この10月14日に東京・水道橋のYMCAアジア青少年センターで「『脱原発社会』をどうやってつくるのか~デモと原発立地地域の両面から探る~」というテーマでのトークイベントがありました。同トークイベントでの対話者は開沼博さん(社会学者、『フクシマ論』著者)、アイリーン・美緒子・スミスさん(グリーンアクション)、吉岡達也さん(ピースボート)。主催はピースボート。

各対話者のプロフィールは以下のとおり。

・開沼博氏
1984年福島県いわき市生まれ。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)『地方の論理フクシマから考える日本の未来』(同、佐藤栄佐久氏との共著)など。

・アイリーン・美緒子・スミス氏
1950年、東京生まれ。68年スタンフォード大学入学、83年コロンビア大学にて環境科学の博士号取得。1971年から水俣病取材のため水俣に住み、1975年に写真集『MINAMATA』をユージン・スミス氏と出版。1979年、スリーマイル島原発事故調査のため現地に1年間住む。1991年グリーン・アクション設立。

・吉岡 達也氏
1983年にピースボートを 立ち上げ、国際協力や紛争予防、そして地球環境をテーマとした世界一周クルーズを毎年3回行うと同時に災害救援活動や原発問題にも関わってきた。今年1月の「脱原発世界会議」では実行委員長を務め、現在12月の『脱原発クルーズ』を呼びかけている。福島の子どもたちへの支援にも取り組んでいる。

同トークイベントの模様はこちらのリンクで観ることができます。

以下は、そのトークイベントのビデオを観た私の率直な感想です。

少し忙しい日々が続いていて、やっと昨日ビデオを観ることができ
ました。

しかし、予想どおりというべきでしょうか、私には開沼博さんとアイ
リーン・美緒子・スミスさん、吉岡達也さんのトークはかみ合って
いるようには見えませんでした。というよりも、アイリーン・美緒子・
スミスさんと吉岡達也さんは開沼博さんの問題提起がよくわかっ
ていないように見えました。

アイリーン・美緒子・スミスさんと吉岡達也さんの話は終始311以
前を含むこれまでの脱原発運動の有効性、脱原発官邸前デモな
ど現にいま行われているデモの有効性、原発被災地の人々を含
む人とのつながりの重要性を自身の経験を土台にして主観的に
(むろん、本人たちは「主観的」とは思っていないわけですが)「生
き生き」と語るだけで、開沼さんが問うている問題、すなわち、

他地域から立地地域に来て抗議する人たちは、言ってしまえば
『騒ぐだけ騒いで帰る人たち』です。震災前からそう。バスで乗り
つけてきて、『ここは汚染されている!』『森、水、土地を返せ!』
と叫んで練り歩く。/農作業中のおばあちゃんに『そこは危険だ、
そんな作物食べちゃダメだ』とメガホンで恫喝(どうかつ)する。そ
の上、『ここで生きる人のために!』とか言っちゃう。ひととおりや
って満足したら、弁当食べて『お疲れさまでした』と帰る。地元の
人は、『こいつら何しに来てるんだ』と、あぜんとする


という現にいま行われている「脱原発運動」なるものに対する倫
理的、本質的な疑念の提起の意味するところについてまったく理
解が及んでいないように見えました。

問題の本質を理解しないまま、滔々とひとり語り(独り合点)に語
っている。すなわち、彼、彼女は熱心に他者を語りながら彼らの
話の中には決して他者は登場しないのです。しかし、そういうこと
すら彼、そして彼女は気がついていない。これでは対話が成立す
るはずもありません。ここにいまのいわゆる脱原発運動の(担い
手の)欠陥がもろに出ているように思えました。彼、彼女、そして、
私の知る脱原発運動の担い手(その多く)に私はおのれの視野
の及ぶ限りの自己という属性に固執する充足の意志を感じること
はあっても、他者へとつながろうとする意志(自己という属性を超
えようとする意志)と思想性を見出すことはできないのです(注)。
そういう意味で、私は、

脱原発運動は根底的に見直さなければならない

だろう、と思っています。自己を始発とする意思はその「自己」を
超えようとする意志がない限り個我にとどまり(現象的、一時的
に大きなうねりになることはあっても、やがてしぼんでいく)、われ
=われ(小田実)へとつながっていく道筋が見えないからです。

注:私はいまこのことに関してあるひとりの実践家ともうひとりの
思想家の言葉を思い出しています。あるひとりの実践家とは9年
前の福岡県知事選の折、来県して、当時九州大学教授の職を
辞して同知事選に出馬した今里滋氏(現同志社大学教授)の応
援に駆けつけたときの逢坂誠二氏(当時、ニセコ町長)の「福岡
県知事選フォーラム」での発言です。逢坂氏の言葉「市民運動を
する者に往々に見られる傾向がある。仲間内のやりとりに終始し、
そのやりとりだけで自足している」。

もうひとりの思想家の言葉は故・加藤周一氏の次のような発言で
す。「かつて社会の動き方を批判するのは知識人の役割だったか
もしれないけども、いまは大衆のなかからそういう人たちが出てき
ている。(略)おそらく日本みたいにたくさんの(市民の)小さなグル
ープのある社会は少ない。それは大変意味のある変化である。し
かしまた、現にある私たちの国の市民運動は、そうした長所をい
かしきれていない。無力である。なぜ無力かというと、横の連絡が
ないからである」(要約。「戦後思想を語る(下)」論座 2003年4月
号)。

なお、私は、上記のトークイベントビデオを観る前にある人に次のようなメールを発信していました。上記の私の「感想」の参考資料としてお読みいただければ幸いです。

「開沼博×アイリーン・スミス×吉岡達也」各氏の顔合わせが私に
は大変興味深いです。

開沼さんが現にいまある「福島」の問題群(たとえば「避難の権利」
の問題と「それでも福島に住み続ける」という住民の選択の問題
への「私」たち(福島県外人)としてのコミットのあり方)、「福島」か
らの視点をどのような形で提起するのか?

その開沼さんの提起に対して、アイリーン・スミスさん、吉岡達也さ
んがどのように応答するのか? また、三者において対話がどのよ
うに交錯するのか、あるいはしないのか? 私には大変関心があり
ます。

このトークイベント、できうればぜひビデオ公開していただきたいも
のです。

なお先日、開沼博さんに関して、下記のような記事を書いたことが
あります。ご参照いただければ幸いです。

開沼博さん(少壮社会学者)の真率な論説に関して
開沼博「“燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」
を読んで

弊ブログ 2012.08.09
image.jpg   
『へばの』公式HP

11月10日に唐津市(佐賀県)で青森県六ヶ所村の再処理工場でのできごと(内部被曝)を題材(フィクション)にした映画『へばの』が上映されるそうです。

しかし、この映画の上映会を企画した吉田晶子さんは「私が『へばの』を上映するのは、この映画が原子力発電の問題を扱っていることが理由ではない」と言います。

そして、吉田さんはこう続けます。「(私が『へばの』を上映するのは)一組の男女の生き方を描いた物語として、一人の女性の人生を描いた物語として、面白い映画であるからだ。(略)その面白さは、原子力発電という問題を真面目に扱っているから、であると思う」。しかし、「『へばの』の面白さとは、わかりやすく反原発を訴えることに徹することでも、「不謹慎さ」を指摘されるのを恐れ沈痛な表情をつくってみることでもない。自身が扱うべきテーマとして、対峙すべき問題として、自らがどのように問うのかを逡巡する手触りがある」、と。

この映画の上映会を紹介している小野俊彦さんは吉田さんの意を忖度してさらにこう続けます

「上映会主催者の吉田さんは「『へばの』上映に向けて」で、今回この映画の上映を企画したのは「この映画が原子力発電の問題を扱っていることが理由ではない」と書いている。しかし、吉田さんがわざわざそう書かざるをえないということ自体、この2008年に公開された映画がすでに「311」ないし「312」と呼ばれる出来事以後の時間を生きているという事実の一部なのだろう。

原発事故以後の状況の中で現に多くの人が経験している困難と、この映画の登場人物たちが通過する困難とは、やはり無縁ではありえないし、映画は先取りされた現実の複製のようにすら見えなくもない。生を取り巻く状況が困難であればあるほど、生きてゆくことは「決断」の様相をより濃くおびるだろう。しかし何が正しい決断なのかが分からないならば、決断そのものよりも、その決断を下した過程にこそ考えるべきことがある。視線の対象よりも視線そのものの動きに考えるべきことがある。しかし、私たちは分かりにくいものから逃げてしまう。対象に、現象に、視線を固着させ、視線の恣意と同時に自由を忘れてしまう。ある決断の背後にあったであろう特定の動機や理由から決断にいたる直通経路のようなものを想定し、また、それを了解することで他者と「連帯」できたとか、理解しあえたと考えてしまう。吉田さんが「上映に向けて」の最後で、映画『へばの』を観た感想として述べているのは、そのような分かりやすさに傾くことへの重要な疑義ではないだろうか。」

私は吉田さんの語りにも、小野さんの視点にも気がそそられ、説得されます。

「自らのものとして問題を語るための新しい言葉を私たちが獲得するとき(東本注:原発問題を自らの身裡に迸る内発の問題として考えようとするとき、と私は読みかえて読解しました。原発問題を考えようとするときの「私」としてのアプローチの問題として)、それは新しく誰かの仲間に入れてもらうときに訪れるものではなく、それまで一緒にいたものたちと自らを結びつけていた言葉を手放すことを覚悟したときに、訪れるものではないのだろうか。『へばの』を観て、そう思った。「へばの」とは青森弁で「さようなら」の意である。」(吉田晶子さん。上映会のチラシより)

面白そうな、そして気がそそられる上映会です。唐津は家(うち)からは少し遠いけれど、ぶらりと映画『へばの』を観に行こうかしらん。

そして、吉田さんや小野さんと一杯あおってみるのも一興かな(小野さんとは面識あり)、と思ったりもしています。ただし、この日、ある一杯会にも誘われていて、それとの調整が微妙・・・。
先に私は浅井基文さんの「尖閣問題に関する志位・共産党委員長発言に対する疑問」という論攷をご紹介させていただきましたが、その浅井さんが前稿の問題提起に関連させて改めて「尖閣問題:志位・共産党委員長の新論点」という再疑問を発信しています。前便の続きとしてこの論もご紹介させていただこうと思います。

浅井さんの論攷からの抜粋1
また、前からずっと感じていることですが、志位・共産党から
は他者感覚の働きを感じることができないという問題も指摘
せざるを得ません。とにかく「オレの言っていることは正しい。
異論は受け付けない」という臭いが鼻につくのです。中国研
究者のなかにも、共産党員や支持者は少なくないと思うので
すが、トップがある断定をしたらそれですべてが終わりで、そ
の断定がおかしいということに関する異論がまったく聞こえて
こないというのは、やはり異常と言うほかありません。

浅井さんの論攷からの抜粋2
私は、今の異常な日本政治、右傾化を強める一方の日本
政治には深刻な危機感を持っています。この右傾化を食い
止め、逆転させることを展望する上では、日本共産党に対
する期待があります。それだけに共産党には広範な国民を
納得させるだけの力量を備えてほしいと考えます。尖閣問
題に志位・共産党がのめり込んでいるのは、この問題に対
する世論の動向に敏感に反応しているつもりかもしれませ
んが、「木を見て森を見ず」のポピュリズム的発想では日本
政治の根本的転換の大波を引き起こすことはできないので
はないでしょうか。

浅井さんの上記指摘に強く同感するものです。共産党の支持率は自民党政治が終焉し、その自民党政治を終焉させたはずの民主党政権が自民党政治となんら変わりのない(あるいはそれ以上に悪い)存在であること(自民党、民主党と政治思想、政治政策的には同質というほかない生活が第一、みんな、維新などなどの亜流政党を含む)がふつうの目を持った誰の目にも明らかになっている中でもなぜいまだに2~3%どまりなのか?

背景に「その時々の現実に順応する保守主義」(「日本人の政治意識」『丸山眞男集第3巻』所収 1948年)、また「大勢順応主義」(『日本文化のかくれた形(かた)』加藤周一、丸山真男、木下順二、武田清子共著、岩波現代文庫、2004年)としての日本的コンフォーミズムを形成する「大衆」の思想状況ととりわけ日本に特有の現象としての社会民主主義者(主に旧社会党系の人々)の根強い反共意識、また反共産党意識が伏在していることが大きいだろうと私は見ていますが、それだけではなく共産党自体の問題としていまの同党に「広範な国民を納得させるだけの力量」がない、ということもこれもまた別の意味で大きな要因となっているだろうと私は見ています。

そういう意味で私も浅井さんと同様に「共産党には広範な国民を納得させるだけの力量を備えてほしい」と考えています。「浅井さんの上記指摘に強く同感する」とはそういうことです。まずは共産党には「尖閣領有権問題」に関する浅井さんの疑問、問いに真摯に対応していただきたいものだと思います。この問いと疑問は共産党に期待するがゆえのものです。

尖閣問題:志位・共産党委員長の新論点
浅井基文 2012年10月25日

*日本共産党の志位委員長は、10月22日に放映されたBSイレブンの番組で尖閣問題について発言したことが新聞『赤旗』(24日付)で紹介されました。その内容の多くは旧聞に属するもので、私がコラム「尖閣問題に関する志位・共産党委員長発言に対する疑問」で提起した批判・意見に関して見直さなければならないと考えることはありませんでした。

しかし、一点だけ事実関係に関する新しい指摘がありました。志位委員長の発言及び私のいくつかの疑問を明らかにしておきたいと思います(10月25日記)。

<BSイレブンでの志位委員長発言(赤旗報道)>

「日本が尖閣諸島を台湾の付属島嶼としてかすめ取った」という中国側の主張は成り立たないとして、次のように語りました。

志位 1895年の4月に下関条約が結ばれて、台湾と澎湖の割譲が決まる。これは日本が不当に奪った領土です。その後、6月に台湾を実際に清国から日本に引き渡すことがおこなわれました。「台湾受け渡しに関する公文」があり、「公文」に至る日中(日清)の交渉があるんです。その議事録を読んでみますと、「台湾の付属島嶼はどこなのか」が議論になっているんです。

中国側は「島(付属島嶼)の名前をすべて書いてくれないと、後で福建省までとられたら困ることになる」と発言する。日本側は「福建省までとることはしない。台湾の付属島嶼は、それまでに発行された地図や海図で公認されていて明確だ」という。その発言を、中国側が応諾して終わっているんです。

「台湾の付属島嶼」とは何か。当時の地図を調べてみますと、どの地図も彭佳嶼(ほうかしょ・台湾の北東56キロメートル)までを台湾の北限としていて、尖閣諸島は入っていません。このように日中双方が「尖閣諸島は台湾の付属島嶼ではない」ということを了解しあっているんです。

中国側の主張は、「日本は尖閣諸島を台湾の付属島嶼として奪った」というものですが、これが成り立たないことは、歴史をひもといて調べれば明りょうです。

<私の疑問①:志位委員長の発言内容>

まず私にとって、「台湾受け渡しに関する公文」というものが存在すること自体が初見だったので、この事実関係を提起した志位委員長には敬意を表し、感謝することを最初に表明しておきます。

その上でのことですが、また重箱の隅を突っつくのは私の趣味ではありませんが、志位委員長の説明内容は、「日本側がかすめ取った(盗取した)という中国側の主張は成り立たない」とすることの証明にはまったくなっていないのではないか、と指摘せざるを得ません。志位委員長が調べたとする「当時の地図」とは何を指すかが具体的に示されていないのです。

中国政府のいわゆる釣魚島白書では、1579年の「琉球過海図」、1629年の「皇明象胥録」、1767年の「乾坤全図」と並んで、1863年の「皇朝中外一統輿図」において釣魚島を中国版図に入れていること、また、1785年に日本の林子平が著した『三国通覧図説』の付図「琉球三省及び36島之図」においても釣魚島を琉球36島の外に置いており、中国大陸と同色に描いている、という指摘があります。また、1809年にフランスの地理学者ピエール・ラビー等が描いた「東中国海沿岸各国図」、1811年にイギリスで出版された「最新中国地図」、1859年にアメリカで出版された「コットンの地図」、1877年にイギリス海軍が編纂した「中国東海沿海から香港に至る遼東湾海図」もすべて釣魚島を中国の版図に入れているという指摘があります。

もちろん、テレビ番組で一々何を指すかまで示してほしいというわけではありません。しかし中国側がこれだけ具体例を挙げていることは共産党も当然承知しているはずですから、新聞ではせめて「注書き」として共産党が調べた「当時の地図」の具体名は示すべきではないでしょうか。中国側が示しているものは「当時の地図」と称してもいいものを複数挙げているのですから、「中国側の主張は成り立たない」という立場を共産党があくまで堅持するのであれば、中国側指摘の地図と異なる反証を挙げてもらわないと、私たちとしては納得できないのは当然でしょう。そうなると、志位委員長の「日中双方が「尖閣諸島は台湾の付属島嶼ではない」ということを了解しあっている」という主張にも合点がいかなくなってしまうのです。

<私の疑問②:外交的判断の問題>

私の根本的な疑問は、「志位委員長は、誰を対象にして、何のためにこれほどしゃかりきになって中国側の主張は成り立たないと主張するのか」ということです。私の強い印象をいえば、共産党が当初尖閣問題について党見解を明らかにした時点では、明らかに中国側の主張を批判し、日本に領有権があることを強調することに力点がありました。しかし、民主党政権が「交渉の余地なし」という立場を頑迷に固守して、日中関係が深刻な状況に陥ってからは、共産党の力点は明らかに「交渉による解決」に軸足を移してきていると思います。そのこと自体は、私は大賛成です。

しかし、本気で外交交渉で問題解決を図るというのであれば、自らの立場をがんじがらめに縛り上げるような主張をすることは自己矛盾ではないのか、と私は思うのです。ましてや、以上に述べたように、新論点が少しも説得力を伴わない(としか私には理解しようがない)のであれば、民主党政権の外交能力の眼を蔽うばかりの欠落を、共産党としてもあまり手厳しく批判している場合ではないのではないか、とすら思えます。

<私の疑問③:歴史感覚及び他者感覚の問題>

共産党の歴史感覚の問題点についての私の疑問は前のコラムでも記しましたが、以上の発言でも改めてこの疑問を深刻に感じます。日清戦争で敗北した中国側の状況(日本政府の尖閣領土編入を知りうるようなアンテナを張る余裕はあり得なかった)、あるいは戦争で敗れる原因となった当時の清国の深刻な状況(清政府の腐敗及び混乱を考えれば、尖閣のような小さな島のことなど考える余地はあり得なかった)を考慮するのがバランスの取れた歴史感覚というものでしょう。しかも、共産党自身、下関条約は不当だとする歴史感覚は備えているのですから、尖閣領有だけは形式的理屈(無主先占について対外的に明らかにする必要はない)にこだわって「合法」とするのはいかにもおかしいと思います。

また、前からずっと感じていることですが、志位・共産党からは他者感覚の働きを感じることができないという問題も指摘せざるを得ません。とにかく「オレの言っていることは正しい。異論は受け付けない」という臭いが鼻につくのです。中国研究者のなかにも、共産党員や支持者は少なくないと思うのですが、トップがある断定をしたらそれですべてが終わりで、その断定がおかしいということに関する異論がまったく聞こえてこないというのは、やはり異常と言うほかありません。

私は、今の異常な日本政治、右傾化を強める一方の日本政治には深刻な危機感を持っています。この右傾化を食い止め、逆転させることを展望する上では、日本共産党に対する期待があります。それだけに共産党には広範な国民を納得させるだけの力量を備えてほしいと考えます。尖閣問題に志位・共産党がのめり込んでいるのは、この問題に対する世論の動向に敏感に反応しているつもりかもしれませんが、「木を見て森を見ず」のポピュリズム的発想では日本政治の根本的転換の大波を引き起こすことはできないのではないでしょうか。次回総選挙で600万票・議席倍増という目標のようですが、私の悲観的予想がはずれることを心から願わずにはいられません。
私もその著書の大の批判者のひとりである『戦後史の正体』(注1)は孫崎享氏著者自らの解説によれば「発刊2月にして二〇万部の増刷」になるほど売れているそうです。しかし先日、共同通信が地方紙各紙に配信した岡留安則氏(元『噂の眞相』編集長)の同著書評(同氏の書評は次のようなもののようです。「これこそ、歴史の正体を暴いた新しい『日本戦後史』教科書であり、同時に消費税増税、原発再稼働、オスプレイ配備、TPPに至るすべての謎が解ける絶好の文献といえる一冊である」。「絶賛」といってよいでしょう。『噂の眞相』時代からの「タブーなきジャーナリスト」を自称するこの人物の見る目のなさ、あるいは「読む」目のなさ、あるいは世間に伝説されている彼の「思想性」なるものの無根拠、あるいは暗愚性、あるいは虚仮威し、を物語っている一文というべきでしょう。注2)など一、二の例外を除けば概して大手紙メディアからは「完全に無視」されているようです。
 
しかし、大手紙メディアから「完全に無視」されているのはおそらく孫崎氏が上述ツイッタ―で憤っているような理由からではないでしょう。 北大教授の山口二郎氏がツイッタ―で『戦後史の正体』について「孫崎さんの本はおおざっぱな断定があると思う。陰謀論と科学主義の中間的リアリズムの言説を提供するのが政治学者の仕事だと痛感した次第」と中庸の徳なる精神でもって(すなわち、中途半端にということですが)批判していますが、大手紙メディア(の書評欄担当記者)も山口氏とほぼ同様の判断から書評以前の著作とみなしていた、というのが実情だったでしょう(このあたりの私の判断は「kojitakenの日記」の情報によるところが大です)。
 
そういう中でもう1か月前のことになりますが、朝日新聞が9月30日付けの「売れてる本」という書評欄に「自立への一助にできるか」という佐々木俊尚氏(ジャーナリスト)の『戦後史の正体』評を掲載しました。朝日の「売れてる本」欄というのは『Valdegamas侯日常』ブログの筆者によれば「イキのいい評論家やライターの類に書店に平積みされるベストセラーを読ませては酷評させ、亜インテリの溜飲を下げせしめるという中々趣味の悪い欄」らしいのですが、たしかに佐々木氏の『戦後史の正体』評は酷評そのものでした。同書評の書き出しは次のようなものでした。

ロッキード事件から郵政民営化、TPPまで、すべては米国の陰謀だったという本。米が気にいらなかった指導者はすべて検察によって摘発され、失脚してきたのだという。著者の元外務省国際情報局長という立派な肩書きも後押ししているのか、たいへん売れている。しかし本書は典型的な謀略史観でしかない。
http://toracyan53.blog60.fc2.com/blog-entry-3083.html

標題の「朝日新聞『孫崎享『戦後史の正体』書評』訂正事件」とはこの佐々木氏の酷評に著者の孫崎氏が噛みつき、朝日がその孫崎氏の抗議を受け容れ、訂正記事を出したことを指します。孫崎氏の抗議は次のようなものでした。
 
戦後史の正体・朝日新聞書評:30日朝日新聞が「戦後史の正体」の書評を出した。目を疑う位低レベルの書評だ。朝日新聞は「この書評は適切でなかった」とお詫びの文書を掲載すべきだ。余りに馬鹿馬鹿しいから、全体を論ずることなく、最初の数行をみてみたい。冒頭「ロッキード事件から郵政民営化、
https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/252197854033113088

上記の孫崎氏の抗議文だけではその抗議の内容がいまいち掴みきれないので孫崎氏を擁護する立場から佐々木氏の『戦後史の正体』評を批判する郷原信郎氏の「孫崎亨著『戦後史の正体』への朝日書評の不可解」という論を下記に援用してみます。郷原氏は佐々木氏の書評を次のように批判しています。

孫崎氏自身もツイッターで批判しているように、同書では、「米が気に入らなかった指導者はすべて検察によって摘発され、失脚してきた」などとは書いていない。同書が取り上げている、アメリカの意図によるとする検察による政界捜査は、昭電疑獄とロッキード事件だけであり、検察問題を専門にしている私にとっても、従来から指摘されている範囲を出ておらず、特に目新しいものではない。
 
要するに郷原氏は、孫崎氏は「米が気に入らなかった指導者はすべて検察によって摘発され、失脚してきた」などとは書いていない」。それを佐々木氏は「すべては米国の陰謀だった」「米が気にいらなかった指導者はすべて検察によって摘発され、失脚してきた」などと書いている。佐々木氏の書評はウソの論で成り立っている、と佐々木氏の書評を批判しているわけです。
 
この郷原氏の指摘は正しい、と私も思います。佐々木氏の書評がウソ、あるいは誇張の論で成り立っているのであれば、同書評の著者の佐々木氏も同書評を掲載した朝日新聞もその不明を詫びて謝罪するのは当然だろうと私は思います。この点について「きまぐれな日々」ブログ主宰者の古寺多見氏は彼の第二ブログである「kojitakenの日記」で「ヘタレ朝日、橋下の次には孫崎享のトンデモ本への酷評も訂正(呆)」「朝日は橋下徹に謝罪して恥をさらしたばかりなのに、今度は孫崎享にも屈服した。ヘタレにもほどがある」などと朝日新聞を批判していますが、私とは日頃政治認識を同じくすることの多い古寺多見氏ですが、私はこの古寺氏の批判には与しません。今回の朝日新聞の孫崎氏に対する謝罪は真実を追求するべき言論人、あるいはメディアとして当然の謝罪というべきものであるだろうと私は思います。
 
とはいうものの、上記の郷原氏の指摘も一面的にすぎるところがあり、私は郷原氏の指摘にも賛成しません。郷原氏の指摘が一面的にすぎるとは、『戦後史の正体』において孫崎氏はたしかに「米が気に入らなかった指導者はすべて検察によって摘発され、失脚してきた」などとは書いていませんが、同書には佐々木氏のような読解を許す「ほのめかしのレトリック」(「Valdegamas侯日常」ブログ)が同著の全編にわたって採用されているからです。そのレトリックを通じて孫崎氏は明らかに意図的な「アメリカ謀略」論を展開しています。孫崎氏は謀略史観流布の責を免れることはできない、というのが私の決定的な判断です。ただし、この辺りの批判は「Valdegamas侯日常」の「郷原・佐々木双方のある種の正しさ―孫崎享『戦後史の正体』を読む・補遺」の論に詳しいので、あとは同論の説得的な主張の展開に譲りたいと思います。私のこれまでの論は単なる雑感にすぎません。

追記:
石原慎太郎が東京都知事を辞職して国政に再度進出するというニュースが大きく流れています。なにがこの石原慎太郎の増長を許しているのか。また、許してきたのか。私は日本の「サヨク」と「左翼」の右傾化が大きくこのことと関係しているだろう、と嘆息、慨歎していますが、孫崎享『戦後史の正体』出版の「サヨク」と「左翼」の歓迎事件はその日本の右方向への急激な斜傾化を端的かつ強烈に示す格好の事例というべきものだろうと見ています。このことについては今後さらに論を深めていくつもりです。いや、深めていかなければならない、と思っています。

注1
孫崎享氏(元外務官僚・元防衛大学校教授)の新著『戦後史の正体』の小沢派評論家たちの「前評判」への違和感(弊ブログ 2012.07.08)
孫崎享『戦後史の正体』の対米自主・自立の〈正体〉について――孫崎享氏の『戦後史の正体』についての講演ビデオを観る―― (弊ブログ 2012.08.04)
古寺多見(kojitaken)氏の孫崎享『戦後史の正体』批判に共感する(弊ブログ 2012.08.23)
孫崎享『戦後史の正体』をオーソドックスに読み解くひとつの書評――「過剰に大きな星条旗―孫崎享『戦後史の正体』を読む」(弊ブログ 2012.08.23)
「孫崎享『戦後史の正体』にかぶれる読者の見識を疑う」 ――古寺多見氏の孫崎氏批判は正論だと私は思う(弊ブログ 2012.09.28)
「孫崎享『戦後史の正体』にかぶれる読者の見識を疑う」 ――古寺多見氏の孫崎氏批判は正論だと私は思う(2)(弊ブログ 2012.10.14)

注2:岡留安則氏については私は彼の思想性のお粗末さについて次のような批判記事を書いたことがあります。「ジャーナリスト? 岡留安則氏(「噂の真相」元編集長)の軽口と喜納昌吉氏のこと ――喜納氏の県知事選出馬騒動とも関連して」(弊ブログ 2010.10.16)
*下記は孫崎享著『日本の国境問題』(ちくま新書 2011年5月)を紹介して孫崎享は「まっとうな人」だと印象づけようとした人への返信として認めたものです。もちろん、近頃流行りの「孫崎享ブーム」とやらへの異議申し立てとして、です。今回も古寺多見氏の「まっとうな」孫崎氏批判を援用させていただくことにします。なお、強調及び注はすべて引用者。

先に私は「孫崎享『戦後史の正体』にかぶれる読者の見識を疑う」という古寺多見氏の孫崎批判の論攷をご紹介しましたが、その古寺さんが孫崎氏の『日本の国境問題』は「穏当至極の主張の本である」と評価しています。

「同じ著者による下記の本(引用者注:『日本の国境問題』)を読んだ(略)。こちらは穏当至極の主張の本である(ネトウヨは怒り狂うに違いない内容だが)。思うのは、孫崎享は本書のように自分の守備範囲に著作をとどめておけば良いのに、ということだ。それを、鳩山一郎岸信介といった、改憲派の「保守傍流」政治家たちに肩入れしつつ、妙な思い込みに固執するあまり、イデオロギー的かつ米国陰謀論に凝り固まったトンデモ本を出すから批判される*2。日本近代史の研究者が書いた本(坂野潤治著『日本近代史』)を読んだ直後に孫崎のトンデモ本を読んだ日には、あまりの落差の大きさに目が眩んでしまう。困ったものである(笑)」(「孫崎享の穏当な本『日本の国境問題』」2012-10-08)

しかし、上記の古寺さんのコメントを読めば一目瞭然ですが、古寺さんの『戦後史の正体』批判には変わりがありません。彼のその後の『戦後史の正体』批判の要点を3本ほどご紹介させていただこうと思います。

ひとつ目。

孫崎享は日本国憲法を「押しつけ憲法」論で一蹴してるわけだが(笑)(kojitakenの日記 2012-10-05)

「某所で教えてもらったのだが、孫崎享の『戦後史の正体』は最初の100頁が創元社のサイトでpdf化されたものを読める。
http://www.sogensha.co.jp/pdf/preview_sengoshi_ust.pdf

(略)この100頁で一番目についたのは、日本国憲法を「押しつけ憲法論」で軽く片付けてしまっていることかな(孫崎本68~71頁。pdfファイルの80~83頁)。/なにやら『中国新聞』で岡留安則(注1)が『戦後史の正体』を絶賛したらしいけど、世の「リベラル・左派(サハッ?)」の皆さん、そんなことで良いの?/蛇足だけど、孫崎享ってたぶん鳩山一郎びいきなんだと思うけど、1930年に野党・政友会の政治家だった鳩山一郎が「ロンドン海軍軍縮条約は、軍令部が要求していた補助艦の対米比7割には満たない」、「軍令部の反対意見を無視した条約調印は統帥権の干犯である」と政府を攻撃して自ら政党政治をぶっ壊したことにはたぶん孫崎のトンデモ本には触れられてないんだろうねえ。なんたって『戦後史の正体』だもんね。/で、鳩山一郎はアメリカの「虎の尾を踏んだ」から公職追放されたわけだ。そんな「歴史観」で本当に良いの? 教えて風太さん、教えて岡留さん(笑)

ふたつ目。

「改憲、はたまた護憲」カメレオンのような孫崎享(kojitakenの日記  2012-10-11)

「護憲 孫崎」でググってみた。筆頭に表示されたのは「きまぐれな日々」の下記記事。/きまぐれな日々 安倍晋三「長期政権」の悪寒/左派内から崩れる「護憲論」/3番目に はこんなTwitterが。7月29日の発信で、これは『戦後史の正体』の発売5日後。発信者は改憲派と思われる。

https://twitter.com/khiikiat/statuses/229709454487212032

孫崎享『戦後史の正体』:護憲派にとってはビミョーな内容含む。現行憲法は押し付けそのものの指摘。コレに怒らないなら国民ではない。米軍=解放軍規定の滑稽さはイラク・アフガニスタン侵略目撃の日本人には通じない

「ビミョー」も何も、孫崎享は『戦後史の正体』で堂々と「押しつけ憲法論」を開陳している。/ところが、同じ人間(孫崎)が、『週刊朝日』ではこんなことを言っている。

週刊朝日EX DIGITAL
橋下氏も自民党総裁選 も「右」の人ばかり どうなる日本

先日旗揚げされた「日本維新の会」の「維新八策」の中には、「憲法9条」に関する記述があるという。これについて元外務省国際情報局長の孫崎亨氏は「橋下徹氏は9条を変えたいのだろう」と指摘。「右」の人間が増える政界の現状についても話した。

* * *

憲法改正の分野には「憲法9条を変えるか否かの国民投票」という項目があります。もちろん橋下さんは9条を変えたいんでしょう。維新八策には書かれていませんが、集団的自衛権に触れたところで、「日本の主権と領土を自力で守る防衛力と政策の整備」という表現もあります。中国の大国化に対しては、中国の強大な軍事力に対抗できるようなものは築きえない以上、平和的な手段を目指さないといけない。なのに、対抗できるという形で動こうとしている。これは米国が日本、韓国、フィリピン、ベトナム、豪州などを使って中国に対抗するという、その流れをくんだものです。/折しも尖閣問題のさなかですが、橋下さんが日本のトップに立てば、対中強硬路線を突っ走るでしょう。中国との摩擦、緊張感を高めて、その中で日本の防衛力を高め、米国との協調を進める。こういうシナリオではないでしょうか。/自民党の総裁選の主な候補はもう、極端に右の人ばかりですよね。石破(茂)さん、安倍(晋三)さんは確実。石原(伸晃)さんも、お父さんと同じ路線だと推定すると、右ですね。もう選択肢がなくなってしまったんですね。かつてはこういう人々は、「おもしろいかもしれないけど本流じゃない」という位置づけだった。いまや、本来あるべき選択肢がなくなってしまった。橋下さんも右、野田さんも右、本当に選択肢がない。/※週刊朝日  2012年9月28日号

孫崎享に聞きたいが、それでは岸信介は「右」ではないのか。何度も書くが、孫崎、高橋洋一長谷川幸洋(注2)の鼎談では、高橋が橋下徹(注3)を持ち上げたり、安倍政権時代の思い出話に花を咲かせたりしている。これは『週刊ポスト』に掲載された。孫崎の態度は『週刊朝日』と『週刊ポスト』で違う。/メディアによって言うことをコロコロ変える孫崎享は、私には「劣化版佐藤優(注4)」に見える。/そして、昨今の「孫崎享ブーム」は「<佐藤優現象>」そのものだ。孫崎享を批判できない「リベラル・左派」は、劣化もきわまれりとしか言いようがない。

三つ目。

孫崎享が書かなかった鳩山一郎の「統帥権の干犯」論(kojitakenの日記  2012-10-13)

「私が孫崎享の著書を2冊読んで感じたのは、孫崎はネトウヨの言うような「親中派」では全くないということだ。それどころか、孫崎は中国を「したたかな敵」と見ていて、そんな中国に日本はどう対応していくか、というのが孫崎が持っている問題意識だと思った。

反面、私が感じたのは孫崎のかつての勤務地であったソ連(当時)に対する一種の親近感である。鳩山一郎は「反米・親ソ」の政治家としても知られ、クレムリンは鳩山政権が長続きするよう応援したいと考えていたという。岸信介はもちろん「親米・反ソ」の政治家であるが、孫崎は鳩山由紀夫内閣のブレーンとして近年名を上げた人だ。その孫崎は岩上安身(注5)らのグループに入り、小沢一郎(注6)の擁護にも熱心に見えるが、私には孫崎の小沢擁護は「商売上の必要性からやむを得ず行っている」ものに過ぎず*7、本音は「鳩山由紀夫(注7)シンパ」なのだろうと思う。著書を読んでも、最近の政治家で孫崎がもっとも熱烈に擁護しているのは鳩山由紀夫であり、小沢一郎擁護に関しては鳩山由紀夫に対するほどには熱が入っていないように思われる。そして、岸信介に対する肯定的評価については、やはり安倍晋三の近い将来の首相就任を視野に入れているとしか思えない。『戦後史の正体』においては、(第1次)安倍晋三内閣に関する記述を省略したり、「おわりに」に書かれた分類でも安倍晋三を「対米追随派」として「他、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、安倍晋三、麻生太郎、菅直人、野田佳彦」として、十把一絡げで切り捨てられている。しかし、そんなものは第2次安倍内閣成立後に「安倍首相は変わった。第1次内閣時代の安倍さんとは違う」と言ってしまえばおしまいである。それだけで、過去の主張などなかったことになる。孫崎のトンデモ本第2弾における鼎談の相手である高橋洋一や長谷川幸洋は安倍晋三のシンパだし、岩上安身らのグループに以前から入っている植草一秀(注8)は、『知られざる真実』を読んでみればよくわかるが、もともと安倍晋三のシンパだったのである(もちろん最近の植草は、そんな本音を隠しているが)。

何より危険なのは、nesskoさんのコメント*8にもあった通り、「アメリカ陰謀説は容易にユダヤ陰謀説とつなが」るのであって、それはネトウヨの「反韓・反中」と何も変わらないということだ。私は、「孫崎享に関してはネトウヨが正しい!」とまでは思わないけれども、「孫崎享はある意味ネトウヨより危険だ!」とは思う。なぜなら、いわゆる「リベラル・左派」は、ネトウヨの主張にいまさら影響されることなどないけれども、孫崎享の主張に影響されて自らの歴史観を改めるというのは、現に今起きている現象だからだ。だから私は毎日のように孫崎享を批判する記事を書き続けるのだ。」

私もほぼ全面的に古寺多見氏の見方に賛同します。

注1:岡留安則氏については私も次のような批判記事を書いています。
注2:長谷川幸洋氏については私は知るところは少ないのですが、彼の論については下記弊論中のような疑問を呈示しています。
注3:橋下徹氏については私もたくさんの批判記事を書いていますが、下記にその初期批判の一例を挙げておきます。
注4:佐藤優氏についても私はたくさんの批判記事を書いていますが、下記にその一例を呈示しておきます。
注5:岩上安身氏についても私は相応の批判記事を書いていますが、下記にその一例を呈示しておきます。
注6:小沢一郎氏についても私はたくさんの批判記事を書いていますが、下記に最近の小沢氏批判の一例を呈示しておきます。
注7:鳩山由紀夫氏についても私はたくさんの批判記事を書いていますが、下記にその初期批判の一例を呈示しておきます。
注8:植草一秀氏についても私は相応の批判記事を書いていますが、下記にその一例を呈示しておきます。
先のエントリの続きとして、尖閣領有権問題という問題の本質と核心の在り処をさらに明瞭に認識、確認するために浅井基文さんの「尖閣問題に関する志位・共産党委員長発言に対する疑問」(2012年10月7日付)という論攷を私のこの問題についての認識の覚え書きとしても下記に追加的にエントリ(転載)させていただこうと思います。私は浅井さんの下記の認識は正しい認識であろうと思っています。そして、私も浅井さんと同様共産党及び志位同党委員長に浅井さんの認識に対する「誠意ある回答・反応」を望むとともに同党の〈名誉ある反省〉を期待するものです。その反省は決して同党の〈不名誉〉にはならないでしょう。私の言う〈名誉ある反省〉とはそういう意味です。


尖閣問題に関する志位・共産党委員長発言に対する疑問
浅井基文 2012年10月7日

*10月日(ママ)付の『しんぶん赤旗』は、同月4日に志位和夫共産党委員長が日本外国特派員協会で行った講演と質疑を紹介しました。(★)その内容は、いくつかの重要な点で私としては重大な疑問を覚えざるを得ないものです。また、志位委員長がこれだけ詳しく話しているのに取り上げていない問題で、やはり極めて重要だと思われる問題もあります。

★引用者注:「尖閣問題 冷静な外交交渉こそ唯一の解決の道 外国特派員協会 志位委員長が講演(しんぶん赤旗 2012年10月5日)

 私は、それらの問題に関して私自身の判断を示しておきたいと思います。

 私があえてこの疑問を提起する所以は、尖閣問題をめぐる日本共産党の歴史認識、さらには日中関係に臨む姿勢に対して本質的に納得できないものを感じるからです。私は、日中関係の重要性を認識する点では人後に落ちないつもりですが、そのためになによりも重要なことは正確な歴史認識を持つことにあると思いますし、日中関係を全局的に位置づける必要性を痛感するのです。その点で今回の志位委員長の講演・質疑における発言には重大な危惧感を覚えざるを得ないのです。

 ちなみに、私自身の領土問題に関する基本的認識は、これまでにも述べてきましたように、領土問題は基本的に前世紀までの国際権力政治のいわば遺物であり、国家を基本単位とする国際関係は21世紀においても基本的に維持されるだろうから、無視するわけにいかないことは事実として認めなければならないが、21世紀の国際環境(普遍的価値の確立、国際的相互依存の不可逆的進行、緊急な対応を迫られている地球的規模の諸問題の存在、核兵器の登場による権力政治の基盤そのものの崩壊を前にして、アメリカ的権力政治並びに国家及びナショナリズムの狭隘な自己主張を押さえ込むことこそが必要となっている環境)のもとで、領土問題にも理性的に対応する必要があるということです。

 私の以下の問題提起に対して、志位委員長あるいは日本共産党からの誠意ある回答・反応が寄せられることを期待します(10月7日記)。

1.尖閣問題をめぐる日本共産党の歴史認識

 私は、日本の三つの領土問題(尖閣、竹島、北方4島)に関しては、日本が無条件降伏するに当たって受諾したポツダム宣言によって基本的に決着がつけられていると認識します。コラムでも指摘してきましたように、ポツダム宣言では、日本の領土について、本州、北海道、九州及び四国のほかは、「吾等が(連合国)が決定する諸小島」に限るとしています。日本がいくら「固有の領土」論で抵抗しても意味がないのです。もちろん現実には、アメリカも当事国であり、そのアメリカが態度を明らかにしないという政策をとってきているし、また、ポツダム宣言とは異なる政策意図に基づいて対日平和条約を作ったこともあり、物事がすんなり決着しないのですが、「固有の領土」論がポツダム宣言に対して顔色ないのは間違いないことです。

 私が日本共産党の歴史認識について納得できないのは、これも前に書いたことがあるのですが、そして今回の志位委員長の発言に接して改めて感じたことなのですが、日本共産党はポツダム宣言(及び対日平和条約)についてどういう基本認識を持っているのかが見えないということです。具体的には、ポツダム宣言の上記規定についてどのように解釈しているのか、この規定があるにもかかわらず「固有の領土」論をなお展開しようとするのはどう意図・目的があってのことなのか、について納得できる説明がないということです。

 この問題は単なる条約の効力という問題であるに留まらず、戦後日本の出発点を何処におくのかという基本問題にかかわっています。私は、ポツダム宣言-日本国憲法に全面的にコミットしています。これに対抗するのがいうまでもなく対日平和条約-日米安保条約です。率直に言って、近年の日本共産党の領土問題に関する発言を見てくるなかで、この基本問題に関する同党の立場が見えないのです。今回の志位委員長の発言においてもまったく欠落しているのがこの問題に関する問題意識の所在ということです。

2.「棚上げ」という外交的知恵の大局的位置づけ

 今回の志位委員長の発言で、次に私が引っかかったのは、尖閣問題に関するいわゆる「棚上げ」に関する部分でした。これは、以上1.の問題と比較すると極めて些細な次元に属すると考えられるかもしれませんが、私は、志位委員長の発言は外交のあり方という観点から重要な問題点を含んでいると思うのです。

 志位委員長は、国交正常化及び日中平和友好条約締結の際の問題点の一つとして「棚上げ」を取り上げ、次のように述べました。

 本来ならば、国交正常化、平和条約締結というさいに、日本政府は、尖閣諸島の領有の正当性について、理をつくして説く外交交渉をおこなうべきでした。とくに「日清戦争に乗じて奪った」という中国側の主張は、歴史認識の根幹にかかわる問題であり、「棚上げ」の態度をとらず、事実と道理に立って反論するべきでした。「棚上げ」という対応は、だらしのない外交態度だといわなければなりません。

 常日頃は事実関係をきっちり踏まえて議論を進める党として、私はそれなりの敬意をもって接してきたつもりです。しかし、以上の発言の後段については目を疑いました。「日清戦争に乗じて奪った」という中国側の主張は、国交正常化交渉の時も平和友好条約交渉の時も、中国側から提起されたことはありません。そういう単純を極めた事実誤認があります。事実関係として確認しておくべきは、尖閣を日本が「窃取」したという中国側の議論は、少なくとも公の論調としては、石原都知事の「購入」発言、野田首相「国有化」発言を受けて出て来たものです。

 また、そういう中国側の主張は「歴史認識の根幹にかかわる問題」と志位委員長は主張しますが、上記1.及び下記3.を見ていただけば分かるように、このように決めつける志位委員長の歴史認識こそ、私には重大な問題があると考えざるを得ません。

 そして「棚上げ」そのものに即していえば、なぜ中国側が両交渉に際して「理をつくして説く外交交渉」(志位委員長)に入ろうとしなかったかと言えば、日中関係の大局(国交正常化実現及び長期の日中関係の基礎作り)を重視したからです。つまり、尖閣問題で泥沼の交渉に入り込むと、国交正常化も実現せず、日中友好関係の基礎作りもできなくなると判断したからなのです。

 ちなみに、田中首相の名誉のために附言すれば(私にはそうする義理はありませんが、歴史に対しては謙虚でなければならないという問題意識からです)、田中首相はこの問題を持ち出しはしたのです。しかし、周恩来の大局重視論に納得して、またいずれ話そうと応じたのでした。ですから、決して闇雲に「臭いものに蓋をした」分け(ママ)ではありません。1978年に福田首相、園田外相がどう考えていたのかについては私には分かりませんが、志位委員長が言うように、「日清戦争に乗じて奪った」という中国側の主張があったにもかかわらず黙って引き下がったというようなことは断じてなかった、ということは言えます。なぜならば、すでに述べたように、このような議論は、日本側の行動に堪忍袋の緒を切らした中国においてはじめて出てきたものだからです。

 この際ですから、日本共産党にあえて一言つけ加えたいと思います。外交というのは、道理ということも大切ですが、大局を掴んだ判断ということも同じように大切だということです。もし尖閣問題に拘泥していたら日中国交正常化は実現しなかったでしょう。志位委員長は、それはそれで結構だ、と言うのでしょうか。仮にそうであるとしたら、私としては、大いに失望しつつ引き下がるほかないのですが。

3.中国側の主張に正当性がないとする志位委員長の主張

 志位委員長は三つのポイントを挙げて中国側の主張に根拠がないとしています。その3点について検討します。

<中国の「固有の領土」論は成り立たない>

 志位委員長は次のように述べています。

 中国側は、中国が国家として領有を主張していたことを証明する記録も、中国が実効支配を及ぼしていたことを証明する記録も示し得ていません。

 「無主先占」の法理が尖閣諸島(釣魚島)の領有における決め手であるという点については、日中間で認識の違いはありません。この点で日中間の齟齬はないことをまず確認します。

 その上でのことですが、確かに中国側が先占に関して証拠として示す14世紀以後の中国側の文献の記載ぶりは、「領有主張」「実効支配」(志位委員長)を直接証明するような記述にはなっていません。しかし、そもそも領土概念そのものが西欧国際法起源であって、中華世界のイメージの当時の中国にとっては、極端に言えば、アヘン戦争以前はあずかり知らぬ事であったし、「無主先占」の法理が発展し、確立したのは、欧州諸国による植民地獲得競争を背景とした近代国際法の成立過程とは無縁でありません。したがって、「領土」概念、「無主先占」原理を知るよしもない14~18世紀の中国の古文書に近代国際法を意識した書きぶりの「記録」がないのは当たり前です。近代国際法を意識もしていなかった時代に書かれた古文書の「証拠能力」に関しては、志位委員長のように「ふさわしい書き方がない」という形式的理由で斥けるのはフェアではないと思います。やはり、中国側が依拠しているように、当時の古文書に記載されていたことが近代国際法の「無主先占」に当たる内容を備えていたかどうかを判断することが必要でしょう。

 そういう観点にたって、2012年9月(25日)に国務院新聞弁公室が発表した白書「釣魚島は中国の固有の領土」(以下「白書」)は、近代国際法の求める要件に即して「中国がもっとも早く発見し、命名し、利用したこと」「長期にわたって管轄を実行したこと」に相応する史的事実を指摘しています。中国が釣魚島を最初に発見し命名したことについては志位委員長も異論はないと思うのですが、志位委員長が「先占」について国際法上必要とされている条件として上げた「領有の意志」と「実効支配」に関して言えば、まず「領有の意志」に関しては、白書は、「(釣魚島付属島嶼の)赤尾嶼は中国に属し、久米島は琉球に属し、その「分界線」が赤尾嶼と久米島の間の黒水溝(現在の衡縄海槽)であった」ことを多くの歴史的記述を具体的に挙げた上で示しています。このように、沖縄に属する島嶼と明確に区別して釣魚島を扱っているということは、今日的にいえば「領有の意志」が前提としてあることを示していると理解するべきではないでしょうか。

 また「実効支配」に関して言えば、明朝初期の1561年には、釣魚島諸島を明朝の海防範囲内に収めたことを、これまた二つの資料に基づいて指摘し、それは清朝にも受け継がれて、1871年に刊印された記録にも「海防要衝」に入れられ、現在の台湾省宜蘭県に該当する行政機関に属した、と指摘しています。海防範囲に収めることは、今日的「実効支配」の概念で理解しても「実効支配」に該当するものだと思います。

 ところが志位委員長は、この点に関して質疑の中で、相変わらず近現代国際法基準にこだわって、次のように述べています。

 中国側が、明代あるいは清代に、尖閣諸島の存在を知っていて、名前をつけていたということは事実です。しかし、これらは、領有権の権原の最初の一歩であっても、十分とは決していえません。国家による領有権が確立したというためには、その地域を実効支配していたいということが証明されなければなりません。中国側には、たくさんの記録がありますが、実効支配を証明する記録は一つも示されていません。

 私は、近代国際法の存在すら知らなかった中国に、実効支配に関する近代国際法上の規格(?) を満たした記述を行うべきだ、それがない以上、「証明する記録は一つも示されていません」と断言する志位委員長の議論には素直についていけません。

<中国は、1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に抗議しなかった>

 志位委員長は次のように述べています。

 中国側の主張の最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないことにあります。相手国による占有の事実を知りながら、これに抗議など反対の意思表示をしなかった場合には、相手国の領有を黙認したとみなされることは、国際的に確立している法理です。中国側は、この最大の問題点に対して、有効な反論をなしえていません。

 志位委員長は、「相手国による占有の事実を知りながら、これに抗議など反対の意思表示をしなかった場合」には無主先占が成立するという論理です(その論理そのものについてはさらに詳細な検討が必要だとは思いますが、ここでは立ち入りません)。しかし質疑の中で、「下関条約に尖閣諸島が全然触れられなかったもう一つの理由として、政府が尖閣諸島を編入したという事実を隠していたからといわれていますが」と問われた志位委員長は、「国際法の通説では、こうした領有の宣言は、関係国に通告されていなくても、領有意思が表明されていれば十分であるとされています」としか答えておらず、下関条約締結当時に清政府(中国政府)は日本政府が尖閣の領土編入をしたという事実自体を知らなかった可能性に触れていません。しかし、このような回答は質問に正面から答えたものとは言えず、誠実な対応とは言えないと思います。

 この点について白書は、「日本政府筋の文献には、日本が1885年に釣魚島の調査を開始してから1895年に正式に窃取するまで、一貫して秘密裏に進め、未だ公に発表したことがないことを明確に示しており、したがって、その釣魚島の主権に関する主張が国際法の規定する効力を備えていないことは明らかだ」と指摘しています。

 日本による尖閣編入を知るよしもなかった清政府としては、下関条約で日本に割譲することを強いられた台湾及び付属島嶼に釣魚島が含まれると理解していたとしても当然で、釣魚島についてだけ「抗議など反対の意思表示」するなどということはありえないでしょう。ですから、「1895年から」「異議も抗議もおこなっていない」、したがって「そのことは中国側が、尖閣諸島について、自国の領土だと認識していなかったことを示す」、「下関条約で割譲された「台湾の付属島嶼」のなかには、尖閣諸島が含まれないということは、日中双方が一致して認めるところだった」という志位委員長の主張は明らかにおかしいと思います。

 私も中国政府がいつの時点で日本による尖閣の領土編入という事実を知るに至ったのかについてはそれなりに関心があります。しかし、1895年以後の中国は、日本以下の海外列強に半植民地化される一方、国内的にも軍閥割拠、国共内戦など混乱が続いたわけで、恐らく尖閣問題に目が向くどころではなかったというのが実際だったでしょう。しかも、このような動乱状況に対しては日本の中国侵略戦争に大きな責任があることは、日本共産党も認めるところだと思います。

そうであるとすれば、カイロ宣言(1943年)及びポツダム宣言(1945年)当時に、蒋介石以下の中華民国政権が日本から返還されるべき台湾及び付属島嶼のなかに、日本が1895年に領土に編入していたとする釣魚島は含まれないことになる、などと考える余地もなかったと見るのが自然です。そして1951年の対日平和条約交渉は中国を外して行われたのであり、これに対して中国政府が、中国の参加なくして締結される条約は不法無効と宣言したのですが、この時点においても中国が台湾の付属島嶼として釣魚島を理解していたことはほぼ間違いないことだと思います。このように見てきますと、志位委員長が「中国側の主張の最大の問題点」とする点についても、私は、志位委員長の指摘は極めて疑問と言わざるを得ないのではないかと判断するのです。

<日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾割譲とは無関係な正当な行為>

 志位委員長は次のように述べています。

 尖閣諸島に関する中国側の主張の中心点は、1894年から1895年の日清戦争に乗じて、日本が不当に奪ったものだというところにあります。…しかし、日清戦争の講和条約-下関条約とそれに関するすべての交渉記録を見ても、尖閣諸島は、日本が戦争に不当に奪取した中国の領域-「台湾とその付属島嶼」および「澎湖列島」に入っていません。…日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格のまったく異なる、正当な行為であります。

 また、「日本政府のなかに尖閣諸島は中国のものとみなされるかもしれないという考えがあったということではないでしょうか」という質問に対して、志位委員長は次のように答えました。

 内務省…は領有を宣言して差しつかえないというものでしたが、外務省…の意見は見送ろうというものでした。当時の日本政府がこうした対応をとったのは、日本側が、尖閣諸島を中国の領土だと認識していたからではありません。そういう記録が書いてあるわけではありません。当時の清国は、日本から見れば巨大な帝国でした。そういうもとで、尖閣諸島の領有を宣言すれば、清国を刺激しかねず、得策ではないという外交上の配慮から、この時点では見送られたというのが事実だと考えます。

 志位委員長の以上の二つの発言も、率直に言って、私には納得できません。私がすでにコラム「尖閣「無主先占」論と外務省編纂文書」で紹介した昨年(2011年)1月14日付の人民日報HP日本語版記事は、外務省『日本外交文書』及び内務省『公文別録』に記載されている内容を詳しく紹介しています(私自身は閲覧ソフトの関係で実物を見ていないのですが)。確かに志位委員長が指摘するように、「日本側が、尖閣諸島を中国の領土だと認識していた」とか、「そういう記録が書いてある」というわけではありませんが、特に内務省の『公文別録』には、内務卿・山県有朋の言として「国標建設の件は清国と島嶼帰属の交渉に関わり、双方に適切な時機があり、目下の情勢では見合わせるべきと思われる」(強調は浅井)という記述があるのは重要だと思います。志位委員長は「尖閣諸島の領有を宣言すれば、清国を刺激しかねず、得策ではないという外交上の配慮」だと片づけていますが、同委員長が「清国を刺激」する可能性を認識しているということは、単なる「外交上の配慮」では片づけられない問題が含まれているという山県有朋の当時の認識に含まれる事の重大性を認めるからこそではないでしょうか。

したがって、1895年1月に日本政府が尖閣を領土に編入したのは、日清戦争での日本の勝利が確実になった状況ができたこととは無縁とは到底考えられません。しかも、日本政府は賑々しく編入を公にするのは避けたのですから、今日的に見れば、日本が「火事場泥棒を働いた」と中国側がみなしても不自然ではないでしょう。このように見てきますと、「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格のまったく異なる、正当な行為であります」と言う志位委員長の主張の方が無理があると思います。
Dさん wrote:
> 地元の共産党の役員と尖閣問題について語り合った。/尖閣は日本のものだと彼はいう。
> そこには自分も異存がない。

Dさん。少し遅いレスになりますが、尖閣諸島の領有権の問題に関する日本共産党の見解については、同党支持者としても著名な(ときに政策、理念的な面で強い同党批判も展開しますが)元外交官で政治学者(東大教養学部、日大法学部教授、広島市立大学広島平和研究所所長などを歴任)の浅井基文さんが下記のような同党の認識の事実誤認を指摘しています。そして、私も、この浅井さんの指摘は正しいだろう、と思っています。

「75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていない」という共産党の指摘は、幾つかの事実から間違いであると考えます。

1.上記の通り、日本政府が尖閣諸島を日本領に編入したことについては当時の中国は知るよしもなかったのですから、台湾その他を割譲させられた際には、釣魚島も含まれると理解したとしても当然でしょう。下関条約で割譲される台湾及び付属島嶼には、その前に日本領にした尖閣諸島は含まれないとする日本側の立場については、中国側は知るよしもないわけです。

2.1951年にサンフランシスコ対日平和条約がアメリカ主導で作られますが、アメリカは中国を会議に招きませんでした。これに対して中国政府は、中国を招かないで作られる条約は不法・無効であると異議申し立てをしています。この際、釣魚島そのものを名指しで言及したわけではありませんが、条約における日本の領土に関する決定をも受け入れない趣旨であることは明らかですから、中国はこの時点で根本的異議申し立てを行っているのです。

3.中国はまた、1971年の沖縄返還協定に際しても同様な異議申し立てを行っています。

4.本年になってからの中国側論調で強調されるようになっているのは、戦後の国際秩序の土台となり、敗戦・日本の処遇(領土の範囲を含む)を定める国際法は米中がともに当事国であるカイロ宣言及びポツダム宣言であり、アメリカが中国を排除して作った対日平和条約ではないという主張です。特に日本の領土に関しては、ポツダム宣言で本州、北海道、九州及び四国のほかは「吾等が決定する諸小島」に限るとしていることを、中国は声を大にして指摘しています。」(「尖閣に関する日本の「無主先占」の主張への疑問」浅井基文 2012年9月22日)

その浅井さんの指摘もさることながら、私は、この問題については、同党の事実誤認以前の問題として、そして、同党が領土問題に関する国際法を云々する以前の問題として、そもそも国家=領土とはなにか。国家=領土はそもそも誰に帰属しうるものかという民主主義と人民主権の観点からの根底的な問いと視点が同党には決定的に欠落しているように思われるという点を指摘したいと思います。このことを植民地主義が跋扈した帝国主義時代の歴史的文脈から見ると、その帝国主義列強の領土略奪の歴史を正当化する「無主地先占の原則」(所有者のいない島については最初に占有した者の支配権が認められる)なる国際法は民主主義と人民主権の観点から見て「正義」たりえるか、という問いということになります。この問いに答えることなく現行の領土問題に関する国際法を云々しても私にはナンセンス以上のものには見えません。

この点について、私は、下記の旧みどりの未来運営委員会の「脱『領土主義』の新構想を」という「尖閣」問題に対する認識とほぼ同様の認識を持っていますので、下記にその論をご紹介させていただこうと思います。

「脱『領土主義』の新構想を」 ―みどりの未来 運営委員会の「尖閣」問題に対する見解のご紹介(弊ブログ 2010.10.20)
補足:「脱『領土主義』の新構想を」 ―みどりの未来 運営委員会の「尖閣」問題に対する見解のご紹介(弊ブログ 2010.10.25)

【見解】「尖閣」諸島(釣魚島)沖漁船衝突事件
―― 脱「領土主義」の新構想を

2010年10月13日 みどりの未来運営委員会

9月の尖閣諸島(中国名:釣魚島)海域での中国漁船衝突事件を
めぐって、中国側の強硬姿勢、日中両国国民の敵対感情が高ま
っています。このような事態を招いた日本政府の先の見通しのな
い対応の責任は重大です。

領土問題は現実に生じている
日中両国は、これまで、1978年の「日中平和友好条約」締結の
際の鄧小平氏の「尖閣論争の棚上げ」「解決は次の世代の智恵
に託す」という方針に従って、決定的な対立を回避してきました。
2004年の中国人活動家「上陸」で逮捕後すぐに「国外」退去処分
にした当時の小泉首相も、この方針を優先させたものと言えます。

ところが今回、日本政府は何ら展望もない中でこれを一方的に
破棄しました。現に中国・台湾・日本間で領土問題が発生してい
るにもかかわらず、「領土問題は存在しない」とすることは、「中
国側の主張は無視する」「問題解決のために対話する必要はな
い」と宣言するに等しいものです。政府は領土問題が生じている
ことを認め、対話と交渉によって解決するという態度を表明する
べきです。

日本の領有を根本から問い直す

中国の強硬姿勢の背景には、この海域の石油・天然ガスの発
見をきっかけにした中国の資源ナショナリズムや覇権主義的な
態度があることは明らかです。

一方、日本の領有権の設定は日清戦争中の1895年であり、朝
鮮半島と台湾への侵略、領土拡張の戦争の一環として行なわ
れました。

「歴史的に日本の領土」という主張に対しては、これを否定する
歴史資料や論文も公表されています。そもそも、日本政府が領
有権を正当化する「無主地先占の原則」(所有者のいない島に
ついては最初に占有した者の支配権が認められる)は、帝国主
義列強による領土獲得と植民地支配の論理であり、アイヌなど
世界の先住民の土地を強奪した法理です。共産党を含む全て
の国政政党が当然のように日本の領有権を主張するのは、こ
のような近代日本についての歴史認識の致命的な欠如を表わ
しています。

「領土主義」を超えて共同の「保全」を

そもそも国境線は近代の歴史においては極めて恣意的に引か
れたものであり、国家同士の利害も衝突します。しかし、私たち
「みどり」の依拠する「現地主義」「市民主権」の原則から考えれ
ば、当事者である沖縄、中国、そして台湾の漁民が国籍にかか
わらず安心して漁を営むことができる条件を整えることこそが
優先されるべきだと考えます。
天児慧氏(早稲田大学)(★)は、紛争の発生している領土領海
地域に限定した「脱国家主権」、「共同主権」による解決を主張
し、そのために、「当該地域をめぐる諸問題を解決するための
専門委員会を設置する」ことを提案しています。加々美光行氏
(愛知大学)も、「南極条約」のような領土主権を凍結する国際
条約の締結を提案しています(★★)。私たちは、こうした考え
を基本的に支持します。

同時に、日中両国における脱炭素社会の構築も不可欠です。
領土問題が発生している要因ともなっている尖閣諸島の石油
・ガス資源については、共同で「開発」するのではなく、将来世
代のために東シナ海の美しい生態系を「保全」し、あえて開発
しないことが重要だということを提案します。このような賢明な
姿勢こそ、両国の対立と地球を「クールダウン」させ、両国の
国益にもつながるものと考えます。

国益をかざしたパワー対決や被害者意識に基づくナショナリ
ズムの発露に希望はありません。今、私たちには、「日中両
国の次世代」としての智恵が求められています。

★引用者注1:「中国漁船拿捕 「脱国家主権」の新発想を
(朝日新聞 2010年9月22日)
★★引用者注2:「北海道新聞」2010年9月25日付

また、半月城(朴炳渉)さんがこの問題についてのヨーロッパの国々の見方を紹介されていますので、その記事も参考として下記リンクしておきます。

日中韓の葛藤を見る世界の目(CML 020222  2012年10月2日)