弁護士の金原徹雄さん(和歌山市)がご自身のブログの3月1日付けに「『慰安婦』問題に立ち向かう『強い意志』~大沼保昭氏と朴裕河氏の会見を視聴して」という記事を書いています。その標題を「『慰安婦』問題に立ち向かう『強い意志』」としていることからもわかるように金原さんは東大名誉教授で元アジア女性基金理事の大沼保昭(敬称略。以下、同じ)と『和解のために』(2007年度大仏次郎論壇賞受賞)の著者で世宗大学教授の朴裕河(パク・ユハ)を高く評価する立場からこの記事を書いています。そして、その記事の中で金原さんは大沼と朴の評価について、「日韓両国のいずれにも存在する、左派と右派というか、リベラル派と民族派というか、そのような極端な教条主義的見解とは一線を画し、様々な立場の者が参加した議論の機会を保障し、たとえ非常な困難が予想されるとしても、解決に向けた道筋を見出そうという姿勢に共通点がある」とも書いています。
 
しかし、私には、大沼と朴に関する金原弁護士の評価には異議があります。なかんずく、大沼と朴の批判者をすべてではないにしても「極端な教条主義」などとレッテル張りをして両者の正当性を強調しようとする金原弁護士のその姿勢、評価のものさしには大きな異議があります。以下は私の異議ですが、その前に、2年前に韓国で出版され、告訴騒動にもなっている朴裕河の『帝国の慰安婦』を高く評価する高橋源一郎の「論壇時評」(朝日新聞、2014年11月27日)と奥武則の「書評」(朝日新聞「論座」、2014年11月27日)の声を先にとりあげておきます。大沼保昭や朴裕河を評価する声は金原さんひとりではないという証明を先にしておこうと思います。
 
高橋源一郎の「論壇時評」は次のようなものです。
 
「この本は、「慰安婦」を論じたあらゆるものの中で、もっとも優れた、かつ、もっとも深刻な内容のものです。これから、「慰安婦」について書こうとするなら、朴さんのこの本を無視することは不可能でしょう。そして、ぼくの知る限り、この本だけが、絶望的に見える日韓の和解の可能性を示唆しています。」
 
「朴さんは、慰安婦たちを戦場に連れ出した「責任」と「罪」は、まず帝国日本にあるとしながら、同じ「責任」と「罪」を持つべき存在として、朝鮮人同胞の業者、そして、女子の生涯を支配し、自由を許さなかった「家父長制」を指さします。彼らは、帝国日本の意向に沿って、彼女たちを「売った」のです。韓国(や北朝鮮)で、彼らの「罪」が問われなかったのは、そこに植民地・韓国(北朝鮮)の、忘れたい過去があったからです。植民地の民は、時に、本国民より熱狂的に宗主国に愛や協力を誓います。慰安婦も、彼女たちを連れ出した業者も、植民地の「準日本人」として「愛国者」の役割を果たしたのです。」
 
「朝鮮人慰安婦」にとって、日本人兵士は、時に自分の肉体を蹂躙する敵であり、時に、自分と同じく戦場で「もの」として扱われる「同志」でもありえたのです。だが、彼女たちの複雑な思いと立場は、日本と韓国の、それぞれの公的な「記憶」の中では、不都合な存在とされてきました。それぞれの国で、慰安婦たちは「単なる売春婦」か「強制的に連れて来られた性奴隷」のいずれかでなければならなかったのです。かつて、自分の肉体と心の「主人」であることを許されなかった慰安婦たちは、いまは、自分自身の「記憶」の主人であることを許されてはいないのです。」
 
「彼女たちを人間として認めること、そのためには、国家の公的な「記憶」の持ち主ではなく、彼女たちのかけがえのない個人の「記憶」に耳をかたむけること。朴裕河は「同胞の罪」を問うたために、韓国内では激しく批判されました。ちょうど、ハンナ・アーレントが「イェルサレムのアイヒマン」で、ナチスがユダヤ人を強制収容所に連行する際、ユダヤ人社会が協力したことの罪を問い、ユダヤ人社会の激烈な反発を招いたように、です。アーレントは、ユダヤ人社会の協力を責めることはナチスの罪を軽減することになる、という批判に対して、真実を明らかにすることからしか、真の解決は始まらない、と応答しました。アーレントの本のように、朴裕河の本が孤独な顔つきをしているのは、同じ問題に向かい合っているからなのかもしれません。」(高橋源一郎Twitter(2014年11月27日)から。抜粋要約は引用者)
 
また、奥武則の「書評」は次のようなものです。
 
「著者は、「慰安婦問題」をこうした「政治」と「運動」の中での語りから解き放つことを試みる。その出発は《「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませること》(日本語版への序文)だった。その結果、本書は「慰安婦問題」について「韓国の常識」「世界の常識」に異議申し立てをするものになった。」
 
「大日本帝国」は、1910年(実質的には1905年)、朝鮮を植民地とした。「帝国」に組み入れられた植民地・朝鮮の人々は「国民」として「帝国」の総力戦に動員された。/「慰安婦」たちもそうした「国民」だった。兵士が「帝国」に動員され、「命」を提供する存在だったとしたら、「慰安婦」は「性」を提供する立場にあった。戦地の慰安所における兵士たちと「慰安婦」たちとの間は、一方が他方を抑圧する関係ではなかった。」
 
「それゆえ、「帝国」の総動員体制の被害者同士として、戦地で「慰安婦」と兵士たちは、さまざまな関係を結ぶことができた。兵士たちにとって、ときに「朝鮮人慰安婦」は「日本」を代替して彼らをまさに「慰安」してくれる存在だった。」(WEBRONZA - 朝日新聞社(2014年11月27日)から。抜粋要約は引用者)
 
しかし、上記で高橋によって「『朝鮮人慰安婦』にとって、日本人兵士は、時に、自分と同じく戦場で『もの』として扱われる『同志』でもありえた」とされている部分、奥によって「戦地の慰安所における兵士たちと『慰安婦』たちとの間は、一方が他方を抑圧する関係ではなかった」とされている部分については(高橋の記述も奥の記述もともに朴裕河の『帝国の慰安婦』に基づくもの)明治学院大学准教授の鄭栄桓の次のような反論があります。
 
「朴の挙げる証言は、いずれも日本軍兵士や日本人業者が語った、日本人「慰安婦」についての証言であり、そもそも朝鮮人「慰安婦」は全く登場しない。兵士や業者という「利用者」「管理者」の視線からなされたことを踏まえた史料の検証をおこなわずに、これらを日本人「慰安婦」の実態、しかも「意識」を示す証言として用いることは問題であろう。この日本人「慰安婦」の発言自体、一般化しうるものなのかも確かではない。しかも、それをただちに「帝国の慰安婦」であったから「基本的な関係は同じ」として、朝鮮人「慰安婦」にあてはめるに至っては完くの飛躍というほかない。」
 
「日本軍と「同志的な関係」にあった、「同志意識があった」という表現は証言や小説には登場しない朴の言葉であり、解釈である。言うまでもないことだが、ある個人が日本兵の思い出を語ることと、「朝鮮人慰安婦」と日本軍が「同志的な関係」にあったという解釈の間には、はるか遠い距離がある。証言の固有性があまりに軽視されているのだ。」
 
「朴は「愛と平和と同志がいたとしても「慰安所」が地獄のような体験であった事実は変らない。それはいかなる名誉と称賛が付き従うとしても戦争が地獄でしかありえないことと同様である」(76頁)と断りを入れているが、全く根拠を示さぬまま、「同志がいた」という極めて重大な日本軍「慰安婦」の自己認識に関する推測を呈示したことにこそ、最大の問題があるといえる。」(歴史と人民の屑箱 2014-06-21
 
また、慶煕大教授(文学評論家)のイ・ミョンウォンの次のような反論もあります。
 
「沖縄の人々は、現在も日本を「ヤマト」と呼んで、日本人を「ヤマトンチュ」と呼びます。沖縄を「ウチナー」と自分たちを「ウチナンチュ」と呼びます。沖縄戦当時に滞在していた朝鮮人たちを「チョセナ」と呼びます。朴裕河教授は日帝下強制連行された慰安婦と日本軍との関係をこのような “日本国民” だったと言うが、沖縄で沖縄人、朝鮮人、日本人たちは朴教授の考えとは異なる考えた行動であった(引用者注:「沖縄での沖縄人、朝鮮人、日本人たちの実際の行動は朴教授の考えとは異なっていた」の意か?)。最も明らかなのは、“馬”(引用者注:ガマ(壕)のことか?)が異なっていたため、沖縄や日本語で似たもの同士会話すると、スパイ容疑で処刑することが日常茶飯事でした。」
 
「大沼保昭氏が中心になった「アジア女性基金」は、慰安婦ハルモニたちの世俗性を強調しました。歴史的審判が重要なのではなく、その場で生きていく"お金"が重要である。これを否定してはならない、というふうでした。「アジア女性基金」は、オランダ、台湾、フィリピン、慰安婦おばあさんたちに補償金を支給して、韓国では個人的に申請したおばあちゃんたちにもそうでした。首相の謝罪手紙も直筆サインをして送ったが、日本政府は、過去も今も「道義的責任」をとると言っています。 「道義的責任」という言葉。本当に美しい言葉です。 「法的責任」は話にならない、それは不可能であるが、困難であるとの免罪ロジックがこの「道義」の真の意味です。朴裕河教授が巧みに歪曲しているが、「アジア女性基金」について、日本政府は協力しませんでした。官民合同募金形式での資金のうち、公的資金は、ほとんどが「公務員労組」などを中心とした金額であり、皮肉なことに、在日朝鮮人もの寄付金を出しました。」(東アジアの永遠平和のために 2014-06-17
 
また、これは朴裕河の『和解のために』が2007年度の大仏次郎論壇賞を受賞したときのものですが、女性史研究者の鈴木裕子の次のような批判もあります。
 
「この著作の大きな特徴の一つは、「国民基金」への高い評価と韓国挺対協に対する強い批判がセットになっていることがあげられる。韓国と日本のナショナリズムを同列におき、それぞれの歴史的背景を精査せず、事実の上においては、韓国のナショナリズム批判により力点をおいている。朴氏のこのような特徴をもつ著作は、日韓の和解ムードづくりに対してはすこぶる好都合な素材を提供していると言えよう。しかし真の「和解」のための、原因の究明、歴史的事実の直視、共有化を通して日韓の市民・民衆レベルの地道な取り組みを行っている者たちにとっては、朴氏の著作は欺瞞的なものとしか写らない。要するに朴裕河氏の『和解のために』は日本支配層や政治エリートたちにとっては、「偽りの和解」醸成にはもってこい、の著作だと言える。挺対協批判のため「当事者性」を謳いつつ実際は被害者当事者の存在を周縁化させ、無視し、事実の上において貶めているものと言えよう。(従軍慰安婦問題を論じる 2008/04/07
 
私は日本のひとりの小説家とひとりの社会学者の評論よりも鄭栄桓、イ・ミョンウォン、鈴木裕子の論の方に説得力と正当性を見ます。そういう見方もあるのだということ。金原弁護士には承知していただきたいことです。また、相対する批判者は「極端な教条主義」者というほかないものか。再考していただきたいことです。
国連差別撤廃委員会を「参観」するためにジュネーブを訪れていた在日本朝鮮人人権協会事務局員、朝鮮大学校非常勤講師の金優綺(キム・ウギ)さんが韓国ハンギョレ新聞(2014.08.25付け)に「国連差別撤廃委員会 参観記 モーリシャスの委員の言葉に目頭が熱くなる」というエッセイを寄稿されています。そのハンギョレ新聞の日本語版を読んで、もちろんモーリシャスの国連差別撤廃委員会委員の発言に「目頭が熱くなる」震源はあるのですが、金優綺(キム・ウギ)さんの真っ直ぐな純粋な目、その真っ直ぐな純粋な目で見た報告に私も目頭が熱くなりました。
 
以下、金優綺(キム・ウギ)さんのエッセイの全文(日本語訳)です。
 
[国連差別撤廃委員会 参観記]モーリシャスの委員の言葉に目頭が熱くなる(ハンギョレ新聞(日本語版) 2014.08.25)
 
「日本政府による朝鮮学校 「高校無償化」制度除外は差別」
不誠実な日本政府答弁に批判も
 
「なぜ、同じ質問が二回も三回も出されるのでしょうか? 答えは単純です。締約国の回答が満足なものではないからです。それが私たち委員の思いだということをはっきりさせておきましょう」
 
8月21日の午後、国連・人種差別撤廃委員会による日本政府審査が終了間近になったころ、モーリシャスの委員は日本政府の回答に業を煮やした顔つきで、こう強く批判した。彼の言葉はこう続いた。
 
「では、これまで何度も出されている問題について質問します。朝鮮学校についてです」
 
審査を傍聴しながらメモを取っていた私は、「Korean School」という単語を口にしたかれの言葉に耳をそばだてた。
 
「中華学校やアメリカンスクールなど、日本語以外の言語・文化を促進する他の学校と一緒に分類されている中で、差別が存在するという意見を聞いています。多くの学校は、最初から恩恵を受けているのに、朝鮮学校にはその恩恵が撤回され、政府からの経済的支援を受けられないでいます。先ほど、審査の結果、朝鮮学校が基準を満たさなかったためだという回答をいただきました。その基準とは何なのでしょうか?朝鮮学校が朝鮮民主主義人民共和国に近いということでしょうか?」
 
モーリシャスの委員が指摘した日本政府代表団の回答とは、「朝鮮学校は朝鮮総連と密接な関係があり、総連は北朝鮮と密接な関係があり…学校の適正な運営と認めるに至らなかった」「学校教育法第1条に定める学校になるか、北朝鮮との国交が回復すれば審査の対象となりえる」「学校教育法第1条に定める学校では、現に多くの在日朝鮮人が学び、国籍による差別には当たらない」というものだった。
 
2010年4月から導入された「高校無償化」制度(日本にある公立高等学校の授業料を無償とし、私立高等学校・各種学校認可を受けた外国人学校に対して就学支援金を支給する制度)は、制度施行直前に日本の拉致問題担当大臣が朝鮮学校の除外を提案したことをきっかけに、朝鮮学校を除外したままスタートした。制度が始まって既に4年以上が経つが、その間、他の外国人学校39校には就学支援金が支給されているにもかかわらず、日本に存在する朝鮮高校10校は、いまだに同制度から除外された状況が続いている。
 
この4年間、日本政府は、わざわざ朝鮮学校に関する審査基準をつくり、審査を開始したと思ったら、2010年11月に延坪島で起きた南北軍事衝突を口実に審査を中断した。その後、ようやく審査が再開されたと思ったら、審査の結論を延々と引き伸ばし続けた。そうしているうちに、2012年12月に発足した第二次安倍政権は、日本政府自らがつくった朝鮮学校に関する審査基準自体を削除するという信じがたい暴挙を行い、朝鮮学校を「高校無償化」制度から完全に除外したのである。
 
その間、朝鮮学校に通う高校生、保護者を中心とした在日同胞、また多くの日本人は、上げうる限りの声を上げて朝鮮学校に「高校無償化」制度を適用せよ、朝鮮学校に対する差別をやめろと叫んできた。朝鮮学校の高校生たちは、勉強する時間、部活動に汗を流す時間、友だちと過ごす大切な青春の時間を、街頭に出て署名を集める時間、文部科学省に対して抗議行動をする時間に費やし続けた。そしてついに、大阪・愛知・広島・福岡・東京の250人に及ぶ朝鮮学校の高校生・卒業生は、「高校無償化」制度の適用を求めて日本政府に提訴した。
 
上記の委員の発言は、次のように続いた。「私たちが提起している基本的な質問は、これは差別の問題ではないのか、ということです。人種主義の問題、人権の問題ではないでしょうか? 最終的に誰が被害を受けるのでしょうか…それは朝鮮学校に通う生徒たちです。私たちは、そうした観点から差別が存在すると言っているのです。政治的な理由など色々とあるでしょう。しかし基本的な問題として、これが差別という人権侵害の問題であると私たちは感じている、と言っているわけです」
 
その言葉に、思わず目頭が熱くなった。私たちがこれまで日本で叫んできた声は正当であり、日本政府による朝鮮学校の「高校無償化」制度からの除外は、国際的な人権基準に反する明確な差別の問題なのだということが改めて確認できた瞬間だった。本審査では、ヘイトスピーチの問題が議論の最大の焦点となった。委員たちは、審査前に行われたNGOブリーフィングの場で上映された朝鮮学校等へのヘイトスピーチデモの様子を撮影した映像を見て、一様に目を丸くし、驚きを隠さなかった。本審査では、多くの委員がこの映像に言及し、結果として朝鮮学校とヘイトスピーチについての質問が最も多く出された。
 
ヘイトスピーチデモに見られる差別の根本は、日本政府という公権力の差別的態度にある。日本政府による「高校無償化」制度からの朝鮮学校除外や、それに倣っている地方自治体による朝鮮学校への補助金停止という公的な差別が、日本における排外主義を蔓延させ続けているといえる。その根本を断ち切るため、国際社会からの支持を力に、諦めずに声を上げ続けていくしかない。
醍醐聰さん(東大名誉教授)は自身の「7年少し前」の「ためにする強制の「広狭」論 ~「従軍慰安婦」問題をめぐる安倍首相の理性に耐えない言辞 ~」という記事を自身のブログに改めて再録しようとする理由について以下のように述べています。
 
「政府は6月20日、「従軍慰安婦」の問題をめぐって日本政府としての謝罪と反省を明らかにした1993年の河野官房長官談話の作成にあたり、韓国側と事前に綿密に調整していたなどとする有識者の検証結果を衆院予算委員会理事会に提出した。その一方で、政府は河野談話を引き続き踏襲していくとも述べている。しかし、自民党内には慰安婦の連行に「強制」があったか否かに関して河野氏の発言を質す必要があるとして同氏を国会に招致するよう求める意見が出ている。このような議論がむし返されるのを見て、私は7年少し前に書いた上記の記事を思い起こし、ぜひ、多くの方に一読いただきたいと願わずにはいられない気持ちになった。そこで、元の記事をそのまま、再録することにした。」
 
醍醐さんの「7年少し前」の記事を「再録することにした」理由、また、お気持ちは私にもよくわかります。醍醐さんの意を勝手に承けて私の場合はそのURLをご紹介させていただこうと思います。
 
(再録)ためにする強制の「広狭」論 ~「従軍慰安婦」問題をめぐる安倍首相の理性に耐えない言辞 ~(醍醐聰のブログ 2014年6月25日)。
 
在日のNPO法人「三千里鐵道」が「日本政府は何を『検証』したのか?」という安倍内閣が6月20日に発表した「河野談話」検証報告書を批判する記事を書いています。
 
「『検証』の目的や背景を分析すれば、日本政府の意図がよく見えてくる。河野談話の意義と価値を貶めることで、安倍内閣は『慰安婦』問題の責任を回避し幕引きを図ろうとするのだろう。報告書の目的は次の一点に集約される。“河野談話は日韓両政府の政治的な妥協の産物に過ぎず、信頼すべき歴史的証拠に基づいたものではない”と暗示することである。」
 
「河野談話の根拠となった元『慰安婦』の証言に関しては“その信ぴょう性にまで踏み込まず、韓国側に配慮した”と、6月21日付『毎日新聞』朝刊は解説している。筆者は「韓国側への配慮」とする見方には同意しない。報告書に「事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかった」と記載することで、証言の信ぴょう性は十分すぎるほどに損なわれてしまったからだ。」
 
「日本政府は、見え透いた小細工を弄しただけだ。毎日新聞が評した『韓国側への配慮』とは、被害女性たちの証言を冒涜する許し難い侮辱であり、韓国政府を「慰安婦」問題の不完全解決で妥協した“共犯”に仕立てる一撃にほかならない。」
 
「公正を期す意味で韓国政府の抗弁にも耳を傾けてみよう。(略)論評は“去る20年余の間、国連の特別報告官や米国議会などの国際社会が、日本軍『慰安婦』問題に対する日本政府の責任認定とこれに伴うしかるべき措置を求めてきた。しかし、これを履行しないだけでなく、『検証』という口実の下に被害女性たちの痛ましい傷を再びえぐるような行為は、国連と国際社会が決して容認しないだろう”と警告している。」
 
まったくそのとおりだと思います。つけ加えることがあるとすれば、「河野談話」の当事者の河野洋平元官房長官が政府の「河野談話」検証報告発表の翌日の21日に述べたという「全くそのとおりで、正しくすべて書かれている。足すべきことも、引くべきこともない」という発言についてです。
 
河野氏の上記の発言の真意がどうであれ、その発言を聞く側に届くのは、「『河野談話』検証報告は正しい」という河野氏の安易で肯定的なメッセージだけです。安倍内閣の「河野談話」検証の目的や政治的背景については一切分析することはせずにただ報告書の「文言」のみを「正しい」という。その態度は「正しい」といえるか? 強くノーと言わなければならないでしょう。政治家(に限りませんが)にはおのれの発言が布置する状況を読む目が求められます。河野氏には残念ながらその状況を読む目が決定的に欠落している、といわなければなりません。河野氏もやはり保守=墨守の政治家でしかない、ということでしょうか。
 
注:河野氏の21日の発言の要旨(産経新聞 2014.6.21)
 
河野談話-日本政府は何を「検証」したのか?
(NPO法人 三千里鐵道 2014年06月23日)
 
日本政府は6月20日、旧日本軍による従軍「慰安婦」への関与を認めた1993年の河野洋平官房長官談話(以下、河野談話)について、その作成過程を検証した報告書を衆院予算委員会理事会に提出した。
 
菅義偉官房長官による当日の会見内容を整理すると、報告書の要旨は以下の通りである。
 
①河野談話は、募集過程における強制連行は確認できないという認識を前提としている。
②河野談話は、韓国政府との綿密な文案調整を経て作成された。ただし、合意により調整内容は公表しないこととした。
③韓国側の打診を受け元「慰安婦」16人への聞き取り調査を実施したが、事後の裏付け調査は行われなかった。
④河野談話を見直さないという政府の立場に変わりはない。安倍内閣は談話を継承する。
 
“談話を継承する”というタテマエではなく、安倍政権のホンネを理解するためには、「検証」作業の経緯をたどる必要があるだろう。今年の2月20日、「日本維新の会」所属議員が衆院予算委員会で“河野談話が根拠とする元「慰安婦」の証言内容はずさんであり、裏付け調査もしていない。新たな官房長官談話を考慮すべきだ”と、河野談話の見直しを迫った。
 
答弁に立った菅義偉官房長官は、一切の反論をしなかった。それどころか、我が意を得たと言わんばかりに、2月28日には政府内に「検証チーム」を設置すると表明している。安部首相も、その議員に対し“質問に感謝する”と述べたそうだ。河野談話を継承すると言いつつその内容を検証するというのは、どう考えても整合性のない矛盾した立場であろう。「検証」はあくまでも、見直しや修正を前提とした行為であるからだ。
 
今回、「検証」の主な対象となったのは、談話作成過程での政府間交渉だった。報告書は“日本側は宮沢首相、韓国側は金泳三大統領まで文案を上げて最終了解を取った”と強調している。文案調整の一例として紹介されたのは、「慰安婦」募集に際しての軍の関与についてだった。韓国側が求めた“軍の指示”という表現に日本側は難色を示し、最終的には“軍の要請を受けた業者”が、主に募集を担当したとの文言で決着したそうだ。
 
特定秘密保護法の制定や集団的自衛権の行使に向けた解釈改憲など、安倍内閣の強権的な内政スタイルが目立っている。アジア外交においても同様なのか、その傲慢さは鼻持ちならぬ状況に至ったようだ。事前協議の内容を公開しないとの合意を無視し、日本政府が「検証」の名目で敢えてその詳細を公表したのはなぜか。筆者としては“河野談話の検証”よりも、“報告書の検証”に挑んでみたいところである。
 
「検証」の目的や背景を分析すれば、日本政府の意図がよく見えてくる。河野談話の意義と価値を貶めることで、安倍内閣は「慰安婦」問題の責任を回避し幕引きを図ろうとするのだろう。報告書の目的は次の一点に集約される。“河野談話は日韓両政府の政治的な妥協の産物に過ぎず、信頼すべき歴史的証拠に基づいたものではない”と暗示することである。
 
そして、河野談話の根拠となった元「慰安婦」の証言に関しては“その信ぴょう性にまで踏み込まず、韓国側に配慮した”と、6月21日付『毎日新聞』朝刊は解説している。筆者は「韓国側への配慮」とする見方には同意しない。報告書に「事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかった」と記載することで、証言の信ぴょう性は十分すぎるほどに損なわれてしまったからだ。
 
日本政府は、見え透いた小細工を弄しただけだ。毎日新聞が評した「韓国側への配慮」とは、被害女性たちの証言を冒涜する許し難い侮辱であり、韓国政府を「慰安婦」問題の不完全解決で妥協した“共犯”に仕立てる一撃にほかならない。外務省の幹部が「日本政府は世界に恥じるやりとりを韓国としたわけではない。韓国は冷静に受け止めていただきたい」と釘を刺したのは、こうした事情を反映したものだろう。
 
それでは、公正を期す意味で韓国政府の抗弁にも耳を傾けてみよう。報告書が提出された6月20日、韓国外務省は報道官の論評を通じて次のように表明した。“河野談話は、日本政府が自らの調査と判断に基づいて作成した「日本政府の文書」である。我が政府と文案調整をしたというが、日本側が繰り返し要請するので、非公式的な意見を提示しただけである。”
 
論評はさらに、日本政府の真摯な謝罪と責任認定を求める被害女性たちの声を無視し、慰労金の名目で「アジア女性基金」の一時金支給を強行したことにも、1997年1月11日の声明で反対した事実を喚起している。そして、日本軍「慰安婦」被害者の問題が、1965年の日韓請求権協定では解決されなかった点を強調している。
 
最後に論評は“去る20年余の間、国連の特別報告官や米国議会などの国際社会が、日本軍「慰安婦」問題に対する日本政府の責任認定とこれに伴うしかるべき措置を求めてきた。しかし、これを履行しないだけでなく、「検証」という口実の下に被害女性たちの痛ましい傷を再びえぐるような行為は、国連と国際社会が決して容認しないだろう”と警告している。
 
ところで、政府与党や「日本維新の会」所属議員らは“募集過程で強制の事実は立証されていない”と主張することに没頭し、そのことで「慰安婦」制度の存在そのものを否定しようとする。
 
日本軍「慰安婦」制度は、大日本帝国による戦争犯罪、植民地犯罪のなかでも典型的な「人道に対する罪」である。強制的な連行を立証する日本側の公文書が見つからなかったというが、政府であれ軍であれ、明白な犯罪行為を指示する(示唆する)文書を作成するだろうか。そのような文書があったとしても、敗戦の過程で、他の戦争犯罪に関する資料とともに焼却処分されたであろう。
 
日本軍「慰安婦」制度の残忍さは、連行過程での強制性に加え、何よりも「慰安所」における強制使役の実態によって明らかであろう。監禁され一切の自由を剥奪された状態で軍人に性的奉仕を強要する「性奴隷制度」だった。ヒラリー・クリントン前国務長官が“「慰安婦」という表現は適切ではない。日本軍の「性奴隷」と呼ぶべきだ”と指摘したのは、全的に正しい。
 
河野談話の見直しを企図する勢力は、被害女性たちの証言を“裏付け調査で検証されたものではない”と主張し、その信ぴょう性を貶めようとする。では、当事者である河野洋平氏はどのように判断したのか、その「証言」を聞いてみよう。彼は『オーラルヒストリー、アジア女性基金』に収録されたインタビュー(2006年11月16日)で次のように述べている。
 
“話を聞いてみると、それはもう明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる。その状況を考えれば、この話は信ぴょう性がある、信頼するに十分足りるというふうに、いろんな角度から見てもそう言えることがわかってきました。”
 
十分に確信を持って強制性を判断できる聞き取り調査だったからこそ、「裏付け調査や他の証言との比較」に関しては、もとよりその必要性がないと見なされたのだろう。
 
さらに、各国の被害女性たちが日本政府に謝罪と賠償を求めた裁判で、日本の司法部がどのような判決を下したのかも「検証」に値すると思う。90年代に提訴された10件の裁判のうち、8件の裁判で35人の女性が被害の事実を認定されている(内訳は韓国人10人、中国人24人、オランダ人1人で、そのうち26人が10代の未成年)。「釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪など請求訴訟」、山口地裁下関支部判決(1998年4月27日)の一部を以下に紹介する。
“甘言、強圧等により本人の意志に反して慰安所に連行し、さらに、旧軍隊の慰安所に対する直接的、間接的関与の下、政策的、制度的に旧軍人との性交を強要したものであるから、...極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白であり、...帝国日本が加担すべきものではなかった。...従軍慰安婦制度がいわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害であって、これにより慰安婦とされた多くの女性の被った損害を放置することもまた、新たに重大な人権侵害を引き起こす...”
裁判の結論はいずれも、原告の損害賠償請求を却下するものだったが、被害事実の認定では、ほぼ全面的に原告の主張を認めている。加害国である日本の司法が下した事実認定は、極めて重い意味を持つのではないだろうか。残念ながら司法の判断は、今回の「検証」対象には含まれなかったようだ。安倍政権が真に「河野談話の継承」を謳うのなら、司法の判断も「検証」すべきであろう。
 
今回の「検証」報告書は、河野談話に対する安倍政権の姿勢を明確に示してくれたようだ。内外世論の反発、とりわけ米政府の強い意志表示によって、河野談話の「見直し」という当初の目標は修正せざるを得なくなった。しかし、内容を歪曲し信頼性を傷つけることで、河野談話は「単なる紙切れ」に過ぎなくなる。それを口先だけで「継承」することに、何の躊躇もいらないだろう。
 
被害女性たちとともに日本軍「慰安婦」問題の解決に献身してきた韓国の市民団体『韓国挺身隊問題対策協議会』は6月19日、論評を発表した。そのなかで“日本政府が真に検証すべきなのは、河野談話作成に際した日韓政府間の文案調整過程ではない。日本政府が犯した日本軍「慰安婦」制度に対する徹底した検証であり、なぜ今も「慰安婦」問題を解決できずにいるのか、自らの過誤に対する厳正な検証であるべきだ”と強調している。
 
日本政府は聞く耳を持たないかもしれないが、折角なので、河野談話の一部を引用して拙文を終えたいと思う。(三千里コラム JHK)

“今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 
 ...いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。
 
 ...われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。...”
下記「論評」によると、日本政府がふたたび「アジア女性基金(国民基金)」の策動を行っているようです。
 
被害者や被害者支援団体の反対にもかかわらず強引に発足し、金さえ渡せばいいだろうといわんばかりの姿勢で、「慰安婦」問題に混乱を持ち込み、被害女性を侮辱し、傷つけてきたアジア女性基金。その中心人物たちでさえも、基金の失敗を認めざるを得なかったアジア女性基金。その名がふたたび出て来るとは(前田朗 3月28日)。
 
*下記にアジア女性基金(女性のためのアジア平和国民基金)とは何であったか、をいま再び再考してみるために、女性史研究者の鈴木裕子さんの論と私の拙論を添付しておきます。ご参照ください。(東本)
 
日本軍「慰安婦」問題解決、日本政府は知らずにできないのか
 
27日付韓国日報の記事(引用者注:下記日本語訳参照)によると、日本政府が日本軍「慰安婦」問題を論議するという名目で日本軍「慰安婦」被害者の福祉施設である[ナヌムの家]関係者と面談したことが報道された。日本側の要請でなされたというこの場には、山本恭司外務省アジア大洋州局地域政策課長と在韓日本大使館所属参事官が現れ、安倍総理が河野談話を見直ししないと明らかにした事実を強調した。また、海外での平和の碑(日本軍「慰安婦」少女像)建設について困惑しており韓国と速やかに問題を処理したい意向を明らかにしたとのことだ。
 
このような面談を日本政府が日本軍「慰安婦」問題解決のためついに何か行動を起こそうとしたのではないかと期待する人がいるかもしれないが、この場で日本軍「慰安婦」被害者に女性のためのアジア国民基金(以下、国民基金)を追加支給する意思があると明らかにしたことをとっても、不穏な日本政府の本音を見せている
 
設立当初から国民基金は、日本軍「慰安婦」被害者はもちろん各国支援団体や韓国政府も日本政府の国家責任を回避するための民間基金に過ぎないと拒否の意を表した失敗の試みだったが、被害者と隠密に接触し基金支給の受取率を高めるためブローカーを雇うなど数々の問題を孕んだまま2007年に活動を終了した。すでに国際社会も国民基金は被害者が受け入れることのできる解決策とならず、日本政府の国家的・法的責任に依拠した解決策を求めてきたが、日本政府は国民基金を問題解決のための誠実な措置であると宣伝し被害者と国際社会の努力を無視してきた。
 
ところが、再び国民基金を追加支給するという思いもよらない提案に驚かされた。これは去る20年間国民基金受取を拒否し、日本政府の国家責任認定と賠償を求めてきた被害者の要求を再び黙殺するものに相違ない。核安保首脳会議を契機にアメリカの仲裁で背中をおされた安倍総理の河野談話見直しせずという極めて当然な話が融和的ジェスチャーとして受け入れられ、「慰安婦」問題に対する局長級接触が打診される雰囲気の中で日本のこのような行脚が誠実な措置として受け入れられると期待したならば、それは大きな誤算である。
 
結局20年間叫び続けてきた日本政府への被害者の要求をことごとく無視したまま、全く修正されない原案を提示したということは、日本政府が日本軍「慰安婦」問題解決のため一歩も進むことができないことを見せ付けてくれた。これまでの粘り強い要求を知らないはずがないにもかかわらず、古びた話を取り出し被害者の意志を聞きたいということ自体が理解不能な話である。国民基金強行当時、日本政府が見せた隠密な接触と無理強いがそのまま再現された格好だ。国際社会の支援を引き出し平和の碑建設などの活動を行ってきた挺対協をはじめとした民間の努力と被害者の長期間の訴えがそれほど困惑するものであるならば、今からでも日本軍「慰安婦」という反人道的犯罪に対する日本政府の国家的・法的・歴史的責任認定と措置を「カード」として差し出すべきである。いわんや犯罪さえ否認している最近の日本政府であるゆえ、国民基金が標榜する「償い金」という言葉が真っ赤なウソであることは当然の道理だ。過ちも認めず言い逃れを繰り返すばかりなのに、謝罪の言葉はどこからも飛び出してくるわけがないだろう。被害者の悔しさと苦痛は、まさに加害者である日本政府が犯罪の本質と行為自体を認めないところから来ているのである。
 
今回の面談を知らなかったという韓国政府もいい笑いものとなった。とくに26日、産経新聞は日韓局長級協議で日本が「慰安婦」福祉事業に政府予算を投入することを求める韓国側の要求に応じない方針だと報道した。福祉事業に日本政府予算を投入することを根本解決策として要求したならば、それ自体おかしい話だが、政府間交渉を目前にして隠密な個別接触があったことを全く知らないならば、韓国政府の情報力と「慰安婦」問題解決意志も苦言と疑心の目を避けることはできないだろう。日本軍「慰安婦」問題に対する真の措置を求め首脳会談も拒否してきた韓国政府が、日本軍「慰安婦」問題の解決のための確固とした姿勢をみせるには被害者の意志を代弁する信頼ある代理者となるほかない。
 
「お腹がすいているからご飯をくれと言っているのではありません」という日本軍「慰安婦」被害者の要求、すなわち日本の明白な責任認定と公式謝罪、法的賠償、そしてそれに続く妥当な後続措置を日韓両政府がはっきりと理解し真の解決を図るよう求める。
(強調は引用者)
 
             韓国挺身隊問題対策協議会
共同代表 ユン・ミヒャン ハン・グギョム キム・ソンシル
安重根

辺見庸「不稽日録」 2013年11月20日
 
カフェ・ダフネ(引用者注:辺見庸のゆきつけの喫茶店)で新聞を見た。アンジュングン(安重根)は「犯罪者」という菅義偉官房長官発言を各紙がどう伝えたか知りたかったから。

呆れた。どれほど大きく報じていることかと息をつめて紙面を繰ったら、あれほどの重大発言が、たったの2、3段。菅官房長官が19日の記者会見で「わが国は、安重根は犯罪者であると韓国政府にこれまでも伝えている」と、こともなげに語ったことが、しかし、朴槿恵(パククネ)政権支持者と反対派を問わず、どれほど韓国民衆の内面を傷つけたか、想像にかたくない。
 
そもそも、「ポムチェジャ」(범죄자、犯罪者)という言葉が韓国語でどれほどおもいひびきがあるのかこれにアンジュングンの名前をかさねたら、いったいどのように相乗して侮辱的、屈辱的な語音となるか、与野党の政治家、官僚だけではなく、いまのジャーナリズムも、じつに恥ずかしいことに、かんがえたことがないのではないか。日本という国の悲惨さは、いちじるしく知性を欠く政治家とマスメディアに支配されているにとどまるのでなく、みずからの近現代史の実相と、その朝鮮半島、中国とのかかわりの深層を、あまりにも、じつにあまりにも知らず、謙虚に知ろうともしていないことである。
 
この国は、せいぜいよくても、司馬遼太郎ていどの近代史観しかもたない首相と政治家を、過去にも現在も、何人もいただいてきたことだ。そして日本の〈征韓論〉の歴史と淵源をまったく知らないマスコミ。そのツケがいまきている。大久保利通、江藤新平、榎本武揚、福沢諭吉、板垣退助、大井憲太郎、樽井籐吉、陸奥宗光、勝海舟、山県有朋、与謝野鉄幹、井上馨、三浦梧楼、伊藤博文、大隈重信、徳富蘇峰、宇垣一成、南次郎、小磯国昭・・・らが、アジアと朝鮮半島にかんし、なにを語り、なにをしてきたかを、日本人はとっくに忘れたか、もともと知らず、朝鮮半島や中国に住まうひとびとのほうが代々、憶えているということは、これはまたどういうことなのか。
 
「ポムチェジャ」とはだれのことだ?三浦梧楼はおどろくべき범죄자ではないのか。伊藤博文とはなにをなした人物か。なぜそれを調べてみようとしないのか。在日コリアンへのいわれない迫害、韓国・北朝鮮蔑視のみなもとは、安倍政権の病的感性とその先達らの脈々たる倨傲の歴史観にあることが、このたびの菅官房長官談話ではっきりした。
 
朝日新聞も毎日新聞もNHKも、いまさら言ってもまことに詮ないが、恥を知れ! しかしだ、たったこれだけのことを書くのに、なぜこんなにも気をつかわなければならないのか。慄然とし貧寒とする。言説を暴力で統制しようという権力とその内通者たち。他者の言説を盾にし、みずからは盾の陰にかくれる、体制批判者を気どる卑劣漢。どこまでも病みすさんだマスメディア。大小のファシストたちの狂乱、乱舞。
 
いつの間にこんなことになってしまったのか。ふむ、ずっと昔からか・・・。
 
辺見庸「不稽日録」一部省略 2013/11/20
                                      *改行は引用者。
 
2日前に私は、東京新聞特報の「元徴用工裁判をどうとらえるべきか 韓国で相次ぎ原告勝訴」(2013年10月28日付)という記事を引用して「韓国の元徴用工裁判をどうとらえるべきか ――貴重な問題提起としての1本の記事と1本の論攷及び名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟弁護団意見書」というタイトルの長い記事を書きました。
 
同記事では私は引用した東京新聞の記事に特段に批判の視点を持っていませんでしたが、「街の弁護士日記」の主宰者の岩月浩二弁護士が同東京新聞(中日新聞)記事を厳しく批判しています。岩月弁護士にはそうした批判の視点を持ちえなかった私のいたらなさについても教えられました。なにが、どういう視点が東京新聞(中日新聞)の記事には欠けているのか。岩月弁護士の批判に耳を傾けてみたいと思います。

今日の中日新聞『特報』 民族と被害番外 
光州地裁勤労挺身隊訴訟に関して

(街の弁護士日記 2013年11月1日) 
 
今日の中日新聞『特報』は、日韓の強制労働問題を採りあげている。
時機を得た企画だと思う。
しかし、今回ばかりは手放しで評価する訳にはいかない。
 
中日新聞『特報』記事省略(上記URL参照)
 
枠で囲った箇所には(枠より少し前から引用する)、「韓国国内では、請求権を放棄した朴正煕大統領は経済復興を急ぐあまり、賠償を求める反対運動を弾圧して協定の締結を急いだ、という理解が一般的だ。実際、日本の提供資金は道路や港湾などインフラ整備に回され、多くの被害者は韓国政府から十分な補償を受けられなかった」とある。
僕は、ロースクールで学生の答案を見たこともあるが、こんなミスがあれば、法律を理解していないことが明白なので、一遍に評価を下げる。
 
 
この文章は、韓国政府が自らの選択と責任で、受け取ったお金を流用したように読める。
 
昨日ご紹介させていただいた 韓国人元徴用工裁判問題「民族と被害 だから私は嫌われる」(街の弁護士日記 2013年10月29日)の続きです。

ショパンの手紙 
韓国人としての「アイデンティティ」を問う
崔善愛さん演奏会チラシ
 
民族と被害 完?(街の弁護士日記 2013年10月30日)
 
昨日のブログで述べた事件について、事案の概要を簡単に紹介しておきたい。
 
昭和19年6月、韓国から小学校(国民学校)卒業まもない少女たちが、「日本へ行けば、女学校に行ける」、「働いてお金ももらえる」等と、担任教師らに騙されて、日本に連れて来られて、軍用機生産工場で働かされた。
日本で祖国の解放を迎えた彼女たちは、結局、女学校はむろん、賃金も支払われずに帰国させられた。
 
彼女たちは、朝鮮女子勤労挺身隊と呼ばれた。
 
当時、日本と同じく韓国総督府は、女性の勤労動員を「挺身隊」と呼称していた。
他方、貞操観念の極めて強い(当時は日本でも強かったが、韓国はテッパンであった)韓国では、挺身隊は「処女供出」(当時は、慰安婦という言葉はポピュラーではなかった)と恐れられた。
自分の娘を挺身隊=「処女供出」に取られるのを恐れた親は、娘の結婚を急ぎ、この時期、早婚化が進行する事態も生まれた(挺身隊は独身女性が対象であった)。

一方で韓国では次のような事象も生じているようです。危険な兆候だと思います。
 
独裁者の復権?(NPO法人 三千里鐵道 2013年10月30日)

朴正熙元大統領の銅像 
朴正熙元大統領の銅像
 
34年前の1979年10月26日、朴正熙・元大統領は女性を侍らせた酒宴の席で、キム・ジェギュ中央情報部長に射殺されます。絶対権力を謳歌した国家元首としては、公開するのも憚られる醜悪な末路でした。ともあれ、彼は波乱に満ちた62年の生涯を終え、18年間の軍事独裁政権に終止符が打たれたのです。
 
  政権末期だった当時、釜山・馬山地域をはじめ全国各地では、連日のように民主化を求める市民デモが展開されていました。しかし、市民革命で独裁者が打倒されず内部の権力抗争による政権崩壊だったために、全斗煥・盧泰愚ら新興勢力が軍事政権を延長することになりました。
 
  その後、光州民主化運動など民衆の献身的な闘いによって一定の民主化が達成され、朴正熙が乱発した大統領緊急措置令などは今、民主主義の根幹を蹂躙する憲法違反であったとの司法判断が定着するようになりました。
 
  朴正熙の長女である現大統領は、日ごろから「私が政治家になったのは、父の名誉回復を実現するためだ」と公言してきました。彼女にとっては、金大中・盧武鉉政権で下された実父への厳しい評価は、受け入れ難いものだったでしょう。そして、朴槿恵政権のもとで初めての10月26日を迎え、故郷の慶尚北道亀尾市では盛大な追悼行事が開かれました。言うまでもなく、朴正熙を英雄として美化し、その業績を最大限に讃える内容です。

韓国人の元徴用工たちが訴えた裁判(元徴用工裁判)で韓国の司法が日本企業に賠償を命じる判断を相次いで示していることがいま注目されています。この元徴用工裁判問題(日本企業への賠償命令・「日韓請求権協定」問題)をどうとらえるべきか。以下の2本の記事及び論攷(「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟弁護団意見書」付き)が貴重な問題視点を提起してくれています。以下、ご紹介させていただこうと思います。

元徴用工裁判 

元徴用工裁判3 
「恨」三菱・廣島・日本―46人の韓国人徴用工被爆者
 
1本目。
 
東京新聞特報記事「元徴用工裁判をどうとらえるべきか 韓国で相次ぎ原告勝訴」(2013年10月28日付)。
 
【特報】元徴用工裁判をどうとらえるべきか 韓国で相次ぎ原告勝訴
(東京新聞 
2013年10月28日)
 
日本の植民地時代に強制労働の被害を受けたとして、韓国人の元徴用工たちが訴えた裁判で、韓国の司法は日本企業に賠償を命じる判断を相次いで示している。来月一日にも、元「女子挺身(ていしん)隊」が訴えた裁判で同様の判断が出そうだ。従来の日韓両政府の見解は、一九六五年の日韓請求権協定で解決済みというもの。こうした両政府の見解を飛び越えた韓国司法の判断をどう受けとめたらよいのか。
(出田阿生) 

 以下は、「ひとりの女が死んだ。シム・タルヨン、享年83才。」の続編として書いたものです。
 だから、「また、ひとりの女が」です。また、ここでいう「女」は石垣りん(詩人)が詩の中でいう「女」の謂いです。
 「女」という言葉には重層的な意味が込められています。 
 私は「男」という言葉にも重層的な意味を込めています。「男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食(くら)ひて 思ひにふける と」と(右「フリーエリア」欄)。
 
2013年8月11日、また、ひとりの女が死んだ。李容女(Lee Yong-nye)ハルモニ。享年87才。私の知らない女。名もない女。あの暴虐の時代に暴虐の生を生き、血を吐くようにして生きてきた女。「ナヌムの家」から私のもとにその女の訃報が届きました。
 
2013年8月11日午前2時30分、 李容女ハルモニが死去されました。
 
故・李容女 略歴
 
1926年京畿道驪州で生まれる。
 
16歳でシンガポールを経て、ミャンマーでは<日本軍“慰安婦”被害者>の生活を余儀なくされた。
 
解放後、ラングーンの収容所を経て、翌年の1946年旧暦3月釜山港を通って帰国された。
 
ナヌムの家の生活は、1992年10月西橋洞から始まる。恵化洞明倫洞に住み、1995年に京畿道廣州市元党里に移行された。<ナヌムの家>新築工事現場の元党里ではテント生活をされながら、建築の仕事を助けられました。
 
2000年12月7日から4日間、東京九段会館で開かれた2000年、日本軍性奴隷戦犯国際法廷に出席

*引用者注:正式には「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」。なお、李容女(Lee Yong-nye)さんは単なる「出席」者ではなく、「被害証言者」のおひとりでした。
 
そして、国内外の証言を通じ、日本の戦争犯罪を告発し、公式謝罪を要求する闘争をしました。
 
しかし、当時の<日本軍'慰安婦'被害>後遺症で精神的苦痛(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、ナヌムの家を数回にわたって入退所を繰り返しなさり、2012年12月<ナヌムの家>を退所。
 
息子と暮らしはじめる。
 
糖尿病を患っていたハルモニ、病院では禁止されていたお酒と煙草をやめられずにいらした。
 
実際ナヌムの家でも隠れてお酒を飲まれよく注意されていました。
 
息子さんの家でもずっと続けていらしたようです。
 
その後2013年8月家族から体調が悪いと連絡が入り一旦入院すると報告をもらいました。
 
そして今日、2013年8月11日に他界されました。
 
1926年2月10日、京畿道驪州生まれ
 
1941年16歳でシンガポールを経てミャンマーに強制連行
 
1946年釜山港へ帰国
 
1992年ナヌムの家入所
 
2013年8月11日(日)午前2時30分死去
 
葬儀場:京畿道医療院フォーチュン病院葬儀場4号室
 
石垣りんさんに「崖」という詩があります。その詩を李容女ハルモニの墓前に捧げます。
いわゆる日本軍「慰安婦」問題に関して、当時の軍・官憲の「強制連行」性について「組織的、直接的関与」を示す証拠を政府がはじめて認めたという記事がしんぶん赤旗と東京新聞(「こちら特報部」)に掲載されています。
 
「慰安婦」問題 赤嶺氏に回答 政府資料に強制証拠(しんぶん赤旗 2013年6月19日)
 
安倍内閣は18日、日本共産党の赤嶺政賢衆院議員が提出した質問主意書に対する答弁書で、「慰安婦」問題に関して日本軍による強制連行を示す証拠が政府の発見した資料の中にあることを初めて認めました。(中略)同記録は、日本軍がジャワ島セマランほかの抑留所に収容中のオランダ人女性らを「慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどした」と明記。答弁書は「ご指摘のような記述がされている」と認めています。/答弁書は「強制連行を示す証拠はなかった」という安倍内閣の認識は「同じである」としていますが、その根拠が根底から覆される内容となっています。
 
都議選惨敗の維新・橋下代表 従軍慰安婦問題「強制連行」資料あった(東京新聞「こちら特報部」 2013年6月25日)
注:全文はこちらを参照。
 
旧日本軍による慰安婦の強制連行を示す証拠が、政府の発見した資料の中にあった。軍が抑留中のオランダ人女性を強制連行した事件の記録だ。安倍内閣は、この事実を認める答弁書を閣議決定した。2007年の第一次安倍内閣時の答弁書で「強制連行の資料なし」としたのを、自ら否定した形だ。強制否定派の最大のよりどころが揺らいでいる。 (佐藤圭)
 
しかし、これらの記事に関して、当時の軍・官憲の「強制連行」性を認める一部の良識派から、「『軍が抑留中のオランダ人女性を強制連行した事件の記録』(いわゆる「スマラン事件」(白馬事件)に関するバタビア(現・ジャカルタ)臨時軍法会議の記録)は軍・官憲の「組織的、直接的関与」を示す証拠には当たらない。単に『スマラン事件が強制連行だ』というのは、軍・官憲の「組織的、直接的関与」を否定する『強制連行』否定派に対する有効な反論にはならない」という反論が提起されています。
 
下記はその良識派に対する私の再反論の提起です。そして、結論を先に言っておけば、私の見解は、先の18日に政府がその存在をはじめて認めた「バタビア(現・ジャカルタ)臨時軍法会議の記録」は「軍・官憲の『組織的、直接的関与』を否定する『強制連行』否定派に対する有効な反論になりうる」というものです。
「右翼ナショナリスト」(ニューヨーク・タイムズ)の安倍首相、橋下大阪市長(「日本維新の会」共同代表)は言うに及ばず、いまだに日本軍「慰安婦」問題に関して、当時の日本軍の「慰安婦」に対する「強制連行」性について疑う者がいます。
 
その一端としての現代史家の秦郁彦や日本維新の会国会議員団代表の平沼赳夫の妄言についてはこちらの記事(Ⅰ-2)でもすでにご紹介させていただいていますが、泥憲和さん(姫路総合法律事務所事務局)が発信された「日本軍慰安婦について連続ツイート」という記事に関して本人は正論を述べているつもりなのでしょうが上記の妄言者と同様の無知を揚言する人がいました(同左)。
 
いわく、
 
「娘を売らざるを得ないのは貧困が原因です。戦争以前からの問題でした。買ったのは軍隊ではなく業者であることは残っている資料からわかります。従って、これは「国や軍隊による強制」の証拠ではありません。」
 
「買ったのは業者だという証拠です。軍隊とは関係がありません。」

 
しかし、自信たっぷりのこの揚言者の発言も本人の「主観」を一歩も踏み出ない、すなわち、すでに明らかになっている数々の「事実」をまったく無視した、そういう意味で客観性のない妄言にすぎません。
 
そのことを「慰安婦」問題研究の第一人者の吉見義明さん(中央大学教授)の「橋下徹市長への公開質問状」(2013年6月4日付)に即して証しておきたいと思います。参照するのは同公開質問状の「第5 軍・官憲による暴行・脅迫を用いた連行」の項です。以下、吉見義明さんの表現をそのまま用います。引用者の注もご参考にしてください。
是非、読んで見てください。
今の時代にもこんな考え方をする人がいるんだと思うと衝撃です。
物事の真実が歪められた情報社会を象徴した”大事件”だと思いました。
以下、転載します。*本人の了解を得ています。

                          「かっちゃんの青商会物語」ブログ主宰者のことばから 

 
■朝鮮学校入居差別問題(「かっちゃんの青商会物語」ブログ 2012年2月24日)
http://ameblo.jp/sanpurena/entry-11174101573.html

オンマの家主への手紙

K・R(イニシャルで表示しています 娘を持つオンマです)
最近、ある出来事がありました。
思うことがあり、久しぶりにお手紙というものを書きました。 全文は以下の通り

○○○○○(マンション名)家主 様

... 前略

突然のお手紙をお許しください。この度、あなた様が所有するマンションに入居希望し、子供を朝鮮学校に通わせていることを理由に入居を拒否された者でございます。

外国籍でも受け入れてくださるとの条件を聞いておりましたので、入居を申し込ませていただきました。

家主様は断られたつもりはないとおっしゃるかも知れませんが、朝鮮・韓国籍でも構わないが、学校バスをマンションから見えないところで止めてくれ、学校に行く時は朝鮮学校の制服とわからぬよう私服で行かせ、途中で着替えさせてくれ、挙げ句の果てにはコリアンということを一切隠して入居してくれとおっしゃいましたね。

これは断られたも同然でございます。

日本で生まれ育ちながらも朝鮮半島にルーツを持つ私たち夫婦も、朝鮮学校で学びました。

昨今、国と国の激しい北朝鮮バッシングが続く中、いろんな報道が飛び交う中でやるせない、いたたまれない気持ちになる時も多々あります。

北朝鮮=朝鮮学校と思われることが本当にもどかしく、悔しい時もあります。
学校のこと、子供のことが心配になる日々。

朝鮮学校に通わせる保護者はみな、同じ思いだと思います。

それでも私たちが子供を朝鮮学校に送るのは、自分のルーツである母国の言葉を学び、自国の文化や風習を知り、その上で在日コリアンとして日本の社会に立派に貢献してほしいという思いがあるからです。ただ、その一心です。

私たちの祖国(韓国・朝鮮どちらも)と日本との関係によって運命を左右されるのは、私たち在日コリアンにとっては、そのアイデンティティーを大切にしながら生きていく以上、ある意味宿命なのかも知れません。しかしそんな中でも、今住んでいるマンションの家主様も、同じマンションのたくさんの友人たち、近隣のお友達家族もとても良き理解者で品の良い方々で、心の通うおつきあいをさせていただいております。

この時代にそんなことを理由に入居を拒む人がいるのか、そんな日本人ばかりじゃないからそれだけは忘れないでと涙ながらにお話しくださる方もいらっしゃいました。

人権について熱心に取り組んでらっしゃる親しい日本の学校の先生方も私の話を聞き、公に公開すべき事象だと声を高めていらっしゃいました。

人と人との絆や人情は国境を越える。そんなことを今、改めて学び、心から感謝しております。

人は十人十色でいろんな考えを持っており、私は家主様のお考えを否定し、抗議するつもりは毛頭ございません。そして恨むつもりもございません。あなた様はあなた様のお考えがあってのことだったのでしょう。嫌いなものは嫌い、それはそれで仕方ないことでしょう。国家間にある様々な問題が個人の感情を形成してしまう、それは否定しません。

私たちはあくまでも、外国籍OKということで入居を希望した次第でございます。

在日に対する、朝鮮学校に対するお考えがあるなら、そんなお考えと知っていたならば、最初から考える余地もなかったでしょう。ですが、入居は許してもあなた様のお望み通り、コリアンということを一切隠し、自分たちの生き方を否定されて、隠れるように生きるほど、私たちは弱くも卑屈でもありません。

私たちはあなた様が思う以上に誇り高き民族であり、母国に対する自負を抱いて生きております。あなた様の想像を遥かに越えるくらい。

この度のあなた様の心ないお言葉によって(あなた様にとっては何ともない言葉だったかも知れませんが)国籍・生き方を否定され、侮辱され、尊厳を踏みにじられ、学校の制服までも脱がされようとした私たち家族と、何の罪もない幼い娘の健気な心を深く、深く傷つけたことを、どうぞお忘れにならないでください。

そして、そんなあなた様の言葉通りには決して生きない私たちがいること、在日コリアンがいることをお忘れにならないでください。

私たちはこのことを、一生忘れません。そして、誰のせいにするつもりもございません。

これを機に日本社会でもっと強く、清く、正しく、美しく生きていこうと気持ちを新たにしております。

最後に、将来を見据えて転居を考えておりましたが、私たちにとっては「最善ではない引っ越し」をこんなに潔く思い止まらせてくださったことについて、心から感謝いたします。

草々

この手紙を投函した今日、すぐに不動産会社の担当者から連絡がありました。

家主さん、聞いたこともないくらいの厳粛な声で、謝罪の言葉を述べられたとのこと。

本当に申し訳ございませんでした、今からでも心改めていただけるのなら、是非とも入居を「お願いしたい」と。

時はもう遅し。

私の手紙が心を打ったのか、押し寄せてくるであろう怒りの世論が怖かったのかはわかりません。

私はこの一連の出来事を通じて、自分を信じて生きる信念が時には相手の心を動かし、友情や絆へと変わっていくのだということを学びました(^^)v明日からまた、美味しいパンが焼けそうです(*^^*)

長文、失礼しました(^^;
私は下記の村山一兵さん(ナヌムの家)の不当解雇の闘いを支持します。


参照2:

              村山一兵さんについて

以下、村山一兵さん(ナヌムの家)からの訴えの転載です。

村山一兵さんの訴え[1便(2010年12月25日)]
ナヌムの家より。村山一兵の不当解雇と業務停止に関して、ご支援を宜しくお願いします。

みなさま

ナヌムの家より、村山一兵(研究員)、古橋綾(インターン)です。

村山一兵の不当解雇と業務停止の件でいろいろお騒がせしています。

先日もメールでお知らせしました通り、12/9(木)に、不当解雇と即日業務停止の宣告を受けました。その場で解雇理由を提示した書面の作成を要求しましたが、「作成する」と言いながら(安信権所長)も、後日「解雇をするのに書面は必要ない。他の所に聞いてみろ。」(琴仙副院長)と前言を翻す発言をしていました。結局現在まで書面は受け取っていません。

12/9(木)のうちに事務所および歴史館のカギと警備カードを、数日後に業務用PCを没収されました。

その後、一昨日(12/23木)まで2週間、解雇をちらつかせながら業務を行えないように妨害を受け続けました。日本からの連絡も取りつがれず、日本から前もって予約をして訪問していただいた訪問客の方の歴史館の案内も、業務停止であるという理由で妨害されました。直接的にまたは暗に「早く出ていけ」という要求をされ続けました。

事務所側が解雇通達時(12/9木)から一昨日(12/23木)まで、明言していた不当解雇と業務停止の理由は、「12/5に東京で行われた女性国際戦犯法廷10周年のシンポジュウムに事務所に無断で参加し、姜日出ハルモニの通訳をしたこと」「始末書の不提出」の二つです。

私たちはこの理由自体が、全く不当なものであると考えています。

しかし、これらはしかるべき場所できちんと争う必要があると考えます。現在韓国内で信頼できる方々とともに対策会議をもって準備をしていますので、経緯説明に関してはもう少しお待ちください。

先週末、この事実を知った友人が日本の運動団体のMLなどを通して村山一兵の状況に関してのメールを送ってくださいました。そのメールが今まで私たちがお世話になった多くの方々のもとに届き、心配の連絡を多くいただきました。また、事務所側に直接抗議のメールや電話をしてくださる方もいたようです。

そのようなことを受けて、昨日(12/24金)の職員朝礼で、安信権所長が、村山一兵に対し、「ナヌムの家の悪い話をすることは、結局はハルモニに被害をあたることである。」「ナヌムの家の職員として個人的な感情を外部に話してはいけない。」と非難を始めました。

その後、安信権所長は「12月末に解雇とは言っていない。3月末に今年の契約が切れるので、再契約はしないと言った」と言い始めました。

朝礼後、琴仙副院長、安信権所長、金貞淑事務長と村山一兵の4者で話し合いがもたれましたが、3人とも「12月末で解雇とは言っていない」と口をそろえました。

解雇宣告は他の多くの職員も聞いていますし、この2週間の間、上記3人の幹部たちは繰り返し「12月末の解雇」を村山一兵に言い続け、精神的な圧力をかけ続けました。

それを昨日になって突然「言っていない」と主張することは全く厚顔無恥な態度であります。

ナヌムの家で住み込みで働いてきた「外国人」である村山一兵に対し、突然「出ていけ」ということは労働権だけではなく生存権の侵害でもあります。

会議で決まったとされること(実際には一方的な命令がほとんど)を私たちが守らない場合は「会議で決まった業務命令を履行しなかった」という理由で始末書等を要求されるのにもかかわらず、ここまで事務所側が会議の場でも明言し続けてきた「12月末までの解雇」を「言っていない」と言うことは、村山一兵の人権が軽視されていることの表れです。

また、12月末までの契約である古橋綾に対しても、今月中旬「いつまでの契約か?部屋はいつ明け渡す気だ?」という発言がされていますし、これまで行っていた業務を妨害されています。(古橋綾は業務停止にはなっていません)

この2週間、私たちは日中には事務所に出勤し、精神的な圧迫を受け続けてきました。また、しかるべき措置を適切にとる必要があると考え、事実関係の資料の作成、対策会議、関連組織への相談など、毎晩明け方まで行動してきました。

私たちは再三書面の提出を要求していますが、事務所幹部からの対応は、すべて口頭で、証拠が残らないように行われています。今回のように、言葉を覆し続けることは今後も可能です。

今回の一件で、現状を外にいる方々に知らせ、外からの圧力が必要であると強く考えるようになりました。そして、私たち以外の方々に証人になっていただく必要があると考えます。

この処置の不当性をどうかナヌムの家の事務所幹部に訴えていただけませんか。

安信権所長は昨日の朝礼で「私と一兵の個人的なこじれのように日本で宣伝している」として村山一兵を非難しました。

確かに、この問題は安信権所長と村山一兵の個人的なこじれではありません。事務所幹部らからの組織的な行為です。

琴仙(クムソン)副院長(プウォンジャン)、

安信権(アン・シングォン)所長(ソジャン)、

金貞淑(キム・ジョンスク)事務長(サムジャン)への抗議をお願いしたいです。

韓国語ができなくても、日本語・英語でも圧力になると思います。

(金貞淑事務長は日本語が少し話せます。)

TEL: +82-(0)31-768-0064
FAX: +82-(0)31-768-0814
E-mail: y365@chol.com / nanum365@empas.com
住所: 464-840大韓民国京畿道広州市退村面元堂里65 ナヌムの家

です。

もし可能でしたら、状況が分かるように私たちの方にも訴え内容や反応を教えていただけたらと思います。

事務所幹部らの人権侵害的な行動は、私たちにだけ向けられているわけではありません。簡単にここを出ていくことができない高齢のハルモニたちのことを考えると、何もしないで出ていくわけにはいかないと思っています。

みなさんのご協力、どうぞよろしくお願いします。

村山一兵(研究員)+82-(0)10-4229-1980

古橋綾(インターン)+82-(0)10-7117-3343

村山一兵さんの訴え[第2便(2011年1月1日)]
ナヌムの家より。2011年になりました。状況報告です?

皆さん

2011年になりました。今年も宜しくお願いします。

ナヌムの家より、村山一兵(研究員)、古橋綾(元インターン)です。

多くの方からご心配、ご支援の連絡をいただいております。ありがとうございます。

12月末が過ぎました。現在の状況をお伝えします。

以前のメールでもお伝えしましたとおり、

村山一兵は、12/9に、「12月末の解雇」「業務停止」を宣告されました。

しかし、事務所側は、12/24に「12月末には解雇とは言っていない。」「3月に再契約をしないといったはずだ」と急に立場をかえました。

解雇期限が12月から3月に変わった理由説明もありません。

現在もナヌムの家にて生活を続けておりますが、依然として業務停止状態が続いています。

事務所&歴史館のカギ、警備カード、そして業務用PC本体は没収されたままです。

日本からの連絡も来訪も私には引き継がれない状況です。

先日も日本からの来訪団体に歴史館案内をしようとすると、

安信権所長や朴宰弘幹事に、「おまえは業務停止のはずだ」「なぜここにいるのだ」「出て行け」と、激しい言葉で妨害を受けました。

同行したガイドの方は、「今までも案内をしてもらったのに、なぜ突然できないというのですか。

今日も案内してほしいのですが。」と困惑されていました。

しかしながら、私が案内しない代わりに、事務所側でしっかりと対応するということはなく、日本からはるばる韓国まで歴史を学びに来てくださる皆さんの学ぶ機会が奪われている状況です。

現在の状況は「解雇撤回」ではありません。

もし解雇を撤回するのであれば、明確な形の謝罪と業務停止解除をするべきです。

現に、解雇を前提として強いられた業務停止は続いていますし、日常的に無視・叱責などの精神的圧力が加えられています。

事務所幹部らは村山一兵が圧力に屈して、自ら出て行くのを待っているのだと思います。

現在は、韓国内の協力者の方々と状況を相談しています。

また、インターンとして働いてきた古橋綾は、契約期間を満了して12月末にナヌムの家を後にしました。

今後は、ナヌムの家の中では一人での闘いになります。圧力もますますひどくなっていくことが予想されます。

体力が続く限り闘っていくつもりですが、今後どういった状況になるかは分かりません。

皆さんからの抗議メールや電話は、事務所幹部らにも届いています。

幹部らは、多くのメールや電話に驚いているようです。

不当な業務停止をやめることと、3月以降の勤務の継続などを、訴えていただけたらと思います。

琴仙(クムソン)副院長(プウォンジャン)、

安信権(アン・シングォン)所長(ソジャン)、

金貞淑(キム・ジョンスク)事務長(サムジャン)への抗議をお願いしたいです。

韓国語ができなくても、日本語・英語でも大丈夫です。

(金貞淑事務長は日本語が少し話せます。)

TEL: +82-(0)31-768-0064
FAX: +82-(0)31-768-0814
E-mail: y365@chol.com / nanum365@empas.com
住所: 464-840大韓民国京畿道広州市退村面元堂里65 ナヌムの家

です。

もし可能でしたら、状況が分かるように私たちの方にも訴え内容や反応を教えていただけたらと思います。

事務所幹部らの人権侵害的な行動は、私たちにだけ向けられているわけではありません。

簡単にここを出ていくことができない高齢のハルモニたちのことを考えると、何もしないで出ていくわけにはいかないと思っています。

これからもご協力、どうぞよろしくお願いします

皆さんの2011年がいい年でありますように。


村山一兵(研究員)+82-(0)10-4229-1980

古橋綾(元インターン)+82-(0)10-7117-3343

nanum365@hotmail.com or nanum365@gmail.com(このメールは一兵が管理してます)
2010年12月5日、ひとりの女が死んだ。シム・タルヨン。享年83才。私の知らない女。名もない女。あの暴虐の時代に暴虐の生を生き、血を吐くようにして生きてきた女。Oさんから私のもとにその女の訃報が届きました。

皆さん、ご無沙汰しておりますが、悲しいお知らせです。

大邱在住のシム・タルヨン ハルモニが、12月5日にご逝去されました。肝臓癌のため、半年近くも大邱の郭(クァク)病院に入院されていました。

今晩(昨晩です)、お通夜に行ってきました。
日本政府から、公式の謝罪・賠償もないまま、次々と亡くなっていくハルモニたち。
涙があふれました。

明日(今日)朝10時に集まって、葬儀です。

以下の「故・シム・タルヨン(Sim DarYeon)ハルモニの生涯」の賦が式場に掲示されていたということです。

故・シム・タルヨン(Sim DarYeon)ハルモニの生涯

☆1927年 7月 5日
慶尚北道 漆谷(チルグク)郡の貧しい村に生まれる。

☆1939?1940年頃
12-3才頃、姉さんとともに山菜を取りに行って、日本軍に捕えられ、トラックにのせられ、台湾の慰安所に無理矢理連れて行かれ、暴行と精神的な衝撃により永らく精神疾患で苦労。解放後、韓国に戻ったが、何も記憶できず話もしっかりできなかった。ハルモニを理解したハルモニの妹が家に迎え入れて看護。過去の日本軍「慰安婦」被害の後遺症で、1997年子宮頸部癌の手術。

☆2005年
"女性のためのアジア平和国民基金"の非道徳性を知らせるために、第61次国連人権委員会の本会議会と国際NGOフォーラムで証言。国連人権高等弁務官に、日本の国連常任理事国進出に反対する国内外20万人余りの署名を伝達するなど、活発な活動展開。
心理治療プログラムとして園芸治療開始。
7年の間園芸治療しながら"花を愛するシム・タルヨン"という愛称で呼ばれ、フローリストとして活躍。以後、4回のアプファ園芸作品展示会と作品集『ハルメ(婆さん)、愛におちて1.2』の2冊発刊

☆2010年 6月末
肝臓癌で、(大邱の)クァク(郭)病院に入院

☆2010年12月 5日
享年83才で逝去

挺身隊ハルモニと共にする市民の会

石垣りんさんに「崖」という詩があります。その詩をシム・タルヨン・ハルモニの墓前に捧げます。




戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。

美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)

それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。

ありし日のシム・タルヨンさん


 

下記はアジア女性資料センターの政府が高校無償化の朝鮮学校適用手続きを停止させたことに対する抗議と要請文です。転載させていただきます。

が、その前に、民主党議員のレイシストぶり、非理性、非倫理観、非人権感覚、を如実に示す本日付けの報道記事と朝鮮学校適用手続き停止に抗議するブログ記事を各2本ご紹介しておきたいと思います。

まず、民主党議員のレイシストぶり、非理性、非倫理観、非人権感覚、を如実に示す報道記事2本。

朝鮮学校無償化見直しを 前原氏「前提変わった」(産経新聞 2010年11月26日)
前原誠司外相は26日の記者会見で、朝鮮学校への高校無償化適用に関し、北朝鮮による韓国・延坪島砲撃で「前提は変わった」と指摘、無償化方針を見直すべきだとの認識を示した。「北朝鮮は朝鮮戦争休戦以来、初めて民間人が住む島に無差別で砲撃を加えた。言語道断だ。私の考えている(見直しの)条件に含まれる」と強調した。高木義明文部科学相にも同様の見解を伝えているという。

【朝鮮学校無償化】「審査進めず推移見守る」 鈴木文科副大臣」(産経新聞 2010年11月25日)
鈴木寛文部科学副大臣は25日の記者会見で、菅直人首相が朝鮮学校への高校無償化適用の手続き停止を指示したことに関連し「(無償化適用の)申請があった場合はただちに審査を進めるのではなく、事態の推移を見守る」と述べた。/鈴木氏は無償化の適否について「教育上の観点から客観的に判断すべきだという基本的な考え方は変わっていない」とした上で「審査をいったん停止し、関係省庁とも連携して対応を考えていく」と語った。審査開始の時期は明言を避けた。/朝鮮学校が本年度と来年度に無償化適用を受けるための申請期限は30日。文科省によると、日本の高校生年代の生徒が通う「高級学校」で運営中の10校のうち8校が25日までに書類提出などで申請の意思を示している。

次にその民主党議員、「菅総理のレイシズム反人権体質」を厳しく批判するブログ記事2本。

いくら非難してもしたりない菅総理のレイシズム反人権体質(Afternoon Cafe 2010年11月26日)
無償化停止の指示は菅総理が出したそうです。/何という恥知らずなレイシスト、反人権体質の「市民運動家」なのでしょうか。まあこういう人でなきゃ自立支援法「改正」みたいな詐欺行為はできませんよね。このようなレイシストに総理大臣を勤める資格はない、すぐにでも辞任してもらいたい、と百回でも叫びたい気分です。

北朝鮮砲撃、民主トロイカの馬脚、河村のリコール失敗(きまぐれな日々 2010年11月26日)
その後、文科省が朝鮮学校にも無償化を適用する方針を示したが、政府は今回の砲撃事件を受けて、これを一時停止する方針を示した。菅直人首相が直接指示したものらしい。/だが、これはいうまでもなく筋違いである。北海道新聞のコラム「卓上四季」が、『日本で暮らす高校生にどんな責任があるというのか。こんなときにこそ冷静に理非を判断して節を曲げないのが、大人の国の対応だろう。」と書く通りである。

注:上記どちらのブログも背景色にイハカラー(黄)を採用しています。

以下、アジア女性資料センターの抗議&要請文です。

朝鮮半島における軍事衝突を受けて、高校無償化の朝鮮学校適用手続きが停止されたことに対し、アジア女性資料センターでは本日、以下の抗議と要請文を政府に送付しました。適用停止に対する抗議の声を、多くの団体や個人からも送っていただければ幸いです。送付先のFAX番号は以下の通りです。

菅直人総理 03?3595?0090
仙石由人内閣官房長官 03?3508?3235
高木義明文部科学大臣 03?3503?5757




2010年11月26日

総理大臣 菅直人様
内閣官房長官 仙谷由人様
文部科学大臣 高木義明様


高校無償化の朝鮮学校適用手続き停止に抗議し、即刻適用を要請します

 私たちは、朝鮮半島において発生した軍事衝突を受けて、政府が、いったん決定した高校無償化の朝鮮学校適用に向けた手続きを停止していることに、強く抗議します。

 そもそも高校無償化は、すべての子どもたちに教育を受ける権利を保障することを目的とした施策であり、外交問題とは一切関係なく、すべての高校において4月から実施されるべきものでした。他の認可外国人学校に対しては5月以降から実施されていたにもかかわらず、朝鮮高校に対してのみ実施を遅らせてきたことは、政府による怠慢であり差別にほかなりません。

 文科省はようやく11月に、朝鮮高校への適用に向けて外形的な基準を公表し、具体的な手続きを進めていましたが、このたびの軍事衝突を受けて、高木文部科学大臣は11月24日の記者会見で、外交関係を無償化適用するかどうかの判断材料にしないというこれまでの考え方は変わっていないとする一方で、「重大な決断」をする可能性を示唆しました。また仙谷官房長官は、現在進めているプロセスをいったん停止すると述べています。

 軍事衝突を受けての手続き停止は、政府が自ら決めた規定を無視してまで、朝鮮学校の子どもたちを政治的対立にまきこみ、在日コリアンへのいっそうの差別をあおる危険で非人道的な行為です。

 私たちは政府に対し、基本的教育権保障の問題である朝鮮高校への無償化適用を朝鮮半島における軍事衝突と関連付ける言説を断固として退け、法と規定にもとづいて適用手続きを速やかにすすめること、そして在日コリアンのコミュニティと子どもたちを、これ以上の差別と暴力から保護する責務を誠実に果たすことを求めます。

アジア女性資料センター
〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町14-10-211
TEL:03-3780-5245 FAX:03-3463-9752
E-mail:ajwrc@ajwrc.org
http://www.ajwrc.org/
怒り心頭に達する。

私は、民主党・菅内閣は菅氏が「辺野古回帰」の日米合意を踏襲する考えを民主党代表選の前日に早々と表明したときからまったく期待していませんが、それにしても朝鮮学校への高校無償化適用手続きの停止を菅首相自らが「指示した」とは驚き呆れて言葉も出ません。もはや彼を市民運動出身のリベラリストと評価することは金輪際できません。菅という男は思想のない、理念のない、単に世俗的な出世欲が強いだけのきわめて低俗な男でありました。そのことがはっきりしました。

今回の北朝鮮の韓国への砲撃事件と朝鮮学校への高校無償化適用の問題はまったく次元の異なる問題です。比較しようもない人間の尊厳、人間固有としての教育を受ける権利の問題と唯物的、没人間的な政治情勢、国家統治の問題とをリンクさせるという甚だしき非理性。理念の不在。思想の貧困。もはや彼、及び菅内閣に何を期待することもできないでしょう。菅内閣、民主党の終焉はすぐそこにあります。

以下、報道記事。

高校無償化:朝鮮学校への適用、手続き停止指示 菅首相(毎日新聞 2010年11月24日 21時28分)
 菅直人首相は24日、朝鮮学校への授業料無償化制度の適用に関し「私から(高木義明)文部科学相に、こういう状況の中なのでプロセスを停止してほしいと指示を出した」と述べ、北朝鮮砲撃事件を受け手続きを止めるよう指示したことを明らかにした。首相官邸で記者団に語った。

 仙谷由人官房長官は同日の記者会見で「制裁的意味合いはない」としているが、政府筋は「砲撃事件が起きて、国民の税金を使うことに国民から理解が得られるかどうか、まずプロセスを止めて検討することになった」と説明している。【宮城征彦】

手続き停止「私が指示」=朝鮮学校の無償化?首相(時事通信 2010年11月24日-20:08)
 菅直人首相は24日夜、朝鮮学校の高校授業料無償化に向けた手続きに関し、首相官邸で記者団に「私の方から(高木義明)文部科学相に、こういう状況なのでプロセスを停止してほしいと指示した」ことを明らかにした。手続き停止については、仙谷由人官房長官が同日午前、「いったん停止する方向に動く」と表明。高木文科相も無償化見直しの可能性に言及していた。

「高校無償化」への朝鮮高校適用に向けて 9.26集会報告
長谷川和男

参加者の皆さん・全国の賛同団体の皆さんへ

 長谷川和男です。皆さん、本当にご苦労様でした。
9・26全国集会とデモが、皆さんの協力で素晴らしい成功を収めたことをご報告させていただきます。

集会参加者、約1000人、デモ参加者約1500人、事前カンパ、当日カンパ、集会参加費合わせておよそ80万円、何とか赤字を出さないですみそうです。 会計の最終報告は、後ほど担当者から正確な会計報告をさせていただきます。本当にありがとうございました。以下、全国集会とデモについてご報告します。
 
13:00に開始された全国集会は、森本さんと上村さんの名司会で進められました。冒頭、実行委員会を代表して私から集会にいたる経過と集会の意義について報告させていただきました。

続いて、「高校無償化」への朝鮮高校適用に向けて政治の場で奮闘されている民主党参議院議員・大島九州男さん、社民党前衆議院議員・保坂のぶとさん、日朝友好促進東京議員連絡会代表・公明党中の区議会議員・江口済三郎さんの3人の方から、連帯のご挨拶をいただきました。共産党からは、衆議院議員・宮本岳志さんからのメッセージをいただきました。

なんといっても感動的だったのは、全国の朝鮮高校の生徒が実行委員会の呼びかけで社文のホールに参加してくれて、一人一人の心からのメッセージを自分の言葉で語ってくれたことです。

9人の高校生の発言は、どれも私たちの心に深く響く素晴らしい内容でした。理不尽な差別と偏見、不当な無償化からの排除という現実の中で、朝鮮高校の子どもたちが確実に育ってきていることを実感できる報告でした。日本政府の対応が、彼らを逆に鍛え、育てているのだと実感しました。署名活動や集会を自分たち で企画し、自分のおかれている状況を変えようと高校生が立ち上がることによって得たものは、彼らにとって素晴らしい財産になるだろうと確信することができました。
 
日本の高校生の発言も本当によかったと思います。集会に参加している1000人の聴衆の前で発言するということは、高校生にとってはとても勇気のいることです。4人の高校生が自分の言葉で、連帯と友情の挨拶をしてくれたことに感動です。高校生同士が壇上で握手する場面では、会場から拍手が鳴り止みませんでした。
 
また、親として子どもたちの健やかな成長を願うオモニのアピールも素晴らしかったです。学業やクラブ活動に専念してほしいと願う親としての気持ちがあると同時に、子どもたちがこの闘いの中で成長している姿に感動していることを、率直に話してくださいました。
 
在日1世の2人、李甲蓮さんと羅順任のお話は、100年前に日本の植民地として国を奪われ、土地を奪われ、名前や言語までも奪われた深い悲しみと怒り、戦後に朝鮮人としての誇りと母国語を取り戻すためにウリハッキョ(私たちの学校)を作り、民族教育を発展させてきた歴史が語らえました。81歳のおばあちゃんが壇上でシュプレヒコールをされたのには感動しました。
 
全国リレートークでは関東地区を代表して埼玉高教組の嶋田和彦さん、九州地区代表の中村元気さんが、それぞれの地で高校無償化問題に取り組んでおられる闘いの報告がありました。全国各地で様々な取り組みをされている多くの仲間の皆さんが居られることを再確認できました。
 
賛同団体からは、アイヌ・ラマット実行委員会事務局長の出原さん、杉並の教育を考えるみんなの会の鳥生千恵さん、府中派遣村の安彦正春さんの3人が、それぞれの視点からの「高校無償化」からの朝鮮学校排除は許されなきことであり、勝利の日まで気を緩めずに連帯して戦う決意が表明され、参加者に大いなる共感を呼びました。
 
最後に実行委員の千地さんが決議文を読み上げ、大きな拍手で満場一致、確認されました。
 
集会終了後、ただちにデモ統括責任者の松野さんからのデモに関する指示があり、およそ30分かけて第4てい団に分かれた巨大なデモ隊列は、15:20予定 通り社会文化会館―文部科学省―新橋―ゆうらくちょう―東京駅前―常磐橋公園の全長6.2キロの長い長いでもコースを約2時間半かけてデモ行進しました。朝鮮学校排除反対、無償化即時適用を訴えて、高校生も大きな声を張り上げて整然とデモを貫徹することができました。

 実行委員の皆さん、当日のスタッフを快く引き受けてくださった皆さん、本当にご苦労様でした。

「韓国併合」100年(「日韓併合」という言葉では誰が「韓国」を併合(侵略)したのか。その主体が明らかではありませんので「『韓国併合』100年」と言います)。

下記は、74年前にあったベルリン・オリンピックで当時日本の植民地支配の下にあった朝鮮半島出身のマラソンランナー・金メダリストの孫基禎氏が侵略者としての「大日本帝国」臣民の日本選手団役員に徹底的に迫害された「物語」です。読んでいてこんな非道が許されていいのか、と沸々と怒りがこみあげてきます。ひとりの人間として。ひとりの「大日本帝国」臣民の末裔としての私は言うべき言葉を持ちません。ただ、当時の「日本」という国に対して激しい嫌悪感と憤りを持つだけです(その当時私が生きていたとして、「大日本帝国」という権力に立派に戦いえたか、という問題は、おそらくそういうことは為しえなかっただろう、という自分自身への悲嘆をこめて抜きにせざるをえません)。(東本高志)

以下、下記からの転載です。



ベルリン・オリンピック金メダリスト・孫基禎さん(Wikipediaより)

日帝支配36年」と金メダリスト・孫基禎

 「第11回近代オリンピアードを祝し、ベルリン・オリンピックの開会を宣言する」

 ドイツ首相アドルフ・ヒトラーによる、余計な修飾語の一切ない簡潔な開会宣言で、1936年ベルリン五輪の幕は開けた。

 しかし、ヒトラーは当初、ベルリン五輪開催にきわめて懐疑的だった。その証拠に1932年、まだドイツの野党党首に過ぎなかったヒトラーは、「オリンピックはユダヤ主義に汚れた芝居であり、国家社会主義が支配するドイツでは“上演”できないだろう」と、政権獲得後の中止さえ匂わせる発言をしていた。しかし、翌33年にナチスが政権を獲得すると、最大の側近だったゲッベルス宣伝大臣の入れ知恵もあって、ナチズムの宣伝のためオリンピックを政治的に利用することを考え始めた。

このような経過をたどって開催されることになった1936年ベルリン大会は、極端な人種差別・民族抹殺政策をとる独裁国家によって、政治的に最大限利用された大会として、五輪史上に大きな汚点を残すことになる。

 世界的な軍国主義・ファシズムの嵐の中で、朝鮮半島は1910年以来、日本の植民地支配の下にあった。天皇への忠誠と日本人への同化を強制され、言葉や氏名まで奪われていく屈辱と苦難の中で、2人の朝鮮半島出身のマラソンランナーがベルリンの地を疾風のように駆け抜け、朝鮮半島の人々に勇気と希望を与えた。しかし、その希望は、植民地支配の現実の中で、脆くも打ち砕かれ、消えていった。

 私たちは侵略者としての日本の歴史に区切りをつける意味からも、植民地支配の責任を明確にしなければならない。戦争の歴史を知らない若い世代のためにも、「日帝支配36年」が朝鮮半島とその人々に与えた苦しみを伝えることは平和運動に関わる者にとっての義務である。今回は、ベルリンの地を駆け抜けたマラソンランナーの姿を通じて、歴史の真実を見ていく。(以下、文中敬称略)

●「私が走らなければ損をするのは彼らですからね」

 朝鮮半島出身の孫基禎は、当時の日本と朝鮮半島で間違いなくトップを走る選手だった。だが、朝鮮半島の人々に当時、自分たちの国はなかった。孫もまた「日本代表」としてベルリンに来ていた。孫は、自分の出身を伝えるため、サインをするときは必ずハングルで自分の名前を書こうと決めた。日本選手団の役員はそのことに不満を持ち、「なぜそんな難しい字を書きたがるのだ」と何度も孫を詰問した。孫は「優勝できるかもしれないのでサインの練習をしているのです」と答え、サインを求められると、朝鮮半島の地図とともに気軽にハングルを添えたサインをして「KOREAの孫基禎です」と自己紹介した。練習の時も、極力、日の丸のついたトレーニングウェアを着ないようにした。着ない理由を問われると「ユニフォームがもったいない。家宝として取っておくのです」と答えるのだった。

 「日本代表」としてベルリンに滞在していた同じ朝鮮半島出身の他の選手は、そうした孫の態度を心配した。中には「そんなことをしているとレースに出してもらえなくなるぞ」と“忠告”する者もいたが、孫は「いいですよ。私が走らなければ損をするのは彼らですからね」とあくまで平然としていた。

 朝鮮半島出身の2人、孫と南昇龍は予選での圧倒的な記録によって選出されており、その実力に疑問はなかったが、日本選手団の役員たちは、マラソン日本代表3人のうち2人まで朝鮮半島出身であることに不満を抱いていた。懲りない役員たちは、ベルリン到着後、もう一度代表選考のための予選をやり直そうと言い始め、30kmを走る選考会が提案された。だが、そこでも孫が1位、南が2位となり、役員たちもこの結果を受け入れざるを得なかった。

 ベルリンに向け送り出される直前、朝鮮半島出身の選手の激励会がソウル(当時は京城と呼ばれた)で開催された。他の競技に出場する選手と合わせ、計7人が「日本代表である前に朝鮮青年としての意気を天下に知らしめてくるように」と同胞たちに激励された。

 1936年8月9日、ベルリンではいよいよマラソン競技の号砲が鳴る日が来た。前評判の高かったアルゼンチンのザバラは30kmを過ぎた地点で転倒し脱落、トップに立った孫はそのままオリンピックスタジアムのゴールを駆け抜けた。南も3位に入り、朝鮮半島出身の2人の実力は余すところなく証明された。

●屈辱の儀式

 孫と南は表彰台に上がった。朝鮮半島出身の2人の他には、2位入賞のイギリス代表選手が立っている。実は、孫はそれまで、オリンピックに表彰式という儀式があり、そこで優勝した選手の出身国の国旗が掲げられ、国歌が演奏されるということを知らなかった。孫の優勝を称え、会場には君が代が流れ始めた。それと同時に、スルスルと上がり始めた国旗は、日の丸だった。

 「果たして私が日本の国民なのか、だとすれば、日本人の朝鮮同胞たちに対する虐待はいったい何を意味するのだ。私はつまるところ日本人ではあり得ないのだ。日本人にはなれないのだ。私自身もまた日本人のために走ったとは思わない。私自身のため、そして圧政に呻吟する同胞たちのために走ったというのが本心だ。しかしあの日章旗、君が代はいったい何を意味し何を象徴するのだ」と孫は考えた。そして「これからは二度と日章旗の下では走るまい」と決心したのである。

●同胞たちの歓喜、そして「日の丸消し去り事件」へ

 2人の勝利を何より喜んだのは朝鮮半島の人々だった。日本による弾圧と朝鮮人蔑視を跳ね返す2人の活躍を誰よりも喜び、祝福した。そんな中、ベルリンの日本選手村では2人の祝勝会が準備されたが、孫と南はそれには参加しなかった。2人はベルリン在住の韓国人・安鳳根から招待を受けていたのである。安鳳根は、韓国統監府初代統監・伊藤博文を暗殺した韓国独立闘争の英雄・安重根のいとこに当たる人物だった。2人は、同胞からの祝福を受け、改めて勝利を喜び合った。

 朝鮮半島の新聞「東亜日報」(現在も韓国の新聞として存在する)は、孫の優勝を写真入りで報じたが、掲載された紙面の写真からは、孫が着るユニフォームの胸の部分に付けられていたはずの日の丸が消え、空白となっていた。これは、東亜日報のスポーツ担当記者によるもので、事実を知った朝鮮総督府は激怒した。東亜日報は日本の警察による強制捜査を受け、写真を加工した記者の他、社会部長、運動部長が拘束される事態となった。その後、東亜日報は停刊処分を受け、社内の「危険人物」の追放を条件にようやく復刊を許された。

 当時、東亜日報には系列の雑誌「新家庭」があった。同誌は孫の下半身だけの写真をグラビアとして掲載し「世界制覇のこの健脚!」というキャプションをつけた。「新家庭」編集部にも刑事が捜査に来たが、編集部は「孫選手が世界を制覇したのは心臓ではない。彼の鉄のような両脚である。画報的効果を生かすために脚だけを拡大して掲載した」と反論した。また「使用した写真は孫の高校時代のものである」(=もともとユニフォームに日の丸はついていない)とも説明した。刑事が編集部内を捜索した結果、この事実が裏付けられたため、「新家庭」は関係者の逮捕や処分を免れた。

●「日本人が監視している」

「公式祝勝会」を無断で欠席し、安鳳根と会っていたとして、孫と南に対する日本選手団役員の扱いは次第に冷たくなっていった。その後、シンガポールに滞在していた2人は、東亜日報を巡る事件の発生を受け、小さなメモを渡された。「注意せよ、日本人が監視している。本国で事件が発生、君たちを監視するようにとの電文が選手団に入っている」と、そこには書かれていた。日本は、植民地支配に反抗する朝鮮半島の人たちを徹底的に監視し迫害した。金メダリストさえ、それは例外ではなかったのだ。

●約半世紀の時を経て

 1984年、ロサンゼルス五輪。ソ連のアフガニスタン侵攻を受け、前回、1980年のモスクワ五輪を西側がボイコットしたことに対する「報復」として東側がボイコットした寂しいスタジアムの中で、孫は初めて韓国代表として走ることになった。選手としてではなく、聖火ランナーのひとりとして1kmを走った孫は、10万人の大観衆の中、初めて「ソン・ギジョン、KOREA」と名前・出身国を紹介された。日本語読みの「ソン・キテイ」から朝鮮語読みの「ソン・ギジョン」へ、「日本代表」からKOREAへ。孫基禎は、長かった「日帝支配」からこのとき初めて解放されたのである。

●今こそ過去の清算と差別解消を

 日韓併合100年の今年は、戦争責任を曖昧にしてきた日本政府に謝罪と補償をさせる絶好の機会である。しかし、日本政府は政権交代などなかったかのように、高校教育無償化制度から朝鮮学校を除外して恥じることなく、新たな差別を繰り返している。圧倒的な成績で金メダルを獲得しながら、「日本代表」として表彰台で君が代を聞かなければならなかった屈辱を孫基禎が経験してから70年。今なお朝鮮学校が「各種学校」であるために、生徒たちは多くのスポーツ大会に参加できないでいる。「在日特権を許さない市民の会」などという薄汚い根性の日本人が、朝鮮学校へ押しかけ、大音量で威圧的な街宣を繰り返している。女子生徒のチマ・チョゴリが引き裂かれる事件も後を絶たない。

 「在特会」など右翼の主張を真に受けている若い人に、筆者は、日の丸・君が代にはこのような歴史があることを伝えたいと思う。朝鮮半島の人たちばかりではない。日本人もまた多くが日の丸に寄せ書きをして「武運長久」を祈り、「靖国でまた会おう」と言い残して、無謀な戦争に突撃していった。日の丸・君が代を国旗・国家として受け入れることは、筆者にはできない。

 侵略と植民地支配の謝罪は、被害者に言われたからするというものではない。加害者である日本人みずからがなすべき義務だ。筆者は、戦後補償問題は日本と日本人ひとりひとりの問題であることを、この機に改めて訴えたい。

<参考文献>
「オリンピックの政治学」(池井優・著、丸善ライブラリー、1992年)

(黒鉄好・2010年8月20日)