キョウ あさひしんぶん2
ヴラディーミル・チェルトコフさん

朝日新聞の「(核の神話:25)内部被曝を認めぬ主張、今も福島で」という記事をジャーナリストの金平茂紀さんほか少なくない人たちが以下のような記事抜粋をつけてフェイスブックに投稿しています。
 
ヴラディーミル・チェルトコフさん→「ICRPやIAEAは『福島はチェルノブイリと違う』と言うことによって、低線量被曝の影響さえも消去しようとしているのだろう。いわゆる強い放射線による外部被曝の問題と違い、毎日毎日少しずつ摂取せざるをえない環境に置かれる問題は、チェルノブイリであれ福島であれ、いずれにしてもセシウムが体内に入って長く慢性的に摂取することによって細胞が傷つけられ、一種の臓器の崩壊現象が起こってくる。そういうことが、チェルノブイリでも福島でも起こりうる。違いをいくら強調したところで、低線量被曝の問題を否定することはできないだろう」
 
しかし、同記事については「甲状腺がんに関してはこの記事のスクショのくだりだけ理解していれば十分」という反論もあります。

そのスクショのくだりは以下のようなものです。

「甲状腺ガンについての議論は深く掘り下げる必要があるため、詳しくは別の機会として簡単な説明のみに留めますが、自覚症状に乏しく成長が遅い甲状腺ガンは、罹患していても一生気づかないまま過ごしてしまう人も多いガンです。そもそも、「発見されていないだけの潜在的な罹患者」が数多くいます。(韓国での事例がありますのでご参照下さい。韓国の新聞社、中央日報(중앙일보)日本語版の2014年3月21日付け社説)

そのため、潜在的な罹患者であったのか、放射線の影響により増加したのかの結論は、検査が三巡目まで終わらないと断言できないようになっています。仮に福島以外で調査を行ったとしても同様で、検査自体が最初からそのように設計されています。

ところが、「現在もまだ三巡目の検査まで完了しておらず、結果が出ていない」はずの甲状腺ガンについての報道の一部には、甲状腺ガン検査の基本設計をきちんと伝えないままに、「甲状腺ガンが新たに○○人!」「発見数が激増している!」「放射線の影響を否定できない!」などと、事実の断片のみを切り取り誤解を誘導するものが見られていませんでしたでしょうか。それは報道としてはあまりにも無責任で稚拙であると、私は感じています。」
キョウ じしん

Blog「みずき」:元NHKプロデューサーの永田浩三さん(現武蔵大学教授)は本日付けのフェイスブックで「NHKのヨーロッパ総局長だった大貫康雄さんと、災害報道の最前線に長くいた社会部の斎藤宏保さんが、川内原発のある鹿児島の震度についてきちんと伝えないNHKニュースについて激しく怒」っていることを紹介しています。いまちょうど「表現の自由」調査国連報告者のディビッド・ケイ氏が来日し、国境なき記者団による2016年度の世界の「報道の自由度ランキング」が発表されたばかりですが、この隠蔽された問題をどのように報道するか。いままさに日本のジャーリズムの質が改めて試されているときというべきでしょう。しかし、また、「福島」の問題をデマに利用してはいけないことも明らかです。これもまた別の意味で真実を隠蔽する役割を果たすのです。このことはこの5年間の経験として私として特に述べておきたいことです。

【未知の大地震が起きたということは再稼働の前提も崩されたということだ】
「原発は異常なしです」NHK(東京都 櫻井和子)19日の朝日川柳より――川内原発が心配だ。「熊本地震は、その規模も発生のメカニズムも、過去に類例のない、極めて特異な地震である。複数の活断層が関係し、断層帯を離れた地域にも、地震が飛び火しているという。通説とは異なり、布田川断層帯は、巨大噴火の痕跡である阿蘇のカルデラ内まで延びていた。海底に潜む未知の活断層の影響なども指摘され、広域にわたる全体像の再検討が、必要とされている。正体不明なのである。未知の大地震が起きたということは、原発再稼働の前提も崩されたということだ。(略)川内原発は、1、2号機とも運転開始から30年以上たっており、老朽化も進んでいる。小刻みに続く余震で、複雑な機器がどのようなダメージを受けているのか、いないのか。交通網が断ち切られ、食料の輸送さえ滞る中、十分な避難計画もできていない。その上、九電は、重大事故時の指令所になる免震施設の建設を拒んでいる。(略)」(東京新聞社説20日

どこから見ても川内原発はいったん止めるべきだろう
キョウ ふくしま4

Blog「みずき」:下線部「脱原発の一点で」というシングルイシューのスローガンは、また、さまざまなねらいを持ったほんとうのところ脱原発の理念などない似非脱原発主義者をも反原発運動内に跋扈させることにもつながっていきました。これは3・11以後の私たちの大きな負の経験です。3・11以後の「我々自身の問題点」の総括はこのような問題点をも見据えたものでありたいものです。


【大衆運動の前進のみが状況を切り開く原動力である】
3月11日に起きた福島原発震災は今もなお収束の見通しが立たず、人間と自然への放射能汚染を拡大し続けている。取り返しのつかない最悪の事態を招いた責任は、原発の安全神話を吹聴してきた電力会社の経営者、日本政府、御用学者らにあるのは言うまでもない。さらには電力総連や電機連合など経営者と一体で原発推進の旗を振ってきた労組の責任も重い。同時に、我々自身の問題点を痛感せざるを得ない。(略)なぜ脱原発に熱心でなかったのか。第一に原発の危険性に対する根本的な無知があった。第二に経済成長のためには原発が必要との考え方に絡め取られていた。
キョウ まつもと

【想像力に乏しく、本当のことを知らなかったのは、ほかならぬ私だった】
私は震災後の福島を描いた二冊の絵本『
ふくしまからきた子』『ふくしまからきた子 そつぎょう』(岩崎書店)を出版しています。一冊目では震災直後に福島から広島へ、母子で自主避難した少女の物語を。二作目では、その少女が福島へ戻る物語を。

昨年、この二作目『そつぎょう』を作ったことで、そして『そつぎょう』のために私が取材で出会った「福島での暮らしを選択した人々」について反原発集会でスピーチをしたことで、私は反原発の思いを持つ人々の一部から罵声を浴びることになりました
キョウ ふくしま2

5年目の3・11を前にしてメディア各紙、各局は競うようにして「3・11特集」を放映、記事にしていますが、3月6日に放映されたNHKスペシャル「被曝(ひばく)の森~原発事故 5年目の記録~」については以下のような批判的な意見があります。ご参照ください。

なお、同番組は下記で視聴することができます。

被曝(ひばく)の森~原発事故 5年目の記録~
(20160306 - Dailymotion動画) 
キョウ DAYS JAPAN2

DAYS JAPANが同誌昨年12月号に掲載した「原発事故が奪った村」の写真説明について「謝罪・訂正」を出しましたが、読者と市民はどのように受けとめたか。その読者と市民の反応を拾っておきます。管見の限りという前提は必要ですが、同誌の報道姿勢のありかたを問う厳しいものがほとんどです。当然な批判であり、また、指摘というべきであろうというのが私の感想です。

DAYS JAPAN(デイズ・ジャパン)はかつて講談社から発行されていた同名誌の廃刊を機に2004年に旧誌の主要な寄稿者であった広河隆一氏が初代編集長となって創刊されました。「一枚の写真が国家を動かすこともある」「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」を表紙に掲げる硬派・良心的な雑誌としていまでも少なくない「進歩的文化人」(とはなんぞや、という問題は残りますが)に支持されているフォトジャーナリズム誌として著名です。

そのDAYS JAPAN誌が昨年の12月号に以下のような記事を掲載しています。
 

しかし、この記事がいわゆるガセネタでしかないことは以下の証明からも明らかです。こうしたデマ記事を「硬派・良心的」と一般に評価されている雑誌が流布して恥とは思わないのか。「原発事故に関しては、嘘をついて話を盛らなくたって、実際に大きな被害が出てるわけですから、事実を伝えるだけで充分なはずですよ。『嘘でもいいから、話を盛らなきゃ』って考えるのはジャーナリズムの自殺行為」(菊池誠大阪大学物理学教授)です。

注:ここでの問題は「菊池誠」という人の名前や肩書ではありません。そこで述べられていることが正しいかどうかこそが吟味されなければならない問題です。そのことを特に注しておきます。内容を吟味することもなく人を安易に「御用学者」などとレッテル貼りするのももってのほかです。

こうした著名な雑誌や文化人によって「脱原発」運動が歪められている。その結果、デマゴギー、デマゴーグが「わが世の春」を謳い、さらにそのデマゴギーやデマゴーグを「革新政党」(社民党日本共産党)が批判するどころか逆に下支えしているというおぞましい現実があります(これも革新政党の凄まじいまでの「右傾化」の大きなひとつの現れと見てよいものです)。その逆転現象として人々は「脱原発」運動から離れていく。あるいは「脱原発」運動を見限らざるをえない。左記はその一例にすぎません。

この記事の狙いはそうした「脱原発運動症候群」とでもいうべき問題群を改めて問題提起するというところにあります。この問題は日本の政治革新のためにも抜き差しならない問題というのが私の認識です。 

キョウ ミズアオイ3

【「おらは年とってからいいかと思って」と笑った】
このあいだクリニックの待合室で、うしろに座っていた3人のおばあさんの会話が、何とはなしに聞こえてきた。ひとしきりの世間話のあと少し間があって、突然、1人のおばあさんが「海側遮水壁なんてやったって、放射能は海に流れてっぺなぁ。そんなのだれだってわかる。おめぇ、放射能は水が一番危ないんだかんな。息子なんて、いまも水を買って飲んでっから」と話し始めた。
キョウ あさまさん

Blog「みずき」:以下の記事もあわせてご参照ください。
 
2015.11.13 「福島甲状腺がん50倍」論文に専門家が騒がぬわけ ――越智小枝医師(相馬中央病院)の理路のある津田論文批判(疑問の呈示)
2015.11.14 日本科学者会議京都支部(共産党系)、石川県保険医協会(同左)のおそまつと共産党員、同党支持者の批判 ――「『福島甲状腺がん50倍』論文に専門家が騒がぬわけ」余滴
2015.11.04 今日の言葉(2)――原発・放射線への政治的立場と先鋭化する市民運動がなす誹謗中傷は分けて考えなければならない。非科学的なデマに基づく誹謗中傷。これは、深刻な人権侵害・差別問題だ。

以下、村瀬洋一Twitterから。
キョウ 越智 
「福島の甲状腺がん50倍」論文に専門家が騒がないわけ

以下は、「福島甲状腺がん50倍」論文に専門家が騒がぬわけ ――越智小枝医師(相馬中央病院)の理路のある津田論文批判(疑問の呈示)」(Blog「みずき」 2015.11.13)の余滴記事として書いています。

日本共産党には同党発行の『文化評論』に野口邦和さん(日本大学・放射線化学・放射線防護学)の「広瀬隆『危険な話』の危険なウソ」を掲載(1988年7月)していた時代の眼を一日も早く取り戻していただきたいものです。

(Blog「みずき」注:共産党支持者)
キョウ みずひきそう

先月の10月8日に岡山大学の津田敏秀教授(疫学)が日本外国特派員協会で記者会見をして発表した「福島の子供の甲状腺がん発症率は20~50倍」説については、その論の不確かさについて、同津田論文の不整合性を指摘する専門家(医者、物理学者)の意見を紹介する形で翌日の9日付けで弊ブログに記事にしています。が、科学的な問題提起(私の紹介している専門家の意見の謂い)を科学的なそれとして受けとめることができずにただ「脱放射能」至上主義とでもいうべき立場からいたずらに政治的(自身の歪んだ立論に固執するの謂い)に歪曲して私を非難、誹謗する者が堪えませんでした。ただし、お決まりの顔ぶれの人たちですから怒るのもアホらしいので私は無視することにしています(私が真に怒っているのは、そうした誹謗、中傷を誹謗、中傷とも認識できずにただ許容している人たちです)。私はその後も同津田論文の問題点を指摘、解説する英語圏の動画なども紹介しているのですが、反応は前と同様です。

さて、今回は、相馬中央病院の越智小枝医師の「『福島甲状腺がん50倍』論文に専門家が騒がぬわけ」という津田論文への疑問をわかりやすくかつ論理的に呈示した小論をご紹介させていただこうと思います。越智医師の同論は、津田論文の不確かさを誰の目にも明らかに説明しえているというのが私の評価です。
キョウ 国道

【先鋭化(カルト化)する市民運動の罵倒「文化」は決して許されない】
浜通りを縦断する国道6号の美化を目的とした清掃ボランティア活動「みんなでやっぺ!きれいな6国」が10月10日、行われた。地元のNPOや青年会議所が中心になった実行委員会が主催し、中高生約200人を含む1440人ほどが参加。多くのメディアが「復興への一歩」と明るい話題として報じた。しかし、主催者には人知れぬ苦労があった。反被ばくを掲げる市民運動団体が、イベント開催を阻止しようと妨害運動を繰り広げたのだ。
シアター遊佐  
シアター遊佐。表札はかつての眼科医院のままだ。

【愚安亭遊佐さんの一人芝居を3年がかりで1本の番組にする】
金曜、土曜と一泊二日で、新潟県加茂市に
愚安亭遊佐さんの一人芝居を撮影に行った。公演会場は加茂駅にほど近い「シアター遊佐」、もともと夫人の御母堂が眼科医院を開業していたスペースを改造したもので、50人も入ればいっぱいいっぱいのミニシアターである。愚安亭遊佐さんはいま夫人とともに加茂市に暮らし、この小劇場をホームグラウンドにしている。(略)
キョウ ツダ

昨日の8日に岡山大学の津田敏秀教授(疫学)が日本外国特派員協会で記者会見をして発表した「福島の子供の甲状腺がん発症率は20~50倍」(ハフィントンポスト)という論が重大ニュースを速報する勢いで「反原発」を掲げる各「民主」団体のメーリングリストを駆け巡り、拡散されています。その拡散の勢いはメールの数においても速さという点においても「怒濤のように」とでも言いたくなるほどのものでした。福島原発事故の影響は確実に人を致死に到らしめるがんを増加させていると言いたいのでしょうが、そのニュースが特急扱いで拡散されたわりには同じく昨夕からメディアで報じられている「乳児ら2707人検出なし 県内3病院内部被ばく検査」放射性セシウム県産物「安全性確認」。「通常のWBCに比べて5倍から6倍ほど精密に測定可能だが、受検した乳幼児らから検出限界値を超える放射性セシウムは検出されなかった」(福島民報ほか)というニュースは各「民主」団体の媒体ではまったく拡散された様子はありません。昨8日に報道されたこの2つのニュースは矛盾するもので福島県内3病院で実施された内部被ばく検査は津田教授の論の信憑性を疑わせるものになっています。
あるメーリングリストに投稿した今日の記事を本ブログのエントリとしても再掲しておきます。許しがたい、そして、やりきれない思いの強さのゆえとご了解ください。
 
檜原転石さん wrote:
「厚生労働省は事故後1年を経た2012年4月1日に一般食品中の放射性セシウム(134、137の和)の基準値を100Bq/kgと設定しました。それを下回る食材は「基準値以下」として流通しています。ところが原発事故前の日常食中のセシウム137は、1人につき1日あたりでも0.01Bqから0.1Bqの範囲でした。」を読み、改めて放射性物質を日本中にばらまいた東電の犯罪を確認したいと思います。
 
しかし、上記は事実ではありません。いわゆるデマです。それも小出裕章氏によって拡散されたデマというべきものです。小出氏は2014年3月に行われたヘレン・カルディコット財団主催の講演会の際に次のように述べました
 
「1キログラムあたり100ベクレル…事故前の1000倍もの汚染を安全だと言って、市場に出回らさせるとうことに…、到底私は許せない」

注:ヘレン・カルディコット自身にも大きな問題があります。こちらをご参照ください。
 
しかし、事故前の国の指標としての「防災指針で定められた飲食物摂取制限に関する指標」は370Bq/kg(チェルノブイリ事故を契機に1998年3月時点の輸入規制の基準)でした。すなわち、事故前の飲食物摂取制限に関する指標は小出氏の言うような「0.01Bqから0.1Bqの範囲」ではなかったということです(ちなみにこの指標は2011年事故直後には370Bq/kgから500Bq/kgに変更され、さらに2012年4月に100Bq/kg に変更されるという経緯を経て現在に至っています)。
http://www47.atwiki.jp/info_fukushima/pages/80.html
 
上記のとおり、「1キログラムあたり100ベクレル…事故前の1000倍もの汚染」というのは、人々に原発事故のおどろおどろしさを言うために小出氏の創作したデマというほかないものです。小出さんのあげる「0.01Bqから0.1Bqの範囲」という数字は「過去の指標(基準値)」ではなく「過去の実測値」にすぎないものです。小出さんは、「今の基準値」』と「過去の実測値」を比較するという論理のスリカエをして「1キログラムあたり100ベクレル…事故前の1000倍もの汚染」というデマを創り出しています。科学者として許されることではありません。
 
ちなみに現在の実測値としては「福島県内の子どもの内部被ばく検出人数はゼロ 」という結果が出ています。この結果について、NHKや新聞報道はほとんどリンクが切れていますのでここでは週刊ダイヤモンドの報道をあげておきます。
http://diamond.jp/articles/-/34646
 
何度も同じことを言いますが原発被害の甚大性をいうこと、反原発の主張をすることはきわめて重要なことです。しかし、デマまで創り出して反原発を主張することは決して許されることではありません。そういう行為は人々の信頼を失い、やがて反原発運動そのものを決定的にダメにしてしまうでしょう。これも繰り返し、繰り返し指摘していることですが、すでにその兆候は到るところに出ています。
 
前の檜原氏の記事([CML 039097][CML 039100])もデマに基づくものでした(この記事がデマの受け売りにすぎないことはすでに論証しています[CML 039110])。
 
これ以上のデマの拡散はやめていただきたい
 
私はデマの拡散をデマの拡散と見抜けずに(たとえば私のCML 039110の投稿を検証するだけでも私の批判している記事がデマ、あるいはデマの受け売り、拡散であることはすぐにわかる体のものであるにもかかわらず)それを許容している人たちにも許しがたいものを感じています。そのこともつけ加えておきます。
オクロス2
OCHLOS・民衆

すでに何度か述べていることですが、「原発メーカー訴訟の会」前事務局長の崔勝久さん、現事務局長の朴鐘碩さんと原発メーカー訴訟弁護団(共同代表:島昭宏弁護士、河合弘之弁護士)の決裂が決定的なものになりました。これもすでに何度か述べていることですが、私は、原発メーカー訴訟弁護団の理不尽な横やりを追及し、屈しない同訴訟の会前・現事務局長の立論の側に立ちます。
昨日のエントリ「今日の言葉 ――デマによって「反原発」を主張しようとする卑しい人間がいることがぼくには許せない・・・」についておふたりから反論のようなものがありました。しかし、「今日の言葉」は私の意見ではありませんので私への反論ということには当然なりません。左記で「ようなもの」としているのはそういう趣です。しかしまた、私の意見ではないとしても、私にも同論を紹介している限りにおいての責任は発生するでしょう。そういう意味で再反論しているのが以下の論ということになります。以下、私の再反論をご紹介させていただこうと思っているのですが、そうするのは反論者に限らず、デマゴギーをデマゴギーとして認識できないある種の反原発論者に共通する「合理的思考力」の欠如を指摘するためです。そこにいまの「反原発」運動の陥っている最大のアポリアがあると私は思っていますのでそのことを明示したいという思いもあります。以上の理由から、ここでは反論者の主張はそれ自体としてはご紹介しません。反論者の主張については私の再反論からご推察いただきたいと思います。
下記のtoriiyoshikiさんの「今日の言葉」とあふらんさんの「山中人間話」の連ツイは「対の言葉」として読まれるべきものだろうと私は思います。武藤類子さんが「脱原発」運動界隈の注目を浴びて「時の人」になったのは2011年9月19日に東京の明治公園で行われた「さようなら原発5万人(6万人)集会」を契機とするものでした。そして、「時の人」は、一躍スターのような存在になりました。庶民はいつの時代、いつの場合もスターをつくりたがる傾向を持っています。おそらく「見えないもの」(不可視)を「見えるもの」(可視化)にしたいという神代の時代からの物象化の欲求がそうさせるのでしょう(その点は「保守」と「革新」の違いはありません)。あふらんさんが指摘しているように武藤さんの「感情にうったえるやり方は人の心をつかみ」「歴史に残るスピーチ」(弁護士・金原徹雄のブログ)として絶賛を浴びました。そうして武藤さんは「福島に対する『悲劇』のイメージ」の形成者=ヒロインとなっていきます。しかし、その武藤さんの「情緒的な福島の悲劇」の語りは、「事実と違う福島の不安と恐怖」を煽ることによって「福島に対する偏見」を固定化させていく役割をも担っていくことにもなりました。いまに続く「福島差別」はそのことをよく物語っています。「いま福島をめぐって起きているのはまさに『思想戦』なのだ」という意味で「対の言葉」として読まれるべきものだろう、というのが私の問題提起なのです。
カイヌマヒロシ