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Blog「みずき」:沖縄を代表する地元の「琉球新報」と「沖縄タイムス」の2紙は昨日、今日と社説を掲げ、2人の機動隊員の「土人発言」と「シナ人発言」を厳しく糾弾しています。「今日の言葉」のほかに同地元2紙の糾弾の声のエッセンスも合わせて掲げておきます。「「土人」発言は、反対運動の市民だけでなく、県民の心を深く傷つけた。警察への信頼も大きく失墜させた。機動隊員の監督責任者は県民に対し明確に謝罪し、発言した隊員を警察法や侮辱罪などの法令に基づき厳正に処罰すべきだ。」「民意を踏みにじり基地建設を強行する国家政策そのものが「構造的差別」と言わざるを得ない。沖縄は日本の植民地ではない。沖縄差別、今回の「土人発言」の責任は政府の差別政策にある。沖縄に対する構造的差別を改めぬ限り、不毛な対立は終わらない。」(琉球新報社説「警察「土人」発言 「構造的差別」責任は政府に」)「沖縄県民への差別意識が露骨に出た言葉である。県民を愚弄するもので、許せない。」「2人の機動隊員は事実関係を認め、「不適切と承知している」、「右翼関係者につられて思わず言ってしまった」などと県警の事情聴取に答えているようだが、本当にそうなのだろうか。6都府県から派遣された約500人の機動隊員のうち、たまたまこの2人が暴言を吐いたのだろうか。機動隊の派遣を要請した金城棟啓県公安委員長にも説明を求めたい。」(沖縄タイムス社説「[機動隊「土人」発言]県民を愚弄するものだ」

【根深い差別意識と植民地意識の政治土壌の露呈】
市民に侮蔑的な言葉を投げ付ける機動隊員がいる。それを軽視、擁護する政治家がいる。根深い差別意識と植民地意識、そのことに無頓着な政治土壌が露呈した。大阪府警の機動隊員が、北部訓練場のヘリパッド建設に抗議する市民に「土人」と発言したことへの県民の怒りが広がっている。別の隊員が「シナ人」と暴言を吐いていたことも明らかになった。「シナ」というのは日本の大陸侵略に結びついて使われた中国に対する蔑称だ。差別意識、植民地意識に根差す言葉を使うことは許されない。機動隊員の「土人」発言に対し、翁長雄志知事は「言語道断で到底許されるものではなく、強い憤りを感じている」と批判した。知事の怒りは当然である。菅義偉官房長官は「許すまじきこと」と述べた。ところが差別意識の表れとの指摘には「全くないと思う」と否定した。なぜそう言い切れるのか理解に苦しむ。暴言を受けた市民の心情、「琉球処分」以降の沖縄近現代史、米軍基地が集中する現状を踏まえれば、差別はないと断言できないはずだ。菅氏は「土人」という言葉が含む差別意識、植民地意識を深刻に受け止めるべきだ。松井一郎大阪府知事の行為も容認できない。短文投稿サイト「ツイッター」で「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と投稿したのだ。機動隊員の発言は「不適切」で済む話ではない。それを「出張ご苦労様」とねぎらう松井氏を県民は許さない。翁長知事も「不適切な発言と認めた上でよく頑張ったとなると、県民からしたら筋が違うとは思う」と疑問視している。機動隊員による「土人」「シナ」発言に表れた歪んだ沖縄観は、警察組織にとどまるものではない。沖縄に関わる日米両政府関係者にも共通する深刻な問題だ。
ケビン・メア元米国務省日本部長の「沖縄はごまかしとゆすりの名人」という発言や、田中聡元沖縄防衛局長の「(犯す前に)これから犯しますよと言いますか」という発言も露骨な差別意識や植民地意識の表れであり、機動隊員の発言と同根だ。機動隊員の発言を単なる失言と済ましてはならない。その裏にある深刻な沖縄蔑視を反省し、機動隊を沖縄から撤収させるべきだ。(琉球新報 2016年10月21日

【山中人間話目次】
・今日の朝日新聞の社説「土人発言」の背景に「根深い沖縄への差別意識とそれを生んだ日本社会の構造があ」ることを正しく指摘している
・沖縄県警、山城博治沖縄平和運動センター議長を再不当逮捕。この警察権力のあまりにも驕り高ぶった強権による弾圧を許してはならない
・差別発言への反響と反省しない大阪府警機動隊員 - 目取真俊「海鳴りの島から」
・toriiyoshikiさん、猪野亨さんは「野田さんはやっぱり最低だった」というが、その野田佳彦を民進党幹事長に選んだのは蓮舫自身だという視点も忘れてはいけない
・内野光子さん(歌人)の「吉川宏志氏『<いま>を読む(4)~批評が一番やってはいけない行為」(『うた新聞』8月号)への反論
・醍醐聰さんの上村達男氏(前NHK経営委員)批判と赤旗批判 ――上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋~赤旗編集局への書簡(7/7・完)
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目取真俊さん(左端)を4人がかりで押さえ込む警察官
8日、東村高江・米軍北部訓練場N1地区表側出入り口

Blog「みずき」:本日づけの沖縄タイムスは「記者の視点」というコラム欄を用いて「『土人』発言 歴史に刻まれる暴言 警察は県民に謝罪を」という真正面からの警察批判を掲載しています。新聞社がこれほどまでに直截に警察批判をすることは滅多にあることではありません。なにゆえの警察への謝罪要求か。やはり本日掲載の同紙の「「どこつかんどんじゃ。土人が」 沖縄で機動隊員が発言 ヘリパッド反対の芥川賞作家に」という記事がその理由になっているように思います。はじめに引用しておきます。「沖縄県東村高江周辺の米軍北部訓練場内のヘリパッド建設で18日、N1地区ゲート前で抗議していた芥川賞作家の目取真俊さんに対し、機動隊員が「触るな。土人(どじん)」と発言したことが分かった。目取真さんは「あまりにもひどい。市民をばかにしている」と憤った。同日午前9時45分ごろ、目取真さんら市民数人がN1ゲートそばで、沖縄防衛局が市民の出入りを防ぐため設置したフェンス越しに工事用トラックの台数を確認していた。その際、機動隊員3人がフェンスから離れるよう指示した際、1人が「触るなくそ。どこつかんどんじゃボケ。土人が」と発言した。市民側は発言者を大阪府警の機動隊員とみている。機動隊員の発言について、県警は本紙の取材に「現時点で把握していない」としている。午前11時半ごろには、工事用トラックの進入を防ごうとした目取真さんを、機動隊員4人が地面に押さえ付ける場面もあった。同日は市民70人がN1ゲート前で抗議活動を展開。工事用トラック36台が同ゲートから訓練場に入り、資材を搬入した。市民5人が北部訓練場内に入り、工事の進捗(しんちょく)を確認した。17日に器物損壊容疑で現行犯逮捕された沖縄平和運動センターの山城博治議長の釈放を求め、市民らは名護署前で集会を開いた。」

【琉球処分以来、本土の人間に脈々と受け継がれる沖縄差別が露呈した】
警察官による「土人」発言は歴史的暴言である。警察は発言者を特定、処分し、その結果を発表しなければならない。ビデオがインターネットで公開されている。すぐにできるだろう。市民らは発言者が大阪府警の機動隊員だとしている。事実なら府警本部長が沖縄に来て、受け入れた沖縄県警本部長と並んで県民に謝罪する必要がある。逆に警察がきちんと対処しない場合、それはこの暴言を組織として容認することを示す。若い機動隊員を現場に投入する前に、「相手は土人だ。何を言っても、やっても構わない」と指導しているのだろうか。この暴言が歴史的だと言う時には二つの意味がある。まず琉球処分以来、本土の人間に脈々と受け継がれる沖縄差別が露呈した。そしてもう一つ、この暴言は歴史の節目として長く記憶に刻まれるだろう。琉球処分時の軍隊、警察とほぼ同じ全国500人の機動隊を投入した事実を象徴するものとして。ヘリパッドを完成させ、米軍に差し出すことはできるかもしれない。政府は引き換えに、県民の深い絶望に直面するだろう。取り返しはつくのだろうか。(
沖縄タイムス「記者の視点」2016年10月19日

【山中人間話目次】
・山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)の逮捕が不当逮捕であることの説得力のある説明
・沖縄県民を土人、シナ人呼ばわりする大阪府警の機動隊員は懲戒免職が相当だろう
・加藤典洋(文芸評論家)は、いつの頃からネオリベ政党支持者にまで成り下がってしまったのか?
・醍醐聰さんの上村達男氏(前NHK経営委員)批判と赤旗批判 ――上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋~赤旗編集局への書簡(6/7)
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第64回沖縄県民体育大会ロードレース 

Blog「みずき」:金光翔さんが「仰天した事実」として引用する鬼原悟さんの「アリの一言」の記事は読み落としていました。少し長くなりますが金光翔さんの問題提起とともに引用させていただきます。翁長沖縄県知事の政治責任は辺野古・高江問題にとどまらず、外国籍県民の県民体育大会参加の権利の剥奪という人権問題にまで及んでいます。「沖縄県民の過重な基地負担を放置するのは人権問題」だと強調した国連人権理事会での翁長演説はいったいなんだったのでしょう? オール沖縄の単純きわまる「翁長支持」「翁長礼賛」の姿勢は再考されなければならないことはますます明白になっているといえます。

【「外国籍県民」を排除した翁長知事の責任を問う】
不覚ながら最近知って仰天した事実がある。K・サトル氏によるブログ「アリの一言」の2016年2月22日の記事「
『外国籍県民』を排除した翁長知事の責任を問う」から引用させていただく(強調は引用者。以下同じ)。

<2月1日の沖縄タイムス「論壇」欄に、「外国人の参加制限疑問 県民体育大会 国体より厳格」と題した土井智義氏(宜野湾市、大学非常勤講師)の投稿が掲載されました。沖縄県は昨年11月開催の第67回県民体育大会で、これまでの「参加資格」を変更し、日本国籍をもたない県民の参加を排除したのです。この問題は昨年12月6日付の同紙同欄の嘉手納良博氏(那覇市、テニス愛好家)の投稿で明るみにでました。嘉手納氏は「外国籍の課題は、単なる選手選考ではなく、大会趣旨、本県の目指すべき姿なども視野に入れ捉えるべき」だとして排除に抗議し、沖縄県体育協会に対し、①今回外国籍を認めなかったのはなぜか②その判断はどのような手続きで決定されたのか③今後はどうするのか、の3点を公開質問しました。これに対し、12月14日付の同紙投書欄で、安次富均・沖縄県体育協会事務局長がこう「回答」しました。「昨年(2014年-引用者)10月に競技団体と市郡体育協会宛て意向調査を行い・・・日本国籍を有し、かつ、本県で住民登録を行っている者を対象とするべきであるとの意見が多くを占めたため、ことし2月にその旨を周知し徹底するようお願いした」この経過を踏まえて、土井氏はこう主張します。「この解釈変更の結果、日本国籍をもたない人や国籍にかかわらず住民登録自体のない人が、県民体育大会の参加資格を失うことになった。これらの条件は、『日本国籍』を基本としつつも、『特別永住者』『永住者』の参加を認める国体の参加資格よりも厳しいものである。本件は、『沖縄県民であること』が、ある人びとの外部化によって成立していることを示すとともに、国からの上意下達だけでなく、地方レベルの『意向』でも既得権の制限がなされるという意味において、近年の朝鮮学校への補助金停止問題に通底する事例である。特定の人々の参加を拒む解釈変更を、当事者に確認もせず、このように関係機関の『意向』で一方的に行ったことには疑問を持たざるを得ない。だが、問題は、手続き上の面にとどまらず、『外国人』と社会との関係そのものにかかわっている。すでにさまざまな権利が制限されている『外国人』が、大会に参加する家族や友人を横目に見ながら、また一つ社会参加を断念せざるを得ないとすれば、その気持ちはどのようなものだろうか。主催者の行政や協会は、スポーツを通じて全ての人が排除されない社会の創出を目指すべきではないか。『誰もが楽しく』という要望に照らし、参加資格の制限が廃止されるべきだと考える」土井氏の主張に賛成です。さらに言えば、外国籍県民の排除はたんに「気持ち」や「要望」だけの問題ではなく、「スポーツは、世界共通の人類の文化である」(前文)、「国際社会の調和ある発展に寄与することを目的とする」(第1条)という「スポーツ基本法」(2011年施行)に反する行為です。同時にそれは、「万国津梁」というウチナーの精神にも反するでしょう。ちなみに、私が住んでいる広島県の体育協会事務局に問い合わせたところ、広島県では「外国籍の方でも問題なく参加できます」とのことでした。この問題で最も責任が問われるのは翁長氏です。それは翁長氏が県知事だからというだけではありません。当事者である沖縄県体育協会の会長が翁長雄志知事にほかならないからです。しかも翁長氏は、同協会が「排除通達」を出した2015年2月には、すでに会長に就任していたのです。翁長氏はこの問題についてどう考えているのか。見解と責任を明確にし、ただちに「外国籍県民排除」の「参加資格」を撤廃すべきです。>

この記事で言及されている
嘉手納良博氏の投稿は、ウェブ上で切り抜きを見つけたので、抜粋する。<国頭郡には一昨年、昨年と外国籍の方が参加しており、ことしも選手登録を県テニス協会に提出し、受理されたことから大会本番に向け、チームとして結束を図っていたところです。ところがその後、外国籍は認めないとの県体育協会の判断を受け、選手の入れ替えを余儀なくされたとのこと。外国籍の方は研究者やウチナー婿として県内に居住し、交流のある方々です。これまで同大会にも参加し、終了後の懇親会では相互の文化・社会・宗教などにも話題が及び今大会への参加を楽しみにしていたと聞いています。大会実施要項では開催趣旨として「広く県民の間にスポーツを普及し…スポーツの振興と文化の発展に寄与」、参加資格として「沖縄県民であること」「本籍地、または住民登録」となっています。これにより、協会は外国籍の方も要件を満たしているとして参加を認めてきたと理解しています。万国津梁の精神、国際観光都市を目指す県のビジョンに沿ったものとして「県民」を広く解釈したものと評価をしていました。>(略)この件は、私の知る限りでは、特別永住者が享受してきた日本人と同等の権利が公的に否定された初めての事例である。これは特別永住者という法的地位の今後を考える上で、極めて不吉な予兆である。その意味で、非常に重大な事態だと思うのだが、ネット上では上で引用した記事以上の情報を見つけられなかった。(略)この件を放置するならば、在日朝鮮人の民族団体、また人権団体の存在意義すら問われることになると思うのだが、各民族団体、人権団体はこの件についてどのような取り組みを行なっているのだろうか。「沖縄タイムス」で載っているのだから、知らないはずはないと思うのだが、全く聞こえてこない。辛淑玉は沖縄に行って反基地運動に参加しているらしいが、現地でこの件を問題化していないならば、何をしに行っているのか、ということになろう。予想はしていたが、メディアの垂れ流すイメージとは裏腹に、沖縄は実は近年滅茶苦茶に右傾化しているのだろう。(金光翔「私にも話させて」2016年09月05日

【山中人間話目次】
・「差別がまかりとおる国の国旗に敬意は払えない」ーキャパニックの勇気-澤藤統一郎の憲法日記
・「『新潟県知事選挙からの撤退』を撤回してください!!」署名運動批判
・佐野眞一『唐牛伝』をめぐって(2)-海神日和
・<沖縄・高江>自衛官が身分隠し抗議現場に 米兵同行、憶測呼ぶ-沖縄タイムス+プラス

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Blog「みずき」:アリの一言氏はこの文章の「結語」を「天皇明仁の「生前退位」問題で、天皇制美化が強まっているいま、「国体=天皇制護持」のために沖縄をアメリカに売り渡して軍事基地化した天皇裕仁の歴史的責任(略)を忘れるわけにはいきません」という指摘で結んでいます。「今日の言葉」のポイントはまさにそこにあるといえるでしょう。


【「1945-1946」は沖縄にとって「空白の1年」ではなかった】
20日夜放送されたNHKスペシャル「
沖縄空白の1年~〝基地の島”はこうして生まれた」は、沖縄戦直後のアメリカ軍や連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の占領政策を描きました。それを象徴するのが、マッカーサーの「アメリカ軍による沖縄の占領に日本人は反対しない。なぜなら沖縄人は日本人ではないのだから」(番組では説明はありませんでしたが、1947年6月27日のアメリカ人記者との会見での発言)という言葉で、番組はそこで終わりました。マッカーサーの沖縄差別政策は事実ですが、番組には決定的な欠陥がありました。それは、「〝基地の島”はこうして生まれた」の核心的回答、すなわち沖縄を軍事基地化するうえで果たした日本、とりわけ天皇裕仁(昭和天皇)の責任をまったく捨象したことです。そもそも沖縄戦自体、戦争終結を提言した「近衛上奏」(1945年2月14日)に対し天皇が「もう一度戦果を挙げてから」と終戦を引き延ばし、「国体=天皇制」維持のための時間かせぎに沖縄を「捨て石」にしたものでした。そして戦後、初の帝国議会選挙(45年12月)で、沖縄県民は選挙権をはく奪され、新憲法の議論、採択から完全に排除されました。

天皇裕仁はマッカーサーとの
第1回会談(1945年9月27日)以降、自らの戦争責任が東京裁判で追及されるのを回避し、同時に新憲法に「天皇制」を残すことに腐心しました。先のマッカーサーの「アメリカ軍の占領に日本人は反対しない」発言の約1カ月前(47年5月6日)にも、天皇裕仁はマッカーサーと会っていました。「彼(天皇ー引用者)は…安全保障の問題に強い関心を示した。元外交官の松井明によれば、天皇が最高司令官に『米国が日本を去ったら、誰が日本を守るのか』と尋ねたところ、マッカーサーは日本の国家的独立をあっさり無視して、われわれが『カリフォルニア州を守るごとく日本を守る』と答え、国際連合の理想を強調したという。…彼はすでに…日本は沖縄をアメリカの広大で恒久的な軍事基地にすることで守られると考えていたのである」(ハーバート・ビックス著『昭和天皇(下)』講談社学術文庫)

マッカーサーの「日本人は反対しない。沖縄人は日本人ではないから」発言が、この時の天皇裕仁との会談(天皇の発言)と深くかかわっていたことは間違いないでしょう。それを証明する事実が、その3カ月後に露呈します。天皇裕仁の「
沖縄メッセージ」(1947年9月20日)です。天皇は宮内庁の寺崎英成、GHQのシーボルトを通じてマッカーサーと米国務長官に次のような意向を伝えたのです。「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである」(『昭和天皇実録』)これがやがて「サンフランシスコ講和条約第3条」(1951年9月調印)による沖縄の軍事基地恒久化へつながったことは改めて言うまでもありません。「1945-1946」はけっして沖縄にとって「空白の1年」ではありませんでした。そこにはアメリカの軍事占領政策とともに、それと呼応した、いやむしろそれを誘導した天皇裕仁と日本政府・議会の沖縄差別・植民地政策が連綿と続いていたのです。天皇明仁の「生前退位」問題で、天皇制美化が強まっているいま、「国体=天皇制護持」のために沖縄をアメリカに売り渡して軍事基地化した天皇裕仁の歴史的責任(略)を忘れるわけにはいきません。(アリの一言 2016年08月22日

【山中人間話目次】
・「1945ー1946 沖縄 空白の1年〜 “ 基地の島 ” はこうして生まれた〜」「NHKスペシャル」2016.08.20.放送
・辛淑玉さん、いいこと言っているのですがね
・平安名純代さんの「何か変化が起こる時、その背後には事態を動かした「人」がいるものです」
・むのたけじさん追悼再放送「 伝説のジャーナリストの遺言」
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Blog「みずき」:辺野古・違法確認訴訟に関して、先日の仲宗根勇さん(元裁判官、沖縄在住)に続いて澤藤統一郎弁護士(東京在住)も多見谷寿郎裁判長の訴訟指揮に深甚な疑義を提起しています。翁長知事と沖縄県弁護団はこのおふたりの革新的法曹のベテランの問題提起をどう受けとめるか? あるいは受けとめうるか? その誠実な対応が問われています。

【極めて問題の大きな訴訟指揮が行われている】
国が沖縄県を訴えた「辺野古・違法確認訴訟」が昨日(8月19日)第2回口頭弁論で
結審した。7月22日提訴で8月5日に第1回口頭弁論。この日、判決までの日程が決まった。そして、決まった日程のとおりわずか2回の期日での結審。9月16日には判決言い渡しとなる。異例の早期結審・早期判決というだけではない。極めて問題の大きな訴訟指揮が行われている。果たして公正な裁判が行われているのだろうか。納得しうる判決が期待できるのだろうか。(略)この間における国の協議拒否の姿勢の頑なさは尋常ではない。代執行訴訟の和解は今年の3月4日金曜日だった。誰もが、これから県と国との協議が始まる、と考えた。ところが、土・日をはさんで7日月曜日には、国は協議の申し入れではなく、県に対して「承認取消を取り消す」よう是正の指示を出している。国は、飽くまで辺野古新基地建設強行の姿勢を変えない。「代執行訴訟における和解も、係争委員会の決定も、国と県との両者に真摯な協議による自主解決が望ましいとしているではないか。県は一貫して国との間に真摯な協議の継続を求めており、不作為の違法と評される謂われはない」とするのが県の立場。衆目の一致するところ、先行した代執行訴訟での原告国の勝ち目は極めて薄かった。

この訴訟での国の敗訴で国が辺野古新基地建設を終局的に断念せざるをえなくなるわけではないが、国にとっては大きな痛手になることは避けられない。裁判所(福岡高裁那覇支部・多見谷寿郎裁判長)は、強引に両当事者に和解案を呑ませて、国を窮地から救ったのではないのだろうか。国は敗訴を免れたが、埋立工事の停止という代償を払わざるをえなかった。以来、工事は止まったままだ。国は新たな訴訟での勝訴確定を急がねばならない立場に追い込まれている。裁判所の審理促進は、このような国の立場を慮り、気脈を通じているのではないかと思わせる。裁判所が異様な審理のあり方を見せたのは、まずは被告となった県側が答弁書を提出する前に争点整理案を提示したことである。裁判の大原則は当事者主義である。裁判所は両当事者の主張の範囲を逸脱した判決は書けない。だからまずは両者の言い分によく耳を傾けてからでなくては争点の整理はできない。答弁書提出前の争点整理など非常識で聞いたことがない。これではまるで昔のお白州並みだ。原告の審理促進の要望に肩入れしていると見られて当然なのだ。(
澤藤統一郎の憲法日記 2016年8月20日

【山中人間話目次】
・澤藤統一郎さんの「『辺野古・違法確認訴訟』ーはたして公正な裁判が行われているのか」全文
・伊勢﨑賢治よ。なにを言ってやがる
・太田昌国さんの「深沢七郎よ、ふたたび・女性天皇論の台頭を前に」
・平安名純代さんの沖縄の「草の根の闘い 米で共感」(沖縄タイムス8月21日付)の記事
キョウ おきなわ10

Blog「みずき」:翁長沖縄県知事はもはや辺野古新基地建設反対運動のリーダー足りえないことは明白になっているというべきではないか。辺野古裁判闘争の一連の経過はますますそのことを明白化している。アリの一言氏が今回の「違法確認訴訟」の事例を通して指摘していることもそういうことでしょう。翁長県知事を誕生させる原動力となったオール沖縄体制の認識の甘さがいまになってどうしようもない形で露呈化している、というのがいまの沖縄の現実ではないか。私たちはその現実から目をそらすべきではないでしょう。


【尋問で明らかになった翁長知事の安倍政権への屈服姿勢】
「辺野古埋立承認取り消し」をめぐり国が沖縄県を提訴した「違法確認訴訟」は19日結審し、来月16日に判決が出ることになりました。この日は翁長雄志知事に対する本人尋問が行われました。尋問やその後の記者会見であらためて明らかになったのは、翁長氏の政府(安倍政権)に対する卑屈な屈服姿勢でした。「本人尋問で翁長知事は、新基地建設問題を解決するため国と協議する重要性を強調。…和解後の国との協議について『本質的な議論はなかった』と指摘」(20日付琉球新報)しました。そして、「約1時間40分に及ぶ尋問を終えると笑みをこぼし『裁判所に協議の重要性を伝えることができた』と落ち着いた表情を浮かべた」(20日付沖縄タイムス)といいます。裁判所に対して、国との協議の「重要性」とその不十分さを訴えたことで笑みをこぼすほどの満足感を得たようです。おかしな話です。協議が不十分だと裁判所に訴えて何が解決するでしょうか。訴えるべきは協議相手の国(安倍政権)ではないでしょうか。不十分だというなら、なぜその場で国に抗議し、「本質的な議論」をしよう提起しなかったのか。なぜ言うべき時に、言うべき相手に、言うべきことを言わなかったのか。翁長氏が実際にやったことは、まるで逆の政府への迎合でした。

例えば7月21日の政府・沖縄県協議会。菅官房長官は記者会見で、「和解条項の趣旨に照らし、あす(7月22日)地方自治法に基づき(沖縄県を)提訴すると伝えた。…(翁長)知事からは『異存はない』との発言があった」(7月22日付琉球新報)と明らかにしました。この時のようすを19日の尋問で翁長氏自身がこう述べています。「15分という時間、集中協議の中でとても話し合える時間ではない。もっと時間下さいという話したら、精いっぱいだから、15分で勘弁してくださいと。その中で発言の順序決まって、話の内容も決まった。異論もあったが、政府が提訴しますよというのはもともと聞いていたから、事実確認レベルで『はい』と言った」(20日付琉球新報)政府の言うままになって、「はい」と言ったと認めています。こうした翁長氏の姿勢に対し、19日の尋問後の記者会見で、「県側のアプローチが足りなかったのでは」という当然の質問が出ました。これに対し翁長氏は、「それを言われたら。あなたは国家権力を知らない」と質問した記者に対して気色ばみ、こう言いました。「あのとき(政府・沖縄県協議会ー引用者)は信頼関係も大切だから、基地の問題は言うなと言われているとはあそこ(協議会後のぶらさがり会見ー引用者)では言えなかった。これを言ったらまたどういう波及効果が出てくるのか。だから国と県の大きさの違いというのを踏まえながらの話でご理解をいただきたい。言いたい放題言えるなら、もう少しましなもの(協議ー引用者)になっているのではないか」(20日付琉球新報)

これは驚くべき発言です。①政府・沖縄県協議会で政府から「基地の問題は言うなと言われてい」た②その「信頼関係」を大切にして記者会見では言わなかった(政府の指示通りにして情報を隠ぺいした)③もし指示に従わなかった場合の「波及効果」を心配した(報復を恐れた)④「国と県の大きさの違い」を踏まえる必要があるーというのです。なんという卑屈な屈服でしょうか。卑屈なだけではありません。「国と県の大きさの違いというものを踏まえ」なければならないとは、「国と地方自治体は対等」とする改正地方自治法の基本精神に反すると言わねばなりません。これが「国家権力」を知っている、根っからの「保守」である翁長氏の実体です。こうした知事のもとで、辺野古、高江など沖縄に新基地を造らせないために、安倍強権政権と正面からたたかうことができるでしょうか。(
アリの一言 2016年08月20日

【山中人間話目次】
・辺野古違法確認訴訟が結審、来月16日判決
・仲宗根勇さん(元裁判官)の国の翁長知事を相手方とする違法確認訴訟の問題点の解説と沖縄県への問題提起(再掲)
・文芸評論家の加藤典洋と作家の高橋源一郎の「天皇陛下」観
キョウ おーるおきなわ3

Blog「みずき」:沖縄の民主勢力(オール沖縄)の激しい「右傾化」を危惧する(ここにも共産党の「右傾化」の影響が当然尾を引いている)。法を無視して暴虐の限りを尽くすあまりに理不尽な沖縄・高江のヘリパッド建設強行に反対しない「オール沖縄」とはいったいなにか。何者か! 「アリの一言」ブログ氏の怒りの問い。


【「高江にはノータッチだ」というオール沖縄の志の存否を厳しく問う】
安倍政権による沖縄・高江の
ヘリパッド建設強行は、「もはや日本は『法治国家』の名に値しない」(2日付琉球新報社説)ほどの暴挙であり、沖縄と「本土」の民主的世論を結集して建設を阻止することが急務です。そんななか、奇妙な事態が起こっています。沖縄の新基地建設を阻止するために結成されたはずの「オール沖縄会議」が、「高江」についてはノータッチで反対はしないというのです。いったいどういうことでしょうか。問題が露呈したのは、沖縄県議会で「ヘリパッド建設を強行に進めることに対し厳重に抗議するとともに、建設を直ちに中止するよう強く要請する」という「意見書」(7月21日)が翁長県政与党(社民党、共産党、社大党など)の賛成多数で採択される過程でした。「『県議会で反対決議を』という市民の声を受け、与党や経済界でつくる『オール沖縄会議』は緊急の会合を開催。ただ、結成の目的は辺野古阻止のため、オール沖縄会議としては高江には触れない結論に至った」(7月29日付沖縄タイムス)「オール沖縄会議」は「辺野古」のために結成したものだから、「高江」にはノータッチだ、というのです。こんなバカな話はありません。同会議は確かに「辺野古新基地建設阻止」を前面に掲げ、「翁長知事を支え」るとして発足したものです。しかし同時に、その「設立趣意書」(2015年12月14)にはこう明記されています。「オスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖撤去、県内移設断念を求め政府に突きつけた2013年の『建白書』の精神を基軸に(する)」「新基地建設を阻止し、明るい未来の扉を開いていく」

高江ヘリパッドの主な目的はまさにオスプレイの訓練です。「オスプレイの配備撤回」を要求するなら、高江のヘリパッド建設に反対するのは当然です。そして言うまでもなく、高江ヘリパッドは米軍の「新基地」です。翁長知事は「オスプレイが訓練するというのもはっきりしているので、こうしたことの説明がないままに着工するべきではない」(7月23日付琉球新報)と言いながら態度を明確にしていません。というより、「
SACO合意を着実に実施する」(同)としてSACO合意にあるヘリパッド建設を容認する姿勢を示しながら、市民や県政与党の手前、あいまいな態度に終始しているのです。「オール沖縄会議」が「建白書」の実現、「新基地建設阻止」を「設立趣意書」でうたいながら、高江にはノータッチだというのはなぜか。ヘリパッド建設を容認する翁長氏と歩調を合わせるためにほかなりません。これが「翁長知事の闘いを全面的に支えていく」(設立趣意書)ということでしょうか。同会議の共同代表である稲嶺進名護市長、高里鈴代基地・軍隊を許さない行動する女たちの会代表(もう1人の共同代表は呉屋守将金秀グループ会長)は、「高江には触れない」という「結論」に異論はないのでしょうか。同会議の意思決定は、いったいどこで、どのようなプロセスで、どのような議論を経ておこなわれるのでしょうか。「高江」について稲嶺氏や高里氏はどのような主張を行ったのでしょうか。「オール沖縄会議」は、辺野古、高江を含めあらゆる「新基地建設阻止」の立場に立つのか、それとも翁長氏と一蓮托生の「翁長後援会」に終始するのか。その立場がきびしく問われています。(アリの一言 2016年08月02日

【山中人間話目次】
・金平茂紀の新・ワジワジー通信(17)】理不尽な、あまりに理不尽な 高江着手 胃液逆流の思い
・多くの人たちが脱出口のない政治の状況に絶望し、虚無という空っぽの魂を抱いて生きている
・内野光子さん(歌人)の応答への応答――小さなつながりが小さくない希望になる
・戦時中の日本による残虐行為を「なかった」と否定し、核保有を検討すべきと主張するマジキチが防衛大臣になっちゃった、と英タイムズ紙
・イスラエルのハーレツ紙は「ネオナチ関係者が日本の防衛大臣に」と
 キョウ たかえ3
22日、沖縄・高江

Blog「みずき」:沖縄のメディアが以下のように翁長知事を明確に批判した記事を見たのは私は初めてです。もちろん、部分的な批判記事はこれまでにもありました。しかし、これまでの大概の記事は、最後は翁長知事ヨイショで締めくくっていました。平安名純代記者の重要な問題提起だと思います。この平安名さんの問いかけが契機となって沖縄メディアといわゆるオール沖縄体制の「翁長タブー」に風穴が開くことを私は期待します。

【前提を再設定し直して交渉に挑む必要がある】
政府や政治家の本音を見極めたい時、言葉ではなく行動で判断すると分かりやすいことがある。名護市辺野古の新基地建設計画を巡る代執行訴訟で、日本政府と県が3月に
和解したのを受け、「円満解決」に向けた協議の過程で、政府が歩み寄るだろうとの期待が沖縄側にあった。しかし和解が成立した3月の時点で、すでに米側では、工事は最長で来年3月まで止まり、そして再開されると予想されていた。和解から約10日後の上院軍事委員会の公聴会では、米海兵隊のネラー総司令官が、来年3月までには工事再開の具体的日程が判明すると述べ、「われわれは沖縄県から代替施設建設の合意を得ようとしている日本政府を引き続き支援していく」と 証言した。あれから約4カ月の時が流れ、国は22日に県を再提訴した。しかし、米政府内には法廷闘争は来年の2月までには終わるとの見方がすでに浮上している。まるでそうしたシナリオが実際にあるかのごとく、事態はそのタイムラインに沿って進んでいる。来年1月には新大統領が誕生し、新たに掲げられた政策に沿って、2月には基本政策の見直しが終る。もしその時までに新基地建設計画を巡る裁判闘争が続いている場合、実現性に疑問符を伴う計画と判断される可能性がある。だから、その時までに難関をクリアしておきたいという考えなのだろう。海兵隊幹部らを取材していると、辺野古と高江でオスプレイの理想の訓練場が出来上がるとの期待を肌で感じる。翁長雄志知事は、政府が高江ヘリパッド工事を強行する前日21日に開かれた政府・沖縄県協議会で、同工事にまったく言及しなかった。抗議すべき相手が目の前にいるのに抗議しない、県民の思いすら伝えないのは、相手の意図を容認(黙認)していることに等しい。市民が強行排除される高江の今の状況を招いた責任の一端は翁長知事にもある。日米両政府には、新基地を諦める意志などない。従って、沖縄と話し合いで解決しようという意思もない。まずは前提を再設定し直して、交渉に挑む必要がある。(【平安名純代・想い風】 沖縄タイムス+プラス 2016年7月25日

【山中人間話目次】
・都知事選。鳥越氏3番手の原因
・都知事選の中盤、終盤情勢。鳥越氏3番手の原因(2)
・国の再提訴に関して、その中に仕組まれている国の悪巧みに関する仲宗根勇さん(元裁判官)の重要な指摘。
・警察関係者さえ「尋常じゃない」と言っている。準起訴手続によって「公務員職権濫用」の罪に問えるのではないか?
・沖縄県公安員会の与儀委員長らを任命した知事と任命に同意した県議会の責任も追及しなければならない。敵は身内にあり!
・沖縄のメディアの翁長知事とオール沖縄批判・田中龍作ジャーナル 「【沖縄・高江発】警察が反対派市民をひき逃げ」記事への反論
・田中龍作ジャーナル 【沖縄・高江発】 山城議長「これ以上機動隊の暴力に晒されたくない」記事への反論
・私はなぜ田中龍作を批判するか
・岩上安身氏の軽薄な鳥越俊太郎候補に対する「贔屓の引き倒し」記事の負の影響は到るところで出ています。
・黒岳・男池にあったクマさんの家のこと
キョウ おなが3

Blog「みずき」:翁長知事は「米軍属による女性暴行殺人事件に抗議する県民大会」を前にした県庁での16日の記者会見で「『海兵隊の撤退』は『全面撤退』ではないと思う」と述べているようですが、この翁長知事の認識は事実に反するでしょう。
2016年5月26日付けの朝日新聞が「在沖海兵隊すべての撤退要求を県議会として決めるのは、1972年の本土復帰後初めて」という沖縄県議会事務局のコメントを取材して掲載していますが、同記事はこの件に関する翁長知事の認識の誤りを示すひとつの傍証になっています。あったことをなかったことのように言う不誠実な態度は沖縄県知事としてはもちろん、辺野古基地建設反対運動のリーダーとしてもふさわしいものではありません。私からもそのことを指摘しておきたいと思います。

【「海兵隊の撤退」要求は「全面撤退」ではじめて一定の意味を持つ】
「慰霊の日」の「沖縄全戦没者追悼式典」(県主催)で翁長雄志知事が行った「
平和宣言」に対し、「人権と平和守る要求だ」(24日付琉球新報社説)などと、全面的に賛美する論調が蔓延しています。しかし、「平和宣言」の内容をリアルに検証するなら、それはとうてい評価できるものではありません。むしろ、重大な後退を指摘せざるをえません。「平和宣言」の中で翁長氏はこう言いました。「日米両政府に対し、日米地位協定の抜本的な見直しとともに、海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小など…直ちに実現するよう強く求める」これに対し琉球新報は社説(24日付)で「海兵隊削減を『平和宣言』に盛り込むのは初めてだ」「19日の県民大会も海兵隊撤退を掲げた。『平和宣言』に盛り込むのは自然の流れだ」と手放しで評価しています。きわめて奇妙な論説です。県民大会決議が掲げたのは「海兵隊の撤退」。翁長氏が「平和宣言」で言ったのは「海兵隊の削減」。「撤退」と「削減」はまるで違います。その違いを承知の上で、翁長氏が「撤退」から「削減」に変えたことをなぜ見過ごすのでしょう。なぜ批判しないのでしょうか。翁長氏は「平和宣言」で、県民大会決議の「海兵隊の撤退」を、あえて「海兵隊の削減」に後退(変質)させたのです。

21日の当ブログ(「
『海兵隊の撤退』に背を向ける翁長知事」)でも書いたように、翁長氏は16日の記者会見で「『海兵隊の撤退』は『全面撤退』ではないと思う」と、県民大会決議の意味を後退させました。そして、大会当日の「あいさつ」ではさすがに「撤退」の言葉を省くわけにいかず、「海兵隊の撤退・削減」と述べ、2つを並列させました。そして「平和宣言」ではついに「撤退」の方を削除し、「削減」だけにしてしまったのです。「知事は内容を吟味した上で発する平和宣言で『撤退』ではなく『削減』という言葉を選んだ」(24日付琉球新報)と報じられています。「撤退」削除が翁長氏の深謀遠慮の結果だったことは明らかです。「海兵隊の撤退」要求は、「全面撤退」ではじめて一定の意味を持つものです。「削減」ではなんの力にもなりません。米政府ですらすでに在沖米軍海兵隊2万人のうち約9千人を「削減」してグアムなどへ移す計画を持っているのです。参院選に立候補している島尻安伊子氏(自民)と伊波洋一氏の「政策比較表」(22日付琉球新報)によると、「在沖海兵隊」の項目では島尻氏でさえ「削減すべき」と答えているのです。伊波氏の主張は「全て撤退すべき」です。翁長氏の主張がどちらの側に立つものであるか明らかでしょう。そもそも、県民の怒りの要求は、「基地の全面撤去」です。それが「オール沖縄」主催の県民大会決議で「海兵隊の撤退」に後退し、さらに翁長氏の「平和宣言」で「海兵隊の削減」になったのです。この変遷(後退)はきわめて重大であり、けっして容認できるものではありません。(アリの一言 2016年06月24日
【何が、どう語られるか。誰が、何を、いかに贖うか】

なきがらは茂みに潜み、じっと耳そばだてている。
何が、どう語られるか。誰が、何を、いかに贖うか。
憤怒は爆ぜるか。この痛みは、ただ悼まれるだけか。
ホンドのおためごかしに馴らされるのか。
むくろは茂みで目を見開いている。
爆ぜよ!

辺見庸
2016/06/19 沖縄タイムス
 
キョウ おきなわ7

【号外】「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」(主催・オール沖縄会議)が19日、那覇市の奥武山公園陸上競技場をメーン会場に開かれた。6万5千人(主催者発表)が参加し、米軍関係の事件や事故を根絶するため在沖米海兵隊の撤退などを求める決議を採択。会場は被害者への鎮魂の思いと静かな怒りに包まれ、二度と事件を繰り返させない決意を日米両政府に突き付けた。(沖縄タイムス 2016年6月19日 14:00)
キョウ へのこ7

Blog「みずき」:「今日の言葉」として引用する仲宗根勇さんの文章のテーマは「沖縄差別の源流と「和解」をめぐる疑惑・今後の闘い」というもので、下記はそのうち「沖縄差別の源流」の部分のさらにその一節に焦点を当てているものです。本文はPeace Philosophy Centreブログにも転載されており、その中で同ブログ運営人の乗松聡子さんは「仲宗根氏は最後から2番目の段落で、もし県が新たな訴訟で敗訴した場合、「県が自ら招いてしまった第9条の拘束を自動的に受けることになるので、その拘束から逃れるためには、新たな訴訟の判決直前に翁長知事が埋め立て承認の撤回をするのが得策」と述べている。これは県が耳を傾けるべき重要な提言ではないか」というコメントを述べています。本文全体のポイントを理解するために乗松さんのコメントを前説としてご紹介しておきます。

【「沖縄差別」という言葉が今日ほど日常的に広く頻繁に語られた時代はない】
沖縄差別」という言葉が今日ほど日常的に広く頻繁に語られた時代は、沖縄の近現代史においてかってなかったことである。近くは、1960年代から70年代初頭にかけての
復帰運動がピークに達した頃の闘争の現場において、本土政府の沖縄に対する理不尽な仕打ちに対し、沖縄の民衆が現在のように「沖縄差別を許すな!」などというシュプレヒコールを唱えることはなかった。その理由は、当時の主流的な復帰運動が抱えた思想原理に内包されていたということができる。つまり、「祖国復帰」(母なる「祖国」への復帰)という言葉に象徴される当時の主流的な復帰思想は、日本国が単一民族国家であることを無意識のうちに前提にして、国民国家の構成員としての沖縄人イコール=日本国民という真正な等式が何の疑問もなく立論され、言わばその等式を前提にしての復帰運動であった。それゆえに、沖縄を含む日本国家の同一民族論に立つこの等式からは「差別」という観念は論理必然的に排除・隠蔽されねばならなかったわけである。しかし、この運動原理の前提とは異なり、沖縄人を異族視する、本土における一般的な民衆意識が広範に存在したことは、当時から現在に至るまで何ら変わってはいない。そうであるがゆえに、国土面積の0.6パーセントに過ぎない沖縄に全国の約74パーセントの在日米軍専用施設を押しつけて恥じない日本政府とそれを支持する多数の日本国民という不条理な構図が続いているわけである。

しかし、「復帰」後40年以上の歳月が流れた現在、復帰に状況変革の夢をかけた沖縄の民衆の政治意識は大きく変容している。「復帰」前後においては、意識的に論じられることがなかったいくつもの論点・視点が公然と浮上してきた。例えば、沖縄人がいわゆる「先住民族」であるか否かが新聞紙上などで論争され、安倍内閣によって平和憲法が弊履のように捨てられている日本から離脱し理想の国家を構想する「琉球独立論」が学問的・運動論的に確かな形で民衆の前に立ち現れている。「
日本会議」などの右翼勢力をバックにした安倍内閣が日本国憲法をクーデター的に解釈改憲して、自衛隊がアメリカの傭兵となって世界中で戦争をすることができる戦争法を強行採決し、沖縄差別の発現である辺野古新基地建設を暴力的に強行する日本国家に対する底なしの絶望がその背景にある。(略)アメリカの「アジア回帰」戦略に呼応して集団的自衛権を現実化する戦争法を強行採決した安倍内閣が、諸々の選挙で示された沖縄の圧倒的な民意を無視し、アメとムチを振りかざして辺野古新基地建設を強行し、配備隠しの果てのオスプレイの配備強行、南西諸島への自衛隊配備を推し進めている現実それ自体、沖縄差別そのものの集中的表現である。同時にそれは、憲法違反状態の小選挙区制と野党分裂が生んだ虚構の多数与党にあぐらをかき、日本国憲法を無視し立憲主義を破壊しつつ明文改憲をもたくらむ安倍内閣による、憲法クーデターともいうべき憲法の危機的状況を意味する。辺野古・高江の闘いは、沖縄の環境と未来を守るとともに、右翼・安倍晋三内閣による世界に冠たる日本国憲法の改悪策動を許さない、平和と人権を守る歴史的な闘いの最前線に位置する。(仲宗根勇「Peace Philosophy Centre」(2016年6月16日)より
キョウ おなが2

Blog「みずき」:重要で本質的な指摘だと思います。しかし、このことについては誰も言わない。問おうとしない。「沖縄」の問題はほんとうはここにあるのではないか、とは私の思うところでもあるのです。


【琉球新報社説「全基地閉鎖要求に踏み込んでほしかった」】
翁長雄志知事が23日安倍首相と会談した際、「
オバマ大統領に直接話をさせてほしい」と発言したことが注目されています。翁長氏はオバマ大統領に会って何を言うつもりなのでしょうか。問題は会うか会わないかではなく、会って何を主張・要求するのかです。ところが肝心のその中身について、翁長氏は何も語っていません。ただ「県民の生命と財産、将来の子や孫の安心安全を守るため」という抽象的な「理由」を述べただけです。これでは「日本政府がそれに応じる訳がないと分かってのことだろう」(佐藤学沖縄国際大教授、24日付琉球新報)とみるのが当然で、政治的パフォーマンスであることは見抜かれています。仮にオバマ氏と直接話ができたとしても、その場で的確な主張をしなければ、意味がないどころか、かえって事態を誤った方向へ収束させるだけです。翁長氏はいま、オバマ大統領に何を言うできでしょうか。それは今回の事件によって沖縄県内に広がっている県民の切実な声、「沖縄に暮らす人びとの真に安全な社会を実現するため、沖縄から全ての基地・軍隊の撤退を求める」(「女性16団体要求書」5月20日)、すなわち沖縄からの全基地撤去にほかなりません。

ところが翁長氏は、安倍首相との会談で、「全基地撤去」については一言も触れませんでした。琉球新報は社説(24日付)で、安倍首相と会談した翁長氏に対し、「
物足りなさを禁じ得ない」として、こう指摘しています。「大統領との面会要求のほかは地位協定見直しを含めた『実効性ある抜本的対策』を求めたくらいだが、それだけで基地に由来する凶悪事件を根絶できないのは明らかだ。やはり全基地閉鎖要求に踏み込んでほしかった」首相との会談後の記者会見でも、翁長氏に対し、「全基地撤去の声が高まっている」と水が向けられました。翁長氏はこう答えました。「県民がそういう気持ちを持つのは(理解でき)、私も県民の一人として思う。ただ政治は結果でもあるので。こういったこと等を踏まえた上で、今私たちが新辺野古基地は造らせない、普天間基地は県外移設だと訴えている。全県的に基地は要らないということは、そういったことを踏まえた議論の中で、やるべきだろう」(24日付琉球新報)例によって明瞭ではありませんが、要は、自分は「全基地撤去(閉鎖)」という主張はしない、ということです。20日の記者会見となんら変わっていません(22日の当ブログ参照)。いま、この時に、オバマ大統領に対しても、安倍首相に対しても、「沖縄から全ての基地・軍隊の撤退を求める」という県民の痛切な要求を突きつけることができない人物に、沖縄県知事としての資格があるでしょうか。(アリの一言 2016年05月24日

固き土を破りて 民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ
沖縄を返せ 沖縄を返せ

【基地がなければ、奪われることのなかった命は数え切れない】
最悪の結末を迎えた米軍属の元海兵隊員による女性遺棄事件で、容疑者は女性を乱暴し、残忍な手口で殺害したと供述している。米軍基地問題の不条理に対し、沖縄社会は尊厳を懸けて抗う強さを増している。しかし、私たちは、成人式を終え、希望に満ちていた20歳の女性の命を守れなかった。痛恨の極みと言うしかない。(略)米統治下の1955年9月、6歳の幼女を米兵が車で連れ去り、嘉手納基地内で何度も暴行して殺害し、基地内のごみ捨て場に捨てた。苦痛に顔をゆがめて歯を食いしばり、ぎゅっと結んだ小さな手には雑草が握られていた。立法院は「沖縄人は、殺され損、殴られ損で、あたかも人権が踏みにじられ、世界人権宣言の精神が無視されている」と抗議決議した。61年前の由美子ちゃん事件、1995年の少女乱暴事件、そして今回の事件は、軍隊組織で培われたむきだしの暴力が弱い女性の尊厳を容赦なく蹂躙する構図で共通する。基地がなければ、奪われることのなかった命は数え切れない。米軍基地の過重負担は、12万2千人余の県民が犠牲になった
沖縄戦を起点とし、米軍統治下の27年間で積み重ねられた人権侵害が縦糸になっている。泣き寝入りした被害者を含め、無数の無念が戦後史に陰影を刻み、沖縄の施政権返還後も続く基地被害が横糸を紡ぐ重層的構造になっている。

日本軍が駐留していたからこそ沖縄は戦場になった。不戦を誓う県民にとって、沖縄戦と今回の許し難い事件、そして名護市辺野古の新基地建設は地続きの問題だ。(略)過重負担の是正を求め、辺野古新基地を拒む沖縄の民意は民主主義的正当性を宿す。それを一顧だにせず、虚飾と印象操作に満ちた「負担軽減」の文言を繰り返すだけの無策の末、新たな犠牲者を生み出した日米両政府は、まぎれもなく第2の容疑者である。翁長雄志知事が国連人権理事会で「県民の人権と自己決定権が侵害されている」と世界に訴えた後、菅義偉官房長官は基地問題は人権問題ではないと批判していたが、今回の事件は最たる人権侵害以外の何ものでもなかろう。県内に渦巻く激しい怒りは、これまでの米軍事件とは全く次元が異なる。それを安倍政権は自覚せねばならない。2000年7月の沖縄サミットで、当時のクリントン米大統領は県民向けの演説で「米軍の足跡を減らす」と約束したが、空証文でしかなかった。同じ民主党出身のオバマ大統領は今月末の広島訪問に際して沖縄を訪れ、基地の島・OKINAWAに犠牲を強い続けていることを明確に謝罪し、辺野古新基地断念を表明すべきだ。沖縄は日米の植民地ではない。私たちには、子や孫の世代に新たな犠牲者を出す構造を立ち切る責務があり、「第3の容疑者」になることを拒む。そのために立ち上がるべき時が来ている。(
松元剛編集局報道本部長「琉球新報」2016年5月22日
キョウ さんふらんしすこ

Blog「みずき」:「アリの一言」ブログが昭和天皇とサンフランシスコ体制及び天皇の沖縄メッセージとの関係をわかりやすく解説した記事を弊ブログ記事として以下にまとめています。こちらも合わせてご参照ください。
革新の視点から見た「沖縄」問題と「象徴天皇制」について ――NHKスペシャル「日本人と象徴天皇」の第1回と第2回の映像と「アリの一言」ブログの映像解説

【天皇の「権威」を高め「親近感」を演出する行事の無批判な賛美が続く】きょう4月28日は「
サンフランシスコ講和条約・日米安保条約」発効から64年目です。日本政府はこの日を「主権回復の日」と称していますが、沖縄にとっては「屈辱の日」です。しかし、本土の新聞各紙、テレビで、「屈辱の日」に触れたものは見当たりません。「サ条約・安保条約発効」すら見えません。一方、映画監督・周防正行氏の紫綬褒章はじめ、各県の市民が受賞する「春の褒章」は、例外なく大きく報じられています。「屈辱の日」と「春の褒章」。一見なんの関係もないようですが、実は深いところで結びついています。2つを結ぶキーワードは、「天皇(制)」です。
キョウ へのこ6
アジア・パシフィックジャーナル

 Blog「みずき」:目取真俊さんと「アリの一言」氏の見解の相違、あるいは立ち位置の相違は端的に言って翁長県政とそれを支えるオール沖縄への評価の相違といってよいでしょう。この問題に関連して仲宗根勇さん(元裁判官)は「和解条項第9項の持つ危険性を理解できない、あるいは理解しようとしない者は法律専門家とは言えない。彼らは独善的政治屋に過ぎない」とも指弾しています。私たちはもうそろそろ「オール沖縄」という共同幻想から脱却し、少なくない沖縄の有志から辺野古問題を停滞させている大きな一因と指摘されているその幻想の問題性に気づくべきときではないでしょうか?

【目取真俊さんと「アリの一言」氏の立ち位置の相違】
辺野古の海で新基地反対行動をしていて米軍に8時間拘束されたうえ逮捕された作家の
目取真俊氏が、13日付の琉球新報(「季刊 目取真俊」)で、興味深い指摘をしています。目取真氏は、安倍政権が普天間基地を沖縄本島北部の辺野古に「移設」し、嘉手納以南(本島中南部)の米軍基地を「返還」することを「負担軽減」だとしていることを批判したうえで、こう述べています。「それだけではない。基地が『返還』されて再開発が行われる中南部と基地が集中する北部との間の経済格差はさらに拡大し、北部から中南部への人口流出が加速することも容易に推測できる。北部では過疎化と基地経済への依存が進み、沖縄島が南北に分断されることで、県民全体の基地問題への関心も低下するだろう。それこそが日本政府の狙いだと言っていい。米軍専用施設の74%を沖縄に集中させることで、基地負担免れているヤマトゥの大多数の人々は、基地問題を自らの問題として考えなくてすまされている。それと同じ構造を沖縄内部で作り出し、ヤンバルに海兵隊基地を集中させることで、人口が多い中南部の人たちの関心の低下を狙っている」(略)

「しかし、日本政府のそういう姑息な思惑に乗せられるほど沖縄県民は愚かではない。…かつて『県内移設』を進めていた保守陣営や経済界からも辺野古新基地建設反対の声が上がっている。そして、県民の大きな支持に支えられて、
翁長雄志知事が国と対峙している」

目取真氏は翁長氏や翁長支持陣営・沖縄県民は政府による差別と分断の「姑息な思惑」には乗せられていないというのです。果たしてそう言い切れるでしょうか。ここで考えてみる必要があるのは、目取真氏が指摘する「本土と沖縄」「中南部と北部」と「同じ構造」(あるいは類似の構造)は、「沖縄内部」にほかにもあるのではないかということです。すなわち、同じ北部内の「辺野古(名護市)と高江」の関係、そして「沖縄本島と八重山諸島」の関係です。
キョウ へのこ5
毎日新聞(西部本社版)1面トップ
 
Blog「みずき」:「今日の言葉」は昨日(5日)付けの「
今日の言葉」(和解の最大の問題は6項などではなくまさに9項にこそある。9項に触れない議論は現実を糊塗するか県弁護団を擁護するそれこそ政治的法家の手法に他ならない)の続きということになります。重要な問題提起が続きます。昨日付けの仲宗根勇さん(元裁判官・沖縄在住)の言葉を繰り返しておきます。オール沖縄及び翁長知事と県弁護団は「官邸と法務官僚のこの条項追加の意図を独自の見解によって無視して、自己の無謬性を語ってはならない」。

【確定直前に撤回すれば和解条項9の拘束から逃れることができる】
今日4月6日付毎日新聞が翁長知事の判決確定後の対応についての
インタビュー記事を報じている。これについての私見をメモとして書いておく。翁長知事がようやく「行政行為の取り消し」から「行政行為の撤回」を視野に入れ始めたことは正しい方向だが、「判決確定後」の対応では遅すぎる。判決確定「後」は和解条項9が自動的に働くので、判決理由のいかんによっては「撤回」権行使の障害になりうるからである。このインタビュー記事で「判決確定後の対応」と書いていることが文字通り知事の発言内容だとすると大変な危険を沖縄県が背負うことになる。県は「判決確定」後ではなく「判決確定」前、できるだけ裁判を長引かせればその間工事の中止状態が続くので確定直前まで訴訟を引っ張り、確定直前に撤回すれば、和解条項9の拘束から逃れることができるのみでなく、既成工事量を最小限にとどめ得るので撤回をめぐる裁判においても県に有利になる。以上が「撤回」に関する以前からの私の考えである。(仲宗根勇フェイスブック 2016年4月6日
キョウ わかいじょうこう  

Blog「みずき」:仲宗根勇さんの下記記事の前提として和解条項9項の問題点に関して仲宗根さんがこれまで書かれた3本の記事を弊ブログに「今日の言葉」としてまとめていますのでご参照ください。

Blog「みずき」2016.03.18 今日の言葉 ――まさに問題とすべき辺野古和解条項9項問題に触れたがらないような雰囲気が沖縄の中にあるのは不可解である。「オール沖縄」に傷がつくことを恐れているのであろうか。 
Blog「みずき」2016.03.25 今日の言葉 ――国が和解に転じたのはそのほうが自らに利があると判断したからだろう。沖縄が勝てる闘いを最後まで闘い抜いていれば、より大きな実を手にしていた可能性はないだろうか。 
Blog「みずき」2016.03.27 今日の言葉 ――オール沖縄と翁長県政は官邸の裁判所と密通した裏側を無視して和解有利論・和解勝利論などを今なお主張して、これまでの自分の立ち位置や公的に表明した見解の過ちや短慮を糊塗する時ではない。 

なお「和解条項」の原文はこちらをご参照ください。

【和解条項9項を政治主義的に無視して、自己の無謬性を語ってはならない】
国と県の
和解条項は9項が問題ではなく6項が問題だという意見がある。それに対して、以下の通り反論しておく。
キョウ めどるましゅん
釈放された目取真俊さん

【目取真俊さんの釈放と「オール沖縄」の問題】
Blog「みずき」1:目取真俊さんの釈放に関して弁護士の澤藤統一郎さんのご感想もシェアしておきます。澤藤さんは目取真さんを「『危険な匂い』のする作家」(もちろん、敬意を込めてのものです)とする自身の見方を示したうえで「オール沖縄の運動体の一部に、この危険な匂いを敬遠する思いがありはしないかという危惧があった」と率直な感想を述べています。澤藤さんはその危惧は結局杞憂に終わったともつけ加えられてもいるのですが、「オール沖縄」の抱える問題性に着目している点で一頭地を抜く感想になっているように思います。
キョウ おきなわ3

Blog「みずき」:今日の言葉は「国が和解に転じたのはそのほうが自らに利があると判断したからだろう。沖縄が勝てる闘いを最後まで闘い抜いていれば、より大きな実を手にしていた可能性はないだろうか」(2016.03.25)の続き、安倍官邸と多谷見裁判長密議問題の第2弾ということになります。重要な問題提起だと思います。「オール沖縄」を含む革新勢力の最近の一連の「見る目のなさ」の露呈は、この国の「革新」政党と自主的に判断する能力を失い、実体として「革新」政党の主張の出先販売機関化しているいわゆる民主勢力のこれもやはり「総べて」と表現した方がおそらく実態により相応しい雪崩現象(誰が雪崩の原因をつくったか)としての「右傾化」の問題と決して無関係ではありえないでしょう。「右傾化」は民主勢力の外にあるのではないのです。

【安倍官邸は一石二鳥も三鳥も得たと腹の底から笑っている】
沖縄タイムス3月24日付3面に掲載された記事(「
表層/深層 国、移設へ透ける打算 辺野古訴訟和解の裏側」)は、一面トップ記事にすべき驚天動地の一大ニュースだ。官邸が外務、防衛両省の官僚を排除して、官房長官外務大臣防衛大臣に国の訴訟を所管する法務省の定塚訟務局長が加わり、密議して暫定案の受け入れを決めた。その際、「関係者は『定塚氏は高裁支部の多見谷寿郎裁判長と連絡を取っていたとみられる』と証言する。」その後最初の暫定和解案を修正して「再訴訟になった場合、判決に従うとともに『その後の(判決の)趣旨に従って互いに協力して誠実に対応することを相互に確約する』と明記した。」云々、、、
キョウ おなが

Blog「みずき」:辺野古和解条項9項問題に関する仲宗根勇さんの下記掲載の論のほか既出記事「まさに問題とすべき辺野古和解条項9項問題に触れたがらないような雰囲気が沖縄の中にあるのは不可解である」(2016.03.18)も合わせてご参照ください。

【「和解」は果たして沖縄に利する選択だったのか】
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐり、県と国との間で成立した「和解」の翌日、県紙には「県主張沿い『勝訴』」「ついにやった」などの見出しが躍った。県内で和解を評価する声があふれる傍ら、米側には冷静さが漂う。果たして和解は誰に利するものなのか
 
「和解の前提は辺野古見直しのための協議ではない。移設先をめぐる議論はすでに終わった。だから法廷闘争が始まった」と話す米国務省高官は、日米両政府は移設先を辺野古と定めた現行計画を一貫して堅持しており、移設を着実に履行するための選択が和解勧告の受け入れだったと指摘。地方分権の理念を無視して代執行に踏み切った日本側の判断の甘さを批判し、「もし敗訴していれば影響は大きかった」と解釈する。

米側の最大の懸念は、日本政府が敗訴し、県の主張の正当性が認められるという点だった。法で定められた手順を無視してまで沖縄を抑え込もうという日本政府の姿勢が「敗訴」という形で明確になれば、米国防予算のひもを握る米連邦議会の目や世論の風当たりも厳しくなる。そうすれば辺野古移設そのものを見直す契機となりかねない。