日を追うごとに大きくなっている人びとの一切の懸念を無視して、11月26日、特定秘密保護法案は自民、公明、みんなの党の賛成多数で可決されました。また、その翌日、すなわち今日の11月27日には同特定秘密保護法案とセット法案のいわゆる日本版NSCを創設するための法律が自民・公明、みんなの党のほかにさらに民主党、日本維新の会も加わって参議院で賛成多数で可決され、成立しました。「状況は、泥沼の戦争に突き進み、国会が機能を失った昭和初期に似ている」(東京新聞特報 2013年11月27日)ポイント・オブ・ノーリターン(帰還不能点)の地点までまさにきてしまったといってよいでしょう。先の総選挙で私たち(民衆)は総体としてそういう政治を選んでしまったのです。だから、こういう事態になったのは私たち(集合としての「民衆」)の責任ではあるのです。

秘密保護法案6 
「秘密保護法案」衆院本会議可決 11月26日午後8時10分
 
しかし、私たちがいまするべきことは落胆することではなく、「落胆はすまい。怒ろう。民主々義を踏みにじる者への怒り。人の尊厳を顧みない者への怒り。歴史の歯車を逆転しようとする者たちへの怒り。その怒りのエネルギーで、この法案を廃案に追い込」む(澤藤統一郎の憲法日記 2013年11月26日)ことでしょう。そのためにも「まだ参院が残されている。信念のある議員は気骨を示す時だ」(東京新聞 同上)というその議員たちを含む「民主々義を踏みにじる者への怒り。人の尊厳を顧みない者への怒り。歴史の歯車を逆転しようとする者たちへの怒り」の輪をさらにさらに大きくしていくことでしょう。
 
その「怒り」の輪は11月26日、すなわち昨日の特定秘密保護法案の強行採決を機にさらにさらに大きくなっている萌芽はすでにメディアの報道に現われています。以下は全国紙(読売と産経を除く)と北から南までの任意の地方紙のマスメディアの本日付け(27日)の社説です。それぞれのメディアは激しい口調で「民主々義を踏みにじる者」を批判しています。

現時点でのメディアの報道を総合すれば、戦前の「治安維持法」にも比すべき稀代の悪法「特定秘密保護法案」は、多くの市民の反対(あるいは慎重にすべき)の声が日を追うごとに大きくなっているにもかかわらず、それらの市民の懸念を一切無視して自民、公明両党とみんなの党、日本維新の会4党のなれあい合意によって今週中にも衆院を通過し、今国会で成立する見通しとなっているもののようです(早ければ週明けの月曜日に形式的な公聴会を開いた後の次の日の26日、遅くとも週末の28日か29日の衆院通過)。
 
「右翼ナショナリスト安倍晋三」(ニューヨーク・タイムズ社説 2013年1月2日付)内閣を「野合・腐敗の政治」で誕生させた自民党議員、それに連なる公明党、みんなの党、日本維新の会大多数の国会構成になっている以上(私たち国民の多くがその「野合・腐敗」の政党群を選んだ結果としていまがあるのです。たとえばみんなの党を「脱原発」政党として投票を呼びかけたのはどのような人たち、団体だったでしょう? その中には「革新」を自称する団体も含まれていなかったでしょうか?)、私たちは、私たちの責任としてそのことを覚悟、観念しなければなりませんが、仮に特定秘密保護法案が衆院を賛成多数で通過したとしてもまだ参院でのたたかいが残されています。さらに衆院・参院のたたかいの背後には特定秘密保護法案の成立に反対、危惧する大多数の国民の声があります。政権与党が怯えるほどにその声がさらにさらに増大すれば同法案を廃案に追い込むことは可能です。
 
そのためにも、私は、この間の私たちの「特定秘密保護法案」反対のたたかいのあり方に少なくない疑義の声、違和の声をあげている人たちがいること及びその声をご紹介しておきたいと思います。傾聴すべき声だと私は思います。

秘密保護法8 
新聞記者が今まで、政府にとって不都合な情報を抜いて
きたことがありますか?
(西山太吉さん 2013年11月15日
 
藤原新也氏(写真家・作家)が「特定秘密保護法案」に関して下記のような警告を発しています。
 
そのとおりだと私も思います。
 
*藤原新也氏の「警告」の下にこれもまたまったくそのとおりだと思う昨日(11月22日)付けの「廃案にするしか道はない 特定秘密保護法案」という北海道新聞の社説も附記しておきます。

警告。(Shinya talk 藤原新也 2013/11/23)
 
猪瀬直樹都知事の5000万円受領問題をこのタイミングで東京地検特捜部がリークしたことは市民レベルで盛り上がりを見せる「特定秘密保護法案」問題の目くらましであることを忘れてはならない。
 
Twitterをしている方々は拡散してちょうだい。
 
Twitterへのコピペ。
 
猪瀬直樹都知事の5000万円受領問題をこのタイミングで東京地検特捜部がリークしたことは市民レベルで盛り上がりを見せる「特定秘密保護法案」問題の目くらましであることを忘れてはならない!!!と藤原新也が警告。
もはやこれは1945年の敗戦期に続くアメリカの第2次「日本占領」というべき事態ではないか。以下の3本の記事(報告)を通じて、特定秘密保護法案の成立の危険性をアメリカの第2次「日本占領」(すなわち、日本の真の独立とはなにか)という観点から見てみたい。また、考えてみたいと思います。
 
1本目。
 
復帰前の空撮、米軍基地は黒塗り 秘密法で時代逆戻り
(琉球新報 2013年11月22日)

米軍基地
 1970年~71年にかけて撮影された那覇市の空撮地図。当時、米軍
 が使用していた那覇飛行場が黒く塗りつぶされている。
 
 特定秘密保護法案の国会審議が大詰めを迎える中、県議の渡久地修さんは米軍基地が黒く塗りつぶされた琉球政府作製の空撮地図をインターネットなどで紹介し、同法案の危険性に警鐘を鳴らす。「この法律が成立すれば、米軍基地に関する全ての情報は隠される。この地図のように『黒塗り』の時代に逆戻りだ」と訴えている。
 
 渡久地さんが紹介しているのは、復帰前の1970年から71年にかけて琉球政府が撮影した沖縄県全土の空撮地図。地図の米軍基地に当たる部分は全て黒く塗りつぶされている。
 
特定秘密保護法を廃案に!

本日21日
(木)、東京・日比谷野外音楽堂で
「STOP!『秘密保護法』11.21大集会」

秘密保護法7 
安重根

辺見庸「不稽日録」 2013年11月20日
 
カフェ・ダフネ(引用者注:辺見庸のゆきつけの喫茶店)で新聞を見た。アンジュングン(安重根)は「犯罪者」という菅義偉官房長官発言を各紙がどう伝えたか知りたかったから。

呆れた。どれほど大きく報じていることかと息をつめて紙面を繰ったら、あれほどの重大発言が、たったの2、3段。菅官房長官が19日の記者会見で「わが国は、安重根は犯罪者であると韓国政府にこれまでも伝えている」と、こともなげに語ったことが、しかし、朴槿恵(パククネ)政権支持者と反対派を問わず、どれほど韓国民衆の内面を傷つけたか、想像にかたくない。
 
そもそも、「ポムチェジャ」(범죄자、犯罪者)という言葉が韓国語でどれほどおもいひびきがあるのかこれにアンジュングンの名前をかさねたら、いったいどのように相乗して侮辱的、屈辱的な語音となるか、与野党の政治家、官僚だけではなく、いまのジャーナリズムも、じつに恥ずかしいことに、かんがえたことがないのではないか。日本という国の悲惨さは、いちじるしく知性を欠く政治家とマスメディアに支配されているにとどまるのでなく、みずからの近現代史の実相と、その朝鮮半島、中国とのかかわりの深層を、あまりにも、じつにあまりにも知らず、謙虚に知ろうともしていないことである。
 
この国は、せいぜいよくても、司馬遼太郎ていどの近代史観しかもたない首相と政治家を、過去にも現在も、何人もいただいてきたことだ。そして日本の〈征韓論〉の歴史と淵源をまったく知らないマスコミ。そのツケがいまきている。大久保利通、江藤新平、榎本武揚、福沢諭吉、板垣退助、大井憲太郎、樽井籐吉、陸奥宗光、勝海舟、山県有朋、与謝野鉄幹、井上馨、三浦梧楼、伊藤博文、大隈重信、徳富蘇峰、宇垣一成、南次郎、小磯国昭・・・らが、アジアと朝鮮半島にかんし、なにを語り、なにをしてきたかを、日本人はとっくに忘れたか、もともと知らず、朝鮮半島や中国に住まうひとびとのほうが代々、憶えているということは、これはまたどういうことなのか。
 
「ポムチェジャ」とはだれのことだ?三浦梧楼はおどろくべき범죄자ではないのか。伊藤博文とはなにをなした人物か。なぜそれを調べてみようとしないのか。在日コリアンへのいわれない迫害、韓国・北朝鮮蔑視のみなもとは、安倍政権の病的感性とその先達らの脈々たる倨傲の歴史観にあることが、このたびの菅官房長官談話ではっきりした。
 
朝日新聞も毎日新聞もNHKも、いまさら言ってもまことに詮ないが、恥を知れ! しかしだ、たったこれだけのことを書くのに、なぜこんなにも気をつかわなければならないのか。慄然とし貧寒とする。言説を暴力で統制しようという権力とその内通者たち。他者の言説を盾にし、みずからは盾の陰にかくれる、体制批判者を気どる卑劣漢。どこまでも病みすさんだマスメディア。大小のファシストたちの狂乱、乱舞。
 
いつの間にこんなことになってしまったのか。ふむ、ずっと昔からか・・・。
 
辺見庸「不稽日録」一部省略 2013/11/20
                                      *改行は引用者。
 
半澤健市さん(コラムニスト)は先の12日に日本記者クラブであった小泉純一郎の脱原発記者会見について次のように言います。
 
「この国は今、オポチュニズムとポピュリズムの世界に突入した。政治家の責任を問わないズルズルベッタリの世界になっている。小泉純一郎の脱原発論へ無条件に同意することに私は反対である。」

軍艦島 
軍艦島(長崎) 廃墟の跡
 
以下、半澤健市さんの小泉元首相の日本記者クラブでの脱原発記者会見についての論。  
漫画家の白土三平さん(81)は「今週中の通過目指す」(石破自民党幹事長。NHK 11月17日)という特定秘密保護法案を自らの漫画作品『ワタリ』と比較してかつての忍者『ワタリ』の世界と同じように「現代の『死の掟』となりはしないのか」と危惧を表明しています。

ワタリ 

秘密保護法6 
1939年(昭和14年)陸軍省作成
 
以下の毎日新聞「余録」(2013年11月17日)の記事は特定秘密保護法案の危険性をわかりやすくあぶりだす鋭い指摘になっているように思います。
 
少年忍者を主人公にした漫画「ワタリ」
(毎日新聞 「余録」 2013年11月17日)
 
少年忍者を主人公にした漫画「ワタリ」に「死の掟(おきて)」という話が出てくる。下層の忍者たちは掟を破ると支配者から殺されてしまう。ところがその掟の中身とは何なのか、支配者以外は誰も知らないのだ。
加藤哲郎氏(一橋大学名誉教授、早稲田大学客員教授)が近頃チンドン屋の就職口でも見つかったのか賑々しくテキ屋も顔負けの体の小泉純一郎ひとり芝居一座の前口上役を相つとめています。
 
曰く、
 
「久しぶりで「脱原発」「原発ゼロ」が、新聞の1面トップをかざりました。小泉純一郎元首相の、日本記者クラブでの講演・会見です。ドイツの廃炉とフィンランドのオンカロを現地で見て核廃棄物処理の不可能を痛感したうえの決断で、私が注目したのは、『人間は、意見が変わることがある』と、かつての原発推進から現在の脱原発への心境変化を率直に認めていること、もう一つ、原発ゼロは『首相が決断すればできる』という安倍首相への提言と世論への依拠。『過ちては改むるに憚ること勿れ』を地でいく元首相の脱原発行脚は、即原発ゼロ、再生エネルギーへの転換まで踏み込んでいますから、ホンモノでしょう。メディアの反応も、各社のスタンスがよく現れています。細川護煕元首相とも会談して、国民運動をよびかけている点でも、反原発・脱原発の運動には大きな援軍でしょう。」(「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」 2013年11月15日
 
ただし、断り書きもないではありません。「もっとも『過ちては改むるに憚ること勿れ』は、過去の政治責任を免責したり、曖昧にするものではありません」(同上)という。「ふり(~のふりをする、の意)」(断り書き)はテキ屋もお得意の芸当です。「ふり」はあったほうが真実味はさらに増すのです。テキ屋もこの手をよく使います。「だがしかし、お立ち合い、投げ銭やほうり銭はお断わりだ。手前、大道に未熟な渡世をいたすといえど、投げ銭、ほうリ銭はもらわない。しからば、なにを稼業にいたすかといえば、手前持ちいだしたるは、これにある蟇蝉噪(ひきせんそう)四六の蝦蟇の膏だ」(三遊亭円生噺「蝦蟇の膏」)云々。
 
しかし、『ああ同期の桜』(海軍飛行予備学生第14期会編)を愛読書とし(wikipedia『小泉純一郎』)、有事3法・有事関連7法を強行採決。自衛隊の海外派兵に道を開き、「平和憲法」の精神をズタズタにした稀代のポピュリスト首相(たとえば小泉の「ワンフレーズポリティクス」。小泉の「感動したっっっ!」は流行語にもなりました)であった小泉純一郎をこのように評価することは正しいことでしょうか?
 
辺見庸はかつて小泉純一郎が自衛隊のイラク派兵を閣議決定した日を「平和憲法にとっての『Day of Infamy』(屈辱の日)」と呼んだことがありました。 

原発ゼロへ共闘 細川・小泉元首相『国民運動を』」という12日付けの東京新聞の記事を「当然のことと言え熱烈・歓迎です」というこんな人が「リベラル・左翼」を自称するのか、と呆れ果てる(というよりも、唾棄すべき*以外にない論評もありますが、次のような「リベラル・左翼」のふつうの論評(内容が「ふつう」ということではなく、これが「リベラル・左翼」としてはふつうの見方、の意)もあることに救われる気がします。

*こういう人たちによって日々「革新運動」は根腐れされていく。彼(彼女)らをもはや「リベラル・左翼」と呼ぶべきではない。彼(彼女)らは客観的に見て「革新運動」を根腐れさせるためだけにある「Dasein(存在)」、すなわち「The Dull(愚者)」というほかありません。

小泉純一郎2 細川護熙
 
「この二人の顔を並べると政界が歪んでいき、最後の止め日本列島が歪み切って、今の日本がある。弱者が虐め抜かれる格差社会が確立していったのである。正直「今更…。今の日本の歪みをつくりあげた二人が…。これに菅が並ぶとオンパレードとなる」正直な私の感想です。人間というものは過去の犯罪(私は大罪だと思っている、捕まらなかったとい(う)だけ、どれだけの国民が虐げられていることか)を全て総ざらいしていいものかと…。確かに保守層にはある程度の影響は与えることは間違いなし。/彼らが真剣に「脱原発」を発するのであれば、官邸前の集会に一国民として参加すべきである。過去の謝罪の気持ちを表明してからが一番の行動であると思う。」(「北海道は素敵です!!」2013/11/13
 
私も過去に小沢一郎の政治姿勢に関して「反省」ということについて次のように書いたことがあります。
 
「一般的にいって真の反省のないところに(キリスト教的な「懺悔」を比ゆとして用いますが)「新生」も「復活」もありえません。小沢一郎氏の場合、おのれの思想を真に脱原発の思想に改悛したというのであれば、民主党の政策を「原発推進」に転換した2006年当時のおのれの理念と思想を「強烈に反省」し、悔い改める必要がその「反省」の前提条件としてあるでしょう。しかし、その真の意味での反省は小沢氏からも民主党サイドからも一切聞こえてきません。「小沢一郎はその事に対して言い訳をする必要」があるのです。

また、昨日の小泉純一郎元首相の日本記者クラブでの「脱原発」講演について天木直人氏の次のような論評があります。「北海道は素敵です!!」ブログから孫引きさせていただきます。

過日、私は、「vanacoralの日記」の「山本太郎「信者」の馬鹿さ加減、ここに極まれり」(2013-11-10)という記事をCMLというメーリングリストに私のコメント抜きで転載させていただきました。
 
その私の転載記事に対してまっぺんさんという人がこちらの記事のような反論的論評を寄せられてきました。
 
以下は、そのまっぺんさんの論に対する私の応答(反論のようなもの)です。ご参考に供させていただこうと思います。
 
山本太郎3  

まっぺんさん
 
あなたは次のように言います。「私は単なる「評論家」ではなく行動する市民として、すこしでも良い方向に事態が進むために努力しようと思っています」、と。そのあなたの声明に私はもろ手をあげて賛成します。しかし、「私は単なる『評論家』ではな」いというそのあなたの言表の中にはなにやら山本太郎を批判する私(たち)を「単なる『評論家』」と批判(揶揄)するまなざしも含まれていますね。しかし、そうではありません。しかし、そうではない、というのは、ひとつの例をあげて言えばこういうことです。

辺見庸が彼の日記によく出てくるコビト(もしかしたらコビトはコイビトの隠喩なのかもしれません。もちろん、虚構上の)のクララに叱られたと言います。

カワラサイコ 
カワラサイコ(小人の花序)
 
「こんなことあまり言いたくはないんだけど、あなたの書くことが最近、なんて言うか、すこし品位にかけてきてるとおもうの・・・」。
 
「品位とはなにか、なんてあたしにはよくわからないけど・・・」「あれを読んだら女性差別的とかんじるひともいるんじゃないかしら。不快におもったひとはすくなくないはずよ」
 
「ひとの身体的なケッカン・・・じゃないわよね、そう、特徴を執拗かつ露骨にあげつらうって、どうかしらね、いけないことじゃないかしら。口にせよ耳にせよ××××(4字伏せ字)にせよ」。
 
「『いかに現在の世論が反対しようと、差別は社会的領域の構成要因なのであり、それは平等が政治的領域の構成要因であるのと同様である』って、もちろん、だれが、どんな女性が書いたか、あなた、知ってるわよね?」
 
「重要なことは・・・。『あらゆるひとびとが社会のなかでじぶんがなんであるか――自分がだれであるかとは性質の異なるものとして――自分の役割と自分の職分とはなんであるかという問いに答えなければならない』ということなのよ。でしょ?」
 
「(〈社会の共同性〉をそもそも根本から否定するかのようなわたしの表現は)まるで全世界からの『追放』をじぶんから願いでているかのようだわ」
 
と。
 
辺見は次のように自省します。
 
「なにを言われているか、わたしはわかっている。」
 
「わたしはギクリとしつつ、「『世界』という名の口実」という言葉を深いあきらめのなかでおもいだしていた。コビトに裏切られた、という感情もしょうじきなくはなかった。」

山本太郎がまたもやいかんともしがたい「民主主義」とはまったく相容れない発言をしています。
 
いわく、
 
参院議院運営委員会は5日の理事会で山本氏に出処進退を確認する方針を決めましたが、その日の夕方、同運営委員会委員長から同氏の意向を聴かれた直後の記者会見での発言。
 
陛下の御宸襟(しんきん)を悩ませることになってしまったことは猛省する(スポーツニッポン 2013年11月6日)
 
8日、参院議院運営委員会は山本氏に対し任期中の皇室行事への出席を禁止する処分を決めましたが、その処分を参院議長から言い渡された直後のぶらさがり記者会見での発言。
 
できることならば(陛下に)直接お会いして、今回の非礼についておわび申し上げたいが、それはかなわないようなので、すでに二重橋に行って、時間があるときは陛下におわび申し上げている
                     (スポーツニッポン 2013年11月9日)
 
「御宸襟」? 広辞苑によると「宸襟」は「天子(天皇)の心」の意味。通常、「宸襟を悩ます」の表現で使い、天皇陛下のお心を煩わせること。
 
「二重橋」? いうまでもなく皇居を象徴する構造物。

「陛下におわび申し上げている」? 日本大百科全書には「『陛下』は「古く中国で、天子の称として用いられた語で、『陛』は階段をいい、陛下は階段の下というのが原義。臣下(家来)は天子に直接奏上することはなく、階段の下にいる護衛の者を通して行ったことから、この語が天子の尊称となった」とあります。「おわび申し上げる」はいうまでもなく皇族に対して最高の敬意を示す最高敬語。
 
いずれも「国民主権」の対岸、向こう岸にある言葉です。日本国憲法は「国民主権」の憲法であり、「天皇主権」ではなく、「象徴天皇主権」の憲法でもありません。「御宸襟」や「二重橋」という「(象徴)天皇主権」を連想させる言葉は、「国民主権」ということを身体に沁み込んだ理念(まったき感情)として保持しているのであれば決して出て来ようもない言葉だといわなければならないでしょう。

麻生太郎という人が(最近では「(ナチス政権の)手口を学んだらどうか」発言で再び時の人となった)2008年に内閣総理大臣に就任したときの所信表明演説。「かしこくも、御名御璽をいただき」云々という奏上の言葉と山本太郎の言葉、その心性に寸部の違いもありません。
 
そういう意味で、山本太郎氏を「民主主義者」と評価することはできません。
 
これは「脱原発運動」や「政治利用」の問題とは別のことがらです。「民主主義」自体の問題として考えなければならないことです。
 
だから、山本太郎の「脱原発運動」にとりくむ姿勢への評価(賛成であれ、反対であれ)や保守勢力の「天皇の政治利用」という名目の山本太郎バッシングの問題とは切り離して考えなければならない問題です。
 
山本太郎の「陛下の御宸襟を悩ませた」「二重橋に行っておわび申し上げている」という発言をどう評価するかという問題は、自らをリベラリストと標榜する者にすべからく課せられたアイデンティティの問題というべきでしょう。

チョウセンアサガオ 
チョウセンアサガオ
 
そういう意味で、私は、以下で辺見庸が創作している「キチガイナスビ=チョウセンアサガオには、ヒオスチアミン、スコポラミンなどのトロパンアルカロイドといふ毒性成分があって、誤ってたべると幻覚・沈鬱症状をきたし、遺伝的にもニッポン人の優生エレメンツをそこなふおそれがあるのだ」などと講釈する「口のおばさん」の発言に共感します。
 
その「口のおばさん」は山本太郎についてさらに次のように講釈します。
 
「最近ではトリップしたさにチョウセンアサガオを口にするバカな若者もいるのだそうだ。『こういふバカが天皇陛下に直訴状をおわたしして、ごキンシン、もとひ、ごシンキンをおやなませ、いや、お悩ませしたり、テロリストになったりしかねなひのよ!』」
辺見庸「不稽日録」2013/11/09
辺見庸「不稽日録」(2013/11/07)より。

即興詩人 
慴然として肌膚の粟を生ずるを覚え
(『即興詩人』森鷗外)
 
「まだ雨がふっている。雨があがったらエベレストに行こう。けふは特別の日だ。肌膚(きふ)の粟を生ずるを覚えなければならない日だ。まさに慴然とすべき日である。(略)新聞とテレビと、可視空間のすみずみまではりめぐらされた大小あらゆる種類のメディアは、「特別の歴史」という観念を総がかりで消しつぶしにかかってくる。(略)
 
ハンナ・アーレントの母マルタが、幼いハンナにむかって叫んだという「よく注意しなさい、これは歴史的瞬間です!」という「悟性の声」は、いま耳を澄ましてもどこにもない。日本版NSC(国家安全保障会議)の設置法案の修正案が、6日の衆議院特別委員会で、与党と民主党などの賛成多数で可決され、けふ、衆議院を通過した。特定秘密保護法案もけふの衆院本会議で審議入りした。沖縄・宮古島に、陸上自衛隊の88式地対艦誘導弾がはじめて上陸した。陸海空自衛隊による戦争演習のいっかんで、射程百数十kmの88式地対艦誘導弾は沖縄本島にも展開する。今回の演習は、隊員3万4,000人、艦艇6隻、航空機およそ380機が参加して、離島防衛が主な目的なそうな。「月々スマホ990円特割!」の広告といっしょに「歴史的瞬間」が藻屑のように流されてゆく。(略)
 
20世紀の全体主義は20世紀大衆社会の病理を発生源としたのだとしたら、21世紀現在のこの大激変はなにを発生源とし、なにが未来に予定されているのだろうか。近代以降、みずからを堂々「侵略者」と名のり戦争を発動した国家などない。ニッポン軍国主義、ナチス・ドイツさえもが「祖国防衛」を口実に侵略戦争を展開し、まつろわぬ自国民(ニッポンは当時から大部分のひとびととメディアが権力にまつらふ一方であったが・・・)を徹底的に弾圧したのだった。J-NSCは今後、まちがいなく「戦争」と「監視」と「謀略」の司令塔として拡大、発展するだらう。メディアと人民がそれを支えるであらう。
 
J-NSC構想は第一次安倍政権時代の「チーム安倍ちゃん」による事実上のクーデター計画であった。問題は、これが第一次安倍政権が瓦解したあとも、ニセガネ民主党の菅・野田政権によりしっかり継承され、衆院選で政権交代するよりもまへに、J-NSCの設置がすでにして事実上きまっていたこと。そして、秘密保護法の法制化も陰に陽にすすめられてきた事実だ。自公の反動はおのずと明らかである。しかし、民主党とは、おい、よ、辻本よ、千葉景子よ、あなたがたはいったいなんだったのだ。死刑もやります。憲法も破壊します。戦時体制もつくります。自公に反対するふりもします、だったのか。「わたしたちはいまだかつてひとりの人間にもであったことがない。権力亡者の〈猿の影〉につまずいただけだ」ったか。新旧のファシズムはその内部にニセの〈反ファシズム〉を包含してきたし、今後もそうであろう。そして、きのふも、けふも、明日も、「歴史的瞬間」がうちつづき、サムライ・ニッポンはいとど勇ましくなっていく。わたしはJ-NSCに反対する。(辺見庸「不稽日録」2013/11/07

真偽の定かではない「伝聞」情報があたかも「真」であるかのように流通していき、流通していくうちにそれが「伝聞」情報でしかないことが健忘、もしくは不問に附されて「真」そのものになってしまう。「伝言ゲーム」ではよく見られるパターンですが、それが遊戯であるならばともかく、その情報の真実性が問われている場面での担保としての「伝」と「聞」の消去は、その行為をあえてするのであれば「うそ」、あるいは「デマ」。たとえその行為が無自覚的な行為であったとしても、その情報はもしかしたら「真」であるかもしれないという蓋然値を限りなくゼロに近づける行為、すなわち「デマ」と呼ばれてもしかたがない行為となるほかないでしょう。
 
上記に述べたことのひとつの例証として「藤原紀香の『秘密保護法』反対発言の背後関係を公安が調べていた」という一スポーツ紙のうわさ話を少し潤色した程度の情報でしかないゴシップがまことしやかにどのように伝達されていったか。その過程を検証してみます。これは昨日のエントリの「ふつうの目の大切さ」という問題提起の続きとしても書いています。

藤原紀香4 
紀香は白 公安に背後関係まで調べられた秘密保全法の怖さ 

インディオ 
インディオの女たちの目は、黒い入江のようだ。青銅色の顔のなかで
静かにきらめきつつ、見つめている。目は、《魂》にいたる扉として見
開かれることなど決してない。今や、魂は無益なものとなり、目は自分
   を表現するために魂など必要としていないのだ!
                          ル・クレジオ 悪魔祓い
            (「
女の美しさ」Don't Let Me Down 2013-11-03)

コラムニストの半澤健市さんは向学の人のようです。「元金融機関勤務」という経歴を肩書きにしているようですが、半澤さんが2007年に上梓された『財界人の戦争認識-村田省蔵の大東亜戦争-』(神奈川大学・歴史民俗資料学叢書2)という著書の奥付には次のように「著者紹介」が記されています。
 
「1935年東京生まれ。都立立川高校を経て1958年一橋大学社会学部卒。野村証券、東洋信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)、いちよし証券に勤務して1995年に定年退職。2006年神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士後期課程修了。歴史民俗資料学博士・・・」
 
60歳で定年退職されてからその60歳代から70歳代にかけてさらに大学院に進んで学ばれたということのようですから、「向学の人」という言葉はこういう人にこそふさわしいというべきでしょう。ご本人は「元金融機関勤務」と謙虚に肩書きを提示されていますが、私は半澤さんを彼の文章の粋からコラムニストと呼ばせていただこうと思います。
 
その半澤さんが「リベラル21」ブログに「ふつうの目の大切さ」ということについて書いた「みのもんたと天野祐吉」という一文を寄稿されています(ただし、「ふつうの目の大切さ」というのは、私が半澤さんの文章を読んでの解釈であって、半澤さんご自身が「ふつうの目の大切さ」ということを主題にして書いているということではありません)。
下記のkojitakenさんのご意見にまったく同意しますのでコメントをつけずそのまま転載させていただこうと思います。依然として日本国憲法の原理としての「国民主権」ということと「天皇」依存、さらには「権威」依存の心性との不整合性をおわかりになっていない向きも少なくないようですので、不本意ながら三度同様のことを述べざるをえません。

それにしても、こうした内田樹のごときの思想は、ひと昔、ではなくふた昔ほど前なら(といわなければならないところが悲痛のきわみ)少なくとも「知識人」の思想としては歯牙にもかけられなかっただろうに、と思うと、この20年ほどの間のこの国の「リベラル・左翼」をも巻き込んだなし崩しの右傾化の嵐には涙を溜めてただ呆然と立ち竦むほかありません。

ハーメルンの笛吹き男 
ハーメルンの笛吹き男
 
内田樹とは「リベラル」を「戦前回帰」へと導く
「ハーメルンの笛吹き」なのではないか

(kojitakenの日記 2013-11-03)
 
あっという間に前言撤回となってしまい、再び山本太郎の件に言及するが、「リベラル」の人々に対する影響力の強い人間が発した、決して看過できないTwitterを見つけてしまったので、これに言及する。
 
内田樹 @levinassien 2013年10月31日 - 23:18
 
山本太郎議員が園遊会で天皇陛下に「直訴」したことが問題になっていますが、「天皇に直訴すればなんとかしてもらえるんじゃないか」という依存の感覚を一般市民が天皇制に対して持つようになったというのは、じつはものすごくひさしぶりのことなのであります。それに驚くべきでしょう。
 
これって、最初山本太郎に批判的に言及したのかと一瞬思ったが、どうやら違うらしいと気づいて愕然とした。

*引用者注:私も前言を翻すことになりますが内田樹氏については私は前から評価していません(もちろん、ケースにもよります)。だから「愕然」ともしません。
 
内田樹 @levinassien 2013年10月31日 - 23:21
 
誰も気づかないうちに天皇陛下の「政治的実力」は非政治的な行動を通じて蓄積されていったのです。今日本でいちばん信頼されている「公人」は間違いなく天皇陛下ですから。政治家と官僚の質があまりに劣化したために天皇陛下の「公正さ」が際立ってきている。
 
内田樹は、どうやら大衆*1が「リベラルなテンノーヘーカ」に依存するようになったことを言祝いでいるらしいのである。こんな文章を書くのが「知識人」のあるべき姿なのか。大いに疑問を感じる。
 
人間の寿命は有限だから、天皇は移り変わっていき、未来においてどんな人間が天皇になるかわかったものではないという話もあるが、それ以前に現段階においても、山本の軽挙妄動が自民党だの維新の怪だの民主党だのによって「『天皇の政治利用』という名の『政治利用』」をされている現状を思う時、内田樹が「リベラル」たちをミスリードしている罪は極めて重いと考える。
 
「(リベラルな)天皇」に「直訴」すれば「なんとかしてもらえるんじゃないか」という発想(妄想)は、「新保守の旗手」から「リベラル」の政治家へと転身したらしい「小沢一郎」に依存すれば「なんとかしてもらえるんじゃないか」と考える「小沢信者」の思考回路そのものでもある。現に山本太郎は先の参院選で、新潟選挙区から立候補して落選した生活の党公認候補・森裕子の応援のために自分の選挙そっちのけで新潟入りした人間であり、「小沢信者」御用達の政治家といえる。また内田樹自身、小沢一郎のシンパといえよう。私がこのTwitterにたどり着いたのも、某「小沢信者」のブログを経由してだった。
 
その手の「なんとかしてくれそう」な「偉い人」に対する依存心が日本の民主主義をダメにした、というより日本に民主主義が根づくのを妨害していると日々痛感するのだが、内田樹は、この傾向にさらに拍車をかけようとしているように見える。
 
内田樹とは、「リベラル」たちを「戦前回帰」へと導く、「ハーメルンの笛吹き」なのではないか。
 
*1:参議院議員である山本太郎は、決して「大衆」などではなく権力者であるが、そのことはひとまず措いておく。


ZEDさんの論は私から見て「偏狭」(失礼ながら視野が狭窄的で、ときとして倒錯的でもある)で主観的なところも多く、賛同できないことも多いのですが、以下のZEDさんの論は卓見だと思います。山本太郎氏の「天皇に手紙手渡し問題」を考える上でも重要な視点の提供と問題提起にもなっているように思います。
 
天皇を 利用出来る奴 出来ない奴
(Super Games Work Shop Entertainment 2013年11月01日)
 
江戸幕府を倒してそれに取って代わった(つまり現在の日本国=大日本帝国の濫觴である)薩長土肥の領袖達は天皇の事を何と言っていたか知っているか?
 
玉(ギョク)」である。

御前会議 
御前会議 正面昭和天皇(毎日新聞 昭和20年1月1日

天下の覇権を狙う野心家連中にとって天皇とはまさに手中の玉、他の対抗勢力にひけらかして自分達こそ正統派・官軍だという事を証明する為のパスポートみたいなものだった。

以下は、私の参加しているいくつかのメーリングリストに警鐘を意味を込めて発信したものです。
 
山本太郎議員の天皇に手紙手渡し問題に関してメーリングリスト上でのいくつかの意見を拝見しましたが、そのほとんどすべての意見がこの問題の本質を見損なっているように思います。そして、問題の本質を見損なった上でのご投稿であるように思います。

山本太郎 
山本太郎議員、秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡し(TBS)
 
では、その問題の本質とはなにか。そのことを説明するうえで『皇国日本のデモクラシー』(有志舎、2011年)や「戦後日本政治史のなかの原発問題」(『史創』3号)などの著書や論文のある歴史学者の住友陽文さん(大阪府立大学教員・日本近現代史)のツイッター投稿を以下いくつか引用します。
 
臣民の一人である田中正造が議員辞職をしたのち、統治権の総攬者である天皇に直訴したのと、主権者である国民の代表である山本議員が、国政に関する権能を持たないと憲法で定められている天皇に直訴するのとでは意味が全然違う。山本議員がやったことは天皇を主権者の頭の上に戴いたのと同じだろう。
https://twitter.com/akisumitomo/status/395839844229730305
 
むしろ、「民主主義の暴走」、あるいは「立憲主義の危機」じゃないのかな。
https://twitter.com/akisumitomo/status/395844152413265920
 
こういう山本議員の行動や一部脱原発運動の底流にある意識などを見ると、2012年4月に公表された自民党「憲法」草案のうち天皇の元首化は社会的にはほとんど抵抗感なく受け入れられそうに思う。
https://twitter.com/akisumitomo/status/395847470485209088
 
田中正造よりも昭和の青年将校に近いような。 RT @ishikawakumiko「動機の純粋さ」「心情の純粋さ」「主張の純粋さ」から世論が山本太郎議員を支持するのであれば、それは戦前のテロリズムを容認した世論の二の轍を踏みかねません。
https://twitter.com/akisumitomo/status/395848289808953344
 
私がここで「問題の本質」と言っているのは、住友陽文さんの言う「山本議員がやったことは天皇を主権者の頭の上に戴いたのと同じだろう」という指摘と同値です。山本議員の行動は国民の上に天皇を戴く。すなわち、日本国憲法の「国民主権」の原理に真逆する行為だということです。そういう意味で「民主主義の暴走」、あるいは「立憲主義の危機」と言えるのです。
 
この山本議員の今回の行為の意味をよく考えてみる必要があるでしょう。
 
この山本議員の行為を是認するようであれば、上記で住友陽文さんが指摘されていることのほかにもたとえば「右派政治家が同じシチュエーションで「陛下、靖国に参拝して下さい」という内容の手紙を渡すのも」論理的には肯定されなければいけないことになってしまうでしょう。山本議員の行為はきわめて危険な兆候と見るべきです。
http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20131031
 
また、当面の政治情勢にどう立ち向かうかという側面から見ても、今回の山本議員の行為は、「彼が『天皇の政治利用の是非』という余計なテーマを投げかけた事で、やれみずほだ食品偽装だみのもんただ天安門だのでマスコミの主要テーマからかき消されがちな秘密保護法の問題が、この切羽詰った政治スケジュールの中で余計に議題に上りにくくなる」負の要因となる危険性も高いということも指摘しておかなければならないでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20131031
 
*以上は、「vanacoralの日記」(2013-10-31)の「歴史学者・住友陽文氏の山本太郎批判」という論を参考にして記述しました。
 
また、「kojitakenの日記」の「山本太郎の軽挙妄動を持ち上げる大馬鹿者・田中龍作に怒り心頭に発する」という記事の中の以下の指摘もご紹介しておきます。
 
渡辺輝人さん@nabeteru1Q78(京都・弁護士):2013年10月31日 - 6:40
田中正造が凄いのは、絶対的天皇制の下で無権利に置かれた住民を代表し、不敬罪にも問われる場面で、あえてやったからだ。むしろ江戸時代の一揆や直訴に近い。議会制民主主義があって、天皇は政治的権能を持たない「象徴」である日本国憲法の下で同じ事をやっても田中正造にはなれない。雲泥の差。

参考:「山本太郎はおかしいが与党や自民党が騒ぐのはもっとおかしい件」(京都の弁護士 渡辺輝人のブログ 2013年11月01日)
 
kojitakenさん
さらに言えば、山本太郎の今回の行動は、田中正造が生きた天皇主権の時代への逆行を目指す安倍晋三ら極右の連中を利するものだ。右翼は今回の一件について、「不敬罪」的な批判を山本太郎に浴びせているようだが、彼らは内心ほくそ笑んでいるのではないか。そして、そんな山本の軽挙妄動を天にも届かんばかりに持ち上げる田中龍作のような人間こそ、山本太郎の百倍も千倍も罪深いと思う。

2日前に私は、東京新聞特報の「元徴用工裁判をどうとらえるべきか 韓国で相次ぎ原告勝訴」(2013年10月28日付)という記事を引用して「韓国の元徴用工裁判をどうとらえるべきか ――貴重な問題提起としての1本の記事と1本の論攷及び名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟弁護団意見書」というタイトルの長い記事を書きました。
 
同記事では私は引用した東京新聞の記事に特段に批判の視点を持っていませんでしたが、「街の弁護士日記」の主宰者の岩月浩二弁護士が同東京新聞(中日新聞)記事を厳しく批判しています。岩月弁護士にはそうした批判の視点を持ちえなかった私のいたらなさについても教えられました。なにが、どういう視点が東京新聞(中日新聞)の記事には欠けているのか。岩月弁護士の批判に耳を傾けてみたいと思います。

今日の中日新聞『特報』 民族と被害番外 
光州地裁勤労挺身隊訴訟に関して

(街の弁護士日記 2013年11月1日) 
 
今日の中日新聞『特報』は、日韓の強制労働問題を採りあげている。
時機を得た企画だと思う。
しかし、今回ばかりは手放しで評価する訳にはいかない。
 
中日新聞『特報』記事省略(上記URL参照)
 
枠で囲った箇所には(枠より少し前から引用する)、「韓国国内では、請求権を放棄した朴正煕大統領は経済復興を急ぐあまり、賠償を求める反対運動を弾圧して協定の締結を急いだ、という理解が一般的だ。実際、日本の提供資金は道路や港湾などインフラ整備に回され、多くの被害者は韓国政府から十分な補償を受けられなかった」とある。
僕は、ロースクールで学生の答案を見たこともあるが、こんなミスがあれば、法律を理解していないことが明白なので、一遍に評価を下げる。
 
 
この文章は、韓国政府が自らの選択と責任で、受け取ったお金を流用したように読める。