キョウ でんつう

Blog「みずき」:「今日の言葉」は朝日新聞の高橋純子記者の電通批判記事(おそらくこういう形でしか電通批判は書けないのでしょう)。高橋さんは現在は同紙の政治部次長をつとめる腕利きの記者です。売れっ子記者と言ってもよいかもしれません。なかなか読ませる記事を書きます。今回も「女子力」のある記事を書いて読ませます。なお、ひとこと。高橋記者は男性が使う「女子力」という言葉は嫌いなようですが、それを知って私はわざと尊敬半分、批判気分半分という意味で「女子力」という言葉を使っています。また、「批判気分」と書いているのは、批判するまでには私は彼女の思想の正体をつかみきれていませんが、なんとなくその思想の中途半端さが気にかかる、という程度の意味です。しかし、総体として私は高橋記者を評価しています。


【男たちよ。女を「女子力」という言葉でくくるな】
会社を出て家路につく。10月某日、つくづくツイてない一日だったとため息をつく。イヤミな同僚を思い出して脳内で毒づく。それにしても今日はやたら人が目につく。何事か。いま何時だ? 21時58分。ああ。ここは電通本社から駅までの道。新入社員の過労自殺、労災認定、22時の一斉消灯、本社出口の混雑。自死した彼女がこの光景を見たら、どう思うだろう。たぶん、悔しいよね。他人だけど、私も悔しいし。奥歯をかみしめタッタカ歩く。冷蔵庫にはホウレン草、子どもの夜食を作らねばならない。

すさまじい労働時間もさることながら、過労自殺の報に触れ胸がふさがれたのは何より「女子力」という言葉だ。「男性上司から女子力がないと言われる」。彼女はツイッターに、こんな書き込みをしていたという。女子力。女性が自分で使っている分には、ある種の諧謔を含んで自身を鼓舞する言葉となるが、男性に使われると物差しとなり、上司に使われると途方もない抑圧となる。パワハラとかセクハラとか、分かった気にはなりたくないから名札はつけない。ただただ、そう言われた時の、彼女の衝撃と絶望を思う。エントリーしていない試合のリングにいつの間にか上げられ、勝手に期待されたり批判されたりする。若い女性の生きづらさは、働きながら子どもを育てている人、とりわけ母親への抑圧とどこか似ていて、相互に絡み合っていると感じる。働きながら子育てして立派ね。でもやっぱり子どもにはお母さんがたっぷり愛情を注がないとね――。「あなたの育て方ひとつでお子さんの未来は変わります」。言う方は「可能性は無限大」ぐらいのつもりかもしれないが、言われた方にとっては脅しに近い響きを持つ。自分では頑張っているつもりでも、正しいのか間違っているのかわからない。「こうした方がいい」「それじゃだめだ」という人は多くいるが、「それでいいんだよ」と言ってくれる人は驚くほど少ない。どこまでいっても正解が見えず、出口はどこだと途方に暮れる感じ。そこに政治が、追い込みをかけてくる。

自民党が来年の通常国会に提出を予定する「家庭教育支援法案」(仮称)は、子に「生活のために必要な習慣を身に付けさせる」「国家及び社会の形成者として必要な資質が備わるようにする」などを基本理念におく。2007年には、政府の教育再生会議の中で一時、子育て提言を出す動きもあった。「保護者は子守唄を歌い、おっぱいをあげ、赤ちゃんの瞳をのぞく」安倍政権は女性が輝く社会、一億総活躍社会をうたう。施策はずらりと並び、数値目標は高らかに掲げられている。だけど輝くには、この社会の酸素はあまりに薄い。酸素濃度をあげ、誰もが息をしやすい社会をつくる、そのために政治はあるのではないか――しまった。ホウレン草がしなびている。根切りして水に差して、復活を待つ。(
高橋純子 朝日新聞 2016年11月13日

【山中人間話目次】
・米国大統領選 トランプ当選の衝撃(19)――総右傾化したニッポン社会。鬼原悟さん(「アリの一言」主宰者)の日米軍事同盟をタブー視するニッポンのメディア、「学者」、「識者」、政党の総批判
・米極右政権始動。凍りつく。また、別の冬の時代が始まろうとしている
キョウ さんや

Blog「みずき」:あるメーリングリストに流れてきた色平哲郎さんの自己レスに目がとまりました。「これはマザーの現代日本へのご指摘。以下、親しい牧師さんから:ネパールを旅したとき、ガイドさんに訊きました。『ネパールにはホームレスは居ますか』答え『ハウスレスはいっぱいいますが、ホームレスはいません。寝る所と、食は家族、親族、友人、地域の誰かが提供していますから。』ハウスはなくても、ホームはあるわけです。現代日本の悲劇はホーム喪失です」。なんの自己レスかといえばマザー・テレサが山谷地域を訪れたときに残した言葉の紹介の自己レスです。マザーの言葉は次のようなものでした。

この世で最も貧しいことは、飢えて食べられないことではなく、社会から捨てられ、自分なんてこの世に生まれてくる必要がない人間であると思うことです。その孤独感こそが、最大の貧困なのです。日本にもたくさんの貧しい人たちがいます。それは、自分なんて必要とされていないと思っている人たちのことです」(
色平哲郎 2016年6月4日)。短い文章ですのでこの言葉をもう少しふくらまそうと思って「今日の言葉」として引用しているのが以下の吉本隆明との対談の中での辺見庸の山谷に関する言葉です。

【彼らはしきりに歩く】
彼らはしきりに歩くんです。途中でも旅館なんかには泊まらずに。また路上生活、アオカンと言いますが、冬場は非常に厳しくて、一週間続ければ病気になると言われています。にもかかわらずこの冬空の下で寝ている。彼らをドヤ(簡易宿泊所)や病院に収容しても、不思議なことに一ヵ月もするともう出たいという男もいるんですね。屋根と暖房があればよさそうなもんだけど、屋内にいる方がどんどん体調が悪くなってゆく。それが路上生活に戻ったとたんに元気になったりするんですね。一月の寒さの中、路上で朝から酒を食らってひっくり返っていて、午後見てもまだひっくり返っていて、このおっさんもう死んじゃうんじゃないかなと思ってどきどきするんだけど、次に日にはちゃんと立って歩いていたりする。私はそういうのを何度見ても、不思議な感動を覚えるんですね。こういう風景は語れば尽きないんですけれど、どうも山谷にホームレスが集まって来るのは、単に景気が低迷しているからとか、企業でリストラが進んでいるからという経済的理由だけではないものを感じるんですね。もっとメンタルなものも理由ではないかと思うんです。さらにいえば、この時代の人間とはこういうものではないか、いわば国家とか、家族とか、会社による束縛を、心底嫌がっているんじゃないか。それらからすべて抜けて「無」になりたがっている者もいるんじゃないか、と。(略)

最近、彼らとの関わりの中で、ほんとに人とも言えないような、土の中から生まれてきたような人間を抱き起こす作業をしたことがあるんです。裸足でしてね。ベルトのかわりに腰に針金巻いて、そりゃひどい臭いです。まだこの手や胸の中に感触が残っているんですが、そのとき感じたのは、憐憫でも同情でもないんですけどね、ある種のいとおしさなんです。まったくの負として、そのように生きているといういとおしさですね。じゃあ、負でない世界にどんな意味があるというのか、私は山谷に行く以前は都心で暮らしていましたが、そこには果たして根腐れはないのか。この消費資本主義の中で根腐れがないかというと、隠蔽しているだけで、地下茎部はもっとひどいかもしれない。少なくとも私は、きんきらきんのビルから出てくるスーツ姿の男女にいとおしさを感じたことはありません。いま、健全に見せかけているものって、すべていかがわしいと思います。私は宗教者ではありませんけど、人間が神に似せて作られたのだとしたら、彼らの方がわれわれより神に近いのではないかとまで考えました。戦後社会の矛盾を矛盾として額面どおり身体で受け止めてしまっている人間たちに、私は不思議なプラスの要素を見たんです。(吉本隆明と辺見庸の対談集『夜と女と毛沢東』(文藝春秋 1997)から
キョウ キリ

高世仁:雑誌を片付けていたら、東田直樹さんの特集号が出てきて、ぱらぱらめくっていたら引き込まれて読みふけってしまった。東田さんは23歳。「会話のできない重度の自閉症。パソコンおよび文字盤ポインティングにより、援助なしでのコミュニケーションが可能」とプロフィールにある。数年前、彼の文章を読んで感動し、自閉症というものへの認識をあらためさせられた。彼は日本より海外で知られていて、「2013年7月に発売されたイギリス版「自閉症の僕が跳びはねる理由」は、(略)イギリスのアマゾンUKでは、発売前からすでに6千部の予約が入っており、ベストセラー・リストでも1位に入る。引き続きアメリカ、カナダで出版され、10万部を突破し、話題になる。現在、世界20か国以上で翻訳、出版されている。」

【自閉症の私が、この社会で存在する意味】
東田さんは、自閉症である自分について、こう書いている。
キョウ 晩秋の早朝

【行政の想像力の貧困と母子心中事件】
千葉県銚子市の県営住宅に住む母子が賃料滞納のために民事裁判を千葉県から起された。裁判所に出頭しなかったため即刻立ち退けとの判決が出された。進退きわまった母親は、自らが自殺することで、中学2年の娘を公的な保護に委ねようと考えた。2014年9月24日の強制執行当日に自殺する計画をひそかに立て、それまでを娘と一緒に過ごす時間とした。
ミソハギ 
ミソハギ

【今回の派遣法改正は逆の方向を向いている】
いま国会で問題になっている派遣法改正。厚労省の富田望課長が、「
派遣労働は期間がきたら使い捨て、モノ扱いだった」が、今回の改正で「ようやく人間扱いするような法律になってきた」と述べたという。「実際、私たちはモノ扱いされています」。こう壇上で訴えたのは、派遣で働く56歳のシングルマザー。今の派遣先で15年間、一般OLと同じ仕事をしてきた。3ヵ月毎の更新を繰り返しながら、多くの女性正社員よりも長く働き続けてきた。それでも派遣となると、正社員との格差は2倍。正社員がもらえる退職金も、交通費もなし。忌引きさえない。「私にも親兄弟がいます。何かあれば行き来したいのが人情です。」パワハラを上司に訴えると、「そんなにつらかったら、死ぬ方法もあるよな」とまで言われたという。彼女にとっては、いまの働き方は「不本意就労」だが、では、改正でよくなるかというと、職自体を失うことになるという。この改正案では、同一の事業所における派遣労働者の継続的な受入れが、3年が上限となるのだ。「先月末、社長から、派遣法改正で、3年後にはやめてもらうと言われました。3年後は59歳。職が見つかるあてはありません。労働者にとって仕事を奪われるのは死刑宣告のようです」。これは、きょうの「東京法律事務所60周年記念セミナー」での訴えだ。テーマは、派遣法改正を控えて「非正規雇用~もう無権利のままにはしない」。200人を超える参加者が熱心に訴えに聞き入った。派遣法改正をめぐっては、国会での駆け引きが山場を迎えている。(略)最近、子どもの貧困や母子家庭の困窮の問題が取りざたされているが、格差が小さいとされてきた日本社会の様相が変わってきたような気配だ。非正規雇用はすでに38%を超え、女性では過半数になっている。非正規雇用は、まず、いつ職を失うか分からないという「雇用の不安定」、そして労働条件が劣悪で、とくに賃金が安いという二つの問題がある。一見、これは経済の問題のようにみえるが、「人間の尊厳」を奪われるということなのだ。郵便局で働く非正規がこんなことを言った。同じ制服で、同じ仕事をしているのに、賃金も手当ても圧倒的な差がある。差別のなかで仕事をしていると、心も曲がってしまう。「雇用の安定」、「同一労働同一賃金」が求められているなかで、今回の派遣法改正は、逆の方向を向いている。廃案にすべきだ。(高世仁の「諸悪莫作」日記 2015-06-16

【補遺1 私は、この大学の姿勢に、ひとを大切にする理念を見た】
大学についてFランクなどと言うべきではない。受験の偏差値が50前後の大学で長年非常勤講師をしたが、学生たちが良識ある市民となるために授業に工夫を凝らすことは、何ら無駄ではないし、大学が一丸となってそれに取り組む限り、必ず成果を挙げるのである。ただし、その大学の教員が学生のレベルの低さをあげつらうならば、学生は勉学意欲を失い、大学は自滅への道を歩む。長年非常勤講師を務めた大学で、4年次の学生さんが自ら命を絶った。無念なことに病のゆえであった。その後、大学の教務の責任者から連絡があった。先生の科目が合格となればこの学生を卒業認定できるのですが。大学としては、なんとかこの学生を卒業とさせたいと率直に言ってきた。リポートの行間に何が読み取れるかを真剣に考えた。手書きのリポートは、その学生が全力を振り絞って書いていることが伝わるのだが、普通に読めば支離滅裂であった。私は合格にした。ただし、他の学生と評価に差をつけるわけにはいかないから、その学期に限り不正がない限り全員を合格にした。成績評価の客観性には反しているが、私は、この大学の姿勢に、ひとを大切にする理念を見た。単に偏差値やランキングでは見えないところに教育の本質があると私は思う。教育の成果を数値化しろ、大学の成績も相対評価にしろ。国立大学に勤務していたころ、そういう指示を幾度も受けたが、私は納得できないのである。教育は、教えている教科だけの達成度で測るべきものではないと思うからである。(
内藤正典Twitter 2015年6月17日

【補遺2 本当の敵は大学の中にいる】
 
東京地裁はいわゆる「黒子のバスケ事件」についてこの8月21日、以下のような懲役4年6月の実刑判決を下しました。
 
人気漫画「黒子のバスケ」を巡る連続脅迫事件で、威力業務妨害罪に問われた元派遣社員、渡辺博史被告(36)に対し、東京地裁は21日、求刑通り法定刑の上限に当たる懲役4年6月の実刑判決を言い渡した。前田巌裁判長は「動機は理不尽極まりなく、同種事件でも類例を見ないほど重大で悪質」と述べた。判決は動機を「作者の学歴や、漫画家としての成功に対する妬み」と認定。イベントが中止されたり、関連商品が撤去されたりしたことから「影響が広範囲で、経済的損害も莫大」と指摘した。さらに「マスコミに犯行声明を送るなど自己顕示欲を満たす行動に終始した」と批判。公判で渡辺被告が「反省する気はない」と話したことにも触れ「くむべき点(情状)など一切ない」と述べた。渡辺被告は公判で、「小学生の時いじめられていたが、周囲が助けてくれなかった」と振り返り「自分の人生は汚くて醜くて無残」などと語っていた。判決後、交流のあるジャーナリストを通じ「想定通りで、特別な感慨はない。刑務所に4年以上も住まわせていただけることが決定したことを喜んでいる」とのコメントを出した。判決によると、渡辺被告は2012年10月〜13年11月、作者の藤巻忠俊さんの出身校である上智大(東京都千代田区)の体育館に硫化水素を発生させたプラスチック容器を置くなど、8件の事件を起こした。(「『黒子のバスケ』脅迫:実刑、懲役4年6月『「動機は理不尽』−−東京地裁判決」毎日新聞 2014年08月22日)

以下は、その報道を読んだ私の感想です。
 
私の知る限り、判決に「類例を見ないほど重大で悪質」「くむべき点(情状)など一切ない」などとあるのは、裁判所が検察の求刑どおりの刑期を言い渡すときの常套文句です。すなわち、紋切り型の判決文。裁判長よ。あなたは「黒子のバスケ」裁判被告人の「冒頭意見陳述」を読み得たか。もちろん読んだのでしょうが、読んだ上で「くむべき点(情状)など一切ない」などと言うのであれば、あなたは「文章読解力」など一切ない人だ、と断言せざるをえません。判決文には被告人の心理に寄り添おうとするひとりの人間としての意気はもちろん、被告人が犯罪を犯すに到る心理への裁判官としての洞察力も微塵も見られません。こうした裁判官の薄っぺらな人間観察力で人が安易に裁かれてしまう。そうした釈然としない思いは決して私だけのものではないでしょう。
 
8月22日づけの「今日の言葉」を正式エントリとして本欄にも留めておきます。
藤原新也さんが「時代風景の中における片山祐輔について考えてみる」(Shinya talk 2014年5月21日付)という記事を書いています。とても共感しました(特に「13年前のある日の夕刻」の「時代風景」の話)ので以下に転載させていただこうと思います。
 
その前に片山祐輔被告人弁護人の佐藤博史弁護士の昨日の記者会見での言葉をご紹介しておきたいと思います。ビデオニュース・ドットコム(神保哲生代表)のブログ(2014年05月20日)から。この佐藤弁護士の言葉にも胸を打たれました(前日の記者会見での佐藤弁護士の「レイバーネット」云々の言葉には批判もあるのですが)。
 
「片山氏から申し訳ありませんと言われたが、裏切られたという否定的な感情は沸かなかった。私たちを解任して国選の弁護人にしたいと言っていたが、私は見捨てたりはしないと伝えた」
 
「これは弁護士をしていれば必ず起きること。それで被疑者を非難するようでは弁護する資格はない」
 
時代風景の中における片山祐輔について考えてみる
(藤原新也 2014/05/21)
 
皇居にロケット砲を撃ち込んで(省略)を始末する地下鉄霞が関駅でサリン散布する(省略)裁判官と(省略)弁護士と(省略)検事 を上九一色村製AK47で射殺する(省略)病院爆破する(省略)小学校で小女子喰う(省略)を去勢して天皇制断絶(省略)の閉経マンkにVXガス注射してポアする(省略)店に牛五十頭突っ込ます(省略)will be killed just like her father.今度の土日、桜田門前で皇居ランナーを辻斬りする。邪魔な皇居ランナーを桜田門前で無差別殺人します。刃渡り30センチのナイフで斬りまくります。あと天皇もぶっ殺す。警官も殺します。よろしくお願いします。下賤で汚らわしいクソゴキブリのドエッタどもは1秒でも早く死ね!滅びろ!呪われた屠殺者の末裔どもめ。お前らは日本社会の、アジアの、世界の、宇宙の迷惑害虫だからさっさと殺してやるよ。入船のお前ら糞虫の巣を爆破してやる。爆発と同時に硫化水素が発生する爆弾だ。一匹残らず死ね!!!
 
片山祐輔が小保方銃蔵の名前でマスコミ各所に送りつけた「私が真犯人」メールを彼自身が書いたとわかった今、その長いメールの中の部分は、かりに偽悪気取りで書いたにしろ、そこには片山祐輔というあの温厚な表情の青年の心の裏に眠る時代風景が見えるようでもある。
 
神戸連続児童殺傷事件( 酒鬼薔薇聖斗事件 ) 。
 
西鉄バスジャック事件 。
 
岡山金属バット母親殺害事件。
 
秋葉原通り魔事件。
 
取手駅通り魔事件。
 
そしてこのトークでも取り上げた名古屋駅の交差点の歩道で歩行者13人をはねた大野木亮太。
 
いずれも昭和57年(82年)生まれである。
 
この年代は小学校入学時はバブル全盛、 小学校上学年から中学校に入学に至る多感な時期に阪神淡路大震災、オウム事件 といった世間を震撼させる大事件に直面している。
 
学年が上になればなる程、景気が悪化。失われた10年と言われる時代に 小学校・中学校・高校時代を過ごし、青年になってからはワーキングプアの坩堝に投げ入れられる。
 
当然この年代には立派な青年もいるわけだが、上記の怨念に満ちたメールを読むと秋葉原事件の加藤智大や名古屋の大野木亮太など同様、現代の奴隷制度の中から立ち現れたモンスターという側面もあるように感じる。
 
文面の中に彼が少年時代に経験したオウム真理教事件も色濃く反映しているように、そういった時代風景を背負った年代の青年が道を誤るか正道を歩むかは、ある意味で個人的ななんらかの分岐点があるのだろう。
 
そういった観点からすでに昨年のトークで彼にまつわる感想をしたためているので再録したい。
 
 
遠隔操作ウイルス事件。
 
片山祐輔容疑者(30)は無類の猫好きだったらしい。
 
この案件、Cat Walkと関係あるようなないような。
 
メンバーの皆さんの中には鼻をつまれる人も居るかもしれないが、私は彼をCat Walkのメンバーに入れてもよい、と思った。
 
いくつかの情報を繋ぎ合わせるに、小学時代から今まで彼は世間から疎外された人生を送って来たようだ。
 
そういった人間が何らかの事件を起す。
 
昔からよくあるパターンである。
 
江ノ島の猫につけた首輪に仕込んだそのチップの中にも自分の人生があることで大きく軌道修正されたという恨みのようなものが書かれているらしい。
 
そんな彼の人生とその風貌を窺いながら13年前のある日の夕刻、渋谷ハチ公前広場での胸の悪くなるような小さな出来事を思い出す。
 
私のそばにいる4人の女子高生が雑踏の向こうを指をさしながら笑いころげていた。
 
何事かと、その指さす方を見ると5、6メートル離れた雑踏の向こうに同じ年代と思える一人の私服の少年がいた。
 
私はてっきり、女子高生とその少年は知り合いだと思ったのだが、どうも様子がおかしい。
 
指さされた少年は女子から干渉されたことに一旦ははにかんだ表情を見せるのだが、それはやがて青ざめた真顔へと変わる。
 
女子高生が口々に大きな声で仲間と顔を見合わせながら「キモーい!」と言ったのだ。
  
どうやら少年と女子高生は赤の他人のようだ。
 
少年は小太りでちょっとオタクっぽかったが、私には別段指をさされるほと変わった人間には見えなかった。
 
だがこういった年代には独特の嗅覚というものがあり、その嗅覚の投網に引っかかったということかも知れない。
 
少年は青ざめた表情で身を隠すように雑踏の向こうに消えた。
 
残酷な情景だった。
 
私は「てめえの方がキモいだろう、帰ってちゃんと鏡を見ろ!」と毒づいた。
 
女子高生は私に何かされると思ったのか、口々に奇声を上げながら交差点の向こうに走って行った。
 
 
思うに逆算すると片山容疑者はあの八公前の少年とほぼ同じ年齢である。
 
30歳にしてすでに頭は薄く、その面がまえも中年のように見受けられる彼が、その30年の年月の中で(あの女子高生が見せたような)数々の残酷な排除の仕打ちを経験したであろうことは想像に難くない。
 
だから他人のパソコンから逮捕に至るような危険な暴言を世間に撒き散らしてもよいということにはならないのは自明だが、世間から排除されてきた彼には、その痛みをすくいとる何らかの装置があったなら少しは健全な精神を回復できたのではないかと思ったのだ。
 
彼がCat Walkのメンバーであったなら、と思った所以である。
 
野良猫に餌をやったりする行動、そして猫カフェで猫を抱く彼の表情を見るに、彼は基本的には優しい男なのだろうと思う。
 
話は飛ぶが、それにしても、ネットで人を殺せ、殺す、と書き込むと逮捕に至るわけだが、街頭でそのようなプラカードを持って練り歩くぶんには逮捕されないというこの差異は何か。
 
昨今多国籍化している新大久保で「在特会」なる集団が頻繁にデモを行い、「善い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」「朝鮮人 首吊レ毒飲メ飛ビ降リロ」などと書い
たプラカードを掲げてねり歩いている。
 
こういった基本的人権を抹殺するような言葉の暴走を見逃す公安とは何か。
 
普通ネットでの言葉より、現実空間における言葉の方がダイレクトに人を傷つけると思うのだが。
 
そして遠隔操作ウイルス事件とこの案件はまったく無縁とも言えない。
 
これほど毒のある言葉を編み出すということは「在特会」なる面々もまた、その過去の生活の中で”排除”された経験があるということは考えられることである。
 
人はされたことを仕返すものである。
大山千恵子さんがご自身のブログ「千恵子@詠む...」(2012年6月29日)で「警官のOBつかう福祉課なり 怖いじゃないか生保は罪か!?」という警鐘の短歌一首を書いておられます。

その短歌に添えられている詞書は次のとおりです。


生活保護相談窓口:警官OB、資格なし 人手不足で8自治体が配置 毎日新聞6月26日

>生活保護業務のトラブル対策のために警察官OBを雇用した全国74>自治体のうち、8自治体が必要な資格を取得させないまま、警察官O>Bを面接相談員やケースワーカー(CW)として配置していることが毎>日新聞の調査で分かった。

まえから指摘されていたが、具体的な数を調べた毎日新聞...えらいぞ。

>無資格者の配置は違法状態

そりゃないぜ。

>国は、暴力団員らによる不正受給を防いだり、窓口でのトラブルを処>理するため、警察官OBを雇用した自治体に人件費を全額助成してい>る。10年度は1道4県69市が制度を利用した。

国が推奨してるのか。とんでもないことだ。

警官は犯罪を犯したひとを捕まえるのが仕事。福祉課に、わざわざ無資格者を入れるなよ。

下記は大山さんのブログ記事への私のコメントです。

大山さん wrote:
警官のOBつかう福祉課なり 怖いじゃないか生保は罪か!?

まったくそのとおりですね。とんでもないことです。

これは憲法で保障された国民の権利の行使への国家、自治体ぐるみの<威圧>という形の明白な暴力的侵害行為です。

殊に警察OBを遣って、というところが姑息の限りです。

即刻やめさせる必要がありますね。

日弁連、各県弁護士会は連携して実情を調査し、政府及び厚生省当局、各自治体当局に対して即刻このような国家的暴力・威圧行為の中止を求める必要があるのではないでしょうか!?

私は強くそう思います。

このままでは生保だけでなく、国民の権利の総体がなしくずしにされてしまいかねません。

警察国家の到来(再来)は私は強く忌避します。
はなゆーさんからの情報でOurPlanetTV制作の「大阪市『こどもの家』を守れ!~橋下行革プランで危機」というビデオの存在をはじめて知りました。

〔OPTV動画〕橋下徹市長が「こどもの家」の廃止に踏み切る意向(低気温のエクスタシーbyはなゆー 2012年6月7日)

このビデオを観るまで私は大阪市の「こどもの家」という存在をまったく知りませんでした。いや、記事としては見ていたのかも知れません。おそらく見て(読むのではなく)いたのだと思います。しかし、よくある学童保育の記事の一種として読みすごし、「学童保育」と「子どもの家」の違いに気づいていませんでした。私は3人のこどもが小学1年生から3年生の足かけ9年間、いまでいう放課後児童クラブに預け、送り迎えを続けてきましたし、学童保育の拡充の運動にも関わってきましたから、学童保育のことならいまさら読むまでもなくよく知っている、というある種の思い上がりが「こどもの家」の記事を正確に読む目をおそらく曇らせてきたのでしょう。慙愧の至りです。

しかし、「学童保育」と「子どもの家」とでは次のようにも違いがあります。

●学童保育
対象年齢   小学1年生~小学3年生
料金      有料

●子どもの家
対象年齢   全児童(0歳~18歳)
料金      無料

上記の外形的事実のほかにも「子どもの家」は子どもたちはもちろん親たち自身の子どもとのかかわりの中での親としての生=内面の充実のためにも大きな役割を果たしてきました。「子どもの家」が子どもたちと親たちにとって量としては測りえないほどにいかにかけがえのない存在としてあったか、ということは上記のビデオを観ればよくわかります。「子どもの家」は子どもたちにとってかけがえのないファミリー(家族)、逆境を乗り越えていくときの支えの源としていまも存在しています。

それを大阪の橋下市長は行革の名のもとにいま潰そうとしているのです。彼の唱える行革は、実態は「弱者いじめ」と「弱者の切り捨て」でしかないものをことさらに「改革」という名で仰々しく飾るごまかしの美辞麗句でしかありません。上記のビデオはそのことを雄弁に証明してくれているように思います。

大阪の「子どもの家」のひとつである西成地区(釜ヶ崎)の「子どもの里」を長年取材してこられたノンフィクション作家の北村年子さんは上記ビデオの最後で大阪・橋下市長の行革の正体を次のように指摘しています。

「これはやはり、要するにね、子どもは産んだ親が全面的に世話しろ、と。で、親は子どもが全面的に世話しろ、という生活保護がいますごくバッシングを受けていますけど、あれとほんとにセットでね・・・・。だから、血縁関係による家族だけで自分らでなんとかしろよ、っていうそういう意識ですよね。それ以外は認めないんだ、っていうのはあまりに冷たいんじゃないか。」

まったくそのとおりだ、と私も思います。

From: はなゆー
Sent: Thursday, June 07, 2012 11:14 AM

大阪市「こどもの家」を守れ!~橋下行革プランで危機

橋下徹大阪市長は5月11日、3年間で488億円もの予算をカットする「市政改革プラン」の素案を発表した。見直しや廃止対象となった事業は100以上にのぼり、教育分野-や福祉分野など多岐にわたる。

「子どもの家」もその一つ。補助金をカットされ、学童保育に移行する計画だ。事業存続の危機を前に、職員はもちろん、利用する保護者や地域は反対運動を開始。大規模な署名-活動を展開し、5月29日までに2万6985筆の署名を集め、大阪市会議長宛に提出した。

1970年代にスタートした「子どもの家」事業は、大阪市独自の事業だ。利用可能な対象は0歳~18歳と幅広く、親が留守がちだったり、病気を抱えている家庭など様々な背-景の子どもたちが通っている。また、学童保育の利用料が月2万円(大阪市)なのに対し、「子どもの家」は無料。現在、「子どもの家」は市内28ヶ所にあり、2000人が利-用している。学童保育では代替できない機能があると、地域の人びとは語る。

大胆な行革を目指す大阪市。その足元で何が起きているのか。西成区の通称「釜ヶ崎」と呼ばれる日雇い労働者の街にある「子どもの里」に焦点を当てる。

ゲスト:北村年子さん(ノンフィクション作家)
聞き手:白石草(OurPlanetTV)

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はなゆー
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生活保護バッシングが荒れ狂う中で下記、重要な<事実>の指摘だと思いました。

この痛ましいばかりの<事実>の重みを私たちはまさしく重く受け止めて荒れ狂う生活保護バッシングに立ち向かっていく必要がある、と私は強く思います。それは私たちひとりひとりのかけがえのない生と生存権にも関わる闘いでもあるはずなのです。

元NHK解説委員でアナウンサーだった民主党の小宮山洋子厚労相はその経歴ゆえに一般に知性派の人とみなされているようですが、「人気お笑いタレントの母親の生活保護受給を週刊誌が報じたことを契機に、生活保護制度と制度利用者全体に対する大バッシングが起こっている」渦中で「扶養義務者による扶養が生活保護適用の前提条件であり、タレントの母親が生活保護を受けていたことが不正受給であるかのよう」に「扶養が保護の要件となっていない現行法を非難する主張に応えて」、先日国会で「『親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を課す』という事実上扶養を生活保護利用の要件とする法改正を検討する考えを示」唆しました。すなわち、非知性派の人のようです。


「保護の要件について定めた生活保護法4条1項の規定は、『保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる』と定めている。これに対し、生活保護法4条2項は、『民法に定める扶養義務者の扶養は保護に優先して行われるものとする』と定め、あえて『要件として』という文言を使ってい」ません。「『扶養が保護に優先する』とは、保護受給者に対して実際に扶養援助(仕送り等)が行われた場合は収入認定して、その援助の金額の分だけ保護費を減額するという意味であり、扶養義務者による扶養は保護の前提条件とはされていない」のです(以上、「」内は「扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために」(生活保護問題対策全国会議のブログ)からの引用)。それを小宮山氏は事実上、「扶養」を生活保護利用の要件にすると言う。彼女に金勘定の計算能力があったとしても「理知(理(ことわり)の知)」があるとは思えません。

生存権を含む社会権がなぜ「20世紀的人権」ともいわれてきたのか? 生活保護バッシングに結果として加担している小宮山厚労相には(むろん同バッシングに加担する他の国会議員も同様ですが)産業革命期(18世紀)から20世紀までにわたる世界のシチズンの血の滲むような人権――とりわけ社会権、その中でも生存権、の獲得の歴史がおわかりになっていないのでしょう。

だから、やすやすと生活保護バッシャーの口車に乗る。乗って恥じない。彼ら、彼女たちの言う「社会保障と税の一体改革」のデタラメ性がここでも露われ出ているのです。あなたたちは「生活保護受給者の自殺率は一般の2倍、20代は6倍」という事実を前にしてそのバッシングをまだ続けようというのか? 私はあなたたちの人間性を疑う。そして、私は、決してそうした人間性喪失の者を許さない。

生活保護受給者の自殺率は一般の2倍、20代は6倍-生活保護バッシングと制度改悪は殺人になる(すくらむ 2012-06-06)

作家の星野智幸さんが
ブログでこう指摘しています。

売れっ子お笑いタレントの親が生活保護をもらっていたことが詳らかにされ、大バッシングが起こり、厚生労働大臣が生活保護の給付水準を引き下げることを検討し始める、というニュースを、ソウルに住みながらネットで知って、また殺人未遂が起きているのか、と暗澹たる気持ちになった。

バッシングを受けて政治が生活保護水準を下げたりしたら、どのようなことが起こるか。ただでさえ、社会から経済的社会的にこぼれ落ちて、生存の瀬戸際にいる大量の人たちを、死の側へ押しやることになる。背中を押したら死ぬとわかっている人に対し、複数人で背中を押したら、これは殺人になるのではないだろうか。今の社会が行っていることは、そのような行為である。有権者も政治家も、報道も含め。(※星野智幸さんのブログ からの引用はここまで)

――いまの生活保護バッシングによる制度改悪は「殺人になるのではないだろうか」という星野智幸さんの指摘は大袈裟ではないと思います。
*グラフ省略

上のグラフは、厚生労働省「生活保護受給者の自殺者数について」(2011年7月12日第4回社会保障審議会生活保護基準部会参考資料)に掲載されている生活保護受給者と日本全体の自殺率を私がグラフにしたものです。

生活保護受給者の自殺率は、日本全体の自殺率より、2009年で2.4倍、2010年で2.2倍と、2倍以上も高くなっています。
*グラフと表省略

そして上のグラフと表は同じ厚労省資料に掲載されている年齢別に自殺率を見たものです。
2009年(平成21年)の数字を見ると、20~29歳の被保護自殺者(生活保護受給者の自殺者)の自殺率は、162.5で、一般自殺者の自殺率24.1の6.74倍(2010年は4.97倍、2008年は5.97倍)も高くなっています。19歳以下を除いて、若い年齢ほど自殺率が高くなっています。

こうした数字が示すように、生活保護受給者は現状でも「生きづらい」のです。とりわけ、若年層の「生きづらさ」は異常な実態にあります。

いまの生活保護バッシングは、いま以上の「生きづらさ」を強要することにほかなりません。

「バッシングを受けて政治が生活保護水準を下げたりしたら、どのようなことが起こるか。ただでさえ、社会から経済的社会的にこぼれ落ちて、生存の瀬戸際にいる大量の人たちを、死の側へ押しやることになる。背中を押したら死ぬとわかっている人に対し、複数人で背中を押したら、これは殺人になるのではないだろうか。今の社会が行っていることは、そのような行為である。有権者も政治家も、報道も含め。」という星野智幸さんの言葉を繰り返し噛み締める必要があります。

 ベッドを降りて5メートルほど離れたトイレへ歩く。引き戸を開けてまた数歩。便座に腰掛ける。「つえをつかんと行けた。治ったんや」。うれしさと同時に目が覚める。

 兵庫県西部の特別養護老人ホームに入所している男性(78)は、繰り返しこんな夢をみる。布団に横たわっている自分の右半身は、脳梗塞(こうそく)の後遺症で動かない。

 仕事も、遊びも。そんな半生だった。働いていた妻とはすれ違いが続き、1987年に離婚届を突きつけられた。早期退職して得た退職金と、自宅を売って作った計6500万円を慰謝料として渡した。

 それでも、遊び癖は直らない。転職してからも大阪の盛り場・キタで毎日のように飲んだ。スポーツクラブに週5日通い、悲惨な老後とは無縁と思っていた。

 5年前の春、カーテンを取り換えようとして上を向いたとき、頭の後ろに痛みを感じた。入院して1週間後に意識がなくなり、目覚めたのは2カ月後だった。

 話こそできるようになったが、つえがなければトイレにも行けない。食事以外は6畳ほどの自室にこもる。親しく話せる入所者はおらず、一言もしゃべらない日もある。

 離婚後も元妻とは連絡をとっていたが、病気になってからは途絶えた。「死んどると思っとるやろな。僕のことが新聞に載ったら、誰かが妻に伝えてくれますかね」

 入院しているうちに、私物は親類にほぼ捨てられた。残ったのは結婚指輪だけだ。やせた薬指には合わず、中指にはめている。半身不随になり、年老いた今になって切実に思う。妻がいたら、子どもがいたら、と。

 「指輪を外されへんのは、近くに妻がおったらなと思うからかな。結局、自分のことしか考えてない。勝手放題にしてきた僕への罰ですわ」

■死別の悲しみ分かち合う

 東京都心からJR中央線で約1時間半の山梨県上野原市。駅を囲むように広がる住宅街の一角に、武田繁男さん(64)は暮らす。

 家のことは妻に任せきり。休みの日は家でごろごろするだけ。当たり前だと思っていた生活は、4年前、妻の突然の死で終わりを告げた。あと半年で定年を迎えたら、2人で旅行を、と考えていたところだった。

 電車の中で泣きそうになる。誰もいない家でぽろぽろと涙をこぼす。おいしいものを食べると、「食べさせてやりたかったな」と思う。

 何より心残りなのは、感謝の言葉を伝えられなかったことだ。「優しい言葉、いえないんだよね、俺たちの世代は。だめだね」

 今、多くの時間を、縁側のそば、深緑の山並みを望むこたつで過ごす。左手に電話とパソコン、目の前にテレビ。手の届く範囲で、ほとんどの用が足りる。

 そこでほぼ毎日、欠かさずにするのが、メールの送信だ。宛先は、配偶者を亡くした人の会「気ままサロン」のメーリングリスト。

 〈一瞬に終わった一年。エスカレーターの駆け上がり、いつまで続けられるか。脱兎(だっと)のごとくいければ〉

 〈子供達(たち)は昨夜あわただしく帰京。よって、お一人様生活に戻りました〉

 ほぼ毎日、日常生活や気づいたことを取り留めなくつづる。パソコンの向こうにいる仲間たちが、話し相手の代わりになる。

 みな、同じような喪失感を味わっている。千葉県柏市の公平(こうへい)敏昭さん(70)は4年前に、東京都日野市の堀野博資さん(69)は10年前に妻を亡くした。深くて冷たい海の底にいるよう。そんな思いを、同じ境遇だからこそ安心して伝えられる。

 「男の方がめそめそしていますよ。カミシモつけて素直に気持ちを吐き出せないんだよね」と堀野さんは言う。

 時には顔を合わせ、共に過ごす。年末、平日の昼間、新宿のカラオケボックスで開かれた「気ままサロン」の忘年会には20人以上が集まった。東京都板橋区の井出弘明さん(74)が選んだ古い洋楽に、1人の女性が涙をぬぐった。

 「主人が好きだった歌で」

 「いやあ、女性を泣かせちゃったな」。井出さんはそういって、場を和ませた。

 井出さんも、家に帰れば1人。「行ってくるよ」と声をかけても、答える人はいない。ついでに買い物を頼まれることもない。かっこ悪いからと嫌がったネギだって、今なら買ってくるのに……。

 そんな気持ちを抱えるのは一人だけじゃない、そう仲間たちは教えてくれる。

 悲しみは決して消えない。でも、分かち合う友がいれば少しだけ、心が軽くなる。(鈴木剛志、仲村和代)

■つながりがあれば前向きに

 死別や離別で伴侶を失った人、そしてその人たちが過ごす時間は、長寿に伴って増えていくだろう。男性の場合、家事能力の低さが苦しみに拍車をかける。「孤族」の時代、よりよく生きるために、最低限の生活能力は必要だ。

 一方、喪失感は簡単に埋められるものではない。「残された者を最期まで気遣っていた夫や妻の思いをおろそかにせず生きよう。そのために仲間がいる」。気ままサロンの佐藤匡男代表の言葉だ。

 共感できる人とのつながりがあれば、伴侶と生きた時間をいとおしみながら、前向きに生きることもできるのだと感じた。(仲村和代)=第1部おわり

 男性の体が動かなくなった。画面の中で、ベランダの向こうの空だけが明るくなっていく。「これ、ガチ(本当)だぞ」「やべえ」。ニュースはあっという間にインターネット上に広がった。

 「来週自殺します」という予告が、ネット掲示板2ちゃんねるに載ったのは昨年11月上旬だった。予告した男性は自室にカメラを設置。生中継動画をネット配信し、書き込みを見ながら思いを語っていた。中継は最期の瞬間まで続いた。

 掲示板には、「どうせ死ねないだろ」「早くしろよ」と、匿名の書き込みが相次いでいた。24歳の男子学生も、その中にいた。

 興味本位で動画を見始め、同年代が泣きながら語る姿に、「これはやばい」と思った。学生も突然大学に行けなくなり、うつ病と診断されていた。手首に包丁をあて、痛みに耐えられずにやめた。八方ふさがりだった。

 画面の向こうで、その男性は語った。うつ病で休職中であること、大学時代の友人と離れて寂しいこと、容姿へのコンプレックス。ひとごととは思えない。「死ぬのはやめろ」。そう書き込み、朝まで中継につきあった。

 翌日、男性は「昨日は途中で寝ちゃってごめん」とまた配信を始めた。「死ぬ気ないな」。掲示板の書き込みはだんだん、あおる方向へ変化していく。「さっさと死ね」。学生もばかばかしく思って、何度か言葉を浴びせた。最期の映像を見ても、現実感はなかった。

 「あおったヤツは人殺し」。今度は掲示板に、そんな言葉があふれた。

 それから1カ月。取材に応じた学生は「書き込みと自殺の因果関係はないと思う」と話した後、続けた。「ほかの人があおってる中で『生きろ』と書き続けて、『空気を読め』っていわれるのが嫌だったのも事実。死ぬわけないって思ってた。でも、人が亡くなった以上、言い訳でしかない」

 2ちゃんねるは「習慣」だった。1日10時間以上パソコンの前にいたこともある。現実の友達とは違う、独特のつながり。出会いもあった。

 しかし、大学に行けなくなった時、真っ先に頼ったのは両親。相談すると、郷里から数時間かけて、すぐに駆け付けてくれた。大学の先生や友人も見守ってくれている。

 あの男性は、そんな存在に気づけなくなっていたのだろうか――。学生は事件を機に、ネット漬けの生活を卒業する決意をしている。


■救いと牙と 紙一重の空間


 自殺した男性も24歳。大学を卒業し、昨年4月から仙台市で働きはじめたばかりだった。上司は「ごく普通の職場の、ごく普通の青年」と語った。

 例年の倍以上の難関となった入社試験をくぐり抜けた。飲み会でも「がんばります」と明るかった。ところが5月末、突然「調子が悪い」と休みを申し出たという。

 「ゆっくり休むように伝え、親御さんとも連携してケアしていたつもりだった」。ショックを隠しきれない様子の上司は繰り返した。「自殺をあおるサイトがあるなんて、理解できない」

 男性の自殺の衝撃が、水紋となって同世代に広がる。

 事件の後、残された動画を見た神奈川県のフリーター(23)は「誰かに分かってほしい、かまってほしい。彼にとってその場所が、ネットだったんだ」と思った。

 17歳の頃から、生きる意味を見いだせずにひきこもった。何度も死を考えた。分かり合える人を求めて、ネットをさまよった。同じようにつらい人がたくさんいることを知り、少し、救われた。

 固定した人間関係が苦手だから、正社員にはなりたいとも思わない。親がいなくなって生活できなくなったら死ねばいい、と低い声で話す。

 それでも、一歩ずつ前に進もうと、もがく自分がいる。生活を立て直そうとする姿を連日、ブログにつづる。「4カ月くらい安定剤を断っている。がんばってるな、おれ」

 共感したいと願う人たちが誰かに寄り添ったり、時に傷つけたり。膨大な情報が飛び交うネットは、プラスにもマイナスにもなる、と思う。

 最近、派遣社員として販売の仕事をするようになった。いつもは昼夜逆転の生活だから昼間に働くのはつらいが、徐々に人前に出ることに慣れてきた。今なら、前向きな人たちとつながることもできるかもしれない。

 ネットでも、現実でも。


■つまずいてもやり直せる道を


 ネット上でどぎつい言葉を交わす彼らは、実際は礼儀正しく、まじめな若者たちだった。実社会でつまずき、自己否定の言葉を連ねる彼らを追いつめているのは何だろう。

 若者の生きづらさをテーマに取材をする渋井哲也さんは「少子化で子どもへの期待値が高まり、逃げ道がなくなっている」と指摘。小さな集団で育つ分、異質な人と対話する力が落ちていると感じる。

 周囲と同じ歩調で歩むことを求められ、一度つまずくと元の道には戻れない。その恐怖が、彼らを閉じこもらせているように感じる。何度でもやり直せる、そんな「空気」が必要なのだと思う。(仲村和代)

 庭先で、マツが腰をひねり枝を広げる。奥には、どっしりとした瓦ぶきの家屋。その2階に男性の部屋はある。

 「僕がひきこもっているのは、父さんへの復讐(ふくしゅう)だ」。そう家族に訴え、30年間、社会と接点を持たずにきた48歳の男性が、昨秋、中部地方の専門病院に通い始めた。

 結婚して家を出ている姉によると、通院へ背中を押したのは、反発しながらも同居してきた80代になる父の死だった。「病院へ行こう」。1人になった男性に姉が促すと、素直にうなずいたという。

 対人不安から、会話は親類と医師に限られる。記者も、姉に付き添われて歩く姿を離れて見守った。病院へ送り、実家に食品を届ける姉は疲れ果てる。「世間から見ると大人。でも、自立はまだ」

 高校3年、最初は不登校から始まった。母の死、いじめ、進路選択などが重荷となり、思春期の心を閉ざした。

 「母さんが甘やかした」「卒業して就職しろ」。仕事中心で、亡くなった母に子育てを任せてきた父は、叱るほか接し方を知らなかった、と姉は言う。それが息子を逆上させ、時に暴力となった。

 一つの家に冷蔵庫が二つ。父子は別々に食事した。体面から家族で抱え込み、医師にも相談しなかった。「でも、父なりに弟を愛していた」と姉は思う。将来を案じ、年金保険料を代納し、貯金を続けた。スーパーの警備員など定年後も75歳まで働いた。

 ひきこもりの長期化に、当事者と家族が追い詰められている。国の推計で当事者は全国70万人。「親の会」の調査では平均年齢30歳を超す。

 関東地方の36歳の男性。大学になじめず、うつ状態になり自殺を図った。人と会うのが怖い。昨年から介護施設で週1回のバイトを始めたが、気分に波がある。取材後、携帯に電話してもつながらず、数日後に「落ち込んで、出られなくて」。67歳になる元高校教師の父の年金が頼りだ。

 大学院の時に就活に失敗した東北地方の29歳の男性は、30歳を前に自分で入院を決めた。同世代が仕事をこなし、結婚する時期。30代になると就職も難しくなるため、長期化させない治療の節目と言われる。「退院したら教員免許をとりたい」「まだ間に合うだろうか」。焦り、揺れる。

 出てくるのを待たず、専門家の医師が迎えに行こう。そんな試みがある。

■「おるかー」医師が迎えに

 「おーい、おるかー」。呼び鈴を押しても反応がない。和歌山大学そばのアパートの2階。玄関口で宮西照夫教授(62)が声を張り上げて20分たったころ、やっと開いた。

 師走の夕暮れ。無精ひげの男子学生(24)は湯船の中で寝ていたという。ベッドの枕元の壁には、「怠けたい自分に打ち克(か)て」と手書きの張り紙が掲げてあった。

 精神科医の宮西教授は、大学の保健管理センターの所長を務める。ひきこもる学生らの自宅を訪問してカウンセリングし、外出を促す独自のプログラムを実践。8割以上を復帰させてきた。

 男子学生は、留年を機に夏まで不登校を続けていた。復学後も1週間以上休むと、教授や友人が自宅を訪ねる。

 この学生の場合、一人暮らしのアパートを初めて教授が訪ねたのは昨年6月。呼び鈴を押しても反応がなく、ポストに手紙を残した。「元気か」「また来るよ」。それをくり返し、4度目の訪問となった7月、ドアが開いた。

 「最初は面倒くさいと居留守した」と男子学生。「でもこのままじゃダメだという思いが募ってくるタイミングがある。その時にノックされるとドアを開けられる」

 一方、両親から外に出るように言われると、心配かけてるな、申し訳ないなと、ますます落ち込むという。当事者や家族が問題を抱え込み、孤立する事例を見てきた宮西教授は、「行き詰まった親子に第三者が介入し、風穴を開けることが大事」と訴える。

 「宮西プログラム」には番外編がある。信頼を築き、部屋を出られると食事に誘うのだ。この日、床に座って1時間近くひざ詰めで語った後、別れ際に玄関口で学生の肩を抱いた。「今度、一緒にラーメン行こな」

■親も高齢化 態勢づくりを

 なぜか、ひきこもる人々の6、7割を男性が占める。進学や就職をめぐり、周囲が男性に寄せる期待の高さがストレスになっている、と専門家は見る。さらに、最近の不景気が社会復帰を阻んで長期化を招き、加えて就職難が新たに20、30代になってひきこもる高年齢層も生んでいる。

 親の高齢化も深刻だ。「全国引きこもりKHJ親の会」の奥山雅久代表は66歳。自身も末期がんを患い、長期化する当事者を支える制度実現を訴える。記事の48歳の男性のように、抱えてきた親が亡くなる事態はすでに始まっている。家族に依存しない態勢づくりが急務だ。(西本秀)

 がん末期で入院を拒否し、一人暮らしをしている人がいると聞き、昨年10月半ば、71歳の男性の部屋を訪ねた。

 東京都台東区の山谷地区にある古い木造アパートの2階。畳の上の介護用ベッドに、男性がうっすらと目をあけて横たわっていた。

 「つらいよねー」。そう声をかけながら、看護師が胸に医療用麻薬を貼る。男性の表情が次第に和らいでいく。

 1日2回、看護師が訪問する。医師が適宜往診し、ヘルパーも1日3回。だが、その合間や夜間は一人きりだ。

 家族のいない、独居の人が自宅で最期を迎える。医療の見守りを受けつつ、たった一人で。そんなことができるのだろうか。病院に死を任せるのが当たり前の今の日本で。

 男性が病院から自宅に帰ってきたのは6月だった。

 口腔(こうくう)底がんが進行し、手術、化学療法、放射線治療ともできず。余命数カ月。気管切開、胃に管で栄養を直接入れる「胃ろう」。生活保護。病院からの受け入れ要請を受けて、地元で「あやめ診療所」を営む伊藤憲祐医師(40)は言葉を失った。

 がんは早期に発見されたにもかかわらず、手術のタイミングを逃していた。何度入院しても勝手に退院してしまう、という。もう、ほかに頼るところはない。

 山谷地区では、簡易宿泊所などに住んでいる日雇い労働者たちの高齢化が進んでいる。そんな男性たちに医療や介護を提供するNPOの訪問看護ステーションや介護サービスが、医師とチームを組んだ。費用は、生活保護の医療扶助などでまかなう。

 トラブルは、初日から起きた。入浴サービスを受けるとき、指定時間より早く自分で施設に来た揚げ句、待たされたと怒って帰ってしまったのだ。自分のペースを貫き、針を逆立てたヤマアラシのように、いつも周囲に突き刺さる。そんな人だった。

 男性は、半生をほとんど語らず、訪ねてくる親類や知人もいなかった。温泉とこけしで知られる宮城県の鳴子出身。生活苦で中学生のときから働きはじめたのだという。その性格から、人と群れずに生きてきたのだろう。

 その後も、「自己流」は続いた。看護師が訪問する時間にわざと外出する。胃ろうに入れる栄養剤に、自分で缶コーヒーや豆乳を混ぜる……。

 そんな身勝手の数々を、スタッフらはあえて受け入れ、休日さえつぶした。

 男性を担当した訪問看護ステーション「コスモス」看護師の平野智子さん(35)は、その理由を語る。「人を待つ」ということが今、医療の場で失われている。病院ではどうしても医療が中心になるが、在宅なら患者のこだわりを大切にできるはず、と。

■閉じた心 開いた医療ケア

 室温で氷がとけていくように男性は変わっていった。看護、介護が終わると、何度も手を合わせるようになった。病状が進み、会話が難しくなるとペンを握った。「すみません」「たすかります」

 その頃、ある高齢の女性が、部屋を訪ねた。50年以上会っていなかったという男性の姉(84)だった。

 本人は不義理を気に病み、身寄りのあることを隠していた。伊藤医師が説き伏せ、半ば無理やりに連絡をとった。

 「あなたも安心して、感謝を忘れずに最期を全うしなさい。私もすぐにいくから」

 姉は、肉親でなければ口にできない言葉を、ほほ笑みながら言った。義姉のはからいで親や兄と同じ墓に入れることも伝えた。看護師の目には、男性の表情がすっと楽になったように見えた。

 衰弱し、血圧が低下していく。それでも残された力を振り絞り、胸の前で手を合わせようとする。最期は、かすかに布団が動くだけになった。

 ありがとう、と。

 男性が亡くなったのは、10月末の深夜だった。朝、ヘルパーの渡辺博幸さん(47)が部屋に入り、いつも通りに声をかけながら布団をめくると、胸が動いていなかった。

 翌週、斎場に集まったのは医師、看護師、ヘルパー、姉と義姉、そしてボランティアの僧侶と記者の私。男性が残したのは、数十枚の写真と数枚のCD、腕時計、そして鳴子産のこけし二つ。

 男性は、みとる人もいない深夜、一人暮らしの部屋で、この世から去った。世間の尺度を当てはめれば、孤独な死だったのだろう。でも、たった一人で生きてきた男性は、死の直前に、大切な何かを取り戻したようにみえる。

 伊藤医師は言う。「人の死は点ではないんですよね。いい生が続けば、いい死になるんです、きっと。男性は、最後に人とつながった」

 ヘルパーのひとりは、男性が亡くなる数日前に見せた表情が忘れられない。

 部屋にあったビートルズのCDをかけると、男性は曲を口ずさもうとした。顔には、確かに笑みが浮かんでいた。

■山谷地区での試みに希望

 「人は誰でも死ぬんですよね。私も、あなたも」。男性の介護をしたヘルパーが、取材中、ふいにそう言った。

 そう、人は例外なく死ぬ。孤独死を恐れる人は多いが、死ぬ時は誰でも一人きりだ。孤族と多死の時代、「幸せな死とは何か」という問いの答えは、それぞれ自分でみつけるしかない。在宅死を望む人も、きっと増えるだろう。

 大切なのは、死の直前まで不安を取り除き、手を携えてくれる人の存在だ。孤立した単身男性が多く住む東京の山谷地区には、志を持った医療・介護関係者が集まっている。彼ら、彼女らの試みに希望をみたい。(真鍋弘樹)

 きらきらと光る装飾がつけられたハンドルを握り、埼玉県の重機オペレーター、浅見真さん(39)は帰路につく。今日は電話しよう、そう思うと一日の疲れが和らぐ。

 祖母の作った夕飯を食べ、風呂に入って一段落してから、電話に手を伸ばす。相手は、有料の話し相手サービス「聞き上手倶楽部」。話を聞いてもらう。それだけのために10分千円のお金を払う。

 指名するのは、代表の菊本裕三さん(51)。顔は写真でしか知らない。会いたいわけでもない。でも、友達のような存在だ。いや、この世で自分のことを一番よく知ってる人かもしれない。

 最初の電話は4年前だった。高額請求を警戒して、プリペイド携帯電話でかけた。

 「離婚しました」

 「何で?」

 意外にあっさりと話せた。月に数度は利用するようになった。中身はもっぱら仕事の愚痴だ。会社はゼネコンの下請けで、リーマン・ショック以降、年収は半減し、社員も減らされた。不安が募る。

 「中間管理職みたいな立場なんすけど、現場の不満を上に伝えても何も変わらない。でも下からは突き上げられて、板挟みなんですよ」

 「職場で元気なのは外国人だけ。日本人は下向いて歩いてて指図聞くだけ。俺って、沈んでいく日本のど真ん中にいるんだと思うんです」

 「聞き上手倶楽部」の菊本さんは元美容師。客の話に耳を傾ける美容師ほどリピーターが多く、「聴く」大切さは身にしみて感じていた。うつ病の増加が話題になっていた2006年、「一歩手前で予防することができれば」と考え、サービスを開始。「話し相手のいない高齢者」を想定していたが、実際は違った。家族も友達もいて仕事もしている、まじめな人が多い。

 家族に何回も同じ話はできない。周りに聞いてもらえない。利用者から漏れるのはこんな言葉だ。

 顧客は数千人になり、同業者も増えている。事業は順調だが、半面、菊本さんは少し寂しさも感じている。「嫌なやつと思われたくない、うっとうしがられたくない、だから愚痴や悩みを言えない。もっと甘えてもいいのに」

 浅見さん自身、一緒に暮らす祖母や父との関係が悪いわけではない。肉体労働で鍛えた体にストリート系ファッション。友達も彼女もいる。でも、深刻な話はしない。愚痴をいうと雰囲気が悪くなる。「話しても仕方ないなって思うんすよ。自分をさらけだせる人、いないっすね」

 「10年後は大した楽しみもなく引きこもってるんだろうな。さみしいっていうより、すごくひとりなんじゃないかな。孤独死、するかもな」

 こんな話、身近な人には、したことがないし、サービスを利用していることはこれまで誰にも話していなかった。思いをはき出したら、翌朝、また現場に向かう力が湧いてくる。(仲村和代)

■赤の他人に救われた

 石油ストーブでほどよく暖まった畳敷きの部屋、60代の男性2人が、ちゃぶ台を前に向き合う。聞こえるのは、小さな声、そしてインコが鳥かごを揺らす金属音だけだ。

 「少しずつ進んでしまう病気ですから。1ページずつ、記憶を破っていくわけです」

 「はい」

 「私が夫であるかどうかも、わからない状況になっていくわけです」

 「はい」

 語り手は、千葉県船橋市に住む徳田利彦さん(67)。相づちを打っているのは同市の小柳嘉一郎さん(69)。2人は数カ月前まで、まったく面識のない赤の他人だった。

 傾聴ボランティア。高齢者ら悩みや寂しさを抱えた人の話し相手になる運動だ。自治体としては船橋市が初めて、9年前から始めた。ボランティアは現在286人、昨年度の訪問回数は3717回。

 勧められてボランティアを受け入れた徳田さんは、最初は懐疑的だった。初回は仕事の話題だけ。こんなことをして意味があるのか、と思ったが、ふと気が変わった。

 この人に話してみようか。自分のこと、妻のことを。

 「家内がアルツハイマーだとわかったのは7年前です。今思えば、20年近く前から始まっていたのかもしれない。家に帰ると、暗い部屋でひとり座り込んでいて。どうして気付いてやれなかったのか」

 話し始めると、次から次へと思いが湧く。92歳の母親も施設に入っていること。妻や母のことを相談したいが、息子たちも不況で収入が減り、それどころではないこと。

 「家内と夜中にドライブしました。死のうと思って、直線道路でスピードを出して、母さん、これでいいかいって。その時だけ家内は真顔で、いいよ、と言うんです。かえって踏み切れなかった」

 小柳さんは余計な口を挟まない。ただ話を聞くだけ、といっても簡単ではない。同市福祉サービス公社の40時間の講習を受けなければボランティアにはなれず、会話の内容には守秘義務が課せられる。

 「家内がこうなったのは、私のせいなんです。夫婦は空気のようなものと思い、ずっと無視してきた。家内を介護施設に入れてから、ひとりでいると、おかしくなってしまいそうになる。テーブルをたたき、泣きわめいて……」

 徳田さんは、自分の生きてきた道を語り始める。高校を卒業し、鹿児島から集団就職列車で上京したこと。転職を重ね、睡眠時間3時間で何年もがむしゃらに働いたこと。

 「人がつながりを失って、今のような世になったのは私たちに責任があるんですよ。がむしゃらに働いて、家族にいっぱい迷惑をかけて」

 小柳さんはただ、深くうなずく。同世代の男性2人。同時代を背負ってきたからこそ分かり合えることがある。

 徳田さんの顔に、次第に赤みがさしていく。(真鍋弘樹)

■話すことは生きること

 苦境にあるとき。悩みを抱えているとき。誰かに話しても、決して問題が解決するわけではない。それでも胸中を吐き出せば、心の荷物が軽くなる。

 家族が「孤族」へと姿を変えている今、話し相手の不在に悩む人たちは今後も増えていくだろう。ボランティアや有料の話し相手も、選択肢のひとつとなっていくに違いない。

 船橋市の傾聴ボランティアでは、話し手と聞き手のペアが7年間も続いたケースがあったという。人を固く結ぶのは、決して血縁や地縁だけではないのだ。

 話すことは、息をすることに似ていると思う。普段は意識をしなくても、人はこれなしには生きていけない。(真鍋弘樹)

 居間のかもいに、額縁入りの賞状が並ぶ。米寿の祝いなどに贈られた「寿状」は、亡父あても含めて3枚。94歳になるベッドの上の母を、静かに見下ろす。

 介護保険で、最重度より一つだけ軽い「要介護4」。週1の訪問入浴を済ませ、おぼつかない手つきでコップを口元へ。「あっ、こぼすよ」と慌てて近づく長男を、少女のように澄んだ目で見つめる。

 森谷康裕さん(66)は父が逝った10年前から、母里津子さんと2人きりで暮らす。東京都葛飾区にある築39年の木造2階建てで小さな食品雑貨店を営む。

 昨年、母の左太ももの骨折がわかったが「もう治せない」と医者に言われ、ほぼ寝たきりになった。耳が遠くなり、終日つけっぱなしのテレビの音も聞こえているかどうか。最近の会話は「今」と「過去」が入り乱れる。

 そんな母との生活を「自営だから良かった」と思う。お兄ちゃーん、と呼ばれれば、すぐ飛んでいく。親類の消息を問われても「あの人、もう死んじゃったでしょ」と耳元で何度でも正してやれる。

 いつの間にか居着いた猫が、ひだまりの部屋を通り過ぎていく。

 4人きょうだいの一番上だった森谷さんは、高校を中退して16歳で、両親の店を手伝い始めた。すぐにオート三輪を買い、毎朝6時に市場へ。父が作るきんぴらや煮豆は評判で、年の瀬になれば自家製の「お節」を買いに来る常連客を、親子3人でさばいた。

 30歳過ぎで見合い結婚したが、1年足らずで破綻(はたん)した。「サラリーマン家庭みたいに決まった休暇が欲しいと言われても、ね」

 時代は流れ、街は変わる。

 駄菓子の売れ行きが落ち、主婦は消費期限が表示されたパックの総菜を好むようになった。常連客は老い、店の前を通り過ぎる人々は向かいの駐車場付きスーパーへ吸い込まれていく。

 忘れられた孤島のような商店の陳列棚に品物は少なく、閉店セール最終日のようだ。

 森谷さんはほとんど外出せず、毎日3度の食事を作って母に食べさせ、おむつを替えて寝かしつける。独身の弟(58)が週2回は顔を出すが、妹たちはあまり来ない。「旦那や孫の世話で忙しいんだろう」。ため息がもれる。

 2人の時間は、10年前から止まっているかのようだ。だが、母は卒寿を過ぎ、自分も高齢者と呼ばれる年齢に達して、同じ病院に通う。10年後、一体どんな暮らしが待つのか、考える余裕はない。

 「車いすにさえ乗せられれば、日帰りでも連れ出してやれるんだけど」。そう言いながら、2年前の旅行の写真を手に取った。満開の芝桜を背にした母は、少し不安げに、こちらを見つめている。

■息子介護の本音 言えた

 残業を終えて帰宅すると、母は出走直前の競走馬のような目をしていた。明け方まで続く徘徊(はいかい)の前兆だ。「向こうに行ってろっ」。思わず頭をたたくと、みるみるうちに白髪が鮮血に染まった。急いで病院へ。「次は通報します」と医師は言った。

 数年前のことだ。

 鈴木宏康さん(51)は独身で、アルツハイマー型認知症を患う82歳、要介護3の母を介護する。川崎市の築30年を超す分譲団地の4階、3LKで2人の生活を続ける。

 電機メーカーの下請け会社を辞めたのは46歳。リストラ含みの配置転換で嫌気がさしていたとき、母の病状が悪化した。四六時中、部屋を動き回って、独り言を繰り返す。水道の蛇口は開けっぱなし。そばを離れられなくなった。

 最初はアルバイトに出るつもりだった。でも面接で「欠勤しないで」と言われれば諦めるしかなかった。昼間預かってくれるデイサービスの利用料を差し引けば、時給は実質275円。施設に入れる貯蓄もなく、母の年金で暮らそうと決めた。

 生活は想像を絶した。

 力任せに玄関ドアをたたき続ける母を部屋にとどめておけず、昼も夜も背後から追って、何キロも歩き続けた。たびたび行方不明になり、連絡を受けては連れ帰る。やむをえずデイサービスに預けた晩は、興奮して大暴れ。地域のケアマネジャーに愚痴をこぼすと「育ててくれた親でしょ」と言われ、心が折れそうになった。もう二度と行政には頼るまい、と決心した。

 たまに元同僚や友人から飲み会へ誘われたが、断った。苦しい胸のうちを訴えたところで何になるのか。そもそも母を置いて外へ出られない。周囲に壁を築き、2人だけで閉じこもるような日々。

 ボランティアの女性(63)が訪ねてきたのは、この頃だ。「気になる親子がいる」というケアマネらの訴えで、様子を見にきた。片時も落ち着かぬ母の横で、ふてくされてたばこを吸い続けていると、集まりに顔を出して、としつこく誘われた。足を運ぶうち、「本を書いたら」とすすめられた。

 2人きりの閉じられた空間に、少しずつ新しい空気が入っていく。

 日記を書いたこともないのに真夜中、パソコンに向かった。2009年、単行本「息子介護」を出した。つたなくも過激な表現で、孤立無援な日々に正気を失いかける心境をつづる。「自分自身の人権なんて言ったら、介護なんてできない」「日にいく度か心の中で殺すのです。お袋を」

 単行本は話題を呼んだ。同居の親をみる無職の独身男性の「本音」を聞きたいと、介護職や行政担当者らが続々とやってくる。介護関係者の会に誘われることも増えた。

 鈴木さんは気が向くと、母を連れて、そんな会に参加する。「キャバクラに行く方がいいに決まってます」などと憎まれ口をたたきながら。(高橋美佐子)

■「ごめん」2階に父の遺体

 2階に上がると、目の前の部屋の床には楕円(だえん)形のしみが広がっていた。北関東の新興住宅地の一角にある、築14年の木造戸建て。薄茶色のフローリングに広がるしみは周囲が黒く、中心部は白い。

 1人でここに住む男性(39)が7カ月間、父親の遺体を寝かせていた跡だ。

 「仏様だから、頭は北に向けて、こうやって、そっと布団の上に寝かせて……」

 丸刈りの男性は、遺体を布団に乗せた様子を、腕を広げて示した。刺繍(ししゅう)の入ったジャンパーにジャージーのズボン。家の中には、ゲームセンターで取ったぬいぐるみがいくつも飾ってある。

 2009年2月のある日。66歳の父親が心臓発作が起きたように苦しみ始めた、という。「心臓マッサージのようなことをして、発作が治まったのでよくなったと思って寝ちゃって」

 目覚めると、父は息を引き取っていた。呼びかけても、返事はない。

 「医者に診断書を書いてもらうためのお金もなくて、お葬式代もないし、家のローンも残っているし、もうどうにもならなくて」

 ほとんど使われていなかった一番きれいな部屋に遺体を寝かせた。毎日、「ごめんな、ごめんな」と声をかけ、顔を触り続けた。

 遺体と2人きりの生活が終わったのは、「父親の姿をみない」という近所の通報があったからだ。父の死後も年金を受け取っていたとして、男性は詐欺容疑で逮捕された。死亡を届け出ていれば保険でローンを返済できたことは、取り調べで初めて知った。

 「所在不明高齢者」の存在が明らかになった昨夏以降、この種の事件が各地で発覚した。首都圏の住宅地で、地方都市で、山村の集落で、同じことが起きている。男性の場合、生活の歯車が狂い始めたのは10年ほど前。母の病気が悪化したことが理由だった。

 当時は父、母、妹との4人暮らし。ローン返済には父親の収入が不可欠だったため、男性が仕事を辞めて看病や家事をした。さらに父が交通事故で大けがをし、両親の面倒をみなければならなくなった。収入は1カ月おきに振り込まれる、約30万円の年金だけになった。

 母は、06年冬に死亡。1年半たたないうちに、今度は妹が心臓の病気で亡くなった。国民健康保険料すら払えず、父親の容体が急変しても、医療費が心配で119番できなかった。

 「住宅ローンの保険のことを知っていれば」。猶予つきの有罪判決を受けて自宅に戻った男性は、家族3人の遺影が並んだ仏壇の前でそう語る。相談できる知人や親族はいなかった。父親が役所に頼ることを嫌がっていたので、公的機関にも駆け込まなかった。孤立に導かれるように、男性は年金詐取に走った。

 今、生活保護を受けている。就職のあてはない。将来どうするのか、日が暮れると考え込む、という。

 年を取っても親と同居している人は年々増え、収入は年金頼みということも多い。家族関係の研究を続けてきた、山田昌弘・中央大教授は「年金パラサイト」と表現する。

 「寄生」が、「介護放棄」になることもある。12月22日、津地裁の法廷に立った桐本行宏被告(57)は、そんな一人だ。

 「年金を半分あげる」と言われて母親と同居を始めた。だが数年後、ささいなことから対立。食事を運ばなくなり、さらには当時80歳の母の部屋が開かないよう、ふすまに釘を打った。母の死を確認した後も約1年半、年金をもらい続けていた桐本被告は詐欺のほか、保護責任者遺棄などの罪に問われている。

 「お母さん、ごめんなさい。愚かな息子です。恥ずかしく、情けないです。小学校の入学式の時につないだ手の温かさを覚えています。もしできるのなら、あのころに戻りたいです」。留置場で壁を眺めながら考えたという謝罪の手紙を弁護人が読む間、桐本被告は声を上げて泣いた。(中井大助)

■介護で引きこもり 防ぐ手を

 私の兄は44歳の独身サラリーマン。都内の実家に住んでいたが、最近一人暮らしを再開した。以前は「結婚して独立を」とせかした妹の自分が、ここ数年は、老いた両親のそばに兄がいる「安心感」に寄りかかってきたことに気づく。

 介護をする家族で最も孤立しやすいのが「高齢の親と同居する独身の息子」とされる。家事に不慣れで近所とのつながりが薄く、地域の見守りや緊急支援の対象からも外れてしまう。高齢者虐待のトップも息子で、夫や娘をはるかにしのぐ。

 「介護のせいで職を失ったのに、落後者という負い目に苦しむ」と春日キスヨ・松山大教授は警告する。介護する息子の「声にならないうめき」は、時に命を危機にさらす。

 老いた親と経済的に苦しむ子が、「家」という密室に引きこもるのを防ぐため、早い段階から他者がかかわる必要がある。「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」が、一昨年設立された。受け皿は、各地に生まれつつある。(高橋美佐子)

 休み時間は、いつもひとりでいた。本を読むでもなく、携帯電話をいじるでもない。休憩室を出て、日当たりがいい場所に、ただ座っていた。

 茨城県つくばみらい市の工場に勤務する男性(44)は、昨年9月まで部下だった期間契約社員のそんな姿を、よくおぼえている。

 彼は、反物状のフィルムを梱包(こんぽう)し、ラベルを貼り付ける仕事をしていた。仕事は丁寧で、中高年の同僚7人と一緒に黙々と作業を続けていた。

 口数は少ないが、声をかけると丁寧に受け答えをする。女性たちが「お菓子、食べようよ」と誘うと、控えめに輪に加わるが、翌日にはまたひとりで、ひなたに座る。

 元上司は語った。「コミュニケーションが得意じゃないんだろうが、普通の青年だった。あんな事件を起こす人間とは思えない」

 12月17日の朝、JR取手駅前で、中高生らが乗るバスに包丁を持って乱入した。バス運転手の怒号と生徒たちの悲鳴。あごを切られた女子高校生のマフラーが血に染まった。切られたり殴られたりして、14人が負傷した。

 斎藤勇太容疑者(27)。工場を辞めた1年2カ月後、不特定多数の未成年にやいばを向けた。殺人未遂容疑で現行犯逮捕され、「人生を終わりにしたかった」と供述した。

 茨城県警によると、斎藤容疑者は高校を卒業した後、半年ほど予備校に通った。だが大学には進まず、10回ほど職を変える。3年前に母親を亡くし、年金暮らしの父と同居していたという。昨年、工場との契約が切れた後は職に就かず、自宅にこもっていた。

 県警の捜索時、部屋にはテレビやパソコンといった、外界とつながる道具が一切なかった。高校時代に好きだったという本も一冊もなく、友人、知人とつながる携帯電話も持っていなかった。

 取手駅から約9キロ離れた同県守谷市内に、容疑者の自宅はある。事件の2カ月前、近所の60代女性が会っていた。

 髪を肩まで伸ばし、ぶかぶかの部屋着姿だった。一言も発しない。「中学生のころと、ずいぶん変わっちゃったな」と感じた。女性が何より驚いたのは、まったく表情が無かったことだった。

 つながりを断った1年2カ月について、斎藤容疑者は何も語っていない。事件の動機についても、弁護士に「表現しづらい」と話している。

 工場の元上司は思う。ひとりが好きなのだと思っていたが、実は違っていたのかもしれない。してやれることがあったんじゃないか。「でも、子どもたちを傷つけたのは許せない。しかりつけたい」

 弁護士を通じ、元上司がそう語っているのを知った斎藤容疑者は、こうつぶやいたという。「そんなふうに思ってくれている人がいるんだ」

■居場所を探す 宗教にネットに

 12月上旬、中国地方の大学で、大津市の会社員(36)が大学教員ら約40人を前にして、「大学におけるカルト勧誘」をテーマに講演をした。「大学に入ったばかりは、知り合いが少なくて寂しいですよね。ベンチで1人で座っている新入生が狙い目です」。「孤独を狙う」との文字を映し出したスクリーンの前で声を張り上げる。

 「僕もそういう人に声をかけました。例外なく話を聞いてくれました」。自らがしたことへの後悔がこもる。

■家族より濃い血

 1993年に大学に入学したが、遊ぶことばかりに熱心な同級生に違和感を持った。入試を終え、新しい目標も持てない。話し相手が欲しくなり、前年、受験を前に大学を下見したときに声を掛けられた「人生を考えるサークル」に電話をした。

 講義の選択方法や試験対策を丁寧に教えてくれる。飲み会や食事会、合宿が頻繁に開かれる。サークルが新興宗教の偽装だと分かった後も、キャンパスの外にある「部室」に通い詰めた。少し年上の東大生が、教義をマンツーマンで教えてくれた。まるで兄のよう、いや「家族より濃い血」が流れていると感じた。

 教団で生きていこうと決心した。4年生で大学を中退。「なぜだ」と父は激怒し、母は泣いた。昔の自分のような大学生を、今度は自分が「兄」になって勧誘し、100人以上を誘い込んだ。

 お布施集めにも奔走した。「保険も解約したし、もうだいぶつぎ込んだ。もう出せるものは……」。土下座して号泣する高齢女性を「地獄に落ちますよ」と脅し、50万円をむしり取った。

 認められて本部職員となり、ネット対策を担当した。教団を攻撃するサイト運営者を、告訴すると脅す日々。「おまえ、変わっちゃったな」と言われたくなくて、教団の外にいる知り合いを避け続けた。

 そんなある日、ふと疑問がわいた。なぜ、教団職員の残業代が支払われないのか。なぜ、教団の会長に絶対服従なのか。なぜ、会長はぜいたくな生活をしているのか。外部の人たちが言うことの方が、正しいのでは……。

 12年間在籍した教団を去ると、孤独が押し寄せた。家族より濃いつながりのはずの仲間から、ぱったりと連絡が来なくなった。就職はしたが、同僚との付き合い方が分からず、3回転職した。教団に入る前よりつらい。まるで、焼け野原に一人でたたずんでいるように。

 孤立感から抜け出せたのは3年後。結婚して子どもが生まれ、家を建てた。同じ年齢の男性が送っている生活を、自分も営めるようになったと思えたときだった。

■サイトの有名人

 かき入れどきの土曜だというのに、店のシャッターは閉じていた。朝方までソファでパソコンを操り、そのまま眠ってしまったのだという。

 兵庫県の阪急沿線、駅前に続く通りの一角で、男性は小さな洗車店を営む。だが、実際は休業状態。週1度、食料を買いに出かけるほかは、店舗2階の自室にこもってインターネットに浸る。

 自分のことを「僕」と呼び、眼鏡の奥で人が良さそうに笑う34歳には、ネットの世界にもう一つの顔がある。「bureno(ブレノ)」。動画サイトでは、ちょっとした有名人だ。

 「スパイの子」「日本から出て行け」。画面の中で、日の丸や拡声機を手にした男たちが、ののしり声をあげる。今年8月、右派団体の幹部らが威力業務妨害容疑で逮捕された朝鮮学校前の街宣を、この男性が撮影した。

 ドラマのように軽快な音楽をつけて編集した「作品」はネットに投稿され、累計で数十万回もアクセスがあった。各地の街宣に同行し、投稿を繰り返していた男性は、団体幹部とともに逮捕されたが、「関与が薄い」として不起訴になった。

 「ブレノ」は、滑らかなカメラワークで「ぶれない」という意味を込めた登録名だ。自身の活動を、海上保安官が「sengoku38」の名で尖閣沖の衝突映像を流出させた事件とダブらせる。「日本はもっと怒っていい」

 自分の居場所はどこだろうか。いつも探してきた。

 小学生のとき両親が離婚した。父と母の家を行き来して育ち、小中だけで五つの学校に通った。捨ててあるラジオやゲーム機を持ち帰り、自宅で一人、分解して遊んだ。

 理系の専門学校を中退し、カプセルホテルのフロントなど職を転々とする。父が亡くなり、遺産を元手に、車の塗装剤の販売を始めたが失敗。洗浄水を特別な濾過(ろか)装置に通した現在の店も振るわない。「自分のこだわりは、世の中には分からない」と強がる。

 動画や書き込みを投稿する度に、引用、転載されていないかを確認する。取材の日に男性が検索すると、以前投稿した写真が17カ所からリンクを張られていた。「ちょっと少ないなあ」

 掲示板には、何百もの投稿が秒単位、分単位で届く。自分の発言に、ほかの人から反応がある時、男性の胸は弾む。一瞬一瞬の反応でいい。認められている、と思える。

 現実の社会で右派団体の撮影にのめり込んだのは、行く度に喜ばれ、必要とされたからだった。だが、会のメンバーの多くは、彼を「ブレノさん」と呼び、逮捕されるまで本名すら知らなかった。

 事業のため、生活のために取り崩してきた父の遺産は間もなく底を突く。最近の夕食は1キロ200円のソーメンを小分けして食べている。「愛国」にすがり、見ないようにしていた現実に目を向ける時期は、近づきつつある。

 本当は何をしたいのか、と聞くと、拍子抜けするほど普通だった。

 「中小企業でこの人がいると便利だなっていう人がいるでしょ。パソコンもサッと使えて、ホームページもチラシもつくれる。本当は、そうやって役に立ちたいんです」(鈴木剛志、西本秀)

■自分を追い込む若者たち

 茨城・取手事件の斎藤勇太容疑者について、彼を知る人を訪ねて歩いた。職場で一緒にお菓子を食べた女性は「あんなことをする子じゃない」と動揺した。元上司も「私たちが知っている斎藤君じゃない」と。

 これらの印象と、忌まわしい凶行との落差が胸につかえている。

 斎藤容疑者は、度重なる転職、失業、母の死などの苦境や不運をいくつか抱えていた。社会から切り離されていく間に、やり場のない怒りを心の中にため込んでいたのかもしれない。突然、爆発するほどに。

 新興宗教に10年以上を捧げた36歳。ネットにのめりこむ34歳。彼らの素顔は、まじめで少し不器用な青年だった。そんな若者たちが、時に日常に背を向け、自分を追い込む。

 社会から認められない。社会とつながっていない。そんな不遇感を募らせるのは彼らだけではないだろう。顔を上げて、すぐ近くに目を向けてみれば、自分はひとりではない、と気付かせてくれる誰かがいるかもしれない。(鈴木剛志)

 たたきの先の障子を開けた警察官が声をあげた。

 「あっ」

 まさか――。60代の家主の女性は怖くて家のなかをのぞく気になれない。

 「やせている人ですか?」

 警官から聞かれてけげんに思った。独居の借り主はがっちりした男性のはずだ。高校時代はラグビー部員だった。

 月2万5千円の家賃が滞り始めて4カ月。消費者金融の取り立てもきていた。行方をくらましたと思っていた。

 まだ39歳。死んでいるなんて思いもしなかった。

 冷蔵庫は空。棚にしょうゆと油の瓶があるだけだった。医師の死体検案書に〈摂食の形跡無し〉と記載された。

 その借家は、トタン張りの平屋建て。さびて赤茶けていた。師走の風に、玄関のサッシがカタカタと鳴る。

 裏の借家の初老の女性は、男性と話したこともないという。真っ暗だった家で人知れず死んでいたと知ったときはふるえがとまらなかった。

 「なるときはあんなになるのかと思って。餓死では死にきらん。餓死では」

 この死が報じられた当時、家の前に来て涙を流す女性を見た。「『いい人だった』と聞いて、そんな人やったんやなって」と同情を寄せた。

 昨年4月、北九州市門司区で起きた餓死事件。男性は、いま37歳の私と2歳しか違わない。健康面に問題を抱えていたわけではないという。前年11月まで働いてもいた。

 そんな男性が、飢えて、死んだ。心象風景を探る取材を始めた。

■「たすけて」言い出せぬまま

 餓死した39歳の男性が育った家は、借家から数百メートルの場所で床屋を営んでいた。

 祖父母と両親、兄との6人暮らし。親族によると、父親は借金が原因で行方不明になった。祖父母が死に、兄は大学進学を機に家を出た。男性も県外で働いた時期があったが、実家に戻った。未婚で、母親が5年前に亡くなってからは一人暮らしだった。

 仕事は不安定だった。専門学校を出て富山県の会社に就職。だが1年ほどで退社して福岡県内の会社に入り、2001年からは居酒屋などの飲食店を転々とした。少なくとも6店に勤めたが、いずれもアルバイトだった。

    ◇

 最後に勤めた居酒屋チェーン店を今年10月に訪ねた。人の入れ替わりが激しく、当時のスタッフはいなかった。当時の店長(32)は熊本市の系列店にいた。男性は10?20代のアルバイトに交じって、調理場の仕事を黙々とこなしていたという。辞めた理由は借金。取り立てが来ると迷惑をかける、と自ら切り出した。

 同じ時期に半年間、掛け持ちで働いた食堂では、「自分の店を持ちたい」と周囲に希望を語ることもあった。

 無職で迎えた昨年の元日。男性を招いた家があった。保育園から一緒だった元同級生宅。その同級生の帰省に合わせて呼び、みんなで刺し身や煮物をつついた。

 元同級生の母親(61)は振り返る。「ちょっとやせたなって思ったんよ。でも『恋でもしよる?』ってたわいのない話をして、いつもと変わらんようだった」

 仕事の近況を尋ねたときは、働いてます、と答えていた。

 昨年3月20日ごろ、男性から電話があった。

 「おばちゃん、風邪ひいて何も食べてないんよ」

 「ならお弁当でも作ってあげる」。もち米を使っておこわを作り、卵焼きを詰めて車で来た男性に渡した。

 「あれが最後の食事やったんか……。助けて、と一言いってくれれば何かできたかもしれんのに。それが腹立たしくて」。涙声になった。

 元同級生と男性は同じ専門学校に通い、同じ飲食店でアルバイトをした。陽気な元同級生は接客。物静かな男性は調理室。元同級生は、気に入られた客の誘いで東京の会社に就職した。以来、正社員として働き、妻子もできた。「何かにつけて得な人とそうでない人と、あるんかね」。しみじみと母親は言った。

 この土地には、隣近所で助け合う心が残っていた。気さくなこの母親に接し、なぜ、との思いが強まった。

    ◇

 〈たすけて〉

 平仮名で書いた紙の切れ端が入った封筒が男性の部屋に残されていた。

 宛先に書かれていたのは母方の叔父(66)。駅に近いマンションで暮らしている。

 「逃げたと思ってた。餓死とは意外やった。できるか? 40前の男が食えないまま閉じこもって死ぬなんて」

 叔父の言葉は辛辣(しんらつ)だった。

 「誰も悪くない。本人の責任」

 男性の家族が借金問題を起こすたびに親族が尻ぬぐいをしてきたという。男性の収入は少なく、同居する母親の月8万円の年金と叔父らの資金援助が頼りだった。「完全なパラサイト」と断じた。

 「もう、情けないよ……」

 叔父は高卒で地元のセメント会社に就職。「粉まみれになってがんばった」と言う。「金を稼げるならなんちゅうことはなかった」。いまなら3Kと言われる職場だ。先輩後輩、社内の人間関係でつながっていた。簡単に辞めていく人間はいなかった。そうして定年まで勤めあげた。

 叔父にとって、おいっ子は歯がゆい存在だったろう。

 男一人なら生きていける、と母親が病死したあとは援助をやめた。

 男性が飲食店を掛け持ちで働き始めたのはこの後だ。

 食堂の時給680円、居酒屋800円。午前8時から日付が変わるまで働いて、月収は20万円に届くかどうか。

 二つの店と自宅とはほぼ一本道でつながっている。車検が切れた軽自動車で単調な道のりを往復する日々、何を考えていただろう。

 昨年1月、門司区役所に生活保護の相談に行っている。相談記録票には、飲食関係の正社員に限定して求職中と聞き取った内容の記載に続き、「相談結果の処理」の欄にこう書いてあった。

 〈39歳、健康体であれば何か仕事はあるはずである〉

 「幅広く探してみる」と男性は保護を申請せず帰った。

 男性を追い込む直接のきっかけとなった借金の理由は取材ではわからなかった。督促状は丁寧にクリップで束ねられ、6社から計150万円に上った。家に5台も残されていた携帯電話も謎だった。

 頼ったのは結局、親族。昨年2月に大阪にいる4歳上の兄に連絡して金銭的な支援を頼んでいる。叔父は兄からの電話で経緯を聞き、借金問題にはかかわらないように忠告したという。

 その兄に電話で取材を申し込むと、仕事で多忙だから、と断られた。もう一度かけても答えは変わらず、心境を聞くことはかなわなかった。

 未投函(とうかん)の叔父あての手紙。封筒の表書きがぴしっときれいな字で書かれているのに、〈たすけて〉の文字は弱々しかったという。

 出すか、出すまいか。

 命が尽きる寸前まで迷ったのではないか。

 弱い自分をさらけ出し、助けにすがってまで生きる。生き延びたとして、その先に希望があるのか――。電気が切れ、真っ暗な借家で煩悶(はんもん)するやせ細った39歳を想像した。

 叔父の言葉が、私の頭にこびりついている。

 「すがるところが無くなった。だから、死んだ」

 財布に残されていた現金は9円。叔父は、これもメッセージだと受け取った。

 「食えん(9えん)」

 菩提(ぼだい)寺のさい銭箱に投げ入れたという。

 私もやってみた。1円玉4枚と5円玉1枚。軽い硬貨が乾いた音をたてて落ちた。

■救いの手にすがる難しさ

 餓死した39歳の足跡をたどって見えてきたものは、孤立した働き盛りを支える「希望」の無さだった。

 正社員を辞めた時期にバブルが崩壊。職を転々とした男性の生活は、母親の年金や親類の援助で成り立っていた。「自分の店を持ちたい」と周囲に語っていたが、実際には蓄えと呼べるものは無かったようだ。若いころコウサイ(転載者注:漢字を入力するとエラーが表示されるのでしかたなくカタカナにしています)相手がいたが、未婚のままで母親と2人で暮らし、その母親を亡くすと、孤立無援になった。

 男性が最後に職を失ったのは、リーマン・ショックのあと。同じ時期に自動車工場を解雇された元同級生(41)は「ひとごとではない」とおびえていた。自分も親がいなかったら生活できなくなっていた、と。

 男性には、支え、支えられる存在としての家族がいなかった。だがほかに助けを求める先は無かったか。

 心配してたびたび様子を見にきていた家主、弁当を持たせた元同級生の母、生活保護の窓口……。すがってもいい、どこかで一言を絞り出してほしかった。(井上恵一朗)

 師走の朝に訪ねた浜松市内のハローワークは、54台ある求人検索機がすでに満席だった。やっと空いた端末で、ある男性の条件を入力する。

 61歳、フルタイム、派遣、木材加工、勤務は浜松周辺――。結果は「該当する求人件数 0件」。勤務地を静岡県全体に広げて、どうにか「2件」になった。

 その2社に電話してみた。

 「資格や免許はない? いろんな工場を転々? そういう人が一番困るんだよ」

 「老眼になると労災が怖い。体力も落ちる。正直言うと60歳超えると無理ですね」

 ため息が出た。彼も、同じだったろう。

 工藤均さんが自ら命を絶ったのは、汗ばむ陽気の残る10月中旬の昼すぎだった。

 「もう疲れた。仕事もないし、金もない」。か細い筆跡で遺書を記し、ひとりで22年間暮らした木造アパートのベランダにロープを掛けた。東名道のインターに近く、工場や住宅が混在する地域。裏のアパートに住むベトナム人工員が第1発見者だった。

 「安すぎる。生活保護と変わらない」。派遣会社を去ったのは5月半ば、誕生日の翌日。60歳を超すことを理由に1200円から850円への時給引き下げを通告されていた。年金保険料を納めず、何とか確保してきた手取り月17万円が、約3分の2になる。

 自らハンドルを握って、派遣先に社員を送り届けるという社長は作業着姿で取材に応じた。「賃下げは、派遣先の建材工場の要求だった」「280円の牛丼もある。食っていける額だ」と言い、工藤さんをこう評した。「強気でプライドが高い。辞めても、若い時のように次があると勘違いしていたんだ」

 確かに、次はなかった。(西本秀)

■働きたい、人とつながりたい

 6月、アパート前に白いセダンが止まったままなのを心配して、上階の男性が工藤均さんの部屋を訪ねた。

 「仕事が見つからない。自分も安い部屋に移りたい」

 ふさぎこんだ工藤さんは、男性が市営住宅の抽選に当たったと聞き、しきりにうらやましがったという。

 7月、貧困相談に乗る市民グループと面会し、生活保護受給を勧められる。だが、車の処分が必要と聞くと申請を拒んだ。グループの落合勝二事務局長は、「年金も預金も家族もない。彼には車が唯一の財産だった」とみる。

 最後の失業手当、約10万円を受け取った9月。落合さんの目には、身長160センチほどの工藤さんがもっと小柄に見えた。生活保護に代わり住宅手当を提案したが、「頼れる人も頼られる人もいない身。どうなったっていい」と投げやりに断った。

 仕事が見つからず、生きるプライドも奪われていく。

 10月に入り、失業手当もほぼ使い切ったのだろう。近所の主婦(63)は、泣きはらした顔でアパートに帰る工藤さんに気付いた。野菜を譲ったこともあったが、その日は声をかけそびれた。「あの時、話しかけていれば……」

 リーマン・ショックが直撃した製造業の街、浜松では、2009年の自殺者が前年から2割増えて165人になった。中高年を中心に、男性が8割近い。

 クリスマスの夜。「温まってください」。浜松駅前で失業者らにスープを配った日系ブラジル人団体「エスペランサ(希望)」の河内オスバルドさん(58)は、失業者が自殺に追い込まれる日本が不思議でならない。ブラジルの10万人あたりの自殺率は日本の5分の1以下。「私たちは食べものと一緒に、声をかけて言葉を配る。助ける、助けられる、に遠慮はいらない」

 青森に生まれ、両親のいない工藤さんに、遺体の引き取り手は現れなかった。市役所が火葬し、遺骨を預かった。

 手放すのを拒み続けた車は所有権が宙に浮き、いまもアパートの駐車場に放置されている。最後まで仕事を探していたのか、助手席には運転用の黒いサングラスと一緒に、求人情報誌が置かれていた。

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 働きたいのに、働けない。働き盛りであるはずの30?50代の男性が、もがいている。

 元編集者、55歳。待ち合わせの駅に、着慣れたスーツ姿で現れた。15年ほど勤めた業界紙が昨年10月に倒産。勤めていた時と同じリズムを保ち、家を出るという。

 100社に書類を送り、面接まで行けたのが3社。若い頃は、引く手あまただった。時代は急激に変わった。

 生きていけないんじゃないか、という不安だけではない。働くことで社会の一員になっているんだ、と思う。とにかく、働きたい。

 元出版社員、40歳。大手企業を辞めた「即戦力」だが、勤めた会社が次々に倒産したり、部署がなくなったり、と不運続きだ。給料は安くてもいいから、長く勤められる会社。求めているのはそれだけなのに、決まらない。

 求人は昔と比べると両極端だ。とても高いスキルが必要か、逆に単純作業で誰でもいいか。「ちょっと何かができる」という中間層は、どこに行けばいいのか。お金じゃなく、人から信頼されて働けることが楽しいのに。

 大学院卒、31歳。塾講師のアルバイト以外は経験なし。弁護士を志し、旧司法試験に6回挑戦した。30代半ばで就職活動するよりは、と法科大学院への思いを振り切った。

 もうすぐ年賀状の季節。同級生から、近況が届くだろう。家を買った。子どもができた。そんな一方で、勤めた会社が倒産し、再就職先もつぶれた友人がいる。まるで、人生はくじ引きのよう……。

 仕事を失うことで、収入以外に失うものが確実にある。彼らは今日も面接会場へと向かう。

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 その部屋が自分の唯一の居場所であるかのように、22歳の男性は座っていた。

 アパートの一室。壁には美少女アニメのポスターやカレンダー、雑誌や漫画本が積み上がる。自分が好きなもの、自分を拒否しないもので、周囲にバリケードを築こうとしているかのようだ。

 昨年、うつ病の診断を受けた。離婚した親の援助も受けられず、21歳の若さで生活保護を申請した。

 最後に働いたのは、巨大な冷蔵庫の中だった。くるぶしまで届く分厚いコートを羽織り、手には軍手。冷凍された弁当の食材を指定された数だけ振り分ける。次第に足先がしびれ、感覚がなくなる。時給は1千円。

 翌朝のボードに、食材の数のミスが張り出される。また自分だ。「一緒だと仕事にならない」と同僚。「簡単なことなのに」と上司。遠回しに解雇を宣告された。

 高校を卒業し、郷里の岩手県から上京してアニメ・ゲーム制作の専門学校に進学したが、希望の職にはつけず、非正規労働を繰り返した。宅配便の荷物の仕分け、日雇い派遣、風俗情報誌……。だが、なぜか、何をやっても人より遅い。いつも追われるように職場を去る。生きる資格がない、と社会から宣告されたような気がする。

 思えば小学生の頃から、同級生に近づいただけで「バイ菌」と逃げられた。過去をさかのぼっても、いい思い出は見当たらない。唯一の例外は高校生のとき、県で俳句大会の1位になったこと。22年の人生で、あのころが最も輝いていたと思う。

 今でも、俳句雑誌に投稿を続けている。〈どこまでも向かうあてなき冬野かな〉

 今、定期的にしているのは、ブログに思いを書き込むことだけ。人とつながりたい、と画面が叫ぶ。

 「一生、結婚なんて考えられない。生活保護がなければ路上生活か自殺しか……」

 この年末はしばらく部屋から出られず、1日1食、白米やインスタントラーメンだけで過ごした。100円ショップで買った壁時計は、12時55分を指したまま動かない。「途中で止まって。まるで僕の人生のようですね」(西本秀、仲村和代、真鍋弘樹)

■最後の命綱失うと転落は深い

 人はなぜ働くのだろう。生活のため。食べるため。それだけか。「社会の役に立ちたい」。出会った失業者の多くが生きがいを求めていた。

 自殺した浜松の男性も、ただ食べるためなら生活保護で済む。でも受給を拒否した。自殺は「孤立の病」と呼ばれる。失業をきっかけに、社会につながっているという感覚が消え、生きる意欲を奪われてしまったのか。むしろ社会の側が、彼を拒否したのだと、取材して思った。

 取りかえ可能な非正規雇用が広がり、「必要とされている」という手応えが得難くなっている。就職難で社会の入り口で門前払いされた若者は、結婚から遠ざかり、「孤族化」に拍車をかける。家族や地域のきずなが細れば、仕事が最後の「命綱」となり、切れた時、転落は深い。

 浜松のハローワークで出会った59歳の男性は半年間、失業状態が続いていた。「選択肢がない」とこぼして、「首相の言った、一に雇用、二に雇用、三に雇用の約束はどうなった」と語った。(西本秀)

 雲を突くような銀色の摩天楼、101階建ての「上海環球金融中心」がかすんで見える。目的のホテルは、高層ビル群から離れた裏通りにあった。生鮮市場や小売店が雑然と並び、不用品を集めるリヤカーが、ベルを鳴らして通り過ぎていく。

 今年還暦を迎えた岡山市の男性は2年前の11月、上海に来た。かび臭い廊下の奥まった一室に、現地で集められた女性を次々に招じ入れた。

 今度こそ。男性は強く念じていた。今度こそ妻を――。

 婚活を本格化させたのは50代半ばから。若いころ心に決めた相手がいたが、思いを打ち明けられずに終わった。今も写真を大切にしている。その後、父から継いだすし屋の借金返済に追われ、同居の母親が他界したときには、未婚のまま50歳を過ぎていた。

 結婚紹介業にはいくつ登録したかわからない。登録料を納めたのにそれきり、ということもあった。

 中国人を妻に、と考え始めたのは4年前のこと。

 「あなたの年では日本人は難しい」。岡山市内のホテルで、ある業者からファイルを見せられた。中国人女性の写真とプロフィルで50人分はある。ニーハオぐらいしか知らないが、他に選択肢はない。

 最初に紹介されたのは、日本在住の「チョウ」という39歳の女性。日本人男性と離婚していた。初めて会った日に食事をして、もう一度会った後に婚姻届を提出した。念願の夫婦になるのに要したのは、わずか2日間。

 だが、業者に150万、女性に30万円支払って得た結婚生活は、すぐ破綻(はたん)した。婚姻届を出したその日に大阪で働くと出て行った。1カ月後に帰ってきたが、結局、生活を共にしたのは5日ほどだ。

 どんなに手を尽くしても、日本人でなくても、伴侶が見つからない。家業の手伝いや後継ぎを望むわけではない。老いゆく自分の世話をし、みとってくれる相手が欲しいだけなのに。

 伴侶を求めて国の外へ目を向ける男たち。外国籍の女性を選ぶ日本人男性は年間3万人前後。そのうち、中国人が約1万2千人と最も多い。

 上海のホテルで、男性は2日間で約20人と「見合い」し、「リュウ」という38歳の女性を選んだ。決め手になったのは、仲人役として同行した在日中国人女性の言葉だった。「服が派手じゃない。あの人はまじめよ」

 だが、その女性も来日後20日間で姿を消した。生活費として5万円を渡した2日後。2度の「結婚」に費やした金はおよそ450万円。蓄えのほとんどをはきだした。

 自分は孤独死するかもしれないと覚悟している。死後に備えるノートを買った。親類の連絡先や保険証書類の保管場所を記し、遺影用の写真をはさむ。遺体は献体するように書き留めてある。

 20年ほど前からコイ釣りにのめり込み、暇な日はぽつんと糸を垂れる。孤独には慣れた。が、寂しくないといえばうそになる。(井上恵一朗)

■赤い糸、今日も見つからなかった

 午後3時過ぎのファミリーレストランで、千葉県市川市の39歳の男性は、その日初めての食事だという中華定食をゆっくりと口に運んだ。温かいものを期待して頼んだが、出てきたのは冷たい料理。「おかしいなあ」。独りごちて、スープをおかわりした。

 最後の仕事を辞めて1年10カ月がたつ。専門学校を卒業後、非正規も含めて10近い仕事を経験し、いずれも短期間で辞めた。自宅アパートにはテレビもない。空の冷蔵庫、電気ポット、カセットコンロ、ちゃぶ台の上のパソコン、それがすべてだ。

 「普段の生活すらみすぼらしいのに、婚活なんて無理。収入のない自分は、そもそも勝負のラインから外れちゃってます」

 結婚相手探しをする前に、諦める。自ら、線を引いて。そんな男性が増えている。

 この男性が人とのつながりの大切さを痛感し始めたのは最近だ。20代半ばまではゲームセンターに通うお金があればそれでよかった。気軽に食事に行くような友達もいないのは、「自己責任」かもしれない。でも、もう戻れない。

 時々、出会いを期待してインターネットのオフ会に顔を出すが、女性が出てくることはほとんどない。姉と妹は、20代で出産した。「あの時、気づいていれば」。仕事や子どものことがつづられた同年代のブログを見て、ため息をつく日々だという。

 5年たっても10年たっても、自分が結婚できる状況にあるとは、とても思えない。「どう考えても、まともな人生にはもう返ることができないんです」

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 年末のある日。貸し切りになった新宿駅近くのレストランに、50代から70代の男女が集まり始めた。女性の服装はそれぞれに趣味が感じられる着こなしだが、男性はほぼ一様にスーツとネクタイだ。

 午後1時半、店を貸し切った中高年限定の婚活パーティーが始まると、一人の男性があいさつに立った。「ここに来るようになってだいぶたちますが、赤い糸はどこかにいってしまって見つかりません。来年こそいい年に」

 そう、婚活という言葉ができる前から伴侶さがしを続け、20年以上になる。川崎市に住む原泰浩さん(76)が妻を胃がんで亡くしたのは、38歳のときだった。

 「おなかに固いしこりがあるの」と打ち明けられ、触ってみると卵大の塊が。診察を受けると「余命半年」と宣告された。娘が小学生、息子は2歳半でおしめも取れていなかった。それからの人生、子育てと仕事の両立で、白刃の上を歩いているようだった。

 子どもが大きくなってから、中高年専門の結婚紹介団体の先駆け、「太陽の会」に登録した。月に1度の会に出席し、20人以上の女性と会話をする。200回以上は出席しただろうか。会で次々とカップルが誕生しても、自分の赤い糸は見つからなかった。

 「太陽の会」は、住民票と戸籍謄本を会に提出しなければならないなど、厳格な運営方針で知られる。最近、後発業者が急増しており、「高齢婚活希望者は、年2割は増えている感触」と坂本達児・東京本部代表は言う。

 だが、ブームといっても意識には男女差がある、と原さんは感じる。女性は生活の支えを求める人が多いが、男性は寂しさが理由では、と。

 仲のいいカップルを見ると自分が惨めに思えて、観光地への足も遠のいた。次第に日が短くなってきた人生の残り時間、70代後半を迎えて欲しているのはただ、優しさだ。

 会話が盛り上がるのを横目に原さんはこの日、パーティーを早めに切り上げた。今年春から飼い始めた雌のシバイヌの不妊手術のために。

 今日も、これは、という人は現れなかった。死ぬ間際に「おまえがそばにいてくれて幸せだった」と言えるような人が欲しいだけなんだが。

 「やはり、孤独死かなあ」

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 北上山地の中腹に広がる岩手県住田町は人口6千人余、面積の多くを山林が占める山村だ。この町役場に、担当者しか全容を知らない、という極秘のファイルがある。

 町が始めた結婚支援事業に登録をする町民のリストだ。

 この事業の目標は「5年で結婚10組」だったが、これまでの成婚例はゼロ件。最大の誤算は、登録した十数人が全員、男性だったことだ。

 登録者たちはみな、自分がリストに載っていることが周囲に知られることを恐れている。そのため、町役場は、保秘にかなりの気を使う。

 町の人口は30年前と比べて約3割減った。高齢化率は、今年10月現在で38.6%と、県内で3番目に高い。町内の未婚者を対象にした調査では、3人に2人が「結婚を希望しているが、出会いや紹介を待っている」と答えた。

 「年間2組ぐらいだったら簡単だと思っていたけれど、甘かった」。相談員の佐々木忍さん(65)は失敗を認める。出会いの場を設けて男女を引き合わせても、先に進むことがほとんどない。

 町内で、独身男性はすぐに見つかる。町立スポーツセンターの管理人を務める吉田次男さん(60)も、そうだ。

 町を離れていた30代のころには結婚を考えた女性もいたが、相手が岩手に住むことを嫌がった。病気だった母の面倒をみるために仕事を辞め、故郷に帰ってきて20年。下の世代に、同じ境遇の男性がどんどん増えている。

 町議の高橋靖さん(55)も独身だ。過疎化の方向性に一石を投じたいと町議選に立候補し、初当選したのは2001年。10年近くこの問題に取り組んで、一つだけわかったことがある。特効薬はない、ということだ。(仲村和代、真鍋弘樹、中井大助)

■未婚でも不安感じない社会に

 孤独死と隣り合わせの時代。寂しい最期を迎えたくないと、婚活に励む男性たちがこれほど多いことに驚く。結婚年齢の上限は、もはや無くなったようだ。

 未婚、晩婚化が進んでいても、人々の結婚願望が衰えたわけではないと感じる。かつて地域や職場の世話焼きが男女の仲を取り持ち、親が決める見合い結婚も多かった。それがいまや、結婚相手探しは恋愛市場での自由競争が原則となった。

 経済力や容姿、性格……。様々な条件が合致しなければ、なかなかゴールにまで至らない。不安定雇用と低収入のために二の足を踏む若者や中年男性が多いのも無理はない。「おれも孤独死かな」。20代でそんな言葉をもらす若者さえいる。

 出会いの場を広げることはもちろん大切だ。男女のすき間を埋めるように「婚活ビジネス」が広がる。

 それでも単身化は進むだろう。未婚で生涯を送る「孤族」たちが不安を抱えずに生きていける、そんな社会であってほしい。(井上恵一朗)