浅井基文さんの「ウクライナ問題における論点」の第2回目。今回は中国の国際問題研究者の田文林署名の文章をとりあげて「民主(カラー)革命の評価」について論じています。浅井さんはありうべき誤解をあらかじめ予想して次のように言っています。「最近の中国言論界に現れている、民主(カラー)革命に対する分析に対しては、『共産党支配を擁護するための官制キャンペーン』というレッテル貼りではなく、その言わんとしていることを正確に認識する必要があると考えます」。浅井さんの「エジプト情勢に関して言えば、私はエジプト軍部のムスリム同胞団鎮圧を肯定する田文林の立場には素直についていけないものを感じています」という違和感の表明についても留意しておく必要があるでしょう。

3年前に「ホワイト革命」とも称されたエジプト革命」はいまどのような地点に立っているのか? この点については元共同通信ベイルート特派員で龍谷大学名誉教授の坂井定雄さんが本日付けの「リベラル21」紙に「シーシ元帥が大統領出馬を表明、大量死刑判決の2日後―革命3年後のエジプト⑤」というエジプトの現状を報告する記事を書かれていていますので浅井基文さんの「ウクライナ問題における論点」の論の後に転載させていただこうと思います。坂井さんの報告されるところが現在のエジプトの現状です。あわせてご参照ください(以下、中国論文の転載は浅井さんの強調部分のみ。その他の強調は引用者です)。
 
 
 
ウクライナでは2004年にオレンジ革命が起こり、2003年のグルジアにおけるバラ革命、2005年のキルギスにおけるチューリップ革命とともに「カラー革命」と称され、2010年のチュニジアを起点とする、「アラブの春」と総称される中近東北アフリカ諸国における民主化運動とともに、日本を含めた西側(特にメディア)においては手放しに歓迎する受け止めが支配してきました。しかし、中国においてはむしろ慎重な受けとめ方が主流です。
 
その原因として日本をはじめとする西側メディアが指摘するのは、共産党の一党独裁体制をとる中国としては、チベット、新疆などでの少数民族の分離独立運動に波及することを恐れているからだというものがほとんどです。そういう要素は確かにあると私も思います。 しかし客観的に見た場合、カラー革命は軒並み失敗していますし、アラブの春ともてはやされた民主化運動も、チュニジアを除けば、おおむね大きな困難に遭遇し、むしろ深刻な混乱、内部分裂に陥っています。他方、中国国内においては、その改革開放路線が巨大かつ着実な成果を生みだしてきた実績、特にその結果として今やアメリカと対等に渡り合う大国となっていることを背景として、国民的自信が顕著に高まっていることは否定できないと思います。
ウクライナ、クリミア問題をいま起きている事態の本質に即して公正な目で見ようとするとき、浮かび上がってくるのは、「主権国家に対する内政不干渉」の問題と「民族自決原則」という国際法上の2大原則の問題です。言うは易く考えるは難し、で難しい問題ですが、この2つの問題を国際法上の原則に沿って自身の思考回路において整合的にうまくクリアしておかないと問題の本質を見損なってしまいかねません。その問題を浅井基文さん(元外交官、政治学者)がご専門の国際政治学の立場からわかりやすく解きほぐす作業を試みようとされています。その第1回目が以下です。いっとき浅井さんの思考の足跡を追っていきたいと思います。私のような浅学な者の足どりでついて行けるかどうか。もちろん、心許なくはあります。が、共産党の「しんぶん赤旗」を含めてニッポンのメディアが横一線で米欧メディアの亜流(エピゴーネン)と化そうとしているいま、「政治変革」の問題として、覚束ない足どりながらもその試行こそ重要ではないか、と思っています(以下、強調は引用者)。
 
 
 これまで7回にわたってウクライナ問題を取り上げてきましたが、この問題には、ウクライナあるいはロシアだけにとどまらない国際関係の根幹にかかわる論点が含まれています。それらの論点は中国人研究者も当然注目し、文章を発表しています。そういう文章を今後何回かに分けて紹介していきたいと思います。
 
  国際関係及び国際法の根幹にかかわる最大の問題の一つは、「主権国家の主権尊重と領土保全」という原則(つまり、独立した主権国家の主権を他の国々は尊重しなければならず、その内政に干渉してはいけないし、その領土を侵してはいけないという原則)民族(人民)の自決権という原則(民族あるいは独自のアイデンティティを持つ人民には、独立を含め、自らの運命を自分で決定する権利があるとする原則)との衝突です。私たち日本人は「日本は単一民族国家だ」という通念に支配されている(実はそうではありませんが)ので、この2つの原則の衝突という問題を深刻に意識しない人がほとんどだと思いますが、いわゆる多民族国家においてはそうはいきません。正に「あちらを立てればこちらが立たず」ということになります。クリミアの独立を認めるか否かで国際的に議論が真っ二つに割れているのは、この2つの原則のいずれを重視するかという問題です。
 
  厄介なことは、この2つの原則の間の矛盾を解決する国際的努力はほとんど皆無だということ、したがって2つの原則の間で衝突が起こる問題(民族紛争)が発生すると、国際関係はたちどころに混乱とマヒに陥るというわけです。そして世界的に影響力をほしいままにしてきた西側諸国は自分の都合のいいように、国際法をつまみ食いしてきたのです。しかし、世界が多極化に向かい、西側諸国の相対的地位の低下に伴い、西側の主張が一方的に通る状況ではなくなりつつあります。今回のクリミアの独立及びロシア併合という事態は正にその端的な事例です
谷垣法務大臣が今日の閣議後の記者会見で袴田さんの再審=裁判のやり直しが認められ、釈放されたことについて、「環境の激変をうまく乗り越えてもらいたい」という大道徳者か偽善者の訓示のようなものを述べたそうです。

法相「環境の激変 うまく乗り越えて」(NHK 2014年3月28日)

以下は、辺見庸の感想。
 
「法務大臣が袴田事件再審開始と袴田さん解放についてコメントし、がんばって社会復帰するように、とかなんとか言ったらしい。自己と国家を同一視している者は、恥の感覚を欠く。個として詫びるということを知らない。むしろ哀れだ。袴田事件はわたしに、隠棲と隠遁、彽徊趣味のナンセンスをあらためておしえている。」 (辺見庸「日録11」2014/03/29)
 
再度、辺見庸の言葉を借りれば、この手合い、「世の中の裁定者面をした正真正銘の、立派な背広を着た糞バエ」(『いまここに在ることの恥』 毎日新聞社)というところか。
 
袴田さんを48年間も拘禁していた責任者は、谷垣氏よ、あなたをはじめ歴代の法務大臣ではなかったのか。
 
こういうやつらによっていまも政治は形成されている。

言うべき言葉もない。
 
ちなみにこの御仁、駆け出し議員だった1986年には中曽根内閣が提起した国家秘密法案には反対を表明したが、安倍内閣が提起した特定秘密保護法案には賛成した。そして、天下の悪法の特定秘密保護法案は昨年12月6日に成立した。
昨日は、「ロシア叩き」とでもいうべき西側メディアの偏頗した情報の受け売り、拡張機関と化したニッポンのメディアをヘンリー・キッシンジャーをはじめとする3人のアメリカの識者の文章を紹介する形で批判する浅井基文さんの「プーチンは大国主義・拡張主義の権化だろうか?」という論を中心に据えてご紹介しましたが、浅井さんは今日は、「プーチンは大国主義・拡張主義の権化だろうか?-その2-」としてウクライナ・クリミア問題に対する中国の言論界の百家争鳴の論に焦点を当てて(やはり論者を3人に絞っています)西側メディア報道批判の論を紹介しています。
 
以下、同論のうち浅井さんの地の文は全文(強調は引用者)、中国の3人の識者の論は浅井さんご自身が太字にしている部分のみに絞ってご紹介させていただこうと思います。
 
また、これも昨日ご紹介しましたが、「マスコミに載らない海外記事」の本日付けに掲載されているポール・クレーグ・ロバーツ氏(元経済政策担当財務次官補、ウオール・ストリート・ジャーナル元共同編集者)の「アメリカはいったいどれ程望んでいるのだろう?」という論もウクライナ・クリミア情勢の本質に迫ろうとする場合に参照は欠かせません。浅井基文さんの論の後に全文を掲載させていただこうと思います(強調は引用者)。長文に渡る点はご容赦ください。
 
プーチンは大国主義・拡張主義の権化だろうか?-その2-
(浅井基文 2014.03.29)
 
3月27日付の前回のコラムでは、キッシンジャーなど3人のアメリカ人のウクライナ・クリミア問題に対する見方を紹介しました。今回は中国研究者のこの問題に関する見方を紹介します。
 
米中におけるこの問題に対する見方を通観してすぐ分かることは、アメリカではこの問題に関するプーチン政権の行動を口を極めて非難・難詰するものが圧倒的に多く、このコラムで紹介したキッシンジャー以下の冷静な見方はごく少数にとどまるということです。
 
これに対して中国においては、プーチン政権の行動を全面的に批判するものは、私がこれまでに見てきた限りでは皆無です。中国の言論界においては、アメリカでは圧倒的に少数派の見方が逆に圧倒的に主流を占めているということです。そのことは、これまでにコラムで紹介した文章からもお分かりだと思います。ここでは、そのごく一例として、文龍杰・李亜南「誰がクリミアをロシアに追いやったのか」を紹介します
 
しかし、そういう主流的な見方とは一線を画した文章も散見されます。中国を専門的に観察している人はともかく、一般的には、「中国は共産党の独裁国家だから、言論の自由はない」と思っている人がまだ多いのですが、その百花繚乱ぶりはウクライナ・クリミア問題に関する多様な文章の百家争鳴に現れています
 
プーチン政権の行動に対して極めて高い評価を与えているものとして、許華「プーチン ロシアに大国としての発言権を回復」を紹介します。また、プーチン政権の行動を極めて批判的に捉えているものとして、趙楚「プーチン主義のピクライマックスと引き潮」を紹介します。ただし、この2つの文章を読んでいただければお分かりになると思いますが、中国研究者に共通するのは事実関係に対してはあくまで謙虚に臨むこと(「実事求是」)を心掛ける姿勢と他者感覚が豊かなことです(文中の強調は浅井)。
 
ちなみに、日本のメディアに報道だけを見ていると、プーチンのロシアは国際的に孤立に追い込まれているような印象を受けることになるのですが、国際的に言えば、必ずしもそうとは言い切れないと思います。国連総会が3月27日にロシア非難決議を多数決で採択したことは事実ですが、賛成100に対して反対11+棄権58の合計69(引用者注:「加盟193カ国、賛成100、反対11、棄権58、欠席24」(ブルームバーグ 2014/03/28)反対11+棄権58+欠席24の合計93という結果報告を紹介しておいた方がよりシビアに実情が伝わるものと思います)ということは、ロシアが国際的に孤立していることを表す数字とはとても解釈できません。
私はこれまでウクライナ、クリミア情勢の見方に関して、「ロシア叩き」とでもいうべき西側メディアの偏頗した情報を鵜呑みにして、その偏頗情報の受け売り、拡張機関に堕したジャーナリズムとしての眼のつたなさを示してあまりある経済大国ニッポンのメディアの無知蒙昧な報道状況に対して、浅井基文さん(政治学者)や田中宇さん(ジャーナリスト)、「マスコミに載らない海外記事」に連日のように掲載されるポール・クレーグ・ロバーツ氏(Paul Craig Roberts。元経済政策担当財務次官補、ウオール・ストリート・ジャーナル元共同編集者)のリアリティーな(「事実」に即した)論をご紹介してきましたが、その論者のおひとりの浅井基文さんは「プーチンがクリミアを併合する決定を下した後、アメリカの官民の圧倒的多くはプーチン非難一色です。しかし、(略)2000年以来のプーチンの言動(略)についての私の印象は『それなりに筋の通った言動を心掛ける政治家』であり、世界的な水準以上の指導者というイメージが強いのです」という認識を示し、その浅井さんのプーチンに関する認識は「あながち的外れではないことを示すもの」として日本でもよく知られているヘンリー・キッシンジャーをはじめとする3人のアメリカの識者の文章を紹介されています。
 
ウクライナ、クリミア情勢を読み解く上で示唆に富む見解だと思います。以下、そのうちヘンリー・キッシンジャーの3月6日付けのワシントン・ポストに掲載された論のみを転載させていただこうと思います。あとのおふたりジャック・マトロックJr.とアンジェラ・ステントの論については下記の浅井さんのブログで直接お読みください。
袴田巌さんは48年もの間よく生き延びました。いや、よく生き延びてくれました。いま、これ以上のことを言う言葉は私にはありません。
 
逮捕から48年 袴田さん釈放(NHK 2014年3月27日 18時18分)
 
袴田事件:袴田巌元被告が東京拘置所から釈放
(毎日新聞 2014年03月27日)
 
この3月31日には福岡地裁で「飯塚事件」の再審の可否を決める決定が言い渡されます。
 
飯塚事件:再審可否31日に決定 福岡地裁(毎日新聞 2014年03月17日)
 
久間三千年さんはすでに死刑を執行(国家の殺人)されて故人になっておられますが、久間さんと久間さんのご遺族の無念をなんとか晴らせる決定であって欲しいものです。
 
この飯塚事件については私もちっぽけな記事を書いています。
 
■「今、死刑制度を考える~冤罪事件を通して」(九州弁護士会主催)という講演会とシンポジウムに参加して~岩田務弁護士のこと、徳田靖之弁護士のこと 附:辺見庸「8/31講演についての若干の想い」(弊ブログ 2013.07.26 )

また、澤藤統一郎弁護士も今日づけで袴田さん釈放についての記事を書いています。

同弁護士が「弁護士を志したきっかけのひとつに冤罪や再審事件を手がけてみたいという気持ちがあった」ということです。「50年前の学生時代に、誘われて「松川研究会」という松川事件支援サークルに籍を置き、そこでの学園祭に、冤罪や再審事件をテーマとした企画を行ったことがある。正木ひろしさんをお呼びして講演していただいたことをなつかしく思い出す」。
 
冤罪を訴えるわが声 天地にひびけ
(澤藤統一郎の憲法日記 2014年3月27日)

ご参照ください。

以下、2、3日経てばなくなってしまうでしょうから参考としてNHKの記事のみ貼りつけておきます。
本ブログの「今日の言葉」(左欄)の2014年3月12日から同年3月27日にかけての記録です。

辺野古の手つかずの自然を壊さないでください。2007年4月の大潮の日に下地良男さんが撮った写真です。(Peace Philosophy Centre 2014.03.12

辺野古の海  
 
・ひと気ない下り坂を降りきって家まで20メートルほどの道の真中に、ヒキガエルが一匹坐りこんでいたことがある。道は狭いが車が時折通る。 「何してんだ、そんなところで」と私はヒキガエルの傍らに立ちどまって声をかけた。声も出さなければ動きもしないが、生きていることは気配でわかる。傷ついても衰えてもいない。 「車にひかれるぞ」 私は靴の先で軽く触れてみた。だが動き出す様子はなかった。道路のそのあたりがもしかすると古池の岸のお気に入りの場所だったのかもしれない。悠然と落ち着き払ってアスファルトの上に坐りこんでいる。(略) 私はかがみこんで片方の足の先をつまんで、道端の斜面になった芝生の上にそっと下ろした。つまみ上げても体をもがきもしなかったし、芝生の上に置いても驚いた様子はなかった。ゆっくりと斜面を這い登ってゆく。 <日野啓三『Living Zero』>(Don't Let Me Down 2014-3-13
 
・私は
その文章イヨネスコの『』という芝居について触れたが、ここでもう一度この作品に触れておきたい。なぜなら、日本はいまこの作品の世界を着実に再現しつつあると思うからである。(略)イヨネスコは「あなたの作品に登場する人物の一人が一つの原型とな(略)ることをお考えですか」という問いに対して、「わたしの作品、わたしの創った人物を判断するのはわたしではありません……もし、神話的な人物があるとしたら、それはベランジェでなく犀でしょう。要するに、わたしがあなたにお答えできるのは百年、二百年後です……『犀』という作品がまったく不可解となることはありうるでしょうね―わたしはそれを望んでいます―すべての人たちが思想の自律性を持っている世界では不可解となるのですから」と答えている。(「やっぱり犀だ!」リベラル21 宮里政充 2014.03.13

・大江健三郎 『
「話して考える」 と「書いて考える」 』(集英社文庫)(略)中野佐多という、 戦中の苦難を乗り越えて、 戦後文学で活躍した2人を、 その「後継者」でも ある大江が語った、 とても 印象的 な 講演だ。(略)大江の「おもい」は(略)講演「タスマニア・ウルフは恐くないか?」にはかなりの焦燥感で表明されている。(略)「いま死に絶えようとしている日本の知識人の伝統を、土壇場でよみがえらせねばなりません。それは、 書き手としても読み手としても、 若い知識人 を要請することです」。「若い世代からほとんど死滅したとみなされていることにおいてタスマニアオオカミにくらべられる私ら日本の知識人の生き残りに、やるべき仕事はある、と私は考えるのです。(略)そしてその具体的な手がかりとして、私は日本の近代の見なおしが必要であり、かつ有効だといいたいのです。日本人が近代において行なった侵略戦争の、とくに新世代による再認識の努力を、それはふくみます」。(略)大江の言う知識人にはほど遠いとしても、何らかの意味で知識人たろうという志を持つ一人として、思想の荒野にニホンオオカミを探す努力をしなければと痛感する。(前田朗Blog '14.4.13
 
・人さまの話を聞いて、書く。聞いて、書く。それが記者稼業というもんです。(略)「オマエには放蕩の血が流れとる」。その言葉にハッとしたのは去年の夏、やたらと暑いわが田舎でのこと。(略)先日、えんじ色した分厚いアルバムをチェックしていたら、ただならぬ気配の写真がありました。(略)ほほう、おとんが放蕩の血とつぶやいたのは、このあたりをルーツにしてのことか。ただ、ひげのおっさん、そんなに酒色にうつつをぬかしてたのか。たしかに遊び人ふうに見えるが、いかんせん証拠がない。どんな政治家だったのかもつまびらかでない。ああ、知りたい。すべてを知りたい。ほとほと記者は因果な商売です。知らなくてもべつだん困らないのに知らないと気持ち悪い。そろそろおとんにも真相を聞かないと。たとえ相手が首相でも、大女優でもドキドキしない度胸はあるのに、おとんへの初インタビュー、まだテープを回す勇気がありません。(
「記者泣かせ:(3)おとんの遺言」毎日新聞2014年3月14日
文芸評論家の加藤典洋が米国のニューヨークタイムズ紙に日本での『アンネの日記』破損事件について「アンネ・フランクからハロー・キティーまで(From Anne Frank to Hello Kitty)」という一文を書いて寄稿しています。以下に掲げる加藤典洋の論は、マイケル・エメリック氏が日本語から英語に翻訳したものをさらに酒井泰幸氏が日本語に再翻訳したという経過をたどっているもののようです。
 
『アンネの日記』破損事件を日本社会の「かわいさの文化」の終焉と見る加藤の論はいかにも加藤らしい論です。サブカルチャーと歴史的事実、あるいは小説や評論の創作を重層(シンクロナイズ)させて論点を立てるというのは加藤の執筆初期から一貫している手法です。そういう意味では特に新鮮味のある論とはいえないのですが、『アンネの日記』破損事件自体は新鮮(最近の事象)です。加藤の論は、当然、意味のある論点を提起しています。
 
その中で、加藤は、イスラエルのハアレツ紙に載った日本でのアンネ・フランクの人気を調査したフランス人ジャーナリストのアラン・リューコウィッツ(Alain Lewkowicz)氏の記事を紹介しています。説得力のあるニッポン人観察であり、現代ニッポン人への問題提起だと思いました。
 
加藤典洋の問題提起ともどもアラン・リューコウィッツ氏の問題提起にも耳を澄ませていただければと思います。
 
以下、「Peace Philosophy Centre」ブログに掲載された「ニューヨークタイムズ『アンネ・フランクからハロー・キティーまで』」(加藤典洋)。
 
ニューヨークタイムズ「アンネ・フランクからハロー・キティーまで」(Peace Philosophy Centre March 25, 2014)
 
加藤典洋によるニューヨーク・タイムズの論評を翻訳して紹介する。彼によれば、歴史と正面から対峙することを避け無害化する姿勢はハロー・キティーに象徴され、日本人はアンネ・フランクまでも「かわいい」化して受容してきた。日本の右翼団体がナチスの象徴を多用するようになってきたことは、日本社会に噴出した矛盾に対してこの「かわいい」化がもはや効力を失ってしまったことの現れであると加藤は見る。
 
From Anne Frank to Hello Kitty
http://www.nytimes.com/2014/03/13/opinion/kato-from-anne-frank-to-hello-kitty.html
 
[前文・翻訳:酒井泰幸]
 
アンネ・フランクからハロー・キティーまで
2014年3月12日
 
加藤典洋
 
2月の末に、公立図書館の職員が、何百冊もの『アンネの日記』が破損しているのを見つけて警察に通報した。破れた本の中で微笑むアンネ・フランクの引き裂かれた写真という、おぞましい映像が報道された。まだ犯人は特定されていないが[訳注:原文発表当時][1]、器物損壊の続発は、1月に超国家主義団体、在特会のメンバーが集会でナチスの旗を羽織って行進した頃から始まったように見える[2]。
民族の興隆期にあっては個人が民族精神から分離するということはない。民族の反省期において初めて両者は分離するのである。従ってどの個人も民族の子であり、その国家が発展途上にある限り、時代の子である、と言われるのである。(ヘーゲル『歴史における理性』)
 
雑誌『創』編集長の篠田博之さんが「黒子のバスケ」脅迫事件初公判における被告人の冒頭意見陳述の全文を公開しています。篠田さんは被告人から、逮捕前、コンビニエンスストアや報道機関に脅迫状と声明文を送ったが、マスコミがこの事件を取り上げなかった場合公表してほしい、と文書(手紙)で求められていたといいます。篠田さんが他のジャーナリストに先駆けてこの事件について積極的に発言しているのは被告人との間にそうした因縁のようなものがあったということもあるのでしょう。
 
篠田さんが被告人の冒頭意見陳述の全文を公開するに到った経緯はそのくらいにして、「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人の冒頭意見陳述とはどういうものか? 陳述書を読んでみました。その冒頭の数行の文章を読んでみただけでも被告人の自己分析力の確かさがわかりました。並大抵の確かさではありません。ものごとの本質を正確に射抜く確かさと言ってよいと思います。
 
しかし、次のようにも思いました。被告人の自己分析力はたしかに優れている。しかし、本来、そうした自己分析力の「確かさ」は現代ニッポン人の多くがもともと所有していたのではないか? 現代ニッポンの多くの大人たちは、「おれが、おれが」という戦後的(高度成長期的)な自己本位の思想(マイホーム主義)にいつのまにか心身とも浸食されてしまい、防衛機制としての「反動形成」の強迫に抑圧されておのれの本質を見つめる目を見失ってしまった。現代のニッポン人の総体(多く)がそうした「時代の病」に犯されている。だから、私たちは、「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人の自己分析力の確かさに識閾のあわいの虚を衝かれて一瞬たじろぐ。そいういうことではないのか。
 
被告人は陳述の冒頭で事件の動機について次のように述べています。
 
「動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。そして自殺という手段をもって社会から退場したいと思っていました。(略)人生の駄目さに苦しみ挽回する見込みのない負け組の底辺が、苦痛から解放されたくて自殺しようとしていたというのが、適切な説明かと思います。」
 
「自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと『10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた』ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。」
 
上記はおのれをよく認識している者のみができる陳述というべきものです。ここまでおのれを客観的かつ冷静に認識できる者がなにゆえに脅迫事件などという短絡的で陳腐なおぞましいだけの事件を惹起してしまったのか。それゆえの無惨さが胸に満ちる思いがします。
 
被告人はまた、次のようにも述べています。
 
「自分が『手に入れたくて手に入れられなかったもの』を全て持っている『黒子のバスケ』の作者の藤巻忠俊氏のことを知り、人生があまりに違い過ぎると愕然とし、この巨大な相手にせめてもの一太刀を浴びせてやりたいと思ってしまったのです。自分はこの事件の犯罪類型を『人生格差犯罪』と命名していました。」
 
「いわゆる『負け組』に属する人間が、成功者に対する妬みを動機に犯罪に走るという類型の事件は、ひょっとしたら今後の日本で頻発するかもしれません。グローバル経済体制の拡大により、一億総中流の意識が崩壊し、国民の間の格差が明確化して久しい昨今です。」
 
自己を合理化する手段として「人生格差」という言葉が用いられている側面はむろんあるでしょう。しかし、格差社会は、本来、「理知」であったはずの者をここまで追いつめてしまうのか。ここまで狂わせてしまうのか。先ほど私は「時代の病」ということを言いました。が、抽象的にすぎました。「政治の病」というべきでしょう。それも、私たちの選んだ「政治」の(自民党政治だけでなく、民主党政治も含みます。民主党政治もまた、自民党政治のカーボン政治でしかありませんでした)。この事件も藤原新也さんのいう「組織化されない”ばらけた”小さな2.26事件」の一態様と見てよいでしょう。いま、なにが起こっているのか。「なにかが起こっ(た)」ている(ジョセフ・ヘラー)。私たちは「超特急列車のもの言わぬ乗客になってはならない」のだということを改めて思います。
以下は、高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)のCMLへの投稿「ロシアによるウクライナへの軍事介入に抗議し、クリミア併合を行わないよう要請します」(2014年3月22日)に対して同CML参加者が私の論を援用して反対の論を述べたWPN参加者の反論に対する私の再反論です。
 
Sさんがご紹介の労を取られたあるWPN参加者の「ウクライナ・クリミア」問題に関する見解は以下のとおりです。以下の論は高田健さんのご見解ではなく、あるWPN参加者の見解にすぎませんが、高田さんが肯定的に援用していること、また、同見解の中に「WPNとしては・・・」という表現もありますので、高田健さん及びWPN総体の見解と認めて反論しておきます。
 
あるWPN参加者の見解(CML 030428所収):
(1)私は、東本隆(引用者注:隆→高志)さんという方の主張を知りませんが、ウクライナの政変と新政権の樹立に当たって、それが欧米の軍事力を背景とした軍事クーデターであるということは言えないでしょう。
 
ウクライナの旧政権の崩壊にあたって、極右の反ロシア排外主義勢力、あるいはネオナチグループが行動的主導権を取ったのは事実でしょうが、昨年11月以後の旧政権に対する運動が、全体として欧米の策謀によるという評価はあたっていません。冷静に見れば、ウクライナ問題を背景にロシアとEUの関係が悪化するようなことを米国やEUが意識的・計画的に仕組んだと言うストーリーは、考えられません。
 
(2)やはり、ウクライナ問題で第一に批判すべきなのは、危機感を抱いたプーチン政権が他国の主権を侵害してクリミアに軍事介入し、あまつさえ他国の領土であるウクライナを自国に編入するという国際法にも、国連憲章にも反する行為を行ったことです。
 
WPNとしては、やはりロシア、プーチン政権の行為こそが平和の破壊として批判すべきことだと思います。
 
(3)………私は、ウクライナ暫定政権成立の背景に欧米の陰謀的なものがあるという話については、ほとんど針小棒大なものにしか思えません。もしそういうことがあるのだとしたらプーチン政権が軍事介入の口実に使わないはずはないでしょう。さすがのプーチン政権もそこまでは言ってません。むしろプーチン政権の主張だけをとってみても、軍事介入に批判すべきということになるのではないでしょうか。
 
上記のあるWPN参加者の見解を便宜的に3点にわけます。以下、その(1)と(2)について反論しておきます。(3)は私の主張とは関係ありませんので省略します。
 
第1。あるWPN参加者は上記の(1)で「昨年11月以後の旧政権に対する運動が、全体として欧米の策謀によるという評価はあたっていません」と断言し、「冷静に見れば、ウクライナ問題を背景にロシアとEUの関係が悪化するようなことを米国やEUが意識的・計画的に仕組んだと言うストーリーは、考えられません」と主張していますが、ジャーナリストの田中宇さんは2月22日のウクライナ旧政権の転覆前の「2月初めには、米政府がウクライナの政権転覆を支援し、新政権の首脳人事に介入していることが、米国の国務次官補と、駐ウクライナ大使との電話会談のユーチューブへの漏洩で暴露されている」とユーチューブという事実の証拠と西側の報道を挙げて論証しています。この事実ひとつをとってみただけでも「ロシアとEUの関係が悪化するようなことを米国やEUが意識的・計画的に仕組ん」でいたことは明らかというべきでしょう。あるWPN参加者の断言と主張は主観的なものでしかなく、明らかになっている証拠からもその主張のナンセンス性を突きつけられています(弊ブログ2014.03.12付記事中の田中宇さんの「プーチンを強め、米国を弱めるウクライナ騒動」という論を参照)。
 
また、元外交官で政治学者の浅井基文さんが「日本でもこれぐらいの文章が私たちに紹介されるぐらいにならないと、私たちの国際問題に対する見方はなかなか鍛えられないと思う」と評価している中国「環球時報」(3月6日付)掲載のスタンフォード大学国際安全保障協力センター(CISAC)研究員の薛理泰さんは「米ロ クリミアでの軍事対決はあり得ない」と題する論で以下のように「モスクワの判断」を肯定的に評価しています(弊ブログ2014.03.10付参照)。
 
「今回ウクライナ政権が一朝にして転覆したのは、モスクワの判断では、NATOが背後で操っていたからであり、しかも政権急変はカラー革命という性格に属する。その後遺症の一つとして、NATOの勢力がさらにモスクワに向かって大きな一歩を進めることになった。今後ウクライナ方面に関しては、ロシアとしてはNATOの強力な抑止力に直面することになる。」
 
第2。あるWPN参加者は上記の(2)で根拠もなく「危機感を抱いたプーチン政権が他国の主権を侵害してクリミアに軍事介入し」たと断定していますが、「これほど事実関係に対する(略)こだわりに欠ける」判断は「日ごろから公正さをうたい文句にしている」WPNとしての判断だけに「余計に重大です」(カギカッコ内は浅井基文さんの「クリミア問題とロシア」(2014.03.09付)からの引用)。
 
浅井さんはこの点について次のように言っています。
 
「確かにプーチン大統領がウクライナに対する出兵に関する発言を行った(3月4日)ことには問題があります(朝日新聞社説が指摘した主権と領土の一体性という原則に違反する)。しかし、プーチンの趣旨はあくまでもクリミアに住むロシア系住民の保護に重点があり、ウクライナに対して「軍事介入」(志位委員長)するということではありません。(略)ロシアがウクライナに対して軍事干渉する意思がないことは、すでに紹介した3月4日のプーチンの記者会見における発言及び同月7日にロシア大統領府スポークスマンが行った発言からも明確に確認できます。」(同上
 
*ちなみに3月4日のプーチンの記者会見の全文は「プーチン大統領演説全文 関根和弘氏のツイートまとめから」(街の弁護士日記 2014年3月20日)で見ることができます。
 
これも浅井さんが紹介されているものですが、3月19日付けの中国「環球時報」掲載の論攷でも次のように言っています。
 
「歴史から見れば、クリミアは数百年にわたってロシアの一部であり、ロシアの固有の領土である。1954年にフルシチョフによってウクライナに贈り物とされたが、これはソ連内部の行政的境界の調整に過ぎないと見ることが可能であり、国際法的な効力を有するものではない。(略)道に迷った子どもが母親の懐に戻ることは、「国家の領土保全」原則と矛盾しないのみならず、当然そうあるべき正義である。クリミア住民投票がロシア加盟を宣言したことは、「分離主義」ではなく「歴史的復帰」なのだ。中国は無原則にロシアを支持しているわけではなく、中国が支持しているのは国際的正義だ。」(浅井基文「ウクライナ問題:中国政府の提案と考慮」(2014.03.24)中の「2.中国専門家の解釈」)
 
第2のはじめに述べたことをもう一度繰り返しておきます。「これほど事実関係に対する(略)こだわりに欠ける」判断は「日ごろから公正さをうたい文句にしている」WPNとしての判断だけに「余計に重大です」。再考していただきたいものです。
私は本ブログの「今日の言葉」(左側)の3月11日付けで「ウクライナ・クリミア」問題に関して「RT(旧ロシア・トゥデー)」(ロシア政府が運営資金を出す衛星テレビ局)のニュースキャスターだったリズ・ワールが放送中にロシア政府の「ウクライナ侵攻」に抗議して唐突に辞職を発表した事件について「マスコミに載らない海外記事」ブログの「アビー・マーティン、リズ・ウォールと、マスコミ戦争についてという以下の記事を引用しておきました。
 
「放送中に辞職を発表した リズ・ワールという女性、祖父母、 ハンガリー動乱を避けて、アメリカに移住したという。そういう背景を持ちながら、ロシア国営放送 で働こうと思ったこと自体、不思議におも う。(略)当時のナジ・イムレ首相、秘密裁判で処刑されたが、ハンガリーでは名誉回復している。田中正造直訴の書状を書いた幸徳秋水、 政府の デッチあげ大逆事件で死刑になった。犯罪的な 冤罪で 死刑にされた方々今も有罪のまま。国家による名誉回復はされていない。戦争をしない国、労働者の幸せをめざした人々、犯罪人でなく偉人だろう。異常な国では、そういう行為は犯罪。今後、新たな幸徳秋水や小林多喜二が作られるのだろうか?『ウクライナ人とロシア人の間の曖昧な境界』で、ウクライナ語とロシア語の近さを説明する部分のみご紹介した記事『モスクワへの道はキエフ経由: ロシア を脅かすクーデター』(英語原文)の中で、Mahdi Darius Nazemroayaは、憲法と現状のラダ(議会)議員構成から、ウクライナ政府の正当性への疑念も論じている。新政権の正当性論議、大本営広報部 は意図的に 無視して も、街の弁護士日記は無視しておられない。(略) 「この、むき出しの暴力の本質は、軍事に本質があるのではなく、EUへ併合しようという市場とマネーの思惑だ。」(マスコミに載らない海外記事(「アビー・マーティン、リズ・ウォールと、マスコミ戦争について」後記) 2014年03月11日 

下記の「マスコミに載らない海外記事」ブログの「‘アメリカ・ネオコン’が代替メディア攻撃をいかに仕組んだかに関する新報告」は、リズ・ワールはなぜテレビ放送中に唐突に辞職を発表したのか? 
その背後には米国のネオコン・シンクタンクの暗躍があったことを明らかにしています。米欧(の政府とその大本営発の情報に踊らされるメディア)によって仕組まれた「ロシア叩き」の筋書きがひとつひとつ輪郭をくっきりとさせてきました。
以下は、高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)の下記のCMLへの投稿「ロシアによるウクライナへの軍事介入に抗議し、クリミア併合を行わないよう要請します」(2014年3月22日)への私の反対の論です。
 
「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」問題が議論になっているとき、私は、いわゆる「民主勢力」側に「原子力ムラ」ならぬ「民主勢力ムラ」とでも呼ぶべき「ムラ」が存在することについてその問題点を指摘しました。
 
「澤藤統一郎弁護士の「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」のその10の記事を読んで、(略)「革新・リベラル」勢力の側にも「民主勢力ムラ」とでも呼ぶべきある意味での排他的利益集団が存在していることを知ることになりました。この「民主勢力ムラ」にも「岩波」や「週刊金曜日」などの一応名の通ったメディア集団、出版社などがあり、大学、病院、弁護士などのインテリジェンス組織、労働組合、政党、各種の民主団体組織などがあります。そこには、それらの団体が一種のコングロマリットを形成し、そのそれぞれが他の団体との緩やかなステークホルダー関係を結び、そのそれぞれの「小さな利権」の分配と再分配を差配しあっているという一種の「ムラ」の構図を見ることができます。」
 
今回のWORLD PEACE NOWの「ロシアによるウクライナへの軍事介入に抗議し、クリミア併合を行わないよう要請します」という声明は、西側メディアから流されてくる「ロシア叩き」の一方的な偏頗した報道、その報道に影響された日本メディアの報道、その報道にさらに影響された「民主勢力ムラ」の村落内での思考回路の産物であるように見えます。すなわち、村落(今回の場合の村落には、日本という大勢順応主義の国傘下の大本営発表大好きのメディアも含まれていますが)外では通用しない思考回路でしかないということです。
 
そうした日本的コンフォーミズム(大勢順応主義)の流れに巻き込まれない日本の数少ない知識人のひとりとして、先日、私は、浅井基文さん(元外交官、政治学者)のウクライナ、クリミア情勢の見方などをご紹介しましたが、そうした「民主勢力ムラ」村落外の客観的認識力を持つ知識人、言論人の思考や観察、視点の表明はまったく無視されているようです。
 
改めて浅井基文さんの「クリミア問題とロシア」という論の抜粋をご紹介させていただこうと思います。太字は引用者による強調、カッコ内は引用者の解説を意味します。
浅井基文さん(元外交官、政治学者)が前回の「ウクライナ情勢(中国政府の立場と見解)」(2014.03.16)という記事に引き続いて「ウクライナ政治の経緯と問題点(中国共産党対外連絡部発行誌所掲文章)」(2014.03.21)という記事を書いています。浅井さんは前回の記事ではロシア側、西側諸国(米欧)側の「いずれか一方の側を支持するのではなく、対話と外交によるソフト・ランディングを主張」する中国政府サイドの見解を良識ある見解として好意的に紹介していましたが、当然のことながら、今回の記事でもその立場は変わっていないようです。中国側立場の論攷を「主観を極力排し、客観的かつ公正に分析」していると評価しています。なお、浅井さんの左記の見方の前提には内政不干渉と民族自決原則という国際法上の二大原則の両立と平衡という考え方があることはいうまでもありません。
 
浅井さんが「ウクライナ問題に関する中国専門家の分析文章はこのところ質量ともに豊富ですが、この文章はピカ一です」と評価する中国政府サイドの論攷は以下のとおりです。引用者が太字で強調しているところは中国側立場の論攷で主にロシア側、西側諸国(米欧)側双方を批判している箇所です。
 
 
中国共産党対外連絡部が発行する雑誌『当代世界』3月号は、中国社会科学院ロシア東欧中央アジア研究所の張弘副研究員署名の「ウクライナ政権の危機とその'欧州ドリーム'」と題する文章を掲載しました。中国共産党対外連絡部発行の雑誌に載っている文章ですから、党中央の見解・立場そのものではないとしても、かなりの程度まで反映しているとみて間違いないと思います。
 
3月18日付の環球時報HPにはそのダイジェスト版が載っているのですが、朝鮮半島情勢のようにはウクライナ情勢をフォローしてきたわけではない、いわばにわか勉強中の私にとって本当に読み応えがある内容でした。主観を極力排し、客観的かつ公正に分析を心掛ける姿勢には快感を覚えるほどです。ウクライナ問題に関する中国専門家の分析文章はこのところ質量ともに豊富ですが、この文章はピカ一です。訳出して紹介します。  
 
ウクライナ、クリミア情勢の見方(5)として「マスコミに載らない海外記事」から「欧米マスコミが伝えようとしないこと。クリミア・タタール人もウクライナ人もロシア編入に投票」という記事の見方をご紹介させていただこうと思います。

欧米マスコミが伝えようとしないこと。クリミア・タタール人もウクライナ人もロシア編入に投票(マスコミに載らない海外記事 2014年3月20日)
 
*引用者注:本記事中には同記事の一環として写真、グラフ類が相当数使用されていますが、同写真類はここでは省略します。上記URLをご参照ください。
 
Prof Michel Chossudovsky
Global Research
2014年3月18日
 
マスコミ報道は、クリミア有権者の83.1パーセントが、3月16日の住民投票で投票したことを認めている。
 
最終開票結果は、96.77パーセントがロシア連邦編入賛成、2.51パーセントが反対だった。
 
欧米マスコミは、クリミアのタタール人もウクライナ人住民もロシア連邦編入に反対していると強調した。非ロシア系住民はクリミア住民の41.7パーセントを占める。
 
公式データによれば、ロシア人はクリミア住民の58.32%を占め、24.32%がウクライナ人で、12.10%がクリミア・タタール人だ。
 
ガーディアンは、マスコミ偽情報表現で、タタール人は、万一クリミアがロシア連邦に入ることになった場合の弾圧の高まりを恐れているとほのめかしている。
 
今や、クリミアの住民投票が、その運命をロシアの州か衛星国とし確定する可能性が高いが、民族間の緊張は限界に近づきつつある。身も凍るような歴史を反映して、クリミアの都市バフチサライのタタール人住宅に、ソ連時代の国外追放前と全く同様、不穏なX印が付けられた。月曜、タタール企業二社が火炎瓶を投げつけられた。
 
…。モスクワ支配下で暮らす生活に戻るという見通しは気掛かりです。“人々はパニック状態です。“人々が冷静でいるようにつとめていますが、人々はやってくるロシア兵士やコサックを恐れています”と彼は言う。” (クリミアのタ
タール人はクリミアが住民投票を準備する中、最悪状態を恐れている| World news |
theguardian.com
 
23ヶ国、135人の国際監視団報告に反し、欧米マスコミは、ほんのわずかの証拠もなしに、選挙は不正であり、クリミアはロシア軍占領下だと声をそろえて示唆している。
前回記事と同じ冒頭の書き出しをしなければなりませんが、ウクライナ、クリミア情勢について、日本では、あいかわらず西側メディアの情報に偏頗した「ロシア叩き」とでもいうべき不公正な報道に満ち溢れています。が、以下の田中宇さん(ジャーナリスト)のウクライナ、クリミア情勢に関する論は、いま、連日のようにメディアによって拡散、喧伝されている日本での「ロシア叩き」の報道、そして、少なくないリベラル・左派の言論人も含めてその偏頗した報道に影響されてゆえのない「ロシア叩き」に加担している、その愚かしさを明らかにしているように思います。
 
注:ここで付記しておきたいのは、プーチンの大国主義批判、あるいはこれまでのソビエトのアフガンなどへの軍事介入批判と今回の「ロシア叩き」は別物であろうということです。今回の「クリミアの独立」問題とロシアのクリミアへの関与の問題は内政不干渉民族自決という国際法上の国家(または共同体)の権利の問題をどのように考えるかという問題を孕んでいます。だから、これまでのソビエトのアフガン侵攻などと同列に考えては問題の本質を見誤ることになるだろうと思いますし、私には実際に多くのメディアと知識人、言論人たちが本質を見誤っているように見えます。
 
前回記事で私はポール・クレーグ・ロバーツ氏(Paul Craig Roberts。元経済政策担当財務次官補、ウオール・ストリート・ジャーナル元共同編集者)の論を紹介した際、彼の論は「やや極端にすぎるのではないか」という感想を述べておきましたが、田中宇さんの事実に基づく明快な論を読んだ上で改めて同氏の論を再読すると、同氏の指摘の鋭さがいっそう鋭さそのものとして納得されるように思えます(彼の論が極端に見えるのは彼の用いる語彙の問題、訳の問題ということもあるでしょう)。
 
以下、ポール・クレーグ・ロバーツ氏のここ連日の投稿記事のURLを先に示した上で、田中宇さんの論の全文を転載させていただこうと思います。
藤原新也さんは「組織化されない“ばらけた”小さな2.26事件について」(2014年3月8日付)という記事において、最近の一連の事件の特徴を「一見無目的な、そして偶発的とも見える困窮層の起こす事件が、ひとつのイデオロギーの外套をまといはじめ」ていると指摘していました。
 
その記事で藤原さんが「組織化されない“ばらけた”小さな2.26事件」と呼んでいたのは次のような事件でした。
 
逮捕後に「社会への報復(飛行機をハイジャックしスカイツリーに突っ込む)」などと口走っていたという青年(24)が起こした柏通り魔事件。「人をはねて殺すつもりでやった」と名古屋駅近くの交差点の歩道に乗用車が突っ込み、歩行者13人をはねた青年(30)が起こした名古屋車暴走事件。生後8か月の長女の顔に熱湯をかけてやけどを負わせた青年(23)が起こした町田市幼児虐待事件。アクリフーズ群馬工場で冷凍食品に農薬「マラチオン」を混入させたとして逮捕された派遣社員の中年男性(49)が起こした冷凍食品農薬混入事件。2008年のトヨタ系下請け契約社員の青年(25)が起こした秋葉原無差別殺傷事件。そして、「アンネの日記」の破断事件(この事件の犯人と目される男(36)は最近逮捕されました)。
 
藤原さんの指摘は、上記に見るような事件を「2.26事件時代を襲った不況と不安は、(現代の)その特定の困窮階層においてのみ非常に近似している」。「この平成にあっては貧富の階層化が起こり、富める者は富み、窮する者は大貧民のごとく社会の底辺において抑圧され悶々としてストレスを溜めている」。そうした「大貧民」のストレスのはけ口として生じた「一見無目的な、そして偶発的とも見える困窮層の起こ」した事件というべきではないか、と着眼した上で、その「偶発的とも見える困窮層の起こ」した事件が「ひとつのイデオロギーの外套をまといはじめ」ているという藤原さんの目で見た現在の「右傾化」するニッポンへの強い危機意識と危惧の念を表明し、警告を発するものでした。
ウクライナ、クリミア情勢について、日本では、あいかわらず西側メディアの情報に偏頗した「ロシア叩き」とでもいうべき不公正な報道に満ち溢れていますが、以下の浅井基文さん(元外交官、政治学者)の主権国家に対する内政不干渉民族自決原則という国際法上の二大原則のうち自国に都合のよい原則のみ主張する大国(アメリカ、ロシア双方を含む)のご都合主義、また、クリミアの独立についての「米欧諸国の身勝手な二重基準」の指摘は、この問題を公正に考えようとする上で大変参考になります。また、「マスコミに載らない海外記事」(2014年3月16日付)に掲載されたPaul Craig Roberts(ウオール・ストリート・ジャーナル元共同編集者)の論は私はやや極端にすぎるのではないかという感想を持ちますが、その点は措いておいて、この論も参考になります。本エントリは「教わることの多い『ウクライナの危機』に関して日本のマスメディアの報道とは違う浅井基文さん(政治学者)、岩月浩二さん(弁護士)、田中宇さん(ジャーナリスト)の三人の『識者』」の見方」の続きとして書いています。 
 
■「ウクライナ情勢(中国政府の立場と見解)」(浅井基文 2014.03.16)
 
前のコラムでクリミア問題を取り上げましたが、ウクライナ情勢そのものに関しても、中国は重大な関心を持って見守っていますし、習近平政権になってから積極外交を推進する姿勢を鮮明にしていますが、そのことはウクライナ問題についても如実に示されています。このコラムでは、中国外交部HPが掲載した習近平主席、李克強首相、楊潔篪国務委員(外交問題担当)、王毅外交部長、程国平外務次官の各国カウンターパートとの会談における発言、王毅の記者会見発言及び外交部スポークスマンの定例記者会見での関連発言を紹介します。
 
主権国家に対する内政不干渉及び領土保全という原則は国連憲章に規定されている国際法上の大原則です。他方、前回紹介しましたように、民族(人民)自決原則もまた国連憲章で確認された国際法上の大原則とされています。クリミア問題の難しさは、前者の原則を全面に押し出すウクライナ暫定政権及びこれを支持する米欧諸国と、後者の原則を押し出すクリミア自治共和国及びこれを支持するロシアとが真っ向からぶつかり合っていることです。しかも、それぞれが自らの立場を正当化する材料を持っていますから、黒白をつけることは至難です。
 
中国政府は以上をふまえて、いずれか一方の側を支持するのではなく、対話と外交によるソフト・ランディングを主張しています。中国政府がこの立場を堅持するのは、史上最良レベルにある中露関係(後述の王毅発言)を背景に、クリミア問題の歴史的経緯(前回のコラムで一端を紹介)、米欧諸国の身勝手な二重基準(別の機会に紹介しますが、米欧はコソボの対セルビア独立を支持したのに、クリミアでは一方的にウクライナ暫定政権(コソボ問題におけるセルビアに当たる)を支持することに対する中国国内の批判は極めて強い)、ウクライナ暫定政権の正統性に関する疑義(中国国内では、2月21日のヤヌコビッチ大統領と反対派(現在の暫定政権)との合意直後に、反対派がクーデター的に大統領を罷免する行動に出たことは認められないというロシアの主張が正しいとするのが一般的)などの要素も働いているようです。したがって中国はウクライナ暫定政権とは接触していないようですが、他方で主権国家に対する内政不干渉及び領土保全の原則もまた中国が一貫して主張してきたことでもあり、それらの考慮の総合的結果がこれから紹介する中国側立場となっているのだと思います。
(以下、省略) 
すでに弊ブログの「今日の言葉」欄でも紹介させていただいていますが、以下、改めてノーム・チョムスキーインタビューの全文と訳者の酒井泰幸さんの適切な「前書き」の指摘を転載、ご紹介させていただこうと思います。
 
歴史は復讐する:ノーム・チョムスキーが語る、日本、中国、アメリカと、アジア軍事紛争の脅威(Peace Philosophy Centre March 16, 2014)
 
言語学者ノーム・チョムスキーが3月初めに講演のため来日した。ここに紹介するのは来日に先立って行われたインタビューである。
 
The Revenge of History: Chomsky on Japan, China, the United States, and the
Threat of Conflict in Asia
http://www.japanfocus.org/events/view/211
 
(翻訳:酒井泰幸)
 
歴史は復讐する:ノーム・チョムスキーが語る、日本、中国、アメリカと、アジア軍事紛争の脅威
 
デイヴィッド・マクニールとの対談
 
1930年代から40年代にかけて、政治的な立場のまだ定まっていなかった若き日のノーム・チョムスキーが大きく影響を受けたのは、世界恐慌と、世界戦争に向けて容赦なくゆっくりと滑り落ちていくように見える情勢であった。あらゆる側面で、好戦的愛国主義と、人種差別主義、残虐性が、堰を切ったようにあふれ出したことに彼は狼狽したが、住んでいたフィラデルフィアから見るかぎりでは、アメリカは日本人に対する敵意が特別の高みに達するのを差し控えていたように見えた。アメリカ政府が1945年の夏に広島への原爆投下をもって空襲による一般市民の大量殺戮に終止符を打ったとき、16歳だった彼は、彼の周りで繰り広げられる祝賀会に深い疎外感を覚え、その喧噪を離れて近くの森に歩み入り、ひとり喪に服した。「このことは誰にも話せませんでしたし、他の人たちの反応を決して理解することはできませんでした」と彼は語った。「私は完全な孤立を感じました。」
 
その後の20年間で、チョムスキーは輝かしい学問的業績をものにし、常識破りの学説をいくつも発表して言語学の研究を一変させた。ベトナム戦争の間に、彼は不承不承ながら別の顔を持つようになり、アメリカ外交政策の容赦ない批評家として、世界中に知られるようになった。以来、彼が知的生活のほとんどを費やしてきたのは、アメリカの「まやかしの自己像」と彼が呼ぶものや、幾重にも重ねられた自己弁護とプロパガンダを、剥ぎ取っていくことだった。それらは、アメリカが地球上いたる所で行う露骨な権力と利潤の追求に用いているものだと、彼は言う。チョムスキーは多くの主流派コメンテーターとは異なり、ベトナムの泥沼は単なる逸脱ではなく帝国拡大の避けられない結果だと見ていた。
 
連合国が戦後に東京とニュルンベルクで行った戦犯裁判の法律が、もしも公正に適用されたなら、「戦後アメリカの大統領は全員絞首刑だったはずだ」と、チョムスキーは彼の最も有名な宣言の一つで語った。この大統領免責の先例は彼の青年時代に作られた。東京への焼夷弾爆撃と、広島・長崎への原爆投下は戦争犯罪なのだが、それはただ我々の戦争犯罪でなかったというだけなのだと、彼は指摘した。「戦争犯罪とは、彼らに対して判決を下すことができても彼らが我々に判決を下すことのできない戦争犯罪のことを言うのだ。」
 
今年85歳で、今も世界中で演説家として引く手あまたのチョムスキーが、先ごろ来日した。折しも、第二次大戦の歴史の亡霊が再び出現し、危険なまでに不安定になった日中関係を脅かしている。安倍晋三首相は、日本の戦後政治の枠組みの変革を推し進める意図を持っていることを示唆した。平和憲法を再解釈する試みは、日本の戦争犯罪の歴史についてのダブル・スピーク[印象操作のための婉曲語法]の乱発と歩調を合わせたもので、中韓その他のアジア諸国を憤慨させた。東アジアで再び戦争が起きるという、かつては考えられもしなかった可能性が、いま主流の議論の中に入ってきた。その可能性はまだ遠くにあるように見えるが、チョムスキーが東京へ出発する前に行われたこの対談で指摘するように、「歴史が教えているのは、恐ろしい破壊能力を持つ国家の場合は特に、火遊びは賢明な方針ではないということなのだ。」彼は別の道についても思いを巡らせる。衰退しつつあるとはいえ依然として危険なアメリカの軍事力に、べったりと依存することから脱却した、平和で繁栄するアジアの基礎となりうる、躍動する地域経済の発展である。
安倍内閣の下村博文文科相が沖縄県竹富町教育委員会に発出した教科書「是正要求」のそのあまりの強権性が問題になっています。
 
沖縄の教科書 話し合いより力ずくか(東京新聞社説 2014年3月15日)
 
この下村文科相の教科書「是正要求」について、東京新聞は、上記の社説で「文部科学省の強硬な振る舞いは目に余る。沖縄県竹富町に中学の公民教科書を変更するよう迫った。問題解決は力ずくで、と子どもに教えるようなものだ。国の教育現場への過剰介入は禍根を残す」と強く批判しています。当然な批判だと思います。そして、常識的かつ良識的な批判だとも思います。東京新聞は“ウォッチドッグ”(権力に対する監視者)としてのメディア本来の役割をこの社説で示しました。
 
ところでこの1月8日にNHK出版から邦訳版の出たジョン・ダワー氏とガバン・マコーマック氏共著の『転換期の日本へ』という新書の中に今回の安倍内閣、文科省の竹富町への強権的横やりに関してマコーマック教授の興味深い指摘があります。
 
ジョン・ダワー氏(マサチュ-セッツ工科大名誉教授)とガバン・マコーマック氏(オーストラリア国立大名誉教授)はともに日本・東アジア近代史の大家で、『転換期の日本へ』における両氏の対談は、いまの東アジアの危機のなかで、日本の選択はどうあるべきかという視点から語られていますが、その中でマコーマック教授は、その東アジアの危機を「アジアの中心になる辺境の沖縄、馬毛島(鹿児島県)、八重山諸島、与那国島、尖閣諸島を矛盾の最先端」という視点から捉え、「教科書問題は、国境の島々に段階的に強化されつつある日本の軍事力配備と切り離せない」と指摘しています。
 
以下、「ダワーとマコーマック『転換期の日本へ』」(西島建男の読書日記)の記述です。ご参照ください。
 
ダワーとマコーマック『転換期の日本へ』
(西島建男の読書日記 2014-01-10)
 
ダワー氏はマサチュ-セッツ工科大名誉教授であり、マコーマック氏はオーストラリア国立大名誉教授であり、二人とも日本を愛している日本・東アジア近代史の大家である。両人がいまの東アジアの危機のなかで、日本の選択を考えた良書である。日本はアメリカの従属を続け「パックス・アメリカーナ」を強めるのか、それとも東アジア諸国と平和と友好のなかで、経済共同体を作る「パックス・アジア」を選択するのかを、深い歴史的造詣で語り合っている。
 
二人に共通しているのは、第二次世界大戦後、日本が独立した1951年のサンフランシスコ講和条約=日米安保条約体制が、いまの領土問題などの歪みを生んでいるという認識である。ダワー氏は、「恩恵」と「拘束衣」があるとして、①沖縄と「二つの日本」②未解決の領土問題③米軍基地④再軍備⑤「歴史問題」⑥「核の傘」⑦中国と日本の脱亜⑧「従属的独立」の8点から分析していて、説得力がある。その分析の上で、いま進められているアメリカの「国家安全保障国家」によるハイテク軍事力と、韓国・日本を同盟国にした第一列島線の中国沖合水域への中国封じ込めの「エアー・シー・バトル」の危険性を指摘し、日本自衛隊の「動的防衛力」構想がナショナリズムを伴い、軍事的膨張競争を強めているという。
 
マコーマック氏は、サンフランシスコ体制を「対米追随」の「属国」とまで日本を規定し、「自主独立」派との70年の相克を指摘している。マコーマック氏の論文が面白いのは、東アジアの中心になる辺境の沖縄、馬毛島(鹿児島県)、八重山諸島、与那国島、尖閣諸島を矛盾の最先端として捉えていることだ。私はこの本により過疎で苦しむ馬毛島や与那国島が、軍事基地化や自衛隊誘致で島民が二分に割れて、尖閣問題でさらに矛盾が深まっていることを知った。また政府と文科省が武富島の教科書に、愛国心を強調する「新しい教科書」を採択する圧力をかけたことも。マコーマック氏は「教科書問題は、国境の島々に段階的に強化されつつある日本の軍事力配備と切り離せない」という。
 
アメリカが近年「帝国大統領制」に傾斜し、対内的には秘密活動を、対外的には隠密作戦をおこない、サイバー作戦、宇宙作戦までハイテク戦争を目指すため、人権や市民的自由が危険にさらされているというダワー氏の指摘は、日本安倍政権の特定秘密保護法成立と連動していると思った。二人とも沖縄まどの東アジア友愛と連帯の市民活動に希望をもって見ているのも共通している。(NHK出版新書、明田川融、吉永ふさ子訳) 
カンボジアの話
ああ、そうだったのか。あれから10年、経ったのか、と私は思いました。

辺見庸「日録9(2014/03/14)から。
 
10年前のけふ午後、わたしは新潟で脳出血にたおれるも、死にぞこなった。

あのとき一発でいっておけば、見たくもないことどもを見ずにすんだのだ。

その後もがんになったけれども、みなさんすみません、また死にぞこなって、本日、2014年3月14日も、まだいじましく生きさらばい、見たくもない景色を見るはめになっておりますことは、まことにもってわたしの不徳のいたすところであります。

しかしである、生きていて多少はよかったこともないではない。第一、わたしはけふ、尹東柱(ユン・ドンジュ、1917年~1945年)の詩集『空と風と星と詩』(金時鐘=キム・シジョン編訳、岩波文庫)を開き、薄汚れ黄ばんだ目をまたも清々しく洗われたではないか。「すべての絶え入るものをいとおしまねば」の1行が、わたしにとりどれほど大事な1行であることか。「すべての絶え入るものをいとおしまねば」。尹東柱によって朝鮮語で書かれ、金時鐘により日本語に訳されたこの1行が、どれほど清冽であることか。

おい、ニッポンジン、在日コリアンたちよ。もしも、すべての絶え入るものをいとおしまなければ、この世のすべてはほんとうにだめになるのだ。「すべての絶え入るものをいとおしむ」ことがいま、基本中の基本である。

おい、若いニッポンジン、若い在日コリアンたちよ。尹東柱が1945年2月、どこで死んだか、ぶち殺されたか、知っているか。治安維持法違反で投獄されていたニッポン国・福岡刑務所で、である。

おい、若いニッポンジン、若い在日コリアンたちよ。日本当局が尹東柱死去を親族に知らせた電報の文面を知っているか。もしも知らなかったら、どうかどうか、忘れずに憶えておいてほしい。「一六ニチトウチュウ シボウ シタイトリニ コイ」。金時鐘は書いた。「まるで物か、そこらで野垂れ死にした犬ころ扱いです」。

そのとおりだ。シタイトリニ コイ。「すべての絶え入るものをいとおしまねば」と書いた若き詩人を、ニッポンジンはモノか犬ころあつかいした。

忘れてはならない。わたしの父と父の戦友たちは、慰安所のまえにズボンのベルトをはずして並んだ。じぶんの番を足踏みして待った。1人で1日何十人もの兵士のからだを受けいれざるをえなかった韓国の婦人たちの話をわたしはじかに聴いた。

忘れない。歴史には外交文書だけではなく、生々しい身体と痛みの記憶およびそれらのディテールがかかわっていることを、おい、若いニッポンジン、若い在日コリアンたちよ、忘れないようにしよう。「死にぞこない10周年」を勝手に記念して、わたしはけふ、友人、朝鮮新報の朴日粉記者のインタビューをうけることを決め、そのむねを記者に連絡した。すべての絶え入るものをいとおしむために、なにかをしなければならない。
(注:改行は引用者) 

本ブログの「今日の言葉」(右欄)の2014年3月2日から同年3月11日にかけての記録です。
 
カタロニア 

・それがごく穏やかなものにせよ、苛烈にせよ、目にはよく視えないにせよ(おおかたは視えないものだ)、こう言ってよければ、わたしの戦線はすでにある。だれしも各個の戦線がある。じぶんの戦線は、まるでカナヘビの細い影のように、極小である。でも、それをじっと見つめることだ。そこから逃げないことだ。 できれば、それをあからさまにすることだ。 この3年、 いったいなにが起きて、なにが起きなかったのか。鬱々とかんがえていたときに、
堀内良彦がひとりで逝ったのだった。 この3年、いったいなにが起きて、いま、なぜこんなひどいことになっているのか…ずっと昏睡しつづけていたように、しょうじき、 わからないでいる。ただ、かれのあの激怒と共感と絶望が、ほんとうにたぐいまれな、 立派な能力であったことだけは、いくら迂闊なわたしにだって、わかる。 強者への激怒と弱者への共感とじぶんへの絶望…。(辺見庸「日録8」2014/03/02

・中国の民主人権派は、たそがれの中で呻吟している。1月26日、北京市第一中級人民法院は「新公民運動」の中核ともいうべき許志永に懲役4年 の判決 を言い渡した。 許氏は、2012年から13年にかけて、中国教育部(日本の文部科学省)の前で、「教育の機会均等を」求める農村出身の子どもをもつ両親ら数百人と一緒に数回集会を持った。彼はまた政府高官の資産公開を求める(汚職追放に連なる)運動の中心でもあった。(略)ここで判決が正当か否かを議論しても仕方がない。(略)むしろこの先が心配だ 。(略)許志永が有罪とされた今日、
楊継縄の著作『墓碑』も激しい批判にさらされている。(略)彼がジャーナリズム魂を捨てて自己批判でもしない限り、やがて「炎黄春秋」の廃刊と、 楊継縄の身柄拘束の日が 来るかもしれない。私はそれを恐れる。それは中国の良心が権力によって抹消されることを意味するから。(「次はだれか――中国民主人権派の消滅」阿部治平 2014.03.03

・【ワシントン及川正也、モスクワ田中洋之】オバマ米政権は2日、ロシア軍がウクライナ南部クリミア半島をすでに掌握し、事実上の占領下に置く準備を進めていると明らかにした。反発を強めるオバマ政権は国連や英仏独などと連携し、ロシア軍の撤退を求める動きを強める。主要8カ国(G8)首脳会議参加国のうちロシア を除く 日米など7カ国は 同日、共同声明で「6月にロシア・ソチで予定されるG8サミットの 準備活動への参加を凍結する」と表明し、軍事行動を非難した。(
毎日新聞 2014年03月03日

軍事介入
ハンガリー動乱 では世界の“進歩的知識人”が鼻白み、プラハの春ではすっかり悪役になり、アフガン侵攻では自国の民心も離れた。かくて旧「ソ連」に幕が下りたのではなかったか。自国系住民の保護や権益。それに名を借り、他国に武威を示して踏み込み、大きくつまずいた例も世界史上に数々あり。何を学んだか。(毎日新聞「近事片々」2014年03月03日

・【ブリュッセル斎藤義彦、シンフェロポリ(ウクライナ南部)真野森作】ロシア軍が事実上掌握したウクライナ南部クリミア半島のロシア黒海艦隊は3日、半島内のウクライナ軍に4日午前5時(日本時間同日正午)までに降伏しなければ攻撃するとの最後通告を出した。(略)一方、欧州連合(EU)は3日、首脳会議を6日に招集し、それまでにロシアが軍事行動の意図を明確にせず国際的な仲介にも応じない場合、制裁を科す方針を固めた。(略)「欧州における21世紀最大の危機」(略)は一層深刻化している。(
毎日新聞 2014年03月04日

・【ワシントン白戸圭一、ブリュッセル斎藤義彦、シンフェロポリ(ウクライナ南部)真野森作】緊迫するウクライナ情勢を受けて、)「オバマ米大統領は3日、ロシアが南部クリミア半島で軍事活動を停止しない場合、「ロシアを孤立させ、経済に打撃を与えるあらゆる経済的、外交的措置を検討する」と明言した。米政府はロシアとの交流プログラムの凍結に踏み切り、欧州連合(EU)などと連携した対露包囲網の構築を急いでいる。(毎日新聞 2014年03月04日 夕刊

防衛省は琉球新報の記事について事実と異なるとして2月24日、琉球新報社と日本新聞協会に文書で抗議した。これは防衛省と安倍政権による報道への弾圧であるとともに、新聞業界を政府の管理下に置こうとする意図が明らかな行為である。極めて不当であり許しがたい。(略)政府が昨年、南西諸島の防衛体制強化として警備部隊新設の方針を明らかにして以来、配備先として石垣や宮古、奄美が有力視されている。(略)部隊がどこに配備されるのか、政府は明らかにしないままだが各地元では切実な関心事になっている。こうした中、琉球新報は独自の取材で現状を報じたのであり、それが「事実と異なる」ならば政府として配備計画の現状や詳細を明らかにすればいいだけだ。(安倍政権と防衛省は報道に対する弾圧行為を撤回し謝罪せよ
新聞労連 2014年03月04日
 
・「21世紀の欧州で起きた最大の危機である」。混迷を深めるウクライナの首都を訪れた 英国外相はそう語った。ウクライナ南部のクリミア半島での ロシアの軍事行動が、 情勢を一層緊迫させている。 黒海艦隊の部隊は半島をほぼ制圧した。ウクライナ東部へも軍事展開しかねず、国際社会は「信じられない侵略行為」(米政府) と非難している。 ロシアは、このまま強硬策を続け、 世界から孤立する道へ突き進むつもりなのか。プーチン大統領は一刻も早く、軍を撤収させる決断をすべきである。 (略) 安倍首相は就任以来、 プーチン 氏 と5回も 会談し、「個人的信頼関係を深めた」 と強調してきたはずだ。ならばこの危機にこそ、積極的な平和外交の役割を探るべきではないか(引用者注:しかし、それができない安倍内閣)。(
朝日新聞社説 2014年03月05日

・東京電力福島第一原発から20キロ圏内の旧警戒区域の一部が今春、避難指示を解除される。復興庁は先月、帰還を考える住民たちの不安を軽くする「
放射線リスクコミュニケーション(リスコミ)に関する施策パッケージ」を発表した。11省庁、委員会の合作だが、内容は安全神話ならぬ「安心神話」。リスコミというより、スリコミではないのか。(略)こうした施策は「リスコミのあるべき姿」からかけ離れていると、島薗教授は指摘する。リスクコミュニケーションとは、生活を脅かす状況について、住民ら当事者たちがさまざまな視点から意見を交わす中で、その深刻さなどを正確に捉え、適切な対処法などを導き出すことを意味する。(略)しかし、政府は一方的に「健康影響はない」と結論付けている (略)「スリコミで健康影響への不満を封じ込め、(略)事故の影響を小さく見せれば、初動対応が遅れた責任をごまかし、他の原発の再稼動も進めやすくなる。こんな計略を許してはいけない」(東京新聞「こちら特報部」2014年03月06日

・<内閣法制局長官>「安倍政権の番犬」批判に抗議(
毎日新聞)/小松一郎は憲法解釈を変更するために安倍晋三から特別抜擢された人間。「安倍政権の番犬」たることを期待されて送り込まれたのだ。人間は本当のことを言われると腹が立つのだ。/日本軍がアジアで婦女子を無理矢理性奴隷にしたことの歴史的証拠は山ほどあるのにバカウヨ政府はそれには一切触れない。そういう証拠には反論できないからだ。彼らは「証言」の重箱隅つつきに終始する。しかしそんなもので証拠は揺らぎはしない/安倍晋三の本音は当初言っていたように「河野談話も村山談話も見直す」ということ。しかし、こと歴史認識に関しては中韓のみならず、米国も一致している。 アメポチの安倍晋三としては嫌々「河野談話見直しではない」と強弁しているだけ。(秋原葉月 2014年03月06日

・アメリカ国務省は3月5日、ロシアのプーチン大統領が「ロシア系住民の保護」を掲げてウクライナへの軍事介入を正当化していることを受けて「
プーチン大統領のウソ 事実と異なる10個の主張」と題する異例の反論を公式サイトに掲載した。国務省は、「ロシアは、ウクライナでの違法行為を正当化するために偽りの物語を紡ぎ出した。このような驚くべき小説がロシアから生まれたのは、ドストエフスキー以来だ。『2+2=5』 という公式 は、 魅力的だが実在しない」と皮肉たっぷりに書いた上で、以下の10個のプーチン大統領の主張を(略)羅列した。(The Huffington Post 2014年03月06日

・昨年11月の中国共産党中央委員会総会の「若干の重大問題を深化改革することについての決定」については、中国の近未来を決める決議だから多くの中国専門家が発言した。『決定』を中共反主流の民主人権派はどう受け止めたか。代表的と思われる呉思の論文を見た。(略)呉思は1957年北京生まれの文化大革命世代である。(略)現在、雑誌「炎黄春秋」編集長。(略)呉思は、改革を進めるにあたっては、民側が行政の各方面と対立抗争しないように、温和に、妥協的にことを運び、官側と協調できるところから改善していこうというのである。(略)。 だが、官の権力 しか存在しない現状で、どうやって 妥協するのか。中国の民主人権派は、これまで政府文書を精一杯、人権擁護・民主政治の観点で解釈してきた。今回、 呉思の大論文 が示したのは、従来とは異なる、権力への融合傾向である。(「中国民主人権派は妥協する道を選んだのか?」
阿部治平 2014.03.07

・「2.26事件からはものすごく早かった」(略)音楽評論家の湯川れい子さん(2.26事件の起こった1936年生まれ)と話していて印象に残った言葉である。(略)一見無目的な、そして偶発的とも見える困窮層の起こす事件が、ひとつのイデオロギーの外套をまといはじめた事件として(ヒトラー礼賛とも受け取れる)アンネ事件は注視しておかなくてはならない(略) 連行の最中 「ヤフーチャット万歳!(ネットアンダーグラウンド礼賛とも受け取れる)」「ジョアク(除悪)連合万歳!」と叫んだ竹井聖寿容疑者が「大日本帝国万歳!」と叫びつつ、イデオロギーという鎧を纏いはじめてもおかしくないということである。(略)その意味においてそのような時代傾向が“組織化”された数量となった田母神信仰“事件”は不気味である。そして公共放送に籾井というゲッペルス宣伝相を送り込んだ阿倍独裁政権は今日、憲法解釈を強引に自からのものとして引き込み、集団的自衛権成立にさらに拍車をかける勢いだ(略)。そういった“頂上”の独走と時代の底辺の負のエネルギーが呼応しはじめたとき、この国にいったい何が起こるのか。その速度があの時のように「ものすごく早い」ものでないことを祈りながら、用心深く注視する必要があるだろう(
「組織化されない“ばらけた”小さな2.26事件について」藤原新也 2014年03月08日
 
・最近の日本のメディアの論調を見ていると、事実関係を正確に踏まえず、一方的にロシアの行動を非難し、難詰するものが目立つのが非常に心配になってきました。(略)日本のメディアの報道に共通することですが、ウクライナ問題とクリミア問題とが明確に区別して認識されていないことに大きな混乱の原因があると思います。確かにプーチン大統領がウクライナに対する出兵に関する発言を行った(3月4日)ことには問題があります(略)しかし、プーチンの趣旨はあくまでもクリミアに住むロシア系住民の保護に重点があり、ウクライナに対して「軍事介入」(志位委員長) する ということでは ありません。(「クリミア問題とロシア」
浅井基文 2014.03.09

・米国がロシアの覇権拡大を阻止するために引き起こした今回の政権転覆は、ウクライナを国家分裂の危機に陥れた。親米の新政権は、極右ネオナチが治安維持や軍事を握っており、彼らはロシア系国民を排除してウクライナ人だけの国にする民族浄化を目標に、政権樹立直後にロシア語を公用語から外した。ロシア系住民が、極右の政権奪取を見て、ロシアに助けを求めたのは当然だった。(田中宇の国際ニュース解説 2014年03月05日


・私は老人のひとり暮らしである。3年前に右肺に腫瘍のカゲがあることを指摘され、以来経過を追っていたが、(略)結局、別の病院へ行くことになった。「おばちゃん、ほんとにそこでいいの?」姪に言われてはっとしたからである。どこへ行っても同じだなんて、 やっぱりヤケになっていた。最後まで 真っ当に生きなくてはいけないんだと心を入れかえ、情報通の知人に相談した。(略)退院に際し、(略)帰りはひとりで電車でと思ったが、「今は街じゅう、インフルエンザ菌だらけだよ!」と強く言う姪に付き添われて、タクシーでK市の冬住まいへと戻った。(略)姪があまりにウルサイので、 ここは 「老いては メイに従え」かな、 と思ったのである。(略)こうしてこの度の一件は、これ以上望めない幸運のうちに幕を閉じた。次の一件がいつどんな顔をしてやってくるかはわからない。しかしどうあろうと、構えずにそれを受けとめていこう。そう思えるようになったのが、このたびの闘病?の最大の収穫であった。 (
「おひとりさま入院記」 鎌倉矩子 (元大学教員)2014.03.09
 
・原発事故が そうそう簡単に収束するはずがないことなどわかり切った話だった(略)ただ、「脱原発運動」の劣化も(略) 現実のものになってしまった。(略)
大江健三郎澤地久枝といった人たちまでもがその悪影響を受けるとまでは想像もつかなかった。(略)小熊英二編著の『原発を止める人々―3・11から官邸前まで』(略)には「それぞれの証言」として、 反原発・脱原発の運動家50人 の寄稿を紹介しているが、 そのうちの1人である「おしどりマコ」は「自由報道協会」 の「理事」 を務めていた芸能人だが、この人が「週刊文春取材班」との連名で出した『週刊文春』のトンデモ記事を、 私は『kojitakenの日記』で批判したことがある。このトンデモ記事 にはあの政治ゴロ・上杉隆 が関与していた。 「おしどりマコ」や上杉隆のような 人士を厳しく批判せずして「脱原発」運動の未来はないというのが私の立場である。(「きまぐれな日々」2014.03.10

・3年前には(略)安全神話をまとっていた原発が事故を起こした。(略)敷地内を取材した。 膨大な数のタンク群が林立する。2月にも高濃度の汚染水 が 約100トン 漏れる 騒ぎがあったばかりだ。地下水を原子炉に近づけないための 大がかりな工事が予定 されている。 とても 「
コントロールされている」状況ではない。事故の後、ある電力会社の幹部が「国策ですから……」とつぶやくのを聞いた。国がやれというから原発事業をやっているが、本当は民間の手にはあまる、と聞こえた。それが本音だとすれば、安全神話の内実はずいぶんもろいと感じた。政権はいま再稼働に向けて動く。 壊れた神話を また作り直すのか。 核と人間はともに生きられない。福島第一を取りまく無人の土地が、そのことをはっきり示しているのだが。(朝日新聞「天声人語」 2014年03月11日

・放送中に辞職を発表した
リズ・ワールという女性、祖父母、 ハンガリー動乱を避けて、アメリカに移住したという。そういう背景を持ちながら、ロシア国営放送 で働こうと思ったこと自体、不思議におもう。(略)当時のナジ・イムレ首相、秘密裁判で処刑されたが、ハンガリーでは名誉回復している。田中正造直訴の書状を書いた幸徳秋水、 政府の デッチあげ大逆事件で死刑になった。犯罪的な冤罪で 死刑にされた方々今も有罪のまま。国家による名誉回復はされていない。戦争をしない国、労働者の幸せをめざした人々、犯罪人でなく偉人だろう。異常な国では、そういう行為は犯罪。今後、新たな幸徳秋水や小林多喜二が作られるのだろうか?『ウクライナ人とロシア人の間の曖昧な境界』で、ウクライナ語とロシア語の近さを説明する部分のみご紹介した記事『モスクワへの道はキエフ経由: ロシアを脅かすクーデター』(英語原文)の中で、Mahdi Darius Nazemroayaは、憲法と現状のラダ(議会)議員構成から、ウクライナ政府の正当性への疑念も論じている。新政権の正当性論議、大本営広報部 は意図的に 無視しても、街の弁護士日記は無視しておられない。(略) 「この、むき出しの暴力の本質は、軍事に本質があるのではなく、EUへ併合しようという市場とマネーの思惑だ。」(マスコミに載らない海外記事(「アビー・マーティン、リズ・ウォールと、マスコミ戦争について」後記) 2014年03月11日
前回エントリ「教わることの多い『ウクライナの危機』に関して・・・」のうち田中宇さん(ジャーナリスト)のウクライナ情勢の見方に関しては同氏の論「危うい米国のウクライナ地政学火遊び」の冒頭部分のみしかご紹介できませんでしたが、以下は、その田中さんの論の前回冒頭部分の実質的な続きとしてみなしてよい記事です。「ウクライナの危機」の実相を見極めるためにも必須の見方と情報のように思います。

政権転覆の直前、極右を含む反露の反政府勢力(ウクライナ新政権)が首都キエフ中心街の広場で開いた反政府集会で何者かがビルの上から集会参加者や警察官を狙撃して多数の死者が出た事件は、実は、ウクライナ新政権が狙撃者を雇って自分たちの仲間を自作自演的に狙撃させ、それをヤヌコビッチ政権のせいにして政権転覆を成功させようとしていた可能性がきわめて高いことなどを実証的に明らかにしています。

「ウクライナの危機」の真相を理解するための前回弊エントリの続きとしても転載させていただこうと思います。
 
田中宇さんの前回記事の冒頭部分: 
「米国がロシアの覇権拡大を阻止するために引き起こした今回の政権転覆は、ウクライナを国家分裂の危機に陥れた。親米の新政権は、極右ネオナチが治安維持や軍事を握っており、彼らはロシア系国民を排除してウクライナ人だけの国にする民族浄化を目標に、政権樹立直後にロシア語を公用語から外した。ロシア系住民が、極右の政権奪取を見て、ロシアに助けを求めたのは当然だった。」(「危うい米国のウクライナ地政学火遊び」2014年3月5日)
 
以下、田中宇さんの今回の論。
 
プーチンを強め、米国を弱めるウクライナ騒動
(田中宇の国際ニュース解説 2014年3月9日)
 
この記事は「危うい米国のウクライナ地政学火遊び」(田中宇プラス)の続きです。
 
 EUの上層部で、ウクライナ新政権に対する懐疑の念が強まっている。2月22日の政権転覆によってできたウクライナ新政権は、前回の記事に書いたように、ネオナチ・極右の指導者が安保、軍事、警察、教育などの政策決定権を握っている。政権転覆の直前、極右を含む反露の反政府勢力が、親露的なヤヌコビッチ政権を倒そうと、首都キエフ中心街の広場などに集まって反政府集会を続けていた時、何者かがビルの上から集会参加者や警察官を狙撃して、多数の死者が出た。この時、反政府勢力は、ヤヌコビッチ配下の兵士が狙撃犯だと非難する一方、ヤヌコビッチ政権は、反政府勢力の者が狙撃犯だと反撃した。米欧マスコミの中には、ヤヌコビッチ政権による弾圧を大々的に報じ、狙撃もその一環であるかのような印象が醸し出された。しかし政権転覆後の今になって、狙撃が反政府勢力、つまり新政権の自作自演だった可能性が高まっている。 (Leaked call raises questions about who was behind sniper attacks in Ukraine 
「もう3年になる。(略)にしても、この3年、予想どおり、いや予想以上に、ものごとすべてが悪くなった。(略)「花は咲く」オンパレードの今日の景色を、どこまでも怪しむ」(「辺見庸『日録7』(2014/02/25)」より)。
 
3・11から3年目。辺見庸のいう「『花は咲く』オンパレードの今日の景色」には次のような「『脱原発運動』の劣化」の景色もあります。あるいは「予想どおり、いや予想以上に、ものごとすべてが悪くなった」景色の中には次のような「『脱原発運動』内部の劣化」の景色も含まれるでしょう。しかも、無惨なのは、その景色の「劣化」の色合いを「美しい景色」のように勘違いしている人たちが少なくないことです。
 
しかし、少数ながら以下のような「現象」を批判し、指摘する声もあります。
 
私はその声に「希望」をつなぎたいと思います。
 
1本目。「きまぐれな日々」の「東日本大震災・東電原発事故から3年、安倍晋三打倒が急務」(抜粋)。
 
原発事故が そうそう簡単に収束するはずがないことなどわかり切った話だった(略)ただ、「脱原発運動」の劣化も(略) 現実のものになってしまった。(略) 大江健三郎澤地久枝といった人たちまでもがその悪影響を受けるとまでは想像もつかなかった。(略)小熊英二編著の『原発を止める人々―3・11から官邸前まで』(略)には「それぞれの証言」として、反原発・脱原発の運動家50人の寄稿を紹介しているが、そのうちの1人である「おしどりマコ」は「自由報道協会」の「理事」 を務めていた芸能人だが、この人が「週刊文春取材班」との連名で出した『週刊文春』のトンデモ記事を、私は『kojitakenの日記』で批判したことがある。このトンデモ記事にはあの政治ゴロ・上杉隆が関与していた。「おしどりマコ」や上杉隆のような 人士を厳しく批判せずして「脱原発」運動の未来はないというのが私の立場である。」(「東日本大震災・東電原発事故から3年、安倍晋三打倒が急務」(抜粋)きまぐれな日々 2014.03.10)

引用者注:この記事を書き終えた直後に「原発のない社会へ 2014びわこ集会の報告という件名のメールを見ました。それによると、同びわこ集会にはおしどりマコ・ケンさんがゲストとして登壇することが予定されていたようですが、出席できなくなった理由として「おしどりマコさんが東京の医師の手伝いをして、原発事故の汚染地域と血液検査の結果を書いた論文が評価され、ドイツで行われる『原発事故がもたらす自然界と人体への影響についての国際会議』に招かれ、発表することになったため」ということが書かれています。ほんとうにそうか? 「原発事故の汚染地域と血液検査の結果」とは上記の引用でkojitaken氏が批判している「『週刊文春』のトンデモ記事」と密接に関わっている「検査結果」のはずですが、医師免許も看護師免許も持たないはずのおしどりマコ氏が「医師の手伝いを」したとはどういうことか? この書き方自体が解せない書き方ですが、おそらく当該医師が「論文」を書く際、おしどりマコ氏の「『週刊文春』のトンデモ記事」的な記事を参照したという程度の意味なのでしょう。そうだとすれば、そうしたトンデモ記事を参考にした「論文」が正規の論文審査機関(もしくは医療関係機関)から評価されるとも思えません。なんらかの「国際会議」に参加することは事実だとしても、その「国際会議」なるものの実態も信用しがたい。全体的に「欠席理由」はそうしたたぐいの誇張に満ちています。こういうことは一読すればすぐにわかることです。そうしたことにも気づかず、いまだに「脱原発運動」関係者はトンデモのおしどりマコ氏を重用しているようです。そうした実態を「原発のない社会へ 2014びわこ集会」の報告は図らずも示しています。「無惨」というほかありません。kojitaken氏の言は、こうした状況を「批判せずして『脱原発』運動の未来はない」ということなのです。 
 
ウクライナ(バラクラヴァの街並み) 
ウクライナ(バラクラヴァの街並み)

先日、私は、弊ブログの「今日の言葉」欄に3月5日にアメリカ国務省が発表した「プーチン大統領のウソ 事実と異なる10個の主張」と題する論を掲載しました。
 
しかし、上記は、いうまでもなくアメリカ側(アメリカ国務省)の主張でしかありません。しかしまた、このアメリカ国務省の主張は、日本を含む西側諸国のおおかたの見方でもあり、わが国のマスメディアもおおむねこうした西側諸国の主張に即した報道を連日続けています。
 
しかし、こうした日本を含む西側諸国の主張に首を傾げる人たちがいます。メディアサイドの言葉でいえば「識者」と呼ばれている人たちです。以下にその異議を唱える人たちのうち3名の人たちの見解をご紹介したいと思います。わが国の報道の偏頗性といずこも変わらない政党の視野の偏頗性、思想(それも政治思想)の未熟さについて改めて思いを致さざるをえません。
 
おひとり目。浅井基文さん(元外交官、政治学者)。浅井さんの見るところによれば、メディアであれ、政党であれ、「ウクライナ問題」と「クリミア問題」とが明確に区別して認識されていないところに日本のメディアと政党の最大の認識の弊があるようです。浅井さんは中国のメディアの視点の多様さをみならえと言います。そして、ひとつのみならうべきたしかな視点としてスタンフォード大学国際安全保障協力センター(CISAC)研究員の薛理泰氏の論をあげます。
今年も大分では例年のとおり5月3日に44回目の憲法記念日講演会(於:大分県教育会館)が開かれます。主催者の平和憲法を守る会・大分(社民党、共産党、大分県平和運動センターなど6団体で構成)によれば、今年の講演会のテーマは「集団的自衛権のトリックと安倍改憲」。講師は東京新聞記者(編集委員)の半田滋さんといいます。そこで思い出したのが、私が4年前に半田滋さんを批判する記事を書いたことがあることです。そして、その記事を書いたおよそ8か月後に半田さんからあるインディペンデント・メディア紙を通じて弊記事の削除要求を受けたことがあることです。その半田さんの弊記事の削除要求の理由は、同紙の編集者によれば、「引用自体は間違いではないが、自分の説明を曲解している。名誉を毀損された」と主張しているとのことでした。
 
私はそのとき次のように思いました。私が事実を捻じ曲げた引用をしているのであれば「名誉毀損」という半田さんの主張も成立するでしょうが、半田さんが「曲解」としている部分は「私の主張」にすぎないもの。したがって、その「私の主張」は、半田さんと私の見解の相違ということはいえても「名誉毀損」というには当たらないはず。半田さんは新聞記者という職業的言論人として「私の主張」に異議があるのであれば、インディペンデント・メディアの編集者に弊記事の削除要求をするという姑息な手段を弄するのではなく、自らの矜持をもって言論には言論で反論するのが筋というべきものではないのか。
 
その半田滋さんを批判した4年前の弊記事とは以下のようなものでした。先に私は「金光翔さんの『言論弾圧反対の署名』と題された竹野内真理氏評価に対する私の異議申し立て」という記事の中で金光翔さんの言う「佐藤優現象」問題に触れて、「もう10年以前から雪崩を打って『右傾化』している」わが国のジャーナリストや研究者、言論人たちの「右傾化」の現況の問題点を改めて指摘しておきましたが、半田滋さん批判の記事も「左向き左」の装いを凝らしながら実のところ左向き右・中道シフトをしている言論人の一例として、その疑いを持って記事にしたものでした。こういう「疑問」を私は持っているが君はどう思うか。そうした問いをひとつひとつ積み重ねていく。そういう問いこそが重要だろう、と思って私は記事にしました。
 
半田さんの弊記事削除要求はそうした私の「疑い」の姿勢が気に入らなかったものと思われます(私は「人間は本当のことを言われると腹が立つのだ」というつい最近の秋原葉月さんのツイットを思い出しました)。しかし、先にも述べましたが、言論には言論で対抗するというのが批評、批判の王道というべきものです。とりわけ言論人を自称する者においてはをやというべきでしょう。率直に言って、この点についても、私は半田さんのジャーナリストとしての姿勢に疑義を持ちました。
以下、藤原新也さんの「組織化されない”ばらけた”小さな2.26事件について」という3月8日付けの記事です。
 
藤原さんらしい視点の記事です。
 
「一見無目的な、そして偶発的とも見える困窮層の起こす事件が、ひとつのイデオロギーの外套をまといはじめた事件として(ヒトラー礼賛とも受け取れる)アンネ事件は注視しておかなくてはならない」「連行の最中「ヤフーチャット万歳!(ネットアンダーグラウンド礼賛とも受け取れる)」「ジョアク(除悪)連合万歳!」と叫んだ竹井聖寿容疑者が「大日本帝国万歳!」と叫びつつ、イデオロギーという鎧を纏いはじめてもおかしくないということである」という指摘は藤原さんらしい視点。
 
「その意味においてそのような時代傾向が“組織化”された数量となった田母神信仰“事件”は不気味である。そして公共放送に籾井というゲッペルス宣伝相を送り込んだ阿倍独裁政権は今日、憲法解釈を強引に自からのものとして引き込み、集団的自衛権成立にさらに拍車をかける勢いだ(略)。そういった“頂上”の独走と時代の底辺の負のエネルギーが呼応しはじめたとき、この国にいったい何が起こるのか。その速度があの時のように「ものすごく早い」ものでないことを祈りながら、用心深く注視する必要があるだろう」という指摘も藤原さんらしい視点です。ハッとさせられる視点です。

ロンドン・コベントガーデン 
ロンドン・コベントガーデン
 
以下は、弊ブログ「Blog『みずき』」を含むFC2ブログを管理する同事務局宛てに昨年6月18日付けの弊ブログ記事の「削除依頼」を申し立てた市民社会フォーラム・メーリングリスト主宰者と同メーリングリスト一部参加者の弊ブログ記事「削除依頼」申し立ての論に対して、同事務局の規約上の要請に基づきその論の不当性と偏頗性について回答した私の反論です。
 
削除依頼のあった弊ブログ記事の具体的なURL

*弊ブログ記事の「削除依頼」申し立てがあったことの通知をFC2事務局から私が受けたのは先月の2月12日のこと。その後同月14日、19日に同様の申し立てが別の2名からも提起され、同申し立て者は合計3名になり、最初の弊ブログ記事の「削除依頼」申し立てからおよそ1か月を経過しましたが、同申し立てのあった弊ブログ記事はFC2事務局の規約上の権限によって削除されていません。このことは被申立人の私ばかりではなく、FC2事務局も「削除依頼」申し立て者の主張の正当性を認めなかったことを意味しています。
 
その私の反論は、下記の回答書に尽きていると思っていますので私の反論の詳細は下記回答書をご参照いただきたいのですが、同回答書は、主に「引用の自由」()についての法的側面の問題に費やされているため、ここでは以下の反論の前口上として同回答書では触れることの少なかった「表現の自由」と「批判の自由」について「引用の自由」との関連性の側面から若干のことを述べておこうと思います。
 
注:ここでいう「引用の自由」とは、著作権法第32条の「公表された著作物は、引用して利用することができる」という規定を指しています。同条には「その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない」とする規定もありますが、憲法13条に「公共の福祉に反しない限り」という規定があるからといって「表現の自由」や「思想・良心の自由」が損なわれないのと同様に同条を「引用の自由」と概念化しても差し支えないものと考えます。
 
さて、日本国憲法は、表現の自由について、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(第21条第1項)と規定しています。この第21条に規定されている「一切の表現の自由」の中にはいわゆる「批判の自由」の概念も含まれることは「一切」という表現からも明らかです。その「批判の自由」は、「思想・良心の自由」(第19条)とも密接に結びつく概念です。そしてまた、「批判の自由」は、「報道の自由」とも密接に結びつく概念でもあります。そのことについて一例をあげて説明しておきます。
 
アメリカの三大ネットワークのひとつであるABCのニュース番組「ワールド・ニュース・トゥナイト」のアンカーを長年務めたことで有名だったピーター・ジェニングス氏(2005年8月没)は、かつて報道の自由に関して「メディアのいちばん重要な目的は、どの政府に対してであれ、一般大衆の側に立ってそれを監視し、日々疑問をなげかけること」であると語ったことがあります(筑紫哲也NEWS23「多事争論」)。ここでピーター・ジェニングス氏が語っている「一般大衆の側に立ってそれを監視し、日々疑問をなげかける」とは、いうまでもなく「批判の自由」の謂いにほかなりません。
 
また、イギリスの公共放送BBCの社長だったグレッグ・ダイク氏は、イラク戦争が始まる直前の2003年3月19日に当時のブレア英首相から「BBCのイラク関連報道は英政府に批判的過ぎる」という非難の手紙が送られてきたことがありますが、同氏は、ブレア英首相宛てに「放送の中心的役割の一つは、時の政権を疑い、政権がいじめてきたら、立ち向かうことである」という返信を送り返しました。そういうこともあってその後も首相官邸の圧力は続き、最悪になったのは、BBCラジオが、イラクの大量破壊兵器疑惑は政府による誇張だった、と伝えてから。情報源探しが始まり、情報源とされた科学者が自殺。そのてん末を検証した調査委員会が「BBCは根拠なき政府非難をした」と結論づけ、官邸の意に沿ったBBC経営委員会がダイク氏をクビにします(毎日新聞「発信箱:僕らのBBC」2014年02月28日)。このグレッグ・ダイク氏の「時の政権を疑い、政権がいじめてきたら、立ち向かう」という信念の言葉もやはり「批判の自由」の謂いにほかならないでしょう。
 
もっとも最近の事例も一例あげておきます。防衛省はこの2月24日、同月23日付けの琉球新報の記事について事実と異なるとして琉球新報社と日本新聞協会に文書で抗議しました。これに対して新聞労連は「これは防衛省と安倍政権による報道への弾圧であるとともに、新聞業界を政府の管理下に置こうとする意図が明らかな行為である。極めて不当であり許しがたい」として3月4日付けで「安倍政権と防衛省は報道に対する弾圧行為を撤回し謝罪せよ」と題する声明を発表して政府、防衛省に対する抗議の姿勢を明らかにしました。その声明には反ナチズム運動を率いたニーメラー牧師の『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』という有名な詩句を引いて次のように述べています。「今回、私たちが抗議するのは、この事件が琉球新報だけの問題ではないと考えるからだ。新聞協会や新聞経営者が今回の事態を前にして『うちは琉球新報ではないから』『沖縄ではないから』と放置すれば、いずれ新聞業界全体が弾圧の対象になるだろう」。この新聞労連の今回の声明もやはり「報道の自由」と「批判の自由」の一対性を示すひとつの事例ということができるでしょう。
 
以上、「表現の自由」ひいては「批判の自由」と「報道の自由」の一対性について述べましたが、その「批判の自由」を真に「批判の自由」足らしめるためには前提として「引用の自由」ということがなければなりません。「批判」という概念は、「自己批判」という言葉もありますが、一般的には「他者批判」を意味する概念である以上、その「他者批判」のためには他者の言動の「引用」は不可欠ということになります。他者の言動の「引用」なくして「他者批判」は成立しがたいという関係にあるからです。著作権法第32条の「引用」の概念はおそらくそういうところから派生しているものと思われます。ウィキペディアの「引用」の項も「引用の自由」に関して次のように述べています。「人間の文化活動のなかでは、批評・批判や、自由な言論のために、公表された著作物を著作者・著作権者に断りなく用いる要請が生じることがある。狭義の引用は、その要請を満たすために用意された著作権の制限・無断利用の許容の規定である」。
 
そうした「批判の自由」を真に「批判の自由」足らしめるために前提として設けられている「引用」の概念の法令化が著作権法第32条であるという「言論の自由」の理念の発展の基礎知識程度の理解が相応にあれば、「他者の著作物を勝手に引用するのは名誉毀損や著作権侵害、個人情報保護違反になる」などという「言論の自由」の一環としての著作権法の規定をまったく理解しない主張など出てきようもないはずなのです。
下記の新聞労連の2014年3月4日付けの声明は言論の自由、報道の自由に関わる安倍政権の言論弾圧に対するきわめて重大な抗議の声明だと思います。
陸自警備部隊、石垣に2候補地
 
以下、同声明の全文を転載するとともに、同声明に関わる事実経過の詳細については日本報道検証機構(GoHoo)の「『陸自新設部隊、石垣で最終調整』 防衛省否定」(2014年3月1日)という注意報記事が問題となっている琉球新報の記事や政府、防衛省の同記事を否定する見解記事、政府見解に対するさらなる琉球新聞社側の反論コメントなどを掲載して参考になると思いますので同記事(URL)を声明の下段に添付しておきます。
 
   新聞労連の声明 
安倍政権と防衛省は報道に対する弾圧行為を撤回し謝罪せよ
 
                       2014年3月4日
 日本新聞労働組合連合(新聞労連)
                        中央執行委員長  日比野 敏陽
 
 防衛省は琉球新報の記事について事実と異なるとして2月24日、琉球新報社と日本新聞協会に文書で抗議した。これは防衛省と安倍政権による報道への弾圧であるとともに、新聞業界を政府の管理下に置こうとする意図が明らかな行為である。極めて不当であり許しがたい。新聞労連は防衛省と安倍政権の不当な行為に対し断固抗議する。安倍政権と防衛省は琉球新報社および新聞協会への抗議を撤回し、愚かな行いについて深く反省し謝罪せよ。
 
 琉球新報は2月23日付紙面で陸上自衛隊の警備部隊配備先として石垣市の2カ所が候補地に挙がっていると報じた。防衛省は「事実と異なる」として琉球新報社と日本新聞協会に文書で抗議した。琉球新報には訂正も求めた。菅義偉官房長官は28日の記者会見で、23日が石垣市長選の告示日と重なっていたことから「選挙の公正性に影響を及ぼしかねない」と批判した。防衛省の報道官は会見で新聞協会に抗議したことについて「(他紙で)同種の報道が続き、地元でも大きな懸念が広がりかねないということもあった」と話した。
 
  政府が昨年、南西諸島の防衛体制強化として警備部隊新設の方針を明らかにして以来、配備先として石垣や宮古、奄美が有力視されている。これはすでにメディア各社が報じ、賛否両論の議論が起きている。部隊がどこに配備されるのか、政府は明らかにしないままだが各地元では切実な関心事になっている。こうした中、琉球新報は独自の取材で現状を報じたのであり、それが「事実と異なる」ならば政府として配備計画の現状や詳細を明らかにすればいいだけだ。
 
  菅官房長官や防衛省報道官の発言は、都合が悪い報道がなされたときに政府関係者が必ず口にしてきた言葉だ。「公正性」とは政府にとって都合の良いことであり、「地元でも大きな懸念が広がりかねない」というのは、情報コントロールができなくなることを恐れているだけである。政府は弱者ではない。情報と決定権を握り、常日頃から情報を選択して公表しているのにもかかわらず、自らの意に沿わない報道に対して被害者面することは犯罪的ですらある。
 
  政府が新聞協会へ抗議したことも許しがたい。新聞協会と各新聞社の関係に上下関係はない。政府が業界団体に申し入れれば、そこに参加している会社は言うことを聞くという発想の裏には、戦前のように政府が新聞業界を管理しようとする意図が読み取れる。私たち新聞労働者は今回の琉球新報に対する政府の対応を厳しく糾弾する。同時に、新聞協会と全国の新聞経営者にもこの事態を看過してはならないと訴える。新聞協会は政府の抗議を突き返すべきだ。
 
  「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声を上げなかった。私は社会民主主義ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声を上げる者は、誰一人残っていなかった」
 
  反ナチズム運動を率いたニーメラー牧師はこのように訴えた。今回、私たちが抗議するのは、この事件が琉球新報だけの問題ではないと考えるからだ。新聞協会や新聞経営者が今回の事態を前にして「うちは琉球新報ではないから」「沖縄ではないから」と放置すれば、いずれ新聞業界全体が弾圧の対象になるだろう。
 
  年内にも特定秘密保護法が施行されようとしている。施行後ならば記者が逮捕され、新聞社が捜索を受けたのではないか。そのような事態を招いてはならない。だからこそ、私たちはいま、声を上げなければならない。
 
以上
 
「陸自新設部隊、石垣で最終調整」』 防衛省否定
(日本報道検証機構(GoHoo) 2014年3月1日)
 
上記の記事のうち政府見解に対する琉球新報社の松元剛編集局次長兼報道本部長の反論コメントを下記に転写しておきます。
 
◆琉球新報社のコメント全文(2014/2/28)

琉球新報社のコメント全文 
市民のMLという公開型のメーリングリストに以下のような投稿がありました。
 
「私が東京を変える」の2014東京都知事選総括(CML 2014年3月4日)
 
下記はその投稿をした人への反論の返信。
 
まったく無為有害の東京都知事選総括というほかありません。
 
次点とはいえ、当選者にダブルスコア以上の大差をつけられての次点(すなわち、当選はまったく覚束ない程度の票の獲得)でしかなかったという総括がまったくなされていません。
 
こういうことが「三度目の正直」になってはたまりません。次の選挙でも都知事選では「当選」をめざさないということを宣言しているようなものです。
 
どういう認識から「三度目の正直が起こるかも知れません」などという言葉が飛び出すのか。私には想像しがたいほどのアホな認識です。呆れ果てて言葉も出ません。
 
党派的思考というものはここまで人の思考をボロボロにしてしまうものだろうか。このことについても私には言葉もありません。
 
「先の都知事選では宇都宮健児やその支援勢力は「安倍首相は日本をアメリカと一緒に戦争する国にしようとしている」(引用者注:この言葉は「アメリカのメディアもこうしてアメリカが『日中の紛争に引き込まれる』」ことに警戒している」という指摘の後に出てくる言葉です。当然、皮肉が込められています)などと言っていた。権威がそういうと下々がおとなしく従うのが日本の「リベラル・左派」のあり方らしい(「主人持ち」の人たちの限界だろうと私は思っている)」(kojitakenの日記 2014-03-04

という嘆きとも皮肉ともつかない知性ある者(しっかりとした目を持つ者)の結局嘆きの言葉も通じないのでしょうね。

パリの話

辺見庸の「日録8」(2014/02/26~)は辺見の友人、堀内良彦氏の死の報告から始まります。
 
2月26日付け。
友、堀内良彦が2014年2月25 日午後8時ごろ、逝った。
 
同月27日付け。
友、堀内良彦は血友病患者でHIV感染者だった。すでに肝臓がんを併発していたのに、福島県の放射能汚染地にたびたび入り、東電に抗議し、血友病患者支援にもあたっていた。そうせずにはいられなかったのだ。「戦死」という言葉はきらいだから、つかわない。良彦はただ、ずっと悪戦苦闘し、のたうちまわり、ついにひとりで逝きやがった。昔、文化学院でかれを知った。いっしょに教育テレビにでたこともあった。たびたび助けられた。とてもはげしく憤り、とてもやさしく愛する男。カサヴェテスについておしえてもらった。飼っていた犬は柴のペロ。良彦より先に死んだ。存在していた者が不意にいなくなるのはあまりに奇妙だ。不当だ。
 
同月28日付け。
悔いている。こちらが生きるのにかまけて、堀内良彦の死の瞬間を知らなかったこと、その前に声をかけてやれなかったこと。失念していたわけではないのだが。気になっていたのだが。おれたちはカサヴェテスを愛した。それと、「ヘンリー/ある連続殺人鬼の記録」を、いっしょに偏愛した。良彦はわたしをヘンリーとよび、じぶんをヘンリーの相棒だった、結局ヘンリーに殺される悪党として、ひとしきり「どうあっても救われぬ悪人」を演じたこともあった。虫一匹殺せない男が。
 
3月1日付け。
堀内良彦と夕暮れの観覧車に乗ったことがあった。テレビ撮影のためだったが、深海みたいなたそがれの宙をいっしょにまわったのを忘れない。ゴンドラのなかで、かれはなにか大声で叫んでいた。しかし、道路工事中だったのか騒音がひどくて、よく聞きとれなかった。わたしは、観覧車のなかで問うたのだった。腹が立たないか、と。良彦が答えた。騒音にかき消された。えっ、と聞き返した。するとかれがわめいた。ブッコロシタイ。ソノグライ、オコッテマス。そこはたしか、編集できれいに削除された。ダウンしたわたしのパソコンをなおしに、夜中の3時に自宅に駆けつけてくれたこともあった。心に皮膜のない、危ないほどむきだしのあの男に、わたしはただ助けてもらうだけだった。迂闊だった。
 
3月2日付け。
それがごく穏やかなものにせよ、苛烈にせよ、目にはよく視えないにせよ(おおかたは視えないものだ)、こう言ってよければ、わたしの戦線はすでにある。だれしも各個の戦線がある。じぶんの戦線は、まるでカナヘビの細い影のように、極小である。でも、それをじっと見つめることだ。そこから逃げないことだ。できれば、それをあからさまにすることだ。この3年、いったいなにが起きて、なにが起きなかったのか。鬱々とかんがえていたときに、堀内良彦がひとりで逝ったのだった。この3年、いったいなにが起きて、いま、なぜこんなひどいことになっているのか…ずっと昏睡しつづけていたように、しょうじき、わからないでいる。ただ、かれのあの激怒と共感と絶望が、ほんとうにたぐいまれな、立派な能力であったことだけは、いくら迂闊なわたしにだって、わかる。強者への激怒と弱者への共感とじぶんへの絶望…。
 
3月3日付け。
3年間、なにがあったのか。昨夜、「2014.02.28経産省対話集会:急逝した堀内良彦氏への追悼アピール」と題された動画を見た。良彦らを追悼した集会記録なのに、経産省前にあつまった若者たちのなかに、良彦がいないかついつい探してしまう。「経産省はよく聞けよ―!」、「原発やめろ」、「いますぐやめろ」、「原発反対」、「再稼働反対」、「原発輸出も絶対反対」、「武器の輸出も絶対反対」、「TPP反対」…ラップ調でシュプレヒコール。タンバリンやトランペットの音も聞こえる。良彦もここでこうやって、痛むからだをうごかして、リズムにのせて声をはりあげていたのだ。リーダーがラウドスピーカーで呼びかけている。「堀内くーん、聞いてるかーい?…雲のうえで遊んでてください。あとはぼくたちがやるから…」。よどみない声が夜空に吸いこまれていく。3年間、こういうことだったのだ。
 
3月3日付けには「3年間、こういうことだったのだ」とあります。「こういうこと」とはなにか。その言葉から、私はかつて辺見庸が書いた「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないのか――閾下のファシズムを撃て」(「世界」2004年3月号)という文章を思い出しました。その文章には次のようにあります。少し長いですが引用してみます。辺見の言う「こういうこと」の中身(少なくともその中身の一部分)は以下のようなものではないか。