澤藤統一郎弁護士の「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」のその10の記事を読んで、はからずも行政とメディアを含む原子力関連産業総体がしばしば揶揄の意味を含意して「原子力ムラ」と呼称されるように、その原子力関連産業総体を「原子力ムラ」と揶揄するほかならない「革新・リベラル」勢力の側にも「民主勢力ムラ」とでも呼ぶべきある意味での排他的利益集団が存在していることを知ることになりました。この「民主勢力ムラ」にも「岩波」や「週刊金曜日」などの一応名の通ったメディア集団、出版社などがあり、大学、病院、弁護士などのインテリジェンス組織、労働組合、政党、各種の民主団体組織などがあります。そこには、それらの団体が一種のコングロマリットを形成し、そのそれぞれが他の団体との緩やかなステークホルダー関係を結び、そのそれぞれの「小さな利権」の分配と再分配を差配しあっているという一種の「ムラ」の構図を見ることができます。
 
小さいといえどもそれが「利権」(利益(余剰)を生み出すという意味での)である以上、その「利権」にしがみつき、それを決して手放そうとせず、急激な変化を望まない保守主義や現状維持主義も生まれやすくなるでしょう(宇都宮健児氏以外の革新・リベラル勢力の候補者としてふさわしい候補者を確立・擁立することができない大きな原因にもなっているように見えます。また、金光翔さん(元岩波「世界」編集部員)の「佐藤優現象」批判に関連しての『世界』や『週刊金曜日』批判、私の『NPJ』批判がどこかで留まり、流通していかないのもこのあたりに原因があるようにも思います)。また、どんな「利権」集団にもありがちなことですが、その「小さな利権」のおこぼれにあずかろうとする下心だけで「ムラ」への参入を試みようとする者も少なからず出て来るでしょう。逆にその「小さな権力」を誇示してその「権力」を恣意的に用いようとする者も出て来ます。不埒なやからはどういうわけかこういう恣意の人を見つけるのが早い。類は友を呼ぶということでしょうか。そして、その恣意の人に取り入り、それらがインフォーマルグループを形成していきます。こうして「民主勢力ムラ」の腐敗は構造的に累乗していき組織の根腐れが始まっていきます。澤藤統一郎弁護士が指摘する「人にやさしい東京をつくる会・運営会議」の根腐れはいつのまにかこうして形成されてしまったものではないでしょうか。
 
以下、辺見庸の「日録8」(2013/12/30)の言葉を添えて 「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその10」(澤藤統一郎の憲法日記 2013年12月30日)を転載させていただこうと思います。辺見庸の指摘と澤藤統一郎弁護士の指摘とはなんの関係もありませんが、私には共通するプロテスタント(抵抗者)の眼が働いているように見えます。
宇都宮健児氏が正式表明ではないもののこの12月28日、市民団体の集会で都知事選への立候補を表明しました。

以下はそのことに関してのいくつかの報道。
 
(1)都知事選:宇都宮氏出馬へ 「後出しジャンケンしない」
(毎日新聞 2013年12月28日)
(2)都知事選:宇都宮健児氏が出馬表明 前回は次点
(毎日新聞 2013年12月28日)
(3)都知事選に宇都宮氏立候補表明(NHK 12月28日 17時25分)
(4)都知事選 宇都宮氏、出馬の意向表明(しんぶん赤旗 2013年12月29日)
 
(1)の毎日新聞の記事には次のように書かれています。
 
「支援者らは26日夜に今回の都知事選への対応を協議。その場では、前回の敗戦を踏まえて別の候補者擁立を探る意見も出てまとまらなかったが、宇都宮氏が他陣営に先駆けて年内に出馬表明することを決断した。」
 
しかし、宇都宮氏は、この12月20日にあった草の実アカデミー主催の特定秘密保護法問題に関する講演会では「いろいろな市民団体でも話されているようですけども、その中でほかの人がいなくて、そして、私のようなものでもよければ、覚悟は決めているんですけど(略)そういう話し合いの中で最終的にどなたも出られなくてあんたしかいないということで、それであんたでもいいということであれば、昨年の続きですからね、そういうことは考えなければいけないかなあと思ってはいます」(草の実アカデミー主催の宇都宮健児氏講演会2(2013年12月20日 1:17:35頃~)と述べていました。
 
その市民集会での決意の言葉(20日)と上記の「支援者ら」の会合(「人にやさしい東京をつくる会・運営会議」のことだと思われる。26日)での「前回の敗戦を踏まえて別の候補者擁立を探る意見も出てまとまらなかった」という状況。そうした状況の中で「他陣営に先駆けて年内に出馬表明することを決断した」ということとは矛盾する行為、また決断ということになりませんか。宇都宮さん。あなたが市民集会で述べた「最終的にどなたも出られなくてあんたしかいないという」状況にはいまだなってはいないのですから。澤藤統一郎弁護士が「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその8」の記事の中で書いているように、実のところはあなたは「推す人がなくとも、君は出たくてしょうがない」ということだったのでしょうか。事実は澤藤氏の言うことの方が正しい、ということを示しています。そうであればこれも澤藤弁護士が同記事で指摘しているように宇都宮氏は客観的には「早期に立候補表明をすることで、幅の広い革新統一の候補者選びを邪魔している」ということにしかならないでしょう。宇都宮氏の発言には二言(前に言ったことと異なることを言うこと)があります。そういう人の言うことは信用できません。
 
また、(2)と(3)のNHKとやはり毎日新聞の記事では、「共産党は宇都宮氏を支援する方向」ということのようです。
 
しかし、澤藤統一郎氏と先の東京都知事選で宇都宮候補側近の随行員として活動していた澤藤大河氏が「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」という一連の記事の中で具体的に指摘しているように宇都宮選対及び同選対の母体でもある「人にやさしい東京をつくる会」はきわめて閉鎖的かつ非民主的な体質を持った団体であった(あるいはいまもある)と言わなければならないように思います。ボランティアで候補者の随行員だった大河氏とTさん(女性)を問答無用で随行の任務から外した上に、その問答無用の任務外しへの当事者の当然の異議申し立てと抗議をも1年近くも放置し続けてきたと指摘されている一件はこの組織が民主的組織という名とは裏腹に「少数者の人権」や「個の尊厳」のかけがえのなさをもよく理解しえていない団体であった(あるいはいまもある)ことをよく示しえているように思います。
 
共産党は少数者の、しかし、「真実の声」を聴く能力を失ってしまったのでしょうか?  澤藤統一郎弁護士や澤藤大河氏などの革新不抜の意志を持つ人々からこれほど批判されている候補者の支持を決めれば「革新」の歴史に汚点を遺すことになるだろうと私は強く危惧します。共産党の人々には再考をうながしたいと思います。
 
さて、最後に澤藤弁護士、もしくは東京都選管の近くにお住まいの方々にお願いがあります。
 
澤藤弁護士が「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」の1回目の記事で問題にしている宇都宮陣営選対の上原公子選対本部長と服部泉出納責任者が「労務者報酬」という名目の報酬を受領していた一件についてですが、以下のような指摘があります。
 
「選対役員による労務者報酬の受領問題は、無償労務提供は支出側に労務者報酬を記載し、収入側に労務分の寄付を記載するという決まりに則ったものであって、実際には支払いが行われていない可能性が高いと思います。このように感じる根拠は、①この規定は非常に特殊で、選挙実務に携わった者ぐらいにしか知られておらず、プロの弁護士でも知らなくても恥ではない。②もし澤藤弁護士が知っていたならば、非常に特殊な規定であるだけに、この規定を知っている者からの疑問が来ることは当然予想するはずなので、あらかじめ収入側の記載を確かめてこの規定に基づく処理ではないことを明記するのが自然である。③もし本当に報酬を受領していたならば、それをこのように記載することは、あまりにあっけらかんとしすぎていて不自然である。④私の知る例では、選挙用の書類のコピーをとるのに報酬を払っただけで警察に捕まっているが、ここまで公然と記載して警察が動かないのも不自然である、ということです。この処理は、記載対象となる人に、事情を話して理解してもらうだけでもかなり大変で気をつかいます。ましてや領収書をとって渡すというような煩雑な処理になると、無用な誤解や反発を生まないように、事情に精通した役員に範囲をとどめておこうということになるのは自然だと感じます。」
 
上記のような疑問を払しょくするためには東京都選管に提出された宇都宮陣営選対の選挙運動報告書の実物の写しをブログにでもアップし、上記のような疑問に応える解説を試みる必要があるように思います。ちなみに選挙運動報告書の実物の写しをブログにアップしている例はこちら(川崎市議会議員の竹田宣廣氏の竹田「のブログ」)にあります。ご参照ください。

竹田「のブログ」 
竹田「のブログ」選挙運動収支報告書 1ページ目
 
上記の疑問提起者に私は以下のような応答をしました。
 
「上記の川崎市議会議員の竹田宣廣氏の「竹田『のブログ』」にはご自身の選挙戦であった川崎市議会議員選挙(2011/04/10)の「収支報告」の実物コピーが掲載されています。その記事を読むとたしかに「ボランティアの労務提供は、支出欄に人件費として報酬を払った形にして、全く同じ金額を、収入欄で労務の「寄付」を受けたように記載する扱いになっている」ようですね。
 
ところでご紹介させていただいた澤藤統一郎弁護士の「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい。」の記事中に「(上原公子選対本部長と服部泉出納責任者が)「労務者」として報酬の支払いを受けていた旨の報告届出と、添付の領収証をご確認ください」という記述があります。これは上原選対本部長と服部出納責任者が報酬の受領と引き換えに「報酬の支払いを受けた」ことを証するために領収証を発行したということを意味しますが、「竹田『のブログ』」に掲載されている収支報告書には実際に支出した経費40,322円の支出については領収書のコピーが添付されていますが、無償労務提供については収入欄と支出欄にそれぞれ「寄付」収入と「人件費」支出の記載があるものの領収書の添付はありません。
 
そうすると、宇都宮選対の収支報告書に上原選対本部長と服部出納責任者の領収書が添付されているということは実際にこのおふたりには報酬として「人件費」が支払われている、ということを意味するのではないでしょうか。」
 
しかし、疑問提起者はいまだ納得されていないようです。宇都宮陣営選対の選挙運動報告書の実物を見ていない私の解釈には限界がありますし、説得力もいまいちです。上記で述べたようにこの疑問を払しょくするためには東京都選管に提出された宇都宮陣営選対の選挙運動報告書の実物の写しをブログにアップし、相応の解説を試みるのが第一だと思います。澤藤弁護士の指摘を具体的に根拠づけるためにも是非ブログにアップしていただければと思います。これはお願いです。
「vanacoralの日記」ブログの主宰者のvanacoralさんが昨日の28日付けで「沖縄・仲井真知事に手を貸した週刊金曜日の罪」という記事を書いています。そのvanacoralさんの記事の中に3年前の2010年11月22日付けで書いた「『県知事選挙が盛り上がらない』(沖縄タイムス)という理由。そして『週刊金曜日』の『犯罪的」とでもいうべき負の役割」という私の記事も紹介されています。
 
「辺野古埋め立て承認」という今回の仲井眞知事の裏切り行為については、私も、沖縄県民を愚弄すること甚だしい点でその彼の裏切り行為を厳しく糾弾し、剔抉する必要性を感じていました。しかし、保守の側では安倍の靖国参拝問題が惹起し、「革新・リベラル」陣営内においても「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」問題が噴出するなどして問題が錯綜し、なにから手をつけたらよいのかこちらも錯綜状態にあり、正直なところ仲井眞知事裏切り問題を剔抉するところまではなかなかたどり着けそうもないという私の裡の状況でしたので、今回のvanacoralさんの弊記事のご紹介は渡りに船という感じでした。
 
そういうこともあってvanacoralさんの「沖縄・仲井真知事に手を貸した週刊金曜日の罪」という記事を以下ご紹介させていただきたいと思います。
 
この問題(「週刊金曜日の罪」問題)は、考えてみれば、いまの宇都宮健児氏擁立問題で果たしている「人にやさしい東京をつくる会」の閉鎖的かつ非民主的な体質。その問題性を指摘されても同問題を過小視してその問題性に気づかない、あるいは気づこうともしない今回の「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」問題の抱えている問題性と似ていなくもない。仲井真知事の裏切り問題とは別にいま「革新統一」問題は、「革新とはなにか」「革新統一とはなにか」という基本的でかつ本質的ところのあり方が問われているきわめて重大な局面に立たされているように思います。

週刊金曜日 


週刊金曜日

人にやさしい東京をつくる会 
人にやさしい東京をつくる会

澤藤統一郎さんの紹介される下記の同氏のご子息、大河さんの宇都宮選対「随行」記を読んで、いままで澤藤弁護士の意見に同意、同調するものの、それはあくまでも同氏の「怒り」として読みなしていた「宇都宮健児君」「宇都宮選対」「人にやさしい東京をつくる会」への「怒り」は私の「怒り」に変わりました。私は大河さんが描出するような人物(群)を許せません(そこにはもちろん、「耳順」の齢を疾うに超えた私の人生経験からくる判断があります)。だから、私は、今度は自分の言葉として言います。宇都宮健児氏を決して立候補させてはならない、と。

論語 
自分の言葉として言う。
 
以下、「宇都宮健児君、立候補はお辞めなさいーその6」(2部構成)の1部(大河さんの宇都宮選対「随行」記)のみ転載します。

私は前エントリで「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」という澤藤統一郎弁護士の渾身の記事をご紹介させていただきましたが、その続きとして今回は同弁護士の「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその5」の記事をご紹介させていただこうと思います。

宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその5
(澤藤統一郎の憲法日記 2013年12月25日)

美濃部東京都政2 
昭和42年4月16日 初の革新都政 美濃部知事誕生

 
全文は上記を熟読していただきたいと思いますが、少し長いので、以下、私がここは特に大切だろうと思った点について抜粋してみることにします。
 
「前回の革新(統一)候補者であった宇都宮健児君に気兼ねし、あるいはその擁立の可能性にこだわって、統一候補選任の進展を遅らせるようなことがあってはならない。彼は、前回選挙の惨敗で到底勝てない泡沫(引用者注:「泡沫」とまで言うのは言い過ぎのように思いますが「到底勝てない」候補者であるという認識では一致します)候補であることを実証済みではないか。」
 
「前回選挙を経験した多くの人が、宇都宮君の候補者としての適格性に疑問をもっていることは明々白々と言ってよい。しかし、その多くの人が、善意から『では誰が候補者として出馬してくれるのだろうか』『急なことで、結局は宇都宮さん以外に候補者がないのが現実ではないか』『候補者として清新さも魅力もなく、勝てそうにもないけれど、宇都宮さんでしょうがないじゃないの』『不戦敗よりは、宇都宮選挙の方がましではないか』『現実的な候補者案を出さずに宇都宮さんを批判するのは無責任』などとお考えではなかろうか。私は、このような考えを払拭しなければならないと思う。こんな考えが頭の隅にでも残っているから、ずるずると時を過ごして、候補者選びが遅滞しているのではないだろうか。まず、『宇都宮君は候補者として不適格。別の共闘候補者を本気になって選任する』というスタンスに立つべきである。」(引用者注:この点は特に重要な指摘だと思います。)
 
「誤解されては不本意なので、ハッキリさせておきたい。私は、革新統一選挙の実現を強く願う立ち場にある。統一のための政策協定が締結されて、選挙民に訴える力のある、魅力的な候補者の選任が一刻も早く実現することを希望している。宇都宮君はそのような候補者としての資格はない。」
 
「申し上げておきたい。宇都宮君を候補者として推薦することは無責任だということを。前回選挙における問題行為を指弾されるおそれが濃厚であることを。敢えて言う。仮に候補者が見つからなければ、不戦敗の方が「まだマシ」なのだ。宇都宮君の再びの惨敗は、「革新の惨敗」と記憶される。それは望ましいことではない。そして、それ以上に宇都宮君の擁立は危険なのだ。」
昨年の東京都知事選で革新・リベラル勢力の「統一候補」として出馬した宇都宮健児陣営の選対本部の顧問的存在として活躍された弁護士の澤藤統一郎さんが一昨日の12月20日夜にあった「人にやさしい東京をつくる会」(前回の東京都知事選での宇都宮陣営の選挙母体)の会合で同会の運営委員を解任された(ありていにいって「追い出された」)という報告が澤藤弁護士ご本人からありました。その解任劇の委細については下記の澤藤弁護士のブログ記事をご参照いただきたいのですが、私は澤藤弁護士の「弁明」と「怒り」の方に「理」と「正当性」を見ます。したがって、当然、澤藤弁護士の「弁明」と「怒り」の方を支持します。
 
下記では主に宇都宮氏とともに前回宇都宮陣営選対の本部長であった上原公子氏(元東京都国立市長)と事務局長であった熊谷伸一郎氏(雑誌編集者)が批判されていますが、澤藤弁護士はこの「解任劇」以前から宇都宮氏と上原氏に対する批判記事も1、2本ほど書かれていましたのでその批判記事(抜粋)も参考として下記に添付しておきます。今回の「解任劇」の背景のひとつとなっていると見てよいでしょう。
 
ここまで当事者から批判されている以上もう宇都宮氏の目はありません。「人にやさしい東京をつくる会」や「東京を。プロデュース」などの前回の宇都宮陣営の選挙母体は早々に態勢を改め直して宇都宮氏以外の革新・リベラル候補を探し出し、説得することに全力をあげるべきでしょう。私はそう思います。時間はもうそれほどありません

澤藤統一郎 

 
宇都宮健児君、立候補はおやめなさい。
(澤藤統一郎の憲法日記 2013年12月21日) 


革新・リベラル勢力内でも来年早々(2014年1月23日告示、2月9日投開票が有力)にも投票のある東京都知事選やり直し選挙の候補者探しはすでに始まっているようです。前回の都知事選で宇都宮陣営の中心母体のひとつとなった「東京をプロデュース」も猪瀬東京都知事が正式に辞職表明を発表した12月19日に「いよいよ猪瀬都知事辞任となりました。東プロでは、宇都宮さんを交えての会合を開き、数名の候補対象者を決めました」という告知を流しているようです。したがって、同知事選に対する私のスタンスは、いまの段階では革新・リベラル勢力内で革新統一候補の合意が成立するのを静かに、しかし、熱く待つ、ということです。
 
それが団体であれ個人であれ、いまの段階で特定の候補者の名前を出してその支持を訴えることは、前回都知事選の反省点、いまの政治情勢の分析なども含めて候補予定者のさまざまな事情をも勘案した上での自由闊達な見地からの候補者選びをかえって阻害してしまうということにもなりかねません。いまの段階では静かに、しかし、熱く待つ、というのがベストの選択のように思います。
 
しかし、そうではあっても、革新・リベラル勢力の都知事選候補者探しについていくつかの提言的な声があります。そのいくつかの声を断片のままでご紹介しておきたいと思います。革新・リベラル勢力の候補者選びのあり方の問題、その「考えるヒント」、いや、「考えなければならないヒント」として。だから、「断片」を「断片」のままに。

猪瀬直樹 
東京都知事選で史上最多の434万票を獲得して新知事として
初登庁したときの猪瀬直樹氏(2012年12月18日)
のりこえねっと 
「のりこえねっと」の発足会見(2013年9月25日・東京都新宿区)

ある在日コリアンの青年団体(在日コリアン青年連合(KEY)東京)の発行する情報マガジンの最新号の特集は「日本のレイシズム・ヘイトクライム」。その巻頭に辛淑玉さんの「石原『三国人』発言から13年、いまヘイトスピーチとどう闘うか?――辛淑玉流「在日論」のススメ」というインタビュー記事が掲載されています。辛淑玉さんはいまや在日朝鮮人のひとりとして日本のリベラル・左派にとっても「在日」の人たちにとっても「日本のレイシズム・ヘイトクライム」を語る上で欠かせない存在になっているようです。その辛淑玉さんとはどういう人か? 私はすでに「辛淑玉」という人物像は「メディアというすでにコマーシャル化して久しい独自のフレームによって形成された情報」に基づいて主に日本のリベラル・左派によって形成された「理想化された虚像」ではないか、という疑念を提起していますが、在日コリアンの青年団体の雑誌で辛淑玉さんにスポットを当てた「日本のレイシズム・ヘイトクライム」特集が組まれたのを機に金光翔さん(韓国国籍の在日朝鮮人三世。岩波書店社員。元「世界」編集部員)という「在日」の問題をおのれと自らの「民族」のアイデンティティの問題として真摯に考え抜いている若い思想家の意見(アット・ランダムな一部の抜粋にすぎませんが)を参考にして改めて考えてみたいと思います。
一昨日の12月14日はあの『忠臣蔵』で有名な赤穂浪士の討ち入りの日でした。ただし、討ち入りは、現在の時刻では12月15日の未明午前4時頃のことであったらしいので310年前(1703年)の12月15日、すなわち昨日のことだったといえなくもありません。
 
そういうことはともかく、弁護士の澤藤統一郎さんが自身のブログ『澤藤統一郎の憲法日記』に12月14日付けで「赤穂浪士討ち入りと福沢諭吉」という記事を書いていて、そのなかに次のようなくだりがあります。

福翁自伝 
 
「このことに関して、「福翁自伝」の一節を思い出す。緒方洪庵塾の熟生時代の叙述として次のくだりがある。
 
「例えば赤穂義士の問題が出て、義士は果して義士なるか不義士なるかと議論が始まる。スルト私は『どちらでも宜しい、義不義、口の先で自由自在、君が義士と言えば僕は不義士にする、君が不義士と言えば僕は義士にして見せよう、サア来い、幾度来ても苦しくない』と言って、敵になり味方になり、さんざん論じて勝ったり負けたりするのが面白いというくらいな、毒のない議論は毎度大声でやっていたが、本当に顔を赧らめて如何(どう)あっても是非を分ってしまわなければならぬという実の入った議論をしたことは決してない。」
 
大木英治著の『逆襲弁護士河合弘之』(さくら舎)という本が出版されたということですね(脱原発弁護士・河合弘之の人生 大木英治『逆襲弁護士河合弘之』)。
 
しかし、私は、大阪市特別参与(エネルギー政策)として橋下徹(大阪市長・日本維新の会共同代表)のうそ「脱原発」、うそ「原発再稼働反対」を指南した河合弘之氏(脱原発法制定全国ネットワーク代表世話人・弁護士)の唱える「脱原発」をまったく信用しません

*つい最近まで大阪市の特別顧問として橋下徹のうそ「脱原発」、うそ「原発再稼働反対」に関与してきた飯田哲也日本総合研究所主任研究員)、いまも橋下大阪市政の特別顧問のままであり、やはりうそ「脱原発」、うそ「原発再稼働反対」に関与してきた古賀茂明(元経産省官僚)についてもまったく同様のことが言えます
 
> 河合弁護士は、原発民衆法廷にも協力してくれた。
 
なるほど。
 
「原発民衆法廷」はこれまでも少なくなく批判されてきました。その理由の一端も上記と「関係なし」ではないでしょう。
 
再度、小野俊一(医師)なる人物の「トンデモ」性について ――ある反論子の「反論」の荒唐無稽性とある福島第1原発事故収束作業員の心打たれる再反論(弊ブログ 2013.05.08)
北島教行さん(福島第一原子力発電所事故収束作業員)の原発民衆法廷・第8回・熊本公判における「小野参考人出廷忌避申し立て書」の趣旨に賛同する(同上 2013.05.21)
 
再度、次のことを述べておきます。
 
こういう人たちによって日々「革新運動」は根腐れされていく。彼(彼女)らをもはや「リベラル・左派」と呼ぶべきではない。彼(彼女)らは客観的に見て「革新運動」を根腐れさせるためだけにある「Dasein(存在)」、すなわち「The Dull(愚者)」というほかありません。」(弊ブログ 2013.11.13

怒り2 
怒り1

怒り3 
怒り2
「十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜
態を、君はまだ避けているようですね。マタイ十章、二八、『身を殺して霊
魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそ
れよ』。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む
  筈です。」(太宰治『トカトントン』) 

私は先日「vanacoralの日記の主宰者の『赤新聞』(イエロージャーナリズム)記者・田中龍作批判」という記事を書いて、そのvanacoral氏の「ジャーナリスト(?)田中龍作(@tanakaryusaku)、江田一派を賞賛」(vanacoralの日記 2013-12-09)という記事を紹介しておきました。
 
その私の記事に対して「vanacoralの日記とか言う人、相当うさんくさいですね。小沢バッシング、山本&三宅バッシングをしている人はかなり共通項があり、こいつらが日本のファシズム化に貢献していると私は見ています」と言ってくる人がいました。私はこの人の「こいつらが日本のファシズム化に貢献している」という批判のフレーズに彼の思想の貧困を思い、とりわけ「こいつら」という言い方にむしょうに腹立たしいものを感じたので、「なにをかいわんや。 『こいつら』とはお前のことを言うのだ」と「こいつら」という悪罵に相応しい罵倒の言葉を返しておきましたが(「憤り」と「怒り」をこめて)、この人は少し反省したのか今度は罵りのトーンをやや押さえて「東本さんが紹介したブログを書いている人は、マイナスのエネルギーに満ちあふれていますよ」という言い方で応酬してきました。

あるメーリングリストで実業家(人材育成コンサルタント会社代表)で「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」(のりこえねっと)共同代表である辛淑玉さんの評価をめぐって若干の議論がありました。その議論自体は辛氏を必要以上に誉めそやす者と必要以上に貶す者とのぶつかりあいのようなもので、取り上げるほどのものではないのですが、私がここで問題にしたいのは、いわゆる「リベラル・左派」と呼ばれる人々の間では、メディアというすでにコマーシャル化して久しい独自のフレームによって形成された情報によって「辛淑玉」というひとつの理想化された物語を創りあげ、その結果としての過剰な辛淑玉評価が幅を利かせてはいないかという疑念です。そこには実像の辛淑玉さんという人はいません。それは、リベラル・左派にとっても、辛淑玉さん自身にとっても不幸なことのように思います。そういう意味で、以下は、この際、私から見た辛淑玉論を少し述べておくことも無駄なことではないだろうと思って、上記の議論に乗っかかる形で私の辛淑玉さん評価をコメントの範囲内で述べたものです。
 
その私の辛淑玉さん評価は、主として彼女の「ミサンドリー(男性嫌悪)」思想と女性優位思想に焦点を当てて私の少なくない違和感と異議を述べたものでした。かつて私は、辛さんとともに「のりこえねっと」の共同代表をつとめている上野千鶴子氏(東大名誉教授・ジェンダー学)のフェミニズム思想についても「男よ率直に弱さを認めよう」という新聞に掲載された彼女の論評に則して若干の私なりの異議を述べたことがあります。今回の私の辛淑玉さん評価ともつながっていると思いますので、あわせて掲載させていただこうと思います。
赤新聞」(イエロージャーナリズム)記者の田中龍作が相変わらず*市民を決定的にミスリードする客観報道とはほど遠い(自分の貧困な主観でしか「事実」を見ることができない)扇情記事を自身の「田中龍作ジャーナル」紙なるものにものしています。
 
みんな大量離党 「秘密保護法」反対求める市民の声、決断促す
(田中龍作ジャーナル 2013年12月9日)
 
*田中はつい先だっては明らかな捏造による煽情記事すらものしていました。とてもジャーナリストなどと呼ぶことはできません。こんな「赤新聞」記者がNPJ紙(同紙はそのプロフィールで「憲法と人権を守る市民の側からの情報発信とコミュニケーションを提案します」などと自らが民主的なメディア媒体であることを自称しています)などに重用されていることに私は許しがたいものを感じます。おのずからNPJ紙などの程度も知れるというものでしょう。
参照:http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-676.html

江田2 
みんなの党に離党届を出し、記者会見に臨む江田憲司前幹事長ら
衆院第2議員会館 2013年12月9日
 
この田中龍作の記事ならぬ記事をvanacoralの日記の主宰者のvanacoralさんが小気味よくかつ根底的に批判しています。その批判に私もまったく同感です。この引用記事は昨日の私の「海渡雄一弁護士の「今後の行動提起」への疑問 ――その行動提起の前提となる海渡氏の政治認識について考えていただきたいこと」という記事で言い足りなかったことの続き(実のところまだまだ言い足りないのですが)としても書いているものです。

12月6日、稀代の悪法特定秘密保護法案はとうとう国会(衆院・参院)で可決されてしまいましたが、同法が衆院で可決される直前(2日前)の24日に私は「今後のたたかいの継続のために『特定秘密保護法反対運動への疑義、または違和の声』をいまあえて挙げてみる」という記事を書いて次のような私感を述べておきました。
 
「私たち国民の多くがその『野合・腐敗』の政党群を選んだ結果としていまがあるのです。たとえばみんなの党を『脱原発』政党として投票を呼びかけたのはどのような人たち、団体だったでしょう? その中には『革新』を自称する団体も含まれていなかったでしょうか?」
 
上記では抽象的に述べておきましたが上記にいう「『革新』を自称する団体」とは具体的に言えば「eシフト」、「緑茶会」、「緑の党」のことを指していました。
 
eシフトは先の参院選では「私は脱原発に投票します!」というキャンペーンを張ってすべての「脱原発」政党と「脱原発」議員への投票を呼びかけました。その同シフトの呼びかけでは「脱原発」政党の具体名は提示されてはいませんでしたが、「脱原発」と主張してさえいればいいというわけですから「脱原発」の政策の中身は問われず民主党の議員もみんなの党も自民党、公明党の議員も含まれるとみなせるものでした。
 
「緑茶会」はさらに踏み込んで民主党、生活の党、みんなの党、みどりの風、緑の党、新党大地、減税日本などほとんどすべての野党を「脱原発」政党とみなす体のものでした。さらに「緑の党」もそうした政策的に無節操な緑茶会と政策協定を結んで同選挙戦に臨んでいるわけですから(この点については社民党も同様です)緑茶会とは政策的には近いもの(すなわち、無節操な政策)を持っていたとみなしても不当とはいえないでしょう。
 
しかし、そういうことでその呼びかけの目的である「脱原発」は真に実現するのでしょうか、と問いかけたのが以下の弊記事でした。
 
eシフトは「出がらし緑茶会」の二番煎じ eシフトと緑茶会の暗愚な主張の同質性。また、「革新政党」票と「脱原発」票のそれぞれの危ういゆくえ(弊ブログ 2013.07.02)
 
海渡雄一弁護士の「バーナムの森は動いた 秘密保護法強行採決は安倍政権の終わりの始まりだ!」と題された「今後の活動提起」はeシフトメーリングリストに投稿された記事のようですが(ここから推測できることは、eシフトは執行部体制を明らかにしていませんが海渡弁護士は同eシフトの重要なメンバーのひとりであろうということです)、海渡弁護士は「今後の活動提起」を提起する前に上記で私が提起している問題について自身のアイデンティティーの問題としてしっかりと反省していただきたかったものです。

海渡雄一弁護士 
左から2人目が海渡雄一弁護士
 
この問題は民主党やみんなの党、維新の会の全部、あるいは一部の議員が特定秘密保護法案の採決(のみ)に反対した問題の評価としていまも続いている問題です。
 
しかし、いうまでもなく、民主党は特定秘密保護法案のセット法案としての日本版NSC(国家安全保障会議)設置法案に全党をあげて賛成した政党ですし、特定秘密保護法案自体についても当初は修正案で済ませようとしていた政党です。みんなの党や維新の会についてはほとんどのメディアの評価もその合意した修正案自体が当初案よりもさらに反動的であるというものでした。特定秘密保護法案の採決の反対についても法案の中身についての異議ではなく議会運営に対する異議にすぎません。
 
木を見て森を見ないたぐいの短絡的な政治的評価は小さくない疑似勢力として近頃大衆運動を席巻(かつミスリード。その端的な例を上記の「eシフト」「緑茶会」「緑の党」の発足という政治流動に見ることができるというのが私の見方です)している感があります。
 
「オレは長い間『選挙に出るようなヤツには投票したくない』という立場で選挙には行ってなかったけど、撤回する。次の選挙では、非自民の対立候補がなめくじに手足をつけたみたいなヤツだったとしても、そいつに投票するために近所の小学校まで足を運ぶことにするよ。」(日経ビジネスオンラインの常連執筆者(コラムニスト)の小田嶋隆氏 @tako_ashi
 
程度の政治認識では、また元の木阿弥にならないとは限らないのです。疑似保守勢力をも見抜く眼をしっかりと身につけていただきたいものです。疑似保守勢力はあちらこちらに潜伏しているのですから。

上記で私の述べていることとほぼ同様のことを金光翔さん(岩波書店社員、元『世界』編集部員)がおよそ120年前の自由民権運動が陥った陥穽(大同団結運動)を例にして別の観点から以下のように指摘しています。この問題群を考える上で参考になる指摘だと思います。
 
「井上外相が辞職し、伊藤内閣が倒れ、黒田清隆の内閣成り、大隈重信が外務の任を襲うに及んで、これまで民党連合戦線にあった改進党は、態度を一変し、大隈の条約改正案を支持するに至った。旧自由党系は、反政府勢力の弱体化を補填する目的で、後藤象二郎を首領に担ぎ、いよいよ大同団結運動を広げ、右翼保守派までも抱擁した。後藤の背後には、自由民権派切っての急進的理論家中江兆民があった。大井憲太郎また恩赦によって出獄し、満々たる闘志をもって、大同協和会と並んで、欧化立憲論に反対し日本主義を旨とした鳥尾小弥太の保守中正派、国粋保存を主唱した谷干城、陸羯南の新聞『日本』、民権論を捨つること弊履の如しとした頭山満の玄洋社とその盟友佐々友房の熊本紫溟会が肩を並べていた。このあまりにも無原則の共同戦線、一切の政治的立場の相違を棚上げして、ひたすらに非条約改正に集中した、その結果は、運動の拡大沸騰に伴って、逆に自由民権派が指導権を喪失するに至った。自由民権派の努力によって、下から盛りあげられた反政府輿論が、上昇して条約改正阻止の実現に具体化された時、保守派首領の独壇場たる陰謀的取引の具に供されてしまった。いわゆる貴族団体七人組(鳥尾、谷、三浦観樹、西村茂樹、浅野長勲、楠田英正、海江田信義)の活躍となった。」(遠山茂樹「自由民権運動と大陸問題」『自由民権と現代』筑摩書房、1985年、258頁。初出、1950年)
 
要するに、日本の左派の体質・行動様式とそれがもたらす帰結というのは、コミンテルンの「人民戦線」戦術などとは無関係に、100年以上前から変わっていないのである。これからもそうだろう。日本の左派の運動は、それ単独として捉えるよりも、むしろ、その展開の帰結が必ず最終的に「保守派首領の独壇場たる陰謀的取引の具に供され」るものとして、そうしたプロセスの一構成要素として見た方がよいのかもしれない。(金光翔「メモ29」2013-12-08) 
安倍内閣4 
Japans Ministerpräsident Abe (rechts)

秘密保護法を、たとえ採決されても、みとめてはならない。
(辺見庸「日録6」2013/12/03)
 
いまはなんの季節だろうか?いまはまさにどんな時候なのか。
 
やむをえず声をあらげるべき季節ではないのか。余儀なく、あたうかぎり大きな声で吠えるときだ。いまは、からだのもっとも深い底で、いまここにこうして在ることの恥を、ザクリザクリと刻むべき季節ではないのか。
 
いまはさて、なんの季節か。この季節の埒もない移ろいを、やすやすとゆるしてしまったことを、皮裏深く悔いるべき季節ではないか。辱めをわがからだに彫らなくてはならない。平刀で三角刀で鑿で烏口で。
 
いまはどんな季節だろうか。 口から首へ、首から胸へと、肉をぬちゃぬちゃと腐らせ、骨をもろもろと崩していきながら、もうたまらず愧死してもよい季節ではないか。
 
いまは正直どんな季節だろうか。あの底なしの阿呆どもにあらがい、あらがうということの、途方もない徒労と、それを徒労とばかり思い込んできた狡猾な錯視と徒労のくりかえしに、しばらく耐えるべき、じつにかくべつの季節ではないのか。
 
おもえば、あまりにしたたかに惨めなのである。しかし、いまはそういう季節なのだ。たったあれしきのことをおまえが「テロ」と呼ばわるのであれば、おおさ、血も凍るテロリズムをおまえたちこそが着々と用意していることを、これから諄々とおしえてやろうではないか。
 
いまはどんな季節だろうか?ずるっと戦時がきたのである。秘密保護法を、たとえ採決されても、みとめてはならない。(略。見出し、改行は引用者)
 
右翼ポピュリズムがひとびとのフラストレーションにつけこ
んでいくためのあらゆる条件がいま、ほぼ整いつつある。

(辺見庸「日録6」2013/12/05)
 
この右翼ポピュリズム圧勝のつぎには、どんな風景がまっているのか。民衆(demos)はどこにうごいていくのか。われわれは民衆か。民衆はわれわれか。わたしは「われわれ」か。
 
で、「腐れた民主主義の民主化」はありうるのか。おもう。「腐れた民主主義の民主化」は、ない。
 
この社会では、右翼ポピュリズムが(貧困者や弱者をふくむ)ひとびとのフラストレーションにつけこんでいくためのあらゆる条件がいま、ほぼ整いつつある。弁才あるデマゴーグたちが今後ますますのさばり、はびこるだろう。左派/右派の境界と対立点は、いよいよあいまいで希薄なものになるだろう。わたしやあなたは日々に、なにか語ろうとする意思に明瞭な発語のともなわない、擬似唖者と化しつつ、たちあがってくる光景に目をみはり、ただ絶句するであろう。
 
右翼ポピュリズムは民主的で集合的で合法的なテロルと少数派の排除にのりだすだろう。足下ではげしい流砂がおきている。来週以降、年末までに、また絞首刑の執行があるかもしれない。(略。見出し、改行は引用者)
 
再び「抵抗権」について
宮沢俊義『憲法Ⅱ』「抵抗権」

個人の尊厳から出発するかぎり、どうしても抵抗権をみとめないわけにはいかない。抵抗権をみとめないことは国家権力に対する、絶対的服従を求めることであり、奴隷の人民を作ろうとすることである。」(宮沢俊義『憲法Ⅱ』「抵抗権」)
 
引用者注:上記は人民の「抵抗権」について述べた宮沢の言葉ですが、人民の集合体としての政党や団体の「抵抗権」についても同様のことがいえるでしょう。
なにゆえに安倍首相(政権)はここまで人心を無視した暴走を続けるのか。続けようとするのか。あるいは続けなければならないのか。

安倍内閣2 
2013年9月7日 於:IOC(国際オリンピック委員会)総会

その理由を天木直人氏がうまく謎解きしています。私もまったくそのとおりだろうと思います。
 
安倍政権の病的なまでに稚拙な政治的暴走は、逆の言い方をすれば、安倍政権の脆さ、脆弱さを示しているといえるでしょう。
 
安倍政権は長く続かないでしょう。いや、長く続かせてはいけません。
 
特定秘密保護法案の参院での強行採決の後は、安倍政権退陣要求を掲げてデモの輪をさらに拡げていく必要があるでしょう。
 
60年安保のときも「安保反対」のデモのスクラムは岸内閣の退陣を要求するスクラムに変わっていったのでした。そして、岸内閣はついに退陣に追い込まれていったのでした。

【第二信】

参院委で秘密保護法案を可決=与党が採決強行、成立の構え
—対立頂点に
(時事通信 2013年 12月 05日 17:24)

 特定秘密保護法案は5日午後の参院国家安全保障特別委員会で、自民、公明両党の賛成多数で可決された。質疑の途中で与党側が打ち切り動議を提出し、採決を強行した。与党は同日中にも参院本会議を再開して法案を緊急上程し、可決、成立させる方針。これに対し、野党は成立阻止に全力を挙げる構えだ。与野党の対立は、6日の今国会会期末を前に頂点に達した。

 自民党幹部は5日、特別委での秘密保護法案可決を受けて「もちろん法案は本会議に緊急上程する」と明言した。

 特別委では、民主党など野党委員が中川雅治委員長の席に詰め寄って激しく抗議し、委員会室が騒然とする中、与党が採決に踏み切った。慎重審議を求めていた日本維新の会とみんなの党は、採決を退席した。両党は衆院段階では法案修正で与党と合意していたが、参院本会議の採決も退席するとみられ、与党単独での成立となる公算が大きくなった。

稀代の悪法特定秘密保護法案の参議院採決の前提となる参議院・地方公聴会は今日の4日の15時20分から17時45分までの約2時間半埼玉県さいたま市で開かれました。政府与党は、この地方公聴会開催を前提にして明日の5日に参院国家安全保障特別委員会で強行採決し、今国会会期末の明後日の6日には参院本会議で特定秘密保護法案を可決、成立させる構えです。この地方公聴会には「共産党以外の野党は欠席」(時事通信 2013/12/04)しました。

秘密保護法10 
特定秘密保護法案衆議院・福島公聴会は2013年11月25日に福島市栄町で
 開かれ、7人の意見陳述者全員が反対、もしくは疑念を表明しました。しか
 し、その翌日の26日には同法案は公聴会などなかったかのように衆院で
 強行採決されたのは周知のところです。
 
さて、共産党が他の野党が地方公聴会の出席をボイコットする中で、ひとり同公聴会に出席したことは正しいことでしょうか?
 
共産党の同公聴会出席の理由は以下のようなものでしょう。
 
検証 国会正常化 共産党はこう動いた「国会で究明の立場にたって」
(しんぶん赤旗 2007年2月8日)
 
「日本共産党は、自分たちの要求が受け入れられないからといって、審議を拒否する態度をとらず、問題点があれば審議を通じて明らかにしていくという立場を一貫してとっています。今回の事態でも、共産党はこの筋を貫きました。」
 
しかし、同党のこうした「合法主義」的態度(「審議拒否」否定の共産党的正当化)は「合法主義」のはき違えではないか、という批判を日本科学者会議福岡支部の会員で佐賀大学名誉教授の豊島耕一さんがしています。 そして、私も、豊島さんと同意見です。
 
とりわけ、豊島さんの「(公聴会出席の)背景に合法主義のはき違えがあるのではないかと推察します.あるいは不服従(disobedience)という概念を知らない.ことがらの重要度に応じて,上位の規範や法を守るために下位の規則に反することは時として必要であり,そのことが真の意味で「法を守る」ことになる場合があるのです」というお考え(思想)にはまったく同意します。
 
憲法学の泰斗、宮沢俊義はかつて人民の抵抗権について以下のように述べたことがあります。
 
「個人の尊厳から出発するかぎり、どうしても抵抗権をみとめないわけにはいかない。抵抗権をみとめないことは国家権力に対する、絶対的服従を求めることであり、奴隷の人民を作ろうとすることである」(宮沢俊義『憲法Ⅱ』「抵抗権」)。
 
上記は人民の「抵抗権」について述べた宮沢の言葉ですが、人民の集合体としての政党や団体の「抵抗権」についても同様のことがいえるでしょう。もちろん、「不服従」も「抵抗権」の重要な要素のひとつです。その理念を形而上学的な理念としてはともかく、血肉のついた生身の理念として共産党は理解していないのではないか、というのが豊島さんの批判だろうと思います。共産党が越えなければならない課題はここにもあるように思います。

日本報道検証機構(GOHOO)が「秘密期間『30年→60年 政府案より後退』は誤報」という注意報記事を2013年11月28日付けで掲載しています。
 
同記事の内容は、
 
国会で審議されている特定秘密保護法案をめぐり、朝日新聞など一部メディアが11月27日付朝刊などで、秘密の指定期間が修正案で「原則30年」から「原則60年」に政府案より後退した、もしくは期間が倍増した、などと報じました。しかし、実際は、政府案は内閣の承認があれば無制限に延長できる内容だったのに対し、修正案は例外7項目を除き、内閣の承認があっても最長60年に制限されています。また、政府案には明記されていなかった「原則30年」の条文が修正案に追加されています。したがって、秘密の指定期間が「原則30年」から「原則60年」に倍増したかのような報道は誤りで、正しくは「無制限」から「一部例外を除き最長60年」に修正されています。
 
というもので、記事それ自体としては、朝日新聞、毎日新聞、共同通信、時事通信、東京新聞の各報道の誤りを指摘するもので、「日本報道検証機構」らしい注意報記事と一応はいうことができるのですが、同記事の「正しくは『無制限』から『一部例外を除き最長60年』に修正されています」という記述は、「一部例外を除き」という例外規定はきちんと押さえてはいるものの、逆に、秘密の指定期間が「無制限」から「最長60年」に修正されたかのような印象を読者に与えてしまいかねないという点で逆注意報を発しなければならない記事に陥っているいるように私には見えます。
 
自公与党とみんなの党、維新の会との特定秘密保護法案の修正協議で「有効期間は60年を超えることはできない」という一文が加わったことは確かだとしても、修正案はすぐそのあとにさらに武器や暗号などのほか「政令で定める重要情報」は60年を超えて指定できると続いているからです。すなわち、内閣が政令で定めさえすれば「重要情報」は半永久的に「秘密」として指定できることになってしまいます。上記で「誤り」を指摘されているメディアを含めてほとんどのメディアが「まったく修正になっていない」「修正案という名に値しない」と異口同音に批判、指摘している法案の危険な本質はさらに悪化こそすれ、少しも変わってはいないのです。
 
戦前の「治安維持法」にも匹敵する稀代の悪法といわれる特定秘密保護法案が衆院に続き参院でいまにも強行採決されようとしているこの時期に、今回日本報道検証機構(GOHOO)が発した注意報は、逆に市民をミスリードする一知半解の「注意報」になりおおせている、と厳しく批判、指摘しておく必要があるように私は思います。