先のエントリ記事でご紹介したCBS女性記者襲撃事件に関する冷泉彰彦さんの見方についてアメリカ在住のある日本人フェミニストから反論がありました。聞くべきご指摘、ご意見だと思います。下記に紹介させていただこうと思います。

> まず二番目の問題ですが、まずこの異常なニュースが報道された背景にあるのは、性的暴力の被害者
> は徹底的に救済・保護するという文化が確立しているということが挙げられます。(中略)この時期
> からは女性をほぼ無条件で保護する権利が確定しています。判例というだけでなく、社会的な価値観
> としても明らかです。(東本注:左記は冷泉氏の論攷より)

そんな文化が確立していれば良いのですが、それはないでしょう。ローガンさんは、そういう文化を確立するのに貢献するため、問題提起するために、あえて普通なら公開されない被害の事実を勇気を出して公開したのであって、すでにそういう文化が確立しているからと気軽に公表したわけではありません。

そもそも、この件がそれだけ話題になり、ローガンさんの勇気がたたえられている(そして、ローガンさんに対する中傷発言が激しく反発をされている)ということが、ローガンさんの行為が「社会的な価値観」を揺るがすものであることを示しています。たとえば男性ニュースアンカーのアンダーソン・クーパーが暴行を受けた件については、勇気を出して公表したと褒める人もいなければ、かれに対して失礼なジョークを言うのもタブーではありません。

筆者は、

> 勿論、実名での告白を自動的に強制するとか、実名を晒すということは今でも厳格に否定されていま
> すが、本人の自由意志で過去の被害経験を告白することがメンタルな問題解決に役立つのであれば、
> 周囲はそれを受容しなくてはならないし、まして嘲笑したり、疎遠な感じを持ったりすることは近親
> 者であっても厳しく禁じられる、そんな文化が確立しているのです。

と書いていますが、それが「厳しく禁じられる」のは、性暴力被害を公言することが、いまだにタブーだからです。もしほかの犯罪被害と同じように、被害者の「落ち度」が責められるのでもなく、被害者の恥だとか貞操の問題だとかして扱われるのでなければ、ほかの犯罪被害者と同じ程度には(アンダーソン・クーパーに対して「話題作りになって良かったな」と揶揄する人がいて、それが悪趣味だと思われつつも特に反発を浴びない程度には)許容されるはずです。そうでないのは、いまだに性暴力に関して、ほかの暴力や犯罪行為とは別格の、なにか被害者本人の資質や人格にとって汚点となるようなものだとして見る「社会的価値観」が温存されているからです。

すなわち、性暴力の被害者を嘲笑することがことさら咎められるのは、性暴力は特殊な犯罪だという価値観と裏表です。もちろんいまの社会において性暴力が特殊な犯罪として扱われているのは事実なので、ことさら咎める(そうしたものからことさら被害者を保護しようとする)のは悪いことではないでしょう。しかしそれは、被害者保護が社会的価値観として定着しているからではなく、逆にそうした価値観が不十分だからこそ、要請されるものです。もしほんとうに性暴力被害の告発がタブーではない世の中になったならば、クーパーの被害の扱いとローガンさんの被害の扱いは、「程度の違い」程度の問題に落ち着くのではないでしょうか。
先日、日出生台演習場から福岡空港経由で那覇空港に向かったと思われる「緑のケース」の〈外出〉の怪について、九州防衛局に対して提出したローカルネット大分・日出生台の公開質問書の内容をご紹介させていただきましたが、九州防衛局から同ネット事務局長の浦田龍次さん宛に電話で回答があったようです。

その回答はひとことで言って「中身は言えない。米軍から言うなと言われている」というもの。九州防衛局の幹部の面々の視野には米軍の存在はあっても、国民は存在していないのです。米軍に具申する情報はあっても国民に開示する情報はない、というのです。いまさら言うにも及びませんが国(民主党政権)及び防衛省(北澤俊美大臣)がいかに米国・米軍の下請け機関化(傀儡化)しているか、を改めて垣間見せられる思いです。

96年の日米首脳会談以降、日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)、周辺事態法、有事3法、国民保護法・計画が次々と成立し、その基礎の上に日米軍事一体化、在日米軍再編という同盟の変質強化が進んでいますが、大分・日出生台においても年を追うごとに米軍の訓練日程の情報は市民に開示されなくなっています。その反面、地元自治体には「他に口外しないように」との条件付きで米軍の訓練日程の情報は伝えられ、米軍訓練についての情報統制が「訓練」されていっています。まさに私たちの国ではいま「国民保護」という名のもとに憲法に違反する有事における民間防衛訓練が公然、非公然に着々と進められているのです。

以下、浦田龍次さんの報告の転載です。

湯布院の浦田です。

2月16日に九州防衛局に提出した公開質問書への回答が2月18日、電話でありました。

この質問を出すにいたった経緯については
http://www.jca.apc.org/~uratchan/localnet/lonets.html

予想はしていましたが、結論としては、不安を抱いている私たち住民ににとって、実に中身のない、たいへん残念な内容の回答でした。

問題となった「緑のケース」については、結論として「中身は言えない。米軍から言うなと言われている。貴重品であって、危険物ではない。ガードマンを付けたのは米軍から要請を受けたから」ということでした。

中身を明かさないまま、ただただ「危険はない」とだけ繰り返す防衛局の回答に、むしろ不安と不信が募る結果となりました。

○2月18日午後、防衛局より電話あり。

○文書での回答を求めていたのだが、結局、今回も口頭での回答となった。防衛局は、これまで同様の質問に対して、文書での回答を一度もしたことがない。文書で回答することで、責任を問われることを避けたいのであろう。

○いつもは、冒頭で、文書回答を求めて、回答に入る前に、毎回、延々と議論になるのだが、今回は、時間がなかったので、最初から、録音して、後でテープ起こしをして、整理することにした。

 以下、こちらから出した質問内容とそれに対する回答。

 実際はこんなに理路整然としたやりとりではなく、延々と確認のやりとりをした録音からテープ起こしして、以下のように整理しました。


                     質問と回答

質問1)
上記の2月15日に福岡空港へ昼頃に着いた米海兵隊員らは、沖縄へ撤収したのですか?

<防衛局回答>
この日は、海兵隊は撤収の準備をしており、早く仕事が終わった者が多少早めに帰った。

質問2)
彼らの出発について、報道や地元自治体などに通知連絡はされましたか?もし、通知連絡されなかったのであれば、それはどのような理由からですか?

<防衛局回答>
本隊とか、後発隊という大きな移動については、自治体、報道等に当然、公表している。個々の小さな移動については公表していない。

質問3)
この2月15日に、福岡空港に着いた米兵らの一人が持っていた、大きなカギの着いた緑色のケースについて

3ー1)
この緑色のケースの中身はなんですか?

<防衛局回答>
緑のケースの中身は危険物ではない。米軍に確認している。あえて言うなら「貴重品」。防衛局としては米軍に中身を確認し、把握しているが、米軍に言わないように言われているので、公表できない。細かい中身はわからないが、米軍から、そういった「貴重品」なので、ガードを付けてくださいと言われたので、ガードマンをつけた。

3ー2)
それを私たち一般市民の乗る旅客機に乗せて、危険はないのですか?

<防衛局回答>
危険はない

3ー3)
全日空の搭乗カウンターでは、なぜそのケースの持ち込みに時間がかかったのですか?

<防衛局回答>
ガードマンを急きょ空港の中までやることになったからだと思う。

3ー4)
同様のものを毎回、持ち込んだり、持ち出したりしているのですか?

(これについては回答なし。実は、ここまでのやりとりに疲れ果てて、この質問への回答がなかったことに気がつかないまま、電話を切ってしまいました。これについてはまたあらためて尋ねます)

 
ですが、ここ数年、確かに「目立つから」という特性を使って女性記者に戦争報道をさせる傾向があるようです。ローガン記者はその代表例と言えなくもありません。勿論、彼女の場合もイラク戦争ではブッシュ路線に不利な報道をし過ぎるとして「偏向報道」という非難を浴びた「武勇伝」もあり、モデル出身だからといって容姿だけを売り物にしているわけではありません。ですが、ローセンのように「斜め」に見ればその政治的ポジションも「出世のためのウケ狙い」というイメージにもなるわけで、とにかく何らかの知的な関心と正義への情熱はあるにしても「女性の目立つ特性を使って活躍しよう」という「勢い」そのものが不自然なものに見えるのだと思います。

 では、TV局サイドとしてはどうして「女性戦争記者」を使うのかというと、何といっても視聴率のためだと思います。アマンポーラなどの場合はともかく、現在ではホンネとして、女性記者の方が「受ける」という心理が漠然と社会的に存在するからです。これもかなり複雑で、女性視聴者にしてみれば「責任重大で困難な仕事を女性が担っている姿」への好感ということがあり、男性視聴者も基本的に同じですが一部の男性心理にしてみると、「戦場や混乱状態」から女性がレポートすることの「健気さ」を好むとか、「勝気な行動をしている女性が時折見せるパーソナルな表情が好きだ」などの心理があるわけです。そんな複雑なものではなく、無粋な男より女性のほうがスマートで格好良いという印象を男女ともに持っているとも言えるでしょう。

 確かにローガン記者はそうした「ニーズ」をうまく使ってキャリアを積んできたという印象はあります。南アメリカ人として英国にわたり、最初はモデルをしていたのが戦争報道で有名になり、離婚や再婚を報じられる中で芸能人扱いされる一方で、アメリカのCBSに職を得てからは、かなり積極的な取材姿勢が評価されて「ファンサイト」なども出来ているのです。

 単にアメリカの視聴者受けというだけでなく、政治的な背景もあるように思います。ローガン記者を「突撃の急先鋒」として、エジプト革命のプロセスではアメリカから多くの女性記者が現地入りしていますが、そのほとんどはエジプトということもあって、ベールを使わずに、金髪や長い髪を振り乱してデモ隊の中に飛び込んでいます。各局共にどうしてそうした演出になっているかというと、恐らく「この革命は市民の自由化を求める革命であって、イスラムの復権を目指すものではない」という性格付けをアメリカ世論へのメッセージとして送りたい、そのひとつの象徴として多くの女性記者をデモ隊の渦中に送り込んだということは言えると思います。

 つまり「派手な白人の女性記者がデモの群衆の中に入っても、宗教的にそして文化的に排除されない」ということが「これは宗教革命ではなく市民革命だ」ということを正にテレビ的に視覚で表現できるというわけです。この辺りが、冒頭の二つの疑問のうちの一つ目に関わってくるのですが、こうした報道姿勢はアメリカ側としては終始一貫していたように思います。

 先々週のこの欄でもお伝えしたように、アメリカの報道姿勢は「大変だ。エジプトまでが反米の原理主義になるかもしれない」というリアクションを排除して冷静さを確保するということで一貫しています。例えば、ムバラク前大統領が「辞任しない」と頑張っていたときには、サラ・ペイリンが「エジプト情勢に関してオバマがいちいち記者会見すると、みんなでその見解に従うのは異常」だと吠え立てて、「原理主義拡大の動きに警戒を」と呼びかけていたのですが、これに対しては保守本流の大物政治家であるリンゼイ・グラハム上院議員(共和)が「呆れた発言だ」と大統領を擁護するなど、政界も超党派で冷静さを保っていたぐらいです。

 ちなみに、下手をすると反米センチメントの拡大もありそうな、イエメン、ヨルダンのデモに関してはアメリカの報道は抑制気味、一方でリビアのデモは長年の仇敵カダフィ政権の動揺への期待から扱いが大きくなっています。イランの民主化デモに関しては、アメリカの世論も政界もデモ隊側を応援していますが、彼等を支援するがゆえに報道を自制しているような感じもあります。

 いずれにしても、今回のエジプト革命が「アメリカ人として応援できる」そして「アメリカにとって有害ではない」市民革命の一種だということを強調する報道姿勢は明らかにあると思います。また「何とか自分たちの理解の範囲にある」エジプトの例にアメリカ世論の関心を引きつけておこうという気配もあり、それは、アメリカの超党派の本流のホンネであると同時に、とにかくアメリカの保守派による過剰反応がかえって現地での反米心理の拡大になってはいけないという相互性を意識してのことということもあるように思います。

 ララ・ローガン記者が一度目の危険遭遇にも関わらず、自ら強く志願して現場に復帰した、そして革命の瞬間に立会いつつ事件に巻き込まれたというストーリーの背景には、そうしたアメリカの「文脈」があったと言って構わないでしょう。またローガン記者の被害というプライベートなニュースが、一旦何者かが事件を暴露した後に大手メディアでも報じられたのは「暴力被害にあった女性の権利は守り切る」という文化が背景にはあるのだと思います。

 この二つの文脈は正にアメリカの「フェニミズム」の現状を反映しているように思います。私はそこに個人的には普遍性も感じるのですが、同時に深刻な問題点も感じる者です。というのは、このようなフェニミズムは「過剰」であり、同時に「独善」だという問題です。過剰というのは、例えば女性兵士の大量派兵という問題です。女性が男性同等ならば、兵士として戦闘に参加するのも当然というのは、しかも大規模で行われているというのはやはり過剰さがあります。そのことと「イスラム圏のデモ隊の真ん中に女性記者を送りたがる」というのは同根という面もあるからです。更に独善性が暴走すると、イラクのアブグレイブでの捕虜虐待に際して「ムスリムの敵兵の自尊心を破壊するために、女性兵士によって拷問を行う」というようなダークな行動にもなってしまいます。

 そこまで行かなくても、女性の権利拡大を押し付ける姿勢が余りに独善的なために、かえって反発を招いてしまい、相手国での女性の人権が拡大しないという問題もあるように思います。アメリカ流のフェニミズムを絶対的に押し付ける態度は、相手から見れば自分への蔑視を含む尊大な姿勢に映るわけで、そうした心理が起きてしまうと、逆効果になるわけです。日本もその一つのケースと見なすことができるかもしれません。

 一方で、エジプトの場合は、非常に微妙な問題が入っています。というのは完全に世俗国家化しているトルコ、マレーシア、インドネシアなどを例外とするならば、エジプト社会における女性の人権はイスラム圏では先進的なのです。その一方で、ムスリム同胞団に代表される宗教保守派は、女性の人権拡大や西側文化の流入に反対して
いるという緊張関係があります。例えば、2001年頃に、アメリカの『フレンズ』というTVコメディがエジプトで流行し、大問題になったのだという話をエジプトのTVプロデューサーの講演で聞いたことがあります。『フレンズ』というのは、男3人、女3人の6人組が恋愛関係になったりパートナーが変わったりしながら「グループ交際」を続ける他愛ない話ですが、エジプトの保守派には十分に刺激的で賛否両論で大変だったのだそうです。

 もしかしたら、ローガン記者はそうした「自由を欲するエジプト女性への連帯」の気持ちを秘めてデモ隊に飛び込んだのかもしれませんし、またそうしたエジプトのフェミニストたちが彼女を暴力事件の現場から救出したのかもしれません。それはともかく、今度は激しいデモはバーレーンに飛び火し、流血の惨事に発展しているという報道もあります。オバマとして、アメリカとして、中東という地域に対して、更に本質的な思考を迫る事態が来る可能性も否定できなくなりました。

補記:ノルウェーの内閣で閣僚の男女比が逆転

フェミニズム問題に関しては、ノルウェーでは閣僚の3分の2が女性、という次のようなニュースもあります。当然のことがニュースになる現実は悲しいことですが、東欧・ノルウェーは私たちの国の「現実」を遥かに超えた社会になっているようです。

ノルウェー政府が「イクメン」支援、男性閣僚2人が育休(ロイター 2011年2月17日)
[オスロ 16日 ロイター] ノルウェーの内閣では現在、男性閣僚2人が育児休暇を取っている。ストールベルゲ法務・警察相が今年の1月から3月末まで、リースバッケン児童・男女共同参画・社会統合相は昨年11月末から3月21日まで育児休暇中だ。

 ノルウェーでは男性の育児休暇が奨励されており、最低でも10週間は有給で休みが取れる。

 1989年に自身も育休を取ったストルテンベルグ首相は「職場や政府で、男性が女性より不可欠な存在ということはない」と語る。現在育休中の2人の閣僚の代わりは女性が務めており、閣僚の3分の2が女性となっている。

 ノルウェーでは出産後、両親は自動的に2週間の休暇が与えられ、その後、2人合わせて有給で46週間の休暇か、8割の給料で56週間の休暇かを選択することができる。年内には最長57週間まで認められることになり、男性のみでは12週間まで延長されることになる。

ノルウェー男性閣僚2人が育休 代理を女性が務め男女逆転(共同通信 2011年2月17日)
【ロンドン共同】ノルウェーの内閣で男性閣僚2人がほぼ同時期に育児休業を取得、代理を女性が務めていることもあり、閣僚の約6割が女性という状況になっている。ロイター通信が16日伝えた。

 育休を取っているのはクヌート・ストールベルゲ法務・警察相とアウドゥン・リースバッケン児童・男女共同参画・社会統合相。期間は法相が今年1月1日から3月31日までの3カ月、児童相が昨年11月末から3月20日までの約4カ月。

 ノルウェーは男女平等の考えが強く、育児支援の手厚さで知られる。閣僚はもともと半分が女性だった。育休は両親が取得できる期間のうち、父親専用に最低10週間が割り当てられるが、政府は年内にこの期間を12週間に延長するなど、制度を拡充する方針。


ヒジャーブを被ってエジプト革命デモに参加する女性

下記はエジプトのムバラク大統領弾劾デモに参加している女性たちをポートレートした写真集です。


上記の写真集にポートレートされている女性たちはNO.10の子どもを肩に乗せて抱きかかえている女性を除いて全員ヒジャーブを被っていません(この写真集だけを見ると現在のエジプトの女性たちはヒジャーブを被らないのが通常のように錯覚してしまいます)。

しかし、この点については、現代アラブ文学研究者の岡真理さんが「エジプト、タハリール広場と三代の独裁者――革命の最前線、タハリール広場を中心にエジプトの近現代史をひもとく」(TUP通信 速報888号 2011-2-13)で次のような指摘をしています。

30年前のエジプトで、ヒジャーブ(イスラーム式スカーフ)を被っている若い女性など、ほとんどいませんでした。むしろ例外。ヒジャーブを被っている女子大生がいると、「ねえ、あなたはどうしてヒジャーブ被っているの?」とわざわざ訊ねたものです。

ところが今、多くの高等教育を受けた若い女性たちがヒジャーブを被っています。かつて、マルキシズムが社会正義の実現を目指す社会変革のためのイデオロギーであったとしたら、今、それはイスラームなのです。若い女性たちがヒジャーブを被る、その理由は一つではありませんが、でも、この不正な社会に対する一種のプロテストの意味もあるのです。

今回の革命で、ヒジャーブを被った若い女性たちもまた、前面で反ムバーラク、ムバーラク退陣を訴えました。ヒジャーブをイスラームによる女性抑圧の象徴と見なし、ヒジャーブを被ったムスリム女性をイスラームの家父長制に虐げられる犠牲者であるかのように見なす者には、彼女たちがアラビア語で、あるいは英語で積極的に発言する、行動する、そのアクティヴィズムが、不思議なものに映ったかもしれません。でも、「ヒジャーブを被った女性たち<さえもが>」ではないのです。ある意味、「ヒジャーブを被った女性たち<だからこそ>」、明確な政治的主張をしているのです。

フリージャーナリストの津山恵子さんは、ウォールストリートジャーナル日本版のコラムで「実は、エジプトでデモが始まった初期、報道写真やテレビ映像に、女性がほとんど映っていないのが気になっていた。写真が多いニューヨーク・タイムズも2月3日朝刊まで、ほとんど女性が映ったデモの写真がない」とレポートしていますが、あるいはヒジャーブを被った女性は被写体としては「絵(写真)になりにくい」というメディア側の商業上の理由がその大きな原因のひとつだったかもしれません(そうだとすればなんとも馬鹿々々しいことです)。

メディア側の商業上の理由といえば、1月25日革命(エジプト革命)時のCBS女性記者襲撃事件について米国ニュージャージー州在住の作家の冷泉彰彦さんがJMM(Japan Mail Media)に次のような記事を書いています。今日のフェミニズム問題の一端を考えるひとつの参考として転載させていただこうと思います。

■CBS女性記者襲撃事件とアメリカ的フェニミズム(JMM 2011年2月19日)
 エジプト革命のニュースは相変わらずアメリカでは関心が高く、ムバラク辞任後の流動的な情勢も依然としてトップニュースになっています。その中で、一つ気になるニュースが全米を駆け巡り、消えていきました。それはCBSの女性記者ララ・ローガンへの襲撃事件についてです。襲撃といえば、反政府運動が拡大する中で、2月3日に突如「ムバラク派」と思われるグループが、反政府派への襲撃を試み、ラクダやら馬まで登場して軍隊が間に割って入るという事件がありました。この混乱の中で、CNNの「AC」ことアンダーソン・クーパーが襲われたりしています。

 このローガン記者も同じ3日のタイミングで襲われているのですが、問題になった事件はそれとは別です。事件は、ムバラク辞任のニュースに狂喜した群衆が街に押し出した11日に起きました。ローガン記者は大勢のエジプト人男性に取り囲まれ、性的な暴力を受けた上に激しく殴打されたというのです。

 この事件に至るまでの間にローガン記者には色々なことが起こっています。事実関係としてはこうです。ローガン記者は2日の時点ではムスリム同胞団の拠点のひとつと言われているアレクサンドリアで取材をしています。その時の映像を私は見ているのですが、やや混乱状態の中デモ隊への直接取材を行っていますが、取材の内容としてはこの欄でもお伝えしたように、「自分たちは経済を破壊するようなことはしない。ムバラクに出ていってもらって国を変えたいだけ」というもので、文脈としては「ムスリム同胞団の影響の強い地区でも宗教政治を志向するような声はない」という主旨、逆を言えば「同胞団を危険視する必要はない」という内容のレポートでした。

 そのローガン記者は、翌日はカイロに戻って問題の「2月3日」の混乱状態の中、殴打どころか拉致されてしまいます。直後に本人が語ったところでは銃を突きつけられて軍と思われるグループに連行されたが、やがて解放されたというのです。この時点ではCBSは事態を重く見て、他のNBCやCBSのメインキャスター同様に「一時的にカイロからアメリカへ脱出」させる措置を取っています。ローガン記者は一躍「時の人」となり、翌週(2月7日の週)の前半にはニューヨークでTVの対談番組に登場して「革命を遠くで指をくわえて見ているわけには行きません。一刻も早くカイロに戻らなくては」と述べていたそうです。

 実際に程なくしてローガン記者はカイロに戻って取材を続けました。その結果として、11日のムバラク辞任のドラマに「間に合ってしまい」事件に巻き込まれたというわけです。報道によれば暴力を受け、殴打されているローガン記者は、10人ほどのエジプト軍兵士と女性たちのグループによって救出され、そのまま翌朝の飛行機でアメリカに急送されました。病院で治療を受けたところ、回復は意外に早いということで、16日にニュースが発表になっています。

 ここまでお話した「経緯」はどこまで本当かは分かりません。受けた暴力の程度や事件後の記者の症状などは、プライバシーに属する問題ですから、今後も100%明らかにされることはないでしょうし、本稿でも関心を寄せるつもりはありません。またムスリム同胞団の本拠と言われるアレクサンドリアでの取材で、ローガン記者が何らかのトラブルがあってその後も付け狙われたという可能性、3日に一旦彼女を拉致した兵士の素性、11日に今度は彼女を救った兵士の素性、何故か事件現場にいて彼女の救出を助けた地元女性の正体なども良く分かりません。もしかしたら落ち着いたところで、ローガン記者本人が手記を出版するというようなことがあるかもしれませんが、仮にそうであっても内容が100%真実かどうかは分からないと思います。

 今日お話ししたいのは、2点です。それはモデル出身という目立つ外見のローガン記者が、最終的には暴力事件に巻き込まれるような「危険」を冒してエジプト革命の取材を続けたのはどうしてか、という疑問、もう一つは詳細はともかく「特定の女性が性的な暴力を受けた」というプライバシーに関わるニュースがどうしてアメリカ社会で報道されたのかという点です。

 まず二番目の問題ですが、まずこの異常なニュースが報道された背景にあるのは、性的暴力の被害者は徹底的に救済・保護するという文化が確立しているということが挙げられます。アメリカでも80年代前半ぐらいまでは、まだまだ被害者にも落ち度があるとか、必死の抵抗がなければ何らかの合意に近いのではというような見解が残っていました。ですが、ジョディ・フォスターとケリー・マクギリスの熱演で話題になった映画 "The Accused"(邦題は「告発の行方」)などに見られるように、この時期からは女性をほぼ無条件で保護する権利が確定しています。判例というだけでなく、社会的な価値観としても明らかです。

 更に、90年代になると女性シンガーソングライター・ブームの中で例えばトーリ・エイモスとかフィオナ・アップルといったメジャーな歌手たちが、過去の性的暴力被害を告白するという中で、被害者が名乗り出る文化が浸透して行ったように思います。勿論、実名での告白を自動的に強制するとか、実名を晒すということは今でも厳格に否定されていますが、本人の自由意志で過去の被害経験を告白することがメンタルな問題解決に役立つのであれば、周囲はそれを受容しなくてはならないし、まして嘲笑したり、疎遠な感じを持ったりすることは近親者であっても厳しく禁じられる、そんな文化が確立しているのです。

 この事件が実名で報道されたのは勿論異例なのですが、一旦このニュースが出回った後は、メジャーなTVニュースも取り上げて行ったわけで、その背景には「アメリカ社会は被害女性を公的にも私的にも守り切る文化が確立している」からという点があったと言って構わないと思います。ちなみに、この報道には妙なリアクションがありました。NYU(ニューヨーク大学)司法安保研究センターのフェロー(研究員)であったニール・ローセンという人物がツイッターでの暴言事件を起こして大学を解雇されています。

 ローセンのツイートは「聖女に祭りあげるのもいいけど、アイツは戦争屋だからな」「アイツみたいにヘンなことされた女がゴマンといるんだろう」(筆者意訳)というものです。勿論、これはこうした「被害者を守り切る」文化から見れば完全にアウトで、特に二番目のものは即レッドカードものですが、このローセンの屈折したツイートの背景にあるのは、先に申し上げた第一の点に関係してくるように思います。それは、どうしてアメリカのメディアは「戦争報道」にわざわざ目立つ女性記者を送るのかという問題です。

 勿論ローセンのツイートはとても擁護できるものではありませんが、確かにここ数年、アメリカのメディアは戦争報道に目立つ女性を使いたがる傾向があります。TVの女性記者で戦争報道のプロといえば、CNNで長年活躍したクリスチャン・アマンポーラ(現ABC)がいますが、彼女の場合はイラン系英国人として生まれた中で中東問題などに深い理解をしているユニークな存在として活躍したわけで、女性の目立つ特性を使ってということではないと思います。911の直後には、何人か女性戦争記者が登場していますが、その多くも事件への個人的な思いからアフガンやイラクで何が起きているかを伝えようという個人的情熱に駆られたものでした。



米海兵隊員によって福岡空港に持ち込まれた緑のケース

大分・日出生台での米海兵隊実弾砲撃訓練は2月7日に始まり、同11日に終了しましたが、同演習終了後の「2月15日火曜日、午前8時半頃に日出生台演習場を出発し、正午前に福岡空港に到着した」「緑のケース」について、ローカルネット大分・日出生台事務局長の浦田龍次さんが重要な問題提起をされています。

以下、ローカルNET大分・日出生台のホームページから。


(写真1)
演習場ゲート入り口では
日通の現金輸送車らしき車が入り口を登って入ろうとしているのだが、
斜面でタイヤが滑って立ち往生していた。

この車が演習場に入るのを見かけるのは、
米軍訓練が始まる前の日の2月6日以来だ。

海兵隊員らに給料を届けにでも来たのかと思って見ていたが、
そうではなかったことは、後になって判明する。

(写真2)
日通の現金輸送車らしき車は、
いくら頑張ってもタイヤが空回りするばかりなので、
結局、上まで登るのはあきらめて、その場でUターン。

そこへ、米兵や防衛局の職員らがそこに集まってきた。

運んできたものを受け渡しするのかと思ったら、
なにもその「現金輸送車」からは降ろされず。

運んできたのではなくて、
どうもこれから運んでいくらしい。

(写真3)
この「現金輸送車?」に乗せられたのは、
男女の米兵と思われる2人だった。

背中にはそれぞれ1つずつバッグを背負い、
男性の方は、緑色のケースのようなものを持って、
車に乗り込んだ。

前の席には、「現金輸送」の警備員姿のガードマンが2人。

ガードマンと言っても、この人たちは、
まさに現金輸送を警備する、警察官のような「武装」をしている。

(写真4)
8時40分頃、
防衛局の車1台、
米兵が運転するレンタカー3台(前2台は神戸ナンバー)、
日通の「現金輸送車」1台、
防衛局の車1台、
という順番で計6台が日出生台演習場を出発した。

(写真5)
午前11時ちょっと前。

到着したのは、福岡空港。

15人ぐらいの米兵が先に帰るらしい。

ミアガニー中佐はいなかったが、
どうも幹部連中らしい。

(写真6)
乗るのは13時10分のANA489便 福岡発沖縄行きのようだ。

(写真7)
ところで、

現金輸送車に乗せられてやってきた2人組の方は、
他の米兵らとは別のカウンターで受付。

ところが…。

なにやら受付で、話がうまくいかない様子。

ANAの受付の女性たちが3人ほど集まってきて、
米兵の側にも防衛局員らがあつまってきて
あれこれと困った顔で話し合っている。

書類のようなものを書くように言われて、
米兵側がそれを出したようなのだが、
それでもまだ、話がまとまらない様子。

どうも雰囲気からすると、男女2人組のうち、男性の方が、
肌身離さない状態でずっと抱えてきた緑色のケースの扱いが
問題となっているようだった。

かれこれ20分ほどはやりとりをして、
ようやくなんらかの結論がでたらしく、
2人の男女は移動を始めた。

この段階でやっとはっきりわかったのだが、
わざわざ「現金輸送車」で厳重に警備をして守っていたのは、
現金や、2人の男女ではなくて、
このノートパソコンが2個入るくらいの大きさの
緑色のケースだったようだ。

(写真8)
ケースにはPELICANの文字。

PELICANは、このようなケースのメーカーの名前で、
中身とは直接関係がないようだ。

たぶんスポンジのようなものが中に入っていて、
なにかを衝撃から守っていると考えられる。

彼らは、これを預け荷物ではなくて、
手持ちで飛行機に持ち込むようだ。

(写真9)
この2人の男女は、

他の米兵らとは別にチェックイン入り口に向かったのだが、

その後ろを日通の2人組ガードマンらが

しっかりとガードしながらついて行く。

(写真10・11・12)
チェックインの金属チェックに
緑のケースを運ぶ2人組が入っていく。

ここで見送るのかと思ったら、
日通のガードマン2人も、
そのままくっついて中へ…

(写真13)
なんと、ガードマン2人は、
緑のケースを運ぶ男女2人を警備したまま、
金属チェックのさらにまたその奥へ…

(写真14)
そして、その向こうへと4人とも消えていった。

どうも、ガードマンらは、
飛行機に乗り込むための
待合所にも警備のために同行していったようだ。

13時10分、沖縄行きの飛行機が飛び立った後、
この2人の日通警備員は
駐車場の「現金輸送車」に戻ってきたので、
さすがに一緒に飛行機に乗って
沖縄には行かなかったようだ。

それにしても…。

そこまで厳重に警備する必要があった緑のケースに入っているのは、
いったい何なのか?

重要な書類といったレベルではここまでの警備をすることはないだろう。

まさか弾薬ではないだろうが、
それは危険物ではないのか?

民間の旅客機に民間の旅客と一緒に乗せても
大丈夫なものなのか?

ANAの受付カウンターで
どんなやりとりがあって、
最終的にどういう判断で通過が許可されたのか?

防衛局員らも受付でのやりとりには加わっていたので、
彼らはそれが何だったのかをおそらく知っているだろう。

これについては、あらためて
防衛局に質問をしなければならないと思う。

もし、米軍の特権で、
危険物が民間旅客機に一緒に乗せられていたとするなら、
これは大変なことだ。

それで思い出すのは、かつてこの米軍の本土移転演習において、
全日空機が弾薬を積んで運んでいたという記事。
防衛施設庁はこれまた「問題ない」というのだが…。

在沖海兵隊/全日空機で武器運ぶ/97年度の砲撃演習/嘉手納から横田基地へ(琉球新報 1999年3月15日)
(本文省略)
在沖米軍の武器、弾薬輸送/実弾演習の本土移転/民間業者を国が手配/ガイドラインの実施が現実に(琉球新報 1999年3月4日)
(本文省略)

う?ん。

上の記事を読んでいると、
なんだか、日本の法律って、
米軍の都合でなんとでも解釈されて、
結局、米軍がやりたいことを追認しているだけみたいだ。

でも、そこで置き去りにされているのは、
いつも住民の安全。
日本政府が優先するのは自国民よりも米軍。

さて、今回の緑のケース。
弾薬なのか、どうかも不明だが、
いずれにしても、
この件は、場合によっては、
私たち一般市民の生命の安全に関わるかもしれない問題。

防衛局や米軍には、
きちんと納得のいく説明を
してもらう必要がある。

…ということで、

今度は、現地対策本部長宛に、
2月16日、「公開質問書」を出すことになりました。


                               ローカルネット大分・日出生台

                          大分県由布市湯布院町川上1525?12



現地対策本部長

 松本俊彦 様



           日出生台での米軍訓練に関する防衛局への公開質問書







 



 日出生台演習場で行われている米海兵隊の実弾砲撃訓練について、住民の暮らしの安心と安全を守り、また、私たちの税金が私たちの幸福のためにきちんと使われているのかをチェックする納税者の立場から、以下、質問をさせていただきます。2月15日火曜日、午前8時半頃に日出生台演習場を出発し、正午前に福岡空港に到着した米海兵隊員らについて、質問します。







1)上記の2月15日に福岡空港へ昼頃に着いた米海兵隊員らは、沖縄へ撤収したのですか?







2)彼らの出発について、報道や地元自治体などに通知連絡はされましたか?もし、通知連絡されなかったのであれば、それはどのような理由からですか?







3)この2月15日に、福岡空港に着いた米兵らの一人が持っていた、大きなカギの着いた緑色のケースについて、お尋ねします。







 この緑色のケースは、日出生台から福岡空港まで、これを運ぶ担当と見られる2人の男女とともに、日通の警備輸送車に乗せられて、厳重警福の下、福岡空港に輸送されました。また、到着後も、この緑のケースを運ぶ男女2人には、護身用具をつけた警備員2人が常に同伴し、周囲を警戒。搭乗受付の全日空カウンターでは、その緑のケースの持ち込みについて、なかなか許可が得られない様子でしたが、防衛局員らが何度も説明し、全日空側担当者も内部での検討をした後に、ようやく了承が得られた様子でした。







 また、その後、この2人の男女は、緑のケースを持って、一般搭乗客と同様に、金属探知機のある入り口へと入って行きましたが、警備員らはそこにも同伴し、なんと、さらに、飛行機に乗り込むための待合所にまで同伴警備するという念の入れようでした。この緑色のケースについて以下、質問をいたします。







3-1)この緑色のケースの中身はなんですか?







3-2)それを私たち一般市民の乗る旅客機に乗せて、危険はないのですか?







3-3)全日空の搭乗カウンターでは、なぜそのケースの持ち込みに時間がかかったのですか?







3-4)同様のものを毎回、持ち込んだり、持ち出したりしているのですか?







 この質問は、その厳重警備下で運ばれた緑色のケースが、万一にも危険物であった場合に、私たち



一般民間人にもその危険性が及ぶ可能性があるのではないかとの不安から質問をさせていただきまし



た。どうか、私たちの不安を払拭していただけるような、納得のいく説明をしていただけますよう、お願い



申し上げます。







要するに、



そこまで厳重警備を必要とするこの緑のケースは、



本当に民間旅客機に一緒に乗せても大丈夫なんですか?



という質問書。







九州防衛局の真摯な回答を期待しています!

であるならば、「統一」の可能性をあくまで追求する以外ありえません。「吉田万三さんが降りてくれるという保証」がないから「浅野氏擁立」運動をやめよう、という話にはなりません。何度も何度も繰り返しますが、吉田万三さんだけでは「石原3選阻止」は為し難いのです。同じように共産党抜きの「浅野氏擁立」でも、「石原3選阻止」は為し難いのです。何度も何度も同じことを言いますが、であるならば、「統一」の可能性をあくまで追求する以外ないのです。「石原3選阻止」のために。

Sさん:しかし今からでは政策協定も難しいし、こうした市民の動きが逆に反石原勢力の分裂を促すのではという懸念もあります。

東本:革新統一の候補者が決まらなければ「政策協定」も結べません。「今からでは政策協定も難しい」のではなく、浅野さんが立候補の意志を明確に示さない限り「政策協定」を結ぶ段取りにもならないのです。いまは「浅野ラブコール」が先決です。段取りとしては、浅野さんが出馬の意志を示して、それから各党との「政策協定」の締結ということになるでしょう。「政策協定」の締結は、浅野さんが出馬の意志を明確に示してからでも決して遅くないと思います。吉田さんがすでに示している「3つの協定」は、浅野さんのこれまでの実績から見ても、浅野さんご自身の政策でもあるはずだからです。何度も言いますが、いまは、浅野さんに出馬の決意をしていただくこと、その取り組みが先決だと私は思います。

なお、「浅野氏擁立」の「動きが逆に反石原勢力の分裂を促すのでは」という見方は、「浅野氏擁立」の動きが「民主党支持」の動き、ひいては「共産党排除」の動きに連動していくのではないか、という懸念でしょうが、そうした見方は、「浅野さんのハートに火をつける会」の運動が“民主党的なもの”の主導によるもの、という誤解からきているところが少なくないのではないか、と思われます。

たしかに、同会の呼びかけ人のおひとりの五十嵐敬喜・法政大教授は民主党サイドの人です。しかし、彼が独自の民主党観を持っていることはすでに述べたことです。五十嵐氏は一面において革新の人、民主党と共産党との“共闘”を支持する人でもあります。五十嵐さんはいま、民主党と共産党との“共闘”を真剣に模索しているはずです(*5)。

*5:前回都知事選で浅野陣営と吉田陣営がそれぞれ惨敗(石原の大量得票に比して)した最大の原因はやはり共産党サイドと民主党サイドの“共闘”が実現しなかったこと、を挙げるべきだと思いますが、浅野陣営の惨敗の原因のひとつに同選挙戦の後半で民主党の支援を前面に出して戦った選挙戦術上の失敗を挙げておく必要があるようにも思います。同戦術は民主党支持層を完全に固めることができなかったばかりか、逆に無党派層(とりわけ革新無党派層)の離反を生じさせる結果となりました。こうした戦術上の失敗は、五十嵐氏が(だけではありませんが)「民主党と共産党との“共闘”を真剣に模索」していたとしても、その模索は、民主党サイドに立った、すなわちわかりやすく言ってえこひいき型の「民主党と共産党との“共闘”」の「真剣な模索」でしかなかったこと、そうした「調停」人の限界性を示しているでしょう。改めて私たちはこのことも“共闘”のあり方の大切な教訓として記憶しておくべきことのようにも思います。

また、この日の「浅野さんのハートに火をつける会」には、ジェンダー学関係者(「護憲」を志向する者も少なくありません)やAML(当時)参加者、「東京を。プロデュース」のメンバーなども多数参加していました。卑近にいえば、私の見るところ共産党支持者も多かったのです。決して民主党サイドの「浅野氏擁立」の動きに連動するものではない、というのが、私の判断です。

Sさん:せめて「革新都政をつくる会」や吉田さん本人との協議を十分に行った上で都知事選に向けた候補者擁立運動に踏み出すべきだったのでは、と思うのですがどうなんでしょうか。

東本:この点についても上記で述べたとおりです。浅野さんが立候補の意志を明確に示さない限り、「協議」する段取りにもならないのです。ここでも浅野さんが出馬の意志を明確に示すことが先決問題だろう、と私は思っています。

Sさん:浅野さんでうまくいかない場合、市民・護憲派が一致して吉田万三さんを支援する、という選択肢も考える必要があるのではないでしょうか。すでに都知事選直前なのに、中途半端に候補者選びに時間を費やすより、思い切った決断を行うほうが有益な場合もあると思います。

東本:これも何度も言っていますが、吉田氏が出馬することになれば、必ず民主党、社民党も、連合するか単独であるかはともかくとして独自の候補者を擁立することになるでしょう。すなわち、分裂選挙になります。分裂選挙になれば「石原3選阻止」は為し難いのです。「吉田万三さんを支援する」という選択は、分裂選挙やむなし、という状況になって、はじめて議題に上りうる議題であろう、と私は思います。いまの段階で考えることではないだろう、と。最後の最後まで「統一」を志向しましょう。「石原3選阻止」のために。

Sさん:社民や9条ネットや新社や民主党の有志も、幅広い市民団体も、今までのしがらみを捨てて吉田さんを支援する、という決断はできないのでしょうか。

東本:分裂選挙やむなし、という状況になれば、「今までのしがらみを捨てて吉田さんを支援する」べきだと私も思います。しかし、それは最後の最後の手段だと私は思います。

Sさん:吉田さんでは勝てない、と言われますが、マスコミが悪意の無視をしているとしか思えません。仮に石原知事と吉田さんが、都知事選関連報道で同じくらいの比重で扱われれば、知事選に対する関心ももっと高まり、本当に「政策」で勝負する選挙になるはずなのにと思います。マスコミに対して、このような「偏向報道」を今すぐにでも改めるよう求める必要があるのではないでしょうか? 読売や産経ならともかく、朝日新聞やTBS、テレビ朝日でさえ吉田さんのことがほとんど取り上げられないのは、比較的リベラルな層の間にも共産党への抵抗感や共産党系の運動を軽視・無視する態度が根付いていることの現われではないでしょうか。

東本:この点についてのご指摘にはまったく同感です。私も先日この点について「東京都知事選の候補者問題を報道するマスメディアのスタンスは、『石原・自民VS民主』というもの。私は、このマスメディアの報道スタンスに大きな疑問を抱いています」云々と書いて、いくつかの媒体に発信しておきました。しかし、今回の市民レベルの浅野擁立の動きは「石原・自民VS民主」の構図ではありません。私たちは「石原・自民VS市民・革新党派連携」の構図を作りたいと願っているのです。ただ、マスメディアがそういうことを理解せず相変わらず「石原・自民VS民主」の構図に収めようとしているにすぎません。
前回の東京都知事選では市民の動きは結構すばやいものがありました。私は2006年11月13日付でいくつかのメーリングリスト媒体に東京都民の「都知事候補の統一問題」をテーマにした次のような大胆シンポジウムが開かれることを伝えるメールを発信しています(東京都知事選の投票日は2007年4月8日)。


それに比して今回の都知事選では市民のレベルで「都知事候補の統一問題」を考えようとする動きは、東京を考えるシンポジウム実行委員会(呼びかけ人:宇都宮健児、上原公子、鈴木邦男、土肥信雄)が主催した「もう、ごめん!石原コンクリート都政」シンポジウムや「新東京政策研究会」(代表、渡辺治一橋大教授)主催のシンポジウム、マガジン9や東京“待ったなし!”アクションの都知事選候補者推薦募集キャンペーンなどないことはなかったのですが、いずれも候補者擁立について抽象的なレベルの域を超えるものではありませんでした。

その原因は、前回都知事選では比較的早い段階に革新都政をつくる会(共産党系)が吉田万三氏を都知事選候補者として擁立することを決めており、また民主党もそうした動きに呼応して二転三転しましたが比較的早い段階から候補者選定作業を進めていましたが、今回はそうした政党の早い段階での候補者選定の動きが見られなかったことなどが挙げられるでしょう。市民運動の側には自ら自発的に動いて独自に統一候補者を擁立しようとする力量に乏しいものがあります。結局、政党(系)推薦の候補者が名乗りを上げてから、その上で調整役として動く、というこれまでの市民運動の限界を今回も超えることができなかったというところに都知事選候補者擁立について抽象的なレベルの域を超えることができなかった原因の一端を見出すことができるように思います。

しかし、その市民運動は、いったん火がつくと燎原の火のように急激になだれうって燃え上がるという性質をもあわせ持っているように思います。石原反動都政をストップさせるためには、また東国原前宮崎県知事のようなポピュリズム政治の東京都での跳梁を許さないためには、すなわち私たちの革新統一候補を勝利に導くためにはをこの市民の燎原の火のような熱情と勢い、そして力が必要です。

その市民の熱情と勢いと力はどのようにして生まれるのか。前回の都知事選挙時の「浅野コール」がその市民の熱情と勢いと力の威力を垣間見せてくれた一コマであったように私は思います。

前回と今回とでは条件が違います。文中に「浅野」とあるところは「小池」と読み替えていただければおおかた意は通じるものと思います。そういうことを念頭において前回都知事選挙時にSさんという人と交わしたメールのやりとりを会話風にアレンジして再掲することにしました。意のあるところをお汲み取りいただければ幸いです。

私たちの念願しているのは石原反動都政ストップです。そのための統一です。

以下、前回都知事選挙時の私のメールのアレンジ版です。

Sさん:都知事選が近づいていますが、まだ反石原の側がまとまらないことにすごく危機感を感じます。

東本:都知事選の告示までもう1か月を切っているというのに「まだ反石原の側がまとまらない」。この「危機感」は、革新統一候補を望む者なら誰もが持つ共通の「危機感」といってよいと思います。私もその「危機感」を共有しています。ただ、一般論としてはSさんのおっしゃるとおりですが、「浅野さんのハートに火をつける会」の第2回目の集会が開かれてから“まだ”1日も日は経っていないのです(*1)。そのときに「まだ反石原の側がまとまらない」と言ってしまうのはどうでしょう? もう少し事態の推移を見極めてから「まだ」かどうかを判断するべきであろう、と私は思います。

*1:「浅野さんのハートに火をつける会」の第2回目の集会が開かれたのは2007年2月25日のこと。また、浅野氏にとっては2回目にして初めての集会参加。Sさんから上記の問題提起があったのは翌日の26日のことです。同集会で浅野氏は次のように語ったようです。「ちょっとお話を聞いてみたいという気持ちもありましたが、びっくりしました。こんな会とは思わなかった」(TBSニュース、25日22:57)。この浅野氏の言葉は、25日というこの日が、市民から「都知事選出馬」を熱烈に求められていることを【初めて認識した日】ということになるのではないでしょうか。

ちなみに「浅野氏擁立」が《革新統一候補》の問題として浮上したのはこの15日からのことです。それまでは共産党サイド、または民主党サイドからの、すなわち政党サイドからの出馬宣言、立候補者の模索であり、私たちの側に《革新統一候補を実現しよう》という機運はあっても、田中康夫はどうか、吉永小百合はどうか、という願望のレベルを超えるものではなく、とても《革新統一候補実現》の模索と呼べるべきものではありませんでした。

それが15日を境に一気に「浅野氏擁立」運動に火がついたのです(*2参照)。「1日のうちにメールが飛び交い、150人の部屋に250人が集まった」(朝日新聞コラムニスト、早野透。*3参照)。それが16日の第1回目の「浅野さんのハートに火をつける会」の集会でした。その15日から数えても“まだ”10日しか経っていないのです。

*2:私は第1回目の「浅野さんのハートに火をつける会」集会の翌日の17日に「(メディア記事は)すべて浅野氏の出馬に否定的ですが、記事をよく読めば、「民主党からは立候補しない」と言明したということであって、市民からの出馬要請に対しては含みを残しています。」「浅野氏に嵐のような出馬要請を!」という次のようなメールを発信しました。そして事態は「浅野氏出馬」に大きく動き出しました。

*3:「資料:朝日新聞コラムニスト早野透さんの浅野氏へのラブレター(2007年2月20日付)」

Sさん:リベラル派と評判の高い浅野さん(あるいは菅さんやその他の候補でもいいのですが)で、 共産党から民主党まで共同で推せる統一候補が立ち上がることが理想的であるのはもちろんです。ただ、現在すでに選挙まで2ヶ月を切りましたが、果たして現在浅野さんが立候補表明をしたところで、吉田万三さんが降りてくれるという保証はあるのでしょうか。

東本:もちろん、「吉田万三さんが降りてくれるという保証」などありません。しかし一方で、民主党、共産党、社民党(あるいは共産党、民主党・社民党)の分裂の選挙では「石原3選阻止」は為し難いのです。そのことは私も何度も言っていますが、「民主党から、社民党、共産党まで各党とも認識は一致しています(*4)」。

*4:「都知事選11・26大胆シンポジウム報告」をご一読いただければすぐにわかることですが、左記のシンポジウムで吉田氏は次のように述べていました

吉田万三氏:(シンポジウム参加者の質問に答えて)「私は現実論に立っている。勝てそうになるとだれでも出る人がいると思う。本当にやる気があるなら、諸手をあげるしかない」

上記の吉田氏の発言中の「諸手をあげるしかない」の意は「統一候補(民主、共産、社民の)が実現すれば自分は降りてもよい」という意味に同シンポジウム参加者に受けとめられました。辞書によれば諸手をあげる」とは「無条件に、また積極的に歓迎する」の意であるからです。しかし、現実には吉田氏の意向よりも政党の理念、あるいは党利が優先され、「統一」は実現しませんでした。前回都知事選敗退の最大の要因はこの「統一」の不実現にあったのは誰の目から見ても明らかなことといわなければならないでしょう。

*2007年2月20日付でいくつかの媒体に発信した標題記事を資料として再録しておきます。

朝日新聞コラムニスト早野透さんの浅野氏へのラブレター(再録)

朝日新聞コラムニストの早野透さんが、18日付の日刊スポーツ紙上で、浅野氏にラブレターを書いています。とても心のこもったものです。私も団塊の末端世代(第1次ベビーブーマー)ですが、ついもらい泣きしてしまいました。

平成19年2月18日
タイトル:「浅野的」選択肢の必然性 ?有志の会 あふれた待望の声?
日刊スポーツ「政治の時間」より 朝日新聞コラムニスト 早野透

 東京都知事選の候補者選びが大詰めである。石原慎太郎知事は3選に臨み、共産党の推す吉田万三元足立区長が名乗り出ている。民主党は迷走している。

 16日夜、国会近くの会議場「ルポール麹町」で「浅野史郎さんを東京都知事に出馬させる会」が催された。「浅野さん ハートに火を点けて」というポスターが張られた。司会の女性が「初恋の人にプロポーズするようなときめきで」と開会した。この会は、民主党から出馬を打診されたという前宮城県知事の浅野に、政党政派ではなく市民から出馬を求めようとわずか2日前に企画された。

 「厚生省の障害福祉課長だった浅野さんが初めて立ったときは、何の後ろ盾もない障害者たちが集まってぼそぼそと選挙運動を始めたんですよ。今度も無党派市民から始めたいんです」と呼びかけ人の代表格の五十嵐敬喜法大教授。

 1日のうちにメールが飛び交い、150人の部屋に250人が集まった。そこに元首相細川護煕の妻で、障害者のスポーツの祭典スペシャルオリンピックスの推進役細川佳代子が駆けつけてあいさつした。「2日前の夜、こんな会があるよと聞いて熊本からかけつけてきました」。熊本県知事だった夫護煕は、「権腐十年」、長く居座ると権力は腐敗すると2期8年で辞めた。浅野は3期12年、徹底的に情報公開して、知事交際費もすべて明らかにして透明性に心掛けてきた。「浅野さんは細川を見習ってくれた。しかし今、汚職不正、知事の逮捕が相次ぎ、悲しい日本です」。だが、佳代子が会に駆けつけた最大の理由は、浅野が障害者のことに心を砕いた人生を送り、行政の中で闘ってきたことだ。佳代子は続ける。「障害者のある人たちは、純粋な心、思いやりの心で、わたしたちに人としての優しさを教えてくれる。その人らしく生き、助け合う、豊かな国。浅野さんがトップで率いてくれたら」。

 会場はしんとして聞き入って拍手がわき上がった。なるほど、浅野の出馬は、かつて障害者施設を見て「重度障害者には人格があるのかね」と語ったあの人との間で、人間観の違いを争う稀有な選挙になるかもしれない。

 東京都国立市長の上原公子は欠席予定でメッセージを寄せたのだけれども、日程をやりくりして駆けつけてそのメッセージを読み上げた。「東京は傷つきやすい生命を1200万も抱えた都市です。一人一人の命やつぶやきを見逃さない志を持った人が責任ある立場に必要です。自分の趣味や思いつきでほえまくることが強いリーダーシップだと思い込み、人権や権利は強い者だけに与えられている特権だと思っているかのような人とは早々にお別れしたい」。

 トラックいっぱいのバレンタインチョコレートだけでなくトラックを連ねて私たちは浅野さんの応援隊になりたいと上原は結んだ。この後、「ひとこと言わないと悔いが残る」という会場の参加者の列が並び、次々と発言が続いた。

 浅野史郎、59歳。「知事は卒業」というけれど、あなたたち団塊の世代はもう一働きして世の中に尽くしたいということではないのか。ご家族に苦労は掛けるけれど。浅野は出馬に「必然性を感じない」というけれど、そんなことはない。「石原的なるもの」に「浅野的なるもの」の選択肢を対置するのは、天があなたに与えた任務ではないのか。

いま、筑紫哲也さんがNEWS23の「多事争論」で浅野さんのお名前や東京都知事選のことをおくびにもださないまま「浅野エール」を送りました。わかるものにはわかります。
小沢一郎、河村たかし批判の急先鋒役を担っている感のある「きまぐれな日々」ブログを主宰する古寺多見さんが小沢一郎と河村たかし・大村秀章コンビとの癒着の続報を書いています。


同ブログ主宰者の発言のうち注目されるのは東京都知事選について次のように言及している点です。

私は、もう民主党も社民党も都知事選は自主投票にすべきで、格差の縮小や貧困の解消を求める心ある都民は元共産党参院議員の小池晃氏の支援で一本化すべきだと考える。私は特に共産党を支持する人間ではないが、もうそれしか選択肢はない。

私も都知事選の出馬が確実視される石原慎太郎にも東国原英夫にも対抗しうる「知名度」を持ち、かつ共産党、社民党、民主党の政党間連携の成功の要ともなりうる「勝てる候補」としてのたとえば湯浅誠氏のような人物の擁立が実現できる見込みがあるのならばともかく、そうでなければ民主党も社民党も「小池晃氏の支援で一本化すべき」だろうと考えます。石原ポピュリズム・反動都政をストップさせるためには「もうそれしか選択肢はない」、と。要は共産党が好きとか嫌いとかではなく、石原都政をストップさせることができるかどうか。そのために「格差の縮小や貧困の解消を求める(民主党や社民党を含む)心ある都民」が一本化することができるかどうかだ、と。

「市民と共に都政を動かす都知事候補」の擁立を掲げる「東京“待ったなし!”アクション(前東京。をプロデュース?)」さん。また、マガジン9さん。また、多くの「格差の縮小や貧困の解消を求める心ある都民」のみなさん。さまざまなグループのみなさん。その線で動かれませんか? 私たちにはもう残された時間はあまりありません。

上記の「きまぐれな日々」ブログの記事から少し抜粋。

まず、なんといっても小沢一郎が河村たかし・大村秀章コンビとの提携をアピールしたニュースは見逃せない。(略)

つまり、河村の「減税日本」は、小沢一郎の経済思想に近いのである。ひとことでいえば、「小さな政府」を志向する新自由主義だ。菅直人・与謝野馨・谷垣禎一らの「財政再建至上主義」と一見対極にあるように見えるが、両者は実は同じ穴の狢だとは毎回のように書いているが今回もまた書く。要するに、これまでにもたび重なる減税によって優遇されてきた金持ちをさらに減税で潤わせようというのが小沢一郎や河村たかしであり、国家財政が厳しいからといって貧乏人から増税した上に社会保障を削減しようというのが菅直人や与謝野馨や谷垣禎一である。

もちろん、小沢一郎や河村たかし流の「減税真理教」でも、税収が減るからいずれは社会保障切り捨てや消費税増税が待ち構えており、小沢一派と菅一派は「同じ穴の狢」を通り越して、将来の政策では完全に一致する。現在の菅直人と小沢一郎の抗争など、新自由主義者同士の醜い権力闘争に過ぎない。

いずれにせよ、小沢一郎が河村たかしや大村秀章との提携を公言した今回のニュースから、小沢の「国民の生活が第一」というキャッチフレーズなど単なる方便に過ぎないことがはっきりした。やはり小沢一郎は小沢一郎だった。再分配重視へと舵を切ったかのように見えたのは、あの当時(5年前)の世論であればその方が選挙に勝てる、と判断したからに過ぎない。現在はむしろ新自由主義的な行き方のほうが支持を得られると判断して、小沢は河村との連携を鮮明にした。小沢一郎とはやはり「政策より政局が優先、国民の生活より数の力と金の力が大事」という政治屋である。

民主党は結党当時から新自由主義色の強い政党だったから、当然の末路といえなくもないが、哀れをきわめるのは社民党である。昨今の民主党の迷走もひどいが、社民党の迷走はさらにひどい。社民党が「小沢一郎の別働隊」と酷評されていることはかなり知られていると思うが、教えてもらったところによれば、同党の機関紙「社会新報」には、昨年の民主党代表選の際に小沢一郎を賞賛する佐高信(社民党員ではないらしい)の評論が載ったそうだ。そして、「名古屋トリプル選」で河村たかし・大村秀章が圧勝すると、もう腰がふらつく。前回のエントリでも触れた保坂展人氏のブログ記事は、河村ら「減税日本」の政策には何も触れず、

 今の永田町の政府・与党と多数派の議論が「増税の仕方」に傾いていることを考えると、影響 は予想
 以上に大きいかもしれない。

などと、新聞にでも載りそうな、客観性を装ったというかひとごとみたいな文章を書く。私が感じるのは、社民党と良好な関係にあり、河村一派と友好関係にある小沢一郎に対する遠慮である。このていたらくでは、民主党より前に社民党が潰れてしまうだろう。

名古屋では3月に市議選があるが、これも「減税日本」大躍進以外の選挙結果は考えられない。さらに統一地方選があり、それには東京都知事選が含まれる。私は、もう民主党も社民党も都知事選は自主投票にすべきで、格差の縮小や貧困の解消を求める心ある都民は元共産党参院議員の小池晃氏の支援で一本化すべきだと考える。私は特に共産党を支持する人間ではないが、もうそれしか選択肢はない。
先日のエントリ記事「名古屋市長選、愛知県知事選。そして東京都知事選―ポピュリズム政治にサヨナラするために―」を脱稿した後、あるメーリングリストに私の同拙論と同趣旨ではあるけれども私とは別の観点からのNさんという名古屋市民の方からの同市長選、愛知県知事選の結果についての感想(補足参照)の投稿がありました。ひとりの名古屋市民がどのような思考回路と思想的葛藤を経て同市長選、県知事選の投票にに臨んだのかがよくわかる論攷となっているように私は思ったのですが、拙論とNさんの投稿への反論のつもりでしょうか同メーリングリストに「名古屋市市議会はほんの数ヶ月の任期を縮めるための公費を使っていいのかと言っていた、詭弁です。リコールは私たちの意思を示す物」という名古屋市民のtweet上の発言を紹介する人がいました。

私は同tweet上の発言のちょうどよい反論記事にもなっているのではないかと思い、下記の「Afternoon Cafe」というブログ記事を同発言の反論の反論として逆紹介させていただきました。私は、同ブログ記事の主宰者の秋原葉月さんの論に全面的に賛成するものです。あらたにエントリを起こしてご紹介させていただこうと思います。

また、私は、同ブログ記事主宰者の秋原葉月さんに次のようなコメントを送信しました。

秋原さんの今日付けの記事「名古屋市議選が大政翼賛会作りの第一歩とならぬよう」を拝読させていただきました。まったく同感です。/私としては「大政翼賛会作りの第二歩とならぬよう」都知事選で石原と東国原を(出馬するとして)なんとか蹴落としたいと思っているのですが、なかなか・・・/でも、一発大逆転を期待しています。なんとか・・・

以下、Afternoon Cafe(2011年2月10日付)からの転載(抜粋)。

地方自治体の長が率先して議会のリコール運動を行うということは、憲法が定めた「二元制」構造を真っ向から否定し、議会制そのものを否定するということです。住民が主体となって起こす本来のリコール運動とは全く意味合いが違います。
ファシズムとは「議会制民主主義の否定」ですから、河村氏のやったリコール運動はまさにファシズムそのものなのです。
前の記事で、河村氏の手法は小泉的でもファシズムでもないと擁護した天木直人氏の残念なエントリーを紹介しましたが、天木氏はこのことを理解していらっしゃらないのでしょうか?

案の定、河村市長はさっそく大政翼賛会作りに乗り出しました。
長と対等な存在として長を監視する存在であるはずの議会を、自分の支配下に納めようとしています。しかも、市議選の応援を市長としての公務時間内に行う、民意が求める減税を否決する議会を変えることも公務だと公言してはばかりません。

これは、先だってのリコールに続いて再度議会制民主主義を否定するとんでもない発言です。
市長としての立場と私的会派である「減税日本」としての立場は、厳に区別されねばなりません。双方の立場を混同して「議会を事実上市長が掌握することは市長の公務だ」と言ってのけるのは、議会の対等性独立性の否定・議会制民主主義の否定を、名古屋市長として公式に宣言しているも同然です。
注:全文は上記ブログ記事をお読みください。

補足:ある名古屋市民の同市長選、愛知県知事選結果についての感想(転載)

みなさま、こんばんは。
N de 名古屋です。

愛知県知事選は、地元では事前に、「大村優勢、重徳(自民)・御園(民主・社民・国民)・薬師寺(みんな)が追い、土井(共産)は苦戦」と報道されていました。ですが、私はここまで差がつくとは思っていませんでしたので、大村が有効得票の50.0%、河村にいたっては69.8%という票数を見て唖然といたしました。
住民投票についても同様で、解散のほうが多いという予想はされていましたが、せいぜい誤差の範囲内であろうと思っておりましたので、73%の賛成には驚きました。

名古屋市長選については、河村たかしは住基ネット離脱以外は全く支持しておりません。しかしそれでも、あのキャラクターは人気が出るだろうというのはわかります。
宮崎の東国原が、いかに政策に問題があろうと、宮崎の特に観光産業にとっては貴重な人物であったのと同様、正しいことではありませんが「名古屋名物」ということで、人気が出るというのはわかります。
もっとも、「自社公民対共産」とか「みんなの党対幸福実現党の一騎打ち」(こないだの衆院選で、こういう投票しようのない選挙区が実際にありました)でもないのですから、有効投票の70%は異常です。

もっとわからないのが愛知県知事選です。私は土井候補に投票しました。ほかの候補も、若さの重徳、真面目な人柄が伝わってくる御園、女性で見た目もいい薬師寺、と、特徴はあります。しかし、大村だけはどうしてもなにがいいのかわかりません。「本人自ら来ました」と選挙カーから恩着せがましく言う候補はいるそうですが、選挙期間中に私は、大村の選挙カーが「本人の声で----す!」とテープを流しながら走っていくのとすれ違いました。「本人が来ました」の上を行きます。またその調子も「がんばってまーーーーーす!」とか、非常に軽い口調でした。軽薄の一言につきます。
こんな人物でも河村と組みさえすれば当選してしまうとは、あきれます。今後最低4年間は、愛知県政が思いやられます。東京都政のようにならなければよいと思います。
現在愛知県議会は共産党の議席がありませんが、4月の統一地方選では与党から煙たがられる議席を取ってもらわないといけないと思うのですが、大村派が県議候補も大量に擁立するようで、議席が予想できません。

なお私は普段は社民党に投票していますが、知事選では共産党系の土井(社民党は民主・国民と一緒に御園推薦)、名古屋市長選はやはり共産党系の八田(社民党は民主・国民・自民の一部とともに石田推薦)に投票しました。
ただ、河村や自民よりはましだと、御園や石田に投票しようと思わなかったわけではありません。考えた結果、共産党にしただけです。社民党が民主党候補を推薦するのではなく単独で候補者を擁立していたり、共同推薦でも社民党員だったら共産党には投票しなかったでしょう。

社民党の民主党寄りには、嘆かわしいものがあります。『社会新報』の見出しを拾ってみますと、「成年扶養控除廃止は筋違い」「辺野古移設 負担軽減と沖縄県民思わず」「年金財源と消費税短絡させるな」などと、民主党政権に批判的ですが、なぜか小沢氏のことになると遠慮がちです。
佐高信氏(党員ではないみたいです)には「小沢一郎よ、パンツをはけ」(最低限の羞恥心は持てという意味)という名言があります。非常に下品ではありますが…
その佐高氏が、民主党代表選のときに小沢一郎をほめている発言が新聞に載ったときはわが目を疑いました。


N(名古屋)


リコール費用4億5千万円 ほかに使えば何ができる?(中日新聞 2010年9月18日)

 4億5千万円?。名古屋市の河村たかし市長が先導する市議会解散請求(リコール)運動で必要な署名数が集まった場合、住民投票までにかかる費用だ。実は、リコール不成立でも市議会は来年4月に任期満了を迎える。選挙を2カ月、早めるためだけの税金の無駄遣いか、民主主義のコストなのか。そもそも、このお金があれば何ができるか。市の予算を基に試算した。

■待機児童

 定員超過の状態が続く市内の保育所。入園を希望しながらかなわない待機児童は4月現在で約600人、潜在的な需要も加えると2400人に上る。

 民間の保育所を整備すると、国の補助制度があるため、市の負担は1園あたり1300万円で済む。4億5千万円なら34園を整備できる計算だ。90人定員で3060人が入所でき、問題を一気に解消できる。

■給食費

 小学生の給食費は各家庭が毎月、児童1人につき3800円を負担している。4億5千万円を充てると、1年間は月額3470円と、300円程度の値下げになる。

 中学生の半数が利用するスクールランチ。1食280円で、ほぼ全員がスクールランチを食べた場合の30日分に相当する。「スクールランチ月間」と銘打ち1カ月間、生徒に無料で食べてもらう試みも可能だ。

■敬老パスなど

 市の公共交通機関が乗り放題となる敬老パス。65歳以上なら、収入に応じて年1000?5千円で入手できる。45%の「値下げ」ができ、550?2750円まで引き下げられる。

 名古屋港水族館の人気者の雌シャチ「ナミ」を和歌山県太地町から譲渡してもらった際には5億円を支払った。5千万円を上積みして雄シャチを購入し、繁殖に期待するアイデアも夢ではない。

 ちなみに、河村市長と市議会の間で激しい応酬が続く議員報酬(制度上は年1600万円)と、第2報酬とも指摘される政務調査費(同600万円を会派に支給)に置き換えると、市議20人分に当たる。一方、市長が引き下げた自身の給与(800万円)だと任期14期分(56年)となる。

<リコールの費用> 名古屋市選管の試算によると、提出されたリコール署名が有効かどうかを審査する人件費などに5000万円が必要。その後、住民投票を行うことになれば、職員の超過勤務手当やはがきの作成などで4億円がかかる。リコール成立なら市議選は来年2月ごろに実施される見込みで、任期満了の場合の2カ月前倒しとなる。

まったく何をかいわんやです。武田某の河村市長指揮する市議会解散投票礼賛の論は中日新聞が指摘する上記のような良識的な論を一切無視した上で成り立っているコケオドシの論といわなければならないでしょう。

一方、こうしたコケオドシの河村市政、大村県政礼賛の論を小気味よく批判する市民の論ももちろんあります。そうした論の中からこれも1、2の論を紹介しておきます。

河村たかし・大村秀章一派が完勝! だが勝負はこれからだ(きまぐれな日々 2011年2月7日)
名古屋市長に再選された河村たかしは、「減税vs.増税」を政治の対立軸にするのだという。だが、当ブログで繰り返し主張しているように、これはまやかしの対立軸であり、国政で消費税増税路線を推進する菅直人や与謝野馨と、地方で減税を訴えて首長選に圧勝した河村たかしや大村秀章は「同じ穴の狢」である。要するに与謝野や菅が金持ちを優遇して貧乏人から税金をむしり取ろうとしているのに対し、河村や大村は、これまでにも十分すぎるほど優遇されてきた金持ちの負担をさらに軽くしようとしているに過ぎない。

今回の選挙結果を受けて、社民党の保坂展人氏は自らの所属した政党が推薦した候補が惨敗したことには何も触れずに、河村たかしに妙に親和的なブログ記事を公開するという、ふがいない姿をさらしている。また、(略)河村たかしと訣別した元ブレーンにして、90年代の「政治改革」を主導した学者の一人である後房雄氏は、

  河村=大村陣営には小沢グループの秘書たちが支援に入っていたということですから、
  小沢氏の動きとも水面下で連動しそうです。

と書いている(略)。/後氏は、『最悪のシナリオだ』とか『地方議会のこれまでの実態、民主党政権の惨状から見れば自業自得』などと書くのだが、ご自身が『二大政党制』を目指した90年代の政治改革を旗振りしたことや、河村たかしのブレーンをつとめたことの責任をどう考えているのかと言いたくなる。

河村・大村圧勝は「いつか来た道」(Afternoon Cafe 2011年2月7日)
「減税を阻む悪の議会を倒す庶民革命」/「減税か増税かを問う」/完全なるワンフレーズポリティクスの勝利です。/まんま小泉手法引き写しです。/もちろん名古屋市議会は批判されるべき点が色々あったでしょう。しかし市民の不満とリコール制度を逆手にとって、自分に従わない議会を悪玉に仕立て上げ解散させるとは、狂気の沙汰です。

カワムラシがやったことは「自分に賛同する御用議会以外は許さない」ということであり、もはや議会の存在否定です。これをファシズムと言わずして何というのでしょうか。/カワムラシはこれをいかにも庶民のための民主主義を実現させる行動であるかのように装うわけですから、許されない詐欺です。

さて、3月24日の告示まであと44日と迫った東京都知事選についてです。いまのところ同知事選に名乗りをあげている候補者は共産党の小池晃氏ひとり(明日9日に正式表明予定。時事通信、2011年2月8日付)。

今日8日開会の都議会の施政方針演説で都知事選出馬を表明するのではないかと去就の注目されていた石原慎太郎現知事については、石原の長男の自民党幹事長の石原伸晃が石原の出馬表明の代わりに今日8日午前の記者会見で「幹事長としてはぜひ出ていただきたい」と石原現知事に自民党として正式に近く4選出馬を要請する意向を明らかにしました(毎日新聞、2011年2月8日付)ので、石原はおそらく近く都知事選出馬を正式表明することになるでしょう。

これも都知事選出馬の去就が注目されていた宮崎県前知事の東国原英夫は25日に東京都内のホテルで会合を開き、その席で都知事選への立候補を表明する手はずになっているようです(読売新聞、2011年2月5日付)。

民主党の都知事選への対応はいまひとつ明確ではありませんが、同党の「岡田幹事長は3日の記者会見で、4月の東京都知事選で他党が擁立した候補に相乗りする可能性について『基本的にそういったことは考えていない』と否定」(日本経済新聞、2011年2月3日付)していることから、蓮舫行政刷新相を中心に同党の独自候補の出馬の可能性を探っているものと見られます。

いま、革新勢力唯一の候補として立候補表明している小池晃氏(共産党系無所属)を勝手連をつくって応援しようという運動が構築されようとしていますが、そうした運動の趣旨はよく理解できるし、そうした運動が高まっていくことを私も期待しますが、失礼ながら私は小池晃氏(共産党系無所属)ひとり(一党派)の単独の力では前回(2007年)都知事選の投票結果を見れば明瞭だと思いますが都知事選への確実な出馬が予期される石原慎太郎にも東国原英夫にも遠く及ばないだろうと思います。

前回(2007年)都知事選の上位4人の投票結果は次のようなものでした。

当選 石原慎太郎 2,811,486 51.06%
    浅野史郎   1,693,323 30.75%
    吉田万三    629,549 11.43%
    黒川紀章    159,126  2.89%

前回知事選での石原の獲得得票数は吉田万三氏(共産党系無所属)もよく健闘したものの同氏の獲得得票数の実に4倍以上、5倍近くもあります。このままではふつうに考えて小池晃氏(共産党系無所属)は石原慎太郎にも東国原英夫にもおよそ太刀打ちできないでしょう。

石原や東国原と互角に太刀打ちするためには小池晃氏の闘いを決して単独(一党派)の闘いにしないことです。幸いいわゆる革新陣営の陣容の中には無党派層を中心とした「東京“待ったなし!”アクション(前東京。をプロデュース?)」やマガジン9の活動もあります。こうした無党派層の活動媒体と手をつなぎ、石原ポピュリズム都政打倒の声を大きく高めていく必要があるでしょう。

いまさら悠長なという気もしないではありませんが、決して遅くはありません。「マガジン9」は「私はこの人を都知事に推薦します」という大募集運動を展開していますが、最新号では次のような宣言をしています。「多彩な顔ぶれが出そろってきたところで、本気で『マガ9推薦』候補者を考えたい!」。

また、「東京“待ったなし!”アクション(前東京。をプロデュース?)」も「わたし達は、市民と共に都政を動かす都知事候補を立てたいと考えています。(略)そこでこのページでは、推薦したい方のお名前を挙げていただくことをお願いします。/それらの世論数字も持って立候補交渉を加速していきたいと考えております」と宣言しています。

これらの運動を合流させ一本化させることが重要です(上記で私が批判した植草一秀さん、天木直人さん、保坂展人さんなど本来革新的な志向を持つ論者ももちろん含めてのことです)。「マガジン9」も「東京“待ったなし!”アクション」も「石原都政ストップ」を最大、最強の合言葉にして場合によっては現段階で革新勢力唯一の候補として名乗りをあげている小池晃氏を革新共同の候補として擁立する度量を見せる必要があるだろうと思います。もしくは誠心誠意努力してすでに革新候補を擁立している共産党をも納得させることのできる新たな革新共同の候補者を擁立させることです。対共産党、対社民党のような関係になっては断じていけません。対共産党、対社民党の関係を乗り越えた革新共同の擁立に繰り返しますが誠心誠意努力することです。

一発大逆転ホームラン(一発大逆転ホームランとは新たな候補者の擁立を必ずしも意味しません。みんなが共闘できる(できうれば民主党も)革新共同候補を実現するという意です)が飛び出ることを私は期待します。

その一発大逆転ホームランを打ちえるかどうかは、私はどうしても石原反動都政をストップさせたいという市民(都民)の打算なんかとは縁もゆかりもない必死、捨て身の願いと力にかかっているように思います。
一昨日6日日曜日の午後8時45分。NHKテレビは同局の看板番組の大河ドラマ「江」の終了直後に名古屋市長選挙と愛知県知事選挙の開票前から同市長・県知事選における河村たかし、大村秀章のダブル圧勝と当選確実、その河村たかしが強引に音頭をとった名古屋市議会解散の賛否を問う住民投票における賛成多数の結果を伝えるニュースを早々と流しました。テレビには早々と当選確実を果たした河村たかしと大村秀章のハシャギ声とその姿が大きく映し出され、また流されていました。予想はしていたもののこのなんとも寒々しい風景に私は深く身ぶるいし、やりきれない思いをかみしめていました。これがいまのこの国、また社会の現実なのだ、と。

一方で、この河村たかしと大村秀章のダブル圧勝と名古屋市議会解散決定のニュースを欣喜雀躍して喜ぶ者がいます。その人々はおおむねいわゆる小沢礼賛者に一致し、小沢信奉=河村信奉の構図を作っています。その代表格は次のような人士でしょう。

(1)植草一秀「河村市長大勝が示す菅政権庶民大増税糾弾の民意」(2011年2月7日)
(2)天木直人「河村さん、おめでとう。これからが勝負ですよ」(2011年2月8日)

こうした小沢礼賛者たちがいかに管・民主党政権を強く批判したところで、彼ら、彼女たちが礼賛するその小沢一郎も同党前代表や幹事長を歴任した誰よりも民主党的な民主党員であることが明らかである以上、この小沢礼賛は結果的に民主党礼賛、擁護の論にしか成り果せないのですが、彼ら、彼女たちにはそうした自覚は皆無のようです。実に非論理的な思考力としかいいようがありません。こうした彼ら、彼女たちの非論理的な思考のベクトルが小沢信奉から河村信奉に向かうのは見やすい道理というべきでしょうか。

次のような人士も本人の思惑、また意図を超えて結果的に小沢信奉=河村信奉の構図を作ってしまってい
る一員に成り果せていると見てよいでしょう。


保坂氏は河村たかしと大村秀章のダブル圧勝を次のように評価します。

自民党のような政治は、自民党が一番得意だ。政権交代したことの意義は、一度でいいから「自民党でない政治をしてほしい」ということではなかったか。旧体制を代表する新聞・テレビが民主党政権の「頼りなさ」「非現実性」を批判したからと言って、立ち止まってはいけない。しかし、現状は立ち止まるどころか後退してしまっているように多くの人が感じている。

その政治の後退を止めうる展望を示したのが今回の「名古屋・愛知の選挙結果」であり、「名古屋市長選挙の河村氏、愛知県知事選挙の大村氏の勝利」であった、と保坂氏は評価するのです。ここには河村、大村のポピュリズム政治の経歴、その危険性を見抜く0.01の深視力も感じることはできません。こうした保坂氏の姿勢には民主党に必ずしも批判的ではない、逆に親和的なハンパな革新政党である社民党の党員であるという事実と相呼応するふがいなさしか私は認めることはできません。(注1、2)

注1:上記のようなハンパな民主党批判論者及び社民党系支持者の小沢礼賛思想の跳梁を許している背景にはどんなことがあっても共産党だけは評価したくない、また票は入れたくない、という思想の根深いところにある一種の反共主義が横たわっているように私には見えます。だから、左記の民主党批判論者及び社民党系支持者は、菅・民主党政権は許せないけれども小沢・民主党政権の実現には期待するという実に中途半端な「革新」思想しか持ちえないのです。しかし、そうした一種の反共主義を人々の思想に根深く根づかせている大きな原因は実は共産党自身が再生産し続けているのだともいわなければならないように思います。そして、このことに共産党もまた無自覚、無知覚なのです。こうしていま政治は残念なことに低次元のレベルで堂々巡りを続けています。私たち真の革新政治の実現を願う者はいずれにしてもこの閉塞状況を打ち破る必要があるでしょう。その契機となりうるのは、それぞれの政党、政党支持者、また革新系無党派市民がそれぞれの陥穽としての無自覚、無知覚に気づくところから始まるように思います。

注2:上記(1)(2)(3)のブログ記事はともにNPJ(News for the People in Japan)紙の「NPJ お薦め 論評」欄に掲載されているものです。以前にも述べたことですが、このようなポピュリズム政治擁護の記事を「お薦め 論評」として掲載することに躊躇しないNPJ編集部の非見識に私は大きな疑問を持ちます。「私たちは憲法と人権を守る市民の側からの情報発信とコミュニケーションを提案します」というNPJ宣言文に反する営為というべきではないか、と。

さて、上記(1)(2)(3)のポピュリズム政治擁護の記事のほかに次のような河村、大村市政(県政)擁護の記事もネット上には出回っています。河村、大村市政(県政)擁護者の頭の構造、愚の本質が顕著に表れ出ている記事という点ではおおいに負の参考になりえますし、同記事でふりまかれているデマを(幼稚なデマですが、かといって)放置しておくわけにもいきません。以下1、2の点について同記事を批判しておきます。

■「名古屋の選挙 やっぱり民主主義」(武田邦彦/中部大教授 平成23年2月7日)

武田邦彦という某大学教授は知る人ぞ知るトンデモ学者として有名な人です。彼のこれまでのトンデモぶり
については下記のブログ記事をご参照ください。


ここでは今回の武田某の記事のトンデモぶりの1、2の例をあげて批判しておきます。

第1。この武田某は上記の「名古屋の選挙 やっぱり民主主義」という記事において名古屋市選管を「公平な委員会ではなく、特殊な政治団体で、選挙結果を自分の考え通りにしようとする、いわば『犯罪団体』」とまで糾弾しているのですが、その「犯罪団体」の証拠のひとつとして下記のような例をあげています。

今回も、市議会解散の投票に際して、投票用紙に「賛成」と漢字で書かなければいけないと言うことになったのです./例えば「賛成」という漢字が難しいので「さんせい」とひらがなでかいたら無効という事です./ひらがなは日本語です。それに、投票覧には「賛成」か「反対」しかないのですから、「さんせい」とひらがなで書いてもその人の意志は分かるはずなのです.

しかし、武田某のあげる上記の例は嘘八百です。実際には投票用紙の漢字表記について名古屋市選管事務局は次のような告示文を発表しています。

名古屋市議会の解散に賛成の場合は「賛成」と記入してください。/名古屋市議会の解散に反対の場合は「反対」と記入してください。/「賛成」または「反対」を平仮名やカタカナで記入してもかまいません。/他のことは記入しないでください。」

ご覧のとおり名古屋市選管は「『さんせい』」とひらがなでかいたら無効」などとは一言も言っていません。少し調べれば誰にでもわかるようなウソを武田という大学教授は平然と述べて恥じない人なのです。武田某という「学者」のトンデモぶりの一端がおわかりになられたと思います。

第2。武田某は「私にとっては市議会の解散に関する投票にもっとも強い関心がありました。結果は賛成が70万票、反対が20万票で圧倒的多数で解散が決定しました」と河村ポピュリズム市長が音頭をとって行った今回の市議会解散投票を手放しで礼賛するのですが、中日新聞(2010年9月18日付)はこの市議会解散投票について、「わざわざリコールなどせずとも、来年(2011年)4月の統一地方選で名古屋市議会は改選を迎える。それを2か月早めるだけのリコールで、4億5千万円もの費用がかかる。これを、たの使い道に使えば何ができるか」として河村市長が音頭をとった今回の市議会解散住民投票運動を強く批判しています。以下、中日新聞記事からの引用(リンクがすでに切れていますので下記ブログ記事から再引用します)。

前回のエントリ記事「上野千鶴子さんの朝日新聞連載「孤族の国 第1部 男たち」への論評を読む 」についてある「フェミニスト」と自称する人から反論がありました。しかし、その反論は、反論というよりも私の記事に対する単なる反発の表明というべきもので反論の体をなしていません。取り上げるに足らないものですが、その「反論」には現在のある種の「フェミニスト」と自称する人たちが共通して陥っている認識の浅慮、あるいは陥穽のようなものがあります。そのことを指摘しておくことは、フェミニズムが単に「女権拡張論」、また単に「女性尊重主義」をめざすものではなく、女性解放という目標を通じて男と女を含む人間の平等(ジェンダー平等)を実現するためのイデア(理念)、またセオリー(理論)であることを明らかにするためにも大切なことというべきであろう、と私は思います。

その「反論」は次のように述べて私を批判していました。

「あなたは『深くて冷たい海の底にいるような悲しくてどうしようもな い深いしじまの底からの男たちの嘆息』を上野さんが聞いていないとおっしゃるけれども、それ以前に、これと同じような、これよりもさらに切実な女たちの嘆息の、長い長い歴史に想いをいたされたことがおありでしょうか。」

私がこの「反論」が反論の名に値しない、というのは、同反論者は、私が前エントリで指摘している上野論評の問題性についてはまったく応えようとせず、私が同エントリではまったく言及していない「女たちの嘆息」なる問題を持ち出して、その「男たちの嘆息」の問題よりも「さらに切実な女たちの嘆息」の問題に私が前エントリで言及していないからケシカラン、という論ともいえない論を展開しているからです(「女たちの嘆息」の問題は前エントリの主題ではありません。前エントリの主題は「上野論評」の問題性についてでした)。

こうした反論の方法は明らかに「論点のすり替え」であり、論理学ではストローマン(Straw man。藁人形論法)と名づけられ、昔から詭弁法のひとつとされています。

例をあげれば次のような論法のことを言います。

A氏「私は子どもが道路で遊ぶのは危険だと思う。」
B氏「そうは思わない。なぜなら子どもが外で遊ぶのは良いことだからだ。A氏は子どもを一日中家に閉じ込めておけというが、果たしてそれは正しい子育てなのだろうか。」

この論法は「無意識でおこなっていれば論証上の誤り(非形式的誤謬)となるが、意図的におこなっていればそれは詭弁」(ウィキペディア『ストローマン』)ということになります。

このような論法を詭弁とも自覚せず、正当な反論とでも思いなしているところに同反論者の非論理的思考力と無知がある、と指摘しておく必要があるでしょう。

それにもまして私が重要であると思うのは、同反論者の「反論」には、現在のある種の「フェミニスト」と自称する人たちが共通して陥っている認識の浅慮と陥穽があると思えることです。

同反論者は上記引用文で次のように言っていました。「あなたは(略)これ(筆者注:男たちの嘆息の問題)よりもさらに切実な女たちの嘆息の、長い長い歴史に想いをいたされたことがおありでしょうか」、と。

しかし、なんらの前提もなく、すなわちア・プリオリに「女たちの問題」を「男たちの問題」よりもさらに切実な問題だとする思惟のあり方は私は誤っているだろうと思います。「切実」さは状況によって変わってくるでしょう。いまパン一個もなくひもじさに耐えかねている女性がいて、もう一方で餓死寸前の男性がいたととして、どちらも「切実」な状況下におかれていることには変わりはありませんが、この場合より切実な状況下にあると判断されるのは男性の方とみなされるべきでしょう。これは性差別の問題ではありません。状況判断の問題です。長い「男性中心社会」の中でこれも長く、長く女性が差別的な状況下におかれてきた、いまもおかれ続けていることはいうまでもないことですが、そうしたフェミニズムの認識からどういう状況下にあっても「切実」さにおいては女性は常に男性を上回る、とする考え方はそれこそ“Masculinist(男性上位)思想”(同反論者は私を“Masculinist”性の持ち主であると批判していました)ならぬ容易に「“Matriarch”(女性上位)思想」に転化しうる思想というべきものだろうといわなければならないように私は思います。

これが私の一部(といっても、かなり広範な)の「フェミニスト」たちに見られる誤った「フェミニズム」思想批判です。この思想の克服は真の“フェミニズム”のためにも(フェミニズムといってもさまざまなフェミニズム論があるようですが、それらのさまざまあるフェミニズムに共通する課題として)重要なことだと私は思っています。

補足

上記の記事を書いた後に同記事中にも少し触れておいたジェンダー研究者の伊田広行さんの「『男は、・・・女は・・・』という言い方」(ソウル・ヨガ(イダヒロユキ) 2011年1月17日付 )というブログ記事を読むことがありました。僭越な言い方になって恐縮ですが、私が上記で述べた「フェミニスト」批判(一部の「フェミニスト」に対する私の見方、考え方)に相通じるものがあるように思えましたので補足として下記にその大要を転載させていただこうと思います。ご参照いただければ幸いです。

「男は、・・・女は・・・」という言い方(ソウル・ヨガ(イダヒロユキ) 2011年1月17日)
僕の友人が、「女の友情はハムより薄い」という言葉をある女性から聞いたそうです。経験に基づき、ある側面を面白く言い当てているという意味で、面白い表現だと思いました。言った人のキャラクターでのその文脈では笑えました。

でも、もちろん、男であれ女であれ、厚い友情をもつひともいますし、薄情な人もいます。結婚したあと、あまり友達関係を続けられなくなるのは、その背景にいろいろ避けがたい事情がある場合もあるでしょう。

僕は、「男は、女は」という言い方にとても違和感を持つほうです。
そうでもないのにな、とよく思います。

でもある側面をいう、社会構造上の位置、育てられ方、そういうものを男女2グループで大雑把に見たとき、ある一定のことが言えるので、まあフェミニズム的な言説の分析にも、一定理解をもつほうだと思います。
でも、女性をひとくくりにし、被害者・弱者のほうに置く議論のアラっぽさにはときどき「あーあ」と思います。トンデモ系と同じ程度だなという意見もあります。
まあ、必要なのはバランスですね。

すこし硬くいうと、秩序を揺るがす言動(その意味で秩序の下位の側からの集団としての反撃、批判)には賛同しますが、その秩序が壊れた後の方向性を考えて、男女二分法の限界も意識しています。その2段階の意識がなくていつまでも男女二分法で語るのは、以下に示すように、トンデモ系でかえって害があるという効果を及ぼす場合もあります。

「女嫌い」「ミソジニー」とか「男たちのホモソーシャルな連帯」(性的でない男たちの絆)というような概念も、あまりに単純すぎ、ある一面でしかないなと思います。私は男性ですが、「ホモソーシャル」なんてきらいですね。いつまで、セジウィックをつかっているのでしょう。権威主義ですね。誰か外国の有名な人を使えばいいというスタイルはやめたほうがいいと思います。
決め付けられると、わかってないなあと思います。

上野千鶴子さんをはじめとして、フェミニストの分析や記述には共感するところ、学ぶところもたくさんありますし、私は昔も今もフェミニストですが、それは私が面白いとおもうフェミニズムの支持者であるということです。フェミニズム的だから何でもいいというわけではありません。

*****************
 
その関連で、男女二分法のいい加減さに少し触れておきます。
あるMLで、こんなことを書く女性がいました。

<おとこはんは左脳が活発で、負けず嫌いが多くて困ります。もっと右脳を使ってどうやって相手を楽しませようかと思うと楽しくなり免疫もあがりますが、おとこはんはすぐ証拠証拠って証拠症候群かいな。>

ここには、トンデモ系・インチキ系でしかない「右脳・左脳」論をつかって、男女を本質主義的に規定しています。だめですねえ。
こういうのもフェミニズムの一部ですが、私はそんな言い方ばかり今でもしていることのだめさをわからないのは、困ったものだなあと思います。男は女ぎらいで、男同士が好きなのだ、なんて、いい加減なきめ付けを言うのはやばいなあと思います。
「学者」という肩書きがあってもいい加減な人などたくさんいるもので、NHKが取り上げたヘレン・フィッシャーなど本当に無茶を言っていると思いますが、そんなのに多くのが騙される。(インチキなのに人気といえば、川島隆太という大学の先生も「脳トレの川島」で大もうけ。)
「話を聞かない男、地図が読めない女」というトンデモ系も同じ程度ですね。

これら、男女二分法的のはみな、反フェミニズムのひとたち(バックラッシュ派、一部右翼・保守主義者)の、頭の構造と似ているといえるでしょう。

つまり、かたや、本質主義的に男は強く、女は従順で子供好きなものだといい、かたや、男は負けず嫌いで、すぐに群れてみな女嫌いだ、というのです。

本質主義、男女二分法という点で同じです。

少しの身の回りで観察された主観的な経験やゆがんだ情報を鵜呑みにして影響されるような点で、似ているといえるでしょう。
私がまともだなと思うフェミニズムは、今の社会で流布されている男女二分法、性役割、その規範性などを、おかしいなと思い、多様性を認めていく、だまされないリテラシー能力を高めるようなものです。バックラッシュ派と似たようなことをいって、男たちをくさして喜んでいるというのは、今後共感を広げていくのは難しいと思います。

1981年のサーダート大統領の暗殺以後、30年もの長きにわたってホスニー・ムバーラクの長期独裁政権が敷かれてきたエジプトでいま7日前のムバーラクの辞任を求める暴動、デモに端を発した民衆革命が起きようとしています。軍の介入による民衆弾圧が懸念されていましたが、ムバーラク政権の屋台骨を支える同国軍は31日、「平和的な手段による表現の自由はすべての人々の権利だ。偉大なる民衆に対して武力を行使することはない」との声明を出し、デモの継続を容認する姿勢を明確にした(時事通信、2011年2月1日付)ことでエジプトの民衆革命の可能性は一段と高まりました。明日には100万人規模のデモと集会が行われるという情報もあります。

これまで30年間のムバーラク長期独裁政権の悪政はどういうものだったか、については下記のTUP通信に掲載されているエジプトの一青年の「エジプトからの手紙」をお読みください。米国民へ、また欧州諸国の国民へ、そして世界中の人々に向けて送られたエジプトの一青年のメッセージにはほんとうに心に打つものがあります。

今回のエジプトの民衆革命の意義と性質については下記の五十嵐仁さんのブログ記事の解説が参考になるように思います。

エジプトのムバラク大統領はすぐに退陣するべきだ(五十嵐仁の転成仁語 2011年1月30日付)

しかし、エジプトの民衆革命の可能性は死と隣り合わせです。報道によれば、これまですでに死者の数は100名を超えていると伝えられています。

こうした中でアムネスティ・インターナショナルが次のような緊急行動を呼びかけています。以下、転載です。

□■□ ━━━━━━━━━━━━ 2011.1.30 緊急号外号━━━━

アムネスティ・緊急号外 http://www.amnesty.or.jp

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エジプトのデモ参加者に拷問の危機
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失業問題や汚職、警察の人権侵害などを批判し、1月25日にエジプトで始まった抗議行動は全土に拡大し、ムバラク政権の退陣を迫っています。

1月28日時点のアムネスティの国際ニュースで死者の数は少なくとも14名でしたが、その後、一部の報道では死者の数は100名を超えているとも伝えられ、正確な状況は把握できていません。現在、アムネスティ国際事務局の中東チームは、現地の人権状況をできるかぎり正確に把握する活動を続けています。


□■□ アムネスティ国際ニュース ━━━━━━━━━━━━━

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エジプト:政府は治安部隊を抑制しなければならない
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エジプト全土で抗議行動が続く中、アムネスティ・インターナショナルはエジプト政府に対し、これ以上のデモ参加者の死を防ぐため、治安部隊を抑制すること求める。

◇こちらのニュースリリースの全文は下記サイトでご覧ください。
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=895&mm=1


□■□ 緊急行動(UA) ━━━━━━━━━━━━━━━━━  

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虐待の危機にさらされるエジプトのデモ参加者
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エジプトの内務大臣と検事総長に緊急に以下を要請してください。

※1月31日現在、インターネットはほとんど遮断されているため、ファックスで送信してください。
※UA全文はこちらからご覧下さい。
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=3629&mm=1


■治安部隊を抑制するとともに、「法執行官行動規範」および「法執行官による武力および火器の使用に関する基本原則」にのっとり、過度もしくは不適切な武力を控え、必ずしも必要とされている場合や人命を守る場合を除き、発砲しない旨の明確な指令を出すことを当局に要請する。

■当局に対し、デモに参加する人びとの人権を尊重することを要請する。

■治安部隊がデモに参加した人びとに対して行った、殺害および虐待を調査することを要請する。

■拘束した人びとを釈放するか、もしくは国際的に認知された犯罪容疑で起訴し、公正な手続きに基づいた裁判にかけるよう要請する。


内務省
Habib Ibrahim El Adly
Ministry of Interior
25 El Sheikh Rihan Street
Bab al-Louk, Cairo, Egypt.
Fax: +20 22 796 0682
Email: moi@idsc.gov.eg
書き出し: Dear Minister


検事総長
Abd El-Megeed Mahmoud
Dar al-Qadha al-‘Ali
Ramses Street, Cairo, Egypt
Fax: +20 22 577 4716
書き出し: Dear Counsellor


(アピール例文)

Dear Minister,
I am writing to express my grave concern about human rights violations during continuing nationwide protests in your country.

I respectfully call on you to rein in their forces and issue clear instructions that they should not use excessive or disproportionate force or resort to the use of fire arms unless when strictly necessary and to protect human life, in line with the Code of Conduct for Law Enforcement Officials and the Basic Principles on the Use of Force and Firearms by Law Enforcement Officials.

I also urge you to uphold the human rights of demonstrators and investigate the killings and the abuses by the securityforces when policing demonstrations.

The last, but not the least, I would like to call on you to release or charge those detained with an internationally recognizably offence and try them in fair proceedings.

Respectfully yours,

社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
URL : http://www.amnesty.or.jp
email : stoptorture@amnesty.or.jp