G20首脳会合 カナダ・トロント=共同

先のエントリーでは天安艦沈没事件について「韓米の共同捏造」が著しく疑われる一方の当事者ともいうべき米国務省報道官が「北朝鮮が広く非難されている天安艦沈没は国際法違反行為ではない」と表明した情報をお伝えしましたが、今度はまさに韓国側の調査団の当局者が先月20日に北朝鮮犯人説の「決定的証拠」のひとつとして発表した「北製魚雷設計図」なるものはニセモノであったことを「自白」しました。

■‘北 魚雷’とんでもない設計図 発表した(ハンギョレ・サランバン 2010年06月30日)
日本語版:http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/1196845.html
原文:http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/428069.html

■韓国:魚雷の設計図は別物「担当者のミス」(レイバーネット 2010年6月29日)
日本語版:http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/knews/00_2010/1277837302366Staff
原文:http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&nid=57470

■天安艦事件検証(28)北製魚雷設計図は嘘だった(河信基の深読み 2010年6月30日)
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/41602768.html

「韓国国防部主導の国際軍民合同調査団の『調査報告』を馬鹿正直に信じているのは今や日本の政府・マスコミぐらいで、韓国では『嘘だらけ』と嘲笑され、信用失墜している。」(河信基の深読み 2010年6月30日)状態です。

先日の26日にトロント近郊のムスコカで開かれた主要国首脳会議(G8サミット)で採択された首脳宣言について日本のメディアは相変わらず「G8、北朝鮮を事実上非難」(朝日一面)、「G8北朝鮮を非難」(毎日)、「韓国哨戒艦沈没事件で北朝鮮を名指しで非難」(読売)などと書きたてましたが、首脳宣言では北朝鮮への直接的な名指し批判はありませんでした。続いて翌日の27日に発表された20か国・地域首脳会議(G20サミット)の首脳宣言と議長声明では天安艦問題にはまったく触れられていません。それが日本のメディアにかかれば上記の具合なのです。わが国のメディアの総白痴化現象は日ごとに深刻さを増すことはあっても一向に改善の兆しは見られません。メディアとはなんぞや、ジャーナリズムとはなんぞや、などと論じるのもアホらしくなるほどの為体(ていたらく)です。嘆息、嘆声あるのみ(もちろん、私たちのクニのメディアである以上、私たちは嘆息ばかりしてもいられないわけですが)。

参考:
天安艦事件検証(27)「テロ」再指定断念→対話へ軌道修正(河信基の深読み 2010年6月29日)
天安艦事件検証(26)G20は天安問題無視(河信基の深読み 2010年6月28日)
天安艦事件検証(25)G8でロシアが反対を貫く (河信基の深読み 2010年6月27日)

とりわけ酷いのはわがクニの民主党政権、その政権を指揮する菅首相の見識ともいえない愚識です。毎日新聞の報道によれば、菅首相はG8サミットの首脳宣言を巡り、韓国哨戒艦沈没事件で北朝鮮への非難が盛り込まれたことについて「私が最初に発言を求められ、北朝鮮による哨戒艦沈没は許せない行為。G8としても毅然とした態度で臨むべきだ」と訴えたといいます。


嘆くべし。悲しむべし。呆れるべし。沖縄普天間基地問題について「日米合意を踏まえ」る(民主党代表選立候補表明)、「米国との再交渉や閣議決定の見直しを行うつもりはない」(衆議院代表質問)民意無視発言もそうですが、こうした愚昧な総理をリーダーに掲げる民主党政権を許してなるものか、この参院選で勝たせてなるものか、と私は改めて思います。

オバマ大統領とクリントン国務省長官

訪米中の李大統領には横っ面を叩かれたような衝撃であったろうが、米国務省のクローリー報道担当次官補は28日、「北朝鮮が広く非難されている天安艦沈没は国際法違反行為ではなく、北朝鮮をテロ支援国家リストに入れることを正当化できない(The sinking of a South Korean warship widely blamed on North Korea was not an act of international terrorism and does not justify putting Pyongyang back on a U.S. blacklist」(Reuters)と述べ、テロ支援国家再指定を断念したことを明らかにした。
                          (「河信基の深読み」2010年6月29日付より)

もう少し詳しくは下記をご参照ください。

先日の6月27日に東京芝公園であった「朝鮮学校差別を許さない!『高校無償化』即時適用を求める市民行動」の集会とデモの模様がユーチューブにアップされています。3日遅れになりますがこの「朝鮮学校排除問題」のアーカイブにもエントリーしておきたいと思います。

朝鮮学校高校生の訴えが胸に迫ります。集会後のデモでシュプレヒコールの音頭をとる女子高校生の声も若き怒りに満ち溢れていて私には感動的でした(ビデオの終わり部分)。

以下、そのことを伝えるビデオプレスの松原明さんのメールの転載です。

松原です。複数のメーリングリストに投稿します。転載歓迎。

きのうの朝鮮学校問題の集会とデモの映像です。生徒本人が顔を出して怒りを語っています。生の声を広げましょう。

作成:湯本雅典 3分49秒
↓ユーチューブ(動画・映像)
http://jp.youtube.com/uniontube55
●「絶対に、この闘いに勝ちたい!」(朝鮮学校生徒)

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6月27日、東京芝公園で「朝鮮学校差別を許さない!『高校無償化』即時適用を求める市民行動」が開催され、1000人が結集した。(主催・「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会)

3月27日に東京・代々木公園での緊急集会では、1000人が結集した。それに前後して全国各地でも同趣旨の集会がもたれ、自治体でも決議があがり、朝鮮学校排除に対する抗議の声は確実に広まっていった。

4月30日、文科省は31校の外国人学校・インターナショナルスクールを「高校無償化」の対象とすることを発表、ただし朝鮮学校は対象から除外された。政府は、この件について「専門家会議」なるもので検討するとしているが、排除の論理は明らかに実行過程をつきすすんでいる。これに対する怒りが、再度爆発したのだ。

この集会に向けた賛同は、前回の集会の2倍を上回る140以上の団体から寄せられた。集会には、350人の朝鮮学校生徒が結集した。朝鮮学校の生徒たちは全国の朝鮮高校10校を束ねた「連絡会」を作り、無償化即時適用を求める署名運動を展開しているということが、東京朝鮮中高級学校の生徒会長から報告された。また、同校生徒会副委員長からは、「悲しみは、勝ちたいという決意になった」という発言があった。

運動は確実に継続・拡大している。これを、ぜひとも成果に結びつけていきたい。(湯本雅典)
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一時は不採択という事態もありえるのではないかと心配しましたが、小平市議会6月定例会最終日の昨日18時55分に「朝鮮学校を高校無償化から排除しないことを求める意見書」が賛成20、反対7で可決、採択されました。既報のとおり6月15日の同市議会総務委員会では「公明党、民主党(筆者注:議会会派のフォーラム小平のことか?)、共産党、生活者ネットワーク、フォーラム小平などの議員の方たちが政和会所属議員の果てしなく反共和国的見解や質問を退け全員賛成を表明」。「賛成議員たちはこの問題が朝鮮学校だけの問題ではなく小平市が差別にどう取り組んでいくか、そしてどんな差別をも許さない確固たる意思を表明する問題だと討論(なんだか感動的でした。)」したという成果が昨日の議会採択に実を結んだのだと思います。うれしいです。

賛成会派:公明党(6人)、フォーラム小平(6人)、生活者ネットワーク(4人)、共産党(3人)、市民自治こだいら(1人)
反対会派:政和会(7人)

*これまで地方自治体議会で「高校無償化制度の朝鮮学校への適用を求める」意見書、要望書を採択しているのは管見の限り以下の2自治体議会です。

・東京都小金井市議会  2010年3月3日採択
・東京都国立市議会   2010年3月4日採択

上記以外にも同様の意見書、要望書を採択している自治体議会をご存知の方がいらっしゃいましたらご教示いただければ幸いです。

注:千葉市、さいたま市、静岡市、浜松市の4政令市長がこの5月24日、文部科学省と民主党に対して、4月からの高校授業料無償化に伴い国の交付金が授業料を徴収していた時よりも減額されるのは承服できないとして生徒全員の授業料相当額を国が全額負担することを求める要望書を提出していますが、この4政令市長の要望はいうまでもなく朝鮮学校への高校無償化の適用を求める要望ではありません。
この6月15日、保守的な(と、地元の方が言われる)東京・小平市議会の総務委員会において「朝鮮学校を高校無償化から排除しないことを求める意見書」が採択された、というニュースが流れました。

総務委員会 審査(常松大介オフィシャルブログ 2010年06月15日)  

市議会本会議で採択されるかどうか注視していましたが、同6月議会の最終日の今日、上記の総務委員会で1人を除き賛成多数で採決された総務委員会案は表現を一部手直しするという理由で撤回され、現在(15:38現在)手直し案を再審議中のようです。

「意見書」案のどの部分が表現不適ということで手直しを余儀なくされたのか現段階ではわかりませんし、また手直し案が可決されるかどうかも議会事務局によれば現段階では微妙な情勢のようです。

今日の議会攻防の結果については明日改めて議会事務局に確認してみようと思っていますが、15日の総務委員会の上記「意見書」の採決の模様を伝えるメールを下記に転載しておきたいと思います。

市民の期待が裏切られないことをいまは切に祈るのみです。

以下、転載です。

15日小平市議会 総務委員会を傍聴してきました。

ここで「朝鮮学校を高校無償化から排除しないことを求める意見書提出について」の審議があり、うれ
しい事に1人を除き賛成多数で採決されました。

委員会では公明党、民主党、共産党、生活者ネットワーク、フォーラム小平などの議員の方たちが政和会所属議員の果てしなく反共和国的見解や質問を退け全員賛成を表明しました。

賛成議員たちはこの問題が朝鮮学校だけの問題ではなく小平市が差別にどう取り組んでいくか、そしてどんな差別をも許さない確固たる意思を表明する問題だと討論しました。(なんだか感動的でした。)

この採決は次回の定例会で最終審議され採決されると小平市が正式に日本政府に対して意見書を提出する事になります。保守的な小平市がこの議案を提出すると言う事は画期的なことです。

今回の採決は偶然な事ではありません。朝大の先生たちをはじめ支部、学父母たちが粘り強く議員たちとの交流を深めた結果成しえたことです。傍聴を終えて久しぶりに晴れやかな気分になりました。地道な活動が本当に大切です。「高校無償化問題」にみんなで取り組んでいきましょう。  

東部支部 チャニョ部

踏みにじられた沖縄

沖縄在住の作家の目取真俊さんが沖縄在住者の視点から琉球新報に掲載されている「佐藤優のウチナー評論」という連載評論を厳しく批判しています。

「佐藤優のウチナー評論」を読む 1(目取真俊 海鳴りの島から 2010年6月27日)
「佐藤優のウチナー評論」を読む 2(目取真俊 海鳴りの島から 2010年6月27日)

それにしても沖縄で生まれ育った沖縄人の矜持を著しく踏みにじっておいて(下記抜粋記事参照)、逆に「本物の矜持を持とうではないか」などとご託宣する厚顔無恥の輩、夜郎自大にしてかつ「保守、国家主義者である」と自ら言揚げして憚ることもない輩であるところの佐藤優なる人物を、これもまた「良質な情報と深い学識に支えられた評論によって、戦後史を切り拓いてきた日本唯一のクオリティマガジン」と自己規定してみせる雑誌『世界』や「日本で唯一の、タブーなき硬派な総合週刊誌」を標榜し、かつ反ファシズムのフランス人民戦線が刊行した『Vendred(i 金曜日)』をその誌名の由来に持つ『週刊金曜日』がなぜこれほどまでに(両雑誌のバックナンバーをご参照ください)重用し続けるのか? 金光翔さんならずとも『世界』編集長の岡本厚氏、週刊金曜日の社長にして発行人・編集委員の佐高信氏らの編集責任を厳しく追及したくもなります。もちろん、琉球新報という沖縄県で最も古い新聞社であることを看板にする地元紙の編集者の面々の責任も、です。


雑誌『世界』

週刊金曜日

琉球新聞社社屋

以下、「『佐藤優のウチナー評論』を読む」から一部抜粋。

琉球新報で毎週土曜日に連載されている〈佐藤優のウチナー評論〉で、佐藤氏が〈平成の琉球処分その4〉(2009年6月19日付)、〈平成の琉球処分その5〉(同6月26日付)と題して、沖縄の〈革新〉と〈保守〉への提言を行っている。一見、双方を対等に扱い中立の立場から提言しているかのように見せかけているが、内容はといえば〈革新〉を批判する一方で〈保守〉を礼賛し、〈目に見えない沖縄党を強化しよう〉という美名の下に、沖縄の総保守化を促しているにすぎない。自らは保守、国家主義者であると公言していながら、〈保守、革新という冷戦時代の残滓を引きずり〉などと恥ずかしげもなくよく書けるものだ。

佐藤氏が提起しているのが、〈保守〉陣営を厳しく批判するなということであり、具体的には仲井真知事への〈評価〉を厳しくせず、〈非難〉をするなと主張している。佐藤氏はこう書いている。/〈まず、革新陣営に苦言を呈する。あなたたちは、頭がいい。しかし、過剰な美学がある。小さなプライドが強すぎる。他者に対して厳しすぎる。「正しいことをやっているからわれわれについて来るのが当たり前だ」というおごりがある。結果としてそれが東京の政治エリートに事実上の白紙委任状を与え、「平成の琉球処分」の環境整備をしてしまう〉/(略)〈あなたたちは、頭がいい〉といったん持ち上げたうえで〈革新陣営〉をこき下ろすその内容の浅はかさ、傲慢さには辟易させられる。

「〈革新〉から〈保守〉に向かって、あるいは〈保守〉から〈革新〉に向かって批判がなされるとき、沖縄ではその批判は生活に密着した生々しい声として発せられる。東京の論壇で交わされている議論とは次元が違う。基地問題は住民の生活に深く関わりつつ、政治、経済、文化、風俗など多様な影響を沖縄社会に与えているのであり、それが多様な議論、批判を生み出すのは当たり前のことだ。それを〈革新陣営〉の〈過剰な美学〉や〈小さなプライド〉、自己絶対化から来る〈おごり〉からなされているかのようにとらえるのは、基地問題をめぐる沖縄内のダイナミックな動きから浮いた寝言に等しく、佐藤氏は自らが日々暮らしている東京の論壇の視点から沖縄を眺め回しているにすぎない。

もとより、沖縄の〈保守〉になんの問題もなければ、だれがわざわざ批判をするだろうか。それは沖縄の〈革新〉に対してもそうだ。基地問題をめぐって相手の主張、政策に疑問を抱き、問題を感じるからこそ批判するのであり、沖縄の〈保守〉の具体的な問題は不問に付して、〈革新〉の批判の理由を〈過剰な美学〉〈小さなプライド〉〈おごり〉という心理的問題へすり替えるのは欺瞞でしかない。

佐藤氏は〈沖縄人としての本物の矜持を持とうではないか〉だの、〈保守陣営も革新陣営も、もっと深く沖縄を愛そうではないか〉などと書いているが、よくもこういう言葉を、沖縄で生まれ育ち、何十年も沖縄で生きてきた琉球新報の大多数の読者に向かって書けるものだ。沖縄人としての矜持の持ち方や沖縄の愛し方は、人それぞれ多様であっていい。佐藤氏が偉そうに沖縄に住む沖縄人に教えさとす類の問題ではない。夜郎自大も大概にしてもらいたいものだ。

阿久根市庁舎

阿久根市長の竹原信一なる人物は単なる俗物、狂信者にすぎず、「いちいち取り上げて批判しても仕方のない人物」ではないか、というコメントがありました。そのとおりだと思います。

しかし、この竹原・阿久根市長的な単なる狂信者、ポピュリストがいつ他の自治体の首長にならないとも限らない、というのが悲しいかなこの国の「世論」なるものを構成する私を含む「大衆」というものの思想の現状です。少なくとも私にはそのように見えます。

私が阿久根市政の問題を本ブログなどで継続的にとりあげている理由のひとつは、ポピュリズム思想に侵されやすいこの「大衆」なるものの一側面としての思想の貧困、その思想的現状への憂いと不遜ながらの警鐘の表明としてです。そして、この竹原・阿久根市政問題は単に阿久根市だけの問題にとどまらないまさにいまの地方自治のありようをめぐる重大争点のひとつであるという問題意識をこれも不遜ながら喚起したい、という目的をもってのことです。

もうひとつの理由は、「ウケ狙いの政治の果て」(辛淑玉さん)としての竹原ポピュリズム政治を終焉させるために奮闘されておられる阿久根市民への直接的なエールとしてです。

私の阿久根市政問題に関する拙文は鹿児島の友人を通じて竹原・阿久根市政を終わらせようとしている人たち(ごく一部の方々)にもこれまでも何度か配信されている模様です。私の拙文が直接に役立つ、というようなことはもちろんありませんが、左記の方々への少しでもの勇気づけになりえれば、という私の思いもあります。

上記が私が阿久根市政問題を継続的にとりあげている理由です。

ちなみに上記にいう「ウケ狙いの政治の果て」とはどういうことか? 辛淑玉さんの文章(「週刊金曜日」 2009年4月24日)から少しばかり引用しておきます。なぜあのような人物が市長になってしまったのか、という多くの人が抱く疑問の答にもなっている論攷でもあるように思います。

下記の論攷で辛淑玉さんは、東国原知事や橋下知事などタレント政治家、ポピュリズムの政治家に共通する特徴は「ウケ狙いの政治」にあるとして、その「ウケ狙いの政治」が大衆にウケる理由を以下のように分析しています。

「たとえば、彼らの常套手段は『公務員攻撃』だ。カメラの前ではこれがウケる。公務員はその仕事の割に高給を取っているというのがその理由だが、バブルの頃は優秀なやつは公務員になどならなかった。今は、民間の給与水準が低下したために、相対的に地方公務員が給与が高くなっているだけだ。/労働者の組織率が低く、組合運動が弱い地方の民間企業の労働者が資本の攻撃に負けた結果として賃金の崩壊が進んだにもかかわらず、その大衆のうっぷんを地方公務員に対する怨嗟と八つ当たり攻撃にすり替えた。まさにウケ狙いの政治だ」

「さらに、社会の変化についていけず、被害者感情を募らせている一般大衆の持つねたみやそねみを、八十年代以降のリベラルな社会運動がもたらした制度改革によって社会上昇を果たしたマイノリティに対する攻撃に誘導しようとしている/大衆の中にある差別感情を扇動することによって当選を果たしたタレント知事が言う『地方から日本を変える』とは、資本の手先となって『大衆の敵』を作り出し、本当の敵から目をそらさせ、日本を政治のガラパゴス化させることなのだ」

適切な市政運営を求め上申書を提出する阿久根市の職員たち(25日午後5時20分)=読売新聞

阿久根市政について重要な展開がみられます。

誰が見ても非常識な竹原・阿久根市長の行動に同市職員の9割がついに“反乱”を起こしたということです。

鹿児島県知事、総務相からも「違法状態があれば、長く続くことは許されない」(総務相)、「法の土俵の上で相撲を取るべきだ」(鹿児島県知事)などの遺憾の表明がされています。

こうした状況の中でも市長の座に居直リ続ける竹原・阿久根市長とはいったいいかなる人格の持ち主なのでしょう? 想像しがたいほどの(おそらく妄想狂の)人物です。

以下、関連記事を貼りつけておきます。

阿久根市長に職員9割“反乱”…法令守れと上申書(読売新聞 2010年6月26日)
 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長に対し、同市職員180人が25日、連名で法令を守るように求める上申書を提出した。

 幹部職員約20人も近く、同様の上申書を提出する構え。215人いる市職員の9割強が賛同することになり、関係者は「市長の違法な行動は看過できない。団結して異を唱えることにした」と話している。

 職員によると、同県の伊藤祐一郎知事が22日、竹原市長に対し事務処理の適切な運営を求める助言をしたことを受けて提出に踏み切った。上申書では〈1〉臨時議会の早急な招集〈2〉専決処分した固定資産税率の引き下げの撤回〈3〉法令を順守した市政運営――などを求めている。

 署名したのは、一般職員190人のうち、休職や出向している10人を除いた180人と、課長級の二十数名のうち、竹原市長が民間から登用した数人を除いた20人。一般職員の上申書は25日、総務課長が受け取った。幹部職員の上申書は28日に直接竹原市長に手渡すという。

 市長は昨年7月、人件費の張り紙をはがした元係長の男性(46)を懲戒免職にし、今年1月の仕事始め式では「命令に従わない職員には辞めてもらう」と公言。3月議会への出席を拒否する一方、課長らにも答弁しないよう命じるなど職員への締め付けを強めている。

 ある職員は「このままでは阿久根の恥になると思っていたが、処分が怖くて市長に意見を言うことができなかった。今回、知事が改善に乗り出してくれたので署名した」と話した。

阿久根市長と会談の知事「法の土俵で相撲を」(読売新聞 2010年6月25日)
 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が市議会を開かずに専決処分を繰り返している問題で、伊藤祐一郎知事と市長は25日、県庁で会談した。

 非公開で約1時間10分行われ、知事が臨時議会の招集などを強く求めたのに対し、市長は持論を展開して物別れに終わった。 知事は22日、市長に適切な事務処理を求める助言を行った。知事によると、会談ではこれを踏まえ、〈1〉臨時議会または定例会の招集〈2〉専決処分した固定資産税率引き下げの廃止〈3〉議員報酬、職員給与改正の撤回――を再度求めた。

 臨時議会は反市長派の市議が地方自治法に基づいて請求しており、知事は「法の土俵の上で相撲を取るべきだ」などと強く求めた。また28日までに招集しない場合は「法に抵触する。しかるべき対応をとる」として是正勧告を含めた強い措置に出ることを示唆した。

 これに対し、市長は「反市長派市議から不信任を受ける異例な状況にあるため議会の意向を諮ることなく私なりの判断をしている」などと主張したという。市長は取材に応じなかった。

阿久根市の調査を指示=ボーナス減額専決処分などで?総務相(読売新聞 2010年6月18日)
 原口一博総務相は18日の閣議後記者会見で、鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が市職員ボーナスの大幅減額を、市議会に諮らずに専決処分したことなどについて「関心を持たざるを得ない状況にある」と述べ、事実関係を調査するよう指示したことを明らかにした。

 同市をめぐっては、懲戒免職となった男性職員の処分の効力を停止する鹿児島地裁の決定に、市長が従っていないなどの問題も起きている。同相は「違法状態があれば、長く続くことは許されない。事実関係を把握した上で、鹿児島県とも相談しながら対応を検討する」と語った。

参考記事:
平日に温泉出入り?…阿久根市長の予定公開請求(読売新聞 2010年6月17日)
 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長に対するリコール(解職請求)運動の準備をしている市民団体「阿久根の将来を考える会」(川原慎一会長)は17日、市に対し、市長のスケジュールなどについて情報公開請求を行った。

 市は条例に基づき、7月2日までに公開の可否を判断する。

 請求したのは、市長が市議会への出席を拒否した3月以降のスケジュールや出張先を示す資料のほか、旅費の領収書など。

 同会によると、市長は平日の日中に市内の温泉や喫茶店に出入りする姿が市民から目撃されている。また、5月に佐賀県で開かれた九州市長会総会を欠席。宮崎県の口蹄疫問題などが話し合われており、市民から「なぜ欠席したのか」と批判が出ているという。

 市総務課は、市長が九州市長会総会を欠席したことについて「別の公務で出張中だった」と話している。

沖縄の民意を無視することが「元気な日本を復活させる」ということか?

元毎日新聞論説委員で現在はフリージャーナリストの安原和雄さんが6月19日にあった集会「もうやめよう! 日米安保条約 ― 米国・日本・沖縄の新しい関係をめざして」(2010安保連絡会主催)に参加された報告記をご自身のブログにアップされています。

■「もうやめよう!日米安保」に参加して安保条約の自然成立から50年目の日(安原和雄の仏教経済塾 2010年6月20日)
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/blog-entry-289.html

以下、上記の安原さんのご報告の中から、浅井基文さん(広島平和研究所所長)の講演「日米安保体制の問題点と目指すべき日米関係」のうち「民主党政権はなぜ沖縄の民意を無視するのか」の講演部分を紹介されている部分と同講演を聞いた安原さんの感想を述べられている部分を抜粋転載させていただこうと思います。

私は今度の参院選の最大の争点は「民主党政権はなんだったのか。あるいはなんなのか」ということだろうと思っています。下記はそのことを考える上での参考資料のつもりです。

▽ 民主党政権はなぜ沖縄の民意を無視するのか

 民主党政権はなぜ「米軍基地反対」という沖縄の民意を無視するのか。その背景に日米軍事同盟の変質強化が進んでいるという事実がある。

 まず武力攻撃事態対処法(2003年)など国内有事法制の整備がある。

 さらに「日米同盟:未来のための変革と再編」(2005年10月)は「世界をにらんだ日米軍事同盟」として次のようにうたっている。「日米同盟は日本の安全とアジア太平洋地域の平和と安定のために不可欠な基礎」、「同盟に基づいた緊密かつ協力的な関係は世界における課題に効果的に対処する上で重要な役割を果たしており、安全保障環境の変化に応じて発展しなければならない」など。

 見逃せないのは、「未来のための変革と再編」に基づく日本全土の米軍への支援策で、「日本は、日本の有事法制に基づく支援を含め、米軍の活動に対して、事態の進展に応じて切れ目のない支援を提供する」とわざわざ「切れ目のない支援」という文言を使っている。

 これを受ける形でつくられたロードマップ(2006年5月・具体的な実施日程を含む計画)に「兵力削減とグアムへの移転」「ミサイル防衛」などと並んで、普天間代替施設について「普天間飛行場代替施設を、辺野古岬とこれに隣接する大浦湾と辺野古湾の水域を結ぶ形で設置」と書き込まれている。

 このロードマップ合意の直後にまとめられたブッシュ・小泉共同声明「新世紀の日米同盟」(2006年6月)は次の3点を強調した。

・「日米の安全保障協力は、弾道ミサイル防衛協力や日本における有事法制の整備によって深化してきた」
・「両首脳は日米同盟を将来に向けて変革する画期的な諸合意が行われたことを歓迎した。米軍及び自衛隊の過去数十年間で最も重要な再編であり、歴史的な前進である」
・「両首脳はこれらの合意の完全かつ迅速な実施が、日米両国にとってのみならず、アジア太平洋地域の平和と安定にとって必要であることについて一致した」

 つまり「ロードマップ」の完全実施は米国の世界戦略上不可欠ということであり、これこそが民主党政権が沖縄の民意を無視してまでも対米約束の履行にこだわる理由である。

<安原の感想> 対等な日米関係は「夢のまた夢」か

 「ロードマップ」の完全実施は、世界をにらむ覇権主義に執着する米国にとっては不可欠であるとしても、歴史的に観て破綻状態に近い覇権主義は醜悪でさえある。問題はなぜ自民党政権に代わって登場した民主党政権がその覇権主義に100%に近い形で同調し、支援を重ねなければならないのかである。

 答えは単純である。それは民主党も日米同盟堅持が主流となっているからである。この点は自民党と変わらない。

 菅政権に居残った岡田外相、北沢防衛相らは自民党顔負けのタカ派ぶりともいえる。誰よりも菅首相自身が「日米同盟は国際的な共有財産」(所信表明演説)という日米同盟賛美観の持ち主で、そこに安保批判の入る隙間はうかがえない。これでは「従属的な対米関係」を克服して、新しい「対等な日米関係」の構築を民主党政権に期待することは「夢のまた夢」というほかないだろう。

 「米軍駐留は不可欠」という大見出しの記事が毎日新聞(6月20日付)に掲載されている。クリントン米政権の国防次官補などを努めたジョセフ・ナイ米ハーバード大教授との会見記事で、気になるのは以下の発言である。

問い:米軍普天間飛行場の移設問題をめぐり日米間がぎくしゃくしたことについて

答え:困難な時期だったが、学習の時期だった。両国が日米同盟の重要性について再認識し、この時期を経て同盟関係は弱くなるどころか、強化されたと考えている。

 発言の中の「学習」とは日米双方にとっての学習、という意だろうが、日米政府ともに「沖縄の民意」を学習したとはとても言えない。覇権主義はそもそも民意とは両立不可能であろう。しかも「日米同盟は強化された」という認識だから、現実を願望と混同する超楽天主義とでもいえようか。
17%→59%(朝日)、20%→63%(毎日)、19%→64%(共同)、21%→60%(NHK)・・・・

鳩山内閣が「普天間問題と『政治とカネ』の問題」(鳩山首相辞任表明)で国民の信を失って自壊し(朝日新聞の5月30日付の調査では内閣支持率は17%)、菅内閣が成立したのは実質的には民主党代表選のあった6月4日。メディアは即日、一斉に緊急世論調査を行いましたが、その結果が上記の内閣支持率の上昇、または大幅回復。


「普天間基地」県外に 沖縄9万人集会

私はこの各メディアの世論調査の結果を見て言葉を失いました。ヤマトゥの人間どもは結局のところ沖縄を捨てた。同胞としての沖縄を見殺しにしたのだ、と。ヤマトゥの人間どもには「普天間問題」などほんとうのところ眼中になかった。だから、鳩山前政権の沖縄県民を愚弄することも甚だしい最悪の置き土産ともいうべき「辺野古回帰」の日米合意を踏襲する考えを民主党代表選の前日の3日の段階で早々に表明したあまりにも愚かしい新宰相の誕生といわなければならない菅新首相をめでたくも歓迎する。そのことが結果として沖縄・奄美への民主党政権の差別政策を容認する応答(世論調査の回答)になることなど考えも及ばない。なんという愚かしさ。私は言葉を失い、おのれの無力さを噛み締めるほかないのです。

しかし、私にもできることがあります。今度の参院選で「『最低でも県外』と首相自ら公約しながら県民の心を8カ月間ももてあそび、『辺野古現行案』に回帰するという公約違反の裏切り行為」(琉球新報社説、2010年6月1日付)に及んだ民主党政権には決して投票しない、という私としての選択をすることです。そして、それを広く私の知り合いに呼びかけることです。

また、自民党政権より民主党政権の方が少しはましではないか、という議論がありますが、私には通用しません。「今回のSCCの共同声明は、自公政権下で進められていた現行計画に単純回帰するものではない。自衛隊の共同使用を盛り込むことによって、基地機能、演習量、内容ともに強化拡大しようとするものであり、仮に将来海兵隊が撤退することがあっても、自衛隊が継続して居座ることを狙った、現行計画以上に悪質な内容」(目取真俊 海鳴りの島から 2010年5月28日)であり、自民党政権より民主党政権の方が少しはましなどとは決して言えないからです。

私とほぼ同様の思いを記事にしているブログがあります。

「踏みつけられる側」の論理(Afternoon Cafe 2010年6月16日)
そんな本土の「悪意のない無関心」は、沖縄にとって胸に突き刺さるような刃となります。

http://alcyone.seesaa.net/article/153191667.html
菅総理は、鳩山内閣がアメリカ政府と合意した普天間基地の沖縄県辺野古地区への移設について、合意をふまえて進めていくことを明らかにしました。あなたは、この方針を支持しますか、支持しませんか?
(1) 支持する 55.2%
(2) 支持しない 27.9%
(3) わからない、答えない 16.9%

「愛の反対は憎悪ではなく無関心だ」と言う言葉は、ここでもストレートにあてはまりますね。
「踏みつける側」と「踏みつけられる側」の間には深い断絶があります。

曳かれ者の小唄(なごなぐ雑記 うちなあ二都物語(名護・宜野湾) 2010年6月14日)
総理大臣をやめたひとが、役所の意思が固くて辺野古にアメリカの基地をつくることになったといったらしい。おそろしいことだ。(→毎日新聞 2010年6月12日 )
(中略)

外務大臣をしているひとが、沖縄のひとびとが『やむを得ない』とおもう状況をつくるといっている。(→共同通信2010/06/09)

こんなにもあからさまに、敵対され恫喝される沖縄のひとびとは、この国の主権者ではないんだろうか。沖縄は、はからずもこの国の在り方の根源をみつめざるえないポジションに立たされている。立たされ続けている。むごい在り方の。むごい在り方で。
(中略)

総理大臣をやめたひとが、役所の意思が固くて辺野古にアメリカの基地をつくることになったといったらしい。私たちは沖縄で生きる民であることをやめることはできないので、どれほど役所の意思が固かろうとも踏ん張るしかない。一国の総理大臣の職がお気楽なものだとは思わないが、やめられるだけお気楽だとは言ってのけたい。外務大臣は、沖縄の民の踏ん張りを切り崩してやると恫喝しあからさまに沖縄の民に敵対してみせてくれる。なんという国家政府であろうか。怒りは深いところで胎動している。
(中略)

感謝などいらないから、踏んでる足をどけてくれないか。私は温厚なヘタレだからキレないが、ウヤファーフジにその「感謝」は、「あんちまでぃ ちゅー うしぇーんなぁ、ぬがらちならん」と叱られると思う。ましてや死んでも死に切れない地獄の戦火で逝った先輩たちには…

参考1:
■菅新首相「期待」59%、民主は回復 朝日新聞世論調査(朝日新聞 2010年6月5日)
http://www.asahi.com/politics/update/0605/TKY201006050315.html
■毎日世論調査:菅首相に期待63% 小沢氏辞任評価81%(毎日新聞 2010年6月5日)
http://mainichi.jp/select/today/news/20100606k0000m010081000c.html
■菅新首相 “期待する” 60%(NHK 2010年6月7日)注:リンク切れ(下記は関連URL)
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/seijiishiki/list_seijiishiki1.html
■菅内閣支持率61% 共同通信世論調査(共同通信 2010年6月9日)
http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010060901000519.html
■「民主党の単独過半数」「与党二党で過半数」支持56%(東京新聞 2010年6月13日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2010061302000067.html
■菅内閣支持59%、参院比例「民主に投票」31%(読売新聞 2010年6月13日)
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2010/news1/20100613-OYT1T00670.htm
■比例投票先、民主43%自民14% 参院選連続世論調査(朝日新聞 2010年6月13日)
http://www.asahi.com/politics/update/0613/TKY201006130278.html
■菅内閣支持64%に上昇 参院選トレンド調査(共同通信 2010年6月14日)
http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010061401000485.html

参考2:
■参院選 自民に投票、民主抜く 世論調査(東京新聞 2010年5月31日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2010053102000062.html
■内閣支持、最低の17% 朝日新聞緊急世論調査(朝日新聞 2010年5月30日)
http://www.asahi.com/politics/update/0530/TKY201005300293.html?ref=any
■毎日世論調査:鳩山内閣支持20% 退陣すべきだ58%(毎日新聞 2010年5月30日)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100531k0000m010081000c.html
■「首相辞任を」過半数 世論調査、内閣支持率19%(共同通信 2010年5月30日)
http://www.47news.jp/CN/201005/CN2010053001000328.html

参考3:
■毎日世論調査:辺野古移設に反対84% 沖縄県民対象(毎日新聞 2010年5月30日)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100531k0000m010043000c.html
■「県内反対」が圧倒 県民世論調査(琉球新報 2010年5月31日)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162853-storytopic-1.html
政治学者の浅井基文さんが日本共産党に対して辛口提言をされています。私も浅井さんとほぼ同様の思い、また、ほぼ同様の意見です。浅井さんは「辛口提言」とはおっしゃっていますが、ずいぶん遠慮深い「辛口提言」であるように私には見受けられます。その浅井さんの配慮と思いを慮って「共産党の関係者が虚心坦懐にこの文章を読」まれることを私としても切に願うものです。

私も実は共産党に対する「辛口提言」をしています(特に下記の(下)の部分)。あわせて読んでいただければ幸いです。浅井さんももちろんそうだと思いますが、私も共産党に「辛口提言」をするのは共産党に期待しているがゆえにです。決して反共主義のゆえにではありません。

鳩山内閣の19%~21%の内閣支持率はどういう声に支えられているか 共産党の支持率はなにゆえに3.3%程度どまりなのか(上)
鳩山内閣の19%~21%の内閣支持率はどういう声に支えられているか 共産党の支持率はなにゆえに3.3%程度どまりなのか(下)

浅井基文さん:元外交官、政治学者。1941年愛知県生まれ。愛知県立西尾高等学校卒業。1963年東京大学法学部を中退し外務省入省。条約局国際協定課長、アジア局中国課長、駐英公使などを歴任。1988年東京大学教養学部教授に就任。1990年日本大学法学部教授。1992年明治学院大学国際学部教授を務める。2005年4月、広島市立大学広島平和研究所所長に就任。外務省出身ながら、日米同盟を基本とした日本外交に批判的であり、護憲・平和主義の立場からの論陣を張っている。(「ウィキペディア」より)

以下、浅井さんのご論攷の転載です。

日本共産党への辛口提言
――ふたたび埋没することがないように――
(浅井基文 2010年6月13日)

 *参議院選挙が近づいてきました。私は、近年機会があるごとに、平和憲法にいかなる立場を取る政党であるか、日米軍事同盟に対してきっぱりした立場を取る政党であるかどうか、国民生活を破壊し尽くしてきた新自由主義路線に真っ向から立ち向かう政党であるかどうか、以上三点を基準にして主権者としての投票行動を決めることを呼びかけてきました。そういう視点からする時、日本共産党が地方選挙のみならず、国政選挙で躍進することが不可欠であると思っています。

そういう立場の私から見る時、最近の共産党のあり方について、「これでは有権者(主権者)の支持を獲得できないのではないか」と思わざるを得ないことが出てきています。敢えて辛口のエールを同党に送る所以です(6月13日記)。

 私は、もはや民主党政治には一切の幻想を持っていない。確かに、衆参両院の一年生議員の中には、市民運動出身者をはじめ地域、職場その他の基層レベルと接点を持つ者も多く、憲法意識についても明らかに改憲志向が強い自民党議員とはちがう傾向を示している(2009年8月20日付毎日新聞及び同年9月1日付共同通信が報じた、民主党及び自民党の衆議院総選挙の全候補者あるいは当選者を対象にした憲法意識調査結果による)。また、沖縄選出議員や、広島に近い岩国選出の民主党議員の中には党本部・政権と選出基盤・地元との狭間で苦悩する議員も少なくない。しかし、民主党を牛耳るトップレベルの人々は、「親小沢」か「反小沢」かにかかわりなく、自民党と大同小異、五十歩百歩で、変わり映えがしない。特に平和・安全保障の面では、改憲志向、日米軍事同盟肯定、「核の傘」必要(非核三原則邪魔者扱い)、生活・くらしの面では、大企業優遇、消費税増税、新自由主義路線であり、自民党とほとんど変わるところはない。こと非核三原則に限っていえば、「国是」にこだわらざるを得なかった自民党のような歴史的しがらみを持たない民主党のトップレベルは、虎視眈々と2・5原則化を狙っている点で、自民党より悪質ですらある(たとえば、『月刊現代』2002年8月号所掲の菅直人「救国的自立外交私案」は、非核三原則の2・5原則化を公然と主張している)。

 より根本的にいって、私は小選挙区制によるいわゆる「二大政党政治」には根本的な疑問を持っている。民意が多様化を強める時代・21世紀における代議制デモクラシーのあり方として、比例代表制(少数政党乱立を防ぐための一定の足切り条項は必要かもしれないが)あるいはかつての中選挙区制は小選挙区制よりはるかにデモクラシーの本道を行くものであり、その方向に向けた選挙制度の改革を真剣に考えるべきだと思う。

 そういう大前提を述べた上で、私は、間近に迫っている参議院選挙において、日本政治がこれ以上劣化し、悪化することを防ぐために、日本共産党が躍進することを心から願っている。なんといっても、今日の日本の政党の中で、その政策、主張の中身が日本社会の直面している重要諸課題に対してもっとも本質的な回答を用意している点では共産党がダントツであり、私の頭の中にもっともすっきり入ってくるのは共産党の諸主張である。社民党指導部は、護憲の立場(ただし、日米安保肯定)であり、普天間基地移設問題で筋を通して連立政権と手を切った点を評価するが、日米軍事同盟に対する根本的姿勢はあいまい、参議院選挙では相変わらず当選目当てで民主党との協力を模索するなど、どうも今ひとつ信用できない。社民党支持者の中には良心的な人々が多いだけに、社民党指導部の姿勢が余計に不安視されるのだ。

 私はすでに述べたとおり、今度の参議院選挙での共産党の躍進を心から願ってはいるが、しかし、いまの共産党の取り組みを見ていると、躍進はおろか、現状維持すらむずかしい厳しい状況にあるのではないか、と考えざるを得ない。共産党に必要なことは、やや抽象的な言い方を許してもらうならば、目線(座標軸)の転換、歴史に対する謙虚な姿勢、そして真実にこだわる姿勢を堅持することではないだろうか。せっかく多くの国民及び日本に住む人々の立場に立った良い内容の包括的かつ一貫した政策を持っているのに、なぜ浸透しないのか、という問題に共産党が真剣に目を向けない限り、このままでは「党勢停滞」が続くことになってしまうことを恐れる。以下では、「共産党躍進」のために、具体的事象に即して、共産党自身に考えてほしい問題点の提起を試みる。

<共産党の目線を通して物事を見るのにとどまるのではなく、国民・人々の目線を通して物事を見ること>

 共産党の志位委員長は、2010年のNPT再検討会議の機会に訪米して核兵器廃絶を促進するための活動を展開し、また、アメリカ国務省の日本担当課長等とも会談し、普天間基地移設問題に関して、在日米軍基地の全面撤去を要求する多くの国民世論を踏まえた明確な党の立場を伝えた。共産党委員長の訪米は初めてであり、国務省に乗り込んで担当者と直接話をするのも初めてだったという。

 私は、共産党が在日米軍基地の完全撤去をアメリカ側にはっきり主張したことは極めて正しいし、100%支持する。しかし、この問題の扱い方(志位委員長の訪米報告)において、共産党は終始共産党の目線で物事を見ており、国民・人々の目線で物事を見たらどう受け止められるか、ということに考えが及んでいないのではないか、という印象を強く感じてならない。また、赤旗の報道によって判断する限り、多くの党員・支持者も同じ目線に縛られているとしか受け止められない。この共産党と国民・人々との間の目線の違いということに共産党及び党員・支持者が気がついて、国民・人々の目線に即した訴え方を我がものにしないと、いわゆる「無党派」を中心として共産党への支持・共感は広がらないし、参議院選挙でも得票を伸ばすことはできないのではないかと思うのだ。

 具体的にいうと、まず、共産党委員長が訪米したこと、アメリカ政府関係者と会談したことは共産党にとっては党の歴史上初めての大事件だろう。しかし、一般的な感覚からいえば、「ああ、そう」「だからどうなの」ぐらいのことでしかないと思う。下手をすると、「今ごろになって初めて訪米なの?」と呆れてしまう向きだっているのではないか。ところが、赤旗を読んでいると、共産党側の「大事件」感覚は一般人にも共有してもらえるという思い込みが働いているように感じられてならない。確かに、共有してもらえるならば共産党に対する期待度向上(参議院選挙での投票行動)に結びつくことはあり得ようが、どう見てもそうではないのだから、ここにすでに共産党と国民・人々の目線の違いが露呈してしまっているのではないか。簡単に言ってしまえば、多くの国民・人々にとっては、志位訪米はそんなに「大事件」ではないのだ。

 さらにいうと、訪米した志位委員長が、鳩山首相を冷遇したオバマ大統領(あるいは岡田外相を手玉に取ったクリントン国務長官)と会見したというようなことだったら、例えオバマ(あるいはクリントン)の発言内容がつれないものであったとしても、その会見自体は、国民・人々の目線からしても「大事件」だっただろうし、共産党に対する期待度は格段に高まり、投票行動に直結するという期待感を共産党が持ったとしても不思議はなかっただろう。しかし、志位委員長を応対したのは国務省のメア日本担当部長(日本の外務省でいえば課長クラス。ちなみに、同人は、日本部長になるまでは在沖縄総領事)でしかなかった。アメリカ政府の「高官」でも何でもないのだ。

率直なことをいえば、私は志位委員長の相手をしたのがメアだと知ったときには、「アメリカは共産党にはずいぶん横柄、失礼だな」と思った。もっとも、2009年に志位委員長がプラハ演説をしたオバマに書簡を送ったときに、アメリカ政府から返書が来たとして共産党は大きく扱ったが、あのときも返書の差出人は課長クラスであり、私は、小なりとはいえ、日本の公党の党首に対してアメリカ政府はずいぶん失礼な対応をするな、と思ったのであり、しかし同時に、アメリカ政府における共産党の位置づけはこの程度のものかと認識した。今回もそういう対応だったのだ。私は、共産党はこのような失礼なアメリカ政府の対応に怒るべきであったと思うのであって、決して大喜びをすることではなかったと思う。オバマ、クリントンは無理だとしても、最低限、日本の外務省でいえばアジア太平洋局長に当たるキャンベル国務次官補が志位委員長の相手をすることを要求し、それを受け入れないならば、会談を拒否する共産党であってほしかった。

以上のことから私が何を言う必要を感じているのかといえば、志位委員長の訪米の「成果」を全面に押し出して共産党に対する国民の支持を広げよう、参議院選挙で躍進しようと共産党は頑張っているが、国民の多くにとってはそれほど目をむくほどのこととは受け止められていないのであって、私としては、共産党の躍進に結びつくとはとても思えない、ということだ。私が、共産党の目線と国民の目線とは大幅にずれていると指摘する所以である。

 <「過ちを改むるに憚ることなかれ」>

 志位委員長の訪米報告を読んでいて、私は大きな違和感を味わわされた箇所があった。次のくだりである。

「1963年8月、ソ連は、米国、英国と部分的核実験停止条約をむすび、これを「核兵器全面禁止への第一歩」と宣伝し、世界と日本の平和運動におしつけようとしました。わが党は、この条約が地下核実験による核兵器開発を合理化し、米ソを軸とする核兵器独占体制を維持するものとして、強く反対しました。その批判の正しさは、その後の米ソによるとめどもない核軍拡競争によって証明されました。こうした部分的核実験停止条約というあしき部分的措置を核兵器廃絶と対立させて、それをすべてに優先させるキャンペーンのなかで、社会党・総評指導部はそれに引きずられて日本原水協と世界大会から脱落しました。その時に、核兵器廃絶という目標をしっかり立てて、今日にいたる原水爆禁止運動の旗を守ったのが、この時代の先輩たちの闘争でありました。この時のソ連の干渉をはねのけたからこそ、いまの日本共産党があり、日本の原水爆禁止運動があるということを、私は言いたいと思います。」(太線は浅井)

 ハッキリしている歴史的な事実は、当時問題になったのは、志位委員長があげた部分的核実験停止条約の問題に加え、「いかなる国」(いかなる国の核実験にも反対するのか、帝国主義・アメリカの核実験と社会主義・ソ連の核実験とは区別するべきなのか)問題(第三の問題はいわゆる「反党分子」の扱いの問題)があった。私は、5年間以上の広島滞在の中で、「いかなる国」問題は、いまや完全に過去の問題となった部分核停条約問題とは異なり、今日に至るまで深刻な後遺症を日本の原水爆禁止運動の分裂という形で残していることを実感している。そして、この問題に関しては、共産党による全面的な総括が行われたことを承知していない(私は、1960年代から80年代にかけて原水爆禁止運動を共産党において指導した金子満広氏の著作『原水爆禁止運動の原点』に収録されている「原水爆運動 ――よみがえった原点」で、同氏が「いかなる問題」に関する共産党の立場の“変遷”についての説明をしているのを読んだが、党としての総括があるかどうかについては、寡聞にして承知していない)。部分核停条約問題だけを取り上げて、「その時に、核兵器廃絶という目標をしっかり立てて、今日にいたる原水爆禁止運動の旗を守ったのが、この時代の先輩たちの闘争でありました。この時のソ連の干渉をはねのけたからこそ、いまの日本共産党があり、日本の原水爆禁止運動がある」と述べる志位委員長の発言からは、今なお分裂し、このままではじり貧を免れない(としか私には思われない)日本の原水爆禁止運動の深刻な状況を直視する真摯な姿勢を窺えないことを非常に残念に思う。

しかも、問題は原水爆禁止運動だけにとどまるのではない。正に原水爆禁止運動が戦後日本における平和運動の一大原点であった(もう一つの原点は反基地闘争)だっただけに、そこにおける分裂は日本の平和運動・労働運動そのものを政党・イデオロギー別に系列化させて今日に至っているのだ。広島に関していえば、被爆者組織(県被団協)が党派に即して二分化し、今日なお統一できないままでいる。つまりは、日本の平和運動の今日における沈滞は1963年の原水爆禁止運動における社共分裂に大きな直接的な原因があると言っても過言ではない。日本の平和運動が日本の世論を引っ張り、世界の平和を引っ張る力を発揮することを強く願うだけに、上記の志位委員長の発言は、正直言って理解に苦しむ。そして、このような自己正当化の主張を公然と行う共産党の姿勢は、やはり多くの国民・人々の共感を遠ざける方向に働かざるを得ないことを、私は恐れる。

 <「臭いものにはふた」を止めること>

 私は長年にわたって『赤旗』を購読してきたし、その内容は、近年ますます節操のなさを強めている朝日、毎日と比較して、信用できるものだと評価してきた。しかし、最近の報道姿勢には首をかしげることが多い。特に、国際情勢なかんずくイラン関係、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)関係の報道については率直に言って不満である。

 イランについて言えば、2010年のNPT再検討会議の最終文書に明らかなように、イランの原子力平和利用の権利に関する主張は多くの非核兵器国の理解と支持を集めたし、イランを追いつめようとしていたアメリカの主張はことごとく退けられた。ところがアメリカは、国連安保理で中国、ロシアほかの支持を頼んでイラン制裁の決議を強硬成立させた。ここで明らかになったことは、大国が協調する時は、安保理が国際世論に逆行する行動を取ることがあるということだった。

そのことを明らかにすることは、「国連信仰」の雰囲気が強い日本においては特に重要なことだったと思われる。しかし、赤旗においてはそういう視点を提供する内容の記事がまったくない。むしろ、イランに非があるかの如き印象を与える内容の報道に終始してきたと、私は判断する。

 朝鮮については、3月に起きた韓国の哨戒艦「天安(チョナム)」の沈没事件に関する赤旗の報道には深く失望させられている。赤旗の報道内容は、ほとんどマスコミ大手のそれと大同小異(この文章を書いている6月13日現在では、わずかに、ロシアの調査団が韓国の発表した報告書に否定的な判断を下したという時事電を報じた程度)だ。韓国国内では、この事件を朝鮮の仕業と断定して統一地方選に臨んだ与党・ハンナラ党が大敗したことに明らかなように、韓国政府(及びその後ろにいるオバマ政権)に対して重大な疑問が巻き起こっているというのに、なぜ赤旗は素通りしているのだろうか。

 以上はごく最近の二つの事例を紹介したに過ぎないが、「真実を報道する赤旗」という評判を自らおとしめるようなことは是非とも避けてほしい。

 私は、日本における民主政治の健全な発展のためには、共産党が躍進することが不可欠だと思っている。とくに、改憲志向、日米軍事同盟の変質強化を軸にして、民主党及び自民党が「政界再編」に走る危険性が高まっているなか、そういう動きを許さないためには、多くの国民が共産党に保守政治に対する批判票を投じることが極めて重要だと考えている。しかし、そういう国民の批判票の受け皿となり得るためには、共産党が自分の目線に閉じこもり、正当性を独占しようとし、都合の悪いことには口をつぐむというようなことがあったのでは「百年河清を待つ」ということに終わってしまうことを私は懸念する。共産党の関係者が虚心坦懐にこの文章を読むことを願っている。

私たちの国のツイッター現象はさらにさらに拡大の様相を帯びています。私はツイッターの利便性(有効に利用する限りにおいて)を否定するものではありません。が、私は、ツイッターのワンフレーズのつぶやきの特性にふれて、ツイッターという道具の持つ小泉純一郎流の「ワンフレーズ・ポリティクス」への回帰の危険性、私たち日本人が関東大震災で経験したあの忌わしい「流言飛語」的側面の危険性について指摘しましたが、その指摘を変更するつもりはありません。それどころかその指摘はツイッター現象のさらなる拡大の様相を見るにつけ、ますます重要になってきているものと考えます。

私たちの国で携帯電話が爆発的に普及したとき、私はその風俗に大きな違和感を持ちましたが、辺見庸も同様の違和感を持っていたらしく、その違和感のきたるべきゆえんを次のように表現しています。私たちの国のいまのツイッター現象を「思想」として考えてみる上で深秀なサジェスチョンにもなっているように思います。

以前、あるメーリングリストで「男泣き」の話が少し話題になりましたが、作家の丸谷才一は『男泣きについての文学論』の中で「高度成長以後、男は泣かなくなった」、と指摘しています。そして柳田国男の『涕泣史談』を引用して戦後「泣く回数がへったことと並べて、人間がおしゃべりになった」とも。ツイッター現象と関係があるのか、ないのか。興味深い指摘です。

以下、辺見庸の「機器の孤独」という文章の転載。

機器の孤独(辺見庸 『眼の探索』 朝日新聞社 1998年)

 電車って、ときどき医師のいない移動病棟のようだ。患者というか乗客が、何人もてんでにモノローグをはじめたりする。招き猫の格好をして。電話といっても、あれじゃまるで独り言だ。
 隣の男が見えない相手をいきなり大声で叱りつける。五寸釘を脳みそに打ちこまれたみたいに私は驚く。そのまた隣の女は、いない相手にしきりに猫なぜ声を出す。ひとりでへこへこお辞儀している男もいる。怒ったり囁いたり命じたり謝ったり。
 怖いよ。やめてくれよ、と思うけれど、自分にいい聞かせる。我慢しなくっちゃ。いつか慣れるさ。でも、声が交錯して、頭蓋骨のなかを蟻がはいまわるみたいだ。まともに考えるなんてできゃしない。顔が固まる。いっしょに瘋癲になるしかない。
 公園だって安心できない。
 夜更けに集合住宅の児童公園の前を通る。ジャングルジムのあたりから押し殺した声がする。足が凍りつく。「絶対、許せない」。女だ。「殺してやりたい」と声はつづく。殺したい相手はそこにいない。夜陰に乗じたつもりで、ひとり呪っている。顔を高層住宅の上に向け、やはり招き猫の手つきで。たぶん、なかにファミリーがいる。亭主がやはり押し殺した声で姿なき女に応じているのだろう。「君、困るよ」とかなんとか。
 人を恨むのはいい、怒鳴るのも結構。だが、伝達のしかたが不気味だと思う。
 携帯電話のある風景とそれほど和解できないのなら、と友人は諭す。「君も一台持つことだ。ともに病むのさ」。
 名案である。三千六百万台という携帯電話とPHSの音が、この国の頭蓋骨のなかを無数の狂った蟻みたいにざわざわと迷走している。加入が一人増えたところでどうということはない。が、だめだ。そうまでして語るべきことはなし、伝えるべき相手も、よくよく考えれば、いやしない。それに、自分が一個の動く端末になるという想像にひるむ。
 かつて、紛争中のソマリアからインマルサットの移動電話で東京と交信したことがある。砲声に怯えながら話しているのに、いやに音声明瞭なのが間尺に合わぬ気がしたことだ。東京側は、音声明瞭なら万事伝達可能と信じているふしがあり、それも阿呆らしく思われた。
 機器が的確な伝達と描写を可能ならしめるのでない。眼前のおびただしい死は、機器などどうあれ、言葉に腐心してさえ容易に語れるものでなく、かりに描写できたにしても、東京のふやけた言葉には所詮なじまない。死はつまり、二カ所の端末間で接続不能の何かだった。
 通信機器は夏場のアメーバのように元気に増殖しているのに、言葉は瀕死ではないか。愛にせよ、怒りにせよ、意志の伝達がじつはいま、ことのほか難しい。
 孤独な風景は、機器で結んでも孤独なのだ。いや、機器でつなぎとめようとするから、かえって孤独なのだ。

 冒頭の電車の風景は病んでいるのだろうか、と自問するとき、荷風が五十七年前に記した車中風景が胸に浮かぶ。『断腸亭日乗』の十二月八日の項は「日米開戦の号外出づ」と書かれ「・・・・省線はいかにや。余が乗りたる電車乗客雑沓せるが中に黄いろい声を張上げて演説をなすものあり」と結ばれている。中野重治の短編「おどる男」のことも思い出す。こちらは、敗戦後の満員電車で人に潰されまいとぴょんぴょん飛び上がる短軀の男とこれをなじる女の話で、昭和二十四年の作品。東京の車中の人とは、戦争も平時も、うら哀しく、滑稽ではあったのだ。というより、痛々しかった。

 携帯電話のある風景を私は好かない。やかましく、何だか人も言葉もひしゃげている。しかし、これは私たち「大衆」(私の用語でないけれど)の像の、いつとても変わらぬ痛々しさというものではないかという気もする。病んでいるといえば、いつも病んでいるのであり、機器に言葉が蚕食されて、たたずまいが昨今ますます寒々しくなっているだけだ。
 本当は、警察の盗聴捜査合法化の動きについて書こうとしたのに、盗聴される側の貧相に気をとられ脱線した。ともあれ、この上盗聴とは、ちとつらい。風景はもうボロボロだぞ。

参考:辺見庸『眼の探索』




竹原・阿久根市政の最近の動き(報道)をまとめておきます。竹原・阿久根市政はまさに末期症状きわまれリの状況です。市民による竹原市長リコール運動も本格的に稼動し始めたようです。

さて、私はここ何回か小紙ブログで政治とジェンダーとの関わりについて述べてきましたので、竹原・阿久根市政とジェンダーの関係について少し私見を述べてみます。

阿久根市長問題は石原東京都知事問題、橋下大阪府知事問題とも密接に関わるポピュリズム政治の問題です。そして、ポピュリズム政治とは、ジェンダーとの関わりでいうならばジェンダー(活動)を危険視する思想を持つ政治及び政治家の謂といってよいと思います。

たとえば次のような具合です。

2002年 石原都知事の「ババア発言」を女性131人が提訴(日経ウーマンオンライン 2010年1月5日)
石原都知事がまた女性蔑視発言(アジア女性資料センター 2009年6月29日)
「橋下改革」に異議あり!──ドーンセンターの存続を求めて──(大阪府本部/自治労大阪府職員関係労働組合・総務支部)

そしてさらに竹原市長の阿久根市政はそのポピュリズム政治の悪しき系譜を受け継ぐ最悪の政治です。

阿久根ブログ市長の「革命」と橋下大阪府知事の「革命」の危険な類似性(CML 000196 2009年6月1日)
「ウケ狙いの政治の果て」(辛淑玉 週刊金曜日748号 2009年4月24日)

すなわち竹原・阿久根市政はジェンダー平等の課題にとっても最悪の政治形態というべきだろうと思います。

以下、竹原・阿久根市政の最近の動き(報道)です。

「法治国家揺らぐ」阿久根市長告発の弁護団(読売新聞 2010年6月10日)
 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長がまた告発された。

 降格処分を受けた職員3人を支援する弁護団が、処分取り消しを命じた市公平委員会の判定に従わない市長を地方公務員法違反容疑で鹿児島地検に告発する事態に発展した9日、弁護団は「首長が法律に従わない風潮が全国に広がれば、法治国家の原則が根本から揺らぐ」と語った。

 告発状では、竹原市長は故意に法律を無視していると指摘。県庁で記者会見した弁護団の増田秀雄弁護士は、竹原市長は確信犯であり、任意の取り調べにも応じない可能性があるとした上で、「強制捜査によってでも法治主義を保つべき」と述べた。

 また、竹原市長が職員や市議のボーナスを半分にする条例改正を専決処分した問題については、差額分を請求する訴訟の提起を検討していることも明かし、「違法な行政行為に対して、可能な法的手段を行っていく」と語った。

阿久根市 ボーナス半減 とばっちり 派遣の県教委職員も適用(西日本新聞 2010年6月10日)
 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が専決処分(5月28日付)した「職員のボーナス半減」が波紋を広げている。市教委に派遣されている県教委の男性職員3人(課長職1人、係長職2人)も、このままでは市条例に基づき、今月30日支給のボーナスから減額されるためだ。県教委は市教委に善処を求めているが、最悪の場合は派遣職員の引き揚げも検討するという。

 県教委によると、県内の全43市町村教委の要請を受け、幹部要員などに職員を派遣している。給与やボーナスは、派遣先の職員と同じ給料表で支給され、県教委在職時を下回っても補てんする制度はない。ただ派遣は「県教委と同等の給与(現給保障)」が条件で、給与が下がるケースはほとんどないという。

 今回の阿久根市の専決処分を受け、県教委は5月31日、県庁で同市教委の長深田(ながふかた)悟教育長代行に「(派遣した3人の)給与やボーナスは保障してほしい」と要請。長深田氏は「市長に伝える」と持ち帰ったが、9日までに返事はないという。

 3人のうちの1人は西日本新聞の取材に「取材には応じられない。市長に禁じられている」と心境は明かさなかった。

 ある市職員は「県との信頼関係を損ねる事態。これでは誰も阿久根に来なくなる」と心配する。県教委以外の県職員からも「身分保障は派遣の大前提。給与が不安定なところに行きたくない」「給与カットはどの自治体でもあるが、ボーナス半減はめちゃくちゃ」といった声が出ている。

阿久根市長を地方公務員法違反で告発(読売新聞 2010年6月9日)
 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が昨年4月の人事異動で降格させた職員3人について、職員を支援する弁護団は9日、降格を取り消した市公平委員会の判定に従っていないとして、市長を地方公務員法違反の疑いで鹿児島地検に告発した。

 昨年の人事異動では、課長級の50歳代男性が補佐級になるなど10人が降格し、うち3人が公平委員会に撤回を申し立てた。同委員会は今年2月、「不利益な処分を行う際は説明書を交付しなければならないとする地方公務員法に違反している」として、異動を取り消す判定をした。

 しかし、竹原市長は異動を取り消さず、弁護団は5月25日に市側に降格撤回を求める通知書を送付したが改善されないため、告発に踏み切った。

阿久根市 反市長派、臨時議会を請求 市長の専決処分多用 対抗(西日本新聞 2010年6月9日)
 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が「今の市議会は妨害勢力で無駄」と公言し、議会側の要請を無視して6月議会を招集する構えを見せない中、市議16人のうち議長を除く反市長派の11人が8日、市長に臨時議会の招集を連名で請求した。いつでも議長が議会を開会できる「通年議会」の条例制定案などを提出するとしている。

 地方自治法は、請求を受けた首長は20日以内に議会を招集しなければならないと定めているが、罰則はなく、竹原市長は周囲に応じないと話している。

 反市長派は臨時議会で、国・県に口蹄疫(こうていえき)対策を求める意見書案と、市長が専決処分で職員などのボーナスを半減した条例の再改正案も審議したいとしている。

 竹原市長は、議会に諮らずに専決処分で市政を運営する方針を宣言しているが、通年議会が実現すると、議会側はいつでも議員提案で、専決処分前の状態に戻すことが可能になる。

 請求者の一人の古賀操市議は「臨時議会も招集しなかった場合、総務省や県に是正勧告を直訴したい」と話している。

「阿久根市長の独裁やめさせよう」解職めざし事務所開き(朝日新聞 2010年6月9日)
 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長の解職を目指すリコール準備委員会(川原慎一委員長)が8日、同市内で事務所開きをした。参院選後に署名活動を始め、解職請求に必要な有権者の3分の1(約6700人)を上回る8千人の署名集めを目指す。

 「市長の独裁をやめさせよう」を合言葉に、20?40代の市民でつくる「阿久根の将来を考える会」(約50人)が母体となって発足した。

 名乗りを上げた賛同者を中心に、約50カ所の地区公民館で順次説明会を開き、参院選後に署名集めを始める。400人のメンバーが20人ずつ集める計画だ。

 事務所開きには約10人が参加し、壁に市内の地図を張るなどした。記者会見した自営業の川原委員長(42)は「リコール運動表明後、予想を超える反響があり、手応えを感じている」と語った。

(写真:阿久根の将来を考える会 市長リコールを決める)
天安艦事件についてあらたな展開の続報です。

それ以前の天安艦沈没事件についての詳報については下記をご参照ください。

■天安艦沈没事件 ―最終報告書発表以後の日韓の重要な論攷( 2010年5月29日)
■天安(チョンアン)艦沈没事件について ―メディアは総白痴化したのか!?( 2010年5月23日)

さて、あらたな展開とは下記の3点のことを言います。

第1点。いささか旧聞のことに属しますが情報整理のために挙げておきます。「北魚雷説」という「北風」で勝負をかけた韓国の与党ハンナラ党が地方統一選挙で惨敗を喫したこと。その惨敗の大きな原因のひとつに韓国軍主導の軍民4か国合同調査団の最終報告書に多くの韓国市民が疑問を抱いたことが挙げられています。

第2点は、天安艦沈没事件を調査していたロシアの専門家チームが北朝鮮魚雷説を否定した、ということ。

第3点は、米側からも韓国の調査結果を覆すような情報が漏れ始めた、ということ。AP通信は5日、「天安沈没直前、75マイル(120キロ)離れた海域で、米軍の駆逐艦2隻とその他の軍艦が韓国海軍の潜水艦を対象にした対潜訓練をしていた。クライトン在韓米軍スポークスマンは『訓練は3月25日午後10時に始まり、翌日午後9時に終了したが、その理由は天安が爆発したためだ』と語った」「匿名の米国防総省当局者が『天安事件は意図された攻撃と言うよりも、北の跳ね上がり分子の仕業か、単なる事故、もしくは訓練の不手際で起きた可能性がある』と述べた」と報道した、ということです。

第1点については下記記事のURLをご紹介することにとどめておきます。ご参照ください。

与党を惨敗に追い込んだ韓国の若者パワー(日本ビジネスプレス 2010年6月4日)

第2点については下記翻訳記事をご紹介しておきます。

「天安艦」事件について現地で調査を行なったロシア調査団の見解に関する記事が、今朝の韓国ビューズニュースの記事で報じられました。これさえも「誤報」だと言われれば返す言葉もありませんが・・・ 翻訳してご紹介します。蔡鴻哲(Chae Hong-Cheol)

ロシア調査団「天安艦沈没、北犯行の証拠なし」と言明
ロシア、韓国へ安保理協力せずと通報?李明博「天安艦外交」沈没
(韓国ビューズニュース 6月9日)

我が国の要請で訪韓し、天安艦沈沒原因を調査したロシア専門家チームが調査結果として、《北の犯行と断定することはできない》という立場を我が政府に通告して来たという報道が相次ぎ、李明博政府の「天安艦外交」が沈没の危機に陥っている。

李明博政府はこの間、李明博大統領とロシア大統領との通話などを根拠に、まるでロシアが韓国支持に回ったように主張して来たため、その衝撃はより大きいようだ。

読売新聞、時事通信など日本のマスコミは一斉にロシア・インターファックス通信と日本の外交消息筋などの言葉を引用してこのように伝えた。

インターファックス通信は8日、ロシア海軍首脳部の言葉を引用して、《韓国天安艦沈沒事件に対する韓国側の調査結果を検証したロシア専門家チームが韓国側調査結果では北朝鮮による犯行だと断定することができないという結論に達した》と報道したと読売新聞が8日の夜報道した。

ロシア専門家チームは合同調査団の報告書と天安艦船体を調査したが、《北朝鮮が関与したとするにはあまりにも証拠が弱い》と判断したとインターファックス通信は伝えた。

読売新聞は、《これによって今後の国連安全保障理事会で天安艦案件が扱われる場合、ロシアは消極的な姿勢で臨む可能性がある》と見通した。

時事通信も今日の夜明け、匿名の外交消息筋の言葉を引用して、《ロシアが韓国の民軍合同調査結果だけをもっては北朝鮮の犯行だと断定することができないという見解を韓国側に伝え、国連安保理を通じての対応措置決定に消極的姿勢を見せた事実が7日明らかにされた》と報道した。

消息筋によれば、ロシアのボロダフキン・アジア太平洋担当外務次官は去る3日、対北制裁に対する支持を要請するためにモスクワを訪問した韓国外交通商部のウィ・ソンラク平和交渉本部長に対し、《韓国の調査結果が北朝鮮の責任を問うことができる完璧な証拠にはならない》という見解を表明していた。

通信は、《韓国政府は去る4日、国連安保理に天安艦事件を提訴したが、中国が強硬に反対しているし、ロシアもこれに同調しているため北朝鮮に対する制裁と非難をもった決意案の採択は困難な情勢となった》と分析した。

これに先立って去る4日にも、香港鳳凰衛星TVは夕方のニュースを通じて、《天安艦事件を調査するために訪韓したロシア専門家チームが調査を終えて帰国しながら、随行したロシア人記者は「韓国が決定的根拠として提示した北朝鮮魚雷の信憑性などに対して、多くの疑問を申し立てた」》と報じた。

強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム
共同代表 蔡 鴻 哲(Chae Hong-Cheol)

第3点については上記記事に対する私の応答記事を下記に掲げておきます。ご参照ください。

松元さんが天安艦沈没事件を調査していたロシアの専門家チームの「北犯行の証拠なし」という情報を紹介してくださっていますが、もうひとつ、AP通信が「匿名の米国防総省当局者が『天安事件は意図された攻撃と言うよりも、北の跳ね上がり分子の仕業か、単なる事故、もしくは訓練の不手際で起きた可能性がある』と述べた」(2010年6月5日付)と報道していることも注目すべき情報だと思います。

朝鮮問題ウオッチャーの河信基氏はAP通信のこの報道について「李明博政権と距離を置きはじめた米側からも、韓国の調査結果を覆すような情報が漏れ始めた」注目すべき情報だ、と分析しています。

「注目すべきは、APが「匿名の米国防総省当局者が『天安事件は意図された攻撃と言うよりも、北の跳ね上がり分子の仕業か、単なる事故、もしくは訓練の不手際で起きた可能性がある』と述べた」と伝えていることだ」(河信基の深読み 2010年6月7日)

詳しくは下記ブログ記事をご参照ください。

天安艦事件検証?ロシア調査団が北魚雷説否定(河信基の深読み 2010年6月7日)

なお、韓国のハンギョレ新聞(英語版)がこのAP通信記事を詳しく報道しています。

S.Korea-U.S anti-submarine drill conducted night of Cheonan sinking(「天安沈没の夜、米韓で対潜水艦軍事訓練を行っていた」ハンギョレ新聞英語版 2010年6月8日付)

上記の邦訳を下記に転載しておきます。なお、河氏が指摘しているAP通信に匿名の米国防総省当局者が語ったという上記の注目箇所“may not have been an intentional attack at all, but the act of a rogue commander, an accident or an exercise gone wrong.”については河氏の訳によった方が問題の本質をつかみやすいと思います。

ハンギョレ新聞(英語版)の日本語訳(さとうまきこさん)

■「天安沈没の夜、米韓で対潜水艦軍事訓練を行っていた」(ハンギョレ新聞英語版 2010年6月8日付)

 「在韓米軍(USFK)は6月6日(日)、天安沈没の20分前に韓国軍と米軍とで、韓国の潜水艦が攻撃目標の役割を演じる対潜水艦訓練を(*沈没現場から)139km離れた場所で、行っていたことを公式に認めた。沈没以来初めて、韓米合同訓練の間に明確には何が行われるのかを具体的に話したことになる。

 AP通信は韓国現地時間土曜日(5日)に、天安沈没の前、一隻の韓国潜水艦が敵の役割を演じてそれを米軍の駆逐艦、その他の船で追跡する訓練をしたことを、それを話した米軍士官の名前を出して報道した。

 これに応じて、在韓米軍広報官ジェーン・クリクトン陸軍大佐は、その訓練が3月25日の午後10時に始まり、天安の船上での爆発のため、26日の午後9時に終了したと認めた。(*訳注「船上での」に注意: ...ended at 9 p.m. on March 26 due to the blast aboard the Cheonan.)

AP通信は、ベンニョン島付近でその日何が起こったかについてはまだ疑問点がいくつかあると、西欧の専門家が語ったことを伝えた。特に、この問題を話す権限はないからと匿名希望で語った一人の士官は、天安の沈没は「意図的な攻撃ではまったくなく、荒くれの指揮官の行為か事故、あるいは訓練の失敗であったかもしれない」と語った。

 AP通信は、その対潜水艦訓練は、3月初旬から11日間続いたコンピュータ・シミュレーションであるキー・リザルブ(コンピュータでの指揮)訓練のあと3月中旬に始まった、ファウル・イーグル(韓米軍事合同訓練)の一部であった。ファウル・イーグルには米海兵隊の実射訓練、戦闘機攻撃、都市型戦および対潜水艦訓練が含まれる。韓国防衛省のWon Tae-je広報官は、7日の定例ブリーフィングにて「3月26日午後2時から午後9時まで、北朝鮮の特別作戦部隊が海から侵入するのを阻止するという訓練が行われ、その間午後5時までずっと、対潜水艦訓練も行われていた」と語った。「午後9時以降、その訓練は終了し、従事していた様々な部隊は、命令により夜間パトロールを行っていた。」

 Won広報官はまた、この訓練は天安沈没の現場から170km離れたところで行われたので、沈没事件とは何の関係もなかったと語った。韓国と米国のそれぞれの説明において、なぜ訓練の地点が異なっていたかについて、ひとりの軍事専門家は、その距離差は海での移動型海洋訓練が数十キロの範囲に渡って行われるためであるかもしれない、と述べた。

*注:「キー・リザルブ」は指揮所演習、「フォール・イーグル」は実動訓練、韓国風に言うと「野外機動演習」です。しかしこれは一体として行われています。」(「へいけんこんブログ」2008/4/18)
http://heikenkon.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_0fc8.html?no_prefetch=1

平和の礎 15年もたつというのに どうしたんだろう あの 女 石垣りん詩集より

あるジェンダー関係のメーリングリストでジェンダー運動の「怒り」の主体(「怒り」の主体は女か男か、女も男もというべきか)について議論したことがあることはすでに述べました。

その議論の続きとして今回は「ジェンダー」と「政治」の関わりについて少し述べてみます。同メーリングリストで主としてジェンダー固有の問題を扱うメーリングリストに「政治」の問題を持ちこむべきではない、という議論があったからです。下記は問われている問題についての私の考え方です。ひとことで言って「ジェンダー」と「政治」は密接な関わりがある、というのが下記の論旨です。

ジェンダー運動に携わる多くの人たちにとっては常識の部類に属するといってもよいと思うのですが、フェミニズム運動のこれまでの最大の理論的功績といってもよいものは、いわゆる近代産業革命なるものが「女」に家事・育児労働という長時間労働にしてかつ不当な不払い労働でもある「主婦」なる職種を誕生させたこと、「男は外/女は家庭」という性別分業の倫理規範をつくりあげたこと、それは18世紀後半以来の「男性優位」社会の形成過程と密接にリンクしていること――を明々白々にかつ強い説得力をもって天下に知らしめたことにあるといえるでしょう。

近代産業革命と「男性優位」社会の形成が密接にリンクしているということ自体がフェミニズム運動と政治の密接な関わりをも雄弁に示唆していますが、しかし、この「フェミニズム運動のこれまでの最大の理論的功績」は、フェミニズム運動独自の理論的功績ではありません。マルクス主義理論の創始者のひとりのフリードリッヒ・エンゲルスは、盟友のマルクスの死後、そのマルクス理論のわかりやすい解説書を意図して『家族・私有財産・国家の起源』(1884年)という著書を著しましたが、同著は、人類社会が「母系制・母権制」から「父系制・父権制」へと変化してきたこととモノの社会的所有から私的所有への変化との関わりについて考察し、その私的所有の最終形態としてブルジョアジー(資本家階級)が生産手段を「私的」所有する資本主義的生産様式があること、その資本主義的生産様式が主に「男」を中心とした労働者をつくりだすとともに、その「男」の労働者の再生産活動を容易・円滑にするために労働者の日常における衣・食・住を安定供給するもっぱら「主婦」を専業とする「女」という家事労働者を必要としたこと、「男は外/女は家庭」という性別分業のメカニズムの初出、を明らめました。

上記のフェミニズム運動の理論がこうしたエンゲルスなどの先駆的理論を踏襲した上で、さらにその理論を発展させていったことは明らかですが、ここにもフェミニズム運動と政治の初期からの密接な関わりが示唆されています。フェミニズム運動、あるいはジェンダー運動だけを特化させて、政治とまったく、あるいはほとんど関わりがない、ジェンダー運動と政治はリンクさせるべきではない、などという主張は根拠のない誤った主張といわなければならないのです。むろん、フェミニズム運動やジェンダー運動に限らず、それぞれの社会運動に政治とは別の次元の独自性が求められるのはそれが独自運動であろうとする限り当然のことです。しかし、だからといって、政治の問題を忌避してしまっては社会運動はきわめて偏頗かつ自己閉塞的な視野の狭い運動にならざるをえず、それぞれが目指しているはずのところの社会の変革も望めません。フェミニズム運動創始のときにどうしてフェミニズム運動は政治との密接な関わりを保ってきたのか。そのことの意味について想いを馳せていただきたいものだと思います。

さて、現実の問題として、この4年ほどの間のジェンダー関係MLの政治問題としては東京都知事選、大阪府知事選問題があり、またアベ、アソウ問題、ハトヤマ、カン問題、フクシマ問題、レンホウ問題、民主党評価問題などなどがありましたし、いまもあります。しかし、政治の問題の提起のしかたはそれぞれによって異なります。いたずらに民主党を評価したり、またフクシマ氏を評価したり、またハトヤマ、カン氏を評価(しようと)したりすることがジェンダー関係のMLであったとすれば、その評価は危険である旨ジェンダー問題とはあえて断らずにたとえばフクシマ氏問題、あるいは社民党問題、あるいは民主党評価問題のみを俎上に載せることはありえます。それは見かけは政治問題だとしても、ジェンダー問題を考える上においてもその政党、政治家評価は危険であると警鐘を鳴らすという意味において、ジェンダー問題といってもよいものです。少なくとも前者の論がジェンダー記事として肯定できるものであれば、後者の論、もしくは記事は肯定できないなどという理屈は成り立ちようがありません。肯定記事も否定記事も同様の問題を記事にしているという点では同質であるいうべきだからです。しかし、そういうことに気づかない方が少なくないように思われます。残念なことです。そういう態度は少なくとも理論的態度としては公平な態度とはいえないだろう、ということを指摘しておきたいと思います。

また、「政治」の問題に関連して、「基地問題」や「平和の問題」は、ジェンダー関係MLになじまない主題というべきではないか、という意見がありますが、私は「基地問題や平和問題」の課題をジェンダー(という特定ジャンルの課題を標榜するメーリングリストであったとしても)の課題から排除すべきではないと思います。「基地問題」や「平和問題」を固有の問題として特化することとジェンダーの課題の関わりの中で「基地問題」や「平和問題」を述べるということとは違います。

2年前の5月に31カ国、延べ3万5000人が参加して千葉・幕張メッセであった「9条世界会議」(共同代表:池田香代子さんら3人)で採択された「9条世界宣言」の冒頭には女性たちのたたかいにとって象徴的な次のような一節が記されていたことをご記憶されておられる方も少なくないのはないでしょうか。

「人類は、戦争のない世界に向けてたえず努力してきた。歴史の中で、土着の伝統や偉大な人物たち――とりわけ女性たちは戦争に積極的に反対してきた――は、たえず人類を平和へと導こうとしてきた。」

同宣言の世界のすべての政府に対する提言の6項目にも次のような提言が記されていました。

「平和をつくる主体として女性が果たす重要な役割を認識するとともに、国連安保理決議1325を実行して、あらゆる意思決定と政策策定の場に女性の完全かつ積極的な参加を相当数保証すること。」

上記は、ジェンダーのたたかいは戦争と平和の問題でもあるという世界の女性の認識の宣言といってもよいものです。女性たちのジェンダーのたたかいは、ジェンダー固有の問題に限らず、戦争の問題、基地の問題、さらには環境の問題などなどさまざまな分野においてその戦線が拡大、構築されているというのがいまのジェンダー戦線の現状です。そのさまざまな戦線にわたるジェンダー問題をジェンダー固有の問題だけに限るというのは、なんとも現状にそぐわないアナクロニスティックな考え方と言わなければならないのだと私は思います。
前掲エントリー「中国の人権と東洋の知恵」にCML上で下記のようなコメントがありました。

(前略)
 このMLでは議論はしない約束ですから、ご反論を必ずしも期待しないのですが、一応、ご投稿を読んで感ずるところを述べさせてください。

 イスラエルの多数のユダヤ人は、パレスチナでは自分たちがアラブ人に譲歩していると教え込まれていると思います。
 
 彼らの信ずるところでは、旧約の神の約束によってカナンの地は彼らのものなのです。

 私は、旧約創世記第9章に問題があると思います(エホバがヘブライ人にカナンの地を約束した本来の理由が書いてあり、それは明らかにヘブライ人のエゴによるこじつけのでっち上げです)。

 彼らを外側から変えることは不可能でしょう。彼らの内面を支えるあの父権的な邪教と、ホロコーストなどというホラが変わらないうちは。
 
「広い国土と他のどの国とも違う特殊な事情を抱えつつ、長期的には民主化に向かっていて、でもまだ圧倒的な時間差がある中国と、どう付き合うか。主体と客体とを厳密に分ける、欧米的なシンプルでストレートな批判だけで、この時間差を埋めることができるでしょうか。/ここは東洋の知恵、日本の知恵が試されているのではないかと思います。日本人はあまりにも、欧米的な発想や方法論しか持てなくなりました。もう一度、欧米化する前に日本人が持っていた知恵と方法論を、思い出す必要があるでしょう。」(注:川西玲子さん)

 これには賛成できません。欧米的なシンプルでストレートな批判と言いますが、元来人権侵害の本家だった白人がシンプルでストレートにものを言うこと自体が傲慢になりかねない、ということのほうが重要ではないでしょうか。
 「お前にゃ言われたくねえよ」というのが、中国人の気持だろうと思うのですが。
 これは、西洋と東洋だとか、日本だとかいう問題ではないと思います。
 しかも日本は、先の大戦で中国人の人権を最大限に蹂躙した当の国ですから、日本人がいくら東洋の知恵を発揮しても、やすやすと中国人のふところには飛び込めないかもしれません。

 川西さんという方が「懐に飛び込む」努力をされていることは多とすべきでしょうし、その人の目から見て、最近の日本人(ほんとに最近だけ?)が「懐にとびこむこと」ができなくなったと嘆かれるのも、現実にそういうことがあるのだろうとは思いますが、それは、目下の対中国の問題とは別のような気がします。

 それは、日本人が西洋人に近くなったからではなく、明治以来のアジア人に対する傲慢さをあいかわらず引きずっているからではないでしょうか。

 同様に、たとえばいま、対イラン強行姿勢を見せて、それでイラン国内でアフメディネジャド支持率が低下するのを期待したが、逆の結果になったところなど見て、これを西洋人の傲慢さだとは思っても、西洋的思考法のせいだとは、誰も思わないでしょう。

 それにひきかえ、戦後の日本の男女平等を保障してくれた憲法第24条がベアーテ・シロタさんという弱冠21歳の白ロシア系米国人女性の奮闘によるものだったことは、決して単なる偶然ではありません。

 私がこのようなことを言うのは、小泉改革の旗振りから批判派に転じた中谷巌のような、一辺倒の日本の伝統礼賛、悪いことはみな西洋という、にわか攘夷派に、つねづね嫌悪を覚えるからです。

 本物の中国通が必要、という言葉は覚えておくに値します。対アメリカ、対欧州などでも、向こうにいて、現地の情報を送ってくるマスコミなどの人間はなんだろうと思うことが多いですから。

下記は上記のコメントに対する私の応答です。

萩谷さん、コメントありがとうございます。

ただ私は、標題記事の著者ではありませんので、萩谷さんご指摘の件についてコメントする立場にはないように思います。が同時に、同記事を「共感」する立場から転載しているのももう一方の事実ですので、その範囲内のこととして少しだけ応答させていただきます。

萩谷さんが問われている問題は重要かつ難しい問題ですが、川西さんが言われる「東洋の知恵、日本の知恵」の中には、「日本人が(略)明治以来のアジア人に対する傲慢さをあいかわらず引きずっている」「日本は、先の大戦で中国人の人権を最大限に蹂躙した当の国」という認識と自覚も含まれているように思います。

だから川西さんは、中国の人権状況について、「国際人権規約に反する」とか「『弁護士の役割に関する国連の基本原則』に反する」とかいう国際法の「人権」規定を盾に取った「主体と客体とを厳密に分ける、欧米的なシンプルでストレートな批判」、ものごとを「正」と「邪」などと二項対立的に区分して「明解」に批判する「(「西欧の知」流の)正義」の姿勢では問題は一向に解決しないだろう、と指摘されておられるのだろう、と思います。その川西さんのご認識は、萩谷さんのご認識ともそう遠くないところにある、というのが私の理解です。

「私がこのようなことを言うのは、小泉改革の旗振りから批判派に転じた中谷巌のような、一辺倒の日本の伝統礼賛、悪いことはみな西洋という、にわか攘夷派に、つねづね嫌悪を覚えるからです。」(注:萩谷さん)

上記の萩谷さんの「嫌悪」感は私も共有します。

荻谷さんからはさらなる応答があり、その応答に対する私の「日本の知恵」とはなにか、という感想もあるのですが、そのことを論じるには一篇の論文を書くくらいの用意が必要ですので本エントリーは一応これで閉じることにします。

参考:
「意識と本質―精神的東洋を索めて」 (井筒 俊彦 岩波文庫 1991)
「イスラーム文化?その根柢にあるもの」(井筒 俊彦 岩波文庫 1991)




中国の人権と東洋の知恵に関しての弁護士の河内謙策さんと映画評論家の川西玲子さんのあるメーリングリストでのおふたりの会話(応答)を小紙ブログにも転載させていただこうと思います。

川西さんのご論には特に共感しました。

私の近しい知り合いの娘さんは今年大学院を卒業して某新聞社に就職したのですが、大学院では中国語を専攻していました。彼女が大学院に進学する際の志望動機を見せてもらったことがあるのですが、大学生時代に中国に短期留学したときの経験が書かれていて中国と日本の現況というか、いまの両国の関係性を非常に憂えている様子が伝わってきました。またそれとは別の話ですが、彼女には韓国の友人がいて、その友人と一緒に買い物をした際のいわれなき朝鮮人差別に激しく憤ったことがあるけれども、なにも言うこともできずにすごすごと帰ってしまったという挫折のエピソードも記されていました。

こうしたまっとうな感性を持つ若い人たちに川西さんのおっしゃる中国人との「揺るぎない信頼関係」を築くことのできる「本物の中国通」に育ってもらいたいものです。できうればすくすく、と。「木は規に依って直く人は人に依って賢し」ということわざを思い出しました。

以下、おふたりの会話(応答)




河内謙策さん:
(前略)
 中国の人権状況について私が入手した情報を、シリーズの形で発信させていただきたいと思います。ただ私の能力等の問題もあるため、不定期で、気ままな発信になります。お許し下さい。

 さて、私が、先日、6月18日と25日に行われる[中国人権派弁護士にたいする支援と連帯を考える集い]の案内を差し上げたところ、私の友人から、アムネスティの声明があったら教えてほしい、というお尋ねがありました。アムネスティの声明は以下にアクセスしてください。

 http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=790

アムネスティの声明は、立派なものです。私には、声明の中で、中国政府に対して、「弁護士の役割に関する国連の基本原則」の遵守を求めていることが目に入りました。私は不勉強で上記の基本原則の認識がなかったので、早速手に入れて翻訳してみました。その16項、20項に以下の文章がありました。

16 政府は、弁護士が、(a)脅迫、妨害、嫌がらせ、不当な干渉を受けることなしに 職務が遂行できるように、(b)その国の中においても、外においても、自由に旅行 し、彼らの依頼者と自由に相談ができるように、(c)弁護士の職業的義務、スタンダード、倫理に一致しているすべての活動が、刑事的訴追、行政的処分、経済的 あるいは他の形での制裁によって脅かされることのないようにしなければならない。

20 弁護士は、裁判所において、あるいは裁判官や他の法的機関や行政当局に対して、彼らの職務の遂行の形で、口頭または文書で述べられた誠実な発言に関し、民事的あるいは刑事的に責任を問われることはない。 

 以上によれば、中国政府の人権派弁護士に対する迫害・抑圧が国連の定めた基本原則にも反することが明白です。

 したがって、中国政府の人権派弁護士に対する迫害・抑圧は必ずやめさせなければならないし、人権派弁護士に対する迫害・抑圧を続ける中国と日本の真の友好はありえない、自由で民主的な中国こそが私たちの隣国でなければならないと思うのです。
(後略)




川西玲子さん:
川西玲子です。
(前略)

全く同感です。

問題は、どうすれば中国がそうなるのかということですね。

イスラエルを国際社会は60年批判してきましたが、事態は改善させるどころか、ひどいことになっています。あの独特の精神構造は、外側からの批判で崩せるものなのでしょうか。

中国の場合、長い圧政の歴史があり、近代化も民主化もないままに、また新しい専制が始まったわけです。そして経済成長が軌道に乗って、やっと中間層が形成されたところです。以前と比べると、驚くほど自由に意見が言えるようになりました。

先日は歴史の人気教師が毛沢東を、ヒットラーやスターリンと並ぶ専制者だとTVで発言。降板になりましたが、ネットでは言論の自由を守れという声もあります。一方で、試験的に始めている村レベルの選挙では、しばしば乱闘が起き、武装警察が出動してやっと収まったこともあります。政府だけではなく国民も荒っぽいわけです。

広い国土と他のどの国とも違う特殊な事情を抱えつつ、長期的には民主化に向かっていて、でもまだ圧倒的な時間差がある中国と、どう付き合うか。主体と客体とを厳密に分ける、欧米的なシンプルでストレートな批判だけで、この時間差を埋めることができるでしょうか。

ここは東洋の知恵、日本の知恵が試されているのではないかと思います。日本人はあまりにも、欧米的な発想や方法論しか持てなくなりました。もう一度、欧米化する前に日本人が持っていた知恵と方法論を、思い出す必要があるでしょう。

一つは、相手の懐に飛び込むということです。こういうことができる日本人がいなくなったということを、私は残念に思っています。私なりに努力はしていますが、あまりにも非力で。

日本には今、本当の中国通がいません。いるのはチャイナウッチャーだけ。何なんですかね、今あちこちにいるチャイナウォチャーって。知ったかぶりの浅薄な情報を流しているだけです。

中国と胸襟を開いた対話をするには、本物の中国通が必要です。そして揺るぎない信頼関係が必要なのだと思います。これなくして中国に何を言っても、あまり効果がないように思えます。

(写真1:天安門事件)
(写真2:天安門事件を伝える報道)

私の6月3日付エントリー記事「手を変え品を変えた民主党擁護論に疑義を呈す」に「ご指摘のブログ記事と東本さんの主張では、訴える層に食い違いがあるのです。ブログ記事は、自民と民主を比較して、辺野古に舞い戻ったついでではないでしょうが、いま民主から自民へと戻る潮流に歯止めをかけることが狙いです。訴える層は民主を離れて自民に戻ろうとしている有権者層です」という指摘がCML(市民のML)上でありました。

以下は、その指摘に対する私の応信です。私はこの応信でNPJ(インターネット紙)編集長の日隅氏の言説を批判していますが、あくまでも私が批判しているのは「日隅氏の言説」、それもNPJ紙という革新的市民メディアにおおやけにされた「日隅氏の言説」です。いうまでもなく日隅氏という一個の革新的人格を貶める意味での個人批判を意図するものではありません。NPJ紙は革新的市民メディアとしてきわめて貴重なメディアだけに一度は私のような率直な感想を言っておくべき必要があろう、と思っての上の批判ということでもあります。

CML上の指摘は「ご指摘のブログ記事と東本さんの主張では、訴える層に食い違いがあるのです。ブログ記事は、自民と民主を比較して、辺野古に舞い戻ったついでではないでしょうが、いま民主から自民へと戻る潮流に歯止めをかけることが狙いです。訴える層は民主を離れて自民に戻ろうとしている有権者層です」と言います。

しかし、私は、日隅さんのブログ記事と私のメール記事とでは想定する訴える層に多少の違いはあるかもしれませんが、それほどの食い違いがあるとは思いません。日隅さんのブログ記事は日隅さんの個人ブログ記事であるとともに彼が編集長を兼ねているNPJにほとんど毎日掲載されている実質的なNPJ記事ともいってもよいものだろうと私は思います。彼はNPJの編集長を兼ねているわけですからなおさらでしょう。

そのNPJの読者は奈辺にあるのか。もちろん部外者の私には明確なところは不明ですが、NPJでとりあげられている記事の執筆者は「NPJオリジナル記事」「NPJお薦め論評」「NPJお薦めブログ」「NPJお薦めHP」を含めて多彩で、別にレッテル貼りをするつもりはなく、あくまでも便宜的に次のように言ってみるだけのことですが、共産党支持者と思われる人から、社民党支持者、民主党支持者と思われる人までいます。読者も左記におおよそ呼応しているものと思われます。自・公支持者の読者はそれほど多くはないでしょう。日隅さんの記事の意図が仮に「民主から自民へと戻る潮流に歯止めをかけること」を狙いとするものであったとしても、実体として影響を与える層は民主から自民へと戻ろうとする層ではなく、中間層的な思想を持つ、すなわち思想的な定住性を持たないいわゆる革新無党派層だろう、というのが私の見るところです。その思想的な定住性を持たない中間層に民主党に対する「政権交代」幻想を与え続ける危険性、政治革新にとってのマイナスの作用を私は日隅さんの記事に見るのです。私が日隅さん(だけに限らないわけですが)の記事を批判する意図はそういうところにあります。

なるほど「自民への回帰を回避する運動・言葉と、自民・民主ではなく共産・社民へと促す運動・言葉」とは違うものであってしかるべきでしょう。が、上記に見たように「訴える層」は別の層ではなく、存外同じ層なのです。その同じ層の読者に「偏った擁護論的言論」を説くその危険性の問題を私は指摘しているつもりなのです。では、どのような言論を起こせばよいのか。難しい問題ですが、自民の政権回帰を許さず、その意味で民主党の肯定の側面を一定評価しながらも、民主党の否定的側面を糾し、革新政治の方向性を志向する。そうしたバランス感覚の取れた言論が求められているように思います。

しかし、日隅さんを一個の典型とする言論の型は「1人の中で偏った擁護論的言論」というべきもので、繰り返しになりますが、私は日隅さん(だけに限ったことではありませんが)の言論に政治革新(なにをもって「政治革新」というのかは議論のあるところですが、その問題はここでは措いておきます)に寄与しない危ういものを感じます。

「パラノイア」という表現については、日隅さんなどなどの民主党擁護の言論をこの1年ほどの間見続けてきて、彼の意図するところが奈辺にあるのかという問題を超えて、パラノイア的になってきている、というのは私の見るところです。私はこの場合の「パラノイア」という表現を不適切なものとは考えていません。

ある議論をしているとまあ、まあ、まあ、ととりなす人が現れます。日常茶飯に見る風景ですが、ある日、私もまあ、まあ、まあと言われました。

そのまあ、まあですが、深い親愛の情に基づくまあ、まあもあります。

茨木のり子さんの「祝婚歌」(吉野弘全詩集所収)という文章から、まあ、まあの事例。 

 今から二年ほど前、吉野さんは池袋駅のフォームで俄かに昏倒、下顎骨を強く打ち、大怪我された。歯もやられ、恢復までにかなりの歳月を要した。どうなることかと心配したが、その時、私の脳裡を去来したのは、若き日の吉野夫人の心配症で、あれはあながち杞憂でもなかったということだった。
「電話一本かけて下されば、こんなに心配はしないのに」
 ところが、一々動静を自宅に連絡するなんてめんどうくさく、また男の沽券にかかわるという世代に吉野さんは属している。売りことばに買いことば。
 吉野さんはカッ!となり、押入れからトランクを引っぱり出して、「お前なんか、酒田へ帰れ!」
 と叫ぶ。
「ええ、帰ります!」
 吉野夫人はトランクに物を詰めはじめる。
「まあ、まあ、」
 と、そこへ割って入って、なだめるのが、同居していた吉野さんの父君で、それでなんとか事なきを得る。

上記の文章にある「吉野さん」とは詩人の吉野弘さんのことです。この吉野さんの父君のまあ、まあは慈愛のまなざしを持ったまあ、まあです。こういうまあ、まあであればもちろんいいわけです。「それでなんとか事なき」も得たわけですから効用もあります。

しかし、あるときのまあ、まあについての私の返信。

あなたのまあ、まあの言葉を聞いて、私にすぐに思い浮かんだのは辺見庸の次のような言葉です。

「まっとうな怒りをせせら笑い、まあまあととりなして、なんにもなかったように見せかける(略)。記憶するかぎり、老いも若きもこんなにも理念をこばかにし、かつまた、弱きを痛めつけ強きを支える時代ってかつてなかった。これほど事の軽重をとりちがえながら賢し顔を気取っている時代もなかった。(略)そこには凛呼たるものが何もない。右も左も凛然としないことをもって、主体が消え、責任の所在が隠れ、満目ひたすら模糊とした風景・・・・」(『眼の探索』「言葉と生成」 1998年)。

賢し顔を気取ったまあ、まあはその人の教養の底が見えてくるだけに不快なものです。

私はあるジェンダー関係のメーリングリストで政治とジェンダーの関わりに関して「ジェンダー運動の発生はおそらく心の底からの怒りです」ということを述べたことがあります。ある人から次のような反論が来ました。「心の底から怒っている主語が抜けています。怒っているのは、(あなたのような男性ではなく)女性です」。

その反論に対する私の返信。

しかし、私は、「怒り」の主語は、「女性」という集合名詞ではなく、「女」という性を持った一個のXという女の固有名詞だろうと思います。「怒り」が抽象的なものではなく、具象的なものである以上、その主体はあくまでも一個の人格を持った「Xという女」というべきだからです。それがXのn乗の集合体となったとしても本質は同じです。「怒り」の主体が一個の人格である以上、そこに「男」という性を持つYが女の怒りに共感して「怒り」の主語になったとしても不思議なことではありません。女という性の怒りが身内から湧き出る怒りであるとすれば、男という性の怒りは不条理への怒りです。そして、その不条理への怒りも身内からの怒りにほかならないのです。そこにそれほどの区別をする理由はありません。ジェンダーという考え方もおそらくそういうところから生まれたものでしょう。

一個の女(Xのn乗)の怒りを女性一般の怒りへと抽象化しようとするとき、そこにはおそらく「凛然としない」なにか、「主体が消え、責任の所在が隠れ」るなにかが零れ落ちます。

日本のフェミニズム運動はその零れ落ちるものを拾えずに、逆に進んでつくりだしたということはないか。たとえば、「怒っているのは女性だ」という具合に。理論的にも不確かで危ういそれらの排除、あるいは無知の思想を排除とも無知とも気づかず進んで拡散してきたということはないか。

日本のフェミニズム運動が現在抱えている問題群の一端がそこにあるように私は思います。

これまで「怒り」について述べてきましたので、最後に「怒り」にまかせて書くことと「怒り」の表現との違いについて少し述べておきたいと思います。

山口泉という作家をご存知の方は少ないでしょうが、かつて山口は「怒り」について次のように語ったことがあります。

「人間のあらゆる感情のなかで、最も清潔なものは何だろう? それは怒りであると、私は思う。/的確な論理と厳密な倫理とに裏打ちされた、ほんとうの怒りとは、何と清潔な感情であることだろう」(『世界』1996年6月号)

また、

「『怒り』こそ真正の意味で論理的な表現というべきではないか」(『松下竜一 その仕事』第15巻「砦に拠る」解説)

上記の「砦に拠る」の解説では、山口は、百姓の「怒り」について書いています。一般に百姓は無教養で、「的確な論理と厳密な倫理」など持たないものと考えられています。その「的確な論理と厳密な倫理」を持たない百姓の怒りが「真正の意味で論理的」とはどういう意味でしょう。たしかに百姓は論理的に言表することはできないけれども(ここでの「百姓」という表現は、いうまでもなく象徴的な意味合いにおいてのものです。むろん、蔑みの意味はまったくありません)、その長い困苦が皺となり、痩せさらばえた心骨から発せられる(た)「怒り」の聲の中にこそ「真正の意味で論理的」なものがある、「清潔な感情」がある、と山口は言っているのだろうと私は思います。

「怒り」の表現は、一般にアプリオリに暴力的なものとみなされ、世間から異端の目で見られ、かつ排除される傾向を持っています。しかし、「怒り」の表現にはそういうものもあろうが、必ずしもそうではない。「怒り」の表現の中にこそ、人間の真実の聲を聞くべきではないか。怒りの聲は、その人間の真実の聲の吐露という意味で「真正の意味で論理的」なものである、と山口は言っているのだろうと思います。


民主党両院議員総会で退陣を表明
し、辞任する小沢幹事長と言葉を
交わす鳩山首相=2日午前 国会
で 東京新聞より

「快挙」「同感しました」というコメントつきで「国家公安委員からマスメディアをはずし弁護士任命?これだけで民主党政権を継続させねばならない理由十分」というブログ記事(「ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)」ブログ 2010年6月1日)が一部の人たちの賛同を得て出回っています。

おそらく出回っているブログ記事の「これだけで民主党政権を継続させねばならない理由十分」という見出しと「民主党は、本気で日本を民主主義国家としようとしているのかもしれない、と改めて期待する気持になることが最近発表された」という同記事の冒頭の文言が一部の人たちの感性にマッチしたということなのでしょう。

ブログ筆者に「民主党は、本気で日本を民主主義国家としようとしているのかもしれない、と改めて期待する気持」を抱かせた民主党の施策とは「国家公安委員会人事」のことです。その人事の重要性についてはマスメディアをはずし弁護士を任命したという意味でブログ筆者の言うとおりなのでしょうが、しかし、同人事案件ひとつをとって「民主党は、本気で日本を民主主義国家としようとしているのかもしれない」などと大騒ぎするのはなんとも貧相な政治観だというほかありません。

この人びとにとって、民主党の普天間問題についての沖縄県民に対する「『最低でも県外』と首相自ら公約しながら県民の心を8カ月間ももてあそび、『辺野古現行案』に回帰するという公約違反の裏切り行為」(琉球新報社説、2010年6月1日付)は問題ではないのでしょうか? また、いままさに民主党政権によって強行的に採決されようとしている郵政法案、また解釈改憲準備のための法案とされる内閣法制局長官の答弁禁止をねらった国会法「改正」法案、派遣労働者の悲惨な現状を固定化するものだとして批判の多い労働者派遣法「改正」法案の成立は問題外のことなのでしょうか? またさらに高校授業料無償化からの朝鮮人学校排除、夫婦別姓等民法改正問題などの積み残されたままの課題は問題とするほどのものではないのでしょうか? また、議会制民主主義のもとにおける有権者の多様な意思の表明を困難にすると批判の多い民主党の衆議院比例区議員の定数80削減の提案は問題ではないというのでしょうか? そうした問題、課題をすべて吹き飛ばしてもよいほど国家公安委員会人事案件は「これだけで民主党政権を継続させねばならない理由十分」といえるほどの政治案件といえるのでしょうか?

手を変え品を変えた鳩山擁護論(それはすなわち手を変え品を変えた民主党擁護論ということにもなるのですが)が次から次へと出てきて私は閉口しきっています。

鳩山首相はきょうの首相辞任表明の中で「国民の皆さんが、徐々に徐々に聞く耳を持たなくなっていってしまった、そのことは残念でなりません(略)。その原因、ふたつだけ申し上げます。そのひとつは普天間の問題でありましょう」と、普天間問題についての首相としての自身と自身の内閣の失政が自らの内閣の不信を増幅させた大きな原因のひとつになっていることを認め、反省の弁を述べていますが、その反省は、「社民党さんに政権離脱という厳しい思いをお与えしてしまったこと」への反省でしかありません。

同辞任表明では肝心の普天間基地の「移設」問題それ自体については、「私は本当に沖縄の外に米軍の基地をできるだけ移すために努力しなければいけない。その思いで半年間、努力してまいりましたが、結果として県外にはなかなか届きませんでした」と、「少なくとも県外」と言い続けてきた自身の主張を合理化しています。またそればかりでなく「日米が信頼関係を保つということが、日本だけでなく、東アジアの平和と安定のために不可欠なんだという思いのもとで、残念ながら、沖縄にご負担をお願いせざるをえなくなりました」と、自民党政権時代の辺野古移設案より悪質と指摘されている同内閣の今回の辺野古移設回帰案を逆に正当化し、反省はみられません。

鳩山首相は上記の辞任表明でも「結果として」という言葉を連発していますが、先の5月28日の日米共同声明発表の際の首相記者会見でも「結果的に」という言葉を連発していました。この「結果的に」という言葉の軽々しさ、「首相としての責任や主体性」のなさについて早稲田大学教員の水島朝穂さんが次のような指摘をしています。

「首相会見で最も違和感があったのは、謝罪の言葉が『結果的に』という言葉とセットで使われていたことだろう。 『沖縄の皆様方を結果的に傷つけてしまうことになったことに対して心よりおわび申し上げる』『結果として、福島大臣を罷免せざるを得ない事態に立ち至った…ことは誠に申し訳ない思いでいっぱいである』等々。自分としては不本意だが、流れのなかで仕方なしに傷つけた、あるいは罷免したのだと言いたいのだろう。ここには、首相としての責任や主体性はまったく感じられない。」(水島朝穂 今週の「直言」 2010年5月31日)

また、「Afternoon Cafe」ブログ筆者の秋原葉月さんは鳩山内閣、また民主党擁護論について次のような指摘をしています。

「いまだに鳩山内閣がこんな判断(東本注:辺野古移設回帰)を下したのは官僚のせいだという意見もあるようですが、無知で無垢な子供じゃあるまいし、なんでも他人(官僚)のせいにしてはいけません。鳩山首相や岡田外相が狡猾な官僚の被害者というなら、アベシンゾーやアホウ太郎も、官僚に騙されてた可哀想な被害者ではないですか。」(Afternoon Cafe 2010年05月28日) 

「しかし、鳩山内閣、あるいは民主党による支配をあからさまに擁護する言論もよく見かけます。私にはそれはたんなる贔屓の引き倒し、トンデモ詭弁に感じられてなりません。政権交代自体を目的化してしまい、神聖視してしまったせいでしょうか?」(同上 2010年05月31日

「政権を担当するのが自民党政権であれ民主党政権であれ、社民党政権であれ共産党政権であれ、政府というものは国民の生活を向上させるために『国民が雇う使用人』にかわりないはず。なのに何故鳩山内閣に限って甘やかすのでしょうか。鳩山内閣のために国民があるのではなく、国民のためになる結果を出してもらうために鳩山内閣を雇ってるのです。あんな最悪の結果しか出せなければ解雇されて当然ではないのでしょうか」(同上)

上記の水島さんや秋原さんの鳩山擁護論批判、また民主党擁護論批判は、ふつうの市民感覚による批判だと私は思うのですが、このふつうの市民感覚の批判が鳩山擁護論者、また民主党擁護論者には通じないのです。まったくクエスチョンというほかありません。「政権交代自体を目的化してしまい、神聖視してしまったせい」としか私にも思えません。もはや鳩山擁護論(次の首相が選ばれれば同首相の擁護論ということに変化するのでしょうが)、また民主党擁護論はパラノイアの領域に踏み込んでいる感がある、というのが私の診断です。