毎日新聞に下記のような記事が掲載されていました。

■追跡・累犯:身寄りない容疑者・被告、福祉支援で実刑9割回避 さいたまNPO、引き受け確約(毎日新聞 2010年10月27日 東京朝刊
さいたま市の社会福祉士がつくるNPO法人が検察庁や裁判所に対し、身寄りのない容疑者・被告の施設での引き受けを確約したところ、約9割が起訴猶予や執行猶予付きの判決となり、実刑を回避していたことが分かった。裁判所などが福祉の支援で更生が可能と判断したとみられ、引き受け後の再犯率も低かった。法務省は再犯防止を重要政策に位置づけているが、NPO法人は刑務所出所後の支援だけでなく、刑事手続きの途中で支援する必要性を訴えている。

このNPOとは、埼玉県を拠点にさいたま市周辺で野宿生活(ホームレス)状態にある人、生活に困っている人たちの相談や生活保護の申請支援、アパートの入居支援など日常生活支援を中心とした福祉活動を展開しているNPO団体「ほっとポット」のことです。

この「ほっとポット」がいま埼玉県NPO大賞候補団体にノミネートされているとのことです。

「ほっとポット」のサイトを開いてその活動の様子を見てみるとほんとうに大切な活動を展開しているNPO団体であることがわかります。

上記の毎日新聞記事は「ほっとポット」のその大切な活動の一端を示している記事のように思います。

こうしたNPO団体にこそ埼玉県NPO大賞を獲得していただきたいものです。

実は私も10年ほど前からNPO活動をしているのですが、私の見る限りそのほとんどのNPOは行政寄り(権力追随)でまっとうなNPOは芥子粒ほどの存在です(そうしたNPOの現況に嫌気がさして私は長く開店休業のままでいるのですが)。その中で「ほっとポット」の存在はほんとうに貴重なもののように思えます。

埼玉県NPO大賞の第1次選考は県民投票で選ばれるようです。

同県民投票の状況は以下で見ることができます(投票期間:10月9日?12月11日)。

http://nposaitamanet.or.jp/award/msgenq/msgenq.cgi

フレ? フレ? ほっとポット!!
公開型メーリングリストのCMLに「前田検事に特別公務員職権濫用罪を」という訴えをしているサイトを推奨する投稿がありました。

このサイトの「告発の内容」を読むと、「告発」の1には「村木厚子さん裁判の証拠改竄の件」とあって、「前田検事に特別公務員職権濫用罪を適用するべきである」という訴えがあります(私はこの1の訴えにはまったく異議はありません)。が、「告発」の2には「検察審査会について」とあって、そこでは「小沢一郎氏の強制起訴を決定した検察審査会において、吉田繁實弁護士が、政治家の関係をヤクザの関係に例えるなど、一般常識で判断しても適切とは言い難い例を挙げるなどして、平均年齢が非常に若い審査員を、故意に誘導した疑いが読売新聞に書かれている」という記載があります。そして、その「読売新聞に書かれている」という「事実」をもとに「それが事実であれば、審査会の意義の根本が揺るがされる極めて不穏当な事態であるため、匿名のまま議事録を公開を求める」。また、「各審査員の個別の年齢の開示を求める」という訴えが書かれています。

しかし、私にはこのサイトの記事を読んだ当初から、その新聞がたとえ読売新聞というその論調が「中道右派・親米保守」と評される新聞であったとしても、客観的な報道が要請されるメディアとして、法律に根拠を持つ機関としての検察審査会がくだした今回の小沢強制起訴議決について「一般常識で判断しても適切とは言い難い例を挙げるなどして」とか「平均年齢が非常に若い審査員を、故意に誘導した疑いが」あるとかということを根拠もなく書くだろうか、という疑問がありました。

私のこの当初の疑問は残念ながら予想どおりでした。同サイトが「引用」したくだんの読売新聞記事が判明し、同サイトの「引用」は実は「引用」というものではなく、このサイトの筆者の単なる思い込みによる記述、すなわちウソでしかなかったことがわかったからです。以下、同サイト問題をめぐるこの間の事情と経過について書いていますので、小沢支持「妄信」派のその妄信ぶりを示すもうひとつの事例としてその大概(一部訂正しています)を転記しておきます。

                       * * *

ni0615さん、ご情報ありがとうございました。

ni0615さんがご紹介されているサイトを見てみました。

そこには大山さんが紹介されるご友人のサイトで言及されている「読売新聞らしき」記事の全文が紹介されていました(そこで示されている情報元の同紙記事はすでにリンク切れになっていて読むことはできませんでしたが)。

その読売新聞記事のタイトルは「小沢氏議決、予定外の代表選当日に…経緯判明」というものでした。上記サイトの見出し語になっている「検察審査会の2人の審査補助員が小沢派を『暴力団』に見立てて説明」というタイトルは、さらに同サイト記事の情報元になっている「低気温のエクスタシー」ブログ主宰者のはなゆーさんの命名によるもののようです。

はなゆーさんは読売新聞記事中にあった「審査員に法律的な助言をする審査補助員を務めた吉田繁実弁護士は、暴力団内部の共謀の成否が争点となった判例や、犯罪の実行行為者でなくても謀議に参加すれば共犯として有罪になるなどと認定した1958年の最高裁大法廷判決を審査員に示し、『暴力団や政治家という違いは考えずに、上下関係で判断して下さい』と説明した」という記述を自己流に解釈して「検察審査会の2人の審査補助員が小沢派を『暴力団』に見立てて説明」というタイトルをつけたのでしょう。

しかし、このはなゆーさんの上記のタイトルのつけ方は正しいといえるでしょうか?

審査補助員弁護士が検察審査会委員に「暴力団内部の共謀の成否が争点となった判例」として示した(として)主たる意図は、「暴力団内部の共謀」という部分を重要視した「事実」の提示ではなく、あくまでも「共謀(共同正犯)の認定」に関わる最高裁の判例を紹介するというところにあったはずです。同審査会では「小沢氏と秘書の謀議があったのかなかったのか」がまさに審査の焦点になっていたわけですから、同問題についての最高裁の判例を審査会委員に紹介するのは法律の知識を有する助言者として当然の職務ということができるでしょう。その際、同弁護士が言ったという「暴力団や政治家という違いは考えずに、上下関係で判断して下さい」という説明は、本事案では「共謀(共同正犯)」が成立するか否かが問われているわけですから、「『事件』の違いなどの枝葉末節に捉われずにその本質(「共謀(共同正犯)」が成立するか否か)を見据えて審議してください」という意味でむしろ当然な説明というべきものでしょう。

さらに最高裁には「昭和三十年代の暴力団紛争において、犯罪実行に自ら加わらない暴力団の組長など『黒幕』処罰を目的として確立された共謀共同正犯という判例理論があ」るが、半世紀後の今日にわたるまで、そのほとんどが暴力団にのみ適用されてきている」(wiki「共謀罪」)という事情もあります。暴力団以外の者に対する「共謀(共同正犯)」に関する判例は「ほとんど」ないのです(注)。審査補助員弁護士が「共謀(共同正犯)」に関する判例の事例として「暴力団内部の共謀の成否が争点となった判例や、犯罪の実行行為者でなくても謀議に参加すれば共犯として有罪になるなどと認定した1958年の最高裁大法廷判決を審査員に示し」(上記読売新聞)たとしても無理からぬものがあります。

注:「共謀(共同正犯)」に関する判例には2007年の「ドラム缶不法投棄事件」などの最近の判例もありますが、そのことだけで上記のウィキペディアの「ほとんど」という言及を否定する理由にもならないでしょう。とりあえずここでは上記のウィキペディアの「ほとんど」という記述を正のものとして引用しておきます。

そうした事情があるにもかかわらず、そうした事情を一切無視して、情報元の読売新聞にも毎日新聞にもない「検察審査会の2人の審査補助員が小沢派を『暴力団』に見立てて説明」というタイトルをつけるはなゆーさんのタイトルのつけ方は主観的という以上に意図的なものというべきでしょう。

注:はなゆーさんは上記記事の《備考》に北詰淳司という人が作成した吉田繁実弁護士の「国選弁護人解任請求書」なる文書を添付していますが、同文書を読む限り同弁護士は悪徳弁護士として描かれています(真偽のほどはわかりません。私は胡散臭い文書だと思っていますが)。ここにもはなゆーさんの意図は明確に示されています。

さて、上記のとおり、まずはなゆーさんが自身のブログに「検察審査会の2人の審査補助員が小沢派を『暴力団』に見立てて説明」という記事を書きました。

その記事を阿修羅という電子媒体紙上にラクダさんという人が転載しました。

おそらく上記の記事を読んだ大山さんのご友人が自身のサイトに「小沢一郎氏の強制起訴を決定した検察審査会において、吉田繁實弁護士が、政治家の関係をヤクザの関係に例えるなど、一般常識で判断しても適切とは言い難い例を挙げるなどして、平均年齢が非常に若い審査員を、故意に誘導した疑いが読売新聞に書かれている」という記事を書きました。

上記の大山さんのご友人の記事は、おそらくはなゆーさんの「検察審査会の2人の審査補助員が小沢派を『暴力団』に見立てて説明」という記事を鵜呑みにした上で、はなゆーさんの左記の見出し語の表現を「吉田繁實弁護士が、政治家の関係をヤクザの関係に例える」と言い換えて記事にしたものでしょう。しかし、情報元の読売新聞には「吉田繁実弁護士は、暴力団内部の共謀の成否が争点となった判例や、犯罪の実行行為者でなくても謀議に参加すれば共犯として有罪になるなどと認定した1958年の最高裁大法廷判決を審査員に示し、『暴力団や政治家という違いは考えずに、上下関係で判断して下さい』と説明した」と書かれているだけで、「吉田繁實弁護士が、政治家の関係をヤクザの関係に例え」たなどいう表現は一切ありません。また、「一般常識で判断しても適切とは言い難い」や「平均年齢が非常に若い審査員を、故意に誘導した疑い」などの記述も一切ありません。その読売新聞が書いてもいないことを「読売新聞に書かれている」と大山さんのご友人は自身のサイトに書くのです。これははっきり言って「ウソ」を書いていることになります。新聞報道に一定の信頼性があることを利用した「虚偽」記事といわなければならないのです。

その「虚偽」記事といわなければならないものを大山さんは「友人がサイトを立ち上げました。(略)わたしも告発人のひとりになります」(CML 06127)、「もともと、かなり信頼できる筋からの情報です」(同 006132)などとさらに拡散しようとしているのです。とんでもないことといわなければなりません。

私はCML 006151に次のように書いておきました。

「おそらく私はそのあなたの調べられたこと(あなたご推薦のサイトの読売新聞の取り上げ方)について反論を書くことになるでしょう。/そのときに明快に私が先のメールで『あなたが紹介されるサイトの記述の正鵠性を判断するためにも、この件について読売新聞にはどのような記事が書かれていたのか。私として確かめる必要を感じています』と書いた意味がおわかりになると思います」と。

私がCML 006151に書いておいたことの意味がおわかりになったことと思います。

上記の事例は小沢支持「妄信」派のその妄信ぶりを示すもうひとつの事例にもなっていると思います。

大山さんのご友人のサイトの「リンク集のページには岩上安身、上杉隆、宮崎学、名城大学コンプライアンス研究センター(郷原信郎)の名だたる民主党・小沢支援者のサイトが紹介されています。上記で私が「小沢支持『妄信』派」の事例というのはそういう事実とも関係しています。民主党・小沢支援者のすべてが「妄信」派などと言うつもりは私にはまったくありませんが、上記の事例の場合はなかった新聞報道をあったかのように「虚偽」を言う点において「小沢支持『妄信』派」の記事というほかないものです(ご本人は「虚偽」とはおそらく思っていないでしょう。そういう意味でも「妄信」のなせるわざといわなければならないように思います)。
あるメーリングリストに「杉並からの情報発信です」ブログの主宰者の山崎康彦さんの「『小沢一郎支援・検察・検察審査会糾弾』東京デモ行進のご報告」なる記事(注1)を共感的に紹介する転載記事を発信する方がおられました。その記事に反論して、ここで改めて山崎氏の論を批判するのも労力の無駄のように思いましたので、今回の東京第5検察審査会による小沢氏強制起訴議決についての適切な評価をしていると私として思われる下記の山田孝男さん(毎日新聞記者)の記事を紹介することで反論に代えることにしました。そしてその際その山田孝男さんの論は「一般的な良識的な市民の評価、または意見といってもいいのではないか」という私の意見を挿みました。

風知草:強制起訴は暴走か=山田孝男(毎日新聞 2010年10月11日 東京朝刊)

そうすると2人ほどの方から「私は、きっと『一般的な良識的な市民』には入らないのでしょうが、山田孝男さんの意見には、反対です。明白な起訴に当たる偽装があったとは思わないからです」、「どういう理由から、山田孝男さんの意見が『一般的な良識的な市民』の意見ということになるのだろう?(略)プロが膨大な時間と税金をかけて、それでも起訴できなかったのに、どこのだれかもわからない30代の素人にまた起訴されている。いったいいつまでやっているつもりなの?」という反論のような返信をいただきました。

下記はその「反論」のようなものに対する私の返信です。

             ………………………………………………………………………………
Sさん Seさん Kさん

私の考える「一般的な良識的な市民」の意見とはどういうものか、についてひとこと述べておきます。

以下、Sさんのご発言をひとつの例として。

「プロが膨大な時間と税金をかけて、それでも起訴できなかったのに、どこのだれかもわからない30代の素人にまた起訴されている。いったいいつまでやっているつもりなの?」(Sさん)

上記のSさんのご発言には「一般的な良識的な市民」としていくつかの問題があるように思います。

第1。「プロが膨大な時間と税金をかけて、それでも起訴できなかったのに」という杉さんの発言は、ご本人はそう自覚されていないのかもしれませんが、検察審査会制度そのものを否定する発言というべきものです。

Sさんは同審査会制度そのものを全否定されるお立場でしょうか?

現在の裁判制度は、起訴独占主義(起訴は検察官のみがすることができるという原則。刑事訴訟法247条)によって公訴権(被疑者を起訴する権利)は検察官によって独占されています。そうすると、起訴判断権を検察のみが持つため、その検察官の恣意的な判断によって、被疑者が免罪され、犯罪被害者が泣き寝入りする事態もある程度の頻度で起こりえます。現在の検察制度は少なくともそうした可能性を常に孕んでいる制度ということができますし、現実にそうした事態は度々生じています。

検察審査会制度はそうした検察のときとして暴走化する横暴で恣意的な判断を抑制・防止し、かつ、検察の世界にも民意を反映させる目的を持って戦後すぐの1948年に成立した制度です。刑事訴訟における正式の裁判に先立って、当該案件を起訴するに足りる証拠があるか否かを判断する同様の制度は予審、予審尋問、大陪審制度などの形で世界各国にもあり、「法の支配」の確立している国として「常識」に属する制度というべきですが、むしろ、日本の検察審査会制度は、「戦後GHQが日本政府に対し検察の民主化のために大陪審制及び検察官公選制を求めたのに対し、日本政府が抵抗した結果、市民決定に拘束力を持たせない妥協の産物として設けられたものである」という指摘もあります(wiki「大陪審」)。昨年の検察審査会法の施行で同審査会は強制起訴の権限を有するようになりましたが、上記のとおり民意を反映させるという点で問題が積み残されていた戦後における同法成立時の欠陥を補完したという側面を持っているともいわれてもいます。

上記のとおり強制起訴の権限をも有する検察審査会制度は「法の支配」の確立している国として「常識」に属する制度というべきものです(国によって制度の形は異なりますが)。それを否定するようなSさんのような考え方は、失礼ながら、「一般的な良識的な市民」の「常識」に反する考え方といわなければならないように私は思います。

第2。 Sさんの言われる「どこのだれかもわからない30代の素人にまた起訴されている」というご発言は、第一に「素人」という言葉の遣い方からもわかることですが、その「素人」で構成される検察審査会の意義をまったく理解していない発言といわなければなりません。検察審査会の有意義性については上記第1で述べているとおりです。第二に「どこのだれかもわからない30代」という言い方も同審査会制度のしくみをよく理解されていない発言といわなければなりません。

検察審査会委員は、同審査会法第10条によって、市町村の選挙管理委員会によって同市町村の選挙人名簿に登録されている者の中からくじで無作為に選出されるしくみになっています。当然、同選挙人名簿に登録されている者の年齢、年代は多様であって今回の同審査会委員が平均年齢30歳強であった、というのは「くじで無作為に選出される」という同審査会委員の選出のしくみから見ても故意ではなく偶然に属することといわなければなりません。仮にその同審査会委員の選出の過程に意図的なものがあったとするならば、市町村の選挙管理委員会に不正があったと断定しなければならないことになりますが、同審査会委員の氏名等は特定の司法関係者以外には非公開です。したがって、現在の民主的体制下で「非公開」のものを強制的に検閲するというところまで政治権力の力が及ぶとは常識的に考えられませんし、何人もの選挙管理委員会委員が立ち会う「くじ引き」、またその過程に不正が仕掛けられるということも常識的に考えられません(そこに不正が仮にあったとすれば当然同くじ引きに立ち会った選挙管理委員会委員は全員逮捕されるということにもなります。選挙管理委員会委員がそこまでリスクを冒してまで不正を挙行することも当然考えられません)。

したがって、Sさんの第2の見方、考え方も、「一般的な良識的な市民」の「常識」に反する考え方といわなければならないように思います。

もう一度上記のSさんの発言を引用します。

「プロが膨大な時間と税金をかけて、それでも起訴できなかったのに、どこのだれかもわからない30代の素人にまた起訴されている。いったいいつまでやっているつもりなの?」

Sさん。そしてこれはSe(注2)さんにもKさんにも当てはまることだと思いますが、そこまで言われるのでしたら検察審査会法ができてすでに60余年経ちますが、これまで小沢強制起訴以前に同審査会法について「ケシカラン」とどこかで問題提起されたことはありますか?

また、JR西日本福知山事故や明石歩道橋事故における検察審査会の「起訴相当」議決も当然「シロート民間人」の議決でしたが、その議決は「ケシカラン」ものだったとお考えでしょうか?

また、上記のJR西日本福知山事故や明石歩道橋事故における検察審査会の「起訴相当」議決について、「シロート民間人が検察の判断にケチつけてケシカラン」と抗議なさいましたか?

そういうことはしないで今回の小沢強制議決についてだけ「ケシカラン」などというのはまったくスジが通りませんし、また、「一般的な良識的な市民」のすることでもないだろう、と私は思います。

また、Kさんのご発言に即してひとこと。

Kさんは先のメールで「岩上氏の伊波沖縄県知事候補インタビュー」という情報を流されています。そうすると、Kさんは、沖縄問題について「普天間基地の即時撤去」、同基地の「国外・県外の移設」の主張を掲げて沖縄県知事選を戦っている伊波さんを支持されているということになりますが、あなたがもう一方で支持される民主党の小沢氏は下地島や伊江島を「移設」先の代替候補地に挙げて「県内移設」を主張しています(産経新聞 2009年12月30日付)。

小沢氏のこうした「県内移設」案は、普天間基地の無条件閉鎖と国外・県外移設を切望している〈沖縄の民意〉とは明らかに相容れないものといわなければなりません。

あなたがそれでも小沢氏を支持するというのであれば、あなたは沖縄・普天間基地の無条件閉鎖と国外・県外移設を真に望んでいない、ということになるのではありませんか? 

Kさんはこの矛盾をどのように考えますか?(注3)
             ………………………………………………………………………………

注1:山崎康彦さんの記事については私はいくつかのメーリングリストに次のような発信をしたことがあります。「幾つかのメーリングリストに『杉並からの情報発信です』ブログの主宰者の山崎康彦さんという人の論考をなにか重要な論点を提起している論考であるかのように読みなす何人かの人がいて同氏の論がしばしば引用される傾向がありました。/私にとっては山崎さんの論は荒唐無稽な論のたぐいにすぎないのですが、上記のような事情で山崎さんの論を一度根底的に批判しておく必要を感じました」(弊ブログ 2010年8月9日付)。

注2:Seさんから「お答えしますが同審査会法が改正されて強制起訴権限をもったのは60年もたっていないと思います」という返信がありました。しかし、この返信は問われている本質にまったく応えた返信になっていません。良心的に問いの本質に応えようとするならば、同審査会法改正前のことを持ち出すのではなく、昨年から施行された同審査会改正法以後のJR西日本福知山事故や明石歩道橋事故における検察審査会の「起訴相当」議決についてSeさんとして「ケシカラン」と考えるのか。また、Seさんとして抗議したのかどうか。その点について応えるのがスジといわなければなりません。本質の問題に応えようとせず、本質から外れた回答でその場しのぎをする。嘆かわしいことです。

注3:Kさんからは「小沢さんでも誰でも今の所は県外移転、国外移転は政権側になると難しい交渉でなかなかなのかなと思うのと、国民が沖縄のことを自分たちの問題として捉えるには我々の努力が足らないのかもしれません」という返信が返ってきました。「我々の努力が足らない」などという人ごとのような返信をするのではなく、Kさんとして問われている矛盾について自分としてどのように考えるのか真摯に向きあった応えをするべきではなかったでしょうか。これも本質から外れた回答でその場しのぎをする回答の見本のように私には思われます。嘆かわしいことです。

 上関原発予定地 田ノ浦と祝島

中国電力が上関原発予定地の田ノ浦の海の埋立て工事再開を強行!――という一報が飛び込んできたのが今月15日。その第一報が飛び込んできてから1週間がすぎました。が、現地ではいまなお「海も陸も一歩も引けない阻止行動が続いています」。ここで一歩でも「引けば即埋め立てが始まる事態にな」りかねないからです。

「いままでも何度も何度もこうした阻止行動を祝島の人たちはしてきました。しかし、みんなの健康の問題等考慮してその阻止行動を断念せざるを得ないことが何度もありました。そうしていままで阻んできた埋め立て着工ですが、今回は引くことができないという、ほんとにしんどい闘いが続いています」(中山田さつきさんの下記の訴えから)。

下記はその大分の中山田さつきさんが先日の10月20、21日の両日に現地入りした感想を踏まえての訴えです。「埋め立て阻止に」さらにさらに「あなたの力を貸してください!!」。

転載させていただきます。

* * *

先日10月20、21日と2日間だけ現地に行ってきました。脱原発大分ネットワークのつゆくさ通信に掲載するために書いた文章ですが、現地の様子を少しでも伝えられたらと思い添付します。(中山田)

■?上関はいま? 「埋め立て阻止にあなたの力を貸してください!!」

2010年10月22日
中山田さつき

 祝島の対岸、上関町田ノ浦の海が埋め立てられようとしています。

 原発予定地の田ノ浦の海を埋め立てるために、中国電力が雇った埋め立て台船が3隻も予定地のすぐ近くまで来ています。1隻は既に排水口予定地近くに入っているとのこと、1隻は座礁して船体が破損したため修理が必要となり出港した港に引き返しています。すぐ近くまで来ている残る1隻をいま祝島の漁船とシーカヤックが取り囲み行く手を阻んでいます。(3隻揃わないと作業ができないということです)

 10月15日に「埋め立て台船がやってきた」との知らせを受けたものの、おろおろと祈るような気持で過ごし、所用を済ませて私が現地に行ったのは、10月20、21日でした。ほんとに近くまで台船が来ていて、一歩も引けない状況で必死に海上で阻止している祝島の船とカヤックに涙が出そうでした。田ノ浦の海岸に降りると、祝島の人たちやカヤック隊、支援の人たちが、中国電力の作業員が浜に降りて作業をしないよう出口に座り込んでいました。浜でも毎日こうした座り込みの行動が行われています。浜の方も一歩でもこちらが引けば一気に浜にフェンスを張って、反対する人たちを締め出しにかかろうとしているとのことです。「ここは作業区域なので作業をさせてください」と繰り返し、言いながら他の社員が反対する人をビデオとカメラで撮り続けています。「妨害行為」の証拠とするつもりなのでしょう。ずっと撮っているということです。「妨害行為」に関しては一日500万円の損害賠償の請求を高裁も認めるということになっていて、いま最高裁に抗告中。

 祝島のおばちゃんたちは「どっちが妨害してるんだ! 祝島の生活を28年間も妨害し続けておって! これは妨害じゃない、抗議だ」と。ほんとにその通りです。

 海も陸も一歩も引けない阻止行動が続いています。引けば即埋め立てが始まる事態になります。いままでも何度も何度もこうした阻止行動を祝島の人たちはしてきました。しかし、みんなの健康の問題等考慮してその阻止行動を断念せざるを得ないことが何度もありました。そうしていままで阻んできた埋め立て着工ですが、今回は引くことができないという、ほんとにしんどい闘いが続いています。

 田ノ浦の海はほんとにきれいです。瀬戸内海に残る「奇跡の海」と言われるくらい、様々な希少生物を含む多様性を維持した豊かな海です。ここの豊かな藻場で稚魚が育ち、祝島の人たちに豊かな恵みを与えてくれている海です。今回初めてスナメリが泳ぐのを見ました。祝島の人たちは海を売ってはいません。漁業保証契約の締結を拒否し、一円の補償金も受け取っていないのに、海が埋め立てられようとしています。あり得ないことが、裁判所という法を司る者もいっしょになって、行われようとしています。

 こんなに土壇場に追い詰められた(と思われる)事態の中でも、祝島の人たちは怒りながらも「アハハ」といつも笑っています。四国から応援に来ていた男性が「祝島は笑い島なんだよ」と言ってました。「いつもこっちが元気をもらうんよ」と。

埋め立て阻止のためにあなたの力を貸してください。どんな形でもかまいません。祝島に励ましの手紙を送る、カンパを送る、一緒に浜に座り込む、船やカヤックを持ってる人がいたら海を渡って欲しい。お願いします――。〈田ノ浦に行かれるときは、水、食、住(テントなど)は自前で用意してください。〉
先のエントリでご紹介した「『脱『領土主義』の新構想を』 ―みどりの未来 運営委員会の『尖閣』問題に対する見解」について、東京造形大学教授で在日朝鮮人人権セミナー事務局長の前田朗さんから、先のみどりの未来運営委員会の見解にいう「『無主地先占の原則』はアイヌなど世界の先住民の土地を強奪した法理」という主張では「日本政府がアイヌモシリ(北海道、および/または、千島クリル、樺太サハリン)について無主地先占論を唱えたことにな」るという指摘がありました。

この前田朗さんの指摘について、同みどりの未来運営委員のおひとりで核とミサイル防衛にNO!キャンペーンの杉原浩司さんが先のみどりの未来運営委員会の見解に表現上の不備があったことを認め、同表現箇所を訂正したい旨の返信を認められていますので、おふたりの往復通信を先のエントリの補足として掲げておきたいと思います。

前田朗さんの指摘(概略)
ユニークな声明をご紹介いただきありがとうございました。

声明の本筋ではないのですが、疑問点がありますので、質問です。

「そもそも、日本政府が領有権を正当化する「無主地先占の原則」(所有者のいない島については最初に占有した者の支配権が認められる)は、帝国主義列強による領土獲得と植民地支配の論理であり、アイヌなど世界の先住民の土地を強奪した法理です。」

この表現だと、日本政府がアイヌモシリ(北海道、および/または、千島クリル、樺太サハリン)について無主地先占論を唱えたことになります。

私の知識では、そのような事実があったとは思えないのですが、日本政府はいつアイヌモシリについて無主地先占論を唱えたのでしょうか。ご存知の方がいらしたら教えてください。

サハリンについては、1853年にロシア政府が無主地先占論に従って領有権を主張しています。

1854年、プチャーチンとの交渉の中で、日本側は(川路聖謨だったかな)は、エトロフなど千島について、名前がアイヌ語だから日本のものだとか、日本に属するアイヌ民族が居住しているから日本領土だという主張をしています。

第1に、日本政府は千島に実効的支配を及ぼしていませんでしたから、無主地先占論を唱えるはずがありません。

第2に、日本政府は千島にアイヌ民族が居住していると主張していたのですから、無主地とは見ていません。それゆえ、無主地先占論を唱えるはずがありません。

私は札幌出身(かつ、侵略者「屯田兵」の子孫です)なので、このくらいのことは漠然とながら記憶していますが、正確なことはさずがに記憶していません。

千島以外に、サハリンや北海道について、日本政府が無主地先占論を唱えたことがあるのでしょうか。

無主地先占論ではない形でアイヌモシリを侵略したのではないでしょうか。

以上が質問です。

日本は、先住民族であるアイヌ民族、アイヌモシリに侵略し、しかも日露交渉によって、先住民族の大地を勝手に分割したり、取り引きしたりしました。このことを、今あらためて、人種差別反対ダーバン宣言や国連先住民族権利宣言に基づいて確認し、批判していく必要があります。

杉原浩司さんの返信(概略)
杉原です。「みどりの未来運営委員会」の見解に対するご指摘、ありがとうございます。

私の理解では、見解の文章表現があいまいなため、アイヌの土地強奪にも日本政府が「無主地先占論」を使った、と読まれているようです。見解はあくまで、日本政府の「尖閣」領有が、「帝国主義列強が無主地先占論によって先住民の土地を強奪した」のと同様の論理であることを指摘していると思うのですが、「アイヌなど」との記述があいまいさをもたらしているように思います。

前田さんのご指摘にもあるように、アイヌの場合に関しては、ロシアが「無主地先占論」を使ったということであり、日本政府には当てはまらないでしょう。ですから、見解から「アイヌなど」の文言を削除するような修正がベターかと思います。

検討したうえで、記述を修正し、見解を掲載しているホームページには訂正個所と新表現を明示するような対処を提案しようと思います。ご了解ください。
以下は東京の弁護士の河内謙策さんがCMLなどいくつかのメーリングリストに投稿された記事に対する私の反論です。

注:固有名詞の削除など少しだけ文面を改稿しているところがあります。

河内さん

河内さんの論には最初の論点からして私としてさまざま批判はありますが、その余の問題はとりあえず傍らに置いておくことにして、あなたが標題記事を投稿されたメーリングリスト上で多くの人から批判されている点についてのあなたのご反論、すなわち論点5「頑張れ日本!全国行動委員会の組織しているデモをどう評価するか」という論について批判を認(したた)めておきたいと思います。

あなたは5の論点についてもさまざまな弁明、または抗弁をされていますが、ここでもあなたのその弁明、または抗弁についての反論は後回しにして、はじめにあなたの論の問題性を提起されたBさんの初出の論点に立ち返ります。

何度も何度も多くの人から繰り返し指摘されていることですが、あなたはその論に次のように書いていました。

10月2日のデモについて国民の右傾化を心配するメールはネットに現れましたが、私は国民の右傾化を心配するよりも、日本を思う人たちとの連帯を考えるべきだと思うのです。10月2日のデモについては、以下のサイトを見てください。
http://dogma.at.webry.info/201010/article_2.html
http://www.melma.com/backnumber_45206_4985751/

あなたの指示される http://dogma.at.webry.info/201010/article_2.html のサイトを見ると、まずはじめに否も応もなく目に飛び込んでくるのは日の丸、日の丸の旗の渦です。そして、次に目に飛び込んでくるのは多くのメディアからも出来レースだとして批判された例のアパグループ主催の第1回『「真の近現代史観」懸賞論文』の最優秀賞受賞作文で独自の皇国史観を展開し、ときの自民党政府からさえ「政府の見解(村山談話、小泉談話)と異なる」という理由で航空幕僚長の職を更迭されたあの田母神俊雄の写真です。

私はあなたの指示されるサイトを開いて、一瞬にして日の丸の旗の渦が目の中に入ってきたとき、強い嘔吐感のようなものを感じるとともにその画面を直視するに堪えられませんでした。すべての人がそうだとは言いませんが、私の場合、その「日の丸」に象徴されるものは、あの戦争で生きようとして生きられず生命を失くしていった人びと(戦場にあった人も銃後にあった人も)への鎮魂の思い、またその人々を死に追いやった軍国主義という「思想」への深い軽蔑心、また憎悪心、です。私はもちろん戦中の人間ではありませんが、文学好きだった私が文学の中で追体験した「戦争」なるものに対する拒否反応は言葉には言い表しがたいものがあるのです。それは若いころ読んだ小林多喜二への尊敬につながり、『レイテ戦記』を著した大岡昇平の深い悲しみに自分の心を重ねることであり、『真空地帯』で自分の軍隊経験を描いた野間宏のあの癒えがたい慟哭をともに泣く、ということでもありました。「日の丸」が象徴するものは私にとってそうした負のイメージを否応なくともなうのです。

Aさんの河内さんが提示する「日の丸」に対する拒否反応に私は深く共感します。

あまりといえばあまりのもうされよう、もはや、なにももうす気になれません。/坊主憎けりゃ袈裟まで憎しですか。/中国の現政権(現体制)がいくら憎いからといって、/「左翼」とやら「平和運動」とやらがいくらフガイナイとお思いだからといって、/「日本を思う人たちとの連帯を考えるべきだ」とはねえ!/しかも、そこで参照されている「日の丸」の渦!/こういうひとたちがニホンジンなら、わたしゃニホンジンじゃない、ありたくない。/こういうのが「日本を思う」ってことなんなら、わたしゃ、「日本」など「思い」たかない。

こうした批判はAさんや私だけでなく、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん、Fさん、そしてGさんからもありました。

にもかかわらず、Hさんは同じメーリングリストの返信で次のように言います。「愛国心やナショナリズムに対する対応(河内さんの論の②)については,河内さんに共感します」。Hさんのいわれる「愛国心やナショナリズム」の問題については後に河内さんの論を批判する際にあらためて触れようと思っていますが、論理をいう前にHさんが上記のようにいう感性は私には信じられません。Hさんの上記の感想は河内さんの指示されるサイトを見た上でのご感想でしょうか。そうであるならば私とHさんの感性とは決定的に相違する、と申しておかなければなりません。

また、河内さんは、上記のような批判、疑問が多く提示されているにもかかわらず、その反論の書である標題メールでも「頑張れ日本!全国行動委員会の組織しているデモをどう評価するか」として相変わらず田母神俊雄の写真が大きく掲載されたサイトを示しています。河内さんに上記のように標題記事についてメーリングリスト上で多くの人から批判された問題について反省する様子は微塵も見られません。私は河内さんの感性にも大きくノーと言っておきます。

河内さんは田母神俊雄に対してなされたこれまでの民主勢力、また平和勢力の数々の批判を果たしてご存知なのでしょうか? その批判の数々をいくつかピックアップしておきます。

まず第1に田母神俊雄なる前空幕長の参院外交防衛委員会での参考人招致での答弁に対するメディアの総批判。NPJのサイトに挙げられているだけでも20メディア以上に及びます。
*リンクの多くはリンク切れとなっていますが、各社社説の見出しを見るだけでもメディアがいかに田母神批判をしたか、ということがわかります。

第2。増田都子さんの「田母神俊雄(当時・航空自衛隊幕僚長)作文」徹底批判資料」(48頁)

*これもリンク切れになっていますが資料として添付しておきます。

上記についての増田都子さんの言葉: 
 
いつまでたっても逐条方式での全面批判がないので、しょうがない・・・私がやるしかない!?

上記についての太田光征さんの言葉:

この骨の折れる仕事を増田都子さんがやってくれました

第3。日韓ネットの渡辺健樹さんのメールから。

9・15ピョンヤン宣言7周年集会のご案内(CML 000843 渡辺健樹 2009年 7月 29日)

しかも、日本では、昨年の田母神・航空自衛隊幕僚長(当時)の論文問題に象徴されるように、いまなお加害の歴史を居直り正当化しようとする動きは後を絶ちません。そればかりか、加害の歴史に真摯に向き合うことなく、拉致問題を政治利用してあたかも日本人が一方的な被害者であるかのような世論作りが進行してきました。日本政府は、北朝鮮への「制裁」を繰り返し、日朝関係はむしろ最悪というべき状態に陥っています。とりわけ私たちは、在日コリアンへの人権侵害と弾圧を許すわけにはいきません。

第4。靖国神社での田母神の演説に抗議したカナダ人が不当拘束された件。


*上記における私の発言:

アホ右翼はどこまでもアホウヨにすぎませんから、とりあえずここでは相手にせず、「唾棄すべき芥」とのみ罵詈を浴びせておきます(時が来れば一斉除草しなければならないことはもちろんです)。それにもまして私が許しがたいものを感じるのは、本来シビル・サーバント(全体の奉仕者)としての使命を持つはずの警察がその自らの使命を放棄し、逆に権力を笠に着て、一部右翼の結託者となって明白な人権弾圧(上記ビデオ参照)の行使者となりおおせていることです。そして、その人権弾圧が日本国家によって容認されているということです(この人権弾圧に加担した警察官らがなんらの処分もされていないということは国家としてこの行為を「容認」しているということにほかなりません)。その人権抑圧の場所が靖国神社であったことは象徴的です。

第5。右翼の主張、また同メンバーなど

下記から明らかなように右翼の主張は「外国人参政権」反対、「人権擁護法案」反対、「夫婦別姓(選択制別姓)」反対、「女性差別撤廃条約選択議定書」反対などなどです。また、このような主張をするメンバーの中には河内さんご推奨の田母神俊雄氏、宮崎正弘氏、荒木和博氏なども含まれています。


第6。河内さんが「日本を思う人たちとの連帯を考えるべきだと思う」と推奨される田母神俊雄を会長として戴く「頑張れ日本!全国行動委員会」の10.2デモに続く10.16「中国大使館包囲!尖閣侵略糾弾!国民大行動」デモ(反中国デモ)の「深刻な実態」についての園良太さんのレポート(2010年10月20日付)。

魚釣台/尖閣諸島」問題で、日本国内の「反中国デモ」が激化・拡大しています。

10月16日の「頑張れ日本」や「チャンネル桜」が主催するデモは、六本木~中国大使館に向けて、実数3000人近くに膨れ上がりました(現場で見た知人によれば、約300人の隊列が9グループだったので、主催者が発表する「5800人」は明らかな水増しだろうとのことです[東本注:主催者側は当日の参加人数を5800人から3200人以上に訂正しています])。彼らが普段配るチラシには「中国人が水道に毒を入れる」などと書かれており、関東大震災で朝鮮人虐殺の理由となったデマと同じものを垂れ流すひどさです。また、17日秋葉原の在特会の残党系は、人数こそ200人超なものの(それでも十分多いですが)、繁華街で堂々と「日本から叩きだせ~!」といういつものヘイトスピーチをまき散らす。そして「オノデン」や「ソフマップ」の店頭に「中国人客に媚を売っている」などと押し掛け騒ぎ続けるという暴虐さでした。そしてデモ隊に帯同する警察は、それらをほとんど取り締まることなく放置しており、これも大きな問題です。

ただ、新しい現象からか、「魚釣台/尖閣」の領土問題への態度・解釈が定まらないからか、事態の深刻さに比べて平和や人権運動側の反対が立ち遅れてはいないでしょうか。そんな中、「ヘイトスピーチに反対する会」の若者2人が、16日の巨大デモ隊の前で抗議の座り込みを行い、プラカードと横断幕を掲げました。警察に排除されましたが無事でAFPに大きく報道されました。また17日秋葉原では、「mixi」を通して集まった様々な個人が反対行動をやりました。

17日のデモは余りにもひどい暴力でした。そして16日デモはそれよりは整然と見えてTVにも取り上げられていても、2人が座り込んだ瞬間に本性が出たとのことです。「中国人の乱入だ!」と決め付けた瞬間に集団で蹴りかかってきて、人種差別の暴言を全体であびせかけてきた。事態の深刻さと反対行動の必要性や可能性をお伝えしたくて、情報をまとめてお送りします。

最近までの「在特会」に対してがそうであったように、社会的に大きく問題にして、現場行動でも法的な面でも正面から抑え込むべきではないでしょうか? ここに挙げる個々人はダイレクトアクションや映像を駆使してがんばっています。ぜひ、連帯とそれぞれの場での行動をお願いします★

まずはこの深刻な実態を見て下さい。

10月16日の巨大デモ(参加者が倍増しています)
10月17日の秋葉原を主催した団体による上野での中国人観光客襲撃(これはひどすぎます)
10月17日の「オノデン」への襲撃映像
(略)
10月16日のデモへの反対座り込み・AFP通信の報道と写真
2人が警察に排除された時の映像(警察は反対行動をすぐに排除するのに、人種/民族差別をまきちらすデモは野放しにしています)
2人が行動理由を話した映像
(以下、略)

第7。坂井貴司さんの上記10.16デモに対する危惧の表明と感想

さらに大きくなった反中国デモ(CML 006021 2010年10月17日)
反日、反中の悪循環(CML 006028 2010年10月18日)

先ほど送った「さらに大きくなった反中国デモ」で、私は、ますます不気味な状況になってきました、と書きました。

しかし、状況は不気味を通り越して、憂慮すべき状況になっています。

10月16日に東京の在日中国大使館前で反中国デモが開かれるとの情報が、インターネットで中国全土に伝えられました。また、ネット上で中国製品ボイコットの呼びかけがなされていることや、10月2日に東京で行われた反日デモの様子がネット上で大きく伝えられています。

それに対抗して、10月16日、東京の反中国デモと同じ時刻に、中国四川省の成都市や翌17日に綿陽市で大規模な反日デモが開催され、日系デパートが投石され、日本車が破壊されました。

中国3都市で大規模反日デモ 計1万人超、尖閣めぐり抗議
中国・綿陽でも大規模な反日デモ 若者らが暴徒化
西日本新聞 

デモ隊の主役は若者たちで、「小日本(英語のジャップと同じ意味)は出て行け!」・「小日本を滅ぼせ!」・「小日本人を殺せ!」と叫び、日本資本のデパートに投石し、日本料理店の窓ガラスをたたき割りました。

日本の反中国デモや中国製品ボイコットが、中国の反日デモを呼び起こしたわけです。

10月16日の反中国デモは5800人(注:上記東本注参照)を動員して「成功」しました。次に開催されれば、もっと大規模なものになり、日本各地の広がることが予想されます。そうなれば、中国の反日運動は拡大するでしょう。それに対抗して、日本の反中運動が支持を集め、拡大するでしょう。

日中双方の反感と敵意が、市民レベルで激化する可能性が大きくなってきました。

すでに中国では、そこに住む日本人が隣人の中国人から「小日本人は出て行け!」とののしられたり、日本では中国人が「シナ人がでかい顔をするな!」と怒鳴られたり、アルバイトをクビになるといったことが起こっているそうです。

お互いが歯をむき出しにして憎しみあうという悪循環が生まれつつあります。

経済で日中はこれまでになく密接な関係にあるというのに、市民レベルで互いが嫌悪感と敵意を抱くという状況になっています。

グローバリズムだと言いながら、実は偏狭なナショナリズムが激化するという皮肉な事態を私は憂慮しています。


さて、河内さんの論点5「頑張れ日本!全国行動委員会の組織しているデモをどう評価するか」という論の中身のいくつかの問題について幾ばくかの反論をしておこうと思うのですが、はじめに指摘しておきたいのは、河内さんの論に特徴的な第1文のはじめに一般論(正論)を述べて、次の文節の具体論では独自の見解を展開する、という自己言及(排他)的ともいえる論法についてです。一見してその文は真か偽か見分けがたいのです。

たとえば河内さんは論点5の①のはじめで「私は、まず人を右翼か左翼かで簡単に分類すべきでない」と述べます。この論はまさに正論で、そのとおりだといわなければなりません。しかし、河内さんは次の文節では次のように述べます。「そのように分類してきたのが日本の『左翼』であり、それは深刻に反省すべきであると考えています」。またさらに「その考えの根底には「左翼は右翼に優位している」という暗黙の前提があり、そのように分類するのが自分であるという左翼のエリート主義にも問題があった」とも述べます。左記の論を正論というべきでしょうか。これまでの「左翼」が「人を右翼か左翼かで簡単に分類」してきた、また「その考えの根底には(略)左翼のエリート主義にも問題があった」と断言するからにはそれなりの論証が必要ですが、河内さんはただ「まだその影響を完全に脱しきれていない私が言うのですから、信じていただきたい」というだけです。左記の論は客観的には主観的な論というほかないものです。これが河内さんの論法です。この主観的な論の反論は後で述べます。

もうひとつ例を挙げます。河内さんは論点5の②のはじめで「私は、民族とか、国家というものに慎重なアプローチをとるべきだ」と述べます。この論もまさに正論というべきです。しかし、その後に続く文では「私の見た多くの『左翼』と平和主義者は、これを論理の問題だと考えて、その危険性をプロパガンダすればよい、と考えています」と述べます。この論を正論というべきでしょうか。この論も河内さんの主観の開陳以上のなにものでもありません。これが私のいうところの自己言及(排他)的な河内さんの論法なのです。こうした論法を私は正攻法的な論法とは思いません。論には人を納得させるに足る論の展開が必要だと私は思うのですが、河内さんの論はその論の展開がねじれている(おそらく貝の殻のような強固な「主観」によって)、といわなければならないのです。

具体的な反論をいくつか。

上記論点5の①の主張について。河内さんは①で「人を右翼か左翼かで簡単に分類してきたのが日本の『左翼』であり、『左翼は右翼に優位している』という左翼のエリート主義に問題があった」と言います。河内さんが「左翼」というとき多くの場合日本共産党のことを指しているのだと思いますが、共産党にそうした思想傾向が存した(いまも存している)ことは、河内さんと同程度に「左翼」歴のある私の目から見ても否めない事実のように思います。おそらくそれは戦前のいわゆる日本共産党査問リンチ事件の事例に端的に見られるように治安維持法下の特高警察の弾圧から同党を防衛するための同党に潜入しようとするスパイの摘発、右翼との対峙の必要性というところに端を発したもので、そうした党防衛の思想が戦前からの党幹部らによって戦後にも継承されたものと見ることができるように思います。戦前の同党幹部らは例外もむろんありますがおおむね「エリート」出身の幹部であったということもあって、そこに「左翼エリート主義」の残滓があったことも否めない事実のように思います。

しかし、いうまでもないことですが、一般の共産党員の圧倒的大多数は労働者階層の人びとです。単に労働者階層というだけではなく文字どおり下積みの労働者党員も多いのです。この一事をとってもエリート主義をすべての「左翼」に拡張することは明らかに無理があります。「『左翼は右翼に優位している』という左翼のエリート主義があった」というのは、東大教養学部の自治会委員長という経歴を持つ河内さん界隈だけで通用する話というべきものでしょう。

河内さんと同じようにかつて「左翼」の経験を持つAさんも「わたしは、『右翼的』な行動だから『連帯』できないと言いたくはない。世間からはあきらかに『右翼的』だと見られるような行動であっても、ばあいによっては連帯できるかもしれないし、連帯しなきゃいけないかもしれない」と言っています。また、世間から「左翼」と見られているDさんも「少なくとも、私は『右翼はケシカラン』『右翼と協調しよう、ということがケシカラン』という主張はしていません。(略)そうである以上『左翼が正しい、右翼は間違っている』などということを前提にはしない、できない」と言っています。同じ「左翼(的)」でもAさんやDさんのような考え方も現にあるのです。あなたの主観と経験だけを前提にして「『左翼は右翼に優位している』という左翼のエリート主義に問題があった」などと「左翼」の歴史を概括するのは自己の経験のみを絶対視するあまりにも「ジコチュウ」的なものの見方、考え方というべきではないでしょうか。

河内さんの上記論点5の①でいう「デモなどという様々な思想の人たちが結集する行動体を簡単に右翼のデモと決め付ける愚はさけなければならない」、また「ある団体やデモを指導者の思想で割り切るのは非常に危険な思想」という論法も上記で見たような自己言及(排他)的な論法というべきものです。この主張も主張それ自体としては正論というべきものなのですが、あなたが田母神俊雄を会長として戴く「頑張れ日本!全国行動委員会」の主催するデモをあくまでも「日本を思う人たち」のデモと言い張る以上、「デモなどという様々な思想の人たちが結集する行動体を簡単に右翼のデモと決め付ける愚はさけなければならない」という一見正論じみた主張は、結局、自己の主張を正当化しようとする露わな意図を持つ「ジコチュウ」的な論となるほかない、といわなければならないのです。

論点5の②の主張について。前便のはじめの河内さんの論に特徴的な論法の指摘の節のところでもその指摘との関わりで少しだけ触れておいたことですが、同?の主張の「私は、民族とか、国家というものに慎重なアプローチをとるべきだ」という河内さんの論はそれ自体の論としては正論というべきであろう、と私も思います。問題はその後に続く文の「私の見た多くの『左翼』と平和主義者は、これを論理の問題だと考えて、その危険性をプロパガンダすればよい、と考えてい」るという河内さんの論断の当否です。

河内さんが上記のように論断されるのは、「民族とか、国家」の問題は「論理」の問題という以前に「感情」の問題、それも民族としての「感情」の問題である、と考えておられるからでしょうが、そしてその河内さんの思念に私は共感はしても反対するものではありませんが、河内さんの上記の論断は当たっていないように私は思います。河内さんが指弾される「左翼」と平和主義者の多くも「民族とか、国家」の問題は「論理の問題」という以前に第一に「感情」の問題として捉えているように私には見えます。

そのひとつの事例として現代の広義の「左翼」の代表的論客のひとりといってよいと思いますが、哲学者の高橋哲哉氏の著書『靖国問題』(ちくま新書 2005年)の第1章「感情の問題」の記述を少しだけとりあげてみます。高橋氏はその第1章で「靖国」裁判での日本側被告の証人にたったあの戦争の遺族のひとり、岩井益子の陳述書の慟哭、

靖国神社を汚すくらいなら私自身を百万回殺してください。たった一言靖国神社を罵倒する言葉を聞くだけで、私自身の身が切り裂かれ、全身の血が逆流してあふれ出し、それが見渡す限り、戦士達の血の海となって広がっていくのが見えるようです。

と、同訴訟原告の高金素梅(台湾先住民族(タイヤル族)出身の女性立法院議員)の以下の叫び、

見よ、見よ、私の皮膚には鳥肌が立ちはじめ、私の目からは涙があふれ出し、熱い血がこみ上げてきて脳天を直撃した。私はついに、自分がいったい誰なのかをはっきり知ったのである。

をとりあげて次のように言います。「日本軍の戦争がもたらしたおびただしい人々の『血の海』ぬきに、靖国神社や靖国問題を論じることはできない」。「靖国」の問題は第一に「感情の問題」として考えるべきであろう、と。現代の「左翼」のひとりである高橋哲哉氏も「民族とか、国家」の問題を考える上での「感情」の問題の重要性を説いています。

もうひとつの事例として16年にわたってソ連と中国に亡命していた共産党の故・野坂参三氏が1946年1月に帰国したときの「民主戦線によって祖国の危機を救え」と題する講演の中で「真の愛国者はだれか」と訴えた演説。この演説を現代の論客のひとり小熊英二氏は「〈民主〉と〈愛国〉」(新曜社 2002年)の中で「マルクス主義の歴史観や『国民国家』という言葉によって表現されていた〈天皇に抗するナショナリズム〉も、戦争という共通体験から生まれた、『真の愛国』という心情のうえに成立していた」(p127)と評しています。

河内さんの「私の見た多くの『左翼』と平和主義者は、これを論理の問題だと考えて、その危険性をプロパガンダすればよい、と考えてい」るという論断は正しいというべきでしょうか。それは文字どおり「私の見た」範囲でのあなたの観察するところの評価にすぎないものといえるでしょう。そのあなたの評価を一般論に拡張して「左翼」と平和主義者一般に適用しようとする姿勢は私は正しくないと思います。

だから、その正しいとは思えない評価を基準にして現在の「左翼」と平和主義者一般の思考のあり方を「あまりにも単純な思考である」と断罪するあなたの姿勢も正しくない、ということにならざるをえません。

あなたが今回の尖閣沖漁船衝突事件に関して日の丸の旗を林立させた「頑張れ日本!全国行動委員会の組織しているデモ」について「それは明らかに民族的怒りです」と言っても、その「民族的怒り」は右翼の専売特許ではなく、その右翼のショヴィニズム(盲目的な愛国心)、ナショナリズム(国家主義)に対する「左翼」の煮えたぎるような「民族の怒り」でも十分ありえるのです。「左翼」は決して「感情」の問題を否定しているわけではないからです。

上記で述べたことは、Hさんがあるメーリングリストで提起されている問題の応えにもなっていると思います。「左翼」は決して「自己の所属する国家を愛する心。自分の育った郷土を愛する心に根ざす愛国心」(『現代政治学小事典』有斐閣 1978年)を無視しているのではなく、ショヴィニズムやナショナリズムとしての「権力組織としての国家を愛する愛国心(国家主義)」「他国への配慮に欠けた独善的な愛国心」(同左)を拒否しているのです。教育基本法改悪に反対したときの私たちの「愛国心」批判を想起していただきたいと思います。河内さんの推奨する田母神俊雄を会長として戴く「頑張れ日本!全国行動委員会」のデモを主催した「日本を思う人たち」の「愛国心」は、上記の『現代政治学小事典』のいう「他国への配慮に欠けた独善的な愛国心」というべきだからあなたが標題記事を投稿されたメーリングリスト上で多くの人が河内さんの論への反対表明をしているのです。
尖閣諸島沖漁船衝突事件であらたにクローズアップされている「領有権」問題に関して国際法の「先占」原則をどのように考えるか、といういま問われている論点について、みどりの未来 運営委員会が「脱「領土主義」の新構想を」という見解を発表しています。たいへん参考になる見解だと思いますのでエントリしてご紹介させていただこうと思います。

【見解】「尖閣」諸島(釣魚島)沖漁船衝突事件―― 脱「領土主義」の新構想を
                                  2010年10月13日   みどりの未来運営委員会

 9月の尖閣諸島(中国名:釣魚島)海域での中国漁船衝突事件をめぐって、中国側の強硬姿勢、日中両国国民の敵対感情が高まっています。このような事態を招いた日本政府の先の見通しのない対応の責任は重大です。

■ 領土問題は現実に生じている
 
 日中両国は、これまで、1978年の「日中平和友好条約」締結の際の鄧小平氏の「尖閣論争の棚上げ」「解決は次の世代の智恵に託す」という方針に従って、決定的な対立を回避してきました。2004年の中国人活動家「上陸」で逮捕後すぐに「国外」退去処分にした当時の小泉首相も、この方針を優先させたものと言えます。

 ところが今回、日本政府は何ら展望もない中でこれを一方的に破棄しました。現に中国・台湾・日本間で領土問題が発生しているにもかかわらず、「領土問題は存在しない」とすることは、「中国側の主張は無視する」「問題解決のために対話する必要はない」と宣言するに等しいものです。政府は領土問題が生じていることを認め、対話と交渉によって解決するという態度を表明するべきです。

■ 日本の領有を根本から問い直す

 中国の強硬姿勢の背景には、この海域の石油・天然ガスの発見をきっかけにした中国の資源ナショナリズムや覇権主義的な態度があることは明らかです。

 一方、日本の領有権の設定は日清戦争中の1895年であり、朝鮮半島と台湾への侵略、領土拡張の戦争の一環として行なわれました。

 「歴史的に日本の領土」という主張に対しては、これを否定する歴史資料や論文も公表されています。そもそも、日本政府が領有権を正当化する「無主地先占の原則」(所有者のいない島については最初に占有した者の支配権が認められる)は、帝国主義列強による領土獲得と植民地支配の論理であり、アイヌなど世界の先住民の土地を強奪した法理です。共産党を含む全ての国政政党が当然のように日本の領有権を主張するのは、このような近代日本についての歴史認識の致命的な欠如を表わしています。

■ 「領土主義」を超えて共同の「保全」を

 そもそも国境線は近代の歴史においては極めて恣意的に引かれたものであり、国家同士の利害も衝突します。しかし、私たち「みどり」の依拠する「現地主義」「市民主権」の原則から考えれば、当事者である沖縄、中国、そして台湾の漁民が国籍にかかわらず安心して漁を営むことができる条件を整えることこそが優先されるべきだと考えます。

 天児慧氏(早稲田大学)は、紛争の発生している領土領海地域に限定した「脱国家主権」、「共同主権」による解決を主張し、そのために、「当該地域をめぐる諸問題を解決するための専門委員会を設置する」ことを提案しています。加々美光行氏(愛知大学)も、「南極条約」のような領土主権を凍結する国際条約の締結を提案しています。私たちは、こうした考えを基本的に支持します。

 同時に、日中両国における脱炭素社会の構築も不可欠です。領土問題が発生している要因ともなっている尖閣諸島の石油・ガス資源については、共同で「開発」するのではなく、将来世代のために東シナ海の美しい生態系を「保全」し、あえて開発しないことが重要だということを提案します。このような賢明な姿勢こそ、両国の対立と地球を「クールダウン」させ、両国の国益にもつながるものと考えます。

 国益をかざしたパワー対決や被害者意識に基づくナショナリズムの発露に希望はありません。今、私たちには、「日中両国の次世代」としての智恵が求められています。
下記は地元MLに提起した標題に関する私見です。「尖閣奪還」という偏狭なナショナリズムとそれと対になった中国バッシングがマス・メディアまで動員して展開されている様の一端を見るためにもここにもエントリしておきたいと思います。

産経新聞の2010年10月3日付の報道、すなわち来月11月のオバマ米大統領の来日直後に大分・日出生台演習場で作戦名「尖閣奪還作戦」と名づけられた同演習場を尖閣諸島に見立てた米海軍と海上自衛隊合同の日米軍事演習が実施されることが明らかになった、という報道をめぐって本ML(市民ネットワークおおいたML)において何人かの方々から懸念が表明されています。また、同報道の真偽をめぐってうそか真実か、と先日の「大分と沖縄を結ぶ会(仮称)」設立準備会主催の金城実さんの講演会の質疑応答の席では少しばかりの議論にもなっていました。私も同記事の信憑性についてはいくつかの疑問点があるのですが、まずは同紙のくだんの記事を確認したいと思います。

くだんの産経新聞の記事は下記のようなものでした。

(1)日米軍事演習で「尖閣奪還作戦」 中国の不法占拠想定(産経新聞 2010年10月3日)
【ワシントン=佐々木類】日米両防衛当局が、11月のオバマ米大統領の来日直後から、米海軍と海上自衛隊を中心に空母ジョージ・ワシントンも参加しての大規模な統合演習を実施することが明らかになった。作戦の柱は、沖縄・尖閣諸島近海での中国漁船衝突事件を受けた「尖閣奪還作戦」。大統領来日のタイミングに合わせ統合演習を実施することにより、強固な日米同盟を国際社会に印象付け、東シナ海での活動を活発化させる中国軍を牽制(けんせい)する狙いがある。/日米統合演習は2004年11月に中国軍の潜水艦が沖縄県石垣島の領海を侵犯して以来、不定期に実施されている。複数の日米関係筋によると、今回は、中国軍が尖閣諸島を不法占拠する可能性をより明確化し同島の奪還に力点を置いた。(略)演習は大分・日出生台(ひじゅうだい)演習場を尖閣諸島に見立てて実施するが、豊後水道が手狭なため、対潜水艦、洋上作戦は東シナ海で行う。
(後略)(要旨)

(2)日米「尖閣奪還」演習 強固な同盟 中国に明示(産経新聞 2010年10月3日)
【ワシントン=佐々木類】日米が中国軍の尖閣諸島占領とその奪還を想定した統合軍事演習を実施するのは、中国漁船衝突事件により、東シナ海での制海権を握ろうという中国政府の意思が改めて明確になったからにほかならない。/統合演習はこれまで、中国を刺激しないよう、敵と味方を色で識別し、架空の「島嶼(とうしょ)敵前上陸訓練」などと称し実施されてきた。だが、中国が尖閣諸島の領有を前面に押し出してきた以上、「日米両国の意思が分かりやすい形で演習を実施することが肝要だ」(防衛省筋)との結論に至った。(略)米国防総省筋も「日本は何もせずに『米軍だけ血を流してください』というわけにはいかない」と指摘する。(略)一方、防衛省幹部は「日本が、在沖縄米軍はいらないが、『有事のときは助けてください』ということでは、なかなか米国人に理解してもらえない」とし、統合演習には在沖縄米軍の重要性を、沖縄県民をはじめ日本国民に理解してもらう意味もあると説明している。(要旨)

私は産経新聞を購読していませんので実物を見ていませんが、インターネットで検索してみると(1)は同紙一面トップ記事で、(2)は同紙三面掲載の関連記事ということのようです。かなり本格的な記事の取り扱い方ですから、来月11月のオバマ米大統領の来日直後に日出生台演習場などでかなり大掛かりな日米軍事演習が予定されていることだけは確かなことのように思います(そこまでこの報道について産経新聞を疑う理由はないように思います)。

しかし、同紙には、「日米両防衛当局が、11月のオバマ米大統領の来日直後から、米海軍と海上自衛隊を中心に空母ジョージ・ワシントンも参加しての大規模な統合演習を実施することが明らかになった」「演習は大分・日出生台(ひじゅうだい)演習場を尖閣諸島に見立てて実施するが、豊後水道が手狭なため、対潜水艦、洋上作戦は東シナ海で行う」などと断定的に書かれていますが、同記事には下記のようないくつかの疑問があります。

第1の疑問は、尖閣列島沖漁船衝突事件が発生したまさにその翌日に米中軍事交流についての米中協議を始め(共同通信2010年9月10日付)、また同22日には国防省の代表が訪中することを発表した米国政府の姿勢からも読み取ることができると思うのですが、米国には今回の事件を契機にして中国と軍事的に事を構える意志はまったくないとみられます。むしろ米国は今回の事件に関しては日中間のソフト・ランディングを望んでいたと見るべきでしょう(「日中関係への視点(2)?中国漁船問題とアメリカ?」浅井基文 2010年9月28日付)。その米国政府がこの時期に「尖閣奪還作戦」などという中国を不必要に刺激するような作戦名(実際の作戦名ではなく、産経新聞が扇情的につけた作戦名にすぎませんが)をあえてつけた日米軍事演習を行おうとするだろうか、というものです。「尖閣奪還作戦」という「作戦名」は日本の防衛省幹部の腹案か、あるいは産経新聞記者、もしくは同編集部の意図的な創作と見るべきではないか。

第2の疑問は、上記(1)(2)の記事ともワシントン発の記事になっており、また記事中にも「複数の日米関係筋によると」「米国防総省筋も」という表現も見られるものの、情報のソースは米国発のものというよりも日本の防衛省発と見た方がよいのではないか、というものです。日本の防衛省筋の幹部の発言が具体的なのに対して、米政府筋の発言は抽象的な印象を持ちます。

上記のような少なくない疑問があるものの、私はやはり来月11月のオバマ米大統領の来日直後に日出生台演習場などでかなり大掛かりな日米軍事演習が予定されていることだけは確かなことのように思います。その理由は、産経新聞の「日米軍事演習で『尖閣奪還作戦』 中国の不法占拠想定」という報道は、防衛省が中国の脅威を理由に島嶼防衛強化の方針を掲げ、来年度の概算要求に先島地域への部隊配備に向けた調査費を盛り込んだなどと伝える下記の一連の報道と符合するところも多いからです。


さらに民主党内の右翼系議員を中心とした同党の中堅・若手の国会議員有志らによる「尖閣周辺で日米共同軍事演習を」求める下記のような「建白書」提出の動きとも連動します。


産経新聞のくだんの記事は、そうした防衛省や民主党、自民党を含む右翼系議員の動きとも連動した中国バッシングの世論を高めるための情報操作、誘導記事の可能性が高いのではないか、というのが私の判断です。

そしていま、私たちに求められているのは、下記のような冷静な判断だろうと思います。

先島陸自配備 中国脅威論大いに疑問(琉球新報社説 2010年7月21日)
防衛省は宮古島や石垣島に陸上自衛隊の国境警備部隊を、与那国島に陸自の沿岸監視部隊を配備する方向で検討している。/東アジアの経済統合が加速している。中国と台湾は先日、経済協力枠組み協定(ECFA)に調印した。中台の経済的な相互依存関係が緊密になる中で、武力衝突はほとんどあり得なくなりつつある。/防衛省はこの変化が、アジアの安全保障環境に確実に変化をもたらすことを過小評価してはいまいか。/軍備増強を図る中国を、日本の安全への「脅威」と明確に位置付けることには大いに疑問が残る。
(略)
そもそも宮古、八重山地域への直接的軍事侵攻は非現実的ではないか。/「島しょ警備(防衛)」という言葉は、65年前の沖縄戦を連想させる。沖縄戦前に策定された「沿岸警備計画設定上の基準」にその文言がある。沖縄を主要な警備地域として挙げ「住民の総力を結集して直接戦力化し軍と一体となり国土防衛に当たる」ことを求めた。/結局、島しょ防衛という発想は、住民を巻き込んだ悲惨な地上戦という結果しかもたらさなかった。/軍は軍の論理でしか動かない。存在し続けるためには、新たな存在理由を求めるものだ。/陸上自衛隊配備より、アジアの近隣諸国との友好関係と信頼醸成に努めることの方が先決だろう。

なお、上記の産経新聞記事のほかにも日刊スポーツ/共同通信記事(2010年10月4日付)、東京新聞記事(2010年10月16日付)、読売新聞(2010年8月19日付)にも同種の記事が掲載されているようです。

以上の情報からわかることは、同訓練は「尖閣」漁船衝突事件(9月7日)以前から計画されていたものである、ということです(上記の読売新聞記事が8月19日付となっているほか日刊スポーツ/共同通信記事にも同訓練について2009年に検討開始とあります)。したがって、上記の産経新聞記事は、今回の「尖閣」漁船衝突事件を契機にして「離党防衛」の名目で同軍事訓練を正当化しようとする防衛省及び右翼系新聞としての同紙の意図が露わに出ている明らかな情報操作というべきであり、誘導記事であるということがより明瞭になるように思います。
尖閣沖中国漁船衝突事件によって尖閣諸島の領有権の帰属の問題が改めて、あるいはにわかにクローズアップされていますが、日本側(日本政府・外務省から共産党、社民党、自民党、沖縄県議会、右翼系諸団体まで)は尖閣諸島は「日本固有の領土」、中国・台湾側(中国政府はもとより日本の歴史学者として高名な故・井上清氏まで)は「中国固有の領土」、また「台湾固有の領土」とそれぞれ強固に主張してそれぞれ譲る気配はありません。同領有権の帰属の問題では国際法のいわゆる「無主地先占の法理」をどのように理解し、解釈するかがひとつのそして大きな問題になっているのですが、その「無主地先占の法理」なる国際法について「他国の手が及んでいない領土を先に発見したり、先占したりすることでそれを自国領だと宣言しうるという発想そのものを俎上にのせる必要がある」(『北方領土問題』、岩下明裕、中公新書)、また、「問題の本質は、やはり国家主権をどう考えるかであろう。私はこれを『不変不可侵の固有の概念』ではなく、可変的な『歴史的概念』として考える」(「『脱国家主権』の新発想を」、天児慧、朝日新聞2010年9月22日付))などと疑問視する声も少なくありません。そうした「無主地先占の法理」という国際法を疑問視する声のひとつに竹島=独島問題の研究者である半月城(朴炳渉)さんの標題のようなご意見があります。たいへん説得的な論攷だと思いますのでここに紹介させていただこうと思います

半月城です。

 皆さんの尖閣(釣魚)諸島の領有権をめぐる論議を興味深く拝見しています。その論議を読んで、私はふと元禄時代の「竹島一件」を思い出しました。ただし、竹島といってもこれは欝陵島のことです。現在の竹島=独島は江戸時代に松島と呼ばれていました。

 当時、竹島(欝陵島)は朝鮮の官撰地誌に載ってはいるものの、同島は倭寇の被害を防ぐため無人島にされ、しかも百年以上も捨て置かれました。その間に鳥取藩の商人が入り込み、70年間も継続して何の障害もなくアワビなどを採取しました。

その商人、大谷・村川両家は幕府から竹島渡海免許というお墨付きを受けてアワビ採りをしていました。さらに、ある時は悪天候で朝鮮へ漂流しましたが、朝鮮政府は取り調べをおこなっても彼らの竹島=独島における漁を問題視しませんでした。こんな場合、皆さんは竹島(欝陵島)の領有権は日本、朝鮮のどちらにあるとお考えでしょうか?

この状況は、時代はずれるものの尖閣(釣魚)諸島に似ています。尖閣(釣魚)諸島も中国の古文書にそれなりの記載はあるものの、長年捨て置かれたのも同然でした。その間に日本人が同島で経済活動をし、それを口実に日本政府は日清戦争中に中国に何の連絡もなく日本領に編入してしまったのでした。


 竹島(欝陵島)では70年後に海禁を犯して密漁をおこなった朝鮮人漁民がいました。彼らは季節風の関係で日本人より早く島に到着してアワビなどを先取りしました。そのため、日本人漁民はほとんど漁にならず、大きな「被害」を受けました。翌1693年も同じ状況だったので、たまりかねた大谷家は竹島(欝陵島)にいた朝鮮人安龍福らを証人として連行し、藩へ引き渡して善処を要望しました。

 これを機に、日朝間で竹島(欝陵島)の領有権論争「竹島一件」が始まりました。交渉を担当した対馬藩は朝鮮へ安龍福らを送還すると同時に朝鮮人の入島禁止を要求しました。これに対し、豊臣秀吉の侵略の記憶がまだ覚めやらぬ朝鮮政府は百年以上も捨て置いた島のことで日本と事を構えるのを控え、対馬の要求を受け入れて竹島への渡航禁止を書簡で約束しました。

これで終われば、欝陵島は日本領になっていたのですが、朝鮮政府はその書簡で海禁政策を説明し、「弊境の蔚(欝)陵島といえども、漁民が外洋に出るのを禁止している」と付け加えました。朝鮮政府は竹島が蔚陵島であることを承知しながら、日朝友好のために一島二名という苦肉の策をとったのでした。

しかし、対馬藩はその妥協案に満足せず、「弊境の蔚陵島」の文言を除くよう執拗に要求したため、交渉はもつれにもつれました。進退両難に陥った対馬藩は、藩主の後見人である宗義真(元藩主)が江戸へ赴き、幕府の指示を仰ぐことになりました。

幕府は、かつて竹島渡海免許を発行した史実などが継承されずに実状が把握できなかったのか、鳥取藩などへ竹島渡海の経緯を尋ねました。鳥取藩は渡海事業の詳細や、竹島・松島は同藩の所属でないと回答しましたが、この回答が幕府にとって決め手になりました。

幕府は、竹島(欝陵島)へは町人がアワビを採りに行ったまでであり、無益な島であるところに、この件がこじれて朝鮮と年来の通交が絶えてもどんなものだろうか、武威をもって談判におよぶのも筋違いであると決断し、1696年に竹島(欝陵島)を朝鮮領であると認め、日本人の渡航を禁止しました。

余談ですが、この時まで幕府は松島(竹島=独島)の存在を知らなかったことは特筆に値します。そのため、幕府は鳥取藩の回答に登場した松島に関心をもち、さらなる質問を鳥取藩へおこなったくらいでした。


このように竹島一件では、朝鮮は古文書に竹島(欝陵島)が記載されているということを根拠にして百年以上も捨て置いた島の領有権を主張し、紆余曲折の末にそれがとおりました。朝鮮の古文書が日本の70年来の実効支配に勝ったのでした。

近世ではそれほど古文書の存在は重いものでした。といっても、私は尖閣(釣魚)諸島問題においては中国が有利であるとか不利であるとか評価するつもりはありません。判断は基本的に日中両国民が冷静におこなうべきです。


現代の領土問題は、時には国際法により判断されることになりますが、一口に国際法といっても戦前と戦後ではその性格が大きく異なります。それを区別するために私は戦前の国際法を明治時代の用語のままに万国公法と呼んでいます。

万国公法について明治の元勲である木戸孝允は「万国公法は小国を奪う一道具」と喝破しました。万国公法は、弱肉強食の時代に覇権を追い求めた大国が、貪欲に領土拡張をおこなった際にお互いの利害調整をはかって積みあげた強者間の、いわば「狼どもの国際法」でした。そのため、侵略戦争すら合法であることは周知の通りです。

したがって、もしアヘン戦争を万国公法で裁いたら、イギリスの蛮行はもちろん合法と判断されるでしょう。そうした万国公法、ならびにそれらを土台にした国際司法裁判所で尖閣(釣魚)諸島問題など戦争に関連した領土問題を判断するのが適切なのかどうか、疑問が残ります。
(半月城通信) 

 岡留安則氏(「噂の真相」元編集長)

私は先のエントリでリベラル・左翼系雑誌の『世界』や『週刊金曜日』、またインターネット・リベラル紙の『マガジン9』などのいわゆるリベラルメディアの著しい質の劣化について言及しましたが、その質の劣化の甚だしい(もうおよそリベラル系メディアとは評しがたい)『マガジン9』の2010年10月13日号に岡留安則氏(「噂の真相」元編集長)が「日本政府にとって小沢と沖縄は邪魔者でしかない」という論説記事を書いています。

それによると、「検察審査会に『起訴すべし』とされたその小沢氏が、沖縄選出の喜納昌吉前参議院議員に対して、次の県知事選候補は『伊波洋一しかいない』と発言したという」ことです。ほんとうでしょうか? 岡留氏が言うことがほんとうだとすると一大ニュースというべきですが、管見にして私は、小沢氏が伊波洋一氏を沖縄県知事選候補として推していることを推察させるにたるメディア記事をほかに知りません。

疑問をもって岡留氏の上記の記事を再度読み直してみると、同記事は「?と発言したという」という伝聞形で書かれています。誰から伝聞したのか? もちろんうわさの当事者の小沢氏からでも、もうひとりの当事者の喜納昌吉前参議院議員(民主党沖縄県連代表)本人からでもありません。ただ「?と発言したという」というだけで、そのうわさを誰から聞いたのかは皆目わかりません。まさに「噂の真相」元編集長の本領発揮というところでしょうか。

仮にこのうわさを喜納昌吉氏本人(本人から聞いたのであれば伝聞にはなりませんが)及び彼の周辺の誰かから聞いたとしても喜納氏の発言が真であるかどうかはおおいに疑問です。例の菅総理の「沖縄は独立したほうがいいよ」発言を喜納氏が暴露した際は「『独立』の下りは冗談めかしてもいた」と当人も認める菅氏の「半分ジョーク」のことばを自身の近刊の著書を通じてリークしたのでした。冗談はあくまでも冗談でしかなく、冗談めかしてほんとうのことを言うこともあれば冗談めかしてウソを言うこともあります。国会でこの問題が追及されたとき、菅総理はそういうことは言った覚えはない、と知らぬ存ぜぬと答弁しましたが、その菅氏の答弁に喜納氏が抗議したという話は一切聞きません。すなわち、喜納氏のリークは人さまのジョーク(それも真実かどうかは定かではない)をあげつらっていう程度の真実性しかないということです。その程度の真偽が定かではないうわさをご愛嬌のうわさ話としてではなく、まことしやかに真実のように書く岡留氏の筆法はジャーナリストの筆法といえるでしょうか? この筆法は根拠のないうわさをダシにして(あるいは自ら創りだして)書く、「儲け」(といっても、いろいろな「儲け」があるでしょうが)のためには手段を選ばないイエロー・ジャーナリズムの筆者の筆法といわなければなりません。

岡留氏がこのような真偽の定かではないうわさをあえて書くのは、彼の根拠のない「幻視」としての小沢ひいきの姿勢とおおいに関係があるでしょう。岡留氏は同記事で次のように書きます。

民主党本部はいまだに、仲井真知事支持と民主党独自候補擁立の間で揺れている。沖縄県民の立場に立てば、小沢氏の方がまさしく正論である。(略)沖縄から見れば、対等かつ緊密な日米関係、辺野古基地建設反対、日米地位協定改定など難問が山積する基地問題を解決するには、これまでの官僚丸投げから政治主導の政治を力説する小沢氏の方がはるかにマシな政治家である。
(癒しの島・沖縄の深層 2010年10月13日)

上記では岡留氏の小沢氏評価はやや抽象的ですが、琉球新報掲載の「沖縄幻視行」の小沢評価はもっと具体的です。

沖縄的にいえば、小沢氏は辺野古沖の新基地建設に疑義を唱えており、日米で納得する話し合いを持つという発言に期待をつなぎたい。(略)少なくとも、『緊密で対等な日米関係』を指向する小沢氏の方が菅総理よりも沖縄にとってははるかに有用な人物である。
(琉球新報「沖縄幻視行」 2010年9月4日付。『写真で見る・知る沖縄』「【民主党代表選】 全面対決の民主代表選」 2010年9月4日付参照)

しかし、岡留氏の上記の「小沢氏は辺野古沖の新基地建設に疑義を唱えて」いるという発言といい、「『緊密で対等な日米関係』を指向する小沢氏」という発言といい、「幻視」のみでまったく根拠のあるものではありません。「小沢氏は辺野古沖の新基地建設に疑義を唱えて」いるといっても、一方では下地島や伊江島を「移設」先の代替候補地に挙げて「県内移設」を主張しています。こうした主張をする人物がどうして「菅総理よりも沖縄にとってははるかに有用な人物である」などといえるでしょうか。小沢氏の下地島及び伊江島「移設」案は、普天間基地の無条件閉鎖と国外・県外移設を切望している〈沖縄の民意〉とは明らかに相容れないものです。

また、「『緊密で対等な日米関係』を指向する小沢氏」という岡留氏の発言に関していえば、小沢氏は先の民主党代表選の告示にともなう菅氏との共同記者会見で「沖縄も米国も納得できる案は、知恵を出せば必ずできると確信している」とあたかも普天間移設問題に関して県外移設の「腹案」があるかのように述べたものの、翌日の日本記者クラブ主催の公開討論会の席上では昨日の発言とうって変わって「日米合意を尊重することに変わりはない」とトーンダウンさせ、自身の持つ対米政策とこれまでの鳩山、菅両内閣の対米政策の方針とは基本的に変わりはないことを明確にしました。小沢氏の言う「日米合意を尊重することに変わりはない」とは、同合意が米国のアジア戦略を優先させた不平等合意であることが明らかである以上、これまでの自民党政府、鳩山、菅両内閣の対米従属路線堅持の方針となんら変わるところはないわけですから、それを「『緊密で対等な日米関係』を指向する小沢氏」と評価することも、岡留氏の「幻視」以外の、さらには小沢氏に対するひいきの引き倒しの、なにものでもないといわなければならないでしょう。

こうして岡留氏は真偽の定かではないうわさを用いてイエロー・ジャーナリズムよろしく自身の「幻視」を『マガジン9』の読者との「共同幻視」にまで拡げようとしているのです。結局、岡留氏はおそらく自身の主観的な思いとは逆行してメディアを通じて〈沖縄の民意〉を裏切る「小沢支持」の行為を読者にけしかけ、さらには強要しているということにならざるをえないのです。

ときもとき、上記の岡留氏の記事のうわさの一方の当事者である「喜納氏が沖縄県知事選出馬に意欲」というニュース(注1)が電撃のように駆け巡り沖縄の革新統一の光に弓を引くものとして多くの市民の怒りを買っています。うそか真実かわからないあいまいな内輪話を自らの著書に記して臆面もない喜納氏(そして、その臆面もない喜納氏がらみのうわさ話を真実のように記事にしてこれも臆面もない岡留氏、さらには今回のうわさ話を拡めた張本人の下地氏)よろしく今回も彼の単なるスタンド・プレーだった可能性が高いようで、民主党沖縄県連の仲間内からも「そんな話は聞いていない」「県連にはさまざまな意見があり、まとまらないだろう」などと不信を買っているようです(注2)。

さて、上述のごとく喜納氏及び同氏周辺にたちこめているうわさは客観的に見て信憑性のきわめて低いうわさにすぎません。そうしたうわさの類を記事にして得々とする岡留氏なる人は果たしてジャーナリストと呼ぶに値する人物でしょうか? また、そうした信憑性のない記事を書いて臆面もない岡留氏なる人を重用する『マガジン9』というメディアは果たしてリベラル系メディアと評することができるのでしょうか? 私の答は断じてノーです。

付記:少し岡留安則氏に厳しすぎた評価だったかもしれません。私は岡留氏のノーテンキと反権力の感覚は認めるものです。あえて付記します。

注1(1):沖縄県知事選:喜納氏が出馬に意欲(毎日新聞 2010年10月14日)
注1(2):喜納代表、出馬に意欲 下地氏がTVで説明 県連内に不信感(沖縄タイムス 2010年10月15日)
注2:喜納氏には普天間問題について「今後とも私は、県内移設反対を貫いていく」(喜納昌吉ブログ 2010年3月25日付)と言ったかと思うと、その発言をいとも簡単に後退させて11月の県知事選に向けた民主党沖縄県連の基本政策には単に「県民合意のない辺野古への移設は不可能」と記すだけで「県外・国外移設」を盛り込まないという彼の政治倫理の姿勢が問われてしかるべき前歴もあります(沖縄タイムス 2010年8月22日付)。
以下は坂井貴司さんのCMLでの返信への再返信です。「『井上清の政治的立場』という論攷に対する再反論(上・下)」の続きということでもあります。


坂井さん

坂井さんは沖縄県議会は「尖閣諸島は日本固有の領土」と全会一致で決議した」が(注1)、「井上論文から見れば、」同決議を「決議した沖縄県議会の議員たちは全員、日帝の手先であり、軍国主義者になります」と言われるのですが、そうでしょうか?

もとより尖閣諸島が「日本固有の領土」である、と強固に主張する勢力は上記の沖縄県議会をはじめ日本政府・外務省、共産党、社民党、自民党、右翼系諸団体などなど多数存在します。しかし、同諸島がほんとうに「日本固有の領土」である、といえるのかどうかについては、国際的にも国内的にも疑問を呈する声は少なくありません(注2、注3)。その疑問の声は、「他国の手が及んでいない領土を先に発見したり、先占したりすることでそれを自国領だと宣言しうるという発想そのものを俎上にのせる必要がある」(『北方領土問題』、岩下明裕、中公新書)というものから、歴史学者の故井上清氏のように「釣魚(尖閣)諸島は明の時代から中国領として知られている」というものまでこれも幅広く多様です。

そうした多様にある「尖閣諸島は日本固有の領土」という主張に対する疑問の声が「尖閣諸島は日本固有の領土」とする沖縄県民を代表する同県議会の決議と異なるからといって、それが即沖縄県民を侮蔑し、沖縄県民の「普天間基地撤去や辺野古移設反対」のたたかいに背を向ける、ということにはならないことはいうまでもないことです。沖縄県民の声は当然「神の声」ではありえないし、「尖閣諸島は日本固有の領土」という主張を疑問視する人たちの中にはたとえば在野の思想家であり、作家でもある沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの井上澄夫さんのようにこれまでもこれからも沖縄と連帯しようとする意志を持ち続ける人たちも決して少なくないからです(CML 005787)。

同じように井上論文の中にある「日本帝国主義の中国領釣魚諸島略奪反対のたたかいを広範に展開すべきである」という主張をもって即「沖縄県議会の議員たちは全員、日帝の手先であり、軍国主義者」と沖縄県議会議員を糾弾する声になる、と即断することも正しくないだろうと私は思います。井上氏は「日本帝国主義の中国領釣魚諸島略奪」の歴史的経緯を解明し、その「日本帝国主義の略奪」行為を弾劾しても日本人民」(沖縄県民も含まれることは当然のことです)はあくまでもその「略奪反対」のたたかいをともにたたかう共同行為者と位置づけているからです。井上論文が彼の「政治的主張を述べた文書」であり、「冷静な」学術論文とはいえない、という坂井さんのご指摘は私も首肯できるものですが、「冷静な」学術論文とはいえなくとも、少なくとも尖閣(釣魚)諸島の史的解明を試みた学術論文の側面を持つ歴史学者の著書であることも確かなことのように私は思います。井上論文を「政治的主張を述べた文書」にすぎないとして彼の著書のすべての記述を全否定するような態度は(そういう態度が仮にあったとして)私は好ましいものとは思いません。

むろん、坂井さんは井上論文の全面否定論者ではなく、同論文に一定の「説得力」を認めているお立場であることは承知していますが、井上論文の「政治的主張を述べた」部分を強調しようとするあまり同論文の「説得力」のある部分まで一緒に水に流しているきらいがややあるように私には感じられます。

ところで坂井さんがご紹介された井上論文に対する沖縄からの反論の著『尖閣列島』(緑間栄著 おきなわ文庫14 1986年)には教えられるところがありました。私は同著書をいまだ読む機会を得ていないのですが、下記のブログ記事によれば同書には次のような記述があるようです。

尖閣諸島は長く無主無住の島嶼であった。16世紀に中国の陳侃の書物「使琉球録」などに釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼などの島名があり、中国が島嶼を航路標識に使った証拠とするが、この当時中国側は尖閣諸島付近を経て琉球に達する航海に習熟しておらず、琉球からの迎えの到着を待って、彼ら琉球人を案内としてはじめて航海することができた。「使琉球録」は、琉球人が諸島を航海の標識としてよく使っていたとを証明している。

上記のうち「この当時中国側は尖閣諸島付近を経て琉球に達する航海に習熟しておらず、琉球からの迎えの到着を待って、彼ら琉球人を案内としてはじめて航海することができた」という記述にはとりわけ教えられるところがありました。上述の井上論文の「釣魚(尖閣)諸島の島々と琉球人の生活とは関係が浅かった」という論断と真っ向から対立する見解の表明であったからです。そして、緑間栄氏のこの見解は正しいもののように思えます。

井上論文には「釣魚諸島は明の時代から中国領として知られている」証明として『使琉球録』(陳侃 1534年)の記録が用いられているのですが、その『使琉球録』には次のような記述がありました。

十日、南風甚ダ迅(はや)ク、舟行飛ブガ如シ。然レドモ流ニ順ヒテ下レバ、(舟は)甚ダシクハ動カズ、平嘉山ヲ過ギ、釣魚嶼ヲ過ギ、黄毛嶼ヲ過ギ、赤嶼ヲ過グ。目接スルニ暇(いとま)アラズ。(中略)十一日夕、古米(くめ)山(琉球の表記は久米島)ヲ見ル。乃チ琉球ニ属スル者ナリ。夷人(冊封使の船で働いている琉球人)船ニ鼓舞シ、家ニ達スルヲ喜ブ。

井上氏はこの『使琉球録』の記述を「釣魚諸島は明の時代から中国領として知られている」証明として用いているのですが、同『使琉球録』の「夷人(冊封使の船で働いている琉球人)船ニ鼓舞シ」という記述は、同時に中国・福州から沖縄・那覇に至る航海は琉球人船乗りの技術に支えられていたことを示すものでもありえます。だとすれば、井上氏の「釣魚(尖閣)諸島の島々と琉球人の生活とは関係が浅かった」という論断は誤りというべきであり、むしろ同記述は中国人よりも琉球人の方が尖閣諸島の島々の地理には通じていたことを示す証明になっているといえることになります。坂井さんがおっしゃるように『尖閣列島』(緑間栄著)は井上論文に対する沖縄からの十分な反駁の書になりえている、といってよいと思います。

ちなみに旧JanJan記事に次のような指摘も見出しました。

琉球が初めて冊封関係を結んだのは1404(応永11)年で、琉球の中山王・武寧は父の察度の死を報告し、冊封を請うた。その冊封の礼を行うため使者を派遣した。尖閣諸島は中国(門港)から琉球に向かう冊封船の標識島として活用されていた。そのとき、中国には琉球への航海の経験者がいないので、琉球からの進貢船を待って出港している。そのとき、中国の船で航路を指示し、中国側に航路の標識になる島を教えたのが航海に習熟している琉球の看針通事である。そのときに中国側は尖閣の島々の名称を知ることになる。その記録が『冊封使録』である。/故・井上清氏は『「尖閣」列島――釣魚諸島の史的解明』(現代評論社)の中使で、こうした歴史的な流れを省いて考察しており、その論拠は完全に崩れている。
(「尖閣諸島にみる政党や政府の領土意識の欠如」JanJan 比嘉康文 2006年8月11日付)

坂井さんの同書のご紹介に感謝申し上げたいと思います。大切なことを教わりました。「尖閣諸島問題は日本と中国(そして台湾)の国家だけでなく、沖縄の視点も加えて論ずるべきだと思います」(CML 005876)という坂井さんのご提言と視点にはむろん大賛成です。


注1:「尖閣諸島事件で決議=日本の領土『疑問の余地なし』?沖縄県議会」(時事通信 2010年9月28日)
沖縄県議会は28日、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を「領海侵犯」として中国政府に抗議し、再発防止などを求める決議を全会一致で可決した。決議は「尖閣諸島がわが国固有の領土で沖縄県の行政区域であることは疑問の余地がない」としている。/県議会はまた、中国漁船の船長が処分保留のまま釈放されたことを受け日本政府に抗議する決議も全会一致で可決した。決議は、尖閣諸島が日本の領土であることを国外に示すよう政府に求めている。
注2:「尖閣列島は本当に「領土問題」でない?アメリカは本当に守ってくれる?」(加藤哲郎のネチズンカレッジ」 2010年10月1日付)
注3:「尖閣諸島」は、わが国「固有の領土」か 日中共用の水域へ(リベラル21 西田勝 2010年10月13日)
井上清論文を肯定的に評価する私の論に対するもうひとつの反論がありましたので、その論に対する再反論を下記にエントリしておきます。


Oさん、コメントありがとうございます。が、長いけれども、全文、失礼ながら的が外れたご議論のように思います。

第1。Oさんは「現行国際法の源がヨーロッパにあるからといって、国際法の基本原理を疑問視するのはいかがなものでしょうか」と言われるのですが、私ももちろん故井上清京大教授も「現行国際法の源がヨーロッパにあるから」という理由で「国際法の基本原理を疑問視」しているわけではありません。「無主地先占の法理」なる国際法は「近代のヨーロッパの強国が、他国他民族の領土を略奪するのを正当化するためにひねりだした『法理』」でしかないこと、またその「法理」が「現代帝国主義にうけつがれ、いわゆる国際法として通用させられている」こと、さらにまた「他国の手が及んでいない領土を先に発見したり、先占したりすることでそれを自国領だと宣言しうるという発想そのもの」がおかしい、という立場から国際法の「先占」法理なるものを「疑問視」しているのです。

第2。Oさんは「そうすると、従来の国際法の修正として生まれ、現在も不完全ながら平和維持や紛争の平和解決の機能を有している、国連憲章をはじめとする国際法体系全体を見直す、という大作業になります」とまた言われるのですが、私も井上教授も現代の国際法一般を問題視しているのではありません。あくまでも現代国際法のひとつである「無主地先占の法理」という考え方を問題視しているのです。植田さんは現代の国際法一般の問題と特定の問題に関しての国際法(ここでは「無主地先占の法理」を問題にしているのですが)とを混同されて議論されています。私はもちろん、国連憲章や世界人権宣言、人種差別撤廃条約、女子差別撤廃条約、こどもの権利条約などの諸宣言や条約を現代国際社会の理性の達成としておおいに評価しています。

第3。Oさんは国際法の「先占」法理を「今のところ、領土紛争にかかわる有益な規定として機能して」いると評価されるのですが、この認識は誤っていると思います。現にこの「先占」法理が問題になっているのが日本の問題のこととして尖閣諸島問題であり、竹島問題です。「先占」法理は「有益な規定」どころか領土紛争の源となっています。いま私たちに求められている視点は、「他国の手が及んでいない領土を先に発見したり、先占したりすることでそれを自国領だと宣言しうるという発想そのものを俎上にのせる」(『北方領土問題』、岩下明裕、中公新書)視点である、というべきではないでしょうか。

第4。Oさんは「井上清さんの当該著書は読んでいません」と言われるのですが、植田さん自身が言われる「引用のサイト」そのものが井上清さんの当該著書といってよいものです。当該サイトには井上教授の当該論文が全文掲載されているわけですから内容的には当該著書となんら変わるところはありません。また、植田さんは、その「引用のサイトの記述を見る限り、井上さんが挙げられているのは前近代の事例のようです」とも言われるのですが、しかし、その「前近代の事例」について外務省や日本共産党と井上教授の見解の違いがいま問題になっているのです。そういう意味で井上教授が提起している中世の中国の文献の解読の問題は「現代の事例」というべきものです。

第5。Oさんは「1895年の日本の領有宣言の時点や、それからあまり時間のたっていない民国初期の時期に」清・中国は領有権を主張をしていない。「これは、日本の領有権を認めたことを意味する行為」であると言われるのですが、この1895年の日本の領有宣言時点のことについて井上論文は次のような指摘をしています。

「琉球政府や日共は、八五年に古賀の釣魚島開拓願いをうけた沖縄県庁が、政府に、この島を日本領とするよう上申したかのようにいうが、事実はそうではなく、内務省がこの島を領有しようとして、まず、沖縄県庁にこの島の調査を内々に命令した。それに対して、沖縄県令は八五年九月二十二日次のように上申している。

『第三百十五号
     久米赤島外二島取調ノ儀ニ付上申
(略)中山傳信録ニ記載セル釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼ト同一ナルモノニコレ無キヤノ疑ナキ能ハズ。/果シテ同一ナルトキハ、既ニ清国モ旧中山王ヲ冊封スル使船ノ詳悉セルノミナラズ、ソレゾレ名称ヲモ付シ、琉球航海ノ目標ト為セシコト明ラカナリ。依テ今回ノ大東島同様、踏査直チニ国標取建テ候モ如何ト懸念仕リ候(後略)

  明治十八年九月二十二日
           沖縄県令 西村捨三
   内務卿伯爵 山県有朋殿』」

井上論文は上記の沖縄県令の上申書を示した上でその上申書の内容を次のように解説しています。

「この内命をうけた沖縄県では、「久米赤島」などを日本領とし沖縄県に属させてもよさそうなものだが、必ずしもそうはいかない、とためらっている。その理由は、これらの島々が『中山傳信録』に記載されている釣魚島などと同じものであると思われるからである。同じものとすれば、この島々のことはすでに清国側でも「詳悉セル(くわしく知っている)ノミナラズ、各々名称ヲモ附シ、琉球航海ノ目標ト為セシコト明ラカナリ」。つまり、これは中国領らしい。「依テ」この島々に、無主地であることの明白な大東島と同様に、実地踏査してすぐ国標を建てるわけにはいかないだろう、としたのである。/沖縄県令の以上のようなしごく当然な上申書を受けたにもかかわらず、山県内務卿は、どうしてもここを日本領に取ろうとして、そのことを太政官の会議(後の閣議に相当する)に提案する(略)」

上記該当部分の詳細は本文を当たっていただきたいと思いますが、井上論文には「1895年の日本の領有宣言の時点」で「清・中国は領有権を主張をしていない」という以前に山県内務卿が「久米赤島」など(尖閣諸島)を強引に日本領にしようとした経緯が詳述されています。これを見ても1895年時点の日本の領有権宣言の有効性を国際的に主張しようとするのには大きな無理がある、と判断すべきものでしょう。

第6。Oさんは「引用されている井上さんの論法を使うなら、小笠原諸島の領有権を米国が主張できることになってしまいます。ペリーが黒船で日本に来航した際に、琉球王国と小笠原諸島にも立ち寄っています」と言うのですが、故井上教授の論法は、「他国の手が及んでいない領土を先に発見したり、先占したりすることでそれを自国領だと宣言しうるという発想そのものを俎上にのせる必要がある」(『北方領土問題』、中公新書)とする岩下明裕氏の論理とほぼ同様の論理です。井上教授の論法は植田さんが解釈する論理とは相容れないものです。

第7。Oさんは「ちなみに故・井上清さんは、毛沢東による「文化大革命」を支持した知識人の1人です。毛沢東が尖閣諸島の領有権を主張したから、その歴史的根拠を探して本を書いたのでしょう」と言いますが、そういう評価は正しいものとはいえないでしょう。この点については下記に書いていますのでご参照ください。

■「井上清の政治的立場」という論攷に対する再反論(上)(下)(弊ブログ 2010年10月14日)
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/8679002.html
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/8679031.html

このまま故井上教授の論を引用していると本メールはあまりにも長くなりすぎますのでこれ以上の井上論文からの引用は避けたいと思います。各自におかれて先のメールで私が挙げた井上論文の5つの論点のうちの残された論点、すなわち、

(3)『籌海図編(胡宗憲が編纂した1561年の序文のある巻一「沿海山沙図」の「福七」?「福八」)にまたがって地図として示されている「鶏籠山」、「彭加山」、「釣魚嶼」、「化瓶山」、「黄尾山」、「橄欖山」、「赤嶼」が西から東へ連なっている事実の解釈。
(4)『使琉球雑録』巻五(1683に入琉清朝の第2回目の冊封使汪楫の使録)の「中外ノ界ナリ」(中国と外国の界という意味)の解釈
(5)『中山傳信録』(1719年に入琉した使節徐葆光の著)の姑米山について「琉球西南方界上鎮山」と記されている「鎮」(国境いや村境いを鎮めるの意。「鎮守」の鎮)の解釈

の論点を熟読していただければ私としても幸いに思います。

ただ、坂井さんが「もう一つ、私が井上論文に違和感を感じるのは『七 琉球人と釣魚諸島との関係は浅かった』と、断言しているところです。その箇所を何回読み返しても、それは本当なのかという疑問はわいてきます」という疑問を述べられていますので、この点について故井上教授の論をもう少し引用させていただこうと思います。この点について井上教授は次のように言っています。

琉球人の文献でも、釣魚諸島の名が出てくるのは、羽地按司朝秀(後には王国の執政官向象賢)が、一六五〇年にあらわした『琉球国中山世鑑』(略)巻五と、琉球のうんだ最大の儒学者でありまた地理学者でもあった程順則が、一七〇八年にあらわした『指南広義』の「針路條記」の章および付図と、この二カ所しかない。しかも『琉球国中山世鑑』では、中国の冊封使陳侃の『使琉球録』から、中国福州より那覇に至る航路記事を抄録した中に、「釣魚嶼」等の名が出ているというだけのことで、向象賢自身の文ではない。/また程順則の本は、だれよりもまず清朝の皇帝とその政府のために、福州から琉球へ往復する航路、琉球全土の歴史、地理、風俗、制度などを解説した本であり、釣魚島などのことが書かれている「福州往琉球」の航路記は、中国の航海書および中国の冊封使の記録に依拠している。

上記から釣魚諸島(尖閣諸島)に関する中国の文献に比して琉球人の文献は圧倒的に少ないこと、と言うよりも2冊しかないことがわかります。琉球人による同地に関する文献が少ないということは、琉球人の同地との関係も少なかったこと、「琉球人と釣魚諸島との関係は浅かった」ことをも客観的に推察させるものです。

さらに井上教授は琉球人の口碑伝説である『地学雑誌』や琉球学の大家である東恩納寛惇の『南島風土記』、さらには石垣市の郷土史家牧野清の「尖閣列島(イーグンクバシマ)小史」などなどの著作も探索し、釣魚諸島に関する琉球名称に混乱があることを指摘し次のように述べます。

この両島の琉球名称の混乱は、二十世紀以後もなお、その名称を安定させるほど琉球人とこれらの島との関係が密接ではないということを意味する。もしも、これらの島と琉球人の生活とが、たとえばここに琉球人がしばしば出漁するほど密接な関係をもっているなら、島の名を一定させなければ、生活と仕事の上での漁民相互のコミュニケイションに混乱が生ずるので、自然と一定するはずである。/現に、生活と仕事の上で、これらの列島と密接な関係をもった中国の航海家や冊封使は、この島の名を「釣魚」「黄尾」「赤尾」と一定している。この下に「島」、「台」、「嶼」、「山」とちがった字をつけ、あるいは釣魚、黄尾、赤尾の魚や尾を略することがあっても、その意味は同じで混乱はない。しかし、生活と密接な関係がなく、ひまつぶしの雑談で遠い無人島が話題になることがある、というていどであれば、その島名は人により、時により、入れちがうこともあろう。ふつうの琉球人にとって、これらの小島はそのていどの関係しかなかったのである。こういう彼らにとっては、「魚釣島」などという名は、いっこうに耳にしたこともない、役人の用語であった。

上記の井上論文の推定は学術的な資料探索に基づく根拠を持つ推定というべきであり、そこに琉球人を差別するなどの意図は微塵も感じられません。妥当な推定だと私は思います。

また、井上論文は、尖閣諸島を「明治期の日本が軍事力を背景に強奪した」(坂井さん)「無主地先占の法理」なる国際法上の法理を「近代のヨーロッパの強国が、他国他民族の領土を略奪するのを正当化するためにひねりだした『法理』」でしかない、と強く批判していますが、これも学術的検討に基づく研究者の自由な意見表明と見るべきであって、そこに故井上教授の政治的立場やましてや井上論文の発表された日付と政治情勢との符合性などを重ね合わせるべきではない。はじめにも述べましたが、論は論自体として評価されるべきものだ、と私は思います。
福岡在住の坂井貴司さんがCML上で直接の名指しこそないものの間接的な形で私の先のエントリ内の小論説反論されています。

下記はその坂井貴司さんの論への再反論です。


坂井さん

私も歴史学者の故井上清教授の政治的立場を知らないわけではありません。しかし、井上論文の評価と彼の政治的立場は無関係ではありませんが切り離して考えるべきだと思います。そうしないと正しい論文評価はできません。論は論自体として読むのが正統な読み方だと思います。

さて、井上論文で指摘されている尖閣諸島の領有権の帰属の問題、また「先占」取得の問題を読み込むにあたって、私の中にあった第一の問題意識は、「尖閣諸島は明代・清代などの中国の文献に記述が見られますが、それは、当時、中国から琉球に向かう航路の目標としてこれらの島が知られていたことを示しているだけであり、中国側の文献にも中国の住民が歴史的に尖閣諸島に居住したことを示す記録はありません」(赤旗論評「日本の領有は正当 尖閣諸島 問題解決の方向を考える」)と捉える赤旗の論評は正確なものといえるかどうかという点にありました。

この点について井上論文は以下の論証をしています。

「尖閣」列島 ――釣魚諸島の史的解明(井上清 初版1972/再刊1996)

第1。『使琉球録』(陳侃 1534年)に記述のある「乃属琉球者」(乃チ琉球ニ属スル者ナリ)の解釈と『重編使琉球録』(郭汝霖 1562年)に記述のある「界琉球地方山也」(琉球地方ヲ界スル山ナリ)の解釈について

以下、井上論文の該当部分を少し長いですが論証に必要な範囲内で要約します。

(1)『使琉球録』(陳侃 1534年)には次のような記述がある。「十日、南風甚ダ迅(はや)ク、舟行飛ブガ如シ。然レドモ流ニ順ヒテ下レバ、(舟は)甚ダシクハ動カズ、平嘉山ヲ過ギ、釣魚嶼ヲ過ギ、黄毛嶼ヲ過ギ、赤嶼ヲ過グ。目接スルニ暇(いとま)アラズ。(中略)十一日夕、古米(くめ)山(琉球の表記は久米島)ヲ見ル。乃チ琉球ニ属スル者ナリ。夷人(冊封使の船で働いている琉球人)船ニ鼓舞シ、家ニ達スルヲ喜ブ」。

(2)『重編使琉球録』(郭汝霖 1562年)には次のような記述がある。「閏五月初一日、釣嶼ヲ過グ。初三日赤嶼ニ至ル。赤嶼ハ琉球地方ヲ界スル山ナリ。再一日ノ風アラバ、即チ姑米(くめ)山(久米島)ヲ望ムベシ」。

(3)上に引用した陳・郭の二使録は、釣魚諸島のことが記録されているもっとも早い時期の文献として、注目すべきであるばかりでなく、陳侃は、久米島をもって「乃属琉球者」といい、郭汝霖は、赤嶼について「界琉球地方山也」と書いていることは、とくに重要である。この両島の間には、水深二千メートル前後の海溝があり、いかなる島もない。それゆえ陳が、福州から那覇に航するさいに最初に到達する琉球領である久米島について、これがすなわち琉球領であると書き、郭が中国側の東のはしの島である赤尾嶼について、この島は琉球地方を界する山だというのは、同じことを、ちがった角度からのべていることは明らかである。

(4)なるほど陳侃使録では、久米島に至るまでの赤尾、黄尾、釣魚などの島が琉球領でないことだけは明らかだが、それがどこの国のものかは、この数行の文面のみからは何ともいえないとしても、郭が赤嶼は琉球地方を「界スル」山だというとき、その「界」するのは、琉球地方と、どことを界するのであろうか。郭は中国領の福州から出航し、花瓶嶼、彭佳山など中国領であることは自明の島々を通り、さらにその先に連なる、中国人が以前からよく知っており、中国名もつけてある島々を航して、その列島の最後の島=赤嶼に至った。郭はここで、順風でもう一日の航海をすれば、琉球領の久米島を見ることができることを思い、来し方をふりかえり、この赤嶼こそ「琉球地方ヲ界スル」島だと感慨にふけった。その「界」するのは、琉球と、彼がそこから出発し、かつその領土である島々を次々に通過してきた国、すなわち中国とを界するものでなくてはならない。これを、琉球と無主地とを界するものだなどとこじつけるのは、あまりにも中国文の読み方を無視しすぎる。

(5)こうみてくると、陳侃が、久米島に至ってはじめて、これが琉球領だとのべたのも、この数文字だけでなく、中国領福州を出航し、中国領の島々を航して久米島に至る、彼の全航程の記述の文脈でとらえるべきであって、そうすれば、これも、福州から赤嶼までは中国領であるとしていることは明らかである。これが中国領であることは、彼およびすべての中国人には、いまさら強調するまでもない自明のことであるから、それをとくに書きあらわすことなどは、彼には思いもよらなかった。そうして久米島に至って、ここはもはや中国領ではなく琉球領であることに思いを致したればこそ、そのことを特記したのである。

(6)政府、日本共産党、朝日新聞などの、釣魚諸島は本来は無主地であったとの論は、恐らく、国士館大学の国際法助教授奥原敏雄が雑誌『中国』七一年九月号に書いた、「尖閣列島の領有権と『明報』の論文」その他でのべているのと同じ論法であろう。奥原は次のようにいう。/陳・郭二使録の上に引用した記述は、久米島から先が琉球領である、すなわちそこにいたるまでの釣魚、黄尾、赤尾などは琉球領ではないことを明らかにしているだけであって、その島々が中国領だとは書いてない。「『冊封使録』は中国人の書いたものであるから、赤嶼が中国領であるとの認識があったならば、そのように記述し得たはずである」。しかるにそのように記述してないのは、陳侃や郭汝霖に、その認識がないからである。それだから、釣魚諸島は無主地であった、と。/たしかに、陳・郭二使は、赤嶼以西は中国領だと積極的な形で明記し「得たはずである」。だが、「書きえたはず」であっても、とくにその必要がなければ書かないのがふつうである。「書きえたはず」であるのに書いてないから、中国領だとの認識が彼らにはなかった、それは無主地だったと断ずるのは、論理の飛躍もはなはだしい。しかも、郭汝霖の「界」の字の意味は、前述した以外に解釈のしかたはないではないか。

上記の故井上教授の論証に私は「尖閣諸島は明代・清代などの中国の文献に記述が見られますが、それは、当時、中国から琉球に向かう航路の目標としてこれらの島が知られていたことを示しているだけであ」るという赤旗論評以上の説得力を感じます。郭汝霖のいう「界」が赤旗論評にいう「航路の目標」以上の当時の中国人の領有意識を示している記述であることは明らかというべきであろう、と井上教授ならずとも私も思います。


 尖閣諸島の位置

加藤哲郎のネチズンカレッジ」2010年10月1日付より尖閣列島沖漁船衝突事件に関する加藤哲郎さん(一橋大学名誉教授、早稲田大学客員教授)の見方と考え方をご紹介させていただきたいと思います(加藤教授の論は転載者の判断で読みやすさのために適宜改行しています)。

 夏の調査旅行から帰国して1週間は時差ボケが直らず、昼夜逆転生活。おまけに重い資料を積み込んだスーツケースをかついでのドイツ国内鉄道旅行が効いてか持病の腰痛が再発、しばらく寝たきりのテレビ三昧で、日本という閉ざされた情報空間の「空気」が読めてきました。もちろん日本のマスコミは、尖閣列島沖漁船衝突事件をめぐっての日中関係の悪化、「固有の領土への侵入」「菅政府の弱腰」「検察への政治介入」「中国政府の横暴」を大きく報じています。でも、どうも英語・独語メディアばかり見てきた流れでは違和感。中国で拘束された4人の日本人のうち3人が解放されたのは、「日本の主張を理解した国際世論の圧力」風の解説もありますが、本当でしょうか。

 一つは、尖閣列島は「日本固有の領土」で、それは国際法上も確立されたもの、だから中国人船員逮捕も「国内法に従い粛々と司法の手で」進めてきたという日本での話。ヨーロッパでのニュースでは、当初から「領土紛争」として扱われていました。試みに、Googleに英語でSENKAKUと打ち込んで出てくるニューヨーク・タイムズの記事。必ず「Senkaku/Diaoyu Islands」と、日本側呼称と中国側呼称を併記してます。英独のテレビでも同じでした。より詳しいのは、英語版wikipediaのSENKAKU ISLANDSの項目。もちろん1895年以来の日本の主張も書いていますが、それには中国・台湾のDiaoyu Islandsについての主張が併論されています。つまり当事国以外にとっては、紛争・係争がある限り「領土問題」であり、日本の主張が世界で認められているという前提で国際関係に立ち入ると、「日本海」と「東海」、「竹島」と「独島」、千島列島と同じような、国際政治の力学にさらされることになります。

 もちろん中国が台湾を自国の一部とみなし、ソ連やベトナムと領土をめぐる戦争まで踏み込み、周辺諸国とさまざまな紛争を抱えていることも、世界的には常識です。けれども、それらは平和的交渉で解決されることが望まれるだけで、実際には第3国にとっての地政学的距離や外交的・経済的利害によって動かされます。中国がいまや日本をしのぐGNP大国であり、ヨーロッパ経済にとっても危機脱出のための重要なパートナーであることや、3代世襲を世界に表明した北朝鮮と同じように一党独裁の「社会主義」を名乗る国であることも、当然顧慮されます。他方で、日本がドイツと同じく第二次世界戦争の敗戦国でありながら、EUの一員となったドイツとは異なり、戦後の近隣諸国との関係で多くの紛争を抱えていることもよく知られています。つまり、日本が「固有の領土」を強調すればするほど、ヤルタ会談・サンフランシスコ講話・沖縄返還からさかのぼり、日中戦争・「満州事変」・朝鮮植民地化から日露・日清戦争、台湾出兵・琉球処分にいたる日本の過去への国際的再点検が始まり、日本政府の歴史認識が試されることになります。

 世界からは「領土問題」として見られているという点を直視しないと、具体的問題での外交処理も難しくなるでしょう。つい先日中国から帰国した友人の話では、日本に詳しい中国知識人は、ウェブで全文がすぐ読める井上清『「尖閣」列島 ――釣魚諸島の史的解明』(初版1972/再刊1996)を参照し引用しているとのこと。かつての著名な歴史学者の著書で、「戦後歴史学」の責任も問われているのです。

 もう一つ、気になったのは、日本の外務大臣が強調する、アメリカ政府の「尖閣諸島は日米安保条約第5条の適用対象になる」という言明。クリントン国務長官の話で、アメリカ軍が尖閣列島を守ってくれる、沖縄海兵隊が「抑止力」、だから普天間基地辺野古移転日米合意を堅持し「思いやり予算」も今まで通りで、とエスカレートしていますが、実際には、クローリー国務次官補の言う「対話の促進および問題が速やかに解決されることを希望する」という部分が主眼で、むしろ「尖閣諸島の領有権についての米国の立場は示さない」という態度であったと考えられます。つまりPeace Philosophy Centreが詳しく解明しているように、「施政権」が日本にある限り日米安保の対象とするが、「主権=領土」の問題には立ち入らないと言明されたことになります。

 この点に踏み込んだ、ウェブ上の岩上安身による孫崎亨長時間インタビューは秀逸。日米安保は2005年の「日米同盟:未来のための変革と再編」の戦略的合意で実質的に変質したという、孫崎『日米同盟の正体』(講談社現代新書)の延長上で、たとえ安保条約の適用範囲でも、尖閣列島で軍事紛争が起きても第一義的に日本の防衛に任され米軍は出動せず、戦争まで拡大すると今度は米国議会の承認を必要とする事案となる、と説得的に論じています。確かに外務省ホームページの訳文でも、「日本は、弾道ミサイル攻撃やゲリラ、特殊部隊による攻撃、島嶼部への侵略といった、新たな脅威や多様な事態への対処を含めて、自らを防衛し、周辺事態に対応する」とあります。尖閣列島は「島嶼部」です。ここでも米国にとっての中国と日本の戦略的重要性がポイントで、菅首相や前原外相が頼りにするほどにはアメリカは守ってくれない、というわけです。11月沖縄知事選に向けて、現職仲井真知事が再選出馬にあたって普天間「県外移転」を正式に表明しました。第二次菅内閣は、発足したばかりで外憂内患、四面楚歌です。

井上清著の『「尖閣」列島 ――釣魚諸島の史的解明』(初版1972/再刊1996)はCMLで岡山の野田さんが「大変、説得力をもつ論文」という詞書を添えられて紹介の労をとってくださっていましたので、私も読みました。そして、領有権と先占権についての私のこれまでの考え方がきわめて視野の狭い見方であり、考え方であったことに気づかされました。故井上清教授は日本外務省と日本共産党の領有と先占の考え方について完膚なきまでに徹底批判しています。

「尖閣」列島 ――釣魚諸島の史的解明(井上清 初版1972/再刊1996)

先に中国側サイトで紹介されている井上教授の主張と「尖閣諸島問題」のホームページ及び「日本の領有は正当 尖閣諸島 問題解決の方向を考える」という赤旗の論評を読み比べて比較考証した際には気づかず、「尖閣諸島問題」の「中国の文献」の記述及び「尖閣諸島は明代・清代などの中国の文献に記述が見られますが、それは、当時、中国から琉球に向かう航路の目標としてこれらの島が知られていたことを示しているだけであり、中国側の文献にも中国の住民が歴史的に尖閣諸島に居住したことを示す記録はありません」という赤旗の論評の方に論の正当性を感じていたのですが、改めて故井上教授の上記論文の全文を熟読して井上教授の論の正しさを確認するに到りました。

尖閣諸島の領有に関する故井上教授の主張の要点は、下記の解釈の徹底さと正しさにあるように思います。

(1)『使琉球録』(1534年に中国の福州から琉球の那覇に航した明の皇帝の冊封使陳侃著)の「乃属琉球者」(乃チ琉球ニ属スル者ナリ)の解釈
(2)『重編使琉球録』(1562年に冊封使となった郭汝霖著)の「界琉球地方山也」(琉球地方ヲ界スル山ナリ)の解釈
(3)『籌海図編(胡宗憲が編纂した1561年の序文のある巻一「沿海山沙図」の「福七」?「福八」)にまたがって地図として示されている「鶏籠山」、「彭加山」、「釣魚嶼」、「化瓶山」、「黄尾山」、「橄欖山」、「赤嶼」が西から東へ連なっている事実の解釈。
(4)『使琉球雑録』巻五(1683に入琉清朝の第2回目の冊封使汪楫の使録)の「中外ノ界ナリ」(中国と外国の界という意味)の解釈
(5)『中山傳信録』(1719年に入琉した使節徐葆光の著)の姑米山について「琉球西南方界上鎮山」と記されている「鎮」(国境いや村境いを鎮めるの意。「鎮守」の鎮)の解釈

もちろん、故井上教授の「無主地先占の法理」なる国際法が「近代のヨーロッパの強国が、他国他民族の領土を略奪するのを正当化するためにひねりだした『法理』」でしかないこと、またその「法理」が「現代帝国主義にうけつがれ、いわゆる国際法として通用させられている」という論証からも多くのことを学びました。

そうして故井上清教授の論の徹底性と正しさに学びながら、杉原さんがCMLで紹介されている「他国の手が及んでいない領土を先に発見したり、先占したりすることでそれを自国領だと宣言しうるという発想そのものを俎上にのせる必要がある」(『北方領土問題』、岩下明裕、中公新書)という考え方などにも学び、尖閣沖中国漁船衝突事件によって改めて、あるいはにわかにクローズアップされるようになった尖閣諸島の領有権の帰属の問題、また「先占」取得に関する現在の国際法法理は、国際社会における最高意思の主体を国家とみなす1648年以来現代まで続いているウェストファリア体制(国民国家体制)のパワー・ポリティクスに基づく法理といわなければならないものであること。17世紀以来のパワー・ポリティクスに基づく「国家主権」を結果的に優先させてきた古い時代の法理(その法理は、近現代の植民地主義・帝国主義の国際法上の法理としても当然通用してきたわけですが)に基づく国際法を根拠にして「先占」取得の正当性を主張するたとえば外務省や日本共産党の考え方はいまや時代錯誤の考え方というべきであり、早急に改められなければならない考え方というべきだろう、ということに気づかされました。

私の先のエントリにおける「先占」取得に関する国際法法理を支持する考え方は、まったく視野の狭いものでした。領有権と先占の問題について先のエントリで述べた私の考え方は誤りであったことを認め、改めたいと思います。
Aさん。もう一度だけ再返信し、私の考えを述べておきます。

注:本エントリは「小沢氏の強制起訴と鈴木氏の逮捕・有罪・収監を「問題あり」とするある論への反駁」(1)(2)の続きということになります。

Aさん wrote1:
東本さんは菅も小沢もどちらが首相になっても変わらない、とお考えなのでしょうか。
沖縄県民の多くは小沢さんに期待していた、と聞きました。

「沖縄県民の多くは小沢さんに期待していた」とは私は判断しませんが(注1)、今回の民主党代表選で沖縄県内の民主党員・サポーター票は4選挙区すべてで小沢前幹事長支持票であったことは事実です(注2)。

しかし、この民主党員・サポーターの小沢支持票は、下記の注2の琉球新報記事にあるように小沢氏が「日米再協議の構えを見せていた」ことに対する同党員・サポーターの期待が票に表れたもの、とみなすべき性質のもののように思います。

しかしまた実際は、上記記事にいうところの小沢氏の「日米再協議の構え」なるものは、前便で指摘しているように「小沢氏が民主党代表選の告示に伴う菅氏との共同記者会見で普天間移設問題に関して県外移設の『腹案』があるかのように述べた『今、自分の頭にあることを申し上げるわけにいかないが、沖縄も米国も納得できる案は、知恵を出せば必ずできると確信している』という発言を指しているのであれば、小沢氏は翌日の日本記者クラブ主催の公開討論会の席で『日米合意を尊重することに変わりはない』という前提を述べた上で『今、具体的にこうするとかという案を持っているわけではない』」というハッタリでしかない発言にすぎませんでした。

そうであるならば、普天間基地の無条件全面返還と同基地の国外・県外移設を真に願う私たち革新勢力の一翼を担う者としては、上記の小沢氏の「ハッタリ」事件が日米同盟堅持をなによりも国の政策の第一とする彼の国策優先思想と、それゆえ「沖縄」問題をその日米同盟体制堅持の政策の下位にしか位置づけることのできない彼の沖縄軽視の認識を明瞭に示しえているように、小沢氏は決して普天間基地の一日も早い国外・県外移設を求める沖縄県民の期待や願いに応えうる政治家ではありえないこと、また、そういう意味でも小沢氏への期待はまったく幻想にすぎないこと、また、「対等な日米関係」を構築できる人材でも当然ありえない、という真実を沖縄の人々に広く明らめていくことこそが沖縄に連帯しようとする者の責任というべきであり役割であるというべきではないか、と私は強く思います。

Aさんの小沢氏支持の論は、そうした私たちとしての本来の役割と沖縄県民との連帯の方向性とは、失礼ながらまったく逆向きのベクトルを示しているように思います。私としてはAさんの論を支持するわけにはいきません。再度そのことを強く述べておきます。

注1:たとえば沖縄タイムスとともに沖縄の声を代表するメディアの琉球新報は2010年9月3日付の社説で小沢氏を次のように評価しています。

米軍普天間飛行場移設問題について、小沢氏の発言はぶれている。1日の共同記者会見で、再交渉による日米合意見直しの可能性に言及。しかし2日の討論会で、日米合意を前提とする考えを明言した。/これでは日米合意を順守する意向の菅氏との違いはほとんどない。一夜明けて発言をトーンダウンさせた真意が分からない。鳩山由紀夫前首相の二の舞いはこりごりだ。

政治とカネをめぐる問題について、小沢氏の説明は十分とはいえない。東京地検の捜査で不起訴になったことに関し「犯罪はなかったことが明らかになった」と繰り返す。果たして国民は納得するだろうか。検察審査会の判断次第ではなお強制起訴の可能性が残る。もっと丁寧に説明すべきだろう。

上記はもちろん沖縄県民の声の世論調査ではなく、琉球新報というひとつのメディアの社説でしかありませんが、「沖縄県民の多く」を代表している声といっていいだろう、と私は思います。

注2:「今回の代表選で県内の党員・サポーター票は4選挙区すべてで、日米再協議の構えを見せていた小沢一郎前幹事長を支持」した(琉球新報 2010年9月15日付

Aさん wrote2:
再三述べていますように、朝日をはじめマスコミの反小沢報道は何なのでしょうか。(小沢も菅も同じ穴のむじな、と判断すればこのようなことはないと思いますが)これは私だけでなくいわゆる庶民の方から良く耳にしています。

マスコミが反小沢報道に躍起になっている、というAさんのご認識を私は支持します。が、マスコミが反小沢報道に躍起になっているから、それゆえに小沢氏を支持する、という論理は成り立ちません。マスコミが反小沢報道に躍起になっているということと、小沢氏を支持するという問題はまったく別次元の問題です。小沢氏を支持できるかどうかはあくまでも彼の掲げる政策を私たちとして支持できるかどうか、という問題です。そして私は上述、前述のごとく小沢氏の掲げる政策はマヌーバー(策略)のごときもので決して支持できない、と再三、再四、さまざまな角度から言っているのです。

ご了解ください。

この点について、再度ジャーナリスト(毎日新聞記者)の山田孝男さんの論を紹介しておきます。

異様な風景だが、当の小沢は何も語らない。小沢擁立派は「小沢首相」こそ救国の希望だという。本当にそうか。これまでも、小沢は鳩山と組んで政治を動かしてきた。同じゲームの続編がまた始まったというだけのことではないのか。/鳩山の果てしないおしゃべり。小沢の底知れぬ胸中。菅の作り笑いと及び腰。指導的な立場にある政治家が互いにぶつかり合い、切磋琢磨(せっさたくま)し、新しい政治が生まれていくという予感がどこにもない(「風知草:避暑地の出来事」毎日新聞 2010年8月23日)

上記が小沢氏、そして民主党評価のふつうの見方だろう、と私は思っています。

第3。仮に小沢・鈴木氏が今でも自民党に所属していたら、今回のように起訴・逮捕されたでしょうか、という点について

(1)鈴木氏が逮捕されたのは、彼が自民党時代に起こした収賄事件容疑に関わって自民党を離党した(せざるをえなかった)直後のことで、彼の事実上自民党時代のできごとといってよい時期のことです。前提を誤っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%AE%97%E7%94%B7

(2)小沢氏は逮捕されていませんし、今回の強制起訴は検察審査会の議決によるもので、検察権力によるものではありません。同審査会はそのつど任意の市民が選出されるしくみになっており、その任意に選出された市民の氏名等は特定の司法関係者以外には非公開です。したがって、現在の民主的体制下でそこにまで政治権力の力が及ぶとは考えられません。自民党時代にも強制起訴の制度があったと仮定しての話ですが起訴される事由があれば当然起訴されるということになるでしょう。

第4。東本さんはこの二人の起訴・逮捕に疑問を持たないのか、という点について

まず鈴木氏の逮捕の件について。鈴木氏の逮捕には十分な理由があります。同氏が500万円の収賄容疑で逮捕、起訴され、最高裁まで争われ有罪が確定した「やまりん事件」を例にとれば、同収賄容疑のうち400万円分の金銭授受については鈴木氏自身も認めています(だとすれば、金銭授受についての法的な評価の問題はさておくとしても、この事実だけでも彼の政治的倫理観の無節操は問題にされてしかるべきものでしょう)。だから問題は金銭の授受のありなしではなく、同金銭授受の賄賂性の認定の問題になります。

同氏は裁判では「初当選時にお祝いの政治資金として400万円を正規の形で受け取ったのみである」と同金銭授受の賄賂性を否定する主張をしましたが、裁判では同主張は「林野庁関係者とやまりん関係者の証言には不自然さはない。鈴木宗男の地盤は北海道であり、松岡利勝より政治家としてのキャリアで政治的優位がある鈴木宗男に請託したことが不自然とはいえない」として退けられました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%AE%97%E7%94%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この判決の認定が誤っていると主張しようというのであれば、その裁判所の認定を翻すに足る新たな証拠を裁判所に提出し、その新証拠を裁判所に認めさせるほか道はありません。しかし、そうした新証拠をたとえばAさんならAさんなりがあらたに提出することができるでしょうか? おそらく不可能でしょう。そうであるならば、すでに地裁、高裁、最高裁という三審制裁判の中で鈴木氏側の弁護人は再三、再四にわたって同氏が「無罪」であることの立証を繰り返しているはずです。それでもその弁護側の立証は裁判のすべての過程で否定されているわけですから、同裁判所の認定は、私たちが鈴木氏が「無罪」である旨の新証拠なりを裁判所にあらたに提出しえるという確証がない限り尊重しなければならないものでしょう。それが法治主義の謂だと思います。そういうことですから、鈴木氏の逮捕には十分な理由があった、といわなければならないように思います。

次に小沢氏の検察審査会による強制起訴の件について。同審査会の今回の2度目の議決の内容については法律の専門家にとってはさまざまに議論すべき、また検討すべき課題が含まれているとしても、小沢氏の強制起訴を議決した今回の検察審査会の判断自体は「法律の素人」であるゆえの必ずしも法律の束縛に拘束されない判断であるという点において、同制度の制定の趣旨からみてもたとえ専門家に異論があっても尊重されなければならないものです。検察審査会法第39条の2の5項に「審査補助員は、その職務を行うに当たつては、検察審査会が公訴権の実行に関し民意を反映させてその適正を図るため置かれたものであることを踏まえ、その自主的な判断を妨げるような言動をしてはならない」と規定されているのもそうした趣旨からのものと思われます。この点と審査補助弁護士の議決書作成の際のミステーク、不手際を混同する議論は避けたいものです。

第5。検察審査会に審査を申し立てたのは「桜井誠氏」、という点について

第4の問題提起に関連してAさんは、小沢氏の今回の強制起訴の議決は、人種差別撤廃条約違反の行動をとっている在特会代表の「桜井誠氏」の検察審査会への審査申し立てに端を発しており、その点から見ても今回の検察審査会の議決にはおおいに疑問がある旨述べられています。が、このAさんの認識は前提を誤っており事実誤認です。「桜井誠氏」は同審査申立人ではありません。この点については下記に書いています。ご参照ください。


第6。米政府の陰謀論について

Aさんはこの点について次のように言います。「米政府はアジア人どうしをいがみあわせ漁夫の利を獲る、この方法は一貫しています。天皇の戦争責任を免罪し、自衛隊を作り、思いやり予算を継続させ、基地を永続させ、それに反対するものは抹消する、この政策・陰謀等の類似は他国でも立証されています」。また、Aさんは次のようにも言います。「米政府はしたたかです。力が弱い者が反米派であったも温存し、民主主義をあたかも守っているようにみせかけるのが常套手段ではないでしょうか」。

このAさんの一般論としてのご認識はそのとおりだと思いますが、いわゆる「陰謀論」といわれるものの大きく、かつ重大な陥穽は、世の政治的な森羅万象のなにもかもをほとんど「陰謀」のせいにして、人々の政治に対する正しい認識力を曇らせる役割を果たしていることです。

敵は米国であり、フリーメイソンであり、ロックフェラーであるというたぐいの陰謀論はほとんど根拠のない想像の産物であることが多く、推理小説的には面白いハナシとはいえるのですが、私たちが真に戦わなければならない「敵」を見誤らせます。日本という国に住む私たち市民がその主要敵として認識し、意識し続けなければならないのは、市民にとって負の政策を行使する場合の日本政府という存在であるはずです。「陰謀論」はその「敵」を見誤らせる役割を果たすことがこれまで多々あった、というのが私の認識です。

この点については以下に書いています。ご参照ください。


上記で私は、池田香代子さんが推奨される孫崎元外務省局長のインテリジェンス(諜報・情報分析)といわれる情報に関して次のように書いています。

インテリジェンスと呼ばれる情報は裏の舞台に隠されていた情報をあぶりだすという点で蠱惑に満ちていますが、その分真偽不明で不確かなところも多く、こうした裏情報のようなたぐいのものを無条件、無批判に受けとめる姿勢に危うさのようなものを感じます。

第7。審査補助弁護士のミステークがあるのになぜ強制起訴となったのか、という点について

この点については第4で述べたことの繰り返しになりますが、今回の強制起訴議決そのものは検察審査会法という法に基づく同審査会委員の権限の行使であって、議決書を作成する段階での審査補助弁護士のミステークと思われる行為に直接関係するものではありません。先に小沢氏を「強制起訴すべし」という議決があったから審査補助弁護士は議決書作成にとりかかったという関係にあるはずですから、審査補助弁護士が最終的に事務的に整理した(であろう)議決書に瑕疵があったとしても同議決書の前提として先にあった議決そのものの効力は有効とみなすべきものだろう、と私は思います。先にも述べましたが、議決の有効性の問題と審査補助弁護士のミステークの問題とを混同して論じるのは正しくない、と思います。

第8。マスコミ責任論について

司法(特に検察)とメディアが一蓮托生の関係になって検察のリーク情報をメディアが単に垂れ流すだけという構図は打破しなければならない、というのはAさんのご指摘のとおりだと私も思います。私も折に触れてこの問題については論じています。たとえば弊ブログの2010年4月23日付記事でも次のように述べています。

たしかに今回の小沢民主党幹事長の政治資金規正法違反事件に関して、検察主導のリーク記事を無批判に垂れ流すばかりで、世論をミスリードしてきたマス・メディアの責任はきわめて重大なものがあるだろう、と私も思います。また、マス・メディアの上層部、または記者が自民党政権時代に獲得した既得権を死守しようとして、あえて『民主党潰し』の記事を書いた側面も少なからずあるのではないか、と私も推測するところがあります。
(「NPJシンポ植草報告『普天間基地移設問題の行方』を読んで ――間接的NPJシンポ感想とでもいうべきもの」)

ただ、「マスコミは評論よりまず、『真相を究明せよ、平均年齢30歳強と言われる検察審査会のメンバーはどうなっているのか』等を問」うべきだ、とするAさんのご主張には賛成できません。

検察審査会委員は同審査会法第10条によって市町村の選挙人名簿に登録されている者の中からくじで無作為に選出されるしくみになっています。当然、同選挙人名簿に登録されている者の年齢、年代は多様であって今回の同審査会委員が平均年齢30歳強であった、というのは故意ではなく偶然に属することです。同審査会委員の氏名、住所などのプライバシーに関わる事項は、犯罪を裁くという同審査会の特異な職性からみても厳に保守されなければならないものであっていたずらに公開される性質のものではない、というべきでしょう。Aさんのご主張は、その厳に保守されなければならない審査会委員のプライバシー事項を公開せよ、と主張しているに等しいのです。プライバシー事項の必要以上の公開は、第3でも指摘した不当に同審査会を操ろうとする政治権力の介入すら招きかねない恐れすらあります。誤った主張だと思います。

最後に。

Aさんの「マスコミが権力と一体になっている現在、戦前戦中のような気がしています」というご感想、またマスメディア論には同感します。しかし、マスメディアと権力との癒着をどのようにして断ち切るのか。その方法論の模索と現在の政治状況とマスメディア状況を正しく認識しようとする私たちの営みは一対のものというべきだろう、と私は思っています。そういう意味をこめてつい長々と書いてしまいました。
広義の革新勢力と一応言っておきますが、その革新勢力の中にはいまだに民主党の小沢一郎氏と新党大地前代表の鈴木宗男氏をわが国の政治革新のための最大・最強の政権リーダー、あるいは政治家のように思いなす人々がいます。こうした小沢氏や鈴木氏の評価については1990年にわが国で著わした『日本/権力構造の謎』(全2巻)という著書の中で(その著書はベストセラーにもなったのですが)「ヨーロッパには小沢氏に比肩し得るような政権リーダーは存在しない」、また最近の著書の中でも「アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない」などと小沢氏を過度に評価するオランダ出身のジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の主に知識階層に与えた影響やそういうこととも関係しているのだろうと見ていますが、ここ数年来鈴木氏をとみに重用するようになったリベラル・左翼系雑誌の『世界』や『週刊金曜日』、またインターネット・リベラル紙の『マガジン9』などのいわゆるリベラルメディアの著しい質の劣化とそれにともなう負の影響が少なくないと思われるのですが、そのことはここでの主題ではありませんのでさておきます。

ここで述べたいのは、そうしたメディアの小沢・鈴木讃歌に影響された第2次被害者とでもいうべきいわゆるリベラル市民、リベラル・ブロガーたちの常軌を逸している、としか表現のしようのないすさまじい小沢・鈴木礼賛のオン・パレードのさまについてです。そのオン・パレードのさまをすべて述べることは私にとっては至難の業ですので、ここではひとつの例を挙げてそのオン・パレードのさまの帰結するところを見てみたいと思います。

そのひとつの例とは、今回の東京第5検察審査会の民主党・小沢氏に対する強制起訴議決に関して、「小沢氏起訴議決は問題あり」とするリベラル系、またリベラル・左翼系市民の声のことです。その論の特徴はやはり小沢氏と鈴木氏を根拠もなく、あるいは誤った根拠で擁護して果てしなくなるところにあります。以下、その声に対する私の反論をここに紹介することで、彼ら、あるいは彼女ら小沢氏と鈴木氏を擁護しようとする人の誤った論の果てしなさを見てみます。

        ………………………………………………………………………………

Aさん、ご返信ありがとうございます。

が、Aさんのご返信には各所にいろいろなレベルで事実誤認があります。その事実誤認に基づいて私の論にも反論されていますので、その事実誤認をただしながらの再反論ということにもなります。

第1。小沢、鈴木氏評価のデーターは過去のものではないか、という点について

たしかに私は小沢、鈴木氏の過去の自民党時代の経歴を例にとって彼らの日米同盟堅持、すなわち対米従属路線堅持の思想と姿勢を問題にしましたが(注)、彼らの日米同盟堅持の思想と姿勢はいまも変わっていません。

注:私は前便で小沢一郎と鈴木宗男ももともとは米国の日本占領が終わった直後の1952年にわが国の平和勢力の反対を押し切ってサンフランシスコ講和条約と第一次日米安全保障条約を同時調印し、それ以来の日本の対米従属路線を決定的にした自民党政権下でそれぞれ要職を歴任してきたことを例にしていました。

まず小沢氏について。

浅井基文さんが指摘されていることですが、2007年の『世界』11月号論文における小沢氏の「ISAF参加合憲」発言は日米軍事同盟体制の堅持を前提にした自衛隊の海外派兵容認発言というべきものです。浅井さんは下記の論攷で同発言は自民党幹事長時代からの小沢氏の持論の焼き直しでしかなく、彼の日米同盟堅持、対米従属路線堅持の思想と姿勢は自民党幹事長「当時とまったく変わって」いないことを論証しています。


また、「平和への結集」をめざす市民の風も「私たちは自衛隊のISAF参加に反対します」という声明(2008年1月13日付)でほぼ同様のことを指摘しています。

小沢氏の日米同盟堅持、対米従属路線堅持の思想と姿勢は現在も続いている思想であり、姿勢とみなすべきものでしょう(第2の論点も参照してください)。

鈴木氏について。

鈴木氏については沖縄在住の芥川賞作家の目取真俊さんの「鈴木宗男氏の主張はおよそ評価に値するものとはいえず、逆に反ウチナー的」である、という『世界』と産経記事を示した上での次のような指摘があります。

これらの主張を見るなら、 鈴木議員は〈辺野古移設〉に反対しているといっても、 一方で嘉手納統合案や下地島空港案など『県内移設』を主張しているのだ。注目すべきは鈴木氏が、両案を同時に主張していることであり、下地島空港については、知事から自衛隊の使用許可を得て米軍に使わせる、と具体的な方法まで述べている点である。(略)〈沖縄の民意〉は鈴木議員の主張する嘉手納統合案や下地島『移設』案とは相容れないものだ。
(「〈辺野古移設反対〉の虚々実々」目取真俊「海鳴りの島から」 2010年2月8日)

目取真さんの示す『世界』と産経記事は次のようなものです。

まず『世界』(2010年2月号)の記事。鈴木氏は次のように言っています。

私は、岡田外務大臣のいう嘉手納統合案も、普天間の危険性から考えれば一つの手だと思います。(略)私が国務大臣の時も、嘉手納統合案を言いましたが、(略)いま新たに考えていく価値は大いにあると思います。

産経記事(2010年1月14日付)は鈴木氏の同日の動向を次のように記しています。

鈴木宗男衆院外務委員長は14日、 大阪市内で開かれた共同通信社の 「きさらぎ会」 で講演し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先として「訓練できる滑走路があり騒音も関係ない」と述べ、沖縄県宮古島市の下地島空港が適当との考えを示した。

さらに目取真さんの上記の指摘とは別に下記の記事によれば鈴木氏は2009年12月にあったFEC日露文化経済委員会主催の第101回ロシア問題研究会の席上で日米同盟体制の堅持を前提にした上で「日米同盟と同様に日露同盟も必要だ」」と述べています。

鈴木氏の日米同盟堅持、対米従属路線堅持の思想と姿勢も自民党時代とまったく変わっていません。現在進行形の思想と姿勢であるということは明らかです。

第2。小沢氏は「日米両政府による普天間基地県内移設合意」に他の議員と一緒に異を唱えている、という点について。また、小沢氏は「対等な日米関係」を掲げている、という点について

Aさんの言われる「小沢氏は『日米両政府による普天間基地県内移設合意』に他の議員と一緒に異を唱えている」という点が仮に下記の民主党と社民党の衆議院議員、参議院議員有志合同の「普天間問題緊急声明」のことを指しているのであれば、その声明の中には小沢氏の名前は含まれていません。

また、仮にAさんの言われる点が、小沢氏が民主党代表選の告示にともなう菅氏との共同記者会見で普天間移設問題に関して県外移設の「腹案」があるかのように述べた「今、自分の頭にあることを申し上げるわけにいかないが、沖縄も米国も納得できる案は、知恵を出せば必ずできると確信している」という発言を指しているのであれば、小沢氏は翌日の日本記者クラブ主催の公開討論会の席で「日米合意を尊重することに変わりはない」という前提を述べた上で「今、具体的にこうするとかという案を持っているわけではない」と昨日の発言がハッタリに過ぎなかったことを早々と認めています。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/435592/

どちらにしても小沢氏が「『普天間基地県内移設合意』に他の議員と一緒に異を唱えている」という事実はないように思います。少なくとも私はその事実について知りません。

また、小沢氏の言う「日米合意を尊重することに変わりはない」とは、同合意が米国のアジア戦略を優先させた不平等合意であることが明らかである以上、これまでの対米従属路線堅持の姿勢となんら変わるところはないわけですからそれを「対等な日米関係」を掲げている、と評価することもできないように思います。

下記は「2011年都知事選の革新統一のために(1)」でご紹介させていただいた拙文(手紙)に対する筑紫哲也さんからの8年前の返信です。これも来年春の東京都知事選における革新統一のための参考資料としてエントリしておきたいと思います。

同返信には筑紫さんの政治的感性とともにそのお人柄がよく現れています。そのことをご紹介するだけでも意義のあることだろうと思っていますが、同返信の中で筑紫さんは次のように言っています。

「今年に入ってからの県庁所在地の市長選挙や尼崎市の例を見ても、状況は動いていると思います。政党や官僚は今や、ネガティブ・ワードと化しています。無名の新人に十分、チャンスはあると思います。」

この筑紫さんの言葉は、先のエントリでもご紹介した「知事候補は知名度で選ぶのではなく政策が必要。今は無名でも押し上げる事が出来る」という新東京政策研究会事務局長の進藤兵都留文科大学教授の発言とも相呼応するものといってよいと思います。

ただ、上記の進藤兵都留文科大学教授の発言に私としてひとこと付加しておきたいのは、有名無名にかかわらず、党派や思想、信条の違いを超えて結集できる人が都知事選候補者としてふさわしい人材であるということはいうまでもないものの、一昨年、昨年の年越し派遣村村長だった湯浅誠さんはそのそう多いとはいえない人材のおひとりである、ということだけは言ってよいことではないか、ということです。

なお、いささか手前味噌ながら先のエントリでご紹介させていただいた私の拙文(手紙)は、「一度だけ心動かされた」出馬要請だった、いつか筑紫さんがそのように語っていた、と筑紫さんとNews23でご一緒に仕事をされていたあるTBS記者の方から筑紫さんの死後に手紙(メール)で教えていただいたことがあります。私はもちろんここでそのことについて自慢したいのではありません。人の熱意はそれが熱意そのものであるならば、有名無名ということにかかわらず、邪気のない熱意そのものとしてよく伝えうるものだ、ということを私は言いたいのです。立候補を薦められる人も立候補を薦める人も無名であってよいのです。人が心をうたれるのはその人の志であるだろう、ということを。

以下は筑紫さんからいただいた返信の全文です。

                                                                                                                        2002年12月16日

われ=われ・ネットワーク世話人
東本高志様
                                                                                                                              筑紫哲也

前略

先日は失礼しました。

帰京後、事務所の郵便物を調べ、留守宅(公表されている私の住所ですが、現在はほとんど帰っていません)にも問合せてみたのですが、折角のお便りを見付けることはできませんでした。

ただ、そちらからいただいたコピーで、内容を知ることはできました。それを読むひまもないうちに、毎日、朝日、読売の記者がやって来て取材を受けたために、ご返事が後先になってしまい申し訳ありません。

お申し越しの趣旨はよく理解できます。私についても意を尽くしたお言葉をいただき、恐縮致します。

地方自治、市民、個と個が手をつなぐ「われ=われ」の考え方にも共感する部分が大です。それに、事実上の無競争選挙ということにでもなれば、有権者の選択の権利が奪われ、民主主義にとっても、政治参加の面でもよいことではありません。

にもかかわらず、今回もお断りしなくてはならないのは、以下の理由からです。

1)適格性がない。

私は政治記者として経歴を始めた者ですからこの世界のことを通常の人よりも多少よく知っています。が、好きになったことは一度もありません。それに、「政治」は政界だけにあるのではなく、身の回りにも全ての局面で「政治」はあります。直接には(私の場合)「社内出世」のこともそうです。私はそのことを十分知った上で、ある時からそこから「降りる」決意を固めました。そこに使うエネルギーがもったいなくて、他にやりたいことが多々あったからです。性格的にも、「政治」が求める非情さに欠けていると思ったからでもあります。

2)意思がない

本来は志があって政治の世界に足を踏み入れながら、次第に人相も動作もいかにもそれらしく変っていく人たちを私はたくさん見て来ました。それは私のなりたい変容ではありません。私はエラクなりたくないのです。それに私が人生の時間の使い方として、もっとも苦手とし、嫌いなのは、「会議」と「儀式(セレモニー)」です。この二つから逃げ回って生きて来たのです。

3)今の仕事を続けたい

本当はこれは正確な言い方ではありません。人生の残り時間が限られて来て、同年配の人たちは悠々自適をしているのを横目で見ながら本来、怠け者で遊び好きの自分がなぜこんなきつい日常を送らなくてはならないのかと思うことがあります。

いちばんの理由は、ジャーナリストという仕事をたまたまやって来た者としての「世代責任」です。この責任はだれもが、来たるべき世代に対して負っているものですが、たまたま自分はこういう立場にいる以上、やれることはやらねばならないということです。

最近、私は会う人毎に、「この国は大丈夫か」と問い続けています。大丈夫という説得的な答が見付かれば、何時でも退場したい気持ですが、事態はむしろ逆の方向に向かっているようです。だとすれば、自分のやれることを自分が向いていると思うポジションにいてやるしかないでしょう。それが、私の場合は今いる場所ということになります。「向いている」と言っても、相対的なものに過ぎませんが。

以上のような理由が折角のお申し出をお受けできない主たる理由ですが、今年に入ってからの県庁所在地の市長選挙や尼崎市の例を見ても、状況は動いていると思います。政党や官僚は今や、ネガティブ・ワードと化しています。無名の新人に十分、チャンスはあると思います。

ご期待に沿えないのは心苦しいのですが、われ=われネットワークのご健闘と発展を祈念いたします。
                                                                                                                                  敬具

注:筑紫さん用便箋に4枚。筆書き。読みやすさのために適宜1行分の空白を設けましたが、その他は原文のままです。
来年春の東京都知事選における革新統一のために7年前の大分県知事選を前にしてジャーナリストの筑紫哲也さんに同知事選立候補のお願いを認めた拙文(手紙)をここにエントリしておきたいと思います。「2011年都知事選の革新統一のために(2)」では筑紫哲也さんからの返信をエントリするつもりですが、筑紫さんの返信を読解するための参照資料としてということでもあります。なお、手紙の文章は私が書きましたが、湯布院・亀の井別荘の中谷健太郎さんと日田・小鹿田焼窯元で筑紫さんの小学校時代の同級生の坂本茂木さんとの連名による手紙であったことも付記しておきたいと思います。

                                                2002年11月18日

筑紫哲也様
大分県知事選を考える市民フォーラム
われ=われ・ネットワーク世話人                                                                   東本高志

 筑紫さん

 見ず知らずの者がはじめて差し上げようとする手紙として、あなたをこのように気安くお呼びしてよいとは思っていません。おそらく礼を失することになると思います。が、朝日新聞記者当時からのあなたの記事やテレビでの企画番組を読み、見てきた者としてほかに適当な呼び方を思いつきません。失礼をお許しください。

 実は私は、どのようにこの手紙を書き続けていってよいものかどうかとまどっています。おそらくあなたが欲していないであろうこと、そしてかつおおいに疎まれるであろうことについて書いていかなければなりません。しかし、意を尽くしたい、と思っています。私にできることはそれだけです。どうか最後までお読みください。

 筑紫さん

 遠まわしで言っても同じことであるならば、たとえ、あなたが疎まれても、単刀直入に言うより法がありません。私たちは、あなたに来春の大分県知事選に出馬していただきたいと考えています(どうか嫌気を差さないで、読み続けてください)。あなたにはこれまで、いろいろな所から、さまざまな形で、出馬要請があったと聞いております。またあなたは、そのたびに断り続けていらっしゃるとも聞いております。長年あなたを見てきて(メディアを通してというかたちにならざるをえません)、「政治」という胡散臭いものにかかわりたくないというお気持ちを強くもっていらっしゃるだろうことは、私たちにもよく理解できるのです。しかし、私たちは、あえてあなたにお願いしたいと思っています。放擲なさらずに、どうか最後まで読み続けてください。

 私たちとはもちろん標記の「われ=われ・ネットワーク」を指します。この10月に別紙の「設立主旨」にもとづいて設立された文字どおり「われ」と「われ」のばらばらな市民の集まりです。これまで大分県各地で地道にさまざまな活動を続けてきている市民グループ、議員、市民の声を発信し続けている個人に呼びかけて、直接には30名ほどの賛同者が集まって結成されたものですが、われ=われの主旨に賛同する広範な市民が背後にいると私たちは確信しています。

 私たちは、これまで政党、あるいは企業や組合まかせであった知事選を、市民の目線で考え、市民主導型の県知事をつくりだしたいと考えています。その点、平松現大分県知事の事実上の後継者として自民党という政党主導によって担ぎだされた広瀬勝貞・前経済産業事務次官は、政党や組織が候補者を上から押しつけるという住民不在のこれまでの候補者選考のパターンを踏襲しており、そうした意味で、私たちは、彼の人柄・政策のいかんにかかわらず彼の出馬にノーをいう以外ありません。広瀬氏が仮にどんなに優れた人物であり、どんなに優れた政策をもっていようと、その選考過程から見て、政党とのしがらみや自民党的政策(もちろん、自民党の政策がすべて悪いと思っているわけではありません)のしばりから抜け出すことは困難だろうと思われるからです。

 筑紫さん

 あなたが日田の小野のご出身で、広瀬さんもまた日田の豆田のご出身であることは、私も存じ上げています。またあなたは、広瀬さんの兄上(テレビ朝日社長)とも朝日新聞社で同期の間柄とも伺っています。そのあなたが郷里の日田市をあえて二分するようなことをなさろうとするはずがないであろうことは世事に疎い私にもおおよそ察することができます。しかし、私たちは、日田を二分しようとはもちろん思っていませんし、広瀬さんを悪玉扱いするつもりもありません。広瀬さんノーをいうのは上記の理由に尽きるのです。

 このあたりで私の自己紹介を少しさせていただけますでしょうか。私は、筑豊の石炭積出港であった若松市(旧)の出身で、今年52歳になります。20余年前、日田の千倉という集落出身の妻と知り合い、結婚しました。が、はじめて彼女の家族に紹介されたのは彼女の姉が嫁いでいた小野の集落でした。その日、彼女の姉の夫の葬式があったのです。そういうことは実はどうでもよいことです。が、原風景(私にとっては第二の原風景ということになるのですが)のようなものがもしかしたら筑紫さんと共通しているのではないかと思えるのです(多少、こじつけ気味であることをお許しください)。ここではただ、私も筑紫さんとおそらく同じように日田市を二分するようなことを望んでいないことを申し上げたいのです。筑紫さんが県知事選に出馬したとしても、日田は二分されることはないと思います。日田人が理に明るいのは、筑紫さんもよくご存知のはずです。広瀬さんとけんかするわけでもなく、また敵愾心をもつわけでもなく、大分・日田を愛する者同士がただ民意の汲み上げ方について論争するのです。だれが怒るでしょうか。「日田モンロー」は健全だと思います。

 筑紫さん

 私たちが筑紫さんに知事選の出馬を要請するのは、ひとえに地方自治を市民の手にとり戻したいからにほかなりません。これまでの平松県政は、平松さんのかつての施策をすべて否定するものではないのですが、平松さんお気に入りのブレーンによる一握りの人たちによる県政運営の結果、昨年の「週刊金曜日」の『知事の採点簿』でもワースト4と評価される事態に陥っています。私たちは、あなたの政治に対するスタンスのとりかたに共感しています(これも、メディアを通してのことではありますが)。政治の有意味性を肯定しながらも、政治にそれほどの期待感をもっているわけでもない。口幅ったい言い方になって恐縮ですが、その市民的センスがいまの地方自治には必要だと思われるのです。

 湯布院の中谷健太郎さんが主宰する「ふくろうが翔ぶ」VOL.8にあなたへのインタビュー記事が掲載されています。その中であなたは「大事なことは、湯布院なら湯布院という町が守るに値するもので、町の雰囲気を、自然も含めて自分たちが守ってゆきたい、大事なものだと思う人が増えれば増えるほど、異物に対する抵抗力が強くなってゆくんですよ。とにかく自分たちの所を固めることが大事だっていう気がする」とおっしゃっています。あなたは地方自治を「守るに値するもの」と思っていらっしゃるはずです。私たちも大分を「守るに値するもの」と思っています。あなたとともに大分をもっと「守るに値するもの」として育てていくことはできないでしょうか。そういう意味で、筑紫さんのお力をお借りしたいと思っているのです。

 筑紫さん

 あなたは「私には力などない」といわれるに相違ありません。そして「私は怠け者だ。365日稼動の知事職などつとまらない」ともいわれるに違いありません。これは私が想像して言っているのではありません。先日、「自由の森大学」の事務局長の原田さんにお会いしたときに、彼から筑紫さんがそう言っていたとお聞きしたのです。その際、筑紫さんが母校の早稲田大学と長崎県立大学の教授職をお引き受けになられたという話も聞きました。

 「NEWS 23」のキャスターをつとめながら、週刊誌への執筆、土・日を利用した講演活動など筑紫さんが怠け者であるはずもありませんが、いわれる意味はわかります。そして、いわれる意味において、私も怠け者は大好きなのです。いま、怠け者こそ知事になるべきだとも思います。先のインタビュー記事にあった「異物に対する抵抗力」は怠け者ほど強いのではないでしょうか。また筑紫さんが早稲田大学などの教授に就任されたことも、私たちの要請に対するデメリットになるとは私は思っていません。プロ野球と同列に論じることはもとよりできませんが、昨年の星野仙一氏の例もあることです。これもまた僭越な言い方になってしまうのですが、求められて、よりよくわれを活かそうとしている者を、だれが止めることができるでしょうか。関係者は、きっと快く了解してくださるに違いないと思うのです。

 筑紫さん

 私たちは、あなたを必要としています。民の力に思いいたすこともなく、ただひたすら官に従って、それをよしとしてきたこの大分の地に実り多い風穴をあけたいのです。市民の手によって政治を変えることができる。そのことを市民としてのわれ=われ一人ひとりの胸にたたきこみたいのです。私たちは決してあなたを一人ぼっちにはさせません。怠け者としての連帯感をもって、あなたとともに手を携えて、ともにぼちぼちと歩こうと思っています。私たちにはわからないさまざまなご事情がおありだと思います。そこをなんとか乗り越えていただきたいのです。

 意を尽くすことはもちろんできませんでしたが、それなりに言うべきことは言った気がします。私たちは、当然のことながら、どういう結論であれ、筑紫さんが決められたことを尊重します。筑紫さん、一度お会いすることができれば幸いに存じます。

                                             早々

注:読みやすさのために段落ごとに1行分の空白を設けましたが、その他は原文のままです。

 「明るい革新都政を作る会」型の統一戦線方式で1960年代末から1970年代にかけて東京 都知事の座を守った美濃部亮吉さん

下記は私の「大津留公彦さんの『都政シンポの報告』への返信」を読んだある東京都民の感想に対する私のレスポンスです。

Kさん wrote:
東京から日本を変えられる可能性は? とにかく誰もが当事者として動くことからしか始まりません。

まったくそのとおりだと思います。

いまもなお「現在都知事選挙勝手連の流れで100ほどのメーリングリストがあ」るとのこと。前回都知事選時に各地域、各職域などなどに叢篠として誕生した浅野勝手連のあのときの動きを想起してみるとそれも宜なるかなと思えるところがあります。いわれるようにあのとき各地域、各職域などなどにさまざまに群生した勝手連(現在の各メーリングリスト)のメンバーを分流は分流としてのよさを活かしながら、かつ、「東京。をプロデュース?」という「本流」に再集合させることができれば東京を地響きを立てて揺り動かすに足る大変な力になると思います。

私の「東京。をプロデュース?」への期待は、そうした都民の動きの権威、権力のない(だから、誰に対しても対等で、誰でも気軽に参加できる)要たりえてほしい、という期待です。

しかし、上記について、私たちとして注意しておくこともあるように思います。それは、同勝手連はあくまでも「浅野勝手連」であったということにかかわる問題です。私の知る限り、前回都知事選時に結成された「東京。をプロデュース」は、当初は同都知事選の政党間の共同を実現させるにあたっては60年代末から70年代にかけて美濃部革新都政を誕生させた「明るい革新都政を作る会」型、すなわち日本共産党と社会民主党を中心とする政党間と市民の革新共同の道を構想していました。

しかし、共産党が「革新都政をつくる会」(共産党系市民団体。60年代末から70年代時の「明るい革新都政を作る会」とは異なります)を母体にしていち早く同党系の候補者を擁立したためいわゆる70年代型の都政革新のための革新共同の道を追求するという同プロデュースの構想の実現は困難になりました。やむなく同プロデュースは「ストップ・ザ・石原都政」を確実に実現させようとして「浅野史郎さんのハートに火をつける会」(以下、「ハートに火をつける会」)の流れに合流し、浅野都知事誕生のために動いたという経緯があります。

一方でこの「東京。をプロデュース」のこれまでの構想や動きとは別に「ハートに火をつける会」は民主党系の学者、支持者が一方の中心となって結成されたという経緯もあり、同会結成以後、同会には民主党系の諸団体、支持者もたくさん参加するようになりました。その流れの中で結成された浅野勝手連も少なくありません。この同会結成以後に作られた浅野勝手連の中には「東京。をプロデュース」の革新統一実現のためのこれまでの努力とは逆向きに共産党を含む革新統一を端(ハナ)から情念的に忌避する勢力もまた少なくなかった、というのが私の前回都知事選時の「ハートに火をつける会」の観察です。

「東京。をプロデュース?」には上記のような経緯があったことを踏まえた上で、党派や思想、信条の違いを超えた都政革新の「本流」(地域、職域などなどのさまざまな分流をうけとめる力)として多様な立場のひとびとの結集を今回もめざしていただきたいし、同時にその結集は「明るい革新都政を作る会」型の統一戦線の構築という同プロデュースの初期の志の道程に列なる道でもあっていただきたい。

それが私の「東京。をプロデュース?」に期待したいことの内実です。

いま、湯浅誠さんが市民の都知事選候補者としてさまざまなひとびとから名前が挙げられていますが、湯浅さんは上記にいう党派や思想、信条の違いを超えた結集のためにもまたとない人材であるだろう、と私も思います。しかし同時に「10.3 都政改革新ビジョン・シンポジウム」のまとめで「知事候補は知名度で選ぶのではなく政策が必要。今は無名でも押し上げる事が出来る」と述べられたという新東京政策研究会事務局長の進藤兵都留文科大学教授の言葉もまた真実です。

要は「チェンジ・ザ・イシハラ」「ストップ・ザ・イシハラ」の心をこめた「明るい革新都政を作る会」型の統一戦線の構築にある、というのが私の考えです。

「もう、ごめん!石原コンクリート都政」シンポジウム実行委員長の宇都宮健児弁護士(注)

下記は、昨日の都政シンポの報告をCMLに発信された大津留公彦さんへの返信として書いたものです。しかし、実際は、「東京。をプロデュース?」への奮起の訴えのようなものです。

大津留さん、昨日の都政シンポのご参加ご苦労さまでした。そして、同シンポのツイッター中継とブログでのご報告ありがとうございました。

「ポスト石原・福祉と環境の東京へ!」シンポ報告(大津留公彦のブログ2 2010年10月3日)

私は先にも述べましたように同シンポの第2部「フロアからの発言・質疑応答・討論」(14:50?16:30)で来年春にさし迫った次期都知事選を市民としていかに取り組むべきか。また、同シンポ参加者から具体的な都知事選候補者の言及などももしかしたらあるのではないか、とひそかに期待していたのですが、そういうことはなかったようで少し残念です。シンポでもその他の集会などでも一般的にそうですが、「フロアからの発言」などと謳い文句にはあっても、その発言者はあらかじめ予定されていることが多く、また、予定された時間帯を坦々とこなしていく、というのがふつうの会議の進行の常ですから、そういうこともありえるかな、とは一面では思っていましたが、来年春にさし迫った都政の変革を願うシンポがそうした「ふつうの会議」の常を超えることはなかった、という点でも少し残念です。

しかし、大津留さんのツイッター中継が終わった後のシンポの最後の最後のまとめのところで進藤兵事務局長は大津留さんの「派遣村代表の福祉の湯浅誠氏を都知事候補に」という発言通告に応える形で同知事選候補者問題に触れ、「知事候補は知名度で選ぶのではなく政策が必要。今は無名でも押し上げる事が出来る。皆さんでよく話し合って欲しい」旨の発言をされたのですね。

同シンポで都知事選候補者の問題が具体的な話柄に上らなかったとしても、その心は、同シンポ参加者の間に伏流のような思いとして共通して感じられた思いではなかったでしょうか。その意味でも同シンポは大変意義のあるものだった、と私は思います。

伏流としての人々の思いは必ず本流となって溢れ出します。その伏流を本流に架け橋するのは今度は「東京。をプロデュース?」の出番というべきでしょうか。私は前回の都知事選のときに誕生し、市民と政党との懸け橋の役割を果たそうとした「東京。をプロデュース?」の志に期待したいと思います。しかしながら失礼を顧みずいえば、前回都知事選のときは活動を開始する時機を逸していたように思います。同プロデュースが活動を本格的に始めようとしたのはすでに政党が選挙戦の陣構えを整えてしまった後だった。遅きに失した、というのが私の岡目八目の認識です。だから「共同」を実現させることはできず、結果として一方の反石原候補を推すだけのカタチになってしまった・・・・

そういう反省を含めて私は「東京。をプロデュース?」に期待したいのです。


新東京政策研究会主催第2回シンポジウム

9月24日付けのエントリですでにご紹介していますが、明日10月3日(日)に東京・四谷の上智大学で新東京政策研究会主催の第2回シンポジウム「新しい東京 福祉・環境都市を目指して」が開かれます。

同シンポジウムは、来年春の都知事選において「チェンジ・ザ・イシハラ」を実現するための革新勢力の「共同」の重要な出発点の場になるべき要素を持っているシンポジウムになるのではないか、と私は思っています。

同シンポジウムを「大津留公彦のブログ2」主宰者の大津留さんが twitter @kimihikootsuru で文字中継されるそうです。

13:00 開会 あいさつ(渡辺治:一橋大学名誉教授)
   ★「新東京政策研究会」とその活動について説明
   ★ シンポジウム全体の進め方
13:15 第1部【新東京政策研究会の第二次政策提言の概要報告:各20分】
   ? 福祉  (後藤道夫:都留文化大学)
   ? 環境   (寺西俊一:一橋大学)
   ? 教育  (世取山洋介:新潟大学)
   ? 税財政 (醍醐聰:東京大学名誉教授)
14:35 休憩
14:50 第2部【フロアからの発言・質疑応答・討論】
     司会進行:安達智則(東京自治問題研究所)
     4人の報告に対する質問および各団体・運動からの発言・意見表明
16:30 第3部【まとめ】(進藤兵:都留文科大学)
17:00 終了(アンケート回収)

よろしければご視聴ください。