Blog「みずき」:安倍内閣提出の今回の刑事訴訟法の「改正」案(というよりも、明らかに「改悪」案)に民進党と日弁連執行部は賛成する側に回りました。これに対して、自由法曹団、青年法律家協会弁護士学者合同部会、日本国際法律家協会、日本民主法律家協会、盗聴・密告・冤罪NO!実行委員会、盗聴法廃止ネット、盗聴法の拡大と司法取引の導入に反対する刑事法研究者の会の法律家8団体は「『起訴後勾留中の取調べに録画義務なし』との政府解釈にもかかわらず法案を推進する日弁連に強く抗議する ―『全過程可視化』はどこへ行ったのか?!」という抗議書(民進党に対しては要望書)を日弁連執行部に提出しています。「澤藤統一郎の憲法日記」ブログに抗議書、要望書の全文が掲載されていますのでご参照ください。法律家8団体の怒り心頭の様相が伝わってくるものと思います。

【冤罪リスクを大幅に上昇させる「刑事訴訟法の改正」という改悪】
刑事訴訟法の改正案が5月20日、参議院で可決され、今国会での成立が確実となった。しかし、この改正案では残念ながら、冤罪を出さない司法制度の確立という当初の目的からは程遠い、むしろ冤罪リスクを大幅に上昇させる改悪と言わざるを得ない。同法案の問題点は、2016年4月16日に放送したニュース・コメンタリー「焼け太りの捜査権限の拡大を許すな」などで繰り返し指摘してきた通りだ。元々、今回の法改正は郵便不正事件や相次ぐ冤罪事件などで検察の取り調べのあり方が社会問題化したことを受けて、取り調べの録音・録画の義務付けを含む、冤罪を出さない司法制度をいかに作るかに主眼を置いた議論となるはずだった。(略)しかし、それから時間が経ち、世間の風当りが弱まると見るや、法務官僚たちは可視化の範囲を最小限にとどめる一方で、可視化をするのなら捜査権限の強化が必要だと主張し始め、盗聴権限の拡大や司法取引の導入など、自分たちの権限を強化する法改正を押し込み始めた。結局、今回の法改正で義務付けられる可視化の対象は、裁判員裁判の対象事件と特捜案件に限られるため、全事件の3%にも満たない。(略)しかも、可視化が義務付けられる3%未満の事件も、録音・録画については、大きな裁量が検察に認められている。検察にとって都合の悪い取り調べのシーンが録音・録画され、後に裁判で自白の任意性を否定したり、取り調べの違法性が指摘されるような事態は、ほとんど期待できそうにない。可視化の対象となる事件が全体の3%にとどまる一方で、今回の改正案では可視化と引き換えに、盗聴権限の拡大や司法取引の導入など、警察・検察の捜査権限を強化する制度の変更が盛り込まれた。

警察や検察の暴走を防ぐために、いかに可視化を実現するかが課題だったはずの法改正が、いつのまにか捜査権限を大幅に強化する法改正にすり替わってしまった。更に残念なことに、今回の刑訴法の改正案には、最大野党の民進党も賛成していることだ。民進党の岡田代表は5月20日の記者会見で、刑訴法改正案の賛成について「党内でいろいろ議論した。100点満点ではないが、一歩前進と捉え賛成した」と説明している。(略)同様の理由で日弁連もこの法改正には賛成している。しかし、(略)今回の法改正は3%の可視化という「目くらまし」を使って、盗聴法や司法取引といった捜査権限の拡大を図る司法官僚の悪だくみが見事に奏功したものとの指摘が根強い。冤罪を防ぐのではなく、冤罪リスクが上がってしまう結果になっては、本末転倒も甚だしい。(略)このような法改正がまかり通るようでは、日本にはそれを監視する基本的な機能が欠如していると言わざるを得ない。今もっとも必要なのは、捜査権限の拡大ではなく、それを監視する機能の整備であり強化ではないか。(神保哲生「ビデオニュース・ドットコム」2016年5月21日
キョウ そくらてす
ソクラテスの死

Blog「みずき」:下記「山中人間話」の関連記事5本もご参照ください。いずれも重要な指摘です。「法」は人の生命や尊厳を「冤罪」によって奪うソフィストの法であってはならないのです。現代にそのソフィストのなんと多いことか。ソクラテスはなにゆえに毒杯を自若として仰いだか。「法」の可能性を信じていたからにほかならないでしょう。私たち現代人はアテナイのソクラテスに顔を向けて安らかに眠りにつくことはできるか?


【映像のうそを許さないためにも全面可視化は不可欠】
栃木県で2005年に起きた女児殺害事件の判決は「無期懲役」だった。この事件は被告の犯行を直接裏付ける証拠がなく、捜査段階での被告の自白が唯一といってもいい証拠だった。ところが公判段階で被告が否認に転じため、自白調書の信用性が裁判の最大の焦点だった。検察は取り調べを録音・録画した映像を法廷で流し、被告が殺害時の状況や動機を具体的に話したことを裁判員にアピールした。法廷で流された映像を見る限り、被告は自らの意思で供述しているようだったという。また、供述の中には犯人しか知り得ない情報も含まれていたという。この日の判決では自白の任意性と真実性がともに認定された。

正義が貫徹されることは社会にとって重要なことだ。そしてそれは司法に対する強い信頼を前提とする。しかし、取り調べの映像がこのような形で部分的に使われることは、決して司法の信頼にはつながらない。むしろ、部分可視化は冤罪のリスクを増大させることになり、司法に対する信頼が揺らぐばかりか、社会の不安定化の要因にもなりかねない。現在の取り調べの可視化は、取り調べのすべてが映像として記録されていない。しかも、どの「部分」を記録するかについては、検察側の裁量に委ねられている。元々取り調べの可視化を求める動きは、度重なる冤罪事件や検察による証拠の改ざんなど、検察の取り調べが公正に行われていないことへの不信感の高まりから出てきたものだった。ところが、いざ録音・録画が導入される段階になって、取り調べの録音・録画は部分的なものに限定された上、どの部分を録音・録画するかは検察の裁量に委ねられることになった。この事件でも検察は、被告人が自らの意思で犯行を認め、犯行の手口や動機を具体的に供述するシーンを録音・録画して法廷で再生した。
キョウ もりかわ
木村まきさん(元被告遺族、左)と森川文人弁護士

【現在の裁判所に自らの罪に向き合う自浄能力があるか】
3月3日、東京地裁にて、
横浜事件国賠訴訟が結審となります。現在、最終準備書面作成中。本事件の弁護団は河村健夫、山本志都、吉田伸広らの構成ですが、私は、弁護団長ということなので、「はじめに」と「おわりに」を執筆担当。(略)
キョウ オオサカ地裁2 
「君が代起立条例」をめぐる訴訟の判決後、記者
会見で厳しい表情を見せる原告の奥野泰孝さん
21日午後、大阪市の司法記者クラブ


【大阪地裁(内藤裕之裁判長)はファシズムの道を容認した】
大阪府立支援学校の教員がキリスト教の信仰を理由に君が代斉唱の際に起立を拒否したことが、何と減給処分。しかも驚くことに大阪地裁(内藤裕之裁判長)が処分の取り消しを認めなかったのです。最高裁判決は、不起立に対し、戒告処分は認めたものの、それ以上の減給処分には極めて慎重な姿勢を示しています。それは「累犯」であろうとも同様です。大阪では、かの有名な府内公立学校の教職員に、行事の際の国歌の起立斉唱を義務づける全国初の「国旗国歌条例」がある異常な地域です。このような条例は当然に違憲とされるべきものであり、このような条例に基づく処分が適法などとは夢にも思いませんでした。
キョウ けさ東京都心
27日朝 濃霧の東京都心

【有罪・無罪のようなものが「市民感覚」で判断されるべきものか】
東京高裁は、オウム元信者に対する控訴審で、一審の裁判員裁判の有罪判決に対し、逆転無罪判決を下しました。(略)元信者が起訴されたのは、都庁事件での殺人未遂と爆発物取締罰則違反のそれぞれの幇助の罪でしたが、劇薬であろうと、それだけで殺人の故意があるということにはなりません。高裁は、この点を慎重に判断したということなのでしょう。問題は、
朝日新聞毎日新聞がそれぞれ一審で担当した裁判員の声を大々的に報じていることです。(略)元裁判員は、自信を持った判決だったそうです。このような自信をどこから持てるのかが不思議ですが、裁判員制度のもっとも重大な問題点でもあります。
キョウ 秋は短い

【検察の公益の代表としての責任と証拠の全面開示】

狭山事件の再審請求の裁判で検察側は、新たな未開示証拠を提出してきました。狭山事件では、これまで幾度となく再審請求が行われていますが、再審の壁は開かれていません。根本的に思う疑問は、これだけ冤罪事件ではないのかと言われていながら、何故、検察は証拠の全面開示をしないのかということです。(略)
日弁連執行部に対する「街の弁護士日記」の岩月浩二弁護士の怒りを「今日の言葉」(3本)としてフォローしておきます。岩月弁護士の怒りは「日弁連問題」の問題の在り処を明確に示しており、怒りとともに同時に発せられている問題提起は、私たち市民の基本的人権のゆく末にもろに関わってくる問題です。対岸の火事ではなく、まさに家中の火事というべきものです。家中の火事はまず私たち自身で消火にあたるべきでしょう。

【日弁連執行部の退嬰と共産党への期待】
(「今日の言葉」6月1日)
専門分化が進み、かつ、資本の要求によって、何より迅速さな決断が求められる中で、、現代の組織は、どこも一部の者による決定が全体の名によって正当化されていく傾向がある。端的に、これは、民主主義の危機である。一部の者による専横の構造は、日弁連も確実にむしばんでいる。会員弁護士の多くが決して望んでいなかった、司法試験合格者3000人とする弁護士大増員決議を組織動員によって、強行採決した
2001年臨時総会を画期として、専横の体制は確実に強化されてきた。そして今回、それは、ついに「盗聴法拡大強化」、「司法取引導入」という人権弾圧立法の早期成立を求める会長声明という、極めてグロテスクな形で、あらわになった。(略)日弁連が、人権弾圧立法のお先棒を担ぐ。今回の声明に関与した日弁連執行部の汚名は、歴史に残るだろう。(略)(刑事訴訟法制度改悪法案の)早期成立を求める日弁連会長声明がいう「有識者委員が参加した法制審議会…で約3年間の議論を経て全会一致で取りまとめられた答申…にも述べられているとおり、複数の制度が一体となって新たな刑事司法制度として作り上げられているものである。」などとする主張は、何の反論にもなっていない。法制審議会が苦労してまとめ上げたから、「国権の最高機関」も、おとなしく言うことを聞けなどという論法は、まるきり官僚の言いぐさである。安全保障法制の一括法案の反民主性も、この立場では批判できぬだろう。確か、共産党の方々も刑事弁護委員会や理事者には少なからずおられ、議論をリードしてきた経緯がある。裁判員裁判制度の導入をめぐっては、これに対して反対を表明したところ、裁判員裁判制度導入によって証拠開示手続という成果を得たことをどう考えるのかという、反論をしてきたのも共産党系の方であった。刑事訴訟法制改正問題では一貫してぶれない主張を続けている、赤旗の報道(引用者注:リンク下段。下記最下段にも添付しておきます)も合わせて引用しておきたい。共産党の見解にしたがって、悪法推進を謳う、会長声明を撤回させることこそ共産党系の方々の使命ではないか。盗聴・たれ込みや「共犯者の自白」(司法取引)は、戦争に反対し続けてきた勢力にも用いられてきた卑劣なえん罪製造、弾圧法規だったではないか。いうまでもないことであるが、安全保障法制と政治的弾圧手段の整備は、一体のものとして進められる。安倍政権が、法制審議会での議論経過で官僚が約束した内容を遵守すると素朴に信頼するほどに、共産党の方々はバカなのですかと、言いたい。弁護士増員論では、共産党の方々のおおかたが推進にまわったことは認識しているが、今回の件は国民の基本的人権に直接関係する重大な法改正であり、歴史をも左右しかねぬ法改正である。日弁連執行部に対し、会長声明の撤回を求めて断固として闘うことを強く求める。(街の弁護士日記 2015年5月31日

【日弁連問題が勃発していることに気づかなかった不明】
(「今日の言葉」5月29日)

武本夕香子弁護士の論考で初めて日弁連会長の会務執行方針の「基本姿勢」を読んだ。これほどひどいとは正直、思わなかった。人権の砦であるべき日弁連は、すでに過去のものになりつつある。「基本姿勢」中、とくに強い違和感を覚えるのは、「すべての判断基準は、市民の利益に叶い(略)」「日弁連の主張を最大限実現するためには、孤立を回避することが不可欠であり、独りよがりや原理主義と批判されるような言動は排さなければなりません(略)」との部分であり、現実迎合の姿勢があらわである。(略)一体、ここにいう理解を得、利益を叶えるべき「市民」とはだれなのか。「孤立を回避することが不可欠」で「独りよがりや原理主義」と批判されてはならない」相手は誰を想定しているのか。(略)「日弁連の主張を最大限実現するためには、孤立を回避することが不可欠であり、独りよがりや原理主義と批判されるような言動は排さなければなりません。司法と日弁連の歴史に思いをいたし、経緯と情勢そして現実を冷静に見極め、説得力のある最善の主張を展開することにより多くの人々の理解を得、力を合わせて改革を着実に前進させることが大切です。」との基本姿勢を適用すると、猛毒を含んだ法改正の「早期成立を強く望みます」となるのだ。(略)この延長には、幅広く臣民の理解が得られるよう心がけ、孤立を恐れる、戦前の日弁連の姿が待っている(略)ポツダム宣言の受諾を受け、おそらく占領軍が憲法改正案を所望していることを聞きつけて、大日本弁護士会連合会は、臣民の理解を広く得るべく天皇大権は存続させて(結果、天皇は国会の制定した法律の拒否権を持つ)、臣民の自由は原則として、法律の範囲内についてのみ認めるのを原則とする改憲案を立案したのだ。かかる微温的な改正しか提言する能力がなかったのが、時局迎合した戦前の大日本弁護士会連合会のなれの果てである。日弁連は今、その道に踏み込んでいる。マスコミや、大学の批判をしていて足下の日弁連がむちゃくちゃにされていることに気づかなかった。日弁連問題が勃発していることに気づかなかった不明を恥じる。(街の弁護士日記 2015年5月28日

【日弁連執行部の弁護士窮乏化路線について】
(「今日の言葉」5月27日)
憲法が目指す理想通りにはいかないことは周知のところであり、日本の裁判所は憲法問題に踏み込むのを極端に嫌う。お上の意向を窺う「
ヒラメ裁判官」との謂いが一時期はやったゆえんである。しかし、中には、国家の方針に反してでも、憲法を擁護しようとし、裁判官の良心」に忠実であろうとする裁判官も少数ではあっても存在したし、現在も存在し続けている。激変しているこの時代ほど、「裁判官の良心」や司法の独立が果たすべき役割は大きい。(略)かつて、食えない弁護士というのは、想像もつかなかった。裁判官が職を賭して良心を貫こうと決意する場合、裁判官を辞しても、弁護士として少なくとも最低限の安定した生活は保障されていた。いかに良心的であろうとも、裁判官も人である以上、生活は先立つ。裁判官を辞した後の生活の保障が何もないとしたら、勇気を振り絞った判決が書けるだろうか。良心をかけて歴史に残る違憲判決を出した末、組織で冷遇され、昨今の政治情勢では、国会の弾劾裁判にかけられる可能性すら否定できないのである。繰り返すが裁判官も人であり、家族もあり、子どももある。裁判官を辞した後の長い人生が日々の生活にあえぐ、貧困弁護士でしかないとしたなら、どうやって「裁判官としての良心」に忠実であろうとする、勇気ある決断ができるというのか。「司法の独立」あるいは「裁判官の独立」という理念は、実は、弁護士になれば少なくとも食べていくことはできるという、実に現世的な経済基盤に支えられていたのである。今、日弁連執行部がやっているのは、政府と結託して「裁判官の独立」、「司法の独立」の現実的な基盤を掘り崩し、これを文字通り「画に描いた餅」にする策動である。日弁連執行部が、基本的人権の擁護を弁護士の使命とし、憲法の擁護を叫ぶのであれば、直ちに、弁護士窮乏化路線を転換し、司法試験合格者1000人以下の目標を掲げなければならない。司法試験合格者1000人以下としても、この10年余で倍増して全国3万5000人に及んだ弁護士人口は、なお当分の間、増加し続けるのである。国民は、弁護士が事件を漁るような、トラブルが多発する社会は望んでいない。基本的人権と平和を基本的価値とする憲法の実現をこそ望んでいるのだ。はき違えてはいけない。(街の弁護士日記 2015年5月26日 

附記:【しんぶん赤旗報道】(4本)

盗聴法拡大を閣議決定 「可視化」は2% 「司法取引」導入も
(しんぶん赤旗 2015年3月14日)
政府は13日、他人の罪を証言すれば見返りを得られる「証言買収型司法取引」の導入や、警察による盗聴範囲の拡大と要件緩和を柱とした、刑事訴訟法などの改悪案を閣議決定しました。政府が導入を狙う「証言買収型司法取引」は、他人の犯罪を証言すれば不起訴や軽い求刑を行うことを、検察官が容疑者や被告との間で合意できる制度です。対象は、汚職や横領、組織的詐欺、独禁法違反などの財政経済事件と薬物・銃器犯罪としています。この制度は、刑事責任の免除をエサに“密告”を促すものであり、警察や検察に迎合した虚偽の証言が他人を陥れる危険をはらんでいます「取引」を制度化することは、新たな冤罪(えんざい)の温床づくりになりかねません。盗聴法(通信傍受法)については、現行の薬物・銃器などの組織犯罪の4犯種に加え、窃盗や詐欺などの一般犯罪9種類を対象に加えました。現行では、通信事業者の立ち会い(監視)を必要としていますが、法案はこれを不要とし、警察施設内で警察だけの盗聴を認めるものとなっています。政府は、同法案について容疑者の取り調べ全過程の録音・録画を義務づける「可視化」を目玉にしています。しかし、実際には殺人や強盗致傷といった裁判員裁判対象事件と特捜部などの検察独自捜査に限られ、全事件の約2%でしかありません。わずかばかりの“可視化”を口実に、盗聴法拡大や冤罪の温床となる「証言買収型司法取引」の導入は認められません

通信の秘密侵害増す 仁比氏 「メール傍受は危険」
(しんぶん赤旗 2015年5月16日)
日本共産党の仁比聡平議員は14日の参院法務委員会で、警察による電子メールの通信傍受の実態を問いただし、「犯罪と関係のない人のプライバシー情報も丸ごと蓄積されて、解析、漏洩されない保障はどこにもない」と指摘しました。仁比氏は、メールの傍受にあたって、通信事業者のサーバーなど伝送路からメールを捕捉する警察庁の方式は盗聴法案強行の際の政府答弁と異なることを指摘しました。当時、政府は「特定のメールボックスが受信したメールを自動的に転送するような設定を用いて傍受を実施することは技術的に十分可能」「傍受の方法としては適当」(1999年、法務省刑事局長答弁)だとしていました。法務省の林眞琴刑事局長は「(当時の答弁は)その後の技術の発展により、法的に許される範囲で技術的に可能な方法が他にあれば、それを否定する趣旨ではない」と答弁。警察による開発次第で「通信の秘密」がいっそう侵される危険性が浮き彫りになりました。質疑のなかで警察庁の露木康浩審議官は、音声傍受装置について2000年度に62式、01年度8式、04年7式、09年度57式、15年度22式 を整備し、メール傍受装置に関しては01年度に16式、03年度2式を整備し、15年度に1式を整備予定だと明らかにしました。

監視・密告で冤罪生む 刑事訴訟法等改定案審議入り 盗聴・司法取引は危険(しんぶん赤旗 2015年5月20日) 
盗聴拡大と密告型「司法取引」を盛り込んだ刑事訴訟法等の改定案が19日の衆院本会議で審議入りしました。日本共産党の清水忠史議員が質問に立ち、「刑事司法改革の契機は次々と明らかになった冤罪(えんざい)事件の根絶だったはずだ。捜査機関の権限拡大は改革の目的とは正反対で、新たな冤罪を生み出す危険がある」と指摘しました。同法案は、盗聴対象を組織的犯罪から窃盗など一般の刑法犯罪にも拡大するとともに、通信傍受の際の通信事業者の常時立ち会いをなくし、「密告」することで自らの罪を軽くする日本版「司法取引」を導入することなどを柱にしています。清水氏は「わが国を監視、密告社会につくりかえることになり、断じて認められない」と厳しく批判しました。このなかで清水氏は、盗聴は「通信の秘密」を定めた憲法21条に反する人権侵害だと指摘。法案に関して「盗聴を日常的な捜査手法とし、大規模な盗聴に道を開くものだ」「政府は(盗聴対象を)拡大した犯罪についても『組織性』を要件にしているというが、法案では2人の共犯であっても、あらかじめ役割の分担について意思を通じるなら、盗聴対象になるのではないか」と問いただしました。これに対して上川陽子法相は「要件の上からは、2人の共犯事件が傍受(盗聴)の対象となることもありえる」と明言しました。清水氏は、日本共産党・緒方靖夫国際部長宅盗聴事件(1986年)で、謝罪どころか事実さえ認めない警察の姿勢をあらためて糾弾し、「これ以上の盗聴の自由を与えることは危険だ」と警鐘を鳴らしました。また密告型「司法取引」に関しても「自らの罪を軽くしたいとの心理から、無実の他人を引き込む危険が極めて大きく、新たな冤罪を引き起こす」と批判しました。

可視化は骨抜きに 密室で盗聴し放題 刑訴法等改定案 捜査機関のお手盛り
(しんぶん赤旗 2015年5月25日)
盗聴拡大と密告型「司法取引」を盛り込んだ刑事訴訟法等の改定案が、衆院法務委員会で審議入りしました。一部報道が「可視化義務づけ法案」と呼ぶ 同法案ですが、条文を読んでみると、可視化の“義務づけ”どころか、抜け穴だらけで骨抜き。さらに、警察の盗聴も野放しにするものとなっており、捜査機関 のお手盛りぶりが浮き彫りになっています。同法案では取り調べの様子が録画・録音されるのは、裁判員裁判の対象事件や検察が独自に捜査する事件だけで、全事件のわずか2%でしかありません。その2%すら、捜査機関の思惑で、録画したりしなかったりができる内容です。刑事訴訟法の改定案(301条の2)では、録画しなくてもよい“例外”を設けています。一つ目は、取り調べを録画すると、被疑者が“十分な”供述をしないと、警察・検察の取調官が判断した場合です。何をもって“十分な”供述をしないと見なすのか、判断するのは捜査機関。被疑者が否認することが予想される取り調べを、記録しない危険があります。二つ目は、被疑者の供述などが“明らかになった場合”、被疑者やその親族が困惑する恐れがあると、取調官が判断した場合としています。法案の提出経緯に詳しい小池振一郎弁護士は「“明らか”になると、困惑する恐れというが、録画したものを明らかにしなければいいだけの話。録画しないでいい理由にならない」と批判します。また、法案(322条の1)は、自白調書とセットで、その調書作成時の取り調べ映像を裁判に提出しなければならないとしています。小池弁護士は「裁判に出る映像は、自白した回の取り調べだけ。それまで脅しすかして、自白を迫る映像はなく、『観念しました』という自白映像だけ が使われるおそれがある。捜査機関のメリット、デメリットで可視化する、しないが決められる。法案が可視化を前進させるとはとても言えません」と指摘しま す。盗聴(通信傍受)法の拡大法案は、盗聴対象の大幅拡大と通信事業者の立ち会いがなくなることが大きな柱となっています。盗聴法に詳しい岩田研二郎弁護士は「今までは通信事業者が立ち会うため、東京の施設でしか行えなかったものが、立ち会いをなくすために各道府県警本部でいつでも、容易に盗聴できるようになるので、盗聴が一般的な捜査手法になる」と強調します。
お詫び
清水勉弁護士のお名前をこれまで「清水努」と誤記して掲載していました。
清水勉弁護士に深くお詫び申し上げます。
なお、これまでの拙記事の中でのお名前の誤記はすべて訂正いたしました。
改めてこれまでの非礼をお詫び申し上げます。
(2015年4月17日)

「公安」事件に関してはエキスパートの
清水勉弁護士が18年前の神戸連続児童殺傷事件に関する神戸家裁の決定全文が『文芸春秋』5月号に掲載された件について以下のように述べています。
 
神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、当時中学3年生の少年を医療少年院送致にした神戸家裁の決定全文が、『文芸春秋』5月号に掲載された。さっそく買って読んだ。事件の描写は全体のごく一部。少年の人格形成についての記述が圧倒的に多い。18年の時間が経過しても、この事件を改めて理解するためにも、同様の問題の存在を疑わせる事件が発生した場合の解明にも役立つだろう。事件を深く理解し考えたいという人にはおススメだ。これに対して、神戸家裁(岡原剛所長)は10日、共同通信の編集委員と文芸春秋社に決定文全文を渡したであろう井垣弁護士と、文芸春秋社、共同通信の編集委員にそれぞれ抗議する申入書を送り、井垣弁護士については「裁判官が退職後も負う守秘義務に反する」と指摘したという。神戸家裁はなぜ抗議文を出すことにしたのか。神戸家裁内の裁判官が集まって議論して決めたのだろうか。そうではないだろう。最高裁の指図にしたがっただけではないか。少なくとも、最高裁の意向が強く働いているにちがいない。最高裁の意向があったかどうかは置いておいても、神戸家裁の井垣弁護士に対する抗議内容には重大な疑問がある。裁判官は国家公務員だが、国家公務員法上の守秘義務(100条1項)を負っていない。裁判所法で規定している裁判官の守秘義務は合議体の裁判の評議についてだけで(75条2項)、それも罰則規定はない。今回は合議体の評議でさえない。刑法134条の秘密漏示罪にも裁判官は入っていない。神戸家裁が言うところの裁判官の守秘義務の法的根拠はどこにあるのか。どこにもない。裁判所が社会に向かってこんなことを言っていいのか。どの新聞の記事にもこの指摘がない。記者たちは裁判所に騙されたのか、わかっていて同調したのか。どちらでも問題だ。(弁護士清水勉のブログ 2015-04-15
 
さて、上記の清水弁護士の意見は正しいのでしょうか? 清水弁護士にはなにか見誤りがあるように私には思えます。
 
この件についてはすでに同じ弁護士の猪野亨さんと徳岡宏一朗さんの以下のようなブログ記事があります。
 
井垣康弘氏の暴挙 少年を食い物にする大人たち 実名報道や審判全文掲載はカネ儲けの道具に過ぎない(弁護士 猪野 亨のブログ 2015/04/13)
文藝春秋が神戸連続児童殺傷事件の家裁決定全文を掲載したことに断固抗議する1(Everyone says I love you ! 2015-04-15)
文藝春秋が神戸連続児童殺傷事件の家裁決定全文を掲載したことに断固抗議する2(Everyone says I love you ! 2015-04-15)
 
そして、猪野亨弁護士と徳岡宏一朗弁護士の論は神戸連続児童殺傷事件を起こした少年に対する少年審判の決定文の全文を文芸春秋に提供した井垣康弘弁護士(同決定に関わった元裁判官)を戒めるものになっています。それに対して清水弁護士の論は「裁判官の守秘義務の法的根拠はどこにもない」として当時の事件の裁判官だった井垣弁護士を擁護する体のものです。
 
私はこの場合、清水弁護士の論は、「裁判官に守秘義務はありやなしや」の形式主義の論に陥って、「守秘義務」以前の問題としての猪野弁護士も指摘する「少年法の理念」を忘失している、あるいはないがしろにしている論のように思えます。この「少年法の理念」について猪野弁護士は次のように言います(上記記事参照)。「家裁が本来、非公表としているのは、少年の育成などを考えてのことであり、それがそのまま明るみに出た場合、少年にとっての育成の阻害になります。少なくとも、それが全面的に公開されることによって、さらし者にされていることに変わりなく、少年法の理念に反することは明らかでしょう」、と。清水弁護士はおそらく憲法の保障する表現の自由と国民の知る権利の観点から、さらに少年の実名報道の禁止に反対する立場から上記のような論を立論しているのだと思いますが、上記の猪野弁護士の立論の方がこの場合正論というべきであろうと私は思います。少年法の理念を尊重する立場に立つからといって、もちろん表現の自由や国民の知る権利をおろそかにしていいということではありません。が、この2つの理念の問題は調和的に解決されるべき問題です。一方の側に立てばよいというものではないでしょう。理念と理念が衝突する場合は調和的に考えてみるより法はないもののように思います。
 
次に清水弁護士のいう「裁判官の守秘義務の法的根拠はどこにもない」という問題ですが、たしかに明文規定としては清水弁護士のいうように「どこにもない」ようです。しかし、ふつうの国家公務員や地方公務員の場合でさえ「守秘義務」はあるのにさらに人の重大な秘密を知りうる立場にある裁判官には「守秘義務」は課せられないというのは常識的に考えておかしなことです。この問題の考え方についてヒントになるQ&Aのサイトがありましたので、No.1~No.7までの回答を私流に1つに要約して以下に示しておきます。
 
清水弁護士は「裁判官の守秘義務の法的根拠はどこにもない」と言われるのですが、以下の回答の論を見れば現憲法下においても「官吏服務紀律」の「守秘義務」が裁判官に適用されるというのは最高裁判所事務総局のとる見解でもあることがおわかりになられると思います。清水弁護士にはこの点についても再考していただきたいことです。
 
質問者
裁判官には裁判所法で評議の秘密については規定がありますが、その他の職務上知り得た秘密についての一般的守秘義務は負わないのでしょうか? 国家公務員法上の守秘義務を負わないことは知ってますので、それ以外で法的根拠を教えてください。

回答者(要約:回答者は複数):
以前、裁判官の方とお話する機会があり確認したのですが、裁判官には法律上、明文の守秘義務は課せられていないということで間違いありません。裁判官は、憲法上も独立が保障された地位にあり、国家公務員法での処分はできないこと、法曹として当然高度の倫理観を持っているはずであることから、国家公務員法の守秘義務規定は及ばず、また、特に守秘義務だけを独立して法律で規定することもされていないとのことです。もちろん、重大な守秘義務違反があれば、裁判官弾劾法2条によって、当然、弾劾対象になりますし、10年毎の任官継続拒否などの理由にもなります。また、民事上の国家賠償責任、不法行為責任も生じます。
 
裁判官は一般的守秘義務を負うものと一般的にはされています。根拠法規は古いのですが「官吏服務紀律」と言う勅令になります。明治20年7月30日勅令第39号です。厳密な法律論をすれば「官吏服務紀律」自体は既に失効しています。「国家公務員法の規定が適用せられるまでの官吏の任免等に関する法律」という昭和22年の法律で服務についても別段の定めがなければ「従前の例による」と定められています(2項)。法律を通じて勅令の適用を受けると言うことです。守秘義務は4条になります。
 
現憲法下においても「官吏服務紀律」が裁判官に適用されるというのは最高裁判所事務総局のとる見解でもあります。手元の資料だけでも昭和51年10月28日参議院と平成13年2月27日衆議院のそれぞれの法務委員会で当時の最高裁事務総局人事局長が答弁しています。「裁判官につきまして現在も法律上は官吏服務紀律が適用されるというふうに解しております。」(78-参-法務委員会-5-2)。「裁判官の服務につきましては、裁判所法、それから裁判官弾劾法、官吏服務紀律等におきましていろいろな義務が規定されておりますが、こうした規定によるほか、個々の裁判官におきまして、これらの規定や国家公務員倫理法等の規定の趣旨、内容を尊重するなどして、みずから律することによって倫理を保持してきたところでございます。」(151-衆-法務委員会3-18)。
 
平成16年4月9日衆議院法務委員会で当時の司法制度改革推進本部事務局長(現在の千葉地裁所長でもちろん裁判官です。裁判員制度などの議論を見守ってきた方でもあります)が裁判員の守秘義務との関係で裁判官の守秘義務について聞かれてこう答弁しています。「裁判官も、評議の秘密につきましては、裁判所法で守秘義務がございます。それから、一般的な守秘義務としては、大変古いものでございますけれども、勅令で、官吏服務規程ですか、たしか明治二十年ぐらいにできたものでございますけれども、この適用によりまして、守秘義務が一般的に課されている、こういう状況でございます。」(159-衆-法務委員会-12-5)。ここでは「官吏服務規程」と発言されてますが,「官吏服務紀律」のことでしょう。確実な資料といえるかは分かりませんが,衆議院のホームページから法務委員会→159回(常会)→12号とたどれば見ることも出来ます。
 
なお、上記の答弁は次のように続きます。「ただ、罰則は、御指摘のとおりございません。これは、裁判官につきましては、高度の職業倫理に基づき行動ができる、そういう期待ができるということ、あるいは、それを担保するものとして、弾劾裁判あるいは分限裁判というような手続が設けられておりまして、これらによってそのような義務違反を抑止することが十分に可能であるということで刑罰が設けられていないというふうに承知をしております」(裁判官の守秘義務 - その他(法律)  教えて!goo
折本和司弁護士が横浜(在住)で被告として争った「DHCスラップ訴訟」(東京地裁)、東京でやはり被告として争っている澤藤統一郎弁護士の「DHCスラップ訴訟」(同左)はともに澤藤統一郎弁護士の「憲法日記」を通して注目してきました。横浜「DHCスラップ訴訟」の完全勝利に深い共感と敬意を表明する意味で、以下、「澤藤統一郎の憲法日記」の2015年1月15日付けの記事の全文を転載させていただこうと思います。

参考記事:DHCに名誉毀損訴訟で「勝訴」したブロガー弁護士が会見「表現が萎縮するとまずい」(弁護士ドットコム 2015年01月15日)
 
リンドウ 
リンドウ。花言葉は「勝利」。リンドウは病気に勝つことができる霊草
であることから生まれたものだそうです。
 
「DHCスラップ訴訟」第1号判決は被告完勝 ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第34弾(澤藤統一郎の憲法日記 2015年1月15日)
 
本日(1月15日)午後1時10分、東京地裁611号法廷で、民事第30部(本多知成裁判長)が「DHCスラップ訴訟」での第1号判決を言い渡した。この事件の被告は、横浜弁護士会所属弁護士の折本和司さん。私同様の弁護士ブロガーで、私同様に8億円を政治家に注ぎこんだ吉田嘉明を批判して、2000万円の損害賠償請求を受けた。
 
予想のとおり、本日の「DHC対折本」訴訟判決は、請求棄却。しかも、その内容において、あっけないくらいの「被告完勝」であった。まずは、目出度い初春の贈り物。判決を一読すれば、裁判所の「よくもまあ、こんな事件を提訴したものよ」という言外のつぶやきを行間から読み取ることができよう。「表現の自由陣営」の緒戦の勝利である。スラップを仕掛けた側の大きな思惑外れ。
 
判決は争点を下記の4点に整理した。この整理に沿った原被告の主張の要約に4頁に近いスペースを割いている。

(1)本件各記述の摘示事実等による社会的評価の低下の有無(争点1)
(2)違法性阻却事由の有無(争点2)
(3)相当因果関係ある損害の有無(争点3)
(4)本件各記述削除又は謝罪広告掲載の要否(争点4)
 
そして、裁判所による「争点に対する判断」は実質2頁に過ぎない。その骨子は、「本件各記述が原告らの社会的評価を低下させるとの原告らの主張は採用できない」とし、「そうすると、原告らの請求は、その余の争点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これらを棄却する」という、簡潔極まるもの。4つのハードルを越えなきゃならなないところ、最初のハードルでつまずいたから勝負あった。第2ハードル以下を飛ぶ権利なし、とされたわけだ。原告側には、ニベもない判決と映るだろう。
 
折本弁護団は勝訴に際してのコメントを発表した。要旨は以下のとおりである。
 
折本弁護士のブログは、「DHCの吉田会長が、みんなの党代表渡辺喜美氏に8億円を渡した」という、吉田氏自身が公表した事実を摘示した上で、日本における政治と金の問題という極めて公益性の高い問題について、弁護士の視点から疑問を指摘し、問題提起を行ったものにすぎない。
 
その記載が名誉毀損にならないものであることは、ブログを読めば一目瞭然であるし、本日の判決も名誉毀損に当たらないことを明確に判断した。
 
もしもこの記載に対する反論があるならば、正々堂々と言論をもってすれば済むことであるしそれは週刊誌という媒体を通じて自らの見解を公表した吉田氏にとっては容易いことである。にもかかわらず、吉田氏は、言論をもって反論することを何らしないまま、同氏及び同氏が会長を務める株式会社ディーエイチシーをして、折本弁護士に対していきなり合計2000万円もの慰謝料請求を求める訴訟を提起するという手段に出たものである。これは、自らの意見に批判的な見解を有するものに対して、巨額の慰謝料請求・訴訟提起という手段をもってこれを封じようとするものであると評価せざるを得ず、言論・表現の自由を著しく脅かすものである。
 
かかる訴訟が安易に提起されること自体、言論・表現活動に対する萎縮効果を生むのであり、現に、同氏及び同社からブログの削除を求められ、名誉毀損には当たらないと確信しつつも、不本意ながらこれに応じた例も存在する。
 
吉田氏及び株式会社ディーエイチシーは、折本弁護士に対する本件訴訟以外にも、渡辺氏に対する8億円の「貸付」について疑問・意見を表明したブログ等について、10件近くの損害賠償請求訴訟を提起している。これらも、自らの意見に沿わない言論に対して、自らの資金力を背景に、訴訟の脅しをもってこれを封じようとする本質において共通のものがあると言わなければならない。
 
当弁護団は、吉田氏及び株式会社ディーエイチシーが、本日の判決を真摯に受け止めるとともに、同種訴訟についてもこれを速やかに取り下げ、言論には言論をもって応じるという、言論・表現活動の本来の姿に立ち返ることを求めるものである。
 
2時半から、記者クラブで折本さんと折本弁護団が記者会見を行った。
小島周一弁護団長から、「原告からは人証の申請もなく、判決言い渡しの法廷には被告(ママ)代理人の出廷もなかった。訴訟の進行は迅速で、第3回口頭弁論で裁判長から結審の意向が明示され、慌てた被告側(ママ)が原告の陳述書を出させてくれとして、第4回期日を設けて結審した。この訴訟の経過を見ても、本件の提訴の目的が本気で勝訴判決をとることにあったとは思えない。表現行為への萎縮効果を狙っての提訴自体が目的であったと考えざるをえない」
「DHCと吉田氏は本日の判決を真摯に受け止め、同種訴訟についても速やかに取り下げるよう求める。」
 
折本さんご自身は、「弁護士として依頼者の事件を見ているのとは違って、自分が当事者本人となって、この不愉快さ、気持の重さを痛感した」「DHC側の狙いが言論の封殺にあることが明らかなのだから、これに負けてはならないと思っている」とコメントした。
 
引き続いて、山本政明弁護士の司会で澤藤弁護団の記者会見。山本さんの外には、光前幸一弁護団長と神原元弁護士、そして私が出席し発言した。光前弁護士から、澤藤事件も折本事件と基本的に同様で、言論封殺を目的とするスラップ訴訟であることの説明がなされた。そして最後を「これまでの表現の自由に関する最高裁判例の主流は、判決未確定の刑事被告人の罪責を論じる言論について、その保護の限界に関するものとなっている」「本件(澤藤事件)は、純粋に政治的な言論の自由が擁護されるべき事案として判例形成を目指したい」と締めくくった。
 
私が事件当事者としての心情を述べ、最高2億から最低2000万円の10件のDHCスラップ訴訟の概要を説明した。神原弁護士からは、植村事件との対比でDHCの濫訴を批判する発言があった。
 
澤藤弁護団の記者会見は初めての経験。これまで、フリーランスの記者の取材はあっても、マスメディアに集団で報告を聞いてもらえる機会はなかった。
 
私がまず訴えたのは、「今日の折本事件判決が被告の完勝でよかった。もし、ほんの一部でも原告が勝っていたら、言論の自由が瀕死の事態に陥っていると言わなければならないところ。私の事件にも、その他のDHCスラップ訴訟にも注目していただきたい。
 
ぜひ、若手の記者諸君に、自分の問題としてお考えいただきたい。自分の記事について、個人として2000万円あるいは6000万円という損害賠償の訴訟が起こされたとしたら…、その提訴が不当なものとの確信あったとしても、どのような重荷となるか。それでもなお、筆が鈍ることはないと言えるだろうか。権力や富者を批判してこそのジャーナリズムではないか。金に飽かせての言論封殺訴訟の横行が、民主主義にとっていかに有害で危険であるか、具体的に把握していただきたい。
 
スラップ訴訟は、今や政治的言論に対する、そして民主主義に対する恐るべき天敵なのだ。

一昨日の9月7日付けの「弁護士ドットコム」に「黒子のバスケ」裁判の被告の量刑に対する「弁護士ドットコム」登録弁護士たち12人の意見が紹介されています。
 
「日本の刑法は被告人に甘い」が0票、「日本の刑法は被告人に甘くない」が7票、「どちらでもない」が5票というのが投票結果です。「甘い」「甘くない」は裁判の量刑に対する評価で裁判そのものの評価ではありません。裁判=量刑の決定ではないはずですから「弁護士ドットコム登録」弁護士たちの裁判評価は量刑の多寡という裁判技術論に傾きすぎているきらいがあるように私には見えます。

なぜ、裁判そのものの中身を問わないで量刑のみを丁々発止するのか? 「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」(弁護士法第1条)という理想の追求など絵空事のあちらの世界のことであって、「現実」という世界、あるいは社会規範(「量刑」だけを問題にするいまの裁判の現状)を疑おうとしもしない現代の若手弁護士の「質の低さ」のようなものを私は思わざるをえません。
 
私は8月22日付けの「今日の言葉」に「黒子のバスケ」裁判の判決報道(毎日新聞 2014年08月22日)を引いた上で以下のような引用者注をつけておきました。
 
私の知る限り、判決に「類例を見ないほど重大で悪質」「くむべき点(情状)など一切ない」などとあるのは、裁判所が検察の求刑どおりの刑期を言い渡すときの常套文句です。すなわち、紋切り型の判決文。裁判長よ。あなたは「黒子のバスケ」裁判被告人の「冒頭意見陳述」を読み得たか。もちろん読んだのでしょうが、読んだ上で「くむべき点(情状)など一切ない」などと言うのであれば、あなたは「文章読解力」など一切ない人だ、と断言せざるをえません。判決文には被告人の心理に寄り添おうとするひとりの人間としての意気はもちろん、被告人が犯罪を犯すに到る心理への裁判官としての洞察力も微塵も見られません。こうした裁判官の薄っぺらな人間観察力で人が安易に裁かれてしまう。そうした釈然としない思いは決して私だけのものではないでしょう。(弊ブログ 2014.08.22付
 
上記で「文章読解力」云々と言っているのは、「黒子のバスケ」裁判被告人の「冒頭意見陳述」を読んだ私の感想は以下のようなものだったからです。
  
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人の冒頭意見陳述とはどういうものか? 陳述書を読んでみました。その冒頭の数行の文章を読んでみただけでも被告人の自己分析力の確かさがわかりました。並大抵の確かさではありません。ものごとの本質を正確に射抜く確かさと言ってよいと思います。しかし、次のようにも思いました。被告人の自己分析力はたしかに優れている。しかし、本来、そうした自己分析力の「確かさ」は現代ニッポン人の多くがもともと所有していたのではないか? 現代ニッポンの多くの大人たちは、「おれが、おれが」という戦後的(高度成長期的)な自己本位の思想(マイホーム主義)にいつのまにか心身とも浸食されてしまい、防衛機制としての「反動形成」の強迫に抑圧されておのれの本質を見つめる目を見失ってしまった。現代のニッポン人の総体(多く)がそうした「時代の病」に犯されている。だから、私たちは、「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人の自己分析力の確かさに識閾のあわいの虚を衝かれて一瞬たじろぐ。そういういうことではないのか。
 
被告人は陳述の冒頭で事件の動機について次のように述べています。
 
「動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。そして自殺という手段をもって社会から退場したいと思っていました。(略)人生の駄目さに苦しみ挽回する見込みのない負け組の底辺が、苦痛から解放されたくて自殺しようとしていたというのが、適切な説明かと思います。」
 
「自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと『10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた』ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。」
 
上記はおのれをよく認識している者のみができる陳述というべきものです。ここまでおのれを客観的かつ冷静に認識できる者がなにゆえに脅迫事件などという短絡的で陳腐なおぞましいだけの事件を惹起してしまったのか。それゆえの無惨さが胸に満ちる思いがします。(弊ブログ 2014.03.25付
 
被告人の冒頭意見陳述を読んで心を動かされない人がいるでしょうか? いるのだとすれば、その人はただ判決文に量刑を書きこむためにだけ陳述書を読む裁判官。もしくは検察官。あるいはよほど文章読解力のない人。あるいは自身の人格自体に障害のある人だけ、というのが私の判断ですし、これまでの私の判断であったわけですが、もしかしたら左記の列々(つらつら)に弁護士も付加する必要があるかもしれない。それが「現代」という時代なのかもしれない。こういう「時代」であってもちろんいいはずがありません。
 
日本の「刑法」は被告人に甘いのか? 「黒子のバスケ事件」から考える(弁護士ドットコム 2014年09月07日)
 
人気マンガ「黒子のバスケ」をめぐる連続脅迫事件で、威力業務妨害罪に問われた被告人に、東京地裁は求刑通り「懲役4年6月」を言い渡した=9月1日に控訴=。
 
被告人は、「黒子のバスケ」作者の出身大学に硫化水素入りの容器と脅迫文を置いたほか、ニコチン入りの菓子と脅迫文をコンビニに送りつけて商品を回収させたなどとして、5つの事件で威力業務妨害罪に問われていた。
 
●「量刑が軽すぎる」という声も
 
この「懲役4年6月」は、今回の裁判で考えられる最大の刑だ。つまり、今回は裁判官がどんなに刑罰を重くしようとしても、4年6月が限度だった。そうなる理由は、日本の刑法の「併合罪」という考え方にある。
 
併合罪とは、裁判で確定していない2個以上の罪がある場合、それらの罪をひっくるめて量刑を考えるということで、科せられる刑罰は最大で「法定刑の上限の1.5倍」までとされている。
 
威力業務妨害罪の場合、法定刑が「3年以下の懲役または50万円50万円以下の罰金」のため、たとえ5個の罪があっても3年の1.5倍、つまり4年6月が最大になるわけだ。
 
しかし事件が社会を大きく揺るがせたことや被告人が反省していないように見えることから、ネットでは「懲役4年6月は軽すぎる」といった意見が数多く見られた。
 
また、海外の法律にくわしい清原博弁護士は、8月下旬に出演したTOKYO MXの情報番組「モーニングCROSS」で、「被告人は5件の犯罪で起訴された。1件ごとにみれば、最高3年×5件で15年だ。アメリカではすべて合算して、昨年は1000年という判決が出ている」などと説明。「日本の刑法は甘い」と指摘した。
 
複数の犯罪をおかした場合の量刑について、日本の刑法は「甘い」のだろうか。それとも「甘くない」のだろうか。弁護士ドットコムの登録弁護士たちに意見を聞いた。
 
(回答選択肢)
 
1 日本の刑法は被告人に甘い
 
2 日本の刑法は被告人に甘くない
 
3 どちらでもない
 
このトピックスに対する弁護士の回答
 
※2014年08月29日から2014年09月04日での間に集計された回答です。
 
アンケート結果
 
投票1 日本の刑法は被告人に甘い 0票
 
投票2 日本の刑法は被告人に甘くない 7票
 
秋山 直人弁護士
濵門 俊也弁護士
山田 公之弁護士
澤田 智俊弁護士
武市 尚子弁護士
荻原 邦夫弁護士
中川 正一弁護士
 
投票3 どちらでもない 5票
 
中村 剛弁護士
西口 竜司弁護士
岡田 晃朝弁護士
久野 健弁護士
川崎 政宏弁護士
 
【弁護士たちの意見(任意)】
・秋山 直人弁護士 投票:日本の刑法は被告人に甘くない
今回の事件では,人が死んだわけではなく,3年×5件=懲役15年という判決は,余りに重すぎるでしょう。併合罪の場合には重い罪の刑の長期を1.5倍するという処理は,妥当な範囲だと思います。余りに長い期間刑務所に閉じ込めても,それこそ税金がかかるだけで,受刑者の社会復帰もより難しくなり,再犯率も上がるのではないでしょうか。刑罰を決めるにあたり,応報感情を余りに重視することは,刑事政策的に妥当でない結果を生むように思います。
 
・濵門 俊也弁護士 投票:日本の刑法は被告人に甘くない
併合罪の処理(法定刑の1.5倍の刑に加重すること)について、被告人に甘いと考える日本の法曹は少数派でしょう。当職も、我が国における刑法の成立過程(古代日本における「律」や大陸法の影響)、条文の構造(保護法益や法定刑の規定のあり様)等をふまえたとき、併合罪の処理は相当であると考えます。そもそも、量刑の本質は、「被告人の犯罪行為に相応しい刑事責任の分量を明らかにするところにある」ととらえるのが我が国の一般的な考えであり、実務です。例えば、被告人についての主観的・情緒的な評価がそこに影響してはならないものなのです。「本件被告人のような人物に対する刑罰として懲役4年6カ月は軽すぎる」という意見などはその典型例ですが、一法曹としてそのような意見に与するわけにはいかないのです。
 
・山田 公之弁護士 投票:日本の刑法は被告人に甘くない
併合罪の規定は、罪の数だけではなく、犯人の人格態度にも配慮しています。裁判所が犯人に刑罰を宣告して戒めたり、刑務所に入れて矯正するまでは、同じ人格が複数の罪を犯した状態なので、単純に罪の数に比例して刑罰を課すのではなく、1つの人格態度に対する非難として、最大1.5倍の割り増しにとどめて罪の数と人格態度に対する非難のバランスをとっていると思います。罪の数については、民事上は損害賠償額は単純合算になりますので、そちらの方である程度配慮されています。また、投資詐欺や常習窃盗なんかを考えればわかりますが、犯人が極めて多数の罪を犯している場合は、一部だけ起訴して終わらせることがよくあります。私は、証拠がしっかりしている事件や重大な事件をピックアップして起訴することは迅速かつ確実な処罰のために合理性があると考えていますが、刑罰を罪数に比例させようとすると、このような便宜的な扱いがしにくくなりかえって刑事司法作用に支障が生じると思います。
 
・中村 剛弁護士 投票:どちらでもない
本件についていえば、懲役刑は妥当な範囲だったと考えます。刑罰は、基本的には犯した行為に対して科せられます。確かに、挑発的な態度を取るなど、マスコミを大いに賑わせて腹立たしく思っている方も多いでしょうが、犯した行為そのものが、他と比べ、例えば懲役15年も科すような事案だったとは思えません。仮に、今回の被告人が、1回しか威力業務妨害を行っていなかった場合、皆さんは3年が妥当だと考えるでしょうか?それでもやはり「もっと重くすべきだ」と答えるでしょう。問題の本質は併合罪の処理法にはないと思います。また、本件の被告人は懲役刑になることをむしろ望んでいることからすると、重い処罰を科したところで、被告人は喜ぶだけでしょう。それでは解決になりません。ただ、一般的にいって、併合罪による上限が1.5倍ということが妥当なのかは考える余地があると思います。なぜ2倍、3倍ではいけないのか、という点はもっと議論してもいいと思います。個人的には、アメリカほどではなくても、もう少し重くするのはありうると思います。
 
・編集後記(弁護士ドットコム編集部)
アンケートに回答した12人の弁護士のうち、7人が<刑法は被告人に甘くない>と回答した。一方、5人が<どちらでもない>と答えたが、<被告人に甘い>という意見は0人だった。<甘くない>と回答した弁護士の1人からは、「応報感情を余りに重視することは、刑事政策的に妥当でない結果を生む」という意見があった。また、<どちらでもない>と答えた弁護士からは、「併合罪による上限が1.5倍ということが妥当なのかは考える余地がある」という指摘があった。
澤藤統一郎弁護士のDHCスラップ訴訟の闘いの途中経過報告です。なんとDHC(吉田嘉明会長)側は「批判の自由」など金の力でどうにでもできる(「お主も悪よのう」という悪代官、もしくは悪徳問屋)的思考でしかものを考えることができないからでしょう。損害賠償額をこれまでの2000万円から6000万円に吊り上げてきたということです。「闇米購入拒否で餓死」した裁判官がいたことなどこの人にとってはおとぎ話の世界のことでしかないのでしょう。この世はすべて金、というのがこの人の「世界観」のすべてのようです。「哀れさ」とともにその「哀れ」なやからが現代ニッポンの「企業家」(権力者)という意味において改めて「怒り」ならぬ「憤怒」が沸騰してきます。
 
スラップ訴訟の参考として元朝日新聞記者の烏賀陽弘道氏とNPO法人POSSE代表の今野晴貴氏のスラップ訴訟(もしくは未訴訟)の顛末記を最後に添付しておきます。
 
以下、「澤藤統一郎の憲法日記」(2014年8月31日)から。「これが、損害賠償額4000万円相当根拠とされたブログの記事-『DHCスラップ訴訟』を許さない・第20弾」。
 
本日、『DHCスラップ訴訟』で原告(DHCおよび吉田嘉明)からの「訴えの追加的変更申立書」に接した。私に対する損害賠償請求金額は、これまで2000万円だった。これを6000万円に拡張するという。4000万円の増額。一挙に3倍化達成である。
 
これまで、原告らの名誉を毀損とするとされた私のブログは、次の3本。再度ご覧いただけたらありがたい。いずれも、政治を金で買ってはならないという典型的な政治的批判の言論である。
 
http://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
 
http://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
 
http://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
 
これに追加して、新たに次の2本のブログもDHCおよび吉田嘉明の名誉を毀損するものだとされた。これまで、「DHCスラップ訴訟」を許さないシリーズは、第1弾~第19弾となっているが、そのうちの第1弾と第15弾の2本が取りあげられたのだ。
 
http://article9.jp/wordpress/?p=3036 (2014年7月13日)
いけません 口封じ目的の濫訴  -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第1弾
 
http://article9.jp/wordpress/?p=3267 (2014年8月8日)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ  -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾
 
これまでは3本のブログ(その中の8か所の記載)で2000万円の請求。今度は、2本増やして合計5本のブログで6000万円。単純な差し引き計算では、「DHCスラップ訴訟」を許さない・シリーズの2本のブログが4000万円の請求増額の根拠。1本2000万円ということになる。
 
馬鹿げた話しだ。請求金額に何の根拠もないことを自ら語っているに等しい。要するに、「DHC・吉田批判を続けている限り、際限なく請求金額をつり上げるぞ」という、訴訟を武器にした恫喝にほかならない。
 
(中略)
 
私が先日法廷で陳述したことの一部を再度掲載して、ご参考に供したい。
 
「私の言論の内容に、根拠のないことは一切含まれていません。原告吉田嘉明が、自ら暴露した、特定政治家に対する売買代金名下の、あるいは金銭貸付金名下の巨額のカネの拠出の事実を前提に、常識的な論理で、原告吉田嘉明の行為を『政治を金で買おうとした』と表現し批判の論評をしたのです。
 
仮にもし、私のこのブログによる言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治に対する批判的言論は成り立たなくなります。原告らを模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌って、濫訴を繰り返すことが横行しかねません。そのとき、ジャーナリズムは萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は後退を余儀なくされることでしょう。それは、権力と経済力がこの社会を恣に支配することを許容することを意味し、言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。」
 
附:烏賀陽弘道氏(元朝日新聞記者)と今野晴貴氏(NPO法人POSSE代表)のスラップ(未)訴訟顛末記
 
「たかの友梨」はブラック企業なのか?(今野晴貴 Yahoo!ニュース 2014年8月30日)
 
(前略)ユニクロは、私の執筆した『ブラック企業』(文春新書)の内容が、彼らの名誉毀損にあたるとして、2013年3月に「警告」の文書を送ってきた。本書で私は「衣料品販売X社」の労働実態について述べていたのだが、ユニクロ側によれば、「X社」はユニクロのことであるのは明らかであり、書かれていることは事実ではないと「警告」するというものだった。
 
なおユニクロは、ジャーナリスト横田増生氏が文藝春秋者から出した書籍や記事に対して、2億2000万円の損害賠償請求などを求める訴訟を起こしている。これらの記事が、ユニクロの労働実態を詳細に述べており、長時間労働やサービス残業などを暴いていたから、高額訴訟で黙らせようとしたのである。だがこの訴訟では、地裁で逆に記事の事実が認定され、ユニクロ側の請求は認められなかった(ユニクロは高裁でも敗訴したが、最高裁に上告しているところだ)。
 
ワタミも同様だ。私はワタミから、渡辺美樹元会長の参議院選出馬直前の2013年5月に、「通告書」を送りつけられている。私がワタミについて書いた記事の内容が虚偽で名誉毀損であり、通告書が届いてから5日以内に私に謝罪文を出すことを求め、「不履行の場合は法的措置に及ぶ」というものだ(私は無視したままもう1年以上になるが、一向に法的措置がとられた様子はない)。
 
労働問題を告発しようとした者に対する圧迫、労働者を従わせるための圧迫。こうした特徴は、世間で「ブラック企業」と呼ばれる企業に共通した特徴ではないだろうか。
 
オリコン訴訟(うがやジャーナル 2009年8月3日
 
2009年8月3日 烏賀陽、逆転勝訴しました。東京高裁でオリコンは判決を待たずに自らが「敗訴」を宣言する「請求放棄」をしました。法的には「自分の請求(提訴)には理由がないので、提訴を放棄する」という宣言です。33ヶ月にわたって争われてきた「オリコン裁判」はオリコンの敗北宣言で終結しました。(略)「判決が出ていないのに、なぜ勝訴なのか?」「請求放棄と提訴の取り下げはまったく別」など、わかりにくい点を烏賀陽自らが審理の過程を振り返りながら解説していきます。
澤藤統一郎弁護士が被告として訴えられているDHCスラップ訴訟の第1回口頭弁論は8月20日に開かれる予定ですが、その第1回口頭弁論が開かれる前から同訴訟は驚くべき展開になっているようです。裁判前から原告(吉田嘉明DHC代表)は訴状のほかに「準備書面1」を提出し、被告と裁判所に次のような通告と注意喚起なるものをしてきたということです。
 
被告への通告「本件は既に訴訟係属しており、原告の請求に対する反論は訴訟内で行うべきであり、訴外において、かかる損害を拡大させるようなことをすべきでない旨本準備書面をもって予め被告に通知しおく」。
 
裁判所への注意喚起「裁判所にも損害が拡大されている現状について主張しておく」。
 
およそ尋常な主張とはいえないでしょう。裁判を提起されれば被告たる者は訴訟外での「表現の自由は制約される」という驚くべき主張。こんな無茶苦茶な主張が通るようであれば、権力犯罪であれ、民事事件であれ、金のある者は、裁判さえ提起すれば自分への批判を封じることができるということになってしまいます。こんな道理に外れた主張を道理を裁く裁判という場に持ち出して平然としている。その原告(弁護団)の民主主義感覚の絶対零度以下ともいうべき欠落には被告ならずとも呆然、いや慄然とせざるをえません。
 
その経緯について述べているのが「この頑迷な批判拒否体質(2)-『DHCスラップ訴訟』を許さない・第6弾」ですが、ここでは副題が「表現の自由を脅かす高額《口封じ》訴訟」という今回の『DHCスラップ訴訟』そのままの『ジャーナリストが危ない』(編者:田島泰彦ほか。花伝社。2008年)という著作の紹介をされている澤藤弁護士の同シリーズ第7弾の記事をさらに転載、紹介させていただこうと思います。『DHCスラップ訴訟』のなんたるかを理解するには格好の解説になっているように思います。
 
この頑迷な批判拒否体質(3)-『DHCスラップ訴訟』を許さない・第7弾(澤藤統一郎の憲法日記 2014年7月20日)
 
私の手許に、「ジャーナリストが危ない」という単行本がある。副題が「表現の自由を脅かす高額《口封じ》訴訟」と付けられている。2008年5月に花伝社から出版されたもの。スラップ訴訟がジャーナリスト・ジャーナリズムへ及ぼしている影響の深刻さが、シンポジウム出席の当事者の発言を中心に生々しく語られている。花伝社は学生の頃からの知人である平田勝さんが苦労して立ち上げた出版社。あらためて、フットワーク軽く良い仕事をしておられると思う。
 
編者が田島泰彦(上智大学教授)・MIC(日本マスコミ文化情報労組会議)・出版労連の3者。発言者は、山田厚史烏賀陽弘道斎藤貴男西岡研介釜井英法などの諸氏。
 
私は、スラップ訴訟とは、「政治的・経済的な強者の立場にある者が、自己に対する批判の言動を嫌忌して、口封じや言論萎縮の効果を狙っての不当な提訴をいう」と定義してよかろうと思う。恫喝訴訟・威圧目的訴訟・イヤガラセ訴訟・言論封殺訴訟・ビビリ期待訴訟などのネーミングが可能だ。同書では、「高額《口封じ》訴訟」としている。
 
言論の口封じや萎縮の効果を狙っての提訴だから、高額請求訴訟となるのが理の当然。「金目」は人を籠絡することもできるが、人を威嚇し萎縮させることもできる。このような訴権の濫用は、諸刃の剣でもある。冷静に見て原告側の勝訴の敗訴のリスクは大きい。また、判決の帰趨にかかわらず、品の悪いやり方であることこの上ない。自ら「悪役」を買って出て、ダーティーなイメージを身にまとうことになる。消費者からの企業イメージを大きく傷つけることでもある。
 
それでも、スラップ訴訟があとを絶たないのは、それなりの効果を期待しうるからだ。
 
この書の前書きがこう言っている。

「このシンポジウムをとおして浮き彫りになったのは、「裁判」という手段によって、フリージャーナリストに限らず、研究者の発表も市民の発言さえも場合によっては巨額の賠償請求をされる事態が進行しているということであった。裁判の勝ち負けに関係なく、訴えられただけで数百万円もの裁判費用の負担が課せられるのでは、公権力や企業の情報を取材・報道することも困難になるということも明らかになった。すでに表現活動の自由と新自由主義を背景にした企業活動の自由の激しいせめぎ合いが起きていて、その前線に立だされているのは、もはやマスコミの企業ではなくペンやカメラを頼りにしたフリーランスだといっても過言ではない状況だということであった。」
 
要するに、企業ではなく個人が狙い撃ちされているのだ。もちろん、そのほうが遙かに大きな萎縮効果を期待できると考えてのことなのだ。
 
シンポジウムで、オリコンから5000万円のスラップ訴訟を提起された烏賀陽弘道さんが語っている。少し長いが引用したい。

「訴訟そのものを相手の口封じのために利用するという例が、アメリカで70〜80年代にかけて問題になっていることがわかりました。提訴することで、反対運動を起こした相手に弁護士費用を負わせ、時間を食い潰させて、疲弊させて結局潰してしまう。まあ、いじめ訴訟とかそういった感じなのです」

「このSLAPP(スラップ)については、この言葉を考えたデンバー大学の法学部の先生が書いた本が出ています。スラップは、裁判に勝つことを目的にしていないんですね。相手を民事訴訟にひきずりこんで、市民運動や市民運動を率いている人、あるいはジャーナリスト、酷い場合は新聞に投稿した投稿主までを訴えて、業務妨害・共謀罪・威力業務妨害などで、億ドル単位の訴訟を起こす。それによって相手を消耗させる。それがスラップです」

「アメリカ50州のうち、25州でこのスラップが禁止されているんですね。カリフォルニア州の民事訴訟法をみますと、スラップを起こされた側は、これはスラップである、と提訴の段階で動議をまず出せる。裁判所がそれを認めれば、審理が始まらないということになります。そこで止まるんですね。提訴されたほうが裁判のために、時間やお金を浪費しなければならないという恫喝効果が無くなります」

「カリフォルニア州民事訴訟法は、2001年にもう一度、スラップに関する法律を改正しまして、スラップを起こされた側は、スラップをし返していい、ということになったようです(笑)。アメリカってすごいところだな……と思いますね。というわけで、日本でも民事訴訟法に『反スラップ条項』というのが必要ではないかと考えます」
 
この書では、スラップ訴訟の被告になったジャーナリストが、「萎縮してなるものか」と口を揃えている。合い言葉は、「落ちるカナリアになってはならない」ということだ。
 
これも、そのひとり、烏賀陽さんの発言の要約である。

「一人のジャーナリストを血祭りにあげれば、残りの99人は沈黙する。訴える側は、『コイツを黙らせれば、あとは全員黙る』という人を選んで提訴している。炭坑が酸素不足になると、まずカナリヤがコロンと落ちる…。カナリヤが落ちれば、炭坑夫全部が仕事を続けられなくなる」
 
私もカナリアの一羽となった。美しい声は出ないが、鳴き止むことは許されない。ましてや落ちてはならない。心底からそう思う。
 
なお、紹介されている具体的なスラップ訴訟は以下のとおり。

※「原告・安倍晋三事務所秘書」対「被告・山田厚史/朝日新聞社」事件
※「原告・オリコン」対「被告・烏賀陽弘道」事件
※「原告・キャノン/御手洗富士夫」対「被告・斎藤貴男」事件
※「原告・JR総連他」対「被告・講談社/西岡研介」事件
※「原告・武富士」対「被告・週刊金曜日/三宅勝久」事件
※「原告・武富士」対「被告・山岡俊介」事件
※「原告・武富士」対「被告・消費者弁護士3名/同時代社」事件
 
武富士の3件の提訴が目を惹くが、「なるほど武富士ならさもありなん」と世間が思うだろう。武富士とスラップ。イメージにおいてよく似合う。

その点、DHCも武富士に負けてはいない。こちらもスラップ訴訟提起の常連と言ってよい。まだ、全容は必ずしも分明ではないが、「みんなの党・渡辺喜美代表への金銭交付」に対する批判の言論を名誉毀損として、同社からスラップ訴訟をかけられたのは私一人ではない。この点は、東京地裁の担当裁判所も、「同じ原告から東京地裁に複数の同様事件の提起があることは裁判所も心得ています」と明言している。
 
同種の訴訟が複数あるということは、当該の批判の言論を嫌忌したことが本件提訴の主たる動機であることを推察する証左の一つとなりうる。また、同種の訴訟の存在は、共通の批判の意見が多数あることによって、批判の意見の合理性を推認する根拠となるべきものでもある。
 
また、なによりも同種批判が多数存在し、各批判への多数の訴訟提起があることは、原告の頑迷な批判拒絶体質を物語るものである。(2014年7月20日)
ビデオニュース・ドットコム(神保哲生宮台真司)と辺見庸「日録25」から。
 
要旨沖縄密約文書の開示請求を棄却
沖縄返還の際の日米間の密約文書の開示を国に求めた情報公開訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷は7月14日、上告を棄却し、密約文書を不開示とした政府の決定を妥当だとする判断を下した。判決で最高裁は密約文書の存在そのものは認めたが、文書は「秘密裏に廃棄された可能性がある」として現在は存在しないとする行政側の主張を認定。存在しないものは開示できないとの理由から、不開示は妥当と判断した。沖縄密約をすっぱ抜いた元毎日新聞記者の西山太吉氏は判決後の記者会見で「これでは都合の悪い情報は廃棄してしまえば公開しなくてもいいということになる。ひどい判決だ」と語り、同判決を批判した。(ビデオニュース・ドットコム 2014年07月14日
 
要旨「なにか」の息の根をとめなければならない
審判』の末尾はこうだった(略)――「『まるで犬だ!』と、彼は言ったが、恥辱が生きのこっていくように思われた」……。1972年の沖縄返還をめぐる日米間の密約文書の開示を元毎日新聞記者・西山太吉さんたちがもとめた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷が、1審の開示命令をとり消した2審東京高裁判決を支持し、原告側の上告を棄却。西山さんたちの敗訴が確定した。(略)この司法判断には国家の悪しき母型がある。西山さんは日米密約の存在を暴いた。だが、沖縄返還がせまった72年、密約を示す機密電文を西山さんにわたした外務省女性事務官とともに国家公務員法違反容疑で逮捕される。メディアと世間は密約の重大な中身ではなく、西山氏と事務官の関係に目をうばわれ、またそうなるべくメディアと社会を「なにか」がたくみにマニピュレートして、ひとのなすべきまっとうな行為を「恥辱」へと変えていった。そうさせた絶大な力。事実の在・非在の判断権さえうばわれたなら、ひとではなく、まるで犬だ。司法は腐敗している。国家は腐爛している。恥辱だけが〈民主主義〉の顔をして生きのこっている。(略)「なにか」の息の根をとめなければならない。(辺見庸「日録25」 2014/07/15) 
今回澤藤統一郎弁護士のブログ記事「万国のブロガー団結せよー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第2弾」の大概をそのまま転載させていただこうと思います。
 
*念のため「万国のブロガー団結せよ」という言葉の注をつけておきます。「万国のブロガー団結せよ」は有名な「万国の労働者よ、団結せよ!」というスローガンのパロディー(もじり)。また、「万国の労働者よ、団結せよ!」というスローガンの初出はカール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスの1848年の『共産党宣言』。このスローガンを聞くと、私は、ほぼ条件反射的に「起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し」の歌、「あぁ インターナショナル 我等がもの」の歌を思い出します。もちろん、私の青春の歌でもあるからです。
 
万国のブロガー団結せよー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第2弾
(澤藤統一郎の憲法日記 2014年7月14日)


「ブロガーは自らの思想や感性の表明に関して、妨害されることのない表現の自由を希求する。わけてもブロガーが望むものは、権力や経済的強者あるいは社会的権威に対する批判の自由である。プロガーの表現に不適切なところがあれば、相互の対抗言論によって是正されるべきである。ブロガーの表現の自由が実現するときにこそ、民主主義革命は成就する。万国のブロガー万歳。万国のブロガー団結せよ」
 
『DHCスラップ訴訟』の被告になって以来、ブログ・ブロガーを見る目は明らかに変わってきた。私もブロガーの1人だが、ブロガーというのはたいした存在なのだ。これまでの歴史において、表現の自由とは実質において「メディアの自由」でしかなかった。それは企業としての新聞社・雑誌社・出版社・放送局主体の自由であって、主権者国民はその受け手の地位に留め置かれてきた。メディア主体の表現の受け手は、せいぜいが「知る権利」の主体でしかない。
 
ブログというツールを手に入れたことによって、ようやく主権者一人ひとりが、個人として実質的に表現の自由の主体となろうとしている。憲法21条を真に個人の人権と構想することが可能となってきた。「個人が権利主体となった表現の自由」を手放してはならない。
 
だから、「立て、万国のブロガーよ」であり、「万国のブロガー団結せよ」なのである。各ブロガーの思想や信条の差異は、今あげつらう局面ではない。経済的な強者が自己への批判のブログに目を光らせて、批判のブロガーを狙って、高額損害賠償請求の濫訴を提起している現実がある。他人事と見過ごさないで、ブロガーの表現の自由を確立するために声を上げていただきたい。とりわけ、弁護士ブロガー諸君のご支援を期待したい。
 
いかなる憲法においても、その人権カタログの中心に「表現の自由」が位置を占めている。社会における「表現の自由」実現の如何こそが、その社会の人権と民主主義の到達度の尺度である。文明度のバロメータと言っても過言でない。
 
なにゆえ表現の自由がかくも重要で不可欠なのか。昔からなじんできた、佐藤功ポケット注釈全書・憲法(上)」が、みごとな要約をしている。
 
「思想は、自らの要求として、外部に表現され、伝達されることを欲する。人は思想の交流によって人格を形成することができる。かくして、思想表現の自由の価値は、第一に、それが人間人格の尊厳とその発展のために不可欠であることに求められる。また、民主政治はいろいろの思想の共存の上に成り立つ。かくして、思想表現の自由の価値は、第二にそれが民主主義の基盤のために不可欠であることに求められる」
 
まず、人はものを考えこれを他に伝えることを本性とする。だから、人間存在の根源的要求として表現の自由が尊重されねばならない。また、政治社会の視点からは、表現の自由は民主主義に原理的に不可欠、というのだ。
 
このような古典的なそもそも論には、メディアの登場はない。インターネット・デバイスの発展によって、古典的なそもそも論の世界に回帰することが可能となりつつある。要するに、主権者の誰もが、不特定多数の他者に情報や思想を伝達する手段を獲得しつつあるのだ。これは、表現の自由が人格の自己実現に資するという観点からも、民主的政治過程に不可欠という観点からも、個人を表現の自由の主体とする画期的な様相の転換である。人権も民主主義も、形式的なものから実質的なものへの進化の可能性を秘めている。
 
憲法21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。ブロガーこそは、今や先進的な「言論の自由」の実質的な担い手である。
 
私は、一ブロガーとして、経済的強者を「カネで政治を壟断しようとした」と批判して、はからずも被批判者から高額損害賠償請求訴訟の提起を受けた。ブロガーを代表する立ち場で、批判を甘受すべき経済的強者と対峙している。
 
この際、私は全国のブロガーに呼び掛ける。ブロガーの権利を守るべく、あなたのブログでも、呼応して声を上げていただきたい。「『DHCスラップ訴訟』は不当だ」と。「カネの力で政治に介入しようとした経済的な強者は、あの程度の批判は当然に甘受しなければならない」と。また、「言論を萎縮させるスラップ訴訟は許さない」と。
 
さらに、全ての表現者に訴えたい。表現の自由の敵対者に手痛い反撃が必要であることを。スラップ訴訟は、明日には、あなたの身に起こりうるのだから。
 
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このブログに目をとめた弁護士で、『DHCスラップ訴訟』被告弁護団参加のご意思ある方は東京弁護士会の澤藤(登録番号12697)までご連絡をお願いします。
 
また、訴訟費用や運動費用に充当するための「DHCスラップ訴訟を許さぬ会」の下記銀行口座を開設しています。ご支援のお気持ちをカンパで表していただけたら、有り難いと存じます。
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(カタカナ表記は、「ユルサヌカイダイヒョウシャサトウムツミ」)
 
(以下、省略)
以下、澤藤統一郎弁護士の『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾記事を全文転載させていただこうと思います。
 
金にまかせたお大尽(「贋金つくり」ならぬ裏金つくりのお大尽)のスラップ訴訟を私も許せません。僭越ながら、私も澤藤弁護士を側面から援護するため裁判中ブログを書き続けます。第1弾は文字どおり澤藤弁護士の『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾記事の全文掲載。

なにゆえに澤藤弁護士は応訴したか。むろん、訴えられたから(売られたケンカを買った)、というのが端的で明快な答といってよいのですが、株式会社ディーエイチシー代表の吉田嘉明氏が「カネで政治を買おうとした」ことを澤藤弁護士がペン(ブログ)で批判した。その批判が気に入らないからといって吉田氏は今度は「カネで裁判を買おう」としてきた。「本来、司法は弱者のためにある。政治的・経済的弱者こそが、裁判所を権利侵害救済機関として必要としている。にもかかわらず、政治的・経済的弱者の司法へのアクセスには障害が大きく、真に必要な提訴がなしがたい現実がある。これに比して、経済的強者には司法へのアクセス障害はない。それどころか、不当な提訴の濫発が可能である。不当な提訴でも、高額請求訴訟の被告とされた側には大きな応訴の負担がのしかかることになる。スラップ訴訟とは、まさしくそのような効果を狙っての提訴にほかならない。このような訴訟が効を奏するようでは世も末である。決して『DHCスラップ訴訟』を許してはならない」という怒りの方がさらに大きいというべきでしょう。
 
なお、澤藤弁護士は、「このブログに目をとめた弁護士で、『DHCスラップ訴訟』被告弁護団参加のご意思ある方は東京弁護士会の澤藤(登録番号12697号)までご連絡をお願いします」と全国の弁護士諸氏の協力を要請されています。そのことも第1弾記事としてお伝えしておきたいと思います。
 
いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾(澤藤統一郎の憲法日記 2014年7月13日)

当ブログは新しい報告シリーズを開始する。本日はその第1弾。
 興味津々たる民事訴訟の進展をリアルタイムでお伝えしたい。なんと、私がその当事者なのだ。被告訴訟代理人ではなく、被告本人となったのはわが人生における初めての経験。
 
その訴訟の名称は、『DHCスラップ訴訟』。むろん、私が命名した。東京地裁民事24部に係属し、原告は株式会社ディーエイチシーとその代表者である吉田嘉明(敬称は省略)。そして、被告が私。DHCとその代表者が、私を訴えたのだ。請求額2000万円の名誉毀損損害賠償請求訴訟である。
 
私はこの訴訟を典型的なスラップ訴訟だと考えている。
スラップSLAPPとは、Strategic Lawsuit Against Public Participationの頭文字を綴った造語だという。たまたま、これが「平手でピシャリと叩く」という意味の単語と一致して広く使われるようになった。定着した訳語はまだないが、恫喝訴訟・威圧目的訴訟・イヤガラセ訴訟などと言ってよい。政治的・経済的な強者の立場にある者が、自己に対する批判の言論や行動を嫌悪して、言論の口封じや萎縮の効果を狙っての不当な提訴をいう。自分に対する批判に腹を立て、二度とこのような言論を許さないと、高額の損害賠償請求訴訟を提起するのが代表的なかたち。まさしく、本件がそのような訴訟である。
 
DHCは、大手のサプリメント・化粧品等の販売事業会社。通信販売の手法で業績を拡大したとされる。2012年8月時点で通信販売会員数は1039万人だというから相当なもの。その代表者吉田嘉明が、みんなの党代表の渡辺喜美に8億円の金銭(裏金)を渡していたことが明るみに出て、話題となった。もう一度、思い出していただきたい。
 
私は改憲への危機感から「澤藤統一郎の憲法日記」と題する当ブログを毎日書き続けてきた。憲法の諸分野に関連するテーマをできるだけ幅広く取りあげようと心掛けており、「政治とカネ」の問題は、避けて通れない重大な課題としてその一分野をなす。そのつもりで、「UE社・石原宏高事件」も、「徳洲会・猪瀬直樹事件」も当ブログは何度も取り上げてきた。その同種の問題として「DHC・渡辺喜美事件」についても3度言及した。それが、下記3本のブログである。
 
  http://article9.jp/wordpress/?p=2371
    「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判 
   http://article9.jp/wordpress/?p=2386
    「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
   http://article9.jp/wordpress/?p=2426
    政治資金の動きはガラス張りでなければならない
 
是非とも以上の3本の記事をよくお読みいただきたい。いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」ことへの批判を内容とするものである。
 
DHC側には、この批判が耳に痛かったようだ。この批判の言論を封じようとして高額損害賠償請求訴訟を提起した。訴状では、この3本の記事の中の8か所が、原告らの名誉を毀損すると主張されている。
 
原告側の狙いが、批判の言論封殺にあることは目に見えている。わたしは「黙れ」と威嚇されているのだ。だから、黙るわけにはいかない。彼らの期待する言論の萎縮効果ではなく、言論意欲の刺激効果を示さねばならない。この訴訟の進展を当ブログで逐一公開して、スラップ訴訟のなんたるかを世に明らかにするとともに、スラップ訴訟への応訴のモデルを提示してみたいと思う。丁寧に分かりやすく、訴訟の進展を公開していきたい。
 
万が一にも、私がブログに掲載したこの程度の言論が違法ということになれば、憲法21条をもつこの国において、政治的表現の自由は窒息死してしまうことになる。これは、ひとり私の利害に関わる問題にとどまらない。この国の憲法原則にかかわる重大な問題と言わねばならない。
 
本来、司法は弱者のためにある。政治的・経済的弱者こそが、裁判所を権利侵害救済機関として必要としている。にもかかわらず、政治的・経済的弱者の司法へのアクセスには障害が大きく、真に必要な提訴がなしがたい現実がある。これに比して、経済的強者には司法へのアクセス障害はない。それどころか、不当な提訴の濫発が可能である。不当な提訴でも、高額請求訴訟の被告とされた側には大きな応訴の負担がのしかかることになる。スラップ訴訟とは、まさしくそのような効果を狙っての提訴にほかならない。
 
このような訴訟が効を奏するようでは世も末である。決して『DHCスラップ訴訟』を許してはならない。
 
応訴の弁護団をつくっていただくよう呼びかけたところ、現在77人の弁護士に参加の申し出をいただいており、さらに多くの方の参集が見込まれている。複数の研究者のご援助もいただいており、スラップ訴訟対応のモデル事例を作りたいと思っている。
 
本件には、いくつもの重要で興味深い論点がある。本日を第1弾として、当ブログで順次各論点を掘り下げて報告していきたい。ご期待をいただきたい。
 
なお、東京地裁に提訴された本件の事実上の第1回口頭弁論は、8月20日(水)の午前10時30分に開かれる。私も意見陳述を予定している。
 
是非とも、多くの皆様に日本国憲法の側に立って、ご支援をお願い申しあげたい。「DHCスラップ訴訟を許さない」と声を上げていただきたい。
(2014年7月13日)
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本日のメディア各紙は「取り調べ可視化 対象拡大」の問題をトップ項目(ネット版)に掲げています。
 
━━━Yahoo! JAPAN:今日のトップニュース
取り調べ可視化 対象拡大へ
http://megalodon.jp/2014-0619-0947-50/www.yahoo.co.jp/
「検察の取り調べの録音・録画(可視化)について、最高検は18日、罪名に関わらず、供述が立証の中心となる事件の容疑者の取り調べと、犯罪被害者や事件の目撃者などの事情聴取を、新たに試行の対象に加える方針を明らかにした。裁判員裁判の対象事件や特捜部の独自捜査事件など、以前から試行対象としてきた事件は「本格実施」に移行する。全国の地検に通知を出し、10月から実施する。対象事件の限定を解き、裁判員事件や独自捜査事件以外に広げることで、録音・録画の件数は大幅に増える可能性がある。(毎日新聞)」
 
━━━朝日新聞:今日の注目ニュース
取り調べ可視化、拡大 逮捕事件全て対象 検察、秋から
「最高検は18日、取り調べの録音・録画(可視化)について、10月から実施範囲を大幅に拡大すると発表した。これまで裁判員裁判の対象事件や特捜部などによる独自事件で試行してきたが、これを原則実施に切り替える。さらに、容疑者を逮捕する事件全般に試行の対象を広げ、供述調書の信用性が裁判で争点になると検察が判…続きを読む」
 
━━━毎日新聞:主要ニュース
取り調べ可視化:拡大 検察改革、目撃者聴取も対象
「検察の取り調べの録音・録画(可視化)について、最高検は18日、罪名に関わらず、供述が立証の中心となる事件の容疑者の取り調べと、犯罪被害者や事件の目撃者などの事情聴取を、新たに試行の対象に加える方針を明らかにした。裁判員裁判の対象事件や特捜部の独自捜査事件など、以前から試行対象としてきた事件は「本格実施」に移行する。全国の地検に通知を出し、10月から実施する... 続きを
読む」
 
しかし、この「取り調べ可視化 対象拡大」は、日弁連執行部との「裏取引」の結果としての「可視化の対象拡大」でしかなく、本日のメディアの報道は一斉にこの問題の「本質」を覆い隠す役割しか果たしていません。
 
本日のメディアが一斉報道する(おそらく法務省及び検察のリーク)この「取り調べ可視化の対象拡大」のマヌーバ性(ごまかし)と「裏取引」の問題性については札幌市在住の猪野亨弁護士がその問題点の本質を厳しく指摘し、指弾しています。以下をご参照ください。
 
「日弁連執行部は狂った」とまで弾劾する猪野亨弁護士(北海道・札幌)の激しい日弁連執行部批判 ――通信傍受に賛成しようとする日弁連執行部 刑事司法改革で最大の汚点(弊ブログ 2014.06.16)
 
「日弁連執行部は狂った」とまで弾劾する猪野亨弁護士の追撃 ――法務省が可視化に向けた独自案 日弁連執行部が事務当局試案に賛成する理由は全くない(弊ブログ 2014.06.17)
 
以下、昨日の記事に続く猪野亨弁護士の「日弁連執行部」批判追撃記事です。
 
法務省が可視化に向けた独自案 日弁連執行部が事務当局試案に賛成する理由は全くない(弁護士 猪野 亨のブログ 2014/06/17)
 
先般、「通信傍受に賛成しようとする日弁連執行部 刑事司法改革で最大の汚点」で述べましたが、日弁連執行部は、「法制審議会-新時代の刑事司法制度特別部会」で示された事務当局試案に対し、通信傍受の対象拡大など捜査権限を焼け太りさせ、取り調べの可視化自体も極めて不十分なものであるにも関わらず、全体として「賛成」しようとしています。
 
その理由は、繰り返しになりますが、今、日弁連がこの事務当局試案に反対したら取り調べの可視化を義務づけることそのものが頓挫するというのが、日弁連執行部の言い分です。
 
これだけでも成果が出たんだから、今は何としてもこれを実現しなければならない、そのためには捜査権限の拡大などの焼け太りもやむを得ないというのです。
 
前回、ご紹介した「インチキ可視化と引換に日弁連執行部が盗聴拡大を丸呑み! 日弁連執行部の裏切りと屈服を許すな! 」(ろーやーずくらぶ 増田尚弁護士のブログ)には、日弁連執行部の露骨な本音が紹介されています。
 
肉や野菜だけでなく、毒まんじゅうも出されている。肉や野菜しか食べないというわけにはいかない」(宮﨑誠の4月日弁連理事会での発言)などと世迷い言を吐いたり、反対すれば可視化の足がかりもなくなる上、さらにひどい案が実行されてしまうなどと恫喝して、理事に白紙委任を求めています。
 
その日弁連執行部の権力的発想を見事なまでに表現されています。
 
あたかも権力とネゴをして調整をするなど政治家まがいの立ち回りをするから、俺様の手柄を台無しにするのかなどと権力的な思考に陥るのです。
 
日弁連執行部が権力に取り込まれていく様子がよくわかります
 
ところで、法務省が可視化に向けた独自案を提案することが昨日、報じられました。
 
可視化、検察独自捜査にも義務付け…法務省案」(読売新聞2014年6月17日)
警察と検察の取り調べの録音・録画(可視化)の法制化を検討している法制審議会(法相の諮問機関)の特別部会で、法務省は、裁判員裁判対象事件に加え、検察の独自捜査事件でも可視化を義務付ける案を提示する方針を決めた。
 
背景としては、当然のことながら、捜査当局、法務省もある程度の可視化の義務化はやむを得ない、今、ここで一切を拒否することは国民世論やマスコミから叩かれることは必至です。
 
だからこそ日弁連が事務当局試案に反対しようとも、この程度の可視化の義務化が頓挫することは絶対にないのです。
 
百歩譲って、「棄権」という選択肢だってあるわけです。
 
日弁連が「賛成」しなければならない理由がどこにあるというのでしょうか。
猪野亨弁護士(札幌市在住)が「日弁連執行部は狂った」とまで強い言葉で激しく日弁連執行部を批判しています。猪野亨弁護士の以下の指摘はきわめて重要だと思います。
 
猪野亨弁護士ならずとも、全国のすべての良心的弁護士、また、ひとりの市民としても、この日弁連執行部の「狂った」さまをこのまま看過し、また、放置してよいはずがありません。
 
私も「日弁連執行部」という体制と「保守政治」という体制に追随する「外套」(ゴーゴリ)的小市民弁護士に対する強い異議と弾劾の意志をもって猪野弁護士のブログ記事を転載させていただこうと思います。
 
 
今、現在、「法制審議会-新時代の刑事司法制度特別部会」において刑事司法手続きのあり方について審議されています。
 
このような審議会方式は最初から御用学者などを集めて政府に都合のよい答申を出させるための仕組みですが、ここでも極めて捜査当局に都合のよい答申が出されようとしています。
 
2013年1月25日に「時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想」(PDF)が公表されました。
 
ここには取り調べの可視化については、捜査当局の事実上の裁量を認めるような骨抜きのものとなり、他方で通信傍受の対象拡大や司法取引、被告人の虚偽供述の禁止など捜査当局に有利になるものばかりが並びました。
 
そして、その基本構想を元に審議が行われた結果、出されたのが本年4月30日の「事務当局試案」(PDF)です。
 
ここで出された主な内容は以下のとおりです。
 
1 取調べの録音・録画制度
A案 裁判員制度対象事件を対象事件とする。
B案 裁判員制度対象事件に加え、それ以外の全身柄事件における検察官の取調べも対象に含める。
2 司法取引
(1) 捜査・公判協力型協議・合意制度
(2) 刑事免責制度
3 通信傍受の合理化・効率化
(1) 対象犯罪の拡大
(2) 特別の機能を有する再生・記録装置を用いる傍受
(3) 通信事業者等の施設における通信内容の一時記録を伴う傍受
4 被疑者国選弁護制度の拡充
5 証拠開示等
(1) 証拠の一覧表の交付制度
(2) 公判前整理手続の請求権
(3) 類型証拠開示の対象拡大
6 証人の保護
(1) ビデオリンク方式による証人尋問の拡充
(2) 証人の氏名及び住居の開示に係る措置(非開示の制度化)
(3) 公開の法廷における証人の氏名等の秘匿
7 被告人の虚偽供述の禁止
 
これによって日弁連執行部からは、いよいよ取り調べの可視化の義務化が実現できるということが宣伝されるようになりました。
 
そして、今、日弁連執行部は、この事務当局試案に対し、一括して「賛成」を表明しようとしているのです。
 
ところがその中には従来より反対を表明し続けてきた通信傍受の対象拡大も含まれていますが、何故か日弁連執行部がこのような問題のある通信傍受の対象拡大にまで賛成しようとしているのです。日弁連執行部は狂ったとしか言いようがありません。
 
経緯からいえば、5月7日から9日かけて行われた日弁連理事会では、執行部が事務当局試案への対応に対する批判が多数出され、日弁連執行部は6月19日の理事会で再度議論するために単位会に持ち帰って検討してくるように述べていました。結論は6月19日の理事会に持ち越されるはずでした。この時点では未だ日弁連の正式な機関での承認手続きはありません。
 
むしろ、通信傍受の対象拡大に反対する意見などが昨年1月に理事会で承認されています。
 
 
それにも関わらず通信傍受の対象拡大するような事務当局試案に賛成するためには日弁連執行部は理事会の承認を得なければならいのは当然のことです。
 
理事からの批判が多数、出たことから、急きょ、日弁連執行部は、6月6日、日弁連の方針(案)を次期理事会の議題として提案してきました。
 
「承認・執行前につき取り扱い注意」とあるので、一応、ここでは本文そのものは掲載しませんが、要するに日弁連執行部に最終判断権を委ねることを承認せよ、というのです。
 
この意味するところは自ずと明らかです。日弁連執行部は、事務当局試案に賛成したいのです。
 
日弁連執行部が繰り返し、述べてきたことは、ここで事務当局試案に対し、日弁連が反対すれば、長年の悲願であった取り調べの可視化が頓挫しかねないというものです。
 
しかしながら、審議会内部には、弁護士の幹事(日弁連枠と思われます)、委員がいますが、それら幹事、委員がこぞって反対したとしても、最初から数で負ける審議会ですから、体制に影響は全くないのです。
 
それにも関わらず、日弁連執行部がこのようなデタラメな根拠を主張して事務当局試案に賛成したいのは、法務省(検察庁)との間で、バーターが成立しているからです。要は裏取引です。
 
そのような裏取引を示す事情は、マスコミ報道から漏れ伝わってきます。
 
朝日新聞2014年2月15日付では、日弁連側から取調べの可視化については警察を除外することを提案した報じられています。
 
 
この日弁連の提案も会員には知らされないまま独断専行され、報道によって知り得たものですが、日弁連執行部は少なくともこの時点でバーターを考えていたことは明らかです。
 
日本弁護士連合会(日弁連)は14日、対象から警察の取り調べを暫定的に除外し、検察の取り調べを先行させる案を示した。捜査機関側の慎重姿勢で、「法制化が前に進まない」との危機感が背景にある。」と指摘されています。
 
そうしているうちに何と、産経新聞が「通信傍受捜査の対象犯罪、拡大が確実に 法制審」(2014年6月12日)と報じました。
 
捜査と裁判手続きの改革を議論する法制審議会(法相の諮問機関)の刑事司法制度特別部会が12日開かれ、法務省が前回示した試案に基づき、電話やメールを傍受する盗聴捜査ができる対象犯罪の範囲の拡大などについて議論された。これまで拡大に反対していた弁護士会側の委員が、振り込め詐欺と組織的窃盗犯罪に限る形で対象拡大を容認したため、改革案に対象犯罪増が盛り込まれることは確実とみられる。
 
「弁護士会側の委員」が通信傍受の対象の拡大に「限定」付で容認したと報じられているのです。
 
この「弁護士会側の委員」が誰なのか。
 
翌日の6月13日付朝日新聞では、次のように報じています。
 
 
「日本弁護士連合会副会長の神洋明幹事も、「振り込め詐欺や外国人窃盗団のような組織窃盗以外への拡大には反対だ」とされており、要は限定であれば容認という姿勢を示したということなのです。
 
日弁連副会長たるものが独自の見解を審議会で述べてくるはずもなく、日弁連執行部のゴーサイン(了承)がなければなしえないことです。
 
要は6月19日に始まる日弁連理事会を前に日弁連執行部は、事務当局試案に賛成するという既成事実を作り上げてしまったのです。
 
日弁連たるものがこのような暴挙を行ったのです。既成事実を作り上げることによって反対する理事たちを屈服させようというのです。
 
このような日弁連執行部が、先の方針(案)が取り扱い注意などとよくも言えたものです。
 
しかも、日弁連執行部が独断専行によって得ようとした取り調べの可視化も実はザルであり、ほとんど実効性のないものです。
 
前述したとおり、事務当局試案は捜査当局の事実上の裁量を認めており、他方で、実は検察庁は先行して可視化を実施する段取りを表明していました。
 
 
可視化拡大のきっかけの一つは、可視化の制度設計を検討している法制審議会特別部会での議論。今年3月の会合で、最高裁の委員が、容疑者の供述がカギとなる事件を想定した上で、「可視化していなければ、供述の証拠能力について、検察に今より重い立証責任が負わされる」と指摘した。
 
既に検察庁では、骨抜き可視化を具体化する段取りをしているのです。しかも、検察当局に有利に働くようにするための可視化としてです。
 
これで本当に日弁連執行部のいうバーターになるのでしょうか。
 
前掲朝日新聞の記事によれば通信傍受の対象の拡大は10種類も追加になるというのです。そのようなものを日弁連執行部が賛成するのか反対するのかが問われているのですが、神日弁連副会長は、批判しているようですが、最終的には賛成するものと思われます。なぜなら、これまで日弁連執行部は、あくまで今、この事務当局試案に反対すれば可視化が頓挫するということを根拠にし、しかも当時の「時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想」からほとんど前進の見られない可視化案でありながら、法務省(検察庁)とバーターという密約を結んでいることから、既に「賛成」という選択肢しか残っていないからです。
 
これだけザルの可視化で日弁連執行部は妥協し、他方で通信傍受などの捜査当局の権限の拡大を認めるのですから、批判が起きて当然です。
 
朝日新聞は、「全事件の可視化「日弁連主張を」冤罪被害者ら要請」(朝日新聞2014年6月14日)と報じています。
 
刑事司法改革の議論の柱となっている取り調べの録音・録画(可視化)について、冤罪(えんざい)事件の被害者らが13日、日本弁護士連合会を訪れて「全事件・全過程の可視化」を強く主張するように要請した。日弁連は冤罪被害者らとともに全面可視化を訴えてきたが、「妥協案」にも理解を示しているため、異例の批判となった
 
当たり前のことです。冤罪被害者たちにとっては日弁連の対応は裏切りにしか見えません。
 
日弁連執行部が権力に擦り寄り、刑事司法制度改悪に加担した汚点は将来に渡って消えることはありません。
 
参考
谷垣法務大臣が今日の閣議後の記者会見で袴田さんの再審=裁判のやり直しが認められ、釈放されたことについて、「環境の激変をうまく乗り越えてもらいたい」という大道徳者か偽善者の訓示のようなものを述べたそうです。

法相「環境の激変 うまく乗り越えて」(NHK 2014年3月28日)

以下は、辺見庸の感想。
 
「法務大臣が袴田事件再審開始と袴田さん解放についてコメントし、がんばって社会復帰するように、とかなんとか言ったらしい。自己と国家を同一視している者は、恥の感覚を欠く。個として詫びるということを知らない。むしろ哀れだ。袴田事件はわたしに、隠棲と隠遁、彽徊趣味のナンセンスをあらためておしえている。」 (辺見庸「日録11」2014/03/29)
 
再度、辺見庸の言葉を借りれば、この手合い、「世の中の裁定者面をした正真正銘の、立派な背広を着た糞バエ」(『いまここに在ることの恥』 毎日新聞社)というところか。
 
袴田さんを48年間も拘禁していた責任者は、谷垣氏よ、あなたをはじめ歴代の法務大臣ではなかったのか。
 
こういうやつらによっていまも政治は形成されている。

言うべき言葉もない。
 
ちなみにこの御仁、駆け出し議員だった1986年には中曽根内閣が提起した国家秘密法案には反対を表明したが、安倍内閣が提起した特定秘密保護法案には賛成した。そして、天下の悪法の特定秘密保護法案は昨年12月6日に成立した。
袴田巌さんは48年もの間よく生き延びました。いや、よく生き延びてくれました。いま、これ以上のことを言う言葉は私にはありません。
 
逮捕から48年 袴田さん釈放(NHK 2014年3月27日 18時18分)
 
袴田事件:袴田巌元被告が東京拘置所から釈放
(毎日新聞 2014年03月27日)
 
この3月31日には福岡地裁で「飯塚事件」の再審の可否を決める決定が言い渡されます。
 
飯塚事件:再審可否31日に決定 福岡地裁(毎日新聞 2014年03月17日)
 
久間三千年さんはすでに死刑を執行(国家の殺人)されて故人になっておられますが、久間さんと久間さんのご遺族の無念をなんとか晴らせる決定であって欲しいものです。
 
この飯塚事件については私もちっぽけな記事を書いています。
 
■「今、死刑制度を考える~冤罪事件を通して」(九州弁護士会主催)という講演会とシンポジウムに参加して~岩田務弁護士のこと、徳田靖之弁護士のこと 附:辺見庸「8/31講演についての若干の想い」(弊ブログ 2013.07.26 )

また、澤藤統一郎弁護士も今日づけで袴田さん釈放についての記事を書いています。

同弁護士が「弁護士を志したきっかけのひとつに冤罪や再審事件を手がけてみたいという気持ちがあった」ということです。「50年前の学生時代に、誘われて「松川研究会」という松川事件支援サークルに籍を置き、そこでの学園祭に、冤罪や再審事件をテーマとした企画を行ったことがある。正木ひろしさんをお呼びして講演していただいたことをなつかしく思い出す」。
 
冤罪を訴えるわが声 天地にひびけ
(澤藤統一郎の憲法日記 2014年3月27日)

ご参照ください。

以下、2、3日経てばなくなってしまうでしょうから参考としてNHKの記事のみ貼りつけておきます。