キョウ きょうさんとう

Blog「みずき」:「日本共産党の大会への四野党の挨拶。これは聞き物でした。これで進めるしかない」(保立道久さん)とはほんとうか? 「野党共闘は安倍官邸独裁を打ち破るための唯一の対抗策」(内橋克人さん)とはほんとうか? 第27回党大会で共産党の志位委員長が強調していたのは「野党連合政権」についてです。しかし、野党第1党の民進党の蓮舫代表はその「野党連合政権」を「共産党と私たちとは考え方が違う」として否定しています。連合相手として想定している政党が否定している「野党連合政権」など実現できるはずもありません。これは誰が考えてもわかることです。しかし、民進党は「野党連合」自体は否定していません。民進党が共産党の党大会に来賓として出席したのはそういう事情があるからです。保立道久さんや内橋克人さんは「野党連合政権」と「野党連合」の違いを認識しているのでしょうか? 「これで進めるしかない」とまで言うのであれば、共産党に「野党連合政権」の「政権」を外さなければ「野党連合」の実現は無理だということを説得すべきでしょう。そうでなければ現実的な賛意の表明とは言えません。

第2。保立道久さんや内橋克人さんは仮に「野党連合政権」が実現したとして、その「政権」がどのような政権になるのかに思いを凝らしたことはあるでしょうか? それが「象徴天皇制」であるにせよ「人間の平等」という本質的な「人権」の確立と逆行する「天皇制」を進んで容認し、戦前の日本の朝鮮の植民地化とアジア侵略の歴史に端を発する「慰安婦」問題に関する反省的な総括とはいえない日韓合意を「評価」する姿勢はいまの安倍政権の反動的な政治姿勢とそう大差ないものです。そうした「野党連合政権」が実現したとしてどのように日本を進歩の方向に導くというのでしょう? 少なくとも私は肯定的な展望を持つことはできません。保立道久さんや内橋克人さんの「野党連合政権」期待論は、そうしたことどもについて思いを凝らした上での論とはとても思えません。私は保立道久さんや内橋克人さんの認識には賛成できません。


【山中人間話目次】
・私は保立道久さんや内橋克人さんの「野党連合政権」期待論に期待できない
・共産党はいま「象徴天皇制」評価に関する理論的、思想的後退の坂を急坂を転がり落ちるような勢いで激しく転がり落ちている
・ニューズウィーク日本版の「米メディアはなぜヒトラーを止められなかったか」という指摘のまっとうさ
・トランプの大統領就任演説にファクトチェックを入れたNYタイムズの快心の記事――これがジャーナリズムというものではないか
・黒井文太郎さん(フリージャーナリスト)と常岡浩介さん(同左)の「NEWS23」キャスター星浩批判とシリア民間NGO「人権ネットワーク」の「2016年間被害統計報告」
・田中真知さんの友人Y君への追悼文
キョウ はいきょうしゃ
聖アントニオス修道院

Blog「みずき」:私はやはり書いておくことにします。このビデオに映る共産党幹部の得意げ、満足げな顔、顔、顔はなんでしょう。私にはこの顔どもは社会主義という理想を「野党共闘」という理念のない主張を掲げて保守補完勢力に売り渡してしまった背教者たちの病者の顔、顔、顔にしか見えません。改めて言っておきます。共産党は結党95年の歳月の後に多くの先輩たちの社会主義の理念の実現に向けたその人の人生のすべてと死を賭した党活動を粉々に粉砕した末に自壊、自滅しました(私は自壊、自滅したものとみなします)。この病者たちの顔、顔、顔はまさに背教者の顔、顔、顔というべきなのです。


【山中人間話目次】
・共産党の頽廃を象徴する第27回党大会の顔、顔、顔。
・共産党は政治的側面だけでなく、文化的側面においても、科学的分野の側面においても確実に右傾化、腐敗している
・歌会始選者が『赤旗』の歌壇選者になったことへの内野光子さん(歌人)の指摘再論
・赤旗政治記者までも「歌会始 皇后・美智子さんの『お歌』」などと言っている。ここには天皇制批判の視点など微塵もない
・共産党が陥っている凄まじい理念的頽廃に呼応するかのような内田樹のツイート
・五十嵐仁さん(法政大学名誉教授)の「『アベ政治を許さない』のが真の『保守』なのだ」という論は我田引水の論でしかない
・再び五十嵐仁さん(法政大学名誉教授)の牽強付会な論について
・辺見庸の「平成二十九年歌会始」批判
・大田英昭さんの天皇明仁の生前退位論の新しさについて
・沖縄県の謝花喜一郎知事公室長の「辺野古承認の撤回を具体的に検討する」発言について
キョウ トランプ
違いを超えて報道の自由を守る

Blog「みずき」:「今日の言葉」にいうしばしば右派・トランプ派とされるFOXニュースによるCNNの言論の自由擁護の弁とは次のようなものです。「我々はフォックスニュースでCNNの報道(の正否を)を確認することはできませんが、我々の見解は以下の通りです。CNNの記者はジャーナリストの規範に従っており、彼らだけでなく、他のどんなジャーナリストも、米国の次期大統領による誹謗中傷に屈してはなりません」。これが「普通のジャーナリズムです」と加藤哲郎さんは言っています。もちろん、その含意は、それに比してなんという日本のメディアのていたらくよ、というものでしょう。

【隣の芝生より、まずは足元を見つめよ】
もうすぐアメリカ合衆国第45代大統領・ドナルド・トランプの就任式です。でもこれまでのツイート政治と1月11日の選挙後初の記者会見を見れば、たとえ就任演説そのものは殊勝に無難にこなしても、トランプ政権の危険性に変わりはありません。99団体20万人が就任式におしかけ抗議デモをすること自体、前代未聞です。当面のポイントは、トランプが「偽ニュース」と罵倒したロシア政府が持っているという「不都合な個人情報」。一応ロシア政府も公式に否定しましたが、ハニートラップ等この種のインテリジェンス情報は、決定的な時に効果的に使われるのが常道。それも発表されるという意味ではなく、むしろ情報を握る側が重要な取引材料にするわけです。米ロ関係も米英関係も米中関係も霧の中、日本やメキシコは、そうした諜報戦に翻弄され、為替も株価も乱高下でしょう。名指しで質問拒否されたCNNはもちろん、米国メディアも世界も総批判。そのためこちらも重要な、トランプ次期大統領の利益相反問題は、かすんでしまいました。CNNの対極でしばしば右派・トランプ派とされるFOXニュースも、さすがに「我々はフォックスニュースでCNNの報道(の正否を)を確認することはできませんが、我々の見解は以下の通りです。CNNの記者はジャーナリストの規範に従っており、彼らだけでなく、他のどんなジャーナリストも、米国の次期大統領による誹謗中傷に屈してはなりません」ーーこれが、普通のジャーナリズムです。

「トランプ劇場」のおかげで、日本の新聞では小さく扱われた、外務省外交記録24冊の初公開。(略)「ポツダム宣言受諾関係」等一つ一つが重要です。 (略) でも、最も注目すべき今年の公文書公開についての報道は、1月2日の西日本新聞のスクープ「外務省が「核密約」非公開要請 米公文書で裏付け」という調査報道です。地方新聞記者のスクープのためか、琉球新報1月5日社説「核密約非公開要請 国民の「知る権利」に応えよ」以外は、共同・時事の配信報道も、大手メディアの後追い取材もないようですが、「日本の外務省が1987年、米政府に対し、核兵器の持ち込みに関する密約を含む50年代後半の日米安全保障条約改定交渉など、広範囲にわたる日米関係の米公文書の非公開を要請していたことが、西日本新聞が米情報自由法に基づき入手した米公文書で明らかになった。密約などについて米側は要請通り非公開としていた。米公文書公開への外務省の介入実態が判明したのは初めて」という、12日の外交文書公開の意味そのものを問い直しうる、重大な問題です。西日本新聞は、引き続きこれをおいかけているようですし、外務省公開についても「決定的証拠、安保理で賛同集めず 83年の大韓機撃墜事件」と独自の視点を示しており、今年の注目メディアです。
アメリカの「トランプ劇場」を、嗤うわけにはいきません。国境なき記者団の2016 年180か国「報道の自由ランキング」で、アメリカは41位と先進国では高いとはいえません(ドイツ16位、イギリス38位、フランス45位)。それでも韓国70位よりも低い、72位の日本から見れば、あのFOXによるCNNの言論の自由擁護のような健全性があります。しかも日本は、2010年最高位11位が、2012年22位、2013年53位、2014年59位、2015年61位から16年72位と、劇的な自由度後退です。いうまでもなく、アメリカの記者会見とは異なる記者クラブ制度に加え、秘密保護法など安倍内閣下で着々と進む情報統制、報道画一化を反映したものです。「安倍劇場」の裏では、大手メディアの有力幹部が首相を囲みほとんど毎月会食、それが大ニュースにならない国に、私たちは、くらしているのです。隣の芝生より、まずは足元を見つめよ、です。(加藤哲郎のネチズン・カレッジ 2017.1.15

【山中人間話目次】
・日民協(日本民主法律家協会)の新春の集いでの「トランプ現象」論を駁す。隣の芝生より、まずは足元を見つめよ
・トランプとpost-truth eraについて
・トランプのメディア攻撃の異常性について
・英国ガーディアン紙のトランプ批判。「偽ニュースだとわめき散らすことが事実の説明を回避するトランプの新しい戦略になった」
キョウ いわつき

Blog「みずき」:岩月浩二さん(弁護士)のこの文章のタイトルは「20年この長き賃下げ 日本人は耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶのか」というものです。しかし、岩月弁護士はこの「20年」にわたる「長き賃下げ」を単に憂えているだけではないでしょう。この文章の行間からは岩月弁護士の憤怒と怒りの声が聴こえます。私は岩月弁護士の憤怒と怒りの声に強く共感します。最終行で岩月弁護士は「国民の生活にゆとりをもたらす、明確な対立軸を持つ、政治勢力が生まれることを望んでやまない」と述べています。しかし、いまの日本に、岩月さんが「望んでやまない」ような「国民の生活にゆとりをもたらす、明確な対立軸を持つ、政治勢力」などあるでしょうか? 昨年末に私は今回と同様の趣旨の岩月さんの文章をシェアしたときに「20年」もの「長き賃下げ」を支えてきた日本労働組合総連合会(連合)を「企業の利益に対し、労組は賃上げにもっと熱心であってもよい。労組の経営への物わかりのよさは目に余るものがある。旧民主党(民進党)の支持団体としての連合は一体何を考えているのだろう」と批判する珍しくパンチの利いた朝日新聞の記事もあわせてシェアしておきました。この10年ほどの間にめっきりと保守化した朝日新聞からさえ批判される連合の労働組合らしからぬていたらくは私たちの「怒り」の矛先を同連合に向けてもまったくおかしくない体のものです。だとすれば、そうした連合から支持されるいまの民進党という政党を「明確な対立軸を持つ政治勢力」とみなすことはとてもできないでしょう。しかし、その民進党と「野党共闘」という名の下に手を組もうとしてまさに民進党のレベルまで政党としての品度を下げているのが共産党という組織です。だとすれば、この政党も「国民の生活にゆとりをもたらす明確な対立軸を持つ政治勢力」とみなすこともできません。私が「いまの日本に、岩月さんが『望んでやまない』ような『国民の生活にゆとりをもたらす、明確な対立軸を持つ、政治勢力』などあるでしょうか?」と問うているのはそういうことなのです。私は岩月弁護士ほど楽観的にはなれません。

【山中人間話目次】
・岩月浩二さん(弁護士)の「20年この長き賃下げ 日本人は耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶのか」
・「天皇退位」をめぐる度重なる天皇・政府(安倍政権)・メディア三位一体の情報操作に関する鬼原悟さん(「アリの一言」主宰者)の指摘
・生活保護者の「逮捕・勾留」を口実にした政府、自治体の貧困者狩りを許してはならない
キョウ こっかいまえ
8月30日に警察が守っていたのは市民ではなかっ

Blog「みずき」:岩垂弘さん(元朝日新聞記者)の以下の見方(略)には私もその認識を共有します。しかし、「日本の大衆運動は4半世紀の長きにわたる沈滞期が続くが、2011年によみがえる」以後の岩垂さんの認識(略)は、この時期に大衆運動の戦線で起こった事態を正確に見ていない認識だと私は思います。その理由。第1。2011年の福島第1原発事故を機に起こった脱原発運動はたしかに国民の怒濤のような怒りを反映したもので、その怒りの規模も最大時で代々木公園に約17万人もの市民が結集し(「さようなら原発10万人集会」、主催者発表)、毎週金曜日に総理大臣官邸前で開かれていた脱原発集会にも最大時で12万人規模の市民が結集するなど凄まじいものがありました。しかし、官邸前の集会をたまたま主催したにすぎない首都圏反原発連合ミサオ・レッドウルフ野間易通がリーダー)はその後まるで「権威者」にでもなったかのようにふるまい、2012年6月29日の金曜日の官邸前抗議では警察指揮官車のマイクとスピーカーを使って警察と協同した「整然とした行動」を訴え、それに反対する市民を在特会も顔負けするほどの汚いヘイトスピーチで攻撃するなど脱原発運動を含む市民運動を決して「リベラル」とは言えない理念的には「反権力」とはおよそ言い難い「権力との協調」を強調する「権力」的なもの、組織的には反市民的、反社会的なものにしてしまいました。それ以後、根拠のない「放射能デマ」を拡散して得意然とするデマゴーグ、ヘイトスピーカーがこの世の春を謳い、脱原発運動、市民運動を誤誘導し、かつ、その誤誘導に感化される市民を増加させ、逆に多くの市民は脱原発運動なるものに見切りをつけていきました。第2。その延長線上に岩垂さんのいう2015年から2016年にかけての安保関連法制定反対運動もあります。シールズなる若者の運動体は首都圏反原発連合の警察との協同を強調する「整然とした行動」論を踏襲した理念的に未熟な、というよりも誤った運動体にすぎませんでした。その結果として安倍内閣と同様の実質的な憲法「改正」論でしかない「新9条論」を唱え、これも世論を誤誘導していきました。そうした負のスパイラルの新バージョンとしていまのいわゆる「野党共闘」論があり、いわゆる「リベラル・左派」の支持もあるのです。岩垂さんはそうした2011年以来の大衆運動のありようの重大な負の側面を大きく見損なっている、というのが私の評価です。

【山中人間話目次】
・岩垂弘さん(元朝日新聞記者)の2011年の福島第1原発事故以後の大衆運動に認識について
・「わざとらしさ」と「ふり」ということについて
・翁長知事の宮古島市長選候補者奥平一夫氏支援の不可解
・乗松聡子さん(カナダ、「アジア太平洋ジャーナル」エディター)の増田宙氏の論(沖縄タイムス「論壇」投稿、2017年1月7日付)に対する反論
・天皇の活動について、なぜ「音楽や絵画鑑賞」は公務で「大相撲観戦」は公務ではないのか? 私にも理解不能です

キョウ たかえ 
ニュース女子

Blog「みずき」:かねてから批判の多い長谷川幸洋というエセ記者の立ち位置がよくわかるニュースとはいえるでしょう。この長谷川幸洋という記者は東京新聞の論説副主幹という肩書も持っていることを私たちは忘れてはならないでしょう。「こちら特報部」欄など東京新聞にはよい記事が少なくなくあることもたしかですが、同紙は長谷川幸洋に代表される新自由主義者とデマゴーグ(今度の件でそのことが図らずも明白になりました)の根城と化した現政権擁護の記事もまた多すぎるほど多いのです。したがって、いわゆる「リベラル・左派」と呼ばれる一部で多くの無思慮な人たちによく見られる傾向ですが、同紙をリベラルの新聞として一面的に賛美、吹聴することは非常に危険なことです。さて、こちらの『ニュース女子』なる番組の報道は明らかに報道倫理に外れた報道される側(取材対象)の名誉を棄損してあまりある報道というべきでしょう。ジャーナリズムがジャーナリズムであろうとするならば、『ニュース女子』(TOKYO MXTV)なる「報道」という名の娯楽番組の野放図と増長をこのまま許してはならないでしょう。この番組が意図的につくり出しているウソは明らかに裁判所ないしはBPO(放送倫理・番組向上機構)に提訴されるべきケースというべきものです。それにしてものりこえねっと(辛淑玉共同代表ら)やしばき隊首都圏反原発連合(反原連)ミサオ・レッドウルフ(反原連リーダー)や野間易通(しばき隊リーダー)、そして菅野完らの愚行があるから長谷川幸洋らのエセジャーナリストにその脆弱の隙を突かれもするのです。昨年あたりからしばき隊は沖縄・高江にも進出し、その脆弱の隙によって高江の平和運動を混乱(逮捕者の続出)に陥れてもいます。そのしばき隊をオール沖縄(共産党、社民党など)が進んで迎え入れたというのですから自業の火だねはオール沖縄側にもあるのです。沖縄においても果てしない「革新」の堕落の構図が展開しているのはなんとも無惨な光景です。少なくとも私はそう思っています。

【山中人間話目次】
・長谷川幸洋というエセ記者の「沖縄の基地反対派は日当もらっている」という公共の電波を利用したうそ
・のりこえねっとやしばき隊、「首都圏反原発連合」(反原連)、ミサオ・レッドウルフや野間易通、菅野完らの愚行と長谷川幸洋の愚行の相似性
・沖縄を愛する2人の女性の活躍に心からのエールを送ります(1)――平安名純代さん(沖縄タイムス米国特約記者)
・沖縄を愛する2人の女性の活躍に心からのエールを送ります(2)――乗松聡子さん(「ジャパンフォーカス」エディター)
・時事解説「ディストピア」さんの松尾匡立命館大学経済学部教授、岩波書店、リテラ批判
・辺見庸「日録」(1月30日)の「新宿講演について」
キョウ どいつもにゅめんと
ベルリンの連邦議会議事堂前にあるモニュメント


Blog「みずき」:昨日、菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、韓国プサン(釜山)の日本総領事館の前に、慰安婦問題を象徴する少女像が設置されたことは極めて遺憾だとして、当面の対抗措置として、韓国に駐在する長嶺大使らを一時帰国させることなどを発表した。この中で、菅官房長官は、韓国プサンの日本総領事館の前に慰安婦問題を象徴する少女像が設置されたことについて「ウィーン条約に規定する領事機関の威厳等を侵害するもので極めて遺憾だ」と述べた、という(NHKニュース 1月6日)。プサンの日本総領事館前の少女像の設置(その少女像が慰安婦問題を象徴するものだとしても)がなぜ「領事機関の威厳を侵害」するのか? ベルリンの連邦議会議事堂前にあるモニュメントにはその一枚一枚に強制収容所に送られて殺された国会議員の名前が刻んである。菅の論法ではそのベルリンのモニュメントも連邦議会の威厳を侵害するものになる。この国の「威厳を侵害」しているのは、実のところ、負の歴史を負の歴史として認識できないそうした精神のつたなさにあるというべきだろう。これは政府だけの問題ではない。そういう政府を私たちは選んでいる。すなわち、私たちの問題だ。と、指摘するのはたやすい。しかし、その「私たちの問題」の構造は複雑だ。「私たち」とは単に安倍政権を支持している60パーセントの人たちだけではない。その安倍政権を下支えしている「革新」の問題もある。そして、問題なのは、「革新」がそういうおのれの問題をおのれの問題として理解していないことだ。負の歴史を負の歴史として認識できない精神のつたなさの根の根はここにある。

【山中人間話目次】
・プサンの日本総領事館前の少女像の設置とこの国の負の歴史を負の歴史を認識できない精神のつたなさについて
・長谷川幸洋というエセ記者の「沖縄の基地反対派は日当もらっている」という公共の電波を利用したうそ
・のりこえねっとやしばき隊、「首都圏反原発連合」(反原連)、ミサオ・レッドウルフや野間易通、菅野完らの愚行と長谷川幸洋の愚行の相似性
・翁長知事による矛盾する沖縄の現実の進行――工事再開と新基地阻止へ決意?
・「それでしたたかに交渉した気になって、弱い自分をごまかす」オール沖縄の共産党、社民党がいましていること
・内野光子さん(歌人、評論家)の「『琉球新報』の「県民意識調査」結果~その天皇観は何を語るのか」
キョウ きゅうちゅうさんが

Blog「みずき」:鬼原悟さん(「アリの一言」主宰者)の天皇明仁がほんとうに「民主主義者」「立憲主義者」「平和主義者」であるかについて「事実に基づいて厳密に検討・議論する必要がある」という指摘は私はきわめて重要な指摘だと思います。鬼原さんは天皇明仁が決して「民主主義者」「立憲主義者」「平和主義者」とはいえないことについていくつかの「実例」をあげて立証していますが、そのうちのひとつは次のようなものです。鬼原さんは天皇のパラオ訪問出発前の羽田空港でのスピーチを例にとって次のように批判しています。「天皇はこう述べました。『祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ人となった人たちが深く偲ばれます』。耳を疑う発言です。南島で戦死した兵士は、『祖国を守る』ために戦地へ行ったのか。そうではありません。日本帝国主義の侵略戦争のために、その戦線を守るために派兵され、玉砕したのです。侵略戦争を『祖国防衛戦争』であったかのようにいい、戦争責任を棚上げすることは許されません。裕仁天皇の長男であり、父から『天皇制』について折に触れて教育を受けた明仁天皇が、天皇の侵略戦争の責任、現地住民や沖縄、朝鮮人への差別に目をそむけ、多大の犠牲を生じさせたことに『謝罪』の言葉もないまま、慰霊碑に供花しても、それは真の追悼とはいえないのではないでしょうか」。


【「天皇制」について何を議論すべきなのか】
今年の大きな課題の1つは、「生前退位」をきっかけにした「天皇制」をめぐる論議です。そこでは何が議論されるべきでしょうか。年末年始の新聞に掲載された3人の「女性識者」の主張から、手掛かりになる個所を挙げてみます。

「古代から天皇は仏教など外来のものを率先して取り入れる役目を果たしてきた。明治以降は欧米文化、戦後は民主主義です。今後の役割があるとすれば、9条の普遍的価値つまり徹底的な戦争回避を目標に日本をまとめる方向しかないと思います」(田中優子法政大総長、1日付共同配信、加藤典洋氏との対談)

「象徴天皇が現実に必要か、必要でないかと問われれば必要ではないが、長い歴史とともにあった天皇を、現代においてなくしていいとも思わない。…国民が天皇を象徴として受け入れているのは、長年の天皇、皇后両陛下の営みがあるからだ。…女系天皇を認めても認めなくても、皇室と国民の距離は次第に開いてゆくだろうし、国民統合の象徴という憲法の文言はいっそう形骸化するだろう」(作家・高村薫氏、12月26日付琉球新報=共同配信)

「今の天皇が折に触れて、憲法順守を口にしたり、戦地を訪問したりすることで、国民は護憲と反戦というメッセージを受け取っている。立憲主義者で平和主義という評価があるが、将来の天皇がどのような考えを持つかは分からない。…そもそも日本は民主主義国家なのにどうして共和制ではないのか。国民統合の象徴なんていらない、と私は思っている」(社会学者・上野千鶴子氏、12月26日付琉球新報=共同)

3氏に共通しているのは、天皇明仁を「民主主義者」「立憲主義者」「平和主義者」ととらえていることです。果たしてそうでしょうか。事実に基づいて厳密に検討・議論する必要があります。〝平成の終焉”に向けて避けて通れない課題です。しかしここでは、3氏の主張の微妙な相違点に注目します。それは「象徴天皇制」は果たして必要なのか、という天皇制の根本問題です。田中氏は「今後の役割があるとすれば」と仮定法を使いながら、事実上「役割はある」という立場に立ち、憲法9条に基づいて「日本をまとめる」ことだと言います。なぜ天皇が「日本をまとめる」必要があるのでしょうか。それは天皇の「政治的行為」あるいは「政治利用」ではないのでしょうか。高村氏は「象徴天皇制」は「必要ではない」「形骸化する」と言いながら、「なくしていいとも思わない」と言います。きわめて矛盾した主張です。この矛盾(あるいは二股)こそ「民主的知識人」の1つの典型と言えるかもしれません。上野氏は「象徴なんていらない」と明言しています。「生前退位」表明以降、これほど明確な「象徴天皇制」否定論が新聞に載ったことはないのではないでしょうか。しかし上野氏はそれを、「私は思っている」とあくまで個人的見解の範囲にとどめようとしています。「生前退位」を認めるか否か、認めるとすれば特別立法か皇室典範の改正か、という問題は枝葉末節です。今議論すべきは、「象徴天皇制」という憲法上の制度そのものの必要性・是非ではないでしょうか。必要ないと考えるなら、それを「個人的意見」にとどめるのではなく、国民的世論にしていくことではないでしょうか。(
鬼原悟「アリの一言」2017年01月03日

【山中人間話目次】
・共産党は自らの目指す社会(社会主義社会)でも天皇制を「事実上認められると判断している」という凄まじいまでの同党の崩壊現象
・翁長知事の辺野古埋立承認撤回問題に関してある法律に詳しい人と私との応答
キョウ とうだい

Blog「みずき」:台湾出身で現在はおそらく中国籍だと思われる東大3年生の張婉瑜(チャン・ワンユー)という女子留学生が次のような指摘をしています。「東大に複数あるテニスクラブのうち、いくつかは女子が入部するには男性メンバーに対してお弁当を作ることが条件となっていることを知って驚愕した」、と。東大の学生たちの運動サークルではまだそんな旧態依然の悪習がまかりとおっているのか、と私も驚きました。張さんという女子留学生が怒るのは当然のことです。もちろん、張さんは東大のテニスクラブには入部しなかったのだろうと思います。

しかし、私は、この件については張さんの怒りはそのとおりだと思うものの、彼女の全体としてエリート臭が強く匂う発言には辟易させられます。張さんは上記の「男女差別」糾弾発言に続けて次のように言います。

『しかし、場所が変ると考えも変るものだ。昨年の夏、私はハーバード大学でサマースクールを受けたのだが、あるとき、男子学生と男女関係の話になった。そのとき彼は、「昔は米国でも、デキる、成功している男性は美人な『秘書タイプ』と結婚するのがつねだった。が、最近は違う。僕の場合、彼女はともかく、結婚する相手はハーバード出身か少なくともアイビーリーグ出身者がいい」と言ったのだ。要するに強くて、頭のいい女性がいいというわけだ。』

ここには若者特有のエリート志向への反抗精神とでもいうべきものは微塵も見られません。それどころか「結婚する相手はハーバード出身か少なくともアイビーリーグ出身者がいい」と言ってのける男子学生の人の格差=格差社会を前提にした発言に彼女は同調する姿勢さえ見せています。この女子留学生は「男女差別」を糾弾する姿勢と「格差社会」から結果として生じる差別を肯定する自身の思想のアンチノミーになんらの矛盾も感じていないようです。

彼女はヒラリー・クリントンを評して次のようにも言います。

『あと20日もすると、米国にドナルド・トランプ大統領が誕生する。ヒラリー・クリントンを支持していた人たちにとっては、辛い瞬間となる。それだけ近かったのだ。女性が米国初の大統領になるまで、本当にあと一歩だった。ヒラリーは敗北宣言でこう語った。「私たちはいまだに、最も高くにあって最も堅い『ガラスの天井』を打ち破れていません。それでも、誰かがいつか、願わくばすぐに、成し遂げてくれるでしょう。そして、すべての小さな女の子たち。あなたたちには、自分の夢を追って、そして叶える世界のどんなチャンスも機会も、手に入れるだけの価値とパワーがあるということを疑わないで」。敗北のショックは大きかったに違いないが、それでも彼女は私たち女性に、「女性には男性と同じだけを求める権利がある」ということを教えてくれたのだ。』

要するにヒラリー・クリントンは女性だから支持するというわけです。この女子留学生は「男女差別」には敏感のようですが、その「男女差別」の問題をも含む「民主主義」という人の権利の問題=人間尊重の精神の問題には鈍感なようです。1日の記事で
醍醐聰さん(東京大学名誉教授)の上野千鶴子(同)批判をご紹介しましたが、日本のフェミニストにはこうした人間尊重の精神を欠如した、そのくせ権力志向はきわめて強い志向の持ち主を多く見かけます。

彼女は次のようにも言います。この女子留学生もこうしたフェミニストたちの仲間入りをめざしているようです。

『もっとも、私の周りの東大生を見ている限り、女子学生のほとんどは自立しており、将来的なキャリアでの成功のために頑張っているように見える。彼女たちは、東大におけるさまざまなイベントでイニシアチブやリーダーシップをとっているし、国内外のコンクールやコンペなどにも参加している。彼女たちは、つねに今より上を目指そうとしている。これは、私が知っている多くの日本のトップ大学に通う女子生徒たちにも言えることで、こうした女性たちが日本の未来を引っ張って行ってくれることを期待したい。』

私は「こうした女性たちが日本の未来を引っ張って行ってくれる」未来には期待しえない。というよりも、ご免こうむる。

【山中人間話目次】
・東大3年生の女子留学生の権力志向に違和を持つ
・アレクシェーヴィッチが福島訪問後の東京外大の講演で「日本社会に“抵抗”がないことに驚いた」
・世界の悲鳴は2017年も続く。その悲鳴の中にいま辺野古の海を再び埋め立てられようとしている沖縄の悲鳴もある
キョウ へのこ21

Blog「みずき」:鬼原悟さん(「アリの一言」ブログ主宰者)の沖縄の2大メディアの琉球新報、沖縄タイムス批判はまさにそのとおりというべきでしょう。しかし、その沖縄メディアの一角で「翁長知事は埋め立て承認取り消しを取り消すな」という声を上げ続けている記者がいますし、その記事もあります。沖縄タイムスの米国特約記者の平安名純代さんは沖縄県敗訴が言い渡された昨年12月20日の辺野古訴訟最高裁判決直後から沖縄タイムス紙上においても自身のFB記事においても「翁長知事は埋め立て承認取り消しを取り消すな。知事は直ちに埋め立て承認撤回を」の声を上げ続けています。沖縄メディア内部においてもそういう声は小さくない、いや大きいということを「アリの一言」ブログ主宰者には念頭において記事を書いていただきたいものです。知事の速やかな「埋め立て承認撤回」を求める声はそういう連帯と共闘の絆から大きくなっていくというべきではないか。私はそう思います。


【「撤回」を棚上げする翁長氏、擁護する琉球新報、沖縄タイムス】
辺野古新基地阻止をめぐる情勢はきわめて厳しいまま新しい年を迎えました。安倍政権による工事再開にストップをかけ、ふたたび法廷闘争によって新基地を阻止する決定的な「知事権限」である「埋立承認の撤回」に翁長知事が背を向け続け、県内の有力紙である琉球新報と沖縄タイムスがその翁長氏に同調し、「撤回」を要求していないためです。琉球新報、沖縄タイムス(以下、新報、タイムス)は1日付の紙面で、いずれも翁長氏の「新年インタビュー」を掲載しています。この中で翁長氏は、「辺野古新基地阻止」に関して「今年1年間いろいろなことを考えていて」(新報)、「今年1年間いろんなことを考えている」(タイムス)とまったく同じ「答え」に終始し、具体的なことは何一つ述べていません。それに対し、新報、タイムスとも歩調を合わせるように、それ以上突っ込んだ質問をしていません。「承認取り消し」を自ら取り消した以上、翁長氏が行うべきことはただ1つ、選挙公約に従って「承認を撤回」すること以外にありません。問題はきわめて具体的です。この期に及んで「いろいろなこと」というごまかしで逃げることは許されません。新報、タイムスはなぜ「撤回」について質問しないのでしょうか。

「新年インタビュー」だけではありません。新報は翁長氏が「取り消し」を取り消し、工事再開が強行されたときの社説(12月28日付)で、「沖縄県は法治国家の精神を守った」と翁長氏を全面的に擁護する一方、「今回の県判断に対し、異論があるのも事実だ」と翁長氏に対する県民の批判を認めながら、「今回の取り消し通知によって新基地反対運動に足並みの乱れや分裂が生じることがあってはならない」と、翁長批判を封じようとしました。肝心の「撤回」についてはまったく口をつぐんだまま。一方、タイムスは、「『撤回』の是非 判断急げ」と題した社説(12月27日付)で、「市民らが要求するのは前知事の埋め立て承認の『撤回』である」と認めながら、「撤回の可能性を探る作業を急ぐべきだ」と述べています。一見「撤回」を求めているようですが、実際は「撤回」の「可能性を探る」として事実上「撤回」を棚上げないし後回しにしているのです。さらにタイムスは1日付1面で、「新基地に特化 協議の場 知事、国に創設要請へ」の見出しで、翁長氏が「協議を通し…埋め立て承認の『撤回』に向けて法的根拠の積み上げを狙う」と書いています。「撤回」に新たな「法的根拠」が必要であるかのようにいい、同時に翁長氏が要求する「協議の場」が「撤回」へ向けたものだとして翁長氏を擁護する、二重に問題を含んだ記事だと言わねばなりません。

埋立承認の「撤回」については、すでに「撤回問題法的検討会」(新垣勉弁護士ら)が翁長氏に対する「意見書」(2015年5月1日)で、A4判20枚にわたって判例などを詳細に検討した結果、「沖縄県知事が撤回判断をなすことにつき、法的障害は何ら存しない」と結論づけているのです。また、うるま市島ぐるみ会議(共同代表・仲宗根勇元判事)の翁長氏への「要請書」(2016年12月22日)も、「行政行為の撤回は行政行為の取り消しと異なり、根拠規定がなくとも行政行為の主体がいつでも撤回権を行使できます」としたうえで、「知事は前知事のした埋め立て承認の撤回を必ず実行してください」と要求しています。翁長氏自身、知事選の公約や県議会答弁などで「知事選で示された民意は埋め立て承認を撤回する事由になる」(2014年12月17日県議会答弁)と繰り返してきました。「撤回」するのにいまさら「法的根拠」や「可能性」を検討する必要などありません。まして政府との「新たな協議の場」など、昨年の「集中協議」の二の舞いであり、使い古しの時間稼ぎ、アリバイづくり以外の何物でもありません。そのかんにも埋立工事は取り返しのつかないように進行してしまうのです。「知事は公約に従って埋立承認を直ちに撤回せよ」翁長氏にこの声を突きつけ、1日も早く承認を撤回させる。辺野古新基地を阻止する道はこれしかありません。新報、タイムスは、新基地阻止を願いたたかっている県民・市民の側に立つのか、それともあくまでも翁長氏を擁護して「撤回」棚上げの公約違反に手を貸すのか。新聞としての在り方が根本的に問われていると言わねばなりません。(
鬼原悟「アリの一言」2017年01月02日

【山中人間話目次】
・醍醐聰さん(東大名誉教授)の新年の言葉 ――「和解」という名の歴史の抹消に抗って
・ドナルド・トランプに対する私の新年の希望(ロバート・ライシュ、日本語訳:保立道久)
・沖縄県宮古島市在住の石嶺香織さんへのエール――「雪後の天の怒濤」のようであれ
・石嶺香織さんの「市議選へ立候補します。」を読む
キョウ あかはた6

Blog「みずき」:今年も共産党、赤旗批判から始めなければならないようです。共産党は誤まった「野党共闘」路線を今年も続けるつもりのようです。が、それは端的に言って滅びの道というほかありません。本日の1月1日付けのしんぶん赤旗に共産党シンパサイザーの学者・文化人と志位同党委員長の恒例の新春対談が掲載されています。赤旗が指名した今年の学者・文化人代表は法政大学名誉教授の五十嵐仁さんということのようです。新春対談の中心テーマは「野党共闘」問題。赤旗はこのテーマに「野党と市民と“二人三脚”」というキャプションをつけています。では、その「野党と市民と“二人三脚”」(「野党共闘」路線)とはどういうものか? 同対談の冒頭部分を読んだだけでその危険な本質をただちに了解することができます。冒頭部分は以下のようです。

「五十嵐 おめでとうございます。昨年、印象的だったのは7月の参議院選挙と10月の新潟県知事選でした。参院選挙で、野党と市民の共闘が実現して大きな成果をあげた。新潟県知事選では、共産党、社民党、自由党、新社会党、緑の党の政党・政派、さまざまな団体・個人が一緒になって米山隆一さんを当選させた。新潟は私のふるさとですから、大変うれしく思いました。明確な争点を掲げて本気の共闘をやれば、これだけの成果をあげることができる。これは市民と野党の連携で選挙をたたかう運動の一つの到達点であり、“勝利の方程式”が見えてきたという印象です。

志位 去年は、野党と市民の共闘が本格的に始まった年になったと思います。キーワードが二つあると思っていまして、一つは「大義の旗」。もう一つは「本気の共闘」です。野党と市民が「大義の旗」を掲げて「本気の共闘」をやれば、自民党を打ち破ることができることが、事実をもって示されたと思います。去年を振り返りますと、市民運動のみなさんの後押しが大きな力になり、2月19日の5野党党首会談で、「安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回」「安倍政権打倒」を掲げて選挙協力をするという画期的な合意が確認されました。これが転換点になり、参院選挙の32の1人区すべてで野党統一候補が実現し、11選挙区で勝った。このときの「大義の旗」は「安保法制廃止、立憲主義回復」でした。そのあと、新潟県知事選で米山さんを統一候補に、「原発再稼働は許さない」という「大義の旗」を掲げ、気持ちが一つになった「本気の共闘」で勝利をつかみました。」

上記で五十嵐さんは「野党と市民の共闘」の「大きな成果」のひとつとして新潟県知事選での米山隆一さんの当選の例をあげています。志位委員長も「「原発再稼働は許さない」という「大義の旗」を掲げ、気持ちが一つになった「本気の共闘」で勝利をつか」んだとして同意しています。

しかし、この新潟県知事選について、大阪大学の物理学教授の菊池誠さんは昨年の12月4日にあった市民社会フォーラム主宰の
講演会で、米山隆一氏の当選は、広瀬隆、鎌仲ひとみ、山本太郎など放射能デマを繰り広げた人たちの応援を受けての当選であったという事実をあげて、米山氏は「信じちゃいけない、仲間にしちゃいけない」人たち、すなわちカルト、デマゴーグの応援を受けて当選したということを私たちは忘れてはいけない、と強く批判しています。その際、菊池さんは、「反原発運動は放射能デマを排除しなくてはならない。したがって、放射能デマを避けようとすると反原発候補に投票できないことになる。自分は元来共産党支持者だが、カルト応援候補に投票するくらいなら自民党候補に投票する」とも言っています(講演会の動画の2:11:10~2:13:13頃参照)。なお、菊池さんは、「信じちゃいけない、仲間にしちゃいけない」カルト、デマゴーグの例として具体的に2人の人物の名前をあげています。ひとり目。武田邦彦の場合。菊池さんは、武田は自身のブログの2012/4/27付けの記事に「あと3年・・・日本に住めなくなる日 2015年3月31日」などとデマを記しているが、その日はとうに過ぎている。デマ以外のなにものでもないことは明らかと例証しています。ふたり目。広瀬隆の場合。広瀬は『東京が壊滅する日』を2015年7月17日と著書で特定して「タイムリミットはあと1年しかない」とこれもデマを記しているが、その日もとうに過ぎている。これもデマ以外のなにものでもないことは明らかと例証しています。

こうしたカルトやデマゴーグを許容し、かつ、カルトやデマゴーグを含む「野党共闘」をとてもほんものの「野党共闘」などと呼ぶことは当然できませんし、そうしたカルトやデマゴーグの論理に乗っかった「野党共闘」なるものも早晩潰れていく運命にあることは健常な思考の持ち主であるならば容易に想像できることです。それを共産党の志位委員長は「『発再稼働は許さない』という『大義の旗』を掲げ、気持ちが一つになった『本気の共闘』」などと自画自賛しているのです。この志位発言は、いまの共産党の誤まった思考方法を端的に示す典型例というべきものでしょう。もちろん、こうした「野党共闘」なるものが成功するはずもありません。リベラル・左派は誤まった共産党の論理に右往左往することなく、こうした誤った「野党共闘」路線には一刻も早く決別すべきである、というのが、ここで私が結論として言いたいことです。
キョウ しょとう44
くじゅう連山・由布岳

正月元旦。

さえざえと雪後の天の怒濤かな 加藤楸邨
                       『雪後の天』

鬼門超す骸を花の見送れり
ひそやかに骨の泣く音や春の霜 大道寺将司
                        『残の月』

キョウ きょうさんとう7

共産党批判に始まり、共産党批判に終った年だった。それほど共産党の劣化は甚だしかった、ということだろう。この点に関して次のような見解を読んだ。

「ここ数年というか1年、2年の共産党は、実際にはもっと「自衛隊の現実的承認・認知」に行き着いているように思えます。先日、BSフジで、小池さんが司会者から中国脅威論について意見を求められていましたが、中国への対抗が必要だなどという意見を述べていましたね。間違いなく、共産党は、この「中国脅威論」で総崩れするでしょう。中国の「防空識別圏」設定問題への対応、先島諸島ー南西諸島への自衛隊の増強への沈黙をみると、すでにそれが始まっていると思えます。今後、厳しい批判が必要でしょう」。

「最近の日本共産党は、醍醐氏に批判された「NHK問題」や今月の東京・板橋区議の除籍事件などなど、大問題から小問題まで、もう、ほとんど科学的社会主義政党の態をなしていませんね。永年にわたる党員づくりの失敗・放棄のツケが、いよいよ全面化し始めているようです」。

まったく同感というほかない。来年の共産党のよい意味での変化に希望を持ちたいが、期待は持ちえない。絶望的なまでに「党員づくりの失敗・放棄のツケが全面化」しているからだ。来年も共産党批判の年にならざるをえないのかと思うとやりきれない。あまりに党を支える党員のレベルが低すぎる。これも身から出た錆というほかないのだが。共産党の不破・志位・小池体制に激しい憤りを持つ。

キョウ いあんふ

Blog「みずき」:やはりこの問題についても日本共産党という政党としんぶん赤旗を批判しておかなければならないでしょう。以下の赤旗の記事はいったいなにか?

・「慰安婦」問題 日韓合意から1年 ㊤ 誰のための合意なのか 「しんぶん赤旗」2016年12月26日(山中人間話参照)
・「慰安婦」問題 日韓合意から1年 ㊦ 本質をつかむ努力 共に 「しんぶん 赤旗」2016年12月28日(同上)

この赤旗の記事の主張自体は当然のものだと私も思います。しかし、「日本軍「慰安婦」問題 日韓外相会談について」と題された
昨年12月29日付けの赤旗に掲載された志位日本共産党委員長の談話では本年12月26日付けの赤旗で「誰のための合意なのか」(見出し)と批判されている「慰安婦」問題に関する日韓合意は「問題解決に向けての前進」と評価しています。自らが、それも日本共産党委員長という同党の最高責任者が昨年下した日韓合意の評価についてはなんら反省のないまま同合意をいま批判してもそこにどれだけの誠実さを認められるか。昨年の同党の日韓合意評価を糊塗するものとしか映りません。日本共産党は信頼できない政党に成り下がってしまいました。共産党は名誉を挽回したいのであれば、自らの判断の到らなかったことについて真の反省の言葉を述べるべきでしょう。なにごともなかったかのように従前の主張を反省もなく変更することは公党として許されることではありません。

【山中人間話目次】
・「『慰安婦』問題 日韓合意から1年 誰のための合意なのか 」という赤旗記事の欺瞞
・川上泰徳さん(元朝日新聞記者)の「シリア内戦:ホワイト・ヘルメットへの「ねつ造」告発のうそ」
・1995年の会社員の平均年収と比較すると2014年の会社員の平均年収は100万円以上も落ち込んでいる
・辺見庸の「朝日新聞記事について」というメディアへの激しい怒り
・知事は直ちに「撤回」を 政治的判断には説明責任――平安名純代さんの「想い風」
キョウ しんじゅわん

Blog「みずき」:山崎正和(劇作家・評論家)は日米間の戦争観のズレについて次のようにいう。「真珠湾攻撃は、米国の日本への敵愾心を高揚させました。「卑怯な不意打ちで多数の米国人が死んだ」と。大統領ルーズベルトが対日戦に踏み切れたのは日本の真珠湾攻撃があったからです。米国内では日本罪悪視と敵意が盛り上がり、無差別攻撃すなわち都市部への大規模空襲、そして原爆投下へとつながった。米国の戦争の仕方を以前から大きく変えました。一方、日本側には真珠湾攻撃に罪悪感はありません。それどころか、米軍の空襲で焼け出され、国内は焦土と化した。あの戦争に日本の一般の人たちは、もっぱら被害者としての意識しかありませんでした。「悪い日本をやっつける」米国と「ひどい目にあった」日本。両者にはずっとズレがありました。」(朝日新聞「耕論」 2016年12月29日)山崎のこの指摘は正しい、と私は思う。しかし、その認識から導き出される山崎の日本の首相の安倍晋三の真珠湾訪問の評価は次のようなものだ。「今回の安倍晋三首相の真珠湾訪問は、日本は被害者だけでなく加害者の面もあった、それを自覚している、という表明になります。日米間の戦争観のズレを埋め、日本への親近感を強めるでしょう。私は高い評価を与えたい」。山崎のこの安倍の真珠湾訪問評価は正しいか。私は正しくないと思う。山崎の目は真珠湾という海を眺める視点から動かない。あるいは米国と日本という海でつながる地平線とはまた別の角度にはまた別の地平線があるということには山崎のフォーカスの視点は及ばない。日米を軸にしてしか世界を見ることができない日本という国のメディア、日本という国に棲む文化人一般の陥穽に山崎も落ちている。山崎はなぜ問いかけないのか。「あなたは、真珠湾攻撃で亡くなった約2400人の米国人の「慰霊」のために訪問するということです。それなら、中国や、朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争被害者の「慰霊」にも行く予定はありますか」(オリバー・ストーンら53人の知識人の「真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状」)、と。

【山中人間話目次】
・山崎正和(劇作家・評論家)の論は真珠湾という海を眺める視点から動かない
・「名前を書けば入れる」福岡・立花高の教育論――多くの元不登校生が通う私立高校のやり方
・春日記者(朝日新聞)によるアンカラで、包囲攻撃下のアレッポからツイートし続けたバナさんと母ファテマさんとのインタビュー記事
・仲宗根勇さんの「翁長知事よ、田舎芝居はもうやめろ!」
・辺見庸「死刑も皇室も新聞記事も、ほんとうはすぐれて身体的、肉体的なことだ。危機的なまでに身体的だ」
・田中利幸さんの「『真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状』に私が署名しなかった理由