小出裕章さん(京大原子炉実験所助教)への「放射線管理区域(4万Bq/平方m)に数百万人が、普通に暮らすという違法状態を直視すべき」というインタビュー記事が人民新聞の2014年5月20日更新号に掲載されています。
 
しかし、私は、このインタビュー記事を肯定的に紹介しようと思っているのではありません。私には、このインタビュー記事における小出さんの発言にはいくつかの疑問があります。小出さんはこれまでいわゆる市民運動としての「脱原発」運動を原子力工学研究者としての専門的立場から理論的にバックアップしてきた影響力の強いリーダーであり、それゆえに今後の「脱原発」運動のためにも小出さんの発言への疑問を疑問のままにしておくわけにはいきません。
 
小出さんは、そのインタビュー記事の冒頭で、人民新聞編集部の質問に応えて、「猛烈なバッシングを受けているのは、『福島で鼻血が多発している』という井戸川・元双葉町々長の証言を描いた部分です。批判者たちは、『被曝と鼻血に因果関係はなく、極めて非科学的』『風評被害を煽るものだ』と批判しています。/事故後の福島の被曝線量と鼻血の因果関係は、現段階では立証されていません。ただし、『立証されていない』ことと『因果関係はない』こととは、イ コールではありません。科学とは、丹念に事実を調べ、論理を組み立てていくことです。従来わからなかったことが、研究の蓄積によってわかるようになることが、科学の本質です。『わからない=ない』という論理自体が、科学的ではないと思います」と述べています。
 
上記に抜出した小出さんの発言の後段の「事故後の福島の被曝線量と鼻血の因果関係は」以下の部分は「正論」だと私も思います。しかし、ここでの小出さんの発言の問題性は、「井戸川・元双葉町々長の証言を」「(批判する)批判者たちは、『被曝と鼻血に因果関係はな」いと言っている、とその「批判者たち」の主張の核心部分を歪曲した上で(すなわち、正しく引用しないで)自論を展開していることです。小出さんはここでは単に「批判者たち」とだけ言っているので、この「批判者」の中には行政の立場からではない報道で「識者見解」として引用されているいわゆる「識者」レベルでの「批判者」、市民レベルの「批判者」も含まれることになるでしょう。そうであるならば、小出さんの「識者見解」の引用は正しくなく、その正しくない引用を根拠にして「正論」を述べても、その論は総体として「正論」とも「科学的」な態度ともいうことはできません。
 
具体的に言えばこういうことです。上記で小出さんは、双葉町町長批判者たちは、「被曝と鼻血に因果関係はな」いと言っている、と論断しているのですが、実際には双葉町町長批判者たちは「被曝と鼻血に因果関係はな」いなどとは言っていません。この件で報道で「識者見解」として引用されることの多い安斎育郎氏と野口邦和氏の実際の「見解」を見てみます。
 
安斎育郎氏(放射線防護学):
・「放射線影響学的には一度に1シーベルト以上を浴びなければ健康被害はないとされるが、心理的ストレスが免疫能に影響を与えて鼻血や倦怠感につながることはある。福島の人たちは将来への不安感が強く、このような表現は心の重荷になるのでは。偏見や差別的感情を起こさない配慮が必要だ。」(毎日新聞 2014年04月29日)
・「鼻血や倦怠感については、福島のほうでそうした症状を心配している方がいるという話は伝わってきています。そして、それが放射線によるものかの議論がある。ただ、原発事故前の鼻血や倦怠感に関する統計データと今を比べなければ、増えているのかどうかはなんとも言えません。具体的な、そういう比較データは承知していない。」(ビッグコミックスピリッツ25号、5月19日発売号)
・「倦怠感や鼻血の症状が被ばくとの因果関係を示唆するような仕方で出ているとは承知していません。」(同上)
 
野口邦和氏(放射線防護学):
・「急性放射線障害になれば鼻血が出る可能性もあるが、その場合は血小板も減り、目や耳など体中の毛細血管から出血が続くだろう。福島第1原発を取材で見学して急性放射線障害になるほどの放射線を浴びるとは考えられず、鼻血と被ばくを関連づけるような記述があれば不正確だ。」(毎日新聞 2014年04月29日)
・「ごく短期間に全身が500~1000ミリシーベルトを超える高線量の被曝をした場合、放射線の急性症状として吐き気、嘔吐、下痢、脱毛、脱力感、倦怠、吐血、下血、血尿、鼻出血、歯肉出血、生殖器出血、皮下出血、発熱、咽頭痛、口内炎、白血球減少、赤血球減少、血小板減少などが起こる可能性があります。これは教科書にも記載されている事項です。被曝が原因で鼻血が起こり、他の部位の出血やその他の症状がないということは考えられません。」(ビッグコミックスピリッツ25号、5月19日発売号)
 
見られるとおり、安斎氏も野口氏も「被曝と鼻血に因果関係はな」いなどとは述べていません。小出氏の「井戸川・元双葉町々長の証言」「批判者たちは、『被曝と鼻血に因果関係はな』」いと言っているという論断は主観的な誤読、誤解でなければなりません。小出氏は「症状を訴える人がいるなら、被曝と因果関係がないか調べるという態度こそが大切で、最初から『因果関係がない』と言ってはいけないと思います」などと「批判者たち」を反批判しているつもりのようですが、誰も単純にそんなことを言っている人はいないのです。いわば小出氏はつくり話によって他者を批判しているのです。小出氏には厳しく自己批判していただかなければなりません。
 
とともに、小出氏には安斎育郎氏と野口邦和氏のそれぞれの次の言葉をかみしめていただきたいものです。少し長くなりますが、以下、引用させていただきます。
 
安斎育郎氏の発言から。
 
「率直に申し上げれば、『美味しんぼ』で取り上げられた内容は、的が外れていると思います。今回の事故を受けてやらねばならないのは、まずは原発事故で何が起きたかの解明、汚染水漏れ対策、50年かかると言われる廃炉の方法やそのための労働力の確保、そして10万年かかると言われる高レベル放射性廃棄物処理の問題。なのに(引用者注:行政サイドからは)原発再稼働や輸出という話が出ている。そうした問題はぜひ、(引用者注:反対運動として)取り組まねばならないと思います。」
 
「そして、これはお願いになりますが、200万人の福島県民の将来ヘの生きる力を削ぐようなことはしてほしくない。僕自身、わが故郷でもある福島の人々をサポートしていくつもりです。被ばくをできるだけ少なくするにはどうしたらいいかと。そういうことからすると、鼻血や倦怠感といった後付けバイアスの可能性が強い部分を強調されるのは状況錯誤だと思います。放射線医学の実態も反映していない。心理的な影響としてはあり得ますが、果たしてその問題が今のメインなのか。それよりも、18歳以下の甲状腺がんの可能性の問題など、取り組まねばならない問題はたくさんある。そういうことを明らかにすることのほうが必要だと思います。」(ビッグコミックスピリッツ25号、5月19日発売号)
 
野口邦和氏の発言から。
 
「福島第一原発事故後100回以上も福島県に行った者として言えば、私自身が鼻血や耐え難い疲労感を体験したことは一度もありません。講演会場でそのような内容の質問や相談をされたことも一度としてありません。私が射線健康リスク管理や放射線低減対策のアドバイザーを務める自治体の担当者などからも、そのような話を聞いたことは一度もありません。「美味しんぼ」の作者が福島県に行って鼻血を出したことや疲労感のあったことまで否定するつもりはないですが、同じ症状の人びとが「大勢いる」とは到底信じられません。福島県内で国や県に対する不信・不満の声を聞くことは非常に多いですが、大勢の県民が「原因不明の鼻血」や「耐え難い疲労感」で苦しんでいるにも拘わらず、「言わないだけ」で黙っているという描き方にも、疑問を持っています。これは福島県民に対する侮辱以外の何者でもありません。」
 
「ごく短期間に全身が500~1000ミリシーベルトを超える高線量の被曝をした場合、放射線の急性症状として吐き気、嘔吐、下痢、脱毛、脱力感、倦怠、吐血、下血、血尿、鼻出血、歯肉出血、生殖器出血、皮下出血、発熱、咽頭痛、口内炎、白血球減少、赤血球減少、血小板減少などが起こる可能性があります。これは教科書にも記載されている事項です。被曝が原因で鼻血が起こり、他の部位の出血やその他の症状がないということは考えられません。疲労感については、福島第一原発の事故現場をバスで視察中、おそらく相当に緊張した面持ちでストレスも非常に大きかったと考えられるので、耐え難いかどうかは別にして、視察後に疲労感が残ったであろうことは容易に想像できます。原因はストレスであって被曝とは関係がないと考えます。「その22」と「その23」は、「福島県の真実」と称しながら、「福島の現実」から人びとの目をそらし、福島県の復興事業に水をさすものでしかありません。」(ビッグコミックスピリッツ25号、5月19日発売号)
 
小出氏は、同インタビュー(第1回)の最後で「原発に反対する人たちの中にも、『美味しんぼ』での鼻血の記載を非難する人たちがいますが、些末なことに目を奪われず、現在進行している犯罪行為そのものに向き合ってほしいと願います」と述べていますが、「些末なことに目を奪われ」ているのは誰か。再検討してほしいものです。
 
小出氏のインタビュー記事での発言の第2の問題性は、小出氏が同インタビューで「日本が法治国家だというなら、東京都の一部を含む広大な地域が、放射線管理区域に指定されるべき汚染地である、という現実を直視しないといけません」と発言していることに関わっての問題群というべきものです。この事実は、小出氏が3・11以来一貫して指摘していることですが、その小出氏の指摘に異議を唱える人は誰もいません。小出氏の指摘は事実そのものの指摘ですから、誰も異論を唱えようもないのです。だから、私の言う小出氏の発言の第2の問題性も、小出氏の指摘するその事実そのものにあるのではありません。「東京都の一部を含む広大な地域が、放射線管理区域に指定されるべき汚染地」という指摘はそのとおりですが、しかし、同時にまた、その「汚染地」に現在も居住している住民は福島県だけのことにして約200万人いるというのも事実です。小出氏に欠けているのは、そうしたもう一方の「現実」も「直視」しなければ「現実」は一歩も動かないし、また、動かせない、という現実をありのままの現実として見るリアリストの眼です。
 
現実をありのままに見るということは妥協ではありません。現実に「動かない」ものを前にして(現実にいまもなお約200万もの福島県民が同県に居住しています。その人たちのすべて、または多くが他県に移動すると考えるのはきわめて非現実的です)「本来は動くべきである」などと法律論や道徳論や放射線業務従事者の立場からの放射能論を説いても「動かない」ものは動きません。だから、「動かない」ものはまず動くようにするのが先決です。それを妥協と見るのは適切ではないでしょう。しかし、小出氏は、だれも異論を唱えない「本来は動くべきである」論、すなわち、福島県汚染地論を主張するばかりで、現実にその「汚染地」にいまも居住している住民は約200万人いるという「現実直視」の論は語りません。しかし、その厳然たる「現実」を措いて、どのような「正統」な主張が成り立つというのでしょう。小出氏には再考していただきたいことです。小出氏はその再考が足りないから『美味しんぼ』批判を「猛烈なバッシング」などと言ってしまうのです。小出氏にはたとえば野口邦和氏の次の言葉を反芻していただきたいものです。「福島県内で国や県に対する不信・不満の声を聞くことは非常に多いですが、大勢の県民が「原因不明の鼻血」や「耐え難い疲労感」で苦しんでいるにも拘わらず、「言わないだけ」で黙っているという描き方にも、疑問を持っています。これは福島県民に対する侮辱以外の何者でもありません」。
 
放射線管理区域(4万Bq/平方m)に数百万人が、普通に暮らすという違法状態を直視すべき 京大原子炉実験所 小出裕章さん(人民新聞 2014年5月20日)
 
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※人民新聞編集部から
東京の一部も3~6万Bq/平方mの汚染地区に含まれる。放射線管理区域に指定されるべき汚染度だ。原発事故から3年、政府は避難指示区域の解除を始めた。4月1日、福島県田村市都路地区の解除を皮切りに、他の6市町村も今後2年間で解除を検討し、計約3万人が帰還するかどうかの判断を迫られる。
 
一方、福島での鼻血の出血を含む健康被害について描いたコミック「美味しんぼ」が激しいバッシングを受けている。被曝と健康被害の関連があらためて議論になる中、関東の被曝状況と健康被害について、小出裕章さんに聞いた。
 
小出さんは、日本が違法状態にあることをまず認識すべきだ、と力説した。 2回連載とする。《文責・山田(人民新聞編集部)》
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「美味しんぼ」へのバッシング 科学的とは、全ゆる可能性を検証する態度
 
編集部…『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)に連載されている「美味しんぼ」が論争の種になっています。
 
小出…つい先日、編集部から問い合わせがあり、私の見解を伝えました。猛烈なバッシングを受けているのは、「福島で鼻血が多発している」という井戸川・元双葉町々長の証言を描いた部分です。批判者たちは、「被曝と鼻血に因果関係はなく、極めて非科学的」「風評被害を煽るものだ」と批判しています。
 
事故後の福島の被曝線量と鼻血の因果関係は、現段階では立証されていません。ただし、「立証されていない」ことと「因果関係はない」こととは、イ コールではありません。科学とは、丹念に事実を調べ、論理を組み立てていくことです。従来わからなかったことが、研究の蓄積によってわかるようになることが、科学の本質です。「わからない=ない」という論理自体が、科学的ではないと思います。
 
被曝によってどんな症状が出るか?という研究において、最大のデータベースは、ABCC(米軍・原爆傷害調査委員会)による広島・長崎の調査です。しかしこの調査は、1950年に開始されたものです。つまり、原爆投下後5年間のデータは、空白なのです。原爆投下・敗戦という大混乱の中で、どれだけの人が鼻血を出したか?のデータは、記録されていません。
 
つまり、被曝と病状の因果関係を立証するための「研究データがない」というのが現状です。症状を訴える人がいるなら、被曝と因果関係がないか調べるという態度こそが大切で、最初から「因果関係がない」と言ってはいけないと思います。
 
今の私には、被曝と鼻血との因果関係を立証する力はありません。しかし、被曝によって人体にはあらゆる病状が起こりうると思っていますので、あらゆる可能性を排除しないで、調査するのが、科学的な態度です。
 
汚染地域ではあらゆる病状が起こりうる
 
編集部…東京を含む関東地域の被曝程度は?
 
小出…日本が法治国家だというなら、東京都の一部を含む広大な地域が、放射線管理区域に指定されるべき汚染地である、という現実を直視しないといけません。
 
放射性物質を取り扱うことができる場所は、日本の法律によって特定の場所に限定されています。それが放射線管理区域です。一般の人が立ち入ってはいけない場所であり、私だってここに入れば、水を飲んでも食事をしてもダメです。管理区域から外に出る時には、汚染検査をしなければならないのですが、その基準値が4万Bq/平方mです。私の体のどこかに4万Bq/平方mを超える部分があれ
ば、除染しないかぎり外へは出られないのです。
 
管理区域から4万Bq/平方m以上の汚染物=実験着などを持ち出すことも、禁止されています。人間の住むところに4万Bq/平方m以上の汚染物があってはならないというのが、日本の法律です。私はこれを守り、汚染物を外に出さないように細心の注意を払ってきたつもりです。
 
ところが、原発事故で4万Bq/平方mを超える汚染が、広大な地域に広がってしまいました。東京の一部も6万Bq/平方mを超えています。
 
地図上の4の地域は、60万Bq/平方mを超えている地域です。強制避難区域に指定され、10万人以上の人々が故郷を奪われました。濃いグレー3の地区は、10万Bq/平方m以上、次に濃いグレー2は、6~10万Bq/平方mの地域です。最も薄いグレー1は、3~6万Bq/平方mで、この地図は、政府発表のセシウムによる大地の線量図です。
 
私のような人間しか入っていけない上に水すら飲んではいけない場所に、一般の数百万人が普通に生活をしている、という異常な状態であることを、はっきり認識してほしいと思います。このことが被曝の議論から抜け落ちていることが、まず不思議です。
 
緊急時だからということで、なし崩しに放置されていますが、現在の日本は、違法状態が続いていることを、まず確認すべきだと思います。
 
健康被害については、そういう汚染地の中ですから、さまざまな病状が出ると思います。どんな症状が出るかといえば、疫学調査もデータも不足しているので言い辛いのですが、必ず出るとされているのが、ガンと白血病です。どんな低線量被曝でもガンと白血病は発病する、というのが現在の科学の到達点です。
 
ただし、ガンと白血病は、被曝をしなくても発症する病気なので、その因果関係を立証するのは、たいへん困難です。そのためには、綿密な疫学調査計画を立てて調査し続けることが必要です。ところがこの国の政府は、被害を隠そうとしていますから、綿密な疫学調査は行われないのではないかと危惧しています。
 
「避難指示解除」は到底許されない
 
編集部…避難指示区域の解除と帰還方針について。
 
小出…放射線管理区域の中でも作業者が容易に触れることができる表面は、40万Bq/平方mを超えてはいけない、と定められています。つまり、放射線管理区域の中でも、40万Bq/平方mを超える物体があってはならないのです。
 
ですから、60万Bq/平方mを超える地域というのは、私にとって想像もできない場所です。さすがにこの地域は帰還困難地域ですが、そのすぐ外側の59万Bq/平方mの汚染地域住民には、帰還しなさいと言っているのです。住民には、赤ちゃんも子どもも含まれてしまいます。
 
そもそも放射線管理区域(4万Bq/平方m)は、18才未満の者が立ち入ってはいけない地域なのです。こんな場所に子どもを含めて帰すなどということは、到底ありえない施策です。
 
表面汚染=60万Bq/平方mの基準は、年間被曝量に換算すると、概ね20ミリSv/年となります。これは、放射線業務従事者という特殊な仕事をする人だけに許した基準です。それを一般の人、赤ん坊や子どもにも許すという政策なのです。
 
民主党政権時代に、「20ミリSv/年までは我慢させる」という方針が打ち出された際、内閣府参与だった小佐古敏荘さんが、涙の辞任会見をしました。彼は私の論争相手で、あちこちで「被曝なんて怖くない」と言い歩いていた人です。
 
その小佐古さんが「自分の孫をそんな目にあわせるのは絶対いやです」と泣きながら訴えるくらいの被曝量なのです。放射能を取り扱う人間にとっても高い基準だし、子どもには決して許してはいけない基準です。そんなところに子どもたちを帰すなど、到底あり得ない政策です。
 
原発に反対する人たちの中にも、「美味しんぼ」での鼻血の記載を非難する人たちがいますが、些末なことに目を奪われず、現在進行している犯罪行為そのものに向き合ってほしいと願います。
本ブログの「今日の言葉」の2014年5月11日から同年5月29日にかけての記録です。


集団的自衛権の行使容認の根拠
として、最高裁砂川事件判決の代わりに政府が持ち出してきたのが、自衛権行使の範囲を示した1972年の政府見解「集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料」だ。(略)政府は72年見解をベースに、73年には政府の国会答弁で、(1)わが国に対する急迫不正の侵害がある(2)これを排除するために他に適当な手段がない(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと−−との「自衛権発動3要件」を示した。この3要件を政府は現在に至るまで、自衛権の発動として武力行使する際の要件にしてきている。これは、(1)と(2)の二つの条件が満たされて初めて武力行使が可能となり、行使する際には(3)の必要最小限度にとどまるべきだ−−と定めていると一般的には解釈されてきた。これに対して、今回の政府の考え方は、(3)の必要最小限度に重点を置くことで、(1)の条件を満たさなくても、「必要最小限度」であれば集団的自衛権も行使できるとの見解を導き出そうとしているとも受けとれる。(略)「これでは何でもできることになりかねず、スーパー必要最小限度になってしまう」との声すらある。(
毎日新聞 2014年05月11日

国家総動員法(略)の国会審議の過程で、有名な
「黙れ」事件が起きている。(略)「黙れ!」と叫んだのは、陸軍省の説明員として出席していた佐藤賢了。(略)法案の精神や個人的な信念を滔々と演説した佐藤に「やめさせろ」「やめろ」と野次が飛んだ。そのとき、政府の説明員に過ぎない佐藤が、国会議員に対して「黙れ!」と怒鳴りつけたのだ。軍人の傲慢極まれりという象徴的事件として語られる。戦後、半藤は、その佐藤賢了をインタビューしたことがあるという。佐藤は、次のようにまくし立てたそうだ。「いいか、国防に任ずる者は、たえず強靱な備えのない平和というものはない と考えておる。そんな備えなき平和なんてもんは幻想にすぎん。いいか、その備えを固めるためにはあの総動員法が必要であったのだ」半藤は述懐する。「この元軍人には反省という言葉はないと、そのとき思った。(略)いま、政治の場での、憲法解釈変更の集団的自衛権行使論議をみていると、奇妙なほど佐藤賢了氏の壮語が想起されてくる(略)国家総動員法の成立が国家滅亡の一里塚となったような危険を、集団的自衛権はこの国にもたらす。そんな予感が消せないでいる。」(澤藤統一郎の憲法日記 2014年5月11日

(承前)5月10日付毎日の「保阪正康の昭和史のかたち」(略)「『
統帥権の独立』は、明治憲法には明記されていないが、この語が昭和前期を軍事主導体制一色に染めたことは否定できない」「統帥権を手にした軍部は、やりたい放題、国民の生命と財産の保全なんか二の次であった」(略)「憲法が、昭和のある時期から、こうした不明朗な語を用いることで権力構造を歪めてしまったのはなぜだったのか。私たちは今この事実と向き合う必要がある」(略)保坂は、今を昭和前期の過去になぞらえる。(略)「安倍内閣の閣議決定が憲法よりも上位に位置し、それを主権者の国民には知らせない『特定秘密』にするという時代私は恐れるのである」半藤保阪も、保守陣営の人という印象が強い。その両人がそろって、戦前の歴史と比較した安倍政権の危うさを、ここまで深刻に語っている。(略)半藤は、集団的自衛権行使論議が行われる時代の状況を、国家総動員法の時代を想起させるものという。総動員法成立の後3年で、日本は太平洋戦争に突入している。 保坂は、「解釈改憲+特定秘密保護法≒統帥権干犯論」という定式を掲げている。なるほど、憲法がないがしろにされるときは、戦争が近づいているときなのだ。 昭和史研究者の貴重な警告を、真剣に受けとめねばならないと思う。(澤藤統一郎の憲法日記 2014年5月11日

5月3日の(略)全国憲法研究会主催「憲法記念講演会」には、1000人を超える方々が参加してくださった。(略)講演は、
香山リカ(精神科医・立教大学教授)の 「憲法を『精神分析』する――精神科医から見た意義と解釈」と石川健治(東京大学教授)「エンジン・ステアリング・コントロール――クルマではなく憲法のはなし」。(略)二人の講演で浮き彫りになったのは、安倍政権が「他者」性を意識的に排除して、権力の自己抑制を喪失していること、そのことがもたらす立憲主義の深刻な危機である。日銀総裁や法制局長官、NHK会長などをすべて自分と同意見の人にすげかえ、自分と異なる意見の人を決して加えない諮問機関を憲法解釈変更の根拠に使うという異様・異常な政治手法の数々。(略)この安倍「新自己チュー政権」に対して、身内からも批判的な声があがり出した。岩波書店の雑誌『世界』6月号に、野田聖子自民党総務会長のインタビュー記事が載っている。5月号村上誠一郎元国務大臣に続く党内からの批判である。(略)今週以降、憲法をめぐる問題は正念場を迎える。(水島朝穂 今週の「直言」2014年5月12日

自明とされ、だれもがよく見なれた現象=〈いま〉を、根もとからくつがえす視力なしに、集団的自衛権行使容認のプロセスを断つことはできない。自明とされ、よく見なれた現象とは、よくよくかんがえれば、〈わたし〉じしんでもあり、それぞれが〈わたし〉を転覆する持続的意思なしには、この流れを阻むのはむずかしいだろう。多くの者は、このうごきに、ほとんどあらがわずして諦め、予め断念している。
石原吉郎もよくつかった「断念」は、だが、おもえばずいぶん怪しい言葉じゃないか。「断念」は、抵抗よりも、この国の湿度に受けいれられやすい。そうこうするうちにも、新たな戦前がきている。新たとはいっても、「総力戦」が戦われた1940年代への過程とどこか相似する点でも、「現在の戦前」は、ひょっとしたら、「かつての戦前」から連綿とつづいている川の眺めではないかとさえおもう。断絶はあるようでいて、結局、なにもなかったのだ(引用者注:だから「根もとからくつがえす視力」が必要、ということなのですね)。憲法第9条がますます死文化させられる。政権は憲法第9条を笑いものにしている。土足で蹴飛ばしている。断念どころではない。飄逸どころではない。(辺見庸「日録17」2014/05/14

ナショナリズムの賞揚・昂揚は、無論、ロシアやウクライナだけではありません。アメリカもかつての「偉大なアメリカ」「
パクス・アメリカーナ」へのノスタルジアを隠しませんが、アジアでは、中国、韓国、台湾、ベトナム、フィリピンと、領土や歴史をめぐって、ナショナリズムのぶつかりあいが続き、武力衝突さえ起きかねない情勢です。インドの総選挙も、宗教と結びついたナショナリズムの台頭を示しています。そして、ほかでもない日本。冷戦崩壊後の「失われた20年」と「チャイメリカ(米中支配)台頭」を背景に、かつての高度経済成長、ジャパン・アズ・ナンバーワンへのノスタルジアを伴った、内向きのナショナリズムが、全年齢層に広がっています。隣国中国・韓国を蔑視したり憎悪する言説は、新聞でも週刊誌でも、テレビやインターネットでも日常化しています。そこにつけこんだ安倍内閣は、内向きから外向きへと「仮想敵」を設定し、安全保障国家、戦争ができる国へと、改造しようとしています。日本に帰国すると、「集団的自衛権」論議が、 政府の解釈改憲の方向で高まっています。本サイトは無論反対(「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」2014.5.15
 
「すべてはわかっている。言うまでもない。……小さな、笑うべきひとことに世界がある」。からだが攣っている。(略)ひどい日だ。さやかに見えたものが、けふは曖昧な腰つきになり、どろっとくぐもっている。じぶんには責任がないだれもが おもっている (引用者注:とは、どういうことか? 前日の「日録」には次のようにあります。「憲法第9条がいよいよますます死文化させられる。政権は憲法第9条を笑いものにしている。土足で蹴飛ばしてヘラヘラ笑っている。断念どころではない。飄逸どころではない。「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる。/テーマは改憲問題」(
丸山眞男『自己内対話』[1956年の手帖より])。これも、もう過去形で語られなければならない。これまでいくたび引用してきたことか。引用のたびごとに、警告が重みをなくしていった。転向、知識人、新聞記者、ジャーナリスト……という言葉は、すでに、なにごとも意味しなくなった」)。(辺見庸「日録17」2014/05/15

国際情勢の分析で世界最高の評価を得ている英誌
エコノミストが最新号で、安倍首相の安全保障政策を「Japan’s prime minister is right to start moving the country away from pacifism」と評価した。「日本の首相が平和主義から脱却しようというのは正しい」という意味だ。英語の「pacifism」は、日本の「侵略戦争の否定」という意味を越え、反戦、不戦、兵役拒否の意味を持つ。日本さえ何もしなければ地域の平和と安定は守られるという消極的な一国平和主義を改める安保政策の変更は正しいとエコノミスト誌が評価したわけである。これは大きな成果だ。(略)米紙ニューヨーク・タイムズはまだ、安倍政権に手厳しい。日本メディアはどうか。朝日新聞社説「集団的自衛権―戦争に必要最小限はない毎日新聞社説「集団的自衛権 根拠なき憲法の破壊だ」こうした主張は破綻している。国連憲章で明文化された集団的自衛権の行使を認めていない国は世界広しといえど日本しかない。(引用者注:もちろん、反対引用)(BLOGOS 木村正人 2014年05月16日

安倍首相は5月15日の記者会見で、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈変更の検討に入る意思を表明した。これは首相の私的諮問機関である(略)
安保法制懇の同日付の提言を受けたものだった。(略)形式的には安倍首相がその提言を受け入れる形をとっているが、そもそも安保法制懇自体が首相の私的アドバイザーの集まりであり、その人選は首相の意に沿って行われている。私的アドバイザー集団が首相の思いを実現するための提言を出したと考えるのが妥当だろう。しかし、それにしても戦後の方向性を根底から変えるといっても過言ではない過激な提言が、何の法的根拠もない首相の私的アドバイザーから出され、ただちに首相が記者会見でその受け入れを発表する。そして、首相が選んだ閣僚からなる閣議においてそれが閣議決定されれば、事実上の憲法改正を意味する日本の安全保障の基本的枠組みができてしまうというのは、あまりに安直に過ぎないか。今、日本が、戦後70年かけて脈々と築いてきた平和国家としての「戦後実績」の方向性を根底から変えようとしていることは、厳しく認識しておく必要があるだろう。(ビデオニュース・ドットコム 2014年05月17日

物事をありのまま写さず、こうあればいいと思う世界を撮ってきた。イメージ通 りの写真になるように計算し、演出も施している。けれどそれは特別な場所でも、著名な人々でも、珍しい出来事でもない。日常の片隅で見かけそうな、いつもと変わらない暮らしのワンシーンで、ユーモアのセンスを効かせ、敢えて演出の証拠を残した。日々の生活にはこんなにもすてきで美しく、微笑ましく、楽しい幸せな時間があることを、フランスの写真家
ロベール・ドアノー(1912-1994)はさりげなく伝えたかったのだろう。そうしながら写 真の可能性を探し続けた。(略)照れ屋でプライドが高く、七転八倒、奮闘している姿は決してほかに見せない。いい仕事をしている時ほど素知らぬ 顔してさっさとやってのけ、鼻歌まじりで「なあに、たいしたことはありません」なんて言ってしまう。なにより偉そうにするのを嫌った。そうして撮った写真からは、耳をすますとアントン・カラスの「カフェ・モーツァルト・ワルツ」が聞こえ、日常のなにげない光景がかけがえのないものに見えてくる。(日々の新聞 2014年5月18日読

(15日の安倍首相の記者会見は)作家の
保阪正康氏によれば、まさに「情念的感情的政治」にほかならない。保阪氏はいう。「5.15事件や2.26事件後、軍事指導者たちが盛んに『非常時』という言葉を使い、議員も庶民も世の中全体が『非常時』と思うようになった。しかし、両事件も満州事変も軍が自作自演したものだ」(略)ところが、これを前向きにフォローしようとしたのがNHK(政治部=政権部?)だった。岩田明子NHK解説委員は記者会見直後に、安倍首相の想いまで懇切丁寧に「解説」していた。報道機関としては異例の踏み込み方である。これまでも彼女やNHK政治部記者の解説は、「安倍総理大臣としては…」という形で、まるで内閣広報室の担当官のような説明の仕方が目立ったが、この日のフォローは際立っていた。特に夜7時のニュースはすごかった。「(記者会見の狙いは)国民にわかりやすく自らのメッセージを伝えることでした。(略)安倍総理大臣は、日本が再び戦争をする国になったといった誤解があるが、そんなことは断じてありえないなどと強調しました(略)」。「断じてありえない」というところは力がこもっていた。そして、行使容認を「限定的なものにとどめる意向」とやって、最後は「思います」と、自己の見解を披瀝してしまった。(水島朝穂「今週の『直言』」2014年5月19日

集団的自衛権にかかわる自公協議が「グレー・ゾーンの取り扱い」から始められるという展開は理解不能です。(略)(
グレー・ゾーンの問題は)直接的には集団的自衛権行使の問題ではなく、基本的に国連憲章第2条4(「武力の行使」)及び第51条(「武力攻撃」)という条文をどのように理解するかという問題です。公明党の支持母体である創価学会が解釈改憲に反対する姿勢を明確にした(略)以上、公明党としては、自公協議においては何よりもまず、解釈改憲に反対する民意に対して自公という政権与党がどう向きあうかを取り上げるべきだという態度を明確にするべきでしょう。(略)創価学会が国民世論を無視できないようになったという事実の意味することを重視したい思いです。(略)安倍政権の暴走はもはや押しとどめられず、日本は落ちるところまで落ちなければならない(略)のかなと考えるようになっていました。しかし、ここ数カ月来の各種世論調査における明確かつ力づけられる変化を見て、勝負はまだまだこれから、という気持ちになっています。世論の力が政治を動かすという真理、安倍政治の危険性そのものが安倍政治にストップをかけるという政治の弁証法が、今日本に起こりつつあるのではないでしょうか。(浅井基文のページ 2014.05.20

集団的自衛権行使容認のうごきをめぐり、「
だれが愛国者か、救国者か、棄国者か見きわめよう」(引用者注:松岡正剛)という、昔日も聞いたことのあるようなバカな議論が一部にあるよし。でてきたか、やっぱり。だれが愛国者か、救国者か、棄国者か……の問題のたてかたじたいが、おそろしく怪しい。危ない。集団的自衛権行使容認と9条死文化を、各人が各所でどのように拒み阻むかという問いと、それに沿うた身ぶり、発声のありようこそが、省察にあたいする。(辺見庸「日録17」2014/05/20

昨日(5月20日)の参院外交防衛委員会で、
横畠裕介内閣法制局長官が就任後初めて国会答弁した。(略)横畠氏は山本庸幸前々長官の次の長官候補だった。(略)安倍政権の思惑で、異例の外務省からの横滑り長官人事の割を食った。(略)安倍政権に疎まれたのだから立派な人物なのだろう。硬骨漢なのだろうとのイメージがあった。(略)まだこの記事だけでは分からない。政権は、横畠氏が安全パイであることを確認して新長官に据えたと考えるべきなのかも知れない。いや、人の信条はそんなにたやすく変えられるものではないというべきなのかも知れない。また、所詮官僚機構の中で抵抗は無理だと考えるべきか、この地位の大きさから政権への抵抗を期待可能と言うべきか。官僚機構の中の一個人の資質や健闘に期待するのではなく、世論の大きなうねりをつくることが大切ではないか。(「澤藤統一郎の憲法日記」2014年5月21日

「裁判は死なず」と言うべきでしょうか。司法の生命力を示した2つの画期的判決が出されました。関西電力大飯原発運転差し止め訴訟第4次厚木基地騒音訴訟です。(略)福井県などの住民189人が関電に運転差し止めを求めた訴訟の判決(略)原告側の訴えがそのまま認められただけでなく、「生存を基礎とする人格権は憲法上の権利であり、法分野において最高の価値を持つ」とし、差し止めの判断基準として「新規制基準への適否ではなく、福島事故のような事態を招く具体的な危険性があるか」を挙げ、大地震が来た時に原発の冷却機能が維持できるかどうかについては関電の想定を「信頼に値する根拠はない」としました。(略)もう一つの、厚木基地周辺住民が航空機の騒音被害を訴えて国に飛行の差し止めや損害賠償を求めていた第4次厚木基地騒音訴訟(略)基地の航空機の飛行の差し止めが認められたのは全国で初めてであり、この点でまさに画期的な判決だと言って良いでしょう。この二つの画期的判決は、運動によって世論を変え、司法を動かすことが可能であるという教訓を示しています。(
「五十嵐仁の転成仁語」2014-05-22
 
人格権」……人間存在やその尊厳とわかちがたい諸権利の概念であり、憲法13条後段の「幸福追求権」からもみちびかれる基本的人権のひとつである。人格権は本来、私法上の権利だというけれども、「生存権」とともに、私法、公法のべつない普遍的概念であるべきだ。福井地裁判決は画期的というよりも、しごく「まっとう」なのである。たまにまっとうなことを言うと、びっくりされ、大騒ぎになり、わざわざ画期的と称されるほどに、この世はあまりにもまっとうではない。判決の要諦は、原発の根本的不可能性の指摘にある。しかし、トルコとUAEへの原発輸出を可能にする原子力協定が、自民、公明、民主各党の賛成多数で承認されたばかり。政府は原発を「重要なベースロード電源」と位置づけ再稼働路線を鮮明にしている。この国の権力者は、自国だけでなく他国の住民の人格権までおかすのをなんら恥じていない。(辺見庸「日録18」2014/05/22) 

注:福井地裁判決 2014/05/21
個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。
人格権は憲法上の権利であり (13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。


「美味しんぼ」作者、ブログに「休載は決まっていた」(朝日新聞 2014年5月23日)雁屋哲の書いた通りであろう。というより、『美味しんぼ』の連載のあり方は、相当前からそのようなものだった。この漫画は、『めぞん一刻』(高橋留美子)や『YAWARA!』(浦沢直樹)などが『ビッグコミック・スピリッツ』に連載されていた頃から、これらの作品に優るとも劣らない人気作だった。高橋留美子や浦沢直樹の作品は、数年しか続かなかったが、『美味しんぼ』は30年以上続いており、その間、原作者の雁屋哲や作画の花咲アキラは大儲けしたはずである。とっくの昔に作者たちは「セミリタイア」状態になっており、漫画は休載が主で、たまに掲載されるという認識を私は持っていた。念のためにWikipediaを参照すると、
2000年頃からは1年のうち大半を休むことが多くなっており、東日本大震災などの一つの主題を連続で描く時も途中休載することがあり、休載せずに完結することは少ない。と書かれている。もはや「セレブ」に属するであろう作者たちの「予定の休載」に、得意の陰謀論敵解釈を振りかざして大騒ぎする一部の「脱原発」派のていたらくには、開いた口がふさがらない。(kojitakenの日記 2014-05-24

著者は人体を超個体と呼ぶ。そこには細菌や寄生虫を含めて、多数の生きものが共存してきた。そうした「生態系」が現在壊れつつあり、あるいは壊れてしまっている。ヒトという超個体における生物多様性をどう回復していくか、それが著者の最終的な結論となると考えていい。最近『「ストーカー」は何を考えているか』(新潮新書)を読んだ。一つ、印象に残った文章がある。「自然相手の職業 (農業者など) に就いているストーカーは不思議といない」。よりよい世界を作ろうとして、善意で災厄を招くのは、ヒトが繰り返して行ってきたことである。そうした世界を正すのは、じつは面倒で、ややこしいことである。この本はそれを丁寧に教えてくれる。一言にして尽くされる真理、そういうものを信じてはいけない世界になっていると私は思う。読むのに手間のかかる本だが、実際の世界はじつはこういうものである。病気を理解するにも辛抱が大切、というしかあるまい。(
養老孟司・評『寄生虫なき病』毎日新聞 2014年05月25日

朝日新聞社が24、25日に実施した全国世論調査(電話)で、安倍晋三首相が目指す憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認について尋ねたところ、「賛成」は29%で、「反対」の55%が上回った。憲法改正の手続きを踏まず、内閣の判断で憲法解釈を変える首相の進め方については「適切だ」は18%で、「適切ではない」の67%が圧倒した。調査では、国会発議や国民投票を経て憲法を改正するのではなく、内閣の判断で解釈を変える首相の進め方について尋ねたところ、安倍内閣支持層や自民支持層でも5割前後、公明支持層では8割以上が「適切ではない」と答えた。また、集団的自衛権を行使できるようになったら、抑止力が高まり「紛争が起こりにくくなる」は23%で、周辺の国との緊張が高まり「紛争が起こりやすくなる」が50%だった。アメリカなど同盟国の戦争に巻き込まれる可能性が「高まる」は75%で、「そうは思わない」の15%を引き離した。(朝日新聞 2014年5月26日

先月、超高齢社会の現実と司法のズレを感じる判決が出た。(略)昨年8月、一審の名古屋地裁は男性の妻(91歳)と長男(63歳)に「見守りを怠った」としてJR東海側の請求通り約720万円の支払いを命じた。この裁判の控訴審で、4月24日、名古屋高裁は妻だけの責任を認定し、約360万円の支払いを命じた。一審、二審の判決は介護関係者にショックを与えている。まず家族介護の視点からは、遺族側代理人が次のようなコメントを出した。「高齢ながら、できる限り介護をしていた妻に責任があるとされたのは残念。(略)家族が常に責任と隣り合わせになれば在宅介護は立ちゆかなくなってしまう……」(略)こうした判決が続くようだと介護現場では認知症高齢者の「閉じ込め」や「拘束」が横行すると懸念される。終戦直後、滋賀県で戦災孤児や障害者のための施設「近江学園」を創設した
糸賀一雄は、「この子ら、世の光に」という言葉を残した。「この子らに、世の光を」ではない。障害を背負って生きる子どもたち、世のなかを照らす光に、と訴えた。そんな視点が、認知症ケアにおいても必要なのではあるまいか。(色平哲郎・佐久総合病院医師 2014年5月26日

東日本大震災の後、以前に増して言葉に迷うようになった。「頑張って」は誰かを傷つける。「被災地、被災者」と束ねたくない。「がれき」「絆」「寄り添う」。使いたくない言葉が増えていく。(略)取材にかこつけ尋ねて回った。(略)映画監督の
園子温さんは「震災後の表現は、より誠実でなければいけない。どんなに稚拙で未熟な表現になろうと一歩を踏み出すこと。それが誠実だ」と背中を押してくれた。(略)詩人の長田弘さんは「詩にできるのは半分だけ。書くことは、言葉にできない残りの半分を大事にすることでもあるんです」と静かに言った。それ以来、締め切りまでに記事に書き切れなかった言葉や、言葉にならない「残り半分」を書きためることにした。見捨てたくないものには、せめて時間をかけてみようと。書き切れずに一度はあきらめた人の物語を半年ぐらいあたため、納得してから書き直す、なんてことが増えた。手のひらからこぼれ落ちそうなものに目をこらし、沈黙から言葉が生まれるのを待つ−−詩人たちから教わったこと。(毎日新聞 「発信箱」: 小国綾子2014年05月27日

漫画誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」の連載「美味しんぼ」の東京電力福島第1原発事故による健康影響の描写が
議論を呼んだ。(略)福島市内の仮設住宅で暮らす避難者に話を聞くと、程度の差こそあれ、どの人もこれらの描写に不快感を抱いていた。浪江町から避難してきた遠藤義雄さん(73)は鼻血の描写に「『みんなこうなる』という誤解を生む」と懸念した。富岡町から子ども4人と避難先を転々とした高野京子さん(32)も「これから(古里に)帰ろうとしている人がいるのに、根拠もなく『住めない』というのはひどい。福島に来ようとする人もいなくなってしまう」と心配した。一方で、競うように「遺憾の意」を表明する政府や政党、県などに冷ややかな視線を送る被災者もいる。(略)浪江町から福島市に避難する北郷淳さん(67)は「健康影響に関する情報が十分でないから不安を抱く。国も県ももっと調べてほしい」と注文する。(略)政府は美味しんぼ騒動の源にある被災者の「不信感」を軽視しているように見える。「正しい情報を正確に素早く伝える」−−。この基本的な姿勢を守らなければ、原発事故収束も、風評被害の解消も、そして福島復興もうまくは進まないだろう。(毎日新聞「記者の目」岡田英(福島支局) 2014年05月28日
 
5月21日付『産経新聞』は,広島大学に勤務する韓国籍の准教授の授業で,従軍慰安婦の問題が取り上げられたことを批判する記事を第1面に掲載した。(略)聴講していた学生のひとりがこの授業内容を不快に思い,『産経新聞』に投書したことを契機に,『産経新聞』は,同じ授業を聴講していた他の学生への取材や,当該准教授にたいする充分な取材をおこなうことなく(略)この記事をつくりあげた。(略)この記事が出されて以降,広島大学には"抗議"の電話等が殺到している。(略)かつてドイツでは,政権獲得前のナチス党が,その青年組織に告発させる形で意に沿わない学説をもつ大学教授をつるし上げさせ,言論を萎縮させていった歴史がある。(略)学問の自由は日本国憲法が保障する基本的人権のひとつであり,大学の授業で教員は,自身の学問的信念に基づいて教育研究を行う自由をもつ。(略)公正な報道をもって社会の木鐸の機能を果たすべき新聞が,学生の1通の投書をもとに、特定の教員の講義内容を攻撃することは、学問の自由への侵害であるとともに,著しく公正を欠くものである。(略)広島大学内外のすべての大学人にたいして,今回の事態に際し,特定報道機関その他からの言論への圧力を許さず,ともに学問の自由を守る行動をとるように訴えるものである。(日本科学者会議広島支部 2014.5.23)(日本科学者会議 2014.5.29
きまぐれな日々」ブログ主宰者のkojitaken氏が本日付けで「魚住昭、遅ればせながら孫崎享を痛烈に批判」という以下のような記事を書いています。
 
この件についてはkojitakenさんが指摘されるとおりだと思いますのでつけ加えることはありませんが、昨日、私は、いまの共産党の政治的スタンスを批判したばかりということもあって、そうそう、この件では共産党はどのようなスタンスをとっているのだろうか、と少し調べてみました。私はまさか共産党まで岸信介を対米自立派と持ち上げる孫崎享氏の論を評価することなどあるまいと、当時は調べもしなかったのですが、あにはからんや、共産党まで孫崎享氏を評価していました。そのことを「vanacoralの日記」ブログの筆者が当時の赤旗(2012年10月28日付)の記事を引用して批判しています。赤旗記事には孫崎享氏と並んでデモ行進する笠井亮衆院議員や吉良よし子参院東京選挙区予定候補(当時)の写真も掲載されています。同記事には群馬県平和委員会会長の声なども掲載されていますから、この頃には共産党系シンパ組織の中での孫崎享評価はある程度既成事実のようになっていたものと見られます。
 
共産党、「反米保守」孫崎享とデモ行進(vanacoralの日記 2012-10-28)
 
この次期はすでに私はさまざまな論者の孫崎批判を紹介する論を10本以上書いていました。上記の赤旗の記事が掲載されたほぼ同時期の11月4日には佐高信氏の孫崎享『戦後史の正体』批判も紹介しています。
 
共産党の右への凋落傾向は理論面においてもこの頃にはすでにはっきりしすぎるほどはっきりしていたのですね。共産党系の団体が主催する集会などに参加するたびに少し首を傾げたくなる右派的言動に触れ、右傾化傾向が強くなっていることはうすうす感じていましたが、明確には(まさかこれほどまでにとは)そのことを認識しえていませんでした。
 
寄る辺とする「革新」さえいなくなっていくこの国の現状には暗澹とせざるをえません。
 
以下、kojitakenの日記の「魚住昭、遅ればせながら孫崎享を痛烈に批判」。
 
魚住昭、遅ればせながら孫崎享を痛烈に批判
(kojitakenの日記 2014-05-28)


魚住昭といえば元共同通信の記者で、ナベツネ(渡邉恒雄)の評伝を書いたり、安倍晋三と故中川(酒)がやらかした「NHK番組改変事件」で、安倍晋三が実際にNHKに圧力をかけていたことを証明するなど、ひところもっとも注目していたジャーナリストだった。
 
だが魚住昭はその後、佐藤優とつるんだあたりからおかしくなり、村上正邦の評伝を書いたり、小沢一郎を擁護したりするなど、評価できない仕事が増えていた。それで最近ではほとんど関心を持たなくなっていたのだが、久々にクリーンヒットを放ってくれた。
 
あの孫崎享のトンデモ本『戦後史の正体』を痛烈に批判したのである。
 
第八十一回 陰謀論という妖怪 | わき道をゆく--魚住昭の誌上デモ | 現代ビジネス [講談社](2014年5月25日)
 
読まなくちゃ、と思いながらつい読む機会を逃してしまう。そんな本ってありませんか。
  
私の場合、元外務省国際情報局長の孫崎享さんが書いた『戦後史の正体』(創元社刊)がそうだった。2年前のベストセラーである。
 
先日、少し暇ができたので遅まきながら読んでみた。なるほど着眼点が面白くてわかりやすい。
 
だけど危うい。事実誤認による陰謀論が闊歩している。間違いが一人歩きせぬよう、はばかりながら苦言を呈させていただく。
 
まず本の中身を紹介しよう。孫崎さんは戦後史を「米国からの圧力」を軸に読み解いていく。その圧力に対し、日本の国益を主張する「自主」路線と、言いなりになる「対米追随」路線のせめぎ合いが戦後の日本外交だったと語る。
 
そのふたつの路線のシンボルとして敗戦時の外相・重光葵と、後に首相になる吉田茂が登場する。
 
孫崎さんによると当初、米国は日本を直接軍事支配しようとした。それをマッカーサーに断念させたのは重光だった。だが、彼は外相を辞任させられた。米国にとって彼のような「自主派」は不要だったからだ。
 
代わって外相になった吉田は、米国にすりよる「対米追随派」の代表だった。「日本の最大の悲劇」は、彼が首相として独立後も居座り「占領期と同じ姿勢で米国に接したこと」だと孫崎さんは言う。
 
吉田はGHQの参謀第2部(G2=諜報などを担当)部長ウィロビーを頼った。彼は反共主義者で、GHQ民政局(GS=政治改革担当)と対立した。G2は共産主義との対決を最優先し、GSは日本の民主化を最優先したからである。
 
昭和23年3月、芦田均内閣が発足する。孫崎さんは芦田を「重光と並んで自主路線をとった代表的政治家」だと高く評価する。
 
しかし、芦田内閣は発足後まもなく起きた昭和電工事件に巻き込まれ、同年10月に総辞職、後に芦田自身も東京地検に逮捕される。
 
ここまでの記述に、特に異論はない。政治家の好き嫌いは人それぞれだ。問題はこれからである。
 
昭電事件は、農業復興のための政府融資に絡み、大手化学肥料会社の昭和電工が巨額の賄賂をばらまいた戦後最大級の疑獄だった。
 
孫崎さんはこう解説する。
 
(1)事件はウィロビーのG2が検察を使ってしかけたもので「G2-吉田」と「GS-芦田」の戦いだったが、賄賂がGSに渡っていたことがわかり、G2勝利で終わる。
 
(2)芦田は事件に関与していなかったのに「進駐軍関連経費の支払いを遅らせる件」で収賄したとして逮捕される。おかしな話だ。誰がGHQへの支払いを遅らせる件に関し贈賄するのか。容疑を無理に作ったとしか思えない。芦田を追い出した後、ウィロビーと親しい吉田が当然のように首相になった。
 
そして孫崎さんは「米国の情報部門が日本の検察を使ってしかける。これを利用して新聞が特定政治家を叩き、首相を失脚させるというパターンが存在することは、昭電事件からもあきらか」と言う。
 
さらにロッキード、リクルート、陸山会などの事件に触れ、検察は米国と結んで「正統な自主路線の指導者」を排斥してきたのではないかという議論を展開する。
 
昭電事件はその出発点だから『戦後史の正体』の核心と言っていいだろうが、孫崎さんの解説には誤りが多い。国会図書館のGHQ文書が語る真相をご説明しよう。
 
まずは占領統治の基礎知識から。GHQで検察の指揮権を握ったのは参謀第2部(G2)でなく民政局(GS)だ。だから孫崎説のようにG2が検察を使ってしかけることはあり得ない。
 
次に、事件の捜査は初め警視庁が主導した。G2は警視庁と関係が深かったので、G2の差し金で警視庁が動いた可能性は大だ。ウィロビーはGSやESS(経済科学局=財閥解体や経済安定化計画などを担当)の幹部を「アカの手先」と忌み嫌い、事件を利用して彼らを排斥しようとしたらしい。
 
しかし警視庁はやりすぎた。GS次長ケーディスの女性関係まで洗い、米人記者らに捜査情報を漏らした。彼らはそれをもとに「GHQ高官が事件のもみ消しに暗躍している」などと書き立てた。
 
放置すれば本国からの風当たりが強くなる。GSはそう判断したらしい。東京地検に警視庁を外した単独捜査を指示した。当時の捜査二課長・秦野章は自著『逆境に克つ』に書いている。
 
「私が担当したのは、赤坂の昭和電工本社の捜索と贈収賄両者合せた十数人の逮捕だけである。余勢をかってメスを入れようとした矢先、警視庁の捜査二課は、事件の摘発役から突然おろされた」
 
それが昭和23年9月のことだ。東京地検は警視庁抜きの片肺飛行を強いられた。だが辣腕検事の河井信太郎が昭電社長を追及し、元農林次官や前蔵相、大蔵省主計局長らへの贈賄を自供させた。
 
昭電のGHQ贈賄工作はESSに集中していた。ESSは東京地検の捜査を妨害したが、地検はGSの支援を受けて捜査を続け、ESS幹部ら7人が数十万円~100万円を受け取っていたとの極秘報告をGHQ上層部に上げた(むろん公表されず、闇に葬られた)。
 
こうした経緯を総合すると、事件が「G2-吉田ライン」対「GS-芦田ライン」の戦いだったという孫崎さんの図式はまったく成り立たない。G2は本丸の捜査に関与しておらず、GSも芦田をかばっていない。芦田逮捕に向けゴーサインを出したのはGSである。
 
ちなみに芦田は「昭電事件には関与していません」という孫崎さんの記述も不正確だ。芦田自身、進駐軍兵舎の建設資材の納入業者(昭電事件の捜査の過程で贈賄企業として浮上)から100万円もらったことを認めている。
 
また芦田は「進駐軍関連経費の支払いを遅らせる件」に関して賄賂を受け取った容疑で逮捕されたというのも孫崎さんの誤解である。
 
正しくは、進駐軍兵舎の資材納入に対する政府支払金を早く受け取れるよう業者に便宜を図ったのが主な容疑だった。ただ芦田は職務権限がなかったとして無罪判決を受けており、地検の法解釈に粗さがあったことだけは間違いない。
 
こうして孫崎さんの見解を検証してみて分かったことがある。それは、陰謀論は不正確な事実の断片を推理でつなぎ合わせて作られるということだ。ロッキード事件は「自主派」の田中角栄元首相を潰すため米国が仕組んだというのも同じように作られた話である。
 
さらに詳しく知りたいと思われる方には『角栄失脚 歪められた真実』(徳本栄一郎著・光文社刊)をお薦めしたい。綿密な取材で真相に肉迫した労作だ。本の終盤での著者の述懐に私は深く共感したので、それを最後に紹介したい。
 
「客観的物証のない陰謀説は日本人の深層心理に恐怖を植えつけ、いびつな国民性を産み出す危険もある。卑屈なまでの米国追従と、歴史を無視した偏狭なナショナリズムである」
 
『週刊現代』2014年5月31日号より
 
具体的な事実に基づいて、孫崎の妄論の誤りを暴いていく手法はさすがである。魚住昭が久々に本領を発揮したとの印象だ。
 
惜しむらくは、批判のタイミングがあまりに遅過ぎた。孫崎のトンデモ本を信じ込んだ「小沢信者」らは、孫崎ご推奨の岸信介や佐藤栄作を信奉するようになったためかどうか、岸の孫・安倍晋三の暴政をまともに批判することすらできなくなっている。しかし、この期に及んでなお「小沢信者」たちは孫崎を批判できないていたらくなのである。
先日のエントリでもZED氏の「『9条にノーベル賞』運動は『待ちぼうけ』」の論をご紹介しましたが、そのZED氏が「『9条にノーベル賞』運動は『待ちぼうけ』の論の続編を書いています。
 
前回記事でも少し触れておきましたが、ZED氏によれば、右翼国会議員(日本会議・神道政治連盟所属)の長島忠美金子恭之はやはり「憲法9条にノーベル賞を」運動の国会議員賛同者に名前を連ねていました。それも共産党の志位委員長らと名前を連ねてです。
 
共産党はこうした事態をどのように考えるのでしょうか?
 
ZED氏は10年前(2004年4月19日付)の「保守「2大政党」づくりの断面 議連に同舟 改憲レース」という「しんぶん赤旗」記事を援用した上で今昔(といっても、たった10年ほど前のこと)の共産党のさま変わりを
 
「上記記事から10年後、その金子議員は共産党の志位委員長と一緒に「憲法9条にノーベル賞を」与える運動をするようになりましたとさ。おいおい、赤旗はあんたらの親分と自民党の憲法調査議連所属議員が一緒になってこんな事をしてるのを何とも思わないのか? 思わないんだろうな…。」
 
と、厳しく指弾しています。私も同じ思いです。
 
ZED氏はその厳しく批判する理由を次のように述べています。
 
「9条に平和賞をやる事で安倍政権の暴走に歯止めが掛けられる」などというのは愚かな希望的観測というか馬鹿な妄想に過ぎず、それどころか安倍や金子や長島のような自民党改憲派・タカ派・日本会議派にとっては望ましい事なのだ。「ノーベル平和賞まで日本国民は受賞した」という権威付けのアリバイは軍拡化と戦争を抑止するのではなく、日本人の国威発揚と日本優越主義の強化に直結し、それがさらなる軍拡化を推し進める力になるだろう。ノーベル平和賞を受賞した「日本国民」が
日本ヨイ 国、キヨイ 国。
世界ニ 一ツノ 神ノ 国。
日本 ヨイ 国、 強イ 国。
ノーベル賞ニ カガヤク エライ 国。
というますます酷い修身ナルシズムに陥る事だけは間違いなく、これはまさに大日本帝国そのもの。金子や長島のような極右国粋議員がこの運動を気に入って飛び付いたのはまさにその点だ。ナルシーな日本優越主義者にとって「ノーベル賞」のごとき「世界的権威」はよだれが出るほど大好きだろう。「9条を守る」どころか、安倍を全力で手助けすらしているのが「憲法9条にノーベル賞を」運動なのである。
 
このZED氏の指摘はいまの日本の現状(革新運動)の本質を衝いていると思います。「一点共闘」は「日本の政治を変える」ための統一戦線の一環として取り組まれるべきもののはずです(「全国革新懇懇談会における「志位委員長報告」しんぶん赤旗 2014年4月18日)。上記のような野合を共産党は「一点共闘」などと強弁すべきではないでしょう。
 
私は本質的な意味での(社会科学と社会変革としての)「マルクス主義」を勉強してきた多くの共産党員にはいまだ自浄能力があると思っています。その思いが私の共産党への信頼をつなぎとめています。
 
志位氏をはじめとする共産党幹部と共産党員には真の意味の共産党員としての自浄能力を発揮していただきたいものです。
 
終戦を目前に宮城刑務所で53歳の若さで死去(獄中死)した戦前の日本共産党幹部の市川正一(元読売新聞社社会部記者)は、市川自身が著した『日本共産党闘争小史』によれば戦前の治安維持法下の法廷で次のように宣言したといいます。
 
「日本共産党員となった時代が自分の真の時代であり、真の生活である。」
 
その誇りを現在(いま)の日本共産党員にも失ってほしくない、と私は強く思います。
 
以下、ZED氏の論。
 
「憲法9条にノーベル賞を」運動について再び その1
(Super Games Work Shop Entertainment 2014年05月27日)
 
前回の記事で筆者は「憲法9条にノーベル賞を」運動に賛同した国会議員60人の中に、自民党でも特に右寄り(日本会議・神道政治連盟所属)な長島忠美と金子恭之が本当に入っているのか疑問を呈した。どうやらこれは事実だったようである。以下のように貴重な御指摘を拝見出来た。
 
https://twitter.com/kibikibi20/status/470623303279734785
@kibikibi20⇒前掲「立憲フォーラム」HPによると、長島忠美と金子恭之の2人が賛同したのは事実である⇒
衆参国会議員有志により、「ノーベル平和賞の授与を求める文書」を提出しました
(立憲フォーラムHP、2014年5月17日)
10:51 - 2014年5月25日
 
https://twitter.com/kibikibi20/status/470623823847374848
@kibikibi20 「賛同者 (ABC順):
[・・・]
/菅 直人/金子 恭之/
[・・・]
/長島 忠美/中川 正春/志位 和夫/」
10:53 - 2014年5月25日
 
もうこの時点で明らかだろう。この運動がどれだけアホ臭い馬鹿馬鹿しいものかが。金子恭之なんてバリバリの改憲派ではないか。以下の赤旗記事によれば憲法調査推進議員連盟にもその名がある。
 
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-04-19/02_02.html
保守「2大政党」づくりの 断面
議連に同舟 改憲レース
 
上記記事から10年後、その金子議員は共産党の志位委員長と一緒に「憲法9条にノーベル賞を」与える運動をするようになりましたとさ。おいおい、赤旗はあんたらの親分と自民党の憲法調査議連所属議員が一緒になってこんな事をしてるのを何とも思わないのか? 思わないんだろうな…。
 
「9条に平和賞をやる事で安倍政権の暴走に歯止めが掛けられる」などというのは愚かな希望的観測というか馬鹿な妄想に過ぎず、それどころか安倍や金子や長島のような自民党改憲派・タカ派・日本会議派にとっては望ましい事なのだ。「ノーベル平和賞まで日本国民は受賞した」という権威付けのアリバイは軍拡化と戦争を抑止するのではなく、日本人の国威発揚と日本優越主義の強化に直結し、それがさらなる軍拡化を推し進める力になるだろう。ノーベル平和賞を受賞した「日本国民」が
日本ヨイ 国、キヨイ 国。
世界ニ 一ツノ 神ノ 国。
日本 ヨイ 国、 強イ 国。
ノーベル賞ニ カガヤク エライ 国。
というますます酷い修身ナルシズムに陥る事だけは間違いなく、これはまさに大日本帝国そのもの。金子や長島のような極右国粋議員がこの運動を気に入って飛び付いたのはまさにその点だ。ナルシーな日本優越主義者にとって「ノーベル賞」のごとき「世界的権威」はよだれが出るほど大好きだろう。「9条を守る」どころか、安倍を全力で手助けすらしているのが「憲法9条にノーベル賞を」運動なのである。
 
「護憲」のウィングを右に伸ばし、「従来の護憲派」だけではない、より幅の広い「国民」層を取り込む。また、アジア太平洋戦争については、「加害」の点を強調する(それは「反日」になるから)のはやめて、「被害」の側面を強調し、改憲することによって再び戦争被害を被りかねないことに注意を促す。
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-25.html
 
佐藤優現象はまさにここに極まれり! 佐藤優現象を今最も体現した醜悪な姿の極致が、この「憲法9条にノーベル賞を」運動に他ならない。
「自共対決」だって? どう見ても「自共仲良く」にしか見えないんだが。
自民党も共産党も仲良くしようぜ! ノーベル賞の為に!
日本ハ ノーベル賞ニ カガヤク エライ 国!
(続く)

メディアの報じるところによれば、一昨々日の23日、東京・永田町の参院議員会館で「美味しんぼ」鼻血描写問題に関して、「鼻血ありえる。ストレスでは出ない」「風評被害にもあたらない」とする専門家たちの反論記者会見が開かれたということです。
 
美味しんぼ「鼻血ありえる。ストレスでは出ない」風評被害にもあたらないと専門家(The Huffington Post 2014年05月24日)
 
報道では主に西尾正道・北海道がんセンター名誉院長の発言が紹介されています。西尾氏は「『美味しんぼ』批判は放射能による被害はないことにしたい『王様の飼い犬』たちのヒステリックなバッシングにすぎない」と主張する一部の「反原発」派のエースとして期待されて登場したのでしょうが、しかし、素人目で見ても、この西尾氏の発言は主観と間違いだらけの誤りに満ちています。以下、反論しておきます。
 
まず、西尾氏の「鼻血というものは、ストレスでは出ない」「ストレスで鼻血が出たという報告は全くありません」という主張について批判しておきます。西尾氏は上記で「ストレスで鼻血が出たという報告は全くありません」と述べていますが、この「報告」がどういう種の「報告」であるのかわかりませんので(たとえば北海道がんセンター内での「報告」ということであれば、「報告は全くありません」ということはありえるでしょう。がんセンターでいちいち鼻血の原因について「報告」があるとも思えません)断定はできませんが、少なくとも下記の医師たちの「報告」を西尾氏はまったく無視しています。一部は西尾氏も読んでいるはずのものですから医師として(人としても)誠実な態度とはいえないでしょう。端的に言って、西尾氏の「ストレスで鼻血が出たという報告は全くありません」という主張はウソといわなければならないでしょう。
 
・放射線防護学を専門とする立命館大の安斎育郎名誉教授は鼻血とストレスの関係について「放射線影響学的には一度に1シーベルト以上を浴びなければ健康被害はないとされるが、心理的ストレスが免疫機能に影響を与えて鼻血や倦怠感につながることはある」と述べています。(毎日新聞 2014年04月29日
 
・やはり放射線防護学を専門とする日本大学歯学部の野口邦和准教授は鼻血を含むDNA損傷とストレスの関係について「放射線による水分子のラジカル生成とラジカルがDNAなどに損傷を与える放射線の間接作用が描写されているページがあります。ラジカルを生成する環境因子としては放射線だけでなく大気汚染物質、薬剤、紫外線、たばこ、酒、ストレスなどが知られており、こうした環境因子に接することでラジカルを体内に取り込む、あるいはラジカルが体内で発生することもあります」と述べています。(「『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見、編集部の見解」(ビッグコミックスピリッツ25号、5月19日発売号)。
 
元自衛隊医官で危機管理専門血液内科医師の中村幸嗣氏も鼻血とストレスの関係について「ストレス、不眠、加齢、花粉症、アレルギー、乾燥、行動パターン、薬など様々な要因で鼻血は出ます。これらは放射線とは基本関係はありません」と述べています。
 
五本木クリニック美容皮膚科院長の桑満おさむ医師も鼻血とストレスの関係について「ストレスによって鼻血がでることもありますので、福島在住の方が強度のストレスによって「鼻血」という現象が増えているのなら対策が必要であることは間違いありません」と述べています。
 
西尾氏は自分の主張だけが正しいとして、これらの医師の証言を否定するのでしょうか?
 
その他、これは専門医の証言とはいえませんが、以下のような医学関連記事もあります。ストレスでも鼻血は出るという状況証拠にはなるでしょう。
 
「鼻血はストレスや寝不足による自律神経失調症が原因で出やすくなる事があります。ストレスがかかったときに、副腎からアドレナリンという抗ストレスホルモンがビタミンCを消費して分泌されてストレスに対抗しますが。よってストレスが強いと、ビタミンCは大量に消費されビタミンC不足に陥ります。ビタミンCは皮膚や粘膜の強化に欠かせない栄養素で、細胞と細胞を結ぶ接着剤的な働きがあり、病原菌やウィルスの侵入を防ぐコラーゲンの合成を助けるのでビタミンCが不足すると末梢毛細血管が破裂しやすくなり、鼻血が出やすく、血が止まりにくくなります。 」
 
「毎日忙しくて眠れない方へ。寝不足で鼻血が出るわけと対処方法」
 
などなど。
 
第2。西尾氏は上記の記事の中で「高線量被曝による急性障害に論理をすり替え、鼻血(との因果関係)を否定する『専門家』がいる」などと自らの論とは反対の立場に立つ専門家を批判しているのですが、西尾氏の言う専門家が安斎育郎氏や野口邦和氏のことを指しているのだとすれば、安斎氏も野口氏も鼻血と放射能との因果関係について「高線量被曝による急性障害に論理をすり替え」ているわけではありません。たとえば安斎氏は「放射線影響学的には一度に1シーベルト以上を浴びなければ健康被害はないとされる」(毎日新聞 2014年04月29日)と放射能の人体への影響についての一般的な現段階での医学的な知見を述べているだけにすぎません。また、低線量の放射線と鼻血や倦怠感との因果関係については「原発事故前の鼻血や倦怠感に関する統計データと今を比べなければ、増えているのかどうかはなんとも言えません」が、「具体的な、そういう比較データは承知していない」のでわからないと述べているだけです(『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見、編集部の見解)。
 
さらに野口氏は「被曝が原因で鼻血が起こ」ったと言うのであれば、「他の部位の出血やその他の症状がないということは考えられません」とも述べています(同上)。すなわち、野口氏は、「他の部位の出血やその他の症状がない」以上、「被曝が原因で鼻血が起こ」ったとは医学的には考えられない、と言っているのです。いずれにしても「高線量被曝による急性障害に論理をすり替え」ているわけではありません。西尾氏の主張は言いがかりのたぐいだと言わなければならないでしょう。
 
第3。さらに西尾氏は上記の記者会見では「放射性物質が付着した微粒子が鼻腔内に入って低線量でも鼻血が出る現象はあり、医学的根拠がある」とも断定していますが、同じ問題について先日(5月14日)発表した「鼻血論争について」という論攷では以下のように述べていました。
 
「この鼻血については、次のように考えられます。(略)事故後の状態では、放射性浮遊塵による急性影響が真っ先に出ます。放射性浮遊塵を呼吸で取り込み、鼻腔、咽頭、気管、そして口腔粘膜も含めて広範囲に被ばくすることになりますから、最も静脈が集まっている脆弱な鼻中隔の前下端部のキーゼルバッハという部位から、影響を受けやすい子どもが出血することがあっても不思議ではありません。」
 
すなわち、西尾氏は左記の論攷では鼻血と放射線との因果関係について「影響を受けやすい子どもが出血することがあっても不思議ではありません」と鼻血と放射線との因果関係についてはあくまでも可能性の問題として言及していただけですが(だから私もその可能性はありえると思い、鼻血と放射線との因果関係について「合理的な解釈のひとつだと思います」と弊ブログにおいても肯定的に紹介していたのでもありますが)、今回の記者会見ではその「可能性」の問題としての指摘が「断定」に変貌しています。たった10日足らずの間にです。西尾氏の研究者としての誠実さを疑わねばなりません。
 
さらに西尾氏は先日の記者会見では、「鼻血は放射線のせいではないという結論を専門家が出した。とんでもない。がんの専門家もいないし、本当の意味での放射線の専門家もいない。放射線を治療している人も誰もいない」などとも述べています。すでに上記に見たとおり、「鼻血は放射線のせいではないという結論を専門家が出した」という断定自体が誤った事実認定と主張だといわなければなりませんが、自身が専門とする「がんの専門家」以外は「本当の意味での放射線の専門家もいない」などと言うのは思い上がりも甚だしい主張と言わなければならないでしょう。「放射線防護学」という学問もいうまでもなく放射線を専門とする学問です。それを「本当の意味での放射線の専門家もいない」などと「放射線防護学」の研究者を貶めるような発言をしてはばからない。この西尾氏という人、人間としてもおおいに問題あり、とも言っておかなければならないでしょう。
 
以下、ハフィントンポスト(2014年05月24日)の「美味しんぼ『鼻血ありえる。ストレスでは出ない』風評被害にもあたらないと専門家」という記事の転載。
 
美味しんぼ「鼻血ありえる。ストレスでは出ない」風評被害にもあたらないと専門家(The Huffington Post 2014年05月24日)
 
「美味しんぼ」で福島第一原発事故後の鼻血などが描かれたことをめぐり、専門家や健康被害を訴える当事者らが5月23日、参院議員会館で記者会見を開いた。会見で出席者らは、言論の自由のあり方や、鼻血と被ばくの因果関係などのテーマで意見を述べた。朝日新聞デジタルが報じた。
 
住民の自主的な甲状腺検査に協力してきた北海道がんセンターの西尾正道名誉院長は「高線量被曝(ひばく)による急性障害に論理をすり替え、鼻血(との因果関係)を否定する『専門家』がいる」と批判。「放射性物質が付着した微粒子が鼻腔(びくう)内に入って低線量でも鼻血が出る現象はあり、医学的根拠がある」と指摘した。
 
記者会見に電話で参加した福島県内の母親は「漫画全体を読み、福島への愛情を感じた。子どもに鼻血が出ても、話を聞く前から因果関係を否定するような人たちに私たちは本当のことは言わない。国の責任で鼻血を含めた健康調査をしてほしい」と訴えた。
朝日新聞デジタル『美味しんぼ「鼻血、医学的根拠ある」 専門家ら反論会見』より 2014/05/24 00時14分)

 
西尾氏は会見で、2011年7月から9月までの間に福島から札幌に検査にきた4000?5000人に接している際に、子供が鼻血を出しているという話を母親らから聞いたと述べた。
 
西尾氏はさらに、低線量被曝でも鼻血がでる現象はあり得るとしたうえで、「被ばくと鼻血は関係ない」「風評被害」とする政府を批判。鼻血は現在の状況が原因で起きているわけではないとして、風評被害には当たらないという考えを示した。
 
(西尾氏)「鼻血は放射線のせいではないという結論を専門家が出した。とんでもない。がんの専門家もいないし、本当の意味での放射線の専門家もいない。放射線を治療している人も誰もいない。
 
僕は3万人の患者さんを40年間治療して、日本一放射線の患者を扱った医者の一人です。放射線の光の部分もわかるし、影の部分もわかります。チェルノブイリの当時の新聞では、子供に体調異変が起こり大量の出血という報道もされている。なぜこのような事実を隠してまで、風評被害と言っているのか。
 
風評被害にはならないです。今起こっていることではないですから。甲状腺がんは内部被曝そのものでしょう。外部被曝ではないですよ。
 
鼻血はストレスによるものだともいわれていますが、鼻血というものは、ストレスでは出ない。メンタルケアの「いろは」もわかっていない。ストレスで鼻血が出たという報告は全くありません」
ツイキャス「FFTV5/23美味しんぼ記者会見」より 2014/05/23)
浅井基文さん(元外交官、政治学者)の「中国の国際情勢認識-ウクライナ問題における論点⑧-」です。浅井さんのウクライナ問題における論点⑥と⑦の紹介は省略しました。浅井さんの論を読んでいてわかったことですが、浅井さんがウクライナ問題を論じようとするときの論点の角度は「中国はウクライナ問題をどう見ているか」という角度からのもので、ウクライナ問題を「主権国家に対する内政不干渉原則」と「民族自決原則」という国際法上の二大原則との関連から捉えようとする世界の思想の潮流を知りたいという私の問題関心とはその問題関心のありようが異なることが明確になったことが大きいということがあります。
 
が、浅井さんの「ウクライナ問題における論点」は今回が最終回のようです。ということもありますが、ウクライナ問題を浅井さんはどう見ているのか。あるいはどう見ようとしているのか。その浅井さんの国際情勢と国際政治構造を認識しようとする思想(志向性・指向性)のありようが今回の論攷(前書き)を通じて総論として開陳されているように思います。そういう意味で今回も浅井さんのウクライナ問題に関する論攷をご紹介させていただこうと思います。長文ですので、前書き部分と目次のみのご紹介にとどめさせていただきます。本文は浅井さんのブログを開いてお読みください。

この「ウクライナ問題における論点」の最終回の文でも、やはり「他者感覚」と「丸山眞男」という浅井さんの論を読解するうえで見落とすことができない、見落としてはいけない重要なキーワードが2つ出てきます。浅井さんのいう「他者感覚」とはなにか。また、「丸山眞男」とはなにか。浅井さんの文章の中にその読解のヒントはあります。
 
中国の国際情勢認識-ウクライナ問題における論点⑧-
(浅井基文のページ 2014.05.25)
 
ウクライナ情勢の混迷は、①ウクライナを西側陣営に引き込もう(NATOの東方拡大)とするアメリカの戦略が原因であり、②ソ連解体後、米欧との関係改善を通じて復興・再建を図ってきたロシアはアメリカのこの戦略をロシア封じ込めと見なし、ウクライナを対西側緩衝帯として確保することを至上課題として反撃に出た結果である、というのが中国におけるコンセンサス的見方だと思います。そして、ウクライナ情勢が今後どのように展開していくかは国際政治構造そのものを左右するマグニテュードを持つものとして、また、それゆえに中国の改革開放戦略そのものにも影響を及ぼす重大な問題として認識されるのです。それはある意味において、米ソ冷戦及びソ連解体に匹敵する、あるいは米ソ冷戦及びソ連解体後の最大級の国際的大事件として中国では捉えられているということです。私は、中国メディアにおいて発表されてきた数多くの文章を読むことを通じて、国際情勢認識を深めることができたとつくづく感じています。
 
翻って、日本国内における受けとめ方を見るに、大事だという受けとめ方はあるにせよ、しょせんは野次馬的関心でしかないというのが正直なところではないでしょうか。せいぜい日本に引きつけてみることがあるとすれば、ロシアのクリミア併合の「暴挙」に対してなすすべがないオバマ政権の対応を見て、中国が尖閣に対して軍事力行使を強める可能性が高まってきたとする「中国脅威論」増幅、したがって集団的自衛権行使の主張正当化に利用するという低次元な「お話し」でしかありません。日本における国際情勢認識のレベルの低さを改めて痛感する次第です。  
 
これまで「ウクライナ問題における論点」として7回にわたって「コラム」で取り上げてきましたが、今回は第8回(最終回)として、ウクライナ問題が国際情勢、国際政治構造に対して及ぼす影響について論じている中国専門家の文章をいくつか紹介したいと思います(紹介するのはすべて要旨です)。私が皆さんに読みとっていただきたいと希望するポイントは2点あります。  
 
一つは、中国人の他者感覚の豊かさということです。ロシアを見るにせよ、アメリカを見るにせよ、相手(他者)の内側に入って、その内側から物事を見ることを心掛ける姿勢です。中国人研究者のなかにも他者感覚をわきまえないものは散見されますが、しかし自己中心主義、天動説が圧倒的に多い日本人と比べれば、中国人の物事に関する見方には学ぶべきものが多いことを分かっていただきたいのです。  
 
もう一つは、国際情勢認識、国際政治構造について考える際に、中国自身を国際情勢及び国際政治構造の一つの重要なファクターとして客観的に見るという視点が貫かれているということです。丸山眞男流に言えば自己内対話ということです。日本人にとっての現実は往々にして所与のもの(丸山眞男のいう「可能性の束」ではない)であり、したがってその現実に対しては「どのように対応するか」という発想しか生まれがたいのです。しかし、中国人にとっての現実はあくまで「働きかけてよりよい方向に向けて変えていくもの」なのです。そういう時に、中国自身をも可変的ファクターとして正確かつ客観的に位置づけることが不可欠になります。
 
 あまり長くなると、皆さんが読む気が起こらなくなるとは思ったのですが、以上の二つの点について理解と認識を深めていただくために敢えて紹介させていただきます。
 
1.米露関係ひいては国際政治構造の本質
 
(1) 紀明葵「ロシアのクリミア編入後の世界政治構造」(4月3日付中国網)
 *紀明葵は国防大学教授。
 
(2) 呉正龍「米露は「新冷戦」ではなく「冷平和」である」(4月9日付環球網)
 *呉正龍は元大使で、現在は中国国際問題研究基金シニア・リサーチャー。
 
(3) 李海東「米露「新冷戦」 中国は戦略的精神力を強化すべし」(5月2日付環球時報)
 *李海東は外交学院国際関係研究所教授。
 
2.アメリカ・オバマ政権の対外戦略
 
(1) 鮑盛剛「リバランスが困難なアメリカのグローバル戦略」(4月22日付共識網)
 *鮑盛剛については詳細不明。「共識網」は香港の雑誌『領導者』のウェブサイト。
 
(2) 董春岭「米露対局 オバマは手を打ち返すだけの力をまだ持っているか」(5月13日付人民日報海外版網)
 *董春岭は中国国際関係研究院中国现代国际关系研究院研究員補佐。
 
3.中国人の対プーチン感情と中国外交
 
(1) 王元豊「中国人の対プーチン感情」(5月24日付シンガポール聯合早報掲載。同日付環球網)
 *王元豊は北京交通大学教授。
 
(2) 王義桅「中国外交はロシアのように「スカッ」とはいかない」(4月23日付環球時報)
 *王義桅は中国人民大学EU研究センター主任兼国際関係学院教授。
 
4.中国外交のあり方
 
(1) 暁岸「「東西ともに緊張」という局面に沈着かつ積極的に対処しよう」(5月12日付中国網)
 *暁岸は中国政府系の中国網常連の国際問題コメンテーター。
 
(2) 劉志勤「新冷戦の影響及び甲午敗戦の真原因」(5月3日付環球網)
 *劉志勤は中国人民大学重陽金融研究所シニア・リサーチャー。
以下、kojitaken氏(「kojitakenの日記」主宰者)とZED氏(「Super Games Work Shop Entertainment」主宰者)のユニークで本質的な論2本をご紹介させていただこうと思います。ここでいうユニークとは世間一般の「見方」や「意見」とは必ずしも一致しない。世間一般の「見方」や「意見」に異を説える。世間一般の「見方」や「意見」を超えている。その意味でエクセレンス(秀逸)の意。だから、本質的、ということにもなります。ごちゃごちゃと言いましたが、要するに平たく言えば、ハッとさせられる意見、ということです。
 
ZED氏のコメントは一般の受け止め方としては「思っても見なかった」意見という意味で意表を突くものでしょう。「9条・護憲」を旗幟に掲げる人たちからの反発が予想されます。しかし、沖縄返還密約(非核三原則の沖縄への不適用)の日本側張本人の佐藤栄作(第61代、第62代、第63代総理大臣)すらも受賞した「ノーベル平和賞」はそもそも「平和賞」という名に値する賞なのか? ZED氏も指摘するように「オバマがノーベル賞を受賞して、アメリカは核放棄をしたのか? アメリカはその後も変わらず臨界前核実験を繰り返したし、リビアを侵略し、アメリカアフリカ軍(AFRICOM)をアフリカ各国に派兵して侵略行為を繰り返している」事実を事実としてありのまま顧みれば、ZED氏の指摘はしごくもっともな指摘と首肯するほかないものといえるでしょう。kojitaken氏のコメントは私にとっては「ユニーク」でもなんでもありません。これもしごくまっとうな指摘というべきです。
 
はじめにkojitaken氏の「『美味しんぼ』作者、ブログに『休載は決まっていた』」問題に関してのコメント。
 
「『美味しんぼ』作者、ブログに『休載は決まっていた』」(朝日)
(kojitakenの日記  2014-05-24 )
 
「美味しんぼ」作者、ブログに「休載は決まっていた」(朝日新聞 2014年5月23日)
 
人気漫画「美味しんぼ」(小学館)の東京電力福島第一原発事故に関する描写などが放射能リスクや表現の自由をめぐる議論を呼んだ問題で、作者の雁屋哲氏が22日、ブログを更新し、「休載は、去年から決まっていたことです」と説明した。
 
鼻血と被爆を関連づけた内容などに様々な見解が寄せられていることについて、「そのようなことに編集部が考慮して、『美味しんぼ』の休載を決めた訳ではありません」とし、外部からの意見の影響を否定した。
 
「熱心な愛読者の方から『圧力に負けないで勇気を持って書き続けて欲しい』というお便りを数多く頂きました」と紹介し、「ご心配頂いた読者の方には申し訳ないのですが、その段階で原稿は書き上げてあり、作画もできあがっていたので、圧力に負けようにも負けようがなかったのです」と強調した。
 
そのうえで休載理由について、「連載も長期化すると、原作者も、作画家も時に休みを取る必要があるのです」と説明 している。
 
雁屋哲の書いた通りであろう。というより、『美味しんぼ』の連載のあり方は、相当前からそのようなものだった。
 
この漫画は、『めぞん一刻』(高橋留美子)や『YAWARA!』(浦沢直樹)などが『ビッグコミック・スピリッツ』に連載されていた頃から、これらの作品に優るとも劣らない人気作だった。高橋留美子や浦沢直樹の作品は、数年しか続かなかったが、『美味しんぼ』は30年以上続いており、その間、原作者の雁屋哲や作画の花咲アキラは大儲けしたはずである。
 
とっくの昔に作者たちは「セミリタイア」状態になっており、漫画は休載が主で、たまに掲載されるという認識を私は持っていた。念のためにWikipediaを参照すると、
 
「2000年頃からは1年のうち大半を休むことが多くなっており、東日本大震災などの一つの主題を連続で描く時も途中休載することがあり、休載せずに完結することは少ない。」
 
と書かれている。
 
もはや「セレブ」に属するであろう作者たちの「予定の休載」に、得意の陰謀論敵(ママ)解釈を振りかざして大騒ぎする一部の「脱原発」派のていたらくには、開いた口がふさがらない。
 
次にZED氏の「韓非子に曰く」という論。ZED氏は「在日」の立場から日韓在住の同胞に呼びかける体でこの記事を書いていますが、もちろん日本人へのサジェスチョンとしても書いていることはいうまでもありません。さて、「韓非子に曰く」とはどういうことか? ZED氏は『韓非子』の中にある「守株待兔」という説話をアフォリズムとして引用しています。
 
「守株待兔」とは日本の童謡の言葉で言えば「待ちぼうけ」。「昔宋に農民がいた。彼の畑の隅に切り株があり、ある日そこにうさぎがぶつかり、首の骨を折って死んだ。獲物を持ち帰ってごちそうを食べた百姓は、それに味をしめ、次の日からは鍬を捨て、またうさぎがこないかと待っていたが、二度と来なかった。そのために作物は実らず、百姓は国の笑いものになった」という話(ウィキペディア『待ちぼうけ』)。
 
ZED氏は次のように指摘します。「憲法9条にノーベル賞が与えられたとて日本は軍拡化をやめはしないし、むしろそれを正当化の口実に悪用するだろう。日本とその国民達が酔い痴れている偽善と欺瞞を徹底的に引っぺがして対峙する事でしか、アジアの民衆が日本帝国主義と軍拡化を止める術はないのである」。同意です。私も同様の懸念を強く持っています。
 
韓非子に曰く(ZED 2014年05月23日)

待ちぼうけ
 
・「9条にノーベル賞を」に対する韓国側の駄目過ぎる絶望的な反応
 
日本の「憲法9条にノーベル賞を」という呆れた運動について韓国側の反応を色々と調べていたのだが、予想はしていたけれど惨憺たる例ばかりが目に付いた。保守派・進歩派問わずこれにまともに反対している人間を見た事がない。むしろ日本軍拡化のブレーキになって良い事だという意見が言われているくらいだ。その典型例が京郷新聞の論説委員である李鍾鐸が書いた以下のコラムである。この文の結論部分を訳して抜粋しておく。
 
日本国憲法9条(韓国語記事)
 
だがこの憲法9条が日本に大きな栄誉をもたらしてくれるかもしれないというニュースだ。日本のある主婦が憲法9条を守ろうというキャンペーン次元でノーベル委員会にノーベル平和賞候補に推薦したが、これが受け入れられたという話である。(中略)結果は未知数だが、今回の事で日本の軍国主義の動きにブレーキが掛けられるなら、それだけで意味があると思う。
 
ああ、この人は何も日本の実情が分かっていないんだなあと。それでこんなに呑気な事が平然と言えるのだなあと。古代中国で韓非子が指摘していたのはまさにこういう事例だったんだなあと。本当に京郷新聞は終わってんなあと。そんな事を思った。
 
「9条にノーベル賞」が与えられたら「日本の軍国主義の動きにブレーキ」が掛かるだって? そんな訳ねーだろ。ブレーキどころか、むしろ日本の軍国主義化をさらに助長させる結果になるだろう。オバマがノーベル賞を受賞して、アメリカは核放棄をしたのか? アメリカはその後も変わらず臨界前核実験を繰り返したし、リビアを侵略し、アメリカアフリカ軍(AFRICOM)をアフリカ各国に派兵して侵略行為を繰り返している。シリアにも軍事介入しようとした。仮に憲法9条にノーベル賞が与えられても、日本はアメリカと全く同じ事をしようとするだろう。これを奇貨として「9条を持った平和国家・日本が戦争なんかする訳ない。自分達の軍隊は平和の為なんだ。平和の為に自衛隊を派兵してるんだ」という正当化の口実をさらに前面に押し立てて軍拡化にはげむに決まっている。いわゆる「美しい誤解作戦 by 伊勢崎賢治」というやつだ。
 
思い出すが良い。旧大日本帝国が侵略戦争を始めた時に何と言ったか? 「大東亜共栄圏は東洋平和を保全する為だ by 豊川善曄」と。朝鮮半島の人間は「9条にノーベル賞」を「現代版大東亜共栄圏」と読み替えるべきなのである。
 
今の安倍政権が進めているのは解釈改憲、つまり憲法の文言はかえないまま「解釈」を変える事で軍拡化するという事なのだから、それにノーベル賞なんかやるのは解釈改憲に「お墨付き」を与えるに等しいという点に朝鮮半島の民衆は気付かねばならない。
 
日本で「9条にノーベル賞を」運動をしている連中というのは2種類に大別出来ると思う。第1は、本人自身は平和主義者としてこれがウルトラC級の秘策のつもりでいるが、それがどういう結果を生むかという深い予想や推察すら出来ない頭の悪い人達。つまり「無知の善意」を押し付けようとしている愚人で、この運動を始めた主婦などそれにぴったり当てはまるのではないか。第2は、それに便乗して悪用しようとしている悪意の確信犯だ。こちらの層は少なくとも前者のように馬鹿ではなく、自分らの私欲や政治的目的の為に計算ずくで動いている。この運動に賛同している学者や国会議員のような著名人層が該当するだろう。そもそもこれに賛同している「超党派の国会議員有志」に自民党の議員まで含まれている時点で疑いを持たねばならないはずだ。あんたらんとこの総理・総裁が進めてる政策と(表向き)矛盾してねえのか? だったらまずは離党してからそういう運動しろよ、という話だろう。そして、前者(愚人)の層の中のある人々は、ふとしたきっかけでいくらでも後者(確信犯)に鞍替えし得る。
 
いずれにせよ、韓国の人々はあまりに呑気過ぎる。こんなしょーもない運動に「日本の軍国主義の動きにブレーキ」を期待する事ほど愚かな事はない。韓非子の言う通り、これはまさにウサギが切り株に頭をぶつけてくれるのを待ち続けて笑いものになった農夫の姿そのものだ。憲法9条にノーベル賞が与えられる事で日本の軍拡化にストップが掛かるのを待ち続ける韓国の民衆は、後世間違いなく笑いものになるだろう。
 
守株待兔
株を守りて兎を待つ
 
と。
 
憲法9条にノーベル賞が与えられたとて日本は軍拡化をやめはしないし、むしろそれを正当化の口実に悪用するだろう。日本とその国民達が酔い痴れている偽善と欺瞞を徹底的に引っぺがして対峙する事でしか、アジアの民衆が日本帝国主義と軍拡化を止める術はないのである。
 
【追記】
上記の「9条に平和賞」の意見書をノルウェー大使館に出した超党派議員団60人のメンツが分かる方は、どなたかいらっしゃいませんか? というのも、聯合ニュースの韓国語版に変な事が書いてあったからです。
 
「自民党からは長島忠美衆院議員と金子恭之衆院議員ら2名が参加したと共同通信は伝えた」
 
え? 長島忠美と金子恭之だって? この二人は神道政治連盟だの日本会議だのとズブズブの関係な極右そのものの議員なんですけど…。ましてや金子はバリバリの改憲派で売ってる議員であり、「偽装戦術」だったとしてもこんな所に顔を出すとは考え難い。聯合ニュースの誤報の可能性が高いとは思いますが、他に確認出来るニュースソースもないので確信も出来ません。事実だったら事実だったで、この運動の欺瞞性を証明してくれる好例ではありますけど。まあ、韓国ではこんな変な話も出回って情報が錯綜しており、それだけ日本の事情が分かっていないという事を教えてくれる逆理でもありますが。
「レイバーネット日本」ブログの昨日の20付けに「美味しんぼ騒動:「ふくしま集団疎開裁判」が5/21に緊急記者会見と抗議行動」という記事が掲載されています。
 
その記事には次のように書かれています。
 
「「美味しんぼ」の表現に対し、福島県が表明した抗議文(略)に対し、本日(5月15日)、下記の4団体が抗議を福島県に申し入れました。/会津放射能情報センター/子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク/子どもたちの健康と未来を守るプロジェクト・郡山/ふくしま集団疎開裁判の会/しかし、その後も、「美味しんぼ」の表現に対する政府閣僚、政治家からの抗議、批判が相次ぎ、それを「王様の飼い犬」たち「鼻血、聞いたことない」などとヒステリックに報道しています。/「福島の真実」の可能性を持つ少数意見を、このように頭から根拠のない噂=風評として葬り去ろうとする排除の姿勢は、表現の自由に対する由々しい侵害であり、民主主義の基盤である「自由な言論と討論の広場」を破壊する言論の最悪の抑圧です。」
 
「ふくしま集団疎開裁判」ホームページの「「美味しんぼ」言論抑圧への抗議アクション~ご意見募集~」という記事にも同様の趣旨、同様の表現があります。
 
しかし、同記事が「『王様の飼い犬』」たち」と批判する「報道」はマスメディアの報道のことを指しているのでしょうが、たとえば下記の朝日新聞記事は「美味しんぼ」の鼻血描写問題について識者の否定と肯定の双方の意見を掲載し、福島県内の反応についても否定と肯定の双方の意見を掲載しています。他のマスメディアの報道もほぼ同様の報道姿勢で記事を書いているように見えます。
 
(時時刻刻)美味しんぼ、苦い後味 編集部見解「表現のあり方見直す」(朝日新聞 2014年5月18日)
 
それがどうして「『王様の飼い犬』たちが『鼻血、聞いたことない』などとヒステリックに報道して」いるなどということになるのでしょうか? メディアはもちろん「鼻血、聞いたことある」という人たちの見解も掲載しているのです。「ヒステリック」にウソを書き、騒ぎ立てているのは明らかに「『王様の飼い犬』たち」批判者の方だといわなければならないでしょう
 
また、この場合、「『王様の飼い犬』たち」というのは直接的には「報道」を指していますが、「美味しんぼ」のマンガ描写に批判的な人たちを総べて「『王様の飼い犬』たち」と皮肉り、批判していることも明瞭です。
 
しかし、「『王様の飼い犬』たち」と批判されている「美味しんぼ」のマンガ描写に批判的な人たちも「鼻血、聞いたことない」などと全否定しているわけではありません。
 
ビッグコミックスピリッツ25号(5月19日発売号)の「『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見、編集部の見解」に掲載されている13人の「有識者」のうち私が数えたところ7人の人がなんらかの形で「美味しんぼ」のマンガ描写に批判的な意見を述べていますが、「福島県内で被曝を原因とする鼻血が起こることは絶対にありません」ともっとも直截的に福島原発事故と鼻血の因果関係を否定している野口邦和・日本大学准教授さえ「『美味しんぼ』の作者が福島県に行って鼻血を出したことや疲労感のあったことまで否定するつもりはない」と述べています。誰も「鼻血、聞いたことない」などと言っているわけではありません。ここでも「ヒステリック」にウソを書き、騒ぎ立てているのは明らかに「『王様の飼い犬』たち」批判者の方だといわなければならないでしょう
 
それに「美味しんぼ」のマンガ描写に批判的な意見を持っている人たちの中には、たとえば安斎育郎・立命大学名誉教授や野口邦和・日本大学准教授などこれまで政府の原発推進政策や再稼働政策に反対してきたいわゆる民主陣営に属する人たちも少なくありません。それも長年にわたってです。その人たちまで十把一絡げに「『王様の飼い犬』たち」などと悪罵するのは失礼この上ないことだし、批判者たちの思い上がり、その傲慢、不遜も甚だしいものがあると指摘しておく必要もあるでしょう。
 
他者に対する敬意の欠如と自身の反省心の欠落した思い上がりで成り立つ他者批判とはなんでしょう? もちろん、そんなものは批判でもなんでもありません。「『王様の飼い犬』たち」批判者たちに共通する人間素養という意味での教養の欠落とやはり人間素養という意味での精神の荒廃だけを私はそこに強く見る思いがします。
 
以下に13人の「有識者」たちの「鼻血と放射能の因果関係」に関する意見のポイントを抜粋しておきます。そして、最後に安斎育郎・立命大学名誉教授の意見の全文を掲載しておきます。非常に目配りの利いた、また、配慮の行き届いた科学的知見に基づく識見というべきだろうというのが私の評価です。
 
福島原発事故と鼻血の因果関係に否定的な立場
安斎育郎・立命大学名誉教授
「今、こんなに疲れているのは、きっと福島に行ったせいだろう、などと考えることはよくあることです。そういうふうに思う方が多く現れることはあり得ると思います。が、これは原発事故によるものだと断じるようなものではないでしょう」
遠藤雄幸・川内村村長
「「鼻血」について、私個人の周りでは前双葉町長の井戸川正隆氏以外そうした症状を呈している方の見たり聞いたりしたことはありません」「情報に対しさまざまな受け止め方があることは承知していますが、信頼できる、信用できる情報の発信に努めています」
玄侑宗久・作家福聚寺住職
「これ(引用者注:放射線量の全国比較)をどう捉えるかは様々でしょうが、原発の近隣地区はともかく、福島県全体に人が住めない、などという話は、冷静さを欠いた感情論としか思えません」「作中の井戸川発言は、県内全域について一括りにしています。作中に採り上げた以上、それは井戸川氏の責任では済みません」
野口邦和・日本大学准教授
「福島県内で被曝を原因とする鼻血が起こることは絶対にありません」「『美味しんぼ』の作者が福島県に行って鼻血を出したことや疲労感のあったことまで否定するつもりはないですが、同じ症状の人びとが『大勢いる』とは到底信じられません」
蜂須賀禮子・大熊町商工会会長、事故調委員
「主人公の山岡さんは6回福島に入り、1回第一原発の中に入ったということですが、その程度の放射線量で鼻血が出るというのは、これはあり得ない話です」
山田真・医師
「『美味しんぼ』の中で鼻血が出るメカニズムを説明していますが、無理があるように思います。活性酸素が出来て細胞を傷つけるという放射線の作用はあり得ますが、それで鼻の粘膜細胞がやられて鼻血が出るというのは、科学的に疑問放射線が体内のDNAを傷つけることはありますが、粘膜や毛細血管を直接傷つけるという説明は無理がある。低線量被曝では、身体の表面の症状は出てこないでしょう」
青木理・ジャーナリスト
「鼻血のシーンはショッキングだったし、作者もある程度の反響は想定していたのではないでしょうか。ただ、ここまで批判的に取り上げるのはずいぶんと〝過剰〟で問題が多いように思います」
 
福島原発事故と鼻血の因果関係に肯定的、あるいは必ずしも否定しないという立場
小出裕章・京都大学原子炉実験所
「『鼻血』が出ることについては、現在までの科学的な知見では立証できないと思います。ただし、現在までの科学的な知見では立証できないことであっても、可能性がないとは言えません」
崎山比早子・事故調委員。元放射性医学総合研究所
「私は臨床医ではないので経験がなく、低線量被曝が鼻血の原因になるのか否かということについてはわかりません」
津田敏秀・岡山大学教授
「チェルノブイリでも福島でも鼻血の訴えは多いことが知られています。(雁屋さんが)実際に対面した人が『鼻血を出した』わけですから、それを描くのは問題ないと思います」「『低線量放射線との因果関係をデータとして証明しないかぎり、そのような印象に導く表現をすべきではない』という批判が多いとのことですが、『因果関係がある』という証明はあっても、『因果関係がない』という証明はされていません」
野呂美加・チェルノブイリへのかけはし代表
適切で大規模な疫学調査をしなければ、鼻血の否定はできないと思います。低線量被曝で鼻血が出ること、それはチェルノブイリでは日常です」
肥田舜太郎・医師
「鼻血や下痢、疲労感には、放射線の影響が考えられます」「外部被ばくでも内部被ばくでも、何ベクレルまでなら大丈夫、というような基準は絶対にない」
矢ケ崎克馬・琉球大学名誉教授
「放射線が鼻粘膜に当たれば、粘膜で分子切断が起こる。放射線が沢山当たると、鼻血が出る。原発事故後、関東圏で多くの子供が鼻血を出したと伝わっています」
 
福島原発事故と鼻血の因果関係に関する安斎育郎・立命大学名誉教授(放射線防護学)の意見(全文)
 
鼻血や倦怠感については、福島のほうでそうした症状を心配している方がいるという話は伝わってきています。そして、それが放射線によるものかの議論がある。ただ、原発事故前の鼻血や倦怠感に関する統計データと今を比べなければ、増えているのかどうかはなんとも言えません。具体的な、そういう比較データは承知していない。
 
こうした症状は『後付けバイアス』によって出ることが知られています。これは心理学用語で、鼻血が出た、疲れたという症状が出た場合、福島で放射線を浴びたからではないかと考える。今、こんなに疲れているのは、きっと福島に行ったせいだろう、などと考えることはよくあることです。そういうふうに思う方が多く現れることはあり得ると思います。が、これは原発事故によるものだと断じるようなものではないでしょう。
 
放射線の影響が、人々にどういう影響を与えるのか。それは、4つのカテゴリーに分けて考えるべきでしょう。①身体的影響、②遺伝的影響、③心理的影響、④社会的影響です。
 
このうち、社会的影響というのは、福島に対する差別や偏見、風評被害もそうですし、避難していた人が、これまでかかっていたお医者さんに通えなくなったり、衛生面の変化や集団生活など環境の変化によっておこるストレスや不眠、食欲不振に陥ったりして死期を早めたりするのもそう。最近では、福島県では原発関連死が震災による直接の死者を超えていますが、これもこの社会的影響によるものです。
 
心理的影響については、多くの方々は放射線は浴びないに越したことはないということを知っているので、何かあると福島のせいではないかと考えてしまう。放射線量が通常より高いと知った際に、そういう感じ方をする。さきほど触れた、後付けバイアスもそうです。鼻血が出ると放射線のせいではないかと考えてしまう。何かが起きたら、放射線と関連付ける。さらに進むと、福島県で採れた食材は、汚染の実態と関係なく「『食べないほうがいい」と感じる。
 
が、今回の『美味しんぼ』の件を検証する場合には、①②に該当するか否かということになります。これは放射線医学とか放射線影響学といった科学のジャンルによるものです。
 
結論的に言えば、もちろん個人差もありますが、1シーベルトを超えなければ倦怠感は現れないと考えていいでしょう。毎時ではなく、一度に1シーベルトを浴びた場合です。目安としての、1シーベルトです。1シーベルトは、1000ミリシーベルトであり、100万マイクロシーベルトです。この線量を浴びた人が倦怠感を感じた場合は、放射線との因果関係を疑って構いません。もちろん、倦怠感は従事した労働の強度にも依存しますし、人によって放射線の感受性は違います。もっと低いレベルで倦怠感や吐き気が出る人もいれば、もっと高くないと症状が現れない人もいる。数百ミリシーベルトから1シーベルトの範囲で起こると考えればいいでしょう。目安としての1シーベルトと言えます。
 
今回の『美味しんぼ』では福島第一原発を見学した際に、「1時間当たり1680マイクロシーベルト」とありますが、1時間そこにいたわけでもないし、1シーベルトよりもはるかに低い被ばくでしょう。
 
私自身、毎月福島に行って放射能調査をしています。保育園児や幼稚園児の通園路や散歩道の線量を測り、ホットスポットを見立てて、どうすればいいか提案する活動をしています。南相馬や飯館、川俣、福島市、二本松、本宮、いわき、郡山などに行っています。その地域にべらぼうに高い被ばくをしている人はいません。もちろん、倦怠感、鼻血の症状が被ばくとの因果関係を示唆するような仕方で出ているとは承知していません。
 
また、私は事故の5週間後の2011年4月16日、浜通り沿いに北上し8時間ほど、汚染土の採取や空間線量率分布の測定調査を行いました。それでも被ばく線量は22マイクロシーベルトでした。事故直後でもこのくらいでした。
 
原発を見学した方も、短時間でしょうから、僕よりも浴びている線量は低いはずでしょう。10~20マイクロシーベルトというレベルかなと思います。その数値なら、これまで言われてきた放射線影響学から言えば、倦怠感が残ったり、それが原因で鼻粘膜がやられて鼻血が出るようなことは考えにくい。漫画によれば、鼻をかむと小さな血痕があったと書いているから、そんな大げさではないかもしれないけれど。
 
相対的に汚染が高かったという原発から60km圏の福島市渡利地区の調査も行いました。渡利地区の保育園の園児90人、保育者20人、そして希望される保護者の方の外部被ばく線量を継続実施調査した。積算線量計というのを配った。行政はガラスバッジというのを使いましたが、僕はクイクセルバッジという似た原理のものを使った。寝る時も近くに置いてもらって毎月ごとに測定し1年間測ってもらったんですが、今の状況だと渡利地区で保育園生活をしている人の被ばくは、1年間で0.2ミリシーベルトいかないぐらいなんですよ。よって、1000ミリシーベルト(1シーベルト)には程遠い。渡利地区にも、鼻血や疲れが抜けないという話は確かにあったが、放射線防護学的に見れば、放射線が直接身体に影響したのではなく、心理的な影響が大きかったのだと思います。
 
率直に申し上げれば、『美味しんぼ』で取り上げられた内容は、的が外れていると思います。今回の事故を受けてやらねばならないのは、まずは原発事故で何が起きたかの解明、汚染水漏れ対策、50年かかると言われる廃炉の方法やそのための労働力の確保、そして10万年かかると言われる高レベル放射性廃棄物処理の問題。なのに原発再稼働や輸出という話が出ている。そうした問題はぜひ、取り組まねばならないと思います。
 
そして、これはお願いになりますが、200万人の福島県民の将来への生きる力を削ぐようなことはしてほしくない。僕自身、わが故郷でもある福島の人々をサポートしていくつもりです。被ばくをできるだけ少なくするにはどうしたらいいかと。そういうことからすると、鼻血や倦怠感といった後付けバイアスの可能性が強い部分を強調されるのは状況錯誤だと思います。放射線医学の実態も反映していない。心理的な影響としてはあり得ますが、果たしてその問題が今のメインなのか。それよりも、18歳以下の甲状腺がんの可能性の問題など、取り組まねばならない問題はたくさんある。そういうことを明らかにすることのほうが必要だと思います
 
結局、日本人の放射線リテラシーが低すぎるという問題があるでしょう。放射線に関する知識、情報を読み解いて、その危険度がどのくらいかを理解する基本的素養をまったく学校教育その他でつけてこなかった。そのため「放射線を大量に出した原発事故がある福島」と聞いただけでいろんな影響が起きてくることはある。巨大なストレスが生じるような状態になっている。家を放棄して他県に移る人もいるぐらいだから。
 
もちろん心理的バイアスだとしても、それに対してはきちっと対応しなければいけないことです。が、これがメインの問題かと言われると、それどころじゃない、もっと重大な問題がある、というのが私の意見です。また、福島の200万人の方が希望を紡ぐような内容を次は書いてほしいと希望します。
 
なお、放射線と鼻血に関しては、具体的なデータは承知していません。倦怠感に関しては研究はあるが、鼻血については知らない。ただ、放射線を浴びると皮膚がやられるのは事実ですから、粘膜が破れれば鼻血が出るわけで、それは皮膚に影響が出るのと同じですから、一定以上の放射線量を浴びると鼻血が出ることはあるでしょう(引用者注:被ばくと鼻血の因果関係について「出る可能性」に言及した私がこれまで読んだものの中でもっとも説得力を感じた牧野淳一郎さん(理化学研究所、東工大大学院教授・天文学)の問題提起と比較しても安斎教授の所論はその問題提起にもよく応ええているようにも思います)。
 
あくまで目安ですが、1シーベルトで倦怠感が出て、3シーベルトで脱毛現象が起こる。5シーベルトで皮膚に赤い斑点。7シーベルトでやけどをします。8シーベルトでは火ぶくれ、ただれが出る。全身に浴びたら、1か月で亡くなる。10シーベルトで潰瘍ができる。イリジウム192という放射性物質を拾ってポケットに入れた人が、尻に潰瘍ができたということもあった。潰瘍が出るのはそのくらい極端なケースでないと起きません。
藤原新也さんが「時代風景の中における片山祐輔について考えてみる」(Shinya talk 2014年5月21日付)という記事を書いています。とても共感しました(特に「13年前のある日の夕刻」の「時代風景」の話)ので以下に転載させていただこうと思います。
 
その前に片山祐輔被告人弁護人の佐藤博史弁護士の昨日の記者会見での言葉をご紹介しておきたいと思います。ビデオニュース・ドットコム(神保哲生代表)のブログ(2014年05月20日)から。この佐藤弁護士の言葉にも胸を打たれました(前日の記者会見での佐藤弁護士の「レイバーネット」云々の言葉には批判もあるのですが)。
 
「片山氏から申し訳ありませんと言われたが、裏切られたという否定的な感情は沸かなかった。私たちを解任して国選の弁護人にしたいと言っていたが、私は見捨てたりはしないと伝えた」
 
「これは弁護士をしていれば必ず起きること。それで被疑者を非難するようでは弁護する資格はない」
 
時代風景の中における片山祐輔について考えてみる
(藤原新也 2014/05/21)
 
皇居にロケット砲を撃ち込んで(省略)を始末する地下鉄霞が関駅でサリン散布する(省略)裁判官と(省略)弁護士と(省略)検事 を上九一色村製AK47で射殺する(省略)病院爆破する(省略)小学校で小女子喰う(省略)を去勢して天皇制断絶(省略)の閉経マンkにVXガス注射してポアする(省略)店に牛五十頭突っ込ます(省略)will be killed just like her father.今度の土日、桜田門前で皇居ランナーを辻斬りする。邪魔な皇居ランナーを桜田門前で無差別殺人します。刃渡り30センチのナイフで斬りまくります。あと天皇もぶっ殺す。警官も殺します。よろしくお願いします。下賤で汚らわしいクソゴキブリのドエッタどもは1秒でも早く死ね!滅びろ!呪われた屠殺者の末裔どもめ。お前らは日本社会の、アジアの、世界の、宇宙の迷惑害虫だからさっさと殺してやるよ。入船のお前ら糞虫の巣を爆破してやる。爆発と同時に硫化水素が発生する爆弾だ。一匹残らず死ね!!!
 
片山祐輔が小保方銃蔵の名前でマスコミ各所に送りつけた「私が真犯人」メールを彼自身が書いたとわかった今、その長いメールの中の部分は、かりに偽悪気取りで書いたにしろ、そこには片山祐輔というあの温厚な表情の青年の心の裏に眠る時代風景が見えるようでもある。
 
神戸連続児童殺傷事件( 酒鬼薔薇聖斗事件 ) 。
 
西鉄バスジャック事件 。
 
岡山金属バット母親殺害事件。
 
秋葉原通り魔事件。
 
取手駅通り魔事件。
 
そしてこのトークでも取り上げた名古屋駅の交差点の歩道で歩行者13人をはねた大野木亮太。
 
いずれも昭和57年(82年)生まれである。
 
この年代は小学校入学時はバブル全盛、 小学校上学年から中学校に入学に至る多感な時期に阪神淡路大震災、オウム事件 といった世間を震撼させる大事件に直面している。
 
学年が上になればなる程、景気が悪化。失われた10年と言われる時代に 小学校・中学校・高校時代を過ごし、青年になってからはワーキングプアの坩堝に投げ入れられる。
 
当然この年代には立派な青年もいるわけだが、上記の怨念に満ちたメールを読むと秋葉原事件の加藤智大や名古屋の大野木亮太など同様、現代の奴隷制度の中から立ち現れたモンスターという側面もあるように感じる。
 
文面の中に彼が少年時代に経験したオウム真理教事件も色濃く反映しているように、そういった時代風景を背負った年代の青年が道を誤るか正道を歩むかは、ある意味で個人的ななんらかの分岐点があるのだろう。
 
そういった観点からすでに昨年のトークで彼にまつわる感想をしたためているので再録したい。
 
 
遠隔操作ウイルス事件。
 
片山祐輔容疑者(30)は無類の猫好きだったらしい。
 
この案件、Cat Walkと関係あるようなないような。
 
メンバーの皆さんの中には鼻をつまれる人も居るかもしれないが、私は彼をCat Walkのメンバーに入れてもよい、と思った。
 
いくつかの情報を繋ぎ合わせるに、小学時代から今まで彼は世間から疎外された人生を送って来たようだ。
 
そういった人間が何らかの事件を起す。
 
昔からよくあるパターンである。
 
江ノ島の猫につけた首輪に仕込んだそのチップの中にも自分の人生があることで大きく軌道修正されたという恨みのようなものが書かれているらしい。
 
そんな彼の人生とその風貌を窺いながら13年前のある日の夕刻、渋谷ハチ公前広場での胸の悪くなるような小さな出来事を思い出す。
 
私のそばにいる4人の女子高生が雑踏の向こうを指をさしながら笑いころげていた。
 
何事かと、その指さす方を見ると5、6メートル離れた雑踏の向こうに同じ年代と思える一人の私服の少年がいた。
 
私はてっきり、女子高生とその少年は知り合いだと思ったのだが、どうも様子がおかしい。
 
指さされた少年は女子から干渉されたことに一旦ははにかんだ表情を見せるのだが、それはやがて青ざめた真顔へと変わる。
 
女子高生が口々に大きな声で仲間と顔を見合わせながら「キモーい!」と言ったのだ。
  
どうやら少年と女子高生は赤の他人のようだ。
 
少年は小太りでちょっとオタクっぽかったが、私には別段指をさされるほと変わった人間には見えなかった。
 
だがこういった年代には独特の嗅覚というものがあり、その嗅覚の投網に引っかかったということかも知れない。
 
少年は青ざめた表情で身を隠すように雑踏の向こうに消えた。
 
残酷な情景だった。
 
私は「てめえの方がキモいだろう、帰ってちゃんと鏡を見ろ!」と毒づいた。
 
女子高生は私に何かされると思ったのか、口々に奇声を上げながら交差点の向こうに走って行った。
 
 
思うに逆算すると片山容疑者はあの八公前の少年とほぼ同じ年齢である。
 
30歳にしてすでに頭は薄く、その面がまえも中年のように見受けられる彼が、その30年の年月の中で(あの女子高生が見せたような)数々の残酷な排除の仕打ちを経験したであろうことは想像に難くない。
 
だから他人のパソコンから逮捕に至るような危険な暴言を世間に撒き散らしてもよいということにはならないのは自明だが、世間から排除されてきた彼には、その痛みをすくいとる何らかの装置があったなら少しは健全な精神を回復できたのではないかと思ったのだ。
 
彼がCat Walkのメンバーであったなら、と思った所以である。
 
野良猫に餌をやったりする行動、そして猫カフェで猫を抱く彼の表情を見るに、彼は基本的には優しい男なのだろうと思う。
 
話は飛ぶが、それにしても、ネットで人を殺せ、殺す、と書き込むと逮捕に至るわけだが、街頭でそのようなプラカードを持って練り歩くぶんには逮捕されないというこの差異は何か。
 
昨今多国籍化している新大久保で「在特会」なる集団が頻繁にデモを行い、「善い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」「朝鮮人 首吊レ毒飲メ飛ビ降リロ」などと書い
たプラカードを掲げてねり歩いている。
 
こういった基本的人権を抹殺するような言葉の暴走を見逃す公安とは何か。
 
普通ネットでの言葉より、現実空間における言葉の方がダイレクトに人を傷つけると思うのだが。
 
そして遠隔操作ウイルス事件とこの案件はまったく無縁とも言えない。
 
これほど毒のある言葉を編み出すということは「在特会」なる面々もまた、その過去の生活の中で”排除”された経験があるということは考えられることである。
 
人はされたことを仕返すものである。
マンガ「美味しんぼ」鼻血描写問題に関連して「鼻血」に放射能事故の影響はあるのか、ないのか。行政、研究者、評論家などそれぞれの立場からの意見表明と議論が続いています。「鼻血は出る可能性はある」とする肯定派と「鼻血が出る可能性はない」とする否定派のそれぞれの意見をまとめてみました。もちろん「熱く」てもよいのですが、ことは「医学」という科学の問題ですから、客観的で科学的な議論こそが「福島」のいまと今後のためにも望まれます。
 
以下、「鼻血」はあるのか、ないのか。行政、国際機関・学術機関、大学・研究者・医師、識者・評論家、市民の意見まとめ。
 
放射能と鼻血の因果関係「ない」という立場
行政
小学館発行『スピリッツ』の『美味しんぼ』(第604話)に関する抗議について(福島県双葉町 2014年5月7日)
「週刊ビッグコミックスピリッツ」4月28日及び5月12日発売号における「美味しんぼ」について(福島県 2014年5月7日)
放射性物質対策に関する不安の声について(環境省環境保健部 平成26年5月8日 )
週刊ビッグコミックスピリッツ『美味しんぼ』に関する抗議文(大阪府知事 松井一郎 大阪市長 橋下徹 2014年5月12日)
 
国際機関・学術機関
福島での被ばくによるがんの増加は予想されない(UNSCER 原子放射線の影響に関する国連科学委員会 2014年4月7日)
放射線の免疫系に及ぼす影響(放射線影響研究所)
 
大学・研究者・医師
野口邦和日本大准教授(放射線防護学)(毎日新聞 2014年04月29日)
安斎育郎立命館大名誉教授(放射線防護学)(毎日新聞 2014年04月29日)
高村昇長崎大教授(福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)(福島民報
2014/05/04)
水分子が放射線で切断されて過酸化水素になって, 鼻血の原因になるのは本当か??!!(五本木クリニック院長ブログ 2014年5月12日)
鼻血漫画をバネにして進めるべきこと(東京大医科研医師(血液内科) 坪倉正治 2014年5月13日)
細井義夫東北大教授(放射線医学)(朝日新聞 2014年5月18日)
 
識者・評論家
「美味しんぼ問題」に関して福島県出身者として思うこと(広島県広島市の弁護士 石森雄一郎 2014.04.29)
放射能デマ拡散者への責任追及を--美味しんぼ「鼻血」騒動から考える(アゴラ 石井孝明 2014年05月08日)
蜂須賀礼子さん(元東電福島原発国会事故調査委員)(朝日新聞 2014年5月18日)
 
市民
双葉町からいわき市の仮設住宅に避難する直売所経営松本正道さん(50)(福島民友 2014年4月30日)
「美味しんぼ」言及の「がれき処理焼却場近くに住む1000人」の住まいはどこだろうか(Yahoo!ニュース 不破雷蔵 2014年5月12日)
休載決定『美味しんぼ』がれきデマ確定(vanacoralの日記 2014-05-16)
 
放射能と鼻血の因果関係「ある」という立場
大学・研究者・医師
双葉町等を対象にした疫学調査の中間報告で鼻血等が有為に増加(岡山大学、広島大学、熊本学園大学)
牧野淳一郎さん(理化学研究所、東工大大学院教授・天文学)のtwitter(2014年5月13日)
・鼻血論争について(→PDF原文同添付別紙)(北海道がんセンター名誉院長 西尾正道 2014年5月14日)
水俣学の視点からみた福島原発事故と津波による環境汚染(中地重晴 熊本学園大学社会福祉学部教授)
「美味しんぼ」に登場する松井英介医師の声明と提言(明日うらしま 2014年5月15日)
津田敏秀岡山大教授(疫学)(朝日新聞 2014年5月18日)
 
識者・評論家
「美味しんぼ」と風評被害について(弁護士中村和雄のオフィシャルブログ
2014.05.12 )
チェルノブイリでは避難民の5人に1人が鼻血を訴えた 2万5564人のアンケート調査で判明(広河隆一 2014年5月13日)

その他(以下は、朝日新聞2014年5月18日付けより)
大学・研究者・医師
・山田真医師(小児科):「不安の中で生きている人が、『放射線のせいじゃないか』と思うのも当然」「低線量被曝の影響はわからないことが多い。将来のためにいろいろな症状を記録していく必要がある」
・木田光一医師(いわき市):「健康状態を被曝と被曝以外の影響に分けて考えるのは難しい。被曝との関係は問わず、医療支援を充実させるべきだ」

識者・評論家
・玄侑宗久さん(作家):「登場する『四人の鼻血の一致』は信じますが、それだけで福島県全域を危険と見做(な)し、出て行くことも支援するという考え方は、福島の複雑な状況を更に混乱させるもの」
・藤本由香里明治大教授:「地元からの抗議は当然だが、閣僚らが一斉に遺憾の意を示したことに不安を覚える。国が漫画表現に対して介入する余地を残したのでは」
・佐々木俊尚さん(ジャーナリスト)「科学的には、(低線量被曝による鼻血は)あり得ないという知見が積み重ねられている。だが、子供が鼻血を出す経験をしたお母さんは不安だ。社会は不安に思う人がいることを引き受けなければ。作品を『非科学的』と断罪しても不安は消えない。政府などは、不安を和らげる努力を延々と続けるべきだ」

市民
・福島市の旅館で働く男性(60):「あれを読めば福島の温泉に行こうと思わなくなる」
・野崎哲県漁業協同組合連合会会長:「福島で生計を立てる我々はどうすればいいのか」
・福島県いわき市で子育て中の女性(45):「行政は『大丈夫だ』と説得するばかり。それに反することを言うと邪魔だと言われる状況が悲しい」
・菅野典雄飯舘村村長「ちょっと衝撃的だったが、日本全体で勉強する機会になれば」

*参考1:「1学期間に鼻血を出す子が多かった」報告
・福島県伊達市保原小学校の『保健だより』(2011年7月30日)
 
*参考2:放射能デマを拡散する人たち
これは本物の危ない人のようです。川根眞也氏(錯乱某無臭のブログ 2012-07-01)
「木下黄太のネットカルト」を考えます(「木下黄太のネットカルト」を考えます 2014/01/15)

追記:
『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見、編集部の見解(ビッグコミックスピリッツ編集部)
『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見、編集部の見解 [pdfファイル/約2MB]
※この記事は、弊誌25号(5月19日発売号)に掲載された記事と同一です。
昨日5月15日の安倍首相の政府として「集団的自衛権」容認の閣議決定に踏み切ることを明確にした記者会見。多くのメディアと人が抗議と批判の声をあげています。
 
はじめに昨日の安倍首相の日本が「立憲国家」であることを否定する狂気の沙汰というほかない記者会見を「承」けて(という表現が正しいのかどうか)、8月2日に宮城県で講演する予定になっていた自身の講演会を中止することにした辺見庸の否定の弁をご紹介します。
 
「すべてはわかっている。言うまでもない。……小さな、笑うべきひとことに世界がある」。からだが攣っている。8月2日の講演を中止することにした。主催者に電話でお詫びした。ひどい日だ。さやかに見えたものが、けふは曖昧な腰つきになり、どろっとくぐもっている。じぶんには責任がないとだれもがおもっている。」(辺見庸「日録17」2014/05/15)
 
「じぶんには責任がないとだれもがおもっている」 とは、どういう事態を指しているのか? 以下は前日の「日録」の言葉。
 
憲法第9条がいよいよますます死文化させられる。政権は憲法第9条を笑いものにしている。土足で蹴飛ばしてヘラヘラ笑っている。断念どころではない。飄逸どころではない。「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる。/テーマは改憲問題」(丸山眞男『自己内対話』[1956年の手帖より])。これも、もう過去形で語られなければならない。これまでいくたび引用してきたことか。引用のたびごとに、警告が重みをなくしていった。転向、知識人、新聞記者、ジャーナリスト……という言葉は、すでに、なにごとも意味しなくなった。」(辺見庸「日録17」2014/05/14)
 
……の中には「私」も入っているでしょう。「だれもが」とあるのだから。その「私」が識閾の下で「じぶんには責任がない」と思っている、というのであれば、私たちは「根もとからくつがえす視力」を持つほかのすべはない。
 
やはり前日の辺見の「日録」には次のようにあります。
 
自明とされ、だれもがよく見なれた現象=〈いま〉を、根もとからくつがえす視力なしに、集団的自衛権行使容認のプロセスを断つことはできない。自明とされ、よく見なれた現象とは、よくよくかんがえれば、〈わたし〉じしんでもあり、それぞれが〈わたし〉を転覆する持続的意思なしには、この流れを阻むのはむずかしいだろう。多くの者は、このうごきに、ほとんどあらがわずして諦め、予め断念している石原吉郎もよくつかった「断念」は、だが、おもえばずいぶん怪しい言葉じゃないか。「断念」は、抵抗よりも、この国の湿度に受けいれられやすい。そうこうするうちにも、新たな戦前がきている。新たとはいっても、「総力戦」が戦われた1940年代への過程とどこか相似する点でも、「現在の戦前」は、ひょっとしたら、「かつての戦前」から連綿とつづいている川の眺めではないかとさえおもう。断絶はあるようでいて、結局、なにもなかったのだ。憲法第9条がますます死文化させられる。政権は憲法第9条を笑いものにしている。土足で蹴飛ばしている。断念どころではない。飄逸どころではない。(辺見庸「日録17」2014/05/14)
 
次は琉球大学名誉教授の高嶋伸欣さんの言葉。やはり15日付け。
承前

以下の北海道がんセンター名誉院長の西尾正道さんの論も福島県内における「鼻血が放射線被ばくによるものであることを否定」する放射線の専門家の見解の早計を指摘する合理的な解釈(反駁)のひとつだと思います。おおむね肯定できます。ここで「おおむね」とエクスキューズを入れているのは、西尾氏が放射線の専門家のすべてを「御用学者達」と速断しているところがあるからです。本エントリでも引用している安斎育郎立命館大名誉教授や野口邦和日本大准教授はいわゆる民主陣営の人であり、その人たちまで「御用学者達」と十把一絡げに論難するのは正しい態度とはいえないでしょう。また、この西尾氏の論をブログで紹介しているのが飯田哲也氏であるということにも私には違和感があります。安斎育郎さんと野口邦和さんがそれぞれいわゆる民主陣営の人であることについてはこちらこちらをご参照ください。また、私の飯田哲也氏に対して違和感が生じるところの一例はこちらをご参照ください。

さらにもう一点。私には広河隆一さんのチェルノブイリ「報告」にも留保しておきたい点があります。一般にある統計調査の有意性を確保するためには、その調査が同一条件のもとでの他地域での統計調査と比較できるものでなければならないでしょう。広河隆一さんの「報告」にはチェルノブイリとモスクワ一か所との比較はありますがモスクワはチェルノブイリと同じロシア圏ですから他の地域との比較とみなすことはできないでしょう。広河隆一さんの「報告」にはそうした統計調査上の方法論についての留保が私にはあります。
 
鼻血論争について
(北海道がんセンター名誉院長 西尾正道 2014年5月14日)

巷では、今更になって鼻血論争が始まっている。事故後は鼻血を出す子どもが多かったので、現実には勝てないので御用学者は沈黙していたが、急性期の影響がおさまって鼻血を出す人が少なくなったことから、鼻腔を診察したこともない放射線の専門家と称する御用学者達は政府や行政も巻き込んで、放射線の影響を全否定する発言をしている
 
しかし、こうしたまだ解明されていない症状については、根源的に物事を考えられない頭脳の持ち主達には、ICRPの基準では理解できないのです。ICRPの論理からいえば、シーベルト単位の被ばくでなければ血液毒性としての血小板減少が生じないので鼻血は出ないという訳です。
 
しかしこの場合は、鼻血どころではなく、紫斑も出るし、消化管出血も脳出血なども起こります。しかし現実に血小板減少が無くても、事故直後は鼻血を出したことがない多くの子どもが鼻血を経験しました。伊達市の保原小学校の『保健だより』には、『1学期間に保健室で気になったことが2つあります。1つ目は鼻血を出す子が多かったこと。・・・』と通知されています。またDAYS JAPANの広河隆一氏は、チェルノブイリでの2万5千人以上のアンケート調査で、避難民の5人に1人が鼻血を訴えたと報告しています。こうした厳然たる事実があるのです。
 
この鼻血については、次のように考えられます。通常は原子や分子は何らかの物質と電子対として結合し存在しています。セシウムやヨウ素も例外ではなく、呼吸で吸い込む場合は、塵などと付着して吸い込まれます。このような状態となれば放射化した微粒子のような状態となり、湿潤している粘膜に付着して放射線を出すことになります。そのため一瞬突き抜けるだけの外部被ばくとは異なり、準内部被ばく的な被ばくとなるのです。
 
微量な放射線量でも極限で考えると、原子の周りの軌道電子を叩きだし電離を起こします。この範囲が広範であれば、より影響は強く出ます。被ばく線量もさることながら、被ばくした面積や体積がもろに人体影響に関与します。
 
事故後の状態では、放射性浮遊塵による急性影響が真っ先に出ます。放射性浮遊塵を呼吸で取り込み、鼻腔、咽頭、気管、そして口腔粘膜も含めて広範囲に被ばくすることになりますから、最も静脈が集まっている脆弱な鼻中隔の前下端部のキーゼルバッハという部位から、影響を受けやすい子どもが出血することがあっても不思議ではありません
 
また咽が痛いという症状もこうした機序によるものです。この程度の刺激の場合は粘膜が発赤したりする状態にはならず、診察しても粘膜の色調変化は認められないが、粘膜の易刺激性が高まるため、広範な口腔・咽頭粘膜が被ばくした場合は軽度の痛みやしみる感じを自覚する訳です。
 
受けた刺激を無視し、採血や肉眼的な粘膜炎所見などの明らかな異常がなければ、放射線が原因ではないとして刺激の実態をブラックボックス化するICRPの盲信者は科学者としては失格です。ICRPの健康被害物語では現実に起こっている被ばくによる全身倦怠感や体調不良などのいわゆる「ぶらぶら病」も説明できません。そのため何の研究や調査もせずに、精神的・心理的な問題として片付けようとする訳です。今後、生じると思われる多くの非がん性疾患についても否定することでしょう。鼻血論争は、未解明なものは全て非科学的として退け、自分たちの都合のよい内容だけを科学的と称する非科学的なICRP信奉者の発言の始まりでしかないと思います。
私は標題のエントリでこれまでの2回()放射線・放射線医学の専門家と双葉町、福島県、国(環境省)のマンガ「美味(おい)しんぼ」の鼻血描写問題に関する否定的な意見をある意味肯定的に紹介してきました。そこで紹介した放射能被ばくが「免疫系に及ぼす影響」についての行政と放射線の専門家の意見は以下のようなものでした。
 
【専門家の意見】
 ・野口邦和・日本大准教授(放射線防護学):福島第1原発を取材で見学して急性放射線障害になるほどの放射線を浴びるとは考えられず、鼻血と被ばくを関連づけるような記述があれば不正確だ。(毎日新聞 2014年04月29日
 
・安斎育郎・立命館大名誉教授(放射線防護学):放射線影響学的には一度に1シーベルト以上を浴びなければ健康被害はないとされるが、心理的ストレスが免疫機能に影響を与えて鼻血や倦怠感につながることはある。(同上
 
・高村昇・長崎大教授(福島県放射線健康リスク管理アドバイザー):鼻血は種々の原因によって起こることが知られていますが、少なくとも福島県内における鼻血が放射線被ばくによるものであるとは考えられません。(福島民報 2014/05/04
 
【行政の見解】
 ・福島県双葉町:小学館への抗議文
現在、原因不明の鼻血等の症状を町役場に訴える町民が大勢いるという事実はありません
 
・福島県:「美味しんぼ」について
原発事故により放出された放射性物質に起因する直接的な健康被害が確認された例はありません
 
・環境省:放射性物質対策に関する不安の声について
東京電力福島第一原子力発電所の事故の放射線被ばくが原因で、住民に鼻血が多発しているとは考えられません
 
しかし、今日、放射線の専門家ではありませんが、やはり同じ科学研究者の次のような説得的な意見を知りました。ご紹介したいと思います(私は説得されました)。
 
以下の牧野淳一郎さんのような論と放射線の専門家との科学的な「鼻血」論争であるのならば大歓迎です。論争を通じてもっと本質的な問題が解明されることが期待されるからです。
 
牧野淳一郎さん(理化学研究所、東工大大学院教授・天文学)のtwitter(2014年5月13日6:42~6:43 )
 
「今回の『美味しんぼ』の内容は科学的に一面的で、福島県など当事者の批判を招いたのは当然と言える。」→「今回の『美味しんぼ』の内容は原発事故後の状況を描いたものとして取り上げ方に偏りがあり、福島県などの反発を招いたのはしかたがない。」
 
「今回の問題は、放射線に関する知識の問題というよりも……」→「今回の問題は、被ばくと鼻血の因果関係といった問題としてだけ捉えると……」
 
まあでも、これ、私は、まず第一義的には科学的に適切な見解やアプローチはどういうものか、また放射線に関する比較的正しそうな知識は何か、という問題だと思う。
 
例えば、「福島での被曝で鼻血がでることは科学的にありえない」という主張は、空間線量の推移、そこから推測される大気中の放射性物質の濃度、その大気を吸入した結果として起こりえる鼻腔の被曝、といったものを検討すると到底受け入れられるものではない。
 
あくまでも、鼻血がでるメカニズムとして「高線量の被ばくがあった場合、血小板減少」によるもの以外は認めない、という立場だけが正しい、とい う、これ自体に科学的根拠のない信念から導かれるものでしかないからである。
 
もうちょっと具体的に計算しておく。JAEA(引用者注:日本原子力研究開発機構)論文によると、最大の空間線量が5μSv/hであった東海村でのI-131(引用者注:ヨウ素 131)による吸入による内部被曝は 実効線量で0.4mSvとなった。
 
最大の空間線量が1.5mSv/hに達した双葉町にその時にいた町民 の内部被曝はほぼ比例して高くなると考えられる(この推測は、ダストサンプリングのデータがある場所については概ね正しい)。
 
つまり、300倍とすると120mSv 、まあ成分も違うかもしれないので 1/3 程度の100倍として40mSv である。東海村では3/15 の分の他に21 日の分もあ るからさらに半分にするとして20mSv 。東海村の50 倍としてみる。
 
遠藤さんICRP(引用者注:国際放射線防護委員会)モデルを使った検討で、 I-131 の形態が粒径1μで、鼻腔にあまり捕捉されない微粒子で、鼻腔のβ線被曝は全身の実効線量の100 倍となることが示されている。同程度の量があったTe-132(引用者注:テルル132)を考慮すると240倍となる。
 
つまり、20mSv の240 倍、4.8Svである。これでもかなり過小評価になるように見積もっている。
 
仮に、低線量被曝では鼻血のような症状はでない、というのが科学的に正しいものであったとしても、鼻腔に5Sv 程度の被曝、というのは低線量ではない。
 
皮膚であればβ線による障害を起こすのに十分である。
 
空間線量の最大値が少なくとも200μSv/hであった飯舘村では東海村の20-40倍程度として、鼻腔の被曝量は2-4Svということになる。
 
つまり、皮膚であれば障害を起こすような量の被曝を鼻腔にした人々は、 かなりの人数いた、と思われ、環境省や福島県の被曝による鼻血はありえない、という主張には科学的根拠はないと結論できる。
本ブログの約4か月前のエントリに「憲法会議」(憲法改悪阻止各会連絡会議)の澤藤統一郎弁護士への「言論封殺事件 」について私は次のように書きました。
 
今日付け(2014年1月15日)の澤藤統一郎弁護士の「憲法日記」「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその26」はとりわけ重要です。/「憲法の番人」(司法)の番人とでもいうべき民主・革新陣営のはずの「憲法会議」がその「憲法会議」の所属会員でもある澤藤統一郎弁護士(元日本民主法律家協会事務局長)に対して「言論封殺」(批判の自由の封殺)といっても差し支えない依頼原稿の撤回を申し入れてきたというのです。理由は下記の澤藤弁護士の記事でも明らかなように澤藤弁護士の宇都宮健児東京都知事選立候補予定者、「人にやさしい東京をつくる会」運営会議批判への「報復」措置とでもいうべきものです。/こういうことが許されていいのか。
 
その「宇都宮君、立候補はおやめなさい」問題から派生した憲法会議の澤藤統一郎弁護士への「言論封殺事件」(もちろん、この表現は、本ブログのもの。憲法会議側の表現ではありません)に関して同弁護士と憲法会議との間で「和解」が成立したということです。澤藤弁護士が昨日の5月12日付けの自身のブログ記事でそのことを報告しています。この「事件」については、本ブログも「『怒り』をもって」澤藤弁護士の側に立つという党派的な立場からではなく(私は澤藤弁護士とは縁もゆかりもありません)、「論理」の側に立つ立場から憲法会議を批判してきました。そういう意味で、澤藤弁護士と憲法会議との間のこの「和解」の件については本ブログなりの観点からも報告しておくべきだろうと考えます。
 
この問題が「和解」するに到ったのは、澤藤弁護士によれば、今年の 3月上旬に開催された憲法会議総会の席上、同弁護士とはまったく面識のないあるひとりの憲法会議会員が「『澤藤を擁護する』のではなく、憲法運動団体としての在り方に鑑みて筋を通さねばならないとの思いからの発言」(澤藤統一郎の憲法日記2014年5月12日付)があったから。そのひとことが契機になったと言います。澤藤弁護士の弁。「世の中には、稀にこのような方がいる」。「このような方」とはむろん、道理に立つ。筋を通す人の意です。「希望のまち東京をつくる会」(旧「人にやさしい東京をつくる会」)と澤藤弁護士との「道理に立った」和解も私は望みます。「筋を通す」人がここにも現われることを私は強く期待したいと思います。
 
以下、澤藤統一郎弁護士の報告(強調は引用者)。
 
憲法会議との「和解」成立のご報告
(澤藤統一郎の憲法日記 2014年5月12日)
 
本日、私と憲法会議との間に「和解」が成立した。私と憲法会議との間に紛争が継続していることを心配してくださる方もいらっしゃるので、経過をご報告しておきたい。
 
午後4時半、憲法会議の平井正事務局長と対席した。同氏から「一連の対応でご迷惑をお掛けしました。申し訳ありませんでした」との発言があり、私はこれを受けて陳謝の意の表明を評価して「了解しました」と応答した。
 
同じ席で、平井さんから私に、憲法会議の機関誌である「月刊憲法運動」7月号への靖国問題についての寄稿の依頼があり、私がこれを受諾した。これで、私と憲法会議との間のトラブルに関して「和解」の運びとなった。
 
なお、「和解」を斡旋した仲介役の弁護士が立ち会い、場の雰囲気がとげとげしくならぬよう巧みに配慮していただいた。
 
私にとっては、「宇都宮君おやめなさい」問題から派生した異なる次元での看過し得ない問題。看過し得ないとはいえ、「憲法改悪阻止・憲法理念を社会に生かす」ことにおいては、共通する立ち場。できることなら、関係を修復したいのは当然のこと。今日、それが実現したことを素直に喜びたい。そして、お骨折りいただいた方、心配しながらも励ましていただいた方に感謝申し上げたい。
 
「和解」を必要とした紛争の経過についての詳細は繰り返さないが、私から憲法会議への最後の通知となった下記の部分だけを再掲しておきたい。
 
「貴信には、貴会が憲法の理念を擁護することを使命とする運動体でありながら、自らが憲法理念を蹂躙したことへの心の痛みや反省を感じ取ることができません。
  また、私の憲法上の権利を侵害したことへの謝罪の言葉もありません。むしろ、『8000円の送付で問題解決』と言いたげな文面を残念に思います。私は、国家権力だけではなく、私的な企業や団体における憲法理念の遵守が大切だと思ってまいりました。本件は、その問題の象徴的な事例だと捉えています。
  繰り返しますが、貴誌への掲載論稿は岩手靖国訴訟に関わるものであって、宇都宮君批判の論稿ではなかったのです。貴会は周囲を説得して、私の表現の自由を擁護すべきだったのです。私は、貴会に反省していただきたいという気持を持ち続けます。この問題はけっして終わっていないことをご確認ください。」
 
私の問題意識が一貫して以上のとおりなのだから、今回の陳謝の内容についての私の理解は「憲法の理念を擁護することを使命とする運動体自らが、個人の憲法上の権利を侵害したことに対する陳謝」というものである。
 
もっとも、和解に際しての陳謝文言は予め合意ができていた。「一連の対応でご迷惑をお掛けしました」という内容を、具体的にギリギリ詰めたりはしていない。それでも、陳謝することの痛みは察することができた。痛みを伴うことではあっても、陳謝のうえ和解に至ったのは、憲法会議が自浄能力を備えた真っ当な組織であったからだ。「過ちては即ち改むるにはばかることなかれ」とは誰もが知る言葉だが、陳謝を伴うともなれば、「行うは難い」こと。それをしたことは評価に値する。
 
3月上旬に開催された憲法会議総会の席で、「澤藤問題」が話題になり、その議論にかなりの時間を費やしたという。そのとき、「憲法会議の発展を願う立ち場から」「憲法会議は問題解決のために誠意をもって澤藤と話し合うべきだ」「それこそが、憲法の理念を守ろうという憲法会議のあるべき姿ではないか」という、強い意見が述べられたという。発言は一人だけでなく、何人もの意見になったとも聞いている。その結果、事務局長が「事態の収拾をはかる」と誓約したとのことだ。
 
この組織では、メンバーに自由な発言の権利が保障されている。民主的な討論の結果が組織の意思となって実行に移されている。執行部批判の発言が無視されることなく、執行部に陳謝までしての行動の是正をさせている。さすがというべきではないか。事務局長は、そのような会員の声を受けて、憲法会議に参加している弁護士を仲介役に私と接触して、今日の和解に漕ぎつけたのだ。
 
総会での発言をリードされたのは、私とはまったく面識のない方。「澤藤を擁護する」のではなく、憲法運動団体としての在り方に鑑みて筋を通さねばならないとの思いからの発言であったのだろう。世の中には、稀にこのような方がいる。私だけではなく、憲法会議も、そのような方がいたことを幸運とした。お骨折りいただいた仲介役の弁護士の人柄にも恵まれた。
 
組織の中にきちんと「筋を通す」人たちがいることの大切さを思う。そして、組織の執行部に、会員の声に耳を傾ける姿勢があることも。私もこのような人の姿勢に学んで、どこにいてもきちんと筋を通す人にならねばと思う。そして、人の意見には謙虚に耳を傾けようとも思う。とりわけ、何らかの権限をもつ立ち場になった場合には。
 
なお、紛争の経過や内容を知りたい方は、下記3件のブログをご覧ください。
宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその26(2014年1月15日)
宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその28(2014年1月17日)
「憲法を暮らしに生かす」ことの意味(2014年1月24日)
標題にもなっている前エントリ記事を内部被ばくを考える市民研究会の川根眞也氏(私は知らない人ですが、一部の人たちの間では有名な人らしい)に転載して、その川根氏の意見を私に送付してくる人がいました。以下はその人に対する諫言の論です。川根氏の論自体についてはこちらをご参照ください。さらに関連して石井孝明さんの「放射能デマ拡散者への責任追及を--美味しんぼ「鼻血」騒動から考えるという論を以下の返信の論の下に転載させていただこうと思います。下記の石井さんの論は私にとってほとんど共感できるものです。石井氏の歴史認識について「右翼」的だと批判して彼の環境、経済問題に対する論まで一緒くたに批判する人がいますが、私はそうした立場は取りません。
 
一応、私宛てになっているので読んではみました(しかし、内部被ばくを考える市民研究会の川根眞也氏が私に宛てて書いたものではありませんね。私には川根氏とは面識も文通もないのですから、同氏から「御無沙汰しています」などといわれる心当たりはまったくありません。下記の返信はⅠ氏宛てのもので、そのⅠ氏が勝手に私宛ての返信のようにも変形したのでしょう。私に川根氏のⅠ氏宛ての返信を転送したいのでしょうが、そうであるならばきちんとそのように書かなければいけません。下記の返信はいま流行の言葉でいえば「捏造」です)。
 
一読して驚きました。同返信のあまりの論理性の欠如についてです。
 
返信の主題は「美味しんぼ」の鼻血描写問題であることは標題からも明らかですが、それについて応えているのは「双葉町『小学館発行『スピリッツ』の『美味しんぼ』(第604話)に関する抗議について』」のURLの引用までの冒頭の12行だけで、あとは「美味しんぼ」の鼻血描写問題とは関係のない持説を延々と展開しているだけだからです。そこには主題に即した論理の展開、すなわち「論」として最低限必要な論理的な展開は一切見られません。あるのは文脈のないばらばらな「主観」の落書きだけです。
 
そして、その「主観」は、文字どおり「主観」というほかないとびっきりの「主観」です。1、2、例をあげてみます。
 
まず確かに「美味しんぼ」の鼻血描写問題についての返信として読める冒頭の12行。そこで川根氏は双葉町が小学館宛てに同問題について抗議声明を出していることに触れて次のように言っています。
 
「双葉町の抗議声明も「原因不明の鼻血等の症状を町役場に訴える町民が大勢いるという事実はありません。」として、「原因不明の鼻血がでた町民」が「大勢」いることを否定しつつ、暗に「ある程度」の数の「原因不明の鼻血がでた町民」がいることを示唆しています。」
 
双葉町の抗議声明に「原因不明の鼻血等の症状を町役場に訴える町民が大勢いるという事実はありません」という表現があることについて、「暗に「ある程度」の数の「原因不明の鼻血がでた町民」がいることを示唆してい」るというのです。これほどものごとを「主観」的に歪曲する解釈は滅多にお目にかかれるものではありません。双葉町の抗議声明は、同表現の前文の「「スピリッツ」の「美味しんぼ」第604話において、前双葉町長の発言を引用する形で、福島県において原因不明の鼻血等の症状がある人が大勢いると受け取られる表現がありました」という表現を承けて「大勢」という言葉を用いているだけにすぎません。ごくふつうの接続話法を用いた文体です。それを「暗に「ある程度」の数の「原因不明の鼻血がでた町民」がいることを示唆してい」るという。「主観」的というよりも、悪意を持った歪曲というべきものです。私が「とびっきりの『主観』」と批判するのはこういうことです。左記は川根眞也という人、あるいは内部被ばくを考える市民研究会という団体の「主観」性を示してあまりある事例ということができるでしょう。
本ブログの「今日の言葉」の2014年4月24日から同年5月9日にかけての記録です。

イギリス(ハワード)

・海上自衛隊の1等海士の男性が自殺したのはいじめが原因だと遺族が賠償を求めていた訴訟の控訴審で、その因果関係を認めた東京高裁判決だった。
判決はいじめの存在を裏付ける調査結果を海自が隠していたことも認定、1審判決を大幅に上回る賠償を国に命じた。当初は調査結果を示す文書は「破棄した」としていた海自である。ところが控訴審では1審の国側の訴訟を担当した3等海佐が「文書は海自が隠している」と証言する異例の展開となった。(略)証言した3佐は文書の存在を知って悩み、上官に開示を求めたが無視されたという。内部告発は「行政文書は国民のもの。それを隠す行為は民主主義の根幹を揺るがす」と考えたからだ。しかし海自は3佐の文書コピー持ち出しを問題視し、懲戒処分を検討中という。「至誠に悖るなかりしか/言行に恥づるなかりしか……」は旧海軍から海自が受け継いだ「五省」と呼ばれる幹部教育用の訓戒である。さて真心にもとり、言行を恥ずべきなのは3佐か上官か(引用者注:この問題については昨日の「澤藤統一郎の憲法日記」に適切な論評があります)。(毎日新聞「余録」2014年4月24日

安倍晋三首相はオバマ米大統領との日米首脳会談で(略)「自由と民主主義、基本的人権の価値を(米国と)共有する」と語った。だが、沖縄に対しては県外移設を求める民意を無視し新基地を押し付ける。これは「構造的暴力」に他ならない。(略)平和学の第一人者として知られるヨハン・ガルトゥング氏はかつて、基地の過重負担を強いられている沖縄を「平和と対立する構造的暴力の下に置かれている」と指摘した。そして「構造的暴力」を断ち切ることが「積極的平和」だと定義している。 (略)首脳会談で安倍首相がオバマ氏に語った軍事偏重の「積極的平和主義」とは全く違うものだ。(略)安倍首相は集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更についてオバマ氏から支持を取り付けたと記者会見で表明した。首相はこれまで現憲法は米国に押し付けられたと主張してきたはずだ。憲法解釈変更について、米国の「お墨付き」をもらい、慎重派の説得材料にするのは自己矛盾だし、対米従属に他ならない。(略)首相に辺野古移設の「お墨付き」を与えたのは、仲井真弘多知事の埋め立て承認だ。知事の承認の罪深さを物語る。(琉球新報社説 2014年4月25日

けさのTBSが驚くべきニュースを流した。すなわち、オバマ訪日でも最終合意には至らず協議は継続されたはずのTPP日米交渉が、実は合意されていたというのだ。これが事実なら国民は(略)完全にだまされたということになる。思えば戦後の日米関係史は密約の連続だった。(略)日米安保条約からはじまって核持ち込みの沖縄密約に至るまで多くの密約が過去に重ねられてきた。米国占領下や冷戦時であればまだ理解はできる。しかし2014年4月という現在において、しかも戦後レジームを取り戻すと叫ぶ安倍政権下で、日本を売り渡す密約が公然と行われていたとすればどうか。しかしTPP密約はたとえそれがオバマ・安倍の間でかわされていても、永久にその存在が国民に明らかにされる事はない。(略)TPPそのものが密約(略)関係者は外部に真実を知らせてはいけない事になっているからだ。何よりも日本では特定秘密保護法ができた。真実を告白したり追及したりすれば罰せられる。この国では何から何まで権力者に都合にいいように事が進んでいるということである(天木直人のブログ 2014年04月26日
マンガ「美味(おい)しんぼ」(雁屋哲作・花咲アキラ画)鼻血描写問題について私もひとこと述べておきたいと思います。

私がこの問題を取り上げようとするのは、たとえば、「鼻血が出る」という症状を「福島(近辺)」で鼻血を出したというだけで福島原発事故との因果関係を疑うというのではなく、なんの因果関係も明らかでないまま、かつ、放射能の専門家(放射線・放射線医学)がその因果関係を科学的な見地から否定しているにもかかわらず、自分たちの意に添わない専門家はすぐに「御用学者」と決めつけ、ほとんどの(すべてといってよい)病理現象を放射能のせいにしようとする非科学的、あるいはエキセントリックな態度がいかに脱原発運動を国民的規模の運動にしていくための妨げになっているか。また、政治的な革新運動の「統一」の妨げになっているか、という視点からです。私は、これまでも、いわゆる「放射能デマ」問題が脱原発運動と政治的革新運動をいかに歪めているかという点について繰り返し述べてきました。以下の記事はそうした私の視点の一環として書いているものです(あるメーリングリストへの投稿文をおおむねそのまま記事にしたものですから意の通らないところもあるかと思いますが、その点はご容赦ください)。
 
私が「放射能デマ」もしくは「放射能デマに相似するもの」と思っているのは、このCML上の最近の発言だけに限ってみれば、たとえば次のような発言です(2、3の例。以下、CMLは公開型のメーリングリストにつき実名(もしくはハンドルネーム)はわかる形で掲げます)。
 
T.Hさん wrote:
> 重要なのは、「鼻血多発」は否定できないと言うことです。
> 詳しいことはこちらをご覧ください。↓
http://hinankenri.blog.fc2.com/blog-entry-100.html
 
注:しかし、「詳しいことはこちらをご覧ください」と記されている上記のサイトを見ても「「鼻血多発」は否定できない」とT.H氏が断言する「事実」はなんら確認できない。なんら確認できない「事実」をもって「事実」と称するのはデマに相似する行為というべきでしょう。
 
M.Oさん wrote:
> 四面楚歌を覚悟して事実と向き合って真実を伝えて下さる首長や心ある
方々
> 井戸川さん、鹿児島に度々いらして真実を伝えて下さっ(た)。
 
注:上記は、漫画「美味しんぼ」の中で井戸川克隆・前福島県双葉町長が「(鼻血は)私も出る」「福島では同じ症状の人が大勢いる。言わないだけ」などと発言していることの擁護発言ですが、美辞麗句を並べて「事実」や「真実」というだけで、肝心の「事実」と「真実」の中身はなんら証明されていない。こうした発言も「信憑性のないもの」を「信憑性があるもの」のように拡散するという点でデマに相似する行為と呼んでいいものです。
 
M.Oさん wrote:
> 2011年の初夏に私も鼻血を出しています。掃除の最中に。鼻血など近年、
まったく経験していなかったのに。
その後はまったくありません。この時の
一度だけ。
 
注:M.O氏は上記で福島原発事故と自身の鼻血には因果関係はあるとは言っていません。しかし、いかにも因果関係があるかのように言う。因果関係が証明されないものを因果関係があるかのごとく拡散する行為も一種のデマ拡散行為といえるでしょう。
 
私は上記のような行為を「放射能デマ」もしくは「放射能デマに相似するもの」と言っています。
 
Hさん wrote:
> しかし脱原発・反原発の人の主張の間違いは大目に見ることを基本とし
ています。
 
私が例としてあげた上記のような発言を「大目に見」てきたことが「これまで放射能研究者や医学者たちが低線量被ばくの危険性について警鐘を鳴らしてきたことがまったくといってよいほど無視されている大きな原因になっている」「放射能デマの拡散、流布がいかにこうした低線量被ばくの危険性を無視、あるいは否定する論者たちに無惨のさまで都合よく利用されているか。その悪影響がこのシンポジウムの講演でも見てとれます。まさに無残なさまです」というのが私の認識です。
先のエントリで天木直人氏と五十嵐仁氏のTPP日米交渉「密約」説をご紹介しましたが、ダイヤモンド・オンラインの5月8日付けでデモクラTV代表で元朝日新聞編集委員の山田厚史氏が「ウシとブタで安保を買った安倍政権」と題して同密約説を裏づける記事を書いています。弊ブログの「今日の言葉」にその要旨を掲載していますが、同記事の全文は以下です。山田厚史氏は今回の「密約」劇は読売新聞と安倍政権中枢のホットラインで結ばれた合作劇であったことを論証的に明らかにしています。
 
ウシとブタで安保を買った安倍政権 世論誘導の政府、同調のメディア(ダイヤモンド・オンライン 山田厚史 2014年5月8日)
 
読売新聞スクープの内情
 
首脳会議の裏で続けられた日米TPP交渉の結果をほとんどの新聞は「決裂」と報じ、読売だけ「大筋合意」と伝えた。その後の報道を見ると、日本は牛肉・豚肉の関税引き下げで米国の要求を呑み、交渉はひと山越えたようだ。「大筋合意」である。
 
多くのメディアは結果的に「誤報」となった。「協議はまとまらなかった」とした政府発表を鵜呑みにしたメディアに責任の一半はあるが、報道各社が「誤報」を伝えるような発表を敢えて行なったのは政府である。
 
「尖閣は日米安保の対象範囲」という発言をオバマ大統領からもらうために、牛肉と豚肉を差し出した。その内実を隠すには「決裂」と報じられる方が都合がよかったのである。「大筋合意」をスクープしたのに、読売新聞はなぜか「日米安保とTPPとの取引はなかった」と紙面を費やし主張している。
 
尖閣が日米安保の対象地域であることを表明することは、首脳会談の準備作業で既に決まっていた、TPPで日本が譲歩したのは、首脳会談後に甘利明TPP担当相とフロマン米通商代表の閣僚会談だ、取引にはなりえない、というのである。
 
つまり時差がある、というのである。日本側は準備作業の中で取るべきものを取った。首脳会談が終わってから不利な条件を出す必要はない。だから「取引はなかった」と主張している。政府の秘密交渉を暴いたのなら、国民を欺くような情報操作をしたことを厳しく非難すべきだろう。それが安倍政権になり代わって「TPPと安保に取引はない」と言い張る。ここに読売のスクープの内情がにじみ出ている。
 
TPPで日本が譲歩したことはいずれ分かる。大多数の報道機関が「決裂」と書く中で「大筋合意」と打つことは、一種のガス抜きだ。農業団体の幹部など取りまとめに当たる人たちに覚悟を迫っておかないと真相が表面化した時、一大事になる。政府に同調的な論調の読売は、リークの受け皿になったのだろう。
 
通商交渉の「敵」は国内にもいる。交渉は相手があるだけに100%の勝利は難しい。5分5分でも7分3分でも、国内の関係者に犠牲を強いることになる。安全保障で得点を稼ぐため農業を犠牲にする、という構図が決まった段階で、最大の問題は「国内への説得」へと移った。
 
日本側の演出に協力
 
ハーバード大学など米国のエリートを養成する大学で人気のある授業は「ネゴシエーション」だ。成功や失敗の実例を教材に、交渉術を学ぶ。強調されるのが、身内での合意形成である。内部の利害関係者を説得することが交渉を成功させるポイントということを教えられる。他国と折り合っても国内で支持を失えば交渉は成功とはならない。
 
そうした目でTPP交渉を眺めるとよく分かる。オバマ政権の背後には議会があり、その後ろに業界団体など利益集団がいる。安倍首相の後ろには自民党農政族と農業団体がいる。オバマ大統領にとって交渉の難敵は、安倍首相より米国議会だ。利益団体を喜ばすことで議会の承認を得たい、と考えている。
 
安倍の優先順位は違う。悲願は憲法改正であり集団的自衛権を米国から認めてもらうことだ。当面は尖閣諸島問題で米国に後ろ盾になってほしい。実益より政治的権威付けを求めた。互いに求めるものが違えば取引は成立する。日本側の使者は元外務次官で国家安全保障局の谷内正太郎局長だった。首脳会談は官邸と外務省が主導し、族議員や農水省の声が届かない所で進んだ。
 
米国はオバマ大統領自らが「尖閣列島は日米安保条約の適用地域だ」と首脳会談で語る手はずとなった。日本は牛肉と豚肉を差し出すことが事前に決まった、と見るのが自然だろう。でなければ首脳会談の後に行なわれた甘利・フロマン会談で日本側が譲歩に応ずる必要性はない。筋書きは決まっていたのだろう。
 
甘利・フロマン交渉は述べ40時間に及んだという。傍(はた)からみると二人が押し問答を繰り返したように思えるが、交渉とはそんなものではない。
 
「ネゴシエーション」の授業では、交渉を成功させるには交渉担当者が同志になることの必要性が説かれる。互いに相手の立場を考え、背後にひかえる「国内の敵」をどう説得するかで、共闘することが交渉の成功につながると。
 
今回それがどこまで出来たかは分からない。ただフロマン氏は安倍首相や甘利大臣が圧力団体を説得しやすくするための時間稼ぎに付き合った。日本が抵抗したから首脳会談に間に合わないほど交渉は難航した、という演出に協力したのである。
 
米国の後ろ盾を求めた見返り
 
甘利大臣の抵抗が本物なら首脳会談後に妥協に応ずることはなかった。11月の中間選挙後に改めて協議すればいい。それではオバマ大統領の立場は決定的に悪くなる。米国にとって首脳会談を行う意味はない。日米同盟の強化を政権の安全装置にしたい安倍首相は首脳会談を必要とした。
 
TPP交渉成立を中間選挙に向けた成果として訴えたいオバマ大統領は日本に協力を迫り、米国の支持がほしい安倍首相はオバマ氏の立場に配慮するしかなかった。日本はTPPの交渉参加を決めた時、農業での譲歩が不可欠となったように、日米首脳会談を求めた時点から、農産品で米国の主張を受け入れることは決まっていた。
 
成果と呼べるものがあるとすれば、コメの関税を守ったことだろうか。「コメを譲ったら政権はもたない」という危機感があった。
 
「安保」で米国の後ろ盾を求めた見返りは農産品、コメに波及しないようウシとブタを差し出した。それが今回の日米首脳会談である。
 
「オバマは議会を説得できない。そのうち躓(つまづく)くだろう」。首脳会談の直後、麻生太郎財務省が漏らした言葉に日本側の無念さが滲んでいる。日本は妥協したが、これだけの譲歩でオバマは議会を説得できるか、そこは分からない。議会とこじれ民主党政権が失速し、共和党の天下が戻ることを期待した発言のように聞こえる。
 
タカ派色を強める安倍政権はリベラルなオバマ大統領と反りが合わない。そうは言っても米国との同盟に頼らざるを得ない。悔し紛れの言葉だろうが、同盟強化を演出する脇から本音が噴き出す自民党の癖がまた出た。
 
鹿児島2区の補欠選挙が念頭に
 
大筋で合意しながら、その事実を隠した一つの理由が、4月27日投開票があった鹿児島2区の衆議院補欠選挙だった。鹿児島は畜産県だ。ブランド化した薩摩黒豚などを飼育する畜産農家は、安い米国産の流入に神経を尖らせている。関税を大幅に引き下げる妥協は選挙民の反発を買うだろう。
 
「交渉まとまらず」なら、畜産農家のために米国の要求をはねつけたことになる。「大筋合意」なら腰砕けと非難される。
 
憲法解釈を変更して集団的自衛権を確立したい安倍政権は国民の支持率が頼りだ。4月から消費税を引き上げ、昨年は特定秘密保護法を強行した。強引な手法に批判が起きている。鹿児島の補選で敗北すれば流れが変わる恐れがある。直前に不利な情報が出ることはなんとしてでも避けたいと考えたようだ。
 
各社の報道によると日米交渉で牛肉関税は現状の36%が、米国産に対し9%まで下げられる。豚肉は価格の安い肉ほど高い関税がかかる差額関税制度の基準関税を現状の半分に下げる。
 
日米同盟強化の代償にTPPを使うだろう、という観測は以前からあった。だが、「交渉の腰砕け」は交渉を取材する記者たちにとって予想外の展開だった。
 
「焦点はTPP交渉」という見立てを打ち消すように「両国の主張の隔たりはあまりにも大きい。交渉は首脳会談のあとに持ち越されるのでは」という情報を政府は流しつづけ、「オバマが中間選挙のために交渉をまとめたいなら、要求を下げて来ない限り大筋合意はない」という姿勢を強調していた。
 
根拠に使われたのが3月に豪州と決めた協定である。36%だった牛肉関税を概ね20%に引き下げることで決着した。相場作りである。農政議員たちは「米国産の関税も豪州を下回ることはないように」と政府に念を押した。米国が関税ゼロにこだわり交渉が決裂すれば、先行して関税引き下げを決めた豪州産牛肉が日本市場で有利になる。「米国は焦っているはずだ」と注釈した。
 
メディアは「牛肉関税20%という近辺でまとめられるか。さもなければ交渉延期」というマインドセットに誘導された。ところがひと桁まで下げる案を日本は示した。
 
ジャーナリズムの危うい状況
 
日米共同声明には「本日、両国はTPPに関する二国間の重要な課題について前進する道筋を特定した」と書かれた。この裏に日本の大幅な妥協があった。読売はそれを知り「大筋合意」と打った。
 
「記事を書いたのは甘利大臣を取材している読売の記者ではない。大筋合意という情報は、別ルートで記事になった」交渉の関係者はそう指摘する。
 
集団的自衛権や秘密保護法で政権に寄り添う論調が目立つ読売は政権中枢とホットラインで結ばれている、とも言われている。記者会見で「大筋合意という報道があるが」と問われた菅官房長官は「両国には解決すべき問題が残されている。大筋合意とは言えない」と読売の報道を否定しながら、目は笑っていた。
 
TPP交渉は守秘義務が掛かっている。交渉内容を漏らしてはならない、という都合のいい申し合わせをしており、政府は何を問われてもとぼけることができる。情報が隠され、都合のいいことだけ小出しにして世論を誘導する権力。政権に同調して有利な立場を目指す大新聞。ジャーナリズムは危うい状況になってきた。
以下、辺見庸の5月3日付けの「日録15」の要約転載です。朝日新聞労組週刊金曜日が批判されています。
 
同感です。
 
誤解されるかもしれないのでこれまでこういう書き方はしませんでしたが、やはり私の本音を少し記しておきます。
 
これらの新聞紙と週刊誌は少なくとも私を元気にさせない。しかし、明日死のうかという思いに少なくとも弾みをつけてはくれる。
 
人をここまで絶望に追いやっている、という自覚を朝日新聞という媒体に勤める記者と週刊金曜日という媒体に勤める編集者には少しは持ち合わせてほしい。
 
しかし、上記の私の気持ちを朝日新聞と週刊金曜日のせいだけにするのはやはり公平さを欠くだろう。
 
総転向時代」という現象が私をそうした絶望の淵に陥れるということ。
 
そういう思いに強くさせるということ。
 
私の娘もメディアにつとめている。肝に銘じてほしい。

毎日新聞が3日の憲法記念日を前に行った全国世論調査
によると、憲法9条を 「改正すべきだ と思わない」 との回
答は 51%と半数を超え
、 「思う」の36%を15ポイント上
回った。昨年4月は同じ質問に 「思う」46%、 「思わない」
37%だった。 安倍晋三首相が憲法解釈変更で集団的自
衛権行使を認めようとしていることも影響したとみられる。
                   (
毎日新聞 2014年5月3日
 
・政府は、集団的自衛権の行使を「放置すれば日本が武力攻撃を受ける」事態に限定し、自衛隊を他国の領土、領海、領空には原則として派遣しない方針を固めた。限定的な行使容認にとどめることで、慎重論が根強い公明党との妥協点を探る。(毎日新聞 2014年5月3日
 
・訪米中の石破茂自民党幹事長は2日、ワシントンで講演し、安倍晋三首相が目指す集団的自衛権の行使容認に関し、「スタート段階はかなり(範囲が)限定されたものになる」と述べ、公海上の米艦防護などが対象になるとの考えを示した。その上で「もし必要であれば、それをさらに広げることは可能だ」と語った。(時事通信 2014年5月3日
 
・石破自民党幹事長が集団的自衛権の行使容認に向けた安倍政権の「戦略」をあけすけに語りました。高村自民党副総裁が打ち出した「限定的行使」論の正体がこれです。(井上澄夫 米空軍嘉手納飛行場・一坪反戦地主 2014年5月3日
 
・寺田逸郎最高裁長官は憲法記念日の3日に先立ち記者会見し、集団的自衛権の行使容認を巡る解釈改憲の論議が活発化している現状について、「国民的な議論に委ねられるべき課題と考えている」と述べた。(毎日新聞 2014年5月3日

引用者注:司法は憲法記念の日に政府の解釈改憲は違憲と暗に釘を刺したということでしょう。
(承前)

しかし、「日本記者クラブ賞」受賞者の:山田孝男記者(特別編集委員)は私のような批判があることは先刻承知しているようで、自社の毎日新聞に受賞の弁を次のように述べています。
 
エッセーよりもオピニオンをめざしてきた。不偏不党という新聞のオキテにしばしば背いてきた。/人騒がせで世渡りをするつもりはないが、八方円満のバランスにとらわれ過ぎれば、コラムにならないと信じてきた。/そうである以上、賛同より批判のご意見をいただくことが多いのもやむを得ないと観念している。最近、たくさん頂戴した批判は次の二つだ。/「右寄りの歴史認識や安保政策に甘過ぎる」/「秘密保護法に理解を示すのはおかしい」
 
この場を借りて一言、弁明させていただく。/いかな私でも、日本が平和を希求する志を捨て去っていいとは思わない。/ただ、他国に守られながら、何でも反対、阻止、粉砕と叫ぶだけでは平和は築けないと思うのである。
 
かねがね、今の資本主義社会は長続きしないのではないかと疑ってきた。原発事故を経て、ますますその思いを強くした。/有限な地球で各国が経済成長を競えば、世界は不安定化する。国際紛争も起きるし、格差拡大に伴う内乱も増える。過酷な自然災害の頻度、規模も悪化の一途をたどっている。/大震災で思い知らされた通り、電力・電脳依存社会はパニックに弱い。/だから、二つの備えが必要だ。第一。経済社会を簡素に変える。第二。不意の混乱に対応する自覚をもち体制を整える――。そこが肝心だと私は思う。
 
時に社説と食い違う拙稿について、同業他社の悪友たちから「オレのところじゃ無理」という、羨望(せんぼう)ともあざけりともつかぬ感想を聞くことは少なくない。/コラム「風知草」はいかにも、毎日新聞社の自由な風土があればこそ成り立っている。私の勝手放題に忍耐強く付き合ってくれている同僚と、何よりも、ご愛読くださる読者の皆様に感謝を申し上げたい。(「日本記者クラブ賞:山田孝男・毎日新聞特別編集委員に 「風知草」で時代斬る」毎日新聞 2014年04月29日 東京朝刊)
 
以上は山田編集委員の受賞の弁の全文ですが、「最近、たくさん頂戴した批判は次の二つだ。/『右寄りの歴史認識や安保政策に甘過ぎる』/『秘密保護法に理解を示すのはおかしい』」という批判されている内容の認識は決して的を外していません。が、「この場を借りて一言、弁明させていただく」として弁明していることは、「他国に守られながら、何でも反対、阻止、粉砕と叫ぶだけでは平和は築けない」というおそらく彼の長年の思弁(持論)のエクスキューズひとつです。そのほかにも「原発事故を経て」云々といろいろ述べていますが、授賞理由の「小泉純一郎元首相の原発ゼロ発言を特報した」点に関わっての理由を述べているだけのことにすぎません。「たくさん頂戴した批判」のエクスキ
ューズは「他国に守られながら、何でも反対、阻止、粉砕と叫ぶだけでは平和は築けない」という一点のみです。が、「他国に守られながら」云々のエクスキューズはもう何十年も前から(戦後一貫して)保守派(ことに右翼層)がいわゆる「革新」を批判するために好んで用いてきた使い古されたイディオム(常套句)のひとつにすぎません。したがって反批判は簡単です。いわゆる「革新」派は「何でも反対」「阻止」「粉砕」と言ってきたわけではない。そうしたイディオムは歴史的事実にも現在の事実にも反する誹謗・中傷のたぐいにすぎない、と。山田記者のエクスキューズはおよそジャーナリストからぬ、ジャーナリスト足りえぬエクスキューズといわなければならないでしょう。
本年度の日本記者クラブ賞に毎日新聞政治部特別編集委員の山田孝男記者(「風知草」筆者)が選ばれました

日本記者クラブによれば、「日本記者クラブ賞は、報道・評論活動などを通じて顕著な業績をあげ、ジャーナリズムの信用と権威を高めたジャーナリスト個人に贈られる」もので、「スクープ賞ではなく、特に最近数年間の業績が顕著であることが重視され」る。今回の山田孝男記者の日本記者クラブ賞授賞は「小泉純一郎元首相の脱原発発言を独占で報じるなど、コラム『風知草』で社会に問題を提起し続けてきたことが評価された」(毎日新聞 2014年04月29日
結果ということのようです。
 
しかし、授賞の理由として「最近数年間の業績が顕著であることが重視され」るということであれば、「小泉純一郎元首相の原発ゼロ発言を特報した」ということだけでなく、山田孝男記者の最近の一連の「橋下維新」の所属衆院議員・山田宏氏の「従軍慰安婦」問題に関しての「河野談話」攻撃発言への共感記事、「高村は何を説いたか」というコラムでの高村正彦自民党副総裁の「集団的自衛権限定行使容認」論礼賛記事などなどの超タカ派・非ジャーナリスト記事も授賞の評価の対象にする必要があるでしょう。それとも、日本記者クラブは、山田記者のそれらの超タカ派記事を含めて同記者の「最近数年間の業績」を評価するということか。今回の山田孝男記者への日本記者クラブ賞授賞問題は、日本記者クラブの立ち位置の問題、日本記者クラブは果たして「人々の『知る権利』に資するジャーナリズム活動の拠点」(日本記者クラブについて)と言いうるのかどうか。同記者クラブのレーゾンデートル(存在価値)が問われている事態だということにジャーナリスト(同記者クラブ会員)諸氏はどれだけの自覚があるか? 「従軍慰安婦」問題や「集団的自衛権限定行使」問題について「こいつは右翼か」と思われる記事を書いてそれを自慢気にしている山田孝男記者に「日本記者クラブ賞」なるものを贈呈して恥じない人たちだからそういう「自覚」などあるはずもありません。虚しい質問でした。