辺見庸はいま「これまでのように主催者側の要請によるものではなく、わたしがはじめて(年がいもなく)衝動的に志願し」た東京・四谷で8月31日にある「辺見庸講演会」に向けて死に物狂いで(あるいは息も絶え絶えに。医学的見地から見ればおそらくこの表現の方が正鵠を得ているでしょう)モノを書いているように私には見えます。彼はいまこれもこれまでになかったことですが日々の日録をインターネットに公開して書き続けています。辺見庸にいまなにかが生じているという予感が私にはあります。この10日間ほど私は彼に同行するようにして彼の日録を私のブログ(のフリーエリア欄)にも毎日転載(更新)し続けています。以下は、辺見庸の今日の日録です。今日の日録の最後に「それでは、みなさん、さようなら」と書いてあるのが気になります。8月31日に向けて書いてきた日録は一応今日で終わり、という意味でしょうか? そういう意味だろうと思います(追記(8月29日)。やはり辺見の日録は昨日限りで閉じられています。私の転載(更新)の作業も昨日をもって閉じることにします)。
 
そういうこととはかかわりなく、今日の日録には辺見の思想がよく現われています(もちろん、今日に限ったことではないのですが)。
 
私が転載の中で引用者として強調した部分を先に掲げておきます。
 
「黒塗りからほんのわずかに洩れでている「字」のかけらの悲しみ、
じつにじつにじつに巨大な悲しみ・・・について、過不足なく表現でき
ずにいるじぶんを
、とても憎み軽蔑しております。」
 
「31日の講演ではご覧にいれられませんので、どうかいま見てくだ
さい。これは拘置所在監者処遇部門書信係黒塗り担当刑務官X
氏の手になる私的アートではなく、わたしとわたしらの社会の文化
と芸術の所産であり、リアルな水準
です。」
 
「31日に語ることは、語ることの無意味と2時間戦うことです。 いま
書くことは、おのれの無能を知り、書くことの空しさと戦うことです
怒りは怒りのかぎりない空虚と惨めさとに堪えることですいま生
きるのは、あの崖から飛んで死ぬまでの、なかなか歩数の合わな
い助走
とさとるためです。」
 
わたしはわたしが明白な「正義」の側に立ち、正義面またはそれ
に似た顔つきをするときに、心底軽蔑し、殺意をおぼえます
。わた
しは、まだ見たことはありませんが、救いのない「悪」にこそ惹かれ
ている
のです。」

黒塗り手紙 
黒く塗りつぶされた
大道寺将司
死刑囚からの手紙

一昨日、私は、「藤圭子の時代の「歌」について 雑感 ――ある人への返信として」という記事を発信しました。が、その記事は藤圭子の時代の「歌」の一側面の断章のようなものでしかありませんでした(藤圭子の「ここは東京、嘘の町」(『女のブルース』)という歌のフレーズの解釈がその記事の主題のようなものでしたから)。
 
さて、あるいはところで、翌日になってパソコンを開くと「藤圭子とその時代、そして今」(藤原新也)という記事が目に飛び込んできました。「飛び込んできた」というのは、昨日に私が書いた記事のテーマによく似た記事の題名が目にとまったからです。だから、「飛び込んできた」。
 
藤原新也さんは写真家でもあり、作家でもある私の郷里(同じ北九州市。といっても、私は若松で藤原さんは門司港出身。それぞれ同市の端と端に位置する。ただ、海峡の町であるところは同じ)の先輩。だからというわけではないのですが、私は比較的若い頃から藤原さんの写真集や著作には親しんできました。彼の『印度放浪』(1972年)や『全東洋街道』(1981年)、『東京漂流』(1983年)を読んで、私は彼の本職の写真もさることながら、彼の文章の才、その文章から自ずからにじみ出る彼の人生観にも魅せられてきました。
 
以下は、その藤原さんの眼でみた「藤圭子とその時代」です。藤圭子はやはり私たち戦後のベビーブーマの世代(藤原さんは1944年のお生まれですが)に間違いなく陰りを落としている。それが「光」であれ「影」であれ。それが60年代終わりから70年代はじめの景色。改めてそういう思いを強くしました。藤原さんは藤圭子の「夢は夜ひらく」の歌声について、「どんよりと滞った沼のような歌の暗さに違和感を覚えた」と書いていますが、その違和感はまたある琴線でのおのれにも通じる哀惜でもあったでしょう。私の藤圭子評価とそう変わるものではないと思っています。
松江市教委の「はだしのゲン」閲覧制限措置問題は、昨日の26日、同市教委が同閲覧制限措置を「撤回」する決定をしたことによって一応決着を見ましたが、その「撤回」宣言は、市民の2万通を超える同措置の撤回を求める署名簿の提出をはじめとする押し寄せる世論の抗議の波に抗しきれずにやむをえず表明した体のものであって、同市教委が今回の「閲覧制限」措置を心から反省した結果によるものでないことは、同市教委の清水伸夫教育長が教育委員会会議のあとに語ったという次のような談話からも明らかです。
 
同清水教育長は教育委員会会議のあと次のように語っています。「手続きには不備があったが、当時の担当者が十分に考えて行った措置であったので、間違っていないと思う」(「『ゲン』閲覧制限要請 松江市教委が撤回へ」NHK 2013年8月26日 17時2分放送)、と。この松江市教委の清水教育長の言には反省の跡は微塵も見られません。また、その反省の皆無のところから「今後の取り扱いについては「各学校の自主性を尊重する」(同左)と言われても、その言もまったく信用することはできません。
 
現に同市教委は、はじめに閲覧制限措置を行った当初においても、「最終的に判断するのは各学校の校長である」と説明したうえで「閉架」の措置の要請を市内全ての小中学校に行っ」ていますが、「一部の学校から市教育委員会に『閲覧を制限していない学校もあり、現場が混乱しているので対応を統一してほしい』」という要望があった」際に各小中学校に対して再度要請を繰り返しています(NHKWEB特集「『ゲン』閲覧制限の背景は」 2013年8月22日)。が、「各学校の自主性を尊重する」という主張がほんとうであるならば2度も要請を繰り返す必要はないはずです。「各学校の自主性を尊重」すればそれでよいはずのことですから。「各学校の自主性を尊重する」という松江市教委の言はまったく信用できない、といわざるをえないでしょう。世論が冷えたとき、いつなんどき松江市教委が本心を曝け出して「撤回」決定を反故にしようとするか知れたものではありません。油断大敵です。
 
同様の思想的退嬰は東京都教委にも見られます。下記に根津公子さん(「君が代」不起立処分取消し訴訟原告)がご報告される8月22日に開かれた都教育委員会の定例会では「教育委員会ではどうしてモノを言わないのですか」とう当然の疑問を提起した傍聴人が退場させられて、なにもモノを言わない教育委員は泰然として席に座したままです。なんのお咎めもなし。このような不合理と不公正というほかない不正義が東京都教委の定例会では日常茶飯事に繰り広げられているのです。 
松江市教委は本日の26日に臨時会議を開き、「はだしのゲン」の閲覧制限を撤回しました。

以下、報道。

閲覧制限を撤回へ=「はだしのゲン」で松江市教委
(時事通信 2013/08/26-16:31)

松江市教委  
漫画「はだしのゲン」の閲覧制限について議論する松江市教育委員
会の内藤富夫委員長(左から3人目)ら=26日午後、松江市役所
時事通信

 松江市教育委員会が広島の原爆被害を描いた漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を市内の小中学校に要請していた問題で、市教委は26日、教育委員5人による会議を開き、要請の撤回が妥当と判断した。教育長が近く各校に撤回を伝える。

 市教委は昨年12月、残酷な描写があるなどとして、図書室や教室のゲンを倉庫などにしまう閉架措置を要請。市内の小中学校では、子どもが希望しない限り閲覧できない状態になっていた。今後は書棚などに置かれ、自由に閲覧できるようになる。
 
「はだしのゲン」閲覧制限を撤回 松江市教委
(共同通信 2013/08/26 16:35)
 
 松江市教育委員会が市立小中学校に漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を求めた問題で、市教委は26日の教育委員の会議で、制限の要請を撤回することを決めた。
 
はだしのゲン:閲覧制限を撤回…松江市教委
(毎日新聞 2013年08月26日 16時35分)
 
 松江市教委が故中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を全小中学校に求めている問題で、5人の市教育委員による臨時会議が26日、松江市役所であった。22日の定例会議で結論が出ず、この日改めて検討した結果、「市教委が学校側に閲覧制限を一律に求めたことに問題があった」「子供に見せるか、見せないかは現場に任せるべきだ」との意見が多く、制限を撤回することを全会一致で決めた。
 
 同市では昨年8月、小中学校の図書室からゲンを撤去するよう求める市民からの陳情が市議会に提出され、同年12月の本会議で全会一致で不採択となった。しかし、前教育長は教育委員からの委任事務として市教委幹部と協議し、同月の校長会でゲンを教師の許可なく閲覧できない閉架とするよう求めていた。
藤圭子は私も好きな歌手でした。ハスキーボイスでなにかしらアンニュイな感じ(ウィキペディアには「夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な歌(『怨歌』)を、伸びやかかつ深々と歌い上げた」とあります)もあって、そういうところがなぜか涙が出るくらい好きでした。藤圭子がデビューした年の60年代の終わりから70年代のはじめにかけては70年安保闘争があり、あさま山荘事件があり、三島由紀夫の割腹自殺があり、という時代でもありましたが、藤圭子が醸し出すある種のアンニュイな感じ。あのアンニュイな感じはもう一面のその時代の空気でもあったような気がします。東大の駒場祭に「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大どこへ行く」という背中に唐獅子牡丹の刺青のある橋本治のあの有名なポスター&キャッチフレーズが登場したのもこの時期でした。やはりどこかアンニュイな感じが漂っていますね。

2013年8月22日、28階建てのマンションの脇の道路上で女性が倒れているのを通行人の男性が見つけた。飛び降り自殺とみられる。

駒場祭 
東大駒場祭ポスター(1968年)
 
この時代、私は、山崎ハコカルメン・マキも好きな歌手でした。
 
カルメン・マキ/時には母のない子のように(1969年)
 
山崎ハコ 織江の唄(1981年)
 
いま、あらためて聴いてもわけもなく目頭が熱くなります。
 
もちろん、藤圭子の『女のブルース』も大好きでした。「ここは東京、嘘の町」とカラオケ(ボックス)ならぬ安酒場のスナックで私も何度歌ったことか。
 
しかし、「『ここは東京、ウソの街』という歌が人々の潜在意識を捉えた」理由を「福島に当時出来始めた原発に依存する街東京。そのウソ臭さ」に求めるのはどうでしょう?
 
やはり私の好きな歌のひとつに森進一の『ひとり酒場で』(1969年)という歌がありますが、この歌で歌われている「ひろい東京」の哀しみは、井沢八郎が「就職列車にゆられて着いた」と歌った『ああ上野駅』の時代の哀しみを引き継ぐ「ひろい東京」の哀しみでもあっただろうと私は思っています。藤圭子の「ここは東京、嘘の町」の東京もその「ひろい東京」の哀しみとほぼ同様の哀しみではないか(だから、「福島に当時出来始めた原発に依存する街東京。そのウソ臭さ」というのは少し飛躍しすぎ)、とは私の思うところです。
 
ちなみに森進一の『ひとり酒場で」(作詞:吉川静夫、作曲:猪俣公章)は以下のような歌詞
 
ひろい東京に ただ一人
泣いているよな 夜が来る
両手でつつむ グラスにも
浮かぶいとしい 面影よ
夜の銀座で飲む酒は
なぜか身にしむ 胸にしむ
 
嘘で終わった 恋なんか
捨てて忘れて しまいたい
男の意地も おもいでも
流せ無情の ネオン川
夜の銀座で飲む酒は
なぜか身にしむ 胸にしむ
 
暗い東京の 酒場でも
夢があるから 酔いにくる
今夜はとても 淋しいと
そっとあの娘が 言っていた
夜の銀座で飲む酒は
なぜか身にしむ 胸にしむ

「はだしのゲン」閲覧規制問題の続報です。
 
はじめに声明(呼びかけ)。
 
「はだしのゲン」閲覧規制問題に関してあらたに『はだしのゲン』閲覧制限問題を考える教員・研究者有志から以下のような「文学と文化の教育・研究に携わる皆さまへ」という呼びかけと『はだしのゲン』閲覧制限措置の撤回を求める要望書が出されています。
 
文学と文化の教育・研究に携わる皆さまへ(呼びかけ)
(『はだしのゲン』閲覧制限問題を考える教員・研究者有志)
 
報道によれば、島根県松江市教育委員会は、中沢啓治『はだしのゲン』について、2012年12月・2013年1月の二度にわたって、市内小中学校学校図書館での閲覧を制限する要請を行っていました。この問題については、すでに多くの市民から疑問と反対の声があがっており、インターネット署名サイト「Change.org」でも、8月23日現在で20,000筆を超える多くの署名が集まっています。すでに、日本図書館協会・図書館の自由委員会(西河内靖泰委員長)からも、教育委員会委員長・教育長に宛てて、当該措置の再考をうながす「要望書」が送付されています。

わたしたちは、この問題は、単に学校図書館における自由な図書利用の問題にとどまらず、文学・文化の教育活動にかかわる重要な問題だと認識しています。文学や文化を愛し、広い意味での文学・文化の教育と研究、普及に携わっている立場から、差し当たり、閲覧制限の撤回を求める「要望書」を、松江市教育委員会委員長・教育長宛てにメールとファックスで送付したいと考えています。
 
以下、この問題を憂慮する教員・研究者の有志が作成・検討した「要望書」の文面を掲げます。この「要望書」をお読みいただき、主旨にご賛同いただける方は、下記の内容についてご記入の上、8月25日(日)16:00までに、
 
hadashinogen.appeal[*]gmail.com ※[*]を「@」に変えて下さい
 
 宛てにメールにて送信くださいますよう、お願い致します。
今日は松江市教委の 「はだしのゲン」閲覧規制問題に関して以下のような報道がありました。
 
ゲン「閉架」の再考求める要望書…図書館協会
(読売新聞 2013年8月23日)
 
「同協会の「図書館の自由委員会」の西河内靖泰委員長は「市教委が一定の価値判断をして学校に閉架を押しつけることは検閲にあたる」と話している。
 
図書館協会、「ゲン」閲覧制限撤廃を要望 松江市に
(日本経済新聞/共同 2013年8月22日)
 
「要望書は、米国の図書館協会が年齢による利用制限を「目立たない形の検閲」としているのを引用し、市教委の対応を批判。「読みたい子どもが教師の許可を求めるのは心理的負担が大きい」と指摘し「学校図書館の自由な利用がゆがむことが懸念される」とした。」
 
上記の日本経済新聞の記事によれば、図書館協会は、要望書でも、「米国の図書館協会が年齢による利用制限を『目立たない形の検閲』としているのを引用し、市教委の対応を批判」しているということです。日本の教育行政を根底的に根腐れさせている大きな一因ともなっていると私などは常々憤慨をもしている教委特有の――それも全国的な規模でのある種のモンロー主義、すなわち教委独特の視野狭窄(国際的にも国内的にも)を衝く有効な批判としても機能しているように思います。この間接的な意味での図書館協会が放った国際的批判を松江市教委はどう受け止めることができるか(おそらく受け止めることはできないでしょう。先の報ステの市教委インタビューの紹介の際にもふれたように同市教委に見られるのは小心な打算だけです)。しかし、そういうことをも含めてこのあたりの市教委の判断のありようがひとつの勝負どころになるようにも思います。 
松江市教委の「はだしのゲン」閲覧制限問題について今日の22日、同市教委において閲覧制限の「見直し」のための再検討会議が開かれるというので注目していましたが、結論は26日の臨時会議まで先送りされることになったようです。
 
「はだしのゲン」閲覧制限 松江市教委協議、結論先送り
(朝日新聞 2013年8月22日)

はだしのゲン  
「はだしのゲン」閲覧制限 結論先送り 松江市教委(産経新聞)
 
一昨日、私は、松江市教委の「はだしのゲン」閲覧制限問題について「私たちの批判が実を結んでいるようです」とある意味楽観的な展望を述べておきました。この問題について一昨日の時点で広島県知事と広島市長が揃って「閲覧制限は適当でない」旨の見解を表明をしていたからです(長崎市長も同趣旨の発言をしているようですが私は確認できていません)。松江市教委にとって広島市長の発言は同格の別都市の市長の発言にすぎないのだとしても、同市教委のいわば上司筋に当たる広島県知事が「閲覧制限は適当でない」とまで明確に同市教委の今回の措置を批判しているのだから、この問題はこれで落着するだろう、と。
 
「はだしのゲン」鳥取市でも閲覧制限(NHK 8月20日 16時43分)

「この問題について広島県の湯崎知事は20日の記者会見で「『はだしのゲン』は広島の被爆の実相を伝える資料として、長年、たくさんの人が読み継いできたものだ。児童や生徒にはこうした資料を通して被爆の実相を理解してもらい、世界の平和と人類の幸福に貢献できる人に育ってもらうことが大事だと思っている。自由に読んでもらっていいと思う」と述べ、閲覧制限は適当ではないという考えを示しました。」
 
「はだしのゲン」は平和希求=松江市の閲覧制限受け-松井広島市長(時事通信 2013/08/21

「松江市教育委員会が市内の小中学校に広島の原爆被害を描いた漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を要請したことについて、広島市の松井一実市長は21日の記者会見で、「確かにいろんな場面があるが、作品全体の訴えは世界平和を希求する強い思いだ」と作品への見解を述べた。」
昨日付けの標題記事を例によっていくつかのメーリングリストに発信したところ、大要下記のようなリプライがありました。
 
「前回の神戸市長選挙での共産党の問題は、広原さんの指摘でも抜けているとても大切な点があります。それは、『神戸再生フォーラム』という共産党や新社会なども含んだ市長選を戦う共同の枠組みがあったにも係らず、途中まではその枠組みにいながら突如抜け、再生側からの協議の申し入れも拒否し、一方的に飛び出して独自候補、しかも党幹部の公認という他政党との共闘がハナから無理な候補者を擁立したという事実です。」
 
このリプライで指摘されている「事実」はほんとうにそうなのか。論者の臆断と偏見が交ってはいないか―― 少し調べてみていささかの応答、反論を試みたのが以下の文ということになりますが、やはり論者の臆断と偏見によるところが大きい。指摘される「事実」は主観的事実とはいえても客観的事実とはいえないだろう、というのが私の感想であり、ジャッジメントです。少し調べてみて、先の記事で肯定的に引用した広原盛明さんの2009年の神戸市長選に「割って入ったのが神戸の共産党だった」という評価も「事実」としては少し主観が勝ちすぎているという感想も持ちました。以下、その理由を先の記事の若干の訂正的補足としても述べておきます。文章は応答形式のままにしておきます。
 
◇        ◇        
「『はだしのゲン』閲覧制限」問題について、松江市教育委員会は多くの人の批判を受けて「撤回」を余儀なくされているようです。
 
「はだしのゲン」閲覧制限を再検討=撤回を視野―松江市教委
(時事通信 2013年8月20日)


2012年12月に死去した漫画家中沢啓治さんが自身の被爆体験を基にした漫画「はだしのゲン」について、松江市教育委員会が同月、市内の小中学校に閲覧制限を要請していたが、要請の撤回を視野に再検討する方針を決めたことが、20日までに分かった。

市教委などによると12年8月、「はだしのゲンは間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書館からの撤去を求める市民からの陳情が市議会にあったが、市議会は同年12月に全会一致で陳情を不採択としていた。

しかし市教委は、作中にある女性への暴行場面や人の首を切る描写を問題視。同月中に市内の全小中学校に対し、作品を図書館の倉庫などにしまい、子どもから要望がない限りは自由に閲覧できない「閉架」措置とするよう要請した。

要請は市の教育委員会会議で議論されずに、市教委の独断で2度にわたり行われていた。

清水伸夫松江市教育長は20日までの取材に、「手続き的にどうだったか調査する必要がある」と要請に至った過程の問題点を指摘。また、議会が陳情を不採択としたことや、市内外から反発の声が多数寄せられていることを受け、「今後は撤回も視野に、委員会会議の意見を聴いて再度検討したい」と話した。

22日には同会議が開かれ、閲覧制限が議題として取り上げられる予定。清水教育長は、「遅くとも月内に一定の結論を示したい」としている。
 
この松江市教委の「撤回検討」発言に至るまでには同市教委の愚行を批判する以下のような報道がありました。
広原盛明さん(都市計画・まちづくり研究者)が前回の神戸市長選と今回の堺市長選の選挙構図を比較して以下のように論及しています。
 
今回の(堺)市長選においては、堺市職労が加盟する「大阪都構想から堺市を守る自由と自治・堺の会」(以下「自治・堺の会」という)は独自候補の擁立を見送る方針だという。竹山市長の政策を全面的に支持するわけではないが、維新の「大阪都構想」に対して反対の立場を堅持する限り、竹山市長を自主的に(勝手に)応援して戦うというのである。/選挙構図は、先の大阪市長選ですでに選挙戦に突入していたにもかかわらず共産党が自前候補を降ろすという決断に踏み切り、橋下候補に対抗する現職候補を自主的に応援した政治状況に酷似している。大阪の共産党は自立心の高い度量の大きい政党なのだろう。「政策が一致しなければ選挙協力しない」などといった“ケツノ穴の小さい”ことは言わない。橋下維新という極右集団に対抗する、堺という伝統ある自治都市を解体する「大阪都構想」に反対するという“大義”さえ一致すれば、後のことは少々目をつぶって誰とでも一緒に戦うというのである。(「緊張に満ちた堺市長選の情勢分析と決意、『悲観も楽観もしていない。ただ全力で戦うだけ』、堺市長選は“天下分け目の大決戦”になる(その1)」 リベラル21 2013.08.19)
 
この点で対照的なのは、この前の神戸市長選だ。神戸市政は戦後一貫して助役が市長に成り上がり(助役出身者以外に市長になった人物はいない)、当局・議会・市労連が三位一体の強固な「市役所一家」(利益共同体)を形成している全国でも比類のないお手盛り自治体だ。先の神戸市長選はこの「市役所一家」体制の是非をめぐって争われ、「市政刷新」を掲げて民間から市民候補が立った。/しかし、そこに割って入ったのが神戸の共産党だった。共産党は市民候補との“政策の違い”を強調してわざわざ独自候補を擁立し、組織票を動員して「反市役所票(反現職票)」を分裂させた。選挙結果にあらわれた民意の所在は明らかだった。万全の選挙体制を敷いた現職候補と一介の市民候補との票差は僅か数千票しかなく、もし共産党が独自候補を立てなければ(得票数は僅か数万票)、神戸市政は新しい市長を迎えるはずだったのである。その後(それまでも)現職候補を実質的に応援した共産党が「市役所一家」の一員とみなされ、市民の信頼を大きく失ったことはいうまでもない。」(同上
脱原発大分ネットワーク(小坂正則代表)がこの8月26日に「大分県から『原子力災害対策』の説明を受けて、個別具体的な疑問点などを議論」する「『大分県原子力防災計画』市民検討会」という会議の開催をを計画しているようです。
 
作業チームによる打ち合わせ会議
 
日時:8月18日(日)17時~20時ころまで
場所:松明楼(大分市田の浦12組:小坂邸)
 
原子力災害対策」説明会日程
 
日時:8月26日(月)午後(時間は調整中)
場所:大分県庁(予定)
 
大分県から「原子力災害対策」の説明を受けて、個別具体的な疑問点などを議論したいと思っています。
 
8月8日会議報告
 
参加者9名で会議は1時間30分行いました。小坂より「原子力災害対策」の問題点や今後の交渉へ向けての進め方などを説明し、説明会の日程及び、「原子力災害対策」の作業チームを立ち上げて、そこで内容を精査して、大分県から説明を受けることが決まりました。説明会は県内の市民グループや団体に呼びかけて、各団体から代表者を出してもらい、そのメンバー及び参加希望者により、まずは説明を受けることになりました。/なお、説明会で聞きたいことなどは18日までに「作業チーム」へメールなどで届けてもらえたらうれしいです。と言うのも、県の担当者が「十分説明できるように資料などの準備をしたい」ということです。防災計画に関連することが中心の説明会にですが、学校給食のセシウム検査や食品の放射能汚染など、原発事故に関する内容であればかまわないです。
 
その市民検討会に関連して上記に出てくる「大分県原子力防災計画」案については植田謙一さんがご自身のブログに同計画案の紹介を兼ねて同計画案の問題点と独自の視点からの注文点を述べています。参考になります。ご参照ください。
 
私も8月18日の打ち合わせ会議には出席してみようと思っていますが、以下は、その市民検討会に関する私の覚え書きです。

私は「『大分県原子力防災計画』市民検討会」においては、行政と原子力事業者との「原発安全協定」の締結への行政としての意志の宣言、「原子力防災計画」のそれぞれの過程において「市民参加」を義務づけることをもっとも重要な課題として位置づけることが肝要ではないか、と思っていますが、以下はそのことに関しての資料。

資料:
地域防災計画(wikipedia)
地域防災計画データベース(各県別 総務省)
大分県地域防災計画(修正)
全体の目次
第5部 各種災害対策 第7章放射性物質事故対策及び原子力災害
   対策(90頁(334頁))
北海道地域防災計画原子力防災計画編(「事前協議」の項あり)
宗教研究者の熊田一雄さん(愛知学院大学文学部宗教文化学科准教授)がご自身のブログに「阿波踊りにおける死者との交歓」という記事を掲載されています。以下は、その熊田さんの記事を読んでの感想のような反論のようなものです。
 
熊田さん
 
「阿波踊りにおける死者との交歓」という主題に関してご紹介されている「平和祈念祭:戦没者の冥福祈り、阿波踊り奉納――徳島護国神社 /徳島」という毎日新聞の記事を読んでみました。
 
「阿波踊りにおける死者との交歓」は別に「徳島護国神社」への奉納の形でなくともできるでしょう。そもそも「盆踊り」自体が死者への供養から始まったものですし(wikipedia『盆踊り』)、「阿波踊り」も「精霊踊りや念仏踊り」を原形にして始められたもののようです(同『阿波踊り』)。阿波踊りそれ自体が死者への供養です。「護国神社」という舞台を必要としません。
 
私の故郷の近くの小倉(北九州市)に足立山という小さな丘のような山があります(私は20代の頃、この山麓の一角にある蕎麦屋が好きでときどき通いました)。その足立山のさらに一角に標高365メートルほどの無名峰がありましたが、その無名峰がいつの間にか「小文字山」と呼ばれるようになりました。その山でのお盆の迎え火として知られる「小文字焼き」の行事が有名になったからです。
 
こちらのURLをクリックしてみてください。美しい、ある意味で幻想的な風景です。

迎え火
 
この「小文字焼き(迎え火)」の行事は、戦後間もない昭和22年に福岡県で国体が開催されたときに小倉で競輪競技等があり、その選手のみなさんを歓迎するために足立山の中腹に「小」の字を掘り込み火を燃やしたことから始まったようです。「戦没者」慰霊ということとは縁もゆかりもありません。それでも「迎え火」の行事として故郷に定着していきました。今度はこちらのURLをクリックしてみてください。みなさんそれぞれが故郷の「迎え火」の行事への愛着を語っています。
 
「死者との交歓」とはこういうこと(風景)を指していうのではないでしょうか?
 
弁護士の澤藤統一郎さんが8月16日付けで「戦没者追悼の名で、戦死者の利用を許してはならない」という記事を書いています。
 
また、作家の池澤夏樹もかつてエッセーの中で亡き叔母の言葉として次のような言葉を語らせていました。
 
「死んだ人はもう死んでいるわけだから、後から出てきて弁明もできない。死んだ者の気持ちはわからない。それなら、社会は人の死をどんな形でも利用してはいけないでしょう。もともと人は決して大義のために死ぬわけじゃなくて、それぞれにひっそりと小さな個人の死を死ぬのよ。そこに生者の勝手な都合を上乗せしてはいけない。誰かの死をテコにして、社会を変えようとしてはいけない。死の瞬間だけでその人の人生を意味づけるようなこともやっぱりいけない。共感をもってその人の生を見なおすことしか、残った者にはできないし、それで充分なんじゃないかな。」(朝日新聞文化欄「夏のかたみに 10」 1993.8.18)
 
護国神社への阿波踊りの奉納は「戦没者追悼の名で、戦死者を利用」することになるのではないでしょうか? それは「死者との交歓」とは違うことのように思います。考えていただきたいことです。

松江市教育委員会(広島県)が原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」(原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている)を「描写が過激だ」などとして子どもが自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう市内の全市立小中学校に求めていたことがメディア各紙で報道されています。
 
はだしのゲン「閉架」に 松江市教委「表現に疑問」(東京新聞/共同 2013年8月16日)
はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」(毎日新聞 2013年8月16日)
「はだしのゲン」小中校で閲覧制限 松江市教委「描写が過激」(朝日新聞 2013年8月17日)


注:上記の毎日、朝日の報道でも触れられていますが、「松江市では昨年8月、市民の一部から『間違った歴史認識を植え付ける』として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出され」ていました。今回の松江市教委の措置は左記の「市民」の陳情に応えた形になっていますが、この「市民」なる者は在特会系活動家の中島康治であることが判明しています。中島康治は自らのブログで「嘘出鱈目はだしのゲンが、松江市の全小中学校で、自由に閲覧できない『閉架』扱いになったようです。/いや~陳情やらなんやらで地味に動き回ってよかったです」とこの「陳情」者が中島自身であったことを自慢げに吐露しています。

また、下記の中国新聞記事(8月17日付)には「残虐な場面を未発達な子どもに見せるのはよくない。天皇批判がある作品でもあり、閉架によって閲覧の優先度を下げたのは適切な対処だ」という今回の松江市教委の措置を評価する声も「市民」の声として掲載されていますが、この「市民」なる者も「『平和と安全を求める被爆者たちの会』なる団体、あの田母神俊雄を広島に呼んだ右翼団体」の代表であることが
判明しています。
 
首切り
松江市教委が「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な
乱暴シーンが小中学生には過激」などとする漫画「はだしのゲン」の一場面
きまぐれな日々」ブログの標題記事をご紹介したいのですが、私は同ブログ主宰者の古寺多見(kojitaken)さんが標題記事で指摘されている以下の部分が特に重要な指摘であるように思います。
 
安倍晋三の政策で明らかに誤りなのは、生活保護の水準切り下げなどに典型的に見られる政府支出の切り下げを図っていることだ(強調は引用者。以下同じ)。(略)私は、自民党の財政政策が『国土強靱化』に偏重して、生活保護の水準切り下げに端的に表れているような福祉・社会保障切り捨てを目指していることが最大の問題だと思う。」
 
安倍政権の経済政策に対する批判はこの点に集中させるべきだと以前からずっと主張しているのだが、どういうわけか左翼政党や民主党リベラル派(や生活の党w)はまず安倍政権の金融政策への批判から入りたがる傾向が強く、この点に強い不満を持っている。そこを議論しても『神学論争』にしかならないと思っているからだ。しかし左翼政党や民主党リベラル派や生活の党は、金融緩和やインフレターゲットの批判から入りたがる。これは、安倍政権の「福祉・社会保障切り捨て」批判を自ら論点からそらす愚行だと私は考えている。」
 
私も上記の古寺多見さんのご意見にまったく賛成です。安倍内閣の経済政策について論じる「経済」論争はあれこれのネット記事やブログ記事、メーリングリスト記事などでもよく見かけるのですがまったくといってよいほど食指が動きません。だから、読み飛ばすことが多いのですが、その理由は上記で古寺多見さんが「左翼政党や民主党リベラル派」への「不満」として述べている理由とほぼ同様のものです。

*具体的には日経BP日経ビジネスBLOGOS日経ニュースメール、Japan Business PressJMMWEBRONZAなどなどのネット記事を指しています。
 
いま、国民の(「庶民」の、と言い換えてもよいのですが)の大多数は「潜在的」な意味で(といわなければならないところが悲しいところであり、この記事を書いている眼目でもあるのですが)安倍内閣の「生活保護の水準切り下げ」に象徴される政治の現状(「福祉・社会保障」切り捨て政策)に強い不満と大きな危機感を抱いています(いるはずです。「社会福祉」に縁のない人などほんの一握りの富裕層にしかすぎません)。しかし、その大多数の国民の「不満」や「危機感」を拾い上げないで、もっぱら金融緩和やインフレターゲット批判の議論に終始する。こういうことでは国民各層が持っているそれこそ「潜在的」なエネルギーを分散、拡散(薄め散らせる)させることには役立っても、そのエネルギーを結集させて「状況」を「大状況」に転換して大衆の側に有利に展開させることなどとても覚束ないでしょう。このことについて古寺多見さんは「安倍政権は左派&リベラルの無策と堕落に助けられている」とまで批判しています。この批判はまっとうすぎるほどまっとうな批判だと思います。
 
私にもこの「左派&リベラル」の「愚行」は「社会変革」という大義を忘れてしまった「炭鉱のカナリア」の愚行としか思えません。

炭鉱のカナリア  
炭鉱のカナリア(画・長谷川雅治)
 
辺見庸が近ごろのおのれの「私事」の心象をブログに書き綴っています。辺見にとっておそらくこれまでになかった光景です(それはなぜか、ということを私は考えます。辺見は8月9日の『私事片々』に「しかし、いま斃れるわけにはいかないのだ」と記しています)。辺見はこの8月31日に東京・四谷で「死刑と新しいファシズムーー戦後最大の危機に抗して」と題した講演をします。辺見によれば、この講演会は、「これまでのように主催者側の要請によるものではなく、わたしがはじめて(年がいもなく)衝動的に志願し」て準備されたもののようです。その8月31日に向けて、辺見はおのれのいまの「怒りの心象」といってよいものを書き綴っています。それは「怒り」いうよりも「悲しみ」。「悲しみ」というよりも「苛立ち」。「苛立ち」というよりもいまという時代への「悲嘆(グリーフ)」。その辺見の「怒り」と「悲しみ」と」「悲嘆(グリーフ)」に私は強く共振します。

注:標題の「迎え火」とは、一般的にはお盆の時の先祖の霊を迎え入れるためにたく野火のことを指す。慣習として7月13日または8月13日夕刻に行われることが多い。

迎え火 
8月13日 小文字山(北九州市小倉北区)の迎え火
 
「76歳の老人が熱中症で直腸内温度39度になって死んだ」(「老人には月額7万円ほどの年金があった。妻をなくし、腰痛ではたらけない息子と家賃5万5千円のアパートでくらしていた。老人は役所に生活保護を申請し、あっさり断られた。生一本の老人は節約のため、みずから電気、ガス停止の手つづきをした。したがって、エアコンがあっても冷房はできない。電球があっても真っ暗。懐中電灯とカセット・コンロだけの穴居生活みたいなくらしが、死ぬまで10年ほどつづいた」。その挙句の直腸内温度39度の死)。その怒りは私の怒りでもあります。「この病院にほどちかい歩道橋のたもと」に「いつも汚れたふとんを敷いて横向きに寝て」「あんなに小さなからだからはげしい悪臭をはなっていた」ホームレスの老婆(のように見えるだけかもしれない)の「タスケテ、タスケテ、タスケテ!」という心の叫び、それを「何百人、何千人が、ろくに彼女を見もせずに、ただ息をつめてとおりすぎたこと」への怒り、は私の怒りでもあります。私は激しく辺見の「怒り」に共振します。そのとおりすぎた通行人のひとりはあるときはおそらく私自身でもあっただろう、という私への「悲嘆(グリーフ)」と「怒り」をも含めて。
 
8月31日に向けて私も辺見の心象の同行者のひとりになろうと思います。
 
下記は、辺見の『私事片々(不稽日録)2013.8.8~2013.8.12)』。さらにその下にかつて辺見について書いた私の微々たる記事を再録しておこうと思います。

ホームレス  
 以下は、「ひとりの女が死んだ。シム・タルヨン、享年83才。」の続編として書いたものです。
 だから、「また、ひとりの女が」です。また、ここでいう「女」は石垣りん(詩人)が詩の中でいう「女」の謂いです。
 「女」という言葉には重層的な意味が込められています。 
 私は「男」という言葉にも重層的な意味を込めています。「男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食(くら)ひて 思ひにふける と」と(右「フリーエリア」欄)。
 
2013年8月11日、また、ひとりの女が死んだ。李容女(Lee Yong-nye)ハルモニ。享年87才。私の知らない女。名もない女。あの暴虐の時代に暴虐の生を生き、血を吐くようにして生きてきた女。「ナヌムの家」から私のもとにその女の訃報が届きました。
 
2013年8月11日午前2時30分、 李容女ハルモニが死去されました。
 
故・李容女 略歴
 
1926年京畿道驪州で生まれる。
 
16歳でシンガポールを経て、ミャンマーでは<日本軍“慰安婦”被害者>の生活を余儀なくされた。
 
解放後、ラングーンの収容所を経て、翌年の1946年旧暦3月釜山港を通って帰国された。
 
ナヌムの家の生活は、1992年10月西橋洞から始まる。恵化洞明倫洞に住み、1995年に京畿道廣州市元党里に移行された。<ナヌムの家>新築工事現場の元党里ではテント生活をされながら、建築の仕事を助けられました。
 
2000年12月7日から4日間、東京九段会館で開かれた2000年、日本軍性奴隷戦犯国際法廷に出席

*引用者注:正式には「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」。なお、李容女(Lee Yong-nye)さんは単なる「出席」者ではなく、「被害証言者」のおひとりでした。
 
そして、国内外の証言を通じ、日本の戦争犯罪を告発し、公式謝罪を要求する闘争をしました。
 
しかし、当時の<日本軍'慰安婦'被害>後遺症で精神的苦痛(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、ナヌムの家を数回にわたって入退所を繰り返しなさり、2012年12月<ナヌムの家>を退所。
 
息子と暮らしはじめる。
 
糖尿病を患っていたハルモニ、病院では禁止されていたお酒と煙草をやめられずにいらした。
 
実際ナヌムの家でも隠れてお酒を飲まれよく注意されていました。
 
息子さんの家でもずっと続けていらしたようです。
 
その後2013年8月家族から体調が悪いと連絡が入り一旦入院すると報告をもらいました。
 
そして今日、2013年8月11日に他界されました。
 
1926年2月10日、京畿道驪州生まれ
 
1941年16歳でシンガポールを経てミャンマーに強制連行
 
1946年釜山港へ帰国
 
1992年ナヌムの家入所
 
2013年8月11日(日)午前2時30分死去
 
葬儀場:京畿道医療院フォーチュン病院葬儀場4号室
 
石垣りんさんに「崖」という詩があります。その詩を李容女ハルモニの墓前に捧げます。
政府は8日の閣議で、内閣法制局の山本庸幸長官を退任させ後任に小松一郎駐仏大使を充てる人事を決めました(東京新聞 2013年8月8日)。政府の憲法解釈を担う法制局長官の後任には次長が昇格するのが慣例で、法制局の勤務経験がない小松氏の起用は異例です。
 
対して、朝日新聞と毎日新聞はそれぞれ2013年8月9日付けで阪田雅裕・元内閣法制局長官への一問一答のインタビュー記事を掲載しました。
 
その阪田元内閣法制局長官は、朝日新聞のインタビュー記事においても毎日新聞のインタビュー記事においても「憲法規範として集団的自衛権の行使を容認するとはどういうことか。国際法上、集団的自衛権の行使と国連による集団安全保障措置への参加を超える武力の行使はすべて違法とされている。従って日本は国際法上、適法な戦争は全部できる国になるということだ。」(朝日)、「統治権力が(憲法を)自由に解釈できるなら、『法治』ではなく『人治』になる」(毎日。強調は引用者)と安倍内閣の法制局長官の首のすげ替えによる集団的自衛権の憲法解釈の見直しの「手口」に苦言を呈しています。
 
今回、阪田氏はとても勇気のある行動をとられたと思いました。同氏に敬意を表したいと思います。
 
とりわけ阪田氏の「統治権力が(憲法を)自由に解釈できるなら、『法治』ではなく『人治』になる」(毎日)という安倍内閣批判の言葉は、問題の本質に迫った深くて、鋭い批評の言葉だと思いました。
 
私たちは、これから、私たちの国の「安倍内閣」というあまりにも愚かしい統治権力のせいによって、私たち市民同士の間ではもちろん、諸外国の人々に対しても「(私たちの国は)法治国家です」と胸を張って宣言することができない。そういう日を迎えることになります。このままでは間違いなく。やがて・・・。まさに屈辱の日(Day of Infamy。「『法治』ではなく『人治』になる」とはそういうことだろう、と思います。
 
以下、朝日新聞(2013年8月9日付)と毎日新聞のインタビュー記事(同)です。最後に澤藤統一郎氏(弁護士)のこの件に関するコメントも附記しておきます。また、参考として、最後の最後に集団的自衛権行使容認派で安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の座長代理を務める北岡伸一国際大学長へのインタビュー記事と同インタビュー記事の解説記事も附記しておきます。ご参照ください。
東京新聞が「こちら特報部」記事として8月7日付けで「米軍ヘリ墜落 なぜ繰り返す 地位協定の改定を」という記事を掲載しています。
 
その中で特報部記事は、「米軍が起こした事故・事件について、米側は日本側の現場への立ち入りを拒否できる。日米安保条約に基づき、一九六〇年に締結した日米地位協定があるからだ」。「地位協定により、米兵の救助や復旧作業、米国の財産保護のためなら、米軍は日本のどこでも自由に封鎖できる。沖縄国際大の事故では、墜落した機体の残骸や破片が『財産』とされた」という同地位協定の問題点を指摘しています。
 
では、現代の不平等条約ともいえるこうした日米地位協定は現在の自民党政権下のもとでは変えることはできないのでしょうか?
 
今年の4月11日に放映されたモーニングバード・そもそも総研の「そもそも日米地位協定の本質って何?」という番組ではイタリアやフィリピンの例を引いて「日本側がその気になりさえすれば変えることはできる」というジャッジメントを出しています。

新報13~2 
琉球新報(2013年8月6日)
 
以下、東京新聞「こちら特報部」記事と上記の問題に焦点を絞ってモーニングバード・そもそも総研の番組から該当部分をピックアップしてみます。なお、それぞれの記事の全文は以下をご参照ください。
 
米軍ヘリ墜落 なぜ繰り返す 地位協定の改定を
(東京新聞「こちら特報部」 2013年8月7日)
そもそも日米地位協定の本質って何?
(モーニングバード・そもそも総研 2013年4月11日)
*同番組の動画はすでに削除されていますが、上記の記事では同番組のキャプチャ付き文字起こしがされていて、同番組の全体をそのままに再現しています。
昨年の2012年秋に放映された直後にその年のテレメンタリ―年間最優秀賞を受賞し、さらに2013年日本ジャーナリスト会議JCJ賞、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞を受賞するなど数々のテレビ・メディア作品賞を総ナメにし、多くの人に感銘を与えたQAB琉球朝日放送制作「標的の村」が映画化され、いよいよ8月10日からポレポレ東中野(東京)を皮切りに全国順次ロードショーが始まります。

監督は同番組のキャスターを務めた三上智恵さん。
 
以下は、琉球新報に掲載された「標的の村」映画監督/同番組キャスターの三上智恵さんの「高江」番組の映画化にあたっての伝言です。多くの人に観ていただきたい映画です。
 
新報13~4
 琉球新報 2013年8月6日
 
次の記事もご参照いただきたいと思います。
 
検証動かぬ基地vol.99 高江にあった「ベトナム村」とは(QAB琉球朝日放送 2011年7月12日)
衝撃の事実! 高江にベトナム村が作られ、住民たちが対ゲリラ戦訓練に徴用されていた(チョイさんの沖縄日記 2011年07月13日)
高江に作られた「ベトナム村」---沖縄人民党機関紙「人民」から(チョイさんの沖縄日記 2011年7月19日)
 
「以下はメモ。
 
平和的生存権訴訟を通行妨害訴訟に矮小化・すり替え。
 
1960年代初頭、米軍はベトナム集落襲撃訓練向けに「ベトナム村」を陸の孤島と言われた高江に開設。乳児を含む高江住民が駆り出された。
 
地元紙「人民」(1964年9月9日付、知念忠二元記者)「この訓練には乳幼児や5、6才の幼児をつれた婦人を含む約20人の新川区民が徴用され、対ゲリラ戦における南ベトナム現地部落民の役目を演じさせられた」「ナパーム弾、焼夷弾投下を地で行く訓練である」「米軍は高江の住民をほんとうのゲリラとみなして、これを対象に対ゲリラ戦訓練を行っているのである」
 
63年8月のベトナム村訓練に参加した元海兵隊員が、ベトナム村周辺に枯葉剤を撒いたと証言。心臓発作5回の施術など後遺症があるが、自分は枯れた植物を扱っていない。処理を担当した沖縄の人たちがもっとひどい目に遭っているのでは。
 
高江はベトナム村と同じ。
高江ヘリパッドは、人がいるところを想定した訓練。
高江は生きた標的。
 
1人だけに通行妨害禁止命令。
 
オスプレイは高温排気・低空飛行で山火事を起こす。やんばるの山は禿山になる。
 
2012年9月末、オスプレイ配備を控えた普天間飛行場のゲートを市民が封鎖。米兵が、警察が、市民、記者、弁護士を排除。
警官に向かって市民が「県民と闘いたくない、今日は署長、休みますと言いなさい!」
 
B52、ハリアーパッド、都市型訓練施設を過去に追い返した。オスプレイも。」
憲法が踏みにじられる社会とはどんなものか、
                  絵に描いたようによく分かる」より)
私は先のエントリで報道ステーションの「麻生『ナチス発言』」特集ビデオをご紹介した際、同番組コメンテーターの恵村順一郎(朝日新聞論説委員)の「(麻生副総理の)ナチスを肯定するような発言」云々の発言を「肯定しているのではないか、と誤解されるような発言(ということですね)」とすぐに訂正コメントを入れた同番組メインキャスターの古舘伊知郎の発言姿勢(10:38頃~)について「ジャーナリストの位置にいる者としてはきわめてお粗末な対応」、と批判をしておきました。


麻生大臣のナチス発言、音声で全文検証(報道ステーション)」より
 
しかし、その私の古舘批判は、麻生副総理の「ナチス発言」撤回表明をも報道する立場にいる者として、麻生の「私の発言がナチスを肯定しているという捉え方は誤解」という釈明があったことを念頭においた上での古舘の訂正コメントであった、という私のそのときの状況理解を前提にした上での批判にすぎないものでした。
 
しかし、よくよく考えると上記の古館の訂正コメントは、麻生の「ナチスの手口に学んだらどうかね」発言をほんとうに「ナチスを肯定した発言ではない」と古館自身が判断した上でのコメントではなかったか、といま思い直しています。そうであれば、古館発言は、ジャーナリストの眼を持った者の発言としては「お粗末」という以前の問題として、決定的にジャーナリストとしての眼そのものを欠損させた者の発言としてさらに厳しく批判されなければならない質の訂正コメントであったように思います。
 
麻生発言が「ナチスを肯定した発言というのは誤解」という見方はある一定の層に広く流布されている見方、考え方です。その代表的なものが橋下大阪市長の「(麻生発言はナチスを)正当化した発言でないのは国語力があればすぐ分かる」というものでしょう。

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共同通信(8月2日)
 
橋下氏がここで「国語力」を持ち出しているのは、麻生発言の前半部分のたとえば「ワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた」という発言(朝日新聞「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」参照)には麻生氏がナチスを「悪」と判断しているニュアンスが感じられるからです。そこで「(麻生発言はナチスを)正当化した発言でない」と解釈する余地も出てきます。前述で私が「古館の訂正コメントは、麻生の「ナチスの手口に学んだらどうかね」発言をほんとうに「ナチスを肯定した発言ではない」と古館自身が判断した上でのコメントではなかったか、といま思い直しています」と言っているのはそういうことです。
 
ここのところの麻生発言の文脈を整合的に理解した上での「麻生発言」批判でなければ、上記のような「麻生発言」擁護論者、また、その論を首肯する一定の市民層を説得することはできないでしょう。むしろ、そうした「理解」なしに「麻生発言」を批判しても、「麻生発言」擁護論者、また、その論に影響された市民たちから「お前たちには国語力がない」などという見るも無惨な返り討ちにあうのがオチというものでしょう。
 
こういう論理の問題があることに気がついたのは、「麻生太郎のナチス発言を国語の受験問題的に分析してみる」(ナベテル業務日誌 2013年8月2日)、また、「麻生発言はナチ肯定なのか?」(紙屋研究所 2013年8月3日)という論に学ぶところが大きかったからです。
 
「ナベテル業務日誌」の筆者(渡辺輝人弁護士・京都)はこの論理の問題について次のような解を与えています。正答だと私も思います。
 
「(この問題を)受験的に言うなら、いわゆる『二項対立』の発言だと言うことが分かる。対立しているのは赤字を付した『狂騒』『怒鳴りあい』『物議』『騒ぎ』『騒がれた』『騒ぎます』『喧噪』に対して青字を付した『静か』『静かに』『わーわー騒がない』という言葉だろう。そして、麻生太郎が後者の青字のカテゴリーに軍配を上げ、そちらの方向性を好み、肯定していることも読み取れる。」
 
大事な視点だと思います。
 
さて、はじめの問題に返ります。「古舘伊知郎はもしかしたら麻生発言(「ナチスの手口に学んだらどうかね」発言)をほんとうに『ナチスを肯定した発言ではない』と見ているのかもしれない」ことに気がついたのも上記の論に学んだところが大きいということでもあります。報道ステーション・メインキャスターの古舘伊知郎の責任は(その影響力という点で)大きいのです。心して上記の「国語」問題を解いてみていただきたいものです。

ここでも辺見庸の言葉を繰り返しておきます。
 
状況の危機は、言語の堕落からはじまるのです。丸山真男は『知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる』と書き、歴史が岐路にさしかかったとき、ジャーナリズムの言説がまずはじめにおかしくなると警告しました。この言葉は一九五六年のものですが、言語の堕落、言説の劣化、ジャーナリズムの変節は、いまのほうがよほどひどいし、それらが全体として状況の危機を導いている。」(辺見庸 『単独発言―私はブッシュの敵である』 2001年)
昨日のエントリの注ですでに述べていることですが、問題の麻生発言の音声ビデオを映像付きの報道ステーションの録画ビデオに切り替えました。報道ステーションの録画ビデオの方が情報が豊富だったからです。が、そのことに関してさらに以下の注を付加しておきたいと思います。注の注にすぎませんが、ひとつのエントリとして起こしておきます。
 
上記ビデオの最後の部分でメインキャスターの古舘伊知郎恵村順一郎コメンテーター(朝日新聞論説委員)の「一般的に公的な立場にある人がナチスを肯定するような発言をするということは欧米であればこれは進退問題につながる話なんですね」という発言について、すぐに「肯定しているのではないか、と誤解されるような発言(ということですね)」と訂正を入れたのはジャーナリストの位置にいる者としてはきわめてお粗末な対応でした。古舘は少なくとも「麻生副総理側の主張によれば」という前提を述べた上で同訂正をするべきでした。そうしなければ古舘は麻生副総理の前言撤回発言を肯定しているということになります。
 
なお、この件に関するマスメディアの対応として『世に倦む日日』ブログの筆者は下記のような指摘をしています。的を射た指摘だと思います。
 
「今日(8/2)の朝、TBSの朝ズバで与良正男吉川美代子がコメントするのを見たが、「この釈明では国際社会には通用しない」という中途半端な批判に終わっていた。腑抜けの朝日と毎日は、国際世論の様子見が精いっぱいで、自ら正面から麻生太郞の暴言を糾弾して罷免させようという意思を持っていない。「この釈明では国際社会には通用しない」という指摘は、言い換えれば、国内では十分に通用するという意味だ。麻生太郞のナチス発言を非難しているのは、中国や韓国やユダヤ人人権団体であり、自分自身(与良正男・吉川美代子・恵村順一郎)はこの政治の批判者ではないのである。他人事なのだ。TWで書いたとおり、その気になれば、マスコミは簡単に麻生太郞を追い詰めて首を獲ることができる。(1)ジェラルド・カーティスの反応をテレビで流せばいい。(2)キャロライン・ケネディに接触すればいい。(3)国務省のサキに会見で質問してコメントさせればいい、(4)ナンシー・ペロシとヒラリー・クリントンにインタビューすればいい。それだけで、麻生太郞の辞任は決定的だろう。(1)-(4)を首尾よく行い得て、それに続いて、安倍晋三と菅義偉のドタバタ対応やら、ABCとBBCのニュース報道やら、ニューヨークタイムズとワシントンポストの批判記事があれば、1か月(9/6-7)後のG20に麻生太郞は出席できない。国内で右翼が宣伝扇動するデマとは全く逆に、欧米の視線は事態を正確に把握している。東京の特派員たちは、麻生太郞も安倍晋三もネオナチの極右である事実を知り抜いている。」
 
それにつけても、こうした日本のマスメディアの弱腰を見る度に私は辺見庸の次の言葉を思い出します。
 
状況の危機は、言語の堕落からはじまるのです。丸山真男は『知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる』と書き、歴史が岐路にさしかかったとき、ジャーナリズムの言説がまずはじめにおかしくなると警告しました。この言葉は一九五六年のものですが、言語の堕落、言説の劣化、ジャーナリズムの変節は、いまのほうがよほどひどいし、それらが全体として状況の危機を導いている。」(辺見庸 『単独発言―私はブッシュの敵である』 2001年)

麻生太郎(副総理)の「ナチスの手口に学んだらどうかね」発言(注)への批判が高まっています。その批判に関連してあるメーリングリストに「麻生はいかにしてセレブになったか」という考察の投稿が何本か続いています。
http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-August/025626.html
http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-August/025652.html

注:この記事をはじめにアップしたときに使用した音声ビデオはこちらのようなものでした。しかし、上記の報道ステーションのビデオの方が関係する各種の映像もあり、かつ、世界各国の麻生発言批判も網羅的によく取り上げられていますのでビデオのアップを切り替えました。なお、麻生発言の当該部分の全文はこちらの朝日新聞記事「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」 2013年8月1日付)をご参照ください。(8月4日)
 
私もこの際、麻生批判の仲間入りをしておこうと思います。私は4年前に戦時中の麻生炭坑の強制労働の酷さについて学ぶ「日韓(韓日)市民平和の旅」に参加したことがあるのですが、以下はその参加記です。麻生太郎批判としては少し迂遠にすぎるかもしれません。しかし、麻生家が財を成した背景のひとこまの点描としての意味はあるように思います。
 
以下、再掲させていただこうと思います。
 
「日韓(韓日)市民平和の旅と交流会」(韓日100年平和市民ネットワーク主催)のイベント その3「麻生炭坑訪問を中心とする北九州地域での交流」(23、24日)に参加してきました。学ぶところの多い「旅」でした。以下、その「旅」についての感想記のようなものです。

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(戦争捕虜 ウィキペディア『麻生鉱業』より)
映画評論家の川西玲子さんが東アジア倶楽部という Facebookの頁にアニメ「風立ちぬ」の映画評を書いておられます。
 
また、豊島耕一さん(前佐賀大学理工学部教授)も技術者の観点を含めて同映画評を書いておられます。
 
それぞれ見るべき論(映画評)だと思います。ご参照ください(ここでは川西玲子さんの映画評のみ掲げておきます)。
 
なお、宮崎駿監督自らが同作品の意図を語っている文章もあります。こちらもご参照ください。
 
飛行機は美しい夢(企画書 2011.1.10)
宮崎駿「時代が僕に追いついた」 「風立ちぬ」公開(日本経済新聞 2013.7.27)

「風立ちぬ」は宮崎駿72歳、渾身の一作
(東アジア倶楽部 川西玲子 2013年8月2日)
 *上記頁の右側欄。
 
宮崎駿の新作が、零戦の設計者として有名な堀越二郎の半生を題材にしたものだと聞いた時、私はこういう感想を抱いた。「よりによって、難しい題材を選んだものだな」。だが零戦の設計者を主人公にしたことで、国内外で批判されているようだ。
 
  零式艦上戦闘機、いわゆる零戦に50代以上の日本人が抱く感情は複雑である。いや、零戦と近代日本との関係自体が複雑なのだ。それがわかるのも、今や50代以上になった。戦争体験世代の子どもたちである。 
先に私は「鈴木寛氏(参院選東京選挙区)の応援団に加わった湯浅誠氏の思想性、あるいは『思考』性向について」という記事を書きました。
 
同記事は、標題のとおり、“鈴木寛”という私から見て問題性の多い民主党「保守」(同氏を「リベラル」と評する人もいますが、私の評価としては民主党内右派)議員の選挙の応援団に“湯浅誠”という一般に「革新」的な市民運動家と目されている「反貧困」運動の旗手がどうして加わったりしたのか、という私の驚きと疑問について、私なりの現時点でのジャッジメント(判断)を提示してみようとして書いたものでした。 したがって、同記事の主題はあくまでも“湯浅誠”のつもりだったのですが、湯浅誠氏の評価以前の問題として同氏が応援団役を買って出た民主党参院選候補者、鈴木寛氏の評価について、「革新」の側から同氏を「護憲」の人、また、「卒原発」の人として評価する声が多少なりとあり、私としてその論について応対を余儀なくされました。そこで、湯浅誠氏の評価の問題はひとまず措いておくことにして、改めて私の鈴木寛氏評価をおおよその範囲を超えませんが述べておくことにします。

2013-san-in-tokyo.png
 
鈴木寛公式ホームページを開くとすぐに目に飛び込んでくるのは次のようなフレーズです。