私の参加しているあるメーリングリストに先日公開が始まったばかりの宮崎駿監督の「風立ちぬ」という作品について「反・反戦映画」である同作品をなぜ批判しないのかというかなり無理筋の批判がありました(同批判の内容はこちらでご確認ください)。
 
以下、その論が無理筋の論たるゆえんを述べた私の反論です。少し調べてみると、その無理筋の論の火元の論はどうやら政治学者の藤原帰一氏(東大教授)が発したもののようです。その藤原氏の論への異論もあわせてご紹介させていただこうと思います。

ただ、宮崎駿監督の「風立ちぬ」は、私がこれから観ようと思っている作品ですから、私自身としてはいまのところ誉めることも貶すこともできません。以下は、作品鑑賞以前の問題としての問題です。それでも重要な問題ですのであえて書くことにしました。私が宮崎作品ファンということもおおいに与かっています。そのこともこの際前もって白状しておきましょう。

kazetachinu_banner.jpg
 
 
先週の土曜日(7月20日)に大分市で九州弁護士会主催の「今、死刑制度を考える~冤罪事件を通して」と題された講演会とシンポジウムがあり、私も参加しました。
 
基調講演は東電OL殺人事件再審弁護団主任弁護人の神山啓史弁護士。シンポジウムのパネラーは同弁護士のほか飯塚事件再審弁護団主任弁護人の岩田務弁護士と九州大学法学研究院の田淵浩二教授(刑事訴訟法)。コーディネーターは大分弁護士会所属で岩田弁護士と同じく飯塚事件再審請求の弁護人である徳田靖之弁護士(同弁護士はスモン、薬害エイズ、ハンセン、薬害肝炎など多くの集団訴訟の弁護人として活躍されていることでも有名です)。
 
聞き応えのあるシンポジウムでした。
 
とりわけ岩田弁護士の誠実さには胸を打たれました。岩田さんのお話は言葉数の少ないものでしたが、それだけになおさら自身の飯塚事件の再審請求の手続きが遅れたために同事件の元被告、久間三千年さんを無実の罪で死なせてしまった(国家権力の手による死刑)という岩田さんの慙愧の思いがひしひしと伝わってくるものでした。
 
徳田靖之弁護士とは大分県佐伯市大入島埋め立て反対闘争以来の知り合いです。

NHK121026.jpg 
岩田務弁護士(左)と徳田靖之弁護士(右)
 
徳田弁護士の人柄については下記の記事の最後のところでで少し触れています。
 
資料:(2止)大入島でいま何が起きているのか~大分県佐伯市(公職研『地方自治職員研修』2005年11月号)(弊ブログ 2011/1/25)
 
「私たちは、どうすれば行政の「理不尽」に対抗することができるだろう
か。行政の埋立強行の後の徳田弁護士のことばが印象的だった。あ
の大入島の人たちの命をかけた抵抗に、『私たちは―行政も、司法も
含めて―人間の心を持った者として、この問題をどう受けとめるの
。そのことがいますごく問われている』というのである。」
下記の「世に倦む日日」の記事で先の参院選東京選挙区に民主党から立候補した(落選)鈴木寛氏の応援団に湯浅誠氏や内田樹氏、中島岳志氏らが加わっていたことを知りました。

1005111_558819300839226_1986758014_n.jpg 
すずきかんを応援する会
 
鈴木寛の落選 - 応援団に加わった湯浅誠・内田樹・中島岳志(世に倦む日日 2013-07-22)
 
さらに詳しくは右記の「すずきかんを応援する会」の発起人名簿をご参照ください。さらにさまざまないわゆる「リベラル・左派」と一般に称される人たちの名前を見出して驚愕されるはずです(この事象も最近の私たちの国の「右傾化」傾向を象徴するひとつのできごとと見えなくはないでしょう)。

この「世に倦む日日」の筆者は、鈴木寛氏については福島第1原発事故の際の「SPEEDI情報隠し」を同氏の最大の汚点として糾弾していますが、その「世に倦む日日」氏の指摘する汚点もさることながら、鈴木氏は、7年前の教育基本法改悪の際に民主党の「教育基本法検討会」事務局長として自民党の同法改悪法案を凌駕する愛国心条項を含む民主党教育基本法改悪案を取りまとめ、同法改悪を主導した中心人物のひとりです。
 
右派ジャーナリストとして著名な櫻井よしこ氏もその鈴木氏が果たした役割について同氏の次のような発言を引用して評価しています。
 
「占領下で作成された教育基本法は一旦廃止し、真にあるべき日本国の教育を念頭にゼロから作り直すべきだとわれわれは考えたのです」

「愛国心ではなく、日本を愛する心の涵養としたのは、そうすれば、日本人と日本国を作りあげてきた祖先の生き方も伝統も文化文明も、全て包含されるからです。聖徳太子以来の日本、大化の改新で太子の理想を具現化した日本、古事記や日本書紀に記されている日本国の足跡、そこから窺える日本人の価値観全てを愛する心という意味で『日本を愛する心』としました。」(「
理想と現実の狭間の教育基本法」『週刊新潮』2006年5月25日号所収)


また、鈴木氏は、名うての右翼団体「日本会議首都圏地方議員懇談会」で来賓として祝辞を述べたり、同会のシンポジウムにパネリストとして参加するなど同氏と右翼団体とのつながりも浅からぬものがあり、同氏の右翼的傾向は明らかです。
 
湯浅誠氏や内田樹氏、中島岳志氏らは先の参院選でよりによってこのような右翼的人物の応援団に加わっていたというのです。とりわけ湯浅誠氏は反貧困運動の市民活動家として市民の信頼も厚い人です。先の東京都知事選や先の先の都知事選では革新統一候補者として最適な人として市民から熱く推されもしました。このような人がなにゆえに右翼的人物の応援団に加わったりするのでしょう? 私たちは湯浅氏の評価をいま一度再検討してみる必要がありそうです。
共同通信が22日付けで「参院196人、72%が改憲賛成 アンケート、96条は拮抗」という記事を発信しています。
 
「参院196人、72%が改憲賛成 アンケート、96条は拮抗」
(共同通信 2013/07/22)
 
共同通信社は22日、既にアンケートを実施していた参院選当選者と非改選議員計196人の回答を基に新しい参院の姿を探った。憲法改正については、「加憲」を掲げる公明党を含め、72・4%に当たる142人が「変えるべきだ」と回答した。ただ、憲法96条改正には賛否が拮抗した。
 
22日に確定した参院選の結果、改憲に積極的な自民、維新、みんな、新党改革の参院新勢力は計143議席となった。アンケートでは民主党の11人、公明党の11人も「変えるべきだ」と回答。この計22人を加えると計算上は、改憲発議に必要な参院3分の2の162議席に達する。
 
短い記事ですが、今後の政治の負のゆくえを展望するという意味で重要な情報が掲載された記事だと思います(もちろん、私たちもただ拱手傍観しているわけではありませんが)。
 
その国会の「改憲」状況に関して日本報道検証機構(GoHoo)がこれも重要な「注意報」記事を発信しています。私たちはこのGoHooが発信している国会における「改憲」状況に関する分布図を正確に受け止めておく必要があるでしょう。日本報道検証機構(GoHoo)はまさにわが国におけるジャーナリズムの“ウォッチ・ドッグ”(権力の監視者)の役割を果たしています。
弁護士の萩尾健太さん(自由法曹団常任幹事・東京)が「参議院議員選挙の結果と護憲共同の必要性」という今回の参院選の結果についての感想をいくつかのメーリングリストに発信されています。許可を得て転載させていただくことにしました。その上で私のコメントを若干述べてみたいと思います。
 
萩尾さんの参院選の結果についての「感想」は以下のようなものでした。
 
萩尾健太です
 
自民圧勝で選挙も終わり、改憲阻止の闘いが正念場となりました。共産党が躍進したのはうれしいのですが、90年代後半の反省を生かせるように、と思います。あのときも、共産党は躍進し、第2の反動攻勢が終わった、と評価していました。しかし、実際は、社会党がなくなったことにより、革新票が少し共産党に来ただけでした。世の中は新自由主義が本格化していたのを、古い自民党が落ち目だ、などと共産党は言っていましたが、それが間違いで、その後、日の丸君が代も周辺事態法もやられてしまいました。
 
選挙が終わったので厳しいことを書きますが、今回は、民主党が減った分が少し共産党に来た程度ですね。共産党は、社民党や新社会党など、護憲勢力としっかり協力して、改憲に立ち向かうべきと思います。今回、社民党が減ったのが痛いです。緑の党の立ち上げが問題ではないでしょうか。社民と支持層がかぶったと思います。生活の党、緑の風、大地などの中道勢力も、一つにまとまるべきだったのに、そもそも、未来の党を割ったのが間違いでした。山形で、緑の風が落ちたのも残念です。ああいうところでは自民阻止のために、共産党も協力すべきだったのでは。今後、民主、公明内の護憲派にも働きかけていくことが大事だと思います。
kojitakenさん(「kojitakenの日記」ブログ主宰者)が本日付けの記事今野晴貴氏の『生活保護 ――知られざる恐怖の現場』(ちくま新書 2013年7月)という新書を紹介されています。

41znvm6-byL__SL160_.jpg  

その記事のエッセンスは次のようなものです。
 
「本記事では、本書の中から、現在選挙戦が行われている参院選と絡めて注目した部分に触れる。
 
まず取り上げるのは、本書第4章「違法行政が生保費を増大させる」に引用されている、自民党国会議員の暴言だ。
 
片山さつき(太字は引用者。以下、同じ)は「生活保護は社会保障ではない」、世耕弘成は「生活保護受給者には『フルスペックの人権』を認めるべきではない」(引用者注)とそれぞれ言い放った*1。こんな議員がいる政党の圧勝が間違いないとは寒心に堪えないが、著者が問題視しているのは、「生保を受給するためには自らが真正な貧困者であることの証明が要求される」*2ことである。「実際の行政の審査を通過するためには、車や持ち家の処分、蓄えがあればそれすら処分し、丸裸になる必要がある」*3と著者は書く。

引用者注:「フルスペック」のスペックとはパソコンにおけるメモリ搭載量や自動車におけるカーナビ装備の有無といった「計量的」かつ「取り替え可能」な属性のことをいう。すなわち、「フルスペックの人権」とは、「人権」を「取り替え可能」な「計量的」なモノとみなす考え方のことをいい、世界人権宣言やわが国の憲法が採用している「天賦人権」論(憲法第11条)とはまったく逆立する思想、考え方。
 
ただでさえこのような状態にあるのに、片山や世耕ら自民党の政治家は、さらなる貧困の可視化を要求するのである。
 
少し本書の内容から脱線するが、4年前の衆院選では争点の1つとされていた「取り調べの可視化」には冷淡もいいところだった自民党の政治家は、それとは裏腹に「生活保護を受ける人間が貧困であること」の可視化を強く求める。自民党とは恐るべきサディスト集団であるといえよう。
 
著者は、自民党の政治家たちの主張を言い改めて、その問題点を指摘する。以下本書より引用する。
 
(前略)つまり、生活保護の対象者は、普通の生活をしていてはいけない。誰から見ても「貧困者」とわかる相貌でなければならないという要求。うつ病にかかっていて働けなくても、収入がなくとも、「普通に見える」限りは生保の対象としてはいけないというのだ。
 
だが、目に見える貧困化が進むことで、当人の生活や健康状態、精神状態は荒廃していき、就労や社会参加は遠のく。(中略)
 
ある社会学者の言葉を借りれば、バッシングが受給者に要求しているのは、「家族全員が難民キャンプで生活する」ような状態であり、社会生活への復帰を阻む生活水準だ。「真正な貧困者であれ」という要請に応えようとすれば、金銭面だけではなく、生活習慣や社会の関係性までも破壊してしまう。
 
(今野晴貴『生活保護 - 知られざる恐怖の現場』
(ちくま新書  2013年)165-166頁)
 
これが、片山さつきや世耕弘成が旗を振って、多くの大衆が共鳴した「生活保護バッシング」の正体なのだ。
 
読んでいて、「怒り」が心頭に発してきます。
 
しかし、今晩の深更になれば白黒ははっきりするでしょうが、残念きわまることですがこういうサディストの政治がしばらく続きそうです。そして、その先には「改憲」が準備されています(すでに生活保護費は今年度の8月分から大幅に減額されることが確定しており、これは、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という生存権的権利を規定した憲法25条の実質的な改悪以外のなにものでもないでしょう。「改憲」準備はサディスト政党の手によって実質的、実態的に進められているのです)。
 
今後、私たちの生存権保障を求める「闘い」、また、改憲を阻止する「闘い」は熾烈(文字どおり命がけの「闘い」)になっていかざるをえないでしょう。その熾烈で、「生存権」をかけた文字どおり命がけの「闘い」が孤立するようなことがあってはなりません。私たちも生命をかけた「闘い」にふさわしい布陣を構築する必要があるでしょう(注)。
 
注:その場合、「共同」の問題がやはり問題になってこざるをえないでしょうが、その「共同」の問題を考えようとする場合、私たちは3・11以来の「脱原発」運動の負の運動側面、今回の参院選をめぐる「出がらし緑茶会」「eシフト」問題などの「偽りの共同」(広原盛明氏が否定的な意味で援用する五野井郁夫高千穂大准教授のいう「偽りの第三極」のもじり)問題からも「貴重な教訓」を汲みとる必要があるでしょう。そして、そういう理論闘争の場面でも「熾烈な闘い」をくぐらざるをえないでしょう。
 
以上、私の無残な結果となることがはっきりとした参院選投票日の覚え書き(心構え)として。

参院選の投票日を前にして私は3日前、eシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)の「幼稚」な論理を批判する記事を書きました。
 
また、3週間ほど前にはそのeシフトと緑茶会(脱原発政治連盟) の論理の「暗愚」な同質性を指摘する記事も書きました。
 
上記の記事に私は次のように書きました。
 
「上記のような呼びかけは、実態的に「原発推進」政党でしかない政党を含む政党群を一律に「脱原発」政党とみなすことによって、その政党群の実際としての「脱原発」政策(実際は「反脱原発」政策)を黙認、許容、容認、認知することにつながり、真の意味の「脱原発」政策が喫緊の課題として求められているときにその政治的弊害ははかりしれないものがあります。」(「eシフトは『出がらし緑茶会』の二番煎じ eシフトと緑茶会の暗愚な主張の同質性。また、『革新政党』票と『脱原発』票のそれぞれの危ういゆくえ」 2013.07.02)
 
その「批判」の思いは当然いま(It is the Election day that now)も変わりません。
 
その私の「思い」とは少しばかり形は違うのですが、弁護士の澤藤統一郎さんも参院選の投票日を前にしてやはり私と同様の「思い」を述べられています。私の「思い」とは少しばかり形は違うというのは、澤藤さんは、「緑茶会」に焦点を当ててその批判記事を書いているからです。そうして、さらに今回の澤藤さんの「緑茶会」批判の特徴は、同会呼びかけ人にも名前を連ねている宇都宮健児さん(前東京都知事選革新候補者・弁護士)と上原公子さん(前東京都国立市長・前社民党参議院比例区候補者)のおふたりを名指しして厳しく諫言していることです。
 
中国の「史記」に「忠言耳に逆らう 」という故事があります。おふたりには耳に痛い忠言でしょう。が、宇都宮さんと上原さんのおふたりにはその耳に痛い忠言を友からの諫言として愚直に受け止めていただきたいのです。愚直は、誠実や剛毅、剛直、朴訥などの意味もある言葉です。そういう意味で「愚直」に受け止めていただきたい、というのが上記の意です。
 
以下、澤藤さんの下記の論から該当部分のご紹介です。
 
参院選・投票日まであと3日ー脱原発を願う有権者の皆様に
(澤藤統一郎の憲法日記 2013年7月18日)
 
「首都圏反原発連合が作成した、脱原発候補への投票を呼び掛けるポスターやフライヤーの類でも、日本共産党の徹底した姿勢が評価されている。そのような運動の先頭に、かつては吉井英勝さんがおり、今は笠井亮さん、小池晃さん、そして吉良よし子さんがいる。
 
その吉良よし子さん(東京選挙区の共産党公認候補)について、本日の赤旗社会面に、宇都宮健児君が推薦の弁を述べている。おざなりの内容ではなく、きちんとした推薦の理由が具体的に述べられており、「一貫して、脱原発、脱貧困、憲法擁護を貫いている吉良さんを私は応援します」と結んでいる。宇都宮君が吉良候補事務所開きで挨拶したことも赤旗には報じられていた。革新の共闘で知事選候補となった人の言動として、当然のことながら結構なこと。この姿勢を貫いて欲しい。
 
宇都宮君は、上原公子さんと並んで「緑茶会」という脱原発市民運動団体の結成呼びかけ人となっている。この「和製ティーパーティー」は、参院選で脱原発の候補者を選別し調整して、当選可能性の高い候補者を支援することが目的だという。
 
この会のホームページで、上原さんは、設立呼びかけのメッセージとして、「国民の不幸は2つある。国民を守るべき政府が、国民を置き去りにしていること。選ぶべき信頼(に)堪えうる政党がないことである」と言い放っている。この人、社民党から参院選に立候補して落選した経験があるはずだが、社民だけでなく、共産・みどり・生活・緑の党まで含めて、すべての政党を「信頼に堪えうる」ものでないというのだ。この人の頭の中では、「政党」と「市民」とは水と油のごとく親和せざるものとなっているのだろう。
 
もちろん、政治信条は人それぞれに自由、表現も自由だ。上原さんの言動を怪しからんというつもりはない。しかし、言論には責任が伴う。この人は革新陣営の共同行動を呼び掛けるにふさわしい人ではなく、この人の呼びかけによる運動に信を措くことはできない。「信頼に堪えうる」政党がないという人の呼び掛けに、のこのこ応じる政党人の見識も問われることになるだろう。
 
緑茶会は「脱原発候補が複数立候補する選挙区においては、当選確率がより高いと客観的に判断できる候補を推薦する」として、東京選挙区では、大河原まさこ候補(無所属)だけを推薦している。吉良よし子候補はもちろん、その他の「脱原発・原発ゼロ」を掲げる候補の推薦はない。端的に言えば、有権者の脱原発票を大河原候補に集中しようとしているのだから、排他性の高い運動となっている。大河原候補を推薦したければ、その実績や政策を訴えればよいこと。同候補を「当選確率がより高いと客観的に判断できる」などとまで根拠のないことを言って、脱原発志向の有権者を惑わせるのは罪が深い。
 
宇都宮健児君も緑茶会設立呼びかけ人の一人である。東京選挙区では、「当選確率がより高いと客観的に判断できる」大河原候補に脱原発票を集中するように呼び掛けている立ち場にある。この排他性の高い運動の呼びかけは、吉良候補への応援とは両立しない。敢えて吉良候補への支援の弁を赤旗に掲載したことを評価するとして、緑茶会呼びかけ人としての立ち場は放棄したのか、そうでないのか気にかかるところ。革新共闘の要に位置した人として、排他性の高い運動に加担してはならない。その辺のケジメを大切にしていただきたい。」
 
引用者注:澤藤氏の上記の緑茶会批判、また、宇都宮健児氏、上原公子氏批判は、澤藤弁護士が共産党支持者であるということとは一応切り離して読まれるべきものだろう、と私は思っています。
オスプレイ 
                   地元紙で識るオキナワ

“県外移設”の安里候補の選挙カーに“辺野古公約”の安倍首相と転び島尻安伊子が(地元紙で識るオキナワ 2013年07月18日)
 
応援してもらって安倍さんに逆らえるのかねえ
逆らえるわけねえ
島尻とおんなじ
この人もすぐ 転ぶよ 見ていてごらん
やっぱりリップサービスの“県外移設”
いやだね 選挙に勝つためなら手段を択ばない 節操のない政治家ばかり
そんな政党がこの国を牛耳ろうとしている
これでどこが美しい国だ、どこが信頼される強い国だ
ニッポンをおとしめているのはあなたたち自身ではないのか
                                                                  (以下、略)
 
“人間の尊厳”と対極にある「原発再稼働」 懲りない自民党
(地元紙で識るオキナワ 2013年07月18日)
 
昨年の衆院選で「再稼働反対」と言って大量に当選した自民党議員。政権党になったとたんその議員たち、みな大転向。
この政党は信用できない。
                   (以下、略)
 
*上記は、「ブログ『紙屋研究所』の言うとおり。「『1つや2つの理由で、候補者Xを推して』は過ちのもとだ。(弊ブログ 2013.07.18)の続きとして書きました。
 

朝日新聞が7月18日、同19日付け本紙で「参院選終盤情勢調査」を掲載しています。そのうち比例区大まかな選挙区情勢は18日付けの同紙のデジタル紙面で読むことはできますが、詳細な選挙区情勢はデジタルには反映されていませんので、その補填の意味もこめてkojitakenさん(「kojitakenの日記」主宰者)の「『参院選、朝日新聞終盤情勢調査』読み」を参照させていただこうと思います。
 
注:以下は、「kojitakenの日記」のブログ記事のURLを紹介してておけばそれで済む問題なのかもしれません。しかし、kojitakenさんも指摘されている俳優の山本太郎が参院選東京選挙区で当選圏内に入ったという終盤情勢調査の同氏の独自の分析には私も同意する点が多く、その同意の意志を私のブログでも示しておきたいということもありました。それがkojitakenさんの「朝日新聞終盤情勢調査」の「読み」を転載させていただく大きな理由のひとつです。
 
(1)与党、過半数は確実 参院選、朝日新聞終盤情勢調査
  (朝日新聞 2013年7月18日)

終盤情勢調査 
朝日新聞(2013年7月18日)

(2)自民、若壮年層にも浸透 参院選、朝日新聞終盤情勢調査
  (朝日新聞 2013年7月18日)

 終盤情勢調査2 
 朝日新聞 2013年7月18日

eシフトという3・11以後に設立された「脱原発」を標榜する組織が昨日の7月17日付けで「参議院選挙に向けての声明」なるものを出しています。
 
まず、その「声明」の前文には次のように書かれています。
 
「目先の利益・一部の人たちの利益にとらわれず、長期的な日本の課題に取り組むのは、任期6年間の参議院だからできることです。(略)このような長期的な課題に党利党略を持ち込むことはふさわしくないのですが、残念なことに、これまでに温暖化問題(気候保護法案)、脱原発基本法案や電力システム改革と発送電分離の法案(電気事業法改正法案)が党利党略のために廃案になっています。このような点を踏まえeシフトでは、候補者、有権者に対して声明を発表するものです。」
 
そして、その「声明」の本文には次のように書かれています。
 
「私たちは、脱原発・再生可能エネルギー導入を進めてくれる候補者に投票したい。その所属政党はどこでもよい。候補者には、選挙で約束した政策は、当選後必ず守って欲しい。党や官僚に何か言われたぐらいで約束を破らないで欲しい。」
 
私は一瞬「アホか」と叫びたくなりましたが、私が叫ぶまでもなく、上記の「声明」の発表と同じ日の7月17日付けで『紙屋研究所』というブログに私の内心の声と同様の声が記事として掲載されていました。題して「選挙における気になる思考方法」。
 
私もおおいに共感しますし、短文でもありますので、以下、同ブログの同日付けの記事を全文ご紹介してみます。

imageCATR1OI3.jpg 
紙屋研究所
 
 
参院選も最終盤だけど、「●●という仕事がすばらしかったから」という1つや2つの理由で、候補者Xを推している人がときどきいる。最近とみに増えてるな。
 
そいつをAとしよう。
 
もちろん、それは自由だよ。どういう理由でAが候補者Xを推すのかは自由だよ。
 
だけど、候補者X、もしくはそいつが所属していた政党が国会で消費税増税法案に賛成しているなら、候補者Xはもちろん、候補者Xを推しているAも消費税増税という大衆収奪に責任を負うんだよ、当たり前だけど。
 
「いや、●●という仕事についてはいいと思ったけど、消費税増税に賛成したことは別にいいとは思ってないよ」とかいう言い訳は効かない。効かないに決まってるだろ。アホか。
 
だって、候補者Xとその所属政党は賛成してんだもん。国会で議席を得てそういうものに手をあげるとか起立するとかして賛成するのはものすごく重いことなんだ。生活、ときには命を奪ってるかもしんないんだよ。そういう重い責任を負ってるんだ。
 
原発の再稼働だって、TPP推進だって、なんだっていい。逆に、議員定数の削減に反対したとかいうことだっていい。候補者Xを推せんする、応援するとは、そういう責任すべてを追うことなのだ。
 
そして、別に今回の参院選に限らない。知事選とかで浮かれて有名候補の応援演説とかやったとしたら、その知事選候補Xの全部に責任を負うことになるのだ。いや浮かれてないかもしらんけど。ものすごく重い決意でやったのかもしらんけど。懐に「遺書」とかしたためて応援演説したのかもしらんけど。とにかく「俺はそんなことは知らん」とか言い訳にはならない。
 
むろん、このロジックは、応援演説にとどまらない。1票入れた時点でそうなる。
 
私は1か月ほど前に「『生活保護法』改悪法案が衆院で賛成多数で可決 自民、民主、日本維新、公明、みんな、生活各党の暴挙を弾劾する」という記事を書きましたが、その「生活保護法」改悪法案に賛成した政党の候補者も「脱原発」とは一応表明しているのです(「脱原発」の中身はともかく)。
 
「いや、『脱原発』という主張はいいと思ったけど、『生活保護法』改悪法案に賛成したことは別にいいとは思ってないよ」とかいう言い訳は効かない。効かないに決まってる」のです。紙屋研究所の所長さんもおっしゃるように。
 
私たちの一票を「脱原発」というイシューだけに限定して投票するのは危険です(ここでは詳しく触れることはしませんが、第一、その「脱原発」がほんものかどうかも見きわめる必要もあります)。その一票の行使がいつの日か、それもそれほど遠くない近い将来において禍根を残すことになりませんか?

私の問いかけはそういうものです。


Aさんから要旨次のようなリブライが返ってきました。
 
平時から色々な課題で共同行動を呼びかけ、行動を積み上げて信頼関係を涵養していくしかなかろうと思います。平時に付き合いのない団体から選挙の間際に話し合いをしようと誘われても、要請に応えるのはなかなか難しいように思います。それは何も政治に限った話ではなく、商取引でも自治会活動でも同じではないかなあ。
 
せっぱ詰まってから突然お付き合いをと持ちかけても、日頃から培った信用がなければうまく事が進みません。大切なのは、日頃からの共同行動の積み重ねだと思います。
 
よく知らない相手から選挙の直前にいきなり話し合いをしようと呼びかけられ、応じなかったら「官僚主義のせいで、広がる可能性をつぶしてしまった」と評されたのでは、共産党が可哀想じゃないでしょうか。
 
それとも私の頭が固いんでしょうか。
 
Aさん、少し迂遠なことを書かせていただきます。
 
プロレタリア作家として名高い中野重治に「歌」という有名な詩があります。その詩は次のようなものです。

51rKKZ-P3HL__SL500_AA300_.jpg
 
おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなものを撥(はじ)き去れ
すべての風情を擯席(ひんせき)せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸さきに突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
たたかれることによって弾ねかえる歌を
恥辱の底から勇気を汲みくる歌を
それらの歌々を
咽喉(のど)をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ
それらの歌々を
行く行く人びとの胸郭にたたきこめ
                (『中野重治全集』より)
 
その中野は大学時代に共産主義に被れ、やがて共産党員となり、1932年に検挙されます。そして、1934年に転向を条件に出獄しますが、転向して帰ってきた息子に『村の家』の父親は次のように言います。

1153PP685SL__SL500_AA300_.jpg
 
「おとっつあんは何も読んでやいんが、おまえがつかまったと聞いたときにや、おとっつぁんらは、死んでくるものとしていっさい処理してきた。小塚原で骨になって帰るものと思て万事やってきたんじゃ。」
 
「輪島なんかのこのごろ書くもな、どれもこれも転向の言いわけじやつてじやないかいや。そんなもの書いて何しるんか。何しるつたところでそんなら何を書くんか。いままで書いたものを生かしたけれや筆ア捨ててしまえ。それや何を書いたつて駄目なんじや。いままで書いたものを殺すだけなんじや。」
 
「わが身を生かそうと思うたら筆を捨てるこつちや。‥‥里見なんかちゆう男は土方に行つてるつちゆうじやないかいして。あれは別じやろが、いちばん堅いやり方じや。またまつとうな人の道なんじや。土方でも何でもやつて、そのなかから書くもんが出てきたら、そのときにや書くもよかろう。それまでやめたアおとつつあんも言やせん。しかしわが身を生かそうと思うたら、とにかく五年と八年とア筆を断て。これやおとつつあんの考えじや。おとつつあんら学識アないが、これやおとつつあんだけじやない、だれしも反対はあろまいと思う。七十年の経験から割り出いていうんじや。」

*江戸時代の処刑場(引用者注)
 
それに対して中野自身である主人公の息子の勉次は相槌を打つ以外は終始、黙して聞いていましたが、最後に一言、
 
「よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います」
 
と答えます(中野重治『村の家』より)。
 
中野自身である主人公の息子の勉次はこのとき親子の「情愛」を断ち切って、共産主義という「論理」の道を選んだのです。それが「よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います」という返答になっているのだと思います。
 
Aさんは「よく知らない相手から選挙の直前にいきなり話し合いをしようと呼びかけられ」ても云々と言われます。しかし、私は、この問題は、「よく知っている相手」とか「よく知らない相手」とかという問題ではないだろう。前便でも述べたように、この問題はこうした共産党の市民運動に対する対応は正しいものなのかどうなのかが問われている。すなわち、『村の家』で勉次が選んだ「論理」の問題というべきだろう、と思うのです。
 
『村の家』は、「情愛」の大切さと深さをよく知る「転向」作家の中野重治が描いた作品だったからこそ「転向」の意味をよく考えさせうる名作に数えられるようになったのだと私は思います。
 
 
革新政党(ここでは兵庫選挙区の事例として共産党、社民党、新社会党、緑の党の4政党を一応革新政党としておきます)同士及び市民運動側との「護憲結集」の問題に関して関西地区に基盤を置くあるメーリングリストで主に共産党と市民運動との「護憲結集」のあり方、または可能性の問題について侃侃諤諤ともいってもよい議論がありました。議論は現在も進行中です。そして、その議論には私も少しばかり関わりました。以下は、その私の意見の一端です。
 
Aさんのご指摘にはわれわれとしてもう少し掘り下げて考えておくべき摘芽のようなものが含まれているように思います。そのことについて若干のことを述べさせていただこうと思います。
 
なぜ「護憲グループと選挙で連携するのは困難」かということについて、Aさんの分析されているご指摘(省略)は私にも相応に理解できないわけではありません。たしかにそういうこともあるでしょう。しかし、いまBさんなどからこの件に関して提起されている問題(注1)のポイント(核心)は、Aさんもおっしゃっておられる「むろん、共産党のかたくなさ、官僚主義のせいで、広がる可能性をつぶしてしまったこともあるでしょう」というところにあるように思います。それを「私も護憲運動が大きく統一され、選挙に勝てるぐらいになることを願っていますが、どうすればそのようなことができるのか、分からないでいます」と言うだけでは、ここで提起されている問題の解決の「先延ばし」(結果として「無責任」な議論)ということにしかならないのではないでしょうか。
 
注1:Bさんの問題提起的「独り言」
自分も独り言ですが、ハナから選挙共闘の可能性はないと、その護憲共闘を願う人たちが主催したその 「可能性を話し合おう」という場ですらも「建設的な議論にはなり得ない」とレッテル貼って攻撃するような政党が、他党に脱原発や護憲の票を喰われて競り負けても自業自得だよなぁ。
 
Bさんが提起されている問題は、Aさんが「共産党のかたくなさ、官僚主義のせいで、広がる可能性をつぶしてしまったこともあるでしょう」というような時期不詳の抽象的な問題ではなく、ごく最近あったばかりの具体的な問題です。
 
以下は、こちらのエントリの続きです。改憲側はこのある人が「まとも」と評価する一見「まとも」そうな問いの装いを凝らして実のところデタラメな憲法観を吹聴しています。そのようなデタラメな改憲側の憲法観に欺かれないためにも稿を起こしておきます。
 
なお、この応答の前提になっているのは「特集:きょう憲法記念日 憲法96条改正の是非 日本維新の会共同代表・橋下徹氏、憲法学の樋口陽一氏に聞く」という毎日新聞(2013年5月3日付)の記事です。
 
ある人の論(要約)。
 
私が「まとも」と評している部分は、
 
①「日本の憲法改正手続きの一番の特徴は『3分の2以上の発議』ではなく、最後に国民投票にかけるということだ」というのと、②「個人の尊厳を明記する憲法13条が一番重要だ」 というのと「13条をも変えうる力を持つ96条」 という形容。それから③「憲法の教科書すら読んだことのない国会議員が、なぜ憲法について簡単に意見できるのかと思う。現行憲法には 主権者国民が国家権力を縛る という立憲主義が込められている」「国民に特定の価値観を強要する憲法改正を目指すような議論はすごく怖いことだ」 という発言。
 
――①は事実を述べてるだけで意見ではない、との前提です(たしか全国民投票に掛けるのは珍しいそうで、特徴的)。それと、後半の、地方自治の項目に関する橋下氏の意気込みには、いくらかコメントが無いのでしょうか・・・
 
①「日本の憲法改正手続きの一番の特徴は『3分の2以上の発議』ではなく、最後に国民投票にかけるということだ」 という説は「事実を述べてるだけで意見ではない」とのことですが、①の説も「事実」ではありません。
 
憲法研究者の上脇博之さんは最近脱稿されたばかりの「姑息な安倍改憲の危険性~96条先行改憲、解釈改憲、立法改憲~」という論攷の中でもこの点に触れて、「日本国憲法の改正手続は、国民投票だけで決まるのではなく、国会の発議とセットですし、かつ国会の発議なしには国民投票もありえないのです。それゆえ、国会の発議を軽視することは、日本国憲法の硬性性を正しく理解していないことになります」と述べて、①の説は「事実」ではないことを明確にしています。
 
また、すでに前エントリでもご紹介していますが、東大名誉教授の樋口陽一さんも憲法96条の解釈について、「96条はこれは憲法の前文の言葉ですけれども『正当に選挙された国会』で三分の二以上の合意が得られるまで熟慮と議論を尽くす。それでもなお残るであろう三分の一の意見を含めて十分な判断材料を国民に提供するのが国会議員の職責である。――96条の意味はそういうことであるはずです」と述べて、やはり①の説は「事実」ではないことを明確に説いています。
 
以下は、明日(すでに今日になっていますね)大阪である『つなげる。~旅×音×食×アート~』という若者の政治イベントをご紹介してくださった中谷綾恵さんのメールへの私の端書きとしての応答の言葉です。
 
中谷綾恵さん、ご投稿拝見しました。
 
「無投票・無関心層が多いといわれる私たち世代ですが、デモや集会、勉強会に行くと若者というだけで喜ばれる現状が悲しいよね」というのは若者として、というよりも一個の自立した人間として抱く当然かつ健全な違和感であろうと思いますし、「4割を占めるともいわれるこの層が選挙に行くことで、政治をガラッと変えようという思いを持って、10代、20代の仲間が集まり企画しました」というのも若者らしい感性の鋭い行動提起になりえていると思います。また、ご紹介されるFacebookコミュニティページでフェスタのチラシも拝見させていただきましたが、すてきなデザインだと思いました。

チラシ表 チラシ裏
 
が、一考していただきたいと思うことがあります。
 
そのFacebookコミュニティページに次のような記述があります。
 
「【スペシャル素敵ゲスト☆その4】
~日本の未来を語るベストセラー作家~
プロジェクト99%代表『安部芳裕』
 
このイベントは安部さんのお話を広めたい!と思って企画したと言っても過言ではない。それほどのキーパーソンです!」
 
上記の「99%」という言葉に関連して評論家の太田昌国さんは次のように書いています。その太田さんの問題提起について考えていただきたいのです。
 
特集:きょう憲法記念日 憲法96条改正の是非 日本維新の会共同代表・橋下徹氏、憲法学の樋口陽一氏に聞く」(毎日新聞 2013年05月03日 東京朝刊)という記事に関連して。
 
ある人 wrote:
> 樋口陽一氏の知見はさすがだが、橋下市長の立憲主義論が意外にまとも。
 
樋口氏の評価についてはそのとおりだと思いますが、「橋下市長の立憲主義論が意外にまとも」というのはどうでしょう?
 
橋下氏の「96条の国会発議要件を『2分の1以上』に引き下げることを緩和だとは思わない」。「日本の憲法改正手続きの一番の特徴は『3分の2以上の発議』ではなく、最後に国民投票にかけるということだ」などという発言を「まとも」と評価してのご意見でしょうが、この橋下氏評価は誤っていると思います。
 
樋口氏の論を紹介されていますが、その樋口氏は先月のの6月14日にあった「96条の会」発足記念シンポジウム冒頭の基調講演において憲法改正発議に必要な3分の2要件について次のように説明しています。
 
「96条はこれは憲法の前文の言葉ですけれども『正当に選挙された国会』で三分の二以上の合意が得られるまで熟慮と議論を尽くす。それでもなお残るであろう三分の一の意見を含めて十分な判断材料を国民に提供するのが国会議員の職責である。――96条の意味はそういうことであるはずです。」(26:14頃

兵庫選挙区の参院選情勢について私は前エントリで次のように述べておきました。以下は、その続きということになります。

ある人 wrote:
> ハナから選挙共闘の可能性はないと、その護憲共闘を願う人たちが
主催
したその「可能性を話し合おう」という場ですらも「建設的な議論
にはなり
得ない」とレッテル貼って攻撃するような政党が、他党に脱
原発や護憲の
票を喰われて競り負けても自業自得だよなぁ。
 
一理も二理もあるご主張(独り言)だとは思いますが、たとえばいま兵庫県で起きている今度の参院選投票日における投票行動の選択の問題は、政党の選好、または好悪の問題とは一応切り離して考えるべき問題であろうと思います。
 
参院選大分選挙区ではみんなの党からは浦野英樹氏(元東京・三鷹市議)が立候補しています。
 
浦野氏の大分選挙区からの立候補の狙いについて私は前便で以下のように指摘しておきました。
 
公示日直前になって出馬を表明したみんなの党の浦野英樹氏は、民主党と同党を支える連合大分が今回の社民党との選挙共闘について消極的「自主協力」であることにつけこんで連合大分の支持を中心とした民主票を攪乱させて票を簒奪することを目的にしているでしょう。背景には社・民共闘の分断を図り、自陣営の再当選を狙っている自民党の深謀遠慮があることも考えられます。
 
さらに浦野氏の今度の立候補は、今回の参院選で当選することが目的ではなく、次回の地元の中津市議選、あるいは市長選への出馬に向けて名前を売り込むことが最大の目的なのかもしれません。参院選大分選挙区での立候補ほどそれほど金をかけずに名前を売り込むことのできる機会はまたとないでしょう。
 
それはともかく、浦野氏がその推薦をとりつけて立候補したみんなの党は「庶民の党」のイメージを売り物にしていますが、まごうことなき改憲推進政党です。
 
毎日新聞ボートマッチ「えらぼーと」の憲法問題の問いに対して、問1「憲法改正」では「賛成」、問2「憲法9条」では「自衛隊明記」、問3「憲法96条改正」では「賛成」と回答しています。
http://bit.ly/12cozMA

参議院京都選挙区から立候補している民主党候補、北神圭朗についてあるメーリスで以下のような投稿がありました。報道機関の参院選序盤世論調査によれば京都(2人区)では自民と共産が一歩抜け出している格好ですが、前回の2010年の選挙では現在3位につけている別の民主党候補に共産はダブルスコアで敗北しているわけですからまったく予断を許しません。超タカ派極右の北神圭朗の「当選」はなんとしても阻止しましょう。
 
北神圭朗(京都・民主党)は原発・TPP推進、従軍慰安婦否定の超タカ派極右
 
京都選挙区の民主党候補・北神圭朗(前衆議院議員)は、2007年6月14日のワシントン・ポストに掲載された従軍慰安婦の強制連行を否定する意見広告「THE FACTS」に賛同したほか、民主党内の外国人参政権に反対もしくは慎重な議員で構成される永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会に参加しているタカ派・極右の人物です。
 
以下、参院選大阪選挙区に出馬している民主党候補、梅村聡に関する情報です。
 
こうした人権感覚の欠如した(本人自身が「人格失調症」という重篤の病を患っているのですが、当人はそのことに気づいていない)候補者はどうしても落選させる必要がありますね。それがエリート人生を送ってきたらしい、しかし、まだ若い、彼のためのなによりのクスリでもあるでしょう(おそらくそのクスリもこういう御仁には効かないでしょうが、効かないまでもキツイお灸を据えておく必要はあるでしょう)。
ある人 wrote:
> 参院選には期待していません。外圧がつよい時は、よほど国民の意
識が洗練されていないと
白か黒かという単純な二体問題で最適解を
求めようとするからです。
 
「参院選には期待していません」(自民党の独り勝ちが予想される参院選の結果には「期待していません」という意味でしょうが、そうだとしても)という言い方には随分と違和感を感じます。
 
人は追いつめられたとき、「期待」はもちろんしないまでも、「抵抗」する権利はあるのです。
 
個人の尊厳から出発するかぎり、どうしても抵抗権をみとめないわけにはいかない。抵抗権をみとめないことは、国家権力に対する絶対的服従を求めることであり、奴隷の人民を作ろうとすることである。
(宮沢俊義『憲法II』(有斐閣、1959年)第三章 第三節「抵抗権」)
昨年まで現役の佐賀大学理工学部教授だった日本科学者会議・福岡メンバーの豊島耕一さんが「九条の会」に対して「国政選挙を無視するのか?」という異議申し立てをしています。以下のとおりです。
 
「九条の会」に次のようなメールを送りました。(略)
 
九条の会のサイトを見て目を疑いました。目前の参議院選挙のことが全く掲載されていません。「更新履歴」のページにある「『九条の会』ニュース」の最新の2号(172、173号)でも全く触れていません。これは一体どういうことでしょうか? 候補者推薦というような直接的な関わりだけでなく、今回の選挙での各党の公約・政策の評価・分析さえもないのです。
 
九条改憲がかつてなく大きな争点になり、改憲派が多数を占める恐れが大きいこの選挙以上に、九条護憲運動にとっての正念場はありません。にもかかわらず貴会のこのような姿勢は全く不可解としか言いようがありません。このような危機感をお持ちではないのか、それとも、選挙には関わらないというようなルールでも作っておられるのでしょうか?
 
護憲の多数の世論を議席に反映出来ない原因は、少数党に不利な選挙制度とともに、あるいはそれと相俟って、護憲の選挙共闘が存在しないということにあります。著名な知識人を擁しておられる貴会こそは、このような共闘を呼びかけ、媒介するのに最もふさわしい団体であったはずです。決して今からでも遅くはありません。投票日前日のぎりぎりまで、そのような努力を試みて頂きたく存じます。(略)
 
これまでの貴会の素晴らしい実績が、最大の正念場で取り返しのつかない禍根を残すことがないよう、切に願っております。
(「『九条の会』は国政選挙を無視するのか?
ペガサス・ブログ版 2013-07-07)
昨日、毎日新聞朝日新聞読売新聞がそれぞれ参院選の序盤情勢調査を発表しました。

私は3日前の参院選公示の日に書いた「私は参院選で与党の過半数を阻止し、改憲勢力の3分の2突破を防ぐことを最大の課題として比例区では共産党、大分選挙区では後藤慎太郎氏(社推薦)に投票します」という記事の中で、五十嵐仁さん(法政大学教授)の
 
「この選挙での課題は、自民党と公明党の合計議席が過半数を超えないようにすることです。(略)今回の参院選でのもう一つの課題は、改憲勢力の議席が3分の2を越えないようにすることです。具体的には、自民党と日本維新の会の議席が、改選されない議席との合計で162議席を越えないようにしなければなりません。/みんなの党も改憲に賛成していますが、96条先行改憲には消極的です。公明党も改憲そのものには必ずしも反対ではありませんが、96条改憲には腰が引けており、この2党は微妙です。/改憲阻止を確実にするためには、自民党、日本維新の会、みんなの党、公明党の4党の合計議席が、非改選と会わせて162議席を越えないようにしなければなりませんが、これはかなり困難でしょう。差し当たり、自民党の回復を阻み、日本維新の会を壊滅させることによって、この両党での3分の2議席の突破を防ぐことが必要です。」(「参院選での課題は与党の過半数を阻止し、改憲勢力の3分の2突破を防ぐことだ」 五十嵐仁の転成仁語 2013年7月4日)
 
という提案をご紹介しておきましたが、上記の参院選序盤情勢調査から維新の会に焦点を合わせて当落を争っている激戦区についてその選挙情勢を見ると「昨年末の衆院選で比例区第2党に躍進した維新だが、今回比例区は低迷しそうだ。選挙区でも、優位に立つ大阪と競り合う兵庫以外はリードを許している」(朝日新聞 2013年7月6日)となっています。

党派別推定当選者数  
参院選序盤情勢調査(朝日新聞

 
大分合同新聞2013年7月4日付記事。

県高校教職員組合(横道信哉委員長)の定期大会が6月28、29の両日、大分市の県教育会館であり、特別決議として「憲法改悪を阻止し、不滅のスローガン『教え子を再び戦場に送るな!』を堅持しよう」を採択した。

特別決議では、憲法改正の発議要件を緩和する96条の改正などに触れ「憲法を守り子どもたちの未来を守るため、世論とともに闘い抜く」とした。

大会宣言では、教育行政に「競争主義」がもたらされることが危惧されるとして、全ての子どもたちに平等で質の高い学びの機会を提供する必要性を訴えた。(「
『憲法改正を阻止』県高教組が決議」 大分合同新聞 2013年07月04日)

高教組  
大分県高教組定期大会 2013年6月28、29日 
(於:県教育会館 大分合同新聞) 

今日、参院選が公示されました。
 
この参院選の課題に関して五十嵐仁さん(法政大学教授)が下記のような提案をしています。
 
「この選挙での課題は、自民党と公明党の合計議席が過半数を超えないようにすることです。(略)今回の参院選でのもう一つの課題は、改憲勢力の議席が3分の2を越えないようにすることです。具体的には、自民党と日本維新の会の議席が、改選されない議席との合計で162議席を越えないようにしなければなりません。/みんなの党も改憲に賛成していますが、96条先行改憲には消極的です。公明党も改憲そのものには必ずしも反対ではありませんが、96条改憲には腰が引けており、この2党は微妙です。/改憲阻止を確実にするためには、自民党、日本維新の会、みんなの党、公明党の4党の合計議席が、非改選と会わせて162議席を越えないようにしなければなりませんが、これはかなり困難でしょう。差し当たり、自民党の回復を阻み、日本維新の会を壊滅させることによって、この両党での3分の2議席の突破を防ぐことが必要です。」(「参院選での課題は与党の過半数を阻止し、改憲勢力の3分の2突破を防ぐことだ」 2013年7月4日)
      
この五十嵐さんの提案は現実的で合理的、かつ戦略的な提案だと思います。
 
私は五十嵐さんの提案を現実的に支持する立場から参院選大分選挙区では社民党推薦の後藤慎太郎さん(農業法人代表)に投票しようと思っています。
eシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)のメディアアクションチームが明後日公示される参議院選に向けて下記のような取り組みを始めたそうです。
 
eシフト・メディアアクション
「私は脱原発に投票します!」キャンペーン
 
都議会議員選挙は目を覆うばかりの低投票率でした。
低投票率は、脱原発・再生可能エネルギー推進派議員の当選を難しくしています。
 
そこで、eシフト・メディアアクションチームでは「私は脱原発に投票します!」キャンペーンを始めることとしました。
 
内容は簡単、ツイッターで今度の参議院選挙にかける思いをつぶやいてください。
 
(略)
 
みんなが投票に行きたくなる、楽しいつぶやきをお待ちしています。
 
★ キャンペーン期間 参議院選挙投票日まで
 
しかし、この言うところの「脱原発」票はいったいどこにゆくのでしょう?
 
こちらの通販生活の「『さようなら原発1000万人署名』に賛同する“脱原発国会議員”は、現在93人」というサイトによれば、その「脱原発」を明言している議員が所属している政党は自民党、公明党、民主党、共産党、社民党、国民の生活が第一、みんなの党、新党きづな、みどりの風(サイト上では無所属ということになっていますが、その無所属議員はその後「みどりの風」という政党を立ち上げましたのでそれに倣います)。もちろん、各議員個人と政党の政策はすべての分野にわたって必ずしもイコールの関係にあるわけではありませんが、各政党にはそれぞれの規約があって議員はその規約を順守する責務を負うというのが近代政党の存立の大きな前提条件のひとつになっているわけですから、「脱原発」を明言している議員が所属する政党を仮に「脱原発」政党と見立てることにすれば、「『私は脱原発に投票します!』キャンペーン」はそれらの政党すべてに「投票しよう」という呼びかけになるほかありません。
先の東京都議選の選挙結果についてある若手政治学研究者の次のような選挙分析があります。
 
2013年東京都議選の簡単なデータ分析(菅原琢 東京大学先端科学技術研究センター准教授 ハフポスト 2013年06月24日)
 
以下、この若手研究者の分析のうち共産党の選挙結果に関する選挙分析の部分のみ抜粋してみます(図表は除く)。
 
「共産党倍増のメカニズム
 
自民党、公明党と同様の選挙結果を残したのが共産党である。得票数、絶対得票率は低下しているが、投票率の下落のおかげで相対的にポジションを上げ、議席を倍増させることに成功している。ネット選挙運動解禁を前にして皮肉なことだが、昔から根を張った組織選挙が有効だったという結果である。
 
もっとも、共産党は表1に示したようにわずか1ポイントの相対得票率を向上させたに過ぎない。それにもかかわらず、議席を倍増させているのはやや奇妙にも思える。図1は、3人区以上の選挙区における最下位当選者の得票率を比較したものだが、過半の選挙区で当選ラインが低下しており、共産党が議席を新たに得た選挙区の多くがここに含まれている。
 
わずかな得票率の増加で共産党が議席を倍増させることができたのは、自公以外は候補者過多で乱戦になり、当選ラインが下がったためである。今回共産党は、17人中8人の候補が最下位で当選している。維新の会やみんなの党が多数の候補を擁立し、民主党候補から票を奪い、共産党が相対的に浮上したというのが基本的な説明になるだろう。朝日新聞のような護憲・反原発の訴え届くという解釈は1番目には来ないだろう。
 
図2は、全得票に占める落選者の獲得した票の割合(死票率)を定数別に示している。3人区を中心に多くの選挙区で死票率が増加していることが明らかである。全体の集計でも22.6%から28.5%へと増えている。
 
こうした構図は前回の衆院選挙と大きな差は無い。今回の選挙が東京都という日本最大の都市を舞台とし、複数定数の中選挙区が中心となる選挙であるという条件や環境の違いが、自公だけでなく共産党にも「漁夫の利」をもたらしたのだと言えるだろう。」
 
この若手政治学研究者は、今回の都議選における共産党の伸長について、「得票数、絶対得票率は低下しているが、投票率の下落のおかげで相対的にポジションを上げ、議席を倍増させることに成功している」「共産党は表1に示したようにわずか1ポイントの相対得票率を向上させたに過ぎない。それにもかかわらず、議席を倍増させている」と分析しています。そして、そのことを「自公だけでなく共産党にも『漁夫の利』をもたらした」としています。
 
しかし、この研究者のこうした見方は「学問」的(客観的)に正しい見方といえるでしょうか? その見方が正しいというためには前提としてのその分析手法が正確であるだけでなく、正鵠である必要があります。分析手法は多様であり、そこで求められているのは、数的な正確さというよりも、むしろその分析の与件としての情況を核心的に捉えているかどうかこそが本質的な問題というべきだからです。