毎日新聞の『風知草』(山田孝男編集委員、2011年5月23日付)で「僕のお父さんは東電の社員です」という書き出しで始まる小学6年の男子児童の手紙のことを知りました。

電力消費増大神話(毎日新聞『風知草』 山田孝男 2011年5月23日)
参照:みずき~「草の根通信」の志を継いで~(資料庫)
東日本大震災:福島第1原発事故 小6、毎小に手紙 「自分と違う意見聞きたい」(毎日新聞 2011年5月19日)
参照:みずき~「草の根通信」の志を継いで~(資料庫)

いつのまにか父親の悲哀なるものが「枯野をかけ廻る」こがらしの身よろしくいっそう身にしむ年齢になってしまった私としては幼(いとけな)い児童から「僕のお父さんは・・・」などと言われてしまうと、それだけで断然その少年の味方になってしまいたくなりますが、そこはグッと抑えて、ここではその少年のしっかりしているとはいえやはり子どもらしさのにじむ理路の質とその幼い理路の陥穽をうまく指摘しえていない『風知草』の筆者の少年の文章の引用のしかた及びその視点について少しばかり私の感心しえないところを述べておきたいと思います。

「僕のお父さんは東電の社員です」という書き出しで始まる小学6年の男子児童の文章は『風知草』の筆者も言うとおり「子ども離れした目配り」も利いていて、その「手紙の書きっぷり」は見事です。

僕のお父さんは東電(東京電力)の社員です」で始まるその投書は先月、毎日小学生新聞編集部に舞い込んだ。/「原発を造ったのはもちろん東電ですが、きっかけをつくったのは日本人、いや、世界中の人々です。その中には、僕もあなたも入っています」/「発電所を増やさなければならないのは、日本人が夜遅くまでスーパーを開けたり、ゲームをしたり、無駄に電気を使ったからです」と続く。/子ども離れした目配りで、エネルギー浪費型文明の構造の根幹に斬り込んで鋭い。
                      (『風知草』 2011年5月23日付)

そうではあるのですが、その少年の文章について、『風知草』の筆者の「エネルギー浪費型文明の構造の根幹に斬り込んで鋭い」という評価だけでは子どもを遇するという意味でのある意味不当な評価にとどまり、その少年の真の理知に見合ったほんとうの意味での評価になりえていないように私は思います。この「子ども離れした目配り」のできる少年であるならば次のような理路も(それは批判を含むものですが)当然よく理解しえるはずではないか。『風知草』の筆者は幼い論客に次のように問いかけるべきではなかったか、と私として思うところがあるからです。

「○○君。たしかに○○君の言うとおり『発電所を増やさなければならないのは、日本人が夜遅くまでスーパーを開けたり、ゲームをしたり、無駄に電気を使ったから』だということは言えるよね。おじさんもそう思う。けれど、次のような側面もありはしないだろうか? ○○君ならわかってくれるのではないか、とおじさんは思うから、少し理屈ぽくなるかもしれないけれども書いてみようと思う。○○君にも是非このことについて考えて欲しい」。

以下、その内容。

1.東電の“情報操作”「電力不足キャンペーン」について5月12日付けの東京新聞「こちら特報部」の次のような記事があること(○○君のお父さんの勤めている東電の悪口になって申シ訳ナイケレド)。

記事要約:

東電また“情報操作”「電力不足キャンペーン」にモノ申す

中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の停止決定を機に、またぞろ「電力不足キャンペーン」が始まった。中電による電力融通の打ち切りが理由のようだが、「こちら特報部」の調べでは、被災した東京電力広野火力発電所(福島県広野町)が七月中旬にも全面復旧する。そうなれば真夏のピーク時も電力は不足しない。国民を欺くような“情報操作”の裏には、なおも原発に固執する政府や電力会社の姿勢が垣間見える。 

結論。夏の電力は大丈夫。余力あり。停電ありえず。

・中味の一部を紹介しよう
 
イ.中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の停止決定を機に、またぞろ「電力不足キャンペーン」が始まった。中電による電力融通の打ち切りが理由のようだが、「こちら特報部」の調べでは、被災した東京電力広野火力発電所(福島県広野町)が七月中旬にも全面復旧する。そうなれば真夏のピーク時も電力は不足しない。国民を欺くような“情報操作”の裏には、なおも原発に固執する政府や電力会社の姿勢が垣間見える。

ロ.今月六日、衆院科学技術特別委員長の川内博史衆院議員ら民主党国会議員七人が広野火力発電所(五基、計三百八十万kw)を視察した。首都圏の電力供給力向上のカギを握る発電所だが、東電は復旧の見通しを示していない。しかし、川内氏らが今夏までに再稼働が可能かどうかを尋ねると、発電所の担当者は「津波で破損したが、全体的には被害は少ない。七月中旬にも全面復旧できる」と明言したという。

ハ.さらに広野火力が復旧すれば、夜間に余った電力でダム湖に水をくみ上げて発電する揚水発電も上積みできる。電力供給力見通しでは、四百万kwしか計上していないが、東電管内の揚水発電能力は最大千五十万kw。今夏の最大需要と予測する五千五百万kwは十分に賄える計算になる。川内氏は「今夏の東電の電力供給力は全く問題がないどころか、需要を上回る。余剰電力は東北電力などに融通すればいい。

二.西日本からの電力融通分百万kwの内訳についても、東電、中電ともに口をつぐむ。(中略)電力供給力への不安を解消するどころか“得意の情報隠し”で危機をあおっている格好だ。

ホ.東電や政府は震災後、一貫して電力の供給力情報を出し渋ってきた。それを裏付けるような文書「東京電力の設備出力及び地震による復旧・定期検査等からの立ちあがりの動向」がある。資源エネルギー庁が官邸や与党への説明用に作成した内部資料で、東電管内の原発、火力発電、水力発電の出力や、震災前と直後の状況、七月末までに復旧する予定の発電所が一目で分かる。この文書でも、東電の当初の供給力見通しのうち、最大千五十万kwの揚水発電の存在が抜け落ちていたことがあきらかになった。

・結論
わかっているだけでも3つ=東電広野火力(5基380万kw)と揚水発電(東電管内1,050万kw)と中電からの供給分(100万kw)の三つが、意識的に外されている。民主党川内博史議員が言うとおり、今夏の東電の供給力は、全く問題ないどころか需要を上回る。余剰分は、東北電力へまわせる位だ。

2.京都の諸留能興さん(パレスチナに平和を京都の会)に「『電気の30%が原発だから原発無しの生活は出来ない』のカラクリ!!」というとてもわかりやすくて「原発無しでも生活ができる」ことについてとても納得のいく論考があること(発電所を増やさなくとも電力は十分に足りているということ)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-April/008915.html

3.上記のことはエネルギーに関する調査や統計作製を専門に行い、各種の報告書や書籍を発行している国際エネルギー機関(IEA)という国際組織も認めている国際的にも明らかな事実であるということ。

日本、原子力発電不足分補う石油火力発電の余剰ある=IEA(ロイター 2011年3月15日)
参照:みずき~「草の根通信」の志を継いで~(資料庫)

『風知草』の筆者は「僕のお父さんは東電の社員です」という書き出しで始まる少年の文章を引用するのであれば、その少年の視点に即して少年に対して多少批判的になったとしても上記のような大人の視点も提起しておくべきではなかったでしょうか。この少年ならばきっと理解してくれたでしょう。「エネルギー浪費型文明の構造の根幹に斬り込んで鋭い」という評価だけではやはり不十分、マスメディアの責任を果たしえていない、というそしりは免れえないように思います。『風知草』の筆者に考えていただきたいことです。

付記:

作家の丸谷才一に「子供に詩を作らせるな」「子供の文章はのせるな」などを主題にした『日本語のために』(新潮文庫)、『桜もさよならも日本語』(新潮文庫)という含意の深い著書があります。学校の教師を含む大人たち、また革新人士のみなさんにもぜひ読んで考えていただきたいことです(いたずらに子どもの作文や集会などでの意見発表、朗読を評価しすぎということはありませんか?)。

「完本 日本語のために」(丸谷才一著 新潮文庫 立ち読み版)

たとえば『日本語のために』には丸谷の次のような文章があります。名文、名言だと私は思っています。

一体、作文教育の原理といふのは至つて簡単である。一流の名文をたくさん当てがへばそれでいい。優れた文章に数多く接すれば、おのづから文章の骨法が呑みこめるのだ。ところが今の日本の国語教育では、名文を読ませるのは二の次、三の次にして、子供の書いた大したことのない文章、およびそれに誰かが手を入れていつそう悪くした文章を読ませる。これでは文体の感覚が鈍磨するのは火を見るよりも明らかだらう。子供の文章などというものは、すこしくらゐ出来がよくたつて、何も教科書に入れて規範とする必要はない。そんなものはガリ版刷りの学級文集に収めればいいのである。
第5回目の記事の発信から少しばかり間隔があきましたが、この連載も今回で6回目になります。この連載の意図は第1回目の「総論のようなものとして」で述べているとおりですが、私がこの連載の被批判者としてあげた7人の便乗反原発論者の人選の基準について、「放射線医療研究所などといった元理事長、代表、放射線影響研究大学院などなどなどのすさまじいほどのペテン師たちが、人選から外れている」などという本連載の意図を誤解している見当違いの批判もあったりしますので、若干の補足をつけ加えておきたいと思います。

本連載はいわゆる世間でいう御用学者、著名人などの原発推進論者、便乗反原発論者の総体的、網羅的批判をめざしたものではありません(そういう芸当はもちろん私の力量ではできもしませんし、他に適当な批判者がいる以上ここは私など素人のでしゃばる幕ではないだろうとも思っています)。この人たちは便乗反原発論者として相当、相応に批判されてしかるべきではないか、と私として思われる人たちでありながら、管見の限りにおいて、いわゆる市民サイドの反原発活動家、また、反原発論者からは批判の対象となっていない、あるいは見落とされている人たちにズームを絞りこんだ上での批判です。すなわち、なにゆえにこの人たちは批判されなければならないのか、という私なりの問題視点の提起、その結果としての7人の便乗反原発論者の人選にすぎないということです。ですから、たとえば長崎大学教授の山下俊一氏など市民サイドの反原発活動家、また、反原発論者からある程度批判が集中している原発推進論者、いわゆる御用学者、著名人についてははじめから弊批判の対象外としています。だからまた、被批判者として登場させた、また登場させる予定の7人はこれもまた管見に触れた範囲内での被批判者ということでしかなく、この被批判者をして被批判者総体を代表させるつもりがあってのことでも当然ありません。お断りしておきたいと思います。

さて、私はこの連載のはじめに「総論のようなもの」の一例として、つい最近まで岩波書店の月刊誌『世界』の優秀な編集部員であり、現在(いま)はひとりの岩波書店労働者として同書店の理不尽極まる不当解雇通告と闘っている気骨の言論人、金光翔(キム・ガンサン)さんの次のような指摘を紹介しておきました。

ウェブ上での原発危機関連の発言で、一つ不思議なのは、小沢派と目されるジャーナリスト(上杉隆ら)や無名のブロガーたちが、危機意識を煽りまくっている(略)、というのが率直な印象なのである。様々な情報・見解を提供してくれている原子力資料情報室(CNIC)のような、それ自体としては有益であろう機関も、青木理や岩上安身のような小沢派ジャーナリストが積極的に関与しているのを見ると、いささか距離を置いて考える必要性を感じざるを得ない。
(「
佐藤優の原発問題関連の発言について(4)」2011年4月2日付)

そのとき私は金光翔さんの発言を「市民の〈反原発〉現象」のプラス99、マイナス1の負の一端を剔抉する「聞くべき省察」、として紹介したわけですが、上記で紹介した金さんの懸念は次のような目立たない形(とはいっても、問題意識のある者にとっては当然目立ってしまうわけですが)で顕在化しています。

福島第一原発事故以後、反原発研究者の小出裕章氏(京大原子炉研)の優良な言説を逐次紹介してフクシマ以後の世論形成に少なくない貢献をしている市民サイドの情報に「たね蒔きジャーナル」情報がありますが、その5月16日付けの「たね蒔きジャーナル」情報にはさりげなく次のような記載があります。

たね蒔きジャーナル、民主党で菅批判の川内博史議員の電話出演がありました。(略)『原発事故対応、菅総理に物申す』であり、川内さん、リスナーから菅政権に言いたいことが殺到し、視覚障害者の人が友人経由で『辞めてほしい』といい、川内さんも『辞めて欲しい、原発、震災の国難への対応はダメ、真のリーダーが必要」と言うことです。(略)菅総理ではダメなら、他の人では、であり、誰が適任かは、『小沢一郎』と思う、国民的には何だそれと言うことだが、『誰がやるか』ではなく、『何をやるか』であり、原発はいざとなったら大変であり、エネルギー政策を転換する、浜岡は停止ではなく廃炉と言う政治家が必要(略)、(毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」キャスターの)水野さん、小沢氏にたね蒔きジャーナルに出て欲しいのです。

原発事故の対応について「菅総理に物申す」というのはよくわかりますが、それがなぜ唐突に「小沢一郎」待望論になるのでしょう? 同情報によれば小沢一郎は「真のリーダー」であり、「原発はいざとなったら大変であり、エネルギー政策を転換する、浜岡は停止ではなく廃炉と言う政治家」ということのようですが、どれほどの根拠があってのそうした〈断定〉なのでしょう?

小沢一郎は〈脱原発論者〉などでは毛頭なく、逆に「民主党はもともと原発政策に関しては旧社会党系の意見を一定程度容れた『慎重派』(消極的容認派)だった。それを自民党とまるっきり同じの『積極的推進派』に変えてしまったのが小沢一郎なのである」という次のような指摘があります。

小沢一郎が原発に慎重だった民主党の政策を「原発推進」に転換した(kojitakenの日記 2011年3月23日)

上記の指摘は2006年当時の新聞報道などを援用していて、客観的な証拠にもとづくものです。

さらに次の五十嵐仁さんのブログ記事も上記の指摘の信憑性を補強するものといえるでしょう。

民主党と同じ頃、連合も原発推進へと方針を転換していた(五十嵐仁の転成仁語 2011年5月19日)
連合は脱原発へと明確にエネルギー政策を転換するべきだ(五十嵐仁の転成仁語 2011年5月20日) 
原発の新増設推進に合意した自治労の責任は大きい(五十嵐仁の転成仁語 2011年5月21日) 

小沢氏は〈脱原発論者〉などではありえないことは上記の記事に明白です。しかし、このように明々白々な事実の指摘についても小沢擁護論者、たとえばそのひとりの天木直人氏は居直り強盗的ともいえる次のような牽強付会な論理を展開して恥ともしません。

小沢一郎はいまこそ反原発を宣言すべきである(天木直人のブログ 2011年3月27日)

小沢一郎が原発推進者だったという話が小沢批判者側から流されている。/もしそうであるとしても、小沢一郎はその事に対して言い訳をする必要はない。/加藤陽子を見習えばいいのだ。/3月26日の毎日新聞「時代の風」で加藤陽子東大教授(歴史学)が「原発を許容していた私」という見出しの寄稿で要旨次のように語っていた。/すなわちあの戦争を「許容していた」という反省から、「俘虜記」、「レイテ戦記」などの作品で反戦を訴え続けた作家大岡昇平の例を引用しながら、私は原発を許していた。温暖化の切り札として、インフラの海外輸出の柱として、そしてオール電化の安全性として、原発是認の声は説得力があると思っていた。/その私が、今度の事故で目覚めた。敗戦の総括が自力でできなかった日本ならば、せめて原発事故の誤りを繰り返してはならない、と。/強烈な反省と覚醒である。

大岡昇平の例を出さずとも、これまでのおのれの思想や愚行を反省して悔い改めるのはもちろん悪いことではありません。私は加藤陽子氏のその反省の質の本物性についてここで論じるつもりはありません。が、一般的にいって真の反省のないところに(キリスト教的な「懺悔」を比ゆとして用いますが)「新生」も「復活」もありえません。小沢一郎氏の場合、おのれの思想を真に脱原発の思想に改悛したというのであれば、民主党の政策を「原発推進」に転換した2006年当時のおのれの理念と思想を「強烈に反省」し、悔い改める必要がその「反省」の前提条件としてあるでしょう。しかし、その真の意味での反省は小沢氏からも民主党サイドからも一切聞こえてきません。「小沢一郎はその事に対して言い訳をする必要」があるのです。

週刊誌「AERA」(2011年4月25日号)の報じるところによれば、「民主党は東京電力の『電力総連』という労組から合計8740万円もの献金を受けて」います。その内訳は、「小林正夫議員4000万円、藤原正司議員3300万円、中山義活議員700万円、吉田治議員700万円、川端達夫議員30万円、近藤洋介議員10万円」。左記の5人の民主党議員のうちの2人は小沢派(藤原、吉田)、3人は鳩山派(小林、中山、川端)です。小沢派の身内に2人もの原発推進議員を抱えたままで仮に脱原発宣言をしたとして、人々(市民)の誰が信用するでしょうか。人々(市民)の誰にも決して信用されはしないでしょう。「小沢一郎はその事に対して(とりわけ)言い訳をする必要」があるのです。

さて、これまで冒頭で述べた7人の便乗反原発論者(及びそれに準じる者)のうち武田邦彦氏(注)、五百旗頭真氏、勝間和代氏、小佐古敏荘氏の4人について批判してきましたが、あと佐藤優氏、住田健二氏、弘兼憲史氏の3氏の批判が残されています。佐藤優批判については冒頭でもご紹介しました金光翔さんに詳しい論があります。私の佐藤批判は金光翔さんの論を超えるものではありませんので、金さんの該当論攷を紹介することで、かつ金さんに対して僭越至極であることは承知の上で私の佐藤批判に代えさせていただきたいと思います。

佐藤優の原発問題関連の発言について(1)(金光翔 2011年3月30日)
佐藤優の原発問題関連の発言について(2)(金光翔 2011年3月31日)
佐藤優の原発問題関連の発言について(3)(金光翔 2011年4月2日)
佐藤優の原発問題関連の発言について(4)(金光翔 2011年4月2日)
佐藤優の原発問題関連の発言について(5)(金光翔 2011年4月3日)

住田健二氏(大阪大学名誉教授)については、先頃、これまで原発を推進してきた元原子力安全委員らが福島原発事故についての反省的「緊急建言」を発表しましたが、住田氏は、元原子力安全委員会委員長代理、元日本原子力学会会長の肩書きでその「緊急建言」に署名した16人のメンバーのひとりです。私は住田氏の最近の発言、「自分は原子力村の一員でも村の外れ的存在。原子力村のリーダーではない」「原発は地震国で存在できるかについては、存在させないといけない。原子力を安全に使えると考えている」などの発言は根底的な反省が不十分で、今年80歳の長老とはいえ、いやそれだけになおさら十分に批判されておかなければならない性質のものというべきだろう、と思っていますが、それ以上に住田氏を批判する材料を持ち合わせていません。くれぐれも反原発に改悛した元原子力学者というがごとき賞賛のたぐいは厳に慎まれなければならないものだ、という指摘にとどめておきたいと思います。

弘兼憲史氏(漫画家)についても、同氏は文化放送にレギュラー番組を持っており、これまでも同番組を通してタカ派的な発言を繰り返してきた人。また、同氏は、原発メーカー東芝と一心同体で、原発神話の拡大普及にも大きな「功績」のあった人でもある。そういう人が反省もなく、何事もなかったように番組でとりつくった話をしている。きわめて不愉快である、という指摘があることのご紹介にとどめたいと思います(それ以上のことについてはこの件についても私は適切に弘兼批判を展開する材料を持ち合わせていません)。

注:私は武田邦彦氏については第2回目の連載で「『かつての原発推進学者が反原発学者に転向した』というたぐいの一種の〈貴種流離譚〉記事として市民の間に「拡散」されて」いると批判しているのですが、同氏は最近の発言で「私自身によっては(ママ)2006年の地震指針のときに原発推進派から批判派に変わった。今度のときを機にずいぶん苦しみましたけれど批判派からはっきりとした反対派(に変わった)」(岩上安身氏インタビュー 2011年5月12日)と述べています。
http://www.ustream.tv/recorded/14646649(3:39秒頃) 

武田氏のこの自己評価について、私はこれまでの彼のトンデモ発言からしておおいに疑問を持っていますが、ほんとうに原発反対派に変わったのであれば、それはそれで評価すべきものです。彼の同発言が真実のものかどうか、しばらく注視したいと思っています。

次回は「拡散」という言葉を不用意に頻発する最近のある種のメールについての私の違和感について書きます。それでこの連載を了としたいと思っています。

政府が今日の19日に国際結婚が破綻した後の親権争いの解決ルールを定めたハーグ条約に加盟する方針を決定したことはご承知のとおりです。

■ハーグ条約、加盟方針を決定へ=政府(時事通信 2011年5月19日)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011051900045
■ハーグ条約に加盟方針 菅政権 19日に関係閣僚会議(朝日新聞 2011年5月19日)
http://www.asahi.com/politics/update/0518/TKY201105180620.html
■ハーグ条約:法務省が来月にも国内法整備諮問(毎日新聞 2011年5月19日)
http://mainichi.jp/select/today/news/20110519k0000m030155000c.html
■政府、ハーグ条約加盟表明へ 実態と隔たり懸念も」(神戸新聞 2011年5月17日)
http://www.kobe-np.co.jp/news/kurashi/0004073648.shtml

この政府のハーグ条約加盟方針についてあるメーリングリストにある医師から「なんか『あの人』の思いだけで決まっていってしまいそうな気がします。TPPも、浜岡原発も」と慨嘆する投稿がありましたので、次のような応答文を認めました。以下・・・。


私は「『あの人』の思いだけ」というよりも「「『あの党』の思いだけ」とした方がもっと正確な言い方というべきだろう、などと思いますし、また、本来の話題とはずいぶん逸れてしまうレスにもなってしまうかも、などと思ってもいるのですが、そういうことは兎も角ということにさせていただいて「TPP」(環太平洋パートナーシップ協定)の話題が出たついでに、ということで・・・・

佐久総合病院(地域ケア科医長)の色平哲郎さんがTPPについて毎日新聞の「これが言いたい」欄に次のような寄稿をされています。ご参考のために紹介させていただこうと思います。

■これが言いたい:TPPの問題は農業への打撃だけではない(毎日新聞 2011年5月19日)
http://mainichi.jp/select/opinion/iitai/news/20110519ddm004070004000c.html

色平さんは今年に入って新聞や雑誌での発言ばかりでなく、メーリングリスト媒体などにおいてもTPP問題の問題性について精力的に発言をされ、また情報提供をされているのですが、わが国のハーグ条約加盟の問題についても上記の神戸新聞記事(2011年5月17日付)において同条約加盟は「慎重にすべき」という神奈川県弁護士会の声明が紹介されているほか日弁連も今年の2月18日付けでハーグ条約の締結に際しては日本政府として「とるべき措置」を明確にした上で加盟すべしという慎重論としての意見書を発表しています。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/110218.html

このハーグ条約加盟の問題についても色平さんに負けない精力的な発言が望まれますね。とりわけ子どもたちと母親のために。

以下、色平さんのTPP発言です。

■これが言いたい:TPPの問題は農業への打撃だけではない(毎日新聞 2011年5月19日)
http://mainichi.jp/select/opinion/iitai/news/20110519ddm004070004000c.html

◇参加は医療基盤崩壊への道--佐久総合病院・地域ケア科医長、色平哲郎

 東日本大震災の被災者救済を迫られ、原発事故収束の見通しも立たぬ中、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への参加を促す議論が経済界などから出ている。

 日本経団連は4月19日に発表した「わが国の通商戦略に関する提言」で早期参加を訴えた。だが、TPP参加は被災地の基幹産業である農漁業への打撃だけでなく、医療基盤の崩壊を通じても国民の苦境に追い打ちをかける恐れが十分にあると警告したい。

 大震災では、地域医療態勢の疲弊が浮き彫りになった。 

 福島県南相馬市では、多くの入院患者が近隣の市町村に移送された。しかし、収容能力には限界があり、遠く離れた会津地方や新潟県などに移った人も少なくない。患者と家族が離ればなれになったケースもある。病院が機能を弱める中、それを補完する在宅ケアの態勢構築も課題だ。

 国民の命を支える皆保険制度は元々、医療費膨張による財政悪化と医療への市場原理導入という二つの危機に直面していた。

 TPP参加は「最後の一撃」になりうる。米国が日本に医療市場開放を迫っているからだ。米国政府が日本に突きつけた08年の年次改革要望書には「医療制度改革で米国業界の意見を十分に考慮せよ」「米国製薬業界の代表を中央社会保険医療協議会(中医協)薬価専門部会の委員に選任せよ」など露骨な要求が多く盛り込まれている。

 最大の狙いは、医療側が勝手に値段をつける「自由診療」と公定価格(診療報酬)に基づく「保険診療」を組み合わせた「混合診療」の全面解禁だろう。混合診療は日本でも一部の先進医療に限って認められており、現行制度をうまく運用すれば患者の多様なニーズに対応できる。

 しかし、混合診療が全面解禁されれば、効果が不確かな保険適用外の薬や治療法を多用し利幅を広げる動機付けが医療側に生じる。裕福な患者を優遇する医療機関が現れ、製薬会社も利益拡大のため、あえて薬の保険収載(公的保険の対象とすること)を望まなくなる。

 もうけの薄い農山村地域や救急医療などの分野では医師不足に拍車がかかり、満足に医療を受けられない国民が増えるだろう。所得による医療格差が大きな問題になっている米国と同じような状況になりかねない。

     *

 私は、佐久総合病院(長野県佐久市)の院長で農村医学の先駆者として知られた故・若月俊一先生に師事し、同県南相木村の国保診療所長を98年から10年間務めた。人口約1000人の同村には鉄道も国道もないが、都市部にとっても貴重な水源を守っている。田畑は食料を生産するだけでなく、ダムと同じ保水機能で水害や土砂災害を防いでいる。人口は少なくても、農山村は国土の「背骨」の役割を果たしているのだ。

 TPPで利益を得るのは多国籍化した大企業であり、土地に根ざして生きる人々ではない。一般庶民にも恩恵をもたらすと考えるのは、あまりにも楽天的であろう。むしろ、TPP参加は国の背骨を壊す。その影響は都市住民にも間違いなく及ぶ。

 「トモダチ作戦」などで支援してくれた米国の要求は断りにくいという意見もある。しかし、支援への感謝と国の在り方をめぐる選択は別次元だ。最近は米国や中国でも、日本と同じ国民皆保険制度を導入する動きがある。世界最速で高齢化が進む日本こそ、50年間維持してきた同制度を守り育てるべきだ。

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 ■人物略歴

 ◇いろひら・てつろう
 東大中退、世界を放浪後に京大医学部卒。外国人HIV感染者の支援にも携わる。
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追記:
 
上記エントリ記事についてある人から「TPPについて、「あの人」「あの党」の思い、というのはちょっと違うように思います。もしそれが、菅首相や民主党のことであるのなら。TPP加入問題は自民党政権からの動きであり、自民党はこれにむけてちゃくちゃくと用意をしていたはずです。(していました。)菅首相や民主党は、無批判あるいは勉強不足のため、官僚のいいなりにそれを自動継続しているだけのように感じます。(以下、略)」という感想が寄せられました。

下記はその感想への返信です。追伸として。

○○さん

そもそも例外品目を認めない全面的な関税撤廃(すなわち関税自主権の実質放棄)をめざすTPP(環太平洋パートナーシップ協定)構想を推進してきたのはかつての自民党政権であり、また、農林漁業をはじめとするすべてのわが国の産業という産業に決定的なダメージを与えるTPPの前身ともいうべきFTA(自由貿易協定)を推進してきたのもかつての自民党政権であった、という点では○○さんのご指摘のとおりです。

しかし、現実にいまその農林漁業者や中小企業、勤労者いじめのTPP(環太平洋パートナーシップ協定)構想を自民党政権から引き継ぎ、さらに推進しようとしているのはほかならない現政権の民主党政権です。私たちがいま批判しなければならないのは現にこの愚かなTPP構想を推進、実現しようとしている現政権である民主党政権です。そういう意味での民主党政権批判なのです。そして、その批判は民主党政権批判である以上、「あの人」というよりも「あの党」というのがより本質的な批判というべきでしょう。そういう意味での「『『あの人』の思いだけ』というよりも『『あの党』の思いだけ』とした方がもっと正確な言い方というべきだろう」ということなのです。

それにTPP問題をいっそう困難な隘路に引きずりこんでいる原因の少なくともふたつはかつての自民党政権ではなく、民主党政権が進んでつくりだしている困難です。「菅首相や民主党は、無批判あるいは勉強不足のため、官僚のいいなりにそれを自動継続しているだけ」という評価ではすまされないことのように思います。
 
以下の五十嵐仁さんの記事をお読みください。

■日本はTPP交渉に参加すべきではない(五十嵐仁の転成仁語 2011年2月4日)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2011-02-04

五十嵐さんは同記事で経済評論家の中野剛志さんの評言を引いて次のように言っています。

興味深いのは、中野さんが挙げている6つの根拠のうち、後の二つは菅内閣になってからのものだということです。/5番目の根拠として、中野さんは昨年11月のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)での菅首相の「国を開きます」という演説を挙げています。「これは外交戦略上、きわめてまずい」。というのは、「日本の平均関税率は欧米よりも低く、国は十分開かれている」にもかかわらず、「日本は鎖国的だというイメージが国際的に流布されてしまった」からです。/6番目の根拠についても、前原誠司外相の「TPPは日米同盟強化の一環」という発言が批判されています。前述のように、日米同盟と結びつけたためにTPPを拒否できなくなってしまったからです。
 
そして、上記に五十嵐さんのいう中野さんの評言とは次のようなものです。

■経済への視点 TPP交渉への参加 日本有利が不可能なわけは(中野剛志 毎日新聞 2011年2月5日)

 我が国はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)の交渉に早く参加して、自国に有利なルール作りを進めるべきだという意見がある。一般論としては、確かに交渉に参加しなければ、ルール作りにも関与できない。だがTPPに関しては、日本に有利なルール作りは不可能だ。その判断の根拠は六つもある。

 第一に、TPPのルールは白地から策定されるのではなく、シンガポール、チリ、ニュージーランド、ブルネイによる経済連携協定かペースとしてある。この協定は物品貿易の全品目について、即時または段階的な関税撤廃を求めるもので、サービスや人の移動なども対象とする。この急進的な自由貿易協定が基礎となり、今後のルール作りを制約するのだ。それゆえTPPでは、コメなどの除外品目をあらかじめ提示しての交渉参加は認められないという。

 第二に、多数国間交渉でルール作りを先導するには、利害の一致する国々と連携する多数派工作が不可欠だ。しかし、TPP交渉参加国に日本と利害が一致する国がないのだ。日本は内需が大きく、工業製品輸出国で農業競争力は弱い。また高賃金労働の先進国であるが、デフレなので低賃金労働を受け入れるメリットがない。ところが、米国以外のTPP交渉参加国はすべて日本より外需依存度が高い小国ばかりだ。しかも米国ですら輸出倍増戦略をとっているので、全交渉参加図が輸出志向なのだ。また、特異な通商国家であるシンガポール以外、すべて農産品輸出国だ。さらに移民国家のシンガポール、米国、豪州以外は、低賃金労働輸出国ばかりだ。この中で、日本はどの国と組んで自国に有利なルール作りを進めるというのか。
 日本と同様に工業品輸出国の韓国がTPP交渉に参加しようとしないのは、この二つの理由のためだろう。だから韓国は、白地からルールを策定でき、かつ2国間で交渉できる米韓FTA(自由貿易協定)を選択している。それでもなお、米韓FTAが韓国に有利になったのかは、疑問の余地がある。なのに、日米FTAすらも結べない日本が、はるかにハードルの高いTPPで、自国に有利なルール作りをできるとは思えない。

 第三に、交渉参加国中、日本より国内市場が大きいのは米国だけであり、米国も豪州などとの間で、乳製品など自由化したくない品目をかかえてはいる。しかし、米国はドル安誘導や補助金など、関税以外の政策手段をもっている。ところが、日本は円高・ドル安を前になすすべがない。また、米国の大規模農業の競争力は、補助金だけで対抗するには、あまりに強大過ぎる。しかも、財政危機を訴えている政権に十分な予算を購ずることなどできはしない。日本は政策手段の選択肢が少なく、交渉の自由度が低すぎる。

 第四に、TPP交渉参加国に日本を加えた各国のGDP(国内総生産)の比率をみると、米国が約70%、日本が約20%、豪州が約5%、残り7ヶ国で約5%となる。つまり、TPP交渉参加国の実質的な輸出先は、米国と日本しかない。そして米国の輸出先はほぼ日本だけで、日本の輸出先もほぼ米国だけだ。しかし、その米国には輸入を増やす気が毛頭ない。
 このため、次のような状況が生まれやすくなる。米国以外の交渉参加国は、米国との交渉が難航した場合、代わりに日本への輸出の拡大を目指すだろう。米国のターゲットも日本市場だ。そこで、米国は他の交渉参加国にこうもちかける。『我々との交渉では譲歩してくれ。その代わりに、我々が日本市場をこじ開けるから、一緒にやらないか」。こうして米国主導の下、全交渉参加国が日本に不利なルール作りを支持するわけだ。

 第五に、菅直人首相は昨年11月のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で「国を開きます」と演説した。これは外交戦略上、きわめてまずい。なぜなら日本の平均関税率は欧米よりも低く、国は十分開かれているからだ。にもかかわらず開国を宣言したため、日本は閉鎖的だというイメージが国際的に流布されでしまった。こうなると今後の交渉では、よほど踏み込んだ譲歩をしない限り、閉鎖的というイメージを消せない。
 過去にも例えば、日本は世界屈指の環境先進国なのに、NGO(非政府機関)にネガティブキャンペーンを張られたため、地球温暖化の国際交渉で譲歩を余儀なくされることがあった。ところが今回は、首相目らネガティブキャンペーンを張ったのだ。自国に有利なルールを作る気があるとは到底思えない。対照的に、オバマ大統領は「貿易黒字国が米国への輸出に依存するのは不健全だ」という趣旨の演説をした。日米両首脳の演説だけで、米国は開放的、日本は閉鎖的という構図ができてしまった。ルール作りに入る前に勝負が決まってしまったのだ。

 第六に、前原誠司外相が「TPPは日米同盟強化の一環」と発言している。北東アジア情勢が緊迫する中、日米同盟は軍事戦略上重要だ。だが、日本側からわざわざ、それとTPPを結びつけてしまった。今後、TPPがどれほど不利なルールになっでも、日本はもはや拒否できなくなったのだ。
  (なかの・たけし=評論家)
 
ご参照ください。
第5回目の今回は先月の4月11日にその創設が閣議決定され、同月14日に第1回会議が開催された東日本大震災復興構想会議の議長に就任した神戸大学名誉教授(政治学)で現防衛大学校長の五百旗頭真氏を取り上げます。実のところ五百旗頭氏を「〈反原発〉の国民的怒りの波に便乗しようとする研究者」群の一員に数えることは適切ではありません。五百旗頭氏はそもそもこの問題についていまだに彼自身の明確なメッセージを発していません。したがって、彼を便乗学者の一員と呼んでよいのかどうか、現段階では明確なところは判断のしようがないからです。

しかし、上記構想会議の第1回会議で示した五百旗頭氏の態度は批判に値します。毎日新聞(2011年4月14日)の報道によれば菅首相は同構想会議の開催に先立って「(同構想会議の)議論の対象から原発問題を外すよう指示した」模様です。同記事によればこの菅首相の指示に対して哲学者の梅原猛氏(同会議特別顧問)は「原発問題を考えずには、この復興会議は意味がない」(同会議終了後の記者会見での発言)と明確な反対論を述べました。かつ、この梅原発言には賛同者も少なくなかった模様です。

が、同記事を読む限り、「五百旗頭氏は会議後の記者会見で『(検討)部会で専門的な議論をするときには官僚機構から知恵を出してもらいたい』と強調」しただけで、上記の菅首相指示に対して「原発問題を復興会議の議題にせよ」と「異論が噴出」したという同会議参加者の問題提起については議長としてなんらのコメントも発せず、かつ、なんらのリーダーシップも発揮しようとはしていません。すなわち、五百旗頭氏には政府の意図に与する姿勢は感じられても、今回の福島第1原発事故によってその重大な問題性が露わになった原発問題を解決しようとするなんらの熱意も感じとることはできません。五百旗頭氏のこの姿勢は、今回の〈反原発〉の国民的怒りの波に便乗しようとする意図ありやなしやの問題を超えて十分に批判に値する態度といえます。私はいまのところそうした五百旗頭氏の姿勢を批判する論攷にこれも管見のかぎりにおいて接しえていません。〈反原発〉の国民的怒りの波に便乗しようとする「研究者」及び著名人批判のついでに彼を批判しておく必要性を感じるしだいです。

そうはいっても五百旗頭氏批判の材料を私はそう持っているわけではありません。以前、法政大学の五十嵐仁さんが五百旗頭氏の防衛大学校校長就任にあたってご自身のブログに「晩節を汚すことになるのでは?」という広い意味でのかつての同僚である五百旗頭氏批判の一文を草していましたが、五十嵐さんのその一文での五百旗頭氏批判の表明は私が同氏の防衛大学校校長就任にあたって抱いていた危惧及び疑問の念とほぼ同質のものでした(私ごときの「危惧及び疑問」の念と五十嵐さんの「危惧及び疑問」の念を同様に扱うのは五十嵐さんに対して失礼この上ないことではありますが)。そして、五十嵐さんの同一文は、今回の五百旗頭氏の東日本大震災復興構想会議議長就任にあたっての批判としてもそのまま当てはまる性質のもののように思えます。そういうしだいで五十嵐さんのかつての五百旗頭氏批判の一文を今回の五百旗頭氏の挙動の批判としてもそのまま引用・転載させていただこうと思います。

同一文で五十嵐さんは五百旗頭さんも被災した阪神・淡路大震災の話にふれて、「(五百旗頭さんは)災害救助で自衛隊が大きな役割を果たしている」と言うが、「(五百旗頭さんは)大震災などの災害救助が重要だというのであれば、そのための専門部隊を充実させるべきだと、なぜ言わないのでしょうか。そのための専門組織が十分でないから、その代わりに自衛隊という軍事組織を用いなければならないという現実を、どうして真正面から批判しないのでしょうか」と五百旗頭氏を批判していますが、その五十嵐さんの五百旗頭氏批判は今日の五百旗頭氏批判としても当たっているように思えます。

以下、「五十嵐仁の転成仁語」ブログの「晩節を汚すことになるのでは?」(2006年7月23日付)からの転載(同記事はもともと五十嵐さんの上記ブログに掲載されていましたが、同ブログには2006年以前の記事は掲載されていませんので、下記ブログからの転載になります)。
http://www.asyura2.com/0601/senkyo26/msg/436.html

 晩節を汚すことになるのではないかと心配しています。防衛大学校の校長に就任することが決まった、五百旗頭真神戸大学教授のことです。
 どのような理由で、就任を受諾されたか分かりません。でも、あの五百旗頭先生も時代の流れに竿を差すことになったのかと、いささかガッカリしました。

 五百旗頭さんからすれば、「安全保障と防衛力の懇談会」の一員になっていましたから、それほど違和感はないのかもしれません。いつか、私と一緒に掲載された共同通信のインタビューでも、軍事的安全保障を評価していましたし……。
 しかし、それでも、基本的にはリベラルな立場であると思っていました。これまでの研究や発言は、基本的にはそのような立場に立つものだったのではないでしょうか。
 五百旗頭さん自身、今日の『毎日新聞』の「時代の風」で、「中には『なぜ、あなたのような人が』といぶかる知人もいる。私が軍事関係者のようでなく、リベラルに見えるので意外に感じるという」と、書いています。

 しかし、「私は安全保障をとても大事に思っている。安全保障とは、さまざまな脅威から国民の存在を守ることである」というのが、五百旗頭さんの説明です。だから、防衛大学校の校長を引き受けたのだ、と仰りたいのでしょうが、それは直接には結びつきません。
 五百旗頭さんは、「国民の生存を守る」ための「最後の手段であるのが自衛隊」だとも仰っています。しかし、その自衛隊については憲法上の位置づけが問われ、「国民の生存を守る」どころか戦争に巻き込む恐れはないのか、米軍との一体化によって侵略の手先にされてしまうのではないか
など、さまざまな議論があることは、よくご存知のはずです。
 そのような「新しい事態」の下で防衛大学校の校長になるということは、どのような意味を持つのでしょうか。この点に対する自覚や警戒感が、五百旗頭さんにはあるのでしょうか。

 今日の『毎日新聞』の五百旗頭さんの記事を読んで、驚いたことが2つあります。一つは、記事のほとんどが、五百旗頭さんも被災した阪神・淡路大震災の話で占められていることです。災害救助で自衛隊が大きな役割を果たしていることは認めますが、それはそのための専門部隊が存在して
いないための代替にすぎません。
 大震災などの災害救助が重要だというのであれば、そのための専門部隊を充実させるべきだと、なぜ言わないのでしょうか。そのための専門組織が十分でないから、その代わりに自衛隊という軍事組織を用いなければならないという現実を、どうして真正面から批判しないのでしょうか。
 大震災だけでなく、現に今進行している大雨被害や洪水、地滑り災害などは、毎年のように繰り返され、「国民の生存」や「国民の生命」が脅威にさらされ、あるいは失われています。それなのに、そのような脅威に対して「国民の生存」を守るための集団が、自衛隊という軍事組織の形でしか存
在していないというのは、どう考えてもおかしなことではないでしょうか。

 五百旗頭さんには、このような問題意識は全くありません。それどころか、自衛隊のあり方については、牧歌的と言えるほど楽観的な見方をしてます。
 この点も、私が驚いたことの一つです。この間の事態をきちんと見ていたのか、と訝しく思われるほどの楽観論が、五百旗頭さんの記述からはうかがえます。
 五百旗頭さんは、「国の防衛という本来の任務に、ミサイル防衛という新たな分野が加わった。国内、国外の災害派遣は地球異変の下で増える一方である。そして狭くなる地球の安全のために、国際平和協力活動も忙しい」と書いていますが、これらは全て必要かつ有益であると考えているよ
うです。そこからは、「多くの仕事に関わるようになった」自衛隊の変貌に対する危惧も懸念もうかがうことはできません。

 とはいえ、すでに防衛大学校の校長への就任は決まったことです。このうえは、五百旗頭さんが今日進行しつつある日本の軍事化の促進に利用され、晩節を汚すことのないようにと望むばかりです。
 その点で、五百旗頭さんには、校長として防衛大学校でぜひ行って欲しいことがあります。その一つは、「ミサイル防衛」の実効性についての研究です。
 どれほどの命中精度があるのか、距離の近さや時間的制約はネックにならないのか、そして何よりも、配備されたミサイルの数よりも多くのミサイルが発射されるような事態があり得る場合、それでもなお、ミサイル防衛は有効に機能するのか、などの点について研究していただきたいということです。

 第2には、「国内、国外の災害派遣」についての研究です。本来は軍事組織である自衛隊が「災害派遣」されることの是非を、真正面から検討する必要があるのではないでしょうか。
 自衛隊を改組・再編して「災害派遣」のための専門部隊を充実するべきではないか、訓練の内容や装備についても、「災害派遣」を前提にしたものに変える必要があるのではないか、特に、「国外」への派遣ということであれば、軍事組織ではない方が好ましいのではないかなど、「災害派遣」体制充実のための研究を進めていただきたいものです。

 第3には、「国際平和協力活動」についてです。これまでの活動実績についての総括が必要でしょう。それが、どの程度、現地の役に立ち、どのような評価を受けているのか、費用対効果についてのバランスシートを作成していただきたいと思います。
 もっと重要なのは、国連の下にはない「有志連合」としての自衛隊派遣についての総括でしょう。「テロとの戦い」ということで、インド洋では米英の艦船への給油を行い、イラクのサマーワでは地上部隊が「復興支援活動」に従事し、航空自衛隊は今も米軍物資などを空輸しています。
 それが、政府の説明通りの状況の下で、説明通りの効果を上げたのかどうか。とりわけ、現地の人々にどう評価されているのか、防衛大学校としての独自の調査でもやったらいかがでしょうか。

 日本の防衛政策は大きく転換し、五百旗頭さんの仰るとおり、自衛隊は「新しい事態を迎え」ています。とりわけ、イラク戦争への加担と在日米軍再編による一体化の進展は自衛隊に化学変化を起こし、これまでとは全く異なった「怪物」にしてしまう危険性があります。
 そのような「化学変化」を拒み、「国民の生存」を守るという方向で、大きな役割を果たしていただきたいものです。五百旗頭さんは「リベラルに見える」だけではなく、本当にリベラルだったのだという評価が退任に当たってなされることを、私としては願うばかりです。

以上、問題提起として。
〈反原発〉の国民的怒りの波に便乗しようとする「研究者」、著名人批判の第4回目となる今回は先月の4月15日に自身の主宰するブログに「原発事故に関する宣伝責任へのお詫び」なる「反省」文を発表した、世間では一応「評論家」という肩書きで通っているらしい勝間和代という人物を取り上げます。私にとってはこの勝間和代なる人物もまったく取るに足りない、歯牙にもかけたくない人物にすぎませんが、世間ではそれなりの評判を博しているらしい彼女の虚像をそのままにしておいては悪影響が大きすぎます。私は勝間の「困ったちゃん」問題については一度論じてはいるのですが、あらためて彼女の「困ったちゃん」以来の問題性を指摘しておく必要性を感じます。

上記の勝間の「反省」文とは次のようなものです。

■原発事故に関する宣伝責任へのお詫びと、東京電力及び国への公開提案の開示(REAL-JAPAN.ORG 2011年4月15日)
 http://real-japan.org/2011/04/15/421/

また、彼女の「宣伝責任へのお詫び」に関わる「宣伝」とは次のようなCM及びテレビ出演をいいます。

■中部電力のCM「それぞれの立場」篇
http://www.youtube.com/watch?v=L2DbqTq1Y8Q
*上記のCMはすでに削除されていますので、同CMの内容を文章化している次のURLをご参照ください。もともとのCMはどういうものだったかおおかた想像できると思います。
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/1457ad509b4c357a2f3ffc09337623ab

■YouTube - 朝生 原発 勝間和代氏発言他ハイライト
http://www.youtube.com/watch?v=zR9YoSB9-po&feature=player_embedded

これだけ電力会社の原発推進の片棒を担ぎながら単に「反省しています」ではすまされないと思うのですが、その「反省」自体も実は怪しいのです。が、そのことを言う前に上記の勝間の「困ったちゃん」問題とは次のような指摘を指していることも先に言っておきます。

「勝間和代は、明らかに、人生における成功や失敗はすべて本人の自己責任だと主張している。こうした自己責任論は、すべての人間に 『完全に』平等にチャンスが与えられている社会においてのみ、正しい。しかし、現在の日本は残念ながら、すべての人に完全に平等にチャンスが与えられているわけではない。(略)格差が固定化しつつある社会において、自己責任論をとなえるのは、間違っている」(平林都と勝間和代は「ちっちゃな全体主義者」である)。

「勝間和代って人は、ほんとに 『困ったちゃん』 だなぁ。勝間和代が、香山リカのベストセラー『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)への反論として書いた『やればできる―まわりの人と夢をかなえあう4つの力』を本屋で立ち読みして、そう思った。最初に言っておくと、この『やればできる』という本は、買ってまで読む価値は全くない。本屋で立ち読みすれば、 5分で内容がわかる。なのでここにも商品リンクは貼り付けない」 (勝間和代 『やればできる』 は究極の「困ったちゃん」)
(「『欲しがりません勝間では』という勝間和代氏批判」余禄(CML 2010年3月3日付参照)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2010-March/003140.html

したがって、私は、彼女の「反省」文なるものを読む前から彼女の「反省」なるものはおそらく見せかけのものでほんとうのところは反省などしていないだろうと思っていました。事実、彼女は「反省」などしていません。同文中の「電力業界のあり方および政府の電力行政に対する公開提案」の「2.リスクを軽減する恒常的な枠組みとして(予防措置)」には勝間の提案として次のようなことが記されています。

「軽水炉の新規建設の永久凍結。(その代わり、ガス冷却方式のウラン型原子炉やトリウム融溶(ママ)塩炉のようなそもそも放射性廃棄物があまり出ないタイプの新しい技術については安全性を充分に検証した上で導入する。)」

この勝間の言う「放射性廃棄物があまり出ないタイプのトリウム融溶ママ塩炉」については長崎大学環境科学部教授の戸田清さんの次のような指摘があります。「ウラン燃料より放射線が強いので、労働者の放射線被曝も増大するだろう。/トリウム232が中性子を捕獲してウラン233となる。ウラン233が核分裂連鎖反応をするので核兵器転用は可能」(『証言2010』「原爆神話と原発神話を再考する」)。トリウム溶融塩炉は「放射性廃棄物があまり出ないタイプの新しい技術」とは知ったかぶりの勝間のトンデモない妄言にすぎません。勝間は「反省」のふりをしながら新たな妄言をさらに「拡散」しようとしているのです。

そういう勝間ですから容赦なく勝間評価に関して勝間をよく知るあるジャーナリストの次のような証言もつけ加えておきます。

「勝間氏については、手放しの礼賛記事や本人のプロモーションとしか思えないような番組(それをNHKがやっているのが驚きです)が見受けられますが、実際は本人(もしくは側近)による情報操作や意識的な印象操作が行われているようです。自分に都合の悪い記述が見られるブログなどには削除の圧力をかけたり、amazonの書評なども操作が行われているという情報も聞きました。(略)彼女は『外資系企業で成功した』というふれこみになっていますが、彼女の元の勤務先の同僚などのコメントでは実際はかなり異なっていたようで、彼女が最も成功したのは一連の『成功本』を売り上げたことではないかと思われます。(略)『著書総計300万部』というといかにも1冊の本が300万部売れたように勘違いする人が出てくると思いますが、これこそが立派な印象操作というべきでしょう。これは『発行部数』(それも大本営発表)であり、実際は一番売れた本でも40万部程度のようです。もちろんそれでも立派な数字だとは思いますが、それを300万部に膨らませて伝えるという態度は決して誠実とはいえません。勝間氏には経歴詐称や子育てを放棄しておきながら『3児の母』を売り物にしているという指摘もあります。『時代の寵児』には違いないのでしょうが、あこぎな金儲けや政治的野心がちらつく人物であることは知っておくべきでしょう。」

最後にメディアの勝間評価を鵜呑みにして勝間の関与するイベントへの参加を勧めるメールがあるメーリングリストに投稿されたことがかつてありましたが、その際に勝間の言う「自己責任」論の問題性について述べた私の意見を転記しておきます。

「私たちが考えなければならないことは、貧富の差やワーキングプアを量産してやまない格差社会の問題や不条理を新自由主義主義的な経済成長を達成するためにはやむをえいない現象などとし、低賃金労働者を奴隷視する保守政治家や財界人の側に立って『人生における成功や失敗はすべて本人の自己責任だと主張』するような人物をメディア等々に無批判にはびこらせることの大いなる害悪についてです。/イラク日本人人質事件の際の高遠菜穂子さんバッシングを例に出すまでもなく、私たちは、こうした自己責任論がどこへゆきつくかは先刻承知ずみのことです(もちろん、軍備拡張に結びついていきました)。/たとえ某社の企画の一環だとしても、不必要に低次元の人物を持ち上げることとリンクするような企画の紹介については私たちは慎重でなければならないでしょう。」
このエントリの2番手の被批判者として小佐古敏荘東大大学院教授(放射線安全学)の「涙」を俎上に載せようと思います。最近になって小佐古氏はもともと原発を推進しようとしてきた立場の人であり、原爆症認定集団訴訟の裁判では国側の証人として放射線の影響を過小評価してきた人物であるというごくごくふつうの冷静な判断、評価も聞かれるようになりましたが、小佐古氏が辞任会見で流した「涙」については管見のかぎり批判する論調を私は見たことがない、というのが私がこのエントリの被批判者として小佐古氏を2番手に選ぶ大きな理由です。

小佐古氏は福島第一原発事故に対する菅内閣の対応を「場当たり的」と批判して内閣官房参与を辞任したことでときの人として一躍名を馳せた人ですが、市民の発信メールを含めてそのことを報道、また情報として発信する多くの論調、また市民の感想は、小佐古氏が辞任会見で「この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」というところで「涙」を流したことに着目するものでした。「福島第1原発:内閣官房参与、抗議の辞任」(毎日新聞 2011年4月29日付)という記事に添付されている写真及び「辞任会見で、涙ぐみ絶句する小佐古敏荘氏」というキャプションは当時(といっても、近々のことですが)のある種の小佐古フィーバーといってよい状況の一端をよく示しえています。小佐古氏は一躍ヒューマニズムの人として人々(市民)に注目される人になったのです。

しかし、ここは涙するところだろうか、と私などはいぶかしく思ってしまいます。小佐古氏が「乳児、幼児、小学生」の生命の危険を真に危ぶんで「私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」という叫びの声をあげるのであれば、その目は涙ぐんでいるのではなく、ここでは不動明王の目となって政府を睥睨する体のものでなければならないはずだ。私の感性ではそう思うのです。少なくとも私はこういう場面では泣きません。泣けるものではありません。私には小佐古氏の「涙」は子どもたちのために流した涙ではなく、内閣官房参与という「名誉」の職を辞すること、内閣に楯突くことによる自身の出世の道の断念、つまるところ自己保身、自分のために流した涙としか見えないのです。それでも自身の権力者につながる階梯の道を一定断念してまで「ヒューマニズム」を貫こうとするのはエラいことです。そのことまで否定するつもりはもちろん私にはありません。しかし、私は、このとき見せた多くの市民の無辜には違いない反応に少なからぬ違和感を持ちました。このときも私の胸内には加藤周一のいう「大勢順応主義(日本的コンフォーミズム)」という悲嘆とも憂いともつかない声ならぬ声がこだましていたような気がします。

なお、小佐古敏荘東大大学院教授の評価については、ウィキペディアに「2003年以降の原爆症認定集団訴訟では、国側の証人として出廷し、国の主張に沿った証言を行った。特に被爆者の放射線量を評価するシステム、DS86とDS02については妥当性を主張しており、この点で原爆症の認定が不十分であるとする原告の主張と対立している(被爆者約25万人のうち、国が原爆症と認定した者は約2000人である)」(Wiki:『小佐古敏荘』)という指摘があること。また、小出裕章氏(京大原子炉研)の「小佐古氏はこれまで自分の『けんか相手』であり、自分とは180度立場を異にしてきたこと。小佐古氏は浜岡原発の静岡の技術アドバイザーで、浜岡は絶対安全といってきた人」という証言もあることを付記しておきます。なおまた小出氏は左記の発言に続けて次のようにも言っています。「小佐古氏がこんなことを言うのは意外だが、(今回の小佐古氏の)発言は正しく、評価したい」(あるメーリングリストより要約引用)。しかし、小出氏も小佐古氏の「涙」の問題には(あるメーリングリストの要約を読む限り)気がついていないようです。
 
付記
 
上記で私は「小佐古氏が辞任会見で流した『涙』については管見のかぎり批判する論調を私は見たことがない」と記しておきましたが、この件に関して〈けんか相手〉の池田香代子さんから下記のようなレスポンスをいただきました。池田さんも私と似たような違和感を持たれていたようです。
 
池田です。

わたしは5/3、他MLにこんな投稿をしました。

************************
小佐古氏の文章には「学者生命」「ヒューマニズム」など、ウケを狙ったかのような冷静ならざることばがへんなところに入っていて、しかも会見では涙。/「うわっ、うさんくさい!」と思いました。/(全体に、あまり日本語を知っている人の文章ではありません。/「勅命」という意味不明な語もあります。)/結論として、わたしは額面通りには受け止めません。/裏があると思った。/ということを前提に、「よくぞ言ってくださった」と歓迎するみなさんに合流します。
************************

東本さんと意見が一致してしまった模様。
〈反原発〉の国民的怒りの波に便乗しようとする「研究者」としてはじめにトンデモ学者の武田邦彦をとりあげます。

私にとっては武田邦彦なる人物はまったく取るに足りない、歯牙にもかけたくない人物以外のなにものでもないのですが、いわゆる「小沢信者」の間ではそのトンデモ学者の武田邦彦がいま大人気らしく、その「小沢信者」系ブログ記事に影響されて武田のブログ記事が「かつての原発推進学者が反原発学者に転向した」というたぐいの一種の〈貴種流離譚〉記事として市民の間に「拡散」されていくという現象も生じているようです(注)。そういうことはさもありなんということでさておくこともできるのですが、問題は、自ら市民メディアを自称し、事実としてもいわゆる革新的市民にも一定の影響力を保持していると思われるNPJ(News for The People in Japan)紙が同紙の「NPJ お勧め 論評」欄に最近連日のように武田邦彦のブログ記事を無批判に受容し重用掲載していることです。その悪影響は少なくないものがあるように思います。はじめに武田邦彦批判をするゆえんです。

注:下記の<増委員会「武田教授 緊急提言!!」2011/03/19 >という動画(現在は非公開)の冒頭で武田邦彦は自らを「僕は『安全な原子力』なら推進、原子力は危険だから反対という人たちとまったく同じなんです」と自己規定しています。つまり武田の自らの自己規定によれば武田は決して〈反原発〉論者に転向したのではなく、いまでも「安全な原子力」推進論者ということになります。この点からも武田の〈貴種流離譚〉説は誤りということにもなります。
http://ceron.jp/url/www.youtube.com/watch?v=z_426NjGEjs

さて、武田邦彦なる人物はウィキペディアによれば次のような経歴を持つ人物です。東京大学教養学部基礎科学科卒業。工学博士(東京大学)。専門は資源材料工学。名古屋大学大学院教授を経て、現在は中部大学教授。これまで内閣府原子力委員会や内閣府原子力安全委員会などの専門委員を歴任。

そのウィキペディアには武田邦彦に関して次のような記述もあります。

「科学的に不正確な点や誤謬、根拠としているデータが捏造であるとの批判がある。批判に対しては主張を微妙に変えることもあり、結果として矛盾した主張になることもある。また、最新データがある場合でも持論に都合良く古いデータを引用したり、孫引き、原典の存在しない『引用』をおこなうなど、引用に関しても多くの問題が指摘されている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6

「中立的な観点を守ること 」を編集方針とするウィキペディアにおいてもこのような批判が紹介されてしまう武田邦彦という人物の実像はどういうものでしょうか? くだんのNPJに紹介されている最も最近の記事を参照しながら検証してみます。NPJに紹介されている武田邦彦の最近の記事は「社会を混乱させる放射線医学・防御の専門家」と「原発論点4 東電に責任はない?」というもので、ともに5月7日付けです。

「社会を混乱させる放射線医学・防御の専門家」という記事では次のような武田の記述が見られます。

「もしも放射線の専門家が20年間にわたってわたくしに(「1年に1ミリシーベルト以上は危ない」と)教えてくれたことをそのまま社会に発信していたならば、政府は「1年に1ミリ以上は危険である」という国際基準と国内法を守る政策を採ったでしょう。」そして「多くの人は一つの基準を守って安全な生活をすることができたと思う・・・」
http://takedanet.com/2011/05/post_308e.html

上記の武田の記述には武田が「放射線医学の専門家」ではないにせよ「原子力関係の専門家」のひとりとして長い間内閣府原子力委員会や同原子力安全委員会などの専門委員を歴任してきたという事実に対する自身の責任の自覚は皆無です。「放射線医学の専門家」ではないにせよ「1年に1ミリシーベルト以上は危ない」と放射線医学の専門家に「20年間にわたって」教えられてきたというわけですから、その教えられてきたことを原子力安全委員会専門委員の名において自身の手で「社会に発信」することは十分可能だったはずです。その自覚が武田にはまったくすっぽりと抜けているのです。よくぬけぬけとこういうことを言うよ、というたぐいの発言です。

武田はまた同日付けの「原発論点4 東電に責任はない?」という記事では次のような発言もしています。

「水俣病を起こした会社は、『正しく』工場を設計し、認可を受け、全く違反なく工場の運転をしていたが、毒性物質とは思っていなかった水銀が海に流れそれによって、大量の健康の障害者を出したのである。(略)つまり水俣病起こした会社は、当時の知識において正しく設計し、運転したのだから、どこから見ても過失はない。」
http://takedanet.com/2011/05/post_86ce.html

しかし、上記の記述もよく言って誤謬に満ちています。はっきりといえばウソです。水俣病は「(チッソが)毒性物質とは思っていなかった水銀が海に流れ」たから起きたのではありません。当初はそういう側面もあったかもしれませんが、1956年5月1日(水俣病公式発見の日とされている)、当時、新日本窒素肥料水俣工場附属病院長だった細川一医師は新奇な疾患が多発していることに気づき、「原因不明の中枢神経疾患」として5例の患者を水俣保健所に報告しています。チッソはこの時点で水銀の排水と水俣病との因果関係を知りうる立場にありました。

また、それから3年後の1959年10月には上記の細川医師が廃液を投与され続けた「猫400号」が運動失調の症状を示すことを確認。水俣病の原因は工場廃液と確信し、そのことをチッソに報告するのですが会社側の説得によってこのことを一般に公表することができなかったという事実もあります(ウィキペディア『細川一』)。細川は会社への心ひそかな怒りの思いとおそらく医師としての自責の念もあり1962年にチッソを退社し、故郷の愛媛県に帰郷します(同上)。この時点ではチッソは明確に水銀の排水と水俣病との因果関係を知りうる立場にあったのです。武田の言うように「(チッソが)毒性物質とは思っていなかった水銀が海に流れ」出た結果として水俣病が起こったのではありません。

同記事にはこのほかにもさまざま問題とすべき箇所がありますが、NPJに重用されている武田記事の検証は一応これでおしまいにしようと思います。が、もう一点、武田の「ああ!日本のお役人!」(2011年3月19日付)という記事について次のような批判記事がありますのでご紹介させていただこうと思います。

■もうお前は黙ってろ!(「きまぐれな日々」ブログ 2011年4月1日付コメント)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1171.html

「武田邦彦氏、例によって正義面して吼えています。/どうも行政とか学者とかの「権威」に噛みつくと受けが良いということを察知しているようです(世渡り上手とも言います)。なんだか橋下や河村の学者版といった感じ。/武田氏が言うには下のような放射性物質の拡散シミュレーションを日本のお役人は出さない、けしからん、ということのようです。
http://www.dwd.de/
(ドイツ気象局)

流体シミュレーションをかじった者のはしくれとして言いましょう。こんなものは当たりません。/流体内の拡散予測というのは非常に複雑で、ちょっとした初期値の変化でまったく違ってしまいます。「しかし火山灰の予測はできているではないか?」/これは実際に気象庁ホームページを見て確認してください。噴火して噴煙の高さまで設定できている時にしか予測は出していません。今回の原発事故では、現場からどの程度の物質が放出されていることすら分かっていないのに、予測が可能なはずはありません。/日本ですら初期値が設定できないのに、遠く離れたヨーロッパなどで予測は絶対不可能です。おそらくこれは仮想の初期値を入力したのだと思われます。コンピュータはとりあえずは計算しますので「もっともらしい」図を出力してくる。それだけのことです。/困ったことに、リベラル系のブログなどでも、こうしたシミュレーションを万能なものと思い込んでいる人が多いことです。(略)/武田氏、自分の専門以外のことにやたら口を出して知識人ぶるからこういう間の抜けたことを書くのですよ。」

なお、武田邦彦という大学教授のこれまでのトンデモぶりについては下記のブログ記事に詳しいです。ご参照ください。

■地球温暖化懐疑論者「武田邦彦」教授の呆れたトンデモぶり(きまぐれな日々 2009年10月1日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1002.html

また、私もこれまでに名古屋市長選挙に関連し次のようなて武田邦彦批判の記事を書いています。これもご参照いただければさらに武田邦彦という人物のトンデモぶりがおわかりになっていただけるはずです。
 
■(1)名古屋市長選、愛知県知事選。そして東京都知事選―ポピュリズム政治にサヨナラするために―(弊ブログ 2011年2月8日)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-12.html
■(2止)名古屋市長選、愛知県知事選。そして東京都知事選―ポピュリズム政治にサヨナラするために― (弊ブログ 2011年2月8日)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-11.html

それにしてもこのようなトンデモな人物を重用するNPJには強い反省を求めたいと思います。
2011年3月11日にわが国を襲った未曾有の大震災である東日本大震災(天災と人災の両方の側面を持つ)とそれにともなうこれもまた未曾有の〈大人災〉である福島第一原発事故の発生以来、政府(原子力災害対策本部、原子力安全・保安院など)と東電の意図的な情報隠しと情報操作。その意図的に情報操作された政府と東電の大本営発表しか垂れ流さないマスメディアの報道のていたらくに業を煮やしたかのように矢継ぎ早に発信される反原発研究者や反原発研究機関の情報を基調とする市民レベルでの情報発信(主にメーリングリストを通じて)はこの間目を瞠るものがありました。

その間髪を容れない早業ともいうべき市民レベルでの今回の情報発信は、ひとつはこれまで警告し続けてきた原発災害、それも天変地異ならぬ人変地異ともいうべき大災害が現実に起こったことへの市民の激しい怒りの現われの表出と見るべきものでしょう。その寸暇と労苦を惜しまない即断即時の市民の情報発信は尊敬に値するものですし、また、大いに評価されてしかるべきものです。原発の仕組みや放射能、また医学的知識のある市民からは非常に質の高い情報も数多く発信されてきました。

が、玉石混交。ということはどこにでもよく見られることですが、情報の精度やその情報の信頼性を自ら確かめることもなく、ただ〈反原発〉らしいというだけであまりにも無思慮、無造作に、それも孫引きのまた孫引きという形で投稿を乱発する現象(「拡散」という言葉を不用意に頻発するメールにその種のものは多いように見受けられます。この日本語の用法としてはおかしい「拡散」という用法への違和感については稿をあらためて論じることにします)も少なからず現在進行形で見受けられるように思います。

ここではそうした「拡散」メールのうちその情報を見なかったことにしてそのままうち捨てておくにはあまりにも悪影響が大きすぎると思われる〈反原発〉の国民的怒りの波に便乗しようとする「研究者」、また著名人なる者の「情報」を自らの不確かな目で過大評価して無批判に垂れ流す一部の傾向について批判を加えておきたいと思います。

私がここで批判しようと思っている「研究者」、著名人の名前をあらかじめ示しておきますと、その批判の質はおのずからそれぞれ異なることになるのですが、とりあえずのところ次のような人たちです。武田邦彦氏(中部大学教授)、五百旗頭真氏(神戸大学名誉教授、現防衛大学校長)、勝間和代氏(評論家)、弘兼憲史氏(漫画家)、小佐古敏荘氏(東京大学大学院教授)、住田健二氏(大阪大学名誉教授)、佐藤優氏(元外交官)。この人たちを何回かに分けて批判していきます。

さて、その前に総論的なことをひとこと述べておきたいと思います。それは加藤周一が「大勢順応主義(日本的コンフォーミズム)」と呼ぶ日本人一般(市民一般と言い換えても同じことですが)の心性についてです。加藤によれば、大勢順応主義とは、現在の大勢を判断してそれに従う。そして大勢それ自体は所与のものになっていて、その所与の大勢を無批判に受け入れる態度のことをいいますが(『日本文化のかくれた形(かた)』など)、その大勢なるものは必ずしも政治状況である必要はありません。それがたとえば文化状況であったとしても同じことです。明治以後の西欧化、戦後のアメリカナイズ。そうした文化の流入に対してもそれが大勢なら日本人(市民)はたやすくかつ無批判に順応する。そうした心性のことを言います。また、大勢にも階層があって、そこには保守政治的なレベルの階層もあれば左翼的レベル、また市民的レベルの階層もある。そうした階層ごとにも日本人(市民)の大勢順応主義はいかんなく発揮される。そうした指摘なのです。

私がここでなにが言いたいのかといえば、〈反原発〉はいまの市民レベルの大勢というべきものですが、上記でも少し述べたようにそれが〈反原発らしい〉というだけで、それが大勢を構成しているらしい様子がうかがえればそうした〈反原発らしい〉ものにも市民はたやすく順応する心性を持っている、ということです。いまの現状がそのことをまさに証明しています。

最近偶然に戦後初期のふたりの戦争史家の文章に触れる機会がありました。ひとりは毎日新聞の山田孝男編集委員が風知草「『原発への警鐘』再び」(同紙、2011年4月25日付)で紹介する経済評論家の内橋克人さんの著書『原発への警鐘』(原題「日本エネルギー戦争の現場」1984年)の引用から。

「内橋は、『原発への警鐘』の終盤で、第二次大戦の敗因を分析した戦争史家の文章から以下を引用している。/『有利な情報に耳を傾け、不利な情報は無視する(日本政府固有の)悪癖に由来するが、日本的な意思決定方式の欠陥を暴露したものであろう。会して議せず、議して決せず……。
意思決定が遅く、一度決定すると容易に変更できない。変化の激しい戦争には最悪の方式で、常に手遅れを繰り返し、ついに命取りになった
……』」(風知草:「原発への警鐘」再び=山田孝男)

もうひとりは批評家の金光翔さんが「これは前からわかっていたことなんだから、少しも心配することはない」(2011年3月29日付)という記事で紹介する同氏の引用から。

「ところで、偶然、友人に勧められてルース・ベネディクトの『菊と刀』を10数年ぶりに再読していたところだったのだが、以下の一節に目が釘付けになってしまった(強調は引用者)。/『日本人が戦争中にあらゆる種類の事柄に関して述べた言葉が、比較文化研究者には日本人を知る好個の材料となった。・・・・・・どんな破局に臨んでも、(略)日本人の国民に対するおきまりのせりふは、これは前からわかっていたことなんだから、少しも心配することはない、というのであった。明らかに、お前たちは依然として何もかもすっかりわかっている世界の中に住んでいるのだと告げることによって、日本国民に安心を与えることができると信じたからであろう。(略)日本人はあらかじめ計画され進路の定まった生活様式の中でしか安心を得ることができず、予見されなかった事柄に最大の脅威を感じる。」(金光翔 私にも話させて)

このふたりの戦争史家の文章の引用は日本人(市民)の「大勢順応主義(日本的コンフォーミズム)」の行き着くところの説明になりえているものとして私には興味深いものがありました(どちらともかつて読んだ本ではありますが)。

金光翔さんには市民の〈反原発〉現象(と一応言っておきますが、「現象」という言葉に批判の意図を込めているつもりはありません)に関わる私として聴くべき次のような省察もあります。

「佐藤(注:優)をこの数年間、全面的にバックアップしてきており、現在も極めて積極的に擁護しているのが岩波書店(『世界』)、『金曜日』その他のリベラル・左派メディアであることは改めて言うまでもない。(略)佐藤が上記のような犯罪的な言説を垂れ流している(注:私にも話させて「佐藤優の原発問題関連の発言について(1)」2011年3月30日付参照)ことについて、岩波書店その他のリベラル・左派メディアが責任を有することは明らかであって、これらのメディアが今後、どれほど原発関連で『良心的な』記事を載せようと、本質的には二枚舌以外の何者でもない。」(私にも話させて「佐藤優の原発問題関連の発言について(1)」2011年3月30日)

「ウェブ上での原発危機関連の発言で、一つ不思議なのは、小沢派と目されるジャーナリスト(上杉隆ら)や無名のブロガーたちが、危機意識を煽りまくっている(略)、というのが率直な印象なのである。様々な情報・見解を提供してくれている原子力資料情報室(CNIC)のような、それ自体としては有益であろう機関も、青木理や岩上安身のような小沢派ジャーナリストが積極的に関与しているのを見ると、いささか距離を置いて考える必要性を感じざるを得ない。」(「佐藤優の原発問題関連の発言について(4)」2011年4月2日付)

以上、総論のようなものとしての私の問題提起です。
京都在住の弁護士の岩佐英夫さんがCML(市民のML)というメーリングリストに昨日付けで「日本共産党の原発政策の転換について」というタイトルのメールを発信されています。岩佐さんの上記の発信記事は、今回の共産党の「脱原発」宣言について私が少しばかり疑問を持つところ、また、評価を保留しておきたい点について述べてみるちょうどよい機会だと思いましたので、岩佐さんに対して下記のような応答文を認めてみました。以下、本ブログにもエントリしておきます。

岩佐さん

今回の日本共産党の原発政策の転換は同党の「従来の方針から大きく踏み出したもので」あり、かつ、同党の「原発政策にとって大きな転換である」と見る岩佐さんのご見解、あるいはお見立てに私も賛成します。この点について私は昨日のCML 009327で次のような私の見立てを述べておきました。

「先に発表された(2011年3月31日付)共産党委員長の志位提言では『脱原発』は明確に述べられていませんでしたが、今回の吉田さんの『脱原発』宣言はこの志位提言を凌いで『脱原発』が明確に述べられています。もしかしたら共産党本部もやっとのことで『脱原発』に舵を切ったのかもしれません。いずれにしても吉田さんの『脱原発』宣言が共産党の主流の見解になることを共産党自身のためにも私は強く望むものです。」

しかし、同時に私は昨日のメールでは次のような私の見立てもあわせて述べておきました。

第1。共産党のこれまでの「原子力の平和利用推進」という原発政策が「『原発がないと電力不足となる』という行き渡ったプロパガンダに貢献する結果となっている」というある人の指摘は重要な指摘だと思われること。

第2。この点について共産党及び共産党員はあれやこれやと自己正当化したり、弁解したりするのではなく、これまでの上記の共産党の主張がある人の指摘のとおり原発推進派のプロパガンダに実際に利用されてきたという重たい事実が存在する以上、これまでの共産党の原発政策の(結果としての)誤り、あるいはいたらなさを率直に認めるべきだろうということ。

第3。共産党の「原子力の平和利用推進」というこれまでの原発政策は1963年の第9回原水爆禁止世界大会当時の「いかなる国」問題と同根の理論的問題を含んでいるように思われること。この「いかなる国」問題に伏在している共産党サイドの理論的問題の危うさについては浅井基文さんの重要な指摘があること。

上記にいう浅井さんの指摘とは次のようなものです。

■日本共産党への辛口提言-ふたたび埋没することがないように-(2010年6月13日記)
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2010/331.html
■「いかなる国」問題についての今日的視点(2010年6月20日記)
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2010/332.html
■日本共産党への辛口提言-2-(2010年7月19日記)
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2010/336.html
■「いかなる国」問題再考
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2010/339.html
■第9回原水禁世界大会での「いかなる国」問題(2010年8月13日記)
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2010/342.html
■「いかなる国」問題と1973年当時の日本共産党の立場(2010年8月22日記)
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2010/345.html
■「原水禁第9回世界大会を回顧する」(北西允・広島大学名誉教授)
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2010/348.html

そして、上記の論攷で浅井さんが指摘していることを浅井さん自身の言葉を援用してひとことで言うとすれば次のようなものになるでしょう。

「私は、このコラム(「日本共産党への辛口提言―ふたたび埋没することがないように-」)で、こういう認識(東本注:日本の原水爆禁止運動において社会党・総評指導部は日本原水協から脱落していったが、日本原水協及び共産党は核兵器廃絶の大義を守りつづけてきたという共産党・志位委員長の認識)からは『今なお分裂し、このままではじり貧を免れない(としか私には思われない)日本の原水爆禁止運動の深刻な状況を直視する真摯な姿勢を窺えないことを非常に残念に思う』、『日本の平和運動の今日における沈滞は1963年の原水爆禁止運動における社共分裂に大きな直接的な原因があると言っても過言ではない。日本の平和運動が日本の世論を引っ張り、世界の平和を引っ張る力を発揮することを強く願うだけに、上記の志位委員長の発言は、正直言って理解に苦しむ。そして、このような自己正当化の主張を公然と行う共産党の姿勢は、やはり多くの国民・人々の共感を遠ざける方向に働かざるを得ないことを、私は恐れる。」と指摘したのですが、今回の演説が同じ認識を繰り返しているということは、私の辛口提言が共産党指導部の目に止まっていないか、冒頭に書きましたように、単純に無視されているかのどちらかでしょう。」
(「『政党の値打ち』(志位共産党委員長の発言について) 」 浅井基文 2010年11月11日記)

上記のような浅井さんの真摯な指摘に応えない共産党の姿勢を見ると、今回の共産党の「脱原発」宣言をほんとうの「脱原発」宣言とみなしてよいのかどうか。私としていささかの疑問なしとしません。このことについて昨日の弊メールの意味合いについてある人に問われて別のメーリングリストで次のように応えました。該当部分を少しばかり引用しておきます。

いろいろ詳しいわけではありませんが、下記の朝日新聞記事(注参照)の言うとおり共産党中央委員会が原発政策として「脱原発」に舵を切ったということだけは確かだと思います。昨日お伝えした吉田万三さんの「脱原発」宣言は吉田さんひとりのお考えではなく、やはりこうした伏線があった上で出てきた宣言であった、ということだろうと思います。

ただし、共産党がほんとうの意味で「脱原発」路線に転換したとは私は思っていません。ほんとうの意味で共産党が「脱原発」路線に転換したのであれば、当然これまでの同党の「原子力の平和利用推進」という原発政策への反省が必要ですが、下記の中央メーデーにおける志位委員長のあいさつを見てもその反省はありません。昨日のメール記事にも少しだけ触れておいたことですが、1960年代の「いかなる国」問題を発端にして原水禁、原水協は分裂してしまったという現実もあり、そうした問題を含めて共産党が真に根本的な反省にいたるまでは時間がかかるだろうと私は思っています。  

しかし、今回の共産党の「脱原発」宣言は、共産党にとってのそうした根底的な反省にいたる重要な一里塚ということだけはいえるだろうとも私は思っています。

もちろん、岩佐さんにこのような応答文を認めましたのは、私も日本共産党の「脱原発」宣言に期待するがゆえです。どうかその宣言がほんまもの(真の反省をともなうもの)であってほしい、という願いからです。その私の願いにウソはありません。
 
注:以下、共産党の「脱原発」路線転換を伝えるいくつかの報道記事をアップしておきます。

■共産が「脱原発」強める 志位委員長がメーデーで主張(朝日新聞 2011年5月1日)
http://www.asahi.com/politics/update/0501/TKY201105010162.html
 共産党の志位和夫委員長は1日、全国労働組合総連合(全労連)の中央メーデーで「原発からの撤退を決断すること、原発をゼロにする期限を決めたプログラムを策定することを強く求める」と訴え、「脱原発」姿勢を強く打ち出した。

 共産党はこれまで「原発依存のエネルギー政策からの転換」を主張する一方、東日本大震災後も「すぐには出来ない。いますぐ原発を止めろという議論は無理。まずは安全最優先の原子力政策に切り替えるべきだ」(志位氏)とした。

 志位氏は1日、「今の原発技術は本質的に未完成だ。しかし、政府は『安全神話』にしがみつき、安全対策をやらなかったことが大事故につながった」と批判。福島原発事故が収束せず、影響が広がっていることを踏まえ、「脱原発」路線をより鮮明にした。

■志位・共産委員長:原発「期限決め撤退を」(毎日新聞 2011年5月2日 東京朝刊)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110502ddm012010136000c.html
■原発ゼロへ計画策定を=共産委員長(時事通信 2011年5月1日)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011050100063
■原発からの撤退を決断せよ 志位委員長 計画策定も提起 中央メーデー(赤旗 2011年5月2日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-05-02/2011050201_02_1.html
■大震災をのりこえ新しい社会をめざす国民的運動を 第82回中央メーデー 志位委員長のあいさつ(赤旗 2011年5月2日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-05-02/2011050204_01_0.html

付記(2011年5月5日):

岩佐英夫さんから下記のような返信が届きましたので付記させていただこうと思います。

東本高志 さんへ

私の投稿に対して、丁重な御意見と問題提起をいただきありがとう御座います。

京都では、憲法9条を守り生かす運動や、沖縄問題で、さまざまな立場の人が、共同の輪をひろげつつあります。
憲法問題では5月3日に、第1部:梅原猛さんの講演(「九条への思い」)、故茂山千之丞さんのあとを継がれる 大蔵流狂言の若手役者による狂言「二人大名」、第2部:安斎育郎さんへのインタビュー「日本の平和と安全」の、2部企画構成で京都会館に2400人が参加されました。
沖縄問題では昨年に続き「危険な普天間基地の即時閉鎖・返還を! 沖縄に連帯する6.12京都集会」を円山野外音楽堂で成功さすべく準備が進められています。

東本さんが指摘されるように、原水禁問題についても、統一が回復されることを私もこころから願っています。1960年代の運動の分裂に至る経過と教訓を謙虚に学び、今後の運動に生かせるよう努力したいと思います。

なお、5月2日送信の私の原稿の末尾にミスがありますので訂正とお詫びをいたします。
安斎郁郎氏  ⇒ 正:安斎 育郎氏 (前田 朗さんの御指摘をいただきました)
「かもがわ出版」発行の新刊図書名は「福島原発事故をどうする?」ではなく⇒ 「福島原発事故  どうする日本の原発政策」です。一般書店での発売日は、正確には5月13日です。 価格は1500円(消費税別)です。

                   以 上     岩佐英夫
福岡では先月の20日から原発廃止を訴える九電本社前での連日の座り込み行動が続いていますが、私の地元の大分でもこの4月26日に県外勢を含む50人以上の人たちが参集して原発全廃を求める署名行動と九電大分支社へ玄海・川内原発廃止を求める申し入れ行動が行われました。日頃こうしたたぐいの街頭宣伝やビラ配布は警察の許可なしでも平穏無事に行われているのですが、この日はビラ配布の終了間際になって警察官2名がビラ配布の申請をしろと言ってきたとのことです(私はこの日は参加できませんでしたので間接情報ですが)。それだけこの時機の原発全廃の訴えには当局側(九電及び警察当局)は必要以上に神経質になっている、あるいは神経質にならざるをえない負(追い込まれている)の状態に置かれているということだと思います。

ところで、この日の署名行動での署名数は75筆にとどまったことから、ビラ配布時における「原発全廃」の訴えは街ゆく人々には過激に過ぎたのだろうか、という反省が地元のメーリングリスト上で述べられていました。また、別の参加者からは「『全廃』の訴えは過激でないと思うのですが、『原発がないと電力不足となる』という行き渡ったプロパガンダを覆すのがいかに困難か、とおりすぎる市民の反応を見ていたら分かりました」という感想も寄せられていました。「そのプロパガンダに貢献する結果となっている共産党の志位さんは意見を変える余地はないのでしょうか」とも。

そのある参加者の感想に対して、ある人から「志位提言には『原発を止めよ』とはどこにも書かれていないが、『国際基準プラス震災の教訓を踏まえた新基準ですべての原発を総点検せよ』という共産党の主張は『原子力技術は、現在の時点では危険きわまりない未成熟な技術」という、共産党の現状評価とあわせて考えれば、これは順次止めていくという主張」だという反論がありました。以下は、その反論に対する私の応答文です。同応答文には共産党の原発政策の転換か、と思われる私としての説も展開していますので参考として本ブログにもエントリしておこうと思います。


○○さん

共産党のこれまでの「原子力の平和利用推進」という原発政策が「『原発がないと電力不足となる』という行き渡ったプロパガンダに貢献する結果となっている」という××さんのご指摘は重要な指摘だと私は思います。

この点について共産党及び共産党員はあれやこれやと自己正当化したり、弁解したりするのではなく、これまでの上記の共産党の主張が××さんのご指摘のとおり原発推進派のプロパガンダに実際に利用されてきたという重たい事実が存在する以上、これまでの共産党の原発政策の誤り、あるいはいたらなさ(と、私は思いますが)を率直に認めるべきだろうと私は思います(注)。

注:しかし、共産党の「原子力の平和利用推進」というこれまでの原発政策は1963年の第9回原水爆禁止世界大会当時の「いかなる国」問題と同根の理論的問題を含んでいるように私には見えますのでその根本的反省は容易ではないだろう、というのが私の見るところです。ちなみに「いかなる国」問題と同根の理論的問題とは生身の人間の問題よりも同党の理念や政策を優先させる血肉化されていない楽観的科学主義とでも呼ぶべき同党の論理的志向性を指しています。このことについてつい先頃まで広島平和研究所所長をされていた浅井基文さんは共産党の「いかなる国」問題への対応に触れて「広島及び長崎の原爆体験を共産党がどのように踏まえ、自らの政策形成に血肉化しようとしていたのか、ということを窺わせる内容を見いだすことができない」という問題点を指摘されています。

ところで○○さんは地元MLで共産党の原発政策に触れて「(原発をすべてを)『止めよ』と言ってしまえば、『止めて電力供給は大丈夫なのか?』と不安に思っている、国民の半数近くを敵に回すから」云々と書かれていますが、ほんとうに原発全廃の訴えは「国民の半数近くを敵に回す」ということになるのでしょうか?

私の知っている東京在住のある共産党員の若手弁護士は先にあった東京都知事選と関連させて共産党の原発政策のあいまいさについて次のような感想を述べています。

「小池さんの選挙で歯がゆかったのは、すっりと脱原発と言い切っているようには聞こえないことです。安全神話問題から始まり、最後の方になってようやく、自然エネルギーへの転換が出てきます。これでは現代人のペース・理解力には合わないのではないでしょうか。新聞報道では、ワタミの人の方が反原発論者で、小池さんの言っていることは要約されるとよく分かりません。/また、東京では連日のように反原発のデモ・行動が行われていますが、赤旗では報道されません。今の反原発の波に乗れなかったことが、敗因の一つではないでしょうか。/ドイツの緑の党の躍進と対照的ですね。」

この若手弁護士は、共産党が「反原発」政策を明確に述べなかったことが都知事選「敗因の一つ」ではなかったかと分析しています。比喩的に言えば共産党が「反原発」政策を明確に述べなかったことが「東京都民の半数近くを敵に回す」ことになった、と同若手弁護士は分析しているということです。○○さんの分析とはまったく逆の分析ということになりますね。

また、4年前の東京都知事選の候補者となった吉田万三さんがこのほど「足立革新区政をつくる会」から東京・足立区長選に立候補されましたが、共産党系の同氏は明確な「脱原発」を掲げての立候補です。

「今回の原発事故は、日本の原発増設計画を根本的にあらためることを求めています。原発をすすめてきた電機事業連合会の資料でも、現在の水力・火力発電の能力で、過去最高の電力需要を充分まかなえることが分かっています。/安上がりだからと原発に依存するのではなく、石炭・石油発電(火力)から太陽光発電や風力発電などに国を挙げて計画的にとりくめば、必要な電力をまかないつつ自然エネルギーへの転換を図っていくことは十分可能です。/足立区から脱原発の声を大きくし、私たち自身がエコロジカルな(資源を節約し自然に優しい)生活に努力し、地域から自然と共生できる社会をつくっていくことが今こそ必要ではないでしょうか。」(吉田万三ホームページ

○○さんも紹介されていた先に発表された(2011年3月31日付)共産党委員長の志位提言では「脱原発」は明確に述べられていませんでしたが、今回の吉田さんの「脱原発」宣言はこの志位提言を凌いで「脱原発」が明確に述べられています。もしかしたら共産党本部もやっとのことで「脱原発」に舵を切ったのかもしれません。いずれにしても吉田さんの「脱原発」宣言が共産党の主流の見解になることを共産党自身のためにも私は強く望むものですが、○○さんの分析のように完全な反原発は「国民の半数近くを敵に回す」というように共産党自身が分析しているのであれば、共産党員としての吉田万三さんは今回のような「脱原発」宣言をすることはできなかったでしょう。「脱原発」宣言は東京都民、足立区民の支持を得ることができるという判断があったからこそ共産党は吉田さんという一候補者を通じて「脱原発」宣言をしたのだと思います。

前回の吉田さんの区長当選は保守分裂による「漁夫の利」当選の側面があったように聞いていますが、共産党が「脱原発」に舵を切ったことが鮮明になれば吉田さんの当選はいっそう現実味を帯びてくるように思います。