キョウ さんだーす33
アメリカ社会党から大統領に立候補したユージン・デブスの
写真の前に座るサンダース

Blog「みずき」:「今日の言葉」は私の仮に自民党・安倍政権打倒に成功したとしても、その先の政治が第2自民党的なものでしかない政治に猪野さんはなにを期待しようというのでしょう? 私は猪野亨さんの論を肯うことはできません」という論です。私は広原盛明さん(京都府立大学名誉教授。元京都市長選候補者)の「『野党共闘ありき』ではない、安倍政権の暴走を阻止する政治勢力の形成が目標なのだ、蓮舫・野田執行部の3原則、『「相互推薦なし、政策協定なし、横並びの街頭演説なし』では、野党共闘は早晩消滅するだろう」という論の方を支持します。

【数合わせの論理でしかない「野党共闘」の論理】
民進 綱領・政策が違うから共産とは一緒にはできない? 目指すは争点を絞った選挙協力 民進党内の方がよほどバラバラでしょ」という猪野亨さん(弁護士)の論は要約すれば「来年早々にもあるのではないかと言われている衆議院総選挙ですが、安倍氏は何度も解散、総選挙を繰り返すことによって野党の弱体化を狙っています。(略)問題なのは受けて立つ野党側です。野党支持者の願いは候補の一本化です。野党候補の共倒れほど、虚しいものはありません。野党間の選挙協力が問われているということです。『4野党共闘ならば47選挙区で当落逆転 与党326→279 全野党共闘ならば84選挙区で逆転…』(産経新聞2016年11月7日)」できるというものです。

しかし、猪野さん(弁護士)の「野党共闘」待望論の論理は端的に言って「共闘」の中身を無視した単なる数合わせの論理でしかないでしょう。政治目標の無原則的な単なる数合わせのみの結集が成功した例を私は知りません。逆に失敗の例はたくさんの事例があります。近いところでは小沢一郎が嘉田由紀子人気という正体不明の数の力のみを頼んで野合した
嘉田新党(日本未来の党)の自壊の例がそのひとつでしょう。

「野党共闘」のあり方については広原盛明さん(京都府立大学名誉教授。元京都市長選候補者)の「『野党共闘ありき』ではない、安倍政権の暴走を阻止する政治勢力の形成が目標なのだ、蓮舫・野田執行部の3原則、『「相互推薦なし、政策協定なし、横並びの街頭演説なし』では、野党共闘は早晩消滅するだろう」という論の方に私は説得力を感じます。広原さんは左記のブログ記事の
前記事では民進党と自由党の野田・小沢会談の「野田氏は自由、社民両党との調整を急ぎ、その後に共産党とも協議する考えを示した」(朝日新聞 2016年11月3日)という合意について「『共産後回し=共産抜き』の選挙協力体制の構築」と喝破し、「野田幹事長一流の野党共闘分断路線が見えてきた、『共産抜き』の野党共闘が狙いなのだ」という警鐘も鳴らしています。

反共・労使協調(御用組合)・原発推進の連合の支持を仰ぐ民進党となんらの政策協定も結ばないままの「野党共闘」では仮にその「野党共闘」が成功したとしても、そこに「反共・労使協調路線・原発推進」の政策が持ち込まれることになるのは確実です。そこになんらの政治革新の展望を見出すことはできません。仮に自民党・安倍政権打倒に成功したとしても、その先の政治が第2自民党的なもの(民主党政権時代の政治がそうでした)でしかない政治に猪野さんはなにを期待しようというのでしょう? 私は猪野亨さんの論を肯うことはできません。(Blog「みずき」 2016年11月8日)

【山中人間話目次】
・澤藤統一郎さん(弁護士)の樋口発言論評について
・翁長県政礼賛一色だった沖縄の地元紙にも重要な変化がいま起きはじめているようです
・安倍政権の南スーダン・PKO自衛隊派遣の駆けつけ警護付与の閣議決定に対する澤藤統一郎さん(弁護士)及び澤藤さんの紹介する法律家6団体の批判と三浦英之さん(朝日新聞アフリカ特派員)の連ツイ
・「捨て子」の時代と現在の労働運動、政治運動の「貧困」
・「泣いても笑っても次のアメリカ大統領があの人に決まるまで、あとわずか」(金平茂紀報道キャスター)とはどういうことか?
・イラクのクルド地域政府当局に拘束されていた常岡浩介の解放について
・サンダースが展望するアメリカの未来――サンダースの先駆者たち(色平哲郎さんのFBから)
キョウ へんみよう2

Blog「みずき」:「今日の言葉」は弊フェイスブックの記事をそのまま載せようと思います。以下。これほど「選挙」というものを疎ましく思うようになったことはない。投票すべき政党が見つからないからだ。私は知らないがもしかしたら投票すべき人はいるのかもしれない。しかし、代表民主制(議会制民主主義)は人ひとりやふたりの力ではどうにもならないシステムだ。政治を変えるためには「政党」を必要とする。しかし、投票すべき政党が見つからない。政治を変えたいと思っている者にとってこれほど絶望的な状況はない・・・。


【辺見庸の投票拒否の理由】
・I would prefer not to・・・.I would prefer not to・・・. I would prefer not to vote. I would prefer not to fucking vote.(辺見庸「日録」2016/07/05)

・はっきりした自覚と覚悟をもって、なんども自問しつつ、選挙をボイコットした。棄権したのではなく、積極的に投票を拒否した。理由は、2014/12/14付の神奈川新聞が掲載したロングインタビューで話したとおり。インタビュー記事の主見出しは「目を見開き耳澄ませ」。小見出しは「策謀的選挙」「見込み違い」「内なる特高」「感性の戦争」……。あたりまえだが、すべてわたしが話したことばである。事実上の憲法改悪および途方もない解釈改憲の追認をせまる策謀的選挙に、わたしはどうあっても加担できない。いい歳をしたテレビの解説者がとんでもない暴言を、こともなげに、さらりと言ってのけた。ドキリとする。人間はここまでバカになったか。バカになったのだ。〈投票者にはインセンティブを、棄権者にはペナルティをあたえるようにしてはどうか……〉。神奈川新聞インタビューで、わたしは語義矛盾を承知で、現状を「民主的な全体主義」と言った。これがそうだ。「投票者にはインセンティブを、棄権者にはペナルティを」も、マスメディアがかもす下からのファシズムにほかならない。マスコミは民主主義をスタティックな状態ないし固定的な制度であるかのように誤解している。誤解もなにも、おそらくなにもかんがえていないのだろう。民主主義はスタティックな状態でも固定的な制度でもありえない。民主主義とは動態である。民主主義は、それをかちとるための人間の絶えざる運動とわれわれ諸個人の、それぞれ独自の、めいめいが独自であるべき、身ぶり、目つき、口ぶりをふくむ、主体的意思表示の全過程のことをいう。〈わが党に投票すれば暴走がストップする〉式の呼びかけは、本質的に民主主義とはことなる。それは「民主的な全体主義」と親和的ななにかではないか。さて、まんまと安倍一味の策謀にのっかり、いいようにもてあそばれて、選挙結果は(ほぼ予想どおり)これこのとおり。ファシズムは上からだけのしかかってくるのではない。この選挙を機に、この国の全民的自警団化はますます進むだろう。貧者と弱者はますますのけものにされるだろう。ひとびとは投票所にゆき、わざわざ災厄をえらんだのだ。(辺見庸「日録」2014/12/14)
キョウ とちじせん

Blog「みずき」:この2、3年、翁長県政の問題点などを鋭く衝く革新リベラルの側に立った記事を発信して同ブログを知る人の中では定評のある「アリの一言」ブログが昨日の7月2日付けの記事で14日告示の東京都知事選に関して野党共闘による弁護士の宇都宮健児氏の擁立を期待する記事を書いています。しかし、宇都宮氏と同氏の選挙母体の人にやさしい東京をつくる会(現希望のまち東京をつくる会)は前々回の都知事選時にだまし討ち決議をして少数異見者を暴力的に排除し、同調圧力によって言論封殺を強めるなど革新候補者として、あるいは民主主義の組織としてさまざまな問題点を抱え持つ人であり、組織です。同ブログ氏はそういうことを知らずに単純素朴な感情で革新的な野党共闘を期待しているのだろうと思います。しかし、その期待は誤解に基づくものです。このことは先の都知事選における宇都宮陣営の非民主的行為が革新的と思われる人たちの間でも悲しいかな、よく知られていないことの現われと見てよいものでしょう。そういうしだいで3年前の弊記事を「今日の言葉」として改めて示しておきたいと思います。この問題について共通の認識と理解が深まっていくことを切に望みます。
 
【「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」問題】
澤藤統一郎弁護士の「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」のその10の記事を読んで、はからずも行政とメディアを含む原子力関連産業総体がしばしば揶揄の意味を含意して「原子力ムラ」と呼称されるように、その原子力関連産業総体を「原子力ムラ」と揶揄するほかならない「革新・リベラル」勢力の側にも「民主勢力ムラ」とでも呼ぶべきある意味での排他的利益集団が存在していることを知ることになりました。この「民主勢力ムラ」にも「岩波」や「週刊金曜日」などの一応名の通ったメディア集団、出版社などがあり、大学、病院、弁護士などのインテリジェンス組織、労働組合、政党、各種の民主団体組織などがあります。そこには、それらの団体が一種のコングロマリットを形成し、そのそれぞれが他の団体との緩やかなステークホルダー関係を結び、そのそれぞれの「小さな利権」の分配と再分配を差配しあっているという一種の「ムラ」の構図を見ることができます。

小さいといえどもそれが「利権」(利益(余剰)を生み出すという意味での)である以上、その「利権」にしがみつき、それを決して手放そうとせず、急激な変化を望まない保守主義や現状維持主義も生まれやすくなるでしょう。(宇都宮健児氏以外の革新・リベラル勢力の候補者としてふさわしい候補者を確立・擁立することができない大きな原因にもなっているように見えます。また、
金光翔さん(元岩波「世界」編集部員)の「佐藤優現象」批判に関連しての『世界』や『週刊金曜日』批判、私の『NPJ』批判がどこかで留まり、流通していかないのもこのあたりに原因があるようにも思います)。また、どんな「利権」集団にもありがちなことですが、その「小さな利権」のおこぼれにあずかろうとする下心だけで「ムラ」への参入を試みようとする者も少なからず出て来るでしょう。逆にその「小さな権力」を誇示してその「権力」を恣意的に用いようとする者も出て来ます。不埒なやからはどういうわけかこういう恣意の人を見つけるのが早い。類は友を呼ぶということでしょうか。そして、その恣意の人に取り入り、それらがインフォーマルグループを形成していきます。こうして「民主勢力ムラ」の腐敗は構造的に累乗していき組織の根腐れが始まっていきます。澤藤統一郎弁護士が指摘する「人にやさしい東京をつくる会・運営会議」の根腐れはいつのまにかこうして形成されてしまったものではないでしょうか。(Blog「みずき」 2013.12.31

【山中人間話目次】
イギリスのEU離脱で世界はこう変わる―遠藤乾さん(北海道大学大学院教授)の見方
オリンピックは新自由主義推進の道具になっている(岩月浩二)
バングラデシュの人質立てこもり事件をどう見るか?


【パルタイの、どうにもならない知的荒廃としての「野党共闘」】
Makoto Yasuさん『民進党 福山哲郎を応援しながら/島売りあい子とか、彼女批判する/あなた方を批判したい』:共産党の「選挙目あてのファッショ諸派との野合」を批判する以下の辺見庸の指摘をご紹介しておきたいと思います。

『あるかたからつまらぬ質問があったので書いておく。日本共産党機関紙赤旗による
インタビュー要請・ドタキャン事件についてのわたしの態度はげんざいも0.01ミリも変わっていない。すこし変わったとすれば、この党に以前よりさらに失望したことぐらい。徹底的にダメなのは、この党が相も変わらず、党の内外からの都合のわるい質問、批判を無視、圧殺していることだ。それかあらぬか、君たち日共幹部は、脱いではいけないパンツまで脱いでみせて、みたくもない腐ったイチモツをさらけだしはじめた。選挙目あてのファッショ諸派との野合天皇制にかんする重大な路線転換。わたしの質問には、公式にも非公式にも、なんの回答もなかった。その間、わたしはすこし学んだかもしれない。「あったこと」を「なかったこと」にしてしまう、「集団芸」の薄気味わるい巧みさと、暗黙のうちにみんなでそれをやりとげてしまう手法において、あんたがたはむかしから国家権力あるいはファシストと大差ないのだな、と。けだし情けないのは、みながそれを台本どおりやりぬいて、およそ例外ということがないことだ。『動物農場』の世界をまだはりつけているあなたがたに言うべきことばはない。(略)赤旗のインタビュー要請・ドタキャン・沈黙・無視のプロセスには、権力に目がくらんだパルタイの、どうにもならない知的荒廃がありありとみえる。したがってもう書くにもあたいしない。わたしの立場は0.001ミリも変わっていない。正義ぶるスターリニストは、バカな右翼より、よほど手がつけられないときがある。『1★9★3★7』が、あの連中のあいだでは、事実上の「禁書」となっているらしいことを、わたしは光栄におもふ。』(辺見庸「日録」2016/04/10

「民進党の福山哲郎を応援しながら島売りあい子を批判する」ことができるのは、今回の「野党統一候補」がこうした「ファッショ諸派との野合」の所産でしかないからです。そういうこともあって、すでに宣言していることですが、私はそうした「ファッショ諸派との野合」に加担することはできません。今回の選挙は、私は、「積極的投票拒否権」を行使するつもりです。(
東本高志フェイスブック 2016年6月26日
キョウ たいせいよくさん
かつての大政翼賛会本部

Blog「みずき」:水島朝穂さんのおっしゃっておられることは要するに「理性と知性を欠いた」首相が率いる安倍政権はあまりに危険すぎる。その安倍政権を打倒するために有権者は参院選挙で「安倍政権NO」を言おう。すなわち、野党共闘候補に投票しよう、ということでしょう。参院選は明日公示されます。水島さんのおっしゃっておられることはわからないわけではありません。しかし、その野党共闘の当事者である政党や同共闘を支持している水島さん自身もその一員である安全保障関連法に反対する学者の会も実質9条改憲論でしかない新9条論者にその居場所を簒奪されているありさまです。さて、仮に安倍政権が「野党共闘」勢力に打倒されたとしてその後になにがくるというのでしょう? 戦前の社会大衆党がそうしたように革新の側から保守にすり寄る大政翼賛会的な9条改憲体制とでもいうべきものがなし崩し的に創られてしまうのではないか。私は参院選後のゆく末にその可能性を見ます。そうであれば大政翼賛会的な状況の待つゆく末づくりに私は加担することはできない。それが私の今回の選択です。いま、このニッポンには選ぶべき政党がないのです。悲しい現実ですが、ここは堪える必要がある。堪えなければならない、というのが私の認識です。
 
【日本の政治はここまで姑息になってしまった】
25年前の今日、つまり6月20日は木曜日だった。この日、私は朝から夜まで11時間以上、この8階の部屋でテレビをつけっぱなしにしていた。600キロ離れたボンの連邦議会で、統一後の首都をボンにするのか、ベルリンにするのかをめぐる最終決定が行われることになっていたからである。(略)合計104人の議員が党派を超えて、「ボン」か「ベルリン」かの態度表明を行った。それはすごい長丁場になった。所定の5分ももたずに短く発言を終える議員、堂々と3、4人分は話し続けた「大物」…。拍手は党派を超えて行われ、発言によっては「〇〇党から散発的な拍手(略)」といった記載があり、決定をめぐって党が割れていることを示唆していた。まさに議会は「ボン党」と「ベルリン党」の二党制と感を呈した。ドイツ議会史における空前絶後の場面だった。(略)日本はいま参議院選挙という、この国の将来を決めるきわめて重要な局面にある。争点隠しのみならず、スキャンダルや「事件」にメディアが集中することで、選挙から人々の関心をそらせる「話題隠し」も行われている。都知事辞任をめぐるメディアの動きは明らかにおかしい。政治資金の使われ方を正していくことが目的でなく、現職を追っ払うことだけが目的のようにみえてしまう。この都知事をいいとは思わないが、「せこい小悪」に報道が集中するのは海外から見ると異様にうつる。もっと「大悪」がいるだろう。それが隠されている。そして、人々の関心を向けさせまいとしているのが憲法改正である。この話題に入らずに、経済問題に特化して選挙を終える。そして憲法改正可能な3分の2以上になる議席を獲得する。日本の政治はここまで姑息になってしまった。ドイツでは、冷戦が終わって、東西ドイツが統一するという歴史を踏んで、統一条約で首都ベルリンと決まってはいるものの、その中身をどうするか。政治が決めねばならない根本的な事柄について、あえて「ベルリンかボンか」という形で、一人ひとりの議員が何らかの発言をした上で決めるという、時間と労力をおしまない姿勢を貫いた。これにはただ驚くばかりである。日本で憲法改正をするというなら、それだけの突き詰めた議論が必要だろう。ドイツは60回も基本法(憲法)改正をしているが、連邦軍の海外出動や対テロ出動(「国内出動」)のための改正はしないで、連邦憲法裁判所の判決や法律改正で乗り切ってきた。これをやるには相当な議論が必要だからである。日本の国会では、いま、首相が理性と知性を欠いた「喧嘩言葉」を使った答弁を繰り返し、議論が成立していない。「熟議の府」、あるいは民主的多数で決めた衆議院の決定をもう一度考え直す「国権の再考機関」の参議院の選挙に、18・19歳の240万人をはじめとする有権者は、 (略)是非とも、今後の自らの人生に大きく関わってくることとして捉え、投票という形で政治に参加していただきたい。(
水島朝穂「今週の直言」2016年6月20日
稲田朋美の巻(1)
https://www.facebook.com/takashi.higashimoto.1/posts/836184469845315

「国民の生活が大事なんて政治はですね、私は間違ってると思います」



稲田朋美の巻(2)
https://www.facebook.com/takashi.higashimoto.1/posts/836185576511871

「この国のために命を捧げる。その覚悟をもう一回取り戻そう」

高市早苗の巻(3)
https://www.facebook.com/takashi.higashimoto.1/posts/836186023178493

「私たち日本人は・・国を護るために命を投げ出して」

麻生太郎の巻(4)

「いつまで生きているつもりだよ」は「高齢者が安心できる環境を整えるという趣旨」


キョウ やとうかいだん

野党共闘」問題について具体論を書きます。

これで「野党共闘」なるものが仮に実現したとして(実現すら覚束ないと思いますが)なにがどうなるというのでしょう? 自民党・安倍政権の悪政にピリオドを打つことなどできないでしょう。だとして、自公政権の悪政にピリオドを打つことができない「野党共闘」とはなんでしょう?

社民党への三行半。



共産党への三行半。



民進党へのほぼ三行半。

同じく8団体が、同じ日に民進党にも要請書を提出している。その、タイトルだけをお読みいただきたい。これで、本文はあらかた推察がつく。冤罪防止を目的としたはずの刑事訴訟法等「改正」法案は、冤罪拡大の「大改悪」法案であることが、参院質疑の政府答弁で改めて明らかに!!今市事件裁判判決(本年4月8日)を通して、「一歩前進」とされてきた取調べの可視化(録音・録画)が、「むしろ冤罪・誤判を誘導するという危険性」をメディアも報道!私たちは、民進党が5月19日採決容認方針を撤回し、徹底かつ十分な審議を貫くことを強く求めます!

社会文化法律センター
自由法曹団
青年法律家協会弁護士学者合同部会
日本国際法律家協会
日本民主法律家協会
盗聴・密告・冤罪NO!実行委員会
盗聴法廃止ネット
盗聴法の拡大と司法取引の導入に反対する刑事法研究者の会
http://article9.jp/wordpress/?p=6892


ちなみに政権交代選挙と銘打って政権を奪取したときの民主党政権の政策とはどういうものだったか? 下記には「問題」として出てきますがすべて否定的な問題ばかりです。

朝鮮人学校排除問題
外国人参政権付与法案問題
夫婦別姓等民法改正問題
抜け穴だらけの労働者派遣法「改正」問題
官僚・法制局長官の答弁禁止問題
大企業優遇税制非是正問題
中小企業減税見送り問題
米軍思いやり予算非是正問題
普天間問題公約違反問題
などなど。 
キョウ こばやしたかし

昨日、著名な憲法学者らで構成されている「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人のひとりの小林節慶大名誉教授が「安保法廃止」という大義を掲げて「国民怒りの声」という政治団体を設立しました。 

この小林節さんの政治的パフォーマンスに関して弁護士の徳岡宏一朗さんが以下のような肯定的評価の記事を書いています。

頑張ろう!小林節先生!新政治団体「国民怒りの声」結成!「自公お維勢力に3分の2の議席を取らせない」 - Everyone says I love you ! 2016年05月09日 

元NHKディレクター(現定年再雇用中)のtoriiyoshikiさんも以下のようなツイートを発信して一応肯定的な評価をしています。
 

しかし、私はどちらの論者の論にも反対です。

第1。徳岡宏一朗さんは小林節氏を代表とする政治団体の掲げる「7つも挙げられた公約のすべてが私には納得のいくものです」として賛意を表明していますが、肝心要の7番目の公約の「憲法改正ならぬ改悪の阻止」は「改悪の阻止」にはなりません。徳岡弁護士の善意の誤解といわなければなりません。そのことについて2つの証明をしておきます。

1 こちらの記事中の写真を見れば明らかですが、小林節氏の主張する「新9条論」と同様の見解を表明している作家の高橋源一郎さんもSEALDsのリーダーのひとりも「だったら変えればいいじゃん」「僕も九条は変えたほうがいいと思っている」と明確に9条改憲の立場を明らかにしています。

2 その「新9条論」の問題点についてはここでは「きまぐれな日々」ブログのkojitakenさんの論をご紹介しておきます(記事中にはさらに澤藤統一郎弁護士など錚々たる論者の「新9条論」反対論をリンクしています)。 

第2。さらにtoriiyoshikiさんの論については以下の2つのことを指摘しておきます。

1 toriiyoshikiさんは「旗幟鮮明な共産党」と述べていますがいまや共産党は「旗幟鮮明」ではありません。誤解です。いまや共産党は典型的な現憲法無効論、憲法「改正」論者である小沢一郎氏とも接近して9条改憲反対の「世論」という岩盤をなし崩しにしようとしています。 

2 toriiyoshikiさんは「旗幟鮮明な『小林新党』」とも述べていますが、小林新党が旗幟鮮明にしているのは上記のとおり実質的9条改憲論です。toriiyoshikiさんが期待しているような旗幟鮮明さではありません。
キョウ もりかわふみと

Blog「みずき」:森川文人さんと同様のことを辺見庸が言っています。本ブログの左端のフリーエリアに掲げている言葉です。その部分を少し拡張してみます。辺見はここでは死刑制度について語っているのですが次のように言っています。「きょうお集まりのたくさんのみなさん、「ひとり」でいましょう。みんなといても「ひとり」を意識しましょう。「ひとり」でやれることをやる。じっとイヤな奴を睨む。おかしな指示には従わない。結局それしかないのです。われわれはひとりひとり例外になる。孤立する。例外でありつづけ、悩み、敗北を覚悟して戦いつづけること。これが、じつは深い自由だと私は思わざるをえません。(略)いま、語ることは語ることの無意味と戦うことです。怒りは怒りの空虚に耐えることです。お遊戯の指で、ほんものの時はかぞえられません。地上のその明るさで、地中の闇をはかることはできない、といいます。死刑制度と死刑囚についてもっともっと思いをめぐらしましょう。手紙を黒く塗りつぶした「真犯人」について、最後に告げなければなりません。「真犯人」は、それを許してきた、われわれなのです。死刑を存続させている究極の「真犯人」は、権力であるとともに、それを許しているわれわれなのです。」(辺見庸講演記録 2013.10.19

【共闘という形で「我慢」を強いるのは結局は力を削ぐことになりかねない】
安保法を成立・施行させ、さらに治安立法(盗聴拡大・取調べの録画制度・司法取引・証人隠蔽)を成立させようとし、さらにさらに、人権骨抜きの改憲を進めようとしている安倍政権に脅威を感じている人々は増えていると思います。何が「日本を守る為」だ、お前の日本って日本の資本だけだろ?、その他の99%を犠牲にして守るって意味だろ、ふざけんな!、と思っている人も増えていると思います。そう思って、それぞれが自分の想いや怒りに基づいて、それぞれのやり方で安倍政権を打倒することを考え、実行すればよいと思います。それぞれが、いろいろな方法で呼びかけるのもアリでしょう。野党共闘、がピンとくるなら、それもいいのかなあ? そういう「想い」で「勢い」がつくのであれば、とりあえず、いいのかなあ? どうせ安倍政権を打倒するまでが「共闘」の期限なのだろうし、その先、つまりポスト安倍政権を、誰が、どう責任を持って、主体化するか、ということは「共闘」できないことは、ある意味明らかだし・・・。でも・・・、私は、全くノレません。気持ちの勢いがつくどころか、ゲンナリしちゃいます。

1930年代、いわゆる
人民戦線(仏: Front populaire。1936年から1937年までフランスにて存続して「反ファシズム」を掲げたフランス社会党、急進社会党、フランス共産党など諸政党の連合政権)というのがありました。結局は、当たり前だけど同床異夢なわけだし、本質的には、体制内での解決を求め、体制自体のあり方を変えるような革命派を排除する反革命の性格を帯びざるをえないからです。そんなこと言ったら、安倍政権を倒せないだろ?と言われるかもしれません。しかし、そんなことはないでしょう。それぞれがそれぞれの力を十全に発揮し、少しも自分たちの主張を薄めずに大衆に訴え、支持を得て、力を蓄えて、発揮して、それぞれの立場で安倍政権を撃てばいいと思います。「気合い」を入れる言葉としては「共闘」でいいかもしれませんが、共闘という形で、それぞれの政治主張の何かを我慢を強いるのは、結局は力を削ぐことになりかねないし、大きな排除を生む危険性が大きいと思います。もちろん、内容的に一致を図るような実質的討論がなされていくのであれば、ともかく、時的・人的な余裕等の理由から、得てして「共闘のために問答無用」の切り捨てがなされがち。とりわけ、現体制打倒以上の本質的改革を求める勢力を過剰・過激であり「せっかくの共闘を阻む」などと排除します。それぞれが、それぞれのやり方で安倍政権を撃て! それが、今の私のノリです。(御苑のベンゴシ 森川文人のブログ 2016-05-04
キョウ えんぴつ

Blog「みずき」:「日刊ゲンダイ」の評価については私とkojitakenさんとは意見が一致します。「革新」を自称する人たちの中でも「日刊ゲンダイ」の信奉者は結構見かけますので、そういう意味でこの記事で特に私がピックアップしておきたいと思うところは下記の部分です(2か所から抜粋)。「革新」のように見せかけて保守的思想の側に「革新」を導こうとする実のところ反「革新」でしかないペーパーはほかにも見かけます。私は最近「革新」に人気のあるらしい「リテラ」というインターネット紙にも胡散臭いものを感じています。「リテラ」紙にはもちろん、よい記事もあるのですが、そういう手法でエサをばら撒いてじわりじわりと保守的思想の側に引き寄せようとするのがこの手のペーパーの特徴だと思っています。私の感じているのはそういう意味での胡散臭さです。参院選も近づいています。くれぐれも見る目を鍛えたいものです。

【イエローペーバーの罠とはなにか?】
近年ではこの夕刊紙は「
小沢信者」御用達の記事を載せていた。2012年には「日本未来の党」を応援した。もっともあの時には日刊ゲンダイのようなイエローペーパーにとどまらず、一般紙である東京新聞も日本未来の党の機関紙と化していた。あの時の悪印象があるから、私はどんなに良い記事を載せても東京新聞には良い心証を持つことができない。(略)日刊ゲンダイは今回のような「飛ばし記事」を書くことによって、選挙結果に失望した反自民の読者の心を慰めるのかもしれないが、それは現実から乖離した大嘘の記事なので、記事を信じた読者は将来裏切られることになる。日刊ゲンダイとしては、読者の傷心を癒す記事を書くことによって売り上げを確保できるのだが、反自民陣営の戦いに貢献する度合いという観点から評価すると、記事は何の貢献もしないどころか、現実とかけ離れた無用な幻想を読者に与えることは、長い目で見ればマイナスの効果しかないし、短期的に見ても、実は全然成果の上がっていない「野党共闘」がさも効果が上がったかのように見せかけることで、反自民陣営の戦い方を誤らせる逆効果がある。(kojitakenの日記 2016-05-02
キョウ しーるず

再度、kojitakenさんの北海道5区補選問題に関しての関連記事を引いておきます。今回は「SEALDsと共産党との密接な関係」について。 

「今回の「野党共闘」は共産党の「国民連合政府」の構想に端を発しているが、その発想は、SEALDsを接着剤として民進党などの他の野党と選挙を共闘しようというものだ」という指摘は今回の補選の「選挙総括」のためにも重要な指摘だと思います。「負けたあと」の「冷静な結果の分析」(「kojitakenの日記」2016年4月28日)のためにも共産党と民進党の「接着剤」の役割を期待されているSEALDs評価は不可欠です。
 
SEALDsと共産党との密接な関係はいまや公然の秘密だ。イラク戦争当時にリベラル・左派の教祖的存在に持ち上げられた辺見庸は、現在では主に共産党シンパ系のリベラル・左派によってこき下ろされるか無視されるかしている。辺見の主張はもともと旧民主党や生活の党と(以下略)の支持者たちに受け入れられるものではない。つまりいまや辺見庸は共産党系にとっても民進党系にとっても煙たい存在だ。だから今年に入ってからだけでも辺見の本を6冊読んだ私なども「異端」の部類に属すると思われる。その辺見が、高橋哲哉との対談本で、SEALDsについてこう語っている。(略)」

「辺見庸がブログでSEALDsを激しい言葉遣いで非難した(現在では閲覧できない)あと、「しんぶん赤旗」のインタビューをドタキャンされた一件が昨年末にあったが、上記に引用した高橋哲哉との対談本は昨年末に発行されているから、対談は赤旗ドタキャン事件の少し前に行われたものと思われる。対談本の第1章は「週刊金曜日」に掲載されたが、第2章以降は「語り下ろし」とのことで、上記の引用文はその第2章に含まれている。佐藤優は「週刊金曜日」とのかかわりが深いから、佐藤優批判が含まれる第2章は、あるいは「週刊金曜日」には載せられなかったのではないかとか、辺見庸と金曜日との喧嘩別れには、赤旗ドタキャン事件のほかにも理由があるのではないかとか、最近になって佐高信が佐藤優との絶縁を表明したらしいこともその絡みではないか、等々、妄想はいろいろと膨らむ。(略)」
 
「佐藤優の悪口はともかく、辺見庸が高橋哲哉との対談の時点で既に、SEALDsと共産党とのつながりを強く示唆していることはいうまでもない。今回の「野党共闘」は共産党の「国民連合政府」の構想に端を発しているが、その発想は、SEALDsを接着剤として民進党などの他の野党と選挙を共闘しようというものだ。その背景には、共産党にもはや自前の候補者を全選挙区に出す資金力が底をついてきた事情があると思われる。そこで共産党以上に顕著な党勢の衰退に見舞われている民進党と野合しようというわけだ。民進党内の旧民主党と旧維新の党も野合なら、野党共闘もまた野合だし、もちろん腐れ縁が長く続く自民党と公明党など野合の最たる例だ。野合と野合との戦い。政治戦とはしょせんそういうものだ。辺見庸は「国家は災厄の源」というが、その通りだと私も思う(略)」

キョウ ほっかいどうごく2

澤藤統一郎弁護士は私の尊敬する弁護士のおひとりですが、同弁護士の「北海道5区補選・共闘の『成果』と『教訓』についてー郷路征記君の意見紹介」という論には賛成できません。同弁護士の論調は私が前回記事で指摘した「井の中の蛙」の目を超えていないからです。
 
私は同記事で次のように指摘しておきました。「典型的な「井の中の蛙」発言です。大海を知らないのです。共産党をはじめとする組織力に定評のある組織にはたしかに一定の動員力はあるでしょうが、そうした井の中の「賑やかしさ」だけでは「『寝ている無党派層』は起こせない」のです、と。
 
しかし、澤藤弁護士が「これだけでも、十分な『選挙総括』となりうる」として紹介する4本の動画はすべてその「井の中」の側から撮った動画でしかありません。これでは「井の外」は見えはしません。「井の外」の状況や動向を知らずに「十分な『選挙総括』となりうる」はずもないでしょう。また、それではせいぜい「井の中」だけでの「選挙総括」ということにしかならないでしょう。「井の『内』と『外』」を含めた大海の総括とはなりえないのです。
 
大海の状況と動向を見極めるにはkojitakenの日記の「投票率の割に池田真紀候補の得票が少なかった」グラフが参考になります。そのグラフを示した上でkojitakenさんは次のように指摘しています。「今回の補選における池田真紀候補の得票率は最小自乗法による近似直線よりもかなり下に位置することが注目される。この要因として、下記の2点が考えられる。1.近年、自民党支持が増え、野党支持が減っている。2.「野党共闘」を嫌って投票しなかった共産党支持者(及び民進党支持者)が少なからずいる。(略)やはり、2010年以降の自民党の党勢拡大と、今回の「野党共闘」によって共産党の固定票の一部が逃げた影響は無視できないだろう」、と。それが今回の北海道5区補選における大海の状況と動向というべきものです。
キョウ でぐちちょうさ

Blog「みずき」:昨日の記事民進党の問題群はさておいて、共産党を例にとって、私が「選挙前に天皇臨席の国会開会式に出席したことや「慰安婦」問題に関する「日韓『合意』」を徒に評価したことが今回の補選にもどれだけ負の影響を与えているか」と述べているのは、その問題がkojitakenさんの言う「『寝ている無党派層』を起こさせるほどの魅力が欠けていた」大きな理由のひとつになっていると考えるからです。これまで同党の周縁にいて共産党を支える蝶番的役割を果たしてきた知識人やシンパサイザーの少なくない人たちがこの問題を通じて同党に大きな不信を募らせた。それがこの北海道5区補選においても深層のところで「寝ている無党派層」を起こさせるだけの瞬発力を持ちえなかった大きな一因になっている、というのが私の直観による「ブリュメール18日」的分析です。

【この冷厳な事実を正面から受け止めて課題として認識しない限り「野党共闘」に未来はない】今回の補選に「野党共闘」が敗れた最大の敗因はなんといっても低投票率だ。この点に言及しない選挙の分析は無意味だと言っても過言ではない。Twitterなどで拡散されている、NHKが報じた出口調査による投票者の投票者の各党支持者の比率を見ると、自民44%、民進20%、公明5%、共産5%、社民1%、大地0%、支持政党なし24%となっている。(略)問題はやはり投票者数に占める無党派層の比率が24%しかなかったことだ。これでは勝てるはずがない。
 キョウ ほっかいどうごく

昨日投開票があったばかりの衆院北海道5区補選の選挙分析に関する論評はまだ出揃っておらず、これからというところなのでしょうが、以下のツイッター上の情報がこの問題を考える上での基礎資料として参考になります。また、重要な視点も提起されています。ピックアップしてまとめておきます。

最後に今回の補選結果に関する小池晃共産党書記局長のツイッター発言も記録として採録しておきます。その小池発言に関する私の感想を先に述べておきますと以下のようなものです。

Blog「みずき」:小池晃共産党書記局長の発言はいつもの自陣営の活動を過大評価する視野の狭い主観的な手前味噌の選挙分析でしかありませんね。これでは「自公と補完勢力を少数派に追い込みたい」と主観的に意気込んでも願望の域を超えることはないでしょう。選挙前に天皇臨席の国会開会式に出席したことや「慰安婦」問題に関する「日韓『合意』」を徒に評価したことが今回の補選にもどれだけ負の影響を与えているか。少しは「科学的社会主義」の党らしく自陣営の弱点を含めて情勢を稠密に俯瞰した分析能力を発揮してもらいたいものです。そうしないと同党に未来はないことは確実です。少なくとも私はそう思っています。
明日は統一地方選(前半)の投票日です。私の地元の大分県、大分市でも大分県知事選と大分県議選の投票があります。私は13年前に大分の地方政治に風穴をあけたいとして当時「NEWS23」のキャスターをしていた郷土の先輩としての筑紫哲也さん宛てに筑紫さんの友人で湯布院・亀の井別荘の中谷健太郎さんと日田・小鹿田焼窯元で筑紫さんの小学校時代の同級生の坂本茂木さんと連名で県知事選立候補要請の手紙を書いたことがあります(手紙そのものは私が書きました)。
 
筑紫さん没後、「NEWS23」の番組スタッフをされていた某TBS記者から「筑紫さんとは番組終了後一杯やる機会が多かったが、筑紫さんは立候補要請の手紙を受け取ることはしばしばあったがもっとも心が動かされた手紙だとよく話していた」というメールが私宛てに届きました。私も私たち有志の心が届くように心をこめて書きました。結果として、筑紫さんからは立候補の要請は断わられましたが、その後、筑紫さんとの付き合いが始まることになりました。思い出の手紙です。その思い出の手紙で私は地方政治の刷新をどのように語ったか。そうです。主題はあくまでも「地方政治の刷新」でした。明日の投票日を前にして筑紫さん宛てのその手紙を再録させていただこうと思います。

シャクナゲ
 
2002年11月18日
 
筑紫哲也様
 
大分県知事選を考える市民フォーラム
われ=われ・ネットワーク世話人 東本高志
湯布院・亀の井別荘 中谷健太郎
日田・小鹿田焼窯元   坂本茂木 
 
筑紫さん
 
見ず知らずの者がはじめて差し上げようとする手紙として、あなたをこのように気安くお呼びしてよいとは思っていません。おそらく礼を失することになると思います。が、朝日新聞記者当時からのあなたの記事やテレビでの企画番組を読み、見てきた者としてほかに適当な呼び方を思いつきません。失礼をお許しください。
 
実は私は、どのようにこの手紙を書き続けていってよいものかどうかとまどっています。おそらくあなたが欲していないであろうこと、そしてかつおおいに疎まれるであろうことについて書いていかなければなりません。しかし、意を尽くしたい、と思っています。私にできることはそれだけです。どうか最後までお読みください。
 
筑紫さん
 
遠まわしで言っても同じことであるならば、たとえ、あなたが疎まれても、単刀直入に言うより法がありません。私たちは、あなたに来春の大分県知事選に出馬していただきたいと考えています(どうか嫌気を差さないで、読み続けてください)。あなたにはこれまで、いろいろな所から、さまざまな形で、出馬要請があったと聞いております。またあなたは、そのたびに断り続けていらっしゃるとも聞いております。長年あなたを見てきて(メディアを通してというかたちにならざるをえません)、「政治」という胡散臭いものにかかわりたくないというお気持ちを強くもっていらっしゃるだろうことは、私たちにもよく理解できるのです。しかし、私たちは、あえてあなたにお願いしたいと思っています。放擲なさらずに、どうか最後まで読み続けてください。
 
私たちとはもちろん標記の「われ=われ・ネットワーク」を指します。この10月に別紙の「設立主旨」にもとづいて設立された文字どおり「われ」と「われ」のばらばらな市民の集まりです。これまで大分県各地で地道にさまざまな活動を続けてきている市民グループ、議員、市民の声を発信し続けている個人に呼びかけて、直接には30名ほどの賛同者が集まって結成されたものですが、われ=われの主旨に賛同する広範な市民が背後にいると私たちは確信しています。
 
私たちは、これまで政党、あるいは企業や組合まかせであった知事選を、市民の目線で考え、市民主導型の県知事をつくりだしたいと考えています。その点、平松現大分県知事の事実上の後継者として自民党という政党主導によって担ぎだされた広瀬勝貞・前経済産業事務次官(筆者注:現大分県知事)は、政党や組織が候補者を上から押しつけるという住民不在のこれまでの候補者選考のパターンを踏襲しており、そうした意味で、私たちは、彼の人柄・政策のいかんにかかわらず彼の出馬にノーをいう以外ありません。広瀬氏が仮にどんなに優れた人物であり、どんなに優れた政策をもっていようと、その選考過程から見て、政党とのしがらみや自民党的政策(もちろん、自民党の政策がすべて悪いと思っているわけではありません)のしばりから抜け出すことは困難だろうと思われるからです。
 
筑紫さん
 
あなたが日田の小野のご出身で、広瀬さんもまた日田の豆田のご出身であることは、私も存じ上げています。またあなたは、広瀬さんの兄上(テレビ朝日社長)とも朝日新聞社で同期の間柄とも伺っています。そのあなたが郷里の日田市をあえて二分するようなことをなさろうとするはずがないであろうことは世事に疎い私にもおおよそ察することができます。しかし、私たちは、日田を二分しようとはもちろん思っていませんし、広瀬さんを悪玉扱いするつもりもありません。広瀬さんノーをいうのは上記の理由に尽きるのです。
 
このあたりで私の自己紹介を少しさせていただけますでしょうか。私は、筑豊の石炭積出港であった若松市(旧)の出身で、今年52歳になります。20余年前、日田の千倉という集落出身の妻と知り合い、結婚しました。が、はじめて彼女の家族に紹介されたのは彼女の姉が嫁いでいた小野の集落でした。その日、彼女の姉の夫の葬式があったのです。そういうことは実はどうでもよいことです。が、原風景(私にとっては第二の原風景ということになるのですが)のようなものがもしかしたら筑紫さんと共通しているのではないかと思えるのです(多少、こじつけ気味であることをお許しください)。ここではただ、私も筑紫さんとおそらく同じように日田市を二分するようなことを望んでいないことを申し上げたいのです。筑紫さんが県知事選に出馬したとしても、日田は二分されることはないと思います。日田人が理に明るいのは、筑紫さんもよくご存知のはずです。広瀬さんとけんかするわけでもなく、また敵愾心をもつわけでもなく、大分・日田を愛する者同士がただ民意の汲み上げ方について論争するのです。だれが怒るでしょうか。「日田モンロー」(筆者注:大分・日田人の気性をあらわした言葉。モンローはモンロー主義の略)は健全だと思います。
 
筑紫さん
 
私たちが筑紫さんに知事選の出馬を要請するのは、ひとえに地方自治を市民の手にとり戻したいからにほかなりません。これまでの平松県政は、平松さんのかつての施策をすべて否定するものではないのですが、平松さんお気に入りのブレーンによる一握りの人たちによる県政運営の結果、昨年の「週刊金曜日」の『知事の採点簿』でもワースト4と評価される事態に陥っています。私たちは、あなたの政治に対するスタンスのとりかたに共感しています(これも、メディアを通してのことではありますが)。政治の有意味性を肯定しながらも、政治にそれほどの期待感をもっているわけでもない。口幅ったい言い方になって恐縮ですが、その市民的センスがいまの地方自治には必要だと思われるのです。
 
湯布院の中谷健太郎さんが主宰する「ふくろうが翔ぶ」VOL.8にあなたへのインタビュー記事が掲載されています。その中であなたは「大事なことは、湯布院なら湯布院という町が守るに値するもので、町の雰囲気を、自然も含めて自分たちが守ってゆきたい、大事なものだと思う人が増えれば増えるほど、異物に対する抵抗力が強くなってゆくんですよ。とにかく自分たちの所を固めることが大事だっていう気がする」とおっしゃっています。あなたは地方自治を「守るに値するもの」と思っていらっしゃるはずです。私たちも大分を「守るに値するもの」と思っています。あなたとともに大分をもっと「守るに値するもの」として育てていくことはできないでしょうか。そういう意味で、筑紫さんのお力をお借りしたいと思っているのです。
 
筑紫さん
 
あなたは「私には力などない」といわれるに相違ありません。そして「私は怠け者だ。365日稼動の知事職などつとまらない」ともいわれるに違いありません。これは私が想像して言っているのではありません。先日、「自由の森大学」の事務局長の原田さんにお会いしたときに、彼から筑紫さんがそう言っていたとお聞きしたのです。その際、筑紫さんが母校の早稲田大学と長崎県立大学の教授職をお引き受けになられたという話も聞きました。
 
「NEWS 23」のキャスターをつとめながら、週刊誌への執筆、土・日を利用した講演活動など筑紫さんが怠け者であるはずもありませんが、いわれる意味はわかります。そして、いわれる意味において、私も怠け者は大好きなのです。いま、怠け者こそ知事になるべきだとも思います。先のインタビュー記事にあった「異物に対する抵抗力」は怠け者ほど強いのではないでしょうか。また筑紫さんが早稲田大学などの教授に就任されたことも、私たちの要請に対するデメリットになるとは私は思っていません。プロ野球と同列に論じることはもとよりできませんが、昨年の星野仙一氏の例もあることです。これもまた僭越な言い方になってしまうのですが、求められて、よりよくわれを活かそうとしている者を、だれが止めることができるでしょうか。関係者は、きっと快く了解してくださるに違いないと思うのです。
 
筑紫さん
 
私たちは、あなたを必要としています。民の力に思いいたすこともなく、ただひたすら官に従って、それをよしとしてきたこの大分の地に実り多い風穴をあけたいのです。市民の手によって政治を変えることができる。そのことを市民としてのわれ=われ一人ひとりの胸にたたきこみたいのです。私たちは決してあなたを一人ぼっちにはさせません。怠け者としての連帯感をもって、あなたとともに手を携えて、ともにぼちぼちと歩こうと思っています。私たちにはわからないさまざまなご事情がおありだと思います。そこをなんとか乗り越えていただきたいのです。
 
意を尽くすことはもちろんできませんでしたが、それなりに言うべきことは言った気がします。私たちは、当然のことながら、どういう結論であれ、筑紫さんが決められたことを尊重します。筑紫さん、一度お会いすることができれば幸いに存じます。
 
早々
 
注:読みやすさのために段落ごとに1行分の空白を設けましたが、その他は原文のままです。
先日のエントリでもZED氏の「『9条にノーベル賞』運動は『待ちぼうけ』」の論をご紹介しましたが、そのZED氏が「『9条にノーベル賞』運動は『待ちぼうけ』の論の続編を書いています。
 
前回記事でも少し触れておきましたが、ZED氏によれば、右翼国会議員(日本会議・神道政治連盟所属)の長島忠美金子恭之はやはり「憲法9条にノーベル賞を」運動の国会議員賛同者に名前を連ねていました。それも共産党の志位委員長らと名前を連ねてです。
 
共産党はこうした事態をどのように考えるのでしょうか?
 
ZED氏は10年前(2004年4月19日付)の「保守「2大政党」づくりの断面 議連に同舟 改憲レース」という「しんぶん赤旗」記事を援用した上で今昔(といっても、たった10年ほど前のこと)の共産党のさま変わりを
 
「上記記事から10年後、その金子議員は共産党の志位委員長と一緒に「憲法9条にノーベル賞を」与える運動をするようになりましたとさ。おいおい、赤旗はあんたらの親分と自民党の憲法調査議連所属議員が一緒になってこんな事をしてるのを何とも思わないのか? 思わないんだろうな…。」
 
と、厳しく指弾しています。私も同じ思いです。
 
ZED氏はその厳しく批判する理由を次のように述べています。
 
「9条に平和賞をやる事で安倍政権の暴走に歯止めが掛けられる」などというのは愚かな希望的観測というか馬鹿な妄想に過ぎず、それどころか安倍や金子や長島のような自民党改憲派・タカ派・日本会議派にとっては望ましい事なのだ。「ノーベル平和賞まで日本国民は受賞した」という権威付けのアリバイは軍拡化と戦争を抑止するのではなく、日本人の国威発揚と日本優越主義の強化に直結し、それがさらなる軍拡化を推し進める力になるだろう。ノーベル平和賞を受賞した「日本国民」が
日本ヨイ 国、キヨイ 国。
世界ニ 一ツノ 神ノ 国。
日本 ヨイ 国、 強イ 国。
ノーベル賞ニ カガヤク エライ 国。
というますます酷い修身ナルシズムに陥る事だけは間違いなく、これはまさに大日本帝国そのもの。金子や長島のような極右国粋議員がこの運動を気に入って飛び付いたのはまさにその点だ。ナルシーな日本優越主義者にとって「ノーベル賞」のごとき「世界的権威」はよだれが出るほど大好きだろう。「9条を守る」どころか、安倍を全力で手助けすらしているのが「憲法9条にノーベル賞を」運動なのである。
 
このZED氏の指摘はいまの日本の現状(革新運動)の本質を衝いていると思います。「一点共闘」は「日本の政治を変える」ための統一戦線の一環として取り組まれるべきもののはずです(「全国革新懇懇談会における「志位委員長報告」しんぶん赤旗 2014年4月18日)。上記のような野合を共産党は「一点共闘」などと強弁すべきではないでしょう。
 
私は本質的な意味での(社会科学と社会変革としての)「マルクス主義」を勉強してきた多くの共産党員にはいまだ自浄能力があると思っています。その思いが私の共産党への信頼をつなぎとめています。
 
志位氏をはじめとする共産党幹部と共産党員には真の意味の共産党員としての自浄能力を発揮していただきたいものです。
 
終戦を目前に宮城刑務所で53歳の若さで死去(獄中死)した戦前の日本共産党幹部の市川正一(元読売新聞社社会部記者)は、市川自身が著した『日本共産党闘争小史』によれば戦前の治安維持法下の法廷で次のように宣言したといいます。
 
「日本共産党員となった時代が自分の真の時代であり、真の生活である。」
 
その誇りを現在(いま)の日本共産党員にも失ってほしくない、と私は強く思います。
 
以下、ZED氏の論。
 
「憲法9条にノーベル賞を」運動について再び その1
(Super Games Work Shop Entertainment 2014年05月27日)
 
前回の記事で筆者は「憲法9条にノーベル賞を」運動に賛同した国会議員60人の中に、自民党でも特に右寄り(日本会議・神道政治連盟所属)な長島忠美と金子恭之が本当に入っているのか疑問を呈した。どうやらこれは事実だったようである。以下のように貴重な御指摘を拝見出来た。
 
https://twitter.com/kibikibi20/status/470623303279734785
@kibikibi20⇒前掲「立憲フォーラム」HPによると、長島忠美と金子恭之の2人が賛同したのは事実である⇒
衆参国会議員有志により、「ノーベル平和賞の授与を求める文書」を提出しました
(立憲フォーラムHP、2014年5月17日)
10:51 - 2014年5月25日
 
https://twitter.com/kibikibi20/status/470623823847374848
@kibikibi20 「賛同者 (ABC順):
[・・・]
/菅 直人/金子 恭之/
[・・・]
/長島 忠美/中川 正春/志位 和夫/」
10:53 - 2014年5月25日
 
もうこの時点で明らかだろう。この運動がどれだけアホ臭い馬鹿馬鹿しいものかが。金子恭之なんてバリバリの改憲派ではないか。以下の赤旗記事によれば憲法調査推進議員連盟にもその名がある。
 
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-04-19/02_02.html
保守「2大政党」づくりの 断面
議連に同舟 改憲レース
 
上記記事から10年後、その金子議員は共産党の志位委員長と一緒に「憲法9条にノーベル賞を」与える運動をするようになりましたとさ。おいおい、赤旗はあんたらの親分と自民党の憲法調査議連所属議員が一緒になってこんな事をしてるのを何とも思わないのか? 思わないんだろうな…。
 
「9条に平和賞をやる事で安倍政権の暴走に歯止めが掛けられる」などというのは愚かな希望的観測というか馬鹿な妄想に過ぎず、それどころか安倍や金子や長島のような自民党改憲派・タカ派・日本会議派にとっては望ましい事なのだ。「ノーベル平和賞まで日本国民は受賞した」という権威付けのアリバイは軍拡化と戦争を抑止するのではなく、日本人の国威発揚と日本優越主義の強化に直結し、それがさらなる軍拡化を推し進める力になるだろう。ノーベル平和賞を受賞した「日本国民」が
日本ヨイ 国、キヨイ 国。
世界ニ 一ツノ 神ノ 国。
日本 ヨイ 国、 強イ 国。
ノーベル賞ニ カガヤク エライ 国。
というますます酷い修身ナルシズムに陥る事だけは間違いなく、これはまさに大日本帝国そのもの。金子や長島のような極右国粋議員がこの運動を気に入って飛び付いたのはまさにその点だ。ナルシーな日本優越主義者にとって「ノーベル賞」のごとき「世界的権威」はよだれが出るほど大好きだろう。「9条を守る」どころか、安倍を全力で手助けすらしているのが「憲法9条にノーベル賞を」運動なのである。
 
「護憲」のウィングを右に伸ばし、「従来の護憲派」だけではない、より幅の広い「国民」層を取り込む。また、アジア太平洋戦争については、「加害」の点を強調する(それは「反日」になるから)のはやめて、「被害」の側面を強調し、改憲することによって再び戦争被害を被りかねないことに注意を促す。
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-25.html
 
佐藤優現象はまさにここに極まれり! 佐藤優現象を今最も体現した醜悪な姿の極致が、この「憲法9条にノーベル賞を」運動に他ならない。
「自共対決」だって? どう見ても「自共仲良く」にしか見えないんだが。
自民党も共産党も仲良くしようぜ! ノーベル賞の為に!
日本ハ ノーベル賞ニ カガヤク エライ 国!
(続く)

大木英治著の『逆襲弁護士河合弘之』(さくら舎)という本が出版されたということですね(脱原発弁護士・河合弘之の人生 大木英治『逆襲弁護士河合弘之』)。
 
しかし、私は、大阪市特別参与(エネルギー政策)として橋下徹(大阪市長・日本維新の会共同代表)のうそ「脱原発」、うそ「原発再稼働反対」を指南した河合弘之氏(脱原発法制定全国ネットワーク代表世話人・弁護士)の唱える「脱原発」をまったく信用しません

*つい最近まで大阪市の特別顧問として橋下徹のうそ「脱原発」、うそ「原発再稼働反対」に関与してきた飯田哲也日本総合研究所主任研究員)、いまも橋下大阪市政の特別顧問のままであり、やはりうそ「脱原発」、うそ「原発再稼働反対」に関与してきた古賀茂明(元経産省官僚)についてもまったく同様のことが言えます
 
> 河合弁護士は、原発民衆法廷にも協力してくれた。
 
なるほど。
 
「原発民衆法廷」はこれまでも少なくなく批判されてきました。その理由の一端も上記と「関係なし」ではないでしょう。
 
再度、小野俊一(医師)なる人物の「トンデモ」性について ――ある反論子の「反論」の荒唐無稽性とある福島第1原発事故収束作業員の心打たれる再反論(弊ブログ 2013.05.08)
北島教行さん(福島第一原子力発電所事故収束作業員)の原発民衆法廷・第8回・熊本公判における「小野参考人出廷忌避申し立て書」の趣旨に賛同する(同上 2013.05.21)
 
再度、次のことを述べておきます。
 
こういう人たちによって日々「革新運動」は根腐れされていく。彼(彼女)らをもはや「リベラル・左派」と呼ぶべきではない。彼(彼女)らは客観的に見て「革新運動」を根腐れさせるためだけにある「Dasein(存在)」、すなわち「The Dull(愚者)」というほかありません。」(弊ブログ 2013.11.13

怒り2 
怒り1

怒り3 
怒り2
「十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜
態を、君はまだ避けているようですね。マタイ十章、二八、『身を殺して霊
魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそ
れよ』。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む
  筈です。」(太宰治『トカトントン』) 

私は先日「vanacoralの日記の主宰者の『赤新聞』(イエロージャーナリズム)記者・田中龍作批判」という記事を書いて、そのvanacoral氏の「ジャーナリスト(?)田中龍作(@tanakaryusaku)、江田一派を賞賛」(vanacoralの日記 2013-12-09)という記事を紹介しておきました。
 
その私の記事に対して「vanacoralの日記とか言う人、相当うさんくさいですね。小沢バッシング、山本&三宅バッシングをしている人はかなり共通項があり、こいつらが日本のファシズム化に貢献していると私は見ています」と言ってくる人がいました。私はこの人の「こいつらが日本のファシズム化に貢献している」という批判のフレーズに彼の思想の貧困を思い、とりわけ「こいつら」という言い方にむしょうに腹立たしいものを感じたので、「なにをかいわんや。 『こいつら』とはお前のことを言うのだ」と「こいつら」という悪罵に相応しい罵倒の言葉を返しておきましたが(「憤り」と「怒り」をこめて)、この人は少し反省したのか今度は罵りのトーンをやや押さえて「東本さんが紹介したブログを書いている人は、マイナスのエネルギーに満ちあふれていますよ」という言い方で応酬してきました。

前エントリでご紹介した井上達夫さん(東大教授・法哲学者)の論に対してある「護憲」論者から以下のような反応がありました(ただし、純粋に井上達夫さんの論への反論であって、前エントリの私の論への反論ということではありません)。

写真・図版
井上達夫さん(朝日新聞
 
「あえて」いいますが、この井上達夫さんの議論とその結論には疑問を感じます。憲法をめぐるこの間の攻防についての事実認識が研究者らしくない、主観的で、一面的な分析です。こうした認識に基づいた議論の展開はあまり実際の役に立ちません。そして、結論が9条削除ですからね。特に以下の所などはほとんどだめです。
 
「護憲派は他人頼みなのです。『専守防衛で集団的自衛権はNO』を日本の公式見解として守ってきたのは、自民党と内閣法制局ですよ。護憲派はこの自民党と法制局の『自己規制』に頼りながら、それを自分たちの手柄のように言ってきた。安倍政権はいま、護憲派のこの甘えを突いてきています。集団的自衛権行使容認が目的の内閣法制局長官人事は大いに問題がある。しかし護憲派はそれに憤慨する前にまず、自分たちの欺瞞と甘えを反省すべきです」
 
これは誰のことでしょうか。もしかしたら、社民党のなかの一部の考えを反映しているかも知れませんが、これで「護憲派」全体をを代表させるのは全く無理です。こんな高みからの、トンチンカンな議論を大きな記事にする朝日新聞も落ちたものだと思います。
 
さらに以下はそのある「護憲」論者への私の応答。
 
Aさん、いつもご苦労さまです。
 
が、私は、Aさんが「ほとんどだめ」だとおっしゃる「護憲派は他人頼みなのです。『専守防衛で集団的自衛権はNO』を日本の公式見解として守ってきたのは、自民党と内閣法制局ですよ。護憲派はこの自民党と法制局の『自己規制』に頼りながら、それを自分たちの手柄のように言ってきた」という部分は、逆にいまの「護憲」勢力の陥っている陥穽の本質的なところをみごとに言い当てている目利き者の見方のように思います。
 
井上さんは、いわゆる「護憲」勢力の「憲法9条」をめぐるたたかいが内閣法制局の「集団的自衛権」の解釈にも反映し、かつ政府がその自衛権を行使しようとするぎりぎりの歯止めになってきた「事実」もおそらくよく知っています。その「事実」をよく知った上での「護憲派は他人頼みなのです。『専守防衛で集団的自衛権はNO』を日本の公式見解として守ってきたのは、自民党と内閣法制局ですよ」という護憲派に対する異議申し立てであることに留意すべきだろうと思います。決して自民党と内閣法制局を誉めそやしたいという右翼的な魂胆からではないでしょう。
 
井上さんの問題意識の一端は、今日のような事態を招来させたことに「護憲」派には責任はないのか、というものだろうと思います。この井上さんの問いは、先にご紹介した「署名とカンパとやつらのえっらそうな記者会見で、9条改悪、集団的自衛権容認、秘密保護法が阻止できるんやったら、さいしょっからこんなことになってないやろ」(辺見庸「不稽日録」2013/10/23)という辺見庸の問題意識、問いにも通じるものだろうと私は思います。
 
しかし、いわゆる「護憲」派の多くの人たちは、井上さんや辺見が問題提起しているその問題提起の中身自体が理解できないのでしょうね。自分たちは「正しい」ことをしている、という自尊心だけは強いが、その「正しさ」を押しつけられることへの他者の訝しみの感情やうっとうしさの感覚への理解は自己の理解能力の外にある。だから訝しみやうっとうしさの感覚を表明しようとする者をただ「異端(者)」としか理解しえない。
 
辺見のいう「憲法改悪反対アピールに賛同する署名とカンパの要請は、大江健三郎らをもちあげることの絵に描いたような偽善と、これにかかわるみずからの『責任と鬼火』を見つめようとしない」とはどういう意味か。その「みずからの『責任と鬼火』を見つめようとしない点において、テッラルバのメダルドの『善半』に似て、鈍感で、押しつけがましく、うっとうしい。ウザいのだ」というのはどういう意味か。辺見はさらに続けて言います。「いつか(すでに)ファシズムの怒濤にのまれる(のまれた)のは、悪ではなく、かれらの『善』」である(あった)」(同上2013/10/24)。とは、どういう意味か。考えていただきたいものです。なお、「メダルドの『善半』」とはこちらの物語に出てくる登場人物です。
 
井上達夫さんも先の朝日新聞のインタビューでやや自嘲気味に次のように言っています。
 
「まわりが欺瞞に浸っているときに、欺瞞の根を断てと主張する私のような者は狂人扱いされます」
と。
 
井上さんの問題提起は「正しい」ものであるかどうかは別にして、少なくとも私は井上さんの声は「真実の声」だろうと思います。それを「高みからの、トンチンカンな議論」と一蹴する。その姿勢からは、辺見や井上さんが問題提起している「解」(に近づく道)は決して生まれようもないだろう、と私は思います。
 
井上さんや辺見の提起している問題は人の「感性」や「感覚」の問題を含んでいますからその論証は難しいです。一朝一夕に解決するようなしろものの問題提起ではありません。だから、私もこの辺で問題提起を留めます。


井上達夫さん(東大教授・法哲学者)が「護憲」「改憲」両派それぞれの「自己欺瞞」の説への異議申し立てとしての「9条削除」論を提唱しています(朝日新聞 2013年10月26日)。井上さんの指摘する「憲法をめぐっては、護憲、改憲両派が互いを批判する声ばかりが耳に残り、『型通りの話』を超えた思考はなかなか深まらない。なぜか。自分の都合の良いところだけ憲法を『つまみ食い』する両派はともに、自己欺瞞にとらわれている」という問題提起はそのとおりだと私も思いますが、その問題提起がどうして「9条削除」論につながりうるのか?
 
井上さんのこの考え方は、井上さんが立憲主義を「立憲主義の基本は公正な民主的政治競争の条件と基本的人権、特に被差別少数者の人権の保障で」あり、「安全保障問題は、政治という闘技場の中で争われるべきことで、闘技場の外枠である憲法で規定すべきでは」ないと規定するところから生じる独自のコンセプションだと思いますが、「安全保障問題」を果たして「立憲主義」の「枠外」の課題として「20世紀(前半)解釈」的に解釈することは正しいことか? 「安全保障問題」も「平和的生存権」という立派な「人権保障の課題」といいうるのではなかったのか? それが先の大戦後に国際的にも提言、定立(日本国憲法)されてきた21世紀的課題というべきものではない(なかった)のか、という疑問は残りますが、「9条削除」論の前提となる井上さんの問題認識、問題提起そのものは私にもよくわかります。これもよく考えてみたい問題提起です。いま、「これも」と書きましたが、このエントリは「2つの問題提起 ――秘密保護法制定反対官邸前集会問題と大江健三郎らチシキジンの憲法改悪反対賛同呼びかけへの異議」の続きとして書いているものです。以下、井上達夫さん(法哲学者)の「護憲」「改憲」両派の「自己欺瞞」の説への異議申し立てとしての「9条削除」論。

2集団的自衛権  
橋本勝の21世紀風刺絵日記

 
あえて、9条削除論 法哲学者・井上達夫さん
(朝日新聞 2013年10月26日)
 
 憲法をめぐっては、護憲、改憲両派が互いを批判する声ばかりが耳に残り、「型通りの話」を超えた思考はなかなか深まらない。なぜか。自分の都合の良いところだけ憲法を「つまみ食い」する両派はともに、自己欺瞞(ぎまん)にとらわれているからだと、法哲学者の井上達夫さんは言う。さあまずは9条を削除して、自己欺瞞を乗り越えよ――。