3月1日から4月30日までに書いた弊ブログ記事をまとめました。

この2か月間の記事数は3月と4月を合わせて合計27本でした。3月は腰の手術のため2週間程度入院していて、その間体調的にもネット環境的にも記事は書けませんでした。3月の記事数が少ないのはそういう理由からです。

3月、4月を通じて、私は、いまの政治危機の問題(保守・改憲勢力、保守大連立(独裁体制)勢力は衆院において3分の2の議席を優に超え、この夏の参院選挙しだいでは衆院、参院を含め国会勢力全体として3分の2超えをする(すなわち、憲法改正発議権(憲法96条)を持つ)可能性の強い戦後最大といってよい政治危機)を念頭において、その戦後最大といってよい政治危機を革新勢力としてどう乗り越えるのか、という観点から「護憲結集」の問題に力をいれて書いてきました。

「アンチ朝鮮人デモ」の問題や救援連絡センター初代事務局長の水戸喜世子さんの長いインタビュー記事の紹介、 ジャパンタイムズの中山武敏さん(東京大空襲訴訟弁護団長)への対自伝的インタビュー記事の紹介、4.28は沖縄にとって「屈辱の日」以外のなにものでもないことなど3、4の例外を除いて、私がこの間書いたすべての(といってよい)記事は直接には政治危機の問題とは関係がないように見える記事を含めて「護憲結集」はいかにすれば実現できるか、また、実現させることができるか、という問題意識から書かれたものです。

*そのためにはいま一部の革新勢力によって提唱されている“日本版オリーブの木”構想「緑茶会」構想なるものは結局のところ真の政治革新にとっての弊害となるほかなく、また、「保守補完第3極」としての「偽りの第3極」となるほかないことを論証的に示しておく必要がありました。したがって、この間の記事は多少論争的になっている気味がありますが、そのことは私としてはある程度以上やむをえないことだと思っています。

私のいまの政治状況下での問題意識の在り処のすべてはここにあるといっても過言ではありません。

*「原発」問題も「放射線」「がれき」問題も政治を「革新」の政治に変えない限り変わりようがないのです(「日本版オリーブの木」構想や「緑茶会」構想などは真の「『革新』の政治」構想とは評価できない、と私は思っています)。

【3月の記事】(9本)
(1)■2013.03.01 1月、2月の弊ブログ記事のまとめ
(3)■2013.03.03 「上関原発 漁業補償金 一転受け取り 県漁協祝島支店が議決」という報道に触れて
(4)■2013.03.20 広原盛明さんの共産党の6中総決定批判(期待するがゆえの批判)と「護憲第3極=反ファッシズム統一戦線」形成の提起
(5)■2013.03.23 太田光征さん(市民団体「市民の風」代表)の「広原盛明さんの共産党の6中総決定批判(期待するがゆえの批判)と『護憲3極=反ファッシズム統一戦線』形成の提起」の論の疑問への応答
(6)■2013.03.26 テレビ朝日の「モーニングバード『そもそも総研たまペディア』放送中止の謎」という言説への疑問
(7)■2013.03.26 「小沢一郎氏は『集団的自衛権行使』否定論者だ」というある左翼・小沢擁護論者の論を論駁する
(8)■2013.03.27 中日新聞 「日米同盟と原発」 連載記事のご紹介(3)
(9)■2013.03.31 「護憲=革新共同候補」擁立問題と「護憲第3極=反ファッシズム統一戦線」形成の課題~長野の共同候補擁立運動の挫折の経験から改めて考える

【4月の記事】(18本)
(1)■2013.04.05 「『4・14神戸討論集会』 建設的な意見交換とは無縁」という共産党の批判の謬論(だと私は思います)について再考を求めたい ――「護憲結集」の再構築のために――
(2)■2013.04.06 人間として「アンチ朝鮮人デモ」をもはや等閑視することは許されない!! 今度は大阪最大のコリアタウン鶴橋で女子中学生が「南京大虐殺ではなく‘鶴橋大虐殺’を起こしますよ!」と大量殺人予告
(3)■2013.04.09 三度、共産党に「護憲共同」と「共同候補」問題について再考をうながす ――阿部治平さん(もと高校教師)の「護憲・反原発勢力は選挙協力を――共産党に残された道」という論のご紹介
(4)■2013.04.11 新しい革新統一戦線の可能性を模索する京都での取り組みに期待したい ――「4・20シンポジウム/革新は生き残れるか ――新しい変革の主体を考える」
(5)■2013.04.11 「< 60年代・70年代を検証する>第22回 水戸喜世子氏(元救援連絡センター事務局長)に聞く」(図書新聞 2013年04月13日号)を読む。またはご紹介
(6)■2013.04.12 「人間として『アンチ朝鮮人デモ』をもはや等閑視することは許されない!!」問題(2) 追記3題 「アンチ朝鮮人デモ」に関するメディア記事の紹介と「このまま事態を放置すれば、現実に外国人の生命身体への攻撃に至るであろうこと」について
(7)■2013.04.13 中山武敏さん(東京大空襲訴訟弁護団長)からの2通の手紙 ――水戸巌さん(原子核物理学者)と石川一雄さん(「狭山事件」第3次再審請求中)との接点(「50年後も続く『狭山事件』無罪獲得の闘い」ジャパンタイムズ 2013年4月3日付)
(8)■2013.04.16 「4.14神戸公開討論集会」~総選挙敗北を見すえ 立ち直りの途を探る とめよう壊憲! 護憲結集!~ 広原盛明氏の講演レジュメといくつかの論攷資料(「広原盛明の聞知見考」第26回、第27回、第28回)のご紹介
(9)■2013.04.16 機は熟しつつあります。ひとりの市民として改めて市民と政党の「『大左翼』の結集」あるいは「護憲結集」を「ト書き」を書くようにして呼びかけます
(10)■2013.04.18 沖縄からの2つの問い 山根安昇さん(ジャーナリスト)の「新局面を迎えた普天間問題」と目取真俊さん(作家)の「紹介:『そもそも日米地位協定の本質って何?』」
(11)■2013.04.19 改めて「護憲結集」実現のために(2) ~広原盛明さんの「4.14神戸公開討論集会」報告
(12)■2013.04.20 「党派を超えて新しい政治の流れをつくろう」という集会案内の抽象性とそれゆえの危険性について
(13)■2013.04.21 天木直人氏のナンセンスな主張と同氏の政治認識のどうしようもない幼児性について再び論じる
(14)■2013.04.24 首都圏反原発連合(反原連)と福島集団疎開裁判の会の「断絶」はなにゆえに生じたのか ~他者を誹謗中傷してやまない田島直樹氏のCML上の投稿の問題性とも関連して 附:池田香代子さん×野間易通さんトーク動画
(15)■2013.04.26 新「オリーブの木」、あるいは「緑茶会」の提唱について――広原盛明さんの「嘉田新党(日本未来の党)はなぜ失墜したか~「極右第3極」の台頭、「保守補完第3極」の消滅~」という論攷に学ぶ
(16)■2013.04.28 いまにつづく“捨石”としての沖縄 沖縄の「屈辱の日」(政府名称「主権回復の日」)にその「屈辱の日」であることを裏づける澤藤統一郎さん(弁護士・日本民主法律家協会)と進藤榮一さん(筑波大学名誉教授)の2本の論攷のご紹介
(17)■2013.04.29 「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」と「沖縄に(を)返せ」の歌 附:「沖縄県民の屈辱も痛みも日本国民の屈辱・痛みではないのか」(星英雄さん)
*1月、2月の弊ブログ記事のまとめはこちらをご参照ください。

「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」   
「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」で、腕を組んで
「沖縄を返せ」を歌う参加者たち=沖縄県宜野湾市で2013年4月
    28日(毎日新聞

「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」(主催者発表:1万人超参加)は三線(沖縄・奄美の楽器)の音に合わせてかつて沖縄の復帰運動で歌われた「沖縄に(を)返せ」(「沖縄に」の「に」は現在の状況に合わせてもじったもの。本来の歌詞は「を」)の大合唱から始まりました。


               
歌:沖縄を返せ
      
作詞・作曲 荒木栄


                   固き土を破りて
                    民族の 怒りに燃ゆる島
                   沖縄よ

                   我らと我らの祖先が
                   血と汗をもて 守り育てた
                   沖縄よ

                   我らは叫ぶ 沖縄よ
                   我らのものだ 沖縄は

                   沖縄を返せ
                      沖縄に(を)返せ

この歌は、1960年代の終わりから70年代のはじめにかけて(私にとっては10代の終わりから20代のはじめにかけて)本土においても日米安保条約廃棄と沖縄復帰を訴えるデモ(「70年安保」当時、日米安保条約廃棄と沖縄復帰の課題はセットのものとして私たちには受けとめられていました)の渦中ではなくてはならない歌としてありました。しかし、いまの本土の若者たち、そしていまの大人たちの多くも(70年前後に学生運動や労働運動を経験した一部の人たちを除いて)この歌を知らないでしょう。
 
しかし、沖縄では、本土の人間が40年前の古びた一枚のアルバム写真のように忘却してしまった歌を三線の音に合わせていま一緒に歌っている。それが沖縄という島だ。それが沖縄という島の「力」だ、と私は思いました。しかし、逆にいえば、沖縄では40年前の「現実」がいまの「現実」でもあるということでもあるでしょう。沖縄ではそれは沖縄という島が1952年4月28日以来(あるいは1947年9月の「天皇メッセージ」以来)背負わされ続けてきた「悲しさ」の表明でもあるに違いない。・・・・私はただ「沖縄に(を)返せ」の合唱をデジャヴュの風景の中で聴く歌のように聴き入っていました。


4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会(琉球新報)

【関連記事】
沖縄県民の屈辱も痛みも日本国民の屈辱・痛みではないのか(連帯・共同21 星英雄 2013年4月28日)

 4月28日は、安倍晋三政権の「主権回復」式典に反対・抗議する集会が全国あちこちで開かれたようだ。東京では少なくとも6つの集会があったという。

 その1つ、〈沖縄を切り捨て対米従属を固定化した4・28は「主権回復の日」か!?その偽りを告発する〉集会では、山田朗・明治大学教授が「主権回復の日」の虚構性を訴えた。主権回復の根拠とされているサンフランシスコ講和条約によって、沖縄・奄美・小笠原では米軍による、千島ではソ連軍による軍事占領が継続された。

 同時に発効した日米安保条約で、米占領軍は在日米軍として居座り、日米行政協定で占領軍の特権は維持されたなど、事実上、占領の継続を容認した日といえる。尖閣諸島、千島列島など領土問題の発端もサンフランシスコ条約が作り出し、いまそのことで、排外主義に流されてはいけないと訴えた。

 日本ジャーナリスト会議の丸山重威氏は、サンフランシスコ条約の調印、発効当日の朝日新聞には沖縄のことは一言もなかった、そして今日も、基地・沖縄の問題は沖縄だけの問題、原発は福島の問題として済ませていいのかと、マスコミ報道のあり方を批判した。

 4・28は「屈辱の日」だと怒る沖縄では、本土による構造的差別の解消をつよく求めている。普天間米軍基地の辺野古移設に県民の90%、41全市町村長と各議会の議長が反対。オール沖縄が反対しているにもかかわらず、安倍政権は辺野古移設を強行しようとしている。それは差別以外のなにものでもないと。

 集会で、米倉外昭・新聞労連副委員長(琉球新報記者)が重い問いかけをした。米倉氏は生まれは本州。沖縄に住んで26年目。「沖縄に住んでいる日本人として自分は何ものなのだろうか。沖縄にとって自分はなにものかということをずっと考えてきた」と話し始めた。

 そして、個人的な意見として一つの問題提起をしたいとこういった。「自分は沖縄に対して差別する側、加害者、植民者、であるという認識にいたっている。日本人と沖縄人、日本と沖縄を分けて考えることに異論、違和感を持つ方がたくさんいらっしゃるのも確かだ。

 ただ、民主主義の制度として考えた場合、歴史的な経過も含めてある地域に特定の被害、負担が集中していて、その地域ではやめてくれという圧倒的な民意が示されているのに、全体としては少数であるがゆえに、ふみにじられているのが今の状況だ」

 「こうした状況が構造的差別だ。結果としてそれが変えられていないという意味において、ヤマトンチューとして変えられていない責任を逃れられないと考えている。自分が日本人であるというアイデンティティーをもっているなら、沖縄にとって自分は加害者、植民者ではないか、ということを考えてみてほしい」

 この問いにこたえることは容易ではないかもしれない。しかし、正面から受け止めなくてはならないと思う。

 428ポ~~1

4月28日は
「主権回復の日」
(政府)
ではない
 「屈辱の日」
(沖縄大会実行委員会)

また、本土にとっては
沖縄を売り渡した
「恥ずべき日」
(澤藤統一郎の憲法日記)


照屋寛~1 
照屋寛徳議員の4.28式典欠席通知
Peace Philosophy Centreより)

4月28日は「祝うべき日」ではない。
(澤藤統一郎の憲法日記 2013年4月20日)

1952年4月28日に、サンフランシスコ講和条約が発効して日本は「独立」した。同時に、日米安全保障条約が発効して日本は、固くアメリカに「従属」することになった。沖縄・奄美・小笠原は本土から切り離され、アメリカ高等弁務官の施政下におかれた。それ故この日は、沖縄の人々には「屈辱の日」と記憶されることとなった。

私は、1966年の暮れ、返還前の沖縄に1か月ほど滞在したことがある。テト休戦によるベトナム帰りの米兵が那覇の町にあふれた時期でもあり、12年に1度の祭りという久高島のイザイホーが行われているときでもあった。

当時私は大学4年生だったが、就活とは無縁なアルバイト生活を送っていた。琉球大学と東大との合同チームが、大規模な沖縄の社会調査をするということになって、その調査員として応募し、まことに得難い貴重な経験をさせてもらった。

日の出埠頭から2泊3日の荒天の船旅だった。船中から伊江島の塔頭を眺めて那覇港にはいり、生まれて初めてのパスポートを手に、出入国審査や関税手続を経験して、沖縄の土地を踏みしめた。そこは、ドルが流通する経済社会であり、車輛が右側車線を走行する本土とは異なる世界であった。

輝く自然と魅力あふれる文化が根付いた小宇宙。しかし、異民族の支配を受け基地に囲まれたという限りでは「屈辱の世界」。日本国憲法の及ばない異空間でもあった。

4月28日は、沖縄にとっては本土と天皇によってアメリカに売り渡された「屈辱の日」、本土にとっては沖縄を売り渡した「恥ずべき日」(強調は引用者。以下同じ)に違いない。私は民族主義者ではないが、この日を祝おうという発想がどこから来るものか理解しがたい。

これを解き明かすのが、2011年2月に設立された「4月28日を主権回復記念日にする議員連盟」の設立趣意書の一節。「主権回復した際に、本来なら直ちに自主憲法の制定と国防軍の創設が、主権国家としてなすべき最優先手順であった」と記載されているとのこと。ああ、そういうことか。そういうことならよく分かる。

すべては歴史認識の問題なのだ。安倍晋三らにとっては、日本国憲法とは、占領軍が日本国民に押し付けた憲法でしかない。「東京裁判史観」あるいは「自虐史観」にもとづいて制定された日本国憲法は、そもそも正当性をもたない。彼らにとっての「主権回復」とは、押し付けられた憲法を清算すること、天皇を戴く国の憲法として書き換えることなのだ。

彼らに、侵略戦争への反省はない。戦争の惨禍への悔悟もない。今度は負けないように精強な国防軍を作ろう。それを可能とする自主憲法を制定しよう。そのような自主憲法制定が可能になった日として、4月28日を記念しよう。そして、その日を、日本民族の歴史、伝統、文化にふさわしい憲法を作る決意を固める日としよう。

これが安倍自民の本音である。とんでもない。4月28日を祝うことなど、断じてするものか。

(連帯・共同21 進藤榮一 2013年4月24日)

 安倍政権は4月28日に「主権回復の日」式典をおこなうという。1952年の同日、サンフランシスコ条約が発効して「独立」したからとされる。しかしこの日は、米軍による異民族支配が始まった「屈辱の日」として沖縄は怒りを爆発させている。かつて、昭和天皇がアメリカに沖縄を売り渡すことによって、戦後日本が形作られてきたことを鋭く暴く論文「分割された領土-沖縄、千島、そして安保」(『世界』1979年9月、岩波現代文庫『分割された領土 もうひとつの戦後史』所収)を発表した進藤榮一・筑波大学名誉教授にききました。(文責:星英雄)

 「主権回復の日」とはよくぞいえるものです。私なら、「主権回復をめざして国民が立ち上がる日」としたい。

 私がアメリカで発見した天皇メッセージは、昭和天皇が自らすすんで沖縄をアメリカに差し出すという衝撃的な内容でした。天皇は宮内庁御用掛の寺崎英成を介してアメリカにメッセージを伝えたのですが、寺崎は「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるため」として占領軍総司令部政治顧問のシーボルトを訪ねました。1947年9月のことです。

シーボルトが残した外交記録にこうあります。 「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によるとその占領は、アメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる」

 さらにこう書かれています。 「天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の--25年から50年ないしそれ以上の--貸与(リース)をするという擬制(フィクション)の上になされるべきである。天皇によればこの占領方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろう・・・」

 シーボルトは驚き喜んですぐ連合国軍最高司令官マッカーサーやマーシャル国務長官に伝えたのです。こうして、「天皇メッセージ」は、アメリカの対日対世界政策の見直しにつながっていきました。

 日本の主権から沖縄を切り離し、アメリカの軍事占領にまかせるという、後のサンフランシスコ条約・日米安保条約を柱とする戦後日本の原像がここにあったといえるでしょう。

 論文発表当時、きわめて大きな反響がありました。一部には、天皇がそんなメッセージを出すはずがないとか、天皇の意図は潜在的主権を確保することにあった、という見方もありました。しかし、アメリカに占領してもらいたいという天皇の意思でメッセージが発出されたことは、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政の日記でも裏づけられましたし、いまでは歴史事実として定着しています。

 サンフランシスコ条約の本質は片面講和だったことです。日本が侵略した相手国の中国、韓国、北朝鮮は講和会議に招かれず、インドやビルマは参加していません。ソ連は招かれたが調印しませんでした。 サンフランシスコ条約は第3条で沖縄を米軍支配下におくことにしました。つまり、半分だけの独立、主権の半分を回復したことでしかないのです。

 サンフランシスコ条約はそれが単体としてではなく、日米安保条約とセットであったことも強調したい。安保条約は米陸軍司令部の1室で、吉田茂首相1人だけが署名したことにも明らかなように、屈辱的なものでした。安保条約は、アメリカが望めば日本のどこにでも基地を置くことができ、日本国内の問題に米軍が出動できるという、内乱条項までありました。「主権回復」ではなく、従属の始まりといったほうが適切だと思います。

 2月の日米首脳会談で安倍首相は米軍の普天間基地を辺野古に移設しますと、オバマ大統領に約束してきました。沖縄には在日米軍施設の74%が集中しています。1972年に沖縄が日本に復帰しても、米軍と米軍基地の実態はほとんど変わりません。これが「天皇メッセージ」にはじまった沖縄の過酷な現実です。安倍首相の対米約束をみてもわかるように、沖縄をアメリカに差し出すことが、かつてもいまも日米軍事同盟の「結節点」になっているわけです。

 核ミサイル・トライデントに反対するスコットランドは来年秋、英国からの独立を問う国民投票をおこないます。ポスト・グローバル化のなかで、沖縄は独自の道を歩くときがきているのではないかと思います。

 それにしても日本はなぜアメリカに付き従うのでしょうか。広島、長崎に原爆を投下され、沖縄を分割・支配され、そしていまTPPでもアメリカです。大企業と自民党はアメリカに食わせてもらっているという認識でしょうが、アメリカについていけば成功するというのは神話です。

 21世紀は間違いなくアジアの世紀です。アジアには助け合いの精神が息づいています。今日すでに天皇メッセージから65年半、サンフランシスコ条約から61年の時が過ぎています。いつまでも米軍基地を許す日米軍事同盟の時代ではない。ASEAN諸国、中国、韓国と平和の共同体、アジアの共同体を推進する時が来ていると思います。

【関連記事】
28日「主権回復の日」 式典本土復帰の日こそ(情報の出所:東京新聞「こちら特報部」 2013年04月23日)
照屋寛徳議員の4.28式典欠席通知-「我が国の完全な主権回復」は嘘だ!(情報の出所:Peace Philosophy Centre 2013年04月24日)
二枚舌政治家の恥ずべき姿(情報の出所:海鳴りの島から 目取真俊 2013年04月20日)
平和ドームと鳩 
「護憲結集」実現の願いをこめて

民主党は先の衆院選でなぜあのようにも歴史的な惨敗・大敗を喫したのだったか。

その理由はいうまでもなく2009年の衆院選で当時の「民主旋風」の追い風を受けて同党が圧勝し、民主党政権が誕生した(いわゆる「政権交代」選挙)後の同党の「『最低でも県外』と首相自ら公約しながら県民の心を8カ月間ももてあそび、『辺野古現行案』に回帰するという公約違反の裏切り行為」(琉球新報社説 2010年6月1日)や「原発再稼働容認」(朝日新聞 2012年2月16日)をはじめとするまさに次から次にというほかないすさまじいばかりの公約破りと自公政権「回帰」の政策が国民から完全にそっぽを向かれる破目になった最大の原因であることはいうまでもありません。

その先の衆院選での民主党の大敗の経験の本質(「政権交代」という中身のない標語に踊らされて民主党に投票した結果が3年半に及ぶこれまでの自公政権となんら変わりない、というよりもさらに悪質さを増した民主党政治であり、その結果として先の総選挙において自民・右派(改憲)勢力のこの上ない大勝と増長を招いたこと)からなにごとも学ばず、あるいは学ぶことができずに相も変わらず「大きいことはいいことだ」式の足し算の観念から逃れることができずに国会勢力の「数合わせの論理」に憂き身をやつしている人たちがいます。その人たちにとっては足し算される当の中身の吟味などはどうでもよいことのようです。少なくとも二の次、三の次、四の次の問題のようです。

(1)いわく「日本にもオリーブの木(1995年にイタリア政界で生まれた「中道左派連合」の呼称)を」つくろう。

(2)いわく「大同団結 市民の手で 脱原発『緑茶会』 衆院選教訓に」(東京新聞 2013年4月25日 朝刊) つくろう。

この新「オリーブの木」なるもの、あるいは「緑茶会」なるものは、私たちの国の政治をどこに導こうとしているのか。結果としてどこに導いてしまうのか。以下、少しく私の「異論!反論!OBJECTION!」と大いなる懸念を述べてみます。

はじめに「オリーブの木」構想について。

「オリーブの木」とは本来イタリアの経済学者で元同国首相のロマーノ・プローディ氏が提唱し、95年に旧共産党の左翼民主党を中軸に中道左派勢力の8政党が結集して作った政党連合のことを指しますが、日本で「オリーブの木」構想といえば、最近では2012年7月に民主党を離党して新党「国民の生活が第一」を設立した小沢一郎氏が次期総選挙に向けて大阪や名古屋などの地域政党との連携を目指した政権構想のことを指していうことが多いようです。そして、左記にいう「大阪や名古屋などの地域政党」とは大阪市の橋下徹市長や名古屋市の河村たかし市長らがつくる地域政党のことをいいます(「質問なるほドリ:「オリーブの木」構想って?」 毎日新聞 2012年07月23日)。

大阪市の橋下徹市長や名古屋市の河村たかし市長はポピュリスト市長として名高く、とりわけ大阪市の橋下市長は最近では極右政党の「維新の会」の創設者であることからもわかるように極右主義者としての本来の正体も露わにしています。このような右派政党との連携を「中道左派勢力の結集」と当然みなすことはできません。小沢氏の「オリーブの木」構想は本来のイタリアの「オリーブの木」構想と似て非なるものと第一に指摘しておく必要があるでしょう。

さて、上記(1)の新「オリーブの木」構想の提唱者は、昨年の衆議院選挙の結果について「自民党や日本維新の会が躍進、民主党はもちろん、未来の党、社民党や共産党などのいわゆる平和・リベラル・護憲・脱原発勢力は大敗北を喫してしまいました」という彼(女)らの政治情勢認識を述べて、その中で民主党、未来の党、社民党、共産党(フリーディスカッション参加呼びかけの政党を見るとみどりの風、緑の党、山本太郎氏(新党 今はひとり)も含まれています)を十把一絡げに「平和・リベラル・護憲・脱原発勢力」と規定していますが、その政治認識は誤っているというべきでしょう。下記の弊ブログ記事に見るように左記の政党のうち少なくとも民主党、未来の党、みどりの風は「平和・リベラル・護憲・脱原発勢力」とみなすことはできません。

また、(2)の「脱原発政治連盟」(緑茶会)が推薦する政党と立候補予定者も上記とまったく同じく十把一絡げの論理に立って推薦政党と推薦立候補予定者を選ぼうとしています。彼(女)ら(緑茶会)が選ぼうとしている政党及び立候補予定者のすべてをここでも「平和・リベラル・護憲・脱原発勢力」とみなすことはできません。

「党派を超えて新しい政治の流れをつくろう」という集会案内の抽象性とそれゆえの危険性について(弊ブログ 2013.04.20)

【参考】
「緑茶会」という組織自体について、また、「緑茶会」が推薦する参院選候補についての違和感については次のような指摘もあります。同記事(4)の文末でkojitaken氏は「それにしても、上原公子氏や宇都宮健児氏らが会に加わっていながら、一体何をしているのだろうか。残念でならない」という感想を述べられていますが、私も同様の思いです。


なぜこのようなことになるのか。

広原盛明さん(元京都府立大学学長)は「嘉田新党(日本未来の党)はなぜ失墜したか~「極右第3極」の台頭、「保守補完第3極」の消滅~(「広原盛明の聞知見考」第27回 『ねっとわーく京都』 2013年4月号)という論攷の中で民主党が先の衆院選で歴史的な惨敗・大敗を喫した「貴重な教訓」に触れて次のように言っています。

「この総選挙を通して得られた貴重な教訓は、目下進行中の保守大連立(独裁体制)への道は、同じ「第3極」であっても「保守補完第3極」では到底阻止できないということだろう。嘉田新党を天まで持ち上げた先の若手政治学者の言葉を借りるなら、「偽りの第三極」ではなく「真の第三極」でなければ安倍自民党・維新の極右連合軍には対抗できないということだ。そして「真の第三極」は、広範な護憲勢力が結集する“護憲第3極”以外には存在しないということなのである。」

彼(女)らには広原さんが「『真の第三極』は、広範な護憲勢力が結集する“護憲第3極”以外には存在しない」と指摘する先の総選挙における革新の敗北から痛切に学びとった「貴重な教訓」の認識が決定的に欠如しているがゆえに上記のような単純な十把一絡げの論理に陥ってしまうのだと私は思います。

広原さんは「広範な護憲勢力が結集する“護憲第3極”」の対極にある「保守補完第3極」としての“日本版オリーブの木”構想(直截的には「嘉田新党」問題)にも触れて次のようにも言っています(同上)。

「(「嘉田新党」の持ち上げについては)毎日の方はもっと肩に力が入っていた。『特集ワイド:「嘉田新党」を考える』(12月3日)を組んで3人の識者を写真入りで登壇させ、嘉田新党の参戦で総選挙の構図はどう変わるか、イタリアの「オリーブの木」のように既成政党に対抗することは可能なのかを特集する大判のインタビュー記事を掲載した。そのうちのひとり、ある若手政治学者(引用者注:五野井郁夫高千穂大准教授)の発言が当時の雰囲気(マスメディアの意図)を典型的にあらわしているので以下に紹介しよう。

『「真の第三極」が現れたと言えるだろう。「真の」とは、脱原発を求める国民の声に寄り添い、将来のビジョンを打ち出しているという意味だ。対照的に、日本維新の会は「偽りの第三極」の様相が露呈しつつある。「偽り」とは、確固たるビジョンを持たないこと。世間受けする政策を掲げてはすげ替え、保守票も脱原発票も欲しがっている印象だ。石原慎太郎代表の考えと党の公約が一致しているかも疑問だ」

『「未来」が発表した「びわこ宣言」は「経済性だけで原子力政策を推進することは、国家としての品格を失い、地球倫理上も許されない」と述べている。非常にわかりやすく、国民の切なる願いに応えようという姿勢を感じる。官邸前や経団連前などで脱原発デモが続いている。「未来」はこのような動きと連動し、選挙後は原発政策の決定過程に大きく影響するポジションを得る可能性がある。これまで投票率の低かった若い世代が「未来」に関心を示せば、イタリアの「オリーブの木」のように政党連合への躍進もありうる』

『確かに、自民を除く他の政党も、脱原発を打ち出してはいる。しかし民主はマニフェスト破りの過去があり、政権与党として脱原発への踏み込んだ具体的プロセスを提示できていない。社民、共産に投票しても実効性があるのか疑問に思う有権者も少なくない。「シングルイシューで政党が成り立つのか」という批判が出ているが、原発以外の基本政策も、消費増税の凍結、雇用の拡大、TPP交渉入り反対など明快だ。エネルギー問題は国の最重要課題なので、そこで一致する政治家が集まるのは野合ではない』

また民主党菅政権の寵児(内閣府参与)だった湯浅誠氏(強調は引用者。以下、同じ)も、「これまで大事な局面で団結するのが右派、分裂するのが左派だった。段階的に全原発の廃炉を目指す「卒原発」を掲げ大同団結し、大きな受け皿をつくろうと新しいモードを打ち出したことを評価したい。嘉田さんはよく決断したと思う」と負けず劣らず(恥ずかしいような)エールを送った。こうして「新・第3極=未来」を打ち出す手はずが整ったのである。」

そうして広原さんは上記の論攷の結論として一部繰り返しの部分がありますが次のように述べています(同上)。

「この総選挙を通して得られた貴重な教訓は、目下進行中の保守大連立(独裁体制)への道は、同じ「第3極」であっても「保守補完第3極」では到底阻止できないということだろう。嘉田新党を天まで持ち上げた先の若手政治学者の言葉を借りるなら、「偽りの第三極」ではなく「真の第三極」でなければ安倍自民党・維新の極右連合軍には対抗できないということだ。そして「真の第三極」は、広範な護憲勢力が結集する“護憲第3極”以外には存在しないということなのである。」

「総選挙で「偽りの第3極=嘉田新党」を煽ったマスメディアは、深く反省して出直してほしい。「極右第3極=維新」を支援したマスメディアは、戦前の「いつか来た道」をもう一度思い起こしてほしい。革新政党の存在を無視した政治部記者やデスクは、顔を洗って目の鱗を落としてほしい。マスメディアに迎合するだけの若手政治学者やその他の識者は、もっと勉強して主体性を確立してほしい。そして相も変らぬ選挙総括を書いた革新政党は、直面している政治情勢の厳しさを再認識してほしい。」

いま、新「オリーブの木」なるもの、あるいは「緑茶会」なるものを提唱している人たちには上記の広原さんの指摘を真摯に改めて再考していただきたいものです。

それが先の総選挙における革新勢力の歴史的な惨敗の教訓を生かすということだろう、と私は切に思います。そして、新「オリーブの木」、あるいは「緑茶会」なるものをいま提唱することはその教訓を生かす道に逆行する道といわざるをえない、とこの点についても私は痛切に思います。

関連資料
「緑茶会(脱原発政治連盟)」立ち上げ集会(案内文)(情報の出所:CML 2013/04/24 14:56)
大同団結 市民の手で 脱原発「緑茶会」 衆院選教訓に(情報の出所:東京新聞 2013年4月25日 朝刊)
参院選へ緑茶会発足 「脱原発」結集 1次推薦40人(情報の出所:東京新聞 2013年4月25日 朝刊)
緑茶会(脱原発政治連盟) (情報の出所:緑茶会(脱原発政治連盟)HP)
これまでも私は田島直樹氏のCML上の投稿のそのあまりの恣意的独善の論理を繰り返し(おそらく10数回にわたって)批判してきましたが(彼は聴く耳を持ちませんでした。そうした姿勢はいまだに続いています)、とりわけここ数回の田島氏のCMLへの投稿とその言説は、私を含む他のCML投稿者を本人の認識不足でしかない主観にまかせて誹謗中傷して他者を貶めること甚だしく目に余るものがあります。

その田島氏の最近の投稿とは以下のようなものです。

(1)Re: 黙秘権...例外ありか米国の 司法の危機だボストン事件(CML 023844 2013年4月23日)

> ちなみに、この御仁は放射能受忍運動の旗頭でtwitterのミスターエートと私が呼んでる御仁です(太字は引用者。以下同じ)。

*上記は自分の主張は絶対的に正しく、その「正しい」おのれの主張を批判するものはすべからく「放射能受忍運動」論者であるとして自分は「善」、自分を批判する対象は「悪」とする典型的な「自己愛」型の病理の論というべきものです(wikipedia「自己愛性パーソナリティ障害」参照)。ちなみに田島氏の認識によれば、「エートス運動」はすべからく「放射能受忍運動」ということのようですが(この「エートス運動=放射能受忍」の説というのは、「原発被災地の福島現地での住民たちの真摯な取り組みを、「取り返しのつかない疾病を引き寄せ、健康を阻害させてしまう恐れを一生背負わせることになります」などと偏頗な情報に基づいて最大級の悪罵をもって一方的に非難する論のことをいいます)、こうした論の誤りについては私も「『福島のエートス』運動への誤解の『拡散』について」(弊ブログ 2012.08.19)という記事の中でも指摘しています。

(2)いやはや、とほほ 護憲の基本壊す(CML 023826 2013年4月21日)
> 選りによって護憲の旗振が、御用学者も驚く放射能安全デマの鳥越俊 太郎さん …と、「子供は放射能に強い」デマの池田香代子さんだとは!いやはや、とほほ 護憲の基本壊す運動の行末に激しく欝。

*おのれの主観の説に添わない者の説はここでも「御用学者も驚く放射能安全デマ」「『子供は放射能に強い』デマ」などと最大限の悪罵の言葉を投げつけられています。

(3)Re: 天木直人氏のナンセンスな主張と同氏の政治認識のどうしようもない幼児性について再び論じる(CML 023816 2013年4月21日)

原子力村、放射線村のいうがままに、鸚鵡返しして吟味もせず、放射能による身体影響を無視するのも「政党の真面目」なのでしょうか?あなた様のよう な方々がほざく、「護憲派の大団結」などクソ喰らえです。放射線被害をうける少数者を無視する「護憲」など、ナンセンスでしょ、

*「政党」のことはここでは措いておくとして、少なくとも私は「原子力村、放射線村のいうがままに、鸚鵡返しして吟味もせず、放射能による身体影響を無視」した覚えなどありませんが、そうした根拠などまったくない虚偽を平然という。ここでも同氏の主張の主観性、そうした主張の脱原発運動に対する「限りない負の影響」は明らかだといわなければならないでしょう。

さて、本メーリングリストの参加者でもある泥憲和さんが「神戸勤労会館で開かれた『これからの「脱原発」の話をしよう 池田香代子×野間易通』に参加しました」(「市民社会フォーラム」ブログ2013.04.23)という記事を書かれています。

同記事は首都圏反原発連合(反原連)と福島集団疎開裁判の会の「断絶」という重たい事実を紹介した上で、両組織はなにゆえに「断絶」するまでに到ったのか。その背景と理由を問うて重要な記事ですが、上記の田島直樹氏の主張に象徴される「他者を誹謗中傷して貶める」主張は、結局奈辺にゆき着くのか。その批判としても有用、有効な記事ともなっているように思います。そういう意味でも、以下ご紹介させていただこうと思います。

首相官邸前金曜日デモ  
2012年6月29日 首相官邸前金曜日デモ

神戸勤労会館で開かれた『これからの「脱原発」の話をしよう
池田香代子×野間易通』に参加しました

(「市民社会フォーラム」ブログ 泥憲和 2013.04.23)

昨日、関金神戸支店前行動のあと、神戸勤労会館で開かれた『これからの「脱原発」の話をしよう 池田香代子×野間易通』に参加しました。
たくさんの示唆に富むお話を興味深く聞かせていただきました。

首都圏反原発連合の野田さんが語った中で驚いたのが、反原連が「福島集団疎開裁判の会」と関係を断った話でした。

原因は誹謗中傷だと野間さんは語りました。
反原連は反原発だけを共通目標にかかげています。
反原発派の中で意見が分かれている「がれき」や「疎開」については組織として意思表示せず、各自の判断に任せてきました。
疎開訴訟の人たちは、反原連のそういったスタイルに満足しなかったようです。

「疎開に賛同しない反原発運動はニセモノ」
「権力の手先」

などという批判を、反原連に投げ掛け続けたそうです。
仲間に対してその態度はないだろうというのが、反原連の言い分です。
4ヶ月に及ぶ折衝でも溝が埋まらなかったとのこと。
結局、反原連が関係を断つ決断をしました。
残念に思いますが、この動きから学ぶものは多いのではないでしょうか。

まず、いかに自分が正しいと信じていても、自分の見解を外に押し付けてはならない。
違う立場をも尊重するのは相手のためのみならず、自分のためでもあるからです。
独りよがりの視野狭窄に陥る危険を避けるためには、客観性を保持しなくてはなりません。

つぎに、仲間に対する礼節を失ってはならない。
共闘しようと思うのなら「権力の手先」などと面罵すべきではないと思います。
疎開裁判の人たちは、自分が「権力の手先」認定した相手から関係断絶を告げられたことを、非難してはならないでしょう。
本当に「権力の手先」だと思うなら、そんな相手に共闘を求めるのは筋違いだからです。

聞いていて私は、運動のヘゲモニー争いの不毛性に思いが至りました。
反原連批判の中には、ヘゲモニー争いを動機とするものがあったと思います。
疎開裁判の人たちが必ずしもそうだというのではありませんが、反原発運動の中にヘゲモニー争いを持ち込むのは愚かです。

反原発運動は、放射線が危険であるという認識をベースにしています。
しかし、そこから始まって、放射線をなるべく危険に評価するのがより正しいかのような、いわば「放射線危ない競争」みたいな形に走ると、間違いになるでしょう。

「我々こそが放射線を最も徹底的に否定しているゆえに、我々こそが最も正しいのだ」
「正しい我々に同調しない◯◯は、放射線を容認しているのと変わらない」
「それは推進派と同じことである」

こんな風に内部矛盾を自ら作り出して論争を引き起こすことで、結果的に運動に不団結を持ち込んで力を弱めているのに、本人は自分が一番純粋で非妥協的かつ戦闘的でよくやっていると思い込んでいます。だからつぎには、正しい自分たちの主張が広がらないのは自分たちに原因があるのではなく、妨害者がいるからだと思いこむ人が現れます。

「明らかな敵は、誰にでも敵とわかる」
「許せないのは、まるで味方のような顔をして妨害する連中で、これこそが最も悪質なんだ」
と言うのです。
「あいつらさえいなければ、我々の主張がもっとストレートに受け入れられるはずだ」
「正面の敵を叩く力をつけるには、その前にまず味方のふりをした敵を叩いて、運動をまっすぐにしなければならない」
「正しい我々が運動全体のヘゲモニーを握らねばならない」

こんな理路で仲間攻撃を始めて、しまいに運動を壊してしまう。
これがヘゲモニー争いの帰結です。
こういった傾向が、反原発運動にもぼちぼち見受けられます。
それはとても悲しく残念なことです。

ともかく原発なくせという大枠が一致していれば、個別課題で意見が違って論争となることがあっても、少なくとも敵認定したり妨害者よばわりしない、意見の違いは節度をもった対話で調整していくという運動のやり方を身につけなくては、「これからの脱原発」の道は厳しいのではないかなと、いまそのように思っています。


なお、池田香代子さん×野間易通さんのトークの動画は下記で観ることができます。泥さんのおっしゃる反原連が「福島集団疎開裁判の会」と関係を断った話は後半の質疑応答の中で出てきます(1:40:39秒頃~)。

 
平和ドームと鳩 
「護憲結集」実現の願いをこめて

天木直人氏が2013年4月19日付けの自身のブログ『天木直人のブログ』に「ついにインターネット政党が動き出した」という記事を書いています。

「インターネット政党は皆がつくり、皆が参加し、皆が事実上政治家になる、そういう政党を目指すのである。必要なものは何も要らない。既存の政治、政党、政治家のすべてを否定し、自分でもう一つの政治をつくってみたいと思うほとばしる情熱と真摯な気持ちがあればそれで十分だ。三つのインターネット政党のサイトも皆の手でどんどんと発展、拡充していけばいい。衆目の一致する候補者が見つかれば7月の参院選に殴り込みをかける。その人物を見つけるのが私の役目だ。たとえ7月までに見つからなくても、必ずいつかは数名の政治家を日本の政治の場に送り込んで誰もまねの出来ないもう一つの政治を実現してみせる。その政治家は、既存の政治家にはマネのできないもう一つの日本、もう一つの政策をつくる事のできる行動力のある無私、無欲の政治家である。そういう政治家のを我々で共有する。それが私の目指すインターネット政党である。」

この天木直人氏の論を好意的に再録、発信する人がいました。天木氏の論を好意的に再録、発信する媒体としてはインターネット媒体としての「阿修羅」掲示板がつとに有名ですが、その「阿修羅」掲示板は「陰謀論系小沢信者のたまり場」(kojitaken氏によるネーミング)としてもつとに有名です。この天木氏の論の好意的発信者も「阿修羅」掲示板から同論を転載、再掲して発信しているものと推測できます。

以下は、その発信者の再掲する論のナンセンス性とその論の執筆者の天木直人氏という人の政治認識のどうしようもない幼児性について書いたものです。

天木氏が駐レバノン大使時代にイラク戦争に 反対する旨の公電2通を当時の川口外相宛てに送付して外務省を実質解雇されたことや自衛隊イラク派兵違憲訴訟に原告のひとりとして積極的に関わったことについては私も当然に評価します。しかし、その一点の行為のみを過大視してその後の彼の行動のすべてについても全面評価するという態度は正しくない態度です。そうした評価は一個の人間を「完全な人間」のように幻想する個人崇拝の病理に似ています。彼の思想や論理について誤りがあればその誤りを指摘してこそ「生身の人間」に対する血の通った評価ということができるし、一個の人間を正当に評価する態度ともいえるでしょう。

さて、天木直人氏の論のナンセンス性とその論の執筆者としての同氏の政治認識のどうしようもない幼児性について。

「インターネット政党が動き出した」からどうだというのでしょう?

政党の真面目(しんめんぼく)は「政策」にあるはずです。たとえば「護憲」か「憲法改正」主張かという。

インターネット政党であるかどうかで真価が問われるわけではないでしょう。

天木氏の主張はナンセンスな主張です。

私は以前天木直人氏評価を次のように書いておきました。該当箇所を再録しておきます。

日本維新の会とみんなの党、「憲法96条改正」で合意 その責任を誰が負うのか?(弊ブログ 2013.02.17)

上記の記事(読売新聞)にもあるように「維新の会とみんなの党は先の衆院選公約で、それぞれ96条改正を打ち出して」いたわけですからこの両党の「憲法96条改正合意」は当然といえば当然で驚くに値しませんが、それにしても先の衆院選でいったい誰がこの日本維新の会とみんなの党を誉めそやし、かつ支持したのか、とこの国のとめどもない「一億総保守化」とでもいうべき風潮とその風潮に媚を売る体の一部の「革新」主義者なるもの、一部の「リベラリスト」なるものを弾劾したくもなります。

一、二例をあげておきます。

●天木直人氏:「渡辺善美と江田憲司に告ぐ。事務次官を廃止してみろ」(天木直人のブログ 2010年07月14日)

上記で天木氏は「私は渡辺善美の地元である栃木県西那須野の住民である。/今度の参院選挙では比例区も選挙区もともに『みんなの党』に投票した。/それは「みんなの党」が政治家、官僚こそ真っ先に身を切れと掲げたからだ。今度の参院選では大躍進した。支持者の一人としてはご同慶の至りだ」と公言していました。

●天木直人氏:「渡辺喜美『みんなの党』よ、橋下徹『維新の会』とともに『小沢新党』の下に結集せよ」(天木直人のブログ 2012年08月10日)

同記事の内容は標題のとおり。説明しなくとも天木直人氏のどうしようもない政治認識の愚かしさ、イカレポンチ(「ぽんち」(「ぼんち」の音便化)は、大阪弁で若旦那の意。「しっかりした考えのない軽薄な男」のことをこう言います)具合がわかるというものでしょう。この凡庸なる「天才」の天木氏は最近ではあの極右の稲田朋美氏(自民党)にも熱をあげているようです。「自民党稲田朋美議員の代表質問に完敗した菅首相」(同上 2010年10月06日)参照。彼のイカレポンチ具合はとどまるところをしりません。いったい誰が彼を「革新」の人士などと持ち上げるのでしょう? その見る目のなさにはうんざりです。うんざりするだけならまだいいのですが、政治の革新にとって害悪以外のなにものでもありえません。


こちらのブログ記事にあるような集会案内を受け取りました。
以下は、その「集会案内」発信者宛ての返信として書いたものです。

平和ドームと鳩 
「護憲結集」実現の願いをこめて

ご紹介の「シンポジウム『どう動かす?これからの政治』」を見てみました。
 
タイトルは「どう動かす?これからの政治! ーMoving Japanー」。サブタイトルとして「Moving Japanとは、党派を超えて新しい政治の流れをつくろうとする学生や市民、自治体議員を中心としたグループです」とありますが、「新しい政治の流れ」というだけでは抽象的にすぎてどういう政治の方向を目指しているのか皆目わかりません。
 
ただ本文に「安倍首相は原発再稼働に留まらず原発新規建設にも言及。さらには憲法改正も明言し、 アメリカの下請けとして戦争に参加することを狙っています。こうした暴走を阻止するため」云々とありますから「護憲」の方向性を志向しているのだと思われますが、そうだとすれば、下記の政党のうち「護憲」の立場を明確にしているのは社民党と緑の党しかありません。
 
*社民党が「護憲」政党であることは説明の要はないと思いますが、緑の党の「2013参院選公約・第一次案『いのちをつむぐ緑のプロジェクト』 ―2013年4月6日発表―」の⑤の1番目の項目には「憲法9条堅持の立場を明確にし、その理念を実現するために平和・外交政策を展開する」とありますから「護憲」政党を志向しているとみなすことができます
 
対して生活の党ほかの政党は「護憲」政党とみなすことはできません。
 
第1。生活の党について。小沢氏が代表を務めていた生活の党の前身の「国民の生活が第一」が2012年9月に発表した「基本政策 検討案」の「外交安全保障に係わる政策」のⅥの3「自衛権の行使に係る原理原則の制定」には次にように記されています。
 
「我が国の平和と安全を直接的に脅かす急迫不正の侵害を受けた場合には、憲法9条に則り武力を行使する。国連憲章上の自然権とされ我が国が国際法上も保有している集団的自衛権については、国民の意思に基づき立法府においてその行使の是非に係る原理原則を広く議論し制定する。原理原則の制定なくして、その行使はしない。原理原則は安全保障基本法に定める。」
 
上記は、安全保障基本法で原理原則を決めれば、集団的自衛権の行使を容認していいという立場の表明です。生活の党も国民の生活が第一の政策を引き継いでいるとみなせますので、集団的自衛権の行使を容認する同党を「護憲」政党とみなすことはできません。

さらに生活の党の代表の小沢氏は2009年の衆院選前に行われた毎日新聞の「えらぼーと」に対する回答でも「集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すべきだと考えますか。」という問いに対して「見直すべきだ」と回答しています。生活の党の代表の小沢氏も「集団的自衛権行使」肯定論者であることはここでも明らかです。
 
*上記の毎日新聞の「えらぼーと」の回答はリンク切れになっていいますので、「きまぐれな日々」のこちらの記事から小沢氏の回答を示しておきます。下記記事は小沢一郎の回答を菅直人と対比させて掲載しているものですが、もちろん、小沢氏の「えらぼーと」の回答をそのまま掲載しています。

上記から生活の党を「護憲」政党とみなすことはできません。

第2。みどりの風について。少し前の記事になりますが、「みんなの党とみどりの風が参院選協力へ=近く政策協定」という報道がありました(時事通信 2013年3月6日)。

そして、みんなの党は「先の衆院選公約で96条改正を打ち出して」(読売新聞 2013年2月15日)いたわけですから明らかに「改憲」志向政党というべきであり、間違っても「護憲」政党とみなすことはできません。

そのみんなの党とみどりの風は近く参院選協力のための「政策協定」を結ぼうとしているのですから、みどりの風も「護憲」に関して疑いのある政党とみなす必要があります。

また、みどりの風代表代行の行田邦子参院議員が「みんなの党で出馬検討」というニュースも流れています。

みどりの行田参院議員、みんなの党で出馬検討(産経新聞 2013.2.15)
参院選:みんなの党 みどりの風・行田氏に立候補求める(毎日新聞 2013年02月15日)

上記に見た「改憲」政党であるみんなの党の立候補要請にやすやすと乗るような議員を代表代行に担いでいるみどりの風という政党を「護憲」政党とみなすことはやはりできません。

*行田邦子参院議員はすでに緑の風を離党し、みんなの党に移籍しています。

第3。未来の党について。未来の党が結成された端緒はご存じのとおり国民の生活が第一との合併でした。その国民の生活が第一は上記に見たとおり集団的自衛権の行使を容認する政党ですから、その政党と合併してできあがった未来の党もその党の「護憲」志向について疑いをもってしかるべき政党というべきです。未来の党も「護憲」政党とみなすには不十分な政党です。

第4。社民党について。社民党の又市征治幹事長(当時、副党首)は昨年の11月の記者会見で「生活や減税日本などとは政策がおおむね一致してきているので、選挙で一定の協力が行われるのは当然だ」(読売新聞 2012年11月23日)などと述べていました。

ここでは減税日本の政策については措いておくことにして、国民の生活が第一は当時においても上記に見るとおり明らかな「改憲」政党でした。社民党自体の政策は「護憲」ですが、同党は上記の報道に見るとおり国政レベルの選挙において(つまり、国の安全保障政策に対する政党の態度が問題となるべき選挙で)「改憲」「護憲」の政策の違いを問題とせずに「選挙で一定の協力が行われるのは当然だ」と言ってのけるのです。社民党の「護憲」政策も実のところあやふやなものだといわなければならないのです。社民党は共産党などの「護憲」政党と共闘する場合にこそ社民党らしさが出てくるというべきであって、その他の政党との共闘の場合は同党の本来の主張である「護憲」も危うくならざるをえないのです。

以上見てきたように「党派を超えて新しい政治の流れをつくろう」というお題目だけでは「護憲」は実現しがたいのです。もっと端的に言えば、共産党をはじめから除外した「党派を超えた集まり」は実際は「党派を超えた集まり」ということはできず、かつ「護憲」も絵に描いた餅以上のものではありえないのです。

ご紹介の政党群の集まりは、真の「護憲」を実現しえるものとはいえず、また、これまでの誤った「民主党政治」を真に総括するものともいえず、「政治革新」の方向性を誤らせる作用しか持たないものと私として評価せざるをえません。集会のナビゲーターが津田大介氏という新進気鋭のジャーナリストだとしてもです。

私たちはこの3年半で民主党政治の過ちをいやというほど思い知らされたはずです。その過ちはたとえば「護憲」という革新にとっての一丁目一番地ともいうべき政策を「政権交代」という考えてみれば中身のないお題目を唱えることを第一にしてないがしろにしたところから生じたものです。同じ二の舞を演じるようなことがあってはならないと私は切に思います。

付記(4月26日)

生活の党、みどりの風、未来の党、さらに民主党の「脱原発」政策についてもひとことずつ触れておきます。
 
第1。生活の党の脱原発政策について。生活の党の代表の小沢一郎氏は2006年に民主党代表に就任した後、原子力発電を「過渡的エネルギー」と結党以来から位置づけていた同党のエネルギー政策を転換し、恒久的エネルギーとして原発を積極的に推進するという見解に修正しています(wikipedia『小沢一郎』「原発・エネルギー政策」)。
 
また、1991年の青森県知事選で核燃サイクル推進派の現職知事を当選させるために剛腕を発揮したり、東電原発事故後も民主党代表選で海江田万里を推薦したりしながらいまだにその非を認めようとしてもいません(kojitakenの日記『小沢一郎や橋下徹は「脱原発」の足手まといだ』 2012-11-21)。
 
さらに小沢氏が民主党在任時、当時の小沢派の議員が電力総連(東京電力労組)から多額の政治献金を受けている事実が判明しても(「AERA」 2011年4月25日号)同小沢派議員に対して派内からの除名はおろか、なんらの注意処分もしていません(弊ブログ『小沢氏の民主党離党にあたって~「小沢は脱原発派」という虚構を創ってまで小沢氏をあくまでも支持しようとする脱原発派の人たちに謂う』  2012.07.02)。その小沢氏を代表に掲げる生活の党を正真正銘の脱原発政党とみなすことはできません。
 
たしかに生活の党は前身の国民の生活が第一を結党する際にこれまでの原発推進政策を転換して10年後をめどに原発の全廃を目指すとした脱原発政策を同党の政策の柱として掲げましたが、上記の事実は、同党の脱原発政策は単に人気取りのための政策にすぎないことを間接的に証明しているように思います。
 
第2。みどりの風の脱原発政策について。みどりの風は同党の環境政策において「原発ゼロ社会の実現」(wikipedia『みどりの風』)を掲げていますが、上記で「みんなの党とみどりの風が参院選協力へ=近く政策協定」(時事通信 2013年3月6日)という報道を紹介しましたが、そのみどりの風の連携相手のみんなの党はこれもその政策において「2020年代に原発ゼロ。新規の原発設置を禁止」という公約を掲げていますが、原発の再稼働を認めるかどうかの同党の方針については「原子力規制委員会が定める世界標準の新基準に適合しない限り原発の再稼働を認めない」(『2012 アジェンダ』19頁)という立場をとっています。これは「原子力規制委員会が定める世界標準の新基準に適合」するならば「原発の再稼働を認める」という同党の立ち位置の表明であり、同政策を「真の脱原発」政策とみなすことはできません。

みどりの風はその「真の脱原発」政党とはみなし難いみんなの党と「近く政策協定」を結んで参院選協力のための連携を図るということですから、みどりの風の「原発ゼロ社会の実現」という政策も疑いをもって聞く必要があるように思います。みどりの風も「真の脱原発」政党とはみなし難いように思います。
 
第3。未来の党の脱原発政策について。同党前代表の「滋賀県の嘉田由紀子知事は2012年10月16日の定例記者会見で、関西電力大飯原子力発電所3、4号機の稼働について『現状では認めるしかない』と述べ、従来の慎重姿勢を大きく軌道修正した」(読売新聞 2012年10月16日)という報道がかつてありました。嘉田未来の党前代表はその後の会見でも同様のことを繰り返し述べています。そして、その嘉田未来の党前代表の姿勢はいまも変わりません。さらにその嘉田未来の党前代表の姿勢は同党現代表の阿部知子氏(衆院議員)にも継承されているとみなせます。
 
未来の党が上記第1で見た「真の脱原発」政党とはみなし難い生活の党の前身の国民の生活が第一との合併によって結党されたという事情とも合わせて考えると同党も「真の脱原発」政党とはみなすことはできないように思います。
 
第4。民主党の「脱原発」政策について。民主党もやはり原発推進政党でしかないことは、民主党・菅内閣が2010年6月18日に閣議決定した「エネルギー基本計画」に「原子力発電を積極的に推進する」「核燃料サイクルは、(略)確固たる国家戦略として、引き続き、着実に推進する」と明確に記されていること(この閣議決定は民主党・菅内閣の公式見解としていまも生き続けているのに対し、菅首相の「脱原発宣言」は同首相個人の「私の考え」にすぎません)。

また、2010年参議院選挙時の民主党のマニフェスト・政策集においても「政府のリーダーシップの下で官民一体となって、高速鉄道、原発、上下水道の敷設・運営・海水淡水化などの水インフラシステムを国際的に展開」すると記されていること。

さらに少なくとも6人の議員が東京電力の原発推進を図る労働組合である電力総連から合計8740万円もの献金を受けているという事実があること(AERA 2011年4月25日号)。さらにまたその電力総連は2人の労組出身者(小林正夫、藤原正司)を参議院に送り込み、2010年の参院選では蓮舫(現内閣府行政刷新担当大臣)、北澤俊美(現防衛大臣)、江田五月(現法務大臣)、輿石東(現民主党参議院議員会長)をはじめとする48人の民主党議員に推薦を出している(女性セブン 2011年4月28日号)という事実があることなどなどからも議論の余地のないところといわなければならないように思います。

資料:集会案内

2013/04/22 シンポジウム「どう動かす?これからの政治」(東京・池袋)

シンポジウム「どう動かす?これからの政治」
http://blog.moving-japan.net/

昨年の衆議院選挙では、「リベラル」議員が大敗し、自公政権が復活をしました。

安倍首相は原発再稼働に留まらず原発新規建設にも言及。さらには憲法改正も明言し、 アメリカの下請けとして戦争に参加することを狙っています。

こうした暴走を阻止するため、今夏の参議院選挙では、脱原発・反TPP・格差是正・平和をめざす勢力がまとまり、立ち向かわなければなりません。

そのためにはどうしたらいいのか、党派を超えて集まり、一緒に考えてみませんか?

脱原発とよりよい社会を求めるあなたの、ご参加をお待ちしています!

「どう動かす?これからの政治」
http://blog.moving-japan.net/

日 時 : 4月22日(月) 19:00から(18:30開場)
会 場 : 豊島区民センター 6階文化ホール
http://www.toshima-mirai.jp/center/a_kumin/
参加費 : 500円

ナビゲーター: 津田大介(ジャーナリスト)

出演者:
はたともこ(生活の党)
吉田ただとも(社民党)
谷岡 郁子(みどりの風)
阿部 知子(未来の党)
保坂 展人(世田谷区長)
宇都宮けんじ(前日弁連会長)
山本 太郎(今はひとり)
すぐろ奈緒(緑の党)
※その他現在要請中。議会日程などの都合により出演者は当日変更になる場合があります。

○集会参加について○
当日参加O.K.ですが、事前にチケットを配布しております。
チケットを確保したい方は、メールにてご連絡ください。

連絡先はこちら
moving-japan@mail.goo.ne.jp
http://blog.moving-japan.net/

私は先に「4.14神戸公開討論集会 ~広原盛明氏の講演レジュメといくつかの論攷資料のご紹介」という記事を書き、その中で広原さんが「リベラル21」にあらたに「護憲勢力は如何にして結集するか」という問題提起の連載を始められたことをご紹介しておきましたが、その広原さんが同連載の2回目に「81歳の実行委員会代表が奮闘し、74歳の研究者が話題提供する護憲討論集会が神戸で開催された、護憲勢力は如何にして結集するか」(リベラル21 2013.04.19)という記事を書かれています。

この集会の模様について、講師としての広原さんの眼から見た別の角度からの同集会報告となっており、当日の同集会の意義と有意性を改めて再確認することができる記事となっています。その意味で同集会の新しいプレゼンテーションとなっていますので、改めてご紹介させていただきたいと思いますが、その前に、広原さんの同記事によれば、同集会・実行委員会代表の佐藤三郎さんはいま81歳になられるとのこと。一層、敬意と尊敬の念を深くせざるをえないということを申し添えさせていただきたいと思います。


 
平和ドームと鳩
「護憲結集」実現の願いをこめて

81歳の実行委員会代表が奮闘し、74歳の研究者が
話題提供する護憲討論集会が神戸で開催された、
護憲勢力は如何にして結集するか(その2)

(リベラル21 広原盛明 2013.04.19)

 2013年4月14日、神戸で「とめよう壊憲!護憲結集!討論集会」が開催された。ブログのタイトルにも書いたように、この集会のために獅子奮迅の働きをされた佐藤三郎氏(憲法の改悪に反対する元教職員ひょうごネット共同代表)は何と81歳、そして話題提供をしたかくいう私は74歳という前代未聞の“超高齢者集団”による護憲討論集会である。おそらく数ある護憲集会のなかでも、これほどの高齢者グループが中心になった討論集会はかってなかったのではないか。

 そう言えば、「リベラル21」同人の平均年齢も70歳を超えるとか、高齢者だからという理由で黙っている時代ではなくなったのかもしれない。だが私のブログに対しては、「院生」と称する若手コメント氏から“老害”との忌憚のない批判が寄せられているようなので、いまさらのごとく「恐縮しきり」と言った心境にはかわりない。でも縁側で日向ぼっこばかりしていられない昨今の情勢からすれば、ときには人前に出しゃばることも許してほしい。勿論、若手メンバーが前面で活躍してくれるようになれば、即刻引退することを約束してのことである。

 冗談はこれぐらいにして本題に入るが、当日の集会は大盛況だった。会場になった神戸市勤労会館大会議室の定員は120名、そこへ8府県から(長野や千葉からも)140人を超える方々が参加されたので会場は立錐の余地もない。神戸新聞の取材もあり、記事にもなった。そしてここでも高齢者の姿が目立った。でも消防法の規定で120席を超える椅子は用意できないとかで、会場には立ったままの方も多かった。申し訳ないことだ。

 私の話題提供は予定されていた60分を大幅に縮めて、できるだけ政党代表やフロアーの方々の発言時間を確保するようにした。話の内容は、今年夏の参院選で改憲勢力が2/3以上の議席を占めることが確実視されるので、次の参院選までの2013年から2016年までの3年間は、衆参両院で改憲勢力が2/3以上を占める反動国会状況が出現すること。この3年間は憲法改悪が強行されるかもしれない“戦後最悪の歴史的反動期”だと言えること。改憲阻止のためには国民投票に勝利する体制をつくらねばならず、「護憲円卓会議」(仮称)といった護憲勢力の国民的結集体が必要であること、などである。

 参加された政党代表(社民党、新社会党、緑の党)の方々や会場からの発言は、当面する政治情勢や護憲勢力結集の必要性などについて概ね賛同の声が多かった。しかし問題は具体的な行動のあり方だ。何しろ神戸では初めての討論集会なので、主催者は会場からアンケートを募り、それらの意見も参考にしながら今後検討したいと集約された。

 後日、実行委員会から届いた報告によると、アンケート(38人)の内容は取り組みの継続を望む声が圧倒的だったとのことで、実行委員会は解散せずに今後の活動方針を討議したと書かれている。また討論集会の内容は、ビデオ録画とセットで報告資料集をつくる方針だという。高齢者グループだけでできるのかどうかが心配だが、きっと有意の若手メンバーが仕事を手伝ってくれるものと期待している。

 ところで、当日の政党参加者のことについても若干触れておきたい。もともとこの討論集会は、佐藤三郎氏が私のブログを読まれたことを切っ掛けにして発案されたと聞いている。そのため私のブログが集会の基調になったとの印象を拭いきれず、そこから誤解が生じて共産党は参加されなかったようだとも伺っている。でも実行委員会の話によれば、実行委員会のなかにもいろんな意見があり、決して私のブログが討論集会の前提になっているわけではないと、再度共産党に対して参加要請をされたらしい。結果は残念ながら不参加に終ったが、いずれの日かこの誤解は必ず解けるものと信じている。

 理由は明白明快だ。護憲勢力が結集しなければ改憲を阻止することができず、護憲勢力の有力な一員である共産党が参加しないことなど考えられもしないからだ。討論集会の主旨は「思想信条、組織団体を超えて護憲共闘を追求する」としている共産党の方針にも合致しており、本来なら革新政党の側から呼びかけてもおかしくないぐらいの取り組みなのである。実行委員会でも今回の討論集会の報告は共産党に届けることになっており、また今後の活動方針についても継続的に情報提供することを確認されている。実行委員会は、いわば「席を空けて待っている」との“大人の態度“で接しているのであり、護憲共闘の精神を踏まえたきわめて民主的かつ成熟した活動方針だといえる。

 このような民主的な市民活動との共闘のなかでこそ革新政党は鍛えられるし、成長もできる。逆に言えば、孤立すればするほど成長は遅れるし、革新政党としての存在意義も薄れていくだろう。戦後最悪の歴史的反動期を目前にして、国民的護憲結集のために革新政党の果たすべき役割は大きい。いつか開かれるであろう次の討論集会には、全ての護憲政党が参加することを強く期待したい。

追記:明日20日には既報のとおり京都市で「革新は生き残れるか――新しい変革の主体を考える」と題されたシンポジウムが開催されます。このシンポジウムにも期待したいと思います。

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●パネリスト
広原盛明(元京都府立大学学長)
藤永のぶよ(おおかさ市民ネットワーク代表)
大西 広(慶応義塾大学教授)
※フロアーからの発言歓迎

●コーディネーター
碓井敏正(京都橘大学名誉教授)

●参加費 無料(カンパ歓迎)

●呼びかけ
  シンポジウム「革新は生き残れるか――新しい変革主体を考える」
  実行委員会

●連絡先 碓井敏正(usui592szk@gmail.com)

日時=4月20日㊏ 午後1時30分~4時30分

会場=京都アスニー第2研修室(京都市生涯学習センター3階)
京都市中京区丸太町通七本松西入ル(電話 075-812-7222)

呼びかけ文

昨年12月の総選挙では、少なくない国民が原発問題や震災復興に関心を向け、憲法改悪への危機感を持っていたにもかかわらず、共産党、社民党などの革新政党が敗北するという結果となりました。さらに今夏の参議院選挙では、改憲が現実味を帯びて争点となることが予想されます。選挙の結果しだいでは、戦後日本の平和主義や基本的人権が危険にさらされることが憂慮されます。

私たちは、今こそ革新勢力が敗北した原因を正確に分析し、これまでの運動のあり方を見直すことが必要だと考えています。そのためにも国民の期待に応える新しい政策、組織運営、協力関係をつくりだすことが必要です。

今回のシンポジウムは、このような問題意識を共有するパネリストのお話を聞き、参加者のみなさんと一緒に今後の新しい運動のあり方や幅広い人たちとの共同について、立場にとらわれず自由に意見交換する場です。そこで民主的な組織のあり方や新しい運動をつくりだすきっかけを見つけ出すことができればと考えています。平和な日本を願う、多くのみなさんのご参加をお願いします。

沖縄のジャーナリストと作家の奇しくも軌を同じくする2つの「問い」をご紹介したいと思います。「普天間問題」とはなにかというあらたな局面における問いと「そもそも日米地位協定の本質」とはなにかという問い。もちろん別々の問いですが、私にはおふたりのウチナンチューの琉球弧(琉球諸島)からの軌を同じくする<怒り>の問いとして重なり、響きあっているように見えます。

踏みにじられた沖縄=1965年 嬉野京子さん撮影 
沖縄 「少女轢殺」
1965年 嬉野京子さん撮影

沖縄からの問い 1

新局面を迎えた普天間問題 政府対沖縄の対立構造浮き彫りに― 沖縄から(1)(リベラル21 山根安昇/ジャーナリスト 2013.04.17)

「日本政府」は3月22日、普天間基地の移転先として、名護市辺野古沿岸の埋め立て申請を沖縄県知事に提出した。これにより、普天間問題は新たな局面を迎えることになった。それを簡単にいえば、普天間基地の建設は「米軍対沖縄県民の闘い」だったが、その代替基地の建設は「日本政府対沖縄県民の闘い」になったということだ。これほど沖縄基地の歴史的変遷を象徴する「事件」はない。沖縄にとっては、日本とは何かを問う問題である。(太字は引用者。以下同じ)

そもそも普天間問題とは何か。今でこそ海兵隊基地として、抑止論で論じられているが、元はといえば、沖縄戦の真最中に、本土爆撃のために米軍によって沖戦で初めて建設された飛行場である。1945年4月1日、沖縄本島に上陸した米軍が狙ったのは、日本軍が構築した読谷飛行場(北飛行場)、嘉手納飛行場(中飛行場)、小録飛行場(現那覇空港)、伊江島飛行場などであった。早くも4月9日には米国海軍元帥ニミッツによって米海軍軍政府布告第1号が発布され、南西諸島における日本帝国政府の一切の行政権が停止された。

第32軍司令部が首里から摩文仁へ撤退を開始したのは5月27日だった。そして牛島司令官が自決したのが6月23日未明。これにより沖縄での日本軍の組織的抵抗は終わったとされるが、日本軍の無条件降伏調印が行われたのは9月7日だった。場所は米軍基地に変わっていた嘉手納飛行場。日本が無条件降伏した8月15日の後だった。

米軍は、牛島中将が自決した6月には普天間飛行場の滑走路建設に着手していた。しかし、米軍基地建設が本格化したのは、1952年4月28日に発効した対日講和条約、日米安保条約、行政協定の後である。1947年5月3日、日本国憲法が施行されたとき、沖縄県民はまだ法的には日本国民であった。しかし、対日講和条約第3条によって沖縄が米国の施政権下に分離されてから、沖縄は日本の視野から消え去り、“忘れられた島”の無国籍者として本格化する米軍の基地建設に対峙しなければならなくなった。

講和条約発効後の1953年4月3日、米軍は土地収用令(布令109号)を施行、4月11日から武装米兵による土地の強制収用が始まった。1954年3月17日、米国は強制収容した軍用地料を米軍の決めた賃借料で一括払いし、永久的な使用方針を発表したことから、いわゆる“4原則”をめぐる“島ぐるみ闘争”が起こり、現在の反基地闘争の根底となる闘争となった。なかでも1955年3月17日、普天間基地建設に伴う伊佐浜地区の強制収用は、武装米兵による「銃剣とブルドーザー」による弾圧収用となり、沖縄県民に広く知られるようになった。この闘争は、忘れられた島の県民だけの“孤独な闘争”だった。

このようにして建設された普天間基地の返還要求に対して、今度は米軍に代わって日本政府が立ちはだかり、代替基地を強権によって辺野古に建設するという。圧倒的な日本国民も見て見ぬふりをする。しかし、沖縄県民の自らの存在をかけた闘いを、もはや無視はできまい。たとえ、「アメとムチ」で日本政府が仲井真知事を抱き込み、埋め立て認可を取り付けようとも、沖縄県民の抵抗闘争の構図が米軍から日本政府に移っただけである以上、闘争が止むことはない。沖縄の問いかけに本土国民がどう答えるかである。

山根安昇(やまね・あんしょう)氏略歴
1939年 石垣市生まれ
1965年 琉球新報記者
1969年 沖縄県マスコミ労協議長

沖縄からの問い 2

紹介:「そもそも日米地位協定の本質って何?」海鳴りの島から 目取真俊/作家 2013-04-14)

4月11日に放映されたモーニングバード・そもそも総研「そもそも日米地位協定の本質って何?」がユーチューブで見られる。米軍基地問題や日米地位協定の問題は、沖縄の問題=他人事と思っている人たちに見せたい内容だ。

http://www.youtube.com/watch?v=DPlpxxjvU7Y

米軍の管理空域を回避するために民間機が危険な離着陸を強いられているのは、那覇空港も同じである。沖縄県民がどれだけ求めても、日本政府は地位協定の改定に手をつけようとしない。米軍優先のこういう状況を知れば、4月28日に政府主催の「主権回復の日」式典が催されることが、たちの悪い冗談にしか見えない。

平和ドームと鳩 
「護憲結集」実現の願いをこめて

ウェブ紙上で五十嵐仁さん(法政大学教授)が4月15日付けで「いま再び、『大左翼』の結集を呼びかけると題した論攷を発表しています(「五十嵐仁の転成仁語」。なお、同論攷は同月5日付けの「連帯・共同21」のウェブ紙上にも掲載されています)。
 
五十嵐さんと同様の呼びかけは私が先にご紹介した『チベット高原の片隅で』(連合出版 2012年)や『もうひとつのチベット現代史』(明石書店 2006年)などの著書もある中国の政治と農業に詳しい阿部治平さんも4月7日付けで「リベラル21」というブログ紙上でされていました。
 
さらに同様の呼びかけはこれもすでにご紹介しているものですが広原盛明さん(元京都府立大学学長)がやはり「リベラル21」のブログ紙上で「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ」(1~11)という総タイトルのもとで展開されていました。

その広原盛明さんの問題提起を受けて、この4月14日には神戸市で市民主催の「~総選挙敗北を見すえ 立ち直りの途を探る~ とめよう壊憲! 護憲結集!」と題された公開討論集会」が開かれました。また、この4月20日には京都市でも上記の集会とほぼ同様の問題意識に基づくやはり市民主催の「革新は生き残れるか ――新しい変革の主体を考える」と題されたシンポジウムが開かれる予定です。

                                                  *
3年前には古くからの「社共共闘」論者浅井基文さん(政治学者)も護憲共同の担い手政党のひとつとしての共産党の躍進を願う立場から同党に対して厳しい辛口の「日本共産党への辛口提言」を発表していました。

*2007年5月3日の憲法記念の日に日比谷公会堂であった「憲法集会」において共産党の志位委員長と社民党の福島党首と同席した浅井さんは共社の共同に関して次のように発言し、誰よりも一番大きな拍手を受けたそうです。

私は、今日のこの機会に、共産党の志位委員長と社民党の福島党首に心からお願いしたいことがあります。憲法改悪を阻止する潜在的なエネルギーを結集するためには、両党が小異を残して大同につかなければ、展望は出てきません。しかし、私が各地に窺ってしばしば経験するのは、第一線における両党の党員・支持者の間の溝の深さであり、歴史的に積み重なってきた相互不信の根強さです。/自民党と民主党を中心とし、改憲派を糾合する政界再編はいずれ避けられないでしょう。そういう大状況を前にしてもなお、共産党と社民党が改憲阻止で手を結ぶことができないと言うのであれば、両党の国民に対する政治的責任は極めて重い、と申し上げないわけにはいきません」(月刊「憲法運動」6月号。当日の浅井発言の全文はこちらをご参照ください)

いまや「『大左翼』の結集」、あるいは「護憲結集」の言葉は、あえていえばトレンディー、「護憲」を願う市民の合言葉ともいえる標語になっている感があります。

市民の「護憲共同」を願う機は熟しつつあります。広くリベラル・左翼と護憲勢力に呼びかけて市民と政党を含む五十嵐仁さんいうところの「『大左翼』の結集」、あるいは元教職員ひょうごネットワーク」共同代表の佐藤三郎さんたちのいうところの「護憲結集」をいま実現しましょう。護憲市民はその努力のために総決起しましょう。「鉄は熱いうちに打て」ということわざもあります。

上記はこれから始まろうとするドラマのト書きのようなもの、あるいは前書きのようなものにすぎません。本文はこれから書かれていくことになります。

目次
前書き
3.社民党の“存亡を懸けた戦い”は成功するか~総選挙総括と参院選方針をめぐる情勢をどうみる(その1)~
附:4.14護憲結集討論集会 動画(Ⅰ・Ⅱ)

これまで本ブログにおいてもその関連論考を含めると5回に渡ってご紹介してきましたが、この4月14日に神戸市で「~総選挙敗北を見すえ 立ち直りの途を探る~ とめよう壊憲! 護憲結集!」と題された「護憲結集・公開討論集会」(同討論集会実行委委員会主催)が開かれました。主催者によれば、同討論集会は一次集会と二次集会のあわせて6時間のロング・ランの集会になり、150名の市民参加者、参加要請をした政党からは社民党(服部良一前衆議院議員・社民党大阪府連代表)、新社会党(松枝佳宏新社会党委員長)、緑の党(長谷川羽衣子緑の党共同代表)の参加があったということです(共産党中央委員会にも参加要請をしましたが不参加」の回答がありました)。

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以下は当日の集会において「問題提起」としての講演をされた広原盛明さん(元京都府立大学学長)の講演(問題提起)レジュメと当日配布されたいくつかの論攷資料(「広原盛明の聞知見考」第26回、第27回、第28回)です。

この4月20日には京都でも上記の「とめよう壊憲!護憲結集!」討論集会実行委委員会が提起している問題提起ととほぼ同様の問題提起を掲げた「革新は生き残れるか―新しい変革の主体を考える」と題されたシンポジウムが開催される運びのようです。さらにその後もたとえば五十嵐仁さん(法政大学教授)の「いま再び、『大左翼』の結集を呼びかける」(「五十嵐仁の転成仁語」2013年4月15日)の呼びかけもあることなどから同種の問題意識に基づく全国各地での集会の開催が予想されます(また、全国各地で是非とも実現させていただきたいものです)。その参考資料の一助にもなればという思いからここに転載させていただくことにします。「護憲結集」を願う全国の広範な人々にご参照いただければ幸いです。

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なお、広原盛明さんは「リベラル21」にあらたに「護憲勢力は如何にして結集するか(その1)」という問題提起の連載を始められたようです。注目したいと思います。

平和ドームと鳩  
「護憲結集」実現の願いをこめて

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4.14神戸公開討論集会 広原盛明氏の講演レジュメ
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如何にして護憲勢力を結集するか
~戦後最悪の歴史的反動期(2013~2016年)を目前にして~
2013/4/14神戸集会 広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
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1.2013~2016年は戦後最悪の歴史的反動期

(1)2012年総選挙における改憲勢力の圧勝、2/3以上議席の占有
  主導勢力:自民294、維新54、みんな18、計366(76.3%)
  追随勢力:公明31、民主57、計88(18.3%)
  護憲勢力:共産8、社民2、未来(生活)9、計19(4.0%)

(2)2013年参院選挙における改憲勢力の結集、護憲勢力の沈黙
  自民・公明の選挙協力体制の継続
  維新・みんなの選挙協力体制の一本化
  民主・生活・社民の不透明な関係
  共産の孤立

(3)2013年参院選から2016年参院選までの3年間、衆参両院で改憲勢力が2/3以上議席を占有
  憲法96条改定を皮切りに憲法全面改定の具体化
  自民党改憲草案が骨格
  戦後最悪の歴史的反動期

2.衝撃的なNHK世論調査結果(2013年4月8日)

(1)安倍内閣支持率、( )は2013年1月
  支持66%(64%)、不支持19%(22%)

(2)政党支持率、( )同上
  自民43.6%(37.8%)、民主6.1%(7.6%)、維新2.1%(6.5%)、
  公明3.7%(4.0%)、みんな1.3%(3.7%)、共産2.0%(2.7%)、
  社民0.7%(0.8%)、生活0.4%(0.5%)、支持なし34.5%(30.8%)

(3)日銀の金融緩和
  「大いに評価する」12%、「ある程度評価する」46%、
  「あまり評価しない」27%、「全く評価しない」6%

(4)参院選自公過半数の是非
  「望ましい」23%、「どちらかといえば望ましい」37%、
  「どちらかといえば望ましくない」21%、「望ましくない」12%

(5)憲法改正の必要
  「改正する必要があると思う」39%、「改正する必要はないと思う」21%、
  「どちらともいえない」33%

(6)憲法96条の改正
  「賛成」28%、「反対」24%、「どちらともいえない」40%

(7)改憲勢力2/3の是非
  「望ましい」20%、「どちらかといえば望ましい」37%、
  「どちらかといえば望ましくない」20%、「望ましくない」12%

(8)小選挙区「0増5減」の方針
  「賛成」32%、「反対」17%、「どちらともいえない」42%

(9)今国会中の衆院定数削減を含む選挙制度の見直し
  「必要がある」50%、「必要はない」9%、「どちらともいえない」33%

3.国民世論の地殻変動が始まっている

(1)安倍内閣の支持率が高レベルで安定している
  →与党・野党を問わず批判勢力がシュリンク(委縮)している
  →情勢を切り開く批判力のある人材が不足している

(2)自民党支持率が突出して高い
  →自民党への国民感情が好転している
  →阿部首相の資質・能力を軽視できない

(3)国民世論が改憲に向かって急傾斜している
  →戦後政治のなかでこれほど世論の右傾化が起こったことはない
  →なのに、国民に警鐘を鳴らすジャーナリズムの危機意識が弱い

(4)護憲勢力の姿が見えない
  →革新政党・革新勢力が弱体化している
  →政党独自の延命運動に熱中していて、情勢がつかめない

その背景には、

(1)アベノミクスによる株価上昇による景況感の改善が内閣支持率を押し上げている
  →「食えない民主主義よりも食える独裁」への共感が広まっている
  →ワイマール体制の崩壊とナチズム進出の時代との相似形
  →2013年夏の参院選終了まで街角景気が崩れる心配はない

(2)北朝鮮・中国の軍事的脅威が国民心理を不安状態に陥れている
  →「平和憲法では国を守れない」との意識が高まっている
  →在特会など排外主義運動に対する国民の警戒感が薄い
  →今後3年間で北朝鮮・中国の強硬姿勢が変化するとは思えない

(3)9条を表に出さないで96条改憲から手を付ける戦術が成功している
  →96条が「改憲のマスターキー」であることに国民が気づいていない
  →96条が改訂されると「芋づる式」に改憲される
  →最終的には、自民党改憲草案をコアとする全面改憲に一気に突き進む危険性もある

(4)ハシズムと一体になったマスメディアの影響力が依然として強い
  →マスメディアの論説部門の右傾化がひどい
  →改憲派イデオローグの跳梁、護憲派知識人の封殺
  →国民の民主主義的感覚や政治意識が劣化してきている

4.護憲勢力を如何に結集するか

(1)参院選後の「護憲円卓会議」の結成
  →参院選には間に合わない、ただし「呼びかけ」など準備は可能
  →広範な護憲政党、護憲勢力を結集した開かれた共闘組織の結成
  →2013~2016年の3年間に的を絞った護憲運動方針の具体化
  →全国組織でも地方組織でもできるところかスタート

(2)改憲国民投票に備えた国民運動の提起
  →護憲運動の街頭化(見える化)、街頭の空気を変える
  →護憲講師団による全国各地での「護憲フォーラム」の日常的開催
  →反原発デモに学ぶアクション・プログラムの展開など

(3)地方議会への働きかけ
  →護憲・反原発首長のネットワーク化
  →議会公聴会、議員懇談会への働きかけ
  →国民投票に先立つ地方住民投票の提起など

(4)「護憲円卓会議」の政治的意義
  →政治情勢を変革し得る政治勢力としての現実的存在感を示すこと
  →国民の信頼と安心を獲得できる政治勢力として成長すること
  →現在の政治情勢に絶望している優れた人材を掘り起こすことなど

(5)その他

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4.14神戸公開討論集会 広原盛明氏のいくつかの論攷資料
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1.次期参議院選挙で革新政党は生き残れるか
~新たな“護憲戦略”の構築なくして展望は開けない~
(「広原盛明の聞知見考」第26回 『ねっとわーく京都』 2013年3月号)
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『リベラル21』のコメントから

東京のジャーナリスト集団が書いている同人ブログに、『リベラル21』というのがある。戦後の革新的ジャーナリズムを担ってきた第一線のジャーナリストたちが、現役引退後もなお健筆を振るっている頼もしい同人ブログだ。ひょんなことから私も参加させてもらっているが、今年になって「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ」というブログを書き始めたところ、次のようなコメント(1月15日)が読者から寄せられた。少し長くなるが、現下の政治情勢の動向を的確に把握しているコメントなので改めて紹介したい。

「このままいけば、次回の参院選で社民党は消滅、共産党は去年の衆院選における社民党並みの水準まで後退する可能性がある。おそらく共産党もそれはよくわかっているが、支持者や党員を落胆させたくないために前回の総選挙と直近の参院選を比較したに違いない。共産党の退潮は政策上の優位さを生かし切れずに、メディアの意図的排除と「維新」、「みんな」、「未来」への誘導、若い世代への浸透不足、リベラル革新の共同作戦の欠如、活動家の老齢化、一部を除く立候補者の力量不足などによって生じたもので、その構図が変わらなければ次回参院選でも同じことが起こるであろう。支配者側は革新の退潮をよくわかっているので、民主党の失敗の間隙をついて、ここぞとばかりにさまざまな潮流(「維新」の極右主義、「みんな」の改良主義など)を動員して、改憲をゴールにした戦後民主主義体制の根本的改廃への総攻撃をかけてきている。」

本誌前号(2013年2月号)では、総選挙直後に原稿締め切り日が迫っていたこともあって、革新政党の選挙結果について触れる余裕がなかった。また、世間の大方の関心は民主党の壊滅状況と自民党の圧勝ぶりに集中していて、社民党や共産党の敗北の方はあまり注目されなかった。だがその実、社民党は“解党的惨敗”、共産党はその“一歩手前”と言ってよいほどの歴史的大敗だったのである。

選挙結果の推移を直視しよう

わが国で革新政党といえば、旧社会党の流れを汲む社民党と戦前からの伝統ある共産党がその代表格となっている。だが、2000年以降の衆参両院選挙における得票数・得票率(比例票、以下同じ)の推移をみると、残念ながらこの10年余りの両党の凋落はもはや誰の目にも明らかと言う他はない。

社民党は、衆院選得票数を560万票(得票率9.4%、2000年)から149万票(2.4%、2012年)に激減させ、10年余りで得票数・得票率がともに1/4に縮小した。これはもう「底割れ」というべき危機的状態だと言ってよい。同様に、参院選得票も301万票(4.3%、2001年)から224万票(3.8%、2010年)に落ち込み、回復の兆しは見られない。

共産党の方は社民党よりは若干下降カーブが緩いものの、やはり低落傾向に歯止めがかからない点では同じだ。衆院選得票数は、672万票(11.2%、2000年)をピークにその後500万票ラインを一進一退してきたが、直近の2012年衆院選では一挙に前回衆院選の1/4に当たる125万票を失い、369万票(6.1%)にまで激減した。また参院選においても、433万票(7.9%、2001年)から356万票(6.1%、2010年)へと着実に後退している。

その結果、社民・共産両党を合わせた全体の革新票は、衆院選では1232万票(20.5%、2000年)から518万票(8.5%、2012年)へ半分以下となり、参院選では796万票(14.5%、2001年)から580万票(9.9%、2010年)へ約7割に縮小した。議席数も、衆院では35/480議席(社15、共20、7.3%、2000年)から10/480議席(社2、共8,2.1%、2012年)へ、参院では28/247議席(社8、共20、11.3%、2001年)から10/242議席(社4、共6,4.1%、2010年)へ各々1/3前後に縮小した。

この数字の意味するところは深刻だ。かって革新政党が国政において一定の比重を占めていた頃は、国会運営の舞台裏はどうあれ、少なくとも国政選挙は政策をめぐって争われていた。しかし、小選挙区制の導入によって革新票の多くが死票となり、それが比例票の減少となって跳ね返るという「負のスパイラル」が有権者の投票行動に定着した結果、掲げている政策の如何にかかわらず革新政党支持者の票離れが止まらなくなったのである。

国民にとっての政党の存在感は、政策が国民の要求や期待に応えるものであると同時に、政党が政策を実現できるだけの力量(実行力)を備えているかどうかで決まる。その意味で議席が減ることで“存在感”や“リアリティ”が乏しくなった革新政党は、政策だけで選挙戦で勝利することができなくなり、得票数を増やすことができなくなった。議席減と得票数減が「鶏と卵」の関係になって、革新政党は、「いいことを言うが、実行できない」という“政党イメージ”を打ち破ることが著しく困難になったのである。

社民党が消えるかもしれない

その時どきの政党の分立状況にもよるが、一般的に言って、現行の選挙制度では得票率が4~5%を割ってくると、小選挙区はもとより比例区の議席数が極端に少なくなるという傾向がある。「4~5%ライン」が政党存続の“臨界点”と言われているのはそのためだ。社民党の得票率は、2003年の衆院選以来、参院選も含めて4~5%台に低迷していたが、2010年参院選では政党存続の“臨界点”を超えてついに3%台に落ち込み、2012年衆院選に至っては3%を割って2%台に転落した。これが「解党的惨敗」といわれている社民党の内実だ。

しかし「4~5%ライン」の臨界点の次には、政党自体が消滅する「デッドライン」が待ち構えている。政党が蒸発して消滅するという意味で“沸点”と言ってもよいが、それは政党助成法における「得票率2%」条項のことだ。周知のごとく、政党助成法における政党要件(第2条)は、「衆参国会議員5人以上を有する政治団体」あるいは「直近の国政選挙で有効投票の2/100以上を得た政治団体、ただし国会議員1人以上」となっている。この要件を満たさなければ政党として認められず、したがって政党交付金も受け取れない。

社民党の参院議員は目下4人、今年7月の参院選挙で任期切れを迎える議員が2人いるので、もし次期参院選で議席がゼロになれば、残るは衆院2人、参院2人となって政党要件の5人を割ることになる。勿論、得票率を2%以上確保すれば話は別だが、次期参院選での社民党の得票率は衆院選以上に落ち込むことが予想されているので、このままでいくと得票率が2%を割り、議席ゼロになる可能性も否定できない。

政党交付金が政党の運命(消長)を左右することは、「日本未来の党」が惨敗を喫して小沢派と嘉田派が分裂し、政党交付金を受け取れなくなった嘉田派が事実上消滅したことでもよくわかる。したがって政治資金の圧倒的部分を政党交付金に依存している社民党にとって、政党交付金が無くなることは文字通り社民党の消滅を意味する。政党交付金が無くなれば、足腰の弱い社民党の政党活動は決定的な打撃を受け、党を支える活動家の人件費や行動費も支給できなくなり、事務所も閉鎖せざるを得ない。こうなると政党としての実体が無くなるわけだから、もはや次回の衆院選挙をまともに戦えなくなることは眼に見えている。また今回辛うじて当選した2人の衆院議員も、次の選挙で果たして議席を守れるかどうかの保証はどこにもない。

身内だけの選挙総括では事態を打開できない

結党以来の“絶体絶命の危機”に直面して、社民党はいかなる衆院選総括を行い、どのような次期参院選の方針を示すのであろうか。通常、政党選挙の総括は政党責任において行うのが原則とされている。だが、総選挙は国政のあり方に関する基本政策を訴えて国民の審判を仰ぐ最大の政治イベントであり、総選挙そのものが有権者との共同作業である以上、選挙総括を政党の「身内」だけで済ませるわけにはいかないのではないか。選挙総括が国民に向かっての“開かれた総括”でなければ、訴えた政策の是非も選挙戦術のあり方も政党(だけ)で判断を下すことは不可能だと思うからだ。

この点に関して社民党のホームページをみると、総選挙の翌日に『第46回衆議院議員総選挙の結果について』という全国常任幹事会の簡単な声明が出されだけで、今後の予定としては2013年1月24日から執行部の総選挙総括案が討議されると書いてある。ここにはいつも通りの「身内」だけの総括討議が提案されているだけで、国民に向かっての“開かれた総括”の姿勢は見られない。

12月17日の声明もごく簡単なものだ。冒頭に「社民党は「生活再建―いのちを大切にする政治」というスローガンを掲げ、小選挙区23名、比例単独10名、あわせて33名の候補者を擁立して、獲得目標7議席以上、400万票以上をめざし総力をあげて闘った。しかし結果は、小選挙区で1議席、比例区で1議席、合計2議席に留まるという極めて厳しいものとなった」との経過報告とお詫びの言葉があり、敗因として「12政党の乱立などによって争点が多様化し、社民党の主張を十分に浸透させられず、支持に結び付けられなかった」、「この選挙であらためて現行小選挙区制の問題点が浮き彫りになった」ことの2点が強調されているだけだ。そして最後は、いつものように「今まさに「いのちを大切にする政治」の正念場である。社民党は、現在の政治状況に危機感を持つ人々とともに国民生活の再建と改憲阻止のために全力で奮闘する決意である」との決まり文句で結ばれている。

しかし支持者・有権者サイドから言えば、「33名の候補者を擁立して7議席以上、400万票以上を目指す」という目標がなぜ「142万票、2議席」という史上最低の結果に終わったのか、キチンとした説明がなければ納得できないだろう。また敗因のひとつとして「12党の乱立」が挙げられているが、その乱立の有力な原因となった「日本未来の党」の結成に際して、社民党の政審会長を務めた阿部知子氏が直前に離党して合流したことについては一言も触れられていない。社民党の主張を十分に浸透させられず、支持に結び付けられなかったのは、常任幹事会声明がいうように12政党の乱立などによって争点が多様化したからではない。辻元氏や阿部氏など幹部議員が相次いで離党したにもかかわらず、その原因や背景を国民に十分説明できなかった社民党が有権者から総スカンを食った結果が、「142万票、2議席」という史上最低の数字になっただけのことなのである。

いずれにしても社民党は、支持者・有権者とともに“開かれた総括”を行うことなしには事態を打開できず、したがって「解党的惨敗」から抜け出すこともできないだろう。1月24日の全国代表者会議においてどのような総選挙総括案(第1次案)が出されるのか、内容だけでなくその総括方法についても注目したい。

共産党は大丈夫か

社民党と違って、共産党は一般に「足腰が強い」と言われている。全政党のなかで唯一政党交付金を受け取らず、機関紙代・党費・個人献金など自力で政治資金を調達しているのは共産党だけだ。近代政党としては当たり前のことだが、他党が真似をできない以上、立派と言う他はない。また国会議員は少なくなったものの、地方議員はピーク時に4433人(2000年、総務省調べ)を数え、自民・公明両党を押さえてトップの位置を占めていた。地方議員を基盤とするピラミッド型の議員構成やそれを支えている職場・地域組織の広がりも、「議員政党」といわれる社民党とは比較にならないほどの強靭な体質を有している。

しかし平成大合併によって市町村数が半分近くになり、全国の地方議員定数が5万8千人(2000年)から3万5千人(2011年)へ4割も減ったことによって、草の根型の議員活動・地域活動を基礎とする共産党は大打撃を受けた。全国地方議員定数に占める共産党議員の割合はほとんど変わらないが(7.6%→7.9%)、議員絶対数はここ10年余りで1700人近くも減り、2011年末には2766人(62.4%)と11年前の6割水準に縮小したのである(社民党は364人)。

共産党にとって地方議員の大幅減は、組織活動と財政活動の両面で二重の制約となった。組織活動面では、職場・地域活動の要となる少なくない地方議員を失うことによって政治活動のポテンシャルが大幅に低下した。財政面では、政治資金の重要なソースである議員報酬が減ることによって活動資金の調達が著しく困難になった。小選挙区制の導入が革新政党に対する決定的な「ストレートパンチ」であったとするなら、平成大合併は共産党にとっての手痛い「ボディブロー」となったのである。

地方議員の減少が国政選挙に与えた否定的影響は、計り知れないほど大きいと思われる。共産党には「タレント候補」がいないので個人票はほとんどなく、得票数のほとんどが組織票によるものと言われている。言うまでもなく組織票は、地方議員を中心とする職場・地域組織の選挙活動の積み重ねによって獲得されるものであるから、地方議員の減少は国政選挙の得票数の減少に直結することになる。

これを衆院選の比例得票数で比較すると、2000年衆院選では地方議員4433人、得票数672万票、地方議員1人当たり得票数1516票だったのが、2009年衆院選ではそれぞれ3026人、494万票、1632票になった。ここまでは2/3レベルになった地方議員が奮闘することで、得票数の目減りが辛うじて1/4程度に抑えられていた。しかし2012年衆院選挙になると、地方議員2766人、得票数369万票、議員1人当たり1334票となって、議員1人当たり得票数が一挙に1割強も減ったのである。もし3年前と同じ議員1人当たり1632票の水準を維持していれば、得票数はまだしも450万票程度となってこんな大敗を喫することはなかったのであるが、なぜこれほどの得票数の急激な減少が起ったのだろうか。

共産党のホームページでは公表されていないので正確な実態はわからないが、おそらく最大の原因は、職場・地域組織の高齢化がもはや限界に達して政党としての活動能力が著しく低下し、従来型の選挙活動ができなくなったことがあるのだろう。選挙関係の集会に行っても若い人の姿をほとんど見かけない、ビラを撒く人が確保できない、投票を訴える活動家は高齢者ばかり、こんな光景が最近の共産党のごく普通の姿になっているからだ。

現実を見ない選挙総括は信頼を失う

共産党についてホームページで選挙総括を見よう。総選挙翌日の『総選挙の結果について』(2012年12月17日、中央委員会常任幹部会)によれば、議席数、得票数、得票率に関する総括部分は以下のような文面になっている。

「12月16日に投開票がおこなわれた衆議院選挙で、日本共産党は議席倍増をめざして奮闘しました。議席倍増という目標は長年続いてきた古い政治が崩壊的危機に陥るもとで、日本共産党の躍進を勝ち取ることは国民に対する責任であるとの立場から掲げたものでした。残念ながら、結果は改選9議席から8議席への後退となりました。」

「議席を後退させたことは残念な結果ですが、全党と後援会員のみなさんの奮闘によって一歩ではありますが、前進への足がかりをつかんだことは重要だと考えます。日本共産党は「私たちが出発点とすべきは2010年参院選比例票の356万票(6.10%)」(4中総決定)であることを銘記してこのたたかいにのぞみました。この出発点にてらすと、総選挙でわが党は比例代表で369万票(6.13%)に得票・得票率をわずかですが前進させました。小選挙区での「全区立候補」に挑戦し、選挙区選挙で470万票(7.89%)を獲得したことも積極的意義をもつものでした。とりわけ比例票を参院比例票の約1.2倍に増やして議席を守り抜いた東北ブロックでの勝利は、被災地復興の今後を考えてもきわめて重要なものとなりました。」

この文面を読んで、正直驚かなかった人はいなかったのではないか。すでに多くの人が批判しているように、最大の問題は、今回の総選挙結果を2010年参院比例票の得票数356万票(6.10%)を基準にして比較し、「わが党は僅かながら前進した」などと総括していることだ。しかし国会が衆参両院からなる2院制をとる以上、衆院選挙と参院選挙は本来別個のものであり、有権者もこのことを十分認識して選挙活動(投票行動)に参加している。小選挙区制導入以降の共産党の比例得票数の推移を見ても、衆院と参院では明らかに得票数・得票率の傾向が異なるのであり、衆院選挙は衆院選挙で、参院選挙は参院選挙で独自に比較分析しなければ選挙結果の総括にはならない。以下は、その得票数・得票率の推移である。

2000年衆院:672万票11.2%→2001年参院:433万票7.9%
2003年衆院:459万票7.8% →2004年参院:436万票7.8%
2005年衆院:492万票7.3% →2007年参院:441万票7.5%
2009年衆院:494万票7.0% →2010年参院:356万票6.1%
2012年衆院:369万票6.1% →2013年参院:?

この数字を見れば即座にわかることだが、衆参両院選挙の比例得票数を比較すると、衆院選挙の方が参院選挙の得票数を常に上回っている。だから参院選挙と衆院選挙を比較して「僅かに前進しました」「前進への足がかりをつかんだ」などというのは“詭弁”そのものでしかない。「科学的社会主義」を標榜している共産党が、こんな非科学的な選挙総括をするようでは支持者・有権者の信頼を得ることなど到底できないと言うべきだ。

“竹槍精神”では選挙に勝てない

次期参院選を考えるとき、共産党が何よりも重視すべきは、2010年参院選および2012年衆院選において「650万票以上」という得票目標を掲げたにもかかわらず、なぜ両選挙において前回選挙から2割前後もの大量得票を失い(参院選▲19%、衆院選▲25%)、参院選では356万票(目標の54.8%)、衆院選では369万票(同56.8%)にとどまったのかという原因究明と総括だろう。この両選挙における“科学的総括”がなければ、次期参院選においても「歴史は三度繰り返される」ことになる。直近の参院選・衆院選で得票数が2割前後も減少しているのだから、このトレンドを延長すると、参院選356万票×0.8=285万票、衆院選369万票×0.8=295万票となり、得票数300万票・得票率5%を割る可能性すら否定できないからだ。

率直に言って、次期参院選において革新政党が改憲発議を阻止するために必要な121改選議席の1/3(41議席)を獲得することはもはや絶望に近い。自民・公明・維新各党と民主党内の改憲勢力を合わせると、議席数の2/3はおろか3/4、4/5を突破するかもしれない勢いだからだ。“竹槍精神”ではもはや選挙に勝てなくなった以上、革新政党は当面する参院選はもとより参院選後の新しい政治情勢をも考慮に入れた新たな“護憲戦略”の構築に乗りださなければならない。

参院選後の「新しい政治情勢」とはなにか。それは、日本国憲法第96条第1項の規定によって憲法改正の是非を問う“国民投票”に政治決戦の舞台が移るということであり、有権者の過半数の支持を得られなければ憲法9条が否定されると言うことだ。中曽根元首相の言う「戦後体制の総決算」の時期がまさに目前に迫っているいま、革新政党の取るべき道は広範な護憲勢力の再結集によって改憲阻止に立ち上ること以外に選択肢は残されていない。個々の政党レベルではもはや改憲を阻止できない以上、個別政党の眼を通して政治情勢・選挙情勢を見るのではなく、護憲勢力全体の眼から現下の危機的状況に立ち向かう姿勢が求められているのである。

“護憲勢力”を幅広く結集できる政治的枠組みをつくろう

私は憲法9条を守ってきた政治勢力の構造は、(1)護憲を党是とする社民党や共産党などの「革新政党」、(2)これら革新政党を支持する「革新勢力」、(3)革新政党を支持しないが、憲法9条を否定することには反対する「護憲勢力」の3重構造で構成されていると理解している。しかし、革新政党はせいぜい革新勢力の範囲でしか政治活動・選挙活動を展開せず(できず)、広範な護憲勢力を結集する戦略を打ち出せなかった。僅かに「9条の会」が護憲勢力の一部を迎え入れただけだ。

個々の革新政党の活動が限界にきている以上、従来の活動スタイルのままでは革新政党は消滅の道をたどる他はなく、憲法改正を阻止することもできない。だとすれば、革新政党が存在感を示すには国民・有権者に対して改憲を阻止できるだけの政治的枠組みを示さなければならない。そして改憲阻止の国民投票に勝利できる体制をつくらなくてはならない。

結論は明らかだ。革新政党は革新勢力はもとより広範な護憲勢力に働きかけて新たな“護憲戦略”を構築しなければならず、当面その第一歩として考えられるのは、今回の選挙総括と次期参院選挙方針を党内だけでなく国民に対して“開かれた形”で行うことだ。具体的には、(1)公開討論会形式にして革新政党の選挙総括や参院選挙方針の問題点を有権者の間で広く議論する、(2)「外部第三者委員会」といった形で党外でも選挙総括を行い、党独自の総括と対置させながら公開討論で問題点を探り出す、(3)社民党・共産党やその他の政治団体が合同討論会を組織し護憲戦略のデザインについて討議するなど、とにかくあらゆる形を追求してみることだ。

だがその場合の議論の原点は、あくまでも「国民投票において改憲を阻止する」ことに置かれなければならない。「革新政党の再生のために何をするか」ではなく、「改憲阻止のために革新政党は何をしなければならないか」ということを議論の中心に据えなければならない。共産党に関して言えば、党の「成長・発展目標」よりも「護憲勢力の構築」を政治目標の上位に位置づけることが要求される。要するに個々の革新政党レベルの狭い「セクト主義」に陥ることなく、護憲勢力全体を結集する「骨太の政治方針」を貫くことが求められるのである。

「敵を知り己を知らば百戦危うからず」(孫子の兵法)という言葉があるが、もはや事態はその域をはるかに超えている。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という方が実情に近い。社民党や共産党が果たして「身を捨てる」ほどの決意と覚悟を示すのか、それともこのままずるずると後退して消滅の道をたどるのか、革新政党はいま歴史的分岐点に立っている。

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2.嘉田新党(日本未来の党)はなぜ失墜したか
~「極右第3極」の台頭、「保守補完第3極」の消滅~
(「広原盛明の聞知見考」第27回 『ねっとわーく京都』 2013年4月号)
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社民党・共産党が消えた総選挙報道の内幕

最近、京都ジャーナリスト9条の会で総選挙報道の内幕を聞く機会があった。その中で私が特に興味をひかれたのは、今回の総選挙でマスメディアの予想が唯一外れたのは、嘉田新党(日本未来の党)の失墜(だけ)だったという話である。それ以外の予想は悉く当たったというから、彼らの選挙情勢の分析力が優れているのか、それともマスメディア自身が仕組んで意図的な選挙情勢をつくりだしたのか、その二つのうちの一つだろう。

ちなみに大手紙の政治部記者たちの間では、もはや社民党や共産党など革新政党の姿は完全に視野のなかから消えているのだそうだ。だから、選挙報道の基調は自ずと「民主壊滅、自民圧勝、維新躍進」というシナリオ通りの展開となり、記者たちの関心はもっぱら民主・自民と(表向き)対抗する「第3極=維新」の動きに振り回されることになる。日本維新の会に関するニュースが引きも切らないのは、彼らの動きが2大政党に対する国民の不満や批判のガス抜きになり、読者の関心を引き付ける格好のネタになるからだ。

日本の政治のあり方や行方を真剣に考えている読者(私も含めて)にとって、このような翼賛的メディア状況はとても許せるものではないだろう。だが、これが総選挙報道の実態というのだから憤慨しても始まらない。まともな読者の怒りや批判は、これら政治部記者たちの間ではもはや「ごまめの歯ぎしり」程度にしか聞こえていないのではないか。

ただし、最近になって「第3極=維新」という“ガス抜き安全弁”が機能不全を起こし始めたことも事実だ。特に橋下新党が石原新党と合流して以来、「維新、合流のひずみ」(朝日2012年11月23日)、「維新、かすむ目玉政策」(日経11月25日)、「維新政策、鈍る切れ味」(毎日11月30日)とかいった大見出しがあちこちで目立つようになった。原発・エネルギー、TPP、外交・安全保障などに関する国の基本政策において、維新と民主・自民両党との違いが薄れ(無くなり)、維新の「ガス抜き」機能がうまく働かなくなってきたのである。こうなると、マスメディアが「2大政党 vs 第3極」という“虚構の対立軸”をいつまでも維持することが難しくなる。「第2の安全弁」が必要になってきたのである。

嘉田新党の結成タイミング

こんな締りのない総選挙報道がダラダラと続くなかで、選挙公示を1週間後に控えた11月27日、突然飛び込んできたビッグニュースが嘉田新党の結成だった。嘉田由紀子滋賀県知事が同日午後、滋賀県庁で記者会見を開き、原発依存から脱却する「卒原発」を旗印に「日本未来の党」を結成する意向を正式に表明したのである。

「原発ゼロ」の公約は、もともと早くから社民党・共産党など革新政党が掲げてきた基本政策だ。その内容は首相官邸前で繰り広げられてきた反原発デモの趣旨にも共通するものだし、福島原発事故以降は国民世論としても定着している。したがって「原発ゼロ」は、自民党の原発維持政策や民主党の実質的原発維持政策(表向きは「脱原発依存」を掲げながら、実質的には大飯原発の再稼働、大間原発の工事再開、原発輸出の公認などを推進)とは対極に位置し、民主・自民と対決する「第3極」(本物)の機軸に位置づけられるべき政策だといえる。

ところが、政治部記者たちの眼中にはすでに革新政党の姿はないので、「第3極=原発ゼロ=革新政党」の構図で記事を書くわけにはいかない。といって、いまや巨大な世論となった「原発ゼロ」の国民世論を無視するわけにもいかない(反原発デモを無視したために手痛い世論の批判を浴びた)。このディレンマを解消するためには、表向き脱原発を掲げる「第3極」(偽物)を探し出して“虚構の対立軸”をつくる以外に方法がない。

こうして早くから「第3極=維新」の構図がつくられ、1番バッターとして起用された橋下新党への翼賛報道がはじまった。しかし、橋下新党が国政進出に際して石原新党と合流(野合)することになり、お題目の脱原発政策がフェードアウト(消滅)して対立軸が次第にぼやけてきた。このままでは、民主・自民2大政党に対する国民の不満や批判が革新政党への期待となって世論の向きが変わる可能性がある。そこで控えの2番バッターの起用が必要になり、嘉田新党が登場したというわけだ。

かくして維新が「原発ゼロ」の公約を降ろして世論の批判を浴びていたちょうど頃、準備万端の末、タイミングを見計って「新・第3極=嘉田新党」の結成が発表された。新しいスターの登場で選挙情勢は一転して乱戦模様となり、マスメディアは大いに色めき立った。革新政党抜きで総選挙の紙面がつくれる舞台が再び用意され、各社が「コップのなかの嵐」を面白おかしく演出できる条件が整ったのである。

「新・第3極=嘉田新党」の華々しい登場

記者会見の翌日、各紙は大見出し(一面トップ)で「日本未来の党」(嘉田代表)の旗揚げを報じ、嘉田新党が1週間後に迫った衆院総選挙に100人規模の候補者を擁立し、脱原発を目指す諸勢力の結集を目指すとの方針を大々的に伝えた。橋下ブレーンだった飯田哲也氏(エネルギー政策)が嘉田新党の代表代行に就任したことも、「嘉田新党=非維新=新・第3極」の旗幟を鮮明にするうえで効果的だった。また賛同者として、坂本龍一(ミュージシャン)、菅原文太(俳優)、鳥越俊太郎(ジャーナリスト)、茂木健一郎(脳科学者)など絵になる有名人が名を連ねたことも彩りを添えた。

さらに公示日直前の12月3日、前日に東京都内で開かれた政権公約発表の一部始終が華々しく紹介され、解説付きで詳しく報道された。12月4日が選挙公示日だから、総選挙開始直前の「新党結成キャンペーン」としてはこれ以上の宣伝効果はない。なかでも朝日・毎日両紙のはしゃぎぶりと大盤振る舞いが目立った。

朝日は、『追跡、乱流総選挙』といった刺激的な見出しを付けて「未来、脱原発が原動力」(12月3日)などと大々的に持ち上げた。記事の調子にしても、「嘉田氏は、「(原発事故のあった)3・11の転換点を自覚せずに旧態依然たる政治を進めようとする勢力に対し、未来への安心を埋め込む政治を作り出していきたい」と力を込めた」とか、「そんな嘉田氏が投げかけたのが、10年で原発ゼロを実現する道筋を示した「卒原発プログラム」。嘉田氏のブレーンで未来の代表代行に就任した飯田哲也環境エネルギー政策研究所長が中心になってまとめた。会見で配ったカリキュラムには、野心的な提案がずらりと並んだ」といった具合だ。単なる選挙報道というよりは、未来への「応援記事」とでも言ってよいような熱の入った書きぶりなのである。

朝日はこの記事のなかで、卒原発カリキュラムを「未来への助走期(約3年)」、「未来への離陸期(最長7年)」に分けて解説し、「卒原発」の完成すなわち10年以内に原発完全ゼロになる政権公約がいかにも具体的で現実的であるかのように描いた。また記事のあちこちには、「橋下氏、元ブレーン批判」、「原発フェードアウト、「公約でない」」、「維新・橋下代表代行、石原代表との「不一致」巡り発言」とかいった小見出しを散りばめ、「第3極=維新」に比べて「新・第3極=未来」の新鮮さをアピールする工夫を凝らした。

未来は“日本版オリーブの木”

毎日の方はもっと肩に力が入っていた。『特集ワイド:「嘉田新党」を考える』(12月3日)を組んで3人の識者を写真入りで登壇させ、嘉田新党の参戦で総選挙の構図はどう変わるか、イタリアの「オリーブの木」のように既成政党に対抗することは可能なのかを特集する大判のインタビュー記事を掲載した。そのうちのひとり、ある若手政治学者の発言が当時の雰囲気(マスメディアの意図)を典型的にあらわしているので以下に紹介しよう。

「「真の第三極」が現れたと言えるだろう。「真の」とは、脱原発を求める国民の声に寄り添い、将来のビジョンを打ち出しているという意味だ。対照的に、日本維新の会は「偽りの第三極」の様相が露呈しつつある。「偽り」とは、確固たるビジョンを持たないこと。世間受けする政策を掲げてはすげ替え、保守票も脱原発票も欲しがっている印象だ。石原慎太郎代表の考えと党の公約が一致しているかも疑問だ」

「「未来」が発表した「びわこ宣言」は「経済性だけで原子力政策を推進することは、国家としての品格を失い、地球倫理上も許されない」と述べている。非常にわかりやすく、国民の切なる願いに応えようという姿勢を感じる。官邸前や経団連前などで脱原発デモが続いている。「未来」はこのような動きと連動し、選挙後は原発政策の決定過程に大きく影響するポジションを得る可能性がある。これまで投票率の低かった若い世代が「未来」に関心を示せば、イタリアの「オリーブの木」のように政党連合への躍進もありうる」

「確かに、自民を除く他の政党も、脱原発を打ち出してはいる。しかし民主はマニフェスト破りの過去があり、政権与党として脱原発への踏み込んだ具体的プロセスを提示できていない。社民、共産に投票しても実効性があるのか疑問に思う有権者も少なくない。「シングルイシューで政党が成り立つのか」という批判が出ているが、原発以外の基本政策も、消費増税の凍結、雇用の拡大、TPP交渉入り反対など明快だ。エネルギー問題は国の最重要課題なので、そこで一致する政治家が集まるのは野合ではない」

また民主党菅政権の寵児(内閣府参与)だった湯浅誠氏も、「これまで大事な局面で団結するのが右派、分裂するのが左派だった。段階的に全原発の廃炉を目指す「卒原発」を掲げ大同団結し、大きな受け皿をつくろうと新しいモードを打ち出したことを評価したい。嘉田さんはよく決断したと思う」と負けず劣らず(恥ずかしいような)エールを送った。こうして「新・第3極=未来」を打ち出す手はずが整ったのである。

だが、小沢支配の影を拭えなかった

問題は、小沢氏率いる「国民の生活が第一」大挙して嘉田新党へ合流したことだった。生活が加わった未来は、(前)衆院議員数だけでも60人以上の陣容となり、公明21人、維新11人を抜いて民主・自民に次ぐ第3勢力に一挙に躍り出た。このことは、未来が維新を凌駕する政治勢力になるかもしれないとの不気味な存在感を見せつける一方、未来は「嘉田の皮を被った小沢」ではないのかとの疑惑を生じさせた。

これは選挙後の嘉田氏自身の告白でもわかることだが(「嘉田由紀子滋賀県知事、独占ざんげ告白、小沢一郎さんとの「成田離婚」すべて話します」、『週刊朝日』2013年1月25日号)、嘉田氏には新党を立ち上げる資金や能力もその他の条件もまったくなかった。嘉田氏はもともとその場その場の空気を読んで行動することには長けていたが、国政政党の結成となると話のケタが違う。まして総選挙公示1週間前の結党など、およそ不可能であることは誰の目にも明らかだった。それが現実のものになったのは、一から十まで「生活が第一」(小沢代表)のお膳立てに乗ったからであり、小沢氏の掌で行動することを約束した(させられた)からだ。

こんなことは当時から政治部記者なら誰もが知っている周知の事実だったが、そこは「新・第3極=未来」を打ち出そうとする政治的思惑からか、朝日・毎日両紙ではあからさまに真相が語られることはなかった。維新の代わりに「嘉田ブーム」「未来ブーム」を巻き起こせば、脱原発の世論を「新・第3極」に吸収できると安易に踏んでいたのである。だがその一方、日経はまったく逆の角度から1面・2面を使って嘉田新党特集を組んだ(12月3日)。見出しはズバリ「未来「小沢体制」で選挙戦」、「執行部、5人が旧生活、政策も引き継ぐ」というもので、選挙戦は小沢一郎氏が事実上取り仕切ることになりそうだと報じたのである。

関西広域連合や滋賀県政における嘉田知事の行動の実際を何ひとつ知らずに、マスメディアの期待通り(言いなり)の発言をする東京の識者たちのインタビュー記事とは違って、日経記事は未来の組織実態を赤裸々に暴露するものだった。そこでは表向きの政策はともかく選挙実務体制や党組織運営はまさに「小沢そのもの」であり、未来執行部9人のうち5人までが生活の出身者であること、財務や選挙対策を担当する中枢幹部は全て小沢直系であること、立候補の手続きや広報活動などの選挙実務も旧生活の事務局が担当していること等々の実態が暴露されていた。そして「小沢氏は表に出ないが、実質的な幹事長役を担うとみられる」と断じられていたのである。

「極右第3極」か、「保守補完第3極」か

私はこれまで「第3極」の立ち位置については、彼らは民主・自民2大政党の補完勢力に他ならず、そこから離脱する保守・無党派層の「受け皿」の役割を果たす存在に過ぎないと論じてきた。いわゆる「第3極=保守補完勢力」としての位置づけである。この点に関しては支配層の期待も一致していると思い込み、だからこそマスメディアは橋下氏の多少のことには目をつぶってでも翼賛報道を競っていると考えていた。

ところが、橋下新党が上辺の衣を脱ぎ捨てて鎧姿になり、あまつさえ石原新党と合流するに及んで、支配層のなかには「維新=極右第3極」としての役割を期待する新たな潮流が生まれてきているのではないかと最近思うようになった。それは、保守2大政党制を基盤とする政治体制から保守大連立政権を主軸とする政治体制へシフトさせようとする勢力、すなわち「保守独裁体制」(柔らかいファシズム)を志向する右翼的潮流の台頭を意味するものであり、今回の総選挙ではそれが「維新=極右第3極」と「未来=保守補完第3極」の分裂となってあらわれたのである。

このことをマスメディア論調との関係で言えば、朝日・毎日両紙が「第3極=保守補完勢力」との位置づけから、その役割を放棄した維新に変わって未来を売り出そうとしたのに対して、日経・読売・産経各紙は新しく「第3極=保守大連立推進勢力」と位置づけ、その角度から未来に対して激しい批判を加えたのだといえる。そしてこの「第3極」をめぐる攻防は、“維新の躍進”と“未来の失墜”という対照的(劇的)な結果に終わった。維新は小選挙区694万票(11.6%)、比例区1226万票(20.3%)を得票して議席数54(小選挙区14、比例区40)に躍進したのに対して、未来は小選挙区299万票(5.0%)、比例区342万票(5.6%)、議席数9(小選挙区2、比例区7)にとどまり、改選前議席数61の大半を失って失墜した。

維新はもはやかっての「第3極」ではない。総選挙を通して「極右第3極」に変貌し、保守独裁体制(柔らかいファッシズム)を実現するための尖兵・突撃隊としての役割を自覚するようになったのである。そして、安倍自民党政権の最も近い盟友に変身したのである。

“護憲第3極”でなければ保守独裁体制に対抗できない

嘉田新党崩壊の翌日、未来の分裂会見を伝えた12月29日の朝日・毎日両紙は、まるで他人事のように「未来、展望なき決別、嘉田氏新党1カ月で空中分解」(朝日)とか、「未来、党分裂、宙に浮いた卒原発、嘉田氏は「選挙用」」(毎日)といった解説記事を載せた。たとえば、毎日の記事はこうだ。

「16日の衆院選の際、小選挙区で約299万票、比例で約342万票を獲得した「日本未来の党」が、投開票日から10日あまりで分裂した。342万人が投票用紙に記入した「未来」の党名も「生活の党」に変更され、国政政党としては消滅。小沢一郎氏が嘉田由紀子滋賀県知事を選挙用の看板として担ぎ出したあげく、選挙が終わるやいなや追い出した。嘉田氏が掲げた「卒原発」に寄せられた民意は宙に浮き、国民の政党政治への不信感を一層深めそうだ」

「衆院選での未来の公認候補121人の約6割が生活系で「未来は生活の隠れみの」との指摘は当初からつきまとった。世論の批判が強い小沢氏の代わりに女性で自治体首長という嘉田氏の「清新さ」を利用したのが実態だ」

「小沢さんを使いこなす」と豪語しながら失敗した嘉田氏の責任も重い。嘉田氏は27日に「少し休んで戦略を練り直す」と語ったが、分裂の結果「卒原発」を掲げた嘉田氏の主張を代弁する国政政党は消えた。選挙戦では全面的に小沢氏側に依存しており、事務局体制もカネ(政党交付金)もない。政策実現は容易ではない」。

ここで指摘されていることは(悲しいほど)全く正しい。ならば、最初からそう言えばよかったのだ。古い流行歌(艶歌)のように、嘉田氏はまさに「煽てられて、乗せられて、そして棄てられた」のである。そんな不明の政治家を天まで持ち上げて民意を誘導した挙句、自らの責任は棚に上げて「嘉田氏が掲げた「卒原発」に寄せられた民意は宙に浮き、国民の政党政治への不信感を一層深めそうだ」などと言われてはたまらない。

この総選挙を通して得られた貴重な教訓は、目下進行中の保守大連立(独裁体制)への道は、同じ「第3極」であっても「保守補完第3極」では到底阻止できないということだろう。嘉田新党を天まで持ち上げた先の若手政治学者の言葉を借りるなら、「偽りの第三極」ではなく「真の第三極」でなければ安倍自民党・維新の極右連合軍には対抗できないということだ。そして「真の第三極」は,広範な護憲勢力が結集する“護憲第3極”以外には存在しないということなのである。

総選挙で「偽りの第3極=嘉田新党」を煽ったマスメディアは、深く反省して出直してほしい。「極右第3極=維新」を支援したマスメディアは、戦前の「いつか来た道」をもう一度思い起こしてほしい。革新政党の存在を無視した政治部記者やデスクは、顔を洗って目の鱗を落としてほしい。マスメディアに迎合するだけの若手政治学者やその他の識者は、もっと勉強して主体性を確立してほしい。そして相も変らぬ選挙総括を書いた革新政党は、直面している政治情勢の厳しさを再認識してほしい。次回は革新政党の選挙総括について書きたい。

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3.社民党の“存亡を懸けた戦い”は成功するか
~総選挙総括と参院選方針をめぐる情勢をどうみる(その1)~
(「広原盛明の聞知見考」第28回 『ねっとわーく京都』 2013年5月号)
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第23回参議院選挙が刻々と近づいている。昨年12月の総選挙から今年7月の参院選まで僅か半年余り、各党は総選挙総括と参院選方針を同時に議論しなければならならず大忙しである。なかでも社民・共産両党は総選挙で歴史的大敗を蒙っただけに、総括と方針の両面で苦労が絶えないと聞く。いったいどんな内容が提起され議論されているのか、両党の政治報告を一通り読んでみた。検討した政治報告は、「社民党第46回衆議院総選挙闘争総括(案)」(『社会新報』2013年2月6日号)、「第23回参議院議員通常選挙闘争方針」(同2月27日号)および「日本共産党第6回中央委員会総会決定」(『しんぶん赤旗』2013年2月11日、13日号)である。なお今回(5月号)は主として社民党に焦点を当て、次回(6月号)は共産党について触れたい

選挙総括の第一印象、強気と弱気

両党の総選挙総括および参院選方針を読んだ私の第一印象は、社民党は“かなり弱気”、共産党は“依然として強気”というものだ。この差は両党の基礎体力の違いによるものであろうが、なにしろ報告の分量が違う。社民党は総括と方針を合わせてタブロイド版3頁(約9千字)、共産党は全紙8頁(約6万字)だから7倍近い開きがある。それに『社会新報』は週刊12頁・発行部数(公称)14万部、『赤旗』は日刊16頁・発行部数160万部(同、日曜版を含む)なので、情報発信力の差はさらに大きい。

だが率直に言って、短い社民党の方が読みやすかった。共産党の方は400字詰め原稿用紙で150枚もあるのだから、ジャーナリストや研究者ならともかく、一般読者でこれだけの長文を読もうという人はまずいないのではないか。大学の学生でも最近は新聞をほとんど(滅多に)読まない時代だから、上から「学習」をむやみに強要しても効果は少ないだろう。もっとコンパクトにして読みやすくする工夫をしないと、折角の総括が「積読」(つんどく)ことになりかねない。

しかし、両党の報告には「旧左翼」とも言える共通点がある。社民党報告のタイトルが「選挙闘争総括」とあるように、とにかく社民党は“闘争”という言葉がやたら好きなのだ。参院選方針も「選挙闘争方針」となっているから、この用語でないと「様にならない」とでも思っているらしい。でも若者の圧倒的多数が学生運動をしたこともなく、組合活動もスト経験もないのだから、“選挙闘争”と言われてもピンとこないだろう。魁(かい)より始めなければ通じるものも通じない。

一方、共産党の方は「6中総決定」とあるように、こちらの方は“決定”が大好きだ。というよりは、総選挙総括も参院選方針もすべて「党中央決定」の文書として公表されている。共産党の組織原則である「民主集中制」にもとづく決定なので、党員はすべからく学習し実践しなければならないという意味合いだ。しかし『赤旗』読者が全て党員とは限らないから、「決定」などと言われるとそれだけで異和感(抵抗感)を持つ読者も少なくないのではないか。読者に「決定」を強要するかのような印象は避けるに越したことはない。

敗北の要因、あれこれ

前置きはこれぐらいにして本題に入ろう。社民党の総括は、「今次総選挙の意義と特徴」「選挙結果の特徴」「敗北の要因と克服すべき課題」の3部から構成されている。私は「敗北の要因」に関する分析が総選挙翌日の党声明とはかなり異なっていることに注目した。党声明の方は敗北の原因をもっぱら多党乱立とか小選挙区制の弊害とかの外部要因に求めていたが、今回の総括では社民党自身の内部要因に敗北の原因を求めた点では一歩前進だといえる。選挙総括で列挙された社民党の「敗北の要因」は以下のようなものだ。

(1)これまでも毎回総括されてきた主体的力量の低下を克服できていない。党存亡に対する全党的な危機感が薄く、旧社会党時代の体質を引きずったまま縮小し続けている。
(2)今回の総選挙では民主党も社民党も連立していた「同類」と見られ、既成政党批判を受けた。
(3)「第三極」がもてはやされる中で、「社民党の主張は正しいが実現力がない」「死票になる」「元祖と言うより何をしたかだ」などと言われ、他党に支持が流れた。
(4)労働運動の力量低下が政治闘争にも響いている。
(5)党のイメージや活動が旧態依然のままで存在価値が低下し、有権者の選択肢に入らなかった。
(6)発信力が弱く、政策宣伝のあり方も従来通りのまま終わり、新たな戦術を打ち出せなかった。また、わが党が重視する格差是正や非正規問題の対象の人々の多くが棄権していることも挙げられる。

どれもこれも頷ける内容だといえるが、もうひとつはっきりしないのは、数ある敗北の敗因のなかでも何が主たる要因であり、何が副次的な要因であるかがわからないことだ。福島党首自身も全国代表者会議(2013年2月)のあいさつで、「国民にとって私たちの党が選挙の選択肢にならなかったという結果を重く受け止めております。これは多党化による乱戦・争点の違いを明確にできず、私たちの政党が「埋没した」ということでは済まされないだと私は考えています」(『社会新報』2013年2月27日号)と言いながら、それでいて社民党が解党的惨敗を喫した最大の理由については踏み込んでいない。

社民党惨敗の原因は民主党との中途半端な選挙協力だった
選挙総括は選挙方針と照らして行うのが常道である以上、どんな方針を立ててどこで失敗したかを明確にしないと意味がない。だが、社民党はこの点に関して決定的な弱点を抱えている。社民党は民主党への政権交代に際して国民新党とともに連立政権に参加し、翌年沖縄の基地問題を契機にして民主党政権から離脱したにもかかわらず、離脱後も第13回定期全国大会(2012年2月)では、なお次のような中途半端な「第46回衆議院総選挙闘争方針」を掲げていたのである(『社会新報』2012年3月7日号)。

「民主党をどう見るかは総選挙闘争の戦略・戦術にかかわる問題です。民主党全体を新自由主義・新保守主義の立場を取る自民党などと同列視できません。前述のように民主党内では政権交代の原点復帰を求める声は少なからずあり、また野田内閣の姿勢を批判し、それを支持する労働組合も存在します。その勢力はわが党と連携・共闘できる条件があります」

「したがってわが党は、今や国民のなかに高まっている〈自民党は嫌いだが、民主党もダメだ〉と言う声に応えるべく、野田内閣と民主党の誤った政策や姿勢は厳しく批判しつつ、今日的な労働運動の動向や国会内の力関係も直視し、こうした〈政治勢力と連携し、主体性を維持しながら具体的な政策課題の実現を目指す〉ことが現状ではベターな選択だと判断し、的確に対応しなければなりません」

非常に回りくどくて分かりにくい文章だが、要するに民主党政権から離脱した後も旧社会党系を中心とする民主党内派閥と提携し、連立時代の民主・社民・国民新党の「3党合意」にもとづく政策実現のために努力するというのが基本方針であり、この基本方針のもとに民主党と実質的な選挙協力を組んで総選挙を戦おうとしたのである。

しかし前段の政治情勢分析では、「沖縄の基地問題でわが党が政権から離脱し、鳩山内閣から菅内閣へ、そして野田内閣へと代わるにつれ、民主党政権は次々に政権公約を踏み外し、官僚主導によって『輸出主導と弱肉強食の政治』への回帰を強めています。特に野田内閣のこの4カ月の政治は、新自由主義的政治と言えます」と断定しているのだから、民主党との選挙協力が票のバーター取引である以上、社民党支持者は嫌でも民主党候補者に投票しなければならなくなる。いくら政党の御都合主義とはいえ、これでは民主党も社民党も「同類=同じ穴のむじな」と見なされても仕方がない。

だが不思議なことに、この方針は第13回全国大会において大きな波乱を呼ぶこともなく承認され、「目標7議席、400万票以上」が満場一致で可決・決定された。結果は「2議席、142万票」に終わり、社民党は民主党と一蓮托生の運命をたどった。同じく国民新党は、総選挙後に解党騒ぎに見舞われて消滅した。

全国代表者会議で明らかになった選挙実態

総選挙総括と参院選方針を討議する第5回全国代表者会議では、容赦ない意見が数多く出された。『社会新報』(2013年2月27日号)に収録されている主な意見を簡単に紹介しよう。

「脱原発が初めて国政選挙の争点になったにも関わらず、元祖・脱原発のわが党にとっての追い風とならず惨敗した。敗北の原因は、地道な日常活動の決定的不足、党員の意気込み不足、インパクトのある宣伝活動の不足にある。選挙前に党幹部が逃げ出す政党に有権者の信頼は集まらず、党員の自信と確信も深まらない」(北海道)

「これまで知事選で支持してきた嘉田由紀子知事が総選挙直前に新党を立ち上げた。党には何の相談もなかった。党は得票数を大幅に減らし、党員には解党の危機を迎えたとの受け止め方が広がっている。党だけではやっていけない時代になった。(略)党員一人ひとりが市民運動を担っていく中で、党の「見える化」が必要。憲法を変えさせない運動を分かりやすい言葉で進めなければならない」(滋賀県)

「総選挙で訴えた党の政策は正しかったとされているが、本当なのかと今一度問い返す必要がある。スローガンがどんなに正しくても、国民の思いに寄り添っていなければ国民には受け入れられない。党首をはじめ党の発信力も弱かった。外から意見をもらう仕組みづくりや党外の力をどう活用するかについて対応を具体化すべきだ」(北信越ブロック)

「広範な人々を含めた総選挙総括の上に党のイメージチェンジを図る必要がある。全国連合は執行責任を取るべきだ。党首を含めてまず辞任し、常幹体制の刷新で責任の所在を内外に示すべきではないか。有権者は経済再生やデフレ脱却への具体的な提案を求めていた。党の政策の実現可能性、政策実現への道筋が見えない」(東京)

この他にも多様な意見が出されているが、不思議なことに民主党との選挙協力問題に関する発言はほとんど出なかった(出たのかもしれないが紙上には収録されていない)。又市幹事長もこの点に関しては依然として反省の必要性を感じていないらしく、「政党間協議については無所属統一候補の擁立も含め、難しい連立方程式を解かなければならない。その際、生活や〈みどりの風〉などとは改憲阻止・国民生活向上・脱原発の政策基調で一致できるとは思うが、問題は民主党。民主に国民の側に立とうと呼びかける必要がある」など、いまなお民主党との選挙協力に執着している有様だ。要するに総選挙の総括はそっちのけにして、参院選でも再び民主党と手を組むことを考えているのである。

社民党存亡の危機は野党協力で打開できるか

私は本誌3月号で、「このままだと次期参院選で社民党得票率は2%を割り、議席ゼロになる可能性も否定できない。議席ゼロになれば社民党の議席は衆院2人・参院2人となって政党要件の5人を割ることになり、政党交付金が受け取れなくなって社民党は消滅するかもしれない」と書いた。この予測は決して私ひとりの独断ではなく、社民党自身が総括文書で「このまま推移すれば、今年7月の参議院選挙では1議席確保も危うく、政党要件(所属する国会議員が5人または国政選挙での得票率が2%以上)さえ失いかねない結党以来最大の危機に直面している」と公式に表明している。社民党存亡の危機は、いまや党内外の多くの人たちの共通認識となっているのである。

3年前の2010年参院選でも、社民党は比例区224万票(3.8%)を得票して2人(うち1人は福島党首)当選したが、2人目は比例区定数48人の最下位ギリギリの当選だった。昨年総選挙の比例区得票数は142万票(2.3%)に落ち込んだので、今度の参院選での比例区得票数が100万票前後になり2%を割るようだと「議席ゼロ」の可能性は限りなく高くなる。事実、総選挙後の世論調査でも社民党支持率は0~1%の間を常に低迷しており、投票したい政党でも1%を上回ったことがないのである。

社民党は結党以来の危機に直面しているにもかかわらず、参院選方針からは党の存亡を懸けた戦いの決意が必ずしも明確に伝わってこない。党独自で選挙戦を勝ち抜くというよりも、野党協力(それも民主党を含めて)を前提に選挙戦術を組み立てる姿勢が依然として強いのである。そのことが民主党に対する誤った期待となり、政局全体の見通しをあいまいにしていることは言うまでもない。

「自公の過半数阻止」が参院選の最大の命題なのか

社民党の参院選闘争方針をより詳しく見よう。方針は「政治情勢の特徴」「参議院選挙闘争の基本戦略・戦術」「比例代表選挙の進め方」の3部から成っている。第1部の政治情勢の特徴の結論は、驚くべきことに「護憲勢力にとっては『自公の参院での過半数阻止』が最大の命題であり、社民党の得票増(300万票目標)をいかに図るかが課題である」というものだ。

また第2部の選挙闘争の基本戦略は、「比例代表と選挙区を合わせて『3議席以上獲得』を目指し、また改憲阻止で一致できる政治勢力との共闘で『自公の参院での過半数割れ』を目標とする」となっている。具体的には「『改憲阻止・国民生活向上・脱原発』で一致する野党の選挙協力(選挙区でのすみ分けや統一候補擁立)や『オリーブの木』方式などを真剣に検討し、3月中をめどに政党間協議を進める」というものである。

いったいどこからそんな方針が出てくるのかわからないが、自公の過半数阻止が“参院選の最大の課題・目標”などというのは、社民党支持者はもとより国民・有権者を愚弄するものでしかないだろう。仮に自公の過半数割れが実現したところで、維新やみんなと数合わせすれば改憲勢力はたちまち2/3以上に膨れ上がるのである。それに社民党が期待を懸ける民主党は目下維新との選挙協力に必死であり、おまけに民主・維新・みんなの有志議員が「憲法96条研究会」などという改憲推進組織まで立ち上げ、3月15日には初会合を開いている。代理出席まで含めると、その数は民主27人、維新29人、みんな16人で総勢72人に上るという勢いだ(朝日2013年3月16日)。「改憲阻止・国民生活向上・脱原発」という社民党の野党協力基準を適用すれば真っ先に民主党が外れるにもかかわらず、「民主に国民の側に立とうと呼びかける必要がある」などというのは詭弁であり欺瞞でしかない。

社民党が「自公の過半数阻止」を選挙方針に掲げるのは、「自公=与党」、「民主・社民・その他=野党」と表面上の与野党構成を基準にして(共産党を除く)野党協力を呼びかけ、あわよくば「議席ゼロ」を避けようとする小賢しい選挙戦術に過ぎない。そこには党の存亡を懸けた大義もなければ、護憲政党としての哲学もなく、あるのは1議席でも獲得して何とか生き残ろうとすると党利党略だけである。

社民党は民主党連立政権への復帰を考えていた

思えば、社民党が民主党との選挙協力を継続しようとする動きは2010年参院選の敗北直後から始まっていた。又市副党首(当時)を座長とするプロジェクトチームが「党再建計画」をまとめ、民主党政権への連立復帰を画策して以来のことである。この動きをキャッチした時事通信は、「閣外協力、連立復帰を模索=社民が再建計画案」との見出しで以下のように伝えている(2010年9月23日)。

「社民党が年内の取りまとめを目指す「党再建計画」の素案が22日分かった。民主党政権との関係について、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先見直しなどを条件に「閣外協力または政権復帰を早急に協議すべきだ」と言及している。(略)ただ、素案では社民党が求める同飛行場の県外・国外移設までは明記していない。党内からは「あいまいな条件で政権復帰を急ぐのは間違いだ」との異論が出ており、調整は難航しそうだ」

さすがに全国連合常任幹事会で決定された「党再建計画」方針(1次案)では、「閣外協力または政権復帰を早急に協議すべきだ」という直接的な表現は削られた。しかし「私たちは政権離脱後、現政権とは事実上パーシャル(部分的政策)連合(合意された政策の実現に向けて協力する)の立場を取ってきましたが、政治・経済情勢さらに菅政権の政策を分析した上で、野党の立場(独自路線)を貫くのか、それとも政権との協力に立場(閣外協力または連立復帰)に立つのか、いずれが国民生活の再建に貢献するのか、そして議席増とわが党の生き残る道かを、基本路線を踏まえて早急に見定める必要があります」(『社会新報』2010年10月6日号)という基本路線は変わらなかった。民主政権への連立復帰は実現しなかったものの、民主党との選挙協力は第13回全国大会(2012年2月)において正式に決定されたのである。

社民党は革新政党の原点に返るべきだ

その一方、「党再建計画」をめぐる議論のなかには幾つか注目すべき論点が提起され、革新政党としての社民党の立脚すべき原点が示されていたことも事実である。以下、代表的な意見を紹介して本稿を終えよう。それは「今、世界が求めるのは、社民党を元に戻す「再生」ではなく、オルタナティブ(もうひとつの)政党への脱皮だと考えている」とする北海道連合の代表の次のような意見である(『月刊社会民主』2010年11月号、要旨)。

(1)与党との距離は再考を。民主党との選挙協力、すみ分けについては疑問が残る。民主党とどう違うのか。菅首相のもとで一層進む原発推進や憲法をないがしろにした安全保障政策、成長戦略との名のもとに経済界に沿った政策など、果たして選挙協力は可能なのか。むしろ自らの存在を否定することにならないか。与党との距離の取り方は再考が必要と考える。

(2)弱い立場の人々と共に。社民党は誰の党か、誰と絆をつないでいくのかだ。働く人の党という社民党の存在意義は変わらないが、労働組合は連合傘下にあり組織としての社民党支持の労働組合は少ない。(略)では、社民党はどこに存在の根拠を置くのか。労働者一般でなく、大企業・大組織に属さない小さな組織やユニオン、弱い立場の人びとの側に立つことを鮮明にする。

(3)他党との政策の違い鮮明に。新自由主義、競争原理に対して共生や平和、憲法を基本に掲げる社民党の理念は今も色あせていないが、「護憲」ではなく積極的に「憲法が実現した世界」を描きだすことこそ新しい。米国とは「日米同盟の深化」ではなく、平和友好条約の締結を目指す。社民党は成長戦略を競うことはしない。世界の構造変化を見据えた「脱成長」である「ポスト成長」社会のありようを提案すべきである。(以下略)

この意見は、同じく社民党OBから寄せられた次の意見とも重なり合っている(同上)。「社民党はこれまでも幾たびかの再建運動に取り組んできた。しかし、それは多くの市民と共有できるものではなく、党内的な再建論で終わっていたのではないか。その結果がこれまでの選挙結果として表れていると考えるべきではないかと思う。少ない議席となった社民党が着実に前進していくには多くの市民との連携を作り上げ、広げていく以外にはないのではないか。国民各層、各層も参加できるように幅広く呼びかけた、まさに大衆的議論の中で「党再建」が議論され、取り組まれることを望むものである」。

議席だけ取れればいいという党幹部もいれば、このようなまともな意見を述べる党員もいる。社民党に絶望するのは時期尚早である

附:4.14護憲結集討論集会 動画(Ⅰ・Ⅱ)
広原報告50分
政党報告45分
フロアー討論90分




私が先に発信した「『< 60年代・70年代を検証する>第22回 水戸喜世子氏(元救援連絡センター事務局長)に聞く』(図書新聞 2013年04月13日号)を読む。またはご紹介」という記事には思いがけずさまざまな人から反響がありました(もちろん、水戸喜世子さんのインタビュー記事の内容の深さと豊かさによるものですが)。
 
その思いがけない反響のひとつに東京大空襲訴訟弁護団長の中山武敏さんのメーリングリストを通じての2通の手紙がありました。
 
そのはじめの手紙に中山さんは水戸巌さんとご自身とのかかわりが「狭山事件」であったことにふれて次のように綴っていました。
 
「水戸巌さんとは生前何度もお会いしています。核物理学者の武谷三男さん、野間宏さん、日高六郎さん等と共に狭山事件の支援運動にも熱心にかかわられていました。お連れ合いの喜世子さんともお会いしたこともあります。狭山事件は発生から50年。私が弁護団事務局長を経て主任弁護人になる過程で所属をこえた弁護団の結成、支援運動の広がりに力をいれました。鎌田慧さんが事務局長をされている狭山市民の会も北は北海道から南は沖縄まで全国130ケ所近く結成されています。私は東京大空襲訴訟弁護団長、宇都宮前日弁連会長都知事選挙母体であった「人にやさしい東京をつくる会」の代表もしていますが不正義と闘う運動は根底において全て繋がっているとおもいます。水戸巌さんの想いを引き継いでお互いに大きな連帯の運動をつくりましょう。」

そして、2通目の手紙にはご自身の生い立ちにもふれて「石川さんからの『貧乏だったために教育を受けられなかったことは恨まないが教育を受けられなかった者に対する国家の仕打ちの冷酷さが許せない』との手紙が私の弁護士としての原点です」と綴ったうえで「50年後も続く『狭山事件』無罪獲得の闘い」(中山武敏さん訳)と題された2013年4月3日付けのThe Japan Timesの記事が添付されていました。
 
以下は2通目の手紙の中山さんの前書きと2013年4月3日付けのジャパンタイムズの記事の中山武敏さん訳です。
 
「今年は狭山事件発生(1963・5・1)、石川一雄さん別件逮捕(5・23)本件逮捕(6・17)から50年になります。全国各地で集会が開催され、5月1日は狭山現地集会、5月13日は鎌田慧さんが事務局長をされている狭山市民の会主催の集会が午後6時から私学会館で開催され落合恵子さんの講演が予定されています。5・23日には日比谷野音で大規模な集会も開催されます。私にとっても節目の年で、福岡・久留米の夜間の定時制高校を働きながら卒業し、弁護士を志して3月31日夜行急行で上京、24時間近くかかって東京に着き、大学の入学金を貯めるために、翌2日から日経新聞中野販売店に住み込み新聞配達を始めました。」
 
「新聞配達している時に狭山事件が発生しました。中央大学法学部の夜間に入学、卒業の年に司法試験合格、弁護士開業し、狭山弁護団加入。石川さんからの『貧乏だったために教育を受けられなかったことは恨まないが教育を受けられなかった者に対する国家の仕打ちの冷酷さが許せない』との手紙が私の弁護士としての原点です。」

以下、中山武敏さん訳のジャパンタイムズ記事「50年後も続く『狭山事件』無罪獲得の闘い」。
  
50年後も続く「狭山事件」無罪獲得の闘い
Lawyer, freed convict fight outcast bias, injustice
Both seek to overturn 50-year-old conviction, cite 'buraku' prejudice
              by Keiji Hirano Kyodo The Japan Times  Apr 3, 2013
(ジャパンタイムズ 2013年4月3日)

狭山裁判 
東京地裁前で無実を訴える
石川和夫さんとその妻幸子さん
(2013年3月21日 共同)

狭山裁判2 
中山武敏「狭山事件」弁護人
(2013年3月25日 共同)


不正にはとりわけ敏感な日本社会の周縁の家庭で、人権活動家の父のもとで育った中山武敏にとって、社会改革のために働く弁護士となることは、天命のようなものだった。

「父は憲法の条文を自宅の壁に張り出し、特に法の下の平等を定めた14条を覚えるようにと言っていました」と、福岡県の被差別部落の貧困家庭で生まれた中山(69)は語る。

彼の父は靴修理職人として働く傍ら人権擁護活動に取り組み、一方、母は40年近くにわたり廃品回収業をして家庭を支えた。

「私たちには、廃品回収や建設業など、限られた仕事しかありませんでしたし、私自身も、様々な差別に直面しました」と中山は言う。

「でも、父は私に、そうした状況を乗り越えて欲しかったのです」。

授業料を払うため、高校、大学と夜間部で学び、中山は1971年、東京で弁護士となった。そして間もなく、世間を震撼させた殺人事件の被告人と出会うことになる。彼もまた、被差別部落の出身だった。

その被告、石川一雄は、1963年5月1日に埼玉県狭山市で、当時16歳の女子高生を殺害したとして死刑判決を受け、無罪を求めて東京高裁に控訴中だった。

その日、20万円の身代金を要求する脅迫状が被害者宅に届き、その3日後に彼女の遺体が見つかった。当時、建設補助作業員をしていた石川が間もなく逮捕されたのだった。

判決内容には多くの疑問点があり、中山は石川の弁護団に加わり、その後、主任弁護人となった。「狭山事件」として知られる事件の発生から間もなく50年となるが、2人の、正義を実現するための闘いは今も続いている。

石川は無罪を主張したが、高裁は無期懲役に減刑、判決は1977年、最高裁で確定した。1994年12月、現在74歳になる石川は保釈され、2006年に第3次再審請求を東京高裁に起こした。

中山の父も福岡から東京に転居し、1986年に73歳で死亡するまで石川の無実を訴える活動に従事した。「これは、私だけでなく、私の亡くなった父の闘いでもあるのです」と中山は言う。

被差別部落は犯罪の温床との偏見から、「警察は明らかにこの地区の住人に的を絞って」おり、石川に対する不利な証言も「こうした偏見に影響されたものだった」と中山は言う。「裁判所も、このような不当な捜査を検証することなく、石川さんを有罪にした」。

被差別部落の人々に対する差別は日本の封建時代から続き、彼らは現在も結婚や就職など、様々な場面で差別に直面している。

再審請求後、検察側は弁護団の要求により、約100点の証拠を新たに開示した。その中には、石川が逮捕直後に手書きした文書や取り調べの際の録音テープが含まれている。

こうした証拠に基づき、弁護団は、石川の筆跡は被害者宅に届いた脅迫状の筆跡とは一致しないとの専門家による鑑定結果を裁判所に提出した。

そもそも、家計を支えるために働きに出て、小学校卒業程度の学力もなかった石川に、脅迫状のような手紙が書けたのか、との疑問は、以前から指摘されていたことだった。

弁護団はまた、石川の一時的な自白は任意になされたものではなく信用できない、ということを証明するため、録音テープによる心理鑑定の実施も検討している。

石川自身は、もし罪を認めなければ、一家の稼ぎ頭だった兄を代わりに逮捕する、認めれば10年で出所できると捜査官に言われたため、虚偽の自白をしたのだとしている。

当時、些細な犯罪行為に加担したこともあり、10年間服役する以外選択肢はないと石川は考えていた。「当時は暴れん坊だったからね」。再審開始に対する支援を得るため忙しく活動する今も、石川は「見えない手錠」に縛られていると感じている。

保釈から18年以上経った今も、月2回の保護司との面接を義務付けられ、法務省には旅行日程などを提出しなければならず、選挙権もないままだ。

「こうした制約は、無罪判決を得ない限り一生続く」と彼は言う。

しかし、石川は過去50年が無駄だったとは考えていない。「私は刑務所で読み書きを学んだ。有罪判決を受けていなかったら、一生、読み書きができないままだったかも知れない」。

こうした考えは、妻早智子も共有している。早智子も徳島県の被差別部落の出身で、彼の保釈から2年目の日に結婚した。

「私は自分の出自を隠してきたが、一雄さんの『被害者が泣き寝入りしている限り差別はなくならない』との言葉で変わりました」と早智子(66)は語る。「彼の生き方は私に生きる力を与えてくれたし、他の多くの人々にも影響を与えてきたと思います。彼の50年間の闘いは、決して無駄ではなかった」。

中山も、石川から学んだことがあるという。

「石川さんはどこにでもいる不良だったし、私自身も彼のようになっていたかも知れません。しかし、彼は刑務所で読み書きを学び、幾多の困難にも関わらず、自分を律することも学んできました」と中山。

石川はかつて、獄中から中山に送った手紙に「教育を受けられなかったことを恨んではいないが、権力が自分を過酷に扱ったことは許せない」と書いたことがある。

父親や、狭山事件への関わりを通して学んだ人権感覚により、中山は現在、第2次大戦中の東京大空襲の被害者による国家に対する損害賠償訴訟の代理人も務めている。

「私たちは、軍人・軍属だけでなく、戦災孤児も含めた一般被害者にも国は補償すべきだと訴えてきました。彼らはこれまで取り残されてきたのですから」と中山は言う。国の戦後補償政策は、法の下の平等を定めた憲法14条に反する疑いがあるとの主張だ。

14条は「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定めている。

空襲被害者たちはいまだに後遺症やトラウマに苦しんでおり、平均年齢が80歳になる77人の原告たちの勝訴判決をできるだけ早く得ることは中山にとって喫緊の課題だ。

一方、石川は、無罪判決を得て時間ができたらかなえたい夢があるという。「私は、小学校、中学校の卒業証書を持っていない。できたら夜間中学に通いたい」。

先日私は「人間として『アンチ朝鮮人デモ』をもはや等閑視することは許されない!! 今度は大阪最大のコリアタウン鶴橋で女子中学生が『南京大虐殺ではなく‘鶴橋大虐殺’を起こしますよ!』と大量殺人予告」という記事を発信しましたが、以下は同記事に関する追記3題です。

第1の追記は「民族憎悪 叫ぶデモ」と題された3月31日に大阪・鶴橋のコリアンタウンであったアンチ朝鮮人デモを取材した4月6日付けの朝日新聞記事の紹介。

第2の追記は「『殺せ』の嫌韓デモに批判高まる」と題された3月17日に東京・新大久保のコリアンタウンであったやはりアンチ朝鮮人デモを取材した3月29日付けの東京新聞「こちら特報部」記事の紹介。

第3の追記は上記弊記事に対する読者の反応に応えたもの。なぜいま日本で「ヘイトクライム法」の制定が喫緊の課題となっているのかということと上記の記事に見るようにいま「現実に行われている言動は、これに拱手傍観を許さない段階に達している」(弁護士有志12人の「声明」。上記の弊ブログ記事参照)こと、「このまま事態を放置すれば、現実に外国人の生命身体への攻撃に至るであろうことは、1980年代以降のヨーロッパの歴史に照らして明らかなところである」(同左)ことについて書きました。

追記1:「民族憎悪 叫ぶデモ」(朝日新聞 2013年4月6日)

嫌韓デモ1 
「日韓断交」などを訴えるデモ隊(上)。道路一本はさんで
抗議デモも(下)。双方を大阪府警が取り囲む騒然とした
          状態が2時間近く続いた=大阪市のJR鶴橋駅近く

 排外主義的な主張を掲げる団体が「韓国人をたたき出せ」などと連呼するデモが各地で繰り返されている。差別的な表現の規制をめぐる議論も起きている。

頻発 規制めぐり論争

 在日コリアンの多い大阪・鶴橋。3月31日の日曜、旭日旗などを掲げた約50人がJR駅前で「朝鮮人を追放しろ」と声を張り上げた。その後、100人超に膨れ、目抜き通りの御堂筋などをデモ行進。「ゴキブリ」「殺せ」「差別しろ」などの言葉も飛び交った。

 主催したのは「神鷲皇國會(しんしゅうみくにかい)」という市民団体。デモの動画を、ネットで流し、過激な言葉で支持を広げてきた、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)とは「同志」といい、そのメンバーらも参加した。

 こうしたデモは最近、韓流の街、東京・新大久保も続く。3月には民主党の有田芳生氏ら有志国会議員が国会で抗議集会を開き、「日本でもヘイトスピーチ規制を議論すべきでは」との意見も相次いだ。有志の弁護士12人も東京弁護士会に人権救済を求めた。

 人種や宗教など、ある属性を有する集団に対し、おとしめたり暴力や差別をあおったりする侮辱的表現を行うことを、ヘイトスピーチ(憎悪表現)と呼ぶ。

 定(引用者注:ママ)の個人や団体への攻撃ならば、名誉毀損罪や侮辱罪になる。だが、相手が「朝鮮人」「韓国人」と言うだけでは抽象的すぎて、刑法の適用は難しい。

 日本も加盟する人種差別撤廃条約は、その4条で、人種差別の扇動を法律で禁じるよう求めている。だが日本政府はこの条文には、留保を付けてきた。

 「正当な言論を萎縮させる危険を冒してまで、処罰立法を検討しなければならないほど、現在の日本で人種差別の扇動が行われているとはいえない」。 これが政府の考え方だ。

法で禁ずる国も

 ドイツは刑法で「民衆扇動罪」を設け、ナチス下のホロコーストの事実を否定するような言動も禁じた。

 英国やカナダにもヘイトスピーチ規制法がある。一方、米国は日本と同じ条文を留保。規制の市条例を連邦最高裁が違憲とした例もあり、議論は揺れている。

 在特会側は「中国や韓国の反日デモでは、もっとひどいことを日本人に投げつけている」と反論。規制論についても、「何をヘイトとするか、基準が確立していない」としている。

「差別アカン」抗議も広がる

 抗議の意志を示す市民の動きも広がっている。

 3月31日の鶴橋駅前では、「仲良くしようぜ」「恥を知れ」「差別はアカン」などのプラカードを掲げた約200人が、反朝鮮デモ側を包囲するように、道路をはさんで前と隣に並んだ。

 カウンターと呼ばれるこうした抗議行動は、新大久保でツイッターを機に広がった。それを見た大阪市在住のクリエーター凛七星(りんしちせい)さん(51)らが「友だち守る団』を立ち上げ、ツイッターで参加を呼びかけた。「まともに相手にすることないと思ってきたが、見過ごせるレベルでなくなった」

 地域の住民も動いた。反朝鮮デモのネット告知を見てすぐ対抗デモを申請したのだ。参加した在日3世の男性(47)「あんな発言を子どもたちに聞かせたくないし、共生を培ってきた地域の人間に対し、差別を先導する人の居場所をなくしたい」と話す。(石橋英昭、多知川節子)

追記2:「『殺せ』の嫌韓デモに批判高まる
     (東京新聞「こちら特報部」 2013年3月29日)

 「在日韓国・朝鮮人を殺せ」といった過激なスローガンが白昼の街に躍る。「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などが主催するデモだ。見かねた人たちが沿道で「(在日コリアンと)仲良くしよう」と書かれたプラカードで対抗し、国会議員からも問題視する声が出始めた。特定の人種や民族を侮辱、攻撃する表現は「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」と呼ばれる。海外では法的な規制もあるが、日本にはない。 (佐藤圭)

 十七日午後、東京・新大久保のコリアンタウン。日章旗などを手にした数百人のデモ隊が大通りを練り歩いた。「春のザイトク祭り 不逞(ふてい)鮮人追放キャンペーン デモ行進in新大久保」。主催は在特会だ。

参加者らのプラカードには「朝鮮人ハ 皆殺シ」「韓流追放」といった文言が並び、「殺せ」「たたき出せ」「ゴキブリ」といったシュプレヒコールが繰り返される。

歩道では、デモ隊に匹敵する数の人たちが抗議の意思を示した。

会社員の木野寿紀さん(30)が二月からツイッターで参加を呼び掛けてきた「プラカ隊」のメンバーは、「仲良くしようぜ」「日本の恥」と書かれたプラカードを無言でデモ隊につきだした。

「ひどいヘイトスピーチに大変な怒りを感じている。地域の人たちに迷惑がかからないように黙って差別反対の意思表示をした」(木野さん)

デモ隊の前後左右を取り囲む警察官たちは、デモ隊とそれに抗議する人たちを引き離そうとするものの、両者はたびたび角を突き合わせてののしり合った。別の抗議集団は「レイシスト(差別主義者)は帰れ」などと糾弾の声を上げた。

騒然とした雰囲気の傍ら、韓国化粧品を並べた店を営む在日韓国人の女性(56)は「どうしてこんなデモがあるのか分からない。お客さんが怖がって寄りつかなくなっている」と顔をしかめた。

在特会は二〇〇七年一月に発足した。日本に居住する在日コリアンたちが「特権を不当に得ている」と主張し、特に在日コリアンに付与された特別永住資格の剥奪と制度の廃止を訴えている。脱原発デモに対抗した「原発の火を消させないデモ行進」も主催した。

ホームページによると、会員数は一万二千人以上。「嫌韓」デモは数年前から各地で実施され、最近では「殺せ」「毒飲め」といった言葉が飛び出すほどエスカレートしている。それに伴い、抗議の声も強まっている。

同会の米田隆司広報局長はこう語った。

「『良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ』といった言葉を推奨しているわけではないが、ショッキングなメッセージは印象に残る。朝鮮人に心理的にダメージを与えようということではなく、会の活動を伝わりやすくするためだ。ヘイトスピーチと言われているが、何をもってヘイトとするのか分からない」

一連の抗議に対しては「(抗議する集団は)反原発運動で世間の関心を集められなくなったので、在特会にかみついて存在感を示そうということではないか」と話した。

民主党の有田芳生参院議員らは十四日、在特会などの「嫌韓」デモに抗議する集会を参院議員会館で開いた。約二百五十人が集まった。

決議文では「在特会などの主張は殺人教唆ともいうべき内容で、表現の自由の一線を越えた悪質な扇動にほかならない」と非難した。有田氏は「在特会のような勢力はほっておけば、消えてなくなるという意見もある。だが、言動は過激化するばかりだ。どこかで歯止めをかけなければ」と危機感を募らせる。

特定の個人や団体に対する侮辱行為であれば、名誉毀損(きそん)罪や侮辱罪などに抵触する。在特会などのメンバーが〇九年、京都朝鮮第一初級学校(京都市)の授業を街宣活動で妨害した事件では、メンバーらに侮辱罪、威力業務妨害罪などによる有罪判決が確定した。

しかし、「韓国人を殺せ」といった言葉は、刑法に抵触しない。日本には、欧州諸国などにある人種差別禁止法やヘイトクライム(憎悪犯罪)法がないからだ。

日本も加盟する人権差別撤廃条約は、こうしたヘイトクライムについての法整備を求めているが、政府は動こうとしていない。「処罰立法を検討しなければならないほどの人種差別の扇動は日本には存在しない」という認識からだ。

東京造形大学の前田朗教授(刑事人権論)は「政府は早急に『人種差別禁止法』を制定し、差別は絶対に許さないという姿勢を打ち出すべきだ。その上で、ヘイトスピーチを含むヘイトクライムの法規制を検討してほしい」と強調する。

とはいえ、いま現在は有田氏ら一部の議員らが動き始めたにすぎず、法整備は将来的な課題。表現の自由との「もろ刃の剣」の側面もあるだけに慎重な議論が必要だ。当面は現行法の枠組みの中で対処するしかない。

有田氏らは二十六日、デモの届け出受理をする東京都公安委員会に対して「ヘイトスピーチを伴うデモを過去に実施した団体からデモ・街宣活動の届け出があった場合、新大久保周辺では許可しないこと」などを要請。地元商店街やネット上で集めた署名も提出した。

風当たりの強さに、在特会の一部には微妙な空気も漂っている。

メンバーの男性会社員は「『殺せ』という部分だけを切り取ってレイシストのレッテルを貼るのは納得できないが、私自身は『殺せ』は使わない」と話した。元メンバーの男性会社員は「『殺せ』という言い方には疑問を感じる。会の活動とは距離を置いている」と複雑な心境を明かした。

前出の米田氏は、在特会の現状について「設立当初から退会する人はいる。出たり入ったりだ。それぞれの考えで動けばいい。デモは今後も継続する」と説明する。

著書「ネットと愛国」で在特会の実態に迫ったジャーナリスト安田浩一氏は「在特会はレイシスト、排外主義者だ。容認することはできない」と断じた上で、「市民の力でデモを止めなければならない」と訴える。

「一連の抗議活動によって、動揺しているメンバーは少なくない。ヘイトスピーチに関する法的規制には慎重にならざるを得ないが、そういう議論が始まってもおかしくないほどデモは醜悪だ。法的規制に走らないためにも、一人でも多くの人が反対の意思表示をしてほしい」

<デスクメモ> 在特会と特報部の接点は、四年前のフィリピン人一家強制退去事件からだ。記事内容をめぐり、抗議を受けたこともあった。取り上げること自体が「励まし」に転じかねないというジレンマは常にある。だが、社会には彼らへの沈黙の共感が垣間見える。その危険は無視できない。注目し続ける理由だ。 (牧)

追記3:弊記事の読者の反応に応える。
     「このまま事態を放置すれば、現実に外国人の生命身体への
     攻撃に至るであろうこと」について

●「どんなデモでもヘイトクライム法と言うものができて、ヘイト
 クライムとみなされて規制されたらどうなるんでしょう」という
応への応答。

ヘイトクライム(憎悪犯罪)の「ヘイト」(憎悪)という概念は多種多様で、その意味でたしかになにをもって「憎悪犯罪」というのか。定義が難しい側面はあるのですが、国際的には一般的に「ヘイトクライム」は「人種、民族、宗教、性的指向などに係る特定の属性を有する集団に対しての偏見が元で引き起こされる口頭あるいは肉体的な暴力行為」と定義されているようです(ウィキペディア『ヘイトクライム』の注2『ブリタニカ百科事典』「ヘイトクライム」(英語)参照)。

したがって、「ヘイトクライム法」(日本でも成立したとして)の規制対象となる暴力は「人種、民族、宗教、性的指向などに係る・・・・口頭あるいは肉体的な暴力行為」に限られるので、「どんなデモ」の発言にも規制が及ぶということではありません。規制対象となる暴力は「人種、民族、宗教、性的指向など」にかかわる暴力とはっきりしています。それが「ヘイトクライム」(憎悪犯罪)たるゆえんです。

ただ、この問題にかかわって私たちがいま考えておかなければならないだろうと思われる点は、この「ヘイトクライム法」に定義される概念を含む包括的な人種差別禁止条約としての「人種差別撤廃条約(あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約)」は1965年の第20回国連総会において採択され、日本も1995年に批准していますが、わが国は同条約第四条(a)(b)の適用だけはいまだに留保したままだということについてです。

人種差別禁止条約第4条

締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。

(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。

(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。
   
前田朗氏(東京造形大学教授・刑事人権論)はこのことについて次のように批判しています。

「日本政府は一九九五年に条約を批准したが、条約第四条(a)(b)の適用を留保した。理由はなんと、人種差別表現は憲法上の表現の自由の保護の範囲内にあるというものである。日本政府は「人種差別表現の自由」という驚くべき思想を語る。

二〇〇一年三月、人種差別撤廃委員会は、日本政府報告書の審査結果として、日本政府に条約第四条(a)(b)の留保を撤回し、包括的な人種差別禁止法を制定するように勧告した。 九年後の二〇一〇年三月、人種差別撤廃委員会は、第二回目の日本政府報告書の審査結果として、再び日本政府に対して留保撤回と人種差別禁止法の制定を勧告した。朝鮮人に対する暴力や、インターネットにおける部落差別の実態を見据えた勧告である。

なお、ここで言う人種差別禁止法とは、ヘイト・クライム規制だけではなく、民事・行政・教育・雇用など諸分野におけるさまざまな差別を規制するための総合的立法である。ヘイト・クライム法は人種差別禁止法の一部に相当するが、刑法分野に属する。

人種差別撤廃委員会だけではない。二〇〇五年以来数回にわたって日本の差別状況を調査した国連人権委員会のドゥドゥ・ディエン「人種差別問題特別報告者」も、留保撤回と禁止法の制定を勧告している。

ところが、日本政府はこれらの勧告を拒否している。理由は、第一に表現の自由である。人種差別表現も憲法上の表現の自由に含まれるという。第二に罪刑法定原則である。ヘイト・クライム法は概念が不明確であって、処罰範囲を明確に規定できないという。

日本政府の弁解には説得力がない。人種差別撤廃委員たちは、日本政府に対して「人種差別表現の自由というものを認めるべきではない」「表現の自由を守るためにこそヘイト・クライムを規制するべきだ」と指摘した。現行刑法にも名誉毀損罪がある。人種等に対する名誉毀損罪を認めることは決して難しいことではない。日本政府の主張が正しいとすれば、世界の大半の諸国には表現の自由がなく、日本だけが表現の自由を守っているという珍妙な話になってしまう。戦争反対のビラ配りさえ許さない日本に表現の自由があるというのは、ブラックジョークにすぎないのではないだろうか。

また、条約第四条(a)を受けて、世界の多くの諸国にヘイト・クライム処罰規定が整備されている。日本政府の主張が正しいとすれば、世界の大半の諸国には罪刑法定原則がなく、日本だけが罪刑法定原則を守っているという奇怪な話になってしまう。」(「差別犯罪と闘うために――ヘイト・クライム法はなぜ必要か(1)」(「解放新聞東京版」766号(2011年6月15日号)前田朗Blog

以上、いまや「ヘイトクライム法」の制定を望む声は国際的な人道上の流れとなっているということについて、その一端をご説明させていただきました。

●「ドイツではナチズムは法律で禁止されていますがそれでも出て
 きます。こういう現象をどう捉えるか、またどう対処するかの動き
のほうが本質だと思うのですが」という反応への応答。

この点については既述のこちらの記事でも紹介していますが、外国人排撃デモに関する弁護士有志12人の「声明」の2に次のような説明があります。

「現実に行われている言動は、これに拱手傍観を許さない段階に達していると判断せざるを得ない。このまま事態を放置すれば、現実に外国人の生命身体への攻撃に至るであろうことは、1980年代以降のヨーロッパの歴史に照らして明らかなところである。」

上記にいう「1980年代以降のヨーロッパの歴史に照らして明らか」というのは同じく弁護士有志の東京都公安委員会及び警視庁警視総監に対する申入書の「申入れの理由」の5にいう

「ヨーロッパのドイツ、フランスなどにおいては外国人排撃運動に対し、社会のしかるべき対応が行われなかったことから外国人の生命が奪われ、また放火等重大な犯罪に発展した」

ことなどを指しているでしょう。

また、1980年代は欧州において極右政党が台頭してきた時期でもあります。上記の外国人排撃運動が「重大な犯罪に発展」したことと極右政党が台頭してきたこととには密接な関連があるでしょう。こちらの論攷などもご参照ください。

上記の弁護士有志12人の声明はいま東京・新大久保のコリアンタウンや大阪・鶴橋のコリアンタウンで「現実に行われている言動」について「拱手傍観を許さない」ことこそが1980年代以降のヨーロッパの歴史の過ちを繰り返さないこと、さらにはナチズム的な思想の復活を許さないことにつながっていくのだということ、すなわち「どう対処するかの本質」につながっていくのだということを言っているのだと思います。私もそう思います。

●「『殺すぞ』くらい日常語である中学生の罵詈雑言を『大量殺人予告』
 とは大袈裟だと思いますが、誰かが注意してやらなければならんでし
ょうねえ。ここは熱くならないで、冷静な大人の対応が必要でしょう。
『すぐにヘイトクライム法を!』なんてやったら、相手の思うつぼかもね」
という反応への応答。

たしかにいまの中学生は小さい頃からのテレビや漫画などの影響もあって「殺すぞ」という罵詈雑言を日常的に遣っているという側面はありますが、その中学生のじゃれあいのような会話の中での「殺すぞ」という言葉と上記のヘイトスピーチとしての「殺すぞ」という言葉はたとえその言葉の発信者が女子中学生だとしても本質的に違うと思います。女子中学生の「殺すぞ」発言は上記の「アンチ朝鮮人デモ」の流れの中で遣われています(あるいは遣わされています)。そして、こうしたヘイトクライム、ヘイトスピーチはもはや「拱手傍観を許さない段階に達していると判断せざるを得ない」(弁護士有志の「声明」)状況にあるといわなければならないのです。「このまま事態を放置すれば、現実に外国人の生命身体への攻撃に至るであろうことは、1980年代以降のヨーロッパの歴史に照らして明らかなところである」(同左)ともいわなければならないでしょう。下記の弁護士有志たちの警告と懸念を再度読み直していただければ、と思います。

■新宿区新大久保地域で行われる外国人排撃デモについて
声明申入書人権救済申立書 弁護士有志 2013/3/29


図書新聞の最新号(2013年04月13日号)に救援連絡センター初代事務局長の水戸喜世子さん(1935年生)の長いインタビュー記事が掲載されています。聞き手は小嵐九八郎さん(1944年生。作家・歌人)。

< 60年代・70年代を検証する>
第22回 水戸喜世子氏(元救援連絡センター事務局長)に聞く
デモが高揚した時代は救援運動の時代だった
──反原発を牽引した夫・水戸巖の遺志は蘇る【長尺版】

水戸喜世子さんといえば救援連絡センター初代事務局長というよりも、いまでは1970年代初めから反原発運動の草分けを担った原子核物理学者の故水戸巖さん(53歳のとき当時京大の大学院生と阪大の学生だった双子の息子2人と親子3人で北アルプスの剱岳で遭難死)のお連れ合い(「糟糠の妻」)とご紹介した方がとおりがよいかもしれません。水戸喜世子さんに関してたとえば昨年の東京新聞の「こちら特報部」(2012年9月18日付)には以下のような見出しの記事が掲載されていました。

「運動を引っ張った核物理学者故水戸巌さん 妻・喜世子さん いま声上げる」「夫の遺志 伝えねば」「曲げなかった反原発」「息子と遭難死 喪失感乗り越え」「黙っていては変わらない」

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「東京新聞」(2012年9月18日付)<こちら特報部>

この長文のインタビュー記事によって水戸巖さんが単に反原発運動の草分けを担った原子核物理学者だったというだけでなく、日高六郎氏、羽仁五郎氏らとともに現在の「救援連絡センター」の創立に関わり、妻・喜世子さんとともに同センターの日常業務(封書の宛名書きや発送)をこなす事務局の職を担った秀逸で地道な市井の市民活動家でもあったことがわかります。改めて水戸巌さんが一個の人間(研究者・市民活動家)としてどれほどかけがえのない存在であったかを思い知らされます。そして、そこに浮かび上がってくるのはいつも夫とともにあった喜世子さんという無名の研究者、市民活動家の存在でもあります。

この長文のインタビュー記事は水戸巌さん、喜世子さんが結婚した時期から語られ始められます。この時期は、60年安保闘争を経てやがてベトナム反戦運動やいわゆる全共闘運動などの活動が激化していった時期と重なります。救援連絡センターの設立はそうした活動に従事する主に学生たちに逮捕者が続出し、その学生たち、労働者たちを救援することの緊急性と必要性から立ち上げられるという経緯を経ていくわけですが、それ以前から大衆の救援組織としては国民救援会という存在がありました。なにゆえに国民救援会ではなく救援連絡センターの設立なのか、という問題。続出した学生党派間の内ゲバの問題とその逮捕者の救援はいかに、という問題。さらには連合赤軍事件の逮捕者と救援との関係。問題視角によってはそれこそ論争上の「内ゲバ」問題が生じかねない問題群が山積していますが、救援連絡センターサイドからのまたとない貴重な資料と歴史的証言の提供になっていることはたしかです。

それだけではなく、水戸巖さんの北アルプスの剱岳における息子さんおふたりを含む親子3人での遭難死。それに続く喜世子さんの夫とご子息ふたりを一瞬に亡くした喪失感と絶望のあまりの「死」の誘惑の日々の述懐は陳腐な言い方しかできませんがやはり胸の痛みを忘れて読むことはできません。

それだけに喜世子さんのいまの若者たちに託そうとするインタビュー記事の最後の言葉は胸に響きます。

絶望しそうになっても絶対死ぬな、と伝えたい。今生きていて、闘えて、本当に良かったと思えますから。もう一つあります。六〇年代、七〇年代から学ぶこと。そうすれば権力に追いつめられるのではなく、権力を追いつめ原発ゼロを実現する展望がはっきりと見えてきますよ。」

対峙する警察とデモ隊3   
強行採決の日(1960年6月15日)の国会前
対峙する左警察,右デモ隊

< 60年代・70年代を検証する>
第22回 水戸喜世子氏(元救援連絡センター事務局長)に聞く
デモが高揚した時代は救援運動の時代だった
──反原発を牽引した夫・水戸巖の遺志は蘇る
【長尺版】

▼ゴクイリイミオオイ(獄入り意味多い)の電話番号で広く知られる救援連絡センター。その初代事務局長を務めた水戸喜世子さんに作家・歌人の小嵐九八郎氏がインタビューした。1960年代・1970年代は、学生と労働者、市民による激しいデモと警察権力の弾圧、全国に広がった救援戦線を抜きに語ることはできない。救援運動のさまざまな体験と苦労話、その教訓を語っていただいた。(編集部)

幼子3人を連れてベトナム反戦の座り込み

 小嵐 今日は、インタビューを受けて下さり、心から感謝します。一九六七年一〇・八羽田闘争を闘った私たちにとっては、一九八六年一二月に北アルプス剣岳で、御子息二人と共に遭難し、亡くなられた御夫君・水戸巖氏(註 文末に略歴掲載)の必死にして切実な生き方がどうしても忘れられません。闘って逮捕された学生にとって心強い救援、三里塚闘争への連帯や東山薫さんのガス銃による虐殺への科学的立証による追及、死刑制度廃絶への関わり、狭山差別裁判の弁護側鑑定など、あらゆる場面で活躍されています。とくに物理学者の立場から高い見識と実践力によって反原発運動を牽引されました。一九七〇年代から八〇年代の反核・反原発運動は、水戸巖氏、久米三四郎氏、高木仁三郎氏、の三羽烏の活躍によって展開されていました。党派の利害にどうしても引きずられていく運動や組織への水戸巖氏の誠実なる批判と実践による克服への努力に対しては、掛け値なしに、畏怖を感じつづけています。そしてそこには常に、救援連絡センター事務局長の激務を担われた水戸喜世子さんの存在がありました。

 この亡き御夫君への思いと重複しながら質問しますが、お二人が結婚されたのはいつですか。

 水戸 一九六〇年三月に彼はドクターを終え、私は大学を卒業して結婚。会費制の結婚式場からは砂川基地闘争に「代表派遣」するなんて場面もあって、親たちは目を白黒させていました。その式の最中に連絡が入って、彼の就職先は甲南大学の理学部ということになり、私はもう少し勉強したいなと思っていたので、大阪大学の内田龍雄研究室の研究生にしてもらいました。

 小嵐 では、六〇年安保闘争にはどのように参加されたのですか。

 水戸 六〇年安保闘争は、私は大阪大学の院生たちと一緒にデモをやり、東京にも夫婦で何度も出て行きました。六・一五当日樺美智子さんが亡くなったのがわかった時は、「殺された」という思いで口惜しくて涙が出てとまりませんでした。暗闇の日比谷公園に戻ってきて、皆しゃがみこんで何時までも泣いていました。大変な衝撃でした。

 小嵐 一九六三年に「社会主義科学者集団」の名称で出されたメーデーへのガリ版刷りのビラを拝見しました。この神戸時代の頃の日常生活、思い、考えはどうだったのでしょうか。

 水戸 ビラの筆跡は彼のものではありません。「キューバ・ラオスに対する帝国主義者の侵略反対! 権力による教育・研究の支配反対! 権力に迎合する大学上層部に断固たる戦いを挑もう!」と書いてありますね。「共産党神話」から解き放たれ知識欲に飢えていました。甲南大学に行ってまず始めたのは若い人たちと労働組合をつくったことで、関西一の給与水準になったとみんな意気軒昂でした。彼と活動を始めるとみんなが楽しくなる。不思議な才能の持ち主です。学生時代のトブツコン(都内物理科学生懇談会)でも若い組合員たちとは家族ぐるみの付き合いでした。社会科学の勉強会もしっかりやっていました。多分ビラは同僚の若い科学者とか、組合員が書いたのではないでしょうか。

 小嵐 荒荒しいけど、しなやかな時代だったのですね。六〇年安保以後のお二人の日常の生活はどうだったのでしょう。

 水戸 六〇年安保で樺さんが殺された後を自分たちがどう引き継ぐのか、みんな考えていた時期だと思います。彼は猛烈な勢いで本を読んでいたので、本の出費が一番家計にこたえた時期でしたね。家にいる時は赤ん坊を膝に乗せて子守りしながらバロックをかけて、読書するのですが、彼に抱かれるとむずかっていた子どもも魔法にかかったみたいにすやすやと眠ってしまうのです。子守りと読書とレコードが彼お得意の三点セット。時間の使い方が上手というか、活動と遊びと仕事をうまくミックスさせるからギスギスしない。しんどい時も楽しくなる人です。双子と年子ですから三人ともオシメをしていた時期には家事も山のようにあるのですが、土日は彼が主婦並みに頑張ってくれましたし、夜は私がデモに行くこともできました。朝学校に行くときは「ごめんなさい」と言って出かけるんです(笑い)。学校の方が何倍も楽だって。

 小嵐 その頃は、六〇年安保闘争敗北の後の苦しい過渡期、端境期ですね。

 水戸 そうですね。関西は東京よりはのどかだったかもしれません。でも新左翼系の機関紙誌には目を通していましたよ。たしか『戦旗』の印刷機が使えなくなったとかで「カンパを!!」という記事がのって、二人で意気投合して銀行からありったけのお金(実は私の花嫁道具代わりの持参金)を下ろして送金したこともありますよ。大金なのに領収書も届きませんでしたけどね。

 三歳になるまでは母親に育児の特権があるというのが、私の持論ですから、彼ひとりの給料で、やりくりしていました。夜は子どもを彼に預けて、私は「日韓基本条約」に反対するデモに同じ団地の主婦仲間で参加していました。育児からの解放感もありましたね。警官のトンネルをくぐらされ、蹴られ、殴られのイタイ痛いデモでしたけど私たちは後ろの列の真ん中に入れてもらえるので、ましなほうだったと思います。デモ指揮をする先頭の人は頭や顔からも血を出していました。その人は領事館前の座り込みにも来てくださって忘れられない人ですが、早くに亡くなられました。警棒のせいだと今も思っています。韓国の学生も頑張っているんだからと、そんな気持ちで頑張れましたね。

 しばらくしてアメリカの北爆(六五年二月七日)が始まり、傷ついた子どもの大きな写真が新聞一面に報道されるようになりました。母親の胸をえぐりましたね。その新聞を手に、今度は保育所のお母さん友達にも呼びかけて神戸アメリカ領事館前で子連れの座り込みを始めました。初めは、二人の若者が座り込んだという記事を水戸が新聞で見つけたのがきっかけです。いろんな出会いがあって、新左翼系の人、一般市民も次第に増えて、とうとう一〇〇日続き、それが神戸べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の始まりになったのですよ。

 小嵐 当方は学生運動に入る前のことで、うらやましい動きですね。

 水戸 一九六七年一月に、彼は東京大学原子核研究所(核研)に転勤が決まり、一足先に上京し、住まいなどの準備をし、四月に私と子どもたちが東京に移りました。六年半ぐらいの神戸時代は、権力に対して悔しい思いはありましたが、緑濃い六甲山の麓で親子思い切り密着して過ごせたという意味で、幸せいっぱいでした。

 子どもも親もこんな幸せな神戸の六年間があったから、このあと待っている過酷な環境に耐えることができたのかもしれないですね。

10・8羽田救援会をすぐに立ち上げた

 小嵐 その年に、佐藤首相ベトナム訪問阻止の一〇・八羽田闘争があったのですから、招きよせられたんですね。では、救援連絡センターをつくるきっかけを教えてください。

 水戸 水戸巖本人が反戦青年委員会として職場の若い人と一緒に羽田の現場に参加していたことが大きいと思います。彼はまだ三四歳。日韓条約反対デモで、私自身も無防備・無抵抗の市民に警官が血に飢えた獣のように襲いかかるものだということを体験していましたから、角材・ヘルメットで防衛する意味がすこしは理解できましたね。水戸は現場に行って、機動隊の暴力もデモ隊の必死の頑張りも見て、その上に山崎博昭君(京大生、一八歳)の死にも直面しました。

 夜明け頃「ケガ人を病院に運んだり、救急車を呼んだりして手当てしていたから、こんな時間になってしまった」と家に帰ってきましたが、とても高揚していましたね。「明日の新聞は『暴徒キャンペーン』一色になるぞ。学生たちを暴徒にされてたまるか」と言って、仮眠をとるとすぐに原稿を書き上げてあちこち電話をかけては読み上げているのです。核研に出勤して「報告会」も開いています。大量に郵送して、「声明」は一〇月一四日、梅本克己、大江健三郎、小田実、鶴見俊輔、羽仁五郎、日高六郎、堀田善衛ら二一氏連名の「声明」になって結実します。それより数日早く黒田喜夫さんや岩田弘さんらの素晴らしい声明も出ましたね。「国家権力によって武装された警官の暴力と、学生の肉体的行動による抗議とは、冷静に比較するならば、その暴力性において同じ程度のものではない。学生の行動の行き過ぎを批判するだけでなく、それに百倍する力を持って、日本の政治に対して抗議したい」と。これら両方の方々の声明がやがて「救援の訴え」の土台になって「羽田一〇・八救援会」が発足できたのです。

 小嵐 やはり必死な闘いを起点に、その滾(たぎ)りが救援の輪を広げていった……。

 水戸 そのとおりですね。事務所は小さなわが家でした。事務局員は私たち夫婦と三人の小さな子どもたち。当時の『朝日グラフ』に全面で幼い子どもたちが封筒に切手を貼ったり、ビラを折ったりしている写真が載ったのですね。それを見て、友人や同僚が手伝いに来てくれるようになって、山本義隆さん(その後、東大全共闘議長)や、反原発で今、東奔西走の槌田敦さんも家族ぐるみで手伝ってくれました。昼間、私はスバル360を運転して毎日毎日、羽田周辺の病院回りをし、未払いの治療費を払い診断書をとって歩いてました。それは法務委員会で「過剰警備」の証拠となりましたし、何よりも反戦の歴史の中での人民の宝だと思っています。女にとっては「わが息子の血」です。

 小嵐 山崎博昭氏の死のことについて、もう少し語ってください。

 水戸 山崎君の死は、「学生が装甲車を運転していた」という警察発表が新聞に出て、何としても「学生が学生を轢いた」というストーリーに持っていくぞという警察の意図がありありと見えたんです。案の定、次の年の一月に、装甲車を運転していたということで未成年のN君ともう一人I君が別件逮捕されました。なんと留置は警視庁です。「すぐ差し入れだ!」という水戸に促されて、生まれて初めて警視庁へ。白いセーターとケーキに思いを託したのです。「誘導尋問に屈するな! 市民はあなたの味方だよ!」という思いをね(註 二人とも当時、日大生。重過失致死で不起訴、釈放をかちとった。弁護団は死亡診断書から警察官の警棒による頭部殴打が死因と判断)。

 差し入れの帰り道、家まで私服がついてきて、尾行の初体験をしました。勾留理由開示裁判まで毎日差し入れは続けていたので、本人に法廷で会った時には、お互いにすぐにわかりました。初対面なのに。

 小嵐 切羽詰った状況の中で必ず誰かが動き出す……。

 水戸 本当にそうですね。誰に頼まれたわけでもないのに。大義のある闘いがあれば、の話ですが。重罪攻撃粉砕という救援の醍醐味を一回目にして運よく味わえるなんて。いつもこううまくいくわけではないけど、〈黙秘と激励〉こそがフレームアップ粉砕のカギだってことを学びました。一九六九年当時のように一日で二千人規模の逮捕ともなると、差し入れも弁護士も期待できないから黙秘しか手段はありませんでしたね。

救援連絡センターを結成、逮捕者が続出

 小嵐 その後、闘争は盛り上がっていきます。二度目の羽田闘争、三里塚農民連帯の闘い、佐世保エンタープライズ寄港阻止、王子野戦病院開設反対、全共闘運動、そして一九六八年一〇・二一国際反戦デー闘争は国会、防衛庁、新宿で闘われ、新宿には騒乱罪が発動されました。

水戸 羽田の後始末も終わっていないのに、個人で対応するのはもう限界でした。それでも、可能な限り、現場には駆けつけていましたね。二人で考えた末、カンパをいただいた方の住所をたどって、王子闘争はお住まいが近くの石川逸子さん(詩人)に、三里塚闘争は当時千葉大学の教員だった渡辺一衛さん(物理学者)に、とお願いしてみたら、快諾していただけたのですね。闘争ごとに個別の救援会ができるようになり、東大闘争、日大闘争を経て個別救援会が全部集まって合同救援会が発足しました。六八年一二月から六九年四月まで三回の機関紙を発行し救援連絡センターに引き継がれていきます。私たちが願った形は、①誰でも逮捕されたら弁護士に来てもらえる(弁護士事務所分室でなければならない)。②最新の弾圧事情をみんなに知らせる機能をもちたい=最低限の機関紙を持つ。機関紙上では毎月会計報告をして鉛筆一本に至るまでカンパの使途を明らかにする。厳密に救援に限定しなければならない。③特定の党派の思想的介入に左右されない、ということでした。

 これはセンターの二大原則(1国家権力による、ただ一人の人民に対する基本的人権の侵害をも、全人民への弾圧であるとみなす。2国家権力による弾圧に対しては、犠牲者の思想的信条、政治的見解のいかんを問わず、これを救援する)として文章化されました。今思うに、もっと、具体的に細かく、党派の介入を拒否する手立てを書くべきだったのかもしれません。「世話人会の決定には、党派事務局員は無条件に従う」とか。まさか、こんなに「髪の毛一筋」の違いに目くじらを立てていがみ合うなんて、想像もできませんでしたものね。

 六八年一二月に引っ越し、六九年三月末に正式に救援連絡センターは発足しました。

 小嵐 救援連絡センターの電話番号「獄入り意味多い」(五九一―一三〇一)は、いつつくったんですか。この電話番号はすばらしいアイディアでしたね(註 現在の電話番号は〇三―三五九一―一三〇一)。

 水戸 発送作業の応援に、私の家には色んな人が出入りしていましたが、手を動かしながらしゃべっている時に浮かんだアイディア。所沢高校の同僚で後に所沢市議になったNさんの思いつきでした。

 小嵐 この頃には当方もすでに党派に入っていて聞きにくいのですが、この救援連絡センターと党派との関わりはどんなでしたか。

 水戸 六八年当時の学生運動の状況は興味深いものでした。三月、三里塚に初めて大結集するという時に、現地に行って、救援の打ち合わせをしたのです。結果的に、弁護士関係は中核派、病人・ケガ人関係は医者が多いブント(共産主義者同盟)、場所を借りるには組織関係に強い社青同解放派というように自然に役割分担ができて、なんだかとっても愉快でした。この場面が印象的で、救援連絡センターもそんな良いイメージで描いていたのですね。でも一年もたたないうちに、水戸は喧嘩の仲裁に走り回ることに。

 小嵐 三派全学連の時代は熱い絆が燃えていてよかった、というのはたしかに同感です。

 水戸 救援連絡センターがどうにか今も存続しているのは、創立時の二大原則が紙の上の飾りでなくて、現場で守られてきたという信頼ではないかと思っています。接見メモ一枚が対立党派に渡っても一巻の終わりですから。私のような頑固な主婦が事務局にいて応対し、電話に出ることで救援会の市民も弱小党派の学生も安心できたと思います。厳密に会計をしてくださった主婦のIさん、医療班の主婦のSさん、歴戦の大先輩・郡山吉江さんたちは常勤でセンターの大事な部署を担っていました。山辺健太郎さん(朝鮮史研究家、戦前治安維持法で逮捕・投獄)などの先輩たちから治安維持法下での獄中闘争を聞かせていただく機会もつくりました。一方で、全国に生まれた百近い市民救援会がセンターの血管そのものになりました。「杉並署に学生逮捕。留置番号五番」と地域救援会に連絡すれば即座に差し入れが届く体制ができあがっていたのです。所属セクト関係なしだから、一番困るのは警察です。関係者が差し入れに来れば素性を知る手掛かりになるのに。東京二三区にはほぼ全部救援会ができましたよ。

 小嵐 初めの頃はデモの逮捕者があまりに多くて、裁判所の機能がストップしたとか?

 水戸 ええ、当時の東京地方裁判所は祝田橋にありましたが、大きな闘争があると、勾留尋問がある日は、裁判所は全部閉廷になるんです。学生や労働者たちは皆、数珠つなぎで、都内各所の警察署から一斉に護送されてくるので、一般法廷はすべて休みになっていました。大量逮捕が日常的になると、逮捕即弁護士接見はもう不可能です。「三泊四日は接見はないもの」と覚悟してもらって、四日目の裁判所での勾留尋問の機会を利用して、一斉に弁護士接見をします。接見といっても氏名、大学名、所属党派名、逮捕状況、暴行を受けたかどうかなどアンケートするわけです。それは厳密に管理されて、関係者に引き継がれます。組織のない人はセンターが対応します。新宿騒乱の時は店員さんとか、通行人が逮捕されていましたからね。

 大きな闘争では、各党派から救対代表者を出して統一救対を構成して、作業をしていました。旅館に泊まりこんで接見メモを整理したり、差し入れ品を調えたり。夜の作業には、必ず大学の授業が終わってから水戸も参加していました。ノンセクトの逮捕者はセンターが担当する。六九年までは、そんな形も可能でしたね。そのうちに、闘争形態そのものが党派ごとにバラバラになっていくので統一救対の形態もなくなっていきます。

 小嵐 うーん、客観主義的な反省をしてはいけないけど、ここいらが、党派の限界なのですかね。三里塚の闘いは、でも、どうでしたか。

 水戸 三里塚闘争には、全国からの市民の共感が集まりましたね。権力側は現場で着色剤を浴びせかけて駅で待ち構えて検挙する、解散集会を開いているところへ機動隊が襲いかかって怪我人が出る、怪我人を取り囲んでいた赤十字の医療救対にまで襲いかかるなど、弾圧も常軌を逸していましたね。野戦病院には衣類や医薬品を運んだり、医者を乗せたり、わが家の乳母車スバル360はとうとうポンコツになって、三里塚に骨を埋めたんですよ(笑)。

 そんな中で革マル派が野戦病院の車を襲撃する事件(七一年三月)が起きて、それ以来、救援連絡センターには彼らの救対は出入りできなくなりましたね。三里塚を闘う全戦線の「抗議声明」を出しました。彼らは破防法弁護団を襲撃するというとんでもない事件(七四年一月)も起こしていますが、そのいずれに対しても反省の言葉は聞いていないので反弾圧を共に闘える仲間ではありません。敵対者です。

 野戦病院の運転手をしていた東山薫君が警官の水平打ちで死亡するという痛ましい事件(七七年五月)もありました。この事件では、水戸は物理実験をして警官による水平打ちが死因であることを裁判で科学的に実証したのです。損害訴訟裁判は勝ちましたが、上京して初めてセンターを訪れた東山君に「三里塚で車を担当してほしい」とお願いしたのは私でしたから、辛かったです。

 小嵐 一〇・二一新宿騒乱以前は、三派全学連のデモで逮捕されてもせいぜい一〇日間の勾留延長がつくぐらいで、二三日間目一杯勾留というのは少なくて、二三日間入ってきたら「お前、長かったなあ」なんて言ってました。

 水戸 六九年一月の東大決戦以後は、起訴率も高くなり、長期拘留が日常的になってきました。そのため獄中闘争、医療闘争と課題が広がりました。山田真先生が「獄原病」と命名された、拘留が原因の発病も問題になりました。もう一つの医療は街頭闘争での取り組み。デモコースを下見して、衝突しそうな地点を予測して医療拠点を作っておくのです。はだしの医者もどきの医療班が山田先生を中心に組織されました。それくらい、街頭デモでは怪我人が多く出たのです。良心的な医師のおられる病院があったおかげで、どれだけの学生が救われたことでしょう。幾針も縫わなければならない時は、外科のK先生がおられたH病院でした。命を守る闘いでした。

 小嵐 事務局長を退かれる七三年末までの五年間は、そうするとずっと事務所詰めですか。

 水戸 ええ、ほぼ毎日。無給で(笑)。高校の講師もやめました。子どもが小学生になっていましたが、深夜まで鍵っ子なので、見かねた京都の市民救援グループが関西の女子学生を紹介してくださってからは助かりました。でもセンターのおかげで家事の分担ができる子に育ちましたよ。その頃の私には、自分の子どもたちの将来と、逮捕される学生の姿がどうしても重なって見えるのです。自分の子どももやがて闘争に参加するに違いないと。本当にそうなりましたけど(笑)。

連合赤軍事件にも救援の信念をもって対応

 小嵐 ところで、連合赤軍事件は救援戦線にとっても大きな問題を投げかけました。

 水戸 京浜安保共闘が海から泳いで羽田空港にほんの少し入った(六九年九月)という微罪相当事件で、リーダーの坂口弘君に七年の求刑が出るという事件がありました。重罪攻撃の始まりではないかと、センターでは弁護士の協力を得て、全力で取り組んだのです。その甲斐あって保釈がついたまではよかったのですが、坂口君は、保釈後、地下に潜って七二年の連合赤軍事件、あさま山荘事件にかかわることになるのです。重罪攻撃が日常化してはならないと頑張ったのであって、別に坂口君のために頑張ったわけではないのですが、水戸は、保釈にならず獄中にいたらあんな連赤事件にはかかわらなくて済んだのに、と内心悔んだようです。救援が背負う宿命のようなもので、しようがないのですが。結果、彼は死刑判決でしたね。

 水戸は時間ができると東拘まで坂口君に面会に行き、頼まれた資料や本を探しては頻繁に届けていただけでなく、詳細な論述で死刑判決を下した中野判決の批判を書き上げています。その間のことを、坂口君が追悼文で細かく書いています。本当の意味で「革命家」としての総括をする手助けをしたいと、水戸は思っていたようです。

 とにかく、一〇・八の救援から始まり、行き着いた先は「死刑判決」だったのです。彼が「死刑廃止運動」をセンターの大きな柱にしたのも、連赤がきっかけでした。

 小嵐 そこは水戸さんは偉いよね。関連することですが、あさま山荘事件の時の〝人質釈放〟という水戸巖さんの行動について、もう少しお話しください。

 水戸 これは、やっぱり「彼らに人質を殺させてはいけない」「権力に彼らを殺させてはいけない」ということが一番大きかったと思います。「自分自身を殺すな。誰も殺すな」ということ。彼が説得のマイクを握ったのは、坂口君とセンターとのかかわりがあったからできたことです。

 この事件については、『救援』35号に水戸は要約すると次のように語っています。「事件の経過と情況をよく見、考えてみよう。……直後から狂気集団・凶悪犯人に仕立て上げ、政治行動としてしか認知しようがない事実を政治から完全に分離し、親族などの涙ながらの説得をマスコミで増幅、『凶悪』『非人間』という感情的罵倒をもって世論操作した。これは今後、警察は何をしてもいいのだという下地つくりをしているのだ。政府・警察のこのやり方は国民生活に無関係だろうか?……ますます警察国家体制のもとに国民生活を落とし込むために、『あさま山荘事件』を利用してくるに違いない。政府に対していささかでも批判を持ち、行動に示そうとする者はことごとく犯罪者に仕立てられる仕組みに…。日本の警察が真に国民の生活を優しく保護したことがあったであろうか。坂東君のお父さんは警察とマスコミに殺されたではないか(註 連合赤軍の坂東國男氏の父は自殺に追い込まれた)、凶悪なのは常に警察であったし、国家権力ではなかったのか」と。

 小嵐 水戸巖さんは、もう一歩、厳しく反省しているとも……。

 水戸 機関誌『救援』のコラム「海燕の便り」では「TVの銃撃戦には全く興味がなかった。▼自称シンパを含め彼らの散華を期待していた人が多かったようだ。死を賭して戦うということと、軽々しく命を捨てることは違う。革命的左翼は三島由紀夫などにアジられてしまってはならない。組織とか…なにものを持ってきても自己を偽ることのできなかった彼らこそ、一番命を大切にし、最後まで生きながらえねばならないのだ▼『赤旗』は16歳の少年の実名と連行時の写真をでかでかと掲載……林百郎共産党議員は国会で連赤の取り締まりが生ぬるいと警察を叱り続けた……▼ことばがむなしい。国会での…も、新左翼の大言壮語も聞き飽きた。ことばがむなしい。それだけに山荘の無言の対応は、この政治状況に鋭く突き刺さった。……しかし数千万の大衆が自らの進路を決定するとき、一人一人の魂を揺さぶる言葉が、真実の言葉が、いま必要なことに変わりはない」と書いています。今の状況にも通じませんか。

 小嵐 立て籠もる側になって考えると、闘争の道義性から言って、人質をとらない方が、権力と闘うには有利なんですから、僕もそこは気になったんです。ですから、水戸さんたちは非常に重要なところに目をつけていると思ったんです。でも、水戸さんたちは誰も死者を出さないという思いだったんですね。水戸巖さんの死刑廃絶の立場と運動は本物です。

 水戸 鋭く先を見通せる人だったと思います。

内ゲバが激しくなり、救援戦線は困難に直面

 小嵐 救援というのは、運動の生命線でして、とくに党派にとっても反弾圧の領域は非常に重要で、もしここで崩れていくと闘いの魂がなくなっていくんです。その中で、救援連絡センターが党派の利害に振り回されるのでなく、しっかりと前述の二原則に立ってやるのは大変なことだったと思います。

 水戸 本当に。

 小嵐 救援連絡センターをおやめになる前の段階でのご苦労、苦しみなどについて、語っていただけますか。

 水戸 連赤の内部粛清、党派間の殺し合いが激しくなってからは、まず党派色のない市民救援会から「救援をやめたい」という電話が入るようになりましたね。もちろん世話人内部でも様々な議論が起こり、やめる人はやめ、残った人たちで、一九七三年一月に全国救援連絡会議を開いて、再強化を訴えたのです。三年間でセンターが弁護士接見した数は一万四〇〇〇人。改めてその数に驚かされます。センターの財政は一年一〇〇〇円の協力会費だけで賄われているのですが、協力会員の拡大も確認しました。内ゲバを批判しておられた荒畑寒村さんをセンターの代表に迎え、戸村一作さんに運営委員になっていただくなど、尽くせるだけの手を尽くしても、内ゲバの影響を免れることはできませんでしたね。

 個人的には、そのころから何も名乗らない、正体不明の嫌がらせ電話、ハガキ、脅しが届くようになり、子どもを守らねば、という思いが強くなっていきました。脅迫状も物も怖くないけど、昼間の親のいない時間に電話で小学生の子どもを脅かす卑劣さにはこたえました。夫と話し合って、関西の弟の隣に住ま居を定め、関西行きを決めました。「部落解放運動をゼロから学ぶ気で来なさい」と師岡佑行先生(当時、『解放新聞』主筆)が呼んでくださいました。夫の身に万一のことがあっても子どもを育てねば、という思いが強かったので、この提案は嬉しかったです。息子は仲良しの野球仲間と離れることがどんなに辛かったか、後になって話してくれましたが、本当に子どもには頭が上がりませんね。水戸は毎週とはいきませんが、週末は無理をしても帰るようにしてくれていましたから、かえって濃密に充実した時間が親子で過ごせました。その後、一九八三年に三里塚反対同盟が「北原派」と「熱田派」に分裂してからは、会うたびに水戸の苦悩が深まっていくようでした(註 一九八三年三月、二期工事予定地敷地内をめぐる「一坪再共有運動」と「二期工事阻止」の路線が対立し、三里塚反対同盟が分裂)。

 小嵐 いわゆる〝内ゲバ〟、党派闘争が激しくなりますが、いかなる思いを?

 水戸 機関紙『救援』の紙面に対立党派をなじるような文章は載せられないという水戸と、自由に書かせろというセクトの論理が真正面からぶつかる。「事務局会議では延々と不毛な議論が続いて僕はつるし上げられるんだよ」と彼は閉口していました。言葉以上に苦悩が見てとれました。それまでの救援連絡センター事務局員としての献身はなんだったのでしょう。組織温存のスイッチが入ると組織人は理性を失うのでしょうか。当時の残されたメモを見ると、悲しみだけが心に沈んでいきます。

 ここに一つの「共同声明」があります。一九八四年一〇月五日付、署名者は鎌田慧さん、女川の阿部宗悦さん、高木仁三郎さんら六〇〇人を超えます。「七月未明、……片足を大腿骨から切断せざるを……自派と見解を共にしないもの、采配に従わぬ運動に対する一つの党派勢力による一方的な襲撃、暴行……七〇年代に激しく行われたいわゆる〈内ゲバ事件〉とそれを巡る……不毛な抗争はそれまで反戦・反抑圧の運動に共感を持ってきた幅広い支持層を一挙に崩壊させるという結果をうんだ。……」。この声明文にクリップで止めた水戸のペン書きがありました。「七月初めにまた二つのテロが行われたことを知った時はもう最後だと思いました。もはや、三里塚反対同盟のどちらを……などということではないと思います。ともに権力に対して戦っている人民に対して意見の違い=たとえそれがどんなに重要なものであったとしても=を理由にテロルを加え、それによって、他の人びとを支配しようとする思想を認めるか否かという問題です。私はこのような輩を『革命党派』などと認めることはできないし、この人々と共に『反弾圧』を語ってきたかと思うとゾーッとします。その事態を制止できないようであるならば、私は自分の『救援』に何ほどか賭けてきた過去をすべて汚辱にまみれたものとして否定してしまいたいと考えています。このような気持ちを込めて、同封の共同声明の呼びかけ人になりました。よろしくご検討くださいますよう心からお願いいたします」水戸巖。

 ここに至るまでの、あらゆる手を尽くしての調整努力を知る私としては、この重い声明がもたらした効果をぜひ知りたい。激動の時代を真面目に生きようとして、その未熟さゆえに、命を落とし、職を失い、健康を害した多くの人たち。猛烈に腹立たしい半面、やはり彼らの傍らに立ちつくしたい思いも消せないのです。今、高まりつつある反原発の闘いの中で、しっかりとこの「声明」への彼らの答えを見届けたいです。

 救援連絡センターも、市民の力を借りてプラスとマイナスの評価をしっかりやり直す勇気を持ってほしいです。これからの闘いに備えて。

夫は反原発の先駆的な旗手だった

 小嵐 水戸巖さんがとても先見の明があったことがお話の中で出ました。水戸巖さんは、物理学のアプローチから反原発に入られたのですか。

 水戸 彼は、東大核研の頃は、宇宙線グループでした。宇宙から降ってくる素粒子を写真乾板にとって解析して、未解明な素粒子理論を導くというのがテーマです。山好きだから院生時代から苦も無く富士山や乗鞍に登って、グループに役立っていたのでしょう。甲南大の頃は山ではなくてバルーンに乾板を乗せる方法でした。最後の最後まで「素粒子論」の未知の領域に、心を奪われていましたね。活動が忙しい時も、時間を惜しんで夜中に机に向かっていました。物理に対する姿勢もそうでしたが、原発についても、大事なことは「問題は知識ではなく論理なのだ」と。事柄の本質をとらえなければならない、という点で、物理学も原発も彼は同じスタンスです。手元にあるのはコピーですが、「原子力発電所==この巨大なる潜在的危険性」という題名で、多分『情況』に載ったものだと思います。今、雑誌や講演会で話した内容を資料集にする準備をしていますが、なかなか進みません。

 小嵐 「ソ連の水爆の父」と言われたサハロフが、後に核実験禁止を提言したり人権と民主化を訴えると、ソ連政府から厳しい弾圧を受けるにいたりましたが、それにきちんと対応できたのは水戸巖さんしかいませんでした。その後、一九八六年にチェルノブイリ原発事故が起こるわけですから、水戸さんの反原発はほんとうに先駆的でしたね。

 水戸 一九六四年に中国が核実験をした時に、「中国のやる核実験はきれいだ」という擁護論が出た時、二人で大笑いしたことを思い出しますね。当時、折々ハガキガリ版刷りの「水戸通信」を友人に送っていて「中国核実験反対」と書き送っていましたね。

 小嵐 水戸巖さんの反原発論の核心は何でしょうか。

 水戸 先ほどの続きですが、少し長いけど引用させて下さい。「七五年一一月現在一一基中九基が『故障のため停止中』。その故障たるや重大事故につながるものばかり。事故を含めて原発の危険性は、単に地元住民だけの問題であろうか、いやこのような言い方はすでに間違っている。……地元住民とは誰なのか。……例え事故がないとしても、原発の運転が行われる限り排出されていく再処理工場からの大量の放射性クリプトンやトリチウムは地球規模で大気や水を汚染し続けていく。再処理工場の高レベル放射性廃棄物は、数十世紀にわたって人類を脅かし続けることになるだろう。これらの問題は地球上に現在住むすべての……だけでなく数十世紀にわたる我々の子孫の問題でもあるのだ。しかし、『そのような問題は一部の専門家に任せておけばよいのではないか。大体原子核だの、面倒くさいし、主体的に判断できるとも思えない』という人がいるかもしれない。このような考えは間違っている。原発の危険性を理解するのに必要なものは知識ではない。必要なのは論理である。論理を持たない余計な知識は正しい理解を妨げることさえある。一例をあげよう。原子炉の中には広島原爆一千発分の死の灰が内蔵されている。その潜在的危険性を第一に据えるというのは論理の問題である。これを曖昧にしたまま、原子炉には、この死の灰を外に出さないための三重四重の防護壁があり安全装置があり、それは×××と△△△と並べたところで、広島原爆一千発分の潜在的危険性が消えてなくなるわけではない。取り返しのつかない巨大な潜在的危険性に対しては明確な論理を持たなければならない。それは判断の基準を最悪の事故が起きた時の結果に置くということなのである。交通事故と一緒にしてはいけない。この論理を抜きにした余計な知識は健全な判断を曇らせるだけである」(前掲論文)と

 小嵐 まるで福島原発事故の原因と結果を先取りしています。
 水戸 この彼の考え方は、「死刑廃止」=「死刑は最悪の場合、必ずえん罪を伴う」にも、「国家権力の治安立法に抗する闘い」=「最悪、人権侵害に繋がるかもしれないものとは闘う」という姿勢にも一貫しています。いずれも「最悪の場合」にこそ本質が凝縮されています。

 小嵐 なるほど。やや唐突となりますが、一九八六年の暮、水戸巖氏と、双子の御子息(京大大学院生・共生(ともお)氏、阪大生・徹(てつ)氏)を失います。北アルプスの剣岳でした。聞きにくいのですが、その時の感情、思い、次の生へと行く時間のかかり方、生き方を語ってください。

 水戸 警察で包帯でぐるぐる巻きの遺体に対面した時も涙は出ませんでした。こんなことがあるはずはないと死を受け入れられなかった。息子たちにも会いましたから、全部で三回対面していますが、絶対に受け入れられませんでした。雪解けを待って山に入って一〇カ月の捜索でしたが、捜索隊を送り出し、迎え、三人の遺体を奇跡的に見つけてもらって、捜索隊にも大きな事故もなく――といっても一人は膝を大けがされましたが――、無事に終わった時には、大きな儀式が終わったという安堵だけがありました。さあこれで責任を果たしたのだから死ぬことが許されると、当然のように、死ぬことしか考えられませんでしたね。あてどなく外国をさまよってバックパッカーをやっていました。死に場所を探すのですが、いい方法が思いつかずに、ひたすら飛行機事故を願いました。心が荒みきっていました。

 立ち直るきっかけは、中国の貧しい山の中で子どもと交わったことと、一人でピースボートに乗ったことでしょうか。ピースボートで「非核ネットワーク通信」と出会い、山口県上関町の祝島や韓国、台湾の反原発運動に出会うことができました。親が私の助けを必要としていたことも幸いでした。でも一番の幸運は、不安で半歩が踏み出せない私を、「できるよ」と励まし続けて下さる友人がいたことです。六〇歳を過ぎて中国語を学び始めて、六九歳で中国の大学で日本語を教え始め、想像もしなかった充実した三年間を授かって、生きる自信がつきました。そこへ三・一一です。今は「日本の原発止めたよ」を冥土の土産にすることしか考えていません(笑)。

 小嵐 息子さんお二人は物理学を専攻していたんですね。

 水戸 大学受験するときは、兄弟だけで相談して決めたことなので、まさか二人とも物理を選んだことを知った時はびっくりでした。阪大に入った双子の弟は、新聞会活動で久米三四郎さん(阪大。関西で草分けの反原発学者)や浅野健一さんの講演会を開いていたようです。

 双子の兄は 大学院で京大防災研に進み、地震予知計測部門を専攻していました。「裁判でしっかり証言できる地震学者が少ない」という父親の愚痴を聞いて、その気になったようです。あの三人の結束の強さは、子守された頃の記憶かもしれません。赤ん坊のころにヘルニアの手術をしたことがありますが、看護婦さんに連れて行かれる時「パパ~」って大泣きして、「ふつうママっていわない?」と若い看護婦さんが首を傾げていました。

 雪解けを待って初めて捜索に入った時、テントはしっかり残っていて、その中に三人三様に書き込みした「リー・ヤン」のプリント(註 一九五七年にノーベル物理学賞を受賞したリーとヤンの研究論文)を三冊見つけた時は、胸が締め付けられました。「三人登山」だけでも夫は幸せすぎると思っていましたから、同じ論文が読めるところまで育った息子を 嬉しく思わぬはずがありません。こんな仲良しなのだから、三人一緒でよかったと、今では思っています。女はこうしてしぶとく生きていけるのですから(笑)。

 小嵐 水戸巖氏への心を。

 水戸 私の中ではいつまでも五三歳のままだけど、もう八〇歳なんですね。三・一一の福島原発事故の直後は「どうしても巖を返して!」と必死に神に祈りましたが、今では、京大グループや東京のかつてのお仲間の皆さんが靴底をすり減らすようにして頑張っておられるのをみて安らかです。来週は、水戸と車を走らせ日本中の原発所在地の放射能漏れを調べ続けた京大の河野益近さん(原子核工学専攻)が、地元の学習会に来てくれます。水戸が直接存じ上げなかった方たち、福島の子ども集団疎開で捨て身の頑張りをなさっている柳原敏夫弁護士、井戸謙一弁護士たちも、「水戸です」と応援に行くと喜んでくださいます。彼はまだ生き続けていると実感できるのはありがたく、とてもうれしいことです。

 彼は逃げ出したくなる時の、私の防波堤ですね。「負けるな!」と言ってくれます。一人孤立しても逃げ出さない人でしたから。

 小嵐 若者に託す言葉を、どうかお願いします。

 水戸 絶望しそうになっても絶対死ぬな、と伝えたい。今生きていて、闘えて、本当に良かったと思えますから。もう一つあります。六〇年代、七〇年代から学ぶこと。そうすれば権力に追いつめられるのではなく、権力を追いつめ原発ゼロを実現する展望がはっきりと見えてきますよ。

 小嵐 なるほど。救援連絡センター時代の信念を今の若者にも伝えるということですね。ずかずかとつらいことへの質問もしましたことについておわびします。ありがとうございました。                              (おわり)
(インタビュー日は二〇一二年一〇月二二日)

水戸喜世子(みと・きよこ)氏=1935年、柴田釼造・かぎの長女として名古屋市に生まれる。54年お茶の水女子大学入学、翌年同大自治会執行委員長。60年東京理科大学物理学科卒業。同年水戸巖氏と結婚。61年京都大学基礎物理学研究所の文部教官助手(組織助手)に。67年に巖氏とともに10・8羽田救援会を立ち上げる。69年3月救援連絡センター結成、事務局長に。74年3月部落解放同盟大阪府連浪速支部の部落子ども会指導員に(78年まで)。86年12月の厳寒期、夫巖氏と双子の子息が剣岳で遭難、遺体捜索に入る。翌年10月捜索終了。うつ病の時期が長く続く。「非核ネットワーク通信」を通じて市民運動と出会い徐々に回復。2008年1月から2011年12月まで中国江蘇省建東学院の外籍日本語教授。

小嵐九八郎(こあらし・くはちろう)氏=1944年生まれ。作家・歌人。早稲田大学学生時代に学生運動に身を投ずる。94年『刑務所ものがたり』で吉川英治文学新人賞受賞。近著に『天のお父っと なぜに見捨てる』(河出書房新社)。他に『日本名僧奇僧列伝』(河出書房新社)、『悪武蔵』(講談社)、『蜂起には至らず――新左翼死人列伝』(講談社)、『歌集 叙事がりらや小唄』(短歌研究所)、『水漬く魂 五部作』(河出書房新社)、『真幸くあらば』(講談社)など多数。

水戸巖氏略歴
 1933年3月、神奈川県横浜市鶴見に生まれる。戦時中、福島に疎開。当地の中学校を卒業して宇都宮高校に入学。東京大学理学部に進学。理学部自治会委員長。60年東大大学院修了後、柴田喜世子氏と結婚。甲南大学教員となる。同大学では労働組合をつくり、社会主義科学者集団を組織し、また安保闘争に参加。67年東大原子核研究所助教授となる。専門は原子核物理学。この年、10・8救援会を立ち上げ、69年に救援連絡センターを創立、妻喜世子氏が事務局長。71年頃から反原発運動にかかわり、日本の反原発を理論面、運動面で主導する役割を担う。特に茨城県水戸との関係は深く、東海第二原発設置阻止の市民運動が起こり、ついでそれが裁判にもち込まれると、「訴状」の作成段階から裁判の全過程を科学者としての知識と良心で力強く支えた。75年、芝浦工業大学電機工学科教授となり屋上に日本有数のγ線スペクトル分析機を設置して放射線の精密な監視を始める。死刑制度廃絶運動、狭山差別裁判の弁護側鑑定作成、警官のガス銃水平打ちによる東山薫君殺害を物理学的に立証するなど、多方面で活躍。長女晶子さん、双子の長男共生さん、次男徹さん。双子の子息と親子三人で厳冬の剣岳北方稜線に挑戦、86年12月30日消息をたった。
これまで私は本メーリングリストなどを通じて3回に渡り「憲法の改悪に反対する元教職員ひょうごネットワーク」共同代表の佐藤三郎さんらが呼びかけている「4・14神戸公開討論集会」の案内を紹介させていただき、5回に渡って「革新護憲共同」と「革新共同候補」の問題について考える弊論を発信してきましたが、この4月20日には京都でも私たち「とめよう壊憲!護憲結集!」討論集会実行委委員会が提起している問題提起ととほぼ同様の問題提起を掲げた「革新は生き残れるか―新しい変革の主体を考える」と題したシンポジウムが開催される運びとなったということです。下記のとおりパネリストも多彩で、革新統一問題に関して新たな視点、観点から展開される議論が期待できそうです。こうした取り組みが全国各地でさらに拡大していくことが革新統一の展望を一歩々々切り開いていくことにつながっていくのだ、と私は期待します。

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4・20シンポジウム
革新は生き残れるか―新しい変革の主体を考える

私たちは、今こそ革新勢力が敗北した原因を正確に分析し、これまでの運動のあり方を見直すことが必要だと考えています。そのためにも国民の期待に応える新しい政策、組織運営、協力関係をつくりだすことが必要です。

今回のシンポジウムは、このような問題意識を共有するパネリストのお話を聞き、参加者のみなさんと一緒に今後の新しい運動のあり方や幅広い人たちとの共同について、立場にとらわれず自由に意見交換する場です。そこで民主的な組織のあり方や新しい運動をつくりだすきっかけを見つけ出すことができればと考えています。

平和な日本を願う、多くのみなさんのご参加をお願いします。

日時: 4月20日(土) 午後1:30 - 4:30

場所: 京都アスニー (京都市生涯学習総合センター)
京都市中京区丸太町通七本松西入ル 電話075-812-7222
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/asny1/about/institution/honkan/honkan_map.html

コーディネーター: 碓井敏正 (京都橘大学名誉教授)

パネリスト: 広原盛明 (元京都府立大学学長)
                大西 広(慶應義塾大学教授)
                藤永のぶよ (おおさか市民ネットワーク代表)

呼びかけ: シンポジウム「革新は生き残れるかー新しい変革主体を考える」実行委員会

連絡先: 碓井敏正 (usui592szk@gmail.com)

チラシ(PDF)のダウンロード: http://rebornnet.org/dl/420_kyoto_ver2.pdf
リポンネットホームページ: http://rebornnet.org/

追記:

先に私は阿部治平さん(中国・元日本語教師)の「護憲・反原発勢力は選挙協力を――共産党に残された道」という論を本ブログに転載し、ご紹介させていただきましたが、あるメーリングリストを通してその論について「阿部治平さんのおっしゃる通りですが、そうはいきそうもないところがどうしたらいいもんか、、、と思います」というコメントをいただきました。

以下は、そのコメントへの私のリプライです。参考として追記しておきます。

阿部治平さんは先に私の紹介した論攷で「共同候補」の問題について「共産党は、互いに嫌い反発している他の護憲・反原発諸派に、『いきがかりを捨てて連合しよう』と呼びかけるべきだ」と提言されていますね。

「そうはいきそうもない」とは共産党は今夏の参院選の「共同候補」問題について「『いきがかりを捨てて連合しよう』と呼びかけることなどしないだろう」ということですね。

私もそう思います。共産党は結局「憲法の改悪に反対する元教職員ひょうごネットワーク」共同代表の佐藤三郎さんらが呼びかけている「4・14神戸討論集会」にも参加しないでしょうね(注)。

注:ちなみに、同公開討論集会には社民党からは服部良一さん(前衆議院議員)、新社会党からは松枝佳宏さん(委員長)、緑の党日本からは長谷川羽衣子さん(共同代表)が出席予定です。

しかし、だからといって、私たちは「革新護憲共同」の実現を断念するわけにはいかないのですね。「革新」と呼んでいい政党は現実問題として共産党、社民党、新社会党、緑の党のほかは見当たらず(民主党は言うに及ばず生活や緑の風などはその来歴やたったいまの右左に右往左往する芯のない政治行動、また「集団的自衛権」に賛成するなどの政策を見ても、とても「革新」と評価することはできません)、そうであれば粘り強く共産党を「革新護憲共同」の戦線に回帰するよう説得を続ける以外その他の方法はありえません。共産党を除外した「革新護憲共同」の模索など論外です。なんといっても「いま護憲派政党のなかで組織的行動力を持っているのは共産党だけ」(阿部治平さん)ですし、その共産党を除外した「革新護憲共同」など絵に描いた餅でしかありえないからです。

「4・14神戸討論集会」は共産党不参加のまま見切り発車せざるをえないでしょうが、そこでも討論されるべき中心課題は共産党をいかにすれば「革新護憲共同」の戦線に回帰させることができるか、ということになると思います。何度も同じことを言うことになりますが共産党を除外した「革新護憲共同」など考えられないからです。共産党には粘り強く共同、共闘を求めていく以外ありません。「4・14神戸討論集会」はそのための知恵を出し合える場であってほしいものです。

夜明け前の常念岳 
再び夜明け前の常念岳(長野県・乗鞍岳)

私は先に「『護憲=革新共同候補』擁立問題と『護憲第3極=反ファッシズム統一戦線』形成の課題~長野の共同候補擁立運動の挫折の経験から改めて考える」 (弊ブログ 2013.03.31付)という記事を書いて、共産党が「共同候補擁立」に関して現在採用している「参議院選挙での選挙共闘は国政の基本問題での一致が不可欠であり、現状では国政選挙で日本共産党と共同する条件と意思がある政党はなく、沖縄以外の(地で)共同候補の現実的な可能性は存在しない」という認識について私の異見を述べ、同党に真摯な再考を求めてみたのですが、むろん無名の一介の市民、一個の有象無象のブロガーにすぎない私ごときの意見(むろん左記は謙遜の表現です。人の意見には内容的に見るものがあるかどうかの差はあっても、すべて人は個として尊重されるのであって、そういう意味で人に上下の差などあるはずもありませんし、あってもいけません)が同党本部に届いているはずもありません。

が、私とほぼ同様の共産党に対する異見を『チベット高原の片隅で』(連合出版 2012年)、『もうひとつのチベット現代史』(明石書店 2006年)などの著者で中国の政治と農業に詳しい阿部治平さん(中国・元日本語教師)が「リベラル21」ブログに発表されています。阿部さんの「リベラル21」での論攷を以下再録させていただくことで改めて同党に「共同候補擁立」と広原盛明さん(元京都府立大学学長)の提起する公開討論集会への参加について再考をうながす契機になれば、というのが私の意とするところです。

護憲・反原発勢力は選挙協力を―共産党に残された道―
八ヶ岳山麓から(64)

(リベラル21 阿部治平 2013.04.07)

盛夏 八ヶ岳主峰の赤岳  
盛夏 八ヶ岳主峰の赤岳

3月27日「しんぶん赤旗」によると、共産党長野県委員会は「参院選で共同候補を擁立する長野県民の会」準備会の共同候補を立ててほしいという要請に、「長野選挙区は党独自候補で」と回答したという。がっかりした。

本ブログには、先の衆議院議員選挙とその後の政治情勢について、広原盛明氏の優れた論考(「2013.03.02 ……革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ」)があり、それに共鳴するコメントも多く寄せられている。これ以上私ごときが、付加えることはないかもしれないが、この際どうしてもひとこといいたい。

共産党は老人党

いま護憲派政党のなかで組織的行動力を持っているのは共産党だけだ。ところが、その機関誌「前衛」4月号巻頭談話で山下芳生参議院議員は、「(衆院選で)議席を後退させた最大の原因が党の自力の問題にあること、とりわけ『国民に溶け込み結びつく力』が今の情勢が求めているものに比べて小さいし、弱まっている面もある……」と党の行動力が弱体化していることを語っている。共産党が珍しくも自ら認めた「弱まっている面」とは何か。

「前衛」2・3・4月号3冊の「読者の声」欄にあった。投稿者は3冊あわせて28人。年齢別にみると、20代30代がそれぞれ1人、40代3人、50代2人、60代9人、70代9人、80代3人である。「前衛」に投稿するくらいの人は活動家か熱心なシンパだから、「弱まっている面」とは、活動家が60,70歳の高齢者になってしまったことだとわかる。

これを村の古参党員の友人にいうと、「オレのところも年寄りが多いが……」と暗い顔をした。

山口議員は「政治の表層では逆流が激しいが、深部で古い政治の矛盾が蓄積(している)」と中央委員会決議をくりかえし、「異常なゆきづまりを見せる財界中心の政治、アメリカのいいなりになる政治」を批判し、「賃上げと安定した雇用」「内部留保を賃上げへ」など従来通りの政策を語る。

そしてに「国民に溶け込み結びつく力」を強調して、党員の「がんばり」を求め、ひたすら得票を拡大しようと呼びかける。だが党内の「弱まっている面」をどうするのか。その対策なしには得票拡大は現実無視の空論である。こうした精神主義はたいてい間違うものである。

村人の声

我村で長年農協勤めだった人は「この村で、なにがなんでも憲法第九条を変えようという人はわずかだ。だが自民党に投票する人を護憲派に切替させるのは難しい。共産党が共産党を名乗り社会主義を目指すといっている限り、これ以上得票を増やそうとするのはもっと難しい」といった。これには共産党氏は反発して「共産党という党名を捨て、社会主義という目標をいわなくなったら共産党じゃなくなる」といった。

彼は40数年間、村議会を翼賛議会から討論の場に変え、老人医療無料化に取組み、世話役活動をしてきた人物である。その努力のためか、私の故郷では村議11人中2人が共産党である。

だが元農協氏はいう。「TPP問題では共産党はいいことをいったのに、選挙のときは自民党もTPP反対だったから、自民党に票を浚われた。共産党も社会主義も手あかがついている。いっそのこと、社会主義を日本型福祉社会に変えて、党の名前も日本福祉党とかにしたらどうか」

村ではたしかに社会主義とか共産党ということばからうける印象は暗い。そのイメージはどうやっても過去のソ連・東欧・中国の社会主義と絶縁できない。にもかかわらず共産党は「中国やベトナム、キューバは社会主義へ向かう国だ」といっている。だが、そういう社会主義は村人にとってまったく魅力がない。

ふたたび護憲・反原発選挙協力を

共産党は、参院選に臨む政治路線や活動方針は衆院選のままで、活動家の老齢化対策もない。このままでは火縄銃でマシンガンに向かうようなもので、我村だけではなく、日本全国でも敗北は必至だ。政治情勢によっては、共産党の敗北がすぐには護憲勢力の決定的衰退とはならないかもしれないが、そうなる危険はある。

最近の共同通信の世論調査によれば、憲法改正の発議要件の緩和について、自民・日本維新・公明党の支持者は半数以上が賛成である。沖縄普天間飛行場の移設先を(県外ではなく)名護市辺野古へ持って行くことに55.5%の人が「評価する」「ある程度評価する」と答えている(2013・3・23と24、回答者1015人)。知りあいの新聞記者によれば、護憲派衆議院議員は(数え方にもよるだろうが)40数名にすぎないという。

冒頭紹介したような「政治の表層では逆流が激しいが、深部で古い政治の矛盾が蓄積(している)」などとノーテンキなことをいっている場合ではない。ニューヨーク・タイムズだって安倍内閣を「日本の歴史を否定する右翼ナショナリスト」の登場といっている。共産党も護憲諸派も崖っぷちに立っている。

先の都知事選挙は、宇都宮健児氏すなわち護憲・反原発連合の惨敗だったが、生かすべき教訓はある。市民団体を含めた護憲・反原発諸派の連合すなわち選挙協力である。

冒頭挙げた本ブログ「広原盛明氏の論説」にコメントを寄せた田島隆氏は、「一番肝心な点は、政党が『党の成長・発展目標』よりも『護憲勢力の再構築』を上位に位置づけることができるかどうかという点でしょう。そのためには強力な市民の力がないと不可能だと思います」といい、さらに、本来ならば統一戦線の呼びかけは共産党が行うべきだが今の状態ではとても見通しがない、という。同党長野県委員会の態度を見ればたしかにそうだ。

もう間に合わないかもしれないが、私はあえて共産党中央にいいたい。共産党は、互いに嫌い反発している他の護憲・反原発諸派に、「いきがかりを捨てて連合しよう」と呼びかけるべきだ。長野県の過去の参院選をみれば、護憲・反原発の統一候補を立てれば、当選ライン30万の得票は可能である。このままではいかにも惜しい。

中国の国共合作・抗日民族統一戦線は国民党と中国共産党の殺しあいのなかで生まれた。それは追い詰められた中共を救い、中国の抗日戦勝利を導いた。共産党は歴史の教訓を学び、都知事選の経験を生かすべきである。選挙協力は護憲・反原発勢力を立ち直らせる。またそれは共産党を敗北から救う残された道である。

私は先に(2013年2月10日付)「『東京のアンチ朝鮮人デモで『朝鮮人を殺せ』と書かれたプラカードが出現した』ということへの驚愕と戦慄」という記事を書いて、人を人とも思わないそのあまりの傍若無人さに仰け反りそうにもなる私の「驚愕と戦慄」をお伝えしたことがあります。そのときに添付した2枚の証拠写真が以下でした。

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しかし、そのときの私の「驚愕と戦慄」はまだまだ甘っちょろいものでした。事態はさらにエスカレートしています。今度は大阪最大のコリアタウン鶴橋で女子中学生が「鶴橋に住んでいる在日クソチョンコのみなさんがいつまでも調子に乗っとったら‘南京大虐殺’ではなくて‘鶴橋大虐殺’を実行しますよ!日本人の怒りが爆発したらそれぐらいしますよ!」と大量殺人予告をしている動画がYou Tube で流されています。



鶴橋に住んでいる在日クソチョンコのみなさん
ほんま、みなさんが憎くて、憎くてたまらないです!
もう、殺してあげたい!
いつまでも調子に乗っとったら‘南京大虐殺’ではなくて
‘鶴橋大虐殺’を実行しますよ!
日本人の怒りが爆発したらそれぐらいしますよ!
大虐殺を実行しますよ!
実行する前に自国に戻ってください!
ここは日本です。朝鮮半島ではありません!いいかげん帰れ!

上記はもはや「表現の自由」などというレベルのものではありえません。完全な脅迫、殺人予告です。わが国にはいまだ「憎悪犯罪」を取り締まる「ヘイトクライム法」は存在しませんが、現行法の刑法にも違反することは明白です。すなわち、上記の行為は、白昼堂々と不特定多数の公衆の面前(街頭)で大量殺人の予告をしているのですから刑法の騒乱罪(刑法106条)に該当します。また、在日朝鮮人の人々や在日韓国人の人々に向けられた発言は刑法の脅迫罪(刑法222条)、侮辱罪(231条)を構成します(下記の弁護士有志による「人権救済申立書」の赤字ボーダー及び直下の注参照)。

注:その際、被害者を具体的に特定するなどの公訴要件を満たすための作業が必要になってくることは言うまでもありません。

騒乱
第百六条 多衆で集合して暴行又は脅迫をした者は、騒乱の罪とし、次の区別に従って処断する。
一 首謀者は、一年以上十年以下の懲役又は禁錮に処する。
二 他人を指揮し、又は他人に率先して勢いを助けた者は、六月以上七年以下の懲役又は禁錮に処する。
三 付和随行した者は、十万円以下の罰金に処する。

脅迫
第二百二十二条  生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。
2  親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、前項と同様とする。

侮辱
第二百三十一条  事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。

また、何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができます。またさらに「官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない」と法律で義務づけられているわけですから、彼ら(警察職員)を職務義務違反として刑事告発することもできます(刑事訴訟法)。

告発
第二百三十九条 何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる。
2 官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。

上記のような行為を行う者はただちに刑事告発しましょう。下記の弁護士たちも支援してくれるものと思います。


外国人排撃デモに関する弁護士有志の声明

1 本日私たちは、本年2月9日以来4回にわたって東京都新宿区新大久保地域で行われてきた外国人排撃デモの実態に鑑みて、今後周辺地域に居住、勤務、営業する外国人の生命身体、財産、営業等の重大な法益侵害に発展する現実的危険性を憂慮し、警察当局に適切な行政警察活動を行うよう申し入れた。

2 外国人排撃のための「ヘイトスピーチ」といえども、公権力がこれに介入することに道を開いてはならないとの表現の自由擁護の立場からする立論があることは私たちも承知している。しかしながら、現実に行われている言動は、これに拱手傍観を許さない段階に達していると判断せざるを得ない。
このまま事態を放置すれば、現実に外国人の生命身体への攻撃に至るであろうことは、1980年代以降のヨーロッパの歴史に照らして明らかなところである。

3 また、ユダヤ人への憎悪と攻撃によって過剰なナショナリズムを扇動し、そのことにより民主主義の壊滅を招いたヒトラーとナチズムの経験からの重要な教訓を、この日本の現在の全体状況の中でも改めて想起すべきと考える。

4 以上のことから、私たちは当面の危害の防止のため緊急に行動に立ち上がるとともに、マスメディアや、人権や自由と民主主義の行く末を憂慮する全ての人々に関心を寄せていただくよう呼びかける。

5 また、上記の集団行進や周辺への宣伝活動において一般刑罰法規に明白に違反する犯罪行為を現認確認したときは、当該実行行為者を特定したうえ、当該行為者と背後にある者に対して、その責任追及のためのあらゆる法的手段に及ぶことを言明する

2013年3月29日

弁護士 宇都宮 健 児
弁護士 澤 藤 統一郎
弁護士 梓 澤  和 幸
弁護士 中 山  武 敏
弁護士 海 渡  雄 一
弁護士 中 川  重 德
弁護士 渡 邉  彰 悟
弁護士 杉 浦  ひとみ
弁護士 殷    勇 基
弁護士 神 原    元
弁護士 田 場  暁 生
弁護士 中 川    亮

東京都公安委員会及び警視庁警視総監に対する弁護士有志の申入書

2013年3月29日

東京都公安委員会 御中
警視庁警視総監 殿

弁護士 宇都宮 健 児
弁護士 澤 藤 統一郎
弁護士 梓 澤  和 幸
弁護士 中 山  武 敏
弁護士 海 渡  雄 一
弁護士 中 川  重 德
弁護士 渡 邉  彰 悟
弁護士 杉 浦  ひとみ
弁護士 殷    勇 基
弁護士 神 原    元
弁護士 田 場  暁 生
弁護士 中 川    亮
                                        連絡先
東京都千代田区神田須田町1-3 NAビル4階
東京千代田法律事務所
弁護士 梓 澤 和 幸 
電 話03-3255-8877
FAX03―3255-8877

申入れの趣旨

東京都新宿区新大久保地域で行われる外国人排撃デモにおいて新大久保地域に居住営業する韓国人、朝鮮人、中国人ほか在日外国人への生命身体への害悪の告知、住居侵入、威力業務妨害等関係者の生命身体、財産、営業に対する著しく重大な法益侵害につき、明白にして現在の著しい危険がある行為についてはこれが関係者の重大法益を侵害しないよう関係法規に基づき、適切な行政警察活動を行われたい。

申入れの理由

1 2013年2月9日、10日、17日、3月17日に行われた在日特権を許さない市民の会(以下「在特会」という。)による集団行進においては、「殺せ殺せ朝鮮人」、「韓国=敵、よって殺せ」、「朝鮮燃やせ、我々はソウルの街を火の海にするぞ」等の参加者のシュプレヒコールが発出され、プラカードが携行・掲出された。また、参加者の中には沿道の在日外国人経営の飲食店に入り、「韓国人は出て行け」などの行為をするものもあった。

2 これらの行為により、付近の在日外国人は生命身体の危険を感じ、恐怖感を抱いた人たちも少なくない。

3 さらには異常な外国人排撃の表現や脅迫文言ととられる言動があったため、付近の在日外国人経営の飲食店、土産物店などの売上は著しく減少している。

4 従前のデモについては一部に脅迫、威力業務妨害などの行為やその実行行為直前の行為が見られたにもかかわらず、現場に臨場していた警察官たちにおいて適切な警告、制止が行われたとは言いがたい。

5 ヨーロッパのドイツ、フランスなどにおいては外国人排撃運動に対し、社会のしかるべき対応が行われなかったことから外国人の生命が奪われ、また放火等重大な犯罪に発展したことも銘記されるべきである。事態が深刻な発展を遂げているのに警察の対応も充分とは言えず、また社会の批判的言論の発展も充分とはいえない。
以上の事態を憂慮し、私たちは法律家としてここに前記の趣旨の申し入れを行い、また本日これを発表して大方の関心を呼びかける次第である。
以上

東京弁護士会に対する弁護士有志の人権救済申立書

2013年3月29日

東京弁護士会 会長 殿

申立人 弁護士 宇都宮 健児
申立人 弁護士 澤藤 統一郎
申立人 弁護士 梓澤  和幸
他9名

申立人らの表示 別紙申立人目録記載のとおり

〒100-8929
東京都千代田区霞が関2丁目1-1
相手方  警視庁 警視総監             

申立の趣旨
      

  相手方は、東京都新宿区新大久保地域で行われる外国人排撃デモにおいて新大久保地域に居住営業する韓国人、朝鮮人、中国人ほか在日外国人への生命身体への害悪の告知、住居侵入、威力業務妨害等関係者の生命身体、財産、営業に対する著しく重大な法益侵害につき、明白にして現在の著しい危険がある行為についてはこれが関係者の重大法益を侵害しないよう関係法規に基づき、適切な行政警察活動を行われたい。


申立の理由
       

第1 申立の概要

   本申立は、2013年2月9日、10日、17日、3月17日に行われた在日特権を許さない市民の会(以下「在特会」という。)による集団行進において、「殺せ殺せ朝鮮人」、「韓国=敵、よって殺せ」、「朝鮮燃やせ、我々はソウルの街を火の海にするぞ」等の参加者のシュプレヒコールが発出され、同趣旨のプラカードが携行・掲出されたこと、また、沿道の歩行者や店舗の店員に罵声が浴びせられ、危険な状態が生じたことについて憂慮し、適切な行政警察活動を求めるものである。

第2 申立に至る経緯

1 「在日特権を許さない市民の会」及び「行動する保守運動」の性格

(1) 在特会とは、“在日特権”を許さないことを目的とする等と称して、2007年1月20日頃、桜井誠(本名:高田誠)を会長として設立された。

(2) 同会のホームページ(甲1)によれば、“在日特権”とは、「何より特別永住資格」であり、「1991年に施行された入管特例法を根拠に、旧日本国民であった韓国人や朝鮮人などを対象に与えられた特権」だとのことであるから、要するに、同会は、本邦に居住する韓国籍や朝鮮籍の人々や、朝鮮半島にルーツのある日本人(以下、「在日コリアン」という。)を非難攻撃することを主たる目的とした団体だということになる。
  同団体は、上記目的のために各地で街頭宣伝活動やデモを行ってきたが、その際、「朝鮮人を殺せ」「ゴキブリ」「叩き出せ」「朝鮮人はウンコ食っとけ」などの汚いヘイトスピーチ(暴力と差別を煽る表現を伴う言論)を使用し続けている。

(3) 同会は、2009年12月4日には、京都府南区にある京都朝鮮第一初等学校校門前において、拡声器によって「朝鮮学校、こんなものは学校でない」等の罵声を約1時間に渡って同校に向かって浴びせるという事件を起こした。
  また、同会は、2010年4月14日には、徳島県教組事務所に乱入し、「朝鮮人の犬」「こら非国民」等とトラメガを使って叫ぶ事件(徳島事件)を引き起こしている。
  京都事件については、10年8月10日、同会より4人の逮捕者を出した。また、その一ヶ月後、徳島事件で同会より7人の逮捕者を出している(以上、「安田浩一「ネットと愛国」93頁以下参照 甲2)。

(4) 「行動する保守運動」とは、在特会とデモ日程などを共有し、ともに行動している一群の政治団体と考えられる。
  「行動する保守運動」との表題があるホームページの「行動する保守運動のカレンダー全国版」には、後述の「新社会運動」「日本侵略を許さない国民の会」「湘南純愛組・優さん」等のグループが名前を連ねる(甲3)。
  「行動する保守運動のカレンダー全国版」の説明書きには、「このカレンダーは在日特権を許さない市民の会が管理する 『行動する保守運動』 の活動予定表です。行動する保守運動に賛同する団体なら誰でも参加出来ます。参加をご希望の方は以下のカレンダー管理担当宛てに参加申請をお送りください。」とある。
  この記載から、「行動する保守運動」は、在特会が中心になって運営し、これに賛同する有象無象の団体が、一緒になって行動しているものと考えられる。
  以下、「行動する保守運動」に所属する「在特会」、「日本侵略を許さない国民の会」、「新社会運動」等の団体を総称して、「本件団体」と称する。

2 新大久保駅周辺の状況(甲4)

(1) 新大久保駅周辺には、東西に二本、「職安通り」と呼ばれる通りと、「大久保通り」と呼ばれる通りが存在している。
  両方の通りの間には、南北に細い通りが複数通じており、そのもっとも賑やかな通りが「イケメン通り」と称される。

(2) 職安通りの北側、とりわけ北新宿百人町乃至東新宿までの区間には、韓国料理店、食材店などが密集している。
  また、大久保通りの北新宿1丁目乃至大久保2丁目までの区間にも韓国料理店、食材店などが密集している。
  これに加えて、新大久保駅周辺及びイケメン通りには、韓流スターのグッズの店や、韓国風化粧品などを売る店が並んでおり、多くの韓流ファンが集まる空間になっている。

(3) また、大久保通りには、中央教会キリスト教(神父が在日コリアン)、日本キリストルーテル教会の2つの教会のほか、区立大久保小学校、区立柏木小学校、区立柏木こども園があり、閑静な住宅街が広がっている。


3 本件団体による新大久保駅周辺のデモ実施状況(甲3)

(1) 2月9日、在特会東京支部その他の協賛、「新社会運動」なる団体の主催で、新大久保駅周辺において、「不逞鮮人追放!韓流撲滅 デモ in 新大久保」と称するデモ行進が行われた。
  2月10日、「日本侵略を許さない国民の会」なる団体の主催で、新大久保駅周辺において、「北朝鮮は拉致被害者を即刻返せ! in 新宿」なるデモ行進が行われた。
  2月17日、「湘南純愛組・優さん」なる団体の主催で、新大久保駅周辺において、「韓国を竹島から叩き出せ!in新大久保」なるデモ行進が行われた。
  さらに、3月17日、在特会東京支部の主催で、新大久保駅周辺において、「春のザイトク祭り 不逞鮮人追放キャンペーン デモ行進 in 新大久保」なるデモ行進が行われた。
  なお、上記「行動する保守運動」のカレンダーによれば、本年1月12日にも、在特会東京支部主催で、新大久保駅周辺において、「韓流にトドメを! 反日無罪の韓国を叩きつぶせ 国民大行進 in 新大久保」と称するデモ行進が行われている。

(2) これらからすれば、在特会及びその周辺の「行動する保守」のグループは、新大久保駅周辺においては、今年に入って実に5回、類似のコースでデモ行進をしていることになる。
  前述のとおり、新大久保駅周辺には、韓国人料理店や「韓流」の店、韓国食材の店など、韓国にまつわる商店が多く、在特会及びその周辺の「行動する保守」は、これらの店及びその客をターゲットとして、いわば、「韓流」ブームに対する攻撃として、新大久保駅周辺でデモを行っていることが明らかである。
  この点だけとらえても、新大久保駅周辺の店舗が、いかに本件団体の被害に遭っているかが明瞭である。

(3) 本年3月31日、新大久保駅周辺において、新日友会、神鷲皇國會の主催、在特会、新社会運動等の共催で、「特定アジア粉砕新大久保排害カーニバル!!」と称するデモが予定されている。

4 本件団体によるデモの問題点

(1) 本件団体によるデモは極めて粗暴かつ暴力的であり、暴力や差別を煽り、とりわけ新大久保駅周辺の環境に絶大な悪影響を与えている。具体的には以下のとおりである。

(2) 粗暴な言動、ヘイトスピーチ
  在特会をはじめとして、本件団体はいずれも在日コリアンに対する攻撃を目的としている。そのため、本件団体のデモ参加者は、在日コリアンを攻撃するため、いずれも、以下のような言動を大声でしながらデモを行っている(3月16日付朝日新聞 甲5)。
  「朝鮮人を殺せ!」
  「朝鮮人を叩き出せ!」
  「朝鮮人を射殺せよ!」
  「朝鮮人はゴキブリだ!」
  「朝鮮人は犯罪者だ!」
  同時に、本件団体のデモ参加者は、次のようなプラカードを掲げてデモ行進に参加している。
  「よい朝鮮人も悪い朝鮮人も、みんな殺せ」(甲6)
  「韓国≠悪、韓国=敵 よって殺せ」(甲7)
  「朝鮮人、頸つれ、毒飲め、飛び降りろ」(甲8)
  以上のような発言及びプラカードは、明らかに常軌を逸しており、とりわけ、大量殺人の煽動は刑法の騒乱罪(刑法106条)、営業妨害は威力業務妨害罪(234条)、歩行者や店員に対して向けられた発言は、脅迫罪(刑法222条)、侮辱罪(231条)を構成する。また、刑法の問題を離れても、周囲の環境に与える影響は計り知れない。

(3) 通行上の危険を誘発し、暴力的事態を生じさせていること
  同団体のデモ行進参加者は、しばしば道路からはみ出して歩道に入り、商店や歩行者と衝突している。このため、機動隊員が周囲を取り囲むために歩道上の通行が不能になり、通行人の通行に重大な支障を生じさせている。
  また、同団体の過激なヘイトスピーチは、当然、周囲の怒りを買い、抗議する者が殺到している。一度は、同団体のデモに抗議する女性が道に飛び出して警官隊に取り押さえられたり(甲9)、主催者の桜井誠(高田誠)自身が沿道の罵声に激高して暴れ出し、警官隊に取り押さえられるという事態もあった(甲10)。
  さらに、同団体は、しばしば、沿道を歩く市民に対し、「こら、そこの朝鮮人」等と罵声を浴びせたり、脅迫的言質を行っている。このため、沿道では、若い女性が泣き出したり、逆に沿道の市民とデモ参加者との間で罵声の応酬が始まることもあり、本件現場周辺は一触即発の事態になっている。
  このように、同団体の激しいヘイトスピーチの結果として、新大久保駅周辺は毎週週末になると騒然とした状態になり、一部には暴力的事態まで発生しているのである。

第3 本件申立に至る理由

1 以上のとおり、在特会による集団行進においては、暴力や差別を煽る言動が行われ、沿道に大混乱を引き起こしている。これらの行為により、付近の在日外国人は生命身体の危険を感じ、恐怖感を抱いた人たちも少なくない。

2 さらには異常な外国人排撃の表現や脅迫文言ととられる言動があったため、付近の在日外国人経営の飲食店、土産物店などの売上は著しく減少している。
  従前のデモについては一部に脅迫、威力業務妨害などの行為やその実行行為直前の行為が見られたにもかかわらず、現場に臨場していた警察官たちにおいて適切な警告、制止が行われたとは言いがたい。

3 ヨーロッパのドイツ、フランスなどにおいては外国人排撃運動に対し、社会のしかるべき対応が行われなかったことから外国人の生命が奪われ、また放火等重大な犯罪に発展したことも銘記されるべきである。事態が深刻な発展を遂げているのに警察の対応も充分とは言えず、また社会の批判的言論の発展も充分とはいえない。

4 以上の事態を放置すれば、デモの実施場所の沿道に位置する飲食店や土産物店、その従業員、沿道の住民、買物客や観光客、そして一般の外国人などの基本的人権を侵害する恐れが極めて強い。
  これを適正に排除するためには、現場に臨場する警察官らが適切に警告を発し、また、場合によっては犯罪的行為に対する制止を行うべきである。

第4 結論

  よって、デモが通過する沿道の店舗、住民、買物客、一般外国人(とりわけ在日コリアンに属する人々)の基本的人権を擁護するため、本申立に及んだ次第である。

以上

証拠方法

甲1 在特会ホームページ
甲2 「ネットと愛国」(追完予定)
甲3 「行動する保守」ホームページ
甲4 新大久保駅マップ
甲5 新聞記事
甲6 写真
甲7 写真
甲8 写真
甲9 写真
甲10 写真

申立人目録

〒104-0061 東京都中央区銀座6丁目12−15 COI銀座612
東京市民法律事務所 電話:03-3571-6051
申立人 弁護士 宇都宮 健児

〒113-0033 東京都文京区本郷5-22-12
澤藤統一郎法律事務所 電話:03-5802-0881
申立人 弁護士 澤藤 統一郎

〒101-0041 東京都千代田区神田須田町1-3 NAビル4階 
東京千代田法律事務所(連絡先) 電話03-3255-8877
申立人 弁護士 梓澤 和幸
申立人 弁護士 殷 勇基

〒104 -0042 東京都中央区入船1-7-1 松本記念会館4階
中山法律事務所 電話03-6280-3225
申立人 弁護士 中山 武敏

〒100-0005 東京都千代田区丸の内3丁目1−1 国際ビルヂング9F
東京共同法律事務所 電話03-5219-8777
申立人 弁護士 海渡 雄 一
申立人 弁護士 中川 亮

〒169-0075 東京都新宿区高田馬場1-16-8アライヒルズ2A
諏訪の森法律事務所 電話03-5287-3750
申立人 弁護士 中川 重德

〒160-004 東京都新宿区四谷1-18-6 四谷プラザビル4階
いずみ橋法律事務所 電話03-5312-4815
申立人 弁護士 渡邉 彰悟

〒113-0033 東京都文京区本郷3丁目18番11号TYビル302
 東京アドヴォカシー法律事務所 電話03-3816-2061
申立人 弁護士 杉浦 ひとみ

〒211-0004 川崎市中原区新丸子東2-895 武蔵小杉ATビル505号室
武蔵小杉合同法律事務所 電話044-431-3541
申立人 弁護士 神原 元

〒171-0021 東京都豊島区1丁目17−10 エキニア池袋6階
城北法律事務所 電話:03-3988-4866
申立人 弁護士 田 場 暁 生

以上

「憲法の改悪に反対する元教職員ひょうごネットワーク」共同代表の佐藤三郎さんや石塚健さんらが呼びかけ人となってこの4月14日に神戸市で「~総選挙敗北を見すえ 立ち直りの途を探る~ とめよう壊憲 ! 護憲結集! 討論集会」と名づけられた集会の開催が計画されていることは何度か私も弊ブログなどでご紹介してきましたが、同集会参加の呼びかけを市民とともに護憲共同のもう一方の当事者である革新政党4党(日本共産党・社会民主党・新社会党・緑の党日本)にもしたところ、社民党及び新社会党、緑の党の3党からは「出席予定」の回答があり(社民党:服部良一さん(前衆議院議員)、新社会党:松枝佳宏さん(委員長)、緑の党日本:長谷川羽衣子さん(共同代表))、共産党からは「不参加」の回答があったということです。
 
以下、上記集会への共産党の「不参加」回答に対する一個の私としての私見=批判を述べてみたいと思っているのですが、共産党はあくまでも私たち革新市民(「革新市民」の定義は広原盛明さんの「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ(6)」の第3段落をご参照ください)が護憲結集を実現していくためには必要不可欠と考える政党としてのパートナーです。したがって、私が以下述べようとする同党批判は、同党に期待するがゆえの批判、すなわち提言的批判ということであって、同党を貶める意図を持つ批判ではありえません。しかし、批判である以上、遠慮会釈なく書くつもりですから、そこには辛辣かつ辛口の批判も当然含まれるでしょう。しかし、それでも同党を貶めようとする意図はまったくないということです。「どこにただすべき問題点があるか、前進のために何が必要かについて、党内外の」(「参議院選挙の結果について」2010年7月12日 日本共産党中央委員会常任幹部会。注4)「外」からの「掘り下げた自己検討をおこなう」(同左)に資するための批判のつもりです。誤解をあらかじめ避けるためにそのことをはじめに特に注しておきます。
 
さて、共産党が上記集会への「不参加」の理由を述べている回答の全文は以下です(しんぶん赤旗 2013年3月31日付掲載)。はじめに私がいまから述べようとする論の前提として掲げておきます。
 
■「4・14神戸討論集会」 建設的な意見交換とは無縁 共産党 実行委に不参加の回答(しんぶん赤旗 2013年3月31日)
 
日本共産党中央委員会は29日、4月14日に神戸市内で予定されている「とめよう壊憲! 護憲結集! 討論集会」の実行委員会代表にあてて同「集会」への参加要請に応じられないとする全文次のような回答を送りました。
 
「4/14 とめよう壊憲! 護憲結集! 討論集会」への参加案内を頂きました。「4月14日・神戸市勤労会館で開催される集会」での「忌憚(きたん)のない意見交換」に参加をとのことですが、以下の理由で、日本共産党は、この「集会」には参加しません。
 
案内文書によれば、この集会では、広原盛明氏(都市計画・まちづくり研究者)が「講師」として60分の「提言」をおこない、参加を要請されている四つの政党(日本共産党・社民党・新社会党・緑の党日本)がそれぞれ15分発言した後、「フロアー討論」「集会まとめ」をそれぞれ60分、10分でおこなうというのが、「集会」の内容です。
 
案内文書は「集会」で特別の時間を与えられて話す広原講師について、「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ」などの標題もあげて氏の「精力的な発言」に言及し、「私たちは、広原提言に多くの示唆を受け・・・」などとのべたうえで、「講師紹介」では、広原氏のブログから次のような一節を紹介しています。
 
――(「革新政党」が総選挙で)歴史的な惨敗、大敗を喫した・・・にもかかわらず選挙総括が現実を直視したものになっておらず、その体質に絶望に近い気持ちを抱かざるを得ない・・・/選挙総括にはいわば政党の未来がかかっているのであり、キチンとした総括ができない政党には「未来がない」と言っても過言ではない・・・。
 
そのブログでは、広原氏はさらに次のようにも言っています。
 
――"護憲戦略〟を再構築する・・・ためのまず第一歩として・・・公開討論会形式にして革新政党の選挙総括や参院選挙方針の問題点を有権者の間で広く議論する、「外部第三者委員会」といった形で党外に選挙総括を依頼し、党独自の総括と対置させながら公開討論で問題点を探り出す・・・。
 
政党が正規の機関で決定した総括や方針を、公開討論で変えさせようなどというのは、政党の自主的活動への不当な介入、干渉に他なりません。今度の「集会」はこの「広原提言」を受けて、広原氏を「講師」に、政党代表と「忌憚のない意見交換」をおこなおうというものになっています。このような「集会」が憲法改悪阻止の国民的共同を広げるための建設的な意見交換の場になりえないことは明白です。
 
いま、護憲を掲げる市民や政党にとって必要なことは、思想・信条・党派の違いを超えて、憲法改悪反対の国民多数派の結集、改憲派を圧倒する世論形成に全力を尽くすことです。日本共産党は、そうした確固とした方針のもとに奮闘していることを申し添えます。
 
上記の要請文の差出人の佐藤三郎さんはこの共産党の回答を受け取った感想を次のように述べています。
 
「4/14神戸集会への不参加回答を紹介した3/31付けの赤旗記事(略)を読み直し、おどろき、戸惑い、そして悲しくなりました。/『60分の広原講演、60分の4党発言、それらを受けて60分のフロアー討論』が、どうして『政党の自主的活動への不当な介入、干渉』になるのか、どうして『憲法改悪阻止の…ための建設的な意見交換の場になりえない』と断定されるのか、理解できませんでした。」(集会賛同人宛ての経過報告(2013年3月31日付)より)

 私も佐藤さんとまったく同様の感想を持ちますが、その感想に一点追記すれば(そして、それが、私の今回の共産党批判の主論点になるのですが)、私は、共産党中央委員会が上記の公開討論集会の内容が「政党の自主的活動への不当な介入、干渉」になるという謬見を持つに到ったその根幹には広原さんの下記のような同党6中総批判の論に同党指導部層が強い反感を持ったということがおそらく要因として大きな部分を占めているだろう、と推察します。

広原さんは「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ(10)」で共産党6中総決定の冒頭の部分を紹介した上で次のような同党6中総批判をしていました。
 
まず同党6中総決定の冒頭の部分の広原さんによる紹介。
 
「第2次安倍晋三内閣が弱肉強食の新自由主義の全面的な復活をめざし、憲法9条改定を現実の政治日程にのせようとし、さらに過去の侵略戦争を美化する「靖国」派をその中枢にすえていることは、日本の前途にとってきわめて危険なものであることはいうまでもありません。くわえて、日本維新の会という憲法改定と新自由主義の突撃部隊ともいうべき反動的潮流が衆院で第3党の地位を占めたことも重大であります。こうしていま、日本政治はその表層だけを見れば反動的逆流が猛威を振るっているようにも見えます」(しんぶん赤旗 2013年2月9日)

 次に広原さんの上記の6中総決定批判。
 
「この一節を読んだ時、正直言って私は自分の眼を疑った。小見出しが「政治の表層では逆流が激しいが、深部で古い政治の矛盾が蓄積」とあるように、当面する政治危機を単なる“表層の反動的逆流”だと見なして「慌てることはない」と諭しているのである。つまり言っていることは、総選挙で大敗したことには落胆せず、「全体を綱領の立場でつかみ、反動的潮流を恐れず正面から立ち向かうとともに、日本社会の深部で蓄積されている変革へのエネルギーに信頼を置き、未来への大局的な確信をもってたたかうことがいま何よりも大切だ」ということなのだろう。/確かにこの主張は、当面する情勢に眼をつぶっていれば正しいと言えるのかもしれない。(略)だが、夏の参院選を目前にした現時点において“大局的確信”を強調することは、当面する政治情勢の分析を放棄したのも同然であり、選挙方針としても何も言っていないのに等しい(強調は引用者)。要するに、「負けても負けても挫けずに頑張れ」と言っているだけのことである。」(リベラル21 2013.03.09)

 こうした広原さんの6中総決定批判が同党指導部層には「政党が正規の機関で決定した総括や方針」への「不当な介入」、「政党の自主的活動への不当な介入、干渉」のように見えたのではないでしょうか。

しかし、仮にそういうことであるならば、政党外にいる一般市民は「政党が正規の機関で決定した総括や方針」についてなにもものを言うことはできないということにならざるをえません。しかし、どのような機関の総括や方針であれ、市民は自由に批評することはできますし、批判する権利もあります。これを「言論の自由」というのですが、そうした「言論の自由」の行使を「政党の自主的活動への不当な介入、干渉」のように仮に考えているのであれば(その「考え」は一般にいう論理的なそれではなく、おそらく識閾中の「論理」ならぬ「論理」。「論理」と「感情」のあわいのようなところから発せられる「組織防衛」的心情に基づく内向きの視点からの「感情論理」のようなものだと思いますが)、そういう見方、考え方は正しくないというほかありません。

また、共産党は、2010年7月12日付けで発表した「参議院選挙の結果について」という日本共産党中央委員会常任幹部会声明で上記でも引用しましたが「どこにただすべき問題点があるか前進のために何が必要かについて、党内外の方々のご意見・ご批判に真摯に耳を傾け掘り下げた自己検討をおこなう決意です」と述べたこともあります。広原盛明氏という党の外にいるひとりの市民・研究者の意見の表明――「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ」と題された一連の論攷――を「政党の自主的活動への不当な介入、干渉」のように言い為すのはその「方針」とも明らかに矛盾するでしょう。

共産党は上記の「『4・14神戸討論集会』 建設的な意見交換とは無縁 共産党 実行委に不参加の回答」で「政党が正規の機関で決定した総括や方針を、公開討論で変えさせようなどというのは、政党の自主的活動への不当な介入、干渉に他なりません」とその「不参加」の理由を述べていますが、公開討論はいうまでもなく公開の場で自由に議論を戦わせる場でしかなく、それ以上でも以下でもありません。たとえ仮にその場でなんらかの合意なり、結論なりが出たとしても、その合意なり結論なりを「決定」するのはその公開討論の場に参加したそれぞれの各団体、各機関の専決事項であり、公開討論の場での合意なり結論なりに各団体、各機関の「総括」や「方針」を「変えさせ」るなんらの強制力もないことは説明の必要もないほど自明なことでしょう。その公開討論の場でしかありえないものに対して共産党は「政党が正規の機関で決定した総括や方針を、公開討論で変えさせようなどというのは、政党の自主的活動への不当な介入、干渉に他なりません」などと曲解以外のなにものでもない非難の矢を向けています。しかし当然、その「非難の矢」は当たるはずもありません。

さらに同党はその当たらない曲解の矢を継いで「このような『集会』が憲法改悪阻止の国民的共同を広げるための建設的な意見交換の場になりえないことは明白です」とも言います。しかし、この矢も曲解に基づく非難の矢でしかありませんから、前矢と同じように当たるはずもありません。

さて、最初の広原さんの問題提起に戻りたいと思います。広原さんは「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ」の第1回目の論攷で次のように言っていました。

「昨年の総選挙以来、(略)革新勢力の収縮と後退が露わになるなかで、戦後民主主義を担ってきたリベラリストたちがいまなお不屈の闘志と強靭さを発揮していることは心強い。私自身もほぼ同世代に属する一員なので、これに負けず劣らず論陣を張りたいところだが、今度ばかりは少し落ち込んでしまってなかなか筆が進まない。/なぜかくも気が重いのか。理由は2つある。ひとつは革新政党(社民党、共産党)の得票数の落ち込みが並み大抵のものではなく(私自身はもう少し頑張れるものと期待していた)、歴史的な惨敗・大敗を喫したという厳しい選挙結果に圧倒されたからだ。もうひとつは、にもかかわらず選挙総括が現実を直視したものになっておらず、その体質に絶望に近い気持ちを抱かざるを得ないからだ。」

上記で広原さんの言う「落ち込」み、「絶望に近い気持ち」は革新政党(社民党、共産党など)に期待するがゆえの「落ち込」みであり、「絶望に近い気持ち」であって、「革新勢力の収縮と後退」を憂うるあまりの悲嘆であることは明らかです。その憂いから発している広原さんの問題提起を私たちは政党であれ、個人であれ、憂いを憂いとして純粋に受け止めたいものです。その純粋さを受け止めるある意味での度量の深さと拡がりにこそ今後の革新の展望を切り開く「力」が隠されているのではないか。私はそう思います。共産党には上記の公開討論集会の参加について再考していただきたいものです。