独立系小メディアの記事ではありますが、日本の商業メディアでも下記の記事のタイトル「ウクライナ問題を引き起こした張本人は米国だった」に見るようなウクライナ情勢の見方に関して「西側」のメディア・フレームを脱した記事をやっと見かけるようになりました。一歩前進というところでしょうか。ただし、以下の記事、タイトルは「ウクライナ問題を引き起こした張本人は米国だった」と断定調ですが、根拠として示しているのは「米国はウクライナに民主主義を根づかせるため、1991年以降、50億ドル(約5100億円)の支援をしてきた」という事実だけで、その事実のみで「ウクライナ問題を引き起こした張本人は米国だった」と断定することはできません。根拠の薄弱なイエロー・ジャーナリズムの手法に近い記事と酷評しておく必要があるように思います。
 
ただし、毎日新聞も先日の4月26日付けで冒頭に「視点を変えて」という一文を掲げて「にゅーす360度:紙面審査委員会から ウクライナ、露の論理は」という署名入り記事を掲載していました。その記事の結論部分は「ウクライナ問題をロシア側から見るとどう映るのか。ロシアの今後の動きを占ううえからも、そうした視点からの報道がもっと必要ではないでしょうか」というものでした。少しずつマスメディア、商業メディアの内部からもこれまでの「西側」情報一辺倒の報道のあり方に自浄作用としての疑問が出てきているということかもしれません(以下、強調は引用者)。
 
 
 ウクライナで米露両国による新たな戦いが幕を開けた。
 
 ロシアが3月にクリミア共和国とセヴァストポリ特別市を領土に加えてから1カ月もしないうちに、今度はウクライナのハリコフ、ドネツク両州が独立を宣言したのだ。
 
ロシアから見たウクライナ問題
 
 日本を含めた欧米諸国では、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が強行的にクリミアを併合したと同時に、新たにウクライナの東部州の併合も画策していると見る。同大統領こそがウクライナ東部の動乱の首謀者であり、混乱の引き金を引いた張本人であると捉える。
 
 けれどもロシア国内での見方は真逆だ。親米派のウクライナ新政権は武装集団「右派セクター」のロシア系住民の殺害を容認し、プーチン大統領は彼らを守るためにクリミア併合に踏み切ったと見ている。
 
 ウクライナ新政権の裏には常に米国がいるというのがロシア側の解釈だ。
 
 さらに未確認情報として、ロシア系住民の殺害を命じたのは米中央情報局(CIA)との話もある。少なくとも、プーチン大統領が同胞を守ろうとした行為は国民に歓迎され、支持率は60%から82%にまで跳ね上がった。
 
 どちらに正当性があるのだろうか。 
 
前回に引き続いて小倉利丸さん(富山大学教授。ピープルズ・プラン研究所共同代表)のウクライナ情勢関連記事の訳出のご紹介です。小倉さんの今回の訳出(前書き)の特徴は新しく「ユーロマイダン左翼」という概念を登場させていることです。この「ユーロマイダン左翼」という概念は下記の記事でアメリカの政治ライターのニコラス・コズロフが用いているものですが、そのイメージは「欧米帝国主義ともロシアとも対峙する独立した左翼(マルクス主義左翼だけでなくアナキストを含み、旧態依然たる共産党は左翼に含めない)」というもののようです。小倉さんは前書きで「私も全くそのとおりだと思う」とコズロフの思想的立ち位置を支持しています。したがって、以下は、小倉さんの選好によるウクライナ情勢に関する批評記事の選択だと見てよいでしょう。しかし、私は、必ずしも小倉さんのその選好に賛同するものではありません。小倉さんの選好に賛同するためには前回でも述べたLeft Oppositionなる「ウクライナの左翼の少数派」はなぜ英国下院でスピーチをすることができたのか。また、なぜ英国下院はウクライナのLeft Oppositionなる少数派の組織の一員を議会に招致したのかなどの私の疑念を払拭させる必要があります。が、その払拭はまだなしえていません。
 
ユーロマイダン左翼と西欧:連帯は何処?(小倉利丸ブログ 2014-4-29)
 
[訳者前書き]
以下に訳出したのは、政治ライターのニコラス・コズロフ(引用者注:アメリカ・ニューヨーク在住)による主として西欧左翼のなかにある「敵の敵は味方」のような単純な観点への厳しい批判だ。西欧の左翼は、ウクライナの問題にどのような態度をとるべきか戸惑い、沈黙するか、米国の敵は味方であるかのようなプーチンのロシアを擁護する立場をとることがあり、何人かの著名な左翼知識人を名指しで批判している。コズロフは、こうした態度は、欧米帝国主義ともロシアとも対峙する独立した左翼(この表現は、マルクス主義左翼だけでなくアナキストを含み、保守化した共産党を左翼に含めないことを含意している)を窮地に追いやっていると厳しく批判している。私も全くそのとおりだと思う。コズロフは同時に、ロシアの中にある反戦運動とウクライナの独立した左翼の潮流の連帯の可能性を示唆し、同時に、この連帯が西欧左翼との連帯へと拡がることに希望を見いだしている。
「尖閣問題をエスカレートするのはprofound mistake「深刻な過ち」とオバマが安倍に釘をさした言葉を、日本のメディアの多くは重視せず、『正しくない』『非常に好ましくない過ち』と誤訳したりしてごまかしている」、と「PeacePhilosoph
y」ブログを主宰する乗松聡子さんが政府とメディアの「御用通訳」ぶりを自身のブログで批判しています。
 
尖閣問題をエスカレートするのはprofound mistake「深刻な過ち」とオバマが安倍に釘をさした言葉を,日本のメディアの多くは重視せず、「正しくない」と誤訳したりしてごまかしている。(Peace Philosophy Centre Friday, April 25, 2014)
 
Profound mistakeを「正しくない」と訳しますか??? 日本のメディアはねつ造に近い 訂正してください(Peace Philosophy Centre Saturday, April 26, 2014)
 
【御用通訳に注意】オバマ発言誤訳は日米共同記者会見の同時通訳によるものだった。官邸HPの動画でも誤訳。(Peace Philosophy Centre Monday, April 28, 2014)
 
しかし、私は、profound mistakeを「正しくない」「非常に好ましくない過ち」と訳したことがそれほどまでに非難されなければならないほどのプロファウンド・ミステークといえるのか、と逆に疑問に思います。profound mistakeはたしかに直訳すれば「深い(激しい)誤り(過ち)」ということになりますから「正しくない」という訳では「深い(激しい)」という感じは出ません。それでも、私は、「ごまかしている」とまで言ってしまうのは論理的な評価というよりも情緒過多の過小評価にすぎるように思います。私たちが人を理解しようとするとき、言葉だけに依拠するわけではありません。その人の表情やしぐさもその人、その人の意を理解するための重要な要素です。その場のシチュエーションということもあるでしょう。そうしたもろもろの要素を通じて私たちは人というもの、人の意というものを全感覚的(それは「論理的に」ということをも意味します)に確かめようとするのです。
 
だから、この場合もprofound mistakeの「正しくない」という同時通訳が不適切であったとしても、明らかな「誤訳」ではない限り、人はその言葉の意味を全体として理解することはできます。むしろ、この場合は訳語の問題というよりも、「profound mistake」という言葉のある文脈でオバマ大統領が尖閣諸島問題をことさらにいま騒ぎ立てようとすることは「正しくない」と「釘をさした」諫言の言葉を安倍首相がスルーしようとした姿勢そのものにあると見るべきものでしょう。乗松聡子さんはことの本質を見違えている、と私は思います。
 
また、「正しくない」という適切とは思えない訳語についてさえ上記のことは言えるのですから、政府の公式の同時通訳が訳した「非常に好ましくない過ち」という訳まで「わざわざ『好ましくない』といった抑えた表現に変え」ている、「御用通訳」などと批判するのは難癖のための難癖というほかない所為というべきだろう、と私などは思います。この問題はそれぞれの訳者の訳し方の問題であって、そこに訳し方の問題に関して本質的な差異(過ち)があるようには私には見えません。
 
私はここに思い入れの激しい人の過誤を見るような思いがします。乗松聡子さんは以前にもオリバー・ストーンが原水禁世界大会2013広島講演の際に「最近オバマ大統領の沖縄政策に反対してオバマにやめさせられた人」と暗に民主党元代表の鳩山由紀夫氏を評価して語った講演録を無批判に拡散するということがありました。鳩山氏が「やめさせられた」理由はアメリカという「外圧」もあったかもしれませんが、本質的な理由は「外圧」というものではなく、「『最低でも県外』と首相自ら公約しながら県民の心を8カ月間ももてあそび、『辺野古現行案』に回帰するという公約違反の裏切り行為」(琉球新報社説 2010年6月1日)があったからと見るべきものであった、にも関わらずです(弊ブログ2013.08.11付記事参照)。また、自身が自身のブログで沖縄への連帯と共感の思いを強く表明している、にも関わらずです。
 
しかし、思い入れの激しい人の思いはやはり思い入れの激しい人には相通じるものがあるようです。北海道深川病院の松崎道幸医師(私はこの松崎医師の放射能問題に対する認識についても批判をしています。弊ブログ2013.02.18付記事参照 )は私から見て「難癖のための難癖」としか見えない乗松さんの「御用通訳」批判にさまざまなメディアの「重大な間違い」(週刊東洋経済)、「大きな過ち」(レコードチャイナ)、「正しくない」(フジテレビ、TBS、時事通信)などという訳語の例証を十把一絡げにあげて「テレビ系・通信社系も同じ穴のむじなと言うところです」と共感を表明しています。この松崎医師の言語感覚も相当なものだと言わなければならないように私は思います。
 
ところで、日本報道検証機構(GOHOO)がこの乗松聡子さんのprofound mistakeの政府、メディアの訳語への疑問の提起を紹介している琉球新報の記事は逆に「誤報」であるという「注意報」を出しています。以下です。ご参照ください(乗松聡子さんのこの問題についての記事は上記の3本のURLでご確認ください)。
小倉利丸さん(富山大学教授。ピープルズ・プラン研究所共同代表)は、今回は、ウクライナ問題に関して、同国のLeft Oppositionという「ウクライナの左翼の少数派」(イギリス『LeftEast』編集委員会)のメンバーのひとりのZakhar Popovych氏がロンドンの英国下院で行ったスピーチの訳出をされています。前回に引き続いてさらに小倉利丸さんの訳出を最新のウクライナ情報のひとつとしてご紹介させていただこうと思うのですが、今回の小倉さんのZakhar Popovych氏の論の訳出紹介については私には少なくない疑念があります。
 
その第1はZakhar Popovych氏はなにゆえに英国下院という場所でこの論のスピーチを行ったのかという疑念です。また、英国下院はなにゆえに「ウクライナの左翼の少数派」のそのまたひとりにすぎないZakhar Popovych氏という人物をわざわざ英国下院にまで呼んでスピーチさせたのかという疑念です。英国下院の議会がZakhar Popovych氏という外国人を招致してスピーチの機会を与えたとは私には思えません。イギリスの法律に詳しいわけではないのでよくわかりませんが、私の政治常識から考えても、議会が一般の外国人を招致してスピーチさせるという慣習はおそらくイギリスにおいてもないのではないかと思います。では、この「スピーチは、ロンドンの英国下院で行なわれた」とはどういうことか? 私の想像では、日本でいうところの「院内集会」のようなものが下院の一室で行われた。Zakhar Popovych氏はその「院内集会」(具体的には某政党の某議員)に招かれてスピーチをしたということではなかったかと思います。そういうことなら理解できます。しかし、そうであるならばその旨注しておく必要があるように思います。「スピーチは、ロンドンの英国下院で行なわれた」という説明ではZakhar Popovych氏はいかにも英国下院に招かれて演説したというように一般には受け止められるでしょう。詐欺商法の説明のようなものに私はまず第1に疑念を持ちます(ほんとうに英国下院でスピーチされたものであるならば私は自身の不明を詫びなければなりません)。
 
第2にZakhar Popovych氏のスピーチの内容に疑念があります。Zakhar Popovych氏はスピーチの「スヴォボダが関与している新政府を支持しない」の項では「重要な第二の点は、ロシアがクリミアから軍隊を撤退させるように圧力をかけることです。これは、正統性のある国民投票と独立の承認においての前提条件です。(略)私たちはヨーロッパの左翼にクリミアへのロシアの侵略を支持しないように訴えます」と述べています。こうしたスピーチを少数派(さらにその中のひとり)とはいえ果たして「ウクライナの左翼」がするものか? 私には疑念があります。疑念はまだありますが、推測の域を超えるものではありませんのでこれ以上の疑念の提起は控えておきます。
 
小倉利丸さんの「ウクライナのLeft Oppositionの活動家によるマイダン運動に関する報告」の訳出を以上の私の疑念を前提にしてご紹介させていただきます(以下、強調は基本的に引用者)。
伊藤力司氏(元共同通信論説副委員長)の「悪者はロシアか―ウクライナ危機」というJCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」(2014年3月25日号)に掲載された記事は、確かな視点も持たないまま欧米メディアの垂れ流すロシア「悪漢」説に付和雷同して記事を書く商業メディア記事が横溢する中で、「欧米側が仕掛けた『新冷戦』で追い込まれたロシアが抵抗しているのが真相だろう」とウクライナ危機の本質を喝破するもので、記者としての視点の気鋭さが光っていました。そう長くはないので、以下にその記事の全文を掲げます。
 
欧米メディアの影響が強い日本では、今回のウクライナ危機はもっぱらロシアが悪者視されている。しかし、欧米側が仕掛けた「新冷戦」で追い込まれたロシアが抵抗しているのが真相だろう。冷戦終結後20余年を経て、西側とロシアはまだ争っているのだ。
 
  2月初め ヌーランド米国務次官補(欧州・ユーラシア担当)とパイエト駐ウクライナ米大使の電話会談がユーチューブに流れた。この会談で、ウクライナのヤヌコビッチ政権が反政府運動を弾圧した場合に経済制裁すべきだと米国が主張したのにEU(欧州連合)側が反対したことが語られ、ヌーランドがEUを「くそったれ」と罵倒したことが暴露された。
 
この電話会談は、米・EU間に意見の違いがあるにせよ欧米がウクライナの反政府デモに深くコミットしていたことを明るみに出した。ウクライナは2004年のオレンジ革命でロシアの衛星国からEU(欧州連合)寄りに転じたが、プーチンのロシアにとって「ユーラシア経済同盟」に不可欠の存在だ。この国はこの10年間、欧露の綱引きの対象だった。
 
  ヤヌコビッチ前大統領が昨年10月にウクライナとEUの協約締結の方針を変えたのは、ロシアが150億ドルの投資と天然ガスの安値販売を持ちかけたからだった。ウクライナにとってロシアは貿易の3割を占める最大の相手国で、貿易赤字の大半はロシア向けである。
 
  しかしこの背信を見た反政府側は、欧米の支援を得て首都キエフで連日のデモを展開。年を越してもデモの勢いは衰えず、むしろネオナチ系の反政府過激派が武力行使に走り、政府側がデモ制圧に軍を動員するに至った。その結果100人を超す死者が出るに及び、与党議員の多数から不信任を突き付けられたヤヌコビッチ前大統領は逃亡した。
 
  ウクライナの多数を占める親欧米派は勝利に沸いたが、人口の6割がロシア系のクリミア半島は収まらず、独立・ロシアへの併合に動いた。欧米はこれを非難し、ロシアに対する経済制裁を発動したが、元々がロシア領だったクリミアがロシアに帰属するのは自然な動きである。クリミアの帰属問題で、欧米はロシアと妥協せざるを得まい。(「悪者はロシアか―ウクライナ危機=伊藤力司」Daily JCJ 2014年03月24日)
 
しかし、その気鋭の記事を書いたはずの伊藤力司記者が同紙2014年4月25日号の「複雑怪奇なウクライナの内情」という記事では「オバマ米大統領の懇願を無視してクリミアのロシア編入を実行したプーチン・ロシア大統領」などというフレーズで一方的にプーチンを批判する自身が批判する「西側」記者まがいの記事を書いています。
 
そのプーチン批判が真実を穿っているのならば、むろん、同プーチン批判は、記者として当然の所為ということはいえます。しかし、冒頭にも掲げておきましたが、同記者は前回の記事では「今回のウクライナ危機は(略)欧米側が仕掛けた『新冷戦』で追い込まれたロシアが抵抗しているのが真相だろう」と書いていました。欧米側が仕掛けた「新冷戦」(ウクライナ危機)というのであれば、その「新冷戦」を仕掛けた側の一方的な主張にすぎない強請を「懇願」などと書くのは記者として適切なニュース・レポートづくりの作法といえるか。「新冷戦」を仕掛けた側の虫のよい「懇願」など無視されて当然ではないか。それを「オバマ米大統領の懇願を無視して」などといかにもプーチンに非があるように書く。ここには前記事との整合的な視点、あるいは論理を見出すことはできません。前記事の視点とのギャップ、というよりも矛盾は甚だしいというべきでしょう。伊藤力司というジャーナリストの視点はジャーナリストとしてのそれではない。ぬるま湯の中にどっぷりと浸かってきた神経の摩耗なしにこういう記事は書けないでしょう。私は伊藤力司という記者のジャーナリスト性を疑います。
 
また、伊藤記者(元共同通信論説副委員長)は「複雑怪奇なウクライナの内情」という今回の4月27日付けの記事では「ロシア系住民が多数を占めるウクライナ東部のドネツク州、ハリコフ州、ルガンスク州ではこの4月から、住民が政府施設や警察署などを占拠する動きが広がっている。彼らはクリミアのようにロシア系居住区、つまり東部と南部がロシアに併合されることを望んでいる。もし彼らの望みが満たされるならば、ウクライナは完全に分裂する」などと根拠の乏しいことも書いています。どうして「彼らはクリミアのようにロシア系居住区、つまり東部と南部がロシアに併合されることを望んでいる」などと判断することができるか?
天木直人さん(元外交官、評論家)が本日の自身のブログに「日本の全面譲歩が密約されていたTPP日米交渉の衝撃」という記事をアップしています。このTPP日米交渉についての日本のメディアの一般的な論調は「環太平洋パートナーシップ協定(TPP)をめぐる日米協議は25日、大筋合意には至らないまま『今後の道筋』を確認するにとどまった」(毎日新聞 2014年04月26日)というものですが、天木さんはけさのTBSの報道を援用して同交渉は「大筋合意には至らな」かったというのは日本国民をごまかすために安倍内閣によって「捏造」されたジェスチャーにすぎず、実はアメリカ側の要求を全面的に呑む「密約」が合意されていたのだとみなしています。たいへん重要な指摘です。
 
はじめに天木さんのTPP日米交渉「密約」説をご紹介して、次に天木さんがその「密約」説の根拠としているけさのTBS報道を引用します。
 
日本の全面譲歩が密約されていたTPP日米交渉の衝撃
(天木直人のブログ 2014年04月26日)
 
けさ(4月26日早朝)のTBSが驚くべきニュースを流した。
 
すなわち、オバマ訪日でも最終合意に派至らず協議は継続されたはずのTPP日米交渉が、実は合意されていたというのだ。
 
これが事実なら。国民はいい面の皮だ。完全にだまされたということになる。
本ブログの「今日の言葉」の2014年4月7日から同年4月23日にかけての記録です。

イギリス(ハワード)

学生による占拠が3月18日から続く台湾の立法院。(略)学生たちが抗議しているのは、与党国民党が、中国との経済協定の承認を強引に進めようとしたことだ。「選挙で選ばれたら、任期中、何をやってもいいというわけじゃないと思う。こんな大事なことを審議もせずに、30秒で決めるなんて、台湾の民主主義の否定です」学生代表の一人、曽栢瑜(ツォンパイユイ)さん(22)は、立法院のなかに入ってきた私に対し、勢いよく訴えた。(略)――議会占拠も、民主主義の否定ではないですか。「通常ならば、そうですよね。でも、代議員制度は完璧じゃない。今回の彼ら(与党)の行為には人々の声が反映されてない」世論調査で、学生たちへの支持は約4割。一方で、馬英九総統が学生と対話することを望む人は8割に上る。台湾の世論は複雑だ。(略)正直言って、分からなくなってしまう。民主主義って、いったい何なのか、と。(略)選挙で選ばれた政権は何でもできるのか――。台湾の学生たちが投げかける問いは、民主主義を信じる私たちすべてに向けられている。(朝日新聞 中国総局長 2014年4月7日
 
・チベット人は「天に日月あり、地に
ダライ・ラマパンチェン・ラマあり」という。では日月に次いでチベット高原に明るく輝く星は誰か。それはガランランパ・プンツォク・ワンギェルである。漢語表記は「平措汪傑」、略称はプンワン。彼はこの3月30日早朝7時に北京で亡くなった。92歳だった。この日、親しい新聞記者が北京から電話で「あなたが伝記を書いたプンワンという人が亡くなりましたよ」と知らせてくれたとき、私は全身の力が抜けた。しばらくして涙がわいてきた。悲しみはその過ぎこしかたがあまりに波乱に満ち、悲劇的であったからである。(略)チベット人は25年前十世パンチェン・ラマを、今日プンワンを失った。国内で民族を代表して発言できる権威ある人物はもういなくなった。(略)現行の民族政策が続く限り、ダライ・ラマなきあとのチベット高原は抑えが利かなくなって、新疆化・パレスチナ化・アフガン化する危険がある。もしそうなったら、いったい何のためにプンワンは身をそぎ骨をけずって苦闘したのだろうか。(リベラル21 阿部治平 2014.04.07
 
・「禁じ手」というものがある。(略)憲法に基づく政治でも、さまざまな「禁じ手」がある。集団的自衛権行使の違憲解釈や徴兵制違憲解釈など憲法が「やってはならない」と命じている場合は当然のこと、それまでの政権が批判的世論や憲法の精神を斟酌して、「やろうと思えばできたが、あえて 抑制してきたこと」もまた、長期にわたって形成されてきた「禁じ手」と言えるだろう。法律や国会決議の形をとらず、首相の国会答弁などの反復継続、その蓄積によるものも少なくない。武器輸出三原則、非核三原則などがそれであり、
P・J・カッツェンスタインのいう「準憲法的な」政治的了解である(略)。そのもつ意味は決して過小評価されてはならない。だが、安倍政権は「最高責任者のおれがルールをつくるのだ」と言わんばかりに、そうした長期にわたるこの国の「禁じ手」の蓄積を 「スピード感をもって」蹴散らしている。(「禁じ手」破り――武器輸出三原則も撤廃」水島朝穂 2014年4月7日)
 
・朝日・毎日・東京・日経・読売・産経の主要各紙すべてが、みんなの党・渡辺喜美の党代表辞任を社説で取りあげている。(略)各紙とも、「政治資金や選挙資金の流れには徹底した透明性が必要」を前提として、「渡辺の代表辞任は当然」としながら、「これで幕引きとしてはならない」、「事実関係とりわけ8億円の使途に徹底して切り込め」という内容。渡辺の弁解内容や、その弁明の不自然さについての指摘も共通。(略)もの足りないのは、巨額の金を融通することで、みんなの党を陰で操っていたスポンサーに対する批判の言が見られないこと。政治を金で歪めてはならない。金をもつ者がその金の力で政治を自らの利益をはかるように誘導することを許してはならない。
DHC吉田嘉明は、その許すべからざることをやったのだ。(略)自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。その使いっ走りをした意地汚い政治家が渡辺。渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか。(澤藤統一郎 2014年4月8日

安倍政権の特徴の一つとして指摘できるのは、反知性主義である。「現代日本の反知性主義の…最大の特徴は、本人は高い知力を持っている権力者が大衆の反知性主義的感情を操作する、という図式が成立していないところにある。そうではなく、権力者自身が知的でなく、大衆に蔓延した反知性主義的感情と一体化し、その感情をますます活気づけ、ついには個別的な幾人かの権力者が反知性的であるのではなく、 政治 ・経済 ・ジャーナリズム といった社会的諸領域の支配層全体が反知性主義によって満たされるという事態が生じつつある」 (
白井聡『戦後』 の墓碑銘」;水島朝穂 2014年4月7日

・国民投票法改正案の共同提出者に自民、公明にくわえて民主党まで入っていたのには、先刻知ってはいたけれど、反吐がでる。(略)ファシズムの時代とはこういうものだ。改正案共同提出時に、超デカ耳の枝野幸男がいた。自衛権行使の要件を明文化した条項を憲法9条に追加し、憲法解釈の幅をできるだけ狭めることにより、野放図な軍拡に歯止めをかける――というのが持論らしいが、なんのことはない、安倍内閣の憲法死文化、9条破壊作業の助っ人となっているだけだ。かんたんな言葉で言うと、「裏切り者」である。ファシズムの時代とは裏切りの季節なのだ。「歴史は終わり、マスメディア(ダニのシステム)の騒音が風景に充満している」。
引用者つけたし:辺見の文は実は次のように続いている。「コブシが散った。ヤマブキが咲いた。(略)アパートの階段をあるいていたら、遊んでいたクソガキが仲間に大声で言った。『ロージンを通してやれ!』」。私はこの箇所でおもわず吹き出してしまった。(辺見庸「日録12」2014/04/09

・もう二十数年前のことだ。私立大で国際法を研究していた教授の元に、一通の手紙が届いた。差出人は外務省で国際法の解釈を担当する部署の課長。教授が書いた論文の内容は我が国の立場と異なる、と記されていた。自分は国のために論文を書いたわけではない。在野の研究者が政府と違う見解を持つのは当たり前だ。それなのに、外務省の官僚が、ああしろこうしろと言ってくるのはおかしくないか。教授は反論をまとめて返事を書いた。やりとりはそれで終わったが、上から国の考えに従えと押しつけられた気がして、後味が悪かった課長はその後、順調に出世の階段を上り、省を代表する「国際法の権威」となった。昨年夏には内閣法制局長官に抜てきされる。集団的自衛権の行使容認を目指す安倍内閣で、法制局勤務経験がないまま長官を務めている
小松一郎氏のことだ。(「発信箱:課長からの手紙=木戸哲」毎日新聞 2014年04月10日
4月18日付けの毎日新聞はウクライナの次期大統領候補として立候補を表明しているユリア・ティモシェンコ氏の最近の動静を次のように報じています。
 
【ドネツク田中洋之】ウクライナのティモシェンコ元首相は18日、東部ドネツクで会見し、州政府庁舎などを占拠する親ロシア派勢力と事態打開のため直接協議する考えを示した。自ら立候補している来月25日の大統領選は国内情勢安定に重要で、延期すべきではないと述べた。また米露と欧州連合(EU)、ウクライナの4者協議について「(危機の)政治的解決につながる」と評価する一方、ロシアの特殊部隊が東部の不安定化に関与していると批判し、撤収を求めた。最新の世論調査によると、大統領候補の支持率はポロシェンコ元外相が28%とトップで、ティモシェンコ氏は13%で2位に付けている。ポロシェンコ氏は親欧米派の候補一本化のためティモシェンコ氏に出馬取り下げを呼びかけているが、ティモシェンコ氏は拒否している。(「ウクライナ:ティモシェンコ氏 親露派と直接協議の意向」毎日新聞 2014年4月18日)
 
ティモシェンコ元首相 
ウクライナ東部ドネツクで会見する
ティモシェンコ元首相=2014年4月18日、
田中洋之記者(毎日新聞)撮影


しかし、このティモシェンコという「美しすぎる」元首相は同首相職を2度つとめたことがあるものの、国庫に入るべきガス輸送収入を何百万ドルも抜きとって着服し、政治資金にしていた罪(職権乱用罪)で7年の刑が確定し、極右政権の樹立時に超法規的措置によって釈放されるまで服役していたといういわくつきの女性(田中宇の国際ニュース解説 2014年4月18日)。
 
しかし、なんといっても、この女性の最大のいわく(こみいった事情)は、つい最近のこと、彼女が電話で「東ウクライナの親ロシア派連中を是非とも核攻撃で灰にしてやりたい」「我々が銃をつかんであのロシア野郎どもをその指導者と一緒に殺す時がきた( “It’s about time we grab our guns and kill those katsaps [a derogatory Ukrainian word] together with their leader,” )」などとロシア戦争とプーチン大統領の殺害を示唆する話をしていたことが盗聴されていた一件でしょう。その電話の会話の模様は英語字幕付きビデオで見る(聴く)ことができます(「ウクライナをめぐるメディア戦争」童子丸開訳)。
 
以下は、そのユリア・ティモシェンコ元首相を主人公にした最新のウクライナ情勢記事です。この記事の筆者は次のような言葉で記事で締めくくっています。「アレ-ユリア! 民主主義と遵法は張り付け(磔:引用者)にされてしまい、我々は、欧米によるウクライナにおける政権転覆という救済にひざまずくよう期待されているのだ」(以下、強調は引用者)。
京都の岩佐英夫弁護士から前エントリ記事に関して「安倍政権の『積極的平和主義』の意味について」というコメントをいただきました。安倍首相のいう「積極的平和主義」というバナーの政治的意味を考える上で重要な指摘だと思います。前エントリの追加情報として掲載させていただこうと思います。
 
安倍政権の「積極的平和主義」の意味について  
京都  岩佐英夫
 
安倍政権がキーワードとして繰り返す「積極的平和主義」の意味については、私は2013年12月17日の「国家安全保障戦略(NSS)」が、現時点で彼らがめざす国家像を示すものとして極めて重要だと思います。
 
同戦略の重要な点として次の点を指摘できます(引用の頁数は外務省HPからダウンロードできる「国家安全保障戦略」の(引用者:本文下段の)頁数です)
 
、冒頭で、1957年(昭和32年)5月20日「国防の基本方針について」を56年半ぶりに変更と謳っています。これは、専守防衛(cf1954年7月1日 自衛隊発足)から → 集団的自衛権行使容認へ大きく転換することを意味すると思います。
 
、同戦略は、基本理念として「国際協調に基づく積極的平和主義」を繰り返し強調しています(4頁等)
 
しかしながら、「国際協調に基づく積極的平和主義」の中身について、次のように明確に述べています。
 
即ち、第1の目標は:必要な抑止力の強化 4頁
 
第2の目標は:日米同盟の強化 4頁
 
アメリカの核を中心とする抑止力強化:13頁
 
最終担保は防衛力 13頁
 
防衛装備品の共同開発の進展に伴い、武器輸出三原則を廃止、単なる管理原則に置き換え 16頁
 
(2014年4月1日の閣議決定で具体化)
 
これにより、「国際協調に基づく積極的平和主義」なるものの正体が明らかです。 
 
、次に、同戦略は、”日本は国際社会における主要プレーヤー”などと自画自賛し大国主義をぎらつかせています。 1頁
 
、「国家安全保障会議」(NSC)を「司令塔機能」と明確に位置づけ 1頁
 
、「特定秘密保護法」成立を踏まえ、情報収集体制の抜本的強化 16頁
 
、最後に注目しておくべきことは、「我が国の常任理事国入りを含む安保理改革の実現を追求する」(25頁)と述べている点です。
 
これは、集団的自衛権の議論との関係でも重要です。
 
アーミテージ第2次報告は、「日本の国連安保理常任理事国入りの願望」について
 
「自ら課した制約をめぐる日本での議論は、国連安保理常任理事国入りへの日本の願望と表裏一体である。」「常任理事国となれば、日本は時には武力行使を含む決定を他国に順守させる責任をもった意思決定機関に加わることになる。ありうる対応のすべての分野に貢献することなく意思決定に参加するというその不平等性は、日本が常任理事国となろうとする際に対処すべき問題である。」と指摘。この面からも日本が海外での武力行使に踏み切ることを要求している。(引用者:「日本への勧告」5参照)
 
*注:アメリカは、言いなりになる日本を安保理常任理事国にすること、そのため武力行使への制約・「自ら課した制約」=憲法9条を改憲せよという要求をおしつけています。
 
同日決定された、防衛大綱も中期防も、同戦略をふまえています。
毎日新聞の本日付けの「風知草」の記事のタイトルは「大きく、どう変わる?」というもの。その記事の書き出しは次のような文章ではじまります。
 
17日朝、東京のホテルオークラで行われた安倍晋三首相の講演の中に、こういうくだりがあった。/「日本とは、時至れば大きく変わる国です」(略)/翌日、くだんの講演を聞いたという知日派のアメリカ人と話すと、彼は達者な日本語で慨嘆した。/「なんであんなこと言うのかって思ったね。あれはマズイですよ……」/なぜ、マズイか。/安倍にしてみれば、経済再生にかける決意を示したまでのことだろう。/が、国際社会はそうは受け取ってくれない。
 
山田孝男記者の言うように17日のホテルオークラの講演で「日本とは、時至れば大きく変わる国です」と語った安倍首相の言説の意図はほんとうに「経済再生にかける決意を示した」ものだったのか? その真偽を確かめるために「首相官邸」のホームページに当日の安倍首相の講演内容がアップされているのでそれを見てみました。
 
ジャパン・サミット2014 安倍内閣総理大臣基調講演
(首相官邸「記者会見」 平成26年4月17日)

安倍首相は「日本とは、時至れば大きく変わる国です」というくだんの言説の前後で要旨次のように講演しています。
 
「日本のフロンティアは、アジア・太平洋すら超え、中南米へ、アフリカへと広がる時代です。であれば、これまでの内向きな姿勢は、完全に捨て去らなければなりません。日本とは、時、至れば、大きく変わる国です。この、1年余りという僅かな間に、私たちは、今述べてきたような様々な改革の必要性を、ごく普通に、議論するようになりました。伝統の良さを大切に残したまま、日本社会は多様性を認める方向に、それも、寛いだ態度で、日本的なやり方で認める方向へ、今加速度をつけて、変わろうとしています。変わらないもの、変えてはならないものもあります。新しい日本の、新しいバナー、「積極的平和主義」を支える、私たちのトラック・レコードのことです。そして、日本の自衛隊。変化する日本で、不易のものとは、こうした私たちの、生き方そのものです。デフレーションが、日本をうつむかせ、ともすれば内向きにしたのだとすると、成長に向かって、再び上を向いて歩きはじめた今、世界の繁栄、安定を支え、安全を自ら担う気概を、私は「積極的平和主義」のバナーに託します。私の言う「積極的平和主義」には、そういう意味を込めています。アベノミクスは、だからこそ、成功させなければなりません。御清聴ありがとうございました。」
 
上記の安倍首相の講演を「経済再生にかける決意を示したまでのこと」とみなすことはできるか。できません。東京のホテルオークラで行われた英誌エコノミスト主催の講演では安倍首相は明らかに「積極的平和主義」の重要性について語っています。

そして、安倍首相の言うその「積極的平和主義」とは、同首相のオトモダチのNHK経営委員の長谷川三千子氏がこの4月15日にあった外国特派員協会での記者会見で「積極的平和主義は、戦争に近づくという危険が常に伴う」「積極的平和主義(略)には、軍事力が(略)論理的に必要」と安倍首相の言う「積極的平和主義」のバナーの意図するところを真率に語っていることからも、同主張は解釈改憲による「集団的自衛権限定容認」論を指していることは「論理的に」ほとんど明らかです。
 
山田孝男記者が右派的な思想のパトス(情動)を持つ自身の素性を再び、三度明らかにした記事として、私たちは以下の「大きく、どう変わる?」という記事を記憶しておく必要があるでしょう。また、ときの権力者の言説に迎合し、その権力と対抗しようとしないジャーナリストの「精神」とはなにか。山田孝男記者は、その「精神」とは、「貧困なる精神」であることをこれもやはり再び、三度私たちの前に明らかにしてくれました。同記者のその「正直さ」については私は評価してもよいと思っています。
以下の東京新聞特報記事は共有しておくべきだと思います。
 
福島県の県民健康調査では福島県と福島県立医大は福島第1原発事故と小児甲状腺がんの関連について一貫して「関連は考えにくい」と否定してきましたが、同調査はこれまで「チェルノブイリ事故で放射線の影響が出たのは4年後」という話(WHOUNSCEAR(国連放射線影響科学委員会)の報告)を前提にして行われており、先月まで事故後3年間の小児甲状腺がんの発生状況や有無についてはまったく調査していなかったことを私は下記の記事ではじめて知りました。
 
調べもしないで、「関連は考えにくい」などとどうして弁じ、否定することができるか。行政はハナから上司から命じられれば「黒」でも「白」というマリオネット集団、かつ、「小役人根性」(ドストエフスキー)の集合体と観念して思うこともできますが、県立医大の教授(医師)たちの態度は「合理と実証をむねとして、真理を探求」(科学者憲章)することを旨とするべきはずの科学者の態度だとはとても思えません。むろん、これとても、権力におもねる「白い巨塔」に群がる医師たちの出世の梯子を上るための「見ざる、聞かざる、言わざる」と観念できないわけではありません。
 
福島原発事故の県民健康調査が八方ふさがり
(東京新聞:こちら特報部 2014年4月20日)
 
福島原発事故の健康影響を調べる福島県の県民健康調査に、内部から「NO」の声が出始めた。焦点の事故と小児甲状腺がんの関連について、県は一貫して「関連は考えにくい」と否定してきたが、専門評価部会メンバーである東京大医学部の渋谷健司教授が先月の部会で「いまの検査の仕方では評価できない」と県の姿勢に異議をとなえた。県は無視を決め込むものの、結論ありきの調査はもはや崩壊寸前だ。
(榊原崇仁)
 
「がん発症 関連なし」に異論 内部から「評価できぬ」
 
「検査の全面的な見直しは避けられない」
 
世界保健機関(WHO)の元職員で、病気の原因の統計分析が専門の渋谷教授は取材にそう語った。
 
渋谷教授が委員の甲状腺検査評価部会は「県民健康調査検討委員会」の専門部会。昨年11月以降、甲状腺検査の結果などについて議論している。3月に2回目の会合があり、渋谷教授は席上「放射線の影響は現状のまま検査を続けても評価できない」と話した。
以下は、『さざ波通信』という「現代日本政治における日本共産党の役割、課題」を「批判的見地から検討し議論するサイト」の「一般投稿欄」に掲載されている原仙作氏(おそらくペンネーム)の東京都知事選における「革新」の敗北の主因を「共産党のセクト主義」に見る論攷のご紹介です。同都知事選における宇都宮健児氏の選挙母体としての「希望のまち東京をつくる会」が果たした負の役割(いわゆる「宇都宮健児君、立候補はお辞めなさい」問題)についても詳しい分析が試みられています。『さざ波通信』という媒体自体については私は必ずしも好意的な見方をしていません。というよりも、批判的な見方をしているのですが(動機が不純な共産党批判が多く散見されるなどの点)、この原仙作氏の論攷は「政治革新」のありようの問題について見透しのきいた問題視点を提示していて、私は秀逸な論攷だと思います。同感しうるところが大です。以下、ご紹介させていただこうと思います(以下、強調は引用者)。

 
(1)、はじめに
 都知事選の結果は、予想されたこととはいえ、奇跡的などんでん返しは起こらず、口先男の舛添の勝利に終わった。何ともはや、やりきれない気分だが、自説の検証とネット上に見られる主な批判への応答はしておくことにしよう。
 
 ネット上の論調をみると、宇都宮支持派が細川に勝ったと意気軒昂であり、主敵が誰であったかを忘れたような高揚ぶりが目につく。この現象はここ10年以上にわたって負け戦続きであったゴリゴリの共産党員の鬱憤晴らしか、あるいは福島原発事故後に政治に目覚めた経験不足の若者達の存在を示すものであるが、他方では同じ社会事情が極右の田母神の61万票をも生み出している。
 
 また、「ノーサイド」の声もあるものの、半世紀にわたる原水禁運動の分裂が何をもたらしたかということを念頭に置く時、宇都宮派、特にその本隊である志位ら共産党の誤りを明確にしておくことはやはり必要なことである(引用者注:私は現共産党・志位体制は「六全協」以後最大といってよい「知的後退(インテリジェンス=メンタリティー・ハザード)」体制だと思っています。共産党への「信頼」は失われていくばかりです)。
 
(2)、主要な論点の概略
  長くなりそうなので、先に総論的なところを書いておこう。
 
  その第一は細川と宇都宮の得票を合計すると194万票もあり、細川・小泉拒否派の石頭の連中の票を除いても、細川で一本化できれば、生活の党の小沢も言うように、脱原発派にも十分な勝機があったということがひとつ。
 
 なぜ細川なのかと言えば、国民の脱原発政策支持率は約7割あり、脱原発政策を掲げながら、左翼嫌いの中間・保守層の脱原発票を取り込めるのは細川だからである。事実、前回と比較すると、脱原発票は宇都宮の97万票だけだったものが、今回は194万票へと拡大している。この194万票は投票総数493万票の約40%にすぎず、まだまだ、有権者を呼び込める「伸びしろ」があったのであるが、出口調査(朝日2月10日付)では、舛添に脱原発票の3割(100万票)が流れている。
 
 第二は、宇都宮票が細川票より26535票多かったことをもって、一本化するならば宇都宮での一本化が正しく、細川での一本化論は誤りであるという主張についてである。どこかの共産党系の大学教授は、得票数の多い宇都宮は細川より当選可能性が高かったとまで言っているようであるから(引用者注:おそらく五十嵐仁氏(今年の3月まで法政大学教授。定年退職)のブログの「東京都知事選挙の結果について」という記事あたりのことを言っているのでしょう)、熱心な宇都宮派にはこの得票差が金科玉条のようにみえるのであろう。
 
 しかし、このような主張は得票差を単純に比較しただけの視野狭窄、全く馬鹿げた見解なのであって、何のための一本化論議であったのかがすっかり忘れられている。200万票の基礎票を持つ舛添に勝つための戦術なのであって、その戦術の目的からすれば、単なる得票差ではなく、総投票数との関係で見なければ意味はない。
今回は、田中宇さんとポール・クレーグ・ロバーツ氏(元経済政策担当財務次官補、ウオール・ストリート・ジャーナル元共同編集者)のおふたりの日米のジャーナリストのウクライナ、クリミア情勢の現状読解と解説をご紹介したいと思います。もちろん、「マスコミに載らない」ジャーナリストとしてのクリアな目で見た情報分析です。浅井基文さん(政治学者)、小倉利丸さん(富山大学教授)の研究者的視点のジャーナル版といってよいかもしれません。
 
世界を戦争に押しやるアメリカ政府
(マスコミに載らない海外記事 2014年4月18日)
 
Paul Craig Roberts
2014年4月14日
 
政権初期、ソ連支配者達が愚かにもウクライナに編入した為、大半が元ロシア領だった、ウクライナの東と南の地域のロシア人分離主義者達に対する軍事的弾圧を開始するべく、CIA長官がキエフに派遣された。
 
ウクライナのうち、ロシアのものであり、ロシア語が話されている地域が、ロシア語を話す住民達の迫害に屈して、EUとNATOへの取り込みを支持する可能性など少ないことを、アメリカ政府のウクライナ奪取計画は見過ごしていた。アメリカ政府は、ロシアを黒海海軍基地から追い出すつもりだったクリミアを失ってしまった。ウクライナ奪取計画がうまく行っていないのを認める代わりに、アメリカ政府は失敗を認めるわけにゆかないので、危機を一層危険なレベルへと押しやっているのだ。
 
もし旧ロシア領がロシアに戻り、ウクライナが分裂すれば、アメリカ政府は、キエフで自分がが仕掛けたクーデターの結果、ウクライナの旧ロシア州をロシアに復帰させることになって恥ずかしい思いをすることになる。この屈辱を避けるべく、アメリカ政府はこの危機を戦争へと追いやっているのだ。
 
CIA長官は、アメリカ政府が抜てきしたキエフ傀儡政権に、ロシアの支援とされるものを得て、ウクライナ攻撃している“テロリスト”を撃退する為の支援を国際連合に申請するよう指示したのだ。アメリカ政府の語彙では、自決というのは、ロシアによる干渉の印なのだ。国連というのは、本質的に、アメリカ政府が資金提供をしている組織なのだから、アメリカ政府は自分が望むことを得られる。
 
ロシア政府は既に数週間前、東と南ウクライナの抗議行動参加者に対する暴力の行使は、アメリカ政府が、グルジアの傀儡支配者に、ロシアの平和維持部隊と南オセチアのロシア住民を攻撃するよう指示した際、南オセチアでロシアが、そうすることを強いられたと同様、ロシア人保護の為、ロシア政府は、ロシア軍を派兵するよう強いられることになるのをきっぱりと明らかにしている。
 
アメリカ政府の傀儡諸国のうちの一国がロシア人を攻撃するのを、ロシア政府が座視することができないことをアメリカ政府は知っている。それでも、アメリカ政府は、この危機を戦争へと追いやっている。
 
ロシアにとっての危険は、ロシア政府が、外交、国際機関、国際協力や、ドイツ政治家達や、ヨーロッパの他のアメリカ傀儡諸国の政治家達の常識や私利私欲に頼ろうとしていることだ。
 
ロシアにとって、これは致命的な誤りとなりかねない。アメリカ政府に善意など皆無で、あるのはウソだけだ。ロシアの遅れにより、アメリカ政府はロシア国境と黒海に兵力を集結させ、プロパガンダでロシアを悪魔化し、アメリカ国民を戦争熱に駆り立てる時間が得られた。この戦争熱は既に置きつつある。
浅井基文さん(元外交官、政治学者)の「アメリカ・オバマ政権の対ウクライナ政策 -ウクライナ問題における争点⑤-」です。今回は「ウクライナ問題」をつくりだした張本人(論拠については浅井さんの紹介される以下の中国メディアの3つの論をご参照ください)といってよいアメリカに照準を合わせて、そのオバマ政権の「対ウクライナ政策の4つの大きな誤り」(中国メディアの論の援用)を指摘しています。
 
日本共産党はいまだに「ロシアの軍事介入によるクリミア併合」という経済大国ニッポンの政府とメディアの「偏見」に彩られた無知蒙昧な見解及び報道となんら変わらない見方を改めていませんが、自党のウクライナ情勢の見方の誤りについて一日も早く気づいていただきたいものです。いま、「理論」以前の問題としての長年築き上げてきた(はずの)同党の科学的な「事実認識」のありようの問題が根底的に問われている事態であることに同党は一刻も早く思い至るべきでしょう。
 
主張 ウクライナ問題 ロシアは領土の侵害やめよ(しんぶん赤旗 2014年3月13日)
ロシアはクリミア併合を撤回せよ 世界の平和秩序を覆す覇権主義は許されない 志位委員長が声明(しんぶん赤旗 2014年3月20日)
 
以下、浅井さんの中国メディアの3つの論の紹介(以下、強調は引用者)。
 
アメリカ・オバマ政権の対ウクライナ政策 -ウクライナ問題における争点⑤-(浅井基文 2014.04.18)
 
  私は、アメリカ・オバマ政権の対外政策に対しては極めて批判的な見方であり、アジア回帰・リバランス戦略を含めて評価に値するものは何もないと見ています。ウクライナ政策に至っては、素人目ながら最悪だと考えています。中国の見方は私の素人としての見方を裏づけるものです。
 
  そういうものとして今回は三つの文章を紹介します。
 
  最初の劉治琳署名「オバマはウクライナで4つの大きな誤りを犯した」(3月19日付環球網掲載)は、オバマ政権のウクライナ政策の根本的な誤りを簡潔明瞭に指摘した、私もまったく同感の文章です。劉治琳は元外交官で、国際問題について健筆をふるっている人物です。
 
  次の文章は昨日(4月17日)付の環球時報社説「ウクライナ激動 民主か反逆かについては西側のツルの一声」です。ウクライナ東部の情勢が緊張の度を深め、内戦に陥る危険性を深刻に懸念しつつ、アメリカ・西側の対ウクライナ政策における二重基準を正面から糾弾しています。
 
  三つ目の文章は同じく昨日(4月17日)付の人民日報に掲載された「オバマのウクライナ問題に対する姿勢は国内の批判に晒されている」という短い文章(無署名)です。オバマ政権に対ウクライナ及び対ロシア政策の根本的変更を促す内容には私もまったく同感です。
 
1.劉治林文章
 
 世界的に公認されているとおり、クリミアの住民投票(3月16日)はオープンかつ透明性が確保されたものだった。ガラス製の投票箱、ビデオによる監視、23ヵ国から来た70人以上のオブザーバー(欧州議会や各国の議員、国際法問題専門家、著名な政治家等々)、さらに大勢のアメリカその他西側の記者が各投票所現場で取材した。何かあら探しをしなければ気が済まない西側の記者も満足を表明した。彼らはいかなる制限も受けずに好きなところで取材できた。
ぼくたちの23日間戦争」(朝日新聞 2014年4月17日)は「成功」したのだとしても、立法院を占拠した学生たちの「政党政治」拒否の姿勢は、「各所に『政党を論じるのは止めよう』と印刷された小さなステッカーが貼られている」という岡田充さんの記事中の記述からもわかりますが、そうした学生たちの「政党政治」拒否の姿勢を「立法院占拠は、街頭行動という直接民主に訴えた点で『アラブの春』をはじめ、タイ反政府運動、ウクライナ政変と通底するものがある」、あるいは「新地平」などと単色系のフレームの色合いで「評価」してしまうことは正しいことか?
 
岡田充さんの記事を読んで、私が疑問に思ったのはそういうことです(その私の感想は「ぼくたちの23日間戦争」の読後感想にもあてはまります)。
 
というのも、私は、浅井基文さん(元外交官、政治学者)の以下のような見方があることを知っていますし、そして、その見方は、大筋で「当たっているだろう」とも思うからです。
 
「ウクライナでは2004年にオレンジ革命が起こり、2003年のグルジアにおけるバラ革命、2005年のキルギスにおけるチューリップ革命とともに『カラー革命』と称され、2010年のチュニジアを起点とする、『アラブの春』と総称される中近東北アフリカ諸国における民主化運動とともに、日本を含めた西側(特にメディア)においては手放しに歓迎する受け止めが支配してきました。しかし、中国においてはむしろ慎重な受けとめ方が主流です。その原因として日本をはじめとする西側メディアが指摘するのは、共産党の一党独裁体制をとる中国としては、チベット、新疆などでの少数民族の分離独立運動に波及することを恐れているからだというものがほとんどです。そういう要素は確かにあると私も思います。 しかし客観的に見た場合、カラー革命は軒並み失敗していますし、アラブの春ともてはやされた民主化運動も、チュニジアを除けば、おおむね大きな困難に遭遇し、むしろ深刻な混乱、内部分裂に陥っています。(「民主(カラー)革命の評価 -ウクライナ問題における論点②-」浅井基文 2014.03.31)
 
「私は人間の尊厳・人権・デモクラシーという普遍的価値の実現を目指すのが人類史の歩みだという確信を持っていますし、日本においてはこの普遍的価値を実現することが現実の最大の政治課題(そのためには安倍政治・自民党政治に引導を渡すことが不可欠)だと認識しています。しかし、デモクラシーを実現している欧米諸国の歴史を見れば一目瞭然であるように、人権・デモクラシー(政治的市民的自由)を実現するためには、生存権の確立(経済的社会的文化的自由の実現)が欠かせないとも確信しています。『デモクラシーは多様な顔を持つ』というのが私の確信であり、欧米式デモクラシーのみがデモクラシーだとする思い込みは厳に慎むべきだろうと考えるのです。」(同上
 
ウィンストン・チャーチルの以下の言葉ももう一度再反芻してみる必要はないか。そうも思います。
 
「実際のところ、民主政治は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた、他のあらゆる政治形態を除けば、だが。」
 
参考:
■「台湾立法院占拠、ぼくたちの23日間戦争」(朝日新聞 2014年4月17日)
 
■「政党政治を拒否した台湾学生 立法院占拠からみえる新地平」(「海峡両岸論」第45号 岡田充  2014.04.17)
 
これは日本における「緑の党」運動の評価の問題などにもつながっていく問題でもあるだろう、と私は思っています。
下記の神奈川新聞の記事を読んでいただきたい。
 
平和の創り方 伊勢崎賢治さん「犠牲者を出す覚悟はあるか」(神奈川新聞 2014.04.05)
 
ここで伊勢崎賢治はどのようなことを言っているか。
 
「(武器輸出解禁について)実のところ、あまり気にしていません
 
「僕は9条そのものを信じてはいない。9条のおかげで平和だというが、そんなのうそ。9条を押しつけてきた米国が守ってくれているから平和だったにすぎない」
 
外交的に使えるから(9条を)守れと言ってるんです。これだけの経済大国で戦争をしない(略)誤解しちゃいけないのは、そのイメージは9条のおかげではないということです」
 
日米両国の利益になる9条を大切にしていかなければならない」
 
「テロとの戦いにおいて日本も集団的自衛権を行使して参戦すべきだと思います」
 
これが2014年4月5日現在の伊勢崎賢治の主張です。とんでもない「平和主義者」だといわなければならないでしょう。
 
伊勢崎は同紙で次のようにも言っています。
 
「『9条は日本にはもったいない』と新聞に寄稿したら、護憲団体から講演に呼ばれなくなりました」。
 
その「『9条は日本にはもったいない』と新聞に寄稿」した記事とは5年前の2009年5月2日の朝日新聞の記事のことです。
 
憲法9条は日本人にはもったいない・伊勢崎賢治/朝日新聞(5月2日朝刊)(薔薇、または陽だまりの猫 2009-05-03)
 
伊勢崎が「護憲団体から講演に呼ばれなく」なったといういわくつきの記事を「薔薇、または陽だまりの猫」ブログはなんの批判的コメントもつけずに、というよりも肯定的に紹介しています(同ブログ主宰者のBARA氏は自身のおめがねにかなわない記事をアップする場合は記事の前に「参考」という語を記すのが常ですが、ここには「参考」という語はありません)。
 
朝日新聞の記者自身もこの記事の「取材を終えて」で伊勢崎を次のように称賛しています。
 
「目力のある人だ。平和から遠い土地で、軍や武装集団を前に命をさらして戦ってきたことがうかがえる。」

この記者の「目力」にも恐れ入ります。
 
また、上記のとんでもない伊勢崎発言が掲載された4月5日付けの神奈川新聞の記事が出た後も「マガジン9」なる「護憲派」のニュース媒体は伊勢崎賢治を「護憲派」のオピニオンリーダーとしてなお奉り元防衛官僚の柳澤協二氏との講演会企画の参加者を募集などしています( 「マガジン9」2014.4.9号)。

マガジン9 
2014年5月25日(日)
13時半~16時(開場13時15分)
@新宿NPO協働推進センター
参加費 2000円(学生1500円)/中学生以下無料
ペア割引(2人で3000円)
 
これが現在の「護憲派」を自称する人たち、「護憲派」を称するメディアの現状、ていたらくです。
 
以下のZED氏の指摘はまったくの正論というべきでしょう。
 
伊勢崎賢治が最近スゲー事になっていた
(Super Games Work Shop Entertainment  2014年04月14日)
小倉利丸さん(富山大学教授。ピープルズ・プラン研究所共同代表)が前回に引き続いてさらにウクライナの社会学者のヴォロディミール・イシュチェンコの論を訳出されています。ウクライナ、クリミア情勢の見方(20)としてご紹介させていただこうと思います。
 
ヴォロディミール・イシュチェンコ(Volodymyr Ishchenko): マイダンか反マイダンかなのか?ウクライナの状況を理解するには微妙な差異を理解する必要がある。我々は双方の進歩的な側面を支持し、双方の偽善的な正当化に加担すべきではない。(小倉利丸ブログ 2014-4-16)
 
訳者前書き
ウクライナ情勢についての日本の報道は、東部ウクライナの反キエフ政府運動がロシア政府が糸を引く軍事集団によるものであるかの報道一色である。しかし、そうであっても、テレビのインタビューに答える人々は、重装備した民兵風の人物たちとは対照的に、自分たちの生活の窮状を訴え、キエフの新政権への不信を口にしているように見える。民衆の欲求と具体的な抗議の姿は一つではなく、複雑な様相をもっているのだが、これを、西と東の大きな権力(EU-USとロシア)が、国益のために利用しようとするなかで、マスメディアは問題を、欧米=善、ロシア=悪とみなし、民衆の運動もこの両者のどちらであるかの色分けをすることで極端な単純化をしようとしてきた。しかし、親西欧政権に極右が参加しているといったことが明確になると、戸惑いを見せるが、それでも、極右の参加がもつ深刻な意味をむしろ軽視しているようにみえる。言うまでもなくこうした日本のメディアの態度は、日本政府の態度とほとんど変らない。以下に訳出したイシュチェンコのエッセイは、4月14日に書かれたものだ。彼は、メディアや東西の政府が主張する善悪の構図を認めない。東西の帝国主義もナショナリズムも認めない。この一見すると困難な立場は、空想ではなく、それこそが、マイダンにも反マイダンにも見出せる民衆の抵抗の根源にあるものだという確信が彼にはあるように思う。これは、この国のマスメディアが無視している重要な観点である。
 
他方で、日本の左翼あるいは社会運動のなかでウクライナの問題は、未だに積極的に議論しうるところにまでは至っておらず、論争にすらなっていない。これは、「アラブの春」、ギリシアやスペインなど南欧の反政府運動などからトルコ、ボスニアから、タイや台湾の運動に至るまで、おしなべて国内の運動との関わりで、とらえるところには至っていないように見える。東欧であれ旧ソ連圏であれ、いわゆる「社会主義」を経験した諸国における根強い極右や反ユダヤ主義の存在は、今現在の資本主義や新自由主義の問題に還元して済ませられる問題ではなく、「社会主義」の時代にこうした問題、つまり、民族問題が解決されないまま、集合的な無意識に内部に抑圧されたに過ぎなかったということを示しており、これは、左翼であれば徹底した総括が必要な問題である。私が言っているのは、スターリン主義の誤謬ではなく、トロツキズムに解答があるという問題でもなく、より根源的なコミュニズムの再定義の必要を言っている。 
私は昨日の本ブログの「今日の言葉」に熊田一雄さん(宗教研究者)の以下の言葉を引用しました。
 
外傷的事態は、「しばしば語りえないものをあえて語る」ために、ストーリーは、一般に、現像中の写真のように、もやもやしたものが少しずつ形をとってくることが多い。ここで、治療者があせってはよくない。好奇心が先に立つようではすべては失われる。治療者内面の正義感はしばしば禁じ得ないが、治療の場の基底音としては、むしろ、慎ましい「人性(あるは運命)への静かな悲しみ」のほうがふさわしい!だろう。外傷はすべての人に起こりうることであり、「私でなくなぜあなたが」(神谷美恵子)とともに「傷つきうる柔らかい精神」(野田正彰戦争と罪責』)への畏敬がなくてはなるまい。(略)私は木嶋佳苗被告は、性的虐待によって引き起こされた解離性パーソナリティ障害(俗にいう多重人格)ではないか、と強く疑っています。「毒婦たち」(上野北原信田)は、好著だと思いますが、執筆者たちが被告を、「目的」ではなく、自分の政治的主張のための「手段」として位置づけている側面がなくはないと思います。正直言って、「毒婦たち」には、被告に対する「静かな悲しみ」が不足している印象があります。(熊田一雄の日記 2014-04-13
 
上記の熊田一雄さんの『毒婦たち』の感想を読んで、私は熊田さんに以下のようなコメントを書いて返信しました。
 
「熊田さんのご感想はヒューマニストとしてまっとうなご感想だと思います。私たちはフェミニストである以前に(男・女である以前に)ヒューマニスト(人間)であるはずですから。引用も勉強になりました。」
 
下記は、かつて(4年ほど前)あるジェンダー問題を主題とするメーリングリストにおいて「政治」と「ジェンダー」問題との関わりはどうあるべきかについて議論したときの私の意見の一部です。文中に「本ML」、あるいは「このメーリングリスト」とあるのは同メーリングリストのことを指します。熊田さんの読後感想に触発される形でかつてジェンダー問題について書いた私の文章を想い出しました。上記のジェンダー問題に対する私の思いをもう少し説明的に述べれば以下のようになるのかもしれません。
 
「政治」と「ジェンダー」の関わりについて少し述べます。
 
ジェンダー運動に携わる多くの人たちにとっては常識の部類に属するといってもよいと思うのですが、フェミニズム運動のこれまでの最大の理論的功績といってもよいものは、いわゆる近代産業革命るものが「女」に家事・育児労働という長時間労働にしてかつ不当な不払い労働でもある「主婦」なる職種を誕生させたこと、「男は外/女は家庭」という性別分業の倫理規範をつくりあげたこと、それは18世紀後半以来の「男性優位」社会の形成過程と密接にリンクしていること、を明々白々にかつ強い説得力をもって天下に知らしめたことといえるでしょう。 
小倉利丸さん(富山大学教授。ピープルズ・プラン研究所共同代表)は、ウクライナ問題に関して、今回は、その当事国であるウクライナの独立系左翼のマイダン運動に対する政策提言に着目し、同提言を訳出、紹介されています。
 
小倉さん曰く。
 
「ウクライナにおける独立系の左翼の影響力は小さく、この宣言が実際にどれほどの社会的な影響を持ったのかは不明である。しかし、ここで提言として列挙されている内容は、20世紀社会主義を経験した地域が、資本主義への転換を経た後に、再度社会主義を志向するという場合、何が核心的な課題になると考えられているのかを知る上で重要だと考える。」
 
宣言:ウクライナにおけるthe Left Oppositionの10のテーゼ
(小倉利丸ブログ 
2014-4-14)
 
以下に訳出したのは、今年1月に発表されたマイダンの運動に対する左翼からの対案ともいうべき政策提言である。ウクライナにおける独立系の左翼の影響力は小さく、この宣言が実際にどれほどの社会的な影響を持ったのかは不明である。しかし、ここで提言として列挙されている内容は、20世紀社会主義を経験した地域が、資本主義への転換を経た後に、再度社会主義を志向するという場合、何が核心的な課題になると考えられているのかを知る上で重要だと考える。この提言には、ウクライナが抱えている焦眉の課題、地域の格差あるいは産業構造の違い、や文化的な多様性と対立、対外的な政治的経済的な依存問題(対ロシアと対EU+米国)への言及がない。農業問題やエネルギー問題(チェルノブイリ原発に象徴される過度な原発依存とロシア依存)などへの言及もない。多分これら全ての問題は、この提言がターゲットとした新興財閥問題に収斂させうるのかもしれないが。
 
2014年1月14日
宣言:ウクライナにおけるthe Left Oppositionの10のテーゼ
 
『LeftEast』編集委員会による注:『LeftEast』の編集者の観点から、ここに掲載した宣言は、ウクライナの左翼の少数派を代表しているとともに、広範な読者に読まれるだけの価値のある非常に重要で検討に値いするドキュメントである。我々の見解を追加した上でこの宣言をウエッブに掲載する。『LeftEast』の編集者は、ブルガリアやロシアの左翼のあいだで起きている「抗議運動で何をなすべきか」を巡る論争を,我々とは立場を異にしつつも、十分承知している。イリヤ・バドレイツキのウクライナに関する12月13日のテクストは、この宣言に極めて近いものがあり、我々は、ウクライナの運動を報じる場合、これまでもマイダン運動に批判的なアプローチを取ってきたことを自覚している。しかしまた、我々の目標は、積極的で見識のある議論を提供しつづけることにあることも自覚している。
浅井基文さん(元外交官、政治学者)の「ロシアの「拡張主義」 -ウクライナ問題における争点④-」。浅井さんは今回は「プーチン・ロシアの大国主義・拡張主義」問題の背景にある「自国の安全を守るにはあまりにも不利な地勢的条件がロシアをして拡張主義に駆り立ててきた」というロシア固有の事情に焦点を当てて、「ロシアをして身構えざるを得なくするような意図・言動を外部が厳に慎めば、ロシアとしても拡張主義に走る必要はなくなる」ことについて、また、「西側特にアメリカに今何よりも求められるのは、ロシアに対して他者感覚を働かせること」の重要性について、中国の論者の主張を紹介する形で主張されています。元外交官としての浅井さんの着目点の公平の観点からの「現実」性には学ぶべきものがあるように思います。
 
ロシアの「拡張主義」 -ウクライナ問題における争点④-
(浅井基文  2014.04.14)
 
ロシアのラブロフ外相は4月11日にロシアのテレビ局のインタビューに答えて、ロシアはウクライナ東南部地域を併合する意図はない、なぜならば、そうすることはロシアの根本的な利益に背くからだ、同地域をロシアに編入する計画はないし、そのような考えはあり得ない、ロシアとしては、ウクライナが各地域の状況を尊重するもとで国家の統一性を保つことを希望するし、連邦制がウクライナの直面する困難な状況を解決すると考える、ウクライナ現政権は国家に対して負っている責任を認識し、すべての地域と対話を行うようにするべきだ、と発言したそうです(4月12日付新華社電)。
 
ロシアのクリミア併合に対しては、ロシアの拡張主義の証拠だとする見方が多いし、そういう見方からすると、ロシアはさらにウクライナ東南部をも併合する野心があるのではないかという警戒感も出て来ます。上記ラブロフ発言はそういう警戒感を踏まえた上で、ロシアにはそういう野心はあり得ないことを強調したものと受けとめられます。
 
私は3月27日と29日のコラムで、「プーチン・ロシアの大国主義・拡張主義」問題について、アメリカと中国の専門家の否定的な見方を紹介しました。
 
中国国内では、ロシアの拡張主義については様々な角度からの分析が行われています。私が興味深く読んだのは、ロシア拡張主義傾向を地縁政治の角度から解説した、何帆署名「ロシアはどのように錬成したのか」という文章です。
 
ロシアの拡張主義を地縁政治の角度から分析する文章は、米日を含めて珍しくありませんが、中国でも地縁政治の角度から国際政治を分析するのは今や主流です。何帆文章もその典型です。しかし、何帆文章について私がそれなりに納得したのは、「ロシアには天性の対外拡張性があり、その対外拡張の根底にあるのは根っからの安全欠如の感覚である」という認識が全篇を通じて貫かれていることです。私流に言えば、自国の安全を守るにはあまりにも不利な地勢的条件がロシアをして拡張主義に駆り立ててきた、ということです。
 
この点を正確に理解すれば、ロシアをして身構えざるを得なくするような意図・言動を外部が厳に慎めば、ロシアとしても拡張主義に走る必要はなくなるということでしょう。今日的に言えば、ソ連崩壊後のNATOの東方拡大ほど愚かな政策はないということです。ウクライナ問題の最大の一つは正にウクライナの対西側傾斜特にNATO加盟にあるわけですから、ロシアが身構えるのはあまりにも当然なことです。西側特にアメリカに今何よりも求められるのは、ロシアに対して他者感覚を働かせることです。
 
ここでは、もう一つ、丁暁星署名の「ロシアのウクライナに対する食欲を西側は誇張している」という文章も紹介しておきます。これは地政学的な立場を押し出したものではありません。しかし、ロシアがウクライナ東部を第2のクリミアにする意図はないとする丁暁星の指摘は私には説得力があるものでした。
 
もう一つこの機会につけ加えるならば、ロシアの場合は地政学的劣勢を補うための「防衛的拡張主義」であるのに対して、アメリカの場合は、太平洋・大西洋という天然の防壁で守られて地政学的弱点がないのにしゃしゃり出ずにはすまないということですから、これこそ正真正銘の「攻撃的拡張主義」と呼ぶべきものでしょう。拡張主義というレッテルはアメリカにこそふさわしいものだと思います。
 
また、日本では中国の拡張主義を言うのが当たり前になっています(特に2010年以来の尖閣問題をめぐって)。私自身、「世界第2位の経済大国にふさわしい国防力を持つのは当然」とする中国側公式見解には強い違和感を覚えます。しかし、中国が身構えるのはアメリカ主導の軍事網(その中心が日米同盟)が中国を威圧しているからであることは間違いないことです。原因(日米軍事同盟の脅威)を無視して、それに身構える中国(国防力増強努力)を拡張主義とレッテル貼りをするのは、他者感覚の欠落した「天動説」国際観の米日だからこその芸当だと思うのですがどうでしょうか。
「マスコミに載らない海外記事」ブログの2014年4月14日付け記事「NATOの戦雲男‘Fogh’Of War」(Finian Cunningham)は、NATO事務総長アナス・フォー・ラスムセンの宗主国アメリカの「意のままに操られる傀儡の多忙な生活」に焦点を合わせて、ウクライナを巡る危機と混乱をロシアの侵略のせいにしながら実はヨーロッパの他の国々に対してモスクワとのわざとらしい紛争を強要し「現実のひっくり返し」をしているNATOの実態を批判しています。
 
NATOの戦雲男‘Fogh’Of War
(マスコミに載らない海外記事 2014年4月14日)
 
Finian Cunningham
 
2014年4月11日
"Press TV"
 
NATO事務総長アナス・フォー・ラスムセンにとっては忙しい週だった。週は、ウソをつくことから始まり、プロパガンダ言辞をのたまい、アメリカ政府を喜ばす為、ヨーロッパでロシアとの戦争を引き起こそうとし、軍事侵略を撤回しろというロシアへの警告で終わった。
 
ご主人に命じられ、音楽にあわせて飛び跳ね、意のままに操られる傀儡の多忙な生活とはそういうものだ。本日以降、ラスムセンは、“Fogh of War”(Fog of War=「戦雲」のFogとFoghの綴りの語呂合わせ、「戦争のフォー」か)と商標変更されるべきだ。
 
週の始めに、フォー・ラスムセンは“NATOの転換”に関するパリでの会合で演説して、下記の様に発言し、フランス指導部にへつらった。
 
“中央アフリカら東ヨーロッパまで、フランス軍は、NATO、欧州連合、あるいはフランスのいずれの旗の下であれ、我々の世界をより安全にするのを手助けしています。”
 
世界をより安全にするだと? これはフランス軍が“虐殺を止める”という口実で、昨年12月、中央アフリカ共和国に上陸して以来、何千人もの人々が殺害された中央アフリカ共和国(CAR)で、大規模な宗派間戦争を焚付けたフランス軍国主義への賛辞ではないか。 
本日の「今日の言葉」は「五つ葉」になりました。だから、一本にまとめました。
 
五つ葉のクローバ

海外での武力行使に道 安保法制懇提言、国際紛争の解釈変更:安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は、海外で戦闘中の多国籍軍に対して自衛隊が兵士の輸送や医療活動などの後方支援ができるよう、憲法解釈の変更を求める。5月の連休明けにも 首相に提出する報告書に盛り込む。北岡伸一 座長代理 が明らかにした。憲法9条1項は、国際紛争を解決する手段としての武力行使を永久に放棄すると定める。報告書では「国際紛争」の解釈を「日本が当事者である国際紛争」と変更するよう求める。変更すれば、日本が当事国にならない自衛隊の海外派兵に憲法上の制約はなくなる。結果として、日本の領土問題などが絡まない国際紛争への多国籍軍に、際限なく参加が可能になる。
朝日新聞 2014年4月12日

・時はもう連続していない。あらゆる場所でいま、世界の連続性に亀裂が生じているのは
レヴィナスの予言のとおりである。だが、連続性の亀裂の溝から、じつにさいわいなことには、人間存在のひしゃげた裸形をぼんやりと浮き立たせる闇が生まれている。(略)闇もまださっぱり濃くはないのだ。それでも、闇はもくもくと増してきている。存在することじたいが悲惨であることを告げるために、闇がただよう。光ではなく闇のなかでこそ、わたしはすべて晒される。融けていく。そうなると、「目ざめているのは(わたしではなく)夜じしんである」。(辺見庸「日録12」2014/04/12

・スラジュさん事件 検察審査会宛署名へのご協力のお願いです。
電子署名:締切日4月15日。2010年3月22日、ガーナ国籍のAbubakar Awudu Surajさんが 国費送還中に死亡しました。同年12月、送還に付き添っていた入管職員10名が特別公務員暴行陵虐致死罪容疑で書類送検されました。事件から2年4か月経った2012年7月3日、千葉地検はこれら職員10名に対し、嫌疑なしの不起訴処分としました。(略)送還状況のビデオ撮影を入管職員自身が中止していることは、制圧の内容が記録に残せないほど過剰で残酷な行為であったことを疑わせます。国賠訴訟の地裁判決にて入管職員の制圧行為の違法性とスラジュさんの死との因果関係が認められたことを受け、これまでペンディングになっていました検察審査会への申立てをいよいよ行い、同行していた入管職員の強制起訴を求めることとなりました。皆さまの署名のご協力をよろしくお願いいたします。(「国費送還中にスラジュさんを死亡させた入管職員の起訴相当議決を求めます」2014/04/13

大病院初診「1万円」案も検討 医療制度改革で厚労省:貧乏人は医療を受けるなと言うのか!「消費税増税は社会保障費のため」というマスコミを使った大々的な広告が大嘘だと早くも露呈。「混雑しがちな大病院の外来についても、軽症患者の受診抑制を促す」ってまるで受診しに来る方が悪いみたいではないか。小泉改革で医療を破壊して医者不足を招き、混雑に拍車をかけておいて何を言うか。それに来院が抑制されるのは「軽症患者」ではなく「低所得者患者」だ。一見軽症に思えても深刻な病だったり総合的に連携した診療を受けねばならない場合もある。それは個人病院ではなく大病院でなければ出来ない。金持ち以外は充実した医療を受けるなという「一万円」案など到底承伏できない。だいたい、混雑を回避させようというのなら、大病院で働く医療従事者の数を増やして混雑を緩和し全ての国民の健康に貢献しようというのが普通の民主主義国の発想ではないか!Afternoon Cafe 2014-04-12

・竹内平吉さん(77)は東京五輪の1964年からタクシーを運転している。(略)話が好きなのだろう。かつて石原裕次郎を乗せたときの挿話をはじめ、小さな車内で見聞きした数々のドラマを楽しそうに語った。実はインタビューを受けて、それが本になったところだという。ノンフィクションライター山田清機さんの『
東京タクシードライバー』である。13人の運転手のそれぞれの物語。(略)なまやさしい仕事ではない。威張る客がいれば酔漢もいる。同業との競争も激しい。漫然と走っても稼ぎは伸びない。(略)山田さんは、民俗学者宮本常一の『忘れられた日本人』から世間師という言葉を引く。普通はずるい人といった意味だが、宮本のは違う。共同体の外に出て長い旅をし、得られた経験や知識を持ち帰って自分の村を新しくする役割を担った人を指す。この世間師に竹内さんらは似ている。山田さんはそう書く。滋味掬すべき人生の語りを客に聞かせてくれるからだ。(朝日新聞「天声人語」2014年4月13日
浅井基文さん(元外交官、政治学者)の「クリミア問題-ウクライナ問題における争点③-」。浅井さんは今回はウクライナ・クリミア地方の「地理的条件」と「歴史的事実関係」に着目して中国の識者の論文を訳出、紹介されています(以下、強調は引用者)。
 
浅井さん曰く。
 
「ロシア問題の専門家にとっては旧聞に属する内容だと思いますが、私のような素人にとっては、この文章で示されている歴史的事実関係を踏まえると、1954年にフルシチョフがクリミアをロシアからウクライナに『所属替え』したことにそもそもの無理があったことは間違いないように思われます(当時はソ連邦内部での行政区分の変更程度のことでしたから問題が顕在化することはなかったわけですが)。この文章が指摘しているように、ソ連が解体してロシアとウクライナが別々の国家となった後、クリミアもロシアもロシアに戻る・戻すことを要求しという事実も、決して今回の事態がロシア(プーチン大統領)の強権のごり押しということでは片づけられないことを納得させるものではないでしょうか。」
 
 
ロシアがクリミアを併合したことに対して、日本を含めたいわゆる西側世論は「ロシアの拡張主義」の今一つの証左として、また「国家の主権尊重、内政不干渉」という国際法の原則に反する行動として非難、批判するものが大勢です。しかし私が見ている範囲では、中国国内の論調ではそういう見方を取るものはほぼ皆無です。むしろクリミアの歴史特にロシア史においてクリミアが占めて来た特別に重要な位置を認識して、ロシア(プーチン大統領)が取った行動に理解を示すものが大勢です。ここでは、李瑞景署名「クリミア ロシアの痛みと夢」(3月28日付解放軍報)を紹介します。李瑞景がいかなる人物なのかは分かりませんが、人民解放軍の機関紙で掲載されていることから判断しても、決していい加減な文章ではないことが理解できます。
 
ロシア問題の専門家にとっては旧聞に属する内容だと思いますが、私のような素人にとっては、この文章で示されている歴史的事実関係を踏まえると、1954年にフルシチョフがクリミアをロシアからウクライナに「所属替え」したことにそもそもの無理があったことは間違いないように思われます(当時はソ連邦内部での行政区分の変更程度のことでしたから問題が顕在化することはなかったわけですが)。この文章が指摘しているように、ソ連が解体してロシアとウクライナが別々の国家となった後、クリミアもロシアもロシアに戻る・戻すことを要求したという事実も、決して今回の事態がロシア(プーチン大統領)の強権のごり押しということでは片づけられないことを納得させるものではないでしょうか。
私は4月7日付けの記事で毎日新聞『風知草』筆者の山田孝男記者(編集委員)の「高村は何を説いたか」というコラムを「集団的自衛権限定行使容認」礼賛論として批判しました。そして、その際に「そういうこともあるのか、東京新聞や朝日新聞のような『集団的自衛権限定行使容認論』に対する毎日新聞自体としての社説はいまのところ書かれていません」と同紙総体としての編集姿勢に対する若干の疑義も述べておきました。
 
さて、毎日新聞は、私のようなカスバの男(いうまでもないでしょうが「カスバの女」のダジャレ。それも藤圭子の「カスバの女」)の疑義のせいではまったくないでしょうが、昨日の4月11日付けで「集団的自衛権 限定容認論のまやかし」という社説を掲載しました。
 
同紙の社説のタイトルは「集団的自衛権 限定容認論のまやかし」というもので、東京新聞の「集団的自衛権『限定容認』という詭弁」、朝日新聞の「集団的自衛権 砂川判決のご都合解釈」というタイトルにくらべて断定調の調子(メディアの一般的なタイトルのつけかた)では決して引けをとってはいませんが、東京新聞、朝日新聞と当の毎日新聞の社説の冒頭部分を比較すると次のようになります。
 
・東京新聞「集団的自衛権『限定容認』という詭弁」:
「限定的なら認められる、というのは詭弁ではないのか。集団的自衛権の行使の「限定容認論」である。政府の憲法解釈は長年の議論の積み重ねだ。一内閣の意向で勝手に変更することは許されない。」
 
・朝日新聞「集団的自衛権 砂川判決のご都合解釈」:
「牽強付会とはこういうことをいうのだろう。集団的自衛権の行使容認に向け、政府や自民党内で1959年の砂川事件の最高裁判決を論拠にしようという動きが出てきた。『判決は集団的自衛権の行使を否定していない』というのがその理屈だ。だが、この判決は、専門家の間ではそうした理解はされていない。都合のいい曲解だ。」
 
・毎日新聞「集団的自衛権 限定容認論のまやかし」:
「集団的自衛権をめぐり、条件をつけて限定的に行使を認める『限定容認論』が政府・自民党で勢いを増している。安倍晋三首相も限定容認論で与党調整を進める考えを示した。『限定』というと抑制的に対応しているように聞こえるが、現在の議論は、議論の進め方、内容、法理論のいずれも疑問や問題が多い。歯止めがきかなくなる恐れも強い。」
 
東京新聞や朝日新聞とくらべて毎日新聞の社説の及び腰の姿勢は明らかというべきでしょう。何に対して? もちろん、ときの政権に対して、です。
 
メディアの本来のありかたを行動で示したピーター・ジェニングス(アメリカの三大ネットワークのひとつであるABCのニュース番組「ワールド・ニュース・トゥナイト」のアンカーを長年務めた。2005年8月没)の「メディアのいちばん重要な目的は、 どの政府に対してであれ、 一般大衆の側に立ってそれを監視し、日々疑問をなげかけること」であるという遺言、グレッグ・ダイク(英国の公共放送BBCの元社長)の「放送の中心的役割の一つは、時の政権を疑い、政権がいじめてきたら、立ち向かうことである」というブレア英首相への返信(「BBCのイラク関連報道は英政府に批判的過ぎる」というブレア英首相からの非難の手紙への返信)の言葉と比較してももちろん毎日新聞の論説委員諸氏の及び腰の姿勢はくらべようもないほど明らかです。
以下に加藤典洋(文芸評論家)と乗松聡子(「Peace Philosophy Centre」主宰)の論があります。どちらも2014年4月11日付けのものです。
 
加藤典洋:
「安倍首相の靖国神社参拝から3カ月半。これだけの短期間で日本の孤立が深まった根本的原因は、日本が先の戦争について、アジア諸国に心から謝罪するだけの「強さ」を持っていないことです。日本が東アジア諸国と安定した関係を築くには、しっかりと謝罪し通す以外の道はない。これは戦後の世界秩序の中では、どうあがいても動かない原則です。ところが、日本が本当の意味で東アジア諸国に謝罪したと言えるのは、従軍慰安婦に関する1993年の河野官房長官談話、侵略戦争と認めた95年の村山首相談話と、それを継承した05年の小泉首相談話くらい。これらに対し、近年、政治家が繰り返し疑問や反発の声を上げて、これまでに築いた信用を自ら掘り崩してきました。自らが生きる東アジアで関係を築けない以上、米国との関係に依存するしかない。だから米国に「失望した」と言われたとたん、世界で孤立してしまう。」
 
「戦争は通常、国益のぶつかり合いから生じるもので、「どちらが正しいか」という問題は生じません。しかし、先の戦争はグループ間の世界戦争で、「民主主義対ファシズム」というイデオロギー同士の争いでもあった。民主主義の価値を信じる限り、「日本は間違った悪い戦争をした」と認めざるを得ない。だが、たとえ間違った戦争であっても、当時これを正しいと信じ戦って死んだ同胞を哀悼したい、という気持ちは自然です。それを否定しては人間のつながりが成り立たない。「悪い戦争を戦って亡くなった自国民をどう追悼するのか」という、世界史上かつてなかった課題に私たちは直面したが、その解決策をいまだに見いだせない。これが第一のねじれです。」
 
「陳腐な言い方になってしまいますが、根本は「苦しんだ人への想像力を持てるか」「それを相手に届くように示せるか」です。人も国もそれができなかったら、信頼を失い孤立するしかない。理屈もこの心の深さの上に立たなければ意味をなさないのです。西ドイツの首相だったウィリー・ブラントは70年、当時共産圏だったポーランドでユダヤ人ゲットーの蜂起記念碑を訪れた際、思わずひざまずいた。ドイツ国内からは「屈辱外交」と非難され、ポーランド側さえとまどった。だが、そうした「政治家の顔が見える、本当の心をともなった謝罪」だけが、苦しめられた側に届く。「元慰安婦たちはウソをついている」と言わんばかりの姿勢でいいのか。それを判断する感度が、政治家だけでなく日本社会全体で弱くなっていることを危惧します。」(朝日新聞「耕論」聞き手:太田啓之 2014年4月11日
 
乗松聡子:
「無謀無策なアジア太平洋戦争を起こし、甚大な被害を出して敗北した日本。戦争で死んだ人を記憶するとき「この人たちの犠牲があるから今の平和や繁栄がある」という言い方をする人がいるが、これには大きな問題がある。戦争で無駄死にさせられた内外の民間人も兵士も、後世の平和や繁栄のために死んだのではない。家族の幸せも生きていく喜びも全て奪われていった人たちの無念を思うと、「あの犠牲があるから今の平和がある」なんて失礼な言い方はできないはずだ。アジア太平洋戦争で無為な殺戮を大量に行った反省から日本国憲法が生まれたのである。「あの犠牲があるから今の○○がある」とどうしても言いたいのなら、それは日本国憲法であり、憲法を守り戦争や戦争準備をしないことによってしか、その人たちの無念と怒りと生きたかった気持ちを生かす道はない。それが、ここで大江健三郎氏がいう、「新憲法という時代の精神」である。憲法9条の最後の砦である集団自衛権行使権禁止を解除するという違憲行為によって、国外で再び戦争ができる国になることは絶対許されないのである。戦争で殺された人たちの無念さを忘れず二度と同じ過ちを犯さないためにも。」(Peace Philosophy Centre 2014年4月11日
 
乗松聡子の論はかつての高橋哲哉の論を想起させます。「かつての」というのは20年前の高橋哲哉と加藤典洋の論争のことを指します。いわゆる「敗戦後論」論争。私ははじめは加藤典洋の側にいました。ふたりの議論を繰り返し検討してみる過程で私は「論理的には高橋哲哉の論に与せねばならない」と思うようになりましたが、しかし、いまだに私は加藤典洋の論を完全に克服しえているわけではありません。感情としては私はいまだに加藤典洋の側にいるのかもしれません。そう思うことがしばしばあります。 
小倉利丸さん(富山大学教授。ピープルズ・プラン研究所共同代表)が現在のウクライナ情勢に関して、ヨーロッパの左翼的知識人たちの見方を独自に選択し、訳出されています。これまでマスメディアはもちろん、米欧政府とメディアの国際法の原則を自国に都合のよいように捻じ曲げてきた一方的な「ロシア(あるいはプーチン)・バッシング」の論を批判してきた論者たちも指摘してこなかった(それは、もちろん、論者の視野の狭さということもあるでしょうし、情報不足などさまざまな制約のためにしたくてもできなかった、ということでもあるでしょう。もちろん、私もそのひとりです)大変参考になる視点だと思います。

ご紹介したい小倉利丸さんの記事は4月9日付けと4月11日付けの2本ありますが、4月9日付け記事は全文、4月11日付け記事は小倉さんの前書き部分のみの紹介にとどめました(以下、強調は引用者)。
 
ウクライナをめぐる四つのテクスト(小倉利丸ブログ 2014-4-9)

【前書き】 
以下に訳出した四つのテクストは、現在のウクライナ情勢をどのように理解すべきかについて、私が重要と思ったもののなかから選んだ。イシュチェンコの二つのエッセイは、私たちが、EUかロシアかという二者択一の罠に陥いることなく状況を理解することの大切さを示唆している。とりわけ、西側の進歩的知識人たちが素朴にマイダンの運動を称揚していることへの率直な批判は、重要な論点を含んでいる。ジジェクのエッセイは、ある意味では、この知識人声明に署名したジジェクによる「応答」とも読めるものだ。統一と団結ではなく、分離の勇気を提起しているのは、それだけヨーロッパ左翼の危機が深刻だということでもあるだろう。世界規模で起きている極右の台頭と左翼の凋落がもたらしている深刻な事態がウクライナではとりわけ重要な課題となっているという指摘は、マスメディアがとりあげない観点として重要だ。(「ウクライナの政治的機能停止と左翼の危機」記事の下へと続く)

ウクライナの政治的機能停止と左翼の危機
(小倉利丸ブログ 2014-4-11)
 
【前書き】
以下に訳出したのは、ウクライナの左翼によるマイダン運動の分析である。ウクライナには左翼の社会的影響力と呼びうるものがほとんど存在しないと言われており、このことは文中でも言及されている。20世紀型の社会主義、とりわけスターリン主義の負の遺産を清算できていない旧ソ連圏がかかえている問題だ。スターリン主義下で弾圧されてきた左翼反対派(トロツキストやアナキストたち、あるいは自立的な左翼)も「左翼」として十把一絡げにされてある種の「敵意」の対象になっているようにみえる。このことが大衆運動が、西側の資本主義への過剰な理想化と狭歪で民族差別的なナショナリズムという、わたしたちにとってはどちらも選択しようのない選択肢の間を揺れ、ここにロシアと欧米の大国の利害が干渉する構図を形成してしまっているようにみえる。以下の文章は歯切れが悪く、結論は紋切り型であることは否めないが、しかし、試行錯誤のなかで現状を把握しようとする悪戦苦闘は貴重であり、ここでの分析は(ややオーソドクスなマルクス主義の道具立てが用いられているとはいえ)、この国のマスメディアによるウクライナ問題報道よりもよっぽど示唆的である(4月11日付け記事の本文は省略。上記URL(「ウクライナの政治的機能停止と左翼の危機」をクリック)をご参照ください)。
「集団的自衛権の行使容認に道を開くため、安倍首相が『禁じ手』の手法で法制局以外から異例の形で長官に起用した」(沖縄タイムス社説、2014年3月16日)元外務官僚(駐仏大使)の小松一郎内閣法制局長官について毎日新聞の『発信箱』に「課長からの手紙」という興味深い記事が掲載されていました。小松一郎という人のひととなりを彷彿とさせる記事です。先日、私は、毎日新聞『風知草』筆者(編集委員)の山田孝男記者を批判する記事を書いたばかりですが、毎日新聞にも人あり、いや、記者ありということでしょうか。見る目が確かですし、文章力も冴えています。ご紹介させていただきたいと思います。奇しくも今日は「国民投票『改正』案」(辺見庸「日録12」2014/04/09付参照)審議入りの日でした。
 
発信箱:課長からの手紙=木戸哲(毎日新聞 2014年04月10日)
 
もう二十数年前のことだ。私立大で国際法を研究していた教授の元に、一通の手紙が届いた。差出人は外務省で国際法の解釈を担当する部署の課長。教授が書いた論文の内容は我が国の立場と異なる、と記されていた。
 
自分は国のために論文を書いたわけではない。在野の研究者が政府と違う見解を持つのは当たり前だ。それなのに、外務省の官僚が、ああしろこうしろと言ってくるのはおかしくないか。教授は反論をまとめて返事を書いた。やりとりはそれで終わったが、上から国の考えに従えと押しつけられた気がして、後味が悪かった。
 
課長はその後、順調に出世の階段を上り、省を代表する「国際法の権威」となった。昨年夏には内閣法制局長官に抜てきされる。集団的自衛権の行使容認を目指す安倍内閣で、法制局勤務経験がないまま長官を務めている小松一郎氏のことだ。
 
国内外に向けて政府の立場を説明するのは外務官僚の大事な仕事だろう。歴代担当課長の中で、教授にそんな手紙を送ってきたのは小松氏だけというから、誰より熱心に職務に励んでいたに違いない。初めて課長というポストに就き、力が入り過ぎた面もあったのだろうか。学問の自由は憲法で保障された国民の権利だ。いくらなんでも、それをないがしろにする独自の憲法解釈に基づいて手紙を書いたわけではないはずだ。
 
政府の解釈を見直すだけで、実質的に憲法9条を改正することが許されるのか。法制局長官は、その議論の中心にいる。自分の考えを振りかざさず、慎重に、謙虚に検討してもらいたい。釈迦(しゃか)に説法だろうけど、それが「法の番人」にふさわしい姿だと思う。(社会部)

参考:
私はこれまで数回にわたって浅井基文さん(元外交官、政治学者)のウクライナ、クリミア情勢の見方をご紹介してきましたが、その浅井さんのウクライナ、クリミア情勢の見方は米欧諸国の国際政治でのダブル・スタンダード(二重基準)を批判するところから発しているものでした。米欧諸国はコソボ紛争のときはコソボの独立を支持し、コソボ側に立って軍事介入しながら、今回のクリミアの事態においてはその独立を支持するロシアを「侵略者」として批判する。そうした米欧諸国のダブル・スタンダード(二重基準)は公正な国際政治への対処のあり方として公平感覚にもとるのではないか、というのが浅井さんの基本的な視点であり、批判でした。浅井さんのそうした視点は朝鮮半島情勢を視るときにも当然適用されます。そうした浅井さんの朝鮮半島情勢の見方を反映した記事が以下の最近の一連の記事です。
 
朝鮮のイエロー・カード発出:朝鮮外務省声明(浅井基文 2014.04.03)
暗転する朝鮮半島情勢(浅井基文 2014.04.06)
朝鮮外務省声明を受けた中国の対朝鮮政策(浅井基文 2014.04.08)
 
上記の記事はある意味で、というよりも、論理的な意味合いでウクライナ、クリミア情勢の見方の続きといえるものです。だから、標題も「ウクライナ、クリミア情勢の見方(14)」としました。しかし、浅井さんの朝鮮半島情勢の見方を理解するのはいわゆる「北朝鮮」批判の根強いニッポンではそうたやすいことではありません。浅井さんの論は、国際関係及び国際法上の原則というものをよく理解していないと俗に言って朝鮮びいきの論のようにしか見えないからです。
 
浅井さんの朝鮮半島情勢の見方をよく理解するためには下記の論から取りかかるのが適切なように思えます。下記の記事に見るようにこの3月23日には韓国において非公開で弾道ミサイルの発射実験が行われていますが、そのことについてニッポンも米国も国連安保理もなんらの批判もしていません。北朝鮮の非公開の弾道ミサイルの発射実験については常に執拗な批判が繰り返されるのが常態であることから考えると、この事態は逆に異常というべきでしょう。だから、ニッポンでは韓国で弾道ミサイル発射実験があったという事実すら知らない人の方が圧倒的多数です。明らかな国際政治におけるダブル・スタンダード(二重基準)といわなければならないでしょう。米韓による「北朝鮮への脅威」が逆に北朝鮮の「韓国への脅威」を生み出している現実があるということ。私たちはそのことすら知らないのです。だから、いたずらな北朝鮮批判も後を絶たない。という悪しき循環に陥っている、というのがいまの日朝外交の現実というべきではないでしょうか。このことはウクライナ、クリミア情勢をどう見るかという点においても重要な参考視点になりうるように思います。
 
以下、「NPO法人三千里鐵道」ブログから「朝鮮半島の軍事情勢(1)-韓国の弾道ミサイル発射」記事の引用です。浅井さんの上記の3本の記事はこの記事を読み終えてから読まれた方がよく理解できるものと思います。
「福岡核問題研究会」の科学者たちが去る1月24日に佐賀県議会・原子力安全対策等特別委員会において参考人として意見陳述した奈良林直氏(北大大学院教授)の発言(所論)を批判する「批判文」を発表しています。
 
こうした地道であるけれども論証的な(科学的根拠に基づく)活動こそがいまの「脱原発」運動に求められていることのように思います(私がこのように言うのには私のいまの「脱原発」運動に対する不信感があります。いまの「脱原発」運動には論証的ではない、すなわち、非科学的な負のパトスとでもいうべき「情動」に支配されているところが少なくないのではないか。そう思うところが私のいまの「脱原発」運動に対する少なくない、というよりも大きな不信感です)。
 
以下、佐賀、福岡の科学者たちの論証的な「闘い」をご紹介させていただきたいと思います。
 
なお、以下の「福岡核問題研究会」の科学者たちの奈良林直氏批判を読みながら、平成17年にあった佐賀県主催の小出裕章VS大橋弘忠プルサーマル公開討論会のときの大橋東大教授の上から目線で言う「プルトニウムは飲んでも大丈夫 」発言を思い出しました。
 
今回の奈良林直氏発言はその大橋東大教授発言とも通じるものがあるように思います。そういうしだいで、かつて、その大橋弘忠氏の「東大話法」発言を批判した安冨歩氏(東大教授)の「大橋弘忠教授の『東大話法』による逆襲」という論の要点もあわせてご紹介させていただこうと思います。
 
福岡核問題研究会による奈良林氏の意見陳述批判
(ペガサス・ブログ版 2014-04-04)
 
1月24日の佐賀県議会・原子力安全対策等特別委員会での,北大大学院教授・奈良林直氏の参考人意見陳述について,当ブログで3回にわたって批判をしました.このほど,私もその一員である「福岡核問題研究会」で,もう少し包括的な批判文をまとめました.本日この文書を,佐賀県議会事務局に議員への配布を依頼,また県政記者室に「投げ込み」をし,来週月曜の記者会見を設定してもらいました.これに先立って,奈良林氏宛に,手紙を付けて郵送しました.
 
以下にその全文を公開します.
高村正彦自民党副総裁が先月31日の自民党総裁直属機関の「安全保障法制整備推進本部」(本部長・石破茂幹事長)の初会合で、国の存立のための必要最小限度の自衛権を認めた1959年の砂川事件の最高裁判決を論拠にして欺瞞的かつ牽強付会な「集団的自衛権限定行使容認論」をぶちあげたことについては、すでにいくつかのマスメディアは、このようなやり方がいったん認められれば、「憲法が空文化し、権力が憲法を順守する『立憲主義』は形骸化する」(東京新聞社説)として強い調子で厳しく批判しています(水島朝穂氏と小鷲順造氏の「集団的自衛権限定容認」詭弁論(URL)もご参照ください)。
 
集団的自衛権 「限定容認」という詭弁(東京新聞社説 2014年4月5日)
「限定的なら認められる、というのは詭弁ではないのか。集団的自衛権の行使の「限定容認論」である。政府の憲法解釈は長年の議論の積み重ねだ。一内閣の意向で勝手に変更することは許されない。」
 
集団的自衛権 砂川判決のご都合解釈(朝日新聞社説 2014年4月6日)
「牽強付会とはこういうことをいうのだろう。(略)学説としてまともに取り上げられていない解釈を、あたかも最高裁の権威に裏付けられたかのように振りかざすのは、誤った判断材料を国民に与えることになりかねない。(略)こんなこじつけに説得力があるはずもない。」

附:水島朝穂氏と小鷲順造氏の「集団的自衛権限定容認」詭弁論
「禁じ手」破り――武器輸出三原則も撤廃(今週の「直言」 水島朝穂 2014年4月7日)
 
そうした中、毎日新聞『風知草』のコラムニストの山田孝男記者(編集委員)は、自らのコラム『風知草』において、その「集団的自衛権限定行使容認論」をぶちあげた高村氏を礼賛する記事を書いています。「高村は何を説いたか」(『風知草』2014年4月7日付)。
 
同記者は3年前の福島原発事故以来、他紙の記者に先んじて「脱原発」を明確にした一見剛直に見える記事を書いてきたこと。小泉元首相の「脱原発」宣言をスクープしたあたりから権力志向の書きぶりだけがなにやら目についてきて、その「剛直さ」に陰りと濁りが生じ、驕りが露わになってきたことについてはすでに書きました。