(写真:社民党の全国幹事長会議に臨む福島党首
=30日午後 東京新聞より)

社民党は土壇場の土壇場で踏みとどまりました。

社民党がこれ以上つべこべ理屈を述べて連立を離脱しなければ、おそらくこれまでのおおかたの社民党の支持者からも三行半をつきつけられて社民党という政党は終焉を迎えるところだったでしょう。私も二度と社民党に投票しない覚悟でした。そして、社民党を今後一切「革新」とみなさない覚悟でした。また、社民党を「革新」とみなす者と袂を決定的に分かつ覚悟でした。

社民党のために乾杯!! そして、私のためにも。

社民 連立政権から離脱を決定(NHK 2010年5月30日 16時11分)

社民党は、常任幹事会で、普天間基地の移設問題をめぐり、鳩山連立政権から離脱することを決めました。

社民党の福島党首は、普天間基地の移設問題で、28日、名護市辺野古への移設を盛り込んだ政府方針について、閣議での署名を拒否したことから、鳩山総理大臣に大臣を罷免されました。これを受けて社民党は、30日午前、常任幹事会を開き、今後の対応を協議した結果、普天間基地を名護市辺野古に移設するとした閣議決定の撤回を求め、それが受け入れられなければ連立政権から離脱するとした執行部の方針を決めました。これに続いて、地方組織の代表者を交えた全国幹事長会議が開かれ、福島党首は「名護市辺野古の海に基地を作ることは、沖縄県民に新たな負担と犠牲を強いるものだ。社民党は、このような決定、政治に加担することはできない」と述べました。そして、執行部の方針について議論した結果、地方組織の代表からは「政府が、閣議決定を撤回する可能性はなく、この場で連立離脱を決めるべきだ」などといった意見が相次ぎました。これを受けて、社民党はあらためて常任幹事会を開き、福島党首を罷免したことは社民党の方針の否定で、沖縄県民の声を踏みにじるものだとして、鳩山連立政権から離脱することを決めました。社民党の福島党首は記者会見し、「きょう常任幹事会、全国幹事長会議で、政権を離脱することを決めた。きょうの議論のなかで、全国の党員、地方組織の幹事長から『閣議で署名しなかったことはよかった。筋を通してよかった』と言ってもらえた。引き続き、新しい政治を作るため努力していきたい」と述べました。また、福島大臣は辻元・国土交通副大臣の進退について、「社民党に割り当てられたポストであり、辻元氏本人が前原国土交通大臣に辞表を提出することになる」と述べました。
阿久根市でついに竹原・阿久根市長リコールのための市民準備委員会が設立される運びとなりました。


昨日の29日、阿久根市では同市の市民団体「阿久根の将来を考える会」(川原慎一会長)が主催する竹原市政について意見交換する第7回目(最終回)の連続懇談会が開かれましたが、同懇談会の席上、これまで市内6カ所であった懇談会で回収した約190人分のアンケート結果を公表。市長の議会出席拒否や、職員の懲戒免職処分取り消しを命じた地裁判決を無視していることを「支持しない」とする人が97%を占めたことが紹介され、会場の市民会館に集まった約300人の阿久根市民によって竹原信一・阿久根市長をリコールするための準備委員会を設立することを決定した、ということです。

阿久根市長 リコールの署名へ[動画が見られます](NHK 2010年5月30日)
阿久根市長リコールへ 市民団体が準備委発足(南日本新聞 2010年5月30日)
阿久根市長リコール準備委、参院選後署名集め(読売新聞 2010年5月29日)
阿久根市長:市民団体がリコール運動へ(毎日新聞 2010年5月29日)
阿久根市長のリコール運動、市民団体が開始へ 参院選後(朝日新聞 2010年5月29日)

折から同懇談会が開かれる2日前の28日には竹原・阿久根市長は、市職員や議員らの今年のボーナスを半額カットするというあまりにも非常識な条例改正を市議会に諮らずに専決処分(注)し、公布するという暴挙を強行したばかりです。同市長をリコールするための準備委員会を設立するという阿久根市民の今回の判断はけだし当然の判断であった、というべきでしょう。


注:阿久根市長の専決処分の問題性については下記をご参照ください。
鹿児島・阿久根市長の新たな暴挙と竹原・阿久根市長リコールの提案

さて、阿久根市の現有権者は2万66人(2010年3月2日現在)。リコールには約6700人分(有権者の3分の1以上)の署名が必要になりますが、上記懇談会で川原会長が「以前の阿久根を取り戻したい。どのような抵抗があっても、市長を解職に追い込む」と訴え、8000人以上の署名獲得目標を打ち出すと市民は拍手で応えた、ということです。また、リコールの署名活動は今夏の選挙を控える参院議員の任期満了(7月25日)の60日前からできないことになっているため、準備委は6月からは当面街宣活動や集落説明会を開き、7月11日投開票とみられる参院選後の署名集めに備える、という計画のようです。

阿久根市民の竹原・阿久根市長リコール市民準備委員会の今後の動きをさらにさらに注視したいと思います。

以下、報道各社の記事を2本ほど転載しておきます。

阿久根市長リコール準備委、参院選後署名集め(読売新聞 2010年5月29日)

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(51)に対するリコール(解職請求)運動を行うことを決めた市民団体「阿久根の将来を考える会」は29日、市内で会合を開き、リコール準備委員会を設立するとともに、8000人以上の署名獲得目標を打ち出した。

 会場の市民会館には市民や市職員ら約300人が集まった。考える会の川原慎一会長(42)も「もう阿久根の政治を任せておけない」と呼びかけ、参院選後に署名集めを始めることを宣言し、市民に協力を求めた。リコールには約6700人分(有権者の3分の1以上)の署名が必要になる。

 これまで反市長派市議は、市議会への不信任案提出について、2009年2月と同様、市長が議会を解散すれば再び出直し市議選になるとして、消極的だった。そこで、考える会が4月以降、会合や市民との懇談会を開き、リコール運動の実施を決めた。

 同市では、出直し市長選を見据え、竹原市長の対立候補を擁立する動きも出始めているが、考える会はリコール運動に集中し、候補擁立については静観する方針だ。

阿久根市長リコールへ 市民団体が準備委発足(南日本新聞 2010年5月30日)

 阿久根市の竹原信一市長の市政運営を検証する市民有志の団体「阿久根の将来を考える会」は29日、竹原市長に対するリコール(解職請求)運動を夏の参院選後に始めることを決め、準備委員会を発足させた。準備委は「市長選への候補者は正式に決まっていないが、数人が意欲を示しており、今後協議する」としている。

 リコールの署名活動は今夏の選挙を控える参院議員の任期満了(7月25日)の60日前からできないことになっている。準備委は6月から街宣活動や集落説明会を開き、7月11日投開票とみられる参院選後に署名集めを始める。

 同会の川原慎一会長(42)が準備委代表に就いた。川原会長は「議会と議論もせず、専決処分で政策を押し通そうとするなど独裁政治を続けている」と批判。「多くの市民から解職を求める声があり、リコール運動を決めた」と話した。

 同会は29日夜、阿久根市民会館で住民懇談会を主催、約300人が出席した。川原会長が「以前の阿久根を取り戻したい。どのような抵抗があっても、市長を解職に追い込む」と訴えると、市民らは拍手で応えた。

 これまで市内6カ所であった懇談会で回収した約190人分のアンケート結果を公表。市長の議会出席拒否や、職員の懲戒免職処分取り消しを命じた地裁判決を無視していることを「支持しない」とする人が97%を占めたことが紹介された。

(写真:阿久根市長リコールを決めた29日の阿久根市民懇談会の様子。南日本新聞より)

さて、韓国民軍合同調査団の最終報告書発表以後の重要な論攷の第1としてあげるべきは、なんといっても同合同調査団の韓国の専門委員3人のうちのおひとりであった韓国の有力なインターネット・メディア「サプライズ」代表の申想哲(シン・サンチョル)委員の下記のアメリカのヒラリー・クリントン国務長官宛の手紙の形をとった「“There was no Explosion. There was No Torpedo.”(爆発も魚雷もなかった)」という論攷でしょう。



シン委員は上記の論攷(ヒラリー・クリントン国務長官宛の手紙)の結論を次のように結んでいます。

15. Brief of my opinion 私の意見の概略

(1)The most important thing is there were two series of accidents not one.
   最も重要なことは、事故は1度ではなく連続して2度あったということです。
(2)The 1st accident was 'Grounding' with the evidences above.
  最初の事故は上記の各種証拠から「座礁」でした。
(3)The 'Grounding on a sand' made some damages and led flooding but itself didn't make those serious situation torn down in two.
  「砂の上への座礁」はいくらか損傷させ浸水にも至りましたが、それ自体は、船を2つに裂くほどの重大な状況にはなりませんでした。
(4)The 2nd accident hit a counterblow to sink.
  2つめの事故が応えてきて、沈むことになりました。
(5)I couldn't find even a slight sign of 'Explosion'.
  私は「爆発」があった痕跡は少しも見つけることができませんでした。
(6)The 2nd accident was 'Collision' with my analysis above.
  2度目の事故は私の上記の分析によれば「衝突」でした。

元朝鮮新報記者で評論家、作家の河信基氏の韓国民軍合同調査団の最終報告書発表以後の分析の冴えも見事です。


レイバーネット日本の「韓国の情報」サイトにも同調査団の最終報告書発表以後の多くの論攷が掲載されています。

下記にそのうちの2本の記事をリンクしておきます。その他の記事にももちろん重要な記事があります。上記の「韓国の情報」サイトのURLをクリックしてご参照ださい。

韓国:米国物理学者「天安艦は座礁か衝突で沈没」(レイバーネット日本 2010年5月28日)
ネチズン、「サビの上に1番」疑惑を提起(レイバーネット日本 2010年5月22日)

天安(チョンアン)艦沈没事件について韓国主導・4か国軍民合同調査団が最終報告書を発表した20日以後に民間サイドから発表された同最終調査報告書の重要な論攷を整理しておきます。

同調査報告書発表以前の天安艦沈没事件について重要な疑問を提起している論攷については下記にまとめていますのでご参照ください。


同最終報告書発表以後の重要な論攷をご紹介する前に上記のブログ記事でも援用した河信基氏(ハ シンギ。元朝鮮新報記者・作家)の論攷を無根拠に批判する人がいましたので、その批判に対して少しばかりの反論を書きました。天安艦沈没事件のナゾの問題点を整理するためにも役立つところがあろうと思いますので、同反論文を先に掲げておきます。

○○さん

あなたが「(北朝鮮の)テロ擁護」者である、と主観的に《断定》かつ《断罪》する「河信基(という)人物が紹介しているサイト」のURL「www.jajuminbo......」とは、同氏がご自身のブログ記事「哨戒艦沈没最大の謎 封印された米潜水艦沈没スクープ」(2010年5月9日付)の冒頭写真として引用している韓国の自主民報・ネットのサイトのことですね。

河信基氏は上記の自主民報・ネットのサイトを彼の記事(2010年5月9日付)の冒頭写真用として引用しているだけであって、彼の左記記事の内容とは直接的な関係はありません(それをあなたは長々と引用して河氏批判の材料にしています。お門違いも甚だしい「批判」ともいえぬ「批判」といわなければならないでしょう。また、あなたの自主民報・ネットの記事批判自体も的が外れているように私は思います。が、この点についての反論は、以下に述べる本筋とは関係ありませんので省略します)。

○○さんが「河信基(という)人物」を「(北朝鮮の)テロ擁護」者とまで《断定》かつ《断罪》するのであれば、彼の記事の内容そのものの「問題」性を指摘する必要があります。しかし、あなたは、河氏の記事をなんら検討することもなく、あなたの無根拠な主観だけで河氏を「(北朝鮮の)テロ擁護」者呼ばわりしています。そのような無根拠な主観だけで人を「テロ擁護」者という最大級の悪罵で侮辱してよいはずがありません。

河氏は同記事の冒頭で次のように言っています。

「韓国哨戒艦・天安沈没事件について、日本のマスコミが全く報じない重大事実がある。/天安沈没と同時間帯に指呼の海域で米軍潜水艦が沈没し、密かに引き上げられていたのである。/相互の関連を疑うのが捜査の常識であり、官民合同調査団はそれについても明確にしないかぎり、客観的かつ公平な調査報告書を作成したとは見なされ難い。」

河氏の上記の指摘はきわめて常識的かつ当然な指摘だろう、と私は思います。「天安沈没と同時間帯に指呼の海域で米軍潜水艦が沈没」した艦船が原潜であったのか。仮に原潜であったとしてその原潜が「コロンビア」号であったのか、あるいは「コロンバス」(コロンブス)号であったのか(注)。また、同艦船の沈没の原因が「衝突」であったのか、あるいは「魚雷」の誤射によるものであったのか、などなどはいまだ不明のままというべきですが、「天安沈没と同時間帯に指呼の海域で」米軍艦船が沈没したという「事実」自体は、下記の諸事実からきわめて蓋然性の高い推測ということができます。

第1。同事故現場から米軍ヘリコプターが米兵の遺体を運び去る映像を韓国・KBSテレビの『ニュース9』特集「謎の第3ブイなぜ?」(4月7日9時)が報道していること(「韓国軍艦『天安』沈没の深層」(田中宇の国際ニュース解説 2010年5月7日付)より)

第2。韓国海軍の特殊潜水隊(UDT、特殊戦旅団)のハン・ジュホ(韓主浩)准尉が第3ブイ(米艦船の沈没現場と思われる海域)の海底に潜り、捜索活動をしている最中に意識を失い、死亡していること(同上)

第3。ハン准尉の慰霊祭が行われたのは、天安艦ではなく、米艦船の沈没現場であり、慰霊祭には米国のスティーブンス駐韓国大使や在韓米軍のシャープ司令官も列席し、ハン准尉の栄誉をたたえ、ハン准尉の遺族に見舞金を出していること(同上)

注:沈没艦船が少なくともコロンビア号ではありえないことは、沖縄・ホワイトビーチのコロンビア号停泊を伝える琉球新報記事(2010年4月5日付)によって間接証明されています。

河氏の上記の記事を素直に読めばすぐにわかることですが、河氏は今回の天安沈没が北朝鮮の攻撃によるものではない、と主張しているわけではありません。「官民合同調査団はそれ(注:米軍艦船が天安沈没と同時間帯に指呼の海域で沈没した事実と天安沈没との関連)についても明確にしないかぎり、客観的かつ公平な調査報告書を作成したとは見なされ難い」だろう、と言っているだけです。当然過ぎるほど当然なきわめてまっとうな指摘というべきだろう、と私は思います。

○○さん。あなたは上記のきわめてまっとうな疑問についてはその検討を放擲し、逆になんの根拠を示すこともなく「またしても北朝鮮!居直りは例の如し」などと罵詈雑言を述べています。そうした姿勢は、民主的な人士のとりうる姿勢とは決していえないだろう、と私は強く思います。

なお、河信基氏という人の人物像については私は知るところは多くありません。私は、河氏という人がどういう人物か、ということとは関わりなく、彼の記述する論考の中身について賛意を表明しているだけです。

(写真:海底から回収される天安艦)



       平和の礎 15年もたつというのに どうしたんだろう あの 女 石垣りん詩集より)

2010年5月24日付の辺野古浜通信に驚くべき情報が掲載されていました。

「6月6日に、鳩山来沖で辺野古での容認住民大会が設定され、それを受けて10日の名護市議会で容認決議を通す動きだそうです。/岡本行夫の鳩山脅迫と名護市での分断工作は、成功したと言えるでしょう」というのです。

下記はその情報を受信しての私の標題の思いをこめた返信です。


「辺野古浜通信」の以下のくだりが気になっています。

「6月6日に、鳩山来沖で辺野古での容認住民大会が設定され、それを受けて10日の名護市議会で容認決議を通す動きだそうです。/岡本行夫の鳩山脅迫と名護市での分断工作は、成功したと言えるでしょう。」(辺野古浜通信)

沖縄・名護市在住の友人からの情報によると、いまの同市議会の議会勢力図は、「稲嶺市政与党派議員12名、反市長派12名、中間派議員3名」というところらしいです。

「6月10日の名護市議会で容認決議を通す」「岡本行夫の鳩山脅迫と名護市での分断工作は、成功した」と辺野古浜通信が断言するということは、上記の中間派議員3名のうち少なくとも1名以上は岡本行夫の懐柔工作に陥落したということを意味しているように思います。ほんとうにそうなのでしょうか(返信を求めているわけではありません)?

上記の情報提供者の名護市在住の友人は、同市の政治の裏事情の動きについて次のような指摘もしていました。「今回の鳩山の『謝罪パフォーマンス』の裏側で、その中間派議員と政府ブレーンの岡本行夫が密会して9月に予定されている同市議会選挙での支援を約束するなどの露骨な稲嶺市長潰しを行っている」(要約)、と。

上記の名護市の友人の情報の正確性は下記の記事などによっても担保されているように思います。

(1)「くり返されるアメとムチ」(目取真俊「海鳴りの島から」 2010年5月21日)


「去る5月4日に鳩山首相が来沖した。その翌日の5日夜に鳩山首相のブレーンと言われる外交評論家の岡本行夫氏と名護市の新基地建設推進派の有力者数名が、ヒンプンガジマル近くのスナックで会談したという。その席に島袋前市長と荻堂商工会長も同席していたと言われている。(略)岡本氏は複数の市議会議員とも会談していて、稲嶺進名護市長が『海にも陸にも新しい基地は造らせない』「」という公約を貫いている中で、再び名護市民を分断、対立させ、辺野古への新基地建設を強行しようとする画策が、鳩山政権によって進められている。」


「名護市の島袋吉和前市長と市経済界の有力者2人が19日に都内で前原誠司沖縄担当相と会談し、米軍普天間飛行場の同市辺野古沿岸部への移設計画に関して意見を交換していたことが20日、複数の関係者の話で分かった。会談は政府側からの要請に基づくもので、普天間移設問題に関連して島袋氏らは沿岸部を埋め立てる現行計画を引き続き容認するとの立場を説明。前原担当相は従来の北部振興策に代わる新たな地域振興施策について提案したという。/政府側が移設問題の決着期限としている5月末を前に、辺野古移設を明確に拒否する稲嶺進名護市長の頭越しに、新たな振興策を条件として地元関係者に揺さぶりを掛けたとも取られかねない対応で、名護市や県内世論の一層の反発を招きそうだ。」

しかし、岡本行夫の懐柔工作に陥落した中間派議員が仮に1名だったと仮定すると、残り2名の中間派議員の動向しだいでは「名護市議会で容認決議を通す」ことは覚束なくなります。さまざまなツテを通じて中間派議員を説得することはもちろんですが、その容認決議を通さないためにも5月28日に那覇と名護で同時開催されるという「辺野古合意」を認めない2つの緊急市民集会の成功がなによりもカギを握ってくるように思います。

高田健さんご案内の「許すな!普天間問題の日米合意 とめるぞ!辺野古新基地建設 5・28緊急集会(東京)」の成功もとても重要ですね。

(写真1:平和の礎 「15年もたつというのに どうしたんだろう あの 女」石垣りん詩集より)
(写真2:名護市街地 夜)
「ANPO」公式サイトに「6.15 安田講堂シンポジウム『60年安保闘争の記録と記憶』の開催のご案内が掲載されています。興味深いシンポジウムだと思いますので転載させていただきます。

上記サイトをクリックするとまず顔面の巨大アートが現出して度肝を抜かれます。が、そのまま慌てふためくことなく、「日本語/English」のどちらかをクリックして次の頁に進んでください。



昔懐かしい紙芝居風景の写真がクローズアップされて出てきますが、この画像をクリックすると10分40秒間の「ANPO」のダイジェスト版を観ることができます。

昭和30年代前後の風景を覚えている人にとってはとても懐かしいアート、写真、映像です(もちろん、主題はあくまでも「ANPO」です)。たとえば米国占領軍兵士の相手をするパンパンの風景。私はパンパンの風景そのものは記憶外ですが、それとよく似た風景はよく覚えています。4年ほど前にゆふいん文化・記録映画祭で『ヨコハマメリー』(中村高寛監督 2005年)というドキュメンタリー映画を観たことがありますが、私の中ではその「ヨコハマメリー」の物語の風景とこの「ANPO」の風景が重なって見えました。

注:「ヨコハマメリー」の映画案内コピーから:
「♪あなた知ってる、港ヨコハマァ…♪ “キラキラさん”“皇后様”などの異名を持ち、白塗りの化粧で横浜の街に立ち続 けた老娼婦“ハマのメリーさん”。いつし か横浜の風景の一部となり、誰もが一度は目にしていたが、95年冬突然姿を消した。そんな都市伝説のヒロインを若き映画作家が5年の歳月をかけて追った。そ こには、横浜と日本の戦後社会が見える。

また、上記の「ANPO」ダイジェスト版では、岸信介が巣鴨プリズンの囚人であったときの写真(2葉)も見ることができます。岸の囚人服?をまとった髭面は見物です。また、デモ隊に包囲され、米海兵隊のヘリコプターで救助されたいわゆるハガチー事件の際の映像も・・・・


シンポジウム 「60年安保闘争の記録と記憶」開催ご案内

目的:日米安全保障条約の改定から50周年を迎えるにあたり、市民運動の客観的記録と日本現代アートに綴られる主観的な記憶の表現とを考える研究討論集会

意義:1960年の安保闘争から50年。実体験者の記憶が薄れる中、国民的な運動が歴史的出来事としてどう記録され、継承されていくかを検討する。映画「ANPO」を題材に、国民的な体験の客観的な研究や記録の重要性と、主観的な記憶が宿るアート表現の重要性を対比し、探る機会を設ける。

日時: 6月15日(火)

18:00 開場

18:30 開演(20:15終了予定)

場所:東京大学・本郷キャンパス大講堂(安田講堂)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_00_01_j.html
*駐車場はありませんので公共交通機関をご利用ください。

入場料:無料(要申込み)

お申込み方法:

1)yasuda615@gmail.com宛て、ご入場希望の方のお名前をメールでお送りください。
(複数でご入場希望の場合は全員のお名前をお願いします)

2)折り返しこちらから受付完了の返信を致します。

3)当日はその返信メールのプリントアウトをご持参ください。

*定員になり次第、締め切りとさせていただきます。
注:お申込み方法の詳細は公式サイトwww.anpomovie.comをご確認ください。

プログラム:

司会/   上野千鶴子(社会学者、東京大学大学院人文社会系研究科教授)
パネリスト/保阪正康(「60年安保闘争の真実」著者)
      小熊英二(社会学者、慶応義塾大学総合政策学部教授)
      リンダ・ホーグランド(映画「ANPO」監督)
特別ゲスト/加藤登紀子(歌手)

※映画「ANPO」ダイジェスト版の上映あり

映画「ANPO」について――
映画「ANPO」は、戦後日本を代表してきた現代アーティスト30余名へのインタビューと彼らの絵画、写真、映画などの作品を織り交ぜつつ、アートの視点から多面的に戦後の日米関係を振り返るドキュメンタリー。監督は映画『TOKKO/特攻』のプロデューサー・ライターでもあるNY在住のリンダ・ホーグランド。2010年劇場公開予定。
[上から続く]

田中宇さんの上記の「韓国軍艦『天安』沈没の深層」論文は、米原潜と韓国海軍艦艇の同士討ちというのがこの問題の真相ではないか、という問題提起をして見事な分析になっています。その米原潜をコロンビア号と特定したところに一部の瑕疵が見られるようですが(ペガサス・ブログ版 2010年5月21日)、全体としての指摘は鋭く、また考察力に優れており、上記調査団の最終報告書発表以前の論文ですが、同報告書発表後のいまでもその論文の本質的な指摘はまったく色褪せていません。ご一読をお奨めするものです。

また、上記の河信基さんの指摘と問題提起も同最終報告書発表以前のものですが、掲載している情報の局所的部分については訂正が必要と思われるところも何箇所か散見されますが、その本質的指摘はこれもまったく色褪せていません。河信基さんの上記の記事のご一読もお奨めいたします。なお、同報告書発表以後に書かれた下記の記事の指摘も重大な指摘で注目に値するように思います。

■天安艦事件検証 ?「座礁→沈没」主張の調査委員を公安捜査(河信基の深読み 2010年5月22日)
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/41406549.html
■天安艦事件検証 ?「決定的物証=『1번』」は謎だらけ(河信基の深読み 2010年5月23日)
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/41412106.html

なおまた、レイバーネット日本に同報告書発表以後の指摘として重要な指摘、記事が掲載されています。これもご一読をお奨めします。

■韓国:ネチズン、「サビの上に1番」疑惑を提起(レイバーネット日本 2010年5月22日)
http://www.labornetjp.org/labornet/worldnews/korea/knews/00_2010/1274508569540Staff
*特に記事中の「1番」の写真を見比べていただきたい。

■「決定的証拠」から出てきた「決定的」疑問 [天安艦残る疑問(1)]「1番」「北魚雷」推進体、軍の説明を聞くと ほか15本 (レイバーネット日本 2010年5月22日)
http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/korea_news

上記でご紹介した河信基さんは上述の記事で次のような警句を述べていました。最後にその言葉をご紹介して終わりにしようと思います。

「衆愚的なポピュリズムは、『嘘も百回つけば真実になる』とのナチス式の扇動宣伝工作に乗せられることから始まる。旧日本軍大本営の『鬼畜米英』もその類である。/現時点で、天安艦沈没が北朝鮮のよるものと断定するような報道は、その苦い歴史的な教訓を思い起こさせる。この事件は扇動に乗せられ易いか、それとも、冷静な判断が出来るかが試される試金石と言える(河信基の深読み 2010年5月6日)。


参考:
下記に参考のために上記4か国合同調査団の調査報告書全文とそれに関連する記事を貼りつけておきます。

■哨戒艦沈没 合同調査団の調査報告書全文 (日本経済新聞 2010年5月20日)
http://www.nikkei.com/news/headline/related-article/g=96958A9C9381959FE0E2E2E1838DE0E2E2E7E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;bm=96958A9C9381959FE0E2E2E3848DE0E2E2E7E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2
■哨戒艦沈没:魚雷攻撃、どのように確認したのか(上)(朝鮮日報 2010年5月21日)
http://www.chosunonline.com/news/20100521000013
■哨戒艦沈没:魚雷攻撃、どのように確認したのか(下)(朝鮮日報 2010年5月21日)
http://www.chosunonline.com/news/20100521000014
■クローズアップ2010:韓国艦沈没 北朝鮮、周到準備か(毎日新聞 2010年5月21日 東京朝刊)
http://mainichi.jp/select/world/news/20100521ddm003030067000c.html
■哨戒艦沈没:「スクリューを見つけた瞬間、歓声を上げた」(上)(朝鮮日報 2010年5月21日)
http://www.chosunonline.com/news/20100521000032
■哨戒艦沈没:「スクリューを見つけた瞬間、歓声を上げた」(下)(朝鮮日報 2010年5月21日)
http://www.chosunonline.com/news/20100521000033
■韓国哨戒艦沈没:魚雷のスクリュー破片を発見(毎日新聞 2010年5月18日)
http://mainichi.jp/select/world/news/20100518k0000e030043000c.html
■哨戒艦沈没 米「韓国を全面支持」 魚雷、北朝鮮の火薬と一致(毎日新聞 2010年5月19日 東京朝刊)
http://mainichi.jp/select/world/news/20100519ddm007030097000c.html
■「天安」から検出の火薬、北魚雷の火薬成分と同一(聯合ニュース 2010年5月18日)
http://www.wowkorea.jp/news/Korea/2010/0518/10070585.html
■韓国船沈没で調査報告、「北朝鮮関与」相次ぎ物証(日本経済新聞 2010年5月20日)
http://www.nikkei.com/news/headline/related-article/g=96958A9C9381959FE0E2E2E3908DE0E2E2E7E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;bm=96958A9C9381959FE0E2E2E3848DE0E2E2E7E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2
天安艦沈没事件について私流に少しまとめてみました。


韓国海軍哨戒艦「天安(チョンアン)」の沈没事件について、韓国軍と民間の4か国(米国・オーストラリア・英国・スウェーデン)合同調査団がこの20日、同艦沈没海域の海底から回収したとする魚雷のスクリュー部分の残骸を公開した上で、「北朝鮮製の魚雷による水中爆発」が沈没原因と断定する同調査団最終報告書を発表するやいなや、わが国の政府、また国連を含む各国政府は、「『糾弾』『挑発』『蛮行』など外交上では最高水準に該当する非難を浴びせる大統領、首相、外相名義の声明を発表」(朝鮮日報)し、さらにまたわが国のマス・メディアは「韓国哨戒艦沈没 やはり『北』の魚雷攻撃だった」(読売新聞)などとする北朝鮮批判(バッシング)の報道と社説を大々的かつ一斉に掲げました。

■韓国哨戒艦沈没 安保理提起へ(NHK ニュースウォッチ9 2010年5月20日)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100520/k10014573541000.html
■韓国哨戒艦沈没、「北朝鮮の魚雷」と断定(テレビ朝日 報道ステーション 2010年5月20日)
http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=8974
■韓国の北朝鮮制裁決議、率先支持…首相(読売新聞 2010年5月21日)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080115-899562/news/20100520-OYT1T01007.htm
■哨戒艦沈没:国際社会の反応は?(上) (朝鮮日報 2010年5月21日)
http://www.chosunonline.com/news/20100521000026
■哨戒艦沈没:国際社会の反応は?(下) (朝鮮日報 2010年5月21日)
http://www.chosunonline.com/news/20100521000028
■社説:北朝鮮魚雷 共同対応で制裁措置を(毎日新聞 2010年5月21日)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20100521k0000m070108000c.html
■社説:韓国艦撃沈―北朝鮮に断固たる外交を(朝日新聞 2010年5月21日)
http://www.asahi.com/paper/editorial20100521.html#Edit2
■社説:韓国哨戒艦沈没 やはり「北」の魚雷攻撃だった(読売新聞 2010年5月21日)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100521-OYT1T00093.htm
■【主張】哨戒艦沈没報告 北に断固たる制裁とれ 日米同盟強め韓国と連携を(産経新聞 2010年5月21日)
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100521/kor1005210336001-n1.htm
■社説:韓国軍艦沈没 北朝鮮の暴走は深刻だ(東京新聞 2010年5月21日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2010052102000100.html

上記の声明、社説、報道は、4か国合同調査団の最終報告が正しいものと前提してはじめて成立するはずのものですが、上記に見る声明、社説、報道はすべて同最終報告を鵜呑みにするばかりで、同報告を批判的に検討した形跡はまったくといってよいほど見られません。同調査団は韓国国内10の専門機関の専門家25人と軍専門家22人、国会推薦の専門委員3人、米国・オーストラリア・英国・スウェーデン4か国の専門家24人が参加して、科学捜査、爆発類型分析、船体構造管理、情報分析など4分科に分けて調査活動を実施されたということですが(同報告書)、「国防部が主導した名前だけの国際軍民調査団の最終報告」「国際軍民合同調査団といっても、実質的な調査に当たっているのは韓国軍特殊部隊であり、米英豪・スウェーデンの調査委員は結果を見せられているだけに過ぎない」(河信基の深読み 2010年5月19日)、「合同調査団の結論には内部で異論があった」(同左 2010年5月22日)などの指摘もあって、韓国政府がいうように「科学的、客観的調査」だったかどうか大きな疑問が残ります。

もちろん韓国国内でも一部の報道機関とネチズン世代(韓国のインターネット世代。30?40代)を中心にして同様の疑問が提起されていました(下記参照)。そうした重要な疑問が韓国内外で提起されている段階で、韓国軍主導の最終報告のみを鵜呑みにして北朝鮮バッシングに加担してやまない政府、マス・メディアの姿勢は、これが正常な民主主義を標榜する国、そしてその国のジャーナリズムの姿勢なのか、と激しく嘆声せざるをえません。

さて、この韓国海軍哨戒艦「天安」の北朝鮮攻撃説には同調査団の最終報告発表前から下記のような重大な疑念が提起されていました。

■韓国軍艦「天安」沈没の深層(田中宇の国際ニュース解説 2010年5月7日)
http://tanakanews.com/100507korea.htm
■「韓国哨戒艦沈没、魚雷の証拠検出」報道の嘘(河信基の深読み 2010年5月6日)
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/41322410.html
■哨戒艦沈没最大の謎 封印された米潜水艦沈没スクープ(河信基の深読み 2010年5月9日)
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/41338493.html
■「天安艦は座礁・衝突」と民軍合同調査団調査委員が主張(河信基の深読み 2010年5月14日)
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/41364997.html
■韓国哨戒艦沈没 日本のマスコミは批判精神を失ったのか(河信基の深読み 2010年5月15日)
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/41370001.html
■哨戒艦沈没原因 韓国与野党が対立(河信基の深読み 2010年5月16日)
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/41375151.html
■「天安艦沈没と北朝鮮は無関係」と駐韓中国大使(河信基の深読み 2010年5月17日)
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/41383290.html
■「緊密な朝中」を誇示した金正日訪中と東アジア国際力学(下)(河信基の深読み 2010年5月19日)
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/41391956.html

[下に続く]

沖縄県民の風上にもおけないとんでもない沖縄県民の一群がいます。同県選出の国民新党の下地幹郎衆院議員を中心とする沖縄の地域政党「そうぞう」に所属する県議会議員と市議会議員の一群のことを指して私はそういっています。沖縄県民ではない他県人にすぎない私のようなものが上記のような言説を弄するのは実のところ不遜なこと、というべきなのかもしれません。が、私は、米軍普天間基地の県内移設に反対する圧倒的大多数の沖縄県民に深く連帯する意志を持つひとりの日本人(=沖縄現地人)という自覚のもとに上記のことを述べています。


報道によれば、一昨日の17日、上記の「そうぞう」の県議会議員、市議会議員の面々が鹿児島県・徳之島を「訪問」し(押しかけ)、徳之島町長に普天間基地移設受け入れの協力を求めたといいます。

■沖縄県議ら徳之島町長に要望(NHK 2010年5月17日 19時14分)
*このリンクはすぐにきれるものと思われますので、下記に同ニュースを貼りつけておきます。

徳之島では先月18日には人口約2万6千人の島で1万5000人が参加するという全島挙げての普天間移設反対大集会が開かれたばかりです。また、今月7日には徳之島の地元3町長が島民の約8割に当たる約2万人分の署名を鳩山首相に直接手渡し、同島への普天間基地移設絶対反対の島民の意志を鳩山政権に明確に伝えたばかりです。この徳之島全島民の8割の意志表明などなかったかのように完全に黙殺して琉球弧(琉球諸島)の同胞といってよいウチナンチューである「そうぞう」所属の議員の手によって上記の徳之島町長に対する「普天間基地移設受け入れの協力」要請が強行されたのです。これが自らがウチナンチューである沖縄県自治体議員のなしうることか! 驚き呆れるばかりの愚劣、愚行というべきであり、大暴挙といわなければなりません。

沖縄県在住の芥川賞作家の目取真俊さんは鳩山内閣の徳之島移設案について次のような怒りの符応(感応)を示していました。

「『県外移設』先としていくつか挙がった案から『本土』=ヤマトゥの案は除外され、薩摩侵略以前は琉球と深いつながりのあった奄美諸島の徳之島が残った(略)そうやって喚起された歴史意識から基地問題が捉え返されることで、沖縄も徳之島も〈一旦緩急あれば、容赦なく切り離し、政治的「取引の具」に供してかまわないものでしかなかった〉北緯三十度線より南の島であることが再認識される。ただでさえ沖縄への米軍基地集中という差別政策への反発があるなかで、鳩山政権は奄美・沖縄へのヤマトゥの歴史的仕打ちを思い起こさせ、繰り返される差別への反発を強めさせているのだ。(略)鳩山首相は、(略)歴史に関する無知と発想の根底にある奄美・沖縄への差別に無自覚であるが故に、問題をより難しくし、反発の火に油を注ぐ愚を犯している。」(「北緯三十度線」海鳴りの島から 2010年4月5日)。

目取真さんは続けて次のようにも言表していました。「しかし、これは鳩山首相や政府閣僚だけの問題ではない。琉球・奄美・沖縄がたどってきた歴史と、それが基地問題に関しても影響を与え、人々の意識を重層的に形成していることに、今のヤマトゥの政治家、メディア関係者がどれだけ気づき、考えきれているか」(同上)。目取真さんはむろん「ヤマトゥの政治家、メディア関係者はこの『徳之島』移設問題の包含する『差別の重層性』にまったく気づいていない」、とヤマトゥの人間どもの鈍感さを激しく糾弾しているのです。

そのヤマトゥ政権の「差別の重層性」の被害者であり、琉球弧に在所する同胞の痛みと悲しみを共有しているはずの「南西諸島守備軍」(戦時中に日本軍部が配下部隊の防衛範囲を定めた区分のひとつ)被統治住民であるところのお前たちまでもがなにゆえにいまヤマトゥの権力者側のあらたな差別政策のお先棒を担ごうとしているのか。お前たちの魂胆はそれほどに浅ましいものなのか。ウチナンチューの息子、娘としてのお前たちの矜持をどうしたのだ―― と、おそらく目取真さんならば鳩山ヤマトゥ政権の琉球列島・沖縄差別政策の提灯持ちをして羞じ入ることを知らないこれらウチナンチュー議員たちの愚劣、愚行、その幇間根性をも厳しく指弾するところでしょう。

さて、その沖縄の地域政党「そうぞう」所属の地方議員たちの総大将格らしい同県選出の下地幹郎衆議院議員(国民新党)とはどういう人物なのか? 以下、目取真さんのブログ記事を参照しながら下地なる衆議院議員の軌跡を追うと、この下地氏は沖縄県選出の国会議員としてただひとりキャンプ・シュワブ陸上案や嘉手納基地統合案などの「県内移設」を主張し(自民党の島尻安伊子参院議員さえ「県内移設」には反対しています)、先月25日に開かれた「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」には早々と不参加を表明。また、同大会に先立って同月21日には、同県選出・出身の国会議員7人が超党派で政府に同大会の要求を実現するよう求める共同アピールを発表しましたが、この国会議員の共同発表にも下地氏は自民党の島尻参院議員とともに加わっていません。まさに下地氏は超党派で取り組まれた県民大会を分断する役割を果たしてきました。

しかし、下地氏は、昨年の衆議院選挙前には「これまで主張してきた普天間基地の嘉手納基地への統合案は取り下げて『県外移設を基本政策』とする民主党と今後、政策のすり合わせを図る」(琉球朝日放送 2009年6月9日報道)などと述べていたのです。その変わり身のあまりもの不節操、自堕落は、ウチナンチューの風上にもおけないどころか、一個の人間としても風上におくことのできない非倫理観の持ち主だと指弾しないわけにはいきません。下地氏については、同氏のファミリー企業である大米建設が沖縄防衛局発注工事の請負額ランキングで2位に入っていることも指摘しておく必要があるでしょう(琉球新報 2010年2月12日付)。沖縄の基地建設に絡む自らの利権のために下地氏は動いている。その可能性がおおいにある、ということを。そして、その下地氏の利権のために同氏傘下のウチナンチューの地方議員が徳之島という同胞の「南西諸島守備軍」被統治住民説得要員として駆り出されている可能性もおおいにある、ということを。

参考:
■沖縄県議ら徳之島町長に要望(NHK 2010年5月17日 19時14分)
沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設問題で、基地機能の一部の移転先として検討されている鹿児島県徳之島を沖縄県の地域政党に所属する県議会議員などが訪問し、徳之島町長に対して移転受け入れへの協力を求めました。

徳之島を訪れたのは、国民新党の下地幹郎衆議院議員が中心になって発足させた沖縄県の地域政党の「そうぞう」に所属する県議会議員や市議会議員などあわせて8人です。一行は17日午後、徳之島の3人の町長のうち、徳之島町の高岡秀規町長と会談しました。この中で国民新党沖縄県連の呉屋宏代表は、普天間基地の移設問題をめぐって「基地機能の一部だけでも、徳之島に移転ができるようであれば沖縄の負担軽減につながる。徳之島とは同じ南の島で、同じ歴史を持つ部分もあるので負担を共有してほしい」と述べ基地機能の一部の移転受け入れに協力を求めました。これに対して高岡町長は「徳之島町の民意は反対で、基地の受け入れは非常に難しいことを理解いただきたい。沖縄に対しては申し訳なく思っているし、沖縄の負担軽減について反対しているわけではないが、ゼロから基地を造ることは難しい」と述べ、あらためて反対の姿勢を示しました。徳之島を訪れた沖縄の議員らは、同じ徳之島の天城町と伊仙町の町長との会談も希望していましたが、2人の町長は会う必要はないとして会談には応じませんでした。

(写真1:15年もたつというのに どうしたんだろう あの 女 石垣りん詩集より)
(写真2:平和祈念資料館と平和の礎)
鹿児島県・阿久根市民による「市長リコール」運動の動きが芽生えはじめているようです。

阿久根市では17日から市民団体主催による竹原市政について意見交換する連続懇談会(7地区で開催)が始まり、第1回目の同懇談会には約50人の市民が集まったようです。


下記の南日本新聞記事(2010年5月18日)によれば、同懇談会で「市民からの要望で、議会での市長不信任案提出と、市民による市長リコールのどちらを選ぶか」を聞いたところ「不信任案派が数人で、リコール派が4割ほど」占めたということです。左記の報道では残りの約半数の住民の意思は不明確ですが、第1回目の同懇談会で約40%の住民が挙手で「市長リコール」の意志を示したことはきわめて重要だと思います。報道によれば今後さらに6回にわたって同懇談会は開催される模様ですが、「市長リコール」の住民の意志表示はさらに大きくなっていくことが予想されます。

同懇談会を主催した「阿久根の将来を考える会」の川原慎一会長(42)は「市長のリコールを求める意見が多ければそうなる」(西日本新聞 2010年5月12日付)と語っていることから、同懇談会の参加者と「阿久根の将来を考える会」が火つけ役となって「竹原市長リコール」の火はさらにさらに大きくなっていきそうです。

阿久根市では先の3月28日に県と市の身体障害者福祉協会、県社会福祉協議会、連合鹿児島など約20団体と一般市民あわせて600人が参加して「竹原市長の差別発言の撤回と謝罪を求める県民集会」が開かれていますが、こうした団体との共同、共闘の実現によって「竹原市長リコール」の市民の声はさらに燎原の火のような勢いを持つことになるでしょう。そうなることを私は期待します。

以下、この件についての方同記事をいくつかご紹介します。

■阿久根市民が意見交換会、「市長をリコールすべき」大半(朝日新聞 2010年5月18日)
 竹原信一市長の議会ボイコットや市職労との対立などで混乱が続く鹿児島県阿久根市で17日、市民団体が竹原市政について意見交換する連続懇談会を始めた。約50人の出席者の多くは「市民が市長をリコールすべきだ」という考えを挙手で示した。懇談会は29日まで7地区で開く。

 主催したのは商店主や農業者など20?40代の市民でつくる「阿久根の将来を考える会」。初日は大川地区であり、呉服店を営む川原慎一会長が「市長に賛成、反対は関係なく、これからどうしたらいいのか一緒に考えたい」とあいさつした。

 ある男性は「市民は一致団結して市長を降ろすべきだ」と発言した。一方、別の女性は「出直し市長選で竹原市長がまた再選したら同じ」と不安を口にした。

 これらを受けて参加者に挙手を求めて意見を聞いたところ、「市民がリコールを出す方がいい」が圧倒的だった。竹原市長は31日でリコールが可能になる任期1年を迎えるが、7月に参院選が予定されるため、リコールの署名集めなどができるのは参院選以降になる。

■「阿久根を変えよう」 考える会の住民懇談会始まる(南日本新聞 2010年5月18日)
 阿久根市の竹原信一市長の市政運営を検証する現地の市民団体「阿久根の将来を考える会」は17日夜、同市大川の大川中学校体育館で住民との懇談会を開いた。50人の市民が集まり、「阿久根を変えよう」との声が上がった。懇談会は29日まで計7カ所である。

 川原慎一会長(42)が「私たちは阿久根市に何を望むのか。市長の賛成派、反対派ということではなく、市民の声を聞きたい」とあいさつ。数人の市議が参加したが、議員発言は原則遠慮してもらうこととした。

 市民からは「阿久根を混乱させたのはわれわれ市民。自分らが竹原市長を選んだ」「市長のおかげで、市役所のサービス向上が実現した」との意見が続いた。「恥ずかしくて阿久根出身と言えない」と叫ぶ女性もいた。

 市民からの要望で、議会での市長不信任案提出と、市民による市長リコールのどちらを選ぶか会場で挙手する場面も。不信任案派が数人で、リコール派が4割ほどとなった。

 「この機会に阿久根のイメージアップを図りたい」との意見が出ると、会場から拍手がわいた。

参考記事:
■竹原市政 市民が検証 阿久根市で懇談会開催へ(西日本新聞 2010年5月12日)
 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長の市政運営を検証する住民団体「阿久根の将来を考える会」(川原慎一会長)は17日から、市内7カ所で市民懇談会を開く。議会への出席拒否や司法判断を無視し続けている竹原市政の問題点を住民が議論する。混迷する市政の正常化に向けて住民が動きだした。

 懇談会は、3月議会の出席拒否や議会に諮らない条例の専決処分など、議会の存在を否定するような竹原市政を住民の目線で検証するのが目的。「このままの市政でいいのか」を論点に意見交換する。意見は29日に市民会館で開く最後の懇談会で集約する。竹原市長や市議が希望すれば懇談会への出席を認めるが、発言は許可しない方針。

 川原会長は「今の市政は市を混乱させただけで発展につながる政策がない。住民が求める改革を実行してくれるのであれば竹原市長でなくてもいいはずだ。市長のリコール(解職請求)を求める意見が多ければそうなる」と話す。

 懇談会はいずれも午後7時から。場所と日程は次の通り。

 17日=大川中体育館▽18日=鶴川内地区集会施設▽21日=折多小体育館▽24日=西目地区構造改善センター▽25日=遠矢公民館▽26日=脇本地区公民館▽29日=市民会館。

(写真:阿久根ハンヤ節のリズムに合わせて)
[上から続く]


しかし、私は、上記の共産党批判自体には同意できるのですが、同時にこうした「よりまし」論には重大な陥穽がある、とも思っています。それは、民主党政権がポシャれば自民党政権時代に逆戻りする、という「思想的な2大政党制」といってもよいフレームの中でしか政権交代という事態を把捉することができない陥穽、ということです。私たちの国の政党にはもちろん自民党、民主党以外にもその他の保守政党はともかくとして革新政党として決して勢力は大きいとはいえないものの共産党や社民党、新社会党などの存在もあるのです。民主党内のリベラルな勢力がそうしたいわゆる革新勢力と共同してつくりあげる「よりまし・まし」政権の構築ということも考えられないわけではありません。あるいはまったく不可能というわけでもありません。

その可能性は必ずしも大ではないにしても、その可能性を探っていくのが革新市民の役割というべきものではなかったでしょうか? 私たちは1970年代後半以降、長い間の保守的風土のフレームにまみれてしまって、「思想的な2大政党制」ともいうべき陥穽にはまりこみ、そして、いつのまにかその革新市民の役割を忘れてしまったかのように私には思われます。私たちの国の革新のためにそういう為体(ていたらく)でよいのでしょうか? 私たちはいま一度「革新」の原初の志に還ってみる、あるいはとり戻す必要があるのではないでしょうか?

また、上記の「よりまし」論にはもうひとつの陥穽があります。それは、「鳩山内閣が打倒されたら、普天間基地は撤去され、米軍基地は縮小されるのか。自公は企業献金を廃止するのか」という批判、もしくは主張は、たとえば普天間基地問題に関しての鳩山首相、鳩山内閣の公約違反の政治責任を追究することを「自民党政権時代に逆戻りしてよいのか」という主張ともいえない主張によってなしがたくする、という陥穽をも持つということです。

上記の野党5党の合意のとおり仮に鳩山内閣が打倒されたとしても、民主党が衆院第一党政党である限り、同党は必ず次の首班を立てます。これは明白なことです。だから、鳩山内閣を打倒しよう、ということと民主党内閣を打倒しよう、ということとは当然意味が異なります。このことは明確に区別する必要があるように思います。鳩山首相は普天間問題の5月末決着に「職を賭す」とまで言ってきたのです。その首相の責任を追究するひとつの手段として「鳩山内閣打倒」をいうのはきわめて筋のとおった話だろう、と私は思います。

「鳩山内閣が打倒されたら、普天間基地は撤去され、米軍基地は縮小されるのか。自公は企業献金を廃止するのか」という批判、もしくは言説は、明白な公約違反をした政治家の暗愚をなにもなかったことにしてしまう、という意味で、政治への「信」を失わせることに自ら加担することを結果として表明してしまうことになる、危険で、かつ誤れる言説というべきだろう、と私は思います。自ら表明した「公約」を実現することができなければ政治家は辞任するのが当然だ、という政治風潮をつくるべきです。そうでなければ政治はいつまでたってもよくはなりません。そうした政治風潮をつくることをなしがたくする、という意味でくだんの言説はもうひとつの陥穽といってよいものだと私は思います。

私はこれまで「鳩山内閣支持の声は何に由来するのか」ということについて論じてきました。が、同時に私は翻って共産党の支持率は、自民党政権が終焉し、かつこれだけ民主党の失政が続いているにも関わらず、なにゆえに3.3%程度にとどまっているのか、ということも考えます。今回のANNの5月度世論調査でも共産党の支持率は1.4%程度のごくごく微小の上げ幅にとどまっています(その上げ幅の小ささは、結党されたばかりで実質的ななんの政治実績もないみんなの党の支持率の上昇と比較すればなおさら明らかです)。共産党は民主党政権に優位するさまざまな政策提言を保持する政党であると認められることはあるにしても、有権者にはあらたな政権交代を託すにたるフレーム政党としては決して認められません。なにゆえにでしょうか?

それは私の見るところ、上記のような右からの鳩山政権攻撃を仕掛けているのが明らかであり、かつ、民主党・鳩山政権よりも反動的な立場で改憲、沖縄の基地問題ゴリ押しを進めようとする勢力であることも明らかな右翼的野党4党と鳩山政権追い落としのために結託するという教条的な政治姿勢をとり続けていることにおおいに関係があります。

共産党のこうした物事(政治の大局)をカチンコチン(教条的、公式的、観念的)にしか捉えることのできない見方、政治観を彼のレーニンは「左翼小児病」(「共産主義における左翼小児病」 1920年)的と名づけてその傾向に陥ることを厳しく戒めているのですが、日本共産党はこれまでこのレーニンの言葉を何度も引いていわゆる「極左」主義者たちを限りなく非難してきた「堂々」たる党史を有しているにも関わらず、自らがこの救い難い「左翼小児病」の長患いの患者であることには同党指導部はもちろん、その指導部の無謬神話(少しの誤謬は認めたことがあるにせよ)を信じてやまないほとんどの無垢の党員はまったく気づいていません。そのことの意味に共産党が気づかなければ、共産党は決して国民の期待にいつまでも応えることはできないでしょう。これは逆説的な意味で「反革命」的なことだいえないでしょうか? 共産党にはこの自らのカチンコチン性(教条的、公式的、観念的)が政治革新をなしがたくしている大きな要因のひとつになっていることを一日も早く気づいてほしいものだ、というのが一革新市民の徒としての私の願いです。


(写真:安保闘争 国会議事堂を取り囲む人、そして人)
鳩山内閣の支持率と民主党の政党支持率が急落を続けています。


ANN(テレビ朝日)の5月度世論調査(調査日:5月8、9日)では鳩山内閣の支持率は20.5%(前月比8%減)、不支持率は63.5% (同8.1%増)。NHKの5月度世論調査(調査日:5月7?9日)では同支持率は21%(同11%減)、不支持率は68%(同12%増)。時事通信の5月度世論調査(調査日:5月7?10日)では同支持率は19.1%(同4.6%減)で昨年9月の政権発足以来初めて2割を切りました。不支持率は64.1%(同7.6%増)。

民主党の政党支持率はANN(テレビ朝日)の調査では24.4%(前月比5.1%減)。対して自民党は28.7%で、政権交代後初めて自民党が民主党を上回りました。NHKの調査では民主党の同支持率は20.8%(同1.4%減)で、自民党は17.9%(同1.8%増)。時事通信の調査では民主党の同支持率は17.0%(同0.2%減)、自民13.2%(同1.0%減)。


しかし、私が注目したいのは、鳩山内閣と民主党の支持率が急落し続けている、という事実ではありません。民主党が自民党から政権を奪取しておよそ9か月。この間、鳩山内閣は、不要なダム建設の中止、凍結。各省庁の記者会見公開の方向性。沖縄密約訴訟における元外務省の高官であった吉野文六氏の法廷証言の許可などその政策において評価すべき点も少なくありません。が、鳩山内閣はその評価すべき点以上にこの間失政に失政を重ねてきました。朝鮮人学校排除問題、外国人参政権付与法案問題、夫婦別姓等民法改正問題、労働者派遣法「改正」問題、官僚・法制局長官の答弁禁止問題、そして普天間基地「移設」問題などなど。鳩山内閣はこれほど公約違反、憲法違反の失政を続けているのにも関わらず、いまだ19%?21%の内閣支持率があります。いささか逆説的ではありますが、この鳩山内閣支持の声は何に由来するのか、というのが私の注目したいところなのです。

私の好きなジェンダー研究者のイダヒロさんのブログの「沖縄基地問題とメディア」(2010年5月12日)という記事の中に「低気温のエクスタシーbyはなゆー」さんのブログの「〔普天間〕日本テレビが報じる『沖縄県民の声』を疑問視する沖縄県民」(2010年5月9日)という記事が紹介されています。

イダヒロさんは上記の記事で、報道各社の世論調査で民主党支持率が下落していることを憂い、「沖縄で『自民党政権に戻って、ぜひきっちり辺野古に決めて欲しい』と思う人間は、少なくともわたしの周りには一人もいない。鳩山よがんばろうよ、迷えよという声が多い」という「真実」を伝えようとしてはなゆーさんのブログ記事を紹介されているわけですが、私はイダヒロさんとは違って、はなゆーさんの同ブログ記事を「鳩山内閣支持の声は何に由来するのか」という観点から読みました。そうした観点からはなゆーさんの同ブログ記事を読むとイダヒロさんの読み方とは違う様相が浮かび上がってきます。私の注目した点を中心に「沖縄県民」の声を拾うと次のようになります。

知花竜海(沖縄出身。ミュージシャン)
http://twitter.com/ChibanaTatsumi/status/13432639716
そりゃ怒りはあるけど、今ここでやめられたらもっとひどい事になる。だから鳩山さんに考え直してほしい。公約を守ってほしいと言った。

KEN 子(沖縄のミュージシャン)
http://twitter.com/KENKOOKINAWA/status/13388899935
押し付けて別案検討なく謝った事すらない前政権よりマシ。
http://twitter.com/KENKOOKINAWA/statuses/13521071822
今辞められたらもっと悪い総理に変わる方が恐い! まだ1年生の政府&首相の成長に期待するしかない。
http://twitter.com/KENKOOKINAWA/statuses/13415469840
前政権では全く期待すらなかったからね。

江川紹子(ジャーナリスト)
http://twitter.com/amneris84/status/13371717324
このまま鳩山さんを辞めさせれば、今後、米軍基地について沖縄の負担軽減を具体的に約束する政治家や政党は、少なくとも政権運営を目指す人や党の中からは当面、出てこないのでは、と懸念する。喜ぶのはアメリカ。

やきとり(少年時代を沖縄ですごした。野球好き)
http://twitter.com/kensonmusic/status/13421074046
本当に批判すべきは鳩山ではなくアメリカだろ。日本人ってホントに馬鹿ばっかりだな。

館野公一
http://twitter.com/mandolinbum/status/13464285905
鳩山首相に、茶番だボンクラだと文句を言ってるのは例外なく本土の人間。沖縄の人は怒っているけど、ここで辞められたらもっとひどいことになる、だから考え直してほしい、頑張ってほしいと言ってる。

上記から読み取れることは、「沖縄県民」は、鳩山内閣を積極的な意味で支持しているというわけではなく、「そりゃ怒りはあるけど、今ここでやめられたらもっとひどい事になる」、自民党政権時代に逆戻りしては困る、といういわば消極的な「よりまし」論で鳩山内閣を支持している、ということです。

こうした傾向は「沖縄」だけでなく、本土という「現地」でもたいして事情は変わりはありません。この13日に国会内で自民、公明、共産、みんな、たちあがれ日本の野党5党の幹事長会談が開かれましたが、そこで野党5党は「鳩山政権打倒」で共闘することで意見の一致を見た、という報道がありました(産経新聞 2010年5月13日)。この報道に関して私の参加しているメーリングリストで少しばかり議論がありましたが、上記の野党のうち4党は明らかに「右からの鳩山政権攻撃」であり、民主党・鳩山政権よりも反動的な立場で改憲、沖縄の基地問題ゴリ押しを進めようとする勢力である。そうした勢力との共闘に共産党が加担してどうするのだという批判がある一方で、その批判を補強する立場から「鳩山内閣が打倒されたら、普天間基地は撤去され、米軍基地は縮小されるのか。自公は企業献金を廃止するのか」という批判もありました。この批判も自民党よりも民主党の方が「よりまし」という論の一形態といってよいものです。
[下に続く]

(写真:沖縄の海と空)

今回の「谷亮子参院選担ぎ出し」事件(あえて「事件」と言っています。間違いではありません)は、谷亮子というスポーツ・ウーマン、もしくはタレントのアタマの中身がよくわかるとともに、それ以上に民主党・小沢幹事長という人の貧弱な政治構想力、政治的センス、つまりはアタマの中身がよくわかる事件といってよいでしょう。政党がタレント候補の擁立合戦を繰りひろげることの愚かしさの指摘については前岩国市長の井原勝介さんの下記のコメント(短いものなので全文引用させていただきます)に尽くされていると思いますので、私としてこれ以上のことは述べません。

■タレント候補(井原勝介ー草と風のノートー 2010年5月10日)
 
 ヤワラちゃんこと谷亮子が、夏の参議院選挙の民主党比例候補として立候補することになり、小沢幹事長と並んで記者会見が行われた。

 自民党から堀内恒夫、たちあがれ日本からは中畑清、いずれも元プロ野球巨人の有名選手、その他女優の立候補もあり、各党とも、タレント候補の擁立合戦の様相を呈している。

 確かに票を取るという意味では大きな効果があることは間違いないが、果たして票を稼ぐだけでいいのだろうか。

 甘い公約を連発し、芸能人の知名度を利用し、お金を使い、果ては力で締め付ける、選挙に勝つためには手段を選ばないことになる。そして選挙が終われば、また次の選挙を目指す。こんな政治が、国民のために働くわけがない。

 政治の目的は、選挙に勝つことではなく、理念と政策を実現し国民の幸せを図ることである。選挙はそのための手段に過ぎない。理念や政策を掲げ堂々と戦う本物の政党の出現が待たれる。

ところで谷亮子の参院選出馬会見での政治と柔道の兼業宣言に、国会議員も国家公務員にほかならないのだから国家公務員法の兼業禁止規定に違背するのではないか、という指摘が一部にあります。この指摘の言わんとするところはわかるのですが、必ずしも正しい指摘とはいえないように思います。言わんとするところは正しくても「事実」を正確に踏まえた上での指摘でないと説得力はありませんのでこの件について少し書いてみます。

たしかに国家公務員の兼業・兼職は国家公務員法第103条によって原則的に禁じられています。

(私企業からの隔離)
第103条  職員は、商業、工業又は金融業その他営利を目的とする私企業(以下営利企業という。)を営むことを目的とする会社その他の団体の役員、顧問若しくは評議員の職を兼ね、又は自ら営利企業を営んではならない。(国家公務員法)

しかし、国家公務員法の規定は国会議員には適用されません。国会議員は同法第2条に規定される国家公務員の一般職にも特別職にも該当しないからです。さらに国会議員と同法の関係の説明としては以下に述べることは余分なことですが、国会職員や国会議員の秘書は同法に規定される特別職に該当しますが、その特別職にも同法の規定は適用されません。これも同条第5項に「特別職に属する職には、これ(注:同法)を適用しない」ことが明文化されているからです。

国会議員の兼職禁止についての規定があるのは憲法第48条と国会法第39条だけです。

憲法第48条 何人も、同時に両議院の議員たることはできない。

国会法第39条 議員は、内閣総理大臣その他の国務大臣、内閣官房副長官、内閣総理大臣補佐官、副大臣、大臣政務官及び別に法律で定めた場合を除いては、その任期中国または地方公共団体の公務員と兼ねることができない。ただし、両議院一致の議決に基づき、その任期中内閣行政各部における各種の委員、顧問、参与その他これらに準ずる職に就く場合は、この限りでない。

上記において国会議員は衆参両議院の議員と地方公共団体の公務員の兼職が禁止されているだけで、そのほかに特段の兼職禁止規定はありません。だから、たとえば国会議員と私企業の役員を兼ねていても必ずしも法律に違背する行為ということはできません。

しかし、憲法における「公務員」については国会議員も含まれると一般的に解釈されているようですし(憲法における「公務員」と国家公務員法の「公務員」とは異なります)、憲法第15条第2項には「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」という規定もあります(国家公務員法第101条の職務専念義務は、憲法第15条第2項の公務員の全体の奉仕者性にその法源が求められているようです)。そうした観点から見れば国会議員も全体の奉仕者としての職務専念義務が国家・地方公務員と同様に課せられている、と解釈できます。そういう意味でも国会議員の兼業・兼職は好ましいこととはいえないでしょう。

上記が国会議員の兼職・兼業の禁止の原則的な考え方というべきですが、国家公務員の兼業・兼職を禁止している同法第103条第3項には「所轄庁の長の申出により人事院の承認を得た場合には、これを適用しない」という規定もあります。所轄庁の長は、公務の中立と職務専念義務の履行を確保するため、申請した公務員の官職と兼務する事業などの間に特別の利害関係がなく、またはその発生のおそれがなく、かつ、職務の遂行に支障がないと認められるときに限りこれを許可することができる(職員の兼業の許可に関する内閣府令1条など)、というのが同規定の趣旨のようです。

そういうことも踏まえて今回の谷亮子の政治と柔道の兼業宣言の可否を考えてみると、国会議員は有権者によって選出された国民の代表者という側面がありますから、国民を代表して柔道を通じて「国際社会において、名誉ある地位を占め」る(憲法前文。もちろん、文脈は異なります)ことは国会議員の本来的な役割とそう矛盾するものではない。谷亮子の政治と柔道の兼業宣言はそういう意味で認められるものではないか、という考え方もできなくはありません。

ですから、今回の問題は谷亮子の政治と柔道の兼業宣言が問題なのではなく、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(憲法第13条)を守ることを目的とする政治という理念と政策実現の場に票集めの手段としてタレント候補を起用しようとする小沢一郎という一個の政治家を好個の見本とする政治屋集団の政治構想力、というよりも唾棄すべきほどの精神の貧困、惰弱、怠惰、欺瞞、つまるところアタマの中身が問題なのだというべきだろう、と私は思います。

(写真:谷亮子 参院選出馬)
鹿児島の友人から「しばらく阿久根市長問題も鳴りを潜めるかと思っていましたが、またやりたい放題のことを始めました」というメールがありました。この新たな「やりたい放題のこと」については多くのマスメディアが記事にしています。その中から毎日新聞と南日本新聞の記事を下記に掲げます。

■鹿児島・阿久根市長:「専決」で条例制定 「独裁宣言と同じ」市議批判(毎日新聞 2010年5月7日 西部夕刊)

 市議会出席を拒否している鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が、4月27日に「花火規制条例」を専決処分し告示したことが7日分かった。地方自治法によると、緊急を要する場合に、専決処分が可能。議会側は「議会無視で独裁につながる」と反発している。

 議会関係者らによると、市長は4月末の市区長会総会で、花火使用を制限する条例を専決処分で決め27日付で告示した、と述べた。区長の1人が「議会に諮らないでいいのか」と質問すると「あとで承認をもらえばいい」と話し、毎年夏前に市内の海岸で花火による騒音苦情が出るため、条例を定めたと説明。今月6日の課長会でも「仕事は迅速にやるべきで、議会にかけたら時間がかかる」と発言したという。

 地方自治法179条は、議会を招集する時間的余裕がなく緊急の場合に首長は専決処分ができると定めている。次の議会での報告・承認が必要。市議らは「議会のチェック機能を無視し、独裁を行うと宣言したようなもの」と批判している。【馬場茂】


■阿久根市長「必要施策は専決」 議会無視と批判の声(南日本新聞 2010年5月7日)

 阿久根市の竹原信一市長は6日の課長会で、必要とする政策について専決処分で進めると明言した。既に3月定例会直後に条例を専決処分としており、一部市議は「議会無視で首長の暴走につながる」と批判している。

 地方自治法は、専決処分は首長が議会招集する時間的余裕がないときなどに採用できると規定。ある市議は「市長は議会欠席を公言しており、専決処分の要件である緊急性を満たすとは思えない。予算根拠も不透明となる恐れがある」と話している。

 複数の関係者によると、竹原市長は課長会の訓示で、「仕事は急いでやるもの。議会にかけるとどうなるか分からず、予算を使えなくなる」と述べ、必要な政策は前倒しで専決処分とするとした。

 3月定例会は4月19日閉会し、市長は同27日付で「花火規制条例」を公布した。

 同条例は公共の場での花火を規制。爆発音がなかったり、市長が認めた場合などは除外される。同条例の専決処分について、竹原市長は取材に「ゴールデンウイーク前で緊急性があった」としている。

下記は鹿児島の友人宛ての私のメールです。

○○さん

今回の阿久根市長・竹原(もう呼び捨てにしますが)の専決処分は、「議会を招集する時間的余裕がない」(自治法第179条)わけではなく、「仕事は迅速にやるべきで、議会にかけたら時間がかかる」(毎日新聞 2010年5月7日付)という理由であえて議会を召集しないわけですから、明らかに地方自治法に違反する事態だと思います。こういう事態における専決処分は無効である旨、裁判においても判決が出ています。

「本件専決処分は時間的余裕がないためにやむなく行われたものではなく、市議会の議決を免れることを意図してされたものと評価されても致し方ないというべきである。したがって、本件専決処分については、『普通地方公共団体の長において議会を招集する暇がないと認めるとき』という要件を充足しないから、これによって制定された本件改正条例は,効力を有しないというべきである」(銚子市職員調整手当請求事件 平成19年3月9日 千葉地裁 民事3部)

したがって裁判という手段に訴えれば勝訴は確実だと思われますが、裁判は上告まで視野に入れれば長期にわたることが予想されますし、またこの問題は直接市長の失職につながるような案件でもありません。阿久根市長の常軌を逸した行動を一日も早く終焉させるためにはやはりリコールが近道だと思います。

同市長が再選されたのは昨年の5月31日。したがって、来月1日になれば1年間のリコール禁止期間はクリアされます(追記参照)。いまがリコールに打って出るチャンスだと私は思います。


以前のメールでご紹介した「阿久根市長 支持集めるわけ」という朝日新聞記事(愚生ブログ記事参照)によれば、議会では多数派(16分の12)を占めている反市長派の議員は「これまで2回の不信任決議の結末がトラウマ」になっていて、不信任決議案の提出、リコール運動の提起などの市長解職のための「動きは鈍い」ということです。しかし、いまのいまという段階でそういう及び腰であってはならないと思います。昨年5月の出直し市長選では反市長派は阿久根市長に562票差まで迫る健闘を見せたのです。さらに昨年5月の段階といまとでは格段に状況も違うはずです。阿久根市長の常軌を逸した行動を連日のように批判的に報道してきた(それは同市長が連日のように常軌を逸した行動をするからにほかならないのですが)マスメディアの影響ということも当然あるでしょう。昨年の5月段階とは比較にならないほど竹原市長に対する市民の視線は厳しくなっているはずです。

私はいまがチャンスだと思います。阿久根市の市民と議員はこれまでのトラウマを克服して、いまリコールという手段に打って出るべきだと思います。

リコールということになれば有権者の3分の1以上の署名が必要ですし、署名集めが成功したとして、その請求の60日以内には住民投票も行わなければなりません。これはリコール運動側にとっては大変な作業といわなければなりませんが、逆にいえば竹原リコールの運動の意志(それは「民主主義」の意志が、ということでもあります)が市民の間に確実に拡まっていくまたとないチャンスともなりうるものでしょう。

私は勝算はおおいにある、と思います。上記の機運が阿久根市で大きくなっていくことを私は期待します。

追記:リコール請求と国政選挙及び自治体選挙の期間が重なる場合、同期間(政令で定める期間)内はリコール請求のための署名活動は禁止されていることをこの記事を書いた後に知りました(自治法74条6項、同81条2項)。したがって阿久根市で実際にリコール請求ができるようになるのは2か月強先の今年7月25日の参院議員任期満了後以降のことということになります。が、私が阿久根市長リコールの必要性について述べた上記の趣旨は変わりません。この2か月強の期間は同市長リコールのための格好の準備期間として位置づけられるもの、と思います。


(写真1:竹原信一阿久根市長)
(写真2:阿久根市庁舎)
(写真3:阿久根市の祭り)
公開型メーリングリストの市民のML(CML)に「お笑いタレントは、何故、政治的発言を繰り返し、自民党を擁護するか?」という記事(2010年5月5日付)が掲載されています。

上記記事は私のツイッター現象≒流言飛語説を具体的に検証する上において有用な事例を提供してくれているように思えますので、以下、同記事の問題性を指摘しておきます。

第1。「田原総一朗氏が機密費の提供を拒否した」という件について。


上記記事の筆者はこの件について自身の意見を述べてはいませんが、下記の琉球新報記事及び「岩下俊三のブログ」記事をコメント抜き、あるいは無批判に掲載しているところから見て、「田原総一朗氏が機密費の提供を拒否した」という件については肯定的に受け止めていることは明らかです。

●「機密費:評論家にも 野中元長官、講演で証言」(琉球新報 2010年4月28日)
http://ryukyushimpo.jp/variety/storyid-161420-storytopic-3.html
「(野中氏は講演で)一方で機密費の提供を拒否した評論家として田原総一朗氏を挙げた。」

【岩下俊三のブログ】より

「しかし今回の野中発言で『(機密費を)持って行って断られたのは、田原総一朗さん一人』と聞いて若干ホッとした。」

しかし、同筆者が間接引用している「文藝評論家・山崎行太郎ブログ『毒蛇山荘日記』」の「田原総一朗はカネを受け取らなかった? 嘘だろう。野中広務からは受け取らなかったかもしれないが、献金名簿に名前が記載されていたということは、別ルートからは、あるいは野中以前の官房長官からは受け取っているということだろう」(2010年5月3日付)という長いタイトルはそのタイトルのままの指摘になっています。同ブログの本文をもう少し引用すると山崎氏は次のように述べています。

「《野中氏はさらに『前の官房長官から引き継いだノートに、政治評論家も含め、ここには これだけ持って行けと書いてあった。持って行って断られたのは、田原総一朗さん1人』と述べた》。この野中広務証言をよく読むと、前官房長官から『引き継いだノート』に、しっかりと『田原総一朗』の名前が記載されていたということは、つまり野中からの現金は受け取るのを『断った』かも知れないが、前官房長官からの現金は受け取っていたということを意味していることは明白である。」

上記記事では情報の出所は明らかではありませんが、同筆者が引用している琉球新報記事の「野中氏は自民党政権時代に、歴代の官房長官に慣例として引き継がれる帳簿があったことにも触れ『引き継いでいただいた帳簿によって配った』と明言」という該当部分とも符合します。この山崎氏の推理は論理的で正しいものといってよいでしょう。

だとすれば、同筆者は保守的評論家である田原総一朗に関して誤れる情報と評価を人々に拡散しているということにならざるをえません。そして、その誤れる情報は、同筆者のCMLへのメール、上記の「岩下俊三のブログ」などでも明らかなように拡散に拡散を重ねていくのです。恐るべし、といわなければなりません。私がツイッターを、あるいはツイッター的なブログ(阿修羅掲示板のようなものを指しています)を「流言飛語」的というのはそういうことなのです。

第2。太田光はほんとうに機密費をもらっているのか?


上記では正当な推理をしている山崎氏ですが、太田光が政府の機密費を貰っているかのように吹聴するのはどうなのでしょう? そして上記記事の筆者がそのままの情報を垂れ流していることもどうなのでしょう?

山崎氏の上記ブログでの指摘では太田光をクロ(政府の機密費を貰っている芸能人)だと断定することはできません。「野中は、政治評論家だけではなく、政治的発言を繰り返す「お笑いタレント」たちにも、官房機密費から、盆暮れの二回、500万円ぐらいずつ、つまり年間1000万円のカネを手渡したと爆弾証言した」のでしょうが、同筆者が紹介する琉球新報の記事などを見る限り、野中元官房長官は具体的な芸能人の人名を明らかにしているわけではありません。それでどうして「伊藤、ビートたけし、太田光・・・等」(山崎行太郎ブログ『毒蛇山荘日記』)の具体的な人名を挙げることができるのでしょう(たぶん、2ちゃんねるのたぐいの情報なのでしょう)?


そう断定できる情報の出所を示さないまま断定だけはする。典型的な「流言飛語」的な言説だといわなければなりません。その「流言飛語」的な言説の流布に上記記事の筆者も積極的に手を貸している、ということにならざるを得ないのです。同記事の筆者の紹介する「阿修羅版」の投稿者亀ちゃんファンはなんらそのウワサの根拠を確かめることもしないまま「一度太田はパッシングしないとわからないだろうな」とまで言っている。そして、同筆者はそういう根拠のないウワサをあまりに無雑作に拡散している。ツイッター的流言飛語恐るべし、といわなければなりません。いま、関東大震災のような震災が再び起きたとして、当時は文字どおりの口コミで「朝鮮人が井戸に毒を入れ、放火して回っている」という根拠のない流言飛語が拡まり、朝鮮人虐殺にまでいたりましたが、いまはツイッターという文明の利器がその悪しき流言飛語の拡散の役割を果たすのだとしたら・・・

(写真1:田原総一朗)
(写真2:太田光)
(写真3:関東大震災の惨状)

ある人からツイッターの「流言飛語」的側面の危険性について指摘した「ツイッター現象と検察審査会の小沢氏『起訴相当』議決について考える」(2010年5月2日付)という過日の記事について、「ツイッター『流言飛語』説こそが『流言飛語』である」という批判がありました。以下は、そのある人への私の反論です。したがって、本エントリーは、同記事の続きという位置づけになります。ツイッター現象がマス・メディアを含めた国民・国家的レベルの大衆現象の様相を帯びている以上、再度その問題性を指摘しておくことは意味のないことではないように思います。なお、私のツイッター現象批判は全面批判ではありません。ある程度のその文明の利器の有用性を認めた上での批判です。言ってみれば4分の3批判というところでしょうか。

○○さん

あなたが「 ツイッターは、なかなか面白いツールです」と認識していること自体については、私は特段に異議を申し立てる立場にありません。それぞれの「好み」はそれぞれが決めることだからです。人さまの「好み」に異議を申し立てるなどナンセンスきわまりないことをするつもりはありません。

しかし、あなたがおっしゃるツイッターの「口コミ」機能のことを私は「流言飛語」的側面のある機能というべきではないか、ということを言っています。「流言飛語」の意味を辞書で確認すると「口づてに伝わる、根拠のない情報」という説明が出てきますから、「口コミ」機能のある悪しき側面を「流言飛語」的という私の解釈は辞書的な意味合いでも間違っているわけではありません。

インターネット百科事典のWikipediaも口コミについて、「一般に口コミによる評判はマスコミでのそれよりも信憑性が高いと認識されている。これは一般人にはマスコミのような利害関係が生じにくい事による」と口コミの正の評価を示すとともに、「一方で逆にマスコミのように情報の正確性が問われないため、偏見などによって情報が大きく歪められる事もある」という負の評価の部分をも指摘することも忘れていません。それを「ツイッター『流言飛語』説こそが『流言飛語』であると申し述べます」などというのは、あなたのツイッターに対する主観的な思い入れの吐露以上の意味を持たないだろう、ということを指摘しておきます。

さらにあなたの次の認識は誤っているだろうと思います。

(1)「要するに、ツイッターは、時事的な分野ではたいへん強力な武器になります。直接民主主義に似たような、われわれメディアに何の力ももたない庶民にとっては、ひとすじの光といってもよいようなツールです。」

(2)「ツイッターでは、とにかく人間力というものが試される。筋の通った、理想を失わない、権威権力(マスメディアと例外なく結託している)に風穴をあけようとしている良質のジャーナリストや一般人たちを、わたしはこのツイッターで知り、励まされています。」

まず(2)に関して、マスメディアの報道とツイッターのワンフレーズのつぶやきの違いについて、ある「庶民」と少しばかり応答しました。その部分を転記しておきます。
ある「庶民」の応答:
「一般論としてツイッターの内容はあてにならないことも多いでしょうが、逆に真実であることもあるでしょう。同様に、残念ながらマスコミの報道も、真実であることも多いでしょうが、逆に虚偽を真実であるかのように宣伝していることもあるのではないでしょうか。」

私という「庶民」の応答:
「あてにならないマスコミ報道が多いことは事実ですが、ツイッターのワンフレーズのつぶやきとマスコミ報道を一緒くたにしてはいけないと思います。報道には「論」とともに「論の理由」があります。読者は「論の理由」を読んで「論」の正しさを検証できるのです。ツイッターには「論」はあっても「論の理由」はありません。流言飛語も「論」(たとえば「朝鮮人が井戸に毒を入れた」)はあっても「論の理由」(いつ、どこで、誰が。その証拠と証明)はありません。これは決定的な違いです。「論」の真贋を検証できないからです。」
もうひとつ(2)に関して繰り返しになりますが、先のメールで述べた該当部分を転記しておきます。下記の例にあげる岩上安身氏があなたがいう「良質のジャーナリスト」の中にはいるのかどうかは定かではありませんが、岩上安身氏のツイッター情報は最近ある種の「庶民」によって頻繁に引用されています。そのある種の「庶民」にとっては岩上安身氏は「良質のジャーナリスト」とみなされているからでしょう。下記の例で私は「その良質のジャーナリストをしてをや」ということを言っています。
第3。フリージャーナリストの岩上安身氏発の弁護士の郷原信郎氏の見解とされる「これで検察が起訴するなら、今までの捜査はいったい何だったのか。専門家集団と称する検察などいらない、市民が起訴すればいい」という市民から構成される検察審査会の存在意義さえ否定するツイッター上の暴論(CML 003861)も郷原氏の下記の直接の発言と比較すれば正しくないことがわかります。

■郷原信郎名城大学コンプライアンス研究センター長の定例記者レクでの検察審査会の「起訴相当」議決についての発言](2010年4月28日)
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/04/post_558.html

上記発言を読むと、郷原氏は、「公訴権の行使や検察運営に関し、民意を反映させる」という側面における検察審査会制度はそれ自体として肯定的に評価していて、ツイッター上で見たような検察審査会の存在意義さえ否定する暴言のたぐいの認識は一切示していません。この例からもツイッター上の言説の危うさと言説としての限界性を知ることができるでしょう(この場合のツイッター上の発信人はジャーナリストという物書きを仕事とする言論人です。その言論人をしてをや、ということです)。
(1)については次の例を示しておきます。私は下記のようなツイッター情報が「ひとすじの光」になっては困る、ということを言っているのです。

?2月はじめにツイッターで「検察審査会に小沢民主党幹事長不起訴の『不服申立て』をしたのは在特会だったということが事実として確認できました」という情報が流れました(「杉並からの情報発信です」 2010年2月10日)

?それから3か月ほど経って検審の小沢氏「起訴相当」議決が出た4月27日に関組長という人の同日付のメルマガにやはり「申し立てを検察審査会にした市民団体は、在特会だ」という情報が掲載されました。

2月はじめのツイッター上の?の情報が巡りめぐって掲載されたものと思われます(この間、私は何度も同じ情報を目にしましたので、そう推測することができます)。そしてこの関組長のメルマガを転載した人は「在特会と検察と検察審議会とに初めから打ち合わせがあったのではないかという推測を私はしました」と?の「事実」(ほんとうは推測に過ぎない。そして、先のメールですでに証明しているように誤れる推測)にさらに誤った推測を重ねて転載しています。

?上記の関組長のメルマガにはこれも誤れる次のようなツイッター情報も掲載されていました。
また驚くべきことをツイッターでつぶやいている人がいたので
https://twitter.com/sukiforumcom/status/12974019280
検察審査会の検察審査員は、無作為に抽選で選出されていませんよ。随分前ですが審査員の方からふさわしい人を推薦してほしいと依頼があったので推薦しました。(後略)
上記の関組長のメルマガに掲載されたツイッター情報は次の2点において誤っています。

()申し立てを検察審査会にした市民団体が在特会であると仮定しても、そのことと今回の検察審査会が小沢氏「起訴相当」と議決したこととの間には関連性は少なくとも証拠としてはない(上記に見たように同メルマガを転載した人は「在特会と検察と検察審議会とに初めから打ち合わせがあったのではないか」という主観的推測をした上で転載しています)。

()上記のツイッター上のつぶやきはありえない事例(すなわちウソ)といわなければならないこと。以下、この点について述べていることを転記しておきます。
上記のツイッターの発信人は「sukiforumcom(スキフォーラム)」の「charlie」という人で、同団体の ホームページ(http://www.sukiforum.com/index.php)を見ても、スキフォーラムという団体もcharlieという人も正体不明のままです。こうした正体不明の人の真偽の確かめられないつぶやきを一般に「流言飛語」と言います。関東大震災の際、「朝鮮人が暴徒化している」「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」という根拠のないこうした流言飛語によって多くの朝鮮人が日本人の手によって虐殺された歴史的悲劇をあなたもご存じないわけではないでしょう。いま爆発的に私たちの国で流行しているツイッター現象ですが、そのツイッターのひとことのつぶやきは、あの悪名高い小泉純一郎流の「ワンフレーズ・ポリティクス」の危うさを想起させるとともに、上記のような根拠のない流言飛語を撒き散らす最悪の凶器にもなりえます。いま、ツイッター現象に群がっている人たちにその自覚がどこまであるでしょうか? 

関組長は根拠不明、発信人不明のツイッター上のこうしたつぶやきを検証もなく紹介して「前述のつぶやきが本当だとすると」としてその根拠不明のつぶやきを拡めることに手を貸しています。○○さんも「見たいのですが見れないのです、ツイッターが。教えてくださいませんか」と言います。流言飛語はこうして拡がっていくのです。そのことに私たちは自覚的でありたいものです。

()の指摘については前エントリー「ツイッター現象と検察審査会の小沢氏『起訴相当』議決について考える」(2010年5月2日付)の該当部分をご参照ください。

以上からわかるように「検察審査員」が検察審査員を選定する過程に介入する余地はまったくないのです。仮にある検察審査員が次の検察審査員を推薦したとしても(そういうこともありえませんが)、その推薦はまったく無効です。
上記で示したことをもってしても、あなたに依然拙論に批判がある、というのであれば、それはそれで致し方ないことです。人さまの読解を強要することはむろんできることでもないでしょうから。
[上から続く]
(4)前田朗さんのメール(その4) CML 003987(2010年5月6日付)より
東本さん

(略)


野村浩也編『植民者へ――ポストコロニアリズムという挑発』(松籟社、2007年)からのもう1回だけ。
 現在、沖縄人がけっして望んでいないにもかかわらず、七五%もの在日米軍基地が押しつけられたままである。基地を集中的に押しつけられる現実とは、戦闘機や軍用ヘリがいつ頭上に墜ちてもおかしくない日常を強制されることであり、一日として恐怖から解放されることのない生活を強いられることである。実際、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事件は記憶に新しいし、軍事演習や訓練による被害は日常茶飯事である。また、基地に沖縄の土地を奪われることは、生産と居住の場を奪われ、経済を破壊されることでもある。そして、基地は何も生産しないがゆえに、基地の存在そのものが経済を破壊する要因といっても過言ではない。さらに、基地が身近に存在するということは、米軍兵士によるレイプ・殺人・強盗など暴力のターゲットにされるということでもある。しかも、米軍兵士とは、合州国の国家公務員にほかならない。本来、政府の命令で派遣された国家公務員が派遣先の国で暴力犯罪をはたらけば、深刻な外交問題に発展してもおかしくはないし、一件起きただけでも致命的である。にもかかわらず、日本国政府はこの問題にまともに対処しようとしない。つまり、沖縄人の生命や人権よりもアメリカ軍の活動の方が優先されているのである。

 この理不尽きわまりない現実を沖縄人に強制することを決定した張本人こそ、ひとりひとりの日本人にほかならない。しかも、その決定は民生主義の手続きを経てなされてきたのだ。日本人は、民主主義によって沖縄人の意志を踏みにじり、七五%もの在日米軍基地負担を暴力的に強制しつづけているのである。つまり、沖縄人は、アメリカ軍の暴力のみならず、日本人の暴力による苦痛をも強いられているのであり、暴力が民主的に承認され、暴力に支配された空間が沖縄なのだといっても過言ではない。したがって、沖縄を「アジア最後の植民地」と呼ぶ論者がいるのも不思議ではない。

 この「アジア最後の植民地」は、それこそアジアの植民地化されてきたひとびとに対する軍事的暴力に否応なく加担させられてきた。沖縄という土地は、アジアに対する軍事的脅威であり、朝鮮半島およびベトナムにおける大量殺戮を直接担った「悪魔の島」にほかならない。この「悪魔の島」の住人は、その後も、パレスチナ、イラク、ユーゴ、アフガニスタン、そして再びイラクヘと、殺戮に加担することを強要されてきた。この現実が示しているのは、植民地主義の被害者が、同じ植民地主義によって、加害者に仕立てあげられてしまう矛盾である。そして、民主主義を通じた米軍基地の押しつけによってこの矛盾を沖縄人に強制した張本人こそ、ひとりひとりの日本人にほかならない。<以上、同書63?64頁>
以上3回ご紹介したので、ある程度見えてきたと思います。もっとも、「良心的日本人」や「沖縄ストーカー」への批判は、前著の方に詳しく、この論文では追求されていません。

重要なことは、第1に、植民者と被植民者の関係で、植民者がいかなる態度を取っているか。事実を隠蔽し、自分の責任をのがれ、第三者的に振舞い、中立のふりをしたりすることへの批判です。

第2に、そうした植民地主義者の典型例として、前著では、「沖縄が好きだ」という「良心的日本人」をあげています。口先では「基地反対」と言っても、実際に沖縄の基地をなくすために本土に基地を移転しようという日本人はいないことをめぐって詳細な記述が為されます。

第3に、植民地主義と民主主義の共存です。民主主義はつねに植民者の都合に合わせて利用され、沖縄に負担を押し付けるために民主主義が持ち出されます。

天木氏の次の発言が、まさに植民地主義丸出しであることもご理解いただけたと思います。

>沖縄県民が怒りに震えて立ち上がれば、私は打倒鳩山に全面的に参加する。
>沖縄県民が、このまま米軍基地の県内移転に譲歩するのであれば、もはや私は
>沖縄の基地闘争を一切支援することはないだろう。勝手にやってろ、ということだ。

天木氏の発言は、言葉が乱暴だから問題なのではありません。植民者の立場で無自覚になされた「無意識の植民地主義」そのものなのです。

沖縄に基地を押し付けているのは本土の日本人です。沖縄の基地を撤去できるのも本土の日本人です。1%に満たない沖縄人には「自分の運命を自分で決定することのできない境遇」が押し付けられているのです。民主主義的に基地を押し付けたのも日本人であり、民主主義的に基地を除去できるのも日本人です。しかし、ほとんどの日本人はそうはしないのです。あれこれと理屈をつけて、沖縄の基地を維持してきたのです。

沖縄に基地を押し付けてきた日本人=植民者の一員であり、その立場に立っている天木氏が、「沖縄県民が怒りに震えて立ち上がれば、私は・・・」というのは、第1に、沖縄県民に決定することのできないことを押し付け、自分がやるべきことをあいまいにし、あたかも中立・第三者的に振舞う所作なのです。

第2に、沖縄の基地を撤去せず、さらに押し付け続けようとしている日本人=植民者の一員である天木氏が、「沖縄県民が、このまま米軍基地の県内移転に譲歩するのであれば」などと述べていることも明らかなごまかしです。沖縄県民が「譲歩」するか否かなど現実の問題ではありません。沖縄県民には譲歩するか否かの判断権すら奪われているのです。押し付けるとはそういうことです。譲歩する事さえできない状態であるにもかかわらず、「譲歩するのであれば」などと述べるのは、押し付けている側の責任を解除するためでしかありません。


第3に、「沖縄の基地闘争を一切支援する・・・」と書いているのが、まさに植民者の立場表明です。植民者の一員である天木氏が、被植民者にされ、基地を押し付けられ、決定権を奪われている沖縄県民に「支援してやっている構図」を正直に表明しています。問題は逆ではありませんか。基地撤去を決めることができるのは日本人です。決定するべきは日本人です。天木氏は、自らの課題として基地撤去を唱え、自らの課題として打倒鳩山を呼びかければいいのです。

念のために補足しておきますが、ここでの問題は天木氏が植民地主義者であるかどうかではありません。私もそんなことは考えていません。天木氏が沖縄県民と「連帯」し、基地撤去実現を願っていることは了解しています。問題は、天木氏の発言、その発想、その思考枠組みが、植民地主義そのものであることなのです。

それにしても情けないのは、「天木さんは知り合いだ。天木さんはいい人だ」などと愚劣な言葉を撒き散らす人間です。

第1に、天木氏がいい人かどうかなどということは全く関係ありません。「いい日本人」とは「いい植民者」なのかもしれないからです。

第2に、ここで議論しているのは沖縄の基地問題です。上記から野村氏の言葉を2つだけ再度引用します。

1)「基地を集中的に押しつけられる現実とは、戦闘機や軍用ヘリがいつ頭上に墜ちてもおかしくない日常を強制されることであり、一日として恐怖から解放されることのない生活を強いられることである。」

2)「沖縄人は、アメリカ軍の暴力のみならず、日本人の暴力による苦痛をも強いられているのであり、暴力が民主的に承認され、暴力に支配された空間が沖縄なのだといっても過言ではない。」

こうした周知の沖縄の現実問題を議論しているときに、「天木氏は雨の中をデモしたいい人なんだ」とか、「天木氏は奥様の苦労話を」などと、呆れ果てた話を持ち出してくる精神の退廃、堕落です。ここに植民地主義者の姿がくっきりと見えてくるのです。同じような話は野村氏の前著にはいくつも書かれています。深刻な植民地被害の解決が議論されている場に、植民者の側の一員の雨の中のデモだの奥様の苦労話だのを持ち出すことができるのは、腐りきった精神だけです。

私たちの中にあるかもしれない、こうした弛緩、怠惰、逃避、はぐらかし、欺瞞を突きつけ、抉り出しているのが、野村氏の論文や著作です。
(略)

(写真1:沖縄 ガジュマル)
(写真2:本土と連帯して名護市長選の勝利を)

前田朗さん(東京造形大学教授・在日朝鮮人人権セミナー事務局長)が「鳩山よ! この落差はなんだ!!―「沖縄県民は鳩山打倒に動かなければ嘘だ」?天木直人氏の認識と見解に全面的に賛同します」(2010年5月4日付)という拙稿の思想の弱点を指摘する厳しい批判をCML上に寄せられています。前田さんのご指摘は道理のあるものです。思想的な差異を認めた上での人びと(市民)の「連帯」あるいは「共同」の問題をどう考えるか、という課題は残りますが、その課題については別に稿を起こすことにして、前田さんの指摘によって私は「沖縄問題」の本質的な視点のありよう、あるいは認識の問題についてうすうすと感じていたことをはっきりと気づかされることになりました。以下、前田さんの拙稿批判のうち野村浩也氏(広島修道大学教授)の著書を紹介した部分を中心に転記させていただこうと思います。前田さんの論攷(著書の紹介ですから、その論攷の大部分は野村氏の論攷ということにもなるのですが)は私の拙論の批判を超えて広く読まれるべきものだと思います。ご紹介させていただくしだいです。

(1)前田朗さんのメール(その1) CML 003972(2010年5月5日付)より

東本さん

おすすめしたい本があります。もっとも、ご存知かもしれませんが、野村浩也『無意識の植民地主義』(お茶の水書房)です。
その一部に収められた文章の要旨は野村さんのウエブサイトでも読めます。
http://sociology.r1.shudo-u.ac.jp/nomura/

このサイトの「研究業績」欄に掲載されている論文、特に「沖縄におけるナショナリズムとコロニアリズムに関する予備的考察」「日本人と共犯化の政治」「植民地主義は終わらない」「無意識の植民地と沖縄ストーカー」などをご覧ください。簡潔な要旨しか掲載されていませんが。

野村氏は、本土から沖縄に出かけては偉そうにご高説をたれる平和運動家を厳しく批判しています。「沖縄ストーカー」と呼びます。

野村氏の議論は沖縄でも広い支持を得られているわけではないようで、むしろ批判している人たちもいます。

しかし、私は、野村氏の議論を無視できません。野村氏がいうところの「沖縄ストーカー」にならず、かつ「沖縄基地問題=日本問題」に向き合うことをずっと考えて、行動してきました。ですから那覇市での無防備平和条例運動にも微力ながらかかわりました。石垣島や西表島で、読谷村や辺野古で、平和運動、反対基地運動の人々と一緒に活動してきました。

そのためには、内輪ぼめの幼稚園ごっこにふける「沖縄ストーカー」をやめて、沖縄に基地を押し付けている植民地主義者の一員である自分を根底的に問い直すことが重要です。野村著をいかに受け止めるのか、あるいは、いかに反論しうるのか、私には今でも宿題です。
(略)

(2)前田朗さんのメール(その2) CML 003980(2010年5月6日付)より
東本さん

もう1冊、ご紹介します。

野村浩也編『植民者へ――ポストコロニアリズムという挑発』(松籟社、2007年)


本書では10人の論者が、日本の植民地主義を徹底解剖しています。池田緑「沖縄への欲望」、ダグラス・ラミス「帝国を設けて、何がいけないのか?」、桃原一彦「「観光立県主義」と植民地都市の「野蛮性」」、島袋まりあ「太平洋を横断する植民地主義」、アシス・ナンディ「植民地主義後の植民地主義」など、挑発的で魅力的な論文が収められています。

冒頭には、野村浩也「日本人という植民者」があり、これは野村氏の前著『無意識の植民地主義』のエッセンスです。野村氏はフランツ・ファノン、アルベール・メンミ、エドワード・サイードなどを駆使しながら日本人の植民地主義について論じています。

260ページある前著と違って、40ページほどの論文なので論旨がわかりやすいかもしれません。

少しご紹介します。同書からの引用です。
 帝国主義の継続という問題の発見は、帝国主義を実践しつづけているのはいったいだれなのかという疑問を喚起する。しかも、帝国主義の実践主体を特定することは、帝国主義そのものの継続を困難化させる要因のひとつとなるのだ。したがって、帝国主義の実践主体ほど帝国主義の発見を嫌悪しがちであり、みずからをその実践主体として自主的に認めることも、ほとんどない。たとえば、帝国主義といえば、すぐさまアメリカ合州国等を連想して責任転嫁する日本人は多い。また、日本人と名指しされることを毛嫌いする日本人も少ない数ではない。このような振る舞いによって、日本人は、ほとんど無意識的に、彼/彼女ら自身の帝国主義を隠蔽しようとしており、帝国主義の実践主体と特定されることを回避しようとしているといえよう。

 帝国主義を隠蔽するのは、それが帝国主義の継続に貢献するからである。そして、多くの日本人がしばしば隠蔽、もしくは否定しようとするのは、彼/彼女ら白身の以下の現実である。すなわち、帝国主義を実践することによって沖縄人に「にが世」を強制し、七五%もの在日米軍基地を押しつけてきた張本人こそ、ひとりひとりの日本人にほかならない。いいかえれば、日本人は、「自分の運命を自分で決定することのできない境遇」を沖縄人に強いることによって、今なお植民地化しつづけているのである。日本人がこのことを否定するのは、現実を直視すればするほど不可能となるはずだ。

 エドワード・サイードによれば、植民地化とは帝国主義の帰結であり、個別具体的な土地の住民に対して帝国主義が実践される場合のことを特に植民地主義という。したがって、日本人が沖縄人に対して実践している帝国主義は、植民地主義と呼ぶのが適切である。伊波のことばを借りていえば、沖縄人が「自分の運命を自分で決定することのできない境遇におかれてゐる」のは、日本人の帝国主義の帰結として、植民地主義が実践されているからである。その点、伊波のこのことばは、植民地主義の定義の一部をなしているのだ。<以上、同書29?30頁>
この部分は、日本と沖縄の現実を、ポストコロニアリズムで読み解くために、帝国主義、植民地主義とは何かという前提を記述しています。こうした論述は決して珍しくありません。多くの論者が同様のことを論じています。

ただし1点だけ決定的に違うことがあります。多くの論者は、この文脈では、自分を部外者の位置におくのです。日本人を除外します。歴史の話になれば大日本帝国を批判しますが、現在の話になると、突然、帝国主義は他人事になります。野村氏はその欺瞞を突きます。日本人は帝国主義の側に立っているのに、それを隠蔽し、責任転嫁している。隠蔽することで第三者の安泰を得ようとするが、それは帝国主義の継続に貢献する、と。

今後も引用・紹介しますが、野村氏の議論には、「日本人」と「ひとりひとりの日本人」を区別することを許さない厳しさがあります。その点を批判することは簡単です。だからといって、野村氏の基本的な問いかけから逃れることはできません。

ここでの問いは、私たちは「帝国主義の実践主体」であるのか否か。「帝国主義の実践主体」であることを論理的にも実践的にも拒否しえているのか否か、です。

(3)前田朗さんのメール(その3) CML 003982(2010年5月6日付)より
東本さん

野村浩也編『植民者へ――ポストコロニアリズムという挑発』(松籟社、2007年)からの引用・紹介を続けます。
 ポストコロニアリズム研究とは、第一に、植民者の問題化を不可欠とする学問的実践である。なぜなら、植民者の存在があってはじめて植民地主義は成立しているからだ。日本人に特化して述べれば、ポストコロニアリズム研究とは、日本人という植民者を一貫して問題化することを通して、植民地主義を実践しつづけている日本人の政治性を解明し、植民地主義を継続させる権力的メカニズムを批判的に分析することによって、日本人の植民地主義の終焉を構想する学問的実践である。つけ加えておけば、日本人がみずからの植民地主義を終焉させたとき、彼/彼女らが植民者でなくなるのはいうまでもない。その点、ポストコロニアリズム研究とは、日本人が植民者から脱却する方法についての思考でもある。

 植民者の問題化が不可欠である以上、ポストコロニアリズムおよび植民地主義の議論において、日本人は、彼/彼女ら自身の問題化を免除される特権をもたない。したがって、中立や外部といった安全な位置に身を置くことはできない。ところが、みずからを何ひとつ検証することもなく、ほとんど無意識的に自身の中立性や外部性を前提する日本人はきわめて多い。こうした身勝手な振る舞いこそ、植民地主義を行為遂行的に構成するものにほかならない。ポストコロニアリズム研究にかぎらず、社会科学や人文科学の研究者がこのことに無自覚なまま、植民地や被植民者を研究対象にするならば、研究そのものが植民地主義の実践と化してしまうであろう。

 植民地主義に対する中立や外部とは、植民地主義の実践主体ではないということを意味する。そして、日本人が、植民地主義の実践主体としての自分自身を意識しなければ、植民地主義をやめるという課題すら自覚されない。その結果、植民地主義はそのまま温存されることとなる。つまり、中立や外部を無意識的に前提することは、日本人自身の植民地主義を隠蔽してあやしまないという意味で、卑劣な政治的行為となってしまうのだ。

 そもそも日本人は、植民者でもなければ被植民者でもないといった部外者ではないし、ましてや、植民地主義に関して中立であったためしなどない。日本人は、植民地主義のまぎれもない実践主体であり、積極的にみずからの植民地主義を終焉させた証拠もどこにもない。そのような日本人が自身を中立や外部に位置づけることは、彼/彼女ら自身の植民地主義を隠蔽することによってそれを存続させるという意味で、まさしく植民地主義的実践にほかならないのである。このように、もしも日本人を問題化しない研究がポストコロニアリズム研究や植民地主義研究を自称するならば、より巧妙で悪質かつ有害な植民地主義であるといっても過言ではない。<以上、同書41?42頁>
おわかりいただけたでしょうか。

野村氏の主張は、従来、東本さんが展開してきた主張と、そう大きく変わらない(はずなのです)。

その東本さんが、先の天木氏の発言に全面的に同意することは、論理的にも倫理的にも、ありえない、何か見落としているのだろう、と私は即座に判断しました。

ポストコロニアリズムとか植民地主義といった言葉を使うかどうか、どのように定義するかなどの問題はいったんおいておきます。

重要なのは、日本人と沖縄、沖縄人の関係がどのように構築されているのか、そこで私はどの位置に立っているのか、立とうとしているのかです。みずからの植民地的立場を自覚して、問い返し、主体的に拒否しなければ、「無意識の植民地主義」という批判に甘んじることになります。論じるべきは「沖縄問題」ではなく「日本問題」です。
[下に続く]

(写真1:沖縄の海と空)
(写真2:沖縄県庁 シーサー像)

私は昨日、「鳩山よ! この落差はなんだ!!―『沖縄県民は鳩山打倒に動かなければ嘘だ』?天木直人氏の認識と見解に全面的に賛同します」という記事(昨日のエントリー)をいくつかのメーリングリストに発信しました。そうすると、これまでに経験したことのないたくさんの批判を受けました。その批判の多くは、「沖縄県民は鳩山打倒に動かなければ嘘だ」という天木氏のブログ記事(2010年5月4日付)の次の部分への批判でした。

「ここまで悲願を無視されて、それでも沖縄県民が打倒鳩山で立ち上がらなければ、一体沖縄の反基地運動は何だったのか。/沖縄県民が怒りに震えて立ち上がれば、私は打倒鳩山に全面的に参加する。/沖縄県民が、このまま米軍基地の県内移転に譲歩するのであれば、もはや私は沖縄の基地闘争を一切支援することはないだろう。勝手にやってろ、ということだ。」

上記の天木氏の認識は沖縄県民を愚弄している。その沖縄県民を愚弄した天木氏の認識に「全面的に賛同します」とはお前はどういう了見だ、というのが私の記事への批判でもありました。

もうひとつの私の記事への重要な批判は、「『鳩山内閣打倒』のスローガンは、現時点で掲げるべきではないと思います。今はまだ、このスローガンが日本国民の多数の共感を得られる段階でもないし、せっかくできあがった沖縄県の超党派共闘を壊すものでもあります。少なくとも、『国外・県外移設』を掲げ続ける民主党沖縄県連が納得できるスローガンでなければならないと思います」というものでした。

このふたつの批判に対して応えたもの、あるいは反論したものが以下に掲げる私の文章です。が、その文章を下記に掲げる前に昨日の記事の標題を「鳩山よ! この落差はなんだ!!―鳩山首相の二枚舌への『怒り』は沖縄県民だけでなく、全国民的なものだ」というものに訂正しておきたいと思います(前日の標題そのものは記録を遺すため変更しません)。また、前日の記事の中身の変更についてはこの記事のエントリーの中身に委ねます。いずれにしても昨日の標題の「天木直人氏の認識と見解に全面的に賛同します」という部分は誤解を生じさせかねない部分を含む表現であったことを認めざるをえませんので上記の形に変更させていただきたいと思います。

以下、CML 003961から私の文章の全文引用(若干の補足あり)です。

前田さん、ご指摘ありがとうございます。

前田さんのご認識に異議はありません。

が、たとえば「鳩山という男は日本の政治史の中で最悪の首相だ」などなどの天木氏の認識は「反語」的なものであろう、と私は捉えています。私も鳩山が歴代首相(史上最悪といわれた首相はこれまで数限りなくいます。あの森何某、麻生何某、小泉何某。戻って鈴木何某、宇野何某・・・)に比して「最悪の首相」とはいえないことは「3秒考えただけでわか」ります。決して頭が悪いとはいえない天木さんにそういうことがわからないということはまずないでしょう。先の天木氏の表現は一種の「反語」的強調法の表現だろう、というのが私の解釈です。そういう理解の上での私の「全面的に賛同します」表明でした。

以下は、前田さんと同様の趣旨のご批判がありましたのでそれに応えたものです。私の真意は以下のようなものです。

○○さん

「『鳩山内閣打倒』のスローガンは、せっかくできあがった沖縄県の超党派共闘を壊すものでもあります。少なくとも、「国外・県外移設」を掲げ続ける民主党沖縄県連が納得できるスローガンでなければならないと思います。」

お説のとおりだと思います。

私も「鳩山内閣打倒」のスローガンが現実的なものだと思っているわけではありません。

しかし、先のメール(「鳩山よ! この落差はなんだ!!」)でもご紹介した鳩山の二枚舌は断じて許しがたいものです。「鳩山内閣打倒」はその怒りのひとつの表現、というようにご理解いただければ幸いです。それに「鳩山内閣打倒」という言葉がこの段階でどこからもいまだ出ていないことへの問題提起という意味合いもありました。今回の鳩山発言に対して、沖縄県民、国民はそれほどの「怒り」を持って当然よいのだ、という私の意思表明でもありました(「鳩山内閣打倒」のスローガンの非現実性への批判はあっても、「内閣打倒」という表現がもうこの時期に出ていたな、ということが人々の意識の裡に伏在することの意味、ということも考えないではありませんでした)。

ついでながら、天木直人氏の問題の「ここまで悲願を無視されて、それでも沖縄県民が打倒鳩山で立ち上がらなければ、一体沖縄の反基地運動は何だったのか。/沖縄県民が怒りに震えて立ち上がれば、私は打倒鳩山に全面的に参加する。/沖縄県民が、このまま米軍基地の県内移転に譲歩するのであれば、もはや私は沖縄の基地闘争を一切支援することはないだろう。勝手にやってろ、ということだ」という一文について一言述べておきます。

私は先のメールで「今回の天木氏の文章はたしかに乱暴な言葉遣いはありますが、『ドイツ国民に告ぐ』を書いたフィヒテ流の沖縄県民と日本国民へ向けた檄であろう」という趣旨のことを述べましたが、その文中の「フィヒテ流の檄」とは次のような意でした。

私は「学者、知識人グループ340人の普天間県内移設反対声明 いくつかの違和感と疑問」(CML 002722 2010年1月21日)で「フィヒテ流の檄」について次のように述べています。

「私の(「声明」への)違和感の第1は、『国民に向けた』という声明標題の表現への違和感です。(略)『国民』なるものを下位に見て自ら(呼びかけ人、賛同人)を上位に置かないことにはこういう表現は出てきません。あなた方はいったい何様のつもりか。何様のつもりで上から目線、いまや生活実態的にも論理的にも死語になったといってもよい『知識人』なる目線で『国民』なるものに訓示を垂れようとしているのか(略)。/『国民に』という時代錯誤とも言ってもよい言葉を聞いてすぐに思い浮かぶのはフィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』という有名な講演録の邦訳の標題です。しかし、フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』にはその言葉の尊大、無礼に相反して、それに優る彼の情熱と覚悟のようなものを私たち読者は感受することができました」

フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』の言葉はたしかに尊大、無礼ではあるのです。

「この講演の目的は、打ちひしがれた人々に勇気と希望を与え、深い悲しみのなかに喜びを予告し、最大の窮迫の時を乗り越えるようにすることである。ここにいる聴衆は少ないかもしれないが、私はこれを全ドイツの国民に告げている」。実にエラぶった言い方ではあります。「上から目線」でなければこのような表現は出てきません。しかし、フィヒテは熱情をもって彼の教育論を語ってやまない。その熱情に私たち(読者)は説得されていくのです。一方で鼻持ちならない、という強い反感を蔵中しながらもです。

天木直人氏についても、私は、彼がイラク問題の対処のしかたについて政府に楯突いて外務省をクビになった元同省官僚であるということだけで、なにかとてつもなく英雄的な平和主義者であるかのように持ち上げるいわゆる平和勢力「世論」なるものに辟易してさまざま批判してきました。いま、私の手元ですぐに見つけることのできる2007年2月9日付の記事では次のように記しています。

「彼にはこれまで胡散臭いものを感じていました。いわゆる平和陣営のひとびとの彼の持ち上げ方も胡散臭かった。佐藤優にしてもそうですし、田中均にしてもそうですが、単に外務省出身ということだけでなんでこれほど持ち上げられなければならないのか? 彼らは国家公務員の?種試験(または?種試験)に合格しているわけだからそれなりに頭もいいだろうし、それゆえに論も立つだろう(「論」はどういう立て方もできます。たとえば官僚の国会答弁を見よ)。東大卒(佐藤優は「東大卒」ではありませんが)という肩書だけで頭をひれ伏す世のバカどもとどういう違いがあるか、などなどと・・・・」

しかし、天木直人氏を必ずしも肯定的に評価していない私のような者でも、今回の天木氏の上記発言は沖縄県民を蔑視するものであるとは思えませんでした。「沖縄県民が、このまま米軍基地の県内移転に譲歩するのであれば、もはや私は沖縄の基地闘争を一切支援することはない」。「勝手にやってろ」という発言は反語のようなものであっただろう、と。たとえば親がこどもを叱りつけるときに「もうお前のことは知らない。勝手にしろ」などということがあるようなものではなかったか。表現の下手な父親の愛情の裏返しの表現としての。

私が天木氏の上記記事を「反語」強調法的というのはそういう意味です。私は天木氏の表層に現われている言説にではなく、彼の「反語」強調法的な(と、私には思える)真意の部分について「全面賛同します」と述べました。それが昨日の私の記事の真意でもありました。

それにしても天木氏の上記の発言は表層に現われている表現としてはなんとも稚拙な表現といわなければならず、かつ沖縄県民を愚弄する表現ともいわなければならないでしょう。また、仮に反語だとしても、決して言ってはならない稚拙な表現であったというべきでしょう(そこに天木氏の「認識」の程度が現われている、というご指摘もごもっともだと思います)。だから、私も先の天木氏批判のメールの返信に「お怒りはわかります」と書きました。

しかし、先の私のメールは、天木氏の「沖縄県民は鳩山打倒に動かなければ嘘だ」という檄に主旨をおいたものでした。しかし、その檄の主旨も「せっかくできあがった沖縄県の超党派共闘を壊すもの」である、というご指摘もそのとおりである、と思います。

上記のもろもろのことご理解いただければ幸いです。

なお、私の沖縄県民、徳之島住民への思いは下記に書いているとおりです。これもご参照いただければ幸いです。

■徳之島案を「県外移設」といえるのか? 鳩山政権内に急浮上している徳之島案は琉球列島・沖縄差別政策の延長というべきではないのか!(愚生ブログ 2010年4月10日)

(写真:「不思議の国の哲学」チェシャー猫)


下記の天木直人氏の認識と見解に全面的に賛同します。

■沖縄県民は鳩山打倒に動かなければ嘘だ(天木直人のブログ 2010年5月4日)

連休の休みの時に、このような不愉快な思いをさせられて私は我慢ならない。

鳩山という男は日本の政治史の中で最悪の首相だ。

自分が説得すれば沖縄県民は納得すると思っているのだろう。

大変な思い上がりだ。

米国が了解しなかったから沖縄県民に我慢してくれと明言した。

鳩山にはまともな対米外交はできない。

自民党政権下以上の対米従属となる。

それでも米国は鳩山を評価しないだろう。

最悪のシナリオだ。

ここまで悲願を無視されて、それでも沖縄県民が打倒鳩山で立ち上がらなければ、一体沖縄の反基地運動は何だったのか。

沖縄県民が怒りに震えて立ち上がれば、私は打倒鳩山に全面的に参加する。

沖縄県民が、このまま米軍基地の県内移転に譲歩するのであれば、もはや私は沖縄の基地闘争を一切支援することはないだろう。勝手にやってろ、ということだ。

鳩山よ! この落差はなんだ!!


●2008年8月の鳩山幹事長(当時)の発言と映像(「辺野古浜通信」(2010年5月4日)より
「私どもは普天間はやはり、早く、すべて、撤退していただかなきゃ困ると・・・」

「しかし、一方でという話があるわけですから、私どもは県外に移設をして貰いたいと、前から申し上げているわけでありましてね」

「出来れば海外にという思い出はありますが・・・そういう方向でこれからも戦っていきたいと思います」

●2010年5月4日の鳩山首相の発言と映像(NHKニュースより
「海外へという話もなかったわけではありませんが、現実に日米の同盟関係を考えたときに、また近隣
諸国との関係を考えたときに必ずしもそれは抑止力という観点から難しいという思いになりました。現実
には不可能だと。そうなりますと県外、あるいはということでいろいろと努力をしてきているところではございますが、すべてを県外にということはなかなか現実問題としては難しいということに直面しております。ぜひ沖縄のみなさま方にもまたご負担をお願いしなければならないなと思いで今日も参ったしだいでもございます」

「沖縄のみなさま方にも徳之島のみなさま方にも率直に基地に関してご負担を、普天間の基地の移設に関してご協力を願えないかと」


参考:
■“現行案の修正で最終調整”(NHKニュース 2010年5月4日13時20分

沖縄県を訪れている鳩山総理大臣は、アメリカ軍普天間基地の移設問題をめぐって、仲井真知事と会談したのに続いて高嶺県議会議長らと会談し、この中で、移設案について、鹿児島県徳之島に基地機能の一部を移転するとともに、現行案を修正し、キャンプシュワブ沖の浅瀬にくいを打ち込んで滑走路を造ることなどを軸に最終調整を進めていることを明らかにしました。

鳩山総理大臣は、就任後、初めて沖縄県を訪問し、午前11時すぎから沖縄県庁で20分余りにわたって仲井真知事と会談しました。会談の冒頭、仲井真知事は「普天間基地の危険性を一日も早く除去してほしい。さきに開かれた県民大会の状況からも県外移設の実現に期待する声が高まっている。沖縄県の過重な基地負担を軽減することは県民の強い願いだ。在日アメリカ軍の整理・縮小は、実現可能なものから一つ一つ取り組んでほしい」と述べました。これに対し、鳩山総理大臣は「こういう時期に沖縄を訪問するのは無謀だという指摘もあったが、このような時期だからこそ、沖縄県民の声を直接間接に聞きたいという一心で来た」と述べました。そのうえで、鳩山総理大臣は「国外への移設を検討したこともあったが、日米同盟や近隣諸国との関係を考えたときに抑止力の観点から、現実的には不可能だと考えた。県外移設に向け、さまざまな努力をしてきているが、すべて県外へということは現実問題として難しいということに直面している。パッケージの中で、沖縄に負担をお願いしなければならない」と述べ、沖縄県の中に基地機能の一部を移設する考えを示し、理解と協力を求めました。続いて、鳩山総理大臣は、沖縄県議会の高嶺善伸議長らと会談しました。この中で、鳩山総理大臣は「沖縄の皆さんにも鹿児島県徳之島の皆さんにも、普天間基地の移設問題に関して、率直にご負担、ご協力を願えないかという思いだ」と述べました。そして、鳩山総理大臣は、現行案の修正について「環境に最も配慮するべきで、一般論ではあるが、埋め立ては極力抑えるべきだという考えが政府内でも出てきているし、アメリカとも追求していきたい」と述べ、鹿児島県徳之島に基地機能の一部を移転するとともに、現行案を修正し、キャンプシュワブ沖の浅瀬にくいを打ち込んで滑走路を造る案などを軸に最終調整を進めていることを明らかにしました。

追記

上記に引用した「沖縄県民は鳩山打倒に動かなければ嘘だ」という天木直人氏の文章は沖縄県民への侮辱ではないか、というご批判がありました。

以下はその批判への私の応答です。

お怒りはわかります。

が、今回の天木氏の文章はたしかに乱暴な言葉遣いはありますが、『ドイツ国民に告ぐ』を書いたフィヒテ流の沖縄県民と日本国民へ向けた檄であろう、というのが私の理解でした。

いま怒らなければいつ怒るのか、という。

今回の天木さんの文章に私は沖縄県民への侮蔑は感じませんでした。


写真1:琉球新報より 鳩山首相・仲井真知事会談
写真2:沖縄県民大会
写真3:徳之島島民大会

私は先にCMLという公開型のメーリングリストで現在のわが国のツイッター現象、そのツイッターのワンフレーズのつぶやきの特性にふれて、私たちがすでにさんざん反省したはずの小泉純一郎流の「ワンフレーズ・ポリティクス」の小児病的ポピュリズム政治へと再び退行させる蓋然性の大きい現象というべきではないか、ということ。また、ツイッターの基本的性質としての脈略のないつぶやきは、私たち日本人が関東大震災で経験したあの忌わしい「流言飛語」という凶器にいつ豹変しないとも限らないこと。また、私たちが安易に現在のツイッター現象に群がることの危険性についての私見(CML 003910など)を述べたことがあります。

上記で私の言う「ツイッター現象の危険性」とは具体的にはどういうことなのか? 先月27日の東京第5検察審査会の小沢民主党幹事長「起訴相当」議決に関してあった同メーリングリスト上の反応に即して検証してみようと思います。

第1。「小沢氏『不起訴不当』を申し立てた『市民団体』は『在特会』」という指摘が同メーリングリスト上でありました。同指摘は下記で述べるとおり誤った指摘というべきですが、その誤った指摘をはじめの段階で拡散していたのはやはりツイッターでした(注1)。

しかし、?同在特会代表の桜井誠なる人物は「そもそもこの事件で刑事告発をしていない」。「この事件で検察審査会に申立てできるのは、『告発をした者』でなければならない」のだから、桜井誠なる人物が「不起訴不当」を申し立てることはできない。?この桜井誠なる人物が自身のブログで公表している受理書番号第2号と小沢氏についての東京第5検察審査会の議決書における事件番号第10号は異なる(「上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場」2010年4月30日付より)。したがって、東京第5検察審査会の議決における審査申立人は桜井誠なる人物以外の者ということにならざるをえません。


第2。同じく「検察審査会の検察審査員は、無作為に抽選で選出されていませんよ」というツイッター上のつぶやきも虚偽といわなければなりません。ツイッター上のつぶやき人は「検察審査会の検察審査員は、無作為に抽選で選出されていませんよ」とつぶやく根拠として、自身が以前に経験した「(検察)審査員の方からふさわしい人を推薦してほしいと依頼があったので推薦しました」という事例を挙げるのですが、この事例はありえない事例といわなければならないからです。

検察審査会法第9条には「検察審査会事務局長は、(略)検察審査員候補者の員数を当該検察審査会の管轄区域内の市町村に割り当て、これを市町村の選挙管理委員会に通知しなければならない」とあり、同法第10条には「市町村の選挙管理委員会は(略)通知を受けたときは、当該市町村の選挙人名簿に登録されている者の中から(略)検察審査員候補者の予定者として当該通知に係る員数の者(略)をくじで選定しなければならない」とあります。そして、同法第20条には「検察審査会事務官は、裁判所事務官の中から、最高裁判所が、これを命じ」るとあり、また「最高裁判所は、各検察審査会の検察審査会事務官のうち一人に各検察審査会事務局長を命ずる」とあります。

以上からわかるように「検察審査員」が検察審査員を選定する過程に介入する余地はまったくないのです。仮にある検察審査員が次の検察審査員を推薦したとしても(そういうこともありえませんが)、その推薦はまったく無効です。

第3。フリージャーナリストの岩上安身氏発の弁護士の郷原信郎氏の見解とされる「これで検察が起訴するなら、今までの捜査はいったい何だったのか。専門家集団と称する検察などいらない、市民が起訴すればいい」という市民から構成される検察審査会の存在意義さえ否定するツイッター上のつぶやきも郷原氏の下記の直接の発言と比較すれば正しくないことがわかります。


上記発言を読むと、郷原氏は、「公訴権の行使や検察運営に関し、民意を反映させる」という側面における検察審査会制度はそれ自体として肯定的に評価していて、ツイッター上で見たような検察審査会の存在意義さえ否定する暴言のたぐいの認識は一切示していません。この例からもツイッター上の言説の危うさと言説としての限界性を知ることができるでしょう(この場合のツイッター上の発信人はジャーナリストという物書きを仕事とする言論人です。その言論人をしてをや、ということです)。

以上はツイッター的(ツイッター的ブログを含む)情報を根拠に小沢氏及び民主党擁護の自説を補強しようとするある種の人たちの思想の愚かしさについて述べたものです。

しかし一方で、今回の東京第5検察審査会の小沢民主党幹事長「起訴相当」議決について、検察審査会制度の「民意を反映させる」側面は評価しながらも、「もし弁護士(元裁判官)が議決書の作成を補助したというならお粗末な内容。このような『冷静さを欠く内容』と思われる議決書では検察審査会に強制起訴権限を付与したせっかくの改革が国民から支持されない心配を感じる。法律家である審査補助員の役割が問われる」(「弁護士阪口徳雄の自由発言」 2010年4月27日)などの批判があるのは当然だと思います。今回の東京第5検察審査会の「起訴相当」議決は専門家ではない法律の素人の眼から見ても少し以上にヒステリックです。

その理由はどうも上記においても阪口弁護士によって少しふれられている「法律家である審査補助員」周辺にあるようです。この事件の審査補助員について前出の上脇博之神戸学院大学法科大学院教授が興味深い事実を指摘をしています。この事件の審査補助員となった「弁護士が所属する法律事務所の『40周年祝賀会』が今年3月25日に開催され、自由民主党総裁の谷垣禎一衆議院議員ら(中井洽・国家公安委員長らも)が来賓として挨拶して」いたということです(前出上脇ブログ)。山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』によれば、この弁護士の名前は米澤敏雄氏。所属する法律事務所の名称は麻生法律事務所(ちなみにこの情報もはじめはツイッターから取得したようではあります。また、法律事務所の名称の麻生はあの元首相の麻生のことか、と疑いたくもなりますが、別人の麻生のようです)。同ブログで山崎氏も「政治的中立性は担保されているのか?」と疑問を呈している人物です。東京第5検察審査会の議決がなぜヒステリックなほどの議決になったのか? おおいに怪しんでいい事実の指摘だと思います。

検察審査会の問題については次の点も指摘しておく必要があるように思います。市民から選出される検察審査会であってもその審査が不当な場合もありえるということです。10年ほど前に地裁、高裁、最高裁、差し戻し第一審、第二審という25年間5回もの裁判を経て、やっと無罪判決が確定した甲山事件と呼ばれる冤罪事件をご存知だと思いますが、この冤罪事件の端緒をつくったのは、検察が証拠不十分で不起訴処分にした同事件の「容疑者」を「不起訴不当」の決議をした市民から選出されたはずの検察審査会でした。同検察審査会は結果として25年もの苦難をこの無罪判決を勝ち取った当時の「容疑者」に強いてしまったのです。このことは忘れてはならないことだろうと思います。

一方、東京第5検察審査会の今回の議決を批判するにあたって「疑わしきは罰せず」という刑事裁判における原則を持ち出して批判する向きがありますが(たとえば上脇前出ブログ2010年4月28日付)、この「疑わしきは罰せず」の原則はあくまでも刑事裁判における原則であり、検察起訴の際の原則ではありません。「疑わしきは罰せず」の原則と検察の挙証責任とを混同すべきではないでしょう。「疑わしきは罰せず」の原則は「ある事実の存否が判然としない場合には被告人に対して有利に」という原則のことです。一方、挙証責任の方は、「ある事実の存否が判然としない場合においても挙証責任を負えるだけの合理的な疑いがあれば足る」とする謂のはずです。両者を混同して検察審査会の起訴議決のハードルを高くすることには慎重であらねばならないだろう、と思います。

注1:「『twitter』で周知済でしたが、謎の市民団体『真実を求める会』が検察審査会に小沢民主党幹事長不起訴を『不服申立て』たのに続いて、『在特会』桜井誠代表と『博士の独り言』島津義広氏が「不服申立て」に加わったことが事実として確認できました(「杉並からの情報発信です」 2010年2月10日)。