下地真樹阪南大学准教授ら3人の逮捕事件に関して「薔薇、または陽だまりの猫」ブログ上に「mojimojiさん等の逮捕に対する あるMLでの議論に関して(追記あり)」(2012-12-30 )という記事が掲載されています。

「薔薇、または陽だまりの猫」の同記事は「mojimojiさん等の逮捕に対するあるMLでの議論」のうち特に大阪・竹林さんの論に着目してその論を好意的、共感的に紹介しています。全文はこちらに掲載されていますのでご参照ください。

しかし、私は、大阪・竹林さんの論には同意できる部分もありますが、「薔薇、または陽だまりの猫」氏と違って同氏の紹介している大阪・竹林さんの論には被批判者の論を誤読、誤解して論じているところも多く、総体としては賛成できません。大阪・竹林さんの論の紹介だけでは(被批判者の論も要約的に紹介はしていますが)「あるMLでの議論」の総体を見誤る、あるいはこの件について十分な情報と知識を所有していない読者の目を見誤らせる恐れがあるのではないか。と、そのことを危惧します。

大阪・竹林さんから批判されている被批判者の論の中には「下地真樹阪南大学准教授ら3人の逮捕事件」をどのように見るか。また、「震災がれき拡散反対」運動を脱原発派市民としてどのように評価するべきかという点について具体的で重要な指摘があるように思います。大阪・竹林さんの論の紹介だけでは被批判者のこの具体的で重要な指摘が見落とされてしまいます。非公開のあるメーリングリスト上の議論ではありますが、大阪・竹林さんの議論が公開されている以上、その被批判者の重要な指摘を含む反論もあわせて公開される必要があるだろう、と私は考えます。被批判者の氏名を匿名にした上で私の責任でその被批判者の議論も以下紹介させていただこうと思います。

「薔薇、または陽だまりの猫」の中で紹介されている竹林氏の記事中に「だのに、なぜ、このMLでは、大阪駅構内での下地さんたちの動きを詮索することに話が集中するのでしょう」というくだり(批判)がありますが、この批判は「大阪駅構内での下地さんたちの動き」は枝葉末節に属することで脱原発運動の本質ではない、という批判も含まれているように思います。しかし、そうではない。脱原発運動を真に市民的な運動に発展させていくためにも私は下地(mojimoji)氏たちの市民運動、脱原発運動として逸脱した行為の指摘はきわめて重要な課題というべきであり、本質的でもある指摘というべきだろうと思っています。

ある震災がれき拡散反対論者への返信として無断転載であることを重々お詫びしつつあえて(2)を起こすしだいです。以下、「薔薇、または陽だまりの猫」で紹介する<「監視カメラ」でmojimojiさん等の行動を確認して判断を>云々という記事への反論にもなっているでしょう。

> どうしてこういう発想になるのかわかりません。みなさんは、(運動体内部でも)参加者がみな検事か公安にでもなって監視カメラの映像を前提にして、「この運動のこのやり方はまずかった」「これはこんなふうに見えるのか。じゃあいいよ」などと議論すればいいとでもおっしゃるのでしょうか。

Oさんも説明されていましたが、そのような主張をした覚えは全くございません(太字は引用者。以下、同じ)。

> で、もし映像によっては「これは不当な逮捕ではなかった」という結論もありうるのでしょうか。

ええ、事実次第ではそういう結論あり得ると思っています。例えば、此花区でのがれき説明会で4名が逮捕された際に、不当逮捕だからと、救援やカンパの呼びかけがこのMLでもなされました。

しかし、一般人も多数利用し、これから説明会に多くの市民が来場するであろう、また2階には図書館もあり一般市民が利用しているであろう区民センター構内において、トラメガ、太鼓、笛などで大音響で騒ぎ続け、当然職員に退出を求められるがそれを無視し、果てには警察が動員されて強制排除となり、それでも退出に抵抗して不退去罪で現行犯逮捕されるに至るという映像を見て、これでは逮捕されても仕方がないと私には思えました。もし事実関係がこれとまるで異なるというなら、どうかご指摘ください。

不必要に職員や警察とぶつかり、まるで逮捕を自ら招いているように見えました。残念ながら、そのような行動をされた方たちを「不当逮捕だから支援」という呼びかけに賛同できないと思いました。それは、自分の価値観に照らしてそうした行為が認められないという側面もありますが、より大きいのは、そうした行為をした方を支援する事が、市民にはその行為を支持するように映ってしまうという恐れからです。

そして、脱原発運動している人たちは、こんな非常識な行動をするのかと思われる事が大変危惧されました。ネット上でもそうした意見は見られます。

そんな前例がすでにありますから、今回もJR職員の退去指示を無視して同様の騒ぎを駅構内でしていたら? と、懸念をしました。警察発表もそのような内容でしたから。仮にそうであったなら、こうした行動を「表現の自由への介入である不当な逮捕」、「表現の自由を守れ」と支援する事は、市民的信頼を失うと恐れました。逮捕・拘留は行き過ぎとの結論は揺るがないとしても、キマリを無視して他の市民への迷惑をかけても反省しない=他の人権への配慮を欠いた行動をしたのなら、「表現の自由を守れ」と、正当化することは、市民の支持を得る事は難しいと思われるからです。だからこそ、そうした事実があったのか、なかったのかの確認はどうしても必要であると考えたわけです。

基本的に、目的のための手段の選択は多種多様であっていいと私も思っています。しかし、市民から嫌悪感を抱かれるような手段を使うのは目的達成を遠ざけるだけですし、仲間にも迷惑を掛けてしまいます。長年運動をやってこられた方なら、そうした過去の事例を沢山ご存知のはずだろうと思います。もっとも、下地さんらの運動の目的を自分はよく理解出来ませんので、共通の目的をお持ちなのかすら不確かではありますが。。。

> みなさんがおっしゃるのは、そうじゃなくて当事者以外もみんな検証する必要がある、そうしないと救援運動は開始できない、ということですね。

人権侵害や不当性を認定するには、事実関係の確認がまず必須ではないでしょうか? もちろん、事実関係は最初から全部分かるわけじゃないから、その時点の範囲で判断するしか方法はありませんが、それを全くせずに支援を決めるなんてありえないと思うんですが? また後から、当初の事実関係に齟齬があると分かった際には、その時点で見直すのだろうと思いますが、違うのですか?

> <誰に勝つため>ですか? 

市民にソッポを向かれないためです。例えば区民センターでの大迷惑行為を支援する事は、市民からは、その支援者も含めてソッポを向かれます。好きな人たちだけでやってるサークル活動なら構わないのでしょうが、一般市民をどれだけ多く巻き込むかを課題にした運動にとっては、そのマイナスイメージは大打撃となりかねません。

そうした運動では、「どれだけ多くの市民の支持や参画が得られるかどうか?」が方法論選択の第一の判断基準であるべきで、何番目かではダメだと思っています。

金曜行動でも、リーダーの皆さんはそうした視点を大事にされているとのご報告がありました。団体旗も、そうした基準で判断すればこそ、一般参加者の参加ハードルを上げる事のないよう、多くの団体の方たちは自ら自粛されているのでしょう。素晴らしい事です。そうした緻密なケアを積み重ねられたからこそ、これまで政治運動とは無縁だった一般市民が多く参加する運動を作れたのでしょうね。池田さんやケニーさんからご紹介のあった、積み木を慎重に積み上げるようにして運動を大きくしていったその努力は、本当にすばらしいなぁと思います。

(略)

一方、下地さんも関わったらしい「葬列デモ」は醜悪でした。
http://togetter.com/li/205615
テント村には橋下氏の踏み絵があるとか、関電前では社員に暴言を吐いているとかも知られています。

こうした行動は市民からはドン引きされるでしょう。この方たちの運動の目的は、市民の支持を広げることにはないらしいと思わざるをえません。

> そうじゃなくて、難があっても果敢に闘っている人たちに対する救援運動はやはり実行されなければならないのです。

私はそう単純には言えないと思っています。全ては程度問題なんですが、既に述べたように、明らかに市民から共感を得られない行動への支援は、支援側もが市民から同列視されるリスクがあります。市民的感覚から、あまりにも乖離した行動にはあえて支援しない判断も必要だと自分は考えます。そして、その程度を超えていたのか?いなかったのか?の判断は個々人がの自らの価値観ですれば良いと思いますが、事実関係が何も提示されていなければそれも不可能です。

> AさんやBさんたちがおっしゃるのは、民衆の内部から闘う者を<審査する>手法? 制度? 慣習?をつくれということですね。

実際にどんな行為だったのかの事実確認が何もない状態では、軽々にその行為者を支援は出来ない。だから、可能な限りの事実関係を確認したい。それが、どうしてそういう理解になってしまうのでしょうか?

> ちなみに、私は、監視カメラの映像が100%「客観的証拠」「真実」たりうるとも思いません。

これもそんな事は言っておりませんよね? 事実関係の確認のために映像の提供を求めたりも私はしていませんしね。
下地さんとNさんの釈放」は朗報です。
 
憲法で保障された市民の表現の自由と政治活動の自由を不当に規制し、犯罪視する警察権力国家権力の横暴は決して許されるものではありません。
 
そういう意味で今回の大阪府警による阪南大学の下地真樹准教授ら3人の逮捕はまさしく「不当逮捕」というほかありません。憲法研究者、学者、文化人を含む多くの人たちが抗議の意思を示し、抗議の声を挙げているのはきわめて当然なことだと私も思います。
 
ただ、今回、下地さんとNさんと同時に逮捕されたHさんだけは釈放されず起訴されました。大山千恵子さんはこれを「分断目的」と指弾されていますが、大山さんのこの見方にも同感します。
 
以上がこの件に関する私の基本認識ですが、この件を考えるに当たっては、

憲法研究者が問題視し批判しているのは、警察権力によって表現の自由が不当に制限されてしまうという問題です。決して瓦礫の受け入れの是非の問題ではありません

という憲法研究者の上脇博之さんの指摘も十分に考慮されるべきでしょう。
 
がれきの受け入れの是非については賛否両論があります。私は基本的には「がれき受け入れ反対」の立場に立つものですが、なにがなんでも絶対「がれき受け入れ反対」という立場ではありません。原発震災以後がれきが放置されたままの状況におかれ、いま現在も放射能被ばくの危険に晒され続けている福島を中心にした汚染地に暮らす、暮らさざるをえない人々の現実をなんとかしなければいけないという課題が国民全体の人道的な課題として残されたままになっているからです。この現実をなんとか克服するためにはたとえば小出裕章氏も指摘する2つの条件をクリアさせた上での各地での放射性物質の焼却(注)などの問題提起は困難な現実の課題の克服という限定された課題の選択肢としてやむをえないぎりぎりの問題提起というべきだろうと思っています。そうした良心的なスタンスからの科学者の十分に考えぬかれた上での科学的な問題提起すら否定し、ともあれなにがなんでも「がれき受け入れ絶対反対」と全否定する態度は現実的困難に直面した場合の市民のとるべき態度ではないだろうと思っています。

まして、自らの主張を言い募りたいばかりに側溝の上で測ったセシウムの空間線量を公式の測定点で測った空間線量値であるかのように捏造するいわゆる「放射能デマ」を撒き散らしてはばからない「buveryの日記」「( →_→) 『捏造なう』」2012-04-18)。また、そのような「放射能デマ」を自ら検証することもなく無思慮、かつ軽薄に拡散してはばからない。このような態度は良心的で理知的な市民のとるべき態度として論外中の論外な態度といわなければならないでしょう。
 
上記の上脇博之さんの「憲法研究者が問題視し批判しているのは、(略)決して瓦礫の受け入れの是非の問題ではありません」という指摘はそうした問題群批判をも含んでいるだろう、というのが私の読解です。繰り返しになりますが、この問題を考える際、憲法研究者の上脇博之さんの上記の指摘は十分に考慮されるべきものだと私は思います。

注:以下はがれきの処理問題とがれきの焼却問題に関する小出裕章氏の見解です。

小出裕章氏 北九州市で震災がれき焼却をすべきでない理由
(約4分間)(公開日:
2012/09/02)

しかし、上記の題字は次のように訂正されるべきでしょう。

小出裕章氏 北九州市で震災がれき焼却をすべきでない理由
北九州市で震災がれき焼却をしなければならない理由」
と。


(1′09″~)
ただし、いま現在大変困難な状況が福島を中心にしてあります。がれきが放置されている限りは福島の子どもたちも被ばくをしてしまっているわけで、それをなんとかしなければいけないという課題は残っています。それに対していま現在の国のやり方が正しくないということは、私は何百回でも言いたいと思いますけれども、ではがれき問題をどうするのか、自分のところに来なければいいのか、というそれだけで考えて欲しくないと私はそうも思います。それぞれの地域の方々は大変だろうとは思いますけれども十分に考えていただきたいと思います。

(がれきの焼却問題については)焼却は私はやってもいいと思いますが、焼却はそれぞれの現地に専用の焼却施設をつくってそこで焼く。そして、出てきた焼却灰は専用の施設で保管をするということが原則です。ですから、ほんとうは国がそれをやらなければいけないのですが、国がまったくやらないというでたらめな国なんですですね。その中で子どもを守るために私たちになにができるかということを私も考えているわけです。そして、仮にどこかの、全国というか、北九州もそうですけれども、そこで引き受けるというのであれば2つのことは必ずやらなければいけません(太字は引用者。以下、同じ)。

ひとつは現有の焼却施設というのは放射性物質を閉じ込めるということになんの考慮もはらわれていない施設ですので、そこで焼いてはいけませんので、放射性物質を取り扱う前にちゃんと放射性物質を捕捉できるようなフィルターなどをとりつけてからでなければやってはいけないというのがまず第一です。

そして第二には出てきた焼却灰というものはもともとは東京電力の所有物が汚染しているものなわけですから焼却灰は東京電力に返す。自分のところで始末するなんていうことではなくて、東京電力に返すという筋道をつけてはじめてやっていいということだと思います。ただ、住民の方々も単に自分のところに汚染が来ないで欲しいというそれだけではなくて、福島を中心とした汚染地の子どもたちを守るためにもし引き受けるのであればその2つの要件を必ず守らせるというそういう運動の組み立て方をして欲しいと思います。もしそれが実現できるのであれば、自分たちの子どもたちも守れますし、汚染地の子どもたちの被ばくも減らすことができると考えていただきたいと思います。
情報戦と現代史――日本国憲法へのもうひとつの道』(花伝社 2007年)や「戦後米国の情報戦と60年安保――ウィロビーから岸信介まで」(『年報 日本現代史』所収 現代史料出版 2010年)などの著書や著作もあり、インテリジェンス(諜報・情報分析)という新しい学の分野にも造詣の深い政治学者の加藤哲郎さん(一橋大学名誉教授、現早稲田大学客員教授)が先日の12月22日に明治大学リバティタワーであった現代史研究会の例会で最近よい意味でも悪い意味でも「評判」になっている元外務官僚(国際情報局長)で元防衛大学校教授の孫崎享氏の著書『戦後史の正体』(創元社 2012年)について論評しています。同著についてはこれまでジャーナリストや政治評論家、ブロガーなどなどによる好悪両価の評価が錯綜していましたが、学者による、その意味で専門的な同著評価は管見の限りおそらくはじめてのことです(「学者」らしき人の評価は目にしたことはありますが)。

加藤さんは上記の現代史研究会での講演についてご自身のホームページ「加藤哲郎のネチズンカレッジ」(2012年12月17日付)で前もって次のような予告をしていました。

 
・・・・アメリカ国内にも、「ジャパメリカからチャイメリカへ」の大きな流れのなかで、さまざまな日本観の分岐があります。この点は、孫崎享さん『戦後史の正体』(創元社)(引用者注1評価にも関係しますので、22日明治大学での現代史研究会でも触れるつもりです。/(略)孫崎さん『戦後史の正体』(引用者注2)の、日本におけるアメリカ研究への奨学金・留学機会提供への着目は慧眼です。それが「対米追随」の土壌になるとすれば、直接的な外交交渉での「自主」度ばかりでなく、こうした留学経験・勤務体験・認識枠組・思考パターンを通じてのソフトパワーが、日本政治に浸透する効果にも注目すべきでしょう。次回、新年更改で、じっくり考えてみます。

加藤さんの上記の孫崎氏評価には「慧眼」という言葉が出てきます。「慧眼」とはいかに、と私は加藤さんの孫崎氏評価に一瞬疑問を持ちましたが、加藤さんは「孫崎享さん『戦後史の正体』」(引用者注1)では孫崎氏自身のtogetter(Tweetまとめ)をリンクし、「孫崎さん『戦後史の正体』」(引用者注2)では「『改憲、はたまた護憲』カメレオンのような孫崎享」(「kojitakenの日記」2012-10-11)と「過剰に大きな星条旗―孫崎享『戦後史の正体』を読む」(「Valdegamas侯日常」2012-08-11)をリンクしています。つまり加藤さんは『戦後史の正体』評価に関する好悪両価の評価を公正に参照した上で自身の意見を構築したい旨言明しているのだな、と私は読みとりました。私は加藤さんの明治大学における22日の現代史研究会での講演を待つことにしました。

その加藤さんの22日の現代史研究会での講演の要旨がある聴講者によってこちらにアップされています。

そのある聴講者によると、22日の加藤さんの講演は以下のような内容だったようです。

1.政治史は外交史のみから語ることはできない。もっと広い視野からの問題を考える必要がある。経済史や社会内部の様々な動向、政権内部の勢力図、諸外国との関係などが考慮されなければならない。その意味では、孫崎さんの本は「外務省外交官中心史観」になっているのではないだろうか

2.それゆえに、議論が「自主か対米追随か」という単純な図式主義に陥ってしまっているように思う

3.しかしそういう図式では片付けられない問題点が多々残っている。ニクソンの中国直接訪問外交や71年のニクソン・ショック(ドルと金の交換の停止)などを、この図式にあてはめることは無理なのではないか。また、日本国内の「下からの圧力」(戦後革新や護憲派など)は全く考慮されていないのではないだろうか

4.佐藤内閣が「自主派」という側(対米追随ではないという意味で積極的な評価を与えられている)で位置づけられているが、果たしてそれでよいのだろうか。佐藤内閣の時代に、「非核三原則」の裏側で、秘かに日、独間で核兵器製造の策動があったという点、などはどう考えるべきなのか、…等々

おおよそ妥当な評価だと私は思います。同講演の詳細については加藤さん自身の手によって加藤さんがこれも予告しているとおり次回更新時(2013年元旦)の「加藤哲郎のネチズンカレッジ」紙上で論文として掲載されることになるでしょう。次回更新に注目したいと思います。

なお、同現代史研究会での講演では加藤さんと同じく日米外交とインテリジェンスを専門分野とする元共同通信社特別編集委員で現名古屋大学特任教授の春名幹男さんも孫崎享著『戦後史の正体』についての評価を述べているようです。先のある聴講者によると、春名さんの『戦後史の正体』評は次のようなものであったようです。

孫崎さんの本については、対米追随では整理できない点が多々あることや、吉田茂の評価についても違和感があること、といった印象が述べられた。

春名さんの本格的な『戦後史の正体』評も読みたいものです。

安倍「極右」暴走政権の誕生による「改憲」の嵐の前夜のような状況の中にあってはなおさらです。いたずらな『戦後史の正体』評価は改憲状況に結果としてさらに掉さすことにしかならないでしょう。それが私の評価です。

これまでの私の『戦後史の正体』批判(一部)については下記をご参照ください。

佐高信氏の孫崎享『戦後史の正体』評と福島瑞穂氏(社民党委員長)及び社民党の右傾化・右転落を端的に示す同著評(弊ブログ 2012.11.04)
朝日新聞「孫崎享『戦後史の正体』書評」(9月30日付)訂正事件雑感(弊ブログ 2012.10.26)
「孫崎享『戦後史の正体』にかぶれる読者の見識を疑う」 ――古寺多見氏の孫崎氏批判は正論だと私は思う(弊ブログ 2012.09.28)
「孫崎享『戦後史の正体』にかぶれる読者の見識を疑う」 ――古寺多見氏の孫崎氏批判は正論だと私は思う(2)(弊ブログ 2012.10.14)
孫崎享『戦後史の正体』をオーソドックスに読み解くひとつの書評――「過剰に大きな星条旗―孫崎享『戦後史の正体』を読む」(弊ブログ 2012.08.23)
孫崎享氏(元外務官僚・元防衛大学校教授)の新著『戦後史の正体』の小沢派評論家たちの「前評判」への違和感(弊ブログ 2012.07.08)
私が「福島県双葉町井戸川克隆町長の不信任案全会一致で可決 双葉町議会」の報に接したのは同不信任案が可決された同日の12月20日のことでした。

双葉町長の不信任案可決 福島原発事故で埼玉避難中(朝日新聞 2012年12月20日)

双葉町の井戸川町長が硬骨漢の人であるらしいことはそれまでもたとえば以下のような情報で私は知っていました。

大臣退席に双葉町長が抗議のスピーチ(YouTube 2012/05/11)
原発がある全国の市町村長と担当大臣が顔を合わせる年に一度の総会で、枝野経産大臣や細野原発担当大臣は冒頭のあいさつだけで早々に退席してしまいました。これに反発した­福島県双葉町の井戸川町長は、大臣席側に背を向けて窮状を訴えました。抗議のスピーチ、ノーカットです。

その井戸川町長が町議会の全会一致で不信任案をつきつけられるとはどういうことか。この報を聞いたとき即座にそれこそ「不信」をもってこの事態に私は疑問を感じましたが、双葉町の議会の事情を私はよく知らず、肝心の「不信任」の内容についても報道以上の情報も私は持っていませんでしたので、今回の「町長不信任」という事態の本質を有意に判断することができず、不信を感じながらもこの問題についての発信を控えていました。

しかし、以下2つの情報を知るにいたって断じて井戸川町長を擁護しなければならないと思うに到りました

そのように思うに到った理由の第一は「フタバから遠く離れて」という映画を最近クランクアップしたばかりの映画監督の舩橋淳さんの次のような慷慨が目に触れたことです。

双葉町の町議会が、井戸川町長に辞任要求をする方針とのニュースを聞き、たいへん危惧しています。/辞任を要求する理由は、議会と情報の共有化に努めていないことや、中間貯蔵施設に関する福島県との会合に町長が欠席したことなどが挙げられています。/その背後にあるのは、賠償も進まず、出口の見えない避難生活で溜まりに溜まった町民のフラストレーションがあり、 全てが遅々として進まないのは町長の責任にあると、不満のはけ口として責任追及したくなる、破壊欲求があります。/はたして原発避難の現状が進まないのは、町長一人の責任にあるのでしょうか。/「元あった生活レベルをそのまま取り戻す」ことよりも、国と東電は賠償金をできるだけ値切ろうとするため、それが摩擦を生み、賠償は全く進んでいません。中間貯蔵施設に関しては、●原発事故の責任者を明らかにすること、●最終処分場をどうするつもりなのか明らかにすること、●避難民の生活再建へ向けてのプランを明らかにすること、という双葉郡側(井戸川町長は、双葉郡を統括する双葉町村会会長)の要求を無視し、国と県はとりあえず中間貯蔵施設を押しつけようとしています。国と県が一方的に囲い込みを進めるのに抗議するため、井戸川町長は欠席しているのですが、それは「話し合いの場につこうともしない」というマイナスイメージに見られています。当事者としては、何度か話し合いの場を持った後、こちらの要望を意図的に無視する権力への抵抗なのです。

その町長のマイナスイメージの尻馬に乗って、町議会では町長の後釜を狙う派閥もあります。/その派閥は今までことあるごとに町長不信任案提出し、町議会の停滞を招いてきた議員たち(太字は引用者。以下、同じ)です。/ 町議会議員には、双葉町復興に向けての町民の意見収集など、全国に散らばってしまった双葉町民と町政とのつなぎ役としてできることが沢山あります。しかし、この派閥は町長の責任追及にばかり終始し、議員としての仕事を全く疎かにしています。/ 町政が停滞しているのは、町議会にもその責任があるのです。/町政が滞ると、町民の不満もさらに増し、町議会へも町長へも批判的になってゆく・・・そんな悪循環に今陥りつつあります。(後略)

第二の理由は地元のあるメーリングリストで知った埼玉県に住む記録映画監督の堀切さとみさん()の次のような訴えに動かされたことです。そして、このブログ記事の主の目的はこの堀切さとみさんの声をみなさんにご紹介することにあります。

注:堀切さとみさんも最近『原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録』という記録映画を完成させたばかりの映画監督です。

堀切です。

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十二月二十日、双葉町議会の最終日。井戸川克隆町長の不信任案が、可決成立した。議会を傍聴した私は、その瞬間を呆然とした思いで見つめていた。自分はただ傍聴してるだけで、何もできなかった痛恨の念があり、数日間、ただただ呆然としていたが、多くの人から「双葉町長を励ましたい」「議会に抗議したい」そして「双葉町はこんなことでは終わらない」という町民の声が寄せられた。「正しいことしてるから叩かれるんだよ」。井戸川町長にもその声は届いているだろうし、町長の思いに揺るぎはないことを思いつつ。

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双葉町議会のリポートをします。

前町長の息子である(こんなレッテルを貼りたくもないのだが)岩本久人議員が、不信任の理由を次のように述べた。

「町長は町民の声をきく努力をせず、町民との考え方にかい離があり、自分の考えに固執している。・・・それに比べて議会は、多くの町民の声をきいてきた」「復興のためには福島県の汚染から出る放射炎汚染土壌やがれきの処分問題は避けてはとおれない。それなのに十一月二十八日の中間貯蔵施設の現地調査を議論する会議に、町長だけが欠席し、福島県や町を落胆させた」

これを受けて、井戸川町長は「町民の不満が解消されないのは、事故責任者が我々を放置していたからに他ならない。健康問題、賠償問題など、町民に損をしてほしくないという思いで精いっぱい尽くしてきた。まだまだやるべき仕事が多くある中で、不信任は残念でならない。町民どおしがいがみあうことなく、一丸となって戦えるような仕組みづくりに、議会の皆さんは力を尽くしてほしい」と反論した。

この町長発言の後、岩本町議ないし他の議員からの意見があるのかと思ったが「質疑なし」「討論なし」で、本当にあっけなく採決になってしまった。私は議会の傍聴は初めてだったのだが、このやり取りをみていて、何か仕組まれたものを感じた。なぜ今、不信任なんだろう・・・。

井戸川町長を解任しようという動きは、これまでに二回あった。理由は「町長は独断的だ」「役場が県外にあることで、県内に避難している町民は不利益を被っている」というものだ。町長は、双葉町民は県内・県外避難者の対立を深刻化させないために苦渋の決断として、役場の福島県内移転や、旧騎西高校の弁当の有料化などを決めた。

にもかかわらず、三度目の不信任案が十二月二十日に出され、あっという間に八人の議員全員の賛成によって、可決成立してしまったのだ。誰かに頼まれたかのように、何の迷いもなく。3・11の直後。井戸川町長は、町民を内部被ばくのリスクから遠ざけるため、役場を福島県外に移し、埼玉県の旧騎西高校に多くの町民を避難させた。私はそんな双葉町に共感し、握手したい気持ちで取材を始めた。騎西高校は唯一残った避難所として、今も160人の町民が暮らしている。

一方、福島県内では佐藤雄平知事、福島県立医大を中心に事故の被害を最小化するためのキャンペーンが張られ、「除染をするから帰還せよ」という政策がとられ続けてきた。井戸川町長はこの安易な帰還政策に反対し「チェルノブイリ基準」を示しながら「福島県内の多くの場所は、今なお人が住んではいけない汚染状況にある」と訴え続けた。すべては、目に見えない放射能から、子どもたちの未来を奪ってはならないという思いからだ。

十月にはジュネーブで、放射能汚染による内部被ばくから町民を守ろうとしない国の無策ぶり、無責任さを訴えたが、本来これは福島県知事がやるべきことだ。しかし実際にはそうはならず、小さな町の首長がたった一人で告発しに行くしかないということが、この国の惨状を示してあまりあると思う。福島県内の自治体の多くが、帰還政策に追従していく中で、井戸川町長は、町民の命と権利を守るために孤立無援で闘ってきた。そんな町長の存在は「福島は安全だ」といって事故の責任をうやむやにする国、県、東電にとって、目の上のたんこぶだったに違いない。だからといって、国や東電が井戸川おろしをするわけにはいかなかったのだ。

岩本議員は「町長は町民の声を聴く努力をしていない」という。こんな言葉が、双葉町民から出てくることに愕然とする。何を根拠にそう言うのか。町長は福島県内の仮設を回って懇談会をしてきた。
仮設を回る回数が足りないというなら、もっと回ればよかったのか? そして、そういう町議こそどれだけ町民と向き合ったのか。3・11直後の福島第一原発の爆発のとき、避難できず町にとり残された三百人の無念さを背負い続け、町民すべての被ばく検査が終わるまで、自分は検査をしないと言いはる町長を、私はとても暖かい人だと感じるのだが。よその人間が双葉町のことを見つめているのに、双葉の議会が町長のしてきたことを認めないというのは、・・・ちょっと度量の狭さを感じてしまう。

中間貯蔵施設の会議に出なかった町長のことを「自分の町、自分の考えだけでコトにあたろうとした」と岩本議員はいうが、自分の町のことを考えることがなぜ悪いのか。岩本議員は誰と向き合っているのだろう。町民感情の頭越しに着工を急ぐ、県と向き合ってるのかな。また町議たちは、町長が主張している「町民の健康問題」については、何も見解を言わない。私は町議ひとりひとりにそれを聞きたいと思う。井戸川町長にインタビューしたとき、「私は反原発ではない。ただ、日本を滅ぼしたくないだけだ。健康な子孫を残すということが大事で・・・・」と語った。そのことに対して、どうして誰も共感しないのだろうか。反論でもいい。なぜかかわろうとしないのか。佐々木清一議長に至っては、議会の後の記者会見で「国とけんかするのも、放射能について言及するのもいいが、町民を一つにすることを考えるべき。自分ひとりの考えでなく、町長としてやるべきことは双葉郡をひとつにすることだ」と言った。自分の考えもなしに県のいいなりになることが、町民に向き合うこととどう結びつくのか。町民の頭越しに中間貯蔵施設を作ることを前提とする会議に対し「自分は反対だ」と表明することも許されない。・・・ 原発事故の最大の被害者である町の議長が、それを許さないのだ。とにかく歩調を合わせることが大事なのだ。こんな議会がどうして、町民のやるせなさに向き合えるんだろう? 前代未聞の世界的な原子力災害に対し、本気になって向き合う井戸川町長に、追いつける人は双葉町議会にはいない。

不信任が決まったことを知った、旧騎西高校の避難所の町民たちは「あんなに頑張ってくれてる町長なのに、本当に許せない」と、悔しさを隠せない様子だった。泣き出す人もいて、つらかった。傍聴席から「町長は町民思いだ!」と叫べばよかったのに、できなかった自分を苛んだ。

しかしこの不信任決議は、マスコミの報道とは別にどんどん広がり、多くの人が井戸川町長にエールを送っている。そして今、町長不信任に抗議する、双葉町民の署名活動が始まった。「双葉の人間はおとなしい」と言ってきた人たちが、動き始めているのだ。日本社会はちょっとだけ成熟している・・と思う。井戸川町長は、自分のしていることがすぐには理解されないことを知っている。

そして、個人が自分の考えを表明することが、民主主義の基礎だということも。こんな人が、双葉町の中から登場してくることが、未来を作ることになる気がしてならない。

なお、この件に関する井戸川双葉町長の町民宛てメッセージはこちらで読むことができます。
前田朗wrote:
> 理事4名の顔ぶれを見て、「これでNew Diplomacy Initiativeとは、はてさて。
Old Diplomacy Initiativeの間違いではないか」と思いますが。

上記の前田氏の感想を読む前にも私はNPJ紙上で「New Diplomacy Initiative (新外交イニシアティブ)」の立ち上げを知って、深い懸念を感じていました。以下、私としてのその感想。

来夏に設立予定だという「New Diplomacy Initiative (新外交イニシアティブ)」なる新NGO組織の理事4名(鳥越俊太郎氏(ジャーナリスト)、藤原帰一氏(東京大学教授)、マイク・モチヅキ氏(ジョージ・ワシントン大学教授)、山口二郎氏(北海道大学教授))の顔ぶれが「Old」だというのもさりながら、つい先日の総選挙で国民世論から圧倒的ノー(不支持)の声をつきつけられた前政権の初代総理大臣の鳩山由紀夫氏を設立プレシンポジウムの講師に迎えて、いったい何を学び? 何をディスカッションし? 何を提言しよう? というのでしょうね。

鳩山由紀夫氏は先の参院選で「『最低でも県外』と首相自ら公約しながら県民の心を8カ月間ももてあそび、『辺野古現行案』に回帰するという公約違反の裏切り行為」(琉球新報社説、2010年6月1日付)に及び、今度の衆院選での民主党の壊滅的大敗の最初のきっかけをつくった張本人というべき人であり、国民サイドから見てもA級戦犯的存在でもあるはずなのですが・・・ こうなってくると単に「Old」というだけでなく、「先の大戦」を懐かしむ体のアナクロニズムの風景というべきですね。

Old」の中身も問題です。新理事予定者のひとりマイク・モチヅキ氏を例にとれば、彼は、クリントン政権の対日政策のブレーンのひとりで、金沢市生れの知日派ということになっており、「沖縄から米海兵隊を削減、撤退すべきだ」(『世界』96年4月号)と提言していわゆる「革新」派の間にも一躍有名になりましたが、その論の前提はあくまでも「日本政府が集団的自衛権に関する憲法解釈を見直し、地域紛争に際しては米国とともに積極的な役割を果す」というものです。彼の執筆した「日米安保を強化する道」(『世界週報』96年2月6日号)という論文の題名を見ただけでも彼は「知日派」というよりもジャパン・ハンドラーのひとりというべきであって、対等な日米関係の構築のために「安保条約廃棄」を課題に掲げる革新派と真に連携できる相手ではないことは明らかです。

私は「New Diplomacy Initiative (新外交イニシアティブ)」という名称を見て、「沖縄サミット」の際のかつての「沖縄イニシアティブ」の呼びかけを想起しました。この「沖縄イニシアティブ」の呼びかけについては新川明氏(元沖縄タイムス記者)、新崎盛暉氏(元沖縄大学教授)、仲里効氏(総合雑誌『EDGE』編集長)、石原昌家氏(詩人)、比屋根照夫氏(琉球大学法文学部教授)、目取真俊氏(作家)の批判があります。ご参照ください。

この「New Diplomacy Initiative (新外交イニシアティブ)」の設立については弁護士を中心とした市民メディアのNPJも深くかかわっているようです(NPJ「お薦め イベント情報」参照)。

市民メディアとしてのNPJがこれまで果たしてきた役割については私も一定評価はしますが、同時にNPJはこれまで報道機関のあるべき姿として批判の多い自由報道協会の上杉隆氏(彼の書く記事の多くが捏造記事であること、彼の他紙記事盗用疑惑について私はたびたび指摘してきました)や岩上安身氏(彼の軽薄な「お待たせしました!福島の奇形児についてスクープです!」発言などについても私はたびたび指摘してきました)、田中龍作氏などを重用し、いまも重用しています。NPJが「お薦め 論評」として好意的にとりあげることの多い植草一秀氏や武田邦彦氏、天木直人氏などの論についてもその民主党擁護の論、荒唐無稽性などについても私はたびたび批判してきました。NPJは私として誤りだと思うその行いをやめるどころかさらに上記に見たような問題性の多い「New Diplomacy Initiative (新外交イニシアティブ)」の設立にも手を染めようとしています。NPJはもはや革新メディアとして評価することができなくなるのではないか。私の深く危惧するところです。
選挙結果を見て」の下記の太田昌国さんの慨歎はほぼ私の慨歎と重なります。

ただ、太田さんは、「社会を変えたいと思ったのは若いころのことだが、それを実現するために多数派を形成する場に自分をおこうと考えたことは、ほとんどない」と記していますが、私は若い頃からずっと(暦年にすると40年以上ということになるでしょうか)「多数派を形成する場に自分をおこうと考え」てきました(ただし、「多数派」から弾かれたり、胡散臭い目で見られてきた、というのが私の個人史というべきものですが)。多数派を築かない限り「世の中」を変えることはできない、と考えてきたからです。

この彼我の考え方と立ち位置の違いが、私の太田昌国さんの論への次のような違和感につながってくるのかもしれません。太田さんは「多数派を形成する場に自分をおこうと考えたことは、ほとんどない」、その理由として、「現存する体制を変革したいと思う運動体・組織体の中にも、自覚的にか無自覚的にか、強権・暴力・専制をふるい、少数者や力弱きものに対して抑圧者として立ち現れる多数派や、それを上から取り仕切って自らが揮う権力の恐ろしさを疑うことすら知らない指導部がいる」ことを挙げていますが、この太田さんの認識と同様の認識を私も保持しています。

しかし、上記で太田氏が「現存する体制を変革したいと思う運動体・組織体」、「少数者や力弱きものに対して抑圧者として立ち現れる多数派」というとき、おそらく共産党などの「運動体・組織体」を念頭においてそう言っているのだと思いますが、「現存する体制の変革」を標榜する「運動体・組織体」、すなわち政党は共産党だけではありません。民主党も国民新党も日本維新の会もみんなの党も日本未来の党も一応口先だけでは「現存する体制の変革」、あるいは「体制内変革」を唱えています。太田氏はいま私がずらずらと並べ立てた政党群は問題外として「現存する体制を変革したいと思う運動体・組織体」の範疇には入れていないのでしょうが、そうすることによってそれら口先だけの「体制変革」の党)を結果として免罪し、真に「体制変革」を志す運動体・組織体、政党のみを批判の対象とするというパラドキシカルに陥っていることに太田氏はどれほど自覚的でしょうか? 太田氏の論は自らの意図に反して口先だけの「体制変革」の党を結果として免罪することによって「体制」を下支えする体制擁護の論になりかねないのです。こうした種の結果としての「体制擁護」論がいかにわが国の真の変革の障害になってきたか。この点について、太田氏には自覚的であっていただきたいものだと私は思っています。

上記の留保を述べた上で私は下記の太田昌国さんの慨歎に共感します。

社会の中の多数派と少数派をめぐる断章――選挙結果を見て
(太田昌国の発言のページ 
2012年12月21日)

社会を変えたいと思ったのは若いころのことだが、それを実現するために多数派を形成する場に自分をおこうと考えたことは、ほとんどない。現存する体制を変革したいと思う運動体・組織体の中にも、自覚的にか無自覚的にか、強権・暴力・専制をふるい、少数者や力弱きものに対して抑圧者として立ち現れる多数派や、それを上から取り仕切って自らが揮う権力の恐ろしさを疑うことすら知らない指導部がいる。それとの一体化は避けたうえでなお、社会変革運動への関わり方を模索しよう。私は、そう考えた。

だから私には、多数派であることを誇る態度に対する、根本的な懐疑がある。米国の公園占拠運動が掲げた「1%対99%」というスローガンは、格差問題に焦点を当てた判りやすいものだと感心はするが、同時に、米国の99%と言えばアフガニスタンとイラクに対する殺戮戦争を熱烈に支持する人間も含まずにはおかないのだから、この数字を強調することは内部矛盾を糊塗してしまう場合もある、などと言わずにはいられないのである。

首相官邸前や国会前で巨万の人びとと共に「原発再稼働反対!」と叫んでいても、この中で、日米安保条約破棄や死刑制度廃止などの、私が近未来に展望している課題を共有できる人は極端に少ないことを経験的に知っているから、そこにいる多数派に丸ごと同一化している実感が私にはない。巨万の人びとが持つ「反原発」の熱意を軽んじるわけでは、もちろん、ない。反原発運動の盛り上がりが、沖縄に集中している軍事基地への怒りに結びつかないことがもどかしいのだ。総人口の1%でしかない少数派の琉球人が、1947年に天皇が占領軍に発した「沖縄切り捨てメッセージ」の延長上で65年後の今なお米軍基地の重圧に喘ぐ現実を因果関係で見ると、これをつくり出しているのはヤマトの多数派の意志に他ならないとしか言いようがないのだ。だから、ヤマトの人間たちは憲法9条の護持を言いつつ日米安保にも安住しているという沖縄からの指弾を受け止めなければ、と思うのである。多数派が、少数派の強いられている現実に気づくことは、かくも難しい。


この社会の中で保守言論が次第に力を得はじめる出発点は1990年前後だったと言える。それは、「革命・革新」を掲げる言論と運動が、世界でも日本でもその影響力を急速に失い始めた時期に重なっている。私は、保守言論が根を張る社会的な基盤の問題としては軽視すべきではないと考え、それらの言論を読み込み、批判する作業をしばらくの間続けた。歴史・論理・倫理などの面から見て支離滅裂な議論を相手にするのは、深い虚しさを伴うことだった。その歴史観が若者の間に浸透しつつあるようだということが、私がその作業の虚しさに堪え得た唯一の理由だった。だが、それから20数年が経って振り返ってみれば、その言論傾向は社会全体を浸しているのであった。

決定的な契機はあった。小泉時代である。政治・社会の中で論理が機能しなくなった例を日本現代史に探るなら、すぐに行き当たるのは小泉政権時代である。思い出すことも忌わしい数々の非論理的で、無責任な発言をこの男は行なった。それが大衆のレベルでは人気上昇の契機にもなった。非論理的な決め台詞が大衆的な喝采を浴びるという状況は、この社会では議論や討論が成り立たなくなったことを意味している。〈政治〉は、テレビスタジオで声の大きな政治屋が芸人相手に与太話に興じるものと化し、投票行動もまたそのレベルで行なわれるようになったのである。

国内には、先行きに対する不安と不満が渦巻いている。その解決に向けた地道な討論よりは、外部にいる、目に付きやすいものを「敵」に仕立て上げればよい。東アジア地域には、その意味では「恰好な敵」が多い。

私たちはいつのまにか、衆寡敵せず、の状況に追い込まれていたのである。


今回の選挙結果に見られる「危機的な状況」に即呼応できる指針があるわけではない。政治とは、つまるところ、議会内の議員の数のことだと観念するなら、確かに、危機は深い。絶対無勢ながら〈議会外〉から議会内に対応しなければならない期間が、少なくとも数年間は続く。他方、選挙とは、もっとも性悪な人物を自らの代理人として選ぶ儀式と化している、というのが私の確信だ。それが、もっとも悲劇的な形で実現してしまった今回の選挙の当選者の顔写真を一瞥すれば、納得する人も多いだろう。私たちが獲得すべき〈政治〉は、ほんとうに、こんな醜悪な連中の手中にすべて握られているのだろうか? 〈政治〉とは何か、という哲学的・現実的な問いを、選挙の結果とは別に、永続的に自らに突きつけて私たちは歩みたい。その時、「危機」はひたすら外在化されることなく、主体内部のものとしても自覚されるのだ。

(2012年12月18日記)


注:「マスコミが好きな政局報道は大政翼賛のコップの中の嵐報道に過ぎないと思います」(Afternoon Cafe 2012.12.20)

今メディアは与党から転落した民主党の今後の行方に注目してるようです。
誰が党首になるのか、どのように建て直しするのか等々、テレビはそういう報道が多いように思われます。
しかし私は、誰が党首になろうが、どのような策で立て直しをはかろうが、あるいは凋落著しく解党の憂き目にあおうが、今後の民主党に一切興味はありません。
なぜなら社民党(は、ちょっと危ないかも^^;)と共産党以外は、安倍、石原、橋下に引きずられるようにしてオール右翼与党として大政翼賛に走ることが目に見えているからです。

民主党(太字は引用者。以下、同じ)は第2自民党という本性を既にむき出しにしています。自民とは犬猿の仲ですが、それも要は「オレに逆らったあいつが気にくわない」というくだらないケンカのレベル、自民党内の派閥争いのレベルであり、政治的な方向性、理念信条、政策はほとんど同じです。
だから誰が党首になろうが、あるいは消滅しようが、これから日本がどう進むかの大勢に影響はないでしょう。

同じように、私は新たに出来た日本未来の党にも興味はありません。
未来の党は、小沢の政局が第一・・じゃなくって国民の生活が第一と亀井氏、減税日本、民主党離党者等々の新鮮味のない「野合の党」であることは既に書きました
亀井氏や減税日本石原氏に秋波を送っていましたし、小沢氏も小さな政府志向且つあの橋下市長に未練たらたらに秋波を送りまくっていました。
ですから、今回未来の党の党首である嘉田代表が橋下氏に秋波を送るような発言をしたのはむしろこの党の性質から言って当然のこと。驚くに値しないし、今更失望するにも値しません。
●「橋下さんと共同行動、十分にある」嘉田・未来代表
http://www.asahi.com/politics/update/1217/OSK201212170078.html

結局この党も離合集散しながらやがて団子状態になって競うように大政翼賛に合流することでしょう。

みんなの党、公明党は言うに及ばず。

マスコミはどんな離合集散がおこなわれるか(=政局)を、まるで戦国時代の国盗り合戦のように報道するのが好きみたいですね。
こういう劇場は視聴者に好まれるでしょうが、大事なことから目をそらせる作用もあります。

どんな離合集散がなされるかを中心に報道するよりも、引き返せない大政翼賛に突入してることに着目する方がよほど大事だと思います。
目指すべき政治理念や政策という「行くべき道」を示してオール右翼与党の大政翼賛暴走していくことをくい止めることがマスコミの役割だと思うのですが。

全然期待できそうにないですけどね。
今回(2012年)の東京都知事選のことについても「ある感想」を書いておきます。

上記で「も」と言っているのはすでに今回の総選挙については下記のような記事を書いているからです。

2012 総選挙 とりあえずのある感想

東京都知事選は私にとってある意味総選挙よりも重たい、息苦しくなるほどの結果でした。吐く息がゼーゼーと息を切らして泣き叫んでいるような空しさのようなもの、悲しさのようなものがこみあげてくるのです。落胆と悲しみ(挫折感)の度合いが総選挙での「革新」の敗北の比ではありませんでした(総選挙の結末は私の中でも早くから予想されていました)。それだけ私にとって今回の東京都知事選への期待が強かった、ということだったのかもしれません(総選挙の結果にはまったく期待していませんでしたから)。

その私にもいまや東京という雑種文化都市の空気の色は保守一色(といっていいほど)に染め上っているという認識は十分にありました。前回(2011年)の東京都知事選では石原慎太郎261万5120票、東国原英夫169万669票、渡辺美樹101万3132票というひとことでいって保守票といってよい合計の票は東京の当日有権者の過半を優に超えるおよそ532万票もありました。そこから推しても今回の猪瀬直樹の433万8936票という獲得票は不思議でもなんでもありません。東京という雑種文化の街はその雑種文化の街にふさわしく今回は(この10年来もそうですが)いっせいに右バネに弾かれて猪瀬直樹という石原慎太郎傘下の超保守候補(元副知事)を選択したのです。考えてみれば、なるべくしてなった結果、といってよいでしょう。

ですから、私が息苦しくなるほどの悲しみを感じるのはそういうことではないのです。

今回の都知事選での実質的な革新統一候補の宇都宮健児さんの獲得票は96万8960票。この得票数は前回は革新統一候補は実現せず共産党(無所属)の単独票となった小池晃氏が獲得した62万3913票よりははるかに多い獲得票です。そういう意味ではこの96万8960票という獲得票は今回のような実質的な革新統一候補が実現していなければ決して獲得することのできなかった大量票ということはできるでしょう。

しかし、前々回の2007年の都知事選の際の一方の革新候補、浅野史郎氏の得票数は169万3323票、もうひとりの革新候補、吉田万三氏の得票数は62万9549票、両者を合わせると232万2872票。宇都宮さんの今回の96万8960票はそのときの232万2872票にははるかに及ばないのです。それも2007年都知事選のときは革新統一は実現していなかったのです。どうして革新統一がいまだ実現していなかった2007年都知事選時の革新獲得票にはるかに及ばなかったのか。その事実が私には空しくて、悲しくて、やりきれないのです。

たしかに候補者の知名度の問題はあったでしょう。浅野さんは元厚生官僚で1993年から2005年まで3期に渡って「無党派知事」として宮城県知事を務めたという実績があります。構造改革を標榜する「改革派知事」としてテレビを含むマスメディアにも頻繁に紹介され、その知名度は抜群でした。その浅野さんに比して宇都宮さんの知名度は元日弁連会長を務めたとはいえ一般的にはそう高いものではありませんでした。そうした知名度の違いが上記の獲得票、得票数の違いに表れているということは否めません。

しかし、私は、知名度の問題は決定的な問題ではなかっただろうと思います。2007年選挙のときのいわゆる市民レベル、とりわけ女性レベル(女性たち)の浅野さんコールは熱狂的なものがありました。その市民と女性たちの当時の熱狂的な「浅野コール」のさまの一端を当時の朝日新聞記者の早野透さんが上手にレポートしています。当時の記録として残していますのでご参考にしてください。

資料:朝日新聞コラムニスト早野透さんの浅野氏へのラブレター(2007年2月20日付)

上記のような燃え上がるような熱気が今回の都知事選には私の感じでしかありませんが、私には残念ながら感じられませんでした。これが今回の宇都宮氏の敗因の第一だろうと私は思っています。なぜ今回、燃え上がるような熱気がなかったのか(もちろん、私の見るところ、ということでしかありませんが)? 私の独断的な偏見を言えば、浅野さんはリベラリストでしたが、市民は宇都宮さんにはリベラスト以上のなにかしら「左翼」的な匂いを感じて敬遠気味の状態にあったのではないか。市民はリベラリストは好きですが、非論理的なので口に出しては言いませんが、おそらく「左翼」は嫌いなのです。「革新」といわれる市民についてもそういう傾向は免れがたくあるように私には見えます。これは、猪瀬直樹氏433万8936票という現象と対をなす市民の表層的でもあり、深層的でもある心理であるように私には見えます。日本という国はこれほどまでに深層レベルでも表層レベルでも「右傾化」してしまったのだ、というのが私の見立てです。私たちはこのような「右傾化」とどのようにたたかうか、が今後の課題になってくるでしょう。これもいうまでもなく「私」の見立てです。

もう一点。2007年選挙のときは「石原ノー」という共通の土俵のことは一応おいておいて、浅野史郎氏と吉田万三氏という革新同士のつばぜり合いがすさまじいまでにありましたが、そのときのある意味「強大」だったエネルギーが今回の都知事選では潜在的なエネルギーのまま放出されなかった、ということがあるのではないか、とも私は思っています。すなわち、下町のドブ川を越えてそのドブ川の先の家の一軒、一軒まで声を嗄らして候補者への一票を呼びかけ続けるという姿勢がかつての両陣営ともに欠落するところがあったのではないか。これも私のある意味傍観者とならざるをえなかった他県人としての岡目八目的な見立てにすぎませんが、その見方を私は捨て去ることはできません。

宇都宮健児さんの今回の革新統一候補の経験は次にきっと生かされなければならない、と私は強く強く思っています。
今回のすさまじいばかりの自民党の圧勝、民主党の壊滅的惨敗の背景についてはさまざまな角度からの分析が可能ですが、私の観点から一点問題提起しておきたいと思いますが、私は、今回のすさまじいばかりの自民党の圧勝の背景には、マスメディアなどから第三極などと過大気味に評価される政党の本質が実のところ自民党や民主党の別働隊にすぎない、ということへの革新、リベラルの側の認識力と批判力が欠如していたことにも大きな一因があるだろう、と思っています。

この問題については今後さらに地道に考究していきたいと思っていますが、とりあえずのこととして、さまざまな人の総選挙後の評言より私の腑に落ちたものをいくつかご紹介させていただこうと思います。

これが総選挙後初っ端の私の考え(認識)の表明です。

とりわけ、自民党の圧勝はすさまじいものでした。朝日新聞の予測では297が「上限」とされていましたが、それに近い294議席を獲得しています。/自民党だけで絶対安定過半数とされる269を突破しました。また、自民党の294議席に公明党が獲得した31議席が加われば325議席となります。/自公が連立すれば、2党だけで衆院の三分の二である320議席を越えます。たとえ、法案が参院で否決されても衆院で再議決して可決することができますから、衆参の「ねじれ」状態は実質的に解消されたことになるでしょう。/他方で、民主党はほとんど壊滅状態になってしまいました。朝日新聞の予測で示された「下限」の63をさらに下回って57と、現有議席の4分の1以下になっています。/朝日新聞が予測した以上の大敗を喫したというわけです。閣僚も相次いで落選し、野田首相は民主党代表の辞任を表明しました。/民主党は、自らの嘘と裏切りに対する国民の怒りがいかにすさまじいものであったか(太字は引用者。以下、同じ)を思い知らされたことでしょう。今回の総選挙の結果は自民党の勝利と言うより民主党の敗北であり、自民圧勝は野田首相によってプレゼントされたようなものです。」(五十嵐仁の転成仁語「12月17日(月) 自民圧勝・民主壊滅に終わった総選挙」)

16日の昼、埼玉県春日部市にいた。たまたま入ったレストランで、隣に座った60代と思われる女性2人の会話が耳に入ってきた。「…もう結果が出ているからね」「そう。だから〔投票に〕行ってないの」。/「メディアは投票日に向けて、選挙結果の予測を「世論調査」の名のもとに執拗に行ってきた。投票日に向けて何度も世論調査を行い、「自民単独過半数の勢い」(『東京新聞』12月13日付)、「自公300議席うかがう」(『朝日新聞』14日付)、「自民勢い変わらず」(『読売新聞』同)…という調子だった。映画が始まる前に、その結末を大声で話すようなものである。これでは映画館に行く気力も失せる。(略)『東京新聞』12月15日付「こちら特報部」は、「世論調査が醸成する『空気』」を分析している。この不思議な「空気」のなかで投票日を迎え、春日部市の女性たちのような会話が、全国各地で行われていたのではないか。勝負が決まっている試合や、「オチはこうだ」と事前に知らされたサスペンス映画、表紙の帯に結末が書いてあるミステリー小説に食欲がわかないのと同じだろう。今回の世論調査については、「世論調査が予備選的な役割を果たした」という評価もあるという(『東京新聞』同上)。だが、これは楽観的評価に過ぎよう。調査報道が世論誘導的に機能した可能性は否定できない。しっかりした検証が必要である。」(早稲田大学・水島朝穂のホームページ「もう一つの「一票の軽さ」――総選挙終わる」 2012年12月17日)

今回の日本未来の党惨敗は、1人の強力な指導者に頼る政党の弱みを露呈した形だ。ひとたび指導者が判断を誤ったら、誰にもそれを修正することができず、坂道を転げ落ちてしまうのだ。/一例を挙げると、小沢一郎が「オリーブの木」構想に当初「大阪維新の会」を入れていたことだ。小沢グループの議員の中でもリベラルな傾向を持つ人には、少なからず橋下徹に批判的な人がいたはずだ。しかし小沢は、「橋下の悪口を言うな」と厳命して、グループ内の橋下批判を抑え込んだ。その理由は、橋下徹と「組める」という確信があったに違いないが、当ダイアリーでずっと指摘し続けた通り、橋下が「国民的不人気」の小沢と組むはずなど最初からなかった。事実、橋下は当初安倍晋三を口説き落とそうとして、最後には石原慎太郎と組んだ。」(kojitakenの日記「「強力な指導者」に頼る政党はリスクが高すぎる」 2012年12月17日)

私はそのうち初回の情勢調査を接してようやく悟ったのは、有権者の多くにとっては民主党も日本未来の党も同じだということだ。考えてみれば当たり前の話で、両党は元は一緒で、国民新党・社民党とともに連立政権を作りながら有権者の期待にこたえられなかった政治勢力に過ぎないのだ。(略)/毎日新聞の「えらぼーと」を検討すればよくわかるが、民主党と日本未来の党の政策には大きな差はない。原発、消費税、TPPで見かけ上の対立軸は作って見せたものの、それらは決して政治的な信念に基づくものではなく、有権者の気を引くための「大道具、小道具」でしかなかった。それが証拠に、日本未来の党を事実上仕切っていたと見られる「一兵卒」(注:小沢一郎氏)は、かつて消費税率を引き上げようとして細川護煕政権を瓦解させたし、大の自由貿易論者として鳴らしていたし、大の原発推進派であり、東電原発事故以降に限っても、自公の菅政権不信任案提出を煽り、原発推進派の海江田万里を民主党代表選で担いだ。しかし、これらの行いが誤りだったという反省の言葉は、ついに一兵卒の口から発せられることはなかった。/こんなふざけた姿を見せつけられた有権者が、見え透いた人気取りの公約に騙されるはずもなく、だから日本未来の党は民主党と一緒に惨敗したのだろう。」((きまぐれな日々「最悪の結果となった衆議院選挙。今後の活路を見出すために」 2012年12月17日)
今日は総選挙と東京都知事選の投票と同時に最高裁判所裁判官(10人)の国民審査も行われます。

国民審査の対象最高裁判所裁判官は以下の10人

〈1〉山浦善樹(やまうらよしき)      (66) 弁護士出身 一橋大学法学部卒
〈2〉岡部喜代子(おかべきよこ)    (63) 学者出身   慶応大学大学院
〈3〉須藤正彦(すどうまさひこ)      (69) 弁護士出身  中央大学法学部卒
〈4〉横田尤孝(よこたともゆき)   (68) 検察官出身 中央大学法学部卒
〈5〉大橋正春(おおはしまさはる) (65) 弁護士出身 東京大学法学部卒
〈6〉千葉勝美(ちばかつみ)          (66) 裁判官出身 東京大学法学部卒
〈7〉寺田逸郎(てらだいつろう)      (64) 同        東京大学法学部卒
〈8〉白木勇(しらきゆう)               (67) 同       東京大学法学部卒
〈9〉大谷剛彦(おおたにたけひこ)  (65) 同        東京大学法学部卒
〈10〉小貫芳信(おぬきよしのぶ)   (64)  検察官出身  中央大学大学院

この最高裁判所裁判官国民審査で審査される対象裁判官の適格性を判断するひとつの資料としてビデオニュース・ドットコム(神保哲生代表)がこの3年ほどの間の最高裁の判決から10個の判決をピックアップして、その判決について批評しています。閲覧は無料です。ご参照ください。

なお、ピックアップされた10個の判決と対象裁判官の評決は以下のとおり。

1)原発(志賀原発2号機運転差止訴訟)
*第一審は認容判決(井戸謙一裁判長)。多数意見は第一審棄却判決。

白木(多数意見)  横田(多数意見)

2)沖縄集団自決
*多数意見は大江健三郎氏の著書『沖縄ノート』によって名誉毀損されたという原告の訴えを棄却。

白木(多数意見)  横田(多数意見)

3)君が代訴訟
*多数意見は校長の卒業式での君が代斉唱時及び国旗に向かっての起立命令は思想・良心の自由をただちに拘束するものではなく、合憲という判断。

白木(多数意見)  千葉(多数意見)  横田(多数意見)  須藤(多数意見)

4)北九州監禁殺人
*多数意見は主犯の松永被告と共謀があったとして起訴された緒方純子被告の「無期懲役」刑は妥当とするもの。少数意見は「死刑」罪が妥当とするもの。

白木(多数意見)  横田(少数意見)

5)Winny事件
*多数意見は「無罪」判決。少数意見は「幇助」罪は成立するというもの。

大谷(少数意見)  寺田(多数意見   岡部(多数意見)

6)精神鑑定漏洩
*多数意見は精神鑑定の漏洩は「秘密漏洩」罪に当たるというもの。

千葉(多数意見)  須藤(多数意見)

7)光市母子殺害
*多数意見は「死刑」罪を妥当とするもの。

白木(多数意見)

8)児童ポルノリンク
*多数意見はリンクを貼る行為もリンクのサイトの主宰者と同様の罪を構成するというもの。少数意見はリンクを貼るという行為をポルノ写真そのもを貼る行為の正犯と見ることはできないというもの。

大谷(多数意見) 寺田(少数意見) 大橋(少数意見) 岡部(多数意見)

9)前福島知事汚職
*多数意見は前福島知事の汚職を認定するもの。

白木(多数意見)  山浦(多数意見)

10)一票の格差
*多数意見は現在の格差の状況は「違憲状態」、すなわち「合憲」というもの。少数意見は「違憲」とするもの。

小貫(多数意見・違憲状態(合憲)) 大谷(多数意見・違憲状態(合憲)) 白木(多数意見・違憲状態(合憲)) 寺田(多数意見・違憲状態(合憲)) 千葉(多数意見・違憲状態
(合憲)) 横田(多数意見・違憲状態(合憲)) 岡部(多数意見・違憲状態(合憲)) 山浦(多数意見・違憲状態(合憲))

大橋(少数意見・違憲) 須藤(少数意見・違憲)

追記:
私は上記の最高裁判決のうち特に「君が代訴訟」判決を重視したいと思います。この判決に関わった対象裁判官は全員「校長の卒業式での君が代斉唱時及び国旗に向かっての起立命令は思想・良心の自由をただちに拘束するものではなく、合憲」という判断を示しています。私にはこの判断は容認できません。したがって、全員×と記入するつもりです。

なお、×印をつけずに白紙のまま投函してしまうと対象裁判官を信任したものとみなされます。くれぐれもご注意ください。

追記2:
「さらに白木・横田は、上関原発反対で座り込みをした祝島島民の非暴力活動に対して「妨害予備罪」なるものを下した第一小法廷のメンバーです」という情報も寄せられています。

追記3:
さらに「10人の最高裁判事のうち、須藤正彦氏および千葉勝美氏は、昨年7月に出された、千葉市で起きた強かん事件について、逆転無罪判決を出した第二小法廷の裁判官です」という情報も寄せられています。同情報は次のように続いています。

「千葉氏がその際の裁判長で、須藤氏を含む三人が逆転判決に賛同し(一人は外交官出身で今回は審査の対象になっていません)、すでに退官した一人がそれに反対意見を述べました。 特に千葉・須藤両氏は、被害女性が逃げなかった事実その他を、「経験則」からおかしいと見なして、被害者の供述は信用できないと結論づけましたが、自らの非常に狭い経験を「経験(法)則」という言葉によって完全に合理化しています。特に須藤氏は、補足意見でこの「経験則」を頻繁に使っています。両者の言い分は完全に不合理ですが、これが最高裁の判断としてその後の性犯罪事犯に大きな影響を持っていると思うと、暗澹たる思いです。特に性犯罪に関する最高裁での逆転無罪判決は、これが2度目であるため、今後の影響が本当に心配されます。」
1979年に3期12年続いた美濃部革新都政の後継者として出馬した太田薫氏(前総評議長)、83年にあらたな同革新都政後継者として出馬した松岡英夫氏(元毎日新聞政治部長)以来実に30年ぶりに実質的な革新統一候補が実現し、歴史的な自治体選挙(知事選)となった東京都知事選と民主党政権のこの3年半の国民を愚ろうし続けた政権運営の責任が国民の手によって審判される総選挙はいよいよ明日、投票日を迎えます。

そのふたつの重要な選挙のうちのひとつの総選挙についてはマスコミ各社の選挙情勢調査と選挙予測が出揃いました。マスコミ各社に共通しているのは「自民圧勝」の予測。対して民主党は100議席を大幅に割り込む。日本維新の会は民主党に近い議席を獲得し国政第三党に躍り出る。未来の党は国民の生活が第一の議員を多く抱え込むが62議席から10議席台に激減する。共産は比例区で前回とほぼ同じ8議席前後。社民は2議席ほど、というのがマスコミ各社の共通する予測です(ひとつの例として朝日新聞の選挙情勢調査(2012年12月13日付)の結果をリンクしておきます)。

ひとことで言って、総選挙後に成立する政権と議員集団は、安倍自民党総裁を中心とする「極右」暴走政権。その政権を支える公明党、日本維新の会などなどの与党、野党を問わない「極右」大政翼賛会型の議員集団ということになるでしょう。そして、この安部「極右」暴走政権を支える議員集団の中には「極右」の民主党議員、みんなの党の面々も当然含まれてくるでしょう。

私たち有権者が選んだ(選ぶ)結果とはいえ恐るべき事態の出現です。私たちの国の時計の針は一気に戦前型に巻き戻されました。巻き戻されつつあります。

この事態の防波堤になる、と私が期待するのは実に30年ぶりに実質的な革新統一候補が実現した東京都知事選の結果です。1967年の美濃部革新都政の成立以後、革新自治体は同革新自治体の老舗としての京都府(蜷川府政)はもちろん、大阪府(黒田府政)神奈川県(長洲県政)埼玉県(畑県政)滋賀県(武村県政)福岡県(奥田県政)横浜市(飛鳥田市政)などなどと燎原の火のように次々と飛び火し、革新首長が相次いで誕生していきました。

東京都知事選の結果は日本の国政レベルでの「極右」現象に抗する強き、厚き、強靭な防波堤にもなりうるのです。

あと1日、東京都知事選を私たちの手でなんとしても勝利させたいものです。
東京都知事選の選挙戦中盤情勢について日経(12月8日付)と読売(12月9日付)が世論調査結果をそれぞれ発表しています。

都知事選、猪瀬氏が大きくリード 本社世論調査 知事選「投票に行く」94%(日本経済新聞 2012/12/8)
都知事選、猪瀬直樹氏が優位…読売情勢調査(読売新聞 2012年12月9日)

両紙ともに共通しているのは猪瀬氏優位という世論調査結果です。

しかし、日経の世論調査は「日経リサーチが無作為に選んだ番号に電話をかけて実施。都内の有権者がいる938世帯から617件の回答を得た。回答率は65.8%」というもの。また、読売の世論調査は「無作為に作成した番号に電話をかける方法で実施した。有権者在住が判明した1763世帯の中から1014人の有権者の回答を得た。回答率は58%」というものです。無作為とはいえ1000万人以上の有権者を抱える東京都総体の有権者人口に比してそれぞれ600人程度の世論調査結果がどれほどの世論の動向を反映しているか、また、リアリティを担保しているかは疑問です。

世論調査は固定電話を対象に行われおり、それも在宅していることの多いいわゆる「主婦」層や「老人」層の回答に偏る傾向があり、携帯電話を主に利用する若者層や働き盛りの日中家にいることの少ないサラリー(ウー)マン、勤労者は結果として調査の対象外になることが多い、というのは世論調査の方法の欠陥として以前から指摘されていることでもあります。

また、世論調査は相当に恣意性が強いということも下記の事例は示しています。

原発「必要」が7割超(都知事選・世論調査)(日本経済新聞 2012/12/8)

「衆院選でも争点の一つになっている原子力発電の在り方について尋ねたところ、「電力供給のために今後も必要」が13%、「脱原発を目指すべきだが、当面は必要」が61%だった。現実的なエネルギー政策として原発の必要性を認める声が4分の3を占めた。/「即座に脱原発に取り組むべきだ」と答えたのは21%だった。」

都民世論調査 「原発ゼロを」57% 比例投票先 自民21%、民主12%(東京新聞 2012年11月18日)

「衆院選の大きな争点となる脱原発に関して、原発ゼロを求める回答は57・5%。時期については「二〇三〇年代よりも前倒しして原発稼働ゼロにする」が27%で、民主党政権が決めた「三〇年代にゼロ」を支持する14・9%を上回った。「ただちにゼロにする」は15・6%。「減らすが、ゼロにはしない」は29%だった。」

「原発「必要」が7割超」(日本経済新聞)と「「原発ゼロを」57%」(東京新聞)というのは大きな違いです。

上記は世論調査なるものの恣意性を端的に示し得ているでしょう。世論調査なるものの結果は調査主体側の操作によってどのようにも変わりうるということです。

私がここで言いたいことは「猪瀬氏が大きくリード」などというもしかしたら意図的かもしれない世論調査の結果などに惑わされてはならないということです。

東京都にマイブルーヘブン(私の青空)を取り戻すために全力を尽くしきりましょう。

以下、そのほかの都知事選の世論調査情報をピックアップしておきます。

新銀行東京「撤退を」54%(都知事選・世論調査)(日本経済新聞 2012/12/8)
景気や福祉に高い関心(都知事選・世論調査)(日本経済新聞 2012/12/8)
[知事選] 「関心ある」89% 5ポイント下落(読売新聞 2012年12月9日)

☆宇都宮さんは大分県・国東半島(「古の流転の民がいひけらく久にの果てなるここは国東」(国東半島出身の歌人・山本保)の入口の杵築市のご出身です。宇都宮さんは「貧しい幼少時代」(「不屈の弁護士にして都知事選候補者・宇都宮健児氏が語る『コワい人との交渉術』」(日刊 SPA ! 2012.12.04)を杵築市の寒村の山間で過ごしました。その宇都宮さんに私は強く連帯します。
(宇都宮けんじさんを応援する大分・勝手連/東本高志)
『日刊 SPA !』に2012年12月4日付けで「不屈の弁護士にして都知事選候補者・宇都宮健児氏が語る『コワい人との交渉術』」という記事が掲載されています。よい記事だと思います。ご紹介させていただこうと思います。

不屈の弁護士にして都知事選候補者・宇都宮健児氏が語る
「コワい人との交渉術」
日刊SPA ! 2012.12.04

12月16日、衆院選と同日に行われる東京都知事選。「石原都政を引き継ぐ」という猪瀬直樹副知事とは全く対極に、「脱原発」「反貧困」を掲げて出馬している候補が宇都宮健児弁護士。一般には知名度がそこまでないが、都知事選で猪瀬氏の最大の対抗馬と目されている。

貧しい幼少時代から勉学に打ち込み東大合格。在学中に、体重が8kg減るほどの猛勉強の末、司法試験に一発合格して弁護士になった。

現在は、多重債務問題などの最前線で活躍する宇都宮弁護士。

当然のことながら、ヤクザやヤミ金からの脅迫も少なくないのだが、彼はどんな脅迫だろうが動じない。その現場に居合わせた本誌記者Mはこう語る。

「宇都宮弁護士に取材中、脅迫のような、ただ事ではない電話がかかってきました。それがちょうど、僕が先日拉致られたヤミ金の大親玉からの電話だったのです。『大丈夫なんですか』と聞くと、『ヤミ金やヤクザでも、上層部の人間はわりと話が通じますよ。あちらにもそれなりの理はありますから、要は法律を盾にじっくり話をすることです。でも、若いヤツや下っ端のチンピラのほうは要注意。後先考えずに行動に出ますから。あと怖いのは、新興宗教やカルト教団です』とさらっと答えました」

本誌記者Mは、宇都宮氏からヤクザ、ヤミ金への対処の仕方を教わった。その基本は「相手の立場を尊重すること。決して下には見ないこと」だった。

宇都宮氏はこう言う。

「ヤクザは組織内でのメンツが非常に大事。こちらが見下せば、まとまる話も絶対にまとまりません。まず相手のメンツを立ててやること。そして、その中で交渉できる範囲を探していきます。また、ヤクザの脅しは、たいてい口だけ。彼らは経済原理で動いていますから、実は一般人相手よりも安全なんです。5万や10万といったヤミ金が原因で人を殺すなんてありえない。それで懲役15年もくらうなんて割に合いませんから。それから、ヤクザもヤミ金もみな同じ人間で、どこかで人間らしい優しい感情、話し合える部分を持っている。私はそこに希望を持っているんです。交渉はそりゃあ怖いですよ。でも、僕を頼って来てくれている人たちを助けたいという思いがいちばん強い。事務所には借金苦で家庭崩壊、夜逃げをしたり野宿生活に入ったり、手首を切ったり、自殺を図ったりするような人たちがたくさん来ているわけです。僕がここで『怖い』って引っ込んだら、そういう人たちを助ける人がいなくなるしね」

宇都宮氏の「他者のプライドを尊重する」という姿勢は、ホームレス対策にも通じる。ホームレス総合相談ネットワーク事務局の大河内知彦さんはこう語る。

「’08年末からの派遣村で新人相談員だったぼくは、明らかにウソとわかることばかり言う相談者への対応に悩んでいました。『相談活動って一体何なのだろう?』と思い詰めて宇都宮先生に相談したら、『派遣村に来られる方は、生活に困ってウソをつかなければならないほどに追い詰められているんだ。みんなそれぞれの事情もあるし自己のプライドもある。要は根気よく話を聞くことだ』とおっしゃったんです。根気よく話を聞いていれば、次第に心を開いてくれ、スムーズに話ができるようになるということがわかりました」

週刊SPA!12月4日発売号「不屈の弁護士[宇都宮健児]奇伝」では、どてらい男、宇都宮健児弁護士の武勇伝を紹介している。
<取材・文/横田一 清水直子 写真/森住卓>

☆宇都宮さんは大分県・国東半島(「古の流転の民がいひけらく久にの果てなるここは国東」(国東半島出身の歌人・山本保)の入口の杵築市のご出身です。上記記事にいう「貧しい幼少時代」とはもちろん杵築市の山間で過ごした幼少時代のことを指します。
(宇都宮けんじさんを応援する大分・勝手連/東本高志)