共産党の機関紙「しんぶん赤旗」には震災・放射性がれきの広域処理の問題に関して管見の限り下記の3本の記事が掲載されていますが、同広域処理の問題に関しては以下の論証に見るように共産党員(党中央と共産党議員)の間でも同問題に対する認識には少なからぬ温度差があり、その解決方法の提唱についても少なからぬスタンスの違いがあるようです。

(1)主張 がれき「広域処理」 政府は責任をもった方策を(「赤旗」2012年3月18日付)
(2)宮城県 ゼネコン“丸投げ”がれき処理進まず 広すぎる地域・地元業者を軽視 「現場を知らない」と地元(「赤旗」2012年4月23日付)
(3)がれき処理 復興の大前提 広域処理 安全性確保に万全 共産党県議 斉藤信さんに聞く(「赤旗」2012年5月24日付)
 
(1)の記事はがれきの広域処理についてはどちらかといえば肯定的です。(1)は赤旗の「主張」記事ですから、この「主張」の見解は同党のリーディング・オピニオン(中央委員会の見解)とみなしてよいでしょう。同見解は「『広域処理』をすすめる」ことの必要性を説いています。

「災害がれきをできるだけすみやかに処理することは、被災地の復興にとって最重要の課題であることは言うまでもありません。/ぼう大ながれき処理を被災地だけで行うことは困難です。政府が被災地での処理能力を強化することはもちろん、被災県以外の協力を得て、「広域処理」をすすめることが必要です。政府は、その方策を責任をもってすすめていくべきです。」(「赤旗」2012年3月18日付)

(2)の記事は共産党宮城県議会発の記事(森近茂樹「赤旗」記者)と思われるもので、どちらかといえばがれきの広域処理に批判的です。

「横田有史県議団長はこう強調します。『ゼネコン丸投げで処理地域の規模を大きくしたことが遅れの要因になっている。小規模の方が、がれきの輸送時間も短縮できて効率的。さらに地域に詳しい地元業者が加わると業務ははかどる。同時にがれき処理が地域経済の活性化にもつながり、復旧・復興にとって一石二鳥です』」(「赤旗」2012年4月23日付)

(3)の記事は岩手県の「共産党県議 斉藤信さんに聞く」という体裁をとっていますが、「(岩手)県内の処理能力を超えるがれきの存在は復興の大きな障害になっており、県外での広域処理が必要です」という赤旗編集局ないしは赤旗記者の見解を前提として述べた上で、「この問題について、日本共産党の斉藤信県議に聞きました」(聞き手 細川豊史赤旗記者)という構成の記事になっています。そういう意味で(3)の記事は共産党岩手県議会発の記事というよりも、実質的には(1)の赤旗の「主張」を土台にした同紙編集部発の記事になっていると見てよいでしょう。したがって、この(3)の記事も(1)と同様がれきの広域処理の必要性を説く記事になっています。

「東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県では、県全体の一般廃棄物の12年分に相当する525万トンもの震災がれきが生じました。県内の処理能力を超えるがれきの存在は復興の大きな障害になっており、県外での広域処理が必要です。この問題について、日本共産党の斉藤信県議に聞きました。(聞き手 細川豊史)」(「赤旗」2012年5月24日付)

しかし、以下に紹介するおふたりの共産党議員のブログ記事の見解は上記(2)の記事の見解とほぼ同じです(そのうちのひとり、(4)のブログ記事の筆者は(2)で紹介されている横田宮城県議会議員その人ですから当然といえば当然ですが)。

(4)瓦礫は県外処理354万トンを大きく上回る431万トンの圧縮へ。県外処理は必要ありません。(共産党宮城県議会議員・横田有史氏のブログ 2012年5月21日)
 
「昨日は、一日中定例の県議会常任委員会。環境生活・農林水産常任委員会では、放射能汚染対策を巡る諸問題と瓦礫処理問題をメインに6時間以上の議論。/瓦礫処理では県処理分とされていた1,107万トンの約4割、431万トンが圧縮され、676万トンになることを発表。その一方、広域処理が必要とされていた354万トンを大きく上回る圧縮にも拘わらず、東京・山形・青森の13万トンを除いても更に114万トンの県外処理が必要という発表で、国の162万トン広域処理に数値あわせでは無いか。『復興の遅れを広域処理の遅れに。その遅れを反対市民のせいにする。と言う思惑ではないか』とつい主張せざるを得ませんでした。委員会では『処理ブロックごとの数値の変化』などの資料を改めて提出させること。更に、今回の見直しに加味されていない『命の森の防潮堤』50キロ・150キロ建設への瓦礫の活用などで、少なくとも“放射能まみれの宮城の瓦礫”については、県内処理での自己完結を追究すべきとする意見が相次ぎました。」

(5)がれき広域処理問題 北九州で逮捕者・・・無用の対立を持ち込んだのは誰か(共産党仙台市議会議員・花木則彰氏のホームページ 2012年5月23日)
 
「実際は産廃処理のノウハウもないゼネコンが、県に助け舟を出し、仕事が丸投げされた・・・今、起きている困難・矛盾の一つはここにあります。ゼネコンの作った処理計画は、大量のがれきを遠くへ運んで処理する、運送費に大きな費用をかけそこで儲ける、という中身でした。その数字を、県や環境省がそのまま「広域処理が必要な量」として発表していたのではないか・・・今回の見直しで、さらにその疑いが強まっています。/仙台市では、市域内のがれき処理を市で行うことにし、ゼネコンではなく産業廃棄物処理業者に委託をしました。がれきを仮置き場に運ぶ時から、分別を行い焼却するもの、埋め立てるものをできる限り減らす、危険なものの管理を徹底する方法がとられています。/宮城県内でも、石巻ブロックを除けば、それぞれの地域内での処理が可能だとされています。広域処理を、お願いする前に、域内処理、県内処理、東北内での協力についてもっと検討を深めるべき課題だと思います。」

上記の(5)で花木則彰仙台市議会議員も指摘しいるように「放射線管理の立場からは、分散させない、集中してしっかり管理することが原則です」。この花木議員の認識は放射線、放射線管理の専門家(たとえば小出裕章京大原子炉実験所助教や安斎育郎立命館大名誉教授(放射線防護学)、注1・注2)の認識とも一致します。
 
注1:小出裕章京大原子炉実験所助教の震災がれき処理問題に関する認識。

「原発から排出された放射性物質はその本来の原発敷地内に戻すのが当然」(「毎日放送『たね蒔きジャーナル』文字起こし」ざまあみやがれい! 2011年12月22日)。
 
注2:安斎育郎立命館大名誉教授(放射線防護学)の震災がれき処理問題に関する認識。

「参考までに土の汚染を例に取ると、セシウム137が1平方メートルあたり1000ベクレルで汚染した土壌が半径100メートルの円形状に剥き出しで広がっている場合、その真ん中に立つと地上1メートルでの被ばく線量率が大略「毎時0.000003ミリシーベルト」といった桁になるでしょう。おそらく、具体的な処分条件に基づいて被ばくの可能性を評価しても、その数値が深刻な確定的影響(1000ミリシーベルトで急性の放射線障害)や確率的影響(1ミリシーベルトでがん死亡の確率が0.005%増大の恐れ)などに結びつくようなことにはならないと思われます。だからといって、島田市を含めて地方の分散するのが好ましいのかと問われれば、放射線防護学的には、100年単位で居住や生産に適さなくなった事故原発周辺に集中保管管理施設を築いて一括処分するのが好ましいと考えています。」(「島田市の震災がれき受け入れに関する、安斎育郎さんの見解について【続】」市民社会フォーラムブログ 2012年3月22日)

(1)の赤旗の主張を反映する上記(3)の記事のいうように、たしかにがれきに含まれる100ベクレル/1キログラムのセシウム137の含有量は「一般廃棄物として扱ってよいとされる、原発事故前からの基準(クリアランスレベル)」であり、また、日弁連の下記の見解などとも一致しており、「放射性廃棄物かどうかを区別する基準はセシウム137については、100ベクレル/1キログラムによるべきである」という赤旗及び日弁連の主張は3・11以前の原子力関連法の安全基準に照らしても条理のある主張といってよいものです。

放射能による環境汚染と放射性廃棄物の対策についての意見書(日弁連 2011年7月29日)

「放射性廃棄物かどうかを区別する基準については,現行のクリアランスレベルである10μSv/年を基本として定める値(セシウム137については,100ベクレル/kg)によるべきであり,したがって,100ベクレル/kg 以上のものについては,放射性廃棄物として厳重な取扱いが必要であるものとすべきである。」

しかし、3・11以前のわが国の原子力関連法体系に基づくクリアランスレベルは福島第1原発事故による放射能漏えいやそれにともなう甚大な広域放射能汚染などまったく予期していなかった段階で作成されたクリアランスレベル(安全基準)にすぎません。3・11以後しだいに明らかにされるようになった放射能の低線量被ばくの危険性(微量の放射能被ばくでも必ずしも安全とは言い切れないこと)を指摘するさまざまな現在の科学的、医学的レベルの国際的研究の到達点から見れば3・11以前のクリアランスレベルはきわめて不十分な基準であるといわなければならず、その見直しは避けられないでしょう。

放射線、放射線管理の専門家たちの指摘する放射能は「分散させない、集中してしっかり管理する」という原則に立ち返った、また、放射能の低線量被ばくの評価など現在の世界の放射線研究の到達点を反映させたあらたな放射線被害に関するクリアランスレベルの見直し、その作成は、いま、国民、というよりも人類の生命を守るという人類共通の道義的見地からも急務の課題というべきものだと思います。

そういう意味で放射性廃棄物の広域処理に反対する人たちの不安と怒りには相応の根拠と道理があります(根拠の乏しいデマゴギーとでも呼びたい(個人的には吐き気をもよおすほどの)情報ともいえないトンデモ「情報」の「拡散」が多いことも確かですが)。(2)(4)(5)で紹介した共産党議員の主張はそうした広域処理に反対する人たちの不安と怒りの声を反映しているものと見てよいでしょう。広域処理の考え方については共産党議員間だけでも上記に見たような認識とスタンスの違いがあるのです。

放射性廃棄物の広域処理の考え方については共産党には現在の世界の放射線研究の到達点を踏まえた上でいま一度真摯に再考してほしい、と私は思っています。
私は前エントリ記事で「緑の党」準備会を再度批判する「是とするのか、非とするのか 『緑の党』(現名称:みどりの未来)は大阪・橋下市長を絶賛する元共同代表(尼崎市長)の稲村和美氏の評価を闡明にしなければならない」という弊論を再掲しておきましたが、いくつかのメーリングリストでその返信をいただきました。その返信のひとつとしての私としての応答文を個人名を省略した上で下記に転載させていただこうと思います。ご参考としてお読みいただければ幸いです。

○○さん、ご返信ありがとうございます。

2004年にみどりの未来の前身組織といってよいみどりの会議から代表の中村敦夫さんやコスタリカ研究家の足立力也さん(福岡)が参院選比例区からそれぞれ出馬したときは、私は中村敦夫さんと足立力也さんを大分の脱原発グループ、環境系グループの仲間とともにかなり熱心に応援しました。この環境系グループの中にはグリーン・ツーリズム運動に熱心だった湯布院の名だたる旅館のあるじなどなども含みます。私は彼ら、彼女らとともに中村さん、足立さんの応援の輪に加わりました。湯布院・亀の井別荘のあるじの中谷健太郎さんが中村さんと足立さんの落選の報を承けて私に「歯がゆいね!!」というメールを送ってこられましたが、そのメールはまだ私の手元にあります。

足立さんとはその選挙の前にも大分県佐伯市の大入島埋立反対闘争の際に大入島の地で何度かご一緒したこともあります。現「緑の党」結成準備委員会メンバーの荒木龍昇さん(福岡市議会議員)やいまは亡き増本亨さん(当時、佐賀県議会議員)らとともに。

やはり「緑の党」結成準備委員会メンバーの杉原浩司さん(東京都、みどりの未来全国協議会委員)とは2つほどの同じメーリングリストでご一緒しており、彼の論説には学ぶところが多く、尊敬の念を抱いています。

また、「みどりの未来」元共同代表の稲村和美さんが尼崎市長に立候補したときも故筑紫哲也さん、上述の中谷健太郎さんらとともに心的支援を超えるものではありませんでしたが彼女を応援しました。このときのことは下記の弊記事の中でも筑紫さんの手紙の一節として少し触れています。なお、筑紫さんとは大分・日田・湯布院つながりの人脈です。

ということがあっての先の私の問題提起であることをまずご理解ください。

稲村さんに朝日の対談記事の「真相を聞いてみようと思います」ということですのでぜひ伺ってみてください。そして、その結果をまたご一報いただければ幸いです。

しかし、先便でご紹介させていただいた弊記事における稲村さん評価は橋下評価に関わるものだけではなく、彼女の政治理念と民主主義感覚を問うものにもなっています。朝日の対談記事を読む限り私のその記事の読解に誤りがあるとは私は思っていない、ということも付記しておきます。

なお、この問題は、みどりのテーブル時代の川田龍平議員のみんなの党への鞍替え問題、すなわちみどりのテーブルを引き継ぐ「緑の党」結成準備委員会の思想性と志操の問題、信頼性の問題にも深くかかわってくる性質の問題というべきものだろう、と私は思います。

Re: 川田龍平参院議員、みんなの党に入党!?(CML 2009年12月2日)
「堤未果さん」といういまも続く現象について(弊ブログ 2010年7月21日)

そういう意味でも、この問題については、「緑の党」結成準備委員会としてきっちりとした見解発表をするべきです。「緑の党」の政党理念がいま決定的に問われているのです。そういうご認識をお持ちいただきたい、というのが私の意見です。

私たちは民主党の政権交代で内実のない政権交代の無残さというものをいやというほど目にしました。そういう繰り返しは政治革新のためになんの役にも立たない。ムードで政治革新に期待するというようなことからはいい加減に卒業しよう。歴史を停滞、あるいは後退させるだけだ。そういうことを私は言いたかったわけです。前エントリの趣旨はそういうものです。
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日本版「緑の党」7月に、来年の参院選 照準
(朝日新聞 2012年3月20日付)

京都に「『緑』の京都・準備会」(代表世話人 長谷川羽衣子)という団体があります。東京に本部を置く全国組織、みどりの未来(今年の7月には団体名を「緑の党」に改称し、政界進出をめざす予定)の京都府組織という位置づけの団体のようです。同準備会の代表世話人の長谷川羽衣子さんは「緑の党」結成準備委員会の代表世話人のひとりでもあります。

その「緑」の京都・準備会が5月5日のこどもの日に下記のような「『原発ゼロの日』に関するアピール:子どもたちに、きれいな土と水と空気と、そして未来をプレゼントしたいから」というメッセージを発表しています。

今日5月5日こどもの日、日本のすべての原子力発電所が止まります。子どもたちとその次の世代のために、電気を賢く使い原発を福島県や福井県の美しい町や村に押し付けない、そして自然を壊さない、本当に豊かな社会を作って行きたいと思っています。
日本に54基ある原発をこのまま眠らせ、風や太陽のエネルギーで暮らしていく仕組みを、ぜひ一緒に考えましょう。
今日、この日が新しい未来へのはじまりの日となるよう、私たちは一歩を踏み出します。


2012年5月5日(日本における歴史的な「原発ゼロの日」)
          「緑」の京都・準備会
           代表世話人
          長谷川羽衣子

上記の「緑」の京都・準備会のアピール自体には私は反対ではありませんが、一般論にすぎます。選挙になると街宣車からよく聞こえてくる「美しい緑と空と海、美しい自然を取り戻そう」というたぐいの空疎な選挙宣伝用の空文句となんら変わるところはありません。

「緑」の京都及び緑の党がいま闡明にしなければならないのは空疎な空文句のメッセージを発信することではなく、下記のような現実問題の問いへの応答というべきでしょう。それは、政党結成宣言をしている団体の責任というべきものです。再録しておきます。

是とするのか、非とするのか 「緑の党」(現名称:みどりの未来)は大阪・橋下市長を絶賛する元共同代表(尼崎市長)の稲村和美氏の評価を闡明にしなければならない(弊ブログ 2012.04.11)

上記ブログ記事結論部分:
「緑の党」(みどりの未来)の会員はもちろん、同党、あるいは同団体をこれまで称揚してきた人たちは、この稲村氏の政治認識や政治姿勢をどのように評価するのか。脱原発の新しい政治、新しい民主政治を実現するための新党結成であるというのならば、彼ら、彼女たちにはその明確な応えが求められているといわなければならないでしょう。そのことを闡明しない、闡明しようともしない「緑の党」なる新政党の将来に期待することはできません。

ゆるがせにできない問題です。
大阪維新の会の大阪市議会議員団が同市議会に近日提出予定の「家庭教育支援条例」案にはその案文のあまりにものトンデモ性ゆえに広範な層の人々、団体からこれまでの橋下ポピュリズム批判、大阪市教育基本条例案批判の枠を大幅に超越する批判が続出(いわゆる炎上)し、そのあまりの批判の裾の拡がりにさすがのあの難波の稀代のオポチュニスト(ご都合主義者)の橋下さんもその火消しに躍起になっている模様です。

 橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会大阪市議団が議会提出する方針の条例案の発達障害をめぐる規定に当事者らが強く反発、橋下市長が短文投稿サイト「ツイッター」で火消しに躍起となっている。

 条例案は「家庭教育支援条例案」。原案で「発達障害、虐待等の予防・防止」の章を設け「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因」と明記。「虐待、非行、不登校、引きこもりに深く関与している」などの文言も並んだ。

 NPO法人「発達障害をもつ大人の会」(大阪市)の広野ゆい代表は「発達障害と虐待などが同列に扱われ、人権侵害だ」と指摘した。(「
橋下市長、火消しに躍起 大阪維新の条例案」東京新聞/共同 2012年5月4日)

その問題の「家庭教育支援条例」案をわかりやすく逐条的に批判しているブログ記事があります。大変わかりやすい解説になっていますし、批判も鋭利です。ご参照ください。

大阪維新の会のエセ科学的「家庭教育支援条例(案)」逐条批判(BLOGOS 松永英明 2012年5月3日)

上記の逐条批判にも同条例案の黒幕的存在として「高橋史朗」の名前が登場しますが、その高橋を含むさらなる黒幕の黒幕陣を列記しているのが「kojitakenの日記」ブログです。下記記事も大変参考になります。ご参照ください。

「育て方が悪いから発達障害になる」という大阪のトンデモ条例案(kojitakenの日記 2012-05-04 )
「大阪県構想」?(kojitakenの日記 2012-05-04 )
安倍晋三が会長を務める「親学推進議連」に鳩山由紀夫(笑)と渡部恒三(笑)の名が(kojitakenの日記 2012-05-04 )
橋下「大阪維新の会」トンデモ教育支援条例案の黒幕は安倍晋三のブレーン「高橋史朗」(kojitakenの日記 2012-05-04 )
「大阪deルイセンコ」 - 「文化大革命」ばかりか「スターリニズム」にも急接近する橋下徹(笑)(kojitakenの日記 2012-05-04 )

さらに大阪と同様の事態は東京においても進行している模様です。

 「破壊的な教育改革」を掲げる東京都の石原慎太郎知事が設置した「教育再生・東京円卓会議」の第3回会合が11日、都庁で開かれる。

 今回は石原知事、猪瀬直樹副知事のほか、作家の乙武洋匡氏、教育学者で明星大教授の高橋史朗氏、弁護士で大阪府立和泉高校長の中原徹氏。将来を担う人材育成や今後の学校教育などについて議論する。

 会議の模様は後日、動画がユーチューブの「東京都チャンネル」で見られるほか、会議録が都のホームページに掲載される。(「
次回教育再生会議に乙武、高橋氏ら」(産経新聞  2012.4.4)

 石原慎太郎知事が設置した「教育再生・東京円卓会議」の第3回会合が11日、東京都庁で開かれ、家庭教育の重要性や体罰の考え方、教育委員会制度のあり方など、幅広い議論が交わされた。出席者は石原知事、猪瀬直樹副知事、作家の乙武洋匡氏、教育学者で明星大教授の高橋史朗氏、弁護士で大阪府立和泉高校長の中原徹氏。

 会議終了後、杉並区の小学校で教諭として勤務したこともある乙武氏は「教育改革が進まないのは、だれかが路線を決め、責任を持って進めていくシステムがないからだ。教育委員会というブラックボックスで議論され、うやむやに進んでいる」と指摘。高橋氏は親の役割や家庭のあるべき姿を考える超党派の「『親学』推進議員連盟」が発足したことに触れ、都として家庭教育支援条例の制定を訴えた。

 中原氏は教職員組合について、「必要だが、イデオロギーに偏っているような文化を改善していかなければならない」とした。また、日本人が自信や誇りを持つためには近現代史の把握が必要として、都が都立高で日本史を必修化し、独自テキスト「江戸から東京へ」を導入したような取り組みを大阪でも取り入れたいと述べた。(
家庭教育や教育委員会制度めぐり議論 教育再生円卓会議開催(産経新聞 2012.4.11)

教育再生・東京円卓会議:乙武さんら、教委改革など議論 /東京(毎日新聞 2012年04月13日)

なお、上記東京円卓会議のネット中継録画と議事録は下記にアップされています。

教育再生・東京円卓会議(東京都)
東京円卓会議第3回会議議事録

また、その動きは、戦前の日本のアジアへの侵略戦争を美化、正当視しようとする次のような歴史解釈歪曲勢力の動きとも連動しているようです。

 東京都教育委員会が、独自に作った歴史教科書「江戸から東京へ」の改訂版で、日本が太平洋戦争を起こしたのは侵略ではなく安全上の必要だったとする連合国軍のマッカーサー元最高司令官の証言が引用された。朝鮮戦争後の東西冷戦を踏まえた発言だが、教科書では背景に触れず、証言だけを紹介。侵略戦争か、自衛のための戦争か、両論がある中で、専門家からは背景の説明なく引用することに疑問の声が上がっている。

 マッカーサーは一九五一年に米国議会の軍事外交合同委員会で、資源のない日本がアジアからの原料供給を断ち切られたら大量の失業者が発生すると恐れて戦争に突入したと説明し「安全保障の必要に迫られてのことだった」と述べた。東西冷戦を象徴する朝鮮戦争が起きた後で、旧ソ連の共産主義の脅威の前に、中国や朝鮮半島での共産主義の拡大抑制に日本が戦前その役割を果たしたと再評価する内容だった。

 教科書では、改訂にあたって特集「日本はなぜ戦争を始めたのか?」を新設。その中で、背景の説明や情勢分析など一切なく発言だけを取り上げている。都教委は都民から「戦争の歴史をしっかり学習させてほしい」との意見を受け、「戦争の見方の一つとして紹介した」としている。

 二〇一三年度から高校で使用される検定済み教科書でも、この証言は取り上げられていない。当初、脚注で記載した出版社もあったが、説明が不十分で誤解の恐れがあるとの検定意見が付き削除した。

 都の独自教科書は、都立高校の教師らが執筆。検定の必要がなく、検定教科書にもない記述に、都議会では、「従来の自虐史観と異なる見方」と歓迎する向きがある一方、「侵略戦争の美化」と批判する意見も出ている。

 山田朗明治大教授(日本近現代史)は「当時の人の考え方を知る必要はあるが、知った上で戦争から時間がたった今ならどう評価するかが肝心なこと。当時の証言を紹介するなら、当時の感覚、時代背景の説明が必要で、あえて証言だけを載せるのは現代的な観点からするとおかしい。歴史全体にかかわる評価については、検定教科書に任せ、行政は介入しない方がいい」と話している。

<都の独自教科書> 都が2012年度からの都立高校での日本史必修化のため10年度に初版を発行、11年度に改訂した。江戸、東京を中心に近現代史を学ぶ独自科目「江戸から東京へ」で使うほか、ほかの日本史で副読本として活用する。毎年、1年生全員に配る。改訂版はA4判210ページで、640円で一般販売もしている。(「
日本の開戦『安全保障の必要から』 都の教科書が引用 マッカーサー証言東京新聞 2012年5月4日)

どういう意味でも橋下・大阪維新の会の「家庭教育支援条例」制定の動きはあまりにも危険すぎる動きといわなければならないでしょう。

等閑視することはできません。
本エントリも前記事の続きもののつもりで書いています。

先に、といってもまだ2週間ほど前のことですが、私は、大阪市の橋下市長が関西電力の株主総会で全原発廃止提案を含む株主提案をするというニュースがメディア各紙で肯定的かつ無批判的にかまびすしく報道され、それゆえにということでもおそらくあるでしょう、脱原発派の市民レベルでも橋下氏及び橋下氏ブレーンの飯田哲也氏や古賀茂明氏を「脱原発」の有力なパフォーマーであるかのように評価する論評も少なくなかったときに、橋下大阪市長の唱える脱原発宣言は「所詮ポピュリズムのパフォーマンスとしての『原発廃止』でしかないこと」、また、「橋下氏及び橋下ブレーン(大阪府市統合本部特別顧問の面々)のぶち上げる『脱原発』株主提案は再稼働を認める『脱原発』のたぐいにしかすぎない」ことを私なりに実証的に明らかにする記事を書きました。

しかし、それでも、橋下氏及び橋下氏ブレーンの飯田哲也氏や古賀茂明氏を「脱原発」の人とみなす風潮は依然として低層でというべきか、あるいは中層でというべきか、ともあれトンネルの向こうのだまし絵のようなシュールな幻惑感をともなって根強いものがありました。ポピュリズムというものの一面の正体はそういうところにあるのかもしれません。

しかし、ここにきて、橋下氏及び橋下氏ブレーンの面々の言う「脱原発」はやはり原発再稼働を認めるたぐいの「脱原発」主張でしかなかったことはもはや明々白々になった、といわなければならないでしょう。ここにきてというのは、次のような事態を指しています。以下、転載。

橋下の転向(原発)(Open ブログ 2012年4月26日)

橋下・大阪市長は、「原発再稼働に反対」を言っていたのに、「計画停電は大変だ」と気づくと、「原発再稼働を認めてもいい」と言い出した。君子豹変す。

橋下・大阪市長が、一転して、「原発再稼働を認めてもいい」と言い出した。「府民が認めるなら」という条件で。

大阪市の橋下徹市長は26日、関西電力大飯原発3、4号機を再稼働しない場合の夏の電力需給について、 「(需要の)ピーク時にみんなで我慢できるかどうか。府県民に厳しいライフスタイルの変更をお願いする。それが 無理なら原発を再稼働するしかない」と述べ、「原発か節電か」の二者択一を住民に訴える考えを示した。
橋下市長はこれまで安全性を確認する手続きが不十分なことを理由に原発再稼働に反対してきたが、「理想論ばかり掲げてはだめ。生活に負担があることをしっかり示して府県民に判断してもらう」と強調した。
( → 毎日新聞 2012年04月26日

記事では、転向の理由として、「安全はそこそこでも快適な生活を望むのか、不便な生活を受け入れるか、二つに一つだ」というふうに示されているが、そんなことは今さら理屈にならない。

そもそも、彼のもともとの主張は「節電か/再稼働か」ではなくて「計画停電を受け入れる」だったはずだ。

ちなみに、二日前の 24日には、「朝日新聞・橋下番のツイッターが正確です」と述べながら、朝日のツイッターをリツイートしていた。その内容を掲載すると、次の通り。

  「仮に今年の夏、関電管内で原発の運転を再開しないで大幅に電力不足になるとしたら」という前提を示したう えで、「節電や一時的な計画停電が必要になってもよいか」と聞くと、近畿で「なってもよい」が77%と多数を占め ました。
 電力不足になるとの前提で節電や一時的な計画停電を容認する回答が近畿で77%となった点。橋下氏「やっ ぱり国民の皆さん本当に賢明です。日本人は本当にすばらしいなとつくづく思いました。
 橋下氏「計画停電とか簡単に言うことは慎まないといけないなと思った。僕が言いたかったのは最後に腹をくく ればという意味。すぐ計画停電をやればいいとは思っていない。関西の府県民が77%、最後はやってもかまわ ないと言ってくださるのであれば、政治家としてそれに乗っかったらいい」
 橋下氏「政治家が説得し、信頼を得て、うそはつかない、情報は全部出す、今後の方針はしっかり出した上で、 府県民の皆さんに付いてきてくださいと言うべきだ。77%なんて数字が出ると思ってもみませんでした。
  橋下氏「そう(計画停電に)ならないように全力は尽くすが、ここまで(近畿の府県民が)腹をくくってくれたなら、 一致団結して新しい電力供給体制に向けて第一歩を踏み出す環境にある。だから、チャレンジしていくのが政 治家の役割だと思う」。
( → 橋下徹の twilog のリツイート(朝日のツイッター) )

いかにも勇ましい口調だが、その要旨は、こうだ。
「自分は計画停電にあまり本気では無かったが、賢明な府民が計画停電になってもいいというのならば、そこに向けて第一歩を踏み出そう。計画停電を受け入れるという決断をするのが政治家の役割だ。府民には(私に)付いてきてくださいと言おう」
これが 24日の発言要旨である。

ところが今回はそれとは正反対のことを言い出した。
「理想論ばかり掲げてはだめ。生活に負担があることをしっかり示して府県民に判断してもらう」
つまり、次の三点だ。
・ 再稼働をするべきでないという理想論は駄目だ。
・ 計画停電では生活に被害があるということに気づいてもらいたい。
・ 判断は府県民にしてもらう。

呆れる。どのツラ下げて、そんなことを言うのか。おまえが言うな! と言いたい。

そもそも、橋下はそれとは逆のことを言っていたはずだ。次のように。
・ 再稼働をするべきでないという理想論を言っていたのは、橋下だ。
・ 計画停電では生活に被害があるということに気づかなかったのは、橋下だ。
・ 判断は(府県民でなく)政治家がするべきだ、と言ったのは、橋下だ。

なのに、それとは正反対のことを言い出して、シレッとしているとは。
人の意見を自分の意見のごとく言う前に、
「私は間違っていたので、これまでの説を撤回します」
と述べて、謝罪するのが先決だろう。まったく、厚かましい。(弁護士だからかな。)

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[ 付記1 ]
橋下は、「住民が節電したくないなら(再稼働する)」なんて言って、(節電しない)住民のせいにする。
実は、企業が夏休みを取れば済む問題なのだが、「猛暑のときにクーラーを付ける住民が悪い」と責任転嫁する。
ひどい屁理屈だ。論理のすり替えだ。
本当の理由は、「企業に休めと言えない、橋下自身の無能さ」である。ここでも自分の無能さの責任を、住民になすりつけている。屁理屈ばかりうまい奴だ。ふてぶてしい。

[ 付記2 ]
橋下は、「住民が節電したくないなら」なんて言うが、実は、「節電なんかしなくていい」と言ったのは、去年の橋下だ。
→ 橋下知事、15%節電に「協力するつもりない」
→ 節電要請に協力せずと橋下知事
→ 「節電協力しない。原発推進のブラフに思える」
→ 橋下知事「過度な節電必要ない」
とはいえ、その後に朝令暮改ふうに、「節電します」と転向した。
→ 橋下知事 エアコン一斉停止呼び掛けも
→ 橋下知事、朝令暮改…「庁舎節電やめる」やめる
そのあとでまた節電反対論。
→ 冬も節電要請で批判
あまりにもたびたび転向するので、昨年のうちに皮肉られている。
→ 橋下「節電→節電しない→節電→節電しない→節電」
ハチャメチャの極み。頭がどうかしているんだろうか? せめて過去の自分の発言を覚えていればいいのに。

上記のOpen ブログ「橋下の転向(原発)」へのkojitaken氏のコメント

橋下徹が「脱原発」路線を転換したことは、もう既成事実。そう考えるべきだ。
呆れるばかりの橋下の無節操というか「転向」だが、橋下にとってみれば、「小沢一郎裁判」の無罪判決があった4月26日に最初から狙いを定めた予定の行動だったのだろう。過去にも、ロッキード事件の田中角栄裁判一審判決の日を狙ってアクションを起こした人たちがいた。

この期に及んでまだ橋下の意図を「忖度」して善意に解釈している人たちがいるが、世にあまたいる橋下礼賛者ともども、「俺の言うことは何でも通る」という橋下の自信をさらに強めさせるだけだろう。

橋下は既に「原発再稼働」、さらには将来的にも「原発維持容認」に路線を転換したとはっきり認識すべきだ。
多くの人の想像通り、橋下にとって「脱原発」は「人気取り」のための道具に過ぎなかった。

kojitaken氏は2012年4月26日付けの「橋下、『節電に住民支持ない場合は原発再稼働容認』」という記事でもこの件について次のように論評しています。

小沢一郎の無罪判決で騒然となっている日を狙い撃ちしたかのような橋下の発言が飛び出した。

節電に住民支持ない場合は再稼働容認…橋下市長 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

節電に住民支持ない場合は再稼働容認…橋下市長

関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の再稼働に反対している大阪市の橋下市 長は26日、市役所で報道陣に、「原発を再稼働させなくても(今夏の電力需要を)乗り切れるかどうか は関西府県民の努力次第。相当厳しいライフスタイルの変更をお願いすることになる。その負担が受け入れられないなら、再稼働は仕方がない」と述べ、節電策に住民の支持が得られない場合、再稼働を容認する意向を示した。

関西電力は今夏の電力需給について、ピーク時の7月に供給力が需要に比べて19・3%不足するとしたデータを発表している。

橋下市長は関電のデータの検証を求めているが、「検証を待っていたら対策が遅れる。今(関電が)出している数字を基に、今夏の節電策を考えざるを得ない」と述べ、再稼働しない場合を想定した今夏の節電策をまとめるよう関西広域連合に要請する考えだ。
(2012年4月26日12時35分 読売新聞

「とうとう尻尾を出したか」と思う。小沢無罪判決の日にこんなことを言ったのは、「再稼働反対は暴論」だと主張する「小沢先生」への橋下のプレゼントなのかもしれない。さらには、自民党内ですっかり非主流派が板についてきた安倍晋三や、東京の石原慎太郎らと組む際にも、「脱原発」の看板は邪魔になる。いつか必ず橋下が「脱原発」の看板を投げ捨てる日が来るだろうとは思っていたが、それはすぐ先かもしれない。

橋下は「今(関電が)出している数字を基に、今夏の節電策を考えざるを得ない」と言っているが、これって橋下のブレーンにして、このところ橋下への礼賛の度合いをさらに強めてきたブレーンの飯田哲也が普段主張していることと矛盾するんじゃないか? 「19.3パーセント不足」という関電の主張は、現在強く批判にさらされているところではないか。それを前提にせよと橋下は言う。ひどい話である。

「脱原発で頑張る橋下市長を応援しよう」という一部左派人士のかけ声や、橋下への入れ込みを強めてきた前記飯田哲也らの言葉を空しくさせる、橋下十八番の「掌返し」。だから橋下徹なんかを信じてはいけなかったのだ。
前エントリの続きものとして本エントリを書きます。

下記にご紹介する「未来につなげる・東海ネット市民放射能測定センター」のがれきの広域処理反対論はきわめて説得的ながれき広域処理反対論になっているように思います。こうしたがれき広域処理反対論であれば私は全面的に賛成します。

しかし、ここで同市民放射能測定センターによって提起されている「放射能汚染した災害廃棄物広域処理に関する見解」は、あくまでも「放射能汚染がれきの広域処理の危険性について、および、がれきの適切な処理方法について」の見解です。その見解は、先に私がご紹介した 小倉利丸さんの『瓦礫論』にいうがれき処理に関する「三つの条件」のうちの一つの「政府の瓦礫広域処理の踏絵を拒否する」という課題をクリアしているというレベルのものです。小倉さんはさらにクリアするべき二つの課題を提起していました。すなわち、「放射性瓦礫を被災地に押しつけるべきでもないこと」、「責任のある者に責任をとらせること」の二つの課題です。そうした重要な課題も残されていることを前提にして、この未来につなげる・東海ネット市民放射能測定センターのがれき広域処理反対論は読まれるべきだろう、というのが私の意見です。

さて、以下、未来につなげる・東海ネット市民放射能測定センターの「放射能汚染した災害廃棄物広域処理に関する見解」(2012年4月23日付)のご紹介です。 

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3.11東日本大震災により大量の災害廃棄物(以下がれき)が発生した。政府は、福島県のがれきについては原発事故の影響により高濃度の放射能を含んでいるために県内処理としたが、岩手、宮城のがれきについて「広域処理」するとの方針(東日本大震災に係る災害廃棄物の処理指針/環境省・2011年5月16日、災害廃棄物の広域処理の推進に係るガイドライン/環境省・2011年8月11日、等)を示し、今年に入ってごり押し的に地方自治体への押し付けを行っている。

しかし、それらのがれきに含有されている放射能についての政府の説明は極めて不透明かつ不確実であり、また、法的に見てダブルスタンダード状態といわざるをえない。また、がれきの広域処理を検討する環境省・災害廃棄物安全評価検討会は一貫して非公開で進められ、議事録さえもが公開されていない。

秘密のベールの陰で官僚と御用学者たちが何をたくらんでいるのかと、政府に対する市民の不信感はますますつのらざるを得ない。3・11以後のまずい対応が今でもつづけられていると考えざるを得ない。

以下に順を追って、放射能汚染がれきの広域処理の危険性について、および、がれきの適切な処理方法についての私たちの見解を具体的に述べる。

1.がれき処理には予防原則を

そもそも環境中における放射能の挙動や放射線の健康影響については本質的に不確実性が伴い、科学的に見て容易に答えが見つからない難問が山積している。国際的にみても、国際放射線防護委員会ICRPとローロッパ放射線リスク委員会ECRRの勧告には大きな開きがあり、どれが真実であるかを決めることができない不確実状態である。まして、日本の環境行政はこれまで放射能、放射線を旧科学技術庁管轄の問題として避けてきたがゆえに、この問題についての環境省官僚の未経験と無知があり、法的な整備も遅れている。

こうした状況で私たちすべての市民の安全安心を確保するためには、予防原則に則ったスタンスをとって、拙速を避けた対応をしなければならない。予防原則とはすでに生物多様性条約など多くの国際条約の根幹の柱として確定している、「重大な被害が想定される場合にあっては、科学的解明が不十分だということを予防的措置を取らないことの理由にしてはならない」という原則である。

すなわちこの原則を適用すれば、今回の拙速な広域がれき処理によって放射能汚染していない広範な地域に新たな放射能汚染をまねく可能性の指摘が科学的に論証不十分であったとしても、その可能性を完全に払しょくできない限りは、汚染地域から放射能汚染がれきを搬出したり焼却処分したりするべきではないことになる。また、本質的に不確実性を伴う放射性物質については移動拡散するべきではないというのが国際的な合意であり、原則でもある。これも予防原則から発した考え方である。

2. そもそもがれきは現地処理が可能である

がれきの総量は、環境省の推計によれば2,253万t(福島208万t、岩手476万t、宮城1,569万t)となっている。このうち岩手、宮城のがれき2.045万tの20%にあたる約400万tを広域処理とし、2014年末までに処理を終えることを目標に、全国の自治体に協力を要請してきた。

しかし、同じ環境省の資料によれば、可燃性のがれきは岩手で90万t、宮城で840万tとされているので、合計で930万tになる。このうち岩手の2009年度の可燃ごみ発生量は46万tであり、今回のがれき90万tは、わずかに2年分にすぎない。同様に宮城の2009年度可燃ごみ発生量の84万tと比べると、今回のがれき840万tは10年分に相当する。しかし、宮城の市町村別内訳をみると、石巻市の可燃性がれきが470万t、東松島市が130万tとダントツに多く、この2市を除けば240万tとなりわずかに3年分にすぎないことがわかる。

一方、阪神淡路大震災での兵庫県の試算によれば、発生した2000万tのがれきのうち、1200万tが可燃性がれきだったとされている。臨海部の空き地に臨時の焼却炉を並べて、わずかに1年半で80%の焼却処理を行ったといわれている。しかし、これについては別なデータがある。神戸市が推定しなおしたがれき発生量は、木質系465万t、コンクリート系328万tであり、15基の仮設連続炉及び既設炉によって、最終実績木質系460万tを処理したというものである(島岡・山本編「廃棄物資源循環学会シリーズ3 災害廃棄物」(中央法規))。

この二つの情報のくい違いは、廃棄物総量の推計のむずかしさを物語るもので、今回の震災がれき総量の推計もそれほど確かなものではないことを示唆している。

さらに、このくい違いのいずれが正しいにしろ、神戸並みの準備をすれば石巻と東松島の600万tをどこかの空き地に集めて処理することは可能であろう。地図を見れば石巻と東松島は隣同士であり、東松島には広大な空き地がある。航空自衛隊松島基地である。ここを仮置き場とすれば、神戸並みのがれき処理はいとも簡単であるはずである。

3. がれきの輸送は税金の無駄使いでありエネルギーの浪費と温暖化ガスの放出ももたらし、なおかつ錬金術のにおいがする

がれきの処理費用は、宮城岩手の現地で行えば1トン約2万円ほど、広域処理のために輸送すると5~6万円と試算されているようであるが、まさに税金の無駄使いに他ならない。同時にガソリン・軽油(トラック又は船)や電気(貨車輸送)の無駄使いであり、CO2などの温暖化ガス放出も伴う。

岩手県岩泉町長談話にみるように、地元で雇用を生みながらゆっくりと片づけたいという自治体もある。

こうした客観条件を無視して強行されようとしている広域処理とは、何のために、だれのために行われようとしているのだろうか。

東京都が引き受けたがれきを焼却している臨界サポートセンターという処理業者は、東京電力95%出資の子会社だとの情報もあり、またしても原子力ムラの錬金術が絡んでいるのではないかとの疑いも持たざるを得ない。

4. 放射性物質処分方法に関する政府の基準はダブルスタンダードである

原子炉等規制法の改正によって100Bq/kg以下の放射性物質は普通のごみとして処理されることとなってしまっている。このことの是非はともかくとして、このクリアランスルールからすれば100Bq/kgを超える物質は放射性物質として厳重に管理されなければならないはずである。

しかるに、2011年6月3日付原子力安全委員会「当面の考え方」によって、8000Bq/kg以下の物質(焼却灰や下水汚泥など)は管理型処分場に埋め立て処分してよいとされている。また、240Bq/kg(流動床型の場合は480Bq/kg)以下のがれきは、焼却処分してもよいとしている。 さらには、8000Bq/kg以上10万Bq/kg以下の物質さえも、何らかの遮水対策をとれば、管理型処分場への埋め立てを認めている。

まさに重大なダブルスタンダード状態であり、そのギャップは2~3ケタもの乖離があり、どさくさに紛れた苦し紛れの方策に終始している政府の実情を反映している。さらに、放射能汚染に対して国民の生命を守るべき政府の背信行為であり、未曽有の放射能汚染に対する無為無策を象徴する事態と言わなければならない。

5. 管理型処分場は放射性セシウムを閉じ込めることができない

国立環境研究所の報告によれば、がれきを焼却した時に発生する飛灰中でセシウムは塩化物として存在し、極めて容易に水に溶けることがわかっている。しかも管理型最終処分場の水処理装置である活性汚泥法や凝集沈殿法、さらには活性炭吸着法やキレート樹脂吸着法ではセシウムを除去できないことが確認されている。

このような事実を前にして、8000Bq/kg以下の焼却灰を管理型処分場に埋めることは無謀の極みと言わざるを得ない。すでに汚染した焼却灰を埋め立てた伊勢崎市や草津町の管理型最終処分場では、浸出水を処理した排水から最大200Bq/kgを超える放射性セシウムが検出されている。

6. 放射能汚染がれきの焼却処分の安全性が確認されていない

(ア) 調査方法さえ不確実である
がれきをいち早く受け入れた島田市の焼却試験は噴飯ものであった。受け入れた東北のがれきに6倍量の一般廃棄物を混合して、その放射性セシウム含有量はCs-137が5Bq/kg(検出限界4Bq/kg)、Cs-134がNDであった。そもそもそんなものを燃やして実験になると考えたのだろうか。最低でも100Bq/kg程度でやらなければ、実験にはならない。まして、様々な形状や大きさの物質が入り混じったがれきから、その平均値となる放射性セシウムを測定するためには、測定サンプルの調製そのものに大きな困難が伴う。なにしろ測定するのはわずかに1kgのサンプルにすぎない。それが全体の平均となるようなサンプルを得ることはほとんど不可能に近いであろう。まして、その測定値が検出限界ギリギリの5Bq/kg(検出限界4Bq/kg)というのは、ほとんどあてにならない数値である。こういう実験をして、恥ずかしげもなく公開してはばからない人々は、科学者でも技術者でもない。

さらに、「野積みされたがれきの山を重機で撹拌などをして均一にし、10ポイント以上を種類別にサンプリングする」ことを指示している環境省の「東日本大震災により生じた災害廃棄物の広域処理の推進に係るガイドライン」も現実離れしている。島田市の実験に限らず、環境省資料に示されている岩手県宮古市や陸前高田のがれき中放射能濃度調査結果や、成分別の放射能濃度測定結果も科学実験としてはお粗末であり、同時にがれき中放射能濃度測定の難しさを示すものとなっている。

(イ) バグフィルターの放射能除去能力の信頼性はまだ不十分である
バグフィルターは本来セシウムのような放射性物質の除去を想定していない。週刊金曜日が行った主要なバグフィルターメーカー13社へのアンケート調査では、放射性セシウムが除去できると回答したところは皆無であった。想定もしていなければ、実験もしていないのであれば、当然の回答ではある。

バグフィルターの原理や、セシウムの挙動、バグフィルターの前で200度まで排ガスが冷却されることなどを勘案すれば、かなりの除去率が期待されるが、それは排ガスの安全性を保障するものではない。環境省はがれきを焼却しても99.9%の放射性物質はバグフィルターで回収できるとしているが、その根拠となったのは福島市荒川クリーンセンターでの実験だけである。

同じレポートで須賀川市での実験結果も報告されているが、ここはバグフィルターでなく電気集塵機EPであるために、排ガス中に放射能が漏れていることが示されている。

新品のバグフィルターは、排煙の中の浮遊粒子で目詰まりするまでは大きな粒子でも通過することはよく知られている。目詰まりしていくにつれて微小粒子の捕捉能力も上がっていくが、やがて目詰まり過ぎて排ガスの透過速度が落ちると、袋をたたいて飛灰を落として、目詰まりを除く操作をする。目詰まり過ぎてフィルターが圧力で破れることを防止するための非常用のベントが設置されているケースも考えられる。

バグフィルターによる放射性セシウムの除去性能を実証するためには、こうした運転上の諸条件を明示しつつ、フェアな条件で実験が行われなければならない。また、製造メーカーや、それを設置しているごみ焼却工場の違いについても検討しておく必要がある。
以上のことを実証して公開することもなく、がれき焼却を地方自治体に押しつけるやり方は到底認めがたい。

ウ)排煙の放射性セシウム濃度目安が高すぎる
驚くべきことに、排煙の放射性セシウム濃度目安は、Cs-134が20Bq/m3、Cs-137が30Bq/m3である。その根拠は、「実用発電用原子炉の設置、運転などに関する規則(昭和53年通産省令77号)の規定に基づく線量限度などを定める告示」というカビの生えたような古い告示が持ち出されている。こんなに高い基準(環境省資料「災害廃棄物広域処理」では目安)なら、いい加減な集塵装置でもクリアできるであろう。そもそも目標としている排ガス処理目標値が高すぎるのである。

7. 災害がれきに含まれるのは放射能だけではない

災害がれきには様々な有毒成分が含まれている。木材の腐食防止に使われてきたCCA液にはクロムや銅やヒ素が高濃度で含有されている。農薬や肥料などが散乱している。アスベストも確実に混入している。PCBなどの有毒物質も混入している可能性が高い。塩水起源の塩素は、焼却した時にダイオキシンの原料となる。気仙沼などでは石油タンクが炎上したことによって生成した有害化合物が含まれている可能性が高い。
このことについてアメリカの国立環境健康科学研究所(NIEHS)がPRTRのデ-タベースを引用して論文を発表していることも付記しておきたい。

8. 引き受けるべきはがれきではなくて子供である

被災地を支援し、復興の後押しをしようという志は大切である。しかし、それは放射能で汚染されているがれきを引き受けることではない。以下に、当東海ネットが本年2月に発表した放射能汚染地域の子供たちの長期保養計画について再提案を行う。
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小倉利丸さん(ピープルズ・プラン研究所共同代表、前AML管理人、富山大学教授)が『瓦礫論』という論攷をご自身のブログにアップされています。

パンフレット『瓦礫論』(No more capitalism 2012年4月23日)
http://www.alt-movements.org/nomorecap_files/garekiron_e.pdf

小倉利丸さんの上記論攷に見る震災がれき問題に対するスタンスに私は賛成します。

私は先に猪飼周平さん(一橋大学教員)の「原発震災に対する支援とは何か―福島第一原発事故から10ヶ月後の現状の整理」という論攷をご紹介したことがありますが、小倉さんの問題提起はその猪飼さんの問題提起とともに震災がれき拡散問題を考える上でのきわめて公平な理念の提起になりえていると私は思います。こうした認識が広く人々の、とりわけ脱原発運動や市民運動にかかわる人々に共有され、共通認識となる日が一日も早く来ることを私は願っています。

■パンフレット『瓦礫論』(No more capitalism 2012年4月23日)
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このブログに書いてきた瓦礫についてのエッセイに加筆してパンフレットにしました。かなり加筆した箇所もありますので、ぜひお読みください。まえがきを以下に転載します。

目次
まえがき
第一章 原発輸出と汚染瓦礫の処理---東京をゴミ捨て場に!
第二章 運動の想像力について---「東京をゴミ捨て場に」再論
第三章 10万年を見すえた運動の民主主義---瓦礫問題再論
第四章 「拡散するな」から「被曝させるな」へ
あとがき

まえがき
このパンフレットは、私が昨年から今年にかけてブログに書いた瓦礫問題についてのエッセイに若干の加筆をしてまとめたものだ。

福島原発事故がもたらした広範囲にわたる放射能汚染は、東日本大震災の津波被害にあった地域をも襲い、瓦礫もまた多かれ少なかれ汚染された。政府は被災地の復興の妨げになっている瓦礫の処理を震災の地元だけではなく、日本全国の自治体による分散処理という方針を打ち出した。以降、脱/反原発運動のなかで瓦礫の受け入れに反対する運動が急速に拡がってきた。

「汚染瓦礫拡散反対」「瓦礫受け入れ反対」の拡がりのなかで、私はある種の違和感を感じてきた。その違和感を言葉にしたのがこのエッセイである。しかしだからといって、政府が被災地の復興のためには瓦礫の広域処分が必要であるという主張に、私はまったく納得していない。瓦礫受け入れ反対運動の多くが批判しているように、政府の広域処理は説得力に乏しい。政府の言い分は、被災地の復興を支援するというのであれば瓦礫を受け入れるべきである、というある種の脅しである。瓦礫受け入れの是非を被災地を見捨てるのかどうかという踏絵にしようという意図を私は感じる。原発を推進し、日本の経済的繁栄のために地方を犠牲にしてきた近代以降のこの国の歴代の政権が口にする「復興」を私は信用することができない。問題は「復興」の内実である。「復興」の主導権を政府や資本が握っているかぎり、いかなる意味でも東北の「復興」は、中央の政府や資本の利益に利用される従属的「開発」にしかならないと思う。

他方で、瓦礫拡散反対の主張への私の違和感は、瓦礫が放射性物質によって汚染されているとすれば、それが被災地にあることによって被災地もまた危険にさらされているはずであり、拡散に反対することが、被災地に瓦礫の危険を押しつけることになりはしないか、という疑問である。被災地の人々が瓦礫の危険を引き受ける義務があるのだろうか。私は、そのような義務はないと考えているし、反対を主張する人々も同様だろう。しかし、「瓦礫引受けを拒否するのであれば、誰に引受ける責任があるのか?」という問いと、責任のある者に責任をとらせる運動を視野にいれない限り、受け入れ反対は被災地への押しつけという間違ったメッセージを発信してしまうのではないか。だから、被災地に放射性瓦礫を事実上押しつけるような反対運動をすべきではない、というのが私の主張である。

政府の瓦礫広域処理の踏絵を拒否すること、しかし、放射性瓦礫を被災地に押しつけるべきでもないこと、責任のある者に責任をとらせること、この三つの条件を満すスタンスはありうるのだろうか。これが、瓦礫について、この間私が考えてきたことである。
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