「風知草」の筆者である 毎日新聞の山田孝男記者(編集委員)の「残念な現状」(2014年02月24日付)という一文は次のような書き出しで始まっています。「情けも時にアダとなる。善意が曲解され、心の通わぬことがある」 ――なにを「情け」というのか? また、なにが「善意」なのか? また、なにを「曲解」というのか? また、なにが「残念」なのか?
 
「残念な現状」という一文を一通り読んでみると、「情け」とはいわゆる「従軍慰安婦」問題について日本側として「日本政府の責任を認め、謝罪」した「河野談話」を発表したこと。「情け」とあるからには「河野談話」はお慈悲で出してあげたもの、という認識でしょう。「善意」もやはり「河野談話」のこと。「曲解」とは韓国側によってその「河野談話」が「性奴隷(sex Slave)制度の証拠」とされたこと。また、「残念」とはそうしたことの一切合切。要するに山田孝男氏の「従軍慰安婦」問題についての認識は、同コラムのモーメントともなっている2月20日の衆院予算委員会で「河野談話」を攻撃し、その見直しを強行に求めた泣く子も黙る(すなわち右翼の)日本維新の会の山田宏議員の認識と寸部違いません。表現がやや文学的(コラム風)になっているだけのことです。
 
私は山田孝男記者の正体見たり、と思いました。山田記者は3・11以後、同紙の連載コラム「風知草」でこの国の記者としては珍しくいわゆる傍観者=記者の立場を超えて<脱原発>の旗幟を鮮明にした反原発のオピニオン記事を精力的に書き続けてきました、とそのように見えました(ひとつの例として、私の批判まじりの評価記事ではあるものの、「『僕のお父さんは東電の社員です』という書き出しで始まる小6男児の手紙について考える」(弊ブログ 2011
.05.28付)を参照)。
 
しかし、今年の8月26日に同紙『風知草』に掲載された「小泉純一郎の『原発』ゼロ」というコラム記事がその記事の内容の意外性から「政界」と「世間」の双方から評判になりだしたあたりからこの人の正味の正体が見え隠れしはじめます。その前座の役割を担ったのが毎日新聞の10月5日付けの社説。社説は、「原発をめぐる小泉氏の主張は毎日新聞のコラム『風知草』(8月26日付)が取り上げ、強い関心を集めるようになった」と自社の小泉「脱原発」発言報道に先見の明があったかのように自画自賛します。そういうこともあってか、10月14日付けの「風知草」は、さらに自信を深めた様子で現役キャリア官僚の覆面筆者の『原発ホワイトアウト』(講談社)という新刊本の紹介の形をとって「自民党における小泉純一郎元首相の造反を見よ。原発推進勢力はなお強力だが、政府・与党の亀裂は深まり、動揺が広がっている」と自身の小泉発言評価記事の先見の明をやはり自画自賛する体の手前味噌を重ねます。この人の正味の正体が露見する記事の書き草(ぶり)でした。この人は基本的に思想的に保守の範囲の人で、ジャーナリストというよりもジャーナリストという「世間的名声」に胡坐をかくたぐいの増上慢の人だということがわかります。
 
小泉純一郎の「フィンランドの核廃棄物最終処分場『オンカロ』見学の旅は、「三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人が同行した」(同上「風知草」)旅でもあったこと、そうした道中での「脱原発」発言であったこと、同元首相は2005年10月に自民党の首相として『原子力政策大綱』を閣議決定し、2006年6月には『原子力立国計画』を政府として策定した張本人であったことなどなどを顧慮すると、「自民党における小泉純一郎元首相の造反を見よ。」などとどうして能天気に書くことができるでしょう。この人にはジャーナリストとしての眼、考察と洞察があまりにもなさすぎる、と相当に低い欠点の評価せざるをえません。
 
かつて辺見庸はいわゆるジャーナリストの現在のありさまについて次のように語っていたことがあります。
 
「二〇〇二年に私がだした『永遠の不服従のために』(毎日新聞社刊、講談社文庫)という本で書いたことがあります。やつら記者は「糞バエだ」と。友人のなかには何度も撤回しろという者もいました。でも私は拷問にかけられても撤回する気はない。糞バエなのです。ああいう話を黙って聞く記者、これを糞バエというのです。(略)許せないのは、二〇〇三年十二月九日、首相官邸に立って、あのファシストの話を黙って聞いていた記者たち。世の中の裁定者面をしたマスコミ大手の傲岸な記者たち。あれは正真正銘の、立派な背広を着た糞バエたちです。彼らは権力のまく餌と権力の排泄物にどこまでもたかりつく。(『いまここに在ることの恥』毎日新聞社 2006)
 
山田孝男記者もその例外だとは私は思いません。同記者の「残念な現状」(「風知草」)という記事を読んでそのことが一段とはっきりとしました。繰り返しますが、山田記者が同記事で示している認識は右翼の日本維新の会の山田宏議員の認識と寸部違わないのです。
 
下記に山田記者の「残念な現状」(「風知草」)という記事の全文を掲げておきます。各自で山田記者の認識の無残さをご確認ください。
 
また、以下に「小林久公氏(「強制動員真相究明ネットワーク」事務局長)の指摘 石原元官房副長官の国会証言「河野談話に裏付は無い」はウソ」という弊ブログ記事のURLも示しておきます。こちらは同記事でリンクを張っている重要資料がかなり大量にありますので直接上記のURLを開いてお読みいただく方がよいと思います。ジャーナリストとは思えない山田記者の認識の浅薄性が資料に基づいて一段とはっきりとするものと思います。
 
以下、山田記者の「残念な現状」(「風知草」)の全文。
 
風知草:残念な現状=山田孝男(毎日新聞 2014年02月24日)
 
情けも時にアダとなる。善意が曲解され、心の通わぬことがある。いわゆる従軍慰安婦問題をめぐる「河野洋平官房長官談話」(1993年)がそうだ。
 
先週の国会の話題は、この談話の作成に携わった石原信雄参考人(87)=元内閣官房副長官=の証言だった。今はどう思うか、と聞かれ、こう答えた。
 
「……最近に至って韓国政府自身が、これ(慰安婦への補償)を再び提起するという状況を見ておりまして、当時の日本政府の善意というものが生かされていないということで非常に残念に思っております」(20日、衆院予算委)
 
未来志向の日韓関係を目指し、韓国側当事者の申し立てを尊重して日本政府の責任を認め、謝罪したにもかかわらず、未来志向にはならなかった。石原証言のミソはここだ??。
 
質問に立ったのは山田宏衆院議員(56)=日本維新の会。昨年、慰安婦像が設置された米カリフォルニア州グレンデール市で、日系の子どもたちが中傷に苦しんでいるという調査を示して政府を追及した。
 
いわく善意の河野談話だったが、善意のおわびが国際社会では性奴隷(sex slave)制度の証拠と曲解された。各国で対日非難決議の連鎖を招いた。
 
こうなった以上、談話の唯一の根拠である韓国人元慰安婦16人の聞き取り調査資料を公開、検証して談話自体を見直せ??。これが質問の趣旨である。
 
談話の文言は当時の日韓政府関係者が丹念にすり合わせた。慰安婦募集には軍の「意向」を受けた業者が当たった??という日本案に対し、韓国側が軍の「指示」へ修正を要求。
 
指示した根拠はなく「要望」でどうかと日本側が返すと、ならば「要請」(強く請いもとめること=広辞苑)で??と韓国側が押し切った。山田は産経新聞の調査報道を引き、関係者の証言を例示した。
 
日本維新の会は談話の責任者である河野洋平元衆院議長(77)の出席を求めていた。自民党が「元議長招致は例がない」と退け、石原の出番になった。
 
首相官邸の高官から石原に出席要請がなされたのは前日の19日である。野党第2党(維新の会)は談話作成の責任者に対する質疑を重視。予算の円満採決、与野党協調を探る政府・与党が石原を口説いた。
 
石原は元自治(現・総務)事務次官。竹下内閣から村山内閣まで7代にわたって官房副長官を務めた。事実経過を淡々と述べて貫禄を示したが、心境を問われた時のみ、「非常に残念」と感情をにじませた。
 
後日、「気持ちが入りましたね」と話しかけると、石原はこう応じた。「これはもう、率直な感想ですからねえ。昔は(日韓間に)信頼がありましたよ」
 
日韓は65年の基本条約と付属協定で、韓国の日本に対する請求権の最終解決を確認したものの、韓国には不満が残っている。河野談話の後、95年から2002年にかけ、民間の「アジア女性基金」による補償が行われた。その後は韓国が慰安婦への補償要求をエスカレートさせている。
 
河野談話の資料が封印されているのは、性交渉を強要された被害者の証言という事柄の性格による。政府は資料開示、談話見直しともに慎重で、応諾の言質を与えてはいない。
 
なお隠忍自重か、談話見直しか。世論は割れているが、日韓合意を焦る必要はない。新たな善意に基づく不用意な譲歩で混乱を広げるべきではない。沈黙は必ずしも金ならず。対外発信を練る時だ。(敬称略)

 レクイエム 
ミラノ聖マリア大聖堂
Basilica S.Maria delle Passione Milano

日録8
・友、堀内良彦が2014年2月25 日午後8時ごろ、逝った。(2014/02/26)
 
・友、堀内良彦は血友病患者でHIV感染者だった。すでに肝臓がんを併発していたのに、福島県の放射能汚染地にたびたび入り、東電に抗議し、血友病患者支援にもあたっていた。そうせずにはいられなかったのだ。「戦死」という言葉はきらいだから、つかわない。良彦はただ、ずっと悪戦苦闘し、のたうちまわり、ついにひとりで逝きやがった。昔、文化学院でかれを知った。いっしょに教育テレビにでたこともあった。たびたび助けられた。とてもはげしく憤り、とてもやさしく愛する男。カサヴェテスについておしえてもらった。飼っていた犬は柴のペロ。良彦より先に死んだ。存在していた者が不意にいなくなるのはあまりに奇妙だ。不当だ。(2014/02/27)
 
3/4未明再放送
◎「私にとっての3.11――作家・辺見庸」を再放送
(NHK番組予告)
 
・NHK総合 2014年3月4日(火) 午前2:40~午前3:40(60分)
こころの時代~宗教・人生~選 私にとっての3.11「作家・辺見庸」
 
辺見庸は宮城県石巻で生まれ育った。津波で自らの記憶の土台が根こそぎにされたと感じながら、辺見は、この絶大な破壊を表す言葉を打ち立てようと思索を続けている。
 
【出演】辺見庸
【語り】山田誠浩
【朗読】清水紘治
 
津波に襲われ壊滅した宮城県石巻の海辺の町で、作家・辺見庸は育った。「失われてみて、自分の表現を支えていた土台に、あの魚臭い町があったことを思い知らされた」と辺見。記憶の根拠になるものが根こそぎにされてしまったという失意のなか、この震災を表現しようと詩を書き続ける。絶望を深め、自分の悲しみに見合った言葉を探し表現すること。それが、絶望からはい上がる糸口になるのではないかと語る辺見の言葉に耳を傾ける。
 
・辺見庸は、NHKにいすわる反社会的勢力=籾井勝人、百田某、長谷川某らの即時解任または辞任をつよくもとめます。本ブログ「私事片々」などをご参照ください
 
・ 番組関連書籍は、辺見庸著『瓦礫の中から言葉をーーわたしの死者へ』(NHK出版新書363)、詩集『眼の海』、『生首』(いずれも毎日新聞刊)です。
 
日録7
・(前略)もう3年になる。大震災の翌月、2011年4月24日早朝に放送された「こころの時代 瓦礫の中から言葉を――作家・辺見庸」が、来月3月4日の午前2時40分から、NHK総合テレビで再放送されるという、噂というか情報がある。NHKの放送予定表にも載ったようだ。だが、このご時世である、にわかには信じがたいので、へえ、そうなの!?と反応するにとどめた。皆が寝ている時間帯。どうということはないと言えば、どうということはない。にしても、この3年、予想どおり、いや予想以上に、ものごとすべてが悪くなったNHKはいま、3年前にもまして、この国のネオファッショの重要な一翼をになっている。とりわけ、報道はすでに、最低限の魂まで失ったガラクタにすぎなくなった。まことに見るにたえず、聴くにたえない。籾井勝人は居直りヤクザよろしく下品にいすわっている。即刻辞めるべきである。経営委員会解体すべきである。百田某、長谷川某らの病的異常発言を、わたしはどのような観点からも断じてみとめることができない。再放送の真偽はどうあれ、以上、あらためてわたしの立場を明らかにしておく。「花は咲く」オンパレードの今日の景色を、どこまでも怪しむ。(2014/02/25)
私は金光翔さんが2007年に著した「<佐藤優現象>批判()」(『インパクション』第160号)を読んだとき、現代日本の「革新」の問題に焦点を当てた現状分析とその分析力の鋭利さになにものにも媚びないほんものの「思想者」の登場を見る思いがしました。彼の「革新」の現状への論究と問題提起は、「革新」の現状に同様の問題性を感じていた私の胸にいちいち染み透るものでした。私は金さんの闘いは私の闘いでもあると思いました。
 
「佐藤優現象」とは、「佐藤優のような、右翼であり、右派メディアに頻繁に登場して国家主義を喧伝している人物が、全く同時期に、リベラル・左派と一般的に目されているメディアにも登場している現象」(金光翔「佐藤優現象について(1)」)のことを言います。
 
金光翔さんによれば、「〈佐藤優現象〉の下で起こっていることは、『日本がファシズム国家の道に進むことを阻止するために、人民戦線的に、佐藤優のような保守派(私から見れば右翼)とも大同団結しよう』という大義のもと、実際には、『国益』を前提として価値評価をする、『普通の国』に適合的なリベラルへと、日本のジャーナリスト内の護憲派が再編されていくプロセス」です(同「<佐藤優現象>批判」)。
 
わが国の民主的メディアを代表すると目されている「『世界』や『週刊金曜日』(略)が『右翼』『国家主義者』を自称する佐藤優氏」を「積極起用」(「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」)している今日の事態(といっても、もう10年以上にもなります)は、わが国のジャーナリストや研究者、言論人たちがもう10年以前から雪崩を打って「右傾化」している顕著かつ象徴的な現われとみなせるものでしょう(その最近の組織的な「右傾化」現象の顕著な現れが「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」問題、また、「宇都宮健児のフライング」問題といえるだろう、というのが私の見るところです)。
 
その「佐藤優現象」を指弾する金光翔さんへの共感を示すために私は「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」(2009.10.01)に署名し、その署名に以下のような連帯表明の言葉を添えました。
 
「金光翔さんの闘いを孤高の闘いに終わらせるわけにはいきません。佐藤優現象に関する金光翔さんの論文は、わが国の代表的な進歩的な雑誌と目されてきた、いまも目されている『世界』(岩波書店)、『週刊金曜日』というジャーナリズム内の「『戦後民主主義』体制下の護憲派が」、「改憲後の国家体制に適合的な形に再編成されていくプロセス」(金光翔氏)、また負の「徴候的な現象」(同)を剔抉して見事です。とりわけ同論文5章1節の「ナショナリズム論」、同2節「ポピュリズム論」に私は愁眉を開かれる思いでした。これはまさしく現代の「転向」問題といってよいのだ、と私は思います。女性史研究者の鈴木裕子さんも賞揚されるように、金光翔氏の論稿は、「日本の言論界ひいては思想界が溶解しはじめている」ときに、「その分析力の鋭さ」において、私たちの国の雑誌ジャーナリズムの暗愚の正体の在処について「大きく示唆を与えてくれるもの」です。「在日」だとか「日本人」だとかにかかわりなく、まさに「前途多望な若い思想者」、本物の思想者が登場したのだと私は思います。私は金光翔さんの闘いに連帯します。」(2009年10月1日)
 
私の基本的スタンスは、上記のとおり、金光翔さんの「言論の闘い」は「私の闘い」でもあるという立場ですが、一度だけ同氏を批判したことがあります(ただし、「明示的には」という意味です。「金さんの闘いは私の闘い」でもあるということは、金さんの言説を全面的に支持するということではありません)。私は、金さんの「『在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利』という視点を日本人リベラル・左派は見落としている」という批判について以下のように反論しました。
以下は、ある「放射能」原理主義者の「論?」への私の反論です。ある「放射能」原理主義者の「論?」は下段のペーストをご参照ください。
 
私はつい先日も「事実」として存在(ある)ものを「書いた覚えはないのですが」などと強弁し、おのれの非を認めず、それどころか逆に「♪それはなに?」「無いものを明示せよとは無理な注文かもしれませんが・・・(笑うところ)/貴殿のことを/「権力・権威主義者にして妄想主義者」/といいかえ、慎んで訂正させていただきます。・・・/〇〇第一書記様」などとおのれの非を指摘する者を最大級の侮蔑の表現で揶揄するある「放射能」原理主義者の志操性を「妄想性パーソナリティ障害」と名づけて批判したばかりですが(CML  029677 2014年2月16日)、またしてもある「放射能」原理主義者は反省することなく同様の誤りを犯しています。これが本人だけの御託であるならば無為の徒労のみ多い批判はやめて私も無視してやり過ごすのですが、「この報告は別のメーリングリストに転送しても宜しいでしょうか?」などという同調者が出てはそのある「放射能」原理主義者の妄想的思惟による謬論を看過しておくわけにはいきません。若干のことを指摘しておきます。
 
第1。ある「放射能」原理主義者曰く。「(甲状腺がんの)スクリーニング調査は4~5年後から始まった」「したがって、最初数年のあいだ増加が見えなかったのは当然」。
 
スクリーニング調査かどうかは別にしてベラルーシにおける甲状腺がん調査はチェルノブイリ事故以前からあります。ある「放射能」原理主義者の論理の前提は誤っています。こちらの「表1 ベラルーシの甲状腺ガンの数」から、子供(0~14歳)の甲状腺ガンの発生数 チェルノブイリ事故前の9年間」を参照。
 
第2。ある「放射能」原理主義者曰く。「チェルノブイリでも、事故後3年間は福島の現在と同じように、事故時0~4歳の小さい子どものがんは見つかっていない」。
 
この主張も誤っています。以下の表2、図2には事故時0~4歳の小さい子どものがん患者の年齢分布は66.2%(全患者の半数以上)であったことが示されています。こちらを参照。
 
また、「事故後3年間」の子ども(0~14歳)の甲状腺がんは1986年に2例、1987年に4例、1988年に5例あったことが報告されています。こちらの「表1 ベラルーシの甲状腺ガンの数」から、子供(0~14歳)の甲状腺ガンの発生数 チェルノブイリ事故後の9年間」を参照。
 
第3。ある「放射能」原理主義者曰く。「放射線の影響は考えにくい」理由として「検査装置が進歩したので、今まで見つからなかった1cmより小さな微小がんが数多くみつかってしまっだけ、「増加は見かけ」の現象であって、甲状腺がんが多発したわけではない」といいますが今月7日、最新の福島県検討委員会データよれば、「甲状腺ガンないしガン疑い75名」ガンの平均直径は「14.3
±7.6 ㎜(5.2-40.5㎜)」です。これを見れば、直径1cm以下の微小ガンは75名のなかではわずか、だと分かります。」
 
ある「放射能」原理主義者の言う「平均直径は『14.3±7.6 ㎜(5.2-40.5 ㎜)』」というのはあくまでも「悪性ないし悪性疑い」のある甲状腺がん患者75例のデータでしかありません。
寺嶋悠さんがあるメーリングリストに投稿された「五木民俗写真集と写真展『五木歳時記』ご案内(大阪、福岡)」の転載をさせていただこうと思います。
 
寺嶋悠さん(アジア開発銀行福岡NGOフォーラム、観光・地域づくりアドバイザー)とは2007年に大分県別府市で開かれた官主催の「アジア・太平洋水サミット」に対抗して開催した民の立場からの「アジア太平洋水サミット市民フォーラム」の開催のときに福岡・大分を中心にして6か月ほど行動をともにし、10日ほどは寝食をともにしました。懐かしい友人です。
 
このときは佐久間智子さん(「環境・持続社会」研究センター理事)やいま大変ご活躍中の内田聖子さん(アジア太平洋資料センター PARC。実家は別府市)とも行動と寝食をともにしたことが思い出されます。
 
久々の投稿です。五木村移住3年目に入りました、寺嶋です。
 
さて、五木村の暮らしを10年余りにわたり撮り続けられている小林正明さんが、写真集『五木歳時記~山里の祭りと風習~』(花乱社)を発刊されました!!
 
併せて、2/20~26大阪と、3/13~25福岡で写真展が開催されます。

五木歳時記 
写真集「五木歳時記」
 
写真集は、五木村の各集落でひっそりと受け継がれてきた、お堂や神社、山の神の祭り、季節の行事84点の写真を収めたもの。それぞれに解説が付き、読み物、民俗資料としても興味深いと思います。
 
私も度々五木村の各地の祭りでご一緒したことがありますが、小林さんの五木村にかける思いには、本当に頭が下がります。カメラって割と「ヤラセ」があったりしますが、小林さんの場合は一切なし。ほんの一瞬のタイミングを逃せば、翌年の同じ祭りまであと一年待たなければなりません。そんなふうに、1つの祭りを撮るのに気長に数年間通い詰め、撮影されてきたそうです。
 
モノクロの写真からは、山里の静かな暮らしの中で、祖先から受け継いできた神仏への信仰と、恵みをもたらし時に刃を向ける自然への畏れを感じます。 
以下は、小林久公氏(「強制動員真相究明ネットワーク」事務局長、札幌市在住)のこの20日に衆議院予算委員会で証言した石原元官房副長官の「元慰安婦の証言」の「事実関係の裏付調査は行われていない」発言、それを「胆略的」に報道した産経新聞の「仕組まれたウソ」を暴く指摘です。

ここで小林氏が指摘している事実については、いわゆる「従軍慰安婦」問題や「強制動員」問題の研究者やフィールドワーカーにとっては「周知の事実」というべきものですが、一般に「周知の事実」というにはいまだほど遠い状況にあります(だから、今回のような安倍内閣や産経新聞の「胆略」も右翼的潮流に影響されやすい一部の市民の間で「通用」する事態にも立ち至っているわけですが)。
 
そういう次第で、小林久公氏の安倍内閣と産経新聞によって「仕組まれたウソ」の指摘を転載させていただこうと思います。

慰安所 軍関与示す資料 
 
20日の衆議院予算委員会で、石原元官房副長官の「元慰安婦の証言」の「事実関係の裏付調査は行われていない」との発言を受けて、菅内閣官房長官が、元慰安婦の証言の検証について「検討したい」と答弁したことが伝えられています。このことに関し、報道は「河野談話の基となった元慰安婦証言は裏付がない」と胆略的に報道しています。このような表現は正しくなく、読者に誤った情報を埋め込む基になります。
 
河野談話は当時の外政審議室の発表にもあるとおり、10の対象機関から収集した文書(この中には、法務省からのバタビア裁判の報告書があります)、「慰安婦」被害女性、元軍人など三十数名からの聞き取り、国内外の文書及び出版物(この中には、各種の「慰安婦」被害者の『証言集』や研究書)を「総合的に分析、検討した結果、以下の点が明らかになつた」として発表されたものです。
「今日の言葉」には私の言葉はありません。しかし、「私」の言葉はあります。以下、その「私」の言葉としての憤りです。「私たち」と共有したい。


・なに?
閣議決定つまり首相の意思ひとつで集団的自衛権の行使が可能になるだと!?一大事だ。とてつもない発言である。驚天動地の暴論だ。これこそ号外ものである。臨時ニュースをなぜ流さないのか。君たち、編集局長、記者諸君、ニュースの軽重、順列がひっくりかえってる(引用者注:13段落参照)ぞ。人権弾圧オリンピックなどクソくらえでよい。なんということだ。安倍晋三は憲法第96条論議をひっこめて、こんどは、ヒトラー内閣が1933年に成立させた「全権委任法」(国民と国家の危難を除去するための法)を真似しはじめている。安倍の発言は「立法権を政府に委譲せよ」というのにひとしい。「全権委任法」によりドイツがどうなったか、だれもが知っているはずではなかったのか。ワイマール憲法は完全に死文化した。日本国憲法も死文化させられようとしている。安倍は戦時体制をつくろうとしている。弱虫は弱虫なりに、泣き虫は泣き虫なりに、怠け者は怠け者なりに、引きこもりは引きこもりなりに、パラサイトはパラサイトなりに、死にぞこないは死にぞこないなりに、犬もネコもスズメもミミズも、「反対!」の声をあげよう。そして、安倍たちにここまで自信をつけさせている「恐怖の気流」についてかんがえてみよう。辺見庸「日録7」2014/02/21)

・「ことばを言った、矢を放った、手紙を書いた、罠に落ちた」はタタール人のことわざである。元に戻せぬもののたとえだが、一度口を出たことばは取り返しがつかないとのことわざは世界中にある。「言ったことばは投げた石」(ブルガリア)、「口から出たことば、手から落ちた卵」(エチオピア)、「ことばには羽がある」(スウェーデン)……察するところ、滑りすぎる舌にはどの民族も大いに悩まされてきたらしい(「世界ことわざ大事典」大修館書店)。なかにはポーランドの「ことばは小鳥となって飛び立ち、牛になって戻ってくる」もある。手元を離れたことばは時に思わぬ重大な結果をも招く。しかしこんな古今東西の戒めなどどこへやら、世の責任ある立場の人物の発言取り消しが相次いだわが国の昨今である。籾井勝人NHK会長の就任記者会見での「個人的見解」取り消しをめぐる野党の追及が続く中、今度は衛藤晟一首相補佐官の「米国に失望」発言の取り消し騒ぎである。こちらは首相の靖国参拝をめぐる米国側の失望表明に対する不満をあらわにした対米批判だった。「米国はちゃんと中国にものが言えない」。首相側近がこう言えば、国際的には首相の意を体した発言と受け取られて当然だろう。すぐさま官房長官の指示により取り消されたが、落ちた卵は戻せない。この間の日米のぎくしゃくした関係にまた投げられた石である。官邸主導の外交・安保政策は政権の看板のようだが、当の官邸が外交戦略の基軸を傷つける言動の震源になっていては世話がない。最後は国民まで「罠に落ちた」に巻き込まないよう願いたい。(「余録:『ことばを言った、矢を放った、手紙を書いた、罠に落ちた』は…」毎日新聞「余録」2014年02月21日)

・東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長を務める森喜朗元首相は20日、福岡市内で講演し、 ソチ冬季五輪のフィギュアスケート女子の
浅田真央選手がショートプログラムで16位と出遅れたことについて「見事にひっくり返ってしまった。あの子、大事なときは必ず転ぶ」と述べた。配慮を欠く発言として批判も出そうだ。 浅田選手は『大事なとき転ぶ』=森元首相」  時事通信2014/02/20
ジャーナリストの田原総一朗さんが東京都知事選における脱原発候補(宇都宮候補、細川候補)のいわゆる「一本化」問題について面白いことを言っています。
 
「告示直後から、『反原発』の細川陣営と宇都宮陣営の候補者を一本化すれば、舛添陣営に対抗できるのではないかという声があった。しかし、宇都宮さんが降りなかったために一本化は実現しなかったと言われた。私が宇都宮さんへのインタビューで『なぜ降りなかったのか』と聞くと、宇都宮さんは『それは違う』と答えた。宇都宮さんは、どうするかをめぐって細川さんと『1対1で話し合いたい』と伝えた。しかし、細川さんはそれを拒否したのだという。なぜ拒んだのかはわからないが、細川陣営には選挙戦から降りるという選択肢はなかったのではないか。小泉さんは細川さんを都知事選に立候補させることで『反原発国民運動』第2弾の舞台をつくることを考えていたのだろう。私のインタビューに対して、細川さんは都知事としての公約を何ら具体的に語らなかった。へたに都知事になってしまったら困る、といった印象すら受けた。いってみれば、小泉さんの目論見に細川さんが全面的に協力したということなのだろう。そのことが有権者にはわかったのではないか。だから選挙戦が盛り上がらなかったし、投票率も極めて低かったのだ。」(「小泉氏は「脱原発国民運動」第3弾をどう仕掛けるか」nikkei BPnet 2014年2月12日)
 
だから、「細川陣営は主要候補者が一緒に討論することを拒んだ」。「『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)でも討論形式の企画を提案したところ、他の候補者は承諾したものの、細川陣営だけが『ノー』と回答してきた」。「細川さんは『反原発』以外に特に問題意識を持っていないように感じられた。聞けば聞くほど、都政に対する関心のなさが露呈する。私がインタビューした6人の中で最も話の中身がなかったように思う。」(同上)
 
上記で田原さんは、東京都知事選における細川さんの立候補は「小泉さんの目論見に細川さんが全面的に協力した」もの。そして、その「小泉さんの目論見」とは、「細川さんを都知事選に立候補させることで『反原発国民運動』第2弾の舞台をつくること」だったと言っています。東京都知事選を「『反原発国民運動』第2弾の舞台」にするのが「目論見」であれば、その「舞台」は「『反原発国民運動』第2弾」という演目を最後まで上演しきるものでなければならない。だから、はじめから「細川陣営には選挙戦から降りるという選択肢はなかった」。「一本化」という戦術も細川陣営の採用(と)るところではなかった、ということを田原さんは述べています。
 
私は田原さんの政治的立ち位置、その思想性は評価しません。が、田原さんにはよきにつけ悪しきにつけ長い間商業ジャーナリズムの頂点の位置にいて政界(ことに保守政界)を俯瞰してきた眼があります。保守政界との人脈もあります。その政界通の眼から見た今回の「一本化」劇の田原流解釈(それも細川氏の「朝まで生テレビ!」での討論形式の企画の拒否など自身の見聞に基づく解釈)は相当に根拠があります。端的に言って、私は、今回の「一本化」劇に対する田原流解釈は真相を穿っているだろうと思います。 
以下、本日付け(2月19日)の朝日新聞の「籾井NHK会長『発言、どこが悪いのか』 経営委で」という記事と藤原新也さんの「公共放送であるNHKの瓦解は、メディアの将棋倒しの危険をひめていると言える。」(2014/02/18)という論のご紹介です。関連する記事、論だと思います。藤原さんは同論で「NHK受信料『留保』」行動という抵抗権の行使を提唱しています。ただし、私は、もうふた昔以前から「NHK受信料『留保』」の抵抗権を行使していますので(私事ながら、息子がこれももう7、8年ほど前にNHKの採用試験を受けて最終選考で撥ねられたことがありますが、そのせいもあるか?)残念ながら藤原さんの今回の提唱にあらたに参加することはできません。
 
籾井NHK会長「発言、どこが悪いのか」 経営委で
(朝日新聞 2014年2月19日)
 
就任会見での従軍慰安婦問題や特定秘密保護法などをめぐる発言が問題になった籾井勝人NHK会長が今月12日の経営委員会で、「取り消しているし、どこが悪いのか。素直に読めば理解できるはずだ」という趣旨の発言をしていたことが18日わかった。経営委内部では「反省していない」との声があがっている
 
12日の経営委では作家の百田尚樹氏、埼玉大名誉教授の長谷川三千子氏の両委員の言動などを審議し、経営委員は「一定の節度を持って行動していく」とする見解をまとめた。
 
複数の関係者によると、委員会の最後に、ある女性委員が会長発言の影響について「受信料不払いなどのリスクにどう対処するのか」と質問。籾井会長は「営業が頑張る」と答えたのに対し、具体案を尋ねられた後、「(発言の)どこがおかしいのか」「会見の記録全体を見てもらえればわかる」という旨の持論を述べた。別の委員から「そういう物言いはおかしい」と反発する声があがり浜田健一郎委員長がぶぜんとして「終わります」と委員会を打ち切ったという。
 
会議終了後、委員からは「浜田委員長が注意した意味がない」と懸念する声が出た。1月28日の経営委で籾井会長は「個人的な見解を発言したのは不適切だった」と反省を表明、委員長が「自身の立場を理解いただきたい」と会長に注意していた。
 
今回の発言について、NHK上層部の幹部は「就任会見では記者がしつこく聞くので致し方なかったと言いたいのだろうが、自分は悪くないという趣旨に受け止められても仕方ない」と指摘した。
 
約半月後に公開される経営委の議事録の表現については調整中という。(編集委員・川本裕司)
 
公共放送であるNHKの瓦解は、メディアの将棋倒しの危険をひめていると言える。(藤原新也 Shinya talk 2014/02/18)
 
流れてくるラジオをそれとなく聞いていると、ゲストに鳥越俊太郎氏が出ていて、例のNHK問題に関連して「不払い運動を起こすべきだ」としゃべって、アナウンサーは慌てて話しを他に振っていた。
今回の東京都知事選において「田母神は若者からの支持に支えられた」言説がひとり歩きし、そこから「青年の右傾化傾向」「若者右傾化」説がさらにひとり歩きし、「若者の右傾化=日本の政治の危機」説が一部で声高に主張されていますが、日本の若者層の右傾化は「日本の政治の危機」説が飛び交うほど顕著な傾向を示しているのか? この点について、政治学者の加藤哲郎さんも次のような「危機」説を述べています。「安倍首相の立場・歴史認識により近い右派候補が、20代・30代の若者を中心に(注:古谷経衡さんの分析では「田母神票の中心は30、40代」)60万票を得ていて、事態は深刻です」(加藤哲郎のネチズン・カレッジ 2014.2.15)。 
 
しかし、そうした「危機」説には「些か誇張の感」がある、と問題提起したのが古谷経衡さん(評論家)の「若者は本当に田母神氏を支持したのか?」(Yahoo!ニュース 2014年2月11日)という論でした。「左による『若者の右傾化』は事実誤認の過大評価であり、右からの『若者の(保守的な文脈での)正常化』は願望に基づく過大評価である」というのが各選挙結果指標を分析した上での古谷さんの結論でした。
 
この「若者右傾化」説を考える上でさらに参考になるのが下記の金光翔さんの論です。金さんの論は次のようなものです。
 
■「メモ31」(金光翔 私にも話させて 2014-02-16)
 
田母神が都知事選で60万余りの票を獲得したことに関して、「右傾化」の象徴として朝日その他が報じたり、「新しい政治勢力の誕生」だと右派が喜んだりしている。しかし、ウィキペディアの「東京都知事選挙」の項目の記述を基に、若干抜き出してみたのだが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E9%81%B8%E6%8C%99
 
14代 1999年4月11日
石原慎太郎 1,664,558
舛添要一 836,104
明石康  690,308(自民・公明 推薦)
<計3,190,970>
 
15代 2003年4月13日
石原慎太郎 3,087,190
<計3,087,190>
 
16代 2007年4月8日
石原慎太郎 2,811,486
<計2,811,486>
 
17代 2011年4月10日
石原慎太郎 2,615,120
<計2,615,120>
 
19代 2014年2月9日
舛添要一  2,112,979
田母神俊雄 610,865
<計2,723,844>
 
こう見ると、田母神の得票は、石原に投票してきた層のうち、舛添に投票しなかった層としてほぼ説明できるように思う。つまり、石原の右翼イデオロギーに共鳴して投票してきた層である。田母神の得票率(都全体で12.5%)が高かった地域は、上から順に、千代田区(18.0%)・中央区(16.4%)・港区(15.0%)であり、いずれも23区内で一人当たり平均年収が高いとされている区である。富裕層(都市上層)こそが右翼イデオロギーと親和的である、と見ることができると思う。
 
https://twitter.com/halt_haru/status/432830792239038464
http://insightxinside.com/20140209-tokyo-election/
http://tmaita77.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33288?page=4
 
少なくとも現時点では、田母神の60万票という獲得票から、何らかの新しい政治的意味を導きだすことは難しいのではないか。石原という田母神的な知事(周知のように今回の都知事選でも石原は田母神を支持している)を10年以上にわたって都民が圧倒的に支持してきたという明白な事実が、あたかも存在しなかったのごとく論じられている事態こそが、むしろ分析の対象になるべきであろう。 

本ブログのプラグイン(右端)に設けている「今日の言葉」の2014年2月2日から同年2月14日にかけての記録です。 

戦争


・「選挙は勝たなきゃ意味がない」だそうだが「選挙で勝っても意味がない」が民主党政権誕生の教訓ではなかったのか
秋原葉月‏@akiharahaduki(「Afternoon Cafe」ブログ主宰)2014年2月2日

・革新共闘選挙の候補にふさわしい清新で魅力溢れる候補が力強く脱原発を含む運動をつくっていたら、反原発を看板とする細川の出る幕はなかっただろう。(略)革新側の拙速な候補者選びが今日の事態を招いたのだ。 ( 「澤藤統一郎の憲法日記」2014年1月21日再掲

・3日午後4時40分頃、(略)内乱陰謀事件の45次公判が開かれた水原地方裁判所刑事法廷で、この日の核心場面の一つである李石基・統合進歩党議員の最終陳述が始まったのだ。取材陣が懸命にキーボードをたたく中で、確信にみちた李議員の声が法廷に鳴り響いた。(略)彼は「もし陰謀を言うのなら、私の内乱陰謀ではなく、朴槿恵政府の永久執権陰謀があったとするのが事実に符合するだろう。検察がこの裁判 を利用して野党の連帯を破綻させ、その執権を阻止しようした。私と統合進歩党は、その狂気の真っただ中で‘犠牲の羊’に仕立てられたのだ」と主張した。(「李石基の最終陳述-内乱陰謀はウサギに角を探すようなもの-繰り返し無罪を主張」オーマイニュース(「NPO法人三千里鐵道」より) 2014.02.04

・NHK経営委員の長谷川三千子埼玉大学名誉教授(略)は新右翼「大悲会」の(略)元会長(略)の没後20年を機に発行された追悼文集に「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである」と礼賛。 野村氏の行為によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神(あきつみかみ)となられたのである」と憲法が定める象徴天皇制を否定するような記載をしていた。(「NHK経営委員:新聞社拳銃自殺事件を礼賛 対メディア圧力黙認」毎日新聞 2014年2月5日

以下のような手紙(コメント)を浅井基文さん宛てに送信しました。お返事ないしは私の要望に関わる浅井さんのホームページ上での記事のアップがあれば改めてエントリさせていただこうと思います。
 
 
浅井基文様
 
大分市に在住している東本と申します。はじめてコメントを差し上げます。不躾な点についてはご容赦ください。
 
昨日の2月13日付けの「東京都知事選結果について思うこと」という記事を拝読させていただきました。
 
今回の東京都知事選に関する浅井さんの記事はおそらくこれで2本目になると思います。前回の記事は1月23日付けで「東京都知事選(フェイスブック書き込み文章)」というものでした。
 
その浅井さんの前回の記事について私は弊ブログに以下のような「感想」を書きました。今回、私が浅井さんにコメントを差し上げようとしていることにも関わっていますので、東京都知事選に関する浅井さんの前回記事を読んでの私の「感想」を先に開陳させていただこうと思います。私の「感想」は以下のようなものでした。
 
浅井基文さんは「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」問題をどう見るのだろうか? ――浅井基文さんの「東京都知事選」という文章を読んでの感想(弊ブログ 2014.02.01)
 
浅井基文さん(元外交官、政治学者)は東京都知事選問題、また、澤藤統一郎弁護士が昨年の12月21日以来問題提起してきたいわゆる「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」問題をどう見ているのだろう。あるいはどう見るのだろう、と私はずっと思ってきました。
 
浅井さんは長い間の、そしていまに続く「革新統一」論者ですし、共産党支持者でもあります。しかし、同時に浅井さんは、同党に対して同党の中国、朝鮮、対アメリカ政策などの政策問題、また、「統一戦線」問題、同党の組織体質について厳しい「辛口提言」を続ける気骨の人でもありました(「浅井基文さんの『日本共産党への辛口提言――ふたたび埋没することがないように』」弊ブログ2010年6月16日付参照)。 
澤藤統一郎さん(弁護士)と田中宏和さん(「世に倦む日日」主宰)は私から見てその政治的、思想的立ち位置を異にしています。しかし、今回の東京都知事選の評価については、宇都宮陣営に即して見る限り共産党主導の選挙だったという見方では政治的、思想的立場を超えて一致しているようです。それでは宇都宮陣営に即して今回の都知事選が共産党主導の選挙だったということはどういうことを意味しているか。その答えのヒントは下記のそれぞれの論者の論に示されているように思います。これも今回の選挙の参考言説、注目すべき論のひとつとして記録しておきたいと思います。
 
一本化派と反一本化派の死闘 - 誰が勝者で誰が敗者なのか
(世に倦む日日 2014-02-12)
 
都知事選の開票結果が出た直後から、宇都宮健児の支持者たちによる「一本化は間違いだった」とする轟音が喧しい。彼らの言い分によれば、2位につけたのは宇都宮健児であり、それに及ばなかった細川護煕は元々「勝てる候補」ではなく、したがって、細川護煕を「勝てる候補」として担ぎ、宇都宮健児に降りろと迫った一本化論は誤りで、一本化論者の誤りが証明された結果なのだと言い上げる。2/9夜から2/10にかけて、宇都宮健児を支持した者たちのTWには、このように勝利の興奮と高揚に溢れたものが圧倒的に多く、落選して敗北した悔しさを滲ませるものは皆無に近かった。宇都宮健児の選挙は、徹頭徹尾、2位につけることを目標にした選挙で、敵は舛添要一ではなく細川護煕だった自らの出馬の正当性と、一本化を拒否した政治的正当性を証明するための選挙だった。その総括を出し、自らの正当性を誇示するためには、細川護煕を上回る得票の結果を出さなくてはならないその意味では、彼らは確かに勝利したと言えるのだろう。彼らの立場に内在すれば、達成感はよく頷ける。だが、少し冷静に考えれば、この結果が、決して宇都宮陣営の勝利ではないことに気づく。都民が知事にしたのは舛添要一である。自民が推薦して応援した候補だ。宇都宮陣営が、細川護煕を非難する際に有効な武器として使った戦略特区についても、舛添要一は当然ながら安倍晋三の意向どおり導入を進める。
序章もしくは終章】(「日録6」2014/02/10)
いったい、個人がどのように生きることが、せめても、せめてもだ、内心の自由に合致するというのか。陸橋の下でぷかぷかとタバコをふかし、暑い日も寒い日もなんとか暮らしていたオババは、ほんとうに消えてしまったようだ。友人がしらべてくれた。もう死んでしまったのではないかという。なによりの証拠に「におい」がすっかりなくなってしまったらしい。もよりの交番にきいたら「そういうことには答えられません。すみません」と言われたという。たぶんオババは消された。清掃されたのだ。(略)昨日、大道寺さんから手紙がとどいた。

2013/08/09
東京の病院にいく。眠剤、精神安定剤、血圧降下剤2種、抗血栓剤もらう。例によって、9年間、例のごとし。これもいわゆるフツウだ。医者はいちおうヒトの顔をしているけれども、じつは脳に問題のあるまだ若いヤギが眼鏡をかけて白衣を着ているにすぎない。それはきょうびもはや病気とも言えない、あまりにフツウの障害であり、症状は〈すべての痛みへの無感動〉〈政治、社会状況、とりわけ患者の内面や固有の脳血管障害への無関心〉〈前記のことがらへの不干渉〉〈同無提案〉〈同不介入〉〈心にもない微笑〉〈曖昧な微苦笑〉〈言辞、動作、気配全般における無気力〉〈あらゆる局面における完璧な非暴力〉・・・などをもって特徴とするらしい。まったくフツウである。ただし、あのヤギがだれも見ていないところでなにをしているかは、わかったものではない。自動料金払い機で薬代を見たら、2か月分で1万3千円ほどだった。ギョッとする。払えないひとだって少なからずいるだろう。払えないひとびとは降圧剤も抗血栓剤ものまず、「自己責任」で脳溢血を再発し、自己責任でヨイヨイになり、自己責任でのたれ死ぬほかない

この病院にほどちかい歩道橋のたもとに老婆のホームレスがいるのを以前、見たことがある。ほんとうは老婆ではないのかもしれないが。いつも汚れたふとんを敷いて横向きに寝ていた。枕元にお茶の紙パックを置いていた。少し離れてとおるだけですごいにおいだった。あんなに小さなからだからはげしい悪臭をはなっていた。存在の芯が黙って叫んでいたのだ。タスケテ、タスケテ、タスケテ! 何百人、何千人が、ろくに彼女を見もせずに、ただ息をつめてとおりすぎたことか。すぐそばに病院があるというのに、だれかが飛びだしてきて助けようとしたか。人間ほどすさまじくにおう生き物はない。ホームレスの体臭ではない。通行人の腐れた心が鼻も曲がるほど臭いのだ。いま、気温34度。彼女はどうしているだろう。もう死んだろうか。灼熱の路上でまだきれぎれの夢を見ているのだろうか。いや、こときれただろう。ここは満目の廃墟だ。ruin・・・砂漠ですらない。時々刻々、ひとがむきだされていく。化けの皮がはがされていく。人生の中身も、ひとがらも、こころざしも、理想も、そんなもの、なんのかんけいもございません。支払い能力がすべて。ひととはすなわち、支払い能力のことです。こまめに水分を補給し、エアコンをてきせつに使用して、夏を快適におすごしください。ただし、電気代を払えなかったら、自己責任で直腸内温度39度になって死んでもらいます。

そのような死も、もうひとつのシステマティックな死刑執行である。内閣法制局長官の超弩級デタラメ人事に怒ることができる(いかにも怒ったふりをしてみせる)のは、しごくまっとうであり、かつ、まっとうそうではあるものの、炎熱のこの廃墟にあっては、なにか高級で贅沢な仕儀のようにさえ見えてくる。じかの路面に、老いて病んだひとの横たわる、その低く熱く臭くむきだされた地平からかすむ風景を見あげるならば、ほとんどすべてのことがらに殺意をおぼえるほかはない。こうなったらしかたがない、せめては睨めることだ。わたしにだってひとを睨めつける意思くらいはまだある。睨めてうごかざる殺意。はたと睨めて世界を刺しつらぬく、目のなかの青い刃。それをふりまわすくらいの殺意がないとはいえない。

けふは駅についてからアパートに直行はせず、エベレスト*にのぼった。いつかはかならず斃れるだろう。しかし、いま斃れるわけにはいかないのだ。だからエベレストにのぼる。麓の芙蓉の花が閉じて結ぼれていた。若い、顔の大きな男に後ろからいきなり声をかけられた。「熱いね。死ぬね」。男がとおりこし、ふりむいた。心底うれしそうに笑っている。「みんな死んじゃうね・・・」。気持ちがほどけ、わたしも痴れた顔で笑いかえした。
 
*引用者注:辺見の「日録」の2013年7月16日付けに「アパートから200メートルも離れていないカフェまでよろよろ歩き、コーヒーを飲んで、またよろよろ帰ってくる(略)。帰途、「エベレスト」にのぼるのを忘れない。ハナミズキのある角の広場の土盛りは高さ1メートルもないのだけれど、わたしにとっては断崖絶壁なので、エベレストと名づけた」とあります。
澤藤統一郎弁護士の「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」という「人権」と「民主主義」に関わる問題提起は人としての「個」の「良心」に関わる問題でもあるはずなのにその人の「良心」の領域まで浸透していかなかった、いかない理由のひとつには、「集団をたのみとするのではない、ささやかな「個」の勇気、ひとりのたちいふるまい、ひとりの言葉、ひとりの声」の問題、辺見庸のいう「災いにむかって暴走する列車の乗客」の問題が横たわっているのではないか(辺見庸「なにかが起きている――足下の流砂について」)。
 
澤藤統一郎弁護士の宇都宮健児氏批判、人にやさしい東京をつくる会・運営会議批判に関してある共産党シンパの年下の友人の次のような感想を読みました。
 
「ちょっとだけ、澤藤弁護士の宇都宮陣営批判に触れておくなら、同氏の示す事実関係は、人間関係のもつれとしてはそれくらいのことはあると思わせるものだったと思います。人間関係のもつれの問題としては、河添誠さんの言動もそんなにおかしなものではない。河添さんは、日ごろから言葉遣いや口調が激しい方のようなので、「恫喝」と表現したくなるような言動となったのでしょう。それを、陣営の非民主的で権威主義的な体質のあらわれ、と非難するのは、いかがなものかと考えます。当事者の主観を言い立てたもの、と僕は判断しました。」
 
以下は、その感想に対する私の応答。
 
澤藤弁護士のご子息(といっても、おそらく30代前後)の澤藤大河氏の証言する以下の事実は単なる「人間関係のもつれ」にすぎないといえるものでしょうか?
 
「私は、選挙戦を4日残した12月11日午後9時30分に、突如上原本部長から、選対事務所に呼び出され、そこで、随行員としての任務外しを言い渡された。(略)熊谷伸一郎事務局長(岩波)は、「翌日休むように命令しただけで、任務を外す命令ではない」と言っているようだが、詭弁も甚だしい。 選挙戦はあと3日しかないこの時期に、 候補者のスケジュール管理に責任をもっている私を、慰労のために休まようとしたとでも言うのだろうか。一刻も選挙活動のための時間が惜しいこの時期に、私を休ませる理由があるはずはない。(略)上原本部長や熊谷伸一郎事務局長(岩波)は、選挙運動の円滑な運営よりも、私への「小さな権力の誇示」と「嫌がらせ」を優先したのだ。(略)それに加えて、「女性は厳禁とされた随行員に、選対本部の許可なくTさんを採用したこと」も、理由とされた*。なんと馬鹿馬鹿しい理由。私は反論した。ここで一歩も退いてはならないと思った。直感的に、これは私だけの問題ではない。選挙共闘のあり方や、「民主陣営」の運動のあり方の根幹に関わる問題性をもっていると考えたからだ。」(「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその7」「第1部 宇都宮選対の体質と無能力について(澤藤大河)」「随行員としての任務外し」)
 
「「命令」なのか確認をしたところ、上原公子選対本部長は「命令」だと明言した。私はこれは極めて重要なことと考え、上原選対本部長には「命令」する権限などないことを指摘した。お互いにボランティア。運動の前進のために、合理的な提案と説得と納得の関係のはず。上命下服の関係を前提とした「命令」には従えない、ことを明確にした。このときの上原公子本部長の表情をよく覚えている。彼女は、熊谷事務局長と目を合わせて、にやにやしながら、「この人、私の命令を聞けないんだって」と笑ったのだ。」(同上)
 
*この件については、「ボランティアのTさんに随行員となってもらったのは、車長も含む街宣チーム全員の話し合いの結論だったこと。選対事務局に人員増強の要請をしても応じてもらえず現場の必要に迫られての判断だったことなど選対事務局側の方に問題があったことが明らかになっています。
 
上記で大河さんご自身が書かれているように「これは私だけの問題ではない。選挙共闘のあり方や、「民主陣営」の運動のあり方の根幹に関わる問題性をもっている」もの。すなわち、大河氏の「排除は極めて権力的に行われた」(澤藤弁護士)ものとみなされるべきものではないでしょうか?
以下、辺見庸と古寺多見氏(「きまぐれな日々」主宰)の今回の東京都知事選に関する感想と田中宏和氏(「世に倦む日日」主宰)と私(「みずき」主宰)の関連コメントです。参考言説として記録しておきたいと思います。
 
東京都知事選、宇都宮健児と細川護煕がダブルスコアの敗北
(きまぐれな日々 2014.02.10)
 
東京都知事選は予想通り舛添要一の圧勝に終わった。ただ、猪瀬直樹が宇都宮健児をクアドラプルスコアで破った一昨年12月の都知事選と比較すると、差はかなり少なくなり、舛添が宇都宮健児につけた差はダブルスコアを少し超える程度だった。告示前からモタモタしていた細川護煕は、宇都宮健児の後塵を拝する3位で、田母神俊雄は細川から大きく離れて、それでも12.6%の得票率で4位だった。(中略)
 
私も都知事選の有権者だったので投票したが、以前から当ブログに書いた通り、上記の主要候補4人には投票しなかった。公約や思想信条からいえば宇都宮健児なのだが、昨年末に澤藤統一郎弁護士が発した前回(2012年)都知事選における公選法違反の告発に対し、「人にやさしい東京をつくる会」が今年1月5日に「法的見解」を出したものの、それに対しても澤藤統一郎氏の他、醍醐聰氏からも疑義が呈された。しかし宇都宮陣営はこれを事実上黙殺した。この一件に見られる「ムラ体質」を忌避して、前回宇都宮氏に投票した私は今回は彼に投票しなかった。しかし宇都宮氏は前回より得票数を僅かながら伸ばしている。これは選挙の投票率低下を考慮すると、まずまずの健闘*だったと認めざるを得ない。
 
引用者注:私は「まずまずの健闘」とは思いません。この点については、私は、「世に倦む日日」氏の一本化を阻止し、狙いどおり立候補にこぎつけた宇都宮健児の陣営(社共)にとって、次の目標は都知事に当選することではなく、前回並みの得票で現勢力を維持することだ。96万票を取らなくてはいけない。その目標を達成して、フライングの立候補の正当性は担保される。自陣(身内)に対して言い訳できる(「細川・小泉を見放し始めたマスコミ - 『脱原発』は争点にならず」2014-01-24)という指摘の方が真相に近いだろうと思っています。今回の都知事選において、宇都宮氏、共産党とも、その「フライング」の責任、すなわち、都知事選惨敗の責任は大きなものがある、というのが私の問題意識であり、見方です。
 
理由として考えられるのは、前回は衆院選とのダブル選挙であったために、宇都宮氏を推薦する政党の選挙運動が衆院選に重きを置かれたこと、有権者の関心も主に衆院選に集まったこと、それに対して今回は都知事選が注目され、選挙運動に力が入ったことに加え、数少ないテレビ討論などで宇都宮氏の主張に説得力を感じた有権者がかなりいたためだと考えている。
 
そりゃそうで、もともと宇都宮氏が主張していること自体は立派なものなのだ。ただ、言っていることと選対の組織の体質の乖離がはなはだしいことが問題なのだ。これはしばしば「共産党の体質」に帰される傾向があるが、私はもっと根の深い問題だと思う。というのは、前回都知事選における公選法違反の告発を行った澤藤統一郎氏は共産党支持の弁護士の大物である一方、告発された主要な人間は、元国立市長の上原公子氏であり、上原氏は生活者ネット、つまりほぼ絶滅した民主党左派(菅直人など)に近い人だったのである。さらに岩波書店の熊谷伸一郎なる人物の深い関わりが指摘されている。
明日9日投票の東京都知事選では「脱原発」がひとつの重要な争点となってきました。それにはその脱原発シングルイシューを武器にして都知事選に参入してきた細川・小泉元首相コンビの影響が大きいでしょう。脱原発、原発再稼働反対を政策に掲げた細川氏が都知事選に勝利すれば安倍首相も安閑と原発の重要性を説いてばかりではいられなくなるだろう、というのが細川・小泉元首相コンビの都知事選参入の理由です。当初、マスメディアは安倍内閣、現首相と元首相コンビとの対決という観点から色めきたち、細川人気はうなぎのぼりの様相がありましたが、細川陣営の政策の後出しジャンケンなどの不手際からその細川人気も急速にしぼんでいき、いまや自・公推薦の舛添氏の当選を前提に宇都宮陣営との2位、3位争いが取沙汰されるばかりです。それでも脱原発シングルイシューが都知事選の重要な争点のひとつになったということだけはたしかなことです。
 
「脱原発」は、いわゆる「革新」陣営の重要な目玉政策のひとつでもあります。「脱原発都知事を実現する会」(鎌田慧氏、河合弘之氏ら)が宇都宮健児氏及び細川護煕氏に「脱原発候補の統一のための話し合い」を呼びかけたのは文字どおり「脱原発を心から願う」ためでしたし、宇都宮陣営がその「統一のための話し合い」を拒否したのも「脱原発運動が分裂しなければ勝てる」ものを同実現する会が「細川氏支援表明で運動を分裂させてしまった」というのが拒否の理由でした。いずれにしてもどちらもその宣言のキー・ワードは「脱原発」です。
 
しかし、「革新」陣営がそれほどまでに選挙のキー・ワードとする「脱原発」は、必ずしも「革新」の政策ということはできません。たとえば東京新聞は一昨昨日の2月6日付けで「再稼働反対派の投票先は、安倍政権の原発政策に沿う舛添氏と、原発即時ゼロを訴える細川氏と宇都宮氏に三分した」という都知事選世論調査の結果を記事にしています(「都知事選世論調査 脱原発票割れる舛添・細川・宇都宮氏に」東京新聞 2014年2月6日)。
 
この調査結果からもわかるように「脱原発」は単に「革新」支持者が支持している政策というばかりでなく、「保守」支持者もかなり積極的に支持している政策ということができます。この調査結果が示していることは「脱原発」は決して「革新」支持者の専売特許のスローガンではない、ということです。 
以下、金光翔さん(批評家。元岩波「世界」編集部員)の東京都知事選論をご紹介させていただこうと思います。私の問題意識ともずいぶん重なります。私のこの問題に関しての問題意識の一端は次の「論」で述べることになるだろうと思います。
 
都知事選とリベラル・左派の問題
(金光翔「私にも話させて」2014-02-06)
 
都知事選で「脱原発」を標榜する細川護熙候補が話題となっているが、細川は、「放射性廃棄物の最終処分場の受け入れを「東京は当然、ある意味で負担しないといけない」と述べた」と報道されている。(日本経済新聞インターネット版1月23日)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDC2200F_S4A120C1EA2000/
http://69763999.at.webry.info/201401/article_25.html
 
また、kibikibi20氏はツイッターで、「細川護煕が都知事選挙に出たのは、自身が理事長である財団法人「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」の利権が関係してるのかもしれない。「東北の為」とか「エコ」とかいって東京五輪の工事に震災瓦礫を持ってくるかもしれない http://greatforestwall.com 」と指摘している。
https://twitter.com/kibikibi20/status/428337284279054336
 
そうすると、なぜこれが「脱原発」ということになるのか、私は全く理解できないのである。細川からすれば、こういったものを全部受け入れた上での「脱原発」ということになるのだろうが、それでは細川の下に馳せ参じているリベラル・左派文化人・知識人はどう考えているのか
に私は「世に倦む日々」ブログの「落合恵子への都知事選の出馬打診 - 宇都宮健児のフライング」という記事をご紹介しましたが、今度の「宇都宮健児のフライング」第2弾も重要です。実録*として見逃せない記事です。

*注:私は今回の記事を「実録」と名づけていますが、「実録」はもちろん「真実録」ということではありません。「世に倦む日々」氏の個々の指摘については「真実」でないところはあるかもしれません。その場合は、その誤りの点を正していけばよいことです。全面否定することではないと思います。私も「世に倦む日々」氏の細川支持についてはまったく評価していません。それにもかかわらず、彼の記事には重要な「真実」が含まれていると判断するから私は彼の記事を重く見るのです。
 
以下、「世に倦む日々」ブログの実録第2弾「宇都宮健児の自宅を訪れて辞退を迫ったのは澤地久枝だった」の要約(全文は同ブログをご参照ください。2日程度の間であれば全文を読むことができます)。
 
宇都宮健児の自宅を訪れて辞退を迫ったのは澤地久枝だった
(世に倦む日日 2014-02-03)
 
告示前、宇都宮健児の自宅を深夜に訪れ、立候補を降りるよう迫った人物がいて、それが澤地久枝であったことが明らかとなり、ネットの中が騒然となっている。前回の記事で紹介した、岩上安身が配信しているIWJの動画(0:57:00)の中で、宇都宮健児がこう言っている件がある。宇都宮:「告示前の1/22の夜中にね、私の自宅まである方が訪ねて来て」、岩上:「ある方って文化人ですか」、宇都宮:「いや、まあ、それは言いませんけど、降りてくれということで、うちのカミさん、びっくりしましたよ」、岩上:「夜中の12時に、夜中の12時に自宅に」、宇都宮:「(その前の夜は)1時間ちょっとしか寝てないんですよ。(中略)それで、やっと夜中に帰って、さあ寝ようかなと思ったら、ピンポーンってきたわけですよね。夜中の12時頃ですよ。(中略)自宅なんてどうして知ったんだろうと思うような..あのぅ..人なんですね」、岩上:「なるほど」。宇都宮:「だから、私はちょっと..それはちょっと異常なんじゃないかなと思ってね。とにかく、告示直前ですよ」、岩上:「うん、うん」、宇都宮:「(中略)そういうことを言って、しかも、私は、一回前に会ったときに、そんなことは考えられないということは話しているはずなのにね」、岩上:「うん、うん」、宇都宮:「そこまで動かれるという人の真意がですね、ちょっと図りかねたですね」、岩上:「なるほど」、宇都宮:「ただ、私としては、本当..嫌がらせ以外の何でもないんですね」。 
前々回のエントリで藤原新也さん(作家、写真家)の独自の観点からの東京都知事選候補者としての細川護熙支援の論をご紹介しましたので(私がここで藤原新也さんの論を紹介しているのはあくまでも彼の「独自の観点」からの論の紹介ということにつきます)、その帳尻合わせとして今回はその細川氏の非科学的な脱原発論、彼のトンデモ性を指摘する論をご紹介しておきたいと思います。筆者は石井孝明氏(フリー・ジャーナリスト。元時事通信記者)。石井氏については私はほとんど知るところはありませんが、彼の山本太郎論及びフリー・ジャーナリストの田中龍作氏評価については私の評価と一致するところが多く、その限りにおいて(他のことについてはよく知らない、という謂いです)信頼するに足るジャーナリストであるというのが私の石井氏評価です。今回の細川氏のトンデモ科学論の評価も私の評価とも一致します。
 
以下、石井孝明氏の細川護煕論。
 
細川護煕都知事候補の頭の中身が心配だ
(石井孝明 アゴラ 2014年01月31日)

細川護煕
 
老醜コンビ
 
東京都知事選挙で、候補である細川護煕元首相の行動とエネルギー政策論のおかしさに、私はうんざりしている。(私の記事「原発ゼロ、オリンピック返上を明言--細川氏の政策の危うさ」)それどころか、私は彼の頭の中身が心配になってきた。
本ブログのプラグイン(右端)に設けている「今日の言葉」の2014年1月26日から同年2月1日にかけての記録です。

ロンドン・コベントガーデン  

籾井勝人という男の、いわゆる「従軍慰安婦」問題発言にからみ、もっとも悲しむべき、そして衝撃的でもあったシーンは、籾井の発言内容以上に、NHKおよびいくつかのマスメディアが、これを知っていながらまったく報じなかったという「空白」にあることは、あらゆる見地から疑いを入れない。これは「ブラックアウト」(blackout=報道管制、放送中止)にまったく等しい。(略)この社会はいま、生きかつ微笑みながら、緩慢に死につつある。巨大メディアの「安倍機関化」がすすんでいる。日刊安倍新聞安倍放送局安倍チャンネルがさかんに自己増殖中だ。 毎日が画時代的シーンに満ちあふれている。なんという壮大な反動だろう!辺見庸「日録5」2014/01/26

アーレントはドイツ系ユダヤ人女性だ。ナチスに追われ、アメリカへ亡命。第二次大戦後、ユダヤ人虐殺に深く関わったナチス親衛隊中佐、アドルフ・アイヒマン(1906~62)の裁判を傍聴した。アーレントは、アイヒマンを「どこにでもいる平凡な人物」と見た。戦時下では誰でもアイヒマンになり得たのであり、イスラエルの法廷で被告席に座っていたのは人類全体だとも言える−−と米誌「ニューヨーカー」で論じた。(略)「世界最大の悪(600万人以上とされる20世紀のユダヤ人虐殺)は平凡な人間が行う悪 なのです。そんな人には 動機もなく、 信念も 邪心も、悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです」(略)最後でこう言っている。被告には殺意も憎悪もなかったにせよ、絞首に値する。なぜなら「政治においては服従と支持は同じもの」だから…都知事選に限らず選挙に臨む有権者が胸に刻むべき言葉ではないか。(「風知草:思考停止から抜け出せ=山田孝男」毎日新聞2014/01/27

ヒューマニズムということでわたしが気がかりなのは、ヒューマニズムがわれわれの倫理の特定の形式を、どんな種類 の自由にもあてはまる普遍的なモデルとして提示するという点です。 わたしの考えるところでは、 ヒューマニズムのなかに、つまり 左翼とか 中道派とか右翼とか虹のような色合い の 政治のあらゆる側でこれがヒューマニズムだと独断的に主張されているそうした意味での ヒューマニズム のなかにわれわれが想像しうる以上にわれわれの未来には、より多くの秘密、より多くの自由の可能性、より多くの発明 があるのです。 <ミシェル・フーコー『自己のテクノロジー フーコー・セミナーの記録』(岩波現代文庫 2004)>(
Don't Let Me Down 2014-01-29

世界に誇るわが国の安倍首相は28日の衆院代表質問で、「立憲主義と平和主義を軽んじ、格差と貧困を放置する人が、私をふくめてこの場に存在するわけがない」と、立憲主義と平和主義を平気でふみにじり、格差と貧困を拡大して屁ともおもわぬゴロツキ議員どもにむかって
演説した。これは梅毒第三期にみられる症状に相似する。主として神経系がおかされた状態で、神経梅毒、脳梅ともいう。 米語ではディップシット(dipshit)【名】 〈米俗・卑〉ばか者、愚か者、あほ、どあほ、間抜け【形】〈米俗・卑〉ばかな、愚かな、頭の弱い、間抜けな、能なしの…と言う。マスコミも同上。たんにそれだけのことである。(辺見庸「日録5」01/29

BBCのウングフィールド・ヘイズは東京で、新会長が最初の記者会見で 極めて政治的な見解を表明したことはショックだった、と語る。第2次大戦中、 20万人 に達する慰安婦が日本軍の兵士たちのために働くことを強いられ、 その大部分が朝鮮人だったと推定されている。 中国、台湾、フィリピン、インドネシアの女性たちも徴用された。モミイ氏は『戦争ではフランスやドイツを含めどの国でも、このような女性たちがいただろう』と述べた。彼は国際社会の怒りを『おかしい』と表現した。(略)NHK内部の人は、モミイ氏の選任は、この公共放送を従わせようとする安倍首相の試みだ、といっている。(BBC:東京発電子版) (坂井定雄「NHK会長発言は日本の恥だ――BBC報道が示すもの」2014.01.30 

・「『ものの1時間で、経済と政治の方程式は、アベノミクスからアベゲドンリスクに変わった』。 安倍晋三首相の靖国神社参拝後、香港の英字紙、サウスチャイナ・モーニング・ポストに載った論評だ。」「アベゲドン」(あるいはアベマゲドン) という造語は、アベノミクスの行きつく先に予想される 経済の破局を意味するものだった。(略)福本が引用する香港紙に語られているのは、経済ではなく「政治の方程式」、あるいは「戦争と平和の方程式」である。安倍の靖国神社参拝は、政治的な破局としてのアベゲドンにつながるリスクをもった行動として論評されている『澤藤統一郎の憲法日記』「平和への破局としての『アベゲドン』」2014年1月31日

橋下徹の大阪都構想が頓挫した。市長の補完勢力となっていた公明党が維新大阪を見限ったことによって、大阪市議会で橋下が完全に孤立したからだ。これまでも、維新の落ち目は明らかだったが、これで決定的な挫折が明らかとなった。橋下は、事態の打開を目指して辞職し、新たな市長戦に打って出る意向とのこと。この出直し市長選で敗れた場合には、「橋下徹・松井一郎の2人とも政界を去る」と明言をした。(略)願わくは、来るべき大阪市長選挙おける反橋下統一候補の擁立である都知事選の轍を踏むことなく、候補者選定の過程をオープンにし、各会派の共闘に知恵を集めていただきたい。民主主義の大義のために。(『澤藤統一郎の憲法日記』「橋下徹の政界からの撤退を歓迎する」2014年2月1日
本エントリは前エントリとセットのエントリのつもりです。
 
浅井基文さん(元外交官、政治学者)は東京都知事選問題、また、澤藤統一郎弁護士が昨年の12月21日以来問題提起してきたいわゆる「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」問題をどう見ているのだろう。あるいはどう見るのだろう、と私はずっと思ってきました。
 
浅井さんは長い間の、そしていまに続く「革新統一」論者ですし、共産党支持者でもあります。しかし、同時に浅井さんは、同党に対して同党の中国、朝鮮、対アメリカ政策などの政策問題、また、「統一戦線」問題、同党の組織体質について厳しい「辛口提言」を続ける気骨の人でもありました(「浅井基文さんの『日本共産党への辛口提言 ――ふたたび埋没することがないように』」弊ブログ2010年6月16日付参照)。
 
その浅井さんの東京都知事選問題、「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」問題に対する考え方を私は知りたかったのですが、浅井さんはこの東京都知事選問題については長い間沈黙していました。浅井さんはこの数年間、何回にもわたって共産党に対して「辛口提言」を続けてきたのですが(私から見て誠実なものでした)、「同党からはまったくの『なしのつぶて』」「私がこのコラムで書くことなど無視されて」きました(浅井基文「参議院選挙と日本共産党」2013.07.25)。
 
そういうことから浅井さんは共産党に「提言」することの虚しさを胸中深くにたたきこまれたのかもしれません。浅井さんの沈黙の原因はそういうところにあるのではないか、と私はそう思ってきました。それでもこの問題についての浅井さんの発言を待ち続けてきたのですが、この10日ほどの間、浅井さんのブログはどういう理由かわかりませんが閉鎖され見ることができなくなり、あきらめかけていた頃の今日になってブログの再開を知り、浅井さんの下記のような「東京都知事選」についての記事もあることを知りました。
 
下記の浅井さんの記事には「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」問題への言及がありません。記事の書かれた日付けを見ると2014年1月23日とあります。澤藤弁護士が「宇都宮健児君」「宇都宮選対」「人にやさしい東京をつくる会」批判を始めたのは昨年の12月21日のことですから、それから約1か月の期間が経っています。このおよそ1か月の間に浅井さんが「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」問題を知らなかったとは思えません。なぜ、浅井さんは、この問題に言及していないのでしょう? 前エントリでご紹介した藤原新也さんと同様に「選挙は勝つことがすべて」という判断からあえてこの問題をとりあげていないということでしょうか? そうだとすれば、浅井基文さんの「民主主義」に対する認識にはクエスチョンをつけざるをえません。
藤原新也さん(作家、写真家)がご自身のブログ「Shinya Talk」(2014/01/31付)で独自の東京都知事選論を述べています。その論の各論は細川護熙論、小泉純一郎論、宇都宮健児論です。藤原さんらしい独自の視点での切り口、着眼点の鋭さは着目に値するように思います。ただ、藤原新也さんの宇都宮健児論にはいわゆる「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」問題への言及がありません。藤原さんはこの問題を知っているのか。知らないのか(おそらく「知らない」のだろうと思います)。仮にこの問題の所在を知ったとして藤原さんは集団内部の「個人の責任」と「倫理」の問題、あるいは「同調圧力」と「民主主義」の問題についてどのような感想を持つのか。藤原さん流の見識をうかがってみたいところです。
 
以下、藤原新也さんの細川護熙、小泉純一郎、宇都宮健児論です。なお、藤原さんの舛添要一論は「福島からさらに東京へとはびこる鈍感サバイバルへの覚え書き」という「Shinya Talk」の前回記事で読むことができます。
 
都知事選に対する私の見解(藤原新也 Shinya Talk 2014/01/31)
 
いつだったか、私は小泉元首相が原発推進反対を打ち出したおり、彼の原発に関する考え方には違和感がある、とこのトークで述べている。
 
その折には理由については触れなかったのだが、ここでそれを明らかにするなら、私が彼の原発論に違和感を持つのはそれがきわめてポリティカル&エコノミカルなものであるということである。
 
ご承知のように、原発災害というのは市井の人々の生活(のみならず生物全域)を根底から破壊に導くという点において忌避されるべきもの、という大前提が不可欠である。