昨日ご紹介させていただいた 韓国人元徴用工裁判問題「民族と被害 だから私は嫌われる」(街の弁護士日記 2013年10月29日)の続きです。

ショパンの手紙 
韓国人としての「アイデンティティ」を問う
崔善愛さん演奏会チラシ
 
民族と被害 完?(街の弁護士日記 2013年10月30日)
 
昨日のブログで述べた事件について、事案の概要を簡単に紹介しておきたい。
 
昭和19年6月、韓国から小学校(国民学校)卒業まもない少女たちが、「日本へ行けば、女学校に行ける」、「働いてお金ももらえる」等と、担任教師らに騙されて、日本に連れて来られて、軍用機生産工場で働かされた。
日本で祖国の解放を迎えた彼女たちは、結局、女学校はむろん、賃金も支払われずに帰国させられた。
 
彼女たちは、朝鮮女子勤労挺身隊と呼ばれた。
 
当時、日本と同じく韓国総督府は、女性の勤労動員を「挺身隊」と呼称していた。
他方、貞操観念の極めて強い(当時は日本でも強かったが、韓国はテッパンであった)韓国では、挺身隊は「処女供出」(当時は、慰安婦という言葉はポピュラーではなかった)と恐れられた。
自分の娘を挺身隊=「処女供出」に取られるのを恐れた親は、娘の結婚を急ぎ、この時期、早婚化が進行する事態も生まれた(挺身隊は独身女性が対象であった)。

一方で韓国では次のような事象も生じているようです。危険な兆候だと思います。
 
独裁者の復権?(NPO法人 三千里鐵道 2013年10月30日)

朴正熙元大統領の銅像 
朴正熙元大統領の銅像
 
34年前の1979年10月26日、朴正熙・元大統領は女性を侍らせた酒宴の席で、キム・ジェギュ中央情報部長に射殺されます。絶対権力を謳歌した国家元首としては、公開するのも憚られる醜悪な末路でした。ともあれ、彼は波乱に満ちた62年の生涯を終え、18年間の軍事独裁政権に終止符が打たれたのです。
 
  政権末期だった当時、釜山・馬山地域をはじめ全国各地では、連日のように民主化を求める市民デモが展開されていました。しかし、市民革命で独裁者が打倒されず内部の権力抗争による政権崩壊だったために、全斗煥・盧泰愚ら新興勢力が軍事政権を延長することになりました。
 
  その後、光州民主化運動など民衆の献身的な闘いによって一定の民主化が達成され、朴正熙が乱発した大統領緊急措置令などは今、民主主義の根幹を蹂躙する憲法違反であったとの司法判断が定着するようになりました。
 
  朴正熙の長女である現大統領は、日ごろから「私が政治家になったのは、父の名誉回復を実現するためだ」と公言してきました。彼女にとっては、金大中・盧武鉉政権で下された実父への厳しい評価は、受け入れ難いものだったでしょう。そして、朴槿恵政権のもとで初めての10月26日を迎え、故郷の慶尚北道亀尾市では盛大な追悼行事が開かれました。言うまでもなく、朴正熙を英雄として美化し、その業績を最大限に讃える内容です。

韓国人の元徴用工たちが訴えた裁判(元徴用工裁判)で韓国の司法が日本企業に賠償を命じる判断を相次いで示していることがいま注目されています。この元徴用工裁判問題(日本企業への賠償命令・「日韓請求権協定」問題)をどうとらえるべきか。以下の2本の記事及び論攷(「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟弁護団意見書」付き)が貴重な問題視点を提起してくれています。以下、ご紹介させていただこうと思います。

元徴用工裁判 

元徴用工裁判3 
「恨」三菱・廣島・日本―46人の韓国人徴用工被爆者
 
1本目。
 
東京新聞特報記事「元徴用工裁判をどうとらえるべきか 韓国で相次ぎ原告勝訴」(2013年10月28日付)。
 
【特報】元徴用工裁判をどうとらえるべきか 韓国で相次ぎ原告勝訴
(東京新聞 
2013年10月28日)
 
日本の植民地時代に強制労働の被害を受けたとして、韓国人の元徴用工たちが訴えた裁判で、韓国の司法は日本企業に賠償を命じる判断を相次いで示している。来月一日にも、元「女子挺身(ていしん)隊」が訴えた裁判で同様の判断が出そうだ。従来の日韓両政府の見解は、一九六五年の日韓請求権協定で解決済みというもの。こうした両政府の見解を飛び越えた韓国司法の判断をどう受けとめたらよいのか。
(出田阿生) 

秘密保護法案、憲法踏みにじる 法学者ら270人が反対声明
(共同通信 2013/10/28)

政府が今国会に提出した特定秘密保護法案に反対する法学者ら10人が28日、東京の衆院議員会館で記者会見し「法案は基本的人権の保障、国民主権、平和主義という憲法の基本原理をことごとく踏みにじり、傷つける危険性の高い提案」などとする声明を出した。

憲法・メディア法と刑事法の研究者が、それぞれ声明を作成。全国の大学教授や弁護士ら計270人以上が賛同した。

記者会見では、「21世紀の治安維持法」、「どこからのチェック機能も働かない法案は認めるわけにいかない」などの反対意見が相次いだ。

秘密保護法案反対声明呼びかけ人
 
憲法・メディア法
 愛敬浩二(名古屋大学教授)、青井未帆(学習院大学法務研究科教授)、石村善治(福岡大学名誉教授)、市川正人(立命館大学教授)、今関源成(早稲田大学法学学術院教授)、上田勝美(龍谷大学名誉教授)、★右崎正博(獨協大学教授)、浦田賢治(早稲田大学名誉教授)、浦田一郎(明治大学法学部教授)、浦部法穂(神戸大学名誉教授)、奥平康弘(憲法研究者)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授)、阪口正二郎(一橋大学大学院法学研究科教授)、★清水雅彦(日本体育大学准教授)、杉原泰雄(一橋大学名誉教授)、★田島泰彦(上智大学教授)、服部孝章(立教大学教授)、水島朝穂(早稲田大学教授)、本秀紀(名古屋大学教授)、森英樹(名古屋大学名誉教授)、★山内敏弘(一橋大学名誉教授)、吉田栄司(関西大学法学部教授)、渡辺治(一橋大学名誉教授)、和田進(神戸大学名誉教授) =★印は世話人=
 
刑事法
 村井敏邦(代表、一橋大学名誉教授、弁護士、日本刑法学会元理事長)、斉藤豊治(代表、甲南大学名誉教授、弁護士)、浅田和茂(立命館大学教授)、安達光治(立命館大学教授)、海渡雄一(弁護士、日本弁護士連合会前事務総長)、川崎英明(関西学院大学教授)、葛野尋之(一橋大学教授)、斎藤司(龍谷大学准教授)、佐々木光明(神戸学院大学教授)、白取祐司(北海道大学教授)、新屋達之、(大宮法科大学院教授)、武内謙治(九州大学准教授)、土井政和(九州大学教授)、豊崎七絵(九州大学准教授)、中川孝博(國學院大學教授)、新倉修(青山学院大学教授)、渕野貴生(立命館大学教授)、本庄武(一橋大学准教授)、前田朗(東京造形大学教授)、松宮孝明(立命館大学教授)、三島聡(大阪市立大学教授)、水谷規男(大阪大学教授)、守屋克彦(弁護士、元東北学院大学教授)
(「しんぶん赤旗2013年10月29日より)
前エントリでご紹介した井上達夫さん(東大教授・法哲学者)の論に対してある「護憲」論者から以下のような反応がありました(ただし、純粋に井上達夫さんの論への反論であって、前エントリの私の論への反論ということではありません)。

写真・図版
井上達夫さん(朝日新聞
 
「あえて」いいますが、この井上達夫さんの議論とその結論には疑問を感じます。憲法をめぐるこの間の攻防についての事実認識が研究者らしくない、主観的で、一面的な分析です。こうした認識に基づいた議論の展開はあまり実際の役に立ちません。そして、結論が9条削除ですからね。特に以下の所などはほとんどだめです。
 
「護憲派は他人頼みなのです。『専守防衛で集団的自衛権はNO』を日本の公式見解として守ってきたのは、自民党と内閣法制局ですよ。護憲派はこの自民党と法制局の『自己規制』に頼りながら、それを自分たちの手柄のように言ってきた。安倍政権はいま、護憲派のこの甘えを突いてきています。集団的自衛権行使容認が目的の内閣法制局長官人事は大いに問題がある。しかし護憲派はそれに憤慨する前にまず、自分たちの欺瞞と甘えを反省すべきです」
 
これは誰のことでしょうか。もしかしたら、社民党のなかの一部の考えを反映しているかも知れませんが、これで「護憲派」全体をを代表させるのは全く無理です。こんな高みからの、トンチンカンな議論を大きな記事にする朝日新聞も落ちたものだと思います。
 
さらに以下はそのある「護憲」論者への私の応答。
 
Aさん、いつもご苦労さまです。
 
が、私は、Aさんが「ほとんどだめ」だとおっしゃる「護憲派は他人頼みなのです。『専守防衛で集団的自衛権はNO』を日本の公式見解として守ってきたのは、自民党と内閣法制局ですよ。護憲派はこの自民党と法制局の『自己規制』に頼りながら、それを自分たちの手柄のように言ってきた」という部分は、逆にいまの「護憲」勢力の陥っている陥穽の本質的なところをみごとに言い当てている目利き者の見方のように思います。
 
井上さんは、いわゆる「護憲」勢力の「憲法9条」をめぐるたたかいが内閣法制局の「集団的自衛権」の解釈にも反映し、かつ政府がその自衛権を行使しようとするぎりぎりの歯止めになってきた「事実」もおそらくよく知っています。その「事実」をよく知った上での「護憲派は他人頼みなのです。『専守防衛で集団的自衛権はNO』を日本の公式見解として守ってきたのは、自民党と内閣法制局ですよ」という護憲派に対する異議申し立てであることに留意すべきだろうと思います。決して自民党と内閣法制局を誉めそやしたいという右翼的な魂胆からではないでしょう。
 
井上さんの問題意識の一端は、今日のような事態を招来させたことに「護憲」派には責任はないのか、というものだろうと思います。この井上さんの問いは、先にご紹介した「署名とカンパとやつらのえっらそうな記者会見で、9条改悪、集団的自衛権容認、秘密保護法が阻止できるんやったら、さいしょっからこんなことになってないやろ」(辺見庸「不稽日録」2013/10/23)という辺見庸の問題意識、問いにも通じるものだろうと私は思います。
 
しかし、いわゆる「護憲」派の多くの人たちは、井上さんや辺見が問題提起しているその問題提起の中身自体が理解できないのでしょうね。自分たちは「正しい」ことをしている、という自尊心だけは強いが、その「正しさ」を押しつけられることへの他者の訝しみの感情やうっとうしさの感覚への理解は自己の理解能力の外にある。だから訝しみやうっとうしさの感覚を表明しようとする者をただ「異端(者)」としか理解しえない。
 
辺見のいう「憲法改悪反対アピールに賛同する署名とカンパの要請は、大江健三郎らをもちあげることの絵に描いたような偽善と、これにかかわるみずからの『責任と鬼火』を見つめようとしない」とはどういう意味か。その「みずからの『責任と鬼火』を見つめようとしない点において、テッラルバのメダルドの『善半』に似て、鈍感で、押しつけがましく、うっとうしい。ウザいのだ」というのはどういう意味か。辺見はさらに続けて言います。「いつか(すでに)ファシズムの怒濤にのまれる(のまれた)のは、悪ではなく、かれらの『善』」である(あった)」(同上2013/10/24)。とは、どういう意味か。考えていただきたいものです。なお、「メダルドの『善半』」とはこちらの物語に出てくる登場人物です。
 
井上達夫さんも先の朝日新聞のインタビューでやや自嘲気味に次のように言っています。
 
「まわりが欺瞞に浸っているときに、欺瞞の根を断てと主張する私のような者は狂人扱いされます」
と。
 
井上さんの問題提起は「正しい」ものであるかどうかは別にして、少なくとも私は井上さんの声は「真実の声」だろうと思います。それを「高みからの、トンチンカンな議論」と一蹴する。その姿勢からは、辺見や井上さんが問題提起している「解」(に近づく道)は決して生まれようもないだろう、と私は思います。
 
井上さんや辺見の提起している問題は人の「感性」や「感覚」の問題を含んでいますからその論証は難しいです。一朝一夕に解決するようなしろものの問題提起ではありません。だから、私もこの辺で問題提起を留めます。


井上達夫さん(東大教授・法哲学者)が「護憲」「改憲」両派それぞれの「自己欺瞞」の説への異議申し立てとしての「9条削除」論を提唱しています(朝日新聞 2013年10月26日)。井上さんの指摘する「憲法をめぐっては、護憲、改憲両派が互いを批判する声ばかりが耳に残り、『型通りの話』を超えた思考はなかなか深まらない。なぜか。自分の都合の良いところだけ憲法を『つまみ食い』する両派はともに、自己欺瞞にとらわれている」という問題提起はそのとおりだと私も思いますが、その問題提起がどうして「9条削除」論につながりうるのか?
 
井上さんのこの考え方は、井上さんが立憲主義を「立憲主義の基本は公正な民主的政治競争の条件と基本的人権、特に被差別少数者の人権の保障で」あり、「安全保障問題は、政治という闘技場の中で争われるべきことで、闘技場の外枠である憲法で規定すべきでは」ないと規定するところから生じる独自のコンセプションだと思いますが、「安全保障問題」を果たして「立憲主義」の「枠外」の課題として「20世紀(前半)解釈」的に解釈することは正しいことか? 「安全保障問題」も「平和的生存権」という立派な「人権保障の課題」といいうるのではなかったのか? それが先の大戦後に国際的にも提言、定立(日本国憲法)されてきた21世紀的課題というべきものではない(なかった)のか、という疑問は残りますが、「9条削除」論の前提となる井上さんの問題認識、問題提起そのものは私にもよくわかります。これもよく考えてみたい問題提起です。いま、「これも」と書きましたが、このエントリは「2つの問題提起 ――秘密保護法制定反対官邸前集会問題と大江健三郎らチシキジンの憲法改悪反対賛同呼びかけへの異議」の続きとして書いているものです。以下、井上達夫さん(法哲学者)の「護憲」「改憲」両派の「自己欺瞞」の説への異議申し立てとしての「9条削除」論。

2集団的自衛権  
橋本勝の21世紀風刺絵日記

 
あえて、9条削除論 法哲学者・井上達夫さん
(朝日新聞 2013年10月26日)
 
 憲法をめぐっては、護憲、改憲両派が互いを批判する声ばかりが耳に残り、「型通りの話」を超えた思考はなかなか深まらない。なぜか。自分の都合の良いところだけ憲法を「つまみ食い」する両派はともに、自己欺瞞(ぎまん)にとらわれているからだと、法哲学者の井上達夫さんは言う。さあまずは9条を削除して、自己欺瞞を乗り越えよ――。 
秘密保護法反対が半数超 慎重審議求める意見82%
(共同通信 2013/10/27)

共同通信社が26、27両日に実施した全国電話世論調査によると、政府が今国会に提出した特定秘密保護法案に反対が50・6%と半数を超えた。賛成は35・9%だった。慎重審議を求める意見は82・7%を占め、今国会で成立させるべきだとする12・9%を上回った。東京電力福島第1原発の汚染水漏れに関し「全体として状況はコントロールされている」との安倍晋三首相の説明を「信頼できない」とした人は83・8%で、「信頼できる」は11・7%だった。
以下は、名文です。久しぶりに名文に出会いました。「街の弁護士日記」さんの怒りは私の怒りでもあります。「街の弁護士日記」さんの怒りはインテリジェンスに溢れています。私はなんとはなしに太宰治の短編「トカトントン」を思い出しました。ウソの話(パロディ)だからということではありません。「トカトントンだけは、ウソでない」(太宰治「トカトントン」)、その「トカトントン」の音が私にも聞こえてきたからです(ただし、私の聞いた「トカトントン」の音は軍靴の鳴る音のようでした。だとすれば、太宰の「トカトントン」と似ていなくもない。太宰の「トカトントン」は日本が戦争で負けた直後(焼け跡・闇市の時代)の「虚無」(ニヒル)の音でしたから)。

太宰治 トカトントン  
NHK BS 太宰治短編小説集 「トカトントン」朗読/野田秀樹
 
以下、転載させていただきます。
 
秘密保護法案の国会提出を歓迎する
(街の弁護士日記 2013年10月26日)
 
朝刊を見れば恰も日本が戦争への道を歩み始めたかのように憂う声がしきりだ。
 
われわれにとっては日本が戦前化しようがしまいが大した問題ではない。また日本がアメリカの代わりにアフリカや中東の武力行使を肩代わりし、日本の若者たちがアメリカのために命を捧げようがどうでもよい。早い話、日本が滅んだとしてもわれわれには問題ではない。
 
われわれのスピード感ある投資を邪魔立てする民主主義が秘密保護法のおかげで滅びることを大いに歓迎する。
 
われわれはあまりにも長い時間、民主主義と呼ばれる非効率なシステムのため投資を最適化し、スピード感ある展開をすることを妨げられてきた。われわれはあまりにも長い時間われわれの合理的な期待利益を損ねられ不当に虐げられてきた。
 
社会主義というバカげたシステムが死を迎えたとき、われわれは、これで世界が最適化され、われわれの合理的な期待利益を邪魔立てするものがなくなったことを喜んだ。
 
しかし今度は民主主義というシステムがわれわれを邪魔立てすることがわかった。
われわれは長い時間を民主主義との闘いに費やさなければならなかった。われわれは国民と呼ばれる者たちが正しい選択をするよう国民を教化し続けた。800名もの国会議員を養っていることの損害や、さして代わり映えしないのに二つも議院を抱えることの非効率をわれわれは訴え続けてきた。
 
原発事故直後という不利な情勢にもかかわらず日本国民は最適な選択をし、国会をわれわれにとって最適化した。
秘密保護法によって民主主義というバカげたシステムの終わりが近づいたことを何より歓迎する。
われわれの合理的期待利益を邪魔することは許さない。それが社会主義であろうが、民主主義であろうが、国民国家であろうがわれわれの行く手を阻むものは断じて許さない。
効率と最適化こそが世界を支配しなければならない。

よく考えてみたい問題提起です。「世に倦む日日」ブログ主宰者と辺見庸のそれぞれの異議。
 
問題提起1
「最新の情勢から。大手マスコミでは無視されて報道されないが、秘密保護法に対する反対の動きが活発になっている。奥平康弘など憲法学者24名が近く反対声明を発表する。東京新聞(中日)が、昨日(10/23)の社説で「戦前を取り戻すのか」と書き、反対の姿勢を明確にして世論に訴えた。同じく、10/23の高知新聞も「国会提出は見送るべきだ」と社説で主張、地方紙で反対の論陣を張るところが出始めている。毎日が10/21の社説で反対の旗幟を鮮明にして以降、反対意見を掲げる地方紙の論調が徐々に先鋭になっている。これまでは「知る権利」について危惧を述べる程度の慎重論だったが、反対論の立場を堂々と唱える社説が出てきた。朗報だ。道新や信濃毎日が続き、地方からの反対世論を盛り上げるだろう。期待したい。また、昨日(10/23)、人権団体のアムネスティ・インターナショナル日本が、「表現の自由の侵害に対する深刻な懸念」を表明、法案を厳しく批判した。さらに、田島泰彦が呼びかけた抗議行動が官邸前で始まり、10/22から10/25まで4日間連続して行われ、初日(10/22)は400人が参加している。

首相官邸前金曜日デモ
2012年6月29日 首相官邸前金曜日デモ

10/25(金曜)の人数が注目されるが、例の反原連が占拠しているため、夜20時からの開始とある。ナンセンスな話だ。金曜官邸前デモはオープンイシューにするべきだと、1年以上前から提言しているが、このセクト集団は耳を貸さず、私物にして専有したまま特権を手離さない。」(「秘密保護法の政治の考察 - 左派は本当に戦争反対なのか」世に倦む日日  2013-10-24)
 
問題提起2
「憲法改悪反対の呼びかけに賛同する署名とカンパをしてくれ、といふ手紙がくる。大江健三郎ら、毎度おなじみの「ゼンダマ」ブンカジンたちの氏名と写真つき。アホか。署名とカンパとやつらのえっらそうな記者会見で、9条改悪、集団的自衛権容認、秘密保護法が阻止できるんやったら、さいしょっからこんなことになってないやろ。まずかれらのうす汚い急所を蹴上げよ、だ。(2013/10/23)

大江健三郎 脱原発 
「原発再稼働やめて」大江健三郎さんら、野田政権に声明
 
憲法改悪反対アピールへの賛同署名とカンパ要請は、大江健三郎らをもちあげることの絵に描いたような偽善と、これにかかわるみずからの「責任と鬼火」を見つめようとしない点において、ティッラルバのメダルドの「善半」に似て、鈍感で、押しつけがましく、うっとうしい。ウザいのだ。「こうして、彼らの話は漠然とした慈悲のことに落ち着き、いっさいの暴力といっさいの過激な行動とを否定する点で意見の一致をみた。・・・が、どことなくそらぞらしい気配も残った」。そう、クララ、集団的「善半」は「悪半」よりも手に負えない。いつか(すでに)ファシズムの怒濤にのまれる(のまれた)のは、悪ではなく、かれらの「善」である(あった)。」(辺見庸「不稽日録」 2013/10/24)


私は先のエントリで安倍首相が「嘘に嘘の上塗りを重ね」た上で掠めとった招致決定でしかない東京オリンピックを成功させるための国会の「成功決議」なるものに無所属議員ひとり(山本太郎参院議員)を除いて衆・参全議員が賛成したオール与野党(下村博文文科相のいう「オールジャパン」)、その中でもとりわけ野党の最左翼としての共産党を「『大政翼賛』とはまさしくこういう風景ではなかったか?」、とその現代版「大政翼賛」体制への加担を厳しく批判しておきました。

*山本太郎参院議員の今回の「成功決議」反対の投票行動には私はもちろん賛成しますが、同議員が3・11福島原発事故以来、元自由報道協会代表の上杉隆氏やIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)代表の岩上安身氏、反原発活動家で作家の広瀬隆氏らとともにいわゆる放射能デマを拡散し続けてきたし、そのことをいまだ反省しえていないことについては強い批判を持っています。したがって、私は、今回の山本氏の行動をもって同氏を評価するのは、木を見て森を見ないたぐいの評価でしかないだろうと思っていますし、同氏についてはもう少し注視を続けた上での評価が必要だろうと思っています。そういう意味で一部にある山本太郎氏を英雄視する見方には私は賛成しません。

福島原発 地下汚染水の視察2 
福島第一原発1、2号機間の護岸付近を視察する安倍首相(手前)
(朝日新聞)
 
そうした私と同様の共産党批判は少なくない同党フォロワー(同党支持者とは限らない)からも提起されていたようで(村野瀬玲奈の秘書課広報室 2013年10月18日)、そうした少なくないフォロワーの共産党批判も念頭において、ということもあるのでしょう。この問題について、同党副委員長の小池晃参院議員がIWJの岩上安身氏のインタビュー(2013年10月16日)に答えて次のような発言(要約。19:14頃~)をしています。
 
「決議案の文章に復興は成し遂げられたというような内容があったのでその文言の削除を求め、環境に配慮するなどの文言も入ったので賛成した。オリンピック招致決定までは予算の優先順位として(東京都ではたとえば)特別養護老人ホームに4万3000人が入れないという問題を解決するのが先ではないか(猪瀬都知事は東京都には4000億円のキャッシュがあると自慢していたがそれだけのキャッシュがあるなら特養を作れよ)という主張をしていた。ただ、IOC総会で決定した以上は国際社会の決定なので、その決定は尊重する必要がある。安倍首相はIOC総会で「汚染水はブロックされている」「コントロールされている」というとんでもないことを言ったがあの発言は許せない。が、同時にそのことを国際公約した以上総力を挙げて必ず責任を取ってもらう、ということが必要になってくると思う。」
 
しかし、上記の共産党副委員長の小池晃参院議員の発言には意図的で恣意的な論点操作があるように私は思います。それは「国際社会の決定」というある種権威づけのコンセプトを導入することによって、あたかも今回の同党の国会での東京オリンピック「成功決議」採択への賛成が国際的に見ていかに条理、道理のあるものであるかということを国民に印象づけようとする論点操作をしているということです。
 
街の弁護士日記」の主宰者(岩月浩二弁護士)が原発活断層問題をうやむやにしようとする原発マフィアの暗躍ぶりを中日新聞の特報記事を引用して指弾しています。
 
活断層問題をうやむやにするマフィア暗躍 19日の中日新聞から
(街の弁護士日記 2013年10月20日)
 
昨日の中日新聞『特報』。
 
しばらく、聞かないと思っていたら、原発活断層問題は、マフィアたちがないことにしようと暗躍していた。
 
民主主義と平和、そして人権尊重に関わるあまりにも多くの事柄がなし崩しに壊されようとしているため、目が行き届かぬことをよいことに、マフィアたちは活断層問題すらうやむやにして、超危険級の原発までも再稼働させようとしている。
 
上記で引用されている中日新聞『特報』(2013年10月19日)の記事は以下です。
 
なお、同様(同一筆者)の記事は東京新聞の「こちら特報部」(2013年10月13日)にも掲載されています。
 
しかし、中日新聞『特報』記事の方に見出し、記事とも推敲の努力と冴えが見られ、一目秀でているように私には見えます(すなわち、一段と読みやすく、インパクトのある記事になっているように思います)。

わかりやすい例をひとつだけ挙げておきますと、たとえば本文記事の第2段落の文章は次のように推敲されています(あとはご自身で確認されてください)。

東京新聞【特報】:(2013年10月13日)
北陸電力志賀原発(石川県)の運転差し止め訴訟の岩淵正明弁護団長いぶかしがる
中日新聞【特報】:(2013年10月19日)
北陸電力志賀原発(石川県)の運転差し止め訴訟の岩淵正明弁護団長はいぶかしむ

「推敲」によって記事は読みやすくもなり、つまらないものにもなる。また、インパクトのある記事にもなるし、平板な記事にもなる。推敲の力、あるいは推敲の眼の力、ということが言えるように思います。

ものを見る力、という点では、生前、筑紫哲也さんがゆふいん文化・記録映画祭で語った以下の言葉が参考になるかもしれません。

■「筑紫哲也さんの由布院盆地でのメディア批判~マスメディアよ、ジャーナリストたれ(2)」(JANJAN 東本高志 2006年12月2日)

ものを見る眼とも当然関係するのですが、記者の文章力の問題については、私は以下のような感想を書いたことがあります。

辺見庸の思想と twitterの「思想」の不似合と「機器の孤独」(弊ブログ 2013.09.15)

推敲 
宮澤賢治「〔どろの木の根もとで〕」(下書稿)
 
【後編】

辺見庸4
 
 長いこと、一時間以上かけて、この黒塗りの手紙についてお話ししました。けれども、ぼくはまだ、手紙を塗りつぶした「真犯人」については言及してはいません。その究極の真犯人のことを考えながら、次の話をしたいと思います。
 
 みなさんはいかがですか、最近、ときどき、鳥肌が立つようなことはないでしょうか?  総毛立つということがないでしょうか。いま、歴史がガラガラと音をたてて崩れていると感じることはないでしょうか。ぼくは鳥肌が立ちます。このところ毎日が、毎日の時々刻々、一刻一刻が、「歴史的な瞬間」だと感じることがあります。かつてはありえなかった、ありえようもなかったことが、いま、普通の風景として、われわれの眼前に立ち上がってきている。ごく普通にすーっと、そら恐ろしい歴史的風景が立ちあらわれる。しかし、日常の風景には切れ目や境目がない。何気なく歴史が、流砂のように移りかわり転換してゆく。だが、大変なことが立ち上がっているという実感をわれわれはもたず、もたされていない。つまり、「よく注意しなさい! これは歴史的瞬間ですよ」と叫ぶ人間がどこにもいないか、いてもごくごく少ない。しかし、思えば、毎日の一刻一刻が歴史的な瞬間ではありませんか。東京電力福島原発の汚染水拡大はいま現在も世界史的瞬間を刻んでいます。しかし、われわれは未曾有の歴史的な瞬間に見あう日常を送ってはいません。未曾有の歴史的な瞬間に見あう内省をしてはいません。3.11は、私がそのときに予感したとおり、深刻に、痛烈に反省されはしなかった。人の世のありようを根本から考え直してみるきっかけにはなりえていない。生きるに値する、存在するに値する社会とはなにかについて、立ち止まって考えをめぐらす契機にはかならずしもなりえていない。私たちはもう痛さを忘れている。歴史の流砂の上で、それと知らず、人びとは浮かれはじめている。
 
【「社会の内面」が変化】
 
 政治は、予想どおり、はげしく反動化しています。それにともない、「社会の内面」がおかしくなりつつある。社会の内面というと何のことかと言われそうですが、たとえば、高校の教科書の問題、みなさんよくご存知だと思いますけれども、高校の日本史の教科書をめぐる神奈川県の話。あれだって歴史的な瞬間だと私は思っております。実教出版からの「高校日本史A」「高校日本史B」。それには国旗・国歌法に関する説明で、「政府は国旗の掲揚、国家の斉唱を強制しないということを国会審議のなかで明らかにした」「しかし一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という、誰もが知っている事実、むしろちょっと食い足りないくらいな記述があるのですけれども、実際には記述どおり、あるいはそれ以上のでたらめな監視、それから強制、処分があります。たとえば「君が代」をうたっているかどうか、口パクだけじゃないかどうかということを、わざわざ教育委員会とか、あるいは極右の新聞記者が監視しにきてそれをメモっていく。わざわざ学校や教育委員会に電話をかけて告げ口したり記事化したりする。極右というのも、非常に懐かしいことばですけれども、しかしいまや日常の風景になってしまっている。
 
以下は、この8月31日に東京・四谷区民センターで開かれた「死刑と新しいファシズム ――戦後最大の危機に抗して」と題された辺見庸講演会(主催:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90)のために記された辺見庸氏の講演草稿を同氏が修正・加筆したものの転載です。3時間超に及ぶ講演記録ですから非常に長いものです。「前編」と「後編」に分けて転載させていただこうと思います。なお、文中に挿入している辺見庸氏の写真はすべて大島俊一氏の撮影によるものです。

【前編】

辺見庸1

    
みなさん、こんばんは。
 
まずもって遠くからこの会場にいらしてくれたみなさんにお礼を申し上げたいと思います。今日の講演会はいつもと異なりまして、私のほうからやらせてくださいと、主催者の「フォーラム90」にお願いして、わがままをを聞いていただき、皆さんお忙しいなかをあわただしく準備していただいたものです。といいますのも、私が、「現在」というものに、常ならないといいますか、いつもとちがう気配、それから常ならぬ悪い気流のようなものを感じているからです。それは自分の生死といいますか、身体にもかかわることなのかもしれませんけれども、なにか抜き差しならない、切迫した事態になっていると感じて、私なりにいま何か話さなければならないと思ったのです。
 
多分、みなさんも、私とまったく同じではないといえ、似たような危機意識というか、危機感をお持ちのかたが少なからずおられるのではないでしょうか。私を知らないかたに申し上げておきますけれども、私は現在六十八歳で、東京都公認の二級の身体障害者であります。バツイチで、犬と暮らしております。私の顕著な特徴はですね、「善」よりも「悪」に魅力を感じるという、類いまれといいますか、自分でもどうにもならない性癖があります。何が善で何が悪か、語れば尽きませんが、ゲーテの『ファウスト』でいえば、メフィストフェレスのほうが魅力があるという意味合いで、私は「悪」に対してとても興味と親近感を持っているということであります。それが私の自己紹介のようなものになるかもしれません。
 
歳のせいか私、最近、動植物にとても目がいくようになりまして、今年も家の近くのヤマブキとかクチナシとか、あるいはチェリーセイジとか、サルスベリとかですね、サルスベリも赤だの白だのの、淡い赤っていうんですか、桃色のサルスベリだの、非常に濃い赤のサルスベリ。それからノアザミや、タチアオイフヨウツユクサ、そういうものに目がいくわけです。それから動物も、セミやらカナブンやら、コガネムシやらカメムシやら、タマムシやら……。今年、生まれてはじめてタマムシというのを見ましたけれども、それからウマオイとかとかですね。ウマオイの死骸を先日見まして、その美しさにドキリとするものがありました。身体が透けるような緑なのです。その緑が青い空気に散らばるというのですか、じわりと滲むんですね。その美しさといったら、それはこれを見るためだけでひょっとしたら、生きられるのかなと思ったりします。ずいぶん壊れたというふうにいっても、季節はそれなりにまだ原型をわずかながらとどめている。何とかここに生きられるのかもしれないと、思うともなく思いもするのです。
 
ウマオイの、その美しさというのは、ほんとうにこれが「もののあはれ」というものなのでしょうか、薄緑色のからだが輪郭をくずし、空気に静かに滲んでいくその様。で、翌日になっていってみたら、そのウマオイが嘘のように消えていて、緑の残像だけがまぶたにあったりするのです。私はウマオイを、できることなら、友人たちに見せたいと思いました。
 
これからお話するのは、もちろん私の本音でありますけれども、私は、今回の講演会のタイトルにあるような、いわば、難しそうな話をするつもりはないのです。難解な理屈をこれから申し上げるのではなくて、むしろ、「直感」ないしは「直観」を語りたいと思うのです。いまの時代、われわれは「直感」と「直観」を失ったら、いったいなにに頼ればよいのでしょうか。直感、直観ないしは勘、第六感。そうした感覚で、皆さんにも聞いていただきたいと思うのです。「死刑とファシズム」と言いましたけれども、言いかえたら、私がいまお話ししている、ウマオイという薄緑色の、あのバッタ、あえかな生き物ですけれども、「なぜ彼らにウマオイを見せてはいけないのか?」という直観と問題意識がぼくのなかにはあります。そして全体の、大きな、身体がはちきれんばかりに巨大な疑問は、「これはなんなのだ?」ということであります。
3日前の15日の臨時国会開会の日に衆参両院で東京五輪「成功決議」が衆院は全会一致、参院は無所属の山本太郎氏を除くほぼ全会一致の賛成多数で採択されました。
 
衆参両院で東京五輪成功へ決議 「国民に夢と希望」
(共同通信 
2013/10/15)
 
衆参両院は15日午後の本会議で、2020年東京五輪とパラリンピックの成功に向けた努力を政府に求める決議をそれぞれ採択した。衆院は全会一致、参院は無所属の山本太郎氏が反対した。/決議を受け下村博文文部科学相は「オールジャパンで推進することが重要だ。成功に向け最善の努力を図る」と述べた。/決議は衆参両院とも同じ内容。五輪開催を「スポーツ振興や国際平和への寄与にとって意義深い」と位置付け「元気な日本へ変革する大きなチャンスとして国民に夢と希望を与える」と強調した。

しかし、2020年夏の東京オリンピック招致決定は、「プライムミニスター・オブ・ジャパン」という肩書でIOC総会に乗り込んだ安倍首相が「嘘に嘘の上塗りを重ね」た上で掠めとった東京五輪招致決定であり、その「成功」を国会をあげて祝い、その「成功に向けた努力を政府に求める」決議をするに値するような代物ではまったくありません。

東京オリンピック 
東京オリンピック招致決定の瞬間

おもてなし 
滝川クリステルとおもてなし
 

安倍首相がIOC総会で語った「福島第一原発の状況はコントロールされている」「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている」という発言はまったくの虚偽であることは多くのメディア、専門家、識者がこぞって指摘していることです。
 
メディア
 
専門家
 
識者
嘘で掠めとった東京五輪招致
(澤藤統一郎の憲法日記 2013年9月10日)
 
その嘘で掠め取った東京五輪招致にすぎないものを、それも福島で生じた原発災害処理の問題はまだ終わっていない。というよりも始まったばかりと言ったほうがよい。原発汚染水問題、除染問題には何兆円、何十兆円かかるかもしれないという天文学的な財源確保の問題も横たわっている。また一方では原発被災者への災害補償という喫緊の課題も事実上店晒しにされたままの状態で放置されている。こうした状況の中でなにゆえの「成功決議」ということになるのだろうか。それも衆院は全会一致、参院でもほぼ全会一致という大政翼賛ぶり。正気の沙汰とは思えません。
小泉元首相の「脱原発」発言を評価する人に共通する意見は次のようなものでしょう。
 
「今は【脱原発】この一点で皆がやる時なのです。小泉さんにはドンドン吠えてもらいましょう!」

「脱原発を言う前にまず謝罪をと考えるより、今は使えるものは何でも使う脱原発の一念で一気に進みたいですね。」

「過去の言動がどうであれ、脱原発をはっきりと表明することは、脱原発を実現するためにプラスに作用する。」
 
上記は小泉「脱原発」発言は「プラスに作用する」という見方で一致しています。

小泉純一郎3 
小泉氏は自分の髪型がライオンのたてがみに
見えることが気に入っていたらしい。首相在任
時のメールマガジンのメッセージの標題も「ら
いおんはーと」というものだった。なにやら「獅
子心王」の異名もあるイングランド王リチャード
1世の「統治期間のほとんどは戦争と冒険に明
け暮れ」ていた(堀米(1974)pp.238-241)らしい
          逸話を連想させる。
 
しかし、ほんとうにそうでしょうか? というのが、私が今月のはじめから書いてきた6本の小泉「脱原発」発言批判記事で問題提起してきたことです(10月4日から同16日までの弊ブログ記事参照)。
 
とはいえ、これまで何度も繰り返し、私なりに警鐘を鳴らしてきたことなので、今回の6本の記事では明示的に触れなかったことがあります。
 
その明示的に触れなかったことをひとことでいえば、先の参院選挙の際に「脱原発」というシングルイシューを掲げて「eシフト」や「緑茶会」という政治団体が設立、結成されましたが、その「eシフト」、また「緑茶会」の選挙運動なるものは、「脱原発」というシングルイシューさえ掲げていれば(「脱原発」政策の内容は問わない)、自民党、民主党、みんなの党、生活の党、社民党、共産党などの政党の枠を超えて「脱原発」というシングルイシューに重点をおいて投票しようと呼びかける体のものでした。しかし、「脱原発」政策の中身を吟味しようともせずに、ただ「脱原発」を呼号するだけの政党・議員への投票呼びかけでは実質「原発推進」政党への投票呼びかけにならないとも限らないではないか、という「eシフト」や「緑茶会」のシングルイシュー運動に対する私の見方、批判的見解でした。
小泉元首相は本日の16日、千葉県木更津市であった講演会において改めて「脱原発」の必要性を強調したそうです(毎日新聞 2013年10月16日19時35分)。
 
私はこれまで小泉元首相の「脱原発」発言について以下のような疑問を提起し、また発信してきました。
 
小泉純一郎の「脱原発」発言と藤原紀香の例の「秘密保全法」反対発言を検証できない段階だけれども検証してみる ――「著名な人」と「一般市民」の「影響力」の違いの問題について(弊ブログ 2013.10.04 )
小泉純一郎の「脱原発」発言をいまの段階で検証してみる(弊ブログ 2013.10.09)
吉井英勝さん(前共産党衆院議員)と山口泉さん(作家)の小泉純一郎「脱原発」発言批判(弊ブログ 2013.10.13)
「大衆蔑視」ということについて ――前エントリの山口泉氏(作家)の<なぜ(この国の?)大衆は、最低限の反骨心・批判精神・独立不羈の志も持ち合わせないのだろう>という発言の引用に関して(弊ブログ 2013.10.13)
 
その私の疑問の提起の後、東京新聞が10月5日付けで「小泉元首相の原発ゼロ発言 野党の反応は?」という特報部記事を掲載していることを知りました。10日遅れの昨日のことです。
 
小泉元首相の原発ゼロ発言 野党の反応は?
(東京新聞「こちら特報部:ニュースの追跡」 2013年10月5日)
http://mokuou.blogspot.jp/2013/10/blog-post_7012.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yuuta24mikiko/34368384.html?from=relatedCat
 
小泉純一郎元首相が脚光を浴びている。原発ゼロを目指す発言を繰り広げているためだ。原発推進の自民党の中での「突然変異」。脱原発派の間では素直に歓迎するべきか、それとも警戒した方がよいのか、と評価は割れている。取り急ぎ、野党各党の皆さんに感想を聞いてみた。(榊原崇仁)
 
歓迎と困惑と
 
「今こそ原発をゼロにして循環型社会を目指すべきだ。原発ゼロの方針を自民が打ち出せば一挙に国民の機運が盛り上がる」。10月1日に名古屋市内での講演でも、小泉氏はそう語った。8月中旬にフィンランドの核廃棄物最終処分場を見学し、確信したという。
 
この間の元首相の発言に対し、原発推進を掲げる政府自民党は困惑気味だ。同党の石破茂幹事長は2日、「小泉氏の発言で党の政策が変わることはない」と述べた。
 
その多くが脱原発を掲げる野党各党は、どう受け止めているのか。
 
共産「赤旗登場して」
 
「小泉氏の発言には全面賛成だ。党の機関紙『しんぶん赤旗』に登場してほしい」。こう歓迎したのは共産党の市田忠義書記長。「原発のコストほど高いものはない」といった小泉氏の言葉に触れ、「わが党の訴えと完全に一致する」。さらに「自民の政治家でここまで突っ込んで発言したのは初めて。私自身、驚いたほど」と続けた。
 
「食事に誘って脱原発を語り合いたい」と話すのは社民党の福島瑞穂前党首。「原発推進の中にいた人なので言いたいことは山ほどあるが、今は仲間。自民の中でも仲間を増やしてほしい」
 
みんなの党の渡辺喜美代表は一足早く9月末に小泉氏と会食していた。当人から脱原発の思いを聞いており、「危機認識を共有できる偉大な政治家が現れた。大きな勇気をいただいた」。
 
福島氏は「彼は民意がどこにあるのかをつかむのが巧み。『民意は脱原発』と確信したから原発ゼロに傾いた」と言う。
 
生活の党の小沢一郎代表は2日の会見で「小泉氏は政治の現場を離れ、公平な高みから眺めて脱原発に至ったのだろう」と述べた。同党の鈴木克昌代表代行兼幹事長は、衆参の両選挙が終わった後に小泉氏の発言が目立ち始めたことについて「自民が原発の方針を変えないのにしびれを切らしたのでは」とみる。
 
ただ、一連の小泉発言は野党の存在感を一段と希薄にすることが狙いでは、といぶかる見方もある。福島氏は「そんなケチなことは言わない。脱原発を実現するうえで、そこを目指す人を否定できない」と言い切る。
 
電力労組絡み 歯切れ悪い民主
 
一方、脱原発について曖昧な政党は、小泉発言に対して反応が鈍い。
 
日本維新の会国会議員団の松野頼久幹事長は問い合わせに「特にコメントはない」と回答。
 
民主党は、菅直人元首相がブログで「小泉元総理の原発ゼロ積極発言は大歓迎」とつづっているものの、再稼働に前向きな電力総連を支援団体に抱えているだけに他の幹部らは歯切れが悪い。
 
海江田万里代表は問い合わせに対し、秘書が「多忙でコメントできない」と返答。細野豪志前幹事長は「代表や今の幹事長は定例会見している。そちらで聞いてほしい」と明言を避けた。
マスコミに載らない海外記事」のブログ主宰者の2013年10月14日付けの下記のコメント記事(「日本の主権は侵害されるべきではない」下段コメント)がなかなか読ませます。評価を同じくしない人もいるでしょうから、少なくとも私にとっては、と注しておきます。
 
そういう次第で、以下、同コメント記事をご紹介させていただこうと思います。
 
日本の主権は侵害されるべきではない
(マスコミに載らない海外記事 2013年10月14日)
 
【ブログ主宰者コメント欄】
 
郵政破壊を始め、今日のTPPのめり込み準備を推進した元総理が、小選挙区制を導入して今日の悲惨な状況をもたらした元総理と、反原発構想を推進している、という記事?。悪い冗談。マイナスとマイナスをかけるとプラスになるのは数学の話。トンデモとトンデモをかければ、ますますトンデモない代物が出現するだろう。

小泉純一郎2 細川護熙

 
異神の怪やら、やつらの党といった、エセ野党が馬脚を表して不振なので、またあらたなオレオレ詐欺・エセ野党をでっち上げようというのだろうか? また、それにまんまと載せられるのだろうか? 今の大本営広報部を駆使すれば何でもあり?
 
日本がもしも独立国家であったなら、下記部分は、実現可能だろう。
 
アメリカは世界中で最大の債務国だが、日本は中国につぐ、二番目の債権国だ。日本では、アメリカ国債の約6%を日本銀行が保有している。こうした債権を現金化し、その金を使えば、対策にどれほど天文学的な経費がかかろうとも、必ず足りるに違いない。
 
昔「米国債を売りたいという誘惑にかられた事がある」と発言した首相がいた。
 
今は債権を現金化するどころか、TPPで、経済特区で、秘密保全法で、壊憲で、永久に身ぐるみ全てはがされ、砲弾の餌食まで献上しようと、日々邁進する体たらく。
 
そもそも属国ゆえに、原発再稼働・輸出も、宗主国の原子力ムラに命じられているのだろう。やがて宗主国核廃棄物も全て受け入れることになるだろう。
 
不沈空母、核汚染タコ部屋不沈空母に進化する。
 
ということで、残念ながら、筆者の正論、現実から外れているように思える。
 
大本営広報部、反原発運動に2000人集まったことは書くが、TPPや、それを先取りする国家丸ごと売り渡し策推進については絶対に触れない。
 
TPPや、それを先取りする国家丸ごと売り渡し策についてほとんど触れず、反原発を言う政治家ならやつらの党でも支持してしまう緑茶会などという代物がまぎれこむ反原発運動に、うさん臭さを感じるのが僻みであれば嬉しい。
 
国家丸ごと永久タコ部屋化する悪辣な権力者の具体策を説明してくださっている記事、読むだけで怒り心頭となること確実。
 
街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋 2013年10月13日 (日)
TPP先取りの「産業競争力」という名の猛毒矢 問題は解雇特区だけではない

*引用者注:本日から国会。その国会論議の理解のためにも必読の記事といってよいように思います。

 
麻生副総理のナチス発言、実際に起きていることを、ただ表現したに過ぎない。
 
知らないうちに茹で上げられ、完全なファシズム体制の中で暮らすようになるのも遠いことではない。いや、もうそういう生活だ。大本営広報に関する限り。

人間の生存権に関わる重要問題です。

人間らしい生活を返せ 
人間らしい生活を返せ
 
下記のような大阪府警による不当捜査は人権を重んじる、重んじようとする社会において決して許されるものではありません。
 
「人はすべて生まれながらにして生きる権利を有する。この権利は法によって守られるべきである。誰もこの権利をみだりに奪ってはならない」
国際人権規約第6条1項
 
参照1:「生活保護法」改悪法案が衆院で賛成多数で可決 自民、民主、日本維新、公明、みんな、生活各党の暴挙を弾劾する
(弊ブログ 2013.06.04)
参照2:現在の「生活保護バッシング」とチャールズ・チャップリンの幼年時代の新救貧法との類似性 ――「福祉のパラドックス」を打破するために(3)                         (弊ブログ 2013.02.24)

参照3:大阪府警による生存権への弾圧 - 貧困を自己責任とする懲罰は貧困を犯罪とみなす刑罰国家へつながる  
(すくらむ 2013-10-13)
 
以下は、淀川生活と健康を守る会全大阪生活と健康を守る会連合会全国生活と健康を守る会の「お願い」と「抗議声明」のご紹介です。

人間らしい生活を返せ2
 
お願い:大阪府警による不当捜査に抗議の集中を
 
淀川生活と健康を守る会
全大阪生活と健康を守る会連合会
全国生活と健康を守る会連合会
 
大阪府警は不当にも、大阪市淀川区での生活保護「不正受給」を口実にして、淀川生活と健康を守る会に3回、全大阪生活と健康を守る会連合会に2回、さらに10月10日には全国生活と健康を守る会連合会・本部事務所にも家宅慢査を強行しました。
 
翌11日には不服審査請求が全国で1万件を超えた記者会見を準備中の家宅捜索であり、生活保護大改悪への反対運動のひろがりのなかでの弾圧事件であることは明白です。
 
厳しく抗議するとともに、別添の全生連の要請に基づき、大阪府警への抗議電報(または抗議文の郵送)の集中にご協力いただきますようお願いいたします。
 
 
1.抗議先
〒540-0008
大阪市中央区大手前三丁目1番11号
大阪府警本部長 様
 
2.抗議文案
全生連・大生連・淀川生健会への捜査に強く抗議し、違法撞査を直ちに中止することを求めます。
 
3.注意事項
今後の影響を考慮し、全生連は別添のとおり、「今回は組織からの抗議」としていることを申し添えます。
以上 
現代社会はしばしば19世紀の社会形態との対比において大衆社会とも称されますが、現在的な意味での「大衆」という言葉もその大衆社会の成立とともに新しい意味を帯びて派生した新概念の言葉だとみなしてよいでしょう。その意味での「大衆」という言葉を普及させる役割を果たしたのがさまざまな論者の政治学や社会学の分野におけるいわゆる「大衆社会」論ですが、そのすべての(といってよい)論者に共通しているのは「大衆はいつの時代も二律的な存在である」という認識です。キルケゴールしかり、ヘーゲルしかり、マルクスしかり、エンゲルスしかり、ハイデッガーしかり、E.フロムしかり、オルテガしかりです。

自由からの逃走 
 
この点についてのすべての「大衆社会」論の認識を網羅することはできませんので「大衆社会」論の萌芽のひとつとして中学や高校の社会科の教科書等にも引用されることの多いE.フロム(ドイツの精神分析学者)の「大衆」論の認識を例として挙げておきますと、フロムは、ドイツの労働者階級や下層中産階級の人びと、いわゆる大衆が、なぜナチズムのイデオロギーを支持し、自発的に服従したのかを問う中で「社会的性格」という概念に想到しました。フロムによれば、社会的性格はひとつの集団の大部分の成員がもっている性格構造の本質的な中核であり、それが社会制度の期待と矛盾するとき、社会制度に対する反発と対立を引き起こし、社会変動の起爆剤となります(『自由からの逃走』)。このフロムの認識からもわかるように、フロムは、大衆を「ナチズムのイデオロギーを支持し、自発的に服従した」存在とみなすとともに「社会変動の起爆剤となる」ともみなしています。すなわち、「大衆は二律的な存在である」とみなしています。これがフロムに限らず「大衆社会」論を論じる論者に共通した認識です。
私はこの1週間ほどの間に小泉純一郎の「脱原発」発言について2本の批判記事(もしくは疑問提起記事)を書きました。そして、日本の反原発運動について疑問を提起する1本の韓国の知識人の記事をご紹介しました。
 
小泉純一郎の「脱原発」発言と藤原紀香の例の「秘密保全法」反対発言を検証できない段階だけれども検証してみる――「著名な人」と「一般市民」の「影響力」の違いの問題について(弊ブログ 2013.10.04)
 
小泉純一郎の「脱原発」発言をいまの段階で検証してみる(弊ブログ 2013.10.09)
 
権赫泰さん(韓国・聖公会大学日本学科教授)の見た日本の反原発運動 ――現代日本の 「右傾化」と「平和主義」 について(「京都大学新聞」より)
(弊ブログ 2013.10.10)

以下は、前共産党衆院議員の吉井英勝さん(京大工学部原子核工学科卒)と作家の山口泉さんの小泉純一郎「脱原発」発言批判のご紹介です。関連して三重の鈴木昌司さんの「元首相原発撤退発言の狙い(長文)・・・現政権への二方面援護」という論攷もご参照いただければ幸いに思います。

吉井英勝 
吉井英勝さん


小泉元首相が原発問題で犯した「ムチャクチャ」
(vanacoralの日記 2013-10-12)
 
本日高田馬場で、第1次安倍政権に対して福島原発の危険性を指摘した事で知られる共産党の元衆院議員・吉井英勝さんによる講演会が行われました。
 
この講演会の中で吉井氏は、いわゆる「原子力ムラ(政党・政治屋、官僚、学者・研究者、マスコミ、原発依存企業・自治体)」の連中は、「原発利益共同体」=財界中枢部(電力、原発メーカー、大手ゼネコン、素材供給メーカー、メガバンク)が経営している「家畜小屋の原発豚」であり、「豚に気を取られて『原発利益共同体』という本体を見失ってはならない」と忠告されました。
 
そして最近脱原発発言がもてはやされてる小泉元首相が犯した「ムチャクチャ」を指摘しました。これに関しては去年の練馬での講演録と内容が重なってますのでそちらを引用します。
 
(中略)
 
そして今回の講演で吉井さんは、小泉元首相に対して、「脱原発は結構だがその前にあんなムチャクチャの反省を」と注文を付けました。
 
もっとも、多くの左派リベラル人士が小泉氏に取り込まれている中、首都圏反原発連合関係者の中にも、小泉「脱原発」発言に舞い上がっている方が複数名見受けられます。明日の「原発ゼロ★統一行動」でも、日比谷公会堂とか国会前大集会とかで小泉元首相がサプライズで登場して、それで多くの脱原発派が歓声を挙げるのではないかと思うと、正直恐怖を覚える次第であります。
以下は、京都大学新聞(2013年4月16日号、同5月16日号)に掲載された権赫泰(クォン・ヒョクテ)さん(韓国・聖公会大学日本学科教授)の「現代日本の『右傾化』と『平和主義』 について」と題されたインタビュー記事の「共同体主義に走る反原発運動」の節の抜出です。権さんのインタビュー記事での指摘はいまの日本の総体としての反原発運動が見失っている(あるいは置き忘れている)視点を指摘していて鋭いものがあると私は思います。日本のいまの反原発運動を再考するためにも(「再考する必要がある」と私も強く思っていますが)必見の文章だと思います。しばらく、権さんの指摘に耳を澄ませていただきたいと思います。なお、同インタビュー記事の前編、後篇の全文は以下をご参照ください。
 
■権赫泰 韓国・聖公会大学教授インタビュー ―― 「現代日本の 「右傾化」と「平和主義」 について」(前編(京都大学新聞 2013.04.16)
 
■権赫泰 韓国・聖公会大学教授インタビュー ―― 「現代日本の 「右傾化」と「平和主義」 について」(後編(京都大学新聞 2013.05.16)
 
*権赫泰さんのお名前を私がはじめて認識したのは、「〈佐藤優現象〉と金光翔 ――日本の進歩派に対する金光翔の問い」(韓国のインターネット新聞「プレシアン」2008年2月27日)という論攷の日本語訳によってでした。
 
権赫泰さん 
権赫泰さん
京都大学新聞
 

共同体主義に走る反原発運動
 
―日本国内では震災・原発事故という全社会的な危機があった。その後、反原発運動を中心に社会運動が盛り上がってもいる。しかしそれが新しいかたちでの国家主義、たんなる戦後日本社会礼賛になる危険性も極めて一部からではあるが指摘されています(※16)。ここで指摘されている日本左派の「変質」について韓国では知られているのでしょうか。
 
知られていない。僕が言っているだけ。
 
―そうなんですか(笑)
 
この前講演会をやった時も同じことを言ったのだけれど、つまり日本の反原発運動を過大評価するなというのが、その講演会でのテーマだったのだけれどもね。(僕は)どこに行ってもひとりですよ。だから京都大学新聞社から連絡が来たときにビックリしました。
 
韓国でももちろん原発問題以外にも歴史問題などありますけどね、韓国ではこういう感じです。韓国でも原発なくさなきゃいけないじゃないですか。20基以上あるんですよね、日本は50基以上だけれど。で、なくすためにどうしたらいいのかと、でも関心がない。こういった場合、分かりやすいのは先進国で原発をなくしているという情報がすごく大事なの。
 
―ドイツですとか…。
 
そう。で、隣りでは日本がなくしている、なくしつつあると(笑)。実際はそうじゃなくて、そういう情報が欲しいわけ。だから、韓国の反原発運動やっている連中は、日本で起こっている情報を、僕に言わせればすごくウソついている。
 
―特定の側面だけを…。
 
ええ。それが気に入らなくて、「違うよ」というのを書いているのだけど、そうすると「あなたは原発賛成なんですか」ということになっちゃうわけ。そういう意味じゃないのに。でどういうことかというと、原発、3・11の問題は3つの視点があるとよく言っています。ひとつは日本の問題。ひとつは科学面の問題、もう一つは地域的な問題。いわゆる反原発をやっている人は科学的な問題や地域的な問題でもって、日本の問題とはみようとしない。日本も原発なくしているんで韓国もそうしましょうと。そういう方向が日本で決まっているように言うわけ。10万人集まったと。それで柄谷行人というなぜか韓国で大人気なんだけど、彼がデモの現場に行った。日本は10万人もデモンストレーションに集まったのだから、すぐに原発が無くなるだろうと。ウソばっかり言っている。
 
―全然ちがいますね。
 
僕が繰り返し言っているのは、3・11以降に多くの地方選挙があった。そこで反原発を訴えた候補が当選したためしがない、全部落ちちゃった。原発を支持するものだけが当選した。これをどう捉えるか。10万人集まってもしょうがないんじゃないか。だからどっちをみるかということ、それが一つ。つまり逆に世論調査をみていると、原発反対の世論がたくさんいるにもかかわらず選挙になるとぼろ負け。これを何らかのかたちで分析することがすごい大事だと思う。
「小泉純一郎元首相の『脱原発』発言が快調である」。高野孟氏の「小泉は『脱原発』で政界再編を仕掛けるのか」(「日刊ゲンダイ」チャンネル 2013年10月2日)という記事はこういう書き出しで始まります。そして、同記事は次のように続きます。

今週発売の『週刊朝日』は「最後の政争を仕掛ける小泉純一郎/脱原発肉声60分と題した大特集だ。先週末には、みんなの党の渡辺喜美代表と会食し、「首相が脱原発を決めさえすればすぐに進む。これをやるのが本物の政治家だ」などとブチ上げて大いに盛り上がったという。

脱原発の闘士で、各地の住民集団訴訟をボランティアで支えている河合弘之弁護士が言う。

「いやあ、小泉さんがいいねえ。フィンランドにある世界唯一の核廃棄物最終処分場オンカロを見に行って、『ここに10万年埋めておく。300年後には見直し』という話を聞いて、『こりゃあダメだ』と一瞬にして理解したらしい。そりゃあそうだ、地震のないフィンランドと違って、日本には10万年も動かない地盤なんてないんだから」

小泉純一郎 
 
読者はまず上記でこの小泉氏の「脱原発」発言の「快調」の理由を説明しているコメンテーターが「脱原発の闘士で、各地の住民集団訴訟をボランティアで支えている河合弘之弁護士」であるということにご留意いただきたい。そして、上記の記事で、やはり小泉氏の「快調」の理由を説明しているとされている『週刊朝日』の「最後の政争を仕掛ける小泉純一郎/脱原発肉声60分」(10月11日号)という記事に同氏の「快調」の理由を説明するコメンテーターとして登場してくる人物が飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)と古賀茂明氏(元経産省官僚)です。
韓国をターゲットにしたヘイトメディアと政府(安倍内閣)のバッシングを指弾する2本の記事をご紹介したいと思います。
 
本日、京都地裁は、在特会に対して、朝鮮学校の周辺で街宣活動しヘイトスピーチと呼ばれる差別的な発言を繰り返して授業を妨害したとして、学校の半径二百メートルでの街宣禁止と約千二百万円の賠償を命じる画期的な判決を下しましたが(注)、そうしたヘイトスピーチが横行する背景にはわが国のメディア(ヘイトメディア)と政府のあからさまな韓国に対する差別感情が底流として伏在しているように見えます。その芥(あくた)も含めて大掃除しなければ日韓現政権(朴槿恵政権と安倍政権)が企んでいる「日韓未来志向」なる偽りの「日韓和解」政治ではない真の「日韓和解」など望むべくもないように思えます。

注:「判決要旨」とある人のコメント

判決要旨
被告らの示威行為が、器物損壊のみならず、名誉毀損にあたり不法行為であること、及び人種差別撤廃条約第一条の「人種差別」に該当し、違法性を阻却される余地はなく、被告らは連帯して損害賠償責任を負うものであり、損害は経済的損害のみならず、業務妨害及び名誉毀損による無形損害全般に及ぶ。人種差別による無形損害の額は、人種差別撤廃条約に基づいて判断すべきであり、人種差別行為に対する効果的な保護及び救済措置となるよう、金銭評価は高額なものとなる。
*さらに詳しい判決要旨はこちら(京都新聞)をご参照ください。

【コメント】
予防効果まで考慮した、一罰百戒の判決です。仮執行宣言付だから、直ちに在特会の口座や西村斉の商売用個人資産を差し押さえて取立が出来ます。しかも判決文にある金額に、6年間年利5%の利息を付けることができます。在特会にはムチャクチャ打撃でしょう。
*さらに詳しいコメントはこちら澤藤統一郎弁護士)をご参照ください。


日本食品輸入規制 
ソウルの市場で放射能を測定する現地の海産物業者。
ネットで広がる「放射能怪談」が韓国経済を直撃している(AP)
 
1本目。
 
これだけの国や地域が日本食品輸入規制を敷いているのに
どうして韓国だけターゲットにするのか

(Peace Philosophy Centre 2013年10月7日)
 
福一の汚染水問題への懸念から、福島県を含む8件からの水産物輸入を9日から全面禁止することにした韓国に対して、漁業団体が韓国大使館に撤回を求めに行ったり、日本政府も16日、WTOで「化学的な根拠に乏しい」と訴える予定であるという。

以下、外務省のサイトにある、主要国や地域における日本からの輸入禁止・制限の一覧である。主要国・地域」とあるので実際の国の数はもっと多いはずだ。これは7月1日時点のものなので最新の韓国の決定は含まれていない。また、米国は9月9日に輸入規制の対象件を8県から14県に増やしている(岩手 、宮城 、福島 、茨城 、栃木 、群馬 、千葉 、 神奈川 だったのが、神奈川を外し、青森、山形、埼玉、新潟、山梨、長野、静岡の7県を追加)。
http://www.maff.go.jp/j/export/e_shoumei/pdf/usa_seigo_130927.pdf
この事実を誰が報道しただろうか。日本政府は米国に対して、韓国に対するのと同様に「非科学的」と非難したか。
 
以下外務省の表を見ると、福島、栃木、群馬、茨城からの食品は中国、香港、台湾も全面輸入禁止である。中国については千葉、宮城、新潟、長野、埼玉、東京も。これだけの国が日本からの食品を輸入禁止・制限しているのにどうして日本は韓国だけをターゲットにして苦情を言うのだろうか。米国や中国の大使館にどうして撤回の要請をしないのか。他の国にはどうして「非科学的」と言わないのか。それともそのような行動は行われているが報道されないということか。

引用者注:わが国メディアと政府の韓国をターゲットにしたゆえのないバッシングのさまをNHKの報道を例にして見ておきます。
「輸入禁止根拠乏しい」WTOで説明へ(NHK 2013年10月5日)

東京電力福島第一原発の汚染水問題で、韓国は福島県などの水産物をすべて輸入禁止にしていますが、日本政府は輸入禁止は科学的な根拠に乏しく撤廃すべきだという主張に国際社会の理解を得るため、WTO=世界貿易機関で初めてこの問題について正式に説明を行う方針を固めました。

福島第一原発の汚染水問題を受けて、韓国政府は先月から福島県など8つの県の水産物をすべて輸入禁止とする措置を取っており、これに対し日本政府は早期の撤廃を求めていますが、解決のめどは立っていません。

こうした状況を打開するため、政府はこの問題を国際的な通商問題などを話し合うWTO=世界貿易機関の場で取り上げる方針を固め、今月16日から2日間、スイス・ジュネーブにあるWTO本部で開かれる次の委員会で正式に説明を行う方針です。

この中で、政府は日本の水産物は国際的に見ても放射性物質の厳しい基準を満たしたうえで出荷されており、韓国の輸入禁止の措置は科学的な根拠に乏しく、日本の輸出を阻害するものだと訴えることにしています。

政府としては、日本の主張に対する国際社会の理解を広げることで、韓国の姿勢を軟化させ、禁止措置の撤廃に向けた糸口をつかみたい考えです。
ある人と藤原紀香の例の「秘密保全法」発言をめぐって以下のような応答をしました。小泉純一郎の「脱原発」発言をどう評価するかという問題とも関わってくる問題ともいえるでしょう。
 
ある人:
著名な方、とくに本業で実績ある人たちが、デメリットが多々ある「政治的」な発言、メッセージをするということはとっても重要ですね。一般市民は仕事や商売などでもっときついシガラミがあるし、影響力は小さいですので、有名人が良い発言や行動をしたら額面通りイイネ!でいいでしょう。
 
そうでしょうか?
 
「著名な方」の「デメリット」と「一般市民」の「シガラミ」とどう違うというのでしょうか? 同じでしょう。
 
「影響力」という言葉の遣い方も適切ではないように思います。
 
「著名な方」の言葉でいままで「世の中」が変わったことがありましたか?*

*ここでは「『世の中』が変わった」というフレーズ(概念)は社会学でいうところの「社会変動(social change)」、すなわち「社会構造の変動(マクロレベルでの構造変動)」という意味で用いています(wikipedia「社会変動論」)。
 
幕末に坂本龍馬という「明治維新」の突破口となる「薩長連合」を実現させた立役者がいましたが、彼も当時は土佐藩を脱藩した土佐の一介の郷士、下級武士の子でしかありませんでした。「有名」になったのは彼の死後のことです。これも後に「有名」になった西郷隆盛や桂小五郎は坂本が「有名」だったから彼の言に「影響」されたわけではありません。彼の「無名」の熱意に動かされたのです。幕末の志士の物語はそういうものではありませんでしたか? 「著名な方」だから、また「本業で実績ある人」だから、人は動かされるわけではありません。「有名」「無名」にかかわらず人はその言葉の「実直」(これも幕末の言葉でいえば「誠」ということになるでしょうか)に動かされるのです。そうではありませんか?
 
幕藩体制を終焉させたもうひとつの例。ペリー浦賀来航の年の嘉永6年(1853)、南部領農民3万人が「小○(困る)」の旗を立ててお上に昂然と逆らった百姓一揆。大佛次郎は『天皇の世紀』の中でこの南部領農民3万人の一揆を「わが国の内側からも徳川封建支配の終焉を予兆させるできごと」であったと書いています。この百姓一揆を指導した小本村の弥五兵衛、栗橋村の三浦命助、安家村の俊作、同村の忠兵衛たちも「無名」の存在でした。人は「有名」や「実績」で動かされるのではありません。歴史は「有名」や「実績」のある人たちによって創られるのでもありません。
 
「有名」「無名」にかかわらず「良い発言や行動をしたら額面通りイイネ!」でいいのです。「有名」「無名」とは関係ありません。むしろ、「有名」人の「良い発言や行動」は少し曲者です。たとえば最近の小泉の「原発ゼロ」発言。この小泉の「原発ゼロ」発言については私はいち早く注意を喚起しておきましたが、最近になって鎌田慧氏や保坂展人‏氏など「小泉氏に取り込まれるリベラル派」(「vanacoralの日記」2013-10-02)が続出しています。シングルイシューという考え方の「限界」性とも関係がある現象だろうと私は見ていますが、いずれにしても要注意の現象だと私は思います。

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小泉純一郎氏の「脱原発」発言