが、ウラジーミル・プーチン大統領がロシアの歴史にもたらした悲惨な貢献は、ロシアをそれとは別の道へと導くことだった。」
 
2番目の見出しの冒頭の書き出しはこうです。
 
「プーチン氏はMH17便の悲劇をウクライナのせいにしているが、MH17便を破壊した張本人はプーチン氏だ。最高裁判所レベルの状況証拠が指し示す結論は、親ロシア派の分離主義者が、恐らくはウクライナの軍用機と見誤って、その勢力圏内からMH17便に向けて地対空ミサイルを発射したというものだ。」
 
英エコノミスト誌がMH17便の撃墜はプーチンの仕業だとここまで断言する根拠はなにか? 冒頭の書き出しに続いて以下のような根拠が述べられています。
 
「親ロシア派の指導者たちはソーシャルメディアで撃墜について得意げに語っており、ウクライナの諜報機関に傍受され、米国が本物として確認したメッセージで自分たちの誤りを嘆いた。」
 
しかし、英エコノミスト誌が挙げるこの根拠、すなわち「ウクライナの諜報機関に傍受され、米国が本物として確認したメッセージで自分たちの誤りを嘆いた」会話の証拠とされるユーチューブ・ビデオは、「専門家による、ビデオ中のコード分析で、ビデオが、旅客機が撃墜される前日に制作されたことが判明している」ものです(Paul Craig Roberts「マレーシア旅客機に何が起きたのか?」マスコミに載らない海外記事 2014年7月21日)。
 
同ユーチューブ・ビデオがなんらの証拠にもならないことは、米政府も7月22日に諜報担当官に語らせるという形で「ロシアがMH17機の撃墜に何らかの直接関与をしていたと考えられる根拠がない」「ロシアがウクライナ東部の親露勢力にミサイルを渡して撃墜させたと考える根拠がない」と認めていることからも明らかです(「ウクライナの対露作戦としてのマレー機撃墜」田中宇の国際ニュース解説 2014年7月28日)。

とりあえず問題の所在をはっきりさせるためにここまで書いておきます。続きは後日。
辺見庸日録28」(2014/07/30~2014/08/01)から。

ガザ虐殺の死者が1200人をうわまわり、負傷者は7000人をこえた。もしレヴィナスがいま生きていたら、どう言っただろうか。「〈砕かれた世界〉あるいは〈覆された世界〉といった表現はありふれ、凡庸なものになってしまったにせよ、それでもなお、あるまがいものではない感情をいいあらわしている。できごとと合理的秩序との不一致、物質のように不透明になった精神のあいだで相互に交流するのが不可能になったこと、そして論理の多様化がたがいに不条理をきたし、私はもはやあなたとはむすびあえないようになったこと…たしかに、ひとつの世界のたそがれにあって、世界のおわりという古い強迫観念がよみがえる」と、グズグズと書かれたのは、いまから67年もまえのことなのだ。アーレントが生きていたら、アドルノが生きていたら、なんと言ったか。パレスチナの少年にガソリンを飲ませ、焼き殺した所業について。パレスチナ国際義勇軍の編成が呼びかけられたかもしれない。元気だったらわたしもパレスチナ入りをめざしたかもしれない。サルトルも国際義勇軍に賛成しただろう。オーウェルはそれに参加しただろう。ヴァルター・ベンディクス・シェーンフリース・ベンヤミンは国際義勇軍結成にかんする知的なメッセージを送ったかもしれない。ソール・ベローはノーコメント。堀田善衛は国際義勇軍に心情的に賛成しつつ、みずからは参加できない苦渋を、キザで無害なエッセイにして、スペインあたりから朝日新聞夕刊文化面に寄稿しただろう。それでも暴力の連鎖には反対だとか。吉本隆明は「ナンセンス!スターリニストども!」と罵ったろう。カネッティは『目の戯れ』の続編を書いたろう。ツェランはまたも自殺したかもしれない。世界はまだ砕かれず、覆されてもいない。世界は凡庸でもない。また再びのユダヤ人迫害への環境ができつつある 2014/07/30
 
ガザの死者が1300人をこえた。いま、手をこまねいてそう言うことにどんな意味があるのだろうか。他者が理不尽に殺されることについて、それを放置するかぎり、わたしは有罪でありうるのか。切実にそうおもうことができるか。「他者の死はわたしのことがらである」のか。とまらない虐殺に、口とはうらはらに、退屈なまなざしをむける現存在とはなんだろうか。(2014/07/31
 
ガザの虐殺。死者は1400人をこえた。おなじことをイスラエルがやられたら、報復として100倍以上の人間を殺すだろう。ばあいによったら、核兵器をつかうのもためらわないかもしれない。イスラエルとは何か。かれらの「出自」をきびしく問うべきであろうか。かれらを産んだ子宮の闇を知らなければならないのか。出自のみに、現在の原因があるのだろうか。そうだろうか。虐殺をつづけるイスラエルの「自衛権」を公然と支持し、武器、弾薬を補給する米国。もっぱら米国の意を受けて集団的自衛権行使を急ぐニッポン「ニッポンのイスラエル化」の声が米欧にでてきている。むべなるかな。ルールはない。なにもなくなった。言葉は魂を失った。けふ、こんなメッセージを受けとった。この漂白されつくしたプラスチックの欠片のような記号の羅列こそ、ガザのひとびとにむかうべき心をこわしている。透明なクラスター爆弾。「辺見庸様 管理者があなたにアプリケーションの割り当ての許可を求めています。割り当てられたアプリケーションはあなたの購入履歴に表示され、それとともに、ご使用のデバイスにインストールすることが可能になります。あなたが割り当てを許可するためには、以下のURLにアクセスしてください」。(引用者注:左記はいうまでもなく「言葉は魂を失った」隠喩の一例ということでしょう)(2014.08.01