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Blog「みずき」:私もそう思います。が、常任幹部会内で志位和夫グループ(事実上の分派)を形成して同党に根深く巣くう長老支配はそういう姿勢を単純に日和見主義とみなして決して許そうとしないでしょう。同党内の長老支配は同党を根っこから腐らせる役割を果たしているように私には見えます。同党の解党的再生はまずここからメスを入れる必要があるでしょう。すなわち、志位和夫をはじめとする同党を牛耳る常任幹部会委員は全員クビにする必要があります。

『共産党の理論委員会委員による「赤旗」での中北浩爾さん批判と、中北さんの反論から1か月経ったと知った。いま1980年代の共産党を振り返っているが、あのころの活発な論争が蘇ってほしい。組織活性化の条件は、理論闘争と一体だったからだ。
「論争よ、起これ!」』(有田芳生X 2024年4月22日)


【山中人閒話目次】
・志位和夫をはじめとする同党を牛耳る常任幹部会委員は全員クビにして出直さなければ同党の再生はない 有田芳生X 
・歴史は繰り返すというが、まさにいまはそういう時代というべきではないか――少なくともいま、「検挙すべき思想犯罪対象がほとんど壊滅している」 内海信彦FB
・東京大の伊東乾教授がエジプト大使館が出した小池百合子都知事が「カイロ大を卒業したとする学長声明」の胡散臭さを指摘している 望月衣塑子X
・小池百合子の終わりの前兆――都内首長選の〝連勝〟ストップ 目黒で支援候補敗北 産経新聞
・小池百合子の終わりの前兆(2)――東京15区は酒井菜摘で決まりだろう 佐藤章X
・戦地取材によるリスクをとらないジャーナリスト――問われるべきは「なぜ行かないのか」 郷原信郎X
・田畑光永さんの「世界一の人口大国・インドの総選挙に思う―インドには負けたくなかったのは何処の国?」 リベラル21
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Blog「みずき」:私たちはこの事件を辺見庸のように真正に怒ることができるか? 答はノーだろう。私たちが怒りえない民になって久しい。が、少なくとも私は、そういう怒りえない「個」にはならない。敗北は続くが、そう思っても久しい。

『戦争と稲荷寿司

「稲荷寿司(300円相当)〝万引き〟誤認逮捕・82時間不当勾留事件」には無性に腹がたつ。省みるに、わが怒りたるや尋常でない。裏金議員には大甘で、74歳の罪もない女性には 獰猛に襲いかかる。このクニの公権力ときたら腐りきっている。

やり場のない憤りは、もともとイスラエルと米国の戦争指導者にある。寄る辺ない無辜の人びとを殺したいだけ殺してどこに道理があるというのか。

稲荷寿司冤罪事件と来るべき世界戦争。何の関係もないだろうか?あるのだ。最も力のない人びとが真っ先に犠牲になるのだから。

ムーンピコが言うとおり、わたしたち絶対少数者はスナイパーなるほかない。そうできないのなら観念の狙撃をするしかない。やつらの眉間を正確に射貫け!』(辺見庸「日録」 2024年04月19日)


【山中人閒話目次】
・戦争と稲荷寿司 辺見庸「日録」
・ガザではすでに飢餓が深刻になっている。ガザ北部で2歳未満の3人に1人が栄養失調 高世仁のジャーナルな日々
・アメリカ下院、ウクライナ軍事支援案を圧倒多数で可決  BBCニュース
・パレスチナの国連加盟決議案、アメリカが拒否権発動 ラファ攻撃めぐり懸念表明も 高林敏之FB
・パレスチナは国際法上の国家である 深草徹FB
・皇族数確保 政府案を容認 自民党方針 醍醐聰X
・令和書籍の歴史教科書が合格 過去4回不合格、社長は竹田恒泰氏 毎日新聞
・ここでもただ政府及び行政府に迎合するだけのマス・メディアが奏でるエセ「中立」論が世論をミスリードしている 醍醐聰X
・木村剛久さんの「「昭和」を送る──大世紀末パレード(16)」 海神日和
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Blog「みずき」:ウソとゴマカシの安倍政治、自民党政治のツケがいま、さらに今後、重く重くのしかかっている(くる)ということ。広く、深く報道されて当然なことが報道されない日本沈没の危機。なによりも「2022年度一般会計決算でいうと、国債償還・利払費(23.9兆円)は消費税収(23.1兆円)を超え、文教・科学振興費の2.8倍、年金・医療給付費(24.7兆円)に匹敵する規模になっている」(現時点においても教育、福祉、医療分野へのシワ寄せは教育・福祉破壊と呼ぶべき規模である)という事態がそのことを雄弁に証明しているでしょう。

醍醐聰さんの「国の財政から見た日本経済の現在地ー「増税できない国」日本・租税国家の危機ー」

『添付の表は先月17日に開かれた富裕税学習会での発表用に作ったパワポの1部である。
注目点は「税収の歳出充足率」が消費税導入直後は86.8%だったのが、2021年には45.7%へ、半分以下に落ち込んでいること。
絶対額で見ても歳出が75.3兆円増加したのに対し、税収は6兆円しか、増えていない。』(醍醐聰X 2024年4月12日)

『(承前)
代わって急増したのは国債。過去20年間で発行残高は6.2倍(166→1,026兆円)に膨らんだ。与野党 異夢同床の票田維持開拓動機から「増税できない国」になった日本」を裏返すと、ピケティが言う通り、有権者の抵抗意識が弱い「負債に逃避する国 日本」になっているのである。』(同上)

『(承前)国債増発は将来世代へのつけ回しと言われるが、ツケは既に今、他の歳出への圧迫という形でのしかかっている。
2022年度一般会計決算でいうと、国債償還・利払費(23.9兆円)は消費税収(23.1兆円)を超え、文教・科学振興費の2.8倍、年金・医療給付費(24.7兆円)に匹敵する規模になっている。』(同上)

『(1/3)
増税を封印し、国債に逃避する日本から見て注目に値するのはドイツの「債務ブレーキ制度」である。赤字国債による収入なしで国の財政収支を均衡させることを義務付ける財政統制のことを言うが、ドイツでは2009年の基本法(=憲法)改正によって採用された。』(同上 2024年4月14日)

『(2/3)
「債務ブレーキ制度」の実効性を知る手掛かりになるのは昨年11月15日に憲法裁判所が下した違憲判決である。2021年、当時のメルケル政権は特例として新型コロナ対策費2,400億ユーロを国債で調達したが、後任のショルツ首相はこのうち余った600億ユーロを気候変動対策費に付け替えようとした。』(同上)

『(3/3)
これに対し連邦憲法裁判所は昨年11月15日、違憲の判決を下した。年度を跨ぐ予算の目的外使用は財政手続きに反するというのが理由だったが、そこには国債発行で得た歳入を緊急性のない歳出に充てることを厳禁するドイツの財政運営の姿が鮮明に表れている。日本にとって重要な参照例と思える。』(同上)


【山中人閒話目次】
・ウソとゴマカシの安倍政治、自民党政治のツケがいま、さらに今後、重く重くのしかかっている 醍醐聰X
・ロシアは武力によってウクライナを取り戻そうとして永遠にウクライナを失ったのかもしれない 塩川伸明FB
・小池百合子の「カイロ大学卒業」は実体のない「complemantary certificate」ではないか? 前川喜平X
・なぜトランプ氏を支持する億万長者たちがいるのか NYTコラム ポール・クルーグマン 朝日新聞
・「死刑執行の当日告知は違憲」と訴えた死刑囚の請求退ける 大阪地裁 朝日新聞
・「裁判官報酬、地域差大きいのは違憲」現役判事が異例の提訴へ 津地裁・竹内浩史氏 弁護士ドットコムニュース
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Blog「みずき」:『戦禍に社会科学はなにができるか|エカテリーナ・シュリマン/奈倉有里訳・解説 2023年2月22日

『2022年2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まりました。
 多くの人にとって到底信じがたい、許しがたい非現実的な出来事であり、不意打ちのように襲いかかったこの人為的災厄を前に、人々は恐怖と混乱と麻痺状態に陥りました。そのようななかでロシアの政治・社会学者エカテリーナ・シュリマンは、社会科学の知見にもとづいて状況を的確に説明し、市民の不安をやわらげ、戦争にあらがう手段を個々人に行動可能な範囲で示してくれたのでした。その声にどれだけの人が救われたかわかりません。
 戦争から1年が経つにあたって、『世界』臨時増刊「ウクライナ侵略戦争」(2022年4月)に掲載されたシュリマンの講演集「戦禍に社会科学はなにができるか」を再掲します。ここで述べられていることはすべて、いまなお読むに値するものです。
 戦争の原因を特定の国民性に帰したり、指導者個人の思惑や歴史観を推量したり、武器の名称を並べ立てて戦局の予測をしたりするのではなく、「責任」と「法」の観点から、戦争に立ち向かうための知識を一般の人々のために伝える──そのような政治学者がいることは、学問への信頼を回復させるものでもあるでしょう。

 シュリマンは2022年4月にロシア政府により「外国エージェント」認定され、現在はドイツで在外研究をおこないながら、番組「スタトゥス」を中心に積極的に発言をつづけています。
最新の発言をまとめたものとして、『世界』2023年3月号に「戦争の受益者は誰か 「学芸の共和国」はどこか」(奈倉有里訳)が掲載されています。また、ジュニア新書『10代が考えるウクライナ戦争』(2023年2月)では、奈倉有里氏が「ウクライナ情勢をどう見るか――学問と文化の視点から」を寄せ、シュリマンの言葉を引用しながら「戦争をさせない社会構造」をつくるために何ができるか、学生とともに考えています。あわせてお読みいただければ幸いです。
 ヘッダー画像はウクライナ出身の画家アルヒープ・クインジによる作品「夜の放牧」です。(編集部)

*  *  *

 エカテリーナ・シュリマンは1978年生まれの政治・社会学者で、ロシアの数少ない独立系放送局「モスクワのこだま」で政治コメンテーターを務めてきました。「モスクワのこだま」が活動停止に追い込まれたあとも各地の団体やオンラインで講演をおこない、苦難のなかを生きる人々に、専門知識にもとづく情報を発信し続けています。今回、連絡をとることすら困難な状況のなかで、快く翻訳掲載の許可をくださったシュリマン氏に深く感謝します。(訳者──奈倉有里) 

目次
講演1 戦争と社会学──これからを生きる人々へ
1 責任と罪
2 プロパガンダが蔓延する社会にどう生きるか
講演2 過去、現在、未来──市民からの質問に答えて
1 なぜこんなことになったのか
2 これからどうなるのか
3 なにができるか
講演3 情報との向き合い方──不安の蔓延する社会で
1 強者への同調、恐怖と攻撃性
2 不安な情報の氾濫と対処

講演1 戦争と社会学──これからを生きる人々へ  開戦翌日の2月25日にはもともと、高校生に向けて「社会科学とその効用──知識社会学はなんの役に立つか」という特別講義が予定されていました。シュリマンはその枠をある程度は守りながらも、ロシア軍によるウクライナ侵攻という衝撃的な現実に戸惑う若者のために言葉を探しながら、次のように話しました。

1 責任と罪
 いま私たちは、少なくとも21世紀の大部分をかけて取り組んでいかなくてはならない大きな問題に直面しています。未来の歴史家はおそらく、ソ連崩壊から現在までの30年を、いま起きていること〔ウクライナ侵攻〕に向かう道として分析するようになるでしょう。今日は「責任と罪」と「私たちにできること」についてお話しします。

 まず「責任と罪」についてです。いま、「なぜ私たちはこのことに気づけなかったのか」という後悔の声、「この状況を生み出してしまった人すべてに罪がある」という罪悪感の声がたいへん多くあがっています。

 このような状況に対し社会科学にはなにができるでしょうか。社会科学は、人間が他者にとる行動について学んでいます。政治学や政治史を学ぶと、人間とは残忍で凶暴なものだという前提に立つには充分な量の資料があることがわかるでしょう。

 これに対し社会科学は、アリストテレスの言う「人間とは社会的な存在」であり「政治的な生き物」であるという定義にもとづいて、その形態がいかに多様でありうるかを分析しています。人間を、性善説でも性悪説でもなく、環境に順応する生き物と認識して分析するのが社会学です。人間には、常に自らの行動を正当化し、自らが属するものを肯定する傾向があります。人間は優れた行動をとることもあれば凶悪な行為にでることもあり、いずれの場合もそこには社会的規範が影響しています。突発的に生じる偏執狂や聖人といった現象を除けば、大多数の人々はこの社会的規範に順応することで生き延びようとしています。

 これは一見あまり高尚ではない見方に思えるかもしれませんが、よくよく考えてみれば、普段私たちが見解の違う人々と穏和な人間関係を築いていけているのは、人間が環境に順応する生き物だからということがわかるでしょう。しかしこの「順応」という特性が、ときには凶悪な方向に向かうことがあります。では、「凶悪な方向」について留意していただいたところで、話を戻しましょう。

 この、社会に順応するという人間の特性には、強者と弱者の階層という概念がつきまといます。人には、自らが属する社会に参加したいという民主主義的な欲求があります。他方で、社会にはロベルト・ミヒェルス〔1876~1936、ドイツの社会学者〕が「寡頭制の鉄則」と呼んだ、権力が少数の人間に集中するという現象が起こります。この二つが、どこの社会においてもどの歴史的局面においても、さまざまな割合で、さまざまな力関係のもとに存在しています。人間は常に強者と弱者の階層のなかで生きています。フィリップ・ジンバルドー〔1933~、アメリカの心理学者〕によるスタンフォード監獄実験〔1971年〕は、現代では主に人間の加虐性や野蛮さを示す文脈で例にあがります。あのような実験は現代の学術界ではもちろん許されません。もっとも、現実にはいままさに、生きた人間が大量に実験にかけられているようなものですが……。

 さて、スタンフォード監獄実験の研究結果はほぼ捏造でしたが、あの実験からは別のことがわかります──人間は基本的に、言われたことを言われるがままにおこなうということです。当時の現場では、それが「学術研究のため」であるという前提が、被験者たちを言いなりにさせました。

 私たちは無論、それぞれに責任を背負って社会を生きています。けれどもいま起きていることの罪をこの社会で生きる「すべての人」にまで広げてしまえば、その決定に至るまでにほんとうに罪のあった人々への追及を諦めることにもつながりかねません。「私たちみんなが悪かった、みんなに罪がある」というのは、道徳的には理解のできる表明です。けれども基本的なことを理解していなければなりません──権限が大きい人ほど責任は重く、権限が小さい人ほど責任は軽いのです。

 世間では一般的に「自由には責任がつきものだ」「無責任な自由はよくない」などと言われることがありますね。私が言いたいのはむしろ逆で──「自由なき責任はありえない」ということです。人が社会に出て、なにかのポストについて仕事を任されたら、そこには責任があります。けれども選択の余地のない行為を強いられた場合、そこに責任は生じません。もちろん、その行為が明らかに犯罪である場合、「自らの命を危険に晒しても犯罪的な命令は遂行しない」という選択は残されていますが、同時に人が自らの命を守ろうとするのは当然の権利です。

 罪の意識は無気力に、責任感は行動につながります。私たちが各自で「私には罪がある」と認識するのはかまいません。それを言葉にしてもいいでしょう。けれどもあなたが抱える「罪悪感」は、自分の負っている「責任」以上に膨れあがってしまってはいけません。そうなるとなにもできなくなってしまう。自分が負っているはずの「責任」すら、逆に見えなくなってしまうからです。まずは自分がいかなる「責任」を負っているのかを明確に認識することが、なにもできない状態から脱するための第一歩です。

 その「責任」の範囲になにが入ってなにが入らないのか、私たちになにができてなにができないのか、わかりづらくなるときがあります。それでも常に自分の「責任」を負える部分があることを意識し、決して諦めないでください。「なにもかも終わりだ」「戦争が始まってしまった」「もう遅い」といった言葉に身を任せないでください。

2 プロパガンダが蔓延する社会にどう生きるか
 次に、私たちができる行動についてお話ししましょう。ガブリエル・アーモンド〔1911~2002、ウクライナ系移民、アメリカの政治学者〕は、社会における団体の利益と債権について分析しています。

 私たちがなにか社会に対して声明を出そうとするとします。著名人は単独で「公開書簡」という形の声明を出すこともありますが、大抵の場合は、複数の人間が署名し団体として声明を出しますね。もちろんより多くの人が声明に署名することも大事ですが、もっとも良い形、効果の期待できる形は、たとえば「演劇関係者同盟」とか「切手収集家協会」とか、そういう名前のもとに署名を提出することです。そういう名前は、政治的観点からひとつの団体とみなされるものだからです。たとえそれが小規模な団体で反響が少なくても、なにかを組織できる団体が存在していることが大事なのです。

 だからこそ現在の政府は、市民の組織したあらゆる独立団体をことごとく敵視しているのです。これまで、すべての団体は、国家の下部組織に組み込まれるか、さもなくば潰されるということがなされてきました。

 みなさんはなぜ巨大な国家にとって、ごく少人数の趣味のグループまでもが、そんな「敵視」に値するのだと思いますか。それはまずひとつは、人間が、小さくてもどこかの団体に属することで、その人たちと仲間意識や連帯感を持ち、自分は間違っていないという自己肯定感を得られる存在だからです。もうひとつは、団体の行動力は人間一人とは比べ物にもならないくらい大きいからです。もし声をあげたいと思っても、「街に出れば警官に逮捕されるかもしれない、どうしよう」と考えている状態のとき、普通の人は街に出ません。でも、もし団体がそれを組織し、役割を決めて互いを守り合うと決めれば安心感が生まれます。

 ところが国家の下部組織以外の独立した団体がまったく存在しない空間にひとりぼっちでいると、人は常に不安でよりどころがなく、いつ周囲からつまはじきにされるかと怯えるようになります。強権国家にとって、これほど都合のいいことはありません。

 そうした社会では、プロパガンダが容易に浸透します。プロパガンダはまず仮の「多数派」を装い、いまどういう考えが支持されているかを演じてみせようとします。はじめはどんなに荒唐無稽に思える主張でも、それがすでに支配的思想であり、社会に浸透しているかのように見せかけるのです。その後、不安でよりどころのない人々が沈黙しているうちに、偽りの「多数派」を鵜呑みにした主張をする人々が出てきます。すると強権国家は強く人々に同調を求めるようになります。

 ほとんどの人は、自分がその目で見たわけでもなく、専門的に学んだわけでもなく、直接接点もないことについて、揺るぎない意見を持ってなどいません。それ自体はまったく正常なことです。たとえば自分の暮らす国の法律についてですら、条文の細かい点まで熟知し、常にそれを意識して行動しているという人は少数です。実際には法律は私たちの生活のあらゆる局面で必要になるものですが、だからといってすべての人に知識と確固たる考えを持てと強要することはできません。

 人は周りの人にとって「いい人」であろうとします。とりわけ法律だとか国際政治だとか、普段はほとんどの人が興味を持たず、理解もできないような問題については、周りが「いい」と認めている考えに従おうとします。

 あるいは予想もしていなかった恐ろしいことが起きたときも、人は早く心を落ち着けたくて、なるべく短くて耳あたりがよくわかりやすい、標語のような言葉を手に入れたがります。

 あなたたちにとって、それは愚かな行為のように思えるかもしれません。けれども社会科学を学ぶことで、それらの行為をしている身近な人々を断罪しなくともよいということがわかるのです。

 これはたいへん重要な、大切なことです。私たちは、ひとたび「自分に罪がある」という強い罪悪感に悩まされると、その後は「あの人も間違っている」「この人もおかしい」という思考に陥りがちです。けれども社会学の基礎を理解することで、自分に対する行き過ぎた罪悪感も、身近な他者に対する断罪も避けることができます。それが、私たちが共になにかをするうえでの基盤になっていくのです。

 それは決して、許されざる者を許せということではありません。では、本当に責任を追及しなくてはいけない相手はどこにいるのでしょうか。すでに述べたとおり、大きな権力、声、責任を負っている人にあるのです。

 私はいま、みなさんの前でマイクを持って話しています。もし私がいまみなさんをけしかけるようなことを言い、それを聞いたみなさんが、その影響で互いに言い争いをはじめ、とっくみあいの喧嘩が起きたとします。校長先生が様子を見にきて私に、「さっきまではおとなしかったのに、突然とんでもない不良ぶりをお見せしてすみません」と、あなたたちに責任があるかのように謝ったとします。しかしそれは間違いです。この場合、演説をした私にその責任があるのです。責任は影響を受ける側ではなく、与える側にあるのです。

 エリザベート・ノエレ=ノイマン〔1916~2010、ドイツの政治学者〕に「沈黙の螺旋」という法則があります。マスメディアなどが事実とは異なる統計を示し続けると、そこで示された「多数派」の声は次第に大きくなり、「少数派」は沈黙を余儀なくされていき、その螺旋がどんどん膨張し、「多数派」ばかりになっていくという法則です。この螺旋への導入を徹底的にやろうとするのがプロパガンダです。

 いまがどんなに絶望的な状況でも、私たちがこれまでの20年間に、読んだもの、書いてきたこと、世界のさまざまな知識を得てきたことがすべて無駄だったとは、決して思わないでください。いかに閉ざされたように見えようとも、世界はすでにつながっています。世界に開かれた学問が本領を発揮するときは必ずきます。

 人は、高校や大学を卒業したあと、カール・マンハイム〔1893~1947、ハンガリーの社会学者〕のいう「新たな交流」が始まり、新たな社会構造のなかでの社会的規範の概念ができてきます。みなさんはそのなかで新しい人間関係を築いていくでしょう。さらに世の中に出ると、上に言われた通りに動かなければならない局面や、いま社会で起きていることを肯定し、そこに同調して「これでいいんだ」と言いたくなる場面も出てくるでしょう。でもそれだけは違います。これでいいわけがありません。そのことを、なにも知らない人に説得するのは困難です。あなたたちには少なくともここで学んだ経験があり、これからも学び続けることができます。それは今後とても大切な支えになります。学問を精神の基盤とする人々は、最も強い人々です。それはものを考えるうえで大切な、社会的指針となります。テレビから流れる甘言や「多数派」の偽装に惑わされないための思考を持つことができます。今後いかなる「新たな交流」のなかに投げ込まれようとも、その指針を忘れず、それを基準に生きてください。

(2月25日、ノーヴァヤ・モスクワ、寄宿学校レトヴォにて)

講演2 過去、現在、未来──市民からの質問に答えて
 2月27日には、オンラインで視聴者からの質問をまとめ、いま起きている戦争の原因、ロシアはこれからどうなるのか、いまなにができるかの三点について、社会構造の問題点、プロパガンダへの傾倒、身近な人への断罪を避ける術を中心に語りました。

1 なぜこんなことになったのか
 第一に、「なぜこんなことになったのか」という質問について。この問いへの回答となるべき詳細は、歴史家、政治学や社会学の研究者、その他のあらゆる分野の学者によって、今後数十年をかけて分析されていくはずのことで、現在の研究が状況を判断するには情報が少なすぎます。ただ、私たちはそれでも分析をし、理解をしたいと思うものです。

 ここでひとつ問題があります。なにか大きな出来事が起こると、それまでの経緯がなにもかもその出来事に向かうまでの兆候であり、例外などなかったかのような気持ちに囚われがちです。けれども、もし仮に別の大きな出来事が起きていたとしても、私たちは同じように必然であると思いたがるのです。なぜこんな話をするかというと、「すべては必然である」という考えかたは、ほかの似たような定理と同じで、責任の追及をあいまいにしてしまうからです。歴史に学ぶことを大きく通り越して、盲目な運命論になる危険があるからです。それは学問ではありません。

 20世紀に起きた悲劇の多く──大量虐殺や侵略戦争やジェノサイドについて、そこに行き着くまでの思想の流れを問題にする研究というものがあります。「虐殺に至る思想の流れが社会にあり、その帰結として残虐行為が起きたのだ」という考えかたに基づいて、それを解き明かそうとする試みです。そういった研究は世界に数多くあり、一見もっともらしく見えますが、常に「思想」に「責任」を結びつけてしまう危険をはらんでいます。

 そうではなく、思想を問わず「強大な権力を握った人間が、手にした武器を暴発させた」という考えかたをするとき、「責任」は思想ではなく、武器を暴発させた権力にあることになります。そして、権力が暴走するとき、そこに必ずある問題は、その社会構造において権力に対する抑制が不充分である、ブレーキが効かないということです。

 国家の権力が一点に集中している状態は、きわめて危険です。仮にその状態で一定の期間、平穏に過ごせたとしても(実際には問題が起きていたわけですが、もしそれがあまり見えなかったとしても)、中央集権にもメリットがあるなどと考えてはいけません。ひとつの権力の一存でなにかを決定できてしまうということの恐ろしさを、忘れてはいけません。

 これからの世界に求められている課題は、それぞれの国が自らの指導者の権限をいかに制約するかということです。責任のありかを見極めることを諦めないでください。権力の言い訳に耳を貸さないでください──「こうするしかなかったんだ」「相手が悪いんだ」「俺は悪くない」というのは、家庭内暴力の加害者の典型的な言い訳です。

 これが第一の質問への答えです。「なぜ〔戦争が〕起きたのか」の答えは、もはや止めるべきときに権力者を止めることができない社会構造になっていたということです。

2 これからどうなるのか
 第二に、「これからどうなるのか」という質問です。いま、一般の人々のプロパガンダへの傾倒が懸念されています。現在ロシアの人々は情報をほぼ完全に遮断され、なにを指針にして生きていけばいいのかわからない、人為的に作りだされた非常に不安定な状況に置かれています。こういうときに最も手近な安心材料は、「多数」と宣伝されている動きに同調してしまうことです。

 しかし、たとえばクリミア併合で政府の支持率があがったときに重要だったのは、ロシアの人々に国際法などの知識が浸透していないのをいいことに、「死者はいない」「クリミアの人々の願望を叶えた」「現地の生活水準が上がった」といった方便が(あくまでも方便であるにせよ)まかりとおる状況を作りだせていたことでした。

 ところが現在の政府は、怨念と復讐心に満ちた言葉や「こうするしかなかった」といった言葉ばかりを繰り返しています。つまり、現状が悲惨だと認識したうえで、「こっちが悪いんじゃない、あっちが悪いんだ」という幼稚な主張をしている。これはおかしなことです。もしほんとうに、「特殊軍事作戦が国民の大半に支持されている」のだとしたら、そんな言い訳をする必要はないはずです。

 これまでのプロパガンダは用意周到に、異口同音に同じことを言えるようなフォーマットを用意してきました。同時にクリミアで花束を持ってロシア人を歓迎する少女だとか、子猫を可愛がる特殊部隊員だとか、そういった現状を美化できる要素を必ず盛り込んでいました。しかしいまの政府にあるのは復讐心に満ちた支離滅裂な口実だけです。この点が、これまで政府がやってきたことと決定的に違います。体面を取り繕う余裕を失くしているということです。

 これは、これからなにが起こるのかを考えるうえで非常に重要です。いま、反戦運動の規模はさほど大きくないように見えるかもしれません。しかし市民は非常に大きなリスクがあるのをわかっていながら反戦運動を続けています。それも首都だけではなく、地方の町や村にも広がっています。文化・芸術・教育団体からも数多くの反戦声明が発表されました。  なかでも注目すべきは慈善・福祉団体など非営利法人の声明です。慈善団体の人々がそうした意識を持っているのは自然なことに思えるかもしれません。しかし国からの助成金がなくなってしまえば被支援者、後ろ盾のない社会的弱者を守れなくなってしまう非営利法人にとって、これはたいへんな決断です。また、独立系報道機関の活動を停止せざるをえなかった人々が個々人で発している動画などには前代未聞の注目が集まっています。少なくとも人々はこの状況を少しでも理解しようと努めている段階にきています。この動きを完全に封じ込めることは不可能でしょう。

3 なにができるか
 第三に、「なにができるか」という質問です。まずこういった状況下では身内や身近な人々とのあいだで些細なことが論争や喧嘩に発展し、取り返しのつかない溝が発生しやすいということを自覚し、決してその方向に動かないようにしてください。市民が分裂し孤立してしまってはなにもできません。

 それから、職場や家庭での仕事をできるだけ投げ出さないようにしてください。仕事や任務をこなし続けることには、精神衛生を保つ役割もあります。

 それでも、もっとなにかしなくてはと焦ったり、逆になにもできない無力感から呆然としたり、あるいは精神を病んでしまうことも起こりがちです。

 余力があるなら、いちばんいい方法は、困っている人を助けることです。孤児院などのボランティアに参加するなどの行為により、主体性の実感を取り戻すことができます。恐怖が蔓延する社会では個人の人格が消えてしまったような感覚に陥りやすくなり、自分がなにかの犠牲者のような気がして、そうするとよけいに恐怖心がつのります。誰かを助けることはその悪循環を断つためにたいへん効果的で、自分がすべきことも見えてきやすくなります。

 もし私たちがこの危機を乗り越えられたら、そのときにすべきことは途方もなく大量にあります。もう少ししたら、もっと具体的に「なにができるか」をお話しできるかもしれませんが、いまは現在あるものを壊さないように努め、生き抜いてください。

(2月27日、モスクワ、オンラインセミナー)

講演3 情報との向き合い方──不安の蔓延する社会で
 3月8日、当初は「情報衛生学」──現代に氾濫する情報のなかを人はどう生きるかという講義が予定されていました。

 状況が激変するなか、シュリマンは「一方ではこれまで通り、混乱した精神状態でなにかを決断してはいけない、と繰り返したいところですが、他方ではすでに恐怖が具現化してしまっていて、その終わりがまだ見えない状態です。ですから、混乱と恐怖が現実にあることを認めたうえで、なにかを決めていかなければならないことになります。一定の不安が常に社会背景として存在することが、これからの時代の新たな前提となるのでしょう」と言い、そうした社会状況のなかで気をつけるべきことを語りました。

1 強者への同調、恐怖と攻撃性
 そのような前提があるとき──人が不安なときにとる行動は、大きく分けて二つあります(なかには両方の行動を同時にとる人もいます)。

 まず一つは、少しでも自分が安心できる、怖くなくなるような説明を探し、「たいしたことじゃない」「すぐに終わる」と思おうとすること。しかしこの行動には往々にしてある特徴がつきまといます。なにもたいしたことは起こっていないと思おうとするとき、人はより「強い」側に同調しがちです。とりわけ周囲の人が次々に拘束・弾圧されているのを目の当たりにすると、「自分は助かりたい」という思いから、なんでもいいから盾となるものを探そうとする──「自分は無害です、なにも知りません、逮捕されている人とは関係ありません」という態度をとる。これはあまり倫理的ではない態度に見えるかもしれませんが、身の危険を避けようとするのは人として自然なことでもあります。いま多くの場所で起きているのはこの現象です。

 このような状況下で、そういう人が一見「攻撃的」なことを言ったり「発狂」したりしているように見えるとき、本人には自分が攻撃しているという自覚はなく、恐怖心からそのような行動をとっていることがほとんどです。たとえばあなたが反戦を口にしたとして、家族や親しい人がそれを「危険思想」であるかのように言って咎めるとき、その家族は当人を攻撃しているつもりではなく、その奇妙な方法によって当人を守ろうとしている──彼らの思う「安全圏」に入れて守ろうとしているのです。

 ですから、そうしたことに直面しても、それが恐怖心の表れなのだということを理解してください。同調する必要はありませんが、怒って喧嘩をするのは避けてください。

2 不安な情報の氾濫と対処
 不安が蔓延した社会においてよくみられる二つめの行動──これはもともと繊細な精神の人が陥りがちな状態です。なにか大変なことが起きたという衝撃から、とにかく衝撃的な情報や残酷な映像を探して釘付けになる。いわゆる「ドゥームスクローリング」といって、悲観的な気持ちに見合った情報を吸収することに時間を費やし、やめられなくなってしまう現象があります。

 そもそも今日は、予告では現代の情報社会の構造についてお話しすることになっていました。一方では情報が氾濫しているようでいて、他方ではなにも信じられないような現代において、すべての情報発信者があらゆる手段を用いて受け手の興味を惹こうと趣向を凝らしています。いま現在起こっていることは、この情報社会の基本的法則にとんでもない悪意が加わったバージョンですが、だからといって問題の核心は変わりません。

 開戦前に私が話そうと思っていたのは、いま仮に「情報衛生学」と呼んでいるこの分野が、今後の社会学においても根本的に大切になっていくだろうということでした。

 そして現在、情報が次々に制限されていくなかで、この問題はむしろ深刻さを増しています。これまでは各自が信頼できる情報源をいくつか選ぶことで、安心できる情報空間を作っておくことができました。しかしいまはその情報源がひとつひとつ針で泡を刺すように潰されています。私たちは報道機関としてのまとまりを絶たれた情報の波のなかに投げ出され、なにを信頼するかが文字通り生死を分けるほどの深刻さをもって立ちはだかっています。

 現在は意識して集めようとしなくても酷いニュースばかりですから、無自覚に「ドゥームスクローリング」の状態に陥ってしまう危険があります。

 これを予防するために、情報を見たあとの自分の精神状態に自覚的になってください。なにかを見たあとで、お腹が痛くなったり吐き気がしたりしていませんか。

 とりわけ注意すべきなのは、力が抜けてしまうような感覚です。「罪」と「責任」の話〔講演1〕をしたとき、私は「罪の意識は無気力に、責任は行動力につながる」という話をしました。ですからまずその情報があなたにとって、せめて行動する余力を残すものか、それとも無力感に陥れるものかを判断してください。「自分たちに罪があった」という感情を吐露したり、ショックのあまり悲観的な言葉を口にしたりすることにも、確かに最初の数日間は意味があるでしょう。けれどもその段階を過ぎたら、できる限り有意義な情報を厳選してください。

 例えば憲法や法律についても、「すでに戦時下の非常事態だから憲法などなんの意味もない、人権などまったくなくなってしまった」というような言葉を鵜呑みにしないでください。憲法や法律はいまのところこれまで通り有効です。それらを、自分の身を守ることに役立ててください。

 反戦運動はこの数日ずっと続いており、拘束者はかなりの数にのぼっています。こういうとき警察は憲法やら法律やらの知識を持ちだしてくる面倒な相手を好みません。ですから「面倒な相手」になってください。決して語気を荒げたり喧嘩腰になったりせずに、自信を持って自らの権利を主張してください。警官になにか質問されたら丁寧かつ手短に答えてください。どう要求されようとも、携帯電話の中身を見せる義務はありません〔開戦後、ロシアでは反戦運動の取り締まりのため実際に街角で警官が通行人の携帯電話のロックを解除させ中身をチェックすることがおこなわれている〕。もし見せろと言われたら「この携帯は祖父のもので、暗証番号がわからない」とでも言ってください。あるいは暗証番号を三回連続で間違えて、緊張して手が震えると言ってください。

 もちろん私はすでに警察に目をつけられているような、これまでも目立った反体制運動をしてきた特別な人々に言っているのではありません。彼らはすでに警官にどう接したらいいのかをよく知っています。私がいま呼びかけているのは、手当たり次第に拘束されていく人々を見て、自分がそうなったらどうしようと恐れている人です。法的支援団体〔OVD-info〕も積極的に利用してください。

3 徴兵と解雇に抗う手段
 次に、いま恐れられているのが軍への召集です。自分が兵役済、退役済などどういう状態にあるか、各自確認してください。専門知識を持った女性など、特殊な需要が考えられるケースも念頭に置いてください。常に医師の診断書〔従軍を断るための〕を用意してください。電話での呼び出しには応じないでください。召集には正式な令状が必要です。怪しげな電話を受けたら「令状を郵送してください」と言って相手にしないでください。郵便物が来たら消印があるかを確かめてください。過去の例として、消印のない郵便物や電話による不法な呼びかけによって「軍委員会に出向け」と言われ、行くと自らが出向いたものとして「義勇兵」とみなされて戦地に送られた例があります。

 すべての場合において、「断ったら射殺されるのではないか」と怯えてなりゆきにまかせるのではなく、「合意したらどうなるか」の恐ろしさのほうを考えてください。もし法的に拒否の権利がないとしても、あらゆる手で「時間稼ぎ」をしてください。

 それから、仕事の解雇の問題も心配されています。まず、あなたがいかなる思想を持っていたとしても、それを理由に解雇するのは違憲だということを、決して忘れないでください。

 そういうとき雇用者はたいてい曖昧な圧力で自主退職に追い込もうとします。雇用者が使いがちな「ご自身で、わかっていらっしゃいますよね」といった言葉には決して負けないでください。自分から退職してしまうと、法的支援が難しくなってしまいます。どうしてもつらいときは短期休暇をとるなどして対策を練ってください。

(3月8日、トヴェーリ、「生きた言葉」講演会)

訳者解説
 なぜ戦争が起きたのかという問いに対するシュリマンの「もはや止めるべきときに権力者を止めることができない社会構造になっていた」「抑制が不充分である、ブレーキが効かない」という回答は、現在のロシアの状況を見る限り、きわめて的確かつ誠実なものです。この二点について簡単に説明します。

 ひとつめの「的確」である理由として、実際にいまロシアの憲法と法律がズタズタにされ、市民の人権が奪されていることがあげられます。市民はたとえ戦争を止めたいと思っても、それを街角で口にしただけで警察から暴力を受け拘束されます。インターネット上の思想表明だけでもその危険があり、どんな口実で自分がつかまるのかわからない人々は、日々怯えて暮らしています。しかし検閲ひとつをとっても、本来ならばロシアの憲法で明確に禁止されているのです。まるで国のトップが憲法の条文を読んだことがないかのようですが、この状況はいま突然始まったわけではありません。法改悪は戦争という惨事に結びつく地点に至るまで、じわじわと進んできました。シュリマンはこれまでもずっと、法律が様々なごまかしとともに改悪されるたびに、その問題点を歴史的な例や社会学の知識と引き合わせながら、一般の人々にも理解できる言葉で説明してきました。

 たとえばロシアには反政府デモを規制する法律があります。しかし集会の自由は憲法に定められた大切な権利のひとつです。ところが政府はこの権利にかんして「収穫を祝う集会」などの政府にとって好都合な集会を認めていることを口実に「守られている」と主張し、規制したのはあくまでも社会秩序を乱す集会のみだと言い訳をしています。言い逃れを続け、自分たちに都合のいいように法律を変え続けてきたロシア政府のトップは、武器を暴発させようと思えばいつでもできる状態を作り出していたのです──この指摘は、いま政府がいかなる思想を言い訳に使っているかを考えたり、その言い訳の根源を探ったりするよりも、はるかに重要なことです。

 二つめの「誠実」である理由は、この回答が責任の所在を決してうやむやにしないものだからです。政府を止めることができなかったことに対し、良心的な市民は(彼らの多くが幾度も自分の職や地位を犠牲にして抗議をしてきたにもかかわらず、それでも止められなかったことについて)、自分たちに「責任」があると口にしがちです。けれども彼女のいうようにそれは倫理的には理解できる表明ですが、図らずも責任のほとんどないはずの人を追い詰め、ほんとうに責任のある人間の責任の重さを曖昧にしてしまう危険をはらんでいます。

 この二つは、私たちがこの問題を考えるにあたっても、これからの世界を戦争のない世界にしていくためにも、たいへん重要なことです。シュリマンの言葉が、それを考えることの一助となることを切に願っています。

(初出:『世界』臨時増刊「ウクライナ侵略戦争」2022年4月)

エカテリーナ・シュリマン(Екатерина Михайловна Шульман)
モスクワ社会経済専門学校准教授。専門は知識社会学、政治学。1978年トゥーラ生まれ。高校卒業後、カナダのジョージ・ブラウン・カレッジに留学。準博士(政治学)。通信社RIAノーボスチ勤務後、独立系放送局「モスクワのこだま」の政治コメンテーターを務めた。主著に『政治過程としての立法』(2014年)、『実用政治学――現実との接点のために』(2018年、いずれも未訳)。

奈倉有里(なぐら・ゆり)
早稲田大学講師。専門はロシア詩、現代ロシア文学。1982年生まれ。ロシア国立ゴーリキー文学大学卒業。東京大学大学院博士課程満期退学。博士(文学)。著書に『夕暮れに夜明けの歌を』(紫式部文学賞)、『アレクサンドル・ブローク 詩学と生涯』(サントリー学芸賞)、訳書にスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『亜鉛の少年たち』、サーシャ・フィリペンコ『理不尽ゲーム』『赤い十字』など。』(『世界』臨時増刊「ウクライナ侵略戦争」2022年4月号)

*内海信彦FB 2024年4月13日より転載


【山中人閒話目次】
・戦禍に社会科学はなにができるか|エカテリーナ・シュリマン/奈倉有里訳・解説 世界 2022年4月号
・高世仁さんの「対人地雷の被害に苦しむウクライナ」 高世仁のジャーナルな日々
・田畑光永さんの「スロバキアに権威主義の大統領誕生とか・・・ますます分からなくなる世界」
・韓国総選挙で野党が勝利――どうして日本ではこんな風に野党が勝てないのか 蟻塚亮二FB
・BBCによるガザ地区での軍事行動に関するイスラエル側の発表に対する検証報道――イスラエルの軍事作戦が実質的に破綻している現状が読み取れる 高林敏之FB
・増税を封印し、国債に逃避する日本からいかに脱却するか 醍醐聰X
・小池百合子の学歴詐称は決定的――小島敏郎氏の「カイロ大学学長コメント」偽造工作証言 佐藤章X
・国際的に見ても日本のテレビメディアがいかに頽落しているか――韓国メディアとの比較を通じて 望月衣塑子X
・太田昌国さんの「ふたりの知人を喪っての思い」 レイバーネット日本 盛田常夫さん(経済学者・在ハンガリー)のブダベスト通信「大谷選手通訳の横領事件に思う」 br />・再びカミュの『ペスト』について 塩川伸明FB
・年末のある日の外来で軽い知的障がいのある女性につきそって来られたお母さんがくしゃくしゃの千円札を下さった 蟻塚亮二FB
きょう

Blog「みずき」:ある媒体についてさまざまなスタンスがあるのは当然だ。しかし、私が「週刊金曜日」を支持しなくなって久しい。それは、私が日常においてもいわゆる「リベラル」「左派」と呼ばれる諸団体と一切の関係を断った時期とほぼ呼応している。もう、遠い昔のことのようだ。が、状況は変わっていない。というよりも、悪化している。であるならば、私は変わることはないだろう。

ひとつの例:Blog「みずき」2015.12.05
辺見庸の共産党への本質的な問いは続く(3)――午後、ドタキャン事件をめぐり大きな動き。金曜日の北村社長は金曜日の読者の多数が日本共産党員であるため、公表も抗議もできない――というのだ!
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1671.html

『雑誌『世界』2024年5月号、今日発売です。
特集の一つ「暴力の起源──植民地主義を問う」で寄稿しました。

早尾貴紀「ガザ攻撃はシオニズムに一貫した民族浄化政策である──欧米の植民地主義・人種主義の帰結」

特集全体は:

早尾貴紀(東京経済大学) ディオンヌ・ブランド(詩人)、訳・解説=ハーン小路恭子 アシル・ンベンベ(思想家)、訳・解説=中村隆之  親川志奈子(沖縄大学非常勤講師) 阿部小涼(琉球大学) 岩波の体制転換や『世界』の新方針にいろいろと「中道化路線」(エキセン!)の問題があることは承知しています。それでも、私みたいな「過激派」が書く余地があるならば、寄稿します。それは他の雑誌でも同じスタンスです。 (先日、ガザ地区の画家の絵画展に足を運んだら、主催の上條陽子さんから、「あなたは過激な文章を書く人ね」と言われました。)』(早尾貴紀FB 2024年4月8日)

【山中人閒話目次】
・私が「週刊金曜日」を支持しなくなって久しい。それは、私が日常においてもいわゆる「リベラル」「左派」と呼ばれる諸団体と一切の関係を断った時期とほぼ呼応している。
・知性=教養を鍛える機会を自ら逸し、あるいは放棄した人たちが放つ中傷――自らの罵声がどれほど他者を傷つけることになるかという自覚もない 石川智也X
・共産党に理論家がいなくなった風景――共産党常任幹部会委員たちの時代錯誤と逆走について さざなみ(日本共産党を考えるアカウント)X
・「本当に今、日本共産党への期待がどんどん寄せられている。」――これが大本営政党の本領(=独りよがり)と思えば、いまさら失望もない 醍醐聰X
・広原盛明さんの「〝党存亡の危機〟を訴えた第2回中央委員会総会、全支部が立ち上がれば目標実現が可能との「仮定の方針」を実現できるか、共産党はいま存亡の岐路に立っている 広原盛明のつれづれ日記
・今度こそ小池百合子の息の根を止めなければならない――大うそつきの犯罪者をこれ以上官職に留めておくことは都民、というより万人の条理感情に反する 佐藤 章X
・内山田康の『美しい顔――出会いと至高性をめぐる思想と人類学の旅』評 じんぶん堂
きょう

Blog「みずき」:辺見にとってシールズは胸くそ悪さという点において一等に位置するということだろう。シールズはあの時点で日本社会のリベラル(運動)の不幸を象徴していた。

『毎日胸くそが悪い。CBS、NBCなどの映像を見る。堪えられない。ネタニヤフ政権によるジェノサイドは実のところバイデン政権によって支えられている。バイデンは自他ともに認めるシオニストである。ブリンケンも根っからのイスラエル擁護派。

ムーンピコよ、やはりスナイパーが要る。猫とスナイパーが。ネタニヤフやバイデンの眉間を一発で正確に射貫くスナイパーが。終わったら猫を撫でよう。

そう言えば、その昔、シールズとかいふ去勢羊さんたちがいて権力称揚のパレードをしていたな。自らが傷つかないかぎりにおいて付和随行するアホども。お巡りより連中をぶん殴りたい衝動がわいたものだ。思い出される。

ムーンピコよ、やはりスナイパーが要る。エイリアンとともに。自称〈世界で最も倫理的な軍隊〉と戦わなくてはならない。』(辺見庸「日録」 2024年4月7日)


【山中人閒話目次】
・シールズはあの時点で日本社会のリベラル(運動)の不幸を象徴していた 辺見庸「日録」
・イスラエル極右政権と軍の暴虐はとどまるところを知らず、今や自らの首を絞めんばかりとなっている 高林敏之FB
・私は辺見庸の殺意を支持する――ネタニヤフをいま殺らなければ、今日か明日にも何千、何万層倍もの無辜の市民がやつに殺られてしまう 辺見庸「日録」
・醍醐聰さんの共産党批判はおのれの信に基づくもの――であれば、千万人と雖もの批評精神こそ肝要というべきだろう 醍醐聰X
・陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現 朝日新聞
・高世仁さんの「拉致問題の膠着を破る鍵について4」 高世仁のジャーナルな日々
・松井隆志『流されながら抵抗する社会運動――鶴見俊輔『日常的思想の可能性』を読み直す』 塩川伸明FB
・古川日出男の芥川龍之介「歯車」の短評に魅かれた――「終わりと向き合う」世界の話に 朝日新聞
きょう

Blog「みずき」:そんな「とんでもない田舎」でなぜ革命が成功したか? 根底にあるのはやはり農奴や労働者たち、人々の、ツアリーの圧政に耐えに耐えてきた怒りの強さだろう。しかし、その怒りも「大切なことは上が決める」「自分たちは従うだけ」というメンタリティーの中に埋め込まれてしまっては結局のところ革命は成就しない。ロシア革命100年の歴史が教えていることはそういうことだ。そして同じことは、現代の共産党の「民主集中制」という「集中」だけが際立つ非民主的な組織原則にもいえよう。

『診察室の庭にタンポポが咲いた。タンポポにも温暖化対策など色々な苦労があるだろうから、まずはご苦労様です。タンポポで思い出した。もう50年前、モスクワの街を歩いていた時だ。空から白いものがたくさん降ってくる。何だろう?とつかまえてみたらタンポポの種だった。モスクワの街には、数百メートル歩けば必ず公園があり緑がありタンポポが咲いていた。

ソ連もロシアも「とんでもない田舎」。人々は純真で純朴だが民主主義の訓練はされていない。レーニン・スターリンの時代から今のプーチンの時代になっても、「大切なことは上が決める」「自分たちは従うだけ」という訓練をされてきた。もしかして19世紀の農奴のメンタリティーかも。糞ったれだ。天皇制を有り難がる心理と同じ。早く戦争を止めてくれ。』(蟻塚亮二FB 2024年4月2日)


【山中人閒話目次】
・そんな「とんでもない田舎」でなぜ革命が成功したか?――根底にあるのはやはり農奴や労働者たち、人々の、ツアリーの圧政に耐えに耐えてきた怒りの強さだろう 蟻塚亮二FB
・田畑光永さんの「陽春、どこへ―ウクライナ、ガザに思う」リベラル21
・『レッドアローとスターハウス』。今まで積ん読だったのが悔しい、ものすごい名著 本とカタツムリX
・佐藤章さんのアメリカ文学の新星トミー・オレンジの処女作『ゼアゼア』(ヘミングウェイ賞受賞、アメリカ図書館賞受賞、ピュリツァー賞最終ノミネート)解説 一月万冊
・日本、近代、文学、起源 すべてをカッコに入れて:私の謎 柄谷行人回想録⑬
・仙台高裁判事、遺族侮辱で罷免判決 SNS投稿巡り初 弾劾裁判所 毎日新聞
・スマイルアップの東山社長のどうしようもない弁明を延々と聞き、唖然を通り越して怒りが沸々と湧く 望月衣塑子X
・松本人志側の要求は理不尽――もともと松本側は女性の特定を終えているはずでSNSで女性の名前まで出している。「ならず者」集団!
・姜信子さんの「十和田に明山応義画伯のアトリエを訪ねた」 読む書く歌う旅をする
きょう

Blog「みずき」:加藤哲郎さんの「21世紀の日本は、毒性健康食品や時代遅れの政党をうむ怪物になったのか?」
http://netizen.html.xdomain.jp/home.html?fbclid=IwAR0_l-q1Rv08RKDiJ5fmAUEyzofCej6VFLbIWLg_Drb47c0cmsMDu6CFtXc

『いつの頃からでしょうか、日本の大きな新聞広告やテレビCMと言えば、自動車か家電製品・化粧品だった世界に、健康食品がやたら目立つようになり、定着しました。高度経済成長の時代は、家庭電化の「三種の神器」(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)から3C(カラーテレビ、クーラー、マイカー)へという消費文化の充実で、近代化による物質的価値の充足がうたわれました。それがほぼ1975年頃、石油危機で国際環境が揺れて安定成長の時代に入ると、「大量生産から多品種少量生産へ」「モノの価値からココロの価値へ」「スモール・イズ・ビューティフル」といった謳い文句に合わせて、「健康」「環境」「美」「生きがい」といった脱物質主義的・主観的価値をも組み込んだ商品市場が、冷戦崩壊でグローバル化した世界に広がっていきました。政治の世界にも、ドイツ「緑の党」に始まる社会構造と価値観の変化と多様性を反映した動きが現れ、そうした動きに取り残されたモノクロのソ連・東欧社会主義は崩壊しました。とりわけ「エコロジー」「女性・ジェンダー」や「マイノリティの承認」は、社会運動から既存の議会政治・政党政治にも浸透し、21世紀の民主主義として、地球大に広まりました。

 「健康」「美容」価値が商品化して、医薬品でなくても大きな市場ができると、広告も、効用ばかりでなくイメージで売ることになりました。「栄養成分を補給し、 または特別の保健の用途に適するもの、 その他健康の保持増進及び健康管理の目的のために摂取される食品」というサプリメントが、医薬品と日常的食品の隙間に、入り込みました。本来「supplement 補助・補完」の役割とされていた健康食品市場が広がると、朝食はサプリメントだけといったライフスタイルも生まれ、日本では、安倍晋三内閣の「アベノミクス」のなかで、もともと1991年施行の「有効性や安全性について国が審議を行い、消費者庁長官が許可を与えた食品」である特定保健用食品(トクホ)のほかに、2015年から「事業者の責任で、科学的根拠を基に商品パッケージに 機能性を表示するものとして、消費者庁に届け出られた」機能性表示食品という新たなカテゴリーが作られ、老舗の大手医薬品企業も「健康食品」市場に進出することになりました。そこがいま、小林製薬の「紅麹」製品への毒性物質混入によるとみられる服用腎臓障害で、3月末現在5人の死亡と100人以上の入院です。被害者は、日本国内にとどまりません。台湾など海外にも広がって国際問題です。

 安倍晋三が政治的に作り出した「機能性表示食品」は、医薬品と食品のあいだのファジーな領域を、企業利益を産む市場にして投資をよびこもうとしたものです。その政界では、政党助成法と政治資金規正法のはざまの裏金ビジネスが暴かれ、自民党旧安倍派等の金権議員たちが、次の選挙での国民の審判を受けようとしています。旧田中派の末裔・二階俊博の政治とは、記載漏れの政治資金から3500万円を書籍代を出したというのですが、どうやら政策研究や知性の研鑽のためではなかったようです。5000冊・1045万円も購入した二階ヨイショ本に書かれた人心掌握の極意とは、「GNP=①G義理と②N人情と③Pプレゼント」なそうで、党幹事長時代の50億円もの「政策活動費」の使途も、大同小異であったでしょう。政治と社会の架け橋である政党は、本来社会構造と価値観の変化にあわせて、たえずメタモルフォーゼ=形態転換していかないと使命を果たせないはずですが、支配政党の自民党は、どうやら20世紀の大量生産・物質的価値観時代の手法でファジーな領域まで埋め合わせ、行き詰まりつつあるようです。

 同様の時代遅れと行き詰まりは、20世紀のロシア革命・コミンテルン以来の伝統に固執する「革命政党」=共産党にも顕著です。「党の上に個人をおかず」の民主集中制組織から脱しきれず、ようやく女性委員長を立てたのに、高齢幹部たちの院政とセクハラ・パワハラが横行、基本的人権である「個人の言論・出版の自由」を「組織の結社の自由」で押さえ込む、旧ソ連東欧・現代中国・北朝鮮でおなじみの悪弊を、繰り返しています。先月も書きましたので繰り返しませんが、20世紀のレーニン由来の暴力革命に即した軍事的規律=「民主集中制」は、もともと19世紀前半のブランキ派秘密結社の組織原理の復活でした。秘教的な入党儀式と権力者の暗殺・テロル実行も辞さない権力破壊、「裏切り者は死刑」の指導者独裁組織に対して、選挙で選ばれる代議員による立法機関「大会」と大会決定の執行機関である中央委員会を分離し、「裏切り者は死刑」を廃して指名手配の「除名」を最高刑にし、再入党可能な「除籍」制度を設けたのは、ほかならぬマルクス・エンゲルスの共産主義者同盟でした。敵権力指導者の暗殺テロルを、労働者の階級闘争による国家権力奪取に改めたのが、その綱領「共産党宣言」でした。以後のドイツをはじめとしたヨーロッパの社会主義勢力の主流は、複数指導者制、任期制、集団合議制、仲裁裁判制度など党内立法・司法手続きの導入による権力分立と党財政透明化、中央上納額制限を含む中央指導者の定期的監視・制御、党議員団と党官僚制の相互規制、機関紙編集の独立性と地域・工場基礎組織の自立性・財政自主性・ローカル新聞発行権など、総じて「党員主権」「社会主義的民主主義」の方向に向かっていきました。

 今日のEU議会における有力潮流である社会民主党など社会民主進歩同盟と旧共産党を含む欧州左翼党は、ともにそれ自体多元的・重層的な政治組織ですが、おおむね「党員主権・民主主義」にメタモルフォーゼしています。ブランキ型秘密結社を直接継承したロシア・ナロードニキの地下活動の流れから生まれ、レーニンのボリシェヴィキがロシア革命の「勝利」により歴史を反転させた20世紀「民主集中制」=コミンテルン型共産党は、二つの世界大戦を含む「戦争の時代」に一時的隆盛でしたが、アジアのわずかな共産党・労働党を除いて、1989-91年にかけて総崩れになったのです。こういう歴史の語りが得意だったはずの日本共産党の、今日の理論的頽廃・貧困は、驚くべきものです。日常的に地域住民に接する地方党議員に対する中央党官僚によるパワハラ・セクハラを含む抑圧的統制、制御不能なSNS上での、トップの「赤い貴族」告発と中央指導部批判の氾濫、「さざ波通信」に続く、86歳の宮地健一さんの「共産党・社会主義」問題サイト復活をはじめ、平山基生さん、大窪一志さん、高橋祐吉さんら実名での古参社会主義者のつぶやき、「野党共闘」で最も頼りにしてきた西郷南海子さん、山口二郎さん、上瀧浩子さんらの苦言と提言が続いています。中央指導部の無為無策と、機関紙財政危機、低賃金専従労働者の無権利・過剰と老齢化・過労死により、溶解が始まったようです。』(加藤哲郎のネチズン・カレッジ 2024年4月1日)


【山中人閒話目次】
・21世紀の日本は、毒性健康食品や時代遅れの政党をうむ怪物になったのか? 加藤哲郎のネチズン・カレッジ
・連合赤軍事件の狂気とは別としても独善的な「革命事業の担い手」という自己陶酔は今も実在している 醍醐聰X 
・戦後日本の闇 ―下山事件が教えるもの 宮田律FB
・高世仁さんの「拉致問題の膠着を破る鍵について2」 高世仁のジャーナルな日々
・キーウ州が解放されブチャ虐殺が判明して2年。いま、「ロシアのウクライナ侵攻」だったこの戦争は「ロシアの戦争犯罪」へと性格を変えた 国末憲人X
・姜湖宙の詩集『湖へ』――第29回中原中也賞選評
きょう
ウクライナ軍、米支援なければ「徐々に」退却へ=ゼレンスキー氏 ロイター

Blog「みずき」:「一部の自称平和主義者の人たち」とは誰か? 和田春樹、伊勢崎賢治などなどの面々である。私は彼ら似非平和主義者の面々、彼らを支持する者たちにも絶望する。

『アメリカの軍事支援を非難している一部の自称平和主義者の人たちの望み通りに進んでいるようだ。小国は、邪悪な大国の言いなりにならねばならないのか。これでは「戦争と平和に関する国際法」は有名無実となり、「正義と秩序を基調とする国際平和」は永遠のかなたにかすむことになる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ff2488e6c784ffdf30d3b4b2e54984d8b0d6708?fbclid=IwAR0fQR79HFOnkSGhoBdHAwLbOZApofwXfYTmInXomC7WEflcTUYH5YnoZrw_aem_AS8SMIEk_xZWDdTg2ifPRd3-HBtZV9aVyG6RQJvi9pjOSWWHaq6LG_Ol6eHAT6HFWZcF16B_-fDXPvsK0YBDKalE』(深草徹FB 2024年3月30日)

辺見庸は上記の事態をサルトル『嘔吐』の言葉を引用して次のように言う。

『クソ・ヒューマニズム

「反知性主義、マニ教的善悪二元論、神秘主義、厭世主義、無政府主義、自己中心主義、そういったものをヒューマニズムはすべて消化した。それらはもはや単なる中継点であり、不完全な思想にすぎず、ヒューマニズムにおいてのみ初めて正当化される。人間嫌いもこのコンサートのなかに自分の場所を維持している。それは全体のハーモニーに必要な一つの不協和音にすぎない。人間嫌いも人間だ。」???』(辺見庸「日録」 2024年3月28日)


【山中人閒話目次】
・小国は、邪悪な大国の言いなりにならねばならないのか。これでは「戦争と平和に関する国際法」は有名無実となる 深草徹FB 
・沖縄返還密約事件は、まだ終わっていない。日米関係が、自発的隷従を基本構造として今も続いている現実がある 金平茂紀FB
・こたつぬこの支離滅裂な論旨について――醍醐聰さんの適切なこたつぬこ批判
・小泉純一郎首相の訪朝時、日朝関係打開の第一歩としてこの機会は生かされるべきだった 高林敏之FB
・短評1:米軍は朝鮮戦争の発生を想定して自由に鉄道が使えるよう下山に要求したが、下山はこれを拒絶したのが暗殺の遠因となった 原武史X
・短評2:山本懸蔵がコミンテルンに密告され、銃殺刑となったのは野坂参三の手紙が原因ではなかったようだ 有田芳生X
・短信:Wikipediaに「松竹伸幸・鈴木元除名問題」という項目があらたにアップされている
・杉田水脈、国家権力に「公安の協力で締め出せ」と言論統制を公然と求める 共同通信
きょう

Blog「みずき」:『相も変わらず靖国問題が「私人」か「公人」かという議論に収斂される。そこには現実の政治とか、社会とか歴史というものがスッポリと抜け落ちて、過去もなければ未来もない。
そもそも国家の最高権力者総理大臣が「公人」であるか「私人」であるかという議論は議論そのものがすでに破綻しているといわねばならない。
この朝日の記事の中で私は長谷部恭男・早稲田大学教授(憲法)の「日本国憲法を『戦う憲法』だ」という文章に注目した。「従前の社会のあり方、政治のあり方を変革し、新たな政治社会を樹立しようとする」。「政教分離規定が戦っている相手は、『国家神道を梃子(てこ)として国民の精神の自由を抑圧』した戦前の社会や政治のあり方である。」と長谷部氏は指摘する。信教の自由とは、政治体制との抵抗関係であるといえよう。 国家の「非宗教性」「中立性」など、もとよりそんなものはありえないものである。国家の側にあるのはつねに宗教に介入し、国民の内面を支配するという権力行使だけである。であるがゆえに、その行使をあくまでも厳格に監視し、拘束するということにおいて成立しているのが憲法の政教分離原則なのではないのか。

(憲法を考える)その参拝「私的」なのか 陸自・海自から靖国へ、問われる政教分離(朝日)240326

 ■憲法を考える 視点・論点・注目点
 陸上自衛隊や海上自衛隊の幹部を含む自衛官らによる靖国神社への集団参拝が相次いで明らかになり、「政教分離に反するのではないか」などと議論を呼んでいる。陸自の1月の靖国参拝について、政府は「私的な参拝」で問題はないとの見解だ。自衛隊員にも信教の自由があり、参加者全員がそれぞれ自由意思に基づいて休暇を取得。玉串料も私費で支払ったことなどを根拠とする。しかし、日本国憲法に政教分離規定が設けられた歴史などを考えれば、額面通り受けとめられない。政教分離の意味を考える。
 ■規定で断った国と神道の結びつき、表す自衛隊の靖国神社の集団参拝をめぐり、3月6日の参院予算委員会で質疑があった。
 有村治子・参院議員(自民)「自衛官の靖国神社参拝について何が適切であり、どのような課題があると防衛省として整理されたのか」
 木原稔防衛相「参加者全員が自由意思に基づく私的参拝と認識した上で、休暇を取得し、玉串料を私費で支払った私的参拝だ。(部隊参拝を禁じた)事務次官通達に違反するものではない」
 この答弁は、首相の靖国神社参拝を正当化する際に繰り返し示されてきた政府の見解と相通じる。首相にも「私人」としての信教の自由はあるが、「公人」の立場の参拝であれば憲法の政教分離の制約を受ける、という考えだ。
     *
 <挙げられた4条件> もっとも歴史を振り返ると、1980年代前半までは政府は政教分離をなるべく厳格にとらえようとしてきた。
 例えば、75年8月15日に三木武夫首相(当時)が、戦後の内閣総理大臣として初めて終戦記念日に靖国神社に参拝した。その際、(1)公用車は使わない(2)玉串料は公費で出さない(3)記帳には肩書をつけない(4)公職者を随行させない、という四つの条件を挙げ、三木首相の参拝を「私的なもの」と説明した。
 80年11月の参院議院運営委員会の理事会では、「内閣総理大臣その他国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは違憲ではないかという疑いをなお否定できない。国務大臣としての参拝は差し控える」との見解を示した。
 流れを変えたのが、中曽根内閣の官房長官の私的諮問機関「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」の85年の報告書だ。「政教分離に抵触しない何らかの公式参拝の途がありうる」と踏み込んだ。
 懇談会のメンバーには憲法学者の芦部信喜・学習院大教授(当時)も参加し、「(内閣総理大臣が)宗教団体である靖国神社に参拝することは、目的は世俗的であっても、その効果において国家と宗教団体との深い関わり合いをもたらす象徴的な意味を持つ。
国家と宗教との関わり合いの相当とされる限度を超え、違憲と言わざるを得ない」とする意見を述べた。
 しかし、芦部氏は法律雑誌に寄せた論考で「私の意見は全くの少数説となった」と記している。85年の終戦記念日、中曽根康弘首相(当時)は靖国神社への「公式」参拝に踏み切った。
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 <公費支出は「違憲」> 政治の動きに一定の歯止めをかけようとしてきたのが、司法だ。下級審段階で判断は分かれているが、首相の靖国神社参拝を「違憲」「違憲の疑い」とする判決がいくつか出ている。例えば、中曽根首相の参拝をめぐる訴訟で大阪高裁は92年7月、儀礼的・習俗的なものとは言えないなどとして「違憲の疑いがある」と述べた。小泉純一郎首相の参拝をめぐる裁判では、大阪高裁が2005年9月、本殿に参拝した首相の行為を「宗教的意義が深い行為」などとして、憲法が禁止する宗教的活動にあたると判断した。
 参拝ではないが、愛媛県による靖国神社への玉串料などの公費支出の合憲性が争われた裁判では、最高裁が97年4月に「違憲」と断じた。
 「明治維新以降、国家と神道が密接に結びつき、種々の弊害が生じたことを踏まえ、新たに信教の自由を無条件に保障し、その保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けるに至った」と政教分離規定が生まれた経緯に言及。県による玉串料などの支出は、「特定の宗教への関心を呼び起こす」とし、「社会的儀礼に過ぎない」という県側の主張を退けた。
 今回の自衛隊の靖国神社参拝をどう考えたらよいのか。江藤祥平・一橋大学教授(憲法)は、「愛媛玉串料訴訟の判決が念頭に置くように、日本の政教分離条項は、何より『対靖国』を意識していることを思い出す必要がある」と語る。「国家と神道、国家と靖国神社の結びつきを断つことに大きな意味があった」
 政府は、陸自の集団参拝が隊員の自由意思による私的参拝だと強調する。しかし、と江藤氏は言う。「靖国神社が今も自衛隊の精神的支柱であり続けているように見える。
集団参拝の効果は、芦部教授がかつて指摘したように、『国家と宗教団体との深い関わり合いをもたらす象徴的な意味を持つ』」
 ■せめぎ合う旧体制と憲法理念
 靖国神社の歴史は、1869(明治2)年、明治天皇の命で「東京招魂社」が創建されたことにさかのぼる。戊辰戦争による官軍側の死者を弔うためだった。
79年、「靖国神社」と改称された。日清、日露、アジア・太平洋戦争などと合わせ、約246万柱の戦没者を「神」としてまつる。かつては陸・海軍が管理し、合祀(ごうし)対象者も軍が選び、最終的に天皇が決定した。
 「国家神道と日本人」の著書のある島薗進・東京大学名誉教授(宗教学)は、「国家のために命を落とした死者の霊を神としてまつり、天皇が礼拝することに靖国神社の存在意義があった」と語る。「神社は宗教にあらず」とされ、国教的な地位が与えられた時代。「神聖な天皇が国家の中心という『国家神道』の精神に支えられ、軍国主義の台頭とともに靖国神社はその精神的支柱になっていった」
 しかし、神社の位置づけは敗戦で大きく変わった。連合国軍総司令部(GHQ)は1945年、「神道指令」を発し、国家と神社のつながりを禁じた。靖国神社は「ミリタリー・シュライン(軍国的神社)」として活動が制限され、一宗教法人として戦後生き残っていくこととなった。
 ところが、独立回復後、間もなくして、靖国神社の「国家護持運動」が始まった。
 自民党は69年以降、計5回にわたって靖国神社を国家管理するための「靖国神社法案」を、議員立法の形で国会に提出したがいずれも廃案に。74年に法制断念に追い込まれた。法案では靖国神社を「法人」とし、宗教活動を禁じ、儀式行事などを行って英霊の偉業を永遠に伝えることが目的、などとされた。
 長谷部恭男・早稲田大学教授(憲法)は、日本国憲法を「戦う憲法」だと著書で指摘する。「従前の社会のあり方、政治のあり方を変革し、新たな政治社会を樹立しようとする」。政教分離規定が戦っている相手は、「国家神道を梃子(てこ)として国民の精神の自由を抑圧」した戦前の社会や政治のあり方である。靖国神社の国家護持運動、首相や閣僚の公式参拝、自衛隊の集団参拝などをめぐって議論が起こるのは、「戦う憲法」と旧体制との摩擦が表面化している、と見ることができる。
 自民は2012年に発表した憲法改正草案で、政教分離規定について「社会的儀礼又(また)は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」との一文を盛り込み、縛りを緩めようとしている。島薗氏は「憲法の理念と旧体制に近づけたいという考えのせめぎ合いは今後も続くだろう。どちらを選択するかが問われている」と話した。
 ■共生社会とは相いれない 取材後記
 政教分離がなぜ必要か。多くの憲法訴訟に弁護士として関わった大野正男・最高裁判事(故人)が、愛媛玉串料訴訟の判決の補足意見でこう語っている。
 靖国神社に崇敬の念を持つ人もいれば、戦没者慰霊の中心施設と考える人もいる。一方、礼拝の強制を記憶する人や、合祀(ごうし)されている人に一般市民の戦争犠牲者がほとんど含まれないことに違和感を持つ人もいる。公的機関が宗教に関われば、公的機関を宗教的対立に巻き込み、宗教を世俗的対立に巻き込むことにもなる――と。
 制服姿の自衛隊員が集団参拝する姿を当然と受けとめる人もいるかもしれないが、私は違和感を持つ。対立を生む今回の参拝は、多様な価値観を持つ人々が共に生きる社会を目指す憲法の理念とは相いれない。(編集委員・豊秀一)』(菅原龍憲FB 2024年3月28日)


【山中人閒話目次】
・憲法の政教分離原則は宗教に介入し、国民の内面を支配しようとする国家の権力行使を監視し、拘束するということにおいて成立している 菅原龍憲FB
・大山奈々子さんの共産党大会発言の全文を読む 醍醐聰X
・共産党は全国的な内部崩壊の危機に直面している――以下は、そのひとつの現れと見ていい さざなみ(日本共産党を考えるアカウント)X
・国会で爆竹を鳴らし抗議 本村紀夫さんの死去に思う 金平茂紀のワジワジー通信
・レイシスト杉田水脈を招き、スピーチ、講演をさせるということは海自自体がレイシストになったということだ 小西誠FB
・「紅こうじ」問題に関する醍醐聰さん、佐藤章さんの根源的な指摘
きょう

Blog「みずき」:『松竹伸幸さんが日本共産党に対して起こした裁判の訴状を読んだ。https://matutake-nobuyuki.com/assets/pdf/20240307_tokyo_chisai/20240307_tokyo_chisai_01_sojyou.pdf?fbclid=IwAR0ssQ_ZHxV6AMRpnwbjelQx8zYKWx3H9Eh8fYcGbaWyT9Amhvgf85OWyGU_aem_AR50WGqIVY3QPwoiCXF1dwDkLgoyPrGYAjrhlZ9NA1ArWu5BHEz7Tb2v-uuBT9EnjrUdpsrs86f9VuSTMGDJKvP_ もっとも共鳴するのは、共産党規第5条5項第4文は憲法が絶対的に禁止している「検閲」と何ら変わらず、公序良俗に反し、無効であると、真正面から憲法論争を挑んでいる点である。』(醍醐聰X 2024年3月26日)

『(上)記ポストに対し「党規は法律ではないので違憲にならない」「検閲の主語を取り違えている」といった趣旨のコメントが届いたが、訴状は憲法が私人間の係争にストレートに適用されるなどと論じているわけでないことは2件の最高裁判決を敷衍しながら記されたpp.26~31を読まれたら、わかるはず。

訴状の論旨を私なりに要約すると、憲法は私人間の関係を直接規律するものではないが、支配の関係が成立する私的自治の領域で個人の重要な法益が侵害された場合は、民法第1条、第90条(公助良俗に反する法律行為は無効)を介して、民事上の私的関係にも憲法の効力が及ぶ、という論建てである。

添付の私製メモでまとめたように、「憲法の人権条項の私人間効力」については諸説あるが、今日の通説は「間接適用説」である。この点はメモに挙げた【参考文献】1でわかりやすく解説されている。松竹訴状も「間接適用説」にそってまとめられている。なお、私の意見は追って、ポストします。』(醍醐聰X 2024年3月27日)

【山中人閒話目次】
・共産党規第5条5項第4文は憲法が絶対的に禁止している「検閲」と何ら変わらず、公序良俗に反し、無効である 醍醐聰X
・憲法は私人間の関係を直接規律するものではないが、私的自治の領域で個人の重要な法益が侵害された場合は民事上の私的関係にも憲法の効力が及ぶ 醍醐聰X
・中北浩爾氏の「日本共産党からの批判に反論する 事実にもとづかない議論をしているのはどちらか」を読んで 深草徹FB
・1984年に共産党が哲学者の古在由重さんを除籍処分にしたのは誤っていた 有田芳生X
・美浦克教さんの「広く論議されていない戦闘機の輸出解禁~世論調査で民意は賛否が拮抗 ※追記:岸田政権が閣議決定」 ニュース・ワーカー2
・谷智子さんの「境界の暴力に抗う文学的アクティヴィズム――『山よりほかに友はなし』」書評 明石書店
・高世仁さんの「ガザの大量殺戮を操るのはAIだった」 高世仁のジャーナルな日々
きょう

Blog「みずき」:『日本共産党の宮本岳議員がFacebookのコメントで、「SNSはネガの方が多い」「公務から離れたら止める」と宣言。
だが、共産党に対するネガティブな反応をつくりだしているのは共産党自身である。』(さざなみ(日本共産党を考えるアカウント)X 2024年3月25日)

『青法律協会学者弁護士合同部会の役員の方(Blog「みずき」注:おそらく昨日弊FBでもご紹介した深草徹元弁護士のことを指しているのでしょう)に続き、労働弁護団・自由法曹団の役員の方からも、ご指摘が。身内からの批判に耳を傾けられないなら、もうどうしようもない

引用:渡辺輝人X 2024年3月25日
「なんだかんだ言って、真摯に議論している大学教授と対話もできないのだな。世間一般ではそういう見方以外にはされようがない。それでもしょうがないと思うなら、SNSでは黙っておくしかないのに、積極的に醜態をさらそうとする意味が分からない。
https://twitter.com/nabeteru1Q78/status/1772079523535716474」』(スプラ坊主X 2024年3月25日)

『中野さん。一般の党員とは異なり党幹部であるあなたがこのようなツイートをする意味をおわかりでしょうか。中北浩爾さんが公明新聞にでたことを非難するならば、共産党大会に出席し、赤旗で志位議長と対談した中野晃一さんや、赤旗で志位議長とコミュニズムをめぐり対談し、共産党に応援メッセージを送った岡野八代さんに対するレッテル貼りも許されることになります。共産党を応援してくれている政治学者にダメージを与えて嬉しいですか?

引用:中野けんX 2024年3月25日 「「赤旗に反論を載せよ」? 最初に共産党を批判したのは中北さん。東京新聞や東洋経済に、中北さんと反対の立場の識者の意見は載ったでしょうか?反論が「赤旗」に載ったら、「『赤旗』で再批判させろ」って、いくらなんでも...。再批判はどこか別の党の機関紙に載せてもらったらどうでしょう。
https://twitter.com/ken_nakano1964/status/1772022200503275550」』(こたつぬこX 2024年3月25日)


【山中人閒話目次】
・青年法律家協会学者弁護士合同部会の役員の方に続き、労働弁護団・自由法曹団の役員の方からも共産党批判の声。共産党はもうどうしようもないレベルまで堕ちている
・深草徹さんの共産党批判 深草徹FB
日本共産党福岡県委員会・民青同盟福岡県委員会で起きている共産党による民青同盟に対する違法な介入の実態が明らかになった さざなみ(日本共産党を考えるアカウント)X
・高世仁さんの「モスクワ襲撃事件の政治利用に要注意」 高世仁のジャーナルな日々
・姜信子さんの「高秉權『黙々  聞かれなかった声とともに歩く哲学』メモ」 読む書く歌う旅をする
きょう

Blog「みずき」:日本共産党からの批判に反論する――事実にもとづかない議論をしているのはどちらか
https://gendainoriron.jp/vol.37/feature/nakakita.php

『はじめに
1.日米安保条約の容認について
2.民主集中制の組織原則について
3.田村委員長によるパワハラについて
おわりに

はじめに

私は2015年の安保法制反対運動とその後の野党共闘の進展を受けて日本共産党への関心を高め、結党100周年にあたる2022年に『日本共産党―「革命」を夢見た100年』(中公新書)を出版した(注1)。それ以来、新聞やテレビなど各種のメディアから、共産党についての論評を求められるようになり、①党員数や機関紙購読者数の減少にみられる党勢の後退、②国会や地方議会での議席の減少、③「市民と野党の共闘」の行き詰まり、という三つの困難に共産党が直面しており、抜本的な自己改革が不可欠であると主張してきた(注2)。

そうしたなか、2024年2月21日付の『しんぶん赤旗』は、谷本諭氏(日本共産党理論委員会事務局長)の執筆による「日本共産党を論ずるなら事実にもとづく議論を―中北浩爾氏の批判にこたえる」(以下、谷本論文)を掲載した(注3)。その後、3月3日付の『しんぶん赤旗 日曜版』にも転載された。まず執筆の労をとってくださった谷本氏に感謝申し上げる。

ネット上で、すでに多くの人々が谷本論文に様々な批判を加えているが、私は次の二点について高く評価していることを予め書いておきたい。

一つは、谷本論文がタイトルで「事実にもとづく議論を」と説き、事実を物差しとして議論を行うという前提を示していることである。これは私との重要な一致点であり、有益な論争を期待できる。仮に日本共産党が「理論的な基礎」とする「科学的社会主義」を議論の土俵として設定した場合、その時点で対話可能性が失われていた。

もう一つは、正面から私に議論を挑んでいる点である。志位和夫議長は、上記の拙著を「学術書の体裁をとった攻撃」と決めつける一方(注4)、攻撃とは「根拠のない批判」であると定義した(注5)。400を超える注が付いている拙著のどこに根拠がないのか、『週刊東洋経済』(2023年5月27日号)のコラムを借りて質問したところ、志位氏は記者会見で「名指ししていないのでコメントしない」という趣旨の発言を行って、議論を避けた(注6)。それに比べると、正々堂々としている。

ところが、谷本論文は、拙著ではなく『東京新聞』Web版2024年2月11日のインタビュー記事(注7)を批判の対象とした。新聞などの論評は字数が限られていて、根拠を十分に示すことはできないし、記者がまとめた原稿に短時間で修正を加えるだけであるから、意を尽くすこともできない。事実にもとづくことを求めるなら、なぜ正々堂々と拙著を批判の対象としないのか。理解に苦しむところである。

そうした内容以前の問題をはらむ谷本論文ではあるが、以下、正面から反論を加える。それを通じて、谷本論文こそが事実にもとづく議論を行っておらず、随所で論理の矛盾を来たしていることが明らかになるはずだ。私の発言の引用は、上記の『東京新聞』Web版のインタビュー記事からであり、引用中などの太字は、私がそうしたものである。

なお、私は『週刊東洋経済』(2024年3月9日号)のコラムと「しんぶん赤旗」編集局への書簡によって、谷本論文に対する同一分量の反論文を『しんぶん赤旗』などに掲載するよう求めた。『サンケイ新聞』(現『産経新聞』)1973年12月2日付朝刊が、自民党による共産党批判の意見広告を掲載したのに対して、共産党は反論文の無料掲載を求めて裁判を起こしたことがある。

それにもかかわらず、『しんぶん赤旗』が一般紙とは異なり「多大な影響力」と「公共性」を持たないという自虐的な理由をもって、私の要求は拒否された(注8)。しかし、かつて赤旗編集局長の小木曽陽司氏は、「新聞であることと党の機関紙であることは両立しうるのか」という『朝日新聞』の記者の質問に対して、「両立しうるし、実際に両立している」と答えていたはずだ(注9)。

こうした経緯を経て、『現代の理論』デジタルのご厚意で、長めの反論文を公表させていただく。

1.日米安保条約の容認について

谷本論文は、私が「安保容認の党になれ」と主張しているかのように書く。しかし、これこそ事実にもとづかない批判である。私は、「野党連合政権を目指すなら、日米安保の容認など大胆な政策の柔軟化が必要だ」と論じる一方で、「日米安保条約の廃棄など急進左派の立場を続け、外から政権を批判する」という選択肢にも言及している。共産党が野党連合政権を作りたいのであれば、「安保容認」が必要だといっているのであって、そうでなければ、安保廃棄でも問題はないというのが、一貫した主張である。正確に読んで欲しい。

谷本論文は「わが党が日米安保条約の廃棄の立場をとる」と書くだけで、志位議長が野党連合政権では自衛隊とともに日米安保条約を活用するという方針を打ち出し、同条約の第5条に基づき在日米軍に出動を要請する可能性に言及したことに(注10)、全く触れていない。立憲民主党などが安保・自衛隊を肯定しているという状況の下、志位氏と私は野党連合政権では安保・自衛隊を容認するしかないという点で一致しているが、この重要な事実を隠している。谷本氏は私を批判するのであれば、志位氏も批判すべきである。

もちろん、両者には違いもある。志位氏は野党連合政権の下でも共産党としては安保廃棄・自衛隊解消を主張するという立場をとっているが、私はそれに否定的であり、リアリティがないと考えていることだ。この点については拙著のなかで詳しく論じ、主に二つの理由を示した。

一つは、党と政府の使い分けが容易ではないという理由である。共産党として安保廃棄を主張するのであれば、国会で「思いやり予算」(在日米軍駐留経費負担)を含む防衛費に反対しなければ筋が通らないが、それでは予算が否決されかねず、政府も倒れかねない。また、尖閣有事などの際、野党連合政権がアメリカ軍に出動要請を行い、米兵に血を流すことを求ながら、共産党自体は国民世論に向けて安保廃棄のキャンペーンを張る、という矛盾した状態に陥ってしまう。自衛隊に関していえば、自らが支える野党連合政権が憲法違反であるはずの自衛隊を活用した場合、立憲主義に反するという批判を招く。

もう一つは、日本を取り巻く安全保障環境は静態的ではないという理由である。共産党は1998年の不破哲三委員長の整理に基づき(注11)、野党連合政権では日米安保条約や自衛隊について「留保」ないし「凍結」、つまり現状維持を認めつつも「現状からの改悪はやらない」という方針をとっているが、それでは中国の軍拡や新たな防衛装備品の開発などに対応できない。2015年に共産党が提案した国民連合政府は、文字通りの暫定政権であったが、その後の野党連合政権は長期にわたって存続することが想定されている以上、この点は明確にする必要がある。

谷本論文は、私が安保容認を唱えて日米安保条約の問題点を無視しているかのごとく主張する。しかし、翁長雄志前知事や玉城デニー知事をはじめ「オール沖縄」の保守系がそうであるように、安保容認を前提としつつも、在日米軍基地の縮小や日米地位協定の見直しを主張することはできる。

また、谷本論文は、「軍事同盟強化に代わる構想」として東南アジア諸国連合(ASEAN)に注目するが、そのメンバーのフィリピンがアメリカと米比相互防衛条約を結んでいるといった事実を無視する。この事実に示されるように、軍事同盟を必要悪として維持しながら、地域協力の枠組みを通じて緊張緩和を推進することは必ずしも不可能ではない。

例えば、西側の北大西洋条約機構(NATO)と東側のワルシャワ条約機構(WTO)が存在するなか、1973年から全欧安全保障協力会議(CSCE)が東西ヨーロッパ諸国と米加の35ヵ国が参加して開かれ、75年に武力の不行使や経済文化協力の拡大などを含むヘルシンキ最終議定書が採択された。同議定書が人権や人道の普遍的な重要性を明記し、その理解が東欧諸国で広まったことが、冷戦終結の一つの背景になったといわれる(注12)。

確かに、容認よりも廃棄の立場をとったほうが、日米安保条約の問題点を鋭く批判することができる。繰り返しになるが、野党連合政権を目指さないのであれば、安保廃棄でも問題はないというのが私の主張である。

共産党は2020年の第28回大会の決議で、党創立100周年の22年までに野党連合政権を樹立する目標を定めた(注13)。それが失敗に終わったのに、党指導部は責任をとらなかったばかりか、失敗の原因について事実にもとづく十分な総括を行わなかった。深い考察を欠く谷本論文を読むと、そのツケが回ってきているのではないかと思わざるを得ない。

2.民主集中制の組織原則について

民主集中制について、谷本論文は混乱している。党規約で定める民主集中制の5つの基本に関して「近代政党ならしごく当たり前のこと」と述べる一方で、「わが党独自のもの」と断言し、矛盾を露呈している。

それでいながら谷本論文は、ドイツ左翼党が「党の規約から民主集中制を削除し、派閥を認めたことが、いくつもの派閥をつくることにつながり、その主導権争いがメディアで報道され、深刻な困難に陥っている」と書く。しかし、そもそも左翼党は民主集中制を採用した事実がない。前身の一つの民主的社会主義党(PSD)が、東ドイツの体制政党であった社会主義統一党(SED)から転換する段階で、すでに民主集中制を廃止して党内多元主義を保障し、様々な党内グループの存在を積極的に認めた。そのPSDと西ドイツの社会民主党左派の流れを引くWASGが合流して左翼党が成立したのであるから、民主集中制を採用するはずがない(注14)。

谷本氏は、ドイツ左翼党がSEDから民主集中制を継承すべきであったと主張したいのであろうか。現在の日本共産党の綱領は、「ソ連とそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国で一九八九~九一年に起こった支配体制の崩壊は、社会主義の失敗ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産であった」と述べる。理論委員会の事務局長が、ソ連を後ろ盾に東ドイツの民衆を抑圧したSEDを高く評価するかのような文章を機関紙に掲載することは綱領上、許されるのであろうか。

谷本論文は、分派の禁止を伴う民主集中制がソ連(ロシア)共産党およびそれが指導したコミンテルン(共産主義インターナショナル)由来であることに一切触れず、「どこかの外国から持ち込まれたものではない」と強調する。拙著に書いた通り(注15)、私も日本共産党が歴史的経験から民主集中制の内実を一定程度、手直ししてきたことは認めるが、「わが党独自のもの」と断言するのは明らかに誤りである。日本共産党独自のものであれば、ドイツ左翼党のくだりで民主集中制という言葉が出てくるはずがないではないか。

そもそも日本共産党は、コミンテルンの日本支部として1922年に結成された。そのコミンテルンは、「加入のための21カ条の条件」で「民主主義的中央集権制の原則にしたがって組織されなければならない」(ここの太字は原文では傍点)と明記していた。だからこそ、日本共産党の前年に結成された兄弟党の中国共産党も、民主集中制の組織原則を保持している。これらは厳然たる歴史の事実である。

民主集中制について私が特に問題にしたいのは、その組織原則に従って行われている現実の党運営である。谷本論文は、民主集中制の5つの基本を「近代政党ならしごく当たり前のこと」という。だが、共産党は、松竹・鈴木両氏が本の出版の時期を相談しただけで、党規約第3条の「党内に派閥・分派はつくらない」という規定に基づいて分派活動と認定し、除名した(注16)。そのようなことは今日、日本の他の政党では「当たり前」には行われていない。それとも、そのような非常に厳しい処分を党員に行わない政党は、前近代的というのであろうか。

谷本論文は、「民主集中制がパワハラの温床」であるという私の主張を批判する。ところが、共産党の千葉県中部地区常任委員などを務め、衆院選や千葉市長選の候補者にもなったことがある元党員の大野隆氏は、党勤務員(専従)時代にハラスメントを受けながら、適切な対応を党が行わなかったこと、それが「上意下達かつ、厳しい上下関係の存在」という党運営の本質に根差していることなどをブログで詳細に明らかにしている。大野氏も書いているように、埼玉県草加市や大阪府富田林市など各地の党組織でハラスメントが明らかになり、二次被害が起きるような事態になっている(注17)。こうした不都合な事実から目を背けているのは、私ではなく谷本氏のほうではないか。

党大会直前の1月11日、6名の党員と1名の元党員が匿名で記者会見を開き、松竹氏らの除名撤回などを求めたが、そのうち一人の女性は党内でハラスメントが横行していると訴え、「被害者を泣き寝入りさせることが常態化している」などと語った(注18)。党大会後の2月15日にも11名の党員・元党員が匿名で記者会見を開き、田村委員長の「結語」でのパワハラを批判した(注19)。党規約第5条の「党の内部の問題は、党内で解決する」という規定によって処分されないため、一般の党員が匿名で記者会見を行って告発せざるを得ないという、他党には見られない異常な事態を生み出している。

谷本論文こそ、以上のような事実にもとづく議論をすることなく、民主集中制を擁護している。「異論を唱える党員を『支配勢力に屈服した』と糾弾する」という私の批判を「全くの事実誤認である」と断言するのであれば、上記の党員・元党員の告発をどのように説明するのか聞いてみたいものである。

現在、党員もSNSを通じて自ら発信し、党内外を問わず意見を戦わせ、繋がることができる時代である。「党内に派閥・分派はつくらない」「党の内部の問題は、党内で解決する」といった党規約を厳格に適用することは難しい。実際、SNS上には党員の匿名アカウントによる党指導部批判が溢れている。党指導部はそれを抑え込むのに躍起のようだが、やはり民主集中制とその下での党運営を見直し、一定の多元性を承認した上で党内民主主義を強め、党外にも開かれた組織に変えていくことが必要ではないか。

3.田村委員長によるパワハラについて

2024年1月15日から18日に開かれた第29回党大会の「結語」で、現在の委員長の田村智子氏が大山奈々子・神奈川県議に対して行ったパワハラについて、谷本論文は「発言者の人格を否定したり傷つけたりするハラスメントでは決してない」という。しかし、田村氏は「発言者の姿勢に根本的な問題がある」「あまりにも党員としての主体性を欠き、誠実さを欠く発言だ」「まったく節度を欠いた乱暴な発言」などと述べており(注20)、事実にもとづけば、人格攻撃というしかない。しかも、多数の代議員が出席するなか、副委員長かつ委員長就任予定者という巨大な権力を持つ立場からの発言である。口調も厳しく、谷本論文がいうような「発言内容」にしぼった「冷静な批判」とは到底いえない。

パワハラという指摘は、決して私だけが行っているわけではない。地方議員など党内からも同様の声が上がっており、産経新聞ばかりか、共同通信も報じている(注21)。こうしたなかで、もし共産党が事実をもってパワハラではないということを証明したいのであれば、完全に独立した第三者委員会を設置して徹底的に調査し、報告書を作成すべきである。例えば、性加害問題が発覚したジャニーズ事務所、過重労働やパワハラが指摘された宝塚歌劇団、不正な保険金請求が明るみに出たビッグモーター社についても、そうした方法での対処がなされた。「結語」が中央委員会総会で策定されたものである以上、党指導部は加害を疑われる当事者である。一方的に党指導部の主張を繰り返すだけの谷本論文は、全く説得力に欠けるといわざるを得ない。

谷本論文は、「中北氏は、わが党が「異論を唱える党員を『支配勢力に屈服した』と糾弾する」……などと批判しているが、全くの事実誤認である」と、私を声高に非難する。しかし、この論文は同時に「除名された元党員の問題の政治的本質が、「安保容認・自衛隊合憲に政策を変えよ」「民主集中制を放棄せよ」という支配勢力の攻撃への屈伏にある」と書き、結局、私が指摘したように、松竹伸幸・鈴木元両氏を「支配勢力に屈服した」と糾弾している。完全に矛盾しているではないか。

谷本論文は、松竹・鈴木両氏の除名について、「除名された党員は、「異論を唱えた」からでなく、規約のルールにのっとって党内でそれを表明することをせず、党外から党を攻撃したことが問題とされた」と述べる。ところが、大山氏の党大会での発言に関しては、「除名された元党員の問題の政治的本質が、「安保容認・自衛隊合憲に政策を変えよ」「民主集中制を放棄せよ」という支配勢力の攻撃への屈服にあるということへの無理解」に基づいていたという理由から、「結語で厳しい批判を行うことは、あまりにも当然」と主張する。やはり党指導部は、松竹氏らが「自衛隊合憲」などの「異論を唱えた」ことを問題視し、大山氏がそれを理解していないことを批判したのであり、松竹氏らが「異論を唱えた」から除名されたわけではないという記述と、矛盾を来たしている。

大山氏は党大会で「異論を唱えたから除名したのではないと繰り返しわが党の見解が報じられていますが、そのあとには松竹氏の論の中身が熱心に展開されますので、やはり「異論だから排除された」と思わせてしまう」と述べているが(注22)、谷本論文によって、この大山氏の発言の正しさが裏付けられた。つまり、「結語」での大山氏に対する批判が、人格攻撃を含むパワハラであったという疑いだけでなく、批判の理由についても不当なものであることが明らかになったといえる。

谷本論文は、共産党のあるべき姿として「誤りや不十分さがあれば、率直な自己・相互批判によってそれを克服し、互いに成長していく」と述べる。党指導部は、これを自ら率先して実践に移すべきである。党規約第16条でいう「上級の党機関」の高みから、一方的に党員を批判してはならない。

おわりに

これまで論じてきたように、谷本論文は事実にもとづかないだけでなく、多くの箇所で論理的な矛盾を来たしている。谷本論文は末尾で「“ゆがんだ「鋳型」にあてはめてすべてを裁断する”といった批判」を行っていると私を非難するが、私が書いた文章を正確に読み込まず、“鋳型”にあてはめて解釈し、批判を加えているのは、谷本氏のほうだといわざるを得ない。

山下芳生副委員長は2月20日、YouTubeの党公式チャンネルで党勢拡大に向けた「緊急の訴え」を発表し、そのなかで翌日の機関紙に「党大会後の日本共産党批判にこたえる個人論文が掲載される予定」であるとアナウンスし、「重要な論文なので是非、学習・討議し、力にしていただきたい」と訴えた(注23)。このような経緯を経て谷本論文が発表された以上、少なくとも山下氏ら党三役の一部は目を通していたはずである。

私は田村氏の委員長就任について『朝日新聞』にコメントを寄せ、「不破氏の引退も加わり、党の理論的水準の低下に拍車がかかりかねない」と述べた(注24)。図らずも、共産党の理論水準がすでに低下しているという事実が、新たに設置された理論委員会(責任者は田中悠副委員長)の初仕事である谷本論文およびその発表の経緯によって、裏付けられた。宮本顕治氏や不破氏ら、かつての党幹部が執筆した重厚な論文を数多く読んできた者としては、残念としかいいようがない。

最後に注目したいのは、谷本氏が私のインタビュー記事のなかでも触れていない箇所があることだ。

一つは、党勢衰退に関する部分であり、「今年1月の党大会に向けて党員数と「赤旗」の購読者数を3割増しにする目標を掲げたが、現状維持もできなかった。なのに科学的な総括はなされず、精神論で増やせと号令するだけだ」という指摘である。

もう一つは、共産党で自己改革が進まない理由について、「自由で公正な党首選挙を行わず、前任者が後任者を推薦して承認する方法では自己改革が難しい。最高幹部の最高齢は90歳代で、組織論は党勢が拡大した1960〜70年代のままだ」、「一般にはなかなか見えないが、実態は代々木(党本部)の専従活動家からなる官僚制が支配しており、その上に立つ党指導部は硬直的だ」と述べた部分である。

谷本氏がこれらの箇所に言及しないのは、事実であり、否定できないからであろう。私は、党員数と機関紙購読者数の減少に示される党勢の後退を食い止めるためには、民主集中制の見直しや党員参加の党首選挙の実施など抜本的な自己改革が不可欠だと考えている。実際、党大会後も党勢の後退が止まらず、「130%の党づくり」の実現は遠のくばかりだ(注25)。その結果、「日刊紙、日曜版の発行の危機が現実のものになりつつあるのが率直な現状です」「日刊紙、日曜版の大きな後退を許せば、中央機構の維持も、地方党組織の財政もさらに困難をまします」などと訴えざる得なくなっている(注26)。これこそ、党指導部が直視すべき最も重要な事実ではないか。

谷本氏による事実にもとづく再反論も期待するが、私が強く求めるのは、拙著を「学術書の体裁をとった攻撃」と決めつける一方、攻撃とは「根拠のない批判」であると定義した志位議長に、拙著のどこに根拠がないのか、自ら筆をとって明らかにしていただきたい、ということである。「根拠のない批判」という言葉は、私に研究者として失格であると述べたに等しい。拙著を書くにあたって、志位氏は多忙ななかでインタビューに応じてくださった。そのことには今でも大変感謝しているが、100年を超える歴史を刻む日本共産党の議長として、正々堂々たる対応を望みたい。 

【注】
注1 中北浩爾『日本共産党』中公新書、2022年。
注2 最もまとまったものとして、中北浩爾「自己改革で日本政治のゲーム・チェンジャーに」(有田芳生ほか『希望の共産党』あけび書房、2023年)。
注3 https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-02-21/2024022104_01_0.html。
注4 『しんぶん赤旗 日曜版』2022年10月23日。
注5 2023年4月27日の志位氏の記者会見。党幹部の記者会見の動画はYoutubeの党公式チャンネル(@jcpmovie)で視聴できる。
注6 2023年5月25日の志位氏の記者会見。
注7 https://www.tokyo-np.co.jp/article/308682。
注8 『しんぶん赤旗』2024年3月12日。
注9 『朝日新聞』デジタル2020年11月28日。
注10 志位氏の外国特派員協会での講演(『しんぶん赤旗』2015年10月17日)。
注11 『しんぶん赤旗』1998年8月25日。
注12 青野利彦『冷戦史(下)』中公新書、2023年、53-54、118ページ。
注13 「第一決議(政治任務)」(『前衛』2020年4月臨時増刊)139ページ。
注14 大笹みどり「1989年東独革命についての一考察」(大阪大学『国際公共政策研究』第3巻第2号、1999年)、星乃治彦『台頭するドイツ左翼』かもがわ出版、2014年、第1部第2章、第2部第4章、木戸衛一『変容するドイツ政治社会と左翼党』耕文社、2015年、第3-5章。
注15 以下の日本共産党および国際共産主義運動の歴史については、拙著『日本共産党』に詳しい。
注16 日本共産党京都南地区委員会常任委員会・京都府委員会常任委員会「松竹伸幸氏の除名処分について」2023年2月6日(『しんぶん赤旗』2023年2月7日)、日本共産党京都府委員会常任委員会「鈴木元氏の除名処分について」2023年3月16日。
注17 大野たかし「日本共産党大会におけるパワハラについて」。
注18 『産経新聞』電子版2024年1月11日。
注19 『産経新聞』電子版2024年2月15日。
注20 『しんぶん赤旗』2024年1月20日。
注21 『産経新聞』電子版2024年1月19日、『共同通信47NEWS』2024年1月21日。
注22 『しんぶん赤旗』2024年1月18日。
注23 https://www.youtube.com/watch?v=a-g_1wa-y28。
注24 『朝日新聞』2024年1月19日。
注25 大会・幹部会決定推進本部「幹部会決定にたちかえり3月こそ『三つの課題』をやりきる月に」(『しんぶん赤旗』2024年3月2日)。
注26 大幡基夫・岩井鐡也「3月大幅後退の危険。日刊・日曜版の発行守るため大奮闘を心から訴えます」(『しんぶん赤旗』2024年3月19日)。

*中北浩爾(なかきた・こうじ):三重県生まれ、大分県育ち。1991年、東京大学法学部卒業。1995年、東京大学大学院法学政治学研究科中途退学。博士(法学)。大阪市立大学助教授、立教大学教授、ハーバード大学客員研究員、一橋大学教授などを経て、2023年より現職。専門は、日本政治史、現代日本政治論。近著に、『自民党―「一強」の実像』中公新書、2017年、『自公政権とは何か』ちくま新書、2019年、『日本共産党』中公新書、2022年など。』(季刊 現代の理論第37号 2024年3月22日閲覧)


【山中人閒話目次】
・中北浩爾さんの「日本共産党からの批判に反論する――事実にもとづかない議論をしているのはどちらか」 季刊 現代の理論
・僕が気になるのは、古在由重さんへの除籍通知書の「表現」が、40年後の「いま」も流通していることです 有田芳生X
・太田昌国さんの「半世紀前の出来事を振り返ることの難しさ」 レイバーネット日本
・ラファでこれから起きること――犯罪者ネタニヤフの目をみるといい。見たくなくても。彼はまがうかたなき狂人だ辺見庸「日録」
・姜信子さんの「阿波根昌鴻『米軍と農民 ー沖縄県伊江島ー 』1973 岩波新書 その1」 読む書く歌う旅をする
きょう

Blog「みずき」:広原盛明さんの「「開拓と苦悩の百年」を強調するだけでは国民の共感を広げられない、全国都道府県学習・教育部長会議での志位発言を読んで」
https://hiroharablog.hatenablog.com/.../20240321/1710962566

『(前略)志位氏はなぜ、ことさらに「開拓と苦悩の百年」を強調し、「政治対決の弁証法」に言及するのだろうか。それは「党はなお長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功していません」――と言わざるを得なかったように、彼の委員長在任中(23年余)に入党(18万4千人)を4万人近く上回る大量の離党(22万1千人)が発生じたことを(公表しないにもかかわらず)忘却できないからであろう。そのことが志位氏のトラウマになり、激しい心理的葛藤と焦燥感に駆られる心理的背景になっているのである。志位氏が「強い党づくり」を希求し、「艱難辛苦」「臥薪嘗胆」といった一昔前の心構えに連なる「開拓と苦悩の百年」をことさらに強調するのは、そのためである。

 しかしながら「長期にわたる党勢後退」が否定しようもない現実である以上、本来ならば原因を抜本的に究明し、新しい方針によって党活動の転換を図るのが筋というものだ。ところが、志位委員長は党創立100年という時点においても「党の理論的・政治的・組織的方針は間違っていない」と断言し、方針の誤りを認めることもなければ、方針を転換することもなかった。そのシナリオが「開拓と苦悩の百年」を強調して党の原点である革命的気概を呼び起こし、「どんな困難にも負けない党」をつくることを強調するものだったのである。志位氏にはそれ以外に方策がなかったのであり、それ以外の発想が生まれようがなかったのである。

 その後、さすがの志位氏もこれだけでは拙いと思ったのか、学習・教育活動の合言葉のなかには「知的魅力によって国民の共感を広げる党になろう」「学習・教育によって一人ひとりが成長する党になろう」を付け加えている。通常、国民の共感を広げるような知的魅力といえば、現代市民社会における多様な価値観に柔軟に対応しながら、人々の理解を広げて共通の認識を導くことのできる優れた感性と能力のことを意味する。しかし志位氏の場合は、「綱領と科学的社会主義の立場に立ち、国民の〝なぜ〟に答え展望を示すことが、党の知的魅力となった国民の共感を広げることになります。大会決定はその宝庫です。人間は進歩的組織とともにあってこそ、人間としての自由を獲得し自己を成長させることができる」というものであり、全てが党の綱領と大会決定を学ぶことに収斂されることになっているのである。

 志位氏が提唱するこうした学習・教育活動は、結局、人間の全面的発達を党綱領と大会決定の狭い枠に閉じ込めることになり、結果として外部からの批判を全て「反共攻撃」としか見なせない偏狭な政治意識を育てることにしかならない。そこには社会の批判を柔軟に取り入れ、それを契機に自らを成長させていくような「開かれた民主的感覚」は育たないのであり、拙ブログに寄せられたコメントの多くもそのことを指摘している。今からでも遅くない。志位氏はもう「開拓と苦悩の百年」を強調することを止め、「明るい開かれた未来」を実現するための新たな道筋を語るべきではないか。(後略)』(広原盛明のつれづれ日記 2024年3月21日)


【山中人閒話目次】
・志位和夫が提唱する学習・教育活動なるものは偏狭な政治意識を育てることにしかならず、「開かれた民主的感覚」も育ちえない 広原盛明のつれづれ日記
・平川道也さんの「日本共産党は「民主集中制」ではない」 平川道也note
・民主集中制はいまや本来は党大会の命令委任による拘束的な党官僚システムであるはずが自由委任による権威的官僚システムに成り下がってしまった 匿名性 metal stay home X 
・「あなたの弁証法的唯物論はまがいもの」 「猿の論理」などと人間性を疑う古在由重「除籍通告書」は誰が起案し、手を入れたのは誰か 有田芳生X 
・なんでもかんでも国民に負担させて平気な国の厚かましさ。日本政府は何を守りたいのだろう? ジェームズ・F. ガメ・オベールX
・朝日新聞はとても報道の自由を実践できるメディアではない、と語るある現役記者の述懐 紙屋高雪X
・美浦克教さんの「沖縄のオスプレイ飛行再開、全国メディアに報道を要請~日本本土の主権者に当事者性」 ニュース・ワーカー2
・不当なアカウント制限はするのに、詐欺会社からは広告収入を得る、恥知らずのFacebook 岩月浩二FB
・高世仁さんの「欧州を揺さぶるロシアへの警戒感」 高世仁のジャーナルな日々
きょう

Blog「みずき」:『今日の朝日新聞オピニオン面に掲載されたインタビュー記事。「放送大学教授」を肩書として用いる、おそらく最後の記事になると思います。』(原武史X  2024年3月12日)

上記の事情が大きく影響していると思いますが、原武史が朝日新聞のオピニオン欄で「象徴天皇制、根源から問い直す議論を 主権者への原武史さんの訴え」と題された象徴天皇制に関するきわめて重要な問題提起をしています。

全文を転載したいところですが、以下、私が同論の中でも特に重要だと思う「多様化する「国民」の統合、「血」で担えるのか」と題された最終節をピックアップして転記させていただくことにします。

象徴天皇制、根源から問い直す議論を 主権者への原武史さんの訴え 多様化する「国民」の統合、「血」で担えるのか

『――では、どう皇室の存続を図ってゆけばよいのでしょう。

 「どう存続させるか、ではなく、そこまでして象徴天皇制を維持する必要性があるのか、もはや存廃に踏み込んで議論すべき段階です。上皇は『おことば』の中で『国民』という語を11回使いました。ここでいう国民とは、誰を指すのでしょう。移民や在日コリアンなど外国をルーツにする人は含まれているのでしょうか」

 「万世一系イデオロギーと血の純粋性をよりどころにした制度は、多様化する社会の統合や包摂を担うメカニズムにはなり得ず、逆に排除の論理になりかねません。『和をもって貴しとなす』日本的共同性の『象徴』だった天皇は、どんどん時代から遊離している。もっぱら『日本人』との紐帯(ちゅうたい)のみを強めてきた『平成流』は、そういう意味でも乗り越えられなければならないのです」

 ――天皇制廃止をタブーにせず論じるべきだと?

 「むしろ右派が逆説的に存廃の話をしているのに、左派リベラルは存続が前提の議論ばかりしています。平成流を過度に理想化し、上皇を戦後民主主義の擁護者かのように仰いでいるのも主に左派です。安倍晋三元首相的な改憲派に対する防波堤的機能を、天皇や上皇に期待する声すらあります。しかし、民主主義を機能させるという、本来政治や国民が果たすべき役割を、天皇や上皇に求めるのは極めて危うい。その時々の政治の否定勢力が天皇とつながろうとするのは、昭和維新をもくろみ2・26事件を起こした青年将校が抱いた理想に近い。『リベラル』が天皇や上皇にそうした期待を抱くのは、筋違いも甚だしい」

 ――天皇制は憲法14条が定める「法の下の平等」原則の例外で、「身分制の飛び地」とも評されます。一方で、国民国家を成立させ、民主制を補完する機能をも担ってきたとして、積極的に評価する識者もいます。

 「それは、近代天皇制の歴史を単線的に捉えた、不正確な認識だと思います。天皇という称号や諡号(しごう)は、江戸後期の光格天皇で復活するまで長らく使われておらず、その存在は一般の人々にはほとんど忘れられていました。明治初期にはまだ、出雲(いずも)国造(こくそう)や東西本願寺の法主など、他にも巨大な聖的権威が存在していました」

 「岩倉具視が持ち出した万世一系という『血のフィクション』にしても、南朝と北朝のどちらを正統とするかというやっかいな問題を抱えており、歴代の天皇が確定したのは大正末期です。それまで、イデオロギーに見合う実体は未完成だったわけです。幕末に倒幕の旗印になったのは事実ですが、明治維新の過程で一気に天皇が国民統合の核になり、近代国家が形成された――そんな単純な話ではありません」

 ――天皇を「空虚な中心」や「蜂の巣の女王蜂」にたとえる構造主義・記号論的な分析が、かつてありました。

 「幕末までは権力や固有の武力をほぼ持たない時代が続き、戦後もGHQが占領統治の安定のために天皇を利用したことなどから、まるでゼロ記号のように何者にもなり得て、全体をうまく機能させてきたという論ですね。これも、閉じた不変のシステムが存在することを前提にしており、天皇を歴史的、実証的に捉えていない説明だと思います」

 「そもそも、日本は戦前から『蜂の巣』のような同質的な単一民族国家ではなく、植民地出身者やアイヌなど多様なルールを持つ人たちの社会でした。言葉を交わさなくても互いに『日本人』と了解し合い、沿道で天皇を仰ぎ見て涙を流すような人々だけの国ではなかったのです」

タブーなき議論の場、メディアは提供できているか

 「後に『天皇制国家』と呼ばれるものは、国家神道の整備と大規模な行幸、学校教育によって、紆余(うよ)曲折を経ながら形成されたものです。私は、特にメディアが果たした機能が大きいと考えています。平成期にテレビが天皇、皇后の姿を繰り返し報道し、国民に寄り添うイメージを強く刻印したように、時代ごとに新聞や活動写真、ラジオが皇室の権威を高める役割を一貫して担ってきたのです」

 ――世論調査では7割以上が象徴天皇制を支持しています。これもメディアの報道が形成した面が大きいということですか。

 「天皇の地位は主権者である国民の総意に基づく、と憲法に明記されているとおり、そのあり方は私たちが論じて決めていくものです。にもかかわらず、メディアはそのための自由な言論の場になっていない。第一、あの特別な敬称や敬語は何ですか。47年に報道各社が宮内府(当時)と、普通のことばの範囲内で最上の言葉を使うと取り決めたものを、80年近く続けている」

 「それでも59年の皇太子成婚の頃はテレビのアナウンサーが『明仁さん』と言ったり、昭和天皇の会見で記者が戦争責任や原爆投下について単刀直入な質問をして生の言葉を引き出したりしていました。だから、むしろ状況は悪化している。朝日新聞は90年に『独自の皇室用語法を模索していきたい』との方針を示していたはずですが、どうなったのでしょう?」

 ――「菊タブー」をメディアが再生産していると?

 「上皇夫妻が積極的に行った地方訪問も、憲法が何ら規定しない公的行為のあり方として適切だったのか。退位につながった『おことば』も、第2の人間宣言のように称賛されましたが、国政に権能を有しない天皇が政府や国会を通さず11分間も国民に直接語りかけ、政治が動き立法がなされるというのは、権威どころか、あからさまな権力の発露です。天皇自ら象徴のあり方を規定したことも、憲法の矩(のり)を超えていると私は考えています。しかし、それを問う声は主要メディアにはほとんど登場しない」

 「メディアが肯定的にしか報じなかった平成時代の『慰霊の旅』も、2人が訪れたのは、沖縄や硫黄島、サイパンなど、戦争末期に日本軍が敗退した激戦地ばかりです。盧溝橋や南京、真珠湾、コタバルなど、日本が軍事行動を起こした地、つまり『加害』を印象づける場所には赴いていません。私は、日本の戦争の全体像が隠されているとすら思っています」

 「新聞もテレビも、皇位継承や政教分離の問題を扱うことはあっても、根源的な問題には踏み込まない。これでは、天皇のあり方を決めるべき国民の中に冷静な議論は育たず、タブーはいつまでも残ったままです。ジャーナリズムは本来の責任を果たすべきです」(聞き手・石川智也)

     ◇

 はら・たけし 1962年生まれ。専門は日本政治思想史。放送大教授、明治学院大名誉教授。「昭和天皇」「皇后考」「大正天皇」「戦後政治と温泉」など著書多数。』(朝日新聞 2024年3月13日)


【山中人閒話目次】
・象徴天皇制、根源から問い直す議論を 主権者への原武史さんの訴え 朝日新聞
・kojitakenさんの「象徴天皇制、根源から問い直す議論を 主権者への原武史さんの訴え」を読む kojitakenの日記 原武史×御厨貴 日本の政治家が劣化してしまった根本原因 PRESIDENT Online
・有田芳生さんのXから――『日本共産党の百年』を読んでも、1984年に古在由重さんたちを排除しなければならなかった理由はいっさい総括されていない
・ここで交わされる佐高信と尾形聡彦の立民・連合批判、辻元清美・内田樹批判は、リベラルとしてはまったく正当な反リベラル批判というべきであろう アークタイムズ
・これはこの国の戦後の総決算と締めくくるべき事態ではないか――靖国神社の新たな宮司に元海将の大塚海夫氏 自衛隊の将官経験者で初
・横田喬さんの「ウィリー・ブラント(元西独首相)の『ナイフの夜は終わった』(朝日新聞社刊、中島博:訳) ――波乱に富む反ナチ闘争の自伝」 リベラル21
・「エドワード・サイード ある批評家の残響」中井亜佐子さんインタビュー 研究・批評通じパレスチナを発信した生涯
・ふっと姜信子さんの論稿が目にとまった。「杜の小さき神々」を想い起せという。しかしこのような認識はとても危うい 菅原龍憲FB