みずき

久しぶりにブログを更新します。

私は今年の4月に「普天間問題 マス・メディアに勤める記者の限界というべきなのか ―半田滋さん(東京新聞編集委員)の立ち位置について」という小文を書き、その拙論をCML、レイバーネットなどいくつかのインディペンデント・メディア及びメーリングリストに発表したことがあるのですが、そのおよそ8か月前に認めた私論について、先日、某インディペンデント・メディア紙の編集者から東京新聞編集委員・記者の半田滋さんが同拙論によって「名誉を毀損された」として同紙アーカイブからの削除要請をしてきたけれど筆者としてどう対処されますか、という問い合わせが私のもとにありました。

問題の拙論とは以下のようなものです。


その拙論において、私は、普天間問題に関してある講演会で語った半田さんの「(この問題についての交渉相手の)米国はタフネゴシェーターの面々が揃っているわけですから、ただ普天間を返せ、返せといっても返すはずがない」という言葉を引用しているのですが、半田さんからのクレームを受けつけた編集者によれば、半田さんはその「引用自体は間違いではないが、(東本の論は)自分の説明を曲解している。名誉を毀損された」と主張しているとのことです。私が事実を捻じ曲げた引用をしているのであれば「名誉毀損」という半田さんの主張も成立するでしょうが、半田さんが「曲解」としている部分は「私の主張」にすぎません。同主張は半田さんと私の見解の相違ということはいえても、「名誉毀損」というには当たらないはずです。半田さんは新聞記者という職業の言論人として「私の主張」に異議があるのであれば、インディペンデント・メディアの編集者に拙論の削除要請をするという姑息な手段を弄するのではなく、自らの矜持をもって言論には言論で反論するのが筋というべきものではなかったか、と私は思います。
注:ただし、私は、インディペンデント・メディア及び同メディア編集者に無用の迷惑をかけたくはなかったので同紙アーカイブからの削除要請は受け入れました(同私論は上記のとおり弊ブログにもCMLアーカイブにも遺されているわけでもありますし、私として不当と思える削除要請に屈服したということにはならないでしょう)。

大手紙・大手放送メディアを中心とするメディア総体としての退廃は目に余るものがあります。この4、5年の間私はその大手紙・大手放送メディアの退廃について何度も何度も口をすっぱくして論じてきました。メディア総体としての今年(正確には昨年夏の民主党政権樹立前後)の特徴として特筆すべきは、いまやこのメディアの退廃は大手紙・大手放送メディアの退廃というにとどまらず、悲しむべきことに総雪崩れ的に『世界』や『週刊金曜日』などを筆頭とするいわゆる「革新」メディアの波打ち際まで押し寄せてきていることです。少なくとも私の目にはそう見えます。そして、メディアは、メディアとして抽象的に存立しているものではなく、個々の記者、ジャーナリストたちに支えられてはじめて存立しえる存在であるわけですから、このメディアの退廃はそのメディアを支える個々のジャーナリストにまで否応なく及んでいる、というのが私の悲しいながらの見立てです。上記の東京新聞編集委員・記者の半田滋さんの例は失礼ながらその私の悲しい見立てを傍証してあまりあるもののように思えます。


日本ジャーナリスト会議(JCJ)が今年の10大ニュースのトップに選んだのは「『日米関係の危機』を煽り、「『普天間』の県外・国外移転」求める沖縄県民の切実な声を黙殺し続けた大手メディア」というものでした。私はJCJのその卓見を支持しますが、私がつけ加える必要があると思うのは、大手メディアの退廃にとどまらない「革新」メディアを含むメディア総体の退廃が一層進行したというのが今年の最大の特徴ではなかったか、ということです。

 市街地の中心部にある普天間基地


しかし、そうしたわが国のメディア一般、「革新」メディアの姿勢とは明らかに一線を画し、沖縄発の良質な論を発信し続けている人に沖縄在住の芥川賞作家の目取真俊さんがいますが、その目取真さんにして、戦後一貫して「沖縄に米軍基地を集中させてきた」日本人への怒りとしてはもちろん正当な怒りであり、私たち「本土」人としてはその沖縄の怒りを黙して肯んじるほかないのですが、ときにその沖縄の怒りを共同体主義的なルサンチマンとして日本人=ヤマトゥンチュー総体に向け(その「多く」は、と目取真さんは言っているのですが)、沖縄への差別者として批判することがあります。その目取真さんの日本人批判は繰り返しますが正当です。そして、その論が正当な批判であることを前提にして言うのですが、日本人なるものを十把一絡げにして断罪する彼の「理念」あるいは「情念」は誤っていると思います。誤っているというばかりではなく、その彼の「理念」は私が先に述べた「新種の仲井真擁護論」者に秀逸な「理念」を提供する結果になっています。それが私の見るところです。そして、彼の意図に反して、です。私の第3の危惧は残念ながら目取真俊批判とならざるをえません。

目取真さんは言います。

「沖縄問題」に関して熱心に論じる日本人=ヤマトゥンチューは多い。しかし、それらの人たちは沖縄を「問題」化させている『日本=ヤマトゥ問題』に関して、どれだけ論じているか。沖縄に米軍基地を集中させてきたのは、日本人の多数意思によるものだ。自分が生活している地域でそのことを問い、論じ、変える努力をしないで、沖縄県知事選挙について訳知り顔に論じるのは、恥ずかしいことではないのか。

自分たちが住んでいる地域で米軍基地を引き受けたくない、というのであれば日米安保条約を否定すべきだ。日米安保条約を肯定するというのであれば、それに伴う米軍基地の負担を自らの住んでいる地域で担うべきだ。沖縄に米軍基地を集中させることで、日米安保条約について自らの問題として考えることなく過ごし、憲法9条を守ろう、と言いながら日米安保条約の問題には向き合わない。岩国や厚木、三沢など沖縄と共通の課題を抱える地域を除けば、大多数の日本人は日米安保条約の問題を他人事のようにしてすませている。/沖縄で高まっている不満や怒りは、鳩山政権や菅政権の裏切り、政治姿勢に対してだけではない。日米安保条約の問題に向き合おうとせず、沖縄に基地を押しつけて当たり前のように過ごしてきた日本人全体に対する不満であり怒りである。誰が勝つかに注目する前に、日本人はそのことに目を向けるべきだ。
(「沖縄県知事選挙で日本人に問われていること」 海鳴りの島から 2010年11月28日付) 

何度も繰り返しますが目取真さんの批判は正しいのです。しかし、私は目取真さんの批判は日本人=ヤマトゥンチュー総体を「沖縄への差別者」として批判するあまり、「本土」人との連帯の視点に欠けるところの多い論になっているように思います。その視点の欠落が「東京の政治エリートがつくりだす構造的差別」論者の「新種の仲井真擁護論」にとっておきの「理念」として利用される瑕疵となっている、というのが私の目取真論攷に対する判断です。私は目取真論攷の瑕疵と思われる点について9か月ほど前に若干の批判を書いたことがあります(弊ブログ 2010年3月14日付)。その私の意見はいまも変わっていません。同論を下記に再説して一応この稿を閉じます。

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「それは現在行われている普天間基地の『移設』先をめぐる議論を見ても明らかだ。総論賛成だが各論反対、といういつものパターンが繰り返され、沖縄の『負担軽減』は必要だが、自分たちが生活する地域に『移設』して負担を担うのは反対だ。『国外移設』では米軍による抑止力が失われるので、沖縄県内での「移設」=たらい回しをやればいい、という論法がまかり通っている。」(「NHK『日本の、これからいま考えよう日米同盟』を見て」 海鳴りの島から 2010年3月13日付)

目取真さんは、「沖縄の『負担軽減』は必要だが、自分たちが生活する地域に『移設』して負担を担うのは反対だ」というヤマトゥに住む日本人の主張に地域エゴイズムの思想を見出しているように見受けられますが、たしかにそういう思想の持ち主は少なくありません。いや、そういう思想の持ち主の方が「世間」という現実においては残念ながら多数派だと見てよいでしょう。

しかし、地元移設に反対する人々の思想及び論理は、そうした地元エゴイズム一色に還元されうるものでは決してありません。地元移設に反対する人々の思想及び論理は、もう一面において、あってはならない侵略の拠点はどこにもあってはならない。普天間基地の無条件の即時閉鎖・撤去と辺野古移設断念を求める、という安保条約制定の時代から長年にわたって確固とした思想を構築してきた市民の主張の謂いでもあるはずなのです。その主張には平和を希求し続けよう、という篤い志はあっても、地元エゴイズムの思想は皆無というべきです。そのふたつの思想と志の違いを混同することがあってはならないだろう、と思うのです。

また、沖縄の人々も、沖縄に米軍基地が集中していることの痛みをヤマトゥに「移設」しようなどということは決して望んでいないようにも思います。すでに述べていることの繰り返しになりますが(CML 003280)、先日私の地元の有志7人が沖縄各地を激励訪問したとき、北谷町砂辺の自治会長さんは次のようにおっしゃったといいます。「『痛みを他の人に分ける』というようなことは、痛みを持つ者も、分けられる者も望むはずがない。なぜ、痛みをなくすことに力を注がないのか」。この北谷町の自治会長さんの言は、もちろん自治会長さんおひとりの言でしかありませんが、沖縄の人々が痛みの「本土移設」を望んでいないことのひとつの証左でもあるだろう、と私は思います。

さらに統計的なことをいえば、これは目取真さんがご自身のブログ記事の中でも紹介されていることでもありますが(「普天間基地撤去のために」2009年8月25日付)、琉球新報と共同通信が電話世論調査で普天間飛行場の移設手法についての県民の意志をアンケートしたところ「海外に撤去」が最多の48・5%を占めた一方で、「嘉手納基地に統合」は10・9%、「辺野古への移設に賛成」』は10・1%、「国内のどこかへ移設」は7・1%だったといいます。

上記のアンケート調査でも、「本土」移設を望む人の声よりも沖縄県内移設の方を望む人の声の方が大きいということがわかるように思います。上記2社が合同で行った2005年のアンケート調査でもほぼ同様の結果が出ています。左記は、沖縄県民が、もちろん相対としてという但し書きが必要でしょうが、「本土」への痛みの移設などは望んでいないことの統計的な証左といってよいものだと思います。そして、上記で述べたヤマトゥの平和への志という意味で地元移設に反対する人々の思想及び論理とも相応するものです。

目取真さんは、上記記事の結論の部分で、「ヤマトゥに住む日本人はまず、日米安保体制維持のために沖縄に米軍基地負担を集中させてきた自らの差別と暴力、政治的欺瞞を直視すべきなのだ」と揚言します。しかし、ヤマトゥに住む日本人の主張を地域エゴイズムの主張である、と理解する限りにおいて左記のように揚言しても、ヤマトゥに住む人々の共感を得ることはできないだろう、と私は思います。左記の揚言が、「あってはならない侵略の拠点はどこにもあってはならない」という思想のゆえの地元移設反対論であることを理解した上での揚言であれば、沖縄とヤマトゥのあらたな連携の芽も芽生えてくるに違いない、とも思います。

しかし、目取真さんの怒りは理解できます。
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2010年12月5日、ひとりの女が死んだ。シム・タルヨン。享年83才。私の知らない女。名もない女。あの暴虐の時代に暴虐の生を生き、血を吐くようにして生きてきた女。Oさんから私のもとにその女の訃報が届きました。

皆さん、ご無沙汰しておりますが、悲しいお知らせです。

大邱在住のシム・タルヨン ハルモニが、12月5日にご逝去されました。肝臓癌のため、半年近くも大邱の郭(クァク)病院に入院されていました。

今晩(昨晩です)、お通夜に行ってきました。
日本政府から、公式の謝罪・賠償もないまま、次々と亡くなっていくハルモニたち。
涙があふれました。

明日(今日)朝10時に集まって、葬儀です。

以下の「故・シム・タルヨン(Sim DarYeon)ハルモニの生涯」の賦が式場に掲示されていたということです。

故・シム・タルヨン(Sim DarYeon)ハルモニの生涯

☆1927年 7月 5日
慶尚北道 漆谷(チルグク)郡の貧しい村に生まれる。

☆1939?1940年頃
12-3才頃、姉さんとともに山菜を取りに行って、日本軍に捕えられ、トラックにのせられ、台湾の慰安所に無理矢理連れて行かれ、暴行と精神的な衝撃により永らく精神疾患で苦労。解放後、韓国に戻ったが、何も記憶できず話もしっかりできなかった。ハルモニを理解したハルモニの妹が家に迎え入れて看護。過去の日本軍「慰安婦」被害の後遺症で、1997年子宮頸部癌の手術。

☆2005年
"女性のためのアジア平和国民基金"の非道徳性を知らせるために、第61次国連人権委員会の本会議会と国際NGOフォーラムで証言。国連人権高等弁務官に、日本の国連常任理事国進出に反対する国内外20万人余りの署名を伝達するなど、活発な活動展開。
心理治療プログラムとして園芸治療開始。
7年の間園芸治療しながら"花を愛するシム・タルヨン"という愛称で呼ばれ、フローリストとして活躍。以後、4回のアプファ園芸作品展示会と作品集『ハルメ(婆さん)、愛におちて1.2』の2冊発刊

☆2010年 6月末
肝臓癌で、(大邱の)クァク(郭)病院に入院

☆2010年12月 5日
享年83才で逝去

挺身隊ハルモニと共にする市民の会

石垣りんさんに「崖」という詩があります。その詩をシム・タルヨン・ハルモニの墓前に捧げます。




戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。

美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)

それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。

ありし日のシム・タルヨンさん


 


 踏みにじられた沖縄=1965年 嬉野京子さん撮影


私は先のエントリでは今回の沖縄県知事選挙の結果を伊波氏の「惨敗」と見る見方は、「仲井真さんは伊波さんに大勝したのだから、〈沖縄の民意〉は仲井真氏支持にある」という類の論に結果として収斂していき、「〈沖縄の民意〉を代表する仲井真知事」という形の新種の仲井真擁護論を形成してしまうのではないか、という私としての拭いがたい疑念について述べました。

その私の疑念をいっそう明瞭に示すひとつの例として、共同通信の現役記者で2004年7月から2006年7月まで新聞労連の中央執行委員長を務めていた美浦克教さんの論を摘示してみようと思います。美浦氏は自身のブログ「ニュース・ワーカー2」において沖縄の現代史に無知の徒の論かとほとんど見紛うほどの天と地とをさかさまにした「新種の仲井真擁護論」を展開しています。そういうしだいで、私の第2の危惧は前便で述べた第1の危惧のバリエーションといってよいものです。

さて、美浦氏の論は次のようなものです。

今回の沖縄知事選で、米軍普天間飛行場の移設問題を争点として思い切って単純に図式化するなら、日本本土(ヤマト)で引き取れと訴える仲井真弘多氏に対して、伊波洋一氏は米国に引き取りを求めていました。仲井真氏の当選は、実はヤマトに住む一人一人の日本人に沖縄への差別を問いただす意味があると、わたしは考えています。/『米軍は米国に戻れ』という伊波氏の主張は『自分が嫌なものは他人(ヤマト)に押し付けるわけにはいかない』という発想をも含んでいるように思えます。そこには、本土の反戦・反安保の運動と連帯・共闘できる余地があり、必ずしも本土の日本人を追い込むものではありません。(略)対して仲井真氏の主張は日米安保を是としたうえで、沖縄が過度の負担を負わされ続けることへの抗議です。その抗議は、政府・民主党政権にとどまらず、沖縄以外のすべての日本人に等しく向けられているものと受け止めるべきです。

一貫して基地反対の革新の土壌から出てきた伊波氏よりも、元来は保守であり、自民党政権下では県内移設を容認していた仲井真氏の方が、今や日本と日本人に対してより厳しい立場に立っている―。わたしにはそういうふうに見えます。仮に仲井真氏の主張が一時的な便法で仲井真氏自身の考えは別のところにあるのだとしても、仲井真氏はその主張とともに知事に当選したのであり、主張は撤回できないし、しないでしょう。今回の知事選の結果は、いよいよヤマトの日本人一人一人に沖縄の基地問題をどうするのか、その覚悟を問うことに等しいと受け止めています。

上記の美浦氏の論をひととおり素読して、なによりも激しい違和感を覚えるのは、仲井真氏を「沖縄への差別を問いただす」人として描き、伊波氏を「沖縄への差別を問いただ」しえない人として描く美浦氏の論の立ち位置です。なにゆえに仲井真氏は「沖縄への差別を問いただす」人なのか? なにゆえに伊波氏は「沖縄への差別を問いただ」しえない人なのか? 私が美浦氏の論を天と地とをさかさまにした論と貶めるのはそうした激しい違和感が根底にあります。

美浦氏は言います。

仲井真氏の「日本本土(ヤマト)で引き取れ」という主張は「ヤマトに住む一人一人の日本人に沖縄への差別を問いただす意味がある」。また、「仲井真氏の主張は日米安保を是としたうえで、沖縄が過度の負担を負わされ続けることへの抗議」である。が、伊波氏の「国外移設」の主張は「必ずしも本土の日本人を追い込むものでは」ない。「本土の日本人の中で反戦、反基地、反安保の立場に立つ人たちにとっては、伊波氏の主張に象徴される沖縄の運動との連帯を表明することで、あるいは連帯の運動に参加することで、自らも主権者の一人である日本国が国家意思として沖縄に過酷な基地負担を強いていることへの後ろめたさを、多少は軽くすることができるかもしれ」からだ、と。

これほど天地をさかさまにした議論があるでしょうか? 「沖縄が過度の負担を負わされ続けることへの抗議」をする者がなぜこれまで普天間基地の辺野古移転、すなわち「県内移設」を容認してきたのか。仲井真知事はなぜいまだに「県内移設反対」とは決して明言しようとはしないのか。「沖縄が過度の負担を負わされ続けること」を容認してきたのは、またそうして「本土の日本人を追い込」んでこなかったのは、ほかならない「日米安保を是」とする稲嶺(2期8年)、仲井真(2期5年目)と続く歴代の沖縄の保守為政者たちではなかったのか・・・・。

伊波氏の「国外移設」の主張は、「普天間基地は『返還』であって、決して『移設』ではない」という彼の歴史認識からくるものです。伊波氏は次のように言っています。「最初にはっきりさせておきたいのは、普天間基地は『返還』であって、決して『移設』ではないということです。1995年に米兵による少女暴行事件があり、それに対して沖縄県民が激高し、復帰運動以来の大県民集会につながりました。そこで、沖縄の怒りを少しでも鎮めようと、世界で最も危険な軍事基地と言われる普天間基地の返還が決まった」。「しかし、その代わりの場所が必要ということで、名護市の辺野古案というものが出てきた。それが経緯です」(マガジン9「『沖縄』に訊く」2010年4月14日付)。「(政府が)『移設』(を条件としてきたこと)こそが、普天間の危険性を延長させている。そもそも、危険性を除去しようというのに新しい危険性をつくったら意味がない」。「(普天間基地は)『移設』先がどうのこうのとは関係なく、閉鎖・返還されなければならない基地だ。まさに無条件返還は、私たちの思いだ」(赤旗 2009年12月11日付)。

美浦氏の論は、本人の意図はともかくとして、「日本人に沖縄への差別を問いただす」だの「本土の日本人を追い込む」、「追い込むものでは」ないなどという私たち日本人におなじみの例のお涙頂戴式のレトリックを用いて普天間基地の「返還」の問題を「本土移設」の問題に矮小化させようとする論に、その果てには新種の「沖縄保守擁護論」、また「仲井真擁護論」となるほかないものです。

こうした巷説の類の論調がさも良質なジャーナリズムの主張でもあるかのごとくメディアの一角に居座る原因のひとつにはもちろん日米同盟深化論に血道をあげる退廃というも愚かなり、という状況下にある大手紙を筆頭とするわが国メディア総体の影響が大きいでしょう。また、佐藤優の例の沖縄に対する「東京の政治エリートがつくりだす構造的差別」論(弊ブログ2010年11月22日付参照)の影響、その佐藤を重用し続ける「革新」メディアとしての『世界』や『週刊金曜日』の負の影響も無視しがたいものがあるように思います。


 RBC 仲井真氏の当確を打つ 沖縄県知事選開票速報 2010年11月28日  22:11現在

沖縄県知事選挙が終わって1週間が経ちました。同知事選結果についてはすでにさまざまな角度からの論評がなされていますが、3万8626票の得票差で惜敗した伊波洋一氏を支持する立場からの論評であっても、それらの論評の中には私としておやっと疑問に思う、また、少なくない危惧を感じる論評もいくつか散見されます。その危惧の所在について私なりの感想を認めておきたいと思います。

その第1は、当選した仲井真弘多氏=無所属、自民県連、公明、みんなの党推薦=と落選した伊波洋一氏=無所属、社民、共産、社大、国民新、新党日本推薦、そうぞう支持=の3万8626票という票差の読み方についてです。

約4万票という票差はもちろん見方にもよるのですが、決して小さな票差ではありません。そういうこともあり、私は今回の知事選の伊波氏の落選を「惜敗」と見ますが、たとえば『噂の真相』元編集長で現沖縄在住のジャーナリストの岡留安則さんはこの結果を「惨敗」と評価しています(癒しの島・沖縄の深層 2010年12月1日付)。また、翻訳家で世界平和アピール七人委員会委員のおひとりの池田香代子さんは同結果を「38,626票もの差で」と表現しています(池田香代子ブログ 2010年11月29日付)。

しかし、約11万から24万票の大差がついた1994年と2002年の同知事選での投票率はそれぞれ62.54%と57.22%で、今回は60.88%。62.54%という低投票率になった1994年の知事選では約11万3000票の大差がつきましたが、今回の知事選では同年の知事選よりもさらに投票率が下がって60.88%という低投票率であったにも関わらず仲井真氏と伊波氏の票差は3万8626票でした。客観的に見れば、今回の伊波さんの同知事選での敗退は「惜敗」と評価するべきものだろうと私は思います。岡留さんや池田さんの上記の票差の読み方は、伊波さんへの期待が大きかったがゆえの逆反動としてのリアクションと見ることができますし、それゆえそういうものとして一面よく理解できる評価のしかたではあるのですが、もう一面において危険な陥穽をもあわせ持っている評価のしかたのようにも思います。

「惨敗」の対義語は「大勝」ということになるのだと思いますが、上記のような「惨敗」という評価のしかたは、「仲井真さんは伊波さんに大勝したのだから、〈沖縄の民意〉は仲井真氏支持にある」という類の論に結果として収斂していき、仲井真知事のいう普天間基地「県外移設」の主張の胡散臭さに関わらず、「〈沖縄の民意〉を代表する仲井真知事」という形の新種の仲井真擁護論を形成してしまう可能性、というよりも危険性を私は強く感じます。

現に岡留氏は上記の論考でも「今回は両候補とも、『国外移設』『県外移設』を唱え、普天間基地の辺野古移設に『反対』、『困難』という微妙な対立軸での選挙戦となった」と仲井真知事のいう「県外移設」の論を原則的に無条件に信頼する前提に立った上で、「仲井真知事は当選後、『辺野古移設は困難だ。日米合意を見直し、普天間の問題は日本全体の問題として政府が県外移設に取り組んでもらいたい』と述べている。中国や北朝鮮の軍事的脅威があるから、沖縄は我慢しろという論理はもはや通用しないことを民主党政権も米国も早く気が付くべきである」と仲井真知事新応援歌といってよい無邪気すぎる論を述べています。

こうした岡留氏流の無邪気な論調が「『県外移設』を唱え」ても決して「県内移設反対」とは明言しようとはしなかった仲井真氏の鵺のようにあいまいな、それゆえに真正には逆〈沖縄の民意〉ともいうべきマヌーバーとしての「理念」を免罪し、真に「県内移設反対」を求める〈沖縄の民意〉としての論を結果として封じ込める負の役割を担ってしまう、という懸念を私として払拭できません。

さて、伊波氏の惜敗の要因はさまざま考えられますが、その最大の敗因は、やはり同知事選で過去2番目の低さになったという60.88%という低投票率に求められるように思います。そして、その低投票率の最大の原因はおそらく有権者全体のおよそ6割を占めるといわれる無党派層(沖縄タイムス、2010年11月22日付)の多くが投票所に足を運ばなかったことです。無党派層の多くはなぜ投票所に足を運ばなかったのか? これもおそらく「2人の有力候補が米軍普天間飛行場の移設問題で、『県外』『国外』への移設を主張し、争点がぼやけてしまった」(沖縄タイムス社説 2010年11月20日付)、「いずれの候補が当選しても、県内移設を認めることにはならない」(琉球新報 「佐藤優のウチナー評論」 2010年11月13日付)、「焦点の米軍普天間飛行場の移設問題では、両氏ともに県外を主張」(朝日新聞沖縄版 2010年11月24日)などと「本土」と沖縄とを問わずメディア総体として口々に争点の本質を(一部は明らかに意図的に)見誤った「両氏ともに県外を主張」という論の展開に精を出していたところにそのひとつの大きな原因が求められるように思います。

このことを別の角度から言い換えれば、有権者全体のおよそ6割を占めるといわれる無党派層に伊波氏と仲井真氏の普天間基地問題に対する政策と対応の本質的な違いが十分に浸透せず、その結果として「どっちに投票しても同じ」というおなじみの政治不信の気分のようなものが無党派層の間に枝々に絡まって樹々を覆い尽くしてしまう蔓のように蔓延し、多くの人たちが棄権した結果としての低投票率であっただろう、ということです。このことは、仲井真氏と伊波氏は当初競り合っていましたが、無党派層の多い那覇市の票が開くや否やあっという間に差は広がり、10時台にはNHKが仲井真氏の当確を打つにいたった、という事実からも確実に傍証されることのようにも思います。

先のエントリでも述べていることですが、「沖縄は、血縁主義的なきずなが強く、この関係は、沖縄の『親族の相互扶助のメカニズム』として強く機能しているとも指摘されています。この『親族の相互扶助のメカニズム』が沖縄の保守の動員力の原動力となっており、(略)そうした『親族の相互扶助のメカニズム』」が低投票率という保守にとっての慈雨を得て有効に機能した、ということでもあるでしょう。また、伊波氏サイドに立って見れば、今回の伊波氏の敗却はそうした沖縄的な「親族の相互扶助のメカニズム」を超える「沖縄の怒り」の集注(しっちゅう)に失敗したということでもあるでしょう。それにしても「いずれの候補が当選しても、県内移設を認めることにはならない」という類の論を喧伝してきた沖縄メディアと「革新」メディアを含むメディア総体としての負の役割をいまさらながらに私は深い憤りを持って思わざるをえません。

「みずき」は30年ほど前に私の参加していた文芸通信の誌名です。私はこの同人誌で文学と思想と人生について実に多くのことを学びました。「みずき」の経験は私の人生においてかけがえのない経験でした。その原点に還って、文学と思想と人生について、私独自の、一個の人間としての思索を続けたいと思います。このブログではより多く「政治」の言葉をとりあげますが、その芯のところに「文学」の言葉があります。少なくとも私はそう思ってこのブログを綴っています。「無人の山の水木のごとく。咲け。瑞々しく己を咲かせよ。時には行く人あり、見る人もあるだろう」(「みずき」創刊の言葉から)。