どうしてこうした無思慮、思考停止の論理を展開してやまないのでしょう? 結果としてガセネタとなっています。

上記はNPJのインターネット・メディアに掲載されている広河隆一氏(「デイズ・ジャパン」発行・編集長)の「最初の小児甲状腺がんの症例の報に接して」(DAYSから視る日 2012年09月28日)の記事のことについて言っています。そして、その無思慮、思考停止の記事をこれもまた無思慮、思考停止状態で掲載するNPJ編集部に対して言っています。
 

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広河氏は上記記事で次のように言っています。

「今回の小児甲状腺がんの発症は、時期が早すぎるため、放射能とは関係ない、つまり原発事故とは関係ないと医学者たちは言う。そして8万人に一人という数字は、ふつうでもありうる数字だと言う。しかしこれまで彼らは、小児甲状腺がんは100万人に一人しか現れないと繰り返し発言していたのではなかったか。8万人に1人発症するのが普通だというなら、福島県の子どもの人口30万人余に対して、これまで毎年平均して3-4人の小児甲状腺がんが現れていたとでもいうのか。そんなデータはあるはずがない。」

しかし、「8万人に一人という数字は、ふつうでもありうる数字だ」などと「医学者たち」の誰が言ったというのでしょう?

そんなことは誰も言っていないでしょう。上記の「8万人」という数字が出てくるのは次のような記事です。

「東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べている福島県の「県民健康管理調査」の検討委員会(座長・山下俊一福島県立医大副学長)が11日開かれ、事故発生当時18歳以下を対象とした甲状腺検査について、1人が甲状腺がんと報告された。/甲状腺検査の対象は約36万人で、これまで結果が判明したのは約8万人」(共同通信 2012/09/11)

「これまでの調査で425人が『一定の大きさのしこりなどが見られるため2次検査が必要』とされた。60人が2次検査を受け、うち38人の結果が判明。この中の1人ががんと判断された。」(産経新聞 2012.9.11)

事実は、甲状腺検査で結果が判明した約8万人のうちの「1人ががんと判断された」ということでしかありません。誰も「8万人に一人という数字は、ふつうでもありうる数字だ」などとは言ってはいません。どうして広河氏はこのようなウソをでっちあげるのでしょう? 私にはなにかに憑かれている、としか思えません。

また、「小児甲状腺がんは100万人に一人」という数字についてもこちらのブログ記事によれば次のような文脈で使われています。

「福島県立大学の鈴木教授は『小児甲状腺がんは100万人に一人から二人の頻度といわれていたが、自覚症状が出てから診察する場合がほとんどで、今回のようにすべての子どもを対象とした検査の前例がないため、比較できない』と述べた。」(元記事は朝日新聞 2012年9月11日)

上記の記事、読めばわかるように福島県立大学の鈴木教授は「小児甲状腺がんは100万人に一人から二人の頻度といわれていた」とこの件に関するこれまでの医学界における常識的知識を紹介しているだけで、自ら進んで「小児甲状腺がんは100万人に一人から二人の頻度」などと主張しているわけではありません。鈴木教授はその現状の医学的知識を紹介した上で「(これまでの検査は)自覚症状が出てから診察する場合がほとんどで、今回のようにすべての子どもを対象とした検査の前例がないため、比較できない」と医者、科学者としてきわめて常識的な回答をしているだけです。広河氏(「デイズ・ジャパン」編集長)に「これまで彼らは、小児甲状腺がんは100万人に一人しか現れないと繰り返し発言していたのではなかったか」などと責められ、批判されるいわれはなにもないといわなければならないでしょう。第一、現状の事実を説明することと、「小児甲状腺がんは100万人に一人しか現れないと繰り返し発言していた」と、すなわちその事実を主張することとはまったく性質を異にします。私には広河氏はインネンをつけているとしか思えません。

内部被ばくの危険性に警鐘を鳴らすのはきわめて重要な課題だと私は思っています。しかし、内部被ばくの危険性をいうために、あまりにつくられた、あるいは思慮のないウソが多すぎる。あるいは全体を見ることのない非科学的な一面的な主張が多すぎる。あるいは主観に凝り固まった言い掛かりのたぐいの主張が多すぎる。このようなことではいけない。結果として脱原発の課題の実現とは真逆する負の営為ということにしかならないだろう、と私は逆に警鐘を鳴らしたいと思います。

1986年のチェルノブイリ原発事故をひとつの契機にして私たちの国の脱原発運動は空前の高まりを見せたことがあります(たとえばこちらこちら(結論部)を参照)。しかし、その脱原発運動は一過性のカーニバル(お祭り騒ぎ)のような高揚をもたらしただけで数年の高揚の後弱体化してしまいました。私はこのときの脱原発運動が市民の間に広く、そして深く根づかなかったのは、その広く深い地下茎の層としての市民との間での脱原発理念の共有化という最重要な課題を放擲し、自分たち仲間内だけに通じる論理、すなわちひとりよがりにすぎない論理に溺れて、さらに自らはそのことに一向に気づかない、そういう意味でまさしくひとりよがりという意味で特異なそのときの脱原発運動の主張と論理に起因するところが大きかったのではないか、と見ています。私たちはいまこのとりかえしのつかない挫折の経験を再び繰り返そうとしているかのように私には見えます。私の警告の背骨にはこのような私の見方があります。広河隆一氏を批判するのもそういう理由からです。

注:いわずもがなのことを申し上げておきます。私はこの件に関して鈴木氏の言説の意味するところ(もっと一般的に言えば人の言説の意味するところ)について述べているのであって、それ以上の意味はまったくありません。
古寺多見氏の孫崎氏批判は左記のようなものです。一部に情緒過多(通俗を批判する自らがその通俗の言葉の発する負のナルシスに十分に反省的ではない、ということです)のスラング風の言葉遣いがあって、その点に難点を感じるところがあるものの、有馬哲夫『原発と原爆「日・米・英」核武装の暗闘』と対比的に孫崎氏批判を述べる論の中身は正論だと私は思いますし、その論からも当然導き出されることになるわけですが、古寺多見氏の政治の現状に対する認識(★)にも私はおおいに共感します。

★孫崎氏の論の一番の問題点は、彼が日本の「対米追従」からの脱皮をその論の中核的課題として措きながら、その「対米追従」を推し進めてきた当の政党(主に自民党)の領袖(すべてではないにしても)を「対米自立派」として位置づけし(その根拠とするところも一面的、すなわち彼の主観を超えるものではありません)、評価していることです(たとえば「過剰に大きな星条旗―孫崎享『戦後史の正体』を読む」参照)。彼の政治の現状への関わり方を見ても、その「対米追従」の姿勢において多くの識者からしばしば「第2自民党」と酷評される民主党を評価し(たとえば「2012/07/24 政権公約を実現する会(鳩山グループ)勉強会 講師 孫崎享氏」の講演ビデオの冒頭部分参照)、なかんずく決して「対米自立派」とは言えない小沢一郎氏を「対米自立派」と位置づけ、評価していることからも彼の「対米追従」からの脱皮の主張(それがほんものの「対米追従」からの脱皮の主張だとして)と彼の実際の行動との間には大きな矛盾と破綻があることは明らかです(小沢氏が「対米自立派」の人では決してありえないということはたとえば「小沢氏の強制起訴と鈴木氏の逮捕・有罪・収監を「問題あり」とするある論への反駁(1)」参照)。同じ外務省出身者でやはり日本の「対米従属」の姿勢を問題視する浅井基文さんの「民主党評価」などとは180度の違いがあります(たとえば浅井基文さんの「日米安保体制から日米軍事同盟派の変質・強化――オバマ/民主党政権下の三つのSCC共同文書を読み解く――」<「第二自民党政権」である民主党政権>参照)。

★★なお、「対米従属」の日米関係に関して、民主党にその「従属」性を改善する意志も力量もないことは、すなわち決して「対米自立」の道を歩むことのできない民主党政治の限界性については武藤一羊さん(ピープルズ・プラン研究所運営委員)の以下のような指摘を参照。

「鳩山政権(引用者注:「民主党政権」と読み替えても大過ありません)のふるまいで特徴的なのは、この政権が自民党がこれまで積み上げてきた政治的悪行についてきわめて寛大であることである。新政権は、自民党レジームからどれほど膨大な負の政治的財産を引き継いだのかを明らかにし、それの清算という困難な仕事に挑戦する決意を示し、その仕事を支持するよう広く人びとに訴えるのが当然と思われるのに、政官癒着や天下りなど特定の分野を除いては(★★★)、それをしようとしないのである。世論を政権に引きつける上でも得策であろうと思われるのに、肝心の問題でそれをしないのである」。「それをしないのは、自民党政権時代につくられた日米関係を変更するつもりがないからである」(「鳩山政権とは何か、どこに立っているのか ――自民党レジームの崩壊と民主党の浮遊」 2010年2月16日)

★★★この点についてはさらに注が必要です。いまの民主党は当初マニフェストに掲げていた「政官癒着」の打破や「天下り」廃止の公約もかなぐり捨ててかつての自公政権顔負けの超「財界癒着」政党、「政官癒着」政党と化しています。再び浅井基文さんの説を引用させていただこうと思いますが、浅井さんはこの点について次のように言っています。

残念ながら、民主党政権の政治は、自公政治の時よりもさらに悪質になってしまっています。私は、自公政治は最悪で、これ以上悪い政治はあり得ないだろうと思っていたのですが、それは間違っていました。民主党政治は、自公政治がやりたくても世論をまだ気にして手をつけ得なかった領域においても、まったく傍若無人にブルドーザー式に破壊を進めています。消費税増税、政財官学・大マスコミ一体・グルで推し進める原発温存、日米軍事同盟の限りない侵略同盟への変質強化、非核三原則・武器輸出三原則の骨抜き化、宇宙の軍事利用への踏み込み、中韓露を領土問題で強硬姿勢に追いやる見境のない、狭隘なナショナリズムの鼓吹、等々。民主党政権には何の幻想ももっていなかった私ですが、谷底へ転げ落ちていくこの猛スピードまでは予想し得ませんでした。しかも、この加速するスピードにブレーキをかける手がかりも頭に浮かんでこないというのが今の私の焦燥感さらには絶望感を生んでいます。「自分は長生きしすぎた」というのが正直なホンネです。(「全国障害者問題研究会(全障研)全国大会・広島」 2012年8月14日)

さて、先に私は「孫崎享『戦後史の正体』をオーソドックスに読み解くひとつの書評――『過剰に大きな星条旗―孫崎享『戦後史の正体』を読む』」(弊ブログ 2012.08.23)をご紹介しましたが、その孫崎享『戦後史の正体』批判第2弾のご紹介ということになります。

なお、孫崎享氏の『戦後史の正体』の序章と第一章(100頁)はこちらで読むことができます。

私は孫崎享『戦後史の正体』は古寺多見さんと一緒で「駄本」だと思っていますので、買ってまで「読むつもりは全く」ありません(最下段の「補足」参照)。これも先にご紹介している下記の孫崎享氏の講演ビデオ(「2012/07/24 政権公約を実現する会(鳩山グループ)勉強会 講師 孫崎享氏」)を観れば十分です。

以下、古寺多見氏の孫崎享『戦後史の正体』批判の文。

「キッシンジャーの『寵児』」だった大の親米政治家・田中角栄は
なぜロッキード事件で失脚したか

kojitakenの日記 2012-09-25

昨今は、孫崎享のトンデモ本『戦後史の正体』によって、歴代の総理
大臣を「自主派」と「対米追随派」に分類し、前者に高い評価を与え
て後者をこき下ろすという粗雑なステレオタイプ的歴史観が蔓延して
いる。孫崎本の歴史観は噴飯ものの一語に尽きる。何度も書くけれ
ども、そんな孫崎のバカ本にかぶれる読者の見識を疑う。

そんな人たちに読んでもらいたいのがこの本。

原発と原爆 「日・米・英」核武装の暗闘(文春新書)

作者: 有馬哲夫
出版社/メーカー: 文藝春秋
発売日: 2012/08/20

著者の有馬哲夫は、孫崎享と同様「保守」の人だと思うが*1、孫崎
のステレオタイプ的な歴史観とは大違いで、資料に当たって歴史的
事実を浮き彫りにしていく研究者である。

たとえば、孫崎享が称揚する岸信介が、「日本が戦術核を保有(さ
らには使用)することは違憲でない」と述べたことは、岸信介の孫
にして明日自民党総裁に返り咲くであろう安倍晋三が2002年5月
13日に早稲田大学における講演会で述べたことによって最近でも
よく知られているが、岸は現実にアメリカとの外交において、この
「核カード」でアメリカと交渉した。この本のタイトルが示しているよう
に、原発を持つことは核兵器を作る能力を持つことを意味する。

著者は、「日本はアメリカの陰謀で原子力発電を導入し、そのアメ
リカ製の原子炉に欠陥があったために、爆発事故と放射能漏れが
起きた」という「陰謀論」を厳しく批判する。現実にはアメリカは日本
に核兵器製造能力を持たせまいとしたから、正力松太郎はそれに
対抗する意味でイギリスの原子炉を導入したのである。正力松太
郎と岸信介がともに夢見たのは日本の核武装だった。その意味で、
岸信介は確かにアメリカの言いなりになるのをよしとしない「自主
派」の保守(というより右翼)政治家だった。なにしろ、単なる軍備
増強にとどまらず、核武装まで視野に入れていたのだから。

さらに著者は「田中角栄は独自のエネルギー政策(ウラン供給源の
多様化)を進めようとしてとしてアメリカの虎の尾を踏み、CIAに失
脚させられた」という俗説にも厳しい批判を加える。事実は、田中の
エネルギー政策はアメリカの「言いなり」だった。著者は田中のエネ
ルギー政策は田中の創作ではなく、官僚が時間をかけて研究して
用意したものを実行したに過ぎないと指摘する*2。

そもそもニクソン政権の国務長官だったキッシンジャーは、孫崎享
が「自主派」に分類した、日本の立場を強く主張するタイプの福田
赳夫*3よりもアメリカの言うことをよく聞く田中角栄を好み、「ポスト
佐藤」の自民党総裁選(1972年)では田中の勝利を望んだとのこと
だ。

ロッキード事件にしても、1972年当時懸案だった日米貿易不均衡
是正において、日本がアメリカの航空機を買わされたことに端を
発しているが、この時の交渉で首相・田中角栄と通産相・中曽根
康弘がアメリカから購入する品目として最重視したのは濃縮ウラン
であり、次いで自衛隊の武器の購入だった。航空機の優先順位は
それらよりも下だった。

この日米貿易不均衡是正のための日米協議で、田中と中曽根は
アメリカに言われるまま、濃縮ウラン、エアバス、武器と輸入品目
と金額を次々と積み増していったというが*4、著者はそれを田中
内閣の懸案だった日中国交回復を成し遂げるための障害となら
ないよう、アメリカをなだめる必要があったためではないかと推測
しているようだ。

著者は、この日米協議でアメリカから購入させられた品目のうち、
田中がもっとも乗り気でなかった航空機の購入をめぐって田中が
収賄事件を起こしてしまったとする。よくある「田中角栄は『自主
派』だったためにアメリカの怒りを買ってロッキード事件で陥れら
れた」という「陰謀論」には根拠など全くなく、事実は田中がアメリ
カの言いなりになった航空機の購入で田中は汚職事件で自滅し
たのだった。著者は、必死にアメリカの機嫌をとろうとしていたも
のわかりのよい彼ら(田中角栄と中曽根康弘)をアメリカ側が失
脚させようと思うだろうか、と痛烈な皮肉を放っている*5。孫崎享
は田中角栄を「対米追随派」に分類し直すべきではなかろうか
(笑)

なお、1970年代の日本で「ロッキード事件はアメリカの陰謀」など
というトンデモ言説を開陳したのは、近年稲田朋美の応援団長を
買って出、今行われている自民党総裁選では安倍晋三を応援し
ている極右の渡部昇一くらいのものだった。そんなトンデモ陰謀
論を、今では少なからぬ「リベラル・左派」が信奉している。嘆か
わしい限りだ。

重ねて書くが、このような悪しき風潮を助長する、現在では「小沢
信者」に成り果てた老元外交官・孫崎享に「洗脳」されてしまった
人には、是非この本の一読をおすすめする。

最後に書いておくと、正力松太郎と並んで日本に原発を導入した
張本人である中曽根康弘を通産相に任命したのは田中角栄で
ある。あの「電源三法」は、田中曽根(第2次田中内閣)時代の19
74年に制定された世紀の悪法であることはいうまでもない。(後
略)

*1:この本を読めばわかるが、有馬哲夫は原発を決して否定し
ていないし、日本の核武装についても態度を保留している。

*2:同様のことは小沢一郎についてもいえ、『日本改造計画』で
小沢が打ち出した新自由主義的な諸政策は、小沢のブレーン
だった官僚が作ったものだといわれている。もちろんそんなこと
はこの本には書かれていないが。

*3:有馬哲夫も福田赳夫に対して同様の評価を下している。
「自主派」とは保守のタカ派政治家を表す言葉ともいえるだろう。

*4:1990年の日米構造協議における小沢一郎のアメリカへの
徹底的な譲歩を思い出させる。小沢は師の角栄に倣ったのだ
ろうか。

*5:本書176頁

【補足】『戦後史の正体』を買ってまで「読むつもりは全く」ない、という
私の言説に関して

上記の言説に関して起こりえる反論を予測して(実際に反論があったわけですが)以下をあらかじめ補足しておきます。

上記の私の言説に関して「本を読まないで本の批評をするのはケシカラン」というたぐいの批判があることは先刻承知ずみのことです。

しかし、こうした批判は誤っていると思います。

第1。あるものの価値評価、あるモノを買うか買わないかの選択はまったく「私」の自由権に属することがらです。その私の選択権について人さまからとやかく言われるスジ合いはまったくありません。明らかに不良品とわかっている品物を誰も買わないでしょう。そういうことです。

第2。本を読まないで批判(批評)するのはケシカランというのも俗論にすぎません。本を読まなくても本の中身がわかっている場合は十分に批評できます。

たとえば政府は先日(19日)原発ゼロ目標を盛り込んだ「革新的エネルギー・環境戦略」を参考文書に留めるという閣議決定をしましたが、この閣議決定については多くの人が批判しています。しかし、閣議決定そのもの(原文)は管見の限りどのマスメディアにも紹介されておらず、首相官邸のホームページにもいまだアップされていません。原文を読まなければ批判できないというのであれば、官僚やメディアの関係者などの一部の例外を除いて一般の人は誰もこの閣議決定の原文を読むことはできないということになるわけですが、しかし、上記のとおりこの閣議決定については多くのメディア及び人が批判しています。メディアは閣議決定そのものの原文は紹介していませんが、そのアウトラインは示しており、そのアウトラインを読めば原文を読むことはできなくとも批判は十分に可能だからです。

そして、孫崎享『戦後史の正体』の場合、著者その人である孫崎氏が同著の核心について自身で解説をしています。


上記を観るだけで『戦後史の正体』の中身は十分に理解することができます。したがって、上記を観ただけでも同書の批判、批評は十分に可能です。もう一度繰り返しておきます。本を読まないで批判(批評)するのはケシカランというのは、一般のこととして「読む」という行為の多様性について理解することができない人の俗論にすぎません。
以下はぜひご紹介させていただきたいブログ記事です。中国の反日デモのニュースが連日流れていますが、その中国の反日デモの本質を読み応えのある筆致で、かつ、わかりやすく解説しています。転載させていただこうと思います。
 
中国・反日デモ暴徒化の背景と、日中関係の今後
~~最も基礎から解説!

西端真矢 2012年9月18日
 
長文ですので全文引用は控えますが、 記事の最下段にあるひとりの若い中国人女性の掲げているプラカードのスローガンとそのプラカードを掲げている若い中国人女性の写真が素敵です。 いや、感動的というべきでしょうか。そういう意味で素敵なのです。この一枚の写真とプラカードのスローガンにはたしかな中国の庶民的レベルでの良心と理知、そして希望を見出すことができるように思います。以下、その写真とスローガンの訳。


デモ写~1
 

私たちは戦争を、地震を、水害を乗り越えて来た。
ここはファシストの土地ではなく、私たちの土地。
暴力によって築き上げたのではない。

そう、ここはもう文革を行う場所ではない。
この土地で開かれた平和の祭典・オリンピックを全世界が見つめた、
その場所ではないか。
暴力を停止しよう。
私は知っている。私たちの祖国はかつて愛にあふれていたことを

脱原発法制定全国ネットワークがこの8月22日に設立・告知され、9月7日には同ネットワーク提案の脱原発法案が国会に提出されました(会期末ということもあって継続審議)。脱原発法を制定させようという同ネットワークの理念はもちろん、その行動力とフットワークの軽さ、速さには率直に敬意を表したいと思いますが、同ネットワークの脱原発法案の国会提出に向けての足取りを見るとなにか大切なことを置き去りにして急ぎすぎている。私にはちどり足のように見えます。もちろん、脱原発の課題はまったなしで急ぐ必要はあるのですが、「脱原発は、遅くとも、平成三十二年(注:2020年)から平成三十七年(注:2025年)までのできる限り早い三月十一日までに実現されなければならない」(「脱原発基本法案」第三条 基本理念)という課題実現の設定時期(私には異論がありますが)とこの急ぎようとの間には少なくない乖離があるように私には思われます。

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この点について私の見解を述べる前に脱原発法の制定に基本的に賛成の立場に立ちながら同法案の共同提案者にはならなかった日本共産党の見解を見てみたいと思います。共産党はなぜこの共同提案に加わっていないのか。また、加わらなかったのか?

その理由については同党衆院東京比例候補者の宮本徹氏が9月7日付けで次のようなツイートを発信して説明しています。

「昨日提出の脱原発法に共産党が共同提案に加わってないのは「脱原発は2020年から2025年までのできる限り早い時期に実現」という法案は、一刻も早い原発ゼロを求める国民の期待に応えるものになっていないから。国民と力あわせ直ちに原発ゼロの政治決断を求め全力あげる」(笠井議員の話要約)

また、しんぶん赤旗はこの点について次のような記事及び主張を発信しています。以下、私の目についた3本のしんぶん赤旗記事。

1本目。

脱原発法案が継続 衆院 「生活」など提出(しんぶん赤旗 2012年9月8日)

「国民の生活が第一」やきづな、社民党などに所属する国会議員は7日、「脱原発基本法案」を衆院に提出しました。通常国会は8日が会期末となるため、法案は同日、継続審議となりました。

法案では、基本理念で「遅くとも2020年から25年までのできる限り早い」時期に脱原発が実現されなければいけないとし、「脱原発基本計画」を定めるなどとしています。

提出者は、前述の3党のほか、改革無所属の会、減税日本・平安、新党大地・真民主に所属する議員です。

提出者らは、法案提出後に衆院第2議員会館で会見しました。記者からなぜ日本共産党の賛同がないのかとの質問が出され、「生活」の山岡賢次代表代行は「(同党が主導する)『国民連合』でまとまって提出したものだ。共産党は『国民連合』は遠慮したいということだった」とのべました。

国民の声は「即時ゼロ」

日本共産党の笠井亮衆院議員の話 いま、国民の多数が一刻も早い「原発ゼロ」の実現を望み、政府へのパブリックコメントでも8割が「即時ゼロ」を求めています。「脱原発は、遅くとも平成32(2020)年度から平成37(2025)年度までのできる限り早い時期に実現」とする今回の法案は、こうした国民の期待に応えるものになっていません。したがって日本共産党は、共同提案に加わらず賛同者にもなりませんでした。なお、先方から「国民連合」でという話は一切ありませんでした。

官邸前行動をはじめ全国各地の草の根で声をあげている多くの国民とともに、政府に対してただちに「原発ゼロ」の政治決断を求めるために全力をあげます。

2本目。

原発ゼロ決断 総力を 脱原発法制定求める集会 笠井議員が発言(しんぶん赤旗 2012年9月5日)

脱原発基本法案の国会提出へ向けた集会が4日、衆院第1議員会館で開かれました。脱原発法制定全国ネットワークが主催し、日本共産党、民主、生活、みんな、社民などの国会議員と市民団体関係者らが参加しました。

集会では、河合弘之弁護士が「今国会中に法案を提案したい」と発言。基本法案の説明の後、意見交換が行われ、民主、社民などの議員からは賛同の発言がありました。

日本共産党の笠井亮衆院議員は「国民の過半数が『原発ゼロ』を望んでいることを政府が認めざるをえなくなったのは、院内外のたたかいの成果だ。『原発ゼロ』への決断を政府に迫るたたかいに総力をあげたい。法律をつくることを、一つの手段として検討したい」と述べました。

そのうえで基本法案について「国会に提出する以上きちんと扱われ、審議され、成立の見通しが立つことが必要だ。会期末に出した途端に廃案にされる危険があるが、どういう見通しを持っているのか。政府のパブリックコメントでも原発即時ゼロ・再稼働反対が8割を占めるもとで、『脱原発』の期限を『遅くとも』『できるだけ早い時期』とはいえ『2025年』と明示することが適切なのか。再稼働についても一定の基準に適合すれば容認することにならないか」と指摘。「各政党、国会議員、市民のみなさんと協議しながら、丁寧に練り上げていくことが大事ではないか」と提起しました。

市民団体代表からは「2025年まで待てない。超党派『原発ゼロの会』とすりあわせの上でやってほしい」「再稼働を許したくない。すべて廃炉にという市民の多くの気持ちを背景に法律をつくってほしい」という意見も出されました。

3本目。

原発ゼロ迫るたたかいを 「脱原発法」の制定求める集会 笠井議員が発言(しんぶん赤旗 2012年8月30日)

「脱原発法」の制定を求める集会が29日、国会内で開かれました。「脱原発法制定全国ネットワーク」が主催し、民主、生活、社民などの国会議員、日本共産党から笠井亮、吉井英勝両衆院議員が参加し発言しました。

代表世話人の河合弘之弁護士は「2020年度から25年度まで、できる限り早く脱原発を」と説明しました。

笠井議員は、「原発ゼロ」が圧倒的な国民の声になっていると指摘し、「まず政府に『原発ゼロ』への決断を求めていくたたかいが重要だ。そうした大きなとりくみで、力を合わせていきたい」と語りました。

また、提示されている法律案要綱は民主党内の「脱原発ロードマップを考える会」の案にもとづくものになっているが、特定の案だけでなく、「原発ゼロ」をめざし多くの議員から出されているさまざまな提案や意見をふまえることが重要だと強調。「原発ゼロ」の思いを実現するために「知恵と力を出し合ってがんばっていきたい」と発言しました。

さて、この件について私としては次のように考えます。

つい最近まで脱原発の方向性を明確に打ち出している政党は日本共産党と社民党だけでした(上脇博之「東京電力福島原発事故から5ヶ月後の各党の原発政策」2011年8月14日)。

が、その社民党は別として、今回、同法案の共同提出者、または賛同者となっている政党・会派は新党「国民の生活が第一」、新党きづな、減税日本、新党改革、新党大地・真民主、民主党議員(55名)、みんなの党、みどりの風、たちあがれ日本の9会派(民主党は一部議員)。社民党を除く他の政党・会派のほとんどすべての議員はこれまで原発推進政党としての自民党、民主党(上記ブログ参照)に所属し、実際としても国会において原発推進案件に賛成してきました(たとえば「日本からヨルダンに原子力技術を供与するための原子力平和利用協定締結承認案件」(参議院 2011年3月31日)での上記政党、会派の各議員の投票行動を参照)。

だからといって、ここで私は彼ら、彼女たち議員、政党・会派は脱原発法案の共同提出者になる資格がない、などというルサンチマンを述べたいわけではありません。脱原発法案を実際に国会で可決させるためには「各政党の政策の違いをすりあわせ」(脱原発法制定全国ネットワーク「脱原発法Q&A」)脱原発という一致点で妥結できる落としどころを探っていくよりほかありません。そのためには多くの政党・会派、議員の積極的かつ主体的な協力も不可欠です。そういう意味では各政党・会派、議員が原発推進から脱原発に方針、主張を転換させるに至ったことは積極的に評価されてしかるべきことです。ここはルサンチマンを述べる場面ではありません。

そうではあるのですが、今度は逆にだからといって、脱原発法案の国会上程を急ごうとするあまり、3・11以前の経緯は別として3・11以後脱原発の方向性を明確に打ち出している政党、それも数少ない政党(共産党と社民党)のひとつを除外して同法案の国会上程のみを優先させるという姿勢は誤まっていると思うし、スジ違いも甚だしい姿勢だといわなければならないように思います。今後の国会での脱原発法案の中身の有益、前向きな検討もさることながら、その中身を少なくとも後退させないためには(法の制定を第一義にして中身をなし崩し的に後退させていくことはこの1年の間だけでもたびたび見られた現象です)、これまで脱原発の姿勢を明確にしてきた、すなわち脱原発政策においてスジを通してきた政党のある種お目付け役としての役割は大きなものがあるといわなければならないだろう、と思うからです。

このように私が思い、上記のように主張するのには、波風のないところに波風を立てるようでいささか指摘するのがためらわれるところもなきにしもあらずなのですが、脱原発法制定全国ネットワーク代表世話人(事務局)の河合弘之弁護士及び同じく代表世話人の飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所)にははじめ大飯原発の再稼働反対を声高に主張しながら、最終的には同原発の再稼働の積極的推進論者となったポピュリスト・橋下大阪市長の結果としての原発推進政策の強力ブレーン(大阪府市統合本部特別顧問)であった、あるという前歴、現歴があるからです。

とりわけ飯田哲也氏は山口県知事選に出馬し、敗れた後、大阪府市統合本部特別顧問に再び復帰しています。「橋下徹大阪市長(@t_ishin)を囲む企画の朝生(1/27)をiphoneへの録画で見る。批判サイドが抽象論・形式論・重箱のスミ論に留まっていたのに対し、政策の実質・実現などリアルを問い続ける橋下市長の独壇場。問題意識とアプローチが飯田も全く同じで共感」などとツイッターで橋下氏絶賛をしている人ですから無理からぬところというべきでしょうか。

しかし、その飯田氏は、山口県知事選に出馬した際には「思想や信条を教育現場等で押しつけることへの(橋下氏への)異議を主張」していました(こちらのビデオで確かめることができます)。しかし、その飯田氏の主張はウソであることは私はこちらの記事で証明しています(同記事下段の「追記」参照)。

そして、その舌の根の乾かぬうちの大阪府市統合本部特別顧問復帰です。まったくあいた口が塞がらないとはこういうことをいうのでしょう。私は飯田氏という人物をまったく信用していません。

そういうもろもろがあっての私の「脱原発法国会提出(中身・提出時期)への少なからぬ疑問」ということなのです。