美術家・会田誠の個展「会田誠展 天才でごめんなさい」が昨年の11月から東京・六本木の六本木ヒルズ森タワーの森美術館で開かれています。会期は月数で5か月間。今年の3月31日まで。その会田氏の個展に展示されている「犬」シリーズという作品をめぐって、「四肢切断の裸体の美少女が犬の首輪に繋がれている姿をモチーフにした図柄はとても“芸術作品”と呼べるものではなく、女性、ひいては人間の尊厳と品位を凌辱する美少女ポルノというほかない」という批判がジェンダー研究者や女性団体などの間で高まっています。

 
次のような批判がそうした批判を代表するでしょう。

「この「犬」シリーズで描かれている少女たちは、全裸で四肢を切断され(略)、その切断部分に包帯が巻かれた状態で、首輪をつけられ、四つんばいなどの姿勢をとらされ、作品名もずばり「犬」となっています。さらに、これらの作品の中で少女は微笑んでおり、このような性的拷問を楽しんでいるように、あたかもそれが自分にふさわしい扱いであるかのように描かれています。(略)これらはまず第一に、作画によるあからさまな児童ポルノであり、少女に対する性的虐待、商業的性搾取です。(略)これらは第二に、少女=女性を全裸にしたうえで四肢を切断し首輪をつけて犬扱いしており、女性を最も露骨かつ暴力的な形で性的に従属させ、人間以下の性的玩弄物、性的動物として扱うものです。これは、描写を通じた性暴力の一形態であるとともに、すべての女性の尊厳を著しく傷つける下劣な性差別行為です。」(「森美術館への抗議文」 ポルノ被害と性暴力を考える会 2013年1月25日)

「『犬』と題された6連の作品では、裸体の美少女が四肢を切断され、その断端には薄く血がにじむ包帯が巻かれ、その少女が犬の首輪に繋がれてさまざま姿態を取ってほほえんでいる。四肢切断されたことに意味や必然性がない。戦争であるとかレイプ・凌辱であるとかの社会問題を背景にしているとは思えない。そしてその少女が嬉しそうにしている。痛みへの感受性がない。これは性的な視線で作られ、そこに性差別を顧みようとする姿勢が感じられない。首輪をつけられ監禁されていることを喜ぶ(従順)というのは、自由の剥奪であり加害者の勝手なスタンスである。支配、暴力、服従、凌辱の肯定に過ぎない。若い、美少女であり裸であるということが、性的欲望の対象としてのみ利用されている。」(「森美術館の会田誠氏の作品展示はひどい」 ソウル・ヨガ(イダヒロユキ) 2013年01月27日) 
 
さて、このように批判される会田誠という美術家はどういう人でしょうか。たとえばウィキペディアにおける会田誠氏についての記述は次のようなものです。

「会田 誠(あいだ まこと、1965年10月4日 - )は、日本の現代美術家である。武蔵野美術大学非常勤講師。社会通念に対するアンチテーゼを含む、アイディア豊富な作品に富む。作風は一定しないが、センセーショナルなテーマを含む作品が多い。美少女、戦争、暴力、エログロ、ロリコン、酒、社会通念への反発などのテーマを取り扱っていることが多い。ただし、近年は、センセーショナルな作風を好まなくなってきたと語っている。奈良美智や草間弥生らとともに『新ジャポニズム』の代表的な作家として、国際的な評価を固めつつある。」(ウィキペディア『会田誠』)
 
彼の美術界界隈での「権威」のさまについては次のような証言もあります。

「会田氏がアート業界で権威であるという情報を教えてもらっていますが、その一端が、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞などが彼を高く評価してきたこと、NHKの「日曜美術館」で肯定的に取り上げられていること、『美術手帳』で特集が組まれていること、彼が、自ら「天才」と表明することが許されている存在で村上隆に次ぐ位置にいるらしいこと、美術評論家や新聞社の文化記者は会田氏を批判するようなことが怖くてできないこと、作品がよく売れる作家だということ、現代美術シーンにおいて会田氏は『社会派』とされて評価されていることなどです。」(「森美術館・会田作品について つづき」 ソウル・ヨガ(イダヒロユキ) 2013年01月28日)
 
イダヒロユキさんの会田氏評価は上記の評価とは逆向き方向ですが、それでも会田氏が美術界界隈では相当な「権威」であることは逆説的にわかります。
 
会田氏の画風と思想の関係については次のような記事が参考になるかもしれません。会田氏から聞いた話を交えてア-トプランナーの影山幸一さんは次のように書いています(追記6(2月2日)も参照)。
 
「一浪して再度藝大だけを受けて無事入学。(略)大学院を経た後、泊まり込みの警備員やお酒のある店のウエイター、カウンターなどで働いていた。ここ3年くらいは美術家として自立を果たしているが、食うことはアート以外でやるものだと今も考えている。また、美とは何かの問いについては、「考えませんね。美しい絵を描こうとすると失敗することが多い。失敗とはコンクールで点が低いとか、講評会で馬鹿にされることです。崇高な話ではありませんが、競争社会の予備校では絵は成功しなければいけない。美を意識して制作すると弱々しくなることが多く、美以外のことを考えたときの方が結果的に他人が美しいと言ってくれる。だから美を考えない方がよかろうというふうに至りました」。美を考えないで美を生む。エロ・グロぎりぎりのモティーフでありながら美しい印象を残す会田の境地である」(「美を考えないで美を生む『会田 誠』」 影山幸一 2005年12月)。

この影山氏の記事を私は必ずしもヨイショ記事だとは思いません。なぜ会田氏はそれほどに「権威」と「人気」があるのでしょう? 今度は一般の人たちの会田氏評価を見てみます。
 
「会田誠の作品を初めて観たのはたぶん、NADiffで。/たまたま寄ったら、展覧会をしてたの。美味ちゃんの。/美味ちゃんは、食用人造少女。痛覚がなくて食べられるのが好き。/様々な調理法が描かれた絵や人形。/天ぷらとかさしみとか丼とか。煮たり焼いたりありとあらゆる。/これはアートなの?危なすぎる。衝撃。/次は2001年の横浜トリエンナーレ。(略)/天井からぶらさがる自殺未遂マシーン。/奥の壁に、裸の少女がつまった巨大なミキサーの絵。/下にいくほど肌色と血の色が混ざってどろどろ。/こんなの、とても好きにはなれない。。。/エロでグロで猟奇的で。気分悪くなりそうだ。/(略)それが突然、肯定できた。きっかけはたぶん、パルコミュージアム、girl's don't cry展(2003)。/会田誠の出品は、「犬」。雪月花の3枚の連作。/ひじと膝から先を生々しく切り取られ、包帯を巻き、/裸に首輪をしてる犬のような美少女の絵。/本当に気持ちが悪い、気色悪いのに、/雪や月光、桜の中の彼女の美しさにはっとして/見とれてしまった。表情や、温かみある肌の質感。/あれ?この作品好きかもしれない。/てゆか、今まで観たのも面白かったかも。/「きもちわる!」って拒否してきたけど、ちょっと待って。/コンセプトとか発想とか面白いのもあったし。/「犬」をきっかけに、気になるアーティストになっちゃった。」(sternschnuppe☆ 2007.06.09)

その人によって好悪の評価相半ばする(エロとグロをモティーフにしているという評価では一致している)会田誠氏の「犬」シリーズなる作品群は次のようなものです(下記の作品群は当初森美術館の公式ブログに掲げられていましたが、いまは、上記のような批判が続いたからでしょう、同ブログから削除されていますので同批判の当否を判断するひとつの資料としても掲載しておきます)。

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「犬(雪月花のうち“雪”)」 1998年


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「犬(雪月花のうち“月”)」 1996年

 
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「犬(雪月花のうち“花”)」 2003年

 
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「犬(野分)」 2008年

私は上記の作品群をブログにコピペするため何度もこの画像のカット・アンド・ペーストを繰り返さなければなりませんでしたが、正直言って疲れました。そのエロとグロと猟奇性に中(あ)てられた、といった方が正鵠かもしれません。気分が悪く、うそ寒い悪寒のようなものがするのです(この展覧会を見るのには体力がいる、とだれかが評していましたが、そういうことを言っているのでしょう)。しかし、それでも、その彼のアートの背後にあるこの人特有の色彩の美しさと描線の細やかさはほんものだと思わずにはいられませんでした。私は会田誠という画家の奇才を認めます。しかし、これは、「権威」に屈するということではありません。また、徒に「支配、暴力、服従、凌辱」の現状を肯定するということでもありません。

私はいま有名な「四畳半襖の下張」裁判のことを思い出しています。同裁判では最高裁は「文書のわいせつ性」について「その時代の社会通念に照らして、それが徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものといえるか否かを決すべきである」という判断を示しました。そして、その最高裁の判断によって永井荷風の作とされる戯作『四畳半襖の下張』を『面白半分』という雑誌に掲載し、販売した作家の野坂昭如と編集者の佐藤嘉尚はそれぞれ罰金10万円と15万円の刑を受けました。

しかし、最高裁から「男女の性的交渉の情景を扇情的筆致で露骨、詳細かつ具体的に描写した部分が量的質的に文書の中枢を占めて」いると断罪された春本をものした永井荷風は、「日支今回の戦争は日本軍の張作霖暗殺及び満州侵畧に始まる。日本軍は暴支膺懲(ぼうしようちょう)と称して支那の領土を侵畧し始めしが、長期戦争に窮し果て俄に名目を変じて聖戦と称する無意味の語を用い出したり」、とあの太平洋戦争(大東亜戦争)中の治安維持法体制下の中でも時局におもねることのない『断腸亭日乗』を遺した稀有の作家でもあったのです。

最高裁ばりの断罪が人と作品の評価を不当に貶めるということもありえるということ。私たちは心しておきたいものです。また、丸谷才一五木寛之井上ひさし吉行淳之介開高健有吉佐和子らが「四畳半襖の下張」裁判において、なぜあれほどの論陣を張ったのかも考えておきたいことです(これは「表現の自由」ということだけを言っているのでもありません)。

私は多少の悪寒がしようとも野坂昭如らの立場に立ちたい、と思っています。

追記(1月30日):主に映画情報を掲載しているシネマトゥデイ紙(2013年1月29日)によると、会田誠氏の問題の作品群を含む展覧会を開催している森美術館は、ポルノ被害と性暴力を考える会などの「児童ポルノ・障害者差別を容認している」という抗議を受けて現在その対応を協議しているとのことです。そのなりゆきを注視したいと思います。

会田誠の展覧会に抗議文!児童ポルノ・障害者差別を容認しているとの指摘(シネマトゥデイ 2013年1月29日)

追記2(1月30日):上記の記事での私の意見の主意は、「権威」(この場合は最高裁)から「お前の『作品』は法律違反だ」と断罪された永井荷風はまたあの治安維持法体制下の中でも「時局におもねることのない『断腸亭日乗』を遺した稀有の作家でもあった、というところにあります(一個の例)。会田誠氏の作品の「犬」シリーズが「わいせつ」か否かを主題にしているわけではありません。主題はあくまでも「権威」です。

・「公共空間」(森美術館)という「権威」を問題にする人が逆に暗黙の前提として「時代の道徳観」(世論)という「権威」に依拠してモノを言っていないか(本人はそのことに気づかず「正義」と思いこんでいる)。

・そうした「権威」によって会田誠氏の犬シリーズをただちに「作画によるあからさまな児童ポルノであり、少女に対する性的虐待、商業的性搾取」 に結びつけることは正しいことか?

・「エロ・グロの境界」を描いたからといって作者の思想もそのままエロ・グロということにはならないだろう。

・「エロ・グロの境界」を描くことによって逆にエロ・グロの問題性がかえって浮かび上がってくるということもあるだろう(作者の意図のありなしにかかわらず)。

要は「犬」批判は短絡的ではないか、という問いが主題でもあります。

追記3(1月31日):J-CASTニュースも1月29日付けで「会田誠展 天才でごめんなさい」への抗議問題を報じています。また、その記事の中で当事者の会田誠氏のツイートも紹介されています。

「首輪の全裸少女」作品に市民団体が抗議 会田誠展は本当に「性差別」なのか(J-CASTニュース 1月29日)

追記4(1月31日):上記との関連で会田誠氏のツイートを見てみましたが、なかなか面白い。当然、ここ数日間の「抗議問題」についても触れられています。「(フェミニズムに)片足突っ込んで」いるフェミニストのお連れ合いの岡田裕子さんもご意見を開陳されています。会田氏によれば、会田さんのお母さんも「頑迷なる初期フェミニスト」だったとか・・・

追記5(2月2日):以下の論も有用な論だと思います。ただし、「『PAPS』なる団体から、性暴力展示に対する抗議文が送付されたことで、様相が変わった(参照)。会田作品では1990年頃から既に暴力に晒される少女が登場していたし今更感が拭えない」という部分は私もそう思いますが、「(『PAPS』は)団体の名前を売りたいために有名な芸術家をターゲットにしたのでは、という疑いも感じる」という部分は筆者の思い込みにすぎない誤解でしょう(弊ブログ筆者は『PAPS』に近い人たちに(メーリングリスト上での)知り合いが多いのでほぼそう断言できます)。また、同記事中の下段にある「意見」欄もいちいち例示はしませんが参考になる意見も少なくなく見受けられるように思います。

『会田誠展:天才でごめんなさい』を観て考えたこと(Blogos 2013年02月01日)

追記6(2月2日):会田氏の画風と思想の関係についての理解には会田氏を評価するサイドの人の記事ですが以下の記事も参考になります。

■「会田誠 トリックスター」「会田誠 昭和40年生まれ」「会田誠 境界線」「会田誠 津田大介 対談」(イソザキコム Archive for 11月, 2011

では会田誠は?
アートと何の境界なのだろう。
エロ?テロ?オタク?
そんな疑問には意味はない。
なぜならアートに境界がそもそもないのだから。
        (「会田誠 津田大介 対談」より)

追記7(2月3日):会田誠氏自身の「犬」シリーズについての見解。「学生時代に着想した『犬』シリーズは、我を殺してひたすら丁寧に描く、という職人的画家のシミュレーションです。タッチはあくまでも高貴さを目指しつつ、しかしモチーフには変態性欲を選びました。そのギャップの味わいを試してみたわけです。近代日本画、あるいは古美術的なものに異質な何かをぶつけて揺さぶってみたい、これが美術家デビュー以前の最初期にあったモチベーションでした。なので、ああいった切断・嗜虐志向は僕自身の趣味というわけではないのです。ロリコン気質はちょっとありますが。このシリーズにはまだ描いていなかった図案があったので、この機会に取り組んでみたという次第です。」(会田誠インタビュー ART iT (アートイット)  2008年10月号)

追記8(2月3日):「犬」シリーズは主要先進国においては違法な児童ポルノとして処罰の対象となるか、についての一考察(すちゃもく雑記 2013-01-28)。「カナダ、EU諸国、オーストラリアなどの主要先進国においてはすべて、これらは違法な児童ポルノとして処罰の対象になっています」とするポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)の主張への実証的反証の提示といえるでしょう。

追記9(2月3日):平野啓一郎‏さん(芥川賞作家)の「犬」シリーズ評価。「会田誠さんの『犬』シリーズは、彼の勝手な妄想ではない。古くは高祖の妻呂后が、高祖の死後、寵愛を受けていた戚夫人の「両手足を斬りおとした。その美しい目をとり去った。耳をつんぼにさせ、薬で口をきけなくした。それを厠に置いて『人ブタ』と名をつけた。」(『司馬遷』武田泰淳)とある。続く」「承前僕はむしろ、このサイトに書かれているような都市伝説に基づく作品だと理解していた。そうしたデマに顕在化した欲望が主題となっている。そんなことはみんな分かりきって見ていると思ってたけど、意外とそうじゃなかったというのを今回知った。

追記10(2月4日):パロディとしての「会田誠展」抗議文も出ました。批判しようと思えば背広というサラリーマンの象徴としてのイコンを用いて批判することもできる。すなわち、ポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)の抗議は的外れそのもの、というアイロニー。題して「もし森美術館への抗議文をサラリーマンも書いてみたら」。
2013年1月24日付けの日本経済新聞の記事によれば「連合は24日の中央執行委員会で、憲法改正について『時期尚早』としていた政治方針を変更し『国民的議論の動向にも注意を払いつつ対応を図っていく』とする素案をまとめた」、ということです。

 連合は24日の中央執行委員会で、憲法改正について「時期尚早」としていた政治方針を変更し「国民的議論の動向にも注意を払いつつ対応を図っていく」とする素案をまとめた。衆院選の総括でも民主党との連携を維持しつつ「自民、公明両党などと政策協議を通じ政策実現に向けた取り組みを強化する必要がある」と指摘。自民党政権に配慮する姿勢を示した。

 古賀伸明会長は記者会見で「憲法改正をすべて否定するには至らない」と表明。政治方針は連合内で協議し10月の定期大会で決める。(日本経済新聞「連合、改憲巡る方針見直し検討 自民に配慮」 2013年1月24日

あるメーリングリストで「いよいよ連合が、改憲側になっていくことが明らかになりました。再び子どもを戦場に送らないとしている教職員組合は、連合脱退を検討すべきでしょう」という指摘がありましたが、この指摘はとりわけ重要だと思います。

10県教~1 
石川県教育研究集会(2010年10月 珠洲市)。壇上には「教え子を
再び戦場に送るな」のスローガンが掲げられている。


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2003年度教育研究全国集会(長野市)

私は、

「全国有数の組織力と行動力、かつ選挙においても全国最大の集票力を誇る大分県教祖には特に上記の指摘を焦眉の急の課題として間髪を置くことなく緊急に検討していただきたいものです。『教え子を再び戦場に送るな』は大分県教組、県高教組、市教組の変わることのない誓いの言葉でもあったはずです」

と書いて、教組関係者の多い地元のメーリングリストに発信しました。

上記の指摘は次のように続いています。

「検討しないのなら、ずるずると引き込まれるのではないでしょうか。この道は大政翼賛会への道です」。

日教組加盟単位組合の住所、電話番号、メールアドレスを掲載した一覧表(2010年4月現在)はこちらにあります。

できうればあなたのご意見を上記のそれぞれの日教組加盟単位組合にお届けください。改憲への危機感についてのそれぞれの思いをこめて。私たちそれぞれの改憲阻止のためのたたかいはそこから始まるのだと思います。

なお、日教組本部のメールアドレスは以下です(上記の一覧表にはありませんので追加しておきます)。
homepage@jtu-net.or.jp
中日新聞が昨年の8月から「日米同盟と原発」という連載記事を
ウェブに掲載しています。一番最近の記事は2013年1月23日
付け。その連載の第1回目から第5回目までの記事(全37本)
のウェブアドレスを下記に掲げておきます。「日米同盟と原発」と
いうテーマはいま現在の原発問題を考える上でのまさに今日的
なキーワードということができるように思います。たいへん参考に
なる連載記事だと思います。ご参照ください。

中日新聞 連載 日米同盟と原発

原子力局 
1956年1月4日、発足したばかりの
総理府原子力局の看板を掛ける職員
(中日新聞「念願の原子力閣僚」より)
 

第5回 「毒をもって毒を制す」
(1)マスコミを取り込め(2013年1月23日)
(2)平和利用で「ばら色」(2013年1月23日)
(3)念願の原子力閣僚(2013年1月23日)
(4)「PODAMは協力的」(2013年1月23日)
(5)木っ端役人は黙っとれ(2013年1月23日)
(附1)幻の「広島原発」 米が一時検討、市長も前向き(2013年1月23日)
(附2)国内初の原子炉導入をめぐる動き(2013年1月23日)

 
第4回「ビキニの灰」
(1)第五福竜丸の衝撃(2012年12月25日)
(2)俺たちで終わりに(2012年12月25日)
(3)食卓から魚が消えた(2012年12月25日)
(4)「原因はサンゴの粉じん」(2012年12月25日)
(5)「平和利用」の大義(2012年12月25日)
(附1)原爆より膨大な水爆エネルギー (2012年12月25日)
(附2)ビキニ事件と原子力をめぐる動き(2012年12月25日)

 
第3回「被ばくの記憶 原子力の夢」
(1)忘れ去ることなり(2012年11月7日)
(2)研究再開ののろし(2012年11月7日)
(3)被ばく教授、涙の演説(2012年11月7日)
(4)仕組まれた「わな」(2012年11月7日)
(5)札束でひっぱたく(2012年11月7日)
(附1)極秘文書に科学者81人の思想選別(2012年11月7日)

 
第2回「封印された核の恐怖」
(1)死の街ヒロシマ(2012年9月25日)
(2)悲劇は「日本の宣伝」(2012年9月25日)
(3)20万人以上の「実験」(2012年9月25日)
(4)近づく冷戦の足音(2012年9月25日)
(5)仁科の死そして巣鴨プリズン(2012年9月25日)
(附1)「被ばくの公表避けよ」 広島原爆で旧軍部指示(2012年9月25日)
(附2)鎮痛薬「ピカドン」など原子力賛美 GHQが情報統制(2012年9月25日)
(附3)占領期の核をめぐる主な動き(2012年9月25日)

 
第1回「幻の原爆製造」
(1)どうにか、できそうだ(2012年8月16日)
(2)戦争の死命を制する(2012年8月16日)
(3)ウランを入手せよ(2012年8月16日)
(4)行きつまった感あり(2012年8月16日)
(5)少年らに「マッチ箱一つ」(2012年8月16日)
(6)腹を切る時が来た(2012年8月16日)
(附1)原爆開発の端緒 仁科報告書のコピー入手(2012年8月16日)
(附2)<日米の原爆開発>(2012年8月16日)
(附3)戦時中の核開発をめぐる動き(2012年8月16日)
ある人から私の先のエントリについて、私がそのエントリで紹介している保立道久さん(歴史学者)の論は「嘉田氏(滋賀県知事)や未来の党の政策や行動への批判が主題ではなく、それをダシにして、嘉田知事という個人を批判するのがこの文面の目的であり主題である」という批判がありました。また、その論で菅直人元首相を「その種の単なる政治芸人である」と批判しているが、それは「個人攻撃というべきものであり、人格批判というべきものである」という批判がありました。

しかし、上記の批判は、前エントリの趣旨をよく理解しえず、また、そこでの問題提起を基本的なところで読み誤まっているいわゆる謬論としての批判でしかないと私は思っています。「個人攻撃」や「人格批判」という批判は人間の尊厳の問題の追究をライフワーク(生涯の課題)にしている私にとってただごとの批判ではありませんので、その論の誤りについて私の思うところを書きました。以下、「『保立道久さん(歴史学者)の問題の本質をつくカッコつき「脱原発政党」批判と環境学者知事としての嘉田由紀子氏批判』の読み方」というテーマでエントリしておきます(もちろん、「読み方」はいろいろであってもいいのですが、書かれていることをきちんと読み取ったうえで、という前提は最小限の「読解」ルールというものであろうと思います)。

Oさん

あなたがおっしゃるように保立道久さん(保立さんは歴史学者というだけでなく、「九条科学者の会」の呼びかけ人のおひとりでもあります)の嘉田氏批判を「嘉田氏の人物評」、嘉田氏への「人格批判」と捉える見方ももちろん成立しないわけではありません。

保立さんは嘉田氏の「琵琶湖文化館の廃館」という政治判断(この問題については「追記」をご参照ください)、すなわち、嘉田氏の政治家としての「思想」の立ち位置を問題にしているのですから、一般にその「思想」も含めて「人格」と名づけられている以上、その批判にある種の「人格批判」が含まれることはものの道理として避けることはできません。しかし、そういうことがいけないというのであれば、およそ思想批判なるものはすべからくできない、という道理にもなります。しかし、そういう道理などありえるはずがありません。

たとえば『日本思想史研究』という学問の分野がありますが(ちなみに保立さんは日本中世史の研究者です)、この「日本思想史研究」というのは先人及び同時代人の思想を「批判」する、あるいは継承する研究の体系といってもよいものです。ここではたとえば江戸期の学者の荻生徂徠伊藤仁斎本居宣長などなどの先学はもちろん、現代の思想家の丸山眞男(故人)や加藤周一(同)などなども「批判」の対称になっています。そして、そのいずれも先学、あるいは同時代人の「思想」批判である以上、そこには当然「思想=人格」(思想的アイデンティティー)批判も含みます。しかし、そういう研究がいけない、ということには当然ならないでしょう。

保立さんの嘉田氏の思想的アイデンティティーを問う嘉田氏批判を「人格批判」だとして非難しようとするあなたの仕業は論理的なものということはできません。つまり、当たらない批判だということです。

また、保立さんの「未来の党(?)と歴史学」という論攷の主題は「嘉田知事という個人を批判する」ことを目的にしているわけではありません。先のエントリ記事で私が要約しているように保立さんの同論攷の主題は「脱原発政党」のあり方を問うものです。「未来の党」の問題、嘉田氏の政治姿勢の問題はその具体例としてとりあげられているということにすぎません。あなたは保立さんの論攷での「『脱原発』を真に実現するためにはどうすればよいか」というその甚深な問題提起の本質を基本的なところで読み誤まっているように私は思います。

さらに保立さんの菅元総理に対する「政治芸人」という評言も私は言い得て妙だと思います。保立さんはあなたが非難する「政治芸人」という表現のすぐ前で次のように言っています。

「さらに基礎的な条件としては、現在国会に存在する政治家の多数が、客観的にいって、原発の体制を追認し、推進してきた人物であることである。彼らはまったく必要な反省をしていない。現総理大臣についてはふれないとしても、前総理大臣はその最たる存在であって、彼は以前は「反原発」をいっていたにもかかわらず、権力の座につくや手のひらを返したように、原発業界に媚を売り、原発のアジアへの輸出の旗を振り、さらには原発事故に際して決定的な誤りをした。最初の政綱を放棄するような政治家は三文以下の存在である」、と。

実際に菅元総理は菅内閣時の2010年6月18日に「原子力発電を積極的に推進する」「核燃料サイクルは、(略)確固たる国家戦略として、引き続き、着実に推進する」などとする「エネルギー基本計画」を同内閣の公式見解として閣議決定しました。この閣議決定はその後の民主党内閣においても変えられることなく生き続けてきた、というのもまた事実です(「「原子力基本法の基本方針に『安全保障に資する』と加える改正案の撤回を求める」世界平和アピール7人委員会のアピールと私のコメント ――民主党政治を弾劾する」弊ブログ 2012.06.21)。

さらにまた、民主党は、2011年3月31日にあった「日本からヨルダンに原子力技術を供与するための原子力平和利用協定締結承認案件」(原発の海外輸出)の国会での投票の際、参議院において全員賛成票(衆議院においてもほぼ全員が)を投じましたが、菅元総理ははこのときの民主党内閣の総理大臣でもありました()。

保立さんの上記の指摘に誤りはありません。その政治事象について評言し、その際の政治事象の立役者である菅元総理を「政治芸人」と指弾する。そのことに何の「人格批判」的な問題があるというのでしょう?() 私は保立さんの上記の政治批判はまっとうな、まっとうすぎるほどの政治批判の評言だと思います。思想批判と人格批判はときには一対のものであるということはすでに述べていることです。

注:裁判上で「人格批判」が問題になるのはほとんどの場合私人への名誉毀損の場合ですが、政治家(公人)に対する「人格批判」の場合には「相当性の抗弁」の法理が適用されて、その要件に該当する場合は名誉毀損の成立は認められません。

追記:琵琶湖文化館の「廃館」問題についてもひとこと述べておきます。あなたは「その批判の根拠も疑わしい」などとも言われていますが、なにが「疑わしい」のでしょう? 保立さんは嘉田氏は「琵琶湖文化館の廃館に責任がある」と指摘されていますが、同館は「休館」という名目で2008年3月から2013年1月の今日まで閉鎖されたままになっており、事実上の廃館状態になっています。

この間知事職をつとめていたのは嘉田さんです。その嘉田さんに「琵琶湖文化館の廃館に責任がある」という保立さんの主張には根拠があり、もっともなご主張だと私は思います。

琵琶湖文化館は、施設の老朽化の問題や、施設の制限でせっかくの文化財を有効に管理・活用できていないなどの問題も指摘されているとのご指摘ですが、それならば知事として「有効に管理・活用」できるような施策を講じればよいのであって、事実上の廃館状態を続けている釈明にはならないでしょう。また、「耐震などの安全面で問題があるために使用出来ない」というのであれば建物の改築、再築を視野にいれて施策を講じればよいことです。「嘉田知事が廃館を推進したかのような物言いは、私には言いがかりにしか聞こえない」とも言われていますが、嘉田氏が知事職のこの約5年の間、同氏は同館を事実上の廃館状態のままで放置しているのですから、嘉田氏は「廃館を推進している」と評価されても弁明の余地は少ない、というのが私はふつうの評価というものだと思います。「(嘉田氏は)琵琶湖文化館の廃館に責任がある」という保立さんの指摘はまっとうな指摘というべきものでしょう。
歴史学者の保立道久さん(東京大学史料編纂所教授)が歴史学者らしい視点から日本未来の党の「卒原発」政策と環境学者知事としての嘉田由紀子氏(未来の党前代表)の「環境」政策とその政治手法をわかりやすく、しかし、厳しく批判をしています。

「脱原発政党」のあり方を問う文章としては私がいままで読んできた文章の中でももっとも根底的な問題点を洗い出している文章(保立さんの下記の本文の「原発からの脱出は」以下の手順を追った説得力のある論理の展開を直にお読みください)だとも思います。

滋賀県知事の嘉田由紀子氏の批判についても琵琶湖文化館の廃館の問題に触れて地域的(いわゆるグローカル)な視点から、それゆえにもっとも根底的、といってよい問いを発している文章だとも思います。「環境学者として、嘉田氏は歴史の学界や博物館界との間で問題をかかえていることは自覚していただいた方がよい。博物館の閉鎖という問題は政治家として日本の文化的伝統を本当に大事にするという覚悟があるかどうかにかかわってくる。『未来を考えるためには、過去をふり返らねばならない』というのは歴史学者にとって譲れない一線である」、と。

この保立道久さんの嘉田由紀子氏への問いは「琵琶湖発、未知の風 小沢氏合流に不安の声も」(朝日新聞 2012年11月28日)という記事の中で嘉田氏をこれまで支持してきた人たちのおひとりの「びわ湖自然環境ネットワーク」代表の寺川庄蔵さんらの次のようないぶかりの言葉とも相通じるものでしょう(寺川さんは嘉田知事の与党である地域政党「対話でつなごう滋賀の会(対話の会)」の前代表でもあった人です)。

「(嘉田氏の当選は)周囲の理解と支援で実現したことだが『自分に力がある』と思ってしまったのだろうか」といぶかったという」。

「(未来の会の結党について)事前の相談があれば引き留めた。10年の知事選で県史上最多の42万票を得たおごりがあったのでは」

以下は、その保立道久さんの「未来の党(?)と歴史学」(保立道久の研究雑記 2012年12月6日)。転載させていただこうと思います。

未来の党(?)と歴史学
(保立道久の研究雑記 2012年12月6日)

工学部建築学科の前の銀杏。見事である。しかし、空は晴れても
心は怒り。

未来の党という党が結成された。これは原発はまずいということが、
大多数の世論となり、それを政治家が無視できなくなったことの表
現であって、こういう形であっても、それが現れるのはよいことであ
る。

しかし、それを前提とした上で、歴史家として気になるのは、党首
となった嘉田氏が、滋賀県知事として、琵琶湖文化館の廃館に責
任があることである。その廃館の方向は嘉田氏が知事となる前か
ら議論されていたことであったと記憶するが、しかし、その任期に
おいて、嘉田氏が、これを追認し、推進してきた知事であることは
人文諸科学にとって重大な問題である。

琵琶湖文化館は文化庁が公的に一級と認めている博物館であっ
て、歴史学界では、その所蔵品や展示、研究の評価はきわめて
高かった。琵琶湖文化館は滋賀県の寺社から寄託された仏像
その他の重要な文化財を保有していたはずである。その諸機能
は他の県立博物館に移行しているとはいえ、地域の文化財の問
題としては多くの問題が残っている。

それだけに、環境学者が知事になったことに期待をしたが、その
期待は裏切られた。環境学者として、嘉田氏は歴史の学界や博
物館界との間で問題をかかえていることは自覚していただいた方
がよい。博物館の閉鎖という問題は政治家として日本の文化的
伝統を本当に大事にするという覚悟があるかどうかにかかわって
くる。「未来を考えるためには、過去をふり返らねばならない」とい
うのは歴史学者にとって譲れない一線である。

さて、「卒原発」ということが、未来の党の目標であるということで
ある。「卒原発」ということと「即時原発〇」ということには相当のニ
ュアンスの違いがある。原発は即時に廃炉の手続きに入るのが、
もっとも合理的で無駄がない方向であることは若干でも事態を調
査した人にとっては明瞭であろう。使用済み放射性燃料の処置
は大問題であって、実際上、「即時原発〇」の合意の上でなけれ
ば処置の方向は決められない。

笹子トンネルの事故をみても、「高度成長=乱開発」の中で劣化
・疲弊した社会と自然は、何が起こるかわからない事態にある。
それについての過度な危機意識は有害であるとしても、「高度成
長=乱開発」によって作り出された社会と人工物の構造を点検
することはどうしても必要である。それは歴史意識の問題である。
そして、その中心問題が原発にあたることはいうまでもない。地
震・事故・テロなどの危険は現実問題である。40年前、つまり乱
開発の開始時期からとっても、現代社会の構造のもっている脆
弱性を十分に顧慮に入れるのが歴史的な常識というものである。

原発からの脱出は、博物館の廃館の方針をひっくりかえすこと
よりも、さらに困難な課題である。もちろん、原発からの脱出の
方向は、部分的な前進であっても必要であり、貴重であるが、
原発の廃棄は決して簡単ではなく、強力な主張勢力が必要で
ある。

その事情はまずいうまでもなく、アメリカが日本の脱原発に対し
ては強大な圧力を加えることである。アメリカは、ドイツの次ぎ
に日本が脱原発の道に進むことは決して許さない。これはアメ
リカの世界戦略にかかわってくる。アメリカが強固で系統的な
世界戦略をもっているというのは、歴史家にとっての常識であ
って、その力量は相当のものである。バラク・オバマは前任の
ブッシュがアメリカ知識人世界で馬鹿にされている人物である
ことのおかげで今でも評判がよいが、しかし、アメリカの世界
戦略という点からみても、相当のやり手である。脱原発は普天
間基地の撤去以上にアメリカとの間で決定的なデッドロックと
なる問題である。「反米・愛国」のナショナリズムは日本の政治
にとって必須の基準であるというのが、少なくとも最近、私など
の世代にとっての常識となっているはずである。

また日本の経団連を中心とする既成財界も、脱原発はその
構造それ自身に関係する問題である。電力会社が日本の既
成の旧財界の構造的な中心にいるということは明らかなこと
であって、とくに各地域の地域財界はどこも中心が電力会社
である。電力会社の独占利益を全体として保障することは、
日本社会における経済と物質代謝の循環を財界が統御する
上で決定的な位置をもっている。そうでなければ、昨夏のよう
な電力不足キャンペーンが行われる訳はないのである。

この二つの壁を破って「脱原発」を実現することは容易なこと
ではない。この二つの壁が存在するということは客観的な事
実、社会科学上の事実である。その壁を破るには、それが
「壁」であることを認識するのがどうしても必要である。ぎゃく
にいうと、それが「壁」であることが認識されれば、この「壁」
は崩すことができる。しかし、鳩山氏が、普天間移転をいっ
てすぐに投げ出したのは、その壁の存在を明示せずに、普
天間移転という主張をしたからである。主観的希望のもとに
政治家が行動するなどというのは話しになったものではない。

さらに基礎的な条件としては、現在国会に存在する政治家の
多数が、客観的にいって、原発の体制を追認し、推進してき
た人物であることである。彼らはまったく必要な反省をしてい
ない。現総理大臣についてはふれないとしても、前総理大臣
はその最たる存在であって、彼は以前は「反原発」をいって
いたにもかかわらず、権力の座につくや手のひらを返したよ
うに、原発業界に媚を売り、原発のアジアへの輸出の旗を振
り、さらには原発事故に際して決定的な誤りをした。最初の
政綱を放棄するような政治家は三文以下の存在である。

重ね重ね、その危険が指摘されてきた「原発」を、その声を
知りながら追認し、維持してきた政治家は、罪万死にあたい
する。普通の常識では「敗軍の将、兵を語らず」といわれる
ように全員引退するべきものである。社会的な名誉はありえ
ない。居座った上に、現実には、福島を放置し、棄民政策を
とるような政治家は人間以下の存在である。根本的な反省
せずに、べんべんと地位に固執するような俗物政治家をふ
くむ政党に危惧をもつのは当然のことである。右の前総理
大臣は、以前に、一度、四国お遍路に出たというが、ようす
るに、その種の単なる政治芸人である。「国家=劇場」は、
この種の政治俗物を必然的に生み出し養うのであって、こ
れは人類史の現在的限界の中ではやむをえないことである
が、いうまでもなく、政治それ自身は我々の負託にもとづく
神聖な仕事であって、それを生業の手段とするような「劇場」
であってはならない。

私は、普通、ここまでの過言をいうことはしないが、最近の
状況をみていると怒りが募る。政治家というは、ようするに
非生産労働である以上、仕事については何をいわれても甘
受すべきものであることはいうまでもなかろう。

そして、最後は官僚機構である。官僚機構は、アメリカ・旧
財界・旧政治家に強く組織されている。それを知らずに希
望通りに「官僚をおさえるだとか」「官僚支配が悪いだとか
いって」、俺ならば、私ならば官僚機構を動かせるなどと思
っているのは愚の骨頂である。アメリカ・旧財界・旧政治家
の一つだけならば、一時的な突破は可能であるが、その三
位一体の基礎が官僚組織によって固められているというの
が客観的な構造である。そのためにはなんといっても明瞭
に脱原発をいう勢力が社会的に前進すること
が必須である。
そういう事柄を「過去」を無視する政治芸人にゆだねる訳に
はいかない。

私は21世紀半ばには原発の離脱するという前東大総長の
小宮山宏氏の提言(『地球環境維持の技術』岩波新書)に
感心した記憶があるが、それを読んだ記憶でも、「脱原発」
はアカデミー・財界・政界・技術世界のすべてが旧態から離
脱して、従来の立場を超え、総力をあげるべき戦略問題で
ある。日本は東アジアにおいてドイツの後を追って脱原発
の道に進む責任がある。そのためにはドイツと同じように、
「過去」を直視し、「即時原発〇」の勢力が社会的に前進す
ることが必須であると思う。
福島県双葉町の井戸川克隆町長が昨日の23日に町長の職を辞されたようです。とうとう辞職に追い込まれた、といった方が正鵠かもしれません。

双葉町は永遠に(福島県双葉町 町長・井戸川克隆 2013年1月23日)

井戸川町長に対する町議会の全会一致による不信任案の可決の問題については私は昨年末に映画監督の舩橋淳さんと堀切さとみさんのメッセージを紹介して以下のような記事を書いたことがあります。

福島県双葉町の井戸川克隆町長に対する町議会の全会一致による不信任案の可決について 映画監督の舩橋淳さんと同じく映画監督の堀切さとみさんのメッセージ(弊ブログ 2012.12.25)

「(上記おふたりのメッセージの言葉を)知るにいたって断じて井戸川町長を擁護しなければならない、と思うに到りました」、と。

その井戸川町長が結果として辞職に追い込まれてしまったのですから、なんとも無念としか言いようがありません。

もちろん、井戸川町長のその辞職には「町議会全会一致による不信任案の可決」という(その可決が理不尽きわまるものだとしても)動かしがたい事実が背景にあることは明らかです。町長としては「避難という過酷な状況」の一日でも早い解決のためにもこれ以上町政を混乱させたくはない、と苦悩の末での今回の決断だったでしょう。

しかし、私は、今回の井戸川町長の辞職には、昨年末の総選挙で原発推進勢力としての自民党が圧勝してしまったことも大きく影響しているだろうと思います。民主党のさらにうわてをいく原発推進勢力としての自民党が圧勝してしまった以上、井戸川町長がこれまで主張してきたことの実現はいっそう遠のいた、という思いが今回の町長の辞職の決断をさらにうながしたのだろうと私は推測します。

今回の町長辞任劇という事例は国政レベルでの失政、その予感すらが、残念なことですが地方自治までも蝕んでしまう好個の事例ともなりえているように思います。そういう意味でもこの4年近くの民主党政権の失政(その最たる失政は自民党政権を結果として復活させたこと)はいっそう罪深いものがあると指弾を重ねておかなければならないでしょう。

ただ、井戸川町長の退任の辞の中の双葉町の復興について福島県知事に直訴した折の「私に町をくださいと言いました」という発言はいただけません。町はいうまでもなく町長のものではなく、町民のものです。その発言はおそらく「町民の代表としての私に町をください」という意なのだと思いますが、ここはやはり明確に「町民に町を(返して)ください」というべきところでした。ここに私は井戸川町長の思想の保(古)守性、すなわち非民主性を感じずにはいられません。

以上は、井戸川町長は基本的に保(古)守の人だということを前提にした上で、その町長の一生懸命さと誠実さを評価し、双葉町議会の理不尽な町長不信任案の可決を批判するという文脈の中で書いたものです。
夜明け前の常念岳 
夜明け前の常念岳(乗鞍岳)

私は今年のはじめに「「沖縄イニシアティブ」批判を「New Diplomacy Initiative」批判と読み替えて比屋根照夫「『沖縄イニシアティブ』を読む」を読む」という新NGO組織としての「ニュー・ディプロマシー・イニシアティブ(新外交イニシアティブ)」の立ち上げを批判する記事を書きました。知識人の志の確かさ、不確かさの問題として(追記参照。さらに25日付けで最終段落2段を若干改稿しました)。

追記:NDI(New Diplomacy Initiative)という新NGO設立の動き
は私にはあの悪名高い「
沖縄サミット」の際のかつての「沖縄
イニシアティブ
」の論者たちの動きとオーバーラップして見えまし
た。NDI批判として「沖縄イニシアティブ」を持ち出したのは私と
しては意味のあることなのです。「
『沖縄イニシアティブ』批判」に
おいて比屋根照夫氏(琉球大学法文学部教授。日本政治思想
史)の指摘する「発話者の『位置』」、「言論人・知識人の社会
的責任
」を問う問題として。それが私のいう知識人の志の確か
さ、不確かさということの意味です。(1月24日)


なぜ私は年のはじめに、すなわち今年最初の記事として新市民組織としてのニュー・ディプロマシー・イニシアティブの立ち上げを批判する記事を書いたのか?

その理由は、昨年末の総選挙における「日本の歴史を否定する右翼ナショナリスト」(ニューヨーク・タイムズ)党派としての自民党を国会で改憲を発議できるまで(衆議院議員のほぼ3分の2)に圧勝させた責任はひとえに民主党のこの4年近くの腐れきった政権運営の失敗にある、という私の認識にあります。

この民主党の4年近くの政権運営は単にこの4年近くの期間を政治的に無駄(ロス)にしたという政治責任にとどまりません。その腐れきった政権運営の失敗の結果、やっと終焉を迎えたかに見えた戦後連綿と続いた自民党の長期政権を復活させ、さらに少なくとも今後4年間、政治革新にとって致命的な合計8年間の政治的空白(ロス)の期間をつくりあげてしまったのです。その民主党の政治責任は言葉では言い現わせないほど重大です。若い人にとっての8年間は成長の8年間ということになるのかもしれませんが、老人、高齢者にとってはこの8年間は文字どおり生死にかかわる致命的な8年間の空白(ロス)ということにならざるをえません。その中の少なくない老人たちは8年後には屍になっているのかもしれないのです(この中には私も入っている可能性があります)。

ニュー・ディプロマシー・イニシアティブは国民全体に対してそうした重大な政治責任を負っている民主党のかつての党首、かつての総理大臣を講師に迎えて新NGO組織の設立プレシンポジウムを開くという。同新NGO事務局長の猿田佐世さん(弁護士)は「イベントに鳩山元総理を招いたのは『普天間基地の県外移設』を模索するも結局断念することになった過程が日本の外交の問題点、閉塞感を象徴していると感じたからでした」(琉球朝日放送報道部 2013年1月11日)と言う。しかし、それでよいのか。少なくとも8年間の政治空白をつくり、いまもつくりつつある民主党の元総理大臣の重大な政治責任を不問に付してそれでよいというのか。私はここにこの新NGO組織の政治認識の愚かさと至らなさを思わずにはいられないのです。反省のない政治認識はまたあらたな過ち、同じ過ちを犯すのは必定といわなければならないでしょう。まして、前政権は政治革新にとって致命的な合計8年間の政治的空白(ロス)の期間をつくりあげてしまったのです。その責任を問わない政治認識とはなにか。同じ過ちの轍を踏まない、踏ませないためには新しいNGO組織の政治認識をそうした政治認識が流通する以前に厳しく批判しておく必要があるでしょう。まして今年は参議院選挙の年でもあるのです。

いま、その夏の参議院選挙を前にして「日本の歴史を否定する右翼ナショナリスト」(ニューヨーク・タイムズ)の党派としての自民党政治を打倒するための共闘論議が盛んです。しかし、上記の反省を踏まえない共闘論議は同じ過ちの轍を踏まざるをえないでしょう。すなわち、政治革新にとっての政治空白の期間をまたぞろ長引かせるということにしかならないでしょう。単に数合わせの論理で政治の共闘を語ってもほんとうの意味の市民のための政治の再建はできない、と私は思います。いまのこの時期にこそ丸山真男のいう「方向性の認識」をともなう「現実認識」(『丸山真男セレクション』(平凡社ライブラリー)「政治的判断」p.358-359)の態度が私たちの「政治認識」の態度として重要になっている、といえるのではないでしょうか。

今年のはじめに新NGO組織としての「ニュー・ディプロマシー・イニシアティブ(新外交イニシアティブ)」の立ち上げを批判する記事を置いたのはそういう理由からです。

そのニュー・ディプロマシー・イニシアティブ(新外交イニシアティブ)の設立プレシンポジウム「新政権に問う ―日本外交がとるべき針路は―」が先の政権(民主党政権)の初代総理大臣の鳩山由紀夫氏を講師に迎えてこの10日に参議院議員会館1階講堂で予定どおり開かれたようです。

いま問われる「外交」のありかた 新たなシンクタンクを設立(琉球朝日放送報道部 2013年1月11日)

そのプレシンポジウムで鳩山元総理大臣は自らの退陣の契機となった沖縄米軍基地の『辺野古現行案』回帰の決定について次のように語ったようです。

「沖縄の皆さまのご意向を尊重して『最低でも県外にしたい」と。その考え方は間違っていたとは思いません。勝手に外務省や防衛省が解釈して、最後には辺野古に戻すという議論しかないんだよという方向で」、と。

しかし、上記の琉球朝日放送報道部の記事を読むかぎり、この鳩山元総理大臣の『辺野古現行案』回帰の決定の責任をすべて官僚のせいにする無責任きわまるプレシンポジウムでの発言について、同組織事務局長の猿田佐世氏(弁護士)及び同組織の新理事4名(鳥越俊太郎氏(ジャーナリスト)、藤原帰一氏(東京大学教授)、マイク・モチヅキ氏(ジョージ・ワシントン大学教授)、山口二郎氏(北海道大学教授))が何らかの異議を申し立てた形跡はありません。

マイク・モチヅキさん:「外交政策は専ら専門家に任されているが、最終的に国民の声をきちんと反映すべきだ」

鳥越俊太郎さん:「一番現実的に変わるきっかけになりうるのは、沖縄の問題だと思う。期待しています」

藤原帰一さん:「日米関係を支えてきた人たちがどういう人たちかというと、アメリカでは共和党政権の人たち、日本では自民党政権の人たち。これまでの人たちの議論ではないものを出していきたいと思っています」

猿田佐世さん:「シンクタンクはあまり日本にはないが(米国では)常にプラティカルな提言者がいるわけです。ちゃんと学術的にも裏を詰めており、実務的な感覚も忘れないと。提言をしていって、国境を超えるような提言をしていきたい」

*上記の琉球朝日放送報道部の記事にはNDIの理事のひとりの山口二郎さんの発言の記載はありません。

鳩山元総理大臣のプレシンポジウムでの発言に関してはみんなピントはずれの発言ばかりです。もちろん、文脈は違いますが、鳩山元総理大臣の発言に対する批判は同組織の理事、事務局長からはおそらくなかったのでしょう。これが「ニュー・ディプロマシーという意味はもっと市民の声をディプロマシー=外交に反映していきましょうということなんです。市民の声が外交に反映されるようにしたいと」(猿田佐世事務局長)という「市民の声」の第一弾です。彼ら、彼女たちの政治認識を「私はここにこの新NGO組織の政治認識の愚かさと至らなさを思わずにはいられないのです」というのはしごく当然というべきではないでしょうか。

しかし、上記のような鳩山元総理大臣の発言に関してはもう2年半以上前にウチナーンチュの次のような的確な批判があります。

 
総理大臣をやめたひとが、役所の意思が固くて辺野古にアメリカの基地をつくることになった(太字は引用者。以下同じ)といったらしい。おそろしいことだ。(→毎日新聞 2010年6月12日)
(中略)

外務大臣をしているひとが、沖縄のひとびとが『やむを得ない』とおもう状況をつくるといっている。(→共同通信2010/06/09)

こんなにもあからさまに、敵対され恫喝される沖縄のひとびとは、この国の主権者ではないんだろうか。沖縄は、はからずもこの国の在り方の根源をみつめざるえないポジションに立たされている。立たされ続けている。むごい在り方の。むごい在り方で。
(中略)

総理大臣をやめたひとが、役所の意思が固くて辺野古にアメリカの基地をつくることになったといったらしい。私たちは沖縄で生きる民であることをやめることはできないので、どれほど役所の意思が固かろうとも踏ん張るしかない。一国の総理大臣の職がお気楽なものだとは思わないが、やめられるだけお気楽だとは言ってのけたい。外務大臣は、沖縄の民の踏ん張りを切り崩してやると恫喝しあからさまに沖縄の民に敵対してみせてくれる。なんという国家政府であろうか。怒りは深いところで胎動している。
(中略)

感謝などいらないから、踏んでる足をどけてくれないか。私は温厚なヘタレだからキレないが、ウヤファーフジにその「感謝」は、「あんちまでぃ ちゅー うしぇーんなぁ、ぬがらちならん」と叱られると思う。ましてや死んでも死に切れない地獄の戦火で逝った先輩たちには・・・
(「曳かれ者の小唄」 なごなぐ雑記 2010年6月14日

さらに次のような歴史学者(東京大学史料編纂所教授)の最近の鳩山氏評価の言葉もあります。

この二つの壁(引用者注:アメリカの壁と日本の財界の壁(par.6-8))を破って「脱原発」を実現することは容易なことではない。この二つの壁が存在するということは客観的な事実、社会科学上の事実である。その壁を破るには、それが「壁」であることを認識するのがどうしても必要である。ぎゃくにいうと、それが「壁」であることが認識されれば、この「壁」は崩すことができる。しかし、鳩山氏が、普天間移転をいってすぐに投げ出したのは、その壁の存在を明示せずに、普天間移転という主張をしたからである。主観的希望のもとに政治家が行動するなどというのは話しになったものではない。
(「未来の党(?)と歴史学」 保立道久の研究雑記 2012年12月6日

彼我の認識の差はあまりにも大きい、といわなければならないでしょう。
 
お詫び


    前エントリ記事で引用した『丸山真男セレクション』(平凡社ライブ
    ラリー)「政治的判断」には私が論点にしている重要なところで読
    み飛ばしていた箇所がありました。もちろん、私の不注意による
    ものです。が、その結果、私の批判している神戸新聞の元旦の
    社説の記述の解釈を誤ったところがあります。私の神戸新聞の
    元旦の社説批判の大要を訂正する必要は感じませんが、過ちの
    部分は改めておきたいと思います。「訂正版」として再エントリす
    る次第です(なお、前エントリ記事はそのまま残しています)。


神戸新聞の元旦の社説「選択の後で/したたかな現実主義が道を開く」とは次のようなものでした。

選択の後で/したたかな現実主義が道を開く(神戸新聞 2013/01/01)
注1として下段に全文を転載しておきます。

私の参加しているメーリングリストでこの神戸新聞の元旦の社説を「おまかせ民主主義」からの脱却と「政治家を使い倒す」(M.ヴェーバーの拡大解釈)ということについて有用な示唆を与えてくれる好論文として大変に評価する社会学研究者がいました。以下は、その人への反論としても書かれたものです。

ご紹介される神戸新聞元旦の社説「選択の後で/したたかな現実主義が道を開く」は実際の丸山真男の<政治的リアリズム>の主張を商業メディアの域を出ない自己の寸尺に合わせて切り取り、換骨奪胎している論のように思えます。この際、神戸新聞元旦の社説への私の違和を少しく述べさせていただこうと思います。

神戸新聞社説はまず「昨年末の総選挙で、福沢諭吉の言葉が引用されることがあった。政治でベストの選択は難しい。『悪さ加減』の差を見分けて投票するしかないという意味だ」と述べて、上記で用いられている「政治でベストの選択は難しい」「『悪さ加減』の差を見分けて投票するしかない」という言葉はその後の文脈から見て丸山真男が語った言葉(内容的に)であるかのように書いています。

しかし、神戸新聞社説に引用される講演「政治的判断」で丸山は「政治でベストの選択は難しい」などとは述べていません。丸山が同講演で語っているのは「政治でベストの選択は難しい」ということではなく、「政治というものをベストの選択として考える考え方は、容易に政治に対する手ひどい幻滅、あるいは失望に転化」(注2)しやすい、ということです。そのことについて丸山は次のように説明しています。

「政治というものをベストの選択として考える考え方は、(略)政治的な権威に対する盲目的な信仰と政治にたいする冷笑とは実は裏腹の形で同居している。政治にベストを期待するということは、強力な指導者による問題解決の期待につながります。政治というものは、われわれがわれわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセスを中心にして思考していったものでなければ、容易に過度の期待が裏切られて、絶望と幻滅が次にやってくる」()、と。

すなわち丸山は同講演では「政治というものをベストの選択として考える考え方」の危険性について述べているのであって、「政治でベストの選択は難しい」から『悪さ加減』の差を見分けて投票するしかない」などという俗なことを述べているわけではありません。丸山は逆に同講演では「政治というものは、われわれがわれわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセスを中心にして思考して」いくことの重要性を強調しています。

丸山によれば、「われわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセスを中心にして思考」するとは、「現実というものはいろいろな可能性の束です。そのうちある可能性は将来に向かってますます伸びていくものであるかもしれない。これにたいして別の可能性は将来に向かってますますなくなっていく可能性であるかもしれない。そういう、方向性の認識というものと、現実認識というものは不可分なんです。それを方向性なしに、理想はそうかもしれないけれども現実はこうだからというのは政治的認識ではない。いろいろな可能性の方向性を認識する。そしてそれを選択する。どの方向を今後のばしていくのが正しい、どの方向はより望ましくないからそれが伸びないようにチェックする」(注3)ということです。丸山にとっては「可能性の束」の「方向性の認識」を持たずに「『悪さ加減』の差を見分けて投票する」などという態度は論外な態度というべきものなのです。丸山の指摘していることと、神戸新聞元旦の社説の主張とは天と地ほどにも違いがあります。神戸新聞元旦の社説は丸山の本来の主張を換骨奪胎していると評するほかありません。

神戸新聞元旦の社説の「微妙な差を見分けることこそが積極的な態度で、政治参加への第一歩になる」という主張も丸山真男の本来の主張を換骨奪胎させた主張でしかないことはもはや明らかでしょう。たしかに丸山は同講演では「『悪さ加減』の微妙な差を見分けること」(注4)の重要性についても語っています。また、投票行動においては「政治悪ということは十分知りながらなお選択するという積極的な態度」()も必要だ、ということも語っています。しかし、それらの政治的な判断はあくまでも現実の政治状況(A党、B党など多数の政党の存在やその勢力関係)を前提にした上での政治的判断であって、さらに後者は「逆説的な考え方」()でしかありません。丸山にとっては「方向性の認識というものと、現実認識というものは不可分なんです。それを方向性なしに(略)現実はこうだからというのは政治的認識ではない」(注3)のですから、「可能性の束」の中のどのような方向を選択するかという「方向性の認識」を持たない「現実認識」は「政治的認識」とはいえないのです。すなわち、「方向性の認識」を持たない「現実認識」は政治に対する「積極的な態度」とは評価することはできず、「政治参加への第一歩」とも評価することはできないものなのです。神戸新聞元旦の社説と丸山の本来の主張とは180度ほどの違いがある、とここでも指摘しておかなければならないでしょう。

神戸新聞元旦の社説は上記の丸山の言葉の引用のすぐ後に「いいものだから参加するというよりはむしろ悪いものだから参加して監視していく。これがつまり政治的なリアリズムの考え方」(注4)であるという丸山の言葉をさらに引用して「したたかな現実主義が道を開く」という自らの社説の主張と高名な政治学者・丸山真男の主張との考え方の同質性を強調していますが、丸山のいう「現実主義」はさまざまな「可能性の束」である「現実」の中でどのような方向性を選択するのが望ましいかという「方向性の認識」とともにあるものです。「方向性」の判断の問題を不問にして単に「『むしろ悪いものだから参加して監視していく』という態度が『政治的なリアリズムの考え方』」などと言われては、丸山も草葉の陰で咽び泣きするほかないでしょう。

参考:
丸山真男の「政治的リアリズム」の考え方については、自ら丸山の弟子を任じる政治学者の浅井基文さんも以下のとおり丸山の思想の足跡を紹介し、その丸山の言葉に対する浅井氏自身の注釈とコメントを附しています。本エントリの参考として付記しておきます。

日本の政治状況に対する考察方法:《政治的リアリズム》――「日本の政治問題に対するアプローチの仕方」(A:p.319)――
日本の政治状況に対する考察方法:《政治的リアリズム(2)》――「日本の政治問題に対するアプローチの仕方」(A:p.319)――

注1:神戸新聞の元旦の社説「選択の後で/したたかな現実主義が道を開く

「『悪さ加減』の選択」

昨年末の総選挙で、福沢諭吉の言葉が引用されることがあった。政治でベストの選択は難しい。「悪さ加減」の差を見分けて投票するしかないという意味だ。

一見、消極的な響きもあるが、お上任せや、誰がやっても政治は同じという考えの対極にある選択だと政治学者の丸山真男は指摘する。講演「政治的判断」で福沢の言葉を引きながら、こう話した。

「政治というものは、われわれがわれわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセスを中心にして思考していったものでなければ、容易に過度の期待が裏切られ、絶望と幻滅がやってくる」

微妙な差を見分けることこそが積極的な態度で、政治参加への第一歩になる。「いいものだから参加するというよりはむしろ悪いものだから参加して監視していく。これがつまり政治的なリアリズムの考え方ということになるわけです」

絶望やあきらめは政治を劣化させるだけだ。国民のしたたかな現実主義が政治を、社会を変えていく。大事なのはこれからだといえる。


師走の選択は終わったが、今年は参院選や兵庫県知事選もある。新たな選択の年。50年以上前の丸山の言葉をもう一度かみしめ、見極める力を磨きたい。

経済再生、原発問題、外交などの課題は山積する。先行きの不透明感は漂うが、実は1年後よりも40年後の方が予想はたやすいという。

英エコノミスト誌が編集した「2050年の世界」(文芸春秋)はそう記す。例えば人口については実際に近い数字が出せる。40年後のアジアの隆盛も多くの執筆者の一致した見方である。

しかし、分厚い本の中で日本に関する記述は少ない。一つは世界史上最も高齢化の進んだ社会となることだ。もう一つは経済力の低下。2010年に世界経済の5・8%を占めていた日本の国内総生産(GDP)が50年に1・9%になる。

アジアが発展する中で日本の存在感は薄れていく姿が描かれた。

あまりに悲観的な見方であり、この予測を覆すことは不可能ではないはずだ。ただ、人口減、少子高齢化が進むことは確かで、そこは冷静に受け止めたい。

課題から逃げない

兵庫県の推計でも厳しい数字がある。55年の将来人口は05年に比べ3割近くも減る。淡路や但馬などの9市町は05年から半減する見通しだ。

しぼんでいく日本、疲弊する地方。右肩上がりは過去のものとなった。価値観の転換が迫られる中で、地域の将来像をどう考えるか。答えは容易には出せないが、足元を見つめて課題に取り組む多様な動きが各地で始まっている。

例えば篠山市大山地区のNPO法人「大山捕獲隊」。アライグマ捕獲が専門で、昨年8月に法人になった。全国でも例がないというユニークなNPOだ。

ペットとして持ち込まれたアライグマが野生化し、農産物などを荒らす。兵庫県では4千頭が捕獲されている。出産や子育てのため屋根裏などに侵入しており、篠山での繁殖は、人口減による空き家の増加も一因になった。

スイカが特産の地区だが、昨年は26頭を捕獲し、夏の農産物被害がなくなった。「人に任せない。自分たちで地域の自然を守る」という取り組みである。

思わぬ収穫もあった。わなに掛かったと住民から連絡が入る。高齢者と接する機会が増え、買い物などの相談を受ける。自治会との連携も深まった。地域の悩みに正面から向かうことが、住民のつながりを強めることに結びついた。

タテとヨコの融合

同じ篠山市内でデイサービスや子どもたちの里暮らしなどに取り組むNPO法人「風和」は、発足当初から自治会役員や民生委員などがメンバーに加わり、地域を挙げて活動を展開する。

かつてNPOは自治会などの地縁組織とは距離を置くことが多かったが、連携する形が増えてきた。郡部を中心に従来のタテ型組織と、NPOというヨコ型組織の融合が進む。過疎化や高齢化などがそれだけ深刻だという背景もあるだろうが、連携によって課題の解決や活性化への取り組みは着実に広がる。

「悪さ加減の選択」は何も政治についてだけの話ではない。地域のあしたを描くことにも当てはまる。ベストを求めるのは難しくてもベターを探すことで地域を元気にしていく。高齢化は進んでも身の丈にあった暮らしの充実を図ることは可能だろう。

現実を直視し、少しでもよくなる道を選ぶ。したたかな現実主義こそがあしたを切り開くのではないか。

注2:理想的なデモクラシーを前提にいたしますと、各政党は公約を掲げて国民に政策を約束する、国民はその中から最もいいと思われる政策を掲げている政党を選ぶということになるわけであります。(略)その理屈はだれでも反対しない、もっとも至極のことであります。それは政治的な教育にとっても悪いこととはいえない。少なくとも、単に情実とか縁故とか、そういうものに基づいて投票するという態度から少しでも脱却させるために、各政党政派の公約を比較検討して、それに投票するという態度をより一般化するということは大事なことでありますし、そのかぎりでは私も賛成です。しかし、同時にそれによって看過されやすい面があるのではないか、ということに私は注意を向けたいのです。つまり、各政党が非常にいい公約を並べ、その公約の中でどれがいいだろうと思って選択する、そういう選択の態度にはどういう疑問があるかということを私は問題にしたいと思います。

それはどういうことかというと、つまり、政治的な選択というものは必ずしもいちばんよいもの、いわゆるベストの選択ではありません。それはせいぜいベターなものの選択であり、あるいは福沢諭吉のいっていることばですが、「悪さ加減の選択」なのです。これは何か頭に水をぶっかけるような言い方ですけれども、リアルにいえば政治的選択とはそういうものです。悪さ加減というのは、悪さの程度がすこしでも少ないものを選択するということです。この中には二つの問題が含まれているのです。すなわち、 第一に、政治はベストの選択である、という考え方は、ともすると政治というものはお上(かみ)でやってくれるものである、という権威主義から出てくる政府への過度の期待、よい政策を実現してくれることに対する過度の期待と結びつきやすい。つまり、政治というものはもともと「自治」ではなくて、政府がよい政策をやってくれるものだという伝統的な態度と結びつくのです。したがって、こういう政治というものをベストの選択として考える考え方は、容易に政治に対する手ひどい幻滅、あるいは失望に転化します。つまり、政治的な権威に対する盲目的な信仰と政治にたいする冷笑とは実は裏腹の形で同居している。政治にベストを期待するということは、強力な指導者による問題解決の期待につながります。政治というものは、われわれがわれわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセスを中心にして思考していったものでなければ、容易に過度の期待が裏切られて、絶望と幻滅が次にやってくる。万事お上がやってくれるという考え方と、なあにだれがやったって政治は同じものだ、どうせインチキなんだ、という考え方は、実は同じことのうらはらなんです。 (『丸山真男セレクション』(平凡社ライブラリー)「政治的判断」p.368-369)

注3:政治的なリアリズムは実感だ、いわゆる空理空論は排する、書生の政治では実際政治はやれないという。そこには実際正しいものがあります。つまり、政治というものは状況のリアルな認識が必要なんだ、ということが常識的にいわれている。そのかぎりでは正しい。しかしながらここで考えていただきたいことは、政治というものはユートピアではないからといって必ずしもいわゆる理想と現実の二元論を意味するものではないということです。つまり、実際政治家は(特に日本の政治家たちはそうだと思いますが)「理想はそうだけれども現実はそうはいかないよ」というふうにいうわけであります。この言葉は一見非常に政治的リアリズムの思考法を表現しているようでありますが、しかしながらそれは、なるほどそのうちの一端を表現しておりますけれども、全部ではない。それどころか、そういう認識方法が非常に政治的にリアルでない結果を導くことがしばしばです。

なぜかと申しますと、「理想はそうだけれども現実はそうはいかないよ」という、こういういい方というものには、現実というものがもつ、いろいろな可能性を束(たば)として見る見方が欠けているのです。(略)しかし政治はまさにビスマルクのいった可能性の技術です。ビスマルクの言葉を本格的に解釈するとあまりに立入った問題になりますので、ここではそこまで介入しません。さしあたり今の政治的なリアリズムの問題に関係させて申しますと、つまり、現実というものを固定した、でき上がったものとして見ないで、その中にあるいろいろな可能性のうち、どの可能性を伸ばしていくか、あるいはどの可能性を矯(た)めていくか、そういうことを政治の理想なり、目標なりに、関係づけていく考え方、これが政治的な思考法の一つの重要なモメントとみられる。つまり、そこに方向判断が生れます。つまり現実というものはいろいろな可能性の束です。そのうちある可能性は将来に向かってますます伸びていくものであるかもしれない。これにたいして別の可能性は将来に向かってますますなくなっていく可能性であるかもしれない。そういう、方向性の認識というものと、現実認識というものは不可分なんです。それを方向性なしに、理想はそうかもしれないけれども現実はこうだからというのは政治的認識ではない。いろいろな可能性の方向性を認識する。そしてそれを選択する。どの方向を今後のばしていくのが正しい、どの方向はより望ましくないからそれが伸びないようにチェックする、ということが政治的な選択なんです。いわゆる日本の政治的現実主義というものは、こういう方向性を欠いた現実主義であって、「実際政治はそんなものじゃないよ」という時には、方向性を欠いた政治的な認識が非常に多いのであります。(同上p.358-359)

注4こういう政治的な傾向がある時に、私は新聞の政治報道というものは、政治教育のやり方としてよほど考えてもらわなければならないと思うんです。(略)具体的に、A党のこういう政策よりB党のこういう政策の方が少しましである。あるいは、B党の政策の方が少なくとも「悪さ加減」が少ないというような具体的な比較というものが政治的な判断です。前に悪さ加減の選択であるといいましたけれども、この中には二つの契機が含まれています。第一には、「悪さ加減」の微妙な差を見分けること、「なに、どれもこれも同じなんだ」ということでなくて、〇・一でも、〇・二でも差があればその差を見分ける目です。第二に、政治悪ということは十分知りながらなお選択するという積極的な態度です。どうせ悪いものが付随するからこそ少しでもそれを減らすために口を出すんだという、そういう逆説的な考え方です。放っとくと悪いことばかりするから、しょっちゅう監視するんだということ。いいものだから参加するよりはむしろ悪いものだから参加して監視していく。これがつまり政治的なリアリズムの考え方ということになるわけです。(同上p.370-371)
神戸新聞の元旦の社説「選択の後で/したたかな現実主義が道を開く」とは次のようなものでした。

選択の後で/したたかな現実主義が道を開く(神戸新聞 2013/01/01)
注1として下段に全文を転載しておきます。

私の参加しているメーリングリストでこの神戸新聞の元旦の社説を「おまかせ民主主義」からの脱却と「政治家を使い倒す」(M.ヴェーバーの拡大解釈)ということについて有用な示唆を与えてくれる好論文として大変に評価する社会学研究者がいました。以下は、その人への反論としても書かれたものです。

ご紹介される神戸新聞元旦の社説「選択の後で/したたかな現実主義が道を開く」は実際の丸山真男の<政治的リアリズム>の主張を商業メディアの域を出ない自己の寸尺に合わせて切り取り、換骨奪胎している論のように思えます。この際、神戸新聞元旦の社説への私の違和を少しく述べさせていただこうと思います。

神戸新聞社説はまず「昨年末の総選挙で、福沢諭吉の言葉が引用されることがあった。政治でベストの選択は難しい。『悪さ加減』の差を見分けて投票するしかないという意味だ」と述べて、上記で用いられている「政治でベストの選択は難しい」「『悪さ加減』の差を見分けて投票するしかない」という言葉はその後の文脈から見て丸山真男が語った言葉(内容的に)であるかのように書いています。

しかし、神戸新聞社説に引用される講演「政治的判断」で丸山は「政治でベストの選択は難しい」などとは述べていません。丸山が同講演で語っているのは「政治でベストの選択は難しい」ということではなく、「政治というものをベストの選択として考える考え方は、容易に政治に対する手ひどい幻滅、あるいは失望に転化」(注2)しやすい、ということです。そのことについて丸山は次のように説明しています。

「政治というものをベストの選択として考える考え方は、(略)政治的な権威に対する盲目的な信仰と政治にたいする冷笑とは実は裏腹の形で同居している。政治にベストを期待するということは、強力な指導者による問題解決の期待につながります。政治というものは、われわれがわれわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセスを中心にして思考していったものでなければ、容易に過度の期待が裏切られて、絶望と幻滅が次にやってくる」()、と。

すなわち丸山は同講演では「政治というものをベストの選択として考える考え方」の危険性について述べているのであって、「政治でベストの選択は難しい」から『悪さ加減』の差を見分けて投票するしかない」などという俗なことを述べているわけではありません。丸山は逆に同講演では「政治というものは、われわれがわれわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセスを中心にして思考して」いくことの重要性を強調しています。

丸山によれば、「われわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセスを中心にして思考」するとは、「現実というものはいろいろな可能性の束です。そのうちある可能性は将来に向かってますます伸びていくものであるかもしれない。これにたいして別の可能性は将来に向かってますますなくなっていく可能性であるかもしれない。そういう、方向性の認識というものと、現実認識というものは不可分なんです。それを方向性なしに、理想はそうかもしれないけれども現実はこうだからというのは政治的認識ではない。いろいろな可能性の方向性を認識する。そしてそれを選択する。どの方向を今後のばしていくのが正しい、どの方向はより望ましくないからそれが伸びないようにチェックする」(注3)ということです。丸山にとっては「可能性の束」の「方向性の認識」を持たずに「『悪さ加減』の差を見分けて投票する」などという態度は論外な態度というべきものなのです。丸山の指摘していることと、神戸新聞元旦の社説の主張とは天と地ほどにも違いがあります。神戸新聞元旦の社説は丸山の本来の主張を換骨奪胎していると評するほかありません。

神戸新聞元旦の社説の「微妙な差を見分けることこそが積極的な態度で、政治参加への第一歩になる」という主張も丸山真男の本来の主張を換骨奪胎させた主張でしかないことはもはや明らかでしょう。「微妙な差を見分ける」とは現実の政治的認識に立脚した上での政治的態度表明の謂いにほかなりません。しかし、丸山は、「方向性の認識というものと、現実認識というものは不可分なんです。それを方向性なしに(略)現実はこうだからというのは政治的認識ではない」と喝破しています。神戸新聞元旦の社説と丸山の本来の主張とは180度ほどの違いがある、とここでも指摘しておかなければならないでしょう。

神戸新聞元旦の社説のいうように「いいものだから参加するというよりはむしろ悪いものだから参加して監視していく。これがつまり政治的なリアリズムの考え方」であるなどとも丸山は言っていません。丸山の主張の要点はあくまでも「方向性なしに(略)現実はこうだからというのは政治的認識ではない」というものです。その「方向性」の判断を抜きにして、「むしろ悪いものだから参加して監視していく」という態度が「政治的なリアリズムの考え方」などと言われては、丸山も草葉の陰で咽び泣きするほかないでしょう。

注1:神戸新聞の元旦の社説「選択の後で/したたかな現実主義が道を開く

 「『悪さ加減』の選択」

 昨年末の総選挙で、福沢諭吉の言葉が引用されることがあった。政治でベストの選択は難しい。「悪さ加減」の差を見分けて投票するしかないという意味だ。

 一見、消極的な響きもあるが、お上任せや、誰がやっても政治は同じという考えの対極にある選択だと政治学者の丸山真男は指摘する。講演「政治的判断」で福沢の言葉を引きながら、こう話した。

 「政治というものは、われわれがわれわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセスを中心にして思考していったものでなければ、容易に過度の期待が裏切られ、絶望と幻滅がやってくる」

 微妙な差を見分けることこそが積極的な態度で、政治参加への第一歩になる。「いいものだから参加するというよりはむしろ悪いものだから参加して監視していく。これがつまり政治的なリアリズムの考え方ということになるわけです」

 絶望やあきらめは政治を劣化させるだけだ。国民のしたたかな現実主義が政治を、社会を変えていく。大事なのはこれからだといえる。

        ◇

 師走の選択は終わったが、今年は参院選や兵庫県知事選もある。新たな選択の年。50年以上前の丸山の言葉をもう一度かみしめ、見極める力を磨きたい。

 経済再生、原発問題、外交などの課題は山積する。先行きの不透明感は漂うが、実は1年後よりも40年後の方が予想はたやすいという。

 英エコノミスト誌が編集した「2050年の世界」(文芸春秋)はそう記す。例えば人口については実際に近い数字が出せる。40年後のアジアの隆盛も多くの執筆者の一致した見方である。

 しかし、分厚い本の中で日本に関する記述は少ない。一つは世界史上最も高齢化の進んだ社会となることだ。もう一つは経済力の低下。2010年に世界経済の5・8%を占めていた日本の国内総生産(GDP)が50年に1・9%になる。

 アジアが発展する中で日本の存在感は薄れていく姿が描かれた。

 あまりに悲観的な見方であり、この予測を覆すことは不可能ではないはずだ。ただ、人口減、少子高齢化が進むことは確かで、そこは冷静に受け止めたい。

 課題から逃げない

 兵庫県の推計でも厳しい数字がある。55年の将来人口は05年に比べ3割近くも減る。淡路や但馬などの9市町は05年から半減する見通しだ。

 しぼんでいく日本、疲弊する地方。右肩上がりは過去のものとなった。価値観の転換が迫られる中で、地域の将来像をどう考えるか。答えは容易には出せないが、足元を見つめて課題に取り組む多様な動きが各地で始まっている。

 例えば篠山市大山地区のNPO法人「大山捕獲隊」。アライグマ捕獲が専門で、昨年8月に法人になった。全国でも例がないというユニークなNPOだ。

 ペットとして持ち込まれたアライグマが野生化し、農産物などを荒らす。兵庫県では4千頭が捕獲されている。出産や子育てのため屋根裏などに侵入しており、篠山での繁殖は、人口減による空き家の増加も一因になった。

 スイカが特産の地区だが、昨年は26頭を捕獲し、夏の農産物被害がなくなった。「人に任せない。自分たちで地域の自然を守る」という取り組みである。

 思わぬ収穫もあった。わなに掛かったと住民から連絡が入る。高齢者と接する機会が増え、買い物などの相談を受ける。自治会との連携も深まった。地域の悩みに正面から向かうことが、住民のつながりを強めることに結びついた。

タテとヨコの融合

 同じ篠山市内でデイサービスや子どもたちの里暮らしなどに取り組むNPO法人「風和」は、発足当初から自治会役員や民生委員などがメンバーに加わり、地域を挙げて活動を展開する。

 かつてNPOは自治会などの地縁組織とは距離を置くことが多かったが、連携する形が増えてきた。郡部を中心に従来のタテ型組織と、NPOというヨコ型組織の融合が進む。過疎化や高齢化などがそれだけ深刻だという背景もあるだろうが、連携によって課題の解決や活性化への取り組みは着実に広がる。

 「悪さ加減の選択」は何も政治についてだけの話ではない。地域のあしたを描くことにも当てはまる。ベストを求めるのは難しくてもベターを探すことで地域を元気にしていく。高齢化は進んでも身の丈にあった暮らしの充実を図ることは可能だろう。

 現実を直視し、少しでもよくなる道を選ぶ。したたかな現実主義こそがあしたを切り開くのではないか。

注2:理想的なデモクラシーを前提にいたしますと、各政党は公約を掲げて国民に政策を約束する、国民はその中から最もいいと思われる政策を掲げている政党を選ぶということになるわけであります。(略)その理屈はだれでも反対しない、もっとも至極のことであります。それは政治的な教育にとっても悪いこととはいえない。少なくとも、単に情実とか縁故とか、そういうものに基づいて投票するという態度から少しでも脱却させるために、各政党政派の公約を比較検討して、それに投票するという態度をより一般化するということは大事なことでありますし、そのかぎりでは私も賛成です。しかし、同時にそれによって看過されやすい面があるのではないか、ということに私は注意を向けたいのです。つまり、各政党が非常にいい公約を並べ、その公約の中でどれがいいだろうと思って選択する、そういう選択の態度にはどういう疑問があるかということを私は問題にしたいと思います。

それはどういうことかというと、つまり、政治的な選択というものは必ずしもいちばんよいもの、いわゆるベストの選択ではありません。それはせいぜいベターなものの選択であり、あるいは福沢諭吉のいっていることばですが、「悪さ加減の選択」なのです。これは何か頭に水をぶっかけるような言い方ですけれども、リアルにいえば政治的選択とはそういうものです。悪さ加減というのは、悪さの程度がすこしでも少ないものを選択するということです。この中には二つの問題が含まれているのです。すなわち、 第一に、政治はベストの選択である、という考え方は、ともすると政治というものはお上(かみ)でやってくれるものである、という権威主義から出てくる政府への過度の期待、よい政策を実現してくれることに対する過度の期待と結びつきやすい。つまり、政治というものはもともと「自治」ではなくて、政府がよい政策をやってくれるものだという伝統的な態度と結びつくのです。したがって、こういう政治というものをベストの選択として考える考え方は、容易に政治に対する手ひどい幻滅、あるいは失望に転化します。つまり、政治的な権威に対する盲目的な信仰と政治にたいする冷笑とは実は裏腹の形で同居している。政治にベストを期待するということは、強力な指導者による問題解決の期待につながります。政治というものは、われわれがわれわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセスを中心にして思考していったものでなければ、容易に過度の期待が裏切られて、絶望と幻滅が次にやってくる。万事お上がやってくれるという考え方と、なあにだれがやったって政治は同じものだ、どうせインチキなんだ、という考え方は、実は同じことのうらはらなんです。 (『丸山真男セレクション』(平凡社ライブラリー)「政治的判断」p.368-369)

注3:政治的なリアリズムは実感だ、いわゆる空理空論は排する、書生の政治では実際政治はやれないという。そこには実際正しいものがあります。つまり、政治というものは状況のリアルな認識が必要なんだ、ということが常識的にいわれている。そのかぎりでは正しい。しかしながらここで考えていただきたいことは、政治というものはユートピアではないからといって必ずしもいわゆる理想と現実の二元論を意味するものではないということです。つまり、実際政治家は(特に日本の政治家たちはそうだと思いますが)「理想はそうだけれども現実はそうはいかないよ」というふうにいうわけであります。この言葉は一見非常に政治的リアリズムの思考法を表現しているようでありますが、しかしながらそれは、なるほどそのうちの一端を表現しておりますけれども、全部ではない。それどころか、そういう認識方法が非常に政治的にリアルでない結果を導くことがしばしばです。

なぜかと申しますと、「理想はそうだけれども現実はそうはいかないよ」という、こういういい方というものには、現実というものがもつ、いろいろな可能性を束(たば)として見る見方が欠けているのです。(略)しかし政治はまさにビスマルクのいった可能性の技術です。ビスマルクの言葉を本格的に解釈するとあまりに立入った問題になりますので、ここではそこまで介入しません。さしあたり今の政治的なリアリズムの問題に関係させて申しますと、つまり、現実というものを固定した、でき上がったものとして見ないで、その中にあるいろいろな可能性のうち、どの可能性を伸ばしていくか、あるいはどの可能性を矯(た)めていくか、そういうことを政治の理想なり、目標なりに、関係づけていく考え方、これが政治的な思考法の一つの重要なモメントとみられる。つまり、そこに方向判断が生れます。つまり現実というものはいろいろな可能性の束です。そのうちある可能性は将来に向かってますます伸びていくものであるかもしれない。これにたいして別の可能性は将来に向かってますますなくなっていく可能性であるかもしれない。そういう、方向性の認識というものと、現実認識というものは不可分なんです。それを方向性なしに、理想はそうかもしれないけれども現実はこうだからというのは政治的認識ではない。いろいろな可能性の方向性を認識する。そしてそれを選択する。どの方向を今後のばしていくのが正しい、どの方向はより望ましくないからそれが伸びないようにチェックする、ということが政治的な選択なんです。いわゆる日本の政治的現実主義というものは、こういう方向性を欠いた現実主義であって、「実際政治はそんなものじゃないよ」という時には、方向性を欠いた政治的な認識が非常に多いのであります。(同上p.358-359)
革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ」という広原盛明さんの論に関して私は最近2本の記事を書きました。1本目は広原盛明さんの論自体の紹介。2本目はその記事につけた私のささやかな感想に対する応答へのこれもささやかな返信として。

その2本の記事に関して、進歩的なある音楽家かつ研究者から次のような問い(かけ)がありました。

右左という議論を超えて国益、がテーマになるべきではないですか。革新政党、の議論に抜けているのは、特に青年層を中心とした目先の尖閣・竹島(国防・外交問題)とか、失業、非正規雇用といった経済の逼迫した問題ではないでしょうか。最近、「右・左Watching」で、「便所の落書き」=2ちゃんねるの若い人達の書き込みを見ていますが、それはそれは苛烈です。苛烈であるということは、「自分たちの声を聞くものがいない」というフラストレーションがそれだけ高いという事です。緑の党にしても、日本未来の党にしても、そういう若い、しかも弱者である人達の声を聞き、心を掴むメッセージを発しているでしょうか。疑問です。それに比して、保守系のメッセージはシンプルかつ威勢がよく、簡単に支持を得られるように思います。(こちらに)現在ネットで普通の日本人青年層に支持を集めている、アメリカの動画を張ります。これは、よくできたプロパガンダビデオとして注目に価すると思います。こういうものが、脱原発の党にも必要だったのではないでしょうか。

上記の問いの中でいう「アメリカの動画」とは次のような動画です。

「日本の青年にウケている一人のアメリカ人」
●アメリカンドリームを追求する生粋のリバタリアン(を演じている)、テキサス親父に見る「アメリカ右派」の健全な建設的精神と、それに魅かれる日本人青年たち
テキサス親父 尖閣を語る

さらにその動画には以下のようなコメントが付されていました。

このおじさんの動画サイトは人気がありますね。ヤラセっぽい雰囲気満載ですが、やたらと日本びいきで、「自虐史観」とやらで自信を失った、と感じさせられている青年の皆さんにとてもウケているのです。/リバタリアンとかマルクス共産党宣言とかいう言葉の意味も知らない日本の若者が、欧米の右翼・左翼の概念を理解しないまま、どうしてトニーさんの動画に魅かれるのか、研究してみるのもひとつの手でしょう。/最初、CIAの対日戦略の一環かと思いましたが、日本側の保守系メディアとか、右派の関係者の一部が「互恵関係」で動いている、という感じに(表面上は)見えます。/今回の選挙で、私は若い人達が少なからず自民党に投票したのではないかと見ています。「便所の落書き」=2ちゃんねるの、安倍さん万歳板などをWatchingしていますと、かなり苛烈です。どうも、彼らの中には、「就職はなく、あったとしても非正規雇用。自分にはやる気も能力もあるのに機会が与えられないのは、仕分けばっかりするサヨクの民主党のせいだ」「尖閣・竹島が脅かされているのに九条なんてアホなもんのせいで攻撃もできない」という論理があるようです。こういう、青年層の気持ちを汲み取れない政治家は、参院選でも勝てないように感じます。

上記のある音楽家の問いとコメントにはいまの日本の、とりわけいまの日本の若者たちの(もちろん、ここに「ふつうの市民たち」をつけ加えてもいいのですが)「右傾化」傾向に対する深い懸念と、その若者たちの「右傾化」傾向を抑止することができずに逆に結果として「右傾化」の方向に追いやっているかのような日本の「左翼運動」的なものに対する根底的な批判――仮にいまの日本の若者たちの「右傾化」傾向を「やるせない右傾化」と名づけるならば、その若者たちの「やるせなさ」を自らの「やるせなさ」として悲しみ、悼もうとする共感的で心情のこもったまなざし(ある音楽家の表現によれば「寄り添う感じ」)の不足――の指摘があります。私はその音楽家の現状認識と視点と指摘に賛意を表します。

さはさりながら、その音楽家の指摘にもある欠落した認識、欠けている視点があるように私は思います。それは下記でも紹介する「改憲潮流と右翼イデオロギーの現在」という論攷の中で太田昌国さんが指摘している視点です。

太田さんはその論攷の中で次のように書いていました。

「右翼イデオロギーの現在」に行き着くためには、いくらか長い射程をとって考える必要がある。(略)日本における「右翼イデオロギーの現在」を見るうえで、一九八八年の天皇「下血」騒動に始まり、東西冷戦構造の消滅・ソ連東欧社会主義圏の崩壊に象徴される一九九〇年代初頭までの内外状況を視野に入れておくこと――進歩派と左翼がなすすべもなく立ち竦んでいた時期に、右翼は、国内と世界における状況を見極め、実に巧みにこれを利用したことを見ておくことが必要だろう。/右翼の台頭が、進歩派や左翼の「立往生」や「沈黙」と背中合わせであることを自覚しておくことは、こうして、決定的に重要なことなのだ。(「光景1」)

「右翼の台頭が、進歩派や左翼の『立往生』や『沈黙』と背中合わせであ」ったという事実・・・。このことはなにを意味しているのか。いたずらに「やるせない右傾化」の心情に「寄り添う」ことの危険性、危うさ、脆さを意味していないか?

私はこの音楽家の問いに対して次のような返信を書きました。

Mさん、コメントありがとうございます。

おっしゃっておられることはよく理解できます。

これまでも若者層、またふつうの市民の「右傾化」については多くの人が危惧を表明してきました。その「右傾化」の本質の分析についても多くの参考にするべき論も発表されています。

私も3年ほど前にこの問題について下記のような記事を書いたことがあります。

「在特会」「行動する保守」「草の根保守」について分析したいくつかの記事(弊ブログ 2010.03.17)

さらに以下はその記事の中で紹介している評論記事及び論攷ですが、その各記事及び論攷の指摘はいまでも古びていないように思います。ご参照ください。私たちがこの問題を考えていく上での手がかりを与えてくれそうな記事及び論攷だと私は思っています。

改憲潮流と右翼イデオロギーの現在(太田昌国 現代企画室「状況20~21」 2009年9月15日)
「アンチ左翼」意識で結ばれる“草の根保守”(藤生京子記者 朝日新聞文化欄 2002年6月19日)
ルポ 新「保守」(上) ●右翼超える「市民の会」(朝日新聞マイタウン愛知 2010年3月15日)
ルポ 新「保守」(中) ●ネット発 危うい動員(朝日新聞マイタウン愛知 2010年3月16日)
ルポ 新「保守」(下) ●不安の時代に根張る(朝日新聞マイタウン愛知 2010年3月17日)

なお、抽象的な言い方になって恐縮ですが、かつて私は庶民的なるもののバイタリティーとダイナミズムについてE.フロム(ドイツの精神分析学者)を援用して次のように書いたことがあります

瞋恚(しんい)や時代の狂気に彼女たち(彼ら)はなす術を知らない。庶民的なるものの負の側面、少なくともそのひとつがここにある。私は暗然とせざるをえなかった。/しかし、その庶民的なものは、私たちの内面の一部であり、父であり、母である。そのバイタリティー(生命力)は、しばしば歴史のダイナミズム(変革)の主体ともなりえた。そのとき、なにがどのように変容したのか。/変容の条件は、庶民性そのものの中にある。かつてユダヤ人精神分析学者のE.フロムは、その庶民性を「社会的性格」と名づけた。ドイツの労働者階級や下層中産階級の人びと、いわゆる庶民が、なぜナチズムのイデオロギーを支持し、自発的に服従したのかを問う中で、彼は「社会的性格」という概念に想到したのである。フロムによれば、社会的性格はひとつの集団の大部分の成員がもっている性格構造の本質的な中核であり、それが社会制度の期待と矛盾するとき、社会制度に対する反発と対立を引き起こし、社会変動の起爆剤となる(『自由からの逃走』)。庶民性はいつの場合も両刃の剣なのである。

私のある音楽家への返信は上記で終わっているのですが、実は上記引用の後に私の文は次のように続いています。

ひとつの例。ペリー浦賀来航の年嘉永6年(1853)、わが国の内側からも徳川封建支配の終焉を予兆させるできごとがあった。南部領農民3万人が「小○(困る)」の旗を立ててお上に昂然と(むろん、困窮の極みの果てに、ということでもある)逆らった百姓一揆がそれである。そのときの指導者が遠近の農民たちから「小本の祖父」と呼ばれていた64、5歳の老人小本村の弥五兵衛、栗橋村の三浦命助、安家村の俊作、同村の忠兵衛。「彼らは秩序ある統制をもってついに弘化4年の御用金の重課をはねのけ、一揆の目的を貫いた」(大佛次郎『天皇の世紀』)。/嘉永6年の事件は、「山が動く」にはまた、庶民そのもの、あるいは庶民の側に立って、痩せさらばえた心骨から発せられる聲によく堪えうる長(おさ)の存在も不可欠であったことを示している。その長のひとり弥五兵衛は「冬の長い国の寒冷な牢内で、命を果て」た。そして、配流地から逃亡して村に帰った俊作、忠兵衛らが遺志を継いだ(同前)。

若者たちの「やるせなさ」を自らの「やるせなさ」として悲しみ、悼もうとする共感的で心情のこもったまなざし、「やるせない右傾化」の心情に「寄り添」ってともに風を凌ごうとする意志はもとより大切なことですが、同時に「『山が動く』にはまた、庶民そのもの、あるいは庶民の側に立って、痩せさらばえた心骨から発せられる聲によく堪えうる長(おさ)の存在も不可欠であった」という歴史的事実も忘れ去られてはならない。

ある音楽家の指摘にも「欠けている視点がある」のではないか、という私の問い返しはそういうものでした。
革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ、 総選挙の総括なき敗北は政党消滅への道に通じる――広原盛明さんの論攷のご紹介という前記事をエントリしたところ市民活動家(緑の党(きょうと緑の党)ジュビリー関西ネットワークATTAC京都)の内富一さんから次のような一通のレスポンスがありました。

問題は真のオルタナティブを社会運動側が提示できる(かに)かかっています。そういう意味では「伝統的な左翼」と新しい「緑の党」がどう協力できるのかも今後の日本の未来を決める重要なファクターでしょう。/不振を嘆くより、地域・地区レベルで連携可能な共闘=「統一戦線」をあらゆる場所で追求していきましょう!

以下、その内富一さんのレスポンスへの返信です。

内富さん、レスポンスありがとうございます。

「地域・地区レベルで連携可能な共闘=「統一戦線」をあらゆる場所で追求していきましょう」というご指摘は私もそのとおりだと思いますし、そうした努力は私としてもこれまでも続けてきたつもりです。

約10年前の大分県知事選挙の折、私は有志とともに「われ=われ・ネットワーク」という革新統一のための市民組織を立ち上げたことがありますが(下記記事参照)、そうした取り組みも地域における「革新統一戦線」を追求していくための試みのひとつでした。

大分に「無党派の風」は吹いたか―市民的(パブリック)なもの、庶民的(ポピュリズム)なもの、市民運動的(シビル=ムーブメント)なものについて(その1~4)(弊ブログ 2010.07.24)
筑紫哲也さんに送った8年前の手紙―2011年都知事選の革新統一のために(1)(弊ブログ 2010.10.06)
故筑紫哲也さんからの8年前の手紙―2011年都知事選の革新統一のために(2)(弊ブログ 2010.10.06)

また、これもやはり10年ほど前に「盟約5(ファイブ)」という市民組織の結成総会が大阪で開かれたことがありますが、私もその結成総会に参加しました。前エントリ記事でご紹介した広原盛明さんもその総会の参加者のおひとりでした。これも地域から全国レベルにおける「革新統一戦線」の追求の試みのひとつとして参加したものでした。広原盛明さんもおそらく同様のお考えで参加されたものだったでしょう(注)。

注:この「盟約5(ファイブ)」は市民運動家でジャーナリストの今井一氏がコーディネートしたものですが、この活動を通じて今井一氏に対する私の評価は厳しいものに変わりました。が、その批判の詳細はここでは省きます。

その後もさまざまなレベルでの「革新統一戦線」追求の試みを私なりに続けてきましたがその詳細もここでは省きます。

今回の広原盛明さんの論は「不振を嘆く」ものではなく、「総選挙の総括なき敗北は政党消滅への道に通じる」という政党への苦言をあえて発することによって「革新統一戦線」追及の試みをさらに実のあるものにしたいという広原さんの懇切の願いが込められている、というのが私の今回の広原さんの論の理解です。前エントリでご紹介した広原さんの論には「絶望」という言葉が遣われ、私も「絶望」という言葉を遣っていますが、その「絶望」という言葉には「希望」の思いも託されているのです。そのこともご理解ください。決して私は全的に「絶望」しているわけではありません。そして、おそらく広原さんも。(広原さんはこの問題について「絶望に近い気持ち」と表現しています)

内富さんも関与されている「緑の党」については私はわりと早くから疑義を発信しています。私のこの疑義の提起に対しては「緑の党」関係者からの誠実な応答はいまもってありません。私のこの疑義の提起は上記にも記した私のこの10年来の(もちろんこの暦年はさらに遡ることができますが)「革新統一戦線」追及の試みの失敗と挫折の政治経験とその政治経験の反省的思索に基づく疑義の提起です。この疑義の提起への誠実な応答(前々便でも述べたレスポンシビリティとしての応答(注))なしに私は「緑の党」を評価することはできません。私の地元においても「緑の党」への参加を誘われましたが断りました。

注:レスポンシビリティということについて哲学者の高橋哲哉さんはかつて『戦後責任論』(1999年、講談社/2005年、講談社学術文庫)という著作の中で次のように述べていました。

「責任はresponsibility(応答可能性)、すなわち呼びかけに応えるという応答関係に基づく。責任とは根源的には〈他者との関係〉に由来する。〈他者に対する責任〉である。そして、不正義の支配に対して、正義を求める訴えが発せられるとき、それに応える責任、すなわち不正義を裁き、正義を回復するジャッジメント(倫理的、法的判断)を行なう責任が生じる。「正義」は「人間の社会的条件の本質」であり、なにが「不正」かについての基本的合意のないところでは、平和な社会生活を営むことは困難であろう。」

ここでいう「レスポンシビリティとしての応答」とは上記の「呼びかけに応えるという応答関係に基づく」責任、すなわち「応答責任」のことを言っています。


是とするのか、非とするのか 「緑の党」(現名称:みどりの未来)は大阪・橋下市長を絶賛する元共同代表(尼崎市長)の稲村和美氏の評価を闡明にしなければならない(弊ブログ 2012.04.11)
「緑の党」準備会を再度、批判しておきたい ――是とするのか、非とするのか 「緑の党」(現名称:みどりの未来)は大阪・橋下市長を絶賛する元共同代表(尼崎市長)の稲村和美氏の評価を闡明にしなければならない(弊ブログ 2012.05.07)
■「緑の党」準備会批判を再掲した前エントリ記事の返信への応答(弊ブログ 2012.05.08)

なお、今年の参院選に向けた新しい市民運動としての政治運動のあり方については、私の謂わんとしたいことの論理をよく整序した上で(どのように言えばよく伝えうるのか、ということをいま考えています)近々発信したいと思っています。
2004年の京都市長選挙にも市民団体の要請を受けて革新無党派候補として立候補した経験も持つ京都府立大学名誉教授、元学長で元龍谷大学教授の広原盛明さんが「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ、総選挙の総括なき敗北は政党消滅への道に通じる」(2012年1月10日付)という論攷をブログ紙「リベラル21」に発表しています。先日、CMLなどいくつかのメーリングリストにも投稿のあった護憲・元教職員ひょうごネットの佐藤三郎さんの問題意識とも通じるもので、下記に全文を転載しておきますのでご参照していただければ幸いですが、その中で広原さんは昨年末の総選挙の結果について、

なぜかくも気が重いのか。理由は2つある。ひとつは革新政党(社民党、共産党)の得票数の落ち込みが並み大抵のものではなく(略)、歴史的な惨敗・大敗を喫したという厳しい選挙結果に圧倒されたからだ。もうひとつは、にもかかわらず選挙総括が現実を直視したものになっておらず、その体質に絶望に近い気持ちを抱かざるを得ないからだ」

という感慨を述べられています。

広原さんも指摘されるその総選挙での革新政党(社民党、共産党)の比例代表選挙区の得票数及び得票率は次のようなものでした。

日本共産党   比例代表得票数   得票率   議席獲得数
第46回総選挙   3,689,159票        6.10%          8議席
第45回総選挙    4,943,886票           7.03%           9議席

社会民主党       比例代表得票数      得票率       議席獲得数
第46回総選挙       1,420,790票            2.30%            1議席
第45回総選挙       3,006,160票            4.27%            4議席

客観的に見れば広原さんも指摘されるように明らかに「歴史的な惨敗・大敗」と呼んでよい結果です。

その結果をたとえば共産党はどのように評価しているか。

総選挙の結果について 2012年12月17日 日本共産党中央委員会常任幹部会(しんぶん赤旗 2012年12月18日)

「総選挙の結果について」の冒頭ではたしかに「残念ながら、結果は、改選9議席から8議席への後退となりました」とその敗北を認めています。

しかし、その文書の後段では、「日本共産党は、『私たちが出発点とすべきは、2010年参院選比例票の356万票(6・10%)』(4中総決定)であることを銘記して、このたたかいにのぞみました」と前回総選挙時の494万3886票の獲得票から約125万5000票減らし、得票率も7.03%から0.93%減の6.10%まで減らした今回の総選挙の惨敗の結果を無視してたとえ4中総でそのような決定をしていたとしても手前味噌に「2010年参院選比例票の356万票(6・10%)」という獲得数字を持ち出して、「この出発点にてらすと、総選挙で、わが党は、比例代表で369万票(6・13%)に、得票・得票率をわずかですが前進させました」などと今回の総選挙での「前進」を強調しています。

このような誰が見ても手前味噌としか思えない自己満足的な選挙総括では広原さんから「選挙総括が現実を直視したものになっておらず、その体質に絶望に近い気持ちを抱かざるを得ない」という悲しみと絶望に満ちた感慨を抱かれるのも当然のこととと言わなければならないでしょう。

広原さんも指摘されるように「選挙結果は事実そのものだから認める他はない(略)。だが、選挙総括はこのような事態を招いた原因や背景を究明し、そこから如何にして立ち直るかという今後の方針を見出す作業だから絶対にゆるがせにできない。選挙総括にはいわば政党の未来がかかっているのであり、キチンとした総括ができない政党には「未来がない」と言っても過言ではない」と私も強く思います。

共産党には再考に再考を重ねてほしいところです。
*だが、「おそらく無理だろうな」と思うところに私たちの「絶望」があるのです。

以下、広原盛明さんのご論攷。

革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ、
総選挙の総括なき敗北は政党消滅への道に通じる

(広原盛明 リベラル21 2012年1月10日)

昨年の総選挙以来、「リベラル21」同人の舌鋒が日増しに鋭さを増している。論旨は各人各様だが、革新勢力の収縮と後退が露わになるなかで、戦後民主主義を担ってきたリベラリストたちがいまなお不屈の闘志と強靭さを発揮していることは心強い。私自身もほぼ同世代に属する一員なので、これに負けず劣らず論陣を張りたいところだが、今度ばかりは少し落ち込んでしまってなかなか筆が
進まない。

なぜかくも気が重いのか。理由は2つある。ひとつは革新政党(社民党、共産党)の得票数の落ち込みが並み大抵のものではなく(私自身はもう少し頑張れるものと期待していた)、歴史的な惨敗・大敗を喫したという厳しい選挙結果に圧倒されたからだ。もうひとつは、にもかかわらず選挙総括が現実を直視したものになっておらず、その体質に絶望に近い気持ちを抱かざるを得ないからだ。

選挙結果は事実そのものだから認める他はない(いまさらとやかく言っても仕方がない)。だが、選挙総括はこのような事態を招いた原因や背景を究明し、そこから如何にして立ち直るかという今後の方針を見出す作業だから絶対にゆるがせにできない。選挙総括にはいわば政党の未来がかかっているのであり、キチンとした総括ができない政党には「未来がない」と言っても過言ではないからである。

総選挙後の世間の大方の関心は、民主党の壊滅と自民党の圧勝に集中した。確かに民主党の惨敗ぶりは凄まじかった。前回総選挙(2009年、比例区)の得票数2984万票の2/3に当たる2021万票を失い、議席数は308→57(比例87→30、小選挙区221→27)へ激減した。これに対して自民党は前回1881万票から219万票(1割強)を失ったものの、議席数は119→294(比例55→57、小選挙区64→237)と激増した。

一方、社民党や共産党の敗北はあまり注目されなかった。こちらの方はもはや政権はおろか政局にも影響することが少ない「周辺部分」だと思われているのか、まとまった論評も出なかった。だが、社民党が前回301万票の過半数152万票を失い、共産党も前回494万票の1/4に当たる125万票を失ったことは、少数政党とはいえ両党が革新政党の中心的存在であるだけに、日本の革新勢力にとっては大きな痛手であることは間違いない。

その結果、社民党得票数は301万票(4.3%)から142万票(2.4%)へ、議席数は7→2(比例4→1、小選挙区3→1)へと激減し、共産党もまた494万票(7.0%)から369万票6.2%)へ、議席数は9→8(比例9→8、小選挙区0→0)へと後退した。

この数字の意味するところは深刻だ。一言で言って、社民党は“解党的惨敗”、共産党はその一歩手前だと言ってよい。現行の選挙制度では得票率が4~5%を割ってくると、小選挙区はもとより比例代表区の議席数が極端に少なくなるという特徴がある。今回の社民党得票率はいわばその“臨界点”を超えてしまったのであり、共産党はそれに近づいているといえるからだ。

得票率4~5%の“臨界点”の次の段階には、政党自体が消滅する得票率2%という“沸点”がある。周知のごとく、政党助成法における政党要件(第2条)は、「衆参国会議員5人以上を有する政治団体」あるいは「直近の国政選挙で有効投票の2/100以上を得た政治団体」となっている。この要件を満たせなければ政党として認められず、したがって政党交付金も受け取れない。

社民党の参院議員は目下4人だ。しかし今年7月の参院選挙で任期切れを迎える議員が2人いるので、もし議席ゼロになれば衆院2人、参院2人と合わせても政党要件の5人を割ることになる。勿論、得票率を2%以上確保すれば話は別だが、いまの社民党にそれだけの集票能力を期待することは相当無理がある。このままでいくと社民党得票率は2%を割り、議席ゼロになる可能性も否定できない。

政治資金の圧倒的部分を政党交付金に依存している社民党にとって、政党交付金が無くなることは文字通り死活問題に直結する。政党交付金が無くなれば足腰の弱い社民党の政党活動は決定的打撃を受け、党を支える活動家の人件費や行動費も支給できないことになり、事務所も閉鎖せざるを得ない。いわば政党としての実体が無くなるわけだから、次回の総選挙をまともに戦えなくなることは眼に見えている。今回辛うじて当選した2人の衆院議員が、次回も議席を守れる保証などどこにもないのである。

こんな危機存亡の事態に直面した社民党がいったいどんな選挙総括をしているのだろうか。次はそのことに触れたい。
安倍晋三首相ほか4人の閣僚が日本軍「慰安婦」問題を否定する意見広告を昨年の11月に米国の新聞に出稿していた問題を「しんぶん赤旗」(2013年1月6日)が報道していますが、この新年のはじめからアメリカを含む海外メディアの多くは「日本の歴史を否定する右翼ナショナリスト安倍晋三」(ニューヨーク・タイムズなどとして日本の新首相批判を強めています。上記の赤旗記事は「安倍首相は、『慰安婦』問題で政府として『おわびと反省』を表明した河野官房長官談話(1993年)を見直すことを示唆しており、そのこととあわせて内外から強い批判が起こることは避けられ」ないことを指摘していますが、年はじめから赤旗の指摘どおりの事態になっているということでしょう。

以下、CML(市民のML)への投稿などから海外メディアの安倍晋三新首相批判の記事をまとめてみました。ご参照ください。

【海外メディアの安倍首相批判】
日本の歴史を否定する更なる試み(ニューヨーク・タイムズ社説 2013年1月2日 日本語訳)
原文:Another Attempt to Deny Japan's History(The New York Times January 2, 2013)
安倍首相は村山・河野談話を否定し何を狙うのか(朝鮮日報社説 2013年1月3日)
日本の新内閣 バック・ツー・ザ・フューチャー 安倍晋三が組閣した ぞっとするほど右寄り内閣が、この地域に悪い兆し(英国The Economist誌 2013年1月5日 日本語訳)
日本の新内閣:未来に背を向けて(英エコノミスト誌 2013年1月5日号)(JBプレス 2013.01.08) 追加(1月8日)
原文:Japan’s new cabinet Back to the future Shinzo Abe’s appointment of a scarily right-wing cabinet bodes ill for the region(The Economist Jan 5th 2013)
安倍の原発・謝罪再検討計画(オーストラリア The Australian 2012年12月28日 日本語訳(前半部))
日本の首相は戦争謝罪を直す(オーストラリア・ビクトリア州 The Age 2013年1月2日 日本語訳)

【産経新聞のNYタイムズ紙社説(2013年1月2日)に対する条件反射的反論】
NYタイムズ、安倍首相を酷評 河野談話見直し「重大な過ち」「恥ずべき衝動」(産経新聞 2013年1月4日)

【参考】
日本軍「慰安婦」 強制を否定 安倍首相が賛同 米紙に意見広告 4閣僚も 国内外の批判は必至 昨年11月(しんぶん赤旗 2013年1月6日)

上記の記事のうち2013年1月2日付けのニューヨーク・タイムズ紙の社説「日本の歴史を否定する更なる試み」をPeace Philosophy Centreブログ主宰者の乗松聡子さんの日本語訳で以下に転載しておきます。

日本の歴史を否定する更なる試み
(ニューヨーク・タイムズ社説 2013年1月2日 乗松聡子訳)

アジアの安定のために、日韓関係ほど大事なものは他にあまりない。
安倍晋三は今回の任期を、韓国との緊張を炎上させ協力をより難しく
する深刻な過ちでスタートさせようとしているようだ。彼は、朝鮮半島や
他の地域の女性たちを性奴隷として使ったことを含む、第二次世界大
戦中の日本の加害に対する謝罪を書き直そうする動きを見せている。

1993年に日本は、何千、何万、または何十万の(訳者注:原文では
thousands となっている。thousands は、「何千」単位から「何十万」単
位までをカバーする)アジアとヨーロッパの女性たちを軍の慰安所で
強姦し奴隷化したことをようやく認め、このような残虐行為に対して初
めての完全な謝罪を行った(訳者注:「河野談話」のこと)。1995年に
は村山富市首相がもっと広範囲にわたる謝罪を行い、「植民地支配と
侵略によって」、日本は「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対
して多大の損害と苦痛を」与えたと認めた。

右翼ナショナリストの安倍氏は、産経新聞のインタビューに応じ、特定
はしなかったが「未来志向の談話」によって1995年の謝罪と入れ替
えたいと言い、ロイター通信に月曜日に引用された。彼は前安倍政権
(2006-2007年)は、戦時中日本軍の性奴隷となった女性たちが
実際強制されていたという証拠は全く見つからなかったと言った。しか
し先週の記者会見で、菅義偉官房長官は、安倍氏は1995年の謝罪
は維持するが、1993年の談話は見直すかもしれないと述べていた。

自民党のリーダーである安倍氏がどのようにこれらの謝罪を修正する
のかは明らかになっていないが、彼はこれまで、日本の戦時史を書き
換えることを切望していることを全然秘密にはしてこなかった。こういっ
た犯罪を否定し、謝罪を薄めるようなどのような試みも、日本の戦時
中の残忍な支配に被害を受けた韓国、そして、中国やフィリピンをも激
怒させることであろう。

安倍氏の恥ずべき衝動的行為は、北朝鮮の核兵器プログラム等の諸
問題において、地域における大切な協力関係を脅かすものになりかね
ない。このような修正主義は、歴史を歪曲することよりも、長い経済不
況からの回復に集中しなければいけないこの国にとって、恥ずかしい
ことである。
わが家からは高崎山(大分市)、鶴見岳(別府市)、由布岳(由布市)の三山が見えます。ただそれだけのことですが、私にはかけがえのない風景です。

勧君金屈巵
            君に勧める 金屈巵(きんくっし)
満酌不須辞
                 満酌(まんしゃく) 辞するを須(もち)いず
花発多風雨
        花発(ひら)けば風雨多く
人生別離足
                    人生 別離足(おお)し

                                                       于武陵『唐詩選』「勧酒」

コノサカヅキヲ受ケテクレ
  ドウゾナミナミツガシテオクレ
     ハナニアラシノタトエモアルゾ 
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 
           井伏鱒二訳詩集『厄除け詩集』「酒を勧む」
                        (于武陵「歓酒」井伏訳)

厄除け詩集 
(井伏鱒二/著 金井田英津子/画 『画本厄除け詩集』より)


高崎山
高崎山
(大分市(左上) 別府市(手前) 別府湾(左))
 
鶴見岳  
鶴見岳

indeximage.jpg 
由布岳(霧時)
(まるで由布院の町が湖のよう) 

300px-Yufudake.jpg  
由布岳(晴時)
(由布院の町がくっきり)

由布 鶴見 高崎山 
由布岳(左) 鶴見岳(中) 高崎山(右)

  

新しい年のはじめに

私たちが見失ってはいけない志とはなにか。目標を見失いかけているいま、さらにその新年にあたって、私は比屋根照夫「『沖縄イニシアティブ』を読む」を単に「沖縄」の問題としてだけではなく、知識人(といっても、
小田実の言うように「人間みなチョボチョボや」なのですが)の志の確かさ、不確かさの問題として読みました。それが私の「New Diplomacy Initiative」批判、すなわち志の不確かさ批判ということでもあります。
 
この私の志の不確かさ批判については「『沖縄イニシアティブ』を読む」の前説として「鳥越俊太郎氏、藤原帰一氏などによるNew Diplomacy Initiative (新外交イニシアティブ)というNGO組織の立ち上げを憂うる」をご参照いただければ幸いです。
 
比屋根照夫「沖縄イニシアティブ」を読む
(『沖縄タイムス』2000年6月26,27日朝刊)

 
高良倉吉氏ら琉大三教授が提唱した「沖縄イニシアティブ」論が
激しい批判の的になっているのは、それなりの必然性があると
筆者は考える。というのも、高良氏らは「琉球王国時代」から近
現代までの戦後沖縄歴史学の諸成果を前提としながら、まさに
来間泰男氏が指摘するようにその成果を「逆転」させる形で、沖
縄の進むべき今後の方向性について基地との共存を説き、基
地はもはや「存在することの是非を問う問題」ではないとさえ断
定しているからである。
 
一九六〇年代から七〇年代にかけて、戦後沖縄歴史学の形成
に多少なりともかかわり、研究者としての自己実存をかけた一人
として、高良氏らの基地容認・共存論、国策への同化論は、沖縄
戦後歴史学の成果・遺産の放棄・否定である、と言わざるを得な
い。かつて高良氏自身も参画した戦後沖縄歴史学の精神と遺産
を否定し、限りなく国策へと同化・一体化する知識人の転回の姿
勢は、近代以降の同化主義の系譜の中でも類例を見ないだろう。
この意味で、新川明氏がまさに指摘したように、この問題の思想
的本質は、われわれが現在的な脈略の下で同化主義の問題を
どのようにとらえるべきかということに帰着する。
 
とりわけ、近代以降の同化主義の系譜とその問題の所在につい
ては、植民地であった台湾、朝鮮をふくめて詳細な論を立てる準
備があるが、ここでは言及しない。
 
ただ、ここで言いたいことは、屋嘉比収氏が指摘する発話者の
「位置」についての問題
(太字は引用者。以下、同じ)である。
そして、それは同時に戦後沖縄歴史学が既存の権力といかに
緊張関係を持ちつつ形成され、その遺産はいかに継承されるべ
きかの問題へと連動する。
 
一般に、ある発話主体、または歴史主体が自らの歴史認識、歴
史観を自由に開陳することは、その主体の研究の自由の範囲
に属するということは言うまでもない。しかし、高良氏らの発言は、
それが個人の学術研究の発表という以前に、小渕前総理も出席
した「沖縄フォーラム」で、現下の国策への提言として、その歴史
認識なり、史観が表明されているところに、まさに発話者の政治
性が今問われているのである。それゆえに、「沖縄イニシアティブ」
をめぐってこれほどの論議、批判が巻き起こっているのである。
 
事柄の本質は、高良氏らが「一つの展望を自由に提示」したに
過ぎないと弁明するほど単純な問題ではなく、沖縄の将来構想
にかかわる知識人の言論の質(「言力」)が問われているので
ある。
 
「位置」の政治学という言い方をすれば、高良氏らの姿勢にある
ものは、権力へのあくなき"情熱"、"同化"であり、戦後沖縄歴史
学が持った権力との"緊張関係"、権力からの醒(さ)めた"距離"
とは、まさに正反対の方向でしかない。
 
かつて筆者は、まさに未開拓の人物論であった伊波普猷の掘り
起こしにかかわり、高良氏も金城正篤氏とともにその分野を担っ
た。そしてまた、戦後沖縄歴史学を立場の相違を超えて背負っ
てきた者の一人として、今ある種の悲哀の感慨を込めて、なおか
つ、次のように厳しく問わなければならない。
 
一体いつからわれわれの戦後沖縄歴史学はこのように権力
の側へと転回し、その同伴者と成り果てたのか。
 
この問いは、米軍統治下のあの五〇年代から六〇年代の苛酷
(かこく)な時代に、歴史研究者の多くが良心の灯を胸中にかかげ、
巨大な米軍権力と緊張関係を持しながら営々と築き上げてきた
戦後沖縄歴史学の伝統とは一体何であったのか、との問いかけ
へと連なる。
 
この問いの前に立つ時、高良氏が昨年七月、「二十一世紀日本
の構想」懇談会で行った「問題提起」こそが、まさに問題とされね
ばならない。なぜならば、ここに表明されている高良氏の史観・
歴史認識こそが、「沖縄イニシアティブ」で言う「歴史問題」と通底
するものだからである。この高良リポートは、同懇談会の第一分
科会「世界に生きる日本」第七回会合議事概要として、インター
ネット上に公開されているので、だれでも簡単にアクセスできる。
この中で、高良氏は、沖縄戦後歴史学の成果全体を"沖縄の「被
害者」的歴史観"として規定し、その「構図」を次のように描く。
 
『沖縄の「被害者」的歴史観の構図を振り返れば、(1)輝かしい栄
光の時代であった古琉球時代、(2)過度の搾取を被った薩摩支配
時代、(3)強権的に日本に編入された琉球処分時代、(4)対等でな
い日本人になることを強いられた皇民化・差別時代、(5)過酷な戦
場を体験させられた沖縄戦、(6)分断され無権利状態におかれた
異民族支配時代、(7)圧倒的な不公平状態を強いられている基地
沖縄という歴史の流れになる』
 
このように"沖縄の「被害者」的歴史観の構図"を軽妙なタッチで
素描し、「多くの場合、被害者として自己規定してきた研究者が
多い」とまこと大ざっぱな沖縄歴史研究者像を提起する。恐るべ
き安易な研究者批判(非難)ではないか。その「典型的」事例とし
てあげられている大田昌秀氏以外に、この被害者史観にとらわ
れている多くの研究者とは、一体どういう研究者群像なのか、高
良氏は明確に提起する義務がある。それこそが言論人・知識人
の社会的責任
というものではないか。
 
近代以降、とりわけ沖縄戦を経て戦後五十年の歴史の実態に
照らせば、われわれの近現代史はそれこそ筆舌に尽くせぬ凄絶
(せいぜつ)な歴史経験の上に成り立っていることは自明なことだ。
あの沖縄戦の経験をとってみても、あるいは戦後五十余年の経
験をとってみても、沖縄の歴史経験はどこを切っても、そこには
鮮血が噴き出るようなそうした凄絶な経験があり、歴史への記憶
の集積がある。それを単に被害者史観などと言うべきではなく、
むしろそうした歴史経験を歴史の証言として後世に継承していく
べきではないか。
 
しかるに高良倉吉氏は、前述したように"沖縄の「被害者」的歴
史観の構図"を素描したうえ、「こうした歴史研究は、歴史認識・
現実認識の深化を阻害し続ける」ものであり、この構図からの
「変革」・脱却を求め、「歴史と現在の峻別」を説き、「安易に融
合」することを退ける。それにしても、かつて琉球処分の強権的
な性格を問題とし、天皇制イデオロギーをも批判し、同化主義を
指弾した気鋭の歴史研究者高良氏が、自らも共有した「古琉球
時代」から「薩摩支配時代」「琉球処分」を経て「異民族支配時
代」、現在の「基地沖縄」の時代という苦難の歴史認識をたかだ
か"沖縄の「被害者」的歴史観の構図"とたばねる戦後沖縄歴史
学への的外れな非難をわれわれは本当に許容できるのか。
 
筆者はこのことを立場の相違を超えて、かつて沖縄歴史研究の
苦闘の日々を共有した研究者たちに痛切に問い掛ける。われ
われの歴史研究が共有していた民衆的高揚への熱い共感とさ
らにわれわれが直面した時代空間への消し難い記憶とは何で
あったのかと。
 
この意味で問われているのは、高良氏自身も含めてわれわれ
の戦後沖縄歴史学における言説空間への社会的責任なのだ。
いみじくも高良氏は復帰直前の一九七〇年に刊行され、七七年
に増補された沖縄歴史研究会編『近代沖縄の歴史と民衆』の解
題の中で、「事大主義=中央志向型の研究者や唯我独尊型の
郷土史家らのデイレッタンテイズムの風靡した沖縄において、
科学的歴史学の地平に立って沖縄史の科学的研究を目指す
沖歴研の登場自体」(「思想としての近代史像」『沖縄歴史論序
説』所収、三一書房)を高く評価し、当時の研究者のおかれた
「政治的現実」とその「社会的責任」にふれ、次のような鮮明な
文章を書き残している。
 
すなわち高良氏は「…戦後沖縄の置かれた政治的現実の中で、
研究者が背負った社会的責任の苦悶の道程があり、眼前の政
治的現実とその打開の認識を沖縄の歴史につなげて理解する
志向があった。」(「右同」)と述べ、当時の研究者の社会的責任
の苦悶(くもん)の様相を語り、政治的現実を打開しようとする認
識が沖縄歴史研究と深く結合していた事実さえも鋭く指摘してい
る。
 
そしてさらに、高良氏のこのような言説は、初期の共著『伊波普
--沖縄史像とその思想』(七二年、清水書院)をはじめ、七〇年
代から八〇年代にかけて相次いで出版された『沖縄歴史への視
点』(八一年、沖縄タイムス社)にも明確に述べられている。
 
この意味で、高良氏が声高に"沖縄の「被害者」的歴史観の構図"
を唱え、「沖縄イニシアティブ」で「歴史問題」を説けば説くほど、
高良氏は無残にも自らの過去の言説、膨大な業績によって裏切
られ続ける宿命にある。ここに戦後沖縄知識人の痛ましい自己
転回の姿がある。
 
最後にあえて問いたいのは、このように自らの過去の言説を省
みることなく、沖縄歴史研究全体にいともたやすく「被害者」史観
などと批判(非難)し去り、葬り去ろうとする、知識人のあり方につ
いてである。言論人、知識人とは、過去・現在・未来について
の自己の言説に断固として社会的責任を持つ立場にある人
間のことを指す
、ということを付記しておく。

 
----- 比屋根照夫
琉球大学法文学部教授。日本政治思想史。
『近代日本と伊波普猷』『自由民権思想と沖縄』『近代沖縄の精
神史』他。



行者杉一千年を時雨るゝや

          福岡県小石原村麓の茶屋で。
          *私も同行していた折の句です。痛飲しながらの句
          でもありました。もうかれこれ30年ほど前。

                 松岡隆夫(亡き年長の畏友。哲学者、詩人)
                 *松岡さんをあえて「友」と呼びます。                 

          松岡さんは「犀の角のようにただ独り歩め」(『スッタ
          ニパータ』)というブッタのことばが好きでした。仏教
          学者の中村元さんの解説によれば、「犀の角のごと
          く」というのは、犀の角が一つしかないように、求道
          者は、他の人々からの毀誉褒貶にわずらわされる
          ことなく、ただひとりでも、自分の確信にしたがって、
          暮らすようにせよ、の意だそうです。

英彦山 
英彦山

小石原焼
小石原焼

行者杉5 
小石原・行者杉1

行者杉3 
小石原・行者杉2

 

行者杉

所在地 
福岡県朝倉郡小石原村大字小石原字宿平

「当署管内字宿平字国有林内に、古くより行者堂があり、
その周辺に所在する一群の老齢スギを通称:行者杉という。
行者杉のうち、老齢なものは約500年、また現存林分の
大部分を構成するものは約200~300年を経過したと
               推測される。

この成立についてはあきらかではないが、往時英彦山が
修験道場として殷盛をきわめ、鎌倉時代以降筑前方面より
英彦山に入山する修験者たちが、豊前との境界であるこの
地でミソギしたときに信仰上の理由から行者堂付近に奉納
             植栽(直挿)したものと伝えられている。
                                                              福岡森林管理署」