[(上)から続く]


いずれの論者の民主党評価も多少なりとも民主党寄りの、あるいは民主党に期待する評価だと見てよいでしょう。しかし、私は、こうした民主党評価が上記の植草一秀さんの挙げる3つの指標に照らして公正で、かつ客観的なものといえるのかどうか疑問に思います。?の官僚天下りの根絶と?の企業献金の全面禁止という指標については、植草さん自身が下記のように言って「成果はまだ目には見えてきていない」と落第点をつけているものです。

「これまでの半年を見る限り、ほんとうに期待した成果はまだ目には見えてきていない。(略)一番重要なのは天下りを根絶するということなんですけれども、これもかなり従来野党のときの主張から比べると後退している。(略)それから政治と金の問題の根幹にあるのは企業が政治にお金を出すということなんです。(略)ですからこの膿を出し切るにやはり企業団体献金を全面的に禁止する新しい法体系を作る必要がある。(略)これをやらなければ政権交代の意味はないと思います。それを実際にこの鳩山政権が実行に移さなければ私も鳩山政権を支持するのをやめます」(THE EARTH討論会(天木直人VS植草一秀)第1部 21:30秒頃(Style FM  2010年3月27日)。

ただし、上記の植草さんのいう落第点については「これまでの半年を見る限り」という留保条件はつけられてはいます。しかしこれも、上記の天木さんのように「半年たって何も出来なければ何年たっても出来ないということだ」(「天木直人のブログ」 2010年3月21日)と見る方が正鵠を射た見方というべきであろう、と私は思います。

また、?の対米隷属外交からの脱却の指標については、普天間「移設」問題ひとつをとってみても「対米隷属外交からの脱却」をしえた、とはとても評価できるものではありません。天木さんの発言を再び持ち出すことになりますが、「鳩山政権の対米外交は、ここにきて急激に対米迎合政策に傾斜しつつある」(同上)とマイナス評価されているものです。

上記に見たとおり、少なくとも現段階において?から?の指標の達成度という点で鳩山政権を評価する余地はほとんどありません。それがどうして(1)から(3)のような評価になるのでしょう? ここに私は民主党・鳩山政権を評価する側のもはや客観的評価とはいいがたい民主党・鳩山政権への彼ら、彼女たちの過剰な思い入れしか見出すことはできません。そこにあるのは民主党・鳩山政権をわれわれ市民の手でなんとしても守り抜く、という一念と情念のみです。もはや論理を超えているというほか評価しようがありません。上記で述べた戦後半世紀にわたって日本を支配してきた自民党政権が崩壊し、民主党中心の政権交代が実現したことの意味をなによりも最重要視するところからその陥穽は生まれるのでしょう。

これも繰り返しになりますが、民主党中心の政権交代が実現したことの歴史的意義を評価する点においては民主党政権はもはや評価できないとする側も鳩山政権評価側とほぼ同様の見解を保持しています。したがって、革新・刷新派の市民・論者の差異を縮小、あるいは解消する課題のゆきつくところの問題は、民主党中心の政権交代が実現したことの歴史的意義と政権交代後8か月に及ぶ民主党政権の負の政局運営と公約違反の数々をどのように評価するかというバランス評価の問題ということになるでしょう。この点についてピープルズ・プラン研究所運営委員の武藤一羊さんが非常にバランス感覚のすぐれた論攷を発表しています(「鳩山政権とは何か、どこに立っているのか ――自民党レジームの崩壊と民主党の浮遊」 2010年2月16日)。

武藤さんはまず「昨年八月選挙での自民党政権の敗北とは、保守二大政党間の政権交代というものではなくて、戦後政治支配レジームの解体と捉える必要がある」。「八月総選挙における自民党の敗北によって戦後国家体制は解体と変容のプロセスに入ったと見るべきだろう。それは民衆運動が介入する新しい空間の生成・拡大のプロセスでもあるのだ」と言います。そのため民主党は「自民党レジームの旧来の利益誘導型統合様式を壊そうとする意欲を明らかにするとともに、小泉政権のネオリベラル改革への批判の立場から派遣労働や貧困の問題にとりくむことを公約し、財界の抵抗をある程度押し切ってでも、労働と福祉の改善へ向かう具体策を約束しないわけにはいかなかった」と見ます。

しかし、「自民党は戦後国家に作りつけの統治装置として存在していたことから、それを倒して成立した民主党政権は、一方において、この装置全体への選挙民の不信と拒否の受け皿として信任されたと同時に、逆説的に、自民党を取り外した姿でのこの装置の相続人として、その形式をそのまま引き継いだという点に注目すべきであろう」。「鳩山政権のふるまいで特徴的なのは、この政権が自民党がこれまで積み上げてきた政治的悪行についてきわめて寛大であることである。新政権は、自民党レジームからどれほど膨大な負の政治的財産を引き継いだのかを明らかにし、それの清算という困難な仕事に挑戦する決意を示し、その仕事を支持するよう広く人びとに訴えるのが当然と思われるのに、政官癒着や天下りなど特定の分野を除いては、それをしようとしないのである。世論を政権に引きつける上でも得策であろうと思われるのに、肝心の問題でそれをしないのである」。「それをしないのは、自民党政権時代につくられた日米関係を変更するつもりがないからである」と民主党の限界を指摘します。

そして、武藤さんは最後に民主党政権の性格を「過渡的政権」と規定して次のように言います。「民主党が、かつて自民党が誇っていた『国民政党』的な性格を獲得し、自身を制度化することは無理な話なのである。それが無理になったからこそ自民党政治が終わり、戦後国家の政治空間が抜けがらとなったのである」。「しかし他方、自民党の空白を埋める存在として権力に就いた民主党は、自民党と違う傾向をあいまいに示すことはできても、異質な政治潮流を抱える構成のために、原則について明確な立場をとることはきわめて困難なのである。権力形式と必要な内実のこの不釣り合いはどこかで解決を迫られるだろう。民主党はしたがって過渡的政党であり、民主党政権は過渡的政権であろう」。

上記の私の武藤論攷の要約は必ずしも武藤さんの意に添ったものになっていないかもしれません。武藤さんの論攷の全文はぜひ上記をご参照いただきたいと思います。

この武藤論攷は、民主党評価に関してその是と非を明らかにして非常にバランス感覚のすぐれた論攷になりえているように思えます。また私は、この武藤論攷は、私たち革新・刷新派市民・論者間の中に少なくなくある民主党評価の認識の差異の縮小、あるいはめざすべき共通する政治革新と政治刷新のためにも有用な認識の提示と指摘になりえているのではないか、とも思っています。私たちの国のいまの政治の混迷の一端が少なくとも私たち革新・刷新派市民の民主党評価の認識の差異に見出されることがないことを私としては他の人の論攷の援けを借りながら祈るような思いでこの小文を書きました。

(先に私は「NPJシンポ植草報告「普天間基地移設問題の行方」を読んで ―間接的NPJシンポ感想とでもいうべきもの」(2010年4月23日付)という記事の中で、「(植草氏をはじめとする)ある種の論者の民主党評価の問題点については稿を改めて論じることにしたいと思っています」と記しておきましたが、本稿はそのことについての私見ということになります。)

(写真:平和の風景 白川郷)

民主党という現在日本の政治の中枢にある政権党の評価について、政治革新、あるいは政治刷新を指向しているという点では同じ方向を向いているはずのいわゆる革新・刷新派市民、また論者の間に少なからぬ差異が認められます。そして、私の見るところ、その革新・刷新派の市民・論者の少なからぬ政権党評価の差異が、いまの私たちの国の政治の混迷からの出口をいっそう見えがたくしているという側面もあるように見えます。また、そればかりではなく、その革新・刷新派市民・論者間の少なくない認識上の差異が革新・刷新派市民が本来指向しているはずの現実政治のありうべき展開にも影を落として小さくない負の影響を与えているようにも見えます。そうだとすれば、この革新・刷新派市民・論者間の認識上の差異をその差異のままでこのまま放置しておくことは同差異者間の共通する政治指向の実現のためにも不幸な事態だといわなければなりません。以下は、このような「不幸な事態」を解消するための私なりの試案です。

さて、私たちの国のいまの政治の混迷の一因を形づくっている、と私として思えるその差異は、ひとことでいえば昨年8月の総選挙で政権交代してから8か月を経たいまの民主党・鳩山政権を評価するか、しないか、の一点に尽きるといってよいでしょう。いまの民主党・鳩山政権を(でも)評価するという側は、民主党が昨年8月総選挙時に公約したマニフェストからの同党政権の少なくない政策後退は一応は認めます。が、そういうことよりも、同評価側は、戦後半世紀にわたって日本を支配してきた自民党政権が崩壊し、民主党中心の政権交代が実現したことの意味をなによりも最重要視します。その民主党・鳩山政権を評価する側の理論構成は、この歴史的な政権交代の橋頭堡を一歩たりとも後退させてはならない。自民党政権時代にバックラッシュさせるようなことがあっては断じてならない。そのためには自民党政権回帰を志向する保守・反動勢力や守旧的マスメディアなどなどの攻撃にさらされて八方ふさがりの状態にある民主党・鳩山政権をわれわれ市民の手でなんとしても守り抜く必要がある、というもののようです。

上記の主張を代表する上質の論客のおひとりと思える弁護士の梓澤和幸さん(NPJ代表)はたとえば次のように言います。「覚悟と実践なくして鳩山キャップを批判するだけでは、足りない。(略)長期にわたる国労争議に解決の兆しがある。各省庁の記者会見も公開の動きがある。沖縄密約訴訟は勝利したが、これをもたらした要因に吉野文六証言があり、さらにその背景に外務大臣の証言許可(民事訴訟法191条)があった。新政権の岡田外務大臣が外交官であった吉野氏の証言を許可しなければ密約の証明は実現しなかったのである。民主党連立政権はジグザグを描く戦後の系譜の中でみるときやはり民衆にとっての果実なのである。その果実をまもりながら同時に沖縄の人々の不退転の要求を実現する。――この一見、二律背反、実は一つのものを仕上げる芸術を達成しなければならない」(「普天間返還を実現できる主体を」)。

しかし、梓澤さんには次のように反問しなければなりません。たしかに民主党・鳩山政権は「民衆にとっての果実」を自民党政権時代とは比較にならないほど実現しはしました。しかし、次のような「果実」の積み残し、あるいは置き去りはどのように評価すべきなのか、と。朝鮮人学校排除問題、外国人参政権付与法案問題、夫婦別姓等民法改正問題、抜け穴だらけの労働者派遣法「改正」問題、官僚・法制局長官の答弁禁止問題、大企業優遇税制非是正問題、中小企業減税見送り問題、米軍思いやり予算非是正問題、普天間問題公約違反問題(現在進行形)・・・・。

一方、民主党政権はもはや評価できないとする側は、戦後半世紀にわたって日本を支配してきた自民党政権が崩壊し、政権交代が実現したことの歴史的意義を評価する、という点においては民主党評価派とほぼ認識を同じくするものの、政権交代後8か月に及ぶ民主党政権の後退に後退を重ねる政治姿勢、政局運営、公約違反の数々はもはや評価するに値しない、と考えている人たちが少なくないように思われます。民主党という政党は結局のところリベラル左派から極右までいる党としての統一理念が存在しえない寄木細工のような集合体でしかなく、すなわち、つまるところ民主党は自民党とほぼ同質の体質を持った政党であって、そういう自民党と基本的に同質の政党に自民党政権時代の負の政治的財産を清算することなどはおそらく覚束ないだろう、とする見方です。

そうした見方の一面、民主党政権はもはや評価できないとする側も、同党が昨年の8月総選挙に際にマニフェストという形で打ち出した基本政策と理念は、労働や福祉、教育、環境政策などの分野において自民党政権時代にはなかった市民本位の政策的優位性を示しえているものも多く、そういう意味で評価すべき点も多いことを見逃しているわけではありません。そうした課題においては民主党・鳩山政権にさらに働きかけを強め、その課題の実現を迫るとともに、そのための市民間の共同もさらにいっそう押し進めるべきだろう、とも考えているように思われます。しかし、上記に見た民主党政権の持つ限界性を見極めることも重要だ。これまでの自民党政治的なものの延長でない理念と政策を確立し、新しい政治システムを構築するにはどうしたらよいのか。その方策を模索するべきときにきているというべきではないのか。私自身がそうなのですが、そういう認識の方向性を保持しているように思えます。

上記に見た政権党評価についての民主党・鳩山政権を評価する側と民主党政権はもはや評価できないとする側の認識ギャップの溝は埋めることができるのでしょうか。認識上の差異は、それぞれの思想的なアイデンティティーやそこからくる各自の根底的ともいえる社会認識を背景に含み持っていますから、その認識ギャップを埋めるのは容易ではありません。そこで有用なのは、それぞれの自意識にも関わってくる認識上の問題を問うのではなく、共通する政策課題の客観的な達成度を基準にして、それぞれの認識ギャップを標準化するという作業ではないでしょうか。

そこで、私は仮に、その基準(評価の軸)の指標を、熱心な民主党支持者として知られているエコノミストの植草一秀さんのいう3つの「政治刷新具体策」に求めてみるというのはどうだろうかと思います。すなわち、?官僚天下りの根絶、?企業献金の全面禁止、?対米隷属外交からの脱却(植草一秀の『知られざる真実』 2010年4月11日付)―― という3つの政治刷新具体策です。植草さんの挙げるこの3つの指標を達成度の基準にするのであれば、おそらく革新・刷新派である限りどなたも異議はもたれないでしょうし、私たちが民主党を評価する際の共通項になりえるような気がします。

さて、上記と重複するところもありますが、以下に3人の方々の民主党評価を挙げてみます。そして、その各自論者の民主党評価が上記の3つの指標に照らして公正な評価といえるのかどうかを見てみます。

(1)おひとり目。天木直人さん(元駐レバノン大使)。天木さんは民主党という政党を評価して次のように言います。

「私は意図して鳩山政権を批判しているのではない。それどころか他の政党よりはましだと思って鳩山政権を応援したい気持ちだ。/それでも毎日のニュースを見ているとどうしても批判的になる」(「天木直人のブログ」 2010年4月13日)。

(2)おふたり目。池田香代子さん(世界平和アピール七人委員会委員)。池田さんは、世界平和アピール七人委員会が4月8日に鳩山首相を訪ねて「核兵器不拡散条約再検討会議を前にして 核兵器禁止条約の採択に向けた早期交渉開始を求める」という同委員会としての第102番目のアピールを直接渡した際にご自身の『世界がもし100人の村だったら』という著書を進呈して、その著書の扉に「鳩山由紀夫さま 支持します あなたの初心 命どぅ宝」と揮毫したといいます(「池田香代子ブログ」 2010年4月10日)。これが池田さんの現段階の民主党評価だといってよいでしょう。

(3)お三人目。ヤメ蚊さんこと弁護士の日隅一雄さん。日隅さんの民主党評価はたとえば次のようなものです。

「民主党支持率の件で、いったん、ぼやき原稿を書いて公開したが、貯まっていた先週の新聞記事を斜め読みして、ぼやいたのは間違いだったと思いなおした。民主党支持率は底をつきますよ、これは」(「ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)ブログ」 2010年4月12日


(写真:平和の原点に立って 広島原爆ドーム)

伊方プルサーマル中止を求めて今月13日から15日にかけて3日間四国電力本社前で座り込み抗議行動をされていた筒井雪江さん(香川県)から同座り込み抗議行動のご報告がありました。(写真:四国電力本社)

筒井さんが紹介される下記の写真と動画を見ても「本当に個性豊かな、楽しい座り込み」でもあったことがわかります。「楽しい座り込み」であって当然よいわけです。私たちが子ども時代に聞いた神話によれば、なにやら楽しそうだったから、アマテラスも興味を惹かれて天岩戸の扉を少し開けてみる気になって、地上に太陽の光が差し込むようになったのでした。

今後更に友情を深めていただきたいものだと、おじさん世代の私は切に願うものです。

筒井です。
ご報告がたいへん遅くなってしまい、申し訳ありませんm(_ _)m
今月13,14,15の3日間、四国電力本社前で、伊方原発プルサーマル中止を求める座り込みをしました。全面的にバックアップしてくださった、veetenさんという方(岡田和樹さんのお知り合い)が、写真と動画をアップしてくださいました。

http://picasaweb.google.com/veetenfun/20100414
http://www.youtube.com/watch?v=0UUZRUEUfZM
http://www.youtube.com/watch?v=fw7jjKKucjM

たくさんの方のご協力で、本当に個性豊かな、楽しい座り込みになりました!

呼びかけ、情報拡散してくださった皆様、本当にありがとうございました!

今後も引き続き、「原発はいらない!」と訴え続けて、核なき世界を目指していきたいと思います。

ありがとうございましたm(_ _)m

香川 筒井雪江 

以下は2010年3月20日付で発信したこの件についての私の記事の再掲です。

以下、愛媛県在住の筒井雪江さんの四電本社前座り込み宣言のメールを転載させていただきたいと思います。

筒井さんは岡田和樹さんたちの中電前72時間ハンストにも参加されて、自分ひとりでもできることとして四電本社前ハンストの決意を固められたようです。

筒井さんは言います。「一人でも、行動を起こすことが大事」、と。

そのとおりなのですが、仲間との連帯で結ばれた行動も大切です。

みなさんのなんらかのご協力をお願いできれば、という思いから、このメールを転載させていただいているしだいです。よろしくご協力をお願いします。

筒井さんの返信。

筒井です。

東本さん、中電前72時間ハンスト(断食)「原発よりも命の海を」の件、教えてくださってありがとうございました。

岡田和樹さんに会って来ました。

応援の手紙とカンパを渡して、3時間程度一緒に座り込みをしただけでしたが、まる一日何も食べてないにも関わらず、私たちや通行人の方に上関の現状を熱心に話す岡田さんから、本当に多くのものを受け取ったと思います。

四国に住む私は、伊方プルサーマルをどうにかして止めたい思いです。
今回、中電前に駆けつけた、九電前座り込みをしていた福岡の方の言葉にも心動かされました。
「一人でも、行動を起こすことが大事」

そこで、私にできることは何か、と考えたとき、家から自転車で通える距離に四電本社があることに思い至りました。

月末には商業運転に入るということなので、できれば25日ごろから1週間ぐらい、朝9時?夕方5時くらいで座り込みしようかなあと思っています。断食はしません(汗)。

あと、いらなくなったワイヤレスマイク、もし持ってる方いらっしゃれば、安くで譲っていただけないでしょうか?

以下、座り込み宣言文(案)です。

+++++++++++++++++++++++++++++++
四国電力株式会社社長  千葉 昭 様

私は高松市内に住む者です。
伊方でプルサーマルを強行された貴社に対し、言論で道場破りに来ました。

このたび貴社が、ヨーロッパ諸国でも危険なのでほとんどの国が手を引き、国内でも福井、福島、新潟で相次いで断った、つまりそれほど危険であるプルサーマルを強行されたことを、私は絶対に許しません。
貴社がこの先も、伊方の住民の方々に多大な死の恐怖と、将来に渡って延々と抱え込まねばならない核のゴミを押し付けるのであれば、私はこの場所で、たとえ一人でも、貴社を説得し続ける所存です。

以前、玄海プルサーマルが行なわれる直前、私は父の故郷である佐賀が放射能汚染されてなるものか、と思い、九州電力に電話しました。
「前例のない危険なことをして、住民を実験台にしないで下さい」
と言うと、
「すでにフランスなどで行なわれていて、安全は確認されています」
と担当の方はおっしゃいました。
しかし、フランスで使われた燃料のプルトニウム含有率は3.7%、日本の場合は6.1%。2倍近いです。安全は確認されていません。

さらに、伊方は日本で初めて、高燃焼度ウラン燃料とMOX燃料を同時に使うのです。
日本で初めてです。
もう一度言います。
日本で初めて、です。
つまり、人体実験です。
このような危険なことを、人口の少ない、
すなわち電気の使用量の少ない場所に押し付けるのは、
民主主義の国のすることではありません。
どうか、非人道的国策「プルサーマル」を、即刻やめていただくよう、お願い致します。
寺尾光身さん(元名古屋工業大学教授)から「普天間問題、第二の声明、ご賛同のお願い」と題された岡本厚さん(雑誌『世界』編集長)の転送メールがメーリングリスト上を通じて届きました(CML 003837 2010年4月26日)。

岡本厚さんのメールの内容は次のようなものでした。

Subject: 普天間に関する声明について
From: 『世界』編集部 <sekai@iwanami.co.jp>
Date: 2010/04/23 19:28
To: sekai@iwanami.co.jp

普天間問題、第二の声明、ご賛同のお願い

 年初には、普天間移設問題に関する声明にご賛同いただき、ありがとうございました。

 その後の推移を見て、呼びかけ人は第二の声明を出すべきだと考えました。そして今回は沖縄の人たちとも共同して声を挙げようと考えました。

 沖縄にも、本土にも、代替基地を受け入れることはもはや無理であり、それは米海兵隊の撤退を求める以外にありません。今回は、その主張をはっきりと打ち出しました。

 4月23日、東京と那覇で同時に発表しました。

 下記のフォームにアクセスし、署名して返信してください。また出来るだけ多くの方々に転送してください(目途として5月20日を考えております)。英訳したものもあり、国際的な署名も求めていきます。

 いま、日米安保と米軍基地を変えていく、決定的に重要な時点に来ています。よろしくお願いします。

               声明呼びかけ人(世話人)
                     岡本厚

一般署名
http://form1.fc2.com/form/?id=501657
英語署名
http://form1.fc2.com/form/?id=539738

下記はその岡本厚さんの転送メールを読んでの私の感想です。


私は、年初めに発表された学者、知識人グループ340人の連名による普天間県内移設反対声明(いわゆる第一声明)には異議を持ち、反対しました。もちろん、「思想の立ち位置はそれぞれですから、普天間基地の『県内移設』に反対する立場で共通するのであれば、人それぞれの思想の相違、状況把握の若干の相違を超えて私たちは連帯するべきだ」という前提の上にたっての反対論でした(「学者、知識人グループ340人の普天間県内移設反対声明 いくつかの違和感と疑問」 CML 002722 2010年1月21日)。

その反対の理由は3点ありました。

第1。「国民に向けた」という声明標題の表現は適切だとは思われないこと。

第2。第一声明の(2)に記されていた「新政権は、この『グアム移転協定』も含め、問題の推移について改めて検証し、今後の方針について時間をかけて再検討すべきである」という一文中の「時間をかけて」という声明の認識は、米軍普天間基地の「早期・即時返還」を求めてやまない沖縄県民の宿願といってよい切なる願いを踏みにじる暴論的な認識だといわなければならないこと。また、鳩山内閣の昨年12月時点での普天間基地「移設」問題の先送りを「簡単に日米『合意』に妥協することをしなかった鳩山首相の決断を、その点においては評価する」とした同声明の認識も、上記と同様に沖縄県民の「切なる願い」を結果として踏みにじる暴論的な認識に堕している、といわなければならないこと。

第3。米軍普天間基地の「移設」を前提にした第一声明の問題提起では、SACO合意以降13年間の失敗の経験ですでに証明済みの「移設方式」の復唱にしかなりえず、それゆえ袋小路に落ち込むか、または米軍普天間基地の存続という最悪のシナリオを結果として沖縄県民に再び押しつけることにしかなりえないだろう、ということ。

今回の第二声明では上記の私の異議申し立てがすべてクリアされているように思われます。

すなわち、第1で指摘した問題については、賛同者を学者、知識人に限定していないこと。左記におそらく関係して「国民に向けた」という第一声明の稚拙な表現も見直されていること。第2で指摘した問題については、第二声明の(3)で「周辺住民の生命と暮らしを脅かしているこの危険な(普天間)基地は、「すみやかに閉鎖されなければならない」と声明されていること。第3で指摘した「移設方式」の問題性については、これも第二声明の(5)において「私たちは、米軍基地の代替地をタライ回しのように探すのでなく、米軍基地を沖縄・本土に存在させ、米軍に勝手気ままに使用させている構造こそを問わなければならない」としてその問題性を明確に認めるとともに、「移設方式」という思考方法からの脱却を鳩山政権とメディアに求めていること。

私は呼びかけ人の方々の第一声明から第二声明への上記の認識の転換に深甚の敬意を表したいと思います。また、そういうわけで、私は前回の第一声明には反対しましたが、今回の第二声明には喜んで賛同させていただこうと思います。

(写真:4・25沖縄県民大会の模様を伝える琉球新報記事)

先日、東京新聞編集委員(防衛省取材担当)の半田滋さんの講演を聴いた感想、もしくは批判のようなものを愚生ブログに少しばかり書いていたということもあって(「普天間問題 マス・メディアに勤める記者の限界というべきなのか ――半田滋さん(東京新聞編集委員)の立ち位置について」 2010年4月11日)、その半田滋さんとエコノミストの植草一秀さんをゲスト・スピーカーにして今月20日に東京で開かれた「どうなる日本? どうする日本?」(NPJ主催)と題されたシンポジウムの様子が気になっていましたが、同シンポジウムの模様をそのシンポのスピーカーのおひとりだった植草さんがご自身のブログで報告されています(「NPJシンポ報告と普天間基地移設問題の行方」 2010年4月21日)。

その植草氏の報告によれば、「会場は100名のシンポ参加者で満席となり、活気に満ちた空気のなかで熱い論議が闘わされた」ということです。なかなかの盛況であったようで、NPJ読者のひとりとしてもちろんうれしく思います。

とはいえ、上記の植草氏の報告を読む限り、同シンポにおいて植草氏は民主党評価、また普天間問題について私には同意できない認識を示しています。同氏をはじめとするある種の論者の民主党評価の問題点については稿を改めて論じることにしたいと思っていますが、ここでは普天間問題に関する植草氏の認識について私の疑問とするところについて少し述べます(この記事では半田記者のこの問題についての直接の言及を知ることはできませんので、この問題についての同記者の認識の問題についてはふれることはできませんが、植草氏の上記の記事のコンテキストから見て、半田記者も植草氏とほぼ同様の考え方をしているのではないか、と推測できます)。

さて、上記ブログ記事によれば、植草氏はNPJシンポにおいて、「フロアからは普天間の問題は全体から見れば大きな問題とは言えない。鳩山政権攻撃に終始するマスコミの姿勢が問題だとの指摘と、沖縄の負担軽減を軸に最低でも県外の主張をもとに鳩山政権を批判するなら、国内での代替地選定に向けての努力を求めなければ論理的整合性がないとの見解が示された。/まさに正論である。県外移設を求めながら、徳之島の基地反対の住民意向を全面支援するのでは、『解なし』をメディアが誘導していることになる」との自身の私見を述べた上で、「県外移設には沖縄負担を代替する地域が存在することが不可欠である。しかし、日本にそのような地域が一箇所も存在しないなら、結論は海外しかないということになる」という持論を展開したようです。

しかし、植草氏の「普天間の問題は全体から見れば大きな問題とは言えない」、という認識がまず間違っていると言わなければならないだろう、と私は思います(同認識はフロアからの指摘だというものの、植草氏はその指摘を「まさに正論である」と肯定するわけですから、彼自身の認識だといって差し支えないものでしょう)。

植草氏が上記でいう「大きな問題」とは、昨年8月の総選挙で戦後半世紀にわたって日本を支配してきた自民党政権が崩壊し、民主党中心の政権交代が実現したことの歴史的意義の「大きさ」のことを言っているのでしょうが、その歴史的意義の問題と民主党中心政権(鳩山内閣)が政権交代後8か月の間に実際に行ってきた政局運営、数々の公約不実行の問題とは性質を異にします。民主党がマニフェストで掲げた公約の大半は実現されておらず、また中途半端なものでしかありません。すでに紹介していることですが、このことは植草氏自身が天木直人氏との対論の中で次のように述べて認めていることです。

「ただこれまでの半年を見る限り、ほんとうに期待した成果はまだ目には見えてきていない。(略)一番重要なのは天下りを根絶するということなんですけれども、これもかなり従来野党のときの主張から比べると後退している。(略)それから政治と金の問題の根幹にあるのは企業が政治にお金を出すということなんです。(略)ですからこの膿を出し切るにやはり企業団体献金を全面的に禁止する新しい法体系を作る必要がある。(略)これをやらなければ政権交代の意味はないと思います。それを実際にこの鳩山政権が実行に移さなければ私も鳩山政権を支持するのをやめます」(「『鳩山政権潰しの動きに警告するウォルフレン論文(中央公論の最新号)』という投稿への反論」)。

その公約不実行の中でも普天間問題に関する鳩山政権の公約不実行(現在進行形)の問題は、国民、沖縄県民の期待度の高さという点においても現在の第一級の政治的課題と見るべきものであって、「全体から見れば大きな問題とは言えない」という問題とは決して言えません。政権交代という歴史的意義と普天間問題という比較できない性質のものを比較して「普天間の問題は全体から見れば大きな問題とは言えない」、という植草氏の認識は荒唐無稽なほど誤っている、というほかありません。

第2。植草氏は「鳩山政権攻撃に終始するマスコミの姿勢が問題だ」とのフロアの指摘にも「まさに正論である」とわが意を得たり、の感で同意していますが、この植草氏の認識も誤っているように私は思います。まず第一にマス・メディアの最大の役割は「権力監視」(権力に対する”ウォッチ・ドッグ”(監視者)としての役割)にあるという民主主義の基本を学んだことのある者ならば誰もが肯定するジャーナリズム論の基本中のキを植草氏はまったく考慮の外のものとしています。「権力監視」とは政権党の監視であることはいうまでもありません。植草氏にかかれば民主党はまるでボランティア団体かなにかで、政権党でもなんでもないかのようです。マス・メディアにとって鳩山政権を批判的な視点で論評することはまさに基本中のキというべきことなのです。そのメディアの政権批判を「攻撃」などと捉える視点は尋常な言論人のとるべき視点とはいえません。

たしかに今回の小沢民主党幹事長の政治資金規正法違反事件に関して、検察主導のリーク記事を検証もせずに無批判に垂れ流すばかりで、世論をミスリードしてきたマス・メディアの責任はきわめて重大なものがあるだろう、と私も思います。また、マス・メディアの上層部、または記者が自民党政権時代に獲得した既得権を死守しようとして、あえて「民主党潰し」の記事を書いた側面も少なからずあるのではないか、と私も推測するところがあります。しかし、マス・メディアはこれまで2大政党制推進の論陣を張り、そのため民主党よ頑張れ、というエールを送リ続ける記事を書いていたのです(「マス・メディアのダブル・スタンダード報道」)。そのマス・メディアが単に「鳩山政権攻撃に終始する」という認識は、これもかなりな程度に被害妄想的な荒唐無稽の類の論というべきだろう、と私は思います。


第3。また、植草氏は、上記のNPJシンポにおいて、普天間基地のいわゆる「移設」問題についても「県外移設を求めながら、徳之島の基地反対の住民意向を全面支援するのでは、『解なし』をメディアが誘導していることになる」。「県外移設には沖縄負担を代替する地域が存在することが不可欠である。しかし、日本にそのような地域が一箇所も存在しないなら、結論は海外しかないということになる」という認識も述べているようです。しかし、この植草氏の認識も誤っているだろう、と私は思います。

「メディアが誘導している」かどうかはともかくとして、普天間基地無条件即時返還を求める少なくない人々は、「県外移設」とか「国外移設」とかいうレベルではなく、県外にせよ、国外にせよ、どこそこの土地に普天間の代替基地をつくろうと提案する「移設の論理」こそが「すでに破綻した論理に導かれており、それゆえ袋小路に落ち込むか、最悪の結果を沖縄住民に押し付けるかにしかならない」という「移設方式」そのものの破綻と誤りを指摘しているのです。

以下にそのことを証する2つの声明文(呼びかけ文)と1個の最近のブログ記事を紹介しておきます。そのうちの1個の声明文は次のようなものです。同声明には武藤一羊さん(ピープルズ・プラン研究所)など501名の人々が連名者として名を連ねています。


上記と同様の認識はもうひとつの呼びかけ文にも見られます。この呼びかけ文にも596名の人々が賛同者として名を連ねています。


1個の最近のブログ記事は以下のようなものです。この記事は全文を示しておきたいのですが、長文になりますので全文は下記URLをクリックしてぜひご参照ください。


また、徳之島案の不当性については下記の小論をご参照いただければ幸いです。


植草氏には自らが拠りどころとする認識の誤りに早く気づいていただきたいものです。以上、植草報告を読んでの間接的なNPJシンポの感想ということになるでしょうか。

(写真1:市街地の中心に位置する米軍普天間基地)
(写真2:徳之島住民の米軍普天間基地「移設」反対決起集会)
(上)から続く
 3 ILO「三者構成原則」と労政審との関係及び、政策決定過程における審議会の位置づけについての整理が必要である


 (1) 厚生労働省のホームページで、三者構成原則との関係で紹介されているILOの諸条約は、「フィラデルフィア宣言(1944年)」、「職業安定組織の構成に関する条約(第88号・1953年に批准)」、「国際労働基準の実施を促進するための三者の間の協議に関する条約(第144号・2002年に批准)」である。

 これ以外に「労働行政条約(150号条約)」もあるが、日本は批准していない。

 第144号条約は、その正式名称が「国際労働基準の実施を促進するための三者協議に関する条約」であるように、協議の対象範囲は「ILO総会の議題に関する質問書への政府回答及び事務局案への政府の意見」などに限定されている。

 一方で、第150号条約では、その目的が「使用者及び労働者組織の参加による有効な労働行政の確立」におかれ、機能と責任が適切な形で調整された労働行政の制度を組織し、効果的に運営すること」が義務付けられている。この第150号条約未批准の理由を十分に承知しないが、日本国内での労働政策決定にかかわる三者構成原則の整備と運用の不十分さは、条約未批准ということからも推測される。

 (2) 労政審の構成等をさだめる「労働政策審議会令」の第3条では、その委員は「労働者、使用者を代表する者及び公益を代表する者のうちから、厚生労働大臣が各同数を任命する」とされている。また、臨時委員及び専門委員は、「関係労働者、関係使用者を代表する者及び公益を代表する者並びに障害者を代表する者のうちから、厚生労働大臣が任命する」とされている。

 先に触れたILO第144号条約では、協議の当事者を「代表的団体(最も代表的な使用者団体及び労働者団体)」とされ、この条約との関係でILOが、「日本の労働者を代表する団体」が連合(日本労働組合総連合会)だとしているのは事実である。

 しかしILOは一方で、全労連が申し立てた労働委員会の不公正任命問題での案件にかかわって「労使関係の観点から極めて重要な役割を果たしている労働委員会やその類似機関の構成の公平さに関するすべての労働者の信頼が回復されることを目途に、すべての代表的組織に公正で平等な扱いにする必要がある」(結社の自由委員会328期報告パラ444-447)とも指摘している。

 「国際労働基準の実施促進」というある意味で技術的分野の問題と、労働者の労働条件、権利などに直接影響する労働政策決定での労働者代表のあり方は異なるとILOは考えていることが推測される。厚生労働省のホームページの説明は、この点が曖昧である。

 (3) さらに、労働政策審議会令の規定や、1945年設立時の労働委員会(労働組合法)が「労働条件の改善に関し関係行政庁に建議する」という労働政策への参加機能も有し、ごく最近まで存在した船員中央労働委員会は船員労働立法への参加機能を持っていたことをふまえても、労政審委員の構成には公正さの視点での吟味が必要である。

 (4) 「三者合意」論は、法案の国会審議の場でも乱発されているが、そのことは現政権が政策決定における「政治主導」を強調していることと齟齬して、労働政策では「審議会主導」の政策決定システムがめざされていることにもなりかねない。

 「政治主導」を持ち出すまでもなく、国会提出の法案についての説明責任は内閣(担当大臣)にあり、その決定過程でいかなる論議があったとしても、最終的な責任を負うのは内閣である。

 「審議会における三者の合意」を強調するあまりに、内閣の法案決定責任を曖昧にし、あるいは国会審議段階での修正すら否定するような意見も一部からは聞こえるが、それは憲法の原理と相容れないものと考える。

 4 今回の労働者派遣法「改正」法案の審議経過には労働者の意見が十分に反映され、審議が尽くされたとは言えない

 (1) 今回の労働者派遣法「改正」にかかわる労政審での審議経過をたどると、いくつかの問題点が浮上する。

 その一つは、厚生労働省の当初の諮問内容が、労働者保護の規制緩和を含んでいたにもかかわらず、その点の論議が不十分だったことである。

 その背景には、前政権時に任命され、先の通常国会に提出された労働者派遣法「改正」法案にかかわった労政審委員などによって継続した審議が行なわれたことがある。

 労働政策審議会・需給調整制度部会長は、厚生労働大臣の諮問が示され10月17日の部会で「(労働者派遣制度については)昨年、当部会でかなりの時間をかけて議論をした上で、一部少数意見はありましたが、労使各側とも合意ができる内容について、これをとりまとめ、建議及び答申を行ったところです。これは当部会としての合意であると考えておりますので、今回、新たに議論を行うに当たっても、まずこれを尊重していただきたいということです。」と述べている。なお、労働側委員も「部会長が言われた第170回の臨時国会に提出された政府提出の法案を、もう一度きっちり出すということ」と、これに応じていることが議事録に残されている。

 このことからして、今回の意見書が問題とした「事前面接解禁」について、労政審はふみこんだ議論を行う姿勢が希薄であったことと言わざるをえない。

 (2) その二つは、12月28日の労政審答申以降の論議経過である。答申には、多くの関係者から反対や批判の声が高まったが、それは労政審の論議にほとんど反映していない。

 12月28日の労働政策審議会の厚生労働大臣への答申は、派遣先企業による「事前面接解禁」など前通常国会に提出された労働者保護の規制緩和部分を引き継ぐとともに、製造業派遣禁止を言いつつも派遣元企業での「常用雇用」を禁止の例外とする「抜け穴」が準備されるなど極めて問題の多いものであった。

 このような答申内容には、全労連、その他の労働組合はもとより、日本弁護士連合会(2010年2月19日)、日本労働弁護団(2010年2月4日、3月5日)、自由法曹団(2010年1月21日)などの法曹関係者からも、労働者の権利保護の立場からの修正を求める意見が表明されていた。そのような広範な団体等からの批判に対し、政府はもとより労政審委員の一部からも「公労使三者の合意」論が強調されて改正法案要綱案の論議が進められた。

 厚生労働省は、閣内にもあった反対意見を押し切り、12月28日の答申にそった「改正」法案要綱案を2月17日に労働政策審議会に諮問し、2月24日の職業安定分科会で「全会一致」で了承されている。

 このような経緯は、「改正」内容の正当性や妥当性から批判に応える努力を尽くさず、「三者合意」論で反対意見を封じ込めようとしたものとも言える。

 (3) その三つは、労働政策審議会の審議結果が、政府の法案作成段階で修正されたことは今回が初めてではない。

 2007年3月に、労働契約法案と労働基準法「改正」法案が閣議決定された。その法案決定の経過では、いわゆるホワイトカラーエグゼンプション制度の導入が問題となり、労使の意見が対立する中、公益委員の取りまとめで、同制度の導入を求める答申が2月に行われた。その後の閣議決定段階で同制度の導入事項などは削除されて労働基準法「改正」法案が国会に提出された。その際に、労政審からはなんらの意見書も提出されていない。

 2007年3月の閣議決定にあたって古賀伸明・連合事務局長(当時)は、「ホワイトカラーエグゼンプションと企画業務型裁量労働制が削除されたことは、構成組織・地方連合が一体となった運動の成果である」と述べていると伝えられる。

 一方、今回の労働者派遣法改正法案決定にかかわる連合事務局長談話では「答申が修正されたことは本意ではなく」としている。

 2007年3月と今回の法案閣議決定時の連合の対応の違いが、閣議決定段階で修正された内容の差であるとも考えられる。労働者や法曹関係者から厳しい批判が寄せられる審議結果であったにもかかわらず、その点には触れないまま「審議会での労使の調整」のみを強調することでは、その代表性に疑問を投げかけざるを得ない。

 労政審・労働側委員の構成をより多様な意見を反映するものとしていくことの必要性を重ねて述べておきたい。

 おわりに

 ILOが2006年の第94回総会で採択した「雇用に関する勧告(第198号)」では、「最も脆弱な労働者」に「効果的な保護を確保する国内政策」を求めている。今回の労働者派遣法改正は、「生産の調整弁」として労働者が扱われた「派遣切り」の多発などを契機に行われた。そのことをふまえれば、「派遣切り」にあった労働者の意見聴取や意見反映の工夫も行う必要があったと考える。

 労使の対話の重視と同時に、「最も脆弱な労働者」に焦点をおいた対話の努力もILOの求めるところであることを指摘しておく。

                                      以上

(写真:偽装請負労働者)

先に私は「労働者派遣法抜本改正を求める日弁連会長声明と長妻厚労相の諮問機関『労政審』の逆ねじ」という記事を書いていくつかのメディアに発信しましたが、その中の「日弁連会長声明」の方の記事については相応の反応があったものの、「労働政策審議会」(会長=諏訪康雄・法政大教授。厚労相の諮問機関)が同審議会の答申の尊重を求める「意見書」を長妻厚労相に提出した件について批判的な記事を書いた該当部分についてはまったく反応はありませんでした。私としてはどちらかといえば「労政審」批判の方に重きをおいた記事のつもりであったのですが、その私の意図などよりも日弁連会長というメジャーな立場の人の声明の方がある種の人々にはインパクトが強かった、ということなのでしょう。やむをえないことかもしれません。

そういうわけで私には多少の不満が残ったのですが、この4月19日に上記の労政審意見書に関して全国労働組合総連合(全労連)の見解が発表されました(「すくらむ」 2010年4月21日)。

私の「労政審」批判は、同労政審答申と安倍内閣時に設置された労働タスクフォースの見解の負の相似性に焦点を当てた批判であり、その意味で部分的なものでしたが、全労連の今回の「労政審意見書」批判は同意見書に対する網羅的な批判となっています。鳩山内閣提出の労働者派遣法「改正」法案の問題点を改めて考えてみるためにも参考になる見解だと思います。下記に掲げます。

「派遣法」改正法案閣議決定に対する労政審意見書についての見解
2010年4月19日 全国労働組合総連合(全労連)常任幹事会

 さる2010年4月1日に開催された労働政策審議会(「労政審」)で、「労働政策審議会による答申等の尊重に関する意見」(意見書)が採択され、長妻厚生労働大臣に手渡された。

 全労連は、労働者派遣法「改正」法案の閣議決定にあたっての事務局長談話(2010年3月19日付)でも述べているように、労働政策の立案過程で政府が公労使三者の合意形成場を設け、その論議の結果を尊重することは、国際的な流れからしても当然のことだと考える。しかし、今回出された労政審の意見書には必ずしも賛同できない部分もあることから、全労連としての見解を明らかにすることとした。

 1 労政審答申の一部を修正した法案閣議決定は、不十分さはあるものの、労働者の要求と運動が反映した前進的なものである

 (1) 2月17日に厚生労働大臣が諮問し24日に労政審が「おおむね妥当」とする答申を行った今回の労働者派遣法改正法律案要綱に対しては、08年秋以降に「派遣切り」にあった労働者やその不当性を追及してたたかっている労働組合はもとより、日本弁護士連合会をはじめとする法曹関係者からも強い批判が上がっていた。

 それらの批判は、改正法案要綱が、08年秋のリーマンショックを契機とする製造業などでの「派遣切り」を規制する内容となっておらず、加えて労働者保護に逆行する改悪内容さえ含んでいることに向けられていた。

 (2) 法案閣議決定の段階で、派遣先企業の「事前面接」を解禁するという労働者保護緩和の改悪事項が削除されたことは、法案要綱が明らかになった後に寄せられた多くの批判のうち、労働者要求の一部に応えた前進的なものと言える。

 その点で、今回の法案閣議決定を批判する立場で「公労使三者合意の尊重」を過度に主張することは、審議会を隠れ蓑に、派遣切りなどにあった労働者や、製造業大企業などの理不尽な行為を正すためにたたかっている労働者・労働組合、法曹関係者などの切実な要求を「抑え込む」ことにもなりかねない。

 以上のような立場で労政審から出された今回の意見書を見ると、「公労使三者合意の尊重」という一般論、形式論のみの強調には違和を抱かざるを得ない。

 2 労働政策決定にかかわる審議会の役割は重要だが、その機能の十全な発揮のためには委員会の構成も問われなければならない

 (1) 労政審は、厚生労働大臣などの諮問に応じて、労働政策に関する重要事項を調査審議することとされている(厚生労働省設置法第9条など)。この点では、厚生労働省設置法第7条に規定される社会保障審議会などと同様に「基本的な政策の審議及び答申」を行う審議会であり、政策決定過程への国民参加を具体化する機関だと考える。

 同時に、「国際労働機関(ILO)の諸条約においても、雇用政策について、労使同数参加の審議会を通じて政策決定を行うべき旨が規定され(中略)、労働分野の法律改正等については、労働政策審議会(公労使三者構成)における諮問・答申の手続が必要とされています。」(厚生労働省ホームページから)とされるように、国際労働機関(ILO)の機構の特徴である「政労使三者構成原則」の日本国内での具体化ともかかわってその役割が位置づけられており、その点で他の審議会とは異なっている。

 (2) 一般的に言って、労使の利害は厳しく対立することから、政策決定の過程での調整の仕組みが必要である。その調整の仕組みは、「マクロな政治的意思決定原理としての三者構成原則は、ミクロな社会的意思決定原理としての労使二者構成原則が基盤」(ミネルヴァ書房・「労使コミュニケーション」297ページ、濱口桂一郎「労使関係のアクターたち」)と指摘されている。

 このような指摘もふまえれば、労働政策審議会の構成は、労働基本権の保障という憲法的な意味での正当性も考慮される必要がある。とりわけ、憲法第28条などの規定が「複数労働組合」を前提にしていることを指摘したい。

 (3) 以上の立場からして、労政審意見書が「雇用・労働政策の企画立案に不可欠であり、ILOの三者構成原則に基づく非常に重要な意義を有する」と述べていることへの異議はない。

 しかし、同時に指摘しなければならない点は、労働者の中にも多様な意見が存在することである。少なくともわが国には、労働者の意見を代表しうるナショナルセンターが複数存在していることは、労政審の構成で考慮されるべきであるが、現状では実現していない。このことの問題・ゆがみが集中的にあらわれたのが、今回の労働者派遣法「改正」の経過だと考える。
(下)に続く

(写真:非正規切りとたたかう労働者)


「さんきゅうパパプロジェクト」(NPO法人ファザーリング・ジャパン)というホームページに自治体首長として初の育休宣言をして全国的に話題になっている成澤廣修(なりさわひろのぶ)文京区長(44)へのインタビュー記事が掲載されています。同インタビュー記事のリード文には「自治体首長としては初の育休宣言に、国内外からの賛否両論もあり、反響は大きい」とあるものの、同記事には「否」の部分についての視点は乏しく、もっと端的にいえば欠落しており、「賛」の部分のみを強調する著しくバランス感覚を欠いた記事になっているように見受けられます。果たして成澤文京区長の「育休宣言」は評価に値するものなのか? 同区長に対するある文京区民の評価を紹介しながら検証してみようと思います。私の結論は批判的なものです。

成澤文京区長が自ら提案した「育休」は2週間程度のもののようです。2週間程度の「育休」であっても、男性の「育休」取得が1パーセント台という現況にあっては、今回の成澤区長の「育休」取得は男性の「育休」取得率向上のためにもかなりのインパクトのある行動であると思います。また、「特別職の妊娠出産休暇・育児休暇・介護休暇」の新条例提案にも賛成できます。しかし、2週間程度の「育休」がほんとうに「育休」という名に値するのか。

成澤区長はまがりなりにも自治体の首長なのですから、ふつうのサラリーマンのような勤務時間を拘束するしばりはおそらくありません。同区長がほんとうに「育休」を取るつもりであるのならば議会や執行部とよく話し合って1?2年間ほどはたとえば保育園に送り迎えするための時間帯を確保するとか、また、朝ごはんや夕ごはんをつくるための時間帯を確保するとか、まだまだいろいろな方策があるだろう、と私は思います。成澤文京区長の育休宣言は、そうした男(父)と女(母)がいて小さな子どもがいる、という家庭の日常生活スタイルの基本形を踏まえた上での育休宣言であるといえるのか、というのが私がこの報を聞いたときの最初の感想のようなものでした。

その私の最初の感想のようなものを裏づけるかのように、それほど時を置かずに、大分という地方を在所にする私の耳にも「成澤文京区長が区長になってから特にジェンダー関連の課題に積極的に取り組んでいるというようなことは一度も聞いたことがない」。「なにやら政治的なパフォーマンスのような匂いを感じる」。「来春の区長選をにらんでの息子誕生を利用した話題づくりではないのか」、という文京区民の声が少なからず聞こえてきました。

上記のインタビュー記事(全文4頁)を読んでみます。

1頁目。「子育てしていると、男の非力さを感じますね。どうしたって、おっぱいは出ないわけですから。夜中に子どもが起きて、妻はおっぱいをあげて寝かしつけるわけですけれど、一緒に起きてもやることないから、先に寝てしまったりして」という成澤区長の発言が出てきます。しかし、私は、この成澤区長の発言にクエスチョンを感じます。おっぱいをあげることはできなくとも、男の非力さを嘆く前にたとえば赤ちゃんのオムツを替えてあげたりすることなどは男にだってできるだろう。成澤区長にはなぜそういう発想がないの?

同じく1頁目。成澤区長は「炊事は、子どもが生まれる前から日常的にしています」という一方で、「育休中は私が作るつもりだから」とも言います。この発言には齟齬があるのではないか? 日常的に炊事をしているのであれば「育休中は私が作るつもり」などという発言は出てこないのではないの?

2頁目。成澤区長は育休宣言に全国から賛否両論が届いたその否定的な反響のひとつとして「男は男らしく」という否定論があったことを挙げます。この否定論について同区長は「性別役割意識(男はこうあるべき、女はこうあるべき)というところを強く持っている方も、社会の中にいらっしゃるということは事実です」と言うだけで、そうした考え方のどこに問題があるのか、という点についてには話は及びません。もしかしたら、いや、もしかしなくとも、同区長はこうした問題についての定見を持っていないのかもしれません。おそらくそうなのでしょう。読者にそうした疑問を抱かせる発言ではあります。

同じく2頁目。成澤区長が否定的な意見の4番目に挙げる「保育園の待機児童になってしまったのに、休んでいる場合ではない」という否定論については、同区長は「育休を取って、自分で子育てしてみることで、何かを得て、これからも子育て支援の充実に取り組み続けるしかない」などという頓珍漢な受け答えをしています。おそらくこの否定的な意見を述べた市民は育休宣言をする(それはそれとして評価するにやぶさかではないけれども)前に区長には「保育園の待機児童」問題という重要な案件を解決するという責務があるのではないか、ということを問うているのです。成澤区長の答はまったく問われている問題についての答となっていません。

同インタビュー記事は、成澤文京区長の育休宣言に対して住民が少なくない「否」の感覚を持つ、その住民感覚の在り処に対する視点を持ちえないがゆえに、上記記事中の成澤区長の発言の齟齬に気づかないのです。同記事が著しくバランス感覚を欠いている、とはそういうことを言っています。

さて、成澤文京区長に対するある文京区民の評価の一部を以下に紹介します。ある文京区民は同区長がまだ区議(区議会議長)だった3年前のことを次のように語ります。

「4、5年前、文京区の2箇所ある保健センターのひとつを、庁舎内にある健康センターを廃止し、その後へ保健センターを移設しようとしました。健康センターは専門のトレーナーの指導の下、年末年始をのぞき、日曜・祝日も夜間も健康を維持したい若者ばかりか老人たちも自分の都合の良い日時に利用しておりました。その廃止案が提示され、当然のように利用者を中心に廃止反対運動が起きました。利用者たちは、署名を集めたり区議たちに陳情したりしました。もちろん成沢議長(当時)にもです」。

「彼曰く。『健康センターのようなスポーツセンターはそこらじゅうにあるじゃぁないか。5000円近く掛かる費用を利用料金500円では区の負担が多すぎるし、キッズルームに子供を預け、健康センターや美容院に通うような母親もいる。あそこも経費が15000円くらいかかる。一部の利用者だけにこのように多額の公費を使うのはおかしいじゃないか。』と健康センターどころかキッズルームも廃止したいような発言でした。当時は成澤氏にはお子様はいらっしゃいませんでした。キッズルームとは健康センターと同じ階にある小学校就学前までの子供を1回3時間以内預かって保育してくれる施設です。東京は江戸の昔から地方出身者が多く、母親が歯医者に通ったり、上の子の学校行事に参加するために、幼児を預けられる実家や親類が近くにいない人が多いのです。母親たちは安心して、ちょっとのあいだの気休めや必要な用事をとどこおりなく済ませることが出来るのです」。

「私たちは区へさまざまな質問をしました。『民間のスポーツセンターでも1回の料金が1000円台であるのに5000円近いとはおかしい。下請け業者に搾取されているのか、内訳を示せ』という質問には『一回1470円。差額の3000円あまりは区庁舎の償却費も含んでいる』とのあきれた回答。結論を急げば、保健センターが使用していないとき、健康センターの使用を同じ場所で認める、という変則的な形で健康センターは残りました。(スゲェ利用し辛い!)」

「このたびの区長の育児休暇については全国で話題沸騰のようです。しかし、成澤区長がジェンダーフリーの理解者かという点については『否』と答えざるを得ません。これは来春の区長選をにらんでの息子誕生を利用した話題づくりと私はにらんでおります」。

「成澤氏が6月の議会に提案する特別職の妊娠出産・育児・介護休暇の給与は半額にするそうですが、氏の休暇は4月3日からだそうでこれからの新条例には引っかからず《区長丸儲け》なのです。それにしても、半額でももらえるなんて、やはり役人天国ですね。成澤氏は休暇中でも必要な時や、緊急時には出勤するとしていますが、4月1、2日は新年度の人事異動があり、その引継ぎに各部・課は1?2週間忙しいのですが、人事異動のない区長は暇なのです。顔見世興行ともいうべき入学式などにはばっちり出席の予定のようです。(これが氏の言う《必要時》です)。また氏は休暇中の過ごし方のひとつとして『“ぴよぴよひろば”へ親子3人で行く』そうですが、ここは親子で参加のお遊び広場なのです。つまり選挙権を持っている人間もいる所なのです。先に記しました《キッズルーム》には預けられた子供ばかりで有権者はいません。選挙の折の公約である『子育てへの応援』って自分にだけかい? と言う感はぬぐえません」。

「以上のように、私はあまり拍手喝采でこの話を受け入れられませんが、これを機会に男職員が本当の“育メン”に育ち、育児行政にしっかりと目を向けられるようになって欲しいと願っています」。

上記のある文京区民の素朴な疑問は私の疑問とするところでもあります。成澤文京区長の「育休宣言」をみなさんはどのように評価されるでしょうか? 私はあざとい言葉には注意が必要だろう、と思っています。検証は始まったばかりです。まだまだ続きます。

(写真:「北の国から」子育ての達人・五郎の丸太小屋 北海道富良野市)


北教組の政治資金規正法違反事件を口実に北海道教育委員会が約36000人の道教職員を対象に教職員個々人の政治信条の洗い出しまで含む政治活動などの実態調査をしていることが問題になっています(北海道新聞「ビラ配りやカンパ要請 教員の活動調査詳細に 北教組事件受け道教委」 2010年4月7日)。

調査内容の項目には「カンパ(選挙以外の日常カンパも含めたもの)を要請されたことはないか」、あるいは「要請しなかったか」。「学校機材(電話・FAX、印刷機、部屋)を使用しなかったか」「校長は使用させなかったか」「勤務時間内に組合と交渉しなかったか」「ビラ配りをしたことがあるか」。そういうことを「見聞きしたことがあるか」、と他人の行為まで尋ねるものまであったといいます。この点については「組合員でない教職員による組合の『実態』の『告発』も狙っている」という指摘もあります。

さらに同調査書には回答を断れば「職務命令を出すことも可能」だと処分をもちらつかせる記載もあったといいます。この点について道新は「警察に逮捕された容疑者にも黙秘権があるのに、それすら許さぬ圧力は尋常ではない」(「卓上四季」、2010年4月9日付)と道教委の強権的な調査のゆきすぎを批判しています。まったくそのとおりです。

このような状況について、現地からの情報によれば、「これでは、北朝鮮のようじゃないか」と怒りの声をあげる校長教頭もたくさんいる。たった1、2人の自民党議員の質問ですぐに学校現場に指示を出す、道教委の動きに、「天の声が存在しているのか」「おかしいぞ」という校長教頭もいるとのことです。「昨年秋の公民科授業調査(総選挙時に北海道新聞の社説を授業で使用したことに自民党議員が反発し、道教委が実態調査を強行し、授業実施指針を作成すると宣言したもの)では、法理的に誤りだということが後になってわかり、うやむやにして対応を終わらせ」た、という北海道の現場教員の指摘もあります。

このような道教委の憲法と教育基本法の精神を踏みにじる違法、不当な行為が許されるはずはありません。自由法曹団北海道支部(佐藤哲之支部長)は16日、今回の道教委の教職員の政治活動などの実態調査は憲法違反に当たるなどとして道教委に中止を要請した、ということです。さらに要請後、同支部の佐藤博文弁護士は、新聞社の取材に答えて「活動内容を密告させるような今回の調査は不当労働行為に当たる」というコメントを発表しています(北海道新聞 2010年4月17日)。

とはいえ、今回の道教委の約36000人もの道教職員に対する違法調査は、北教組の民主党の小林千代美衆院議員(道5区)陣営への違法献金事件を直接の契機としています。また、同事件を契機に国会などで教員の政治活動の制限を強化する動きも出ているようです(北海道新聞 社説 2010年3月23日)。そのような道教委の道教職員、道教組違法調査、また国会での教員の政治活動の制限強化の動きに口実を与えた今回の北教組の違法献金事件の責任はきわめて大きなものがあるといわなければなりません。北教組は同教組幹部らの逮捕を「不当な組織弾圧」と反論しているようですが、その「不当な組織弾圧」という根拠についてはなんら詳細な説明をしようとはしていません。しかし、北教組幹部らの逮捕を「不当」と断言する以上、北教組にはその「『不当』と主張してきた理由を明確にして、積極的に説明責任を果たす責務があ」ります(前掲社説)。

労組と特定政党との「不透明なカネ」のつながりは、財界と特定政党との「不透明なカネ」のつながりとともに克服されなければならない現実政治の第一級の政治的課題です。思想信条の違いのある構成員のいる労組を特定政党の候補者の支持の決定をして選挙に動員するという労組の強制行為がまかりとおっているという現状とともに、この労組と特定政党とのカネの問題の克服なしにおよそ公平な選挙活動は期待できない、というべきだからです。北海道の教育界の民主主義のいまの危機的な状況を北海道の教職員と北教組自らが主体的に回復していくためにも労働組合運動の原点に立ち返って上記のことは真摯に考えていただきたいことです。

参考:
■「北教組への狙い撃ち弾圧を許すな!」という主張に疑問を呈す(レイバーネット 2010年3月4日

(写真:北海道の大地)

日弁連が先の4月14日に「真に労働者保護に値する労働者派遣法抜本改正を求める会長声明」を発表しました。今国会に鳩山内閣が提出した労働者派遣法改正法案が派遣労働者だましの「抜け穴」だらけのざる法(北海道新聞東京新聞など)にすぎないことを厳しく指弾する警告書といってもよい声明になっています(「声明」全文は下記参照)。反貧困ネットワーク代表や年越し派遣村名誉村長も務める宇都宮健児さんの日弁連会長就任効果という側面もおおいにあるのではないか、と私は思います。

ところで、日弁連は、この会長声明の発表に先立ち、この4月7日に「労働者派遣法改正案の問題点を正す緊急院内集会」を開いていますが、この院内集会に参加した働く女性の全国センター(ACW2)事務局長の伊藤みどりさんは、同集会で日弁連として先の2月19日に発表した意見書のポイントについての解説役をつとめた板倉弁護士の話について「女性差別的雇用慣行と労働者派遣法というテーマで具体的に労働のジェンダー格差を解消するために提起があり心、すっきり!!! 初めてですよ院内集会で、私たち以外でここまで提起してくれたのは」、という感想を述べておられました(「働く女性の全国センターメール」2010年4月7日)。日弁連のそうした不断のとりくみも上記の声明にはもちろん反映されているでしょう。

一方この4月1日、長妻厚労相の諮問機関「労働政策審議会」(労政審、会長=諏訪康雄・法政大教授)は、上記の日弁連声明とは逆に「労政審の答申では、契約期間の定めのない派遣労働者に限り、派遣先企業が受け入れ前に行う『事前面接』の解禁規定が盛り込まれていたが、社民、国民新両党が『立場の弱い派遣労働者が容姿や年齢で派遣先に差別される』と強く反対」「政府が3月19日、製造業派遣の原則禁止などを盛り込んだ労働者派遣法改正案を社民、国民新両党の反発を受け入れる形で修正したことについて」「「答申が尊重されないと審議会の意味がなくなる。ぎりぎりの交渉をして決めたことなのに、政治主導の下、いとも簡単に覆されるのは納得できない」などとして「労政審の答申の尊重を求める『意見書』を長妻厚労相に提出する方針を固めた」(読売新聞 2010年4月1日)といいます。派遣労働者の生活する権利などお構いなしの本末転倒も甚だしい逆ねじといわなければならないでしょう。

上記のように言って恥じない労政審メンバーは鳩山内閣によって選出されたメンバーではありますが、そのうち使用者側委員と公益側委員は自民党政権時代に選出された委員のままです。この労政審の使用者側委員と公益側委員について、私は、安倍内閣時に経済財政諮問会議の下部組織として設置された悪名高い労働タスクフォースのメンバーと比較して次のように述べたことがあります。

「鳩山内閣によって選出された使用者側委員と公益側委員の(略)発言とこの後すぐに発信する安倍政権下での悪名高い労働タスクフォースの労働者蔑視ともいうべき見解となんと似通っていることか?」(CML 002500

「そのあまりにも『人権』感覚の欠如した労働タスクフォースの提言は、学者、労働組合、市民組織などの激しいブーイングの嵐に見舞われ、政府すら、経済財政諮問会議の下部組織のさらに下部組織の見解であって、政府の見解ではない、と否定せざるをえなかった代物です」(CML 002501

そして、その悪名高い労働タスクフォースの労働者蔑視ともいうべき見解は次のようなものでした。

「一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている。不用意に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、そのような人々の生活をかえって困窮させることにつながる。過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果となるなどの副作用を生じる可能性もある。正規社員の解雇を厳しく規制することは、非正規雇用へのシフトを企業に誘発し、労働者の地位を全体としてより脆弱なものとする結果を導く」(CML 002501

そして、私はその文を次のような言葉で締めくくりました。今回も同じことばで締めくくりたいと思います。

「これが鳩山内閣のいう『コンクリートから人へ』の一側面であることを私たちは怒りをもって強く認識しておく必要があるように思います」(CML 002500

以下、日弁連会長声明(2010年4月14日)です。

真に労働者保護に値する労働者派遣法抜本改正を求める会長声明

労働者派遣法改正法案(以下「改正法案」という。)が本年4月6日、衆議院に提出された。当連合会は、「労働者派遣法の今国会での抜本改正を求める意見書」(2010年2月19日)を発表し、この意見書の趣旨に沿った抜本改正を強く求めてきたところである。

今般、改正法案では、法案要綱段階で盛り込まれていた派遣先による事前面接の解禁については、引き続きこれを禁止とする修正を行ってはいるが、改正法案のままでは、労働者保護に値する抜本改正にはなおほど遠く、法案策定の過程において、法改正を切実に望む派遣労働者の声が十分に反映されていたのか疑問が残る。

よって、当連合会は、以下のとおりの修正を要請するものである。

第1に、改正法案では、登録型派遣について原則禁止としながら、政令指定26業務を例外としている。登録型派遣は全面的に禁止すべきである。仮に例外的に専門業務について許容するというのであれば、真に専門的な業務に限定されなければならないにもかかわらず、現行の政令指定26業務の中にはもはや専門業務とは言えない事務用機器操作やファイリング等が含まれており、専門業務を偽装した脱法がなされるなど弊害が大きい。また、これらの業種は女性労働者の占める割合が高く、女性労働者の非正規化、男女賃金格差の温床となっていることからも、厳格な見直しが必要である。

第2に、改正法案では、本来全面禁止されるべき製造業務への派遣を含めて「常用型」派遣は認められている。ところが、改正法案では「常用型」についての定義規定が定められておらず、期間の定めのない雇用契約のみならず、有期雇用契約も含まれる運用がなされる危険性がある。また、行政解釈では、有期契約であっても更新によって1年以上雇用されている場合や雇入れ時点で1年を超える雇用見込みがあれば、常時雇用として取り扱うとされており、登録型派遣を禁止する意味がない。「常用」については「期間の定めのない雇用契約」であることを法律に明記すべきである。

第3に、団体交渉応諾義務等派遣先責任を明確にする規定が今回の法案には定められていない点も問題である。派遣労働者は、派遣先の指揮命令下に日々労務の提供を行っているのであり、派遣先が自ら使用する労働者の労働条件改善について一定の範囲で責任を負うべきである。

法改正は、労働者保護のための規制強化への転換点となるものである。当連合会は、真の派遣労働者の保護ひいてはわが国の労働者全体の雇用の改善に資するよう、派遣労働者の実態を踏まえた修正を求める。

2010年(平成22年)4月14日

日本弁護士連合会
会長 宇都宮 健児

東京新聞の半田滋さんといえばいまや平和関係のさまざまな講演会でひっぱりだこの超売れっ子の防衛省取材担当の編集委員です。この4月7日、その半田さんの「迷走する普天間問題 日米安保を問う」と題された東京での講演をスカイプで聴く機会がありました。防衛庁(省)取材暦18年の経歴を持つ半田さんのことですから、当然、普天間問題に関する情報とその考察は専門家はだしのものです。いや、専門家としてのそれといってもよいでしょう。しかし、私は、一応の講演が終わった後のフロアを交えたディスカッションの中で語った半田さんの次のような認識には少なくなく首を傾げざるをえませんでした。いや、首肯できないものを感じました。

私の聞き間違えでなければ、半田さんは、その講演後のディスカッションの中で普天間問題に関して次のような認識を語りました。「(この問題についての交渉相手の)米国はタフネゴシェーターの面々が揃っているわけですから、ただ普天間を返せ、返せといっても返すはずがない」、と。

私がこの半田さんの認識に首を傾げざるをえない理由は以下のようなものです。

第1。半田さんの上記の認識は、普天間飛行場の返還は、「沖縄に現在既に存在している米軍基地の中に新たにヘリポートを建設する」「嘉手納飛行場に追加的な施設を整備し、現在の普天間飛行場の一部の機能を移し替え、統合する」などの代替措置と引き換えに実現される、という日米政府間のSACO合意(中間報告)で提起されたパッケージ論(「橋本内閣総理大臣及びモンデール駐日米国大使共同記者会見」(1996年4月12日))の一変種というべきものでしかないこと。すなわち、それが「県内移設」であれ「県外移設」であれ、日本のどこかへの米軍基地移設を当然の前提としている認識、日米軍事同盟の存在を当然の前提にした認識、日米軍事同盟のくびきから離れるという視点をまったく欠落させた認識でしかない、といわなければならないこと。

第2。上記のことと重なることですが、半田さんの上記の認識は、日米安保条約第10条に「この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する」という規定があることを無視した認識であるということ。日本の主体的な外交努力しだいでは同安保条約をその規定に即して平和裏に廃棄できるのです。半田さんのこの認識の欠落は、日米軍事同盟の存在を当然の前提としているところからくる認識の欠落というほかないものでしょう。

第3。上記の認識とも関連して、半田さんの認識には「移設」はあくまでもアメリカの国内問題、という視点が見られないこと。かつてピープルズ・プラン研究所の武藤一羊さんはこの問題について次のように指摘していました。「この『移設』という言葉遣い=問題設定には根本的におかしいところがないか。移設についてのこれらの発言は日本政府を主語とするものである。だが問題の基地は米軍基地である。つまり米軍の施設、アメリカ合衆国の所有、管理する施設である。それの機能をA地点からB地点に移設するという行為の主語は、米国政府でしかありえないのではないか」(「鳩山政権と沖縄米軍基地 ――『移設』というワナ」(ピープルズ・プラン研究所 2009年10月31日)。したがって、半田さんの上記の認識からは沖縄県民の「普天間基地の即時返還」という切実な願い(「県民大会幹事会『普天間基地即時返還』など確認」(琉球朝日放送 2009年11月3日)は排除されてしまいかねないこと(「ただ普天間を返せ、返せといっても返すはずがない」というのが半田さんの認識であるわけですから)。

第4。「ただ普天間を返せ、返せといっても米国は基地を返すはずがない」という半田さんの認識は事実としても誤っているように思います。この点について前回も紹介した元沖縄県知事の大田昌秀さんは次のような証言をしています。

「日本のマスコミがほとんど触れていないんですけどね、普天間問題については米国の軍事専門家や大学教授たちが書いた論文がたくさんありましてね。統計をとってみたら量的には日本側の3倍以上あるんですよ。その圧倒的多数はいまごろ普天間に代わる基地を作る必要がない。普天間は即時返還するべきであって、日本政府が正式に要請さえすればアメリカはそれに柔軟に対応して、別に代わりの基地を作る必要はない、ということを書いているわけですよ」(「普天間問題のボタンのかけ違いはここから始まった 大田昌秀氏(元沖縄県知事)」ビデオニュース・ドットコム 2010年3月11日放送 10:30秒頃

「アメリカ側は、太平洋司令部などに行って副司令官が会ってくれたんですが海軍の提督でスミスさんという方でしたが、この方は日本政府がほんとうに要求すればわれわれは沖縄から全部引き上げていいですよとはっきり言っていました。それからアメリカのケイトーというシンクタンクの上級研究員を沖縄に招いたことがあるんですが、彼は米国に帰ってからすぐに『沖縄はアメリカの軍事的植民地』だという論文を発表し、また、ケイトー研究所というシンクタンクそのものがアメリカ議会に提言書を出して、その中には在日米軍を6年以内に撤退させて、有事のときに日本の飛行場や港を使わせるようなそういう契約をすればよい、という提言をしている。(略)そういうことを日本のマスコミは完全に無視しちゃっている」(同上、37:30秒頃

「それからいまの一番の問題は辺野古問題ですが、2007年の5月に再編実施に関する日米ロードマップができました。そのときに沖縄に8000人いる海兵隊と9000人の家族をグアムに移すということは決定したわけです。その2か月後に今度はグアムの統合軍事開発計画というのを太平洋軍が計画して海軍省がそれを負担していまも予算も組んで実施しているわけです。昨年の11月にはその環境調査の膨大な量の報告書が出た。(略)それを見ても普天間の海兵隊が(普天間基地返還の如何に関わりなく)グアムに移る可能性が非常に高い。(略)グアムの統合開発計画についてはいっぱい資料がでているのにまたもや本土(のメディア)は一切無視している」(同上

上記の大田元沖縄県知事の証言に対する宮台真司さん(首都大学東京教授)のコメントも下記に掲げておきます。

「沖縄返還のときにアメリカは日本が『核抜き』などといったら絶対に返してくれない、ということで凝り固まっていたときにアメリカはすでに対中、外交戦略上〈核を抜く〉ということを事実上決めていたということを(大田元知事は)明らかにされて、それはもうみんなわかっていることだと思うんですね。で、今回の普天間基地問題についても、アメリカは大枠としては沖縄から、あるいは日本から基地を引いても構わないと言っているにも関わらず、代替施設なしにはたとえば普天間の返還、あるいは縮小はありえない、というふうに思い込んでいる。そうであるはずだと思い込んでいたり、もしかすると〈はずだ〉という思い込みを利用して何かをしようとしている人たちがいるのかもしれませんけど、アメリカは引いていいと思っているのに、いやアメリカにどうしてもいてもらわないと困る。あるいはアメリカは基地を返してもいいと思っているのに、日本があるいはヤマトがアメリカさん基地は返してもらっては困る、と言っているふうに見える。もっと言ってしまえば、昨日伊波市長がおっしゃっておられたことなんですけれども、そこまでしていてくれというんだったら辺野古にしてくれよ、という要求をアメリカはしてくる。どうも問題は日本にありそう。なんでアメリカは大枠としては返してもいいと言っているのに、いや返してもらっては困るっていうふうに言っているのでしょうかね。どうも(日本の官僚は)幼稚な分離不安の幼児のように見えてたまらない」(同上、50:56秒頃

半田滋さん(東京新聞編集委員)がいま平和関係の講演会でひっぱりだこの超売れっ子の人気講師である理由は、彼の防衛庁(省)取材暦18年の経歴や2007年に東京新聞・中日新聞連載の「新防人考」で第13回平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)を受賞した経歴などが評価されてのことなのでしょうが、当然のことながら長い経歴を持つということとある問題について深い認識を持っているということとは、必ずしもイコールの関係を結ぶものではありません。私は以前に(たとえばCML 003194)「保守、革新を問わず、私たちの国のひとびとの有名人好き、あるいは有名人病には呆れ果てるものがあ」る、と書いたことがありますが、半田さんがそのような単なる空っぽの「有名人」のひとりにすぎないとは私はまったく思いはしませんが、猫も杓子も半田さんを講演会の講師にしたがる、といういまの「革新」の風潮はほんとうに半田さんの認識や講演内容、あるいは記事の内容を評価した上でのことか、疑問に思っています。もしかしたら失礼な言い様にはなりますが、半田滋さんという優秀な記者も「日米同盟は日本の安全保障の生命線だ」(「全国紙と現政権の間合い-元旦の「社説」を読む」(週刊金曜日 編集長ブログ 2010年1月15日)などとして、総じて日米の軍事同盟を変更のできない与件のように固定化した社説を書くマス・メディアに勤める記者であるというその限界性から抜け出すことができていないのかもしれない。そういう気がしないでもありません。いずれにしてもいつのときも「自分の眼」というものは大切なはずだろう、と私は思っています。


(写真:市街地の中心に位置する米軍普天間基地)

普天間飛行場の移設先候補として鳩山首相の「腹案」とされる徳之島案が急浮上している問題について、同首相自身は「勝手な憶測」(注1)と否定しているものの、2日の関係閣僚会議で同首相が「徳之島を全力で追求したい」と徳之島への移設を指示したことは複数の政府関係者が証言しているところであり、間違いないところだといってよいでしょう(注2?注4)。

この鳩山首相の「腹案」とされる徳之島案について、候補地とされた現地の徳之島住民が強く反対していることはもちろん(注5?注10)、沖縄からも〈戦時中に日本軍部が配下部隊の防衛範囲を定める区分で「北緯三十度線以北の皇土防衛の担当部隊は『本土防衛軍』と称されていたのに対し、それ以南の防衛部隊は、『南西諸島守備軍』、すなわち『沖縄守備軍』として明確に区分されていた」(大田昌秀さん(元沖縄県知事)の発言。「海鳴りの島から」2010年4月5日付より)〉延長線上にある鳩山ヤマトゥ政権の琉球列島・沖縄差別政策というべきではないか、と強く批判する声があがっています。


沖縄県在住の芥川賞作家の目取真俊さんはこの問題の根にあるヤマトゥの政治家たちの沖縄に対する差別意識を次のように指摘します。

「『県外移設』先としていくつか挙がった案から『本土』=ヤマトゥの案は除外され、薩摩侵略以前は琉球と深いつながりのあった奄美諸島の徳之島が残ったことにより、薩摩による支配や明治の『琉球処分』、大田氏が指摘する戦中・戦後の分離などの歴史に対する意識が呼び起こされる」

「そうやって喚起された歴史意識から基地問題が捉え返されることで、沖縄も徳之島も〈一旦緩急あれば、容赦なく切り離し、政治的「取引の具」に供してかまわないものでしかなかった〉北緯三十度線より南の島であることが再認識される。ただでさえ沖縄への米軍基地集中という差別政策への反発があるなかで、鳩山政権は奄美・沖縄へのヤマトゥの歴史的仕打ちを思い起こさせ、繰り返される差別への反発を強めさせているのだ」

「徳之島への『移設』に熱心らしい鳩山首相は、それで自らが『県外移設』に取り組んでいる姿勢を見せているつもりかもしれない。しかし、歴史に関する無知と発想の根底にある奄美・沖縄への差別に無自覚であるが故に、問題をより難しくし、反発の火に油を注ぐ愚を犯している。/しかし、これは鳩山首相や政府閣僚だけの問題ではない。琉球・奄美・沖縄がたどってきた歴史と、それが基地問題に関しても影響を与え、人々の意識を重層的に形成していることに、今のヤマトゥの政治家、メディア関係者がどれだけ気づき、考えきれているか」(「北緯三十度線」海鳴りの島から 2010年4月5日

また、下記の大田昌秀さんの指摘する「沖縄住民の怒り」は、直接的には徳之島住民の怒りを表象しているものではありませんが、上記の太田さんの琉球弧(琉球諸島)全体の考察から見ても徳之島住民の怒りをも表象していると見てよいだろう、と私は思います。大田さんは言います。

「私はジャーナリズムをアメリカで専攻したものだから住民の新聞に載る投書を非常に注目するんですよ。ずっと前から丹念に投書は見てきたけれど、最近沖縄の投書を見て従来とかわったのが出てきているのは、従来は投書マニアみたいなインテリが投書していたが最近はごくふつうの家庭の主婦とか農業をやっているオッサンとかそういう人たちが投書するのが増えていて、それもいまの県内に基地を移設する問題に対する怒りがヒシヒシと感じられる投書が非常に増えてきている」

「キッシンジャーさんなんかも日本政府がきちんと要請すれば、なにも代替基地を作る必要はなく返せる、ということをはっきり言っているわけですね。ですから、そういうことについてもう少し政府の方できちっと沖縄の実情を理解して、それに添うような形で政策をとらないと。いま沖縄の人が何に一番怒っているかというと日米安保条約は日本の国益に適うとか、アジア太平洋地域の平和と安全を守るために不可欠だと、indispensableということばを使っていますよね。ならば、日本の国益に適うならば日本全体が当然引き受けるべきなんですよ。(略)これは明らかに沖縄に対する差別ではないか、ととられるわけですよ。ですから、そういうことをやるというのはいかに沖縄の人の心を傷つけるかということをもう少し知って欲しい、と思う」

「私がいま一番懸念するのは、いまパッケージ論というのが出ていていて普天間の移設先を見つけないと嘉手納以南の基地を返すのも返さないで現状のまま維持するという言い方をしている。ところが、この人たちは(こういう言い方は許さない)。日本側がそういうことを言うとなるとそれはほんとうに問題なんです。アメリカ側は日本側の方よりはるかに住民感情に気を配っていて、その点についてはびっくりするほどいろいろ調査をしているんです。ところが日本側は非常に簡単に見ている。沖縄の人はふつう温厚だといわれて、権力に抵抗する人はいないといわれていますが、ところが復帰直前になってコザ騒動というのがあったでしょう。そういう形で爆発するときが出てくるもんですからね(略)。私たちは米軍と地元の住民が直接暴力行為に及ぶことはなんとしても避けたい、と思って、そういう事態が起こらないように、とそれを一番懸念するんですよ。ところが、普天間をそのまま維持すると海兵隊のヘリコプターというのはこれまで何度も墜落しておりまして、これが今度万が一人身事故でも起こったら非常に懸念されることがありますので、そういうことが起こらないためにも普天間は早く返した方がいい。その方が両政府のためにいい、と私なんか判断するわけです」

「しかも戦争が終わってずっと米軍の占領におかれるという時代が来てですよ、これがいろいろな面に及んでいるんです。たとえば米軍統治下に27年間おかれたものですから国家公務員の試験を受ける機会がなくて、ですからいま、中央政府には沖縄出身の若者たちが100名くらいいます。集めたことがあります。みんな係長以下の連中でね。他府県は大臣や高級官僚が一杯いますから折衝してもしやすいんですが沖縄はそれがまったくないものですから・・・。そういういろいろな問題があるわけなんですよ。ですからこれがほんとうに日本の国益に適う、アジア太平洋地域の安全と平和に結びつく、ということであれば、当然それぞれが負担すべきであって、目に見えない遠く離れた沖縄ばかりに押しつけて60年間平然としている、その感覚が私たちにはわからないですよ。だから、私なんかは自分たちの痛みを本土に移すべきではない、ということで一切本土に移せとは言わなかった。それが最近県外に移せ、という声が高まってきているのは、これだけ耐えてきてもまだわかってもらえないのであれば、基地がどういうものであるかということを本土にも知ってもらおう、と。だから、あえて本土に移せ、という言い方が最近増えてきている」(「普天間問題のボタンのかけ違いはここから始まった 大田昌秀氏(元沖縄県知事)」(ビデオニュース・ドットコム 2010年3月11日放送)

鳩山首相の「腹案」とされる徳之島案を同首相がこれまで繰り返し言ってきた「少なくとも県外移設」という公約を実現するものとして評価する向きがありますが、このような評価は、政権交代政党としての民主党、鳩山政権の得点をなんとか加算してあげたい、という評価の方向性を著しく見誤った評価ならぬ評価といわなければならないでしょう。私たちが真正面を向いて対峙するべきはなによりもヤマトゥンチューの心ない差別意識(それが無自覚的なものを含むものであったとしても)にこれまで耐えに耐えてきた沖縄の人々の心です。その沖縄の人々の心に向き合おうとする姿勢からは決して徳之島案などは出てきようはないはずです。また、その案を評価するという発想も出てきようもないでしょう。徳之島案などとんでもない、と私は強く思っています。



((上)から続く)
議会制民主主義と行政の「抵抗権」

 小淵沢町は、私たちの旅では2番目の視察地にあたる。が、一天にわかにかき曇った感のある同町の合併事情は、行政の長の意志、また議会の意志と住民の意志との関係について大切な問題提起を含んでいる。この町の報告を先にしたい。

 すでに見たとおり、住民投票では合併賛成派が有権者比にして45.7%の票を獲得したが、同町では「全国ではじめて」の「投票資格者数の過半数」条項を採用しているため、尊重義務は生じない。町長はその理由を「町の進むべき方向は2年前に町民の代表である議会の議決により決定されている。それを敢えて変えるには多くの町民の意思が必要」と私たちに説明したが、他の自治体はその「多くの住民の意思」を「有効投票の過半数」としている。私たちは町の自立を模索する町長の理念に共鳴はするのだが、住民の意思を聞くハードルは高くしてはならないと考えている。

 小淵沢町長は、公共工事の入札制度に関して、政官業の癒着とその談合体質を完膚なきまでに断ち切った剛直の人である。住民の意思を尊重しようとする姿勢においても、町長と町民の直接対話の場としての「小淵沢テーブル」の開催、2度に及ぶ住民アンケートの実施、各種団体の代表と一般公募による「市町村合併検討委員会」の設置、合併賛成派と反対派の公開討論会の開催など、その取り組みは人後に落ちるものではない。としても、この条項の策定に関しては、町長のジャッジメント・ミスといわざるをえない。

 いや、単なるジャッジメント・ミスとはいえないだろう。小淵沢町長は、合併の是非を問う住民運動について、今年の6月議会で、そして私たちおおいたローパス一行にも、「議会が議決をした頃ならともかく、今この時期になって、しかも当時、議会の議決に加わった議員が扇動する形でのこの行動は、自ら議会制民主主義を否定(略)するものであり許され」ないと述べた。

 しかし、この認識は誤っている。議会が住民の負託によって成立している以上、その住民の意思はどのような時期であれ、尊重されなければならない。議会の議決を見直そうとする住民運動があれば、議員は進んでその説明責任こそ果たすべきだろう。それを「扇動」というのは、議会制民主主義の解釈をまったく誤っている。

 しかし同時に、次のことも言っておかなければならない。私は、住民の判断を全知全能の神のように思ってはいない。行政の側が正しく、住民の判断の方が誤っているということも少なからずあるだろう。その場合、住民の意思に行政の長が対峙するためには、その出処進退を明らかにした上で、自らの信念を貫く以外ない。平たくいえば、行政の長は常に辞表を懐にしてことに望むべきである。それがアメリカ法にいう市民の抵抗権ならぬ行政の「抵抗権」ということになろうか。小淵沢町長には、自制とともに果敢な行動を望みたい。彼はそれができる人である。

合併反対です。原村が好きだから! 若者たちの108通のメール

 ふたたび長野県原村へと遡行する。原村も諏訪湖と八ヶ岳にはさまれた高原の村である。「信州で最も首都圏に近い村」という地勢もあって、近年人口が増え続けている。夜間人口は20%増というから、この高原の地に居を構え、首都圏に通勤する者も少なくないのだろう。同村の農業所得収入50億円に対して、給与所得収入120億円というのがそのことを物語っている。村営のペンション収入などによる積立金も多いという。

 同村は、福祉先進村でもある。村単老人福祉医療は65歳以上の完全無料化を実施してすでに20年が経つ。世帯主が高額医療対象となった場合の医療費負担の軽減、小学校3年生までの乳幼児等医療費完全無料化などの福祉医療体制は、全国からも注目されている。

 原村長が私たちに語った「地方交付税をどんなにカットされても、老人医療費と乳幼児等医療費の完全無料化は最期まで残したい」という忘れがたい言葉は、「自律した村づくり」をめざす同村長の姿勢に一直線に結びつくものだろう。昨年の12月、原村長は諏訪地域6市町村によって構成される任意協からの離脱を表明し、村議会も「自律する村づくり」の道を選んだ。

 同村は、その決断の前に、18歳以上の全住民(在住外国人を含む)を対象に合併問題に関する住民アンケート調査を行っている。回収率92.2%、合併反対が3,647名、賛成が1,383名というのがその結果であった。反対が賛成の2.5倍。住民も「自律」の道を選択していたのである。

 しかし、前の年の14年の段階では、議会の多数派は合併賛成であった。村内でも合併賛成派の住民や反対派の住民それぞれがグループを作り、チラシを全戸に配布するという状況が続いていた。それが一転したのは、現在、同村を離れて生活している20代前半の若者たちが「原村ふぁん倶楽部」を立ち上げたからである。

 原村に住民票のない彼ら(もちろん、彼女たちも含んでいる)は、したがってアンケートの対象者でもない彼らは、携帯電話のメールを使って仲間に呼びかけ、独自のアンケート調査を実施した。都会に出て生活している若者など108名からメールによるアンケートが集まった。そのメールの文字の大部分が「合併反対です。私は原村が好きだから。今の原村を残したいです」という言葉で彩られていた。若者たちの故郷に寄せる真剣な思いを知った村民の感動は深かった。そのときから、流れが変わった。村長と役場職員は、私たちにそう語った。この物語に出てくる小道具は、携帯とIT。いかにもいまふうである。いつの時代も若者が世の中を変える。考えてみれば当たり前のことが、私たちの心を打った。

大きいことはよいことなのか!?

 しかし、そうした若者たちであっても、はじめから故郷原村を誇りに思っていたわけではないようだ。東京という大都会に出て、「原村出身」と言うのは憚られたという。田舎っぺに思われたくなかったのだ。しかし彼らは、その「田舎」を再発見するのにそれほど時間を要しなかった。彼らにとって、都会は無味乾燥すぎた。

 いつごろから「村」より「町」が、さらに「町」より「市」が上等という観念がはびこるようになったのだろう。大都市のあのきらびやかな風俗が若者たちに魅力的でないはずがない。東京出身者が意味もなくもてはやされる。そこには日本を支配する官庁があり、大企業の本社があり、エリート集団を養成する東大があり、有名私大がある。

 しかし、大きいことはそんなによいことか。昔は金の卵、いまはフリーター。三四郎のように水蜜桃をかじりながらの者もいよう。若者たちが都市へ都市へと流れていく。その結果、町と村はジジ、ババのまち、ムラとなり、農村は疲弊したのではなかったか。

 自治体問題研究家の池上洋通さんはいう。「いい大学にやって、いわゆる都市で暮らす方がいいという考え方が、野外で汗を流して働く労働を卑しむ風潮を作り、日本の教育を歪めてしまった」。その結果、受験産業(だけではないが)は肥え太り、こどもたちは痩せ細った。肥えたかに見えるのは、現人(うつせみ)の幻覚か、鬼の姿にほかならない。

 私たちは、この旅で実に多くのことを学んだ。が、紙数の関係で記せなかったことがたくさんある。それはまたの機会にゆずろう。私たちは、住民の生活が見えるまちづくり、住民の顔の見えるムラづくりを望んでいる。そのメッセージだけは伝えることができたかもしれない。
                                   (2004年・秋記す)
(写真:長野県原村)

弁護士の毛利正道さんがご自身が主宰される「非戦つうしんミディア」485号(2010年4月7日号)及びご自身のブログに「65才以上医療費無料30年、『安心して暮らせる原村』を全国へ」という小論攷を掲載されています。

「原村」という懐かしい村の名前を見て、6年ほど前に同村を訪ねたときのことを思い出しました。私はこのとき市民と地方自治体議員20人ほどで構成する「大分県地域自治政策研究センター・おおいたローパス」という市民団体の事務局次長という雑用係をしていたのですが、その市民団体としての第1回目の研修旅行が長野県原村と山梨県小淵沢町の旅でした。その旅の記録を市町村合併問題を主題にして書いたものが下記です。某新聞社系の雑誌に発表する予定で書いたものですから「私」の主張は極力抑えています。それでも「市町村合併」推進論者の編集長とそりが合わず、お蔵入りになっていた、あるいはしていたものです。毛利さんの「原村」賛歌を読んで、私も同村に懐かしい旅の記憶を持つもののひとりとして「原村」賛歌を歌う一員に加わりたくなりました。ご一読いただければ幸いです。

なお、このときの私たちの旅の団長役だった橋本祐輔緒方町議(当時)は、昨年の春、合併後に豊後大野市となった同市長選で前職を接戦で破り、いまは同市の市長です。私はもちろん橋本さんの善政に期待しています。
市町村合併戦線に異状あり ?小さくても輝くまちとムラの旅の終わりに?

 台風16号が九州本土に急接近していた8月の末、私たちおおいたローパスの一行(団長:橋本祐輔緒方町議)は、市町村合併について独自の道を歩んでいる長野県原村と山梨県小淵沢町を探訪する旅に出た。この小文は「小さくても輝くまちとムラ」の現地ルポである。が、旅を終えたはずが、その直後の全国各地の動き、大分ん衆(し)の動きがあわただしい。旅の終わりは、市町村合併第2ラウンドの始まりであるかのようだ。まずは、ここから書き始める必要があろう。

ドタキャンが増えている!

 新市名、合併期日まで決まっているのに、ドタキャンというケースが最近増えている。長野県ではこの9月11日、1町2村で相次いで住民投票、投票による住民意向調査の開票があり、住民は「合併反対」を選択した。また、別に1村が法定協離脱を表明した。お隣の福岡県岡垣町でも同5日、合併の賛否を問う住民投票が行われ、住民は「合併反対」を選択した。16日、佐賀県武雄市でも、合併協から離脱する議案が市議会で可決された。

 そのせいかどうか、わがまちとムラの市町村合併戦線でもちょっとしたドタキャン異変が起きている。9月5日の日出町長選では、合併反対の町長が誕生した。当然、杵築速見地域の合併問題は見直しを迫られるだろう。三重町では6日、町民約300人と18人の町議のうちの7人が参加して「合併ネットワーク・みえ」(大崎雅朗代表)という住民団体主催のつどいが開かれた。先の町議会への請願書提出に続き、大野郡5町2村の合併期日の延期を求める決議を採択した。

 湯布院町では15日、「挟間・庄内・湯布院の合併の是非を問う住民投票条例制定を求める会」(岩男淳一郎、桑野和泉両代表)が3,657人の有効署名を添えて請求していた同議案の採決があった。原案は8対6で否決されたものの、修正案は7対7の賛否同数。さらに、その背後には住民投票条例の制定を求める有権者のおよそ4割の署名がある。同町の合併攻防戦は、第1幕が終わったばかりと見たほうがよいだろう。

平成の「お国自慢」?それとも叛乱?

 ところで、それぞれのまちやムラの首長や住民団体の合併反対、延期の理由はさまざまである。当然、「地方自治」のあり方を問う理念的なものもある。しかし、これは政争、単なる主導権争いではないか、と思われるものもある。しかしその場合でも、伏流をなしているのは「地方自治」のあり方である。市町村合併の現場では、それは往々にして「地域エゴ」という形で現われる。地域エゴといってしまうと身も蓋もないが、要するに「お国自慢」「お国意識」のことである。自分がいま住んでいる「この町」を大切にしたいと思う地域住民の自然な感情である。

 お上は口を開けば「ザイセイジジョウ」「トクレイサイ」と呪文のようにいうが、足算なのか、引算なのかよくわからない。それはさておくとしても、お上に地域住民のそうした「お国自慢」「お国意識」を深く考察した形跡は見られない。それもそのはず、地方自治の専門家、大森彌(わたる)さん(2000年東大定年退官)は、「平成の大合併」というお上の野望をずばり「政権党の都市選挙戦略の発動」と喝破する。「平成の大合併」に理念などもともとないというのである。そうであるなら、それがたとえ「地域エゴ」であれ、また「お国自慢」と呼ぼうと、「お国意識」と呼ぼうと、地方、地域住民の叛乱は、けだし当然といわなければならないだろう。

小さくても輝く町と村への旅

 さて、私たちおおいたローパス一行の旅のことである。「日本一元気な村」をキャッチコピーにする長野県原村は、人口7,500人余の小さな村である。が、この春に『小さくても輝く自治体フォーラム』(125自治体、520名参加)を成功させたばかり。もうひとつの訪問地、山梨県小淵沢町も、人口6,000人余の小さな町だが、八ヶ岳南麓の日本一の山並み景観を誇る。

 この町では、折しも「合併の可否を問う」住民投票が行われたばかりであった。町長や町議会はすでに「合併しない」選択をしているのだが、投票では合併に「賛成」が「反対」の約1.4倍の票を獲得して上回った。住民投票では、行政が合併に賛成し、住民がそれに反対するというのがよくあるパターンだが、この町では「逆コース」の様相だ。私たちが訪ねたとき、自立派の町長は苦境に立たされていた。((下)に続く)
(写真:長野県原村)
『日本/権力構造の謎』(早川書房、1990年)の著者で、オランダ出身のジャーナリストとして著名なカレル・ヴァン・ウォルフレン氏が『中央公論』の最新号に「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」という論攷を寄稿しています。


このウォルフレン氏の論攷を「鳩山政権潰しの動きに警告するウォルフレン論文」という形で評価する向きがあります。私はこうしたウォルフレン氏論攷の評価には賛成できません。左記のウォルフレン氏論攷評価はCMLという公開型MLに投稿されたものですから、その反論を私も同MLに投稿しました。以下、同小文を本ブログにも転載しておきます(以下、公開型MLへの投稿ですから宛名は実名のままにさせていただきました)。

中田さん 石垣さん

おふたりの標題メール(
CML
003565003569)を読んで強い違和感を持ち、すぐさま反論のレスポンスを書いておく必要性を感じましたが、別のいろいろな用件もあり、いまのことになりました。

おふたりはオランダ出身のジャーナリスト(長くオランダ紙『NRCハンデルスブラット』の東アジア特派員を務め、現在はアムステルダム大学教授)のカレル・ヴァン・ウォルフレン氏の『中央公論』最新号に寄稿した論攷を高く評価されているようですが、ウォルフレン氏の左記の見解は1990年に早川書房から出版され評判になった『日本/権力構造の謎』(全2巻)で主張されていた「2大政党制論(保守政治の持続)を前提にした上での政治改革」(私の評価を含む要約)という同氏の持論の焼き直しにすぎないもので、特段に目新しい主張でもなんでもありません。また、ウォルフレン氏と同様の主張は、たとえば経済評論家の植草一秀氏など民主党の熱烈な支持者がこれまで熱狂的に繰り返し主張してきていることと同値の内容であり、そういう意味でも目新しいところはまったくありません。

上記論攷におけるウォルフレン氏の日本の政治の現状分析には、石垣さんがおっしゃるようにたしかに「旧勢力と財界、官僚、マスコミ、米国政府が一体となって鳩山新政権を潰そうとして」いるいまの政治の現状を「的確」(CML 003569)にとらえている側面はあります。が、その「的確さ」は、1990年の上記著書の出版当時からの主張の延長としての「的確さ」にすぎず、また現実政治の一側面の指摘の「的確さ」というにとどまります。

一方において、ウォルフレン氏の日本の政治の現状分析には、民主党が選択的夫婦別姓制度を含む民法改正、外国人参政権法案などなど自ら公約し、国民の期待も大きい数々の法案の国会上程を限りなく断念している情勢であること。学校の新学期が始まった現時点においても憲法や国際人権規約の精神に反して朝鮮学校を高校授業料無償化措置から排除している問題、もちろん普天間基地「移設」問題を含めて後退に後退を重ね、公約違反を続けている民主党中心政権の「無残」といってよい現状の分析はまったく見られません。

それもそのはずです。上記論攷に見るウォルフレン氏の民主党、また同党幹事長の小沢一郎氏の評価は次のようなものです。

・「国際社会の中で、真に独立した国家たらんとする民主党」
 
・「初めて信頼に足る野党が正式に政権の座に就き、真の政府になると、すなわち政治の舵取りを行うと宣言したのだ」

・「アメリカ政府がこれまで日本を完全な独立国家として扱ってはこなかったことである。ところが鳩山政権は、この古い状況を根本的に変えてしまい、いまやこの問題について公然と議論できるようになった」

・「小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりであることは疑いない。ヨーロッパには彼に比肩し得るような政権リーダーは存在しない。政治的手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない」


いちいち評釈はしませんが、上記の数例だけでもウォルフレン氏の民主党及び小沢一郎氏に対する過大な入れ込みぶりは明らかです。このウォルフレン氏の民主党評価がいかに恣意的かつ独断的、希望観測的なものにすぎないか。これまで民主党を熱烈に支持してきた二人の論者の最近の言説と比較してみればより明らかになります。

おひとり目、天木直人氏。天木氏は
鳩山首相への決別宣言というご自身のブログの2010年3月21日付の記事で次のように言っています。

「一度は国民の手で政権交代を実現しなくてはいけない。その思いで私は民主党を支持してきた。しかし、民主党政権もまたこの国を変える事は出来なかった。期待していた民主党政権に裏切られた。/その理由は、私にとっては「政治とカネ」の問題では決してない。あくまでも政策だ。/選挙前に国民に提示していた政策がことごとく腰砕けになりつつある。特に国民が一番期待していた脱官僚、天下り根絶の不徹底は目に余る。/それでもなんとか鳩山首相には頑張ってもらいたいと応援してきた。/とぼけていても本当は信念と覚悟があるのではないかと無理をして考えてきた。/しかし、もはやこれまでだ」

おふたり目、植草一秀氏。植草氏は天木氏よりより直截で熱烈な民主党支持者です。植草氏はいまでも熱烈な民主党応援団員です。その植草氏が同党について最近次のように発言しています。私は植草氏のこの発言を瞠目して聞きました。

「ただこれまでの半年を見る限り、ほんとうに期待した成果はまだ目には見えてきていない。先ほど申しましたけれど官僚支配の構造を切る、一番重要なのは天下りを根絶するということなんですけれども、これもかなり従来野党のときの主張から比べると後退している。(略)それから政治と金の問題の根幹にあるのは企業が政治にお金を出すということなんです。企業がお金を出す場合は必ず見返りを求めますので必然的に賄賂性というものをともなうんですね。ですからこの○○(注:不明)を出し切るにやはり企業団体献金を全面的に禁止する新しい法体系を作る必要がある。それから検察の問題ですけれど検察の取り調べの可視化というようなこともあって、これをやらなければ政権交代の意味はないと思います。それを実際にこの鳩山政権が実行に移さなければ私も鳩山政権を支持するのをやめます」(「
THE EARTH討論会(天木直人vs植草一秀)第1部」21:30秒頃 Style FM  2010年3月27日)

これまで、またはいまも民主党を支持してきた(している)日本の二人の論者の民主党という政党に対する現状認識とくらべれば、なおいっそうこの問題についてのウォルフレン氏の現状認識が現状認識足りえていないか。その甘さが目につくはずです。

社会学者の橋爪大三郎氏は『日本/権力構造の謎』(全2巻)の文庫版(1994年)の解説で「これほどスケールが大きく、実証的、しかも包括的な書物はあまり例がない」「すぐれた日本社会論」と評価しています。私も同著をはじめて読んだとき、橋爪氏と同様の感想を持ちました。同著は日本の権力構造の基本的な性格(政治責任の中枢がないこと。日本の政治エリートと官僚制の問題)と、日本人がいかに統治されているかを分析して見事です。

その統治のされ方の分析は、たとえば「日本の高等教育は、東大、もっと具体的に言えば、その法学部を頂点とするヒエラルキーを形成する」(文庫版p197)、「ヒエラルキーの中でランクは一つ下になるが、名声があり入学も難しいのは、私立大学の早稲田と慶応である。早稲田の名声は、多くの政治家やジャーナリストを輩出しているためであり、慶応の方は、経済界の上層幹部を送り出していることによる」(同p197)、「有名大学で四年間なにもしなかった学生の方が、能力はあるがランクが下の大学を出た者よりは、つねに、上位ランクの就職先も見つけられるのである」(同p199)というところから、戦時中の農業会からいまの農協にいたる政治的な抱き込みの包囲網の問題、「裁判官役を演じる検察」の問題、田中角栄や江副浩正の切り捨てに象徴される「スキャンダルによって行き過ぎがチェックされ、日本の権力システムは円滑に運営されるようになる」(同p373)問題、「内部抗争や非現実的な政策、(略)行動の数々によって、社会党は自民党に対する見せかけだけの政権交代可能な野党として、三八年間の長きにわたり選挙民をあざむいてきた」(同p413)問題に至るまで驚嘆するほど「スケールが大きく、実証的、しかも包括的」な分析に貫かれています。

しかし同著は、ウォルフレン氏ご自身が同著に書いているように明治期から現在にかけての「日本の権力構造の基本的な性格と、それらが日本の人びとの日常生活に及ぼす影響」(同p19)を分析したものです。明治期から現在にかけての「日本の権力」とは保守権力そのものにほかならないわけですから、「日本の権力構造の基本的な性格」の分析は、すなわち、日本の「保守権力」の構造の分析ということになるほかありません。必然的にというべきかそこには「革新政治」をいかに実現するかという視点はまったくありません。あるのは、冒頭で述べたように、「2大政党制論(保守政治の持続)を前提にした上での政治改革」という視点のみです。そこに「革新」の視点から見た同著の根底的な限界性というべきものがあります。

橋爪大三郎氏によれば、ウォルフレン氏は、1993年の一橋大学の大学祭での橋爪氏との対談で次のような政治認識を示しています。

「昨年(一九九三年)の秋、一橋大学の大学祭企画で、ウォルフレン氏と討論をするチャンスがあった。そこで私は、さっそくこの点(注:日本は変わるのだろうか)を尋ねてみた。氏の答えは、日本の権力構造(〈システム〉)は深く根をおろしているが、改革は可能かもしれないという、まことにバランスの取れたものだった。特に、小沢一郎、羽田孜、江田五月といった改革派の政治家たちを高く評価していることが印象に残った」(同p480)

私は中田さんや石垣さんのウォルフレン氏評価は過大評価であろう、と思います。そして、結果として小選挙区制を前提とする2大政党制論の罠に絡めとられる陥穽を持つご認識のように思われます。2大政党制論の危険性については下記の後半部分に書いています。ご参照いただければ幸いです。

Re: みんなの党を誰が支持しているのか?(CML 003481 2010年3月25日)

川人氏はその要請書で日弁連会長声明の撤回を求める理由を次のように述べています。

「前記会長声明<以下本件会長声明という>は、ほとんどの日弁連会員が議論に参加する機会も与えられず、ごく少数の弁護士の人々により結論が出され、それを会長・事務総長が追認し、社会に明らかにされました。日弁連人権擁護委員会内で議論されたとのことですが、当職を含め同委員会に所属していない圧倒的多数の弁護士にとっては、意見表明の機会さえ与えられなかった極めて非民主主義的な手続であります」

しかし、川人氏のこの「日弁連会長声明の撤回を求める理由」なるものは、「日弁連会長声明」というものの性質についてまったく理解していない者、もしくは理解していてもわざと曲解しようとする者(川人氏はおそらく後者です)の言い掛かりにすぎない論、というべきだろうと私は思います。

川人氏の言うように日弁連会長声明が「ほとんどの日弁連会員が議論に参加」しなければ出せない性質のものであるならば、およそ「会長声明」なるものは永遠に出すことはできない、ということにならざるをえないでしょう。「ほとんどの日弁連会員が議論に参加」して出す声明ももちろんありえますが、そういう声明は「会長声明」ではなく、1年に1度、あるいは2度程度の総会などを開いた際の「日弁連声明」ということになるはずです。

会長声明を1年に1、2度しか出せない、ということであれば、めまぐるしく変化する政治・社会情勢に対応することはできないし、また日弁連に期待する市民の負託に応えることもできない。左のような反省から、臨機応変に出せる声明として日弁連として総体として承認されている声明の発信のしかたのひとつが会長声明です。会長声明を発信する際は、内規で、あるいは慣習として、日弁連の担当委員会、担当副会長、事務総局その他関係者の慎重な検討を経た上で発せられるもの、とされているようです。

今回の日弁連会長声明は、川人氏自身も認めているように日弁連の人権擁護委員会内で議論され、当然同会副会長や事務総局にも承認された上で起案されているものです。川人氏はこの手続きを上記のとおり「極めて非民主主義的な手続」などというのですが、為にするためだけに作為された言い掛かりの論そのものといわなければならないだろう、と私は思います。

付記:
ただし、日弁連会長声明が一部の執行部役員の思惑や政治的意図を体する形で作為されたこともこれまで少なくなくあったのではないか。そのことを私は否定するものではありません。が、繰り返しますが、今回はそのような指摘はまったく当て嵌まらないだろう、と思います。

私は、川人博という弁護士の人物像について、過去に少しばかり書いたことがあります。以下にその文章を若干補足した上で転記しておきます。

朝鮮高校授業料問題に関する日弁連会長声明の撤回を求める要請書を日弁連に提出したという弁護士の川人博氏の著作に『金正日と日本の知識人』(講談社現代新書)」というトンデモ本(もちろん、私の評価です)があります。2007年3月から5月にかけて『週刊朝日』誌上で「川人博・姜尚中」論争なる争論がありましたが、同争論を川人氏の観点からまとめたものが同著です。

同論争の中身はどういうものだったのか? 『金正日と日本の知識人』という著作のトンデモ性を明らめるために以下に少し整理してみようと思います。が、その前に川人博氏という人の立ち位置を確認しておきます。川人氏はなぜ姜尚中氏批判をわざわざ保守・右翼系の代表的な論壇誌といわれる『諸君!』に掲載しようとしたのでしょう? 「『週刊金曜日』編集部あてに、姜尚中の発言に対する批判論文を掲載してほしい旨繰り返し要請しているが、いまだに執筆の機会が与えられていない」という事情があったにせよ、なぜそれがいきなり保守系オピニオン雑誌の『諸君!』掲載ということに飛躍するのでしょう? 『諸君!』は「戦前日本の路線を肯定し、中国や韓国など周辺諸国を非難する論文を掲載する傾向にある」(Wikipediaの以前の記述。いまは「戦前日本(大日本帝国)を直視する立場をとっており中国や韓国、北朝鮮など周辺諸国(特定アジア)のナショナリズムを警戒する論文を掲載していた」などという意味不明なあいまいな記述になっています。おそらくどこかから圧力がかかったのでしょう)雑誌として名を馳せており、為にする左派・進歩的文化人批判の拠点雑誌としても有名です。川人氏はそういう雑誌に自分の文章を掲載してもなんら違和感を持たない感性の持ち主、「人権派」弁護士なのでしょうか? おそらくそうなのでしょう。

川人氏は上記の『諸君!』4月号論文で、自分は「特定失踪者問題調査会(荒木和博代表)の常務理事を務め、拉致被害者の救出活動の一端を担うことになり、現在に至っている」と恥ずかしげもなく述べています。しかし、その「特定失踪者問題調査会」の代表の荒木和博氏は、先のワシントンポスト紙「従軍慰安婦」強制文書否定全面意見広告の「有識者」賛同者のひとりです。荒木和博氏の経歴は次のようなものです。

  荒木和博(あらきかずひろ、1956年生) 拓殖大学海外事情研究所教授。戦略情報研究所株式会社代表
  取締役。特定失踪者問題調査会代表。元現代コリア研究所研究部長。元北朝鮮に拉致された日本人を
  救出するための全国協議会事務局長。元民社党本部書記局員。

川人氏はこうした人物が主宰する組織の常務理事を務めていることになんの疑問も抱かない「人権派」弁護士のようです。

さて、『週刊朝日』誌上での論争の中身についてですが、川人博氏の姜尚中氏批判の論法がいかに荒唐無稽であるか。下記のごとくです。

いわゆる「川人博・姜尚中」論争の発端となったのは川人氏が『諸君!』に掲載した姜尚中氏批判でした。そのテーマは「姜尚中は金正日のサポーターか」。また、そのリード文は「『姜尚中的平和』とは、金正日独裁体制を温存し日朝両国民に苦難を強いる秩序でしかない」。このように断言し、他者(ひと)をここまで貶める以上、相応の根拠を持ってそう言っているのかと思えば、そうではない。あるのはきわめて主観的な憶測、相手(姜尚中氏)を貶める意図を持ってわざと曲解しているとしか思えない読解(川人氏自身はそのようには思っていないでしょう。しかし、第三者的(ふつうの読者ならば、という程度の意味)には曲解としか思えない。おそらく川人氏のある種の「知識人」への〈思い込み〉がそのような偏頗的読解をさせているのでしょう)、自分の主張を押し通すための相手の意見の歪曲です。川人氏は『諸君!』(2007年4月号)の論文で「自らに都合の悪い論点を避けて自らの主張のみを繰り返すのは、知的怠惰な知識人が使う常套手段である」(p131)と述べていますが、その言葉は川人氏にこそそっくり当て嵌まるものであろう、と私は思います。また、川人氏は、『諸君!』掲載原稿と同種の「姜尚中の発言に対する批判論文を書きたい」と『週刊金曜日』編集部に要請したが相手にされなかったと言います(『諸君!』2007年4月号)。しかし、私は、この場合の『週刊金曜日』編集部の対応は、編集者としてむしろ良識ある対応というべきであろうと思います。

川人氏の論の異様さについて、その全容をここで明らめることはできませんので、ここではその論の荒唐無稽さがもっとも際立っていると思える一例だけをとりあげておきます。

川人氏は『諸君!』(2007年4月号)で「姜尚中は金正日のサポーターか 」と断定、断罪し、そしてそのように断定、断罪する根拠の一つを示すかのように同論文最終3行に次のように書きます。「北朝鮮独裁体制が完全に崩壊したとき、日本の言論人、言論界に対する彼らの工作活動の事実が白日の下に明らかになるであろう(※3)」。そして、左記の3の注は次のとおりです。

「北朝鮮独裁体制による韓国の知識人や在日の知識人に対する工作活動が実に巧妙に執拗におこなわれていることは、脱北者の数多くの証言により、明らかになっている(参考文献は略)。/1960年代以降、ヨーロッパ、とくにドイツが、知識人工作の場として活用されていることが注目される。北朝鮮から工作資金を受けていたことを認めた宋斗律(経歴は略)は、その代表的な存在である。/ちなみに、姜尚中は、1970年代後半から1980年代前半にかけて西ドイツ(当時)に数年間留学し、2004年教鞭をとるためとして、日本を離れ、ドイツに長期にわたり滞在した(参照文献は略)」

上記の記述は明らかに「姜尚中氏は北朝鮮の工作活動に接点のある人物」であるかのごとく描いています。以下、上記に対する姜尚中氏の『週刊朝日』誌上での反論を2つ。

「確かに川人氏が月刊誌『諸君!』で指摘していることは『事実』である。60年代から80年代にかけてベルリンを拠点に北朝鮮が旧西ドイツ在住の韓国人に工作を行ったという『事実』があり、他方、わたしが79年から81年まで旧西ドイツ、エアランゲン大学に『留学』していたことは紛れもない『事実』である。/しかし、これらの『事実』を選択し、しかも両者を並列させるレトリックは、決して単なる『事実』から導き出せるものではない。それは、著者の意図やねらい、またコンテクストなしには考えられないはずだ。読者がどんな感想やイメージをもつかを想定せずして、そんなことができるだろうか。まさしく『捏造まがい』としか言いようがない」(5.25号)

「まず、この川人氏、『人権派』はおろか、法曹人としても失格なのは、個人の人権を蹂躙する卑劣かつ姑息な手法を取りながら、恬(てん)として恥じる気配がないからである。/わたしの旧西ドイツ時代(1979?81年)、さもわたしが北朝鮮の工作を受けていたかのように匂わす断片的な事実を列挙していることなど、その最たるものである。(略)『人権派』を自称する弁護士が、こうも捏造まがいの文章を平然と書けるとは……。/わたしの旧西ドイツ時代を知りたければ、2001年に放映されたNHK・BS2『世界・わが心の旅 ドイツ・故郷と異郷のはざまで』を観ればいいはずだ。そんなことを調べていなくて、よく個人の人権を踏みにじるようなデマの類の文章を臆面もなく発表できるものである。/踏みにじられているのは、わたしの『名誉』だけではない。わたしが許せないと思うのは、そのようなデマを流すことで、私の記憶の中に生き続ける留学時代に出会った人々の友情や親愛に泥を塗るような仕打ちをしたことになるからである。彼らが、このような仕打ちを知れば、どんなに悲しみ、憤ることか」(4.27号)

姜尚中氏の反論に私は何もつけ加える必要はないでしょう。川人氏のまことに弁護士らしからぬデマゴギーは悪名高きあの特高警察もマッ青といわなければならない体のものです。私は全面的に姜尚中氏の反論を支持します。ちなみに2001年に放映されたNHK・BS2『世界・わが心の旅 ドイツ・故郷と異郷のはざまで』は私も再放送で観ました。姜尚中氏と彼の留学時代の友人(ひとりはアフリカ大陸から西ドイツに留学してきた友人だったか? その友人は姜氏と共通のもうひとりの友人について、姜氏が渡独したそのまさに直前に死亡した、と姜氏に伝えました。そのときの慟哭する姜氏の姿を私は忘れません)との再会が描かれていて、私は涙したことを思い出します。
個人の尊厳から出発するかぎり、どうしても抵抗権をみとめないわけにはいかない。抵抗権をみとめないことは、国家権力に対する絶対的服従を求めることであり、奴隷の人民を作ろうとすることである(宮沢俊義『憲法II』(有斐閣、1959年)第三章 第三節「抵抗権」)

下記の毎日新聞の報道によれば、山口地裁岩国支部はこの3月31日、これまですでに1月18日付で「上関原発を建てさせない祝島島民の会」と39人の会員に対して中電の原発建設のための上関沖合埋め立て工事の「妨害」行為を禁じる不当決定を出していますが、同決定に対する島民の会会員らの異議申し立てを却下し、改めて同会と会員ら39人に埋め立て工事が終わるまで一切の「妨害」行為を禁じた上で、同「妨害」行為を続ける場合は、連帯して1日当たり500万円の支払いを命じるという不当決定を出した、ということです。

上関原発:島民らの妨害を禁止 山口地裁支部(毎日新聞 2010年4月2日)
 中国電力が山口県上関町で進めている原子力発電所の建設計画を巡り、山口地裁岩国支部(大島雅弘裁判官)は、反対派による沖合埋め立て工事の妨害を禁じ、続ける場合は1日当たり500万円の支払いを命じる決定を出した。1982年に建設計画が浮上後、原発反対運動を続けてきた上関町祝島の島民らに幅広く工事の妨害行為を禁じる内容で、島民らは反発している。
 中電によると、決定は3月31日付。地裁岩国支部は、祝島がある上関町の住民団体「上関原発を建てさせない祝島島民の会」と39人の会員に、工事の妨害行為を禁じる決定を1月18日付で出していたが、今回の決定で会員らによる異議申し立てを却下。併せて、同会と会員ら39人に埋め立て工事が終わるまで一切の妨害行為を禁じたうえで、1人でも違反した場合は、連帯して1日500万円を支払うよう命じた。

 中電側は、反対派の妨害で工事が遅延した場合、作業船の待機費用などで1日あたり約936万円の損害が生じると主張。反対派が決定に従わず工事を妨害することを想定し、同額の支払いを求める間接強制の申し立てをしていた。決定を受け、中電は2日、「今後、工事に対する一切の妨害行為を止めていただけるものと考えている」というコメントを出した。

 これに対し、同会の山戸貞夫代表は「裁判官は、今まで生活してきた島のすぐそばに原発ができてしまう島民の思いや生活について判断していない」と強い怒りをにじませた。【小中真樹雄】

この上関原発仮処分申し立て事件と同種の裁判事件として高江ヘリパッド仮処分申し立て事件がありますが、同事件を担当した那覇地裁は国から訴えられていた住民14人のうち、男性2人について妨害行為があったと認定したものの、現地での座り込みや工事中止の説得、抗議行動などについて「これらの行動自体をもって実力を用いた妨害行為ととらえることは慎重であるべきだ」「政治的な信条に基づく行為である限り、尊重されなければならない」と指摘し、抗議行動自体の違法性は認めませんでした。

今回の山口地裁岩国支部の決定は上記の住民の政治的信条に基づく抗議行動自体、表現活動までを妨害行為とみなす個人の尊厳と基本的人権の尊重を根底的に無視した憲法蹂躙も甚だしい不当決定といわなければなりません。このような司法の不当な判断をこのまま許容することは断固できません。

これまで私はこの問題を基本的人権のひとつである「抵抗権」の行使の問題として2回ほど論じたことがあります。下記に再掲しておきたいと思います。ご参照いただければ幸いです。

私が尊敬しているジェンダー研究者の伊田宏行(イダヒロ)さんがご自身のブログの最新記事で茨木のり子さんの「聴く力」という詩を紹介されています。イダさんがなぜ茨木さんの「聴く力」という詩をご自身のブログに紹介されているのか私にはわかりません(わかるような気もしますが)。

それはともあれ、イダさんにならって、私も吉野弘さんの「祝婚歌」という詩と茨木のり子さんの「祝婚歌」という文章を紹介させていただこうと思います。私がなぜおふたりの詩と文章を載せたくなったのか。その理由はおふたりの詩と文章を読んでいただければご了解いただけるものと思います。

茨木のり子さんの「祝婚歌」という文章の終わりの方に「これは、ぼくの民謡みたいなものだから、この詩に限ってどうぞなんのご心配もなく」という吉野さんの言葉が紹介されています(割愛している部分)。もちろん著作権のことをおっしゃっておられるのですが、吉野さんの寛容なお言葉を大慶とさせていただいて、ということでもあります。

吉野弘さんの「祝婚歌」は私はときどき思い出しては口誦さんでいます。そして、茨木のり子さんの「祝婚歌」という文章ももうひとつの最愛の詩だと私は思っています。

「祝婚歌」
吉野 弘 


二人が睦まじくいるためには
愚かであるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

●吉野弘全詩集 栞 「祝婚歌」 茨木のり子

 吉野さんの「祝婚歌」という詩を読んだときいっぺんに好きになってしまった。

 この詩に初めて触れたのは、谷川俊太郎編『祝婚歌』というアンソロジーによってである。どうも詩集で読んだ記憶がないので、吉野さんと電話で話したとき、質問すると、
「あ、あれはね『風が吹くと』という詩集に入っています。あんまりたあいない詩集だから、実は誰にも送らなかったの」
 ということで、やっと頷けた
 その後、一九八一年版全詩集が出版され、作者が他愛ないという詩集『風が吹くと』も、その中に入っていて全篇読むことが出来た。
 若い人向けに編んだという、この詩集が良くて、「譲る」「船は魚になりたがる」「滝」「祝婚歌」など、忘れがたい。
 作者と、読者の、感覚のズレというものがおもしろかった。
 自分が駄目だと思っていたものが、意外に人々に愛されてしまう、というのはよくあることだ。
 また、私がそうだから大きなことは言えないが、吉野さんの詩は、どうかすると理に落ちてしまうことがある。それから一篇の詩に全宇宙を封じこめようとする志向があって、推敲に推敲を重ねる。
 櫂のグループで連詩の試みをした時、もっとも長考型は吉野さんだった記憶がある。
 その誠実な人柄と無縁ではないのだが、詩に成った場合、それらはかえってマイナス要因として働き、一寸息苦しいという読後感が残ることがある。
 作者が駄目だと判定した詩集『風が吹くと』は、そんな肩の力が抜けていて、ふわりとした軽みがあり、やさしさ、意味の深さ、言葉の清潔さ、それら吉野さんの詩質の持つ美点が、自然に流れ出ている。
 とりわけ「祝婚歌」がいい。
 電話でのおしゃべりの時、聞いたところによると、酒田で姪御さんが結婚なさる時、出席できなかった叔父として、実際にお祝いに贈られた詩であるという。
 その日の列席者に大きな感銘を与えたらしく、そのなかの誰かが合唱曲に作ってしまったり、またラジオでも朗読されたらしくて、活字になる前に、口コミで人々の間に拡まっていったらしい。
 おかしかったのは、離婚調停にたずさわる女性弁護士が、この詩を愛し、最終チェックとして両人に見せ翻意を促すのに使っているという話だった。翻然悟るところがあれば、詩もまた現実的効用を持つわけなのだが。
 若い二人へのはなむけとして書かれたのに、確かに銀婚歌としてもふさわしいものである。
 最近は銀婚式近くなって別れる夫婦が多く、二十五年も一緒に暮らしながら結局、転覆となるのは、はたから見ると残念だし、片方か或いは両方の我が強すぎて、じぶんの正当性ばかりを主張し、共にオールを握る気持も失せ、〈この船、放棄〉となるようである。
 すんなり書かれているようにみえる「祝婚歌」も、その底には吉野家の歴史や、夫婦喧嘩の堆積が隠されている。
 吉野さんが柏崎から上京したての、まだ若かった頃、櫂の会で、はなばなしい夫婦喧嘩の顛末を語って聞かせてくれたことがある。
 ふだんは割にきちんと定時に帰宅する吉野さんが、仕事の打合せの後、あるいは友人との痛飲で二次会、三次会となり、いい調子、深夜すぎに帰館となることがある。
 奥さんは上京したてで、東京に慣れず、もしや交通事故では? 意識不明で連絡もできないのでは? 待つ身のつらさで悪いことばかりを想像する。
 東京が得体のしれない大海に思われ、もしもの時はいったいどうやって探したらいいのだろう? 不安が不安を呼び、心臓がだんだん乱れ打ち。
 そこへふらりと夫が帰宅。奥さんはほっと安堵した喜びが、かえって逆にきつい言葉になって、対象に発射される。こういう心理はよくわかる。なぜなら私もこれに類した夫婦喧嘩をよくやったのだから。
 今から二年ほど前、吉野さんは池袋駅のフォームで俄かに昏倒、下顎骨を強く打ち、大怪我された。歯もやられ、恢復までにかなりの歳月を要した。どうなることかと心配したが、その時、私の脳裡を去来したのは、若き日の吉野夫人の心配症で、あれはあながち杞憂でもなかったということだった。
「電話一本かけて下されば、こんなに心配はしないのに」
 ところが、一々動静を自宅に連絡するなんてめんどうくさく、また男の沽券にかかわるという世代に吉野さんは属している。売りことばに買いことば。
 吉野さんはカッ!となり、押入れからトランクを引っぱり出して、「お前なんか、酒田へ帰れ!」
 と叫ぶ。
「ええ、帰ります!」
 吉野夫人はトランクに物を詰めはじめる。
「まあ、まあ、」
 と、そこへ割って入って、なだめるのが、同居していた吉野さんの父君で、それでなんとか事なきを得る。
 これではまるで私がその場に居合わせたかのようだが、これは完全な再話である。長身の吉野さんが身ぶりをまじえての仕方噺(しかたばなし)で語ってくれたのが印象深く焼きついているから、細部においても、さほど間違っていない筈だ。
 二、三度聞いた覚えがあるので、トランクを引っぱり出すというのは、吉野家におけるかなりパターン化した喧嘩作法であるらしかった。留めに入る父君の所作も、だんだんに歌舞伎ふう様式美に高められていったのではなかったか?
 酒豪と言っていいほどお酒に強く、いくら呑んでも乱れず、ふだんはきわめて感情の抑制のよくきいた紳士である彼が、家ではかなりいばっちゃうのね、と意外でもあり、不思議なリアリティもあり、感情むきだしで妻に対するなかに、かえって伴侶への深い信頼を感じさせられもした。
 いつか吉野夫人が語ってくれたことがある。
「外で厭なことがあると、それを全部ビニール袋に入れて紐でくくり、家まで持って帰ってから、バァッとぶちまけるみたい」
 ビニール袋のたとえが主婦ならではで、おもしろかった。
 更にさかのぼると、吉野御夫妻は、酒田での帝国石油勤務時代、同じ職場で知り合った恋愛結婚である。
 その頃、吉野さんはまだ結核が完全に癒えてはいず、胸郭成形手術の跡をかばってか、一寸肩をすぼめるように歩いていた。当然、花婿の健康が問題となる筈だが、夫人の母上はそんなことはものともせず、快く許した。
 御自分の夫が、健康そのものだったのに、突然脳溢血で、若くして逝かれ、健康と言い不健康と言ったところで所詮、大同小異であるという達観を持っていらしたこと、それ以上に吉野弘という男性を見抜き、この人になら……と思われたのではないだろうか。
「女房の母親には、終生恩義を感じる」
 と、いつかバスの中でしみじみ述懐されたことがあるが、それは言わず語らず母上にも通じていたのだろう。
「おまえはきついけれど、弘さんはやさしい」
 と、自分の娘に言い言いされたそうである。
 新婚時代は勤務から帰宅すると、すぐ安静、横になるという生活。
 長女の奈々子ちゃんが生まれた時、すぐ酒田から手紙が届き、ちょうどその頃、櫂という私たちの同人詩誌が発刊されたのだが、「赤んぼうははじめうぶ声をあげずに心配しましたが、医師が足を持って逆さに振るとオギャアと泣きました。子供、かわいいものです」
 と書かれていた。私の感覚では、それはつい昨日のことのように思われるのだが、その奈々子ちゃんも、もう三十歳を超えられ、子供も出来、吉野さんは否も応もなく今や祖父。
「祝婚歌」を読んだとき、これらのことが私のなかでこもごも立ち上がったのも無理はない。幾多の葛藤を経て、自分自身に言いきかせるような静かな呟き、それがすぐれた表現を得て、ひとびとの胸に伝達され、沁み通っていったのである。
 リルケならずとも「詩は経験」と言いたくなる。そして彼が、この詩を一番捧げたかったは、きみ子夫人に対してではなかったろうか。

(茨木のり子さんの文はもう少し続くのですが、続きはご自身で探されて読んでください。私がこの文章を読んだのは『吉野弘全詩集』一巻に挟まれていた栞にあった文章によってです。茨木のり子さんの著作集のどこかにもおそらく収められているものと思います)